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はじめ

対象 17 世紀の戦争画
目的 ファン デル ムーランの活動から戦争画の内容と意味を明らかにする
目的 制作者ルイ 14 世の役割
目的 戦争画が 17 世紀以降普遍性を獲得出来たのかについて

1 十七世紀絵画と戦争画
フランスの十七世紀絵画
→バロック芸術は宗教戦争の影響でフランスに上陸せず終戦後にもたらされた
→フランス画家たちはバロック芸術の中心地であるローマで修行
→バロック芸術全盛期の中フランスはニコラプッサンの影響で古典主義へ傾倒
古典主義絵画における戦争
→ルイ十四世がルブランに制作を依頼したのがフランスの発端
→古典主義絵画の戦争画の特徴 人や馬の動き>風景
→人の動きに意味を持つ寓意的表現を含くませる
2戦争画の需要とファン デル ムーラン
戦争画の需要
→コルベールによる芸術政策において古典主義とは異なる絵画表現の必要性
→17 世紀のフランス画壇の絵画表現方式 ①古典主義的表現②写実的表現
→コルベールとルイ十四世はファン デル ムーランを招く
徒弟時代とゴブラン製作所への所属
→ムーランはスペイン領ネーデルラントの都市ブリュッセルで生まれる
→スナイスエルの下で親方資格を獲得
→コルベールの要請で、ゴブラン製作所で絵画製作を開始
調査行とタピストリー
→ルブランのタピストリーのプロジェクトに参加し戦場の調査とスケッチを開始
→1672 年のオランダ戦争の戦場をスケッチ
→終戦後のアルザス・ロレーヌ地方に派遣され併合された諸都市をスケッチ
3ファン デル ムーランの作品
タピスリー
→ルイ十四世の英雄像を示す為にムーランとルブランは「ルイ十四世記」の戦闘部分を制作
→「ルイ十四世のダンケルク入城」では背景の軍隊や都市の地形を担当
→ムーランの担当は戦闘や風景に限られるため役割は限定的
ヴェルサイユとマルリー―戦争画の制作
→ムーランはルブランを協力者とし、名声を高め国王の信頼を得る
→公的な宮殿であるヴェルサイユ宮殿では一部を除き伝統的な神話や古典モチーフの戦争画が採用
→私的な宮殿であるマルリー宮殿は写実的な戦争画が採用
4 ファン デル ムーランの後継者たちと戦争画の位置づけ
後継者たち
→ムーランの弟子であった J-B マルタンは師匠の未完成品や宮殿の風景画を制作
→パロセルはムーラン一派ではなかったがルヴォワに重用され、ヴェルサイユ宮殿の装飾を制作
→ルヴォワの死後王権からの注文は減少し、国王や宮廷人に向けた戦争画を制作
アカデミー懸賞作品
→アカデミーの上位入賞者はローマへ派遣
→アカデミー懸賞課題は旧約聖書を中心とした聖書の物語が過半
→アカデミーは戦争画家の育成を考えていなかった
戦争画の位置づけ
→ルイ十四世の治世下ではプロパガンダとしての戦争画を重用
→フランス画壇では戦争画の影響は皆無
→戦争画は「戦争の世紀」である 17 世紀の一過性の現象

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