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The Entomologioal

The Sooiety
Entomological Society of Japan
 of Japan

202

には 、
セ ン チ コ ガ ネ  G 如 褫 加 躪 ∬ rVIOTSCI
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山博 ヒが ム ラサ キ セ ン チ コ ガ ネ、  .
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れ た の み で あつ た 。 ここに 於て 、少 く と も吾 々 の 1[
TEil で は

今迄 貴 重せ られ て

ゐた オ ホ セ ン
チ コ ガ ネ も普 通 の もの に な つ て 仕舞 つ た , その 後 日光 に於 て も

可 成探集す る こ と が出 來 た が .赤 城 1亅1に 比 較 す れ ば非 常 に 少 數 で あ つ た 。

  4・ 玉 川 に 於 て 入糞 中 よ りル リ エ ン マ ム シ SaPintts∫ 跏 8 〃躍
’‘ ∫ SCHCIllvr を

探集す 一 。 横 山 訌巨1:は 旺
じ 「
言の 死 骸 よ り探 集 せ ら れ 、朝 比 奈 正 二 郎 氏 ( 昆 蟲 」第
3 卷 、 第 2 號) は 市 外 戸 山 ケ 原 に 於 て 腐 敗 し九 魚 よ り探集せ られ 、久 内 甜孝

氏は ( 昆 蟲 」第 2 卷 第 2 號 ) 人 糞 で 探集 せ ら れ た そ うだ 。 著 者 も 本 年 6 月 三巳

川 二 子橋 先 きに 於 て . 人 糞 中 よ り 7 頭 を 探集 し、 、 その 後 7 月 學 友清木 香 君 は
二 子橋下 に あ る 人 糞 中 よ り 3 頭 綵集 せ られ た 一 囘 に 撒 頭 宛 も綵 集 出 來
。 ると

こ ろ を見 る と 、 朝比 奈 氏 の 云 は る る迺 り 、 少 く と も束 京 附 近 で は 最 早や 珍品

で は な くな つ た こ と 丈 け は 事 實 だ ,

 5 ・ ム ネ ア カ コ ガネ Betboceras 尹z
をハ ソ〜  設τ刧 〃a “ 「ATERI ・
10VSE 糞 に集 ま らぬ

か 一 一著 者 は 過 去數 年 前
。 よ り動 物 の 糞 に 集 ま る 甲蟲 類 に 注 意 を 向 け つ つ あ

つ た が、 ム ネ ア カ コ ガ ネの 野 外 を 飛 翔 中 の もの か 、 夜 聞燈 火 を 慕 つ て 來た も

の を 探集 した 外 . 直 接 糞 中 よ り探 集 す る こ とは 一囘 も出 來 な か つ た。 まだ 著

者 の 注 意 の 足 りな い の か 、若 し こ の 食 姓 に 關 して 知 ら る る 方 は 知 らせ て も ら

ひ t・ い ・
              (東 京 農 業 大 學 博 物 學 教 室 内)

         二 種 の Ectrichcdiinaeに 就 て
  私 は 1929・V !1・工7 三 崎 に 於 て 1 頭 の R7ae tathloeca
 
〃   delthitta
ク ビ グ ロ ア カ

サ シ ガ メ を 得 t:o 幅 井 氏 に 依 れ ば 九 州 と本 州 、松 村 博士 に 從 へ ば 京 都 に 産
、 、

す る由で あ るが . 多 分 本 州 で も南方 系 の 土 地 に 限 ら れ る の で は あ る ま い か 。

矢 野 先 生 の 探 地 は 三 崎 か 東京附近 で あ ら う と思 ふ 昌

  Ectrycliete andrtrg ピ ロ ウ ド サ シ ガ メ の nymph



と思 は れ る もの が 1 頭 1927・
V ∬・26 伊 豆 大 島 で 得 られ た 幅 井 氏 に よ る と、本 州 松 村博士 に よ れ ば 、
。 、 其
の 他 に 琉球 ・臺 灣 に 産す る 由 で あ るが 、 同 島 で は 初 め て知 られ る もの で あ ら

うp や は   南方 系 の ・.
もの と思 は れ る 。 (古川晴男)


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