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講 座 社︿百一

教育・学習
西原鈴子 西郡仁 朗 編



一日五旧科 学 四

ひつ じ書房
要旨 :

日本 は い まや単一 の言語環境 で はな く 多言語 的 な環 境 にある こ とは 間違 い な


い バ イリ ンガル な状 況 の 具体 的 な姿 は様 々 な要 因 に よって 多様 で あ る 言語
学者 と関連 して どの よ うな言語状況 が生 まれ るのか 社 会 距離 ,歴 史的関係
ll」
,

経済力 ,宗 教 ,文 化継承 ,イ メー ジな どの要 因 を考察す る 権力 と社 会 との 関係


支配者 と被支 l・L者 との比率 とバ イリ ンガル 使用 次 に バ イ リ ンガル 教育 の 評価
少数派 言語 教育 に つ い てのそ の 少数派 の言 語 を lllう べ きか ,多 数派 の 言語 を使 う
べ きか の 論議 な どに つ いて も 分析 した バ イリ ンガ ル教 育 の 類 型 を分類 し日本
における バ イリ ンガル教育 の 意味 を考察 した

キ ーワー ド i

バ イリ ンガ リズム 社会言語学 .支 配関係 , イマー ジ ヨン サブ マー ジ ョン

1 は じめ に一 な ぜ バ イ リ ン ガ ル 教 育 に注 目 す る か
一昔 前 1本 は単 一民族 国家だ と発言 した政治家が反感 を呼 んだ 同 じよ
うに 「 日本 は単 一 言語社会 だJと 言 う人に対 して 社会言語科学 に携 わつて
い る私 たちはどう反論す れば良 い だろうか 日本 は単 一言語社 会ではない と
い うの は事実だが ,圧 倒的 に大勢 な日本人に とつてその実態 じた いは無意味
であ る つ まり ほ とんどの 日本人は一生 を通 じて 日本語 だけで生活 して い
る この事 実 も我 々が受け止めなければな らないので あ る
筆者 はア メ リカ出身で ,そ の状況 は日本 と似て い る つ ま り 多民族 III家
だと言 われ そ して英語以外 の言語 を話す移民 一 世 が数 と して多い とは1.I
え そ の (全 人 Lの 中で はバ イリ ンガル 人日の )パ ーセ ン トが少 ない また
移民 二世 では英語化 が 自然 にifrん でいるので ほ とん どのア メリカ人には二
言語使用やバ イリ ンガル教育 ましてはそれを研究 す ることな どの重要1生 が
分か らな いので あ る
以 卜では モ ノリンガルな環境 におかれてい る人に対 して どのようにバ イ
リンガル教育あ るい はそれを対象に したりF究 の重 要性 を訴えれ ば良 いか ま
たは説得 を試 み れば良いか を考 えるため の ll本 1と して, 日本 の状 lLと の関連
バ イ リンガル教育
と社会 253

を中 し́に ァメ リカなど外 の
例を見てい きたぃ

鞘 l「1=記W彎 3の 下 麟類につぃ
lJ」

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後なす る
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され る し, これ らの 問題
を議 論す る
然役 立 つ だ ろ う
;少 数 派 」伍nguisic minonaes)の

11述 の よ うな多数 派の言語
問題 を解
ヽの言 語少数 派が抱 えてぃ る j題
円 を
去論 を知 る必 要が ぁる
と して韓 国語 の教 育が わ
行 れて き
≠校 (東 京のアメ リカンス クール
` イ
ミー な ど)が 日本 国 内 に
数 多 くあ
]語 な どを使 い学校教
育 を行 って ぃ

ず しも他民 族 とは限 らない
日本
ガルだ と自党 してぃ る
彼 らは 日

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: 輝 #Fi」 Ii]:[「lィ サ
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第 4部 言語政策 と教育

ることがある
,1え ば 「バ イリンガルJと い うには 両方の言語 を「 言語形成期」(臨 界
期)の 間に党 えな くてはならないので,成 人してか ら2つ 日の言語を習得す │

る場合は「バ イリンガルJの 狭義から外れるとい う立場 もある


「バ イリンガル」 とい うlll念 を 「 可一話者が 2つ 以上の言語変種を使│]す
る能力をもつ状況 を言 う」と定義す る場合があるが この1/4合 の「言語変種」 ′

とは何か 言語学的には「言語Jと 「方言Jと の間にはっ きりした境界線が 日

引 けな いので,「 バ イ リ ンガル 」(blingual)と 「 バ イ ダ ィァ レク タル」 │

(bidialectal)と の区別 も曖味だ 本論では,後 者を前者の一種 として扱ぅ プ


「バ イリンガルJに は両方の言語 を話す能力が必要なので 日本の普ltの 高
等教育は英語を話す能力 を抜 きにした書 き言葉だけの能力を目指すから「バ t

イリンガルJと 見な さい場合がある 本論では,最 初か ら「バ イリンガルJ 11

を具体的にかつ詳細 に定義することをやめ 敢えて「バ イリンガルJの 定義

メ   ●  す
を「2つ 以上の言語が使 われてい る様 々な場合Jに とどめる
なお 「バ イリンガルな人Jや 「バイリンガル国家Jと 並び 「バイリンガ
リズム」 とい う表現がある 「イズム」 とい う接尾辞がついているか ら 「バ
イリンガ リズムを支援する政党Jの ような場合は主義だが 「バ イリンガリ
ズムを心理言 ri学 の視点からlll究 する」 とい う言 い方のように 単にその状 人

況 を指す場合もある で

本論のタイトルには,「 教育Jと い う単語が あるが, この定義 も必要だろ て

う 狭義では,教 師 と生徒 との立場が明確であ り,決 まった時間 と場所で


教材に沿った勉学のことを言 う しかし,本 論 の 3つ 日のキーワー ドである が

「社会Jと の関係の中で捉 えるように ここでは教育の定義 をより広 く捉え を

たい すなわち,学 習あるいは習得がどのような環境の 中で行われるか 環 語

境にどのように影響 されるか,ま たは言語学習 (習 得)が 行 われることによつ 言i

て環境がどのように変 わるか とい う問題まで含んでみたい る

3 社会 的 要 因 3`
31 言語学習 と関連 する社会的要因
外国語が どの程度学習されるかは様 々な要因 と関連 している 以 Fで は (却

い くつかの社会言語学的な要因を考察す る ア :

①地理的距離 一般 には, 自国に近いところのことばを勉強するlll向 が見 をたち

られる アメリカで最 も学習される外国語がスペ イン語 である背景 には 隣


国メキシコの存在が大 きい アメリカでの韓 」語学習者 はごくわずかだが
l■
のフ
バ イ リンガル教育 と社会

日本 ではメー ジャーな言 語 で ある 日本 国内で も 札幌大学 に ロ シア語学 科


がある こ とゃ,沖 縄の複数の大 学 に イ ン ドネシア語講座 がある こ とはこのll
向 を裏付 けてい る
②歴史的関係 半世紀 ll lま で ァメ リカのご く普 iこ の 中学 生 は ラテ ン語 を
学習 してい た し 現在で も一般の大 学 生はギ リシア語 のアル フアベ ッ トにり‖
染 んで い る 欧米諸国 は 古代ギ リシア文 明や ローマ 帝 国を 自分 たちの文化
的 ルー ッだ と位置づ けて い る こ とがその最大 の 原 因 で あ る 現 在 の 中国で
は か つ て 日本 の支配 ドにあ った北 東地域 (1日 満州 │)で 日本語学 習 の 人気
が高 いので ある 「

O経 済力 日本語学習の人気は明らかにその経済力の上が り下が りと関係


している バブル期に学習者が1曽 え,弾 けた後に減ったとい う実態にこの要
因 の影響 が 見 られ る
④ 宗教 ヘ ブ ラ イ語 ゃ ア ラ ビア語 は
中近 束 の 言 語 で あ るが ,遠 く離 れ た ア
メ リカや イ ン ドネシアで は ュ ダャ教 徒 や イス ラム教 徒 はそ れ ら を学 習 して
いる カ トリ ッ ク信 者 の ラ テ ン語 日本 人 の
梵 .I(サ ンス ク リ ッ ト語 )に 対
す る関′
亡、も宗教 的要 因 に起 FINす る

○文化継承 アメリカの大学で開かれる西アフリカ諸言語の講座 には,黒


人 (ア フリカ系アメリカ人)の 数が多い 同 じように 世界中の 日系 人の間
で , 日本語 が い わ ゅ る「 l承 言 語 J(helitage language)と
l・
して よ く学 習 され
ている
⑥ イ メー ジ ァメ リカで フラ ンス 語学習 者 にその理 由 を尋 ね る と 「響 き
が きれ いJと い う理 由をよ く聞 く 「 スペ ィ ン語 を
開 く と季節 労働 者 の こと
を想像するが , フランス語 を聞 くと芸 術家の ことを思 い
浮か べ るJ,「 ロ シア
語や ドイツ語 は子音が 多 くてきつ く聞 こえるか ら勉強 した くな い Jな ど,言
語 自体 の イ挟―ジゃ響 き それを話 す人 々に対す る
偏 見や 固定観 念が学習す
る言語の選択 に影響 を与 える

32 バ イ リンガル 社会 と権 力
バ イリンガ リズムは権 力 とも
関係 して い る 権 力 とい っ て も lT.々 な形態
(軍 事上 経 済上 の)が あ るが ,こ こで は と
もか くな ん らか の形 で 力 関係 に
ア ンバ ランスが生 じた際 に そのア ンバ ラ ンス
が どの よ うな バ イ リ ンガル
社 会 を生み出すか,分 類 を試 みる
タ イプ A:支 配層の人は 自分の 言 語 を持 っ てぃる
(斜 線 模 様 )非 支配層
の 人は別 の言語 を持 って い る (点 模 様 )ご
くゎずか な人が 通 訳 を果 た し ,
第 4部 言語政策 と教育

それぞれ ではモ ノ リンガルな話者が圧倒的に多 い「Цt一 言語話者社 会J こ


れは例えば 軍事 政 権 に 占領 された土地に見 られる状 況 だが 普通は長 期化
す れば,片 方 あ るい は両方 にバ イリ ンガル な人が 1曽 えて Bや Cゃ Dに
変わ る
タイプ BI支 配層 の人 も被支配層の人 もほ とん どの話者が バ イリ ンガルで
ある「二 言語話者社会 J 支配層 は (優 越感か ら)被 支配者の言語 を学 びたが
らないこ とが 多 い
タイプ Cと D:片 方 の グループ だけがバ イ リ ンガルで 彼 らはモ ノ リ ン
ガルの方 の グル ー プ と話す と きに いつ も相手の言語 に切 り替えて歩み寄っ
てい る こ う した社 会 で 圧倒 的に多 いのは Cで ,被 支 配者 は支配 者 の言
語 の習得 使用 を余 儀 な くされる ご くまれ な場合 に Dの ケースが見 られ
る これは支配者 (権 力者)が 被支配者 (弱 い 人)の 言語 を覚 え 彼 らと話す
ときにそれ を使 うタイプである Dは 例 として 日本人が江戸時代 にアイヌ
人の 日本語習得 使 用 を禁 じた状況が挙 げ られる

B C
図1 バ イ リンガル使用 と支 配関係

4 バ イ リ ン ガ ル 教 育 に 対 す る社 会 的 評 価
41 バ イ リ ンガル 主 義 に対 す る評価 子
バ イリンガ リズム が どの よ うに評 liさ れるかはll(文 化 圏 社 会 )に よっ
`

て異なる 例 えば 筆者 の故郷 で あ るアメリカは移民 が 多 いため 多言語社


会 と思われが ちで あ るが そ の一 方 アメ リカで生 まれ育 った圧 螢1的 多数 の
人は英語以外の言語 がで きないモ ノ リンガルで あ る 日本 人も外国語能力が [
低 い とい うち、うに 自分 た ちを評価 して い る し,対 外的 に もそ うい う評判 だ と
が アメリカ人 と違 って 外国語 を学 ぶ意欲が 見 られ それに対す る関′ 亡、が
高い 分
一方 , ウェ ールズ の よ うな コでは 地域住民 の 多 くは (英 語 以外 に も)民 な
族語で ある ウェールズ語が話せ る また. こ う した人 々が バ イリンガルであ
バイリンガル教育と社会
る状況 を維持するこ とに
対す る一 般市 民 のF_l′ し
、が高い
ォラン ダの よ うな国
で は,バ イリンガル率が
高 く,国 民 の 多 くは英語な ど rl語
外 が 得意で ぁる
が ,そ の誇るべ き状 況に対す
る一 般 市民の 関′亡、
は意外 と冷やゃか な もので
る つ まり あ
`バ ィリンガルで あることは当た り前になってぉ り
どころか 意識に も上 らない 自慢 される
この よ うにバ ィリンガルの
現状 とそれに対す
る意識の 高 さをクロス させ る と
以 下の表 2の よ うな関係 に
なる

表 1 外国語に対する関心 と使用能 力

外国語 を話せ る 外国語 を話せな ぃ


関心 が高 い 例 :ウ ェール ズ 例 :日 本
関心 が低 ぃ 例 iォ ラ ンダ 例 :米 国

績 :う iI:]I[:liガ i::]illえ
['1ち
例外 もあ る し,見 方
に実態 と意 識 との関

42 「少数派言語教育」賛成論
少数 派の 話者に対す る教 育 を
その母語で行 うべ きか それ と
も彼 らに対 し
て も大 多数の言語を使 うべ
きか とぃ ぅ議論が ある 少数 派
言語 を教育 言語 と
して使 うこ とに対 して様 々な
賛成 論 反対論が 見 られる
まず,賛 成論 を「 lFJ人 Jを 中′、
亡に して考ぇた ものと「社会
を考慮 した ものに分 ける ことが
J全 体 の あ り方
で きる 前 者 には次の 5つ の
議論が 見 られ

A)勉 学 の進歩 つ ま り 少 数派の子供に
対 して まずその 母語 を使 って
礎的なことを教 えた方が勉 強が 基
進 む 逆に言えば 小学校 1年 の
と きか ら彼
らに分か りに くい言 .・ (多 数
派 の 言語 )を 使えば、彼 らは
勉強 に対 す る意 欲
を失 いかね ない,と ぃ ぅ議

3)認 知的発展 を促進 上の理 由 と似てぃ るが, ここでは
彼 らの脳 は発
展段 階にあるため,彼 らに とっ て
「 外国語」で ぁる多数派言語 を学 で
と,そ の知的発達その ものが 校 使ぅ
害 され るとい ぅ見 方
C)良 ぃ 自己イメー ジ 少数派の子供た
ちの教 育 で母語 を使わない と
分た ちの母語 は劣った もの と してな 自
て しまい 「Jl_ィ メー ジが
悪 くな りかね
な い それ を避けるために母語
をl■ 用すべ きだ とぃ ぅ意見
D)カ ル チ ャ_シ コックの緩和 少数
派の子 供たちはただ で さぇ
(地 域社
第 4部 言語政策 と教育

の社 会 に突然脚 込 まれ てい るの
会 を離 れてlllの 学校 に通 うことで)多 数派
で彼 らの母語
で,少 しで もそ のカルチ ヤー シ ヨツクを和 らげ るために も学校
を使 うべ きだ とい う考 え方
マスター し
E)「 相互関係仮 説」 最終 的には少数派 の人 々 に多数派言語 を
とい うのは関係 して いる つ
て欲 しぃが 実は母語 の発達 と第二 言語 の発達
い と,多 数派言語 をマス ター
まり 彼 らは F■ 語 で物 I「 を考える ようにな らな
マ スターす る ことを望 んでい るか
す るの も遅れて しまう 先 々多数派言語 を
べ きだ とい う見方
らこそ , とりあえず は彼 らの母語 による教育 を行 う

‖人 レベ ルの議論 に加 えて
以 11 5つ の イ 次 の 社 会 レベ ルの 議論 を挙 げ


F)多 元的文化 の共存社会 「多元的文化の共存社会」 を実現 させるのに
「 ツ
:ト l]言[贅 暴古″8意 見勢そ脅場1)環 [〔 も8妻 ::こ 格[程
│り

の人が自国の多言語主
用 されているJと い う実態を意識す ることで 多数派
義 を実感す ることができる `:た
G)摩 擦の改善 少数 派民族 と多数派社 会 との文化的 および社会的関係の
用者に向
改善 に役立つ 文化摩擦 の解消のために 多数派が少数派言語使
いか 仲良 くしよう
かって「ほら,君 たちの言語 を公に認めているのではな
ょJと 訴 えることが しやす くなる

H)孤 立問題 の改善 国内で孤 立 してい る集団 (民 族)に 手 を差 し仲 る
よる学校教育 を行なう」 とい
第一歩 として,「 まず,あ なた達自身の言語に
う方法が有効な場合がある

4)数
わるも
蟄口な[書 ;1こ れ こ対す る剛 意見Ы固人 と関
│「 [覗
のイ]人 レベ
のと 社会全体 と関わるものに分けることができる まず,4つ
ルの議論 を考えよう


継用写 あ 1:翻 [:彙 瑳
:[ま 辱 [1・λ
l皇 撃立借
ち :冤 稔
憶環
べ きではない
圧計画である だからこそ.少 数派言語 による教育 を行なう
という考え方

破曇
少 rl進 ほ
]荘 ill蝶 爵
:l雅 奮
1在賃 立l[歌 i冤 」
場 な[11も 根
バ イ リンガル教育 と社会

らの社会的出世 を考 えるとむ しろ 多数派言語 を教 えたほ ぅが良 い, とい う


考え方で あ る
C)反 対する両親 少数派言 語 の 人 々自身 も必ず しも自分 た ちの 言語によ
る教育 を望 んでいるわ けでは な い 児童た ちの親 が 様 々 な理 由 (将 来 の 出
11な ど)に よって 少数派言 語 の 使用 に反対す る こ とは け っ して珍 しくな

D)異 なる方言
少数 の 人 々が 使用す る言語に も,方 言が存在す る 隣付
の方言が学校 で教え られれば 長老 らが反対する こと もある 「学校 で 我 々
自らの言語 を子供たちに教 えるのは賛成だが 隣村 の方言が教 え られる ぐら
いな ら,多 数派言語だけに した方が まだ ましだJと ぃ う反対論が生
まれる
次に,社 会 レベ ルの議論 を 4つ 挙げる
E)文 化的統一
少数派言 .Jiで 教育 を行えば,国 民 は同 じ文化的価値観 を

共有 しな とい う心配があ る 国の文化的アイデ ンテ ィテ ィーが損 なわれ ,

国家 レベ ルでの文化的統 一 が ‖[し くなる こ とを理 由に反対する人がいる


F)社 会的統一前項 と似 て い るが,国 の社会的統一 性が失われ,国 民 ど
うしの摩擦 を引 き起 こす とい う′亡、
配である
G)政 治的統― 政治的統一性 が失われ 国家分裂 につ なが る とい う懸念
か らバ イリンガル教育 を反対す る人もい る
H)言 語状況の複雑 さ バ イリンガル教 育が 行 われれば
国 の言語事情が
必要以上 に複雑にな り, さまざまな混舌Lを 引 き起 こす とい う問題がある

5 バ イ リンガル 教 育 の 導 入 の 仕方 によ る分 類
バ イリンガル教育には様 々な特殊なケースがある
①移行 モデル CransitOnal mOdel), または同化モデル (asSnlilaiOn model)
は授業が最初の うち (低 学年 )は 学生の母語で教えられ 日標言語の割合
が徐 々に (学 年 ごとに)増 や されて行 き,そ れに比例 して,母 語による授
業が減 らされること
②多元的共存モデル (plulalisic model)ま たは言語維持 モデル (maintelnance
model)は 移行モデ ルの ように教育は母語 で始まり 徐 々に日標言語の科
目数を増や してい くが,そ の後は母語能力を維持するため その授業も続
けられること
① イマージョンは直訳すると,「 浸す ことJで ある 浸漬教授課程 (immetton
proglam)は ,教 科が第二言語 (L2)に よって教えられることを言 う 多 く
の場合,多 数派言語を母語 とす る人が少数派の言語 を学 ぶと きに見られ
第 4部 言語政策 と教育

る 例 えば, オース トラリアのメルボル ンにある小学校 の学 生は英語が ll


どの科 目が (日 本語
語 にな って いるが 親が彼 らの将来 を考 えて ほ とん

の時間 だけではな く,体 育 も数学 も)日 本語 で 行 われ る イリ ト小学校 に
i巴 わせて いる場合 は イマージ ヨン教育 に当たる
マー ジョ
Oサ プマージヨン (submerSon)は 直訳す ると沈め込む ことで, イ
ンと同様 教科が 日標言語だけで教えられるが 実際の状況がかなり異な
パールから移民 して き
る 例えば アメリカの公立小学校に入つて来たネ
パール語がで きる先
た子供力'ま った く英語が分からないにも開わらず, ネ
L教 育Jの 専門家 もいないた
生がい ないため また「第二言語 として英 ・
マージヨン
め 突然英語のみで行われている授業に放 り込 まれる場合 イ
マージヨン教育は
教育は「両足で跳 びこんだ教育Jで あるとすれば サブ
「身ごと投げ込 まれた教育Jで ある

13とtl重、
に ン潮 11:ζ [葎 万 噌『
.力

』輔、
き 「
113儡 it〔

お よび L2が 用 い られ る程度 によつて 以下 の ように細分類 で きる

べ が L2に よっ
早期全体浸漬 (eany tod immersion):幼 flf固 か らす ての教育
て行 われ,3年 生か ら約半分 の授業 を Llで 行 う
の約半分
早期部分浸漬 (ealy partiJ immerSon):幼 稚 園 か ら 3年 生 ま 授業

が L2で ,残 りの半分が Llで 行 われる


るとして
遅延浸漬 (delγ ed immerSon):基 礎的な学習 をまず行 う必要があ
L2に よる浸漬が小学校 4 5年 生 の ときまで延 ば され る
る教 育 で そ の
後期浸漬 (late immersion):中 学校 1 2年 生 までは母語 によ
後 ,す べ ての授業 が L2で 行 われる

サブマージ ヨン教育 は 言語 が強制 され る あ るい はそ の使用 を余俵 な く


い あるいは
され る場合 が普j■ で あ る イマージ ヨンは選択 され る こ とが多
たちをイマー
選択 され る どころか エ リー トである親が競 つてその優秀 な子供
と違
ジョンに入れ ようとす る ことが 多 い イマー ジ ヨン教 育 では子供が母語
マージ ヨン教育 と似
う言語 を学校 で使 わ なけれ ばな らない そ こ まではサ プ
ているた
ている しか し イマージ ヨンでは周 りも子供 も同 じ状況に置 かれ
は`

め 気楽 な環境 と言 える 全員 に とつて第 二 言語 で あ るため みんな
している
等 しか し,み んなは 自分 と同 じ文化的背景 ,価 値観 な どを共有
バイリンガル教育と社会 261

また 一 歩 学 校 の 外 に 出 る と母 語 を使 うの が 自由 で あ る
イマー ジ ョンとサ ブマージ ョンの違 い を学習者 の祝点か ら見る とそ の違 い
が一段 とはっ きり見えて くる 例 として, イマ ー ジョン教育 を受 けて ぃ るイ
マ ちゃん とサプマージ ョン教育 を受けてい るサ ブ君がそれぞれ置かれて いる
言語環境 を想像 してみ よ う

て 」
lliJ(ll:1皐看お峯
彙]彗[,1:校警
]『 :曽 [見
tξ il:年 屎
国語Jで 学校 の 1日 を過 ごす ことになる だが ,共 通点 は そ こ までだ イマ
ちゃんは非常 に前向 きに考 えて い る それは この学校 に入れるのは選び抜
かれたエ リー トのみで 自分が頑張 った結果 ここへ 入学 を呆たせた
サブ君 は 自分の学 校 を選 んだのでは な く,親 の仕事 の都合 で 日本へ ,そ し
て この町へ来た 近 くの 公立学校 に入っただけである
イマ ちゃんのサ
』りはみんな自分 と同 じ母語 を話す人 これは色 々な ことを
意味 してい る 1つ は,学 校 の 間 は 日標言語 を使 わなければならないが

課後は気 楽にお互 いの母語 で話 せ るとい う心理的安′ 亡、
感が ある
サブ君 も自分 の母語 と違 う言語 を学 校 で使わなければ な らないが ,学 校 の
外 で もこの緊迫 した状 況が続 く イマ ちゃんは母語では な く外国.● を使 って
い るけど 他 の子供 もそ うで 同 じ状況におかれてい る サブ の
君 場合 は ,

自分 1人 だけが母語 と違 う言語 を強 い られている

6 バ イ リンガル 教 育 の 類 型 に 向 けて
ここでは バ イリンガル教育にはどういう種類があるか つ まりその類型
を考えることに しよう まず バ イリンガルと言えば,複 数の言語が使われ
る理 力が要る それはすなわち 交流 ぶつか り合い と言 つた人間同士の接
触だ
以下の表 2で は, まず バ イリンガル教育 を受 ける集団に属す る人た ちに関
す る 3つ の要 因を考える す なわち,先 住民か後住民か ,少 数 か多数か ,選
択 の余地があるか ど うか 次には この 3つ の要 因の様 々 な組み合 わせ を考
えて 4つ 目のllTlで はそれぞれ に「類型」 と しての名称 を与 えた 5つ 目の
lllは その具体例 を挙げてぃ る
最初の要 因の説 り1は 不要 だが 他の要因を少 し説明 しよ う
「 少数派か ど うかJと い うのは様 々な場合が 考えられ る 例 えば ある言
語 を話 してい る民族 は 国家の人口の 4割 に過 ぎない 過半 数 に達 して い ない
とい う意味 にお い ては少 数派 だが ,そ の 国 の 他 の言語 を話す人は それ よ り
第 4部 言語政策と教育

もっ と少 な く 自分 た ち は最 大 の 民 族 とい う場 合 もあ る
また,同 じ「民族 Jが 2つ の言語 を話 して い る場 合 もある 例えば,ア イ
ルラ ン ド共和 lflで は国民 はだれ もアイルラ ン ド人だ とい う意識 を持 っている
が その伝統的な民族語 で あるアイルラン ド語が話せ るのは人「1の ご く僅 か
だ FI「 J的 に 多 くの ド民 は英語 しか話せない
表 2で 言 って い る「強制的Jと は その 言語 を習得 した り,使 用 した りす
るのを余儀 な くされ るとい う意味 で使 っている 他 の言語選択 をする余裕が
ない「半強制的Jな 場合 も含 まれる 言語が強詢lさ れることには様 々な状況
が含 まれ る ″1え ば 子供が親元か ら引 き∬[さ れて全 寮制学校 に入れ られ
民族語 を使 った ら罰 される場合 北米 のサ バ ホ族はか つ て米 Lf政 府 にそうさ
れた 大 人が民族語 を使 った らi■ lilさ れる場 合 もか つ てあった 「言語 を使
うことJと 言 つて も色 々な レベ ルが考 えられる 例 えば その言語 を学校 教
育では禁 じられるけ ど,使 うのは 自由 あ るい は 看板や出版物 などの書 き
言葉が禁 じられるけ ど 話す のは 自由
表 2の ① は先住民族である人 々が少数派になっているゆえに,多 数派の言
語の教育を受けなければならない.ま たは現実路線 として受けることを受け
入れざるを得ない場合 これを「先住民同化型」 と名付 ける かつてのアイ
ヌ (現 在のアイヌではなく)や 小笠原諸島の先住移民 (欧 米系島民)に 対す る

表 2 ′`イ リンガル教育 の類型


が あるか
選 択 の余 地
後住 民か
先住 民か
多数 か
少数 か

具体 例
類型

① 先 少 ;螢 需」 先住 民同化 型 同化 させ られよ うと している先住民族


② 先 少 選択 先祖言語復活型 先祖 の言語 を復活 させ よ うと している人 々
③ 先 多 ;会 常J 被統治者型 征服 された植 民地 の住 民
④ 先 多 選択 外国語好 き型 余裕のある多数派 の人の第二言語教育 使用
< 鮨 民

⑤ 後 少 強制 移民型 国型 :海 外 へ行った日本人移民
夕ヽ
国内型 :日 本 にやって来 たベ トナム難

⑥ 後 少 選択 文化継承型 (a)移 民の子供 に よる 「移民元言語 Jの 継


海夕ヽ
派遣型 承言語教育
(b)外 国に滞在 する人による「移民先言語J
の体験型言語教育
⑦ 後 多 強制 奴隷型 奴隷 が大量 に連 れ て来 られた場合

③ 後 多 選択 懺悔型 多数派 が先住民 の 言語 を習得 す る場 合


バ イ リンガル教育 と社会

牢二言語 と しての 日本.J教 育が/1Nげ られる かつ て ァメ リカ合


衆国の イン
デ イア ンやォー ス トラ リアの アポ リジニーた ちに して
対 行われて いた同化政
策 もここで扱われる これ らの先 l■ 民族は 米国やオー ス トラリアの
国家 レ
ベ ルで見ると 後に来た ヨーロ ンパ
人に比 べ れば人口が少 なかったが 彼 ら
が集 中 して 住 んでい る lllや 特 別保留 地においては む しろ
大 多数 を占めて い
た すなわ ち 口1究 の観点が変わ ると状況が違 って見えるので
ある
Fi復
② は「先11言 活型 」 と名付 け て い る これ は _lの 後期段 階 で あ る 例
えば 先住民 族が小 数 派 と な り 自 らの民 族 言語 を使 わ な くな っ た この場
合 ,多 数 派 の 言 語 こそが 自分 た ちの 母 nr.に なって い るが
先 祖 の 言語 を 自 ら
選択 す る こ とが で きる 現 在 の ア イヌの場 合 を例 に とろ
う 明治 時 代 に 日本
語 の 習得 (学 習 )を 余儀 な くされ た 人 た ち (① の 場 合 )の
子孫 は現 在 , 日本語
が 母肩1と な っ て ぃ るが llに ア イ ヌ語 の 学 習 に力 を入 れ て い る と ころ
があ
る のちに取りLげ る「ll承 J(0の b)は 移民の子孫の場合を指すこと
ばだが,先 llの 言語 を学 ぶ とい=語
う共通点がある
Oを 「 被統 治者型Jと した ここで も教 育 を受けて い るのは先住民族で あ
るが 彼 らはマ イノ リテ ィーでは な く む しろ 多数を占めて い
る しか し
人数が 多いか ら権力 をもってい るとは限 らない 政 治的
,軍 事的 経 H4的 な
理 由によって バ ィリンガ リズム を余儀な くされる 少数 FrNで
ある権 力者は彼
らの ll結 力 を恐れ 民族語の使用 を禁 じる場合が い

ι F71胤 屁 │、号滅 編 鰤 蜻 駅 ,輻 キIF属


同化型Jと o「 被統治者型Jの 大きな違いは 入植者の数が先住民を上
回る
かどうかにある 前者の場合.優 勢言語をLl語 とする人が
多数派になってい
る ア メ リカにおいて, チェロキー語 を話す人はFIJ内 に
tlん でお り,少 数派
となってい る 一 方,米 国の値民地 となってい るグアム プェ ル
や トリコにお
い て,権 力者 の言語で あ る英語 を母語 とする人は
少ない (む しろチ ャモ ロ語
や スペ イン語 をll語 とす る人はl■ 倒的に多 い )な お,大
和政権 に支配 され
た 2つ の言語 集団であ るア イヌと琉球の大 きな違 い は
,「 ア イヌ語 なま りJ
は確立 しなか ったの に対 し,琉 球語地 kに はウチ ナーヤマ
l・
トゥグチ と呼 ばれ
る 中間言語が その地域住 民 の 第一 言語 となって い る とい
. う点 にあ る これ
はつ まり 伝統的な沖縄 語 の特 lFkが 色濃 く残 って ぃる
言語 変種 で ある アイ
ヌの 人は屯□ 1兵 など大 和 か ら来た人植者 の数に圧 倒 され ア イヌ
語の言語 的
特徴が残 らなか った一 方 琉球の場 合は日常 的に付 き合って いた
本「 L人 が少
なかったため 第二1言 語 と して覚 えた東京語 に も,母 語の
特徴が化石 化 して
第 4部 言語政策と教育

たの で あ る
現 在 の ウチ ナ ー ヤ マ トウ グチ が 形 成 され
①と①の場合の違いはそれぞれの言語人口の害」合だ 両方の場に支酉
」者言
の が多いため 教
語が学校教育で強制されるが,① の場合は支配者言語 話者
室の外に出ても周りでその言語が使われて る Oの 場合
い は外に出ると支配
者 Iil職 暴
冒 段ら
入つた
移民の
言語を
学ぼう

5霞 lヾ ,製 ::倉 li、 1・ ,、

ぶ こと
として いる場合 だ 現実問題 として,多 数派 の人が少数派 の言語 を学
ース トラ リア ンアボ リジニー
は稀だ もちろん アメ リカイ ンデ イア ンや オ
した和 人もいる しか
の言語 を学 んで記述 した自人が い た アイヌ語 を研究
ース を③ で とりあげ る
し これ は数少 ない専門家 である こ うしたケ
って習得 しようとす
むしろ ④ に含まれるのは,多 数派がかな り余裕 をも
人住んでいる
る場合である 例えば,茨 城県大洗町にイン ドネシア人が数百
のケースが挙げ られる ここで
関係で, イン ドネシア語 を勉強 し始 めた人
だけではない NHKの 英
言つている「教 育」 とは未成年が受ける学校教育
である オース トラリア
語番組や数多 くの外国語会話学校の場合 も言語教育
これを逆のパ ター
の中学生が メルボルンの公立小学校で日本語 を学ぶ ときは
ンだが, もちろん ここに分類 される
の側に注 目す る ⑤
⑤以降は 先住民族ではなく 後から入 つた言語集団
い の が重なっ
は 後から入 ったとい う事情 と,少 数派であると う 2つ 悪条件
である この中
て,選 択の余地が なく バ イリンガリズムが強制lさ れる状況
つllkり 上げ よう
には, さらに 2種 類の状況が考えられるので 1つ ず
えばlil外 へ行 っ
まず.⑤ (a)は 「外l■■型Jと 名づけたが, この中に ,例

ルのサ ンパウロや
た日本 人移民 と彼 らが抱えた言語事情が含まれる ブラジ
ヘ 人 働移民 開
カナダのバ ンクーバー・ アメリカ本土やハ ワイ 波 つた日本 労
lil移 民 のそれぞれ の移住先での英語
やポル トガル語 の教育 習得などの言語
せ ざるを得な
用オ
ll・ や兄が挙げ られる 一世 の学齢 児は移住先 の言語 を習得

く日本へ移住 してきた外1国 人や彼
o(b)は 「国内型」 とし, ここに,a Frし
で 日本が受け入
らに対す る日本語教育 といつた課題が含まれる 一昔前 ま ,
はプラジルか
れたベ トナム人難民の日本語教育が問題 だつたが,近 年 焦点
へ と年少者の
らやつて きた日系ブラジル人の言語教育の問題 と移 つた 成人
っている 移民の滞在
両方に対する L2日 本語教育の諸問題が緊急課題 とな
の問題か ら「旧
期間が長 くなればなるほど,彼 らが抱 える問題 は「新移民」
は現状維持か減少傾1旬 に
1 移民Jの それへ と変わつてい く 世 の日本語学習
││:
バ イリンガル教育 と社会

あ るが ,現 地生 まれの二 LIた ちは現地 の ことばが 自然 に身 に付 く一 方 ,今 度


は711国 の言語 lIF持 教育が課題 となつて い く
Oは 後から入った人 々がやは り少数派 となっている場合だが,何 らかの事
情によって,彼 らには余裕があ リ バ イリンガルになるか どうかを自ら選択
で きる これも2つ に下位分類 される
⑥ (a)は 移民元の言語習得で,移 民 2世 以降になると,祖 国の言語 を習得
するかどうかは自由である これはいわゆる継承言語教育にあた り,ハ ワイ
やブラジルの日系人の 日本語教育な どはこれに当たる 歴史的順序 で言 え
ば, これは⑤ の後に起 こる状況 つ まり,移 民一世はどの言語を習得するか
を選択する余地がない (少 な くとも学齢児 においてはそ う)が ,二 世以降は
祖国のことばを学習 しバ イリ ンガル になるか それ と も移住先 の言語 のみ を
話す モ ノ リンガル話者 になるか を自由に選択 で きる 日本国内 で継承言語教
育 が行われてい る例 として,在 ロコ リア ンによる朝鮮語 韓 国語教育 (朝 鮮
総連系 の 多 くの学校 数少 な い民 団系 の学校 )や 華僑学校 (中 華 人民共和
国系 と中幸民国系 に分 かれて い る)で の 中国語教育が挙 げ られる
⑤ (b)は 移民先の言語 を選択 して習得す る場合 一時的滞在者が滞在先の
言語 を選択する場合は これに当たる 例えば 日本に 2.3年 滞在 している
アメリカ ンスクール インジャパ ンの学生は英語のみによるモノリンガル教育
を選択することもで きるが,滞 在先の言語である日本語 をつ まみ食いする
(体 験型言語学習)こ とも選択で きる 多 くの場合 在外邦人の子供 (特 にア
ジアの国 々にある日本人学校に通 う生徒)に とつても日本語モノリンガルの
教育を受けるか,現 地語を少 し体験学習するかの選択 は 自由である
⑦ は後から行つたが 多数派 を占めているにも関わらず選択 の余地がない
場合である ,1え ば,数 百年前にアフリカ人が大勢奴隷 として新世界へ連れ
て行かれたとき ハ イチや米国南部などで自人の人口を上回つたが 英語 .

フランスなどの習得を余儀 な くされた もちろん,そ の場合は学校教育 を意


味するわけではないが 自然習得が起 きたのである
① は後から行って, しかも大多数を占めている人々がバ イリンガリズムを
選択す る場合である 征服者が先住民の言語や文化 (あ るいはその人々自身)
を抹殺 したうしろめたさ,罪 悪感から 彼 らの言語 を習得することは稀なが
らも見られる現象である こうした懺悔型バ イリンガル学習は 米国の自人
による先住民のチェ ロキー語 あるいは ヨーロッパ系オース トラリア人によ
るジリバ ル (Dl■ ibal)語 または日本人 (和 人)に よるアイヌ語の学習などに
見られる
第 4部 言語政策と教育

以上 の分類 を簡単 にまとめたのが表 2で あ る なお ここで挙げ た要因以


外 に も,(1)学 習言語 が 自分 の先祖 の 言語 で あ るか ど うか (2)学 習言語が
l llわれ ている場所 を訪れ る予定 習慣 機会 が あ るか どうか (3)学 習言 語
が l■ われて い る場 lFに 永住す る予定 意志 があ るか な ど, ほかの要 ]も 考え
られるが 以上では主な もの を取 り上げた

7 お わ り に 一 日本 社 会 に お け る バ イ リ ン ガ リ ズ ム と バ イ リ ン ガ
ル教 育
日本 で「我 々 日本人 は どうして外国語が こん なに下手な のか 」 とい う自己
反省的 (あ るいは 自己嫌悪 的 )な 議論が昔 か ら絶 えず繰 り広げ られて い る
近 い将来 に完全な 日本語離 れがllaこ り それに取 って代 わる言語 (英 語 など)
が 日常
r.l uFの
使用言語 となる ことはとうて い考 え られない つ まり 外 Ll語
を使用す るとい うことは,そ れ と 日本語 を両立す るバ イリ ンガル状況 を意味
す るのである
しか し, これ までの 英語教育 (あ るいは他 の外 国語教育)の 問題が取 リ ヒ
げ られた のは,主 に教授法 (小 中高 におけ る英語教育 の改 善 な ど)や 心 ]l面
の言語習得 (英 語 を早 くマ スターす る秘訣 な ど)と い つた観点 か らであ り ,

社会言語学 的な要因 を考察す る理論 は少なか つた だが ,バ イリンガル な‖


本 人を育てるためには 外国語 が教 え られる社 会環境 ,あ るい は学習後 に使
用 される社会環境 をきちん と考慮す る必要があ る そ して こ うした環境 は
一 次元的な もので な く,様 々な要 因 (変 数 )に よつて構成 され て い る事実 を
11解 す ることが問題 に取 り組む大前提 なので あ る

参考文献

束1“ 二 2000『 バイリンガリズム ニ言語併用はいかに可能か』講談社


丼上史 12000'日 本語 の値段』 大修館
“ 2001『 日本語 は生 き残 れるか』 PHP研 究所
丼 LttllL
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マーハ ,ジ ヨン 八 代京子 1991『 日本のバ イリンガ リズム』 ワ千 究社日 1版

Appcl,R&Muysken,P1987助 婆″agF Cο ″たびα″2'″ iィ鰤 α′X″ 1つ ndon:Edwad Arnold

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