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文芸評論家としての H. P.

Lovecraft
  
“Supernatural Horror in Literature”を中心として  

尾 上 典 子

H. P. Lovecraft as a Literary Critic


  Special Reference to “Supernatural Horror in Literature”  

Noriko Onoe

Abstract
Howard Phillips Lovecraft died in relative obscurity. However, it is
said that his posthumous fame has eclipsed that of every other weird
fiction writer since Edgar Allan Poe. The secret of Lovecraft’s success
and his popularity seems to lie in innovation; he refused to write horror
tales in the conventional Gothic settings and defined weird fiction as the
literature of pure imagination. Throughout his life, he strove to create the
literature of cosmic horror. Furthermore, he was a man of analytical
intelligence when he devoted himself to the study of weird fiction. This
paper aims to prove that Lovecraft displayed great ability as a literary
critic through writing “Supernatural Horror in Literature.”
This essay, first published in 1927, is widely acknowledged as one of
the finest historical surveys of Western horror literature ever written.
Lovecraft discusses the entire range of horror literature from antiquity to
the 1930s, and expresses his own views on the theory and practice of
weird writing. It consists of ten chapters. It gains its scholarly value in
the last four chapters on Edgar Allan Poe, the weird tradition in America
and the British Isles, and the four “modern masters”―Arthur Machen,
Algernon Blackwood, Lord Dunsany, and M. R. James. Lovecraft
emphasizes that we should not confuse the true weird fiction with the
literature of mere physical fear and the mundanely gruesome; he claims
that the true weird tale deals with nature-defying illusions.
After the first publication in 1927, Lovecraft continued to take notes

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for additions to his essay for future republication. It is significant that
writing and revision of this treatise stimulated him to create his major
literary works. We should never forget that H. P. Lovecraft was not only
the leading author of supernatural fiction in the 20th century but the
analytical genius who wrote a superb critical essay on the history of
weird literature.

はじめに

ハワード・フィリップス・ラヴクラフト
 アメリカの怪奇・幻想作家 Howard Phillips Lovecraft(1890-1937 年)
によって書かれた“Supernatural Horror in Literature”(「文学における超
、1927 年に初出版)は、西洋の恐怖文学を歴史的に分析した極
自然的恐怖」

めて優れた論考であると広く認められており、この中で彼は古代から
1930 年代に至るまでの恐怖文学の全領域について考察するとともに、怪
奇文学作品についての彼自身の理論と実践について述べている。彼の著作
の中でまさしく中心的な位置を占めるこの論考は、作家としての彼の経歴
のほぼ中間地点で書かれており、怪奇小説についての彼の見解を体系化さ
せただけでなく、彼の創造力を活気づけて、その後の優れた作品を生み出
させた点でも極めて重要である。そして、この中で Lovecraft が取り上げ
た作家たちの作品が彼に及ぼした文学的影響について精察することを通し
て、アメリカ文学史に異彩を放つ彼の芸術の本質を把握する手がかりが得
られるであろう。
 本稿の第 1 章では“Supernatural Horror in Literature”執筆と出版の
経緯について述べ、Lovecraft がこの論考を完璧なものにするために情熱
を傾けて修正・加筆を繰り返したことに注目し、第 2 章では Lovecraft の
怪奇文学の真髄 Cosmic Horror(宇宙的恐怖)とはどのようなものである
と彼が定義していたかについて論じ、第 3 章では、彼が上記の論考の中で
特に高く評価した欧米の作家たちが彼の文学作品に与えた顕著な影響につ
いて考察する。

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尾 上 典 子

 生前は、殆ど無名のパルプ作家として Rhode Island 州 Providence で隠


者のような人生を送った Lovecraft の怪奇・幻想小説家としての名声は、
没後 80 年以上を経た 21 世紀初頭現在では Edgar Allan Poe に匹敵すると
言っても過言ではないが、“Supernatural Horror in Literature”について
論じることを通して、彼が創造力に富んだ天才芸術家であったと同時に、
分析的思考に熟達した文芸批評家であったと立証することが本稿の主旨で
ある。

第 1 章 “Supernatural Horror in Literature”執筆と出版の経緯

 Lovecraft は 1924 年 3 月 Sonia H. Greene と結婚したが、翌年 1 月 Cin-


cinnati で新しい職を得た彼女がそこへ移ったのち、Brooklyn の Clinton
Street のアパートで独り暮らしをしていた。1925 年 11 月に友人の印刷・
出版業者 W. Paul Cook が自分の主宰するアマチュア・ジャーナル The
Recluse に掲載するために「文学における恐怖と怪奇の要素についての評
1)
論」を書くよう、彼に要請した。Lovecraft が、その時までに恐怖文学に
精通していたことは言うまでもないが、彼はこの仕事を適切に行なうため
には、古典的怪奇小説を系統立てて、広範囲にわたって再読することが必
要であると認識した。
 Lovecraft は New York Public Library と Brooklyn Public Library で
仕事の多くを行ない、1926 年 4 月に Brooklyn を去って故郷の Providence
ウォルター・
に戻るまでに The Recluse の為の原稿の大半は完成していたが、Walter
デ ・ ラ ・ メ ア
de la Mare(1873-1956 年)をはじめとする数人の作家について書き加え、
論考が活字に組まれた 1927 年 5 月になっても校正の段階で Robert W.
Chambers(1865-1933 年)らに言及した。そして 1927 年 8 月に The Recluse
が発行されたとき、この雑誌のほぼ半分が Lovecraft の評論によって占め
2)
られていた。
 この論考は 10 章から成り、それらは第 1 章 Introduction、第 2 章 The

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Dawn of the Horror-Tale( 恐 怖 小 説 の 黎 明 )、 第 3 章 The Early Gothic
Novel(初期ゴシック小説)、第 4 章 The Apex of Gothic Romance(ゴシッ
、第 5 章 The Aftermath of Gothic Fiction(ゴシッ
ク・ロマンスの最盛期)

、第 6 章 Spectral Literature on the Continent(ヨ


ク・フィクションの余波)

ーロッパ大陸における幽霊文学)、第 7 章 Edgar Allan Poe、第 8 章 The

Weird Tradition in America(アメリカにおける怪奇文学の伝統)、第 9 章


The Weird Tradition in the British Isles(イギリス諸島における怪奇文学の
、第 10 章 The Modern Masters(現代の巨匠たち)である。
伝統)

 The Recluse の出版後、完璧主義の Lovecraft は将来彼の論考が再版さ


れるときに加筆すべき作品について“Books to mention in new edition of
weird article”と題するリストを作成し、友人たちへの手紙の中で、自分
3)
の評論に含めるべき怪奇作家たちについてしばしば触れていた。しかし
The Recluse は 1 号だけで廃刊となり、改訂版の出版の機会が訪れたのは
Charles D. Hornig が彼の編集している The Fantasy Fan 誌にこのエッセ
イの連載を望んだ 1933 年の秋であった。Lovecraft は The Recluse に発
表された評論に注を付けて主要な追加箇所をタイプで打ったものを直ちに
Hornig に送ったが、実質的には殆ど修正されずに出版された。 彼は、
ホ ジ ス ン
1934 年 8 月に初めて知った作家 William Hope Hodgson(1877-1918 年)を
4)
極めて高く評価して、新しい項目を付け加えることを望み、1935 年 4 月
グスタフ・マイリ ン ク
に Gustav Meyrink(1868-1932 年) の Der Golem(『ゴーレム』、1915 年)
を読んで、名高い映画版に基づいて自分が書いた批評が原作とは異なって
いた点を修正する必要があると気づいた。
 しかし Fantasy Fan 誌が 1935 年 2 月で廃刊となったので、1933 年 10
月から開始していた評論の連載は第 8 章の半ばで打ち切られたが、1936
年に Willis Conover が Fantasy Fan 誌が中断した箇所以降の論考を、彼
が発行していた Science-Fantasy Correspondent 誌に連載することを希望
した。 連載の再開に先立ち Lovecraft は最初の 8 章の梗概を準備し、
Conover は全ての訂正箇所を修正してタイプで打ち直したものを Love-

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尾 上 典 子

craft に送り、受け取った彼は最終的な訂正を行なっていたが、癌の末期
症状であったために Conover に送り返すことができず、この論考の改訂
版が Conover の雑誌で連載されることはなかった。
 “Supernatural Horror in Literature”の最初の完全な改訂版は Love-
ダ ー レ ス
craft を敬愛していた作家 August Derleth が編集した The Outsider and
Others(Arkham House, 1939)に収録されたが、Derleth がどの版を使用し
たかは幾らか謎に包まれており、Lovecraft の遺産管理者 Robert Barlow
が Brown 大学の John Hay Library に寄贈した Lovecraft の著作の中から
Conover のタイプ原稿を発見した Derleth が、この原稿と The Recluse に
掲載されたものに基づいたのであろうと、名高い Lovecraft 研究家 S. T.
5)
Joshi は指摘している。
 Lovecraft がこの論考の前半を執筆する上で最も参考にしたと思われる
資料はゴシック文学研究の開拓者 Edith Birkhead 著 The Tale of Terror:
A Study of the Gothic Romance(1921 年)であり、彼は第 4 章の終わりの
マチューリン
部分で Birkhead が C. R. Maturin(1782-1824 年)の Melmoth the Wanderer
6)
(『放浪者メルモス』、1820 年)について論じた一節を引用している。しかし

ながら、ゴシック・ロマンスの伝統を継承しつつも幻想文学と短編小説全
般における全く新しい伝統を創造した作家として Poe を定義した第 7 章
以降の文学論は極めて独創的なものであり、アメリカとイギリス諸島にお
ける怪奇文学の伝統について述べた第 8 章と第 9 章、そして 19 世紀後半
から 20 世紀初頭の時期に生み出された夥しい怪奇小説から鋭い洞察力に
マ ッ ケ ン
よって Lovecraft が選び出した 4 人の作家―Arthur Machen(1863-1947 年)、
ダ ン セ イ ニ
Algernon Blackwood(1869-1951 年 )、Lord Dunsany(1878-1957 年 )、M.
R. James(1862-1936 年)の傑作について彼が生き生きと論じた第 10 章は
圧倒的な迫力に満ちている。Lovecraft が彼の評論の中で、古代ギリシャ
の叙事詩やギリシャ悲劇について殆ど言及していない一方で Dunsany や
Machen が余りにも高く評価されており、怪奇小説の歴史的発展の本流を
成すものであるか疑問であるような作家の作品も取り上げている点を批判

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するのは容易であるが、彼が並々ならぬ情熱を傾けて 10 年以上の歳月に
わたり推敲し続けた“Supernatural Horror in Literature”が「超自然的
7)
文学について論じた最高の歴史的考察」であることを何人も否定できない
であろう。

第 2 章 Lovecraft の文学における Cosmic Horror

 “Supernatural Horror in Literature”の冒頭で Lovecraft は次のように


述べている。

 人間の感情の中で最も古く、最も強烈なものは恐怖である。その中で
最も古く、最も強烈なものは、未知のものに対する恐怖である。この事
実に異論を唱える心理学者は殆どいないであろう。これが真実と認めら
れれば、文学の一形態としての怪奇的恐怖小説の純粋性と威厳が永遠に
8)
確立されることであろう。

 更に彼は 1933 年に執筆したと思われる“Notes on Writing Weird Fic-


tion”(「怪奇小説の執筆について」)の中でも、「恐怖は我々の心の最も奥底
に潜む、最も強烈な感情であり、自然の法則に挑むような幻想を創造する
のに最も役立つ」と述べ、自分が怪奇小説を選んだのは、それが自分の気
9)
質に最もよく適合していたからであると説明している。そして彼は“Super-
natural Horror in Literature”において「単なる肉体的恐怖と現世的な戦
慄」を描いた文学と「真の怪奇小説」(true weird tale)を混同すべきでは
なく、超自然的な宇宙的恐怖を主題にした小説こそ、真の怪奇小説である
と定義している。
 Lovecraft が彼の文学的創造に最大の影響を及ぼすことになる Poe の作
品を読み始めたのは 8 歳頃であったが、ちょうど同じ時期に彼は自然科学
に強い興味を持ち、化学への関心から地下室に小さな実験室を設け、次に
地理学に引きつけられて、南極大陸や前人未到の遠方の地の魅力の虜とな

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った。そして 12 歳の時に天文学と出会って以来、地球以外の星々や、想
像も及ばぬ宇宙の深淵の圧倒的な魅力が彼のその後の人生に決定的な影響
を及ぼすに至った。このような精神的背景を持つ彼は、自己の理想とする
文学を構成する必須の要素について、次のように述べている。

 真の怪奇小説は、秘密の殺人、血まみれの骸骨、決まりきったように
鎖を引きずって重々しい音を響かせながら歩く経帷子をまとった人影な
どを越えた何かを持っている。すなわち、外部の未知の力に対する、息
もつかせぬ、説明しがたい恐怖の持つ、ある種の雰囲気が存在せねばな
らない。更に、人間の脳が思い描く考えの中で最も恐ろしいもの   混
沌の深淵からの襲撃や底知れぬ宇宙の悪鬼たちから唯一我々を守ってく
れる確固たる自然の法則を、悪意をもって一時的に停止させたり、覆し
たりすること   が、物語の主題に相応しい深刻さと不吉さをこめて暗
10)
示されねばならない。

 広大無辺の宇宙の調和を維持している自然の法則が蹂躙されることに対
する計り知れぬ恐怖を描き続けることが自分の文学的使命であると信じた
Lovecraft は“Supernatural Horror in Literature”において定義した Cosmic
Horror の理念を“Some Notes on Interplanetary Fiction”(「惑星間旅行小
説の執筆に関する覚書」、1934 年)の中で発展させ、「怪奇小説においては、
他の何よりも、自然の法則からの逸脱によってもたらされる法外な怪異性
が描かれるべきであり、これに遭遇した登場人物は…殆ど魂が粉々に砕け
11)
るような驚愕を示すべきである」と主張した。すなわち彼には、ゴシック
小説の因襲的な舞台装置や小道具に頼りすぎる陳腐な恐怖小説を真の怪奇
小説と呼ぶことはできず、宇宙の調和を維持している自然の法則が束の間
にせよ蹂躙される場面に居合わせた人間が感じるはずの「魂が粉々に砕け
るような」凄絶な驚愕   宇宙的恐怖がもたらす戦慄   を、迫真性をも
って描いた文学こそ真の怪奇文学と呼ぶにふさわしいと訴えたのである。
 Lovecraft の作品に登場する人々の性格描写が巧みに行なわれていない

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とか、彼らが運命に翻弄され過ぎているという非難がしばしば聞かれるが、
怪奇小説の真の「主人公」は人間ではなく「一連の現象」であると彼は確
言している。更に彼の心に想像力の閃きを生じさせたものは、人間と人間
との関係ではなく、宇宙によって代表される未知のものと人間との関係で
あった。
「地球を拡大視して、その背景を無視するような原始的な近視眼を
12)
持つことは私にはできない」と彼は述べている。
“A Confession of Unfaith”
(「不信仰の告白」、1921 年)の中で Lovecraft は、天文学に心を奪われて宇

宙の壮大さに圧倒され、13 歳になる前に人間がいかに微小な取るに足り
13)
ぬ存在であるか熟知し、17 歳の頃には悲観的な宇宙観を抱くに至ったと
述べており、超然たる宇宙的観点に立つようになった結果、人類は地球上
では重要な存在であるが宇宙においては無価値な存在であるという確信を
深めていった。このような理念に基づいて創造された彼の作品が不健康で
非道徳的であると 20 世紀初頭のアマチュア・ジャーナリストたちから酷
評されたとき、彼は、怪奇的なもの、幻想的なもの、そして恐ろしいもの
でさえも、健康的でありふれたものと同じように、芸術として取り上げる
に値するのだと反論するために Oscar Wilde の文学論を援用して、「不健
全な芸術作品とは……芸術家が喜びを見出すからではなく、大衆に代償を
14)
支払ってもらうために、意図的に主題が選ばれるような作品である」と述
べた。彼は、怪奇小説家を、豊かな想像力によって平凡な日常生活から離
脱することが出来る感受性に富んだ繊細な人々のためにのみ「黄昏の幻想
と幼年期の想い出を歌う詩人」として定義し、名声と金のために大衆に迎
合して通俗小説を書くことこそ不健全であると考えていたのであった。
 Lovecraft は、宇宙的恐怖を取り扱った文学作品はこれまで数多く存在
してきており、Dickens や Henry James のように怪奇作家とは趣を異に
する作家たちが自然の摂理を超越する現象によって引き起こされる極限の
恐怖をしばしば描いてきたと指摘する一方で、宇宙的特質を備えていた代
表的怪奇作家として Poe、Maturin、Dunsany を例にあげ、「宇宙的恐怖
15)
を芸術の極地にまで高めた存命中の作家」として Arthur Machen を称賛

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した。自らを取るに足りぬ三文文士と謙遜している Lovecraft ではあったが、


自分が確かに宇宙的な感覚を非常に強く持っていると認識していた点も無
視できないであろう。
 ここで我々が注目する必要があるのは、実は Lovecraft が Cosmic Horror
に対して抗しがたい魅力を感じていたことである。陰鬱な諦念と虚無主義
だけで、人間界に侵入しようとする未知の生命体や、物質界と精神界を隔
てる深淵から姿を現わす異形の魔物を創造することは不可能であろう。人
間に平穏な生活を保証してくれる自然の秩序や調和がかき乱される恐怖に
慄然とする人々の姿を写実的に描写する一方で、彼が、そのような超常現
象が引き起こす恐怖に対して、激しい憧憬の念を抱いていたことを忘れて
はならない。「我々を永久に束縛している、時間と空間と自然の法則の苛
立たしい制限を、不思議なことに一時的に保留にしたり覆すことができる
という幻想を束の間でも手に入れることが、私の最も強く、常に変わるこ
16)
とのない望みの一つである」と彼は語っている。更に彼は、親しく文通し
ていた作家 Clark Ashton Smith(1893-1961 年)への書簡の中で「自分が
創作に没頭する中で快感を覚え、心の鬱積が解消されるのは、宇宙の秩序
17)
の崩壊そのものとそれに伴う解放感を描く場合である」と明言している。
このように Lovecraft は、生涯を通して、宇宙的恐怖を表現することに創
造的な情熱を捧げ続けたのであった。

第 3 章 超自然的恐怖を描いた作家たちと Lovecraft

 既に述べた通り Lovecraft が“Supernatural Horror in Literature”に


おいて極めて独創的な作家論と作品論を展開しているのは第 7 章 Edgar
Allan Poe 以降であるが、それ以前の部分で、彼の文学的創造に多大な影
響を与えたと推察される作家たちについて考察する。
 まず、自らの魂を代償として超自然的な長命を悪魔から与えられた 17
世紀アイルランドの紳士 Melmoth を主人公とした Maturin の Melmoth

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the Wanderer について Lovecraft は、この作品によってゴシック小説は
初めて霊的な恐怖の域に達したと評し、恐怖というものが人類の運命全体
18)
に暗影を投げかける忌まわしい雲として描かれていると指摘した。Balzac
ゲ ー テ
によって Goethe の Faust(『ファウスト』)と並び称される近代ヨーロッパ
文学の中で最高の寓意的人物を描いた作品とみなされたこの小説が、異常
な長命を保ち続けた New England の錬金術師 Joseph Carwin が登場する
The Case of Charles Dexter Ward(『チャールズ・デクスター・ウォード事件』、
1927 年)を Lovecraft が生み出す契機になったと類推される。

 次に、Mary Shelley 作 Frankenstein; or, The Modern Prometheus(『フ


ランケンシュタイン』、1818 年)が Lovecraft の“Herbert West―Reanima-

tor”(「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」、1921-1922 年)に影響を与えたと
一般に認められており、知性を狂信する余り、死体を繫ぎあわせて人造人
間の怪物を作った科学者と医師 West とは多くの共通点を持ち、Victor
Frankenstein と Herbert West は、ともに、科学者としての高慢な自信が
産み出した怪物に滅ぼされることになる。Lovecraft は、Frankenstein に
道徳的教訓主義の傾向があるのを快く思わなかったが、真の宇宙的恐怖の
19)
特質が示されている点を称賛した。
モ ー パ ッ サ ン
 狂気に囚われた Guy de Maupassant が書いた恐怖小説“Le Horla”(「オ
ルラ」、1886 年) は、異界の暗闇から襲来した目に見えない生物が不運な

人間に付き纏う有様を活写したものであると Lovecraft は述べており、彼


の傑作“The Dunwich Horror”(「ダンウィッチの怪」、1928 年) の中で、
時間と空間の法則を超越した不定形の神 Yog-Sothoth(ヨグ = ソトース)
と地球上の女性の間に生まれた怪物が人間の眼では実体を捉えられない存
在であるために恐怖を撒き散らすという箇所は、明らかに“Le Horla”の
影響を受けたと推察される。
 第 7 章 Edgar Allan Poe において Lovecraft は、Poe を怪奇小説の発展
において中心的役割を果たしていた人物として極めて高く評価し、恐怖文
学の年代記に写実主義の新しい基準を打ち立てた点に注目している。そし

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て彼は、科学的姿勢で人間の心理を探求し、恐怖の真の根源についての分
析的知識を用いて作品を創造した Poe が病的異変、倒錯、頽廃を芸術的
ボ ー ド レ ー ル
に表現できる主題にまで高めた結果 Baudelaire に絶賛されて、その芸術
理念がフランス象徴派とデカダン派の文学活動の中核となったと指摘して
20)
いる。超自然的恐怖を描いた Poe の作品が Lovecraft に及ぼした影響は計
り知れぬものである。Lovecraft の“The Outsider”(「アウトサイダー」、
1921 年)は、古城の中で孤独な半生を送ってきた主人公が鏡に映った自ら

の姿を初めて見たときに凄絶な醜怪さに戦慄し、人間社会で生きることを
許されぬ運命を受け容れるという筋で、彼が詩的効果を称賛した Poe の
“The Masque of the Red Death”(「赤死病の仮面」、1842 年)を思い起こさ
せる古典的雰囲気の作品である。彼自身はこの小説を「Poe の作品に対す
る無意識の模倣が最高潮に達したもの」と自嘲しているが、詩的香気と超
自然的恐怖が融合している点において、“The Outsider”が彼の最高傑作
の一つであることは否定できないであろう。
 Poe の“The Fall of the House of Usher”(「アッシャー家の崩壊」、1839
年)を Lovecraft は「長い歳月にわたって孤立してきた一族の歴史が終わ

るとき、兄と、双子の妹と、信じられぬほど古い館という三つの存在が異
21)
様に結びついて一個の魂を共有し、同時に死滅する」物語であると解説し
ている。“The Fall of the House of Usher”の影響が最も顕著に表われた
Lovecraft の作品は“The Haunter of the Dark”(「闇をさまよう者」、1935
年)で、この物語の主人公の作家 Robert Blake は死の直前に書き残した

日記の中で自らを Roderick Usher に譬えている。すなわち、かつて悪魔


崇拝の儀式を行なっていた古い教会と、そこに棲んでいた悪霊   Love-
ナイアルラトホテップ
craft が 創 り あ げ た 変 幻 自 在 の 魔 神 Nyarlathotep の 化 身 の 一 つ   が
Blake の精神に取り憑くが、嵐の夜に雷が教会を襲ったときに、その悪霊
は滅び去り、同時に Blake も息絶えるのである。
 Lovecraft の At the Mountain of Madness(『狂気の山脈にて』、1931 年)は、
南極を舞台とした恐怖小説であるが、約 5000 万年前に宇宙から地球を訪

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シ ョ ゴ ス
れた旧支配者たちが作り出した不定形の生物 Shoggoth が発する「テケリ・
リ!  テ ケ リ・ リ!」 と い う 叫 び は、Poe の The Narrative of Arthur
Gordon Pym of Nantucket(『アーサー・ゴードン・ピムの物語』、1838 年)
に登場する南極の滝の向こうから飛んでくる巨大な白い鳥の声と同じもの
で あ っ た。 更 に Lovecraft の“The Hound”(「 魔 犬 」、1922 年 ) や“The
Rats in the Wall”(「壁の中の鼠」、1923 年)のような小説だけでなく多く
の詩も、Poe から霊感を得て書かれたと感じられる。第 7 章の終わりの部
分で Lovecraft は、Poe の作品の主人公は Poe 自身の心理を反映している
ように思えると述べているが、「誇り高く、陰鬱で、知性的で、感受性が
豊かで、移り気で、内省的で、孤独で、古い裕福な家柄の出身で……風変
わりな伝説の知識があり、宇宙の禁じられた秘密を理解しようという暗い
22)
野望を抱いている場合が多い」と評した Poe の主人公たちの性格が、殆
ど Lovecraft 自身にあてはまることに我々は驚かされる。
23)
 第 8 章の冒頭で Lovecraft は、Paul Elmer More の説を引用しながら、
初期 New England の植民者たちの熱烈な精神的・神学的関心に加えて彼
らが飛び込んだ場所の不可思議で人を寄せつけない性格から、怪奇的連想
を起させる精神的土壌が生まれたのだと説いている。すなわち、清教徒の
神政政体のもとで日常生活の全てが宗教理念に支配されて感情が抑圧され、
恐怖を秘めた広大な薄暗い原生林と顔立ちも風習も異様な先住民の群れに
おののきつつ生存のための苛酷な闘いの日々を送るうちに、Salem の魔女
裁判から長い歳月を経た後でも、魔術や信じがたい怪物に関する物語が存
続するような環境が誕生したと彼は指摘して、Nathaniel Hawthorne の The
House of the Seven Gables(『七破風の家』、1851 年)を「怪奇文学に対して
24)
New England が行なった最大の貢献」と評している。古色蒼然たる Salem
の館を舞台としたこの作品では、魔術師として処刑された Matthew Maule
が自分を陥れた Pyncheon 大佐にかけた呪いが幾世代にもわたって引き起
こす悲劇が描かれており、Lovecraft は、この屋敷を覆う邪悪な気配が Poe
の Usher の館に漂う妖気に匹敵する生命力を持っていると述べている。そ

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尾 上 典 子

して彼は、一族の誰かの死を予告するハープシコードの妖しい調べや、古
めかしい居間での Pyncheon 判事の謎の死について描かれた場面を特筆に
値するものと記しているが、超自然的恐怖作家としての彼は、Pyncheon 一
族の末裔である快活な娘 Phoebe と Maule 一族の子孫の好青年 Holgrave が
幸福に結婚して呪いが解けてしまうことを残念がっている。The House of
the Seven Gables は、New England の朽ちかけた農家に住む怪老人が 16 世
紀の古書『コンゴ王国』に描かれた食人族の肉屋の絵に魅了されている様
を描いた“The Picture in the House”
(「家の中の絵」 、Providence
、1920 年)

にあり、住人たちの生気を吸い取る悪霊が棲み続けてきた古い家を主題と
した“The Shunned House” 、さきに述べた
(「忌み嫌われる家」、1924 年)

The Case of Charles Dexter Ward などの Lovecraft の作品に影響を及ぼ


したと推察される。Lovecraft は、Hawthorne にとって超自然的恐怖を追
求することが創作の第一の目的ではなく、自分の幻想を教訓的寓意小説と
いう生地の中に織り込まずにはいられなかったのだと指摘しながらも、真
の宇宙的恐怖を描き出すことができた偉大な作家であると称揚している。
 Ambrose Bierce の作品を Lovecraft が初めて読んだのは、1919 年に友
人の作家 Samuel Loveman(1889-1976 年)から勧められたときであった。
Lovecraft は、Bierce の物語は事実上全てが恐怖小説であり、多くの小説
で自然界の物理的・心理的恐怖だけが取り扱われているが、邪悪な超自然
的要素が含まれており、アメリカ怪奇文学の不朽の最高峰と呼べる作品も
あると論じている。Lovecraft は、Loveman が Bierce の書簡集 Twenty-one
Letters of Ambrose Bierce(1922 年)の冒頭に書いた序文を引用して、熱
愛した母の亡霊によって魔性の森の中で絞殺される男を主人公とした“The
Death of Halpin Frayser”(「ハルピン・フレイザーの死」、1891 年)の中で
25)
Bierce が創りあげた悪夢の恐怖の雰囲気を称賛した。更に、Bierce の“The
Damned Thing”(「怪物」、1893 年)に登場する透明で不可視の妖怪は、“Le
Horla”と同様に、“The Dunwich Horror”の怪物に大きな影響を与えた
と見なせるであろう。

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 Lovecraft は彼の論考の校正段階で、1927 年に初めてその作品に出合っ
た Robert Chambers の項目を書き加え、短編集 The King in Yellow(『黄
衣の王』、1895 年)の中の“The Yellow Sign”(「黄の印」)に特に注目して
ハ ス タ ー
いる。この作品の中で Chambers は Bierce の小説に登場する Hastur や
カ ル コ サ
Carcosa のような創作神話上の名称を借用しており、主人公の画家のモデ
ルを務める若い女性が偶然拾った黒い縞瑪瑙のブローチに刻まれた金の象
嵌の奇怪な文字が、ヒアデス星団の Carcosa における Hastur への呪われ
た信仰の証として知られてきた恐ろしい「黄の印」であると分かり、画家
とモデルは、この印を探し求めていた、何カ月も前に死んだはずの男に命
を奪われる。Lovecraft は“The Whisperer in Darkness”(「闇に囁くもの」、
1930 年) の中で、Vermont 州に住む初老の Henry Akeley が告げる宇宙
26)
の物語において Hastur や「黄の印」に触れている。
 ユーモア作家 Irvin S. Cobb(1876-1944 年)の“Fishhead”(1913 年)は、
なまず
魚に似た顔立ちの白痴の混血児を殺した少年たちが湖の大 鯰 に殺される
怪談であり、不死性を獲得した異形のものたちが住む New England の町
Insmouth の恐怖が描かれた“The Shadow over Innsmouth”(「インスマ
27)
スを覆う影」、1931 年)を Lovecraft が生み出す契機の一つとなった。

 Lovecraft は 1922 年以来文通し続けてきた詩人・小説家で画家・彫刻家


でもあった Clark Ashton Smith に深い感銘を受け、
「無限の天空と多次
元の世界の華麗かつ強烈に歪んだ幻影」を描き出した Smith を称賛して
いた。彼らは互いに影響を与え合いながら創作しており、Smith が創案し
ツ ァ ト ゥ グ ア
た大蝦蟇に似た魔神 Tsathoggua について Lovecraft は“The Whisperer
in Darkness”と(彼が Zealia Bishop のために代作した)
“The Mound”(「墳
丘の怪」、1929-1930 年)の中で触れている。Smith は、Lovecraft が自作の
『 ネ ク ロ ノ ミ コ ン 』
中で魔道書としてしばしば言及している Necronomicon にヒントを得て
『 エ イ ボ ン の 書 』
The Book of Eibon を生み出した。Lovecraft は Smith の長詩 The Hashish-
Eater(『大麻吸引者』、1922 年)では、星々の間の宇宙における変幻自在の
28)
悪夢の混沌の信じがたい光景が繰り広げられていると評した。

94
尾 上 典 子

 第 9 章 The Weird Tradition in the British Isles で、Lovecraft は Rud-


yard Kipling、Lafcadio Hearn、Oscar Wilde 等に触れた後、余りにも有
名な Bram Stoker の Dracula(『吸血鬼ドラキュラ』、1897 年) を、英文学
において不滅の地位を占める傑作と称賛している。
 児童文学作家であり怪奇小説家でもあった Walter de la Mare を Love-
craft が知ったのは 1926 年のことであり、目に見えない神秘的な世界を常
に身近で現実に存在するものとして描いた de la Mare の The Return(『死
者の誘い』、1910 年) に言及している。18 世紀に自殺した男の霊が、偶然

その墓のそばを訪れた、ごく平凡な人生を送ってきた主人公の中に入りこ
み、容貌がその男の生前の顔立ちに化したために引き起こされる悲劇を扱
ったこの作品は、謎の死を遂げた牧師の霊を呼び寄せて彼と同じ容貌にな
った男を主人公とした Lovecraft の“The Evil Clergyman”(「邪悪な牧師」、
1933 年)に影響を与えたとみなされる。

 1934 年に初めて知った William Hope Hodgdon について Lovecraft は、


Borderland 三部作と呼ばれる The Boats of the “Glen Carrig”(『グレン・
キャリグ号のボート』、1907 年)、The House of the Borderland(『異次元を

、The Ghost Pirates(『幽霊海賊船』、1909 年)、と大長編


覗く家』、1908 年)

小説 The Night Land(『ナイトランド』、1912 年)等について論評している。


Hodgson の最高傑作 The House on the Borderland は、現実と超自然界と
の境界に立っているアイルランドの妖気漂う屋敷に住む男が、異次元から
侵入しようとする怪物たちと闘いつつ黙考に耽るうちに意識(精神)だけ
の存在となって無限の時間にわたり宇宙空間を放浪して太陽系の終末を目
撃するという内容であり、過去・現在・未来のどの場所に存在する生物と
でも意識の交換を行なえる地球外生物によって数年間自分の意識を奪われ
ていた大学教授を主人公とした“The Shadow out of Time”(「時間からの
29)
影」、1934-35 年)を Lovecraft が生み出す手がかりになったと推察される。

 19 世紀後半から Lovecraft 自身の時代までの時期で特筆すべき 4 人の


怪奇作家 Arthur Machen、Algernon Blackwood、Lord Dunsany、M. R.

95
James について彼が精察した第 10 章は、学術的に重要視されている。ま
ず Machen についてであるが、Lovecraft は彼を「宇宙的恐怖を最も芸術
30)
的高みにまで昇華した存命中の作家」と絶賛し、1923 年に彼の作品を推
奨してくれた友人 Frank Belknap Long が Machen の豊かな天賦の資質と
表現の魔術を称えた詩“On Reading Arthur Machen”(「アーサー・マッ
ケンを読みて」、1926 年)を引用している。Machen の名高い恐怖小説“The

Great God Pan”(「パンの大神」、1894 年)は「物質界と精神界という二つ


の世界の間に深い口を開けている、言葉で言い表わすことも、想像するこ
31)
ともできない亀裂」に橋が架けられたために起こった惨劇を描いており、
脳に恐ろしい手術を施された娘 Mary が「自然の神」、すなわち人間の存
在の根幹を揺るがすような圧倒的な力を持つ原初的存在としての牧神の姿
を見た結果、恐怖の余り狂死するが、死の数日前に娘を出産する。Mary
と牧神の間に生まれた娘 Helen Vaughan は森でしばしば不可思議な存在
と戯れ、成長すると、人間を超越した美貌と凄絶な邪悪さで、自分の虜と
なった男たちを狂気と死に追いやる。しかし遂に罪を暴かれた Helen が
自殺を強いられたとき、死ぬ間際に彼女の体は男になったり女になったり
した後、獣の姿と人間の姿の間で退化と進化を繰り返し、最も原始的な生
物にまで変容した末に溶解して、黒い液体と化してしまう。Lovecraft の
“The Dunwich Horror” で Wilbur Whateley が Lavinia と 魔 神 Yog-So-
thoth の間に生まれた息子であったこと、猛犬に襲われて絶命する間際に
Wilbur の体が溶解して行ったことを思えば、
“The Great God Pan”が絶
32)
大な影響を及ぼしたことは自明の理である。
 次に、Lovecraft が Machen の最高傑作と呼んだ“The White People”
(「白魔」、1904 年)は、
「罪の本質とは、禁断の方法で、この世とは異なる、
33)
より高い次元に侵入することである」と神秘主義哲学者が語り、今は亡き
少女の日記を友人に渡す所から物語が始まる。乳母から伝授された禁断の
魔術と魔女信仰のしきたりについて無邪気な少女が記した手記には、13
歳になった彼女が Wales の暗い森の中で、身を滅ぼす原因となる美しく

96
尾 上 典 子

謎めいた存在に遭遇したと綴られている。Lovecraft が指摘しているように、
この少女は“The Great God Pan”の Mary と同様に、恐るべき神を見て
しまったのであり、やがて彼女は毒薬で自殺してしまう。Lovecraft は、
この小説に秘められた激烈な恐怖について、森の奥の不可思議な存在に魅
了されてきた少女は、古代の彫像を愛していたにも拘わらず、何らかの超
自然的手段で、その子を妊娠したと知り、人間とは異なる名状しがたい恐
ろしい生きものを産む恐怖に耐え切れずに自殺したのだと、J. Vernon
34)
Shea に宛てた手紙の中で分析している。
 Machen の The Three Impostors(『 三 人 の 詐 欺 師 』、1895 年 ) の 中 の
“Novel of the Black Seal”(「黒い石印」)は、Wales の石灰岩に記された文
字と古代バビロニアの黒い石印に刻まれた文字が不思議にも一致している
ことを発見した大学教授が Wales の丘陵地帯の地下に太古の昔から棲み
こ びと
続けてきた邪悪な矮人と対決しに行くが不帰の人になるという内容であり、
綿密な調査によって得た断片的な知識を総合して一見関わりなく見える様々
な出来事を関連づけている怖ろしい真実を探り出す点で、Lovecraft の
“The Call of Cthulhu”(「クトゥルーの呼び声」、1926 年)の構成に大きな影
35)
響を及ぼしている。同じく The Three Impostors の中の作品“Novel of
the White Powder”(「白い粉薬の話」)を Lovecraft は「忌まわしい恐怖の
絶対的な極地」と評している。この物語では、弁護士になるために猛勉強
に励んできた若者が老薬剤師の調剤した白い粉薬を常用した結果、別人の
ような放蕩者となり、遂に体が溶けて液体でも固体でもない腐った黒い塊
と化し、この塊に潜む怪物は、医者の手斧で滅ぼされる。若者が飲んだの
サバト
はただの塩だったのだが、歳月と温度のために変質して魔宴の酒の材料と
なる粉薬と同じ成分になっていたのである。この衝撃的な物語から着想を
得て Lovecraft は、死を根絶する実験に一生を捧げてきた博士が死後 18
年間冷気の中で生命を維持してきたが冷房装置の故障のために黒い粘液と
36)
化してしまう怪談“Cool Air”(「冷気」、1926 年)を創作した。
 恐怖の極地を詳細に描く強烈さにおいては Machen に及ばないとしても、

97
非現実的な世界が絶えず我々の世界に攻め込もうとしているという考え方
に執着して平凡な物事や経験の奥に潜む不可思議さを記録するときの技巧、
真摯さ、細部に至るまで真に迫った描写、現実の世界から超常的世界での
生活や幻影へとつながって行く全ての感覚と知覚を綿密に構築する超絶的
な洞察力という点において、Algernon Blackwood ほど優れた作家はいま
37)
だかつて存在しないと Lovecraft は主張している。そして彼は、Black-
wood の主要な作品が、宇宙には不可思議な霊的世界や霊的存在が確かに
あるという畏怖の念を読者に起こさせるのだと述べ、作家 Fritz Leiber に
宛てた手紙の中で、Blackwood の“The Willows”(「柳」、1907 年) が古
38)
今の怪奇小説の中で最高傑作であると強調した。この物語は、ドナウ川下
流の小さな孤島に偶然足を踏み入れた二人の旅人が名状しがたい存在の力
に慄然とする有様を描いたもので、人間に汚されることなく太古の自然の
霊が生きている世界に侵入してきた人間たちに対して凶悪な敵意を抱いた
柳の木々が二人を滅ぼそうと襲って来る。次に“The Wendigo”(「ウェン
ディゴ」、1910 年) はカナダの森林地帯に潜むと言われる伝説上の怪物を

主題としたもので、Lovecraft は、信じがたいものの存在を足跡によって
示す Blackwood の芸術的技巧に感嘆しており、この手法を用いて“The
Dunwich Horror”に登場する不可視の怪物の動きが地面や草の上に残さ
39)
れた巨大な足跡によって分かるという設定にした。John Silence―Physi-
cian Extraordinary(『心霊博士ジョン・サイレンス』、1908 年) は心霊医師
が活躍する五つの短編小説から成り、Lovecraft は、その中で、17~18 世
紀に魔女や魔術師の本拠であったフランスの町で町中の人々が夜になると
猫に変身して魔宴に興じる有様を活写した“Ancient Sorceries”(「いにし
えの魔術」) に感嘆しており、一つの町の全ての住民が人間以外の生き物

に変身するという構想は、奇怪な半魚人たちが夜の町を支配する恐怖を描
40)
いた“The Shadow over Innsmouth”に見事に生かされている。
 アイルランドの小説家・劇作家 Lord Dunsany は Poe とともに Love-
craft の創作に最も大きな影響を及ぼした作家と言われており、彼の多く

98
尾 上 典 子

の初期の作品は壮麗な幻想美を特徴とする Dunsany の作風をモデルとし


ていた。Lovecraft は Dunsany が 1919 年に Boston で行なった講演を聞
きに行っており、アマチュア・ジャーナリストのグループを対象とした講
演の台本“Lord Dunsany and His Work”(「ダンセイニとその業績」、1922
年)の中で「ギリシャ・ローマ、ヘブライ、北欧、アイルランドの美的伝

統が不思議に見事に融合した非凡な巨人」であり、人間を超越した神のよ
41)
うな幻視力を持っていると彼を評した。1905 年の処女作 The Gods of
Pegãna(『ペガーナの神々』)に代表されるように Dunsany の作品の基調と
なるものは「恐怖」というよりは「美」であるが、Lovecraft は彼の作品
の中に真正の怪奇小説の伝統を継承した宇宙的恐怖が時折表現されている
と指摘している。Dunsany の幻想的な創作神話に魅了された Lovecraft
ク ト ゥ ル ー ヨ グ = ソ ト ー ス ユ ゴ ス
が Cthulhu、Yog-Sothoth、Yuggoth のような人工的な神々や神話的背景
42)
の着想を得たことは周知の事実であり、彼は創作に対する Dunsany 男爵
の貴族的態度に心酔していた。すなわち、優れた知性や豊かな感受性を持
たぬ俗物大衆や文壇の支配的グループに屈して自己の芸術を堕落させるこ
とを考えずに純粋に自己実現のために創作したアマチュア文筆家としての
Dunsany の生き方は、大衆に迎合する商業主義作家となることを拒み続
けた Lovecraft 自身の理想的生き方であったことに注目すべきであろう。
 第 10 章で取り上げられている四人の巨匠の最後の人物 Montague Rhodes
James の作品を Lovecraft が初めて読んだのは 1925 年のことであった。「平
凡な日常生活の中から徐々に恐怖を呼び起こす殆ど悪魔的な力を持った天
43)
才 」と彼が呼んだ M. R. James は古文書学者、聖書学者として名高く、
Eton 校の学長を務めたこともあり、その作品の題材は、研究と直接関わ
りのある古い建築物や古美術、古書などが多かった。Lovecraft は彼の作
品の中で Ghost-Stories of an Antiquary(『好古家の怪談集』、1904 年)に収
められている“Count Magnus”(「マグナス伯爵」)を絶賛している。この
ラ ク ソ ー ル
物語の主人公のイギリス紳士 Wraxall 氏は、17 世紀初頭に峻厳かつ冷酷
な領主としてスウェーデンに君臨した Magnus 伯爵に強く惹きつけられる。

99
死後 100 年を経た後に彼の所有していた禁猟区で狩猟しようとした農民た
ちの一人は発狂し、もう一人は惨殺され、伯爵が葬られている霊廟から怪
しい笑い声と扉が閉まる音が聞こえてきたと伝えられていた。更に Mag-
コ ラ ジ ン
nus 伯爵は、生前パレスチナの Chorazin まで悪魔崇拝の巡礼の旅に出か
けて名状しがたいものを連れて帰って来たと噂されていた。霊廟を調査し
た Wraxall 氏は、伯爵の棺の側面に、必死で森を駆け抜けている男と、頭
巾の下から蛸の触手のようなものを覗かせながら彼を追いかけている異形
の生き物と、その追跡を眺めている長身のマントを着た男の姿が浮き彫り
44)
にされていることに気づく。そして Wraxall 氏が Magnus 伯爵に会えた
らいいのにと我知らず独り言を呟くたびに、棺に取りつけられていた南京
錠が外れ、遂に目の前で棺の蓋が押し上げられたとき、彼は恐怖に駆られ
て霊廟から逃げ出す。帰路の船中で、彼はマント姿の長身の男と頭巾を被
った小男を見つけて不安になり、Harwich に上陸した後も執拗に自分を
追跡する不気味な二人から何とか逃れようとして辿りついた村の宿で狂乱
しながら手記を綴っていたが、恐怖の余り悶絶死する。Lovecraft がこの
小説に魅せられた主な理由は、Magnus 伯爵が悪魔崇拝の旅から連れて戻
った何者かを描くにあたり M. R. James がそれに与えた特異な外観の独創
性に鮮烈な印象を受けたからであろう。Lovecraft が創造した最も個性的
で奇怪な魔神 Cthulhu の風貌の原型は、永遠の生命を切望した Magnus
伯爵が反キリストの地として悪名高い Chorazin から伴ってきた異形のも
のであったと推察される。更に Lovecraft が、M. R. James は「人間の神
経と感情についての賢明で科学的な知識を持っており、読者に最高の効果
をもたらすためには、叙述、修辞的表現、微妙な暗示を作品の中でいかに
45)
配分すべきかを知っていた」と称賛している点も特筆に値する。

結 び

 “Supernatural Horror in Literature”は、Lovecraft の文学的エッセイ

100
尾 上 典 子

の中で最も重要なものとして Edmund Wilson をはじめとする批評家たち


46)
から極めて高く評価されており、怪奇小説に関する彼の理論の全てが、こ
の中に要約されている。真の怪奇小説は超自然的恐怖を主題にしたもので
あるという観点から、彼は 100 人以上の作家を取りあげて古代から 1930
年代までの怪奇文学の歴史的分析を行なったが、特に Poe、Hawthorne、
Bierce、Hodgson、そして彼が The Modern Masters と呼んだ Machen、
Blackwood、Dunsany、M. R. James の作品について行なった簡潔で洞察
力に富んだ考察は卓越したものである。
 更にこのエッセイは Lovecraft 自身の作品に及ぼした多くの文学的影響
についての重要な証拠を提供しており、彼が自分に霊感を与えた様々な作
品の題材を個性的に発展させて独創性に富んだ怪奇文学を生み出して行っ
たことが推察できる点で、極めて興味深い。S. T. Joshi が述べているよう
に、この論考は Lovecraft の人生、著作、知性についての情報が無尽蔵に
47)
隠されている宝庫であり、10 年以上の歳月が執筆と推敲に費やされたこ
のエッセイこそ、彼の最高傑作の一つとみなすことができる。
 超自然的恐怖の中で人々を最も慄然とさせるのは宇宙的恐怖であるとい
う説をこの論考で展開した Lovecraft は、「混沌の深淵からの襲撃や底知
れぬ宇宙の悪鬼たちから唯一我々を守ってくれる自然の法則」が一時的に
支配力を失って、想像を絶する神秘的な存在が人間界に侵入して来る恐怖
を彼自身の作品の中で追求し続けた。そして彼が怪奇小説の執筆にあたっ
て、用語の構成とリズムが、主題の持つ緊迫感、脅威感、陰鬱さ、夢幻的
特質、少しずつ高まって行く情調の流れ、クライマックスの緊張感を反映
し、助長するものでなければならず、次に、信じがたい驚異の現象を描写
48)
する場面以外は徹底的に写実主義を保持すべきであると主張していた点に
も注目すべきである。彼の作品全てを傑作と認めることはできないとして
も、Lin Carter が指摘しているように、怪奇小説の研究に専心していると
きの彼は冷徹で分析的で鋭敏な第一級の知性の持ち主であり、彼の批評力
の卓越性を立証するものが“Supernatural Horror in Literature”であっ

101
49)
たと言えよう。
 この評論の最後の部分で Lovecraft は、超自然的恐怖を扱った文学は鋭
い特別な感受性を持つ限られた読者の心に常に訴えるであろうと述べてい
るが、不遇のうちに病死してから 80 年を経た 21 世紀初頭現在、彼の作品
が社会現象を引き起こすほどに米日の人々に注目されている事実は、生前
は殆ど無名の作家であった彼の魂にとって幸福なことであろう。


1 ) Letter from HPL to Lillian D. Clark, 14-19 November 1925(ms., John Hay
Library of Brown University), quoted in S. T. Joshi, H. P. Lovecraft: A Life
(West Warwick: Necronomicon Press, 2004)
, p. 379.
2 ) 78 ページから成る The Recluse 誌の p. 23-59 を Lovecraft のエッセイが占
めていた。S. T. Joshi, I am Providence: The Life and Times of H. P. Love-
craft, Vol. 2(New York: Hippocampus Press, 2013),p. 678.
3 ) H. P. Lovecraft, “Books to mention in new edition of weird article” in S. T.
Joshi(ed.), H. P. Lovecraft: Collected Essays, Vol. 5(New York: Hippocam-
pus Press, 2006), pp. 234-235; S. T. Joshi(edited, with Introduction and
Commentary), The Annotated Supernatural Horror in Literature(New
York: Hippocampus Press, 2012)
, p. 11.
4 ) Lovecraft は Hodgson を熱狂的に称える論考 “The Weird Work of William
Hope Hodgson” を Phantagraph 誌の 1937 年 2 月号に書いた。S. T. Joshi, H.
P. Lovecraft: A Life, p. 548.
5 ) S. T. Joshi(ed.)
, op.cit., p. 12.
6 ) Edith Birkhead, The Tale of Terror: A Study of the Gothic Romance
(Cirencester: Echo Library, 2005)
, p. 57. Lovecraft のエッセイの第 2 章から
第 5 章までの部分の叙述が Birkhead のこの著書に大いに依存していることは
否定できない。更に Birkhead は序説で「恐怖を主題とした物語の歴史は人間
の歴史と同じ位、古いものである」と述べており、Lovecraft が彼の論考の冒
頭の執筆にあたり、Birkhead の名著から霊感を得たことは歴然としている。
7 ) E. F. Bleiler, “Introduction to the Dover Edition” of Supernatural Horror
in Literature(New York: Dover Publications, 1973),p. viii.
8 ) H. P. Lovecraft, “Supernatural Horror in Literature” in Dagon and Other
Macabre Tales(rev. ed., Sauk City: Arkham House Publishers, 1987),p. 365.

102
尾 上 典 子

9 ) H. P. Lovecraft, “Notes on Writing Weird Fiction” in S. T. Joshi(ed.), H.


P. Lovecraft: Collected Essays, Vol. 2(2004), pp. 175-176.
10) H. P. Lovecraft, “Supernatural Horror in Literature,” p. 368.
11) H. P. Lovecraft, “Some Notes on Interplanetary Fiction” in S. T. Joshi
(ed.),H. P. Lovecraft: Collected Essays, Vol. 2, p. 179.
12)
 H. P. Lovecraft, “In Defence of Dagon” in S. T. Joshi(ed.)
, H. P. Lovecraft:
Collected Essays, Vol. 5, p. 53.
13) H. P. Lovecraft, “A Confession of Unfaith” in op. cit., p. 147.
14) H. P. Lovecraft, “In Defence of Dagon,” pp. 62-66.
15) H. P. Lovecraft, “Supernatural Horror in Literature,” p. 421.
16) H. P. Lovecraft, “Notes on Writing Weird Fiction,” p. 176.
17) Letter from HPL to Clark Ashton Smith, November 20, 1931, in August
Derleth and Donald Wandrei(eds.), Selected Letters III(Arkham House,
1997),p. 436.
18) H. P. Lovecraft, “Supernatural Horror in Literature,” p. 380.
19) Ibid., p. 385.
20) Ibid., p. 396.
21) Ibid., p. 399.
22) Ibid., p. 400.
23)
 Paul Elmer More, “The Origins of Hawthorne and Poe” in Shelburne Essays:
First Series(New York: G. P. Putnam’s Sons, 1904),pp. 51-70.
24) H. P. Lovecraft, op. cit., p. 404.
25) Ibid., p. 407.
26)
 H. P. Lovecraft, “The Whisperer in Darkness” in The Dunwich Horror and
Others(rev. ed., Sauk City: Arkham House Publishers, 1984),p. 223.
27) S. T. Joshi and David E. Schultz, An H. P. Lovecraft Encyclopedia(New
York: Hippocampus Press, 2001)
, p. 239.
28) H. P. Lovecraft, “Supernatural Horror in Literature,” p. 412.
29) S. T. Joshi and David E. Schultz, op. cit., p. 112.
30) H. P. Lovecraft, op. cit., p. 421.
31) Arthur Machen, “The Great God Pan” in The Great God Pan and The
Hill of Dreams(New York: Dover Publications, 2006),p. 11.
32) S. T. Joshi, H. P. Lovecraft: The Decline of the West(Berkeley Heights:
Wildside Press, 1990)
, p. 57.
33) Arthur Machen, “The White People” in The White People and Other

103
Weird Stories(Penguin Classics, 2011)
, p. 114.
34) Letter from HPL to J. Vernon Shea, December 9, 1931, in August Derleth
and Donald Wandrei(eds.), op. cit., pp. 438-439. このように Lovecraft は怪
奇作家としての Machen を極めて高く評価していたが、科学的思考を重視し
ていた Lovecraft が Machen の宗教観への嫌悪を募らせた結果、Machen の想
像力は Dunsany のように宇宙的なものではないと他の友人に述べたという記
録もある。
35)
 S. T. Joshi, I am Providence: The Life and Times of H. P. Lovecraft, Vol. 2,
p. 640; S. T. Joshi and David E. Schultz, op. cit., p. 28.
36) S. T. Joshi, op. cit., p. 616.
37) H. P. Lovecraft, op. cit., p. 427.
38) Letter from HPL to Fritz Leiber, November 9, 1936, in August Derleth
and Donald Wandrei(eds.), Selected Letters V, p. 341. なお Lovecraft は、こ
の手紙の中で Blackwood の “The Willows" に次ぐ怪奇小説の傑作は Machen
の “The White People” であると述べている。
39) S. T. Joshi and David E. Schultz, op. cit., p. 20.
40) S. T. Joshi, op. cit., p. 794.
41) H. P. Lovecraft, “Lord Dunsany and His Work” in S. T. Joshi(ed.), H. P.
Lovecraft: Collected Essays, Vol. 2, pp. 56-57.
42) H. P. Lovecraft, “Some Notes on a Nonentity” in S. T. Joshi(ed.)
, H. P.
Lovecraft: Collected Essays, Vol. 5, pp. 209-210.
43) H. P. Lovecraft, “Supernatural Horror in Literature,” p. 431.
44) M. R. James, “Count Magnus” in Complete Ghost Stories(Macmillan Col-
lector’s Library, 2017), pp. 102-103.
45) H. P. Lovecraft, op. cit., p. 433.
46) E. F. Bleiler, op. cit., p. iv.
47) S. T. Joshi(edited, with Introduction and Commentary)
, The Annotated
Supernatural Horror in Literature, p. 24.
48) Letter from HPL to Fritz Leiber, November 9, 1936, in Selected Letters V,
p. 342.
49) Lin Carter, Lovecraft: A Book Behind the Cthulhu Mythos(Frogmore:
Panther Books, 1975)
, p. 14.

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