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動詞アスペクト論についての覚え書

柏野 健次

I 動詞への意味的接近
1.1 動作動詞の定義と下位区分
1.1.1 動作とは
「動作動詞とは何か」というのが、まず最初に解決されねばならない問題であ
る。だがこの種の定義は非常に困難である。なぜなら、できるだけ多くの場合
をつつみこみ、例外を少なくしようと思えば、いいかえれば、一般化の度合を
進めていけばいくほど、定義というのは抽象的にならざるをえないからである。
ここでは、ひとまず次のように規定しておく。

動作動詞とは、広い意味での事物、あるいは人間をも含めた動物の現実世
界に対する働きかけを表わすものである。
〔状態変化の担い手である動作は、本質的に静的である現実世界に対して作
用を及ぼす〕

ここで注意を要するのは、上にいう「働きかけ」
「作用」(active というと誤
弊があるので workative とでもいおうか) というのは、例えばキング(1970)の
voluntative やフィルモア(1968)の agentive とは違うということである。とい
うのは、voluntative しても agentive にしても、それらは「意思」(intention)
とのかかわりが認められるからである注。しかし、上の定義は「意思」とは無
関係である。それゆえに、「生まれる」「降る」die などは、ここにいう動作動
詞に相当するわけである。更には、雨だれが「垂れる」のも、時計が 12 時を
「打つ」のも、それらの現実世界に対する働きかけと考えられよう。このよう
に述べてくると、
「動作」というものを広く解釈しているだけではないかという
反論が予想される。しかし、金田一(1958)のように、動詞を「自然現象」
「作用」
「動作」・・・と細分するよりも、動作/状態という二分法を用いた方が、アス
ペクト・マーカーとのかかわりを記述する場合に有益なのである。

1.1.2 線状動作動詞と点状動作動詞
次に、上に規定された動作動詞を、その固有の意味により、線状動作動詞
(linear action verb)と点状動作動詞(punctual action verb)とに二分する。図示
して説明する。

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線状動作動詞(例 run)

I D E
・・・・・・・・・| |・・・・・・・・・
S1 S2

S— State I—Ingressive manner of action


D—Durative manner of action E—Effective manner of action

例の run について言えば、S1 というのは、走る前の状態であり、I は走りは


じめを表わし、E は走りおわりを表わす。すでに触れたように、動作というの
は、状態を変化させる機能をもっており、それゆえに、走る前と走ったあとで
は、当然その状態も異なってくる。後者を S2 とする。このように、線状動作
I と E との間に比較的長い継続時間をもっているということである。
の特性は、

点状動作動詞(例 kill)

{I≒E}(I)
・・・・・・・・・| |・・・・・・・・・・・・・・・
S1 S2

同じく例について言えば、kill の場合だと、D はほとんど存在せず、Iと E


とがほぼ一致する。したがつて、Iと E の一致したものがあたかも(I)である
かのように感じられる。ここにおいては、Iと(I)とを明確に識別しているこ
とに注意してもらいたい。
さて、ここで強調しておかねばならないことは、今述べた線状動詞と点状動
詞との差異 (継続時間の相対的長短) のほかにももっと本質的な差異が両者間
に存在するということである。つまり、われわれは、ひと続きの点状動作 (例
えば break という動作の反復) をひとつの線状動作として把握することはでき
るが、逆に、あるひとつの線状動作をひと続きの点状動作 (点状動作の集合) と
して把握できないということである。なぜなら、線状動作動詞 (例えば write)
というのは、進行している動作としてしか知覚されえないからである。「書く」
という点の動作は、どこにも存在しない。このようにみてくると、
「書く」ある
いは write は、「書いている」あるいは be writing よりも抽象のレベルが一段
高いということがわかる。後者は前者よりも、より現実に密着しているからで

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ある。

1.2 動作と状態
1.2.1 動作認定の問題
前述の動作動詞の定義は、少しふれるところがあったように、少し抽象的で
あった。また、それは「働きかけ」
「作用」(workative)というところから、
「物
理的な運動」を基盤としているという誤解を招く恐れもあった。そこで、この
項では、1.1.1 の定義を修正して新たな動作認定法を導き出したいと思う。もっ
とも、修正するといつても、1.1.1 の定義を全面的に否定するというわけではな
い。前に述べた定義と新しい認定法との二段構えでいこうというのである。つ
まり、1.1.1 の定義は基本的には正しく、やはりそれが前面に押し出されるべき
であって、新しい認定法は、それを精密化したものにすぎないということであ
る。
まず、ごく常識的に、動作認定の根拠を「物理的な運動」に求めるという立
場を検討してみよう。「歩く」も「走る」も物理的 (身体的) な運動であるし、
「食べる」もそうである。では、wait, sleep,「休憩する」などはどうか。こ
う問われると、上の立場では、たちまち行き詰ってしまう。これに対する容易
な解決策として、今あげた動詞は、1.1.1 の定義にしたがって (つまり workative
を表わしている) 動作と認定されるということも考えられようが、あまりにも
漢然としている。では、これらはどのように説明されるべきか。
ライズィ(1961)は、この種の動詞を「欠如動詞」(privative verb)とよんでい
る (訳書 68-79 ページ)。そして、例として ruhen (休む)、schweigen (黙って
いる)、warten (待つ)、streikeh (ストライキする) などの動詞があげられてい
る。彼のいう欠如動詞というのは、
「不活動」ということによって特徴づけられ
ているために、広い意味では状態動詞をも含むことになる。
また、大久保(1973)は、
「『止まる』も『寝る』も、動かないけれど、
『動かな
い』ということでやはり『動き』をあらわしている」という観察を行なってい
る (38 ページ)。
このようにみてくると、動作動詞は「動き」を表わすというだけでは不十分
だということがわかる。もっと正確に次のようにいう必要がある。

動作動詞とは、
「動き」を表わすものではなくて、
「動き」に関して何らか
の言及をなすものである。素性表記を用いるならば

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動作動詞は、[+movement] か [-movement] かのいずれかであると指定さ
れる

ということができる。こうして、上記の wait, sleep, 「休憩する」などは、


[-movement] (マイナスの「動き」をもっている) と指定されることになる。
以上のようなことから、
「運動」にもとづく動作認定は、もはや妥当性をもた
「動作」(特に、[-movement]と指定されるもの) と「状
ないのだが、それでは、
態」とはどこが違うのか。この問に答えるためには、
「時間」の概念の導入が必
要となる。
まず、1.1.2 で説明した線状動作動詞を思い出してもらおう。線状動詞とは、
I,D,E をもっているものであった。しかし、われわれが、ある線状動詞 (例え
ば「走る」) を想起する場合、その D に (「走っている」というまさにその状
況に) 注意が集中してはいないか。だからこそ、動作の認定を「運動」に求め
るという誤りをおかしやすいのである。われわれは、D よりもむしろIと E に
着目しなければならない。なぜなら、D というのは、D それ自体では存在しな
いからである。D は、Iと E によって条件づけられているのであり、ある動詞
が D をもつというのは、その動詞がIと E をもっているというまさにその理由
においてのみ言えることなのである。
次に、状態動詞の場合は、このI,D,E の関係はどうか。状態動詞には、I は
認められるが (なぜなら、理論的には、いかなる状態も点状動作を前提とする
から) E は認められない。とすると、上に述べた線状動作動詞のみならず、点
状動作動詞も E を所有している以上、この E の有無ということが、状態動詞と
動作動詞との大きな差異ということになる。定式化すると以下のようになる。

E をもっている動詞は、動作動詞と認定される

この仮説は、静的ということと状態との違いを説明してくれる。例えば、先
に少しふれた sleep という動詞は、静的 ([-movement]) ではあるが、それは
状態を表わしているのではない。sleep は、E をもっているということにより、
動作動詞と認定されるのである。
ここで、注意を促したいことがある。それは、ある動詞が E をもつという場
合、この E というのは、抽象レベルにおいて設定されたものだということであ
る。だから、例えば、「待つ」という動詞が E をもっているということと、日
本語に「待ち終わる」という表現がないということとは別問題なのである。言
語内的ということと、言語外的ということを明確に区別する必要がある。

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この言語内・言語外ということに関連して、アレン(1966)、太田(1972)の見
解にふれておこう。アレンによれば、例えば、walk は non-bounded であるが、
walk a mile は bounded であるということになる。また、ヴェンドラー(1967)
にヒントを得たという太田も、同様の議論を展開している。彼は、write a letter
に [+1imited], write novels に [-limited]の素性を与えるのである。これら三
者の接近法は、すべて、言語内現象を predication の観点から考察したもので
あり、上に述べたわれわれの方法とは、全く異なったものである。
以上で、動作認定方法の議論を一応終えて、次に、この問題が今までどのよ
うに取り扱われてきたかを見ていきたい。
レイコフ(1966)は、stative と non-stative を区別する命令文、進行形などの
8 種類のテストを提案した。これらのテストを通過した動詞は統語的に
non-stative (多くの場合、意味的に active) とみなされ、そうでないものは、
stative (non-active) とみなされる。しかし、ある動詞が、ある一定の構文で生
起する(しない) から、その動詞は、ある一定の素性をもつのだろうか。そうで
はない。動詞の中にある一定の素性が存在するからこそ、その動詞は、ある一
定の構文で生起する (しない) のである。動作・状態といった区別は、統語論
ではなくて、意味論で扱うべきである。
このレイコフの理論を、クラーク(1971)は格文法の立場から批判している。
smell という動詞 (レイコフの分析では[+stative]) が例として用いられ、クラ
「smell は少くとも +[__EO] と+[__AO]という 2 つの case frame をも
ークは、
っている」(150 ページ) と主張している。彼によれば、+[__AO]という case
frame をもっている smell は、動作動詞と認定されることになる。ある動詞が
Agentive をとるという時、クラークは、その動詞の主語が、意思をもった行為
者として動作にかかわっているということを示唆しているようである。
こういうふうに、agent を明示的に表面に押し出したクラークの (というよ
り格文法の) 考え方は、動作は主体 (物体または生物) をはなれて、動作それ自
体で存在しない以上、基本的には正しい。だが、結果的には、動作主、行為者
というところから、あまりにも「意思」にこだわりすぎた考え方になってしま
っている。
この「意思」という概念は、動作を認定する際によく用いられるものである。
例えば、チェイフ(1970)は、What did N do?という疑問文に答えられるかどう
かということを、動作認定の手がかりとしている。この認定法も「意思」とか
らみあっているということは明らかである。
以上のような「意思」にもとづく分析は、確かに、レイコフの分析よりもす
ぐれているのだが、それでも完全とはいえない。なぜなら、次のような天候表

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現 (weather expression) をうまく処理できないからである。

(1) It is raining.

クラークは、天候動詞 (weather verb) には、どこかに Agentive がひそんで


いるという苦しまぎれの見解を述べたものの、これらの動詞が問題点として残
ることは否定できないと言っている。また、チェイフは、(1)は agent なしに動
作を表わしているとし、このような天候動詞を、ambient とよんでいる。この
ように、両者とも天候動詞の処理に困っているようである。この原因としては、
「意思」というものの過度の重要視ということが考えられる。これはあまりに
も「意思」をもつものとしての「人間」を根幹におきすぎた考え方といえよう。
上のような観点に立てば、天候動詞のみならず、主語として、人間以外のも
のをとっている次のような文は、動作認定の点でうまく記述されえない。

(2) The moon is shining brightly.

(2)の場合でも、先述の仮説にしたがえば (E をもっているかどうかにより)、
shine は、容易に動作と認定されよう。

1.2.2 点状動詞と状態動詞との類似性
今までの議論で、E をもっている動詞が動作と認定されるということを強調
してきた。ところが、線状動作動詞、点状動作動詞、状態動詞と並置した場合
に、点状動作動詞と状態動詞との間にある種の共通点があることを認めないわ
けにいかない。この項では、その類似性について考える。
まず、点状動詞から検討しよう。前述のように、点状動詞 (kill, be born, hit)
は、確かに E をもってはいる。しかし、Iと E の一致したものが、あたかも(I)
であるかのように感じられるのであるから、そういう意味では(E)はもっていな
いことになる。(E と(E)との識別に注意)。図で示そう。

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点状動作動詞 (例 die)

{I ≒ E}(I) (E) 無限
・・・・・・・・・| |・・・・・・・・・・・・・・・
S1 S2

例の die の場合であれば、(I)は be dead という状態の始まりを示し、そし


て、(E)は認められない。これに関連して、金田一(1950)は、瞬間動詞 (ここに
いう点状動詞に相当) を「状態の永続的変化を表す動詞」と規定しているが、
これは正しい見方である。
次に、状態動詞について見る。少しふれるところがあったように、状態動詞
は、理論上、点状動作動詞を前提とする。すなわち、動作が生起しなければ、
状態は存在しないのである。このようにして、know, belong, contain のよう
な状態動詞は、Iをもっているといえるのであり、そしてそのIは、対応する
点状動作動詞の(I)と一致するのである。しかし、当然のことながら、状態動詞
は、E をもたない。以上の検討で、点状動作動詞は、(I)をもつが、(E)はもたな
いということと、状態動詞はIをもつが、E はもたないということが明らかに
なった。
上では、点状動詞と状態動詞との類似点をみたが、それでは、この両者は、
どのような点で異なっているのか。重要な差異は、次のようである。つまり、
状態動詞は、I をその固有の意味 (比喩的に意味領域 (semantic territory)) の
中に組み込んでいないが、点状動詞は、(I)をその意味領域に組み込んでいると
いうことである。この対立は下図により明らかとなる。

状態動詞 (例 own)
{I ≒ E}(I)= I (E) = E 無限
・・・・・・・・・| |・・・・・・・・・・・・・・・
S1 S2

意味領域

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点状動作動詞 (例 die)

{I ≒ E}
(I) (E) 無限
・・・・・・・・・| |・・・・・・・・・・・・・・・
S1 S2

意味領域

まず、own を例にとり説明しよう。own は、その状態の始まり (つまり、I)


を示す点状動作 (obtain) から完全にはなれて状態を表わす。次に、die の場合
であれば、それは、点状動作を表わし (つまり(I))、だからこそ、S2 (be dead)
は、意味領域に組み込まれているのである。
今述べた意見を支持するものとして、アレン(1966)のことばを引用しておこ
う。彼は、下に示す(3)の lie (状態動詞)について、
「その出来事(Event)の始まり
は、たとえ、その時が知られていても、重要な役割を果たさない」(223 ページ)
といっている。

(3) Hamadan lies at the foot of Mt. Alvand.

このアレンの言葉は、状態動詞は、I を意味領域に組み込んでいないという
ことを弁護してくれる。

II アスペクト・マーカー探究
2.1 さて、動詞段階での考察はここまでで終えて、次に、アスペクトの問題に
入ってゆく。ここにおいても、
「何がアスペクトをマークするのか」という根源
的な問いに答えるべきなのだが、論じる余裕がないので、本稿では、日英語に
おけるアスペクト・マーカーとして、ひとまず、テイルと be + ing をとりあげ
ておく。

2.1.1 日本語テイルの分析
すでに指摘されていることであるが、テイルは、結合される動詞の種類に応
じて、2 つの異なった意味を表わす(松下(1923)、佐久間(1936)、金田一(1950)
参照)。すなわち「線状動作動詞+テイル」という結合 (以下「結合(1)」)は、動
作の進行を表わし、一方、
「点状動作動詞+テイル」(「結合(2)」)は、状態の継
続を表わすということである。このようにして、「結合(1)」は、「進行相」

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(progressive) を示し、
「結合(2)」は、
「結果状態相」(resultative)を示すという
ことができる。下図を参照してもらいたい。

「結合(1)」 線状動作動詞+テイル(例「書いている」)

I D E
・・・・・・・・・| |・・・・・・・・・・・
S1 S2

意味領域

「結合(2)」 点状動作動詞+ テイル (例「始まっている」)

(I) (E) 無限
・・・・・・・・・| |・・・・・・・・・・・・・・・
S1 S2

意味領域

しかし、このような分析は、あまりにも粗雑である。というのは「結合(1)」
が「結果状態相」を表わすこともあるからである。次の文を考えてみよう。

(4) 父が草花を植えている
(5) 雪が降っている (井上(1973)から)

(4)と(5)の「植える」
「降る」は、どちらも線状動作動詞であるから、
「植えて
いる」
「降っている」は、
「結合(1)」ということになる。井上によれば、これら
両者は、「進行相」のみならず、
「結果状態相」を表わすということである。換
言すれば、(4)(5)は、2 通りに、ambiguous だということである。なるほどそ
う な の だ が 、 注 意 せ ね ば な ら な い の は 、 ふ つ う 、 あ る 文 が (2 通 り に )
ambiguous だといわれる場合、どちらかの解釈の方が、より一般的であること
が多いということである。より一般的な解釈というのは、言語内外のコンテク
ス ト に依 存 する 率が 低い と いう こ とで あり 、こ れ を一 次 的解 釈 (primary
interpretation)とよぼう。そして逆に、コンテクスト依存率の高いものを二次
的解釈(secondary interpretation)とよぶ。そうすると上の場合、
「植えている」

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「降っている」は、一次的に「進行相」と解釈され、二次的に「結果状態相」
と解釈されることになる。(特に(4)の場合、二次的にせよ、
「結果状態相」と解
されるには、よほど特殊なコンテクストが必要となろう。) このようにして「結
合(1)」は、一次的には、「進行相」を表わしていると解釈されるということに
なる。

2.1.2 英語 be + ing の分析


周知のように、英語の進行形には、種々の用法がある。チェイフ(1970)によ
れば、現在進行形には、anticipative, generic & progressive, progressive,
generic & anticipative を表わす用法があるという。以下の分析では、現在進行
形の progressive use と anticipative use を取り扱うこととする。

2.1.2.1 日本語のテイルの場合と同じように、be + ing も、挿入される動詞の


種類に応じて、2 つの異なつた意味を表わす。 「be+線状動作動詞+ing」
すなわち、
という構造 (以下「構造(1)」) は、動作の進行を表わし、一方、
「be+点状動作
動詞+ ing(「構造(2)」) は、最後の頂点 (つまり、挿入された点状動作動詞の
(I))への漸次的接近を表わすということである。こうして、「構造(1)」は、「進
「構造(2)」は、(「漸次的進展」 (development by degrees) (ハ
行相」を表わし、
ッチャー(1951)の用語)を表わすということになる。次の図を参照。

「構造(1)」be+線状動作動詞+ing (例 be cooking)

I D E
・・・・・・・・・| |・・・・・・・・・・・
S1 S2

意味領域

「構造(2)」be 十点状動作動詞十 ing (例 be drowning)


(I)
・・・・・・・・・| |・・・・・・・・・・・・・・
S1 S2
意味領域

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しかし、これでは、まだ十分とはいえない。なぜなら、「構造(1)」は、特殊
な状況の下では、いわゆる「近接未来」(immediate future)を表わすからであ
る。例えば、(6)は 2 通りにあいまいである。

(6) They are washing the dishes.

すなわち、一次的には、
「進行相」を表わしていると解釈され、二次的には、
「近接未来」と解釈されるのである。
こうみてくると、考えてみれば、上記の「漸次的進展」というのも「近接未
来」ではないかということになる。だが、この両者は、はっきりと区別される
べきものであり、ここで、この伝統的な「近接未来」という用語のあいまいさ
「近い未来」(near future)、
を除去するために、新たに、 「差し迫った未来」(nearer
future)という用語を提案したい。前者は、(6〉のところで述べたいわゆる「近
接未来」に相当し、意味的に、対応する進行形 (例えば be washing) を be to
あるいは be going to によりパラフレーズすることが可能である (be to wash,
be going to wash)。また、後者は、上でいう「漸次的進展」に相当し、意味的
には、be on the point of によりパラフレーズ可能である。このようにして、
「近
い未来」は「構造(1)」によって表わされ、
「差し追った未来」は「構造(2)」に
よって表されることになる。
しかし、事態は、更に複雑をきわめてくる。というのは、「構造(2)」は、必
ずしも「差し迫った未来」を表わさないからである。点状動作動詞の中には、
「差し迫った未来」を表わすもの (典型的には、リー
進行形に用いられた場合、
チ(1971) が transitional event verb とよんでいるものに代表される)もあれば、
「近い未来」を表わすものもあるのである。例文をあげておく(すべてリーチ
(1971)より)。

(7) The aeroplane is landing.


(8) My aunt's coming to stay with us.
(9) He's resigning from his job.

(7)は、「差し迫った未来」を表わし、(8)と(9)は、
「近い未来」を表わす。
補足的に、(8)の come などは、near, nearer に関しては動揺することがあ
り、次例などでは「差し迫った未来」を表わしているといわねばならない。

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(10)(Look, Lucy.)The mailman is coming to us.

少し繁雑になったので、以下に要約する。

進行相・・・一次的解釈
「構造(1)」
近い未来・・二次的解釈 (be to, be going to)
差し迫った未来 (be on the point of)
「構造(2)」
近い未来

2.1.2.2 この項では、どのような動詞が進行形をとることができるのかという
問題を扱う。伝統的には、動作を表わす動詞が進行形をとることができると言
われてきている。これは、基本的に正しい。だが、このようにいわれる場合で
も、
「動作とは何か」ということについては、あまり触れられたことがない。こ
れでは、伝統的な見解の価値も半減してしまう。再びくり返すが、動作動詞と
は、E をもっている動詞のことなのである。こうして、次の仮説が可能となる。

E をもっている動詞は、進行形において生起することができる〔E をもっ
ていない動詞は、進行形において生起できない〕

しかし、この仮説にそぐわない一群の動詞が存在する。次のようなものであ
る。

sit, stand, lie, stoop, lean, kneel, recline, crouch, squat, hang
(ライズイ(1961) 訳書 64 ページ)

これらすべて「空間における位置」を表わす動詞 (以下LS 動詞) は、E が認


められないという理由により、状態を表わしているといえる (点状動作を表わ
す場合には、ふつう down, up などの副詞が付加される)。それにもかかわらず、
次のような進行形を含む文が検証される。

(11) They are sitting side by side.


(12) John is standing by the gate.
(13) Some cows are lying on the grass.

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この例外的と思われるものをどう扱ったらいいのか。
レイコフ(1966)は、sit, stand, huddle, squat などは、統語的に non-stative
であり、意味的に non-active であるとしている。しかし、これでは現象面を追
ったにすぎず、その理由については何もふれていないことになる。また、別の
議論として、上記例文においては、sit, stand, lie などの語彙的意味が、動作動
詞としての意味に変化しているのだということも考えられる。だが、この議論
はおかしい。なぜなら、例えば sit (すわっている)というのは、sit down (すわ
る) という点状動作が終わったあとの状態を示すものであり、(11)における be
sitting というのは、
「すわる」という動作が現在行なわれているということを
表わしているのではないからである。このことは言語上では、次のような対話
に反映されている。

"What are you doing?" “I'm waiting for my friend."


"What are you doing?” "I'm standing.”

「動き」ということに関しては、一見、同じような意味を表わすように思われ
る wait と stand であるが、前者はとにかく、後者は明らかに奇妙である。こ
れについては、次のような対話が期待されよう。

"What are you doing?"


"Nothing in particular. I'm just standing."

これは、stand がまだ状態動詞としての意味をもっているということであろう。
このようなことから、sit, stand, 1ie などに代表される LS 動詞を、あたかも
動作動詞であるかのように進行形にしばしば用いられるという意味において、
疑似動作動詞(quasi-action verb)とよぶことにする。いいかえれば、このタイ
プの動詞は、疑似動作化 (quasi-activize) されやすいということになる。
しかし、これだけでは、上のレイコフの議論と同じことをいっていることに
なる。なぜ LS 動詞が、他の状態動詞よりも疑似動作化されやすいのかという
ことが説明されねばならない。それには、まず、状態動詞の意味領域を思い出
してもらう必要がある。前述のように、状態動詞は、その意味領域に I を組み
込んでいない。だが、ここで問題になっている LS 動詞は、他の状態動詞とち
がって、I と密接に結びついているのである。なぜなら、この種の動詞は、多
くの場合、その状態の発端を表わす点状動作 (例えば、sit down, stand up, lie

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down) が少し前に (recently)なされたという含意をもっているからである
(know, own などの状態動詞と比較)。
こう考えてくると、例えば sit の場合、I が意味領域に組み込まれていること
になり、そうなると、sit は、あたかもその状態の発端を表わす点状動作 (sit
down) を I とするような線状動作動詞 (そういう意味では E をもっている) と
感じられるようになるのである。
とはいっても、LS 動詞のすべてが、疑似動作化されるわけではない。疑似
動作化されうるのは、[+Movable__]という素性をもっているものだけである。
これはあくまで[+Movable__]であって、[+Animate__]でないことに注意したい。
なぜなら、(14)のような文は、なるほど認められないが、(15)のような文は認
められるからである。

(14) *Our school is standing on the hill.


(15) My hat is lying on the table in the hall. (アレン(1966))

最後に、この疑似動作化(quasi-activization)という概念は、wear という動詞
にも適用されるということを付け加えておく。

以下、
「一時的ということ」
「日英語の副詞的語句」
「日英語の比絞」について
言及する予定であったが、紙数の関係で、すべて省略する。
[この 3 点は以下の論文で扱われている]

[注] 日本語においては、ふつう一般に、「意思」と「意志」との区別はあま
りなされていないが、ここでは、われわれは、タームとして、はつきり「意思」
(intention)と「意志」(volition)とを区別している。つまり、「意思」が認めら
れるというのは、あることを「意志」的(voluntary)にせよ、反「意志」的
(compulsory)にせよ、しようと思えばできるということを指しているのである
(久野(1970)参照)。

意志(volition)
意思(intention)
反意志(compulsion)

筆者は、以前、ここにいう「意思」を「意志」とよんでいたが、正確を期す
るために上のように改める。 [参考文献は後続論文の末尾に一括して掲載]

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動詞アスペクト論についての覚え書 (承前)
柏野 健次

はじめに
先号では、
「動作動詞の定義と下位区分」から稿を起こし、
「動作と状態」
「日
本語テイルの分析」を経て、「英語 be+ing の分析」のうち、
「どのような動詞
が、進行形をとることができるのか」という項まで、話を進めた。そして、そ
こにおいて、
「疑似動作化」(quasi-activization)という概念について触れた。本
号では、まず、この概念について補足説明をし、そして、そのあとで新たな議
論(「一時的ということ」「日英語の副詞的語句」「日英語の比較」)を展関して
いきたいと思う。
先号の終わりのところで、
「疑似動作化」という概念は、wear という動詞に
も適用されるということを述べた。その理由は、次のようである。wear は、
LS 動詞 (sit, stand, lie など空間における位置を表わす動詞) の [+Movable__]
という素性をもつものと同様、その状態の発端を表わす点状動作 (つまり、put
on) が、少し前に(recently)なされたという含意をもっている。それゆえに、I
が、意味領域に組み込まれていることになり、wear の疑似動作化が可能とな
るのである。このような「疑似動作化」の概念の導入により、wear は、状態
動詞と言われてきているにもかかわらず、進行形において、しばしば生起する
ということの説明がつく。
このほか、例えば、渡辺勝馬氏が、「英語青年」(1974.10) において、「別の
説明原理が必要」としてあげておられる下記の例文も、この「疑似動作化」と
いう考え方をもってすれば、容易に処理できる。(この hang は、[+Movable__]
をもつ LS 動詞)

My coat is hanging in the cupboard.

2.1.2.3 この項では「一時的」(temporary)ということについて考えてみる。よ
く進行形は「一時性」を表わし、単純形は「永続性」を表わすといわれる。

(16a) The houses stands in the midst of elm-trees.


(16b) He is standing near the window.

しかし、このことは、上の例のように進行形と単純形を比較した場合にのみ

15
いえることであって、進行形だけをとり出して考えた場合には、この「一時性」
という概念も変更を強いられる。すなわち、今あげた例についていえば、(16b)
の is standing は、(16a)の stand(s)に比べれば、なるほど「一時的」というこ
とを示しはするが、is standing だけを考えてみると、そこには「今だけ」とか
「もうすぐ終わる」ということは感じられない。この進行形は、「(いま、まさ
に)立っている」ということを強調するために用いられるものなのである。以下
の記述においては、
「一時的」という用語を進行形に関してのみ用いる。
まず、進行形の意味をグリースン(1965)にしたがって、duration と limitation
との二大要素に分ける。そして、duration という概念を更に限定して、ある動
「集中的」(concentrative)という特性でよび、limitation
作への集中という点から
を「一時的」(temporary)という特性でよぶ。そして、この両者のうち、どちら
の特性が強くあらわれる(prominent)かは、進行形に用いられている動詞、とく
に、その動作性の度合(degree of activeness)に依るのである。そして、この動
作性の度合というのは、動詞の中にどれくらい E が感じられるかによって決定
されるのである。
一般的に言って、動作性の大きい動詞が進行形に用いられると、
「集中的」と
いう特性を表わし、動作性の小さい動詞は、
「一時的」という特性を表わすとい
える。例として、wait, live(=reside), resemble という動詞を考えてみよう。
wait は、E をもっており、そしてそれは明確に感じられる。だから wait は、
動作を表わし、その動作性は大である。したがって、be waiting は「集中的」
という特性を表わすことになる。一方、live は、なるほど E をもってはいるが、
あまり明確に意識されない。だから 1ive は、動作を表わすもののその動作性は
小である。したがって、be living は「一時的」という特性を表わすことになる。
最後に、resemble は、E をもっておらず、動作性はゼロということになる。
しかし、この「一時的」という特性には、二つの異なった意味合いがある。
つまり、この特性が、過去に refer する場合と未来に refer する場合とがある。
過去に refer する場合には、進行形によって示される動作が usual なもので
ないということが暗示され、未来に refer する場合には、その動作がもうすぐ
終わるということが暗示される。前者を「非日常的」(unusual)、後者を「終局
的」(ending)と称する。このようにして、
「一時的」という特性は、
「非日常的」
か「終局的」かのいずれか、あるいは両者を表わすことになる。例えば、先ほ
ど「一時的」といった be living は、ある人が、そこに最近移ってきた(「非日
常的」)ということか、ある人が、もうすぐ引越ししようとしている(「終局的」)
ということかのいずれか、あるいはその両者を表わすのである。(パーマー
(1965:98) 参照)

16
また、上で、疑似動作動詞と定義した wear は、動作性の小さい動詞である。
したがって、be wearing は「一時的」、なかでも特に「非日常的」という特性
を表わす。例えば、アレン(1966)は、例文(17)には「パーシーは、昨日は、そ
してたぶんこの数日間、白いシャツを着ていなかったことが暗示されている」
(217 ページ)といっている。

(17) I see Percy is wearing a white shirt today.

この be wearing には、「非日常的」という特性が強くあらわれているので、
(17)においては Percy が、もうすぐ白いシャツをぬぐ(「終局的」)という含み
はない。そしてこの「非日常的」という特性は、(17)では、today という副詞
的語句によって強め(reinforce)られているのである。
最後に、LS 動詞 (空間における位置を表わす動詞)の場合を考えてみよう。
LS 動詞のうち、[+Movable__] という素性をもっているものは、疑似動作動詞
と定義されるということはすでに触れた。ところが、このタイプの動詞は、上
述した同じ疑似動作動詞の wear と比較すると、動作性がより大きいように思
われる。なぜなら、[+Movable__]と指定された LS 動詞の方が wear よりも E
が強く感じられるからである。このようにして、動作性のより小さい wear の
進行形が、
「一時的」とくに「非日常的」という特性を示すのに対して、例えば、
[+Movable__]をもっている stand は進行形に用いられると「集中的」という特
性を示すのである。(つまり、過去にも、未来にも refer せずに「(いま、まさに)
立っている」ということを強調する)

2.2 日英語の副詞的語句
2.2.1 日本語の副詞的語句
さて、次に、日本語の (過去時を示す) 副詞的語句が、「結合(1)」(線状動作
動詞+テイル) や「結合(2)」(点状動作動詞+テイル) にどのような影響を及ぼす
かを探ってみたい。すでに見たように、「結合(1)」は、一次的には「進行相」
を表わしていると解釈され、二次的には「結果状態相」と解釈される。したが
って、「結合(1)」が「結果状態相」を表わすということを明示するためには、
副詞的語句かコンテクスト(situation-context)のいずれかが必要となる。次例
参照。

(18) 太郎は、小説を書いている
(19) 太郎は、去年、小説を書いている

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(20) 雪が降っている [=(5)]
(21) その地方には、先週、大雪が降っている

上記例文は、次のように解釈されよう。

例文 一次的 二次的
(18)(20) 「進行相」 「結果状態相」
(19)(21) 「結果状態相」 ・・・・・

これらの諸例から、
「去年」「先週」などの副詞的語句は、当該の「結合」が
「結果状態相」を表わすということを強調していることがわかる。
「結合(2)
」の場合はどうか。このタイプの結合は、
「結果状態相」を表わす
のだが、これに副詞的語句が挿入されるとどうなるかを見よう。

(22) 太郎は、その仕事をやめている
(23) 太郎は、去年、その仕事をやめている

この場合は、副詞的語句の影響はほとんどなく、(22)と(23)は、アスペクトの
点では、意味はほぼ同一である。

2.2.2 英語の副詞的語句
2.2.2.1 すでに、これまでの考察によって明らかとなっているように、英語に
「構造(1)」(be 十線状動作動詞十 ing) は、一次的には「進行相」を
おいては、
表わしていると解釈され、二次的には、
「近い未来」と解釈される。また一方、
「構造(2)」(be+点状動作動詞+ing) は、「差し迫った未来」か「近い未来」か
のいずれかと解釈される。とすると、「構造(1)」が「近い未来」を表わすとい
うことを明示するためには、未来時を示す副詞的語句か、コンテクストのいず
れかが必要となってくる。次例参照。

(24) I'm watching television this evening.


(25) We're having turkey for lunch tomorrow.

上の例において、もし、this evening なり for lunch tomorrow が挿入されて


いなければ、(24)と(25)は両者とも、一次的に「進行相」と解釈されよう。と
ころが、これらの副詞的語句の存在により、(24)と(25)は「近い未来」を表わ

18
しているとしか解釈されなくなるのである。
他方、「構造(2)」は、このような副詞的語句を必要としないで、差し迫った
未来」か「近い未来」を表わすのだが、注意すべき点がひとつある。それは、
「構造(2)」を組み込んだ文というのは、未来の副詞的語句の挿入により、
「差
し迫った未来」ではなくて、
「近い未来」と解釈されるようになるということで
ある。例を示す。

(26) He's coming to see me tomorrow.


(27) The Smiths are leaving next week.
(28) The plane is taking off at 5.20.

上記の例において、もしも、副詞的語句が付与されていなければ、(26)は、
「近
「近い未来」(be to leave とパラフレーズされる)
い未来」と解釈され、(27)は、
か「差し迫った未来」(be on the point of laving) かのいずれかと解釈され、そ
して(28)は、
「差し迫った未来」と解釈されよう。ところが、副詞的語句の付加
により、(26)--(28)はすべて「近い未来」を表わすようになる。特に、(28)は、
副詞的語句の挿入がなければ、
「近い未来」は表わしえないという意味において
注意すべき例である。

2.2.2.2 英語には、進行形をとることのできる少数の状態動詞がある。ただし、
(29)や(30)のように、それらが、more and more や less and less などの特殊な
副詞的語句と共起するという条件つきでである。

(29) The baby is resembling his father more and more.


(30) It's mattering less and less now.

このような現象は、次のように説明されよう。more and more や 1ess and


less などの副詞的語句は、ある最終段階への漸次的な接近を示す。したがって、
このタイプの副詞的語句は、それらと共起している動詞が状態変更点
(state-changing point) をもつことを要求するのである。このようにして、こ
れらの副詞的語句は、動詞の状態性に影響を与え、状態動詞 (状態変更点をも
っていない) を、その状態の発端を示す点状動作動詞に変える働きをする。今
あげた resemble について言えば、more and more は、resemble という動詞を
点状動作動詞 (つまり、become like) に変えるのである。そうすると、be+
resembling +more and more というのは、 」(be+点状動作動詞+ing) に
「構造(2〉

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非常によく似ているというごとになり、(29)は、
「差し迫った未来」を表わして
いるということになる。
ついでながら、このような副詞的語句と共起さえしていれば、どんな状態動
詞でも進行形をとることができるというわけではないことを付け足しておく。

(31) *Two times four is equaling eight more and more.

以上のようなことから、少数の状態動詞は、more and more や less and less


な ど の 副 詞 的 語 句 の 影 響 を 受 け て 、 動 作 化 (activize) と く に 点 状 動 作 化
(punctualize)されるということができる。
しかしながら、(32)のみならず(33)のような文も検証される。

(32) I'm liking it here more and more.


(33) I'm liking my work.

(33)は、more and more や less and less などの副詞的語句を伴っていない。(34)


も同様である。

(34) I'm thinking you're right.

これら(33)の like や(34)の think などの状態動詞は、今まで述べてきた特殊


な副詞的語句を伴わずして、なぜ進行形をとることができるのか。それは、こ
れらの動詞が「心理的状態」を表わしているからであろう。こうして、like や
think などの動詞は、more and more や less and less などと共起しなくても点
be liking や be thinking は、
状動作化されることになる。したがって、 「構造(2)」
によく似ており、それらは、それぞれ、be beginning to like や be beginning to
think と等価であるということになろう。

2.3 日英語の比較
これまで、日英語のアスペクト・マーカーについていくらか見てきた。ここ
で、日英語の比較を行ない、その主たる差異を指摘したいと思う。
くり返し述べてきたように、日本語における「結合(1)」は、一次的に「進行
相」を表わしていると解釈され、二次的に「結果状態相」と解釈される。これ
に対して、英語における「構造(1)」は、一次的に「進行相」を表わしていると
「食事する」と eat を例にとっ
解釈され、二次的に「近い未来」と解釈される。

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てみよう。

(35) 彼らは食事している
(36) They are eating.

上の例文には、それぞれ下図に示されているように解釈される可能性がある。

I D E
・・・・・・・・・| |・・・・・・・・・・・
S1 S2
英語(二次的) 日(一次的) 日本語(二次的)
英(一次的)

つまり、一次的解釈に関しては、日英語とも、同じ意味領域を表わしている。
他方、日本語における「結合(2)」は、「結果状態相」を表わし、英語におけ
る「構造(2)」は、
「近い未来」か「差し迫った未来」かのいずれかを表わす。
「死
ぬ」と die とを例にとろう。「死んでいる」は、「死ぬ」という点状動作が終わ
ったあとの状態 (つまり、
「結果状態相」) を表わす。これに対して、be dying
は、die という点状動作が始まる直前の状態 (つまり、
「差し迫った未来」) を
表わす。次の図をみてもらおう。

「死ぬ」
die
be dying 死んでいる
I E
・・・・・・・・・| |・・・・・・・・・・・・・・
S1 {I ≒ E} S2

この差異は、どこから来ているのだろうか。これは、次のように考えられよ
う。まず、日英語において、アスペクトを表わす「結合」
「構造」のうちで、
「結
合(1)」
「構造(1)」
(中でも、一次的解釈である「進行相」) が最も根幹的なもの
であり、「結合(2)」「構造(2)」の意味領域は、「結合(1)」「構造(1)」から派生さ
れたものと考えよう。そうすると、上記の差異は、その派生のされ方に求めら
れることになる。つまり、
「結合(2)」
「構造(2)」にあらわれる点状動作は、文字
通り点状であるから、その(根幹的な)「進行相」は表わしえず、意味領域は、

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必然的に、状態を示す S1 か S2 かのどちらかに、いわば「押し出される」こと
になる。そして、この「押し出され方」に違いがあるのであって、日本語の場
合には S2 に、英語の場合には S1 に押し出されるというわけである。
このようなことから、
点状動作動詞にアスペクト・マーカーが与えられると、
その結果、日本語においては、点状動作の{I≒E}が、(I)とみなされる傾向が生
じ、英語においては、それは、
(E)とみなされる傾向が生じる。これは、重要
な差異であり、そして、この「結合(2)」と「構造(2)」の意味領域の差異が、
「結
合(1)」と「構造(1)」の二次的解釈に影響し、その違いとなってあらわれてくる
のである。
(了)

[上記 2 論文の一部を発展させたものが、『意味論から見た語法』(研究社,
1993)に所収の「動詞の状態性をめぐって」(初出は 1978 年)である。]

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