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世界中の安部公房の読者のための通信 世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

もぐら通信


Mole Communication Monthly Magazine
2017年1月1日 第53号 初版 www.abekobosplace.blogspot.jp

あな
迷う たへ
事の
ない
:
あこのもぐら通信を自由にあなたの「友達」に配付して下さい
あな 迷路
ただ を通
けの って
番地
に届
きま

Box Man

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もぐら通信 ページ 2

目次

0 目次…page 2
1 ニュース&記録&掲示板…page 3
2 詩『Grace』:柴田望…page 15
3 安部公房と成城高等学校(7):旧制高校生の読んだ書籍一覧…page 18
4 私の本棚より:法学者の見た『S・カルマ氏の犯罪』論:『法と権利は名前に対し
てのみ関係する』尾崎一郎北海道大学教授(法社会学)…page 35
5 一行詩『燃えつきた地図』:タキグチケンイチロウ…page 38
6 『方舟さくら丸』の中の三島由紀夫…page 39
7 『デンドロカカリヤ』論(前篇):岩田英哉…page 44
8 これが、安部公房のユープケッチャの世界です…page 72
9 言葉の眼 10:ユーラシア大陸の東と西で何が起きてゐるのか?…page 74
10 連載物次回以降予定一覧…page 76
11 編集後記…page 77
12 次号予告…page 77

・本誌の主な献呈送付先…page78
・本誌の収蔵機関…page78
・編集方針…page 78
・前号の訂正箇所…page78

PDFの検索フィールドにページ数を入力して検索すると、恰もスバル運動具店で買ったジャンプ•シュー
ズを履いたかのように、あなたは『密会』の主人公となって、そのページにジャンプします。そこであ
なたが迷い込んで見るのはカーニヴァルの前夜祭。

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もぐら通信 ページ 3

ニュース&記録&掲示板

1。 今月の安部公房ツイート BEST 10

e
Priz
en Mole
Gold Kiyonari Morikawa @morikiyo_art 12月17日
隣は安部公房くんがいいな。

すずしもると @Suzusimo 12月19日


le 賞
r Mo
Silve 安部公房いないんですか、いないようですね

環_tamaki @tojime_ 12月10日


公安という文字を見て咄嗟に安部公房に脳内変換された

水沢 @mizu_haru21 12月20日
アメリカ文学にて
「今学期の課題は砂の女についての考察にします」
安部公房?!

Rin @Rin0625 12月10日


ダメだ… 久しぶりに読んでる安部公房の本が面白すぎて、電車の中だから声出さず
に笑いを堪えるのが大変すぎて読めない!笑

ヨシミ @tutuganasiya 12月19日


安部公房さんの箱男、読み終わった。
箱男は正直フケツで気持ち悪いけど、やろうとすることは分かる気がする。自分の
一側面を取り上げて、大きく汚くしたら自分も箱男になってしまうような感じ。

すずしもると @Suzusimo 12月19日


ナイチンゲールはさておき、安部公房の作品は好きなんだけど読むと自分がゴミク
ズ同然のパウワァしか持ってないことが白昼のもとにさらされるようで著しく精神
力を使うからあまり積極的に触れたくはない(でも好き)(R62号とかスタンダー
ドにハイパワー)
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2。来年の『新潮』に、安部ねりさんによる『茗荷谷の安部公房』が掲載

来年1月6日発売の文藝月刊誌『新潮』に、安部ねりさんが『茗荷谷の安部公房』と
題して、安部公房が5年住んだ茗荷谷での安部公房についての寄稿をします。

安部公房はこの住まひで芥川賞を受賞してゐます。娘のねりさんも此処で生まれま
した。

今まで伏せてゐて、敢へて公にはしてゐなかつた夫婦仲の様子も書いたといふこと
です。

見開きの2ページとのことです。

安部公房ファンにとつては、何よりの新年の贈り物ではないでせうか。

3。今月の上演

新国立劇場<演劇> @nntt_engeki 12月19日


【シリーズ「かさなる視点」】
ティザー映像公開です。1分お付き合いください。日本近代演劇の礎ともいえる3
作品を、今春3月からシリーズとして連続上演!三島由紀夫、安部公房、田中千禾
夫の名作戯曲に、30代気鋭の3人の演出家が挑みます。

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右から三島由紀夫の『白蟻の巣』を演出する谷賢一、安部公房の『城塞』を上演する上村聡史、田中千禾夫
の『マリアの首-幻に長崎を想う曲-』の演出を務める小川絵梨子
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もぐら通信 ページ 5

新国立劇場演劇 シリーズ「かさなる視点―日本戯曲の力―」ティザー
2017年3月から新国立劇場で始まる、シリーズ「かさなる視点」のティザー映像。
日本近代演劇の礎となる三つの戯曲を30代の三人の演出家が手掛けます。 2017年...

https://www.youtube.com/watch?v=lkleDIU9Xxg

hirokd267 @hirokd267 12月19日


【安部公房関連】「鏡像関係」『榎本武揚』本公演 。
ました
1月27日(金)19時 り
とな
は 中止
1月28日(土)13時/19時 公演
ら この
1月29日(日)11時半/15時半 なが
残念
京都市元立誠小学校 講堂にて
予約 holehall.film@gmail.com
HP: http://holehallfilm.wixsite.com/kyouzoukankei/blank-2

KINOSHITA @piyopiyokleiber 12月12日


KINOSHITAさんが東京大学歌劇団をリツイートしました
https://twitter.com/todaikagekidan/status/808302201533669376 …
駒場演劇界隈、こっちも行こうね。
18は三鷹でオペラ、19は図書館で安部公房だ。

東京大学歌劇団 @todaikagekidan
昨日は本番と同様、2回目のオケ付き通し稽古を行いました
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練習を重ねていくうちに、団員一人一人の動きに磨きがかかっていきますね
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高瀬川すてら(ZTON)12/15∼京都
@StellaSyotyu 12月6日
人間座「幽霊はここにいる」
来週に迫った本番に向けて、舞台を組んで稽古さ
せていただいてます!ありがたい
演出の岡本昌也さん!!
安部公房さんの戯曲に現代の風を吹き込むモニター
や動画の演出、そしてコーラスの作曲や振り付け
まで本当に多才で刺激的な方です
ご予約はDMリプ可能

4。今月の朗読会

東京大学新図書館計画 @UTokyoNewLib 12月14



【ACS企画】「みんなで戯曲を読む会」を開催し
ます。安部公房『友達』を参加者で輪読します。
12月19日(月)19:15∼、申込不要、先着15名
(学内限定)です。実際に声に出して読むことで
何が見えてくるでしょうか?ぜひお楽しみに!

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もぐら通信 ページ 7

【学内限定イベント】「みんなで戯曲を読む会」を開催します!
文学作品の一形態として書籍の形で数多く出版され蔵書されている戯曲ですが、小説のよ
うに黙々と読書していたのでは分からないことも多くあります。実際に...
new.lib.u-tokyo.ac.jp

つきしろ @tukishiro_yoake 12月10日


安部公房の「赤い繭」を先輩が朗読するイベントがありまして行ってきました!
ギターとダンスと朗読のという異様な空間は飲み込まれてしまいそうな雰囲気があって素
晴らしかった....

5。今月の放送・放映
日本映画専門チャンネル
認証済みアカウント
@nihoneiga 12月8日
《必見注意報》明日ひる12時30分からは「訪問インタビュー 安部公房」(全4回)放送
がスタート!昭和59年11月、7年ぶりの書き下ろし作品「方舟さくら丸」発表時のインタ
ビュー。核兵器と国家について、旧満州時代のについてなど見応え十分の内容ですのでこ
の機会に是非ご覧ください。

【訪問インタビュー 安部公房(TV番組・全
4話)】日本映画専門チャンネル
http://www.nihon-eiga.com/program/
detail/nh10006624.html …

6。今月の恩師阿部六郎
ηαυατο υοσηιδα @nariyuki_hanyu
12月11日
『三太郎の日記』阿部次郎の弟で独文学者の
阿部六郎、ニーチェやシェストフの翻訳ぐらい
しか仕事は残ってないけど人脈がすごくて(中原
中也の親友で、大岡昇平・安部公房・吉田秀和らを教えた)戦前戦後の文学者ネットワー
クの結接点みたいな人だなと思ってたら三巻+付録の全集が出ていた。買おうかな

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ηαυατο υοσηιδα @nariyuki_hanyu | www.abekobosplace.blogspot.jp
12月11日
戦前は河上徹太郎と共訳した『悲劇の哲学』でシェストフを流行らせ、成城の教え子だっ
た大岡昇平に小林秀雄、吉田秀和に中原中也をそれぞれフランス語の家庭教師として紹介。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 8

戦後は同じく教え子の安部公房から送られた『終りし道の標べに』の原稿を埴谷雄高
に渡してデビューのきっかけを作っている。

7。今月の誤解
Hiro_me @Hiro_me_joy 12月9日
安部公房著「砂の器」、若いぼくには難解だった、今なら読めるかも知れない、安部
公房氏が医者であることをしばらくして知った、

8。今月の箱男
ふとん @futon345 12月7日
ハロウィンで安部公房の箱コスプレする人たち最高やろ

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もぐら通信
もぐら通信 ページ 9

TKD @she_cut_sea 12月4日


先日のドキュメント72時間(ハロウィンの)で安部公房の箱男のコスプレしてた人がイン
タビュー受けててビックリ。難癖付けるなら『箱男』本文に被る段ボール箱は縦横1㍍
高さ1.3㍍って書いてあるんだからー!覗き穴にはビニール付けないと!ってグダグダ
思っちゃって。でも素敵だった。

尾内 繁夫 @onaishigeo 12月4日
NHKドキュメント72時間、安部公房について熱く語る若い女性。シュールでとても良

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もぐら通信
もぐら通信 10
ページ

その日盛り上がったch
@sonomori_ch 12月3日
【ハロウィン】2ちゃんね
らーがいっぱい ドキュメ
ント72時間 ①ダンボール
女子 [250res/分][金曜夜]
http://sonohimori.blog.jp/
archives/8952340.html …

#NHK #ドキュメント72
時間 #ハロウィン #六本木
#安部公房 #箱男
#2ちゃんねる #2ch #失う

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もぐら通信
もぐら通信 11
ページ

【ハロウィン】2ちゃんねらーがいっぱい ドキュメント72時間 ①ダンボール女子


[250res/分][金曜夜] : その日盛り上がったch
728: 公共放送名無しさん:2016/12/02(金) 22:57:58.76 ID:evkP2CPS.net おまえらキ
タ━━━━━━(゚ ゚)━━━━━━ !!wwwwwwwwwww 745...
sonohimori.blog.jp

岡田昌浩 @triparaace 12月3日


NHK『ドキュメント72時間「六本木ハロウィーン 仮面の告白」』
次々に出てくるバカどもに「三島由紀夫みたいな副題付けて何やってんだ」とウンザ
リしてたら、こんな女子大生三人組が現れた。匿名の箱になって周囲のパーティーピー
ポーを観察しているという。素晴らしい! #安部公房 #箱男

syuzou nonbi @nonbidama 12月2日


NHKの72hでみた安部公房の箱男のコスプレをした女子大生が頭から離れない。何と
いうセンス。

やまだあちゅこ @k243 12月2日


NHKドキュメント72時間が六本木ハロウィン―仮面の告白。クラブとか1時間12万円
のVIPルームとか異空間くらくらしちゃう∼。段ボール被った安部公房の箱男コスプレ
だという女子達、普通にダンボーかと思ったよー。世の中色んな人がいるもんだー

長谷正人 @mtokijirou 12月2日


ドキュメント72時間、六本木ハロウイン編。俯瞰カメラの隅っこに段ボール箱を被っ
た二人が写ったので、安部公房の箱男とか?と頭に浮かべてしまったら、その通り箱
に安部公房って書いてあった。でも「仮面の告白」とか副題つけてる割に、ディレクター
が知らないらしく「箱?」って聞いてた。

滝本賢太郎 @hatsumukashi 12月2日


ハロウィンの日、六本木で安部公房『箱男』の仮装をした人をテレビで見て、高校時
代、銀座で箱男を実際にやってみるという映像を撮ったことを思い出す。某デパートに
箱かぶって入ったら、従業員がわらわら集まってきたこと、よく覚えている。

tartan @tartan_icb60014 12月2日


乱痴気騒ぎじゃなくてそれを観察する安部公房の箱男くらいひねったハロウィンだと
やる価値はあるかな(安部公房は知らないけどw
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ゆきち @hananosuke 12月2日
安部公房「箱男」に扮したお姉さんたち、穴から覗く顔の部品がいちいち整っていて
美女っぽい。 #ドキュメント72時間
もぐら通信
もぐら通信 12
ページ

e_ri @soulfreedom2 12月2日


ドキュメント72でハロウィンコスプレ特集してて安部公房の箱男でダンボール被った
だけのコスプレの人出てきた、渋い

世捨て人 @real_striker 12月2日


安部公房の箱男も知らないインタビュア #72時間

[編集部]
どうやらハロウィーンの定番に「箱男」が入つたらしい。それも、ハロウィーンは、日
本のCool Japanのコスプレ部門の一部になつてしまつたといふことである。日本文化
は幕内弁当である。

9。今月の古書
山中剛史 @ymnktakeshi 12月3日
三島の旧蔵書が100以上リツイートされてるので、調子に乗って昔掘り出したものを。
これも以前に東京古書会館での古書展で掘り出した安部公房旧蔵の『文学界』1954年
12月号。安部公房『壁』が創作合評で取り上げられている。300円だったと思う。こ
の雑誌で自作の批評読んだのだろうな

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[編集部]
山中さんは気鋭著名の三島由紀夫研究者です。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 13

10。今月の地獄行き
黒葛原一樹 @unnamable1897 12月1日
ブックオフオンラインに安部公房全集売ったら、1冊50-100円だった。定価6000円が
こうなるのか。ぼくもブックオフで1冊500円で買ったんだけどさ。ものすごいかさば
るから結局ゴミになる。とても立派な装丁だけど、ああいう本はよくないね。

[編集部]
ブックオフよ、地獄へ堕ちろ!

11。今月の読書会

hirokd267 @hirokd267 12月9日


【拡散希望】【関西安部公房オフ会】第12回読書会のご案内
1月9日(月・祝)午後1時ー5時 京都市右京ふれあい文化会館第二会議室にて
課題:『方舟さくら丸』(新潮文庫他)
初めての方も歓迎!RTで「申込み」を
詳細はhttp://bit.ly/2fIj3fZ にて

安部公房のエッセイを読む会(第8回)を開催します。
開催の要領は次の通りです。ご興味のある方は、もぐら通信社宛、下記のメールアドレ
スまでご連絡下さい。:s.karma@gmail.com

I 日時と場所
(1)日時:2017年1月29日(日)13:00∼17:00
(2)場所:南大沢文化会館 第2会議室
(3)交通アクセス:京王線南大沢駅下車徒歩3分:http://www.hachiojibunka.or.jp/
minami/
(4)参加費用:無料
(5)二次会:最寄駅近くの安い、居酒屋という迷路をさ迷います。割り勘です。

II 課題エッセイ
(1)『平和について』:全集第2巻54∼58ページ
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(2)『絶望への反抗』:全集第2巻76ページ]
(3)『平和について』:全集第2巻78∼81ページ]
ご興味のある方は、もぐら通信社宛、下記のメールアドレスまでご連絡下さい。:
s.karma@gmail.com
もぐら通信
もぐら通信 14
ページ

12。今月の音楽バンド
【公認】サカナクション一郎発言bot @ichiro__bot 12月3日
寺山修司先生。宮沢賢治先生。石原吉郎先生。吉本隆明先生。萩原朔太郎先生。太宰
治先生。岡本太郎画伯。神田日勝画伯。ヨハネス・フェルメール画伯。パウロ・クレー
画伯。安部公房先生。サン・テグジュペリ先生。中原中也先生。僕は尊敬しておりま
す。 …板尾創路先生。 面白すぎです。

[編集部]

サカナクションは、『安部公房世界とサカナクション∼一回性の言葉とリズムと旋律
と∼』(もぐら通信第25号)題して、当時中学三年生の安部公房愛読者、篠子良太
(ささこりようた)君(寄稿者の最年少記録保持者です)が 寄稿してくれた中で、安
部公房と比較をして論じてゐた音楽バンドです。以下、この時の編集部註を再掲します。

「[編集部]
篠子良太さんは、信州に住む中学三年生の安部公房読者です。

サカナクションは、2005年に結成された日本のロックバンドです。バンド名は、 魚と
actionを組み合わせた 語です。これも、安部公房の言語感覚に通じているので はない
でしょうか。『箱男』の中で、贋魚と、夢見て閉鎖空間を永遠に脱出し続ける 魚を、
安部公房が命名したように。とすると、このロックバンドも贋魚の一種なので す。と
思ってそのバンドの名前をみると、何故ならば、アクション魚ではなく、魚ア クショ
ンだからです。この安部公房的言語感覚。この主語と述語の転倒。この命名の 構 は如
何にも安部公房らしい。きっと山口一郎というこのバンドの主宰者であり、 その歌詞
を書いているこの若者は、安部公房の読者かも知れません。

Wikipediaがあります:http://ja.wikipedia.org/wiki/サカナクション また、YouTubeに、
引用されたこのバンドの歌「ナイトフィッシングイズグット」の演 奏の動画がありま
す:
https://www.youtube.com/watch?v=c7m8hgo_ofY

また、「バッハの旋律を夜に聴いたせいで」という演奏の動画もあります:
https://www.youtube.com/watch?v=tZbXHt3xPr8
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これらの歌の題名と歌詞を読むと、安部公房とは、夜とバロック様式(バッハ)と忘却で、
間違いなく、通底しているということになります。」
もぐら通信
もぐら通信 ページ 15

「 Grace 」

柴田望

「 Grace 」
*
*
復活祭に同席していた
レギーネがキルケゴールに
愛着を込めて頷きかけた日
*
パブロ・ネルーダがマチルドの夏
花咲くレモンに出会った日
*
キルケゴールが偽の欺満者から
偽善者へ変貌した日
*
ルー・リードがシルヴィアへ
子どもなんて要らない、と告げた日
*
シェイクスピアのソネット105番
愛が決して偶像崇拝ではなかった日
*
ごきげんよう
今日の
Graceに
感謝します。
*
オンディーヌには傷つくことでしか
確かめられなかった日
*
西風がズライカの心を
控えめにハーテムへ届けた日
*
ふたりを結びつけるは絆ではなく
真昼の匂いであった日
もぐら通信
もぐら通信 16
ページ

*
ジム・モリソンが「産まれずに生き、
生きて死ぬ」と歌った日
*
マグダラのマリアがイエスの髪に香油かけ
葬式の準備した日
*
レギーネとシュレーゲルの婚約を
キルケゴールが知った日
*
PALE BLUE EYES
どっかのバーで
口ずさむのを聴いた日
*
ごきげんよう
今日、
Graceを
大切にします
*
破棄した婚約のはずが
160年以上も
レギーネを独占している
*
ミューズとの大切な記憶は
ほんの一瞬でいいのだ
*
もうきみとは
一言も話さない
視線も交わさない
*
最期に交わした言葉を
濁らせはしない
*
買い物公園で一緒に聴いた
ミュージシャンが路上で歌う
ゆずの「なにもない」「雨と泪」
もぐら通信
もぐら通信 17
ページ

*
ある夏のたった一夜
*
主よ、Graceを
末永く
命ある限り
無限に
感謝します
*
2016-12-05.

[註]
次のURLにて映像で此の詩をご覧ください。

https://youtu.be/kEGQ1jGlpFM
もぐら通信
もぐら通信 ページ18

安部公房と成城高等学校
(連載第7回)

旧制高校生の読んだ書籍一覧

岩田英哉

以下のページに、先の敗戦前の旧制高校生がどのやうな書物を読んでゐたのか、その典型的な
例として、当時の著名な経済学者にして社会思想家、東京帝国大学教授、河合栄治郎の全集第1
6巻に拠って、15ページに亘つて当時の高校生に推薦する書籍の名前が挙げられてゐるので、
これを其のまま掲載します。

これによつて、当時の高校生の知的水準が、敗戦後の大衆化された高等学校とは全く異なり、
特権的に国家の戦前の又戦前からの有知識階級を形成した若者たちにあつては、如何に高度な
ものであつたかを知ることができます。

安部公房も、他の級友たちと同様に、このやうな知識の環境の中で、自己の人生を考へたのです。

引用する一覧は、『第一 学生生活』といふ同巻全ページに充てられて再録されてゐる作品の中
の「(7)高等学校時代の読書」と題された一章にあるもので、その前に置かれた文章で、河
合栄治郎は次のやうに述べてゐます。直前の二段落を引用します。

「 古典と新刊と何(いず)れを読むべきか、古典はいかに読むべきか等に就いては、本書の
各所で書いたから今は繰り返さない。洋書と和書と何れに重きを置くかに就いて云えば、私共
は学生時代を通じて洋書に余りに偏して、東洋及び日本に関するものを看過した傾向があった。
最近日本に起こつた思想運動は多くの点に於いて欠点もあるが、東洋と日本との文献に就いて注
意を喚起した点は、確かに大きな長所である。吾々は今迄よりも儒教や仏教や日本の思想に関
心を持たねばならないと思ふが、然し吾々の思索を精密にし、我々の視野を広潤にする為から
云つて、少なくとも青年時代には欧米の文献に重きを置いて、その後に身辺の思想に戻っても遅
くはないと思ふ。私自身も日本や東洋の思想をいつか確乎と勉強したいと思ってゐるけれども、
早くから此の方面に着手する先輩の実例を見ると、動(やや)もすれば保守主義に堕する虞れ
があるので、今少し前途にと留保してあるのである。西洋の文献に就いても原書と訳書と何れを
読むかと云ふ問題が起こるが、学生諸君の外国語の進歩と云ふ点から云って、なるべく原書に接
もぐら通信
もぐら通信 19
ページ
する方が得策であり、良書の妙味は原書に触れねば悟得出来ないから、之ぞと限った良書に就
いては、少なくとも、訳書と対照してなりとも原書に接する必要があると思ふ。殊に歴史書は原
書によると各種の語句を覚える利益があり、歴史は思索を必要とすることが少ないから、外国
語を迅速に読む習慣を付けるのに便利である。若し英文の原書を使用するなら、Everyman s
Libraryは殆ど各著を網羅して居り、廉価であるのと、巻頭に著名の人の序文が載せられてゐる
ことで、最も推薦に値する。
扨(さて)以上の如き前提を置いて、私は高等学校学生の読むべき書物を、次に列挙したいと
思ふが之は決して網羅的ではなく、諸君は学校の教授に就いて直接指導を受けられるのが望まし
いが、唯参考の為枚挙してみたに過ぎない。
私は高等学校を最近二、三年間に卒業した大学生と、十年程以前に卒業したもの、二十年位以
前の卒業生との三段階に分けて、十数名の知人に問い合わせて私の意見を基礎として掲載してみ
た。項目の分類は決して厳密ではなく便宜に従った。文中※印のものは、比較的重要のものとし
て特に繙読(はんどく)を推奨したき分である。」(同書166∼167ページ)

安部公房からの「中埜肇宛書簡第一信」(全集第1巻、68ページ)によれば、「今第一批判
をやり始めました。六ヶしい。非常に疲れます。けれど成程と思ふことが書いてある。笑はない
で下さい。君なら此の意味を解つて呉れるでせう。」とあり、この一覧のうちのカントの『純
粋理性批判』を読んでゐることがわかります。1943年10月14日付の手紙ですから、安部
公房19歳の年、9月に成城高校を卒業し、10月に入学した東京帝国大学医学部一年生です。

この一覧には、ニーチェはありません。かうして見ますと、ニーチェはやはり恩師阿部六郎に教
はつたと考へることが自然です。

また文学の分類にはリルケもありません。当時の成城高等学校のリルケの専門家として著名な
教授は星野慎一ですし、当然授業ではリルケを講じて安部公房もこれを聴講したことでせうが、
しかし、出身地新潟県長岡市の図書館に寄贈されてある星野慎一文庫には、安部公房からの書
簡その他の資料はないことを照会して確かめましたので、やはりリルケもまた、阿部六郎に親し
く教はつたと考へるのが、これも自然なやうに思はれます。

一覧には、阿部六郎の兄弟の次兄阿部次郎が共訳した『ソクラテスの弁明、クリトン』が哲学の
分類の元に、また倫理学の分類の元には、独自に著した『倫理学の根本問題』、思想の分類の
元には『三太郎の日記』以下『人格主義』、『学藝論抄』、『世界文化と日本文化』、『地獄
の征服』、『滞欧雑記』の全6作品が、並んでゐます。これらの書物の題名で、当時安部公房に
接触してゐた社会的な又時代的な関心がどのやうなものか、また教へを受けた恩師阿部六郎の、
家庭環境も含めて、その知的環境がどのやうなものであるのかが知られます。

この阿部六郎といふ恩師は、ニーチェとリルケといふ安部公房文学の骨格をなす哲学者と詩人
を安部公房に教へた、安部公房の人生にとつて非常に重要な人物であつたといふことになります。

阿部六郎全集を読みますと、この恩師の交流は誠に当代一級の文人、作家、教授たちの名前が
無造作に挙げられてゐて、その交流の広さ深さと、やりとりする教養の水準の高さを示してゐま
す。阿部六郎については稿を改めて論じます。以下、河合栄治郎による推薦図書一覧です。
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以上の章立てを抜粋して最後にま
とめれば、旧制高校生の一般的な
読書の範疇は、次の通り。

1。哲学
2。論理学
3。思想
4。社会思想
5。伝記
6。歴史
7。文学
8。随筆紀行
9。経典宗教
10。科学

著者河合栄治郎については:

https://ja.wikipedia.org/wiki/河合栄治郎

河合栄治郎事件については:

https://ja.wikipedia.org/wiki/河合栄治郎事件
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私の本棚より

法学者の見た『S・カルマ氏の犯罪』論

『法と権利は名前に対してのみ関係する』
尾崎一郎北海道大学教授(法社会学)
[月刊誌『法学セミナー』(2016/8)「法学者の本棚」]

岩田英哉

法学の世界の安部公房の読者です。これは、『法学セミナー』(2016年6月号)といふ
法学専門の読者のための月刊紙に書かれたものです。執筆者は、尾崎一郎さんとおつしやつ
て、北海道大学教授。法社会学の御専門です。このやうな方が、『S・カルマ氏の犯罪』を
論ずるとは面白い。さう、思つて、採り上げた次第。

たつた1ページの文章量ですが、少ない量の文字の中に、ご自分がこの作品を繰り返し読ん
だことが語られてをり、その論調語調も、何か専門の職業人としてよりも、個人としての哀
歓を、遠く感じさせるものがあります。例jへば、次のやうな箇所。

「「世界」は言葉で出来ており、有意味なものとして立ち現れる。では、当の言葉がそれぞ
れの「専門」ごとに分裂し、陳腐化し、あるいは理屈ならぬ理屈で再帰的に暴走し始めた
らどうなってしまうのか?」(傍線筆者)

法学者が、安部公房の文学の本質を理解するキーワードである「再帰的」といふ言葉をあ
つさりと使つてゐることには驚きました。やはり言葉と論理を日々考へる人間の思ふ極く
普通の、言葉の固有の性質を理解してゐるのです。

しかし、法律の世界は、この言葉の再帰性を否定して成り立つ世界ですので、これがこの方
の長年の悩みであるのです。つまり、私は私である、とか、S・カルマ氏はS・カルマ氏で
ある、といつても、物事は何も進展せず、これでは法文の一行も筆を持つて書くことができ
ない。どうしても、尾崎一郎は法学者である。といふ一行の文を書かざるを得ない。あな
たも、その筈です。安部公房の世界に遊ぶ場合以外には。
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この方は、安部公房の読者であるのには、若い頃に数学の志を抱いてゐたことも大いに関
係があることでせう。次のやうに書いてゐます。

「数学への志を断念して2年生の途中で法学部に転じた途端に、法律学の論理とも思えぬ
「論理」や「学説」への違和感と空虚感に苛まれることになった学生当時の私は」、上述
の言葉の再帰性を巡る思ひから、カルマ氏のやうに「こんな具合に理性が役立たなくなり、
自由がなくなると、必然と偶然のけじめがまるでなくなって、時間はただ壁のようにぼくの
行手をふさぐだけです。」と嘆いたとのこと。まさしくS・カルマ氏の「心境であった。」

「しかし、考えてみれば、大学入学時までにナイーブに信じていた「理性」とか「けじめ」
はそれほど自明なことなのだろうか?大学で専門を学ぶことでようやく私たちは事物を明
瞭に区別する真にゆう意味で理性的な言葉を手にするのではないか。だとしても、数セミ
や経セミではなく法セミを手にすべき確かな理由はどこにあるのだろうか……。」

これは、志を持って生きようとする全ての若者の悩みでありませう。

今改めて、この方の文章を読んで、その冒頭に、S・カルマ氏を裁判する委員会の委員の構
成員についての記述がありました。委員会の構成は次の通りです。

1。哲学者2名
2。数学者1名
3。法学者2名

この3職5名が、侃侃諤諤の議論をする。

この議論に使はれる言葉の性質を、この法学者は次のやうに言ひ表してゐて、的確であり、
この、安部公房の人生にとつて画期的な小説の文体の特徴を言ひ当ててをります。如何にも
法学者として言葉に対して来た人間だと思ひました。

「以後、小説の終末に至るまで、「裁判」や「革命」「名前」をめぐって、それ自体として
は有意味だがコンテクスにおいて無意味、不条理な言葉が登場人物(事物)によって無数に
交わされる。」(傍線筆者)

即ち、ナンセンスの文体とは、その言葉は其れ自体としては有意味だがコンテクストにおい
て無意味な言葉で書くことである。あるいは逆に言へば、ナンセンスの文体とは、言葉で
書くことであるが、コンテクストにおいては無意味な言葉になるやうなコンテクストを創造
し、それ自体は有意味な言葉で一行を書くことである。

といふことになります。
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もぐら通信 37
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確かに、これは、この小説の文体の見事な分析になつてをります。

この視点で、『S・カルマ氏の犯罪』論を書くことができます。

さて、この法学の世界のS・カルマ氏は、その後どうなつたか。

「混乱するカルマ氏は、ショー・ウィンドウの人形に示唆され、「世界の果て」への「逃
亡」を試みる。私は、幾度となくこの小説を読み返しながら、法学部にあって「法社会学」
に逃亡した。30年たってなお〈法〉を前に果てしない逡巡を繰り返している始末である。」
と語って、この寄稿の最後を終えてゐます。

この法学者の悩みは、法律の世界は、言葉の再帰性を否定して成り立つ世界であるにもか
かわらず、再帰的な人間であるS・カルマ氏として生きようとしてきた所にあります。

S・カルマ氏裁判委員会の二人の法学者のうちの一人は、この尾崎さんといふ方であるなら
ば、裁く側と裁かれる側の両方の役割を演じるのが、法学者の社会的役割といふことにな
りさうです。

しかし、この姿は、社会の中で、明るい昼間の生業に就いてて働いてゐる読者の、あなたの
姿ではないでせうか。

さうさう、ドイツ文学に私の好きな作家がゐて、昼は裁判官、夜はベルリンの酒場に出没し
ながら執筆をこなすE.T.Aホフマンといふ作家がをりました。「公房好み」だと思ひます。
一読をお勧めします。こんな題名は皆安部公房の世界に通じてゐるやうに思ひますが、如何。

犬のベルガンツァの最近の運命に関する報告 幽霊譚
磁気催眠術師 自動人形
黄金の壺 見知らぬ子供
大晦日の夜の冒険 さる有名な人物の消息
悪魔の霊液 不気味な訪問者
砂男 賭事師の運
石の心臓(Das steinerne Herz) 幻のごと現われしもの
劇場監督の奇妙な苦しみ 物事の関連性
ちびのツァヒェスまたの俗称をツィノーバー 牡猫ムルの人生観
隠者ゼラピオン 誤謬
マルティン親方とその弟子たち 自画像
秘密
クレスペル顧問官 ドッペルゲンガー
詩人と作曲家 蚤の親方
3人の友人の生活から一篇の断章 隅の窓
ファールン鉱山
くるみ割り人形とねずみの王様
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もぐら通信 ページ 38

一行詩『燃えつきた地図』

タキグチケンイチロウ

小説『燃えつきた地図』の地図とは=記憶のことだったんだ・・・

.
por placerat
Rhoncus tem
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もぐら通信 ページ39

『方舟さくら丸』の中の三島由紀夫

岩田英哉

「『燃えつきた地図』の中の三島由紀夫」(もぐら通信第46号)と題して、安部公房が三島
由紀夫と交わした時間と空間に関する哲学談義を論じ、それを小説といふ虚構の世界に映した
ことを述べましたが、1967年刊行の『燃えつきた地図』より17年後の、1984年刊行
の『方舟さくら丸』の冒頭に、やはり三島由紀夫の愛した形象を二つ書いて、この、安部公房
の人生に於いて最も親しかつた筈の友人の霊に、安部公房は密かに追悼の意を表はしてをりま
す。

その二つの形象とは、仔鯨と、ラグビーのボールです。

「仔鯨」と、「子鯨」とではなく、何故安部公房は、この文字で此の言葉を選んで、書いたの
でせう。

三島由紀夫が1970年に亡くなつたあと立ち上げた安部公房スタジオのために書いた戯曲『仔
象は死んだ』(1979年)の題名が、子象ではなく、仔象でなければならない理由は、当時
奉天で小学生の頃に、当時何度も大陸を巡回して、奉天では千代田公園でテントを張った[註
1]矢野サーカス団のサーカスでは間違ひなく見た筈の子供の象の曲藝に、死を思はせる何か
を同じ子供の安部公房が見たのか、それともサーカスを観て感動した後に、その子象が死んだ
ことを知つたのか、いづれかでありませう。『安部公房文学サーカス論』は別途論じます。

ここで、安部公房が仔鯨と書き、子鯨と書かなかつたのは、同じ理由によります。安部公房は
詩人ですから、『没我の地平』でも『無名詩集』でも、用字については、その文字の間の一文
字文の空白も含め、厳密厳格に此れを文字通りに用ゐてゐることは、『安部公房の奉天の窓の
暗号を解読する∼安部公房の数学的能力について(後篇)』(もぐら通信第33号)で詳細に
論じた通りです。

この仔鯨は、死んだ鯨の子供、いや、それ故に、仔供なのです。

鯨は海の形象ですが、『方舟さくら丸』の主人公の仇名でもあるもぐらは陸の形象です。後者
については、三島由紀夫が畢生の名作『豊饒の海』の第1巻『春の雪』の第18章で、死んだ
子供のもぐらとして描いてゐることは、「『燃えつきた地図』の中の三島由紀夫∼二人の交わ
した時間論について∼」(もぐら通信第46号)で述べたとおりです。[註1]
もぐら通信
もぐら通信 ページ40

[註1]
三島由紀夫が最後の作品『豊饒の海』の第1巻「春の雪」の第18章で、安部公房を死体となって地表に横たわっ
ているもぐらの子供として登場させたことは、既に『三島由紀夫が安部公房に贈った別れの挨拶∼『春の雪』の
中のもぐら∼』(もぐら通信第30号)に書いた通りです。

「第一時限の論理学の講義がおわり、血洗いの池を囲む森の小径を歩きながら、二人はその話(筆者註:恋と世
の終末と死と権力と金の話)をしたのであるが、第二時限がはじまる時が迫り、今来た道を引返した。秋の森の
下道には、目に立つさまざまのものが落ちていた。湿って重なり合い茶いろの葉脈が際立った夥(おびただ)し
い落葉、団栗(どんぐり)、青いままにはじけて腐った栗、煙草の吸殻、......その間に、ねじけて、白っぽい、
それがいかにも病的に白っぽい毛の固まりを見つけて、本多は立止まって瞳を凝らした。幼い土竜(もぐら)の
屍(しかばね)だとわかったときに、清顕も蹲(うずく)まって、朝の光を頭上の梢がみちびくままに、黙って
この屍をつぶさに眺めた。
白く見えたのは、仰向きに死んでいる胸のあたりの毛だけが白いのが目を射たのである。全身は濡れそぼった
天鵞絨(ビロード)の黒さで、小さな分別くさい掌(てのひら)の白い皺(しわ)には泥がいっぱいついていた。
足掻(あが)いて、皺に喰い込んだ泥だとわかる。嘴(くちばし)のような尖った口が仰(あお)のいて裏側が
見えるので、二本の精妙な門歯の内側に、柔らかな薔薇色の口腔がひらいていた。」

また、それが証拠には、例へば『カンガルー・ノート』の中の「3 火炎河原」の章では、こ
こで一度使はれて以降は小鬼と呼ばれる子供の登場に際しては、単に子供と書き表し、仔共と
いふ用字とは別にして書き分けてをります。(全集第29巻、119ページ下段)

さて、『春の雪』の第18章の此の仔共のもぐらの死んでゐる傍には大きな池があり、小島が
浮かんでゐます。また池は水といふことから海に、形象として通じてをりますから、安部公房
は『方舟さくら丸』の冒頭で、次のやうに、そして何しろ方舟ですから海に大いに関係してゐ
て、また海はリルケに習ひ倣つた存在の形象ですから、言語と文字の世界に、即ち存在の中に、
シャーマン安部公房は、三島由紀夫の霊を招来したのです。存在への案内書(ガイドブック)
は、既に目次としてその前に、立て札として掲示されてゐます。[註2]

[註2]
この小説の目次がガイドブックであり、立て札であるといふことについては、やはり『安部公房の奉天の窓の暗
号を解読する∼安部公房の数学的能力について(後篇)』(もぐら通信第33号)で、他の立て札と併せて詳細
に論じましたので、これをご覧ください。

その箇所を引用します。この言葉の文脈を知つて戴くために、その前後も含め、少し長い引用
になります。傍線筆者。

「月に一度、県庁のある街まで買い物に出る。車で小一時間かかってしまうが、蛇口のパッキ
ング、電動工具の替え刃、大型積層乾電池といった特殊な品物が多いので、地元の商店街では
間に合わないのだ。それに出来れば顔見知りとは顔を合わせたくない。影のように綽名がつい
もぐら通信
もぐら通信 ページ 41

てまわるからだ。
《豚》もしくは《もぐら》がぼくの綽名である。身長一メートル七十、体重九十八キロ、撫
で肩で手足は短めだ。体形を目立たせまいとして、丈の長い黒のレインコートを試してみたこ
ともある。しかし駅前の大通りに面して新築された合同市庁舎の前で、そんな幻想はあっけな
く吹き飛ばされてしまった。市庁舎は黒い鉄骨と黒いガラスに覆われた、黒い鏡のような建物
で、列車を利用しようと思えばどうしてもその前を通らざるを得ないのだ。黒いガラスに映っ
たぼくは道に迷った仔鯨か、ゴミ捨て場で変色したラグビーのボールに見えた。背景の街が歪
んで映るのは面白いが、歪んだぼくはみじめなだけだ。」(傍線筆者)

黒い鏡の箱型の建物といふのは、この冒頭で既に昼間の世界とは異なる地下の世界の陰画の洞
窟の世界を意味してゐて、この小説の結末で、主人公が再び此の市庁舎の黒い箱の前へと脱出
する最後の章への、最初の導入となつてゐます。

さて、ラグビーのボールの話です。平面(二次元)であれ立体(三次元)であれ、この楕円形
の球の形象が、三島由紀夫の文学に持つてゐる大切な意味については、既に幾つかの論考で論
じたとおりです。[註3]一言でいへば、これは対称性を備えた形象であり、また其の対称形の
組み合わせによつて十字架の形象に通じる楕円形であつて、三島由紀夫が十大の詩人の時代か
ら愛した、生命の充実した、死と隣り合わせの、極限の形象であるといふことです。

[註3]
楕円形やフットボールについては、以下の論考を書きましたので、ご覧ください。

『三島由紀夫の十代の詩を読み解く25:二人の理髪師』:https://shibunraku.blogspot.jp/2015/10/blog-
post_4.html
「三島由紀夫の十代の詩を読み解く27:『剣』論(1)」:https://shibunraku.blogspot.jp/2015/11/blog-
post.html
「三島由紀夫の十代の詩を読み解く28:『剣』論(2)」:https://shibunraku.blogspot.jp/2015/11/blog-
post_3.html
『卵をめぐる冒険∼三島由紀夫の卵と村上春樹の卵∼』:https://sanbunraku.blogspot.jp/2016/12/blog-
post.html

また、楕円形を巡つて、年代順に十代の詩の世界から思ふままに挙げてみますと、次のやうな詩や小説がありま
す。勿論、これ以外にも幾つもの詩と小説に登場してゐます。

(1)詩『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』:13歳
(2)詩集『一週間詩集』の表紙にある楕円形:15歳
(3)小説『卵』の楕円形:28歳
(4)16歳の詩『理髪師』の改作の詩『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』の楕円形:
32歳
(5)小説『剣』の冒頭の竜胆の紋の楕円形:38歳(上記『剣』論二つをご覧ください。)
もぐら通信
もぐら通信 ページ42

このラグビーのボールといふ一語から判ることは、安部公房が三島邸を訪ねて、あの太陽の部
屋に、賓客として、特別な客として、招じ入れられた時に、三島由紀夫は間違ひなく、自分が
十代で詩人であつたことを打ち明け、自分の大切な詩集の幾つかを開いて、自分の詩の世界を
安部公房に語り、伝へたといふことです。

二人が二人だけで会つた時には、無条件で、云ふことなしに、詩人として会つたのだといふこ
とが、この一語から判ります。[註4]

[註4]
安部公房全集を読みますと、安部公房は十代からは勿論ですが、詩を解する友と哲学を解する友を常に求めてゐ
ます。十代には、前者については、金山時夫が、埴谷雄高とご縁ができてからは中田耕治さんが、後者について
は、中埜肇が、さうでした。三島由紀夫は、この二つの領域に十分に及び、互ひの立場と主張の論理を交換しな
がら自由闊達に論戦できる友でした。

このやうなことすべてを含めて、次の一行があると思ふと、誠に感慨深い。

「黒いガラスに映った僕は道に迷った仔鯨か、ゴミ捨て場で変色したラグビーのボールに見え
た。」

道とは、既に18歳の時の論文『問題下降に依る肯定の批判』(全集第1巻、11ページ)に
書いた道です。『赤い繭』の冒頭に主人公が夕暮れにトボトボと自分の家を探して歩く、家と
家の間の隙間に存在する道です。以下に『株の道と安部公房の道』(もぐら通信第24号)よ
り引用して、この位相幾何学的な道をお伝へします。

「安部公房の道は、既に18歳の時に書いた『問題下降に拠る肯定の批判』に、遊歩 場と呼ば
れる道として出て参ります(全集第1巻、12ページ下段から13ページ 上段)。遊歩場という18歳
の少年の命名は、そのまま後年の安部公房の文学の世 界の本質をそのまま言い当てています。
安部公房の作品は、すべて遊びの、嬉遊の、 遊戯の世界とその道、即ち遊歩場という道の表現
であり、その提示だからです。

この安部公房の道は、「他の道とははっきりと区別されて居なければいけない」 のであり、こ
の「遊歩場は二次的に結果として生じたもの」であり(晩年のクレオー ル論を読んでいるよう
な気持ちがします。同じ発想です。既にこのとき安部公房の クレオール論は完成していたので
す。)、「第一に此の遊歩場はその沿傍に総ての 建物を持っていなければならぬ。つまり一定
の巾とか、長さ等があってはいけない のだ。それは一つの具体的な形を持つと同時に或る混
沌たる抽象概念でなければな らぬ。第二に、郊外地区を通らずに直接市外の森や湖に出る事
が出来る事が必要だ。 或る場合には、森や湖の畔に住まう人々が、遊歩場を訪れる事がある
からだ。遊歩 場は、都会に住む人々の休息所となると同時に、或種の交易場ともなるのだ。」
もぐら通信
もぐら通信 ページ43

と いう道なのですが、この文章を読むと、このとき既に、安部公房はtopology(位相幾何学)と
いう数学を知っていたのだと言う事が判ります。

この道は、幾何学的な道であって、そこには時間がありません。」

「黒いガラスに映った僕は道に迷った仔鯨か、ゴミ捨て場で変色したラグビーのボールに見え
た。」

この一行で、安部公房は、三島君、歪んだ黒ガラスの、即ち歪み、即ち差異に存在する存在の
中では、僕は君なんだよ、これは死んだ仔供のもぐらのお礼だよ、と言つてゐる安部公房の声
が聞こえます。今度は君を、あの『春の雪』の第一八章の景色の中にある海の中で「道に迷っ
た仔鯨」にして、君はtopologicalな道を辿つて永遠に生きてゐるんだよ、陸の上では君はラグ
ビーのボールだった、これは生命の象徴であり、君の生命そのものの形象であつたね。そして、
僕たちは君の太陽の部屋で膝を交えて語り合った。本当に楽しかった。そして、辛かった。何
故なら君は、小学生の時に受けた死なざるを得ない酷い理由[註5]を僕にだけ打ち明けてく
れたからだ。さうして僕は僕が如何に満洲帝国の奉天といふ町で孤独な小学生であつたかを打
ち明けることができた。ありがたう、三島君。君は詩と哲学と言語[註6]のことを二人で語
り合ふことのできる、僕の最高の友であつた、と。

『方舟さくら丸』の刊行は、1984年11月15日。奇しくも、三島由紀夫の命日の10日
前です。安部公房のことですから、意図的に計算をして、10日の時差を設けたのでありませ
う。虚構と現実の両方に存在を招来するために。1970年11月25日の三島由紀夫の死の
10日前に安部公房に何があり、三島由紀夫に何があったのか。

[註5]
「また父は家で三島の死なざるを得ないような幼少期の辛い体験のことを話していた。」(安部ねり著『安部公
房伝』164ページ)

[註6]
「この座談会で、三島は公房の言語論にも言及していて、公房から言語論の話を聞いていた数少ない者のひとり
であったことが伺える。」(安部ねり著『安部公房伝』164ページ)「この座談会』とは、中国共産党の毛沢
東による文化大革命に対する反対声明「文化大革命に関する声明」を出した直後の安部公房、三島由紀夫、石川
淳、川端康成による座談会のことを言つてゐます。1967年5月1日の座談会です。全集第21巻所収。同巻1
5ページ。
もぐら通信
もぐら通信 ページ44

『デンドロカカリヤ』論
(前篇)

岩田英哉

目次

1。二つの『デンドロカカリヤ』
2。「問題下降」とは何か
3。3回の問題下降と結末継承の分析
4。3回の問題下降で、安部公房は一体何を成し遂げたのか
5。結末共有と結末継承
6。結末継承から見る安部公房の作品の系譜
7。結末共有から見る安部公房の作品の系譜
8。冒頭共有から見る安部公房の作品の系譜
9。結論:安部公房の文学とは一体何か

*******

1。二つの『デンドロカカリヤ』
『デンドロカカリヤ』には二種類あります。一つは、全集によれば「雑誌「表現」版」と呼ば
れてゐるもの、もう一つは、「書肆ユリイカ版」と呼ばれてゐるもの、この二つです。

便宜上、前者を『デンドロカカリヤA』と呼び、後者を『デンドロカカリヤB』と呼ぶことに
します。前者の発行は1948年8月1日、安部公房25歳の時、後者の発行は1952年1
2月31日、安部公房28歳の時です。この二つの作品の間に、『S・カルマ氏の犯罪』で芥
川賞を受賞してゐます。

二つの『デンドロカカリヤ』の関係を整理するに当たつて、その前後も整理をしました。即ち
18歳の時の論文『問題下降に依る肯定の批判』から『デンドロカカリヤB』までを時系列に
配置し、安部公房の常としていつも理論と実践を繰り返しますので、これを念頭に置いて、上
段に理論に当たる作品を、その下に実践に当たる作品を置きました。それが、この図です。
もぐら通信
もぐら通信 45
ページ

全体図

この図は、次のURLでダウンロードできます:

https://ja.scribd.com/document/335110940/詩人から小説家へ-v4
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右半分図
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左半分図
もぐら通信

もぐら通信 ページ48
この図を作成しながら、また作成した結果、この図からわかつたことを以下に述べます。この
論考の記述の順序は、私が安部公房の創作の秘密を解き明かして行く過程そのままです。どう
か、私の思考プロセスにおつきあひ下さい。

詳細な説明に入る前に、この図を概観して知ることは次のことです。

1。『問題下降に依る肯定の批判』から『デンドロカカリヤB』までの間は次の3つの時期に
分けることができること

(1)散文形式による創作理論(『問題下降』論)の確立:1942年∼1944年:18歳
∼20歳:緑色の枠で示してゐます。
(2)詩と散文の統合:詩形式による「今後の問題の定立」(『無名詩集』):1946年∼
1949年:22歳∼25歳:青い色の枠で示してゐます。
(3)散文形式(小説形式)の確立:1949年∼1952年:25歳∼28歳:赤い色の枠
で示してゐます。

上記(1)と(3)の間に『デンドロカカリヤA』が位置してゐる作品であること。即ち、『デ
ンドロカカリヤA』は、詩と散文の統合を図つた中間期の作品であること。この作品の有する
意義は、これであること。

上記(1)の時期に書かれたものはみな、謂はば『問題下降』論です。問題下降の理論の構築
に、この時期、安部公房は集中したこと。

上記(2)に書かれた『デンドロカカリヤA』に至るために、安部公房の試みは、更に次の二
つの時期に分けられること。即ち、

(2。1)詩の世界での問題下降
(2。2)詩と散文統合の為の問題下降

『デンドロカカリヤA』は、上記(2。2)の、移行期の作品であること。これはどのやうな
試みであつたかは、後述します。

2。問題下降
18歳の時に成城高校の校友会雑『城』に投稿した『問題下降に依る肯定の批判』は、非常に
重要な作品であることが判りました。この思想が一生の安部公房の基礎になる思想です。

この論文のキーワードは、題辞が示す通り、問題下降です。問題下降とは何かについては後述
します。

上記に書いたやうに、安部公房は、上記1(2)の時期に2回問題下降をしてゐます。一つは、
詩集『没我の地平』を問題下降して、詩集『無名詩集』に、もう一つは『終りし道の標べに』
を問題下降して『デンドロカカリヤA』に変形させてゐます。
もぐら通信
もぐら通信 ページ49

安部公房は、この3つの時期に計3回問題下降をしています。詳細は後述します。

3。『デンドロカカリヤA』から『赤い繭』へ
上記1(3)の散文形式(小説形式)の確立の時期に、安部公房は、『デンドロカカリヤA』
を問題下降して、『赤い繭』に変形させてゐます。これは成功した小説となりました。これが、
安部公房の最初の成功した、詩に拠らない散文形式(小説形式)となりました。

4。中間項の導入
安部公房らしいことに、問題下降が容易ではないときには、数学的な中間項を導入してゐます。

上記1の(2。1)の詩の世界での問題下降では『様々な光を巡って』が、上記1の(2。2)
の詩と散文統合の為の時期には『名もなき夜のために』が、上記1の(3)の散文の世界での
問題下降では『牧神の笛』が、それぞれ中間項になつてゐます。委細後述。

2。「問題下降」とは何か
「問題下降」といふ18歳の時に名付けてゐた此の概念は、安部公房を理解するために、実に
重要な概念でした。

問題下降といふ概念を一番解り易く言へば、次の通りになります。

問題下降とは、哲学用語を使つて書いた認識の世界を、日常生活の中で普通に理解できる用語
で垂直方向に書き直す行為、即ち其のやうに下方に向かつて下ろして行く行為である。

前者の認識の世界は、全集第1巻の最初に収録されてゐる、安部公房が18歳の時に書いた『問
題下降に拠る肯定の批判』の中で「遊歩場」と呼ばれる、安部公房独特のtopology(位相幾何
学)の道といふ線(一次元)又は帯(二次元)によつて描かれる(後者ならば特に視覚的には
メビウスの環)、交易または交換のための道であり、位相幾何学的な一筆書きの世界なのです
(全集第1巻、12ページ下段から13ページ 上段)。[註1]

[註1]
以下に『株の道と安部公房の道』(もぐら通信第24号)より引用して、この位相幾何学的な道をお伝へします。

「安部公房の道は、既に18歳の時に書いた『問題下降に拠る肯定の批判』に、遊歩場と呼ばれる道として出て参
ります(全集第1巻、12ページ下段から13ページ 上段)。遊歩場という18歳の少年の命名は、そのまま後年の安
部公房の文学の世界の本質をそのまま言い当てています。(略)

この安部公房の道は、「他の道とははっきりと区別されて居なければいけない」 のであり、この「遊歩場は二次
的に結果として生じたもの」であり(晩年のクレオー ル論を読んでいるような気持ちがします。同じ発想です。既
にこのとき安部公房の クレオール論は完成していたのです。)、「第一に此の遊歩場はその沿傍に総ての 建物を持っ
もぐら通信
もぐら通信 ページ50
ていなければならぬ。つまり一定の巾とか、長さ等があってはいけない のだ。それは一つの具体的な形を持つと
同時に或る混沌たる抽象概念でなければな らぬ。第二に、郊外地区を通らずに直接市外の森や湖に出る事が出来
る事が必要だ。 或る場合には、森や湖の畔に住まう人々が、遊歩場を訪れる事があるからだ。遊歩 場は、都会に
住む人々の休息所となると同時に、或種の交易場ともなるのだ。」と いう道なのですが、この文章を読むと、こ
のとき既に、安部公房はtopology(位相 幾何学)という数学を知っていたのだと言う事が判ります。

この道は、幾何学的な道であって、そこには時間がありません。」

後者の世界は、認識の世界に対して、理解の世界です。前者が理性による論理の世界であり、
概念の世界、意義(sense)の世界であるのに対して、後者は悟性による、時間の中で理解可
能な、概念の構成要素を分解して時間の中に一次元(線)または帯(二次元)に並べ、配置し
た具体的な物と事の名前を呼ぶ、即ち物と事の名前と形象とこれらに対応する意味(meaning)
の世界であり、従ひ五感の世界です[註2]。

[註2]
18歳の安部公房は、『問題下降に拠る肯定の批判』の中で、次のやうに後者の世界を書いてゐます。これが、
安部公房の「もぐら感覚」です。

「動かなくてはならない。そして動かさなくてはならない。手を、指を、そして目と鼻を。今こそ君は自由なの
だ。(略)
今こそ、総ての判断は指で触れ、目で見た上で為されねばならぬ。其の時に始めて総てのものに価値が、一切
のものは無価値であると云う判断にすら価値が生じて来るのである。その日から真の歴史は書かれ始めるのであ
る。その時にこそ、太陽は輝き始めるのであろう。」(全集第1巻、15ページ)

前者については、部屋、窓、反照、自己承認(または証認)といふ4つの用語と概念で、自分
の宇宙を創造し、その全体を記述した安部公房のことを思ひ出して下さい。これら4つの用語
と概念と、これらの相互の関係については、次の論考で論じましたので、お読み下さい。

(1)もぐら感覚4:触覚(もぐら通信第2号)
(2)もぐら感覚5:窓(もぐら通信第3号)
(3)もぐら感覚6:手(もぐら通信第4号)
(4)もぐら感覚12:夜(もぐら通信第12号)
(5)もぐら感覚18:部屋(もぐら通信第16号)
(6)もぐら感覚19:様々なと窪み(もぐら通信第17号)
(7)もぐら感覚20:窪み(もぐら通信第18号)
(8)安部公房の奉天の窓の暗号を解読する(後篇)(もぐら通信第33号)

また、後年、安部公房は「問題下降」をする対象のことを投影体[註3]と呼んで、同じことを
読者に伝へてゐます。従ひ、「問題下降」はもともと数学的な写像の概念でもあり、方法でも
あつたといふことになります。即ち、問題下降という用語そのものが、問題下降によつて再帰
的に名付けられた名前であつたといふことになります。これは、如何にも安部公房らしい。
もぐら通信
もぐら通信 ページ51

[註3]
『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より、投影体と写像(mapまたはmapping)について以下に引
用します。

「さて、詩という藝術がそのようなものだとして、安部公房が普通のリルケの読者と一線を画しているのは、リ
ルケの詩を抒情的に読まなかったということ、そうでは全くなく、その数学的な頭脳を以って、実に論理的に読
んで、自家薬籠中のものにしたこと、上に述べたようにリルケの物に関する考え、即ち物に与えられ名付けられ
る言葉についての考え、更に即ち、言葉の概念が関数であり、従い機能であり、媒介であり、媒体(medium)
であるということを、19歳の時には既に十分過ぎる位に理解していたことなのです。[註2]

(略)

[註2]
安部公房は後年、リルケを情緒的にではなく論理的に理解したことを次のように述べています(全集第24巻、
143ページ下段から144ページ上段。「〈書斎にたずねて〉」)。1973年、安部公房、49歳。

「ぼくの初期作品について、よくリルケの影響を指摘されるけれど、リルケが自分の中で大きな根をおろしてい
たのは戦争中だ。リルケというのは非常に叙情的な面を持っているし、平気でぬけぬけと叙情におぼれるところ
があって、そういう面はその後とても嫌いになった。ただ、リルケの持っている目に、以外と「物」に強くこだ
わる面があった。いろんな概念や観念の背景に必ず「物」が媒体にならなければ成り立たないという姿勢があっ
て、それがとくに、戦争中のまわりの精神構造に対するアンチ•テーゼになってくれたんだな。だからある意味で、
「物」とか「存在」ということに意識を集中させることで、時代の暗さを切り抜ける方法を求めていたのだと思
う。あの時代、手に入るぎりぎりの範囲で支えになり得るものといったら、やはりそれしかなかったんだ。」

このようなこの「物」を、安部公房は「投影体」と呼び、箱、壁、砂をそのような例として挙げております(1
985年のインタビュー『方舟は発進せず』。全集第28巻、58ページ)。「投影体」とは、数学的には写像
(map=地図)の問題であり(例えば『燃えつきた地図』)、言語論的•文学的には、ある体系の中のすべての語
彙をどうやってもう一つの体系の語彙へとすべての対応関係(correspondence)を失うことなく変換するかとい
う翻訳の問題であり、また変形(transform、topology=位相幾何学)の問題でもあります。」

上記[註3]の中にある[註2]を読めば、言語論的•文学的には、

問題下降とは、ある体系の中の高次元の概念関係と其のすべての語彙を、もう一つの低次元の
体系へと、垂直方向に、前者の体系のすべての対応関係(correspondence)を失うことなく
連続的に、後者の個別の意味関係と其の語彙に翻訳する事である。

と云ふこともできます。

これは、topologyです。

これを、私の云ひ方で一言で云へば、既にもぐら通信誌上にて複数回書いたやうに電子計算機
のためのOSといふ言葉を使つて、
もぐら通信
もぐら通信 ページ52
問題下降とは、二十歳の時に完成した『詩と詩人(意識と無意識)』と云ふ安部公房のOS
(Operating System)を、投影体として存る対象にinstallして、時代の要求に応じて、個別の
ソフトウエア・アプリケーション・プログラム、即ち作品を開発する事である。

と云ふ事になります。

何故ならば、『詩と詩人(意識と無意識)』といふOSそのものが、詩と詩人のあり方を主題
として、上に述べた4つの用語と概念の関係を論じた、安部公房の人生の基礎論文であるから
です。

このやうに考へて参りますと、安部公房はエンジニアとなんら変はらないのです。即ち、『詩
と詩人(意識と無意識)』といふOSの基本設計図を描き、あとは、高次元の哲学的な用語を
用ゐた作品を概要設計図として描き、これを更に次元を落として具体的な詳細設計図を描いた
と云へるからです。

エンジニアは、基本設計図をを3つまたは4つの基本的な用語と概念で記述をし、概要設計図
では機能設計を行い、詳細設計図では機能設計のための仕様に適つた具体的な部品の試験をし
て、上位の設計図通りに機能するかどうかを確かめて最初の検証をしてから、砂や顔や地図や
箱や病院や洞窟やノートブックといふ投影体を実際に組み立てるための仕様に適合した部品を
調達して、組み立てて製品が完成した後に、出荷前に品質欠陥が、即ち構造上の設計欠陥がな
いかどうかを最後に検証してから、出版社から出荷するといふ訳です。

ですから、安部公房がチェニジーといふ雪道用のタイヤ・チェーンを発明して西武自動車から
商品として販売したり、この発明を更にスイスの国際発明展に出品して銅賞を受賞したりとい
ふのは、安部公房の中では、同じ事なのです。

3。3回の問題下降と結末継承の分析
この図から、更に詳細にわかることは、次の通りです。

3。1 3回の問題下降
問題下降を中心に、この図を眺めると次のことがわかります。勿論、この図は、私が考へを纏
めてから図にしたものですから理解しながらの作図の順序(作図者の順序)と、この図を読む
順序(読者の順序)では、その方向が反対になることをご留意下さい。この図は果実です。

安部公房は、シャーマン安部公房の秘儀の式次第を、図の①から③の3つの問題下降の結果、
詩の世界のみならず、小説の世界でも確立した。これで、この創作の様式を厳守する限り、一
生詩人のまま小説家になることができた。これが最大の結論です。さて、以下列挙すると、

安部公房は、

(1)二つの詩集の間で問題下降をしたこと。
(2)詩と小説を統合するために問題下降をしたこと。この場合、
もぐら通信 ページ53

(3)二つの異質のものの統合が問題下降によって難しいと判断した場合には、その間に中間
項の作品を置いて、これを成し遂げたこと。(中間項を挿入するといふ発想は全く数学的で、
安部公房らしい。)このとき、問題下降の持つ目的と其の性格から言つて、どうしても抽象的
な用語を使用しなければならないので、中間項には哲学的な小説とエッセイの二つがあること。
そして、

(4)同じ小説の領域でも、処女作(『終りし道の標べに』)と其の次の小説(『デンドロカ
カリヤA』)の間で、再度の問題下降によつて、これを徹底し、後者の叙情性を「蒸溜」(『世
紀の歌』)[註4]して、『赤い繭』や『魔法のチョーク』の持ってゐる乾いた文体を自分のも
のとしたこと。
(5)『S・カルマ氏の犯罪』は、『魔法のチョーク』からの、後述する「結末継承」による
直接の作品であるといふこと。そのあとに芥川賞を受賞し、そのあとに、
(6)『S・カルマ氏の犯罪』と同じ、しかし上記(4)に言及した蒸溜法により、シャーマ
ン安部公房の秘儀の式次第によつて、『デンドロカカリヤA』を『デンドロカカリヤB』に書
き直したこと。
(7)上記(4)と(6)が、二つのデンドロカカリヤの関係についての説明であり、何故安
部公房は同じ作品を書き直したのかの説明です。

上記(7)の考へ方は其のまま、何故安部公房は『終りし道の標べに』を後年書き直したかの
説明になってゐます。

『終りし道の標べに』でも、真善美社版では頻出する哲学用語が、冬樹社版ではすっかり消え
てをり、ここでも問題下降によつて冬樹社版を書いてゐることがわかります。普通の作家の不
満足が原因の書き直しとは、その動機が、全く異なつてゐて、論理的であり、数学的です。

[註4]
『世紀の歌』は、次の詩です。安部公房が詩人から小説家にならうと努力してゐる極く初期の、中田耕治さんと
二人で立ち上げた「世紀の会」のために書いた詩です。『デンドロカカリヤA』を書いた1949年4月20日の
ほぼ一月前の詩です。

「ぼくらの日々を乾かして
涙の壺を蒸溜しよう
ミイラにならう
火を消すものがやつてきたら
ぼくら自身が火となるために!」
(全集第2巻、230ページ)

詩の中にある『涙の壺』とは、若き安部公房が愛唱したリルケの詩です。

この詩については既に「『魔法のチョーク』論」で詳細な註釈を付しましたが、煩を厭はずに、また読者の手間
を省くためにも、さうして安部公房を理解することの方が大切ですから、再度ここに引用して長い註釈とします。
ご記憶であれば飛ばしてくださるか、あとで読んでくださつても結構です。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 54

「『涙の壷』
Tränenkrüglein

Andere fassen den Wein, andere fassen die Öle


in dem gehöhlten Gewölb, das ihre Wandung umschrieb. Ich, als ein kleineres Maß und als schlankestes,
höhle mich einem ändern Bedarf, stürzenden Tränen zulieb.

Wein wird reicher, und Öl klärt sich noch weiter im Kruge. Was mit den Tränen geschieht? ― Sie machten
mich schwer, machten mich blinder und machten mich schillern am Buge, machten mich brüchig zuletzt
und machten mich leer.
(http://www.textlog.de/22406.html)

安部公房は、何度かこのリルケの詩『涙の壷』に言及して、自分の所説を述べている箇所があります。

今その箇所を詳らかにすることができませんが、将来この壷を論じるための準備として、ここに訳出し、解釈と
鑑賞を施すことにします。

【散文訳】

他の者たちは葡萄酒を摑み、他の者たちは油を摑む
これらの者の囲壁を一定の範囲で囲っている、この中空になった丸天井の中で
わたしは、より小さな尺度として、そして最も痩せたものとして、
わたし自身を穿って、中空にし、窪ませて、他の欲求を満たすものとなす。墜落する涙のために。

葡萄酒はより豊かになり、そして油は壷の中でより清澄になる。
涙には何が起きているのだ?―涙は、わたしを重たくした、 わたしを目くらにした、そして、わたしの足の関節
を玉虫色に光らせ、わたしを遂には破れやすい脆(もろ)い ものにし、そして、わたしを空にしたのだ。

【解釈と鑑賞】
この詩は、何を歌っているのでしょうか。

第1連で歌われているのは、わたし以外の他の人々の行為です。 ひとつは、葡萄酒を摑み、ふたつは、油を摑む
というのです。

リルケの最晩年の傑作二つの詩作品『オルフェウスへのソネット』であったか、『ドィーノの悲歌』であったか
の一節に、やはり壷と、これら葡萄酒と油のことが歌ってある一節があります。これを読むとリルケは、葡萄酒
の壷や油の壷で、人間の文明が誕生して、都市が生まれて、社会が生まれ、そこで交易をして生活をする、その
ような生活の豊さを表すものとして、この二つを使っています。

これと同じ理解をここでも適用することで、この第1連は理解することができます。

しかし、わたしは、そのような都市や人間の生活の豊かさを享受する者ではない。そうではなく、全く逆に「墜
落する涙のために」いる者だとあります。

「墜落する涙」とは、涙を流しながら墜落してゆくということであり、そのように墜落するときに涙を流すとい
う意味でしょう。
もぐら通信
もぐら通信 ページ55

この涙を流すと、人間は墜落するというのです。そして、それは、「他の欲求のために」墜落するのです。この
「他の欲求」の他とは、わたし以外の他の人々の欲求とは異なってという意味です。即ち、わたしは、葡萄酒や
油の壷を手にしないのです。

そして、この欲求に身を任せると、自分自身が空になり、窪みになる。

この空になり、窪みになるという形象(イメージ)は、10代の安部公房がリルケを読み耽って我がものとした 形象
のひとつです。この窪みが、後年『砂の』女の砂の穴という窪みに成長します。

第2連では、そのようなわたしと社会との関係が歌われています。 わたしが空になればなるほど、窪みになればな
るほど、社会の、都市の葡萄酒と油は、より豊になり純度が増す。

これに対して、全く反対に、わたしの身に起こることは、

「涙は、わたしを重たくした、 わたしを目くらにした、そして、わたしの足の関節を玉虫色に光らせ、わたしを
遂には破れやすい脆(もろ)い ものにし、そして、わたしを空にしたのだ。」

とあるようなことになります。

この詩の題名は、邦題は『涙の壷』ではありますが、ドイツ語では、Traenenkrueglein、トレーネン•クリュー
クライン、ですので、正確に言えば、涙の小さい壷、涙の小壷という意味です。

つまり、リルケは、このわたしは、葡萄酒の壷ではなく、油の壷でもなく、涙の小さな壷だといっているので
す。 それが、わたしである、と。

しかし、そのようなわたしは、他の人々よりもより小さな尺度であり、最も痩せたものでとしてあるのです。即
ち、この測定者としての小さな存在であるわたし、そして、そのような存在として社会に対してある最も痩せた
ものとしてのわたし、リルケはこのようなわたしを『涙の小さな壷』と呼んだのです。

10代の少年安部公房は、この詩をこのように誠に正確に理解したことでしょう。繰り返し、後年引用するほどに

翻って、第1連を読みおすと、わたし以外の、社会の中に生活する豊かな人々の周囲には壁が巡らされているこ
と、そうして、その壁の上には、中空の丸天井があって、わたし以外の他の人々は、その天井の下で生活してい
ると歌われています。 このリルケの歌った都市の生活の抽象的な表現についても、少年安部公房は、よく理解を
したことでしょう。

18歳の安部公房は、そのような社会を、『問題下降に拠る肯定の批判』と題した論文の中では、社会は「蟻の
巣」だと書いています。その蟻の巣である閉鎖空間から脱出するために、安部公房自身もまた涙の小さな壷にな
ろうと決心したのです。

この詩には、既に『赤い繭』や『デンドロカカリヤ』の種子が胚胎しています。そういえるならば、『砂の女』
や『他人の顔』の種子もまた。

ちなみに、このリルケの詩について、1948年7月4日付で、安部公房は中田耕治さんに次の手紙を送つてい ます。

「しかし若し僕が想像するように、君が割切れた合理的な仮面(?)の背後に、弱々しい、余りにも感じ易い、 例
もぐら通信
もぐら通信 ページ 56

えば跪いガラスの鉢、リルケが歌つた涙の壺のような眼を隠してゐるのだつたら、僕はさう思へてならないの で
すが、僕等は今後もつと別なやうに、今までとは異つたやうに話し合つたはうが良くはないかと思ふのです。」
(『中田耕治宛書簡第1信』全集第2巻、50ページ上段)

また、安部公房の10代の詩集『没我の地平』所収の詩『詩人』と題した詩の最終連に、リルケの『涙の壺』を 念
頭において書いた「悲哀の壺」といふ言葉が出てきます。(全集第1巻、157ページ)。

「この様に
外の面が内を築きあげ
移ふ生身で悲哀の壺に
歓喜の光を注ぎつゝ
久遠の生に旅立つ事が
吾等詩人の宿命(さだめ)ではないのか」
(全集第1巻、157ページ)

また、『S・カルマ氏の犯罪』の中に、リルケの『涙の壺』や自らの詩の中にあつて上の詩のやうに歌はれたの
と同じ動機(モチーフ)による次の詩がある。これが、安部公房の「革命歌」であることは、この詩の後の次の 行
でS・カルマ氏の世俗社会の中での名前である名刺が「「そんな革命歌なんてあるものか!」名刺はますます腹を
たてて叫」んだとあることで明らかです。リルケの「涙の壺」は、安部公房を介して、安部公房の共産主義 (コミュ
ニズム)の理念の中に生き続けたのです。

「おれは水蒸気の中で殺されて 丸くなった。 しかし饅頭ではない、 なぜなら中味が空っぽだからだ。」 (全集第


2巻、413ページ上段)

この『S・カルマ氏の犯罪』といふ作品は、1951年の作品です。安部公房は、当時中田耕治さんと二人で立ち 上
げた「世紀の会」のための宣言書として、『世紀の歌』といふ題の詩を1949年に書いてゐます。後者は、 生きて
ゐる人間のために涙する詩人の涙の蓄へられる壺と、詩人自身が其の壺になつて、即ち自己が空虚な壺に なつて
ゐる其の自己との関係を歌つた同じ主題が、しかしもっと涙をを中心の主題にして、これからは「日々」 の時間
を「乾かして」「涙の壺」を、即ち涙を乾溜すべきことが、それによつて空間的な空虚の壺を、自分自身 がミイ
ラになる其のやうな壺である自己を創造することが歌われてゐます。この詩は次のやうな詩です。「涙の 壺を蒸
溜」するための「火を消すものがやつてきたら」自分自身がミイラになる其のやうな壺である自己を創造 するこ
とが歌われてゐます。

「世紀の歌
ぼくらの日々を乾かして
涙の壺を蒸溜しよう
ミイラにならう
火を消すものがやつてきたら
ぼくら自身が火となるために!
[1949.3.15]」

『世紀の歌』と『S・カルマ氏の犯罪』の2年ほどの間に、安部公房の上記のやうな詩人から小説家への進境が あ
ります。丁度この努力の中間地点に、『牧神の笛』といふ、詩人から小説家への此の進境にかける決意と覚悟 を
示した1950年の作品が位置してゐます。安部公房は自らが火になる覚悟をし、「涙の壷」を蒸留して、乾 かせて、
1951年に『不思議の国のアリス』に出逢つて、散文家としての乾いた明るい、日本共産党員になる 以前に於いて
の乾いた文体を獲得するのです。日本共産党員の10年を閲した後に、この乾いた文体はもつと進 境して、その後
の小説の世界で読者に馴染み深い黒い笑い(ブラックユーモア)の横溢する典型的な安部公房の文体になります。こ
の経緯の詳細は、『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)に詳述しましたのでご覧 ください。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 57

さて、長い註釈とはなりましたが、『魔法のチョーク』(1950年12月1日)は、このやうに、その前に書 かれた
『デンドロカカリヤ』(1949年8月1日)と同様に、安部公房の散文としての『涙の壷』であり、『赤 い繭』(1950
年12月1日)もまた同様であつて、この時期の安部公房の努力と散文家への確かな方向を示 してゐるのです。その
根底には、しかし、リルケの詩想のみならず、他方論理的には位相幾何学のあることは、 いふまでもありませ
ん。

[註1.1]
「安部公房の心の穴」と『涙の壺』といふ詩について

『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より、標記に関係して[註13]を次の通り引用して、「涙の 壺」を巡る
大切な事柄をお伝へします。

「ナンシー・S・ハーディン(シールズ)との対談で、安部公房は、その旺盛な創作活動の由って来るところは何か
と訊かれて、次のように答えています。1973年、安部公房49歳

「創造力はある意味での欠乏から発生するのではないかという気がします。いわば「油切れ」と同じようなもの
からね。それはネガティヴな圧力であり、一種の空虚であるわけです。もっと具体的に説明するために、二人の
作家の名前を挙げましょう。エドガー・アラン・ポーとフランツ・カフカです。二人とも同じネガティヴな感覚
を共有していたようにぼくには思われるのです。これは、ぼく自身の問題だけではなく、むしろ他人が何を望ん
でいたかという問題です。だれしも心の中にからっぽの穴が空いている。そして、できるなら、ぼくはその穴を
埋めたいのです」(『安部公房との対話』ナンシー・S ・ハーディン。全集第24巻、468ページ。)

「ぼく自身の問題だけではなく、むしろ他人が何を望んでいたかという問題」という安部公房の考えは、これは
このまま10代で確立した安部公房の自己と世界の関係の、即ち外部と内部の交換の、そして作家と読者の関係 の
本質を言っているのです。これは、19歳のときに書いた『〈僕は今こうやって〉』以来、終生変わることが あり
ませんでした。

さて、トーマス・マンも、安部公房と全く同じことを言っています。世の人は才能があるというが、実はさうで
はないのだ、才能とは、欠落なのだ、と。この欠落を言い変えて、etwas Unmenschliches(非人間的なもの) と言っ
ています。

安部公房が詩人から小説家にならうと努力したときに書いた『牧神の笛』でも、リルケに同じものを発見して苦
しむ安部公房がおります。あんなに10代で溺れるようにして読んだ素晴らしい詩作品を書いたこの詩人が、実 に
冷酷な人間であることに気づいて、驚くのです。そして、詩人から小説家(散文家)になるために、その冷酷 な人非
人の人間になろうとする決心を、このエッセイの最後で披露しています。それも、自己再帰的に、自分の 血を啜(す
する)半獣半神の、牧神のような生き物として。つまり、詩人のまま小説家になろうという決意なの です。リルケ
に倣って。そして、この試みが成功するには、日本共産党員の時代を経験しなければなりませんで した。これに
ついては、来年1月号に『安部公房と共産主義』と題してお話しします。

さて、この「欠乏」は、安部公房の場合は、「それはネガティヴな圧力であり、一種の空虚であるわけです」と
言っていることからわかる通り、これは『S・カルマ氏の犯罪』で、主人公の持っている胸の陰圧として形象化さ
れたものですし、後年の『方舟さくら丸』では、何でも吸い込んで処分してしまう便器として、物語の中心の座
を占めて、登場するものです。

安部公房のこのブラックホールのような便器への執着が、何故なのか、何に由来するのかということは、『もぐ
ら感覚15:便器』(もぐら通信第13号)で論じましたので、お読み下さい。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 58

しかし、それ以前には、安部公房は自分にしっくりとくるこの空虚、心の中に空いているからっぽの穴は、やは
りリルケの『涙の壺』に同じそれを見て、数理・論理的にであるばかりではなく、自分自身の生理的な実感とし
ても、この詩を理解していたのです。この詩については、この註[註1.1]の上位の註[註1]で訳し、解釈と鑑 賞をつ
けましたのでお読み下さい。

この詩を読むと、『S・カルマ氏の犯罪』の前の『デンドロカカリヤ』(1952年12月)も、その後の『赤い繭』や
『魔法のチョーク』(共に1950年12月)も、安部公房の同じ生理感覚と論理の上に成り立ってい ることがわかりま
す。

そして、そればかりではなく、論理と生理的感覚としては、それ以外のすべての作品に、安部公房の変形の論理
と一緒に、この空虚のあることがわかります。

更に、安部公房は、冒頭の引用の後、この対談で次のように言っています。

「しかし、一度書き出してしまったら、不思議なことに、書いている作品自体が主導権を握り、ぼくはそれに従
うしかない。もはや自分が書いているものを支配できなくなるんです。ある段階を超えてしまうと、自分ではコ
ントロールできなくなる。」

これは、この空虚を持ち、知っている言語藝術家だけが覚える言語の自己増殖です。同じ経験を、トーマス・マ
ンは繰り返し述べています。言語組織が、自己の意思を持って増殖し、有機体を完成して行く。

他方、普通の言語使用者は、言語を制禦(コントロール)できると思っていて、そのように言葉を使用すること を
よしとするのです。これが、普通の世間に棲む人間たちの世界での言語についての考え方です。法律も、この 考
え方でできている。しかし、安部公房の主人公たちは皆、法律の外に、無名の、世間に未登録の人間として生 き
ています。

冒頭に引いたこの対談は、これ以外にも実に贅沢に安部公房の主題と、安部公房自身による解説がされていて、
安部公房の読者には欠かすことのできない資料の一つであると思います。

何故か、リルケについて、その周辺のことについて語り始めると、安部公房は誰にも言わない本当のことを語り
始めるのです。リルケについて語るところ、散文家としての自分にとってのリルケの意義について語るところを読
むと、安部公房がリルケをどうやって「否定的媒介」として考えて、自分が散文家になったのかが、よくわか る
論理を、別の率直な言葉で語っております。(全集第24巻、473から474ページ。また、476ページ 上段)

また、その他にも、小説や戯曲を書くことや舞台をつくることは、時間の空間化であること、函数関係で表現す
ることであること、革命と安部公房の理解した実存について、その覚悟について、『箱男』に挿入した8枚の写
真について等々、この『箱男』刊行後の安部公房の考えをふんだんに、実に贅沢に、安部公房は率直に開陳して
います。

戦時中に読んだ哲学者の名前として、ヤスパース、ハイデッガー、フッサールの名前を挙げています。しかし、
ニー チェの名前を挙げていない。ということは、それほどニーチェは、安部公房にとって深く理解をした大切な
哲学者であったのです。10代の、哲学談義をした親しき友、中埜肇宛の書簡を読めば、安部公房がどんなにニー
チェ を、これもリルケと同じ位に、溺れるように読んだかが判ります。ニーチェは、何よりも、安部公房生涯唯
一の プロット、閉鎖空間からの脱出と帰還の永劫回帰の覚悟を教えてくれた哲学者であるからです。

このインタビュアーは、『安部公房の劇場 Fake Fish The Theater of Kobo Abe』という、安部公房をよく理解


した人間の書く素晴らしい本を書いておりますが、この対談でも、安部公房の持つ純粋数学への嗜好を自分は
もぐら通信
もぐら通信 ページ59
知っていることを伝えて、安部公房の本音を引き出しています。

安部公房は、このインタビュアーに心をゆるし、思わず、

「これは普通人に話したりしないのですが、ぼくは満洲生まれで、そこは冬がとてもきびしいところでした。」
と始めて、自分にとってエドガー・アラン・ポーがどんなに大切な、最初に物語の本質を教えてくれた作家であ
るかを述べています(全集第24巻、475ページ下段)。ルイス・キャロルは、ポーの次に好きだとも、言っ ており
ます。

一読をお奨めします。」 」

まとめますと、

(以下、次ページへ)
もぐら通信
もぐら通信 ページ60

(1)詩集『没我の地平』を問題下降したのが、詩集『無名詩集』であること。中間項は、エッ
セイ『様々な光を巡って』。[註5]

二つの詩集の詩の題名を以下に引用して比較をすれば、一目瞭然、前者は哲学的な主題を正面
から取り扱つてゐること、後者は其れを次元を落として易しくしてゐることがわかります。

『没我の地平の目次
詩人
理性の倦怠
没落
実存―幼き日
人間
迷ひ
夢と夢
主観と客観
言葉の孤独
時間と空間
実存
思念の黄昏
森番
仮眠

別離
誓ひ
光と影

『無名詩集』の目次
笑ひ

祈り
マスク
防波堤
孤独より(十一章)
リンゴの実
嘆き(六章)
その故か
別れ
倦怠
感傷
もぐら通信
もぐら通信 ページ61

ソドムの死
詩の運命(エッセイ)

[註5]
『リルケの『形象詩集』を読む(連載第2回):『Aus einem April』(四月の中から(外へ))』(もぐら通信
第31号)[註3]より引用して、安部公房が、どのやうな当時の状況の元に、『没我の地平』を問題下降して
『無名詩集』を編んだかをお伝へします。

「[註3]
(略)
『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より抜粋します:

「詩については、『第一の手紙∼第四の手紙』で「詩以前」を論じています(全集第1巻、191ページ下段)。
この散文を書いた1947年、安部公房23歳の時には、既に詩人安部公房にとっての危機と転機の時期が訪れ
ていたのです。前年1946年には満洲から引き揚げて来て、日本に帰国した翌年のことです。このときの危機は、
詩人としての危機でした。

この危機をこのように『第一の手紙∼第四の手紙』で存在論的に思考して考え抜いて乗り越えて同じ歳に出版し
たということが『無名詩集』の持つ、それまでの10代の「一応是迄の自分に解答を与へ、今後の問題を定立し
得た様に思つて居ります」(『中埜肇宛書簡第9信』。全集第1巻、268ページ)と10代の哲学談義をした
親しき友中埜肇に書いた『無名詩集』の持つ、安部公房の人生にとっての素晴らしい価値であり、安部公房の人
生に持つ『無名詩集』の意義なのです。」

これを読むと、『第一の手紙∼第四の手紙』もまた、エッセイ『様々な光を巡って』と同じ1947年1月に書
かれた、小説としての中間項であることがわかります。

詩集『没我の地平』は、問題下降して詩集『無名詩集』に至るための上位の謂はば「概念詩集」
として大変重要な詩集だといふ事になる。

(2)処女作『終りし道の標べに』を問題下降したのが、短編小説『デンドロカカリヤA』で
あること。中間項は、『名もなき夜のために』。それ故に、後者は前者の、後述する「結末継
承」をしてゐる。即ち、前者の結末を、後者の冒頭が継承してゐる。

『名もなき夜のために』の中に安部公房は、詩集『無名詩集』を(リルケの『マルテの手記』
を主題として)其のまま取り込み、且つ小説『終りし道の標べに』を問題下降して、詩と小説
の二つを融合して『名もなき夜のために』を『デンドロカカリヤA』の中間項となしたこと。

それ故に、『デンドロカカリヤA』は、冒頭からリルケに倣つた叙情的な文章になつてゐるこ
と、これは間違ひなく、安部公房が上記の理由で明瞭に意識し、明確に意図したことであるこ
と。

このリルケ風の要素を取り去ったのが、『S・カルマ氏の犯罪』の後に、同じ文体で書き直し
た『デンドロカカリヤB』であること。これは、垂直方向の問題下降ではなく、水平方向の書
もぐら通信
もぐら通信 ページ 62

き直しであること。

(3)『デンドロカカリヤA』を問題下降したのが、『赤い繭』と『魔法のチョーク』である
こと。特に後者は、後述する「結末継承」によつて、『S・カルマ氏の犯罪』へ直接接続し、
後者によつてシャーマン安部公房の秘儀の式次第が継承される作品となつてゐること。

このあと、この図の最後にある1953年といふ安部公房の藝術家人生最悪の年に、小説はや
つと『R62号の発明』だけを書くことができて、以後日本共産党に距離を置きます。[註6]

[註6]
『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より引用して、この事情の前後をお伝へします。詳細は『安部
公房と共産主義』をお読み下さい。

「1955年2月25日の『猛獣の心に計算機の手を』を書いたあと、このエッ セイでの確信はほぼ揺らぐことなく、
1958年10月1日の柾木恭介との対談「詩人には義務教育が必要である」(全集8巻、178ページ)では、「詩という
ジャンルはすでに死滅し たジャンルだね」と断言していて、既にこのときには、完全にマルクス主義の影響から
脱して いることがわかります。 」
(略)
「そして、この1950年代の後半の志向は、ドキュメンタリー(記録藝術)とミュージカルに 向かいます。この志向
は、明らかにそのまま1970年代の安部公房スタジオの活動につながっ ています。それは、安部公房のドキュメン
タリー(記録藝術)の考えを読みますと、そのこと が判ります(『ドキュメンタリー - 現在の眼』、全集第7巻、110
ページ。1957 年)。

このドキュメンタリー(記録藝術)という言葉との関係で、1955年の前と後の違いを一言 でいえば、これ以前には、
現実に対して法則的な必然を求めたのに対して、その夢から覚めた 後には、終生、現実に対して偶然を、現実的
な偶然とその偶然的な相矛盾する諸要素の互いに 自律的で且つ総合的な表現を求めたと簡潔に言い切ることがで
きます。[註3]

[註3] 1950年代後半の、当時のドキュメンタリズムの思潮と安部公房のドキュメンタリーについての考えは、信州
大 学友田義行先生の『文学と映画の《偶然性》論 花田清輝・安部公房を基点に』に詳しい(『フェンスレス』オ
ン ライン版創刊号(2013/03/20発行)占領開拓期文化研究会)。:http://senryokaitakuki.com/fenceless001/
fenceless001_07tomoda.pdf 」
(略)

「実際に、1953年は『R62号の発明』という短編小説以外の小説を書いておりません。し かし、『壁あつき部屋』
という映画のシナリオを書いていて、ドラマ(drama)を構築すると いうことが、当時の安部公房のこころを救っ
ていたということを想像することができます。全 集を読みますと、この日本共産党員であった時期の前半の5年
間は勿論ですが(戯曲『制服』 『奴隷狩り』等)、しかし特に後半の5年間は、その量の多さから言って、戯曲(『幽
霊はこ こにいる』等)と、それからラジオ・ドラマ(『棒になった男』や子供向けの『キッチュ・クッ チュ・ケッ
チュ』等)やTVドラマ(『日本の日蝕』等)という、即ちシナリオ(drama)を執 筆するということが、やはり安部公
房のこころを救っていたのです。[註6]

[註6]
1955年6月9日付で『戯曲をなぜ書くか』という座談会があります(全集第5巻、90ページ上段)。ここでの安部公
もぐら通信
もぐら通信 ページ 63

房の次の発言を読みますと、やはり、シナリオが、戯曲(舞台)と小説の間を繋ぐ、双方をひとつにまとめることの
できるものとして、安部公房の作家生活を支えていたことがわかります。傍線筆者。

「安部 映画と戯曲の相違点では、時間よりもむしろ、空間の処理の仕方だね。時間的には戯曲とシナリオが近
い、空間的に見れば小説とシナリオが近い。戯曲の空間的特徴としては、第一にむろんあの舞台の制約だけど、
もう一つ、そこに現されている対象が、完全に意識的に再構成されてたもの以外はないという点ですね、全部一
応人間の手がかかている......。反対に、映画や小説の場合は偶然が自由に入り込んでかまわない、というより そ
れが特徴だ。芝居を書く面白さは、この相違点の自覚ということもありますね。芝居で役者がもっているあの 独
特の意味は、あれもこの空間の特徴に根ざしているんじゃないか......。」

安部公房はシナリオ(劇-drama-の脚本)を書くことによって、戯曲と小説の均衡を図り、二つの藝術領域の接続 を
図って我が身を持し、その過程を経験し抜くことによって、後述するように、純情な詩人から辛辣な散文家に 変
容したということになります。劇(drama)とシナリオは、それほど安部公房の人生にとって重要な意義を持っ て
おります。安部公房は、10代の時から世界を劇場と観ていました。劇が安部公房の人生にとってどれほど重 要で
あるかは[註21]をお読み下さい。

さて、これら二つの作品以外には、『少女と魚』という戯曲があり、この三作だけが、この歳
の成果ということになります。『少女と魚』は、シュールレアリズムの作品で、1955年以
降安部公房が手を染める児童向けラジオドラマをここで既に先取りしております。

この無残な歳の成果をまとめますと、次のようになります。勿論、これらの作品が無残なので
はありません。これらの作品を構築する本来の安部公房の言葉と、現実に対したときの安部公
房の言葉が、かくも分裂しているということが、安部公房の苦しみの原因であり、その藝術活
動を貧しくした原因なのです。

(1)小説:『R62号の発明』。SF小説、即ち仮設設定の文学、自分独自の小説観に基づ いた小説
(2)映画のシナリオ:『壁あつき部屋』 (3)シュールレアリズムの戯曲:『少女と魚』。『壁』以来のルイス・キャロ
ルに学ん だ、言葉の意味を捨象したnon-senseの文体の継続的な維持
安部公房は、この最も苦しい1年の間にも、自分にとって大切な、この3つの領域は死守した のです。[註7]

[註7]
安部公房は、この1953年という無残な歳の前後について4年後、次のように言っています(『抽象的小説の問題』。
全集第7巻、154ページ)。1957年。安部公房33歳。傍線は筆者。

「安部 特に人間の心理とかということについて専門的に知りすぎてるわけですよ。ただ知識として知って るとい


うよりもね、心理学の理論について学問的興味があり過ぎるんですよ。 もう一つは、コミュニズムとの接触だな。
外面的な自由さを獲得すると同時に今までの内側の自由さとどう対応するかという衝突だな。「R62号の発明」(筆
者註:1956年、山内書店刊の短編集)はだいたい一昨年ぐらいから今年にかけての全部を集めたわけです。一応そ
ういう変化がこれに は出てると思うんですよ。これが終わると次は相当変わった姿勢に入る。これは「壁」から
「闖入 者」(筆者註:共に1951年)までの時期の後なんですよ。一番悩んでた時期だな。
佐伯 僕ら読者として読むと、作者が非常に楽しんで書いたものという感じだな。いろんなものを並べて 見せても
らったという感じが強いね。
安部 そうじゃないんですよ。悪戦苦闘の時期でね。もっと勝手なことをやりたかった。」

また、戯曲『少女と魚』にみられるシュールレアリズムへの愛着については、翌年『「壁」の空想力』(1954年11
月15日)という短文のエッセイで、次のように言っています。傍線筆者。
もぐら通信
もぐら通信 ページ64

「あれから、私の思想も作風も、かなりの変化をとげた。しかし、私は「壁」という作品集に、いまでも強い愛
着を感じている。思いだすたびに、自分の空想力の豊富さに、われながら驚嘆するのである。批評のかわりに沈
黙が待ちうけていたことも、至極当然だったと思わざるをえない。」(全集第4巻、415ページ)」

3。2 結末継承の分析
結末継承とは、前作の結末を次作の冒頭で継承すること、後者の冒頭が、前者の結末であるこ
とを言ひます。

(1)『没我の地平』から『無名詩集』へ
①中間項:『様々な光を巡って』
②結末継承:「光と影」から「笑ひ」へ。
(2)『終りし道の標べ』にから『デンドロカカリヤA』へ
①中間項:『名もなき夜のために』
②結末継承:春の大地の土と新芽の出来(しゆつたい)。
(3)-1 『デンドロカカリヤA』から『赤い繭』へ
①中間項:『牧神の笛』
②結末継承:(topologicalな)道。中間項『牧神の笛』の結末は、牧神の自己の再帰的
な変身の道(方法)。『赤い繭』の冒頭は存在へ至る再帰的な変形のための(topologicalな)
道(方法)で始まり、結末は玩具箱といふ閉鎖空間で終わる。
(3)-2 『赤い繭』から『魔法のチョーク』へ
①中間項:『牧神の笛』
②結末継承:前者の結末は玩具箱といふ閉鎖空間で終わり、後者の冒頭は、部屋といふ
箱または閉鎖空間で始まり、壁といふ存在の隙間で終わる。

上記(3)の1と2でわかることは、安部公房は、『デンドロカカリヤA』を問題下降させて、
最初に書いた『赤い繭』が成功したので、次に続いて、『赤い繭』の終わりである玩具箱とい
ふ箱を、『魔法のチョーク』の冒頭にやはり部屋を置いて此れを同じ結末として共有させて、
同じシャーマンの秘儀の式次第を用ゐて、後者を書いたといふことである。作品間の結末の共
有と継承があるといふことが知られる。

(4)『魔法のチョーク』から『S・カルマ氏の犯罪』へ
①中間項:なし。理由は、『赤い繭』と『魔法のチョーク』で、作品の作法(構造化のプロセ
ス)と此れに対応した文体が確立したから
②結末継承:前者の結末は植物園、後者の冒頭は部屋。ともに閉鎖空間であり、箱である。即
ち、この解釈は、前者の結末が、後者の結末になってゐることから、この両者の作品は同質、
同値の作品と考えることができる。即ち、短編『魔法のチョーク』と長編『S・カルマ氏の犯
罪』は、同じ天秤の両方の皿の上にあつて、平衡均衡してゐるのである。小林秀雄の『無常と
いふこと』といふ短編と『本居宣長』といふ長編の関係と同じだと云へば、ご理解戴けると思
ふ。即ち、短編『魔法のチョーク』は、長編『S・カルマ氏の犯罪』のエッセンス(凝縮した
もぐら通信
もぐら通信 ページ65

本質)なのです。

4。3回の問題下降で、安部公房は一体何を成し遂げたのか
3回の問題下降で、安部公房は、詩と小説の統合と、それによつて生まれた『魔法のチョーク』
の文体を獲得した。

この文体は、そのまま『S・カルマ氏の犯罪』に応用された。

かうして、安部公房は、『没我の地平』で確立したシャーマン安部公房の秘儀の式次第を温存
して詩人のまま、小説家になることができた。この秘儀の式次第を遵守する限り、安部公房は
詩人であり且つ小説家として生きて行くことができる。[註7]

[註7]
詩と小説の関係は、これで良いとして、エッセイは、安部公房にとつては、散文詩を書くことでした。安部公房
がエッセイを書くことは、散文詩を書くことであり、また隠れた私小説であることでもあることを、換喩関係に
あつていつも隣接して一緒にゐるだけで、交流することが本当にはなかつた花田清輝の思ひ出を次のやうに、自
分自身に重ねて書いてをります。以下、「埴谷雄高『安部公房のこと』解題」(もぐら通信第51号)から引用し
て、お伝へします。

「安部 戦後、僕が小説を書き始めてから、一番共感をもてたのはやはり花田清輝だろう。い ろいろ意見のくい違


いもあつたけど、芸術観というか、感受性でやはり抜群だつたと思うな。
とにかくすごく感受性の豊かな、人間嫌いだつた。政治的な発言にしても、運動としての 行動にしても、味方
のコミュニケーションよりは常に敵との折衝を重んずる方でね。傷つき やすい人間だつたんだよ。見事なのはレ
トリックを変装の道具に使つて、どうやつて現世 の火輪をくぐり抜けるかの離れ業だな。だから彼のエッセイ
は、常にすごく抽象化された私小説だつたような気もする。

本質的には詩人だつたんだと思う。すべてのエッセイが散文詩として読めるし、散文詩としてエッセイを書いて
いた。」

5。結末共有と結末継承
結末共有とは、安部公房の全ての作品が、互いに透明感覚を結末に共有してゐることを言ひま
す。

次に述べる結末継承と、結末共有の二つは、topologyの問題である。作品と作品の接続が、ア
ナログとデジタル、連続と非連続の接続の実現をするといふことです。 [註8]

[註8]
この作品と作品の接続が連続であり且つ非連続であることが、安部公房の文体と作品の構造を決定してゐること
は、『『箱男』論∼奉天の窓から8枚の写真を読み解く∼』(もぐら通信第34号)の「贋魚の章(第8章)『《そ
れから何度かぼくは居眠りをした》』と「第9章『《約束は履行され、箱の代金五万円といっしょに、一通の手紙
が橋の上から投げ落とされた。つい五分前のことである。その手紙をここに貼付しておく》』の接続関係の問題
もぐら通信
もぐら通信 ページ66

として既に論じてありますので、これをご覧ください。贋魚の章は、一個の話中話として独立した作品になつて
をりますので、そこで安部公房は此のやうな接続をすることになるわけです。

結果として、この二つの結末継承と結末共有の、言葉による統合の実現が、安部公房独特の文
体を生み出したといふ事になります。

6。結末継承から見る安部公房の作品の系譜
これは、時間の中での時系列的な投影体同士の結末継承関係といふことになる。これは当然
topologyといふことから、連続の非連続、非連続の連続といふ継承関係である。以下に主要な
作品の例を挙げて、この結末継承について述べることにします。

(1)『砂の女』→『他人の顔』:凹(砂の穴の窪地)→凹(顔の穴の窪地)
(2)『他人の顔』→『燃えつきた地図』:部屋(ノートを書く部屋)→部屋(依頼人の部屋)

(3)『燃えつきた地図』→『箱男』:箱(電話ボックス)→箱(ダンボール箱)
(4)『箱男』→『密会』:救急車のサイレンの音→救急車のサイレンの音
(5)『密会』→『方舟さくら丸』:箱(地下の密室)→箱(黒い色の(従ひ陰画としての)
市庁舎の箱型の建物)
(6)『方舟さくら丸』→『飛ぶ男』:朝(「夜があけていた」早朝)→朝(「ある夏の朝」)
(7)『飛ぶ男』→『カンガルー・ノート』:この二つの作品の結末継承は、差異を有する形
態を備へた植物または植物園であつた筈。何故ならば、『カンガルー・ノート』が、カイワレ
大根で始まるから。そして、全集第29巻、69ページのメモ書きの最後の一行が、「試験農
園」とあるから。
このメモは『デンドロカカリヤ』を思はせますし、そして何よりも樹木や花は、リルケの純粋
空間、即ち存在に生きる植物です。デンドロカカリヤは、その植物の一つなのです。それ故に、
最後に存在の方向への立て札を体に留められて名付けられて「Dendrocacalia crefidifolia」と
いふ、間に一文字分の余白、即ち存在への通路である隙間が置かれて、コモン君は、この世を
離れるのです。[註9]

[註9]
「Dendrocacalia crefidifolia」といふ立て札も含め、安部公房が小説の中で立てて、存在への方向を示す立て札
については、『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する∼安部公房の数学的能力について(後篇)』(もぐら通信
第33号)で詳細に論じましたので、これをお読みください。

(8)『カンガルー・ノート』→『さまざまな父』:郵便受けの窓(「郵便受けほどの、切り
穴」:箱の穴)→郵便受けの窓(「玄関で郵便受けのバネが鳴った。」)この郵便箱と窓もま
た、箱男の世界です。
もぐら通信
もぐら通信 ページ67

7。結末共有から見る安部公房の作品の系譜
これは、投影体同士の結末共有関係を見るといふことになる。これは当然topologyといふこと
から、言語規則に拠る数理的な共有関係であつて、従ひ、安部公房の全作品を構造化して1と
なす、即ち存在となすものである。安部公房は、このために作品を書いた。

結論をいへば、上記5に定義したやうに、全ての作品は、リルケに学んで自家薬籠中のものと
なした透明感覚を結末に共有してゐる。

以下「『魔法のチョーク』論」(もぐら通信第52号)より引用して、お伝へします。

「安部公房の詩も小説も、その最後に(リルケに学んだ)透明感覚が出てきます。この透明感覚
が現れると、主人公は現実の世界での死または失踪を迎えることになります。例を挙げれば、
『砂の女』の最後の濾過装置の水の透明感覚、『他人の顔』の最後の電話ボックス(のガラ ス)、
即ち透明な箱、『燃えつきた地図』の最後の電話ボックス(のガラス)である透明な箱、 『箱男』
の最後の「じゅうぶんに確保」されてゐる余白と沈黙の「......」のある「落書きのた めの」透
明な箱、『密会』の最後の(『砂の女』の最後と同じ)「コンクリートの壁から滲み 出した水滴」
(と「明日の新聞」)、『方舟さくら丸』の最後の手が透けて見え、景色も透け て見える透明感
覚、『カンガルー・ノート』の最後の透明感覚を巡る会話(「君には見えてい るの?」/「見え
ていないと思う?」)[註1]

[註1]
安部公房の透明感覚については、『もぐら感覚7:透明感覚』(もぐら通信第5号)にて詳細に論じてをりますので、
これをお読みください。」

安部公房の作品は、全て結末共有である。即ち、すべての作品が、結末に於いて同じ構造を備
へてゐる。

8。冒頭共有から見る安部公房の作品の系譜
結末共有があれば、冒頭共有がある。後者は常に、時間と空間の差異を設けることで、安部公
房の作品は始まるのでした。これは、諸処諸論で論じた通りです。

冒頭共有とは、安部公房の全ての作品が、時間と空間の差異と其の交差点を冒頭に共有してゐ
ることを言ひます。交差点に存在が現はれるのです。[註10]

[註10]
『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する』(もぐら通信第33号)より以下に引用して、安部公房の十字路、交
差点について説明をします。
もぐら通信
もぐら通信 ページ68

「5。安部公房の十字路
奉天の窓は、窓と窓の間に在る間(はざま、ま、余白)によって生まれる積算値だと言いました。この奉天の窓のマ
トリクスを、もっと抽象化すれば、次のようになることが自然と理解さ れるでしょう。[註13]

(奉天の窓(変形7)の図 は省略)

[註13]
『密会』刊行後のインタビューで、安部公房は、次のように言っています。

「......あれだって譬喩や寓意としてだけ読まれたのでは困る、あくまでも事実として受けとめてほしいな。たしか
にユークリッド空間では、平行線は交わらないのが事実だろう。でも非ユークリッド空間では、むしろ交差する
ほう が事実になる。人間が昆虫になることは事実上ありえないが、カフカの『変身』のなかでは事実になるでしょ
う。」 (『「明日の新聞」を読む』全集第28巻、296ページ下段)

この箇所以外にも、安部公房は繰り返し、この数学的な譬喩を使って、この十字路、交差点という奉天の窓に見
つけた自分の世界を説明しています。リルケは世界だが、ポーは文学だと或る所で言っております。リルケは、仮
説設定の文学ではなく、あくまでも一つの世界なのです。奉天の窓を語ることは、ひとつの世界を語ることであ
り、安部公房の筆法を借りれば、それは文学以前の、言語以前の、詩以前の、戯曲以前のことなのです。

(略)

6。安部公房スタジオの十字路
「そして、もし、文学が文学の枠を破って、時間そのものに目を向け、音楽の枠を破って、空間そのものに目を向
け、しかも自己を喪わずにすませられる場所があるとしたら......つまりそれが、いまぼくが考えている舞台なので
ある。ぼくにとっての、新しい舞台芸術とは、時間と空間のどちらかが、どちらかに従属することでもないし、
またむろん両者の折衷でもありえない。両者が自立しながら交差する場所としての舞台なのだ。そして俳優は、
その交差点にあって、時間と空間の両軸を、自由に往来できる使者でなければならない。ちょうど光が、波動で
あると同時に、粒子でもあるように。」(全集第24巻、512ページ)傍線筆者。

(奉天の窓(変形8) は省略)

安部公房は、この奉天の窓である交差点を総合藝術の舞台とし、その舞台に立つ俳優たちにニュー トラルという
概念、即ちこの奉天の窓たる交差点に立つことを、即ち存在(積算値)となること を教えたのです。みかんやりん
ごではなく、みかんとりんごの間を自由に往来できる関係概念と しての、機能(媒介者)という上位の役割を演ず
る透明な果物になれ、自己をして存在に変形せ しめよと指導したのです。勿論、安部公房の存在は、安部公房の
発見者埴谷雄高の考えた存在と は全く正反対に、絶対的なものではなく、あくまでも相対的なものであり、以上
の考察でお分か りの通り、関係概念であり、関数であり、媒介者なのです。即ち、存在は幾つもあるのです。奉
天の窓が幾つもあるように。[註14]

[註14]
安部公房は、安部公房スタジオ設立と同時に書いた『箱男』について次のように語っています(『〈書斎をたずね
て〉』全集第24巻、144 145ページ)。

「農村構 というのは、そのもとへと人間の帰属を強制するわけだが、人間の歴史はその帰属をやわらげる方向に
進んできた。しかし、最終の帰属としての国家が残った。ここだけは破れないんだな。法律もモラルもすべて帰属
したワクの中だけにある。しかしいま、その最終的な国家への帰属自身が問われ始めているわけだ。帰属という
もぐら通信
もぐら通信 ページ69

ものを本当に問いつめていったら、人間は自分に帰属する以外に場所がなくなるだろう。ぼくにとってそれが書
くということのモチーフだけれど、特に今度の書き下ろし『箱男』では、それを極限まで追いつめてみたらどう
なるかということを試みてみたわけだ。」

安部公房は、やはりこの作品で、再帰的な自己に回帰したことが判ります。即ち合わせ鏡という交点の世界に立
つ自 己の姿を語っているのです。合わせ鏡の交差点(鏡1(鏡1.1(鏡1.1.1......)))という、既に奉天の窓で考察し て来
た時間の無い積算値の世界、存在の世界、人間の未分化の実存で生きている隙間の領域、再帰的な人間、即ち箱
男の世界です。

安部公房は、この交差点の無限の入籠構 を使って、小説の構 の水平方向と垂直方向を入れ替えて、いわば『燃え


つきた地図』のエピグラフにあるように、その列と行を無番地にして読者を招じ入れ、この交換関係の交差点に
読者を立たせることによって、『箱男』において、読者の意識に存在の革命を惹き起こそうと企図したのです。

1970年を境に、[註11]に列挙した5つの理由によって、安部公房はリルケに回帰することを決心したというわたし
の仮説は正しいのだと思われます。」

従ひ、その意義もまた、上記7の結末共有で述べたことと同じく、全作品の構造化であり、す
べての作品群を1となし、従ひ、結末共有と一緒になつて、始めと終わりをtopologicalに接続
することによつて、全作品を存在となす[註11]ことになるのです。

[註11]
この、安部公房の存在概念については、『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する∼安部公房の数学的能力につい
て∼』(もぐら通信第32号及び第33号)及び『存在とは何か∼安部公房をよりよく理解するために∼』)も
ぐら通信第41号以降の連載)をご覧ください

9。結論:安部公房の文学とは一体何か
以上1から8までを通して考へて来ますと、安部公房の全作品を一言で要約せよと云はれれば、
次のやうになります。

安部公房の全作品は、存在である。

いや、更に言ひ換へませう。

安部公房の全作品が、存在である。

そして、この存在たる作品群は、何故さうなつてゐるかと云へば、このデジタルの、空間的な、
時間を捨象した作品の構造化は、全作品同士の冒頭共有(差異を設けること)と結末共有(透
明感覚の提示)によつて其れが可能となつてゐるからであり、また時間の中での個別作品同士
の連続的なアナログの創造関係は、個別に同じ又は類似の形象と語彙の結末継承によつて連続
性を保持してゐるからである。
もぐら通信 ページ70

と、このやうに纏めることができます。

偉大なるかな、安部公房。一生涯に亘り、初志貫徹せり。

安部公房は、個々の作品の冒頭共有と結末共有をして、全ての作品を一個の作品となした。そ
して、結末継承は、各作品を全て接続するための糸である。そして、どの作品にも、全ての作
品が宿つてゐる。これは、従ひ、安部公房といふ合わせ鏡の世界に生きた再帰的人間
(recursive man)の自画像である。即ち、全体は部分からなり、各部分に全体が宿つてゐる。
即ち、安部公房の世界は、体系なのであり、英語でいふthe systemなのです。全く、言葉の科
学者であり、言葉のエンジニアと呼ぶに相応しい。

再帰的人間像
「全体は部分からなり、各部分に全体が宿つてゐる。」
(『安部公房の変形能力17:まとめ:安部公房の人生の見取り図と再帰的人間像』もぐら

かうして、私たち読者の目の間に現はれてゐるのは、巨大な、言語による曼荼羅なのであり、
確かに此の曼荼羅は、垂直方向の差異からなるデジタルの無時間の縦糸、水平方向の連続・非
連続からなる(時間の中に並ぶ)横糸を交差させて製作された言語宇宙たる織物(texture)
なのです。

私たちは、この曼荼羅の前に立つて、この存在の宇宙を宇宙の存在を褒め称へ、荘厳しようで
はありませんか。リルケがさうしてたやうに、安部公房がさうしたやうに。

そのための呪文は、安部公房によつて諸作品の中に、既に十二分に読者には与へられてゐます。
例へば、
もぐら通信
もぐら通信 ページ71

「ジャブ ジャブ ジャブ ジャブ


何の音?
鈴の音

ジャブ ジャブ ジャブ ジャブ


何の音?
鬼の声」

(『砂の女』全集第16巻、156ページ)

この曼荼羅は宇宙の「壁」に掛けられてゐる。このバロック的な、差異だけからなる壁を有す
る大伽藍の寺院は、夜の中に立つてゐて、詩人リルケに学んだ末に遂に至つた、安部公房の、
散文としての、時間の存在しない、純粋空間なのです。

その究極の成果が、惜しむらくは遂に未完のままの『飛ぶ男』であり、『さまざまな父』なの
です。しかし、未完であるが故に、安部公房が一体どうやつて小説を具体的な文字を使つて構
造化したのかを、その手がかりを、これら未完の小説は、その未完性の故に、読者に与へてく
れてをります。実に生々しい手稿です。それもワープロのフロッピー・ディスクの中にあった
デジタルの手稿(manuscript)。如何にも安部公房らしい。二つの小説については、稿を改め
て論じます。

夜の中に立つ此の寺院の大伽藍の庭には、植物園があり、デンドロカカリヤが一本、存在の中
に立つてゐる。

以下、後篇では、『デンドロカカリヤA』と『デンドロカカリヤB』を比較して論じます。安部
公房の苦心が奈辺にあつたのか。即ち、如何にしてリルケの叙情を取り去ったのか。その蒸溜
法とは。

(続く)
もぐら通信
もぐら通信 72
ページ

これが、安部公房のユープケッチャの世界です

岩田英哉

これが、安部公房のユープケッチャの世界です。

https://youtu.be/Z6OeQtnultc

これは、エッシャーの騙し絵の一つ、つまりバロック的な贋の現実の一つですが、それがし
かも3次元で且つ時間の中で動いてゐます。

https://youtu.be/Z6OeQtnultc

これは、ユープケッチャの回転する永久運動の、自己閉鎖形態に棲むユープケっチャ自身の
構造であり、骨格です。言ひ換えれば、

これは、シュールレアリズム です。

または、

Topology(位相幾何学)

と言ひ換へても同じです。

更に、

超越論(Transzendentaltheorie)

と言ひ換へても同じです。
もぐら通信
もぐら通信 73
ページ

同じ、といふ意味は、これらいづれの観点からも、この物体を論じ、説明することが
できるといふことです。何故ならば、

恰も時間の中を川が流れてゐるかのやうに見えて、永久運動でもありますから、さう
して恰も川が下から上へと流れてゐるやうに見えますから、これは時間の無い、関係
だけの在る、謂はば、存在の世界であるからです。

ちなみに、この立体の動く模型の元になつてゐるフィッシャーの原画は、次のもので
す。
もぐら通信
もぐら通信 ページ74

言葉の眼
10

ユーラシア大陸の東と西で何が起きてゐるのか?

岩田英哉

ユーラシア大陸の東と西で何が今起きてゐるのか?

今、ある文章を読んで、ふと思つたのだが、中華人民共和国といふ中華思想とマルクス主義
を体現した中国共産党の支配する国の貨幣価値の崩壊は、ヨーロッパ白人種による此の50
0年の近代といふ時代が生み出したグローバリズムの終焉を最後に人類に示すことなのだな。

この事は、今ヨーロッパで起きてゐる移民・難民問題が500年かけて巡り巡って地球を一
周して自分自身に戻つ来てゐる(お釈迦様なら因果応報といふだらう)現実と密接に深い関
係があるな。

地球のユーラシア大陸の東と西で同じ事件が起きてゐるといふ事になります。

かうして考へて見ると、イギリスがヨーロッパではないやうに(ヨーロッパ大陸又は大陸ヨー
ロッパに帰属しないといふ意味ですし、これが歴史的・伝統的・地政学的にイギリスがEUか
ら離脱した一番の理由だと私は考へる)、実は、日本もアジアではないのです。

明治以来に、そして最近も特に脱亜論なども論ぜられてをりますが、そもそも脱する必要は
なく、既に、最初から、そもそも、日本は日本であつたし、ある、といふ事が判ります。日
本は、再帰的な(recursive)な国だつた。

この考へから、また此の考へで、我が国を論じては、みなさん、如何か。

それでは、何をどうやつて論じるのか。即ち、大陸をではなく、海洋を主体にものを考へる
といふ事です。即ち、海と島で地球を眺めるといふ事です。大陸の人間が、海洋と島の歴史
と伝統を学ぶといふ事です。その中に、縄文時代も弥生時代もあるだらうといふ事です。全
く従来とは異質な世界が眼前に開かれるのではないでせうか。

日本は、もともと再帰的な(recursive)な国だつた、日本人はそもそも再帰的な民族だった、
日本人はそもそも再帰的に思考する人間だった、即ち八百万の、白人種のキリスト教の言葉
でいへば、多神教の国であつたといふことです。外に敢へて、規範を求める必要の、そもそ
もぐら通信
もぐら通信 75
ページ

も無い国であるといふことです。自己に帰れば良い。

二十歳に読んだプラトンの『国家』の中で、ソクラテスが国家とは何かを対話によつて明ら
かにしながら其のの中で、国家といふものを人体の譬喩(ひゆ)で説明すると、何故このや
うに美事に説明ができるのか誠に不思議だと感嘆する箇所があります。この箇所にあるソク
ラテスの感嘆の言葉は、同時に此の譬喩の関係に関する讃嘆の言葉でもありました。爾来、
社会の中で仕事をしながら、折に触れて熟読玩味して来た言葉のうちの一つが、これなので
す。

あなたも自己に回帰すればよい。

このやうに考えると、結果として、鎖国するでもなく、攘夷でもなく、無条件にむやみやた
らに(今時のやうなだらしのない)開国するのでもなく、日本人の美意識に則つた古来から
の第三の道を私たちは行く事ができるのではないか?

これは、方便ではありません。

日本語で言葉とあるコトバが、言の葉であり、コトの葉であり、事の葉であり、コトの端で
あることは、言語の起源を其の儘説明をしてくれてゐて、誠に日本人にとつて意義深いもの
があります。安部公房ならば、言語による「周辺飛行」と云ふことです。

安部公房のいふ存在といふ概念をより良く読者に理解してもらふために私がもぐら通信で論
じた「幕の内弁当論」(『奉天の窓から日本の文化を眺める(4):幕の内弁当』、もぐら通信(第
38号))を思ひ出して下さい。キリスト教の主張する唯一絶対神から逃れるためにヨーロッ
パの白人種の生み出した哲学といふ学問と、私たちの美意識の根底にある多神教の、八百万
の神々の論理は、後者は前者を既に最初から含んでゐて、互ひに論理上何ら矛盾するもので
はないことが実感として判る筈です。

普通に考へて御覧なさい。唯一絶対の神といつても、それは結局、神々の中の一つの神に過
ぎないのです。八百万の神々と唯一絶対の神。

後者が前者を支配しようとして起こつた歴史が、資本主義の此の500年といふことなので
す。

一神教であるキリスト教の奉戴する唯一絶対の神から逃れるために哲学が生まれた。

言語の世界から言葉の眼で人類の歴史を眺めると、そのやうに見えます。
もぐら通信
もぐら通信 76
ページ

連載物次回以降予定一覧

(1)安部淺吉のエッセイ
(2)もぐら感覚23:概念の古塔と問題下降
(3)存在の中での師石川淳(1)
(4)安部公房と成城高等学校(連載第8回):成城高等学校の教授たち
(5)存在とは何か∼安部公房をより良く理解するために∼(連載第5
回):安部公房の汎神論的存在論
(6)安部公房文学サーカス論
(7)リルケの『形象詩集』を読む(連載第15回):『殉教の女たち』
(8)奉天の窓から日本の文化を眺める(6)
(9)言葉の眼11
(10)安部公房の読者のための村上春樹論(下)
(11)安部公房と寺山修司を論ずるための素描(4)
(12)安部公房の作品論(作品別の論考)
(13)安部公房のエッセイを読む(1)
(14)安部公房の生け花論
(15)奉天の窓から葛飾北斎の絵を眺める
(16)安部公房の象徴学:「新象徴主義哲学」入門
(17)安部公房の初期作品の最初の一行の採用論理について
(18)『デンドロカカリヤ』論(後篇)
(19)バロックとは何か
(20)詩集『没我の地平』と詩集『無名詩集』
(21)問題下降論と新象徴主義哲学
もぐら通信
もぐら通信 【編集後記】 77
ページ
●柴田望さんの詩:ネット上に掲載の詩が印象深いものでしたので転載をお願ひしました。
YouTubeにも音声と画像として載つてをりますので、そちらもご覧ください。広範な此の詩
人の詩に関する知識が知られる詩となつてゐます。安部公房の読者に詩人がゐるといふこと
は誠に得難いことだと私は率直に思つてゐます。柴田さんは、最初の安部公房論を書いた高
野斗志美さんのお弟子さんです。ご活躍戴きたい。●安部公房と成城高等学校(7):旧制
高校生が対象とした読書の範囲を知るのに格好の資料がありましたので、ご紹介しました。
結局、先の敗戦後の教育で失はれたものは、戦前の若者たちの教養であつたliberal arts(3
学4科)と其の上に位する哲学であることがよくわかりました。安部公房の読者には哲学を
希求する読者が多いと見受けられますが、これは学校教育では教へないので、安部公房を頼
りにして自分の人生を切り開らかうとする読者たちなのだと、さう思ひます。今月の「『デ
ンドロカカリヤ』論(前篇)」をお読み下さい。●法学者の見たS・カルマ氏の犯罪:法学が
専門の学者の書いたエッセイです。法学の世界にも安部公房の読者がゐらしたとは。まだま
だ他にもゐるかも知れません。このエッセイはCAKE(安部公房のエッセイを読む会)の須
田さんに教へてもらひました。感謝します。●一行詩『燃えつきた地図』:安部公房の作品
の中から知つたことを一行で表はさうといふ、俳句的な散文の試みです。芭蕉の好きだつた
如何にも安部公房の読者らしい。タキグチケンイチロウさんの此の試みが連続することを願
つてゐます。来月もよろしくお願ひします。●『方舟さくら丸』の中の三島由紀夫:『デン
ドロカカリヤ』論を書くために全集30巻にある小説の冒頭を通覧してゐて発見したことで
す。喫驚といふべき驚きでした。1970年11月25日の10日前に何があつたのか。最
後に電話で会話があつたものなのか、しかし、余計な詮索は無用といふべきでありませう。
読者は読者の分を弁へたい。●これが、安部公房のウープケッチャの世界です:ネットで此
の映像を見つけたので、その原画と併せて、安部公房の位相幾何学的な論理の生み出す形象
を視覚的に体験してもらひたかつた。ユープケッチャの世界です。●言葉の眼10:ユーラシ
ア大陸の東と西で何が起きてゐるのか?:日本は島国だといふ当たり前の事実を想起するこ
とが大事ではないでせうか。私が子供の頃の1960年代は高度経済成長の時代と言はれ、
日本人が今度は経済的にアメリカ大陸とヨーロッパ大陸に進出してゆく時代でしたが、しか
し其の反面、日本人は日本が島国であつて大陸ではないからといつて、日本人の性格を「島
国根性」といつて自らを貶めてゐる風潮があつたのを覚えてゐます。もう一度自分自身を思
ひだすべき時ではないでせうか。●ではまた来月
差出人:
贋安部公房 次号の原稿締切は2月24日(金)です。
〒 1 8 2 -0 0
03東京都 ご寄稿をお待ちしています。
調
布市若葉町
「閉ざされ
次号の予告
た無限」
1。安部浅吉のエッセイ
2。安部公房と成城高等学校(連載第8回):成城高校の教授たち
3。『デンドロカカリヤ』論(後篇)
4。安部公房の読者のための村上春樹論(下)
5。リルケの『形象詩集』を読む(連載第15回):『殉教の女たち』
6。言葉の眼11
7。その他のご寄稿と記事
もぐら通信
もぐら通信 78
ページ

【本誌の主な献呈送付先】 3.もぐら通信は、安部公房に関する新しい知
見の発見に努め、それを広く紹介し、その共有
本誌の趣旨を広く各界にご理解いただくため を喜びとするものです。
に、 安部公房縁りの方、有識者の方などに僭
越ながら 本誌をお届けしました。ご高覧いた 4.編集子自身が楽しんで、遊び心を以て、も
だけるとありがたく存じます。(順不同) ぐら通信の編集及び発行を行うものです。

安部ねり様、渡辺三子様、近藤一弥様、池田龍 【前号の訂正箇所】
雄様、ドナルド・キーン様、中田耕治様、宮西
忠正様(新潮社)、北川幹雄様、冨澤祥郎様(新 1。49ページ:
潮社)、三浦雅士様、加藤弘一様、平野啓一郎 3箇所の「さま」を削除。
様、巽孝之様、鳥羽耕史様、友田義行様、内藤
改訂前:
由直様、番場寛様、田中裕之様、中野和典様、
「去年ドイツからバロッ ク様式のさま建築のさま本
坂堅太様、ヤマザキマリ様、小島秀夫様、頭木
を取り寄せて読み、最後のあとがきを見て愕然とし
弘樹様、 高旗浩志様、島田雅彦様、円城塔様、
ましたが、こ のドイツ人のprofessorは、バロック
藤沢美由紀様(毎日新聞社)、赤田康和様(朝 といふ概念はあまりに多岐にわたり、定義すること
日新聞社)、富田武子様(岩波書店)、待田晋 がで きないと、そのあとがきの冒さま頭に書いてゐ
哉様(読売新聞社)その他の方々 るのです。」

【もぐら通信の収蔵機関】 改訂後:
「去年ドイツからバロッ ク様式の建築の本を取り寄
せて読み、最後のあとがきを見て愕然としましたが、
国立国会図書館 、日本近代文学館、
こ のドイツ人のprofessorは、バロックといふ概念
コロンビア大学東アジア図書館、「何處 はあまりに多岐にわたり、定義することができない
にも無い圖書館」 と、そのあとがきの冒頭に書いてゐるのです。 」

【もぐら通信の編集方針】 2。54ページ:
「意味」を挿入

1.もぐら通信は、安部公房ファンの参集と交
改訂前:
歓の場を提供し、その手助けや下働きをするこ
「更に意 味は転じて、辞書によれば、命を賭けると
とを通して、そこに喜びを見出すものです。
いふでもあります。 」

2.もぐら通信は、安部公房という人間とその 改訂後:
思想及びその作品の意義と価値を広く知っても 「更に意 味は転じて、辞書によれば、命を賭けると
らうように努め、その共有を喜びとするもので いふ意味でもあります。 」
す。

安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp

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