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安部公房 ﹃方舟さくら丸﹄ 論ー脱国家主義の可能性

中野和典
(3)
I ﹁刑 罰 と国家﹂か ら ﹁選別思 想と 国家﹂ へ 刑罰の実験を行う私設の監獄になる予定だった。
しかし、その構想は八一年頃にはかなり大きく変化している 。題
安部公房の ﹁
方舟さくら丸 j は
、 一九八四年︱ 一月に全編書き下 方舟さくら丸﹂に変わり、監獄だった舞台も核シェルタ ー に
名は ﹁

-115-
ろしとして発表された 。前作 ﹁
密会 ﹂(-九七七年︱ 二月 ︶ か ら 約 なった 。
七年ぶりの長編小説ということになる 。安部は ﹁
密会 を書き上げ
j 選別を始めてしまった以上、どこに基準を置こうと同じことな

一︶
た直後から新しい小説の構想を練り始めていたか、それは ﹁
志願囚 んだ。ファシズムが始まる。ファシズムとはすなわち選別の思
人﹂という題名で書き始められた 。 想なんだ 。︵略︶なぜ核戦争が起きるのか 。 国 家 が 意 思 決 定 を
犯罪があって刑罰があるから、人は犯罪のほうを大きな問題と する可能性があるからでしょう。考えてみると国家自身が一っ
して考えがちなんだが、実際には犯罪よりも刑罰のほうが大き のシェルタ ーなんだよね、国家そのものが。︵略︶マルクスの
いんだよ 。 これから、刑罰というものが、身のまわりに網の目 思想の根本である国家の廃絶ということは、はたして実現可能
のようにのしかかってくる時代が、必ず来るだろうね 。 なアイディアかどうか、ぼくはかなり懐疑的なんだけど、でも
だから、今度の僕の小説は、泥棒と、それに加えられる刑罰 それ以外にはないじゃないかという気もするね 。しかし 、現実
というものとの関係で、国家というものを⋮⋮いや、もちろん には国家はないと困るんだ 。 ︵略︶しかし国家はその内部でシェ
そんな論文みたいなものは書かないよ 。
2)
(
ルタ ー・ システムをますます巨大な形に育てつづけ、繰り返し
﹁志願囚人﹂を書き進めていた頃の安部の関心は、刑罰を通じて国 ファシズムを再生産していくメカニズムを持っている 。
家の在りようを問うことにあったようだ 。舞台となる採石場跡地も 方舟さくら丸 ﹂が執筆された七0年代後半から八 0年代前半は、

東西冷戦の激化にともない核の軍拡競争が異常に加熱していた時期
であった。戦後しばらくは圧倒的な優位にあった米国の核兵器保有 I
I 国家思想のゲーム
5)
数 を ソ 連 が 超 え る よ う に な っ た の も こ の 時 期 で あ る 。世界には六万

(9)
発を超える核兵器が製造され、人類の最終戦争までの残り時間をあ モグラは核シェルタ ー に三八 五 人 を 収 容 し 、 核 戦 争 に 備 え て 人 間
プ ール
と 何 分 か 、 と い う 形 で 示 す 終 末 時 計 も 八 四 年 に は 残 り 三分まで針を の遺伝子を備蓄するという計画を持っていた。モグラのシェルタ ー
進 め て い た 。安 部 も こ の よ う な 状 況 に 危 機 感 を 募 ら せ て い た か 、 そ
(6) 7)
-
は単なる待避壕ではなく、新しい共同体を築くための生活の場でも
れは国家の存在理由をより困難な次元で問うことにつながった。 あったのである。
核戦争の可能性を生み出しているのは、核兵器を開発・配備・管 モ グ ラ は ﹁ 民 主 ﹂ 的 な 思 想 に よ っ て そ の 共 同 体 を 秩 序づ け ようと
(I
O)
理 す る 国 家 の 存 在 で あ る 。核 兵 器 は 国 家 に よ っ て 要 請 さ れ た 攻 繋 力 していた。それは︿王政や独裁は、性に合わない﹀︵二三︶と、特
自国の核戦力が 他国の核使用を抑
の極点にあるもので、核抑止論 ︵ 定の権力者による支配を否定していたことからわかるが、既存の民
主主義とは違う独特のものでもあった 。そ の 独 自 性 を 示 す も の が 方
オーバー ・キル
止するという理 論︶に基づいて進められた兵器開発は過剰殺数を 可
能 に す る 危 機 状 態 を 生 む に い た っ た 。国家レヴェルの安全を確保し 舟 の シ ン ボ ル ・ マ ー ク 、 ユ ー プ ケ ッ チ ャ で あ る 。 この架空の昆虫は

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ようとする営みが人類の危機を生んだのである 。
i
自分の糞に繁殖したバクテリアを餌にするという閉鎖的な生態を特
人間が国家制度に依存しているかぎり核の脅威を脱することは難 徴としており、それが核シェルタ ーを 建 造 す る モ グ ラ の 願 望 料
しいが、国家が消滅する可能性も現時点ではおそらくほどんどない 。 の確保と排泄物処理の問題の解消ー を 体 現 し て い た の だ が 、 そ れ だ
国家の影響力が弱まると別の暴力︵他国からの干渉、宗教的・民族 けではない 。 モグラはユープケ ッチャを ︿
ある哲学、もしくは思想
的 な 共 同 体 間 の 衝 突 な ど ︶を 押 さ え 込 む も の が な く な っ て し ま う 。 を あ ら わ す 記 号﹀︵二 ︶だと考えている 。
しかし、国家はその存在を自己目的化し全体主義や選別思想を再生 時計虫には人間を敵意と不安から救済する手段の啓示が彫り込
産 し て ゆ く 構 造 を 持 っているのである 。 このような国家の必要と弊 まれているような気がしていた 。たとえば人類と祖先をともに
害 と の 間 で 揺 れ る 困 難 な 問 い に 安 部 は 向 き 合 っていた 。それは個々 する類人猿には、は っきり 二 つの傾向が認められる 。集団をつ
るい じんえん
の内面に潜む国家主義の在りようを追求する問いでもあった 。
8)
(
くって社会 化 し よ う と す る 拡 張 傾 向 と 、 縄 張 り に こ も っ て 城 を
本稿の目的は国家論の視点から ﹁
方 舟 さ く ら 丸 ﹂ を分析し、その 築こうとする定着傾向傾向だ 。人間はなぜかこの 二 つの矛盾す
読 み の 可 能 性 を 探 る こ と で あ る 。 そのために登場人物たちの関係を ︵ 略 ︶も し ぼ く ら が ユ ー
る傾向を同時に身につけてしまった 。
国家思想のゲームとして図式化してとらえ、そこから明らかになる プケッチャのように⋮⋮︵ 二︶
方 舟 さ く ら 丸 ﹂ の世界を存在論的に論じたい 。
問題を踏まえながら ﹁ 集 団 ︶化 しようとする
モグラは強い縄張り意識を持ったまま社会 ︵
性質を人間の不和の本源と見なしている 。延々と 一点を回転し続け 世紀はまさに国家主権の世紀 ﹀ ︵二三︶と断ずる副官は語る 。
るというユ ープケッチャが定着傾向を示していることは明らかだが、 民王化というのは、個人の生産効率を高めるために、国家がや
。 つまり、ユ ープ
その縄張りは ︿ほんの身の丈しかない ﹀(-五 ︶ むを得ずと った便法にすぎません 。 コンピューターの効率を上
ケッチャが象る哲学・思想とは﹁縄張り極小の定着﹂というべきも げるために、端末機の自由度を拡張する ようなものです。どん
のなのである 。人間はユープケ ッチャの ような身体機能を持たない な民王主義制度にも、国家反逆罪、もしくはそれに準じた自由
が、社会形成能力を発挿させて﹁縄張り極小の定培﹂の生活に近づ の規制がありますからね︵ 二三︶
くことはできるだろう 。 モグラがめざす新たな共同体の行動規範と 菰野と千石はこの超国家主義の求心力に取り込まれるが、 二人がほ
なるのはこのようなアイディアであった 。 うき隊に与することによってモグラの選別は無効化している。モグ
乗 組 員 の 私 生 活 に は な る べ く 干 渉 し な い 方 針 だ が 、 空 気 浄 化装 ラが選んだ ﹁
適格者﹂たちがあっさり敵対勢力の幹部に収まったの
置や発電機の運転のように、共同作業にたよらざるを得ない部 だ。
︵ 菰野は ﹁
生きのびるための切符 ﹂を正 式 に 手 渡 さ れ た 唯 一の
分がある 。方舟生活の成否はもっぱらそこでの協調ぶりにかかっ 人物であり、千石も方舟に迎え入れられることが確定していた︶ 。
てくるわけだ。誰もがユ ープケ ッチ ャのように暮していれば、 ほうき隊は、姓名や龍 話番号など から受ける直感とい った恣意的な

-117-
なわば
協調になんの不都合もないはずである 。互 いに縄張り拡張の衝 基準で核シェルタ ー に収容する人員の選別を行っており、これは︿
動を持たなければ、縄張りを犯し 合う気遣いも ない 。 ここが未来のための遺伝子のプールになる ﹀ ( - 四 ︶と慎重な選別
(I 0) を行 っていたモグラの﹁ 責任ある﹂態度とは対照的なようだが、実
しかし、そのようなモグラの構相乍 実現手段との間には矛盾があっ J はそうではない 。
た。 モ グ ラ は 独 裁 を 否 定 し な が ら も 船 長 の 権 限 は 決 し て 手 放 そ う しかし考えてみると、無意識のうちにぽくが取ってきた行動と、
とはしないし、縄張り極小を目指しながらも採石場跡地の隅々に 瓜 二つなのだ 0 [生きのびるための切符]を売りしぶっていた、
罠を仕掛けて巨大な居住空間を確保しようとする 。 ユープケッチャ
トラ ッブ
あの消極性との類似を指摘されると、反論の余地がない 。
︵略︶
的な価値観を持つ人間以外を排除することによってのみ成り立つ世 五 う き 隊 ]を 非 難 す る 根 拠 は 失 わ れ て し ま っ た 。 そ の 前 に 自
界 。 モグラの﹁民主 ﹂ 的な思想の根底には常に選別の思考が働いて 分を非難し、ひねりつぶしてしまいたい 。 ︵二三︶
t


こ。 むしろ両者の同質性は明らかである 。 こ の 発 見 は ﹁ ど の よ う な 基 準
で、誰を選ぶか﹂という問いを﹁選ぶことに正当性はあるのか﹂と

精神の浄化 ﹂と﹁人間 の掃除 ﹂を 目 標 に 掲 げ る ほ う き 隊 は 、 軍 いう問いに転換させるものであった。モグラとほ‘?さ隊の対置によっ
隊的な階級組織と儀式を偏重する超国家主義的な集団である 。︿今 て選 別すること自体が問題化されるのである。
嘘 っ八なんだ 。嘘を承知でこんな所にいられるわけがないじゃ
サクラが示していたのは非選別の思想であ った。 ないか ﹂
﹁おれ、組に入っていたころ、偶然ダ ーウ ィ ン の 進 化 論 っ て の ﹁でも、本当だと思えば、本当みたいな 気 も し て く る よ 。 あん
読んだことがあるんだ 。漫画にしたやつだけどね 。 でもあれで たも 言っ ていただろう、いずれは本当になるんだ って。核戦争っ
人生観が変ったな。命を張って生きるなんて、ご大層なことは てやつは、始まる前から、始ま っているんだ って⋮⋮﹂
"んか
言いっ こなし、ヤクザの喧嘩が本物の 嘘嘩なら、 適者生存で人 ︵二四

間ぜんぶヤクザにな っちまうじ ゃな いか 。 ︵
略︶﹂ 核の抑止力に支えられた平和は力の均衡が決定的に失われた瞬間に
﹁つまり、何が適者かってことだろ﹂ 崩壊する。 溺 れるのを怖が って水から逃げて ﹀集団自殺をする鯨
︿
そう、生きている者はぜんぶ適者 。 ︵
﹁ 略︶﹂ ︵一五︶ たち(-九︶のように、目先の恐怖に脅えて核戦争を始めるという
サクラによると、生きている人間はすでに洵汰され選ばれた者なの 人類の自殺行為が突発す る可能性は十分にあるのだ 。︿突然はじま
だから今さら生き残るべき者とそうでない者を選別するのは不合理 り、気付いたときには終了しているのが核戦争﹀︵ 二三 ︶なのだか
なのである 。逆洵汰や民族の優劣といった思考から優生思想に結び ら、核の軍拡競争を核戦争の 一部と見なす危機意識も過剰なものと

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ついてきたダ ーウィン進化 論から、サクラは ﹁生きている者はみな はいえないだろう 。 つまり、サクラにとってモグラが偽装した核戦
適者﹂という逆方向の解釈を導き出す 。 争は完全な牲ではなく、本当のことでもあるのだ 。
サクラが見せるこのような誠実さにモグラは彼を次期船長と認め サクラのいう嘘とはも っと 別のものである 。サクラは方舟を脱出
るほどの信頼を置くようになるが、この非選別の思想がどれほどの するモグラに向かって次のように語りかける 。
現実性を持っていたのかは考えねばならない 。 サクラは収容者の選
ただみ
あんた、サクラの語源を知 っているかい 。
﹁ 花 見 は 只 見 ﹂ ⋮⋮
別を前提とする核シェルタ ーを出ていこうとはしないのである 。 サクラ見物に料金はいらないっていう意味なんだとさ︵ 二四


行こうよ、冗談を 言 い合 って いる暇はないんだ ﹂ この場で ﹁サクラの語源 ﹂ が語られるのは、いささか唐突な ようだ
﹁いや⋮ ⋮ やはり遠慮しておこう 。何 処 で ど う 生 き よ う と 、 た が、実は二人が最初に出会ったときにもこれに似た発言がある。
いして代り映えはしないよ 。それに本来、嘘を承知ではしゃい 辞書によると、サクラは売手とぐるにな って客の購買欲をあお
で見せるのがサクラだろ ﹂ ︵二四
︶ る役目の大道商人の仲間、または演者と共謀して観衆の扇動を
嘘を承知で⋮ ﹀ というサクラの嘘とは何か 。単にモグラがでっち はかる者、とな っている 。語源は ︿桜の只見 ﹀ らしいね。︵ 三 ︶
ただみ
︿
上げた偽装の核戦争を指しているのではないだろう 。 サクラ見物に科金 はいらない、すなわち持つ者と持たざる者を差別
外の世界は今までどおりなんだぜ 。核 戦 争 な ん て 出 ま か せ の
﹁ しない受容の姿勢こそが﹁サクラ﹂の本来の語義なのである 。 モグ
ラとの出会いと別れのときにこのことを語るのは、そのような非選 はまだ耳にしていない 。︵略︶騒ぎにならずにすめば、問題は
別の思想が彼の中で一貫していることを表明したものだろう 。サク ない 。業務は順調にすすんでくれた 。どのみち世界の破滅は近
(1
1)
ラは核シェルターに留まることを選ぶが、しかし非選別の思想を捨 いのだ 。 (-三 ︶
ててはいないということを語源に託して語 っているのである 。サク この感覚は不法廃棄物の処理を斡旋していたほうき隊、採石場跡地
ラははうき隊に何も働きかけはしない 。非選別の思想を持ったまま、 にゴミを投棄し続けた地元住民など、 はだしで街を歩いても足の
︿
徹底した選別思想を生きるほうき隊とサバイバル・ゲームをするこ 裏がよごれる心配はない ﹀ (-三 ︶という異常な消潔さをつくりだ
と、常に﹁嘘であること﹂を自覚することによって辛うじて非選別 そうとしていた全ての人間が共有しているものである 。
の思想を保持しながら選別思想につきあうこと、それがサクラの選 女はそのような危機の空洞化に異を唱える 。
なが
んだ嘘であった 。 ﹁︵略︶いつだったか、空を眺めていたら、空気が生き物に見え
てきたのね。樹の枝は血管にそっくりでしょう 。形だけでなく、
非選別の思想が現実性を持つことはいかにして可能か 。その問い 炭酸ガスを酸素に変えたり、窒素を吸収したり、ちゃんと新陳
•••••

に鋭く切り込んだのが女であった 。女は核の脅威を他の人物たちと 代謝もしているわけだし⋮⋮風や気圧の変化は空気の筋肉の運

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は別のかたちでとらえている 。それは J ・ポードリヤールが提示す 動で、草や樹の根 っこは指や手足ね 。棲みついている動物は、
る次のような危機感に近いものである 。 血球やウィールスや大腸菌で⋮⋮﹂
シミュレーションを神の列に加えるもの、それは核だ 。とこ ﹁人間はなんだろう﹂
ろがその恐怖の均衡はシステムの派手な 一斜面でしかなく、そ ﹁寄生虫かもしれない﹂
れは内部から生活のあらゆるすきまに 浸透した 。核のサスペン ﹁癌かな﹂
スは、メディアの中心にある抑止、世界中に行き渡った一貫性 ﹁そうかもしれない 。体調が悪いよね、最近の空気は⋮⋮﹂
のない暴力、われわれに 呈示されたどのようにでも選べる危険 ︵一九

、、、、、、 、、、、
な装置など、取るに足らなくな ったシ ステムを封じ込めるだけ 女の視線は生態系に向けられている 。危惧すべきは生態系を破壊し
(
12}
だ。︵ 傍点原文︶ 続ける人間の存在で、それは女にとって ︿いつ落ちるか分からない
核の骨威があまりにも大きいために、その他の問題が相対的に軽視 燥弾なんかより、ずっと怖い ﹀ (-九︶ものなのであった 。
されてゆく感覚 。そのような危機感の 空洞化は万能便器から六価ク 旧約聖書の創世記に記されているノアはすべての動物の雄雌 二匹
ロムを排出し続けたモグラの行為に明確に 表れていた 。 ずつを方舟に収容し大洪水を乗り越えた。 一方、モグラは 一匹の動
営業をはじめてからも、近くで魚の死骸が浮いたなどという噂 物も方舟に容れないどころか、鼠すら入り込めないような侵入者繋
退システムを作り上げようとしている 。他の生きものを排除しても は大きい 。その ような在り方 が国家主義を許容 しーそして核以外の
人間が生き抜くことができるという認識は、創世記の時代の人々に 危機の空洞化を進めーむしろ危機を深刻化しているということを女
は思いもよらないことだ ったろう 。女は核の脅威によって周縁化さ は伝えようとしているのだが、その主張は十分な力を持ち得てはい
れていた危機感を中心に据え直すことによって、核シェルターで生 ない 。女が方舟に残るのは、サクラが示すような、安全を得ようと
きのびることの不可能性を伝えようとする 。 た だ し 、 そ の よ う な して国 家主義を許容してゆく在り方の支配力を乗り越えることがで
﹁据え直し﹂の試みは、単に技術的な問 題 と し て 生 き の び る こ と が きなかったからである 。
できない、という訴えによってなされているのではない 。
﹁いま、ろくな生き方をしていない人間 が 、 御 破 算 に な っ た か 最終的な勝者は誰なのか 。方舟を征したのはほうき隊だが、新隊
らって、ろくな生き方が出来るわけないでしょう ﹂ (-八︶ 長は菰野、新船長はサクラ、獲得されたのは偽の方舟、それを勝ち
﹁君を見ていると、気が滅入 ってくる 。 こんな所で生き残ったっ 取ることの価値は女によって否定される 。 こ の よ う に 登 場 人 物 た ち
めい
て、死んだのも同じじゃないの﹂( -九 ︶ による国家思想のゲームは、ゲームの成立条件自体が無効化されて
仮に他の生きものに依存することなく 生きのびる ことが可能である いくことによって勝者なき争いに転じていく 。今やゲ ーム の場を押

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としても、それが人間が生きるということなのか 。 シェルタ ーで 生 し出されたモグラがたどり着いた場所、透けた街について考えねば
きのびようとすることは、核の危機にまで 至っ た人類が自ら抱え込 ならない。
だ困難を一歩も抜け出すことにはならないのではないか 。核シェル
タ ー で生きのびることの不可能性を説く女の主張は倫理的な思考を m 脱国家主義の可能性
含んだものである。
しかし、核シェルターを出ようとしなが ら、女 はそれを果たすこ モグラが﹁縄張り極小の定着﹂の思想による共同体づくりを断念
とができない 。女は核戦争が偽装であることと脱出路が用意されて せざるをえなくなったのは、その構想と実現手段との矛盾を解消す
いることをサクラに隠して方舟を出ようとするが、その秘密はモグ ることができなかったからである 。 モグラは矛盾を自覚しないまま
ラからサクラに伝えられ、女は方舟に留まらざるをえなくなる。こ 準備を進めたが、結局は﹁適格者﹂たちの転向と超国家主義的な勢
のサクラと女の支配 /被支配の関係に、嘘を選び選別思想を許容す 力による方舟の占拠を招いてしまった 。人 間 は ユ ー プ ケ ッ チ ャ の よ
る在り方と生態学的な視点を重視する在り方の力の差を見ることが うには生きられなか ったのである。身体的な能力としてはもちろん、
できる 。 サクラが核シェルターに留まるのは、外よりもそこが安全 社会的な能力として人間は﹁縄張り極小の定着﹂の共同体を組織す
だと信じているからである 。選別は誤りだと思うが 、なお核の脅威 る社会性を持ち得なか った 。 モグラが自分の足で万能便器を塞いで
しまうのは、そのことの戯画であった 。 現実と記号の混同がおこる 。 一種の閉所願望、 トー チカ願望、
(
13)
しかし、モグラは便器を破壊し方舟を捨てる決心をしても、その それ に攻撃性が加わ ったら戦車願望なんだとさ 。 ︵略︶その結
シンボル・マ ー クにしていたユ ープケ ッチャを捨てよ、?とはしない 。 果が電気仕掛けの怪獣や、モデルガンや、テレビ・ゲ ー ムの流
それはなぜか 。方舟を外界から遮断するダイナマイ トを起燎させる 行だと言われれば、そんな気もしてくるだろう︵四︶
直前にモグラは次のように考える 。 木馬が実物の馬ではないことを知りながら子どもはメ リー ゴ ー ラウ
死に瀕している空気生物のことを思 った。生きのびようとして ンドに興じる 。サバイバル・ゲ ー ムでは、スピ ー カーから流れる銃
ひん
集 団 自 殺 に 突 進 す る 鯨 の こ と を 思 っ た 。 ユープ ケ ッ チ ャ の 平 声を聞いた人間が本当に死んで しま う︵一七︶ 。 こ の よ う な 現 実 と
くじら
和など幻想にすぎなかったのだろうか 。だったら遊園地という 記号との混同は何に よ ってもたらさ れ るのだろうか 。再び J ・ポ ー
遊園地に、なぜメリ ーゴ ー ラウンドがあるのだろう 。休日の子 ドリヤ ー ルの論を援用して考えれば、そ れ は現代が現実と記号の差
(
15)
供たちがそっくり精神分裂症だと証明できるのなら、あきらめ 異が消滅したシミュレ ー シ ョ ン の 時 代 だ か ら で あ る 。 物 と 情 報 の 大
さが オ リジナル nビ ー
て引き退るしかないが ⋮ ・ : ︵ 二三
︶ 醤生 産 が 始 ま っ た 産 業 革 命 以 後 、 人 間 は 次 第 に 原 型 と 複 製 と を 判
ここでメリ ーゴ ー ラウンドが引き合いに出されるのは、ふたつのこ 別しがたい現実に囲まれて生活するようになる 。現 実 は す で に 複 製

21-
と を 伝 え よ う と し て い る か ら だ ろ う 。 ひとつは、円環するものへの されたものとしてあり、再生産可能性が現実的なものの根拠︵近代

-1
憧れの普遍性である 。廃棄物の増加に対する再生利用、複雑化する 科 学 や 事 物 の 等 価 性 の 普 遍 的 シ ス テ ム ︶ と 見 な さ れ る 。 原型として
リサイクル
社会生活に対する自給自足の願望、死に対する輪廻の思想 。蓄積さ の現実が消滅し、記号は指示対象を失ったシミュラ ー クル と 化 す 。
れる無秩序の解消を願うことは円現への憧れの変型なのである 。
ヴァリアント
シミュラ ー クルがもはや何かの模造品ではなく、他のシミュラ ー ク
もうひとつは、虚構の必要ということである 。モグラはユープケッ
(N}
ルを指示対象とする﹁シミュラ ー クルのシミュラ ー クル ﹂ があふれ
チャが作り物であることを知っていた 。 ユープケッチャは﹁縄張り 出す時代、それがシミュレ ー ションの時代である 。
極小の定着﹂という哲学 ・思想の記号としての価値を認められてい 核の緊張状態もこのような感覚を基盤として生まれている。ある
たのであって、それが作り物であるかど、?かは 重要な問題ではなかっ 国は 他 国の核使用を想定しつつ核軍備を行い、相手もその国からの
た 。乗船の資格審査でもその ﹁
実在を信じるか﹂ではなく、その 核攻繋に備えて核兵器を配備する 。互いの軍事シミュレ ーションが
価値を認めるか﹂が問われていたのである 。本 物 か 偽 物 か と い う
﹁ 照応し合い、互いの核武装を正当 化 しながら軍拡が行われる 。核抑
ことが価値判断の基準とならず、むしろその関係が転倒する傾向は 止論は現実に先行するシ ミ ュレ ー ションどうしの照応関係から核軍
一般的なものである 。 備を増強し、 全世界をその管理下に組み込む巨大な虚構システムな
現代はシミュレ ー ション ・ゲ ー ムの時代なんだそうだ 。そこで のである 。 これに対抗するものはもはや現実ではない 。必要なのは
核抑止論に代わって世界を秩序づける新しい虚構、対抗的な虚構な 空間︵図 B)がある 。方舟が建造されている採石場踪という場は都
のである 。 モ グ ラ が 新 た な 共 同 体 の 行 動 規 範 に し よ う と し て い た 市の反転像という性質を持っている 。あるエッセイの中で安部は採
﹁縄張り 極小の定浩﹂の思想は、まさに核の危機を脱するための対 石場跡について次のように語って
抗的な虚構として呈示されていた 。︿ 立体地図に、ユ ープケ ッチャ いる 。
か⋮⋮君って、徹底して偽物好きなんだね ﹀(-八 ︶と呆れる女の 廃虚に似ている 。似てはい
言説 が 十 分 な 力 を 持 ち 得 な か っ た の は 、 虚 構 の 必 要 性 を 軽 視 し て い るが、廃虚ではない 。廃虚と
たからだろう 。一 方、モグラが方舟を捨ててもユ ープケッチャを捨 は使用 されなくなった建造物
てないのは、虚構の必要を最後まで否定しないからである 。 のことである 。 ここは一度と
して建造物にはなったことの
方舟を抜け出したモグラが忽然と目にする透けた街は、そのよう ない場所 。どこかべつの場所
な軍事シミュレーションと方舟空間との関係において出現してい で建造物になるための材料と
る。 して搬び出されていったもの

-122-
合同市庁舎の黒いガラス張りの壁に向 って、カメラを構えてみ の脱け殻なのだ 。白と黒が逆
る。二 十四ミリの広角レンズをつけて絞り込み、自分を入れて にな った都市の反転像 。
街の記念撮影をしようと思ったのだ 。それにしても透明すぎた 。 数千人の
モグラは採石場跡地を ︿
日差しだけではなく、人間までが透けて見える 。透けた人間の 収容能力をもつ大地下街 ﹀ ︵一︶ と紹介する 。 それは機能的にも寛
向こうは、やはり透明な街だ 。ぼくもあんなふうに透明なのだ 気や下水道といったライフ ・ラインを備えた集団生活の場、都市的
ろうか 。頻 のまえに手をひろげてみた 。手を透して街が見えた。 な空間になることが企図された場所であった 。 そ し て 、 そ こ で は 表
とお
振り返って見ても、やはり街は透き通 って いた 。街ぜんたいが の世界で疎まれていたモグラが船長になる 。核戦争によって実在の
生き生きと死んでいた 。誰が生きのびられるのか、誰が生きの 都市が廃墟と化す瞬間に、唯一生き残った街として実在化を果たす
びるのか、ぼくはもう考えるのを止めることにした 。 ︵二五

︶ 都市の脱け殻。疎外されていたモグラが人類を救う指導者となるこ
まず、現実に先行するシミュレーションとしての核戦争ある︵図 とが予定さ れた場所 。 モグラの方舟はそのよヽつな逆転の可能性を持っ
A)。 これは軍事シミュレ ー ションどうしが照応し合って相補的に た反転都市だったのである 。 この核戦争のシミュレ ー ション と方舟
ネガ
互いの軍備を正当 化し つつ存在している 。 そして、核戦争のシミュ 空間と都市との関係によって成立していたのが、核シェルタ ーによっ
レーションと照応し、実在の都市︵図C) とも照応関係を持つ方舟 て生きのびることが可能とみなされている世界︵図内側の円︶であ
る。 ことによって復讐していた屈折した自己からモグラは解放されてい
それが、モグラによる核戦争の偽装とサクラによる核戦争を真実 るのである。
と見なす行為︵真実性の付加 ︶によって核戦争のシミュレ ーション そして解放されたモグラは女への接近を果たしている。女の身体
は偽かつ真であるという 二重の意味を持つシミュラ ー クル︵図 A) は
、 ︿ 透明な唇 ﹀ ︵一 指は骨がないように透けて見えた ﹀
︿


になる 。 この 二重化された核戦争のシ ミ ュレ ーションに照応し、実 ︵三 ︶と透明性を帯びていたが、モグラは透明化することによって
図B)も 偽 物 か つ 本 物 の 方 舟 で あ る と い う
在化した﹁さくら丸 ﹂ ︵ 女に近づいているのである 。 この接近は冒頭にあるユ ープケッチャ
両義性を持つようになる 。そして、 二重化された核戦争と方舟に照 の物語に重ねられる 。
応する透けた街︵図C) は 、反転都市を更に反転させた反転・反転 年に一度の交尾期を迎え、糞の文字盤からユ ープケッチャの針
都市として出現する 。夜明けとともに街は活動を始めているが、実 が飛び立ち、時は死ぬ 。 ︵略︶針をむしられた時計は地面につ
は既に核戦争は勃発している 。誰 一人気 づかぬうちに全員が死者と
むな
けた爪跡のようで、いかにも虚しく不吉にみえる。︵略︶再生
化 し て い る 街 の 光 景 。 そこに在ることがわかりながら視線が突き抜 の予兆はいつだって似たようなものだろう 。 (-)
けてしまう死の世界 。国家思想のゲ ー ムの果てに出現する生きのび 個体として生きるユ ープケッチャも交尾期だけはその極小の縄張り

23-
ることの不可能世界︵図外側の円︶の 全体を覆っているのは鮮烈な を捨てて社会 化する 。 ここで ﹁
縄張り極小の定着﹂を象っていた ユー

-1
死のイメ ージである 。 プケッチャは、 ﹁
縄 張 り 零 の 拡 張 ﹂を 象 る 記 号 へ と 転 じ て い る の で
ある 。 ﹁縄張り零の拡張﹂、それは場所性に囚われた自己を捨て、ひ
このような街の表象に全く出口がないかというと、そうではない 。 たすらに 他者との関係を広げてゆくという思想である 。 ユープケッ
結末部のモグラは冒頭の自己紹介と同じ場所に立ち返っている 。 チャが示し始めた思想が、新しい対抗的な虚構としてどれほどの現
こく じ ら
黒いガラスに映ったぼくは道に迷った仔鯨か、ゴミ捨て場で変 実性を持ちうるのかという問いは、おそらく読み手の側が引き受け
色したラグピ ー のボ ー ルに見えた 。背 景 の街が歪んで映るのは なければならないのだろう 。依然、ユ ープケッチャは作り物のまま
ゆが
面白いが 、歪んだぽくはみじめなだけだ 。 (-) であるが、シミュレーションの時代においては虚構であることにこ
モグラはこの場所で公権力と対極のものとしての疎外された自己を そ可能性があるはずなのだ 。﹁
縄張り零の拡張﹂という地平に向け
確認していたのだった 。 モグラの劣等感と破滅願望はこの鏡像を通 て自己否定を続けていく以外に脱国家主義の可能性はない 。
じて再生産されていたのだ 。しかし見られている世界も見ているモ
グラも透けてしまっている結末においては、見る/見られるの関係
そのものが解体している 。 他 者 の 視 線 に 怯 え 、 立 体 航 空 写 真 を 覗 く
(
17)
注 (9) 御破算︵ゴハサン︶のアナグラムか。
1)﹁︿﹁密会 ﹂ の安部公房氏 ﹀ ﹂ ︵﹁山形新聞﹂ 他 一九七七年︱ 二
( (
10) 文中の ︵
漠 数字
︶ は
、 ﹁
方舟さくら丸 ﹂ の章を表している。
今度はしばらく 何も洋かばなか った 。 小 説 家 安
月一六日︶ ﹁ 1)﹁
(1 破滅と再生 ﹁
﹂ ︵
ー すばる﹂一 九 八五年六月 初 題 ﹁御 破
部公房もこれで終わりかなと思 ったら、昨日あたりから浮か 算の世界ー 破滅と再生 ﹂︶﹁﹁
方舟さくら 丸 ﹂ の ︿さくら ﹀ に
び出 した
﹂ は 、説明するまでもなく、国家主権のシンポルである桜と露
(2) ﹁創造のプ ロセスを語る﹂ (﹁CROSS OVER﹂ 一九八0年四 店の客寄せのサクラの 二重の意味をもたせてある 。﹂

︶ なお、コノテ ー ションとしての桜と日本との関係に注目 し
(3) ﹁匿名性と自由の原点の発想 ﹂ ︵﹁潮 ﹂ 一九七八 年六 月
︶ ﹁これ ﹁
方 舟 さ く ら 丸 ﹂ 論﹂ ︵
た論考に内藤由直﹁安部公房 ﹁ 花園大
はあ くまでも実験的な監獄 で、お金を出して囚人希望者を雇 っ 学国文学論究 ﹂第 二六 号 一 九九九年 三月︶ がある 。
て囚人を研究する所が舞台にな って いるん です 。
﹂ (
12) J ・ボ ードリヤ ー ル ﹁シミ ュラ ー クルとシミュレ ー ション j
(
4)﹁ ﹁
錨なき方舟の時代﹂ ︵すばる﹂ 一九 八四年一 月 ︶ ︵竹原あき子訳一九八四年 三月 法 政 大 学出 版局︶
(5) 黒沢満 ﹁ 核軍縮と国際 平和 (一九九九年 一0月 有 斐 閣 ︶ 1
(3)森本隆子氏は ﹁﹁
方舟さくら 丸 ﹂論ー ニつ の ︿穴﹀ 、 あ る い

4-
J
(6)米 国 の 核 問 題 専 門 雑 誌 ﹁T HE BULLETIN OF THE はシミュラ ークルを超えて﹂︵ ﹁
國 文 學 解 釈 と 教 材 の 研 究﹂

-12
AT O MI STS﹂の表紙に掲載 。
C SCIENTI 一九九七年八月 ︶において、モグラの足が便器を塞いだ瞬間
7)﹁死に急ぐ鯨たち﹂(-九八四年 五月︶ ﹁冷 戦 を 通 じ て 肥 大 化
( 穴﹀ との
に ︿完璧 な閉鎖 生態系ユ ープケッチャと﹁僕 ﹂ の ︿
しつづけた軍事力が核 兵器であったた めに、やがて力の均衡 自分の糞便がその
決定的な罰甑が 浮か び上がる ﹀ と指摘し ︿
という 奇妙な平和にたどり つく 。むろん均衡で競争が中断さ まま王食になるというユ ープケッチャと、排泄物を再び口に
れたわけではない 。 不振の天秤の両端に、同じ速度で荷重が 入れるわけに は いかない人間 と 。 その悲しい罰甑の認識 ﹀ が
かか っていく軍拡の均衡なのだ 。 こんな均衡が際限なく続け 獲得されると分析しているが、方舟の排泄物処理機能や人間
られるわけがない 。
﹂ の身体の能力とユ ープケッチャとの違い 以 上に 重 要なのは、
8)﹁異端審問を拒否する時 ﹂ ︵﹁波﹂ 一九八 二年一月︶ ﹁新聞記 事
( ユープケッチャに近づく ような共同体をつくることができな
で読んでいる限りでは、右傾 化 の風潮は経済的にも政治的に か ったという社 会 的な能力 と しての断念だろう 。
もその通りだが、それより怖いのは、われわれの内 側 に、も 4)本稿において論者は ﹁
(1 操作的なシミュラ ー クルの構造体﹂と
しかしてそういうナショナリズムを許 容 する抜け穴を作って いう意味で﹁虚構 ﹂という語を用いている 。
ないかという点だ 。
﹂ (
15) J ・ボ ード リヤ ー ル ﹁ ︵ 今 村 仁司 他 訳 一九八
象徴交換と死 ﹂
二年一 0月 筑 摩 書 房 ︶
(
16) ﹁都市を 盗る 1﹂ (﹁芸術新潮 ﹂ 一九八0年 一月

(
17) 加藤典洋氏は ﹁﹁世界の終り﹂にてー村上 春樹に教えられて 、
安部公房ヘー﹂︵﹁世界﹂一九八七年 二月︶において、透けた
街を ︿その燦発に﹁気づいた﹂者の大半は﹁死に絶え﹂、そ
の燥発から﹁耳をふさいで知らずに済ませた﹂者は、彼らだ
け何ごともなく﹁生きのび﹂てゆく ﹀ ような爆弾が破裂した
後の不思議な世界であると分析しているが、透けた街を見て
いるモグラまでが透明になっているという表象にはもっと注
目するべきだろう 。
本稿は、 二0 0 一年六月 二四日に鹿児島純心大学で開催され

-125-
付記
た日本近代文学会九州支部春季大会での発表をふまえ、新た
に論としてまとめたものである 。
九州大学大学院
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