You are on page 1of 12

ルヴェルディとブルトン

─イマージュ論による比較を越えて─

山 口 孝 行   Takayuki YAMAGUCHI

ピエール・ルヴェルディとアンドレ・ブルトンの比較考察は,先行研究にお
いて前者の「イマージュ」(1918)と後者の『シュルレアリスム宣言・溶ける
1)
(1924)を中心として数多く行われてきた .両者はシュルレアリスム運動
魚』
という観点から見れば,一方は先駆者として,他方は主導者として,同じ系
譜の中で近親的な詩学を持ちながら,比較考察において差異づけられて,緊
張感を孕む関係として位置付けられるだろう.例えば,エチエンヌ−アラン・
ユベールは次のように論じている.「[…]ブルトンは熱意を込めてルヴェル
ディのイマージュの定義を引用しているが,イマージュの自然発生性が尊重
されずに,意識の役割が特権化されているように思える数行について保留を
2)
示している .」ユベールは,1924年のブルトンの「シュルレアリスム宣言」
と「イマージュ」をはじめとする1918年当時のルヴェルディの詩論や語彙を
比較考察し,ルヴェルディは「あらかじめの熟考」  を,ブルトンは「自然発生
3)
性」を尊重するとして両者の詩学的相違をまとめている .ルヴェルディにつ
0 0 0 0
いては,「イマージュ」の中で「精神だけが[隔たった二つの現実の]関係を
4)
把握した」(OC1, p. 496)と複合過去表現を用いているため ,「精神」がすで
に繋がりのある「二つの現実」を把持していたと解釈できる.詩作以前に考
えられ,捉えられていた詩の材料を用いていこうとするルヴェルディの詩的

ピ エ ー ル・ ル ヴ ェ ル デ ィ の 引 用 に つ い て は 次 の 全 集 を 用 い る:Pierre Reverdy, Œuvres


complètes T. 1, Flammarion, 2010;T. 2, 2010.(以下それぞれOC1,OC2と略記する.)
1)
イマージュをめぐるルヴェルディとブルトンの思想の相違については,後に取り上げるエチ
エンヌ−アラン・ユベール「ピエール・ルヴェルディのイマージュ論をめぐって」や,朝吹亮
二「イマージュ論の展開」(『アンドレ・ブルトンの詩的世界』, 慶應義塾大学出版会, 2015)な
どで詳しく論じられている.
2)
Etienne-Alain Hubert, « Autour de la théorie de l’image de Pierre Reverdy », dans Circonstance
de la poésie : Reverdy, Apollinaire, surréalisme, Klincksieck, 2000, pp. 21-22.
3)
Ibid., p. 22.
4)
« […] en rapprochant sans comparaison deux réalités dont l’esprit seul a saisi les rapports(OC1,
p. 496.) »

63
発想は,
「あらかじめの熟考」と言えるだろう.ブルトンについては,意識が
後退していく入眠時などにやってきた言葉を聞き逃さず,意識の検閲を通さ
ないように受け入れていくことを主張する.そうすることで現れてくる視覚
表現を重視していることから,
「自然発生性」が尊重されていると解釈できる.
このように先行研究は両者の差異をよく示しているが,両者の発展的な関係
性という点ではどこまでも平行線のままなのである.ある研究では「
《精神》
という語にルヴェルディが与えている意味については,おそらくブルトンが
5)
読み違えたか,あるいは誤って理解しようとしたかのいずれかであろう 」と
されているように,建設的な議論にまで発展できないまま終わることもある.
このように両者の比較考察が進展しないのは,これらの比較検証が「イマー
ジュ」を中心とした1924年以前の詩論と詩作品を対象としてのみ行われてい
るからではないか.
そこで本論文では1924年以降のルヴェルディとブルトンの詩論および作品を
比較するという新しい視座を取り入れることで,両者の新たな風景を開いて
いきたい.1924年以降のルヴェルディは実り多き創作時代に差し掛かってお
り,その創作体験は彼に大きな変化をもたらしている.ブルトンは1932年に
詩集『白髪の拳銃』を刊行し,さらに詩だけでなく1928年『ナジャ』や1937
年『狂気の愛』など客観的偶然の報告をする散文作品を発表していく.ルヴェ
ルディもブルトンもともに1924年以降,作品も詩学も進展したものとなって
いるだろう.本論文では,やや定式化した感のある「あらかじめの熟考」と
「自然発生性」という構図から出発しながらも,1924年以降の詩論を通じて彼
らの視線がどこに注がれているのか詩学上の要点を探り,その上で彼らの作
品を取り上げ比較考察し,両者の近さと遠さを浮き彫りしていきたい.


ルヴェルディはユベールの研究を通じて「あらかじめの熟考」を尊重すると
特徴づけられたが,1924年以降どのような方向に詩学を発展させ,どのよう
な詩作品を書いていくのか.1924年以降ルヴェルディは,二つのアンソロジー

5)
ジャクリーヌ・シェニウー=ジャンドロン『シュルレアリスム』, 星埜守之・鈴木雅雄訳, 人文
書院, 1997, p. 112.(Jacqueline Chénieux-Gendron, Le Surréalisme, Presses Universitaires de
France, 1984, p. 89.)

64
ルヴェルディとブルトン

詩集を発刊し,1927年『跳ねるボール』,1929年『風の泉』および『ガラスの
水たまり』などの詩集を発表し,実り豊かな時代を迎えている.詩論につい
ては,過去に雑誌に掲載した詩論(例えば1918年「イマージュ」
,1924年「ポ
エジー」
,同年の「壁に囲まれた夢想者」など)に,多少手を加え断章形式に
再構成しながら再収録した『毛皮の手袋』を1927年に刊行している.この手
記の中では詩についてだけでなく,哲学的考察や神についてなど多岐にわた
る内容を断章として書き記している.この時代の詩論において,前面に打ち
出されるのは詩人の役割を訴える断章である.例えば後に『毛皮の手袋』に
再録される1924年の「ポエジー」では「詩人は一人の潜水夫である.彼の意
識のもっとも内密な深みに崇高な素材を求め,それを彼の手が明るみにまで
(OC1, p. 593)と論じられている.ここでは,
もたらすとき結晶化するのだ」
「崇高な素材」と表現された詩の源泉を捉えていこうとする詩人の活動が想定
されている.
「意識の深み」に潜っていくとの表現がなされているが,それを
行うにあたってもはや1919年当時に主張された「夢」が尊重されるのではな
い.『毛皮の手袋』では「夢は意気阻喪する沈潜であり,瞑想は活力を与える
沈潜である.夢への沈潜は現実から逃れるためにあり,瞑想への沈潜は上位
の現実に到達するためにある」(OC2, pp. 550-551)と述べられている.この当
時には「瞑想」が「崇高な素材」を探究する役割を担っていくようになる.
それは知性的に働くだけでなく,想像的,情動的,直観的にある対象の見極
めて掴んでいく意識の状態である.このように,あるべき詩の素材を探究し,
その結果を煌めく詩的果実として実らせようとする試みは,1924年の「壁の
間の夢想家」(OC1, p. 601)や『毛皮の手袋』(OC2, p. 560)など繰り返し論じ
られている.
この時代のルヴェルディの記述を読むと,あらかじめ詩の素材が先在し,そ
れを見つけるための意識的探究が詩作品以前にあるように受け取ることがで
きる.このようなルヴェルディの発想は,
「イマージュ」において論じられた
イマージュ発生以前に意識を働かせてその源泉を見出そうとする主張と一貫
性がある.このように1924年以降強調されるのは,詩人自身による意識的な
詩の素材の探究である.
「あらかじめの熟考」を,より広く解釈し,能動的に
意識的に詩の素材を見出していこうとする試みとするなら,1918年当時より
その特色は強くなっているように思われる.

65
詩論において表明された詩人の役割は,実際の詩作品ではどのように観察で
きるだろうか.だが1928年の雑誌『ロゾー・ドール』に掲載され,後に1929
年詩集『ガラスの水たまり』に再録された詩作品群を見ていくと,詩論で論
じられた詩人の役割を上手く果たすことができず,詩論が目指すところと詩
作品があらわにすることが異なっているように思われる.詩 「流れ星」は
そのことをよく示す詩作品のひとつであるため,次にこの詩作品を取り上げ
ていこう.

〔…〕
あなたはどこでこの写真をくすねたのか.私の惨めな心のありようと極めて俗物然とし
た輪郭をもった私の身体を映した擦り傷がまだついていないこの写真を.心と思考の街
道はあらゆる棘によって たれていく.それは,打ち傷の痣で,水辺の岸で,涙の首飾
りで,前兆で断ち切られた道であり,獣たちの憎しみと遺恨で線引かれた道である.こ
れらのページは泉を映す疑り深い鏡となり,私は自分の姿をそこに認められずにいる.
危機が小刻みに揺れ時間が一滴ずつ積み重なっていくこの水たまりで,天の脅威に挑む
私は頭から足まで割けてしまった一つの証言であり,現在から表現の起源にまで りな
がら創り上げることが何を意味したのか,そのことについて私は厳密ではあるがすぐに
消えてしまう一つのしるしなのだ(OC2, p. 534).

この詩作品は,1918年『屋根のスレート』掲載の詩作品に見られたような断
片的詩句の構成ではなく散文詩として書かれている.またその当時あまり用
いられることのなかった詩的主体「私」が用いられ,積極的に行動し感じた
ことを表現している.また「イマージュ」で論じられた二つの現実の接近の
試みも見当たらない.この詩作品についてまずは内容から見ていこう.
「あなたはどこでこの写真をくすねたのか」という詩句における「写真」は,
傷がなく,極めて俗で惨めな「私」の精神状態が現れているという.その次
に出てくる「街道」は,「私」の「心」と「思考」の運動が物質化されて,風
景となって現れている.これらの「街道」は,「私」の「苦痛」によって,そ
して「私」の悲しみの現れである「涙」の「首飾り」によって,断ち切られ
ている.その断ち切られた「街道」に再び道筋をつけるのは「憎しみと遺恨」
である.ここで「街道」に付された多くの修飾は,この「街道」の変貌を表
している.
「憎しみと遺恨」が具現化した「棘」は,
「街道」に道筋をつけ,

66
ルヴェルディとブルトン

「私」に多数の切り傷をもたらす.ここで「私」は,以前には想定していな
かった全く別人のような傷だらけの「私」を見出すことになってしまったの
だ.
この詩作品に現れる詩的主体「私」を,詩の素材を探究するルヴェルディ自
身と仮定するなら,彼の探究は心と思考の運動として行われ,この運動は彼
の詩的世界の中であたかも物質性を得た「街道」として具現化されている.
しかし,この「街道」は,まっすぐに目的の場まで伸びていくのではなく,
途中で心が被った苦痛や悲しみなどで断ち切られてしまう.その後に,新た
な「街道」として現れるのは,苦痛や悲しみを受けて「憎しみと遺恨」が具
現化したものであり,彼の行程をイバラで包まれた過酷なものに変化させる.
精神的なものが物質化されたこの棘は,彼自身の肉体を傷つける力を持つの
である.
ここで一つの解釈は,詩作品以前に詩の素材を求める探究があって,その結
果が詩作品となるのではなく,詩の素材を求める心と思考の運動の過程,そ
れ自体が詩作品を作り上げているという解釈である.その時に詩的主体「私」
の行動,
「私」の思考が意識的活動であり,その過程自体が寓話化され詩的世
界を作り上げていく.それが1920年代後半のルヴェルディの詩作品の特徴の
一つである.ところが詩作品の内容で見たように,自分の詩作品から現れた
ものに自分自身が傷を受けてしまう.この傷の多さから,過去の探究におい
ても多くの挫折と苦しみを繰り返し受けてきたと考えられる.だがこの詩作
品は「私」の惨めな姿をあらわにして終わるのではない.敗北の姿を,これ
までの詩的活動の証言として受け入れた時に,もう一つの詩的契機がやって
きそうになる.
「私」の「天の脅威に挑む」意思,創造への試みに言及する意
思の中に,新たな詩的創造が始動しようとしているが,ここではまだその期
待に留まっている.
それにしても詩論で「崇高な素材」と言われた詩の素材は詩人の手に入った
のだろうか,その素材は「結晶化」して詩の中に煌めく果実として据えられ
たのだろか.詩作品の中で得られたのは苦痛,涙,憎しみ,遺恨,挫折といっ
たもので,それが変貌し具象化した「街道」や「棘」である.この結果は詩
作品において成就することない試みの連続をあらわにしている.こうして
1924年以降に表明された詩論の目的は,詩作品において成就しなかったと言

67
える.詩論では煌めくものを得たいと論じているのに対して,1920年代後半
の詩作品は苦痛,憎しみ,挫折,嫌気に覆われ,ほんの少しの期待と絶望を
行き来する.だがこの不成就が次なる試みを意欲的にさせて,彼の詩作活動
を活性化させることも事実である.
イマージュ論を軸とした比較考察において,ルヴェルディとブルトンの特徴
は,「あらかじめの熟考」と「自然発生性」といった構図で示された.1924年
以降のルヴェルディの詩論では,確かに詩人自身による意識的行為や明確な
目的をもった行動が訴えられたが,詩作品ではそこから脱線していくような
出来事が起きている.だがそのような出来事が起きたとしても,決して忌避
するのでなく,現在の紛れもない証言なのだと受け入れていこうとする姿勢
があることも見てきた.確かにこの時代のルヴェルディ作品は,詩論におい
て論じられた目的を果たせずに終わるが,肯定的に見れば,その次を目指す
期待の場が現れてきている.以上のように,1924年以降ルヴェルディが詩論
において注視するのは,詩の素材の意識的な把持であったが,詩作品が明ら
かにしたことは,もたらされた結果を受容していくことである.把持しよう
とする意思と受け入れようとする意思が交差するところに,次の試みへ向か
おうとする期待の場が現れてきたのである.では他方「自然発生性」の尊重
と特徴づけられたブルトンの活動はどのように展開していくのか.


1932年『白髪の拳銃』の序文「いつかあるだろう」の中でブルトンは,「想
6)
像力は天賦の才ではなく,何よりもまず獲得される対象物である 」と記して
いる.先行研究「詩は未来からやってくる」が論じているように,この時彼
は「自然発生性」に頼るのみでなく,能動的に対象物を獲得する意思を持っ
7)
ていると言えよう .ブルトンの注視する点をもう少し理解するために,
「いつ
かあるだろう」の中の彼の文章を見てゆこう.

6)
アンドレ・ブルトン「いつかあるだろう」『ブルトン集成4』, 菅野昭正訳, 人文書院, p. 23.
(André Breton, « Il y aura une fois », dans Œuvres complètes T. 2, Gallimard, « Bibliothèque de la
Pléiade », 1988, p. 49.)
7)
朝吹亮二「詩は未来からやってくる」『ユリイカ:ダダ・シュルレアリスムの21世紀』, 青土社
2016, p. 122.

68
ルヴェルディとブルトン

もう一度改めて課されるのは,エネルギー変容の問題である.ふつうに行なわれている
ように,想像力の実践的な効力にたいして過度なほどに疑心を抱くことは,発電のため
の水力を,水の落下という馬鹿馬鹿しい意識に連れ戻そうと期待をかけながら,電力の
予備をぜがひでも自ら捨てさろうとすることのなのである.
8)
 想像的なものとは,現実のものとなろうとめざしているもののことである .

問題は想像力に何かを生み出すエネルギーを認めないことである.想像した
ものは,現実とは別の次元にあり,現実として規定されることも,それに影
響を与えることもない.そのように受け止めて,想像力を現実世界とは全く
関係ない次元に留め置こうとすることは簡単だ.しかしブルトンは,想像力
に疑いを持つことは,水力にエネルギーとしての可能性を認めず,それを単
なる水の流れという知覚に限定しようとすることだという.水力は電力とい
う「現実のもの」へ変換され得る可能性を持つエネルギーであると説いてい
る.想像力は一回限りの夢想で,その後に雲散霧散してしまい何も残らない
のではなく,その結果を注意深く観察し,それが何を生み出したかを見極め,
解釈してゆく必要がある.このようにして想像された結果を,意識的に能動
的に獲得していく必要がある.それはまさに「現実のもの」として現れるの
であり,その現れを見逃さないだけでなく,今にも現れそうなものに働きか
け,導き出すことにブルトンの関心は集まっている.ある想像が,何を生み
出していくのか,それが彼の生きる現実の中にどのように現れてくるのか見
定めること,そこにブルトンの視線は注がれている.
先行研究「詩は未来からやってくる」では,詩集『白髪の拳銃』に掲載され
た詩 「薔薇色の死」を取り上げて,未来形を多用するこの詩を夢や願望を
表するだけでなく,獲得すべき対象に働きかける試みだと論じている.この
試みは散文作品の場合,未来からの聞き取りや未来への呼びかけだけでなく,
過去や今現在も含めた複雑な運動の中で試みられているように思われる.そ
こである想像が,何を生み出してゆくのか,それが「現実のもの」として現
れてくるのかがよく観察できる『狂気の愛』「Ⅳ」を取り上げていこう.
1935年の雑誌『ミノトール』掲載時には「ひまわりの夜」と題されたこの作
品では,ブルトンとジャクリーヌ・ランバとの出会いの夜,1934年のことが

8)
前掲書, pp. 24-25.(Op. cit., p. 50.)

69
10年以上前の詩作品に書かれていたという驚きや分析が記されている.だが,
詩 「ひまわり」に対するブルトンの分析が,彼女との出会いだけでなく,
ルヴェルディとの思い出の方へ流れていく後半部分にこそ,未来だけでなく
過去や現在も含めた連想的な想像が展開され,その結果「現実のもの」が見
出されていく.ブルトンの想像はルネ・シャールがした指摘,二つの詩 「ト
音記号」と「ひまわり」がともにピエール・ルヴェルディに捧げられていて,
このタイトルが両方とも「ソル」  «  sol  »(「大地やト音」)という単語が入って
いるとの指摘から広がっていく.

わたしは,ピエール・ルヴェルディというこの名前がずっと好きで,かつては意識せず
にこの名前を次のようにふくらませていたに違いない.もはや転がらぬ石,苔をたくわ
える石.このような石の観念は,わたしには視覚的にきわめて気持ちよかったし,それ
0 0 0 0
はあのソル(Saules)通りの思い出によって,さらにわたしの中で強められている.この
通りは急流のような斜面で,わたしは1916年と17年の何回かの朝,ルヴェルディに会い
9)
に行くために,いつも喜んでよじ登ったものだ .

ルヴェルディとソルという二つの言葉からブルトンの想像力が開かれていく
が,ここでは意識的に二つの要素の繋がりについて過去に向かって探究して
いく.あたかも1918年当時のルヴェルディが訴えたイマージュ論のように,
最初に掴んだ二つのイマージュから現れ出てくるものを掴んでいこうとして
いるのである.そこでまずブルトンは「苔に包まれた石」というイマージュ
を掴んだ.聴覚から発して,ピエールは石であり,ルヴェルディは動詞ルヴェ
ルディール  «  reverdir  »「再び緑になる」が過去分詞ルヴェルディ  «  reverdi  »
「苔に包まれた石」 « pierre reverdie »と視覚的イマージュ
となって石を形容し,
となったのであろう.それは転がることなくどっしりと地面(ソル)に据え
付けられたがゆえに苔むした石となった.この視覚的イマージュから過去の
回想へ移っていく.その当時,ルヴェルディはモンマルトルに住んでおり,
それは丘の上に置かれた苔むした石を想像させ,あたかも巡礼者がその石に
詣でるようにブルトンは,急坂のソル通りをよじ登るように向かって行った

9)
アンドレ・ブルトン『狂気の愛』 , 海老坂武訳, 光文社古典新訳文庫, 2008, p. 134.(André
Breton, «  L’amour fou  », dans Œuvres complètes T. 2, Gallimard, «  Bibliothèque de la Pléiade  »,
1988, p. 734.)

70
ルヴェルディとブルトン

のであろう.聴覚から視覚へ,さらに過去へ連想は,文章の流れをポワン « . »
で止めることを少なくし,ヴィルギル « , »やドゥポワン « : »を用いた切り替え
や挿入の自由な文体の中で,何かを探しながら進んでいくように展開してい
く.
ここで特徴的なことは,過去に書いた「ひまわり」という詩作品が未来の出
来事と一致していたことの報告だけでなく,もう一度この詩を思考し直すこ
とで,その執筆時よりもさらに前の過去を再発見し,再解釈し,もう少し強
く言うなら過去を自分にとって価値あるものに再創造していることである.
過去に書いたものと未来の出来事と一致は,自分の意識を開いてやって来る
ものを待つことで発見できるだろう.しかし,過去の再創造は,その記憶を
積極的に再解釈する力が必要である.ここでブルトンはある想像から発して,
自分の過去をあらためて獲得していったのである.さらにこの過去は,現在
にも未来にも強く影響を及ぼしていく.「そしてこの名前[ルヴェルディ]が,
二つの詩の場合,とりわけ物ぐるおしいもののために破られたバランスを回
10)
復する役割を果たしていることを,わたしは信じる気になっている .」この
『狂気の愛』「Ⅳ」のテクストの大部分は,ジャクリーヌとの出会いを予言し
た自分の詩作品との出会い,狂おしいほどの喜びに打ち震えて2人の出会いを
報告するにとどまっていた.つまりこの詩作品が持っていったであろう,未
来だけでなく過去や他の人間などにも開かれ得る可能性が,個人的な関係や
未来の予言という解釈に回収されてしまいそうになっている.その偏りを,
ピエール・ルヴェルディとソルという2つの言葉の出会いから現れてきたイ
マージュが,バランスを回復しようとしている.天 が傾くようにブルトン
とジャクリーヌだけの関係の解釈だけになっていった詩を,苔むした重石が
もう一度バランスの取れた状態に,あらゆる解釈を可能にする状態に戻そう
としている.
ここで思い出された過去は,ブルトンを「しっかり充満した現実にげんこつ
11)
を 」というルヴェルディの詩句に導いていく.動きようない現実に衝撃を与
えてそれをぐらつかせるというこの詩句は,ブルトンにとって教えとなった

10)
同前,p. 135.(Ibid.)
11)
同前,p. 134.(Ibid.)この詩句の引用元:Pierre Reverdy, « Près de la route et du petit pont »,
OC1, p. 26.

71
言葉だと述べられている.そして,1924年ブルトンに「現実 少論序説」で
「詩的創造はやがてこの具体的な性格をそなえることを,いわゆる現実的なる
ものの境界線をきわめて特異なやりかたで移動させることを期待されている
12)
のだろうか 」と述べさせることになる.だが多くの創作体験を経た1935年当
時には,創造物だけが現実的なるものの境界線を移動させるのではなく,一
連の客観的偶然の報告テクストを通じてより広く解釈されて,創造物に対す
る関心,他者に対する関心,行動,分析が,彼自身の今まさに生きている現
実の世界に関与し続け,変化を与え続けることと解釈できる.そうすると詩
「ひまわり」の解釈作業は,この詩が未来の出来事と合致していたという
驚きだけでなく,ルヴェルディに対する関心や思考が過去を再解釈させ,そ
の過去が,今現在ブルトン自身が生きる現実に対して働きかけていると言え
る.それは彼が結婚を決意することだけでなく,ブルトン自身の創作活動に
おける美学の再確認ということになる.この再確認とは,ブルトンの創作活
動が,受け入れと積極的思考どちらも発動可能な状態から現在,過去,未来
へ開かれていく持続的運動を見出し,力強く推し進めていくことであった.
このような状態の回復は,かつて教えとなったルヴェルディの詩句から発し
てあらためて獲得されたものである.結末で「現実のもの」として現れた「ル
13)
ヴェルディの遺贈 」というポスターは,このことを強く確信させたのである.
ブルトンが詩論において注視するのは,想像力が獲得していくものである.
それは「現実のもの」としてまさに顕現してくるのであるが,作品を見てい
くとそれを見出すまでの紆余曲折するような運動が観察できる.それは『白
髪の拳銃』序文の結末で述べられている「運動」ではないだろうか.

0 0
私はただふしぎな,そして大部分が予測し難いものであるさまざまな運動の源泉,初め
にひとたびその傾斜をたどるつもりになろうものなら〔…〕山々, 怠の山々を揺り動
かして,壮大な奔流をうみだすことを約束するはずの源泉を示しているだけなのであ
14)
る .

12)
アンドレ・ブルトン「現実 少論序説」『アンドレ・ブルトン集成 第6巻』, 生田耕作ほか訳,
人文書院, 1974, p. 217.(André Breton, « Introduction au discours sur le peu de réalité », ibid., pp.
277-278.)
13)
前掲書 p. 135.(Op. cit., p. 735.)
14)
前掲書 pp. 29-30.(Op. cit., p. 53.)

72
ルヴェルディとブルトン

ひとつの想像に端を発する流れは,ある「現実のもの」に り着き,既存の
現実を揺り動かしていく「運動」である.時に彼は意識的にその後を追おう
とし,時に彼は巻き込まれるようにして,この流れにのっていく.それは,
目に見えない想像と現実が入り混じった「奔流」である.ブルトンが注視す
るのは想像から発して対象を獲得するだけでなく,またそれを「現実のもの」
として見出すだけでもなく,この「運動」の状態に自身の身を置くことでも
ある.

おわりに
以上のように,1924年を中心として示された「熟考」と「自然発生性」と
いった構図は,それ以降のルヴェルディとブルトンの活動を見ていくと薄ら
いでいる.作品を通じて了解されるのは,両者とも積極的に求めていくこと
と受け入れていくことを,今ここの判断に応じて行使できる,ニュートラル
な状態を保ちつつ次なる運動を待っているということである.そのような姿
勢に両者の共通点がある.次に両者の差異点については,作品を含めた詩的
活動全般の持続的運動のあり方に違いがある.ブルトンは他者との協働や他
者への関心を通じて,現在,過去,未来だけでなく,意識,無意識,欲望,
創造物,現実の生活など,どのような方向にも開かれるような潜在的状態を
維持し,そこから次なる運動を広く遠く力強く展開していった.この持続的
運動は,ブルトンが自分にとって価値のあるもの,「現実のもの」,自分自身
を活性化する方へ向かっていく.これに対してルヴェルディは,期待と個人
の内在的生にとどまり,自分の望むものが手に入らないまま意気消沈し,疲
れ,挫折,絶望などが支配する悲劇的世界の方へ流れていく.この後1947年
にブルトンは,
「上昇記号」において再びルヴェルディを取り上げており,
1953年にはフランシス・ポンジュを含めた三人で対談を行なうなど,両者の
関係もまた運動の過程にある.今後1940年以降のテクストを扱い,両者の関
係を論じていく必要があるだろう.
(神戸大学非常勤講師)

73
Reverdy et Breton :
au-delà de la comparaison des deux poètes par la théorie de l’image

La comparaison des deux poètes, Reverdy et Breton, focalisée sur la


différence du point de vue de la poétique, apparaît déjà dans les recherches
antérieures, notamment à partir de la théorie de l’image. Cette dissemblance, par
exemple dans l’étude d’Étienne-Alain Hubert, se trouve clairement démontrée et
caractérisée, d’un côté par le mot «  préméditation  » et d’un autre côté par
« spontanéité ». Cependant, on ne peut pas nier qu’elle soit maintenant devenue
un stéréotype mis en place pour ne pas développer l’argument sur le lien entre
les deux poètes. Dans cette étude, nous tentons de comparer Reverdy et Breton à
travers leurs textes et de mesurer la distance entre les deux poètes, et cela, après
la parution du « Manifeste du surréalisme » en 1924. Notre ambition consiste à
élargir les perspectives sur leurs relations.

Takayuki YAMAGUCHI
Chargé de cours non titulaire
à l’Université de Kobe

74

You might also like