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新潮文庫三寸

熱 !

I:
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-

1

二島由紀夫著

新 潮干上
新潮文庫

製L 帯 桔t

三島由紀夫著


新潮社版

56
3 9

自 蓄 参L

作 , 微

と 帯
解 の 目

題 巣 賊 樹

* 次

プU
夢L

骨帝



技L


悲劇三幕
登場人物
恵三郎
律子

郁子
信子

一九五九年秋の一日││午後から深夜にいたる。

とりかど
郁子の病室。秋の午後。快晴。鳥筒。郁子ベッドに上半身を起し、枕に背を支えている。

第一場 (郁子)

郁子 小鳥さん、可愛い小鳥さん。あなたも今日一日の命だわ。今夜からはそんなにいらい

ら時かずに、安らかな眠りをたのしむことができるのよ。あなたの命は、あの鳥屋から買

って来られて、ここの鳥龍に入れられて以来、私が一ト月と決めたのよ。あれはまだ夏の
名残が、庭の日ざかりに感じられたころだったわ。あなたは来たわ、可愛い目をして、き
れいな気高い羽色をして。でもあの瞬間に、私はあなたの命を一ト月と決めたのよ。:・
ひ かず
小鳥さん、これでも命の日数を決めるには、私なりの苦労があるの。本当なら来る小鳥来
る小鳥が、同じ日数が来たら死ぬようにしてみたいの。でも、そんなことをしたら家じゅ
やり︿ち
うの人に、私の遺口がばれてしまうわね。今夜、ほかの小鳥にそうしたように、私はあな
にお
たをそっと鳥績から出してやり、この温かい胸に抱いて、人間のうら若い女の肌の匂いを
まぶたのど
かがせてやり、あなたがうっとりと白い験を閉じているうちに、この指であなたの咽喉を
0
1

怠町司令,
締めてあげるわ。 ・
:・ みんなあなたと同じようにして死んだのよ、 小鳥さん。明日にも消
:
えそうな私の命が、そうして一羽ずつ殺してゆくごとに延びてゆくような気がするんだも
の。もう十羽ちかく、:::そうだわ、七羽、 :::八羽 :::あなたが丁度八羽田だわ。私の
指のわずかな力で、小鳥がぐったりと息絶えると、私の衰えきった力だって、まだこれだ
けのことができると思うのがうれしいの。
あなたが死んだあとのことを話してあげましょうか、小鳥さん。私はこっそりあなたの
ヴ艇を鳥簡に戻し、いつもよりもずっと深い眠りを眠るの。朝、目をさますなり、おばさ

んがおずおずと私に告げるの。﹁大事な小車両が又死にましたわ﹂ :::私は泣くの。泣いて

家じゅうの人を、この不吉な出来事のために呼ぴあつめるの。みんな私に同情する。そし
とむら
で私の好きなお葬いの歌をうたうの。みんなの目が言ってるわ﹁文郁子の病室で小鳥が死
-
eぎし

んだ。今度こそ不吉な兆でなけりゃいいが:::﹂私は一日泣き暮すの。ああ、あした一目、
久しぶりで私泣き暮すんだわ、たのしみだこと。
(このとき庭のDFで自転車のベルの音する)
ぁ、お兄様だわ。
(ト枕の下より手鏡を出して髪を直す)
(庭より兄、勇あらわれる)
おかえりあそばせ。
第二場 (勇・郁子)
勇ああ。(卜上って来る)気分はどうだい。
郁子 (打ってかわった愛らしい様子で)さっきも申上げたでしょう。今日はいくらかいいの

よ。でもこれだけ重い病気になると、いよいよ死ぬ前には、まるで治ったように快くなる
ことがあるらしいのね。
ぱか

勇 ( 暗然と)莫迦なことを一言うもんじゃない。
郁 子 そ れよりいつもみたいに話してね。今日あのきらきら光る自転車で、お兄様がどこま

で行ったか。ぉ兄様は私の脚、お兄様は私の固なのよ。話してね。今日はどうしても海を
見て来てってお願いしたでしょう。こんな明るい秋の日に、海がどんなだろうと思うと、

胸 が わ くわくするようだわ。ねえ 、 海 を 見 て 来 て 下 す っ た ?
勇見て来たよ。
郁子 き れ い だ っ た ? き ら き ら し て い た ?
勇 うん、浮んだ油のおかげでね。
郁 子 空 はどうでした ? ど ん な 色 ?
勇工場地帯の勝般に汚れていたよ。
郁子 いくら油や煤煙に汚れていても海は海だわ。ねえ、話してね。船を沢山見て?
1
1
勇船は沢山見た。
2
1

郁 子 い いことねえ。沢山の船。
勇自転車で国道まで下りて、どんどん北のほうへ行ったんだ。あっちのほうへははじめて
行ったよ。屠殺場があったり、清涼飲料の工場があったりする。右へ 曲 ってどんどん海の
ほうへ行っても、なかなか海は見えて来ない。埋立地があって、掘割があって、その掘割
にかかった橋を渡ると 、 文むこうにひろい埋立地がある。
郁子埋立地は海の風でいっぱいね。
勇そうだよ。それは動かない鴎きな船の甲板みたいなものだもの。

稲子ああ、私、船が見たい!動いて遠くへ行く船が見たい!お兄様、船を見た?話

してね、どんな船を見たの?
勇まあ待てよ。僕は自転車でもう一つ先の埋立地まで行ったんだ。そのむこうはもうたし

かに海だった。だけどその最後の埋立地、一等海に近い埋立地は、まだほとんど草におお
ほるいった
われ、むかしは海から突き出ていた室塁が、ぼろぼろの石垣に赤い蔦をからませて、草む
した丘になっている。その億一塁のむこうを船がとおる。そうすると、丘の上を、貨物船の
沢山のマス トだけが、ゆらゆらと動いて渡るのが見えるんだ。
かもめ
郁 子 丘 の上を渡る沢 山 のマス ト:::。まあ、そうして鴎はいて ?
勇 鴎 も い た よ 。 鴎 は ふしぎ そうに伝一塁をとぴめぐり 、崩れた石垣 の下に魚を探 して、も う
そこに打ち寄せる浪もなく、すっかり土に閉ざされてしまっているのを見るんだ。
郁子私のようだわ、まるで郁子のようだわ、お兄様。私のまわりにはもとは海があったの
ね。私のまわりを船がとおり、私の足もとを波が洗っていたのね。それが今では土に閉じ
こめられて、ひろい百戸原のまんなかに身動きもできなくなってしまったのね。
勇(確信なげに)僕がいつか解き放ってあげるよ、郁子。(寝台に半分身を乗せて)君をつな
ともづな
いでいる績を、僕がいつか必ず切ってあげるよ。
綿子それができたらね。
勇(郁子の髪を撫でて)できるよ、いつか、僕はきっとやってみせる。もとは君と一緒にど

こへでも遊びに行けたんだもの。又そうできるようにしてみせるよ。子供のころから、僕
禽ょうだい
たちはいつも手をつないで歩いたね。こんな仲のいい兄妹はないってみんなが言ってくれ

た。僕は誰と結婚するかつできかれると、郁子とだって答えたもんだ。それをきいてみん
お か
なが笑った。何が可笑しかったんだろう。

郁子そうだわ、可笑しいことは何もないのにね。
勇大きくなってからも君だげが僕の力、君だけが僕の慰めだった。この暗い大きな家のな
かに、君がいなかったら、どうして毎日を過せただろう。君の顔を早く見たさに、学校か
らだってまっすぐ帰って来る。君の明るい声が家の中からきこえると、ああ早くかえって
やみ
来てよかったと思うんだ。もし君が留守だったりすると、家の中が冷たい閣でいっぱいで、
もうそこへ足を踏み入れる勇気もなくなったんだ。
3
1 郁子大丈夫よ、お兄様、もう私留守になんぞしないから。いつまででもこうしておかえり
を大人しく待っているから。
4
1

勇でも病気じゃいやだ!病気じゃいやだ! (妹の顔を両手ではさみ)どうして君は病気
になんかなったんだ。

郁 子 ね え : :・
ぜっぷん
(二人長い接吻をする)
(勇、身を起して、舞台端へまわってきて腰を下ろす)
勇どうして病気になんかなったんだろう。

郁子なりたくてなったんだわ、私。健康で、生きて動いている私に飽きて、ただ眺める目、
聴いている耳になりたかったの。こうして一日寝ていると、丈夫な人には見えない角度か
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;・~.r.
f

ら、いろんなものがよく見えるのよ。そうなの、私立ったままでこの世の中と向い合って
いるのに疲れたの。そうしたら病気になった。できれば病気がこんなにどんどん進んでゆ

くのじゃなかったらよかったけれど ::
:。
勇進んじゃいないよ、郁子。
郁子お兄様までみんなと同じ気休め!どうして病気が進んじゃいけないの。古はどんど
ん茂り、樹木は生い立ち、ここの家ではみんなが憎しみの植木を心の中に育てているのに、
どうして病気だけが進んじゃいけないの。

勇そんな話はよそう。快くなって、君を自転車のうしろへのせて、 一緒に海へでも行く話
をしようよ。
郁子 快くならなくても、死ぬときでいいのよ。そのほうが近いのよ。私この白い寝間着の
まま、お兄様の肩につかまって、海まで自転車で連れて行ってもらうんだわ。白い寝間着
が夜風を苧んで 、 お兄様の母衣のように見える筈だわ。夜中にそうして海へ ! 夜道で会
はらほろはず
う人は、おどろいて身をよ砂るわ。今ふしぎな燕りの高い幽霊が駈けてすぎたって。 ・ :
きっと私、海へ着くまでに死んでいるわ。
勇郁子!
郁子 お兄様の一周にかけた私の手は離れず、爪はしっかりと肩の肉をつかんでいる筈。埋立

地へ着いたら、私の手をむりに新がして、私の亡骸を海のなかへ落して頂戴ね。夜の潮げ
遠くまで運ばれてゆくように。

勇 郁 子 ! 都子 ! (ト妹の体に抱きつき顔を伏せる)
郁子 (その髪を撫でつつ独り言)なんて仕合せでしょう。何て仕合せ ! (兄の顔を 引 き起し

て)でもその前に、よくってお兄様、私のお願いしたことを忘れないでね。
勇 (ハッと身を起し)ああ !
郁子 あれを忘れないでね。約束よ。きっと私の死ぬ前に済ませてね。
勇ゃるよ。きっとやるよ。でも僕は・
郁子 怖いんでしょう。何が怖いの。私がついているのに。
勇ゃるよ。
郁子 きっとね。
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1
勇 (力なく)ああ。
6
1

郁子 だ め よ ! だ め ! も っ と 勇 気 を 持 た な く て は 。 こ の 世 で 一 等 悪 い も の を 滅 ぼ す の よ 。
根絶やしにするのよ。それでやっと私は安心して目を隠れるんだわ。それが私のためにし
て下さる、この世で一等いいことなのよ。:::そうしなければ、お兄様、あなたがいつか
殺されますよ。
第三場 (律子・都子・勇)

律 子 ( 登場。はなはだ 華美 な身なり)まあ、大きな声を立てたりして何? 体 に さ わ っ て よ 、
4
伸WH
郁子。
郁子 体にさわったら、おたのしみでしょう。

律子まあ母親に向って何という口のききょう?
郁子 今日もすばらしいけばけばしさね、お母様。
律子 お父様のお好みだから仕方がないでしょう。
郁子 お 年 を お 考 え に な っ た ら ? お 母 様 。 そ の 厚化粧、そのお召物、その帯、本当に正気
の沙汰じゃないわ。
律子 世間じゃ私のことを趣味がいいと言ってるわ。
郁子 世間の目はくらませても、やがて死んで行こうという私の目はくらませないわ。私に
は何もかも見えるのよ。そのけばけばしいお召物と 、 その下の衰えた女の裸 と
、 おそろ し
いことをいつも館らんでいる真黒な 心 も

律子 わかったわ、郁 子。みんなあなたの病気のおかげ 、疲れた衰えた神経のおかげなんだ
ゎ。こんなに部屋を 明 るくしておくのがいザないのよ。ほんの少しの明るい色、花やかな
色合も 、 もうあなたの目は受けつけようとしないんだわ。それがあなたの神経にさわって、
けばけばしく見せるんだわ。そうだわね 、 勇 、 私 の 着 て い る も の の 一 体 ど こ が 派 手 ?
(勇、答えず)

まあ返事がないならそれでもいいわ。あなたもどうせ都子と同じ意見なんでしょうから。
郁子 (勝ち誇って)そうよ。ぉ兄様はいつも私の味方なんですもの。

律子 病気のあいだは何を言われでも私は我慢するわ。でも治ったら、これまで以上にきび
しくしますよ。あなたは病気に甘えているんです。

郁子 治らないから平気だわ。
勇(痛切に)文それを言う !
律子 心配しないでいいのよ 、勇。ただのいやがらせでああ言うんだから。
綿子 結構な母性愛ね。お母様にとっては生きても死んでも大してちがいのない私の病気で
すもの、お気も楽なのね。でもこれでお父様やお兄様が死にかけていたら、どんなでし主
・つ。
律子 私はえこひいきなんぞしませんよ。
7
1
郁子 いいえ、死にかけているのがお父様やお兄様だったら、お母様はどんなに喜んで、見
8
1

かけだけは熱心に看病をなさるでしょう。なにしろそうすれば、財産がみんな手に入るん
ですものね。
律子 (耳をお ね
H って)勇、何とか言ってやって頂戴。この子は人間の口から出るべきでない
言葉を、平気で母親にぶつけるんだから。
勇 (カ弱く)僕には 止 められません。病人なんだから。
律子 い い の よ 。 何 で も 勝 手 に 言 っ て お く れ 。 さ あ 、 もっともっと言っておくれ。なるほど

私は貧しくなった旧家の娘で、お父さまに拾われたような形の結婚だったわ。世間は永ら
*

く そ ん な 私 を 、 打 算 的 な 女 だ と 取 沙 汰 して来たけれど、私は人が思うままに任せて来まし
P AJphv
た。でも実の娘の口からこんなことをきき、実の息子がそれに金

, 占を合わせる、ああ !

私という女はどこまで不仕合せだろう!

郁子 結局世間の目は正しく見ていますわ、お母様。あんまり近くにいる人がつかまえそこ
ひとゆみ
ねているものを、遠くから矢のように、たった 一弓で射当てるのだわ。
律子 あなたがそう思い込んでいるものを、私がどうすることもできないわけね。でも考え
ほか
でもみてごらん。もし万一私の念頭にお父様の 財産のことがあったと して も、そ れは他で
もないあなた方 、可愛い息子と娘のことを思つてなのよ。
(郁子狂的に笑い出す。勇次いでこれに和す)
お父様もお年だし、先を考えてごらんなさい。万一のことがあったら、財産なしで 、 どう
してあなた方若い人たちの未来を、私が助けて行けるでしょう。だからそれを考えて、私
はお父様のお心に沿うように 、 こんな年に似合わない身なりもするし 、何事も逆らわない
ようにと気をつけて、 心を砕いているのがわからないの ?
ただ
郁子 よくも見事に、そんなきれいなお話が作れるものね。お母様の考えてることは唯一つ、
あんな莫大な財産を 、 一人占めする こと なんですわ。私が死ぬのも勿怪の幸いだし 、 お父
もつげ
様が亡くなったあとでは、お兄様も早く死んだほうが:::。
律子 お黙り ! 何の根拠でそんなことを言うんです。

郁子 お兄様にきいてごらんなさい。
*

律子 勇。あなた何かこの可哀想な病人に、下らない作り話でもしたんですか ?
(勇おそれで立上る)
何を言ったの。お言いなさい。(ト迫る。勇、たじたじと潜る)お言いなさい。言わないと

打ちますよ。
郁子 お兄様 ! 勇気を出して ! さ っ き の 誓 い は ど う し た の ? 私 と の あ の 固 い 約 束 は ど
おっしゃ
う し た の ? 元 気 に 勇 敢 に 、 私 の よ う に も の を 仰言い。ぉ兄様は若くて、 力 があって、船
乗りみたいに広い肩幅をお持ちじゃないの。どうして惜れるの ? お母様のどこがそんな
にこわいの。ああ、情ない。私がいつもおしまいに希望を失うのは、そんな弱いお兄様の
姿を見るからだわ。
9
1 律子 郁子の言うとおりだわ。お言いなさい。お言いなさいったら !
勇(ずっと俄起りして)言いますよ、三年前のこと:
0
2

律子 三年前ですって。
勇(怖れて)ええ、三年前、僕が学校をどうしてもやめると言い出したとき、お父様とひ
どい民間宮を したでしょ う

律子 ええ 、今でも思い出すひどい喧嘩 だわ。あれ は口喧嘩とい うものじゃなかった。
勇 は じ め の うちは口喧嘩だった。
律 子 そ こ へ お 父 様 が と うとう我慢しきれずに手 を出して、あなたに打 っておかか りになっ



勇僕も昂奮して手をあげました 。
こうふん

律子あなたはもう若者の力をお持ちでしたよ。
勇 お 父 様 も す ご い 力 だ っ た 。僕たちは組んず ほぐれつ、おそろしい磁り声をあげて戦った。
律子 思い出しても怖いようだ。あのとき台所にい た私 が、あわてて止めに出なかったら 一

体どうなっていたでしょう。
a
a
,昼

郁子 嘘です !
律子 嘘だって。
(伸艇にらみ合う。永い意味ありげな沈黙)
郁子 嘘だわ。ぉ 兄様、先をお話しなさい。
勇 : : :それから先は、僕には話せない。
律子お話しなさい。何が嘘だというんです。
郁子お話しなさい、お兄様。そこでお母様の嘘をあばき立てて、今こそ物事の本当の姿を、
明るみに出す時なんだわ。
律 子 お 言いなさい、勇。
勇:::そりゃああのときお母様は、いかにも心配そうな表情で、台所から止めに出て来ら
時-AJ,
永v
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れた。但し手には庖丁を持って・:・:(一語一語、しぽり出す如く)まるで何気ない調子でそ
の庖丁宇ぺ:::丁度僕が片手を支えていた飾棚の、:::僕の手のすぐそばに置いたんです。
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しかもその柄を僕の手のほうへ向けて:::。
律子(遮って)それがどうしたというんです。

(氷のごとき永い沈黙)
勇僕の指先がそれに触れた。心にはお父様への憎しみが煮立っていた。指が思わず庖丁の

柄を握ろうとした。濡れた木肌のあの冷たい触覚が、今もまだ僕の指にはまざまざと残っ
ている。:::はっと気がついて、僕は指を離した。そして今、止めに入ろうとしているあ
なたを見た。:::ああ、あのとき、もしあの一瞬に、僕の指が庖丁の柄を握っていたら、
どんなことが起ったか。:::思っても怖ろしい。僕は確実にお父様を殺していた。
律子あとで気がついて、ぞっとしたのは私のほうだわ。台所仕事のまま、何の気なしに庖
丁を握ったまま:::
1
2 綿子 (笑う)まあ可笑しい。何の気なしに、ですって。何の気なしに!
勇 そのとき稲妻に照らし出されたみたいに 、 お母様の心が僕にははっきりみえた。あなた
2
2

の企らみはばれたんですよ。
郁子 ﹁何の気なしに﹂ですって。何の気なしに !
律子あなたたちは一体何を言おうとしているんです。
(永い沈黙)
郁子 それまで私たちに言わせようとお思いなの。
律子 (決然と)ええ、仰言い。

ゆ っく りと、歌うがごと く)お母様は、 お兄様を使って、 お父様を殺そうとなすった


郁子 (
のよ。自分は何の罪も着ずに。

(沈黙。突然舞台上方より女の歌声起る)
歌声命はいつまで、哀れな小鳥、

空は夕焼け、日の果てるまで、
人は死に絶え、死んだ小鳥は、
道の先がけ、さえずる声に、
制郁子(歌う)人は死に絶え、死んだ小鳥は
うしお
歌声 夜の潮の、沖の果てまで、
郁子 道の先がけ
歌声 さえずる声に:::。
郁子おばさんの歌だわ。あの歌をきくと、私元気になる。私元気になる。みんな行って頂
戴。おばさんと二人きりにして。おばさんのお話をきいて、私眠るわ。私、とても疲れた。
:・疲れて目もあいていられないくらい。行って頂裁、お兄様も。
(律子と勇、退場)
第四場 (信子・郁子)

信 子 ( 登 場 。 四 十 歳 ぐらいの地味な女)郁子さん、また駄々をこねているのね。だめですよ。
静かにじっと横になって、口もきいてはいけないのよ。お医者様がそう何言ったわ。

郁子言わずにはいられないの、私、どうしてもあの人たちを見ると。
信子それはわかっているわ。よくわかっていてよ。でも私がおそばに来たから、もう静か

にしているのよ。
郁子おばさんと二人きりだと、私ものを言わずにいられるの。だっておばさんのお話は、
みんなもう終ったお話だもの。
信子そうだわ。みんな終ったお話。人の言葉がそれをどう変えようもない話だものね。ぃ
つものように、ゆっくり話すわ。それを子守唄にしておやすみなさいね。今のあなたには
一等休息が必要なのよ。
3
2 郁子ええ。
信子 亡くなったあの人のことを又話すわ。
4
2

郁 子あなたの若くて亡くなった旦那様のことなのね。
信子 そうよ。あの人は永い病気の果てに死んだ。あれ以来、人の看病をすることが、私の
一生のMbV野になったんだわ。あの永い永い病気、いつまでたっても終りにならない、ま
るで人生そのものみたいなあの人の病気・・:
郁子 私の病気はずっと短かいわ。
信子 そうですとも、あなたの病気はずっと短かいわ。あなたの病気は人生になんかちっと
わがまま

も似ていない。:::あの人は永いこと、病気と仲良く暮していました。我僅な女主人に仕
える忠実な若い 下男のように。私はまたその下男に仕える女奴隷でした。奴隷と下男はこ
たの

人きりになると、いつもそこにはいない女主人の悪口を言って愉しんだのだわ。
郁子 お裂は高台にあったのね。病室の窓からは遠い工場地帯や町のあかりが見えたのね。

信子 そうよ。夜になると遠い町あかりの、ネオンサインを見るのがあの人は好きだったの。
ネオンサインとあの人。谷あいの家の伊がすっかり消え、むこうの丘の森がくろぐろと見
え、夜がどんなに深くなっても、あの人とネオンサインとは、いつまでも起きていたの。
谷が東のほうへひらけていて、そとにきらきらと光る水たまりのように、遠いネオンが青
や紫や赤や黄をこぽしているの。その広告の文字はつぶさに見えず、 奇妙にしん とし て、
夜 の 慨 が の 上 に 群 が っ て い る 色 と り ど り の 昆 虫 の よ う に 見 えるの。あの人は眠れない毎晩
を、枕に頭をもたせたまま 、遠いネオンをじっと 見て すご し ていたわ。
郁子 そのあいだおばさんはどうしていたの。
ふけ
信子 私はそばで寝たふりをして、みだらな考えに耽っていました。寝ていないことを気づ
かれないように、わざと作った寝息を立てていると、ふいに殴が出てしまったりする。
郁子 それでは気づかれてしまうわね。
信子 いいえ。それでもあの人は気づかないふりをしている。ときどき薄目をあけてみると、
窓の戚あかりを背に、あの人の白い白いきれいな横顔が見えるんです。あんなにきれいな
横顔をした男はいないわ。あの肌は秋のおわりに、海に打ち上げられている白い木の枝の

ような色だったわ。
郁子 死んだあとはどうしたの。この世からその人が消えてしまったあとはどうしたの。
ねだい

信 子 寝台はそのまま、白い枕もそのままだったわ。あの人がいなくなってからも、世界は
そっくりそのままの形をしていた。それが私にはとてもふしぎだった。ネオンはやっぱり

夜が更けるまで、東のほうに砂金のように光っていたわ。
郁子 死んだあとも船は帆をあげ、
にぎ
信子 死んだあとも港は賑わうんだわ。
郁子 そんなにそっくり同じ形で?
信子 ええ、寸分たがわぬ姿で。郁子さん、それはほんとうに気味のわるい眺めだったわ。
うち
あの人が死んでも、毎朝きちんと郵便配達の来るこの世界。家のちかくの急な坂の途中に、
昼間でも門燈をともしている変な家があったの。あの人が死んでも、昼間そこの儲けた門
5
2
ガラスたま
燈は、乳色の硝子の珠に半分うすい日ざしを浴びながら、いつものように灯っていたわ。
6
2

よろいど
::今日も 汽車は時刻表どおりに発車し 、今日も銀行は同じ時刻に鎧戸をあげる。何一つ
変りはしないの。何をしたって、あの人が死んだって、人を殺したって、何一つ変りはし
e
A
F
-﹂材
ないの。世界は、呼んでも街の返らないふしぎな場所、どんなことをしても手の届かない
r

つぼめ
ふしぎな場所なの。古い金いろの薬屋の看板も、その軒下に巣をつくる燕も、御用聞きた
ちの自転車も、・:・:すべては気味のわるいほど、あの人の死ぬ前の世界とそっくりだった

。 ・
:・ おや、眠ったのね。眠れるのが何よりよ、郁子さん。安心しておやすみなさいね。
:
結j

部屋を暗くしましょうね。午後になって移る日光が、眠っているあなたの験をくすぐると
いけないから。

4

ぴょうぶ
(ト寝台 のまわりへ、高く巨大なる扉風をめぐら し、自分は外へ出て くる。そこへ登場した
律子と、界風の外で話す)

第五場 (信子・律子)
信子 やすみましたわ。
律子 ありがとう。
信子 ここで編物でもしていましょう。
律子 ええ、どうぞ楽にしていて頂戴。
信子 (編物をはじめて)これが編み上ったら、郁子さんに着ていただくのがたのしみですわ。
律子 それまであの子は生きているでしょうか。あなたの巧者な手つきを見ていると、その
指のあいだをするするとくぐって、きれいな編目をこしらえてゆく毛糸が、あの子のどん
どん減ってゆく命みたいに思えるの。
信子 さきのことをお考えにならないがいいわ。主人の永い病気のあいだに、私、そういう
ことを学んだんです。
律子 あなたはつくづく強い人ね。

信子 何もかも終ってしまったから、もう怖れることなんかありませんのよ。この上地球が
一破裂したところで、それが一体何でしょう。
者F

律子 あなたは強くてふしぎな人。主人の佐保で未亡人ときいたとき、きっと舷献な冷たい
人だと思ったの。それが郁子にはあんなに親身な看護をして下さるし、今ではもともとの

家族のように思えるんですもの。女という女は私を嫌うのに、あなたは格別私が嫌いとい
うわけでもないのね。
信子 ええ。私には好き嫌いなんぞありませんの。
律子おもしろい人。それで都子はあなたをたよりにして、いろいろ私の悪口を言うんでし
よ売っね。
信子 いいえ、何にも。
律子 どうだか。まあそれでもいいのよ。私の気持も少しきいて頂戴。いつのころからか、
7
2
郁子と勇は、この家の中にへんな空想を作り出したのよ。はじめは小さな芽生えにすぎな
8
2

かったのが、今では大きな温室の中いっぱいに育った熱帯樹みたいに、つやつやした緑の
ひろ
葉をひろげて、その闘い葉はふえるばかり、今では家の中を歩くのにも、身をかがめてく
ぐらなければならないくらい。あなたにはその樹が見えて?
信子いいえ見えませんわ。私の目に見えなげれば、つまりそんなものはありはしないんで


律子あなたの立場ではそうでしょうね。でも私の目にはありありと見えるんです。 ζの家
・・

にひろがっているのは、そういうふしぎな熱帯樹なの。あの子たちが種子を蒔き、水をや
仇民柄 M E
って、永いことかかって育てた樹、そんなものはもともとこの国では育たず、誰にもふさ

わしく見えよう筈はなく、ただむんむんした緑が濃いばかりで、誰も貿手のあろう筈はな
いのに、あの子たちが丹精してこの家の中に茂らした・

信子私にはそんな熱帯樹は見えませんわ。
律子空想の樹なんです。ただの空想の産物。どこにも実体も証拠もない、ばかばかしい幻
なの。でもその熱帯樹は血のような色の花をつけ、あの子たちは又その毒々しい花が大そ
うお気に入りなんですの。それは罪の樹なんですよ、信子さん。あの子たちは一家の者が
殺し合っていると空想していたいの。
信子空想なら仕方ありますまい。誰だって空想する権利はありますわ、殊に弱い人たちな
り。
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律子あの子たちは第一に、私が主人の財産を狙っている鬼のような女だと空想している。
(笑う)まあ、想像できて?この私が。次に、そのために私が、主人を殺そうとしてい
ると空想している。勇を使って主人を殺し、そのあとでは今度は勇を:::。(笑う)信子
さん、あなたに想像できて?立派に人生と戦ってきたあなたに、こんな子供っぽい作り
話が。
信子ええ、私、多少とも人よりは人生と戦って来ましたわ。だから少くとも知っています
の、人生ではどんな事でも起り得るって。

律子 あなたも熱帯樹の信者なのね。
信子いいえ私は自分の家にだけは、そんなものを生やしたことはありません。

律 子 そ れ な ら こ こ の 家 を 御 自 分 の 家 と 思 っ て 頂 戴 。 も ち ろ ん そ う思っていて 下さるわね。
そうして私に手を貸して、乙のいやらしい樹を伐り倒して頂戴。子供たちの病的な空想を
たきぎ

薪に灰にして頂戴。私はせめて郁子が生きているうちに、あの子を仕合せにしてやりたい


信子 (ぞっとするような確信を以て)郁子さんは今のままで 十分仕合せですわ。
留ま
律 子 そ れ も 文 あ な た の 立 場 からね。でも私は自分の生んだ娘と息子が、へんな空想に溺れ
ているのが、もう我慢ならないの。そりゃあ妹が重い病気になる、兄さんがそれに同情す
る。そんな ことは世間にいくらもある。ただあの子たちは度が過ぎている んです。つまら
ないことから親に逆恨みをする。それも世開にありがちだ。でもあの子たちはいかにも度
9
2
が過ぎる。自分たちの育てた空想の樹のほかに、何一つ目に入らなくなっているんです。
0
3

信 子 だ って勇さんも郁子さんもお若いのですもの。

律 子 若 さ が 何 ? 私 た ちがその若さを矯めてやらなくちゃいけないんだわ。あの子たちの
考えているぞっとするような事柄は、この世の中にはありはしない k、よくよく教えてや
らなくちゃいけないんだわ。ねえ、そうじゃなくて ? 信 子 さ ん 。 あ ん な こ と では人生は
渡れませんわ。
いかだ
信子 人生を三万トンの船で渡る人もいますわ。でも一方じゃ筏で渡る人もいますわ。

律子 筏で渡るんならそれもいいでしょう。それならそれで謙虚でなくては。ところがあの
子たちは艇慢なんです。(急にしめやかに泣きだす)その上生みの母親を、人殺しだの、色

きちがいだのって。

(信子、律子のむせび泣きが止むまで、冷然と編物をつづけて待っている。律子、涙を納め

て立上る)
あの子たちは私の派手好みを、無邪気に褒めてくれようともしないのよ。私はきれいな着
物が好き、装身具が好き、宝石が好き。それがどうしていけないんでしょう。たとえ娘が
病気でも、百貨庖の展示会の内見の日というと必ず行く。京都へ絵羽織を染めにやらせる。
こしらたの
総漆の着物を椿える。そういうことが私の罪のない娯しみなのに、それさえあの子たちは
さげす
蔑みの目で見るの。見てよ、信子さん。この着物はきれいでしょう。家の中で着ているの
ですもの、決して虚栄で着ているのじゃないわ。こういう派手な柄が好きなの、私。いつ
りbA'AY&
b ヲル aFAY
までも蝶々のようでいたいのよ。おかしいこと?
信子いいえ、ちっともおかしくありません。
律子私はこの世のたのしさだけで生きていたいの。それなのにあの子たちが、いろんな不
吉な空想を持ち込むの。そんなことを考える暇があったら、勇だっていきいきした女の子
を探しに町へ出て行ったらいいんだわ。
信子可哀想に勇さんにはお金がありませんわ。
律子学校を勝手にやめてしまうような不良に、ほしいだけお小遣をやる母親があるでしょ

うか?
信子学校だって、あなたが授業料をお出しにならなかったからでしょう。

律子あの子が使い込んだんですわ。
信子郁子さんも洋服を三着しか持っていません。
しゃれ

律子あの子はお酒落なんかする気がないのよ。
信子お医者様だって近所の町医者だけで:::
律子あの人は名医って評判なのよ。まあ、あなたまでが私のことを:::
信子いいえ、この毛糸は私の自前ですもの、何も申上げることはありませんわ。
律子いいのよ。どうせ誰も彼も私を誤解して、私を悪魔のように言うのでしょうよ。私は
ただきれいな着物を着ていたいだけのことなのに。私には小さな望み、小さな喜びで十分
1
3 なのに。
信子 勇さんはぼろぼろの錆びた自転車に乗っていますわ。新しいのを買っていただけない
2
3

のを、郁子さんまで恋しがるので、勇さんは病人に自転車を見せないようにしているんで
す。郁子さんには、もう買い換えて、ぴかぴかの自転車があるように、思い込ませている
んです。
律子つまらない嘘。あの子たちはセンチメンタルな嘘が好きなのよ。そして人殺しの遊戯
をしている。あの子たちが私は怖ろしい。
信子 怖ろしかったら何とかなさったらいいわ。御主人はあのとおり大金持だし、あなたに
植j

ぜいた︿
委されているお金が少なくても、ちょっと御自分だけの賛沢を控え目になさったらいいん
ですわ。

;

律子 やっぱりあなたはあの子たちの味方なのね。私を人殺しと思っている。
信子 私は当り前のことしか申しません。
壷丸

律子いいえ、人殺しと思っている。あなたもこの家に生い茂った熱帯樹に水をやって、
毒々しい赤い花を咲かせようとしているんだわ。そして憎しみだの、悩みだの、そういう
ものばかりにかまけている。この家にはそんなものはありはしません。病気の娘が一人い
るだけなのよ。
信子 それにしても勇さんはどうしてお母さんをあんなに怖がるんでしょう。
律子 やましいからでしょう。自信がないのよ、あの子は。
信子 いずれにしても私は、探偵になるつもりで、ここに伺ってしるのじゃないし::
律子 そう、いいお心掛けよ。
信 子 同 情も慎まなければなりませんしね。
律子 そうですとも、信子さん、ここの家には同情されることは一つもないの。ただ世間し
らずの子供たちが作った悪い夢がはびこっているだけですわ。
(扉風の中より振鈴鳴る)
信子 御主人がお呼びだわ。私、まいりましょうか。
律子 いいのよ。あっちで休んでいらして頂戴。あの人はどうせ私にしか用がないんですか

かり。
(又振鈴鳴る。信子退場。律子扉風を押しひらく。内部は、恵三郎の居間に変っている)

第六場 (律子 ・恵三郎)



(恵三郎の前へ出ると律子はたちまち婦をあ らわ し
、 みだらな小娘のようになる)
-﹄du
律子 お呼び?
恵三郎 ああ。
律子 私、午後の着物に着かえたわ。
恵三郎 朝のよりそのほうが結構だ。
律子 この帯お気に召して?この帯留は?
3
3
恵三郎 うん。いずれにしろ、決して地味なものを着てはいけないよ。
4
3

律子 よくわかっていますわ。
恵三郎 (王者のごとき威厳)俺の前では、お前は死ぬまで可愛い小娘でなくちゃならんの


律子 何 十 年、あなたは同じことを仰言っていらしてよ。
恵三郎 俺は今さら別の言葉を言う気持はきらきらない。
律子 うれしいわ。

恵三郎 いいか。着るものと、身を飾るものと、美容師と、美容にたずさわる医者たちと、
これだけのものにはいくら金を使ってもいい。そのほかのものはみんな切り詰めて、家庭

のいい主婦であってほしいのだ。
律子 私 、 何 も か も 仰 言るとおりにしていてよ。

恵三郎 それでいい。ここへ来ないか ?

律子 (都訟を示し)だってお部屋がこんなに明るいのに。
恵三郎 窓あかりのほうでその指をそろえてごらん。
律子 こう ?
恵三郎 感心によく手入れが届いている。爪の赤はもう少しオレンジがかったほうが、



着物に合いはしないか。
律子 そうね。そう致しますわ。
恵三郎 郁子の容態はどうだい?
律子 :::はかばかしくないのね。
恵三郎 そうか。それでますます見舞に行くのが戟くなった。あいつの病室へ見舞に行くと、
何も言わずに、鵬のある目つきで俺をじっと見る。あれはどういうわけだ。あいつは病気
になってから、殊に勇とよく似たいやな目つきをする。
律子 お気になさることはないわ。
恵三郎 俺 が 顔 を 出 すだけで、誰でも微笑を顔にうかべて、幸福そうにしてくれればそれで

いいんだ。俺が生れてから今まで、人生に求めて来たととはそれだけだ。それに尽きると
(一出回っていい。しかも自分の息子と娘からは、それと反対のものを貰っているんだ。

律子 私の教育が悪かったのですわ。
恵三郎 俺はお前にそんなものを求めなかったし、お前は俺のことだけを考えていればいい
圭A

んだ。ただあの子たちにはもっ と人間らしくあれと望みたい。
律子 あの子たちは子供のころから仲が好すぎて 、料だに二人でへんな遊戯をしているだけ
なんですわ。
恵三郎 俺は微笑の義務を感じない。普から俺は自分がほほえんでいるべきだなどと思った
ことはない。しかし俺と会い、俺と話をするほどのやつは、たえず微笑をうかべていなく
ちゃならんのだ。幸福そうにしていなくちゃならんのだ。あの子たち以外はみんなそうし
みつぽちごと
てきた。:::そうだ。なア、律子。俺は蜜蜂みたいなもんだと思う。朝が来る毎に花とい
5
3
う花を点検して、そいつらが幸福であるように命令する。俺は一人一人の顔を見て歩く。
6
3

相手はにっこりして、おはようと言えばいい。それだけでその日一臼、俺の人生への義務
は終ったと感じる。どうだね、人間という奴は、たとい嘘にしろ作り笑いにしろ、俺の顔
を見たときだけ幸福であればいいんだ。それで人間の幸福というものは十分じゃないのか


律 子 そ れ で 十 分 で す わ 。現に私が そうですもの。
恵三郎そうあるべきだよ、お前。そうして俺と顔を合わさないときは、愚痴をこぼすがい

ぃ。悩みを打明け合うがいい。俺の悪口をさんざん言い合うがいい。俺はそんなに簡単で、
扱いいい人間だ。それを扱えないというのは:::
律 子 ま だ 子 供 な ん で す わ ね。

恵三郎子供でありすぎる。俺が勇の将来をどんなに憂え、郁子の病気をどんなに案じてい

ょうと、あいつらには風馬牛なんだ。そしてさんざん駄々をとねて、最後には、:::最後
には俺の財産をあてにしている。
律 子 ま さ か 、 そ ん な :::。
ざんまい
恵 三郎いや、そうに決っている。郁子だって、金持の娘らしく賛沢三昧の療養ができない
のが不服だろう。しかし俺の財産をあてにする以上、たとえ子供だろうと、まず微笑をう
かべて俺を迎えなくちゃならんのだ。政府の役人も、銀行家も、慈善団体も、私立大学も、
山師も、貧乏人も、俺には泣き落しのきかんことを知っている。哀訴嘆願や窮迫の訴えが、
ひげ
何の役にも立たんことを知っている。だからやつらは俺の前で微笑するのだ。髭を生やし
た大の男も、まるで女学生のように微笑するのだ。それが人間のしるしででもあるかのよ
うに。
律子私の微笑だけはちがいましてよ。
恵三郎それは言うまでもない。お前の微笑は生れながらのもので、それがなかったらお前
はお前じゃない。しかし勇や郁子は:::。あいつらはたしかにまちがっている。あいつら
は俺の財産よりも、俺の心がほしいのかもしれんのだ。

律子まさか、そんな:::。いいえ、そうかもしれませんのね。
恵三郎 父親として俺は勇の将来を憂え、郁子の病気を案じている。だからこそ勇の顔は見
w

たくないし、郁子の見舞はますます気が重い。心は人間を遠ざける。親子の間をさえ遠ざ
りる。:::お互いに心なんかより、微笑を選ぶべきだ。そうじゃないか、律子、たとえ親

子の間であっても。
律子あなたのお考えはすてきだわ。さびしくって、孤独で、男らしくて、本当の英雄的な
お考えだわ。私、勇が少しでもあなたに似ていてくれたらと思いますの。
憲 三 郎 あ い つ は 少 し も 俺 に 似 る 必 要 は な い 。ただ 俺を平静な 気持にしてほ しいだザだ。
律子学校をやめてから
、 何もせずに ぶらぶら している。い くら言ってきかせてもだめです
の。あんなに若くて 、姿がよくて 、女の子と遊び歩いてもいい年頃 なのに 、家にいるか、
外へ出るときも一人で自転車を乗り廻してばかり:::。
7
3
恵三郎 女はおらんのか。
8
3

律子 おりませんわ。
恵三郎 お前がそれを禁じているためじゃないのか。
律子 (ギクリとして)いいえ、どうして?
恵三郎 いや、ただ俺が 、 そんな感じがしたまでだ。
(││問。舞台上方より信子の歌声きとゆ)
歌声 男はひとり 、女もひとり 、

笑えばひとり、涙もひとり、
恵三郎 あのいやらしい唄はまた信子だな。

律子 いい声をしていらっしゃるわ。
恵三郎 文句も言えまい。ああして看護婦同然に働らいてくれるんだから。
歌声 人は死に絶え 、笑いはのこる 、

石の亀裂や、雨蚤れ石に 、
笑いの跡と、涙の形見。
森に府む鳥、 町 へと飛べば 、
人は死に絶え、笑いはのこる。
恵三郎 いゃな唄だ、気色のわるい。あんな唄を病 人 にきかせているのか。
律子 病人が喜ぶのですもの、あなた。
恵三郎ここの家にもいやな影がさしてきたぞ、律子。まだ遠くにあったと思った樹の影が、
いつのまにか足もとに届いているように、この家にもどんどん影が届いてきた。こんな筈
ではなかった。俺たちは人も羨やむ夫婦で、二十いくつの年のちがいも、俺はいいほうへ
AJR

ばかり操ってきた。
律 子 あ な た は 本 当 の 男 だわ。本当の愛情というものを御存知だわ。
恵三郎俺は自分が微笑しないですむように、生きた微笑をちゃんと手もとに引きつけてお
いたのだ。窓の出離を下ろしてくれ。秋の西日というやつは実にきつい。

律子 はい。
(ト立って窓に日夜を下ろす)

恵三郎 作のむから俺に何も見せずにおいてくれ。俺のまわりに起っていること、何だかい
やらしいさまざまなことを、俺の目にも耳にも入れないようにしておくれ。:::そうだ、
お前がそうやって、いつも窓の日覆を下ろす。いやな畏い西日が遮られる。そのとおりや

ってくれればいい。
おっしゃ
律子仰言るとおりにしているわ。
+ 忠 三 郎 俺 を盲らに し ておいておくれ。一生のあいだ 、金や土地や証券や、こんな際限もな
い財産の番をしていると、目は強い光りにょう耐えないのだ。余計なことを耳に入れず 、
思わしいものを自に入れないでおくれ。知らずにい、聴かずにいたい。俺の自に見えない
ものは、存在しないも同様だから。
9
3
律子 まあ、さっき信子さんもそう何言ったわ。
0
4

恵三郎 信子がそんなことを言ったのか。
律子 あなたの御一族はやっぱり似ているのね。でも信子さんの何言ったのは別の意味でし
たわ。
恵三郎 そうだろう、 別 の意味に決っている。あいつにはそんなことを言う権利はない。
b
律 子でも、そうしてあなたが頼って下さると、私には勇気が湧くのよ。どんなに子供たち
に蔑まれようと、私にはあなたをお護りしようという勇気が湧くの。可愛がっていただけ

ばいただくほど、私は強くなるの。それがおわかり?
恵三郎 俺にはよくわかっている。
はっきり申しますわ。あなたの味方は私一人ですのよ。

律子
恵三郎 そうなくてはならん。

律子 私だ凶りがあなたをかけがえのないものに思っているのよ。だから私のためを考えて、
いつまでも元気でいて下さらなくちゃ。いつまでも若く、いつまでも肱げように。
恵 三郎 俺はそう簡単にくたばりはせん。
(このとき、勇が舞台の片はじをよぎり、階段の下に隠れる)
恵三郎 誰か通ったぞ。俺を見ている。
律子 誰も通りはしませんわ。
恵三郎 いや、誰か今そこを通った。
律子 いやな方ね。私が見て来ましょう。(一とおり見てかえってきて):::誰もいませんわ。
お気のせいよ。
恵三郎 もっと近くへ来るんだ。
律子 (近寄って)これでいいの?
恵三郎 そうだ。そうして襟足を見せなさい O i---
そうだ。自分に見えないところだという
と、女はえてして化粧がおろそかになる。うん、:::しかしお前の襟足は、今でも昔とち
っとも変りがない。どこもかしこも手入れをして、磨き抜いていなければいけないよ。

律子 そうしていますわ。
恵三郎 それでいい。

(このとき舞台裏から、郁子のげたたましい笑い声が起る)
恵三郎 あれは誰だ。

律子 郁子ですわ。
りつぜん
(恵三郎、傑然と立上る。勇、姿を現わす)
恵三郎 (恐怖に昨たれて)勇::


'
4
2
4

第一場 (律子・勇)

(同じ日の薄暮の庭。前幕の扉風が塀になって視界を遮る)

4

勇何だって僕をこんなところへ呼んだの?
しずえ
律子もう庭は索、いようだわね。ごらん、台風のおかげで下枯れになった木の下校から、ま

だ落葉の時期でもないのにあんなに葉が落ちてくる。
勇 何 だ っ て 僕 を : ::
律子ずいぶん庭へ出たことがないような気がするわ。さっきそこの塀のところに映ってい
る夕日を見たら、急に外の空気を吸いたくなったの。しばらく見ない聞に、庭木の黒ずん
だ肌までがこんなにひんやりしているわ。手入れを怠って年々小さくなった菊の花が 、 も
にお
う何の匂いも立てない。こういう暮れてゆく庭に出ていると、自分も一緒に暮れてゆくよ
うな気がしない?
勇 何 だ っ て : ::
律 子 ( 鋭 く口早に)家の中では話せない話もあります。(又もとの語調に戻って)庭というも
のが私は好きなの。久しぶりに出てみる とよくわかるわ 。塀にかこまれて、いろんな物の
考えもこの塀の区切りの中で、安心して放し飼いができるような気がする。自由で、好き
なだけさまよい歩き、そして又、結局同じところへかえってくる。それが庭での考えとい
うものよ。落葉のかすかな音や、夕暮れの匂いまでが、その考えにこもって来る。だから

私はここで安心して十分考えようと思って来たの。:・:・それにしてもきょうは本当に佳い

秋の日和だったわ。
勇 佳 い 日 和 で し た ね。
古市
律 子 そ の 美 し い 一 日 も 終ってしまった。
勇まだ終りませんよ。

律 子 ま だ 終 ら な い : : :。早く終ってくれる といい。今日は日和ばかり佳くて、心はずたず
たに傷つけられた目だったわ。勇、少しはお母様を可哀想と思って頂戴。
勇(心弱く)今度は泣き落し?
律 子 あ な た 、 一 つ 訊 く け ど 、 お 母 様 と 妹 と ど っ ち が 大事 ?
勇 そ ん な : : : 郁 子 は 病気なんだし、 :::永いことはないんだし ・
:
律 子 今 は む し ろ 妹 のほうが大事なのね。それはそれでいいわ。じゃあ、お母様と妹とどっ
ちが好き?
3
4
勇::
4
4



律子 ほら、答えられないでしょう。やっぱり妹のほうが好きなんだ。私のことは 、き らい
というより、むしろ憎んでいる。そうでしょう ? そ れ と いうのも、あなたが郁子の病人
の神経に引きずられて、自分まで病人の神経になってしまって、三年前の大事件とか、母
親が息子に勝力ヂ渡して、お父さんを殺すように仕向 けたとか、ありもしないお話をでっ
ち上げるようになったんだわ。
昌男ありもしない話だなんて!:::僕はちゃんと知っている。:::今日までずっと黙って

いた辛さったらなかった。
律子 ちゃんと知っている。それもいいでしょう。誰だって自分だけの見た夢は自分でちゃ
んと知っています。そこで私が母親のっとめを思い 出し たの。その悪い夢を私の手で 拭き

取ってあげよう。 丁度小さいころのあなたが、顔に泥をつりでかえって来たとき、私がや

さしくハンカチで拭いてあげたように。真白な 、光るほど 真白な ハンカチで。


::・僕は 一度
勇 そ んなハンカチがどこにありました。そんな光るほど真白なハンカチが 0 ・
だってお母様に顔を拭いてもらったことはない。そういうとき拭いてくれるのは女中だけ
ひざ
だった。その ときあなたは何をしていま した 。お父様の膝の 上 で甘ったれていた んです。
律 子 そ れ であなたはやきもちをやいた。そうで しょ う


律子 そうに決っているわ。むかしからあなたは私の ことを 一等好きだったんだわ。大 てい
の母親は 、 やさしくしすぎて 子供から嫌われる。私は冷たくす ればするだげ、息子から好
かれたんです。私がそれを知っているのよ。 妹 が好きなんてあなたが言うのは 、 いわば 自
分への申訳 、 逃げ口 上 みたいなものなんです。本当の 心 を自分の日から覆い隠して いるん
です。
勇 全 く 何 もかもよく御存知ですね。
律子 私は知っているんですよ。
(││間)

勇 もう暗くなった:::。
ゅうやみ
律子 顔がタ閣に包まれて見えなくなると、もっとよく話ができるわ。
きつ

勇 派手な着物の模様だけが浮いてみえる。それから強い香水の匂いだけが:
律子 あなたはこの香水の匂いと、すえた病人の匂いとどっちが好き ?

勇 又そんなことを訊くんですね。
律子 郁 子 は 本心 から私の派手な着物がきらいら し いわ。ともかくあの子は女ですもの。そ
れに 比 べると、あなたは私の着物がきらいじゃない。あなたがまだ 十 六のとき 、私の留守
Hしようだんす
に、衣裳箪笥をあけて何枚か私の訪問着を引っぱり出して、.
勇 ああ、言わないで!
律子 一枚一枚丹念にめくりながら、 やがて一枚一枚を鼻にあてて・ :
5
4
勇 言わないで !
律子 胸 の 底 ま で 私 の 匂 い を か い で い る う ち に 、 や が て :::ね、そら 、 もう言ってしまった
6
4



勇 言 っ て し ま っ た :::。
律子 これが私のお返しょ。あのとき帰って来ていた私が、一部始終をすっかり見ていたん
だわ。そうして今まで黙っていたの。:::私の着物には強い香水の匂いと肌の匂いが一つ
になってまじっている。私の着物は生きているの。
勇 何 の話なんです。早く言って下さい。

律 子 あなたの悪い夢を拭き取ってあげる、私そう雪一回ったでしょう。それにはどうすればい
い?夢をどんどん現実のほうへ溢れ出させて、夢のとおりにこの世を変えてしまうがい
必ぼつか

い。それ以外に悪い夢から治ることなんて覚束ない。そうじゃないこと?
勇 僕にはわかりません。

律子だんだんに説明するわ。ああ庭が暗くなった。ひどく冷えること。
勇 スウ エー タ ー を 着 て 来 て も い い で し ょ う ?
律子 いいえ、ここにおいでなさい Oi--
-あなたたちから見れば、お母様はわがままな冷酷
な女と見えるかもしれない砂れど、今日は今まで一度も話さなかった話をするから。 .
考えてもごらん。こんなにしている私を本当に仕合せだと思っているの ? そう思ってい
るあいだは 、 あなたは只の子供ですよ。お母様は終始一貫お父様の琉即時だった。今でもそ
うなの。今でもけばけばしく塗り立てた、さわがしい音を立てる玩具なの。お父様が浮気
もなさらず、私という一人の女を、大事に守り立てて来て下さったのは、なるほど世間で
いう女の仕合せというものかもしれないわ。でも、それは人間らしいところはみじんもな
い、永い狂気の沙汰だったの。私には愛というものがほとんどわからない。毎日毎日顔を
つきあわせている平静な顔つきの狂気のほかに、私は世間で愛と呼んでいるらしいものを
知らないの。自由も知らない。出先、行先、帰る時間をはっきり告げ、それも三時間以内
だけ、私はお父様のお許しを得て、一人で外出できるんだわ。そして出先には必ず確かめ
の電話がかかって来る。何というお恵み、何というお慈悲でしょう。

勇それをお母様は喜んで来たわけでしょう。
律子あなたにまでそう見えれば成功よ。喜んだ顔をしなくてはいけないから喜び、幸福そ

うに見せなくてはいげないから幸福になったのよ。いつまでも羽根のきれいな蝶々になっ
ていなくてはならないから、蝶々になったのよ。そういうことはいずれあなた方にとって

悪い母親になるべきことだから、惑い母親になったのよ。
勇なるべきだからなる、人生にほかに何があるでしょう。
律子それは観念よ。頭の話よ。私のように何十年それをやってきた重みはあなたにはない
ゎ。川が運んできて徐々にたまってゆく砂のようなものが心にたまると、息をしようにも
口に砂が入り、目をっぷり口をつぐんでじっとしている他はなくなるのだもの。毎日毎日
気ちがいじみた儀式をくりかえしながら、自分が何を願っているかもわからなくなる。で
7
4
もさっきあなたたちの夢物語をきいているうちに、私にはだんだんわかつて来たの。私の
願って来たことは一つだって。言うも怖ろしいことだけれど、あの時から私にはわかった
8
4

の。私はお父さまの死をのぞんで来たのだって。
勇(勝ち誇って)そらごらんなさい!
総︿そ︿
律子いいえ、あなたの夢は夢のままだわ。つまらない臆測だわ。今まで私は神かげてそん
なことを思ったことはないの。あなたが悪いのよ、勇、あなたがあんな話をして、私に暗
示を与えて、私をそそのかしたんです。今まで閣と思わずにいたものが、あんな夢物語の
おかげで、息もつまりそうな聞に見えて来た。お父様が亡くなったら、そのときこそあな

たにも、ほしいものをみんな買って上げられる。自動車でも、ヨットでも。
勇嘘だ!嘘だ!
うらや

律子そのときこそこの家は、明るい、賛沢な、世間の羨みの的のような家庭になるのよ。
私はお金をどんどん使い、あしたのことなんぞ考えなくなる。いい洋服だって沢山作って

あげる。ダイヤのタイ・ピンだって買ってあげるわ。
勇(力なく)嘘。:::嘘だ。
律子お父様は決して口にはお出しにならず、医者にも決して見せようとなさらないけれど、
心臓がもう大分弱っていらっしゃる。私にはよくわかるの。ねえ、勇。あなたの夢のなか
の熱帯樹を、現実のこの庭に植えればいいんだわ。郁子と二人で水をやって育ててきた怖
ろしい赤い花をつける熱帯樹を、この庭いっぱいにひろげればいいんだわ。するとこの庭
︿口や︿
には秋も冬もなくなる。孔雀のように緑の葉をひろげた常監の庭になるんだわ。(勇の手
をとって、幻想の庭をさし示すがごとく)こんなうらがれた灰色の秋の庭は消えてなくなる。
葉ごもりのそこかしこに暑い日のまだらが落ち、 血 のしたたるような大きな花が咲き誇り、
つやおう hU な
庭全体がむせかえる緑の光沢で埋まるのよ。熱帯樹のあいだで鶴鵡が時き、私たちの足元
と ヤT
を可愛い 小 さな緑いろの噺脇が走るでしょう。そうして扇なりの葉のあいだから見上げる
空は、こんな曇った冷たい夜空ではなくて、熱帯のまっ青な輝く空になるんだわ。
勇 おや、稲妻だ。雲のへりが白く光ったOi--- でも雷はきこえない。
律 子 可 哀そうな勇。あなたの目にはそんなものしか見えないの。

勇 僕、・::・
僕、もう家へ入りたい。
律 子 何 ですか、そんなに怖がって。弱虫なのね、あなたは、郁子が言うように。(勇、お

ずおずと庭を去りかける)勇 ! (勇、ぴくりとする。律子、怖ろしい威厳を以て)今、お母様
の言ったことを 、誰にも言つてはいけませんよ。ちゃんと約束なさい。:::はい、って言

わないの?
勇 :::はい。
律 子 (怖ろしき微笑)いいわ、勇、あなたは約束したんですよ。
(勇去る。律子は、少時、そぞろ歩いて去る)
9
4
0
5

第 二場 (
郁子 ・勇)
(うしろの塀を引くと、郁子の病室に変る。ベッドの位置は、前幕と変っていてもよい)
さえず
(小鳥、不安げに鳴る。稲妻。ややあって勇入って来る)
郁子 どとへ行ってらしたの ?
ー 勇 庭だよ。
郁子 海じゃなかったの ?
勇 そんなに何度も海へ行けゃしない。

郁子 来て下さってよかったわ。一人でいると、稲光りが怖いの。
勇 大した稲妻じゃない。

郁子 だって、 :::ほら。(ト耳をすまして):::雷だわ。
勇 (耳をすまして)ふふ 、電車だよ。安心してきいてごらん。電車だ。ほら、消えた。
郁子 今ごろはお勤め人の帰りで満員なのね。
勇 あ か り を い っ ぱ い つ け た 、 元気で丈夫な人たちで満員の、楊気な電車だ。それが僕たち
から速いところを走って行く。僕たちの世界には、決してあんな電車は走らない。電車の
とまる駅もないんだ。僕たちの世界はどうだ。足をのばす。するとその足が壁に触れる。
手をのばす。その手が窓に触れる。星空は窓にへばりつき 、濃い夜は壁土になってしまっ
た Oi--
-この世には遠からず、人と人との患の触れ合う場所もなくなってしまうだろう。
AJ説ヲ
郁 子 子 供 の こ ろ 、 よ くお兄様はお家の庭へ、急に電車の入ってくる夢を話して下さった


きょうさ︿い
勇 情 ない夢だよ。つまらない夢だ。世界は気違いが着せられる狭窄衣というシャツそのま
まだ。
郁子お兄様は夢に打ちのめされていらっしゃるのよ。私はもう夢なんか見ている暇はない。
死がもうそこまで来ているんだから。

勇 そ ん な こ と を 言 う も ん じ ゃ な い 。 お ねがいだから言わないでおくれ。

郁子 言うわ ! 言 う わ ! 今 こ そ 私 た ち の 惑 い 夢 が 堤 を 切 っ て 溢 れ 出 し 、 汚 れ た 家 並 を 呑

み込んでしまわなければならないんだわ。
勇さっきも同じことをきいたぞ。

郁 子 い い え 、 は じ め て 言 う ん だ わ 。 私 の 死 ぬ と き は き っ と 海 へ連 れて ってね。約束 し て !
必おもて
勇 ( 面 を そ むげて)ああ、きっと。
都 子 そ の 前 に 早 く す ま せ て ね 、 あ の こ と を。私たち同士の固い約束を。
勇品部巡いて)ゃるよ、でも今は:::。
郁子なぜだめなの?なぜ今はだめなの ?
勇 殺 さ な け り ゃ な らないほどのことを、あの人はしただろうか?
51 郁子 今 に な っ て そ ん な 弱 気 を ! こ の 場 に な っ て そ ん な 弱 音 を ! その御立派な肩幅が泣
いてよ。私たちは固い約束をしたじゃないの。私の死ぬ前に、 お兄様は私のために、
2



5

とあの憎い倣、(声をひそめて)お母様を殺すって。
勇(傑然として)ああ !
ごふるふが
郁子 な ぜ こ の 期 に 及 ん で 傑 え る の ? 不 甲 斐 な い 人 。 私 が 夢 を 見 て い る 暇 が な い の が わ か
らないの?
勇(慨燃と)そうだ、暇がない。
郁子 (狂おしく陽気になり)殺すのよ、お兄様、殺すのよ ! あ の 女 は ど う や っ て 殺 す ?

毒 ? ピ ス ト ル ? 小 万 ? それとも絞め殺す?そうだわ。絞め殺すのが一等いいわ。
お兄様のがっしりした手が、あの女の白粉焼けの した r
r
もとを絞めるんだわ。豚みたい
骨惜 λJbu. 、
な稔り声。ふいどのように息づく鼻。あの女の白粉だらけの顔の下から、本当の地肌の色
が、赤紫の毒々しい色が吹き出すんだわ。目が飛び出る。どうでしょう、目が飛び出る!
かえる

蛙みたいに、目が高く高く飛び出して、天井から落ちかかってくる自分の死の姿をはっき
っぷ
り見るでしょう。腐った果物を演すように、あの女を潰すのよ。潰すのよ。ああ!(ト
昂奮のあまり、寝台にあおむけに倒れる)
勇(あわてて介抱して)郁子 ! 郁子 !
郁子 (息たえだえに)ああ、そうしたらどんなに私は仕合せで し ょう。 どんなに仕合せでし

,つ

ト 4F。
(永き聞ののち、 じっと妹を眺め下ろして)さっき僕はその女から、 お父様を殺すようにた


のまれたんだ。
郁子 (いきいきじ粥 M
ソ)何ですって ?
勇 二度と言えることじゃない。
郁子 あなたがお父様を殺す ?
勇 お母様にたのまれたんだ。
郁子 いけないわ。そんなことをしたら、私は安心して死ねなくなる。
r
勇 伊 なんだ。

郁子 いけないわ。お母様なら殺すべきだわ。あの女はこの家の悪の源なんですから。あの
女がこの家の空気を濁らし、肉の汚らしい喜びのため、お金のため、財産のために 、人聞

がどれだけ卑しくなれるものかを、たえず私たちの目に見せつけて、私たちの希望も夢も
すっかり摘み取ってしまったんですから。あの女は死神のような大きな鎌を持っている。

それでもって、お兄様と私が育てた可愛い草や樹を伐り倒すのよ。この世の中の美しいも
のも気高いものも、あの女の指が一度さわると 、 いやな匂いのする汚物に変ってしまう。
あの女は鵬ぜで青空を塗りつぶす。鍛蝦のようにけばけばしい身なりで 、暗い大きな家の
なかをとびめぐり、 その卑しい羽音で人間らしい 心もやさしい気持も何もかも料らしてし
まうんだわ。あの身についた幸福そうな様子、ふだんも目もとに貼りついてしまった娼ぴ、
二十四時間たえまなくついている嘘、ああいうものを滅ぼさなくては、私の死んだあとに
ぎわげだもの
3
5 どんな大きな禍いが残るでしょう。獣を殺すのが何の罪なの?それよりきっとどこかの
い"にえ
神様が、捧げられた生賛を喜ぶでしょう。私はきらいなの、きらいなの、きらいなの。あ
4
5

なか
の女がきらいできらいで病気になったの。或るときあの女のお腹から自分が生れたと思つ

たとき、汚れた乳房から灰いろのお乳を口に注ぎ込まれて育ったと思ったとき 、逃げ場の
ない榔らわしさから、私は病気になったんだわ。
勇 君 の た め な ら何でもする。どんな怖ろしいことでもきっとしてやる。
郁子 それなら今日のうちにも殺して頂戴。
勇お父様を殺せとあいつは言ったぞ!

郁子 自 分 の 口 か ら そ う 言 っ て ? 本 当 に そ う 一 言 っ て ?
勇ああ 。

郁子 とうとう言った!とうとうあの女が牙をむき出し、本性をあらわした!もちろん
お兄様はお父様を殺したりはしないわね。

勇 君 も 知 ってるよ。三年前のあの事件このかた 、僕は お父様の前へ出ると口答えもできな


ぃ。怖ろしいからじゃないんだ。可哀そうな人だと思うからだ。
郁子 もちろんお兄様はそうしたりはしないわね Oi---ああ、私急に心配になってきた。ぁ
の女が牙をむき出した以上、お兄様が愚図々々していたら、自分で手を下す気になったん
たく
だわ。きっとそうだわ。罪にならない悪賢いやり方で、お父様を殺そうと企らみはじめた
のよ。きっとそうにちがいない。 :::そうだわ。そうしてお兄様を自分の口からはっきり
そそのかすようになったのも、本心はお兄様を殺し手に使う気がなくなったんだわ。もし
ぬれぎ血したごしら
怪しげな病気でお父様が 亡 くなったとき、お 兄様に濡衣を着せる下務えをはじめたんだわ。
勇 郁子。君のその月の出の空みたいに明るくなった頬が怖いよ。病気をすっかり忘れたよ
うな、その元気そうな様子が怖いよ。何をしようというんだ。
郁子 (身を起して)お父様を助けにゆくのよ。お父様の身を護りにゆくのよ。
勇 そんなにお父様が大切なのかい。
郁子 私でなくてはできないのよ。お父様を護ってあげなくては。
勇 (明白な艇貯)僕はどうなるんだ。

郁子 お 兄 様 ? 私 た ち は い つ ま で も 一 緒 だ わ 。
勇 お父様が危いと思うとそんなに取り乱す。たった一人追いつめられている僕はどうなん
だ。僕の目は君だけを見、君だけが僕の力なのに 、郁子、君の目の中には、僕の姿がすっ

かり消えてしまった。

郁子 私の言うままにさせて。遠からず死ぬんだから。
勇 (立ちふさがって)その言訳を僕以外のことに使うのは許さんぞ。
郁子 どいて 1 ど い て ! 私 に は ま だ す る こ と が 沢山あるの。それが今わかったの。狂つ
わだち
て走りだした車を 引 き止め、轍の上へ引き戻す仕事が。:::怖ろしい結末、血みどろの結

着は、私の思ったとおりの道を行かなければいけないの。その車がたつた一人の悪者を襟
き殺したあとで、秋草の咲き乱れた軌道をまっすぐに走って、海のほとりへまで進んで行
かものなね
5
5 かなくてはならないの。そこで車が止る。光ったまっ白な車が止る。鴎の暗き音のような
きし
6

乳りを立てて、私たちの車が止るんだわ。
5

勇 郁子!
(郁子よろよろと立上り寝台を下りる。舞台前面へ歩み出す。勇これに追いすがる。階段 上
から恵三郎が 下りてくる)
(
恵 三郎の姿を見て、勇は身を隠す)
第三場 (恵三郎 ・都子)
植j

恵三郎 どうした、郁子。今日は気分が好いと見えるね。さっきはあんなに活気にあふれた


笑い声を久々にきき、今はお前が床を離れた姿を久々に見た。もうすっかり快くなったの
か?

郁 子 こ うして歩ける ところを見 ると 、お床の上で死なな く てもすみそ うですわ。


恵 三郎 そ り ゃ あ 結 構 だ 。 あ ん な に 重 い 重 い と お ど か し て い た 病 気 も 、 医 者 の 見 立 て ち が い
だったのかもしれないぞ。顔いろもつやつやして、目は輝やきに溢れている。いつも黙っ
て俺を見詰める、あの鵬のある目っきとはまるで違う。郁子、お前はそうして第一番に、
お父さんを喜ばせに現われたんだな。それならそれで何故そんなはげしい顔つきをしてい
るんだ。何故微笑をうかべた顔を見せてくれんのだ。
郁子 私、おしらせにまいりましたの。お父様の命を狙っている人がこの家の中にいるとい
うことを。
恵三郎俺の命をかい?冗談も休み休みお言い。
郁 子 ( 声高く)冗談じゃありません。
にら
恵三郎どうしてそんなに大声を立てる。どうして俺を腕む。そりゃあいろいろと不服だろ
うことはわかっている。しかし俺がお前にしてやれることは、今のところがせいぜいなの
だ。それはお前のほうでもよく承知していてもらわなくちゃならんことだ。親は子供の仕
合せな顔を見たい。親のねがいは要するにそれきりだ。それというのにお前たちは、好ん

で不仕合せのほうをばかり選ぶのだ。
おっしゃ
郁子何とでも永々とお好きなことを仰言るがいいわ。私の言いたいことは一つだけ、この

家のなかにお父様を殺そうと狙っている人があることよ。
恵三郎それはわかった。それはそれでいい。俺から言いたいことも一つだけだ。お母さん

はあれで永年感心に、俺に対する義務を守ってきた。お前たちはどうしたことだ。お前た
ちは俺に対する義務を忘れているとしか言いようがない。
郁子お父様に対する義務というのは、伺いますが、お父様の命を狙って、たえず殺人の計
画をあれやこれやと練り直すということなの?
とぎまなし
恵三郎ああ、もう逆説は沢山、病的な頭で捺え上げたお伽献は沢山だよ。すこし地面の上
を歩くような考え方をしたらどうだ?
ひび
都子 その地面に亀裂が入り、地面全体が揺れているときでもですか?
7
5
恵三郎地面をしっかりと下から支え、両の蹴?保っているのはこの俺だよ。お前たちはそ
8
5

の上を、何も考えずに歩げばいい。労役は俺が引受けた。お前たちのやることは、地面に
足をちゃんとつけて、明るく、朗らかに、一歩一歩歩くことだけなんだ。
郁 子 何 度 も 申 し ま す よ 、 お 父 様 。 私 の 響告は夢みたいな話じゃありませんの。あなたを殺
そうと狙っている人が、この家にいるということなんですの。
恵三郎誰だといいたいんだ、郁子。この家にはお父さんとお前、勇と信子:::、
郁子もう一人いますわね。

恵三郎それとお母さんだ。
郁子そのお母様にお気をつけあそばせ。

恵三郎(激怒して)何ということを一言う、郁子。(苦しげに胸を押えて)好い加減なことを言
って、醜い中傷をする奴は、病人だからと云って許さんぞ。
畠A

郁子(父を支えて)大丈夫?お父様。
恵三郎(やや町あって、息迫りつつ)病人にいたわられるほど、俺はまだ弱っておらん。そ
ういう下らん中傷を考え出す奴は誰だ。お前は寝床にいて何も知らん。信子はあのとおり
公平な女だ。それなら勇に決っている。勇だろう。勇に決っている。
郁子
恵三郎そらその通り、お前が口をつぐんだのが何よりの証拠だ。俺には前からわかってい
た。あいつだ。あいつの逆恨みに決っている。
郁子 決っているなら筋道を立てて、私に話して 下 さいましな c
恵三郎 あれは全く妙なやつで、自分の母親を父親に奪われたと思い込んでいるんだ。あい
つは母親に惚れすぎている。
郁子 いいえ、お兄様が愛しているのは私だわ。
恵三郎 そりゃあお前を妹として可愛がっていることはわかっている。
郁子 いいえ、女としてですわ。
恵三郎 それもお前の妄想だ。あいつは母親に惚れすぎている。お前に夢中になっているよ

うに見せかげているのは、自分の心をごまかすためだよ。
郁子 (悲劇的に)いいえ、いいえ、:::ちがうの。
由市
恵 三郎 世間で言えば当然のこと、人間の道として当然のこと、つまりお母さんがお父さん
に尽すことが、いちいちあいつには気に入らないのだ。何かというと母親にはすねた態度

をとり、父親には喰ってかかる。二三年前まではそうだつた。このごろでは喰ってかかる
どころか、俺をはじめから避けている。遠くから、追いつめられた獣のように、俺を白い
眼で見ているのだ。:::ああ、郁子。俺はどれほど大事な息子の将来を心配して来たか知
れないぞ。何とかして人並の男にしてやろうと、心を砕いて来たか知れないぞ。:::あい
つは子供のころから妙な子だった。孤独で 、 いつも夢を見ているような目つきをして、激
しやすく、一度激するととめどがなく、学校へ行っても一人として友達ができないのだ。
9
5 お父さんに友達がないのはわかる。財産か友達か、人生では二つに一つで、たまたまお父
さんは財産の番人に生れたんだからね。しかしその僻げまで、友達ができないという法は
0
6

にせもの
ない。俺は金に目のくらんだ贋物の友情からあいつを護ってやるために、小遣もわざと少
な目にし、よろずに質素に育ててやった。あいつに繋ってもらった友達はいない都だ。人
に著るほどの金を、持たしてやらんのが俺の教育だからだ。:::し かしそれを又あいつは
ひねくれてとり、本当の友を探すどころか、ますます逆の方角へ駈け出して、いよいよ自
分の中へ引きこもり、学校までやめてしまったのだ。あいつの頭には俺が怪物のようにな
り、俺を不幸にしさえすれば自分が仕合せになる と いう、とんでもない確信を持つように

なったのだ。:::郁子、俺にはお前よりあいつのことが、よくわかっているんだよ。俺と
お母さんの固い併がどうにも絶ち切れないと見てとると、あいつは女々しい中傷を考え出

し、それをお前の耳に吹き込んだのだ。俺にはよくわかっている。
郁子 お父様はどうしても私の言うことを信じては下さらないのね。私は本当のことしか言

わないのに。
ひきょう
恵三郎 勇だ。勇に決っている。あいつとそ俺の命を狙っているんだ。自分の罪を卑怯にも
母親になすりつけて ・ .
..
..
郁子 お父様、ちがうわ ! ち が う わ !
恵 三 郎 両 親 の仲を割こうと思って、あいつが仕組んだ館炉を、お前までが真に受砂て、
郁子 ちがうわ 1
ねずみ
-忠三郎 勇はどこにいる。あいつがこそこそと鼠のように家の中を逃げ廻らなくてすむよう
に、俺がまともに立 向 って、俺の 口から言ってやるんだ。勇 ! 出て来い !
郁子 お父様!
(忽ち上方より信子の歌声きこえ、編物をもち歌いながら階段を下りて来る)
第四場 (
郁子・信子)

信子 夜空は深く、 心 は暗く、
墓はみどりに、石は花やぐ。

人は死に絶え、道の果てには、
遠い火あかり、鳥のさえずり。
(冷静に )郁 子さん 、 だめですわ。こんなところへ出て来て。ゆっくり舘んでいなくては

だめ。折角快くなったときのお祝いに、こうして編物をしているのに、 出来ても着せ てあ
げなくってよ。
郁子 どうせお棺の 中 へ入れて下さるんでしょう。
信子 そんなことを言うのじゃないの。文私がお話をしてあげる。
郁子 死んだきれいな旦那様のお話 ?
1
6 信子 ええ、終ってしまったお話。終ってもう安 心 なお話。(郁子を助け起して)さあ、 お床
へ行きましょう。(恵三郎に)奥様は二階にいらっしゃるわ。あんまり昂奮なさるとお体
2
6

かみて
にさわってよ。(恵三郎、ほっとした表情で、上手階段より二階へ上る)さあ、郁子さん、私
の言うとおりに大人しく横になるのよ。(ト寝台に寝かす)静かに。静かに。何も言わずに
おいでなさい 、何 も言わずに。じっと私の話をきいていればいいのよ。私の話はあなたを
揺り動かしたりしないし、希望も疑いも何もそそり立てはしませんわ。 :::枕に安心して
i
頭を委ねて、この世は何もかも終ったとお思いなさい。あなたの怖れるととも、身も心も
傑わすほど嬉しいことも、起りっこないのだとお思いなさい。一度枯れた花は二度と枯れ

ず、一度死んだ小鳥は二度と死なない。文咲く花文生れる小鳥は、あれは別の世界のこと、
私たちと 何 のゆかりもない世界のことなのよ。雨のあとで道に落ちた赤や黄や茶いろの木

の葉は、濡れた敷石に貼りついて、つまり私たちの内側にぴったり貼りついているんだわ。
私たちの内側は、一度死んだものばかりで無限に豊かになり、色とりどりにもなるんだわ。

:::目をおつ ぶりなさい。 何も見ょうとしてはいけないわ 。一日のあいだ揺れ動いて、タ


やみめのう
方には燃えつきる秋の雲も、閉じた目の閣の中では、動かない務部咽の斑になって静まるの
よ。:::もう終ったお話をしましょうね。 :::あの人の眠るとき、いつも私はそばについ
まつげ
ていたものだったわ。長い騰、男の人にはめずらしい深い陵、その艇があまり長くて深い
ぞとみ
ので、そのかげでかすかに薄目をあげていても、外見はそれとわからない。よくあの人は
じっと私を眺めていて 、 もう眠ったと思って安心して、私が欠伸をしたりすると、急に悪
あ︿ぴいた
'
'
9M
V
戯っぽく笑ったりしたものだわ。そういうときのあの人の笑いは子供のようで、水底の小
石のように澄んで光っていた。あの人はいつも私のことを:・
おや、 眠 ったのね。ひどく疲れて、こんなに額に冷たい汗をかいて。(卜拭いてやりなが
ら、立上り) :::心 配しないでいいのよ。私、いつまでもついていてあげるから。 :::そ
びょうぶ
つと扉 風を立 てるわ。 いいこと ? 音を立て令いように:::。
(ト界風で寝台の郁子と信子自身をおお kかくす)
第五場 (律子 ・恵三郎)

(下手から本を持った勇が、下手階段を上って来る。同時に、上手階段頂上から恵 三郎が姿

を現わし、ついでこれを追って律子が出る)
(勇は下手階段の頂上に腰かけ本を読み出す)

+忠三郎 勇はどこにいる。
律子 (下手を指さ して)むこうの勉強部屋にいるらしいわ。影が動いています。本を読んで
いるらしい。
恵 三 郎 (階段を 下りかかり)あいつに是非とも言ってやらねばならん。
律子 (強く引きとめて)およしあそばせ。およしあそばせ。どうしてそんなに昂奮なさる
の? お体に障りますわ。
3
6 恵三郎 この家でやさしい気持を 、 人間らしい 心 を持っているのはお前だけだよ。
律子 だってそれが当然のことですもの、お体を案じるのは。本当にかけがえのないあなた。
4
6

悪い母親かもしれませんけれど、あなた一人を私の生甲斐にして、脇目もふらずに生きて
きた私ですもの。器用に母親と妻とを使い分ける世閣の人たちのやり方が、私にはどうし
ても出来なかったのですもの。
恵三郎 この俺がそうしろと命じた。お前の歩んだのは正しい道だよ。
も みU った
律子 あなたは私の神様、私の柱、私という紅葉した蔦の葉がからみついている立派な幹、
もしその幹が倒れたら、蔦は地面に倒れ落ちて、朽ち果てるほかはないのですもの。いつ

までも元気でいて下さらなくちゃ。そのためには御心を静かに保って、つまらない家の中
のごたごたなどには、耳も貸さないでいて下さらなくては。

恵三郎 俺はそうしてきた。しかし向うから否応なしに、俺の耳に流れ込んできたんだ。
たほた
律子 今まで私はこの身を横たえて、あなたという立派な旧畑をお護りする堤になったつも

りで来たの。でも、何事が起ろうと、堤は切れないものと思し召してね。あなたをお護り
していると思うと勇気が湧き、どんな力にも打ち投がれない自信が出ますの。そうなの 、
ひし
私はかよわい蔦かずらにもなり、力強い堤にもなる。いずれにしでもあなたの影、あなた
いわお
のお力の反射、あなたが巌のようにいつまでも元気でいらっしゃればこその私ですわ。
恵三郎 郁子はこの家に俺を殺そうと狙っている人聞がいるという。それがお前だとはっき
り言うのだ。
律子 私は何の申し聞きもいたしませんし、情なさに泣く気にもなれませんわ。何度も申し
上げたようにそれはあの子 たちの、病気の頭が 作 り出し た幻なんです。御承知のとおりこ
の家花は 、病人が 一人いるほかに、 何 もよそのお 宅 と変った 忌わしい影なんかありは しま
せん。御案じに仕ることは一つもないのよ。
恵三郎 しかし微笑がないぞ。微笑を見せてくれるのはお前だけだ。
ゆと
律子 あの子たちは不仕合せになる裕りがあるのですもの、それが親の恵みというものじゃ
ございません ?
恵 三 郎 都子の耳にそんな詰らんことを吹き込んだのは、明らかに勇だよ。

律子 どうかお心を静めて公平に子供たち彩見てやって下さいませね。郁子が何を申し上げ
たか私は知らず、勇がどうそそのかしたか存じませんが、かりにも息子が親の仲を割いて、
有5

それで得になるものでしょうか。とにもかくにも勇が育って来たのは、私があなたのお言
葉に従い、家の秩序を少しでも乱さずに 、 や っ て 来 た た め で は あ り ま せ ん の ? あ な た も
私を愛して 下 さって 、 父親の意向がまっすぐそのままに 、 ここの家の梶になって来たから
h
v

ではありませんの?
恵三郎 それはそうだ。しかし勇は俺を憎んでいる。あいつは微笑を見せたことがない。
律子 いいえ 、 あの子はあなたを尊敬して、太陽の光りがあまりまぶしくて、目をまっすぐ
向付られないだけなんですわ。あなたのお考えのような企らみが、ここの家に芽生えよう
筈もありません。あの子は人の裏をかくようなすばしつこいことのできない性質、 それだ
恥川俊 ny
ほか
5
6 からこそ家の中でごろごろしている他はないんです。
恵三郎 お前は自分を陥れようとしている息子の弁護に精を出すね。
6
6

律子 あの子が私を陥れようとする筈がありませんもの。暗いけれどもやさしい人柄で、人
の苦しみを見ていられず、郁子の病室の小鳥が死ぬと、当の郁子よりも勇のほうが、真先
にお
に涙を流すんです。薬の匂いがいけないのか、あの部屋ではよく小鳥が死ぬ。それでもあ
の子の涙は、どの小鳥にも、分け隔でなくやさしく注がれますの。いつか私、あの子が庭
へ出てひとりで 小鳥のお葬いをやっているところを見ましたわ。初夏の暮れがた、うずく
まっているあの子の白いワイシャツの背が、かすかに風になぶられているのが、だんだん
タ 閣 に 包 ま れ て ゆ く のを見て、私思わず声をかけて、あの子の名を呼んだものでしたわ 。

恵 三郎 (嫉妬して)お前があちこちに感情を動かす。それで自分のやさしさを示すつもり
帯手

あわ
だろうが、それは見当ちがいというものだよ。弱い者への愛情や憐れみは、いつまでたっ
ても小娘の、お前にはどうしても似合わない。甘やかされ、命令され、可愛がられるのだ
ν'h"
νトa'AJ

'
けを身上にして、決してそれを忘れてはならんのだ。
律子 でもあんなやさしい勇が、恐ろしい企みをめぐらして、私を傷つけようとするなんて 、
:いいえ、そんなことはありません。あの子のしなやかな首筋は、ただうなだれるため
むな
に つ い て い る ん で す わ 。 あ の 子 の や わ ら か な 黒 い 髪 の 毛 、 あ の 子 の 空 し く い か つ い 肩、 何
もかも、この世で自分の身を容れる場所のないのを、嘆くために備わっている。あの子を
見るたびにそう思いますの。人の席に分け入って、自分の坐る場所をとろうという、それ
ずる
ほどの佼さや才覚があったら、あの子は学校でいい成績をとっているか、それとも不良の
群に入っているか、とっくにどちらかへ結着がついている筈だとお思いにならない ?
恵 三 郎 勇を弁護するのはいい。世間並の母親の盲目ぶりを見せるのはいい。だが、首筋が
どうの、髪の毛がどうのと、体のことを言わぬがいい。お前が言うとみだらにきこえる。
こわね
お前の声は息子のことを語りながら、一人の男の姿を描いている。そういう声音を俺は好
かんのだ。
律子 (微笑して)そんならあの子の気持だけを申上げればいいわけね。
恵 三 郎 俺はよく知っている。お前の声は目に見えないものを描き出すようには出来ていな

いのだ。
律子 でもあの子に限ってそんなことが・

4

恵 三 郎 (怒って)見ていろ。俺が見せてやる。俺があのすっとぼけた悲しそうな顔つきか
ら、汚ならしい心を掘り出してみせる。
h
vf

律 子 どうかお気をお鎮めになってね。そんなら勇を応い立てするのは 白
もうやめますわ。私
にとって何より心配なのはあなたのこと、激したあまりにお体に障ったらと、そればかり
を考えますの。それに 比 べれば勇がどうなろうと、私は何とも思いません。
恵 三 郎 この家には起るべきでないことが起るのだ。
律子 取越苦労をなさるのね。私たちの永い生活に、そんなことは一度も起りませんでした。
きざし
恵 三 郎 到るところに俺の見る兆は、起るべきでないことが起ると言う。お前の目や微笑に
企,
n生ヲ
7
6 さえ、将を超えたものがちらついている。
律子(笑う)気の毒な方。私をお信じになるとともできないの?
8
6

恵三郎もちろんお前だけが俺の味方だ。しかし勇が、:::あいつが心の中に蓄えて、永の
としっき
年月育て上げてきた、真黒なものが自に見えるようだ。
律子まああなたまでが幻を!
恵三郎せめてお前だけでも正気でいてくれ。
律子勇は決してそんな企らみをする子じゃありません。
恵三郎そんなら、郁子の言ったのは本当だと、お前が自分で認めたことになるぞ。

律子認めてもよございますわ。あなたがそれをお信じになるなら。:::でも勇は:::。
恵三郎(烈しく嫉妬して)あいつの名をもうお前の口からききたくない。

律子(取りすがって)おねがいだから、勇を打たないで!あれは可哀想な子ですわ。一人
ぽっちで好きなままにさせておくのが、あの子の一等いい扱いですわ。母親の私が言うこ
とですもの。おききになってね。どうぞあの子を傷つげないで!今心を傷つけられたら 、

この先どうなるか知れません。烈しい言葉を 仰言らないで ! むしろいたわってやって下


さいましね。
とど
(恵三郎、激して階段を下りる。律子段上に止まる。恵三郎、下手階段下より)
恵三郎勇!勇!すぐここへ下りて来い。お父さんが話がある。
第六場 (勇・恵三郎・律子)
(勇、本を段上に置いて下りてくる)
恵三郎何を黙っている。何をふてくされている。お父さんに呼ばれたのが不服なのか。
なぜ ー か
勇(いたましげに父親を見て)何故そんなに噛みつくようにものを仰言るんです。
恵三郎(強いて気を落着けて)俺はいやなんだ。ぃゃなんだ。すべてこういうことが耐えら
はらん

れんのだ。いつも面倒を引き起すのはお前だぞ。平地に波澗を起すのはお前だぞ。いやな
ことだ。実にいやなことだ。しばらくぶりで顔を合わすと、話題と云ったらこんなことし
とうみつ

かない。こういうことは勿論俺の望んだ事態じゃない。一体お前という男は、糖蜜をいっ
ぱい入れた菓子の甘みを、こんな面倒の中にしか味わえない舌を持っているのか。:::何

故もっと広い世界に惹かれない?何故もっと淡白な味がわからんのだ?お前の年なら、
金がなくても、明るい空の下へ出て、他人のすがすがしい顔に接し、草のま新らしい茎を
引っぱり出して、そうだ、お父さんもやったものだよ、それで草笛を吹くこともできれば、
3z
みずみずしい苦い草の汁を、若々しい唾と一緒に、フィールドの上へ吹き飛ばすこともで
きるんだ。何故それをしない。何故こんなに家の中を智きまわすのだ。
勇仰言ることがわかりません。僕が何をしたというんです。
たn
v
9
6
恵三郎又そんな風にふてくされて白
ν'を 切 る 。お前がここへ持ち出したのは、家庭の話題と
して最悪のものだ。どんな茶の間でもついぞ語られず、悪い夢の中にしか現われないもの
0
7

だ。そりゃあ父親殺しの話題だからな。しかもお前はお母さんに罪を着せて、お母さんが
俺を殺そうと企らんでいると言うんだな。
勇 郁子がそう言いましたか?
三郎 郁子はお前を庇っている。お母さんもお前を庇っている。ここの家では、父親に向

-
って、父親殺しを庇い立てするんだ。
勇 父親殺しはまだはじまらない。僕が手をつけなければそれまでなんです。

恵 三郎 そら白状した。殺そうと思っているのはお前だろう。罪もないお母さんに罪を着せ
て・
・・。
l
f


・ え、お母様にたのまれたんです。

勇いい
恵 三郎 (激怒して)その上母親を悪人にするのか。ただの人殺しにするだけでは足りず、

陰険な火つけ役にしようとするのか。そんな話を誰がまともにきく?誰が信じると思つ
ねつぞう
て担造するんだ。
勇 お父様が信じないのはわかっていました。
恵三郎 信じないと知っていて、いやがらせの度を過す。お前の考えているととは卑劣なこ
とだ。いいか、いうにいわれない卑劣なことだ。
勇 お父様は誰もあなたのことを殺す必然がないと考えたい。そうでしょう。誰もそんな風
に考えたい。でもお父様にはその資格がない。必然はいっぱいあるのに、それが目に映ら
ないだけなんです。
しそう
恵 三 郎 お母さんがお前を使醸して、そうして俺を殺させる。それでお前が手を下さず、俺
の命を延ばしてくれる。ああ、実際よく出来た話だ。見事によく出来た話だよ。それにお
前はいい子になれる。今のお父さんはお前のおかげで寿命が延びているというわけだ。そ
うだね。それにちがいあるまいね。
勇 そうです。それにちがいありません。
$
恵三郎 (叫ぶ)馬鹿も休み休み言うがいい!(胸を苦しげに押えて)お前の考えは、小つぽ

けないじけた考えで、つまらないからくりでこの世界が引つくりかえると思っているんだ。
殺すの、殺されるの、いやはや、子供だましの言草で、人間の信頼に智震を入れる。それ

でお前はどうなるんだ。お前は永久にいい子になる。いい子になってほくそ笑んでいる。
勇 信頼するから危ないんです。あなたは人殺しと結婚して、人殺しの子孫を繁殖させる。

(だんだん昂奮して)それにはっきり目をひらいて、御自分の光栄と名誉をよく御覧なさい。
あなたは茶の間のたのしみだの、家族の微笑なんかの夢は捨てて、新らしい名誉に飛びつ
いたらいい。そうしたら勲章を上げますよ。血まみれの勲章を !
恵三郎 黙 れ ! お 前 の 目 は 崩 れ て い る 。 目 が 逆 様 に つ い て い る 。 う る わ し い 人 情 に 人 殺 し
を見、立派な両親の踏み合いに、みだらな概川影を探し出す。ああ、そんな粘りついた目
︿ゐ
つきで俺のまわりに、世間の人から見たら想像もつかない、汚ならしい蜘妹の巣をかける
1
7 のをやめてくれ。
勇 (昂奮して)お父様こそ汚ない自で見る。いくつになっても父親にならず 、 いくつにな
2
7

aιU
L'M
っても男にすぎない。この家には家族はなくて、男と女がまつわり合っている。その大本
おm
w初
はあなたですよ。
恵 三 郎 何 ! ( ト 胸 を押えて、しばし苦しみを押える)
ぼうゆゆ︿ちょっと
律子(段上にて、穿宙)もう少しだわ!もう少しだわ!苦しがってる。もう一寸で手が
届くんだわ。
勇どうしたんです、お父様。

恵 三 郎 俺 に さ わ る な 。 汚 な ら し い 言葉を吐き散らした上に、汚ならしい手で触ろうという
のか。

勇 はきだめの中から生れた手ですよ。(悲しげに)よその女はすぐこの手の匂いに気がつ
くだろう。気がついて身をよけるだろう。僕は家の外へ出てゆくのが恥かしい。
づら

恵 三 郎 せ いぜい青白い色男面で、母親と妹をあやつるがいい。二人の女を両手に抱いて、
あちこちから旨い汁を吸うがいい。
勇 あなたはもう年寄だから、人殺しの女で我慢するんですね。
恵 三 郎 何 ! 今度こそ只じゃ置かんぞ !
律子 (段上にて、芳白)もう少しだわ ! あと 一息 だわ !
勇 あなたの頭は欲望で腐っている。金とうそつき女を大事にし て、:
恵三郎 言ってみろ ! も う 一 度 言 っ て み ろ !
勇早く殺されたほうが仕合せなんだ。
恵三郎本音を吐いたな!
(恵三郎苦しげに息せきつつ、つかみかかる。勇も昂奮して、擦み合う)
おh
a
(奥の扉風が静かにひらいて、郁子が、肉切ナイフの巨きく光ったのを持って現われる)
第七場 (全員)

郁子 (二人の間へ分けて入り、勇にナイフをさし出し)お兄様、これをお使いになったらいい


(勇、これを見て、ぞっとして、たじたじと引き下る。郁子、ナイフを床に落して失神する。
ぼうぜんなちよりつ
信子、走り出て来て、都子を介抱する。恵 三郎、主然として、気力萎えて、仲立する。律子、

希望を裏切られた怒りで、忽ち身をひるがえして、階上へ駈け去る)
3
7
4
7

第一場 (郁子)

(郁子、寝台に横たわ っている 。深夜。ありはなった窓か ら月さし入る)


郁子 月がさして来たわ 。暮れがたにはあんなに稲妻がして 、今にも雨が来そうだつたのに、
夜 が 更 け 、 誰も見ていない時刻になって、夜空がまばゆい裸になったんだわ。月と星とを

企Fa
-
-
鎮めた黒い裸、その嬬子のような肌、:::ああ、 この肌に頬をつげているとやっと息がつ
&切り ぽ 日 憎 し ゅ + '

ける。やっと息がつける。:::私がまだ一度も 知 らない男の 肌、それがこんな秋の夜空の


いれずみ
肌みたいに、本当の黒い嬬子のひんやりした 肌だったらどんなにいいでしょう。 刺青をし
た男の 肌 は冷たいと 何 かで読んだわ。月と星とは黒い夜空の 肌 の一面の刺青なんだ。だか
らこんなに冷たいんだわ。だからこんなに。 :::(夢みるごとく)金粉を彫り込んだ 刺青な
んだわ。生きていて、しかも死んだ肌。この 下 に血 が燃えている。:
今ごろ海はどうだろう。海はきっと月をうけて鯖みたいに光っている。埋立 地 のむこう
の海、人聞が手をさしのべて、さしのべてまだその先に余る海、あれだげが遠くから私を
支えてくれる。海のことを考えると勇気が伊くわ。ふしぎな勇気が:::。
'

υ ,, 、 ﹄ Laezmw
信子の歌声 (階下下手よりきこゆ)星の投網に、人がかかれば、
A
Y'νω
夜の潮の沖の果てまで、

死んだ小鳥は、群立ち連れて
引いてゆく網、さえずる声に、
郁子 (歌う)死んだ小鳥は、群立ち連れて、

信子の歌声 道の先がけ、さえずる声に、
郁子 (歌う)道の先がけ、
l
f

信子の歓声 さえずる声に:::。

郁子 死 ん だ 小 鳥 ! まだ生きている。急がなげれば。(ト身を起し、鳥箆より小鳥を捕えて
来て、胸に抱く﹂小鳥さん、可愛い小鳥さん。あなたの命はもうおしまいだわ。あなたの

やさしい目、きれいな気高い羽色はおしまいだわ。でもあなただけは他の小鳥とちがうの。
ほかの小鳥たちは、みんな私の命を延ばすために死んだのに、あなたは死んでも 何 一つ私
さげず
に報いてくれる必要がないのよ。あなただけは私の身代りではなくて、冷たい目、蔑んだ
蹴髭で、私をじっと見詰めながら死ぬんだわ。そうなのよ、小鳥さん、あなただけは本当
の小鳥、生きていたあいだも死んだのちも、私たちの知らない世界を飛びまわっている小
5
7 鳥なんだわ。仕合せな、冷たい、きれいな、不吉な、輝やいているあなた、あなたの死は
本当の小鳥の死、色づく木の実を啄んでは、朽ちた落葉の上に柔らかく落ちるあの本当の
6
7

くろ hu
小鳥の死なのよ。ほかの小鳥たちとちがって、あなたの骸は本当の小鳥の骸、小さな青空
のかけらを胸に抱えて死んでゆく骸なのよ。あなたの死は私の命を少しも救わず、あなた
にロいろ
が生きていたことは私の死を飾るためだったの。私の死に小さな虹色の羽根飾りを挿して
くれるためだったの。
::・小鳥さん、私、本当に疲れた。今日一日で残る命をみんな使い果してしまった気が
おき
する。でも命の煉の尽きないうちに、もう一つ、どうしてもしなければならないことがあ

るの。それをあなたに見せたくない。その前にあなたの命が終って、私の行く道のとおく
まで、道案内の翼をひらめかせて、待っていてほしいのよ。私ももうすぐ行くわ。あなた

のあとからすぐ行くわ。小鳥さん、私の胸の匂いをおかぎ。若い娘の胸のあたたかい匂い
のなかで目をおつぶり。私の指が、あなたのどきどきしている胸の上、あんなに力いつば
さえずの r

い噂った可愛い咽喉のまわりに当った。可愛いい小鳥さん。可愛いい小鳥さん。 :::ああ、
私は仕合せ。 .
(郁子小鳥を締め殺すとき、勇突然入ってくる)
第二場 (勇・郁子)
郁子 ! 何をするんだ:::。


郁子 ベ斡m
w小鳥を眺めて)もう死んだわ。
勇 可 哀想に。
郁子 (寝台の上に身を起して、鳥簡に廿幌を納めながら)しずかにおやすみなさい、小鳥さん。
勇いつもそうしていたんだな。
郁子 ええ、いつも。
勇 君がはじめて僕には怖ろしい。
郁子 でも小鳥たちはみんなよろこんで、私の熱い乳房のあいだで死んだわ。

勇 僕には怖ろしい。
郁子 お兄様が早く来すぎたのよ。それとも私が手間取りすぎた:::。

勇 君はいつも僕が小鳥のために流した涙を知らないのか?
郁子 知ってるわ。私だって泣いた。

勇 君のは怖ろしい偽りの涙だ。
郁子 本当の涙はお兄様に上げたのよ。ほかに上げられる贈物もないんですもの。
勇 僕は小鳥のためよりも、君のために泣いていたんだよ。
郁子 もう泣いている暇はないわ。ぉ兄様。夜空が晴れて月がこんなに鮮やかですもの。さ
ぁ、どこの家をも訪れない夜、すばらしい夜、私たちのお祭りの夜がはじまるのよ。(枕
をほうり上げ)もう死んだ小鳥のことなんか考えている暇はないわ。あの夜じゅう離れた
けが
7
7 ことのない汚れた夫婦が、今夜は別々に寝ているのよ。
勇 (低く)僕も知っている。
8
7

郁子 さっきおばさんが話してくれたわ。あの女は 、 お父様とお兄様の駈世のあと、おばさ
んの部屋へ話しに来て泣いたんですって。かりにもお父様から疑いをかけられたのが悲し
いと云って、みんな自分を美しくする愚痴ばかりを百も千も並べたのですって。ぉ父様は
す ね て い る あ の 女 に 哀 願 な す っ た の に 、 あの女は今夜はおばさんの寝室で寝ると言ってき
かなかった。おばさんはしおたれているお父様を慰めにゆき、あの女はおばさんの寝床で、
ひとりで寝息を立てているんだわ。 :::お兄様、今夜を外したら、私の生きているあいだ

に、あれを仕遂げる機会は来ないのよ。
勇 僕もそれを知っている。
?

︿や

郁子 さっき気を失っていたとき、今死んで行くんだと思ったわ。でも死の世界は口惜しさ
にがいら︿さ
でいっぱい、苦い後悔の刺草でいっぱいの野原だったわ。そこを行く私の足は刺草の械に

刺されて、血を流した。血を流したと思ったら目がさめたの。:::ねえ、お兄様。(トは
かない口調で)私、死んだときに、やわらかな草を踏みたい。何の口惜しさも怒りも残さ
ない、穏やかな海へ出たいの。
勇 わかっているよ、郁子。(ト髪を府でる)
郁子 お 兄 様 の や さ し さ は 勇 気 の 証 拠 ね 。 そ う ね ? き っ と そ う ね ? お兄様のこのひろい
肩は私を護り、私の望みや夢を決して裏切ったりしないわね。
勇 (顔を埋めて)うん。
せっぷん
郁子 接吻してあげるわ、お兄様。小鳥を殺した私のカを、この唇からお兄様の 中 へ移して
よご め口し
あげる。そうすれば力はたちまちお兄様にふさわしくなり、汚れ果てた牝獅子を殺す力に
もなるんだわ。
(
二人、永い接吻をする)
勇 (
立上って)都子、僕は勇気が出たよ。
郁子 (烈しく)それでこそお兄様だわ、それでこそ ! さあ 、行くのよ !
(勇、身を離して、上手階段を上ってゆ く。都子熱烈にこれを見送る)

第三場 (郁子)

郁子 (寝台から芯り下りる) 上 って行ったわ。上って行ったわ。戸をあけた O i---


しずかに、
圭九

そろそろと。(目をとじて祈る)よかった。音が しなかった。お 兄様の力強い足が 、寝台の


ねだい
ほうへゆっくりと行くわ。枕もとのあかりの丸い輸のなかで 、 いぎたなく眠って いるあの
女の寝顔。:::あの女は眠っているわ。何も知らずに。息子の指が、自分の咽喉元を狙っ
ているとは少しも知らずに。 :::まだ音がしない。 :::まだ 何 も音がしない。:::あの眠
っている女の顔。夢の 中 でも、みだらな夢と 、 せいぜいお金の夢 しか見ない弛んだ寝顔が、
ゆる
うずえ いごう
そのまま永久にみだらな夢のなかに埋もれる。未来永劫、お金の夢を見つづけることがで
きるんだわ。 :::(不安そ う に)まだ音がしない。まだ音が :::。(烈し く)殺して ! は
9
7
ゃく!一刻も早くその指を、あの白い脂肪の首に喰い込ませるのよ。(地団太踏んで)殺
0
8

-
epa
F
せ!殺せ!殺しておしまい!この世から悪の根を絶ち、潔い朝が来るために殺すの
よ。早く ! 早く!お兄様!(力尽きて、よろめき倒れる):::(階上でかすかな音。郁子
狂的に目ざめ、身を起し、歓喜の叫ぴをあげる)ああ ! あ の 音 は 何 ? あ の 音 は 何 ? き
っとやったんだわ ! とうとうやったんだわ ! 苦しい叫ぴをあげる暇もなく、安らかな
寝息が途切れて、それきりになったんだわ。一晩のみだらな夢から、永遠のみだらな夢へ
ふち
り落ち、もう二度と帰って来ない暗い淵の底へころがり落ぢた。あれこそあの女にふさ
﹂L
わしい儲尉だわ。死んだんだわ。死んだんだわ。永いこと私を悩ましていたあの赤い毒々

しい霧が晴れるんだわ。私たちは勝ったのね。お兄様!早く下りて来て!私たちは勝

ったのね !
(勇、詑然と階段を下りて来る)

第四場 (都子・勇)
郁子 お 兄 様 ! とうとうやったのね、とうとう。
勇::・・。
郁子 なぜ黙っているの?私たちのお祭がすばらしい花火をあげたのね。そうでしょう、
お兄様、 な ぜ 黙 っ て い る の ?
(勇、カなく首を振る)
それじゃあ・・::。
(このとき上手階段上に律子が現われる。髪は乱れ、 m
M胞の幌撒のごとき、きらびやかなガ
ウンの裾を 引いている。郁子これを見上げて)

あ・・
・・ 。


第五場 (律子・勇・都子)

律 子 私 は 死 な な い わ 。 郁 子 、 よ く見てごらん。私は不死身だわ。(笑う)お気の毒様、ぉ
母様は不死身だわ。(以下、尉即断するごとく、段上に止まったまま語る)どうして死ななかっ

+

たか話してあげましょうか?でも勇は話されたくないにちがいない。勇、そうでしょ

う?(勇、郁子の病室へ退く)ききたくなかったら、耳をふさいでいるがいいわ。そうい
う姿が、あなたのやさしい気持にふさわしいのよ。郁子には話さなげればならないわ。可
哀想な、やさしい、大人しい勇の話を。どうしてそんなに他人行儀な目で私を臨むの?
都子。あなたは私の娘じゃないこと?私のお鵬から生れて、お母様のいい性質もわるい
性質も、みんなあなたに伝わっているのじゃないこと?そうしているあなたは、私に似
ている。怖いほど似ていますよ。:::おきき。お母様は目ざといの。勇が部屋の戸をあけ
1
8 たとき、もう私にはすべてがわかったの。私は眠ったふりをしていました。あの子の指が
私の咽喉にかかるまで、まだたっぷり時間のあるのを知っていたから
2

0
・:・あの子が部屋
8

AJμ L
へ忍び込んで来る初心な可愛い様子と云ったらなかった。あなたにも見せたいようでした
e
ねだい
よ、郁子、本当にあなたにも。:::あの子が私の寝台のそばにやって来た。ただ永いこと
立 っ て い る 。 私 は 目 を つ ぶ っ て い る の に 、 あ の 子 の た め ら い と 、 だ ん だ ん 烈 し く な る 動 停、
どうき
あのやさしい心の中の耐えがたい戦いが、手にとるようにありありとわかったわ。それか
きつ
ら又わかったの。夜寝るときにつけるのを忘れない匂いの強い香水が、あの子の顔に薫り
を吹きかけて 、 一そう心のたゆたいを甘い迷いに変えてしまっていることも。 :::勇がと

かげ
うとう私の顔の上へうつむいてきた。私の顔が磐るのがわかった。ああ、そういうときの
うれしい気持を、郁子、あなたは知らないけれど、お母様は幾度となく知っているのよ。
ふる

あの子の若々しい熱い息が顔にかかった。おどおどして傑えている手が私の咽喉のほうへ
伸びてきた。 :::そ のときだったわ。そのときだったわ、郁子、私が勝ったのは。(十分

相手の反応をたしかめてから)私はにっこりやさしく笑って、目をひらいたの。勇のはっと
︿ろうさぎ
たじろいだ黒い自が、私の目のすぐ先に見えた。なんてやさしい大人しい目。黒兎のよう
りす
な目。栗鼠のような目。 :::それから私はおだやかにあの子の顔をおしのけて、寝間着の
︿つ
胸を(卜所作をして)こんな風に寛ろげたの。私の胸はこの年になってもちっとも表えてい
ないのよ。お父様がよく 何言るわ。お前の 胸は 三十のころそのままだって。私の白いふく
あら
よかな豊かな胸が 、枕 もとのあかりの下に露わになったの。 :::それ からどう したと 思っ
て? 郁 子。母親に一等ふさわしいことを私はしたのよ。今しも私を殺そうとした息子の
顔を、私は両手で抱いて、ほほえみながら、自分の白い豊かな乳房の間へ押しつけたの。
:ほんの短かい問、勇は大人 しくそこへじっと顔を押しつけていた。汗だらけになった

あの子の頬が、私の乳房一にはっきり感じられた。 :::ほんの短かい問、それ でもそれはた
としえもなく永い、甘い、たゆたうような時間だったわ。あなたなんかの決して知らない
時間だったわ。:::あの子はっと頬を離した。そして背を向けて、とるように部屋を出て
行ったんです。
e
(永き間)

これでおしまいよ。これであなたに話す一部始終はおしまい。:::私、眠くなったわ 0
・:眠くなった。(笑う)おかしいのね。こんなことのあとでも、すぐ眠くなるなんて 0

・:もう夜中だわ。あなたたちもお寝みなさい。 :::私、又部屋に戻るわ。勇。(勇、ギ
かぎ
クリと顔をあげる)又来たかったら来てもいいのよ。鍵はあけておきますから。

,‘,
(背を反して、段上へ去る)
h
v
第六場 (勇・郁予)
郁子 お兄様 ・

・・
・。・
(兄妹は立ったまま永いこと腕み合う﹂
3
8 郁子 いいのよ。ぉ兄様に罰をあげる。御褒美にと思っていたものを、罰にあげるわ。{兄
4

の胸に頬をあてて)まだ、こんなに動俸を打っているのね。(顔を見上げて)お顔にもひど
8

い汗。可哀想に。:::可哀想に。(手をとって)いらっしゃい。
ちょ っと
(勇、一寸、拒む身ぶりをなす)
怖いの?何もかも怖いのね。人間という人聞が怖いのね。敵も味方も。(笑う)私、許
してあげないわ。:::いらっしゃい、お兄様。
(ト扉風を寝台のまわりに引き廻し、勇と二人その中へ入る)
帯 白 樹

第七場 (恵三郎 ・信子)


(下手から恵三郎を支えて 、信子が登場。よきところに腰かける)
信子 こんな夜中に、家の中を歩き廻ったりなすったらいけませんわ。どうしてもっとお体

を大切になさらないんです。
恵 三 郎 (王様気取)家の中が煮立っているときに、俺が眠りを減らしてまで、沖んなの 上
を案じるのが何が惑い。信子、俺はさっきから、娘れぬ枕を返しながら、いろいろ考えた。
それはいろいろさまざまのことを考えた。
信子 今までお考えなさすぎた埋合せですのね。
いやみ
恵三郎 お前も淋しい後家ぐらしが身について、口をついて出る言葉がみんな厭味になる と
いう女になったな。むかしはそんな女じゃなかった。それにさつきも歌っていた不気味な
歌、お前の歌の調子には、葬式の泣き女じみたものがあるよ。:::まあそれはそれとして、
俺はいろいろ考えた。そして今度こそ、俺に残された最後の小さな望みの灯も吹き消すこ
とにした。見るがいい。今日から先、俺は人の微笑をあてにするのを、きっぱりと rめる
だろう。
信子 そりゃあいいお考えね。(ト編物をはじめる)人は遅かれ早かれそうなるものよ。でも
あなたがそうなるには、あんまり時聞がかかりすぎましたわ。
恵三郎 律子にも 、 勇にも、郁子にも、俺は今後一切、微笑を期待するのは止めに しよう。

奴らのふくれっ面に直面し、奴らの絶望や悲嘆に附合おう。どのみち俺には絶望も来ず悲
嘆も来ないが::

信子 (編物から目を離さず)まあ大した自信なのね。
恵三郎 俺にはどのみちそんなものは来ないのだ。俺は管理する人間で、何と何とを取扱う

か自分一人で決めればいいのだ。今までは人間のあらゆる感情のうち幸福感だけを、人間
のうかべるあらゆる表情から微笑だけを、もっぱら取扱うようにして来たわけだが、今度
からは無制限に取扱の範囲をひろげればいいのだ。そうすれば誰も彼も、俺に裸かの感情
と素顔を見せるようになるだろう。
信子 きあそんなものでしょうか。私には信じられませんけど。
-忠三郎そんなものだよ。信子。お前のように人に支配されつづけてきた人聞には、そこら
いれもの
の機微がわからんのだ。お前の心は小さな容器だ 0・自分の心しか入らない。しかし俺の心
5
8
は広大で、人の心が沢山この中に寄食している。俺はそういう居候をいっぱい抱えている。
6
8

それらを等分に養い、公平に喰わせてやり、ほしいままに放し飼いにしてやるわけだ。明
日から俺は絶望をゆるす。悲嘆をゆるす。憎悪をゆるす。およそ人の心に浮ぶかぎりのど
んな暗い感情をもゆるす。:::ずいぶん手間暇もかかろうが、俺はそれらの管理に精出す
つもりだ。
信子 あなたは従妹の私にも、決して胸襟をひらかない方なのね。
ひら
憲 三 郎 こ う し て ち ゃ ん と 胸 襟 を 被 い て い る 。 こ れ 以 上 ど う 披 こ う と い う の だ Oi--だが、

信子、お前はどう思う?世間に俺の家庭のようなこんな家庭があるだろうか ?
信子 ないとは断言できませんわ。

恵三郎 いずれにしろ俺のせいではない。何か一つの歯車が狂ってこんなことになったのだ。
機械の諸所に油を差し、こんがらかって停滞したものを調整し、まちがった組合せを組み

直し、文機械が動き出すまで、あちこちに丹念に手を入れるのが、明日からの俺の仕事に
なるのだ。そう思うと、信子、俺には何だか体じゅうに元気が湧いて来る気がする。
信子 まだ希望を持っていらっしゃる。あなたはまるで野蛮人だわ。
葱 三 郎 何 と でも言うがいい。俺は今まで他人の 心に ついて好き嫌いがはげしすぎた。俺に
は感情などというものはないが、もしあれば人の感情についての好き嫌いだけが 、 俺 の感
情だったと云っていいだろう。たとえば信子、今まで俺はお前がきらいだった。もっと正
確に言えば、お前の淋しさがきらいだった。淋しさというものは人間の放つ臭気の一種だ
ょ。俺はお前の淋しさを憎み、お前の淋しさをゆるせなかった。しかしこれからはちがう。
俺はこの世の中には淋しい人間もいるということを、ゆるしてやろうと思っておるんだ。
信子 本当に光栄に存じますわ。でもあなたは人の淋しさや絶望をもゆるして、それからど
むしば
こへいらっしゃるおつもりなの ? 淋 し さ が い つ か は あ な た を 蝕 む の も お ゆ る し に な る ?
いわお
恵三郎 俺を蝕みようもないじゃないか。俺は巌のような人間だ。
信子 こうして真夜中によたよたと、ひろい御自分の家の中をさまよい歩く。あ伝たは淋し
い人間というよりは、淋しさの幽霊ですわ。

恵三郎 幽霊はお前のほうだ。
信子 どういたしまして私は人間です。自分の失ったものを知っていますから。すべてが終

ったことを知っていまずから。でもあなたは何もかも失いながら、それを御存知ないんで
すわ。

恵三郎 財産があるよ、信子。世間の甘い考えの奴が、 ﹁
財産なんて何の幸福も生まない﹂
きのこ
とすぐ叫びたがる、あの財産というやつがあるよ。俺の財産は茸のように、ほうっておい
e
ても湿った、
,朽
台木の上に、次から次へと生えて来るのだ。ここの家のやつがみんな俺の財産

。 た
をほしがっている。そんなことは百も承知だ。俺は人の夢を凍らして、花を咲かすべき種

子を凍ったまま、大事に保存しておくのが好きなんだよ。
やつらもこの財産が自分のものになれば、使わずに大事に護ってゆくだろうことは知れ
ている。
7
8
それがわかっているのだったら、お譲りになればいいじゃないの。
8

信子
8

恵三郎 それより金を使うことの夢を与えておいてやったほうが、本当の親切じゃなかろう
かね。それが俺の愛情なのだ。人間全部に対する愛情なのだ。
おっしゃ
信子 何を仰言ろうとこの家はもうお しま いです。私には匂いでわかるんです。
恵三郎 いずれにしろ、お前には嬉しいことだろう。(ト上手階段を上りかかる)
信子 あ ら 、 ど こ へ い ら っ し ゃ る の ?
恵 三 郎 き かんでもわかっていることだ。

信子 律子さんはまだ怒っていらしてよ。今夜だけはそっとしておいてあげなさい。
恵 三 郎 指 図は受けんよ。(ト昇りつつ)あいつは今も小娘なのだ。すねたり、怒ったりした

あとでは、一そう俺を待ちこがれる。今夜はお前の寝室を借りるよ。お前は遠慮なしに俺
やす
の寝室で寝むがいい。(ト段上へ去る)

(信子、編物を持って、下手へ去る)
第八場 (
勇 ・郁子)
(界風が取り外される。事後にて、寝台の上に坐せる半裸の兄妹が美しき彫刻の如く、月光
の中 に照らし 出される。しばらく二人は活人画となる。 :::やがて照明 明るくなり て、勇も
郁子もおのおの着衣をする)
郁子 私たちの熱帯樹は、月の光の中で伊り倒されたわ。そうして続げして焼かれてしまっ
ーほのお
た。でも私たちはその焼かれている焔の中に、永いこと望んでいた赤い花を見たんだわ。
そうじゃないこと ?
勇 一 家 の 廿 艇 の 上 に 咲 き 誇 る 筈 だ ったその花を、僕たちはあたたかい生きた 肌の上に咲か

せたんだね。郁子、君はどんなことをしても快くならなくちゃいげない。そしてこの家を
出て、二人きりで生涯離れずに暮すんだ。
郁子 (兄に頬ずりして哀切に)もう遅いわ、お兄様、もう遅いわ。

勇 何 故 そ ん なことを言うんだ、ぇ?郁子。
郁子 私今日の一日で、生きていることの苦さも甘さも、みんな底まで味わいつくしてしま

ったんだわ。明日一日生きていられるかどうかわからない。明日の朝はあの愚かなお医者
様が来て、今度こそ見立てちがいもなく、はっきりと私の顔に刻まれた死相を見るでしょ
,e
-
e '
ν ..

ぅ。目があれば誰にでもわかる死の兆が、私の体に、
隈なく現われ、人々は水を含んだ綿を

私の唇に押しつけるでしょう。もうその結肝の水の味が、私の舌には感じられる。あした
の晩か、お ・
そくもあさっての朝には、白木の棺がここの家へ運び込まれて来るでしょう。
私の自にはもうありありと見えるのよ。新らしい木の香を放つお棺が人々に担がれて、港
へ入って来る船のように、しずしずとことの家へ入ってくるのが。 :::ねえ、お兄様、
にわ
(ト俄かに希望に充たされし如く)さっき仰言ったわね、生涯離れずに、二人きりで暮そう
って。
9
8
勇言ったよ。僕たちが意志を持てば、たちどころにできることだ。
0
9

郁 子 (邸けごとく)私たちが意志を持てば:::。そうだわ、そうすればできるんだわ。(熱
狂的に)私たちだけでいつまでも離れずに暮すことができるんだわ。お兄様、約束して。
そうするって約束して。
勇 約 束 す る も し な い も あ る ものか。僕がそれを望んでいるんだ。
郁子嬉しいわ。:::何て仕合せ:
勇 君 が ﹁ 何 て 仕 合 せ ﹂ と い う の を き くと、僕は 何だか胸さわ ぎがする。

郁子 :::何 て 仕 合 せ :::。この世で離れずに暮そうと思っても、まわりには邪魔者ばかり、
たとえここの家を出たところで、お兄様の心が邪魔になるわ。だってお兄様の心は、今日

一日の成行を見たって、あちこちへ揺れ動いているんですものね。私はあの女が 怖ろしい。
お兄様の心の奥深く、あの女が巣喰っているんですもの。それに私の欲しいのは、今では
きょう かたぴら

お兄様の心よりも、お兄様の体なの。その体を私の経惟子のように、肌身離さず着ている
のでなくては・・:
勇君は:::。
郁子 そうなの。私の経惟子になって頂戴ね。ぉ兄様の体は私と一緒に朽ち、どこまでも私
と離れないでね。生きていて二人で暮したって、生きていられるのはたった一目。それよ
りも永久に離れずに暮しましょうね。
勇::・ 。
郁子 黙っていらっしゃるのね、お兄様。そんな揺れ動いたお顔はいや!私、あの女にお
兄様をとられたくない。私の体が朽ちたあとで、若々しいお兄様の生きた肌が、別の肌の
すぺ
上へとってゆくのはいや!
勇 僕をそんなに信じないのか。
郁子 信じないわっもう信じない。今日のような情ない結末を見たあとでは、お兄様を信じ
る女はいないわ。
勇 : : :そうか。

郁子 ねえ、今夜だけだわ。今夜だけだわ、私に海へゆくカが残っているのは。
勇 (断然として)海だって?
i
手子

郁子 今日お兄様が自転車で行ったあの埋立地のことを話してね。それが月の夜更けにはど
んなに見えるか ・ --
f だきま
r
勇 そこは卸色場の埋立地なんだ。かつては海にそそり立っていたものが、今は土の栴 伝

った掠れたお 台場:::。
郁子 そこの崩れた石垣にからむ真赤な取も、月の光りを浴びると真黒に見えるのね。
おお
勇 そこはまだ埋立てられて何年もたたず、南の端にある巨きな発電所のほかには、誰も行

-,a‘
かない荒野なんだ。見えるのはさ, ばかり。白いつやつやした穂が月に照らされて、海風に
.
まそう
さやいでいるんだ。ひろい鋪装した自動車道路が、埋立地の半ばまでで途絶えている。
郁子 途絶えたひろい道のむこうは、誰も歩かない荒野と海なのね。
91
勇そうだよ。夜も多分火力発電所の巨きな煙突からは、火の粉が舞い上って星空を染めて
2
9

いるだろう。でもその火の粉は、寂しい、真黒な、半ば崩れたおムロ場までは届かない。い
そぴ
ちばん海に近いお台場には、もう使われなくなった黒い燈台が畿えている。月がその窓の
ガラス
割れた硝子を照らし、-
からず
郁子そこはきっと鴻たちの住家になっているわ。
きっすいぜん
勇そして船。船だ、郁子。海のあちこちには停泊している船のあかりが見える。吃水線に
ちかい低い丸窓からも伊がこぼれ、船の高みには帆柱の赤や青の灯がきらめいている。こ

んな夜おそくには、もう御台場の木立のむこうに帆柱だけをとらせて、沖へ出てゆく船も
ないんだ。

都子私たちが出帆する船になるのよ。
勇(だんだん引き込まれて)そうだ、僕たちだ砂が沖へ出てゆ くんだ。

郁子月に光る静かな海を、ゆっくりと運ばれてゆくんだわ。手をつないだまま:::。
勇(慨燃として)手をつないだまま!
郁子ねえ、一緒に行きましょうね、どこまでも一緒に。
勇行こう、郁子、きっと行こうね。
すそ
郁子私、この白い裾の長い寝間着のまま、お兄様の自転車のうしろに乗ってゆくわ。 ζん
な肌の透けた寝間着だって、夜風の寒さをものともしないわ。できるだけ早く駈け抜けて
ね、寝静まった町を、赤い灯をつりた交番の前を。
よるいど
勇 鎧扉を下ろした庖という屈を、眠っている人たちをあとに残して ::

:
郁子 私たちだけが人通りのない道を 、 まっすぐに海へ下りるんだわ。ひろいしんとした国
道 を 横 切 っ て :: 、
勇 行こう、郁子、僕はもう怖くない。 も
郁子 私たちは埋立 地 へ出る。ああ、夜の海風 ! その風が散らしている煙突の火の粉を見
上 げながら


勇 僕たちは車一つない新らしい自動車道路をゆくよ。

郁子 その道が尽きるわ。あとは芭の白い穂ばかり ・
:
勇 僕たちの自転車は勇ましく、その白い穂を踏みしだいて行くんだ。

郁子 崩れた石垣のかたわらを :::
勇 やがて僕たちは海へ出る。永いこと待ちこがれていた海へ出る。

郁子 そのまま私たちの自転車を海の中へ乗り入れるのよ。
勇 しばらく君の 白 い寝間着が帆になって 、風を苧んで 、自転車は月に照らされた海の上を
はら
走るだろう。
郁子 そうして、それが沈むんだわ。沈んでゆく船のように。
勇 そうだ。それが沈むんだ。
(永い問)
郁子 (やさしく)お兄様:::やっと一緒にゆく決 心がついたのね。
3
9
勇 そうだよ。君が死んだあと、生き残るなんてとてもできない。今まで思い出す限り、君
4
9

だけが僕の力、君だけが僕の慰めだった。子供のころから、僕たちはいつも手をつないで
歩いたね。海の 中 でもそうできないわけがあるだろうか:・:。
郁子 ああ、仕合せだわ。私、今日ほど仕合せだったことはないわ。そこから庭へ出て行つ
て、二人で自転車に乗りましょうね。ぉ兄様、手を貸して。
勇 (手を貸して郁子を立たせる)そろそろと歩くんだよ。これから大旅行へ出るんだ。はじ
めから急いで疲れてはいけない。
はだし

郁子 私、跳足でゆくわ。
勇 海の上を歩くんだ。靴は要らない。

(二人、舞台奥の庭へ出る)

郁子 すばらしい月夜ね。庭の草にみんな露が下りてる。

勇 おいで。庭のくぐりのところに自転車が置いてある。
郁子 先へ行かないで !
勇 ちゃんと手をつないでいる。
郁子 お兄様・ :
勇何 だ

郁子 私こうなる日を待っていたの。
ご一人、舞台奥の上手へ去る。やがて自転車の鈴の音かすかにきこゆ)
第九場 (
信子)
(下手より編物を片手に駈け出して来る。庭へ出てしばらく 二人を見送る。室内へかえり、
上手階段下から、大声で 叫 ぶ)
信子 お起きになって ! τ いる場合じゃないわ。(上
お起きになって ! 大変だわ。眠っ
うら
手段上より花魁風のガウンの律子と、ガウン姿の恵三郎が連れ立って現れる)あのこ人がお家

H

を出てゆきました。(律子と恵三郎、顔を見合わせる)どこへ行ったとお思いになる ? 海
へ行ったんですわ。海へそのまま自転車を乗り入れて 、 二人して身を沈めるために行った
4

もの
んですわ。二人とももうかえって来ません。決してかえって来ません。:::私、じっと物
かげ
蔭から一部始終を見ていました。露のしとどな庭から、二人は自転車を引き出しました。
あの古い錆びついた自転車が 、月の光りと露のおかげで 、 まるで買いたての新ら し い銀い


ろの車みたいに見えました。本当よ。ぴかぴか光る銀で出来た車みたいに。 :::勇さんが
ハン ド ルを握り、郁子さんがうしろに乗った。郁子さんは銑足で、白い裾長の寝間着のま
ま、勇さんの肩に手をかけて笑っていました。月のひかりに 白 い顔がさえざえ とし て、可
愛らしい素足は露に濡れていました。自転車が走りだした。郁子さんの白い裾は 風 をはら
んで、本当の花嫁のように見えましたわ。今式をあげたばかりの真白な花嫁のように。
:::自転車は走り出 し、門の前の急な坂 を 一散 に下りて行きました。二人とも幸福そうに
5
9
笑っていましたわ。あんな美しい若々しい微笑を、この家でまだ見たことがありません。
6
9

した信
自 転 車 は ま っ し ぐ らに、星空の下をとり下り、海の方角へ、見る見る小さくなって行った
わ。寝静まった家並のあいだを、白い水仙の花を積んだ車のように走って行ったわ。
:この編物も仕上らないうちに、あのこ人は二度とかえらない旅へ出たんですのね。
いきが
何もかも終った。もうすべてが終りましたわ。終りを見届けるのが、いつも私の生甲斐で
すの。すべてが片附き、語り終えられ、もう二度と動き出さない。それが私に一等ふさわ
しい夢なんですわ。でもこの編物は、文着せてあげられる人があると思いますの。いいえ、

編物の仕上らないうちに、又終りになる人たちがどこかにいる筈。その人たちは私を求め
ていて、私もそういう人たちを求めていますの。御心配は要りませんわ。私には匂いでわ

かるんですもの。そういうお家を探して、そういう人たちのお世話をするつとめが、まだ
いくつも残っているんですわ。-
u
aUルま

御暇をいただくわ。もうここのお家で私のすることはありませんの。よそのお家で又こ
の編物をつづ砂ますわ。決して無駄になんかしませんのよ。何しろ自前の毛糸ですもの。
:・さようなら。お元気でね。もうお目にかかることもないでしょう。さようなら。何も
かも終りましたわ。
; (卜上手へ去る)
第十場 (律子・恵三郎)
(二人そろそろと階段を下りてくる)
恵 三 郎 行 ってしま った O i -
-
-変った女だな。
律 子 ( 独自のごとく) 何 もかも終りはしないわ。まだ一つ残っている。
恵三郎 え?
担j

律子 あなた 、 あ の 人 の 言 っ た こ と を お 信 じ に な る ?
恵三郎 つまらぬ想像さ。信じるも信じないもないだろう。
(強の寝台を見て)あの子たちはきっとそこらまで散歩に行ったんだわ。こんな寒い晩

律子
だというのに、月に浮かれて :::。
おどろ

恵 三 郎 気まぐれな奴らさ。若い奴というものはみんなあの調子だ。いちいち樗いていたら
きりがない。
律子 あなたはお強くなったのね。うれしいわ。どんなことをお耳に入れても、動じなくお
なりになったのね。

恵 三 郎 そ れに郁子は快くなったのかもしれん。お前のつけた医者なんぞの一一言うことは知れ
ている。あいつは今日一日、家の誰よりもいきいきとしていた。
律 子 ( 鳥穏に目をつけて)あら、又小鳥が死んでる。
7
9
恵三郎 明日からは小鳥を飼うのを禁じることだ。
8
9

hU z
律子 生き物はいやあね。いつかは死ぬんですから。(ト小鳥の骸、
をつかみ出して庭へ投げや

る)
恵三郎 見ろ。庭は月の光りでいっぱいだ。草の露があんなに光っている。
律子 静かだこと。あなた、家の中がこんなに静かだったことがあるでしょうか。 :::もし
かして信子さんの言ったことが本当だとしたら:::
恵三郎 子供らしいことを言うんだね。

律子 そ う し た ら 、 こ ん な に 静 か で 平 和 な の も 尤 もだ わ。もう ここの家には、人殺しはいな
くなったんですもの。

恵三郎 人殺しなんてもともといやしなかったのだ。ここの家には財産と家族と、すべて充
ち足りて官帯して来たのだ 。

律子 :
(庭を若然と見つつ)あなた ・
恵三郎 何だね。
律子 庭があんまり末柑れて寂しいとお思いにならない。
恵三郎 誰もが手入れを怠ったからだ。
律子 そうじゃないわ。(怖ろしき微笑)あしたから私、庭に大きな熱帯樹を植えたいと思い
ますの。
恵三郎 熱 帯 樹 ? そんなものがこれから寒さに向う時節に、育っとでも思っているのか?
律子 育ちますわ。きっと育つんです。丹精次第で。
恵三郎 (対併を噛み殺しながら)どんなやつを植えるつもりかね。
律子 巨 き な 、 緑 の ふ さ ふ さ と した熱帯樹。翼のようにひろい葉をつげ、茂るにつれて葉能
のぞ
は重たくなり、そのあいだからはわずかな青空も覗けず、だんだん庭いちめんにはびこっ
て、身をかがめてくぐらなくては、庭を歩くとともできないくらい:
恵三郎 そ う し て 花 は ? 花 は ど ん な や つ が :
律子 花?

恵三郎 そうだよ。花もいつか咲かずにはいまい。
律子 もちろんですわ。或る朝、葉叢の頂きに花が咲くわ。真赤な、つやつやした、あざや

かな花。その花は朝焼けのようで、あたりの壁までも映えるんですわ。

99
蕃ば





i
チセ定摘額?松楓楓楓楓 萱
恵里 人
千阿場

子子 物

三十七歳
(阿里子の娘)十九歳
リリ代よ次閉ま山重佐重h
帝巳み政3

(阿里子の帥叫ん)四十五歳
(重政の弟)三十九歳
一 三十歳
(帝一の後見人)五十歳
六十三歳
六十歳位
二十四、五歳

子子
二十四、五歳

かみて
童 話 作 家 楓 阿 里 子 の 客 間 兼 居 間 。 中 央 奥 に カ ー テンの出入口。上手に玄関の入口。その績に
しもて
窓。上手舞台端に、二階へ上る階段。舞台中央には椅子、-ア │プルなど。下手舞台端に庭へ
と 海賊

通ずる通路。下手に大きな窓があり、窓枠の下に作りつけの長椅子がついている。この大き
な窓は、ふだんカ ーテンで閉ざされているが 、 カーテンの開閉で情景が一変するほどの大き
きである。そこでそのカ ーテ ンは、閉ざされているあいだ、あまり目立たぬように、周囲の

壁紙と同じ色合や模様に統一される必要がある。

ψmT
幕あくと 、上 手玄関のチ リ ンチリンチリンと童話の鐙のようなベルが鳴る。中央カ ーテンを
排して、銀いろのふしぎな釣鐙状のお姫様の服装をした千恵子が現われ、玄関へ出てゆき、
っきうど
客の帝一と附人の額聞を案内してくる。帝一は貴公子然としたダブルの背広、額聞はくたび
れた背広を 着ている。
帯一 あ な た ニ ッ ケ ル 姫 で し ょ う 。 そ う で し ょ う 。 ( 三 十 歳 な る に 子 供 つ ぽ き 口 調 ) :::隠 し
3
てもだめ。僕ちゃんと知ってるんだもの。あなたニッケル姫でしょう。そら、笑ってる。
0
1
きっと ニッケル姫なんだ。(額聞に)ごらんよ、額問、僕の言ったとおりだ。楓先生の書
0
14

λ,主
いたお話ばみんな本当なんだよ。お家へ来たら、ちゃんとニッケル姫がいるんだもの。
よぴりん
(なおも熱心にしつこく千恵子に)さっき呼鈴を鳴らしたら、チリン・プロン ・ピリン、チ
リン・プロン・ピリンって、ね、あの﹁月のお庭﹂の歌とおんなじ音がしたね、あれ、あ
なたのお鵬が鳴るんでしょう。(トいきなり千恵子のスカートの下腹を押す。千恵子おどろい
て、とぴすさる)鳴らないな、ふしぎだな。どうして鳴らないの?ぁ、わかった。玄関
の ペ ル を 押 す と 、 こ こ で お 腹 が 鳴 る ん で す ね 。 僕 、 玄 関 の ペ ル を 押 し て 来 よ う 。 (ト上手

へ駈け去る)
千 恵 子 (早口で)申し訳ございません。お約束の時間ですけど、母が、:::あの 、先生 が


まだ帰ってまいりませんものですから。今日旅行に出かける前に、午前中にいそいでラジ
オの録音をとられにまいったものですから。

額 問 ( 早口で。この二人の会話のあいだじゅう、チリン ・プロン ・ピリンが鳴りつづけている﹂


い や 、 お 待 ち し て い ま す 。 御 旅 行 の 前 の お 忙 し い と こ ろ を 全 く 御 迷 惑 で 。 (ト陰惨な 口調
で)それにあの子が、どうも早速失礼をいたしまして。でも全く邪気はないんですから 、
御勘弁をどうか。三十にもなる男が、あの調子で、いやはや、全然あどけない子供のつも
りでいるんで:
千恵子 いいえ、どうぞ御心配なく。変ったお客様には馴れておりますから。
額同局私は まあ親代りで 、 三 う し て 附 添 っ て お り ま す よ う な わ ザ で 。 :::(千恵子の服装を
じろじろ見て)あなたは又どうしてそんな服装を。
千 恵 子 母 の:::あ の、先生の御趣味でこうし て いるんです。それとも宣伝用って申 上げた
ほうが、おわかりが早いかもしれません。
(帝てとんで帰って来る)
帝一 鳴 っ て た ? 鳴 っ て た ? 僕 、 ず う っ と 長 い 間押して たんだよ。音がよくきこえたよ。
(又無遠慮にスカ ート にさわって)きっとこれが鳴ってたんだね。
千恵子 (微笑して)ええ、鳴っていましたわ。
と 海賊

帝一 ( 額 聞 に ) た し か に こ の 人 の お 腹 が 鳴 っ て た ? え ? チリン ・プロン ・ピリン、チ


リン ・プロン ・ピ リ ン っ て ::
額問 (うるさそうに)ええ、ええ、鳴っていましたよ。
奇抜

(千恵子、額聞に目礼して中央カーテンより去る)

-
額 間 (凄い、冷たい暗い声で)お坐りなさい。
帝一 はい。(ト椅子にかりる。額間もか砂る。 1 1貯)
額問 楓先生はもうすぐお帰りだそうです。ぉ行儀よく、大人しくお待ちするんですよ。
(シイ、シイと奥歯を鳴らして)文歯医者へ行く時間をなくしてしまった、あんたのおかげ


帝一 額間って体のどこかがいつも悪いんだね。 きっとジャラジャラ魔がついてるんだよ。
05
額間 ジャラジャラ魔ですって。
1
8
帝一 それも楓先生の童話に出てくるんだよ。怒っている人の肝臓が大すきな、小っちゃな、
0
16

勝だらけの魔物で、すぐ肝臓の中へ入って、そこでいろんな病気を工夫して作ってるんだ
って。
額 閏 ( 南方自)へえ、子供にそんな話を してきかせてもいいもんですかな。(帝一に)でも帝
一さん、あんたがもし本当にユ ーカリ少 年なら、そんなものを退治するのは造作もないわ
けですがね。
帝 一 僕 は そ ん な 小 っ ち ゃ な も の 、 相 手 に し な い ん だ 。 な ぜ っ て 僕 は ユ ーカリ少年なんだも

の 。 あ の 犬 の マ フ マ フ を 連 れ て 、南ア メリカの密林の中へ行くんだよ。密林の 中 の 空 は 紫
つる︿さなおおしがい
いろ、蔓草は真赤なんだ。時きくたびれた巨きな鳥の死骸が 、い っぱいその蔓草に引っか
かってる。求はそれを狙って跳び上るだろ。そうすると鳥のきれいな緑や赤の羽ずがパラ
~t}

おう hu
パラ落ちて、マフマフの体にくっついて、マフマフは鴎鵡みたいな犬になってしまうんだ

ト品。
額問::・何を下らない 。
におか
帝一 マフマフは海の匂いを嘆ぎわける。もうそこで密林がおしまいになって、海のけしき
がはじまるのも嘆ぎわける。だから海賊の匂いも嘆ぎわけることができるんだ。海賊って、
ど︿ろ
海とたくさんの金貨と短剣の油と額制服と革の帯と女奴隷との匂いがするんだって。それは
ばら
お祭りの日の匂い、蓄一微の花畑の上にまちがえて落した焼肉のごちそうの匂いにも似てい
るんだって。:::でもそのおかげでマフマフは近づきすぎて捕虜になる。海賊たちはマフ
とりかご ,
マブを鶏鵡とまちがえて鳥簡に入れて、マストからぶらさげるんだ。月がのぼるとマフマ
フは悲しい歌を歌い、朝焼けの空を見ては一涙を流す。
額間 :::そう、そう、そこでユーカリ少年が海を泳いで行って、海賊船からマブマフを救
い出す。そうで したな。
帝 一 (民翫して立上る)そうなんだよ。そうなんだよ。ユ ーカリ少年は海賊に斬ってかか
ヲ匂 ! ・
額問 自慢の短剣でね。さて、その短剣はどこにあります?
(僻燃として、わが身をさぐり、絶望の表情を示す) ・
と 海賊

帯一
額問 ほら、ありはしますまい?(ト自分の内ポケットから短剣を出して、指先でもてあそ
ぷ)このとおり 、ここにあるんですか らね、 血 に餅悶えているやつが: 。(帝て色部ざめ
て立ちすくむ)どうです。いつもあんたはそれを忘れて困る。わかっ・ :ら大人しくお坐り
務謙


なさい。(帝一、大人しく坐る)そう、大人しく。(卜額問、短剣をしまう):::忘れちゃい
けませんよ。
たもと
(しばしの問。││突然、上手よりけたたましい泣き声きこえ、挟で顔をおおいつつ、女流
童話作家、楓阿里子登場)
楓 まあ、どうしよう 、可哀そうに ! 可 哀 そ う に ! 本当に可哀そう ! 路の上で 、あん
みち
な姿で。(ト泣く)
0
17 綴間 (立上り)どうなさいました? おや、楓先生ですね。帝 一さん、先生のおかえりで
すよ。
0
18

帝一 ぁ、先生 。
組 あら、お客さまでしたの?私恥かしい。私恥かしい!どうしよう。千恵子 ! どこ
にいるの ? まあ、どうしよう。(ト中央カーテンロより立ち去る)
額悶(坐り)やれやれ、ここの先生も相当なもんだ。
帝一 (仰向も立ちつつ)先生、どうしたの ?
額問 (冷たく)いいから 、 お坐りなさい。
(坐って、小声で)先生 、 ど う し た の ?

帝一
額 閉 そ んなこと私にきいたってわかるもんですか。大人しく待つんです、大人しく。

帝一 はい。
中央カーテンより千恵子あらわれ 、前の服装にエプロンをかけており、
(しばしの問。 llt

茶菓を運びて町ず)
千恵子 お茶が遅くなりまして申訳ございません。今先生が帰って来られましたけれど 、寸
古昂奮してらっしゃるもんですから。
額悶 へえ、 何 か ?
ひしがい
千恵子 いいえ 何でもない ζとなんです。家のちかくの道に、自動車に様かれた犬の屍骸が
ころがっていたんですって。
帝一 じゃ、マフマフが ! ( 卜 腰 を浮かすが、額聞に目で制せられて、又不承不承腰かける)
額閉 それがお宅の飼犬か何かで ?
千恵子 いいえ、どこかの野犬でしょう。先生はひどく敏感で、何でもそういうものを見る
かた
とむやみに同情して見境がなくなる方なんですの。:::今、まだ多分泣いていらっしゃい
ますわ。可哀想だ、可哀想だって。
a
e
(中央カーテンより、涙ののこりをなお拭いつつ、世にもにこやかな顔で楓阿里子登場)
楓まあ、いらっしゃいまし。ょうこそ。松山帝一さんでいらっしゃいましたわね。それか
ら額間さん?本当にょうこそ。御約束の時聞に家におりませんで、何ということでしょ
う 。 さ あ、 どうぞお楽に、さあさあ。(ト自分も椅子にかげる。千恵子退場)あの人はおし
と 海賊

ゃべりですから、もう事情は御存知でしょうけれど、可哀想で可哀想で、あたくし、もう
::。でも、もう今は治りましたのよ。こんなに晴れやかな顔をしておりますでしょう。
議議

それはね、私泣いている最中に、突然とても幸福な物語を思いついたからですの。それは
とても幸福な。ね、お話していい?あの死んだ犬が天国へ行って、お菓子屋をはじめま
すの。毎日庖番をしながら居眠りをして、目がぼんやりさめると、ウl ッって稔りながら、
λJか mF

自分の庖のお菓子を 一つ喰べて又眠ってしまうの。ね、面白いでしょう。そしてやっとは
っきり目がさめてから、お菓子をかぞえてみるの。ワン、ツl、スリーじゃなくって、ヮ
ン、ワン、ワン ・

帝 一ワン、ワン、ワン。
はず
0
19 楓そう、ワン、ワン、ワン。おや、どうしても三つ足りないぞ。天国には泥棒がいない筈
だのに、ふしぎだなあ、って。
1
10

(ト楓笑い、帝一の笑い声これに和す。額間笑わず)
帝一 その犬はでもマフマフじゃなかったの?
楓マフマフは勿論まだ元気で活躍していますわ。
額間 失礼でございますが、御挨拶もまだ申上げておりませんので。実はこの帝一さんが先
生のお書きになる童話の大の愛読者でございまして、御本はもとより、ラジオ、テレビ、
ι
u
先生のお話を伺う機会は一つも洩らしませんようなわけでして、この、ファンと申します

か、何と申しますか、一例が自分のことを、先生の童話の主人公のユーカリ少年だと思い
込んでいるくらい。いつか一度、先生に直接お目にかかってお話を伺いたいと、寝言にま

で申しますので、まあ、こういう大人とも子供ともつかぬ人で御迷惑とも存じましたが、
幸い某氏の御紹介を得まして、先日御引見のおゆるしをいただいたわけでございまして、

何と もはや、御多 忙 のところを。
徳まあ、迷惑なんてとんでもない。汽車は十二時半に東京駅を出ますのよ。まだ充分時間
がございますもの。それに私お目にかかる前から帝一さんという方に興味を持っておりま
したのよ。今の時代に純潔な童心を三十年も持ちつづけていらっしゃるなんて、それだけ
でも尊いことじゃございません?純潔ほど美しいものがあるでしょうか。
帝一 (突然)ねえ、先生。僕今日からこのお家に住みたいな。いいでしょう?
額 間 と れ 1 帝 一さん、何ていうことを。何ていうことを。
楓まあ、いいじゃございませんか。それが童心の麗わしさ、尊さ、人間の忘れている故郷
あこが
への憧れですもの。でもね、帝一さん、あなたは遠くで私の書く童話を読んで下さるのが
一番いいことなのよ。それが童話のお国に生きてゆく一等いい方法なのよ。私の家はつま
らない月並な家庭にすぎませんもの。一日いらしただけでがっかりなさるでしょう。
帯一 僕 は が っ か り な ん か し ま せ ん よ 。 僕 、 ユ ーカリ少年だろう、いつも勇気に充ち満ちて
るんだよ。それにこのお家にはちゃんとニッケル姫だっているんだし、マフマフもどっか
に隠してあるんでしょう。あそこかな?(卜下手の巨大な窓の眺めを重く閉ざしたるカーテ
と 海賊

ンを指さし、立上ってカ ーテ ンをひらかんとする。楓あわてて立ってゆき、帝一を制して、カ ー
テンに手を触れさせまいとする)
楓いけません!いけません!ここにはあなたの見てはいけないものがありますの。そ
省ぽ
蓄謙

れを見たらあなたが一生夢に溺れて、出て来られなくなるような。私の庭には八つ以上の
子供は入れないんです。
帝一 だって僕、八つだもの。
楓 だ め で す ね え 、 帝 一 さ ん 。 童 話 の お ば さ ん の き一口うことをおきき にな らなくちゃあ。(帝
て素直にうなずいて腰かける。そのうしろに立って、帝一の髪をいじりつつ)あなたは人より
ずいぶん永いこと夢の中に生きていらしたんだから、これからはいつか目をさまさなけれ
つら
ばならない時が来ます。あなたの目ざめはほかの人より辛くて苦しい。でも仕方がない、
1
1 それだけ深くそれだけ永く幸福な夢の中に生きていらしたんですもの。夢に溺れることは
1
12

も う 毒 で す わ 。 目 を さ ま さ な け れ ば ::: (この問、額聞は卓上の大判雑誌を読んでいる)
1

帝一 先生、どうして目をさまさなくてはい砂ないの ?
織 だってあなたはユーカリ少年ですから。ユーカリ少年は勇敢だから、目をきまして、自
、 J du
分の体についている夢の蜘妹の巣を払い落すの。

市一 ユーカリ少年が勇敢なのは 、 夢の中に生きてるからじゃないんですか ?
まあ 、 あなたはなかなかお莫迦さんじゃないわ。ではこう言ったらおわかりでしょう。
ぽか

私 の 夢 の 国 に は パ ス ポ ー ト が、旅券が要るんですのよ。それはまだ目をさまさない 八 つま

での子供か、十分に目をきまして生きて、疲れ果てた人たちにしか上げられませんの。あ
なたはもう子供じゃない。それでいてまだ目がさめない:

帝一 僕は夢のお国に住む資格がないわけなんですね。
楓 そ う よ 、 お気の毒ですけど。(このとき下手奥に人の足立国がきこえる)ああ幸いあのこ人が

還 っ て き ま し た 。 勘 次 と 定代 が 。 あ の 人 た ち が 、 ど ん な 資 格 で こ こ に い る の か 、 あ な た に
話し て おきかせする筈。
(下手より、生活にやつれ果てた初老の勘次と定代が入って来る。古背広姿の勘次はスパナ
を、モンペに 前掛をした定代は鰐がもっている)
御 苦 労 さ ま で し た 。 す っ か り 出来 て ?
動次 はい 、 もう修理はすつがり。定代さんの 御掃除もきれいに 出 来ました。本当に 日曜日
の朝、 お庭 にいます と、身 も心 も洗われるようでございます。ごらん 下 さいませんか 、先
生。(カーテンをあけかける)
楓 (あわてて制して)いいのよ。いいのよ。それよりこのお客様に、いつものように、あな
たの身の上話をしてあげて頂戴。そうしてどうしてことへ来るようになったかを。
しゃぺ
勘次 はいはい、お安い 御用 でございます。(卜丸暗記の口調で喋りだす)私こと、沢村勘次、
当年とって六 十 三歳、浮世のあらゆる辛酸をなめた者でございます。三つのとき親に死に
別 れ、加臨な似胸部に育てられ、食も満足に与えられず、いつもお腹を空かしておりました。
隣近所のおばさんが不感がって、子供の喰べのと しのパンなどをくれるうちに 、ある日も
ふびん
と 海賊

らったクリーム菓子が腐っていて、それで大病をいたしました。こんな弱い子は置けない
というので、継母に家を追い出され 、 一人で街道筋をとぼとぼ歩いてゆきました。
(このとき、定代は前掛で目を拭い、しくしく泣き出す。額聞も興味を持って見る)
定代 ごめんくださいまし。私、勘次さんの身の上話のこの件りになると 、 いつも泣けて来
︿だ
蓄君主

るんです。
勘次 私は一人でとぽとぽと歩いてゆきました。(手拍子をとって、御詠歌のフシで歌い出す)
哀れなるかやみなし児は
ょうよう今年九つで
勧次 ︺﹁西も東も献糠の
定代 ﹂﹁顔も見しらぬひとり旅
3
1
1
勘次 その道中でスリの親分に会い、小柄な子ほどいいというので、スリの技術を仕込まれ
ました。ああ、それからはお客様、私のおりました場所を並べるだけで十分です。野宿の
1
14

枕になった丸い石、田舎の電車の錆びた線路、生い茂った荒地野菊、町の人ごみと貧民街、
響察の取調室、少年感化院、少年感化院、少年感化院、これを三度くりかえしましたのは、
三度逃げ出して、又三度入ったからでございます。それでも何とか兵隊にとられ、かえっ
て来ましてからは線路工夫、又ぐれ出して麻薬の密売。ああ、麻薬を一度もたしなまなか
ただ
ったことが、私の一生の唯一つの誇りでありますが、私のしていたことはこの手で大ぜい
の人を廃人にしていたことなのでございます。麻薬は白くて気高くて、それは美しい薬品

でした。それはそれは美しい薬品でした。あれは白い極く小さな不吉な鳥のような様子を
して、ひっそりと、大いそぎで、人の手から手へと飛ぴ移りながら、そのあとに一枚ずつ
ぴかぴか光った金貨を落してゆくのでございます。あれは又、白い女持ちの斡誌な手袋の

こみらすぺ
ょうでして、夜の小路から小路へとり抜げて、最後にその手袋をはめた人の手を、とろか
A
J

して骨だけにしてしまうのです。あれは又、溶けない霜のようで、火を含んだ霜なのです。
夜しらぬ聞にひっそりと置き、今まで醜かった地上のけしきを、ひといろの銀に変えてし
まうのです。
岨偶又あなたの寄り道がはじまりましたよ。道草を喰わずにどんどん先をお話しなさい。
いんばいひも
勧次 はいはい、とれはどうも失礼をいたしました。それから又監獄行、出て来て淫売の組
しょたい
になり、売り飛ばそうと思って連れて来た田舎娘と、ひょんなことから世帯を持ちました。
のいちどきつねの
こいつは野慈のような娘でして、狐も気まぐれに 一寸舌の先へ乗せて、腕山み込んでみた く
はんとし
なるような代物でした。半年のちにその娘、私の可愛い女一房は死にました。(又手を拍っ
て)
哀れなるかや野惑は
雨に打たれて色あせっ
ひとこと
勧次 ︺﹁いまわのきわの一言も
定代 ﹂戸市来さで馬に踏まれけり
勘次 その女房の残した子を、又継母の憂自に会わせ、その継母はとうとうその子を三つで
と 海賊

病いに死なせました。その上後妻は男を作り、私はその男を殺しました。私は殺しました。
いれずみぼたん
そいつの刺青の牡丹が血を吹いて、夕焼けの中に咲き誇ったように見え、そいつの刺青は
にしきえ
あかあかと輝やいて、錦絵のようになりました。牡丹の黒ずんだ藍いろの葉は、真赤に紅
自 薮

葉して照り映えました。:::そうです、私は背中から一ト突きくれてやったのです。

帝一 短剣でかい?
額間 (内ポケットに手を入れて)そう、短剣でですよ。
(帝て額聞をふりむいて見て、恐怖にかられて黙る)
動次 二十年の懲役。山山て来てからのみじめな乞食ぐらし、やっと人について時計の修理を
習い、どうやらスリの指先を思い出して、一人前の修理屋になりました。でも自分の一生
をふりかえるたびに、そのみじめさに心挫かれ、どうやらまともに暮しを立てている今日
15
1 になって、何度も死んでしまいたい思いにかられました。その時でございますよ。ふとし
たことから、ラジオで先生の連続童話をききはじめましたのは:::。
1
16

定 代 そ うでございますよ。それで私も本当に救われましたんです。私もこの年になるまで
苦労のし通し 、 子にも孫にも見離され、ピルの掃除婦をしておりますうちに、ふと先生の
ありがたい童話を、伺うようになったんでございます。
勧次 先生のおやさしい声が流れました。ああ、子供心の夢にさそう美 し いお話の数々:::。
定代 鳥や動物や小川や小さな魔物の、それこそむつまじげに話し合える世界:::。
たの
勘次 子供のころの私が持たなんだ、忘れていた愉しいその記憶。どうやら先生の童話を伺

っていると、ありもしない記憶が自分の記憶のように思われて:::。
定 代 そ うですよ、同仰れた心も洗われ、苦労だらけの一生は夢かと思われ :: 。

勧次 自 分 の み じ め さ も ひ た す ら 忘 れ て 、 何 か こ う 月 の 光 り を し ん み り 浴 び て い る よ う な
::自分の犯した罪という罪も、童話のなかのふとした冗談でしかないような。
しるわ

定代 マフマフやニッケル姫と、私はすっかり友だちになりました。やっと倖せがひらけま
したんです。
勧次 私も子供にかえりました。いいえ一度も人並の子供時代を持たなんだ私は、はじめて
子供になったのです。
しわ
定 代 勘 次 さん、私も御同様、今は敏だらけの倖せな子供ですよ。
勧 次 そ れ から先生のお宅へ 伺 って、週一回の奉仕を申出ました。自分の技術を役立てまし
て、無料で修理をさせていただいております。
定代私もですよ、こうして毎日曜、無料でお庭のお掃除を。
額間へえ、無料でね。
おっしゃ
定代いいえ、いいえ、先生がお手当を下さると仰言るのを、たってお断わりしているんで
いきがい
ございます。こうさしていただくことが、何よりこちらの生甲斐なんですから。
楓ありがとう。そう言って下さると私もうれしいのよ。じゃあ、どうぞ、台所でお茶でも
上って行って頂戴。本当に御苦労さま。
定代いいえ、お茶なんぞ。御迷惑をおかけしては、奉仕が奉仕でなくなりますもの。ねえ
議議 と 海賊

勘次さん。
勤次そうですとも。そうですとも。さあ、お客様のお邪魔をせずに早くお暇ぴましょう。
定代お暇しましょう。先生、どうもありがとうございました。
楓お礼を申上げるのはこちらからですわ。どうぞ文いらしてね。
勘次伺いますとも。では御機嫌よろしゅう。
定代先生、いい御旅行を:::。
(両人、上手玄関より去る。楓、椅子に戻って来て)
楓本当に気持のいい人たちですわ。
帯 一 そうかな。僕はそう思いません。
額聞これ、帝一さん!もう私共もお暇しましょう。
1
17 楓お待ちになってね。私、帝一さんの御意見に興味がありますの。ねえ、仰言って頂戴。
18

あの人たちはどういう点で間違っているでしょうか?
1

帝一 間違ってるって?そんなこと僕には判らないけど、先生は本当はあの人たちが嫌い
でしょう?
楓おや、まあどうして?
帝一先生は嫌いなんだ。僕、ちゃんと知っているんだ。先生はあんなにお鵬の空いた人た
ちが、甘いお菓子でお腹をごまかすみたいに、夢のお国へやって来るのは嫌いでしょう?
楓でもあの人たちは来る資格があるんですよ。

帯一先生はきらいな人にばかり入場券を渡すんですね。
楓まあ仰言ること!

帯一(そこの雑誌の一頁をやぶき、それを筒に巻き)乙れが人の一生でしょう。(その両端を両
手で握り)こうして先生は両はしを握ってるんだね。こっちの端が子供、こっちの端がく

たびれて帰って来た年寄、そうすれば先生は、出口と入口を握ってるからね、人聞をみん
そと
な握ってることになるんだね。でも僕はその外から来たんですよ。カテリナという星か、
ドンドンピチャリという小さな星から来たんですよ。
楓私はそういう星の名を書いたわ。そこの星に住んでる人たちのことを書いたわ。
帝一 先生の本当に好きなのは、カテリナ人や ド ン ド ン ピ チ ャ リ 人 だ け で し ょ う ?
楓ああ、どうしてそれを知っているの。でもこの世には例外なんてないんですよ。
帝一 僕がそうなんですよ。
楓 あなたは一人きりで寂しくないの?
帝一 僕はユ ーカリ少年だから、いつも一人で歩いているの。ふしぎな星から来て、密林の
中に落ちて、密林をかきわけで、海へ出て行くんだよ。
楓 私も海へ 出 て行きたいと思ったことがあった。
うろこよろい
帝一 海ではふしぎなお魚たちが跳ねていて、月夜には光る鱗が、うかんでいる沢 山 の鎧の
ように見えるんだって。宝石をいっぱいはめた鎧のように。
でも人間を愛さなければ、:::帝一さん、人聞を愛さなければ::

と 海賊

帝一 どうして人聞を愛さなければいけないの?
防防ず
楓 私はその ﹁どうして﹂を書いた筈ですわ。
帝一 僕は童話が好きなんだよ。先生は﹁どう し て﹂が好きなんだね。
楓 あなたのおかげで 、私混乱してしまう。本当を云うと、私も ﹁どうして ﹂ がきらいなの
蓄積

かもしれないの。でもそれがきらいになったら 、世界はひつくりかえってしまいます。
帯一 世界がひつくりかえっても別にかまゃしない。
楓 かまわないことはないのよ、帝一さん。世界というものはね、こぼれやすいお 皿に入つ
ているス 1プなの。みんなして、それがこぼれないように 、 スープ皿のへりを支えていな
ければなりませんの。
帝一 ゃあ、ス lプがみんなこぼれちやったら愉快だろうな。そうすると地面の上の、小さ
な点燈虫だの、訴の花だの、附脱却制の花だの、エッチラオッチラ歩いている任かちだの、煙
1
19
草の吸殻だのが、みんなでおいしがってス lプをずむようになるんだよ。
2
10

楓 そ ん な も の も 、 帝 一 さ ん 、 要 す る に ス 1プ皿の上に乗っかってるんです。
帝 一 ス lプは何度こぽしでも、ス lプの霧が立って、夜明けに立っている街燈も、ス lプ
にお
の霧のおいしい匂いに、舌鼓を打つようになるんだよ。
楓ああ、やっぱりあなたとは議論ができないわね。
帝一でもお話はできるんだよ。先生、みんな追い出してしまわなくちゃ!箸で掃き出し
てしまわなくちゃ!あのおばあさんの答はお庭を掃くだけなんだもの。

楓私の箸もそうだとわかつて頂戴。
帯一先生の等はちがう。だって魔法の箸だもの。
うぬぼ

楓あなたは危険ね。私を己惚れさせる。
あさひ
帝一海賊船が帆をあげる。ねえ、考えてごらん。朝陽が金いろにした帆は風にふくらんで、
主丸


帆はまるでオレンジの一房をいっぱいのせた巨きな掌みたいに見えるだろう。帆は白い巨き
な頑丈な掌を、海のなかからにゅっとさし出したように見えるだろう。海のなかにはその
白い腕がずっと透いて見えて、手首には濃い青いろの錨の刺青があるんだよ。そうしてそ
の掌の指の骨は、運動選手の指みたいに、おもしろい音を立てて鳴るんだよ。
なぎ
楓その掌の船は嵐をなだめ、凪にあえば海のそこかしこから、眠っている小さな風たちを
呼び集めるのね。
さんごしよう
帯一珊瑚礁の上に眠っている小さな風たち:::。
楓いそぎんちゃくの花のあいだで、機のようにうろうろしている小さな風たち・:
やし
帝一 榔子の葉っぱの裏で怠けている小さな風たち:・
額間(低高で)やれやれ、何を下らない。
とりこふなぞこ
楓もう私たちは安全だわ。海賊たちは停にされて、船底に押し込められてしまったのね。
帝一 ほら、暗い船底から、鎖の音がきこえるだろう。あの鎖は海賊たちの首や手足に、学
校の夏休みの宿題みたいに、うるさくからみついているんだよ。弱い弱い海賊。弱虫の海
賊。
携 も う 威 張 れ な く な る と 、 ひ ど い 船 酔 い で : ::。
と 海賊

まつこう︿じら
帝一 そうそう、やつらは幅いてるよ。極いてるよ、いろんなものを。抹香鯨からとった香
ひざ
料だの、金貨だの:::。やつらの膝の上には、随いたものが、クリスマス・ツリ1の飾り
蓄 積

物みたいに、いっぱいきらきらとぷるさがってしまうんだ。
額問(やや高く)何を下らない。
楓ああ!もうだめよ、帝一さん、もうそれ以上遠くへ私を連れて行かないで。あなたは
危険なの。私にとってあなたは危険な人物なの。もう二度とこの家へいらしてはいけませ
んのよ。
帝一 僕はどこまでも行くんだよ。たくさんの雲が会議をひらいているあの水平線まで:::。
僕と一緒に行砂ば大丈夫なんだ。いつまでも僕が先生のそばにいさえすれば :::。
1
額間(大声で)何を下らない!もうお時間ですよ。帝一さん、お暇するんです。先生は
2
1
旅行へお出かけになる方だ。これ以上お邪魔をしては御迷惑だ。
2
12

帝一 いやだ。額問、僕、かえりたくない。
額間 お暇するんです。さあ、さよならを 何言い。
犠 そのほうがいいのよ、帝一さん。そうして頂戴。そのほうがいいのよ。
帝一 でも、僕 :::、だって、いやなんだってば :::。
額 問 ( 片 手 で 帝 一の腕をとらえ、片手を内ポケットに入れてみせて)これでもですか ?
帝一 あ :::。(ト忽ちしおれて)そんなら帰るよ。
額 問 帰 る の が 当 り 前 で す 。 さ あ 、 先 生 に さ よ な ら を 申 上 げ て :::。

帝一 さようなら。
F必
楓 (涙ぐんで)さようなら。あなたが来て下すった日のことは、一生忘れないだろうと思
W川
いますわ。

帯一 さようなら。
額 問 は い 、どうもお騒がせいたしまして :::。
楓 (射燃と)さようなら。
(両人、 上手へ去る。楓一人のこりて呆然自失の保。中央カ ーテンより、ふつうのスェ ータ
ー になった 千恵子が両手にス lツ・ケースを提げて登場)
姿
かぱん
千恵子 もうそろそろお出かけになったほうがよくってよ。鞄はお玄関に置いておきます。
楓 そうして頂戴。
(千恵子、鞄をもって上手へゆき、すぐかえって来る)
千恵子 大へんなお客様でしたわね。
楓 い い え 、 大 事 な お 客 様 だったわ。あの人の話をきいているうちに、私のインスピレ I シ
ヨンは燃え上ったわ 、今までにないほどに 。:::でも一度でよかったのよ 。たった一度で。
何度も会えば、私は私でなくなり、私はすっかり空っぽにされてしまうでしょう。
千恵子 (客の残した菓子をつまみつつ)お母様みたいな方が、白痴の青年に劣等感を持つな
んてふしぎだわね。
と 海賊

楓無邪気さというものには誰も勝てないのよ。
千恵子 へえ、あれが無邪気かしら?私のスカートをまくってみたりして:
楓 えっ、あの人がそんなことをして?
蓄積

千恵子 私がニッケル姫だから、お腹が鳴ってるかどうか、しらべたいんですって。
楓 何 だ 、 そ ん な と と 。よかったわ。私、本当に安心した。
千恵子 安心するの早いんじゃない?男はみんな悪者で不潔だって、口を酸っばくして教
えて下すった方は一体だあれ ? 一 人 の 例 外 も あ り え な い っ て 。
楓 あの人はもしかするとその 例外か もしれないわ。
千恵子 へえ、ばかに御執心なのね。
楓 だ っ て 、 ふ し ぎ じ ゃ な い こ と ? 犬 の 様 か れ た 屍骸を見て、家へかえって来て 、涙を拭
3
2
1
きながらあの人の前へ出たとき、それまで頭にあった不幸な哀れな犬の一生のお話が、咽
まへんぼう
嵯の聞に、とても幸福な、明るい物語に変貌してしまったのだもの。それまで私の考えて
2
14

いたことはこうだつたの。犬が自分の悲しい生涯に飽き飽きして、人に飼われない身の不
安をもてあまして、自動車のタイヤの下へ走り込んで自殺する話だったの。
千恵子 動物が自殺するかしらね。
楓ああ、あなたは空想力に恵まれないで仕合せだこと!
千恵子 私が生れたのはお母様の空想力の賜物だったのかしら?
楓すぐその話をするのね。いいのよ、いずれにしろ、あなたに何もかも話しておいたのは

いいことだったんですから。
千恵子 いいことだったかもしれないわね。とにかくそれで憎しみの原因がつかめたんだか

りo

a こわいことを言わないで頂戴。誰が誰を憎むっていうの?

千恵子 お母様が私をだわ。
楓とんでもないことを言うのね、千恵子。
かつこう
千恵子私は雑誌や新聞の人が写真をとりに来るとき、いつもニッケル姫の恰好で出てるわ
ね。そう、私は素直にあんな気違いじみた恰好をして来たんだわ。
いしよう
楓 だってあなた、はじめは面白がって喜んでいたじゃないの。私があの衣裳を考案 したと

品C
ええ、 :::面白 いわ 、 そりゃあ。お母様の皮肉な企らみがわかったから。あなたの
た︿
千恵子
この世のたった一つの溺れた思い出が、清純な童話の人物に扮ふ装 して、世間の目をたぷら
んそう
かすことになるんですもの。とにかく童話作家なんて、一つぐらい世間に向って、こっそ
り大人の痛烈な皮肉を投げつけていない日には、バランスが保てませんものね。
楓今、旅に出ょうとするときに、地方の子供たちが首を長くして待っている童話の巡回講
演に出ょうという矢先に、(トしくしく泣き出す)あなたって、お母様をいじめるのね。
千 恵 子 そ の 涙 か ら 童 話 が 生 れ ま す わ 、 楓 先 生 、 涙 が 五 色 の ど l玉になって踊り出すとか何
とかい旨つ:::。
と 海賊

楓わかっていますよ。あなたは早くお嫁に行きたいのね。人並の生活をしたいのね。
千恵子そんなに先廻りをしないでよ。私は今とにかく楓先生の忠実な秘書兼女中なんです
から。
蕎被

織いずれにせよ、私はあなたが清純な恋愛をし、清純な結婚をすることを望んでいますの。
千恵子またはじまった。それでは私はあの帝一さんと結婚するほかなさそうね。
楓そういうまぜっかえしを言うもんじゃないの。
千恵子まぜっかえし?あの人はたった一人の例外ではなかったの?
(││気味合の間)
楓さあ、こうしちゃいられない。地方の可愛い子供たちが、ユーカリ少年やマフマフのお
話を、私のこの口から直に聴きたがっているんだから。小さな聴衆たちの一心に聴いてい
2
15 る顔の可愛らしさと言ったら:::。
千恵子さぞ私の顔とは似ていないことでございましょう。
2
16

楓そりゃあ人間の顔にはいろいろありますもの。もうこれ以上私をいじめないで頂戴ね。
留守中はお父さまと重巴叔父さまのことをたのみましたよ。お二人とも本当に大きな子供
なんだから。
千 恵 子 好 き 放 題 に し て らっ しゃるところだけは子供ですわね。
えぴ
楓よくって?お父さまは海老がお好きだけれど叔父さまはおきらい、お父さまはウイス
キl党、叔父さまはコニャック党なんだから。それから女のお客様方にもよくしてあげて



千恵子はいはい。あれだけ童話集が売れてれば、まだ居候の四五人は大丈夫だわ。

(二人上手玄関へ行こうとすると、玄関のベルが鳴る)
楓誰だろう、出かけるところへまた。

千 恵 子 き ま っ て る じ ゃ な い の 、 お 父 様 の 朝 帰 り ょ 。(ト玄関へ出てゆく。阿里子の良人、楓重
政登場)
重政ゃあ、おはよう。
楓おはようございます。私、今出かけるととろ。留守中をよろしくおねがいいたします。
重政さあ、その点は責任は持てないがね。
千 恵 子 お 母 様 は 、 今 朝 の う ち に も う 、 ラ ジ オ の 録 音 と お 客 を 一組すませ てしまったのよ。
霊政やれやれ、それは御苦労だね。日曜の朝だっていうのに。
千恵子 お父さまでも日曜って観念があるの?
重 政 そ う気むずかしく言いなさんな。それじゃあ、阿里子、成功を祈るよ。
楓ありがとう。じゃあ、行ってまいります。(ト上手へ去る)
重政(千恵子を呼ぴとめて、低声で)ゆうべも重巴叔父さんは泊ったんだろう。
千恵子 ええ、まだぐっすりお艇みですわ。
重政何か、:::その、お前の気のついたことはあったかい?
千恵子 いいえ、何も。
と 海賊

重政へえ:::。
千恵子 ともかく私、お母様をタクシーの駐車場までお送りして、すぐ帰って来ますから。
(ト上手へ去る)
~証

(重政、ぶらぶらと室内を歩きまわる。一頁を裂かれた雑誌を見、円筒形に巻かれた紙をつ
首~

まみ上げる。このとき上手階段か ら重巳││重政の弟ーーが下りてくる)
重政ゃあ、おはよう。
重巴おはよう、兄さんは朝がえりかい。あいかわらず元気だね。
重政公認の朝がえりってやつも味気ないもんさ。

霊巴へえ、不服そうに言うんだね。(ト部屋着のまま、階段の途中に腰かけて、煙草を喫みは
じめる)
7
重政それはそうと、ゆうべの首尾はどうだつたい?
2
1
重 巳 : :::::。
28
1

重政どうだつたんだよ。
重巴何ともはや、お話にならない不首尾だね。
重政へえ。(いたく落胆して)十五年も外国へ行っていると、そうまで腕が落ちるもんかね。
重巳メキシコでなら、女は要するに女さ。ブラジルでもそうだ。いや、スペインですらそ
うだ。ところが日本には全くめずらしい女がいる :::。
重政あれが飛切りめずらしい女だということは、とっくに説明済みじゃないか。

霊巴兄さんが飛切りめずらしい男だということもね。
重政(苦い顔をして黙る):
ゅうぺひとよ

重巴ともかく寝苦しい昨夜一夜、俺の頭のなかにはニ十年前のあの夏の一夜が、丁度追い
はらってもはらっても電燈の笠にぶつかる黄金虫のように、飛びまわっていたのを信じて

くれ。
重 政 俺 のせいにする気か、君は ?
重巳どっちのせいでもなかろうじゃないか。あのとき俺は十九、兄さんは二十五だった。
あめざい︿
少しは見境のある都の兄さんが、人間と世界とを飴細工みたいに 心得ている年ごろの俺の
誘いに乗って、俺さえ出来なかったことをやってのけたんだ。
重 政 俺 はあのとき、何か一つ悪事をやってのければ、生きる自信がつかめると思っていた
んだ。
霊巴二十五の男にしては遅い決心だね。要するに遅すぎたんだね。
重政 遅すぎたから報いも来たわけだ。
霊巳半分は兄さんが自分で作った報いじゃないか。
重政ああ、君は何度言ったらわかるんだろう。
霊巴まあ、いいさ、それは。:::とにかく二十年前の夏のある晩だよ。俺たちは夕飯のあ
ぞろ
とで、公園へ散歩に出かけた。何だっていい年をした兄弟が揃って公園へなんか出かけた
んだっけ?
と 海賊

重 政 二 人 と も 退 屈 だ っ た の さ 。 そ れ だ け の こ と さ 。それに俺は大学の英文科を 出て、研究
室の副手をしていて、あすにも兵隊にとられやしないか、あすにも赤紙が来ゃしないかと
落着かなかった。

重 巳 俺 は 世 界 的 な 絵 描 き に な る つ もりで 、カンヴアスと絵具を買い込んで、カンヴアスを

白いままにしていた。カンヴァスが白いうちは、そこにだけ希望が残っているつもりでね。
-edwmw
ああ、女にかけちゃ、俺のほうが兄さんよりずっと利け者だったさ。
重 政 俺 は そ の こ ろ 三度目の恋愛で少々疲れていた。
︿ちげ7んか
重 巳 そ う だ 、 歩 き な が ら 口 ﹁ 嘩 を し た ん だ っ け な 。 兄 さ ん は 女 に 甘 す ぎ る 。 人 道 主義 的な
ぱか
恋愛なんて莫迦くさい。俺はなんか、そんなことを言ってからかった。
はんぽ︿はら
重政君は女を人間として扱っちゃならんという主義だった。俺は口では反駁しながら、批
2
19 の中じゃ負けていた。というより、俺は二十五で、もう若さから遠のいてゆくようで怖か
ったんだ。
3
10

重 巳 俺 た ち は 公 園 の ペ ン チ に 掛 け て い た つ け 。 夕 涼 み の 人 た ち が と き ど き 自 の 前を歩いて
すぎた。兄さんはそいつらの心境を叡蔵した。そいつらは夏の暑さに居たたまれなくなっ
ているのか、それとも家庭というやつの寄り添った人肌の暑さに居たたまれなくなってい
るのか、自分でもわかっちゃいないだろうって。
重 政 ( 苦笑いして)よく覚えているな、つまらんことを。
重 巴 そ の う ち に 一 人 の 子 供 が 池 のそばで小さな花火に火をつけだ。それまで 池 の ま わ り の

道はひどく暗かったんだ。花火の銀いろのささらのような影が池に映った。俺たちは洞伐
かいやな気持でそれを見ていた。突然兄さんが言ったんだ。﹁俺はしようと思えば 、 強 姦
だってしてみせるぞ ﹂って 。
+

重政 。
重 巳 け た た ま し く 笑 い 出 し た も ん だ、それをきいたとき、俺は。俺は一人で笑い ころげた

hrf
ょ。それから二人で賦をしたつけ。二人ともそれから急に頭が熱くなって、革命でも起す
よう.な気分だった。
重 政 だ が あ れ は 、 あ ん な こ と を 俺 が 言い出した瞬間は、人生のそれほ ど詰らん 瞬間じゃな
かったぞ。
重巴 そりゃあそうさ。今朝の俺たちはあの晩からまっすぐに歩いて来たその一本道の果て
にいるんだもの。

重政 (噛んで吐き出すように)結果のことを言ってるんじゃない。
重巳 そのときだった。多分家へかえるのに公園を抜けるのが近道なんだろう。学校で授業
のあとに 何 か 会 で も あ っ て 遅 くなったんだろう。いずれに しろまだ夏休みははじまってい
なかった。一人のセイラl服を来た女学生が・
重政俺はそっちを見まいとした。それなのに君が附馴れ馴れしく言葉をかけた。
重巴 公園の暗いあかりの下で、いそぎ足に来るセイラ1服の白い胸の弾みが 、遠くからそ
こだけ見えた。俺の言葉はすらすら出た。 :::そうして反応は満更じゃなかった。
と 海賊

重 政 ( 独 り 言 の如く ):::反応は満更じ ゃなかった。


すぺ
重 巴 あ あ い う晩があるんだね 、人 の一生にはああいう何もかもすらすら行く氷の上を、とる
ような一晩が。
蓄積

重政 俺はあとでは死ぬほど後悔と恐怖に責められたくせに、君と一緒になって、世にもや
さしい巧みな口実で、あの女学生を誘い込んだ。そのあいだも俺の頭はすばら しく冴え、
たった一つのことしか考えていなかった。頭の中では赤い殿軒以日廻っていたんだ。 mFえて
も 鍛 え て も い な い く せ に 、 一 つ の 行 為 が 人 を 引 きずってゆくあの不思議。酔ったような会
話。すっかり気を許した女学生の無邪気な高笑い。俺は思った 、悪とは何て容易いんだと。
たやす
みるみる悪は俺になついて、猫のように首をすりつけて娼びていた。
重巴 ともするとあの女学生自身が、兄さんの生涯の悪そのものだったのかも知れないよ。
公園の裏山:::あの羊歯のしげみ:::君が女学生の口に押し込んだ白いハンケチ :::。
しだ
31
1 重政
重巴 俺は手助けをすることのほうが、すばらしい悪だと感じたんだ。
3
12

重政 羊歯のしげみの中に泉のようにあらわれた白いもの、夜のなかでは白いものだけがセ
やみ
ツクスだったよ。夏の雪だ。セックスの色は白なんだよ。あとは閣にまぎれてしまうんだ。
霊巴(突然げらげら笑い出し、階段からころがり落ちそうになる):::それからだよ、兄さん、
それからだよ、二十年間の喜劇がはじまったのは。俺は喜劇はせいぜい一二年で片がつく
もんだと思っていた。それが二十年もっ .
ついたんだからね。おどろいた話だ。生身の人聞
が二十年も喜劇的事態に耐えられるなんて。(立上って上手窓から戸外を眺める) :::ほう 、

郊外へドライヴに行く車がとおるな。この家の中にどんな奇妙な夫婦が住んでるとも知ら
ずに。

重政人間の住む屋根の下では、どんなことでも起るんだよ。
重巳メキシコの青空の下で起ることはもっと正直だったよ。:・:まあ、しかし兄さん、も

っと自分の喜劇に目ざめたまえな。あの晩、女学生をほったらかして、二人で家へ逃げか
えって、あくる日一日はすばらしいスリルだった。俺たちはもう犯罪者だったんだからな。
とうとうこらえきれなくなって、夜、犯行現場を見に行った。俺たちは駕蔀になった。幽
霊を見たと思ったからだ。きのうのベンチには、きのうの女学生が、じっと坐って兄さん
を待っていた。
重政 ああ、真蒼だった少女のあの顔。でも俺は生れてから、あんなに女の盟らかな顔を見
たことがない。ゆうべ自分が犯した少女の。
重巳それも閣から浮ぴ上る白だったかい?
重政それは閣を融かしてしまう白だったんだ。
重巴やれやれ、それから兄さんの大々的恋愛がはじまった。女学生には文才があった。ど
この町角にも一軒ずつある煙草屋の看板ほどにありふれた文才。人目をひく赤い小さな看
板ほどの可愛らしい文才。もう兄さんはひたすら女を尊敬して、キッス一つしなかった。
ところで女は御妊娠と相成った。いわずとしれた兄さんの子だ。兄さんは男性の責任と愛
とに夢中になり、親の反対を押し切って、その女学生と結婚した。:::そこまで見届けて、
と 海賊

俺は外国へさすらい出ちまったわけだからな。
重政そしてかえって来てみると:::。
おどろ
重巴そうさ、樗かざる者あらんや。その女学生は今や名だたる女流童話作家、そして兄さ
益百草


は・・
・・・
・。
重政ああ、俺はもう自分を傷つける習慣なんぞないんだが、とれは全く科学的名称としで
云うんだが、結婚以来、俺は﹁名前だけの良人﹂ですよ。
重巴兄さんからそれをきいたときは、俺もね、ずいぶん奇妙な夫婦も見たが:::。
重 政 だ が くれぐれも誤解してもらっては困るんだよ。俺は 阿里子を、あのわがままな才能
を、あの気まぐれを、あの純潔を、かげがえのないものとして愛しているんだからね。
重巴才能だの純潔だのを愛するのに、どうして良人たる必要があるんだろう。
3
13 重政俺は結婚当夜、阿里子がはっきり拒んだとき、怒りも何もなく、なんだか悦慨となっ
て、阿里子の足もとにひれ伏した。 ζうあらねばならん気がした。妙だね、それから一年
3
14

ほどのあいだには、やっぱり別れるべきだと思ったりしたこともあったが、あんまりあい
つ が 平 気 な ん で 、 位 負 け し ち ま っ た と で も 云 お う か 。 そ の う ち に 或 る 事 件以来、阿里子は
俺の浮気を無制限に許し、家へ女を引張って来ても何とも云わない。それでいて阿里子は
いまだかつて、俺にやきもちを焼いたことは一度もなく、自分で好きになった相手も一人
もなく・ .
..
..
霊巳それだよ!

重政依然俺一人を愛しているんだ。
重 巳 愛 し て いるって 何 の 証 拠 が あ る ?

重政 だっ て阿里子は俺と別れよ うとしないじゃないか。あいつはますます聖らかになる。
子供っぽい幻想にしじゅうひたって、急に泣いたり笑ったりして、自分で自分を浄化して
こぷし

ゆき、白い辛夷の 花みたいに 青空を背に揺れている。:::


重 巳 そ れ で 兄 さ ん は 理 想 の 家 庭 を 作 ったってわげか ?
重政 あ あ 、 俺 は 俺 な り に ね 。 そ れ が 証 拠 に 俺 は こ こ を 逃 げ 出そうとなんかしていない。阿
里子ばかりか娘まで、俺の女友達には分け隔でなく親切を尽す。この家の屋根の下には、
総貯というものがないんだぜ。
重 巳 む か し 俺 に 反 駁 し た よ うに 、兄さんは今、人聞を愛しているの・かね。
重政さあ、:::うん。そうだ、俺はたしかにあいつの 童話を、お協同mT愛 しているさ。こ
りゃあ人間以上のもんだ。
重 巴 そ んならどうして外国帰りの俺に、昨夜みたいなことを頼んだんだ。内証の恥まで打
明けて。
重 政 悟 ってるんだよ、俺は。いささかも恥とは恩わんね。
重巴引受けた俺も別に恥とも思わなかったね。
重政大した兄弟だ。
重巴 うん、大した兄弟さ。
と 海賊

(││間)
重 巳 そ れ で 何 か い ? 兄 さ ん は 今 俺 の 不 首 尾 を き い て 、 心 の 中 で は い く らかほっと したん
じゃないのかい?
重 政 ど う し て ほ っ と す る 理 由 があるんだ。俺は慨の男には頼めないことを君に頼んだ。こ
蓄積

こ二十年考えつづけて来て、果せなかったことを君に頼んだ。それが失敗して、どうして
ほっとするんだ。
重巳 どうもこの家じゃ月並の質問は慎まなくちゃならんらしいな。
重政 浮気弐献を公然とやっていて、しかも俺は阿里子とは、精神的に完全な夫婦だと恩つ
ている。人類史上の傑作ともいうべき超現実的夫婦だと思っている。思つてはいるが、ふ
と俺は阿里子に菰野を感じる。どうしてあの女は、ああ超然としていられるんだろう?
3
15 ど う し て あ あ 聖 ら か で い ら れ る ん だ ろ う ? も ち ろ ん 俺 は あ い つ の 絶 対 の 聖 ら か さ を 、俺
が一度は この目でしっかり確 かめた絶対の聖らかさ を、あがめ奉っ て いるんだが ・
3
16

重巳 そりゃ 兄 さん自身の自我 を礼拝しているんじゃないかしら ?


重政 まあ 、 きけ。万一だよ、万一もしそれが贋ものだったら 、俺は二 十年間贋物を 礼拝し
にせ
ていたことになるんだ。だれかに頼んで実験してもらって、ぜひ本物かどうか試してもら
いたい。いつもそう思っていた。ところがあいつはどんな男にも一顧も与えな い。 :::そ
こへお前が臼本へかえって来て、うちへ泊るようになったんだ。
ね えまれ
霊巴 ゆうべでわかったよ。完全にわかったよ。義姉 さんは稀なる聖女だね。まさに本物。
︿るみ

胡桃よりも石よりも固い純潔の権化なんだ。俺は外国ぐらしで習いおぽえたあらゆる奥の
しゅうち
手を使ってみた。あの人には何の反応もない。昔一品恥もなければ軽蔑も示さない。女の差恥

も軽蔑も尊敬も、みんな欲望の仮装行列にすぎないんだが。兄さん、あの人には冷たさす
らないんだよ。:::たとえばエヴェレストにギザギザがなく、円いツルツルした玉だった

ら、どうやって登る?
重政 それを登るのが君の役目じゃないか ?
重巴 登れなくったって恥じゃあない。第一向うじゃ何とも思っちゃいないだろう。今朝の
しまって
hM
議姉さんはゆうべのことなんぞ、山の頂きにかかった夜霧よりも、簡単に忘れて

・・ 、 かえる
いるだろう。そ し て、ドンドンピチャリの星だとか 蛙の結婚式とか、まあそんなこ とを
万遍なく考えているんだろう。 :::兄さん 、カと いうものは、 た った一度しか 使 えないも
のなんだね。
重政少くとも俺は一度しか:・・。
重巳その次に使えるものは何だろう?
重政愛だろうかね?
重 己 も う 愛 は 物 の 役 に は 立 た ん の さ 。 そ の 次 に 来 る の は ぺ 眺めることだけだ。兄さんは眺
めて、眺めて、眺めて、そうして死ぬほかないんだ。
重政そんな肱肘な言い方をするところを見ると、君はまだなかなか阿里子に興味があるな。
重己俺を拒み抜いた最初の女だよ、義姉さんは。遺憾何ら興味があるね。
5fLT
海賊

重政あれは優量聖の花なんだろう、多分。三千年に一度咲くというあの花。その咲くとき
22 う
んりん
は金輪明王の出現するというあの花。すると俺は金輪明王だったのかな。

重巳二十年前に一度咲いた:::。又忽ち花びらを閉じちまった:::。あと、待てよ、三千

年マイナス二十年、二千九百八十年待ったら咲くだろう。

重政二千九百八十年か。君のいわゆる喜劇的事態がまだそれだけ続くか。
重巳優曇華の花か。気の永い花だな。やれやれ全く大した花だよ。
(中央カ ーテンより、千恵子が顔を出す)
千恵子ただいま。あら、おじさまお目ざめ?
霊巳朝昼兼帯の飯を下さいよ。
千恵子ええ、今お仕度しますわ。でもお母さまって大したものね。っかまえたタクシーの
きょう︿
7
運転手が、楓先生のファンで、恐懐感激して乗せてったわ。
3
l
重政 へえ、そりゃあよかった。
3
18

釦おっしゃ
千恵子 本当にうれしそうに、﹁そりゃあよかった﹂ って仰言るのね。
重政 悪いかね、それが。
千恵子 悪いなんて、そんな。でもお父さまにしろ叔父さまにしろ、 楓先生が誰の誘惑にも
びくともしないって信じていらっしゃるんだから幸福ね。
重巴 千恵坊、君は全くこの家における驚異の一つだよ。 何 だってそう、 何もかも見抜ける
んだろう、その年で。
千 恵 子 私 は能樹齢なニッケル姫だからですわ。私のお腹が鳴って、チリン・プロン・ピリン

って変な音を立てて鳴って、世間のいろんなことを私に知らせてくれるんですもの。

f

重政それはそうと、今朝はどんなお客が来たの?又お母さんに連れられた童話狂のませ
た子供かね。
千恵子 そのとおりょ。(ト手を聴いて)正にそのとおり。童話狂のませた子供よ。三 十歳の。

嚢巴 三十歳 ?
千恵子 ええ、三 十に なるませた男の子:::。
重 政 そ り ゃあ一体 :::。
千 恵 子 私 、楓先生が人に会ってあんなに熱狂するところを見たのははじめてだわ。お台所
にいても二人の会話がひびいてくるの。それは二人で抱き合って、次第に空へ浮き上って、
はなわ
を足でおもちゃにしながら、別の小さい雲で花環を編みながら 、相手の目をじっと 見 つ
雲一
めながら、鼓動も血の流れも一つになって 、 一心に話し合っているような会話でしたわ。
重政 ばかを云いなさんな、あのお母さんが。
重巴 千 恵 坊、大人をからかってはいけないよ。
千恵子 いいえ、楓先生の目が男の前であんなにかがやき、頬があんなに紅くなったり蒼く
なったりするのを見たことはないわ。
重巴 へえ、恋愛論でもやり合ったのかね。
千恵子 いいえ、童話のお話。その三十の男の人は自分をハつだと思ってるの。﹁へえ、そ
りゃあよかった﹂って、お父さま言わないの ?
と 海賊

霊政 だってそれは、そのお客は白痴だろう。
重巳 白痴でもとにかく男だ。
蓄蔽

重政 男ならとにかく安 心 だよ。そりゃあよかった。
千恵子 今度の﹁そりゃあよかった﹂は幸福そうにはきこえませんのね。
重 政 何 とでもお言い 、千恵子。この裂は童話のお家だ。との家には不幸なんぞ来っこない
のだ。人間の不幸を呼び起すあらゆる原因が、ここの家には欠けてるんだから。
千恵子 そう、それじゃ安心することにいたしましょう。
(上手玄関口をドンドンとはげしく叩く音)
千恵子 いやあね、ちゃんと呼鈴があるのに。
(玄関へ出てゆく。││額問、先に立ってツカッカと入って来て部屋を見まわす。千恵子こ
3
19
れを追ってかえってくる)
4
10

あが
千 恵 子 御 用 は何ですの ? いきなり上っていらして 、何で すの ? 一体。
額問 どこです。どこにいます。きっと隠まつであるにちがいない !
千恵子 かくまうですって?誰を。
すき
額 問 帝 一さんはどこにいる ?一寸油断をしていた隙に、畜生、あの子は私をまいて、・
重政(千恵子に)何だい、帝 一って ?
千恵子 今話した三十になるお子様ですわ。


f

道具はすべて第一幕に同じ。前幕より数十分後。
上手から千恵子の甲高い声がする。
と 海賊

千恵子 あ ら 、 お 母 さ ま 、 か え っ て い ら し た の ? 何 かお忘れ物 ? 電話をかげて 下されば


よかったのに、お忘れ物だったら。
(と言いつつ、臨ず下げて入って来る。阿里子入って来て落着きなくあたりを見廻す)
ii'被

楓額聞は居ないでしょうね。
千恵子 あら、さっき来ましたわ、帝一さんを探しに。
組えっ、来た?まだ居るの?
千恵子 いいえ、あきらめて帰ったわ。
楓 よ か っ た Oi---お 父 さ ま や 叔 父 さ ま は ?
あき
千恵子 額間さんの狂乱ぶりに呆れて、二階へ 引 きこもっておしまいになったわ。
楓そう::・。
4
11 千恵子 どうしたの、御旅行は。
極それどころじゃないのよ。それより、帝一さんに、もう大丈夫だから入っていらっしゃ
4
12

いって。
千恵子 ま あ 、 帝 一 さ ん 、 ど こ に い る の ?
楓門の中の植込みのかげに隠れている都だわ。
子恵子へえ、植込みのかげに:::。
楓もう大丈夫だからって、よく言うのよ。
(千恵子上手へ去る。何里子、不安げに歩き廻る。

千恵子、前幕とは打って変ってオドオドした帝 一を案内して来る。帝て阿里子にしがみつ
く)

4

千恵子これはまあ一体全体どういうことなの?
楓(しがみついている帝一の髪を附でつつ)どうしても私について来たくて、額聞をまいて、

東京駅へ来てしまったのよ。そして私にしがみついて、 一緒に旅へつれて行ってくれって
てこ
きかないの。それだげはだめよ、って随分言ってきかせたんだけれど、この人、挺でも動
こうとしないのよ。もう額聞から逃げ出して来たんだから、今度つかまったら殺されるっ
ていうの。わけをきいてみたら、額聞がいつも短剣を持っていて、云うことをきかないと
ひきょう
刺すぞって脅かすんですって。何て卑怯な男でしょう。それをきいて、私もとうとう決心
AJや

した。旅行はやめて、この人を家にかくまってあげることにしたの。
千恵子まあ、:::それで旅先のことはどうなさるの?むこうの駅には地方新聞の社長さ
んだの、市長だの、校長だのって、お髭を生やした蝶々がいっぱい待っているんでしょう 。
ひげちょうちょう
帝一 (急にニコ ニコして)お髭を生やした蝶々が、ひらひらひらひら待ってるんだね。
楓 (蹴Fとして)電報を打ってすぐ断わって頂戴。急病で行けなくなったって。
千恵子 すごい急病だわね。
楓 いいからすぐ電報を打って頂戴。
千恵子 はいはい 、畏まりました。お二階の電話で 打 って来ますわ。帝一さん、あなたはま
るでジャラジャラ魔ね。(ト二階へ去る)
かぎ
と 海賊

偶さあ、もう一度、鍵をよくしらべて来ましょうね。一緒にいらっしゃい。(ト帝一を上手

へ伴ぃ、上手よりその声きこゆ)ほら、もう大丈夫でしょう。誰も入って来られないのよ。
(ト帝一を伴い、現われ、帝一に椅子をすすめ、自分も掛ける) :::やれやれ 、 これでほっと
喜華

したわね。もう安心よ。うれしいでしょう?
帝一 うん。
楓 あなたって仕様のない人ね。どこまで本当だかわからない話なのに、あなたの澄んだ目
を見ていると、信じないわけには行かなくなるの。あなたに会っていると、私がほんの手
すさびに書いた童話の中の 、 あんな奇想天外な事件の数々が、この世で本当に起っている
ような気がするの。あなたばかりか私までが、童話の中の人物みたいに、遊びに夢中にな
3 って、いつも夢を見ていて、澄んだ自をして、孤独で、しじゅう危難にさらされているよ
うな気がして来るの。この世では何の事件も起らないということが信じられなくなって来
4
1
る の 。 な ぜ 黙 っ て い る の ? 帝一さん。前のようにお話してね。私、今度は聴き役になっ
4
14

て聴いていますわ。木々の新芽がおずおず と春の空気に触れる ときに 、 その空気は どんな


味がするか、それから木々の新芽がはじめて見る青空はどんなに美しいか、私たちの見る
青空とそれがどんなにちがっているか、 :::そういうことを話して頂戴。ペ時でも、人間
の自に見えないものを見ることは、この上もない仕合せだわ。
帝一 うん :::僕 ・
:
楓 黙っていたいの ? そう。そんなら黙っていましょうね。 私 も黙っているのは好き。 心
がいきいきと対話をしているときは 、黙っていることが礼儀ですものね。

帝一 うん ・::。
有F

かなた
(││長き問。やがて下手の大窓のカーテンの彼方から、子供の合唱がきこえてくる)
子供の合唱 月のお庭に動物たちが

そろって輪おどり
チリン ・プロン ・ピリン
こびと
小人のじいやも妖精たちも
お池 の金魚も
チリ ン ・プ ロン ・ピリン
露に濡れてる花輪を編んで
わたくしたちは夜どおし踊る
踊れば遠くに夜汽車が走る
お休みなさい旅人たちょ
ニッケル姫のお腹が鳴れば
それに合せてみんなで踊ろう
みんなで踊ろう
チリン ・プロン ・ピリン
帝一 (儲かに目をかがやかせて)あ、﹁月のお庭﹂の歌だね。

I
I

楓 子 供 た ち が や っ て 来 た の よ 。 子 供 し か く ぐ れ な い 生 垣 の ト ンネルをくぐって、日曜日の
ひる

お午すぎには、ここのお庭へあそびに来るの。

帝一 見たいな。見たいな。見てもいい?

楓 え え 、 今 は も う あ な た は 見 る 資 格 が あ る わ 。 ( ト 立って行き 、下 手大窓のカ ーテンをひら



く)
やしまμ ︿ろ
(一面に見えるのは、榔子の林の遠景、熱帯の空、榔子の木の間に見える海賊船の黒い燭健
の帆、飛び交う巨大な極彩色の鵬官、その前の 小人の郷土怪物の 首を沢 山 つけた極彩色の風
車、金魚の銅像、そ の他ありとあらゆる童話風の人工的な庭である。子供たちの唄声はなお
きこえるが、その姿は見えない)
帝一 あ あ ! な ん で す ば らしいんだろう。なんですてきなんだろう。僕が夢で見たとおり
4
15 だよ。ここにあったんだね。みんなここにあったんだね。
6

楓ええ、みんなここにあるのよ。でも、私だけは入れないの。作ったのは私なのに、私だ
4
1

けは入れないの。
帝一 ど う し て ? 先 生 は 入 れ る よ 。 僕 、 入 れ て あ げ る よ 。 ( ト 窓 枠 に 腰 か け 、両腕をひろげ
る)
楓私だけは入れないような気がしていたのよ、なぜって、このお庭を作ったのは私だから。
帯一 そんなことはないよ。入っておいでよ。僕についておいでよ。
(帝て楓の手をとり、窓枠のむこうへ飛び下りる。楓もこれにつづいて飛び下り、両人の

姿見えなくなる。ーーさきの子供の合唱のあたりから、上手階段上に、重政と重巳がこっそ
うかが
り階下の様子を窺っている。あとから更に千恵子がこれに加わる。帝一と楓の姿が消えたの

4

ち、三人は話しながら下りて来る。合唱はすでにきこえない)
重政 あれが問題の子供かね。頑是ないもんだ。

重巳 なかなか好い男ですな。
重政 心配は要らないよ。ああして子供っぽいことを云ってるあいだは、阿里子も気を許し
てのひら
でやさしくしてやっているが、一度男が男の欲望を見せかけたら、掌を返したように残酷
になることはわかりきってる。あいつは、情慾というやつを許しておくことができないん


重巳 その点は俺も身にしみてるよ。
り︿つ
重政 あいつは雷や稲妻のきらいな子供のように、情慾というやつがきらいなんだ。理窟な
んてないんだよ。
千恵 子 それじゃ私の立場がなくなるわね、お父様。
重 政 お前さんは絶対の情慾と絶対の純潔との聞に生れた子でね。自分の出生を誇りにして
もいいと俺は思うね。(伊拙かれし如く)とにかく阿里子は、潔癖症の敏感な女のように、ど
んなイメ ージにも情慾を発見して、それを憎むというような 性 じゃないんだね。あれがも
れ他殺り
たちまつる︿さ
し夜のベンチで抱き合った恋人たちを見たとする。すると、そいつを忽ら蔓草にからまれ
さんど
た夕顔の花に変えてしまうんだ。男を求めている女は、日光を求めている暗い海底の珊瑚
と 海賊

に姿を変え、女を求めている男は、屋根の上できらきら廻っている金いろの風見の難に変
ってしまう。彼女のやさしさは、イメージに富んだやさしさ、イメージに変えてしまうや
な去なまが去
さしさだし、もし変えられない生々しいものが目の前にあらわれると、基を見たように、
蓄被

忽ちそれを踏み殺して、息の根を止めてしまうんだ。

重 巴 俺はそれじゃあ義姉さんの目にはどう映っているんだろう。
重政 まだ踏み殺されない墓だろうね。
重己 やれやれ。墓の世界は義姉さんの想像力のおかげで、だんだん侵略されつつあるんだ
な。そして兄さんは?
重政 俺か O i -
-
-俺は透明人聞に変えられたんだろうな、おそらく。
千恵子 そんなことより、あんな薄馬鹿が居候になるの、私困るわ。
4
17 重巳 短剣がどうとかつて君が言ってたね。
千恵子
8

そうだわ、いいことを思いついた。額聞から短剣を取り上げて、帝一さんに返して
4
1

やればいいのよ。そうすれば帝一さんはすっかり自信がついて、こんなところにびくびく
隠れている必要もなくなるでしょう。今度は額聞を家来にして、好きな冒険の旅にでも出
かけて行くでしょう。
きょうき
重政しかし額間という男も卑劣な奴だね。白痴を兇器でおどかして、意のままにしようと
いうんだから。
重巳千恵坊、あのカーテンを閉めてくれないか。ああいう毒々しい色を見ていると、俺は
にせもの

頭が痛くなる。贋物のメキシコはもうたくさんだよ。
千恵子 はい。(卜、カ ーテンを閉める)
(そのとき哨鍬が鳴る)

去か
千恵子きっと額聞が帰って来たんだわ。ここは私に委せてよ。食堂にお午の用意がしてあ

りまずから、お父さまも叔父さまも召上ってて。私、とにかくやって見まずから。
重政 大丈夫かい、千恵子。
重巳 この子はなかなか傑物だよ。安心して委せなさい。 きあ、腹が減った、 腹が減った。
俺はとにかく食堂行きだ。
(ト中央カ ーテンより退場。 つづいて重政も退場。千恵子上手へゆき、額聞を案内して来
る)
こんなことなら、 こちらへ伺う前に、 駅へ行けばよかったんだ。 しまったこと守﹁ Uた



駅へ行ったときには一足ちがしでしてね、汽車はもう出ちまった。(歯をシ l ッと云わせ
て)何たる厄日だろう。歯はだんだん痛くなるし:::。何たる厄日だろう。帝一さんの御
本家に対して合わす顔がありません。
千恵子氷か何かお持ちしましょうか?
額問 へ? 氷 ? ・
千恵子あの、歯をお冷やしになったら:::。
額 聞 い い え 、 い い え 、 も う 、 そ ん な 御 心 配 は ど う か Oi---又こちらへ伺ったのは、もしや
と 海賊

先生から帝一のことについて電話で御連絡でもなかったか、あるいは又、帝一がホlムを
まちがえでもして、汽車に乗れずに、すごすごこちらへ帰っていはしないかと:::。
千恵子 残念ですこと、何の連絡もございませんのよ。きっと 、私の想像では、先生が帝一
蕎被

さんを汽車に乗せて旅行へ連れてっちゃったんじゃないかと思いますの。
額 閉 そ うです。そりゃあ私の最悪の想像 と 一致しますわ。それで先生の御旅程をきかして
いただけましょうか?
千恵子あ、ここに持っていましたわ、丁度。(トポケ ットか ら畳んだ紙片をとり出し一示す)
額 聞 こ り ゃ あ、どうも。こりゃあ、どうも。(ト精子に掛け、自分の手帖に写しはじめる。文、
いた
頬を押えて)あ痛たた。あ痛たた。
千 恵 子 (うしろより手をのばし、頬をおさえてやる)ここですの ?
9
4
1
額 間 ゃ あ 、 冷 た い 手 を し て お られる。実に気持がいい。どうか、 そのまま 、そのまま。
千恵子 だんだん手が暖まって来ますわ。熱を持っていらっしゃるのね。
5
10

額問 (写しおわって 、紙片を返し)いや、どうもありがとうございました。あの子のおかげ
で、畜生、歯医者へ行くひまもありはしない。

千恵子 しばらくはあの人のことをお忘れになるのよ。そうすれば歯の痛みも止みますわ。
額閏 (つくづく千恵子を見て)いや、今気がついたと云つては失 礼 ですが、あなたは実にお
美 し い な 。 お 母 様似 で、お母様よりもっとキリッと して おられて。
千恵子 誰も私にそんなことを言ってくれた方はおりませんわ。

額問 世間は盲千人と申しますもの。
千恵子 先生は私がこんな普通の間的でお客様に会うのを許しませんの。頬っぺたを赤く染

めて、 ニッケル姫の衣裳を着て、誰も私のことを母より美しいなんて言わないように 、 用
心しているんですわ。
おやこ

額筒 女の嫉妬はおそろしい。母子の聞でもそんなだとはねえ。
千恵子 母はそれでいて母のことを美しいと思ったりする男が大きらいなんですって。そう
思わない男はもっと大きらいでしょうけど。
額聞 はあ 、 はあ、あり得ることですね。なかなかあり得ることだ。
千恵子 あなた 、私と 寝てみたい ?
額間 (椅子からとび上って)何ですって ?
千恵子 たださいてみただけ。男って妙に女と一緒に寝たがるんですって。よっぽど怠け者
なのね、男って。お父さまや叔父さまだって、しょっちゅういろんな女の人を呼んじゃあ
一緒に寝てるわ。そのシ l ツを取り換えるのは私の役なのよ。
額聞 いやあ、寒心に堪えない不道徳な御家庭ですな。
千恵子 でもお母さまは平気。お母さまは絶対に一人で寝るの。シ l ツはいつまでも折目が
残ったままなの。とても寝相がいいんですもの。
額聞 はあ、はあ。
千恵 子 私はね、恋にあこがれたことは一度もないんだけれど、情慾ってどんなものだろう
あこが
と 海賊

って、いつも想像したり憧れたりしてみるの。お父さまも叔父さまも、自分のことを情慾
の権化みたいに空想しているらしいけれど、大したことないって私思ってるんだわ。お母
さまがあんなに情慾を毛嫌いするにつれて、私それを途方もないすばらしいものに考えだ
ii
務吉富

したの。お父さまや叔父さまのなんか贋物だわ。情慾ってきっと大地震や大噴火や大空襲
みたいなものなんだわ。
額間 (献思して)それほどでもありませんですよ。
千恵 子 それはきっと真赤な色をした疫病の大流行のようなものなんだわ。町という町を押
し流す大洪水のようなものなんだわ。シ ー ツなんてその前ではハンカチにも足りはしない。
船を繰り出して山の頂きまで逃げて行かなければならないんだわ。
額聞 やれやれ、やっと気が紛れたと思ったら、また痛くなってきた。
51
1 千恵子 押えてあげる、私が。(ト額問のうしろに立ち、頬を押えたまま、船山ソつづげる。額問
その上から自分の手で押える)ごめんなさい、私地面に足の着いた着実な考え方をしようと
5
12

い つ も 努 め て る の よ 。 こ の 家 の 家 計 を 受 持 ち 、 お 料 理 や お 掃 除 も 一 人 で や り 、 平凡なそう
して情慾だけの男性といつか結婚しようと思っているの。婚約中、その男の人と月の晩に
こみち
散歩したり、朝の露ののこっている小径を歩いたりしたときに、もしその人がロマンチッ
クになって、恋を感じたりしようものなら、私いきなり養老保険のことを言い出してやる


額間意地悪はいけませんよ、お嬢さん。

千 恵 子 あ な た は 安 心 。 あ な た に は 意地悪なんかしないわ。ロマンチックなところがちっと
もないから。

額閉 そりゃあどうも御親切にありがとう。
千恵子 そして私の良人を鍛えて、情慾の専門家にしてやるの。その人が私のすばらしい疫

病、ごうごう音を立てる大洪水になるんだわ。
額閉 そんな男がいますかしら。
rgどろ
千恵子 あなたは大洪水っていうより、瀧泥っていうタイプね。でもあなたが帝一さんを意
のままに扱う態度を見ていると、どうしてなかなか立派なものよ。三十の男をああして支
配できるんですもの、あなたの手にかかったら、どんな女も猫みたいになるんでしょうね。
額閉 それほどでもありませんが・。
千恵子 どうやってああいう風に馴らしたの ? どんな女でも、猛獣使いみたいに馴らせる
んでしょう?私を馴らすことができて ?
額悶 帝一さんの場合は、このちょっとしたコツがありましてね。
千恵子 ど ん な コ ツ ? 教 え て よ 、 ど ん な コ ツ ?
額聞 いや、何のことはないこれなんですよ。(ト内ポケットから短剣を出してみせる)
千 恵 子 き れ い な短剣ね。それでどうするの ?
額問 これをね、(ト寸古抜いてみせ)一寸抜いてみせて、言うことをきかなきゃ殺すぞ、っ
ておどかせば、そこはもう子供同然ですから:・
と 海賊

千 恵 子 ま あ、すばらしいのね。あなたってすごくスリルがあるのね。一寸見せて。
額問 (手渡して)子供だましみたいですが、ちゃんとそれでも刃がついてるんですよ。
きれいな短剣。輸に欝薮の模様があって :::。
さやばら
千恵子
蓄積

(急に下手へ去る)
額問 (おどろいて立上り)あ ! お嬢さん ! そ り ゃ あ い け な い ! そ り ゃ あ い け な い !
(あわてて、うろうろ部屋を歩き廻り)どうしてあんなものを、:::畜生、色仕掛だな。だ
からこのごろの娘は:::、しかし、どうしてあんなものを、:::うん、こりゃあ、ひょっ
とすると・・・ 。
〆 (そのと・
・き下手から、短剣をかざした帝一と、とれに従う阿里子と幸恵子が現われる)
額問 あ ! ( ト 健巡る)
3
5
1
千 恵 子 帝 一さん、もう大丈夫よ。あなたは強くなったのよ。もう怖いものはないのよ。ぁ
の人を家来にし て
、 官険旅行へ出かけられるのよ。
5
14

帝一 額問、今はもう僕の命令をきくんだぞ。
額聞 はい、はい。
(額間あとずさりするとき、中央より重政と重巳があらわれる)
帝一 いいか、一寸でも命令にそむいたら一ト突きだぞ。僕はユ ーカリ少年で、正義の味方
なんだから。
額問はい、はい。

帝一 僕はもうここのお家にずっと住むことにする。
千 恵 子 何 ですって 、帝 一 さ ん 。 南 米 の 密 林 は ど う し た の ?

帝 一 そ れはあとでゆっくり計画を立てればいいんだ。
千恵子 まあ 1 ( ト重政のそばへ駈けてゆく)
(やさしく)先生、僕の部屋は二階でしょう。

帝一
楓ええ、あなたのお部屋を一つ作りましょうね。私と一緒にいらっしゃい。
帝一 うん。
ぼうぜん
(ト帝一が先に、阿里子これに従い、上手階段を昇って二階へ去る。一同呆然と見送る)
重政何ていうことだ。
千恵子 私の計算ちがいね。あんまり地面に足が着きすぎていたんだわ。
えせんどう
重巴ありゃあきっと義姉さんの煽動だよ。(千恵子に)君が庭へ出て行ったとき、二人は
何をしていた?
千恵子 池のへりに腰かけて二人で金魚を見ていたわ。二人の並んだ顔が、 池のなかにくっ
きり映っていたわ。
重政 金魚だって ?
千恵子 ええ、金魚ですわ。そして私が短剣を渡すと、あの人は王子様のような身振で立上
ったわ。
重巳 (額聞が自分のうしろに隠れているのに気づいて)何だってそんなところに隠れているん
車 と 海賊

です、いい年をしてだらしがない。
額問だってあなた命の瀬戸際じゃありませんか。(千恵子を臨んで)お嬢さん、大へんな・}
とをして下さいましたね。
5

千恵子 あなた、まだ歯が痛い?

額問 どっかへ吹っ飛んでしまいましたよ、そんなもの。
千恵子 ごらんなさい、私が治して上げたんだわ。
額閉 まあ怒っていても仕方がない。皆さんはまだ重大な事態がおわかりでないんだから。
落着きましょう。:::落着きましょう。:::いいですか、あの短剣は楓先生の童話に 出て
くるユーカリ少年の蓄額の短剣なんです。
千恵子 そうね、蓄額の模様がついていたわ。
5
額閏 よろしいか、私があの童話に出てくるのとそっくりな短剣を注文したんです。
5
1
重巴それで?
5
16

額問あの話に出て来ましょう。彫金の蓄薮を鞘につ砂た、そして慨に赤い目玉のようにル
ピ ーを二つはめこんだ秘宝の短剣。・::あれに帝一が夢中になりましてね。あの話ではユ
ーカリ少年は不死身なんですが、自分の持っている蓄議の短剣がもし人手に渡ると、その
短剣でやられたが最後、命が危ない。しかし自分で持ってる限り、とりゃあ万能の武器で、
槍でござれ鉄砲でござれ、短剣一つではね返してしまう。
重巴 あんたが童話の話をすると、なんだかいかにもそぐいませんね。

額問お願いだから、御静聴下さい。その短剣の話に帝一が夢中になったので、私は一策を
思いつきましてね、そのとおりのやつを注文したんです。危ない手ではあるが、あの子を

思うままに扱う手はこの他にはない。さて、注文の短剣が出来て来ました。帝一の喜びよ
う と 云 っ た ら ! 私 は わ ざ と そ れ を 渡 し て 、 カ ー テンを切ったり、壁のカレンダーをバラ

バラに切ったりしてもほっときました。そのうちに帝一はすっかり自分をユ ー カリ少年だ
つぽ
と思うようになったんです。短剣のおかげでさあね。さてそれからはこっちの思う壷で、
aと
'
ある晩あの子の眠ってる隙姐+に、こっそり沓磁の短剣を取り返し、 :::それ以来、私はあの
子の意志を左右できるようになりましたんで。全く馬鹿は馬鹿でも、命を惜しがることだ
けは一人前でね。
重政そこまではわかったが、たまたま短剣が帝一君の手に戻ったからって、あんたがそん
なにびくびくするのがわからんね。
額聞いいですか?私のは只のおどかしだが、一度あの子の手に入ったら、それこそ俗に
云う気違いに刃物で、人殺しは天下御免なんですよ。あの子は人を殺したって罪にはなら
ん。なにしろ法律上、刑事責任能力がないんですからね。
重政しかし大人しそうな青年じゃないか。むやみに人殺しはやりますまい。
額間あなた方は精神病理学になんて疎いんでしょう。大人しそうだからって、次の瞬間は
わかりやしません。まあ、ユ ーカリ少年は正義派だっていうから、何の怨みもないあなた
方は御無事だろうが、問題はこの私ですよ。楓先生の童話にあるとおり、眠っているユー
と 海賊

カリ少年の枕もとから蓄額の短剣を盗み取った私は、つまり海賊ってわりですからね。そ
れ以来、今まであの子は海賊の停になってたわけですからね。短剣が手に戻った今じゃあ、
あの子は海賊を殺すことになるんです。

重政なるほど。そりゃあ御心配だろう。

額 閏 お 嬢 さ ん 、 あ な た を お 怨 み 申 し ま す よ 。 ζ こまで何とかやって来るまで、私がどれだ
けの苦労をしたか。(ト泣き出す)あの子を思うままに扱えるようになるまで、私がどれだ
け辛酸を祇めたか。
千恵子まあ海賊が泣いちゃおかしいわ。
額 閏 ( 大声をはりあげて怒る)冗談を云っ てる場合じゃないった ら ! と ん ち き に も 程 が あ
る。一体何度云ったらわかるんだろう。(この見幕に押されて一同シンとなる)大体がです
7
よ、短剣の手を考えるまで、私がどれだけあの子に手こずったか。御本家からあの子のお
5
1
58

世話を仰せつかってもう十五年、そのあいだ一度だって私は安き心地をしたことがありま
1

せん。はじめは甘い手で出ました。何とかなつかせようと思ってね。ところが恩知らずの
あの子は私が嫌いなんだ。どこまで行っても、とことんまで私が嫌いなんだ。その聞の私
の苦労を察して下さいよ。御本家じやその代りに、私に大枚の給料を下さってる し
、 いず
れはあの子の取分の財産も私に下さることになってるのが、:::もしこのままあの子が私
の手を離れるか、それとも私を殺すかしてごらん、十五年の苦心は水の泡なんだ。
千恵子 (やっとシンミりして)私、すまないことをいたしましたわ。

額間(怨みがましく)情慾だの何だのって、私をたぶらかして 0
・::そういうことは帝一の
Bっしゃ
ところへ行って仰言ればいいこった。あの子なら涼しい顔をしているでしょうよ。

重政(心配そうに)帝一君はまるで情慾に興味がないという風にきこえますな、あんたの言
うことをきいてると。

額間 (はっきりと)あの子には性慾というものが全然ないんです。
重 巴 ど うし てわかる。
額問 立派なお医者様がちゃんとそう言ってます。
(かなり長い間│ │。重政と重巳と千恵子は 三人三様に、この額関の証 言で、深刻な衝撃を
受けたのである)
額問 (突然、取り組らんばかりに)どうぞ私を助げて下さい。命の危険から救って 下さい 。
おねがいですから。私のために皆さん力をあわせて 、 あの子から短剣を奪い返して 下さい 。
それまでは私、めったにあの子の前へは顔を出せませんから、どうか戸棚でも押入れでも
何でもよろしいから、私をかくまって下さい。あなた方にはそれだけのことをして下さる
義務がありますぞ、義務が。早く私をかくまって下さい、さあ早く。
千恵子こちらへいらっしゃい。(ト額聞を伴って中央カーテンより退場。このとき再び﹁月のお
庭﹂の合唱起る。あとに残された男二人は、何事かを考えあぐねている様子、おのがじし煙草を
吹かし、下手大窓下の長椅子の両端に腰かける。次のセリフのはじまると共に、合唱かすかにな
り、止む)
と 海賊

重政(考え込みつつご
}:::もう安心しては
重巳(考え込みつつ)﹂
重政もう安心だと君は言うのかい。
蓄猿

重巴ばかだな、兄さんは。もう安心しちゃいられないだろう、と俺は言ったのさ。
重政誰が?
重巴兄さんがさ。
重政君はどうなんだ。
霊巳俺は別に:::。
重政ふん、そんなものかね。
かえ
霊巴十五年も離れていたんで却って、兄さんと俺とは、学生時代の兄弟みたいなところが
9
5
1
あるな。俺には兄さんの考えていることが一から十まで分るよ。:::全く妙だ、兄さんは
嫉妬してる。
6
10

重政そうだとしか思いようがないんだよ、俺も。
ふ が
重巳相手は欲望を持たない人間だ。世間の標準で云ったら、 一等安全な、 一等腕甲斐のな
い蕊似がが ・


・・


重政俺たちにとっては一等強力な、絶対不敗の恋仇っていうわけだ。
霊巳そういうことになるわけだな、論理的に。やれやれ全く大した論理だよ。
重政俺は結婚してこのかた、一度もこんな妙な気持になったことはないね。
柑l

重巳そりゃあそうだ。兄さんの結婚このかた最初の出来事が起ったんだから。さっき番議
の短剣をかざして、帝一が階段を上ってゆき、そのあとから胸をそらして、制割問川さんが階

段 を 上 っ て 行 っ た 。 あ の 瞬 間 を お ぼ え て い る か い ? あれは目ざましい不貞だった。義姉
さんが一度もやったことのない不貞だった。それこそ童話の中の一場面のような、見事な
おそ

花やかな、怖ろしい瞬間だった。われわれは当り前のことを見るように、口をあけて、ぼ
んやり眺めていた。二人は手をたずさえて、どこへだと思う、兄さん、寝室へ上って行っ
たのだよ。
(重政、思わずカツとして立上り、階段のほうへ行こうとする。重己、これを引止める )
まあ、待てよ、兄さん、顔色を変えてどこへ行くんだ。いいかい、あいつには欲望がな い
んだぜ。
(重政、又ガックリと椅子に腰を下ろす。││間)
そんなら俺も白状するよ。外国からかえって来て義姉さんを見たときは、その若さとみず
みずしさにびっくりして、俺も一寸気持が動いた。しかし抑えられないというほどじゃな
かった。そのうちに兄さんの告白をきいてびっくりして、その上妙なことをたのまれた。
俺は二十年前、あの役目を兄さんに委せたことを今になって痛切に後悔した。その後悔を
今取り返そう、俺なら:::というので、大いに気持が動いた。しかしこれには、ずいぶん好
,、,
dum P
奇心や博爽もまじっていた。だから失敗したあとも、負け惜しみじゃないが、大してがっ
かりもしなかった。
と 海賊

・:だがね、今だよ、今、俺は義姉さんを本当に好きになったのじゃないかという気が
する。今額聞の証言をきいて、さっき階段を上って行った義姉さんを思い出すと、あのと
きの義姉さんは実に美しかった。威厳とやさしさに充ちて、誇りと情愛にかがやいて、
E蔽

.:・俺はあんなに美しい阿里子さんを見たことがない。
おんなふたど

童数恐れ入ったな。君は俺と同じことを考えていたんだな。われわれ兄弟はまるで双生児
のようだ。
重巳 さて、俺たちはどうすればいいのか、これからゆっくり考えよう。
重 政 ( カ ーテンを一寸あけて庭をのぞき)月のお庭か。この庭作りにあいつは精魂を傾けた。
俺はしらん顔をして見すごしたんだが・ .
重巳 (自分ものぞいて)俺もこの庭がきらいだった。俺はいつも自然を愛して来たのでね 。
1
というより、そのつもりで来たのでね。しかしこの庭が阿里子さんの中の自然なのかもし
6
1
れないね。
62
1

重政 歩いてみるかな、一度も足を踏み入れたことのない我家の庭を。
(重巳うなずいて、重政と共に、下手へ去る。入れちがいに上手階段より、阿里子と帝一が
下りてくる)
楓 誰 も い な い わ 。 み ん な ユ ー カリ少年の威勢におそれて逃げてしまったわ。
帝 一 油 断をしちゃだめだよ。海賊はテーブルの下とか、戸棚のかげなんかに、よく隠れて
ねずみ
いるものなんだ。鼠みたいにね。

(ト椅子やテーブルの下などを、床に伏してよくしらべる)
楓 あの部屋、お気に入って?

帝一 大好きだよ、先生。
楓 先 生 っ て 言 っ ち ゃ い け ま せ ん 。阿里子と仰言い。

帝一 大好きだよ、阿里子。
楓 ( 慨先んで)そう。
帯一 (立上って)もう大丈夫。
楓 海賊はいなかった?
帝一 うん、いなかった。
楓 (カーテンをすっかりひらき)お庭を見ながら、ゆっくりお話をしましょうね。(何事かを
庭に見出して)まあ !
帝一(近寄り)どうしたの?
楓うちの主人と主人の弟とが、一度も入ったことのないお庭のなかに::。
帝一うん、(とのぞいて)でもあの人たちはいい人だよ。ニッケル姫がそう言ってたもの。
あの人たちが一緒になって、短剣をとりかえしてくれたんだって。
楓あの人たちは海賊じゃなくて?
帝一うん、海賊じゃない。害のない動物で、羊や牛みたいなものなんだよ。
楓(微笑んで)害のない動物:::。それじゃ、私たちは無視していられるのね。
と 海賊

(再び﹁月のお庭﹂の合唱かすかにき ζゆ)
帝一(微笑んで)﹁月のお庭﹂の歌だ。
楓﹁月のお庭﹂の歌だわ。私のこしらえた歌よ。

帝一えらいね、阿里子、君が一人で作ったんだね。

楓うれしいわ。それをあなたのように、そんなに力強く、そんなに素直に褒めてくれた人
はいなかったわ。
帝一ねえ、何して遊ぽう?
楓何して遊びましょうね。(いろいろと考えて)トランプ知ってる?
帝一知ってるけど、遊んだことない。
楓教えてあげましょうね。(ト戸棚 へとりにゆ く)
帝一(だんだん勝利の快感に酔って)ねえ、僕たちは勝ったんだね! 勝 っ た ん だ ね !
6
13
楓 ( か えって来てトランプを切りつつ)ええ、もう怖い人は一人もいないのよ。
6
14

ばら
帝一 (トランプを無視して)僕はやっと勝ったんだ。ニッケル姫が審議の短剣を返してくれ
たとき、僕はきっと自分が近いうちに王様になることがわかったんだ。地球ばかりじゃな
くってあらゆる星の。
楓(トランプを切るのを やめて、夢みるように ・
::)あらゆる星の、そうして月の。
帝一(部屋の天井を見上げて)この家は船なんだよ。船なんだよ。僕たちは海賊船を占領し
たんだ。そうして僕たちの王国へ紬先を向けたんだ。帆が風にはためいている。きこえな
かもめはばた

い?きこえない?白い何百羽の鴎が一せいに羽縛いてるようなあの音が。
楓 き こ え る わ。

帝 一 僕 た ち の 航 海 がはじまったんだよ。
楓 ああ、いつまでも私たちの航海がつづけばいい !

帝一 つづかないよ。すぐ終るんだよ。
楓(不安げに)え?すぐ終る?
帝一 終るさ ! だって一度帆を上げれば、王国はもう近いんだもの。
楓私にとっては王国がとても遠くて、いつまでも航海がつづくほうが仕合せなの。
帯一 (決然と)だめだ ! 王 国 が 待 っ て る ん だ も の 、 急 が な く ち ゃ 。 僕 は 王 さ ま に な る ん
だ。地球ばかりじゃなくって:::
個個}あらゆる星の、そうして月の。
帝一 ﹂
楓 ( ト ランプから一枚を抜き出して)ここに王様の地があるわ。
ひげ
帝一 (手にとって)ゃあ、髭が生えているんだね。(あごをなぜて)僕も髭を生やさなくっち


楓 そ れ は 年 を と っ て か らでいいのよ。
帝一 (のぞき込んで)ある?王妃様の札ある?
と 海賊

楓 あってよ。
帯 一 (うけとって)ゃあ、ずいぶん怖い顔をしているんだなあ。
楓 そ れ も 年 を と っ て か ら の顔なのよ。
蕗蔽


市一 僕たち、:::(不安げに)年をとるの?
楓さあ、:::あなただけが年をとらないで、私がとったら:::。
帯一 (打消して)うそだよ。うそだよ。僕が年をとらなければ、君も絶対に とらないんだ
ι。

(涙をにじませて)ありがとう。

掴一
帯 テ lプルに置いた札をひろげて)これ何の札?
(
楓それ?それはジヤツク。
5

帝一 ジャックつてなあに ?
6
l
家来のことよ。
6
16


悔一
帯 僕の家来はマフマフなんだ。マフマフの札ある ? トけんめいに探す
楓マフマフの札はないわ。
帝一 つまらないな。今度マフマフの札も作ってやろうね。(ダイヤの札をつまみ出して)こ
れなあに?
繊それはダイヤ。ダイヤモンドょ。あなたの王国にいっぱいあるもの。山のはざまがきら
き ら 光 る の が 遠 く か ら 見 え て 、 そ こ へ 夕 日 が さ す と きには、真赤な花が咲いているように
やみ

見えるんだわ。夜も月を映し、山肌が閣の中で死んだあとにも、いつまでも眠らずにまた
たいている沢山の目がそれよ。しかもその目は余計な醜いものを映さないで、ただお日様
と月と星と、せせらぎの水あかりだけを映すのよ。
帝一 (ハ ートの札を示し)これは?

観 ハl トよ

帯一 ハl ト って ?
楓 心 臓。(わが胸をさし)ここにあるもの。
帝一 (わが胸を押えて)ここでチクタク、時計みたいに動いているものがハ l トだね。
ガラス
楓 で もそれは冷たい鉄と硝子の時計じゃなく て、熱い血と肉でできた時計なの。
帝一 それじゃその時計、生きているんだね。
組 そ う 、 生 き て い る 時 計 。 で も 早 く な っ た り 遅 く な っ た り す る 。 時 を し ら せ る 時 計ではな
くって 、 心 をしらせる時計ですから。
帯一 ボンボンって鳴ったりする ?
組 鳴 る 代 り に 、 と き ど き 叫 ぶわ。
帝 一 叫 ぶのが耳にきこえる?
楓 よくき こえるわ、耳が裂 け るほど。
帝一 夜 、 屋 根 の 上 を時叩いてすぎる鳥みたいに ?
ええ 、 それから 山 の遠くで暗く狐みたいに。
きつね

帝 一 叫 ぶときって 、 辛いから叫ぶんだね。
つら
と 海賊

楓 時には、嬉しいからよ。
-
hh にb
帝一 僕の時計は段れているのかしら。(俄かにしょげて)ねえ、ちっとも叫ばないよ。僕は

5

その生きている時計が叫ぶのをきいたことがないんだよ、耳も裂げるほどの声で叫ぶのを。
チクタク 、 チクタク、それだけだ。ほかには 何 もき こえない。

楓 毅 れ て い は し な いわ
。 (
やさしく)毅れていはしないわ。
帝一 どうしてそれがわかる ?
楓 あなたの耳がまだ聴き俳れないだげなんだわ。
帝一 僕の 耳 は雷を聴くよ。夜汽車の汽笛を聴くよ。壁のなかで こそ こそ動いて いる鼠を聴
かたつむり
く よ 。 笹 の 葉 の 裏側 を歩いている蛸牛の音だって聴くんだよ。
7
楓 その夜汽車の汽笛ときこえたものが、あなたの時計の叫びだったのかもしれなくってよ。
6
1
どうれ?(ト帝一の胸に耳をあて):::ほら ! 叫 んでいるわ。おききなさい。 叫 んでる。
6
18

帝一 きこえないよ。阿里子のは?(ト阿星子の胸に耳をあて)今、叫んでる ?
組 ええ !
帯一 チクタクが早いだけだ。僕にはきこえない。どうしてだろう。僕にはきこえない。
楓 安心 していらっしゃい。今にきこえるようになるのよ。
(右のお互いの胸に耳をあて合うあたりから、上手玄関口より、セリ子とチ リ子登場。じっ
と二人の様子をうかがい居り、﹁今にきこえるようになるのよ﹂のセリフで、顔を見合せて

吹き出し)
セリ子 まあ、先生お安くないのね。
w

チリ子 おどろいちゃつた。先生って相当なもんね。
楓まあ、あなた方来ていらしたの ?

セリ子 ごめんなさい。お玄関があいてたもんだから、そのまま。
チリ子 いつも先生、 この。
AJ

在を我家と思って頂戴、って言って下さるでしょう。お言葉に甘
えて 、 ついそのまま。
楓 (帝一を気にして)帝一さん 、 きょうはいろんなこ とがあってお疲れでし ょう? 私、今
ひるね
お客様だから、二階で一寸お午寝をなさったらいいと思うのよ。
セリ子 いいじゃないの、先生、 この好男子と私たちも少しお話ししたいわ。
チリ子 心配なさることないのよ。先生ってやきもちゃきね。
楓 ね、帝一さん(じっと見つめて)お午寝の時間ですのよ。
帝一 (じっと阿里子の目を見つめて )うん。(忽ち身をひるがえし て、 階段をかけ昇り二階へ去
る)
セリ子 まあ、よくお馴らしになったもんね。
チリ子 言うことをよくきくのね。大きな坊やみたいね。
セリ子 全く先生も隅におけないわ。
チリ子 おかげで私たちまで肩の荷が 下 りるみたいだわ。

楓 宅と重巳さんは今お庭にいるのよ。

と 世

セリ子 めずらしいのね。重 巳 さんも ?


チリ子 あの人いつもこのお庭大きらいだって言ってるくせに。
議 今呼びますわね。(ト下手大窓より呼ぶ)あなた 、 セリ子さんがいらしたわ。重巳さんに
事E 夜

もチリ子さんがいら したって。(しかるのちカーテンを閉めてから、女二人へ向き直り)今ま
いりますわ。お掛けになってね。お茶をもって来ますから。(ト トランプを片附けてのち、
正面カ ーテンの内へ去る)
(女二人、精子にかけて待つ。ゃゃありて下手より、重政、重巴登場)
セリ子 マアさん ! (ト重政に::
・)
チリ子 ト
ミイさん ! ( 重巳に抱き つく)
9
重政 うるさいな。(トセリ子を :::
)
6
1
重巴 ょせよ。(トチリ子をつきの付る)
7
10

セリ子 へえ 、御機嫌斜め なのね。人が折角日曜の昼日中から来てあげたっていうのに。


チリ子 ふつうなら私、車で迎えをくれる人じゃなければ、日曜日にわざわざ出かけたりし
ないのよ。
セリ子 どうなすったのよ、へんねえ。そんな顔つきで私をじろじろ見たりして。
チリ子 今日来てみるとここの家の空気、全然異常だわ。
セリ子 今だって入って来れば、あの堅人の先生が若い男といちゃついてるし :::

重政 え? い ち ゃ つ い て た ?
チリ子 ええ 、見事に抱き合ってたわ。
(重巴に)それじゃあやっぱり:::。
叫市
重政
セリ子 やっぱりどうしたのよ。寝ぼけてらっしゃるのね、あなた。
ιu

チリ子 燈台下暗 しっていうわよ、マ アさん。




重 巳 ( 怒声)おい ! 知加減にしたらどうだ。
チリ子 好加減にしろとは御挨拶ね。
セリ子 私たちを何だと思ってるのよ。
重政 さあ、もう大 人しくとっとと帰ってくれ。俺は今日気分がわるいんだから。
セリ子 まあ、そんなつやつやした顔をして。
(四人臨み合い。このとき何里子がお茶を持って入ってくる。卓の上にお茶を置く。四人沈
獄。
セリ子 (突然茶碗をはねとばして)先生、もうそんな猫っかぶりは沢山よ。何も楓先生に運
んでいただいたお茶をありがたがって飲まなくったって、喫茶庖へ行って五十円出せばち
ゃんとした瑚排が飲めるのよ。

(重政、セリ子の頬を打つ、セリ子、ヒイと泣く)
チリ子 (重巳に)いいわよ。私をぷてるものならぶって御覧なさい。私だってそのくらい
のことやれるんだから。(ト自分の茶碗をはねとばす)
と 海賊

(重巴、チリ子の頬を打つ。チリ子、ヒイと泣く)
(泣きながら)セリ子さん、もうかえりましょうよ。こんなところへ二度と来るもんですか。

セリ子 (涙を拭って奮い立って)言いたいことを言わなきゃ帰れないわ。先生に言いたいの
AMh

E

ょ、私。あなたって同性に対して思いやりが全然ないのね。私たちがこんな目に会ってる

のをよく平気で見 ていられるわね。
楓平気って、泣いて同情しなければい叫りません?
うちのんき
セリ子 そ れ な の よ 、 先 生 の 冷 た さ ! 私たち今までこの家に、呑気に好き勝手に出入りし
ていて、今までその冷たさに気がつかなかったんだわ。私だってあなたの御主人から、御
夫婦の風変りな事情をきいていなかったら 、こうまで厚かまし く出入りしていや しません
わ。そのうち、││私よっぽど甘く出来てるんだわね、ーー先生をお姉さんみたいに思っ
1
て、先生のいやなことを私が引受けて、お手助けをしてるぐらいの気持になってたんだわ。
7
1
︿や
今思い出すと口惜しいけど。:::あなたってそのあいだ、好機を狙っ て、じっと 爪をとい
7
12

でいたんだわね。
楓 私、爪をといだことなんかありませんわ。
ねえ
重巳 義姉さん、取合わないで。
チリ子 (重巳を押しのけて)余計なお世話よ。(阿里子に)私だって言わせてもらうわ。セ リ
子さんと私は、いわばあなたが 御自分 でこしらえた不自然な生活が こわれるのを 紡い で、
あなたを守っていてあげたんじゃないの。それをこんな目に会わせるなんて、恩知らずに

も程があるわ。私たちがいなかったら、あなたの御自慢の不自然な ﹁
純潔﹂ は、こんな締
れいごとはず
麗事ではすまなかった筈だわ。
帯 ,
eAa り
楓 締麗事?私はそんなものをこの家に求めはしませんでしたわ。求めていたら、あなた
方をはじめから家に入れてやしません。
セリ子 まあ、ずいぶん御挨拶ね。あなたは一人の身勝手な﹃純潔﹄を守るために 、盛沢 山

の不潔な猷即聞が、どうしても必要だと思ったわけね。譲歩して、そうして利用して :::。
楓 あなた方にはわからないのよ。最初からお城を 明け渡し、その後は淫蕩の波に乗って、
波のまにまに漂って来た人には。人生については、 私
、 今更あなた方に教わろう とは思い
ません。こうして童話を書いていますけれど 、私はあなた方とはちがって、ついぞ 人生に
夢を抱いたことなんぞないんです。直視して 、そ う ですわ、直視 して 、時には譲歩 し て、
そして利用するんです。女は純潔を守るためには淫蕩な生活をするよりも、百倍も 千倍も
かんち た
好智に長けていなくちゃなりませんのよ。
セ リ 子 勝 手 な熱をお吹きなさい 、 あなただってどう せ贋物なんだから。結局は私たちと 同
hu"νb
M'
じ穴の猪なんだから。私が今まであなたの ﹃
純 潔﹄ と云うときに、その純潔という言葉を、
いちいち括弧に入れて発音していたのを御存知 ?
お嬢さんの千恵子さんが出来たいきさ
つは ・

・・。


重政おいおい!
セリ子もう隠すことはないでしょう。重政さんからちゃんときいていますわ。あなたはそ
と 海賊

れ以来、破れた純潔を後生大事にしてるわけなのね。何て偏屈な意地の悪い考えでしょう。
楓破れた純潔でも純潔には変りがありません。それはどのみち私の意志でそうなったこと
じゃなかったんですから。
ふ︿しゅう

セリ子 あなたの結婚は詐欺だったんだわ。あざとい復讐 の手段だったんだわ !


いいえ、純潔を守る略一つの方法だったのよ。


おもちゃ
セリ子 毅れた玩具を大切にする唯一つの方法だったっていうわけ ?
楓鍛れない玩具は誰も大切にしますわね。そして毅れれば捨ててしまうだけ。私はそうじ
ゃなかったの。私だけはそうじゃない。失ったあとではじめて、徐々に、おぼろげなもの
がだんだんはっきりと、私にはわかつて来たの。純潔の大事な意味が 。自分で持っていた
-
ebe
あいだは気のつかなかったその意味が、尊さが、聖らかさが。
7
13 セリ子 空疎な無駄な考えに、二十年執着していらしたんですわね、先生。
しれん
楓ええ、私のほかには誰も試してみたことのない試煉でしたの。
7
14

セリ子駅将炉女ね。後悔して、そうして一度で備官づいたんだわね。
編後悔なんか一度もしません。

チリ子後悔しない人がどうして・:
楓私はそのたった一度の思い出を大事にしたんです。
重政ああ、阿里子 1
楓(鋭く)誤解なすっちゃいけませんわ。私がそれを大事にしたのは、自分のために、自

分の考えのために、だったんですもの。
セ リ 子 こ の 人 の 世 界 に は こ の 人 一人っきりしか住んじゃいないのよ。私たちの世界には女
有F

たちゃ男たちが、それこそ大ぜい、色とりどりの硝子玉をテーブルの上にちらかしたみた

チリ子 私たちには孤独なんでありはしない 1
楓そうでしょうよ、裸でいるときはね。でも着物を着るとすぐ孤独が来ます。二人乗りの
自転車はあっても、二人で着られる着物はありませんから。
セリ子しょっちゅう着物の取り換えっこをすればいいんだわ。
あかにお
楓垢の匂いと孤独の匂いのしみこんだ着物をね。
チリ子 あなたは心の中じゃ淫蕩の偉大さを認めたくってうずうずしているくせに。
狙ええ、認めますとも。淫蕩は偉大だわ、あなた方のお民のように。
セリ子 小さな情ないおっぱいしか持つてない女の雪一口いそうなことね。
しわも
敏が寄るまでもう十年と保たない肉のことなんか言うのはおよしなさい。ああ、肉。私
個 はその言葉に自分から進んで屈服したことは一度もなかったんです。これからだってない
でしょう。それもあの怖ろしい血みどろな洗礼のおかげでしたわ。あれがなかったら、
:::私はもう屈服していたかもしれないんです。
チリ子 慌のいい逃げ口上ね。
重巳 さあ、好加減にして帰ってくれ。俺はもう我慢がならん。(ト頭をかかえて下手へ去
と 海賊

る)
チリ子 誰がこんなところにぐずぐずしているもんですか。居るだけ無駄よ。セリ子さん、
かえりましょう。
奮吉富

セリ子 言うだけ言ったから胸がすいたわ。かえりましょうよ、チリ子さん。(ト帰り仕度を
ひとこと
しつつ)重政さん、一言だげ言っとくけど、あとで泣きを入れてきたって、もうだめよ。
(ト二人上手玄関より去る)
(重政と阿里子、黙然と腰かけている。可成長き間)
霊政やつらは帰ったと。:::なあ、阿里子、俺があいつを追っぱ らった意味はわかつてく
れるだろう。
揖 いつものようにお飽きになったんでしょう。
7
15 重 政 さ あ 、 本当のところ 、飽 きが来ているとは云えないね。
楓 それじゃあの人たちを呼び戻しましょうか。
7
16

重政 呼び戻してどうしようというんだ。
績 だってあなたはお淋しくなるでしょう。
重政 俺はもう既に淋しいんだよ。
楓 いつもあなたがお淋しくならないように、私が気を使っているのを御存知でしょう。

重政 もうそういう気づかいはすっかり止めてほしいのだ。
織 あなたのような方が 、 好 ん で 淋 し さ を お 選 び に な る の ?
重政 俺にはもう片手間のたのしみとか 、慰み事とかいうものは要 らないんだ。

徳 真剣なたの し み、真剣な慰み事、ああ、そんなことができるのは子供だけですわ。
重政 俺が今多分欲しいのは 、 苦悩とかいうものなんだろう。

楓 私たちは苦悩を置けて来ましたわ。それはいいことだったんですのよ。おかげで私たち
は枕臨の砂をはっきり見わけられる透明な水の 中 で暮したんですもの。少くとも私たちは

盲らになったりはしませんでしたわ。
重政 しかし今俺はどうやら 、自分を盲らにするようなものに行き当った気がするんだよ。
│ │問。楓突然立上る)
(
ぁ、 どこへ 行 くんだい ?
織 が叩材をと り に。(卓上にこぼれし茶を示し)そ れと もこ れが乾くまで待ちますの ? (戸棚
から布巾をとり出して拭きながら)今、あなた、どこへ行くんだい ? ってお訊きになった
のね。
重政 ああ、 :
繊 そ んなことをお訊きになるの、何て久し振りでしょう。
重政 俺は突然君が立上ったとき 、ギ クリとしたんだ。どこへ行くのか、と。
はず
楓 私 の行くところは決っていて 、それ を よ く 御 存 知 の 筈 の あ な た な の に 。 よ く っ て ? 私
がこの世界でいる場所はたった三つ。一つは妻や母としてこの家庭の 中に 。一つは童話作
家として机のそばに。一つは女として、あなたのいわゆる﹁神聖な純潔﹂という固い貝般
と 海賊

の中に。
重政 あの男はそのどこの場所にいるんだ。
楓 あの男って?
務 菰

重 政 : : :帝一君だよ。
楓 (微笑して)あの人は私たちの 世界 にはいませんわ。どこかちがう星に住んでいるんで
すもの。どんなに顔を突き合せて話していても、あの人は遠くにいるんです。あの人の存
在そのものが一つの距離なんですわ。そうしてその距離をつづめようとしたりしない限り、
どんな遠くからでも、無線電信のような会話ができるんですわ。特別の言葉を使って。
霊政 君はもうわれわれ共有の言葉には嫌気がさして来たんだろうか。今こそ俺がその共有
十,“ v
の言葉に必死に槌りつこうとしている時に。
7
17 組 私 た ち の 共 有 の 言葉はまだまだ役に立ちますわ。お食事とか、挨拶とか、小さな慰め合
いとか 、 お天気のことを話すときとか 、 とにかく生きてゆくには必要な言葉ですわ。
7
1邑

重政 その言葉では 、 愛 情 と か 情 熱 と か 嫉 妬 と か、そ ういうものは語れないというんだね。


りんごたちま
楓 ええ、必ず 別 の汚ない意味がまじりますから。 白 い林檎の切口のように、忽ち赤い錆い
ろ に 変 っ て し ま い ま す か ら 。 世 間 で は そ の 赤 錆 い ろ を 、愛情とか情熱とか呼んでいるんで


重政 君の二 十 年間と・さしたままの氷が融けかかっている、と思わないか。
楓 決してそんなことはございません。第一それは氷じゃないんですもの。
俺はひろい場所は望まないよ。脚甘い、小さな場所でいいんだが、又俺は君の世界の中

重政
へズカズカ入って行って、そこに住みたくなって来たんだ。

楓 ずっと住んでいらしたくせに。
重政 からかっているんだね。そうだろう ?

(このとき下手より重巳あらわれ、二人の様子をうかがう。さて忍び足で、舞台端をすれす
れに通って、阿里子に気づかれぬように、階段を上り、二階へ去る)
楓 で は は っ き り 申 し ま す わ 。 私、 ず っ と こ ん な 風 に あ な た と 二 人 き り で お 話 す る の を 避 け
て来ました。あなたも避げておいでになった。そう し て二人とも幸福だったんですよ。
蒙政 実に奇怪なことだが、幸福だった。それはみとめる。しかし今や幸福ではなくなった
んだ。
楓 余計なことをお考えになるからだわ。
重政 魔法が解砂たんだ。俺は君を、君はじめこの一家をがんじがらめにしていた童話の魔
法から解きはなすよ。
組そんなことがおできになれて?
重政 俺は無為徒食の生活をやめて、立派な良人になるだろう。俺は働らくだろう。君は会
社の箪に乗って 出 かける俺を毎朝見送るだろう。
楓 ::
そうして ・ ・

重 政 創 作 と 詩 の 悪 夢 は こ の 家から追い 出され、台所と 家計簿と健全な交際が支配するよう
と 海賊

になるだろう。
楓 健全な交際って何 ?
重政 奥さん方との術合だよ。
タラプ

楓 婦人読書倶楽部 ? 婦人株主倶楽部?

E

重政 会一一日句に詰って)うん。
楓 生花の指導会?料理講習会?
重 政 : ::うん。
楓 名 曲 鑑 賞 会 ? 婦人講習会 ? それからポ ーカーの 集 ま り ? 自 由 婦 人 連 盟 ?
重政ああ!
楓 結 構 だ わ 。 結 構 だ わ 。 そ う い う 理 想 的 な 生 活 の 夢 が 、 あ な た が お 働 らきになることから
7
19 実 現 す る ん で す も の 。 そ う し て あ な た の 日 曜 日 の 芝刈 り ? ア メ リ カ 風 の 生 活 ? た の し
い人生探究?
8
10

重政 もういいよ。もういいよ。俺はそんなことを君に強いるつもりはない。
楓 女として、純潔が大すきな私にも、一つだけ、一つだけよ、今まで誰にも言わなかった
特殊な好みがありますの。
重政 何だい。:::言ってごらん。
楓 私、何も働らかない男の人が好きなんです。
(これにて重政ギャフンとなる。そのとき、二階でパタパタと足立国きこえ、短剣をかざした
結│

重巳があらわれ、階段の途中に立止る)
すき
霊巳 (怒鳴る)取り返したぞ、短剣を!あいつの眠ってる隙に、取り返したぞ !

ぼうぜん
(これにて重政、阿里子、呆然と立上り、中央カ ーテンより、額間と千恵子あらわれ、額聞
は重巳へかけよる)

額悶 ありがとう ! ありがとう ! (ト短剣をうけとり)これで助かった。これで元に戻つ


た。これで万々歳だ。
(重巳、阿里子の顔を見ず、舞台正面奥へ進み、千恵子のそばに立つ)
(悲しげに)帝一さん !

あわ
(階段上に、憐れな帝一の姿があらわれる。階段を下りようとして、階段下に短剣をかざし
ている額聞の姿を見て色欝ざめて立止る)
今は私は何も言わない。今度のことは今度のことだけにしてあげるから。いいですか。



今後こういうことがあったら、只じゃおきませんよ。下りていらっしゃい。(ト短剣を内ポ
ケットにしまい、なお手を内ポケットに入れたまま、あとずさる。帝一、無言でおずおずと下り
てくる。下りきったとき)さあ、皆さんにさよならをお言いなさい。さんざん御迷惑をかけ
たお智ぴを言うんです。さあ !
帝一 ごめんなさい。
楓 ( たまりかねて)帝一さん ! 忘れちゃだめよ。あなたには勇気がある筈よ。
いと忠
額間 そんなものは今みんな、この私に移ってしまったんでございますよ。さあ、お暇しま
もっと
と 海賊

しよう。どうもいろいろ御迷惑をおかけしました。尤もこっちも迷惑をかけられましたが
ね。(帝一に)さよならを言うんですよ。
帝一 さようなら 0
.
蓄君主

楓 額間さん!
額間 はい。何の御用です。
楓 お ね がいだから今夜まで待っていただけない ? 今 夜 お 別 れ の 宴 会 を し て 、 そ れ が す ん
だら、きっと私のほうから﹁さようなら﹂を申しますから。それまでは、ね、折角こんな
にお友達になったんだから。
額問 だって先生、それはいけませんですよ。ずるずるになったらどうなさる。いずれにせ
ょ、善は急げ、で。
8
11 楓 お ねがいですから、ね、晩御飯まで、あなたも御一緒に。
額聞いげませんですよ、いげませんですよ。
8
12

楓あなたがしっかり監視していらっしゃればすむことでしょう。
額 閉 そ り ゃ あ そ う で す が 。 (シlッと口を鳴らし)ちえっ 、又歯が痛くなった。帰りますよ。
さあ、帝一さん、早く。
重政待ちたまえよ、折角家内がああ云うんだから。
重巳いいじゃないか、短剣がもうこっちのものになれば。
千恵子 (色目を使って)ねえ、額問さん、いいじゃないの、晩御飯まで。
!
¥
b

額 問 お 酒 に 眠 り 薬なんか入れるんじゃないでしょうね。
千恵子 そんな古い手は先生の童話にだって出て来はしないわ。

3

額 問 エ エ も うそれじゃ仕方がない。しかし絶対に晩御飯までですよ。
(ト帝一の手を離す。阿里子と帝て歩み寄り、舞台中央で抱き合う。一向、周囲からこれ

を見守る)
楓 ( 熱狂的に叫ぶ)どうしてそんなにじろじろ見ているの。どうし てそんなに見物している
の 。 こ の 人 を 落 着 か せ て や っ て 頂 戴 。 短 剣 を 取 り 返 し た だ け で 十分ですわ。そんなに見な
いで!静かな気持にさせて上げて !
(一同悉く、正面カ ーテンより退場)
もう大丈夫よ。お坐りなさい。気を落してはいけないわ。勇気を 出すことよ、勇気を。
(庭より﹁月のお庭﹂の合唱かすかにきこゆ)
うち
ほら、あなたの好きな歌を、 又子供たちが歌っているわ。家の中の醜い争いは知らずに。
:・ほら、歌っているわ。
帯一 みんな海賊だ。みんな敵なんだ。
楓 私 がついてるわ。
帝一 君だけだね、 阿里子、君だ付だね。
組 こうしてだんだん強くなるのよ、だんだん利口になるのよ、 みんなが海賊だとわかった

ト ﹄ 占C
と 海賊

o
帝一 船の帆は、でも破けちゃった。帆柱はもう折れちゃったんだ
a その帆を綜 M
ノのよ 。私は女よ。御裁縫は巧いわ。
帯一 だめだ。もう帆はもとに戻らないんだ。
番薮

楓 でも空には新しい風が光っているわ。手でっかむのよ。
帯一 (手をのばして空気をつかむ)だめだ、指のあいだから風が逃げちゃう。
楓 でも太陽の光りが私たちを助けるわ。
帝 一 日 はもう沈んじゃった。
組 月がのぼるわ。
帯一 月は冷たい o
a それから波が、ねえ、帝一さん 、 お魚たちが私たちの船を運ぶんだわ。
8
13 帯一 お魚の背中は弱いよ。
績 で も 百 万 の お 魚 の 青 い背中 が私たちの船を運んで行ってよ。
8
14

帝一 阿里子:::。
楓 え?
帝一 僕は一つだけ艇をついてたんだよ。王国なんてなかったんだよ。



同じ部屋。同じ日の夜。舞台中央に白い卓布をかけた大食卓が横に据えられ 、卓のむこうが
わには、観客に顔を向けて、上手から、千恵子、帝一 、阿里子、重政の順に坐っており、食
と 海賊

卓の上手械には額間が、下手端には重巳が顔を向い合わせて坐っている。
食事はあらかたおわり、デザ ート ・コlスに入ったところである。食卓中央にはたわわに盛
r
った果物の皿が置かれ、その左右に蹴般をともした蹴部 置かれ、各人の前にはコ ーヒー掠
蓄預

臓があり、銀のポ ットが手渡しされて、おのおのの茶碗に注がれる。
千恵子 果物いかが ?
額問 歯が痛くって :
:・。
千恵子 だ っ て あ な た 召 上 るだ砂のものは召上ったわ。
額閉 そりゃあ苦労が多いから :

千恵子 厄介な人ね。今喰べいいようにしてあげるから。(ト果物を小さく刻み出す)
重放 とれで今日の大へんな一日も終りだね。
5
重巳 何だか大手術のあとのような気がするね。
8
1
重政 帝一君は額閉さんに連れられて帰るとして 、(重己に)君はこれからどうするつもり
8
16

だい?
重巴仕方がない。いつまでもここに置いてもらうんだね。又外国へ行くまでは。
重政(苦笑いして)おいおい。俺は生れ変って家庭の幸福を大事にする男になったんだよ。
(帝一と阿里子は無言で目を見交わすだけである)
額問改まったことを言うようですが、今日は何から何までお世話になってしまいましたね
ぇ。あなたには迷惑もかけられたが。

千恵子執念深いのね。ほら、(ト果物を口に入れてやり)これなら歯にさわらないでしょう。
額問ええ、ええ、これなら。(トむしゃっき)あいたたたた:::。(と頬を押える)

千恵子 あなたって歯だけはデリケートに出来てるのね。
額問私の歯をからかうのはよして下さい。

千恵子 額 聞 き ん 、 あ な た 結 婚 し な い の ?
額問 ええ、今のところは考えておりませんです。あの子を扱うだ砂で手一杯なんですよ。
その上結婚となったら、二頭立の馬車を操るようなものじゃありませんかね。
重巳(重政に)俺が邪魔かね、今では。
おそ
重政今のところは邪魔じゃないが、何かこう、君が邪魔になる事態が来ゃしないかと倶れ
ているんだ。折角仲のいい兄弟が:::。
重巴邪魔にされて、やっとこの俺の、この家における存在理由がはっきりして来たと言お
うかな。とにかく俺はおみこしを据えるつもりだよ。
重政 まあ勝手にしたまえ。
千恵子 (額聞に)私もうここの家にいるのいやなのよ。
額閉 そうですか。(頬を押えて)あいたた。どのみちあんたの思うようになさるんですな。
いとま
コー ヒーをもう一杯いただいたら、私は帝一さんを連れてここをお暇するだけのことです
から。二度とこんな危なっかしい御宅へ伺う折はありますまいから。
千恵子 そんなに帝一さんはあなたにとって必要なの。
と 海賊

額問 彼は私に他人を支配するという実感を与えてくれまずからな。
千恵子 あなたじゃなくって短剣が支配してるだけのことじゃないの。
額閉 そんなことは忘れていればいいのです。

重政 (
重巳に)俺はもう今までの俺じゃない。あいつに愛する能 力 の あ る こ と が わ か っ た

以上・・ ・

重巴 歴史にのこる超現実的夫婦というやつはどうしたんだね。
重政 夢に強いられて、観念に強いられて、君のいう二十年の喜劇を支えて来たのが、もう
喜劇 は 終 っ た ね 。 今 度 は :::
重巴 今度は?
重政 今度は現実がはじまらなくちゃならんのだ。
8
17 千恵子 (額間に)私、本当のところあなたと結婚してもいいと思っているのよ。なるたり
お怖MmV出て来ないような結婚。ああ、王子様なんでもう沢山だわ。世の中であなたぐら
8
18

い、お伽噺の王子様に似ていない人はいないでしょうね。小心で、貧乏くさくて 、性的魅
力の全然ない顔。
額閉また棚下ろしがはじまった。
千恵子 (ロマンチックに)生れてから青春なんて一度も知らない顔。悪意と憎しみと恐怖と、
。 人を監視しつづけたしょぼしょぼした目っきと、薄茶いろの艇でいっぱいな顔 O i -
-
-私ど
この娘もするように、中身なんかどうでもよくて、顔だけを見てお饗さんを決めるつもり


なの。私あなたの顔と結婚してよ。
額間でも帝一さんがいまずからなあ。

千恵子 もし帝一さんがいなくなったらどうするの。
額間(頬を押えつつ)滅相もない。生活の目的がなくなってしまいます。

千恵子 目 的 の な い の が 生 活 じ ゃ な く っ て ?
額閉 それじゃ私には生活なんぞ必要じゃないのです。このたった一つの目的さえあれば。
(目をかがやかせて)人の自由を縛る!お嬢さん、とりゃあ素晴らしいとってすぞ。
重巴(重政に)とにかく俺はこの家を出て行かないぞ。
重政世間並の三角関係がはじまるだろう。それも現実というもんだ。
重巳はは、兄さんはその現実というやっとも、誠らめきった顔で附合いはじめているじゃ
ないか。
重政(イライラして)助言なんか要らん。人の助言なんか要らん。これでも俺は一家の主人
AJamv
だ。この堕落し切った家を建直さなくちゃならんのだ。
重巴一家の主人か。
重政そうして君はただの居候だよ。
重巴そうかねえ。俺は兄さんも居候の一人かと思っていたが。
(重政、苦り切って黙る)
市一に)いよいよお 別れね 。
組(京
と 海賊

帝一 うん。
織 も っ と 元 気 な 顔 を 見 せ て ね 。 あ な た に 今 朝 こ こ で お 目 に か か っ た と きは 、短剣こそ額関
さんの懐ろに納まっていたけれど、あなたはもっと元気だったわ。

帝一 僕は今お伽噺が嘘じゃなかったかと思っているんだよ。

楓 そ ん な こ と は あ り ま せ ん わ 。そんなことは決してありません。
帝 一 阿 里子が嘘をついてたって一言ってるんじゃないんだよ。ただお話がちがっていて、一
度海賊の手に取り返された短剣は、もう二度と戻って来ないのじゃないかと ・
楓 そんなことは決してありません。世間の人たちはそう思っている。でも私の書くお伽噺
はそうじゃないの。ユーカリ少年は最後にはきっと勝つのよ。
帝一 本当?・
8
19 億 本当ですとも。
帯一 でも今は別れなりればならないんだね。
9
10

組 こ のコ ーヒー をごらんなさい。私たちがコ ー ヒーを飲みおわってしまうと、それでお別


れなの。
帝一 じゃあ全部飲まなければいいじゃないか。
楓 飲 み の こ し た コ ー ヒーはだんだん冷えて、茶碗の底に後悔のように黒く残るの。それは
お H
苦くて甘くて冷たくて、もう飲めゃしないの。コ ー ヒー は美味しいうちに飲んで、そうね、
百うときのように元気に、
何もかも美味しいうちに飲み干して、それから、﹁おはよう﹂を一一

﹁さよなら﹂を言わなければ・
帯 一 何 も かも美味しいうちに飲んで:::、僕は今日一日で、美味しいものをみんな飲んじ
ゃった。あとは討小山町いものしか残っていないのじゃ :::

楓 あなたは私よりまだまだ永く生きるのよ。これから飲むものがみんな不味いとは根らな

いわ。
帝 一 ユ ー カ リ少年には年がないんだね。ユーカ リ少年 はおじいさんにならないんだね。と
すると、ユ ー カリ少年の一生は、とても永いようで、実はたった一日なのかもしれないよ。
楓 どうして?
帯一 だって町門臥の僕はもうユ ー カリ少年じゃないような気がするんだもの o
a 勇気をお持ちなさい。帝一さん、勇気を。
帝一 どうしたら又それが持てるだろう。
組勇気は今ちょっと眠っているだけなのよ、窓の下でおひるねをしている犬みたいに。
帝一 犬は死んでるのかもしれないよ、自動車に野かれて。
'うなみ吋ぽち
楓 い い え 、 う る さ い 捻 り を 立 て る 金 い ろ の 蜜 蜂 が や っ て き た り 、 夕 方 の 風 が お 鼻に寒く感
じられたり、そんな小さなことで、犬は目をさますものですわ。
帝一 どうしたら勇気を :::
緩 いいこと ? (
ト帝 一の耳に何事かささやく)
帝一 (おどろいて)僕にはできないよ。
と 海賊

楓できないことはありませんわ。あなたはユーカリ少年ですも の
。 一度試してみ令 くては
帝一 できないよ。
蓄夜

楓 ね 、 強 く て 勇 敢 な あ な た だ と い う こ と を 、 忘 れ て は い げ ま せ んわ。
帯 一 ﹁ さよなら ﹂を 言うときも、﹁おはよう﹂を言うように朗らかに、って君言ったね。
楓ええ。
す曾ま
帝一 牛乳配達も来ない朝、窓のカーテンの隙聞に朝の光りが、金いろの若草が生い茂った
にわとり
ように見えもしない朝、難という難は殺されて時も告げない朝、:::もし今が朝だったら、
そんな朝だもの。どうして﹁おはよう﹂って言うだろう。そんな朝には誰だって、﹁さよ
なら ﹂ って言うだろう。そうして殺された難のために泣くだろう。
はね
9
11 楓 ち らばった 血まみれの羽 が、朝風にひらひら飛んでも、朝が来れば私たちは、﹁おはよ
う﹂と言 わなくては。
92
1

帝一 ・::・おはよう。
楓 もっと朗らかに。
帝一 言えゃしないよ。
復そうだわ。何も言わないほうがいいんだわ。お別れのときは。
重政(阿里子に)十分に話すがいいよ、十分に。話して、そうして忘れるんだ。君は情緒
を知ったんだから、同時にわれわれの仲間入りをしたわけだ。(阿里子答えず)
ねえ

重巴義姉さん、僕は公平に、あなたの感情や思い出を尊重しますよ。あとで思い出になり
そうな時聞は、もう思い出になってしまったようなふりをして過すことです。そうすれば
者f

傷も残らず、きれいな思い出は無害で残るし、義姉さん、それが結局大人の知恵というも
んじゃありませんか。(阿里子答えず)

千恵子 お母さまも好加減で少女趣味から抜け出すんだわね。今日は本当にお母さまにとっ

ていい試燃の目だったと思うわ。私なんかお母さまのおかげで、織って年相応な少女趣味
から、とっくに抜け出して来たんですものね。私のいるところまで早く到達するのよ。そ
りゃあ孤独で、深閑としているけれど、もっと気分は楽になるわ。そうして改めて明日に
なったら、気晴らしに旅行に出かければいいのよ。(阿里子答えず)
額 聞 き あ 、 こ れ で コ ー ヒ ー もいただいた、 と。も う下らないことを言つてないで、お暇す
る時間ですよ。これ以上お邪魔をしては御迷惑だ。
(帝一に)さあ !

(帝て立って、額間のところへ忍び寄り、いきなり内ポケットへ手をつっこんで短剣をと
ろうとする。額問、その利き腕をとって 、と らせまいとして争う。重政、重巳立って、帝一
をとりおさえる。帝てうなだれて、文もとの椅子に掛り、顔を卓に伏せて泣く。阿星子そ
の肩に手をかげている。皆々、元の精子に 一戻一り、しばらく黙然としている。そのとき、玄関
のペルのチリン ・プロン ・ピ リンという妙なる音がする)
偽川・ん
千恵子 おや、お客様かしら。
と 海賊

(ト立ってゆき、玄関をあげる。入れちがいに、序幕の勘次と定代の幽霊が入ってくる。序
幕と全く同じ服装で、ただそれが悉く純白にかわっている。幽霊は入ってきて、部屋の一隅
に慨が。千恵子かえってくる)

千恵子 おかしいわね。ドアをあけてみても誰もいないの。どなたですって声をかけたんだ

けれど、玄関の前は深閑としてるんですもの。
重政 故障でベルが気まぐれに鳴ったんだよ。
重巴 そんなことでしょうよ。
(ト云ううち、勘次の幽霊が、重巳のスプ ー ンで コーヒーの残りをす くって 、重巴の顔にぶ
つかける)
あっ ! 兄 さ ん 、 ひ どいじゃないか、いたずらがすぎる。


9
13 (ト定代の幽霊、重政のコ ーヒー の受 皿で、重政の頭を階、く)
重政 何をするんだ、失敬な。
9
14

重 巳 大 人 気 ない真似はやめなさい。一一=ロいたいことがあったら口があるだろう。
重政 ああ、あるとも。大体俺は貴様のボヘミアン気取の、知ったかぶりが気に入らんのだ。
ヘボ絵描きが外国乞食を十五年もやって、 何だというんだ、え らそうに。
重己 資様こそ大きな口を 利 くなというんだ。 何だ、生活無能力者。一緒に寝てもく れない
女房にへいこらして、芸術だ天才だと女房をおだてあげて、金をもらって女を買ってよ、
何が英文科卒業だ、このやくざイ ンテリ。
重政貴様なんぞ只のやくざじゃないか。人の家にころがりこんで横柄な院をして、只で昨

わしてもらおうなんて虫が好すぎるぞ。
f
l

重 巴 は ば か り な がら俺は貴様に喰わしてもらってるつもりはないさ。黙っていても、 阿塁

子さんが喰わしてくれるんだから。

重政俺の女房を附馴れ馴れし く呼ぶな。
重 巳 名 前 だ け の 亭 主 の くせに。
重 政 な に つ ! ( 卜 立 ちかかる)
楓まあまあ!お客様の前で、あなた!
(卜中へ割って入り、ょうよう二人を納め、元の椅子に坐らせる。 一方、勘次と定代の幽霊
は、額聞のうしろへまわり、動次が額間の頬をつねる)
あっ ! こんなに猛烈な痛みははじめてだ。もうこうしちゃい られない。何か危険な



病気かもしれない。
千 恵 子 可 哀そうに、額間さん、可愛想に。あなたの痛がる顔はとてもすてきょ。世界中の

苦労を背負ってるようだわ。ね、私が撫でてあげてよ。(ト椅子を近づけて額聞の頬をなで
る。定代の幽霊この間に、千恵子の髪をやさしくなでる)うれしいわ。あなたって自分の痛み
の最中に私の髪を撫でてくれるのね。やさしいのね。ああ、私、人に髪の毛を撫でてもら
ったのって生れてはじめてだわ。何だかこのまま年をとって、誰にも愛されず、誰にも髪
を撫でられずに、織だらけのニッケル姫になってしまいそうな気がしていたの。
と 海賊

額間 私がついている。取越苦労はおよしなさい。(勘次の幽霊、額聞の髪を撫でる)今度は
あ な た が 私 の 髪 を O i-
-いいもんですね、私も実は生れてはじめてなんですよ。髪の毛の
-
一本一本から、やわらかい風がしみ込んで、体中に行きわたって来るようで。

(ト千恵子を抱く。勘次の幽霊、そろそろと額聞の上着の内ポケットに手をさし入れ、番磁

の短剣を抜きとり、それを帝一の前に 、空中にひ らひらさせる )


帝一 あ ! 蓄 積 の 短 剣 だ ! 短剣が僕のところへ飛んでかえって来たぞ!
(この叫ぴに、一同あっけにとられて、空中にひらひらする短剣を眺める。額聞これをとろ
o・AJ'νhA,
e -A
うとする。短剣逃げる。短剣は一人一人の前を噸笑するように飛ぴ去り、ついに帝一がしっ
﹄4
かりとこれを握る)
帝一 (短剣を握って、卓上にとぴ上り、短剣をかざして)見ろ ! 見ろ ! 短 剣 が 僕 の 手 に 帰
9
15 ったぞ!海賊たちは殺してやる!さあ、みんな大人しく首を渡すんだ!
楓帝一さん!手荒なことをしてはだめよ。あやまらせてしまえばいいのよ。
9
16

ぷじよ︿
帝一 みんなあやまれ ! 僕と阿里子に加えた侮辱と、自分たちの卑しい考えをあやまるん

だ。額問。君は死にたいか?
額間 死にたくありませんね。:::死にたくありませんですよ。
帝一 よし。そんならここを出て行付。すぐ出て行って、二度と僕の前に顔を見せるな。
千恵子額間さん、出て行きましょうよ。
額間:::でも。

帝一 ぐずぐずするな。命が惜しくないのか。
額聞 はい。

千恵子 私も一緒に出てゆくわ。お母さま、私この人と結婚しますから。それであなた歯の
痛みはどうなの?

額 問 (頬に手正あて てみて)さあ、すっかり治ったようですよ。
千 恵 子 そ れで万事めでたしだわ。帝一さん 、ありがとう。楓先生、さようなら。結婚のお
祝いなんかして下さらなくていいのよ。
(ト額聞を引張って、上手玄関より去る)
帝一 (重政、重巳に)君たちも海賊だ。はじめは僕の味方だったのに、正義にそむいて、僕
を裏切って海賊になったんだ。殺しても飽き足りない奴だが、すぐ 出て 行けばゆるしてや
る。(短剣を構えて)どうだ。殺されたいか 、それと もすぐ出てゆくか ?
重政 (救いを求めるように)阿里子 :::。
楓私にはもうあなたをお助けすることはできませんの。お気の毒ですけど、:::ね、ずつ
と前から御存知のとおり、私たちの生活は終っているんですわ。
重政俺はそう思っていなかったが:::。

市一 出て行け ! 出 て 行 け ! 出 て 行 け !
ちょっと
重政待ってくれ。もう一寸話させてくれ。
帝一 それじゃ一分だけ許す。一分だけだぞ。
ひざ
と 海賊

(トテーブルの上に膝をそろえ、その膝を抱いて坐る)
重 政 俺はそう思っていなかったが、阿里子、いつからそんな考え違いが・
楓 は じ めであなたの女をこの家へ出入りさせるようになって以来ですわ。

蓄積

重政(目を輝やかせて)君は妬いていたのか?
楓いいえ、我慢していただけ。
重政何のために。
組 あ な た は 何 も御存知じゃなかったのね。私にはあなたの知らない女の生活がありま した
ふ︿しゅう
のよ。復讐して、文その償いをして、憎んで、文その償いをして、・
重政そして愛して:・
楓 愛 し た の は た っ た 一 瞬でしたの。
重巴と俺が罪を犯した二十年前のあの日かい ?
7
重政
9
1
こかげ
楓いいえ、そのあくる日、あなたを殺そうと思って、公園の夜の木蔭のペ ンチに、じっと
9
18

坐って待っていたとき。:::そこへあなたがいらしった。お顔を見たとき、もう殺せない
と思った。その一瞬間だけでしたわ。
重 政 復 讐のために結婚 して、どうしてお前は我慢したんだ。
楓 も う 申 し ま し た 。 自 分 で し た 復讐の償いのため:
ほか
重政 ばかな。その償いは又俺を愛し直すことの 他 にはなかった筈だ。
縁 自 分 で も わ か っ て お り ま し た 。もう愛せない。だから我慢するのだと。

重政君は偽善を選んだのか?
機選んだものはあなたと同じでしたわ。

帝 一 (又立上って)さあ、時が来たぞ ! 出 て 行 け ! さ あ 早 く 。
重政君に言われるまでもない。出てゆくほかはないよ。さようなら、阿里子。

楓さようなら。(重政、出てゆく)
帝 一 (重巳に)何をぐずぐずしているんだ。君も海賊だぞ。殺されたくなかったら、早く
出て行くんだ。
重巴(ニヤニヤして)私が出て行くことはないんですよ、坊ちゃん。
帯一 なぜだ。
重巳 この家に必要な人物だからです。
帝一 ぐずぐずすると承知しないぞ。
重 巴 坊 ち ゃ ん も だ ん だ ん お わ か り で す よ c 阿皇子さんを愛するのは、二人がかりでなくち
や無理なんです。だから二人で仲よくして、おのおのの分担を決めましょう。
帝一 わからないことを言うな。早く出てゆけ。
霊巴あとで後悔しますよ。坊ちゃん。あとになって、私の必要だったことがおわかりでし
ト つノ

AFP
うみへぴ
帝一 君は汚ない卑怯な、海蛇みたいな人なんだ。海賊よりもっと下等なんだ。阿里子、こ
いつは殺してもいいだろう?
海賊

重巴(なおニヤニヤして)阿里子さん、訊いているんですよ。あなたがとめなければ少くと
しそうざい
も使畷罪にはなるんですよ。

組 帝 一 さ ん の 好 き な よ うになさったらいいんだわ。
蓄積

帝一 よしっ!
(ト卓から飛び下り、短剣を持って重巳を追いかける)
重 巴 助 け て くれ ! 人 殺 し !
(ト上手玄関より逃げ去る。帝一それを追わんとするとき)
帝一さん!

(帝てふりかえってニツコリする。しばらく、二人遠くから顔を見つめ合い、微笑。帝一 、
短剣をパンドに差し、さて、急に阿里子に駈け寄って、抱く)
99 みんな出て行ったよ。出て行ったよ。僕たちは二人きりだよ。


1
(声品ずって)あなたは勝ったんだわ。私の言ったとおりょ。あなたは勝ったんだわ。
00


2

(幽霊二人が、そばに立っている)
勧次の幽霊︺
}それは私たちが、お助け申し上げたんですよ。
定代の幽霊﹂
(このとき、阿里子と帝一の自にはじめて幽霊の見える思入れ)
帝一 あ、君は勘次だね。
楓定代さん:

勧次の幽霊私たちはその幽霊でございますよ。
楓まあ、どうして?

定代の幽霊今朝方ここへ伺ったかえりに、二人仲よく話しながら、気をとられて歩いてお
ひだぶつ
りますうちに、自動車に様かれて二人ながら、みんごとお陀仏になりました。今夜の夕刊

に記事が出ておりますけど、﹁老人夫婦はねられて即死﹂なんて、いやですね、私、勘次
さんと夫婦になったおぽえはありません。
楓まあ、お気の毒に。
動次の幽霊でも、よかったんでございますよ、先生。自動車のタイヤはそれはやさしく私
どもを線いてくれました。人間によしあしがあるように、自動車にもよしあしがございま
す。あれはいい自動車でございましたよ、私どもを榔怖いてくれましたのは、はい。それは
・ 6 "島町九九
猫が寝ている人の除にやさしくふくよかな足を乗せるように、私どもの上に乗って来まし
た。ほい来た、と私はタイヤの下へ体をうまく入れました。 そうしたらもうその瞬 間 に

ほとけし よう
えもいわれぬいい気持になりました。ちらと運転手の顔を見ましたが、これがまた 仏性の
福 々 し い 顔 で 、 に こ に こ 笑 っ て お り ま し た で す よ 。 そ れ で 万 事 が 終 り ま し た 。 も う 安心 。
も う 大 安心。 今 に な っ て や っ と わ か り ま し た が 、 人 生 な ん て 大 したことじゃありません。
あの灰いろの恩い出の鎖は大したことじゃありません。もうこれからは御詠歌まじりに自
分の人生の押売をして、人様に嫌われる心配はございません。
定代の幽霊 私どもは人に好かれる幽霊なんでございますよ。
と 海賊

帝一 ごめんね、僕、君たちの悪口を言ったりして。
勘 次 の 幽 霊 い い え 、 とんでもない。私どもこそ間違っておりましたんですから O i-
-今は
-
りんりん
もう私どもは、人生から逃げて来て、ここへ伺っているのではございませんよ。勇気凍々、
都銀

ユーカリ少年にお仕えする身になったんですから。
定代の幽霊 (美しい革帯をもってきて、帝一に)さあ、これをお締めなさいませ。蓄額の短
剣を金の鎖でこれにお吊るしになるんです。
勧 次 の 幽 霊(王冠をもって来て)先生、いや、もうお姫様におなりになる。この冠をおかぶ
りになれば。
定 代 の 幽 霊(別の王冠をもって来て)これをおかぶりになった時から、あ なた は王子様にお
なりですよ。
1
(阿里子と帝一おのおの冠を手にもつ)
0
2
楓 きれいな冠!
0
22

帝一 蓄額の宝石でいっぱいだね。
かたど
定代の幽霊 それは正真正銘の番磁の宝石なんでございますよ。蓄積を象った宝石じゃなく
て、よく御覧なさいませ、蓄一微がそのまま宝石になったんです。
うひ
勧次の幽 霊 永 い あ い だ 土 に 埋 も れ て い た 緋 い ろ の 蓄 薮 が 宝 石 に な り ま し た 。 花 び ら の 色 も
そ の ま ま 、 匂 い も そ の ま ま 、 た だ 透 き と お っ て 、 きらきら輝やいて、枯れない蓄被になり
ましたんです。

定代の幽 霊 も う 蓄 額 は 枯 れ る こ と が ご ざ い ま せ ん 。
動次の幽 霊 こ の 世 を し ろ し め す 神 様 が あ き ら め て 、 番 薮 に 王 権 を お 譲 り に な っ た 、

4

定代の幽 霊 こ れ が そ の し る し の 蓄 夜 、
︿おん
勘次の幽 霊 こ れ が そ の 久 遠 の 蓄 議 で ご ざ い ま す 。

定代の幽 霊 蓄 穣 の 外 側 は ま た 内 側 、
動次の幽 霊 蓄 積 と そ は 世 界 を 包 み ま す 。
定代の幽 霊 こ の 中 に は 月 も こ め ら れ 、
動次の御霊 この 中 には星がみんな入っております。
定代の幽霊 これがこれからの 地 球 儀 になり、
勘次の幽霊 これがこれからの天文図になるのでございます。哲学も星占いも、み んな こ の
凍った花びらのなか、緋いろの一輪のなかに在るのでございます。
組 愛情も?
勧次の幽霊 はい 、愛情も、
帝一 勇気も ?
定代の幽霊 はい、勇気も。
勘次の幽霊 そればかりか鰐臨も、貸借対照表も、政治も、閣議も 、タイプライタ ーも、大
まち
きな都会も、地 下鉄も、新聞も、カレンダ ーも、日曜 日 の約束も、:::何 もかもこの 中 に
かぷ
在るのでございます。さあ、お冠りなさいませ。(ト阿里子にかぶらす)
と 海賊

定代の幽霊 さあ、お冠りなさいませ。 (
ト帝一にかぶらす。二人王冠をかぶって、顔を見合わ
せてにっとりする)
勧次の幽霊 これで準備万端ととのいました。結婚式をはじめるといたしましょう。ほら、
蓄預

(ト耳を傾けて)そら、あの歌がきこえましょう。
(﹁月のお庭﹂の合唱きこゆ)
帯 一 ﹁ 月のお庭﹂ の歌だ !
勘次の幽霊 結婚式のお客様たちがやって来るところでございます。
(定代、下手大窓のカ ーテンをひらく。勘次近づいて手を叩く)
勧 次 の 幽 霊 さあ、どうぞ。さあ、上っておいでなさい。(窓よりジャラジャラ魔這い上る)
おやおや、第 一着のお客様はへんな尉慌ですね。
3 帝一
0
2
ゃあ ! ジャラジャラ魔だ。
(帝一、近づいて、手をひいて、卓へつれて来て 、卓の上へのせ、その頭を撫で)
0
24

君かい ? 額聞の歯を痛く し て、僕を助けようとしてくれたのは。


(ジ ャラ ジ ャラ魔うなずく)
君はいい子だな。でも、僕や阿里子にくっついちゃいやだよ。
(ジャラ ジ ャラ魔うなずく)
勘 次 の 幽 霊 さあ、次のお方。次のお方ど う ぞ

(犬のマフマフが這い上り、帝一にじゃれつく)

帯一 マフマフだな。どうしたの?今までどこにいたの?君、僕をよく助けてくれたね何
でも今日の冒険には助けてくれなかったね。もう僕のそばを離れちゃだめだよ。﹁はい﹂

って言え!
マフマフ わん !

帝一 よしょし。
ト頭を撫でてやる 。 ついでド ンドンピチャリ星の住人ゃ、カテリナ星の住人や、本物のニ
(
ッケル姫や、童話の動物が這い上って来て、おのおの席に着く)
帝 一 こ の 人はだれ ?
楓 カテ リ ナ人よ。
帝 一 こ の人は ?
楓 ドンドンピチャリ人よ。
帝一 遠いところからよく来てくれたね。さあ、握手しよう。(ト握手する)
慢さあ皆さん召上ってね。これから御馳走は沢山出るのよ。
(お客たちは顔を見合わせて喜ぶこなし)
勧次の幽霊 では結婚式でございますよ。(トあたかも聖書をもてる牧師の如く、手にもてる厚
い童話集の最後の頁をひらく)ええと:::ええと。いいですか、お話の最後のところを読み
ましょう。 ﹁ユー カリ少年は王国を征服して、世界で一等勇敢な王子様になりま した 。そ
して世界で一等美しいお姫様と結婚しました。たのしい余生を送りました。それはそれは
と 海賊

幸福な 一生でした。 ﹂
お客たちのコーラス ﹁それはそれは幸福な一生でした。 ﹂
(このセリフと共に、舞台全景の室内の道具は徐々に透けて見え、背後の童話風な背景│ │
書 被

庭と連続する幻想的風景ーーをあ らわし、その 中央から大きな月がのぼる 。勘次と定代の 幽


霊は、食卓の上手下手に恭しく侍立する)
帝一 月がのぼった。
楓 月 が今まで地 面の下の下に隠れていたのに。
帝一 僕たちは王国にいるんだね。
楓 ええ、私たちは王国にいるんだわ。
帝一 ねえ、君。
0
25 楓 え?
帝一 僕たちは夢を見ているんではないだろうね。
0
26

楓 大丈夫よ。私に郵せておおきなさい。たとえあなたの見ているものが夢だとしても 。
帝一 う ん

楓(キ ツ
パ リと)私は決して夢なんぞ見たことはありません。

ー一九
五八 ・三・三ー




白k





│ │青 年 座 の た め に │
女 大 百 百t 刈刈す人
中 杉 島 島 与 屋 屋 や物
安啓健妙義
き之子次子郎
ぬ助
三幕ともブラジル国サン ・パウロ市より空路一時間なるリンス郊外の瑚緋閤主刈屋義郎の邸
宅。二階なる洋風の居間兼食堂。
に三階と一階へ通ずる階段室。
同品問T
正面には出口より刊ずに三つ、上手に一つの窓(その前にディヴアンが置かれている)。広

い箆台に通ずるその出口は正面上手寄りにあり、家人は多く、露台から庭へ下りる階段(客

席からは見えず)を用いて出入りする。

mA AJ
下手奥には厨一,
房へ通ずるドア。
合う蜘 wゆ

下手手前に運転手夫婦の居室に通ずるドアがあり、舞台の下手約三分の一にわたって、この
夫婦の居室の一部が見える。
室内装飾は煩雑で、ブラジル風のところと日本風のところが献燃としており、家具は 一体 に
餌んで暗く、日本の戦前の貴顕の応接間と云った感じである。運転手夫婦の居室のほうも、
0
29
主人側の使い古しの家具とダブルベッドを置いてあり、小さな窓がある。
1
20

どの窓からもブラジルの夏の青空と、まばゆい雲が見えるばかり。室内はそれに反してうす

ヨ 30
広川
ν
a
ぞうりA
露台に立てば、刈屋伽排薗の広大な眺めの一部と、熱帯樹の叢林を残した庭と、人夫たちの
宿舎と、フットボールのグラウンドと、リンスへかよう赤土の自動車道路が見える都である。

事件は、夏の数週間のうちに起る。ブラジルの真夏は、南半球であるから、 一月二 月である。


暑さは甚だしい。

真夏の朝。食堂を女中きぬがのろのろと掃除している。下手の運転手百島夫婦の居室では 、
おっと
百島はまだベッドに寝ており、そばの椅子で、すでに身仕度をすませた妻の啓子が 、良人の
R

以たち
寝顔をじっと晃成っている。百島は二十七八、妻は二十歳ぐらいである。啓子急にしめやか
に泣き出す。

百島 (目をさまして、あたりを見まわし、委の泣いているのに気づく)おや、泣いてるね。何

だい、朝っぱらから。
今 ね 、 じっとあなたの、その鶴慌の傷あとを見ていたの。

啓子
百島 (思わずそこへ手をやって、苦笑しつつ)これかい?今更らしく。 :::ああ、起きる
そうそう
勿々これじゃ全くたまらん。折角今朝は目一那の御用がないから、ゆっくり寝すごした寝起
きにいきなり。:::(傷あとを府でつつ)俺のこれのことは先刻御承知じゃないか。万事
ずみ込んでお嫁に来たお前じゃないか。もっとも結婚後半年つでもの、今までお前がただ
の一度も、その傷あとは何だ、って訊かなかったのがお前の偉さだったんだが・
1
21 啓子 それは一生禁句だと思っていたの。でもきのうの晩:::。
百島 きのうの晩、どうしたんだ。
1
22

啓子 私はじめて見たの。奥様のおなじ傷あとを。
百島 奥さまの?
啓子 ええ。いつも白粉で隠していらして、私、見たことがなか ったわ。それがきのうの晩、
おしろい
お風呂場から奥様のお呼びがあったの。湯上りのパウダ ーが切れているから、新らしいの
おっしゃ
をもって来て、って仰言るの。私、持って行った。体をタオルで包んだ奥様がおうけとり
になった。そのとき、私はじめではっきり見たんだわ、あなたと同じ側の頚筋に、おなじ

小さな傷あとを。
(百島、立って顔を洗いにゆき、練体の汗を拭いつつ、きいている。やがて 、窓 ぎわへ鏡を

ひげそ

もち出し、髭を剃りはじめる)
知っていて、何もかも知っていて、それでいて、それを見た瞬間は体が凍るようだつた。
ひとこと

私、一晩中、考えていたの。あなたと奥様は、たとえ一言もものを云わないで、目くばせ
ひとつしないですれちがっても、頚筋の傷あと 同士は、いつも目 くばせをしあったり、に
っこり慨鉱み合ったり、時にはキッスを投げ合ったりしているんだ、って。それも 私がこ
こへ来てから 、半年 のあいだ、毎日、毎日:::。
百島 俺には、しかし、お前ってものがある。お前が考えるとしたら、むしろE那様のこと
を考えてあげたらいい。あの情深い・
啓子 言 われないでも、私、考えた。情深い:::。そうかしら。そりゃあ、三度三度の食事
にも、私たち運転手夫婦とも、同じ食卓で召し上る。すべてにわけ隔でなく、寛大に、高
い声は一度もお立てにならず、:::こんなブラジルの田舎のがさつな日本人たちから、神
様みたいにあがめられている方 Oi--
-で も 、 一 体 こ れ が 、 情 深 い っ て こ と か し ら ? 御 自
分の奥さんと心中未遂までした人を、そのまま平気で家に置いておくことが:::。
百島ばか!知加減にするんだ。(少しやさしく)今朝の笠則はまったく変だぞ。
(百島は髭を剃りつづけ、啓子は黙って鏡台の前に坐る)
(上手の一階からの階段を、概略ゲ新聞の束を抱えて、大杉が昇ってくる。六十歳ぐらいの

やや
真黒に日に灼けた、おそろしいほど痩せた男。 ζのコーヒー園の支配人である)
大杉 (きぬに)おはよう。

き ぬ お は よ う ご ざ い ま す。

大杉日一那様はも うお目ざめかね。

き ぬ は あ 、 も う下りていらっしゃる時分ですわ。
大 杉 ( 窓ぎわの安楽椅子にかけて、新聞の束をふりまわす)日本の新聞だよ。きのう り ンスへ
届いたんだ。
き ぬ ( 卓 布 を かけながら)さようですか。
大 杉 き ぬ さ んには関心はないやな。あんたも、(下手の運転手の部屋を指さし)百島君夫婦
も、生れてから日本ってとこを知らないんだから。私みたいな移民のあぶれ者だけさ、こ
3
んな新聞を有難がるのは。
21
きぬ(働らきながら)日一那様も奥様も、あんまり日本の新聞をお読みになりませんわ。
1
24

大杉そりゃあ日本にいらっしゃるころから、お二人とも、新聞なんか、あんまり必要のな
い御身分だったんだ。戦争前なら、とてもめったに拝めないほどの御身分さ。そんな方が、
毎朝何の必要があって、人殺しだの、就職難だの、 一家心中だのに、自をお通しになるこ
とがある?
きぬ(上の空で)それもそうですわねえ。
大杉しかし、何だってこんなところで夫婦養子でいらしたんだろうねえ。いくら日本で

は羽振りがわるくなったからって、こんなところへ骨を埋めにいらっしゃるなんてねえ。
きぬ亡くなった大奥様が、そりゃあ上流の方がお好きだったんですもの。

大杉いくらその口車にお乗りになったにしろ、さ。私なんぞ、どんな貧乏をしたって日本
︿に
へかえりたい。この地球のすぐ裏側に日本があるなんて、歯がゆいじゃないか。故郷へか
えってみたって、知り人はもうみんな死んでるだろうが、生きているあいだは乾くても、

あんなにお墓の下のくらしが安楽そうに見える国はないのさ。日本じゅうが墓地ばかりに
なったら、どんなにきれいだろう。撮が咲いたり散ったり、柔らかな雪ゃ、しずかなが酪
ゃ、そんななかに古い黒ずんだ墓石があって :::ああ、私はブラジルのお墓を憎むよ。ぎ
らぎらした太陽と、土砂降りの雨とにかわるがわるさらされて、コ ーヒー くさい土の下で
は、一そう煩悩のつのるような、ブラジルのお墓を憎むよ。
きぬ お 墓 に は 戒 名 を 書 く の ? そ れ と も 、 大 杉 安 之 助 っ て 名 前 を 書 く の ?
大杉 戒名のほうがいいね。私の名前なんぞ、 一生あったってなくたって、同じようなもの
だったんだから。
きぬ 大杉さんの山口駅習って、何なんでしょう。
AJ忌

大杉 私 の 生 甲 斐 ? そ う さ な 。 細 大 も ら さ ず 報 告 す る こ と だ な 。 嘘 を 云 わ ぬ こ と 、 正直 一
方 、 そ の か わ り何 で も 本 当 の こ と を 言 う こ と 。 こ ん な 気 性 の お か げ で 、 こ の ブ ラ ジ ル で ご
いま
ろっき日本人がどんどん金を儲けてゆくあいだに、私一人は未だにうだつが上らず 、コー
ヒー園の支配人になどなって、人様から御給金をいただいて暮してるんだよ。しかし人問、

とにかく、正直に生きれば後悔はないよ、きぬさん。この土地じゃ、亜熱帯のもやもやし
た空気が、ものをはっきり見せないから、私ゃ、自分の目だけでははっきり見て、それを

人 に し ら せ る の が 身 上 なのさ。

(大杉、新聞をよみはじめる。女中、卓布を敷き、ナプキンやナイフ、フォークなどをしつ

らえ終って、下手奥の厨房へ退場。入れかわりに啓子出ず)
(沈穆に)おはようございます。
大啓大啓大啓
杉子杉子杉子

御主人はまだ(ト手枕の形をなし)これかね ?
いいえ、もう。でも寝坊で困るんですよ。けさは自動車の御用がないんだけれど。
あんたがあまり責めるからですよ。
いやなこと 、 それよりコーヒーの値段はどうなんですの。
1
25 どんどん上ってるね。この分なら、今年の収入は一万コントスじゃきかんだろう。
啓子 (興味なげに)まあ、そう?
1
26

(上手階段から刈屋義郎が、乗馬服にキュロ ットと長靴の姿で下りて くる)


啓子 (自室の扉へ)あなた、日一那様がお目ざめよ。
(百島も出てくる)
おはようございます。(ト刈屋を迎える)
刈一
屋同

(品のよい中年の無力な男。しかし日に灼げている。万事ものうげである)ゃあ、おはよう。
(皆々食卓につく。きぬ登場)

もう奥様はおかえりと思いますけど、ちょっとお庭へ散歩にお出かけでした。
杉屋ぬ
大刈き

はい、待ちましょう。(きぬ退場)

日本の新聞が来ておりますが。(トさし出す)
(義郎、興味なげに見る)

大 杉 内 閣 が変りましたですね。
刈 屋 日 本の内閣が変ったのが、どうしたんだね。
・ :。
大 杉 (意味不分明に)いえ、それはもう ・
:
刈屋 ふん、小倉が大臣になったね。あの男は、戦争中、軍のお出入りで、私の父を貴族院
でスパイ呼ばわりをしたもんだ。 :::まあ、いいやね。それぞれやりたいことをやればい
いんで。:::日本ってところは、さわがしい、ぃゃな国ですね。
大杉 はあ、はあ。
刈屋 コ ー ヒ ー の 相 場 は ?
大杉 (折鞄から書類を出し)きのうリンスの南米銀行であつめてまいった資料で、頭取から
もよろしく申しておりました。
刈屋 そ う :::(ト輿なげに見る。急に顔を上げて啓子の顔を見て):::おや、啓子さんは今
日は顔色がよくないね。
百島 (強いて説献に頭を智いて)いや、実は起きがけに、つまらない夫婦官官をやらかした
もんでございますから。

刈屋 夫婦喧嘩はいけないね。
啓子 旦那様:::。

刈屋 え?(ほかの二人も啓子を注視する)

啓子 何でもよくお気がおつきになりますのね。(涙声で):::私の顔色のことなんか。

む,さわら
こ同沈黙。そのとき正面のパルコニイに、白いワンピースに麦業帽子をかぶった妙子が姿
てすり
を現わし、舞台の人たちに背を向けて、露台の欄にもたれて庭を見ている)
奥様がいらした。:::何を見てらっしゃるんでしょう。
屋ぬ屋杉
刈き刈大

(事もなげに)何も見てやしません。
(騒々しく登場)もうはじめてよろしいですか。お帰りがあんまりおそいようですから。
いや、待ちましょう。
1
27 (大杉、きぬに目じらせする。きぬ、露台をのぞいて、あわててまた、厨房へ引込む)
百島 きょうはお車の御用は別に ?
1
28

刈屋 ないね。リンスで何だか、在留邦人の会があるようだが、そんなところへ行ってみて
もはじまらんし。:::あとで少し馬に乗ります。 コーヒ ー園の見廻りにね。
百島 馬丁に用意をさせますから。
刈屋 いや、あとでゆっくりで結構。
(妙子入ってくる。三十歳位。高貴で美しいが、一見して、生けム殿♂智った感じである。
刈屋を除く一問、席を立つ)

一同 おはようございます。
妙子 おはよう。(ト席につく。同時に、きぬ、半分に割った果実アパカチを、各々の皿に配る。
砂糖をかけて、齢ですくって府べるのである)

妙子 またアパカチね。よく飽きないのね。

刈屋 散歩はよかったかい?
妙子 暑 く て 。 :::まあ、きのうもおなじお返事をしたかしら。
刈屋 今日はどこまで行ったの。
しろあり
妙子 裏のほうの白蟻の巣のところまで行ったわ。
大杉 まったくあればっかりは、何度見てもおどろきますなあ。小さな蟻が、あんな人聞の
背丈ほどの大きな塔を築くんですからなあ。人聞に、いや、たとえばこの私に、あれだ砂
の努力が 出来たら、今ごろはさぞかし ::
:。
大杉君は努力家だよ。リンスじゃ、みんなそう言っている。
杉屋
大刈

いや、どうも、恐れ入ります。
(きぬ、トーストとコーヒーなどを運ぶ)
妙子 でもあの白蟻の塔には、もう一匹もいないのね。
百島 (律儀に調子を合わせて)どこかへ引越したあとなんでございますね。
妙子 まるでお城みたい。人っ子一人住んでいない、古いお城みたい。あの塔のてっぺんの
穴から、一匹でも出て来ないかと思って見ていたけれど、いつまでたっても、何の影もさ
とげ

さないの。岩でできたようなあの搭が、すっかり苔むしていて:
啓子 もうその巣へは、かえって来ないんでございましょうね。

刈屋 ええ、もうかえって来ないんだよ 、一度引越したものは 。

啓子 :::そうでしょうか。

妙子 啓子さんて、本当にこのごろきれいね。娘時代とくらべたら、見ちがえるくらい。
大杉 百島さん、もっとうれしそうな顔をするもんですよ。
妙子 本 当 に き れ い :::。
啓子 旦那様は、またさっき、私の顔色がとても悪いって言って下さったんです。
刈屋 そうこだわるもんじゃないよ。
妙子 顔色がわるいなんて!あなた、とっても健康そうで、つやつやしていてよ。
9
啓子 さ っ き の 白 蟻 の 巣 の 話 で す け ど :・
1
2
-
白 a
A
百島 (低声で)やめろよ乃
0

M J'

2
2

大杉 引越したあとで又かえって来るかどうかという話でしたな。さあ、それは見虫学の本
し令れ
でも読まないと、でなきゃあ、(ト酒落た冗談を見つけたつもりで笑う)蟻にでもきいてみる
んですなあ。
妙子 (誇張して、調子を合わせて笑う)そうよ、大杉さんの言うとおりだわ。(一同しばらく
沈黙)
啓子 私、きのうの晩、へんな夢を見ましたわ。

百島 (啓子に)自分の見た夢の話なんか、ほかの人には退屈なだけだぜ。
刈屋 まあ、いいやな、ききましょうよ。
かえ

大杉 そう言われると、却って話しにくくなるもんでね、これが。
啓 子 あ ら、私、そんなこと平気ですわ。
刈屋 その調子、 その調子。

啓 子 : : :私、何だか暗い道を歩いてますの。黄いろい、しおれた、アラマンダの 花を 手に
持って。:::そうしたら、道の途中で、花が急にいきいきして、ちらと暗い繁みのほうへ、
目くばせしたような気がしましたの。:::でも、まわりは暗くて、花なんかどこにも見え
つる︿き
ませんの。私、蔓草を、片手でがさがさと分けて、探しました。そのうちに私の手の花が、
いきいきしたわけがわかりました。:::蔓草のかげに隠れて、別の賞いろい、アラマンダ
の花が咲いていましたの。(ここらから百島は話の意図を察してイライラする)
ちょっと
百島一寸、大杉さん、すみませんが、その前の塩を。
大杉 へえ、(ト百島のほうを見て)塩ですか ? 塩なら、あんたの前にもあるじゃないか。
百島 ああ、気がつきませんでした。
啓子 私、思わず、その花を摘み取ろうとしました。そうすると、花は、私の手を抜砂て、
土へ落ちてしまったんです。そのアラマンダも、もう切られた花だったんですわ。
(妙子、本能的に自分の頚筋に手をやる)
妙な夢だね。
子杉屋島子島屋島屋島子屋
J百 啓 刈

妙な夢ですわ。
馬丁にそう申してまいりましょうか。

ああ、あとでいいんだよ。
妙大刈百啓百刈百)(J

でも、只今、お車を洗いに行くついでがございますから。

じゃあ、そうして下さい。
(啓子に)お前、村まで買物に行くのじゃなかったかい?
いいの。ここを、きぬさんと一緒に片附けてから行きますから。
では御馳走様です。(百島、露台から去る)
(大杉に)百島君はよく勤めてくれるな。あれだけの人は一寸見つからない。
気がききますしね 、第一。
1
(急に立上る)私、部屋で本を読んで来ますわ。
2
2
また妙な日本の小説かい。
22

ぬ子屋
き妙刈
2

ええ。(ト上手の階段を昇って退場)
(登場)もうお下.けしてよろしゅうございますか ?
(刈屋うなずく。啓子、きぬを手つだって片附ける)
大杉 (時計を見て)さあ、私は、コロニヤの見廻りに行かなくちゃ。どうも御馳走さまで。
刈屋 きのうは何だか監督が私のところへ相談に来てね。ゴンサルペスとかいう作男が、毎
晩ラジオをうるさくかけて 、長屋中の迷惑になってるそうだ。その上、人を見れば金を借
りて、踏み倒すんだそうだね。監督は秘にしたいと言っていた。その件もあなたに郵すか


。 ││しかしなるたけ穏便に ね


4

大杉 はい、承知いたしました。(露台へ出かげて)この日本の新聞は置いてまいりましょう
か?

刈屋 いいよ。文読みたくなったら、そう言うから。(大杉、お辞儀をしてから、帽子掛よりへ
ルメッ トをとり、かぶりて、露台より退場)
刈屋 (独り言)日本の新聞なんて:::下 らんととだ 0 ・::まったく下らんことだ。・:
(きぬと啓子は卓の上を片附砂おわり 一旦退場。啓子だけ出てくる)
啓子 奥様はやっぱり、あれでございますか。
刈屋 (窓際の安楽椅子で煙草を吹かしている)うん、眠れなくてね、一向に。毎晩、睡眠剤の
御厄介になりながら、朝になると、私より一時間も早く目をさましてしまうんだ。
お食事もちっともお進みになりませんしね。
刈啓
屋子

まあ、 夏のあいだはだめでしょう、この暑さじ ゃ。
(二人沈黙。啓子、 っと自室のドアのほうへ行こうとする)
刈屋 (呼ぴとめて)啓子さん。
啓子 (ふりかえり) は ?
刈屋 あんたが私に話したいことはこんなことじゃなかったろう、朝御飯の時の様子から察
すると。
・。

啓子 まあ、日一那様ったら、 何 でも・ :
:
刈屋 掛けなさい。

啓子 (食卓の椅子にかけ、しばら く黙 るが 、急に)ちょっと御相談申上げたいことがありま し

たの。

刈屋 ふむ。
啓子 私
、 :::百島と 別 れようかと思いますの。
刈屋 (満足げに)ふむ。 :::しかし :
啓子 え え 、 そ う で す わ 。 今、 お察しになったとおり、私、決して、百島と別れることなん
かできませんわ。
刈屋 (壁にかかっていた艇をとり、おもちゃにしながら)そうかい、そりゃあ無論、別れずに
3
2
2
いたほうがいいわけだ。
啓子 ゆうべは一晩まんじりともしませんでしたの。急に一寸思いついたことが頭からどう
2
24

しても離れなくなって、いっそもっと情ろしい目に会いたい、ぎりぎりまで行ってしまえ
ば、却って気が安まるだろう、と思いつめてしまいましたの。私はもう耐えられませんわ。
刈屋 何 に ?
啓 子 ( 思 い切 って言う)うちの人と奥様とのことですわ。
刈屋 (いたく興味を催おして)ほう?:::。
啓子 いいえ、今どうってことじゃないんです。私の言っているのは、過去のこと、一年前

のあのことなんです。
刈屋 (がっかりして)なんだ、過去のことか。

啓子 ずいぶん事もなげに仰言いますのね。もしかしたら、日一那様の寛大なお心には、一年
前のあのことはもう小さな影だけしか残っていないのに、その代りに、私の心にこの半年

ってもの、日に日に大きな影になって、育って来たのじゃないんでしょうか。私こんなこ
とをはっきり申上げて、失礼だとも別に思いませんの。﹁あのこと﹂と言っただけで、 E
那様のお心を傷つけるより先に、百倍も強く、言っている私の心が傷ついてしまうんです
もの。
刈屋 この世の中に、傷つかない心があると思うかね。
啓子 傷つく度合のことなんですわ。﹁あの事件﹂と言っただけで、思っただけで、私の 心
はもうたらたらと血を流すんです。
刈屋 それを承知でお嫁に来たあんたじゃないのかね。
啓子 うちの人も 同 じことを言いましたわ。
刈屋 何ものにもめげないような、真赤な頬っぺたをした、可愛らしい花嫁だったよ、あん
j一,﹂;
ふ﹂匹。
啓子 そうなんです。私、お嫁に来たときは 、過去なんて考えたこともありませんで した。
うちの人の未来には、私だけしか居ないもんだと思っていました。でも 一日一日 ::


刈屋 どうしようというんだ。私に、どうしろ、とでも ・

啓子 ええ、うちの人と別れる決心がつかないくらいなら、二人でどこか遠い土地へ行くほ
うがいいと思ったんです。

刈度 (目を光らす)ここを出て、かい?

啓子 ええ、二人でお暇をいただいて : ・

刈屋 そりゃいかん。百島君もあんたも、この家には必要な人だ。この部屋がきれいに片附
きれい
いてるのだって、きぬのおかげじゃない。締麗好きのあんたのおかげだ。ごらん、(ト窓
あず省みやまっか
外を鞭でさし示し)あの丸い池のまわり、東屋の上の藤棚いっぱいに、真紅な滝のように
しぽ
咲いているプリマヴェ iラの花でも、あんたの丹精がなかったら、今ごろは凋んでいたろ
っちぼこり
う。赤い土壌をもうもうと上げるあのリンスまでの道をたびたび通って、途中で故障一つ
λ,弘
起したことも、油の切れたこともないのは、百島君の腕がいいからだ。あんた方夫婦は家
5
に必要な人なんだよ。妙子があんな風だし、そうして私も:::。
2
2
啓子 私がたとえすすめても、うちの人も取合わないと思いますわ。旦那様を尊敬し 切 って
2
26

いますし、ここぐらいよ く していただけるお家は、どこへ行ったってないって言い暮して
おりますもの。でも:・
刈屋 でも:::何だね。遠慮せずに言ってごらん。
啓子 はっきり申します。私たち夫婦のためには、もうこれ以上、お宅に御厄介になってい
てはいけないんです。
刈屋 し か し ね 、 ::: (関駅に)しかし、百島君が承知すまい 。

啓子 私、それを一晩じゅう考えましたの。今では私、た った一つしか、方法が:
おらど
刈屋(きいていず)百島君を誠にしようにも、何 一つ越度はないんだし :::。ぇ?何だっ
て?方法って言ったね。

啓子 こんなこと申上げていいでしょうか 。

刈屋 ああ、言ってごらん、言ってごらん。
啓子 奥様とうちの人が、もう一度あやまちを犯すことなんです。
刈屋 (興味にかられて)ほう?どうして?
啓子 もう耐え切れないんです。私、耐える限度まで来てしまった。今朝、急にそれに気が
つきましたの。ゆうべ奥様の傷あとを見たのは、もう崩れそうになっていた堤が、水の勢
いで崩れてしまうそのきっかけになっただけですの。今までの朗らかそうな私は、みんな
自分をいつわって、射していたんだとわかりました。今までだって自分で気づかずに、昼
も夜も苦しみつづけて来たんです。
刈 屋 (啓子の肩に手をかける)察しるよ。
啓 子 (肩でその手を外して)日一那様に察していただかなくたっていいんです。 :::私、二人
で阜くここを出たら、仕合せになれるとも思いました。でもそれじゃあ十分じゃない。ど
なぞ
こか遠い土地で二人きりになったら、私はいつわりの幸福のかげに、謎を葬ってしまうこ
とになるんですわ。うちの人は二度と奥様の名を口にせず、懐しそうな面持で奥様のこと
ゃみ
を話すこともないでしょう。私の立会わなかった事件は、ますます私の手のとどかない閣

のどこかで、こっそり埋もれてしまうことになるんです わ
。 e
刈屋 それでいいじゃないか。人生というものはそうしたものさ。

啓子 いいえ、私、それでは我慢ならない。私はどうなるんです。あの事件には何の罪もな

い私一人はどうなるんです。:::まあ、日蔀糠の前でこんなに民翫して。お煙草をいただ

けまして ?
刈屋 お や 、 あ ん た は 吸 う の か い ?
啓子 ええ、一人きりになると、ときどきは。

(刈屋、 シガレッ トケースを出し、啓子煙草をも らって喫む)
啓 子 : : :そこで、私、考えましたの。もう一度あの事件に、私はっきりと立会わなくちゃ
いけないんだって。私の目で、自の前にそれをまざまざと見て、その上でうちの人を奥様
7
から、きっぱり奪って行かなくちゃならないんだって。今のこんなあいまいな状態では、
2
2
あの人の何分の一かは、まだ奥様のものなんです。
2
28

刈屋 えらいことを考えるね。さて、二人がまた出来たとする。それはいい。そこでどうし
て百島君とあんたが、ここを出てゆく成行になるんだね。
啓子旦那様がそれを見つけて、家の人を追い出して下さればいいんですわ。
り︿つ
刈屋 (急に笑い出し、笑いがとまらない)そりゃあ無理だ。啓子さん、そりゃあ理窟にも
何にも合いはしない。あのこ人が、いやな言葉だが、(ト形式的に眉をひそめ)心中未遂
をやらかしたあとも、何の街め立てもせずに、こうして一緒に暮して来た私なんだから





啓 子 前 の は あ や ま ち と い うこともございます。今度は恩を 仇で返したんですもの、お怒り

にならなくちゃいけません。
刈 屋 そ う か ね O i-
-まあ、かりに私が怒るとしてもだ、怒りたくても百島君のほうで、も
-

うあんな真似は、二度ととりどりだと言うだろう。それに実直なあの人だから、あんたの
いわゆる﹁恩を仇で返す﹂ようなことはやるまいね。
一夜子そうでしょうか。私、・::・やると思いますわ。
刈 屋 ど ういう根拠で?それともはっきり、そうなりそうな気配があるのかね。

啓子 あ り ま す わ 。 奥 様 と う ち の 人 の 目 を 見 て い れ ば わ か り ま す わ 。 外 ら し そ う に し て 外
つがちょうちょう
らさない目と目が、いつも私の鼻先で、番いの蝶々のようにちらちらしているんですも


しゅうち
刈 屋 照 れ て い る ん だ 。 そ れ と も 差 恥 と 後 悔 が、一年たった今日も残っているんだ。(思わ
ず、舌なめずりするような調子で)こいつはなかなか、美しい眺めではあるんだがね。
啓 子 ( そ の語調に気づがず)私、女のこの目で、見ていれば、何もかも見えて来ます。果物
はもう熟れ切って、校を離れるばかりなんです。今奥様とうちの人とが結ぼれるのを邪魔
しているのは、たった一つのもの:::。
刈屋たった一つのもの:::。
啓 子 旦 那 様 の御寛大さだけなんです。 E那様が目の 前にいらっしゃらなければ:::。

刈屋は、は、は。一年前、私のいる自の前で、ニ人は心を通わせ合ったんだよ。そうして
げいどうみや ︿
私が留守もしない晩に、庭の納屋で頚動脈を切り合ったんだよ。

啓子 (目をみひらいて)よくそんなことを、はっきり何言れますのね。

刈 屋 こ んなことを言えるのも、それが 一場の 喜劇に終ったからさ。二人とも切るには 切 っ


たが、頚動脈の智り町も知らなかった。

ゆる
啓 子 あ あ 、それをどうしてお恕しになったんです。
刈 屋 理 由 は な いね。それが私の性格なんだ。
啓 子 何 だか、私、 怖 ろしくて:::。
刈 屋 怖 ろ し いって、何が ?
やしき
啓 子 こ の お邸、この刈屋瑚排園、このお庭、そ うして もしかしたら 、いちばん、日一那嫌が
2
29
刈屋私はこのとおり、ちっとも怖ろしいところのない人間さ。だから私の目の前で、あん
3
20

な事件だって起ったんだ。
啓子でも今はちがいますわ。あれから一年、 E那様は本当の王様におなりになった。旦那
様は、土地やコ ー ヒーや自動車や作男たちばかりじゃない、人の心をしっかりと支配なさ
ってしまったんですわ。寛大なお心の力で、私たちの心の中までも、旦那様の御領地にな
ってしまったんですわ。
刈屋ずいぶん持上げるんだね、啓子さん。
ゆる

啓子いいえ、だから寛大さのお力がちょっとでも弛んで、みんながほっと一息つけば、果
物は枝から落ちるんです。もう自に見えておりますの。失礼ですけれど、この患のつまり

そうな寛大さが、ほ人のすこし遠のきさえすれば:::。
刈屋(踊械をふりまわして)私に鞭をふるえ、と言うのかね。前世紀の植民地みたいに。

啓子いいえ、ほんの一二週間、どこかへ旅行にお出ましになったら、何もかもがお留守の
あいだに、真裸かのあらわな形で、うかび上ると思いますの。
刈屋これはおどろいた。これはどういうことだ。:::啓子さんも人をおどろかせるね。こ
のごろの日本のはやり言葉で言えば、﹁民主的﹂な主人の私ではあるが、自分の使ってい
る運転手の奥さんから、出てゆけがしに扱われるとは ::

:
啓子お気を悪くなさったら、どうか::・。
刈屋 啓子さん、もうとこまで話し合ったら、私たちは友だちだよ。気を悪くするのしない
のの段じゃない。(考えて):::そうだね。これもちょっと面白い。 :::ふ む 、 な か な か
面白い。何分私は、いつも退屈しているんでね。
啓子 サン ・パ ウ ロ へ 飛 行 機 で お 出 か け に な る か 、 さ も な け れ ば い っ そ リ オ ・デ ・ジャネイ
ロまで:::。あそこには社交界も、ヨッ ト・ クラブもございますわ。
刈屋 かりに内緒であんたの言うことをきくとして、あんたは私の権威の失墜をはかってい
るわけじゃあるまいな。
啓子 いいえ、その反対でございます。

刈屋 そ う だ な 。 :::私もだんだんそんな気になって来た。カ ー ニバルの前景気を見に、 リ
オ -デ ・ジャネイロまで行ってみるかな。(トはしゃぎだす)可愛い人だ。いいかね、啓子

さん、これもあんたの悩みに燃えた心臓が、(ト啓子の胸を鞭でさす)あんたのその胸のな

さ︿らんぽ
かに、小さな赤い桜桃のように見えるからだよ。・:・:よしょし、可愛い人の言うことをき

きましょ つ
。 h
いなな
(このとき露台の下から、馬の噺きがきこえる)
啓子 ここでお話をしているのがわかると困りますから、私、部屋へまいりますわ。
(ト口紅のついた煙草の吸殻を灰皿にねじ伏せて下手の自室へあわてて去り、ドアをとざ
す)
(入れかわりに百島が露台へ上ってくる)
1
旦那様、馬の御用意ができました。
3



2
刈屋 (露台に出て空を仰ぐ)あいかわらず、カッカと照るね。
3
22

百島 (帽子掛からヘルメ ットをとり、刈屋にさし出しながら)お供のカルロスの馬に、お飲物
とサンドウイツチを積ませましたから。
刈屋 よく気がついたね。(ト百島と共に行きかかり、急に立止って、露台で):::明日からね、
ちょっと旅行に 出ょ うと思うんだよ。
百島 は?
刈屋 いや、私一人でね、飛行機でリオかどこかへ :::。

(二人話しながら露台を下りて去る。再び馬の噺き。やがて上手階段室の三階から 、妙 子が
本をもって下りてくる。窓ぎわの長椅子に足をのばし、読みはじめる。そこへ百島が又露台

から入ってくる。容子、出るしおを失って'自室で聴耳を立てる)
妙子 (百島が自室のほうへ行こうとするのへ声をかけて)さっきはへんな気分の朝御飯だった

わね。
百島 は?:::ぁ、どうも。家同がちょっと今朝から妙な具合で、申訳なく思っております。
-
e
あれも生ν

" はいい人間なんですが。
妙 子 そ うね。いい方ね 0
::・そうしてき れい。(
・ │ │間│ │)
おっしゃ
百島 どう してそん なことを 仰 言るんですか。
妙子 生きた人間は、みんなきれいにみえるのよ、私。 :::私はね、もう死んだ女 ですもの。
ブラジルのこの痛いような夏の日光、あくどい 花 々、いやらしい熱帯樹、地 平線の上にい
つも渦巻いているぎらぎらした雲、 こんなものにまともに刃向っているのは啓子さん一人
だわ。
百島 でも、あれはグブラジルの生れです。
妙子 あなたもね。
百島 ええ、(ト煙草に火をつけ露台へ出てゆきながら)しかし私も死んだ男ですからね。(ト
てすりむたれ
露台の欄に究る)
妙子 この家でまだ生きている人は、本当に啓子さんただ一人。死人に固まれて、一人で生

きてゆくのは難しいことだわ。やってみたらいいんだわ、それができるか。
啓子 (自室で独自)やってみるわ。私一人生き抜いてみせるのよ。そうしてあの人も ::

まひ 。
:
妙子 庭でとれるコ ーヒー に麻暗押してしまって、どんな強い コーヒ ーも、目 をさましてくれ

なくなったら・:

啓子 (独自)はっきり目をみひらいて生きてゆくわ。
・ν
'
hv 恥附AJ
屍臭の立ちこめた中で死んで暮している、こんな安楽さには誰も逆らえない。
妙子
啓子 (独自)私は逆らうわ。
妙子 (露台の百島に、窓からよびかける)私の自に啓子さんがきれいに見えるように 、あな
はず
たの目にそう見えない筈はなくってよ。
百島 ゃ、機都が。プリマヴェ lラの藤棚から 、 まっしぐらにこちらへ飛んできて、アラマ
脇伊さしこんで、:::かなり大きなやつですよ。空中 にとまったまま、羽博い
ゐる,率、、
3
ンダの花 MM
3
2
~

にロ
てる羽根が虹に見えます。
3
24

妙子 (夢みるように):::虹。
吉島 (立ち戻り、窓の外側に上半身を見せ、妙子の背後からものを言う)日一那様が明日から、御
一人で旅へ 出られるそうです。
妙子 そう?めずらしいのね。
百島 どうしてだろう、ってお思いになりませんか ?
妙子 思わないわ。理由をたずねて何になるの。私、あの人が今急に首を吊っても、決して 、

理由なんかたずねないでしょう。
百島 私にもどうもわかりません。永いあいだ旅へお出になることなんかなかったのに。

妙子 人間なんでわかりはしないわ。もしあの人も人間だとすれば。
百 島 何 かお考えがあるのでしょうか。

妙子 さあ?何しろお考えだらけだから。
(百島、煙草の吸殻を捨てようとして室内へ入り来り、テーブルの上の灰皿に捨て、ふと口
紅のついた吸殻をつまみ上げる)
おや、口紅がついている。奥様、煙草を召し上るんですか ?
妙百妙百
子島子島
いい、ぇ。
おか し いな。 :::啓子も煙草を吸わないんだが。
そんなことがあなたにわかつて?
かまちちよりつ
(啓子、はげしき勢いにて、ドアを排し、ドアの権に作立する。妙子、百島あきれてこれを
見守る)




3
25
3
26

第一幕の三週間後の夜八時ごろ。幕あき前からサムパ風のブラジル土民の合唱かすかにきと
える。窓や露台に通ずるドアはすべて網戸になって、閉っている。下手の部屋では、百島が

一人で雑誌を読んでいる。
(露台のドアをあけて大杉が入ってくる。上手の階段を上り)

奥様、奥様。

(ト呼ぶ。又階段を下りて来で、テーブルの椅子にかけ、扇子を使いながら待つ。卓上のザ
μうしゅ

萄酒を呑む)
(妙子、小さい額画を一つ抱えて階段を下りてくる)
おかえりなさい。リンスはいかがでした。
妙大妙大妙
子杉子杉子
何 と い う こ と も ご ざ い ま せ ん 。 ぁ 、 失 礼 し て、 一寸いただいております。
ちょっと
(椅子にかけ)どうぞ。
ばったり風が落ちましたですね。
ひどく蒸すのねOT--間││)何か御用 ?
いえ、:::はあ、一寸。

(沈黙のうちに 、サムパの合唱つづく)
妙子 土曜日の晩はさわがしくていやあね。何が面白くて、作男たちは歌ったり踊ったりす
るんでしょう。
大杉 ほかに面白いことがないからでございますよ。
妙子 週の六日は一日中コーヒー園で働らいて、土曜の晩はああして騒いで、自分の使って
いる人たちなのに、あの人たちの生活は、私から遠すぎるわ。

大杉 やっぱり日本の生活のほうがお合いになりましょう。
妙子 私がいつ日本の話をして?

大杉 (不分明に)さあ、それはまあ、あの ::
:。

妙子 ブラジルへ移民に来て 、血と汗の財産を作った人なら、私たちの生活を範蔵するのが

自然じゃなくて?それなのにここの人たちはちがうんだわ。私たちがこの年まで、何も
しないで暮して来たっていうこと 、 私たちの古ぼけた爵位、私たちのかよわい手、そうい
うものをやみくもに尊敬するんだわ。イタリヤ移民のコ ー ヒー成金が、本国から四千万リ
ラで、伯爵の称号を買いたがるようなこの国で、あの人がわざわざ殿様と呼ばれるのをき
らって、 E那様なんて呼ばせているのに、一体何の意味があって?
大杉 その日一那様のことでございますが :::。
3
27 妙子 (きいていない)きぬが言ってたけれど、あなたは日本のお墓がほしいんですって?
大杉 はあ 、そ ういう希望もございますが:::。
8


3
2

妙子 あれは死ににゆく国じゃないわ。次から次へと人が生れて 、生きている人でごった返
して、死人のための土地なんかないじゃないの。
大杉 そうお考えの向きもあるかと存じますが :::。 'h
ぜいた︿
妙子 私のお墓はここよ。でも私たちが腐ってゆくのには時聞がかかるわ。賛沢や退屈のし
みこんだ肉は、お酒のしみこんだ肉と同じで 、腐りそうでなかなか腐らない。
大杉 E那様のお話なんでございますが:
妙 子 そ う 。あの人はもう三週間も帰らない。 何の音沙汰もな く、手紙ひとつ寄越さない。

あなただけがあの人の安否を知っているという仕組なのね。
大杉 そうお気を廻されては困ります。私はただ、奥様のおためを思って、申上げようとい

うことなんで。
妙 子 何 も言わないでいて下さることが、私のためを思って下さることなのよ。 :::そう、

あなたになら何でも言えるわね、あの人へ筒抜けだと思うと。私にも一杯注いで頂戴。
大杉 さあ、どうぞ、どうぞ。(ト注ぐ)
妙子 どう言ったら いいでしょう。:::あの人が急に旅へ出て、三週間も留守に して、私 が
もちろん、せいせい して いるだヲうと、あなただって思うでしょうね。でもふしぎですね。
解放された感じは少しもないの。あの人がいなくても、あの人の歩いていた空間 は、じ っ
と私たちの上にのしかかっているの。
大杉 私 た ち ?
妙子 ええ、私たちょ。これが無邪気な暴君の圧制だったら、一日でも留守にすれば、心は
解き放たれた思いにうきうきして、家のなかにいても青空の下にいるような気がするでし
ょう。でもうちの王様はちがいますの。寛大な王様。あの人は私たちを黙ってゆるした。
'
友vaaι
w﹄ ,、ル﹄ たm
v
そのときから私たちは、あの人の寛大さの牢獄の、囚われ人になったんだわ。あなたなん
あしかせろうや
ぞには、自に見えないこの牢獄の怖ろしさはとてもわからない。鉄格子も足榔もない牢屋、
すべてがゆるされているというこの牢屋、 :::それは私だって、又ここから逃げて出るこ

とも考えたわ。でもこの見えない牢屋は、あの時か ら、私がたとえどこへのがれでも、私
の行く先々で私をとり囲んでしまうことがわかったの。:::三週間前、朝、 .
馬であの人が

散歩に出たあとだったわね、あくる日あの人が一人で旅へ出るという話をきいたのは。

:そのとき私、もしゃ、と思った。もしや明日は、私にとって目のくらむような解放が

やって来るだろうか、と考えた。でもリ ンスの飛行場まで百島の送ってゆく自動車が、あ
そびつむ
の人を乗せて、釜え立っている夏の雲の下に遠くなり、やがて赤い土挨が小さな旋じ風に
巻かれて舞い立っているのを見たときにも、 :::そうだわ、自動車の爆音が赤土の坂のむ
こうに遠ざかってゆくのをきいたときにも:::来なかったのよ。私の待っていたものは、
来なかった。 :::そうしてこの三週間は同じことだわ 。あの人は見えないけれど、やっぱ
り同じ時刻に目をさまし、この部屋へ下りてきて、人あたりのいいやさしい態度でおはよ
3
29 うを言い、このテエプルで朝御飯をた べている。そこに(ト何もないところを指さし)あの
人が立っているのが見えない?
4
20

大杉 えっ?(トそのほうを ふりむき)いやですよ、奥様。
妙子 何もかもおんなじだわ。あなたにとっても、そうじゃなくて?大杉さん。もしかす
b
u'
るとあの人が、突然こうして旅へ出たのは、あの人の覧大に馴れてしまった私たちに、も
う一度その寛大さを思い知らせるためだったのではない?そのためにはあの人がここに
ほだし
いないほうが、もっと私たちがその紳を強く意識するようになるのじゃなくて ? 怒鳴っ
ている声ならば、その人がいなければ声は遠のき、あとにはしずかな平和が来るでしょう。
かぴ

でもあの沈黙は、あの決して高い声をあげないやさしい物言 いは、徽のようにそこらに残
のろ
っていて、どんなに拭き清めても、この家から呪いのように離れない。:::あの人が旅へ

出てからも、私同じように眠れないの。何一つ新らしいことは起らない。わかつて?大
杉さん。(だんだん声が高くなる)あの人がこの家にひろげていた空気、にせものの平和、
にせもの

にせものの安息、:::あの人の好きなのは贋物だげ。:::何一つ愛したり憎んだりできな
い空気 :::そうよ、贋物を愛したり憎んだりすることはできないわ。どんな情熱も生殺し
にされ、ほんの小さな喜びも滅ぼされてしまうようなこの空気は、:::そのままだわ!
そのままだわ ! (ト泣く)
大杉 奥様:::奥 様 ::
:。
妙子 私 だ っ て ま だ 若 い の に :::わ かつて?:・ :・まだ若いのに:::。
大杉 え え 、 お 若 い で す よ 。 ぉ 若 い で す よ 。 なんてお若いんでしょう !
(百島ふと聴耳を立て、また頭を振って、読書にかえる)
妙子 (キツとして慰めの手を払いのける)私に用って言ったわね。何の用なの?
大杉 一寸お耳に入れたいことがございまして ・ :
妙 子 何 ? 私 に 用 な ん て 、 :::用なんである筈がないんだわ。
大杉 旦那様のことで、リンスへ今日まいりま し て、いろいろと慨が-きいてまいりました。
かの包
サン ・パウロへ行って来た人の話でして、彼地では大そうな評判だそうでございます。こ
あえ
れはお耳に入れたほうがいいと思いますから、敢て申上げるのですが、日一那様にはサン ・

パウロで、いい女ができたそうでございますよ。
妙子 (笑う)まあ、あの人が?そんなことはありえないわ、あの人が女に好かれるなん

て:・。

大杉 好いたか、好かれたか、そのへんはしかと申しかねます。何でも女はミス ・サン・ パ

えんぶん
ウ ロとかで、飛切りの混血美人だそうです。日一那様との艶聞は、サン ・パウロの社交界で
はもう有名でして、 日一那様は女の家に入りびたりでいらっしゃるという話ですよ。これは
神かけて本当のこと、堅人でとおっている南米銀行の支庖長が、飛行機でもってかえった
噂話でございますもの。
おっしゃ
妙子 どうしてそんなに本当だって力んで何言るの?私が信じたがらないとでもお思いな
の?いわば私が、あの人の心の中には、よかれあしかれ私一人しかいないものと決めて
しっと
4
21 いて、嫉妬にかられでもしているように:
大杉 別に嫉妬なさるとは思いません。でも良いしらせか悪いしらせか存じませんが、少く
4
22

とも意外にはお思いでしょう。
妙子 意外だわ、それは::・。
大杉 意外だと思っていただけさえすれば、お知らせし甲斐があるというもんです。
妙子 あの人が何を考えているのか、そりゃあ見当もつきませんわ。ただ私、こう思ってい
てのひらかぎ
たの。牢屋の番人はどこへ行っても、掌の鍵に見とれていて、窓のそとのきれいな景色な
んか、自に入りもしないものだって。:::もしかすると、私こんなふうに思い込んでいた

んだわ。牢屋の鍵を手に握って旅をしている間というもの、心はいつも牢屋へ走っていて、
その点は牢屋の中の囚人と変りがないんだ。 :::でも、(目をかがやかす):::もしかして、
lf

あの人が、鍵を落して :::。

大杉 そこですよ、奥様。旦那様は鍵をお落しになったんです。

妙 子 ま あ、そんなことが ・
大杉 田一那様はその女にうつつを抜かしていらっしゃるんです。いいですか、奥様(トゆっ
くり言う)今の旦那様はあなたのことなぞ、これっぽちもお考えではないんです。
妙子 子供に言いきかせるように言うのね、大杉さん。月は向うの家の看板の裏側から、昇
るものとばかり思っている子供に、遠い天体だって教える先生みたいに。
大杉 私には残酷な真実は申せません。でも人を仕合せにする真実なら:・:。
妙子 良人の浮気の告げ口で、私がこんなに仕合せになることを、ちゃんと知っていて、知
っていながら、なぜ又そんなに恭々しい態度をとれるの。
大杉 奥 様、 私はうそいつわりのあなたや旦那様を尊敬しているわげではございませんよ。
妙子 裸かの私を尊敬できて ?
大杉 はい 、 私は四 十 年かけて、ブラジルの裸かの太陽から、そういう ことを学びま したん
です。
妙子 それじゃあ間違いないのね、大杉さん、私たちは本当に解放されているんだわね。
大杉 そうでございますとも、奥様。
あなたの口からそれをきいて、その結果何か新らしいことが起ったら : :


妙子
大杉 そこまでは私には、とても責任はもてませんので。 :

妙子 あなたに責任をとれと言つてはしないわ。でも私にわざわざ教えてくれた以上、何が

ほしいの ? お金?それとも宝石?

大杉 何も要りませんのです。
妙子 何も要らない ? そ れ じ ゃ あ 私 が 折 角 の あ な た の 親 切 を 、疑 う こ と に な っ て も い い
の? も し 私 か ら お 代 を と ら な げ れ ば 、 そ の 密 告 に 別 なところから、お代を払っている人
があると思っていいの ?
大杉 私は 、奥様、事実をありのままに申上げるだけなんで:::それが私の生甲斐でもござ
いまずから。
のぞかな
3
24 妙子 それな ら何 か あ な た の 希 み を 、 叶 え る よ う に 骨 折 り ま し ょ う か ? あなた、日本へか
えりたいんでしょう。
4
24

大 杉 あ あ、そんな私の夢に、手をおふれになっちゃいけません。自分の希みがいつまでも
夢のままで 、叶 えられないという私の生甲斐を、むざむざ壊していただいては迷惑です。
そもそもブザ配の年に、私がブラジルへまいりましたのは、夢を求めて来たんでございま
ずからね。
わら
妙子 わかったわ。こんな告げ口に、形のある御礼は貰わなくても、あなたは噛っている権
利だけはとるわけね。私がもしあなたの告げ口を信じなければ、あなたはこう言って噛う
ふ ん改附隠れてやがる。おまえさん一人が女じゃあるまいし ﹂ :::又もし私

んでしょう。 ﹃
が信じれば、あなたはこう言って噴うんでしょう。 ﹃ふんお人よし。この女は希望にがつ

がつしている﹄って。
大杉 そのどちらでもございません。私は正直に生きてまいりました。こんな滑稽な年寄で

すけれど、おかげで我身を噴うことさえ、知らずにすんで来ましたものを、まして人糠の
ことなんか・・・・・・ 。
妙子 わかつてよ、もうわかつてよ、大杉さん。ただ、ありがとう、って言えばいいのね。
私、これからここで一人で、じっとそのことを考えてみたいの。(葡萄酒の蹴を手渡し)お
部屋へどうぞもっていらっしゃい。
大杉 (立上り)それでは遠慮なく。
(ト葡萄酒の総をうげとり、一礼なして上手の階段を下りてゆく)
(妙子、しばらく物思いに沈む。サムパの合唱きこゅ。やがて決然と 、額函を携えて下手へ
歩み、百島の部屋をノックする)
百島 (起き上り)どうぞ。
妙子 (入って)おや、一人 ?
吉島 はあ、啓子はきぬさんと一緒に作男の踊りを見に行ったんです。
妙子 (椅子にかけ)あなたは行かなかったの?
百島 はあ、あんなものはただ騒が し いだけで :::。

妙子 ブラジル生れにも似合わないのね。
百島(ややあって)私一人だということを、御存知だったんでしょう。( │ │間││)

妙子 知っていてよ。そのためにちゃんと用事も作っ てきたの。この額をあなたに上げに

::。お部屋に額がひとつもなかったでしょう。

百島 よく御存知ですね。
妙子 あなた方御夫婦が留守のあいだに、私ここに忍び込んで、一人でぼんやりしていたこ
とがあるんですもの。:::いつか可愛らしい小さな額を、上げようと思っていたのよ。
百島 ありがとうございます。
妙子 あなたが一人きりなんてめずらしいのね。
百島 (ベッドに乗って額をかけながら)ええ、 :::あの啓子がよく私を置いて出て行ったも
4
25 のです。 :::とにかく、このごろは万事、あれは 閉 口ものなんで:::。
わな
妙子 畏ね。
4
26

百島 (ベッドから下り立って)は?
妙子 どういうつもりか知らないけれど、啓子さんの畏だというのよ。さっき三階の窓から
とっき
露台を眺めていたの。啓子さんときぬが出て行った。あなたの姿は見えなかった。 咽嵯 に
私、その額を届けようという気になったんだわ。
百島 (沈着に笑う)畏にはまりに、ですか ?
妙 子 折 角仕掛けてくれた畏に、はまらなかったら啓子さんに悪いもの。あの人は無理をし
︿じゃ︿や し

て、踊るような身振で、きぬと手をつないで、私に背を向けてよ、暗い庭の孔雀 榔 子の
下を くぐって 、洩れたあかりに踊りの影のうごいているコロニヤのほうへ駈砂て行った

わ。
えさねずみ
富島 私がその畏の餌でしょうか ? こんな古い死んだ鼠が。
いたずら砂

妙子 安全な震だわね。私、ちょっと悪戯気を起したの。啓子さんの留守に、お部屋の壁に
みなき
見馴れぬ額がかかっているように。 :::き っとこう訊くわ。﹃おや、これ、どうしたの ?﹄
百島 ﹃貰いものだよ﹄
妙子 ﹃どこ から?﹄
百島 ﹃奥様 から:::﹄ :::それだけ。
妙子 ええ、それだげ:::。私は額を届けたら 、 すぐかえって来てしまうつもりだったの。
百 島 危 険だからですか?
妙子 いいえ、 :::いちばん危険なのは、啓子さんもあなたもいないこの部屋に、一人きり
いきもの
でいるときだわ。そんなときの私は、きっと危険な生物ですわ。目がきらきら光って。
でもあなたがいれば大丈夫なの。(大胆に笑う):::あなたがいれば、何の危険もなく
っ・
:よ。

百島 はっきり 仰言いますね。
妙子 そうね、 何 もはっきり言う必要もないわけなのね。別の感情を隠すために、別のこと
をはっきり言ったりする、そんな習慣は私たちにはもう遠いわ。でも・

百島 (││間││) 何 です。
妙子 私、額を持って、部屋を出ょうとしていた。そのとき大杉さんが私の名を呼んだの。

::私、そこで大杉さんの話をきいたの。:::今あなたのお部屋をノックした私は、少く

とも大杉さんに会わずにあのまま食堂を横切って、ノックしていたかもしれない私とは、

別 の私になっていたんだわ。
百島 どういうことでしょう。
ロゆぱ︿
妙子 大杉さんは私たちに吉い報せをもって来たの。私たちの呪縛が解かれた。私たちはも
う自由だって ::
百島 自 由 ? 奥様、御承知のとおり、私は、もう夙うにそんな御馳走を欲しくなくなって
いる身ですから。
4
27 妙子 あなたは今幸福だっていう意味?
百島 いや、もう私は目の前にあるものしか見えない男になったんです。たとえば遠い花の
4
28

上 に蝦醤刈附いても、こっちの花へ来ないだろうか 、 などと思いません。裂の臥鰯の巣を見
ても 、 又白蟻がかえって来ないか、などと思いません。私はいわば株槽しか見えない馬の
かいぽおけ
うまどやし
ようなもので、どこかに首荷のきれいな野原があるだろうか、などと思いません。希んだ
ものが、もう希まなくなったあとで得られでも 、 そのま口ぴは無理矢理自分に言ってきかせ
るようなものなんですから。
妙子 でも、吉い報せにはちがいがないもの。あの人には女が出来たんですって。どこかひ

ろい別の世界で、別の人たちがあの人の心をとらえたの。:::ああ、そんな見当外れな顔
つきはよして頂戴。まさかあなた、私に同情しようというのじゃないでしょうね。
有F

百島 私は奥様に、ついぞ同情したというおぽえがないんです。日一那様には同情しますが

妙子 それをきいて安心したわ。もしかしたらそんなことかもしれない。同情のなすり合い
のようなことかもしれない。あなたはあの人に同情し、ひょっとするとあの人もあの人で、
心 の中では私たちに同情し切っていて、それが辛さに旅へ出たのかもしれない。
百 島 何 だってまだ、 ﹁
私たち ﹂ なんて 仰言るんです。
妙子 あの人に女が 出来たことは 、私たちだげの 問題だからよ。
百島 さあ、奥様だけの問題じゃないでしょうか。
妙子 (奇妙にやさしく)そう思いたいんでしょう、 あなたは。
百島 多分。家庭の幸福のために、ね。
妙子 ま あ そ ん な 言 葉 を 使 う 権 利 が あ っ て ? 奥さんがあなたと私に震を仕掛けるような立
派な 御家庭で。
百島 あいつも困りもんですが 、 と にかく女房 にはちがいありません。
妙子 その御主人が、奥さんが煙草を吸うかどうかさえ、はっきり 御存知ないんだから。
百島 そんなことを知って 何 になります。
妙子 秘密を知ることは何かにはなってよ。
出用
百島 ねえ、奥様。あなた と私とは、おのずから物の見方がちがっているもんだ、と思って
いますが :

妙子 意味深長なことを言い出すのね。

菅島 たとえば、日一那様の浮気の噂は、奥様だけの問題だって申しましたね。それはこうい

うととじゃないでしょうか。奥犠はその噂をきいても、ちっとも嫉妬しよう となさらない。
妙子 ばかね、 私 が嫉妬なんか:::。
百島 まあ、きいて 下 さい。そればか り か
、 自由だ解放だと大さわぎをなさる。
妙子 ええ、大さわぎよ。この通り 、 いつもより顔色 がよくはなくて ? あたくし。
(卜顔をさし出す。思わず百島、顔をそむける)
百島 :::こういうことじゃないんでしょうか。奥様が嫉妬なさらない。それは自由でも解
4
29 放でもなくて、やっぱり日-那様のお力に動かされている。嫉妬をなさらな い、 と いう こと
が、やっぱり日一那様が遠くから操っていらっしゃる、 そ の糸の動きの一部分だと は言えな
5
20

いでしょうか。 -
妙子 あなたは一から十まであの人に降参しているからそう思うんだわ。
百島 いや、それは奥様がE那様をおきらいだから 、嫉妬なさらないのじゃなくて、いつの
まにか旦那様の、あの大空のような寛大さが 、奥様にも 伝配っ て いて :
日いきん
妙子 (鋭くさえぎって)そうすると、あの人の寛大さ と いう徽菌は、あの人ひとりの病気じ
ゃなくて、伝染病だってあなたは言うわけね。

百島 そうです。もしそれが毒ならば、奥様や私まで犯されていないわげはありません。
妙子 あなたって怖ろしいことを言うのね。そういえば私たちにも:::。(絶望して) そう

いえばそうだわ。怖ろしいことに私とあなたは、ちっとも憎み合っていないんだわね。
百島 (沈んだ口調で)憎み合っていませんですね。

(ーー永い問││)
(顔をさし出して)との顔に見おぽえがなくて?
子島子
妙百妙

せっぷん
接吻しろと 仰言るんですか。
そう :: 。
ト妙子目をつぶる。百島避ける。妙子自をみひらき百島の頬を烈しく縛つ)
(
妙子 己惚 れ てるわ ! 私がもちかけ たんだと思ったのね。もう一度あなたの 前 に腕 まず い

、 お情を 乞 うたんだと 思 ったのね。
百島 だめですよ。私を縛ったって、そんなことで憎しみは生れません。
おき
妙子 ただ、あなたの唇の味を試そうと思ったんだわ。その唇がまだ暖かい燥のようだか、
それとも冷たくなった灰の味だか:::。
百島 私はね、 :::今、ふと見てしまったんですよ。その ::: (ト妙子の郵慌を指さす)
妙子 (あわてて頚筋を押えて、 しかるのち 、ほっと一息っきて)見えるわけがないわ。 こ んな
おしろい
に厚い白粉でうまく隠しているんですもの。見えたなんて:::あなたの逃げ口上よ。(百
島の頚筋をじっと見据えて) :::私も見たくなかった。目をつぶったのは、ただそのためな



百島 啓子がいつかの朝御飯のとき、妙な夢の話をしましたつけね。

妙子 アラマンダの花の話?

百島 切られたアラマンダの花が、別の花の匂いに、急にいきいきして見えるという夢。そ

うしてその別のアラマンダも、切られた花だっ た
L
という話。
妙子 あの人には(ト頚筋を押え)これが花みたいにみえるんでしょうか。
おしぼな
百島 赤茶けた捺花がね。
妙子 あなたのは赤茶けた捺花 だわ。いつも日の光りにさらされて 、 その太い頚に 、 まるで
誇らしげに:::。でも私のは、白粉の氷を透かして、凍った花みたいに見えても不思議は
ないわ。
51
2 百島 どちらにも血の色はもうありません。
妙子 ああ、血:::。
5
22

(二人狂おしく抱き合って接吻する)
妙子(離れて):::どうしたっていうの?
百島 あなたこそ。
妙子私たち、ふざりてこんなことはできはしないわね。
百 島 そ う か と い って 、:::衝動にか られたわけでもありませんやね 。
妙子どうしてこんなことが起るんでしょう。

百 島 そ ん な 大事件じゃありません。:::それより、も うお部屋へおかえ りになったほうが


いいですよ。啓子がかえってくると事面倒ですから。・::・例の民の話は、この額だけぐら

いにしておいたほうが無邪気でいいです。
妙子 一年ぶりの接 吻ね 。

百島 しようと思えばいつでもできたんです。
妙子
アただしなかっただけ:::。
J
百島 ﹂ : : ; ; : :
(一一人微笑する)
百島 さあ、はやくおかえり下さい。
妙子 あなたの唇って:::。
宮島 おんなじ唇です。
だから、おなじ味がしたなんて言わないわ。
妙百妙百妙百妙
子島子島子島子

灰で し ょう。 私 は捺花 ::
:。
私は氷だわ。
いや、氷というには:::。
何 も義理を立てなくっていいのよ。
でも、何ということはないんですよ。
そうよ。 何 ということもなかったわ。

(正面の露台のドアを排して、啓子ときぬ、踊りの足取で、さわがしく、﹁タララ、タララ﹂
と歌い合い、笑いながら入って来る)

きぬ ああ面白かった。やっぱり私たちブラジル生れね。サムパをきくと、足が自然に踊り

出してしまうんですもの。

啓子 タララ、タララ。
きぬ 奥さんと踊ったあの黒ん坊、ちょっといい男でしたわね。腰がすんなりして。あれき
っと、奥さんに気があるのよ。
啓子 (踊りながら)タララ、タララ。
きぬ (ぐったり椅子にかけて)でも 、 もう、くたくた。しばらく踊らないもんだから、ちょ
っと踊っただザで:::。
5
23 啓子 私はちっとも疲れないわ。
のr ちょっと
きめ だって昼間の労働がちがいますもの。ああ、咽 喉がかわいた。一寸水をもっ てきます
5
24

わね。
ちゅうぼう
(きぬ、厨房へ去り、啓子もぐったり椅子にかける)
(ひそひそ声で)弱ったな。
百妙百妙百妙百妙百妙百妙百妙百
島子島子島子島子島子島子島子島

(ひそひそ声で)私たち、袋の鼠ね。
そう、いちいち、﹁私たち﹂って仰言らないで下さい。
それじゃあ袋の鼠は私なの?それともあなたなの ?

(イライラして)とにかく私はこんなととにしたくなかったんです。
私のせいにしても結構よ。

もっと素直に、﹁私のせいじゃない﹂って言って下さったほうがいいんですよ。
本気でこうなったことなら、こんな口争いもしないですむのにね。

そうですとも。ばかばかしい。ほんのあなたの気まぐれのおかげで。
ああ、 はじめて﹁あなた ﹂ って言ったわ。
私は怒りますよ。
憎む代りに?
そんなことを言ってる場合じゃないんです。
奥さんが怖いのね。
あいつはもう知ってるんです。部屋へ入って来ませんもの。
(きぬ、コ ップ に水をたたえて、もコて出る)
きぬ はい、水。
啓子 ありがとう。(ト智む)
きぬ カーニ バルがもうすぐなのに、こんな田舎にいるんじゃねえ。私は休暇をとって町へ
行きますけど、奥さんはどうなさるの?百島さんと一緒に休暇をとって、一思いにリオ
まで行ったらどう ?
啓子 でも旦那様がお留守じゃねえ。

きぬ いくらお留守だって、 ・ カ ーニ バルはカ ーニバルよ 。一年に一度のお祭りですもの。


やす
(││間111):::ああ、私、眠くなった。(ト大あ くびをして)さきに寝ませていただきま

すわね。

啓子 ええ、どうぞ。

きぬ あとで戸締りをおねがいしますわ。
啓子 ええ。
ぱか
き ぬ ( 立上って)今夜は面白かった。たまにはああやって、莫迦さわぎをするのもいいわ
やしきうっとう
ね。お邸にばかりとじこもっていると、何だか替問しくて。(ト上手階段へ近づき)おやす
みなさい、奥さん。
啓子 おやすみなさい。
5
25 (きぬ、階段を下りて去る。啓子、 一人黙然と坐っている
私が出て行ったほうがいいでしょうか それとも ・
・・
・・


6

百烏
5
2


妙子 そんなことを私に訊くの?
百島 こうしていると、私はあの納屋を思い出すんです。二人で、鼠のように:::暗い納屋
妙子 あなたがそう言ってくれたおかげで、私、勇気が出たわ。
百 島 何 かこうし てい ることが偶然としか思えないな。
妙子 起りはほんの私のいたずらなのに。

百島 ﹁私たち﹂は、 :::本当はもう死んでいるんでしたね。
妙 子 そ うよ、それを忘れたら、世界がめちゃくちゃになってしまうわ。ぼうぼうの墓石を

もちあげて 、死人と いう死人が生き返る。


百島 生きているというととを、忘れていなくてはいけませんね。
妙 子 忘 れ る前に:::。

(二人接吻する。妙子、敢然とドアをあけ、百島を残して、啓子を無視して、悠々と広聞を
横切り、上手の階段を昇って去る。やがて百島、自室の戸口に姿を現わす。啓子、顔をおお
うてうつむいている。百島、 r
回して 、ゆるゆると妻の背後に近づき、うしろから髪を併で
る。啓子、キツとして 、身をよけて立上る)
啓子 手を洗ってきて !
育島 :いやだ。:::なんなら、お前、髪を洗って来たらいい。
啓子 もう、私たち、おしまいだわ。おしまいだわ。
百島 子供だね。奥様はお 前 の震だって言っていた。畏にうまくかからなくちゃ 、 お前 に悪
いなんて言っていた。ほんの悪戯どころに、お前の好きそうな小さな額を 、部屋へ届けて
いたずら
下すったんだよ。
啓子 (きいていない)いつかこうなると思っていた。
百烏 こうなる、って何のことだ。
啓子 怖れていたことがとうとう来たんだわ。それとも、知らないあいだに、ずっと私がだ

まされていたかもしれないんだわ。
百島 いいかい?気持をしっかりしていなくちゃいげない。お前がもし自分の亭主のこと


、 く よく よ幻想を描いたりすれば、何でもお前の幻想どおりに見えてくるさ。

幻 想 っ て 何 ? 半 年 のν'あ い だ 、 私 こ の 目 で 、 い つ も し っ か り 見 て き た ん だ わ 。

い陣 'ル ﹄'
啓子

百島 そして何が見えた?
啓子 今はもう目なんか要らないくらい。盲らにだって見えるものが見えたんですもの。
百島 お前は平凡な、やきもちゃきの、子供っぽい女房になりきっている。俺だってそんな
ときは、ただ黙っていればいいと知ってるが、こうして口をきいているじゃないか、お前
のために。
啓子 弁解するためには、誰だって口をきかなければならないわね。
5
27 百島 俺が冷静なのがわからないのかい。
啓子 馴れていれば、誰だって冷静になれるわ。
5
28

百 島 そ うか、そんなら俺が口をきかずに、部屋へさっさと寝に行っちまえばいいんだな。
啓子 寝に行くまでもないんだわ。さっさと死にに行けばいいのよ。
百島 これは手きびしいね。
啓 子 死 ん で ご らんなさい、もう一度奥様と一緒に。 :::そ ら、あなたの顔は、怒っ てもい
ない。憎んでもいない。いいえ、今はもう怒って、私を院みつげているけれど、私にそう
言われて、一番先にあなたは恐怖に持たれた顔をしたわ。それが本当なのよ。死ねるもの
桔j

かつこう
な ら も う 一 度 、 奥 様 と 一 緒 に 刃 物 を 持 ち 合 っ て 、 お か し な ロ マ ン チ ッ ク な 恰 好 を し て 、死
んでみたらいいんだわ。 :::で きるもんですか。一度失敗したら、二度とそんなことはで
}

きゃしない。:::考えてごらんなさい。あなたと奥様のあいだには 、 あの事件が 、あ の死
#

が、ちゃんと横になって道をふさいでいるのよ。誰もそれを乗り超えることはできはしな

いわ。あなたはいつまでも、あの死にそこないの醜い顔を、忘れることなんかできはしな
いわ。
百島 (冷静に)それが醜いか、美しいか、お前は知らないんだよ。
魯子 知らない?今私はそれを知ったのよ。私だってずいぶん苦しんで想像した。あなた
と奥様の死んでゆこうとしたその瞬間が、どんなに美しいか想像して苦しんだ。それを知
りたくて、あなたと二人で死んだらどうだろうと想像した。でもあなたは私とは決して死
のうとしなかったわね。
吉島 当り前だ。幸福な夫婦がどうして心 中し たりするものか。
幸福な ﹂ だ な ん て 、 そ ん な お 座 な り を 言 わ な い で 頂 戴 。 私 の 考 え て
啓 子 こ んなときに、 ﹁
いた幸福は、こうだつたの。あなたと奥様が死のうと した 瞬間、その瞬間に負けない幸福
だったの。同じ強さの 、同 じ美しさの、 同 じ城ザ詰っ た幸福だったの。
百島 わかった。お前が今夜仕掛けた民は、その幸福を見たさにしたことなんだね。
啓子 そうだわ。:::でも私の見たものはちがっていた。私の夢みたり、想像したりしてい
たものは、まるで影だった。幽霊だった。:::今私はそれを知ったのよ。奥様が幽霊のよ

うに、私たちの部屋から現われて、私の前を、私には目もくれずに歩いて、三階へ昇って
行った姿を見たとき、私知ったのよ。あなたと奥様の死のうとした瞬間、私があんなにも

前いて、その美しさを苦しみながら想像していた瞬間は、世にも醜いものだった、って。

百島 そうかい 0
:・:それでいいんだ。そんなとるにたらない醜いもののために、もうお前

は苦しんだり、よけいな想像に悩んだりすることはなくなったんだ。
啓子 いいえ、その代りに私の夢みていた幸福も崩れたんだわ。私、そんな瞬間と自分の幸
u
'hv
"
福とを秤にかけることはもうできない。あなたを本当に奥様から奪おうと思っていた夢も
凶 ソ
崩れてしまった。
百島 何を言おうとしているんだい。俺にはもうわからない。
啓子 私にもわからない。ただ、もうおしまいだって言ってるのよ。あんな醜い死の瞬間を、
5
29 私たちの聞からも取ザ除くことはできなくなったの。もしあなたと奥様が抱き合って、二
ぱら
つの傷跡が蓄揖恨みたいに真赤になって、その場に私が居合わせて、それが私の自に、世界
6
20

中で一等美しい絵のように見えたとしたら、私には勇気が伊く都だったの。戦う筈だった
の。嫉妬したりする暇もなしに、あなたを奪いとるために、おそろしい力が湧く筈だった
の。:::でも奥様がこれみよがしにあのドアから現われて、私の前を横切って行ったとき、
﹁何だ、死んだ女だ﹂と思ったわ。
aれま
百島そんなに俺たちの濡場が見たかったのか。それなら云うが、ほんの気まぐれに、一年
ぶりの接吻ぐらいはしたんだぜ。

啓子(烈しく)それだけ?
百島 それだけだ。

4

@hw
啓 子 憐 れ な も の ね 。 ( 笑 う)憐れなものね。こんな小娘みたいな私の目を盗んで、たった

それだけ!

心を傷つげられて)もっと言おうか?お前がそのほうがいいと云うんなら。
百 島 ( 自 尊、
啓子ええ、仰言い。いくらでも何言い。私、信じるから。まるごと信じるから。あなたの
ざんげ
卑劣な醜い俄悔をみんな信じる ! 信じてどうだつていうの。何もないんだわ。(泣く)
何もないんだわ。あなたはもう他人だもの。
百 島 他 人 だ っ て ? ( ゆ っ た り 椅 子 に か け ) い い か い ? お前がその気なら、俺はほかに勤
め口を探して、ここを出たっていいんだぜ。
啓子え?(ト百島の顔をみつめる)
百島お前のためにはそのほうがよさそうだし、俺のためにも:::。
啓子あなたのためにも、ですって?
百島いや、俺はここに居たって居なくたって、別にどうってとともありゃあしないんだが、
ただこんなに待遇のいい家はないから、今までいただげのことなのさ。それに旦那様があ
んないい方だから、御思返しをしようという気持もあってさ。 :::しかし、もういいんだ。
こうなったら、もういいんだ。どんなに給料が安くても、ほかに口を探してここを出ょう。
啓子もうだめなの。

百島何が?:::いいかい。そうして別の新らしい土地で、何もかも忘れて二人で暮そう。
啓 子 も う だ め な の 。 何 に も な ら な い のOi---私、今までそれを夢みていた。新らしい朝が

来ると思ったの。:::でも、もう勇気がないの。いっそ私一人がどこかへ行ってしまった

ほうがいいんだわ。

百島なんだ、お前、どうしてもっと素直に嫉けないんだ、こんな手数をかけて。:::俺だ
って、ついお前の手に乗って、一年ぶりの接吻だの何のって、下らないことを言ったんだ

ヵ3 0 ‘
啓 子.
(耳をおおって)もういいの!もういいの!

AJS
百島あれも口から出まかせの嘘だったんだ。今さら接吻なんて、ばかばかしい。
啓子 (百島をじっと見て)もういいのよ。
6
21 (百島顔を寄せる。啓子経くっきのける。上手の階段を大杉があわただしく昇ってくる)
百島さん!百島さん!
62



2

(啓子、っと立って背を向け、窓から外を見るこなし)
あり ︾うもろこし
大杉いやあ、百島さん。大変なんだ。薬切織の大群が、玉萄黍の倉庫に押しよせてね。ぁ
れをほっといたら、一晩で倉庫が空になっちまう。そこらじゅう蟻の海で、そいつらが一
粒ずつ玉萄黍の実を背負って、巣のほうへいそいで行くんだからね。連中を呼びに行こう
にも、踊って酔って正体がないし、私一人じゃ、薬を撒こうにも:::。一寸来て手つだっ
て下さいよ。

百島今行きます。
大杉今行きます、って、私と一緒に来て下さいよ。はやく通路をふさいじまわなくちゃ。
帯子

百島(心を残しつつ)じゃ、行きましょう。
ぷどうしゅ
大杉いや、さっき葡萄酒をいただいてね。あんまり暑いんで、酔いざましに庭へ涼みに出

たのさ。.そうしたら倉庫のまわりの地面が、黄いろくなって、むくむく動いてるじゃない
か。(百島と共に上手階段を下りゆきつつ)それがみんな玉萄黍の実を背負った蟻の大群だ
ったんだからね。(二人去る)
(啓子、椅子にかけて黙考す。やがて立ちて、自室へゆき、額函を見る。ベッドの上に乗り、
これを外して窓から捨てる。そのとき、幽霊の如く、正面露台のドアの網戸を透かし、刈屋
た&手'
の作んでいるのが見える。啓子、又、広間へ出で来り、その姿を見て、あっ、と叫ぼうとす
る)
刈屋 (入って来て、旅行鞠V一戸口に置く)ゃあ。
啓子 まあ、 E那様。まあ、びっくりした。
刈 屋 何 がびっくりした、だ。かえって来い、って電報をよこしたのはあんたじゃないか。
啓子 でも、いきなり。:::それに自動車の音もきこえませんでしたわ。
刈屋 その点はぬかるものかね。飛行場からタキシを雇ってね、門の前で下りて、ここまで
忍び足で歩いて来たんだから。:::あんた一人かい?
啓子 (黙ってうなずく) :::

刈屋 私に見せてくれることになってる大芝居は終ったのかね、え?
啓子

刈震 やれやれ暑いな。(卜椅子にかけ)御苦労様なとった。みんなあんたの儒官次第。あん

たのおままごとのお相手なら、いくらでもっとめる私さ。 :::今夜だってサン・パウロじ

ゃ面白いパーティ ーがあったんだが、商売女ばかりの。:::しかしあんたと鬼ごっこをし
たほうが面白い。(汗を拭いたハンカチをひらひら振りながら)大ぜいで見送りさ、ハンカチ
で飛行場がFM口の野原みたいに真白になった。いや、それは対野安だが :::。何事もあん
たの御意次第さ。 :::グ ワ ラ ナ を く れ ま せ ん か 。 こ う 暑 く ち ゃ 、 あ ん な 子 供 の 飲 物 で も
(啓子、きくより早く厨房に入り、コカコラの如き清涼飲料グワラナとコップを盆にのせて
6
23 持って出る)
刈 屋 (ずむ)ああ、うまい。体にしみとおる。いや、今夜の商売女のパーティーは、サン ・
6
24

パウロ社交界の呼物でね。その晩は奥さんを置きざりにして、紳士方だ凶りがこっそり集ま
るのさ。そうしてうかれずどもを相手に、一晩じゅう:::。
啓子少し召上ってらっしゃるんですね。
刈慶 いや:::うん。
啓子 飛行機の中で ?
刈屋 飛行機じやむやみに呑めやせんよ。(ポケットからウイスキ ーのが蹴をちらりと見せ)こ

れをね、リンスからここまでのタキシの中でさ。
啓子 (ズパリと)やっぱりお怖いんですね。

何が?(気がついて)だって、あんた、その怖いものをどこで見せてくれるんだ。

刈屋
・百島君は ?

啓子 あれは今大杉さんと一緒に白蟻退治に行ってますの。
刈 屋 白 磁 ね 。 :::いよいよその白蟻が群をなして、古巣へ戻ったとでもいうのかね。
啓子 いいえ。
刈屋 どうしたんだね。(ト啓子の手を引張り)ここへ坐りなさい。どうだつたの ?
啓子 今夜ね、奥様とうちの人は二人きりでした。
刈屋 うん 、:::そうして 。
啓子 (涙をこらえて)何もなかったんです。
刈屋 そらごらん:::え?
啓子 私、すぐかえって下さいって、電報をさしあげたのは、あれは:
刈屋 うん :::うん。
啓子 あれはただ私一人で心細かったからでしたの。
刈屋 やれやれ、おどかすね。わざわざ飛行機の時閉まで、はっきり指定してよこしたりし
て。:::折角見世物が見られると思って、とるものもとりあえず、今夜のたのしみもフイ
にして、飛んで・
来た私だのに。

啓子 申訳ございません。
刈 屋 何 ね、あやまらなくたっていいんだよ。私たちは友だちだもの。仲のいい友だちだも

の。何事もあんたの御意次第、ね、何事も御意次第:::。

啓子 そんなに私の体をやさしくゆすぶったりなさらないで。死んだお母さんが寝る前に、

よくそうして私をゆすってくれたものですわ。
刈屋 (手を離して)へえ、この私がお母さんとはね O i---心細 か っ た の か い ? 本 当 に 。
﹁私一人で﹂と言ったね。百島君はいなかったの?
啓子 いました。いつも私、あの人のそばを離れることができなかったんです。でも・
刈屋 でも、何だね。
啓子 一人ぼっちになったんです。
私、一人ぼっちだったんです。そうして今は、もっと私、
5
刈屋 辛く当ったのかい?百島君が。
6
2
啓子 いいえ、あの人はやさしかったんです、いつものように、まるで旦那様、あなたのよ
6
26

うに。
刈屋 妙なととろへ私を引合いに出さないでもらいたいな。

れ山
啓子 電報をさしあげたのは、もう我慢できなかったからなんです。お発ちになってから三
週間、私、毎日毎日待っていました。それでいてあの人のそばを、ちっとも離れることが
できなかったんですの。そのうちに待っていることが 、私一人の秘密の中に生きて、怖ろ
しい不幸を待ちあぐねていることが、我慢ならなくなりましたの。毎朝お庭のむこうから

日が昇って、之のお部屋があかるくなり、やがて日がしりぞいて、見渡すかぎりの瑚排の
葉が、漆を塗ったように輝やきだすと、この毎日毎日をただ不幸なたくらみのために、暮
してゆくのが郡部なくなりましたの。人間って決して不幸をたのしみに生きてゆくことな

んかできませんのね。

刈屋 だってあんたの待ったのは、結局幸福を待った筈じゃなかったのかね。
啓 子 そ う で す わ 。 で も 不 幸 と お ん な じ くらい 光り輝ゃく幸福、死とおんなじくらい光り輝
ゃ く おm、 そ ん な も の が だ ん だ ん と 、 信 じ ら れ な く な り ま し た の 。 そ う し て 一 人 ぼ っ
ちに耐えきれなくなって:::
刈屋 電報をよこしたんだな。(ト髪を析でる)
啓子 (素直にうなずきつつ)今はまた、私の待っていたものが絵空事だったとわかりました
いとま
の。あの人と二人でもうここをお暇したいとも思いません。それより私一人で、どこかへ
行ってしまったらいいんですわ。
刈屋 ばかだな、可愛い人だ。あんたが一人で出て行くようなことは、私がさせないよ。
(ト啓子の胸を撫でる)
啓子 (力なげにその手を放ちゃりつつ)旦那様ったら今晩はどうしても、商売女のパ ー ティ
ー のおつもりなのね。
刈屋 (わざとおどろいて)そんなことはない。
啓子 (激怒して立上り)そんなことはない、ですって!
A〆

企nv
刈屋 おや、怒ったな。これはきれいだ ! 花 火 の よ う な 眺 め だ よ 、 啓 子 さ ん ! こ の 家 で
人が怒るのをはじめて見た。:::そのまま、:::そのままそうして立っていておくれ。画

描きだったら、こんな瞬間のあんたを、画に描かずにはいられないだろう。滝のようだ。

夕日のようだ。カー ニバルのときに頭上にまきちらす、あの五色のコンフェッチのようだ。

(このとき、風に乗ってサムパの合唱、高くきこゆ)
私は目をつぶったよ。(ト目をつぶる)あんたが立っている。 :::私の目のなかに。:::怒
って、目がかがやいて 、髪の毛が影絵になった榔子の葉のようにくっきりして:::、あん
やし
たは生きているよ。本当に生きているよ。
︿ずおひざ
啓子 (急に床に崩折れ、刈展の膝を抱いて泣く)そんなことはない、ですって。そんなことは
ない、ですって。
6
27 刈屋 (啓子の頭を抱き、やさしく)そんなことはないんだよ。
啓子(狂暴に顔を上 げ ) そ う じ ゃ な い の 。 今 夜 は 商 売 女 の パ ー テ ィ ー が あ る ん で す わ 。 サ
6
28

ン ・パウ ロ で も 、 こ こ で も ! 作 男 た ち は 踊 っ て い ま す わ 。 さ っ き 若 い黒ん坊が、私の腰
を抱いて踊ったんだわ。
刈 屋 子 供 も 生んだことのない、あんたのこの小さな腰をね。
啓子私:::商売女になりま すわ。
刈屋 、え?
啓 子 御 意次第って 何 言ったでしょう。
刈 屋 御 意 次 第 :::。

(二人相抱く。刈屋、急に思いついたことのある如く、日をかがやかす)

刈 屋 そ う だ 、 い い こ と を 思 いついた 、啓子さん。:::いいかね、あの納屋へ行とう。百島
君と妙子の思い出のあの納屋へ行こう。あの納屋の死んだ思い出を、われわれの生きた思

い出にしよう。われわれであの納屋を清掃してしまおう。消毒してしまおう。二人が死に
そこなったあの場所で、われわれの結婚式をあげましょう。
啓子納屋:::おそろし くて私一度も 、あそこへ入ったこと がありませんわ。でも二 人が死
にそこなったあの納屋で、もしかして私たちが生きそこなって:::。
刈 屋 つ ま ら ん こ と を考えてはいけない。さあカ ーニバル が、ここ へだけは一足先にやって
くるんだ。さあカ ーニ バルのはじまりだ。(ト抱いて立上 る)
啓子ああ、私:::。
刈屋 どうした。
啓子 足が痛いの。久しぶりで踊ったもんで。
もた
刈屋 私 の 踊 り は う ま い よ 。 痛 み な ん て す ぐ 消 え る 。 私 に 第 れ て お い で 。 そ う ら ! そう
ら! (ト正面ドアをあける)
啓子 (刈屋のポケットよりウイスキ ーの小緩をとりだし、刈屋に手渡して)呑ませて。
刈屋 (啓子の口にドクドクと注ぐ)そうら!そうら!
啓子 私:::。私 :

刈屋 まだ酔っちゃいないよ。
啓子 お酒って、なかなか酔わないものなのね。

刈屋 ブラジルの汽車みたいに、ゆっくりと、だ。

啓子 遠くから:

刈屋 え?
啓子 汽車の汽笛がきこえて、線路にだんだん、ひびきがったわって来るわけなのね。
(二人もつれ合いつつ露台へ出しなに、刈屋はウイスキーの空総を庭へ投げ捨てる。退場。
サムパの合唱。││間││)
(上手階段より、百島、薬品と泥に汚れたシャツ姿で上って来て、自室へゆき、壁を見上げ、
額のないのに気づき、急に不安にかられて)
69 啓子 ! (ト呼ぶ)



2
ちゅうぼう
(さらに厨房の戸をあ砂てみて、﹁啓子 1﹂と呼ぴ、広間をかけまわりて、﹁啓子!﹂と呼ぶ。
7
20

そのとき、同じ上手階段より大杉が上って来て、百島と顔を合せ、口に指をあてて、黙って
いろ、というこなしをする)
百島啓子はどこです。
大杉:・ ji---。(露台のドアへ歩み寄り、ドアのそばのスイッチをひね って、室内の灯を消す。
あご
ドアをあげ、顎で庭のほうをさし示す)
(百島、その遠景をじっと見て、大杉の一一周をゆすぶる)

百島誰です、あの男は。
大杉日一那一
様。

百島えっ、そんなことはない。まだかえって:::。
(大杉、戸口より鞄をもち上げて月あかりにさし出す。百島まじまじとその鞄を手にとって

見る)
大杉あかりを消せば、むこうからは見えません。私はスパイをしていると思われるのは御
免です Oi---あなたは見る権利があります、あなたは。
ちよりつ
(百島、露台へとび出して作立する)
︿口や︿やし
大杉月あかりに孔雀榔子の影がくっきりと見えますな。二人で手を組んで、よろよろして、
大分まわっておられるんだな。そら、納屋のところへ来た。納屋の、眠っている牛みたい
な黒い影。:::そら、納屋の戸がひらいセ。・:・:
(百島、力なく室内へ入ってくる)
大杉 どうして行かないんです。そう訊くのも野暮だが Oi---どうして追って行って、あの
e
-
人たちを殴り倒すわけにゆかないんです。そう訊くのも野暮ですがね。でも、あなたの腕
もっと
力なら:::。尤もね、私がいてはね。:::私は邪魔者だ。ただ見るだけで、:::私が居れ
ば、何かとね。:::一人にしておいてあげよう。ゆっくり考えて、何とでも思うようにし
たらいい。あなたには権利がある。:::そうさな、私には何の権利もない。もっとも、あ
そこへ追ってゆく気がしないというのもわかるが、:::しかしね、それもわかるが、私が

いてはね。 ・
:・:さあ、私は眠くなった。:::働らき疲れて、年をとって、と。:・:・
退散し
ますよ。先にやすませてもらいますよ。:::おやすみ。

(大杉、又上手階段を下りて去る。 │ │間 ││ 。百島、心乱れたる体で、やがて自室へ荒々

しく歩み入り、ベッドに身を投げ出す)

7
21
7
22

前幕より三日後の夜明け前。薄明に充たされた室内。運転手の自室では啓子一人限っている。
百島は広聞の正面上手寄りのディヴアンの上に身をかがめて限っている。やがて上手階段か
ろうそ︿しよ︿だい

ら蝋燭の火影がながながとのぴ、燭台をかざした妙子(第一幕と同じ服装。ただし帽子をか
ぶらず)が降りて来る。妙子はディヴァンの上の百島に気づき、おどろく。それから燭台の

火に照らして、その寝顔を眺め下ろす。
百島(目をさまして)あ。(ト言いてはね起きる)

妙 子 (燭台を卓上へ置きに行き、笑いながら戻ってくる)追い 出 さ れ た の ? 奥 さ ん に 。
百島いや:::。
妙 子 ど う し て で し ょ う 、 私 、 一 日 一 日 は や く目がさめ てしまう。もっとも暗いうちから散
歩に出るのって、いいもんだわ。一日のうちでいちばん涼しい時刻ですもの。このへんで
与4FAY
はまさか虎やν
豹も出ないでしょうし、うるさい鳥たちはまだ眠っているし、熱帯樹は夜露
"
おお
に濡れ、ところどころに魂みたいな巨きな蛍が :::。でも今朝は、折角散歩に出ょうとし
たところを、そんなところにあなたが寝ているんですもの。
百 島 (妙子のセリフの問、煙草に火をつげていて、ぼんやりと)申訳ありません、どうも。
妙子(笑って)追い出されたのね。
百 島 い や 、 まあね、自分で自分を追い 出し たんです。三日前のあの娩から、私は女一房と 一
つ寝床に寝ているのが怖ろしくなったんです。あいつの寝姿が、いかにも、いぎたなく寝
ているという感じで。:::それもね、あいつは寝る前には泣いたりわめいたり、大さわぎ
か︿ E
をして掻き口説いて、私を寝かせないんです。そのくせ先にぐうぐう寝てしまうのはあい
つなんで。

妙子何しろ啓子さんは健康ですもの。
百 島 健 康ですね。日本人だかブラジル女だかわかりませんやね 、あいつは。 もう日本人の

血は消えてなくなってるんでしょう。

妙子三日前、あの人のかえって来た晩、私三階の窓から、一部始終を見ていたの。わざと

下りて行かなかった、あなたの顔を見るのが気の毒だったから。:::苦しんで?
百島まあ、その時はね。
妙子でも今の寝顔は、苦しんでいる人の寝顔ではなかったことよ。
百島それはね、こうだつたんですよ。あの晩、あれを見てから私は、やけ酒をずんで ベッ
ドにぶつ倒れていました。そこへあいつが帰って来ました。そうして、私の気がついたこ

とを察して、泣きながら詫びを言って、殺してくれ、とか、殴ってくれ、とか、大さわぎ
m
u-eトaFAJ
7
23 をやらかしました。私もね、卑怯ですが、日一那様には手出しをしなかったくせに、女房に
は、横っ面の一つぐらい張ってやるつもりだったんです。 :::ところが 、そ んなあいつの
7
24

大さわぎを見ているうちに :::。
妙子 え?
こっげい
百島 ふっと、滑稽になってしまったんです O i ---
それから私は、くるり とうしろを向 いて
寝たふりをしました。啓子はいつまでもめそめそ泣いていました。そのうちにあいつは寝
ちまった。そうしたら、今度はこっちの目がさえて来たんです。
妙子 わかった。こうでしょう。そのとき 、 あなた 、急に啓子さんを殺しそうな気持になっ

た。ひょっとしたら、殺すかもしれない。それが怖さに、こうして離れて寝るように ・ :
百島 (無気力に笑う)そうじゃないんです。そんなロマンチックなんじゃ O i -
-私はね、こ
-
.~l

っそりこうして脱け出して、窮屈なディヴァンの上に寝て、朝は女房が起きる前にまた寝
床へかえって、そしらぬ顔をしていてやろうと思っただけなんです。

妙子 どうしてあなたともある人が、そんなに意気地 のない :
ゆる
百島 いいですか、奥様、私は恕した人間です。一度恕してしまったんです。そうしたらも
う身をかがめて、小さくなって、何もかも恕して しま わなげりゃならないんです。
妙 子 古 風 な人ね。恕されたことがあるから、恕さなければならない 、 なんて。ただの 御恩
返し。ただの義理。 :::私はあのとき三階の窓から 、月に照らされた納屋を見ていた。二
しっと
人があの納屋へ、私たちの納屋へ入って行った。嫉妬は少しもなかった。ただ私空想した
の。今まで知らない熱い気持で、私、空想したの。ピストルを持ったあなたがあの納屋へ
むかつて、まっしぐらに駈け出す姿が見られるだろう、って。
百島 そういうすてきな見世物は、退屈を一ぺんにきますような見世物は、とうとう御覧に
なれませんでしたね。まあいい。私はあのとき、その代りに酔いつぶれて、寝ころがって
おいめ
いただけだ。まあそれでいい。これで一年間の負目が返せたと思うと、ほっとした 0 ・
:
さてと。女房が目をきます前にそばへ行っていてやります。何しろ目がさめたときに、私
がそばにいないとうるさいんですから。(ト下手へゆきかかる)
妙子(引止めて)待って。

百島 もう行かし て下さい 。ね、奥様。


妙 子 待 っ て よ 。 じ っ と 目 を つ ぶって 、私 の言うことをきいて O i---ねえ、こ う思えないこ

と?負目を返したのはいい。それはいいわ。でもあなたの心が、どこかであのこ人をゆ

るしていない。あなたはだんだん、だんだんに苦しむの。それを私が見て :::。

百島 もう苦しんでなんかいない、って言ったじゃありませんか。私がもし苦しんだら、日一
つぽおっしゃげ曾こう
那様の思う査にはまったことです。あなたの何言るように、私がもし激昂して、あの晩に
AP
二人を射っていたら 、それこそ旦那様の思う壷だ。もしかして旦那様は、啓子とおんなじ
ねた
に、あなたと私の一年前のあのことを、妬んでいらしたのかもしれない。自分もそうなり
たいと、その機会を、いつも狙っていらしたのかもしれない。啓子はたまたまそれに引っ
かかっただけだ。それでなくてどうして納屋なんかへ:::。いいですか 、奥様、私はさと
7
25 ったんです。自には目を 、歯には歯を、そ うして、寛大さには寛大さを、っ て

6

妙 子 ああ、思い出した。いつか、あなたはこう言ってた。あの人の寛大さは伝染するって、
7
2

あの寛大さの毒はうつるって。あなたにもそれがうつって、もしかしたら、あなたまでが、
あの人と同じものになってしまった:::。
-
eきめふ︿しゅう
百 島 そ う で す ね 。 そ れ が 旦 那 様 の 考 え 出 さ れ た 、 一 と う 利 目 の あ る 復讐だったかも しれな
ささい
い。啓子をとられたことなんか、それに比べれば、些細な事件にすぎなかったのかもしれ
ないんです。そう思ったら、私は ::

:
妙子そう思つてはいけないわ。いけないのよ。そう思ったら、あなたはあなたでなくなる。

あなたはあの人になってしまうのよ。
百 島 致 し 方 あ り ま せ ん 0 ・:・:とにかく今では私には、旦那様の安楽なお気持がわかるんで
北市
す。人を恕すということは、こんなことだったのか。こんなに楽なことだったのか。 -
そしてこんなに人聞を無力にするものなのか。
妙子伊 r

そんなことを:::。
百島私はね、ちっとも女房に嫉妬をしていないからなんです。
妙 子 負け惜しみのつよい、目のきれいな少年みたいね、あなたって。:::こうしてディヴ
アンの上にうずくまって寝ていたりするのが、あなたの苦しんでいる何よりの証拠よ。
百島 いずれ馴れますよ。いずれ又女房と一緒に、呑気な寝息を立てることになるでしょう。
今のところはちょっと、私と同じようなあやまちを犯した女と、まるで同じ病気にかかっ
た病人みたいに、並んで寝ているのがいやなだけなんで。:::(急に思いついて)でも、
何だって私に、そんな見当外れの同情をして下さるんでしょう。
妙子さっき言ったでしょう。あなたが苦しむ。それを見ていて、私が :::

富島え?
妙子(笑う)いいこと?私が同情する。私は眠れない。私はこの次の夏までには、病み
衰えて、どうせこの世の人ではなくなるでしょう。いいこと?(笑う)そこであなたも
私に同情する。二人は相談する。一緒に死にましょう、って。一年前にもこんな夏の晩に、
二人はしめし合わせて死のうとしたつけ。でもあの時は十分厳粛だった。今度は:::。

百鳥面白半分、ふざげ半分ですか。
妙子そうよ、世の中って、真面目にしたことは大てい失敗するし、不真面目にしたことは

うまく行く。そうじゃない?

吉島そう言えば女房が、手きびしいことを言いましたつけ。﹃死ねるものならもう一度死

んでみろ。死の恐怖を一度味わった人は、二度と自殺なんかできないものだ﹄って。(笑
う)ははは、啓子の鼻を明かしてやったら愉快だろうな。
妙子愉快でしょうね、さぞ。
SZか
(二人顔を見合わせ、あたりを慨りて、しのび笑いをなす。笑いが止らない。ある瞬間に、
r
二人はふっと笑い んで、慨燃とする。百島身を離して、窓から戸外を見つつ)
百島大した理由もなくって死ねるもんだということを、われわれほど知っている人聞はな
7
27 い都なんだ。冗談はやめましょう。
妙子まじめな理由も、ふまじめな理由もおんなじことよ。もし愛し合っていれば、死ねる
7
28

んだわ。
百 島 私 た ち は・:
妙子﹁私たち﹂って言ったのね。
百島まだ愛し合っているという風に、考えられないもんでしょうか。
妙子考えようによってはそうでしょう。殊に世間の目から見たら。
百島 世間の目になりきったら:::。

妙子あなたもそろそろ不真面目なことを考え出したのね。
百局 (ふりむいて、妙子をじっと見て)奥様、自分は絶望しているって、はっきり感じたこ

とがありますか?
妙子どうしてそんなことを私にきくの?

百島誰でもいいんだ。誰でも答えてくれる人があればいいんだ。それがどんな感じのもの
かゆ
だか。痛いのか。激痛なのか。鈍痛なのか。それともただの、しかし我慢しきれない淳さ
なのか。くすぐったさなのか。
妙子何でもないわ。それはね:::それはただの朝の散歩よ。不眠症の女の、夜のしらじら
あげにする奇妙な散歩よ。その女は朝風に髪をなぶらせながら、何も見ず、何も聴かず、
せっせと歩くの。つまずきもしないで ・
百 島 朝 の 散 歩 :::。
妙子 一度一緒に散歩にゆかない? 私と。そうしたらむかるわ。
百 島 行 き ま し ょう。
妙子 私は命令するのよ。あの人みたいに紳士ぶらずに、私威厳を以て命令するのよ。運転
手。車の仕度をなさい。私は今朝は車で散歩をしたいから。:::どう?
百島 お車なら、ゆうべのうちにガソリンを入れておきました。いつでも出られます、奥様。
今日はどちらへ?
ふち
妙子 望 み ケ 淵﹄

百島 (おどろいて) ﹃
望 み ケ 淵﹄!
だんがい
妙子日本人がそんな名をつけたのね、あの断崖に。コーヒー園の外れの、あんな手近なと

ころに、あんなにいい場所があるなんて。(ト二人ディヴアンに並んで腰かける)

百島 あの断崖から一度馬が、落っこちて死んだことがあるんですよ。しかし大杉さんが費

き︿
用を引きしめて、いまだに柵一つ作つてない。
がけ Uょう
妙子 崖の高さは四、五丈あるわね。崖の上まで来たら、(トハンドルをもっ手ぶりをしつ
つ ) い い と と ? あ な た が ハ ン ド ル か ら 手 を 離 す 。 目 を つ ぶ っ て 、 こ う し て 、 (二人抱き合
いて、狂おしく接吻する)
妙子 あとは何にも考えなくていいんだわ。崖の下には 川 のほとりまで、到のような岩がひ
しめいている。
Uゅうたん
7
29 百島 柔らかい岩だ。もうその瞬間から先は、あの岩は私たちには、柔らかい繊後みたいに
なるんだ。体がすっぽり包まれて ・::。
8
20

妙子 (急に笑い出して)あなた、鰐のことを考えなくていいの?朝になると 、鰐が私たち
わに
の舟慨を喰べに来るんだわ。(狂的に笑いこげる)夜が明ける。こうしてここで、あの人た
ちが朝御飯をたべている時聞は、私たちも朝御飯の時間ってわけね。
百島 あの 川 の鰐はどうだか。みんな大人しいやつばかりだから。土人が喰われたという話
もきかないしね。
妙子 あなたってどうしてそう真面目なの。どうしてそんなに 真面目なの。(ト又接吻する)
(空は少しずつ白みかける。小鳥が轍 M

ソだす)
妙子 (守王り、戸外を見て)夜が明けるわ。やかましい小鳥。(百島をかえりみて)ねえ、私が

いつ死のうと思い出したかわかつて ? いつまで待っていても、ピス ト ルをもったあなた


の姿が現われなかったあの時からよ。
百 島 (永き開聞ののち、暗然と) :::私もです。

妙子 夜あげの噌り。コ ーヒー 園のむこうから昇る太陽。ぎらぎらした、重苦しい 、真赤に


付いた鉄の球のようなあの太陽 ・・・・


富島 (立上りそそくさとしつつ)書置の一つも書かなくちゃね。
妙 子 そ うね。それも一つの手続ですもの。
百島 (ポケットから紙片を出し、万年筆で 、立ったまま、卓上で 書きだす)﹁ ﹃
望みヶ淵﹄ で私た
ちは死んだ ﹂│ │ 過 去 形 で す か ?
妙子 (のぞき込んで)現在形ね、 ﹁さようなら、私たちはもう死んでいる ﹂ :::そ う。(百島、
サインをなす)
百島 (ぺンを渡し )さ、あなたのサイン。
ほのお
(妙子サインをする。百島、紙片の上に燭台を重しに置き、蝋燭の焔を吹き消す。遠くジャ
ランジャランジャランと鐙の音が起る)
妙子 コロニヤの鐘ね。
百島 作男たちの起床の合図だな。

妙子 目をさませ・・・・・・目をさませ。
百島 目をさませ、か。

︿ぴすじきずあと
(二人相抱いて接吻し、しかるのちに、気づいて、お互いの頚筋の傷痕に接吻する。抱き合

いつつ)

妙子 アラマンダの花が生きかえったわ。
百島 アラマンダの花じゃない。真赤な花だ。
妙子 真赤だわ、真赤だわ、あなたの花も。
百島 氷が融けた。
妙子 見えるわ 、 もう一度。すぐ目の前に、赤い花が :::。
(二人又狂おしくその頚筋に接吻し合い、ドアを排して、風のごとく戸外へ走り去る)
1
(やがて下手の奥から自動車の爆音がきこえる。下手の部屋で、啓子が目をさまし、はね起
8
2
きて、小さい窓から下をのぞく。それから靴をはいて駈け出し、広聞を横切り、露台へ 出て 、
8
22

駈げ去る。自動車の爆音遠ざかる。空は大分白み 、室内は徐々に明るくなる。容子、情然と
しようぜん
きょうが︿
かえって来る。卓上の紙片に気づき、これを窓の明りで読んで、驚悔する。上手階段の下で、
﹁旦那様 ! 旦那様 !﹂と絶叫する)
(階段から、 刈屋が悠々と下りてくる。階段の下には、啓子が傑えながら仲立している。 刈
屋に紙片を手渡す。刈屋落着いて読み、卓のほうへ歩み、椅子に掛げる。啓子それを追って、
車のかたわらに立ち、じっと刈屋を見つめる)

(業を煮やして)死んだのよ、とうとう二人で。自動車で ﹃
望みヶ淵﹂ へ!
刈啓
屋子

(沈思黙考ののち)いいかい、啓子、寛大になるんだよ。寛大になるんだよ。
ぼうぜん

(啓子、呆然と刈屋を見つめて、卓上に身を伏して、号泣する)
刈屋 (その一周を撫でながら)ゆるしてやるんだ。:::な、大きな気持で、ゆるしてやるんだ。
啓子 (その手をふり切って、狂おしく立上り)あなたが殺したんだ ! あの人を殺 したの はあ

なたなんだ !
刈屋 啓子 :::。
啓子 あなただわ 、 あなただわ。あなたの白い手が、その真白な手が人殺しの手なんだわ。
決して血に汚れないで 、自分の見えないところまで人を追いやって、そうだわ、その白い
手で遠くから操って、あなたは人を殺すんだわ !
刈屋 おい、おい、啓子 :::。
おこな
啓子 あなたを許せない。いつも猫撫で声で、決して怒らない、神さまのようだなんて、ぃ
つも犠牲者ぶって 、:::ブラジルの日本人たちはみんな盲らだわ。あなたを尊敬する、あ
なたのどこを ? 骨の髄まで腐った人。腐った肉を、腐った骨を、どうして尊敬するの。
ぎんぱ え うりむし
そんならこれから、銀蝿を、姐虫を、みんなで有難そうに拝んだ ら いいんだわ。お高ぐ と
まって、日一那様なんて呼ばせて、あたしたちと一緒に食事をして、見かけだけあたしたち
の友だちのようなふりをして、 心 の底まで凍りついた人。人を殺すのにも男らしく殺さな
いで、じわじわ、じわじわと、その猫撫で声で、その誠らめたような顔つきで殺す人。

:::私、今日限り出て行くわ。出て行って行く先々で、あなたのことを言いふらしてやる
わ。あんなに卑怯な、あんなに残酷な人は見た こと がないって。

いっせん
(このセリフの間に、暁の最初の一閃が、啓子の顔をあかあかと照らす)

刈 屋 ( ひざまずいて啓子の膝を抱く)啓子 ::
:。

啓子 よして。もうお芝居はたくさん。また愚にもつかないこ とを言うんでしょう。何事も
ぎよい
御意次第だとか。怒った顔が花火のようだとか。もうたくさん!離して、ったら!
ν岬リ
ml
刈屋 :::啓子。お前は太陽だよ。ブラジルの太陽だよ。私を足蹴にしてもいい。踏みつり

てもいい。やっと見たんだ、一生涯見たいと思っていたものを。:::お前は大地だよ。ブ
ラジルの 、 広大な、燃えるような大地だ。怒っている太陽、おまえの血、おまえのはげし
やし
い何ものも慨れない心。:::ああ、おまえの 力強く脈打って、天までのびる榔子を育てる
3
血、新らしい逆流する血。 :::それだよ、それだよ、私の欲しかったものは。
8
2
n
--'
u
(啓子呆 然として身を離し 、無言で見成る)

8
24

太 陽 ! ず っ と 夢 み て い て 、 こ こ に い て 、 あ そ ζから昇ってくるのを毎日見ながら、何て
暗い太陽だろうと私は思った。そうだよ、私はそう思っていた。お前を知らなかったから
だ。お前の中に燃えている太陽を知らなかったからだ。本当だよ、啓子。もしかしたら私
は生れてはじめて、本当のことを言っているんだ。私は古い血だ。腐った血だ。お前の言
うとおりだ。しかしもう私は新らしい血に触れたんだよ。私は生き返るんだ。わかってお
くれ、啓子。
あさひ

(旭、徐々に昇る。刈屋、啓子を椅子に坐らせる)
ね、きいておくれ。妙子はあれも古い血だった。私と妙子、古い血と古い血をかけ合わせ
よピ

て何になるんだ。妙子と私は、もう日本にいても、底の底まで澱んでいる存在だった。丁
度夫婦養子の話があった。私たちは二人でブラジルへやって来た。憎み合いながら。::・

いいかい、啓子、私は今まで誰にも話さなかったことを話すから。:::例の一年前の事件
ふがい
ね、あれだってお前から見たら、ずいぶん私を肺甲斐ないと思うだろう。卑怯だと思うだ
ろう。しかし私が妙子をゆるしたのは、あれが最初ではなかったんだよ。
啓子 え ?:::。
刈屋 あれが最初ではなかったんだ。日本にいるあいだ、妙子はいつも私を苦しめつづけた。
まひ
どんな苦しみだって、馴れれば麻暗押してしまう。私はゆるした。仕方なしに、何度となく、
性懲りもな く、私 はゆるした。そうしているうちに、妙子も苦しくなったんだ。家計は傾
く、財産はなくなる、いくつとなくあった別荘は手離す、暮しの上で追いつめられて、見
栄ばかりがまだ残っている。袋小路だ。そこへこの刈屋家から、死にかかった未亡人から、
ぽか
夫婦養子の話があったんだ。あの未亡人は莫迦な奴だったよ。涙の出るほど莫迦な奴だっ
た。成上り者の最後の希望で、私の家名がほしかった。この年になるまで私と妙子の聞に
子供のないことを知っていながら、それでも私たちをほしかったんだ。たとえ最後の家族
ee
しん
になっても、刈屋家が日本で五本の指に数えられる名門と親戚になることをのぞんだわげ
だ。:::それでね、私たちはともかく、渡りに船で、旅費も刈屋掛か持ちでアメリカの飛行

機に乗り込んだ。新聞もさんざっぱら、私たちの壮途とやらを祝してくれた。ところがニ
ューヨークで、もう妙子はいわゆる﹁あやまち﹂を犯したんだよ。乙う度重なると、﹁あ
量 の

やまち﹂というのも妙だし、﹁年中行事﹂とでもいうんだろうか:::。
t

啓 子 (だんだん話にきき入って)まあ、 ニューヨークでも:::。

ゅううつ
刈屋そうさ、安っぽいアメリカ男とね。しかしね、さすがにそのとき、妙子も憂欝な顔を
していた。自分がいやになったなどと言っていた。妙子にしたところが、心機一転、生れ
かわるつもりでブラジルの片田舎へ出かけてゆく矢先なんだからね。:::そこでだよ、ブ
ラジルへ着いた。着いて二三ヶ月して未亡人が病院で死んだ。百島君は前からここの運転
手だった。彼は若かった。
啓子若かった:::。
5
刈 屋 い や ね 、 君 と 同 じ ブ ラ ジル生れで、新らしい 血の持主だった、と 一吉田っているんだ。ど
8
2
う思うね、啓子。:::私も妙子も、古い血であることには変りがない。しかし新らしい血
8
26

に出会ったとき、妙子はどうだ?あれは怖ろしい女だよ。あれは自分が滅びることを決

して疑わない女なんだ。あれは百島君と恋に堕ちた。絶望的な怖ろしい愛なんだ、あの女
のは。自分が滅びるのに、新らしい血を巻き添えにしようというんだからね。一年前の事
件もね、あれははっきり言って私が原因じゃない。何も死ぬことはなかったんだ。あれは
ただ妙子一人の絶望的な歌を、デュエットでやりたかっただけのことなんだ。妙子はこの
新らしい国へ来ても、太陽と大地が自分によそよそしくて、日本にいるときよりももっと

一人ぼっちになった自分に気づいて、それで死のう と し た だ け の こ と な ん だ よ 。 行 き 場 所
がなくなった、それだけのこと。巻添えになった百島君が気の毒だし、私はゆるした。じ

っと唇を噛んで、日本と同じように、このブラジルでも私はゆるした。今度も同じととだ。
わかったかい。

啓子何だかすこしずつわかつて来ましたわ。さっきはあんなに時翫したりして:::。
刈屋 いいんだよ、いいんだよ。そういうあんたが私は好きなんだから。私は妙子とはちが
うよ。妙子とはちがう。私は新らしい血にすがって生き返ろうとしているんだよ、啓子。
今あんたに見捨てられたら私はどうなる。私は生き返ってみせるよ。ブラジルの太陽と大
地が、もう私によそよそしい顔を見せないように。
啓子その白い手で?
刈屋 (神がかり的に)今は白い。なるほど白い。しかしこの手が生れかわるんだ。ね、大き
な、荒々しい、強い、真夏の大地のようにひびわれた手になるんだ。
啓子 なるでしょうか ?
刈屋 なるんだよ。それを信じるんだ。ごらん。(ト窓へみちびきつつ)日が昇った。コ l ヒ
こずえ
l園 は ま だ 影 が 多 い が 、 気 高 い ユ ー カ リ 樹 の 梢 が あ ん な に 光 っ て い る 。 不 幸 な 人 た ち の こ
とは忘れて、われわれは結婚しよう。子供たちを大ぜい作ろう。
啓子 あ の 人 が 死 ん だ ば か り な の に :::。
刈度 (ますます神がかり的に)死んだ人たちはブラジルの大地を富ます。妙子も永いことよ

そ よ そ し か っ た 大地 か ら 報 い ら れ る ん だ 。 ご ら ん 、 見 事 な 朝 じ ゃ な い か 。 今 日 か ら こ の コ
ー ヒー園が君のものになる。

啓子 (つりこまれて)私のもの :・

刈屋 そうだよ 、 君がここの女主人になる。作男たちは、君に敬意をこめた挨拶をする。二

人で毎朝コ ーヒー園 の見廻りをしよう。


啓子 私のもの ・
:
刈屋 (啓子の背に手をまわして)朝風にそよいでいるコ ーヒー の葉をごらん。コ ーヒー はど
ん ど ん 値 上 り だ 。 今 ま で 私 は そ ん な も の に ほ と ん ど 関心 を 持 て な か っ た ん だ が 、 こ れ か ら
は働らくよ。うんと収益も上るだろう。(啓子の耳に甘言をささやく)来年はヨッ トを買お
う 。 サ ン ト ス の ヨ ッ ト ・ク ラ プ へ 二 人 で 入 ろ う 。 社 交 界 の シ ーズ ン に は 、 二人で リ オ ・
7
デ ・ジ ャ ネ イ ロへ出かげよう。あそこではパリの流行が一週間でやって来る。君の着るも
8
2
のを買おう。首飾も買おう。
8
28

啓子 (夢みるように):::私のもの。
刈屋何もかも君のものだ。そうしてこの私のものは、君だげなんだよ。
(啓子、うっとりして刈屋に抱かれる)
(刈屋ふと気づきて、上手階段のところへゆき、階下へ耳をすまし、また啓子のところへ戻
る)
刈屋 大杉がもう起きたらしい。あのじいさんは早起きだからな。 :::いいかい、大杉が上

つできたら、自然に振舞わなくてはいけない。何も知らん顔でいなくちゃいけない。悪い
ことはいずれ知れるんだから、それまでは何も騒ぐに及ばない。妙子は散歩。百島君はそ

うだな、自動車の掃除とでも:::。
啓 子 私、今、自分で自分がわからないんです。とても平気なような気もするんです。それ
主九

でいて、わっと泣き出してしまいそうな気もするんです。
刈屋 気をしっかり持って:::。
(大杉、上手階段から新聞の束と制V抱えて昇ってくる)
大杉 おや、お早うございます。ぉ早いお目ざめで。(階下へ大声で呼ぶ)きぬさん !



さん!日一那様がもうお目ざめだよ。
きぬの声 まあ?そう!大へん!
刈屋 お早う。妙に目が早くさめてね Oi---妙子はもう散歩らしいね。
大 杉 さようでございますか。:::奥様はいつおやすみになるんでしょう。
啓 子 こ んな憎慌をしていて失礼。百島は私の寝ているあいだに、めずらしく車のお掃除に
行ったらしいのよ。
大杉 あの人も働らき者ですな。
ょっと
刈屋 あれだ付の人は一り
か寸見つからない。
大杉 気がききますしね、第一。
(刈屋のあまりに巧みな臥の切り方に、啓子は徐々に疑いに一一mYれ出し、夢心地からさめて

ゆく)
きぬ (あわただしく階段をのぼって登場)お早うございます。(駈け出しながら)すぐお仕度を

らゅうまう
いたしまずから。(卜厨房へ駈け入る)

刈屋 いいよ、いいよ、そんなに急がなくても。

大杉 昨晩また日本の新聞が届きまして。
刈屋 ほう。(卜奥なげに新聞に自を走らす)
つぷ
大杉 内閣が出来たと思ったら、すぐ又潰れたようでございますよ。
刈屋 そうかい。潰れればまた出来るでしょうよ。出来ればまた潰れるでしょう。やりたい
ζとをやればいいんでね。
大杉 (新聞をめくりながら)陛下がまた司令部をお訪ねになったようでございます。
9
刈屋 陛下もね、どういうおつもりだか。
8
2
大杉 へ?はあ、さようで。
9
20

刈 屋 コ ロ ニ ヤ に は変った事はないだろうね。
大杉 今のところ、別にございませんようです。:::ああ、(ト鞄から手紙をとり出し)お手
紙 が ま い っ て お り ま す が 、 サ ン ・パウロから。
まなざし
刈崖 ふうん。(ト手紙を読む。ふっと目をあげて、じっと非難するような限差で彼を見つめてい
る啓子に気づく。彼はこれを脆貯と誤解して釈明する)いや、私がこの間の旅行で、サン ・パ
ウロで附合っていた商売女の手紙なんだよ。ミス・サン・パウロとか云ってね。

(大杉びっくりして刈屋を見る。啓子にこんなことを告白する刈屋を理解できない。啓子は
ふ食ん
黙ったまま表情を動かさない。きぬが畳んだ卓布と、布吊をもって入ってくる)
WW
2Y
きぬ ごめん下さい。まだ拭いてございませんもんで:
(ト卓上の燭台を片附け、布吊で拭き、卓布を敷いて、又厨 一房へ去る。この間、刈屋は手紙

をよんでおり、大杉と啓子は無言)
刈 屋 ( 読みおわって)そうだな。手切金を送ってやろう。弁護士のカスチ リ オ君のところへ
送って、女にとりに来させたらいい。あとで文句の出ないように、弁護士にたのんでおけ
ばね。
大杉は あ

刈 屋 小 切 手帳を出しておくれ。
大杉 はい。(卜鞄から小切手帳をわたす)
刈屋 む ζうの要求よりは多いが、四百コントスにしておこう。(ト記入して、大杉に渡す)
大 杉 (うけとって見て)四百コントス。女はいいですなあ。惜しいことだ。これだけの金が
あったら日本へかえれるんだが:::。
啓子 (決然と口を切る)あなた、大杉さんに、日本へかえる旅費をおあげになったら。
(刈屋も大杉も心々に目を丸くして、啓子を見る)
そのくらいなさっていいのよ。
刈屋 うむ。 (さっきの広言 の手前、し ぶしぶ小切手帳をひらき)大杉君、 四百コ ントスでいい

かね。
大杉 (奇矯なる叫ぴをあげて、記入されんとする小切手帳を両手で押える)いけません ! 日
一那

様。いけません!そんなことをなすったら、私の人生はおしまいになるんです。そんな

ことをしていただいたら、夢は問えられて、私の前には、死ぬことしかなくなりますので。

縁起でもない。夢は夢なんでございますよ、御承知のように。それだからこうして毎日を
生きてもゆげますので。この地球の 裏側に日本がある、そう思って生きてゆけますので。
その小切手は、私の死んだときにお棺の中へ入れていただきます。そうしてお通夜の晩
高ぎげ
に、みなさんで酒を呑みながら、こう言って噺っていただけばよろしいんです。﹁可哀
想なじいさんだった。あんなに日本へかえって死にたいと言い暮していたんだのに ﹂ っ


91
こ同沈黙)
2
きぬ (ナイフとフォ ークをナプキンに包んでさわがしく登場。卓上に並べながら)まだみなさん
9
22


、 .AV
お揃いじゃございませんね。(ト又そそくさと厨房へ去る)
刈慶 奥さんもかえりがおそいな。
啓子 (たえかねて)あなた!
(このときかすかに自動車の爆音がきこえる。もっともまだ耳のせいかと思われるくらいで
ある)
啓子 (首をしめられたように叫ぶ)あッ !

刈屋 どうした?
啓子 あの音!あの人の車の音!

大杉 へえ?(ト立って、露台へ出てゆく。息苦しき関)
(遠くを指さして)

あれ、うちの車が。とんでもないところから。百島君はまた、どこへ行っていたんだろ

﹀つ。
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刈屋 (姶震と立上り)そんな筈がない!そんな筈が!
啓子 かえって来たのよ。やっぱり死ぬことができなかったのよ !
刈屋 そんな筈がない !
啓子 死ねなかったのよ ! まだわからないの。二人がかえって来たのよ !
(この叫ぴに大杉は不審げに又室内へ戻ってくる。自動車の音、徐々に高まる)
啓子 今度こそゆるしてはいけないわ ! 今度こそ ! (ト刈屋の背を押して、露台へむかわ
せようとする。刈屋おそれで行かず。客席へむかつたまま 、なすすべもなく仲立している )露台
へ出て行って、ゆるさない と言うのよ。わかって ? ﹁ ゆるさない ﹂ (子供に言いきかせる
ように)ね、こう言うのよ。 ﹁お前たちはもうかえって来なくていいんだ ﹂ って。﹁どこへ
でも行ってしまえ ﹂ って。わかっ た ?
刈屋 私には、とてもそんなことはできそうもない。やっぱり元の よう に ::


啓子 (傑然として)元のように ! いけないわ ! い け な い わ ! 生 れ か わ っ た 筈 だ わ 、あ

なたは。今度こそゆるしてはいけないわ!
刈屋 (夢うつつに)啓子ゃ、私はそんなふうには生れついていないんだ。

啓子 早 く ! 早 く!

刈屋 とてもそんなことが。

しろ
啓子 (舞台中央にうずくまって)怖いわ ! 墓石をもちあげて、死人たちが生きかえる。白
あり
蟻がかえってくるんだわ。
刈屋 (力なく)とてもそんなことが:::。
(自動車の音高まる)
啓子 怖 い ! 私 は怖 い !
(ト下手の自室へかげ込み、ドアをパタンと閉めて、ドアに身をもたせて両手で顔をおおう。
︿りや
9
23 そのドアの音におどろいて、厨のドアがひらき、きぬが出て来る。大杉ときぬは、舞台中央
熱 帯 樹 2
94

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ーー 一九五五、四、二 五│ │
自作解題 (六編)
9
26

﹃熱帯樹﹄ の成り立ち
去年の春のこと、私はまだ日本にいた朝吹登水子さんから、最近のフランスの新聞で読ん
だという怖ろしい話をきいた。それは近ごろフランスの地方のシャトオで実際に起った話で 、
おそ
w
"
ν
怠耐久
そのシャトオの主の金持の貴族と、二十年あまり前に結婚した夫人が、実はこの二十年の問、
ひたすら帥叫んの財産を狙っていて、ついに息子を使って、ごくわかりにくい方法で父親を殺

させ、やっとこ十数年の宿望を達して、莫大な遺産をわがものにしたというのである。貴族
者f

との問には一男一女があった。どこまで計画的にやったことかしれないが、夫人は息子が年
ごろになると、将来彼を一切自分の意のままに使うために、われとわが子の童貞を奪った。

息子はそれ以後心ならずも母の意のままに動かざるをえぬ自分に絶望して、今度はわが実の
妹と関係したのである。
こういうことは、人間性からいって当然起りうる事件ではあるが、実際に起ることはめっ
たにない。事件は、ギリシア劇の中では、かつてアイスキユロスの﹁オレスティア﹂三部作
において、アガ〆ムノン、クリュタイメストラ、ォレステス、エレクトラ、の一家族の聞に
起ったのであったが、それと同じことが現実に、現在ただ今のヨーロッパで起ったというこ
とは注目に値いする。この事実はもはや、こんな事件のあらゆる場所あらゆる時における再
現の可能性を実証するものだからだ。
私はこの話をすぐさま日本に移そうと考えたが、地方の旧家に話を持ってゆけば比較的納
得されやすいという利点はあっても、方言劇で地方色にたよらざるをえぬことは、私の本意
ではない。そこで東京へ持って来て、いろいろとリアルな環境を設定した上で書き出してみ
たが、どうしてもそういう環境設定が、この話の原始的な力強い単純さと純粋さをそこねる
ことに気がついた。そこですべてのプランを白紙に戻して、登場人物の生活上のリアリズム
を全部除き去って、書きはじめたわけであるが、私の除去したのは生活環境のリアリズムだ

けであって、官能のリアリズムと精神のリアリズムには、あくまで忠実であろうとしたので
ある。

それはそうと、肉慾にまで高まった兄妹愛というものに、私は普から、もっとも甘美なも

f

たん
のを感じつづけて来た。これはおそらく、子供のころ読んだ千夜一夜諒の、第十一夜と第十

まっ と
ニ夜において語られる、あの墓穴のなかで快楽を全うした兄と妹の恋人同士の話から受けた
感動が、今日なお私の心の中に消えずにいるからにちがいない。
(文学座プログラム ・昭和 三十五年 一月)
9
27
9
28

﹃膏按と海賊﹂ について
制限漢字の世の中に﹁醤夜﹂という字の題をつけたりしたのは、この字に執心があるから
で、よく見てごらんなさい、﹁蓄﹂という字は蓄磁の複雑な花びらの形そのままだし、﹁被﹂
という字はその葉っぱみたいに見えるではないか。

この芝居の筋はニューヨークでひまなときに、頭の中でこねくりまわしていたものである
ニューヨーク
が、最初に何からインスピレ ー シ ョ ン を 得 た か と い う と 、 多 分 、 昨 年 九 月 に 紐 育 へ 来 演 し

たロイヤル・バレエ団(旧サドラl ス・ウエルス・バレエ団)の﹁眠れる森の美女﹂を見た
ときからだと思われる。私が想を得たのは終幕のディヴェルテイツスマンであるが、どうい

う風に想を得たかは、舞台をよく御覧下さればわかると思う。
筋を話すのはやめにして、ただヒロインの女流童話作家と、童話ファンの白痴の青年との
恋愛劇だと言っておとう。私は今まで恋愛劇というものを書いたことがなく、それというの
も、愛の言葉としての現代日本語は、舞台で語られると、くすぐったくなるからであるが、
この作品のような特殊な状況を設定すれば新劇でも、ロマンチックなラヴ ・シl ンが見せら
れるのではないかと思う。
廠牒館﹄ をロマンチックな芝居とすればこの ﹃
しかし ﹃ 蓄額と海賊 ﹂ は、私流にずっとリ
アリスティックな芝居である。
今度も﹃鹿鳴館﹄の演出者、松浦竹夫 氏 と 一緒に仕事をするととになり 、同世代の演出家
と劇作家がコンビを作って、一つ一つ作品を仕上げてゆくことは 、 われわれ自身にとってた
のしいことであるのみならず、芝居の 仕事の形と して、一つのいい慣習を作ってゆくことに
なるかと思う。
舞台装置に真木小太郎氏を得たことも、実にうれしい。私は以前から日劇や、日劇ミュー
ジック ・ホl ルにおける、氏のシックな装置に傾倒していて、一度舞踊劇の装置をお願いし

たこともあるが、今度は真木氏 の友情とこの友情に理解を示された東宝の長谷川演劇部長の
おかげで、氏の新劇装置第一作を以って、舞台を飾ることになったのである。附記して感謝

の意を表する。

(毎日 7ンスリ l ・昭和三十三年四月)


あとがき(﹃蓄額と海賊﹄
)
たど
この一曲の趣向をどこで思いついたかと記憶を辿ると、昨年秋 ニ ュー ヨークへ来演したロ
イヤル ・バ レ エ 団 (旧 サドラ1 ス ・ウエルス ・バレエ団)の﹁眠れる森の美女﹂を見た時だ
9
29 ったと思われる。御存知の終幕のディヴ エルテイツスマンが 、 この一曲の構想の母胎 になっ


0
30

おきて
このごろは制限漢字といういやらしい援があるけれど、表題の﹁蓄積﹂はどう して も ﹁パ
ラ﹂ではいけない。麓一微という字をじっと見つめていてごらん。蓄の字は、幾重にも内側へ
包み畳んだ複雑なその花びらを、夜の字はその幹と葉を、ありありと想起させるように出来
ている。この字を見ているうちに、その献敵たる聡 UC
え立ち昇ってくる。

品T
本曲は七月八日から左の顔ぶれで、 第一生命ホi ルで文学座によって上演される予定であ



演出:・ji--・ :::::ji- 松 浦 竹 夫
・j i--・ -・
: ji--:::

装置 :
: 真木小太郎
音楽 -ji--ji---ji- -::
:黛 敏 郎
-
照 明 :::ji-::
:・ji--:穴 沢 喜 美 男

配役・:
椀 で 阿 里 子 ::::ji-
--:
:杉 村 春 子
H 千恵子: :::-ji--::岸 田 今 日 子
H 重政 j i---ji--・ : 中 村 伸 郎
H 重 巴 ::・:ji--::北 村 和 夫
:
松山帝一・ ::ji--芥 川 比 呂 志
::ji--
間・ ・:::宮 口 精 二
セ定勘額

次::ji--:::・
:三 津 田 健
代::::-ji--:・ 新 村 礼 子
子・


・・.
..
..
..
..
.・・

・・ 丹阿弥谷津子

三﹁尾 川雅 野
j
J i-
-
-

戸早川令子

奮再
(新潮社刊 ﹃ 開と海賊﹄・昭和 三十三年五月)


蓄積と海賊﹄ について

世界は虚妄だ、というのは一つの観点であって、世界は蓄一微だ、と言い直すことだってで
きる。しかしこんな言い直しはなかなか通じない。目に見える議議という花があり、それが
ど こ の 庭 に も 咲 き 、 誰 も よ く 見 て い る の に 、 それでも﹁世界は議議だ ﹂とい えば、キチガイ
だと思われ、﹁世界は虚妄だ﹂といえば、すらすらと受付入れられて、あまつさえ哲学者と
しての尊敬すら受ける。こいつは全く不合理だ。虚妄なんて花はどこにも咲いてゃしない。
本曲の女主人公楓阿里子は、身を以て、生活を犠牲にして、この不合理に耐えて来た女で
0
31 ある。それがこの不合理をものともせず、 ﹁世界 は 蓄 薮 だ ﹂ と 言 い 切 る 、 少 々 イ カ れ た 青 年
の突然の訪問をうける。二人の聞に恋が生れなかったらふしぎである。
0
32

理艇はさておき、本曲で私が眼目としたのは、阿里子と帝一のラヴ ・シl ンである。この


ラヴ・シl ンが成功せずに、本曲が成功するということは、金輪際ありえない。現代風俗の
うちに舞台上のラヴ・シl ンを成立せしめるためのあらゆる条件の顧慮が、逆にこの芝居の
奇矯な筋を誘導したともいえるのであって、私がどうやら確信を持って言えることは、ロマ
ンチック時代と同等のラヴ ・シl ンを、現代風俗の舞台へ持ち込むには、女流童話作家とそ
のファンの白痴の三十男、しかも性欲を嫌悪する女と性欲を持たぬ男との恋人同士を、登場

させるほかはない、ということである。
本闘のラヴ・ シ1 ンは、クラシック ・バレエのラ ヴ ・シl ンの知きものである。その感情
しゅうち

は真率で、シニシズムも自意識も差恥も懐疑も一つのこらずその場から追っ払われていなけ
少うみつ
ればならない。それは甘い、甘い、甘い、糖蜜よりも、この世の一等甘いものよりも甘い、
ラヴ・シ l ンでなければならない。この喜劇の中で、ラヴ・シ l ンだけは厳粛でなければな

しゃげつ
らない。なぜならこの芝居における人を笑わせる要素はすべて、それによって潟血療法のよ
うっせき
うに、現代人の笑いたい衝動の穆積を全部潟出せしめて、以て、ラヴ ・シl ンの純粋性を確
た︿ら
保するために、企まれたものだからである。私はわざと本曲に、﹁喜劇﹂と銘打つことを避
7た

(文学座プログラム ・昭和三十三年 七月)
﹃蓄額と海賊﹄ に つ い て
この芝居の初演の時から見ると、時代も人も変った。 ﹁
眠れる森の美女﹂のディヴェルテ
イツスマンから発想したこの芝居は、その時代に対して、あっけらかんとした反時代性を誇
示していたが、今はどうだろうか。もし古びていなければ、原作の功績というより、演出や

演技のおかげであろう。
しかし私の中ではこの芝居の主題は今もかわらず持続している。形こそ変れ、虚妄への信

仰は表えない。衰えないのみか、倍加したのである。蓄額という詩人の内的原理は、番一微と

いう花の玄妙不可思議な変容の協によって、さまざまのものに変容したけれども、そのもっ

とも隠された本質が番夜であることには変りがない。それこそはオlプリl ・ビアズレエの
﹁神秘なる蓄薮の園﹂ の欝夜、 W-B・イエ l ツの久遠の蓄夜、あるいは世阿弥の花、 ・
:
すなわちもっとも深い内面がいつのまにか外面へつながってひらいているところの、もっと
もエソテリックでありながら、もっともエクソテリックな花なのである。日本流によれば

幽顕 一貫﹂ の花こそ、との蓄額であろう。
$.拠
この芝居で扱われている性も亦、番一徴的である。性の拒否が最高の性のよろこびに到達す
3
0
3
る大詰の童話の結婚式は、あらゆる童話における、
しあわ
﹁それから王子様と王女様は世界でいちばん倖せに暮しました﹂
0
34

わいせつ
という決り文句の、ほとんど狽裏なひびきを伝えるものでなければならない。至福の猿褒
さ は 、 死 の 狼 裂 さ に 似 て い る 。 現 世 離 脱 は 、 同 時 に 、自 己 か ら の 離 脱 で あ る 。 だ か ら こ の 芝
居の登場人物には、個性も不要なら、性格も不要なのである。
(劇団浪漫劇場プログラム ・昭和四十五年十月)
しろあり
﹃白蟻の巣﹄ について


青年座からの注文は、なるべく登場人物を少なく、ということだった。それに、口に出し
ては言わないが、すべてに金のかからないよう、という注文はわかっている。私にとっては、
もっ"

とういうことはすべて勿怪の幸であった。一杯道具の三幕物で最小限度の登場人物というこ
とは、私が芝居に対して抱いている理想に符合する。
演出に菅原卓氏を得たことは、青年座にとっても、私にとっても、望外の喜びである。青
むらふる
年座は、菅原氏のような師たるべき人に、徹底的に鞭を揮ってもらうべき時機にあると私は
考える。演技的にも、年齢的にも、或る危機にさしかかっている座員が 、危機を転じて、飛
躍すべき好機である。そのためには台本が貧しいのは残念だが、お座なりの誠滋はやめて、
私も同年輩の座員諸君と共に、演出者の鞭をうけて 、 それを自分の飛躍の契機ともしたい。
とにかく今度の公演は、 いろいろな意味で、 ひとごとではない。
(青年 座プログラム ・昭和 三十年十月)




0
35
﹁熱帯樹﹂は昭和三十七年三月新潮社刊﹁三島由紀夫戯曲全集﹂ に
収録された。﹁諮夜と海賊﹂は昭和三十三年五月 、﹁白蟻の巣﹂は昭
和三十一年一月 、ともに新潮社より刊行された。
文字づかいについて
新抑制文庫の日本文学の文字表記については 、原文を 尊重するという見地に立ち、次のように方針を
定めた。
て 口 語 文 の 作 品 は 、 旧 仮 名 づ か い で 番 か れ て い る も のは新仮名づかいに改める。
二、文語文の作品は旧仮名づかいのままとする。
三、常用漢字表、人名用漢字別表に掲げ られている漢字は、原則として新字体を使用する。
四、年少の読者をも考慮し、難読と思われる漢字や固有名詞 ・専門語等にはなるべく振仮名をつける。

島 由


紀 喜










島 由







著 著

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光クラブ社長をモデルにえがく社会派長編。
大正の貴族社会を舞台に、侯爵家の若き嫡子
一島由紀夫著 春 の雪 と美貌の伯爵家令嬢のついに結ばれることの
遊餓の海・第一巻) ない悲劇的な恋を、優雅絢繍たる筆に描く。
昭和の神風速を志した飯沼勲の綴起計画は密
島由紀夫著 奔 馬 告によって空 しく潰える。彼が目指 したもの
豊後の海 ・第二巻) は幻に過ぎ与かったのか?英雄的行動小説。
︿悲恋﹀と︿自刃﹀に立ち会った本多繁邦は、タ
ニ島由紀夫著 の寺

ィで日本人の生れ変りだと訴える幼い姫に出
豊餓の海 ・第三巻) 会う。 壮麗な猿雑 の世界に生の源泉を探る。
老残の本多繁邦が出会った少年安永透。彼の
ニ島由紀夫著 天 人五衰 脇腹には三つの黒子がはっきりと象依されて
鑑餓の海 ・第四巻) いた。︿輪廻転生﹀の本質を劇的に描いた遺作。
さながら女神のように美しく仕立て上げた委
島由紀夫箸 が、顔に醜い火傷を負った持:::女性美を追


う男の執念を描く表題作等、日編を収録する。

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ダンボ ー ル箱を頭からかぶり都市をさ迷うこ
安部公房若 とで、自ら存在証明を放楽する箱男は、 何 を


夢見るのか。謎とス リ ルにみちた長編 。
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道 元の 冒 険

井 上 ひ さし若 劇化 して、日本の精神風土を痛烈な批評精神
伴凹戯 山抗受川口 で笑いとばす表題作と、﹁十一ぴきのネコ﹂。
一号王の阪かれている悲劇的状況を明らかに し
井上ひさし者 日本 亭 主 図鑑 て、閉山が 一生連れ添わねばならぬ女という不
気味な阿志に対しておくる術烈術恨の忍態集。




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