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⼤和⺠族

⽇本列島に居住する⺠族
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詳細
⽇本⼈ > ⼤和⺠族
⼤和⺠族(やまとみんぞく)は、⽇本列島の住⺠の⼤半を占める⺠族であ
る。ほとんどが⽇本語を⺟語とし、⽇本列島に居住する⺠族である。和⼈
(わじん)とも呼ばれる。⽇本列島の住⺠のうち、古代の⼤和朝廷や中世の
武家政権の施政下にあった⼈のみを⼤和⺠族とし、近世に幕藩体制下に組み
込まれた奄美群島および琉球諸島の住⺠を琉球⺠族と分類する考え⽅もあ
り、これらを総合して⺠族的⽇本⼈を指す場合は⽇本⺠族と呼称する場合も
ある。
ヤマト⺠族

紫式部・織⽥信⻑・徳川家康・明治天皇
伊藤博⽂・与謝野晶⼦・湯川秀樹・上皇明仁
武⼠・現代の⼀般的な家庭
⼤和⺠族の⼀例

総⼈⼝
およそ1億2476万⼈ 全世界⼈⼝の1.6%
[1]

居住地域
先住地
⽇本列島( ⽇本)
規模の⼤きな移⺠
アメリカ⼤陸( ブラジル、
⾔語 アメリカ合衆国)
⽇本語
宗教
神道、仏教、キリスト教
関連する⺠族
アイヌ、琉球⺠族

概要
「⽇本⼈」、「和⼈」、および「ヤマト王権」も参照
起源 …
⼤和⺠族は、縄⽂時代以前から⽇本列島に住んでいた⼈々のうち、弥⽣時代
に⼤和(奈良盆地の南東部)を本拠地とする⼈々を中⼼に形成されたヤマト
王権(⼤和朝廷)に属する⺠族の呼称である。ヤマト王権の勢⼒拡⼤に伴
い、⼀地域名であった「⼤和」が⽇本を広く指す呼称となり、⺠族名ともな
った。ただし、ヤマト王権の成⽴過程は現段階でも明らかになっておらず、
謎も多い。
⼤和⺠族の形成当初は九州地⽅の隼⼈や、東北地⽅の蝦夷が異⺠族とされて
いた。しかし彼らは中世以前に⼤和⺠族と完全に同化している。琉球諸島の
住⺠は中世に独⾃の王朝を築いた歴史を持ち、⽇清両属状態を解消して完全
に⽇本に組み込まれたのが明治になってからであるため今でも⽂化的異質性
が残っている。

呼称 …
中国の『三国志』における「魏志倭⼈伝」(『三国志』魏書東夷伝倭⼈条)
では、邪⾺臺國の親魏倭王卑弥呼は、約30の国からなる倭国の都としてここ
に住居していたとしている。なお、現存する三国志の版本では「邪⾺壹國」
と表記されているが、晩唐以降の写本で誤写が⽣じたものとするのが通説で
ある。現代⼈の著作の多くは、それぞれ「壱」「台」で代⽤しているので、
本稿でも「邪⾺台国」「やまとこく/やまたいこく」と表記する。古くは中国
より「倭」と呼ばれ、⼤和⺠族も「倭⼈」と書いて「ワジン」と⾃称した
り、また「倭」を「ヤマト」と訓じるなどしていたが、やがて「倭」の表記
は廃れ、代わりに「⼤和」の表記が⼀般的となった。
⽣物学的考察
明治期における⼈類学的な区分では、坪井正五郎が先史時代の先住⺠である
コロボックル、アイヌ(及び樺太アイヌ)、琉球⺠族、朝鮮⺠族・台湾漢
⼈、台湾原住⺠などを除いた集合を⼤和⺠族と主張していた。当時はそのほ
かに、⽇本⼈には上流階級に多い⻑州タイプ・庶⺠に多い薩摩タイプという
⼈種的区分が存在するという指摘がエルヴィン・フォン・ベルツらからなさ
れることもあった。戦前の国定地理教科書でも、⼤⽇本帝国を構成する⺠族
として、「朝鮮⼈」「⽀那⺠族」「⼟⼈」「アイヌ」とともに「⼤和⺠族」
が挙げられている 。
[2]

⽗系 …
染⾊体ハプログループの拡散
Y

⼤和⺠族に連なる東アジアのY染⾊体ハプログループと⺠族移動

ミトコンドリアDNA(⺟系)の世界拡散を表す想定地図
Y染⾊体ハプログループ(⽗系)の研究では、⽇本⼈の中にはハプログループ
D1a2a (Y染⾊体)(縄⽂⼈)とハプログループO1b2 (Y染⾊体)(弥⽣⼈)が存
在することが判明した。このうちハプログループD1a2aの系統は⽇本⼈に固
有に⾒られるタイプで、朝鮮半島や中国⼈には全く⾒られない固有種である
ことも判明した。これは縄⽂⼈の⾎を⾊濃く残すとされるアイヌに88%⾒ら
れることから、D系統は縄⽂⼈(古モンゴロイド)特有の形質だとされる。ま
た本州⽇本⼈は35%にみられるなど、約3⼈に1⼈の割合でこの系統に属して
いる。 アリゾナ⼤学のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染⾊体
分析でもYAPハプロタイプ(D系統)が扱われ、さらにチベット⼈も50%の頻
度でこのYAPハプロタイプを持っていることを根拠に、縄⽂⼈の祖先は約5万
年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北⽅ルートで
北海道に到着したとする仮説を提唱した。⼀⽅、崎⾕満はD1b系統(の祖
型)は中央アジア経由の北回りで東アジアに⾄り、朝鮮半島を経由して⽇本
列島に到達したとしている。Y染⾊体とミトコンドリアDNAとの頻度の違いは
縄⽂⼈が渡来系弥⽣⼈集落への⼀⽅的流⼊を起こした分布となることから、
分⼦⽣物学による研究の結果、渡来⼈が⼀⽅的に縄⽂⼈を⽀配したとする従
来の学説は根拠を失った 。 DNA解析の結果、⼤和⺠族と遺伝的に最も近
[3][4][5]

縁なのは琉球⼈とアイヌ⼈であるとされている 。 [6][7]

⺟系 …
ミトコンドリアDNAハプログループ(⺟系)の研究によると、縄⽂⼈も渡来
⼈もどちらも東アジアに類似したDNAが多く分布しており、この研究では縄
⽂⼈を南⽅系・渡来⼈を北⽅系とする埴原和郎の⼆重構造説は疑問視されて
いる 。[8][9]

また、⼀⽅では⽇本⼈は北海道から沖縄県に⾄るまで遺伝学的には⼤差はな
く、周辺の中国⼈や朝鮮⼈より均⼀性の⾼い⺠族であるという研究結果もあ
る。根井正利は、「現代⼈の起源」に関するシンポジウム(1993年、京都)
にて、⽇本⼈(北海道から沖縄県まで)は約3万年前から北東アジアから渡来
し、弥⽣時代以降の渡来⼈は現代⽇本⼈の遺伝⼦プールにはほんのわずかな
影響しか与えていない、という研究結果を出している 。 [10][11][12]
2009年(平成21年)12⽉10⽇、⽇本を含むアジア10ヵ国の研究者によって⾏
われたゲノムの詳細解析の国際共同研究の結果がサイエンスに発表された。
数万年前まで遡ると、⽇本⼈を含む東アジア集団の起源は東南アジアにある
と推定されるという結果であった 。 [13]

さらに、2010年までに沖縄県⽯垣島の⽩保竿根⽥原洞⽳遺跡から発掘され
た、旧⽯器時代の⼈⾻を、2013年に国⽴科学博物館が分析した結果、国内最
古の⼈⾻(約2万-1万年前)とされた4点のうち2点はハプログループM7aであ
ることが明らかとなった 。現在では、縄⽂⼈の⺟系のDNAとしては、ハプ
[14]

ログループF、B、M7aなどの型があったことが知られている。
その他、⼤和⺠族によくみられるタイプとして、ハプログループD
(mtDNA)、ハプログループA (mtDNA)、ハプログループC (mtDNA)、ハプログ
ループN9 (mtDNA)が挙げられる。
分布

⽇本列島の位置

⼤和⺠族は、主に⽇本列島に居住して、⽇本国の社会で多数派を形成する⺠
族である。⽇本国は⺠族別の統計を詳細に取っていないため厳密には不明で
ある。参考になる数値としては、⽇本の外国⼈(⽇本国籍を持たない者)が
⽇本の⼈⼝全体に占める割合は2.24%(2019年)ほどである が、この数値
[15]

は⾎統的に⼤和⺠族であっても外国籍ならば外国⼈と数えられ、逆に⼤和⺠
族の⾎を引いていなくても⽇本国籍を取得していれば⽇本⼈と数えられるの
で、僅かばかり誤差が出る。その他、2014年に⽣まれた⽇本国内の新⽣児
は、3.4%が、両親、もしくは⽚親が外国⼈という調査がある 。この調査は
[16]

アイヌも⽇本⼈として数えられており、また沖縄県住⺠を琉球⺠族とする⽴
場もあるので、参考値である。
⽇本以外には、移⺠(⽇系⼈)としてブラジルを始めとするラテンアメリカ
諸国、アジア、ヨーロッパ、アメリカ合衆国など世界中に分布した。ただ
し、近隣の⺠族である漢⺠族や朝鮮⺠族と⽐べると⽇本国外への移住者は⽐
較的少ない。現在、彼らは⽇系ブラジル⼈や⽇系アメリカ⼈として、それぞ
れの国の少数⺠族として暮らしている。
⼤⽇本帝国時代には⼤⽇本帝国が台湾と朝鮮半島を領有・南洋諸島(マリア
ナ・パラオ他)を委任統治し、さらにアジアや南太平洋の各地に進出して分
布域を広げたことにより、それら外地に⼀定の社会基盤を築いていったが、
太平洋戦争が終結した後、⽇本政府統治地域(内地)へ帰っていった。
終戦の混乱によって本⼈の意思に関係なく、現地に残った⼈々が存在する。
彼らの中には中国残留⽇本⼈となったり、またインドネシア独⽴戦争などに
参加した残留⽇本兵などがいるが、そのほとんどは現在⾼齢化している。
戦前、⽇本が領有した地域の中では樺太やパラオ共和国などに、⼩規模なが
ら残留⽇本⼈の共同体が現存する。
⾔語
⽇本語の⽂章

この節の⽂章は不⾃然な表現、または⽂意がつかみづらい状態になっており、修正が必
要とされています。 詳細
「⽇本語」、「⽇本語の表記体系」、および「⽇本語の起源」も参照
起源 …
⽇本の有史以来、⼤和⺠族は⽇本語を話して来たと考えられている。この場
合における「⽇本語」とは邪⾺台国から上代、中古、中世、近世を経て現代
⽇本語(標準語)に⾄るまでの⼀連の流れを指す。
⽇本の領域で話し、または話された事のある⾔語のうち、この概念から外れ
るものとしては、北⽅⺠族(アイヌ、ウィルタ、ニヴフ等)が話す北⽅諸
語、奄美群島や琉球諸島の⺠族が話す琉球語がある。
なお、⽇本語は、系統関係の不明な孤⽴した⾔語のひとつであり、他の⾔語
との系統関係が未だ明らかになっていない。
いわゆる「先進国」に共通の事象であるが、⽇本語が話せれば⽇本国内では
⾼等教育も含めて意思疎通に不⾃由することが少ないので、流暢に外国語を
操れる⼈間は多くない。
歴史 …
古代に語彙⾯で中国語の⼤きな影響を受け、漢語が⼤量に⼊り込んだ。語彙
ほどではないが、拗⾳や語頭ラ⾏⾳・語頭濁⾳・⺟⾳連続の許容等、⾳韻⾯
で受けた影響も少なくない。近世前期までは京都⽅⾔、近世後期には江⼾⽅
⾔が中央語の位置にあったが、端部の相互距離が⽐較的⻑い⽇本列島の地理
的条件もあって、近代以前は⼀部地⽅で他地⽅と意思疎通に困難を来すほど
の⽅⾔差があった。現在では学校教育による標準語教育や、全国メディア等
による共通語の普請もあって、異なる⽅⾔話者の間でも意思疎通に⼤きな問
題を⽣じることは少なくなって来ている。
琉球諸語 …
なお、⽇本の中でも奄美群島と沖縄県の⼤半(旧琉球王国領域)で話されて
いる伝統的な⾔語である琉球語は、⾳韻・語彙がそれ以外の現代⽇本語とは
⼤きく異なり⼝頭での意思疎通は難しい。ただし、その琉球語も研究により
上代から中古、中世までの⽇本語の影響を⾊濃く残している事が判明してい
る。琉球語の祖先に相当する琉球祖語は⽇本祖語と⾮常に近く、あるいはほ
ぼ同⼀(⽇琉祖語)と考えられている。
奄美群島や琉球諸島の⾔語も地域差が⾮常に⼤きく、しばしば諸⾔語の集合
「琉球諸語」と捉えられる。
ただし琉球(諸)語も⽇本語と同系統の⾔語であり、⽇琉語族に⼊れる。⼀
⽅、⽇本国内で話されてきた⾔語としては、他にアイヌのアイヌ語がある
が、⾮常に近い場所で話されてきたにもかかわらず、アイヌ語と⽇本語は、
単語の借⽤を除き、類似性がほとんど認められず、全く別の⾔語である。
表記 …
表記については、漢字が伝わる以前の独⾃の⽂字は現在まで⾒つかっていな
いとされている。漢字流⼊以前に神代⽂字と呼ばれる⽂字がいくつも⾒つか
っている。学術的に否定されているものの、それら存在否定がなぜ漢字以前
の⽂字とは⾔えないのか再検証が必要である。絵⽂字とも思われる模様が刻
まれた⼟器が発⾒された事例はあるが、発掘例も少ないため、⽂字と呼べる
だけの規則性は⾒受けられないとされている。
漢字の伝来後はこれを表記に⽤い、後に、漢字を⼤幅に崩すことで、⾳節⽂
字の⼀種である平仮名、⽚仮名が成⽴した。これまで全て漢字や万葉仮名で
記述されていた⽇本語をそのまま⽂章にすることが可能となり、⽇本⽂学が
発⽣・発展した。中世には現在の⽇本語の書き⾔葉の原型となる和漢混淆⽂
が成⽴し、⽇本語は漢語と和語を織り交ぜた⾃在な表現⼒を得た。
⽇本語は多種の⽂字を組み合わせるという複雑な表記体系を持つが、近現代
において⽇本⼈の識字率は極めて⾼い。近世の⼤和⺠族は、世界的に⾒ても
識字率が⾼い⺠族であった。仮名や簡単な漢字を読むことは江⼾時代の庶⺠
の間では常識の域に属し、庶⺠層を対象にした盛んな出版活動がなされた。
江⼾時代に⽇本国外から来⽇した外国⼈は、⼤和⺠族が⾝分や男⼥の別なく
⽂字が読める事を驚きと共に本国に伝えている。
現在では、漢字、仮名の他に企業名や単語の略称などにラテン⽂字が使われ
る機会も多い。さらに数字の表記には漢数字の他、アラビア数字、ローマ数
字を使⽤している。 近年では⽇本語を解さない、ポルトガル語、スペイン
語、漢語を⺟語とする⽇系⼈の還流も多い。
宗教
「⽇本の宗教」も参照
⼤和⺠族の信仰は、⼟着の⺠族固有の信仰が発展した神道、および外来宗教
の仏教が多数派で、「神様、仏様」といった表現からも伺えるように、⽇本
⼈はこれら2つを混在して信仰している場合も多い。キリスト教は、⽇本の⽂
化に強い影響を与えているが、信徒数は少ない。他、新宗教の信仰者や、無
宗教者も多数存在する。 [17]

古代においては在来の神祇信仰であり、その後はその発展形態である神道が
信仰されるようになった。また仏教伝来後は仏教も同時に信仰される場合が
多く(→⽇本の仏教、神仏習合)、祖先崇拝などでの影響も⼤きい。それら
が複合した形態をもって、⼀つの⼀貫した⺠俗体系が構築されている。信仰
のあり⽅は⼀神教的な救済論的なものではなく、習俗的な穏やかなものであ
り、⾃らを「信者」とはみなさない場合も多い。しかし、広い意味での宗教
的な感覚は、冠婚葬祭や年中⾏事などの場⾯で、他宗教とは異質な独⾃の信
念が意識されることがある。時には、臓器移植に対する抵抗などが独特の⽂
化であると主張されていたが、実際にはどの国でも、⽣命倫理上移植⼿術は
導⼊時に抵抗があった。
⽂化
「⽇本の⽂化」を参照
⼤和⺠族は、独⾃の⽂化を⼟台にして、他⺠族の⽂化・宗教をTemplate:主観
取り⼊れ、融合・発展させてきた⺠族。また、近代以降はアジア諸国を中⼼
に他⺠族の⽂化に⼤きな影響を与えてもいる(⽇本化)。
特に中国の中華⽂化の影響は⼤きく、奴国は後漢に、また邪⾺台国は魏や晋
に、また倭の五王も東晋、宋、南⻫、梁に使いを送り、その後も遣隋使や遣
唐使を派遣し、中国⼤陸の進んだ技術や⽂化を貪欲に学んでいった。その⼀
⽅で、⼤和⺠族は朝鮮半島やベトナムなど、他の中華⽂明圏とは違い、中国
に直接⽀配された経験はなく、また海を隔てるという地理的要因から、受け
⼊れた外国の⽂化(とりわけ中華⽂明)を独⾃に消化していく余裕があっ
た。やがて、外国の⽂化と⽇本独⾃の⽂化が融合し、⽇本⽂化が⽣み出され
ていった。
16世紀、ポルトガル⼈などの⻄洋⼈来航により、⽇本⼈は⻄洋⽂明を初めて
直接受け⼊れ、南蛮貿易を通じて受け⼊れたヨーロッパ⽂化を独⾃の⽇本的
な形に昇華していった。

年ウィーン万博の⽇本館
1873

幕末の条約港開港以降は、アメリカ・イギリスをはじめとする欧⽶から⻄洋
の⾵習が⽇本に⼊り、それらは在来⽂化と融合し、変化・変質して独特な展
開を遂げた。しかし、明治維新以降の⻄洋⽂明の流⼊(⽂明開化)はあまり
に急激であり、欧化主義によって⽇本の⽂化を旧態依然の古い物とする考え
⽅が登場し、伝統⽂化が危機に陥った事もあった。これは単なる外国崇拝だ
けではなく、当時の極端に低い⽇本の国際的地位を上げるための苦渋の決断
という側⾯も強かった。例えば、⿅鳴館の建設理由や経緯などは、当時の⽇
本⼈の欧⽶⽂化への複雑な感情を端的に⽰している。しかしながら⽇常⽣活
では⽇本の旧来の⽂化が維持され、着物と洋服を着分けたり、着物しか着な
い⼈などと様々であった。また⽇本の⼥性では洋服を着る⽅が珍しかった。
⽇本の⽂化は欧⽶でも注⽬を浴び、19世紀後半には「ジャポニスム」という
⼀種のブームを⽣んだ。現在でも独特の⽂化や料理は⾼く評価されている。
また、⾮欧⽶圏で初めて近代化に成功し、欧⽶から学んだ⽂化や技術を、⽇
本独⾃で改良したり、新たな発明をする余裕が出てきた。
20世紀初めの⽇露戦争と第⼀次世界⼤戦を経て、列強⼊りを果たし、世界へ
⼤きな影響⼒を持つようになった。同時期に統治していた朝鮮半島や台湾な
らびに 委任統治していた南洋諸島では、現地⼈(異⺠族)に対して「皇⺠化
(台湾)」あるいは「皇⺠化教育」を⾏った。また、中国東北部に建国され
た満州国は、実際は⽇本による傀儡政権で、「五族協和」を謳いつつも、⽇
本は⽂化⾯でも強い影響を与えている。
20世紀半ばに起こった⽇中戦争および太平洋戦争(⼤東亜戦争)では、中国
の⼀部地域や東南アジア諸国を占領統治(軍政)し、これらの現地⼈(異⺠
族)に対して⽇本語教育が⾏われた。こうして、かつてアジア諸国から影響
を受けた⽇本の⽂化は、逆にアジア諸国へ強い影響を及ぼすようになってい
った。
だが、⼤東亜戦争で⽇本は初めて他国に降伏し、連合国軍によって占領統治
された。以降、21世紀前半の現代に⾄るまで、⾐⾷住など多くの⾯で欧⽶
(特に連合国の中⼼であったアメリカ)の影響を強く受けるようになり、第
⼆次⼤戦以前の伝統的な⽣活習慣の多くが失われていった。
その⼀⽅、アニメや漫画、玩具やゲーム、おたくといったサブカルチャーが
戦後発展している。21世紀初頭、これらのサブカルチャーが⼤衆にも認知さ
れるようになり、⽇本政府も現代⽂化産業として認識し、「クールジャパ
ン」と名付けて海外戦略として使うようになった。また、⻄洋やアジア諸国
では、インターネットの発達に伴い、戦前からの古い⽂化のみならず、前述
の現代⽂化産業も容易に知られるようになり、注⽬を浴びてきている。台湾
と中国では「哈⽇族」と呼ばれる、⽇本の現代⼤衆⽂化を好む若年層が出現
している。

歴史
「⽇本の歴史」も参照
前史 …

縄⽂⼟器

⽇本列島では、まだユーラシア⼤陸と陸続きの時代に⽯製加⼯具類が発掘さ
れている。10万年前に最古の遺跡が⾒つかっているが、この時代の⼈類はデ
ニソワ⼈などの旧⼈と考えられる。現⽣⼈類(ホモ・サピエンス)が最初に
⽇本列島に到達したのは約3.6万年前と考えられる 。ただし、⽕⼭を多く持
[18]

つ⽇本列島は⽕⼭灰に覆われており、⼟壌が酸性であるため化⽯が残りにく
くなっている。旧⽯器時代から⼈類がいた事を⽰す遺跡は、⽇本列島の各地
に存在するが、⼈類の化⽯そのものは未だに発⾒されていない 。1万数千
[19]

年より前の旧⽯器時代⼈⾻の発掘例は10例ほどだが、2010年(平成22年)2
⽉4⽇、⽯垣島から初めて2万年前のものと⾒られる⼈⾻が発⾒され、⽇本⼈
の起源論の重要な⼿掛かりと⾒られている 。この⾻が発⾒された洞窟から
[20]

は、2011年11⽉にさらに2万4000年前の⼈⾻も⾒つかっている 。
[21]

今⽇では、縄⽂時代の⼈⾻のミトコンドリアDNA(⺟系)の調査結果では、
ハプログループF、B、M7aなどの型があったことが知られており、これらに
加え、ハプログループA (mtDNA)やハプログループG (mtDNA)などに代表され
るシベリア北部の先住⺠に近い縄⽂⼈も確認されている。
ただし、⼤和⺠族の定義が⼤和王権の施政下の住⺠に限定されるのであれ
ば、⼤和王権成⽴以前の⼈々を「⼤和⺠族」というのは適当ではない。現代
において縄⽂⼈と称される縄⽂時代の⽇本列島の住⺠は形質的には現代⽇本
⼈以上に均質であるが、列島全域において⽇本祖語に連なる⾔語が話されて
いたかは詳らかでなく、統⼀的な⺠族意識は存在しなかったと思われる。
有史 …
「倭・倭⼈関連の中国⽂献」も参照
漢字が渡来するまでの⽂字は現在まで⾒つかっていないため、⽇本書紀や古
事記が成⽴する以前の⽇本列島に居住していた⼈間に関すると思われる歴史
の調査は、⼤陸の⽂献を参考にしたり、各地に残る神話や伝承の採取、発掘
調査を⾏う他ない。⼤和⺠族について書かれた最も古い⽂書は、紀元前5世紀
以降に書かれたと思われる『⼭海経』である。これによれば、当時の⼤和⺠
族(倭)は、燕に属していたとある。ただし、⼭海経は⼤陸各地の伝説を集
めた書物であり、歴史書としては信憑性に⽋ける⾯がある。正規の歴史書に
書かれたものとしては、論衡が最古であり、倭は周の時代(弥⽣時代)、⼤
陸に交易していたとある。
他、有名なものとしては『三国志』中の「魏書」(全30巻)に書かれている
東夷伝(東⽅異⺠族の列伝)にある倭⼈の記述、俗に⾔う魏志倭⼈伝であ
る。ここで邪⾺台国の記述が初めて登場し、倭⼈の⾵俗についても、これま
での⽂献からは⽐べ物にならないくらい詳細に書かれている。邪⾺台国では
⽶や雑穀、⿂⾙を⾷べ、犯罪や訴訟が少なく、⻑命で、上下の⾝分をわきま
え、集会では⽗⼦男⼥の区別がなく酒を好む、など現代の⽇本⼈の⾵俗に近
い記述がある。ただし、これらは当時の中華⺠族による視点から書かれたも
のであり、倭⼈⾃⾝による歴史の記述は、さらに後のこととなる。
いずれにせよ、これらは断⽚的な記録であり、⼤和⺠族の連合政権とされる
ヤマト王権の成⽴過程は、現段階でも明らかになっていない。
⽀配域の拡⼤と停滞 …

蒙古襲来絵詞

4世紀前半には、ヤマト王権は現在の南東北から北部九州までの地域を勢⼒下
に置いていたようである。ただし、ヤマト王権は独⾃性を持った様々な部族
の連合政権的な物だったらしく、ヤマト王権の⽀配域と当時の⼤和⺠族の分
布域をイコールで結ぶことは必ずしも適切ではないかもしれないTemplate:主
観。
5世紀には農業⽣産⼒が上がり国⼒が増⼤し、『⽇本書紀』や『広開⼟王碑』
には、ヤマトがこの時期に朝鮮半島に兵を送り、⼀時期は朝鮮半島の⼀部を
領有した(→任那⽇本府説)と記されている。ただし、5世紀後半から6世紀
には既に朝鮮半島での利権は縮⼩化し、⽩村江の戦いでヤマト王権が朝鮮半
島での利権を失うこととなり、もっぱら⽇本列島内で徐々に勢⼒を拡⼤して
いくようになる。
⽇本列島内には、王権の⽀配に従わない九州南部の隼⼈(熊襲)、東北の蝦
夷などがいたが、隼⼈の反乱の鎮圧や征夷⼤将軍坂上⽥村⿇呂の活躍、関
東・北陸⽅⾯から東北地⽅への⼊植により、隼⼈は8世紀に、蝦夷は12世紀ま
でに完全に⼤和⺠族に同化したとされる。これによって、本州・九州・四国
の全域を⼤和⺠族が⽀配することとなった。
この間、百済滅亡によって亡命してきた百済⼈(半島居住の⼤和⺠族や現在
の朝鮮⼈とは異なる⺠族)や、⼤和⺠族から招かれた仏教の僧侶や技術者な
ど、⼤なり⼩なりユーラシア⼤陸から海を渡ってきた⼈々(渡来⼈または帰
化⼈)もいた。ただし、彼ら移住者はそれぞれ少数であり、速やかに⼤和⺠
族に統合・同化されたため、国内での⼤和⺠族の数的な優位性は変わらなか
った。
また、元寇・⽩村江の戦いなど外国との戦争もあったが、領⼟の奪取、失陥
を伴わず、特に⼤和⺠族の影響⼒を増⼤・減少させるものではなかった。⼤
和⺠族は、遣隋使や遣唐使を派遣して、⾃ら海外の⽂化や技術を吸収してい
った。
13世紀以降は、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代を通じて、⼤和⺠族の分布
域は、北海道の渡島半島南部に定着した(渡党を参照)程度で、拡⼤は停滞
した。だが、独特の⽂化が国⾵⽂化として花開き、現在まで続く⽇本の⽂化
もこの流れを汲むものが多い。
⽇本国外との関わり …

南蛮⼈(16-17世紀、狩野内膳画の南蛮屏⾵より)。戦国時代から、それまで⽇本にはほぼ存在
しなかった⽩⼈や黒⼈と、⼤和⺠族は接触した。
しなかった⽩⼈や黒⼈と、⼤和⺠族は接触した。

この状況が⼀時的に崩れるのは戦国時代であり、⼤和⺠族は⽇本⼈として世
界各国と貿易するようになり、これまでの価値観とは全く異なるものに触れ
るようになる。キリスト教が伝来して信者を集め、南蛮貿易を通じて伝わっ
た鉄砲などの最新技術が瞬く間に全国へと普及した。
また、移⺠としても進出し、東南アジアではアユタヤ⽇本⼈町のように⼀定
の基盤を持つ社会を構成した。さらには、⽀倉常⻑などのように遠くヨーロ
ッパにも渡った者もいた。
豊⾂秀吉によって天下統⼀が成されると、⼤和⺠族は中国⼤陸へと⼆度に渡
って軍を進め、⽂禄・慶⻑の役を起こした。⽇本軍は⼀時は朝鮮半島のほぼ
全域を征圧、朝鮮王室の王⼦⼆⼈(臨海君・順和君)を捕虜にするなど優勢
であったが、明の援軍によって戦況は膠着状態となり、やがて豊⾂秀吉の死
によって戦争は終結、明と朝鮮国の征服は失敗した。
これら⽇本国外への拡⼤の動きは江⼾幕府の「鎖国」政策の確⽴によって衰
退することとなる。
江⼾時代 …
江⼾時代には、統⼀権⼒としての江⼾幕府が外交権を掌握し、キリシタン禁
制や、国際紛争の悪影響の防⽌などの観点から、貿易や出⼊国の管理と統制
を強化していき、最終的に「四つの⼝」(⻑崎-中国(明・清)とオランダ・対
⾺-朝鮮王朝・薩摩-琉球王国・松前-アイヌモシリ)で、貿易と出⼊国を管理・
統制する体制を、家光の治世に到り完成させた。この体制は19世紀以降、欧
⽶諸国の開港要求を拒否し、「祖法」として維持する観点から「鎖国」と呼
ばれるようになる。
また、幕府は、国内においては、各々の⾝分の社会的分業による秩序の安定
を実現させ、250年にわたる「泰平」を築いた。この間、社会は幕府の強⼤な
⽀配に置かれて安定した社会が築かれ、経済活動が活発化して庶⺠が台頭、
江⼾・⼤坂・京都の三⼤都市を中⼼に町⼈⽂化が花開いた。
この「鎖国」体制の中で、⼀般の⼤和⺠族は海外への渡航は基本的に許され
ず、海外への⼤和⺠族の拡⼤は停⽌した。例外的に、船を頻繁に利⽤する商
⼈や漁師などが、嵐や事故によって海外に漂流した事例や、犯罪者や冒険⼼
に富んだ者が、幕府に捕まれば処罰される危険を承知で渡航した例がいくつ
かあるのみである。
⼀⽅、⽇本列島内での勢⼒拡⼤は徐々に続き、この時代の初期に、薩摩藩に
よる琉球王国制圧が起こり、王国は事実上幕藩体制の⽀配下へと組み込まれ
た。蝦夷地(現在の北海道、千島列島及び樺太)での勢⼒も増していき、渡
島半島は内地化(和⼈地化)し、北海道全域と南千島が⼤和⺠族の勢⼒下に
置かれるようになった。
蝦夷地には先住⺠のアイヌが住んでいたが、⼤和⺠族の活発な経済活動と、
松前藩による⽀配権確⽴は、彼らの⽣活を圧迫していくことになる。江⼾時
代の初期、この⼤和⺠族の勢⼒拡⼤に反対した⼀部のアイヌは、シャクシャ
インを指導者として、蝦夷地を⽀配していた松前藩とアイヌが衝突し、シャ
クシャインの戦いが発⽣した。戦いは3ヶ⽉ほど続いたが、最終的には松前藩
および幕府の勝利で幕を下ろし、以後、アイヌは時折⼩規模な反乱を起こす
ものの⼤勢は変わらず、⼤和⺠族に⽀配され続けることとなる。

近代国家へ …
明治天皇

江⼾幕府は様々な問題を抱えながらも、国内外は⽐較的平和の中にあった
が、世界はヨーロッパを主体とする植⺠地獲得競争とも⾔える帝国主義の時
代となっていた。19世紀になると⽇本近海にロシアやアメリカを始めとする
列強が頻繁に来航するようになる。
新たな時代にどう対応するか、⽇本国内は様々な主張が噴出し、やがてその
中から幕府を打ち倒す勢⼒(薩摩藩や⻑州藩)が主体となって、幕府との間
に戊⾠戦争が発⽣した。これら⼀連の出来事は明治維新と呼ばれ、戦争は倒
幕派が勝利し、江⼾幕府は滅亡した。
明治維新によって新時代を迎えると、⻄洋列強を⼿本にした政府や軍隊を整
備したり、従来の東アジア諸国との国際関係を近代的なものに再編するな
ど、近代的な国家運営を進め、近代国家として⼤⽇本帝国を成⽴させた。⽇
本は、強⼤な⻄洋諸国に対抗する形で各国に経済的・軍事的に進出していっ
た。また対外的にも、琉球列島や千島列島といった⽇本列島の付属島嶼や⼩
笠原諸島の領有を確⽴し、現在の⽇本の領⼟をほぼ確定させた。他に、国策
として⽇本国外への移⺠を奨励して、ブラジルやアメリカ、ペルー、カナ
ダ、ハワイ、メキシコ、アルゼンチン、パラグアイなどに多数の移⺠が渡っ
た。
明治・⼤正期以降、⽇本は⽇清・⽇露戦争や第⼀次世界⼤戦で世界の列強と
争った。⽇清戦争での勝利、⽇露戦争での講和、第⼀次世界⼤戦における派
兵、満州事変の結果、台湾を領有、⼤韓帝国を併合、南洋諸島を委任統治領
とし、満州国を建国するなど、東アジア・ミクロネシア各地に急速に分布域
を広げたために多⺠族国家となった。帝国主義から現地の住⺠との⼤⼩の衝
突、時には反乱を起こされながらも、着実に⽀配を固め、社会基盤を築いて
いった。国際連盟の常任理事国にもなり、国際的地位も⾼まった。
この過程で、台湾や朝鮮から⽇本列島への他の⺠族の流⼊も起こった。さら
に、第⼆次世界⼤戦においては⼤東亜共栄圏の構想を打ち出し、当時イギリ
スやオランダなどの列強が植⺠地化していた東南アジアに進軍し、欧⽶の占
領軍を追い出して後釜に座る形でほぼ全域を影響下に置いた。この状況は、
第⼆次世界⼤戦に敗北した事によって終わりを告げる。列島周辺の主権を失
ったために、各地に移住していた⽇本⼈の⼤半は⽇本政府統治地域に再移住
した(引揚者)。
戦後 …
第⼆次世界⼤戦後、朝鮮、台湾などの統治権を失い単⼀⺠族に近い国家に戻
った⽇本は平和国家として再出発し、アメリカ合衆国の軍事的な保護のも
と、急激に諸外国の⽂化(主にアメリカ⽂化)を吸収して経済発展(⾼度経
済成⻑)を成し遂げ、経済⼤国となった。最近では⽇本国の国⼒が世界有数
になったため、国策としての海外移⺠は終了し、集団での移⺠も⾒られなく
なっているが、個⼈で海外に職を求めて出て⾏く⼈々は現在に⾄るまで多く
存在している。逆に近年では、少⼦⾼齢化の影響から国策として移⺠の受け
⼊れを唱える主張も⼀部には出てきている。
脚注
脚注の使い⽅]
[

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2010), in Nationalencyklopedin(本⼟⽇本語の話者数より)
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Haplogroup Tree 2006 (http://www.isogg.org/tree/Main06.html) , 1.24
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⼤学⼤学院医学研究科 ⽯⽥肇
7. ^ 篠⽥謙⼀『⽇本⼈になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構
造』(NHKブックス)
. ^ 篠⽥謙⼀『⽇本⼈になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構
造』(NHKブックス)
9. ^ 尾本恵市『⽇本⼈の起源』(裳華房刊)

10. ^ (⽉刊誌『選択』2007年12⽉号)。

11. ^ 松本秀雄 『⽇本⼈は何処から来たか―⾎液型遺伝⼦から解く』⽇本放


送出版協会、1992年 ISBN 4140016523 (アイヌを含む北海道から沖縄
県までの)現代⽇本⼈は均質性があり、朝鮮半島の⼈々や中国⼈とは異
質性がある。 ⽇本⼈は北⽅系であり南⽅系との混⾎率は多く⾒積もって
もせいぜい7-8%程度であるとする説もある。松本秀雄の⽇本⼈バイカル
湖畔起源説は、該当項⽬参照
12. ^ 李成柱 「⾎液分析により⺠族の移動経路を判明する」東亞⽇報、2001
年1⽉3⽇ (http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=200101031782
8) ⽇本⼈は韓国⼈以上に純⾎度が⾼い

13. ^ “⽇本⼈のルーツは東南アジア? 研究グループがゲノム解析” (https://w


eb.archive.org/web/20091215072730/http://sankei.jp.msn.com/scienc
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⽉11⽇). オリジナル (https://sankei.jp.msn.com/science/science/09121
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14. ^ “『⽩保竿根⽥原洞⽳:旧⽯器⼈⾻からDNA…国内で最古』 (http://mainic
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21. ^ “2万4000年前の⼈⾻発⾒” (http://www3.nhk.or.jp/news/html/2011111


0/t10013858281000.html) . NHK. (2010年11⽉10⽇) 2010年11⽉10⽇
閲覧。
関連項⽬
⽇本⼈ 帰化⼈、渡来⼈
倭⼈ ⽇本⼈論
和⼈ ⽇本の⺠族問題
ハプログループD1a2a (Y染⾊体) 倭・倭⼈関連の中国⽂献
ハプログループM7a (mtDNA) 倭・倭⼈関連の朝鮮⽂献
⽇本国⺠ 近代以前の⽇本の⼈⼝統計
外部リンク
『「⽇本⺠族」とは何ぞや ⽇本⺠族の概念を論ず』:新字旧仮名 (http
s://www.aozora.gr.jp/cards/001344/card49803.html) - ⻘空⽂庫(喜⽥貞
吉著)

「https://ja.wikipedia.org/w/index.php?
title=⼤和⺠族&oldid=84917375」から取

最終編集: 1 か⽉前、114.27.174.31

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り、CC BY-SA 3.0 のもとで利⽤可能で
す。

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