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清 水 千香子
一 はじめに
出版され、この国には気軽に﹃源氏物語﹄の世界を鑑賞しうる環境があ
私の名を、どうか聞いてくださいますな。 る。前出の﹃六条御息所 源氏がたり﹄にしても、連載の場は文芸誌で
成仏出来ぬまま、こうして漆黒の闇の中を漂っている私の魂を、ど はなくいわゆる女性誌 ︵小学館発行﹃和樂﹄︶で、旅行・美食・服飾・芸術
うか嘲笑ってくださいますな。 などの特集に混じって、毎号一〇ページほどの﹁物語﹂が語られる。こ
うした現象が人々に古典文学との接点をもうけ、架空のいにしえ人に思
①
林真理子氏の小説﹃六条御息所 源氏がたり﹄はこの哀切に満ちた語 いをはせる機会を与えることは、教育現場での﹁古典ばなれ﹂や﹁古典
りで始まる。作品の連載が始まった二〇〇八年は﹁源氏物語千年紀﹂の ぎらい﹂が加速するなか、日本文学を後世に伝えるひとつのあり方を示
効果もあって、
﹃源氏物語﹄がこれまで以上に世間の注目を集めた年であ すものかもしれない。
る。林氏の連載も掲載誌の予告によれば﹁源氏物語千年紀、および、創 それにしても﹃源氏物語﹄に登場する多くの女性たちの中で、なぜ六
刊 七 周 年 記 念 企 画 と し て ﹂ 開 始 さ れ た も の だ と い う。 い ず れ に せ よ、 条御息所は時代をやすやすと越えて、現代に甦ることができるのであろ
一〇〇八 ︵寛弘五︶年、左衛門の督 ︵藤原公任か︶の﹁あなかしこ、この うか。三島由紀夫が﹃近代能楽集﹄所収の﹃葵上﹄で﹁六条康子﹂を登
わたりに、わかむらさきやさぶらふ﹂ということばを、紫式部が﹁源氏 場させたように、これまでにも後人が六条御息所を甦らせた例はある。
に似るべき人も見えたまはぬに、かの上 ︵紫の上︶は、まいていかでもの 能や歌舞伎には六条御息所がスピン・オフした作品もあり、﹃源氏がた
したまはむ﹂と受け流して千年の後、六条御息所という一女性の視点か り﹄の登場を待つまでもなく、この女性に魅力があることは明らかであ
ら描かれた新しい﹃源氏物語﹄が世に出たことは興味深い。 る。加えて、もともと高貴な女性が年下の男に翻弄される物語は洋の東
注釈や解釈の対象となり、学校教育の現場で教材として採択されるテ 西を問わず時代を超えて再生産されており、聡明な女性が知性だけでは
クストは﹁古典﹂と呼ばれる。そんな古典の中でも、
﹃源氏物語﹄ほど現 解決できない﹁恋愛﹂という難題に直面し、やがて破滅の道をたどる姿
代語訳や創作を通して一般に広く受容される作品もめずらしい。与謝野 はめずらしいものではない。それはどの時代でも現実に起こりうること
晶子や谷崎潤一郎の現代語訳が読者のすそ野を広げたことはもちろんの で、読者に不幸な恋愛経験があれば六条御息所は﹁もうひとりの自分﹂
こと、今日では原典を知らなくても読める関連書やマンガ本なども次々 であり、物の怪と化して自分を棄てた男に不幸の影を落とす様子にささ
145 ﹃源氏物語﹄の方法 ∼ 六条御息所の物語上の機能 一
二
やかな慰めを見出すこともあるだろう。こうした点に六条御息所の人気 十六歳 前坊 ︵前東宮︶に参内 賢木巻
146
とき最も大事に思う女Aの前で別の女Bを思い浮かべ、Bに対する物足 氏物語﹄における物の怪現象と当時の記録に残された憑依の実態とは必
⑩
りなさを意識する。そしてそれを通して眼前のAに対する思いを深めれ ずしも一致しない。しかし、憑依が妊娠中の女性に起こりやすいという
ば、災いはAにふりかかる。実はその災いが源氏を次の段階に押し出す 共通の認識があれば、葵の上の思いがけない妊娠は、続く﹁物の怪の憑
のである。 依↓ 死﹂という展開にむけての伏線だと考えられる。さらに、巻名﹁葵﹂
廃院で謎の女に耽溺する源氏には本来の居場所があり、そこには自分 ﹂をみても明らかなように、
﹁賢木 ︵= ︶ ﹁葵巻﹂には神事に関わる事象
の果たすべき役目と自覚すべき社会的地位があった。この源氏が身をお が多く、そこに物の怪の出現との関連性を見出すこともできる。
くべき世界の象徴的存在が、疎略に扱うことの許されない高貴な年上の 西郷信綱氏が﹃詩の発生﹄で六条御息所を﹁当時の概念からすれば異
⑪
女だったのではないだろうか。六条わたりは源氏の恋に終止符が打たれ 教の世界に棲む罪せられるべき宿世を負った女﹂と評したように、神事
ることを予告し、現実の世界に引き戻す役目を果たしている。そこに本 の世界は異教の世界に他ならず、のちに六条御息所が娘と下っていく伊
来なら源氏の世界には立ち入ることのできない夕顔との﹁対比﹂の意味 勢は罪深き所でしかなかった。その感覚は﹁澪標巻﹂の一節からもうか
があるのだと考えられる。 がえる。
廃院の物の怪は夕顔の命を奪うために必要な存在として機能した。そ
れに対して、六条わたりは源氏が青年時代に別れを告げ、次の一歩へ踏 ・心やれるさまにて経たまふほどに、にはかに重くわづらひたまひて、
み出すために必要な存在であった ︱ このような読み方は次に取り上げ もののいと心細く思されければ、罪深き所に年経つるもいみじう思
⑫
る﹁葵巻﹂でも可能ではないだろうか。 して、尼になりたまひぬ。
これは重い病を得た六条御息所が斎宮にいたことを不安に感じて出家
三 作者の仕掛け ∼ ﹁葵巻﹂の六条御息所
したといういきさつを語るものである。
﹁葵巻﹂以後の六条御息所を考える上で、
﹁物の怪﹂が重要な要素であ 通常憑霊現象には加持・祈祷といった仏事による調伏が図られる。し
る こ と は 明 ら か で あ る。 平 安 時 代 の 文 献 に 記 さ れ た 物 の 怪 に つ い て は かし神事が執り行われる期間は仏事が一切控えられ、たとえ天皇が病に
様々な解釈があるが、ここでは医学的見地から物の怪を分析し、その憑 罹ろうとも平癒のための修法は行われない。つまり、神事の時期は物の
依現象を女性特有の問題と絡めてとらえた服部敏良氏の意見に注目して 怪が跳梁しやすい時期であった。悲劇の発端となる﹁車争い﹂も新斎院
⑧
みたい。服部氏は﹃平安時代醫學の研究﹄で、
平安時代の﹁もののけ﹂を、 御禊の日に起こっている。妊娠、神事最中の車争い、そして出産。この
﹁今日の醫學の説く變質性精神病にほかならない﹂とし、その考察の過程 御息所生霊化・葵の上逝去への道筋から、作者が物語の進行に物の怪現
で、物の怪の背景に当時の女性が抱えた心の悩みがあったこと、そして 象を含む当時の社会通念を巧みに利用し、結果としてその時代ならでは
の現実感が物語に加味されたと言える。 氏は次のように嘆く。
ところで、池田亀鑑氏の﹁藤壺とそれから小さな藤壺としての紫の上
とを二重うつしにするために、葵上を強いて排除するという不幸な宿命 ・などて、つひにはおのづから見なほしたまひてむとのどかに思ひて、
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を負わされて登場する﹂ということばは、六条御息所に紫の上の存在を なほざりのすさびにつけても、つらしとおぼえられたてまつりけむ、
浮上させる役割があったことを指摘するもので、先行研究の中では共通 世を経て疎く恥づかしきものに思ひて過ぎはてたまひぬる、など悔
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理解となるものである。確かに六条御息所は源氏の正妻を物語から退場 しきこと多く思しつづけらるれど、かひなし。
させる。そして、式部卿宮の息女朝顔に﹁あの人 ︵御息所︶のようにはな
りたくない﹂と思わせて源氏を拒む方向に導き、自らも斎宮に卜定され 自分の気まぐれな浮気でつらい思いをさせたと悔やみ、葵の上を﹁う
た娘と伊勢へ下向する。この一連の流れが紫の上を物語のヒロインに押 ちとけられない人﹂と思い続けたことを嘆く源氏のことばは﹁あないみ
し上げたことは確実で、六条御息所は自身も含めて紫の上にとってライ じ・・・﹂の場面とも響き合い、最後の最後で心が通い合った夫婦の悲
バルになりうる女性を一掃し、源氏の人生にあらたな局面を開いたので しい別れと残された者の無念をしみじみと描き出す。しかしその一方で、
ある。このように﹁葵巻﹂
﹁賢木巻﹂までの御息所が紫の上のための﹁刺 作者は﹁かひなし﹂としめくくって余韻を奪ってしまうのである。
⑯
客﹂であったことは多くの研究者が指摘するところである。ただし、物 斎藤正昭氏は﹃源氏物語 展開の方法﹄で、
﹁葵巻﹂までの源氏の成長
語の後半で紫の上もまた命を脅かされたことを思えば、御息所の機能が を四段階に分け、それぞれの段階で葵の上が藤壺・空蝉・若紫と比較さ
﹁守護神﹂として紫の上に寄り添うことだとは考えられない。さらに、﹁葵 れ、源氏に別の女性との恋に向かわせる要因となっていることを指摘し
巻﹂の葵の上をみるとき、六条御息所の影響がその命を無惨に奪うこと ている。この損な役回りを担った葵の上が、死の代償としてようやく源
だけだったのかという疑問が残る。 氏の愛情と関心を得られたのは源氏との関係に六条御息所との対立が加
わった結果であった。そして、葵の上の死を通して、源氏には己を顧み
﹁あないみじ。心憂きめを見せたまふかな﹂とて、ものも聞こ
・︵源氏︶ る機会が与えられる。他にも﹁何かを犠牲にして別の何かを代償として
えたまはず泣きたまへば、例はいとわづらはしう恥づかしげなる御 得る﹂という仕組みが六条御息所の周辺にはある。六条御息所を間接的
まみを、いとたゆげに見上げてうちまもりきこえたまふに、涙のこ な要因にして源氏の求愛を拒み続けた朝顔は、その態度が逆に源氏の思
⑭
ぼるるさまを見たまふは、いかがあはれの浅からむ。 いを掻き立て、その後も長きにわたって特別な存在であり続ける。御息
所の不幸を土台に幸運を得たのは娘の秋好中宮で、源氏の尽力で冷泉帝
これは物の怪に悩まされながら出産の苦しみに耐える葵の上を見舞う に入内した後の栄耀は、母の人生では実現されなかったものである。先
源氏の姿である。ここには﹁いかがあはれの浅からむ﹂と、葵の上に気 にも述べたように、六条御息所が源氏の愛情を独占し、物語のどこかで
持ちが傾く源氏の様子が語られている。そして葵の上が亡くなると、源 幸福なヒロインとして輝く瞬間は見当たらない。しかし、六条御息所が
149 ﹃源氏物語﹄の方法 ∼ 六条御息所の物語上の機能 五
六
動けばその周囲の女性たちの人生もなんらかの影響を受け、その変遷を
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通して源氏の人生に次の局面が準備されるという流れがあるように思わ 朱雀院五十の賀に先立ち、六条院で女楽が行われた。それが終わった
れる。 後、源氏は紫の上を相手に①過去の女性関係を回想して論評する。 翌日、
紫の上は発病。源氏は回復の兆しがない紫の上を二条院へ移し、自身も
看病のため六条院を離れがちになる。紫の上が危篤状態に陥ったとき、
四 ﹁若菜下巻﹂における六条御息所の役割
②加持に調伏されて六条息所の死霊が出現するが、紫の上は五戒を受け
再び先行研究をみると、六条御息所の﹁したこと﹂およびその意味に て蘇生する。︵注・このとき、紫の上は三七歳で女の厄年を迎えていた。︶
ついては、
﹁物語の表面には夕顔や葵上や紫上がいて、その裏面或いは側 二条院で紫の上の命が脅かされていた頃、以前から女三の宮を思って
面から物語世界に入りこんで、その存在を脅かす、というのが御息所に いた柏木は六条院が人少なの状態だったのに乗じ、小侍従の手引で女三
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与えられた役割である。﹂という意見が共通の見解だと考えられる。ただ の宮と通じる。︵注・その日は葵祭御禊の日の前日であった。︶のちに源氏は
し、六条御息所という人物をどうとらえるかについては、池田氏の﹁葵 女三の宮の懐妊と﹁事の真相﹂を知る。女三の宮は男児出産後に出家し、
の上を死にいたらしめること、その斎宮の将来を源氏に託すこと、斎宮 その受戒の際、③六条御息所の死霊が現れる。柏木は重い病を得て世を
が中宮となって、紫の上と接近するという宿世の中の存在として生きる 去る。
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以外には、何の長篇的意味もない存在である。﹂という否定的な見方もあ
り、評価が一致しているわけではない。 ①の場面︵﹁若菜下巻﹂︶で、源氏は六条御息所について次のように語る。
確かに、一度はヒロインに浮上させた紫の上も別の機会では命を脅か
されるのなら、六条御息所は必要なときに駆り出され、そのときどきの ・中宮の御母御息所なむ、さまことに心深くなまめかしき例にはまづ
要請に応じた姿に身を変えて一仕事する﹁刺客﹂とみても不自然はない。 思ひ出でらるれど、人見えにくく、苦しかりしさまになむありし。恨
しかし、
﹁六条御息所が源氏物語の中にしめる役割は、光源氏の女性遍歴 む べ き ふ し ぞ、 げ に こ と わ り と お ぼ ゆ る ふ し を、 や が て 長 く 思 ひ つ
⑲
における罪障意識を主題とする点にあると思われる。﹂や﹁この物の怪の めて深く怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか。心ゆるびなく恥づか
⑳
存在は、源氏の人生を相対的にとらえ直してみせる物語の目でもある。﹂ しくて、我も人もうちたゆみ、朝夕の睦びをかはさむには、いとつ
という見解があるように、六条御息所を作品の主題と結びつけてとらえ つましきところのありしかば、うちとけては見おとさるることやな
ることばは少なくない。そこで六条御息所が死霊として登場する﹁若菜 ど、あまりつくろひしほどに、やがて隔たりし仲ぞかし。いとある
下巻﹂﹁柏木﹂に注目し、その時期から過去に遡って源氏と御息所の人生 まじき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる嘆きを、いみじく思
を見直してみたいと思う。まず、この二巻から六条御息所に関係した部 ひしめたまへりがいとほしく、げに、人柄を思ひしも、我罪ある心
分をまとめておく。 地してやみにし慰めに、中宮を、かく、さるべき御契りとはいいな
がら、とりたてて、世の譏り、人の恨みをも知らず心寄せたてまつ がわかる。すなわち、六条御息所の苦悩の原因を作っているのは自分だ
るを、かの世ながらも見なほされぬらん。なほざりなる心のすさび という自覚はあり、それに対してすまないとも思っている。しかし御息
に、いとほしく悔しきことも多くなむ。 所の人柄を理由に、自分だけが悪いのではないという自己弁護も行わず
にはいられない、それが源氏の本音なのである。﹁若菜下巻﹂では秋好中
この部分を要約すると次のようになる。 宮への厚遇ですべてに決着がついたかのような物言いすらみられる。し
御息所は並々ならぬ特別な人、奥ゆかしくて優雅であった。しかし、 かし、源氏のこの発言を契機に、六条御息所は死霊となって紫の上に取
付き合いにくく、逢うのが苦痛であった。気詰まりで心が休まることは り憑くのである。
なく、油断すれば見下されそうな気がした。ふたりの関係が立ち消えに ﹁若菜下巻﹂では調伏された死霊が源氏に一対一の対話を懇願する場面
なったのは私 ︵源氏︶の罪のように思われたけれども、その償いのために ②が描かれるが、そのときの発言の一部を引用する。
娘の秋好中宮に精一杯のお力添えをしている。今ではきっとあの世から
私のことを見直してくれているだろう。 ﹁︵ ︶中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなしとなむ、天翔り
1
ても見たてまつれど、道異になりぬれば、子の上までも深くおぼえぬに
ここで思い出されるのは、
﹁夕顔巻﹂で源氏が六条わたりに思いをはせ やあらん、
︵ ︶なほみづからつらしと思ひきこえし心の執なむとまるも
2
た場面である。物の怪が出る少し前の源氏の胸の内をもう一度引用して のなりける。その中にも、生きての世に、人よりおとして思し棄てしよ
おく。 りも、
︵ ︶思ふどちの御物語のついでに、心よからず憎かりしありさま
3
をのたまひ出でたりしなむ、いと恨めしく。今はただ亡きに思しゆるし
・六条わたりにもいかに思ひ乱れたまふらん、恨みられんに苦しうこ て、他人の言ひおとしめむをだに省き隠したまへとこそ思へ、とうち思
とわりなりと、いとほしき筋はまづ思ひきこえたまふ。何心もなき ひしばかりに、かくいみじき身のけはひなれば、かくところせきなり。
さし向かひをあはれと思すままに、あまり心深く、見る人も苦しき ︵ ︶この人を、深く憎しと思ひきこゆることはなけれど、まもり強く、
4
御ありさまをすこし取り捨てばやと、思ひくらべられたまひける。 いと御あたり遠き心地してえ近づき参らず、御声をだにほのかになむ聞
きはべる。︵ ︶よし、今は、この罪軽むばかりのわざをせさせたまへ。
5
﹁中宮の御母御息所なむ・・・﹂は紫の上に直接語ったことばであり、 修法、読経とののしることも、身には苦しくわびしき炎とのみまつはれ
﹁六条わたりにも・・・﹂は夕顔 ︵﹁何心のなきさし向かひ﹂と表現される︶ て、さらに尊きことも聞こえねば、いと悲しくなむ。中宮にも、このよ
を見ながら心に浮かんだことばである。夕顔巻での源氏は十七歳、若菜 しを伝へきこえたまへ。ゆめ御宮仕のほどに、人ときしろひそねむ心つ
下巻で女楽を催した頃の源氏は四十七歳。この間の三十年という月日を かひたまふな。︵ ︶斎宮におはしまししころほひの御罪軽むべからむ功
6
経ても、源氏の六条御息所に対する気持ちにはさしたる変化がないこと 徳のことを、かならずせさせたまへ。いと悔しきことになむありける。﹂
151 ﹃源氏物語﹄の方法 ∼ 六条御息所の物語上の機能 七
八
六条御息所が訴えたことは、次のようなことである。 露する。娘に対する愛情に嘘はないにせよ、葵の上亡き後も自分を迎え
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︵ ︶ 娘の秋好中宮に対する配慮はありがたいが、死んだ私には子ど 入れようとしない源氏の﹁あさましき御もてなし﹂に接し、そしてそれ
1
ものことを深くは感じられない。 を怪訝に思う世間を目の当たりにすれば、誇り高き六条御息所が取るべ
︵ ︶ 源氏に対する執着心 ︵心の執︶が残る。 き道は他になかったのである。しかし命の絶えた今となっては、貴婦人
2
うに自分の悪口を言われたことがうらめしい。 自制心や自尊心で封印してきた思いを無遠慮なまでにさらけ出せたの
︵ ︶ 紫の上を憎く思っているわけではない。仏神のご加護が強くて は、
﹁死んだ﹂という事実が強い立場を与えたからであろう。生きていれ
4
源氏には取り憑けなかったのだ。 ば、たとえその身が俗世にあろうと仏門にあろうと、源氏への﹁心の執﹂
︵ ︶ こうなった今は私の罪を軽くするために供養してほしい。 は自制し、封印し続けなければならない。﹁葵巻﹂の物の怪出現はその自
5
︵ ︶ 斎宮時代の罪が軽くなるような功徳をせよと、娘に伝えてほし 制がきかなくなった結果として起こったことであり、そこに御息所の意
6
い。 志は存在しない。しかし、
﹁若菜下巻﹂での出現は明らかに御息所の意志
が働いた結果である。
死霊のことばには源氏に対する強い執着が率直にあらわれている。そ もともと六条御息所の娘の入内は源氏の誠意の結果と呼べるものでは
の執着が成仏を妨げ、源氏の﹁思ふどち﹂ということばに反応して紫の なかった。後見役を任された源氏はこの美しい娘に大いなる関心を示し
上への憑依が起こったのである。この執着の前では、源氏の﹁中宮をと ており、御息所の﹁男女の関係抜きで﹂という遺言が足枷とならなけれ
りたてて﹂という考えなど何の意味もなく、六条御息所には﹁子の上ま ば、また天皇の代替わりという事態がなければ、彼女も源氏の﹁色好み﹂
でも深くおぼえぬにやあらん﹂と返されてしまう。 の対象となっていたかもしれなかったのである。その意味で、秋好中宮
御息所が斎宮となった娘にとともに伊勢へ下向したことはすでに述べ という女性は不幸な母に生きる道を残し、母亡き後は﹁源氏のものにな
た。この決断から今後の人生を﹁母﹂として生きる覚悟を読み取ること らない﹂という運命をたどりながら、立后することで源氏の栄華を支え
もできるが、実際はどうであっただろうか。﹁葵巻﹂で、六条御息所の心 るなど、多様な役割を担った登場人物だと言えるだろう。さらに、御息
情は次のように語られる。 所が人間としての死を迎えた﹁澪標巻﹂から、死霊として復活する﹁若
菜下巻﹂までの期間は、御息所の忘れ形見という形で母の存在を物語に
・幼 き 御 あ り さ ま の う し ろ め た さ に こ と つ け て 下 り や し な ま し 、 と か 残す役割も担っていた。
ねてより思しけり。
﹁若菜下巻﹂で出現した死霊は、女三の宮出家の折に一層すさまじい様
ここでの﹁ことつけて﹂は、伊勢下向の真の目的と御息所の本音を暴 子をみせる。次に﹁柏木巻﹂から調伏された物の怪が源氏に語ったこと
ばを引用する。 悔する源氏を、作者が﹁かひなし﹂と言い切った時のように、情け容赦
ない仕打ちではないか。
﹁かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、一人をば思したりしが、
・ ﹁六条御息所はなぜ死霊となって現れたか﹂という謎についてはすでに
いとねたかりしかば、このわたりさりげなくてなむ日ごろさぶらひ 多くの指摘がある。代表的なのは源氏の絶対性の限界を露呈するためと
つる。今は帰りなむ﹂とてうち笑ふ。 いう内容のもので、これは源氏が築きあげた華やかで充実した世界に綻
びをもたらす存在として死霊が登場するという見解である。また、過去
﹁かうぞあるよ﹂は﹁こうでなくては﹂あるいは﹁そら、ごらん﹂と との関係からこの問題を論じ、源氏に与えた﹁女三の宮の出家﹂という
いったところであろうか。ここで死霊は﹁日ごろさぶらひつる﹂と、女 打撃が、過去からの宿縁に溯って問い直されているという指摘も多い。
三の宮に取り憑いて出家を後押ししていたと告げている。確かに、柏木 いずれにしても、
﹁若菜下巻﹂での死霊登場は四十七歳になった源氏に過
との密通が葵祭御禊前日だったという事実、そしてその後に妊娠・出産 去を振り返らせ、晩年をどう生きるかという問題を正面から突きつけた
が続いたことを考え合わせると、
﹁葵巻﹂と同じく、この時期に物の怪が のだと考えてよいのではないだろうか。
暗躍していたという解釈はごく自然で、
﹃新編古典文学全集﹄の頭注が説
明するように、﹁︵憑依は︶女三の宮出家の経緯の種明かしでもある﹂とい
五 結語
う見方も納得できる。しかし、ここでの死霊の登場はあまりにも唐突で、
物語の流れを不用意に断ち切るものだという印象は拭えない。そのせい 六条御息所の生涯について考えることは、源氏の生涯そのものを考え
か、﹁若菜下巻﹂﹁柏木﹂における死霊・六条御息所の登場については、 ることにつながる。御息所は夕顔・葵の上・朝顔・紫の上など﹃源氏物
﹁紫上の病は死霊の出現の時まで独自の重要な意味を担って描かれてい 語﹄の主要なヒロインたちの運命を左右するだけではなく、源氏自身の
た。物怪の力を借りるまでもなく、紫上が発病して何の不思議もないよ 生き方にも影響を与え、ときにはその人生を左右する役目も担うからで
うな物語の局面が細密に辿られていたということである。﹂という見解も ある。思えば、六条御息所の源氏に対する思いはほとんど報われること
あるように、紫の上の病も含めて、女三の宮が出家に至るまでの道筋は がない。それどころか物語に姿をみせた段階で源氏の愛情はすでになく、
六条御息所の死霊に関係なく十分に語られているという意見は多い。も 義務感や世間体への慮りだけでかろうじてつながっているという痛まし
ちろん、筋書きには必要のない登場かもしれない。しかし、ここでの死 い関係であった。それにもかかわらず、六条御息所は源氏の人生に接点
霊は﹁うち笑ふ﹂のである。それは恨み言を切々と並べ、娘の今後や自 を持ち続け、人間・生霊・死霊と姿を変えながら、もっぱら源氏の人生
分への供養を頼み込んだときとは違う振舞いであり、秋好中宮を入内さ の重要な局面に姿をみせて揺さぶりをかける。そして、その御息所の視
せたことで過去を清算したと踏んでいた源氏の心に、さらなる一撃が加 線の先で源氏は栄華をきわめ、過去のあやまちの因果に苦悩し続ける。
えられたとも読めるだろう。そして、それはかつて葵の上と死別して後 とりわけ死霊は過去と現在を結びつける媒介として機能したものと考え
153 ﹃源氏物語﹄の方法 ∼ 六条御息所の物語上の機能 九
一〇
られる。人生もそろそろ終盤という時期に、死霊は過去を振り返る源氏 ④ ﹃新編日本古典文学全集 源氏物語①﹄﹁夕顔﹂一四二頁三∼五行目
154
20
の前に現れ、﹁すべてが終わったわけではない﹂と思い知らせる。そし ⑤ 同右 一四七頁一∼七行目
⑥ た と え ば、 黒 須 重 彦 氏 は﹃ 源 氏 物 語 私 論 ︱ 夕 顔 の 巻 を 中 心 と し て ︱﹄
て、思い知らされる側の源氏は未熟だった過去の自分と対峙せざるを得
︵一九九〇年 笠間書院︶の第九章﹁夕顔をとり殺した物の怪について﹂
なくなる。源氏が須磨から帰京して以来十八年もの間、物語の奥に隠し
で﹁そもそも、六条御息所は夕顔を知らないのであり、夕顔を呪詛する必
ておいた六条御息所を登場させる必要があったのも、六条御息所こそ青 然性を持たない。﹂と述べている。︵一六一頁六行目︶また、藤本勝義氏は
年期から晩年に至るまでの源氏を知り尽くした存在であり、生前には物 ﹃源氏物語の人 ことば 文化﹄
︵一九九九年 新典社︶の﹁第一章 夕顔造
の怪になったこともあるという経緯があることで、死霊としての再登場 型 ︱その性情と死︱﹂で﹁夕顔物語は、三輪山伝説・古代神婚説話・葛
城神話・妖狐の投影そして河原院怨霊説話などを下敷きにした伝奇的、幻
にも違和感が生じなかったからであろう。
源氏の人生と六条御息所の存在 ︱ 愛情は紫の上に、正妻として
想的色彩さえ感じられる展開で成り立っていた。この中に、現実の六条わ
たりの女の生霊を持ち込む必要はない。﹂と述べている。
の地位は葵の上や女三の宮に奪われ、
﹁気づまりな女﹂という冷たいこと ⑦ このくだりは﹃新編日本古典文学全集 源氏物語①﹄﹁夕顔﹂の一六三
21
ばを投げ続けられた女が、実は源氏の人生にひそかに寄り添いながら、 頁一一∼一五行目にある。
その人生を陰で揺さぶっていたという解釈が成り立つならば、こうした ⑧ 服部敏良﹃平安時代醫學の研究﹄
︵復刻版︶一九八〇年 科学書院 ︵初
版は一九五五年 桑名文星堂から出版されている︶
皮肉に物語の奥行きを感じないわけにはいかない。そして、
﹁愛しすぎる
⑨ ⑧の﹁第二章 文学及び其の他の文献に現れた疾病の解説﹂において、
苦悩﹂を知る登場人物に、愛情を存分に受けた女たちよりも輝ける場が
服部氏は次のように述べている。﹁平安時代に於ける﹃もののけ﹄の出現
あるとすれば、それは読者の心の中に他ならず、そのことが時代を越え に更に大きな原動力となつたものに当時の女性があつた。︵中略︶女の不
て﹁六条御息所物語﹂の再生を促し続けてきたのだと言える。 安と焦燥、種々の感情の交錯、誰れに語ることもできず身一つに秘めた苦
しみ、憂愁の鬱積は、やがて精神に変調を来し、僅かの肉体的、精神的変
動によつても病的症状を発現して、幻視・幻聴などの錯覚を生じ、之が怨
注
霊となり﹁もののけ﹂となつて現れるのである。平安時代の﹁もののけ﹂
① 林真理子﹃六条御息所 源氏がたり﹄︵一、光の章︶二〇一〇年 小学
が女性に多く現われ、しかも、妊娠・出産・病気等の如き肉体的変化に伴
館
つて出現することが多いのも、よく此の間の事情を明らかにしているので
② ﹃新編日本古典文学全集 源氏物語①﹄一九九四年、﹃新編日本古典文学
20
ある。﹂
︵七〇頁四行目∼一三行目︶なおこの引用箇所については漢字を一
全集 源氏物語②﹄一九九五年、﹃新編日本古典文学全集 源氏物語④﹄
21
23
部新字体に改めた。
一九九六年、いずれも校注・訳 阿部秋生 秋山虔 今井源衛 鈴木日出
⑩ 藤本勝義氏は﹃源氏物語の︿物の怪﹀文学と記録の狭間﹄︵一九九四年
男、小学館
笠間書院︶の序︵ⅶ頁︶で﹁﹃源氏物語﹂や﹃栄花物語﹄には、多くの物
③ この﹁年譜﹂は﹃人物で読む源氏物語 六条御息所﹄︵二〇〇五年 勉
の怪が語られている。しかしこれらの大半は、憑依現象とかけ離れている
誠出版︶所収の﹁人物ファイル︱六条御息所﹂の一部である。一五二∼三
といってよい。虚構化された物の怪の物語なのである。﹂と述べている。
頁
⑪ 西郷信綱﹃詩の発生﹄
﹁源氏物語の﹃もののけ﹄について 二 游離魂﹂
一九六〇年 未来社 三〇三頁一∼二行目 一九七五年 桜楓社 五四二頁三∼五行目
⑫ ﹃新編日本古典文学全集 源 氏 物 語 ② ﹄﹁ 澪 標 ﹂ 三 〇 九 頁 一 四 行 目 ∼
21
三一〇頁三行目 参考文献
⑬ 池田亀鑑﹃物語文学Ⅰ﹄﹁長篇的各説話の諸相とその成立 六条御 池田亀鑑﹃物語文学Ⅰ﹄一九六八年 至文堂
24
⑮ 同右 四八頁一一行目 院
⑯ 斎藤正昭﹃源氏物語 展開の方法﹄﹁第三章 人物造型をめぐって 第 西郷信綱﹃詩の発生﹄一九六〇年 未来社
二節 葵の上﹂一九九五年 笠間書院 斎藤正昭﹃源氏物語 展開の方法﹄一九九五年 笠間書院
⑰ 佐貫新造﹃源氏物語の状況的人間像﹄﹁六条御息所 暗黒界の象徴 一 佐貫新造﹃源氏物語の状況的人間像﹄一九九七年 翰林書房
夕顔巻の六条御息所﹂ 一九九七年 翰林書房 一二二頁三∼七行目 鈴木日出男﹃源氏物語虚構論﹄二〇〇三年 東京大学出版会
⑱ ⑪に同じ 一六〇頁八∼一一行目 西 沢 正 史 ・ 企 画 監 修 上原作和・編集﹃人物で読む源氏物語 六条御息所﹄
⑲ 森一郎﹃源氏物語作中人物論﹄﹁六条御息所の造型︱その役割と問題︱ 二〇〇五年 勉誠出版
一 死霊﹂一九七九年 笠間書院 七六頁五∼六行目 服部敏良﹃平安時代醫學の研究﹄︵復刻版︶一九八〇年 科学書院
⑳ 鈴木日出男﹃源氏物語虚構論﹄﹁紫の上の罹病 光源氏の道心と愛執 林真理子 ﹃六条御息所 源氏がたり﹄︵一、光の章︶二〇一〇年 小学館
三﹂二〇〇三年 東京大学出版会 九二三頁一一∼一二行目 藤本勝義﹃源氏物語の︿物の怪﹀文学と記録の狭間﹄一九九四年 笠間書院
﹃新編日本古典文学全集 源氏物語④﹄﹁若菜下﹂二〇九頁七行目∼ 藤本勝義 ﹃源氏物語の人 ことば 文化﹄ 一九九九年 新典社
23
23 21 20
﹃新編日本古典文学全集 源氏物語②﹄﹁葵﹂二三頁三∼四行目 ﹃新編日本古典文学全集 源氏物語②﹄一九九五年
23 23 21
﹃新編日本古典文学全集 源氏物語④﹄﹁柏木﹂三一〇頁二∼五行目 ﹃新編日本古典文学全集 源氏物語④﹄一九九六年
﹃新編日本古典文学全集 源氏物語④﹄
﹁柏木﹂三一一頁頭注二∼一〇行 いずれも校注・訳 阿部秋生 秋山虔 今井源衛 鈴木日出男、小学館
目 ︵本学大学院博士後期課程︶
大 朝 雄 二﹃ 源 氏 物 語 正 篇 の 研 究 ﹄﹁ 第 十 七 章 六条御息所の死霊﹂
155 ﹃源氏物語﹄の方法 ∼ 六条御息所の物語上の機能 一一