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比較文化論(佐谷)

2023 第1回
沖縄の前近代から近代へ
沖縄から世界を見る
沖縄は、東京から見れば日本の辺境だが、沖縄
(那覇)を中心にすると、九州と台湾、中国大
陸はほぼ等距離にある。
那覇から東京とマニラはほぼ等距離にある。
⇒ 東アジアの結節点にあることがわかる。
沖縄は、日本からも中国からも文化的な影響を
受ける「文化の交差点(ハブ)」だった。
⇒ 東アジア全体が一つの文化圏(漢字文化
圏)を形成していた。
漢字文化圏とは
漢字は、東アジアの共通語だった。
古代の遣隋使・遣唐使から、江戸時代の朝鮮通信
使まで、たとえ言葉が通じなくても、
漢文の筆談ができればコミュニケーション可能。

漢字によるコミュニケーションが成立する範囲
を、「漢字文化圏」と呼ぶ。
アルファベット:左から右へ横書き
アラビア文字:右から左へ横書き
漢字:縦書き
漢字文化圏の範囲
現在の、
中国
北朝鮮
韓国
日本
台湾
ベトナム
が、おおよその範囲。

⇒ これは、「お箸の文化
圏」とほぼ一致している。

仏教や儒教も漢字によって伝
わった。また、囲碁もこの文化
圏。
食文化の共通性

・短粒種のコメを主食としている。
⇒ インドやタイは長粒種

・緑茶を飲む
⇒ 朝鮮半島では早い時期になくなったが、中国・日本・
ベトナムは共通。

・スープに入った麺を食べる。
ラーメン・そば・うどん・フォー・冷麺など。
同じ言葉でくらべてみると・・・

・ 砂糖 ・
冬至
中国語 シャータン
トゥンジー
韓国語 サタン ト
ンジ
日本語 サトウ
トージ
ベトナム語 サドゥオン ド
ンチ
通貨の単位は
中国:圓⇒元(発音が同じ)
韓国:圓=ウォン(韓国語読み)
日本:圓=円(略字)

ベトナム:銅(ドン)
漢字文化圏の解体
• ベトナム:清仏戦争(1883~85)後にフランス
の植民地になる。
それ、以降はアルファベットを使用している。
• 北朝鮮・韓国:第二次世界大戦後はハングルを使用して
いる。
• 中国:1950年代以降、簡化字(簡体字)を導入し
た。
• 日本:1946年に「当用漢字」(現:常用漢字)を
制定した。
• 台湾:現在では唯一、伝統的な漢字(繁体字)の使用
を維持している。
⇒ 現在では、漢字によるコミュニケーションが困難に
なってきた。
文字文化と非文字文化
漢字文化圏の周辺には、非文字文化圏が広がってい
た。北海道のアイヌや、台湾の先住民族などがそれ
にあたる。いずれも狩猟採集文化。
「文化」とは、文によって教化する(教え導く)こ
と。
⇒ 逆に言うと、文章を読めることが、「文化」
の条件。
⇒ 文章が通じないのは「化外」の民。
中国の世界観:中華思想
四方には、東夷、南蛮、西戎、北狄がいる。
中華思想の影響

北狄(ほくてき)

西戎(せいじゅう) 中華 東夷(とうい)

南蛮(なんばん)

中国は「世界の中心」を自認する国
⇒ その周辺には、漢字が通じない民族がい
た。「文化」=文によって教化すること。
「日本」とは何か?
『山海経』(せんがいきょう)の記述による。
中国古代の地理書。漢代(前漢BC3~AD1)には
すでに成立していた。
遥か東方海上に、湯谷があり、そこに扶桑(ふそう)
という大木がある。その木の根元に十の太陽が眠る。
そのうち一つが木の枝にかかる。
⇒ その場所が「日本」:日本は太陽が生まれる場
所。
「扶桑」は日本の別名として用いられた。
『扶桑略記』(歴史書)「三菱ふそう」(自動車
メーカー)「扶桑社」(出版社)など。
沖縄から本土へ
• 空手
琉球王朝に伝わる古武道「手」(ティー)
が、近代以降、船越義珍ら沖縄の空手家たち
によって東京に伝わった。当初は、「唐手」
と表記されていたが、船越が師範となって大
正13年(1924)に発足した、「慶応義
塾大学唐手研究会」によって「空手」と改め
られた。
・ サツマイモ
中南米原産。16世紀末に沖縄に伝わる。
・焼酎
日本酒は醸造酒であるため、特に暑い地域で
は発酵が進み変質しやすい。琉球には蒸留酒
「泡盛」が伝わり(タイからという)、それが
鹿児島に伝わって焼酎の源流になった(朝鮮半
島源流説もある)。焼酎は現在も、南九州が主
産地である。
・三味線
中国福建省の三弦を原型とする弦楽器三線が、
琉球王朝時代の15世紀以降に普及し、沖縄で
独自の発展をした。胴に蛇皮を張り、三本の弦
を水牛の撥で弾いて音を奏でる。16世紀半ば
に堺に伝わり、のちに三味線の原型となった。
沖縄文化の多様性
媽祖(天后)信仰
媽祖は中国生まれの海の女神で、航海などにご
利益があるとされる。もと福建省において船乗
りたちを中心に信仰され、琉球王朝時代に那覇
に天妃宮、久米島に天后宮が作られた。鹿児島
や長崎にも伝わる。 横浜中華街にもある。
清明節
中国では、4月の半ば「清明」の日に先祖の霊
を祭る習慣があるが、沖縄でも家族で墓参りを
する。本土にはない習慣である。
近代以前の琉球
最も古い記録は、『隋書』の大業3年(6
07)
明の洪武帝の時代(1368~99)に、
明と冊封関係に入る。
当時の琉球は、中山、山南、山北の三王鼎
立時代。
1429年、中山王が琉球を平定。琉球王
国が成立。以降、明治12年(1879)
まで、王国が存続。
冊封関係とは
• 中国皇帝によって、周辺国の王を王として勅命す
る関係。それにより、中国皇帝の権威が高まると
ともに、周辺国においても王権の正当性が保証さ
れる。
• 冊封とは、書簡の意。冊封を受けた国は外藩国と
なり、帝国の藩塀となって外敵を防ぐ一方、帝国
もまた外藩国を外敵から守る(相互安全保障)。
• 外藩国は帝国に対し、特産品等を持って朝貢し、
帝国はそれを上回る価値の品を回賜することで大
国の徳をあらわす。(一種の交易でもある)
• 琉球王国では、国王の代替わりごとに中国
から冊封使が来た。記録では、明代の永楽
2年(1404)から、清朝の同治5年
(1866)に至る。冊封使を迎えるため、
首里城正殿は、中国式の宮殿になっていた。
⇒ 柵封を受けることは、「国家」であ
ることを意味する。
• 明代には、高麗(朝鮮)、日本(足利政
権)、琉球のほか、現在のベトナム、カン
ボジア、タイ、インドネシア、マレーシア
等、東アジアの広範囲の国が冊封国となっ
ていた。
島津氏の琉球侵攻
・1609(慶長14年)、島津氏が琉球に
侵攻し、支配下に置いた。⇒琉球は薩摩藩
に租税を納める。琉球は薩摩藩の支配下に
ありながら、同時に清との冊封関係を維持。
・清との交易は薩摩藩の管理下に置かれる。
江戸時代の日本は鎖国(海禁)政策を取っ
たが、交易の都合上、琉球と清の関係は黙
認された。
・このとき、琉球王国の一部だった奄美諸島
は島津藩領となった。
『中山世鑑』の成立
• 1650年、薩摩藩支配下において、向象賢
(しょうしょうけん)が最初の歴史書『中山世
鑑』が編纂。初代琉球王・舜天を、保元の乱に敗
れて伊豆の国に流罪になった源為朝が琉球に逃れ、
大里按司(あじ)の妹との間に作った子とする。
⇒ 琉球王を為朝の子孫とすることで、同じく
清和源氏を名乗った徳川将軍家と対等の位置に置く
ことを目指したか。
• 当時の琉球では漢字が使用されたほか、ひらがな
も15世紀には使用されるようになっていた。
明治維新後の琉球
明治4年(1871)の廃藩置県に際し、翌5
年、日本政府は琉球に対して使節の上京を求め、
琉球国王を「琉球藩王」とした。これは、琉球
を日本の「外藩国」とする冊封関係に置くこと
を意味していた。一方、同年には宮古島の島民
54人が台湾に漂着し、現地人に殺されるとい
う事件が起きた。日本政府は清に抗議したが、
清が台湾生蕃という「化外の民」のやったこと
だと賠償を拒否したため、7年に台湾に出兵、
清から賠償金を得た。
「琉球処分」へ
このことを根拠として、日本政府は清国が
沖縄島民を「日本人」と認めたと判断し、
琉球藩を廃して「沖縄県」を設置する方向
に進んだ。琉球側は使節を福州に密かに
送って北京に窮状を訴え、清からは強硬な
抗議があったものの、軍事的衝突には至ら
ず、明治12年、日本は琉球王制を廃止し
て「沖縄県」を設置した(琉球処分)。こ
れに反対した琉球王朝要人は清に密航し
(脱清人)、琉球王国の回復を訴えた。
日清戦争へ
琉球処分後も清国との間で、帰属をめぐる問題
が尾を引いた。日本政府は、清が日本に欧米諸
国並みの最恵国待遇を与える代わりに、日本は
宮古・八重山を放棄するという条件を提示したが、
交渉はまとまらず、うやむやになっていった。
その後、朝鮮国の独立をめぐり日本と清は対立
し、明治27年(1894)日清戦争が起きる。
日清戦争の結果、沖縄県は正式に日本の国土と
なり、琉球王国の再興を目指していた人々も沈
黙した。
差別と同化
琉球処分後、日本政府の施政方針は旧慣の維持
であった。琉球処分後には、小学校や中学校が
設置されるが、当初は日本支配への反発から就
学率も低く、日清戦争当時で20%程度であっ
た。また、徴兵制は日清戦争後の明治31年
(1898)にようやく施行されたが反発も強
かった。同化には時間がかかったのである。
一方、若い世代の中には積極的に日本に同化し
ようという動きも現れる。
• 当時の沖縄県民には、標準語を話せない人
が多く、軍隊等においても差別される対象
になった。本土人から差別されないために
は、まず言葉を標準語化する必要があった。
明治時代末頃から、沖縄県の小学校におい
て「方言札」が盛んに使用された。これは
方言(琉球語)を学校でうっかり使ってし
まった児童が、罰則として首から下げさせ
られる木の札である。
• このような言語政策は、日本語を標準語に
一元化しようとした政府の方針によるとと
もに、標準語を話せることが社会的成功に
もつながるという現実的な側面もある。
同化するか差別されるか
• 沖縄独自の文化は、固有性が強く意識さ
れるほど、差別の対象になりやすい。
⇒ 特に、外見上の差異(容姿・衣服・化粧
など)・言語の違い・生活習慣の違いなどは、
差別の対象になった。
⇒ 独自の文化を捨てて、本土の文化に
同化すれば、見分けがつきにくくなる=差
別はなくなるはず。
参考文献
岡本弘道「近世琉球の国際的位置と対日・対清外
交」 ( 周辺の文化考証学シリーズ6)
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