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内部労働市場論

日本の雇用システムを考えるときに欠かすことのできないキーワードとして「内部労働市場」
「内部労働市場」という
「内部労働市場」
ものがある。内部労働市場の意味するところを検討する前に、まず労働市場という概念についてつきつ
めて考えておく必要がある。市場とは、商品が交換される場を抽象化した概念である。労働市場では、
労働力が商品として交換の対象となる。69
市場には、商品を供給する主体とそれを需要する主体が登場する。商品を供給する主体の供給の総量
とそれを需要する主体の需要の総量は、ある時点において一致する。またその際に交換に用いられる価
格が均衡価格となる。現実の世界では、それぞれの商品について市場という特定の場が存在しているわ
けではなく、交換に用いられる価格も一律ではない。それは個々の交換(取引)によってさまざまであ
る。経済学にいう市場とは、個々の交換の場を抽象化した概念であるに過ぎず、その論理によって個々
の交換そのものが縛られるわけではない。
新古典派経済学の一般的な考え方にしたがえば、市場では、ある時点において均衡価格が成立し、供
給と需要のどちらか一方に累積的な冗長性が生じるような不均衡状態に陥ることはない。しかしながら
経済にはしばしば短期的なショックが生じる。このとき、市場の特性によって新たな需給の均衡が簡単
には成立せず、価格が下落し続けるなど、市場が不安定化することもあり得る。こうしたケースは論理
的に導くことができる。現実の世界で、このようなケースに対応し、市場を安定させる役割を果たして
いるのがさまざまな慣行や制度である。
(Fig.2) 右下がりの供給曲線と賃金 具体的な労働市場を考えてみよう。一般的な経済学の考
え方では、賃金が下がると求職者は減少するため、労働供
賃金 需要曲線
給曲線は右上がり(賃金が増加すると労働供給は増加)と
なる。しかし辻村江太郎は、労働市場では「供給超過によ
供給曲線
って賃金が下落すると、それが労働供給の増加をもたらす
ことによって、さらに賃金の下落を招くという結果になり
やすい事が、歴史上の経験によって確かめられてきた」70と
指摘する。賃金の下落は生活水準の低下につながるため、
雇用量
家計補助的に追加的な労働を求める求職者が増加すること
で、労働供給はむしろ増えてしまうのである。
このようなケースでは、現在の価格(賃金)が仮に均衡価格よりも低い水準にあった場合、供給が需
要を超過することになり、価格は下落するとともに均衡水準からしだいに遠ざかることになり、価格を
均衡価格に収束させるメカニズムは働かない(Fig.2)。
しかし現実には最低賃金制度などさまざまな慣行
や制度の存在によって、その価格は一定の安定を保たれることになる。

労働市場についてはさらに考えておくべき点がある。労働市場において成立する「価格」とははいう

69
ILO憲章(フィラデルフィア宣言)では「労働は商品ではない」とされている。しかし実際のとこ
ろ、 「労働市場」あるいは「労働力の需給」という考え方はすでに一般的なものとなっており、それを前
提にバーゲニング・ポジションの弱い労働者の保護を図っていく、という立ち位置から労働法制を考え
ることも可能である。
70
日本労働研究雑誌(2010.7)の『提言』より。

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までもなく賃金(給与)である。ところが企業がその雇用する労働者に対して支払う対価のどこまでが
賃金にあたるのか、という点については難しい論点が含まれている。野村正實は、この賃金の範囲をめ
ぐって、古くから「労働の対価説」と「労働力商品の価格説」が対立していたことを指摘する。
「労働の
対価説」では、福利厚生施設は労働の対価とはいいがたいため、賃金ではないが、
「労働力商品の価格説」
では、福利厚生施設は労働力商品の再生産にとって不可欠なものであり、賃金であることになる。71こ
のように、労働というサービスに対して支払われる狭義の賃金か、そこで使用される労働力が再生産さ
れる過程までを含めた広義の賃金かによって、それが調整される場である労働市場が意味するものも大
きく異なってくる。後者の考え方にしたがえば、労働力の再生産に必要な生計費を賃金に含めて考える
ことになんら無理はなく、それもひとつの公正原理だと主張することができる。
現在広く一般に理解されている賃金概念としては前者がよくあてはまるが、労使関係の中での賃金と
いう視点からみると、1950 年代前半には、労働者の生活水準を戦前なみに回復させることを目的として
全国労働組合総評議会(総評)の主導による電産・炭坑争議が行われるなど、賃金とは「生計費」を主
眼とするものであった。その後確立するいわゆる「春闘」方式による賃上げでも、金属産業が主導して
賃上げ交渉を行い、これが公的セクターの労働者やさらには組織されていない労働者の賃金へも波及す
ることで全国的に賃金をかさ上げしていく機能をもったとされている。72この春闘は現在、正式には「春
季生活闘争」とよばれている。このように、労使関係の中での賃金は「生計費」に主眼をおくものであ
るが、生計費に準拠する賃金という考え方の背景には、
「労働」ではなく「労働力」の価格としての賃金
という考え方が色濃く含まれている。
この議論の延長で問題となるのがパートや派遣等の非正規雇用者の賃金である。非正規雇用者の賃金
は、労働力の価格としての賃金という側面を持たない。しかしフリーターの急激な増加によって、非正
規雇用者が家計補助的な働き方をする者や学生アルバイトに限らなくなった現在、はたしてその賃金水
準に公正原理は働いているのか、との疑問が生じる。
非正規雇用者が近年著しく増加したのは、デフレという環境下において賃金調整を行わなければなら
なくなった企業の行動によるものであったことをすでにみてきた。それは企業とすれば合理的な行動を
とった結果であるといえる。しかし経済全体で考えれば、デフレ下の企業行動によって、労働者は労働
力の再生産に要する対価を得ることができず、結果的に労働力の再生産ができなくなることになる。雇
用システムの中心に労働市場という概念をおくとき、それはつねに安定した均衡価格を導くものではな
く不均衡過程に陥る可能性が秘められているということとともに、労働市場の賃金調整メカニズムには
労働力の再生産のために必要な対価が公正に支払われ得る機構が存在していないことにも留意する必要
がある。
労働市場では、賃金(労働の価格)は需要と供給の関係によってきまる。このとき、労働力の再生産
に要した費用はサンク・コストとなり、賃金は現在の生産過程に提供される労働のみによって決定され
ることになる。労働力の再生産に必要な費用が無視されがちな市場経済の中で、それを評価する手段を
確保するためには各種の規制が必要であり、
またミシェル・フーコーの哲学から理論付けられるように、
そうした規制をもつことに対する国家としての誘因も存在する。国民をよりよく「生かす」ことは、社
会の構成員の健康を維持し生産力を高め、ときには戦争を遂行しなければならない国家にとっての願望
でもある。しかしその一方、そのような保護の枠組みから切り離された非正規雇用者の賃金は生計費に

71
野村正實『日本的雇用慣行─全体像構築の試み─』

72
久米郁男『労働政治 戦後政治のなかの労働組合』 第5章。

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満たないようなケースも生じる。

擬制としての労働市場で評価されるのは、あくまでその時点における労働の価値である。労働力の再
生産に要する費用(生計費)は、労働市場の賃金調整メカニズムの中では評価されることがない。さら
にいえば、労働市場という概念は、特定の職務をめぐるスポット的な契約関係を調整するメカニズムに
よりよく適合する。ところがマースデンが指摘するように、雇用契約はスポット的契約とは異なってお
り、使用者に対してある範囲内での職務の割り当てを認めるとともに、契約時点ではその内容をすべて
定めることができない不完備契約である。このとき、労働市場において取引されるのは単体としての労
働ではなく、使用者と労働者に関係するルールの束となる。ただしこの場合、労働力という資源を効率
よく配分する機能は労働市場から奪われる。このため、企業の中に労働を効率的に配置する別の機能が
存在していなければならない。そのような機能を担う企業内部の仕組みとして、
「内部労働市場」という
概念が生まれる。
内部労働市場の機能について一般に理解されているのは、
「企業の特定の職に欠員がでた場合、外から
採用するのではなく、内部の従業員から補充するようなシステム」73というものである。内部労働市場
には二つの意味がある。
一つは企業別内部労働市場であり、
同じ企業内で異なる職務間を移動するもの、
もう一つは職業別労働市場で、異なる企業間で同じ職務を移動するものである。しかしながら、内部労
働市場という概念を広める上で重要な役割を果たしたピーター・ドーリンジャーとマイケル・ピオレに
よる『内部労働市場とマンパワー分析』がその議論のほとんどにおいて企業内の労働市場に関するもの
を扱ったことから、その後は企業別内部労働市場をもって内部労働市場とみなすようになったとされる
(日本において企業別内部労働市場の概念が広まった背景については、後述する野村正實による指摘も
参照されたい)

内部労働市場における欠員の補充や賃金の設定は、企業外の労働市場を参照することなく、企業内の
管理的なメカニズム(官僚制)によって行われる。このようなメカニズムは、必ずしも労働者に対する
温情主義的な観点だけから生まれたものではない。サンフォード・ジャコービィは、米国における内部
労働市場の生成過程を歴史的な視点から分析し、そこでは、20 世紀以降の米国における経営の柔軟性と
雇用の安定をめぐる経営者、職長(フォアマン)
、職業的人事管理者、労働組合の間の相克が詳細かつ生
き生きと描かれているが、このような歴史的視点からみると、テイラーの「科学的管理」に代表される
体系的な生産管理システムや福利厚生事業は、当時の米国における流動的な労働市場と非協力的な労使
関係という環境の中で、よりおおくの収益を雇主に保証することを意図して導入されたことがみえてく
る。74
企業内の管理的なメカニズムによる労働の配置は、
「給料がよく雇用が安定して昇進機会もあり、恣意
的な懲戒や解雇から保護されている」75という意味での「よい仕事」を企業内に創り上げることにつな
がる。また企業にとっても、熟練度の高い労働者を柔軟に配置することができることで雇用契約のメリ
ットを享受することができる。

内部労働市場が成立することは、雇用システムの理論からいったん離れ、新古典派経済学的な労働市

73
マースデン前掲書 268 頁。
74
サンフォード・ジャコービィ(荒又重雄、木下順、平尾武久、森杲訳)
『雇用官僚制 アメリカの内
部労働市場と“良い仕事”の生成史』 。
75
ジャコービィ前掲書 28 頁。

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場論によって合理的に説明することもできる。ゲーリー・ベッカーは、内部労働市場が機能し得る一つ
の条件である企業内教育訓練の収益性に関する議論を行っている。76教育訓練からの収益は、労働者が
長期間雇用される場合、その労働者に対し訓練を施すことによって得られる収入と訓練に要する費用に
よってきまる。労働市場と商品市場が完全競争である場合、教育訓練の均衡条件は、

MP W
MP +  = W + C +  … (A0)
(1 + i)  (1 + i)
 

ただし、MPt:t 期の労働の限界生産性、Wt:t 期の賃金総額、C:教育訓練の費用、i:市場割引率、と


表される。この式では、第1期以降の MPt(労働の限界生産性)と Wt(賃金)が市場割引率によって割
り引かれた現在価値として比較され、その差が教育訓練の費用にみあうようになるところで均衡が成立
する。この等式は、企業はその利潤を最大化するように行動するという前提によって得られる「労働の
限界生産性=賃金」という均衡条件に、教育訓練を行う企業はその費用を長期的に回収するという条件
を加えることで導かれる。なおベッカーは、教育訓練の費用をそれにともなう時間の機会費用を含めて
議論している。
この枠組みのもとで、企業内教育訓練の収益性をベッカーによって用意された「一般訓練」と「特殊
訓練」の違いから考えることにする。まず一般訓練であるが、これはその訓練を行う企業だけでなくほ
かの企業にとっても有用な技能に対する訓練である。この場合、労働市場が完全競争であるため、賃金
と労働の限界生産性は各期において一致することになり、訓練にともなう限界生産性の上昇はそのまま
賃金の上昇につながる。訓練を行う企業にメリットはなく、企業は労働者が費用を支払う場合にのみ一
般訓練を行う。このとき、(A0)式は、

W = MP − C … (A1)

となる。当期の賃金は訓練の費用分だけ労働の限界生産性よりも低くなり、訓練費用は労働者が負担す
ることになる。企業が必要とする労働者の技能が一般訓練によって得ることのできるものであれば、企
業にも労働者にも長期雇用のメリットはあまりない。
ただし労働市場における情報の非対称性から、労働者の技能がその限界生産性に見合うよう適切に評
価されないことはあり得る。また採用コストがかかるため労働者の離職を防ぐこと、労働者が離職にと
もなってこうむる損失を大きくしその仕事に対する努力水準を高めることなどを目的に、企業が労働者
に限界生産性以上の賃金を支払うことも理論的にはあり得る。
とはいえ、企業が必要とする労働者の技能が一般訓練によって得ることのできるものである場合、企
業が教育訓練を行うことは困難であり、
社会的に必要とされる訓練が過小になるという問題も生じ得る。
企業が利益の最大化を目標としていれば、一般訓練の費用を支払おうとはせず、訓練を受けた者に市場
賃金を支払うことを選択する。訓練費用を支払いながら訓練された者に市場賃金以下しか支払わない企
業には、訓練を受けようとする者は殺到するが訓練を受けた者はいなくなることから、そうした企業は
市場競争によっていずれは淘汰されることになる。
つぎに特殊訓練であるが、これは訓練を行った企業において生産性を増大させる一方、他の企業では
生産性の増大につながらないような技能に対する訓練である。この場合、労働者が受け取る賃金は企業

76
ゲーリー・ベッカー(佐野陽子訳)
『人的資本 教育を中心とした理論的・経験的分析』

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における訓練の量とは関係なくどの企業でも一律となり、合理的な労働者は訓練の費用を支払おうとは
しない。教育訓練の均衡条件は、W0(賃金)と MP0(労働の限界生産性)が一致することで、

MP − W
 =C … (A2)
(1 + i)


と表される。つまり企業は訓練の収益を長期間にわたって回収することになる。
特殊訓練を行う企業は、訓練を行った労働者が離職すると損失をこうむる。一方労働者も、訓練を行
った企業以外に自身の生産性を最大化させることのできる仕事をみつけることはできない。この場合、
企業と労働者はともに訓練費用と訓練の収益を分かち合うことのできる長期的な関係を結ぶことが効率
的となる。こうして、内部労働市場は、人的資本論の特殊訓練の考え方と整合的に理論付けることが可
能になる。

人的資本論では、賃金格差を訓練の量とそれに応じて生じる労働の限界生産性の格差に結びつけて解
釈する。これによって賃金格差は合理的に説明することが可能になる。77ただし、人的資本論は労働市
場における賃金調整メカニズムが完全競争的に機能し得ることを前提としている。もしそれが機能して
いなければ、生産性と賃金は乖離することになる。この「前提」が正しいのかどうかをみるため、労働
者の属性等を考慮した上で生産性と賃金が経験に応じどのように推移するかをデータによって検証しよ
うという研究も試みられている。
川口大司、神林龍らは、1993 年から 2003 年までの厚生労働省「賃金構造基本統計調査」と経済産業
省「工業統計調査」の事業所データをマッチングすることで生産関数78および賃金関数79を同時推計し、
これをもとに、潜在経験年数(学歴と年齢から推測した学校卒業後の経過年数)ごとの生産性と賃金を
計測している。80これによると、重化学工業における大企業では、生産性、賃金はともに潜在経験年数
に応じて高まっていき、それらの乖離は明確にはみられない。つまりこの部門では、経験による人的資
本の蓄積が生産性を高めそれに応じて賃金が高まるという人的資本論の前提が成立している可能性があ
る。しかしそれ以外の部門では、生産性は加齢によってその伸びを鈍化させ、ある年数を過ぎると生産
性は低下し始める一方で、賃金は潜在経験年数に応じて継続的に高まっていく。生産性を実質出荷額を
もとに計測している点には留意が必要だが、これは人的資本論の前提が成立していない(賃金は人的資
本の蓄積とは関わりなく年齢に応じて高まる)可能性を示すものである。
このような生産性と賃金それぞれのプロファイルの違いは、エドワード・ラジアーによって提唱され
た「インセンティブ契約」という考え方によって説明することができる。すなわち雇用する労働者の努
力水準を使用者が観察できないとき、若年時には生産性以下の賃金を支払い企業業績が好調なときに事

77
人的資本論には、先に述べたように、情報の非対称性をより重視する観点からその根拠を批判する向
きがある。ほかに、職業訓練は労働者の技能を高めるわけではなく、もともと能力の高い労働者が訓練
を受ける傾向があるのだとするスクリーニング仮説の立場からの批判もある。こうした場合、労働者の
賃金と訓練の量を一意に結びつけて議論することはできない。
78
生産に投入される労働者の属性別の労働時間、資本サービス、中間財と、生産(実質出荷額)との関
係を、線形モデル(一次方程式)によって表したもの。
79
労働者の属性別の労働時間と、賃金総額との関係を、線型モデルによって表したもの。
80
川口大司、神林龍、金榮愨、権赫旭、清水谷諭、深尾京司、牧野達治、横山泉『年功賃金は生産性と
乖離しているか:工業統計調査・賃金構造基本調査個票データによる実証分析』 (一橋大学経済研究所
Hi-Stat Discussion paper series, 2006.10, No.189)

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後的に生産性以上の賃金を支払うという長期的な契約に労使間が合意することがあり得る。実際この研
究における生産性と賃金のプロファイルは、それが成立している可能性を示すものである。これは生命
保険の保険料を算出する際に一般的に用いられる「平準保険料方式」にたとえて考えることができる。
通常、死亡するリスクに応じた保険料は、加齢によって死亡するリスクは高まるため、年齢が上がると
保険料も上昇するはずである(自然保険料方式)
。しかし平準保険料方式では、保険料が保険期間中一定
となるように〈公正な原理〉にもとづいて算定する。その算定にあたって使用されるのが、ある時期に
おける年齢別死亡率が今後も一定であるとしたとき、各年齢に達した者が平均してあと何年生きられる
かを生命関数(死亡率、生存数、平均余命等)によって表現した「生命表」である。これによって保険
契約者は、死亡するリスクが高まる将来においても一定の保険料を支払い保険契約を継続することがで
きるようになる。これと同じように、労働者はインセンティブ契約のもとで、雇用契約によって約束さ
れた期間、その生産性に関わりなく平準化された賃金を得ることが理屈の上ではできることになる。た
だし、生命保険の保険料が契約更新時に高くなるように、定年等により雇用契約が終了した労働者の再
就職時の賃金は引き下げられることになる。

ただし内部労働市場は、同時に別の問題を生み出すことになる。景気の振幅にともなう不安定な需要
という環境のもとでは、内部労働市場は、その外側に緩衝材としての「二次的労働市場」を必要とする。
その結果、内部労働市場と二次的労働市場の間には「よい仕事」をめぐる格差が生じることになる。
企業内の管理的なメカニズムによっておおくの企業がその基幹的労働者を管理することになれば、企
業の外側の労働市場は二次的労働市場となり、そこにかかわる労働者は十分な教育訓練を受けることが
できないゆえに未熟練な労働者となる。ときには情報の非対称性によって、その熟練の水準にかかわら
ず、
二次的労働市場の中で低い賃金に甘んじなければならない。
つまり内部労働市場に属する労働者は、
その資源配分機能によって適合する職務に配置されることが一定の範囲内において可能である一方、内
部労働市場に属しない労働者は二次的労働市場の機能を利用するほかなく、そこでは企業は労働者を採
用するにあたって判断材料となり得る十分な情報を有せず、この情報の非対称性ゆえに求人条件は悪く
なり低い労働条件のもとでの就業を余儀なくされる。
この問題は、解雇規制など労働者保護のための制度や労働組合の交渉力の強度に応じてより大きくな
ることがある。内部労働市場に属する労働者は、彼らの仕事が企業外部の労働者によっておき換えられ
ることをおそれる。このため彼らは、企業外部から採用される労働者に対する教育訓練などに協力しな
くなる誘因をもつ。その結果使用者は、より低い賃金水準で企業外部の労働者を採用することが可能で
あっても企業内部の労働者を使用せざるを得なくなる。労働者保護のための制度や労働組合の交渉力が
強すぎると、この問題はより先鋭化することになる。このように、企業内部の労働者の働く機会を守る
ことが企業外部の労働者の働く機会を奪うことにつながるという考え方は、
「インサイダー・アウトサイ
ダー理論」とよばれている。この理論にしたがえば、労働者保護のための制度や労働組合の交渉力が強
すぎることは、完全失業者の失業期間が長期化することにつながる。

二次的労働市場は、人的資本論からもその問題が指摘される。大企業の中核的人材ではない下層の労
働者や外部労働市場の労働者は、教育訓練の機会に恵まれず、キャリアを積むことが難しい。81現実に
も、二次的労働市場を経由して企業に入職する者、例えば非正規雇用者の訓練機会は著しく限られたも

81
鈴木昌宏『人的投資理論と労働経済学 ─文献サーベイを中心として─』
(早稲田商学 2004.09)

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のとなっている。82こうした現実を前にすると、人的資本論にもとづく賃金格差の説明はその説得力を
大きく失う。労働者の属性をコントロールして教育訓練の賃金に対する効果を判定する分析モデルを用
いて、教育訓練の収益率を測定すれば、人的資本論の可能性は高まるが83、それでも非正規雇用者につ
いては、訓練機会が少ないことが問題となることに変わりがない。
原ひろみと黒澤昌子による包括的な企業調査(厚生労働省「能力開発基本調査」
(2006 年)
)を用いた
分析では、企業の属性や就業形態の違いなどが労働者の教育訓練(Off-JT)の機会に大きな違い
をもたらす規定要因となっていることが明らかされている。84
事業所の規模の違いによるOff-JT実施率の違いは大きく、規模が大きいほど実施率は高い。ま
たその傾向は非正社員の方がより強い。人的資源管理(HRM)制度(部下育成能力の評価など)が導
入されている事業所のOff-JT実施率は導入されていない企業の実施率よりも高い。
非正社員のOff-JT実施事業所割合は正社員の約半分程度85に限られるが、平均的に離職率が高
い職場ほどOff-JTがよりおおく提供される傾向がある。これは、教育訓練を実施する事業所ほど
労働者が離職することを意味しており、
教育訓練が当該企業にとどまらず社会全体に貢献していること、
つまり教育訓練が外部性をもつ可能性を示唆している。原らはこのことを、教育訓練を実施する企業へ
の補助金等の政策的支援を正当化するものだとみる。
「非正規労働者が高い割合を占めるという労働市場
の構造を前提」した上で、
「雇用形態に関係なくキャリア形成が可能となる人材活用のあり方、すなわち
働き方に関係なく能力開発の機会が提供され、能力向上に応じてより高度な業務に活用していく雇用管
理制度が必要」だと指摘している。

内部労働市場論は、人的資本論の特殊訓練との関係から、新古典派経済学と整合的な解釈が可能であ
る。しかし、マースデンの『雇用システムの理論』
、あるいは内部労働市場という言葉が広がるきっかけ
となったドーリンジャー=ピオレの『内部労働市場とマンパワー分析』をみても、人的資本論的な視点
は必ずしも重視されてはいない。ドーリンジャー=ピオレはつぎのように指摘する。内部労働市場にお
いて重要なOJTでは、自分のまわりで起こっていることへの好奇心やみせびらかしの欲求などが発端
となり、学習と指導は無意識のうちに起こる。内部労働者は費用をほとんどかけずにOJTの機会を得
ることができ、内部労働者は外部労働者よりも仕事の遂行により適する傾向をもつことになる。これは
企業特殊熟練に限らず、一般的技能においても同様にあてはまる。マースデンもまた、一般訓練の費用
は労働者によって負担されるはずであるというベッカーの指摘とは異なり、訓練費用は企業も負担する
ことがおおいことを指摘している。教育訓練はそもそもの発端から、内部労働者を中心に行われる傾向
をもっているのである。
内部労働市場が生成する要因には、特殊訓練を必要とするような仕事や技術の特性、企業内訓練のほ
かに慣習がある。慣習によって労使関係は安定化し、労働者と使用者双方に労働市場の価格付けと配分
機能を内部化する誘因が生じる。これらは単独では機能せず、経済学が認識する諸力(使用者が労務費

82
厚生労働省『平成 18 年版 労働経済白書』 195~197 頁を参照。
83
ベッカー前掲書の第3章では、人的投資に費やす時間を各期の消費を変数とする効用関数の条件付き
最適化問題に組み込んでモデル化し、人的投資の誘因を理論的に説明している。
84
労働政策研究・研修機構『非正社員の企業内訓練についての分析』 (労働政策研究報告書 No.110
2009)

85
正社員では、Off-JT実施事業所割合が 83.3%であるのに対し、非正社員では 44.0%となって
いる。

-59-
を削減しようとすることや労働者が雇用を獲得・維持しようとすること)と結合することによって機能
する。労働市場の内部化は労働者と使用者双方に雇用関係の安定というメリットをもたらすが、その一
方で、効率性に対する制約として働くこともある。特に経済的変化や技術的変化が急激に予期せぬ形で
生じた場合には、変化への適応を妨げるものとなる。86
新古典派経済学では労働者の賃金はその限界生産性に等しいとするが、これが成立するためには、固
定的な人件費が存在せず雇用関係は一時的なものであることが前提となる。企業の募集・採用や教育訓
練に係る費用の存在、長期的な雇用契約が労働者と使用者双方にメリットをもたらすものであることな
どを考えると、このような前提は現実には満たされない。採用された労働者が最初に就く「入職口」の
仕事にしても、
「職務評価」を通じて企業の中の他の職務と関係しており、その賃金水準を調整すること
は企業におけるすべての仕事の賃金に大きな影響を及ぼす。内部労働市場では、賃金は労働者ではなく
仕事と関係しており、限界生産性は労働者の賃金を決定するものではなく賃金に対する制約であるに過
ぎない。87
このように考えると、内部労働市場とは、価格調整メカニズムが作用する「市場」とみなすことは必
ずしも適切ではなく、
「管理」によって付加価値を配分するシステムと考えた方がよさそうである。日本
の内部労働市場では、労働者は、新規学卒時に企業に入職しその後は長期雇用のもとで技能が蓄積され
内部的な管理のメカニズムによって付加価値の配分を受けているとみなされる。付加価値の配分は限界
生産性によって一定の制約を受けるが、
限界生産性そのものが配分を決定する基準となるわけではない。

このように、日本の雇用システムが、企業内の管理的なメカニズムによる労働の配置という内部労働
市場の特徴を色濃く受け継いだものであるとの指摘は、ここでとりあげたマースデン、小池、ジャコー
ビィ等に限らず、おおくの論者に共通してみられるものである。こうした見方に対し、日本の雇用シス
テムをそれに付随する二次的労働市場を含め全体的に捉え直す必要があると指摘するのが先に引用した
野村正實である。
野村によれば、日本の労働研究は主として製造業の男性肉体労働者(3M)にしぼられている。女性
工員などを含む二次的労働市場や男性職員(ホワイトカラー)の世界を含めない限り、日本的雇用慣行
の全体像を描くことはできない。こうした広い視点に立つことで、日本の雇用システムと他の先進主要
国のそれとを比較し、これまで低い水準で推移してきた完全失業率の背景も理解することができるよう
になる。すなわち日本では、女性を中心に雇用情勢が悪化すると就業意欲を喪失した者が労働市場から
退出するという「就業意欲喪失効果」が広範にみられ、それが完全失業率をこれまで低い水準に止めて
きたのである。日本的雇用慣行は「会社身分制」であり、それは程度の差こそあれ戦前から継続してい
る。野村は、日本的雇用慣行がもつ人材育成能力よりもむしろ、それを支えるバッファーとしての二次
的労働市場の方に研究の焦点をあてる。その意味では、小池の知的熟練論とは二律背反的な研究姿勢と

86
なお内部労働市場の成立を説明する上で有効な理論としては、企業特殊技能の存在のほかに、労使間
の「暗黙の契約」に関する理論や、それを発展させたオリバー・ウィリアムソン(2009 年ノーベル経済
学賞受賞者のひとり)らの「特殊性をもった交換」の理論がある。ただしこれらの理論についても、ド
ーリンジャー=ピオレ前掲書は「制度としての内部労働市場が提起した課題に対し、回答を提示できそ
うもない」 (13 頁)としている。
87
ただし賃金が労働者ではなくその職務と関係しているというドーリンジャー=ピオレの指摘は、日本
の一般的な賃金制度を考えた場合には修正され得るものであり、日本においてはより人に依存した賃金
となっている可能性が高い。また欠員が補充される場合も、新たに人を割り当てるだけでなく、人に応
じて職務の詳細を組み替えるようなケースも一般的である。

-60-
なっており、同じ意味でマースデンが捉えている日本の雇用システムとも相反する認識をもつものであ
る。
野村は、OJTを通じて企業特殊的熟練を少しずつ身に付け、職務の階梯を進んでいくとする日本的
内部労働市場論について、その実証が欠如していることを指摘する。さらに野村によれば、日本的内部
労働市場論が確立したのは、
隅谷三喜男の論文
『日本的労使関係の再検討──年功制の論理をめぐって』
がドーリンジャー=ピオレ前掲書の内容を日本に紹介したときにさかのぼり、この論文の発表によって
内部労働市場という言葉はまたたく間に定着したという。
この際、
ドーリンジャー=ピオレ前掲書では、
内部労働市場とは「労働の価格付けと配分が管理規則や手続きによって統制される製造工場などのよう
な管理上の単位」88であるとされていたもの、隅谷は「持続的関係の内部における雇主と労働者の関係」
というように企業内部における単位であるように定義し直した。こうしてドーリンジャー=ピオレの理
論は、それまで日本に広く普及していた独占的大企業における長期雇用・年功制という説になぞらえて
実証的に解釈されることになり、これによって日本的内部労働市場論を生むきっかけが作られたとして
いる。
このように、日本的雇用慣行の全体像を内部労働市場論から切り離す野村の姿勢には、二次的労働市
場、あるいは労働市場から離脱した者をも含めて日本の雇用システムを考えることなしに日本的雇用慣
行の全体像を描くことはできないという強い認識が働いている。またその認識の背後には、女性工員の
ような企業にとって基幹的ではない労働者の存在とともに、日本の労働市場の宿痾ともいえる「二重構
造」の問題がある。

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88
ピーター・ドーリンジャー、マイケル・ピオレ(白木三秀訳)
『内部労働市場とマンパワー分析』 1
頁。

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