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民族浄化( e
thn
icc
lea
nsi
ng)について
一一ボスニア内戦を念頭に一一

月村太郎*

はじめにーボスニア内戦と民族浄化

ボスニア内戦は 1
992
年春に始まり, 1
995
年11月のデイトン合意(「ボスニ
アにおける和平合意に向けた一般的枠組み J
)締結をもって終了した 1。こ
の間に一躍,人口に謄突した言葉が「民族浄化j であ った 20
ボスニアの主要民族は,ムスリム人 (
1981
年の国勢調査ではボスニアの
人口 4
12万人の 3
9.5
%),セルビア人(3
2.0%),クロアチア人( 1
8.4%)で
ある 。 3民族の言語は殆ど変わらず,宗教はほぼムスリム人がイスラム教
徒,セルピア人がセルピア正教(東方正教)徒,クロアチア人がローマ・
カトリック教徒である 。ボスニア内戦とは大ざっぱに言えば,この 3民族
問の陣取り合戦が基調であった 。
しかしながらボスニア内戦は民族問の暴力的紛争という単純な図式では
理解しきれない。例えばムスリム人主体のボスニア政府は常に多民族的な
外観を保っていたし,逆に政府首脳部においてムスリム人同士の路線対立
が起きたり, 一部が離脱して政府との問で大規模な衝突を起こしたことも
あったのである 。更にセルビア人がボスニアの首都サライェヴォを包囲し
たときに ,包囲された側には,ボス ニア国内では最大のセルピア人コミュ
ニテイが含まれていた。このセルピア人は一方では民族的 同胞か ら砲撃・
銃撃を受け,他方で包囲下のサライェヴォ市内において他の民族から様々
な嫌がらせや圧力を受けていたのである 30
民族浄化 も自民族のためだけとは限らない。例えば,ムス リム人の民兵
の隊長が仲違いのためにクロアチア人側に鞍替えして,ムスリム人を浄化

同志社大学政策学部教員 地域紛争論・バルカン地域研究
32

したことが指摘されている 4。
民族を争点とする内戦(民族紛争)のどれにも このように各民族の陣
営内に,他の民族に対して寛容か否か,出身地域の違い,政治的主導権争
い,経済上の利益の組離などによって様々な意見対立が生ずる 。以上を指
摘した上で,しかし議論を明確にするために,本稿ではボスニア内戦は 3
民族問の陣取り合戦としておこう 。
さてボスニアは殆ど海岸線を持たない。隣国はクロアチア,セルビア,
モンテネグロであり,ボスニア内戦の文脈ではクロアチアとセルビアが重
要である 。何故ならば, 3民族のうちの 2つの母国だからである 。
セルビア人地域と 言われるのはボスニアの東部と西部である 。東部のセ
ルビア人は母国セルピアと接し 西部のセルピア人はクロアチアのセルビ
ア人( 1
981年の国勢調査ではクロアチア人口460万人の 1
1.6%)の地域とサ
ヴァ 川を挟んで、背中合わせである。クロアチア人地域はいずれもクロアチ
アと国境を接しているボスニア北東部と南部であり,ムスリム人は中部に
多いが,セルピア人地域の中での北西端と東部に飛ぴ地があった。また 3
民族の混住状態を呈する地方が各地に存在していた。民族浄化や戦闘が特
に激しかったのは,セルピア人地域におけるムスリム人の飛び地や戦略的
要衝などである 。ムスリム人の飛び地のうち スレブレニツァは民族浄化
の象徴のようになった。スレブレニツァは周囲のムスリム人集落からの避
難民でごった返している中で,セルピア人による攻撃の懸念が高まり,
1
993年 4月の国連安保理決議819によ って国連安全地区に最初に指定され
たのであった。 しかしながらスレブレニツァはセルピア人からの攻撃を受
けて 1
995年 7月に陥落し,その際に数千人のムスリム人が連行されて消え
たのである。ボスニアに展開していた国連保護軍司令官モリヨン
(
Phi
lip
peM
ori
lln)は 1
o 993年 3月からスレブレニツァを訪問して,ムスリ
ム人住民の保護を約束しており 5,スレブレニツァの悲劇はボスニア内戦
における国連の無力さの象徴ともなったのである 。
民族浄化と いう言葉からは,ある民族が民族の大義に基づいて他の民族
を虐殺 ・追放するというイメージが抱かれがちであるが,民族浄化はその
ように単純な構図で理解できるものではない。それでは民族浄化とは一体
何であ ったのか。本稿の目的は,そつした民族浄化について,ボスニア内
戦の事例を念頭にして整理し,現実における多様性を明らかにすることで
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ある 。
まず、民族浄化の定義を行っていこう。

1
. 民族浄化と は何か

) (
(
1 民族)浄化の頻発
民族浄化が起きたのはボスニア内戦に限らない。そして浄化の対象が,
現在我々が使用する意味での「民族」に限らなければ 6,浄化の事例は決
して新しいものではない。古くは古代帝政アッシリアの支配,共和制ロー
レタゴ支配がそれに当たるであろうし
マによるカ l 奴隷貿易の奴隷を確保
するために,ある地区の住民を根こそぎ拘束したり抵抗者を殺害したりす
ることもあった。近現代においても ナチスのホロコーストは言 うに及ば
ず,第二次世界大戦直後の東欧からのドイツ人追放,インドとパキスタン
の独立の際にカシミ ールで見られた大量の住民追放も浄化である。その他,
コンゴやナイジエリア,キプロスやスリランカなど,大規模な暴力的な紛
争が生じていた場所においては ,必ずとい って良い程に ,地域の浄化が見
られるのである 7。
旧ユーゴの領域においても,浄化は 1
990
年代のボ、スニア内戦が初めてで
はない。旧ユーゴの領域では第二次世界大戦中にも大規模な内戦を経験し
ている 。1
990年代の内戦による犠牲者が2
0∼3
0万人であるのに対して 8'
第二次世界大戦中のナチス・ドイツ占領に対する抵抗と内戦による犠牲者
は1
00万人に上るのである 。その際に最も激しい内戦が展開されたのは,
クロアチア独立国の領内であった 9。そこでは「セルピア人狩り」が実行
されていた。
クロアチア独立国教育大臣のブダク(Mi
l
eBud
ak)は 1
941
年 6月のとあ
るパーティの席上で領内のセルビア人の扱いについて ,「セルピア人の 3
分の lを殺害し ,もう 3分の lを追放し,最後の 3分の lにはローマ ・カ
トリックの信仰を強制してクロアチア人へと吸収するだろう 」と 発言し 10,
地域の浄化の方法として殺害,排除, 同化を示唆しているのである 1
10

(
2) 定義
最初に何人かの論者の定義を紹介してみよう 。まずユーゴ国際刑事裁判
3
4

所判事 を務めた多谷千香子は,民族浄化 とは「複数の民族集団が混住する


地域において ,ある特定の民族集団が他の民族集団を強制的に追放したり
殺害することで,その地域を民族的に『純化』すること」と定義している
1
20

次にボスニア内戦直後に民族浄化 に関する代表的な著作を発表したベル
=フイアルコフ(Andr
ewBe
lFia
lk妊)によれば「住民浄化 とは ,エスニ
o
シティ ,宗教,人種,階級または性的選好といったひとつ以上の特徴によ
って区別 された好ましからぬ住民をある特定の領域から計画的,意図的に
追放することである j としている 13。この中でエスニシティを区別の特徴
とした場合を,ベル=フイアルコフによる民族浄化の定義と考えれば良い
であろう 。
更に民族浄化に関する大作も著しているマン(Mic
haelMann)は「エス
ニシティとは共通の祖先と文化 を共有することで,自身を規定したり, 他
者から規定されたりする集団である 。民族浄化 とは,そうしたある集団の
成員が自身のものであると規定している土地から 他の集団を排除する j こ
とと述べている 140
民族浄化に関するこれらの定義に共通することは,ある民族が自身の単
一民族的な領域を創出するために他の民族を殺害 ・追放するという点であ
る。後述するように,民族浄化は必ずしも特定民族の大量虐殺だけを意味
する訳ではない。 しかしながらある領域の単一民族化 という目 的をより 円
滑に達成するために見せしめとするなど,当該民族の成員を殺害すること
は頻繁になされてきたであろう 。

(
3) ジ工ノサイド (
genocide)とエスノサイド (
eth
noc
ide)
次に民族浄化に類似して使用されている用語を簡単に見ておきたい。ま
ずジェノサ イ ドである 。ジェノサ イ ドとはポーランド出身のユダヤ入国際
法学者レムキン( R
aph
ae mkin)がナチス ・ドイツ告発のために 1
lLe 944年
に刊行した著書によって広く知られるようになった言葉であり ,古代ギ リ
シャ語の genos (
「種J
)とラテン語の c
ide (
「殺害J
)を組み合わせたもの
である 15。そしてその 内容は 1
948年1
2月 9日に国連総会において決議され
た「集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約J(ジェノサ イ ド条約)によ
って 明確にされた。
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ジェノサイド条約第 2条によれば,ジェノサイド(集団殺害)とは,「国
民的,人種的,民族的又は宗教的集団を全部又は一部破壊する意図を持っ
てJ(本文),「集団構成員を殺すこと J(a項
) ,「集団構成員に対して重大
な肉体的又は精神的な危害を加えること J(
b項),「全部又は一部に肉体的
破壊をもたらすことを意図した生活条件を集団に対して故意に課するこ
とJ(
c項),「集団内における出生を妨げる ことを 意図する措置を課するこ
とJ(
d項),「集団の児童を他の集団に強制的に移すこと J(
e項)である。
そして第 3条において集団殺害の実行の他に共同謀議,直接かつ公然の教
唆,未遂,共犯( a∼ e項)を処罰するとしたのである 。
民族浄化の定義をジェノサイド条約によるジェノサイドの定義と比較す
ると,次の 2点の違いが明らかとなる。第ーはジェノサイドは「国民的,
人種的,民族的又は宗教的集団」を対象としているのに対して,民族浄化
の対象はその名の知く民族のみである。
第二は犯罪性の法規化の有無である 。ジェノサ イドはジ ェノサイド条約
によって犯罪として規定されており,それが旧ユーゴ国際刑事裁判所
(
ICTY)やルワンダ国際刑事裁判所 (
ICTR),国際刑事裁判所(ICC)の規
定にも犯罪として受け継がれている。それに対して,民族浄化に関しては
明確な規定がないのである 。
第三に両者の相違について,殺害の程度について民族浄化が限定的,ジ
ェノサイドが無限定とする 指摘もある 160
第四にジェノサイドの目的が殺人であるのに対して,民族浄化のそれは
追放であるとする意見もある 170
ジェノサイドがその標的とする集団の成員を物理的に排除することであ
るとしたら,集団の成員を物理的に排除することなく,しかし当該集団の
存在は消滅させるのがエスノサイド( e
thn
oci
de)である 18。エスノサイド
が実行されれば,当該集団の個々の成員は物理的な存在を残したままで他
集団のアイデンティティを受け入れ その結果として本来の集団的アイデ
ンテイテイの消滅がもたらされるのである。強制的な同化と同義で、あると
考えて良かろう。
強制的同化を文化的ジェノサイド(エスノサイド)としてジ、エノサイド
条約に規定するという試みもあったが19,結局のところ,少なくとも国際
法上,エスノサイドはジェノサイドに含まれていない。また違法性が明確
3
6

であるからと 言って,ジェノサイドの意味を過剰に広げることは,ジェノ
サイドの残虐さを稀釈化してしまう可能性もないでははい。 ヨーロッパで
は既にエスノサイドを防止する試みがなされているとされるが20,「浄化J
という結果はともかくとして行為としてのジェノサイドとエスノサイドは
異なる 。

(
4) 多民族地域と民族浄化
地球上の殆どの領域は多民族的である 。であるならば,我々は多民族性
にどのように向き合ってきたのであろうか。そこで次に多民族地域に対す
る方策を幾つかのパターンに分けて,民族浄化をその中に位置付けてみよ
つ。
表 1は当該多民族地域においてそもそも多民族性を根絶しようとするか

単一民族地域を創出しようとするか),それとも維持しようとするかを 一
方の軸に,当該地域の現存の国境または国境に準じた行政単位聞の境界を
変更しようとするか,変更しないままでおこうとするかを他方の軸として
纏めたものである 。
[I]は境界を変更して単一民族地域を建設しようというものである 。こ
の場合に当てはまるのは,当該少数派民族地域の,好むと好まざるとに関
わらず,分離であろう 210 しかし単一民族地域がそれによってすぐに現出
することは考えにくいから,結局のところ,多くの場合に暴力が介在せざ
るを得ない。
[I]
は 当該領域の多民族性を維持したままで境界を変更する場合である 。
この場合で考えられる最近のケースはコソヴォであろうか。1
999年 3月か
ら6月にかけての NA
TO空爆の結果,セルピアはコソヴォ自治州に対する
実効的支配を失った。その後に国連暫定統治機構が管理するという 事態が
継続し,コソヴォは2
008年 2月に独立した。問題となっている地域を国際
的に管理するという方策は暫定的なものである 。ある領域にどの国家の主
権も及ばないという事態が正常であると
表 1 多民族性への対処の方策 は,少なくともここ当面の聞は見なし得
ないであろう 。

相胡
I]は現在の境界を維持しつつ,単一
[I
I
多民族性をト一一
維仔 民族地域を建設しようというものである 。
e
民族浄化 (thn
icc
leans
ing)につ いて(2
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まさに民族浄化である 。ここには一方ではジ ェノサイド,即ちターゲット


とする集団を虐殺したり ,その成員を域外に追放するというやり方 (
排除)
が,他方で集団の成員は域内に居住し続けるが集団そのものを消滅させる
というエスノサイド (
強制的同化)が想定される 。民族浄化 というと ,虐
殺や住民追放に注目がなされがちであり,その種の報道も多いが,単一民
族地域の形成という民族浄化の目 的から考 え れ ば 強 制 的同化 も民族浄化
に含めるべきであろう 。その点は前述のブダクの言からも明らかであるが,
同化についてはいずれ別稿で論じることとして本稿では触れない。
最後に[ I
V]は[ I]∼ [皿
] に比べて望ましいとされる状態が創出さ
れる可能性がより 高い。 しかしながら[ I
V]においても ,多民族性の維持
と民族問の平等(更には多民族主義的状態)の保持との相違には留意しな
I
くてはならない。多数派民族が少数派民族を 差別して扱っても ,[V]に含
まれるのである 。古代王国・帝国時代における奴隷はまさに征服 ・連行さ
, 差別されていた異 「民族j が多かったし ,古典古代のギ リシヤ ,ロー

マにおいても市民と奴隷身分の者とは分けられていた。 リベラル民主制を
別とすれば,民主制下においても多数派民族が少数派民族を差別的に扱い,
それを正当化することは可能である 。そしてこうした覇権的支配が[ I
V]
において,歴史上は最も多く 実行されてきた方策なのである 。
当然ながら,[ I
V]には 当該地域における民族聞の平等 を確保しようとす
る方策も含まれる 。そうした方策のうちで代表的なものは,連邦制,多極
共存制,文化的自治などである 22。これらを考察することは本稿の目的か
ら大きく外れるのでここでは触れないが,共通の問題点として,これらの
方策の導入によるコストの増大がもたらす,少なくとも短期的な行政効率
の低下だけは本稿でも指摘しておきたい。内戦の 当事者の多くが経済的に
後進的であることを想起すれば23,この問題点が当該国家にと って如何に
克服困難なものであるかは容易に理解できるであろう 。

(
5) 行政的民族浄化と暴力的民族浄化
民族浄化 というと ,我々は暴力による 実行を思い浮かべるかもしれない。
確かにこれまで紹介してきた定義においては ,民族浄化は暴力と結びつき
やすい。
しかしながら典型的な民族浄化のやり方である住民追放も ,必ずしも 暴
3
8

力には直結しない。例えば,ボスニア内戦における 一方の当事者セルピア
人共和国大統領のカラジッチ( RadovanK
ara
dzc)に よれば,住民の分離
i
( 追放)には合意による分離と強制による分離の 2パタ
一方の住民の退去 ・
ーンがあるという 24。合意による分離とは,民族浄化 を行う側がそのター
ゲットとなった地方自治体の実権を掌握し,各種政令などを通じて当該集
団の日常生活を行政及び警察権力によって妨害するというものである 。嫌
がらせや脅迫によって,住民が出て行かざるを得ない状態に追い込むので
ある 。これは行政的民族浄化 といって良いであろう(もっともこれとても ,
暴力と全 く無縁であ った訳ではない)。これを 可能にするためには地方 自
治体の実権掌握が必要であり,従ってその地方自治体における多数派住民
であることが行政的浄化の前提条件である。
これに対して,多数派形成ができずに地方自治体の実権を確保できない
場合には ,強制力を行使することになる 。実力行使による住民の殺傷や追
放を行う,暴力的な民族浄化である 。
これまでの記述から,本稿で扱っている民族浄化とはある民族の排除
(大量虐殺,追放)であり ,その方法としては行政的民族浄化と 暴力的民族
浄化があることが分かつた。しかしながら 一般的に民族浄化 を強く印象づ
けているのは暴力を用いた民族浄化である 。そこで本稿でも以下は暴力的
民族浄化 を中心に論を進めていくことにする 。

2
. 民族浄化の実態

) 民族浄化における秩序と無秩序
(
1
暴力的な民族浄化から,我々は如何なるイメージを抱くであろうか。通
常は出先の「兵士j が暴走して,殺人・暴行 ・レイ プ ・略奪・焼き討ちな
どの残虐行為を行ったり 市井の人々が武器を手にとって狂信的に相手に
攻撃をしかけていくという イメージが強いのではなかろうか。 しかしなが
ら民族浄化には別の顔もある 。政治リーダーや軍司令部の指示の下に淡々
と民族浄化が実行されていくというイメージである 。ナチス・ドイツの隊
員がユダヤ 人を粛々と強制収容所に送り込むイメージである 。一般に混乱
の最中の虐殺という 印象が強いルワンダ内戦においですら,地方ではフツ
人の一般民衆が多く参加してツチ人の大量虐殺が行われた一方で, 首都キ
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ガリでは軍精鋭部隊が要人を殺害したという 2つの側面があるのである 25。


何故にそうした事態が生ずるのであろうか。その問いに答えるには,民
族浄化の実行者の実態をまずは見る必要があるだろう。

2) 民族浄化の実行者
(
民族浄化の実行者について ボスニア内戦を例に取って見ていこう 。実
行者は 3つのグループに大きく分けることができる 。民族主義政治家や政
府 ・軍高官,暴力機構の現場の成員,地域の住民である 。
まず ICTYで政治家や政府 ・軍高官も訴追されていることから分かるよ
うに ,ボスニア内戦においても陣取り合戦の中で民族浄化が方針として採
られており,彼らが民族浄化の実行者であることは間違いない 26。セルピ
ア人共和国のカラジッチは言 うまでもなく セルピア大統領ミロシェヴイ
ッチ( S
lobodanM
ilos
evic)は常々セルビア人地域の統ーを主張していたし ,
クロアチア大統領トゥジマン( Fr
anoTudman)との間でボスニア分割の密
j
約も結んでいたという 270
次に民族浄化に参加する暴力機構の現場の成員は更に 二分できる 。一方
の正規軍の兵士や警察官と他方の民兵である 。まず前者について考えてい
こう 。正規軍や警察の構成員が上官の命令に従って暴力的民族浄化に従事
していたケースは当然ある。しかしながらそれに加えて現場の混乱が本来
存在していた正規軍や警察の服務規律の遵守を妨げ,上官が暴力的民族浄
化を禁じたにも拘わらず,部下がそれを無視して暴力的民族浄化 を進めた
という側面も否定できない。特に正規軍についてはボスニア内戦において,
ムスリム人主体のボスニア政府軍,セルピア人のセルピア人共和国軍,ク
ロアチア人のヘルツェグ ・ボスナ・クロアチア人共和国軍はいずれも急ご
しらえであり,これらが全て正規軍であると認めるとしても軍の規律が貫
徹されていたとは考えにくい。しかもセルピア人共和国軍,ヘルツエグ・
ボスナ ・クロアチア人共和国軍の経費を主に負担していたのは ,それぞれ
本国のセルピアとクロアチアである 。更にボスニア国外のセルピア(ユー
ゴ連邦) 28,クロアチアからそれぞれの軍隊が介入してくるのである 。
正規軍ですらそうした状態であったのであるから,軍規律の存在が期待
できない民兵については一層の指揮系統の混乱が十分に類推できる。しか
も民兵を民族浄化に駆り立てた要因が更にいくつもある。まず彼らの中に
4
0

はボスニア外の出身者が多くいたという点である。ボスニアの戦場には多
数の民兵がクロアチアとセルビアから越境してきたのである。次に民兵の
背後には民族主義政治家がパトロンとして存在していることがあった。彼
らは民族主義政治家の指示の下で、民族浄化を行ったこともある 。そしてパ
トロンなき民兵が行うことは,民族浄化という名の下での略奪であった。
最後に,犯罪者すらも民兵に参加していたのである 。
地域の住民については,旧ユーゴの場合,「全人民防衛j体制を採用して
おり 29,国民はみな武器の操作に習熟していた。更に小規模な武器庫が多
数分散していたために武器庫の警護が手薄で、あったことが武器の強奪を容
易にさせ,地域住民の参加を可能にした原因のひとつとして考えられる。
最後に地方自治体の職員など末端の政府関係者はどのように考えたら良
いであろうか。彼らは基本的には行政的民族浄化の主体であり,暴力的民
族浄化と密接に関わり合う立場にはない。
これらの実行者はどのような動機で民族浄化に参加したのであろうか。

(
3) 民族浄化の動機
そもそも民族に関わる利害関心は原初的なものと手段的なものに分けら
れる 30。前者が民族の大義の防衛や実現から生まれてくるのに対して,後
者は民族を唱えることでそれとは別の何らかの政治・経済的利益などの実
現・増大を図ろうとするというものである 。
マンは民族浄化の実行者の動機を 9パターンに分けているが31,その動
機を原初的な利害関心と手段的な利害関心とに二分してみよう 。
原初的な利害関心
C
I
:殺人による浄化の正しさを信じているイデオロギー的実行者
②対象に対する日常的偏見という信念に凝り固まった実行者
③殺人そのものに魅力を感じて参加する 暴力を好む実行者
手段的な利害関心
告物理的に強制されたり脅迫されたりして恐怖を感じている実行者
⑤組織秩序の遵守に より高いキャリアを臨む昇進優先の実行者
@被害者の商売・財産などを略奪するという経済的利益による 実行者
⑦浄化に不参加だと奇人扱いされる組織的権威に拘束される実行者
③同僚から仲間はずれにされることを恐れる仲間重視の実行者
e
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⑨制度化 されたルーチンとして習慣的に浄化 を行う官僚的実行者


マンによる分類は網羅的ではあるが,それだけで民族浄化への参加の実
態を正確に理解することは困難である。民族浄化の現場に存在している集
団的感情の動きの影響があるのである。
先述した民族浄化の実行者の 3グループは①∼⑨のどの動機も採り得る
が,常に集団的感情の動きに囚われていた ,又は少なくともその危険性下
にあったことは明らかである 。勿論のこと,民族主義政治家や政府 ・軍高
官,暴力機構の現場の成員,民族浄化の対象地域の住民のそれぞれにおい
ては,集団的感情の動きによる影響の濃淡があろう 。現場から遠ければ遠
い程,現場の不確かな状況から離れており,それらによる影響は稀釈化 さ
れるであろう 。 3グループの中では民族主義政治家,政府 ・軍高官が最も
現場から離れており,動機も最も合理的であると 言えるかもしれない。 し
かしながら,いくら現場から遠くで民族浄化に参加したとしても,彼らが
合理的な動機に基づく判断を完全に行い得たかは疑問である。
民族主義政治家,政府 ・軍高官と対照的に,集団的感情の動きの影響を
最も強く受けるのが地域の住民である。例えば,地域住民がたとえ民族的
同胞であろうとも,いつ民族浄化の犠牲者になるかは分からないことは前
述した民族浄化実行の動機の多様性から容易に理解できる 。そうなれば,
地域住民は集団的ヒステ リーに囚われやすくなるであろう 32。何故ならば
民族的同胞であることが民族的浄化から逃れられる当然の理由とはならず,
むしろ民族浄化の最も明白な標的は敵対集団の成員ではなく,「民族の大
義Jを支持しなかった同胞集団の成員であると見なされる者だからである
3
30

本来は民族浄化に無縁であった筈の地域住民を民族浄化へと駆り立てて
いった集団的感情の動きをもう少し詳しく見てみよう 。

4) 民族浄化へと向かう集団的感情の動き
(
カウフマン( St
uar
t].Ka
ufm
an)は民族紛争への民衆の動員について ,
エリート主導型と民衆主導型に分けている 340 しかしながらどちらのパタ
ーンであろうとも,動員された民衆を敵対的行動へ導く際の鍵は,安全保
障ジレンマと神話であるとする 350 これに対して ,ムラジ( Kle
jdaMula
j)
は民衆の集団的動員における感情的動因として 3つの要因を指摘している 。
42

即ち,旧来の憎悪,恐怖,地位への怒りである 360
カウフマンが指摘する安全保障ジレンマは冷戦時代の軍拡構造や第一次
世界大戦の開戦原因をリアリズムの立場から説明するために用いられてき
た37。民族紛争の過程において政府の実効支配が崩れたならば,そこに現
出するのは,リアリズムがその立論の前提条件とする無政府状態( a
nar
chy)であるという立場から,安全保障ジレンマが民族紛争の分析に持ち込
まれたのだが38,民族紛争下の国家が国際社会と同等視できるだけの無政
府状態「性」を有しているかは疑問である 390 しかしながら政府の実効支
配が動揺すれば,治安維持が国内の重要なアジェンダとして浮上し,集団
的恐怖が生まれるであろう。それは 複数の民族がある程度固まりながら
しかし入り交じって居住しているという混住状態において一層生じやすい。
勿論,安全保障ジレンマが生じようと,それが民族紛争の激化に直結する
訳ではない。そこで生まれるのが「信頼できる約束事J(
cred
iblecommit-
t)の問題である 40。ボスニア内戦では特にセルピア人が,ボスニア独
men
立によって旧ユーゴの相対的多数派からボスニアの少数派に転落したなら
ば,ボスニア政府が安全を保証するという約束はしても,それが道守はさ
1。
れないであろうという恐怖を感じていた 4
次に「神話J(カウフマン),「旧来の憎悪」(ムラジ)とは,当該当事者
間で生じた大規模な暴力的衝突の存在(の記憶)であり,それにより些細
な静いがかつての衝突を想起させて,過剰反応が起きやすくなるであろう
20 特に以前の衝突を実体験していない世代が多数を占めるようになると,
4

そうした個人的記憶はしばしば集団的神話に置換され,各陣営はより過剰
に反応しやすくなるのである 。
最後の地位への怒りとは,現状の自身への扱いが如何に不公正で、あるか
支 配 被 支 配jの関係が体制変動などで逆転し
という怒りである 。特に 「
てしまうと ,かつての自身と現状とを 比較するという一種の相対的剥奪メ
カニズムが働き ,不公正感は一層増すことになろう 。
勿論のこと,こうした集団的感情の動きが民衆にあろうとも ,民族浄化
が組織 ・継続されるだけの リーダーシップが存在していなくては民族浄化
の発生は困難である 。 しかしながら地域住民が実行者となるには,こうし
た集団的感情を動かすメカニズムがあったと考えることができるのである 。
そして民族浄化の最大の被害者も地域の住民であった。地域住民が一方で
e
民族浄化 (thn
icc
leans
ing)について (
200
9-I
I) 43

は民族浄化の実行者に, 他方ではその被害者になり,しかも民族浄化の動
機や背景は様々である 。 しかしながら鳥服すれば,単一民族地域が確保・
拡大されていく 。そして民族浄化 された地域が残る 。その結果,民族浄化
は軍事的勝利や住民の追放に繋がるだけでなく 戦後にも 回復不能な傷跡
を残すのである 430

3.民族浄化 の遺産
多民族社会においてひとたび民族浄化が実行されれば,その後に多民族
社会を再建することは困難である 。その理由について,政治的,経済的,
社会的次元でボスニアの例で考えてみよう 。まず政治的次元である 。内戦
における暴力が休戦協定によってひとまず止むと ,そこに暫定的休戦ライ
ンがヲ |
かれる 。 しかしながらひとたび画定された休戦ラインは(半)恒久
化 していくことが多い。何故ならば,休戦ラインに従って平和維持活動が
行われ,休戦ラインを挟んでそれぞれの地域で日常的な活動がなされ,暫
定的であった筈の休戦ラインに正当性が付与されてしまうのである 440 ま
してやそのラインに沿って建設された政治体(擬似国家,国内国)の存在
が国際的に黙認されてしまえば,その正当性は更に強化 される 。そのラ イ
ンに歴史的由緒があれば一層であろう 。
ボスニアの場合,主にムスリム人とクロアチア人の地域を統治している
ボスニア連邦とセルビア人共和国という 2つの政治体の政府は,ボスニア
政府よりも広範かつ強力な内政上の権限を有しており,両政治体聞の境界
には検問所こそないが,単なる行政単位問の境界以上の意味を持つ。グル
ジアの南オセチアやアブハジアはソ連崩壊前後に起きた内戦後にロシアの
実質的な管理下に入っている 。アルメニアとアゼルパイジャンの係争地の
ナゴルノ ・カラパフとアルメニアとの関係も同様である 。キプロス北部の
北キプロス ・トルコ人共和国は内戦後にトルコの支援を受け続けているし ,
そもそもコソヴォは国内の行政単位聞の境界が 内戦後の国連暫定統治期
間を経て国際的に承認された国境に昇格した例である 。
これらの例のように ,暫定的分離が(半)恒久化 してしまう事態を防ぐ
には可能な限り早めに当事者間の和解プロセスを始めると共に ,「戦時J経
済 ・社会体制を一日も早く解体させて ,民族主義的な政治を排除しなくて
はならない。ボスニアでは ,国際社会が同国の統ーを担保すべき機関とし
4
4

て設置されている上級代表が政治からの民族主義の排除を目的にボスニア
の内政にしばしば介入してきている 。それが内政干渉としてボスニア民衆
の反感を買うという 事態も起きてきた 4
5。現在では状況は好転していると
はいえ,民族主義的な政治の動きには常に注視が必要であろう 。
次に経済的次元については内戦時からの連続性が指摘できるかもしれな
い。例えば,地方のボスが君臨しているケースが相変わらず散見されるの
であり,このことは内戦時の「戦時経済j体制がボスニアにおいて継続し
ていることを 意味しでもいよう 。
その上にあるいはそれ故に ボスニアの経済的展望は相変わらず厳しい。
貿易収支は一貫 して赤字であり 失業率 も経済が比較的好調な2
007年です
ら28%である 46。戦後復興のコストは莫大である 。ボスニアにとっての頼
りは国際的な支援である 。 しかしながら国際社会は移り気である 。ボスニ
ア和平の後に,コソヴォ空爆,同時多発テロ,アフガニスタン侵攻,イラ
ク戦争 と戦火が続き,その聞に大規模な津波や地震が発生し, 2
008年には
世界的な 金融危機が国際社会を襲っ た。国際社会はニュ ース・バリューの
低いケースには国際支援を出しにくい。納税者 (
即ち有権者)に対して説
明責任を果たしやすい,記憶が鮮明なケースへ支援が集中することは当然、
であろう 。
国際社会の支援ではなく外国資本が進出することも考えられる 。 しかし
ながら外国資本の場合は特に貴重 な天然資源狙いであることが多く,むし
ろ民族主義政治家と結びつく可能性も 高いと考えられる 。
最後に社会的次元についてである 。民族浄化が行われた地域では和解も
難しい。民族浄化は顔見知りによ って実行された場合も多い。この実行者
と被害者との近さが戦後の和解に非常な 障害 となるのである 。

おわりに

表 lの[ NJにあるような方策はコストが高いのに,それを採用する必
NJ と対
要があるのかという 意見が生まれてくるかもしれない。そして [
照的に単一民族地域を建設して それを民族紛争の再発防止という点から
肯定的に評価する 意見がある 。
例えば,北アイルランドとアイルランドを対照し,前者に比べて後者が
民族的な暴力から無縁である理由として民族的に明確な住み分けを挙げ,
民族浄化( e
thn
icc
lea
nsi
ng)につ いて (
200
9-I
I) 4
5

そうした状態を現出するために住民の移動を提唱するのである 47。強制的
移動は認められないが,住民が自発的に移動する インセンテイヴを与え,
移動を承服しない住民は保護しないとする。
住民の分離によって民族紛争の発生が予防できるのであれば,民族浄化
によって既に単一民族化 されている地域をわざわざ多民族状態に戻すこと
はないという意見が出るかもしれない。ましてや民族浄化後の困難な環境
下においてである。こうした意見に対しては 民族浄化が惹起するジェノ
サイドや人道的罪を非難するという道徳的立場からの反論だけで十分であ
ろうか。
西欧発祥の領域的次元重視の 国家主権は国際社会において 自明の前提 と
なり,フランス革命以後に国民形成の過程が世界各地で進められてきた。
西欧発祥の国民国家の建国は,単純化すれば,ある領域を国境で区切り ,
色jに染め上げることである。そして人々
切り取った領土を特定の国民の 「
がその「色Iに強制性をなるべく感じさせないようにするには,可能な限
り伝統の装いを持った文化 を共有させることである 48。政治的共同体であ
る国民と文化などを同ー とする共同体である民族とを符合させようという,
民族国家建国の試み,そしてその手段としての民族浄化は西欧発祥の国民
国家建国におけるひとつのコロラリーである。民族浄化 をその根本から予
防するには,国民国家のあり方の見直しまでもが必要なのである 。

(1) ボスニア内戦の具体的事実は,特に触れない限り,月村太郎『ユーゴ
内戦一政治 リーダーと民族主義』(東京大学出版会,2006年),佐原徹哉
『ボスニア 内戦 グローパリゼーションとカオスの民族化』(有志舎, 2008
年)に拠っている。尚,ボスニアとはボスニア ・ヘルツェゴヴィナの略称、
であり,北部・中部がボスニア,南部がヘルツェゴヴイナである。
(2) ethnicc lea
ns i
ng,現地語(セルビア語,クロアチア語,ボスニア言吾)
では etnickociscenjeである 。
(3) セルビア人共和国の「正規軍」兵士や民兵とサライェヴォに居住して
いたセルビア人とを区別することは戦後のボスニア統一においても重要で
あり,ボスニア大統領イゼトベゴヴイツチ( Al i
jaIze
tbego
vic)も十分に意
i哉していた( A l
ijaI zet
begov
ic,Ize
めegovic
'95.G
ovo
ri,pism
a,i n
ter
vju
i(Sara
je
vo:TKP≫ Sahinpasic≪
),1996,pp.185
- 1
86。

(4) 佐原,前掲, 3 74頁。
(5) LauraS i
lbera ndA ll
anLitt
le,TheDeathofYugos
lavi
a(London:Penguin
4
6

Books,1
996
),p
.26
7.
(6) 本項において用いる「民族」 とはスミス( AnthonyD
.Smith)のエ ト
ニ( ethne)またはエスニック共同体 (
i eth
niccommunity)によるものとす
る。スミスによれば,エトニとは ,個別の名称,血統に関する神話,歴史
的記憶,独自の文化,特定の領域との繋が りを共有し ,何 らかの構成員(少
なくともエリー ト)聞の連帯を要件とする共同体である ( AnthonyD.
Smith,Nationa
lism(Cambridge:P oli
tyPres
s,2 001),p.13)。民族とエ トニと
の差異についての指摘もあるが(塩川伸明『民族とネイシヨン ナショナ
リズムという難問』 (岩波書店, 2008年)),本稿で取り上げる事例におい
てはその差異は大きな影響を与えないと考える。
(7) 現在も浄化と 無縁ではいられな い。パ レスチナでのフ ェン スの建設は
まさにそれに当たろう 。
(8) 最近では大半を占めるボスニア 内戦での犠牲者が1 0万人という 意見も
ある( RobertB ideleuxandI anJef
fri
es,TheBalkans:AP ost-Communi
stHis-
toη( Lo
ndon:R outledge,200
7),p.353 。

(9) クロアチア独立国とは 1 41年 4月に樹立されたナチス・ド イツの飽偏
9
国であり,その版図は現在のクロアチアの殆ど,ボスニア全土,セルピア
北部の一部に及んでいた。
(1
0) AndrewB ell-
Fialkof
f,EthnicC lea
nsin
g(NewY ork
:S t
.M ar
ti n’
sGrif
fin
,
1999),p.45.
(1) ブダクは他の機会にセ ルビア人は「トロイの馬」であると も発言して
1
いるが ( IvoG o
ldstein,H rv
atska1 918-20
08( Z
agreb:E ur
opapr
es sHolding
!
NoviL ibe
r,2008
),p.259) ,彼 自身は民族浄化の計画 ・組織・ 実行には携わ
っていなかった とされる ( ibi
d.,p.255。

(2) 多谷千香子 『
1 「民族浄化j を裁く一旧ユーゴ戦犯法廷の現場から』(岩
波書店, 2005年 ) ,i。
(1
3) Bel l-
Fial
ko, o
妊 p.c
it.
,p .3.
(1
4) Micha elMann,T heD arkSideofDemocra
cy :Eゆl ainin
gEthnicCleansin
g
( C
a m
bridge:CambridgeU niver
sityP r
ess,2005),p.11.
(5) 石田勇治「ジェノサイドへのアプローチー歴史学的比較研究の視点か
1
ら」,黒木英充編『「対テ ロ戦争」の時代の平和構築』(東信堂,2008年 ),
30頁。
(1
6) J acquesSemelin,P u
rifya ndDestr
oy:TheP oli
tic
alU sesofMassacreand
Genocid
e(NewY ork:ColumbiaU niver
sityPres
s ,2007
),p.345.
(1
7) NormanM.N aim ark,Fir
eso fHatr
ed:EthnicC le
ansinginTwentie
th-Ge
n-
furyEurope(Cambridge,Mass.:HarvardUniversityPress,200
1),p.3.
(8) エスノサイドを大量虐殺に含める論者もいる(松村高夫「大量虐殺の
1
e
民族浄化 (th
nicc
lea
nsi
ng)について (
200
9-I
I) 4
7

20世紀」,松村高夫・矢野久編 『
大量虐殺の社会史一戦傑の 20世紀』
( ミネ
ルヴ ァ書房, 2007年 ) ' 6頁)。「エスノサイド」も レムキンが最初に用いた
とされる ( To
tten
,SamuelandPau
lR.Ba
rtro
p,D
ict
ion
aηo fGen
oci
d e(2
vol
s.,
Wes
tpo
rt:GreenwoodPr
ess
),vo
l.1,p
.137。

(
19) 石田,前掲, 35 36頁 。
20) 吉川元 「国際問題としてのマイノ リティ,
( 」 日本国際政治学会編『日
本の国際政治学 2 国境なき国際政治』 (有斐閣,2009年 ) '152頁。
21) 少数派民族が分離,更には独立を希望するケースは想像しやすい。こ
(
れに対して希望しないのに分離させられてしまうケースとしては,少数派
民族をゲッ トー化された地区 に押 し込める場合が考えられる(その後にそ
のまま独立国家となることもあろう) 。
22) 連邦制に関する 最近の研究については,M
( ich
aelBu
rg e
ss,Co岬ip
ara
tive
F
eder
ali
sm:T heoηya ndPra
cti
ce (London: Routledge, 2006); Thomas G.
Hu
eglin and Alan F
e n
na,Compa
rativeF ederalis
m:A S yste
mati
cI nq
uiry
(P
etersb
oroug
h:BroadviewPres,2006)
s を 参照された い。多極共存制の代
表的な唱道者は言うまでもなく レイ プハ ルト ( ArendLijph
art)である(ア
ー レンド・レイフ。 ハ ルト ( 内 山秀夫訳) 『 多元社会のデモクラシー』(三一
書房,1979年 ))。 レイ プハルトの比較的新しい論考までを含めた論集とし

, ArendL ijp
har
t,T h
inki
nga boutDemocracy.・PowerSharingandM ajority
Ru
leinT he
oryandP r
act
ice(London:Routledge,2008),ま た多極共存制の評
価について例えば, RupertT aylo
r,ed,C
. onsocia
tiona
lT heoη:McGar ηa nd
o’
'Le
aryandtheNorth
ernIre
landC o
nfl
ict(London:Routledge,2009)がある 。
文化的自治に関する最近の研究成果については, EphraimNimni,e d.,N a-
t
iona
lC ul
tur
alA utonomyandI t
sC ontemporaηC ri
tic
s(London: Routledge,
2
005
);StevenC.R
oac
h,C
ult
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lAu
ton
omy
,M仇o
ri
tyR
igh
おan
dGl
oba
liz
ati
on
(A
lders
hot:Ashgate,2005
); DavidJ
.SmithandKarlCordell,eds.,C ultu
ral
Auto
no mym白 n tempor
aη Europe(London:Routledge,2008) を参照。
(
23) DonaldL.H orow
itz,E t
hnicG r
oupsi nConf
lict(Berkeley:Universityof
C
ali
for
niaP
res
s,1
985
),p
.28
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sSam-
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l.1Ajヤic
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.2E uro

C
ent
ralAs
ia,an
dO t
herR
egi
ons(WashingtonDC:TheWorldBank),p
.6.
24) 佐原,前掲, 200 201頁
( 。
25) 武内進一 『
( 現代アフリカの紛争と国家ーポストコロニアル家産制国家
(明石書店, 2009年),305頁。
とルワンダ・ジ‘ェノサイド』
26) ボスニア内戦中,民族浄化はセルピ、ア人のみが行っていたという印象
(
4
8

を与えかねない報道が横行していた。 しかしながらムス リム人もクロアチ


ア人も民族浄化 を行っていたという事実は,現在は知識として広く共有さ
れている 。例 えば,2004年 4月20日の数字だが,ICTYが訴追した被告人
103人のうち ,セルピア 人7 3人,クロアチア 人1 9人, ムス リム人 7人 , ア
ルパニア人 4人である(多谷千香子 『 戦争犯罪 と法』 (岩波書店,2006年 )

22頁) 。尚, アルパニア人が含まれているのは, ICTYが扱っている 事案が,
クロアチア内戦,ボスニア内戦の他 にコソヴォ内戦や 2001年のマケドニア
での衝突をも含んでいるためである 。
27) M
( il
osMinic,D o
govor
iuK arado
rdevuopode
liBosneiHerc
egov
ine(Sa
ra-
jev
o:RABIC,1 9
9 8
).
28) ユーゴ連邦 とは旧ユーゴに残留したセ ルビア とモンテネグロが 1
( 992年
4月に後継固として建国したものである 。軍隊はセルピアではなくユーゴ
連邦に属していた。
29) 「全人民防衛」体制 とは「正規軍のほかに一般市民を職場や地域を基
(
君主とする 地域防衛箪に組織し ,侵略が行われた場合には前線と銃後,軍隊
と人民の区別を相対化 し,国全体を 一匹の 『 ハ リネズミ 』 と化す」とい う
ものである ( 木戸姦 『 東欧の政治と国際関係』 ( 有斐閣,1 982年
) '1 08頁)。
30) JamesMcKay
( ,“
'AnExpl
o r
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rySyn
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sofP r
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landM o
bili
zat
ion-
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cPhenomena,Eth
nicandRaci
alStud
ies,
Vol.5
,No.4
(19
82).
(
31) Mann,o p
.c
it.
,p p.27-
29.
32) ここでいうヒステ リーとは,不確かな状況によって生ずる不安による
(
状況の再定義のことである ( ニイル ・J.スメ ルサー(会田彰・木原孝訳)
『集合行動の理論』
(誠信書房,1973年)'1
08頁
)。
33) P
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alK
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,20
02),p
.16
.
34) S
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:TheS
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Ith
aca
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niv
ers
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ress
,20
01,p
) p
.34
-38
.
(
35) カウフマンは「神話によ って惹起された恐怖 」 (エ リー ト主導型) と
「神話と相関関係 にある恐怖」(民衆主導型) と記述 しており ,「 恐怖」も
重要な鍵としているが,他の論者の用いる 「 恐怖」とは異なる限定的なも
のなので,本稿では 「 神話」としておく ( i
bi 。

d.
36) K
( lejd
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tie
th-
Cen
tur
yBalkam(Lanham: Rowman& L
itt
le-
fi
el
d,20
08),pp.142-
147.
37) 土山賞男 『
( 安全保障の国際政治学一焦りと倣り 』 (有斐閣,2004年 )

e
民族浄化 (th
nicc
lea
nsi
ng)につ いて(2
009-I
I) 4
9

1
16-1
31頁

(
38) BarryR “
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E.Brown,e
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(
39) StephenM. S
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.1(
199
6),p
.22.
(
40) K
ols
t回,op.c
it
.,p
p.1
213
.
(
41) 月村太郎 「民族的少数派となる恐怖 旧ユーゴ連邦解体過程における
セルピア人を例としてJ
,『国際政治』第1
49号(2007年
)。
(
42) 月村太郎「体制移行と民族紛争の発生
」 ,日本国際政治学会編『日本
の国際政治学 2 国境なき国際政治』(有斐閣
, 2009年),1
30 1
31頁

(
43) AdamJ
ons,G
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e.・A C
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reh
ens
iveI
ntr
odu
cti
on (London: Rout
l
edg
e,2
006
),p
.12
6.
44) 月村太郎 「ボスニアの 内戦前と内戦後一民族共存の観点か らJ
( ,『 日本
比較政治学会年報』第 3号(2
001年)

(
45) 月村太郎「多民族国家建国の困難 ボスニアを例として」 ,『同志社政
策研究』第 3号 (
2009年)

(
46) h
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47) ChaimD “
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itぁ1999),同様な趣旨のより 一般的な議論として, DavidD .L
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in,N
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tes
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dVi
ole
nce(
Oxf
ord
:Ox
for
dUn
ive
rsi
tyP
res
s,2007
)。
(
48) エリック・ホフ守ズボウム ,テ レンス・レンジ ャー編(前川啓治 ・梶原
Iられた伝統』
景昭ほか訳)『倉J (紀伊闇屋書店,1
992年)

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