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現代文  短歌・俳句
畠山 俊

は た ち
講師

 その子二十 【短歌】 〈全二回〉
理解を深めるために
■学習のねらい■
短歌の中に詠まれた自然や恋を読み味わう。特に恋の歌は二首を読み比べな
がらその違いを考えてみる。
*        *        * 
 その子 二 十 〈1〉  
 短歌に詠まれた自然を味わう
きたはらはく しゆう
 北原白秋   
かす まうそう やぶ い
昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり
[通釈]昼ではあるが、かすかに光る蛍が一匹飛んでいる。その蛍は孟宗
竹の竹藪を出たと同時に消えてしまった
竹藪の暗さと昼の日の光の明暗の対照を蛍の行き来で表現している。蛍ははか
ない命を象徴しているようにも感じられる。
まえ だ ゆうぐれ
前田夕暮    
ラジオ学習メモ

ひ ま は り 0 0 0
向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ
[通釈]ひまわりは金の油のような太陽の光を浴びて、ゆらりと高いとこ
ろに咲いている。その花を見上げると高みにお日様が小さく見える

国語総合
ことよ

第 53 〜 54 回
「金の油」は照り付ける陽射しの比喩である。近くのひまわりの大輪の花と遠
くのお日様の対比が描かれており、遠近の対比とも存在感の大小の対比とも感じ

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られる。

 恋の歌の違いを読み味わう
よ さ の あき こ
与謝野晶子    
くし
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
[通釈]その子は二十歳である。くしけずるにしたがってすべるように流
れていく黒髪を持つ、この誇りに満ちた青春のなんと美しいことか
自分のことを「その子」と客観的に表現している。しかし、実は自分の若々し
い美しさを傲慢とも言えるほどの自信に満ちた気持ちで詠んでいる。その美しさ
の象徴は古来歌に詠まれてきた「黒髪」である。男性中心の旧社会への抵抗と挑
戦の象徴のように見られもした。
たわら ま ち
俵 万智    
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
[通釈]「この料理の味がいいね」とあなたが言ったから、七月六日はサ
ラダ記念日だわ
あ っ た 出 来 事 を そ の ま ま、 日 常 用 い る 平 易 な 言 葉 で 歌 に し て い る よ う に 見 え
る … 実 は い ろ い ろ と 工 夫 し て い る の だ が。 男 性 に 対 す る 張 り 合 う よ う な 気 負 い
は ま っ た く 感 じ ら れ な い。 与 謝 野 晶 子 の 時 代 と の 百 年 近 い 隔 た り が あ る こ と を
感じる。
ラジオ学習メモ

国語総合
第 53 〜 54 回

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 その子 二 十 〈2〉
■学習のねらい■
孤独や生命が短歌にどのように詠み込まれているか読み取り、それぞれの作
者の心情に思いをはせる。
*        *        * 
 短歌に描かれた孤独を理解する
石川啄木    
いそ しらすな
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
かに
蟹とたはむる
[通釈]東の海にある小さな島の浜辺の白砂に私は涙でほほを濡らしなが
ら、蟹と遊んでいる
大きなものから徐々に小さなものへと視点が絞られていく。その最後に蟹と遊
んでいる私がいる。作者の感じている生活の苦しさや孤独感を小さなものの最後
に自分自身を置くことによって表現している。「三行分かち書き」という独特の
表記法を用いている。
てらやま しゆう じ
寺山修司    
なま コーヒー
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
[通釈]ふるさとの訛りを失くしてしまった友達を目の前にしてモカ珈琲が
これほどまでに苦く感じる
寺山修司は青森の人で、生涯青森の言葉を使い続けたと言われている。都会に出
てきた友達は早々にその訛りを使わなくなってしまった。それを作者は苦々しい思
いで眺めている。しかし、そこには珈琲などという都会的なものを飲んでいる自分
ラジオ学習メモ

もまたいることを見出し、いつも以上に珈琲を苦く感じている。
この寺山修司の歌は石川啄木の「ふるさとの訛りなつかし停車場の人混みの中
にそを聴きに行く」
(ふるさとの訛りがなつかしく、駅の人混みの中にそれを聴

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きに出かけて行く)を本歌としていると考えられている。現代にも本歌取りとい

第 53 〜 54 回
う技法が使われているのである。同じ東北出身で、「訛り」という共通のものを
通して都会を見るという歌の背景が共通している。啄木の歌を意識して寺山の歌
を読むと歌に奥行きと余情が感じられる。訛りに象徴される故郷への強い愛着が

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うかがわれるのである。

 短歌に現れた生命を知る
まさおか し き
正岡子規    
わが め ゆ
いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす
[通釈]いちはつの花が咲き出して、わたしの目にはわたしにとって今
年限りの春が暮れようとしているように見える
病床での歌である。死ぬ時期を予感し、来年はこの美しいいちはつの花を見る
ことができるのだろうかという心残りを歌にしている。作者は「写生」を中心に
据える俳句革新運動を短歌にも広げた人である。
さいとう も きち
斎藤茂吉    
わ ち た
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ
[通釈]私のお母さんよ、死んでいかれる、私のお母さんよ、私をお生
みになり、十分に乳を与えてくださったお母さんよ
母の死に臨んで作った十四首の中の一首。母の死の瞬間を詠んだと言われてい
る。母の死を悼み、泣き叫びたい気持ちがそのまま歌になっているように感じる。
敬語が用いられており、これまでの母への感謝の気持ちが込められている。
ラジオ学習メモ

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第 53 〜 54 回

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