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禅仏教からみた HH向O

日V
U 020DOOUH

j[
ノレ5
モ玄
ミシ

ノレ
ニE
岩本明差一


小論の意図するところ
このシンポジウムのテ i マである「宗教と現代世界」は、現実の二つの異なった見方の出逢いを暗示して
禅仏教からみた“experience”

いる。これらは、二つの抽象的概念化というよりも、我々の社会的アイデンティティの構成要素として見な
すことができよう。というのも、そのアイデンティティとは、そもそも意識されるかどうかは別として、宗
教的次元に多少根を下ろすと同時に、また二疋の歴史的コンテクストに置かれているからである。
私はここで、この出逢いの交差点に位置しながら、非常に暖昧に用いられている J毛色 gnF という語

3
と、 そ の 派 生 語 に つ い て 考 察 し た い と 思 う 。 J U
ュ6 0 u という概念は、 一般言語と宗教哲学の両方によっ

0
gg

5
"

て共有され、広範囲に使用されているため、その使用範囲を限定しようとして、たとJえ
aば百、
504

52 宮『広告
一。 F
J立『吉包O宮
(宗教経験)、 H ュgnOH(精神経験)H
、S主
U J ュBoa-色冊目宮
-g -Z宮ュgnou (神秘経験)、 gnュF (根源
的経験)、JEsann nF (究極的経験)というように表現されたりする。そしてそのように表現される場
毎回『g-
つまり人間の本質的願望の達成に適用される時の特殊な意味と、それがより一般的に使用される時の
ム口の、
意味とを区別しようとする数多くの試みがなされてきお。
私は特に、 Jn
一一明
50 。ュgnF という表現によって示されるようなこの語 J毎回『
一H宮 g-nF の含意に、議論
の焦点を合わせたい。この場合、JU425Mを
g修d
飾している Jnz一g gnF がその語
mr は、 その JV6ユ0
の一般的意味範囲を超えていることを示す標識として用いられている。小論ではJo--色
zr。という語の定
義について述べるつもりはないが、プラウドフットは、この点に関して 752 O gmmuの概念にお
包 OEMS -Mユ
ける最も重要な暖昧さは、 Jo zr という語からではなく、Jv
一一o色 方 一nouという語から生じる」 98zRg
n公g 同
唱∞凶一×一〈三)と主張している。
本稿では、その主題についてより詳細に検討する前に、「宗教を経験する仕方言 amC『安司自『g言
明。互応吉岡)」
という表現によって、より正確に記述できる広い意味での JaG55宮
2 号丸
H山 ト狭い意味での Ja百一5。
と、
宮ュgnp との聞に、さらなる区別をなさねばならない。後者が私の主要な関心事である。
2
そのような狭い意味での Jo
--E∞ EF は、個人における深い変容に関わり、大方の場合
52 宮丘町 HB百円紅白}
O宮
Hュ として描写され石。私はH喜
gnp 、朗形
丘町容も
u田詞また、充全ではないことを示したい。ハイデガi

によって与えられた JH宮号旨 F の次の簡潔な定義は、この語の通念が現代的コンテクストにおいてどの
うに理解され得るのか、という間いの仮りの答えとなる。
ごつの J毎回ユ
gnF をするということは、物であれ、人間であれそ
、れ神がで
我あ れ起
々に 、こること
を、 つまりそれが我々に出逢い、我々をくつがえし、我々を変容させるというこ
と0い
JUG255 8 うこの主題は、広く、哲学者と神学者(彼らのうちの大部分はキリスト
ばを専門にしている)の両方によって吟味されてきたが、仏教の
た。
その理由の つは、仏教用語が、 J 毎回zgguの西洋の概念ほど暖昧ではない、
精確な一連の術語li た
とえば三昧、もしくは覚り
il を有しているからであろう。それでは、 Jこ
H旬の。号
8ロ4の観念について再
び議論する目的は何であろうか。私そ はの、 J名目立gsd が、第一に異なった専門分野の聞に、第二に異
なった宗教的研究法の間に、橋を渡す一つの道具として機能し得る、と信じているの
禅仏教からみた“exp叩ence”

議論は、 ありきたりの対比を避けるために、
用心深くなされねばならない。
この目的を達成するために、禅仏教は有益である。禅仏教は、その実践的関心と
用によって、この概念に新しい光を注ぐことのできる、しっかりと根を下ろした伝
ある。今回、禅仏教の伝統が
Ja釘S50H
宮ュgguを過度に強調すると考えられていることに関して、

し、


っかの誤解を取り除くことができればよいと思っている。

0
55
私は主に、曹洞宗の伝統からは道元に、かたや臨済宗の伝統からは白隠の弟子である東嶺に依拠しつつ、
506

Jv℃
n という概念がどのように定められ得るかを検討したい。
OEgBH
しかしながら、私の目的は、人類の共通遺産とされた核心的経験( 880H 宮号ロ8)を発見したいという顕
望のような、古い夢を復活させることではない、ということは断っておかねばならない。我々は、今や以前
よりは謙虚であろう。というのも、 J毛色 ggu が概念や信念とは無関係ではないということ、 そして、
。岡u
田Egg する主体自身によって与えられる解釈が考慮されねばならないフィルターを作っているというこ
とを確認したからである。
実は私は、西国幾多郎や西谷啓治が教鞭をとり、彼らのすぐれた弟子たちが 「京都学派」を継承している
他ならぬその地で、このような主題を扱うことにためらいを感じている。にもかかわらず敢えて取り組もう
とするのは、 JvG
旦 gnF の問題が、東西の境界を超える哲学の確立にとって決定的に重要であるように思
えるからである。
私が(必ずしも答えを用意することなしに)問いかけたい聞いとは
「、仏教の H覚り u を JM司自g F という
『n一
言葉で記述することは、適切であろうか」ということである。この間いは、少なくとも次のような三つの主
要な反論を伴う。
不二の立場では、見る者と見られる者との区別は消え失せてしまう。 にもかかわらず、JMG
包 ggu
という語を使うことは可能なのであろうか。
仏教は、実体的な「自己8(
5 」 の存在を否定する。
l

その場合いったい誰がその経験を担うのであろ
l

うか。
m名
m 目『
g-
の意味で理解されるとしたら、それは、「獲得されるもの
np と い う 語 は 、 「 結 果 」
l
Il

在しない」(無所得)という仏教の古典的真理観と矛盾しないのか。
禅に関する最近の出版物は、社会的あるいは歴史的な面をますます

(あるいは修習) 真の目的は、時々地位を落とされ、無視されることさえある。と
それ
について価値あることは一切語ることができないような何ものかであると
いはまた、意識的であろうとなかろうと、著者がの
仏存教
在の い定わ
を否 すゆ ると「
るこ によ覚っり
て」、
還元主義の立場を取るからである。Jそ
H司れ自
gゆ え
己n F
という語の問題は、極めて重要である。なぜな
ら、もしそれが正しく用いられ、そして理解されない限
nり 、E「
HB )
n人悟
aたり民
を」経と
験いしう
わ(
ような表現は、無意味となるからである。
禅仏教からみた“ex戸rience"

そこでまず、それが仏教用語における似たような概念と結びつき得る
の意味を限定したうえで、禅仏教の著作そ
にれおが
いどての
、ように記述されているか確認してゆく。

0
57
MOH『
B
508

g-gu の定義の概要
JH℃白g F という語は、ギリシャ語のSHR
『n一 玄むに由来する。そしてそのき時、ミミロ自体はp
、 g塁
号。 呂♂
塁。 田】
担問回5
目8立FHnE s S の派生語であるが、その名詞にはまた、 P20SZ包括件。
ロ加を意味する名詞、 §20包ある

いは asnF塁。呂u
田zzac包括主 558 という意味もある。ちなみに、この攻撃的なニュアンスは、ギリシャ
語の吉宮 Hhh
にh相当する立おお(海賊)あるいはσ
ユ加ga (山賊)という語を生んだ。ラテン語の同老町ミミにな
ると、 その動詞の受動的な意味 宮ュgg
grgnH
HO同 と、その能動的な意味 S3 ・吉田uZHg§osaに、明確
に分岐する。同一の語根は、aHnB
℃ 加を意味するラテン語の、qE をさを生み、さらに今度はそれが危
FRME
険というニュアンスをもっ現代語の官忌を生む。従って、諸々の物事を試験し、またそれらによって試験さ
れてきた、物事をよく知っている人は、宮忌
S あるいは日吉ユと言われるのである。
JOMロ
Z?と J525T の間にもまた、密接な関係が存在する。 J rgzT(覚り)に相当する語の一つ
名目
に《証》があるが、それは J 。『 OB
-N F仲 (立証する)のどちらかに翻訳
-F (実現する)あるいは J 。 EPg 丘町田
される。従って『正法眼蔵』「現成公案」の有名な官頭の一節は、次のように翻訳され得る。
)C
『臼 『
gn H(C『司『曲
n目) 号。∞ca-
n 立 z
nm老w♂ふ回件。∞Oロ
吉目弘的
司。-門司。O印
ロO宮
M}
O弘同
司一回目。
OH向
ロO。
四『回∞
目只叶。向。『加}
OM O。
同円。ロ
一 一三宮町四ロ『
MHogg§nEn曲目白σ
色 同ユ
O 同怠
町吉明朗・(仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふ
は、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり)。
Jζ 包 gnF の意味の概要をざっと眺めただ
このように
Jけ でg、

HE npが①蓄積することのできる
実用的な知識としてのJζEggH(ドイツ語の町弐怠ミ晶)と、
②直接知覚すなわち「生きられ(一五色)」
るままの対象との関係としてJの 主主 gnF(ドイツ語のや
ES)とに区別されることがわかる。その現代
的使用の第三の側面は、官『50E (ドイツ語も同ミミミミ)
OH
のそれである。それは主に、科学的理論の妥当性
を証明する手段として考えられている。
明治時代に西洋の哲学用語が日本語へ翻訳された時、本質
1一 八 九 七 )の的
影に響西
のも周と
(に一、八
二つの新しい結合語《経験》と《体験》が
その生両ま
面れ た
的な 意。
味の《点経
で 験》は、
Jζ25戸
相当する。他方《体験》は、「自分自身の体でもって経験している
J℃vB
町n g
立 r
という語は、《実験》と翻訳される。カスリスは、 S最Bマ室初内の二つの
とやなぎ旨との区別に対応す
とる考」 と翻訳す{し山
えて、体験を 45 色白河宮gユnp 市、 日本語でもド
かし
イツ語でもその区別は
そ 、れほどくっきりしたものではないように思える。
禅仏教からみた“experi叩ce”

宗教的実践の枠において
時、にはより明確にng
宮丘町由一白2
河2宮u

と同定されるならば、 私は主に、


し、
意味の J主主 gnF の方に関心がある。
現代の日本ではこの種の経験を説明する時、好んで
ように思えるが、「経験」という語特
もに、 西国幾多郎の哲学において 「純粋経験」
を定義する際には、同
じ「重み」が与えられる。西国のアプローチについては、後に検討したい

509
よさ EgSM の西洋の概念の歴史的背景
510

GE52 日M『
Jo一 Og』nF という概念は、十八世紀の終わり頃に現われた。ドイツのプロテスタントの神学者
たちの聞では、それは、その人が受け入れている教義の理論的前提に依拠することなしに、各人が自身の宗
教を経験していることを強調する手段であった。フリ i ドリッヒ・シュライエルマッハ(一七六八 1 一人三四)
は、デカルト(一五九六 1 一六五O )とカント(一七二四 i 一人O四)が定式化した宗教の形而上学的な議論の
批判に対する反応をも表わしているこの新しい定式化に、先駆的な役割を演じた。
シュライエルマッハは、自著『宗教論』(
CF町、込町』室s長~
、河内怠ミ言込町PE 尋常おき雪き g 芯ミ冬尽き〔宗教に
ついて一それを軽蔑する人のうち、教養ある人に誇る〕)において、彼が形而上学的信念と教会制度の双方からの
独立を目指して Ja釘 552 宮号 SF の自主性を主張している。
哲学の分野では、ジョン・ロック(一六三二 1 一七O四)とジョージ・バークレイ(一六八五 i 一七五三)と
デピット・ヒュ l ム(一七一一 5 一七七六)は、のちに「経験主義」と呼ばれることになる、すなわち合理主
義者の思想との勢力均衡を目的とした運動の創始者であった「
シュライエルマッハは、 Jo
--5加
50毎回『
g一nouの概念を、イギリス経験主義の影響による、というよりは
むしろ、彼が受け継いでいるドイツロマン主義の結果として定式化したように思えるけれども、彼は、経験
の哲学的吟味がすでに十分に達成された時代を生きたのである。私は、思想史のこの段階へ深入りすること
はせず、シユライエルマッハの表現が、二十世紀の初めになされた二
注記するにとどめたい二
。つの業績とは、ウィリアム・ジ
iムェズ (一八四二i 一九一O)の『宗教的経験の
諸相』(豆、さS
ミE ミ.
pbhhcSFE22
-Sn
N)pと、 ルドルフ・オット i (一八六九1 一九三七)
の『聖なるも
の』( hbhpコ
bb隔、社 s)である。
これら二つの書物は、今でも広く読まれて
iムおズり
がJ、n色

z。イ2宮
5 り『ア
g-ムF
n ・
と 呼ジ
び、エ(
オツト iが JCEssrもしくは J℃笠宮丘町毎
g回n『
Fと- 呼ぶものの、現代的な理解を、意識上に、ある
は無意識下に形作ったことは確かであi
るム。
ズジにェついて言えば、彼の影響は日本にまで及び、西国
多郎は彼の『心理学について』(「』悶、 及び豆白老 O『EO 同EB 安司Egg を引用してい
る。もっとも西日は、当初ジェ)ムズの定式化によって刺激されたと
粋経験」 の展開を構想し、表明し出どいうことは注意されねばならない。
より近年では、 ヨアキム・ヴアツク(一八九
3一八九五五)は、歴史的・社会l
的タデ
をより強調しながら、
禅仏教からみた“ex戸rience"

独自にこの概念を統合した。グアツク
Nは 、\
yh 彼
u
Fgの
~A名S
。FESさm 32の中で、「我々はもっと注 ・
意深 く 、 『 町 一
cE応J一毎回ユgnF とその J 岳町四包
Oロ(表現) を区別せねばならない」(巧曲目
H Fh』
u)Cと述べてい
る。ヴアツクは「宗教における諸普遍」を見出そp
うoと
-5-試
5
加認み
可、。
gュ次とに
g 呼列 挙よ
んで すいる
ものの定義のための四つの公式な判断基準
S)」を(
提示問し、
てむ -。
いる
『丘一色。宮ユ gnoは、究極的実在として経験されるものに対する応答である。

1
52

1
5
2

『丘一0側
50一 ロは、究極的実在として把握されるものに対する全的な存在の全的な応答である。
H 宮丘町8
1

1
1

位。5g
02 O gnoは、人がなし得る最も強烈な経験である。
-Mユ
ll


l

『町一一色 O宮
M 号吉田は、実用的である。すなわち、ある要請(
。 g 吉宮邑豆、 つまり人間を行動に駆り
lV

CM
立てる義務( 20gEEEC を意味する。
この定義は不正確であったため、多くの疑問をよび、未解決のままである。またこの定義は、先に言及し
た思想家たちの遺産を表現しているとはいえ、それは明らかに、哲学というよりはむしろ神学の様相を呈し
ている。グアツクが選んだアプローチは、哲学者プラウドフットの批判の的となった。プラウドフットは、
ヴアツクの著作にあまり注意を払うことなく、ヴアツクとオット lを「シュライエルマッハ学者」として分
類している。彼は、「宗教研究における還元主義を排除しようと願う人々は、そのようなアプローチに魅力
を感じるものであるが、この伝統に従う学者たちは、 しばしば彼らが研究している諸現象が方法論的公約
g白書)と矛盾することに気づく」(
(855 - 32ξg ニ這凶一当)と考えている。
グアツクによって提示された枠組は、少なくとも、J丘一色宮
gZ 。号 EF という言葉をその狭い意味で描
写しようとする際に有益である。さらに、ヴアツクはそのような最初の試みの限界をも知っていた。「次の
小論の著者は、数世代に渡る真撃な学者・思想家たちの協力と不断の努力を必要とする要求を満たすような、
S52 )と述べているのである。従って現代の
プログラムもしくは体系を提示することは約束できない」(者
学者は、仏教研究に特有な立場が、 Jo--0包
5 提唱四g ouの概念のこのような再定式化に貢献し得るかどう
『n一
jrij ヨ
M積
冷同 W ie
ふvりをFJ午
U 33
かを 確 認 せ ね ば な ら な い 。
四仏教とよさ Eggu の観念
では、先に掲げた第一の反論に戻ろう。その反 J唱論
H2
。と『

8-
と、
8しそても記そ
述も仏教
できるのか、ということである。J
とMい
6う の5
R5 も0
は 、
、8 回毎
PHEng回gユと
H w
吾OO宮g
H
ユno とpの、
ある二元性を含んでいそうだからである。一 こニの 反論に関しては、まず、
アン・スマートの業績に触れね
ばな ら な い 。
彼は、「完全に自分とは異なった存在と
Egのg出
Z逢0宮
5い
ユ2を
ggと意、味 す るo

s主u一
g-
o 唱
Hzgg
とを区別するよう提案する。「神秘体験とは、対照的に、〈
むしろ、心のある崇高な状態の内3的
皇達
5 右成
足で斗あどる
と」。このような立場から、次のように主
禅仏教からみた“ex戸:rience"

できる。「(道教やヒンズー教などのユ 変ダ
種ヤも教含やめ
イてス)
ラム仏教
教のによ
はう、
な預言的宗教とも
キりスト教のような預一言ロ者に関係する宗教とも異なっ
05
『g一 が、・宮
提唱町g 5 丘町胆可であるのに対して、後者の最も特徴的なそれは、ゴ
ZSE-
EなMのであ3
る5」az

唱吋曲一
J -)ル」。
この区別は、
国有の伝統の特徴を強調するのには有益であるが「
、最ジ メロが後に

3
も特徴

1
5
的な仏教の 宮ュgg をヨ可制丘町田-と呼ぶのは、若干不正確である」(同、コ凶)。彼はさらに主張する。「極め
4

OM
1
5

重要な条件を付けることなしに、広く受け入れられた神秘主義の定義であれ、記述であれ、それらを仏教の
修行に適用することは困難である」(問、 33 と。その主張を正当化するために、ジメロは、仏教の膜想を、
E 静まること)と品u凡
hHH(
缶、誌 p できぬ(識別)とのよく均衡のとれた結合として提示する。彼は、この二つの膜
想の側面についての伝統的な記述を説明したあとで、「因襲的に理解されているような
S可色白色
ζ。 は、
nagg
仏教の膜想の二つの主要な要素の一方〔静まること〕一にのみ密接に対応している5
」8(と
同結論づける。
これは、その問題のもつ最も困難な側面の一つに通じている。ジメロははっきりJ
と毎、回ユ
gnF という
語を、 hSST -膜想者が修行中に味わう投入 114 の非日常的諸経験と関連づける。実際それらは、たと
えいかに深かろうと、潜在的に人を誤らせる危険性がある。そしてあらゆる膜想に関する文献は、それらに
執着することを戒めており、そのような諸現象を「魔境」として扱ったりする。 しかしながら、ジメロは、
問題はたやすく解決されないことに気づいている。この点、彼の主張は、細心の注意を払って考察せねばな
らない。
仏教は、我々が議論した膜想の両方の要素が、悟り、あるいは解脱への「道h
言a)
a」に属しているこ
とを認めている。そうであるなら、仏教の真のHBU『闘民
gg主 と唱
u提 は。
、ュ静まることでも識別するこ
それ自体、すなわち道の目的ということになるのではなかろうか。
とでもなく、むしろ悟り(宮 aFC
(中路)
解脱(唱さpeaさrミ hSF守as・
h s・)は、全仏教を通じて、HgE
戸OUM
宮忌F
『-050
と8いう言葉で通常一不され
るような類の事ではない、という仮説を私は立てている。しかしながら、上座部、あるいは「
教の場合には、そのような仮説を証明することは困難である。その困難さは、おそらく上座
繋を定義することを拒絶しているか、もしくは定義できないことと関係しているのであろう。
しかしながら大乗仏教の場合には、私の仮説はもっと容易に実証され得る。それを実証する
大乗の解脱の目的{ふつうは浬繋というより菩提)は、決J
しH宮
て号何Sら
Fかの
で はない、という普
遍的な大乗の主張にある。そうであるなら、それはいかにmし
gて丘、
u a
町己認可o。
SユF たり得ょうか。
大乗の悟りとは、むしろ生活方法・行動様式・行為の仕方であると
S言C)わ
。 れる(問、
以上、私がジメロの論文から長く引用したのも、彼だけがここで議論しているような問題を
ほとんど唯一の研究者であるように思えるからである。彼の論拠は明確に十分に8
示5さ
忌uれ
sr
- ており、私も
という語に対して彼がつけた条件のほとんどに同意している。しかしながら、彼の「生活方法」
禅仏教からみた“experience"

りの記述は完全に納得のいくものではなく、またそれ以外の重大な哲学的問題は、菩提(覚り)が
に扱われるかに か か っ て い る 、 と 私 は
v 考えてい《引
それが実践者におこっている「変容」の事実を説明しな
い限り、それは抽象レベルにとどまる。今後、仏教学者たちは、禅系文献それ自体を考慮しな
を正しい位置に置くことを問題にしなければならないだろう。
仏教において使われているようなJH宮号 RF という言葉に関して、さらに述べておかなければならない

515
『58M)、あるいは「非日常的」状態とし
516

ことがある。それは、ジメロによって喚起される経験( 2DEan駕H
て把握されているように思える仕方とは対照的に、中性的な含みで用いられる場合がある。ジメロのこのよ
うな考えは、《験》という漢字によって最もよく表現され、それは、《霊験》(吉祥)という結合語と同じよう
に、「しるし・顕れ・あかし」を意味する。
当初の聞いに戻って、何ものかに気づくようになる(もしくは、あることを「経験していJる
H司」自g
己o -?
-)と
d
いう単純な事実を記述するために、仏教文献における用語のいくつかを見ることにしよう。
一no (唱『喜白E白)は、知識の根本
宮『g
OM Q基5準
58とであるという説は、インドでは一般的であったよう
に思える(∞ag ・ ・ B )。
M8 2 ・
-ニま∞一凶
これの一つの帰結は、抽象に対する懐疑である。というのは、「身体へもたらされない教義上の真理は、拡
散することによって、誤った、もしくは外道の見解に堕落しやすいからである」(回認さ-g
ニb唱c 。、
shESa
という語をもう少し調べてみると、主に 三 gomE0(
H
8 眼前にみること、ーの目撃)の意味で用いられることが
わかる( maESS3 一当品}。《現前》「現われること」(
32中一
村己管}・《現量》「直証
{問」、=cs・《明見》
「はっきりと知ること」(問、ロロヨ)という漢訳は、同様の意味を持っている。
《現前》という結合語は、『無量寿経』におけるように、しばしば何か新しいものの出来と関連して用いら
れる。その経では、衆生が無上の真の道を実現するよう激励するという事実は、通常の道徳やあらゆる段階
(宰ロヨ)の修習を越えていると言われ、そして〔真の道が〕顕れるにいたった〔時〕、人は普賢の功徳を修行
し学ぶと言われる 2 ・-NZ0・ωき唱・ )。禅文献においては、《現前》は主に新しい状態の出現を表わす。
MgZM
たとえば、道元が『普勧坐禅儀』の中で、坐禅を実践することによって、「自然に身心脱落
現前 せ ん 」 (
HSZ0 ZS立国一玉城 ss …uo
・Nug唱- 及び∞互同宣告sgL ぷ参照)と述べていることが一例とな
ろう。
東嶺円慈(一七二一1一七九二)もまた、参究底の心(修行を深めようとする意志)さえ捨てるときに
ことについて、生き生きとした説明を与えている。「気息も亦た将に絶せんとす、是
22Z0 ・Nua唱・凶器昌宏・白宕)と。
J毎回『
0- に近いもう一つの用語は4
504 、82DT
(感情)もしくは新しい15 o一p (印象)を示す、サ
官窃回
ンスクリット語のき忌言語である。
エジャ トンは一例として、~。窓さま号室ミ号札?という
i
J表U現
Z
宅mを 挙
q同
o認げ可
、目g立
aagREq
-p-u(世
俗の生活を経験することによって)
E(凹2233 沿どと翻訳している。パ ip 語のむき宰ミga は、目当Roga
禅仏教からみた“experience”

(知覚から得た意識)という意味をもっ《自覚知》と漢訳される(
UD中
-o村2田
5泊 三の
言語 一も凶
う一つの漢
訳は《受》であり、 それは五謹(「人」を構成する五つの集合)の第二番目である感受(高是包)の
なる。その意味では、き忌言語 Hま
R たは、有 aq-塁 という語形も取る(間前hSFZNE)。
SEshh
中国独自の用法の中に、《体取》という結合語がある。それは『Z 六0
・祖N壇
S白経u
唱-』u(
=片
r 品現卸
)に
われ、パズウェルはそれを 提唱団g

517
ユnFと翻訳している。この結合語はニ文字から成るが、それらは個々に
H
は、「身体(体ごと「取ること(取ごを意味する。しかしこの結合語では、第二文字自の《取》は《体》と
518

いう動詞を強める接尾辞として用いられている。それは、現代中国語の《体会》のように、「ーについ
知している」ことを意味する。他にもこの種のd例
「西は洋た
語Jくζさ
o号ん
SFあと
る非が
常に密接な
関係をもっ語がいくつかあったとしても、それの真の対応語は存在しないように思える」という私の最初の
結論を例証するには、これらわずかの例でこと足りるであろう。
吾 RS胆というような術語と、その西洋言語への翻訳に直面した場合と、状況は逆であるように思える。
呂田の場合には、 その語の意味の多様性と幅広い含みは正確に翻訳することを不可能にし
azR す かる
し。、
旬。g
JH ュBM の場合には、東洋諸言語に対応語を求めれば、S一
ミ・ SSF (
H4ZFE
-On司 目あ
H 自己8 白りありとした経験)・
Ha H司自g 感受された経験〉・《験》言。一三g品
己no g者不自
思己 唱
議な経験)・《体取》(ぎ0生
M可。・
ュ 8 身体的
aてu(狩Z-
=宜主ね S
経験)といったような、より狭い、より正確な意味をもった言葉のみが得ら
JれME
目 るZ
色。町岡M田
O gnF とい

う意味に最も近い語は、後述する Jzg釘’
gnF提唱相g
ユ きという術語かもしれない。
ga 宮、bξ
伝統的な仏教の教育を受けている思想家が、 ュga を、西洋哲学などによって担造された人工的概
JM旬。g
念であると見なしたとしても無理はない。そして実際、皮肉にも経験世界には、それに対応する何も存
がM司自S立OONという概念を明確にするのに役立
ないのである。さて、私はここで禅仏教に目を転じ、それJ
つであろうような他の要素を与えるかどうか、検討したい。
禅仏教とその微妙な 安
w
志ュgop の記述

私は、「禅」は仏教から切り離すことができないと主張し、禅仏教
Ng{∞ESZS)という言葉を使ってき
た。このことは、西洋の傾向に反する。西洋では、禅宗を禅宗たらしめている多くのものが仏教の伝統のど
こかにその起源をもっということをいとも簡単に忘れてしまい、それを「何か特殊なもの」にすることに
よって、禅を仏教のコンテクストから切り離そうとしている。禅の伝統は合理的な表E
現E(
ZE ロ)の範囲
を越えているという主張を受け入れるわけにはいかない。カスリスが指摘しているように、禅仏教は弟子た
ちの 「直接経験250円安司自
g己g)」に訴える傾向があるが、それは禅仏教の独創ではない。実際
ほ、とんど
の宗教的な道に共通である。
従って、 アジアの思想家たちは議論の必要を感じなかったのであろうという説もまた、誤りであり、却下
されるべきである。禅仏教の伝統において合理的な説明がしばしば無視されるのは事実であるが、それは単
禅仏教からみた“experience"

に「そのような説明が禅仏教が登場したまさにその頃に有力であった諸伝統によってすでに提示されていた」
(穴
gEZSELU )からにすぎない。カスリスは、中観仏教と道教との組織立てと、禅の伝統との聞に存在す
る密接なつながりを指摘している。このつながりはJ他の仏教諸学派を含み得るほどに広げられるべきであ

9
大方の中国の学派と同様に、後に受けた直接の影響は大部分が天台と華厳の教学からであったとしても、

1
5
520

中観派と磁伽行派というインドの哲学的伝統は、禅仏教「
が理依
論拠的する宰二
支柱 つの
gEE 一亘書)」
であると考えられる。
華厳の影響のうちで、李通玄(六1三
七五三 O)の重要性は、ジメロによって指摘されてきた( Esazsg )。
李通玄の著作には、《見性8
》5(m

- 〔
200ESREOEE B自分の本性を見極めること〕と翻訳されることがある)
いう術語の初期の使用の好例がみられ、その語は、私の以下の議論において重
う語の形成と使用は、通常、六祖慧能大
1鑑七(
二一六一三
)八に帰せらMVそれはまた『華厳合論』中に
れる
も見出さ札口山「李通玄によって提示された華厳の教説に つ
1 一 い一O)
一一 てにの
よる、韓知
国の訪(一一五八
評価は、示唆的である。知訪は次のように考察する。李通玄は記述的なレベ
よる発展においては、華厳の完全な教えは直接の膜想的経験(宰をき宮島
た知識や概念的理解に依拠している」5( 三富∞一区ごと。
5 ∞
浬繋から《見性》まで、「覚り」に関する仏教用語の展開は広範囲にわた
しかしながら《見性》という語は、中国・臼本の用語がいかに正確であ
範囲を越えている。
事な実例である。つまり《見性》という結合語は、「見ること」を意味す
という漢字から成るが、後者《性》は「仏性」もしくは「本性」の
結合語を「見ることは、性以外の何ものでもない(見即是位ごという解
なわち見る人とその人が見ているものが分かれていないのである。
これが、《見性》は西洋諸語へ翻訳されない方がよい、という一番大きな理由である。《見性》は、それが
(= Ea-きを示す限り、 JV6ユ0
gnF という語が使われ得るかどうかということに人がいかに注意深

g -
くあらねばならないかを示している。その性質が通常の知覚経験と異なっていることを明示するために、主
観と客観との簡にいかなる区別も残っていないという意味で、厳密にはそれは非経験である、と一一一一回われるべ
きである。その点、接頭辞 H2・uが落とされたぜ qRRF という新語は、有用である。
私は、臨済系の伝統における《見性》に帰せられる場と、曹洞系のアプローチにおけるそれに対応するも
のに関して、二、三意見を述べたい。現代の臨済の出家修行において、現存する考え方を理解するための中
心用語は、《向上》である。それは大雑把に翻訳すれば、ぷE
包H括(
宮ー司
を。越えていくこと)である。西洋
の研究においてはめったに扱われることのない修行のこの段階は、第三の反論として掲げられた「無所得」
という真理観がどのレベルに位置するのかを理解するうえで、非常に重要である。
東嶺の『宗門無尽灯論』は、摂想修習の道の進展にともなって出逢う様々な様相について非常に詳細に説
禅仏教からみた“experience”

明する。「実証」(という)章は、東嶺の主要点の最初の節目となる。そこで《見性》は、新しい誕生のため
の《大死》 dBaanay
という伝統的イメージによって記述される。 つまり「時節到来すれば、忽然として
落節して此の消息を知る。是れを隙崖に手を撤して絶後に再び蘇ると謂う」と。その瞬間の即時性は、《忽
然》という語によって強調され、 それはしばしば、《大悟》H句 gHgErg-ロ?という結合語とともに用いら

1
れている。

2
5
即時性はまた、その瞬間が他の昏 RS自のようにはかなく、無常に支配されていることをも意味している。
2
52

これが、東嶺がそこに留まってはならないと主張する理由である。言い換えるなら、諸現象聞の根源的平等
性の最初の自覚には、差別性の再発見が続かなければならないのである。《見性》は、なるほど、道の転換
点として記述されるが、決して最終的な到達点として提示されることはない。それどころか、それは、東嶺
の見地からすれば、真の実践の出発点、すなわち実際上の「入門」であるように思われる。
当然、このことは、「本覚(Oユ恒星O-
E-F加 」Cについての仏教の教説と完全に一致している。たとえば
REES
『浬繋経』では、「発心と暴寛との二つは別A
なら2・と熟考されている。有情は、つねに覚っているのである
から、覚りは新しい状態の獲得ではなく、その「個人的確認もしくは立証」宮号。きなき守ミ言究室号主主言)
なのである。東嶺は修行者たちに、「〔覚りを〕得たという思いを生じること(己得心ごを避けるように力説
するのみでなく、精神的な道の軌跡が完全に消滅する点にまで、《見性》後も修行(傷後修行)を進めるよう
に力説する。道元もまた、修習と立証が同じ次元にある(修証一等)と述べて、同様の考えを表明している。
この点までは人は、司会.Jま
E可むさお型の論理の範囲内にある。その論理においては色が空であるのみなら
ず、空が色でもある。この論理はまた、修習によって通過されねばならない。そしてこの通過は、《向上》と
いう術語に一致する。それは、臨済宗において公案修行の一段階として言及され、東嶺によって叙述されて
いる。彼は言う。「夫の向上の一著に於て、別に生涯有ることを示す。夫れ我が禅宗の諸宗に冠たる所以は、
正に此の些一子を伝うるを以てなり」(吋・Z
回0・
目NS凶唱- MV凶
uS曲 N )と。西村氏はこの段階において、「それまで
進められてきた修行の深化が一挙に払拭される」と主張し、現代的に定式化している。そしてさらに「第
の宗教体験というべきものが要求される」(S西
S村一目個・当唱)と付け加えている。
HOB
Magsuという語のより厳密な使用に向けて


J、
...

今や、いくつかの結論を引き出し得る。もし
J告白『
g一nF という語が禅仏教の修行のコンテクストで使用
されるなら、それは《見性》と関係せざるを得ない。しかしながら《見性》は、悟りの過程における特
「瞬間」にすぎない。それは、何らかの静的なものではなく、またg
「a獲
z得 さ得れ
z」
e な(い。見性と同
時に起こる最初の突破は、深められ、広げられ、注意深く統一されねばな
(東ら嶺な
はいこの過程に「受用」
という術語を用いる)。最初の《見性》が、いかに圧倒的なものであったとしても、その不完全さは、『法華経
A
では化城(幻の街)に喰え らM修
v行者はそれを究極の達成と間違えないように戒められる。
禅仏教からみた“experience"

このことは、新しい自覚のどんな特別な瞬間よりも「過程全体」が強調されねばならないという事実を物
語っている。東嶺は次に、もし人が、(一切衆生のために修行するという菩薩の誓願も含めて)正しい目的
しないとしたら、「設い那箇微妙の道有って之れを成就すとも、畢寛三乗の得果を出でず。是の故に大見小
見一切の証道を総摂して、束ねて現境問中に収むH」
22(0 ZES と主張する。そのような化
芯司・凶当
・NU

3
域や現境(人を惑わす状態)は、道における方便であり、本物のガイドは旅行者をそのような産気楼に

2
5
ませないであろう。他方で、最初の自覚( 255g )は、実存的には、束縛からの決定的な解放に相当する
524

ことは否定できない。しかしながら、そのような変貌を遂げた個人の観点からは、それは、正しい視野で知
覚され、深められねばならない。このことが《没踏跡》
ga(E偶者 58 )の強調につながるのである。
《見性》という語の意味を定義する最も建設的な方法は、それを「視座」(
S司 自主活)の根本的変化と見な
すことであるかもしれない。西洋における禅仏教についての誤解のいくつかが鈴木大拙に責任があると考え
る傾向があったとしても、彼がこの出来事の記述の基礎を議伽行派の術語、とりわけ意識におけ
Jzるg吉∞
znF 《転》(司貨を刊さについて説く『楊伽経』で使われるような術語に置いたことは、確かに正しかった。
このような術語を使う JH宮丘町 の記述ほ、実体的な自己の不在と
POOH J毛色 gnF の実在との聞の明かな
矛盾に対する第二の反論に答えるために有効である。
つまり議伽行派の観点からすれば、人の本性の自覚を
可能にするのは、第七識玄室宇尋.まき単に自我意識〔E
0・自E明
〕と呼べるもの)というフィルターの消滅に他な
らないのである。
Fもしくは《大死》における)思考している主体の忘却とは、厳密には、意
言い換えるなら、(最も深い室主a叩
よみがえ
識の視座が逆転され得る(もしくは、蘇る)状態である。もしそれが一つの
JH宮ュgnF と見なされるなら、
それは「さやの中の自己( 058邑箆 aE2 と、「外に向けられた自己(白2 」との聞の移行を味わ
書02aEO
うことであろう。もっと単純に言えば、それは意識が開けというその本来の状態に戻ることであろう。その
聞けにおいては、小さな自我はもはや中心ではない。
仏教教義の立場からは、現実には少なくとも肉体的な死に至るまでは、習慣性のた
ままであるとは言え、それを実体的な自己という迷妄の消滅として描写できるであろう。
達成が、完全な「経験の不在」としても描写され得ることに着目すべきである。「知覚
止誠( hahg志B、eE ・ミ、s
。aぇ)を特徴とする膜想の段階は、『純粋経験』を表わしていると誤解されることが
るが、それは、人がまったく経験を欠いた状態であるg」
白宗石当包
日N吾U
)各。
視座は変化した。すなわち移行がおこる以前は、迷妄と覚り(迷悟)という点から語るこ
たが、後には、より低い程度であれ、より高い程度であれ、実現された覚りのみが残っている
記述は臨済宗と曹洞宗とに共通してみられるが、そのような視座の変容を通過する必要性は
それをより全体的な視座に位置付けることによって抑制されている。
ウィリアム・ジェ i ムズはお ε -ognH宮『g
-ng の型を 888・
gsu と, z-
8・gsu に分類していたが、

ノ、
イヤ!スは全く異なったコンテクストでその発想を臨済宗と曹洞宗にあてはめようとして、
禅仏教からみた“experi四ce"

略化 し て し ま っ た ( 耳 目
aSS )。彼のこの種のやり方によって、我々は、真の臨済宗の修行が「見性のよう
な経験(なさ』やさ両望書ミの
)」みを修行の目的としていないことを、否応なしに再確認させられる。この
問題についての臨済宗の解釈は、道元の立場にかなり近づく。彼は「実現に基づいて〔なさ
上の修ごについては語るが、その逆は語らないのである(『正法眼蔵』
Z0
・「N弁
忠司
U 道-話
zs」s同
。巴
つま
り重要なのは、解脱の全過程であり、その過程の中の特別な瞬間なのではない。

2
55
これを「漸悟主義」 の一形態と誤解してはならない。証得の閃光は、一念の空間に生じるが、それは人が
526

留まることなく通過する「門」として見なされる。しかしながら、一つの根本的な門が存在し、それは生存
の迷乱の根絶と同時に現われる。白隠門下で創り上げられた公案「体系」でさえ、「体系なき体系」 であり、
その全容は「向上」という EH(飛躍的前進)が成し遂げられた時にのみ現われる。とは言え、《待
芯8PZ 由
H
悟禅》のような姿勢に陥らないためには、全進展のはっきりとしたイメージをもつことは有益である。
小論の目的は、仏教のコンテクストにおいて、J4EggHという語を使用する場合に生じる、 いくつか
の困難な問題について検討することであった。しかし今回は、そのうちのほんの二、三の点しか考察できな
かった。今回考察したことが、他分野の研究者の意見や将来の研究によって深められることを切に願うのみ
である。
仏教の覚りに JζEgguという語が適応される場合、それが適切かどうかという第一の疑問に関する答
えは、読弁家のそれである。 つまりそれが適切かどうかは、語っているJζ 口『g一nF の種類によって決まる
Jζ 包
のである。仏教には、西洋の概念に内在する多方面にわたる暖昧さを反映した、様々な種類の ggu
が存在する。もしその語がその超自然的な含みなしに用いられるなら、また厳密に JzEa・222 宮『g
一nF
に限定して用いられるなら、その語は価値をもち得るであろう。
西国の純粋経験の概念は、確かに覚りの逆説的な性質を説明しようとする一つの試みであった。 しかし
『口一2
JZ 括2・
2 -nnuは、修行の到達点ではないということ、
苦『g そして wgg『宮担a
問ggrgzT(むきな晶、白
-b包包宮乱含無上正等、覚)d
露呈ヤWE もc、一口関宮E
町H。(さらに進みゆくこと)を意味する何ものかであり、世界のう
ちで行為することによってそれ自身を表現することであるということが再確認されねばならない。
(花園大学国際禅学研究所研究員/第十回シンポジウム・一九九三)
*翻訳にあたっては、著者の御協力を得ることができた。その際、著者の要望により多少加筆した(訳者三
参考文献
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-湯浅泰雄
534

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唱∞∞『宗教経験と深層心理』名著刊行会

例えば、日
5E (- EN )参照。
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この広い意味は、いまだに意見がまとまっていない。豆町向ミミミ。e百
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九、日そ《
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豆一 個n-
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『-gnnの概念と宗教の分野におけるその使用の分析は、明らかに未
完成の仕事である」と締めくくっている
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C。
BEg-n司
H 自g
己g はまた、幾人かの著者によって、『
55口2一
ヌ応ュgnnの下位分類であると考えられてい
3

ヨ〕
る。∞ 5呈(古語一-u
)参照。
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2 Z立一(】ヨ∞)は例外である。なお、石田法雄氏は
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一g回
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gggm =円相『三円宮
5


- C =nCE
)
(

EOHLE=E
同 〉苦-
OEMSEZ J55050ζggop
)の中で、スマートが提唱した
Ezc=ぢ∞ EιFEE cuzE3S --
とH23zna
宮o5H との区別を紹介し、JE552と
50N r いう概念を仏教(特に真宗)に当てはめる場合の間
題点を取り上げている。しかし、残念ながら「経験」の問題には触れていない。
PEE (芯∞∞ 0}傍点筆者。
8・
6
)
(


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包=-沼田口一白パヌ})
7
)
(

〉 E『CEH(- 司M・N
AXWCSEO 唱
全一)
8

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32 一Mg ・
N ∞唱)
9

ω ) 同∞NZ0
( ・N凶∞ Nu-
N司- n由るお・「立証する」という動訴は、カスリスによって示唆され
S)て。
いる(芯∞-
湯浅{右∞?吉宮司会)
1
1

(ロ) 方。邑『g 円(-M


唱E白
C )参照。
(日)これは、これらの思想家の立場の手短な概要にすぎず、彼らは、すべての問題について
たわけではなかった。彼らの特徴のより詳細な検討と、彼らが唱道した「控えめの懐疑論」につい
禅仏教からみた“ experi回目”

槻(3SL -23 B2・念)参照。


・-8 ・-
4
西国(-
2 -一三・
5 二 一-3CHDEEM }
5 1
ES
両者の顕著な相違については、村2 )及び上回(
本30 32ES 】)参照。雨氏とも、「西回の純粋経験は、
--
M

1
ウィリアム・ジェ!ムズの純粋経験よりも、より根本的であると言い得る
Z{-上
-ど回ご
右と唱指摘してい

535
る。西国は、仏教の真如(宣言お)と関連させて、それに絶対的な価値
iムをズ
認はめ
、て いの
立論 るが、ジェ
出発としてそれを検討しているだけである(村
3遣本い念参照)。
536

解釈学の理論の公式化に禅仏教が価値をもつことが、パズウエルによって強調されている。
6
1

原理は、経典に基づく解釈と異なって、「より根本的には広範囲の精神的経験を分類することに関
り、次いでそのようなレベルの経験を実体験するように促すことに関E心
Zが あ
一二 るM
混血 」M)

Cと切判断
している。
この同じ一節はまた、白隠の『息耕録関鑑品目説』{『白隠和尚全集』二、四一九頁)にもみえ
7
8 1

その中で、《体得》という語については、
Nこ の ミnsa
SF 主思え AY目。司討でト!?ス・カl シユナ i に
1

よって検討されている。
(川口こ
)の見解に関しては、長尾
23-)参照。稔伽行派の認識論的観点から眺められた経験の問題については、
TrunESE公
R認 )及び穴田吉司
SM g由ち(】喧∞吋)参照。
『六祖壇経』(現存最古のものは、スタインの 教三復
寸文・書
20

Z。 u 八二六年)には、多くの用例がある。たとえば、
、E
『品∞ZCNos-】
u- 参照。《得》という動詞が二度《見性》と並んで用M
ugg いMら
U?
Nれる
2c(m∞
M )。この
動詞もまた、J0 2 ヌ 25F の近似として考え得る。

『華厳合論』(新文愛二巻本、台北、一九g七
S七は、
、司後寸
代前
1

に付加がなされた経に対する李通玄の註釈に
2

基づいている。
この解説はすでに『景徳伝灯録』の大珠慧2
海2の
Z項 -NSa司 Mミ sz
22

-司-品おお?お-)、および、彼の
-M
『頓悟要門』(『禅の語録』六・一三八、一八六頁)にある。また、黄禁断際に帰せられる文章にも、「性
性」という質問が含まれている(『古尊宿誇録』
N巻ニ一
∞ニ唱32 ニ)。
W -ジヤンケレヴイチ QSE255 や M ・ドゥフレヌ(UZEロ
R吉)のような哲学者たちは、別の目的のため
23

ではあるけれども、新しい言葉の必要性を表明し、所与の生の事実、つまり経験上のlデタ( E弓 52ζE )
に言及するために、新J
語自立『F-
を造り出した(ECEEE唱SEMU)
U。
玄 Cこ
F 事吋は、東嶺の主著『宗門無尽灯論
H』∞(
-EMua )の初めてのフランス語全訳である。
5 24

20・N3凶司・凶∞∞胆己主品・崖のイメージは、『景徳
、『∞- 伝
H2 2灯。
録N』C
ぷ( に
唱 UBMmN由
C来し、『碧巌録』
2

)にもみえる。最後の部分は、『無門関』第三十二則
第四十一刻の評唱(刊会ZNCCU 司-週三N Hのお頒
Z(-
MCC司
U- )に用いられる。
N3gM
このイメージは、龍樹が秘密の教えを手に入れるために鉄のストゥ
lパに入る物語と関連して用いられ
26

る。東嶺は、ストゥi パに入ることは、「証入」g(
zE 伯『g 一 M88 ア3cssに相当する
Eg ロ・円∞-z 。 Mua司-
禅仏教からみた“experience"

と解釈する。
三唱-u呂田M目『宗門無尽灯論』(叶
z・ ∞3-
29 28 27
HCZ0 ・u M
。・ S に引用。
J-ugo-
東嶺はこの喰えを、「宝処は近きに在り、化城に滞る莫かれ」(M
間)U前
と、い活
う討ように引用している。
gnhaEEhhsg
- HEWSEMognRU -
一ξ
- gDEEr w
- pa ghDEEn
宏司『 ユヨ∞ w宅-三千三 E と NU
∞・さら

537
に司-VE--では、訳者は明確にぜ応2
、8を
0ミ阿-
2883と述べている。


一京都禅シンポ論集一明日への提言

平成 11 年 3 月 31 日第 1 刷発行

編集堀尾 孟
発行 天龍寺国際総合研修所
京都市右京区嵯峨天龍寺苦ノ馬場町 68
TEL075 ・882-8770
発売 (財)禅文化研究所
京都市中京区西ノ京壷ノ内町 8・1
花園大学内 TEL075・811 ・5189
印刷製本 大日本印刷株式会社

。天龍寺国際総合研修所 1SBN4-88182-130-X C3010

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