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﹁サド侯
侯爵爵夫
夫人人
﹂﹂を
を観観る

十一
私は上京を前にして、十 一月
月二二十
十四四、
、五五日
日ののう
うちち、
、どどち
ちららで
でももい
いいいか
からら
、、﹁
﹁ササド
ド侯侯爵
爵夫夫人
人﹂の
切符をとっておいてもらいたい、とこの劇の原作者三島由紀夫君にはがきを出しておいた。この
戯曲は、三島君の新作で、演劇者集団N
NLLT
Tにによ
よっって
て、、す
すででに
に十十一
一月月十
十四四日
日かから、新宿紀国屋ホ

ールで上演
演さされ
れててい
いたた
。。N
NLLT
Tはは、
、三三島
島君君の
の﹁﹁喜
喜びびの
の琴琴﹂
﹂事事件
件でで、
、﹁﹁文
文学学座
座﹂を
﹂を脱脱
退退しし
たたググ
ルルーi
プ よっ
プによ って
て、、一一
昨昨年年
括結成成
さされれ
たた劇
劇団で
団であ
あるる。
。ここれ
れままで
でのの新
新劇劇団
団ののあ
ありり方
方よより
りもも、
、ささら
らにに新
新ししい
い、
「サド侯爵夫人」を観る
「サド険爵夫人」を観る


本来来の
の意意味
味ででの
の演演劇
劇活活動
動ををー
ーーーー
とといい
うう考考
ええのの
人人々々
がが集集
ままっっ
ててでで
ききたた
ここのの
集集団団
はは、、
持岩田田
豊豊雄雄
。二コ二
一島島
由紀夫を敵
顧間問として、精力的な活動をつづけて今日に至っている。

三島島君
君はは、
、河河出
出書書房
房新新社
社販版﹃
﹃ササド
ド侯侯爵
爵夫夫人
人﹄﹄の
の按放で
で、、こ
このの戯
戯曲曲を
を書書い
いたた動
動機機や
や意意図
図ににふ
ふれれて
ていい

る。その冒頭に、渋沢龍彦氏の﹃サド侯爵の生涯﹄は、全体を面白く読んだが、自分がもっとも

257

作家家的 、サ
的興味をそそられたのは、 サド
ド侯侯爵
爵夫夫人
人がが、
、ああれ
れほほど
ど貞貞節
節をを貫
貫きき
、、獄獄
中中のの
良良人人
にに終終
始始一一
貫貫尽尽汐

くし ぜサ
していながら、なぜ サド
ドがが老
老年年に
に及及ん
んででは
はじじめ
めてて自
自由由
のの身身
にになな
るるとと
、、とと
たたんん
にに別別
れれてて
ししまま
ううのの 細

5
28

か、 であ
、という謎で あっ
ったた、
、ととい
いっって
ていい
るる。。
そそしし
てて、、
﹁﹁ここ
のの芝芝
居は居、
は 、こ
この
の謎謎か
からら出
出発発
しし、、そ
そのの謎
謎のの論

理的解明を試みたものである。そこには人間性のもっとも不可解、且つ、もっとも真実なものが
宿
宿っって
ている筈であり、私はすべ
べててを
をそその
の視視点
点にに置
置いいて
て、、そ
そここか
かららサ
サドドを
を眺眺め
めててみ
みたた
かかっっ
たた。。
﹂﹂と



L
いう弓
ノ。3
6

戯曲曲は
は、、題
題名名が
が示示す
すよよう
うにに、
、ササド
ド侯侯爵
爵夫夫人
人をを中
中心心に
に、、登
登場場人
人物物が
が女女だ
だけけで
で固固め
めらられ
れたたも
ものので
で、、
いわば﹁女性によるサド論﹂ともいうべきものである。サド侯爵夫人ルネは﹁貞淑﹂を、夫人の
母親モソ
ントルイユ夫人は﹁法﹂﹁社会﹂﹁道徳﹂を、シミア!
ーヌ男爵夫人は﹁神﹂を、サγ
ソ。フォ
伯爵
ン伯 爵夫
夫人人は
は﹁﹁
肉肉欲欲
﹂﹂をを
、、サド夫人の妹アン
ソヌは女の﹁無邪気さ﹂と﹁無節操﹂を、召使シャル
ロットは﹁民衆﹂を、それぞれ代表して、それらが惑星の運行のように、交錯しつ
っつ廻転してゆ
ばならぬ。なべての舞台と異なり、末梢的技巧はいっさい排して、せりふによるイデエの衝
かねは
突だけが劇を
を形形づ
づくくり
り、、情
情念念は
はああく
くままで
でもも理
理性性のの
着着物物
をを着着
てて歩歩
きき廻廻
ららねね
ばほなな
ららぬぬ
。。 目
自のたのし
みは
み は、
、美美し
しいいロ
ロコココ
コ風風の
の衣衣裳
裳がが引
引受受け
けててく
くれれる
るでであ
あろろう
うしし、
、すすべ
べてては
は、、サ
サドド夫
夫人人を
をめめぐ
ぐるる一
一つつの

精密
精 密な
な数数学
学的的体
体系系で
でななけ
けれれ
ばばなな
らら 。。l
ぬぬ ・l
−このような目算をたててこの芝居を書きは
はじじめ
めたた、
、とと
もいっている。
東京の宿舎につくと、
二三二島君の友人 −
I氏から電話があった。切符は二十五日の分をとっておい
I
た、自分は目下雑誌の新年号のための執筆に追われて、最初から案内することはできないが、ー
民 行っ
氏に代って行 って
てももら
らううこ
こととに
にしした
たかから
ら、、あ
あししか
からら
ずず、、
たただだ
しし、、
第第一二
一幕幕と
と第第三
三碁幕の
の幕間
聞に、河出
版﹃サド侯爵夫人﹄にサインをするために紀伊国屋に出向くから、そのあとでお会いしたい、そ
ぅいう意味の伝言を知らせるものであった。私は−
う I氏氏と
と打打合
合わわせて、新宿駅前の﹁
コ二一幸﹂二階の
食堂前で、午後六時に待合わせることにしておいた。
当日は、朝から台風何号とやらの接近で風がつよく、おまけに雨もはげしかった。二人は傘を

傾けけな
なががら
ら歩歩い
いてて、
、紀紀伊
伊国国屋
屋四四階
階ののホ
ホーlルル
にに赴
赴くく。
。開開演
演時時刻
刻六六時
時半半ま
まででに
にははま
まだだ十
十分分も
もあある
るがが、
館 iル
館内はすでに満員に近い。あとで三島君の語るところによると、このホ ー ルは
はじじま
まっって
て以以来
来の大
入りがつづいているとのこと。さすがに若い層の観客が多い。

千七百
首七七十
十二二年
年、、ル
ルイイ十
十五五世
世治治下
下のの洗練され繊細をきわ
わめめた
たロロコ
コヨコ全
全盛盛の
のパパり
リにに、
、ササド
ド侯侯爵
爵の
残 γセ
残虐な血と鞭のスキャンダルと伝説が急速にひろまってゆく。ヴァソ セソ
ンヌヌ牢
牢獄獄に
に幽幽閉
閉さされ
れたサ
「サド侯爵夫人」を観る
「サド侯爵夫人」を観る


ド侯侯爵
爵をを救
救いい出
出すすた
ためめに
に、、夫
夫人人ル
ルネネは
は母母親
親モモソ
γトトル
ルイイユ
ユ夫夫人
人ととと
とももに
に、、あ
あららゆ
ゆるる力
力をを尽
尽くくす
す。。モ


ントトル
ルイイユ
ユ夫夫人
人はは、
、ルルネ
ネににサ
サドドと
と別別れ
れるるこ
こととを
を勧勧め
めるるが
が、、ル
ルネネの
の答答え
えはは、
、母母親
親をを見
見事事に
に裏裏切
切っった
た。。

﹁いいや
やでです
す、、別
別れれる
るななん
んてて。
。良良人
人がが悪
悪徳徳の
の怪怪物
物ななら
ら、、私
私ははあ
あのの人の血と鞭の高鳴りの中に貞節を

普い
いま
ますす。
。﹂﹂

9

千七七首
百八八十
十九九年
年七七月
月十十四
四日日、
、ルルイ
イ王王朝
朝はは倒
倒れれ、
、恐恐怖
怖とと無
無秩秩序
序のの時
時代代が
が来来た
た。。そ
そしして
てササド
ド廉侯醇
爵はは

5
お紗
2
60
釈放された。年老いたルネ夫人は動乱のなかで考える。サドが釈放され、自由の身になるために

260
2
のみ戦ってきた自分の半生とは何であったか。良人サドに対する自分の貞節とは何であったか。
そして、ついに修道院入りを決意してシミアー
lヌヌ男
男爵爵夫
夫人人も
も同同席
席すする
る室室で
で、、母
母親親に
に別別れのあいさ
つをしているところへ、召使のシャルロットが現われ、玄関に老いさらば
ぼうた、乞食のような姿
のサド侯爵
爵がが訪
訪れれた
たここと
とをを告
告げげ
るる。。一
一同同深
深いい沈
沈黙黙の ネは
ののち、ルネ はき
きっっぱ
ぱりりと
と一言
言いい切
切るる。
。﹁﹁お
お帰し
し 。そ
しておくれ。 そう
うしして
て、、ここ
うう申申
しし上上
げげてて
。。﹃
﹃侯侯爵
爵夫夫人
人ははも
もううお
お目目に
にかかか
かるるこ
こととは
はああり
りまます
すままい
い﹄

と。。﹂
﹂ここの
の幕幕切
切れれの
のせせり
りふふに
に至至る
るままで
で、、入
入りり替
替わわり
り立立ち
ち替替わ
わりり登
登場場す
するる女
女たたち
ちのの口
口によって語ら
れるサド侯爵は、この舞台にはついぞ一度も顔を見せずじまいである。そのような構成がとられ
ながら、サドのイメージが、実に鮮かに眼
限前に立ち現われる、不思議な芝居である。

第二二幕
幕がが下
下りりる
るとと、
、﹃﹃サ
サドド侯
侯爵爵夫
夫人人﹄
﹄購購入
入者者の
のたため
めにに、
、著著者
者がが今
今ササイ
インγを
をははじ
じめめた
た旨旨の
のアアナ
ナウウ

シススが
がくくり
り返返さ
されれる
るののを
を聞聞き
きななが
がらら、
、私私た
たちちは
は何何と
とななく
く遠慮して、幕間
開もずっと座席にいた。第
三 の中
三幕の 中ご
ごろろ
、、左
左手手の
のドドア
アののと
とこころ
ろにに、
、三三島
島君君が
が現現わ
われれて
て、、舞
舞台台の
の方方を
を凝擬視
視ししている姿が見え

。。

私 はげ
私たち三人は、相変らずは げし
しいい雨
雨風風の
の中中を
を傘傘を
をすすぽ
ぼめめる
るよよう
うににし
してて
、、コ
コママ劇
劇場場其
裏のの店
臨ままで
で歩歩

いたた。
。先先に
に立立っ
ってて案
案内内し
しててい
いるる三
三島島君
君はは、
、本本で
でももは
はいいっ
っててい
いるるの
のかか、
、大大き
きなな紙
紙包包み
みをを二
こ個伺抱
抱ききか

かえるようにして
て持持っ
っててい
いるる。
。-I氏
氏がが見
見かかね
ねてて、
、一一
個個持持
ちちま
まししょ
ょううと
といいっ
ってても
も、、い
いやや大
大丈丈夫
夫とい
なか
って譲ろうとしな かっ
ったた。
。三三人
人ははな
なベべ焼
暁ををつ
つつつき
きなな
ががらら
、、久久
ししぶぶ
りりにに
歓歓談談
のの時時
ををうう
つつしし
たた。。
一三二島
君がそのとき、間
岡潔氏の最近の発言が、多くの共鳴者をえている理由を、彼らしい言い方で説明
した言葉は、岡
問・。小林両氏の対談の感銘が深かったあとであるだけに、私の心をつよくとらえ
た。丹阿弥谷障
津子・
。南美江。
・其真咲美岐・賀原夏子・村松英子・宮内順子の六女優の熱演からうけ
た感動の余韻のなかに、今もそれを反窮
努している。
宿
宿舎舎の
の尚尚志
志会会館
館のの門
門限限は
はととっ
っくくに
にすすぎ
ぎててい
いたた。
。前前もって少しおそくなる旨を電話で断っ
つてはお
いたものの、やはり気になる。まだいいでしょう、という三島君に送られて、雨のなかを草
車を走

らせ
せた
た。


ハ昭
昭和和四
四十年
十年十十
二二月月
︶)
「サド侯爵夫人」を観る
「サド侯爵夫人」を観る

6
2鋸
2 1

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