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トップ > インタビュー・立ち読み > 桐野夏生
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2/9/23, 8:51 AM Yahoo!ブックス
「いえ、たまたまあの事件があった、という感じです。映画にもなっ
たジョン・ファウルズの『コレクター』を昔、とても面白く読んだ記
憶があったので、もともと監禁小説というものを書いてみたいと思っ
ていました。それで、『残虐記』執筆前に『コレクター』を読み直し
てみたんですが、あまり面白くなかったんですよね(笑)。あれ?
前に読んだ時は面白かったのになぜだろう、と考えてみて思ったの
は、あの作品は監禁する男の側の話なのに、掘り下げられていない。
私は、閉じ込められた人間が何を思うか、に興味があります。例え
ば、『コレクター』には監禁された女の子が媚を売る場面があるので
すが、男は逆にそんな彼女に嫌悪を感じるように描かれている。でも
私は、本当にそうだろうか、と思った。もちろん、何が本当かどうか
は誰にもわからないけれども、極限状況の中で人はどんなふうに考え
生きるのかを、描いてみたくなったんです。そう思っていた時に新潟
の事件があったので、少し調べてみました。あの女性は文章が非常に
上手で言葉を持った人だ、と聞いて。もしかすると、閉じ込められて
いる中で言葉が増殖していくということはあるかもしれない、という
仮定を持ちました」
――そう考えると、『残虐記』の主人公が小説家という設定は自然で
すね。
「『事件を経て今どうやって生きているのか』を主人公に回顧させ、
語らせるわけですから、やはり話の仕方が巧みなほうがいい。だか
ら、小説家にしました。ですから、そういう意味では、あの新潟の事
件は確かにヒントになっています。事件の実際は誰もわからないけれ
ど、何が起きていたんだろう? という他人の興味と妄想のシャワー
を浴びて主人公は生きていくわけです。『皆、いろいろ想像している
んだろうなあ』と想像する自分が嫌でいたたまれなくなることがある
んじゃないか。そこを書いたら、嫌な小説かもしれないけれど面白
い」
――雑誌『新潮』4月号の松浦理英子さんとの対談で、この小説は「女
や子どもがどうやって素手で戦うかという物語ではあると認識してい
ます」と発言なさっていますが、この発言について詳しくお話いただ
けますか。
「主人公の少女は大人の男の欲望にぶち当たり、それがどういうもの
なのかを想像します。つまり、自分にはない欲望について想像するの
です。想像力がなくて欲望だけある人は、ある意味で犯罪者だと思う
のですが、想像力を働かせるという方法こそ、想像力を持たず欲望だ
けがある人物と戦う手段になりえるんじゃないか、と思いました。そ
して、欲望に取り囲まれ、肉体的にも精神的にも奪われるのは常に弱
い者――男性よりも、やはり女性や子どもであると思うのです。その
闘争が残虐なのです」
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2/9/23, 8:51 AM Yahoo!ブックス
――主人公を監禁する健治も子ども時代に欲望の標的にされていたか
もしれない、と主人公は想像していますね。もし、主人公の想像通り
だったとすると、子ども時代、健治自身は想像力で立ち向かわなかっ
たことになるわけですが、彼は想像力という武器を持てなかったとい
うことでしょうか。
「想像力を持つというのは特権です。対談で松浦さんに指摘されて、
私も初めて気づいた点に、言葉の問題があります。監禁当時、小学四
年生だった少女・景子と、学習する機会を奪われたまま大人になった
健治は、二十五歳なのにほとんど言葉のレベルが同じなんです。むし
ろ景子のほうが高いくらいです。多くの言葉を持たない者が想像力を
持つのは、難しい気がします。だから健治も、言葉を使って想像力の
毒の芽を発芽させることはできなかったのでしょう。でも、これは無
意識に書いてしまったんです。意識的な設定ではありませんでした。
不思議なものです」
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