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岩手県大船渡市吉浜地区における農地復興計画作成支援

誌名 農村工学研究所技報
ISSN 18823289
著者名 福与,徳文
山本,徳司
桐,博英
発行元 農業・食品産業技術総合研究機構農村工学研究所
巻/号 213号
掲載ページ p. 287-295
発行年月 2012年5月

農林水産省 農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センター
Tsukuba Business-Academia Cooperation Support Center, Agriculture, Forestry and Fisheries Research Council
Secretariat

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岩手県大船渡市吉浜地区における農地復興計画作成支援

-減災農地と地域復興計画一

福与徳文*山本徳司**桐博英***

伺 次
f 緒 言 一一・一… ・
一 … 一・一一一 287 3 世Ti
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t農 地 復 興計 画 (
業 ) の基本コンセプト 2
91
E 減災農地とは い…一 ・ … … … … … … .2
87 4 復興昇(観シミュレーション ー ー
・ ・ ・ 291
l 防 潮 挫 で は 防 ぎ き れ な か った津波 …・………. 287 5 i
;
1封
皮 浸水シミュレーション ・ 2
93
2 生命と生活を守る滅災対策 .
.. ー・ー・一一一 2
. 88 6 復 興計四作 成 支 援 の ね ら い と効呆 .
..
..
...
... 2
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E 地域住民による地域彼興計 j
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iづ く り 支 援 …..289 参 考 文 iW~ . 一-ー ・
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...
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...
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...
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....… 294
l 支援の基本的な考え方 一.
...
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・一, 290 Summary 一....
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ー ・ 2
95
2 古 浜 農 地 程 興 委員会に対する文援・ ・
ー・ー
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I 緒言 津波 (
189
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Kり制 l
みをヒントにして 「
減災
民地 」 という新たな J
支術概念を提案している 。本 判 文 で
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Jの 巨大 詰h皮に袈われながら...(1'~亦的"に被害 は[減 災 農 地 J
の概念を概制したあとまさに 「
減 災 民 地」
の 小 さ か っ た 地 区がある 。 そ の う ち の 一 つ が 岩 手 県 大 船 的な考え方によって社民 "
1らが地域の復興を考えている
波l
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j古 浜 地 区で、ある 。 背 浜地 区 に対して 炭'
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.復 興支援チームがどのよう
読売新聞 (
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J) は 京 日 本 大震 災 8ヶ な支援 を 行 っ て い る か に つ い て 報告する 。
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iじているが 昔 浜の被告 が小さかったのは。けっし 1 防潮堤では防ぎきれなかった津波
て"寄跡'が起こったからでも "
Luc
ky だ、ったからで この伎の詰p
波災志 では I
Wi.~í)J ~止だ、けではその後背地を
もない 。 必ずしも守りきれないことがより│則的:になった 。
「住 宅 は 111J台 に あ か 低 地 部 に は 民 地 が あ る 」 と い う その象徴的事例となったのが 科手 県冶下i
!
Ti旧老地区
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' (ハード対策), そ し て 地袋 が 起 き た ら ( 住
明日 1
1 の総延長 2 .4 km にわたる|りrj i.~íJJ 犯である 。 111 老地 区 は 明
宅地より ) さらに高所へ避 y
1fiするというソフト対策が既 治竺陸津波 (
189
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で は 地 区の 3
45戸 が 全 i
成 死 者 l8
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にできていたからこそ H 奇跡、'や Lucky‘ は 生 ま れ た 被 災 地 人 口の 8


人 ( 3.1%). 1行和 三 │注津波 (
193
3{I二) で
のである 。 は ~frL 失 ・倒壊家屋 500 戸.死者・行方不明者 911 人 (被
長村 J
j :
学研究所・復興支援プロジェクトチーム (
以下 。 災地人 口の 3
296
) という壊滅的な被害 を繰り返し受け
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3'復興支援チーム ) は守こうした 背 浜の│明治三 │
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l 法 てきた (
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)
そ れ に 対 し て 同 地 区 で は (両手?移転地佐保の悶 Y
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*農村基盤研究領域卜.1,'),'研究員 材技術移l!!i~センター教授 あって ). 1功潮堤によって地域を iWi 皮から守る道を選 ~1\
料*水平Ij工学 研究領域;
ト1干研究員 し第 1
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J堤 (
1,350m,1
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ir完成).第 2防潮堤 (582m,
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3年 1
2月 1
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966年 完 成 ). 第 3
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. (501m 1979年 完 成 ) と 総
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f 句

キーワード 減災炭地 地域復興 r


i
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ii
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li 技術I
ワ支援 復興最観
F
延長 2, 幼潮堤を X字型l
433mの │ に配置し, I
IJ
I老の万里の
1

シミュレーション 津波浸水シミュレーション
i ,
三城」 といわれる i
II
:y
J
}防御システムを築き J げてきたの
である 。 そしてこのシステムは(まだ第 l防(初堤だけの
,USATODAYの記事については次のウヱブサイトで参照し
こ。 h
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_ 段 階 だ っ た が), チ リ 津 波 (
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0"'1')のときには見事に
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.ht11l 機能したのである 。 しかし I
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I老 の 万 b
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lの長城」でさえ。
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88 }~村 T 勺' 研究所技 ~1i ~'j 2
13り (
201
2)

今回の;
:
1)
;皮を!幼ぎきれなかった 。 i
Wi皮は!り'
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J堤を越え, . 被災民地i
他地│メに比べて小さかった 。 その ーブJ f
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の と き よ り も 死 者 数 は 大 幅 に 減 少 した と は 約 2
5h.i
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[失 全 社i
船舶は 2
69笠 。 峻 滅 した ワ カ メ や
いえ )死 者 9
6人 (
20I
I年 4月 1
0FI
現 在). 行 方 不 明 者 t
ホタテの養Jii
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i生は 5
08台 に の ぼ る な ど , 農 業 ゃ 悦 楽 の
5
0人 (
20I
I年 4月 2
71ゴ現抱)という大きな被害を, ま ~L 産 恭 掠に 1!)IJ わる被 符 は jてきい 。 古 浜 地 問 が“ 都 閥、' と
たしても同地区にもたらしてしまったのである (
旬.日新 か '
Luc
ky" とい った 言 葉 に よ っ て E
れられ るのは句あく
, 2
聞 011年 5月 1
51ご1
)。 ま で も 人 命 と 住民 に 関 す る 被 告 が 小 さ か っ た ゆ え で あ
旬日新I
1
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2011!
.
ro5月 1
5FI
)は 「二重 │
防潮堤にも限界」 る。
という見1-1.
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老地 区の 1 I
3,1J を特集 してい る。 こ このよう に 7
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7浜地区で 人命と イJ 立l
討に│ する 被 告:が小さ
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1集 記 事 で は, 第 I
1り'
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jIの 外 i
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lJに, 後 か ら第 2, ~お かったのは r
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Ji台三:
1能津波 によ って j
衷滅的 な 被手 を受け
31~M:OP赴が建設され.それらと最初に建設された第 IIW た後で , 低 J也 1~:1~ にあった ft)討を道路とともに itj 台に移転

湖底の問に挟まれた低地 'ì~l~ に次々と民家が立ったことが u ¥をj


させ,十 需が あ っ た 低 地 i
'
i
l Z地主;?に転換してきたから
紹介され とくに第 2I~M:OjjJt と第 l 防潮堤の 11\1 に挟まれ である 。古 浜地│乏におけるで 百の f
占i u
台移転の粁抑に関し
5の 化 者 ・不明 者の ;
た地1
2 10
合 が最も 日いこ とを指摘し た 1'
て. 1
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館 山1
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6)の記 述 を 次 に 引Jl'
Jす る2

上 で守 約 I1
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是の外似J
Iに第 2防 潮 j
足と第 3防 i
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J堤 を 建 「 古 浜村木~I!I; 2
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ni武夫 230 人死亡.全滅家 iú~
設したことが 危 険 地;
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iへ の 民 家 の 建 設 を か え っ て 助 長 30 戸 に及ぶ大被告.があった 。当 II~J の村長新沼氏左 ( マ
したのではないかという 11l]l芭 iib~ を行っている 。 さらに マ) w
IrJ氏当zカ'
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i麓の
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:地へ移動する 言1
I
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II
iを立 て 低J

「亡 くなった 人 の 多 くは 。 逃 げ j
l!
tれ たという より逃 げな !
H
にあ った道路を 先づLlIlへ変史し そ れに沿ふ て 分 散 移
かったのではないか」というがl!.'I~b 職員や . 1
新しい│切!
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iJ 動 せ し め た 。為に 8,
ij:には悼式 (
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]V 字 ~tj 型{にありながら
i).lを i宣ったことカ{ム:' 1J~の i位f言 を 生 んだかもし;/1.ない J J
lの後{民地に発展 した 1
0戸 と
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9イドの移動 1:
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1かっ
というI/J
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・ t 1 ハードは|分恐怖されていたが壁~!Ií
故i
, た 2戸 に被告,
があったのみである 。 これら被苦手うも此の
の大 切 さ は i
Z、わっ て い た の だ ろう か」 という自治会長の j主 夫 々 111 麓に分 散移動した 。 役場 ïoìíj の道路は今 Illl~ に iFJi

言 誌 を 紹 介 し ながら |坊 i\!JP児 によ る i:ll: 波 l~lJ f


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1の限界を部下 地へ変更したJ f
勾 郵 位 向 をV
.iめ 民 家 8tiも道路の北 i
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えている o 移 動 し た 。」
問論文の 「第十 二 I~I ï~iiJt村本郷の集孫の移動 lヌI J を
2 生命と生活を守る滅災対策 7戸 が {
注津波後に 4
児ると. 明 治 主 │ til
去しているが。移
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旦│の津波に対 し て も,被告を中I i
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r 転 先 は (I戸 -
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lえることができた地│乏がある 。 そ の う ち の一 つが。
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iでもが{介した岩手県大船波i !
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5である 。 千・
2 浜農 1 て お り . そ れ ぞ れ の戸 数 は 8Tiが 2向所. 1
0)_1が 1Vi
地復興安員会従来|によれば、 i!i iJí,の 今 lul の i~lt ì.皮被芥は, f
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Jが l問所である 。

死 者 l人.全 j1U邑4戸iと. 人命と 使用;に│立l
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浜 地 区は 明 治三 │
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l 山 口 (1
936)は 『 地主J!と経済j の第 l巻 33J一-5) ';
-に述放された論文の一つである 。 IJ
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岩手県!日老村に主る 3 9.!jH~与を移動 JI~ 式によって 「 阪地 Ji'行u r .r
集凶移動 J 分散移動 Jのとー
つに分類している 。なお 古浜に l 主lする
紀述には.村長の氏名が IE しくは îJim 武む術 1"'] であるなと。 R~~ りがあるようだがそのまま引T/lした 。
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i 忠文・ 1
1本[忠 告1 仲
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- ;手県大品川主 T
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!8 浜地 IZ における JY~ 地復興計副作成支援 2
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により住 m の高台移転を実現しそれで、も昭和 二 j~~;*?皮 iJ の メ リ ッ ト を 挙 げ る と す れ ば . 平 常 時 に は 民 業主U'


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で一部被災したため,被災部分をさらに山 f
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Jに移動させ, 非 保 と し て 機 能 す る 点 で あ ろ う 。もちろん 「減災民地」も.
その後 71.:の集孫があった低地 '
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!jには戻 ら な か っ た の で そ れ単独 て叫k
f&の勢いを弱められるといっているわけで、
ある 。 はない。級々な i
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l支減勢装 嵩 と組み 合 わ せ る こ と に よ っ
そして重要なのは次の点で、ある 。 官 ìJ~ä 民は 1t W: を比 て句総千子的に主 I!?& から人命と住)~;.を ヰ)工る i,l.l i皮 ;F&VZ システ

較的安全な高台(申告 ;
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11l~i! 皮 ) に既に移転させ ムをt1Ii築しようというわけなのである 。
ている よ .今 iι! の;,j!?皮に際しでも 1:ì' 宅地よりさらに I"~:J い 史.
j Jりf 復 興 支 援 チ ー ム が 提 案 し て い る 「 減 災 農 地 を
J
位置にある l
il
:
l 道4
5~号 線周辺 ( j~'{ 高 50111 桔リ主 ) まで避難 核 と し た 津 波 減 災 シ ス テ ム Jの イ メ ー ジ は F
ig.
lに 示 し
したと聞く 。 たとおりである 。被 災 前 に 低l
也市:にあった集落を高台に
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D1J
)討を日誌のに移転する‘ @ 地震の揺れを!出じたらさ 移転させ 防l
i
:
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与1
:
. U-~ 2堤 防 兼 道 路 , そ し て 減 災 民 地 の
らに 出 所へj壁新する,ができれば守防 iIWJ1)l':を越えた ;~tfJJ( 組み合わせによって津波から .
集落 (
生命と生活)を守ろ
によ っ て低地 ~tr) にある生産基傑は破壊されるものの。人 う と い う 津 波 減 災 シ ス テ ム で あ る 33
命 ゃ a侶 を 津 波 か ら 守 る こ と が で き る の で あ る 。 l
堤防が道路と栄J/なのは, の 建 設 コ ス ト を 考 え る と
こうした 古 浜 地 区 の r
Y
J泊三 │
主主津 波 以 降 の ;
l
j
t淡に士、j
する 平常 H
寺に堤防機能だけではもったいないこと, ① 今 │
百│の
取り走I
lみ か ら ヒ ン ト を 科 て 主コ
:iJ
i卜復興支援チームは 津波でも ;::Jバ11~ ニ|された道路が l(lfHlJ にある第 2 堤防として

r~ド命(いのち)と 生 活 ( くらし ) をサ'る ;1戒災対策と地 の機能. す な わ ち 戸


津i
ド土{波皮減勢機能及び緊 j

=
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所 機f
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域復興 」 という õJil~本主JI. 念の ‘卜, r
減 災 民 地j という新た r
め ら れ た こ と (たとえば官制仙l 東I
台耳刊

剖部


: 道宜附 } ③日
心j :
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必}1

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な技術概念を提案している。 1
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,れと農地 j とは守│坊潮見 しても 1

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守1
:
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で、堤
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米t道 断 が 佳 殻 されれば. か
背後のj
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i地 を 階 段I
:
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(に強制 u
するなどして可決地を i
W
:?&減 りに被災した後でも復I
U.復興の大動 J
If(として機能する
勢装i
白として機能させようというものである 。 J待 で き る 点 な ど が そ の :
ことが!l H
!jI:
1
である 。
1
:](
々な 学 会 . 大学 .研究機│立J.民 I
l
jコ ン サ ル タ ン ト 会
3 線的防御から面的防御ヘ 社 な ど か ら 復 興 行│国│に W ,
するコンセプトが提案されてき
J

とにかく今│旦│の 津 波 災 害 では, <DI坊 i\vJJJ{ だけでは ì~ ' 波 た が . そ れ ら を 見 て も . 海岸 部 に 防 潮堤や│りI


j
i
'j林 を 配 t
:
I
) i
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を j~:Jj ぎきれないこと, ①1J );r{-の i止j 台移 l!tL~ が効栄 (1<] で、ある 5に は 民 地 と 第 2担│切(米道路)を配位し i
し 低 地U
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j
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こ と カ 改 め で は っ き り と し た の で あ る 。 か り に "Ii
1Iレ I
L イt
?に Jdを 配 i
位するという訂ドi
j突 に な っ て お り
l ポンチ
ベルの津波の防 1M! を想定した沖波防潮堤を被災前 rl~ 企j或 絵レベルであれば ~ií が考えても似たようなものになる 。
で'W,~fnfj したとしても(財政的負 t l.lの ffri で、も 災現は極めて そういった数多あるアイデアの 1
.
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1で 立 ].
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1)
1 ・復興文援
器Hであるが),
凶 ;

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1波 対 策 と し て は も は や 万 全 と は い え チームがれち I
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&災 民 地 」 の コ ン セ プ ト は 低 J

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ない 。 したがっては 皮が l υ
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凶えてしまうことを前 T'~:I) に配 i註した JJt J也を W i.皮減勢装 i置としてきちんと 位j世づ

提としたi
W?
I.k減災システムの構築を 急 が ね ば な ら な い の けようということなのである 。
である 。 そして‘かりにìW fl.kが|りJ 湖10止を ì~ えたとしても,
人命と守 il:. i古の J処},~:である住居は微笑に守っていこうと E 地域住民による地域復興計画づくり支援
いうのが守民 :
uりf'復 興支 援 チ ー ム がi
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(いのち ) と主:
.活(くらし)をサ'る減災対策と地域復興」 .
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DJi
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f.復 興 支 援 チ ー ム は , こ う し た 「 減 災 民 地 」 の
の悲本的な考え ブj であり,それを実現させるための m~~~ 与え方によL
づいて句住民による地域復興計四づくりに対
なパ ー ツ の 一 つ が 「 減 災 民 地 」 な の で あ る 。 して (
械 に さ さ や か な も の で あ る が ) 支 援 を 行 っている 。
津 波 ìm妙子機能を lりJi'iifJJJE 以外に ;Jとめる提案として林 ~I} 復 興 計 町ヂト成の支援を 行 っ て い る の は , 政 々 が 「減 災
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ーは向き 1
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11の 人 TI
.王と相樹による「海岸林を市 +
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也j の ヒ ン ト に さ せ て い た だ い た 有 三 県 大 船 波 市三 陸
)目した i
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o 1) IIIT 1'守 浜地|更 である 。 ,17 iJ~ における復興計 n 1 li1'ló 成の進捗状

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1)ではガレキのうj
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j 直jrな素 i
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1旬)では. ま だ

材の ií~i) I
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J i公│室I
による「防災人ユ二l Jの 建 設 を 提 案 し て い 1
J民 f
WJの 要望 が行政f!W(

こ伝 え ら れ ‘ 協 議 を 行 っ て い る 段
る。 そして民コ二 l
i
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f.復興支援チームは守 j
草地を沖波;
1
主勢 附 で あ る 。 し た が って 本 問 文 で 紹 介 す る こ と は , あ く
装 Î~: として機能させる 「 減災 jj主地 J を提案しており,各 までも中間報告 的なものであることにご留 }j~ いただきた
機|立l や~:会がそれぞれのがJ72 分野で、津波減災対策を提案 、。

し て い る と い っ た と こ ろ だ ろ う。
いずれにせよ句 津 波 を 防 潮 捉 と い う I
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JUで 跳 ね 返 す
3 減災 l
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とJ血を核とした i
j
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i皮減災システムにおける j
旬j羊堤防ャ│市│
こ と に よ っ て 防 ぎ き ろ う と い う の で はなく 民地 ャ 防 災
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さについては℃平J
IーナJ
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i(2
012)が論じている 。 また
林や公 I~I などによって「而 J 1
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t波 の 勢 い を 弱 め よ う 術与 (
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1)は。iJl
汗の高台移転に F ;
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という発想から世家:されたものである点は共通してい 社会の機 Ij~. o地域主│会の符[.ti,
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( 意思 決定のあり)) 守C DI
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る。 他 の 舵 笑 と 比 I
絞 し て 民一U
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201
2)

1 支援の基本的な考え方 T
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c2 古iJi,における決 J:{
)f 復興支援チームの i
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1(2
01
我々の支援のl
Pl
, りな考え hは. 1
刈l 'H己│司らが復興青│ r 年 4J
']-11i'J
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NI
REsIp
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iv
it
ic
sinY
osh
ihall1a
j
i
ll
iを作成しようとしている地区において.住民に翁り
添って復興計 f
!
!
iづくりを技術的に支援する j という もの )
J 11 活動内容
1身を f
であ る。復興計四の I
l i
)lるのは あくまでも被災住民 4月 2
9日 現 j 山市NJ~f
5J
J2
' 4:1
1 J
JU也
司,
ti
j:
ff
で . 彼ら I~I 身が復興計 lúii (業)を1'lô 成して地域の合也、 )I~
6)
J21卜
│ .fJV也誇J~J 予t
1
えをはかっていくことを.我々が技術的に支援するので 7)
J14U せ
fi!
U見j
也復 興委員会事務局との打ち令
ある の わせ
7
1
7浜に おいて, 現在 我 々 が行っ ている技術的支援は, 8月 41
] 'i~: i
Ji:民地復興 安 員会役員(会長 I
¥
)I会
長,事務局)との打ち合わせ
T
T浜民地佐興委員会 (
Tab
lc1
)が作成した復興計 │
凶(説。
の長制シミュレ ー ション(以下.復興長制シミュレーショ
8'
)
J41
二│ n
生 己;
i)
,'
.l 会における佐F
j) 11
1{制 シ ミ ュ
レーション蛇不
ン)と津波ちとぶ純桝│に│刻するシミュレーション(.1-)、'
卜¥ 8)~J 2
11二
│ '
[
iT
iJi
:農 地復興委以会役員会 1
I,' i
J
l;.復興
'

津波浸水シミ ュレー ション) を行うこ とであ る。 なぜ古 .l~げ災シミ ュレー ション tjt示

iJ~で復興辰徳l シミュレーションと i:l':i皮 i浸水シミュレ ー 9)


) 8I
c
l T
'y;l
j
J
i 民地復興委民会事務問との打ち令
わせ

1
j
ションを行うことになったかについては以下に述べてい

n
u
I~f iJí~ 1.民地復興委員会中務局へ i
:
'
1被浸水
く。 シミュレーション紡米の資料i
;
{,
'
n
1
1 n12:
1 I古浜民 地復興 委員会事務局 との 打ち合
1
=
わせ. i
;
!
l波浸水シミュレ ーシ ョン紡米
T
abe1 古 川地iürylJ~i-l 会の役 員桃成
l │提示
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役 ]
俄 人 数
会長
副会長 2
地区幹事 5
o
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i・務
!品
制 j
i
l¥ 1
7
01~I: In
iU2 4n 付: 民 ~ií l 別会配布の役員:r, ~手から

2 吉浜農地復興委員会に対する 支援
a 吉浜における農工研・復興支援チームの活動
T
abl i
(者らは 4)
c2に示すように。 主 J;から 1I)
Jまでの
-
8ヶ )
J1:
)
:に 8
1百1
1
',i
'Ji
:を訪問している 。 当初j
の 31
1
1
1は 三 -
・・・
圃置組制.
悶.Aa , _ 陥縫働組温

Lー
ー一一
二制。t,lr叫
陀沿岸被災地の刻 J
也訓査の一環としていくつかの地区 - 山 町 即時

1
を断行する1'"で千I浜 にも ♀:ち得 ったという松 伎で 復興 作成 l浜j
l
i 民地復興委員会事務局
支援にまでは主 っていない 。被災状況を附千Kし ;'/r(.11i~ Fi
g.2 T~:iF J.民地復興計阻 i (案)
1;t~tl} を行っただけである 。 ただしこのとき jj'ji1;r; したえ,. R
cco
lst
ruc
i
to l小川t 'p1
anor
Yo shi
ha
11
1a
真を後で復興民間シミュレーションに活 mしている 。
,-¥
iY
:の復興計凶作成支援を 開始し たのは, 被 災 後 3ヶ t~ をはかろうとしていること ② 明務局 が約 2堤防と 1
1
1
月を過ぎた 7)
'
Jに入 ってからで あ る。 7
1
7浜 において住民 JA の配 i むのイメージ I~I (
Fig
.3) を 作 成 し 一 般 t H
己の
I~I らが復興計一面i を作成しているという Wj ,Ni を 岩手県から 主.
1
'fiJ!{の促進に努めようとしている点を比て.京矧シミュ
待て.その復興計一間(笑)を 比せていただき.我々がJ
41
っ レー ションであれば. y
r
'i
J1:の皆さんの復興計画づくりを
てい るJ
支術によ って復興計凶作 成 の支援が可 能で あると 支援できるのではないかと考えたのである 。
判断し たのである 。 2
011A
I
:
.7月 1
4円の 背 i
J
i
:民地復興委只会事 務局との-r
l
b 支援のきっかけ ち合わせにおいて.手7 立地復興計四家:の J
浜j R観シミュ
有i
Ji:農地復興委員会が検討している復興計阿 (
家) レーションを行うことを文援の第一歩として決めた。 そ
(
Fig
.2) を見たとき. ① 山
│;i
抑止を従米と l
i
)
iじくらいの !
?
J
j の後. 1
:i'.民説明会や役員会において復興長制シミュレー
さの ままで,今│
訂│ l
t
く らいの大 きな i
,波が製米した場合は ションを抗不した│筏 i
el'波の遡 l
二範 │
社│につ いて の疑 I
¥
lj

i
1
,主淡の越 i
i
kをi i宅 1
許容しそのかわり尚子?の f r
rと低地川 一般 1U(か ら 提 起 さ れ た こ と を 受 け て 卒 波 浸 水 シ ミ ュ
也の H
の良J iJに第 2堤防を設 i
泣し尚子?の集務は津波の浸 レーションを実施することにしたのである 。
水からヘ j
:ろうという。まさに「減災民地」 の考え方で似
1
¥j
j
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.M'
.)
('1
1本徳 百l 仲i 1
1
5失 P
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iJ主I
l
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色│正における I
Y ,
i地復興計 1
l
iW
I'
1正土;扱 2
91

芯J
j J
t
.び役員から復興計画(裟)ついての考えを聞き取り,
そ れ に 基 づ い て 我 々 が 文 準 化 し た も の で あ る 。 したがっ
て,文埠U:
.の 表 現 や 概 念 に は 我 々のものも 入っているが,
復 興 計 画 (案)の内 符 自 体 は ま さ に 古 浜 住 民 が 考 え て
い た も の で あ る。 なお句 このき主木コンセプトの文草はメ
モにして古浜農地復興委員会都務局に波している (
201
1
1
1
'
1,{ J
1 i
7兵j
y
t地復興委 f
司会 τI
q,J
J;
;
j 年 9月 8F
I)。 このことはよで述べたコーデイネーター
立地復興計他i(笑)のイメージ図
Fig.3 古浜 j の役割の1
:
1
"'
で は① に あ た る 活 動 と い え よ う 。
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cco
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tio
n1l
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shih
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W
il主i
政災ー防 i
抑止 (
第 1堤 防 ) は i
九くせず,巨大津波
C 吉浜と農工研の関係 では越i
i
f
cを 覚 情 す る も の の 第 2堤 防 (
兼集落道)を荷
j
;
とこL
l
iJ
I .復興 支援チームは • "
'
i
!(i
J
¥か ら は 「減災 民地」 台 に あ る aJ
許群と低地 )
tl
) 民 地 の 問 に 設i
のj Eし 住 Jd"への
というオi
Jたな 技 術 概 念 を 提訴志するヒントを い た だ い t
:
.o ;
j
lt
i
.皮到達 を 防 ぐ。
ー プJ
'.兵二
I所 - 復 興 支 援 チ ー ム は ï!(iM:ì.民 n 身が ( Iii~ :
11
部 2J
) 訪米集務道 筋 2J
j
iljJ

' .
:1
こ控併j
iする集落道はい
災民地的な考え方に恭づいて)復興計 ~lìi を fわえすること ざとし、うときに備え 大宮Ijトラックが │
五1.
&45一
日記:
Lから
J
i

を技術的に支援させていただいている 。 谷坊にアクセスでき 朱 泌 を 通 過 で き る1
11
1
,¥員とする 。 干
i
!
{iJ~ 住民にとっては T
!i-J~ =
( 1
1~誌がヒントになった 「減 'ì;~' 1
/¥に は 制 光 パ ス が i
; NJf:ーまで行けるようにし l
M:
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.6
災 民 地Jの 概 念 に 基 づ い た 技 術 的 支 援 を 受 け な が ら L
I 次長じ 主 化 に よ る 地 域 活 性 化 を は か る 。
t
Jl
j
身の'iUt 0
1
"~~i を作成していることになる 。 JPJd也 2~~1i1ìJ ・ fLU 山市1; の j長 j 血は íìUとより大きな|メ一回If二位 1ilii
d 支援体制 することによ っ て 'J~f' J.見を谷易にし 也I
lサ) J J
l
Iに段若ーを 設 け
│ の 役 訓 分 担は T
復 興 支 援 プ ロジェクト チーム 付 abl
c3 '
1i
ることに よって;
, l
!
.
:1
;,
記 事与機能を民地に持たせるととも
の と お り で あ る 。 この う ち コ ー デ イ ネ ー タ ー に
Jl)
jf'
!jされ
: に町民地と して ヰj効 に 利 川 符 ~JI I すること により 低地
ている役信J
I(実際にできているかどうかは別にして)を i
¥
:
I .i
¥の1t定住設を抑 1
1
. -る。
具 体 的 に 述 べ る と 以-
fの よ う に な る 。
1
①イ.民 の 経 験W
Jや 将 来 に 対 す る 考 え を 牧 型1
1して復興系 なお.最後の f
1t の0
L地古 1
¥ ・宅建設を j
i
l
l1Iす る j に つ い
にまとめてし、く 。 ては. f
l!i).l.しておく必要があるだろう。実は 有 ìJ~J)~J血
② il,~災対策から 地域 i百七l 化対 策にいたるまでの係々な 復興委員会役員会 (
201
1,1.
:
18)
-
J21日開催)において.
口県)出に士;
Jする相訪役になる 。 役員│
古川 で 次 の よ う な や り と り が あ っ た 。
①1

::に よ る 復 興 計 四 作 成 の 進 捗 状 況 に 合 わ せ て . ど 役 員 の ー 人 が [地 域 j
J
E殺 の j
l
lい 手 が 不 足 し て お り 災
の よ う な 支援 技 術 を 投 入 す れ ば よ い の かを判断する 。 I(~~. 被災 した農地にも ~VI 作 放実地が目立っ ていたた め
① 復興計一国i
奈の策定 中 業 へ の 流 れ を μ守る 。 新たに大きな I
Zr
!
liの 民 地 終1
i
l
iを 行 っ て も あ まり,7
2
'
1:床がな
文 援 技 術 の 投 入 (①) に│刻しては 刻時点では復興;託 い の で は j という J@旨 の 発言 をした 。 そのとき.日Ijの役
制と q
;
tJ
iJ
i&l]
くのシミュレーションにとどまっているが, 員から 「低地 ì4:!) の民地をきちんと :i~ì: :f~i!せずに遊科、 j也にし

彼 ~il! ~; I ~hi の各 ;命を検討していく過 l3~ でさらに必主ーな J支術 てしまうと また 1


LU也古1
¥ 也てて t
に家を J tむ者カ'
1
1'
,て米る
1'1句 ~<<~tffi が!J ずれば それに対する J
主術を投入していく 予 iが I
か ら ダ メ だ j という志、,
! '
Uされた 。
定である 。 J而 か ら 提 案 さ れ た f
いままで存 ) !
t々な復興計 l
凶系を児
ても。 i
Ni
$:に 近 い 低 J
也古1
¥を粗放1'
1なに利JlJ
するという築が

T
ahl
e3 復興支援チ ーム│ 人lの役 ; l
iリ分J
I
I 多い 。 [lプミ ì~" 波が 襲来すれば. i
'
JJ
/J
(を被っ てしまう 浸 水
R
olc
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upp
orJTCllIl1 予想 l
メJ攻を!日:
j
J ゴ 地利JlJ
立な ー にしないというのは ごく n
然な考え 7
Jである 。 し か し 一 定 程 度 以 │
二の入手をかけ
{
支持うH-
リ 1
I 氏名 (
役職)
i
反明J
i
it矧シミュレ ーション 1
.1I
本f.
'
s(行i 以 を 行 う よ う な 土 地 利 用 に し な い と , 低i
た恰・ 也古1への住
(
技術移転センター教授 ) 宅建設を f
i
l
lJIで き な い と い う こ と を . こ の 発 言 は:古川、し
討t
i
J
.主浸水シミュレ ション 桝 1専失 ている 。 {民地 :
i
¥
1
1を 農 地 と し て き ち ん と 利 肝J
.管 理 す る こ
(
?手J
j
( I
工当主li
)
f究予i
l
i
t!
1主主f
工ji
j
fヲE員)
とは 低i
也去¥
1(危険 j也'
m) のイ1
: ・宅建設のがI
Jlに も な る の
l
コーデイネー卜 術与俗文
(!,'JHJ 者、 ~i :t/i)f究領 JÉxJ'. If!,'jiJf 究 f[) である 。

4 復 興 景 観 シ ミ ュ レ ー シ ョン
3 吉浜農地復興計画(案)の基本コンセプト それでは.旬以説明会 (
201
111ニ8月 41
=
1 F
ig.
4) 及 守

't~( iJ~ ;l!1: J也佐興計画(奈)の~,~計三コンセプトは以 ー卜の i


び古 ,
JJ民 地 復 興 委 主i
会役員会 (
201
1千:
18月 21日) にお
'
と お り で あ る 。 ただしこれは句 i
'i
iJi,民地復興安員会司 i
務 いてお止元三した'i~:tÞ\!- -
j
;
::
f
J'
)
tシミュレー ション司 i例 の '
-
1
'-からイ t
292 j}~ 'H コザー lilf 先月i 校卒11 ,,~2 1 3~} (
201
2)

CINEMA4D を
1J:
j)Jした。 ¥
I. :
t(f
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U
Iシ ミュレ ー シ ョ ン の )
J法
の1
lfキ
11は
, .
I
Li本 ・拓¥
L
.j
.(2
01) を参照していただくとし
2
て. こ こ で は 複 興 支 援 の プ ロ セ ス を 記 述 す る の に 不 可 欠
な 2事例のみを相介しておく 。
披 初 に 紹 介 す る の は , 第 2堤 防 (
昔t
I集 落 道 ) に│射す
るシミュレーション事例である (
Fi.5
g )
。 これは 3次元
CG を m いたシミュレーションである 。 防 i~iJJ j
肥(第 l堤防 )
を l向くしな いかわりに,荷台の住 宅鮮と 1~U也音1\ の j民 地 の
1
¥1
1 に第 策集治i
2堤 防 ( 引i
芭) を W
i i
Jす る と い う 点 が 官民
民地桜興計 1
I
Ij(
I 楽)の 1
'
" "
1
でも1' 核?
i
!
)分である 。 シミュレ ー
ションした第 2J1i líMNl叫支;1),になっているのは‘ ~Ì' I l!1 の
1i
201 .8t
'
l J4F
I
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:地1
'
8
:拠 点 セ ン タ -
津波において古浜でも l人が亡 くなっており ,亡くなっ
F
ig.4: 1
1民説明会における復興妖矧シミュレ ーションの J J
i示 た 力は。 i'lk ?及が襲来したとき ifJJ7今 への Ji::~ を絞 り切れ ずに
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津 波 に の み 込 まれたと i
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:察されることから。{民地音¥
1のど
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csid
cnts
こからでも l引 を?に;J.íÎ ~ilí できるようにしたいという j!:[ 浜炭
J
l
li
1以興委 以 会 中 務 町 (
災 ) に恭づいて行ったシミュレー
表1
甘なものを選んで, どのようなシミュレーションを J
( li シ ョンであ る。
示し 1 それに対して iH(カfどのような j
χlよ
、を 示 したのか 'i
このシミュレーシヨンに対して j
l
; Ji:住民からは。 「約
をMl
1rしよう 。 2J足 |坊の IÞI~j さカ ちょうと九一I' i皮に浸かった.f~!J~t の出さな
今回 , )~::Ml シミュレーションの 刀法として . 次の 2 つ ので もう少し ~':j くしないと G 宅への泣水を治してしま
の方法を mいた。 うのではないかJ. '
[的 2挺 防l
7
干伎の干:
i '
I
宅はi淡 か ら守ら ,
① 2次元 デ ジ タ ル 聞 像 処 理 2次元 デジタル[血│像を. れるかもしれないが 第 2J
J{防 を技官iiJする こと によっ
阿{象処 fll守i:IUì~ を JH いて修正し 2 つ以Jーの画像を介 て i
:
H波 が到 達 し な か ったエ リアの プjに津波が遡上して
え して一 つ の 画 像 に す る 方 法。
j し ま う の で は な い か」 と い っ た 疑 問 や 「海岸まで側光
① 3次元 CG:2 次 元デ ー タ W~lïr'li 等 ) をも とに,コ i
パ ス が行 けるようになるのなら.また上¥;:r:
iを再 I
H
1しでも
ンピュータ上で 3i
J
(冗デジ タル データに 変 換 ・人 )J よい」と いっ た!岳;
忠治 '
n
'
rされた 。 こ れ ら の !玩!日1や!出悲lが
を行うことによって.コンピュータの1'11~こ 3 次兄の 説
│りl
会j劾において挺 j@された ということは.復興 l
R制 シ
:'~ II:J を {反金目立 言 | するコンピュータグラフィックスの ミュレーシヨンが.役員がイ午成した復明日│阻j(案)に対
7
Jt。
i する古浜住民の叫併を促進し百l
i
l
li
j (系)が抱えるn-r
J
jl
l
i
2次 元 デ ジ タル n
lj像 処 J
1i!
は. i
l
1
fで も符劾 に イ メ ー ジ /~(を i? き 彫りにし 参 JJI 崎一 11 i]でそれを共有することに 一
図を作成できるメリッ卜があり 3i
.花 CGは 少 々 予 聞
火 役目ったと考えてよいだろう 。
が か か る ーブJ, 也型
j
I'h
j
!!Wに 必 づ い た i
J雌 な シ ミ ュ レ ー そして次に初介するのは。 7~{ iJí~ の文{ヒに | 主i わるシミュ
シ ョ ン が可 能となる 。 2次フじデシータル D
J
I像処翌日について レー シヨンで ある (
Fig.6)。 このシ ミュ レーションには
は 見村 T4:j
i
Jf究所 が開発し た f
ランドスケープイメー 2次7 llJ像処足H
じテe ジタル n をJF
Jいて いる 。
Jし¥ 3次 7
ジャー」をJ:F :CGに つ い て は
1
. 良市 n学 問 究 砂WL閃 (
Fig.6左 ) は 1IT ?J~ にある新山ネ111 社の石段の
所がI!I
J発 し た 3次 7
;GI
l Sエ ン ジ ン VIMSと Max
son社 の ー| 二 から ~lil';i与 した ミi~ J~~ である 。 J也 í}~ に よ っ て 烏 h~' が iJJlJ災し

比 一 九V ‘八~~--千尋r ・

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I "1に l度の式年 大祭 におい

tが漁船に釆せられて海上司主任1
1する 。現在, ~Ví 山
。 i
W?浸水 シミュレーシヨンは,今 l
:皮
の津波が襲来することを前提とし
J
uJの津波と│言f
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a 防 ì\~J 堤を被災
[
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j(丈木々に容がれてよよ j
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W;の 尚 さ (14.3111) にする J
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右手県が検
川になっている o 笑 は. I
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L三 !
I i I
'
?皮 (1
933ゴ│二)に襲 討 を進めている堤防の高;さ), b防 ìi:~J J.Jl:は被災前と
わ i'Lる lìíj は守オ元々に miつれている ‘ドに XlJ)~; カ f あり (いま 同じ'
i
,討
さ (
7.1
511
1) のままでで:
i陪と農地の I
:
Jに標高
でもその湖、は残っている).十1
[全│への参道もあった。 20111 の第 2 桜紡を整備する J~Jjf'ì を比較した 。
シミュレーション ( Fig.6 右 ) は.ネ[11 社の T~j 而i を躍っ ① シミュレーションのあi
i封
し a
l坊潮堤を 2f
;
¥の市j さ
ている木々を切り払って海が見え る よ う に し 農 地 の I
K (
14.
311
1) にしても i

[l波は防潮堤を越流し,後背地
I[lii 私立I! の際に終イ[m される J24 道を。十[1 1 1':1:から T~ っ 目立 ぐに ìJí, はI
l
;く浸水すること bー力. líjjìi~PJÏ の高さは被災
に降りられる道として整 f
l
i
Hすることによって 式年大祭 jの高さ (
i
i 7.1
511 J
1)の ま ま で 前 2.
Jl
:I
)
)j (1~'{市 20111 )
のときには判IBl!t がJ~[ っ直ぐ iJí:に F りられるようにすると を佐伯した場介 第 2堤防で津波遡上はほぼ!坊 1
二で
いう 告浜農地復興委員会事務問 (
系) に基づいてれ成し きることが I
Y
Jらかとなった 。
たものである 。 ③J
*l血の l
メIi,公陸上 河川の配[;~!"によって浸水範|立1.
l
このシミュレーションに対する住 l
己の反!必は守「これ 浸 ;J(i本は ~II~ なるため .3;冬引m Iì"j 町が jZ休化する I;~~ に 詳

J',てきたJ. I
をはたら元気が I お祭り広場も整備したらよ 細!なシミュレーションカf必、投ーとなる 。
い」句「農地が大きな区直│に鮭怖されるのを凡て. もう一 i
Wi T?Jí~ 民地復t'1~i
皮浸水 シミュレーションによって, T
l tl
度j
員長ーをや ってみようという気になった」というもので 凹 ( ,火災効果に科 学的根拠が与 えられた Lに
楽)の津波J
I 守
あ った。我々が思っていた以!
こに.会場が活気づいたよ 新たな課!芭も I
りJl
iすに
な った。
うに見受けられた 。長側シミュレーションには,復興計
│f(
自 案)の理解促進とともに可地域住民に復興に向けて 6 復興計画作成支援のねらいと効果
元気 を取り 戻 してもらう波及効果があったようである 。 j I ・復興支援チームは守[l'fiM
克Tl
i
J J民 自身が復興計四i
を作成するための技術的支援として 復興景観シミュ
5 章波浸水シミュレーション l
レーションと i
,:
I.
:波
茂ァ1
(シミュレーションを行ってきたわ

註{ 史J
浜j
炭 地也復輿;


計11

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1 案) の景制シミユレ一シヨンを t
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川 :
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主 けだが. これら技術的 支援 のねらいと ( JJLII~J一点での)効
i 1詰l凡託~Iゆ川り引j 会 2
己 l説
此 1


宇;で 果をまとめておく 。
の 1幣;告毛刊や併仙備
lì市íJによつて F
詰両J力j 千台「の f住
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i主:毛宅;への j浸受水を本 土当討 に|防坊くぐぐ、帆、ことが 復興景観シミュレーションのねらいは, 一言 でいえば

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刊刊


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JJ(が到達 古i
Ji,農地復興計 むi(系)に対する被災住民の理解の促進
しなかったエリアへ i
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.してしまうのではない '
である 。復興 言lD
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i(家J に│刻する J
4休 │切なイメージを.

。 という疑問が豆せられた。 l景仰に重ね合わせ
被災後の 古j
j それを住民に舵示する
こうした疑問に答え.復興計四i
i(奈)に科学的恨J
処を ことによって 古浜農地復興委員会役員がイわえした復興
与会えるためには, 主
!上(i
J
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J 受
オtシミュレーションを行う必、主ー 行I
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j
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i (案)に対する 一般 の 住 民 の 理 解 を 促 し 地 域 の 合
があ っ た 。 そこで、今 度は Jl~ T líJf ・復興支援チームがw 波 意 JI~ 成につなげるのである 。 さらに 1í[興民 I必シミュレー
浸水シミュレーションを行うことになったのである 。 な ションには,復興後の地域の姿を住民に凡てもらうこと
お;
;
[
.,波浸水シミュレーションの方法については守 +
l
o
Jら によって 住民に復興に│向けての気力 や元気 をl
l
¥
(り戻 し
( 2012 ) を参 n~~ いただくとして。木 :(oli 文では 津 波 浸 ぷシ 或住民の心即日百に大きな影響を 与 える
てもらうという地 j
ミュレ ー ションの結栄概要だけを以下 に述べておく 。 という波及効採が認められた 。
294 引 J[ザ
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f ー 研究 J
9
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J
- (
2012)

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j,津波浸水シミュ レー ショ ンのね らい は,地域住て 従I
う。 集治;を係:実に守るため. ( J
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民 が作 成 し た 復 興計 i
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ji (案)に科学的恨拠を与えること 2堤 防 の ) I
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f主張怖が必要」と述べている 。
で あ る 。 古 浜では,淘に而した│坊 i
朝J
t)Eを高くせず,巨 1~;H (
また。同じく 岩 手 [ 201
1年 1 0L
1月 1 I) の 連 載
大津 波が 襲来 したときは防 i~i)J ~是の越流を許容するもの 記 事 「紛争い浜に生きる Jにおいて 与ががJ
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二げら
百.
の,高子?にある住 j n
fと低地 i
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lにある農地の 聞に 第 2堤 れている。この 記事 の ι1- 1 でれ ~I ,h奇会長は IJ也子じの人r: n が717
防 ( 兼 集 孫 道 ) を 務i
1
Hiすることによる津波減災システム をあげなければ何も変わらない。 1
001".先も安心して住
を構築しようとしている 。 こうした楽については, 一 部 め る 地 域 づ く り が重 要 だ」 と述べ,古浜地│夫を「復興の
住民にとっては津波減災効果がどれくらいあるのか不安 モデル」として後 1
1
:に伝えたいという 7
5ー
ポー1
1民 の 思 い が
なところであるし t
i'
52堤 防 を 設 世 し た ば か り に , 今 1
m 紹介されている 。
の主I

!(皮が到達しなかったエリアに津波が到達する懸念が 長コ
j :
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)
if,復興支援チームによるささやかな支援が, 古
あったりする 。 これに対して , i,l! 主主十~ *シミュレーショ iJE住民,~,身が梢恕する復9',は1IIIJj づくりにとれく らい役に
ンは, 一 点 I\ f:ì 民の懸念を科'子:(1叫lH~ によ っ て払拭すると .
立っているのかJ
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7浜 住 民 の
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比就すること
l 'iífU 凶がお!なるという新たな ~#Hm を明 11Úiにすることがで を!卵、っているし.これからも何かお o
f+i
、いできることが
きた 。 あれば, 技術 (1<] 支援を結成*~ししていきたいと考えている 。

W 結言 参考文献

なぜこのように古浜住民は復興に向けての動きが早 1
)柿 与 徳文 (
201
1) 地域社会の機能とpj:I
-
'一段村社会
か っ た の で あ ろ う か。 本報文の目頭で、述べたように, 71
j 計画論, E
I本経済評論全1
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命や {J問 へ の 被 害 が 小 さ か っ た か ら に は か な ら な い。 出 ιi

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0月 1 -
1 7J
に行われた,1iJ
,農地 復 興委 民 会 資料
の会合4 における岩手県と ï~ii!'dJ 民のやり llli.りをヰ|i じて 5
)1 "'
:1 P
.
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f秀三 ・1
1
1口弥一郎 (1
93) 三│住地方における i
6 *
いる 。 それによれば,山手りんが被災 íìíj の防 i~iJJj){ (
7.1
5m) 浪による集;治;の移動, J
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Iと*予 i 5)
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の 2佑の i
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L!本徳司 ・ lf
j徳文 (2012) :
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-W北地方太千
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: [は
i民似J 被災,;,I
jと J
│口Jl fl
:J支の│り'Ji砂防世と第 2J 坊 兼集務道の i
Wit
j
l地震による 地 域 復 興計 l
山i支 援における;片側シミュ
セット 1担保i を希望し.今後も 1ノ品目l~ を進めていくという 。 レーションの前)IJと役ii乱 J
完工的│技千 i
l213,29-38
その記事の中 で哩 ~~riJ~ 民地復興委員会 WI !I[f,ì 剛会長は 「堤 )J
7 il
'ド文リJ(
200
5) :i
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!波の恐怖 一寸法 ; ;
'
1波伝 示 録 , 京
防が市すぎると安心して逃げなくなる人も山てくるだろ 北大 CY~ !I',)阪会, 1
21-
138

4 このときの会合にはさ1 '
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九字;らは (nf
;iの郁子?で)参加 l
できなかっ
た。その かわり 会令のiI
jiに津波浸水シミュレーション結以の
資料を災地復興委員会事務問に拠 1
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担r~!i 佑丈 一 1 11 4、{t[ f;J .嗣 '
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