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翻訳: Haruna Itogawa

校正: Yoshiaki Yamagami

18 世紀半ば
イギリスはケチャップに夢中でした

定番の調味料で

シチューや野菜 デザートにも

ケチャップを使ったレシピが多数ありました

あのトマトの酸味とは合わない
と思ったあなた

当時のケチャップは
ドロッとした赤いソースとは別物です

実は茶色で甘辛くて
トマトすら入っていませんでした

この調味料はどこから来たのか?

そして今のケチャップになった経緯は?

これらの解明には

ケチャップの親類である
魚醤を調べる必要があります

紀元前3百年頃の中国では

漁師が日常的に
大量の小魚を獲っていましたが

一度では食べ切れない上に
個々に保存するには手間がかかりました

そのため 小魚は大抵まとめて
塩漬け保存されていました

魚は数か月にわたって発酵し

体内の酵素が
たんぱく質を分解していきます

出来上がった風味豊かな塩辛い液体は

濾されて魚醤として保存されました

魚醤を考案したのは
中国の漁師だけではありません

古代ギリシア人や
その征服者のローマ人も

うま味の強い魚醤を
主な調味料としていました

この魚醤はガルムと呼ばれ

ローマ兵と共に戦線へ運ばれました

地中海のあちこちに工場が建てられると

1か所で何千ガロンものガルムが
生産できるようになりました

しかし 帝国が滅ぶと
ガルムの製造も廃れました

それから千年間 魚醤は西欧で
ほとんど使われませんでした

1600 年代に入ると
オランダ東インド会社が東南アジアに進出

オランダとイギリスは
東洋で様々な物を見つけました

その中には現地で一般的だった
調味料もありました

魚が香るその調味料は

ケ・ツィアプやコ・チアプ
などと呼ばれていました

イギリスの港に上陸すると
その名はケチャップとなり

魚醤が再び西欧を席巻し始めたのです

西欧の船が西半球の各地に
ケチャップを供給しましたが

1700 年代半ばに
アジアの貿易拠点を追い出されます

しかし ケチャップはガルムと違い
廃れませんでした
イギリスではケチャップに代わる
調味料のレシピが次々と生まれ

牡蠣やアンチョビ きのこやクルミなど
様々な材料で作られました

そのうちケチャップは
茶色いソースの総称になりました

今もイギリスで愛される調味料が
この過程で生まれました

ウスターソース
A1ソース HPソースなどです

さらに 大西洋の向こう側で

あるシェフがケチャップに
新風を吹き込みます

西欧でのトマトの人気は まちまちでしたが

アメリカの料理人は
この新世界の果実を積極的に用いました

1812 年 フィラデルフィア州の医師で
料理研究家のジェームズ・ミースが

世界初のトマトのケチャップを作りました

トマトの果肉 香辛料 生のエシャロット


ブランデーを混ぜた とろみのないものでした

魚醤とは かけ離れたものでしたが

トマトに多く含まれるグルタミン酸は

魚醤の味わい深い うま味成分と同じなのです

発売された時代も完璧でした

1800 年代後半に瓶詰め食品が急増し

トマトケチャップも
複数の瓶詰め会社で生産されました

1870 年代には 多くが


エシャロットとブランデーの代わりに

砂糖 塩
安息香酸ナトリウムを使いました

多くの瓶詰め食品に含まれ
問題視される防腐剤です

このあと重要なレシピ改革が起きます

ピクルスの販売から地道にビジネスを始めた
ヘンリー・J・ハインツは

人気のケチャップも幅広く販売し始めました

20 世紀に入る頃

彼は健康的で自然な材料を使いたいと

安息香酸ナトリウムの使用をやめ

熟したトマトと大量の酢を加えました

濃厚でとろみがあり
瓶から出しづらかったにもかかわらず

たちまち大ヒット商品となりました

20 世紀を通して
この赤いソースは世界に広まりました

アメリカを代表する料理とも相性抜群です

今やアメリカの 90%の家庭で
ケチャップが常備されています

ハインツのレシピから派生して

様々なソースやドレッシングも生まれました

それらはみな
同じ魚醤家系の末裔なのです

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