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近 世 中 後 期 幕 府 の上方 支 配


﹃御仕置例類集 ﹄ の検討 を中 心 に︱
小 倉 宗
目 次 れ て い た。 こ のう ち所 司 代 と 大 坂 城 代 は、 幕 府 に お い て常 置 の
最 高 職 で あ る 老 中 に次 ぐ地 位 にあり 、 両 者 を はじ め と す る 上 方
はじ めに
役 人 は 、 江 戸 以 外 に所 在 す る遠 国 役 人 のう ち でも 、 人 数 や 格 式 、
一 例 類 集 にお け る上 方 役 人 の伺
職 務 の内 容 な ど が 最 も充 実 し て い る。 ま た 、 江 戸 の 三奉 行 や 上
二 上 方 役 人 の伺 と 老 中 の指 示
方 以外 の遠 国 奉 行 が 老 中 の監 督 を 受 け る の に対 し、 上 方 奉 行 は
三 所 司 代 ・大 坂 城 代 と 上 方 奉 行 の関 係
基 本 的 に、 所 司 代 や大 坂 城 代 の監 督 を受 け て い た。 さ ら に 、 上
四 京 都 ・大 坂 町 奉 行 の役 割 方 では 、 所 領 が 錯 綜 し て い る た め、 住 民 は所 領 を ま た い で活 動
お わり に し 、 個 別 の領 主 で は 解 決 でき な い問題 も 多 く 発 生 し た 。 そ こ で、
上 方 奉 行 は、 国 を 単 位 に、 所 領 の区別 を 超 え た行 政 ・裁 判 を 実
近世 中後期幕府 の上方支配

はじめに 施 す る が 、 こ のう ち 京 都 ・大 坂 の両 町 奉 行 に よ る国 単 位 の管 轄
は 、 近 世 中 後 期 に お け る幕 府 の基 本 法 典 であ る ﹃公 事 方 御 定
日 本 近 世 にお け る上 方 は 、 山 城 ・大 和 ・近 江 ・丹 波 と摂 津 ・ 書﹄下巻 (いわ ゆ る ﹁
御 定 書 百 箇 条 ﹂。 以 下 、 御 定 書 ) の第 一
河 内 ・和 泉 ・播 磨 と の 八 力 国 を お お よ そ の範 囲 と し 、 政 治 ・経 条 に、 江 戸 の三 奉 行 や そ の集 合 体 であ る評 定 所 の管 轄 と と も に
済 ・軍 事 上、 関 東 と な ら ぶ 江 戸 幕 府 の拠 点 地 域 であ った。 そ こ 規 定 さ れ て いる 。 これ ら の事 実 から は、 江 戸 を 中 心 と す る幕 府
で は、 京 都 ・大 坂 ・伏 見 ・奈 良 ・堺 と い った幕 府 の直 轄 都 市 が の全 国 支 配 にお い て、 上 方 が 重 要 な 位 置 にあり 、 そ の支 配 が 自
設 定 さ れ る と と も に、 京 都 の所 司 代 や 大 坂 城 代 、 直 轄 都 市 に所 立 的 な 性 格 を も って い た こ とが わ か る。 そ し て、 幕 府 の上 方 支
在 す る奉 行 (
以 下 、 上 方 奉 行 ) な ど 、 多 く の幕 府 役 人 が 配 置 さ 配 を 検 討 す る こと は、 そ の自 立 的 な あり 方 を 把 握 す る こ と にな
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る と と も に、 江 戸 と の関 係 性 や 共 通 ・相 違 点 に注 目 す る こ と に 集 ) を とり あ げ る。 例 類 集 は 、 評 定 所 が 、 仕 置 を は じ めと す る
より 、 ひ ろ く 幕 府 一般 の行 政 ・裁 判 を 理解 す る こと に も な る と さ まざ ま な 問 題 に つい て、 今 後 の参 考 と な る べき 重 要 な 事 例 を
考えら れる。 編 集 し た先 例 集 であり 、 幕 府 にお け る行 政 ・裁 判 の過 程 や 内 容
他 方 、 日本 の近 世 に お い ては 、 多 く の前 近 代 国 家 ・社 会 と 同 を み る う え で 好 史 料 と な る 。例 類 集 に つい て は 、 大 平 祐 一氏 が 、
様 、 司 法 が 行 政 から 未 分 離 で あり 、 法 や裁 判 に つ い て考 察 す る そ こ に収 録 さ れ る 事 例 を 用 い て、 老 中 と評 定 所 の関 係 を 中 心 に、
際 には 、 ひ ろ く 行 政 や 支 配 一般 のな か で と ら え る こと が 必 要 と 幕 府 に お け る ﹁伺 ・指 令 型 司 法 ﹂ を 論 じ ら れ て い る。
な る 。 逆 に い う と 、 法 や裁 判 に 関 す る こ とが ら を 分 析 す る こ と 以 上 より 、 本 稿 で は、 例 類 集 を 主 な 史 料 と し てとり あ げ 、 か
は 、 そ れ ら と 密 接 不 可 分 であ る行 政 や 支 配 一般 のあり 方 を より つ、 平 松 氏 や 大 平 氏 の成 果 を ふ ま え な が ら 、 仕 置 な ど 刑 事 的 な
よ く 見 通 す こ と に も つな が る。 そ こ で、 近 世 の法 や 裁 判 を テ ー こと が ら を中 心 に、 近 世 中 後 期 に おけ る幕 府 の上 方 支 配 を 検討
マと す る 研 究 の う ち 、 幕 府 の 上方 支 配 に関 連 す る 成 果 を み て み す る。 ま た そ の際 、 上 方 の内 部 や 江 戸 と の間 にお い て、 幕 府 役
る と、 戦 前 に は、 三浦 周 行 氏 に よ る 裁 判 (・政 治 ) 制 度 の研 究 人 が 行 政 ・裁 判 の業 務 を処 理 す る過 程 や 権 限 、 そ こ に お い て発
や 小 早川 欣 吾 氏 に よ る 民 事 訴 訟 ・裁 判 制 度 の研 究 が あり 、 戦 後 給 ・伝 達 さ れ る文 書 の形 式 な ど に注 目 し て いく 。
に は、 平 松 義 郎 氏 に よ る刑 事 訴 訟 ・裁 判 制 度 の体 系 的 な 研 究 が
あ る。 し か し な が ら、 そ れ ら は いず れ も 、 幕 府 全体 を あ つか う 一 例 類 集 に お け る 上 方 役 人 の伺
な か で、 上 方 に つい て 部 分 的 に言 及 ・考 察 し た も の であり 、 上
方 の内 部 や 江 戸 と の間 にお い て幕 府 役 人 が ど のよ う に関 係 し 、 1 検 討 の前 提
行 政 や裁 判 に関 す る業 務 を ど の よ う に処 理 し て いた の か は、 い 幕 府 の裁 判 (・行 政 )
ま だ 十 分 明 ら か に は さ れ て い な い。 はじ め に、 検 討 の前 提 と し て、 幕 府 の裁 判 (・行 政 ) に関 す
近 世 中 後 期 は、 八代 将 軍 徳 川 吉 宗 の享 保 改 革 によ って確 立 ・ る 制 度 や 用語 を 確 認 す る。
整 備 さ れ て か ら 、 幕 末 期 に変 化 ・解 体 し て い く ま で の、 幕 府 の 幕 府 に お い ては 、 奉 行 や代 官 な ど 一般 の役 人 が 、 行 政 や支 配
支 配 機 構 が も っとも 完 成 ・安 定 し た 時 期 であり 、幕 府 に おけ る の 一環 と し て 裁 判 を 実 施 し て い たが 、 そ の手 続 に は、 犯 罪 者 を
行 政 ・裁 判 のあり 方 や 上 方 役 人 の位 置 を 明 確 に認 識 す る こ とが 処罰す る ﹁
吟 味 筋 ﹂ と 私 的 な紛 争 (
﹁出 入 ﹂) を 解 決 す る ﹁
出入
でき る。 そ こ で本 稿 で は 、 近 世 中 後 期 の幕 府 に お い て、 御 定 書 筋 ﹂ の 二 つが あ る 。 吟 味 筋 は 、 被 疑 者 を審 理 (
﹁吟 味 ﹂) し、 刑
と と も に最 重 要 の 法 源 で あ った ﹃御 仕 置 例 類 集 ﹄ (
以 下、例類 罰 (
﹁仕 置 ﹂) を 行 う の に対 し て 、 出 入 筋 は、 当 事 者 を 審 理 し、
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判 決 (﹁
裁 許 ﹂) を 与 え る。 た だ し 、 そ れ ら の役 人 は 、 自 ら 単 独 御 定 書 の第 一条 ﹁目 安 裏 書 初 判 之 事 ﹂ は、 出 入 に関 す る 三 奉
で吟 味 し たり 、 仕 置 や 裁 許 の内 容 を 決 定 し う る範 囲 (
﹁手 限 ﹂) 行 ・評 定 所 の管 轄 を 規 定 す る と と も に、 ﹁享 保 七 年 極 ﹂ のも の
が 定 め ら れ て おり 、 そ れ を超 え る事 件 に つ い て は、 上 司 であ る と し て 、 ﹁山 城 大和 近江 丹 波 ﹂ の出 入 に つ い て は ﹁双 方
役 人 に伺 い、 そ の指 示 を得 る 必 要 が あ った 。 ま た 、 手 限 の範 囲 共 二右 四 ヶ国 之 も のニ 候 ハ 丶、 京 都 町 奉 行ニ 而 取 捌 、﹂ ﹁
和泉
内 で あ っても 、 処 理 し え な い場 合 に は、 しば し ぼ 伺 書 を提 出 し 河内 摂津 播 磨 ﹂ の出 入 に つ い て は ﹁右 同 断 、 大 坂 町 奉 行ニ
て いる 。 而 取 捌 、﹂ と 規 定 し て い る。 ま た、 平 松 氏 は 、 上 方 奉 行 の管 轄
幕 府 の役 人 は、 仕 置 や 裁 許 を は じ め、 さ ま ざ ま な 問 題 に つ い に つい て ﹁上 方 の 八個 国、 す な わ ち 、 山 城 ・大 和 ・近 江 ・丹 波 、
て 上 司 に伺 う が 、 そ の内 容 が 重 大 であ ったり 、 判 断 しが た い場 お よび 河 内 ・和 泉 ・摂 津 ・播 磨 に つい て は、 前 四 個 国 は京 都 町
合 に は、 さら に そ の上 司 へ伺 書 が 提 出 さ れ 、 最 終 的 に は 、 将 軍 奉 行 、 後 四 個 国 は大 坂 町奉 行 の支 配 国 で あり 、 ま た、 奈 良 奉 行
のも と で幕 府 の全 国 支 配 を とり ま と め る 老 中 へと集 中 し て い っ は大 和 、 堺 奉 行 は和 泉 、 そ れ ぞ れ 一国 に つき 特 別 な 支 配 権 を も
た 。 これ に対 し て 、 老 中 は、 伺 の内 容 を 検 討 し、 御 定 書 や 先 例 ち、 伏 見 に は 伏 見 奉 行 が あ った 。﹂ と 述 べ ら れ て い る 。 こ れ ら
な ど を 参 考 に し な が ら 、 統一 的 に 指 示 (
﹁下 知 ﹂) を与 え て い る。 によると、享保七年 (一七 二 二) 以 降 、 上 方 八 力国 に お い ては 、
ま たそ の際 、 老 中 は し ば しば 、 評 定 所 に伺 書 を 下 げ 渡 し て諮 問 京 都 町奉 行 が 山 城 ・大 和 ・近 江 ・丹 波 の四 力国 、 大 坂 町奉 行 が
し たが 、 評 定 所 は、 御 定 書 や 先 例 な ど に よ っ てあ ら た め て 調 摂 津 ・河 内 ・和 泉 ・播 磨 の四 力国 を、 自 ら の ﹁支 配 国 ﹂ に す る
査 ・審 議 (
﹁取 調 ﹂ ﹁評 議 ﹂) し 、 そ の 結 果 を ﹁評 議 書 ﹂ と し て と と も に、 そ の う ち 大 和 国 に つい て は 奈 良 奉 行 、 和 泉 国 に つい
答 申 す る。 そ し て老 中 は、 評 定 所 の評 議 を ふ ま え つ つ、 最 終 的 て は 堺 奉 行 が 、 そ れ ぞ れ 一力国 を単 位 と し て (
伏見奉 行は、伏
近世 中後期幕府 の上方支配

な 内 容 を決 定 ・指 示 し た。 見 周 辺 に対 し て)、 裁 許 や 仕 置 を は じ め と す る 各 種 の業 務 を 実
例 類 集 は 、 評 定 所 が 、 吟 味 や 仕 置 に関 す る こ とが ら を 中 心 に、 施 し て い た こ とが わ か る。
各 種 の役 人 より 老 中 への伺 ・老中 よ り 評 定 所 への諮 問 ・評 定 所 さ ら に、 幕 府 の上 方 役 人 に よ る 仕 置 に つい て 、 平 松 氏 は ﹁

より 老 中 への答 申 ・老 中 より 役 人 への指 示 、 と い った 一連 の過 見 奉 行 、 京 都 町奉 行 、 奈 良 奉 行 は 所 司 代 に、 大 坂 町 奉 行 、 堺 奉
程 にわ た る事 例 を テ ー マご と に 分 類 ・収 録 し た 幕府 の基 本 先 例 行 は大 坂 城 代 に、 そ れ ぞ れ手 限 仕 置 を 超 え る事 件 を 伺 う 。﹂ ﹁

集 であ る。 都 所 司 代 は伏 見 奉 行 、 京 都 町奉 行 、 奈 良 奉 行 の、 大 坂 城 代 は大
幕 府 の上 方 支 配 坂 町 奉 行 、 お よ び 堺 奉 行 の伺 に 対 し て そ れぞ れ 指 令 を 与 え る。
つぎ に 、幕 府 に よ る 上方 支 配 の枠 組 み に つ い て確 認 し た い。 ⋮ ⋮ 実 際 は、 決 し 難 い事 件 は 、 所 司 代 、 城 代 より 老 中 に伺 い、
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そ の指 図︱ 老 中 は評 定 所 に下 問 す る こ とも あ る の は いう ま で も
な い︱ を 受 け た うえ 、 こ れ を 伺 を 出 し た奉 行 に指 令 す る と いう
こ と も 少 な く な か った の で あ る。﹂ と 述 べら れ て い る。 こ れ に
よ る と、 京 都 町 奉 行 や 伏 見 ・奈 良 奉 行 と所 司 代 、 大 坂 町 奉 行 や
堺 奉 行 と大 坂 城 代 が 、 そ れ ぞ れ 伺 と 指 示 の関 係 にあ る と と も に、
所 司 代 や大 坂 城 代 は、 上 方 奉 行 の伺 に つい て 、 判 断 しが た い場
合 に は さ ら に老 中 へ伺 い、 老 中 はそ れ を評 定 所 に下 問 し て いた
近世 中後期 幕府の上方 支配機搆】
こと が わ か る。 こ れ ら の関 係 は、 ︻図 ・近 世 中 後 期 幕 府 の上 方
支 配 機 構 ︼ のよ う にま と め る こ と が でき る。
2 例 類 集 と 上 方 役 人 の伺
(1)
例 類 集 に収 録 さ れ る期 間 と 件 数
例 類 集 は、 評 定 所 に より 五 回 にわ た って編 集 さ れ 、 そ れぞ れ 、
古 類 集 、 新 類 集 、 続 類 集 、 天 保 類 集 、 続 新 類 集 と 呼 ば れ る。 そ
のう ち 第 五 回 の続 新 類 集 は、 関 東 大 震 災 で焼 失 し た た め、 現 在
は そ れ 以前 の 四集 が 残 さ れ て い る。 古 類 集 は、 文 化 元 年 (一八



〇 四 ) に作 成 さ れ 、 明 和 八∼ 享 和 二 年 (一七 七 一∼ 一八〇 二)
の三 二年 間 に わ た る 二 三 〇 八件 の事 例 を 収 録 す る の に対 し、 そ
れ以 降 の各 集 は、 古 類 集 にな ら って 新 た に編 集 さ れ た も の で、
新 類 集 は享 和 二∼ 文 化一一 年 2 八〇 二∼一 四) の一三 年 ・一
二三 五 件 、 続 類 集 は 文化 一二∼ 文 政 九 年 (一八 一五 ∼ 二 六 ) の
一二年 ・ 一五 三 二件 、 天 保 類 集 は文 政 一〇 ∼ 天 保 ]○ 年 (一八
二七 ∼ 三九 ) の 一三 年 ・ 一九 八 七 件 の事 例 を 、 そ れ ぞ れ収 録 し
ている (
以 下 、 事 例 の典 拠 と し て は ﹃
古類 集﹄ ﹃
新 類 集 ﹄ ﹃続 類
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集 ﹄ ﹃天保 類 集 ﹄ と略 記 す る )。
の二人制 を とる京都 ・大坂 町奉 行 につい て,古 類 集のみ は,東 西の いず れか の奉 行 が単独 で伺 った場 合 を
(注)(1)各 集 の収録期 間 は,古 類 集が32年,新 類 集が13年,続 類集 が12年,天 保 類集 が13年 である.(2)東 西

例 類 集 に収 録 さ れ る 事 例 は 、 基 本 的 に、 各 集 ご と の通 し 番
号 ・老 中 が 評 定 所 に 伺 書 を 下 げ 渡 し た 年 ・伺 書 を 提 出 し た 役
人 ・評 議 書 の件 名 と いう 四 つ の項 目 が 記 載 さ れ る [
事例 の表
題 ]、 評 定 所 が 老 中 に答 申 し た [
評 定 所 の評 議 書 ] と い う 二 つ
の部 分 か ら なり 、 一部 の事 例 で は、 伺 書 に対 し て老 中 が 最 終 的
に指 示 し た [
老 中 の指 示文 書 ] を 加 え 、 三 つ の部 分 で構 成 さ れ
御仕置例類 集におけ る上方役人 の伺 件数

る。 [
事 例 の表 題 ] にあ る 項 目 のう ち、 各 集 ご と の通 し番 号 は 、
近 代 以 降 に史 料 集 と し て 翻 刻 ・刊 行 す る 際 、 編 集 者 が 付 し た も
の で あり 、 伺 書 を 提 出 し た役 人 に つ い て は 、 ﹁∼ 伺 ﹂ と い う 形
で表 記 さ れ て い る。
た だ し 、 例 類 集 に お い て は、 今 後 の参 考 と な る べ き 重 要 な 事
例 のみ が 選 択 さ れ て いる た め、 そ の件 数 は、 実 際 に 老 中 へ伺 わ
れ たり 、 評 定 所 で評 議 さ れ た件 数 そ のも の で は な い。 ま た 、 例
類 集 で は、 同 一の事 例 が 複 数 の分 類 で くり 返 し収 録 さ れ る こと
が しば し ば あり 、事 例 の実 数 は、 収 録 件 数 の数 分 の 一と な る。
し か し な が ら 、 四集 に収 録 され る事 例 の合 計 は 七〇 六 二 件 と き
近世 中後期幕府の上方支配

表1

わ め て多 く 、 内 容 も 多 彩 であ る こ と か ら 、 老 中 への伺 や 評 定 所
によ る評 議 の状 況 に つい て、 あ る 程 度 の傾 向 を う か が う こ とが
でき る と 思 わ れ る 。 そ こ で、 [
事 例 の表 題 ] の う ち 、 伺 書 を 提
出 し た役 人 の項 目 にも とづ き 、 各 集 に収 録 さ れ る 全 体 の件 数 や

区別 してい る.
上 方 役 人 の伺 件 数 を 整 理 す る と 、 ︻
表 1 ・御 仕 置 例 類 集 に お け
る上 方 役 人 の伺 件 数 ︼ の よ う にな る。 以 下 、 ︻表 1︼ を も と に、
上 方 役 人 の伺 に関 す る特 徴 を確 認 す る。
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例 類 集 の全 体 と 上 方 役 人 つぎ に、 上 方 の内 部 にお い て各 役 人 が 伺 った 件 数 を み た い。
まず 、 各 集 に収 録 さ れ る全 体 の件 数 を み る と、 第 一回 の古 類 ︻
表 1 ︼ で は、 便 宜 上 、 所 司 代 と そ の指 示 を 受 け る上 方 奉 行 、
集 は 、 そ れ 以 降 に編 集 さ れ た 三 集 と 比 べ て、 期 間 が こ ・五 四 大 坂 城 代 と そ の指 示 を 受 け る 上 方 奉 行 、 と いう 二 つの グ ル ープ
∼ 二 ・七 五倍 長 い た め、 件 数 も 一 ・ 一六∼ 一 ・八 七 倍 多 い。 他 に分 け た。 こ のう ち、 東 西 の 二人 制 を と る京 都 ・大 坂 町 奉 行 に
方 、 期 間 が ほ ぼ 同 じ 長 さ で あ る後 の 三集 のう ち で は、 新 類 集 、 つい て、 最 初 に編 集 さ れ た古 類 集 は、 東 西 の いず れ か の奉 行 が
続 類 集 、 天 保 類 集 と 、 時 期 が 下 るご と に件 数 が着 実 に増 加 し て 単 独 で伺 った 場 合 を 区 別 し て い る の に対 し て、 そ れ以 降 の三 集
いる 。 こ こ か ら は 、 近 世 後 期 、 経 済 や社 会 の発 展 に とも な っ て は区 別 し な いと い う 違 いが あ るが 、 ︻表 1︼ を 検 討 す る う え で
多 く の問 題 が 発生 し 、 そ の解 決 が 幕 府 に強 く 要 求 さ れ て いた 状 影 響 は な い。 そ こ で ︻
表 1 ︼ を み る と 、 上 方 役 人 が 伺 った 一五
況 を 読 みと る こ と が でき る。 〇 九 件 のう ち 、 京 都 町 奉 行 の四 一六 件 (
二 七 ・五 七 % 。 東 西 の
こ れ に対 し て、 上 方 役 人 が 伺 った 件 数 を み る と 、 四集 の合 計 いず れ か の奉 行 が 単 独 で 伺 った件 数 を含 む ) と 大 坂 町 奉 行 の 八
が ﹁五 〇 九 件 に のぼり 、 全 体 の件 数 にお け る比 率 も二一 ・三 七 四 二件 (五 五 ・八 ○ % 。 同 上 ) と の両 者 が 圧 倒 的 に多 く 、 そ れ
% と な る な ど 、 幕 府 の全 国 支 配 に お い て一定 の比 重 を 占 め て い ら を あ わ せ た 一二五 八件 (
八 三 ・三 七 % 。 同 上 ) で、 実 に八 割
・る。 そ のう ち 古 類 集 の七 四 九 件 は 、 そ れ 以 降 に編 集 さ れ た新 類 を 超 え て い る 。 こ こ か ら は、 上 方 の内 部 に お い て、 京 都 ・大 坂
集 の 二 五 六 件 、 続 類 集 の二 九 九 件 、 天 保 類 集 の二 〇 五 件 と 比 べ 町 奉 行 が 大 き な 役 割 を 果 た す と と も に 、多 く の問 題 の 処 理 に
て、 期 間 が 長 い た め、 件 数 も 二 ・五 〇 ∼ 三 ・六 五倍 多 い。 し か 日 々 追 わ れ て いた 状 況 を う か が う こ とが で き る 。
し 、 新 類 集 、 続 類 集 、 天 保 類 集 と 、時 期 が 下 る ご と に件 数 が 増 な お、 ︻
表 1︼ で は 、 例 外 的 な も のを 一番 下 に ま と め たが 、
加 す る わ け で はな く 、 全 体 の件 数 と は 対 照 的 であ る 。 実 際 、 各 そ のう ち、 続 類 集 に おけ る所 司 代 ・大 坂 城 代 伺 の 一件 は、 文 化
集 の全 体 件 数 にお け る 上 方 役 人 の伺 件 数 の比 率 は 、 古 類 集 で は 一三 年 (一八 一六 ) に将 軍 家 斉 が 内 大 臣 か ら 右 大 臣 に転 任 す る
三 二 ・四 五% であ る の に対 し て、 新 類 集 は 二〇 ・七 三% 、 続 類 祝 儀 の際 、 所 司代 と 大 坂 城 代 が 老中 に大 赦 の伺 帳 を あ い つい で

集 は 一九 ・五 二 % 、 天 保 類 集 は 一〇 ・三 二 % と な って おり 、 編 提 出 し たも の であり 、 そ れ ぞ れ の伺 と 考 え て 差 し 支 え な い。 ま
集 のた び に低 下 し て い る。 こ こ か ら は、 近 世 後 期 に お い て、 上 た、 大 津 代 官 の伺 が 、 古 類 集 に 七 件 、 新 類 集 に 三 件 みら れ るが 、
方 から 関 東 へ経 済 や 社 会 の重 心 が 移 動 し つ つあ る状 況 を 背 景 に、 いず れ も 大 津 町 に 関 す る仕 置 で あ る 。 大 津 代 官 は 、 大 津 に居 住
幕 府 が 処 理す る 問 題 の件 数 も 、 江 戸 や関 東 を 中 心 に増 加 し て い す る幕 府 の代 官 で 、 明 和 九 年 (一七 七 二) 以 降 、 大 津 町 の支 配
った こと が わ か る 。 を兼 帯 し て おり 、 そ れ に関 す る 仕置 に つい て は 、 例 外 的 に所 司
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代 へ伺 って い る。 さ ら に、 大 坂 船 手 の伺 も 、 古 例 集 に三 件 み ら にな る。 こ のう ち ﹁文 言 ﹂ の 項 目 で は、 [
老 中 の指 示 文 書 ] の
れ る が 、 いず れ も塩 飽 島 に関 す る仕 置 であ る。 大 坂 船 手 は 、 享 本 文 か ら 、 伺 や指 示 のやり と り さ れ る ル ー ト に 関 す る文 言 と書
保 六 ∼ 寛 政 八年 (一七 二 一∼ 九 六 ) の間 、 塩 飽 島 の支 配 を 兼 帯 止 の文 言 と を抜 き 出 し て い る。
し ており 、 そ れ に関 す る仕 置 に つ い て は、 大 坂 城 代 に伺 って い ︻表 2︼ に よ る と 、 五 七 件 の内 訳 は 、 古 類 集 が 八 件 、 新 類 集
た こと が わ か る 。 が 一九 件 、 続 類 集 が 一六 件 、 天 保 類 集 が 一四 件 であり 、例 類 集
に お け る全 体 の件 数 や 上 方 役 人 の伺 件 数 と は 異 な って 、古 類 集
二 上 方 役 人 の 伺 と 老 中 の指 示 の件 数 が 少 な い。 ま た 、 こ れ ら 五 七 件 の う ち、 所 司 代 の伺 は
﹃古 類 集 ﹄ 六 九 ∼ ﹃天 保 類 集 ﹄ 六 二 の 二七 件 (四 七 ・三 七 % )、
1 所 司 代 や 大 坂 城 代 の伺 大 坂 城 代 の伺 は ﹃
新 類 集 ﹄ 二∼ ﹃天 保 類 集 ﹄ 一九 六 の 八 件 (一
(1)
上 方 役 人 が 伺 った五 七 件 の事 例 四 ・〇 四 % ) であり 、 両 者 の三 五 件 (
六 一 ・四〇 % ) で 六 割 を
例 類 集 は、 評 定 所 の編 集 し た先 例 集 で あ る た め 、 [
評定 所 の 超 え て い る。 こ れ は、 上 方 役 人 が 伺 った 一五 〇 九 件 に お い て、
評 議 書 ] を 中 心 に構 成 さ れ 、 [
老 中 の指 示 文 書 ] は そ れ ほ ど 収 京 都 ・大 坂 町 奉 行 の伺 が 八割 を 超 え て い た のと は対 照 的 であ る。
録 され て いな い。 こ の こ と は 、 上 方 役 人 に つい て も 同 様 であり 、 こ れ ら の特 徴 を お さ え た う え で、 以 下 、 五 七 件 の事 例 と ︻表
[
老 中 の指 示 文 書 ] が 収 録 さ れ る 事 例 は、 上 方 役 人 の伺 った 一 2 ︼ を 中 心 に、 上 方 役 人 の伺 や 老 中 の指 示 に つい て検 討 し て い
五 〇 九 件 のう ち 、 わ ず か五 七 件 (
三 ・七 八% ) にす ぎ な い。 し く (
なお、 ︻
表 2 ︼ に整 理 し た各 項 目 の内 容 に つ い て は、 本 文
か し、 こ れ ら 五 七 件 の事 例 は、 上 方 役 人 が 伺 って か ら 老 中 が 最 中 に引 用 す る こ とを 極 力避 け 、 例 類 集 の種 類 と 事 例 の 通 し 番 号
近世中後期幕府 の上方支配

終 的 に決 定 ・指 示 す る ま で、 一連 の過 程 や 内 容 を う か が う こ と のみ を あ げ る)。
が でき 、 幕 府 の上 方 支 配 を 検 討 す る う え でき わ め て貴 重 な 史 料 (2上
)方 役 人 の伺 か ら 老 中 の指 示 ま で
と な る。 そ こ で 、 こ の五 七 件 の事 例 に つ い て、 四 回 にわ たり 編 は じ め に、 上 方 役 人 の伺 のう ち、 所 司 代 ・大 坂 城 代 レベ ル の
集 さ れ た 例 類 集 の種 類 、 な ら び に 、 [
事 例 の表 題 ] に お け る 事 も のを とり あ げ る。 次 の史 料 は、 下 級 の御 所 役 人 に対 す る 仕 置
例 の通 し番 号 ・老 中 が 評 定 所 に伺 書 を 下げ 渡 し た年 ・伺 書 を 提 に つ い て、 所 司 代 が 老 中 に伺 書 を 提 出 し、 文 化 九 年 (一八 一
出 し た役 人 ・評 議 書 の件 名 、 [
老 中 の指 示 文 書 ] に お け る年 月 二 ) に老 中 が そ れ を 評 定 所 に下 げ 渡 し た 、 ﹁所 司 代 伺 ﹂ の ﹃

日・ 差 出 ・宛 名 ・文 言 、 な ど の 項 目 ご と に 整 理 す る と 、 ︻
表 類 集 ﹄ 七 六 であ る。 典 型 的 な 事 例 であ る の で、 一連 の史 料 を 掲
97
2・ 御 仕 置 例 類 集 に お け る上 方 役 人 の伺 と 老 中 の指 示 ︼ のよ う げ 、 文 書 ご と に区 分 す る 。
表2 御仕置例類集 における上 方役人の伺 と老中の指示(1)
表2 御仕置例類集 における上方役人の伺 と老 中の指示(2)
化九年)
︻史 料1 ︼ 申 八月
[
事 例 の表 題]
七六 文化九申年御 渡 [
老 中 の指 示 文 書 ]
所 司代 伺 禁裏御 内 仙 洞 御 所 附 預り 西 川 平 太郎 儀 、 町 人 所 持 之古 証
一、地 下 官 人 ・其 外 御 所 御 内 之 も の御 仕 置 、 所 司 代 限 差 文 を 以 貸 附 金 取 立 之 儀 二付 不埒 之 取 計 い た し候 一件 御 仕 置
図 有 無 之 儀ニ 付 、 評 議 伺 書 、 小 長 谷 和泉 守 差 出 候 、 ⋮ ⋮ 先 例 被 相 糺 候処 、 右 躰 軽
キも のニて押 込等軽 キ御咎 之分 は、其地限御咎申 渡候趣相
[
所 司 代 の伺 書 ] 見候得共、
(京御都
仕)置之儀、 差当先例相見 不申 候問、和泉守差
禁裏御 内 仙 洞 御 所 附 預り 西 川 平 太 郎 儀 、 広 幡 家 雇 人 と 申 出候御仕置 伺壱冊并例書 とも被越之、 且以来地下官人等 は
立 、 石 原 庄 三 郎 支 配 所 江 州 浅 井 郡 野 田 村(・
正外通五
、ヶ大村
津、代
兄官貸)
附 当 地 え 相 伺(
、江御戸所
)御 内 之 者ニ ても 身 柄 軽 キ も の之 分 、 被 相
金 取 立 之 筋ニ て 右 村 方 え 罷 越 、 致 逗 留 、 及 難 渋 候 旨 、⋮⋮ 糺候 上、其地限御仕 置被申渡可然哉 之旨、委細被申 越候趣
一件 吟 味 い た し 候 趣 、 御 仕 置伺 書 壱 冊 ・右ニ 見 合 候 例 書 壱 令 承 知 候 、 平 太 郎 一件 御 仕 置 之 儀 、 別 紙 書 付 差 越 候 間 、 得
通 、 小 長 谷 和 泉 守 差 出 候(
、政⋮良⋮
、右京躰
都御東町
内奉之行
者)御 仕 置 之 儀 、 其意、 可被申渡候、 且又被申越候 通、地下官人等 は当地え
差 当 先 例 相 見 不 申 候 間 、 則 和 泉 守 差 出 候 御 仕 置 伺 書 壱 冊・ 被 相 伺 、 御 所 御 内 之 者ニ ても 身 柄 軽 キも の は 、糺 之 上 、 其
書 付 壱 通 入御 披 見 、 相 伺 之 申 候 、 ⋮ ⋮ 此 度 之 儀 は相 伺 候 得 地 限御仕置可被申 渡候、以上、
共 、 地 下 官 人 等 は 、 其 御 地 え 相 伺(
、江戸
御)所 御 内 之 者 に ても 九月七日(連
文名化(
九老年中
))
身 柄 軽 キ者 之 分 は、 相 糺 候 上 、 当 地 限 御 仕 置 申 渡 可 然 儀ニ 酒 井 讃 岐 守 殿(忠進、所司代)
も 可 有 之 哉(
、京以都
来)之 心得ニ 致 度 候 間 、 此 段 も 相 伺 申 候 、 ま ず 、 形 式 を み る と 、 事 例 の通 し 番 号 ・老 中 が 評 定 所 に伺 書
を 下 げ 渡 し た年 ・伺 書 を 提 出 し た 所 司 代 の役 職 名 ・評 議 書 の件
[
評 定 所 の評 議 書 ] 名 を 記 載 し た [事 例 の表 題 ]、 所 司 代 が 老 中 に提 出 し た [
所司
此 儀 、 ⋮ ⋮ 伺 之 通 、 以 来 は地 下 官 人 等 御 仕 置 は 、 御 当 地え 代 の伺 書 ]、 評 定 所 が 老 中 に答 申 し た [
評 定 所 の評 議 書 ]、 老 中
相 伺、 御 所 御 内 之 も のニ ても 身 柄 軽 キも の之 分 ハ、 相 糺 、 が 所 司 代 に発給 し た [
老 中 の指 示 文 書 ] と いう 四 つに区 分 さ れ
決着 之上 は、彼地 限御仕置申 渡之積、
(御京差
都)図御座候方可 然 る。 こ のう ち [所 司 代 の伺 書 ] は 、 [
評定 所 の評議書 ] のな か
哉ニ 奉存候、 に引 用 さ れ た も の であり 、 厳 密 に い う と 、 こ の事 例 は 三 つ の部
9
分 か ら な って い る 。 連 署 す る 老 中 の名 前 を こ の よ う に 省 略 し て い る 。
ま た、 ︻
史料 1︼ におけ る [
老 中 の指 示 文 書 ] は、 老 中 が 評 つづ い て、 内 容 を み ると 、 次 の通り であ る。(1
下)級 の御 所 役
定所 の評 議 にも と つ い て自 ら 決 定 し 、 そ の内 容 を所 司 代 に指 示 人 で あ る 西 川 平 太 郎 が 、 広 幡 家 の雇 人 と 申 し立 て 、貸 付 金 を 取
し た 文 書 であ るが 、 そ こ で は、 書 止 文 言 を ﹁以 上 ﹂ と し 、 月 日 り立 て ると し て近 江 の村 々 に逗 留 し 、 村 方 が 難 渋 し て いる の で、
を 付 け 、 老 中 が 連 名 で差 出 と なり 、 所 司 代 を 殿 の つ いた 宛 名 に 京 都 東 町 奉 行 小 長 谷政 良 は 、 西 川 を吟 味 のう え 、 そ の仕 置 に関
す る と いう 、 (
老 中 ) 達 書 の形 式 が 用 いら れ て い る。 こ の よ う す る 伺書 と 参 考 と な る例 書 を 所 司 代 酒 井 忠 進 に提 出 し た 。(2
所)
な 形 式 と内 容 を も つ文 書 は、 と く に ﹁下 知 書 ﹂ と呼 ば れ るが 、 司 代 は 、 先 例 を 調 査 し た と こ ろ、 西 川 のよ う な 身 分 の軽 い御 所
例 類 集 に お いて は 、 上 方 役 人 のう ち で所 司 代 と大 坂城 代 の み に 役 人 に つ い て、 押 込 な ど の軽 い咎 は 、京 都 に お い て所 司 代 が 手
発 給 さ れ て いる。 書 止 を ﹁
以 上 ﹂ と す る 下 知 書 は、 老 中 が 将 軍 限 で申 し 渡 し た こ と は あ る が 、 仕 置 に つ い て は、 先 例 が 見当 た
の意 を 奉 じ て 発給 す る文 書 と いう点 か ら す ると 、 広 い意 味 で は ら な か った 。 そ こ で、 老 中 に対 し、 京 都 東 町 奉 行 の提 出 し た 伺
老 中 奉 書 で あり 、 書 止 を ﹁
恐 々 謹言 ﹂ と す る本 来 の老 中 奉 書 か 書 と 例 書 を 送り 、 西 川 の仕 置 に つ い て伺 った 。 ま た 、 (
先例 が
ら 派 生 し た、 あ る いは 、 それ が 省 略 さ れ た 形 式 と と ら え る こと な い た め に) 今 回 は伺 った も の の、 地 下官 人 に つい て は 、老 中
も でき る。 し か し な が ら 、 近 世 中 後 期 にお い て老 中 が 発 給 し た に仕 置 を 伺 い、 身 分 の軽 い御 所 役 人 に つ い て は、 所 司 代 が 吟 味
文 書 を み る と、 書 止 を ﹁恐 々謹 言 ﹂ と す る狭 義 の老 中 奉 書 が 、 の う え 、 手 限 で仕 置 を申 し 渡 し て よ いか と 、 今 後 の対 応 も 伺 っ
大 名 ・旗 本 や 公家 な ど にあ て て 、儀 礼 や 人 事 の場 面 で 用 いら れ て いる 。(3
老)中 は 、所 司 代 の伺 書 を 下げ 渡 し、 評 定 所 に諮 問 し
る こと が 多 いの に 対 し 、 書 止 を ﹁
以 上 ﹂ と す る下 知 書 は 、幕 府 た と こ ろ 、 評 定 所 は、 所 司 代 が 伺 った通り に指 示 す れば よ い の
近世中後期幕府の上方支配

の役 人 にあ て て、 行 政 や 裁 判 の場 面 で 用 いら れ る こ とが 多 く 、 で は な いか と 、 老 中 に 評 議 書 で答 申 し た 。(4
老)中 は、 評 定 所 の
固有 の文 書 形 式 と し て確 立 ・機 能 し て い る。 そ れ ゆ え 、 近 世 文 評 議 にも と づ き 、 今 回 の西 川 の仕 置 に つ い て は、 別 紙 書 付 の通
書 論 にお い て い ま だ明 確 に定 義 ・分 類 さ れ て い る わ け では な い りに 申 し 渡 し 、 今 後 の御 所 役 人 の仕 置 に つい て は、 伺 の通り に
も の の、 老 中 の発 給 す る 文 書 のう ち、 書 止 文 言 を ﹁
以 上 ﹂ と し 、 す る よ う 、 所 司 代 に下 知 書 で指 示 し て いる 。
月 日 を 付 け 、 老 中 が 連 名 で差 出 と なり 、 殿 の つい た宛 名 にす る こ れ によ ると 、 所 司 代 は 、 京 都 町 奉 行 の伺 に つい て 、 そ のま
(
老 中 ) 達 書 形 式 の下 知 書 は、 狭 義 の老中 奉 書 と は区 別 す べき ま た だ ち に承 認 し たり 、 単 に老 中 へ伝 達 す るだ け で は な く 、 自
と考 え る。 な お 、 こ こ で は 、 下 知 書 の差 出 に ﹁連 名 ﹂ と表 記 さ ら そ の内 容 を 検 討 し、 先 例 を 調 査 し て いる 。 そ のう え で 、 先 例
れ て いる が 、 例 類 集 に収 録 さ れ た下 知 書 のほ と んど が 、 差出 に が な く、 判 断 し が た い場 合 にな って は じ め て、 老 中 に伺 って い
9
る こ とが わ か る 。 こ の よ う に ﹁所 司 代 伺 ﹂ と さ れ る事 例 であ っ 老 中 に伺 って い る の であ る。
て も 、 当 初 か ら 所 司 代 が 伺 っ て い るも のば かり で はな く 、 京 都 こ の よう な先 例 の重 み は、 大 坂 城 代 に お い て も 確 認 でき る。
町 奉 行 が 所 司代 に伺 った こ と を 契 機 と し て、 所 司 代 が あ ら た め 次 の史 料 は、 安 永 六 年 (一七 七 七 ) 九 月 に就 任 し た 大 坂 城 代 牧
て老 中 に伺 う も の のあ る こ とが 確 認 さ れ る。 野 貞 長 の公 用 人 が 、 前 大 坂 城 代 の所 司 代 久 世 広 明 の公 用 人 に問
し か も 、 所 司 代 は 、 今 回 の西 川個 人 に対 す る仕 置 に つい て、 い合 わ せ た内 容 を ま と め た史 料 の 一条 であ る。
先 例 が な い た め に老 中 へ伺 う と いう こと だ け で は な く 、 今 後 の ︻
史 料 2︼
御 所 役 人 に対 す る 仕 置 に つい て も 、 新 た に老 中 へ伺 って い た。 一、 御 仕 置 筋 、 御 城 代 之 御 一存ニ 而 何 事ニ 而 も 御 差 図 被 成
こう し た あり 方 は 、 老 中 や評 定 所 の立 場 か らす れ ば 、 京 都 町 奉 候 事(
、大然坂共
)御(仕
同置) 之 軽 重 二不 抱 、 町 御 奉 行 御 伺 、 前 例ニ 少
行 の提 出 し た問 題 を所 司 代 が そ のま ま 中 継 し て い ると いう より も 背 候 事 見 候 時 者 、 其 旨 ヲ以 御 認 、 関 東 江 御 伺 被 成 候 事 、
も 、 所 司代 が 自 ら 新 た な 問 題 を 提 起 し てき た と と ら え る こ とが これ に よ る と 、 大 坂 町 奉 行 の伺 った仕 置 に対 し 、 大 坂 城 代 は、
でき る。 そ れ ゆ え 、 こ の事 例 は 、京 都 町 奉 行 が 伺 った 内 容 を 基 内 容 の軽 重 を あ まり 問 題 と せ ず 、 基 本 的 には 、 す べ て のこ と が
本 に し つ つも 、 ﹁京 都 町 奉 行 伺 ﹂ で は な く ﹁所 司 代 伺 ﹂ と 表 現 ら に つい て自 ら の判 断 で指 示 (
﹁差 図 ﹂) し う る の に対 し て、 先
され ている。 例 の有 無 は 大 き な 問 題 であり 、 そ れ に よ って 老 中 に伺 う 必 要 の
(3)
先 例 のな い場 合 生 じ て い る こ と が わ か る。
所司代 伺 の ﹃
古 類 集 ﹄ 一三 七 で は 、 興 福 寺 が 奈 良 町 人 を 呼 び こ の よ う に、 幕 府 の行 政 や 裁 判 に お いて 、 先 例 のあ る こ とが
出 す こ と な ど に つき、所 司 代 が 老 中 に伺 書 で ﹁
去 十 二月 ら は、 内 容 が 重 大 であ って も 、 手 限 で処 理 す る こと が 比 較 的 ひ
加 藤 伯 耆 守 伺 書 差 出 候(
、正⋮脩⋮
、仕奈来
良奉と行
は)乍 申 如 何ニ 相 聞 候 間 、 伯 ろ く 認 め ら れ る の に対 し て 、 先 例 の な い こ と が ら は、 内 容 が 軽
耆守伺 之通仕来相改候様 可申渡哉 と存候、乍然前 々より之仕来 微 であ って も 、 新 たな 判 断 を 加 え る こ と に き わ め て慎 重 であ っ
相改候事故 、則差出候 、⋮⋮右 (
奈 良 奉 行 の伺 書 が 入 った) 弐 た 。 そ の意 味 で 、 所 司 代 ・大 坂 城 代 の よ う な 最 上 層 の幕 府 役 人
袋 入 御 披 見 、 相 伺 之 申 候 、﹂ と 述 べ て い る。 これ に よ る と、 所 は 、 先 例 のあ る こと が ら に つ い て手 限 で 指 示 し う る こ と により 、
司 代 は 、 京 都 町 奉 行 のみ な ら ず 、奈 良 奉 行 か ら も 伺 書 が 提 出 さ 量 的 な面 で 、 相 当 程 度 の問 題 を 自 ら の も と で処 理 す る こ と が で
れ る こ と 、 先 例 を 変 更 す る こ とが ら であ る と し て 、 手 限 で指 示 き た の に対 し 、 老 中 (や そ れ を 通 し た将 軍 ) は、 先 例 のな い こ
せず 、 あ ら た め て老 中 に伺 って い る こと 、 など が わ か る。 先 例 と が ら に つ い て一元 的 に判 断 ・決 定 す る こ と に より 、 質 的 な 面
の拘 束 性 は き わ め て強 く 、 所 司 代 は 、 そ れ を 常 に 意識 し な が ら 、 で、 幕 府 の役 人 や そ の業 務 を 全 体 的 に把 握 ・管 理 す る こ とが で
9
き る、 と いう 関 係 にあ った。 老中 (
さ ら に は そ れ を 通 し た 将 軍 ) の決 定 に従 って いる 。
意 見 が 異 な る場 合
また、所司代伺 の ﹃
新 類 集 ﹄ 二 四 で は 、 五 条 家 の家 来 の弟 を 2 上 方 奉 行 の伺
吟 味 す る 一件 に つ いて 、 所 司 代 が 老 中 に提 出 し た伺 書 の内 容 を 、 上 方 奉 行 の伺 と 所 司 代 ・大 坂 城 代 の伝 達
評定所 は評議書 で ﹁四兵衛呼出(
、八一田
件、打岡
合由吟藩
味家可来
致)哉 と彼地町 つづ い て、 上 方 奉 行 レベ ル の伺 を み て いき た い。 次 の史 料 は 、
(京都)
奉 行 相 伺 候 得 共 、 右 一件 、 於 御 当 地 吟 味 可 被 仰 付 候 哉(
、江御戸
伺) 京都 町奉行伺 の ﹃
新 類 集 ﹄ 九 三 五 のう ち 、 老 中 が 所 司 代 に指 示
有 之 候 趣 二御 座 候 、﹂ と ま と め て い る。 こ れ に よ る と 、 京 都 町 し た 下 知 書 であ る。
奉 行 が 所 司 代 に、 岡 山 藩 家 来 の八 田 四兵 衛 を呼 び 出 し て吟 味 し ︻史 料 3 ︼
た いと伺 った の に対 し、 所 司 代 は 、 江 戸 で吟 味 す べき であ る と 其 地 上 京 慈 眼 庵 図 子 町 中 借 屋 そ の并 日 暮 椹 木 町 上 ル町 与 兵
考 え 、 あ ら た め て老 中 に 伺 って い る こ とが わ か る 。 意 見 が 異 な 衛 借 屋 と ま 同 居 之 姉 き の、
(燃京都
草)取 拵 、 投 火 之 躰ニ いた し置
る以 上 、 所 司 代 は京 都 町 奉 行 の伺 書 を そ の ま ま 老 中 に伝 達 す る 候 御 仕 置 伺 壱 冊 ・例 書 壱 通 牧 野 大 和 守 差 出 候 処(
、成其傑表
、ニ京差
都西町奉行)
こ と は で き ず 、 自 ら 伺 書 を作 成 す る こと が 必要 と な る。 こ の場 当り 相 当 之 例 も 無 之ニ 付 、 御 自 分 迄 差 出 候 帳 面壱 冊 ・例 書
合 も 、老 中 や 評 定 所 に と っ て、 所 司 代 が 京 都 町 奉 行 の伺 を そ の 壱 通 被 差 越 之 、 至 来 、 内 談 御 申 越 之 趣 委 細 承 知 いた し 候 、
ま ま中 継 し てき た と いう より は、 そ れ を契 機 と し つ つも 、 所 司 前 書 そ の事 ハ軽 追 放 、 き の儀 は 重 追 放 御 申 付 候 様ニ と 存 事
代 が 自 ら 新 た に伺 った と と ら え ら れ る ので あ り 、 [
事 例 の表 題 ] ニ 候 、 則 右 帳 面 并 例 書 と も 返 進 致 し候 、 以 上 、
にお い て は 、 ﹁京 都 町 奉 行 伺 ﹂ より も ﹁
所 司代伺 ﹂と表 現 され 二月 八日(連
文名化(
七老年中
))
近世 中後期幕 府の上方支配

る こと が ふ さ わ し いと いえ る。 酒 井 讃 岐 守 様(忠進、所司代)(殿)
な お、 こ の事 例 で は 、 老 中 が 所 司代 の意 見 を しり ぞ け 、 京 都 こ れ によ る と 、 例 類 集 にお い て ﹁京 都 町 奉 行 伺 ﹂ と表 現 さ れ
で 吟 味 し た い と いう京 都 町 奉 行 の意 見 を 採 用 し て い る。 こ の よ て いて も 、 実 際 に は 、 京 都 町 奉 行 が 直 接 老 中 に伺 う ので は な く 、
う に、 所 司 代 と京 都 町 奉 行 の問 で意 見が 対 立 し た場 合 、 必 ず し 伺 書 が い った ん所 司 代 に提 出 さ れ、 所 司 代 が そ の内 容 を検 討 し
も 所 司 代 の方 が 優 先 さ れ る の で は な く 、 最 終 的 に は、 老 中 が 両 た う え で、 老 中 に 伝 達 し て い る こ とが わ か る。 そ の点 で は、
者 に対 し 、 より 上 位 の立 場 か ら判 断 ・指 示 を 下 し た。 他 方 、 京 ﹁所 司 代 伺 ﹂ と表 現 さ れ るも の と 同 様 であ る。 し か し な が ら 、
都 町 奉 行 は、 所 司 代 から 一定 範 囲 の指 示 を 受 け る 立 場 にあり な こ こ で は、 京 都 町 奉 行 の伺 に対 し て、 所 司 代 が 、新 た に伺 う べ
が ら も 、 そ れ に絶 対 的 に拘 束 さ れ る わ け で は な く 、 最 終 的 に は、 き 問 題 を 加 え たり 、 異 な る意 見 を も って い る わ け で はな い。 単
9
純 に、 先 例 が み あ た ら ず 、 自 ら指 示 す る こ とが でき な い の で、 これ に よ る と 、仕 置 や そ の他 に つ い て、 大 坂 城 代 に 手 限 (

京 都 町 奉 行 の伺 書 を そ のま ま老 中 に伝 達 し て いる。 そ れ に対 し 切 ) で指 示 し て も ら う た め に伺 書 が 提 出 さ れ た と し て も、 場 合
て 、 老 中 も ま た、 自 ら が 京 都 町 奉 行 に指 示 す る と いう より は、 に より 、 大 坂 城 代 は 、 そ れ を そ の ま ま 老 中 に送 って いる こ と が
所 司代 か ら 送 ら れ て き た 伺 書 を ふ ま え 、 所 司 代 が 指 示 す べき こ わ か る 。 し かも 、 江 戸 の老 中 にあ て ら れ る伺 書 に比 べ、 大 坂 城
とが ら に つい て、 自 ら の意 見 を伝 え て い る。 そ のこ と は、 老 中 代 にあ てら れ る伺 書 は 、 粗 末 な 紙 が 使 用 さ れ る など 、 簡 略 な 手
が 、 京 都 町 奉 行 の伺 書 を 自 ら 受 け 取 る こと な く 、 あ く ま で所 司 続 き で 処 理 さ れ て いた こと も 確 認 でき る 。
代 が 受 け 取 る べき も のと し て、 そ のま ま 返 却 し て い る こと から こ のよ う に、 所 司 代 や 大 坂 城 代 は、 上 方 奉 行 より 提 出 さ れ た
も う かが え る 。 伺 書 に つ い て、 自 ら 新 た な 問 題 を加 え たり 、 異 な った 意 見 を も
ま た、 京 都 町 奉 行 伺 の ﹃
新 類 集 ﹄ 一二 でも 、 京 都 町 奉 行 が 書 つわ け で はな く 、 そ のま ま 老 中 に伝 達 す る こと が あ った 。 こう
付 で、 所 司 代 に内 意 を 伺 った の に対 し、 所 司 代 が そ の伺 書 を 老 し た事 例 は、 老 中 や 評 定 所 か ら す る と 、 上 方 奉 行 が 提 起 し た問
中 に送り 、 あ ら た め て対 応 を 伺 った と こ ろ 、 老 中 は、 所 司 代 に 題 を 所 司 代 ・大 坂城 代 が 中 継 し て き た も の と と ら え ら れ る こ と
下 知 書 で返 答 す る と 同 時 に、 京 都 町 奉 行 の伺 書 自 体 は 受 け 取 る か ら、 例 類 集 に お い ては ﹁上 方 奉 行 伺 ﹂ と 表 現 さ れ る こと にな
こ と な く 、 そ れ に付 札 を し た う え で、 所 司 代 に返 却 し て いる 。 る。 す な わ ち 、 [
事 例 の表 題 ] に お け る ﹁∼ 伺 ﹂ と は、 伺 書 に
こ こ でも 、 京 都 町 奉 行 はあ く ま で所 司 代 に伺 って い る の であり 、 つ いて 、 誰 を 宛 名 にし て い る か は あ まり 問 題 と さ れ ず 、 誰 が 差
老 中 は、 所 司代 が 自 ら 指 示 す べき と こ ろ を 支 援 す る と いう 関 係 出 であ る かと い う点 に着 目 し て表 現 さ れ たも ので あ った 。 ま た
にあ る 。 そ の結 果 と し て、 例 類 集 に お い て は 、 老 中 に直 接 あ てら れ た伺
同 様 の こ と は、 大 坂 城 代 に つ い ても 確 認 さ れ る。 次 の史 料 は、 書 と、 い った ん老 中 以 外 の役 人 にあ て ら れ 、 そ こ か ら 間 接 的 に
文 化 七年 (一八 一〇 ) 六 月 に就 任 し た大 坂 城代 大 久 保 忠 真 の家 老 中 へ伝 達 さ れ た伺 書 と の両 者 が 、 表 題 のう え で区 別 さ れ な い
来 が 、 前 大 坂 城 代 の西 丸 老 中 松 平 乗 保 の家 来 に問 い合 わ せ た 内 た め、 そ れ ぞ れ の事 例 を 検 討 す る 際 に は、 伺 か ら指 示 に い た る
容 を ま と め た史 料 の 一条 であ る 。 一連 の過 程 を 丁 寧 に お さ え る必 要 が あ る 。

史料 4︼ なお、 ︻
表 1︼ によ る と 、 所 司 代 の伺 が 五 三 件 であ る の に対

、 吟 味 伺 書 等 ・其 外 伺 書 、 御 手 切 出 候 而 も 、 品ニ 寄 御 伺 し て、 そ の指 示 を 受 け る 京 都 町 奉 行 や 伏 見 ・奈 良 奉 行 の伺 の合
ニ 相 成 候 事 有 之 、 其 節 者 、 矢 張 出 書 付 之儘 麁 紙ニ 而 不 苦 候 計 は五 〇 〇 件 であり 、 大 坂 城 代 の伺 が 三 九 件 であ る の に対 し て、
間、御老中方 江御進達被成 候事、 そ の指 示 を 受 け る大 坂 町 奉 行 や 堺 奉 行 の伺 の合 計 が 八 九 六 件 で
1
あ る。 上 方 役 人 の伺 に お い て は 、 上 方 奉 行 レベ ル の件 数 が 所 司 給 さ れ て い る。 ま た、 大 坂 城 代 の伺 った 八件 のみ な ら ず 、 大 坂
代 ・大 坂 城 代 レベ ル の件 数 より も 圧 倒 的 に多 いこ と が わ か る。 町 奉 行 の伺 った 一二件 や堺 奉 行 の伺 った 二 件 に つい ても 、 そ れ
そ の背 景 と し て は、 上 方 奉 行 が 地 域 支 配 の実 務 を 直 接 担 当 す る に対 す る [老中 の指 示 文 書 ] は 、 す べ て大 坂 城 代 にあ て て 発給
の に対 し て 、 所 司 代 や大 坂城 代 は自 ら 実 務 には た ず さ わ らず 、 さ れ て い た 。 さ ら に、 大 坂 町 奉 行 伺 の ﹃
古 類 集 ﹄ 一四 五 や ﹃

あ く ま で上 方 奉 行 を通 し て間 接 的 に関 与 す る の み であ った こ と 類 集 ﹄一 〇 六 で は、 大 坂 城 代 のみ な ら ず 、 所 司 代 にも 下 知 書 が
か ら 、 自 ず と上 方 奉行 の伺 う 件 数 が 多 く な った も の と 思 わ れ る。 発 給 さ れ て い る。 そ こ で ︻
表 2︼ の ﹁文 言 ﹂ を み る と 、 ﹃
新類
し か しな が ら、 所 司 代 や 大 坂 城 代 は 、 上 方 奉 行 の伺 に対 し て、 集 ﹄ 一〇 六 で は、 不 正 の唐 物 を 薩 摩 で買 い取 った者 の仕 置 に つ
新 た な 問 題 を加 え たり 、 異 な った意 見 を も つ場 合 、 あ る いは 、 い て、 大 坂 町 奉 行 が 伺 った の に対 し、 老 中 は 下 知 書 で、 別紙 書
朝 廷 の問 題 と い った 上 方 奉 行 が たず さ わ ら な い場 合 に のみ 、 老 付 の通り に仕 置 を 申 し渡 す よ う 指 示 す る と と も に、 大 坂 城 代 に
中 に伺 って いる わ け で は な い。 例 類 集 にお い て ﹁上方 奉 行 伺 ﹂ ﹁ 其 地 町 奉 行 并 堺 奉 行 え も 可 被 申 渡 候(
、﹂大と
阪)し て、 不 正 唐 物 を
と 表 現 さ れ た事 例 に つい ても 、 基 本 的 に は、 上 方 奉行 より い っ 売 買 し た 薩 摩 の者 を取り 締 ま る旨 を大 坂 町 奉 行 と 堺 奉 行 に伝 達

た ん所 司 代 ・大 坂 城 代 に伺 書 が 提 出 さ れ 、 所 司 代 や大 坂 城 代 は、 す る よ う 指 示 し て いる 。 ま た、 所 司 代 にも ﹁其 地 町 奉 行 并 伏 見
そ の内 容 を 検 討 し、 必 要 と判 断 し た う え で老 中 に伝 達 し て い た。 奉 行 ・奈 良 奉 行 え も 可 被 相 達 候 、﹂ と し て、 同 様 の旨 を 京 都 町
そ の意 味 で は、 上 方 奉 行 伺 と さ れ て い るも のも 、 実 質 的 に は、 奉 行 と 伏 見 ・奈 良 奉 行 に伝 達 す る よ う 指 示 し て いた。 これ に よ
上 方 奉 行 と 所 司 代 ・大 坂 城 代 と に よ る 二重 の伺 と いう こ とが で る と 、 大 坂 町奉 行 伺 と され る も の に対 し ても 、 老 中 は 大 坂 町 奉
き 、 所 司 代 伺 や 大 坂 城 代 伺 の件 数 が 少 な いか ら と い って、 仕 置 行 に直 接 指 示 す る の で は な く 、 大 坂 城 代 に あ て て下 知 書 を 発 給
し 、 そ こ か ら 間 接 的 に指 示 し て い る こ とが わ か る。 し かも 、 こ
近世中後期幕府の上 方支配

を は じ め と す る上 方 支 配 にお い て、 所 司 代 ・大 坂 城 代 の役 割 が
小 さ いわ け で は な い。 こ で は、 老 中 が 大 坂 町 奉 行 の みな ら ず 、 大 坂 城 代 を 通 し て 堺奉
所 司 代 ・大 坂城 代 を 通 し た老 中 の指 示 行 に 、所 司 代 を 通 し て京 都 町 奉 行 や 伏 見 ・奈 良 奉 行 に、 そ れ ぞ
上 方 奉 行 の伺 書 は 、 所 司 代 や大 坂 城代 を 通 し て老 中 に伝 達 さ れ同 じ 内 容 を 伝 達 す る よ う 指 示 し て いた 。 これ に つ い ては 、 所
れ て いた 。 こ れ に 対 し て、 老 中 の下 知書 は、 ど のよ う にし て上 司 代 青 山 忠 裕 が 奈 良 奉 行 岩 瀬 氏 記 に、 次 のよ う な文 書 を 発 給 し
方 奉 行 に 伝 達 さ れ る のだ ろ う か 。 ︻
表 2︼ によ る と、 所 司 代 の て いる 。
伺 った 二七 件 のみ な ら ず 、 京 都 町 奉 行 の伺 った 六 件 に つい ても 、 ︻史 料 5︼
そ れ に対 す る [老 中 の指 示 文 書 ] は 、 す べ て所 司 代 にあ て て 発 岩瀬加賀 守江(氏記、奈良奉行)
1
(
﹃新 類 集 ﹄ 一〇 六 にお け る所 司代 あ て の下 知 書 と ほ ぼ 同 じ れ て いる さ ま を 確 認 す る こと が でき る。 そ し て、 こう し た あり
内容 、略) 方 こそは、大坂町奉行伺 の ﹃
新 類 集 ﹄ 一〇 六 にお い て、 大 坂 町
右 之 通大阪 奉 行 江被 申 渡 候 間 、 得 其 立
自心、御自分 江も可相 奉 行 に指 示 を す る大 坂 城 代 のみ な らず 、 そ れ に指 示 しな い所 司
達 旨 、年 寄 衆〓 申 来 候間 、 可 被 得 其 意 候老
、中⋮⋮ 代 に対 し て も 、 老 中 が 下 知 書 を 発 給 す る 理由 であ った。
十 二月(享和三年)
こ こ で は、 所 司代 が 、 老 中 より の下 知 書 を写 す と と も に、 そ 3 所 司 代 ・大 坂 城 代 の在 府
れ を 奈 良 奉 行 へ伝 達 す る よう 老 中 に指 示 さ れ た 旨 を 奥 書 し て お と こ ろ で、 こ れ ま で は、 所 司 代 ・大 坂 城 代 や 上 方 奉 行 が 現 地
り、 大 坂 町 奉 行 伺 の ﹃新 類 集 ﹄ 一〇 六 に おけ
る 老中 の指 示 は 、 の上 方 に赴 任 し て い る 場 合 を み て き た 。 し か し な が ら、 所 司
所 司 代 を 通 し て、 確 実 に奈 良 奉 行 へ伝 達 さ れ て いる こと が わ か 代 .大 坂 城 代 や 上 方 奉 行 は、 江 戸 から 派 遣 さ れ 、在 任 期 間 の み
る。 そも そ も 、 所 司 代 や 大 坂 城 代 の伺 に対 し て、 老 中 が そ れ ら 上 方 に居 住 す る役 人 であり 、 ま た 、 在 任 中 であ って も 、 数 年 に
に 指 示 す る のは 当 然 と も いえ るが 、 上方 奉 行 の伺 に対 し ても 、 一度 は 江 戸 に参 府 し て い た。 とり わ け 、 所 司 代 と大 坂 城 代 の両
老 中 は上 方 奉 行 に直 接 指 示 せ ず 、 所 司代 や 大 坂 城 代 に あ て て下 者 は 、 上 方 奉 行 の伺 や そ れ に対 す る 老 中 の指 示 を仲 介 し て い た
知 書 を 発 給 し、 そ こ から 間 接 的 に指 示 し て い る。 老 中 は、 伺 と が 、 こ の両 者 が 在 府 す る 場 合 、 そ れ ら のやり とり は ど のよ う に
そ れ に対 す る指 示 と いう 上 申 ・下 達 の両 面 に お い て、 上 方 奉 行 な る のだ ろ う か。 次 の史 料 は、 大 坂 城 代 伺 の ﹃
続類集 ﹄八五 の
と 直 接 的 な やり とり を す る こ と な く 、 あ く ま で所 司 代 ・大 坂 城 う ち、 文 政 四 年 (一八 二 一) 一二月 晦 日 、 老 中 が 在 府 す る 大 坂
代 と 上方 奉 行 と の関 係 を 尊 重 し て い る の であ る 。 城 代 松 平 輝 延 に指 示 し た 文 書 であ る。
な お、 こ の事 例 に お い て老 中 が 不 正 唐 物 の取り 締 まり を 指 示 ︻史 料 6 ︼
し た 内 容 や 文 言 と ほ ぼ 同 じ も のが 、 幕 府 の基 本 法 令 集 で あ る 松 平右京大夫(輝延、大坂城代・在府)

御 触 書 天 保 集 成 ﹄ に収 録 さ れ 、 長 崎 奉 行 へも 伝 達 さ れ て いる 。 大坂町内ニ 罷在候東西本 願寺并興正寺末寺 共、宗旨人 別改
不 正 唐 物 を 売 買 し た者 に対 す る個 別 的 な 仕 置 を 大 坂 町 奉 行 が 伺 証文、寺方 ・町方 二重ニ 差出来候処、寺 法取締方并寺役 法
った こと を契 機 と し て、 同様 の ケ ー スを 一般 的 に取り 締 ま る法 用差支之趣 等申 立、以来 町内え差出候宗旨 人別并町儀ニ拘
令 が 作 成 さ れ た こと 、 し か も 、 そ の法 令 が 、 大 坂 町 奉 行 以 外 の りり候儀差免有 之候様被致度旨 、両本願寺并 興正寺 より申立
上方 奉 行 や 長 崎 奉 行 な ど に も ひ ろ く 伝 達 さ れ て い る こ と か ら は、 有 之候ニ付、取 調之上、 ⋮⋮難承届段可相達哉 之旨、晦灘
幕 府 にお け る裁 判 と 行 政 が 、 同 じ 過 程 の な か で連 続 的 に実 施 さ 行 共相伺候、 ⋮⋮ い つれ とも難被 決ニ付、右書付 ・帳面 と
1
も 先 達 て被 越 之 、 被 相 伺 候 、 右 は従 来 之 仕 来ニ 候間 、 両 本 いる。 し か し なが ら 、 所 司 代 や大 坂 城 代 の在 府 す る 事 例 を み る
願 寺 并 興 正 寺 申 立 之 趣 、 難 被 及御 沙 汰 段 可 相 達 旨 、 町 奉 行 と 、 月 付 が あ ったり 、 書 止 が ﹁候 ﹂ ﹁
以 上 ﹂ と な る場 合 で あ っ
共え可被達候、 て も 、 宛 名 が 、 文書 の左 奥 と い う 本 来 の位 置 に 、 差 出 か ら 続 く
ま ず 、 形 式 に つ い て み る と、 書 止 に ﹁以 上 ﹂ の文 言 が み ら れ よ う に書 き 記 さ れ て いる の で は な く 、 文 書 の右 端 に 、 付 箋 な ど
ず 、 日 付 や差 出 が な く 、 文 書 の右 端 に殿 のな い宛 名 が 付 い て い に よ って付 け 加 え ら れ る と いう 簡 易 な 形 式 を と る点 は 共 通 し て
る (
実 際 には 、 小 札 の形 で貼 ら れ て い る)。 そ こ で 、 ︻表 2︼ に おり 、 同 様 の内 容 や 機 能 を も つ文 書 と し て、 ひ と し く書 取 と 認
お いて、 所 司 代 や 大 坂 城 代 が 在府 す る場 合 を み て み る と 、 いず 識 さ れ て い る。 し か も 、 老 中 が 、 三奉 行 な ど 江 戸 の役 人 に指 示
れ に お い ても 、 老 中 は下 知 書 を 発 給 し て いな い。 た と えば 、 所 す る 際 、 書 取 の形式 を ひ ろ く 用 いて いた こと か ら す る と 、 老 中
司 代 伺 の ﹃新 類 集 ﹄ 二 四、 大 坂 城 代 伺 の ﹃
続類 集﹄八五、大 坂 が 所 司 代 や大 坂 城代 に下 知 書 を 発 給 す る の は、 両 者 が 老 中 か ら
町 奉 行 伺 の ﹃新 類 集﹄ 二 三 四 ・﹃
続 類 集 ﹄ 七 八、 堺 奉 行 伺 の 空 間 的 に離 れ て い る と いう 条 件 に よ る も の で あ った こ と が わ
﹃新 類 集 ﹄ 九 〇 など は 、 書 止 に ﹁以 上 ﹂ が な く 、 日 付 や差 出 も か る。
な く 、 右 端 に 殿 の な い宛 名 が 付 い た 文 書 で あ る 。 こ のう ち 、 さら に 、 こ の事 例 に お いて 、 老 中 は、 大 坂 城 代 が 自 ら と同 じ
﹃新 類 集 ﹄ 二 三 四 は 、 書 止 が ﹁事 ﹂ と な っ て い る の に対 し て、 江 戸 に滞 在 し て い る場 合 で も 、 大 坂 町 奉 行 に直 接 指 示 せず 、 わ
そ の他 の事 例 は、 書 止 が ﹁候 ﹂ と な って いる 。 ま た、 所 司 代 伺 ざ わざ 在 府 中 の大 坂 城 代 を 通 し て い る。 同様 の事 例 と し て、 所
の ﹃天 保 類 集 ﹄ 九〇 は 、 月 付 はあ るも の の、 書 止 に ﹁以 上 ﹂ が 司 代 伺 の ﹃天 保 類 集 ﹄ 九 〇 では 、 老 中 が 在 府 中 の所 司 代 を 通 し
な く 、 差 出 も な く、 右 端 に殿 のな い宛 名 が 付 い た文 書 を 用 い て て京 都 町 奉 行 に指 示 し て い る。 ま た 、 大 坂 町 奉 行 伺 の ﹃続 類
集 ﹄ 六 で は 、 大 坂 城 代 が 老 中 と 同 じ 江 戸 に滞 在 し て い る場 合 で
近世中後期幕府 の上方支配

い る。 こ れら のよ う に、 書 止 に ﹁以上 ﹂ が な く 、 差 出 のな い簡
易 な 形 式 の文 書 は 、 通 常 ﹁書 取 ﹂ と呼 ぼ れ る。 さら に 、 大 坂 城 も 、 大 坂 町 奉 行 は伺 書 を直 接 老 中 に提 出 す る こと な く 、 あ く ま
代伺の ﹃
天保類集﹄ 四四や大坂町奉行伺 の ﹃
新 類 集 ﹄ 一〇 五 九 で在 府 中 の大 坂 城 代 に提 出 し 、 そ こ か ら 老中 に伝 達 さ れ て いる .
は 、書 止 に ﹁
以 上 ﹂ が あり 、 月 付 も あ る が 、 こ れ ま た 差 出 はな こ の よ う に、 所 司 代 ・大 坂 城 代 が 在 府 し 、 上 方 奉 行 と空 間 的 に
く 、右 端 に 殿 のな い宛 名 が 付 い た 文 書 で あり 、 と く に ﹃
新類 離 れ て い ても 、 伺 と そ れ に対 す る指 示 と いう 上 申 ・下 達 の両 面
集 ﹄ 一〇 五 九 で は、 評 定 所 が ﹁
御 書 取 ﹂ と 呼 ん で い る 。書 取 に に お い て、 両 者 の関 係 は 依 然 維 持 さ れ て いた 。
つ いて は 、 藤 田覚 氏 が 、 伺 書 な ど に対 し て内 々 に 回答 ・指 示 す つぎ に、 内 容 を み る と 馬 大 坂 城 代 伺 と さ れ る こ の事 例 でも 、
る た め の文 書 で あり 、 書 止 が ﹁
候 事﹂と な る、と指 摘 さ れ て 当 初 か ら 大 坂 城 代 が 伺 って い る の で は な く 、 大 坂 町 奉 行 の伺 を
1
契 機 と し た こ と 、 ま た そ の際 も 、 大 坂 城 代 は伺 書 の内 容 を 検 討 の裁 判 に お い て は 、 民 事 に つい て も刑 事 に つい て も 、 判 決 に つ
し 、 自 ら判 断 し が た い場 合 には じ め て、 あ ら た め て老 中 に伺 っ き 、 あ る い は 判 決 以 外 の裁 判 に か かわ る事 柄 に つき 、 上 級 機 関
て い る こ と、 な ど が 確 認 で き る 。 に伺 い そ の指 令 を 受 け る と いう パ タ ー ンが 広 く 見 ら れ た。﹂ ﹁

そ し て、 も う 一つ注 目 す べき 点 は、 大 坂 町 奉 行 や 大 坂 城 代 が 、 ず しも 現 在 審 理 中 の事 案 、 あ る い は これ か ら審 理 を 始 め る事 案
大 坂 市 中 の 一向 宗 末 寺 に よ る 人 別 の提 出 や町 役 の負 担 に つ いて に つ い て な さ れ る と は限 らず 、 今 後 起 こり う る で あ ろ う 事 態 に
伺 って い る こ と であ る 。 つ い て の処 理 方 法 を あ ら か じ め伺 って お く と いう こ と も 行 わ

表 2 ︼ の ﹁件 名 ﹂ を み る と、 大 坂 町 奉 行 伺 の ﹃続 類 集 ﹄ 七 れ た。﹂ と 述 べら れ て い る が 、 上 方 役 人 に お い て も 、 同 様 の状
八 で は 、 大 坂 町 奉 行 が 播 磨 に お け る木 材 伐 採 に関 す る出 入 の裁 況 が 確 認 で き る。
許 を 伺 い、 所 司 代 伺 の ﹃
続 類 集 ﹄ 九 三 ・﹃天 保 類 集 ﹄ 一五 二 ・ し か し なが ら 、 大 坂 市 中 の 一向 宗 末 寺 に よ る人 別 の提 出 や 町
一八 五 で は 、 所 司 代 が 近 江 に お け る 境 界 出 入 や 漁業 に関 す る 出 役 の負 担 と い った 問 題 は 、 吟 味 や 仕 置 な ど の刑 事 的 な こ と が ら
入 の裁 許 を 伺 って い る 。 ま た、 所 司 代 伺 の ﹃
古 類集﹄六 八では、 はも ち ろ ん 、 出 入 や 裁 許 な ど の民 事 的 な も のを 含 め た裁 判 に関
所 司 代 が 軽 い盗 で払 や 追 放 に な った 者 の御 構 場 所 を 、 大 坂 城 代 す る こ とが ら です ら な く 、 住 民 の管 理 と いう 一般 の行 政 であ る。
伺の ﹃
新 類 集 ﹄ 二 で は 、 大 坂 城 代 が 不 正 薬 種 ・鼈 甲 の売 買 を 届 こ の よ う に 、 大 坂 町 奉 行 や 大 坂 城 代 が 、 裁 判 に関 す る こ と が ら
け た 者 に褒 美 を 与 え る 方 法 を 、京 都 町 奉 行 伺 の ﹃新 類 集 ﹄ 八 四 と 行 政 に 関 す る こ とが ら と を ま った く 同 じ 過 程 に お い て処 理 し
で は 、京 都 町 奉 行 が 借 金 出 入 を 受 理 す る年 限 を 、 大 坂 町 奉 行 伺 て い る こ と 、 し かも 、 例 類 集 が 、 吟 味 や 仕 置 の事 例 を編 集 し た
の ﹃
古 類 集 ﹄ 一四 五 で は、 大 坂 町 奉 行 が 宮 ・門 跡 や 寺 院 の貸 付 ﹁刑 事 先 例 集 ﹂ と し て の性 格 を 中 心 に し つ つも 、 行 政 に関 す る
金 に関 す る処 理 法 を 、 そ れ ぞ れ伺 って い る。 さ ら に、 ︻
史料 1︼ 事 例 を あ わ せ て収 録 し て い る こと は、 近 世 の裁 判 が 、行 政 ・支
で は 、所 司 代 が 、 西 川 平 太 郎 の仕 置 と いう 、 す で に発 生 し て い 配 一般 と 不 可 分 であり 、 そ の 一環 と し て 実 施 さ れ て いた こ と を
る問 題 を 個 別 的 に解 決 す る の み な ら ず 、 御 所 役 人 の仕 置 と いう 、 より よ く 反映 し て い る。
今 後 発 生 す る問 題 に つい ても 一般 的 に対 処 し よ う と し て いた 。
こ れ ら の事 例 か ら は 、 上 方 役 人が 、(1
吟)味 や 仕 置 の み な らず 、 三 所 司 代 ・大 坂 城 代 と 上 方 奉 行 の関 係
出 入 の裁 許 に つ いて も 伺 って いる こと 、(2
個)別 の仕 置 や裁 許 の
み な らず 、 そ れ に関 す る ﹂般 的 な 規 則 ・制 度 に つ い ても 伺 って 1 所 司代 や 大 坂 城 代 の指 示
い る こ と 、 な ど が わ か る。 こ の点 に つい て は 、 大 平 氏 が ﹁
幕府 上 方 奉 行 の手 限 と 所 司 代 ・大 坂 城 代 への伺
1
前 章 ま で は 、 例 類 集 の事 例 により 、 主 と し て 、 上 方 役 人 と 江 御 手 限り こて被 仰 付 候 儀 と 相 心 得 罷 在 候 得 共 、 ⋮ ⋮
戸 の老 中 と の関 係 を み てき た 。 本 章 から は 、例 類 集 以 外 の史 料 延 享 元 子 年 八月 先 御 奉 行〓 被 仰 上 書 之 内(
、奈良)
を 用 い つ つ、 上 方 の内 部 に お け る所 司 代 ・大 坂 城 代 と 上 方 奉 行 一、 御 仕 置 之 事 、
と の関 係 を 中 心 に検 討 す る 。 其 時 々 所 司 代 江 相 伺 、 御 仕 置 申 付 候 、尤 軽 咎ニ 而過 料 銭 等
は じ め に、 上 方 役 人 の仕 置 に つ いて、 平 松 氏 は ﹁
伏 見奉 行 、 申 付 候儀 者 、 不 及 伺 申 付 候 儀 と 御 座 候 、
京 都 町 奉 行 、 奈 良 奉 行 は所 司 代 に、 大 坂 町 奉 行 、 堺 奉 行 は 大 坂 ︻
史料 8︼
城 代 に、 それ ぞ れ手 限 仕 置 を 超 え る 事 件 を 伺 う 。 ⋮ ⋮京 都 町 奉 一、 御 仕 置 窺 之 事 、
行 は、 所 払 以 上 は 所 司 代 に伺 い、 所 払 より 軽 い手 鎖 、 押 込 、 過 但 、 大 坂ニ 而 は 、重 科 ・流 罪 迄 御 城 代 へ相 伺 申 来 候(
、大追坂)
料 な ど は手 限 で 科刑 し た。 大 坂 町奉 行 は 、 軽 い咎 に至 る ま で、 放 ・敲 あ る ひ ハ戸 〆 ・逼 塞 ・遠 慮 ・所払 ・過 料 抔 ハ、 先 格
す べ て城 代 に伺 った う え で、 こ れ を 行 う べき も ので あ った 。 奈 を 以 御 城 代 へ不 相 伺 、 町 奉 行 所ニ お い て申 付 来 候 得 共(
、同向)
良 奉 行 は延 享 元年 (一七 四 四 ) の書 上 に は、 過 料 な ど の軽 い咎 後 相伺可申候、
は手 限 で仕 置 を な し う るも 、 他 は す べ て所 司 代 に伺 う 、 と あ る ﹁右 は 延 享 元 子 年 松 浦 河 内 守 在 勤 中(
、朱都書而
)御(城
信正代、へ
大申坂上
東、町奉行)
が 、 実 際 に は 、 ⋮ ⋮ 軽 追 放 より 軽 い刑︱ いわ ゆ る追 放 以 下 1 は 取 計候品相極候節 之書付抜書、 ⋮⋮﹂
手 限 で仕 置 を 行 った の であ る 。 た だ し 、 入 墨 、 敲 刑 は 所 司 代 に 以上 二 つ の史 料 か ら 、(1
奈)良 奉 行 は 、 延享 元 年(一 七 四 四 )
伺 う 例 であ った。﹂ と 述 べ ら れ て いる が 、 そ の実 態 や 成 立 過 程 八月 に、 業 務 の内 容 に関 す る 書 付 を 提 出 し た 際 、 仕 置 に つ いて
は 、 ど の よ う な も の であ った の だ ろ う か 。 ︻
史 料 7 ︼ は、 文 政 は、 基 本 的 に所 司 代 へ伺 い、 軽 い咎 の過 料 銭 な ど に つい て は 、
近世中後期幕府 の上方支配

一三 年 (一八 三 〇 ) 六 月 七 日 に奈 良 奉 行 所 の取 締 方 与 力が 同 奉 所 司代 に伺 わ ず 、 手 限 で申 し 付 け る旨 が 確 認 さ れ て い る こ と 、
行 に提 出 し た書 付 の 一部 、 ︻史 料 8 ︼ は 、 安 竹 貴 彦 氏 が 大 坂 町 そ れ と と も に、 先 例 が あ る も の に つ いて は 、 大 和 国 中 払 ま で 手
奉 行 所 に おけ る延 享 期 (一七 四 四∼ 八 ) の改 革 に関 連 す る 事 例 限 で申 し 付 け 、 そ う し た あり 方 が 文 政一三 年 の段 階 で も 継 続 し
と し て指 摘 さ れ たも の であ るが 、 安 永 九 年 (一七 八○ ) ご ろ に て いた こと 、(2
大)坂 町 奉 行 は、 延 享 元 年 に、 大 坂城 代 へ上 申 し
同 町 奉 行 所 で ま と め ら れ た 史 料 の 一条 であ る。 た う え で処 理 す る業 務 の内 容 を 決 め る と と も に、 従 来 、 重 科

史 料7︼ (
死 罪 ) や 流 罪 ま で の仕 置 に つ い ては 、 大 坂 城 代 に伺 い、 追 放
一、 御 仕 置 并 御 咎 等 所 司 代 江 御 伺 之 上 被 仰 付 候 品 ・御 手 限 か ら過 料 に い た る仕 置 に つい て は 、 大 坂 城 代 に 伺 わ ず 、 手 限 で
ニ 而 被 仰 付 候 品 之 儀 、 大 和 国中 払 以 下 先 格 有 之 儀 者 御 見 合 申 し 付 け てき たが 、 同 年 以 降 は、 す べ て大 坂 城 代 に伺 う よう に
1
な った こと 、(3
奈)良 奉 行 と 大 坂 町 奉 行 の仕 置 は、 両 者 の間 で軽 召 捕 、 去 酉 年 十 二 月 刀(
・享脇和
差元取
)上 ケ 、 重 敲 ・山 城 国中 払 申
い咎 に関 す る若 干 の違 いが あ るも の の、 延 享 元 年 以 降 には 、 お 付 候 身 分 不 慎 、 御 構 之 場 所 江 も 立 入、 又 候 帯 刀 い た し 、
お よ そ 平松 氏 の指 摘 さ れ た 通り に な って い る こと 、 な ど が う か ⋮ ⋮合 力 い た し呉 候 様 ね たり ヶ間 敷 申 聞 、 ⋮ ⋮ 刀 ・脇 差 取
が え る 。 す な わ ち 、 延享 元 年 に は、 平 松 氏 の指 摘 さ れ た 奈 良 奉 上 、軽 追 放 可 申 付 候 哉 、
行 と 安 竹 氏 の指 摘 さ れ た 大 坂 町 奉 行 と の両 者 に お い て、 仕 置 の
手 限 や伺 に関 す る内 容 が 確 定 さ れ て い る の であ る。 ま た お そ ら 御 附札(所司代)
く は、 奈 良 奉 行 と 同 様 に所 司 代 の指 示 を受 け る京 都 町 奉 行 や 伏 此安 之 助 儀 、 入 墨 之 上 軽 追 放 可 被 申 付 候 、
見 奉 行 、 大 坂 町奉 行 と 同 様 に 大 坂 城 代 の指 示 を 受 け る堺 奉 行 を
含 め た 、 上 方 奉 行 の全 体 に つ い て、 延 享 元 年 に、 所 司 代 ・大 坂
城 代 と の間 で、 仕 置 を めぐ る伺 と 指 示 の関 係 が 改 革 ・確 立 さ れ 覚書
たも のと 考 え ら れ る 。 そ し て例 類 集 に おけ る 上方 役 人 の伺 は 、 此 安 之 助 儀 、 ⋮ ⋮御 仕 置 を 不 相 用 も のニ も 候 間 、 入 墨 之 上
延 享 元年 以 降 の段 階 のも の であ った 。 軽 追 放 申 付 、 相 当 可 致 候 哉 、 今 一応 取 調 可 被 申 聞 候 、
所 司 代 ・大 坂 城 代 と 上 方 奉 行 と の やり とり
つづ い て、 仕 置 を め ぐ る所 司 代 ・大 坂 城 代 と 上 方 奉 行 と のや ﹁
土 大 炊 頭 殿〓 御 書 取 写 、﹂
(朱書)(土井利厚、所司代)
とり を 具 体 的 に み てみ た い。 次 の史 料 は、 享 和 二年 (一八 〇
二) 七 月 、 帯 刀 し て 悪事 を は た ら いた 無 宿 の仕 置 に つ い て 、京 無宿 安 之助
都 東 町 奉 行 森 川 俊 尹が 伺 い、 所 司 代 土 井 利 厚 が 手 限 で指 示 し た 右 之 者 御 仕 置 附 之 儀ニ 付 、 御 書 取 御 下 被 成 候 付 、 相 調 候 処 、
も の であ る 。 ⋮ ⋮全 御 仕 置 を 不 相 用 いた し形 品 不宜 奉 存 候 付 、 一等 重 ク

史料 9︼ 中 追 放 与 相 伺 候 様 可 仕 候 哉 、 又 者 別紙 類 例 も 御 座 候儀ニ 付 、
紀州和歌山足軽 ⋮ ⋮ 刀 ・脇 差 取 上 ケ ・入 墨 之 上 軽 追 放 与 相 伺 候 様 可 仕 候 哉 、
平松善兵衛 勘当忰 依之別紙 例書入御覧 、此段御内意奉伺 候、以上、
戌 三 月 廿 八 日 入牢(享和二年)無 宿 安 之 助 戌七 月(森
享川和越
二前年)
守(俊尹、京都東町奉行)
戌 三十 九 才
此 安 之助 儀 、 無 宿 之 身 分ニ 而 帯 刀 いた し、 悪 事 いた し候 付 、 ﹁御内意伺 有之候 処、
(大朱炊
横書頭)
殿御 勘考有 之候 得共、矢 張 入
1
墨 之 上 軽 追 放ニ 可 相 成 方 と思 召 候 由ニ 而 、 則 御 伺 帳ニ 直ニ 札 ﹂ に つい て は 、 藤 田 氏 が 、 伺 書 な ど の文 書 の上 部 に貼 ら れ た
御 下 知 之 趣 御 附 札 被 成 、﹂ 付 箋 であり 、 日 付 や 差 出 は な く 、 書 止 が ﹁
候 ﹂ と な る、 と指 摘
こ こ で は、(1
京)都 東 町 奉 行 森 川 が 所 司 代 に仕 置 伺 書 を 提 出 し さ れ て い る。 京 都 町 奉 行 伺 の ﹃新 類 集 ﹄ 一二 でも み た よ う に、
た と こ ろ、(2
所)司 代 土 井 は、 そ れ を 検 討 し た う え で 、 京 都 町 奉 老 中 は、 所 司 代 が 送 ってき た京 都 町 奉 行 の伺 書 に対 し ても 付 札
行 と異 な る意 見 を も った た め、 ﹁御 書 取 ﹂ で自 ら の意 見 を 述 べ を 用 い て い た。 さ ら に、 書 取 と 付 札 の関 係 に つい て も 、 藤 田 氏
つ つ、 も う 一度 調 査 す る よ う指 示 し た 。(3
そ)こ で、 京 都 東 町 奉 は ﹁
伺 いを 認 め る場 合 は 付 札 で 回答 さ れ るが 、 認 め ら れ な い場
︹41 )
行 が 二通り の仕 置 案 を 用 意 し 、 所 司 代 に内 意 伺 書 を 提 出 し た の 合 は書 取 で回 答 さ れ て い る。﹂ と述 べ ら れ て い る。 ︻
史 料6︼ で
に対 し て 、(4
所)司 代 は、 自 ら 責 任 を も って仕 置 を決 定 し 、 そ の は 、 老 中 が 在 府 中 の大 坂 城 代 に書 取 で 指 示 し て い るが 、 そ の際 、
内容を ﹁
御 附 札 ﹂ で指 示 し て いる 。 大 坂 城 代 の伺 った内 容 は 必 ず しも 否定 さ れ て い な か った 。 他 方 、
これ に よ る と 、 所 司 代 は、 京 都 町 奉 行 の伺 に つ い て、 吟 味 の こ こ で は、 京 都 町奉 行 が 所 司 代 に伺 書 を 提 出 し た と こ ろ 、 所 司
内 容 や仕 置 の軽 重 を 検 討 し た う え で、 京 都 町 奉 行 と は 異 な る意 代 は 、 書 取 で再 調査 を 指 示 し て いる の に対 し て、 付 札 で仕 置 を
見 をも ち つ つも 、 入 墨 や軽 追 放 と い った比 較 的 軽 いも の であ る 指 示 し て い る。 所 司 代 は 、 付 札 に よ って、 京 都 町奉 行 の伺 った
た め に、 江 戸 へは 伺 わ ず 、 京 都 に お い て仕 置 の 内 容 を 自 ら 決 通り に承 認 し て いる わ け で は な いも の の、 最 終 的 な 判 断 を 提 示
定 ・指 示 し て い る。 仕 置 な ど を めぐ る老 中 と評 定 所 の関 係 に つ し 、 伺 の過 程 を 完 了 さ せ て おり 、 そ の点 は藤 田氏 の見 解 と ほぼ
いては、大平氏が ﹁
老 中 は 、 評 定 所 の答 申 を、 多 く の場 合 受 け 同 様 であ る。
入 れ て いる が 、 そ れ は決 し て答 申 を 鵜 呑 み に し て い る こと を意 そ れ で は、 大 坂 城 代 の場 合 はど う だ ろ う か。 次 の 史 料 は、
近世 中後期幕府 の上方支配

味 し な い。 ⋮ ⋮ 疑 問 を 感 じ た と き は 、 評 定 所 に尋 ね て (
﹁御 ︻史 料 2︼ と同 じ 大 坂 城 代 牧 野 貞 長 の公 用 人 に よ る 史 料 の 一条
尋 ﹂) 問 い た だ し 、 あ る い は 再 度 の 審 議 (
﹁再 評 議 ﹂) を 命 である。
じ た。﹂ と 述 べら れ て い るが 、 ま さ に 同 様 の関 係 が 、 所 司 代 と ︻史 料 10 ︼
京 都 町 奉 行 と の間 にお い ても 確 認 さ れ る。 一、 御 手 限 物ニ 而 伺 之 通 御 附 札ニ 而 御 差 図 被 成 候 節 御 附 札
な お 、 こ こ で は 、 所 司 代 が 京 都 町 奉 行 に指 示 し た 文 書 のう ち、 認 振 、 久 世 様 江 御 聞 合 被 成 候 処(
、広左明
之、通
前認大来
坂城候代
写)、
書 止 が ﹁候 ﹂ と なり 、 日 付 や 差 出 ・宛 名 の な い 文 書 を ﹁
御書
取 ﹂ と 表 現 し て いる 。 老 中 が 在 府 中 の所 司 代 や大 坂 城 代 に指 示 此誰儀、伺 之通死罪可被申付 候、
し た書 取 と 同 様 、 書 止 は ﹁事 ﹂ に な って い な い。 ま た 、 ﹁御 附 此 者 共 儀 、 伺 之 通 家 主 誰 者 何 貫 文 、 誰 々之 組 合〓 何 貫 文 、
1
誰者何貫文過 料可被申付候、 例 的 当 之 罪 状 等ニ 而 、 外ニ 入 組 候 儀 も 無 之 ハ勿 論 、 常 例
当 地 江 先 被 申 越 候 品ニ 而 も、
(江速戸
ニ)不 相 済 候 而 者 不 宜儀 も 候
酉 十 月 廿 九 日 申 来 候(
、安永六年) ハ 丶、 其 地 切ニ 伺ニ 不 及 、 御 仕 置 被 致 差 図 、 其 趣 追 而 取 調
こ れ に よ る と 、 大 坂 城 代 も 、 仕 置 伺 書 に対 し て 手 限 で指 示 す 可 被 差 越 候 、尤 追 而 被 申 越 候 節 御 仕 置 伺 書 之 通ニ 仕 立 、 御
る場 合 に は、 付 札 を 用 い て い る こ と が わ か る。 し か も 、 大 坂 城 仕 置 申 渡 候 段 別 紙 相 添 、 可被 差 越 候 、 ⋮⋮ れ吟味不手間
代 が 手 限 で死 罪 を 指 示 しえ た こ と も 、 あ わ せ て確 認 でき る。 取 、 在 牢 之 者 死 失 少 キ様ニ 専 一可 被 申 渡 候 、 以 上 、
こ のよ う に、 伺 書 や そ れ に対 す る 書 取 ・付 札 な ど 、 江 戸 に お 八月 廿 八 日(天
松明平八伊
年豆)守((

ほ明か
、三老名
中略))
い て老 中 と 各 種 の役 人 と の間 で やり とり さ れ る 文 書 と 同 じ 形 式 松 平 和 泉 守 殿(乗完、所司代)
のも のが 、 所 司 代 ・大 坂 城 代 と 上 方 奉 行 と の間 でも 採 用 さ れ る 幕 府 の牢 屋 敷 は、 過 怠 牢 な ど 一部 の場 合 を 除 き 、 基 本 的 には 、
と と も に、 そう し た やり とり の過 程 を 通 し て 、 仕 置 を は じ め と 吟 味 が 開 始 さ れ て か ら仕 置 が 決 定 ・実 施 さ れ るま で の期間 、 被
す る さ ま ざ ま な 問 題が 、 上 方 の内 部 に お い て処 理 さ れ て い た 。 疑者 (・被 告 人 ) を 拘 置 ・収 容 す る 施 設 で あ った 。 ま た 、 京
都 ・大 坂 町 奉 行 が 伺 った 仕 置 に つ いて は 、 所 司 代 や 大 坂 城 代 が
2 天 明 八 年 の改 革 手 限 で指 示 せず 、 老 中 へ伝 達 さ れ る こ と と な った場 合 、 京 都 ・
上 方 奉 行 の伺 に つ い て、 所 司 代 や 大 坂 城 代 は 馬 そ のす べ てを 大 坂 と 江 戸 と の間 を往 復 す る時 間 と と も に、 老 中 が 自 ら 内 容 を
江 戸 の老 中 に伝 達 す る の で は な く 、 上 方 の内 部 に お いて手 限 で 検 討 し たり 、 評 定 所 に調 査 ・審 議 さ せ る 時 間 が 必要 と な る 。 そ
指 示 し て い た。 こう し たあり 方 は、 近 世 中 後 期 に 一貫 し て みら れ ら は しば しば 長 期 間 に及 んだ が 、 入 牢 者 は、 こ の間 ず っと牢
れ る も の の、 そ こ に は 一つ の改 革 が あ った 。 次 の史 料 は 、 天 明 屋 敷 に と ど め お か れ た 。 し かも 当 時 の牢 屋 敷 は 、衛 生 状 態 が 劣
八年 (一七 八 八 ) 八 月 二 八 日 に老 中 が 所 司 代 に指 示 し た達 書 で 悪 であ った よう で、 例 類 集 を み る と 、 各 地 の 入牢 者 が 病 死 し て
あ る。 こ の指 示 は、 所 司代 の みな らず 、 大 坂 城 代 や京 都 ・大 坂 いる が 、 京 都 ・大 坂 町 奉 行 は吟 味 す る件 数 も 多 く 、 老 中 は とり
町 奉 行 にも 伝 達 さ れ 、 のち に は奈 良 奉 行 も 承 知 し て い る。 わ け 問 題 視 し て いた 。
︻史 料 11︼ そ こ で 、 天 明 八年 (一七 八 八)、 老 中 は、 そ う し た 状 況 に対
入牢 之者多分致牢 死候様ニ相成(
、京⋮都
⋮)其地支配 之所 々ニ而 処 す る た め、 所 司 代 ・大 坂 城 代 に次 の よ う な 改 革 を 命 じ た 。(1)
早速御 仕置無之而者 見懲之為ニ も不相成、追 々類も出来致 老 中 が 指 示 し た 先 例 のあ る 仕 置 はも ち ろ ん の こと 、 先 例 が な く 、
候而者 如何与相考 候品も候 ハ丶、以前下知相済 候御仕置之 通 常 は老 中 に伺 う よ う な 仕 置 に つ い ても 、 早 速 実 施 しな け れ ば
1
な ら な い場 合 には 、 所 司 代 や大 坂 城 代 が 、 事 前 に老 中 へ伺 わず 、 日 本 地 域 の発 達 度 合 い は随 一で あり 、 そ う し た な か で、 老 中 や
い った ん仕 置 を指 示 す る。(2
そ)のう え で、 所 司 代 ・大 坂 城 代 は、 評 定 所 に お い て 上 方 役 人 の伺 の比 率 が 着 実 に 低 下 し て い る こと
仕 置 の伺 書 と 仕 置 を 申 し渡 し た 旨 の書 付 と を 同 時 に提 出 し、 事 は、 吟 味 や仕 置 に関 す る こ と が ら を 中 心 に、 幕 府 の上 方 支 配 が
後 に老 中 へ報 告 す る よ う に す る。 す な わ ち 、 こ の天 明 八年 の改 自 立 的 な 性 格 を 強 め て い た も のと 読 む こ とも でき る。
革 にお い ては 、 所 司 代 や大 坂 城 代 が 手 限 で 指 示 し う る仕 置 の範
囲 が 大幅 に拡 大 され て いる の であ る。 3 江 戸 上 り伺 と 重 き 役 人
も ち ろ ん、 所 司 代 や大 坂 城 代 は、 御 定 書 や例 類 集 な ど 、 老 中 上 方 奉 行 より 老 中 へ の江戸 上 り 伺
や評 定所 に よ って作 成 ・編 集 さ れ た規 定 や 先 例 を 常 に参 考 にす これ ま で、 上 方 役 人 の伺 に つ い て は、 所 司 代 や 大 坂 城 代 より
る と と も に、 速 や か に 仕 置 を 実 施 す べき 場 合 でな け れば 、 先 例 老 中 へ の伺 (
所 司 代 伺 ・大 坂 城 代 伺 ) と、 上 方 奉 行 より 所 司 代
のな いも の に つい て、 従 来 通り 老 中 に伺 って おり 、 質 的 な 法 的 や 大 坂 城 代 への伺 (
上 方 奉 行 伺 ) と いう 二通り のも の を検 討 し
判 断 の側 面 で は、 な お 江戸 に依 拠 す る部 分 が 大 き い。 し か し な てき た。 ま た そ の際 、 所 司 代 や 大 坂 城 代 の伺 が 、 上 方 奉 行 の伺
が ら 、 所 司 代 や 大 坂 城 代 が 、 先 例 のあ る も の に つい て手 限 で指 を 契 機 と し て提 出 さ れ たり 、 上方 奉 行 の伺 に対 す る 老 中 の指 示
示 す る と と も に、 いざ と いう 場 合 に は、 先 例 のな いも の であ っ が 、 所 司 代 や大 坂 城 代 を 通 し て 伝 達 さ れ る な ど 、 所 司 代 ・大 坂
て も 、 手 限 で指 示 し う る 旨 が 確 認 さ れ た こ と は 、 量 的 な実 務 処 城 代 と上 方 奉 行 と が 密 接 な 関 係 にあ る こ と を 確 認 し た。 以 上 二
理 の側 面 で、 大ぎ な 影 響 が あ った も のと 考 え ら れ る 。 実 際 、 つ の伺 が 基 本 的 な パ タ ー ン であ るが 、 実 は も う 一つ、 ﹁江 戸 上

表 1 ︼ にお い て、 各 集 の全 体 件 数 に お け る 上 方 役 人 の伺 件 数 り
﹂ と いう特 別 な 形 式 の伺 が 存 在 し た。
近世中後期幕府の上方支配

の比 率 は 、 編 集 の たび に低 下 し て おり 、 とり わ け 、 天 明 八年 以 そ こ でま ず 、 大 坂 町 奉 行 や大 坂 城 代 の伺 を み て み た い。 ︻史
前 の事 例 を 多 く 収 録 す る古 類 集 と 、 同 年 以降 の事 例 の みを 収 録 料 12︼ は、 宝 暦 四 ∼ 明 和 七年 (一七 五 四∼ 七 〇 ) の問 に、 大 坂
す る後 の三 集 と で は大 き な違 いが あ った。 こ う し た変 化 は 、 天 町 奉 行 所 が 業 務 に つ い て ま と め た 史 料 の ]条 、 ︻
史 料 13︼ は、
明 八年 の改 革 に より 、 上 方 で発 生 す る問 題 の多 く が 、 江 戸 の老 ︻
史 料 2 ︼ と 同 じ 大 坂 城 代 牧 野 貞 長 の公 用 人 に よ る史 料 の 一条
中 や評 定 所 に も たら さ れ る こ と な く 、 上 方 の内 部 に お いて自 己 であ る。
完 結 的 に処 理 さ れ る よう に な った こ とを 反映 し て い る と考 え ら ︻
史 料 12 ︼
れ る。 近 世 中 後 期 に経 済 ・社 会 の重 心 が 上 方 か ら 関 東 へ移り つ ﹁
延 享 元 子 年 改 ﹂(朱書)
つあ った と は いえ 、 幕 末 に いた る ま で、 上 方 や そ の後 背 た る 西 一、 都 而 御 仕 置 付 候 者 之 分 者 、 軽 重 与 茂 御 城 代 江 申 達 候 上(
、大坂)
1
片 付 申 付 候 、 重 罪ニ 成 候 者 一件ニ 而 拾 人 以 上 有 之歟 、 又 者 る。 次 の史 料 は、 江 戸 上り の仕 置 伺 書 に つ いて、 天 明 六年(一
重 キ御 方 御 領 地 之 者 御 仕 置ニ 成 候 類 ハ、 江 戸 江 相 伺 候 、 七 八 六 ) 五 月 に京 都 町 奉 行 が 所 司 代 戸 田 忠 寛 の公 用 人 と 相 談 し
た内 容 を ま と め た史 料 の ﹁部 であ る。
⋮︻
⋮ 料 13 ︼
史 ︻
史 料 14 ︼
一 、 都 而 御 仕 置 も の御 伺 一件 、 死 罪 之 も の十 人 迄 者 、 御 伺
一、 江 戸 上り 御 仕置 帳 大 直 紙 、 例 書 越 前 奉 書 半 切ニ 認 、 御
ニ不 及 候 、 右 之 通故 、 其 以 下 者 、 何 茂 御 城 代 様 御 差 図ニ 仕 置 帳 袋 閉ニ いた し 、 程 む ら箱 袋 入 候 事 、 ⋮ ⋮
而 相 済 候 事 之 由(
、大尤阪
御)三 家 ・御 老 中 ・其 外 御 役 人 之 御 領 内 一、 二 条 上り 御 仕 置 帳 撰 半 紙(
、所例司
書代日
)向 半 切 、 御 仕 置 帳 袋
江 掛り 候 処 ハ、 御 伺 被 成 候 事 之 由 、 内 々 咄 有 之 候 、 ⋮ ⋮ 閉ニ いた し、 西 ノ内 箱 袋 江 入 候 事 、
以 上 二 つ の史 料 から は、 仕 置 を めぐ る 大 坂 町 奉 行 と大 坂 城 代 但 、 ⋮ ⋮ 二条 之 方 袋 江 者 御 扣 与 相 認 、 小 札 附 ケ候 事 、
の関 係 に つ い て、 次 の よ う な 点 が 指 摘 で き る 。(1
延)享元年 (一 こ こ では 、 京 都 町奉 行 が 、 老 中 あ て の江 戸 上り 仕 置伺 書 を 提
七 四 四 ) 以 降 の段 階 で は、 大 坂 町 奉 行 が 軽 重 と も に、 す べ て の 出 す る際 、 そ の控 書 を ﹁二 条 ﹂= 所 司 代 に提 出 し て い る。 ま た、
仕 置 を 大 坂 城 代 へ伺 って い る こ と が 、 こ こ で も 確 認 され る 。(2) 京 都 町 奉 行 が 所 司 代 公 用 人 と 相 談 し て いる こと か ら も わ か る よ
こ れ に対 し て、 大 坂 城 代 は、 一件 のう ち で 死 罪 の者 が 一〇 人 ま う に、 江戸 上り の伺 書 は 、 形 式 や内 容 に つ い て は、 老中 に直 接
で の仕 置 に つい て 、 老 中 に伺 う こと な く 、 手 限 で指 示 し て いる 。 あ て ら れ る が 、 そ の伝達 に つい て は 、 や はり 所 司 代 が関 与 し て
さ ら に、 一件 の う ち で死 罪 (
重 罪 ) の者 が 一〇 人 以 上 と な る い た。 さ ら に、 老 中 あ て の伺 書 に は、 大直 紙 や 越 前 奉 書 な ど た
場 合 、 あ る い は、 三 家 や 老 中 ・そ の他 重 要 な地 位 にあ る幕 府 役 い へん 上質 な 紙 が 使 用 さ れ る の に比 べ て、 所 司 代 あ て の伺 書 に
人 と い った ﹁
重 キ御 方 ﹂ の所 領 住 民 が 関 わ る 場 合 な ど 、 特 定 の は、 大 坂城 代 あ て の伺 書 と 同 様 、 粗 末 な 紙 が 使 用 さ れ て いた 。
重 大 な 仕 置 に つい て は 、 大 坂 城 代 が 手 限 で指 示 す る こと は でき こ の よう に、 上 方 役 人 の伺 のう ち に は 、 上 方 奉 行 が 直 接 老 中
ず 、 老 中 へ伺 わ れ る こ と にな る。 し か も そ の際 、 大 坂 町 奉 行 の にあ て る と いう 特 別 な江 戸 上り の形 式 が あ ったが 、 そ の際 にも 、
立 場 か ら 記 述 さ れ た ︻史 料 12︼ に あ る よう に、 大 坂 町 奉 行 は、 上 方 奉 行 と 老 中 のやり とり は 、 所 司 代 や大 坂 城 代 の監 督 ・仲 介
自 ら直 接 江 戸 の老 中 にあ て て伺 う と いう 特 別 な 形 式 を と って い のも と に な さ れ て い た。
た こと が わ か る。 こ う し た 形 式 の伺 は 、 通 常 ﹁江 戸 上り ﹂ と呼 重 き 役 人 な ど の所 領 住 民 が 関 わ る出 入 ・仕 置
ば れ て いる 。 江 戸 上り の 伺 に つ い て、 ︻
史 料 12︼ で は 、 仕 置 の軽 重 と と も
同 様 のあり 方 は、 所 司 代 のも と にあ る京 都 町 奉 行 でも み ら れ に、 ﹁重 キ 御 方 ﹂ の所 領 住 民 に関 わ る も の であ る か ど う かが 問
1
題 と さ れ て い た。 そ の根 拠 と し て は 、 御 定 書 の第 八条 ﹁重 御 役 上 、
人 ・評 定 所 一座 領 知 出 入 取 計 之 事 、﹂ が 、老 中 ・所 司 代 ・大 坂 卯 八月(延
久享松四
筑年後)
守(定郷、大坂酉町奉行)
城 代 ・若 年 寄 ・側 衆 ・評 定 所 一座 の役 職 名 を あ げ た う え で、 小 浜周防守(隆晶、同東)

元 文 四 年 極 ﹂ の も のと し て ﹁右 之 分 、 領 知 出 入 訴 出 候 節 、 不
及 伺 取 計 、 裁 許 之 趣 相 窺 可 申 事 、﹂ と 規 定 し て い る。 こ れ に よ 阿 部 伊 勢 守 殿 御 付 札(正福、大坂城代)
る と 、 元 文 四年 (一七 三 九 ) 以 降 、 老 中 ・所 司 代 ・大 坂 城 代 な 右 衛 門 督 殿 ・刑 部 卿 殿 領 知 と御 料 ・私 領 と 諸 出 入 取 捌 之儀 、
ど の重 き 役 人 や 三奉 行 な ど の評 定 所 一座 の所 領 住 民 が 関 わ る 出 江 戸伺ニ 罷 成 候 条 、 其度 々可 被 相 伺 候 、
入 に つい て は、 手 限 で 吟 味 のう え、 老 中 に伺 って裁 許 す る よ う こ れ に よ ると 、 寛 保 三年 (一七 四 三 ) に 、 大 坂 城 代 を 通 し て
ほお
求 め ら れ て い る こ と が わ か る。 ま た、 重 き 役 人 の序 列 のう ち 、 大 坂 町 奉 行 にも 御 定 書 第 八条 の規 定 が 伝 達 さ れ て い る こ と、 し
所 司 代 と 大 坂 城 代 は 、 老 中 に次 ぎ 、 若 年 寄 より も 上 位 に あげ ら かも 、 御 定 書 は 出 入 に つ いて 規 定 し て い る のみ であ る の に対 し
れ て おり 、 幕 府 権 力 を構 成 す る最 上 層 の役 人 であ る こ とが あ ら て、 大 坂 町 奉 行 は仕 置 に つ い ても 同 様 に指 示 さ れ て い た こ とが
た め て確 認 さ れ る。 御 定 書 は 主 と し て、 江 戸 にお け る評 定 所 の わ か る。 ま た 、延 享 四 年 (一七 四 七 ) に は、 大 坂 町 奉 行 が 大 坂
職 務 や そ れ と 老 中 と の関 係 を規 定 し たも の で あ る が 、 第 八条 は 、 城 代 に伺 った こ と により 、 摂 津 ・河 内 ・播 磨 (
大 坂 町 奉 行 の支
上 方 に お け る ﹁重 キ御 方 ﹂ に つ い ても 準 用 さ れ て いた 。 次 の史 配 国 た る四 力 国 か ら 、 堺 奉 行 の担 当 す る和 泉 を除 いた 三 力国 の
料 は、 延 享 四 年 (一七 四 七 ) 八 月 に大 坂 町 奉 行 が 大 坂 城 代 に提 範 囲 ) にお い て は 、 重 き 役 人 や評 定 所 一座 の みな らず 、 田 安 ・
出 し た伺 書 で あ る 。 一橋 の両 家 にも 対 象 が 拡 大 さ れ た こ と を 知り う る。 さ ら に、 老
近世中後期幕府の上方支配

︻史 料 15 ︼ 中 や 所 司 代 の場 合 と 同様 、 大 坂 城 代 も 、 同 じ 大 坂 に い る 町 奉 行
摂 津 ・和 泉 ・播 磨 三 ヶ国 之 内 、 右 衛 門 督 殿(・
田刑安部
宗卿武殿
)御 領 が 伺 書 を 提 出 し た のに 対 し て、 付 札 で指 示 し て い る こ と が 確 認
知 と 私 領 と之 諸 出 入 之 儀(
、一如橋
何宗取
尹計)可 申 哉 、⋮⋮ 且 亦 五 年 でき る 。 な お、 こ の時 点 で は、 清 水 家 は ま だ 成 立 し て いな いが 、
以 前 亥 年(酒
寛井保三
雅)楽 頭 殿(忠恭当
、表老御
中・在前勤
代中) 被 仰 渡(
、大御阪老
) ︻
史 料 13 ︼ でも み た よ う に、 の ち に は 三 家 も 含 め ら れ 、 三 家 ・
中・ 所 司 代 ・大 坂 御 城 代 ・若 年 寄 衆 ・御 側 衆 ・評 定 所 一座 三卿 と 重 き 役 人・ 評 定 所 一座 と に よ る ﹁重 キ御 方 ﹂ の所 領 住 民
之 面 々 知 行 所 之 者 御 仕 置ニ 申 付 候 儀 并 地 論 ・山 論 之 類 ハ、 に つ い て、 大 坂 町 奉 行 は 、 江 戸 上り の伺書 を 提 出 す る よ う にな
裁 許 之 訳 江 戸 表 え相 伺 候 筈ニ 御 座 候 、 両 御 領 知 之 者 共 儀 も った。 た だ し 、 寛 政 九年 (一七 九 七 ) に大 坂 城 代 牧 野忠 精 が 、 1
1
1
勿 論 同 様 之 儀 と奉 存 候 、 先 格 無 御 座 候 付 、 此 段 奉 伺 候 、 以 三 家・ 三卿 を 対 象 か ら外 す よ う 指 示 し て 以 降 、 大 坂 町 奉 行 は ふ
た たび 、 御 定 書 第 八条 の規 定 す る重 き 役 人 ・評 定 所 一座 の所 領 は、 所 司 代 が 老 中 か ら の 同 様 の指 示 を 、 奈 良 奉 行 に 伝 達 し て
住 民 が 関 わ る場 合 に限 って い る。 い る。
こ れ に 対 し て、 京 都 町 奉 行 はど う だ ろ う か。 次 の史 料 は 、 文 な お、 御 定 書 の第 八条 は 、 出 入 の み を規 定 し て い る の に対 し
化九年 (一八 一二) 正 月 に京 都 町 奉 行 が 奈 良 奉 行 の問 い合 わ せ て、 そ れ が 成 立 し た当 初 か ら 、 実 際 に は 、 出 入 だ け で な く仕 置
に返 答 し た も の であ る。 も 対 象 と さ れ て い る事 実 を 確 認 し た。 ま た 、 幕 府 に お いて 、 出

史 料 16 ︼ 入 や 仕 置 な ど の裁 判 、 さ ら に は行 政 が 同 じ 過 程 の な か で 一体 ・
一、 当 表 之 儀 ハ、
(前京都
書)寛保年中書 付を以被仰渡候 領知出入 連 続 のも の と し て実 施 さ れ て い た こ と か ら す る と、 御 定 書 の第
裁 許 ハ勿 論 、 御 仕 置 伺 方 茂 右ニ 准 シ、 先 例 見 合 、 江 戸 上り 八条 は 、 出 入 に関 す る 表 現 に よ って 代 表 さ せ つ つも、 本 来 的 に
ニ仕 立 、 差 上 候 儀ニ 御 座 候 、 は 、 仕 置 な ど を含 む 支 配 全 体 に つ い て規 定 し た も のと 考 え る こ
一、去 ル辰 年 御 書 付 之 趣ニ 而 ハ、
(吟文化
味五も)の之 内 手 鎖 ・過 料 とが でき る。 さ ら に いえば 、 同 じ 御 定 書 の第 一条 が 、 直 接 的 に
以 下 軽 咎 先 例 有 之 分 ハ不 及 伺 申 付 、 見 合 之 例 も無 之 分 ハ、 は 、 評 定 所 と京 都 ・大 坂 町 奉 行 の出 入 に関 す る管 轄 を 表 現 し て
軽 咎 候 と も 御 定 之 通 相 伺 候 筈ニ 相 成 候 段 、 当 地 も 右ニ 准 シ い ると し て も、 実 質 的 に は、 仕 置 な ど を 含 め 、 ひろ く 支 配 一般
候 様 御 文 言 御 座 候 付 、 軽 咎 見 合 無 之 分 ハ江 戸 上ニ 仕 立 相 伺 、 の管 轄 を 規 定 し た も の と と ら え る こ とも で き る だ ろ う 。
先 例 有 之 分 ハ不 及 伺 、 定 例 之通 御 役 所 限 申 付 候 心 得ニ 御 座 江 戸 上り 伺 の特 質
候、 と こ ろ で 、 大 坂 町 奉 行 が 手 限 で仕 置 を し う る範 囲 はき わ め て
これ によ ると、京 都町 奉行 は、大 坂 町奉 行 と同 様、寛 保 期 限 定 さ れ る の に対 し、 大 坂 城 代 は、 一件 のう ち 一〇 人 ま で の死
(一七 四 一∼ 四 ) に御 定 書 第 八条 の規 定 が 伝 達 さ れ 、 し か も 、 罪 な ど 、 比 較 的 広 い範 囲 の仕 置 を 手 限 で指 示 す る こ とが で き た
出 入 のみ な ら ず 仕 置 に つい て も 指 示 さ れ て いる 。 ま た、 文 化 五 他 方 、 一件 で死 罪 の者 が 一〇 人 以 上 と な る 場 合 に は、 大 坂 城 代
年 (一八 ○ 八 ) に は、 (
江戸 にお いて)御定書 第 八条 の運用 を も 手 限 で指 示 す る こ と は でき ず 、 江 戸 上り の伺 に より 、 老 中 か
一部 緩 和 す る旨 の書 付 が 出 さ れ た こと を 受 け て、 京 都 町 奉 行 も 、 ら の直 接 的 な 関 与 が お よ ん だ 。 幕 府 の裁 判 が 行 政 的 な も の であ
重 き 役 人 な ど の所 領 住 民 が 関 わ る 仕 置 の う ち 、 軽 い咎 に つ い て った こ と か ら す る と 、 仕 置 の軽 重 に よ って、 そ れ を指 示 し う る
は、 先 例 が あ れ ば 老 中 に伺 わず 、 手 限 で処 理 す る よう に な った 役 人 の地 位 や そ の手 限 範 囲 が 階 層 的 に規 定 さ れ る こ と は 理解 し
こ とが わ か る。 文 化 五 年 の書 付 に つ い て は、 同 年 六 月 二 九 日 に、 う るが 、 そ れ と とも に 、 重 き 役 人 な ど の所 領 住 民 の関 わ る 場 合
老 中 が 大 坂 城 代 に 同 様 の指 示 を し て おり 、 同年 閏 六 月 二 〇 日 に が 問 題 と さ れ た の は なぜ だ ろ う か。
1
そ も そ も 、 老 中 や 所 司 代 ・大 坂 城 代 、 評 定 所 一座 な ど は、 統 を お い て い た と いえ る。 そ こ では 、 当 事 者 た る 住 民 相 互 の関 係
一権 力 た る幕 府 の中 核 を 構 成 す る役 人 と し て、 所 領 支 配 相 互 の 性 や 問 題 自 体 の 内 容 より も 、 幕 府 役 人 や 個 別 領 主 と し て の地
問 題 に つ い て関 与 ・処 理 す る と同 時 に、 自 ら も 個 別領 主 と し て 位 ・格 式 が 優 先 さ れ て おり 、 こ う し たあり 方 に は 、 幕 府 の権 力
所 領 の住 民 を支 配 し て い た。 そ れ ゆ え 、 自 ら の所 領 住 民 と 他 の 編 成 や支 配 活 動 に お け る 身 分 制 的 な 特 質 を 確 認 す る こ とが で
所 領 の住 民 と の問 にま たが る問 題 に つい ても 、 幕 府 役 人 と し て き る 。 そ し て、 そ の具 体 的 な あり 方 の 一 つと し て 、 上 方 にお い
の立 場 か ら 、仕 置 や 裁 許 を担 当 す る 可 能 性 はあ るが 、 一方 の当 て は 、 所 司 代 や大 坂 城 代 に手 限 の指 示 を さ せず 、 上方 奉 行 と い
事 者 に関 係 す る 以 上 、 そ の裁 判 は 不 公 平 な も の と な る 。 こ の よ う実 務 役 人 層 か ら直 接 老 中 に伺 わ せ る 江 戸 上り の形 式 が あ った。
う な 場 合 に 、御 定 書 第 八条 の規 定 に よ って、 そ れ ら の幕 府 役 人
が 、 自 ら の所領 住 民 の関 わ る 問 題 に つい て手 限 の仕置 や 裁 許 を 四 京 都 ・大 坂 町 奉 行 の役 割
避 け る こ と は 、 結 果 と し て、 裁 判 の公 平 性 を確 保 す る 機 能 を 果
た し た と いえ る 。 こ の点 に つ いて 、 平 松 氏 は ﹁こ の制 度 は、 幕 1 京 都 ・大 坂 町奉 行 の取 調 ・評 議
府 高 官 に対 す る 敬 意 な い し優 遇 と 、 裁 判 の公 正 と を併 せ全 う す と ころ で、 老 中 は、 伺 書 が 提 出 さ れ る と 、 そ れ を評 定 所 に下
る趣 旨 と 解 す べき で あ ろう 。﹂ と 述 べ ら れ て い る。 ま た実 際 、 げ 渡 し て調 査 ・審 議 さ せ、 そ の結 果 にも と つ い て指 示 を 与 え た.
大 坂 城 代 は 、自 ら の所 領 住 民 が 関 わ る問 題 に つ い て、 手 限 で処 他 方 、 所 司 代 や大 坂城 代 は 、 上 方 奉 行 か ら 伺 書 が 提 出 さ れ る と 、
理 せず 、 老 中 に伺 って い る。 書 取 や 付 札 と い った老 中 と 同 様 の文 書 を 用 いな が ら、 そ れ ぞ れ
し か し なが ら 、 江 戸 の評 定 所 一座 が 、 御 定 書 第 八条 の規 定 に に指 示 を 与 え たが 、 そ の際 、 伺 書 を提 出 し た奉 行 に再 調 査 を 命
近世 中後期幕府 の上方支配

含 ま れ る の に対 し て、 京 都 ・大 坂 町 奉 行 を はじ め と す る上 方 奉 じ たり 、 あ ら た め て老 中 に伺 う 以 外 は 、 す べ て自 らが 調 査 ・検
行 は、 そ れ に含 ま れ て いな い。 上方 奉 行 も 、 自 ら の管 轄 す る国 討 し て い た のだ ろ う か 。 次 の史 料 は 、 文 化 六 年 (一八 〇 九 ) 八
に お い て しば しば 所 領 を 与 え ら れ て いた が 、 そ れ にも か かわ ら 月 二 〇 日 に京 都 西 町 奉 行 牧 野 成 傑 が 奈 良 奉 行 鈴 木 正義 に問 い合
ず 、 自 ら の所 領 住 民が 関 わ る問 題 に つ い て、 仕 置 や裁 許 の担 当 わ せ た も の であ る 。
を避 け て は いな い。 こ の こと か らす る と 、 御 定 書 第 八 条 の規 定 ︻
史 料 17 ︼
は、 本 来 的 に は、 公平 な 裁 判 を 実 現 し よ う と し て いる の で はな 以切紙致啓 上候、然者貴様御掛 無宿盗賊新蔵 外弐人御仕
く、 幕 府 の中 核 を 構 成 す る最 上 層 の役 人 に つい て、 老 中 や 将 軍 置 御 伺 、 所 司 代〓 取 調ニ 御 下 ケ有 之 候 、 右ニ 付 別 紙 之 趣 及
が 、 そ の所 領 支 配 の問 題 を 集 中 的 に把 握 ・処 理 す る こ と に主 眼 御問合候間、御報 被御申聞候様 存候、⋮⋮以 上、
1
八月廿日(文化牧
六年野)
大和守(成傑、京都西町奉行) 鵜 呑 み に し て い る こ と を意 味 し な い。 各 裁 判機 関 か ら の伺 い に
鈴 木 相 模 守 様(正義、奈良奉行) つき 最 終 決 定 権 を 持 って いた の は老 中 であり 、 ⋮ ⋮ ﹂ と述 べ ら
こ こ で は 、(1
奈)良 奉 行 鈴 木 が 所 司 代 に 仕 置 伺 書 を提 出 し た と れ て い るが 、 所 司 代 も 老 中 と 同 様 、 京 都 町 奉 行 の答 申 を参 考 と
こ ろ 、 所 司 代 は、 そ れ を 京 都 西 町 奉 行 牧 野 に 下 げ 渡 し て ﹁取 し つ つ、 最 終 的 に は、 自 ら の責 任 で判 断 ・決 定 す べき 立 場 に あ
調 ﹂ べ る よ う 命 じ た。(2
そ)こ で、 京 都 西 町 奉 行 は、 伺 書 を提 出 った こ とが 確 認 でき る。
し た奈 良 奉 行 に対 し、 そ の内 容 に つ いて直 接 問 い合 わ せ て い る。 さ ら に、 所 司 代 伺 の ﹃新 類 集 ﹄ 八 六 で は 、 ﹁今 出 川 大 納 言 領
ま た、 同 年 一〇 月 二三 日 に は 、 鈴 木 が 牧 野 に対 し ﹁
其後 右伺書 分 河 州 茨 田 郡 門 真 庄 一番 村 納 米 代 銀 、 去 ル午 (
寛 政 一〇 ) 年 大
御 下 知 相 済 、御 仕 置 申 付 候 、﹂ と 述 べ て いる 。 これ ら に よ る と 、 坂 表 町 人 共 え 被 貸 附 置 候 処 、 返 済 相 滞 候ニ 付 、﹂ と し て、 大 坂
京 都 町 奉 行 は 、 自 ら が 支 配 し な い地 域 の問 題 に つい て も 、 所 町 人 に貸 し 付 け た河 内 所 領 の年 貢 銀 を返 済 さ せ る よう 、 今 出 川
司 代 より 諮 問 を 受 け た こ と、(2
所)司 代 は、 京 都 町 奉 行 の答申 を 家 が 、 武 家 伝 奏 より 禁 裏 付 を 通 し て所 司 代 に願 った と こ ろ 、 所
も と に ﹁下 知 ﹂= 指 示 を 下 し 、 奈 良 奉 行 も実 際 に仕 置 を命 じ て 司 代 は 、 京 都 町 奉 行 に取り 調 べ る よ う指 示 し て いる。 これ に よ
い る こ と 、 など が わ か る。 る と 、 所 司 代 は、 堂 上 方 や 武 家 伝 奏 と い った朝 廷 や 公 家 の問 題 、
つぎ に、 文 化 期 (一八〇 四∼ 一八) に京 都 町 奉 行 所 が 業 務 に 大 坂 や 河 内 の よう に 大 坂 町 奉 行 の支 配 す る地 域 など 、 本 来 京 都
つ い て ま と め た 史 料 の 一節 で は 、 ﹁文 化 八 未 年 伏 見 奉 行 本 多 大 町 奉 行 が 担 当 し な いこ と が ら に つ いて も 諮 問 し て いる こと が わ
隅 守 殿 懸り 墨 入ニ 而 勘 当(
、政親房之
)内 へ押 借ニ 参り 候 鶴 之 助 、 増 入 かる。
墨 之 上 伏 見 払 と伺 有 之 、 為 取 調 酒 井 讃 岐 守 殿(
、忠小進
長、谷
所和司泉
代)守殿 こ のよ う に、 京 都 町 奉 行 は、 伏 見 ・奈 良 奉 行 の支 配 す る地 域 、
へ御 下 之 節(
、政⋮良⋮
、重京敲
都東・町
伏奉見行払
)と 御 見 込 御 返 上 候 処 、 追 而 重 敲 朝 廷 ・公 家 に関 す る 問 題 な ど 、 所 司 代 が 監 督 ・担 当 す る業 務 の
之 上 山 城 国 中 払 と 御 下 知 有 之 由 、﹂ と あ る。 所 司 代 は 、 奈 良 奉 全 般 に わ た って調 査 答 申 し て い た。 こ う し たあり 方 は 、 老 中 の
行 のみ な ら ず 、 伏 見 奉 行 より 伺 書 が 提 出 さ れ た 際 にも 、 そ れ を も と に あ る評 定 所 と よ く 似 て おり 、 ま た 、 所 司 代 の位 置 や 役 割
京 都 町 奉 行 に下 げ 渡 し て諮 問 し て い る こ と が わ か る。 た だ し 、 が 大 坂 城 代 の そ れ と ほ ぼ 対 称 であ った こと から す る と 、 上 方 に
所 司 代 は 、 伏 見 奉 行 が 伺 った 内 容 や 京 都 町 奉 行 が 調 査 し た 結 果 お け る 所 司 代 と 京 都 町 奉 行 、 大 坂 城 代 と 大 坂 町 奉 行 の関 係 は、
を そ のま ま 採 用 す る の で は な く 、 自 ら よ く 検 討 し たう え で 、 そ 江 戸 に お け る老 中 と 評 定 所 の関 係 と 相 似 であ る と いう こと が で
れ ら と異 な った 指 示 を し て い る。 大 平 氏 は、 ﹁老 中 は 、 評 定 所 き る。
の答 申 を 、 多 く の場 合 受 け 入 れ て い るが 、 そ れ は決 し て 答 申 を
1
2 上 方 に お け る 御 定 書 と 例 類集 の管 理 ・閲 覧 いが あ って は じ め て可 能 であ る と いう 条 件 が 付 い て い た。 大 坂
本 稿 で は 、 御 定 書 や 例 類 集 を 検 討 し てき たが 、 そ れ ら 幕 府 の 城 代 が 、 御 定 書 を 役 宅 に保 管 し 、 そ れ を自 ら の参 考 の た め に複
重 要 法 源 は 、 一般 に公 開 さ れ た も の で は な い。 これ に つ いて 、 写 す る こ と さ え 禁 止 さ れ て いた こと とあ わ せ 、 御 定 書 が 、当 初
平 松 氏 は ﹁公 事 方 御 定 書 、御 定 書ニ 添 候 例 書 、 科 条 類 典 、御 仕 よ え厳 重 な管 理 のも と に お か れ て い た様 子 が う かがえ る。 さ ら
置 例 類 集 な ど の重 要 法 源 は、 仕 置 伺 に対 し て指 図 を下 す べき 老 に、 幕 府 の行 政 ・裁 判 のう ち 、 出 入 や裁 許 と い った民 事 的 な こ
中 、 評 定 所 一座 な いし 三 奉 行 、 お よ び 所 司 代 、 大 坂 城 代 に与 ・
比 とが ら に つ い て は、 江 戸 によ る 一元 的 な規 制 よ え も 現 地 の慣 行
ら れ て い た に止 ま る。 も っと も 、 評 定 所 留 役 、 寺 社 奉 行 支 配 吟 を重 視 す ると いう 態 度 が し ば しば み ら れ た が 、 出 入 や裁 許 の み
味 物 調 役 、 町与 力 、 お よ び京 都 、 大 坂 町 奉 行 は 公 事方 御 定 書 を な ら ず 、 行 政 の組 織 や 裁 判 の手 続 に関 す る こと が ら を含 み 、 か
見 る こ とが 許 さ れ て い た。﹂ と 述 べ ら れ て い る 。 そ れ で は 実 つ、 吟 味 ・仕 置 に関 す る規 定 が 主 で あ る 御 定 書 に つ い ても 、 成
際 、 御 定 書 や例 類 集 な ど の重 要 法 源 は、 上 方 に お い てど の よ う 立 の当 初 か ら現 地 の慣 行 を 優 先 す る よ う 指 示 さ れ て いた こと は、
に管 理 ・閲 覧 さ れ て いた のだ ろ う か。 注 目 に値 す る。
まず 、 御 定 書 に つ いて は 、 寛 保 三 年 (一七 四 三 ) 八月一三 日 、 つづ い て、 例 類 集 は ど う だ ろ う か。 次 の 史 料 は、 文 化 八 年
老 中 が 大 坂 城 代 酒 井 忠 恭 に ﹁今 度 御 仕 置 御 定 書 取 出 来 候ニ 付 、 (一八 一 一) 一〇 月 九 日 に老 中 が 連 名 で大 坂城 代 大 久 保 忠 真 に
其 地 江 も 差 遣 置 候 様ニ と の御 事ニ 付(
、大差阪
越)候 、 右 御 定 書 、御 自 あ て た達 書 で あ る。
分 御 役 所ニ 被 差 置 、 見 合 候 事ニ 候 ハ 丶、 御 自 分 同 席ニ 而 一覧 仕 ︻
史 料 18 ︼
候 様 可 被 心 得 候 、 町 奉 行 江 渡 置 候 儀 者(
、同可)
為無用候、 且又右御 御自 分在府中被申聞 候御仕置者例書 抜留帳之儀、写出来 候
付 、 御 仕 置 例 并 例 類 集ニ 箱 差 越 候 、 御 自 分 宅 御 役 宅 被 差 置 、
近世中後期幕府の上方支配

定 書 之 内 、 於 其 地 者 其 趣 難 取 斗 品 も 候 ハ 丶、 其 儀 ハ、 只 今 迄 取
斗来候通可被相 心得候、⋮ ⋮且又此度差越候御定書 、御自分心 町 奉 行 一覧 いた し 候 儀 も 有 之 候 ハ 丶、
(御大阪
定)番 同 様 可被 相 心
得 等ニ 被 写 置 候 儀 者 、 決 而 無 用 可 被 致 候 、﹂ と 述 べ て い る。 こ 得 候(
、書⋮)⋮ 以 上 、
れ に よ る と、 ﹁
御 仕置御定書﹂ (
公事方御定書) は、将軍吉宗 の 十月九日(青
文化山8
下年野)
守((

ほ裕か、
三老名中
略)
主 導 のも と に作 成 ・配 布 さ れ 、大 坂 城 代 に は、 寛 保 三 年 八月 一 大 久 保 加 賀 守 様(忠真、大坂城代)
三 日 付 け で 老中 よ え 送 ら れ て いる こ とが わ か る 。 ま た、 大 坂 城 これ に よ る と 、 大 坂 城 代 は 、 御 定 書 と同 様 に、 ﹁(
御仕置)例
代 に与 え ら れ た 御 定 書 を大 坂 町 奉 行 が 閲 覧 す る こと の でき る 点 類 集 ﹂ や そ れ に準 ず る ﹁
御 仕置例 (
撰 述 )﹂(撰 述 格 例 ) を役 宅
は、 平 松 氏 の指 摘 通 え で あ るが 、 そ れ に は 、 大 坂 城 代 の立 ち 会 に お い て 保管 し て い る こ と 、 大 坂 町 奉 行 は 、 平 松 氏 が 指 摘 さ れ
1
た御 定 書 の み な らず 、 例 類 集 や そ れ に準 ず る先 例 集 の撰 述 格 例 (
1 ) 幕 府 の上 方 役 人 は、 伺 と そ れ に対 す る指 示 と いう 同 じ
に つ い ても 、 大 坂 城 代 の立 ち 会 い のも と で閲 覧 でき た こ と 、 な 過 程 のな か で、 行 政 と裁 判 を一 体 的 ・連 続 的 に処 理 し、 す で に
ど が 確 認 さ れ る。 所 司 代 や 京 都 町奉 行 が 、 御 定 書 や 例類 集 を ど 発生 し て い る問 題 を個 別 的 に解 決 す る と と も に、 今 後 発 生 す る
のよ う に管 理 ・閲 覧 し て い た の か は 不 明 であ るが 、 所 司 代 と 大 問 題 に つ い て 一般 的 に対 処 す る た め の規 則 や制 度 を設 定 ・変 更
坂 城 代 の対 称 性 や、 平 松 氏 の成 果 な ど から す る と、 や はり 同 様 し て いた 。
であ った と 考 え ら れ る。 (
2 ) 上 方 役 人 の伺 に は、 上 方 奉 行 より 所 司 代 や大 坂 城 代 へ
な お、 所 司 代 や 大 坂城 代 は 、 上 方 奉 行 の伺 に対 し て指 示 す る の伺 (
上 方 奉 行 伺 )、 所 司 代 や 大 坂 城 代 より 老 中 への伺 (
所司
立 場 であ った こと か ら、 これ ら の重 要 法 源 を 与 え ら れ る の は当 代 伺 ・大 坂 城 代 伺 )、 上 方 奉 行 より 老 中 への伺 (
江 戸 上り 伺 )、
然 であ るが 、 そ れ ら と な ら ん で、 京 都 ・大 坂 町 奉 行 が 、 御 定 書 の 三 通り が あ った 。 ま た 、 上 方 奉 行 と 老 中 のやり とり は 、 伺 と
を 閲 覧 でき る 理 由 に つ い て は、 こ れ ま で説 明 が な さ れ て こな か そ れ に対 す る指 示 と の両 面 に お い て、 所 司 代 や大 坂 城 代 に よ る
った 。 し か し な が ら 、 京 都 ・大 坂 町 奉 行 が 所 司 代 や大 坂 城 代 の 監 督 ・仲 介 のも と にな さ れ た。
も と で、 評 定 所 と 同 様 の役 割 を 果 た し て い た こ と を ふ ま え る と 、 (
3 ) 所 司 代 や 大 坂 城 代 は 、 老 中 と 同 じ 形式 の文 書 を も ち い
御 定 書 や例 類 集 と い った重 要 法 源 を 閲 覧 ・利 用 し え た こ と に つ なが ら 、 上 方 奉 行 の伺 に対 し て 手 限 で決 定 ・指 示 し 、 仕 置 を は
い ても 、 容 易 に理 解 す る こと が でき る だ ろ う 。 じ め と す る さ ま ざ ま な 問 題 が 、 上 方 の内 部 で処 理 さ れ て い た。
延享 元 年 (一七 四 四 ) に、 仕 置 を めぐ る所 司代 ・大 坂 城 代 と上
お わり に 方 奉 行 と の関 係 が 確 立 さ れ、 天 明 八年 (一七 八 八 ) に は、 所 司
代 や 大 坂 城 代 が 手 限 で指 示 し う る 仕 置 の範 囲 は 大 幅 に拡 大 さ れ
本 稿 で は 、 近 世 中 後 期 の幕 府 に お い て、 御 定 書 と と も に最 重 た。
要 の法 源 で あ った例 類 集 を 主 に とり あ げ 、 吟 味 や 仕 置 に関 す る (
4 ) 京 都 ・大 坂 町 奉 行 は 、 所 司 代 や 大 坂城 代 のも と、 そ れ
こと が ら を 中 心 に、 関 東 と な ら ぶ幕 府 の拠 点 地 域 であ る上 方 の ら の監 督 ・担 当 す る業 務 の全 般 にわ た って 調 査 ・答 申 す る と い
支 配 を 検 討 し た 。 そ の際 、 上 方 の内 部 や 江 戸 と の間 に お い て、 う特 別 な 役 割 を 果 た し て い た。 そ う し たあり 方 は 、 老 中 のも と
幕 府 役 人 が 行 政 ・裁 判 の業 務 を 処 理 す る 過 程 や権 限 、 そ こ に お に あ る評 定 所 と 同 様 であり 、 上 方 に おけ る所 司 代 ・大 坂 城 代 と
い て発 給 ・伝 達 さ れ る文 書 の形 式 、 な ど に注 目 し て き た 。 そ の 京 都 ・大 坂 町 奉 行 と の関 係 は、 江 戸 にお け る老 中 と 評 定 所 の関
要 点 は以 下 の通り であ る。 係 と 相 似 であ った 。
1
最後 に、 以 上 の点 を ふ ま え る と、 幕 府 の行 政 ・裁 判 に お け る
(1) ﹁棠 蔭 秘 鑑 亨﹂ 石井良助編 ﹃徳 川 禁 令 考 別 巻 ﹄ 創 文 社 、一
上 方 役 人 の位 置 に つ いて は 、 次 の よう に いえ るだ ろ う。
九 六 一。
幕 府 の支 配 機 構 に お い て は、 江 戸 の三 奉 行 の み な らず 、 上 方
(2) 平 松 義 郎 氏 は ﹁幕 府 法 は 行 政 ・統 治 の組 織 ・作 用 、 お よ び 刑 法
以 外 の遠 国 奉 行 も 、 基 本 的 に は老 中 へ直 結 し 、 伺 と そ れ に対 す
にお い て見 る べき 法 を 発 展 さ せ た 。 そ れ は発 達 し た支 配 と 秩 序 の法
る 指 示 は、 老 中 と の間 で直 接 やり とり さ れ て い た。 こ う し たな
で あ った。 し か し 司 法 を そ の間 から 制 度 的 に分 離 す る こ と は つ い に
か で、 上 方 奉 行 のみ が 、 所 司 代 や 大 坂 城 代 の監 督 を 受 け 、 老 中
でき な か った 。﹂ (
同 ﹁近 世 法 ﹂ ﹃江 戸 の罪 と 罰 ﹄ 平 凡 社 、 }九 八 八
と のやり とり も そ れ ら に仲 介 さ れ て い ると いう 点 は、 際 だ った ︹以 下 、 ﹃罪 罰 ﹄︺、 六 七 頁 ) と述 べ ら れ て いる 。
特 徴 を な し て いる 。 (3 ) 三 浦 周 行 ﹁江 戸 時 代 の裁 判 制 度 ﹂ ﹃法 制 史 の研 究 ﹄ 岩 波 書 店 、
幕 府 役 人 に よ る 仕 置 に つ いて、 平松 氏 は ﹁
遠 島 以 上 の仕 置 を 一九 一九 。
手 限 で決 定 し う る と ころ は な く、 そ の指 図 権 は、 将 軍 ・老 中 が (4 ) 小 早 川 欣 吾 ﹁近 世 の裁 判 組 織 と 審 級 及 管 轄 に関 す る 若 干 の考 察
留 保 し て い た の であ る 。﹂ と 述 べ ら れ て いる 。 し か し な が ら 、 (三・完 )﹂ ﹃法 学 論 叢 ﹄ 三 二︱ 四 、 ﹁九 三 五。
︻史 料 10︼ や ︻史 料 12︼・︻
史 料 13 ︼ で み た よう に、 大 坂 城 代 は、 (5) 平 松 ﹃近 世 刑 事 訴 訟 法 の研 究 ﹄ 創 文 社 、 一九 六 〇 (以 下 、 ﹃刑
﹁遠 島 以 上 ﹂ であ る死 罪 に つ い ても 、 一件 の う ち で 一〇 人 ま で 訴 ﹄)、 五 〇 七 、 五 一八 ∼ 九 頁 。
(6) 石 井 編 ﹃御 仕 置 例 類集 ﹄ 名 著 出 版 、 一九 七 一∼ 四。 全 一六 冊 の
の場 合 に は、 付 札 に よ って手 限 で ﹁差 図 ﹂ し え て いた 。 死 罪 を
う ち 、 第 一∼ 六 冊 (古 類 集 一∼ 四、 新 類 集 一 ・二) は 、 司 法 省 調 査
含 む 広 い範 囲 の仕 置 に つ いて、 例 外 的 に、 老 中 へ伺 う こと なく
部 編 ﹃司 法 資 料 別 冊 ﹄ 八 ・ 一〇 ∼ 一二 ・ 一八 ・二 〇 号 2 九 四 二
手 限 で指 示 し え た の は、 大 坂 城 代 が 老 中 に次 ぐ 地 位 にあ った か
∼ 六 ) を再 録 し た も の。
近世中後期幕府の上方支配

ら こそ と 思 わ れ 、 ま た、 所 司代 や 大 坂 城 代 の よ う な 高 位 の役 人
(7 ) 大 平 祐 氏 は ﹁評 定 所 が 、 老 中 か ら の刑 事 事 件 を 始 めと す るさ
が 配 置 さ れ る こ と により 、 江 戸 を中 心 と す る幕 府 の行 政 ・裁 判
ま ざ ま な法 的 問 題 に関 す る 諮 問 に対 し、 適 切 か つ迅 速 に回 答 し う る
にお い て、 上 方 支 配 の自 立 性 が 確 保 さ れ て い た も のと 考 え ら れ
よう 、 過 去 の諮 問 、 答 申 等 を 整 理 し書き 抜 い てま と め た先 例 集 とも
る。
いう べき も のが ﹃御 仕 置 例 類 集 ﹄ であ った の であ る 。﹂ (同 ﹁近 世 日
御 定 書 の冒 頭 第 一条 に お い て、 評定 所 と と も に京 都 ・大 坂 町 本 の ﹁伺 ・指 令 型 司 法 ﹂﹂ ﹃立 命 館 法 学 ﹄ 二 八 六 、 二〇 〇 二) と述 べ
奉 行 の支 配 管 轄 が 規 定 さ れ て いた こと は、 両 者 の同 様 な あり 方 ら れ て いる。
を 反映 す ると と も に、 幕 府 の行 政 ・裁 判 に お け る 上 方 の重 要 性 (8 ) 藤 田覚 氏 と 笠 谷 和 比 古 氏 は、 江戸 に お け る 老 中 と 三 奉 行 の関 係
を 表 現 し て いた 。 を 中 心 に 、幕 府 の機 構 内 部 に お け る伺 と 指 示 、 諮 問 と 答 申 、 問 合 と
1
回答 と い った 政 務 の処 理過 程 、 そ れ にと も な う 文 書 の様 式 や機 能 、 九 八 二 ) と 指 摘 さ れ て い る。
発給・ 伝 達 の手 続 き な ど に つい て検 討 さ れ て い る (
藤 田 ﹁近 世 幕 政 (13 ) ﹁序 ﹂ ﹃御 仕 置 例 類 集 古 類 集一﹄、 ﹁序 ﹂ ﹃
御 仕置 例類集 新類
文 書 の史 料 学 的 考 察 ﹂ ﹃古 文 書 研 究 ﹄ 三 三、 一九 九 〇 。 同 ﹁幕 府 行 集 一﹄、 ﹁ま えが き ﹂ ﹃御 仕 置 例 類集 続 類 集一 ﹄。
政 論 ﹂ 歴 史 学 研究 会 ・日 本 史 講 座 6近 世社 会 論 ﹄ 東 京 大 学 出 版 会 、 (14 ) 谷 山 正道 ﹁上方 経 済 と 江 戸 地 廻り 経 済 ﹂ 青 木 美智 男 編 ﹃日 本 の
二〇 〇 五 。 笠 谷 ﹃
近 世 武 家 文 書 の研 究 ﹄ 法 政 大 学 出 版会 、 ﹂九 九 八。 近世 第一 七 巻 東 と西 江 戸 と 上 方 ﹄ 中 央 公 論 社 、一 九 九 四 。
同 ﹁幕 府 官 僚 制 機 構 に おけ る 伺 と 指 令 の文 書 類 型︱ 江 戸 町 奉 行 所 (15 ) ﹃続 類 集 ﹄ 六 二。 祝 儀 の 大 赦 は 、 ﹃御 触 書 天 保 集 成 ﹄ 一五 〇 と し
﹃撰 要 類 集 ﹄ の分 析 を 中 心 と し て︱ ﹂ 高 木 俊 輔 ・渡 辺 浩一 編 著 ﹃日 て発 令 さ れ て い る。
本 近 世 史 料 研 究 ﹄ 北 海 道 大 学 図 書 刊 行 会 、 二〇 〇 〇 )。 (16) ﹃古 類 集 ﹄ 二 一 一 ・三 五 四 ・五 八 三 ・一 二 〇 八 ・ 一八 四 四 ・二
(9 ) 石 井 ﹃日 本 法 制 史 概 説 ﹄ 四 七 一頁 。 ﹃罪 罰 ﹄ 三 九 ∼ 四 〇 、 四 六 二 〇一 、 同 四三 三 、 ﹃新 類 集 ﹄ 二七 、 同一 ○ 〇 二 ・一一 九 六 。
頁。前掲 大平論文。 (17) ﹃刑 訴 ﹄ 四 八 二 ∼ 三 頁 。 ︻表 2 ︼ の ﹁文 言 ﹂ を み る と、 大 津 代 官
(10 ) 前 掲 ﹃徳 川 禁 令 考 別巻﹄ 五七∼八頁。 伺 の ﹃新 類 集 ﹄ 二 七 で は 、 大 津 代 官 の伺 に対 し、 老中 が 、 所 司 代 を
(11 ) ﹃刑 訴 ﹄ 四 七 七 頁 。 通 し て指 示 し て い る。
(12) ﹃刑 訴 ﹄ 五 〇 七 、 五 一八∼ 九 頁 。 こ れ に つ い て は 、 三 浦 周 行 氏 (
18 ) ﹃古 類 集 ﹄ 二 三 三 ・一 二七 〇 ・ 一七 〇 八 。
が ﹁京 都 所 司 代 は大 坂 城 代 と 共 に、 ⋮ ⋮前 者 は 、 伏 見 奉 行 、 奈 良 奉 (19 ) ﹁塩 飽 島 掛 勤 方 覚 ﹂ 大 阪 市 史 編 纂 所 編 ﹃大 坂 町 奉 行 所 旧 記
行 、 大 津 代 官 の裁 判 事 務 を 、 後 者 は大 坂 町奉 行 、 堺 奉 行 の裁 判 事 務 (
下 )﹄ 大 阪 市 史 料 調査 会 、 一九 九 四、 八 二∼ 九 頁 。
を 監 督 し 、 其 伺 出 に向 っ て 一々 決 裁 を 与 へたり し が 、 唯 其 裁 決 に苦 (20 ) 老 中 達 書 の形 式 に つい て は、 藤 井 讓 治 氏 のご 教 示 に よ る。
し む も の に限り て、 幕 府 に伺 出 つ る を例 と し たり なり 。﹂ (
前掲 三浦 (21 ) ﹁公 用 方 聞 合 書 ﹂ (
常陸国土浦 土屋家文書、国文学研究資料館 ア
著 書 一〇 五 四 ∼ 五 頁 )、 小 早 川 欣 吾 氏 が ﹁京 都 所 司 代 を 上 級 審 と す ー カ イブ ズ 関 係 蔵 。 以 下 、 土 屋 )。
る京 都 町 奉 行 、 奈 良 伏 見 奉 行 、 更 に京 都 町奉 行 を 上 級 審 と す る大 津 (22 ) ﹁雑 書 ﹂ (土 屋 )。
代 官 の ﹂連 の審 級 ﹂ ﹁堺 奉 行 は 大 坂 城 代 の支 配 下 の役 所 と し て 大 坂 (23) ﹃続 類 集 ﹄ 六 二 でも 、 同様 のこ と が 確 認 でき る。
両 町 奉 行 と 相 並 ん で [の審 級 を 形 成 し て い た。﹂ (
前掲 小早川論文) (24) ﹁奈 良 奉 行 所 書 翰 集 ﹂ (京 都 大 学 附 属 図 書 館 蔵 橋 本 家 記 録 。 以 下 、
と、 そ れ ぞ れ 述 べら れ て いる 。 ま た 、 内 田九 州 男 氏 も ﹁町 奉 行 ・堺 橋 本 )。
奉 行 は、 そ の治 政 に関 し、 相 当 こ ま か い こと ま で、 城 代 に 伺 書 あ る (25) ﹃御 触 書 天 保 集 成 ﹄ 六 五一三 。
い は書 面 を提 出 し 、 そ の指 示 ・命 令 を 得 て これ を 実 施 し た と 判 断 で (26) 前 掲 藤 田論 文 。
き る の であ る。﹂ (同 ﹁大 塩 事 件 と 大 坂 城 代 ﹂ ﹃大 塩 研 究 ﹄三 、 一 (
27) ﹃古 類集 ﹄ 六 一で は、 寛 政 一二年 (一八 ○ ○ ) 閏 四月一六 日 に、
1
老 中 が 連 名 で 、 駿府 町 奉 行 岩 瀬 氏 記 に直 接 あ て た 下 知 書 を 発 給 し て (43 ) ﹁享 保 文 政 年 間 御 聞 合 書 抜 ﹂ (
橋 本 )。
おり 、 上 方 以 外 の遠 国 奉 行 が 現 地 に赴 任 し て いる 場 合 に つ い ても 同 (44 ) 前 掲 ﹁享 保 文 政 年 間 御 聞 合 書 抜 ﹂ で は 、 天 明 八年 (一七 八 八)
様 であ った。 八月 二六 日 に 三奉 行 が 京 都 町 奉 行 に ﹁然 者 京 ・大 坂 町 奉 行ニ 而 之 入
(28 )﹃ 類 集 ﹄ 一で は、 大 坂 町 奉 行 も、 不 正 唐 物 の売 買 を 届 け た 者 牢 者 多 分 致 牢 死 候様 相 成 候 、 ⋮ ⋮吟 味 手 間 取 不 申 様 取 斗 も 可 有 之哉 、
に褒 美 を 与 え る方 法 を伺 って い る 。 得 与 致 評 議 可 申 上 旨 、 ⋮ ⋮ 京 ・大 坂ニ 而右 取 斗 之 儀 猶 心 附 候 品 も 候
(29) 前 掲 大 平 論 文 。 ハ 丶、 是 又 拙 者 共 江 御 申 談 有 之 候 様 委 鋪 可 及 御 掛 合 旨 、
(30) 前 掲 大 平 論 文 。 備 後 守 殿 被 仰 聞 候(
、牧⋮野⋮
貞尚長、
以老大中坂)町 奉 行 衆 江 も 前 書 之 趣 別 段 申 達
(31) ﹃天 保 類 集 ﹄ 三 で は 、 所 司 代 が 、 吟 味 や仕 置 に関 す る 財 政 上 の 候 、﹂ と 述 べ て い る。 ま た 、寛 政 二年 (一七 九 〇 ) 六 月 に は 、 奈 良
要 求 を し て い る。 奉 行 三浦 伊 勢 守が 、 こ の指 示 に つい て ﹁京 ・大 坂 町 奉 行ニ 限 被 仰 渡
(32) ﹁序 ﹂ ﹃御 仕 置 例 類 集 古 類 集 一﹄。 候 趣ニ 有 之 候 得 共 、 何 れ 之 御 役 所 迚 も 御 仕 置 筋ニ 相 替 儀 者 無 之 候 事
(33) ﹃刑 訴﹄ 五 〇 七 頁 。 二付 、 寛 政 二 年 六 月 出 京 之 節 、 京 都 御 役 所 (京 都 町 奉 行 所 )ニ 而 承
(34) ﹁刑 方 雑 記 第 一冊 ﹂ (
橋 本 )。 及 、 為 心 得 写 留 置 候 、﹂ と記 し て いる 。
(35) 安 竹 貴 彦 ﹁大 阪 市 立 大 学学 術 情 報 総 合 セン タ ー所 蔵 ﹁評 儀 帳 ﹂ (45 ) 仕 置 の内 容 や 役 人 の地 位 の み な らず 、 距 離 や 時 間 と い った物 理
︱大 坂 町 奉 行 所 関 係 文 書︱ (三 其 之 捌 ・完)﹂﹃法 学 雑 誌 ﹄ 五 一−一 的 な問 題 によ っ て手 限 範 囲 が 規 定 さ れ る点 は 、 前 近 代 であ る 日本 近
、 二〇 〇 四。 世 の行 政 ・裁 判 にお け る特 質 や限 界 性 と も いえ るが 、 そ の最 た る事
(36 ) ﹁御 仕 置 筋ニ 付 心 得 可 相 成 部 ﹂ 安 竹 ﹁大 坂 町 奉 行 所 関 係 文 書 例が、 天明八年 (一七 八 八) の改 革 で あ った 。 な お、 三 浦 氏 は ﹁裁
(一 其 之 壱 )﹂ ﹃大 阪 市 立 大 学 法 学 雑 誌 ﹄ 四 一−二、 一九 九 五 。 判権 分 配 の原 因 ﹂ と ﹁裁 判 権 分 配 の標 準 ﹂ は ﹁即 ち 江 戸 と の距 離 関
近世中後期幕府の上方支配

(37 ) 上 方 奉 行 が 、 所 司代 ・大 坂 城 代 と の関 係 や そ こ に お け る業 務 の 係 こ れ なり 。﹂ と指 摘 さ れ て い る (
前 掲 三 浦 著 書 一〇 六 九 頁 )。
内 容 を 調 査 ・確 定 し た、 延 享 元年 (一七 四 四 ) の改 革 に つい て は 、 (46 ) 平 松 氏 は ﹁上 方 遠 国 奉 行 の刑 政 も 、 や はり 老 中 、 三 奉 行 な い し
別 の機 会 にあ ら た め て論 じ た い。 評定 所 一座 の指 令 、 指 導 に大 き く 依 存 し て い た の であ る。﹂ (﹃刑 訴 ﹄
(38) ﹁公事 方 壁 書 ﹂ (
京 都 大 学 附 属 図 書 館 蔵 )。 五 一九 頁 ) と 述べ ら れ て い る。
(39) 前 掲 大 平 論 文 。 (47 ) 寛 政 七 年 (一七 九 五 ) 九月 朔 日 に京 都 町 奉 行 は所 司 代 に ﹁去 ル
(40) 前 掲 藤 田論 文 。 申年 京(・天
大明坂八吟
)味 者 之 儀 二付 、 三 奉 行 評 儀 之 趣 申 上、 申 越 候 趣 意 こ
(41) 前 掲 藤 田論 文 。 も 相 振 可 申 哉 奉 存 候 間 、﹂ (
前 掲 ﹁公 事 方 壁 書 ﹂) と 述 べ て おり 、 天
(42) 前 掲 ﹁公 用方 聞 合 書 ﹂。 明 八 年 (一七 八 八) の 改 革 を強 く 意 識 し て い る。
1
(48 ) ﹁公 法 往 時 録 ﹂ (慶 応 義 塾 図 書 館 蔵 )。 取 斗 候 様 与 存 候 、﹂ (前 掲 ﹁雑 書 ﹂)と 述 べ て い る。
(49 ) 前 掲 ﹁公用 方 聞 合 書 ﹂。 (58 ) ﹃
刑 訴 ﹄ 五一三 頁 。 平 松 氏 は 、 こ の史 料 にも と づ き 、 ﹁文 化 五 年
(50 ) 前 掲 ﹁公事 方 壁 書 ﹂。 (一八○ 八) に は 、 手 鎖 、 過 料 、 急 度 叱 は伺 う に 及ば ざ る こと と な
(51) 前 掲 ﹃徳 川 禁 令 考 別 巻 ﹄ 六 一頁 。 った。﹂ と 指 摘 さ れ て い る。
(52) 平 松 氏 は ﹁こ れ は 、 も と も と 出 入筋 に つ いて 、 老 中 、 所 司 代 、 (59 ) ﹃
刑 訴 ﹄ 五一三 頁 。
大 坂 城 代 、 若 年 寄 、 側 衆 、 評 定 所 一座 の領 分 知 行 所 より の出 訴 は、 (60 ) 宝 暦 一二年 (一七 六 二) 宋 ご ろ に作 成 し た ﹁先 々 (
大坂)御城
裁判 着 手 に つ い て と く に 伺 のご と き は必 要 で な いが 、 判 決 は手 限 で 代諸事留書﹂ (
大 阪 市 史 編 纂 所編 ﹃大 坂 城 代 公 用 人諸 事 留 書 (上 )﹄
な し え ず 、 伺 う べき も の であ る と し た 規 定 であ る 。﹂ (﹃
刑 訴﹄五 一 大 阪 市 史 料 調 査 会 、 一九 九 四、 一頁 以 下 ) によ る と 、 享 保 八∼一三
三頁 ) と 述べ ら れ て い る。 年 (一七 二三 ∼ 八 )、 寛 保 二年 (一七 四 二)、 延 享 元 年 (一七 四 四)
(53 ) 前 掲 安 竹 ・ 一九 九 五 論 文 。 な ど 、 御 定 書 第 八条 の規 定 が 成 立 す る元 文 四 年 (一七 三 九 ) や そ れ
(54 ) 平 松 氏 も 、 成 立 当 初 から の も のと は 指 摘 さ れ て い な いが 、 御 定 が 大 坂 城 代 に伝 達 さ れ る 寛 保 三 年 (一七 四 三 ) の以 前 ・以 後 と も に、
書 第 八条 の規 定 に つ い て ﹁吟 味 筋 に つ い ても こ の条 文 は 準 用 さ れ 、﹂ 大 坂 城 代 は、 所 領 住 民 の出 入 を 老 中 に伺 っ て いる 。
(﹃刑 訴 ﹄ 五一三 頁 ) と 述 べら れ て い る。 (61 ) 御 定 書 第 八条 の規 定 が 成 立 す る以 前 の享 保 九 年 (一七 二 四) 九
(55 ) 寛 政 九 年 (一七 九 七 ) 一二 月 に大 坂 城 代 牧 野忠 精 は 大 坂 町 奉 行 月 二九 日、 大 坂 町 奉 行 が 、 河 内 や播 磨 に あ る 知 行 所 の住 民 の関 わ る
に ﹁御 三 家 ・御 両卿 領 知 之 者 加 候 ﹁件 出 入 之 儀 、 是 迄 江 戸表 江 伺 候 出 入 に つ い て、 吟 味 のう え 裁 許 を 申 し渡 す べ き 旨 を 、 老 中 が 大 坂 城
儀ニ 有 之 候 、 ⋮ ⋮ 以 来 拙 者 迄 被 伺 候 ハヽ、 直 及 差 扣(
、図江)戸 江 不 及 伺 代 酒 井 忠 音 に指 示 し て いる (前 掲 安 竹 ・ 一九 九 五論 文 、 前 掲 ﹃大 坂
ニ ハ候 間 、 可 被 得 其 意 候 、﹂ (
前 掲 ﹁雑 書 ﹂) と述 べ て い る。 城代公 用人諸事留 書 (
上 )﹄ 三 頁 )。 ま た、 ﹃古 類 集 ﹄ 二 五 で は、 御
(56) 前 掲 ﹁奈 良 奉 行 所 書 翰 集 ﹂。 定 書 第 八条 の規 定 が 上 方 に伝 達 さ れ て以 後 の安 永 九 年 (一七 八○ )
(57) 文 化 五年 (一八 ○ 八) 六 月 二 九 日 に 老 中 は大 坂 城 代 松 平 乗 保 に に 、 京 都 東 町 奉 行 赤 井 忠晶 は 、 大 和 にあ る知 行 所 の住 民 が 関 わ る出
﹁老 中 ・所 司 代 ・御 城 代(・大
若坂年)寄 ・御 側 衆 ・評 定 所 一座 領 知 出 入 訴 入 に つ い て、 同 西 町 奉 行 と 立 ち 会 い で裁 許 を申 し 渡 し て い る。
出 候 節 、 不 及 伺 取 斗 、 裁 許 之 趣 相 伺 可 申 旨 、 公 事 方 御 定 書ニ 有 之 候 (62) 幕 府 の権 力 編 成 や 支 配 活 動 に おけ る身 分 制 的 な 特 質 は、 奉 行 と
故 、 三 奉 行 吟 味 物 之 内 、 右 之 面 々領 知 之 も の軽 キ 咎 相 加り 候 而 も 、 代 官 の関 係 にお い ても 確 認 し う る (拙 稿 ﹁近 世 中 期 大 坂 代 官 の幕 領
伺之上御仕置申付来 候得共、以来手鎖 ・過刻 已下先例先例有 之分 ハ、
(料)(支
衍配)︱ 大 坂 町 奉 行 ・勘 定 奉 行 と の関 係 を 中 心 に︱ ﹂ ﹃大 阪 商 業 大 学
不及伺申付、見合 之例 無之分者、軽 キ咎ニ 候共、御定之通御伺 候筈 商 業 史 博 物 館 紀 要 ﹄ 五 、 二〇 〇 四 )。
ニ相成候 、此段為 心得申遣 候間、其地 之儀 も右ニ 准 し宜敷 勘弁御(大坂)
(63 ) ﹁文 化 天保 年 間 御 聞 合 書 抜 ﹂ (橋 本 )。
1
(64 ) ﹁目 附 大 秘 記 ﹂ (
京 都 大 学 附 属 図書 館 蔵 )。 ま た、 本 稿 の内 容 に つき ま し て は、 二 〇 〇 四年 一二 月 の日 本
(65 ) ﹃刑 訴 ﹄ 〇 七 七 頁 。 平 松 氏 は ﹁所 司 代 、 大 坂 城 代 に は 御 仕 置 史 研 究 会 ・近 世 史 部 会 、 二 〇 〇 五 年 五 月 の法 制 史 学 会 ・中 部 部
例 類 集 、撰 述 格 例 も 与 え ら れ て い た 。﹂ ﹁御 定 書 は1 寛 政 十一 年 以 後 、 会 、 二〇 〇 六 年 九 月 の法 制 史 学 会 ・近 畿 部 会 、 の各 研 究 会 に お
御 定 書 二添 候 例 書 も︱ 城 代 に は公 式 に下 付 さ れ 、 これ を 大 坂 町奉 行 け る報 告 に 深 く 関 連 し ます 。 各 研 究 会 の委員 の みな さ ま や当 日
には 見 せ る こ とを 許 さ れ て い たが 、 堺 奉 行 は 見 る こ とが でき な か っ ご 参 加 のみ な さ ま に は、 貴 重 な ご 意 見 を いた だ き ま し た。 あ ら
た の であ る。﹂ (﹃刑 訴 ﹄ 五 四七 ∼ 五〇 頁 ) と も 述 べ ら れ て い る。 た め て感 謝 申 し 上 げ ます 。
(66) 野 高 宏 之 氏 は、 大 坂 城 代 の覚 書 の記 述 に より ﹁寛 保 三年 八 月 、
前 年 に江 戸 で作 ら れ た ﹃公事 方 御 定 書 ﹄ が 城 代 のも と に届 く 。﹂ (同
﹁解 説 ﹂ 前 掲 ﹃
大 坂 城 代 公 用 人 諸 事 留 書 (下 )﹄ 一二 四頁 ) と 述 べ 要 約
ら れ て い る。
(67) ﹁諸 書抜 ﹂ (
土 屋)。 本 稿 で は 、 近 世 中 後 期 の江 戸 幕 府 に お いて 、 公 事 方 御 定 書 と
(68 ) 宇 佐 美 英 機 ﹁近 世 京 都 の相 対 済 し令︱ 元 禄 一五年 令 以 降 と 素 材 と も に最 重 要 の法 源 であ った 御 仕 置 例 類 集 を 主 にとり あ げ 、 仕
に﹂ 秋 山 國 三 先 生 追 悼 会 編 ﹃京 都 地 域 史 の研 究 ﹄ 国 書 刊 行 会 、 ﹁九 置 に関 す る こと が ら を中 心 に、 関 東 と な ら ぶ 幕 府 の拠 点 地 域 で
七 九 。 神 保 文 夫 ﹁近 世 私 法 史 にお け る ﹁大 坂 法 ﹂ の意 義 に つ い て︱ あ る上 方 の支 配 を 検 討 し た。 そ の際 、 上 方 の内 部 や 江 戸 と の間
に お い て 、幕 府 役 人 が 行 政 ・裁 判 を 処 理 す る過 程 や 権 限 に注 目
大 坂 町 奉 行 所 の民 事 裁 判管 轄 に関 す る 一考 察︱ ﹂ 平 松 義 郎 博 士 追 悼
し た。
記 念 論 文 集 編 集 委 員 会 編 ﹃法 と 刑 罰 の歴 史 的 考 察 ﹄ 名 古 屋 大 学 出 版
会 、 一九 八 七。 (
1 ) 幕府 の上 方 役 人 は 、 伺 と それ に 対 す る指 示 と い う 同 じ
(69) 前 掲 ﹁諸 書 抜 ﹂。 過 程 の な か で、 行 政 と裁 判 を ﹁体 的 ・連 続 的 に処 理 し 、す で に
近世中後期幕府 の上方支配

発 生 し て いる 問 題 を 個 別 的 に解 決 す る と と も に、 今 後 発生 す る
(70) 前 掲 ﹃古 類 集 ﹄ 六 一。
(71) ﹃刑 訴﹄ 一〇 七 六 頁 。 問 題 に つ い て 一般 的 に 対 処 す る た め の規 則 や 制 度 を 設 定 ・変 更
し て いた 。
(
2 ) 上 方 役 人 の伺 には 、 上 方 の奉 行 より 京 都 の所 司 代 や 大

付 記 ︺ 本 稿 を 作 成 す る にあ たり 、 史 料 の閲 覧 に つき ま し て 坂 城 代 への 伺 (
上方奉 行伺 )
、 所 司 代 や 大 坂 城 代 より 江 戸 の老
は、 国 文 学 研 究 資 料 館 ア ー カ イ ブ ズ 関 係 (
旧 史 料 館 )・京 都 大 中 へ の伺 (
所 司 代 伺 ・大 坂 城 代 伺 )、 上 方 奉 行 より 老 中 へ の伺
学 附 属 図 書 館 ・慶 応 義 塾 図 書 館 の み な さ ま に は、 ま こ と にお 世 (
江 戸 上り 伺 )、 の三 通り が あ った。 ま た、 上 方 奉 行 と 老 中 の
話 に なり ま し た。 心 より お 礼 申 し上 げ ま す 。 やり とり は、 伺 と そ れ に対 す る指 示 と の両 面 に お いて 、 所 司 代
1
や 大 坂 城 代 に よ る 監 督 ・仲 介 の も と にな さ れ た。
(
3 ) 所 司 代 や 大 坂 城 代 は、 老 中 と 同 じ 形 式 の文 書 を 用 い な
が ら 、 上 方 奉 行 の伺 に対 し て自 ら 決 定 ・指 示 し、 仕 置 を は じ め
と す る さ ま ざ ま な問 題 が 上 方 の内 部 で処 理 さ れ て いた 。 延 享 元
年 (一七 四 四 ) に、 仕 置 を めぐ る 所 司 代 ・大 坂 城 代 と 上 方 奉 行
と の関 係 が 確 立 さ れ 、 天 明 八年 (一七 八 八 ) に は、 所 司 代 や 大
坂 城 代 が 自 ら 指 示 し う る 仕 置 の範 囲 は 大 幅 に拡 大 さ れ た 。
(4) 京 都 ・大 坂 町 奉 行 は 、 所 司 代 や 大 坂 城 代 の も と 、 そ れ
ら の監 督 ・担 当 す る業 務 の全 般 に わ た って調 査 ・答 申 す ると い
う 特 別 な役 割 を 果 た し て い た。 そ う し た あり 方 は、 老 中 のも と
にあ る評 定 所 のあり 方 と同 様 であり 、 上 方 に おけ る、 所 司 代 ・
大 坂 城 代 と京 都 ・大 坂 町 奉 行 の関 係 は、 江 戸 にお け る老 中 と 評
定 所 の関 係 と相 似 であ った。
・キ ー ワ ー ド 上 方 、 公事 方 御 定 書 、御 仕 置 例 類 集 、 所 司
代 、 大 坂 城 代 、 京 都 町奉 行 、 大 坂 町奉 行 、 老 中 、 評 定 所 、
仕 置 、 伺 と指 示 、 行 政 と 裁 判
1
Kamigata Regimen of the Edo Bakufu
in the Later Part of the Early Modern Period:
A Study of Oshioki Reiruishu

by Takashi OGURA

•œ keywords: Kamigata (•ã•û), Kujigata Osadamegaki (ŒöŽ–•ûŒä’è•‘

), Oshioki Reiruishu (ŒäŽd’u—á—Þ•W), Shoshidai (•ŠŽi‘ã

), Osakajodai(‘å•â•é‘ã),Kyoto Machi Bugyo (

‹ž“s’¬•ò•s
), Osaka Machi Bugyo(‘å•â’¬•ò•s)Roju (

˜V’†
), Hyojosho (•]’è•Š), Punishment, Inquiry and

Instruction, Administrative and judicial practice

Kamigata area was once a stronghold for Edo Bakufu equivalent to


Kanto. Oshioki Reiruishu, together with Kujigata Osadamegaki, was one
of the most important legal sources for Bakufu in the later part of the
early modern period. In this paper the Kamigata Regimen by Bakufu was
studied emphasizing issues relating to punishment, by primarily examin-
ing Oshioki Reiruishu. The study specifically focused on the process and
authority of administrative and judicial practices handled by the Bakufu
officials in Kamigata as well as between Kamigata and Edo.
The Bakufu officials in Kamigata carried out both administrative and
judicial practices in an integrated and continuous manner by following
the same process of inquiries and instructions.They individually solved
already existing issues while setting and changing rules and systems to
generally solve issues for future occasions.
Inquiries by the Bakufu officials in Kamigata involved three forms:
From Kamigata Bugyo to Shoshidai and Osakajodai, from Shoshidai and
Osakajodai to Roju, and from Kamigata Bugyo to Roju. Shoshidai and
Osakajodai were involved in the mediation of the inquiries from

6
Kamigata Bugyo to Roju as well as the instructions from Roju to
Kamigata Bugyo.
In response to inquiries from Kamigata Bugyo, Shoshidai and Osaka-
jodai made decisions and gave instructions on their own using the
documents formatted in the same way as the ones used by Roju. With this
system, punishment and various other issues were resolved in Kamigata.
In terms of punishment, the system that Kamigata Bugyo made inquiries
and Shoshidai and Osakajodai gave instructions in return was established
in Enkyo 1 (1744). In Tenmei 8 (1788), the range of punishment that
allowed Shoshidai and Osakajodai to give instructions in response to
Kamigata Bugyo's inquiries was considerably expanded.
Kyoto Machi Bugyo and Osaka Machi Bugyo played a special role to
perform investigation on overall practices directed and handled by
Shoshidai and Osakajodai. The roles played by Kyoto Machi Bugyo,
Osaka Machi Bugyo to Shoshidai, Osakajodai was the same as the role
played by Hyojosho to Roju. That is, the relationship between Shoshidai,
Osakajodai and Kyoto Machi Bugyo,Osaka Machi Bugyo in Kamigata
was similar to the one between Roju and Hyojosho in Edo.

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