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ウィーン創世記

著:カルル・クラウスベルク
19 世紀フランス 20 世紀フランス
古代ローマ 中世
ウィーン創世記について

・ウィーン国立図書館に所蔵されている創世記の装飾写本(文章に挿
絵や文様で装飾したもの)。制作年代は 6 世紀ごろと推測される。

・文章と挿絵はそれぞれアダムとイブの楽園追放からヤコブの死まで

・挿絵部分は古代から初期ビザンティン美術への移行を象徴する。
発表概要

以下、ウィーン創世記を巡るウィックホフとぺヒトの学説を紹介して
いく。
その際、美術史史的な背景にも触れて考察する。
ウィーン創世記の謎

・アダムとイブのような人物に限らず、聖書には直接関係の無い装飾
的人物にも裸体表現を使用している。→風俗表現が散見される。
ヨセフの誘惑の場面

単なる風俗描写ではなくポテパ
ルの妻に誘惑されるヨセフと、
将来の妻アセネトが同時に描か
れる。
「過去の回顧と将来の展望を合
成して複雑に組み合わせた構成
を持つ意味深長な絵」(クラウ
スベルク)
このことから、ウィーン創世記の挿絵は単なる場面の描写ではなく、
複雑に入り組んだ場面を組みあわせていることがわかる。
→ この絵独自の文法(見方)がある。

この点を「ヤコブがヤボク川を渡り、神の使者と格闘して、『イスラ
エル』という名前をもらう場面」をモデルケースにして見ていく。
・後ろを振り向く姿勢や、指の向きなどが方向を指示する標識の役目を果たす。

・こうした絵の中のシステムによって、話の筋の進行という順序とは無関係に、例
えば上段の人物があらかじめ下段の出来事を暗示することが可能となる。

・絵による叙述の短縮のため(反復表現を繰り返さないため)の手法が多用される

例:後ろを振り返るしぐさで、後続する集団の描写を省略する。
例:隣り合わせになった神の使者の足が両者を接合し、一つの形態としてまとめら
れる。

・総じて、絵による叙述は非現実的であり、絵のシステムに従っている。

以下、絵のシステムについてウィックホフとぺヒトの学説を中心に紹介する。
ウィックホフ以前

「ある同一の人物が反復されているかどうかは、その人物が描きこま
れる空間の種類に左右される」(フリードリヒス)

→ 寸法が十分に見渡せる広さならば、物語の時間軸を発展させる契
機はおこらないが、トラヤヌス帝の円柱のように見回る必要がある場
合は時間発展の必要性が生じ、同一人物の反復をさせる。
つまり問題は描かれる媒体の幾何学的性質と、それが時間発展を必要
とするかどうかである。

こうした美術における時間論についての考察の中からウィックホフの
研究が生まれた。
ウィックホフの場合

オーストラリアの美術史家、ウィックホフ( 1853 - 1909 )

… ここでは、とくに物語の転換を生み出すような卓越した瞬間を描い
た絵が一つずつ集められて全体として一つのサイクルをつくっている
わけではない。

… 十八世紀の美学の考え方に従えば、造形芸術における叙述の方法を
特徴づけるのは、含蓄に富む瞬間を選ぶということでなければならな
い。しかし、ここにはそれをうかがわせるものはなにもない。

(以上、ウィックホフ著『古代ローマの美術』より抜粋)
ウィックホフが考える造形芸術の三つの描写方法

① 連続する描写…古代末期からルネッサンス、異時同図法など

② ある瞬間を特別扱いする描写…近代美学

③ 詰め込む描写…行動する登場人物を繰り返して描きはしないが、
            前に起こったことも後で起こったことも話
の筋に
            重要であればすべてまとめて描写しようと
する。
古代の連続する瞬間の描写

特徴:「イリュージョン様式」
現実にあるものの再現(空間的)ではなく
、現実のものの印象的な複数の場面の再現
(時間的)

→ その物体の特徴をよく表す場面を描こ
うとする(必ずしも似せる必要はない)。

→ 自然主義(現実の再現)者は最終的な
形まで完成させてしまうが、
イリュージョニストは印象だけを与え、最
終的な形の完成は見る人にまかせる。
この見るものが共に錯覚を完成させるとい
う作用が強力な現実感を与える。
トラヤヌス帝記念円柱の場合

同じ人物を繰り返し描くということは
、一見非現実的なものに思えるが、
実は見る人の想像力をかきたてる手法
である。
この円柱に描かれた(彫られた)こと
を追って見ていく時、見るものはあた
かも自分が描かれた内容(戦争)を体
験したかのような気持ちになる。

連続する描写によってできごとの一部
始終を中断なく見たという感じが強い
現実感を与える。

※ 描写のリアリティーについては、現
代の視点ではなく当時の視点で見る必
要がある。
結論

トラヤヌス帝の記念円柱に見られるように、連続する描写はローマ帝
政期の美術の一つの大きな特徴である。
それゆえ、ウィーン創世記はローマ帝政期美術の流れとして位置づけ
られるべきである。そうすると、前述の疑問に答えを与えることがで
きる。

→ ウィーン創世記の非現実性をむしろ現実的な表現として捉える。
… ここでは、とくに物語の転換を生み出すような卓越した瞬間を描い
た絵が一つずつ集められて全体として一つのサイクルをつくっている
わけではない。

… 十八世紀の美学の考え方に従えば、造形芸術における叙述の方法を
特徴づけるのは、含蓄に富む瞬間を選ぶということでなければならな
い。しかし、ここにはそれをうかがわせるものはなにもない。

→ 絵を追って見ることで、自分が絵に描かれたことを追体験している
ような強い現実感を与える。連続した描写が与える効果。

→ 連続する描写の適応範囲を文字だけでなく画像にも移した画期的な
研究。
以降、この『連続する描写』という考え方が主流となる。
連続する描写のための技術

・背景の描写
建物や草木などの背景によって、なんども描かれる人物と人物の間に、
少なくともその背景の大きさを越えることのない、ある程度の時間的な
いし空間的な間隔が生じる→空間的広がりが時間的広がりを説明する。

「印象主義的なベルトコンベア絵画」(ウィックホフ)

劇的な瞬間ではなく、つかの間の一瞬や、ある瞬間から次の瞬間へとう
つろいゆく生活の断片(印象主義的)が、背景というベルトコンベアの
上を流れていく、ということ。
作者の「意識の流れ」がベルトコンベアの上を流れる人物の不規則な一
致を説明する。
ローマ帝政後期 ローマ帝政初期
美術史学的背景

これまでの、帝政末期の美術をローマ美術の衰退とする評価を批判。
むしろ新しい美術の潮流の誕生として捉え、ウィーン創世記など初期
キリスト教美術をその流れの中に位置づけなおした。
→ ウィーン学派の創始者としての功績を果し、リーグルの『末期
ローマの美術工芸』(「芸術意欲」の概念など)や、ドヴォルジャー
クの『精神史としての美術史』の研究の先鞭をつける。
ぺヒトの場合

オーストリアの美術史学者ぺヒト( 1902 - 1988 )

「…ここでは、話の筋の発展段階とそのときの人体部分の様子がまっ
たく別々に捉えられている。…この時の総和とでもいうべきものと一
致する事件の展開が全体として描かれることになるのである。こうし
て一人一人の有機体組織のなかに時間的に非現実的であるばかりでは
なく空間点的にも非現実的な形態がつくられていくことにもなる。」
(ぺヒト)

ウィックホフのような、絵に描かれたどの瞬間も自然の一断面と一致
するというイリュージョニズム的な思考や連続する様式の現実性では
なく、むしろ画面は全く非論理的だと考える。
→ 「作者の思考の「全体性」を表示する「象徴のような」記号を組
み合わせる」(クラウスベルク)
そうすることで思考を簡略化して表現する。

超自然的結合は画面内部の自律性(現実感)を解消し、見る者の思考
を必要とする。
→ 画面内に何度も同じ人物が登場することで、見るものは、それぞ
れの人物が辿った物語の経過を、思考によって構築することができる

作者と観者の相互作用によって絵が成立する。
まとめ、美術史学的背景

「絵を見るということ行動は、たんなる受動的な印象を受け取ること
ではなく、受動と能動の総合であり、物語の筋は時間の論理的な前後
関係を越えた一つの総合体として把握される。したがって、人物が複
数回登場するのは、「合成」による矛盾した副産物ではなく、因果関
係を一目で理解できるように配慮された自由な語り口だということに
なる。」

「見る人を作品の生成に積極的に関与させようとする現代の美術の潮
流(抽象絵画)とも一致しているといえないこともない。」

(以上、訳者解説より引用)

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