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記憶の共同性と文学 章 第

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


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かさね
桐山襲という、いまでは忘れられた作家がいる。
忘れられた、とは適当な表現ではないかもしれない。四十三歳の誕生日を待たずに彼が逝った一九九
二年三月から、さほど長い年月が過ぎ去ったわけではない。少なくとも一九八〇年代をとおして同時代
文学に関心を寄せていた者であれば、小説﹃パルチザン伝説﹄ をもって登場した桐山襲の名
︵一九八三年︶
前を忘失しているということはないだろう。死後七年を経た一九九九年には、二つの中 と一つの短

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を収めた作品集﹃未葬の時﹄が、講談社文芸文庫の一冊として新たに刊行されている。その巻末の年譜
によって、これまで知られなかった作家の経歴と、十年におよぶ著作活動の全貌とが明ら
︵古屋雅子編︶

249 ──第 6 章 記憶の共同性と文学


かにされもした。いまなおその作品を繰りかえし読む、熱心な読者が存在してもいるはずだ。
にもかかわらず、
﹁忘れられた作家﹂という印象を私が抱かざるをえないのには、それなりの理由が
ある。
を素材とし
桐山襲の右のデビュー作は、昭和天皇の乗った特別列車の爆破未遂事件︵一九七四年八月︶
ていることから、一部の週刊誌に﹁第二の 風流夢譚 事件か﹂と書きたてられ、じっさいそれを受け

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て開始された右翼団体の攻撃により単行本化が妨害されるという、いささかセンセーショナルな登場と
︵ ︶
﹁社会現象﹂としての受容を余儀なくされた。その後も﹃スターバト・マーテル﹄

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をはじめ
︵一九八四年︶
として、同時代の政治経験へのまなざしに導かれた作品をつぎつぎと発表する一方、エッセイ執筆や論
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集編纂、座談会・集会出席などの機会には、独自のスタンスからの政治的発言を行っていった、そうい

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う作家である。一九六〇年代末の
︿政治の季節﹀
の記憶が風化し、さらには彼の死の前後から言論界の風
景も大きく変容してゆくなかで、過ぎ去った時代の心性をあまりに深く作中に刻み込んでいる作家とし
て、いつしか敬遠され、人びとの口の端にのぼらなくなっていった。それに逆比例して作品が著名なア
ンソロジーに収録され、文学史の片隅に名を記されもするというのであるのなら、それはむしろ同時代
作家として忘却の波に洗われたことをこそ意味するというべきだろう。桐山襲の︿忘却﹀は、この時代動
向を映し出すひとつの鏡であるわけなのだ。

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﹁忘れられた﹂という形容に私がこだわりたいのは、もうひとつ理由がある。桐山襲は、 作活動開
始の当初から、みずから忘却と沈黙とを背負い込んでいた作家だったのである。当時すでに季節が過ぎ
去り、風向きが変わって忘却へと押し流されてゆくだけでなく、その時代の動きに積極的にかかわった
人びとこそかえって堅く沈黙し目を背ける事象に、彼はあえて言葉を与えようとしたのだった。そして
その沈黙とは、ほかでもない、
﹃パルチザン伝説﹄を発表するまでの十年にわたり桐山襲自身を包み込
んでいたものであった。当時を回顧して彼は次のように語っている。
一九七二年二月、連合赤軍 │ 彼らが雪の山岳ベースの中で死に至らしめた者たちの死骸が発掘

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されたとき │ そのときの暗澹たる衝激は、それから十余年を経た現在においても、十分に伝え
︵ ︶
得る言葉を見出すことがきわめて困難なほどである。

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その一九七二年以降、
﹁語るべきではない﹂という長い無言の期間を過ごし、むしろ﹁語る者は恥知
︵ ︶
らずであるという印象﹂を強くもちつづけたという桐山襲は、しかし同時に、みずからの時代経験を表
3

現し記憶する言葉を求め続けた人間のひとりでもあった。
そんな時代の中で、多くの者たちは、内と外からの激しい風化に晒されながら、それでもなお︿あ
の時代﹀の記憶をつなぎとめようとしていた。或いは、記憶をつなぎとめうる︿表現﹀をさがしもと

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めていた。待っていた、といってもよい。確かに、多くの者たちが一個の表現を │ ︿われらのも
の﹀
と呼びうる一個の表現を │ 待っていたのである。
︵ ︶

251 ──第 6 章 記憶の共同性と文学


これは道浦母都子﹃無援の抒情﹄新版に桐山襲が寄せた解説文の一節である。一九八〇年に部数五百
部で自費出版された道浦母都子のこの歌集は、同世代の多くの人びとと同じく桐山襲によっても﹁︿わ
れらのもの﹀と呼びうる一個の表現﹂として迎えられ、彼をして﹁文学﹂という手段を選びとることへ
と踏みきらせたという。もっとも﹁迫りくる楯怯えつつ怯えつつ確かめている私の実在﹂という歌集冒

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頭の一首にも示されている道浦母都子の、いわば実体験への密着姿勢は、短歌と小説というジャンルの
違いを考慮に入れてなお、桐山襲の小説世界とは明らかに異質といわなければならない。その相違のな
かに浮かびあがってくるもの、それは歴史の経験を重層的にとらえ、記憶されるべき過去の事象のうち
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︿事実﹀
よりも
︿可能性﹀
を見いだそうとする桐山襲の志向である。

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記憶・歴史・文学│ 一九九〇年代日本の論争から
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桐山襲がその死とともに忘れられていった一九九〇年代 │ 彼の作品によって記憶を喚起するよう
試みられた諸事象が単に忘却にとどめられるだけでなく、懐旧の対象として﹁記録﹂されもすることに
よってかえって、多くの人びとの沈黙が沈黙のままに封じこめられ、忘却という事態そのものが忘却さ

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れていったかに見える、この二十世紀最後の時代。それはしかし同時に、記憶と忘却という主題につい
て、これまでになく活発に論じられた十年でもまたあった。﹁歴史﹂をめぐるさまざまな問題が、思想
界においても現実政治の場面においても、大きな論議を呼んだのである。
﹁記憶の内戦﹂とも名づけられたこの情況のなかで、とりわけ歴史教科書をめぐり戦わされた議論に
おいて、あらためて顕在化したことがある。それは、歴史とは﹁集合的記憶﹂であり、集団の﹁共同
性﹂のありように深くかかわるという簡明な事実であった。
﹁南京大虐殺﹂
﹁従軍慰安婦強制連行﹂ │ これらの出来事が史実として﹁実在﹂したのかどうかにつ
いて、もとより論争が行われもした。だが、
﹁国民的史書﹂ と 目 さ れ る 歴 史 教 科 書 に、 そ れ ら

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︵鹿野政直︶
についての記述をわずか一、二行でも載せることの是非が、なによりも激しく争われたのである。これ
は国家という﹁共同体﹂のレベルで記憶されるべき史実の選別をめぐって、ということは特定の史実に
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ついての記憶の抹殺をめぐって、一国内部の言論界でたしかに﹁内戦﹂が行われたということにほかな

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らない。日中戦争開始から六十年が経過し、あの戦争の経験が直接体験者の口を通して語られる時代か
ら、文書などに記録された﹁共同的記憶﹂においてのみ記銘され、保持・再生される時代へと移行しつ
つあるなかで、この思想的 政
= 治的論争は繰り広げられたのだ。
ここで直ちに注記しなければならないことがある。歴史を無造作に﹁集合的記憶﹂ないし﹁共同的記
憶﹂と見なすことには、ある陥穽がつきまとっている。個人の心理的・言語的過程としての﹁記憶﹂作
用を集団にまで拡張して想定することにより、その担い手とされる﹁共同体﹂を擬人化し、個人にも先

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だつ独立の存在としてそのまま実体視する危険がはらまれているのである。そこからはたとえば﹁日本
社会の人格分裂﹂といった、レトリック性のみを先行させた表現が、本来の問題提起の文脈を離れて容

253 ──第 6 章 記憶の共同性と文学


易に独り歩きしはじめてしまうであろう。この陥穽を回避するためにも、まずなにより﹁共同体﹂とし
ての集団形成は、共通の起源と来歴を語る歴史が成員により共有されることによってはじめて可能にな
る、という点を、あらためて確認しなければならない。﹁共同体﹂がまず存在して、しかるのちそれを
行為と記憶の主体としてその歴史が語られる、というのではない。﹁共通の祖先﹂﹁神との契約﹂﹁建国
の理念﹂
﹁文化的伝統﹂といったキーワードを軸に、一定の出来事を口承・記念碑・公文書などを媒体

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に記録し、祝典・記念日・歴史教育などを通じその記憶を不断に再生産するとともに、他の一定の出来
事をそれにより同時に忘却しその想起を禁圧しつづける、﹁記憶と忘却の共同体﹂としてこそ、一般に
﹁共同体﹂なるものは成立し存立するというべきなのだ。
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そうであるならば、一九九〇年代に﹁歴史の見直し﹂を掲げて登場した人びとの真に意図するところ

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が、じつは個々の史実の否認、ないしその解釈の修正にはなかったのだとしても不思議ではない。むし
ろ戦後支配的だった歴史観に換えて、自国の歴史的連続性を強調しその既往と現在を肯定する歴史観を
若い世代に付与する、そうした方向をもった歴史教育へと転換することこそが企図された。つまり﹁集
合的記憶﹂を自国史の新しい語りにより人為的に操作し、それを通じて、国民一人ひとりの国家への強
固な帰属意識を効率よく調達することが企てられたのである。繰りかえし指摘されたことだが、ここに
歴史の﹁ナショナルヒストリー﹂としての機能を明瞭に見てとることができる。それは一国の来歴を提

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アイデンテイテイ
示することによって、国家という﹁共同体﹂の自己同一性を産出・確保し、それにより現存政治体制の
支配の正統性を内外に示すとともに、成員の国家への帰属・自己同一化を確保するものであることが、
これまでにもましてあらわになったのだ。しかも右の人びとのなかでも鋭敏な論者は、この点について
の明晰な自覚をもっており、国民国家が自然的な血縁・地縁の共同体でありえない以上、その共同性は
﹁国家の来歴の物語﹂を通じて人為的に 出 さ れ な け れ ば な ら な い と 語 る。 そ う し た 自 覚 的 確
= 信犯的
姿勢にこそ、この一九九〇年代の動きの﹁新しさ﹂があるともいえるのである。
ただし、従来の戦後的歴史観への批判は、同時に以上とは逆の立場から進められてきたこともまた、
銘記されなければならない。
﹁従軍慰安婦﹂の存在を看過してきた戦後歴史学、とくに国民国家日本を

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自明の統一単位とする自国中心的な歴史叙述のありかたにたいし、日本史を専攻する歴史学者自身によ
︵ ︶
っても、深刻な反省と根本からの再検討が遂行されつつあったのだ。もっともこのような反省は一部で

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は、クロード・ランズマン監督の映画﹃ショアー﹄ の強い印象に
︵一九八五年制作、一九九五年日本初上映︶

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も導かれて、
﹁ 表 象 の 限 界 ﹂ を ひ た す ら 強 調 す る 方 向 へ と 先 鋭 化 さ れ て ゆ く。 悲 惨 な 体 験 を 潜 り 抜 け た
生存者のトラウマ的記憶が歴史の物語的記述に回収されることを、徹底して拒否する言説が、そこに生
みだされていった。この方向が極限にまで突き詰められるときには、事態は次のような奇妙な構図に行
き着くように思われる。一方では歴史を確信犯的に﹁物語﹂ととらえて、ナショナルな共同性の強化へ
と向け他者の声を遮断しようとする﹁国民の正史﹂の構想と、他方では歴史叙述の隠 ・抑圧機能への
鋭い批判から﹁物語﹂としての歴史一般を拒絶する態度と、この両者が反目しつつ互いにすれちがって

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背中合わせに結合し、
﹁物語としての歴史﹂の此岸と彼岸への棲み分けを行ってしまう、と。
しかしながら実はトラウマ的記憶と歴史 物
= 語とのかかわりにおいて問題となるのは、前者の声なき

255 ──第 6 章 記憶の共同性と文学


声に導かれて後者を流動化し、あらたに物語り直してゆくこと、あるいは前者が後者に隠 される従来
のありかたとは異なった両者の布置関係を構想することであったはずだ。じっさい一九九〇年代後半か
らは、トラウマ的記憶に声を与え物語的記憶に置き換えるという課題、語りえない出来事の記憶をかろ
うじて伝達・共有するための方途を見いだすという困難な課題に、さまざまな角度からのアプローチが
行われてゆく。そのさいには狭義の歴史学方法論や社会学、精神分析の諸理論もさることながら、文学

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のもつ固有の機能にも目が向けられていったのである。
もとより文学と共同的記憶としての歴史の関係は、一義的に規定できるものではない。
そもそも両者は、明確な境界線の引かれた異領域のものではない。近代歴史学成立以前はもとよりの
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レ ト リ カ ル
こと、客観性を標榜する歴史叙述もまた根本において修辞学的なものであり、特定のプロットから意味

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を引きだし、イメージの 出により説得力を自己付与するものであることは、二十世紀後半のヘイド
ン・ホワイト﹃メタヒストリー﹄をはじめとする歴史言語の理論的分析が明らかにしたことだった。ひ
とまず両者のジャンル的区別を認めたとしても、そこには共通の社会的機能を指摘することができる。
たとえば島崎藤村﹃夜明け前﹄を素材に成田龍一が分析を試みたように、近代文学は剝きだしの政治的
意図をもたずとも、国民国家の枠内で歴史学とともに﹁国民﹂を 出する装置として機能してきた。共
通の歴史・言語・文化を共有し、相互に共感することのできる﹁われわれ﹂という意識を醸成する役割

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︵ ︶

を、期せずして果たしてきたのだ。さかのぼってはすでに、のちの浪花節につながる江戸期の口承文学
6 ナイーブ
が、超地域的な﹁日本語﹂を表現手段に忠義奉公・義理人情の歴史物語を流布することによって﹁無垢
で亀裂のない心性の共同体﹂としての国民国家・日本を準備することになった、との兵藤裕己の指摘も
︵ ︶
ある。文学的表現を媒体に歴史イメージを生産/再生産することにより、集団の共同性が調達/更新さ
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れるというこの構造は、その後マスメディアの発達のなかでさらに拡大・強化されもしてきた。
だがこれらの論者も認めるように、逆に﹁記憶と忘却の共同体﹂の形成と維持とに抗う機能を文学に
見いだすこともまたできるのである。それも、直接にマイノリティを素材とする記録文学や、裏面史の
語りを目的とする作品である必要はない。どのように大衆性を帯びた作品のうちにも、﹁共同体﹂が立

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かくま
ち上げられるときに排除された差異や異質な要素が、拾い上げられ匿われていると見ることができる。
こ の 観 点 か ら 下 河 辺 美 知 子 は、 ア メ リ カ 合 衆 国 建 国 と ク レ オ ー ル 問 題 と の 関 係 を 例 に と っ て、﹁ 共 同
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体﹂そのものにとり抑圧されたトラウマ的記憶ともいうべきものを再発見しつつそれに声を与えてゆく
︵ ︶

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試みとして、一群の小説作品を評価しようとしている。あるいは、さらに屈折した記憶と物語の関係を
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文学のうちに見いだすこともできよう。パレスチナ人女性作家リヤーナ・バドルの﹃鏡の目﹄について
岡真理が分析しているように、一方では忘却の淵にある出来事を、生存者の証言と想像力とを駆使して
仔細に再現すると同時に、他方ではそのように再現 表
= 象されたものを読者が出来事の記憶として領有
することを拒否して、テクストそのもののうちにその禁止を書き込む、という手法を、ひとつの小説作
︵ ︶
品のうちに認めることができるのだ。
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よく知られたベンヤミン﹁歴史の概念について﹂の言葉を借用するなら、﹁歴史を逆なでする﹂とい
う試み │ 既成の集合的記憶に亀裂を与え、ある場合にはその変容を企て、ある場合にはそこからの

257 ──第 6 章 記憶の共同性と文学


決定的な離反をもくろみつつ、出来事の記憶をその表現の困難ともども言葉のうちに匿おうとする試み。
それをさらに具体的に文学作品のなかに掘り当てるため、ここで桐山襲の小説をわずかにでも時代の忘
却から呼び戻してみることにしたい。とくに、そこで想起され記録されるべき事象は、一義的な正義な
いし善悪正邪の観念によって裁断されることはできず、一方向的な加害/被害関係の想定にもとづく受
け手の感情移入を拒む類のものであるかもしれない。そうであるなら沈黙・想起・表現の問題は、いよ

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いよもって切実なものとして問われることになるであろう。
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桐山襲﹃風のクロニクル﹄
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桐山襲が遺した十五ほどの中短 のなかでも、一九八四年の﹃文藝﹄十一月号に発表された﹃風のク
ロニクル﹄は、文体・構成両面の充実度からしてその頂点に位置する作品と見てよい。しかもそれは、
ほかならぬ沈黙と忘却、記憶と歴史を作品そのものの主題とする小説であった。
この作品は、近代小説の古典的手法ともいうべき書簡体をもって書かれている。三十代なかばに達し

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た﹁僕﹂が友人Nに送った五つの﹁通信﹂からなるわけだが、しかしその通信は、﹁僕﹂が執筆しはじ
めたばかりの劇作品をだれよりもまずNに読ませるための、一種風変わりな送り状として綴られてゆく。
五つの書簡に全三幕七場の戯曲を織りこむという構成をもって、桐山襲の︿文学による記憶と伝承﹀
の試
みは進められるのである。
たちばな
その戯曲部分は、一九六八年に大学に入学したばかりの四人、杉村・夏川・岡田・橘 素子が、学内
の文学サークルのメンバーとして出会う場面から始められている。この夏川が手紙の宛先であるNと重
なり、杉村が発信人の﹁僕﹂自身と重なることは、書簡部分を読むにつれてすぐ明らかになる。劇の全
体も﹁僕﹂やNが経験した実際の出来事を、忠実になぞってゆくように見える。すなわち、翌一九六九

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年の学生会館バリケード封鎖をめぐる運動の高揚、そしてその変質を。さらには下って一九七〇年代な
かばに生じた、地下活動中のNらへの、対立党派による襲撃を。
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この劇を執筆しながら、
﹁僕﹂はNに語りかけている。

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きみが冬の街路で、未完成の散文詩の如きものの書かれた紙片を僕に手渡したのは、一九七〇年代
の丁度中間の年のことだった。地下の生活のなかで書かれたその散文詩は、いまから考えてみるな
0 0 0 0
らば、あの時代を総括するための、僕たちの努力の最初の成果であったように思える。しかしその
直後、きみが
︽語れない石︾
となったことによって、その最初の仕事は未完成のままに取り残され、
そしてきみの沈黙を共有するかのように、多くの者たちが言葉を閉ざす中で、あの時代は︿伝承な

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き時代﹀として、この国の年代記から消し去られようとしている訳だ。 │ そのような︿伝承なき
時代﹀は、おそらく世界史の闇の中に数多く散りばめられているはずであり、僕はときとして、首

259 ──第 6 章 記憶の共同性と文学


都の夜の中に、それら夥しい闇の時代が、まるで一枚一枚の樹木の葉のようにざわめき続けている
︵ ︶

10
のを聴くことがある︹後略︺

もはや語りえない者たちに代わって﹁あの時代﹂の伝承を残すため、﹁僕﹂はNから受けとった未完
の散文詩を引き継ぐかたちで劇作に向かう。それゆえ劇はその散文詩から、﹁風のクロニクル﹂という

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標題を最終的に譲り受けることになるのだという。同じ標題を冠したこの小説そのものが、同様の試み
と意識されていることはいうまでもない。じっさい作中劇において、参加者のいかにも生気に満ちた伸
びやかなさまとともに描かれてゆくバリケード闘争は、あからさまな誇張と戯画化とを多く含みながら
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も、桐山襲自身がかかわった早稲田大学第二学生会館占拠と、細かい日付にいたるまで重ねあわされて

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いる。
﹁僕﹂の語りと伝承の試みは、同時に作者自身の﹁解放空間﹂体験を語り継ぐ試みとして作中に
展開されもしているのだ。
その伝承の試みはしかし、みずから﹁あの時代﹂を体験した﹁僕﹂にとっても桐山襲自身にとっても、
けっしてたやすく着手されはしなかったはずだ。右の劇を書き送るための﹁通信﹂は、一九七〇年代な
かばに廃人同様のすがたでK半島の郷里に帰るNとの、プラットホームにおける無言の別れを回想する
ところに始まっており、最後の﹁第五の通信﹂にいたっては、Nのパートナーとして共に地下活動に入

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った﹁彼女﹂が、劇中の橘素子と同じく﹁
︽革命の葬儀屋︾﹂と作中で呼ばれる他党派のテロルに斃れた
ことが明かされる。
﹁僕﹂はその﹁彼女﹂の密葬の席で﹁奇怪な病気﹂の予兆に襲われ、やがて周期的
に﹁鳥のような叫び﹂をあげて昏倒するようになったという。以降︿書かないこと﹀を﹁ひとつの倫理綱
領﹂として暗黙のうちに選びとってきた﹁僕﹂
、ひたすら﹁叫び声﹂をあげるしかなかったその﹁僕﹂
が、十年近くを経て、語ること、書くことの次元にふたたび躍りでたとき、さてその飛躍によってつか
みとられたのが、文学という形式にほかならなかったのは、たんに事実の直接の回想という形式では体
験内容を表出 表
= 象しえないと見るからではない。記録をひとが手にし一読することによって、出来事
の記憶が一面的に領有されてその切実な部分においては再び忘却へ沈められるということを、警戒し拒

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絶するからだけではない。過ぎ去った﹁過去﹂の出来事を未実現の﹁可能性﹂に向かって書き記したい
との思いが、そこには断ち切りがたく働いているのである。
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戯曲は橘素子と夏川が襲撃され倒れる場面を象徴的に呈示したあと、エピローグとして十年後の﹁杉

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村=僕﹂もまた風化した状況のなかで声をあげず死んでゆくという、まことに﹁リアル﹂な結末を構想
して終えられようとする。しかしその結末は実は﹁誤れるエピローグ﹂ではないか。そう﹁僕﹂が語る
ことによって、それまでの劇の全体がにわかに変貌し、二人の蹉跌に表面上とは別様の意味を与え、現
状とは異なる情況へ導きうる可能性を付託するものとなってゆく。桐山襲はあるところで自分の 作態
度について﹁現実の事件をベースにしながら、そこにあり得たかもしれない一つの可能性をフィクショ
︵ ︶

11
ンとして紡ぎ出してくるような、そういう物語の作り方をしている﹂と述べているが、﹁僕﹂は劇を未

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完結のままに終わらせることによって、これと同じ志向を変奏したかたちで働かせているといってよい。
より正確には、桐山襲自身がこの作品において、一方では自分の体験した事実の報告と記録を作中の

261 ──第 6 章 記憶の共同性と文学


﹁僕﹂の劇作に委ね、
︿虚構のなかの虚構﹀という衣装を着せて作中に匿うとともに、しかも他方ではそ
の記録劇を未完のままに終えさせることによって、右の変奏された志向をみずから表明する構造になっ
ているというべきであろうか。いずれにしてもその﹁あり得たかもしれない可能性﹂の内実を明らかに
するしかたで、
﹃風のクロニクル﹄は戯曲を書き進める﹁僕﹂に、歴史的想像力ともいうべきものを、
先立つ部分で徐々に発動させている。その場合の歴史とは、﹁僕﹂が体験した﹁あの時代﹂の歴史であ

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るよりも、むしろそれをも包み込み規定する日本近代史なのであり、忘却と記憶を主題とするこの小説
は、ここでさらに﹁共同的記憶﹂としての歴史 正
= 史との拮抗関係に入ってゆく。
戯曲にたいしメタレベルで書かれる﹁僕﹂からNへの通信は、推理小説仕立てといってもよいひとつ
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の 解きに導かれている。傷ついたNをホームに見送った﹁僕﹂が、数年ののちK半島を訪れたとき、

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かいまき

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依然として言葉を発せず蒲団に潜ったまま、搔巻の袖口だけを示したNの奇妙な動作。そして両足の機
かみやま
能だけは回復したために毎朝、家の裏手の﹁神山﹂に登っているという、Nの母親から聞かされた事実。
これらがなにを意味するのかが、劇を書き継ぐ﹁僕﹂によって少しずつ解き明かされ、そのつどN宛の
通信で報告されてゆく。
その 解きの手がかりとなった郷土史研究家からの手紙によれば、﹁神山﹂の中腹にはかつてNの祖
父が神官を務めていた神社が置かれていながら、神社合祀令により廃社の運命をたどった。最後まで抵

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抗したNの祖父とその姉は、他社への合併を推進する村人に襲撃され、姉は殺されて社の傍らに埋めら
れ、祖父も 死の重傷を負ったという。ここから﹁僕﹂の推理は展開される。この事件のあとその祖父
が廃社の跡地に密かに設置した、模型のごとき小さな神殿に、毎朝 N は詣でているのではないか。右
の事件の背景となる史実としての神社合祀においては、一九〇六年明治天皇の勅令にもとづいて、国家
の宗祀としての体面を保ちえない小規模神社を廃止して他社に合併する方針が打ちだされ、その結果、
全国で約二十万社あった神社数が十年ほどのうちに約十二万社にまで減少した。とくに︵まさにK半島
に位置する︶和歌山県と三重県では府県社以下の村社・無格社等が一万社以上からわずか千三百社ほど
に激減したといわれるのだが、それに猛然と反対の声を挙げたのが紀州田辺に在住する南方熊楠︵作品

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内では﹁大楠﹂と呼ばれる︶であり、また彼に呼応して官界に働きかけた柳田国男であった。蒲団の中
から搔巻の袖口を出す所作は、柳田国男が田辺を訪れたときに南方熊楠により示されたものであり、こ
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のことからNの同じ動作が、自分の注意を神社合祀とそれへの抵抗運動に向けるためにこそ行われたの

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だと、
﹁僕﹂は推測することになる。
﹁僕﹂が歴史的想像力を発揮するというのは、しかしここからである。Nの祖父とその姉が神社廃止
にあくまで抗ったのは、自分たちの祀る神が国家神道の一元的上下統一関係に組み込まれることを拒ん
パンテオン
だからではないか。天照大神を主神とした万神殿形成をそれにより拒否することを通して、彼らは近代
国家日本とその支配原理そのものの否定に立ちいたっていたのではないか。

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若い姉と弟は、死の匂いの花を紋章としている異神を拝することを拒否し、その神がT村に訪れ
ることを拒否し、それ故 │ おそらくは │ 0 0 0
この国そのものを拒否したのだ。
0 0 0 0

263 ──第 6 章 記憶の共同性と文学


それはほとんど、神の世界における大逆の罪を意味していた。年若い姉と弟は、兇々しい異神を
拒絶するという根底的な一点において、植物学者として神の森を守ろうとした︽大楠︾さえをも越え
て、この国ではきわめて少数の者たちしか垣間見ることのなかっためくるめく地平に、たった二人
で踏み込んでいたのかも知れない。そして、そうであればこそ、︽東方の祭王︾の聖なる氏子たらん
と欲した村人たちによって、ひとりは殺害され、ひとりは︿体中の穴から血を流した姿﹀となること

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を強制されたのではなかったか。あたかも
︽東方の祭王︾に対峙するもうひとりの神 永久にま
つろわぬことを決意した異形の神を密かに拝する姉と弟として │ 。
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このように想像を細部にわたって繰り広げさせることによって、桐山襲が二重の事柄を﹁僕﹂に遂行

264

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させようとしていることは、もはや指摘するまでもない。わずか十年のあいだに幾万もの神社が滅ぼさ
れていった﹁一九〇六年から始まるこの国の血腥い年代記﹂﹁僕たちの時代に匹敵するかも知れない憤
怒の時代の物語﹂をこの小説のなかで再構成しつつ、そのうちに︿ありえたかもしれない抵抗運動﹀
を仮
構し、神社合祀という過去の出来事のなかに、日本の近代化のありようを根底から裁きかえす潜勢力を
掘りあてる。その作業は、神社合祀の事実を史実として記録しつつ忘却する﹁共同的記憶﹂としての正
史に抗うもの、それに亀裂を与えるものなのだ。と同時に、そのありえたかもしれない可能性にN と

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﹁彼女﹂の軌跡を重ねあわせることによって、
﹁この国のまつろわぬ者たちの年代記﹂としてともに位置
づけ、さらにはそれらが﹁一八七一年パリ、一九一七年ペテログラード、一九一八年ベルリン、一九三
六年バルセロナ﹂に連なるのだとも暗示することを通して、彼らの生と死とにたいしいわば世界史的な
位置を与え、無意味性の淵からすくいあげる。この二重の作業は﹁僕﹂にとって、風化した一九七〇年
代以降の情況を、反国家の視座から転轍する可能性を遠望するためのものであったのだ。
ここで書簡体小説に戯曲を織りこむという、この作品に特有の手法が効果を発揮する。現実に密着し
ながらしかも最後には可能性へと離陸してゆく文学固有の潜勢力は、戯曲が書簡体の地の文に囲繞され、
作品そのもののうちでも終始フィクションとして扱われることによってその強度を高めているのだが、

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作品も末尾の文章にいたって、Nの死んだパートナーが一転﹁橘素子﹂と呼ばれることになる。これは、
戯曲の内容が実際に生じた一連の出来事に対応していたことを明かすためのものではない。作品内では
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現実の人物である﹁彼女﹂を、最後の最後に戯曲の登場人物である﹁橘素子﹂という架空名で呼ぶこと

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によって、現実の方をこそ未完の劇の﹁可能性﹂の側へ取りこもうとしていると見るべきなのだ。仮構
された﹁可能性﹂の方向へと現実を導こうという志向が、首都の片隅にあるアパートの半地下に独居す
る﹁僕﹂自身の滅びの予感とも対照されて、そこに鮮やかに浮かびあがる。しかもその﹁可能性﹂とは、
いったん日本近代史にまで り、正史としての歴史と対峙することによってはじめて、開示されるもの
であった。記憶・虚構・歴史が、ここにひとつの場で出会い、新たな将来を仄かにも指し示しつつ融合
するのである。

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もっともこの種の作業がまことに困難に満ちた隘路を歩むものであることは、忘却から甦らされるべ
き死者の
︿政治的利用﹀
ともいうべき嫌疑がこの小説にかけられうることからも、明らかといわなければ

265 ──第 6 章 記憶の共同性と文学


0 0 0 0 0 0 0
ならない。
﹁ ﹂によって殺害されていった﹁彼女﹂の死にたいし、﹁この国そのものを否
︽革命の葬儀屋︾
定するために、共通の血を流し、共通の死を死んだ者たち﹂の系譜上に位置を定めることにより意味付
与することは、当の死者自身がその犠牲となった対立組織殲滅の論理を正当なものと見なす結果ともな
︵ ︶
12
るのではなかったか。にもかかわらず、そのような結構をとる物語形成なしに、﹁彼女﹂の死へと帰着
する﹁あの時代﹂の記憶を書き記す行為は開始されえなかったのだとするならば、﹃風のクロニクル﹄

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は重い沈黙を破って過去の出来事を語りはじめる困難を、この点においてこそ示しているというべきで
あろう。沈黙・想起・表現にまつわる問題への反省性とそれを反映した作品構築の方法的屈折性とにお
いて、この小説が立松和平﹃光匂い満ちてよ﹄ や鈴木貞美﹃谺﹄
︵一九七九年︶ など同種の事象
︵一九八五年︶
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を扱った作品群のなかに置いて見られた場合にも、ひときわ突出した卓抜の一 なのであってみれば、

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ここには、エッセイなどに窺われる作者の政治的な立場の所在といった問題次元を超えた、事柄の本質
的な困難性が、作品そのもののうちに表出されているように思われるのである。
フィクションと歴史
3

起こってしまった出来事は、二度と取り戻すことはできない │ この根本経験は人の目を過去に向

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けさせるとともに、逆にそこからそむけさせもする。現在の事実は将来へと向けて意志的に変更可能で
あるとしても、過ぎ去ったことはもはや意志の作用圏を逃れでてしまっているのであり、あらゆる悔恨
も償いも、生じた出来事そのものに って手をつけることはできないのだとするならば、ニーチェもい
﹂とはまことに﹁意志の歯ぎしり﹂なのだ︵﹃ツァラトゥストラ﹄
うように﹁かくあった︹起こってしまった︺
。それまでとは別様の歴史 物
第二部﹁救済について﹂︶ = 語を語って過去を別の布置のうちに置き、新たに
意味づける試みは、この﹁歯ぎしり﹂からこそ生まれるというべきなのかもしれない。
そうした物語り行為によりつむぎだされるそのつど新たなストーリーが、しかしそれ自体としてこれ
までとは異なった過去の隠 を含み、また将来に新たな翳を落とすとするならば、人になしうることは、

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トラウマ的記憶を鏡の破片のごとく鋭利な切断面をさらした分散状態のままに放置し、そこに身を横た
え血を流しつづけることだけであるようにも思われる。マーティン・ジェイによればベンヤミンは、第
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一 次 世 界 大 戦 中 に 戦 争 へ の 絶 望 と 抵 抗 の 表 現 と し て 恋 人 と と も に ガ ス 自 殺 し た 友 人 の 死 に 直 面 し て、

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そ の よ う な 道 を み ず か ら 選 び と り、 け っ し て 物 語 的 歴 史 に は 回 収 さ れ な い 記 憶 の 間 歇 的 反 復 を 通 じ て
過去と現在の異質性を保存し、しかもそのことに逆説的なユートピア的普遍救済の希望を見た文学者で
︵ ︶
13

あった。
しかし、別の道もまたある。死者と生者の絶対的な距離を物語り行為により溶解するということはせ
ず、いわば垂直方向に飛躍して﹁永遠の今﹂においてそれを完璧に消去することを企て、しかもその企
て の 挫 折 を 描 く こ と を 通 じ て 逆 に 、 こ の 距 離 の 絶 対 性 を 表 出 す る。 た と え ば 埴 谷 雄 高 の 長 小 説﹃ 死

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霊﹄第五章﹁夢魔の世界﹂ は、そのような試みであった。戦前非合法共産党員として地下活
︵一九七五年︶
動中に逮捕され、転向上申書提出を経て出獄した直後に、党中央委員会を舞台とする﹁スパイリンチ殺

267 ──第 6 章 記憶の共同性と文学


人事件﹂ の報に接して衝撃を受けた埴谷雄高は、一九四五年の敗戦と同時に﹃死霊﹄
︵一九三三年十二月︶
執筆に着手する。戦後五十年の長きにわたって書き継がれたこの未完の作品には、さまざまなモチーフ
が錯綜したまま封じこめられているのだが、
﹁ 革命 がやがて果たし得るだろう最大の地上の楽園も、
ついに如何なる死者をも償い得ない﹂ との厳然たる事実の前に慄然とするという経験が、
︵﹃死霊﹄第五章︶
根底に潜んでいることだけは疑いえない。その経験に出立して、死者と生者を分ける﹁時間の壁﹂を突

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破しようという破天荒な試み、時間を基本形式のひとつとする存在そのものに平手打ちを与えようとい
う﹁存在の革命﹂なるものの企てが、袋小路へといたるアポリアともども作中に描きだされてゆくので
ある。
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これにたいして桐山襲﹃風のクロニクル﹄が﹁死者﹂の問題をめぐり、沈黙から表現の場へと回帰し

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たとき、過去は過去そのものが含む﹁可能性﹂へと向けて想起されてゆく。語りえぬ過去についてのト
ラウマ的記憶の、物語的記憶への転換は、将来へと延びるストーリーを潜在的に仮構してそれへと過去
を組み込むという方途により可能とされたのであり、そこに文学が表現の手段として選びとられる理由
もまたあった。
文学作品は現実そのままをでなく、過去にありえた可能性、これから実現されうるだろう可能性を描
きだす。それは文学がフィクションであるかぎり当然のことだといわれるかもしれない。その点でこそ

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文学は歴史とは異なっているのだといわれるかもしれない。
しかしながらむしろ歴史こそ、じつはありえた過去、その意味での﹁可能性﹂に向けて探究を行うの
ではなかったか。これは歴史を事実と結びつける通念からすれば、いかにも反語的に響くことながら、
つと
自覚的な歴史研究者のあいだでは夙に共有されている認識であるだろう。自由民権運動の過程でさまざ
まに構想された民間憲法草案を調査発見する努力は、日本の近代化に関して現実の明治維新とは異なっ
た別の道を掘り起こすことに結びつく。一九四五年八月十五日にいたる経緯を歴史学的に再構成するこ
とも、たとえば戦後日本を決定づけた﹁玉音放送﹂による上からの戦争終結とは異なった歴史的可能性
︵ ︶

14
を見いだす方途であるといわれる。これをいま試みに、﹁歴史性﹂をめぐるハイデガーの議論と重ねあ

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わせてみてもよい。過去とは人間の実存可能性の貯蔵庫なのであり、人間は各自が自己の将来のありか
たを選びとるさいに、遺産として蓄積されたそれら過去の生のありようを無自覚にも反復することにな
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るが、その反復は過去の再現というよりも、過去に潜む未実現の可能性の取り戻しとして遂行される。

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過去とはそのように、将来へと向け取り戻されるべき可能性としてこそ、人間の生の構成契機をなして
︵ ︶

15

。狭義の歴史家の作業においてひたすら過去の事実が探究され記録
いるのだ︵﹃存在と時間﹄第二 第五章︶
される場合にも、実はこの将来へと向けた可能性の反復が企てられているのだとするなら、文学は歴史
への関心の底にこのように潜むものを顕在化させ、自己の表現の動因としているといわなければならな
フイクシヨン
い。その意味では 虚 構 としての文学作品のほうが、史資料による実証のみに自己限定する専門研究よ
りも、歴史というものの本質により近いとすらいえるかもしれないのである。

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沈黙のうちに自己の体験を封じ込めてきた歴史の証人が、その堅く閉ざされた口を開きはじめるのも、
この意味での将来へと向けた﹁可能性﹂との関係においてであるのかもしれない。文学作品は、共同的

269 ──第 6 章 記憶の共同性と文学


記憶の正史に回収されない異質な要素への感受性を研ぎ澄ませてくれるだけでなく、過去の﹁可能性﹂
ともしび
をほの暗く照らしだす暗闇のなかの灯にも似た想像力に火種を供給してもくれる。そしておそらくは、
それを手がかりに生みだされる過去と将来とを結ぶストーリーが │ あらゆる歴史の物語がそうであ
るように │ つねに新たな隠 と排除を生みだす危険をはらむことに目を向けるよう、促してもくれ
るにちがいない。

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トラウマ的記憶として抑圧され、あるいは過ぎ去った過去として忘却されて、記憶の共同性の次元に
は登録されない出来事を、文学がその表出の困難そのものを断ち切ることなく言葉のなかに保持しなが
ら語り出そうとするのだとしても、その手法はいずれにせよただひとつではありえない。想起と記録に
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たいしみずからを拒んで退いてゆく出来事の自己覆蔵と、それを言葉のうちに匿おうとする文学的表現

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とのあいだに生じる抗争は、そのつど一回かぎりのかたちで決着がつけられ、作品そのものが有する独
自の相貌として定着を見る。それぞれ特有の相貌をもった作品のうちに見いだされるのは、これら抗争
する両項の切断面が互いに組み合わさるかたちで形成する﹁裂け目﹂ともいうべきものなのだ。この裂
け目は、おそらくは共同的記憶の歴史 物
= 語にはけっして同化吸収されず、しかもその外側に放置され
ることなく内部に亀裂を与えるものとして、それ自体が記憶の共同性の裂け目として作用しつづけるも
のであるだろう。

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︵ ︶ その経緯はのちに桐山襲自身により総括・整理され、一連の資料とともに﹃ パルチザン伝説 事件﹄︵作品
1

社、一九八七年︶
としてまとめられている。
︵ ︶ エッセイ﹁虹の力にみちびかれながら﹂﹃インパクション﹄三十四号︵一九八五年三月︶
二四頁以下。
2

︵ ︶ 富岡幸一郎によるインタビュー﹁桐山襲と 都市叙景断章 ﹂﹃すばる﹄一九八九年八月号、一九二頁。


3

︵ ︶ 道浦母都子﹃無援の抒情﹄同時代ライブラリー版︵岩波書店、一九九〇年︶
、﹁解説﹂二九七頁。
4

︵ ︶ たとえば鹿野政直﹃化生する歴史学 │ 自明性の解体のなかで﹄︵校倉書房、一九九八年︶に収められた諸論
5

考を見よ。

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︵ ︶ 成田龍一﹃︿歴史﹀はいかに語られるか 一九三〇年代 国民の物語 批判﹄︵日本放送出版協会、二〇〇
6
一年︶
、第一章参照。
︵ ︶ 兵藤裕己﹃︿声﹀の国民国家・日本﹄︵日本放送出版協会、二〇〇〇年︶
、第二・三章参照。

7
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︵ ︶ 下河辺美知子﹃歴史とトラウマ │ 記憶と忘却のメカニズム﹄︵作品社、二〇〇〇年︶
、第6・7・8章参照。
8

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︵ ︶ 岡真理﹃記憶/物語﹄︵岩波書店、二〇〇〇年︶
、﹁はじめに﹂参照。
10 9

︵ ︶﹃風のクロニクル﹄からの引用は、冒頭にも触れた講談社文芸文庫版﹃未葬の時﹄所収のテクストによる。
強調はいずれも原文のものである。
︵ ︶ 前掲インタビュー、一八六頁。
12 11

︵ ︶ この点は、桐山襲自身の手で上演台本に仕立てられた﹃戯曲 風のクロニクル﹄︵冬芽社、一九八五年︶
におい
て一段と鮮明である。
︵ ︶ マーティン・ジェイ﹁ベンヤミン、記憶、第一次世界大戦﹂谷徹訳﹃思想﹄九二八号︵二〇〇一年九月︶
参照。
13

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この講演原稿はジェイ﹃暴力の屈折 │ 記憶と視覚の力学﹄︵谷徹・谷優訳、岩波書店、二〇〇四年︶に、その第
一章として再録されている。

271 ──第 6 章 記憶の共同性と文学


︵ ︶ 鹿野政直前掲書、二五八頁以下参照。
15 14

︵ ︶ なお以下論末までに関しては、同じハイデガーの﹃芸術作品の根源﹄︵関口浩訳、平凡社、二〇〇二年︶も参
照のこと。

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参考文献
ここでは本書の本文および注において略号で記したもの、および巻末﹁参考文献﹂参照としたもののみを挙げ
ている。
欧語文献で日本語訳のあるものは、その訳書名を併記し、本書中にその頁をともに挙げてある。ただし訳文は

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


本文との関係もあり、当該訳書に従っていないことのほうが多い。
引用中の強調は、ことわりのないかぎり、いずれも引用者による。
Ankersmit, Frank R. 1983. ’ The Hague/Bos-
ton/London : Nijihoff.
│││ . 1998. “Hayden White’s Appeal to the Historians’’, in Ankersmit, Stanford : Stanford
UP., 2001.
│││

273 ──参 考 文 献
. 2001. “The Linguistic Turn : Literary Theory and Historical Theory’’, in
Benjamin, Walter. 1940. “Über den Begriff der Geschichte’’, in Bd. I,
ヴ ァ ル タ ー・ ベ ン ヤ ミ ン﹁ 歴 史 の 概 念 に つ い て ﹂﹃ ベ ン ヤ ミ ン・ コ レ ク シ ョ
1974, Frankfurt a. M. : Suhrkamp.

Account: s6848972
ン﹄第1巻、浅井健二郎編訳・久保哲司訳、ちくま学芸文庫、一九九五年、所収
│││ . 1982. Bd. V, Frankfurt a. M. : Suhrkamp.
ヴァルター・ベンヤミン﹃パサージュ論﹄今村仁司・大貫敦子・高橋順一・塚原史・細見和之・三島憲一・村岡
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晋一・山本尤・横張誠・與謝野文子・吉村和明訳、岩波書店、一九九三│九五年︵岩波現代文庫、二〇〇三年︶
︵ Hrsg.
︶ ,

274

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Bolle, Willi. 2000. “Geschichte’’, in M. Opitz/E. Wizisla Bd. I, Frankfurt a. M. :
Suhrkamp.
︵ ed.
Burke, Peter. 1991. “History of Events and the Revival of Narratives’’, in Burke ︶ ,
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Cambridge : Polity. │ 歴
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Carr, David. 1986. Bloomington/Indianapolis : Indiana UP.
Cassirer, Ernst. 1918. エルンスト・カッシーラー﹃カントの生涯と学
Berlin : B. Cassirer.

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説﹄門脇卓爾・高橋昭二・浜田義文監訳、みすず書房、一九八六年
Danto, Arthur C. 1965. アーサー・C・ダント﹃物
Cambridge : Cambridge UP.
語としての歴史 │歴史の分析哲学﹄河本英夫訳、国文社、一九八九年
Dreyfus, Hubert L. 1991. ’ Division I, Cam-
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H

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Evans, Richard J. 1997. リチャード・ ・エヴァンズ﹃歴史学の擁護
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J
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Figal, Günter. 1988 21991 │ Frankfurt a. M. : Athenäum.
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一九九四年
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トリシャ・グリーンハル/ブライアン・ハーウィッツ﹃ナラティヴ・ベイスト・メデ
London : BMJ Books.

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ィスン 臨床における物語りと対話﹄斎藤清二・山本和利・岸本寛史監訳、金剛出版、二〇〇一年
Halbwachs, Maurice. 1950, 21968. モーリス・アル
Paris : Presses universitaires de France.
ヴァックス﹃集合的記憶﹄小関藤一郎訳、行路社、一九八九年
Hegel, Georg Wilhelm Friedrich. 1955. Bd. I,
hrsg. von J. Hoffmeister, Hamburg : Felix Meiner.
│││ . 1970. Bd. 15, Frankfurt a.
ヘーゲル﹃美学講義﹄下巻、長谷川宏訳、作品社、一九九六年
M. : Suhrkamp.

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│││ . 1971. Bd. 18,
ヘーゲル﹃哲学史講義﹄上巻、長谷川宏訳、河出書房新社、一九九二年
Frankfurt a. M. : Suhrkamp.
│││ . 1989. Teil 2, hrsg. von P. Garniron und W. Jaeschke,
Hamburg : Felix Meiner.
│││ . 1996. hrsg. von K. H. Ilting, K. Brehmer und Hoo
Nam Seelmann, Hamburg : Felix Meiner.
Heidegger, Martin. 1927. Halle : Max Niemeyer.
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275 ──参 考 文 献
Bd. 3, Frankfurt a. M. : Vit-
マルティン・ハイデッガー﹃カントと形而上学の問題﹄木場深定訳、
torio Klosterman 1991. ﹃ハイデッガー選集﹄
第十九巻、理想社、一九六七年

Account: s6848972
│││ . 1934. マルティン・ハイデッガー﹁ドイツ
, Breslau : Korn.
的大学の自己主張﹂ハイデッガー/フッサール﹃ 年代の危機と哲学﹄清水多吉訳、平凡社、一九九九年、所収

30
Jamme, Christoph & Schneider, Helmut. 1984. “Einleitung der Herausgeber’’, in
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» «, hrsg. von Ch. Jamme und H. Schneider, Frankfurt a. M. :

276

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Suhrkamp.
Jay, Martin. 1990. “Name-Dropping or Dropping Names? Modes of Legitimation in the Humanities’’, in Jay,
マーティン・
London/New York : Routledge, 1993.
ジェイ﹁
︿名前を挙げる﹀のか︿名前を落とす﹀のか │ 人文諸科学における正統化の諸様式﹂同﹃力の場 思 │
想史と文化批判のあいだ﹄今井道夫・吉田徹也・佐々木啓・富松保文訳、法政大学出版局、一九九六年、所収
│││ . 2005. Berkeley/
Los Angeles/London : University of California Press.

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


Koselleck, Reinhart. 1988. “Erfahrungswandel und Methodenwechsel. Eine historisch-anthropologische Skizze’’, in
Koselleck, Frankfurt a. M. : Suhrkamp, 2000.
Lemon, Michael C. 1995. London/New York : Routledge.
│││ . 2003. London/New York : Routledge.
Lyotard, Jean-François. 1983. ジャン フ
Paris : Minuit. = ラ ン ソ ワ・ リ オ タ ー ル﹃ 文 の 抗 争 ﹄ 陸 井 四
郎・小野康男・外山和子・森田亜紀訳、法政大学出版局、一九八九年
MacIntyre, Alasdair. 1981, 21984. アラスデア・マッ
Notre Dame : University of Notre Dame Press.
キンタイア﹃美徳なき時代﹄篠﨑榮訳、みすず書房、一九九三年
Marcuse, Herbert. 1932, 31975. Frankfurt a. M. : Vittorio
ヘルベルト・マルクーゼ﹃ヘーゲル存在論と歴史性の理論﹄吉田茂芳訳、未来社、一九八〇年
Klosterman.

Account: s6848972
Meuter, Nobert. 1995.
Stuttgart : Verlag für Wissenschaft und Forschung.
Mink, Louis O. 1960. “Modes of Comprehension and the Unity of Knowledge’’, in Mink,
U.S. or applicable copyright law.
Copyright © 2006. 岩波書店. All rights reserved. May not be reproduced in any form without permission from the publisher, except fair uses permitted under
Ithaca/London : Cornell UP., 1987.

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│││ . 1970. “History and Fiction as Modes of Comprehension’’, in
Mosès, Stèphane. 1992. ’ ’ ステファヌ・モーゼス
Paris : Seuil.
﹃歴史の天使 │ ローゼンツヴァイク、ベンヤミン、ショーレム﹄合田正人訳、法政大学出版局、二〇〇三年
Noiriel, Gérard. 1996. “ ’’ ’ ジェラール・ノワリエル﹃歴史学の︿危機﹀﹄小田中
Paris : Belin.
直樹訳、木鐸社、一九九七年
Pöggeler, Otto. 1973. Freiburg/München : Alber.
Prince, Gerald. 1987. ジェラルド・プリ
, Lincoln : The University of Nebraska Press.

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


ンス﹃物語論辞典﹄遠藤健一訳、松柏社、一九九一年
Ricœur, Paul. 1983. ポール・リクール﹃時間と物語﹄第Ⅰ巻、久米博訳、新曜
tome I, Paris : Seuil.
社、一九八七年
│││ . 1985. ポール・リクール﹃時間と物語﹄第Ⅲ巻、久米博訳、新曜社、
tome III, Paris : Seuil.
一九九〇年
│││ . 1990. ポール・リクール﹃他者のような自己自身﹄久米博訳、法
Paris : Seuil.
政大学出版局、一九九六年

277 ──参 考 文 献
Riedel, Manfred. 1978. “Geschichtsphilosophie als kritische Geschichtsdeutung. Kants Theorie der historischen
Erkenntnis’’, in Riedel, Stuttgart : Cotta.

Ritter, Joachim ︶ . 1974.
Hrsg. Bd. 3, Basel/Stuttgart : Schwabe.

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︵ ed.
Roberts, Geoffrey ︶ . 2001. London/New York : Routledge.
Stanford, Michael. 1998. Oxford : Blackwell.
︵ Hrsg.
Straub, Jürgen ︶ . 1998.
U.S. or applicable copyright law.
Copyright © 2006. 岩波書店. All rights reserved. May not be reproduced in any form without permission from the publisher, except fair uses permitted under
Frankfurt a. M. : Suhrkamp.
︵同訳第Ⅴ巻に﹁付論﹂として訳載︶

278

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Tiedemann, Rolf. 1982. “Einleitung des Herausgebers’’, in Benjamin 1982.
Vann, Richard T. 1995. “Turning Linguistic : History and Theory and 1960 1975’’, in F.
︵ eds.
Ankersmit/H. Kellner ︶ , London : Reaction Books.
Walsh, William H. 1951. London : Hutchinson’s University Library.
Weberman, David. 1997. “The Nonfixity of the Historical Past’’, in vol. L, No. 4, issue
No. 200.
White, Hayden. 1973. Baltimore/London :

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


The Johns Hopkins UP.
│││ . 1980. “The Value of Narrativity in the Representation of Reality’’, in White,
ヘイドン・ホワイト﹁歴史における物語性の価値﹂同﹃物語
Baltimore/London : The Johns Hopkins UP., 1987.
と歴史﹄海老根宏・原田大介訳、リキエスタの会、二〇〇一年、所収
│││ . 1992. “Historical Emplotment and the Problem of Truth in Historical Representation’’, in White,
Baltimore/London : The Johns Hopkins UP. ヘイドン・ホワイト﹁歴史
︵ ed.
のプロット化と真実の問題﹂ Friedlander ︶ 1992
所収
浅野智彦 ﹃自己への物語論的接近
2001. 家族療法から社会学へ﹄勁草書房 │
│││ ﹁物語アイデンティティを越えて?﹂上野︵編︶ 2005
2005. 所収
﹃検証・若者の変貌
│││︵編︶ 2006. │ 失われた 年の後に﹄勁草書房

10

Account: s6848972
﹃人が歴史とかかわる力
安達一紀 2000. │ 歴史教育を再考する﹄教育史料出版会
阿部謹也 │ 世間 という視角から﹄岩波新書
﹃日本人の歴史意識
2004.
網野善彦 │ 日本中世の自由と平和﹄平凡社︵増補版、平凡社ライブラリー、一九九六年︶
﹃無縁・公界・楽
1978.
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Copyright © 2006. 岩波書店. All rights reserved. May not be reproduced in any form without permission from the publisher, except fair uses permitted under
荒川敏彦 ﹁脱魔術化と再魔術化
2002. │ 造 と 排 除 の ポ リ テ ィ ク ス ﹂ 社 会 思 想 史 学 会 年 報﹃ 社 会 思 想 史 研 究 ﹄ 第

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︵藤原書店︶、所収
二十六号
イエン・アング ﹁ディアスポラを解体するグローバル化時代のグローバルな華人性を問う﹂︵小沢自然訳︶モ
2004.
ーリス ス
= ズキ/吉見 ︵編︶ 2004
所収
﹁中国、変容、二五年
家近亮子 2003. 政治改革の行方﹂﹃ 文﹄四五五号 │
︵七月号︶、所収
﹃グローバリゼーションとは何か
伊豫谷登士翁 2002. 液状化する世界を読み解く﹄平凡社新書 │
岩崎稔 ﹁忘却のための 国民の物語
1998. │ 来歴論 の来歴を考える﹂小森陽一・高橋哲哉編﹃ナショナル・
ヒストリーを超えて﹄東京大学出版会、所収

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


﹁戦争の修辞、世界史の強迫
│││ 2002. 世界史の哲学 の 法について﹂﹃岩波講座 近代日本の文化史﹄
第7巻、岩波書店、所収
岩淵功一 ﹁スペクタクル化される
2004. ナショナル の 宴│ メディアにおける 普通の外国人 の商品化﹂
モーリス ス
= ズキ/吉見 ︵編︶ 2004
所収
上野千鶴子 ﹃脱アイデンティティ﹄勁草書房
︵編︶ 2005.
│││ ﹁脱アイデンティティの理論﹂上野︵編︶ 2005
2005. 所収
上村忠男 ﹃歴史的理性の批判のために﹄岩波書店
2002.
梅森直之 ﹁歴史と記憶の間﹂阿部安成・小関隆・見市雅俊・光永雅明・森村敏己編﹃記憶のかたち │ コメ

279 ──参 考 文 献
1999.
モレイションの文化史﹄柏書房、所収
大黒俊二 ﹁逆なで、ほころび、テクストとしての社会﹂森︵編︶ 2002
2002. 所収

Account: s6848972
﹁ 歴史主体論争 を超える
大越愛子 1999. ジェンダー化した思想戦﹂安彦一恵・魚住洋一・中岡成文編﹃戦│
争責任と﹁われわれ﹂ │
﹁ 歴史主体 論争﹂をめぐって﹄ナカニシヤ出版、所収
大芝亮 ﹁ナショナル・ヒストリーからトランスナショナル・ヒストリーへ
2004. │ 日本における歴史教科書問題
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を事例として﹂細谷千博・入江昭・大芝亮編﹃ 記憶としてのパールハーバー﹄ミネルヴァ書房、所収
岡真理 ﹃記憶/物語﹄岩波書店

280

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2000.
﹃キリスト教的世界史から科学的世界史へ
岡崎勝世 2000. ドイツ啓蒙主義歴史学研究﹄勁草書房 │
﹃︿癒し﹀のナショナリズム
小熊英二・上野陽子 2003. 草の根保守運動の実証研究﹄慶應義塾大学出版会 │
鹿島徹 ﹁︿近代﹀論のアポリア
1994. │
ヘーゲルと高山岩男の︿世界史の哲学﹀﹂峰島旭雄他編﹃比較思想の展開﹄
北樹出版、所収
│││ ﹁ 歴 史 の 物 語 り と し て の ヘ ー ゲ ル 歴 史 哲 学 ﹂ 現 象 学 ・ 解 釈 学 研 究 会 編 ﹃ 歴 史 の 現 象 学 ﹄ 世 界 書 院、
1996.
所収

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


﹁歴史性再考
│││ 2003a. ハイデガー 存在と時間 第二 第五章を読む﹂
﹃早稲田大学大学院文学研究科紀
要﹄第四十八輯第一分冊、所収
│││ ﹁物語り論的歴史哲学の可能性﹂﹃
2003b. 文﹄四五四号︵六月号︶、所収
│││ ﹁予備考察﹂日本哲学会編﹃哲学﹄第五十六号、法政大学出版局、所収
2005a.
│││ ﹁歴史とはなにか﹂歴史学研究会編﹃歴史学研究﹄八〇六号︵十月号︶、青木書店、所収
2005b.
│││ ﹁ 網 野 善 彦 無 縁・ 公 界・ 楽 ﹂ 岩 崎 稔・ 上 野 千 鶴 子・ 成 田 龍 一 編﹃ 戦 後 思 想 の 名 著 ﹄ 平 凡 社、
2006a.

50
所収
﹁ハイデガーの時代診断
│││ 2006b. │ 響き ﹂鹿島徹/相楽勉/佐藤優子/関口浩/山本英輔/ハンス・ペ
ーター・リーダーバッハ﹃ハイデガー 哲学への寄与 解読﹄平凡社、所収
春日直樹 ﹁物語ること﹂森︵編︶ 2002
2002. 所収

Account: s6848972
片桐雅隆 ﹃過去と記憶の社会学
2003. 自己論からの展開﹄世界思想社 │
鹿野政直 ﹁自明性の解体のなかで﹂同﹃化生する歴史学
1996. 自明性の解体のなかで﹄校倉書房、一九九八年、 │
所収
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神川正彦 ﹃歴史における言葉と論理
1970. 歴史哲学基礎論﹄第Ⅰ巻、勁草書房 │

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川田順造 ﹃無文字社会の歴史
1976. 西アフリカ・モシ族の事例を中心に﹄岩波書店
︵ 岩 波 現 代 文 庫、 二 〇 〇 一
年︶
﹁物語と時間化の隠
河本英夫 1987. ﹂﹃現代思想﹄五月号、同﹃諸科学の解体 │ 科 学 論 の 可 能 性 ﹄ 三 嶺 書 房、
一九八七年、所収
北岡誠司 ﹁ あとがき に代えて
2003. │ 物 語 論 の 最 近 の 動 向 ﹂ 北 岡 誠 司・ 三 野 博 司 編﹃ 小 説 の ナ ラ ト ロ ジ ー
│ 主題と変奏﹄世界思想社、所収
君島和彦 ﹁歴史教育と教科書問題﹂歴史学研究会編﹃歴史学における方法的転回﹄青木書店、所収
2002.

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


熊谷公男 ﹃古代の蝦夷と城柵﹄吉川弘文館
2004.
熊野純彦 ﹁︿過ぎ去ったもの﹀をめぐる思考のために
2002. │
追 憶 と 傷 痕 と の あ い だ で ﹂ シ リ ー ズ﹁ 歴 史 を 問 う ﹂
第2巻﹃歴史と時間﹄岩波書店、所収
キャロル・グラック ﹁戦後史学のメタヒストリー﹂︵梅森直之訳︶
1995. ﹃ 岩 波 講 座 日 本 通 史 ﹄ 別 巻 1 、 岩 波 書 店、
所収
久留島浩 ﹁史料と歴史叙述
2002. │ 歴史系博物館における 歴 史 展 示 ﹂ 歴 史 学 研 究 会 編﹃ 歴 史 学 に お け る 方 法
的転回﹄青木書店、所収
﹃遊歩者の視線
好村冨士彦 2000. ベンヤミンを読む﹄NHKブックス │

281 ──参 考 文 献
国立歴史民俗博物館︵編︶ 2004.
﹃歴史展示のメッセージ 歴博国際シンポジウム │ 歴史展示を考える │ 民族・
戦争・教育 ﹄アム・プロモーション

Account: s6848972
小坂井敏晶 ﹃民族という虚構﹄東京大学出版会
2002.
﹁ 歴 史、 テ ク ス ト、 ブ リ コ ラ ー ジ ュ
齋 藤 晃 2002. │ 一 七・ 一 八 世 紀 の イ エ ズ ス 会 宣 教 師 の 記 録 を 読 む ﹂ 森
︵編︶
所収
2002
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斎藤環 ﹁解離の時代にアイデンティティを擁護するために﹂上野︵編︶ 2005
2005. 所収
酒井直樹 ﹃日本思想という問題 翻訳と主体﹄岩波書店 │

282

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1997.
坂本多加雄 ﹃象徴天皇制度と日本の来歴﹄都市出版
1995.
佐々木啓 ﹁ヨハネ福音書研究のレッセ・フェール﹂﹃ 文﹄四五六号︵八月号︶、所収
2003.
佐々木力 ﹃科学革命の歴史構造﹄岩波書店︵講談社学術文庫、一九九五年︶
1985.
佐藤正幸 ﹃歴史認識の時空﹄知泉書館
2004.
﹃︿記号﹀としての儒学﹄光芒社
澤井啓一 2000.
﹃江戸の非人頭 車善七﹄三一新書
塩見鮮一郎 1997.

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


高田珠樹 ﹃ハイデガー
1996. 存在の歴史﹄シリーズ﹁現代思想の冒険者たち﹂第 巻、講談社

8
高橋哲哉 ﹁記憶されえぬもの 語りえぬもの
1994. 歴史と物語をめぐって﹂﹃岩波講座 現代思想﹄第9 巻、岩 │
波書店、所収︵同﹃記憶のエチカ﹄岩波書店、一九九五年、所収︶。引用頁はこの単行本による。
│││ ﹃歴史/修正主義﹄岩波書店
2001.
│││ ﹁今日の
2002. ︿歴史認識﹀論争をめぐる状況と論点﹂同編﹃︿歴史認識﹀論争﹄作品社、所収
寺沢薫 ﹃王権誕生﹄シリーズ﹁日本の歴史﹂第 巻、講談社
2000.

2
│││ ﹁首長霊観念の 出と前方後円墳祭祀の本質
2003. 日本的王権の原像﹂初期王権研究委員会編﹃古代王 │
権の誕生 Ⅰ 東アジア編﹄角川書店、所収
│││ ﹁纏向型前方後円墳の築造﹂石野博信編﹃大和・纏向遺跡﹄学生社、所収
2005.
東京大学史料編纂所 ﹃歴史学と史料研究﹄山川出版社
︵編︶ 2003.

Account: s6848972
﹁物語ることの内と外
鳶野克己 2003a. │
物語論的人間研究の教育学的核心﹂矢野・鳶野︵編︶ 2003
所収
﹁生の冒険としての語り
│││ 2003b. │
物語のもう一つの扉﹂矢野・鳶野︵編︶ 2003
所収
富山太佳夫 1981.﹁修辞学と物語論 文芸批評と歴史哲学﹂﹃思想﹄六八二号│
︵四月号︶、所収
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中尾健次
︵編︶ 1995.
﹃弾左衛門関係史料集 │ 旧幕府引継書﹄第一巻、部落解放研究所

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﹃歴史教科書をどうつくるか﹄岩波書店
永原慶二 2001.
中村雄二郎・野家啓一 ﹃歴史﹄シリーズ﹁ 世紀へのキーワード
2000. │ インターネット哲学アゴラ﹂岩波書店
21

﹃歴史学のスタイル
成田龍一 2001. 史学史とその周辺﹄校倉書房 │
西谷修 ﹃世界史の臨界﹄岩波書店
2000.
﹁人間存在の歴史性
新田義弘 1980. │
歴史における理論と実践﹂﹃講座・現象学﹄第2巻、弘文堂、所収
︵ 同﹃ 現
象学と近代哲学﹄岩波書店、一九九五年に収録︶
﹁歴史科学における物語り行為について
│││ 1983. │ 現代の歴史理論の諸問題﹂﹃思想﹄七一二号︵十月号︶、

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


同﹃現象学と近代哲学﹄所収
﹁歴史の作法﹂シリーズ﹁歴史を問う﹂第 巻﹃歴史はいかに書かれるか﹄岩波書店、所収
二宮宏之 2004.

4
﹁歴史と物語﹂﹃新日本古典文学大系﹄第四十四巻﹃平家物語 上﹄岩波書店、月報所収
野家啓一 1991.
│││ ﹁歴史哲学の可能性と不可能性﹂﹃岩波講座 現代思想﹄第1巻、岩波書店、所収︵同﹃物語の哲学﹄収
1993.
録︶
│││ ﹃物語の哲学
1996/2005. 柳田國男と歴史の発見﹄岩波書店 │
︵増補新版﹃物語の哲学﹄岩波現代文庫、二
〇〇五年︶。引用頁はこの増補新版による。
│││ ﹁過去の実在・再考﹂﹃岩波 新・哲学講義﹄別巻、岩波書店、所収

283 ──参 考 文 献
1999.
│││ ﹁時は流れない、それは積み重なる
2002. 歴史意識の積時性について﹂シリーズ﹁歴史を問う﹂第 │ 巻

2
﹃歴史と時間﹄岩波書店、所収︵同﹃物語の哲学﹄増補新版に収録︶

Account: s6848972
﹃ナラティヴの臨床社会学﹄勁草書房
野口裕二 2005.
﹃太平記︿よみ﹀の可能性
兵藤裕己 1995. │
歴史という物語﹄講談社選書メチエ︵講談社学術文庫、二〇〇五年︶
│││ ﹃物語・オーラリティ・共同体
2002. 新語り物序説﹄ひつじ書房 │
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藤縄謙三 ﹃歴史学の起源
1983. │ ギリシア人と歴史﹄力富書房
│││ ﹃歴史の父 ヘロドトス﹄新潮社

284

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1989.
牧野英二 ﹁歴史哲学における最高善の意義﹂カント研究会編﹃社会哲学の領野﹄晃洋書房、所収
1994.
水野美穂 ﹁カントと弁神論﹂カント研究会編﹃自由と行為﹄晃洋書房、所収
1997.
三瀬利之 ﹁史料の歴史学
2002. │
英領インド国勢調査資料の由来﹂森︵編︶ 2002
所収
﹁歴史教科書をめぐる政治的言説とその特徴﹂中村正則他﹃歴史と真実
三宅明正 1997. │ いま日本の歴史を考え
る﹄筑摩書房、所収
宮坂和男 ﹁物語理論と脱構築﹂現象学・解釈学研究会編﹃歴史の現象学﹄世界書院、所収
1996.

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


│││ ﹁フィクション﹂﹃岩波 新・哲学講義﹄第8巻、岩波書店、所収
1998.
宮地正人 ﹁史料編纂所の歴史とその課題﹂東京大学史料編纂所︵編︶ 2003
2003. 所収
﹁皇民化政策
宮田節子 1997. │
日本近代がもつ最大の問題﹂中村正則他﹃歴史と真実 │ いま日本の歴史を考え
る﹄筑摩書房、所収
宮本久雄 ﹃存在の季節
2002. │ ハヤトロギア︵ヘブライ的存在論︶の誕生﹄知泉書館
﹁明治史学におけるドイツの影響
マーガレット・メール 2003. どれ程意義ある影響だったのか?﹂︵近藤成一訳︶ │
東京大学史料編纂所︵編︶ 所収
2003
﹁教師のための物語学
毛利猛 2003. │
教育へのナラティヴ・アプローチ﹂矢野・鳶野︵編︶ 2003
所収
テッサ・モーリス ス
= ズキ 2002.
﹃批判的想像力のために グローバル化時代の日本﹄平凡社 │
テッサ・モーリス ス
= ズキ/吉見俊哉 ︵編︶ 2004.
﹃グローバリゼーションの文化政治﹄平凡社

Account: s6848972
森明子︵編︶ │
﹃歴史叙述の現在
2002.歴史学と人類学の対話﹄人文書院
﹃物語としての面接
森岡正芳 2002. │
ミメーシスと自己の変容﹄新曜社
矢野智司・鳶野克己︵編︶ 2003.
﹃物語の臨界 物語ること の教育学﹄世織書房 │
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山田富秋 1999.
﹁セラピーにおけるアカウンタビリティ﹂小森康永・野口裕二・野村直樹編﹃ナラティヴ・セラピ

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ーの世界﹄日本評論社、所収
﹁人生を物語ることの意味
やまだようこ 2000. │ ライフストーリーの心理学﹂同編﹃人生を物語る │ 生成のラ
イフストーリー﹄ミネルヴァ書房、所収
山之内靖 ﹁総力戦体制からグローバリゼーションへ﹂山之内靖・酒井直樹編﹃総力戦体制からグローバリゼ
2003.
ーションへ﹄平凡社、所収
﹁グローバリゼーションとアメリカン・ヘゲモニー﹂モーリス ス
吉見俊哉 2004. = ズキ/吉見
︵編︶ 所収
2004
吉見義明︵編︶ 1992.
﹃従軍慰安婦資料集﹄大月書店

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


﹃従軍慰安婦﹄岩波新書
│││ 1995.
﹁空間を横断する思考
ケヴィン・ロビンス 2004. トランスナショナルなトルコ語系テレビジョン﹂︵門田健一訳︶ │
モーリス ス = ズキ/吉見
︵編︶ 2004
所収
渡邊二郎 ﹃歴史の哲学
1999. │
現代の思想的状況﹄講談社学術文庫

285 ──参 考 文 献

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あとがき
昨年︵二〇〇五年︶
の夏、ある学生サークルに声をかけられて、長野県の最南端に位置する天龍村を訪
れる機会を得た。

AN: 350720 ; 鹿島徹.; 可能性としての歴史 : 越境する物語り理論


村で理髪店をいとなむご夫婦に連れて行っていただいた﹁しらびそ高原﹂の展望台から、荒川三山を
てかり
基点に、聖岳をへて光岳へといたる稜線を、くっきりと眺めることができた。かつて十代の私が縦走を
夢みて、ついに果たせなかったあの山々。だが麓の天竜川では、第二次世界大戦中に満島俘虜収容所の
英兵を中心とした捕虜、および強制連行された朝鮮人・中国人労働者らの過酷な労働により建設された
平岡ダムが、往時のまま川の流れをせき止めている。いまではその当時のことを、二〇〇〇年に刊行さ
れた天龍村の村史ははっきりと記録しているけれども │ これは画期的なことだ │ 、村民の口はい

287 ──あ と が き
まなお重い。

Account: s6848972
過疎率県内随一というこの村にも、
﹁グローバリゼーション﹂の影響は確実におよんでいた。郵政民
営化への不安を口々に洩らす山あいの人びと。競争原理の導入による人員削減のなか、他施設との競合
のふるいにかけられつつある特別養護老人ホーム。
U.S. or applicable copyright law.
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こうした
︿時代の波﹀
は、しかしそのつど、この山奥の村に押し寄せてきたにちがいない。おそらくは

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戦さに落ちのびて十何代も前にこの地にいたり、山の急斜面に石垣を何段も積みあげて農作地とし、さ
まざまな作物を栽培しながら生きぬいてきた人びと。﹁天照大神﹂を﹁てんしょうだいじん﹂と突き放
すように呼びならわしながらも、その名を主神として﹁諏訪大神﹂の前に記している村のまつりの式次
第。
﹁逆臣﹂の姓を明治維新ののち変更するよう余儀なくされた人たち。
気の遠くなるような、困難で苛烈な手作業によって開墾されてきた急斜面の畑の多くは、後継者のい
ないまま、いままさにその歴史を閉じようとしている。

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私の勤務先で、ビラをまこうとする﹁不審者﹂が教員による﹁身柄確保︵私人による逮捕︶﹂を受け、
、そ
警察に学内で引き渡され逮捕されるという事件が起きたとき︵朝日新聞二〇〇五年十二月二十九日朝刊︶
れを知った翌日に、私が同じ場所で配った紙には、次のように記されていた。
学生を管理するところ、やがてひとは教員を管理するようになった。
﹁私人による逮捕﹂が行われるところ、やがてひとは﹁官憲による逮捕﹂を常態化するだろう。

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これは言うまでもなくハインリッヒ・ハイネの警句︵﹁ひとが書物を焼くところ、やがてひとは人間を焼く
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を想起してのものである。ここでは過去が不意に現在に呼び出され、現在における行為への機
だろう﹂︶

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縁を与えてくれる。それがなければけっして生じなかっただろう現在の行為への、思いもかけない機縁
を。

本書の原稿がほぼ いつつあったころ、重厚な装幀、堅牢な造本の﹃金石範作品集﹄全二巻を手にす
。済州島四・三事件を素材に書かれた長
ることができた︵平凡社、二〇〇五年九・十月︶ 小説﹃火山島﹄

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キムソツポム
の作者・金石範の、日本語 作活動の軌跡をたどる小説集成である。
一九四八年、南朝鮮の分断国家樹立にむけた米国主導の単独選挙に反対する武装蜂起と、警察・軍・
右翼団体によるその鎮圧のなかで、むごたらしく殺されていった三万人もの済州島民たち。そのありさ
まの細部を、同時代の日本語文学にはおそらく類例をみない骨太の文体と細密描写によって描きだす
﹁看守朴書房﹂
﹁鴉の死﹂をはじめとする小説群は、当時大阪に居住していた作者により、親戚・知人の
口をとおして断片的に伝達される島内の惨劇の報に衝撃をうけて、純然たる 作として綴られたものだ

289 ──あ と が き
。出来事を体験し
という︵金石範・金時鐘﹃なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか﹄平凡社、二〇〇一年︶

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た者たちの沈黙と、いあわせずに遅れて報に接した者の表現への意志。その相克する働きの合成からな
る 力 の 場 に お い て、 文 学 的 想 像 力 は そ の ま ま 歴 史 叙 述 の 力 に 転 化 し、 作 品 と し て 結 晶 す る。﹁ 文 学 の
死﹂について語る者には、その語るにまかせよう。
﹁文学﹂や﹁歴史﹂といった既成のジャンル分けを
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超えて、過去の声がそのつどの現在を揺り動かし、異化しつづける言葉としてここに作品化されている

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のだ。
その後しばらくして、一九六七年に新興書房から出版されながら世に埋もれかけた短 集﹃鴉の死﹄
から、次のような話をうかがった。新し
の再刊を、一九七一年に実現した橋中雄二氏︵元﹃群像﹄編集長︶
い平凡社版﹃金石範作品集﹄の背表紙・扉に使われている木版文字は、岩波書店の編集者・田村義也氏
の手になるものだが、この田村氏こそ、講談社の橋中氏に再刊の企画をもちかけた人物である。田村氏
はその何年も前に済州島にわたり、当時だれもが口を閉ざしていた四・三事件の痕跡を現地でたどって

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いたのだった、と。
置き去りにされた過去。戦後日本社会が忘却し、その忘却のうえに﹁繁栄﹂を可能にしていった出来
事。それはしかしさまざまな人の手によって、在日朝鮮人作家の手によって、複数の日本人編集者の手

によって、そのつどのいまに呼び戻され、語り継がれてゆく。
右のようなしかたでさまざまな人びと、風景、書物と出会い、自分の知らなかった︿真新しく生々し
い過去﹀に打ちのめされ、以前観た映画の一場面や小説の章句をふと想い出してはそのつどの現在を生

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き延びるということをしながら、
﹁歴史﹂という、その言葉の意味すらもう長いこと不分明のままでい
る事柄について、あれこれ想いをめぐらせる │ そ う し た 私 に よ っ て 綴 ら れ た 本 書 は、 狭 く 歴 史 学 研
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究や歴史理論だけでなく、文学・映像・政治・人文科学など、さまざまな角度から広く﹁歴史﹂という

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問題に関心を寄せる読者に宛てて編まれている。
このささやかな本にも、成立にあたっての﹁歴史﹂がある。各章ごとに初出など、成立の経緯を報告
しておきたいと思う。ただし初出のあるものにも、程度の差はあれ字句の修正・加筆をほどこし、一書
として通読にたえるものにしてあることを、お断りしておきたい。
第 章 。内容の一部は第二十七回フッセル・アーベント
初出は﹃思想﹄九五四号︵二〇〇三年十月︶

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1

に お け る 講 演 そ の 他 の 場 で、 口 頭 で 発 表
︵東北大学哲学・倫理学合同研究室主宰、二〇〇三年五月三十一日︶
した。第 節の考察は、早稲田大学第一文学部二〇〇三年度哲学選択演習における討論に負っている。
1

第 章 初出は実存思想協会編﹃実存と歴史﹄ 。
︵﹃実存思想論集﹄第十九巻、理想社、二〇〇四年十一月︶
2

副題は今回はじめて加えた。その基本モチーフは、二〇〇四年三月二十四日に東京大学本郷キャンパ
スで開催された実存思想協会研究会において口頭発表を行った。

291 ──あ と が き

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第 章 新稿。全体を貫くモチーフは、二〇〇四年十一月二十日の佐賀大学オープンキャンパス特別
3
企画シンポジウム﹁ ・ 以降の共生の作法﹂において口頭で述べた。第 節は現象学・解釈学研究

11
9

1
会編﹃歴史の現象学﹄ 所収の﹁歴史の物語りとしてのヘーゲル歴史哲学﹂
︵世界書院、一九九六年九月︶
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第一節を、第 節は﹁グローバリゼーションとナショナリズム﹂
︵科学研究費補助金研究成果報告書﹁共
2

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生・和合についての社会哲学的研究 国家間の共生 第二節として活字
について﹂二〇〇五年三月、所収︶
化したものを、それぞれ下敷きにしている。
第 章 ﹁歴史の形而上学をめぐって │ 物語り理論 カント﹂と題して、野家啓一編﹃歴史と終末

vs
4

論﹄ に発表。本書収録にあたって、初出時の﹁で
︵﹃岩波 新・哲学講義﹄第 巻、岩波書店、一九九八年八月︶
8

す・ます﹂調を﹁である﹂調に改めた。

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第 章 新稿。第 ・ 節の原型は早稲田大学大学院文学研究科二〇〇五年度哲学特殊問題の講義原
5

2
稿であり、第 節は熊本大学文学部二〇〇四年度集中講義で話した内容をもとに書かれている。第
3

2
節で﹁歴史性再考 │ ハイデガー 存在と時間 第二 第五章を読む﹂
︵﹃早稲田大学大学院文学研究科
の論述を一部用いている。
紀要﹄第四十八輯第一分冊、二〇〇三年三月︶
第 章 初出は﹃岩波講座 文学﹄第九巻﹃フィクションか歴史か﹄ 。枚数
︵岩波書店、二〇〇二年九月︶
6
制限のため初出時に削った箇所を、本書では復活させた。

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これらの章からなる本書は、多くの方々との出会いと議論とから生まれたものである。
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そのつど未だ熟さないモチーフの発表の場、またその場での討議をへて成立した文章の公表の機会を

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与えてくださった新田義弘、竹田純郎、野家啓一、兵藤裕己、寺田俊郎、菅原潤、岡部勉、浅沼敬子、
別所良美の各氏に、この場を借りて厚く御礼申し上げたい。また、学部卒業論文以来ドイツ近現代哲学
を主に学んできた﹁哲学専攻﹂の著者が、本書のような書物を著すにいたったことは、一九九二年から
広く領域を越え思想史・文学・歴史学・宗教学・哲学などの研究者が、そのつど自発的に集うしかたで
断続的に開催されている﹁歴史と理論研究会﹂なしには考えられない。古くからの参加者である澤井啓
一・竹本秀彦・百川敬仁・佐々木啓・苅部直の各氏のお名前を、ここで感謝の念をこめて挙げさせてい

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ただきたい。さらには本書の最終完成段階において、私が押しかけるしかたでの面談に応じ、まことに
有益な示唆を与えてくださった寺沢薫、アンドレアス・チェザーナ︵ Andreas Cesana
︶、マーティン・ジ
ェイ︵ Martin Jay
︶の各氏に、厚く御礼申し上げる次第である。
その成果が一冊の書物となるにあたっては、まず企画の段階で、岩波書店編集部の古川義子氏、アウ
トライン決定と新稿執筆・既刊論考改訂にあたっては、石橋聖名氏のお世話になった。最終的な編集作
業を行っていただいたのは、押田連氏である。もともとは単なる論文集を考えていた著者、その後もさ

293 ──あ と が き
まざまに逡巡する著者に、
﹁︿一冊の本﹀にしましょう﹂と強く呼びかけ、本書の方向づけ │ とくに第

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・ 章執筆の指針 を与えてくださったのは、石橋氏であった。いうまでもないことながら、編
3

5
集者なしにそもそも書物はありえない。これら三氏に深甚なる敬意と感謝の念を表させていただきたい。
たとえば一本のパイプに多くの思い出が込められているように、著者にとっては本書にも、失われた
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︵あるいは失われつつある︶多くの出会いの場や人びとの記憶がつきまとっている。﹁八王子﹂の略称で

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親しまれた今はなき現象学・解釈学研究会 その一九九三年度シンポジウムで、私ははじめて﹁歴
史﹂についての研究報告を行った。二〇〇六年度をもって学生募集を停止した早稲田大学第二文学部は、
私がはじめて﹁歴史の物語り理論﹂を講義で取り上げた場である。これらに加え、いまとなってはふた
たび相まみえるすべもないロバート・アダムス︵ Robert Adams
︶、高木冨士男、佐々木絢子、横田誠一の
各氏への追憶に、本書は捧げられる。

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二〇〇六年四月十四日
鹿島 徹

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鹿島 徹
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1955 年生まれ.テュービンゲン大学哲学部博士学位取得.
現在,早稲田大学文学部教員.哲学.
主な著書に, 『埴谷雄高と存在論』 『ハイデ
( 平凡社,2000 年),
ガー 哲学への寄与 解読』 (共著,平凡社,2006 年)ほか.

可能性としての歴史 越境する物語り理論
2006 年 6 月 28 日 第 1 刷発行

か しま とおる
著 者 鹿島 徹
発行者 山口昭男
発行所 株式会社 岩波書店
〒101─8002 東京都千代田区一ツ橋 2─5─5
電話案内 03─5210─4000
http://www.iwanami.co.jp/
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印刷・精興社 製本・三水舎

© Toru Kashima 2006


ISBN 4─00─022465─4   Printed in Japan

〈日本複写権センター委託出版物〉本書の無断複写は,著作
権法上での例外を除き,禁じられています.本書からの複写
は,日本複写権センター(03─3401─2382)
の許諾を得て下さい.

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