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祗園精舎の鐘の声に無常偈を聞く

著者 吉水 千鶴子
雑誌名 佛教文化
号 44
ページ 32-52
発行年 2005-03
URL http://hdl.handle.net/2241/103138













吉 水 千 鶴 子
語﹄冒頭 の 一節 は、砥圃精舎 の伽藍図を説明した ﹃
蔵園
二 ) 図経﹄と いう経典 の伝承にもとづ いている。 「
砥園精舎」 32
アナ-タピ ンデ イカがジ ュータの園に建てた精舎」
は 「

砥園精舎の鐘 の声、諸行無常 の響きありO婆羅双 砥樹給孤独園精舎)を指しへ当時 の大国 であ った コ-
(
樹 の花 の色、盛者必衰 のことわりをあらわす。おご サラ国 の首都サーヴ アツティー (
シ ユラーヴ アスティ-、
れる人も久しからず'只春 の夜 の夢 のごとし。たけ 舎衛城)郊外にあり、現在 の北インド、サ へ-ト ・マヘ
き者も遂 にはほろびぬ.偏 に風 の前 の塵に同じ.J -トに遺跡が発見されている。インドでは'雨季になる
﹃平家物語巻第 一㌧砥園精舎﹄ と草木、虫などを踏み殺すことが多 いとして修行者たち
は雨季を 1箇所に定住して過ごすQプ ツダ は弟子たちと
今 日もなお多くの日本人が語んじているこの ﹃
平家物 ともに、ここ砥園精舎 で最も多く の雨季を過ごしたと伝












実、

図経﹄の伝承に日本的な鐘 のイメージを重ねたのであろ
















た 舎





。初

う。しかしながら、 この鐘 の音に聞 こえる無常偽とは、


-















(

た 設


'れ

まざれもな い古代イ ンドから伝えられた詩 であるQそれ





、者

- 三世紀に編纂されたも っとも古 い仏典 で
















)

は紀元前四




















地 子






、独

あるパーリ語 ﹃阿含経﹄相応部'長部 の中 の ﹃浬襲経﹄














の。譲
、 建




子 などに登場する。










掘 う


















り 鐘。弟

諸 々の つくられたものは実に無常 であるO生じ滅















典 園








、径
びる性質 のも のである。それらは生じては滅びる。

、経原






33

るへ
それらの静まるのが安楽 である4。(

1性あ
















諸行無常、是生







堂'
0
滅法、生滅滅巳、寂滅為楽)















病、名
o う











)

(



頗 あ












、砥
日本人は、この偶を漢訳の ﹃
大般浬襲経﹄をとおして親



















願 音


'行

しんだと思われる5。そこでは、プ ツダ の前世 の姿 であ











が2極
'
。 僧
る雪山童子が、自分 の命と引き換えにこの偶を聞きたい








青 の








、往
と望んだと いう物語から雪山 (
せ っせん)偶とも呼ばれ












た、源
。 た












ている。﹃
平家物語﹄にいう 「
沙羅双樹 の花 の色」も ﹃浬
















語へ言
。 に








菓経﹄にもとづく。プ ツダが息を引き取 ったとき、咲い






ていた沙羅双樹 の花が色礎せて'散 ったという。これは (
有為 の奥山今 日越え て-生滅滅巳)あさきゆめみ
ブ ツダを失 った人 々の悲 しみを象徴すると同時に、人間 浅き 夢 見 じ7酔 いも せず-寂 滅為
しゑ ひもせす (
ブ ツダ にも花にも共通する諸行無常 の真実を語 るも の 楽 )」
であろう。だがプ ツダ はその生前にすでに無常なもの へ
の執着を捨 て、迷 いと苦 しみのな い安楽な境地を実現し、 「
色」とは花 の色 であり、ここでは花 そのものを指すが'
そ の死をも って完全な浬磐 に入り、この無常が支配する 仏教 では形を含 んだ目に見え るも のの総称であり' 「

世界 に決 し て再 び輪 廻する ことはな い永遠 の楽 を得た 行」すなわちす べての作られたも のを代表する。これは
のである。無常を嘆く ことではなく'無常 の真実を知り、 「
諸行無常」のヴ ィジ ュアル化 であり'色と匂 いをそ こ
この浬盤 の境地を実現することに仏教 の核心はある。 に与え ている。第 二節 では 「
生じ滅するも の」と して'
34

J
tlて、紀 元前にイ ンド で説かれた諸行無常 の偶が いか 具体的 に 「
人」が示される。も のも人も無常 である。そ
に 日本 人に親 しまれ ていたかを 示す いま ひと つの事例 して第三節 にいう 「
有為 」と は 「
諸行」 「
す べての作ら
が 「いろは歌」である。戦前ま で、日本人はこの歌で手 れたも の」に他ならな い。そ の 「
有為 の奥山を越え てい
習 いをし ていたが、これは真言宗 の伝統 では弘法大師作 く」すなわち厳 しい修行を へて目覚 め (
悟り) へ到るこ
とされ6 、諸行無常偽 の翻案 であると いわれている。 とを、 「
いろは歌」は山道 を歩む人 の姿として主体的、
絵画的に描く。花 の色、匂 い'深山、山道、そこを歩く
「いろはにほ へとちりぬるを (
色は匂 ヘビ散りぬる 人 の息遣 い'汗、そして覚 醒と いう ひと つのストーリー、
を =諸行無常)わかよたれそ つねならむ (
我世誰ぞ 1枚 の絵ができあが って いるo
常な らん =是生滅法)うゐ のおくやま けふ こえ て このように日本の平安末から鎌倉時代にかけての中世文
学は'無常 の姿を生き生きと描き出し'血と肉を与えた。 そ動かしがたい真実であるtと いう認識にもとづいた 「

有名な ﹃
方丈記﹄ の冒頭 「
ゆく河の流れは絶えずして、し 覚的無常観」 への転換を中世文学'とくに ﹃
徒然草﹄に見
かもへもと の水にあらず。
」'蓮如上人の御文より 「
されば 出す ことであり'さらに道 元の ﹃
正法眼蔵﹄にその形而上
朝には紅顔ありて'夕には白骨となれる身なり8。」などを 学的考察を見出す ことであ った。小林秀雄も、日本古典文
挙げるま でもなかろう。 こうした無常という観念 の絵画的 学にあらわれる無常観を日本人本来の感情に根ざすものと
表現は十 一世紀初めに編纂された ﹃
和漢朗詠集﹄あたりか 考えるo彼 の ﹃
無常という事﹄という文章に 「
この世は無
ら頻出Lt流行したようである。近代日本の知識人たちは 常とは決して仏説と いう様なも のではあるまい」とあり、
ここに日本人の美学を見たo
唐木順三は、 「
無常を語る場合、 ﹃
平家物語﹄にも 「
平家 の作者達 の厭人も厭世もな い詩魂
きわだ って雄弁になり'それを書く場合、特に美文調にな から見れば'当時 の無常 の思想 の如きは'時代 のはかな い

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ると いう傾向がきわめて顕著であるということが'日本人 意匠に過ぎぬ」と述 べる。小林が仏教を厭世的悲観的と考
のひと つの特色といってよいであろう。-日本人は無常を' えた主な理由は、おそらく厭離穣土、欣求浄土に代表され
無常世界観へ無常観として考える以前に'無常感としてま る浄土思想を念頭において仏教を理解していたことによる
づ共感し'その共感を'仏教 の語柔をかりて表現すると い ものであり、それも戦乱続く末法の世であ ったがゆえの厭
うそう いう傾向が著しい」と述べている9。唐木の著書 ﹃
無 世観であ って、中世という時代に特有 の仏教思想ではある
loo
常﹄の主眼は'平安王朝文学 の 「
はかなし」 「
あはれ」とい
う言葉によ って表された'宮廷生活の恋愛を中心とした人 これら近代知識人たち の雄弁は別として、現代 の我 々
の心 のう つろいを嘆く 「
無常感覚'美感」から'戦乱の世 がなおも桜 の花 の散 り際 に'紅葉 の燃える色に、無常と
の悲惨と生死の際に身を置く武士の台頭によ って、無常 こ 美をあたかも等価値 であ るか のごとくに感じるのは、自
然な感情 であると同時に代 々受け継がれ てきたこの文
学的感覚 のせいかもしれな い。インドから中国を経て伝 二
( )
えられた外来宗教 である仏教が、日本人の心に浸透する
のには、日本的消化が必要 であ ったO諸行無常偶が砥園 このことは諸行無常偶そのものが教えてくれよう。き
精舎の鐘 の声とな って響き、その漢文が 「
いろは歌」に わめてシンプ ルにいえば、 「
す べてのも のを無常と考え'
姿を変えたとき、我 々の祖先は深 い共感をも って耳を傾 常住な存在を認めな い」のが仏教 の無常観 であり、その
けたであろうCそもそも無常感'無常観はともに仏教思 無常なるもの への執着を捨 てて'苦しみを離れた安楽な
想 である必要はな い。仏教 の専売特許ではな い。だが、 境地 へいたる道を教えるのが仏教 である。無常にはふた
日本人に特有なものでもな い。人間ならば誰しもそれを つの意味がある。ものごとには必ず終わりがあるという
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嘆き'おのれが死すべきも のであるということが真実 で ことであり、人の死がそれを代表する。もうひと つは、


あると認めるであろうQ仏教徒 でなくとも'日本人でな も のごとはたえず移り変わると いうことである。 「
すべ
くとも、無常感、無常観はもちうるのである。それを文 ての作られたも のは無常 である」という教説は、 「
作ら
学的美的に表現すれば 「
無常 の文学」 「
無常 の美学」は れな いものは常住である」という ことを合意し、ゆえに
どこにでも生まれうる。また'それを哲学的に考察すれ イ ンドの仏教徒 のなかには 「
作られな いもの、常住なも
ば 「
無常 の形而上学」はど こにでも生まれうる。日本や の」の存在を認める者もいた。また 「
作られたも の」が
仏教に限 ったことではあるま い。では、いかなる無常観 無常 であることを認める仏教以外 のインド人も多 い。し
が仏教 の無常観な のか。何か仏教的といえるような無常 かしながら、仏教 では 「
作られな いもの」は何 の役にも
観があり'思想があるのだろうか。 立たな いのであるQ作られな いものとは、空間とか浬襲
などであり、決して救済者としての絶対神や永遠 の霊魂 のは滅しなくてはならな い。これが苦しみでなくてなん
ではなか った。浬架は目指されるべきものであ って、す であろうかo常住不変なものは何も存在しない.インド
でにどこかにあるも のではな い。それに頼ることはでき の古典哲学書である ﹃
ウパ ニシャッド﹄が説 いた永遠 の
な い。また輪廻転生が永遠 に続くとしても'それは苦に アート マン」や宇宙原理 「
個体原理 「 ブラフマン」など
はかならない.輪廻から の脱却 こそが浬輿 である。 どこにも存在しな いCここに存在している自分は'決し
そして仏教 ではなくとも無常鹿はありうるが、無常観 てそのような自我 (
「アート マン」
)ではな い。初期仏典
なくして仏教はありえな い。仏教 の始まりそのも のが、 が伝える仏教は、くりかえし 「
無常、苦、無我」 への自
人間ブ ツダ の人間の無常感、無常観にあ ったからである。 覚を促す11
。苦しみは、無常 のも のを無常と知らず、惜
釈迦族 の王子ゴーク マ・シツダー ルタは'その若き日に しむことから起 こる。真実 の正し い認識と欲望 の抑制、

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遠 足に出かけようとして宮殿 の門のところで老人に遭 心 の落ち着きが苦しみを離れる道 である。そのために努
遇する。その姿に恐ろしくな った彼は、別の門 へ行くが' 力せねばならな いQブ ツダは自ら の遺言として、やはり
そこには病人がいた。そしてさらに別の門には死人が い 無常に言及した。﹃浬襲経﹄が伝える彼の最後 の言葉は
た。最後 の門には出家者が いた。このとき シツダールタ 次 のようなものであるo
はおのれが進むべき道を悟り、出家を決意したといわれ
る。多く の仏伝が伝える 「
四門出遊」のエピソードであ 「
さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。もろ
る。シツダールタは、無常 の有様に恐れおののき'嘆き もろの作られたものは過ぎ去るも のである。怠るこ
ながらも、ただちにそれが普遍的な真実 であることを知 となく勤めよ12cJ
る。生まれてきたものは死なねばならな い。作られたも
このように仏教とは、そもそもブ ツダ個人の体験と無 のどもの定めは' このとおりである。 (
中略)す べ
常 の洞察に始ま ったとい っても過言ではな い。無常を真 ての者は必ず死に至るOかれらは死に捉えられてあ
実として受け容れながらも'苦しみを離れて生きるには の世に去 って行くが'父もその子を救わず、親族も
どう したらよ いのか'その道を教えるのが仏教 である。 そ の親族を救わな い。見よ。見守 っている親族がと
初期仏教にお いては、そのキーワードは 「
出家」であろ めどなく悲嘆に暮れているのに、人は 一人ず つ屠所
ぅ。世俗 の営 みを離れ、欲望 の対象となるも のから遠ざ に引かれる牛のように、連れ去られる。このように
かる。す べての欲望 のうちで愛欲がどれほど絶ちがたく、 世間 の人 々は死と老 いによ って害われるOされば賢
家族 への執着がどれほど深 いか。喜びをもたらすものは 者は'世のありさまを知 って'悲しまな いC汝は来
苦しみをももたらす。そのいずれも去ることが出家 であ た人 の道を知らず'また去 った人の道を知らな い。
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る。出家者には感傷は無用である。無常が変えられぬ真 汝は (
生と死の)両極を見な いで、いたずらに悲泣
実だと いう ことに思 い慣れて'それを受け容れた者は、 するO迷妄にとらわれ自己を害している人が、もし
嘆きから自由 になる。最古 の仏典 ﹃スツタ ニパータ﹄は も泣き悲 しんでなんらかの利を得ることがあるな
次 のように教えるO らば、賢者もそうするがよかろうO泣き悲しむこと
によ っては心 の平安は得られな い。ただますますか

この世における人 々の命は、定相なく、どれだけ れには苦しみが生 じ、身体がや つれるだけである。
生きられるか解らな いC痛ましく、短くて'苦悩に みずから自己を害 いながら'身 は癒せて醜くなる。
繋がれている。生まれたものどもは、死を通れる道 そうしたからとて、死んだ人 々はどうにもならな い。
がな い.老 いに達しては、死が来るO実に生あるも 泣き悲しむのは無益である。︰-︰だから尊敬さるべ
き人 のことばを聞 いて、亡くな った死者を見ては、 ともに明確な神 への帰依、信仰による救済 へと変わ って
かれ はもうわたしの力 の及ばぬも のな のだとさと いく。 十 一世紀前後に編纂された ﹃バルトリ ハリ三百
って'悲 しみ嘆きを去れ13。」 煩﹄という詩集には、処世 の詩百篇、恋愛詩百篇となら
んで離欲 の詩百貨が収められている.処世術へ女性の肉
このようにイ ンドの仏典 は'無常を描くのに'決して 体美 の描写をふくむ性愛 の賛歌、そして宗教的教えはイ
文学的装飾を用 いな い。それは過酷な現実 であり'美感 ンド人が最も好む主題である。バルトル ハリは、離欲 の
が介入する余地 のな いものである。そして仏教が指し示 詩 で、欲望 の空しさ、この世 の無常をうたう。その表現
した道 はさらに厳しく、自分 の力による出家修行 の道 で は仏典が語るところと基本的に変わりはな いC
あ ったC救済者も救済神も いな い.頼れるものはプ ツダ

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の教えと善知識と呼ばれる先達、仲間だけである。永遠 「
月光は快 い.森 の草地も快 いO書き人との交際で
なも のはど こにもな い。おのれが浬集 の境地に達しな い 味わう幸福も快 いC詩 の中 の物語も快 いC怒 って流
限り、永遠は実現しな い。これが仏教 の根本にある無常 す涙 の滴に輝く恋人の顔も快 い。あらゆるものが快
観 であろう。 いのだが'心が無常を感ずる時、何も快くなくな っ
仏教以外 のイ ンドの宗教、思想は、命や現象 の無常は てしまう。楼閣は住むに快 いも のではな いか。歌な
アート マン」
認めても、そ の背後に超越的な存在 である 「 ども聴 いて楽しいも のではな いか。最愛 の女と交わ
や 「
ブ ラフ マン」
'創造神を想定していた。﹃
ゥパ ニシャ る快楽はこよなき喜びをもたらさぬか。だが賢者た
ッド﹄の思想 においては、解脱とは永遠なものと 一体に ちは、すべてのものを、飛び交う蛾 の羽 の風に揺れ
な ることであ ったOこれはやがてヒンドゥー教 の台頭と 動く灯火の輝き のように惨 いと考え、森 へ行くのだ
1q
..」 離欲百頒」七九- 八〇)
(「 者たる水よ、兄弟なる空よ、あなた方 の後ろで、頭
を下げ て合掌するOあなた方と接して得た功徳によ
しかし、ヒンドゥー教 の人生観 では、社会 での義務を果 り、広大に輝き出た清浄なる智によ って' 一切 の強
たし'愛 の享楽を味わ い'子孫を育 てた後'自らに老 い 大なる迷妄を退けた私は最高ブ ラ フ マンに合 一す
が忍び寄 ってくる頃にな ってはじめ て宗教生活に入る る16。」(
同一〇〇)
ことを理想とする。プ ツダ のように青春 のさなかにす べ
てを捨てたりはしな い。そして人は最後にシヴ ァ神に帰 大叙事詩 ﹃マハーバーラタ﹄も、親族間の戦争という
依Lt ヨーガ行者となり、﹃ウパ ニシャッド﹄以来説か 人間の空しい所業を措きながら'その中に収められる有
れ続けた宇宙 の最高原理にして永遠なるブ ラ フ マンに 名な ﹃バガヴ アツド ・ギータ-﹄の教え のように、永遠
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合 一するのである. の個我とその救済、すなわち神 への帰依と ヨーガによる


永遠 のブラフ マン への合 一を説く。仏教 の無常観は、本

ああ、心の願 いは失せたQ身体 の若さも去 ったQ 来 この永遠なるもの へのアンチテーゼ であ った。
心ある人 々が いな いので'諸 々の美質も甲斐なきも しかしながら'紀元後大乗仏教 の発展とともに、仏教
のとな ったQ強力な時と いう耐え難 い死神が唐突に も無常な人間存在と現象世界に対峠する常住な存在を
近づくOどうしたらよ いか? あ、わか ったo愛神 考えるようになる。歴史的人物であ ったプ ツダ はへ超越
を殺す神 (
シヴ ァ)の御足以外に、いかなる寄る辺 的なさまざまなプ ツダ (
如来)たちや菩薩たち'さらに
もな いのだ15。」 (
同八三) 宇宙原理にも等しい密教 の大 日如来 へと、人格的絶対者

母なる大地よ'父なる風よ、友なる火よへよき縁 の姿に変貌していく。 一方、内在原理としてプ ツダにな
る可能性としての 「
如来蔵」 「
仏性」というも のも考え 常 に変化している。 この変化は目には見えな いも のの、
られたQゆえに'すべての仏教徒がその歴史 の中で常に 1瞬 1瞬にその状態にある存在が威して、ほぼ同 lであ
永遠なものを否定し続けていた、というのは正しくはな るがま ったく同 一ではな いも のが生まれ、交替している
いCだが、古来 の諸行無常偽を忘れなか った人 々もいた. ことだ、というラデ ィカルな主張が生まれた。映画のフ
興味深 いことに、彼らによ って、インド仏教 の無常観は、 イルムの コマが交替して、あたかも連続しているように
死、消滅など我 々の体験 できる肉体的'物質的現象を超 見えるのと同じである。この学説を 「
剰那滅論」と いう。
え て、文字通りの 「
メタ ・フィジカル」 (
超自然的、形 この剰那滅は、目には見えな い、経験的に知られな いも
而上学的)な方向 へと発展していく。これは主に哲学的 のであるならば、論理的にはすべてのも のに敷術させる
議論に参画した人 々によるものであ った。ヒンドゥー教 ことができるCこうして無常 の教説は、剰那滅論として

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の諸学派が、ウパ ニシャッド哲学以来の伝統であるアー 掲げなおされ'なぜすべての作られたものが剥那滅な の
ト マンや創造神の存在を認識論、論理学 の知識を駆使し か、なぜ恒常なものは存在しな いのか、論じられること
て証明しようとするのに対して、仏教徒もプ ッダ の無常 にな ったO この立場 で見れば、花が色禎せていく のも、
の教説 の正しさを証明しなければならなか ったOその中 より色 の濃 いも のからより色 の薄 いも の へ剃那剰郡に
で「
無常」は当然、まず時間的に厳密に定義されねばな 転じていく存在 の連続する交替 であり、もはや我 々が認
らな いC体験から知られる自然現象は、起 こってはただ 知 できるものではな い。ここに無常感'ましてや美感 は
ちに消える光や音などと'生命 のように 一定期間持続し 入り込めま い。 「
無常」は宗教的主題というよりは哲学
て終わりをむかえるものと二種類あるO後者は、物理的 的主題とな った。
継続性はあるが、我 々が刻 々と老 いていくように、実は 「
剰那滅論」は、次第に仏教内では哲学的諸学派の マ
ジ ョリ ティの支持を得るようにな ったが、彼らが好んだ の'無始以来存在するも のは何もな い。従 って存在する
論理命題 のひと つに 「
声は無常 である。作られたものだ も のはす べて無常な のである18O
からO作られたも のは何 であれす べて無常 (
剰那滅)で
あ る」と いうも のがあるO この命題に従えば'無常偶を 三
( )
響 かせる砥園精舎 の鐘 の声もまた無常、と いう ことにな
ろうQなぜ 「
声」な のか. この命題は、イ ンド最古 の聖 日本に戻ろう。日本 の中世文学が好んで描 いた無常は、
典 であ る ﹃
ヴ エーダ﹄ の 「
声」または 「
言葉」が無常な まさ に諸行無常偶が教え ると ころが真実だと いう自覚
のか、永遠な のかtと いう問題を反映している。我 々の にもとづくも のであり、裟婆世界に存在するも のはす べ
日常 の音声 は誰しもが無常だと認めるが、神話、神 への て無常だと いう認識を へたも のだと いう点 で、インド初
42

賛歌、神に捧げ る儀礼や祝詞の集成 である ﹃


グ エーダ﹄ 期仏教 の無常観と隔たるも のではな いO戦乱 の世を経験
聖典 の言葉 は、人間が作 ったも のではな い、天啓 であ る した中世人 の、それは実感 であり'仏教 への共感 であ っ
から、永遠 であると考える人 々が いたC彼ら祭租階級 の た のだろう。仏教 の無常観も、人間ブ ツダ の自然な無常
伝統主義者たちに対して、プ ツダ のような新興思想家た 感 から始ま った のであるかt
EI
Qまた'中世 の日本人がそ
ちは'こうした ﹃
ヴ エーダ﹄ の権威を信じなか ったのだ れに文学的表現を与え、自ら の理解と噂好に応 じてその
が、 この対立は'後 の哲学思想 の発展とともに'学派間 観念を具体的な姿で示した ことは'無常観 の消化、さら
の議論 の争点とな った.﹃
ヴ ューダ﹄も人間によ って作 には大衆化を促進した。そ の発露 の場が主に文学という
られたも のだ、と主張する仏教徒は'それゆえにその言 ジ ャンルであ ったことが、近代知識人をして 「
日本的無
葉も無常 であると結論する17。そして作られていな いも 常 の美学」と いう独特 の価値づけをさせることにな った
が、あくま で目に見える経験世界における移り変わりで
原因と考えられる。無常観 の社会 への浸透 は、仏教 の浸
あり、人間を含 んだ自然 の現象 であ った ことを示唆して
透 であ ると同時 に、それが人間 の共通な感情 であること
いる。それは率直に 「
死」であり、具体的な何かの 「

から、仏教 の枠組 みを越える可能性も広げた ことにな るC
わり」 であ った。
﹃平家 物語﹄﹃
方丈 記﹄ のような文学作品は'そもそも
これを 日本人 の無常観 の特徴と いう こともできる。仏
仏教を説くため,教え るため のも のではな いoそ こには
教的枠組みの中 に限 ってみても、日本には'イ ンドのよ
すぐれた無常 への洞察が点在するにしても、とき に無常
うな超自然的、超経験的時間 である剥那滅 の分析と探求
は悲劇 の物語を引き立 てる道具 でもあり、また文学的脚
色 の題材 でもあ ったOゆえに中世文学にあらわれる無常 は存在 しな い。 「
剰那滅 」と いう語は知られていたが、
それを存在論的 に説 明す る ことも論 理的 に証明する こ

43
の表現が,多く の比聴,自然描写を含 み、美的 に洗練さ
ともなか った。しかしこれをも って日本に哲学的思考が
れ ていることは当然 であるO唐木順三が示してみせたよ
なか った こと の 1根拠とする のは間違 いであるC,
)の日
うに、出家者 の筆 にもその文学的志向は顕著 である19。
本的特徴は,仏教 の伝来と発展 の歴史的背景ならびに日
そもそも中世 では、文学者が出家する、ある いは出家が
本 の思想的環境 から説明す る ことが 可能 であ るから で
歌を詠 むなど の例は いくら でもある。彼ら の文章 の文学
あ る。日本に入 ってきた仏教経典 のほとんどはイ ンドに
的洗練 は、先人が平安時代 の宮廷文学によ って到達 した
きわめ て高 い水準を継承しているからであろうQそして 原典をも つも のの漢 訳であるが、 そ の理解 の仕方 には'
中国的受容と解釈が多くほど こされ ている。中世に鎌倉

無常 」が、しば しば自然 の移り変わりにたくされて表
新仏教として スタートした浄土宗、禅宗は中国からもた
現され るのは、文学的効果ならびに美しい山河 への愛着
らされたものであり、そ のまま の形 の教義をイ ンド仏教
を示すが、それらと同時に、日本人が理解していた無常
に探す ことは難し い。 「
剃那滅論」に代表される認識論、 のも のであり、そこにはたとえば ﹃
法華経﹄が説く 「

論理学は法相宗をとおし て 一部伝えられているも のの、 遠 のプ ツダ」'浄土経典が描く極楽浄土と阿弥陀如来'
中国にお いても、そして日本においても決して多くの人 ﹃
華厳経﹄や ﹃
大日経﹄の主尊 にして宇宙に遍満する毘
の注目を集めることはなか った。その後も'日本 の仏教 慮遮那仏'別名大 日如来など'永遠 の世界と尊格が登場
徒は、たとえば神道や儒教 の徒 に対して 「
す べてのも の す る。諸行無常 の教義と の関わり にお いて見るならば、
の無常」を証明しなければならな い必然的な状況を経験 これら の経典 の思想は、二 つの異な った方向 への仏教思
することはなか った のである。日本古来 の神 々は不死で 想 の発展を促したように思われる。ひと つは、浄土信仰
あるにしても、絶対神'救済者としての性格は薄 い。天 に代表される'無常にして苦しみにみちた現実世界と彼
皇 の永遠性は、万世 1系と いう皇統にあるC神格化して 岸 の極楽浄土という永遠世界 の対峠 であ るQA
)の二 つの
4
4

紀られた英雄 や英霊 の永遠性は、現実 の死を へなければ 世界は断絶しており'人は阿弥陀仏 の力を頼 って念仏に


獲得されな い。この世 の森羅 万象が無常 であることは誰 よ って死後 の往生を願う のみである。いま ひと つは、現
しもが認め、その存在 の根底にアート マンのような永遠 実世界 の肯定的受容 である。諸行無常がまざれなき真実
の原理を想定することもなか った。諸行無常は論争 の種 である以上へそこにこそブ ツダが説く真 理が内在 してい
にはならな か った のであ るC それはあ るがままの現実、 るのだから、無常 の現実世界と別に浬葬や浄土を求める
真実 であ った。 必要はな い、無常な経験世界にこそ悟り の世界があると
しかしながら、そ の 一方 で、永遠なも の への徹底した いう思想 である.前者は浄土教とし て中国 で形成され'
拒絶も 日本にはなか った ことに注意す るべき であろう。 日本 へ来 て天台宗 の念仏修行 から阿弥陀 仏 の他力を頼
日本 に伝わ った仏教 経典 の主な も のは大 乗仏教 の時代 る往生念仏を主とする法然、親鷲 の浄土宗 へと展開する。
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後者は、密教ならびに華厳哲学 の思想 であり、とくに中 るQ老 い、病に弱 った人間 の姿は哀れにしか見えな いO
国で作られたと考えられる ﹃
大乗起信論﹄にもとづく日 血 の海 に倒れた腐臭 漂う戦場 の死体 は恐怖と苦痛を起
本 天台本覚思想を生んだ。 「
本覚 」とは本来 の覚りの意 こさせるのみであろう。しかしながら、無常が花と散る
味 であり、無常な現実 の事象 の中 に真理 の顕現を見るこ 英雄 の姿 に映し出され、そこに花そ のも のが重ねられる
とであるご )
れはイ ンドで考えられ ていた 「
如来歳」「
仏 なら、その無常 の絵は美 へと変貌す る。人は言葉 によ っ
性」と い ったブ ツダ になる (
悟りを得る)ポ テンスがポ てむご い現実 の浄化をはか ったQだ とすれば、天台本覚
テンスにとどまらず、完成されたものとして、また内在 思想は'思想による無常 の観念的 カタ ルシ ス (
浄化)で
原理ではなく'明らかなも のとして、人間 のみならず草 あるQだが、現実世界が理想世界と重ねあわされること
木悉土 に顕われ ているとするも のである。 「
即身成仏」 で浄化される 一方、目指されるべき浬磐 の姿 は現実 の無

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煩悩即菩提」 「
生 死即浬磐」など の言葉 は、 このよう 常世界に溶け込んでしま った。これによ って仏道がかす
に理解された2。O無常なる婆婆世界と対峠する理想世界 ん でしま ったことも否めな い O人間 の実際 の苦しみは癒
は、ど こか別 のと ころに求められる必要はな いcA
)の婆 されま い。天台本覚思想 の成熟 は耽溺と停滞を生むと同
婆世界にこそ実現しているも のである。 時 に、それ への不満から新 しいムーヴ メ ントを創り出し
平安時代後期、天台宗比叡山 の教学として成熟期をむ たQ浄土宗、日蓮宗、禅宗とい った鎌倉薪仏教にと って、
かえた この天台本覚思想は、実は中世 のひと つの隠れた こ の思想 は母体 であ ると同時に越え るべき 父権とな っ
思想潮流 であ った。この思潮は、文学とも決 して無縁 で た のである。
はな い。中世文学が達成した無常概念 の具象化、ヴ ィジ 唐木順三によ って 「
無常 の形而上学」を帰せられた道
ュアル化は、それ自体が無常 のカタルシス (
浄化)であ 元 二 二〇〇- 1二五三)も天台本覚思想 の洗礼を受け
ながら'それ への疑問を抱 いて比叡山を捨てた0人が本
来悟 っているものなら、いったいなぜ諸仏は修行したの 「
この壷界の頭 々物 々を'時なりと戯見すべし。=・
かQともすれば修行無用論におち いる天台本覚思想を批 ︰・
しかあれば'松も時なり、竹も時なり。--有時
判し、道 元は修行すなわち 「
行動」の中に本覚 の実現を に経歴 の功徳あり。-⋮経歴は、たと へば春のごと
見出す。無常な現実を受け容れ、それをそのままに生き し。春に許多般 の様子あり。これを経歴という。外
るのである。ここに無常観 の次なる発展を見るのは私だ 物なきに経歴すると参学す べLo・
・・
・・
・山も時なり、
け であろうか。確かに道 元の主著 ﹃正法眼蔵﹄には、無 海も時なり。時にあらざれば山海あるべからず22。

常や時間に関する哲学的考察が見られる。しかし'彼は 「
しかあれば'無常 のみづから無常を説著、行著、
無常を超自然的な時間単位 である剃郡に置き換え て推 証書 せんは'みな無常なるべLo・
・・
・・
・しかあれば、
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論したり、論証したりすることはな い。インド的メタ ・ 草木叢林 の無常なる、すなはち仏性なり。人物身心


フィジ ク ス (
形而上学)は彼にはな い。彼が強調するの の無常なる、 これ仏性なりO国土山河 の無常なる、
はむしろ、その無常という真実がすべてのものに 「
現成 これ仏性なるによりてなり。阿蒋多羅三森三菩提 こ
する」ことな のである。これは抽象的真理としての無常 れ仏性なるがゆ へに無常なり、大般浬襲 これ無常な
を捨 て、血肉をえて具体的な姿とな ってあらわれる無常 るがゆ へに仏性なり23。」
をとるも のである。時に ついても同様 である。これはま
さに中世に共通 の無常観 である。それをさらに 「
仏性」 それでは無常すなわち仏性だとすれば'我 々はどうす
だと いい切 ってしまうと ころに、天台本覚思想 の影響が ればよ いのかc rl向に坐禅弁道」することであるQ離
色濃く映し出される21。 れるべきは無常 の世界ではなく 「
自己のはからい」であ
るO禅宗 の修行とは坐禅ばかりではなく行住坐臥のす べ ンドにはな い。日本 の中世と いう社会と'禅宗、天台本
てにわたることはよく知られている。つまりすべての日 覚思想との融合が、道元という思想家を得 て、結実した
常 の行動において自己をわすれ、自己の計らいを捨てて' 時代 の果実であろう。
そこに仏性を実現していくことである。ここに中世日本 無常 の言葉が文学を飾るようにな った中世 の時代は、
の経験的'肯定的無常観は、無常をそのままに生きろ、 武士 の台頭による戦乱 の世の到来に、仏法が滅びるとい
と いう積極的行動論 へと発展していく思想的裏づけを う末法思想が重ね合わされ、無常 の現実 の自覚とその文
見出す であろう。無常観はもはや嘆きではな い。現実に 学的浄化、思想的洞察をもたらしたが、時代 の主役とな
立ち向か って生きるデ ユナミ ック ス (
原動力) である。 った武士たちには無常感などと いう センチメンタリズ
無常を受け容れ て、 しかも無常なるも のに執着 せず、 ムはそもそも存在しなか った。都 のみやびな世界に比し

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日 々を生きること、それはそのまま無常という真実を自 て'東国出身 の荒くれ武士たちは本来文化などとは程遠
ら証明していく ことであり、捜索を実現することである。 いも のとして登場したO﹃
平家物語﹄とて、内容 はその
ここで、ブ ツダ の最後 の言葉 「
もろもろの作られたも の 冒頭 ほど詠嘆的ではな いO主人公である武士たちは、戦
は過ぎ去 るも のである。怠ることなく勤めよ」が思 い起 いを生業とするものであり、彼らにと って死は日常のこ
こされるかもしれな い。しかし、プ ツダは決して日々の とであ ったQ死の自覚とは無常 の自覚にはかならな いO
修行に浬輿 の実現があると教えたことはな い。浬集はあ 無常を生きる以外にはなか ったのである。物語や歴史に
くま で最終的なゴー ルであ ったC道元は、浬嚢もまた無 登場する武士たち のうちには、極楽浄土に救済を求める
常だと いう。捜索 は今 この 一刻に実現され、去る。そし 者や、鎌倉武士のように禅宗に親近感を示す者、宮本武
てまた次 の行住坐臥に実現される。このような思想はイ 蔵 のように 「
神仏を頼まず」という者など様 々で、さむ
らい文化と仏教との関係を論じることは難 しいOそもそ 宗'曹洞宗 の僧侶の逸話が多く収められている。常朝が
も殺人者 である武士に、仏教 への道が開かれているのか 武士道と禅修行との間に見出した共通点は、今 のこの 一
どうか。単純に精神修養や立合いでの集中力を高めるた 時を生きるという集中であろう。それは 「
平生 の死の覚
めに坐禅などを役立てたこともあろう。常に死に直面す 悟」である。なぜ平和な世に'死の覚悟が必要か。それ
る職業柄'精神的なも の への希求はおのずと高か ったと は'戦場でなくとも、武士でなくとも、人間なら いつで
思われるが、武士が自らの理想 の生き方'死に方に つい も死にうることが真実であるからである。死は理不尽に
て語るようになるのは、むしろ徳川の太平 の世にな って や ってくる。武士ならばなおさら、理不尽と無常は日常
からであるO の真実な のであるCならば、先に死んでおけ、と常朝は
武士が語るドライな無常観、禅 への親近感を代表する いう。
8
4

のが ﹃
葉隠﹄であろう。語り手である山本常朝 二 六五
- 1七 一九)は'佐賀県鍋島藩 のさむら いで、主君光
九 「
貴となく、賎となく、老となく'少となく、悟り
茂が死んだときに追 い腹を切ろうとしたが許されず、出 ても死、迷ふても死Oさ ても死る歳.我人死と云事
家隠遁した。元禄も過ぎた平和 の只中 で 「
武士道とは死 しらぬではなし。ここに奥 の手有り。死と知ては居
ぬことと見 つけたり」と語 ったこの書物は、後に近代戦 るが、皆人死はててから、我は終に死事 の様に覚 て、
争 の際に軍隊を鼓舞するために用 いられ'誤解を受けて 今時分にてはなしとおもふて居るなり。はかなき事
きたが'最後に切腹した日本人'三島由紀夫が座右 の書 にてはなきゃO何もかも益にたたず、夢 の中 のたは
としていたことでも知られている。常朝は四十二歳 で出 ぶれ也。箇様におもひて油断してならず、足下に来
家する以前から禅には親しんでおり'﹃
葉隠﹄にも臨済 る事なるほどに、随分精を出して早く仕廻筈なり。」
(
二- 五六) 「
祖に逢 っては仏を殺す」 (
逢祖殺俳)と いう言葉があ
必死の観念、 1日仕限 (
「 しきり)になすべLo毎 るが、そのようなところにも禅 への親近感があるかもし
朝へ身心を静め、弓'鉄砲'槍'太刀にてずたずた れな い。
になり、大波に打ち取られ'大火 の中に飛び入り、
雷電に打ちひしがれ、大地震にてゆり込まれ'数千 「
端的只今 の 一念より外はこれなく侯。 一念 々々と
丈 のおきに飛び込み、病死、頓死の死期 の心を観念 重ねて 一生なり。ここに覚え つき侯 へば、外に忙し
し、毎朝僻怠なく死して置ぐべし.古老 の云う'軒 き事もなく、求むることもなしoここの 一念を守 っ
を出ずれば死人の中、門を出ずれば敵を見る'と也。 て暮すまでなり.」 (
二I l七)
用心 の事にあらずO前方 (
まえかた)にて死て置く

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なり.
」( - 1三三)
十1 このような ﹃
葉隠﹄の武士道を、ひと つの無常観ととら
えるならば、それはシンプ ルにしてか つ行動原理として
武士にと って、無常とはすなわち肉体的死であり、それ はたらく無常観だといえよう.武士道とは、武士という
以外 のも のではありえな い。肉を切られ'血を流すこと 戦闘集団にして特殊な社会階層 のみの規範だが、常朝は'
であるOその死の自覚を行動原理とし、自己の計らいを 平和ながら封建制度に縛られた不自由な境遇にある江
捨 て、 しかも救済とも浬輿とも縁なく、覚悟をも って 戸時代 の武士たち の精神に風穴を開けようとした。死 へ
日々の修行 (
勤め)に専心する。戦 いであ っても、奉公 の準備は'精神 の自由 へと道を開く。ゆえに常朝の無常
であ ってもそれは同じである。ほかに何も求めるべきも 観 にはペシミスティックな調子はな い。﹃
葉隠﹄は処世
のはな いO中国伝来 の禅宗に、師や仏 への執着を諌めた 訓にも富んでいるが' 1方 で「
死に狂 い」
を力説しながら、
他方 で次 のような こと も い ってみせるC と してきた。イ ンド以来 の諸行無常偶が説 いてきた無常
を、具体的な意味 にお いて、経験的無常とし て、日本 人

人間 1生誠 にわ づか の事な りQ好 いた事を して暮 は理解 したo しかしながら、異な った時代、社会的環境
らす べきなり。夢 の間 の世 の中 に、すかぬ事ばかり に応 じ て' そ の道 は多様 に展開しう る。散 る桜 に疾し'
し て苦を見 て暮す は愚な る ことなり。この事 は'悪 滅 びに美を見出し、文学的表現を凝らす のも、無常な る
しく聞 いては害 にな る事故'若き衆など へ終 に語ら むご い現実 のカタ ルシス (
浄化)なら、日 々を潔く生き
ぬ奥 の手なり。我 は寝 る事が好きなり。今 の境涯相 るもまた無常を克服する智慧 であろう。
応 に、 いよ いよ禁 足 し て、 寝 て暮 す べLと思 ふな あ な た は砥 圃精舎 の鐘 の声 にど のよう に無常偶を聞
り。」 (
ニー 八六) くだろうか。
理 不尽 に し て束 縛ば かり の社会 でどう自由な心 で生き
るか.そ のために前 も って死ん でおく のである。﹃
葉隠﹄ ー大正新修大蔵経四五巻 t八九九番。 この経典は砥園精舎
の建物 の配置、祭られた仏像 の配置を述 べるも のである。
は'実 に窮 屈 で不自由な時代 の産物 であり、そ の無常観
唐 の高宗は'都、長安に玄襲三蔵のために西明寺と いう寺
は不自由 の打破 への行 動原理 であ った のかもしれな い。 を創建したが'それはインドの砥園精舎を摸したものと い
無常 を現実 のも のと し て自覚 し、洞察することから出 われる。 この経典は、あるいはその建立に関わるも のか。
奥書 には'天台宗 の円珍 (
八 一五-八九二)が唐から日本
発し、そ の苦 しみを離 れる道 を模索す る。中世と いう時 へ持ち帰 ったとある。
代 はまさ に この間題を火急なも のとし て つき つけた。そ 2同八九三頁。
の助けとして日本 人は多く の仏典、仏教者 の言葉を頼 り 3 ﹃ 岩波日本思想大系六' 1九七〇)四九貢o
往生要集﹄ (
。﹃ ブ ツダ最後 の旅﹄ (埋葬経) '中村 元訳'岩波文庫' 一 く絶えぬれば、紅顔むなしく変じて'桃李 の装を失ひぬる
六〇頁、﹃ ブ ツダ の真理 のことば (ダ ンマバグ)'感興のこ ときは'六親'看属集まりて嘆き悲しめども更にその甲斐
とば ( ゥダーナヴ アルガ) ﹄中村元訳'岩波文庫' 〓ハ一貫 あるべからずOさてLもあるべき事ならぬばとて'野外に
参照。 送りて夜半 の煙と果てぬれば'ただ白骨 のみぞ残りけりOJ
5大乗仏教系 の浬嚢経 である。チベ ット語訳と漢訳のみ現 9唐木順三 二 九〇四- 一九八〇)﹃ 無常﹄ (
筑摩書房' 一
存する。大正新修大蔵経三七四-三七六番0 九六五) 二〇四-二〇 五頁c
6弘法大師空海によ って中国より伝えられた焚字悉曇は日 l。 渡辺貞麿 ﹃ 平家物語 の思想﹄ ( 京都、 一九八九)にはこ
本語の五十音 の設定 に影響を与えたと考えられているが' の点から の小林批判がある。
平安時代には四十七音 からなる 「 いろは歌」に先んじて、 11諸行 の無常、苦、t切法 の無我としてそれは説かれる。
四十八音 からなる 「 あめ つち の歌」も作られた。 「天へ地、 12 ﹃プ ツダ最後 の旅﹄ 一五八貢。
星'空'山'川、峰'谷'雲'霧、室'苔'人'犬'上' 13 ﹃ブ ツダ のことば﹄中村元訳'岩波文庫、 一 〇八- 一
末'硫黄'猿'生ふせよ'榎 の枝を、馴れ居て。」 「 いろは

5 1
〇九頁。
歌」は実際には空海よりも後 の平安時代末期に作られたと 14 ﹃イ ンド詩集 夢幻の愛﹄上村勝彦訳 ( 春秋社' t九九
考えられているO 八 ) 一五九頁。
7当時 の綴り字 では清音と濁音 の区別がなく、 ここは 「 ゆ 15 同 t六 一頁。
めみし」とあり' 「 夢を見た」と いう過去 の意味か、 「 夢を 16 同 一七 -貢0
見な い」と いう否定 の意味か、ふた つの解釈が可能である 17 たとえば七世紀 の仏教論理学者ダ ル マキー ルティは次
が'否定 で理解するのが 一般的である。 のような論証式を示している。 「 何 であれ作られたものは
さ﹃ 御文﹄五-十六 二 生過ぎ易しo ( 中略)我や先、人や す べて無常 である。たとえば壷など のごとし.声もまた作
先、 今 日とも知らず、明 日とも知らずOおくれ先だ つ人は' られたも のである。ゆえに声は無常 である。 」 (﹃
認識根拠
木 の雫、未 の露よりも繁Lと い へり。されば朝には紅顔あ の解説﹄Pr aw
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Var
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,九七頁)この論
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りて、夕 には白骨となれる身なり。す でに無常 の風来りぬ 証は'仏教徒ではないがやはり 声の無常性を主張する ニヤ
れば、すなはち二 つの眼、たちまちに閉じ、 tつの息なが ー ヤ学派によ っても'常住な アート マンと対比され、用 い
られている。 「( 命題)声は無常である。 ( 理由)なぜなら 判 Lt回避した。しかしながら'その最晩年の十 二巻本 ﹃

ばそれは生じてくるも のだから。 ( 例)皿など の物質は'生 法眼蔵﹄には、本覚思想が因果 の否定に堕することを批判
じてくるも のであり'無常 である。 ( 適用)同様に声もまた することが見られると' 袴谷憲昭﹃道元と仏教﹄ (
大蔵出版t
生じてくるも のであるC ( 結論)ゆえに声は無常 である。- t九九二)は論じている。
-・声は無常である。 なぜならばそれは生じてくるも のだか 22 ﹃正法眼蔵﹄ (
有時)
、岩波 日本古典文学大系'二五九
ら。 アート マンなどの物質は'生じてこな いも のであり、 ∼ 二六〇貢0
常住だと知られる。だが声は生じてこな いも のではな いO 2
3同 (仏性) 二 二 貢。
ゆえに声は'生じてくるも のだから無常 である。」 (﹃ニヤ
ーヤ ・スートラ解説﹄Ny骨a bf
ta
D, T
a.dla
ngaed.
,四四頁) よしみず ちづこ
18仏教徒 はtはたらき のな いも のは存在しな いと考え、
常住なも のははたらきがな いので存在しな いと主張するO
筑波大学講師
ダ ル マキー ルティによる論証は次 のよう である。 「 何 であ
れ存在するも のはすべて剰那滅 である。もし剰那滅でなけ
れば ( =常住ならば) '存在しな いことになろう。なぜなら
ばそれは作用をもたな いからである。存在するも のは作用
を特徴とする。 」 (﹃
論理の 一滴﹄HeL
Ltbt
i
rJ
d,
LSte
ink
elhe,
red.
四貢)
19唐木順三 ﹃ 無常﹄ 一七六- t三 九貢。たとえば注9に
引 いた蓮如 の ﹃
御文﹄ の文はよい例であろう。
2。 ﹃ 天台本覚論﹄ ( 岩波日本思想大系九)解説参照0
21 ﹃正法眼蔵﹄における天台本覚思想 の影響はしばしば
指摘されると ころである。道 元は 「 修証 一如」を主張する
ことによ って、本覚思想が修行不用論となりうる危険を批

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