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断し、その後三年で配怖能力を達成するという﹁3+3計
I

pL叩●咽、 ︻凸庁
214

画﹂が示された。結局クリントンは、二○○○年九月、N
8弾道ミサイル防衛︵BMD︶
MD配備決定の先送りを発表した。
0回5曲4︲坤I︲h
このようなクリントン政権の姿勢を厳しく批判して発足

一九九一年の湾岸枇争の際、射程六○○畑のスカッド・ した0.W・ブッシュ政権は、NMD支持派を数多く要職
ミサイルにより米軍に被害が生じた。これを機に、当時の に据え、NMDへの積極姿勢を誇示した。そして二○○一
G・ブッシュ政権は職域ミサイルの迎嬢に重点を移し、戦 年五月、攻撃力と防御力を組み合わせた﹁新しい戦略枠組
略防衛櫛想︵SDl︶の縮小を進めた。クリントン政権は み﹂の聯築をめざすとして、ミサイル防術︵M、︶の大規
きらに歩を進め、九三年五月、SDIを終結させ、縦域ミ 模配怖を宣言した。この演説陵、ブッシュ政権はMD計画
サイル防衛︵TMD︶と本土ミサイル防衛︵NMD﹀を柱と の障害となるABM条約の改廃をめぐり、ロ、ンァと交渉し
する新たな弾道ミサイル防術︵BMD︶計画を諾表した。 たが、結局ロシアの伺意は得られず、二○○一年一二月、
クリントン政権はTMD優先を掲げ、戦域高高度地域防 米国はABM条約脱退を通告するにいたった。
購︵THAAD︶や地対空誘導肺パトリオット︵PACl3﹀ こうしてMD推進の自由を確保したブッシュ政椛は、開
など、複数のシステムを開発するとともに.同盟・友好国 発計画の再編・強化を進め、二○○二年一二月には、本土
に協力を要請した。慎重に検討を進めた日本は、北朝鮮の 防術用システムの○閲年度以降の運用開始も決定した。日
テポドン発射後の一九九八年九月、イージス艦に搭戦され 本も○三年一・一月、PACl3とイージスBMDシステム
る海軍戦域防衛︵NTWp︶の共同技術研究開始で米国と の導入を決定した◇○九年四月の北朝鮮によるミサイル発
合意した。米国は欧州諸国などともTMD協力を進めた。 射実験の際には、初の運用も試みられた。
また、九七年九月には、七二年の弾道弾迎撃ミサイル︷A 他方、ブッシュ政権が、イランの脅威への備えとして進
BM︶制限条約で許容されるTMDシステムを明確化する めようとした東欧へのMD配伽計画は、国力を回復きせて
米ロ合意も実現した。 きたロシアの激しい反発を引き起こした。今日、米ロ関係
だが、米国内には議会の共和党勢力などNMD推進を求 の﹁リセット﹂を打ち出したオバマ政権が、この計画を見
める声が強く、クリントン政権も妥協を余儀なくされる。 直すとともに、クリントン時代のTMD優先路線に回帰す
一九九六年には、三年間開発を進めた後に配備の是非を判 る可能性も浮上している。︹石川︺
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は核軍縮等の実質的義務を課さなかったため、五ヵ国の軍
事的政治的優位を固定化する不平等体制だと批判きれた。
タ核拡散問題

にもかかわらず、同体制の功績は小きくない。締約国によ
る新規の核保有は違法化され、新たな核武装を道義的に悪
核拡散とは、最も普通には、核兵器を保有する国の数が とみなす国際的規範の確立へとつながった。条約締結当時
増加することをいう。これが国際安全保障上の懸案ときれ に核武装の可能性を取り沙汰された国の大多数は、核非保
る理由は、﹁核のボタン﹂に手をかける国が増えると核兵 有の道を選んだ。またNPT体制は、国際原子力機関︵I
器が使用される危険が高まると考えられるからである。 AEA︶の保障措置を中核に、核兵器用の技術や原料の拡
核拡散への懸念は核時代の初期から存在した。一九四五 散を実際に防ぐさまざまな制度的枠組みも提縦してきた。
年上月に原爆開発に成功し、広島と長崎でその威力を実感 だが、NPT体制には限界も目立った。インド、パキス
した米国は、他国、特にソ連による核兵器開発を恐れ、バ タン、イスラエルが重要な未加照国として残った上、体制
ルーク案の提案などで原子力の国際管理体制樹立を試みた 内にも核武装の野心を捨てない国が存在したからである。
しかし、ソ連は予想よりはるかに早い側九年八月には原爆 冷戦終結までに、インドが一九七四年に地下核実験に成功
実験に成功し、六四年までには、英仏中も次々に核爆発を したほか、イスラエルと南アフリカが極秘裏に核武装した
成功させた。その間、原子力平和利用を志向する国が徐み、 ことは確実とみられた︷後者は冷戦終結後核兵器を自発的に廃
に増加したが、原子力平和利用技術と核兵器開発技術はほ 塑唇ところが、NPT体制は→核武装を強行した国への
ぼ重なるため、それは潜在的核兵器国の増加と同義だと考 効果的な制裁手段を欠く。核不拡散規範も、国際社会に浸
えられた。六三年に、ヶゞ不デイ米大統領は、核保有国数は 透はしたが、その強さには限界がある。九○年代末以降、
第5寂諦争・と平和の諸相

七五年までに一五ないし二○に達すると予想していた。 印バレー北朝鮮が核実験を実施した際にも.実質的な制撒を
米ソは、核軍備競争を展開しつつも核保有国の増加阻止 行った国は少なかった。また、IAEAの保障拾置も、査
には共通の利続を見出し、協調して一九六八年に核拡散防 察を拒否する国への有効な対応策を持たない。
止条約︵NPT一を成立させた。NPT体制は、六上年一 湾岸戦争後にイラクの核開発計画が暴露されたことをき
月までに核実験に成功していなかった国の新たな核兵器開 っかけに、核拡散問題は、冷戦後の世界平和への深刻な脅

里喝
発を禁ずる一方、すでに核を保有していた江力圃に対して 威として再認識された。直後には、北朝鮮の核開発疑惑が、
一・日P■ m1IKI■ロ19匹lザ酌r■■■8


国際社会にさらなる警鐘を鳴らした。一九九五年五月には、
るようになった。この不安は、九・三︾テロ事件三○○
NPTが、その不平等性に難色を示す諸国の反対を抑えて
ユ【6

一年︶と、パキスタンの核開発の父と称せられるカー./#
無期限延長されたが、九八年五月の印パの核実験は、世界
士を中心にした国際的な核の闇市場の存在の発覚6四年︶
に強い衝撃を与えた。二○○二年には、北朝鮮の核開発疑 により、いっそう強まった。
惑の再燃に加え、イラ./でも、反体制派組織の鶚露により
さらに近年、原子力は、地球温暖化防止の観点から、二
同様の疑惑が浮上した。北朝鮮は、翌年一月にNPT脱退
酸化炭素を排出しないエネルギーとして再び脚光を瀞びる
を宣言し、○六年と○九年の二度にわたり核実験を行うに
ょうになった。先進国のみならず発展途上国でも、原子力
いたった。イランは、NPT第四条に規定された原子力平
発逝への関心がかってなく高まっている。その結果.そう
柵利用の椛利を主張し、国連安保理やIAEAの再三の決
した国々での原子力平和利用の兵器転用の防止が、緋たな
縦を艇視してウラン濃縮活動の停止を拒んでいる。 課題として浮上している。
ここで注意すべきは、NPT締結当時と現在とでは、核
こうした流れの中で、核兵器製造に必要な物質や技術の
拡散問題が大きく変質したということである。一九六○年
拡敬に法的・道我的・技術的な障壁を設けるという眺納側
代には、核拡散の懸念は、主に西欧諸国や日本などの先進 からのアプローチを中心にしてきた従来の核不拡散努力を、
園に向けられていた。こうした諸国による、慰子力平祁利
園家の核武装の勤機を取り除くという滞要側からのアプロ
墹のための技術や原料ラルトニウム、尚鰻縮ウラン︶の兵 ーチで鮒完する必要性が強調されている。各地城での安全
器転用の呵能性をなくすことが、核拡散防止の般大の課題
保障環境の改善努力や、核兵器国による非核兵器国への消
だとされていたのであるところが、冷戦後の核拡散問題
極的安全保証︽非核兵器国に核攻曜の脅戚を与えなし約泌や
の焦点は、北朝鮮やイラ・〆など、当初から核兵器保育の強
穂極的安全保証︷核攻嬢の脅戚を受けた非核兵器国への支援の
い愈思を持って核開発を進めようし一する特定少救国の核武
約束︸の供与により核武装への安全保障上の誘因を低ドさ
装阻止へと移行した。従来のNPT体制下での核不拡散努
せる必要がある。また、核武装が国家の国際的地位を商め
〃は、すべての国を念頭に礎いて進められたが、今後はこ
ないことを明白にすること、核軍縮により核兵器の国際政
れら特定国への個別的対応に力点を移す必要があろう。
治との役制を低下させることなども重要であろう。
また、管理不十分な旧ソ連などの核兵器、核物質、核技 二○○九年に登場したオバマ米大統領は、核紘散と核テ
術が、国家のみならずテロ紐纈等へ流れるこし胞醗陰膳脱 ロの危険を防ぐため虐は米刷、身か〃ulバル唾佼服輔の



イニシアティブをとる必要があるとの立場を、同年四月五 80Ⅱ11.000111日■16−囚■仔困凸凹頂仙画田、即■■■■■■■
一 二 一 ■

ポール・ケネディ弓堂昌菖・湊g一幕島.冨急︲︶英国ノー歌一
日のプラハでの淡説で表明して、ノーベル平和徴を授与さ シバーラ・ダド龍まれ。・九上○年オクスヲすIド大学で博士号を取一
れた。その背景にあったのは、冷戦後に全面核戦争の脅威 偽庄学中は叩デル・ハートの助手を務めたイースト・アングリー
は低下したが、核拡散は進み、テロリストは核入手の決意 ァ大学を経て.・九八一↑年からイェiル大学歴史学部教授大西洋一
を強め、核使用の危険性は高まっているとの状況恕識であ を柵断して活躍する歴史束である.
った。
初期の研究には、舅冨詞箪ミミ專謹亀陣達菖菖旬目一電g汚暑
ニミ舅凛嫡酋驚具募聴跨侭き入営言自鶯言習ミ鋤ミニ葛宮など
ところで、核拡散は危険だとの主流意見には、︾部に異
があり.fギリス海蹴力の興隆と燕退や.轆一欠肚界大戦にいたる
論もある。ケネス・ウ寸ルッらは、冷職下の米ソがついに 英独の飛事対立を実征的に分研したこれらイギリス外交史研究を
直接戦わなかったことから明らかなように、核武装した国 ふまえて著した一九八七年の火蕃﹃大国の興亡﹄認択初版・九八
の行動はそれ以前よりもはるかに慎重になるため、核保有 八年.決定版一九九三年︾は、近代以降五百年に及ぶ大国の興亡を一
国同士の戦争はきわめて起こりにくいと主張するそして、 描いて世界的なベストセラーとなったα同溌でケネデfは、大国の

盛衰を経済力と礪事力の変遷のずれから分析し、経済的に篭展する
核拡散には繊争防止による平和促進効果があるという。

過程で硴事費の抑制に成功して覇擢国となった国家が、過剃な迩配
だが、この主張には雛がある。米ソ間で核兵器が戦争抑
織離議潔鴎穀瀧雛蕊譲蓬


制効果を持ったとしても、それがすべての核保有国にあて
はまるとは限らない。米ソは、政情が安定しており、万一 字に苦しむアメリカの衰退を警告し、日本やドイツに追い抜かれる一
先制核攻撃を受けても残存した核による報復で相手に耐え


のではないかという不安感の高まりを背既に、内外で大いに注目を一


難い損害を与える第二撃能力を有していた。また、核兵器 集めた“


っ鯆臓維凝雛耀灘雑鶴郭蕊騨蝿輪鵜一


の指揮・管制システムを発達させ、偶発的核戦争の危険を
鞠争と‘f側の紺相


極小化してきた。こうした条件を欠く国の核保有は国際的 は、環境や南北惜差、人口問題など地球規模の問題を蔵じた罰世


安定を損ない、核兵器使用の危険を増大させよう。
癖和醗柵咋噸霊施氾獅燕静鋤皿窪紳寺匪峰御詐吟澤跡準加溶秘哩


なお、すでに核兵器を持つ図がその質や量を増強するこ
と侭軍巡を﹁垂直拡散﹂と呼び、核兵器国の増加二水 連の未来﹄研究作業部会の典同譲長を務めたその手腕は、阿連の


腰拠を叔述した﹃人劉の議会﹄|節抵・︽︲5上年︾においても過懐
輪5車

平拡散ごとともに核拡散問題の一部とみなすこし一もある。

17
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|編集後記一 一方我が国では、政治主導を誼った 論議に一石を投じて頂きました。
▽小誌“号は﹁日米安保の進化︵深化︶ 民主党政権が誕生しました。政権公約 ︿投稿歓迎﹀
への課題﹂を特集しました。米オバマ において、対米関係では﹁対等な日米 本誌への意見、提言などありました
大統領は﹁チェンジ﹂を掲げて登場し、 関係﹂を目指し、﹁米国と役割を分担 ら、〒16218801東京都新宿
新しい基調を持つ外交をもって閉塞打 しながら、日本の責任を積極的に果た 区市谷本村町511﹁隊友会事務局
開を図っていますが、アフガンを始め す﹂としていますが、﹁対等﹂と﹁役 編集﹂まで。投稿の場合は、﹁ディフェ
とする国際テロとの闘いに進展は無 割分担﹂の内容は具体性に乏しく、ま ンス投稿﹂とご記入ください。
く、﹁核兵器なき世界﹂を究極目標と た麻生政権時代とはいえ、﹁安保防衛 ■電話・メールでのお問い合わせ
した戦略 も 北 朝 鮮 の 核 実 験 等 に よ り 、 懇﹂答申をいかに活かしていくかは日 031536214874
頓挫の恐れが出ております。 米関係者の注目するところです。 メール唖ロ①ロ号畳屋⑤庁巴望匡汽里・日.旨
その様な中、米国一極支配への挑戦 ▽﹁海外事情﹂では、ロシアと中国情
(102)

﹃10・■000凸go凸5.5□■48..Dao000000・■・■﹄O0000o0申・I0I合口皇■0△■0凸U・■巳■001400ⅡⅡ00︾p5jl0d
−ディフェンス”号
を見せるロシア、中国は﹁上海協力機 勢を掲載しました。現情勢を踏まえ、
一平成二十一年十月二十日発行
構首脳会議﹂や﹁BRICSサミット﹂ 中・ロが﹁対米﹂関係、また北朝鮮を 一発行者冨澤暉
等を開催、反米主導で結束するかに見 始めとする﹁核﹂問題、﹁テロ﹂対応 一編集者高津康佑
えますが、国境紛争の歴史をもち、ま にいかなる展開を見せるのか。内政事 一発行所社団法人隊友会
たそれぞれの利害も異なる中、対米温 情と共に特集テーマと関連付けてお読 一東京都新宿区市谷本村町511一
一〒16218801
度差は各国各様です。中国やインドな みいただければと思います。
−電話︵的︶536214871
どの興隆により、将来米国の支配力は ▽また防衛問題では、北朝鮮の核実験 −定期峨読お申し込みは郵便振替または一
低下して、世界は多極化し不安定化が 等を巡り論点となっている核対応を、 一現金書留で
進むとも言われます。その中心課題と ﹁第四次中東戦争における﹃非核国沁 瀧饒岬錘蝉剛刷段
なるのは経済と核問題でしょう。 核小国﹄の検証﹂と題し、我が国の核


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3口1J目■■pbrLBr■卜■P目05︲■


路の建設が、一ヵ月にわたる隊員たち として左翼関係者による工作に隊員の 焦燥のうち、軒余曲折、物心両面の苦
の人力によって行われ、武器弾薬の補 苦悩も根強く続いていた。勤労してい 悩の果て、ようやくたどり着いた創隊
給路が確立され、実戦さながらの戦闘 る一般市民に言わしめれば、予備隊は 一周年であった。カービン銃を渡され
射撃訓練 が 行 わ れ た の で あ る 。 激 し い 無用の長物であり、あるいは物の用に ただけで離隊者が出るなど、大きな衝
重機関銃の実弾射撃、地を裂くような 足りない烏合の衆なのである。即ち隊 撃があった入隊初期にくらべ、重機関
迫撃砲の着弾炸裂音、部隊同時発射の 員の行く所、街角に、村外れに、必ず 銃の戦闘射撃にもびくともしなくなっ
撫音、バズーカ砲の発射音等々、初め しも予備隊員に対して好感を抱く人ば た。バズーカ砲射撃の張り裂けるよう
伽のの
ての戦 闘 射 撃 訓 練 で 、 身 も 心 も 戦 く よ かりではなかった。電車、バスの中、 な森音にも驚かなくなった。迫撃砲の
うな緊張の訓練を体験し、はっきりと 隊制服姿に対し憎悪のまなざしを向け 集中射撃にさえ当然のことのように日
警察予備隊の真の性格に接した深い感 る市民の数は決して少ないものではな 常訓練化してきた。
(96)

銘があり、その任務というものを否応 かった。曰く、﹁税金泥棒﹂﹁戦争ゴッ 隊員たちの心のうちに、警察だの、


なしに覚悟したものであった。 コの好きな連中﹂等々、これ聞こえよ 軍隊だのと、こだわりがなくなってき
政府が ど の よ う に 説 明 し よ う と も 、 がしに潮笑される場面も決して稀では たのである。旧軍隊の経験もない戦後
はっきりと警察予備隊は単なる警察で なかった。歯を喰いしばり、血の出る 青年たちが、様々な経験を重ねながら、
はない歴然とした戦力である。いわゆ ような訓練を﹁戦争ゴッ己と噺ける 不安と疑念を踏み越えて、隊員として
る兵士である、という観念が確実に根 青年。﹁平和の破壊者﹂とののしって の資質を備えて来た事実。そしてその
ざしていった。 行く若者。こうした罵りを黙々とこれ 意義は、決して忘れてはならない一項
こう し て 私 達 は 松 本 に お い て 警 察 予 を勘忍してゆく隊員達の苦悩にも警察 であると思う。
備隊創隊一周年を迎えた。盛大な大運 予備隊創設の礎石の小さな一粒があっ 一ヵ年の苦悩の末に、﹁軍にあらず、
動会等多彩な行事が挙行され、意気盛 たものと言わねばならない。 戦力にあらず﹂と言わざるを得ない国
んなものがあったが、その陰には依然 とにかくこの一年を顧みて、疑念と 情の渦中で、その実力の基礎を確実に

1
111 1111

育て得たものなのである。
1

1
1

名称が変わりました。保障内容に変更はありません。

a03画5362-4872(鱸割
相互扶助

3万円 2万円 2万円 (30日以上) 応じた金額を


加入年数に

脱退時給付
功労金
宮等福 祉支援制度

予備自衛官補
創隊一 周 年 記 念 行 事 の 終 っ た 直 後 、

950円
昭和二十六年八月十三日、かねて民間

2万円
見舞金

死亡│入院│通院|本人|配偶者│実養子│実養父母│結婚出産|入院
工場跡を改造中であった群馬県新町

予備自衛官及び即応予備自衛官並びに予備自衛官補の
仲間同士の「福祉支援」制度、会費により運営しま式
キャンプが完成し、ここに私達第二連

祝 金
隊第三大隊の約七○○名が移駐するこ

即応予備自衛官
1,000円
加 入者 募集
とになった。高崎線新町駅に到着した

■給付金(予備自衛官.即応予備自衛宮予備自衛官補共通)
大隊主力は、武装暹しく緊張した顔を


輝かせ、町民挙げての歓迎の旗の波の

弔 慰 金

(97)
中、町の主要道路中山道を行進、隊を
一一

(日額) 150万円 15万円 3万円

i予備自衛官等福利t壷鍔制度琴
待つ新営舎に向かった。胸のときめき

予備自衛官

(3ケ月分ずつ年4回、銀行口座より引き落とし)
ではち切れる思いの若い隊員達の感激

950円
予 備 自術 官

p 画 …
は、創隊一年の警察予備隊の自信であ
り、感銘であった。到着した営門の看
板、それはキャンプではなく墨痕鮮や

3千円 2千円
■会實(月額)
かに、﹁警察予備隊新町駐とん地部隊﹂

出頭中の事故
会 費
加入資格

招集訓練
とあった。

入院

1千万円 (日額)

お問い合わせ
お申し込み先
ごとく依然として戦後の新時代の教育 いる。 ソ、反共的な言動をとるべきこと、頭
の中に育 っ た 十 八 、 九 歳 の 若 い 隊 員 達 予備隊内にその細胞を潜入せしめる 髪は短く、旧軍隊的な態度をとること
の間には、次第に軍隊化してゆく隊の ことは予備隊の死命を制するものであ 等があった。しかし各地の試験場では
行方に不安を抱いて隊を去る者も後を るが、これに対しては党より徹底した 次々と党員の潜入が発覚したと各新聞
絶ってはいなかった。 指令が発せられ、多数の党員が受験し は報じ、表面上では恰ど零に近いと言
発足後数ヵ月にして七万五○○○の た。ここで考えなければならないこと われ、党発表の予定者中にも潜入に成
警察予備隊もすでに六万人台になって は正式党員と秘密党員の関係である。 功したと見られるものは全国でも僅か
いたことは何といっても深刻な問題で 国体等規正令で末端まで届出しなけれ 一∼二名に過ぎないとしている。しか
あったと言える。幾多の問題を投げか ばならない以上、正式党員といわれる し一般に報道されたように、潜入者は
けて来た階級付与ではあるが、これも 者はその活動に自ら限界があり、徹底 皆無に等しいものだったのだろうか。

指揮統率、隊組織の基礎でもあり、一 した活動は期待できない。この場合、 情報によれば、創設当初隊内に潜入し


9
(4
応その形態は出来上がった。 正式党員は必ずしも優秀党員とは限ら 得た数は二○○に近いと言われた。工
その後日談ではあるが、一、二年後、 れていない。ここに秘密党員が団体等 作は内外部から積極的に働きかけら
学歴詐称や軍歴詐称が発覚し、離職し 規正令によらず縦横に活動でき、しか れ、キャンプ一つ一つ侵しているとさ
た例も散見されたことがあった。 もこれを見破るのに非常な努力と困難 れている。
が必要となる。 M市キャンプの場合は、予備隊誘致
4思想問題と訓練成果
正式党員が入隊の受験をしたとする が同地に決定された時点で工作は始め
さてここで、新生した警察予備隊に ならば、それは秘密党員を潜入させる られた。しかもこのM市に対する工作
対して、国内の左翼勢力がどんな工作 ためのカムフラージュであり、陽動作 は全国予備隊に対する、モデルケース
をしたか知らなければならない。即ち 戦である。入隊受験のとき党員に出さ になっていたと言われる。即ち①M市
日本週報 は そ の 状 況 を 次 の 如 く 報 じ て れたと伝えられる指令の中に、まず反 に予備隊を誘置することに対する反対
llllllIlllll IlllllI
運動。②地方民と市との離間工作。側 工作は執勘に続けられた。演習場近郊 り総合部隊訓練の段階に入り、本格的
地元民に対する予備隊反対気運の醸 部落の畑中の電柱にまでも張紙がいっ な訓練期間となった。第三期訓練の特
成。い予備隊の本質に関する党の立場 ぱい張られ、曰く﹁子供たちに戦争ゴッ 色は、⑩訓練計画が極めて詳細になっ
からする反予備隊的宣伝。次いで予備 コを教えるナ﹂﹁予備隊の演習場化絶 たこと。②技術訓練が本格化したこと。
隊が設置 さ れ て か ら 地 元 民 に 対 し て 、 対反対﹂等々臆面もなく工作が行われ ③作戦訓練が大隊訓練に及んだこと。
㈹予備隊と地元民との離間工作。②予 た。アジビラ配りなども外出隊員に対 側職務訓練が認められたこと。⑤訓練
備隊一般隊員と地元民との接触工作。 し市内各地でしつこく配られた。隊内 の一貫性が明記されたこと、等がその
さらに 隊 内 に お い て は 仙 反 幹 部 闘 争 、 関係、訓練関係その他隊員の知ること 特色となっていた。
②給与問題等待遇改善闘争。③朝鮮出 も出来ない情報の誇張暴露などなど。 私達第二連隊は松本においてこの第
兵反対闘争。側米備兵化反対闘争。⑤ しかしこうした工作に対し隊員は恰ど 三期訓練に入り、日を追うて激しさを

(95)
予備隊内、隊規破壊工作。⑥隊内細胞 無関心を装っていた。結果的にみて、 増し、炎天下猛訓練が連日続行されて
の組織工作。m予備隊情報収集のため 左翼勢力の警察予備隊に対する工作は いた。血を流しながらの、口径五○重
の諜報活動組織工作、等が積極的に行 さして見るべきものはなかった。 機関銃の陣地侵入訓練や、連日の戦闘
われ、工作の手は隊員家族の上にまで さて警察予備隊発足以来、幾多の諸 訓練等々、ダレ気味だった従来の隊員
伸ばされた。即ち⑪予備隊は朝鮮に出 問題を乗り越えながらの訓練状況では たちの気力をかき立てるに十分であ
動させられるという宣伝。②隊員給与 あるが、一年の成果を記録しておきた り、日来の愚痴、不満等々も次第に
は不良であるという宣伝。⑧隊内にお い。 薄れていった。重火器戦闘訓練の総
ける隊員取扱いが不法であるという宣 昭和二十五年六月四日となって、第 仕上げともいうべき戦闘射撃訓練は、
伝。以上のような各種工作は順序よく、 二期十八週訓練が終了し、第三期十八 七月下旬松本市東方一二キロ、標高
かつ手際よく行われたとされている。 週訓練が開始された。第一期は基礎訓 一五○○メートルの高ボッチ山で行わ
私達松本キャンプにおいても、その 練、第二期は小部隊訓練、第三期に入 れた。灼熱の山肌に、延々トラック道
にいそしむべき段階に入った。今編成 了の日に際し、我々は相共にその使命 募集要綱のただし書きにあったこと
完結の一つの峠に立って創立以来踏み の重大なるに思いをいたし、覚悟を新 は、試験制度によってその階級を付与
越えて来た創業期の困難な跡を回顧 たにして切瑳琢磨心技の習練に励むと してゆくとあるだけで、漠然としたそ
し、克くこれに堪えこれを克服して警 共に、たとえその道は遠くとも、終始 の要綱に、隊員すべての焦りは極限に
立つ亀
察予備隊の今日を建設した隊員並びに 苦楽を共にして祖国再建に全き努力を 達していた。いずれにしても学術試験
関係各位の努力と熱意とに対し深い感 尽くすよう、切望するものである。 が主である。学科勉強しなければなら
謝の念を禁じ得ないものがある。かく 以上であるが、編成完結を期に今後 ないと、六法全書の解説を買い求め、
て警察予備隊は漸くその準備期間を脱 の指導方針にも画期的なものがあるも また社会常識問題集を買い、競って勉
し、一応各種態勢の確立を見るに至っ のと思われる。 強を始めた。開店したばかりのキャン
たが、もとより第一段階を経過したに さてこの時機に隊員たちが最も敏感 プ内PXでは、この種の図書が常に売

過ぎない。今後これが、整備完成を期 に関心をもち、常に焦燥にも似た思い 切れの状態の活況を呈していたことは、


9
(2
するためには相共になさねばならぬこ をつのらせていたものは、何と言って 決して誇張した言い方ではなかった。
室二と
とは洵に多く且つ大きい。今や近く講 も階級付与に関する関心であった。本 こうした中で最も焦慮を感じていた
和条約の締結が伝えられているが、他 部長から一隊員に至るまで、一人とし のは、仮小隊長、そして仮分隊長等に
面我が国内外の諸情勢はその前途に多 て正式な階級に付されているものはな 任命されている現仮指揮官そのもので
くの起伏が予想され、我等に科せられ く、隊員は隊員なりに、仮本部長は仮 ある。これらの階層者は概ね三十歳以
た国内治安の責務もまた重きを加えん 本部長なりにそれぞれの立場にあっ 上の旧軍下士官経験者であり、指揮統
としている。このときに当たり国民の て、階級の付与に関し、何を根拠に、 率能力は勝れていても、学術や社会常
警察予備隊に期待することの如何に大 どんな手段で付与されるものなのか流 識的問題については学校卒業直後の若
きいかは各位の克く知るところと信ず 言輩語の飛び交う中、焦り悩み、誰し い隊員たちにはおとるものであり、焦
るものである。本日警察予備隊編成完 もが神経を尖鋭化していった。 燥と困惑の中で隊全体の動向ともいえ
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る不安感が流れていた。階級に関する 隊員が士補昇任試験を十二月十七日に 務にも模範的勤務者となり、後者は自
意識は旧軍のいわゆる名誉欲だけでの 受験した。明けて二十六年の一月二十 暴に陥り訓練にも怠惰、飲酒、不謹慎
ものではなく、三十歳代の隊員はその 日士補試験合格者が発表され、それに な隊員に豹変した者も決して少なくは
恰どが妻子をかかえての入隊、就職で 洩れた者と残り全員で警査長以下の試 なかった。昨日まで号令をかけてい
あり、階級は給与そのものの保証なの 験が翌日の二十一日に行われた。士補 た隊員に今日からは逆に号令をかけら
である。しかし隊発足後月日を経過し、 試験に合格した者の経歴その他を参考 れる。勿論一過性の現象でもあり、な
試験要領、階級付与要領もその告示に 資料とし、一等警察士補、二等警察士 りゆきはやむなしとしても決して放置
よって、その方法と合理性が発表され、 補、三等警察士補をそれぞれ任命。ま できない建設途上の苦難の例でもあっ
隊員の動揺、不安もようやく落ち着い た同様に警査長、一等警査、二等警査 た。
てきたようであった。 がそれぞれ任命され多くの問題、疑問 そしてまた隊員の間にこの問題を契


しかしいずれにしても階級付与の試 を残しながらも一応の全階級の任命は 機として依願退職者が相次いで出るよ

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験は後日実施される。その結果悲喜こ 終った。 うになった。或る隊においては連名で
もごも、失敗したものの中離隊してゆ 試験をする側もされる側も未だ制度 依願退職を提出する隊もあった程であ
く隊員はかなり多く数えられるのでは の定まらないまま、あわただしくそし る。勿論この退職問題に直接取り組ま
ないかと、その言動から予想されるも てその試験の不正、任命の疑惑まで新 なければならなかった私達中隊人事係
のがあった。こうした情勢の中、まず 聞紙上に報道されるなど混乱はあった 主任の苦悩も並大抵の努力ではなかっ
幹部昇任試験が、旧軍予備士官学校出 が、しかし一応全体の組織維持のため たことはいうまでもない。米軍顧問団
身の将校経験者及び大学卒業生を受験 の隊員それぞれの階級の付与は終っ もこの問題を重要視し、隊人事係と共
資格者として行われ、十二月十一日第 た。この階級付与はかなり多くの落伍 に対策討議を重ねることも数度にわ
一回の幹部昇任試験の結果が発表さ 者を生んだ。試験に成功し上位につい たった。
れ、その試験に合格しなかった者と全 た者は意気揚々と隊務に活躍、訓練内 この階級付与の問題と、また前述の


に対す る 犯 罪 、 予 備 隊 の 物 件 に 対 す る も真夏の徒歩訓練に汗を流した。しか 平和に徹した予備隊の成長を強調した
犯罪についての司法職員として権限を しまた反面、軍隊経験者の多くは、警 ものが四五%、政変の都度に起る指導
行使する。予備隊の行動に際しては警 察予備隊というものは当然軍隊生誕前 権の移動からくる指導方針の転換を除
察官として現行犯人の逮捕を行うこと の姿であり、軍隊化は当然の過程であ くために、運営を政府の手から切り離
ができるが権限を有する国警又は自警 ると認識しつつ入隊した者も決して少 し公選による官民合体の委員会を設け
の警察官に速やかに引き渡すを原則と なくはなかった。 独自の立場でとするもの一六%、幹部
する。これらの場合、警査長以上の警 当時の国民世論も決して一様ではな に人材を求め、指導、訓練、規律など
察官は司法警察職員としての権限を行 かった。二十五年の九月讃売新聞で第 を厳しくして有事の際実力を十分に発
使する。なお権限行使の範囲は一般に 四八回紙上討論の論文が募集され、警 揮できる名実共に頼むに足りるものに
全土に及び、警察官等職務執行法も公 察予備隊の在り方について国民の意見 仕上げよと提唱するもの一○%、また

安委員会との関係等で問題はあるが適 が発表された。朝鮮動乱をめぐる緊迫 旧軍閥化には反対だが、国際関係の現


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用されるものと解されていると、こう した世界情勢下に発足した警察予備隊 実からある程度の軍隊化もやむを得な
した説 明 で あ り 、 こ の 中 か ら 汲 み 取 る に対する国民の関心も大きいだけに、 いとし、そのためには装備機動力をよ
ものに少なくとも軍とか兵とかいう性 この紙上討論も各階層に強い反響を呼 り強化せよとの意見八%、その他積極
格のもの は 想 像 す ら で き な か っ た も の び活発な意見が投稿された。投稿数 的に軍備への先駆けとして完全な軍隊
である。 三○○通、いずれも深刻かつ具体的な 化を主張するものもあった。これを職
しかし現実的には隊内の名称、起居 問題を取上げて論じており、採用に苦 業別に見ると公務員、教育者が最も多
生活、米軍将兵による訓練、日を追う 慮した程であったと説明がつけられて く、会社員、無職、学生等となってい
て隊員たちの抱いていた安易なポリス いた。 て二十歳から三十歳の青壮年が大多数
マンという観念は次第に薄れ、何か納 論旨を大別してみると、政党の私兵 を占め、国民の中堅知識層が予備隊の
得できない様な気持に苛なまれながら 化を防ぎ憲法の精神に則った民主的で 前途に深い関心を示していた。
当日■■■■91A■■■■■■■■■■■■■U可j■■■B■80.■■■日日■■■■且■■■■07凸■■日日日日qIb8日日Ⅱ日日ⅡⅡIIIII1ld■。8■ⅡI■0,4■■■■■6且■■■■■■■H2■U1ld−■1口Ⅱ0016■l■DB■■■■■■
以上の如く、国民世論の傾向は軍隊 ものである。 求する団体又は組織には加入致
化の方向 に 大 き く 傾 い て い る 渦 中 に 、 とにもかくにも全隊員が入隊し終る しません。
政府説明だけがかたくあくまで警察官 と宣誓式なるものが行われた。即ち以 以上の如きものであり、各人捺印提
であると説明。当時の国情から理解で 下のような宣誓文に署名捺印し、予備 出したものである。そして毎日の点呼
きないものでもないが、特に若い隊員 隊員としての衿持を保ちつつ忠実に隊 の際、この宣誓文を朗読した。かつて
達に深い懐疑の念を抱かせるものであ 員たるの任務を遂行してゆく誓いなの の旧軍の五ヵ条の勅諭の朗読を想わせ
つ︵﹀O である。 るものであった。
私もこの紙上討論に投稿し、採用さ 私は我が国の平和と秩序を維持し、
3編成完結と階級付与
れて意見を紙上に発表した︵論旨省 公共の福祉の保障に任ずる警察予備隊
略︶。私の意見発表も小波乱があった。 の職員に任命されたことを光栄とし、 十二月一日になり、ようやく各管区

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即ち隊員でありながら公論として意見 次のことを厳粛に誓います。 総監が任命された。即ち総隊副総監に
を発表する行為そのものは、正しく意 一、私は日本国憲法及び法律を忠実 伊関佑二郎、東京管区総監に吉田忠一、
義あるものか。あるいは隊秩序を乱す に擁護し、命令を遵守いたしま 札幌管区総監に中野敏夫、大阪管区総
原因となるものなのか。それも的確な す。 監に大森寛、福岡管区総監に筒井竹雄
判断を見出せる環境にはなく、あくま 一、私は信義を重んじ誠実を尊び、 等々夫々発令された。
で建設途上の未熟期の故であることは 勇気をもって職務の遂行にあた 幾多問題をかかえながら軒余曲折の
勿論のことである。しかし少なくとも ります。 過程の中で一応警察予備隊の編成業務
新時代にふさわしい倫理を持った隊で 一、私は上司の職務上の命令には忠 は完了し、林敬三総隊総監は次の如く
なくてはならないはずであり、隊員自 実に服従いたします。 全隊員に訓示した。
身からその心構えを究明していこうと 一、私はその綱領が、私の職務に優 警察予備隊は本日をもってその正規
する考え方、その思想だけは持つべき 先してそれに従うべきことを要 の編成を完了し、いよいよ本格的訓練
シダム宣言の受諾に伴い発する命令に 本国憲法の保障する個人の自由及び権 り、本人だけでなく親族友人にあるだ
関する件︵昭和二十年勅令第五四二号︶ 利の干渉にわたる等々その権能を濫用 けでも不採用とした徹底ぶりであっ
に基き、この政令を制定する。とし、 することとなってはならない。警察予 た。しかし、応募者の数が麓く程多かっ
警察予備隊の目的、設置、任務を次の 備隊の警察官の任務に関し必要な事項 たことは、戦後の荒廃から未だ立ち直
ように定めたのである。 は、政令で定める。 れず、半失業者で溢れていたことも原
第一条目的 以上のようなものであって、警察予 因の一つであるし、三十歳代の大部分
この 政 令 は 、 我 が 国 の 平 和 と 秩 序 を 備隊の目的や任務は明らかに示された は旧陸海軍の戦争経験者であり、軍隊
維持し、公共の福祉を保障するのに必 ものである。 というものに対するこの時代の人にし
要な限度内で、国家地方警察及び自治 しかし緊迫化した朝鮮動乱の状況 か分らない郷愁があったことも事実で
体警察の警察力を補うため警察予備隊 下、この制定されたもの以外に何も考 ある。

を設け、その組織等に関し規定するこ えず、無視無批判であって納得できる 東京管区の応募者は一○万一八○○


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とを目的とする。 ものであるかどうか。それもこれも、 名、採用された者一万一七八名、入隊
第二条設置 応募する個々の想いにゆだねることし の初期に於ては、すっきりと晴れない
総理府の機関として警察予備隊を置 かない。とにかくこの政令が施行され 疑念を持ちながらも、勝ち得た嬉びに
ノ厘、◎ た二日後、即ち八月十三日志願受付が あるものを期待し、希望を抱きながら
第三条任務 始められ、同月十七日には第一回の選 新しい制服に、面映い誇りを感じてい
警察予備隊は、治安維持のため特別 考試験が各県数カ所の警察署で始めら た。とにかく八月二十三日、第二回入
の必要 が あ る 場 合 に お い て 、 内 閣 総 理 れた。学術試験、体格検査は勿論であ 隊者として、東京国分寺の警察学校に
大臣の命を受け行動する。警察予備隊 るが、特に身元調査を厳重にし、思想 入隊した私達が、仙台の苦竹キャンプ
の活動 は 、 警 察 の 任 務 の 範 囲 内 に 限 ら 関係に重点を置いた試験であった。左 に集結した後も、九月二日七四六八
れるべきものであって、いやしくも日 翼思想の排除がその主たる目的であ 名、九月七日七六三二名、九月十二日
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七五二九 名 、 九 月 十 七 日 七 五 七 五 名 、 をうち振りながら、かつての出征兵士
2任務理解の混乱
九月二十二日六九六八名、九月二十七 を送ったように、万歳で入隊者を送る
日六八 六 八 名 、 十 月 七 日 六 六 ○ 一 名 、 昭和二十五年八月十三日の願書受付 村役場もあったことなど、まさにむく
最後に十月十二日一八五五名、全国 日の僅か三日前、政府から警察予備隊 なる哉の状況であった。
数カ所の米軍キャンプに集結、その数 の目的や任務が政令で示されたことは しかしながら、そうであっても発表
七万四五六八名に達した。 前項記述のとおりであり、警察予備隊 される政令の解説は、﹁平和と秩序を
私達は仙台市苦竹キャンプの営庭に の活動は警察の任務の範囲内に限られ 維持し、公共の福祉を保障するため、
到着した。そこは米軍が駐留していた る、と示されるものである。警察当局 日本の沿岸を不法入国及び密航から護
巨大なキャンプで、米軍はその影も残 からの指導訓練を受けることが当然で り、陰謀反乱などに対して国家瞥察及
さず全軍朝鮮半島に出動したあとで あり、その組織も警察の所属下におか び地方自治警察の蕃察力を補うために


あった。これからこの営舎に入り新し れるものと想像して入隊した。しかし 設けられたものであって、総理府の機

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い生活 が 始 め ら れ る 。 そ の 過 程 を 想 像 警察は募集と受け入れだけの任務であ 関の一つとして政府に直属するもの﹂
しながら広い営庭に整列し、指揮者の り、それ以外は何ら関係を持っていな である。予備隊は治安維持のため特に
訓示を待った。壇上に立ったのは高級 いものであった。加えて米軍顧問団将 必要がある場合において内閣総理大臣
警察官ではなかった。それは﹁米軍顧 兵の出現によって、いよいよ隊をめぐ の命をうけて行動するものであるが、
問団ダン少佐﹂であった。私達はなか る新しい展開があるものと知り、否応 警察の任務に限られその権限を濫用す
ば憎然としながら厳しい訓示を聞い なしにその認識を新たにする必要に迫 ることを禁止している。
た。やけつくような真夏の営庭で、軍 られた。政府の説明とはうらはらに、 予備隊の七万五○○○の警察官の任
●●●● 唾 が 左
と警察の間での淡い苦悩を感じ始めた 朝鮮動乱による緊迫した情勢下当然の 務に関しては司法警察職員として明記
第一歩であった。 ように再軍備の風潮が流れ始めている され、部内の秩序維持に従事する警察
ことも事実である。駅頭で日の丸の旗 官は職員の犯罪、職務に従事中の職員
1編成の経緯
篝察予備 一九五○年六月朝鮮半島に於て動乱


が勃発、激しい共産軍の南鮮侵攻に対
し、在日米軍は総力をあげてこれに対
壁誕の苦悩一ヵ年の記録 処、国連軍もこれに加わり、日を追う
てその戦乱は激しさを増しつつあっ
た。八月、この﹁警察予備隊﹂は、日
本占領軍司令官・マッカーサー元帥の、
十二対戦OB会長 岩瀬明 吉田首相にあてた書簡によってその編

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成の端を発した。
十八歳から三十五歳まで、これに
応募した者その数三六万、定員七万
五○○○を上廻ること二八万五○○○
この記録は、警察予備隊発足当初から、現場の中隊人事係
の多きに達した。この募集採用の重点
主任を担任し、夜を徹しつつ手探りの業務に取り組む傍ら、 は思想関係であり、身元調査におかれ
当時の新聞記事等々丹念に記録参考としながら﹁生誕の苦悩﹂ たことは当時の情勢において至極当然
な処置と思われ、これによっても﹁警
の一年を書き綴ったものである。
察予備隊?﹂の表面にない真の建制目
的というものを朧気ながら納得した上
での応募であったと推察される。
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しかしながら当時の国情は連一
合合国国
のの圧の種類を想像していたことが大多数 警本部長と不破建設省監査官をそれに
占領下にあり、日本独自の政策子
ででもも
ななの常識的なものであったと思う。 加え建設基準委員会をつくり、あわた
ければ国会を通した国民の総意箸
でももなとにかくこの募集が始められた願書 だしくその態勢を作った。そして矢継
い。平和日本Ⅱ再軍備反対の渦あ
のよよう受付日は、昭和二十五年の八月十三日 ぎ早に警察予備隊の任務や募集要綱、
な風潮の中、応募も一様に理解部
納納得得
ででであった。新聞紙上に募集の広報が出 初年度予算その他の概要が示されたの
きてのことではなかった。報道一
機機関関
ののされてから一週間しかなかった。応募 が、GHQプリアム大佐による七月
一ど
解説も論説も一切なかったことな な一
ど一者がこれに対し、検討しその覚悟を新 二十一日の発表である。
抹の不安を残すものであり、特に
に半半数
数た に す る 資 料 も 時 間 も 恰 ど な か っ た 。 また細目、即ち隊員受け入れに対処
をこえる戦後青年たちの苦悩の芽
芽生生え日本の国に警察予備隊なるものが必 しての被服や諸規定の打ち合わせが
となったことは言うまでもない・
。応募 要 で あ る と 、 時 の 司 令 官 ・ マ ッ カ ー サ ー あったのは七月二十四日、警察学校月
した青年たちの多くは軍隊となろ
ってて戦
戦元帥から吉田首相に書簡が送られたの


島射撃場で、公安課エンゲルから国警

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闘に参加するなど夢想だにしな版
いばばか
かは七月八日午後零時三○分、政府は直 担当課長に示され、七月二十五日から
りか、既存する警察庁機動隊と一
そそのの
任任ちに大橘法務総裁と岡崎官房長官をそ はすでに関係各方面に被服等の調達に
務を同一視し、恐らくはデモ、暴動鎖
鎖の予備隊の組織担当者として任命し、 奔走するという迅速さであった。八月
、、一脆設在抵早急にこの処置に当たらせ 九日この募集を担当する国家警察側で
は、全国人装課長や教育課長が参集し
て隊員募集に関する細部にわたっての

︾一一︾︾四部 調整が行われた。

次いで八月十日政府による警察予備
隊に関する政令が施行された。即ち政

4
諦昭識畔擁稚垂蹴俳登留をこれにあて、加藤国 令第二六○号がそれである。内閣は、ポ

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第28巻第1号平成21年10月20日発行I

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防衛コミュニケーション誌 ISSNO287-2234

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茶の間の防衛論 Z⑪⑪少
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’28(1)(47)
2009

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