You are on page 1of 7

早稲田大学教育学部 学術研究(国語・国文学編)第56号 29∼35ページ,2008年2月 29

複合辞研究史Ⅵ「複合助詞」の特質

松 木 正 恵

られていた。
1 はじめに
そのような流れを受けて,文法研究が細部の
複合辞研究が新たに体系的・網羅的な段階に 記述を要求する段階に入った1980年代前半に,
入ったのは1980年代である。 「複合辞」という名称を冠した特集が雑誌『日
これまで筆者がまとめてきた研究史1でも明 本語学』(3−101984 明治書院)によって組
らかなように,永野(1953)以降,それを引き まれた。また,砂川(1987)は,日本語教育を
継ぐ形での研究が全くなかったわけではないが, 出発点として,「複合助詞」を概観した研究で,
「複合辞」「複合助詞」に該当する一部の表現を 意味・構文の両面からそれらの特質を考察して
取り上げた部分的な研究であった。また,教育 いる。以下,これらの前後に出された研究につ
科学研究会(教科研)国語部会の独自の形態論 いても随時概観しなから,具体的に紹介してい
に基づく「後置詞」や,生成変形文法(標準理 く。

論)の句構造規則を土台とした「形式副詞」な
21980年代前半までの複合辞関連研究
ども出され,格助詞・接続助詞相当の複合助詞
として扱える表現も数多く見られたが,これら 初期の複合辞関連研究(1960年代)以降,
は,複合辞研究という括り方には収まらないと 1980年代前半に複合辞の特集が組まれるまでの
らえ方である。 間に出された,後置詞・形式副詞以外で,複合
一方,「複合助動詞」については,そのよう 辞に関連した研究と言えるものにまず触れてお
な名称を用いた総括的な研究はなく,モダリティ こう。

と関連づけた文末表現形式−として,個々−の記述 2一一一一一一1…寺村秀夫の研究一 一

が少しずつ見られるようになってきた段階であ 寺村秀夫の一連の研究の中にも,複合辞と関
る。 連した考察が見受けられる。例えば,寺村
日本語教育の分野では,従来文型を一つの単 (1978a)(1978b)などである。
位として扱ってきており,いわゆる学校文法で 寺村(1978a)は,「ところ」という名詞が,
前提となるような文節論に基づく文法指導は行っ 本来の“場所”の意味を失い,全体を視野に入
ていない。そのため,類イ以の文型についてその れながらある一部分にスポットライトを当てる
意味・用法の違いを詳細に記述する必要性に迫 ような用法2に変化している点を指摘した論文
30              複合辞研究史Ⅵ「複合助詞」の特質(松木)

である。「ところ」のみでは複合辞の対象には 2−2 複合助詞に関わるその他の関連研究
ならないが,名詞が形式化する過程は,複合辞 この時期の研究としては,複合助詞的な表現
形成とも密接にかかわっている。接続助詞的に を個別に扱ったものが多い。提題助詞「とは」
機能する「∼ シタ/シティタ ところ,∼」 を記述した此島(1973),接続助詞的表現を取
(順接・時点),「∼ スル/シタ/シテイル/ り上げた,初(1981),李(1983),王(1985),
シティタ/(ヨ)ウトスル ところを/に,∼」 黄(1985)等がある。
(時点),「∼シタところで,∼」(逆接)や,文 しかし,研究史的な位置づけとして特に注目
末表現として用いられる助動詞的な「∼ スル すべきなのは受身文の研究であろう。受身文の
/シタ/シテイル/シティタ/(ヨ)ウトスル 動作主マーカーとして「に」と「によって」が
ところだ。」等は複合辞としても扱える表現で あるが,その使い分けの考察を通して,複合辞
ある。 としての「によって」の特性が浮き彫りにされ
「と_こ_ろ」については,その後,井口(1988), てきたからである。砂川(1984),細川(1986),
川越(1989),籾山(1989),青木(2000)等に 松田(1986),佐伯(1987)等の研究に負うと
よって研究が進められている。 ころが大きい。
また,寺村(1978b)は,連体修飾について 2−3 複合助動詞に関わるその他の関連研究
考察した一連の論文の締めくくりにあたるもの 複合助動詞的な表現を扱ったものとしては,
で,連体修飾節の底の名詞にいわゆる形式名詞 仁田(1981)が可能性・蓋然性を表わす疑似ムー
の類を置いた場合,格助詞や断定辞を後接させ ド形式として,また奥田(1986)が現実・可能・
ることでどのように展開可能か,その分布を示 必然を表す表現として,それぞれ様々な文末表
した詳細な表が付けられている。取り上げられ 現を挙げている。
た底の名詞としては,代表的な「とき」「とこ また,1980年代前半から数多く表れてくるの
ろ」を始め,「うえ」「あいだ」「ため」「せい」 が,「のだ」に関する諸研究である。山口
「はず」「わけ」「よう」「つもり」等の形式名詞 (1975)が早いが,杉村(1980),片山(1980)
や,副助詞的な「かぎり」「だけ」「ほど」「き (1981),小矢野(1981),マクグロイン(1984)
り」等もある。表を一覧することで,格助詞が 等に受け継がれ,さらに,堀口(1985),‘田野
後接して複合接続助詞的に機能しうる表現や, 村(1986),松岡(1987),吉田(1988),山口
断定辞が後接 ̄して文末の複合助動詞的に機能す  ̄(1 ̄989) ̄, ̄ ̄ ̄佐治 ̄(1989), ̄姫野(1 ̄989彿)(1989b),

る表現を抽出することが可能で,大変参考にな 守屋(1989a)等,数多くの論考が出され,議
る。ただ,個々の表現についての成立・不成立 論も活発に行われながら分析を深化させてきた。
の判断については,残念ながら疑問が残る点も これらの集大成として結実した研究が田野村
多い。 (1990)であり,また,「のだ」に二つのタイプ
取り上げた形式名詞の種類は少ないが,同様 を認め,これまでの研究を批判的に引き継いだ
の発想で形式名詞と格助詞の相関を扱った研究 研究として野田(1997)がある。
として,渡部(1995)等もある。 なお,意志・意向表現に着目した考察として
複合辞研究史Ⅵ「複合助詞」の特質(松木)             31

は,石川(1985),小松(1985)等がある。 という表現群の重要性を指摘し,問題提起がな

3 『日本語学』(3巻10号1984年10月 されたという意味で,その後の研究の方向性を
明治書院)の特集「複合辞」 予見させる重要な契機となった。
以上のような研究動向を受け,次第に複合的
4 砂川有里子(1987)の複合助詞
な表現群に注目が集まりつつあった。それらを
広く総称する名称として,当時それほど馴染み 複合辞のうち,複合助詞についてのみ取り上
のなかった「複合辞」を採用し,様々な複合表 げ概観した研究が砂川(1987)である。
現を集めて解説を施したものがこの特集である。 4−1 複合助詞とは何か
扱われている複合辞は,複合格助詞・複合接続 まず「複合助詞とは,複数の語が結び合わさっ
助詞・複合助動詞に相当する表現群である。具 て,全体として1語の助詞に準ずる機能を果た
体的に論文題名と執筆者とを以下に掲げてお すようになった連語のことである。(p.42)」と
く3。 規定し,後置詞というとらえ方とは異なり,永
く複合格助詞〉「∼にとって/∼において/∼ 野(1953)の複合辞と同じ立場であることを前
によって」(野村剛史),「∼について」「∼に 提とする。語構成からは二つに分けられ,「(a)
(へ)かけて」(蔦原伊都子),「∼まで/∼まで 動詞や名詞など,実質的意味を持つ語が,その
に/∼までは/∼にかけて」4(立薗洋子) 実質的意味を失い,形態的に固定化して助詞と
く複合接続助詞〉「∼てから/∼たあと」(岩野 同じような機能を果たすようになったもの(b)
靖則),「∼あいだ/∼あいだに」(鈴藤和子), 複数の助詞が結合して1語の助詞相当になった
「∼するやいなや/∼するがはやいか」(森山卓 もの(p.43)」とし,(a)には「として」「だけ
郎),「∼からは/∼からには」(遠藤織枝), あって」「∼であれ…であれ」,(b)には「から
「∼ものなら」(玉村禎郎),「∼もので/∼もの には」「だけに」の例が挙げられている。
の/∼ものを」(佐竹久仁子),「∼たところで 一語の助詞「ので」「にて」等も元来は複数
/∼たところでは」(宮崎茂子) の助詞が結合してできたものだが,言語使用者
く複合助動詞〉「∼ばかりだ/∼ところだ」(森 の意識としてもはや二語に分割することには抵
山卓郎),「∼にちがいない/∼かもしれない/ 抗がある。一方複合助詞はその結合が相対的に
∼はずだ」(野田尚史),「∼て仕方(仕様)がな 弱く,言語使用者の意識として元の構成要素に
い」丁∼−よりほか−はない/∼より一一(ほかに)仕方 分割を許すレベルであるという。もちろん,そ
がない」(張 蓮華) れはあくまでも相対的なものであり,助詞と複
この特集の記述は,各表現グループ内の意味・ 合助詞との問に明確な線が引けるわけではない
用法の異同に重点があるため,複合辞としての 点にも言及している。
特質や,そもそもどのような表現を複合辞と呼 ただ,一つ問題になるのは,助詞が単に連接
ぶのか,といった根本的な問題には立ち入って しただけの,「北陸では豪雪に悩まされている」
いない。表現の収集方針にも特に一貫性はなく, 「あなたにだけ教えてあげる」のようなもので
寄せ集め的ではあるが,この時期に「複合辞」 ある。これらは,個々の構成要素が担っている
32              複合辞研究史Ⅵ「複合助詞」の特質(松木)

意味の単純な加算に過ぎないため,複数の助詞 述語に立つことも難しくなる。さらに,単独で
が承接したものと扱うべきとしているが,「小 文の成分になれないため,連体修飾を受けるな
型トラックでも運べる」など,その判断が難し どしなければならない。このことは,形式名詞
い表現も多いようである。 との区別とも関わるが,実際には,中間的な性
4−2 複合助詞の特性 格を持った多くの形式が存在し,その振る舞い
では,助詞というものがありながら複合助詞 方は形式によって様々であるため,明確な基準
を使用することの理由,つまり複合助詞の存在 は立てがたいという。動詞の場合は,複数の格
理由はどこにあるのか。砂川(1987)は,「動 支配から特定の格支配へと変化する(どれも主
詞や名詞から派生した形式は,多かれ少なかれ, 格がとれなくなる)とともに,ヴォイス・アス
もとの動詞や名詞の名残を留めており,意味や ペクト・肯否・テンス・ムードなどのカテゴリー
構文の側面で助詞とは異なった働きをすること も不完全となり,活用が制約されることになる。
率ある。(p.44)」.一と述べ,J意味!構文の両面か 以上の考察は,永野(1953)以来顧みられな
ら複合助詞の存在意義を探るべく検証を重ねて かった,複合助詞の全体像を見通した詳細な分
いく。 析であり,複合辞の存在意義を認める上でも,
まず意味の面では,実質的意味を失い関係構 複合辞の特性を抽出する上でも,研究史上大変
成的になるとは言っても,元の意味が完全に失 意義深い指摘である。
われたわけではない。例えば,「に関して」「に 4−3 複合助詞の種類
ついて」「をめぐって」の微妙な意味差(必ず 砂川(1987)は上記の考察を経て,以下のよ
しも言い換えができない)は,元の動詞の実質 うな複合助詞を挙げている。
的意味に拠るものであり,その実質的意味の失 《複合格助詞〉「に応じて」「について」「を通
われ方(あるいは残り方)も,個々の複合助詞 して」「をまって」「として」「∼から…にかけ
によって異なるという。さらにその実質的意味 て」「しだいで」「のもとに」「に対して」
は,助詞が暖味にしか表せない関係的な意味を 《複合接続助詞〉「につれて」「上で」「にあたっ
より明確な形で表すのに貢献する(「友達に告 て」「とすれば」「にせよ」「とはいえ」「という
げ口された」→「友達によって告げ口された」 のに」「だけに」「ところで」
「友達に対して告げ口された」)とともに,助詞 《複合係助詞〉「はといえば」「といえば」「と
によぅては表し得ない関係を表すの ̄にも貢献す いうと」「に見れ ̄ば」 ̄「からいっても」「にした
る(「その実現 へ向けて/*へ 開発を進め がえば」「となると」「∼にせよ…にせよ」「と
る」)としている。 いうか」
一方構文の面では,自立語から付属語へ変化 《複合副助詞》「に限った」
するために,構文的な機能の多くが失われる。 《複合終助詞〉「ものか」「じゃないか」
名詞の場合は,格助詞を後接して述語と種々の
5 関正昭(1989)の評価述定の誘導成分
格関係を結ぶことが可能だが,限られた特定の
格にしか立てなくなり,また指定辞を後接して 関(1989)は,これまでの研究史を踏まえた
複合辞研究史Ⅵ「複合助詞」の特質(松木)             33

上で,品詞諭的・形態論的な複合辞認定論にこ し手の判断の姿勢に関わる陳述副詞の素性も合
だわるより,意味・機能の面から複合助詞を記 わせ持つ複合助詞である(p.170)」と言える。
述することの重要性を指摘した。 複合助詞の機能として,その呼応に着目し,
その一例として挙げられているのが,複合助 評価述定の誘導という側面に光を当てた点は,
詞の一部に「評価述定の誘導成分」としての機 含意とその表現形式の類型化を目指す観点から
能を認める主張である。「評価述定」とは,「話 も大変興味深いと思われる。
者があることがらについて評価を定め述べるこ
6 おわリに
と(p.167)」である。また「誘導成分」とは,
渡辺(1971)に拠る副詞的な成分のことで,述 以上述べたような流れを受け,1980年代後半
語の形式に一定の制約を伴うもの(「決して∼ からは,様々な複合辞関連の研究が発表される
ない」「きっと∼だろう」等)とそうでないも ようになった。例えば複合助詞関係では,条件

の(「あいにく」「確か、隼」等)とがあり,それ 表現華分析した蓮昭(1985)(1987)や,_引用
自体が実質的意義を有する。複合助詞の場合に 形式との関連を述べた藤田(1987),山内(1987),
は,「同じく誘導成分でありながら,述語の形 山口(1987),金(1989),徳田(1989)等の他,
式に制約を加えることもなく,また,複合助詞 河上(1986),沢田(1986),戴(1987),井口
それ自体に実質的な意義もない(p.167)」ため, (1988),石川(1988),超(1989)等,複合接
正確には,渡辺の指摘する誘導成分とは異なる 続助詞関係の論考が多く見られる。複合助動詞
という。 関係では,土屋(1987),備前(1989),守屋
関(1989)が挙げる,評価述定の誘導成分と (1989b)のような,形式名詞を中心とした個
なる複合助詞とは,「ときたら」「ものなら」 別表現の分析の他,“文末名詞”と称する名詞
「のでは」「ひには」「ばかりに」「ところで」 述語文を総合的に記述した新屋(1989)や,認
「くせに」「からといって」(以上はマイナス評 識のムードとして考察した森山(1989)等が注
価を誘導),「だけあって」(プラス評価を誘導), 目される。
「だけに」(プラス・マイナス両方可能)である。 複合辞研究は,1990年代に入る前後から本格
評価誘導の副詞と違い,実質的意義がないため 的に世に問われるようになり,質量ともに充実
にそれだけではプラス評価を誘導する語かマイ した時期を迎える。前掲の諸研究と合わせて,
ナス評価−を誘導する譜かわから一一ない。一一一例え−ば 日一本語の辞的表現に関する分析が飛躍的に深化
「ときたら」は,「とくれば」「となると」と似 していく経緯については,今後の論考で少しず
ているが,熟成度が高い表現で,提題化機能を つ記述していきたい。
担いながら,一方でマイナス評価の予告をす

る5という誘導機能も果たす。言い換えれば,

松木(2004)(2005a)(2005b)(2006a)(2006b)を
「ときたら」は文末述部の評価述定に係る(呼 参照。
1

応している)ということになる。つまり,「「と 青木(2000)では,この点について次のように考察し
ている。
きたら」は係助詞に似た素性を有し,かつ,話
34              複合辞研究史Ⅵ「複合助詞」の特質(松木)

「ある全体を視野にいれる」とは,文脈や場面で, と思うと」「∼か……ないうちに」「∼か……ないかに」」
話者か概念的にある事象の生起空間を話題化してい (在中華人民共和国日本語研修センター紀要『日本語
ると理解でき,「その一部にスポットライトを当て 教育研究論纂』3)
る」とは,生起空間の一つを具体的に取り上げ,特 此島正年(1973)「複合助詞「とは」の解釈」(解釈学会
定化することといえる。全体は文脈の流れの中で話 『解釈』19−12)
題化するので,概念レベル,あるいは語用論的レベ 小松紀子(1985)「意向表現の現れ方 ツモリ・タイ・ウ
ルに属するものであり,一部分は,実際の状況定位 /ヨウを中心にして」(『アメリカ・カナダ11大学連合
のレベルに属するものである。概念レベルで話題化 日本研究センター 紀要』8)
された「全体」から,状況レベルでの「特定化」へ 小矢野哲夫(1981)「「のだ」をめぐる諸問題」(島田勇雄
のダイナミックな運動かくところ〉の基本パターン 先生古稀記念論文集刊行会編『島田勇雄先生古稀記念
である。(pp.83∼84) ことばの論文集』明治書院)
3 ここでは,この特集に掲載されている複合辞を,複合 佐伯哲夫(1987)「受動態動作主マーカー考(上)(下)」
格助詞・複合接続助詞・複合助動詞に分類して示した (『日本語学』6−1・2 明治書院)
ため,本誌の掲載順とは順番か異なる。 佐治圭三(1989)「「∼のだ」の本質を求めて 再び山口任
4 「∼にかけて」は複合格助詞だが,「∼まで/∼までに 也氏に答えて」(『阪大日本語研究』1)
/∼までは」は複合接続助詞としての用法もあり,載 沢田奈保子(1986)「複合接続助詞「うちに」の時を特定
然とは分けられない。 する用法の分類」(現代日本語研究会『ことば』7)
5 「ときたら」がマイナス評価を誘導する点については, 初 玉麟(1981)「どころか その接続と意味の説明・分
藤田(1992)が「オッベルときたらたいしたもんだ」 類をめぐって」(『月刊言語』10−10 大修館書店)
等の反例を挙げて反論し,「極端なもの・並一とおり 新屋映子(1989)「“文末名詞”について」(国語学会『国
でないものという気持ちで提題的にとり上げる」ので 語学』159)
あって,否定的評価も肯定的評価も導くことができる 杉村博文(1980)「「の」「のだ」と「的」「是……的」」
としている。 (『大阪外語大学報』49)
砂川有里子(1984)「くに受身文〉 と くによって受身文〉」
参考文献 (『日本語学』3−7 明治書院)
青木三郎(2000)「くところ〉の文法化」(青木・竹沢編 砂川有里子(1987)「複合助詞について」(日本語教育学会
『空間表現と文法』くろしお出版) 『日本語教育』62)
井口厚夫(1988)「「ところを」に関する考察」(上智大学 関 正昭(1989)「評価述定の誘導成分となる複合助詞に
比較文学部『SophiaInter・nationalReview』10) ついて」(日本語教育学会『日本語教育』68)
石川 守(1985)「「∼てみる」と「∼ようにする」に関す 戴 宝玉(1987)「複合助辞「にしても・にしろ・にした
る一考察」(拓殖大学『語学研究』41) ところで」−接続助詞と限定助詞との関連−」
石川 守(1988)「目的の「ために」と「ように」,及び既 (日本語教育学会『日本語教育』62)
定条件の「たら」,と「て」における自己の意志の問 田野相思温(1986)「命題指定の「の」の用法と機能−
題」(拓殖大学『語学研究』54) 諸説の検討−」(『言語学研究』5)その後,田野村
王 暁宇(1985)「「ものの」は形式名詞だとの説は正しく (1990)に再収録されている。
ない」(在中華人民共和国日本語研修センター紀要 田野村忠温(1990)『現代日本語の文法1−「のだ」の
『日本語教育研究論纂』4) 意味と用法−』和泉書院
奥田靖雄(1986)「現実・可能・必然(上)」(言語学研究 超 順文(1989)「国語辞書に見る「もので」の記述」(吉
会編『ことばの科学 1』むぎ書房) 沢典夫教授追悼論文集編集委員会『吉沢典夫教授追悼
片山恒雄(1980)「「のである」の用法−主として芥川龍 論文集』)
之介の初期小説における−」(解釈学会『解釈』26− 土屋博嗣(1987)「条件節と「∼(という)わけでもない」
___D__ にフいて」‥(『亜細亜大学教養部紀要』36)
片山恒雄(1981)「「のである」と「からである」−小説 寺村秀夫(1978a)「「トコロ」の意味と機能」(大阪大学
における理由表現をめぐって−」(島田勇雄先生古 文学部国文科『語文』34)その後,寺村(1992)に再
稀記念論文集刊行会編『島田勇雄先生古稀記念 こと 収録されている。
ばの論文集』明治書院) 寺村秀夫(1978b)「連体修飾のシンククスと意味−そ
河上誓作(1986)「「マエこ」の前の肯定と否定」(大阪大 の四−」(大阪外国語大学留学生別科『日本語・日
学文学部共同研究論集3『日本語・日本文化研究論集』) 本文化』7)その後,寺村(1992)に再収録されてい
川越菜穂子(1989)「トコログ文の意味と構造 情報のな る。
わぼりとの関連で」(大阪大学『日本学報』8) 寺村秀夫(1992)『寺村秀夫論文集I−日本語文法編
金 銀淑(1989)「連体修飾構造における「トイウ」の意 −』(くろしお出版)
味機能」(東北大学『国語学研究』29) 徳田裕美子「「という」の使われ方の研究」(『東京外国語
黄 蔑華(1985)「「∼や否や」「∼が早いか」「∼した(か) 大学日本語学科年報』11)
複合辞研究史Ⅵ「複合助詞」の特質(松木)            35

永野 賢(1953)「表現文法の問題−複合辞の認定につ 研究費補助金 基盤研究(B)(1)研究成果報告書
いて−」(金田一博士古稀記念論文集刊行会編『金 [課題番号14310194])
田一博士古稀記念言語民俗論叢』 三省堂)その後, 松木正恵(2006a)「複合辞研究史Ⅳ 「後置詞」という
永野(1970)『伝達論にもとづく日本語文法の研究』 とらえ方」(早稲田大学教育学部『学術研究一国語・
(東京堂出版)にも一部再収録されている。 国文学編−』54)
仁田義雄(1981)「可能性・蓋然性を表わす疑似ムード」 松木正恵(2006b)「複合辞研究史Ⅴ 「形式副詞」との
(『国語と国文学』58−5 学燈社) 関連性−山田孝雄から奥津敬一郎まで−」(早稲
野田春美(1997)『「の(だ)」の機能』(くろしお出版) 田大学大学院文学研究科『文学研究科紀要』51)
蓮沼昭子(1985)「「ナラ」と「トスレバ」」(国語学会『国 松田剛丈(1986)「受身文の「によって」」(『大谷女子大国
語学』150) 文』16)
蓮沼昭子(1987)「条件文における日常的推論−「テハ」 籾山洋介(1989)「現代日本語「トコロ」の意味的・統語
と「バ」の選択要因をめぐって−」(日本語教育学 的・文体的特徴」(名古屋工業大外国語教室
会『日本語教育』56) 『Litteratura』10)
備前 徹(1989)「「∼ことだ」の名詞述語文に関する一考 守屋三千代(1989a)「小説の対話文に見られる文末の
察」(『滋賀大学教育学部紀要 人文科学・社会科学・ 「ノ」の用法」(吉沢典夫教授追悼論文集編集委員会
教育科学』39) 『富沢典夫教授追悼論文集』)
姫野伴子(1989a)「「のだ」の機能と用法」(『東京外国語 守屋三千代(1989b)「「モノダ」に関する考察」(『早稲田
大学日本語学科年報』11) 大学日本語研究教育センター紀要』1)
姫野伴子(1989b)「「説明ムード助動詞」について」(吉 森山卓郎(1989)「認識のムードとその周辺」(仁田・益岡
沢典夫教授追悼論文集編集委員会『吉沢典夫教授追悼 編『日本語のモダリティ』 くろしお出版)
論文集』) 山内啓介(1987)「トハ措定とトイウノハ ことばの意味
藤田保幸(1987)「「∼トイウト」「∼トイエバ」と「∼ト のとらえかた」(『愛知大学国文学』27)
イッテ」「∼トイッテモ」−複合辞に関する覚書 山口佳也(1975)「「のだ」の文について」(早稲田大学国
−」(愛知教育大学国語国文学研究室『国語国文学 文学会『国文学研究』56)
報』44)その後,藤田(2000)に改稿・収録されてい 山口佳也(1987)「「からといって」について」(『十文字学
る。 園女子短期大学研究紀要』19)
藤田保幸(1992)「「∼ト釆ル」から「∼ト来タラ」へ」 山口任也(1989)「「のだ」の文のとらえ方」(早稲田大学
(愛知教育大学国語国文学研究室『国語国文学報』50) 文学部紀要』I−37)
その後,藤田(2000)に改稿・収録されている。 吉田茂晃(1988)「ノダ形式の連文論的側面」(神戸大学
藤田保幸(2000)『国語引用構文の研究』(和泉書院) 『国文学研究ノート』21)
細川由紀子(1986)「日本語の受け身文における動作主マー 李 林根(1983)「「あとに」,「あとで」,「あと」及び「あ
カーについて」(国語学会『国語学』144) とから」の特徴について」(在中華人民共和国日本語
堀口和書(1985)「「のだ」の表現性」(天理大学国語国文 研修センター紀要『日本語教育研究論纂』1)
学会『山辺道』29) 渡部 学(1995)「形式名詞と格助詞の相関」(仁田義雄編
マクグロイン・H・直美(1984)「シリーズ・日本語の談 『複文の研究(上)』 くろしお出版)
話分析(4)談話・文章における「のです」の機能」 渡辺 実(1971)『国語構文諭』(塙書房)
(『月刊言語』13−1大修館書店)
松岡 弘(1987)「「のだ」の文・「わけだ」の文に関する 『日本語学』3−10(特集 複合辞)1984年10月(明治書院)
一考察」(一橋大学語学研究室『言語文化』30)
松木正恵(1987)「複合辞の認定−その基準と尺度−」
(『国語学会 昭和62年春季大会要旨集』)
松木正恵(1990)「複合辞の認定基準・尺度設定の試み」
(『早稲田大学日本語研究教育センター紀要』2)
松木正恵(2004)「複合辞研究史I 「複合辞」の提唱
−永野賢の複合辞研究−」(早稲田大学教育学部
『学術研究一国語・国文学福一』52)
松木正恵(2005a)「複合辞研究史Ⅱ 初期の複合辞研究
−水谷修・佐伯哲夫の複合辞研究−」(早稲田大
学教育学部『学術研究一国語・国文学編−』53)
松木正恵(2005b)「分析的傾向と複合辞−複合辞研究
史Ⅲ 田中章夫の通時的研究−」
(『論理的な日本語表現を支える複合辞形式に関する記
述的総合研究』 平成14∼16年度日本学術振興会科学

You might also like