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わが国の音楽教育における読譜
の歴史的な変遷について 〔1〕

〈固定ド>と〈移動ド>の音感と唱法の問題を根底に一

古 田 庄 平*

(昭和61年10月31日受理)

AHistorica1SurveyofScore−reading
in Japanese Musical Education

〈Fixed−Doh〉and〈Movable.Doh>for Auditory Sense


and Score−reading in Music

Syohei FURUTA

(Received October31,1986)

はじめに
わが国では,明治時代に開始された学校教育における「唱歌」という教科の指導にあたっ
て「小学唱歌集」(初編)の巻頭に示された「音名」と「階名」による「読譜」の方法につ
いての問題は,その後多くの音楽教育者や音楽理論家あるいは,音楽演奏家などによって
研究や実践が行われ,議論が繰り返されてきたが,100年の歴史を経た今日に至っても,未
だに納得の行く決定的な解答が得られてはいない。
そのため,特に音楽教育に携わっている指導者達は「読譜指導の必要性」を充分認識し
ながらも,その読譜に必要な〈固定ド>や〈移動ド>による「聴感覚」や「唱法」が「一
体如何なるものであるか」ということも理解しないまま音楽教育に携わり,ただ「盲目的
に読譜指導を行っている」というのが実情である。
したがって,学習者もまた,当然そのような読譜(視唱)の必要性を理解することなく,
指導者の言うままに,視覚的な煩雑さや,音感の混乱などによる困惑を感じながらも,「指
導者のいいなりに階名や音名を唱えているだけ」といった無気力な状態で学習を続けてい
るというのが現状のようである。
そこで,この研究では,まず,今日のわが国における音楽教育の実践の場で最も多く用
いられているく固定ド>とく移動ド>の音感や唱法が,いつ頃から取り上げられるように
なり,その後,どのように普及し,発展してきたか,また,それら音感や唱法について,
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長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第10号

どのような研究や議論が行われてきたかについて,歴史的な角度から検索を行い,考察を
加えながら,その問題解決策を探ることにした。

1.唱歌教育における読譜と唱法について

(1)明治時代
わが国の学校における音楽科教育は,明治5年の学制頒布に伴い「唱歌」という教科名
によって誕生したが,その「唱歌」という教科が小学校の授業として実際に行われるよう
になったのは,明治12年に,文部省に「音楽取調掛」が設立され,伊沢修二達によって音
楽の教師となるべき「伝習生」が養成され,更に,音楽の教科書「小学唱歌集」(初編)及
び,第二編・第三編が編纂・発行された明治14年から17年以後のことであったと推察さ
れる。

当時始められた学校における「教科」としての音楽科教育(当時は「唱歌教育」といっ
ていた)は,今日行われているような近代的な学習活動の形態,つまり,歌唱・器楽・創
作・鑑賞など多領域にわたり,多面的に展開されるような学習形態ではなく,ただ「唱歌
をうたうだけ」といった素朴な学習活動の形態でしか行うことができなかったようであっ
た。しかし,それでも当時にしてみれば,実に「近代的な学習形態」であったのである。
なぜならば,明治維新までのわが国の社会において行われてきた音楽は,箏や三味線な
どによってうたうという,いわゆる「邦楽」の類であって,今日のような「学校」という
施設もなく,更に,ピアノやオルガンなどの楽器の伴奏によって歌うという「西洋風」の
音楽ではなかったのである。しかも,貴族社会においては〈雅楽>,武家社会においては〈能
楽>,一般庶民の間ではく歌舞音曲の類>といったように,階級制度によってたしなむ音楽
が厳しく限定され,区別されていた時代でもあったので,自分の好きな音楽を自由に選ん
でたしなむことができなかったのである。
ところが,明治維新によって外国文化が輸入され,自由にその文化をたしなむことがで
きるようになると,異国の文化に対する物珍しさや,豪華さなどに目を奪われ,更に,封
建思想の崩壊による余波も手伝って,一般庶民の間にも外国崇拝の欧化思想が強く現れ始
めたのであった。そして「西洋音楽」が「邦楽」よりも高く評価されるようになり,音楽
界や芸能界においては「西洋音楽」が自由に歌たえ,演奏できるようになったからであっ
た。

しかも,アメリカ留学から帰国した伊沢修二達は音楽取調掛を設立し,そこで「東西二
洋の音楽を折衷」して唱歌教育に用いる「新しい音楽教材」を作った。それらは,当時ア
メリカの学校の音楽教育で用いられていた教材に似た,いわゆる長音階や短音階による簡
単な単旋律の音楽に日本語の歌詞を当てはめたものや,外国の既成の歌曲の歌詞を日本語
の歌詞と入れ替えたものなどが殆どであった。更に,ピアノやオルガンは当時まだ輸入に
頼るしかなく,しかも高価な品物であったため普及も遅れた。したがって,「唱歌」は殆ど
教師の歌うのを「口移し」で模唱し,学習するという形態しかとることができなかったの
である。
したがって,当時としては,そのような「唱歌」の単旋律楽譜(音符)を声のみによっ
て歌い,実音化(読譜)することが,唱歌を指導する教師にとって極めて重要な「指導の必
要条件」であり「不可欠な条件」であった。更に,学習者に対しては,そのような「唱
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わが国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷について〔1〕

歌」の単旋律楽譜(音符)を「読譜」することが可能になるような学習が先行条件として
考えられていたようである。そのことは,「小学唱歌集」(初編)の巻頭に「音階図」〔図1〕
や「音名(ハニホヘトイロハ)」と「階名(12345671)」らしきもの〔図2〕が記載されて
いること,更に,ハ長調の「ド」と「レ」の2音だけの曲から,3音,4音と徐々に音域
を拡大し,音数を増加していく方法によって,教材が順序よく配列されているところなど
から,読譜学習のための教材配列という意図が明確に現れていることからも伺い知ること
ができる。
また,この教科書を指導するにあたって,伊沢修二は「唱歌法凡例」(副において,
「12345678ハ〈スケール>ノ名ニシテ,ヒー,フー,ミー,ヨー,イー,ムー,ナー,
ヤー,ト読ムベシ。コハ謡フニ其調ヨキガ為ナリ。」と述べ,更に,「ハ,二,ホ,へ,ト,
イ,ロ,ハくピッチ>ノ名ニシテ其ノ〈ハ>ヨリ始マル者ハ欧米各国皆其国字ノ第三ヨリ
始ムルノ例二拠ルモノナリ。」と述べていることから,前者の数字は「階名」の意味であ
り,後者は「音名」であることを明確に区別していたことも分かる。
このことは,わが国の学校音楽教育の「読譜」における「唱法」を「階名(ヒー,フー,
ミー,ヨー,イー,ムー,ナー,ヤー)」による「階名唱法」と決定付けた最初のものであっ
たということができるのである。
そして,井上武士が,「ヒフミ唱法は,文部省の音楽取調掛に学ぶ学生はもちろんのこ
と,全国の師範学校,中等学校および小学校でも一般に行われていたことはいうまでもな
い。音楽取調掛が東京音楽学校となった後もこれが用いられていたようである。私自身に
ついて考えてみても明治30年代の終り頃,小学校で「君が代」を「フヒフミイミフー」と
歌わせられたことを覚えている」(注2)といっていることからも明らかなように,明治30年代
の終わり頃までは,この「ヒフミ唱法」(当時は「略譜視唱法」ともいわれていた)が唱歌
の読譜法として用いられていたようである。
更に,井上は,「私が〈ドレミ>を歌ったのは明治40年以降のことである。東京音楽学
校で,<ヒフミ唱法>を廃して,<ドレミ唱法〉を採用したのは,明治28年(1895),当時
助教授として奉職していた小山作之助(1863−1927)の提案によるものである。もちろんこ
の提案が,突然現れたものではなく,その以前から東京音楽学校では,その唱法を試み,
ある程度これが実践の経験を持った者があったことはいうまでもない。音楽教育の中心で
ある東京音楽学校で採用されたこの唱法は,その卒業生を通じて全国に普及し,師範学校
はもちろん,他の中学校や小学校でもこれにならうようになったことはいうまでもない。
私が住んでいた田舎でも,明治40年代には,小学校でもこれを採用するようになったので
ある」(注3)といっているように,「ドレミ…」による「階名唱法」は,すでに東京音楽学校に
おいて実験的研究が行われた上で,明治28年から取り上げられ用いられるようになったよ
うであるが,一般に普及したのは明治40年以降であったということになる。
したがって,わが国の音楽教育界において読譜や唱法の問題が研究され,議論されるよ
うになったのは,大正時代に入ってからのことである。

(2)大正時代
大正時代にはいると,唱歌教育の研究者も多くなり,読譜や唱法についての実践授業や
理論書などが発表されるようになった。
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まず,山本壽は,大正7年に出版した「唱歌教授の理論及実際」(醐の中の「聴唱法及び
視唱法」の項で,「聴唱法とは,凡て児童に声音を直覚せしめて唱謡せしむる方法のことで
ある。吾人は後には児童に向かって,自発的に唱謡せしむることが能きる。併し乍ら最初
はどうしても聴唱法”に依って啓発して行かなければならぬ。(中略)聴唱法は常に単音唱
歌ばかりでなく,二部合唱も亦これに依って練習して差支ない」というように,聴唱法を
初段階には積極的に用いるように進めている。
次に,視唱法については彼は「視唱法とは楽譜の記号を視て唱謡する方法のことで,こ
れには本譜視唱法と略譜視唱法との二つの方法がある。本譜視唱法は,小学校に於ける唱
歌教授の最後の目的では無い。寧ろ目的に対する手段であり,道行であると私は考える」
と唱法の本質に触れながら,「大多数の小学校に於て,この本譜視唱法は純粋の視唱法では
なくして,ただ音符の補助に依れる聴唱法である」と当時の音楽教育現場における視唱法
の実情について述べている。
また,「略譜視唱法」の項で,「略譜の唱法にはくトニック・ソルファー>組織とく数字〉
組織との二種別ある。(中略)我が国に於ては,通例数字譜といふよりも,寧ろ略譜と言っ
て居るが,この略譜の唱法にまたくヒフミ法>と〈ドレミ法>の二種ある。(中略)ヒフミ
法は〈音階発音法>としては不適切であるといふことは,最早や何人も否定することは出
来ない。其処へ来ると,ドレミの方が遙かに具合がよろしい。」とドレミ唱法をよしとして
いる。「併し乍ら,小学校に於て,果して略譜を課したが宣しいかどうかといふことは,常
に我が国初等音楽教育界のみならず,実に普く西洋諸国に於て,今猶ほ未解決に属する重
要問題であって,吾人の亦今後大に考窮すべき大問題でなければならぬ」と述べ,更に彼
は,「楽譜問題の研究」の項で,「吾人も〈略譜は果して必要であるか〉〈略譜と本譜とは如
何にして之を聯絡すべきか><本譜は如何にして之を授くべきか>といったやうな質問は,
既に幾度となく繰返された問題であり,又実際に困っている当面の問題である。大正五年
六月東京高等師範附属小学校に於て開催せられたる全国小学校の唱歌教員協議会に於ても
この問題は数多く論議された。」といっているところから,すでに大正5年にはわが国の音
楽教員界において,読譜や唱法についての論議が始められていたことが分かる。
大正12年には,青柳善吾が彼の著書「音楽教育の諸問題」(注5)の中の「楽譜問題の論争」
の項で「初等教育に於ける楽譜は,本譜を用ふべきか。数字譜を用ふべきか。又は両者を
併用すべきか。多年の懸案にして未に何れとも解決されて居ない。従って各自が異説を固
持し,好む処の楽譜を採用して教授に携って居る訳である。斯かる状態にあるので,楽譜
上の統一と云ふことは,初等教育界に望むことが出来ない。(中略)楽譜は唱歌を唱謡せん
とする方便に過ぎない。結局唱歌を唱謡し得れば,方便物たる楽譜などは如何でも宣しい
訳である。斯う云う意味から楽譜を観れば,楽譜問題は実に一閑問題に過ぎぬ。併し音楽
教育が,此の一閑問題の為に,進歩発達が非常に阻害せられて居るものとせば,実に由々
敷き大問題である。(中略)先決問題として,初等教育に於ては,本譜によることが最も合
理的あるか。又は数字譜を主とするのが妥当であるか。或は両者を併用することが学習上
便宜であるか。此の三者の一に帰着せねばならぬ」と述べている。
大正13年には,幾尾純もまた彼の著書「私の唱歌教授」(注6)の中で,視唱法について自分
の教授体験談をのべている。その中で彼は特に「楽譜を貸し与えるのみで,前以て範唱・
範奏は全く示さない」方法(つまり,聴唱法を行わないで視唱法から直ぐにはいる方法)
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わが国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷について〔1〕

を本体とし,「自らまとめ得ることに向かって多大の興味を以」つようにすることによっ
て,やがて「彼らは新曲を先づ視唱して,これを纏め,さうして暗記して自分のものとな
し,しかして私の教場に臨むのである。(中略)斯して,今まで自己の本務のために働いて
居た略譜は,之から更に本譜の為に大活動を開始するのである。実に略譜の使命も大きく
且多忙な訳である。」といっているように略譜から本譜への移行について説明し,次の「本
譜の取扱」の項で,本譜指導は〈数字譜>と〈ドレミ唱法>とを組合わせて行う方法がよ
いということを具体的に解説している。
次に,小笠原良造・寺尾勝年の共著による「本譜教授の実際」(注7)では,尋常科第3学年
の教案例によって「楽譜練習におけるドレミ階名唱の指導」の方法が示されている。そこ
では特に,音階を最初によく歌わせる方法がとられていることから,音階の高低感覚や音
程感を定着させることを重視していることが伺える。
大正15年には,北村久雄が彼の著書「音楽教育の新研究」(注8)で,楽譜学習=楽譜教授と
いうことについて,「模唱に関する心理的考察」や「音程練習と聯想作用」及び「音程学習
過程に於ける印象と記憶」など,心理学の見地から論を展開している。しかし,読譜につ
いての具体的な意見は見当らないので考察は省略することにした。

(3)昭和初期
昭和に入ると,山本正夫が昭和2年に彼の著書「唱歌新教授法」(注9)の中の「視唱式」の
項で,「五線四問の楽譜を用い視覚に訴えて歌唱する方法であって音楽学習上最も進歩した
方法であるから本来は小学校一学年即ち入学早々から授けたいのであるが,先づ尋常三学
年頃から課すを適当とする」といっており,更に,「是を教授する順序としては,先づ高低
の観念を与へ,次に音階図によって,高低を眼で見分ける様に授け,次に記号や唱法を教
へ,長短休止等の記号を授けて,十分練習させて,音の高低を暗記する様に仕向けなけれ
ばならぬ,又四学年に於いて,小節拍子等を授けて読譜に習熟する様に練習させ,且つ高
低記号や階名及唱法を暗記させて,階名を唱ふると同時に,自然にそれ相当の高度の音が
出る様に練習させることが必要である。」と音の高低感覚を身に付けるように強調している
点は注目にあたいする。
更に,「視唱法は(中略)数字譜利用論とか略譜式本譜練習とか,又は一線累進式教授法
もある」としながら,ペトリッチ氏の提唱する「ドレミ階名唱法」が最も良い唱法である
ことを断言している。
小出浩平もまた著書「唱歌新教授法」(注10)の「第五章楽譜教授」の項の中で,〈楽譜教授
の作業〉について,読譜練習,音程練習,拍子練習,聴音練習,歌曲の視唱練習の五つを
取り上げ,「これら五つの練習は同時に行われるべきもので,別々に練習すべき性質のもの
ではない。」といっている。また,「ヒフミ唱法」を否定し,「ドレミ階名唱法」を推奨して
いる。

昭和3年には第30回全国訓導協議会(注11)が開催され,その記録が「音楽教育の研究」と
いうタイトルにより雑誌「教育研究」第330号(注12)に掲載された。中でも,「読譜指導」に
関しては6名の発表者の内容とそれに対する質疑応答が掲載されている。
42番の関福太郎(群馬県前橋市敷島尋常小学校訓導)は「楽譜の指導」の「主音の位置
変更」という項において「譜表の何れを主音になすも直に読める様になさねばならぬ。(中
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略)」としながら,〔譜例1〕を示し,「主音(最初の音だけ)を赤にて現し赤がDoである事
を約束す。従って調子記号は記入せず。以上の如くなし音表上何れもDoとなして読み得る
ものである事を知らせる。」というように,移動ド唱法の効果的な練習の方法について発表
している。
また,48番の生住正信(鳥取県西伯郡外江小学校訓導)は「カナ譜の提唱」を行ってい
る。それによると「カナ譜は,略譜の一種として創案されたもので大正13年の秋の誕生,
今年やうやく五ツになる。数学譜(従来の略譜を分類上から呼んでおく)の1,2,3,4,5,6,
7,の代りに片仮名のド,レ,ミ,ファ,ソ,ラ,スィ,を使用し休符は「0」を使用しないで,
全部本譜の休符を用ひ,オクターブは上下の黒点を以て示し,附点は本譜と同じ用法であ
る。」とし,更に,カナ譜が数字譜より優っている点を指摘した上で,「本譜を読譜するた
めの橋渡し」の手段として「カナ譜」の使用を奨励している。
昭和6年には山本正夫が彼の著書「唱歌教授の実際」(注13)の中の「楽譜及視唱法の問題」
の項で「本譜にせよ略譜にせよ,(中略)何れを用ふるとも,趣味の向上,徳性の酒養はな
し得るものである。(中略)元来楽譜は便宜のための道具であるから,(中略)音楽を学習
するのが目的であって,音符を習ふのが目的でない。唱歌を学ぶのが主体であって,譜表
を習ふのが主でない。(したがって)都合のよいものを巧みに利用すればよいのである」と
いっている。
更に,彼は「ドレミの階名唱法」による「視唱法」を奨励する「読譜簡便法」の中で,
左手を使用した「模範調(ミソシレ)」を「機械的に教へ込むこと」を提唱している。
また,「変った調号の読譜法」では,「嬰記号共通の読み方」として「嬰記号が幾つ附い
て居てもよい。最後の嬰記号が,其の音階の第七度即ち階名の〈スィ>であることが,犯
すべからざる絶体(対)不変の原則である」といい「変記号共通の読み方も亦前記と同一
理法であって,最後の変記号は其の音階の〈ファ>である」という論理を提唱し,「各調の
調号と読譜法及記憶法」〔図3〕なる一覧表を掲載している。これは「移動ド唱法」による
階名唱法を指導する場合に,その楽譜が何調で主音がどこかを知るための最も簡便な方法
の一つであり,今日でも尚用いられており,当時としては極めてユニークな方法として多
くの指導者や学習者達に用いられたのではないかと推察される。
次に,北村久雄は彼の著書「楽譜学習の新指導」(注14)の中の「階名練習」の項で「ドレミ
の階名唱」により「三和音の位置を覚えさせること」を奨励している。その中で彼は「基
礎音即ち三和音を基礎にして,其の他の音を知ることの出来る様な練習をするのが眼目で
ある」といっている。この「和音感による読譜」の方法は,その後の音楽教育界に君臨し
た「和音感教育」の誘発材になったのではなかったかと推察される。
次に,瀬戸尊は「聴音を基礎とせる本譜視唱への指導過程」(注15)という論文の中で「読譜
は出来ても音程はできない」学習者の多いことを嘆き,その原因は「聴音指導が視唱指導
等に先立つべき事を忘れたからである」と述べ,したがって,「記号たる本譜を知る以前に
少なくとも謂ふ所の聴音の一部たる,純粋音の階名翻訳能力の養成と云う段階が必要であ
る」といっており,音高を伴った読譜ができるようになることを強調している。
昭和9年9月に草川宣雄は彼の著書「最新音楽教育学」(注16)の「第6節 読譜練習」で「読
譜練習の第1の目的は,楽譜を正しく読み且つ唱へ,迅速に奇麗に問違ひなく書き,また
与へられた楽譜が,何の曲であるかを一見判読し得る能力を得させることである。第2の
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わが国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷について〔1〕

目的は単に学校に於て楽譜を正しく読み書き唱ふることを得しめるのみならず,学校卒業
後,社会に立ったときにも,学校で学び得たる楽曲を正しく唱え得るのみならず学ばなかっ
た楽曲をも,自発的に独立して唱ひ且つ理解し得る脳(能)力を得させんと努める練習で
ある」と「読譜練習の目的」について定義している。
更に彼は,「読譜練習の方法」の項で「帰納的読譜練習」と「演繹的読譜練習」について
述べてはいるが,「階名唱法」については何もふれていない。
昭和12年になると音楽教育雑誌「教育音楽4月号」に音感や唱法について特集が掲載さ
れた。それは,まず,「音名唱法と階名唱法との優劣問題」(田辺尚雄)を筆頭に,「絶対音
感教育の研究(1)」(草川宣雄),「聴覚の教育(1)」(小泉沿),「音名唱法と階名唱法について」
(幾尾純),「音名唱法と階名唱法の得失」(牛山充),「音階観念を中心に」(堀内敬三),「音
名唱法と階名唱法の問題について」(佐藤謙三),「音名と階名に就いて」(伊藤完夫),「ピ
アノ教授に於ける固定ドと移動ドに就いて」(萩原英一),「児童のピアノ教授上に於ける音
名唱法私案」(高折宮次),「音名唱法と階名唱法」(城多又兵衛),「児童の提琴教授上に於
ての固定Doと移動Doに就いて」(井上武雄),「固定ド唱法と移動ド唱法に就て」(小澤
弘),「音名唱法と階名唱法」(黒澤愛子)といったような論文である。
これらの論文から,当時,音楽界において「絶対音感」・「音名唱法や階名唱法」及び,
「固定ド唱法や移動ド唱法」など,音感や唱法に関する多くの研究や議論が行われたこと
が推察できる。
そこで,これらの論文から,当時の音楽教育者達の音感と唱法など,読譜に関する考え
方について考察し,当時の音楽教育の状況などについて考えてみたいと思う。
まず,田辺尚雄は,巻頭で,「音名唱法は所謂絶対音感教育にとって必要な条件となって
居る。階名唱法は単に音の相互の関係を示すのみで,それは旋律の形を表す丈には便利で
あるが,絶対音感を与えないということで,絶対音感教育主張者は之を退けている。そこ
で,要するに此の優劣問題は絶対音感教育なるものが果して正常な教育法であるか否かと
いう問題に帰着するのである。(筆者要約)」と述べ,更に,(1)絶対音感を早く教育するこ
と。(2)和音を基礎として音を取扱うこと。(3)五線式楽譜を基礎として与えること。(4)ピァ
ノという楽器を教育の必要楽器として用いること。の4ヶ条に基づき,「概論として此の絶
対音感教育法の考え方は確かに正しいと思う。」と述べている。そして,最後に「(1)絶対音
感を子供に与える早教育は誠に賛成である。然し此のことは概念的のことであって,絶対
正確には無理が起ってくる。(2)和音を基礎として楽音を取扱ふことは賛成である。(3)十二
平均率を以て将来の日本人を根本的に教育することは避けたいといふ希望を持って居る。
(4)五線式楽譜も理想としては何とかもっと合理的なものを使用したい。此の(3)と(4)とがな
んとかよい考察が出来れば絶対音感教育は合理的なものとしてまことに結構なことであ
る。」と結論づけている。以上の点から察するに,この論文は「音名唱法と階名唱法の優劣
問題」を論じたものではなく,絶対音感教育に対する賛成意見にとどまっている。
次に,当時,東京音楽学校講師であった草川宣雄は,絶対音感教育研究の研究段階とし
て,「(1)絶対音感教育とは如何なる教育なるか。(2)絶対音感教育の原理。(3)この教育を始め
させたヒント。(4)この教育の本質。(5)この教育の実際。(6)この教育についての賛否両論は
如何なる点にあるか。(7)さらば如何に此教育を見るべきか。」という課題提起を行い,「児
童音楽園の固定ド唱法を以て,即,絶対音感教育なりと想用しつつ研究を進め,絶対音感の
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長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第10号

本質を開明せんものと心を決め,(中略)初めは全く同一のものであらうとの予想の下に研
究を進めた」が,その後,児童音楽園の固定ド唱法による教育を参観してみると「児童音
楽園の固定ド唱法による教育と,絶対音感教育とは,今日に於てこそ相互に可成り異って
居るものである事がわかった。」と述べている。
次に彼は聖心女子学院のトニックソルファ法の授業を参観したことと,ヘルマン・ステ
ファー二の「音及び運動表象による音高関係の説明によるトンヴォルト及びトニカド法に
就いて」の論文からヒントを得「(1)固定ド法の教授は相当科学的な合理的の良いものでは
あるが,現今の我国の初等教育に直様用ひる事は考へ物である。この法による教授に達す
るには三段の準備工作が必要である。(2)現今我国の普通教育に於て行はれる音階練習は,
単一の長音階の構造を,会得する為の練習であるが,ハ調長音階から,ト調長音階に転ず
るが如き転調を自由にする転調の音階練習が行はれて居ない。それには第二段階として,
トニックソルファ法等でする転調的音音(階の誤りであろう)練習が必要である。この練
習が出来れば,自然に固定ド唱法を容易に会得せしめ,且つこれを平易に歌はせることが
できる。これが第三段階である。故に此の順序を行なって居ない今日に於ては,固定ド唱
法は一足飛びの困難なものである。(3)絶対音を感ずる児童は1クラスの中に幾人も居ない。
(4〉楽器,殊に有鍵楽器を持つ家庭の極めて少数である我国の現状に於て,固定ド唱法は其
の効果極めて微弱である」という意見を述べている。 、
更に彼は,金富小学校の佐々木幸徳の絶対音感教育を参観し,「自分の予期した絶対音感
教育とは全く別な教育であった」と述べている。即ち,授業記録から推察してみるに,彼
がそこで参観したものは「和音感教育の授業」であったようである。
次に,小泉治は「絶対聴覚は2つの音の比較をしないで,直にある1つの音高を捕える」
感覚で,「音群を破壊したる唯1個丈の音意識として瞬間的に游離する」ことができる感覚
であると述べ,それは「手がけた楽器と意識的に或は又,無意識的に結び附いて得られる
記憶力であり,(中略)その手がけた楽器あるいは音声機管より発音される音色とも深い結
合をなしている」とのべている。
更に,「絶対音聴覚というものは音色に対する生理的習慣運動の一種である」といい,「音
量も絶対音聴と深い関係に於て結ばれている」とのべている。
また一方,「音楽的聴音と称するものは,絶対音聴及至絶対音感に対して〈相対音聴>と
も〈相対音感>とも名附くべきもので(中略)少なくとも音楽教育にとって必要な事柄は
相対的聴音の教育であり,その音と音,和絃と和絃との間の微妙なるフンクチオン関係で
あり,更に高度にある美的及至音楽的関係の認識に向わしめる事であらねばならない」と
絶対聴覚について音楽心理学的な角度から説明を行っている。
続いて,奈良女高師教諭の幾尾純は,音名唱法については研究を行っていないと述べな
がらも,(1)「(音名唱法は)現在の普通教師で(指導することが)出来得るか」また「現在
の階名唱法に比較して,より以上の何物かを収得せしめ得るものであるか」(2)「現在の児
童にこれ(音名唱法)を消化し得る可能性を認めさせることができるか」(3)(低学年より
実施すべきもの,或は高学年では困るといふような,年齢に制限はないか」(4)「階名唱法
に比(較)して困難を感ぜないであらうか」といった疑問を提起しただけにとどまり,音
名唱法に対する積極的な意見は見られなかった。
次の牛山充は「普通教育に於ける音楽教育は美的情操を洒養し,人格陶冶に貢献するを
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わが国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷について〔1〕

最後の目的とすべきで,絶対音高の認識力養成などと云ふ末節に拘泥すべきではない」と
忠告しながらも,「国際的のドレミを採用し,それを固定ドにするか移動ドにするかは実践
教育に携はっている諸君の決定に任せたい」とやや消極的な意見に終わっている。
続く堀内敬三は「自分は階名唱法を用いている」と断った上で,「音名唱法」と「階名唱
法」のそれぞれの長所と短所について具体例をあげながら詳細に説明し,「音楽は音階中心
として生じる。だから音階観念や調性を先づはっきりと頭へ入れるようにしなくてはなら
ない」と述べ,「なるべく階名唱法を用いて小学校の唱歌教育をやり,程度の進んだ者に音
名唱法を課したらいいだろう」と述べていることから察するに,彼は,音名唱法を階名唱
法の上位概念としてとらえているようである。
ところが,佐藤謙三は「伊沢修二が考案したヒフミヨイムナという名称がいつとはなく
姿をかくして,伊太利語のドレミファソラスィドが一般に使用される様になり,現在(昭
和12年)ではそれが一般化し,常識化してしまっている観がある。(中略)これが階名と
してではなく,音表示の名称,即ち音名唱法として唱えられるに至ったのは上野の音楽学
校では大正初期,一般に於ては極く最近の事で,殊にく絶対音感教育を基調とせる音楽教
育>が小学校に於て研究される様になってからこの傾向は益々明瞭になって来た」と述べ
た上で,「階名唱法の移動ド法が我国の音楽教育界では勢力を占めているが,移動ド法は調
子が変る毎にドの位置が変る為に,児童が混乱を来すから,読譜の単一化,簡易化をはか
る為に,何調でもハ調の読方で行く唱法,即ちドの位置を常に固定して用ひる所謂固定ド
法なるものが唱えられ,研究されている」と述べ,更に,「絶対音感教育を基調とせる音楽
教育の主唱者がいう〈音名唱法>は,音認識に於ても音程測定の結果によるのではなく,
直接的,反射的に直感せしめる立場から,固定ド法と相通ずるものがある。したがって,
固定ド法も音名唱法の一種である」といっている。
しかし,「固定ド法は変化音に対する特殊な名称のないという欠点がある」また,「音名
唱法は変化音に対する変化名も統一があって誠に結構であるが,唱ふという事を全然考に
入れないできめられたので(中略)唱歌用の音名として使用に堪えない」としながら,「理
論的にも唱歌用にもつごうのよき音名が早く公認されることを念願する」と希望している。
更に,「和音感教育の取扱いからいふと音名使用が最も便利且有効ではないか」とも示唆し
ている。
次に,東京女子音楽学校講師の伊藤完夫は,音名と階名を史的な角度から眺め,「音名法
と階名法との関係は音組織の単純な古代においてはさして深く考へる程のものではなかっ
たであらうが,音楽は時代を追って発達し来つたので音組織は漸次複雑になって来たので
ある。それが為に音名法は客観的な発達をなして今日の如く無数の音組織を持つやうに
なって来た。然し一方階名法は七個の音列を墨守し〈調性>を表現する唯一の方式と考へ
られるに至った」更に,18世紀になって「音名法と階名法はその使命とするところが灼然
と区別され,前者は音響学の法則に従って今日の如き組織に到ったものであり,後者は音
組織の拡張とは反して音組織の統一といふことに努めることに終始した。それ故に(中略)
転調などに対しても何ら手段を講ずることなく,そのまま七個の階名唱法を以て代用し,
之等の変化を理解せしめんとしている」したがって,「施律美の追求をするが如き主観的な
立場においては階名法が都合がよいとして,それを認めねばならぬし,反面和声学上の考
察,音組織の客観的研究の上から音名法の存在を無視することも出来ないのである」と結
42
長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第10号

論づけている。
次の萩原英一はピアノ指導者の立場から「ピアノでは音名に依って(固定ド式)教へる
が,(中略)指導者に依って各異なり一定していない(自分が言ぴ慣れている為か独語が一
番簡単で言ひ易い)」と私見を述べた上で,「何んでもよいから,せめて音名だけでよいか
ら一定してほしい,或は子供等にも一番言ひ易くて,簡単な日本製の音名を発明して,ビー
ルとかコップと云ふ風に日本語にして将来統一したらさぞよい事と思ふ」と理想的な願望
を述べるにとどまっている。
同様に高折宮次も,児童にピアノを指導する立場から「階名のドレミを用いると,半音
上下する場合二綴となって不便であり,音名の場合も,英語のABCもフランス流の音名と
同様シャープ・フラットをつけるので不便である。また,日本語も階名・音名を問わずフ
ランス流イギリス風と同様に不便である。所が独逸語の音名は,半音上るときis,半音下る
ときes,を用いて一綴なので一番優れている。しかし,小学児童には外国語を教えていない
ので困難である(筆者要約)」ので,この際,「階名のドレミを用い,半音上るときは,ド
イス,レイス,ミイス(ミース)など,半音下るときは,ドエス,レエス(レース),ミエ
スなど,あるいは,日本語の上るのア,下るのサを用いて,ドア,レア,ミア,とか,ド
サ,レサ,ミサなどを用いてはどうか(筆者要約)」といったような私案を提唱している。
続いて,城多又兵衛は,まず「音名唱法は音楽に用ひる音に名称を附け,その名称を用
ひて音楽を唱ふ方法であり,階名唱法は或る一つの音階を定め,その音階に名称を附し,
その音階の定規をいろいろの音楽にあてはめて唱ふ唱ひ方を云うのである」と定義した上
で,ドレミによる階名唱法とドレミによる音名唱法,つまり,「移動ド唱法」と「固定ド唱
法」について説明し,更に,それぞれの唱法の長所と短所について具体的に説明が展開さ
れている。そして最後に,「未だこの他聴音や合唱,オーケストラ指揮の立場,作曲等の比
較をすれば,いろいろ面白いことが云ひ得る」としながら,「音名唱法は進んで音楽を深く
研究し,楽器も勉強しやうと云ふものには便利である。階名唱法は特種な唱歌を唱ふのに
は易しいが,進んで楽器を修めたり,程度の高いものを学ぶには不便である。結局音名唱
法の力を借りなければならなくなる」と結論を述べている。
また,「階名唱法になれた者は音名唱法に移ることは非常に苦痛を伴ふ。これは階名によ
り音階関係が頭にしみ込むからであらう。音名唱法になれた者は階名唱法は階名を歌詞の
如く考へて唱へばよいと云って居る。これも苦痛であらうが面白い考へ方である。」と両唱
法の互換の困難さについてふれ,「上野児童音楽学園の児童は固定ドを使って居る。固定ド
唱法で,二部合唱,三部合唱も唱ふ。これは器楽を併修して居るから一層理解が深いので
あらうが,児童に固定ドは充分理解できると考へる」と述べていることから,彼は固定ド
唱法を推奨していることが伺える。
次に,井上武雄は,上野児童音楽学園の児童にヴァイオリンを指導したときの話しを例
に上げながら,固定ド唱法をよしとしながらも,移動ド唱法の長所,つまり,音階各音の
性質(導音性や第三音性など)を生かした唱法を,彼は「〈固定Do〉を重く見て六分四分
か,七分三分に,併用して教えていったらよいと思う」と述べている。
また,小澤弘は「耳即ち聴覚発達音楽修得上には絶対的のもので,鋭敏な正確な聴覚は,
これからの音楽教育上にも続いて音楽の表現上にも,悉く之が源をなしている事を想起す
る時,之が基礎を充分に作り上げるには,どんなにして多過ぎるといふことはありません
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わが国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷について〔1〕

でせう」と述べ,聴覚訓練には移動階名よりは固定音名のほうが煩雑さがなくてよいとし
た上で,「常に音名を同一にして訓練すれば,聴覚の発達を促すのみならず,読譜上にも能
率的に大いなる差が生じて来ます」と述べている。
更に,「移動ド唱法を用いますと,一つの音が常に種々な音名に言ひ表はしますので,印
象は不確実であり,各音相互の関係も不明瞭となり,従って聴覚の訓練に甚だ混乱をもた
らします。転調もなく,平易な臨時記号程度の施律にあっては,移動ド唱法は唱ひ易くは
ありますが,楽曲が進んで転調がひどく,臨時記号も多くなって来ますと,移動ドでは,
その度に音符の読方を変更しなければなりません。従って一見して的確に何調に転じたか
を判断する必要が生じ,又原調から新調に転じた時に起る音の関係を如何にす可きやと言
ふ点では甚だ困難な用いたを提供致します」と移動ド唱法の欠点について述べ,「移動ド唱
法は入り易いが進むに従って読譜に非常な煩雑があり技巧上に困難を伴ひ,大切な聴覚の
発達に益する処がありません」と結論づけている。
最後に,黒澤愛子は,ピアノを子供に教える立場からの意見として,「階名唱法では譜面
の上の呼び方と鍵盤の上で弾く音の名前が違ふので(中略)是は大変不便で面倒な事です
し,音を憶えるのに困難を感じます」それ故,「音を知る,即ち譜面の上に書かれた音符の
位置によりその音の高さを分る様な為めの訓練は,音(鍵の出す音)をはっきり指摘する
事の出来る音名唱法によってされるのが最もよいと思ひます。」更に,「この音指摘出来る
と云ふ事はピアノにとって一つの大切な条件で,(中略)どんなに途中で転調をしても憶え
るのに困る事がありません。」と述べている。
また一方,「ピアノを習ふと云ふ事を唯ピアノが弾ける様にする為ばかりのものではな
く,進んで他の楽器の合奏や管絃楽の譜面等も読み,且つ弾く事が出来る様に訓練される
迄の,即ち,広い音楽の基礎教育,丁度小学校に於ける普通教育の様なものと云ふ意味に
考へますと,初めから読譜練習と音を知る耳の訓練とがピアノを弾く事と同じ様に留意さ
れなければならないと思ひます。」と述べ,広い音楽の基礎教育,つまり,ソルフェージュ
の重要性と必要性を説くとともに,それには,固定ド唱法による音名唱法のほうが階名唱
法より適していると述べている。
以上のように,当時の音楽教育者達の意見は「絶対音感教育」あるいは,「和音感教育」
といった聴覚の問題に対する意見と,「唱法」にたいする意見の2つに別れており,更に,
唱法の問題も「音名唱法か階名唱法か」あるいは,「固定ド唱法か移動ド唱法か」といった
問題と,「ピアノ指導のための唱法」や「唱法のための唱法」といったような意見もあっ
た。 <次号へ続く>
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長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第10号

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〔譜例1〕関福太郎の「主音の位置変更』

一網


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わが国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷について〔1〕

〈註及び参考文献〉

図1,図2)「小学唱歌集」(初編)明治14年11月24日出版版権届・明治17年9月再板・文部省蔵版・
筆者所蔵
註1)「伊沢修二選集」p.252∼253信濃教育会編・昭和33年7月25日発行
註2)「日本における唱法の変遷」井上武士 音楽教育研究 1970 No50 p.23∼24音楽之友社
註3)同上p.24
註4)山本壽著「小学校に於ける唱歌教授の理論及実際」p.115∼131大正7年1月第1版,大正8
年7月第5版 目黒書店
註5)青柳善吾著「音楽教育の諸問題」p.193∼207大正12年11月初版,大正12年12月再版 広
文堂書店
註6)幾尾純著「私の唱歌教授」p.104∼106 大正13年6月発行,大正16年1月20版 東洋図書株
式会社
註7)小笠原良造・寺尾勝年共著「本譜教授の実際」p.1∼200大正13年8月初版,昭和4年3月
第8版広文堂書店
註8)北村久雄著「音楽教育の新研究」(楽譜学習の根本原理)p.269∼303 大正15年12月初版,昭
和5年5月第10版 日東書院
註9)山本正夫著「唱歌新教授法」p.61∼65昭和2年5月 高井楽器店
註10)小出浩平著「唱歌新教授法」p.200∼231昭和2年9月 教育研究会
註11)全国訓導協議会は第1回が大正5年5月,第2回が大正10年5月に「唱歌科訓導協議会の名に
於いて開催されており,今回の第30回は「音楽教育協議会」の名を掲げて昭和3年5月19日
∼23日までの5日間にわたって,東京音楽学校において100名近い参会者を得て盛大に行われ
た。
註12〉第30回全国訓導協議会記録 「音楽教育の研究」教育研究 第330号 昭和3年7月 初等教
育研究会発行
註13)山本正夫著「唱歌教授の実際」p.144∼177昭和6年7月文化書房
註14)北村久雄著「楽譜学習の新指導」p.31∼35 昭和6年10月 京文社
註15)瀬戸尊著「聴音を基礎とせる本譜視唱への指導過程」(音楽教育の思潮と研究〉p。411∼434 田
村虎蔵先生記念刊行会編 昭和8年6月 目黒書店
註16)草川宣雄著「最新音楽教育学」p.269∼295 音楽教育書出版協会
註17)雑誌「教育音楽」第172号 昭和12年4月号 日本教育音楽協会 昭和12年4月発刊

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