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手 い入 償
H 法 航 師 範 船 肱 ﹁
門入手~
著珍義越船

曾協道武防圃
書聾遁武新

範師館清松
書態鑓武新

門 入 手 空
著 珍 義 越 船
. .

行設官協遺武防閣


..

卓を因んでお瓦以にいのやハりをかいて、臨茶でも畷−bながら、﹁山小一F といふものはね・・・・﹂
正坐静する様な気持で、との本を書きあげて見た。
聞いてゐて飽きのとない様に、讃んで見て肩の凝らない様民、とい λ老婆心である。
ム﹂言っても決して出鱈目を並ぺたのではない。否、出鱈目y﹂乙ろか従来ともすれば歪め
られて惇へられ、誤って語られ勝ちだっ克、空手道の本嘗の心と姿をを、 一大でも多︿
の人に分って貰以完いと思へば乙そである 。
私が東京に昼手を移植してから二十年程になる。近頃では運動や武遁を口にする人々
は勿論の之正、 一般の入建でも空手正いよ名稿‘
位は知らない人は殆λEないが、そのく
せ本営に空手といふものの姿を知ってゐる人は極めて稀である。阻んや、空手、が円進月
歩して、今日の益手 十年前の窓手をは同日の談ではなく、東京の控手は、沖縄時代の
LL




盆手と杢く而目を一新してゐるといよ事を知ってゐる人は更にf\稀である。
武道にせよ懇遣にせよ、凡そ遣といよものには生命がある。生命があれば乙そ絶えず
消長がある 。遣の本憶は不易であるが、姿は特使遜する。道に共人を得れば輿b、然らざ
れば衰える 。新興武道党る空手症に於ては、共の人を欲する事殊に切なるものがある 。
乏の小著を手にする人の幾人かむ空手に志し、共の中の幾人か 之の道を慌利付して、
wh
更に後人に停へる端緒ともならば、私の喜び之に過﹁るは無い。
然し・ながら木書は、初めて昼手といふものを知らうとする人の伐の入門書であって難
しい理論や、技の越化には杢く胸れる徐裕がなかっだ。三十幾稀かの形の中から、唯一
っ﹁天之形﹂のみを解説したに過ぎないが、空手道は目や耳で知るべきものでなく、身
をもりて韓制作すべきものであるから、乙の﹁天之形﹂唯一つでも十分に練磨し、熟達す
るならば空手道の如何なるものかを立振に悟b得る事を断言する。
肯入も言はずや﹁河豚食はね人民は言はじ L と。所詮窓手遣の本領は筆舌に悲し得る
ものではないのだ。
臨み本書編纂に営って 、多大の蔀カを寄せられ力船越義弘、林義川山、 川柳川刊利作
終 LYK H
の諸君に深甚なる謝意を表する 。
昭和十八年水無月

者議
-



t

空手入門 ︵白衣︶
前編空手とはどんなものか
第一話
糸 安 唐 控室空
里 手 手手手

乙 乙 容 流起威
道道爪

と と 手 減源・力
と のの v


第第

話話

.
f
'
:
0
第四話
第五話
の の

互手
生 生

第六話


空手入門


第一章 空手の敬訓・・・・・・・・・一 ・ .
...
...
...
...
. J

1四六


第 二 章 空手を習ふ前に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五四




X


'

第三章

ミz


..

手の使ひ方
f
,

1
-1
:


足の使ひ方


すて
F

第四章立
Cコ

/¥.

第五章 大日本空手選天之形 ・
・;;・・・・・・・・・・:・・・・:・・八五
第六章 大日本昼手道天之形・裏六本解説’ ・
・・・
・・
B・
・・・
・・一



3
I
目J

第一話 手の威力

クt

、、、
武術の訴といふと、どうも北口から少しおまけがついて、まるで紳話停誘引のいて惇へら
れる事、が多 い様である 。
















































..






慮は支那 、時は昔。
今日 は街の祭bで老若男女が締羅を飾って練b歩︿。雨側には食物や、呉服類や、小
問物 や、玩具や、爆竹を頁る店・など、がズラ?と並んで、頻b に人を呼λでゐる 。
﹁附一
略だ/\−−・・﹂
﹁いや仕合だ、武術の仕合だ、見に行け/\﹂
﹁ナ−一連ふ 。主党楊先生が酔掛って暴れてゐるんだ﹂
祭手入門


﹁rrr
府信

ぃ頁b の爺5
・んが捕まってるんだ。可哀相に、殺されるかも知れないぞ﹂
唯さへ混雑してゐると之ろへ、院一
嘩だ、仕入竹だ、酔排ひだ、ム﹂言ふものだから、女達
は悲鳴 をあ げて逃げまどふ 。若 い衆は面白がって飛んでゆく、子供達は恐ろしがって杭
き喚く 。 イヤもう大鐘な騒ぎ
・・・
・。
騒動の中心と思はれる入だかb の中では、今しも雲っく様な大男が、威猛高になって
肩肘怒らし、何事かわめ主立て Lゐる 。 とれが有名な楊先生なのであらう。恐ろしげな
怠つめ
虎者を逆立てアラ/\と棄の様に艶のよい 顔を 、酒無と怒無とで一層制服くして、自の前
に引 拐ゑた、ヨポ/\な白髪頭のにんにく寅
bd bの爺さんを小突S廻してゐるのだの
﹁可哀相に、誰かあの爺3んの魚に、口 を利いてやる人は居ないのかなあ﹂
﹁馬鹿を言へ、下手に口を出して楊先生に院まれて見ろ、後、か恐ろしい 。何しろ相手が
惑すぎるよ﹂
いて
十分、好奇心半分で、見物が勝手な事をヲイ/\喋ってゐる中に、案外諜着、
同情 b

ゐるのは嘗のにんにく頁b の爺さんである 。 一タ/\笑ひな から、
﹁まあ/\苫う小突いて見ても仕方が無いで、 お望み’通 bノ
仕 A?とやらをすればよろしい
のぢやろ。あんた、なか/\偉忌う窓口を利Sな出るが、口だ〆
けは誰でも名人らしい事
を言ふものぢやよ、サアサ、 一つ始めますかな L
爺8んはゴホン/\と怖息持ちらしい咳をし・ながら、乏の大男の相手をするつもb と
見えて、ドツコイシヨと腰を仲した。見物は呆試に取られてしまった 。
﹁大鐘な爺3んだ。一躍相手が楊先生といふ事を知ってゐるのか知らん﹂
﹁無論知 っちゃゐまい 。知少てゐたらあんなと正を云へる誇がない﹂,
﹁乏の・訟にはあまb見かけね爺さんだよ L
﹁何しろ楊先生と告だら、醇り排ひぢゃあるが、千人からの門人を持ってゐるっていふ
λだし 、拳法と槍術 L乙棒術の大先生だといふからな L
﹁Zの聞は、暴れ馬の鼻面を拳固で叩いて打倒したといふぢゃないか﹂
﹁三十貰の大刀を、風を切って振b廻すのを俺は見たぜ﹂
﹁あの拳固の物凄苫は、煉瓦を十枚位重但て一軒ちに割るといふんだからなあ﹂
空手入門
空手入門

酒癖が悪︿て、倣慢で、評剣の悪い楊先生だが、その腕力の強当と、拳法の巧当は、
夙に城ドに知れ渡ってゐたし、叉恐れられてもゐたのだった。だから今、その剛勇無双
の楊先生を向ふに廻して、大それた仕合をしようといふ、乙のにんにい頁bの爺昌んを
見て、みんな吃驚して仕舞った。楊先生も少し吃驚して、そして大きに腹を立てた。
﹁乙の老いぼれ奴。生命、だけは助けてやらうかと思ったが、其の分ならもう勘枇併せんぞ 。
サア支度はい Lか。之の楊先生が引導渡してやらう。ソレ、 エイツ・・・・﹂
まるで仁王様が荒れ狂った様な勢μ夕、楊先生は物凄い拳回をサノヅとばかb k爺さん
の頭めがけて突主出した。
ρッと凡物、が思はず韓を呑んだ一瞬間、頭の骨を打ち砕かれて叩 B倒された筈の爺忌
んを想像したが、 でプ不思議、爺3んは相麗らずヨボ/\と少し傍の方に立ったま Lで

其の代 爺ヨんの立ってゐ先場所にほ、勢乙んで飛込んで行りた楊先生が、吋’ンのめ
AYK
ってゐるのであるo
ワ lツ
﹁ ・・・
・﹂
物人の抑が呼った 。
LζHA
第一撃に見事失敗した楊先生は、跳ね起古るが早いか必死の形相も凄じく、今度は爺
3λ の肢を目掛けて挙国を突出した。
ドサヅ一.し.と一菅がして、砲に手臆へがあったo 比物人はアツと版を蔽った 。流石に爺
3んの血反吐をはいて銘れる様を見るに忍び・なかったのだ。
が、一慨、乙川れはどうした事だo腹を突かれた爺苫んは一向に平気な顔をしてゐる
oe ・
顔色一つ襲へないで、元の通b のヨポ/\な姿で立って、ニタ/ γ 笑ってゐる 。
そして腹を突小た楊先生が、爺 の腹に拳固を押し嘗てたま
SFA Lで、突く事もならず、
引く事もならず、まるでゲいノヤハ?に捕まうた晴蛤みたいに、バタ/\と藻掻いてゐるの
だ。見物人は目を陛って、之の奇妙な仕合の結果を眺めた。
よく見ると楊先生の南瓜ほどトもある大3な拳回が、爺ヨんの腹の鍛に挟まれて仕舞つ
て抜けないのだ 。
強力無双と植はれた楊先生が汗を夕日フ/ 11流して、押せども突けどもピク−
とも動かな
空手入門


盆手ス門
ノ、
~

いのだ。異赤 になって足掻いても/\、どうにもならないのだったo 流石に倣慢で、酒


癖の惑い乏の大先生もたうとう恐れ入って、共の場記へ,
タ/\曹と膝をついて、にんにく
費 の爺
LY 3んに向って三拝九拝した。
﹁先生、お見それ申しました。それほどの大先生とは存じませんで、唱とんだ失鵡を・・・・
今後は必ず慢しみます。どうぞ御勘排・・・・﹂
rrrぃ貰bの爺当んはその様子をヂヲと見てゐたが、
﹁主主土気がつい完ら、それでえ L。あんた大分威張るといふ評剣ぢやが、世の中は廉
J
いでの、口も行以も慌しみなされや﹂
ヒヨイと腹の力を抜︿と、そのはづみに揚先生がストンム﹂尻併をつく。それを見向き
もせず、傍に置いであったやハルゃいの荷を肩にすると、そのま Lゴホン/\曹と晴息持ち
らしく咳入bながら行ってしまりた。
























. .









. .






..


とんな風に訴す事が、世人には喜ばれると見えて、い L齢をした分別盛b の人建迄が、


アイ怖にあった引か、科
4y u
ml斤泊るか﹁
いのはまるで内分で凡て減六引の州は
も困る。
昼手の威力の物凄誌を説明する のに、かう言ふ人叫んある 。

﹁空手には齢ずといふ秘術があか o
指先で敵の脇腹を突刺して、そのま L肋骨を掴んで−
引B抜いてしまふのである。それを練習するのには容易な事では出来ない。先づ大きな
桶に二三斗ほどの小一旦を入れて、それへ折先を揃へて突込む。日に何千問、何寓岡とな
く突いて、ゐると、初めは指先の皮が破れて血が流れ、それが固まワてくると指先の形が
特使って物凄い形になるが、それでもなほ繰返し/\突いてゐると、遂になA ’ともない様
になる。
ヨうなったら今度は小豆の代b k砂を盛って練習する。
砂市となると小豆の様な静にはいかないが、それも月日を重ねると、突込む指先が桶の
底にまで達する様になる 。
砂を卒業したら砂利、ぞれから小石、最後には鉛の玉を用ゐて練習する 。そ乙迄の椋
空手入門


¥
i

手入門

習が積めば、遂には指先で板をも貫通し、石をも倒b、喝の腹位は雑作もなく突主将︵︿
事、が出来る様になるし
知らない人が聞けば本嘗もにする。
人聞の腹などは突き透して、肋骨位は掴み山相して
’ーーー空手といふものは凄いものだ。
しまふんださうな、空手は恐λしい術だ||
と言はれる様になる。
﹁貴方は窓手をお使叫になるん、充当うですな。あの、矢ツ張b拳骨で石を割りた
b、指
先で人間の腹に穴をあけたbな古いますか?﹂
。聞かれた方も持笑して、
素人といふものは、飛んでもない質問をするものである
﹁私にはそんな婁嘗は出来ません﹂
とでも言。て置けばいνのに、グヅと反身になって
﹁川ア、私も時にはそんな事をやらないでもあbませ4﹂
そんな大法螺を吹く先生に限って、
o
なEL吹く先生が賠るものだから事が而倒になる
在か /\ 口.か達者で、聴衆にすモ本官らしく川山はせる下川札仰を心利て必る υ u
l J川
川 市 人L l
て見れば、 空手に箔をつけてゐる積bかも知れないが、箔ど乙ろか、味噌をつける秘な
もので﹁以いきの引S倒し﹂とは乙んな事であらう。
楊先生の話ではないが、口先だけでならば、 Eんな玄妙な秘術でも雑作はない 。昔の
名人は、或は本営にその位の事も出来たのかも知れない。しかし、少くとも到在私の如
ってゐる限b の昼手の先生民、そんな事の出来志うな人は一人もゐない。
叉乙んな事を言って人を煙に巻く先生もゐる。
﹁空手では握力が大切だ。だから盤力を練磨するために、僅かに指先のか Lる程の大き
3を持った聾に砂を一杯詰めて、それを雨手比一つ宛さげて振b廻す。握力を十分に練
磨した人は、敵の手でも足でも、グイ ξ引掴み5ま、肉をむしb取って仕舞ふ事が出来


それι或る程度までは本嘗の話だが、肉を摘んで千切ってしまふといふのは例のrr
けである。鳴きたての餅ぢゃあるまいし、人間の肉、がさう簡単に千切れるものでは・ない。



~



。,

空手入門
世には心臓の強い男もゐるもので、私の道場へ来て乙の肉千切b の秘術を敬へ吋やらう
か正申出先先生、がゐだ。そ乙で早速賓演し℃見せて貰ふ事にしたが、結果は他愛もない
もので、允 少し邪慢に⋮JPFだけの事だ。肉が千切れるどとろか、ゲ
wh
wor痕もつか
まかったのだから笑はせる。
なる程抵力も強いに越した事はない。叉賓際に素晴しく握力の強かった人の話を耳に
する。軒の垂木を掴んで家屋を一巡bしたといふ人があったといふしハ乙れも沖縄の家
屋の構造といふ事を頭 kmかなくてはならぬ笹で、沖縄では内地の家と違って垂木 、
が太
いとず
く、手懸 はい Lのである﹀私の恩師の糸洲先生は、近世に於ける空手道の達人と言は
AY
れた人だが、太い孟宗竹をjp/\と握b潰した事は事貸である。然し先生のはどちら
かと言へば天賦の力量で、鍛錬して特られた握力ではない様に品ム。
勿論人間の身憶といふものは、鍛錬3 へ積めば、誰でも相嘗の域にまでは接蓮昌せる
事、が出来るものである。然し、物には限度、があるE いふ事を忘れてはならない。成程宰
手を習ふ人が、普通の人には割れない様な厚板を重ねて割りたb、瓦を十二三枚も積重
ねて割ったbするが、との程度までなら練習次第で誰にでも出来るのである。但しベ板
割 ﹁瓦割b﹂はホンの﹁試し﹂であって益手の本領では注いし、勿論秘術でも攻か 。
AYl
Uしろ空手遣としては玲外のものなのである。よく素人から、


﹁抜が何枚割れたら何段なのです?﹂
等といふ珍問を受けるが、空手の段をはしご段と間違へてゐるらしい。空手の段と板
の枚数とは何等の閥係も無いと思りていたい、いて宜しい。生手曹といふものは立振な武道
者のであるから、板を割ったb、瓦を砕いたb、肉を千切ったb 、 7
、肋骨を抜いたb −


えな枝葉末節に拘りて向慢する人があったら、それは本営の空手を知らない人だと息。
て間違以はない。
内全手道には文献が無い。だから開組が誰だか、どういふ風に悼へられて来たのか、大
抵の事は分らない。僅に知’P得る事も、たむ口碑によるよb外仕方がない。が共の口碑
すら甚だ模糊として雲を掴む様なのである o伺故かといふと、私共がまだ少年の頃まで
〆は、空手の教授といふものを公然正行ふ事はまかりだ o
その修業だとか、形の停授だと
空手入門
空手入門
かいふ事は、ーなか/\ やかましく秘密 仇
h したものであった。現在の様に空手の道場江ど
といふものは素よ bノ無かった。だから勿論昼手の師範として子弟を取立て込それを本職
εするといふ様な人も居なかった。
名高い松村といふ窓手の名人は琉球王に仕へた武官であったし、その松村と仕入 Hをし
ll私を
た主百はれる上原は彫金師であった。近世の名人として知られてゐる安里先生
とのち
特に目をかけて御指導下ヨりた先生ーーは﹁殿内﹂と純して、小大名といふ様な地位の
方であった。
私が十年間師事して、﹁平安﹂ l
銭騎﹂等の形を敬へて頂いた糸洲先生も閥王の御枯準役
を勤めてゐられた。そんな工会で窓手道を本職とする人がゐなかった魚に、体訟北ハ他の

事があまり重要視されなかった事も原因の一つであらう。
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教へる人も先立趣味で敬へてゐる。習ふ方も先立好き、だから習ム といふ一時で、

乙一継はれた安里先生も、空手の門人としては共頃は私一人であったし、糸洲先
世の名人 L
生で苫へ私が習りてゐ先頃は門人の数は塞ム午、たるもので、 此頃の町道揚の最も貧弱在所
ほY﹂の頭、数もなかった。 との授受を秘密にするといふ風は、沖縄ではかなb最近まであ
って、 十年程も前に、或る老人が、
﹁自分は読にも悼へ白昼手の形を一り知ってゐるから、 生前に赴非武方に停へて誼きだ

ν
しー

と言って来られた。 折角の好意ではあるが、 何しろ東京と沖縄とでは忌う簡単に往復


もな bノ栄泊るし、 且り仕事も忙しくて手離せ・なかったので、
丁度三男の義家が蹄郷する
用がありたので、 忍の代’PK敬へてくれる様にと頼んでやった。義豪が共老人を訪ねる
左大接喜λでくれたが、扱て敬へる段になる左部屋を閉め切って、他から窺へぬ様にし
て共の形を敬へてくれた。停へ終ってから、共の老人が言ふには、
﹁乙れで俺も安心して死ねる。今まで之の形は誰にも停へた事が無いの﹃
で、 一一一同赴非
にとせがまれて或る人に教へたが、貨は態と要所。冷を匙へて敬へて置いた。ぢゃから
若し今後乙の形民りいて誰か異議を捕む者がありても、 それは貴方に悼へたのが正しい
のぢゃから、正、 2うお父詰んに停へ下昌い﹂
由記手入門
空手入門

とれが私の少年頃までは普遁の事であったのだ。その魚に形がいろ /\ と歪められ τ
惇へられてゆく。それに習ふ人の個性が混じる。それでもとは同じ形であbながら、陥
分務りたのがあるといふ誇である。

第二話 空 手 道 の 起 源
その背ナポレオン大帝が、東洋には武器な吉 一小樹立関あb と驚嘆当れた一一部話があ
るが、 とれはわが日本の南端本一手の閥、昔の琉球今の沖縄騒の事である 。
しからば、わが琉球には何時頃から空手道があったかと云ふと、前に述べたやうに昔
は門外不出で極秘に呂れた矯め、何一つ文献の徴すべSものがないので、未だ明かにさ
れてゐない
琉球に空手道が盛んになったのは、禁武政治を布かれた事が大いに因を成してゐる様
で、禁武政治は約五百年前と、三百年前在、前後二同布かれてゐる o前の時は所謂三山
統一時代で、応琴の﹁椿読弓張月﹂か何かに出てゐ先様だが、 琉球闘が中山、南山、北
山正三つが所謂鼎立して事覇した事があった。後に不世出の英雄と言はれる中山の尚巴
志王が建に三山を統一して、其の金権を己れの手中に牧めるや、断乎冒として禁武政治を
空手入門 一五
空手入 門 ︸六
布いた。即ち武器といふ武器は錆万一本と雄 も所擁する事を許ヨず、政治家皐者等すべ
て中央に召寄せて、中央集棋の賀を畢げ た。後の琉球玉、今の術家は共の後背に嘗って
ゐられる c
その後二百年程は太平の夢が緩いてゐだが、慶長十四年に南海の雄左言はれた薩摩の
島津家と戟はねばならぬ事となっヵ。 何しろ戦闘時代の島津勢と言へば、懐惇無双と髄
はれたもので、大太閤をさへ手古摺らせた程であったが、その薩摩隼人等を向ふに廻し
て、組島琉球の奮戦は誠に目提しかった。然し島津勢の別動隊が、虚をついて運天継に
奇襲上陸を敢行したために、形勢謹聴して全島は遂に島津の手に蹄した 。 之の時以来琉
球の武器といふものは、 一般士廉の手 からは徹底的に後を断ってしまった。乙んま事が
動様となって、それまでにも恐らく練武されたであらうと思はれる格闘術が、念に接謹
し始めた 、
恥州あたbから支那流の挙法が招来されて 、それが従来
それに屡冷交遁のあった支那一
の格闘術に取 入れられ、或はそのま
AY L K停へられたらしいものもあb、か くして佳子

遣の前身ケ均すととみの 沖縄 f・
1 川rf
な石ものが川弘たも のと者へ られ る。

たラ て 一面舎なtJ
私共の幼い頃よく老人から﹁唐手 ﹁沖縄手﹂ム﹂いふ事左聞いたが、﹁唐手﹂といよのは

l
支那拳訟 の流れを扱むもの、﹁沖縄手﹂といふのは固有のものを指すものではなかったか
と想像芯れる 。
之の 禁武政治の反動として興つだ武道、徒手空拳を 以て身を 護 る武術’ーーといふと乙
ろに日津滞に劃する遠慮なY﹂があって、特に空宇の 修業ゃ、惇授が秘密に遣れ花のでは
まからうか 。
明治時代記入って、もうそんな遠慮など 全く必 要が無くなってからでも、数百年 の習
慣で 、益手 の稽古は公にしては ならぬもの、授受は秘密 にすべきもの 、といよ概念が、
不知 不識の問に人 ι
干の問に植ゑ つけられてゐたの であ る。
剣道や共 の他の武術の 様 に、流 儀 の極意を人に 窺知される 事を刷陥れるといふ心持 も

後世では或はあったかも知れない州、琉球に於ける秘密厳守の徹底ぶbと、全然文献 を
蹴出してゐ在いといふ 事とは、 Y﹂うもそれ位の理由では令黙がゆきかねるのである 。
空手入門




盆手入門
F

ともあれ、それから約二百年間泰平を拶凡てむた琉球人士は、慶長十四年︵今を去る
約三百年前︶薩摩入 AY
以来再び禁武政策が行はれた。そ之で自己防衛上、琉球猫特の武
術、無手勝流、空手を創造したのだらうとは、殆ど歴真家の一致せる設で、正にあb得
ぺB 乙とでないかとも思はれるが二面から見ると、誌に一脈の疑問を狭んでゐる黙は、
前に述べたやうに営時沖縄の玄閥口とも申すべき那覇港に、異向から敵前上陸が出来な
かったので、運天港から裏廻bをして、法略で勝ったと云ふ一事である。
そ乙で私はヨかのぼって其の淵源を探究して見るに、支那の方では今を去る約六千年
前黄帝の代に、嘗時の逆賊を征伐するに営b、兵士は皆鈍い万と、棒を以て戦以、その
後周の文王の頃まで、非常な飢世で、所謂遊牧時代とな bノ、持互の聞に闘守が行はれた
のである。
そしてをのやうな蘭守の際に、誰でも勝ちたいのは営然であb、従って其の間色冷在
方法を考へて、次第に今日の武術が接明せられ、そして之の武術を樫形的に基礎考案し
向のは、大上老君、大乙異入、元始天、の三君であって、之れが邸ち元始三振と栴せら
れ、との三振の弟子達が代冷相能ぎ、種々な改良を加へ、還に今日の巧妙な武術にまで
感情蓬きせたのである。
v三氏で、皆武術に長じてゐただめト .
史上名高い三閣時代の英雄は、闘湖、張飛、超雲m
立身出世をなし、天下の大事業をなした者であるが、就中、越雲の如告は、た い
二本の
槍を以て、群る敵を撃退し、漢王の皇子を保護し、危を菟れしめたのである。
その後も三軍を叱柁した犬持軍は、必ず武術に秀で、頭脳明断、訟を積Aだ者でまけ
れば攻ら主くなりた 、
のである。

内定手入門




察手入門
第三話 空 手 選 の 流 汲
最初は雨親あって子や孫があるやうに、支部に於ける空手も、初めは元、明、清の時
代には、尚武流と、少林振とに別れて、互に切嵯琢磨して斯道の楼建K努力したのでめ
るが、雨者共に一長一短があb、共の優劣を附するのは困難である。
尚武械の主傾は張三卒であって、専ら気功を主として居b、例へば行儀、 大概寸八卦
一度接するや、
等の府中術は皆乙れに届し、 一見極めて柔かく力がないやうに見えるが、
容易に人を針作す乙との出来るだけの勢力を有するものである。
少林振の主領は達磨老組であって、拳足の出し方及び、武術の方法も、硬功、軟功共
、長挙、短打等ある。
にあ LP
そしてその武術は、清朝の終b頃まで、殆ど附民全般に利用せられて、あらゆる場令
に公開せられ、問術として停統を誇って来たものである。
、深山肉谷大 川を政捗し、寓里の波濡を踏破して支那に渡b、
連防老租は速く商竺よ AY
e
梁の武帝に説法し、北貌の孝明帝の、
正孝年間︵今を去る約千問百年前︶河南朽の少林寺
に注紫して法を設かれる時、聴講者が昏々と椅子から辞倒れるのを凡られた太仰は衆借
に向以、
﹁凡そ法は誕のために説くものであるが、露肉は元一蹴で離る可からぎるものである。
今放等を見るに心身共に困鍛して到底修業の見込みがない。明朝よb早く起草て之の法
を皐ベ﹂
と、心身鍛錬法として洗髄、易筋の二経を授けられた。
乙れを一口で云へば、洗髄なるものは心の垢を洗って真の心売を出す意で、易筋なる
ものは、易は獲を意味し、筋は筋肉を勤くする意味で、筋肉を鍛錬して強靭にすると云
ふ立味である。
易筋経は肉櫨の功に依って人間に金剛力を典へ、洗髄経は錬心の劫に依って、州通の
自在を奥へるもので、雨経に依b て其功を終る時は、力山を抜言、気は乾坤を包U4し
空手入門
空手入門
ム﹂言はれてゐる。
乙れが少林寺に於ける武術の元祖で、後庚︿支那に停は 、今日も流行してゐる一般
LY
的の問術となった。それが後年琉球に入b、琉球本来の武術、それが多分支那附術に似

党ものだらうと想はれるもの左令流し、先に述べた禁武等の機合毎に洗練議建を建げて、
乙思はれる。
今日の特技とまで進んだものと見て、大差が−なからう L
第四話唐手と空手
TH沖縄手﹂といふ事を一寸請した。﹁宰手道﹂ といふ名稀は勿論共の頃は無
前記﹁間山町
かったので、どれは忍が東京へ出て後民在や私の門人達で唱へ始めたもので、北ハの問由
ι
については拙著﹁空手道教範﹂に詳しく記して 置いた。今その概略を摘録 て見ると
J
一、窓手は北口はたい h﹁から手﹂とのみ言以習してゐたが、文献が無いので﹁唐手﹂とま同
くか﹁宰手﹂ ξ書くか、勿論不明であるが、 琉球で支那山口市拝熱の高かった頃、
何でも
いLものは﹁唐﹂のものとし−なければ気が済ま−なかった時代があった。
それで近世に
至ってその﹁から手﹂に箔をつけるために﹁唐﹂の字を官て− L用ゐ始めた。
﹁府手﹂と評くために、 や Lもすれば支那製の挙法と間違はれ易い。
而も現布私達


一 の研究してゐる形や組手ゃ、稽古方法は、全く濁特のもので、支那拳法とは全然鼻、っ
てゐる O
︵現在沖縄に行はれてゐる昼手の中には、会く支那よb惇来したそのま Lの形
笠手入門

空手入門
らしいものもある。︶
今日の日本に於て、そ の湖特の武道民
三、世界の一等閥、 否 世 界 第 一 等 の 闘 と な っ た・
﹁庇﹂の字を冠する事は不見識極まると言はねばならね。
四、窓手の﹁率﹂字は、徒手空拳にして身を護b散を防﹁の謂である。
五、斯道の修業者は常に﹁塞谷の蹴却を惇ふる﹂が如く、 我意邪念をまって﹁中心空虚﹂
であらねばならね。﹁中塞にして外直﹂で怠ければいけない。広一手の﹁室﹂字は正に乙
の意味を持ってゐるのである。
六、宇宙の色相は観じ来れば一切窓に蹄する 。而して﹁空﹂は郎ち是れ 一切の色相に外

ならない。柔、剣、槍、 杖と武術の種類は数多いが、詮じ来れば悉︿空手と北ハの授を
一にする。賀民法一手は一切武術の根本で・ぬる。﹁色郎是室、ん企邸臼疋色﹂宰手の ﹁ ﹂字


は貨に是に擦るのである。
私、が乙の事を唱導じてから、依程後になって、沖縄のある人から私に抗議を申込んで
衆党。 その手紙には、
﹁近頃承れば先生は東京に於て﹁唐手﹂を﹁空手 L −と改められた由であるが、如何者る
理由によるものか、その説明を承bたい。唐手なる文字は古来由緒もあb
淵源もあb、
且つ親しみもあるものであるから、 今俄に軽々しく ﹃
小企手﹄と改められる事は如何であ
らうか L
と言ふ様な意味の事、が書いであった。沖縄には今でもまだかういふ人遣がゐるらしい
が、私はだい\

拙著 ﹃
空手道教範﹄の中に共の理由は詳しく説明してあるからお讃み願 υたい﹂
とのみ返事して置いた。安際のとミろ﹁唐手﹂といふ文字には何等の由緒らしいもの
も、淵源らしいものも無いのである。古人は先立﹁から手﹂とのみ言。てゐたので、決
して﹁唐手﹂ーとは言は−なかった 勺私としては﹁麿﹂らしいものは留めてゐな・いつも
bで
あるし、叉貸際に支那に於て行はれてゐる﹁問術﹂或は﹁少林拳法 ﹁達一例拳
l し等 と栴す
るものと、私達の﹁空手道﹂と比較して れば、日本相撲とレス
HA ノング以上の相違があ
u
る事がおわかb であらう正思ふ 。
盆手入門




空手入門


~

その相違は単に形の上に於けるのみではないので、練習の方法、稽古の態度、試塊等
に於て、 ・
更に著しいものがある事を、特に強調して置きたい。
明治二十四五年の .
切だったかと思ふが、沖縄の首里尋常高等小墜枝の某訓導が、円分
の受持の生徒等に、口分の好むまL K空手を敬へ始め向。断ふ て置くが、常時の小皐生 J
は今円、どは遣って年齢が多く、廿歳前伎の青年も少くなかりだのである。ととろが共の
が布かれ、開格検査が行はれる様になった時、その空手を稽有した生徒遣が、
後徴兵 AV
一日比して他の者と匝別が出来る枕に筋什が迂しく殺還してゐたので、之れが話題になっ
だ。その次の校長 AWのい川上で、時の牒楓皐官小川氏が立命HU、営時窓手の達人とじて名
融却の高かりだ糸洲先生の列席を乞以、その訓導の指揮の下に生徒建に空手の形を賀演ヨ
せ党。共の笠際を見、且糸洲老師の窓口比を聞いて、小川氏は非常に戚匹、し、目ちに広手
の美知長所を列翠して文部省に上申したと乙ろ、文部嘗局に於ても空手近の鰐育的償値
を認められて、間もなく脇立第一巾’皐校と、男子師範皐校止に開育の一部として許可3
れる事になりた。之、LK到って始めて幾百年間般に秘密にされてゐた窓手近に門戸間投
の時節が到来した詳で、之の時までに私達は空手に手を染めて十数年になるが、堅く口
を時んで口外しなかったのであった。
又とλな一帯もあったl H清戦争常時、徴兵検奄 KA1
格した一批丁が、ス管前の数ヶ月

,.
を糸洲老師について熱心に空手を皐んだが、熊本師聞に入管する時に、軍酷問が共の髄格
の均整の正れた礎建振 注目して、
AYK
つお前は沖縄牒人だ当うだが、闘にゐる頃にいとえな武道を皐んでゐだか﹂
と問ふたと乙ろ、
h で 、 武 道 と い ふ 程 の も の は 皐 ん で 居bませ
﹁イヤ私は農業に従事して居bましたい け

とし.


弐,

一新に検査を受けた友人が、
.


,


,
5
A
.

﹁あれは昼手をやりて府 ました﹂
AY


と喋ったので、軍皆は
﹁ヲム盆手か、成る耗遣うか﹂
空手入門 一

.

空手入門
.
l
f

といって戚心されたといふ話がある。
一棟建手の形 ξ いふものは、後約に於て説明してある様に、常に前後左右正 、動作が
一方に偏せね様に組立てられて居b、而も手左足とを同じ程によく使用詰せ、或は醐胞を
捻b、或は跳躍するといふ様に、あらゆる種類の動作が含まれてむるので、乙れで鍛錬
すれば自然記四肢が均整の’どれだ接建をする誇で、乙れが益子の髄育に及ぼす第一の特
徴と言ふ事が出来る。
形一つを稽古するのに、 一分乃至二分で足b る。短いものなら三四十秒で足b る。そ
れ程短時間の迩動であb ながら、その髄力に臆じ、その技何に臆じ、熟練すればする程
にカが充貸して、十分の運動量を持ってくる 。血気盛んな、鱒力の最も旺盛な大撃の宰
手部選手、が、 .
僅か二一分間稽古したばかbで、火の様な息を吐いてフ 1/\言ふのを見 、
れば、如何に激しいものであるか想像出来るであらう。而も憶力の弱い者や、未熟な聞
は、分相醸の力しか入らねから、決して過激に亘るといふ心配がない 。
﹁運動に時間を要
せね事﹂と﹁誰にでも髄力に懸じて習へる事﹂とが、空手の閥育に於ける特徴の第二に
あげられる 。
その他場所正道具を要せぬ 事、 一人でも稽十円出来るし、二人でも練習出来るし宵人二
百人の問問でも面向く習ふ事 が出来るといふ事も、 手の特徴 でな ければならない


その上に護身術としては 杢身赴武 器と言はれ る程 の京附しい威力を 後同伴する。
而も之
を習へば期年ならずして、人間の鍛錬と精一脚力とが如何に偉大なものであるかといふ事
をしみん\と戚科する事が出来るなあらう o
昼手近が新興武道としての目見しい礎展も、
決して放なBK非ずである 。
大正十一年の五月だった。もとの御茶の水博物館|| l
今の湯島事堂のある迭にあった
文部符主催の第一同供育運動展覧令が催された。北ハの際に沖縄の皐務課から、沖
縄尚武令長を勤 めてゐた花に、沖縄湖特の武術 をと の機 刊
A に中央に紹介してはどうかと
τ
す Lめられ たので、なも乗筑になって直ぐ様承諾し 、東京へ問掛ける事にした 。
何し
ろ広一手と 一いよ湖特の武術を、何にも漁備智識の無い人遣に理解当せるのだか
ら、円の下
手な私には到底手に負へ白うもない仕事なので、いろ f\と工 夫した器旬、生手 の手
申告手入門

!
.
,
7

山戸山手入門
足の位以万や、形や組平等の寓其を撮b、 之を整理、類別して三一怖の僚幅に仕立て上げ、
之を拡惜して上京しだ。
がすんだら勿冷に師幽する珠定であったが、令期巾に柔道界の大御所嘉納先生から、
AW
献金城三郎氏を通じて昼手を敬はbたいとの御依般を受けたが、
窃L

高師出,封の一中敬一

−な者として遠慮してお断bはしたが、
﹁令が桝めば抗ぐに蹄る杭bですから、 一度御覧に入れませうか﹂
﹀﹂巾・上げたと乙ろ、
h い 。 皆 に も 見 せ て やb だ
﹁それでは一人で界凡しては勿憾ないから雨三月符って十 よ い
から﹂
講道館へ伺つカと乙ろが、門下の主、だつだ方々が苛
との御返事があっ允。三日の後 hh
名科も集められた。
常時なは車身で上京して来てむるので、門人も助手も居なかったから、 もと沖縄の帥
範で山一手の助手をしてゐた儀問其謹君が宰ひに市大に在皐巾だったので、 同君に相手けい
なって貰って形や組手の賀演をじてお自にかけた。﹁観昼﹂といふ形などは所望されて繰
返して前武して御覧に入れた。そして仲間武が終ってから詳しく質問遣れ、緩いて幹部の
方々からも質問があった。その後いろ/\ 放談の際に、
﹁形は全部管ふのはいとれ位か ますか﹂
LLY
と問はれたので、
﹁一年以上か Lると思以ます﹂正法口へると、
﹁それは長すぎるが、せめて三つ位は数へて貰以たいものだ﹂
と言はれた 司武道界の大元老たる先生の、乙の御襟度にはつくん\敬服当せられた。


合同期後すぐに蹄郷する筈、だったのが、詩泣館、陸軍戸山準校を始め、借家、法曹合、
中等曲学校牒育研究令、ポプラ倶襲部共の他よ 、本一手についての詳細な説明が聞きたい
λy
と懇望志れ、微力ながらも斯遣の潟を思って各所に赴いて講演したb前武したhしてゐ
る中に、講習生が殖ゑ、門人が出来、各皐枝から招聴される様に怠って、終に蹄郷の機
を失して今日に及んで仕舞った鐸である。
安手入門

刷岩手入門
﹁盆手の流儀はいくつ位あbますか﹂といふ質問を昨今受ける。簡単な質問の様である
泊5

一寸返事に困るのである。
昼手は人によbそれ人\個性が出るから、十人が十人、百人が百人、みんな迷ふと言
ってもい L。と乙ろが身躍が十分に利か・なかった ’
p、習ふ時に殿しく仕込まれ・なかった
ために瑠を脅ひ違へたb、久しく中絶してゐたために形を忘れて、最初の形とは遣って
しまったb、先生の特別の癖を形と誤認して史え込んでしまったb l! とんな原因の勾
め侃形が巡って来る事は粒々にあb勝ちで、とれを流儀として匹別するのは依bにも情
けない 。
−柔術の心作の少んザある者が、空手を一寸習って、柔術ともつかず、生子ともりかな い
様なものをねね上げて斗何冷流空手 L とか﹁何冷流拳法﹂とか銘を打って宍b出してゐ
るものも大分居る。乙れ等もん企手の流儀として悲げるKは飴b お粗末すぎる棒、だ
接手には円稲大家が多すぎる。
﹁私は何ん吋先崎の高弟ですが・・・・﹂
と胸れ込んで私の道場を訪れる人が時。ある。高弟といふのはいとの程度の人を指すのド
あいまいな言葉ではあるが﹀その高弟なる者が甚だ芳しくないのが多いび 自分の手足も
満足に使以となせない様な連中が、どうい λ料簡か、丞手数授の宥板を掲げる o 乙んな
のを流儀として数へ立て Lゐたら際限が無 LV
U
数年前、門下生を引連れて武徳般に未納演武を行った事があった。共の時演武目録の
中に、柔遣の巾に空 手 の部が設けられて府て、北︿の空手に日く何冷流、 日く何 ι
三怖と始
めて開寸流名を津山接見して驚いた丸のであった o
そして共の演武を見るに及んで、余
bにも空手らしくない空手、が多いのに二度吃鷲し、 他の観衆に到して随分恥しい思 が
μ
した 。数十年間空手に専念する私達にも分らない様な盆手、
それを﹁いくつ位流儀があ
るか﹂ との素人の問に割けて翠げるべ主か、否か、甚だ迷惑するのである。
中内︿から私の知ってゐる流名としては宵誠氏の附柔流、摩文仁氏の糸東流があるのみ
である 円広の研究してゐる空手には、別に流名などつけてゐないが、門人達は勝手に松
濡館流なYE稿してゐる様である。


手入門
)
_
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空手入門
空手を形の特徴の上から大別すると、大艦二通bになる。 一つは重厚堅固で、最も牒
力を練b、筋肉を鍛へるに趨するものと、今一つは軽捷機敏で進退隼の如B早業を習ふ
のに越するものとである。古老は前者を﹁昭露流﹂後者を﹁少林流﹂と稀してゐた。と
も L風﹂と言ふ方がよいかも知れない。之の二種類は大別であっ
i
れは ﹁流﹂といふよ LY
て斗少林流﹂と言はれる形の中にも重厚な部分もあb、﹁昭霊流﹂と惇へられる形にも疾
い技もある。而して乙の二種は必ず並行して研究し怠ければいけないもので、 一方に偏
する事は宜しくない 。
第五話 安 里 先 生 の こ と
安里先生 mU
武惑は常時の沖縄では比較し特る者を見出せない位に凶抜けてわた。



幸にして先生の御長男と親交があったお蔭で、 特に先生から目を掛けられて、生手の如
舎も親しく御敬授を受けた事を、 以そかに誇’りとしてゐるのである 。
沖縄には﹁うどん l
﹁とのち﹂ L
しいよ階級があって、﹁うど A−
B −
曹と
い ふのは内地の大名に
相営する大領主であb、﹁とのち﹂といふのは小名、どでも言ふか、 一村、一部落を領して、
士族の頭領たるべき身分である。先生はとの﹁とのち﹂で、首里と那覇の聞にある安里
村の領主であっ点 。近世での空手の達人と言はれた糸洲先生とは極めて親密な間柄で、
安盟先生の指悲によって、糸洲先生は問王の御一加筆を命ぜられてゐだし、安里先 ι
刊自身
も閤王の最も御親任の厚い侍従武官であb、且つ政治上に於ても種今御下聞を受けたh、
献策訪れたb して恰も極密顧問と言った様な役をも帯びてゐられた 。よく私に向って、
空手入門


必一手入門

﹁ UVぺ9ア鍛造が完成すると、日露戦争が始まるよ、般越君﹂
ル﹂言以/\遣れたが、営時¢怠には、それが何故だかまだ解らなかったが、先生の胸
中は、南海の孤島に在bながら、肢に天下の形勢を洞察当れてゐたのであった。
明治維新の際、琉球関の向背を決するといふ時に、先生は献言して明治新政府正行動
を共にすべB事を力説され力。時勢に謄ずるために島人の誇bとしてゐ宍長髪を率先し
て断ったのも先生であった。後年山川家の武官兼顧問として、長らく東京麹町に住して、
嘗時の名士とも親交があつだ。
先生の剣はたしか示現流、だったと凪ふが、徐程内情を持ってゐられたと見えて、大言
批諾する事の蛾以な先生が、時々私に向って冗哉の様記、
﹁真剣の勝負なら、誰に仕 Aけを申込まれてもいつでも謄じられるよ﹂
と言って笑はれた o,
又賀際に共の貨力が素晴しいものであった事は、剣道自慢の漢那
先生に、真剣で真向から斬b込ませな、
がら、腕でそれを外して、ピタ?と抑へて動かさ
本かった事を凡ても袋せら札る 。
四川叩山川北は,の名な武士であった 。
沖縄では武士と一
百ふのは肌に士放といふぷ味 σな︿
武道に達してゐる人といふ事なのである。漢那先生は﹁皐和漢に遁じ誠一世に寓めh 一
ム﹂評せられた程の人物だが天宮市の脊力群を抜き、骨格太く遣しく、筋肉降今と盛b 上つ
て、殊に肩の筋肉がモ叫ノ/\ L τ
乙牛の様に讃達し 、首が肩の巾に埋まってゐるかと思ふ
ばかbで、﹁漢那の肩二階﹂と揺はれた事によっても、共の力盆の物凄誌が想像昌れるで
あらう。而も剛気無績で火の玉の様な熱を帯びてゐたので、大いに世人に世敬遣れたも
のだが、それ程の漢那先生も、安里先生の前に出ては杢く手も足も出なかった o幾度か
先生と立会ふのだが、何時も気の毒なほど他愛も−なく跳ね飛ばされて仕舞ふのである。
安里先生は共の後でな蓬に話・ヨれた。
一人
l
の性格には浦、寸、越の三通bある。漢那君は摘の性で無類の剛一一
摘だから、先づ以
て相手を呑んでか Lるといふ性質を持ってゐる。乙の様友人には此方が寸か、越かにな
って迎へるがい L。漢那君が立令ひざま、イキナ 9頭ごなしに突かう/\とするから、
此方がヒヨイと隙を見せると、それが誘以か何か、そんな事を願肱せずに、か誌にか L
空手入門


¥
i

空手入門
って飛びか Lって来るから、他愛なく術中に陥ちるのだよ﹂
先生が話され花言葉の中区は、今に至るまでヒジ/\と瓜 U常る様な金言が数。ぁ

﹁昼手を皐んだ人の手足は創と思以給へ。偶れば斬れるぞ﹂

本常に先生の空手を拝見すると、﹁手足は剣な LYLの戚を深くする。嘗て或る入 が

使ふ‘ものですか﹂
﹁一本拳といふものは、ゼんな風 hh
と問う党と之ろが、先生は軽く立上りて
﹁君、突いて見給へ﹂
共人が思以切って突込んでゆ︿拳を、サヅと燥すが早いか、 一本拳で相手の 二の腕を
擦b 下げ、 ピタ叫ノと水月の上に擬し党。一柳蓮司と言はうか、一柳技と言はうか其の人が身を
引く限は勿論瞬き一つする暇もない。 もし一本拳が紙一重の所で止らなかっ党ら、常然
共の人は息の根が止ると乙λであり究。
﹁成る程、ょく分hまし究﹂
正冷汗をか&・d
ながら引下って、上衣を脱いで見ると、 一本拳で擦b 下げ完痕が二の腕に
紫色に皮下出血の跡を残してゐ花。
先生はなの知ってゐるととろでは武道の門人を取られなかっ克が、御長見当へも糸洲
先生に托して坐手を仕込まれだ。只例外としてなにだけはよく空手の話を立れ花 。
﹁十円人も子を劫へて敬へると言。花、が、自分の子は敬へ難いものだ。本一手の事は君に話
して置くから冶君から長男へ惇へてくれ﹂
私の空手に闘する’知識の大部分は、貨に先生の御敬示内よる所なのである。
先生は共頃の武士と言はれる程の武道の達人については、 一冷北ハの姓名郷闘から、師
匠、力量、特立不特設等に至るまで、驚くばかb詳細に如b端してゐられ究 。そして私
にかう訓へられ花。
﹁何時、何鹿で、どんな攻撃を受けても、突嵯に、乙の越には誰 L
乙誰とがゐるか、それ
ほどんな人物で、どれ程の技何か、特意は何か、不科立は何かーー といふ事が分れば、
少しも恐れる事は無い。注目するに足る人物は、 平常からよく知って置かなくてはいけ
空手入門


空手入門

。敵を知b、己を知る事が、兵法の秘訣なのだ﹂
まい−
金城の失郎が、安里先生 L﹂知らずに裂りて敗れ柁のも、成る程と思以八廿は詰れるでは
ないか。
..

第六話 糸 洲 先 生 の こ と
、 且つ安里先生の御長男の昼手数授を托遣れ均方
糸洲先生は安旦先生の御親友であ AY
である。安氾先生と同じ安恒といふ御名前であるのも不思議である 。
安引先生が丈高く、肩幅庇く、眼光側ふとして如何にも古武士の風格を具へてゐもれ
党のに比し、糸洲先生は身長尋常で、 胸のE3は非常に厚く︶憾躯恰も樟の如B伽叫があ
つ党 。長者を苔へてゐられ花が、 顔貌温和にして小児の如くであった 。
先生の腕力の強い事は非常なものであっ花。 安里先生はよく酒席などで糸洲先生と腕
相撲を当れたが、
﹁イヤとれはいかん。私が雨手 を使ってもまだ散はぬ 。
‘ だから一つやって見る試がする

し一

とて、掛け充腕を外すが早いか、二本貫手をサツと糸洲先生の商前に突B出昌れるの
手入門


I
!
.
凶ニ


Z


であった。沖縄の腕相撲といふのは、東京で普遁に行はれる腕相撲とは遣って、拳を握
つ完全\肘は宙に浮かしたま\手の甲を下にして、手首のを乙ろを互ポ掛けて抑令
ふのである。 つま bノ後で説明する﹁腕受け﹂の形なのである。
乙れは特に鍛錬されて乙の域に至つ究誇でな
握力の強い事は前にも話し党遁bだが、
︿、天賦の力量であられ究と思ム。 乙んな話もある。
先生が−日辻に遊びに行かれ党。辻といふのは沖縄特有の三業地の様なと乙ろで、飯

を食ふにも、酒を存むにも、宴命けにも、祉交にも、沖縄では必ず行︿正之ろなのである
んでゐ允批漢が
今しも先生、が或る家の門口を伺一誌なくズイと入らうとし党途端、傍に潜
ノと排を燥し究
フ司
矢庭に後から、﹁エイヅ﹂正気令諸共、脇腹めがけて拳を突出し花。 ヒ

ーーかと思ふとさに非ず、 糸測先生は後を振 返
AY’ Pもせずに﹁ヲム﹂と丹田に力を込め

ると、突き込んだ拳は倒気な︿ボン?と弾き返って仕舞つ究。﹁商無三﹂正一歩引退らう
下手に冴動主すれば
し党時には、 −十相手背がグイと物凄い先生の握力で締め上げられて、
Y/\と竹が砕けるかと忠ふばかb

一イタ・・・・・・・﹂
息も丑一一る思ひで、額からタラ/H と油汗を流す男を、
先生はそれでも振 向かうともせ
ず、自ら右手を後に廻して、北ハの男の右手首を打掴んだま L
e
何事も無かった校な顔 叶
で共の家の玄関からズン/\上って、 勝
mG
克典座敷へ共の男を後に随へて坐b込
むと、円木試に取られてゐる女中に命じて澗希を取寄せ、問が運ばれて来ると左手で盃
を取って、 当て徐ろに後に廻してゐ究右手をグイと前へ引出
3れる 、 ヨロ/tlとよ ε
ろけ出る舵漢の手首を放して、始めて共の顔をえながら包ツコリノ笑って盃を
3し

﹁何の恨みか如らんが、まあ一杯いかう L
とれには流石の暴漢も二の句がつげずに恐れ入ってしまっ花。
糸洲先生の身慨は不死身かと川山ふほどによく鍛錬忌れてゐ定。大抵の力円慢が突いた
位では何等の痛津も戚じられなかったらしか 。
もと某大皐で空手を教授してゐた某氏が青年時代には附一嘩の名人と言はれたもので、
試し突と栴しては道端に待伏せて通行人に戦
Uを挑んだものだが、血ん一戒にまかせて達人
手 1


1
1
~


1




空手入
正吾一ロはれる糸洲先生を試して見ょうと大それた考へを起 した

くれたら、
﹁ナ品いくち糸洲老 川が名人、だと言っても、油断してゐると乙ろを後から一撃
勝たん事もあるまい﹂
そ乙で先生の外出を窺ってむたが、或夜宴曾か何かの崎 を待伏せて、物をも言はず
AY
が、例の遁
に後から後間一出光と呼ばれる念所のあた hノを目掛けてピユヅ﹀﹂拳を飛ばした
J
P先生は平然として歩調もかへず、振返
もせず、勢飴って横にそれだ右拳の手首をグ
AP

イと引捌んだと思ふと、引寄せぎま協に抱へ込んTしまった。何しろ孟宗竹を握b治す
程の怪力で引姻まれたの、だから、電気にか− Lつだ様に手がズ 1 ンと庫れて、突く事も引
く事もならず、残った左手で必死になって突いて見だが、先生は蚊が止った程にも戚じ
まい様子で、其のま LズY/\と引摺り ︿。準浪一谷まって、
﹁セヅ先生、 お許し下さい 0.﹂

先生は相手の手を小脇に抱へ込んだま L・、なほも悠然と歩みつい、け、穏やかな一菅


﹁お前は誰かな?﹂
﹁三郎であbます﹂
共の時先生は始めて振b返って、
﹁三郎か 。年寄は 悪戯してはいかんよ﹂
笑以−ながら手を放 した 。
LL
先 生 の 流 儀 は い り も と λな風であった。
空手入門



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盆手入門
p


第一章空手の教訓
昼手の技を説く前に、 まづ空手を習ふ上についての心得を話して置かう。
まづ第一が、昼手は武道なの、だから、習日はじめたら﹁異剣 L にやらなければいけな
いといふ事だ。﹁真剣﹂といふ意味は﹁まじめに﹂といふ位の軽い意味ではない。 足を推∼
めるにも、手を県げるにも、 何時も﹁自の前に一敵がゐるものと思へ﹂といふ意味である r
拳を突出すにも杢身の力を集めて、 一撃のもとに敵を仕留めるといふ気持が無くては
いけない。﹁突き損じたら、 反針に突B殺されるんだ||﹂といふ程の意気で嘗るのだ。
それで乙そ始めて杢精神が集中される。気力が充貸する 0・
時間をいくらかけても、年月
をいくら長く脅つでも、た 手足を動かしてゐる位の稽古では、踊の蒋古とかはると乙
vh
ろはない 。何年粍っても空手の其味は了解出来るものではない。

﹁真剣﹂になb切る練習を積んで世︿といふ事は、昼手を習ふのに大切なだけではない
o世の中の事はすべて異剣勝負
世の中のあらゆる事に謝して、大いに役に立つ筈である
P 吉う﹂等と、そλ・な生ねるい心掛けでは、僅
なのだ。﹁一寸やって見て、悪ければや L直
か五十年の生涯に、何が出来るものか。
。 ・心
第二が﹁理屈を抜きにして、数へられた遁b獄冷 一生懸命にやって見る﹂事、だ


o もつかない此理屈なんだから厭
の足bない者に限って理屈を乙ねる それが大抵は愚 に
になってしまふ。例へば﹁後屈立﹂の要領を教へる。すると ﹁どうもい︿ら習っても私

には出来ないんですが、どうしたらい Lでせう﹂と言ふ 乙れがまだ一時間も練習して
ゐないのである。
﹁後府立﹂が完全にとなせる迄には、毎日足が石の様K脱化するまで熱心に稽古しても、
半年や一年で出来るものではない。三れが敬へられてから、ま、だ一汗もかBもしない癖
に﹁いやハh
JTゲ一しいも出来ません;;﹂もないものだ 1鵡宗の和尚古んなら、乙λ左時に
﹁喝ツ!﹂とばかb、痛棒を喰はせてやるんだが。



鐙手入門
匹l

空手入門
.
i
i.

稽卜川出口先でするものではない。身惜でするのだ。﹁他の人がやってゐるのだから、円‘
分にも出来ぬ特はない。 Eうしたら出来るか、自分のはどとが惑いか﹂ど自ら間以、内
ち持しみ、練bに線h、鍛へに鍛へる。之れが武道の蒋十けといふものだ 教へて貰った


要領は問主忘れる。苦心して令符したコヅは一生涯忘れ攻いものだ 。
北日武術の先生が、或程度に修業を積んで、武術の気分、が解って来允門人に到してャ始
めて停批けを興へ、コヅを授けたのも、とんな意味であっ売らうと瓜ふ 。
第 三が、﹁一つの技を皐んだら、徹底するまで習日抜け﹂といふ事だ 。多B を食つては
いけない 。粒冷辛苦して精習するのだ。益手の基本の技は多い。形の種類も多い。﹁多い
から早く一週内科ってしまはう﹂と思ふのは飛んでもない心科連以だ 。技の意味や、 ・

の意味が呑み込めない未熟者に、とてもあらゆる技や形が究え切れるものでは在い。奈
部がバ一プ/\に不統一にな 、関聯が無ければ、
AY Z
mM えなければならな
一?︵ーを別
いのだから、到底授えられない 。 一つを覚える中に、 一つを忘れてしまふ 。 乙れに反し
もし一技に精熟すれば、他の技にも自ら相通ずるものある事が合特出来る筈である 。上
段突きも下段突B も、遣日突込− も逆突&−
d dも、要領は同じだといふ事が分る筈WG 三十幾
遁 AY
の 形も、詮じて見れば幾通b もないも のだ ξ いふ事が理解出来る筈だ。 だから一技

に遁ずれば、後はたい弘一形を見、要領を聞くだけで、ずん/\身についてゆく。
とんな話、がある o号。義太夫の名人がまだ修業中の頃、師匠が無聞に厳格で、何年終
っても太問記十段目しか敬へてくれない o毎日ムザ今、日に幾十同幾百向井﹂なく同じもの
を稔るのだが師匠は﹁まだ/\﹂と一向に先へ進めてくれない 。
とう/\我慢がし切れ
−なくなって斗俺には義太夫なえて向かないのかも知れない o いっそ江戸へでも出て他の
商頁でも始めよう﹂と決心して、夜逃げをして東海道を下りて来た。駿河閣の或る杭場
e
で泊ったととろが、丁度素人の義太夫合が催されてゐだ o好きな道とて矢も楯も堪ら−な
τ 一席語った。勿論太閤記十段目よb外は出来ないの、だ 。 い L朱持に
く在って飛入bし
m
誼 h
終って楽屋へ引揚げてくると、との令の肝煎bをしてゐた老人が、
﹁イヤ貨に索時しい出来ぢやが、 あんたは本名は何と言ひな当る。
恐らく何の某と世間
に知れた師匠ぢやと俺は脱んだが﹂
空手入門



0

空手入門

褒められた本人 は気まb惑さうに頭を掻ぃ τ、
﹁飛んでもない 。義太夫といふものは後にも先K−
x十段目しか知らない位の、 ほんの素
u
人です﹂
と、いふのを聞いて老人は吃驚して、
﹁それは本営かの。 したが今の語b口は、 文楽の太夫で立もなければ語れぬ程の巧さぢ
ゃったが、 一穂誰方について修業な詰れた﹂
そ乙で、師匠が巌格すぎるので逃げ出して来た顛末を物語ると、

﹁えらい心得遠以ぢや 。その師匠についたればと を、僅か数年でその域に達したのぢや
悪い事は言はん、 とれから直ぐに引返して、 よく師匠にお詫びしてもう一度修業のし直
しをな当れ﹂
と懇ん吋と意見され、融然と悟ワて叉義太夫に精出したので、還に名人とまで謡はれる
様になったーといふ。乙れは越路太夫の逸話ではなかったかと思ふが、乙の話をよく噛み
しめてみると、なか/−\得る正乙ろがあると思ふ 。
第川に﹁大家ぶるな、担当うに比せ・たがるな﹂といふ事だ 。 一間武道家が武道家ぶる
のからして、片腹痛いものだ 。肩肘怒らし、大道狭し?と澗歩して﹁俺は天下の豪傑で御
座い﹂といった様な顔をした−ならば、だとへそれが本営に天下の豪傑であっても、什寸

す る念が半分以下にな川/てしまふ 。況んや大した豪傑でもなくて、スフ入bの豪傑まが
ひであったら、馬鹿々冷しくて話にならない 0
・叉偉当うな恰好をするのは、大抵駈け山
しの武道修業者に多い。そして武道家の品位を下げ、開面を汚し、評判を悪くするのも、
Zんな連中の仕業なのである 。空手の一手か二手を生噛bして、相手欲し3うに、血豆
の出来た拳を乙れ見よがしにヒネク p廻し・ながら、往来をのし歩く様な輩に至つては言
語道断である。笑へば小児もなっ告、怒れば虎も惰伏する、とれが本常の武人である 。
第五が﹁純儀を重んじ、長上の命に服せ﹂といふ事である 。凡そ腿儀を重んじない武
遣はない 。然し艦儀といふのは、何も道場の中での事とは限らない 。道場では紳前に純
をするが、神枇の前を通っても令韓もしないーーといよ様な事は無いだらうか。道場で
は先輩の言ふ遁b k唯冷として動くが、家庭では父兄の意見に耳も籍さ山HIll’といよ様
空手入門


、‘

宅手入門

ま事は無いだらうか 0・
もしあったら、それは武遣を稽古する費格の無い人間である。山水
にあっては父兄の命を守る。用+校にありては先生、先輩の教に随ふ。軍人となっては上
官の命を奉ずる 。一枇令入となっては長上の敢に背かね 。Zれで之そ本一手を皐んだ甲斐が
あるといふものだ。
第六が﹁短を捨て、長を採れ﹂といふ事だ。人の稽古を見て、皐ぶベS と乙ろがあっ
たら丙ぐに皐ぶがよい。人が怠けてゐるのを見たら、
自分はどうか||
と反省して、自ら警めるのだ 。
例へば蹴 の得意な人がゐたら、何故共の人の蹴
LY bがい Lか
、 Y﹂うすれば及ぶ事が山内
来るか、自分と比較してど乙が達ふか||
といふ風に工夫して見る。
技の一向に準まない人を見たら、あの人は何故進歩しないか、蒋古が不足なのか、.熱
心が足bないか、肖分にはそんな所はないかーーー

正反省して見る。とれは敢へて技の上のみではない。人民は誰でれも 長所と短所がある 。
だから其の心を以て‘
見れば、誰を見ても手本になb、反省の材料に左る。
+円入、が﹁三人行へば必ず吾師あb﹂と言はれたのも之の謂である。
第七が﹁円常の事はすべて空手の稽古と思へ﹂
といふ事である。空手を墜んで、之を道場だけの空手に終らせてはいけない 。市なる
格闘術だけの空手に終らせてはいけない。接手稽古の精紳、宰手修業の要領を、、ドジ/\
日常の百般の事に臆用するのだ。耐寒、耐熱の荒稽古で歯を喰以しばりて頑張b通した
其意義を、仕事の上に臆用するのだ。激しい稽古に、打だれ、叩かれ、蹴られて鍛へら
れた共身躍は、少々の試験勉強や劇務位では決して心 r
rものではない。会精一利を集中
七て、勝たずば己主じと錬腐Lた組手の気塊で鷲れば、 凡そ手に依る仕事など Lいふも
のがあるものではない。突一つ、蹴一つに、何年か苦辛惨臆した忍耐と努力を以てすれ
ば]如何なる難事と雌も完成出来る磐である。斯くしてとそ本営に昼手を皐んだ人ム言
ひ科られるのである。
空手入門


a
Le手 入 門
$.

第 二 章 空 手 を 脅 ふ前に

﹁入の手足は創と思へ﹂
正安里先生は言はれたが、杢く必手道では頭句天逃から足の爪先まで、あらゆる部位
を武器唱として使用する。
ω

主として使用する部校だけを翠げて凡ても手首から先だけに十箇所以上もある 。 ち
主正



,
,
A

;
.

r
手 I








高本

拳 公
貫鍛

手 刀 手手 子 槌


貰貫


本 ‘本


等々があ h 足首から先だけに


虎祉、手足、足万、爪先、園屋、足甲
等が翠げられる。
乙の他に手首や肘ゃ、膝等をも盛んに使ふから、﹁全身悉く武器﹂と
っても過言ではなからう。
とれらの部位を平素よく鍛錬して置いて、イずといふ時に役立てる諜だがし岩手の威
力は主として乙れらの鍛錬によるので、鍛錬不十分で口先だけの大家に終ってしまって
空手入門



空手入門 五六
んなのを古人は﹁口武士﹂と稀して卑しめたものだが、部の真砂 。
は何にもならない。乙・
正一一緒で、今の世にも﹁口武士﹂の種は諜告ない様だ。
u努から始めて、立ち方、構内・方、拳の突き出し方、受
盆手を習ふには、まづ拳の握
け方等の基本を売えて、それを繰返し練習する。
拳の突き出し方などは、子供にでも簡単に出来さうなものだが、乙れを本営に快黙の
無くなるまで練習するには、なか/\容易な事ではない。相官の努力と忍耐と工夫とを
積み、而も相官の年月をかけて、始めて正しい突き方が大成されるのである 。川会手は位
える、だけなら何の苦もなく出来るが、空手は究えるべき、ものでは無くて、鍛錬すべきも
のなのだ。そ乙をよく取b遠へない様にして貰以だい。
基本が凡そ呑み込めたら、形を習ふ。乙の本では﹁大極﹂といふ形を三種と﹁天之形﹂
ξの四種類について説明して置いたが、安は之の﹁大極 L と﹁天之形﹂とは、初心者向
きに最も平日拐な攻撃、防禦の基本の技を松薦館に於て制定し組み合せたもので、之の外
にもう少し難しい形が三十種位はある。
形をいふものは刊から名人注入 UれわμAW札入社か山 H介的怖[4
μC刷。川l
防の技を組み令せたものなのだが、其の創始者は大部分は不明である。それに前にも一
寸話した様民、記録が無くて、各自の記憶正技何とに騒じて練習し、惇へて来たものだ
から、費え遠以もあb、習以歪めた技もあって、今日符はれてゐる形が、昔の形のま L
か如何かといふ事は頗る疑問である。そとでなほ研究の畿地のある形や、疑問のある形
は、相営に熟練し、経験を積んでから、各自の解轄に侯つよb仕方が衣いといふものも
ある。松濡舘に於て研究されてゐる形は大穂左の様なものである。
天之形
地之形
人之形
大極初段
二段

空手入門 豆七
抜寒大

同二段
鍛騎初段
同小

同三段
観大
空、鳳 松 松 披 八 明 慈 三i
三十岩燕同 同同同問平同袋

五段
四段
手 タ匂 一安一手
二巳
入 初一入
門啄蔭祷雲荒鏡恩月手鶴飛小 段段段 段門

五 五
九 J
¥.



山信手入門



f


形は敷多く習ふよbも、精習する方がよい。三十種の形を不完杢に使ふよb、 一つの
形を完全に近く使以之なす方が、遁かに殻果が大きい。
形の中に含まれてゐる手脚の動作の意味ゃ、攻防の要領が分って来たら、﹁組手﹂の稽
古をする o基本の練習も、形の練習もすべて一人で稽古するものだが、組手となると相
手が必要になる。組手とい ふのは、形の中で習った技を、質際に営てはめて臆用して見

る練習で、 一人が攻撃してゆく匂を、一人が受け外し、或は逆襲する方訟を練習するの
である。組手の練習をして見ると、動いてゐる人間といふものが、なか/\ 1突B難いも
のである事も分るし、相手の突いて来る拳が、案外に早くて受け難いものだといよ事も
令黙がいく。それ迄は集がつかなかった出足の早さとか、腰の捻bとか、呼晩、閉会等
一といふものが、どλなに大切なものかといふ事にも気がつ︿様になるし、誘以の手とか、
機先を制するとかいふ方法も覚えて来るし、如何に布地塊、闘志が物を言ふか’といふ事も
戚ずるし、上には上がある物だといふ事をシミム\悟る撲になる。
然し乙の聞に在っても、絶えず苦心し℃練習を積んで置かなくてはならぬのが基本、
卸ち﹁突き﹂﹁蹴り﹂﹁受け﹂の基本練習である。突B方にせよ受け方にせよ、形にある
年齢によb、健格、身長によら、円分
技は﹂遁b錬磨すべきは勿論の話だが、人によ hJ
に遇する様に工夫して研究しなければいけない。例をあげると身長六尺もある様な人な
ら、顔面を攻撃される機令は少く、胸、腹以下を攻撃3れる機令の方が多い筈、だから、
中段受、下段受に熱して置く方、が必要であるし、惜格倭小で非力な人なら、躍力や腕力

で事つては損だから、俊敏な動作に物を言はせて、敵のふと乙ろに飛び込んでゆく方法
を準、ぶのが得策である 。漫然と習ってゐては、形も技も死んでしまふ 。常に工夫して、
自分K越する様に稽古してゆく之とが大切である。
出塁手入門



虫 寸入門
ノ、



第三重 拳 と 足
空手泣で最も普遁に使用遣れる拳と足について、 一通人ソ説明して置かう。
拳の中で基本巾の某本となるものは正拳である。乙れは其の握b方が大切だから、ょ
く附について凡て頂B だい。握b方が悪いとカが入らねだけでなく、あベ乙ベに円分の
手を漏める恐れがある。
m む様にしてジヅカリノ折h曲げ、次
・まづ第一国の様に抑指を除いた四本の指先を、折 住
に第二園の様に、−込に同盟み込む様にして深︿握b、共上へ第三国の様に揖指で人示指、
中婦の上から堅く押へっけな、がら握る。第四国はその拳を横から凡だ形で、折・9山げた
指の付け根が、再角ょ., Pもむしろ鋭角に託い位に固く握bしめてゐるととλ 比注目して
貰ひたい。勿論最初はなか/\之んなに回く握れ白人が多い 。而も一二分も控hしめて
ゐると、h
mp、、に疲μて仕舞ふが、練綱引をつんで来る Le−

深︿しま忍殺になb、北ぺ上に拐の
を手入門
4
P



4第





十 圏

u
付け川机か丸く剰の採に破悲して、前角枕にはなって来る

乙め料指を外にして握るといふ握 hノ方は、昼手選に於て多年経験を積んだ来た方法で
一寸考へると抱一指を痛めはしないかと恩はれるが、決してそんな危険はない。却って揖
拘を巾にして握ると、拳が敵に嘗った時に自分の栂指を痛める事が多いものである。但
し梶b方にも力、が入っておないで、指が緩んでゐると怪我をし易いから注意しなければ
い吋ない。
第四国の様に拳を援って突B出した時初心者は十中八九迄は手首のと乙ろで折れ曲つ
て、挙が上向になb易い。手首のと之ろが曲ったま L突き出すと、肝腎の拳頭︵指の付
け根の部分、却も第一関節︶、が嘗らずに、第二闘節が営って、指を痛め党b、手首を捻
挫したbするのである。
拳を突出す時には、拾を操b出す様に、真直?に突出遣なければいけない 。上下左右
民曲らない様に、不断から注意して、稽古するがよい。
正挙が散に常る時、第六固に示した様に少 しの無埋もなく、腕の力が一直線に人示指
申告手入 門 六五
安手入門 六六
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圏 E
(疋不)事

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けない。 乙の正拳が昼手道の生命ともい
ふべきもので、その鍛錬は修業者にとっ
て一日も忽にする 事の 出 来ないものであ
第 る 。 も し拳に 威力が無かたならば、形も、
穴組手も九何の意味もなくなって仕鉾ふ誇
国 で、踊 。
と何等撰ぶと乙ろがない
AY
拳を鍛へるにはいとうすればよいかとい


〈)
ふと、或る程度ま では基本突きの練習、
形の練習によ って出来るが、何と言つで
も窓を突くのだから、利いてゐるのか、
利いてゐないのか、 一寸も手臆へがなく
て、自信が持てない。そ乏で巻議 の必要
空手入門 六七
空手入門 六八
がある諜だ 。
空手道では拳に限らず、手万でも肘でも足引へも、品位藁を用むて鍛錬する。生手を皐ん
0
だ人が、一撃一蹴に威力を楼揮する事が出来るのも、巻藁による鍛錬のお蔭なのである
o突らど柱 は檎材が弾力もあ・旬、丈夫でもあb、 風 雨 に も 堪
・巻菜は突き柱に取b つける
へるので一番よいが、杉材等でも代用出来る 。 長 さ は 七 尺 柱 、 幅 は 三 寸 位 、 厚 み は 上 が
五介状、下が三寸位に、上 から下へ・次第に厚みを増す様K倒る
o賓 際 に 作 る 時 は 三 寸 角
の柱材を用ゐて、斜めに挽き切って、二枚取るのが得策である。
柱は 三分 の 一 以 上 を 地 下K埋める。用ゐる人の身長にもよるが、地上は同尺内外、柱
の頂が自分の胸の高志位いか趨営である。柱の周図の土は、水をまいて棒か何かでよくつ
ち﹄凶めて置かないと、突いてゐる中に段々向ふへ倒れて仕舞ふ。
柱 が 出 来 た ら 其 の 先 に 巻 藁 を 取 bノつける 。 港藁は藁を蕊にし也、共の上へ三ヅ組みに
ょっ党議をジツカ時ノと倉吉つけ、槌か何かで叩いて軟かくして置く。それでも初めての
人には痛くて、少し無理すると直 rk拳の皮を破いて仕舞ふから、手拭か何かの古いも
のを巻きつけて置︿方がよい。
港一語は摂試を嫌ふ。雨がか Lると腐 日現いから、使用し在い時は石油の盆儲か、バケ
AY
吋ノの康物の様なものをスヅポ
9とかぶせて置くとよい。
之れで港護の用意が出来た

t
9
1

.

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らか




うら
i巻 箇セ第
腕を伸して、巻藁に十分届

身 K

、様

を巻
十薬
て位:
業}位

卒置
乙、

への
構!闘

日奈に
しの
にく
l
t
i

L
介氏曲げ、腰を出来るだけ落
して、前方の手は撮って膝頭、
から五六寸の庭に構へ、後方
空手入門




制岩手入門
0

の手は握って脇肢に手中を下にして構へる。願は引いて、限は前方の巻援を脱み、一屑を
下げ、丹田に力を能める。特に膝から下の足の形を、ょく闘について誌意して貰以たい。
大地を踏しめる足が、地に根
を生じた様K ジ ヅ カ9として
ゐなくてはいけない。とれやか
説突きの用意の姿勢なのだ
各一

八が、詳しい事は後輩の前屈立、
圏不動立の部を参照3れるがよ
晶甘い。之の時に港藁の高誌が、

胸の高さになる 。だから巻藁
の位置が高すぎると、自然記
用意の姿勢も足が伸び、腰が
浮いて、 カが抜けてしまふか
色、巻菜は﹁少し低すぎるかな﹂と思ふ枕の位置に取b つけるがよい。
突事方は脇腹に構へた拳を、腰を捻b
、一屑を巻藁に打つけてゆく様な気持で、満身の
カをとめて突き出す111
と同時に、前方膝上に構へて拳をグツム﹂脇腹に引S つける 。


の時に突く拳は巻藁の直前でグ w
ypと手の甲を上に反して、捻ぢ込む様な心持で突込み、
引く拳は、脇腹にくる迄に、手甲が下向きになる。
之の拳の反帥怖が、最初は者か/\う
まくいかない様だから、巻藁突Sを始める前に、
その要領を少し練習して置く方がよ

ν

ーさ柱は上端が薄くて強力があるから、勢よく突くと接って揮ね返って来るが、



を弾ね返ら同様に、グイと深く突込Aで抑止めて置く。

右利告の人は少し左手の方を同数を増して練習して、技の偏るのを防ヤがよい 。
岡敬
は何岡でも多い方がよい誇だが、最初は拳が固まらねから少し力を弱くして、同数を多
︿し、段 A慣
f
れて来だら、揮身のカを能めて、﹁量よ b
も質でゆく﹂心掛けが肝要であ
盆手入門

突さの要鮪は腰を捻って、躍を落し、金身の力を拳頭に集中するのがよいのだから、

たロ拳の頭ばか−A Y K
血一旦を搭 ppへるのを自慢にする様では困る。
港一棄が固いと初めは拳が痛い。痛いばかbではなく思以切って腰を捻って突くと、目
の前の三尺の所にある目標の中央に営らず、突き外す事が往冷ある。突き外すと拳頭の
皮を擦b剥い℃仕舞ふ。先立山卒、が腫れ先立けなら、冷水に浸して置けば痛みも取れるし、
腫れも引くが、皮を剥いて仕舞ったら一一一週間は巻藁突きは出来ない。負けず嫌以の皐
生等に、・皮が破れても歯を喰以しぼって巻藁を突事績け、港一議を真赤に血で染める者も
あるが、共意集は大いに結構だが、無意識の中に力、が落ちるから、飴b数果は無い V。
イ、手の使ひ方
手の使以方の噌.
、﹁正拳﹂以外で大切なものを二ツ三ヅ説明して置かう。
うちuり
﹁裏拳﹂といふのは、正拳と同じ振b方で、手の甲の方を言ふ。散に営あ部分は主とし

て人示指左中指の付け根の挫である。港護などで鍛へる時は、手甲杢面が常る様にな
ozれは熟達するとなか/\殻果があるもので、大抵顔面、脇下、脇腹等を攻撃する

のに用ゐるが、側面の敵とか、 正面の散が身を燥して側面に廻b
込んで来た時ないとには
偉殺を奏する。︵第九国︶
てっつい
﹁銭槌﹂といふものも正拳と同じ握b方で、掌の小指側、
つまb按摩3んが肩を叩︿時
に用ゐる部分である。﹁ナンダ、それぢや肩の凝bが下る位で、利B目が無いだらう
﹂等
と思ふかも知れないが大間遠ロ、各一一誌によって十分に鍛へ抜かれた銭槌は素晴しい威力
を畿揮する 。何しろ桑くて事力があ︾ので、いくら闘い物に打つけても此方は痛まない
から、敵の手首を打排ったb、閥的を攻撃したb
するのには持って乙いの武器なのであ
る。︵第九国 ︶
白雪て
﹁貫手﹂といふのは指先で突き貫くといふ意味で、
四本の指を揃へて突くのを﹁同本貫
手﹂、叉は単に﹁貰手﹂とい仏、二本指で突くのを﹁二本貫手﹂、一本指ならば﹁
一 本賞手﹂
といよ 。第十国には回本貫手を示して置いたが、持指を折 ‘
曲げ、四指を伸ばしてピ ツ
AY
タ9と密着して揃へ、乙の指先で突︿。
乙れも一寸考へると敵を痛めるど乙ろか、あベ
耐空手入門


空手入門



十 薗

之ベに突き折でもし遣うであるが、顔面、胤足なY︸を攻撃する時はなか/\有放なもの
である。 指先はあまb仲しすぎると反b気味になって、挫折し易いから、心持ち指先を
万号 る
」位
はが
手品げ

慮。
「曲

介い


箔よ

形は四本投手と同じで、第十固に示した様民、山羊
ν





の小折側を使ふ 。 つまb手を握れば乙の部分は﹁鍛槌﹂になb、開けば﹁手万﹂になる
需である。敵の頭部、脇腹、腕、脚等を攻撃するのに用ひる。手万とは手を万の様に川
落してしまふ心持で攻撃するのである 。正拳に次ド、重
ゐる意味で、頚でも腕でも、切 AY
要な攻撃武器で、巻藁で鍛錬して置く正、相営の威力を畿揮する様になる。
えhdu
﹁猿腎﹂といふのは肘の事である。空手では肘を頗る有殺に用ひる。攻撃にも、防禦に
も被はれるが、何しろ骨の構造が頑丈に出来てゐるから、上手に使ひ乙なす事が出来る
様になる 、財女子でも大の男を一撃に打倒す事も−容易である。尤もい州人の肘鍛は、北
LL
u
から男子に取っては苦手なのだが・・・・。
猿特の使以方にもいろ/\あって、後から抱きついて来た敵等を攻撃する﹁後猿什﹂、
空手入門 七五
安手入門 七六
側面の敵民有数な﹁横猿特﹂、正面からの敵を攻撃する﹁縦猿轡﹂、下から潜って来る敵に
劃する﹁下猿僻 U
﹂、一敵を引掴んで引等せ−ながら営てる﹁廻し独特﹂等があb、攻撃する部
’位は顔面、胸部、脇腹、頭部、背部等、殆y﹂慮を選ばずといふ戚がある。叉攻曜のみで
なく、防禦用としても、胸部、脇腹等を護るには最も有数で、散が攻撃してくる拳.足
等の甲を之れで一撃すると、大抵一打ちで参ってしまふものである。
口、足の使ひ方
足の使ぴ方に就て、も少し説明して見ょう。﹁盆手の特徴の一つは足を使ふ事だ
iー
と言
人人もある枕、本一手ではよく足を使ふ 。大抵は蹴るのであるが、時には排ふ事もある。
足は手よbも太くてカがあるものだが、馴れない問は之を使用するのは割 Ank困難なも .
,
ので、下手に使用すると、何しろ一本足で身躍を支へるのだから安定が悪いし‘動作が
鈍いと足を取られたb、付け入られ易いが、十分に熟して来ると敵の意表に出るので、
なか/\禦ぎ切れないものである。


第ノ
第 トー 十
t圃 ー

ポ手入 門 ヒヒ
空 手 ’入 門 七八
﹁虎駈﹂ーといよのは難しい名だが、桁テ
グイと上に反らした時、カが入って鳩の
胸の様な形になる部分で、足裏の前方、
上足底とでも言りたらよいかも知れ左
第ぃ。乙れは前方を蹴るのに用ゐる。手の
﹁正拳﹂に営る位、蹴技の基本となるべ

3‘ものである。拾が十分に上に反りて、
圏足首にジツカ叫ノ力が入ってゐないと危険
である。︵第十一国︶
えんしよう
﹁圏腫﹂といふのは同じく十一園の躍の
方に印をつけた部分で、腫の後方である。
後蹴b K使ふので、手を逆に捻られたb、
後方から飛付かれた した時に活用する
AY
のである c
﹁爪先﹂は十二国民示した様に指は異直ャに伸ばし、或は持指 民共の指を重ね、前蹴h ’
つ待合這曹
に用ゐる。不馴れな聞は突B指を起し日現いが、練習すれば全く何等の危険もなく、水月、
下腹部等にはなか/\の偉殺を奏するものである。
﹁足万﹂も足の指を上に反らして、十三園の様に外側部りなるべく腫に近い方を用ゐる。
、踏込み、蹴放し等に使ふが、恐らく空手濁特の武器であらう。脇腹や、膝閥節
積蹴 LY
等を攻撃するのに使はれるが、忠一手を稽古した人以外には諌想外の攻撃方法である矯め
民、殻果は大きい。
﹁配応﹂は足の⋮ωハりである。柔道の足捕以等に用ゐるのと同じ様に、足底で敵の足を抑
ったb、或は突いてくる拳を抑つ古・りする。
adT 入門



空手入門
0


第四章 立ち方
﹁立ち方﹂について話さう。立ち方なE
と言ふと、
箇四十第

﹁人間だもの、立ち方位誰、たって知って
ゐる﹂
加 前

と、思はれきうだが、昼手の立ち方の
立中には、﹁後屈立﹂﹁不動立﹂﹁騎馬立﹂な
どの様に、何年か鍛錬しても、容易に山内
来ない様な難しい立ち方もある 。共の立
ち方を見先立けで、凡そ技備の程度が剣
定出来る位、生手では﹁立ち方﹂が 大切
なものだが、詳しい設明は、今して見方
と乙ろで、到底了解出来まいから、 ζ
、、
ではだピ要黙だけを解説して置く。
へい モ︿世 ち
﹁閉足立﹂は爪先を寄せて立った形。惜
操の試を付けの姿勢で、 爪先を閉ぢた も
盟主十第


のと瓜へばよい 。
立屈後 ﹁結び立﹂は閉足立から、 爪先を聞いた
形で、健操の一試を付けの姿勢と思ってゐ
ればよい 。 先立空手の立ち方は、いつで
も機に臨んで 鐙 化の出来る様K、徐裕 を
持って、余b力を入れず、固くならぬ 様
にし・なければいけない。 無聞に胸を張ら
ね様にし、 一厄を下げ、 丹 田 に ジ ヅ クy E
後手入門


入門
F

拘民 47
力を簡め、膝の閥節も固くならぬ様にし
極めて自然のま Lの姿がよい。

肱 ち び 世ち

﹁八字立﹂は結び立から半歩位聞いた形
で、腫が一尺余b離れみ位がよい。足の
第’
位置が八の宇になりてゐるので乙の名が

ある誇だ。要領は﹁結び立﹂に述べた遁

−園 bで、乙の立ち方は、形を演武する時、
扮・
最初と最後の構へに多い用ゐられてゐ
立る。
せ くつ世ち ︿つ
dehN
﹁前屈立﹂は又略して﹁前屈﹂ ξも言ふ。
第十四国の様に雨足を聞いて、前足を曲
げ、後方の足を伸した形である。雨足の
匝離は身長によって異る、が、ニ尺五寸位 3
が松却である 。但し初心の間は少し炭くする方がよい 。
前足の膝から下が垂直になる様
にし、出来る だけ膝 を
曲げて腰を落す。後方の足は腫が浮かね様にし、爪先が左右左も
同じ方向に向 いてゐ る様に注意する o
上躍は垂直にして下腹に力を入れ、重心が完全に
雨足の上に落つく様 に。昼手
で前進する場合は大抵乙の前屈立で進むのだ が、初心者は
前足に力が入 って、惜の宜みが大部分前足にか
Lってしま、
よから、練習の時には後足に
六分、前足に 内分の
力を入れる様にするとよい。右足が前方にある時は﹁右前屈﹂と言
以、左足が前 方にあ れば﹁左前屈﹂と言ふ事も先えて置くとよい o
第十四国は﹁右前届﹂

屈 iる
「で
;あ.
守子

大館前 届立の反封で、後方の足を曲げた委だが、


l
しー

乙れは大分難しい。後足
を出来る限b、十分に屈して、 之に金臨重を支へ、,
前足は軽く膝を曲げて、 爪先を地に
胸れて置くといふ心持だが、
なか/\後足だけで重心を支へる事が困難で、膝が十分に

曲らないため に拙胞が浮いてしまったb、上躍が前屈み’にな
b過ぎたbし易い o爪先きの
向き方が、左右で直 角になる位がよい o
よく闘を見て研究苫れたい。︵第十王国︶
空手入 ,
j
I
八三
a

!j
f
'

hu唱し
(

t

p

ふどう世ち
﹁不動立﹂は後M
m立よ’りも少し足の間隔を庇く開 Mて、膝は左右とも十分に山げ、慨す一
刷見に平均にか Lる様になる。爪先B の方向は左右とも同じ向きになる。
は一
宮 j u rち
﹁騎馬守一﹂雨足を第十六国の様に棋に間色、爪先が少し内側へ向く枝記し、膝を十分に

曲げ、膝か6 下が殆ど垂直になる位に膝を聞き、足の裏金慌がピタyと地に段付く様に
して、指先は軽く浮かせ、上躍を真直に起しで下腹部に力を入れる。三れもなか /\悶
難な立ち方で、 一二年の修業では界口切に出来ない。乗馬の姿勢に似てゐるので之の名が
ある。比を鍛錬するのには、最も・よい立ち方である。
,P


第五章 大日本空手道天之形
大日本昼手道天之形は、土日から停へられた古式の形ではない。三十伶種に一旦る得手道
nす
の形の中から、・初心者に趨営攻ものを、個人は勿論の之とだが、特に問聞で前武純m
る事が出来る様に、抜葦し、編制したものである。
﹁誰にでも直?に出来る﹂といふ事を主眼として編制されたものであるから、今まで式
道といふものに全然経験の無い様衣人々にでも、或は掃人や老人や子供達にでも、凡そ
ラジオ髄操が出来る位の人なら、誰にでも難民風見える事、が出来ると思ふ。
場所はEZでもい L。足を一歩踏出すだけの庇詰があれば、庭先でも、廊下でも、陛
敷の巾でも一向差支へない。
。 一遁b・演武するのには二分位しか要しないから、 どんな
時間は極めて僅かで足bる

A



空手入門 八六
忙しい人にでも、 Eんな位しい時にでも簡単に練習出来る筈である。時間が許せば数同

繰返して練習するがよい。
服装は何にもいら・ない。運動に便利な姿でさへあればよろしい。事務服のま Lでも結
構、上衣を脱げば尚更結構、着物のま Lでも差支へなし、運動着にでも・なれば申分なし
である。
扱て用意が出来たらーーと言っても、場所も時間も道具も不要なのだから、練習しよ
うといふ心構へきへ出来ればよいのだ1 1早蓮今日只今から始めようではないか っ先立
問解説明に移る前に、演武上の注意正、要領とにりいて二三お話して嵩S た い 事 が あ

天之形の構成は﹁表﹂﹁裏L K介れ、﹁表﹂を十本、﹁裏﹂を六本に分けてある。
﹁表﹂は皐濁に練習する形で、空手近に於ける形はすべて之に属する。﹁裏﹂はその臆用
で斗表﹂で練習しだ形、が坑際には如何なる突B と受けになるか、二人相劃して一方が突
︿ みて
c
一方が之を受ける練習で、盆手道の方では之を﹁組手﹂と呼んでゐる


﹁表﹂十本の中、最初の四本は﹁突き﹂の基本練習である。だから之に卦し﹁裏﹂は無い
三本は﹁下段及中段受け﹂と﹁突S﹂の練習である。印ち敵
五本目から七本目までの・
が此方の下段︵帯よb下︶或は中段︵頚から下、帯よ b
J上、りま 胴の部分︶を攻撃し
AY
て衆党時の受け方と、受けると同時に敵を反撃する突S方とを練習するのである。
八本目から十本目までの三本は﹁上段受け﹂と﹁突B﹂の練習である。上段 ︵
両部﹀
の攻撃に劃する受けと、反撃との練習である。
突き方には﹁遁ひ突き﹂と﹁ぷ突き﹂ . 、﹁遁以突き﹂とは右足を踏出す?と
の二種があ AY
同時に右手を突S出す|| lりまb追払込んで突くといふ意味であb、﹁逆突き﹂といふの

は左足を踏出し、右手で突く||つまb手足、が左右逆に在る突き方といふ意味である
立ち方には﹁八字立﹂﹁後届立﹂﹁前屈立﹂﹁不動立﹂の四種を採ってある。前章の立ち
方のと乙ろに大韓説明して置いたから御参照願以党い。
五本目以下の﹁受け﹂?と﹁突き﹂とを練習する時はブ最初は後に闘解説明する様に、

"
'
空手入門


空手入門

まづジツカ 9と受けて、次に十分に突くーーーといふ風に二暴動に分けて正確に練習を積
む方、がよろしいが、元来﹁受け﹂と﹁突さ﹂とは一暴動となるのを原則とするもので、
敵の攻撃を受けた瞬間、肢に敵を突いてゐなければいけないのである。共の問に少しで
も間隔があれば、一敵は直ちに備へを立て直すし、マヅ/\してゐる ξ第二撃目 、
が飛んで
来る。だから十分に熟練したら、﹁受け﹂と﹁突ちことが一暴動になる様にするがよい 。
演武の同数は遁常一本を二同づ L繰返して行ふ事になってゐるが、時間の都ムーで越宜
増減して差支へない。
すべて突いた瞬間、受けた瞬間十分に力を込めて、腹の底から満身の精試を森山って試
令をかける。集合の向けた武道は魂の抜けた人間みたいなものだ。﹁受け﹂に力が能らな
ければ、銭壁をも透れとばか に突
AY S込んで来る散の突きが受け切れるものではない 。
﹁突S﹂の瞬間に集会が向けたら、気力の充貸した敵の身躍に拳が営っても、拳が跳ね
返ってしまって何等の損害をも奥へられない。敵の攻撃が受け切れず、一敵を突いても致
果が無い||!としたら、そんなものは武道でもなければ、空手でもない。














i

表の 中段遁突き
﹁瀧﹂の競令ゼ
m窓の姿勢︶





.
.
i

空手入門

i
0

空手入門
まづ集を付けの 姿勢で神前に向って一植する。
﹁用意﹂の競令て、︵第了二悶︶|以下第一回は共通につ主高は附す l
八字立の姿勢、上同の様に左京の拳を握って腿の前に軽く伸ばして構へ、気を付けの
高志。勝下に
姿勢から左足、右足の順に爪先を八字形に聞 く。肩を下 げ、調線は自の
m お






グイム﹂力を入れる。
﹁一﹂の合園ゼ − 第

1一

闘ーー
右足を大きく一歩踏み出して、闘の様に﹁右前屈立﹂となb、左拳を脇下に引きつけ
る︵手甲が下向きにな’夕、小指が軽く脇に接着する︶と同時に、右拳を前方中段、自
分の鳩尾の高誌に突B出す。拳が極る瞬間に﹁エイ﹂と気 A
口をかける。

一定意
︶|i |突S出す右拳は一旦右脇に引いてから突き出すので、各一長突きのと之ろで
説明しだ要領を十分呑み込んで貰はなくてはいけない。腰を捻b気味にして、上躍が
前のめbにならぬ様に、右肩が前へ出向様に、雨肩をグイと下げて脇下記力が充貸す
る様に、踏出した前足民力が入bすぎ両様に、突いた瞬間丹田に力が充賞する様に|
ーといふとあま hノ註文 が多すぎて何が何だか分ら・なくなるかも知れない 。
尤もである。
最初から共の杢部が註文通b出来ない事は分b切ワてゐる。 一番初めは宏ピ形さへ間
違へなければよい。右と左3 へ取b謹へなければよい。引く手と発出す拳とが一致し
者いでもよい。足と手とバラ /\ に動作してもよい。何向かやる中に出来てくあ 。ゆ
空手入門


空手入門
(
T
J
-

’b
F 、
﹂ が出来て︿る。 3うしたら一つ宛註文を請け入れてゆくがよい。最初から上手に
やらう等と考へるのは押が太すぎる。 先立下手を自党して段々K向上してゆく心掛け
が肝要だ。
﹁ニ﹂の合園て

月3



踏出し完右足を元の位置に引︿正同時に、左右の拳を下して、別意の姿勢にカへる
︵注意︶l| l Zの動作はユツク 9と重々しい方がよい。ユヅク宵ノといふ意味は﹁気を抜
︿﹂と いふ意味ではなく∼むしろ十分に試を配って、との動作の途中に、不意に襲以
Kられても臆戦し特る、だけの気塊を込めてむなくてはいけない。元来宗一
・か − 手 では技の
緩念強弱といふ事を特に喧しく敬へる。拳を突&・ 出すにしても、 拳が腰から敵に向つ
t
て突き出される遮3は決して一様ではない。融の憶に営る瞬間が最も蓮くなくてはい
けない。出来るだけ速くなければい けない 筈の﹁突き﹂さへ速い部分正、それほど遮
くない部分とがなければいけないの、だ。勿論ユツクヲ行ふべき乙の﹁二﹂の動作の中
にも、 自ら多少の稜念がある事を知らねばならない。詳しい事は自分で工夫しながら
やっ て見るがよい。自ら﹁川、ア﹂と 特苫れる所があるであらう。
AWU
﹁三﹂ の合間ゼ ||第四聞ーー
左足を一歩大きく踏出して﹁左前屈立﹂となb乍ら、右拳を右脇下に引っけ、左拳を
前方的尾の位置に突出す。拳の極る瞬間﹁ヤツ﹂と気舎をかける。

えa
空手入門
得手入門


注意︶||﹁一﹂と左右が反針になった Yけで、注意すべき要領は同じである。特に前
屈立の要備については、立ち方の説明を参照してよく呑み込んで頂主党い。
﹁四﹂の合間ゼ
左足をユツク叫ノ元の位置に引3ながら、左右の拳を下して用意の姿勢に還へる。
以上川鼎動で天之形表一本目﹁巾段追突き﹂が終ったのであるが、演武の際はもう一
同繰返して﹁一﹂コこコニ﹂﹁四﹂と練習する 。 そして次の﹁上段追突BLK移る 。
以下すべて同様である。
上段追突き

一 ﹂の 合国ゼ



用意の姿勢から右足を一歩踏出し、﹁右前屈立﹂となると同時に、左拳を左脇下に引き

第墨画


姿

空手入門



空手


つけ、右拳を前方顔面の高さに突志向す。気合をかける事を忘れね様に。
︵注意︶||中段遁突きと異ると乙ろは唯上段を突く鮪が相遣するだけである。上段は
顔而を康く折すが、拳の目標として、自分の顔面の上中︵鼻の下、上層の上部︶の高
誌がよい。特に注意する事は]右拳で前方を突く時は、目前に敵、がゐないとつ以拳が

有に外れて、京一川の・・よあたb︿前に敵がゐたとしだら融のイハ川の止﹂を吹く功か多い V
必ず中央を峨って突かなければ意味を成遣ない。もう一つ初心者の陪b易い敏結は、
上を突かうと思ふと兎角肩が上る事である。肩が上ると脇下に力が抜け、突出した拳
の遁路は曲線を描く様になる。而も乙の形だと肩が前に流れ、上躍が浮き気味になる。
n
if芯 ,







姿

空手入門



.
r
J
:
:
A

空手入門
之れでは敵に十分の打撃は興へられないし、 且つ敵の反撃に謝して甚だ不利になる。
初心者が練習するのには、 ぞとまで考へなくてもよ呂志うに思ふかも知れない、が、武
遣として習ふ以上は終局の担想をチャンと定めて、そ の理想に向って少しづ Lでも近
づ︿様に練習すべきである。
﹁ニ﹂の合国て
右足を引き、左右の拳を下して用意の姿勢に還る l
﹁一ニ﹂の合間ゼ 11第六闘||
左足を大きく一歩踏出し、﹁左前屈立﹂となると同時に、右拳を右脇下に、左拳を上段
めがけて突き出す。拳の極まる瞬間、出来るだけの離却を絞って集令をかける。 以下す
ベて同じ。
﹁四﹂の合園て
左足を元の位置に引くと同時に、左右の拳を下して用意の姿勢に還る。
表の三 中段逆突き


一 ﹂ の合園て
﹁ l第七闘 i|

用意の姿勢から左足を一歩大きく踏出し、同の様に﹁不動立﹂になb、右拳を一旦右脇
l

nn
2


姿

空手入門

ブb

空手入門 一OO
下に引き、左拳を左脇下に引つけると同時に、右拳を前方中段、鳩尾の高志に突き出す。
︵注意︶| 不 動 立 に つ い て は ﹁ 立 与 ﹂ の 項 を 参 照 さ れ た い 。 之 の 逆 突 き は 軍 需
の突事方であるから、そのつもbで十分練習を積む必必要がある。拳を突き出すのと、
左足を踏出すのとは、貴際は随時に出来ない。心持ち足の踏出し方が早︿、左足を進
¥

l
m
1
J

めながら腰を捻って右拳を右脇に引き、左足が地につくと同時に右拳が突出ヨれ



である。突いた瞬間に腰は十分に落ちてゐなければいけない。
もう一つ犬切な事は左足を前に出すのだから、下半身は郵め右方を向くのおが、 上宇
身は正確に前方の散に向つてゐ−なくてはいけない。即ち腹部が十分に捻れてゐる事が
大切だ o随ワて之の逆突きを繰返し/\練習する左腹筋が非常に畿遣する o
但し初心
者が念激にやると横腹が痛んで、宮腹炎等の病気と誤認する事が往冷にして広る。
﹁ニ﹂の合間ゼ
左足を元の位置に引き、左・右の拳を下して用意の姿勢に還る。
﹁=どの合園で ll第八園||
右足を大吉く踏み出し τ ﹁不動立﹂となb、左拳を一日一左脇下に引き、右拳を右脇氏
引くと同時に、 ,
左拳で中段を突く。
︵注意︶1 1雨膝をジヲカ 9曲げる 事、腰を捻る様にして拳を突出す事。
﹁四﹂の合国ゼ右足を元の位置に引くと同時に、左右の拳を下して用意の
姿勢に還る 9



~



空手入門
表の四上段逆突き
﹁一﹂の合国ゼ

左足を一歩大吉く踏み出して不動立となb、右拳を一旦右脇に引言、左拳を左脇に引

用意 第丸底


~

きつけると同時に、右拳,
を前方上段に突出す。
︵注意︶||上段追突Bで注意した通b、肩が上ら凪様、右拳は右脇下から一直線に目
標に向って突出され・なければいけない。
三一﹂の合園て
左足を元の位置に引くと同時に、左右の拳をユヲク 9下して用意の姿勢に還る。
﹁三﹂の合国て
右足を一歩大きく踏出して不動立と・なb、左拳を一旦左脇に引き、右拳を右拳に引き
つけると同時に、左拳で前方上段を突く。


τ
﹁ー四﹂の合園、
右足を元の位置に引言、左右の拳を下して用意の姿勢に還る。
以上四本は﹁突き﹂の基本練習である。との場人骨拳は常に﹁正拳﹂を用ゐる。とれだ
けの形を抱えるのは五分か十分もあれば足bるが、拳に十分の威力を生じる迄には、
敷市内問、数十高岡の反復練習と苦心左が要る事を忘れてはならない。


手 入門

空手入門 −O 内

(D




表の五 下段梯中段突き

﹁一﹂の合園ゼ ||第十一回111
00000
用意の姿勢から、 4mEを一歩退いて不動立とな 、右拳を右脇下に引っけ、・た拳を右
AY
肩前から斜め下に打ち下す。
︿注意︶||敵が下段︵下腹部︶を突いて来だ時の受け方で、 一歩退いて伺合を取与、
融の手をわが左手首で耕めに打梯ふ心持である。打抑ふ際に反動をつけるために、
n一 .どになる様に構へ、共左拳を打下して、極る瞬間にグ
左拳を右肩前に、手甲が下向 b
t


ι



n川

姿

空手入門 一O 五
空手入門
一O 六
イと捻って手甲が上になる様に。そして打下しカ左拳は、左膝頭の上七八寸の位智が
よい。雨肩を下げ、願を引主、阪は前方に敵がゐると般想して、其の眼を見る。上髄は所
回向牢身の構へだが、どちらかと 口ふと十分右拳を腰に引主つけて昔、
向に近い位がよい。


﹁ニ﹂の合国て ||第十 二関l!
左拳を左脇に引つけると同時
に、右拳を前方巾・段に突出す

拳が極まる時十分に試合をかけ

。 以下すべて同じ。

一室
思︶ 111突く時に不動立の下
半身の姿勢を崩さね様に 。突
込−d
の要領は全く中段逆突きと同じ
である。脱が浮上らね様に特記
注意せよ。






一 の合国て
一ー
右足をユツクpと前にす Lめて、元の位置に戻し、左右の拳を下して、用意の姿勢に
還る。
﹁四﹂の合国て i
l
||第十一一一国
空手入門 一O 七
手入門
一O 八
~

左足を一歩後へ引︿と同時に、右拳
第十四圃
で下段排μ、左拳を腰に引きつける。
﹁王﹂の合園ゼ 第十四国||
11
右拳を右脇に引くと同時に集令請共
左拳を中段に突出す。
﹁穴﹂の合国ゼ
左足を元の位置にす Lめ乍ら、左右
の拳を下して用意の姿勢に還る 。
︵注意︶|| ﹁一﹂の受け ξ ﹁二﹂の
ι
突き、及び﹁四﹂の受けと﹁五﹂の突きは、熟練するまでは二暴動にして、正確に十
分力を込めて練習しなければいけないが、元来は受けた瞬間には敵を突いてゐるべき
であるから、割れたら一一撃動として演武するがよい。以下すべて同様である。
表の六 中段腕受、中段突き
﹁一﹂の合国ゼ
用意の姿勢から右足を後へ一歩引いて、不動立民なると閣時に、右拳を右脇に引き 、
E,圃 左拳を右肩前から反動をつけて上岡め様

に、肘を宇ば曲げたま L左肘を中心に闇
弧を描︿様に、中段に向って打排ふ。
︵注意︶||敵が胸部を突いて来る手を、
左手首で横に訂抑ふ心持である。左拳を
右肩前に引いた時は拳甲が上になb、園
弧を描いて敵の手を打抑ふ瞬間に拳甲は
反轄して下向きとなb、揖指つけ根の接
骨の部分で、一敵の手首を排ふ。拳の位置
空手入門 一O 九
空手入門 o
J は一府の高さ −




﹁=ごの合国て右足をユ ヅクリノ正元の位起に準め、左右
の拳乞下して用意の姿勢に還る。
﹁四﹂の合国ぜ 第十七闘ーー 左足を一歩後へ引き、
11
不動立になると同時に左拳を左脇に引きりけ、右拳を
左肩前か右肩前方へ向りて、肘を半ば曲
げたま L打抑ふ。
﹁玉﹂の合国ゼ ﹁一この反卦に行以、﹁六﹂
で用意の姿勢K還る。

第十七圏
表の七中段手刀受、 中段貫き
空手入門
空手入門
﹁−﹂の合国ゼ|事十八開!
用意の姿勢から右足を一歩後へ引いて後届立と
なb、右拳を右脇に引S つけると同時に、左手
を手刀として、右肩前から、肘を半ば曲げたま
,ま、前方に向って打抑ふ。


A 園
j


y



ー手

ば手
の 以 の
と 方 使
指を揃へて伸し、持指を曲げた形で、固に示した線の部分が
乙ろで説明した様民、四・
敵に嘗る。左手を右肩前に引いた時には、手甲は下向きになb、肘を中心として固弧
を描いて段ん咋に速力を加へ、持に敵手に鯛れん’とする寸前クypと反縛して手甲が主
向となる。手万は必ず栂指を曲げる事、何故かといふと往々持指を袖や、一敵手に引.け
第十丸闘



尚昆手入門
空手入門 一
一四
て挫折する事があるからである。後属
立は不動立に似てゐるが醐胞の重心を後
方の足に托する心持で、前方の足は軽
︿地に傭れた程度とする 。詳 し︿は立
ち方の章を参照。手万の要領は讃んそ
字の如く、掌の側面を万の様に使って、
敵の手を斜めに切b落す位の心持で練
習する。指先は肩の高3が正しい。
第二十一圏 ﹁ニ﹂の合園て・||第十九園||
左手を握bしめ乍ら左脇に引きつけると同時に、右手を聞き、貫手として中段を突く。
集合をか ける 。
︵一涯意︶||’貰手は手の使以方の章で説明してある遁b、手万と同じく四指を揃へて仲
し、持析を曲げた形で、共の伸ばした指頭を短万と心得えて、融の水月︵鳩尾︶を突
︿。同の校に掌を左に、手甲をホに向ける。肩を十分に下げ、脇下にグイーと力をスれ

る事を忘れない様記。

=一﹂ の合国ゼ
右足を元の位置に進め、左右の手をユツク 9と下して、用意の姿勢に還る。
ι合閤ゼ
﹁四﹂

左足を引いて後加立となb、左拳を左脇に引きつける正同時に]右手万を以て前方を

打抑ふ 。
﹁玉﹂の合国ゼ 第二十一間ーー
11


右手を握bしめ乍ら右脇に引きつけると同時に、左手を聞いて左貫手とし中段を突く。
﹁穴﹂ の合国て
左足を準めて元の位置に民し、左右の手を下して用意の姿勢に溢る。
表の八 上段手刀腕、上段受
﹁一﹂ の合間ゼ |第二十二悶||
l t
生手入門 一
一五


空手入門

一六
用立の姿勢から右足を一歩後へ引いて不動立となh、右拳を右脇に引きつけると同時

に、左手を手万止して、肘を卒、ば曲げ、肘を中心K岡弧を柿︿様にして、闘の様に限の

高3 K打排ふ。
一涯意︶|| 敵
︵ が上段めがけて突いてくるのを、わが手首で受ける心持で、賞は打抑ふ

l
といふよ は訂ち止めると言った方が気分
λy
第ニ十ニ園
が表はせる。手万受けの様に、切b捨てる
心持ちでは・なぐ、敵の手を受け止めるとい
ふ心持ちである。掌は心持ち前方に向く。
﹁ニ﹂の合国ゼ ||第 一
一十
一一
一闘||
左手を握bしめ乍ら左脇K引きつける左何
時K、右拳で上段を突く。集会をかける。
︵注意︶||左手万で受け止め泥敵の手首
を引倒んで左脇下へ引込むーーといふ心持
ちである。融が腕を逆に取られて位勢の崩れると乙ろをポ拳で融の人中 持下︶を 攻撃
h


するのである。
﹁=一﹂の合国て
右足をす Lめて元の位置此
かへし、左右の拳を下して用
意の姿勢に還る。
﹁四﹂@合国ゼ||第二十四岡||
左足を引いて不動立になb
,,・

左拳を左脇に引 つける同時
bd
’−
,,

に、右手万で上段を 受ける。
’’

, , ﹁玉﹂の合園てll第二十五闘il
d


4


d


右手を握bしめ乍ら右脇に


I
引B つけると同時に、気令も
鐙手入門 一
一七
尚昆手入門 一一八
第ニ十一−一図 第三十四国
ろ共左拳で上段を突く。
﹁六﹂の合国ゼ
左足をす Lめて元の位置K民し、左右の拳を下して用意の姿勢に誕る。
第二十王国
表の九上段揚受、中段突き
﹁一﹂の合国ゼ ー l
l第 二十六悶;
右足を 一歩後へ引き、 不動立になると 同時に、右拳を右脇に引さつ け
、 左拳を附の様
空手入門


空手入門
O
一二
は額上に抑以上げる。 手甲は内側、小指
が上になる。
︵注意︶|敵が上段を 突いて来る手を、
ノと跳ね上げ る心持ちで
下から上へピジ H
受ける 。同に示した黙の部分が、敵の手
に嘗るのである。 郎ち腕受け と反針に尺
骨の側である。 手甲は額に向μ、北ハの向
附五六寸、 上げた拳の下から、一敵を附み
つける心持ち。肘はなるべく立て且つ下
げて、自分の脇腹を保護する 。 乙の回妨げ
受けの要領は身櫨で受けるといふ事が大
切で、 先立手首だけで受けようとすれ
自分と同等以上の貨力のある敵に謝
~ま
しては受け切れない。即ち腕をグイと突S揚げると同時に、慨をサ y’と落して 受ける の
である 。上間は決して後へ反ら自由事、 ろ前へ傾く位がよろしお,
UTU 。
﹁ニ﹂の合国て 1 1第二寸七悶||


左拳を左脇に引きつけると同時”
に、集会諸共右拳で中段を突く。

.,


空手入門








J
"

空手 入
t

第二十八圃 第ニ十九圃
﹁=一﹂の倉薗ゼ 置に民し、左右の手を下して−
右足を進めて元の位・ 用意 の姿勢に還る。
﹁四﹂の合間ゼ ート第二十八闘|| 曲即時に、左拳を左
左足を後へ引いて不動立になる fd
脇に引きつけ、右拳を額上記揚げ受ける。
﹁王﹂の合圃ゼ 1
1第一
一オ歯
レ l
右拳を右脇に引きつけると同時に、集会もλ共左拳を中段K
突出す。
﹁六﹂の合圏、τ 用意の姿勢に還る。
表の十上段打込、中段突
第三

一−一
+−園



空手入門

盆手入間
﹁一﹂の合圏ゼ

活 P装勢− 炉ら右足を h
へ引・
一歩後’ いて、不動
事民主’ O、
J 有拳を右脇
に引きつける?と同時
に、・五一拳,
主頭上高く振
b上げぎま、目.の前へ
L斜めに打ち一
ゎ、 下す。
︵注意︶l 振 あげた



拳は手 申 が 内 側 民 向
3、振 下して樋る瞬


、 クw
問 ypと反樽して


第三 十 二圏 第三十三園
手甲は外側に向ふ。拳の高さは国の前一尺四五寸、や− K見下す位。散が上段を突いてく
る手を、 鍛槌或は手首で打ち折る様な心持ちで、上方からや L斜めに打ち下す。随って
拳の位置は巾段腕受けの揚令よbも、や 、
弘前に流れるのが北口遁である。
﹁ニ﹂の合園て 1
1
||第三十一周
怨手入 門 一二五
府貸手 γ事
、六


左拳を左脇に引凸つけると同時に、試合諦共、右拳で巾段を突く。
﹁三﹂の合国ゼ
.右足を準めて元の位置に民し、左右の拳を下して用意の姿勢に還る。
﹁四﹂の合国ゼ
左足を一歩引言、不動立になると 同時に左拳を左脇に引S つけ、右拳を高く振b上げ

ざま目の前へ斜めに打ち下す。

﹁五﹂の合園ゼ
右拳を右脇に引S つけると同時に、左拳で中段を突く O牟
試合をかける。
﹁穴﹂の合国ゼ
左足をす Lめて元の位置に民し、左右り手を下して用意の姿勢に還る。
rp の競令て左足、右足の順に引いて気を付けの姿勢をとえ

﹁躍﹂の競令ゼ 紳前に一躍して、演武を終了する 。
設j
天j



第六章






i
j

j
j

演武上の注意
天之形裏六本は、表十本の最,
初の 内木、︵印ち基本突当︶を除いだ建bの六本を、二人
相艶して賞際に攻防の練習をする様作組んだもので、盆手道に於て﹁縄手﹂と呼ばれる
ものである事は、前章にも述べた遁bである 。
とLK説明するのは、圏に向って左方が実手となb、向って右が喪手となってゐるが、
練習の際には交互に突手、受手と更替するがよい。

突手は心ず下段梯ひの姿勢立構へ、突く時は遁ひ突きである。
受手は衰の五本目以下十本目’蕃の形をそのま、弘前武すればよいのであ売。特に、表に
a コツを曾相伴されたい 。
於て説明してゐる注意のと乙るをよく読んで其 の
突手は突主込んだ‘
瞬間比﹁且々﹂と集会をかける@受手は之を受けてぺ
反撃すると同時
空手久門


空手入門 一二八
に﹁ヤツ﹂と策、人廿か u
りる οE
香容は丹田延十分力を込めて、一献を問殺する気仙叫がなくては
いけない。受予の﹁受け﹂ム﹂﹁突き﹂と峰、最初一一場動で練習するが、熟練したら一揖
動と 1て.受けるや否や、間髪を森れず、突かなくてはいけない。
。量豊一一

m一 一
一一勢号径の芯
ム一方 仕

車誌の 下段抑、 中段突き


﹁躍﹂
演武を開始する

第4

前一同一柳前に一躍
T
し、突に突手、受

口つ
手の雨者向 U A
(閣のへ構)

て互に一櫨する。
雨者の間隔は凡そ
一間位。
﹁用意﹂の競令から

ー引続き機へとなりl

↓園
突手︵向って左︶は
内﹂手入門 一
一一

空手入門 一三O

左足を一歩踏出して左前届立となb、左拳は下段排、右拳は右脇に構へ、 相手の眼を
見る 。
憂手︵向って右︶八字立の姿勢、帥ち表の形に於ける用意の姿勢で、同じく散の眼を見
る。勿論いつ飛
第小

か Lられても防
げるだけの心構
l
l
I

が出来てゐなく
てはいけない 。
﹁一﹂の合国ゼ
突手 ﹁ェイ﹂と気
中薗 四 第

会諸共右足を踏
出し、左拳を左
脇に引つけると同時に右拳で下段︵帯の下 ︶を突 く c
受手 右足を後へ引き、左拳下段抑で敵の手首を打排日・
J右拳を右脇に引きつける。
﹁ニ﹂の合園ゼ ー 生四闘||
実手 そのま L動かず、限は相手の限に注仁。
受手 右左を左脇下に引くと同時に、気 A口諸共ホ 拳で 中段を突く。
﹁三﹂の合園ゼ
000000
実手 右足を引いて用意の姿勢、郎ち八字立の 姿勢 に戻る 0
000000
右足を準めで用意の姿勢に戻る。乏の時雨者の間隔は三尺位。以上は右拳突S の

練習である。
﹁用意﹂の競令て
0000 0
実手 左足を引言、右前屈立となb、左拳を左脇に、右拳下段抑以の姿勢。

畏 手 そ の ま L動かず。
﹁一﹂の合 圏
、 τ ll
ーム婦五闘


"
'






、.

第五園







4
‘’

突亭 ﹁ェイ﹂と集会諸共左 足を踏出し、左拳で下段を突く。
受手左足を後へ引き、右拳で下段排μ、左拳を左脇に引B つける。

ニ ﹂ の合園て l
l第六闘
ー l
実 手 そ の ま L動かず。
受手右拳を右脇に引くと同時に、気合諸共左拳で中段を突く。
﹁三﹂の合園ゼ ・
000
左足を元の位撞ば引き乍ら、ユツク 9左右の 拳を下して用意の姿勢に反る。
手 .手
受突

左足を進めて、用意@奪勢に反る。

注意︶ 111
前の﹁一﹂から﹁一一こまでは右拳で突く練習、後の﹁一﹂から コニ﹂まで
は左拳で突く練習、つまb表の形の遁bを行ったのである 。突B手は費際に相手の胸
に時間てる位の集塊をもりて、十分に踏出して拳を突S出3ぬと、却って受手が受け難
い。叉突手はカ ξ へ相手に手首を 抑はれても、ピクともしないだけの力を込めて突く
線習をする がよい。 一寸手首を梯はれたむけで、身抽聞がヒヨロつく様主事では仕方が
ない μ
・愛一手は主んなに力を込めて突かれても、 心ず排以飛・
ばすといふ向信をもって梯
よ事。

I
次に突芋が受手とな bd受革主突、手となりて更に反復練習する。以下すべて同





空手入門






空宇入門

車究の二 中段腕受、 中段突き


意﹂の競令ゼ
一寸

左 手 用

ね 拳を左 脇下に構へ、
︵向って左︶用意の姿勢から、右足を引言、左前屈立とな hノ

伊』

拳下段抑以の姿勢。
向って右 ︶用意の 姿勢のま L動かず。
受手 ︵
﹁一﹂の 合国て
左拳を左脇下に
突手 右足を大きく踏出し、集合も九共、右拳で中段を突︿ L﹂同時に、
引っける。
同時に、 左拳で敵の
右足を後へ引いて不動立となb、右拳を右脇下K引りける冒と


首を外側へ打梯ふ。

i

L の合圏、て | 第八開
l


第八圃



実 手 そ の ま − L動かず 。

左拳を左脇下に引つけると同時に、集会もろ洪右舎で中段を突く 。

﹁戸時一﹂の合園て
空 手



¥
ご1
;

空手入門
第九園 第十圏
突手 右足を後へ戻して元の位置に復しながら、左右の拳も下して用意の姿勢に還パ。
霊手 右足を進めて元の位置に艮b乍ら、左右の拳を下して用意の姿勢に還る。
以kはお業の練習、次に、
﹁用意﹂の競舎で
実手 左足を引き\右前府立となる、左拳を左脇下に構へ、右拳下段排の姿勢となる 。
受 手 用 憶 の 姿 勢 の ま L動かず。

﹁一﹂の合間ゼ
突手左足を踏出し、集合もろ共左拳で中段を突く。
受手左足を一歩後へ引主、右腕で敵の手首を外側へ打抑ふ。
﹁ニ﹂の合間て

求手 そのま L動かず 。
受手 右拳を右脇下に引りけると同時に、左一で中段突き、集入管をかける。
− J
﹁三﹂の合国て
実手 左足を引いて用意の姿勢にかへる。
受手 左足を進めて用意の姿勢K かへる.

以上は左業の練習、次に突手と受手ーと交替して繰返し練習する b
空手入門 −g セ
空手入門 一
一一
一八
第十−圏 第十二国
古一試の 中段手万受、中段貫き
﹁用意﹂の競令ゼ
実手 用意の姿勢から右足を一歩後へ引色、左前屈立、下段抑の構へ。
琵 手 用 立 の 姿 勢 の ま L動かず。
﹁一﹂の合国て | | 警 t一間ーーー
e恭に右拳で中段を突く。同時に左拳を左脇下に。
突 宇 治 足 を 大 き く 踏 出 し 、 試 令1
琵手右足を後へ引いて後府立と・な台、右拳を右脇下に引くと同時に、左手万で内から
外側へ印ろてや L耕めに 時の羊背を切桃ふ。
J
﹁=﹂ の合菌ゼ ||第十?両lt
突手 そのま− L動かず。
受手 左手を握bしめ乍ら左脇下に引くと同時に、右拳を開いて問指を揃へて仲し、貰
手で敵の中段を貫く。
﹁一−一﹂の合国ゼ
突手右足を引いだ用意の姿勢民民る。
受 手 右 足 を 進 め て 用 意 の 姿 勢K民る。以上は右業の練習、
空手入門 一


4


匹l

盆手入門
0

第十三一腿 第十四国
b九、ア﹄、
−dJ3−−b
﹁用意﹂の競令ゼ
実 手 左 足 を 一歩後へ引車、れれ前MF段州ひの砕へとなる。
受手 用意の姿勢のま L動かず。
﹁ ご の 合 圏 ゼ | 業 主 面ll
左足を大きく踏出すと同時代、右拳を右脇下記引き、左拳で中段を突く。

左足を一歩後へ引いて後届立となb、左拳を左脇下に引きつ け ると同時に、右
を聞いて手万とし、敵の手首を内側よb外側に向りてや L掛めに切抑品。
﹁ニ﹂の合圏ゼ ||第寸四国ll
突手 そのま L動かず。
畏手 右手を撞bしめ乍ら、右脇下記引き︺
ツけると同時に、左拳を聞いて貫手とし、・中
段を貫︿。集合かける@
﹁一エ﹂の合国ゼ
左足を引いて用意。姿勢に戻る。

受手左足を進めて用意の姿勢に戻る。
以上左業の練習、次に突手、と受手と交替して繰返し練習する。
空手入門


空手入門
l
L
P

裏の四上段手刀例、上段突き

第十五回 ・ 第十六園
﹁用意﹂の競令て
突 手 右 足 を 後 へ 引き、左前屈、下段 抑 の構へとなる。
受手
.


合意

¥
の用
園の


ゼ 、姿

ll第寸主闘||
Lー
一寸

突手 右足を大喝さく踏出し、左拳を左脇下に引くと同時K右拳で上段を突く。気合をか・
ける。
受手 右足を後へ引いて不動立となb、右拳を右脇下に引くと同時に、左手万で敵の手
首を受ける。
三一﹂の合圏ゼ ||第十六悶111
突 手 そ の ま L動かず。
左手で敵の手首を引摘んで、グイと捻’P一一汎味に手許へ引寄せながら、試令もろ共

京拳で上段を突く。
﹁三﹂の合圃ゼ
寒芋右足を引い・て元の位置に畏b、用意の姿勢にかへる。
空手入門


・1
f
f
1
J

鐙手入門
i
"

第 十 セ‘
園 第十八圏
受手 に艮b、敵。手を放して用意の姿勢にかへる。
右足を準めて元の位置、
以上右業の練習、次に、

﹁ 意
d Lの競令ゼ
突手左足を後へ引き、右前屈、下段抑以の構へとなる。
受 手 用 意 の 姿 勢 の ま L動かず。

一﹂の合国ゼ ||第十七脳!l
実手 左足を大きく踏出し、右拳を右脇下に引くと同時に、集合諸共左拳で上段を突く 。
i
受手 左足を後へ引いて不動立となb、左拳を左脇下に引つけるみ﹂同時に、右手万を以
て敵の手首を受ける 。
﹁ニ L の合国ゼ
突 手 そ の ま L動かず 。
受手 右手 で敵の左手 首を引掴み、グイと捻b気味に手許へ引寄せぎま、左拳を以て上
段を突く。集合をかける 。
﹁三﹂の合園て
︷先手 左足を引いて用意の姿勢に民る。
受手 左足を進め、散の手を放して用意の姿勢に戻る 。以上左業の練習 。
空手入門



金手入門 一四ベ
裏の五上段揚受、中段突き
﹁用意﹂の競令て
第十九園 第二十園
突手 用意の姿勢から右足を引き、左前屈立となb、右拳を右腰下に、左拳下段排叫に
構へる。

..,
受 手 用 意 の 姿 勢 の ま L動かず。
﹁一﹂の合園て l第寸九岡||

'

右足を踏出し、気 ハ
λ 円もろ共右拳で上段を突く。
*
'

~

畏手 右足を後へ引いて不動立となb、右拳を右脇下に引きつけると同時に、左拳の手・
首で融の手を弾B あげる。
﹁ニ﹂の合園ゼ ||第二十回||
実手 ヲぞのま L動かず。
受手左拳を左脇下に引くと同時に、朱令もろ共右拳で中段を突く。


ニ﹂ の合国ゼ
実手右足を引いて用意の姿勢民民る。


受手 を





m 足

姿
’進
入め

一四七


aF
空手入門 一凶八
z

− B 第ニ十ニ薗


以上は右業の練習、次に
..

﹁用意﹂の合園ゼ
喪 手 左 足 を 後 へ 引S、右前届、下段挽の檎へ@
受 手 そ の ま L動かず。
﹁一 ﹂の合園ゼ
l
||第二十一岡||
実手 左足を踏出し、気八件諸共左拳で上段を突く。
。事

左足を引き、左拳を左脇下に引くと同時に、右拳の手首で敵の手を上へ弾きあげ

﹁ニ﹂の合国て ーl常二士一悶||
突 手 そ の ま L動かず。
受手右拳を右脇下に引くと同時に、集会諸共左拳で中段を突く。
J−一﹂・の合国ゼ
突手 左足を引いて用意の姿勢に反る。
受手 た足を進めて、用意の姿勢に反る 。
以上は左業の練習 。次いで突手と受手を交替して練習を繰返す。
空手入門 一四九
、 一五O
袋 手入門
車買の六 上段打、込、中段突き


-
-
』・,.•
第ニ十三園 第三十四国
﹁用意﹂の競令ゼ
突手 用意の姿勢から右足を後へ引いて左前加立、下段排の構へとなる。
受 手 そ の ま L動かず 。
﹁一﹂の合圏て

突手 右足を一歩踏出し、試合もろ共布拳で上段を突く。左拳は左脇下にとる。
受手 右足を引いて不動立と・なb、右拳を右脇下に引くと同時に、左拳を振、,pあげざま、
ハの銑槌又は手首で散の腕を上 から斜め下に向って打も辞す。
AA
っニ﹂の合間て iー第二十凶悶||
突 手 そ の ま − L動かず。 .
受手 左拳を左脇下に引くと同時に、一一浪人骨もろ共有拳で巾・段を突く。

a
﹁ ニ﹂の合間ゼ
突手右足を引いて用意の姿勢にかへる。
蚤手右足を進めて用意の姿勢にかへる 3
﹁用意﹂の競令ゼ
空手 入門



空手 入門 一五
第コ十五図
左足 を引き ︶右前屈立 となb、左拳を左脇下に、右拳下段抑の構 へと なる。


畏手 そ のま L動かず

﹁一﹂ の合国ゼ ll第二十五闘||
実 手 左 足 を 踏 出 し 、 集 会 もλ一尖た拳 上で段を突く。
受 手 左 足 を 引 号 、 左拳を左脇下記引く L同一時民、右拳を高く振bあげ
e
ぎま、共のが一

或は手首にで敵の手首を上 から刻 め〆に向 って 打辞す c
っニ﹂の合図ゼ 11
第一 Ea −−
突手 ぞのま L動かず、
右拳を右脇下に引 く
g

と同時に、集人作詩共た拳で中段− 人︿
q 。

i
Jも
,



﹁三﹂の合国て
突手左足を引いて用意の姿勢い店長る。
受手左足を準めて用意の姿勢に戻る。
次 いで突手、と受手と交替して紋返し練習する。
︵注意︶ーー と Lでは最後の上段打込巾段受の時に限 h、先づ古本で受けてか拳で攻
’ 刊
して ゐるが、とれはすべて﹁内受け﹂といって、敵の内側から外側凶作向って般の手配
抑以 退け る鶏 に斯くし たのであるが、勿論表の十本目と同様に先づ右足を引吉、−
K手
空手 入 門


8一 手 入 門 一茸凶
で打込み、右拳で攻撃す急事も出来る帯守、さうしてもよい。但し弗り時は裏の六本
目。たけが﹁外受け﹂卸ち敵の手を外側から内側へ向づて打ち抑ふ事になるコ
﹁躍﹂
突手、受手再び一聞の間隔に劃立して相瓦収躍を交し、雨者揃ワて神前に一躍して

武を終了する。
銭 話 安 里 、 糸洲、 松村先生の思ひ出
﹁若い者はみんな集れ、股様のお召しだぞ﹂
安里村の世話役をしてゐる年寄bが鮒れ歩︿ O滅多に無い事だ。領主の安里安一伺先生
が何か念に思ひ立たれて、村の若者を非常召集当れだのである。
グロ/トと集まって来た。何しろ領主の安里先生は近世に隻ぴ無い武人で、棒術に創
術に馬術に、行くとして可ならぎるはなく、殊に宰手にかけては名人と一識はれた糸洲先
生3 へ一目おいてゐる程の大名人なので、上の好む所、下之に倣合、村の若者連も自
然に武を好んで、毎晩仕事、が梼むと農場けい集つては相撲をとる。力石の持ち較べをやる、
棒を振廻すといふ有様、勢以徐って往々腕自慢の衝突があh、果し合以があ hy
、その場
数を踏むのを自慢とする若者達も砂くなかった。従って皆筋骨は隆々として天晴れ物の
役に立ち主うな頼もしい連中ばかb、それがズラ 村役場の農場記居並ぶ。なか/\
PLL
空手入門 一五五
空手入−門 一五中山
見事な景色である。
﹁もう大方集bまして御座bます﹂
世話人の聾に感じて悠然と立ち出 たの は安市.先生、山怒れば虎も惰伏す乃限民、 今 月 は
機嫌のい L笑みを湛へて、
﹁ヤア御苦勢/\、 乙れでみんな集ったかな。 さあ呂、遠むなく前へ出てくれ 今円は
お前遣に言って置S だい事、があるのだ 0・一人でも仙附けてゐては悶るが、爽・ない背は無い
h
r・
な﹂
と言以な、がら、ズ 1 ヅと若者廷 の訴か見減 してれたが、
﹁乙れはいかん。 来ない者、がゐるらしいどし誰かな﹂
﹁へイ、 とれで動ける者はみんなで御座bます。 あみ﹂金城の次郎が、身慌の工作が広い
ム﹂言って寝込んで居b全すだけで L
﹁それを呼べ 。是非呼んで来い 。動け・なければ俺の駕龍を持って行って載せて来て く

L

そとで若者の中から二人選ばれて、駕能を昇いで無型矢理に蓮れ出志れて来党のは次
郎と呼ばれる若者、だっ党。駕寵からヨソ/\曹と這日出し党鹿を見るを、固抜けて逗しい
頑丈な身鰹つ主の落者、だが、頭記白布を巻いて如桐にも情然として居b、連れて旅先若
者達、が手停って 、助け起草うとして右手の二の腕を掴む L
e



﹁イ夕、、、 一
樹九んでくれ、そ乙も痛いのだ﹂
を悲鳴 をあ げる。
安里先生は之の様子主ニコ/\笑って眺めてゐたが、
﹁・次郎、昨晩の元試はど之へ行つカのだ L
﹁ぁッし・
年次郎は目を陛つ向 。あの識だ。聞き凪唱えのある、一りだい力強い聾だ。肢の底まで掛み
透ったあの斡だ 。


﹁ャ、先生、でし・・・・たか・一・・・﹂
﹁痛Uかな o少し薬が利己過ぎたかも知れんが。だがな・次郎、叩かれて痛いのはお前ば

会 手入門 一五八
か bJでは無いぞ。人のf も知らねばいけない 。あれが俺だったからい Lが、もし名洲
− 、ν
先生の採な方だったら、お前片輸に在ってし ま ふぞ 。何時ぞや、糸洲先生を袋った酔漢
が、先生日雨手を捌み潰3れた話を知ってゐるであうが 。松並木に試し突・3をする奴が
出る詐剣は聞いてゐたが、それであの道は日が暮れると誰も通ら−なくなった相な 。武を
練るのは人を倒す魚では・ない 。己れをよbよくする品川なのだ。皆もよく聞け、心得蓮ひ
は・次郎ばかbではないらしいが、血試の勇に逸るのは武人の恥とする所だ 。腕を鯨るよ
p
’まづ心を練れ﹂
懇伊
2 と諭して聞かせる先住の限には慈吋の優し誌と、般父のい d
rvu
dがあった 。
共の後、安里村の若者逮の組恭な行 以はピタ 9と止んだと言ふ。
私は安里先生の御長男と一絡 に、糸洲先生の許に遜って空手の教授を受けた。 塁手の
稽・宵が公に遣れなかった頃の時とて、毎朝眠い中に起3 て 一里僚の道を徒歩で先生の御
宅へ行吉、稽+けして締って来るのが、普通の人の起床 の頃であった 。かうして日冷精瑚
するとと十年間で、先生の最も得意正3れた銭騎の形を初段から三段まで授けられ売の
だった 。卸ち草に史えるだけ−ならば、二三十分で事足bる程の形を一つを習ふのに、三
年余を貸した静だ。古人の授受の巌格・なる事は賀に斯の如与ものであった。先生もよく
言はれた 。
﹁最も楽に出来る形は鍛騎だ。然し、最も難しい形も鍛騎だ﹂
先生はだ三力量抜群といふのみでなく、接手遣に於ては天来の才を持たれてゐた。﹁卒
安﹂と呼ばれる五種の形は、賀民先生の創始当れたものだと言はれてゐる 。
安里先生が﹁人の手足は創と思へ﹂と言はれたの記艶し、糸洲先生は﹁人が突いて来
・ ても、痛くなければい Lではないか﹂と言はれ花。寅際先生の身慨は大醐胞の人の拳では
何とも戚じられなかっだらしい。酒な左傾け党後で、若者逮に向って時々、
﹁?ア俺は乙 L Kジヅとしてゐるから、何慮からでもい L突いて凡い。 但し鼻の顕だけ
は突いてくれるなよ。之ればかbはカの入れ様が無いで・な、ア川、、、﹂
ル﹂言つては笑はれ花。夜道・など古れる時には、長い御自慢の願山控訴を懐中へ戒って歩かれ
空手入門 一五九
柏町出手入門 一一ハ O


﹁出羽を摘んで引張られると、チト困るでの﹂
とんな冗静を言。ては笑はれ古事もあった。
れた
とれ耗の力と、持力を持克れ先先生であったが、技は絶えデ銀肝− wd J
共の拳 威


力には流石の安里先生をも驚嘆詰せ党事があっ花 。
乙安虫先生とが揃って或人を訪問し・光。ととろが門には
何時の頃だっ允か、糸洲先生 L
門が下しであって閃かない。留守かと思ふと、家の中では一如b k酒宴でもして騒いてゐ
るらしい斜配である。 いくら叩いても案内を乞うても、てんで問えさうにもない 。
﹁糸洲当ん﹀乙れでは仕方、がない 。締らうかな﹂
﹁まあお待ちな・添い。私が門を開けませう﹂
は板塀の門に遅いん﹂乙ろに見常をつけて、拳尖一
酒機嫌でもあっ允ものか、糸洲先岸一
般下、﹁ヤヅ﹂と気入管諸共、正味、
七分はあらうと思はれる板塀にスポリノと拳大の穴をあけて
しまった。その穴から手を捕、込んで門を外し、維な・ ・
門主開く事が出来た。
﹁糸洲さんの拳は凄いぞ﹂
安里先生も徐科戚心され克と見えて、私達によく乙の話を聞か3れ充ものであづ花 。
窓まずに於いて古今の名人と体へられてゐる僚村先生が、上原茶といふ建人と仕ム回して、一手も交ヘずして勝った
といふ話がある u多少体説的の匂ひもするが話して聞かせよう。
﹁貴方は松村先生ぢや御座いませんか﹂
煙管の彫刻を依頼に来た年若い官人風の偉丈夫に、彫金師の上原が間以かけだ。主人
の上原は四十の坂をニツ三ツ越え克かと思ふ位の、今が脂の乗h切っ花盛bの牟頃。婦
m什が張b、蒋を剃つ允跡が青々として、牛の頚Kも劣らね様な還まし
ら顔で眉高︿、 M
い首筋と、着物にかくれてはゐるが、グリノ ︿
P

B 動く筋肉 が着物を通して分る位によく

府、胸、腕の太遣、還し30 そのくせ眼元は小児の様にや当しく、限況に
稜達し切っ克 一
鍛さへよせて、仕事揚の 宰 の上に坐り完全、\ ニヅヨ y笑って客を見上げてゐる 。間以
空手入門

8一 手 入 門

、 」,

かけられだ青年は、まだ二十七八か、三十にはなっておまいと思はれる。限先は畑 ι
qと
して人の心を射抜く様な銃誌をもってゐる。丈はあくまで向く、五尺八九寸もあらう
か、肥満してゐるといふ方ではないが、長身の中に測h知れね気的加を桜らせてゐるとい
ふ風だが、何故か顔色ず戸、れず、や L蒼ざめてゐて為而も頬のあだ bには一抹の影高へ
3してやっれを見せてゐる。風辛から推して、然るべき位置にある人と思はれる。名を
問はれると、むづかし3うな顔に、 一寸眉をよせて、
﹁サム、松村は俺だが・・・・﹂
と相手の意を採る様に、例の鋭い眼でジツと主人の顔を見据ゑる。主人は共の鵡線を避
ける様に、渡出れ党煙管を受取ると、それをク Y/\と掌の中で廻して調べながら、
﹁矢ツ張b先生でし充か。寅な先生にお自に懸る機舎がありたら、 一度昼手の御指南 ν
受け古いと思以ました﹂
﹁折角だが、俺ほ忠一手の指南はして居らん﹂
にぺ
松村先生の答は躍もない。が主人はその位の事で引退bさうにもない。
﹁指南はして居らんと仰言いますが、関主に空手の御指南をして居られるのは一時誰方
ですか 。先生枚布名一な、又立派な指南は二人と御座いそせんぜ﹂

一本参つ光かーーと言はねばかbの顔付で、悪戯ヨうな目t yと容を凡る。松村
ニヤ
先生は不機嫌遣うに、
﹁関主に御折南巾上げてはゐ充が、他の者には指南せねのだ。イャ、共の問主への御指
南・も、もう止めた。第一空手そのものがもう厭になっ完﹂
﹁へエ 1、それは.
叉妙な事を伺ひますが、侍従武官筆頭の先生、が、岡主御気に入bの松
村先生ともあらう方が、何故空手が厭に・なられまし花。それでは御役目が勤まbますま
ν、
..


も ζJ m
御役目は勤せらんでもい Lのだ。 いや、なまじ安手など御指南− 上げ党ので、御
役Hが劫まらん事ーなつ党のだ﹂
﹁いよ/\話が分らなくなbましたな。先生が御指南なさらなかっ光ら、 一様誰方が御
指南なさいます。問主の御側の衆で 失聴乍ら悶主の御相手の出来る安力を御持ちの方
手 一六


i



空手入門 一六附
一人も居bますまい﹂

l

﹁だから俺が御相手を仰せつかるの.た。が、まだ/\凶主の御技は熟してはゐられ向。

もう一息御接盆にならね.ば駄目だ。負けて差上げるのは何でもないが、それでは却って
御潟によくない。わざ左挺して、そんな事で生草花人聞が突けますかと申上げ允ら、真

剣にお怒b になって、真向から二段蹴b K来られ究。鋭い蹴bだっ花。だが己れよh上


手の者に向ってイキナy 二段蹴bk出るとはまだ御修業が足らね。ミれではいかえ、乙
れを機合に十分懲らして差上げようと思つ党。窓手の仕入句は異剣勝負なのだ。仕損んじ
党らもう一番llそんな来持ちでは蒋市にならね。相手を仕留め損じ究ら、自分の命は
無いものと覚悟すべきだ。問主の御蒋肯にはその御覚悟が無い。 一つ仕損じ允らとんな
自民泊ふーーといふ事をジミム\味はせて差上げようと思つだ。、だから打つ允のだ。上
段目がけて飛んで来る御足を思 U切b手刀で打つだ。緩いて蹴って来られ克二の足を、
,.

腕受で引かけて排ひ飛ばした。 お・身櫨が横倒しに地に落ちようとすると之ろを、思ふ存
分館賞bした。ケジ飛ばれ党ょ。三四問も。
﹁ぞれは又手官少なお稽・十 hpJh ど
v いましたな。それで閥、王は御怪我を怠志 いませんでし 党





3れた。御肩を打.
﹁ って、その上、お手を痛められた。手万で打つ光御足が限れた。持い
くはお起告になれね建だっ克ゴ
﹁イヤ il−−−−それは大瀧な事をな注いまし究な。お符めは・・・・し
﹁あっ交とも。大あbだ。追って沙汰ある全で出仕完投へよ の御法しだ﹂
LC
﹁成る程、 3うでせうな、しかしその内に御宥免の御沙放が御座いませう﹂
﹁無からうよ、多分。お怒bが飴程烈しい様だ。もう百円からになるのに、何の御沙状
もたいのだ 。州問れ聞くと之ろによると、松村は僅かの技捕に慢山してゐると仰せられ有
とか。所詮仰宥免はあるまい。益手・など御指市巾上げなけれV よかο党
。 いゐ盆才一なF
制円はなければよかり克正当へ後悔してゐる﹂
﹁御試の小さい事を一吉岡はれますな。怒って世帯すも一生、笑って落すも一生です。 Y﹂うで

、 一
円 ↑一現時しに一手御指南願はれませねか﹂
J
由記手入門 −六五

。手入門




ー」

﹁折市はせね。第一お前も盆子上原と立はれて、人に知られた武士ではないか。何り必
要がありて指南を受けようーとするのか﹂
﹁別に必要は御座いませねが、 に聞く先生の御指南ぷbが拝見し花いた存じまして﹂


身分の違以で言葉乙そ鄭重ではあるが、官時那覇、首里を通じて武勇絶倫と一汗はれだ
生手上原の眼には、図主の武術指南役として、常b前・なら手合せする事など殆ど不可能
な松村先生の手の内を、 一度見たいと言ふ後輩に劃する様な 下し党色が読まれ花。激
HA
しれ剥い青年松村は、その様子を見て取るとキツとなっ花。
﹁少しくどい様だな。空手の指南はせぬと言うてゐるのだ﹂
﹁ ρ、ァ、御指南下志いませねか。それではもし仕令を御願ひ致しましたら、如何で御

座いませう

仕 AHとな一、乙の俺に仕 A口を申込むのかい﹂
﹁左様で、御座います。武道 KAH
賎の差別は御座いませねし、只今丁度l |左申しまして
は相桝みませぬが、先生も凶主側近の御役を解かれてゐられる時ゆゑ、特に問主の御許
可を受けられる事も要bますまい。私なら足が腫れる様な蹴b方も致しませねし、手を
痛める様な樽ぴ方もせね積bで御座います。共の結は御安心下3 いませ﹂

・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・﹂
﹁御一一滅が向きませぬかな。私の技は手荒くは御座いませぬで、先生にも決して御怪我は
させませね﹂
﹁上原。お前、がどれ程の達人か知れぬが、少し言葉が過ぎはせんか。怪我,をする、しな
い等は問題ではない。武道の仕入管なら、生命を落しても文句は言へね筈充、が、共の覚悟
は出来てゐるか﹂
﹁み一く仰せの通bで御座います。私にはチャンと畳悟が出来て居 b ますが、先生には

L

﹁よし、望み通h仕 A官
、どし てやらう。勝敗は固よ リ
λ 漁測出来んが、雨虎が闘へば一虎は
傷つ喜一虎は死すると言ふ。勝つにせよ負けるにせよ、満足な身健で帰れるとは思ふ
な。場所と日時は、お前に任せる﹂
向山手入門 一六七
空手入門 一六八
﹁ミれは早速り御閉店け、御峰ぅ−m・
上 げ三も御座い、ません。モれでは御言葉に廿へまし
て、円時は明日の午前五時、場所は玉 うどんの前令武御殿の御墓地と極め当せて頂3 ま

しー

松村先・生が蹄つ定後、上原はポヅ/\ーと仕事場を片附け始めだ。
︵まだ若いが、なか/\出来るらしい。 Y﹂の位の技を持ってゐるのかな。噂では大し花
ものらしいが、凶主 に向って 九れ程 の稽・討をゲけるととろを見ると、飴粍気象の荒い人
村凡なむ誘ひの手で鈎って見るかな Y イヤ/\誘以に来って来ろ程の未熟者でもあるま
一一階の之と機先を制L て頭から押へてか Lるに限rな。どれ一つ肩の凝bでもほ円、、

すとするか︶
そ乙らを片附け終るとノゾ/\と外へ出て、振b返って屋根の庇を眺めてゐ党が、ト
と地を蹴ると身軽に飛上って、庇に並んだ垂木の一本を雨手の指先でグイム﹂引掛ん
VJ
で、まるで機械耀操の様な形にプラ下づ花。そして身慨に反動をつけると、何の苦もな
︿片手を慨して 次の 垂木を摘み、 その反動で又・次の垂水へ ーー といふ様氏、訟が木の校
.
を渡ってゆく様に、ス /\と垂木を停って家の周囲を一・問、一一問、三岡と廻ってゆく。
wy
昼は薄暗くなって、編隔が飛ぴ始め花。
草の葉に溜つ充朝霞に裾を濡らし乍ら、快よい朝の空気を胸一ばい政ひながら、令武
御殿の墓地へつ立︿坂遣 を登っ てゆく男がゐる。空手上原と言はれた彫金師である 。


だ日の出までには少し聞があるらしく、墓地のあたbは薄暗い。
﹁まだ四時過ぎたばかbかな。先生が見える迄には多少聞があらう。 一服して気を落。
けて置ベか﹂
辿b ついた墓地の庚揚、 EZか腰を下すと乙ろは! ! と見廻すと、薄暗い木立の蔭に
遮られで一寸試がつかなかったが、草地の中の扮石に腰かけて、ジヅと此方を見掛ゑて
ゐる人影がある。
﹁ォャ、松村先生ですか﹂
﹁左様だ。早かったな﹂
空手入門 一六九
一七戸
空手入門
を雨手を地について平伏して仕舞った。
﹁ホ、ヅ、参ったといふのか。空手上原とも言はれるお前が!﹂
﹁み一く恐れ入bまし党。仕ム官なELは飛んでもない話でした。 りくん\円分の未熟誌を
悟bましだ o−塁手上原なEL言はれていL気になってゐだのは商目無い次第です﹂
﹁いや/\苫ラで−ない。流石に上原、お前の気塊とい仏、技と言以、天晴れなものだ。
ないかも知れん﹂
術を以て守へば、まだ/\俺はお前に及ば−
﹁何故でせうか、私は手も足も出ませんでした。先生の限が恐ろしくて、顔が恐ろしく
て、韓が恐ろしくして、全く敵意者ELいふものがケジ飛んで仕舞ひましたが﹂
﹁さうかも知れん。お前は乙の勝負に勝たうと思ってゐだ。俺は道を幾しんで死なうと
思ってゐた。先立それだけの相違だ。昨日、お前に仕舎を申込まれる迄は、いろ/\煩
悶してむたのだ。俺の境遇についてだ。 お前と仕合すると定めてから、その煩悶がアヅ
ル﹂消えて無くなっ党。今まであまb物事に執著し過ぎてゐ力事に試がついたのだ。昼手
の技に執著した。昼手の指南に執著した。問主の御機嫌に執著した。自分の抵過に執若
した。人そのものが元来五謹五行の偲bの棲なのだ。命豚が繕えれば忽ち地水火風空に
蹄する。色印是宰と試がりいて見れば、自分といふものもなければ、他人正いふものも
ない。我も人も、草も木も、天地と同じく宇宙の糟抵の凝った.
ものだ。宇宙の精気には
生もない死もない。物に執着がなければ一切の障礎は無︿なる。 一切の恐怖も無くなる
た立それだけの事芯﹂
益手上原が松村先生に心服したといふ話はそれからそれへと惇へられた。第一民上原
自身が人3 へ見れば、その話を飽Bずに繰b返して﹁松村先生は異の名人だ﹂と稀揚し
たのである。それから間もなく闘主の御宥菟がありて、松村先生は再び出仕する事に左

ったといふ。

,
.


空手入門 ︵
絡︶
盆手入門 −セセ
手入門 一七O

Z

﹁先生之そ、随分お早いですなあ。 とれは驚いた﹂
﹁りまらん事に驚く男だ。用意がよくばいつでもゆくぞ。 それとも五時迄待っか﹂
﹁当うですなあ。別は何方でも構以ませハんが、まあ一服3せて下呂い﹂
上原は木の根記腰を下して、ゃをら腰から煙管を抜くと、 3も旨ヨうにス. ρ叩ノ/\煙
紫 色 の 漣 が 輸 を 描 い て 、 澄 ん だ 朝 の 空 気 の 中KBえて.
草を蚊ひ始めた。 − ゆく。 小鳥、かす
が ︷ Iしい挫で嚇ってゐる。 いL気持ちである。
やがて吸ひ殻をポシと拾てると、煙管を大事さうに腰にさして立上った。
﹁当あ、ではそろ11hお阪ひ致しませうか﹂
﹁よし﹂
挫一
に騒じて松村先生もスツクと立った。互以の距離は五六聞もある。上原は夕、、土
A を詰めてゆき乍 ら 、もう二 三間 と い ふ と 乙 ろ で グ ヅ と 腰 を 辞 し て 、 た 拳 を
小刻みに問 Aけ
軽く下段に構へ、右拳を腰K構へて、ジツと相手の様子を窺った。松村先生は腰かけて
ゐた石から立ち上ったま Lである 。心 持ち左半身になってゐるが、手も足も殆んど向然
慌 の ま Lで、た Yグイム﹂左肩に願を引− qtつけて、例の鋭い限を一層大宮くクヲツと見開
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︵あんな排へ方で、
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一瞬上原は疑った 。 いくら斯道の大 家 とは 言 へ、名にし負ふとの宰手上原を向ふに廻


ぶざま
して、あの不様な 立ち方 は何事だらう 。慢心してゐるのか、呆けたのか。よし自に物見
せて呉れようi
ll−と気負ひにだっ克上原、 一躍襲ひか Lらうとして足に力を龍めた途端
松村先生の眼か ら一 閃 紫電の様な ものが走ったか ξ戚じて、思はヂサツと二問耗も飛び
退った。よく此ると、相手は一分も動いてゐない J 先 刻 の ま Lの委で立ってゐる。而も
上原の額と脇の下には 夕日フ/\ と 油 汗 が 流 れ て ゐ た 。胸が烈しく動俸を打り。
﹁上原、どう したのだ﹂

..,
﹁何だか知bませんが、どうも妙な工会です。 一寸待って下さい﹂
上原はグツタyした様に一見の木の根に腰を下した。松村先生は 何 の 事 も な か り た 様 ド
叉石に腰かける。
明暗 γ 入門



l


一寸




l

出作身の抗力を集めた筑人句、相手が乙の試合に乗って来るお\郎言返すか。その出ゃう
によって最後の技を試みようとしねのだ llが、松村先生は山に木魂する粍の共の気人竹
もヰに入ら肉如く、平然として立ったま Lでゐる。上原はバツと飛び退った。
﹁どうしたのだ、上原。 一向に掛って来んではないか。掛け聾ばかb
では勝負にならん﹂
口許に倣笑詰へ浮べて、松村先生は愉快当うに、疲持悶館した上原を円見下してゐる。
﹁不思議です、先生。向慢ではあbませ PA
がとの上原に、今まで勝目のある仕令の出来
た人は一人も無かつ売のです。﹂
﹁との仕合は止めにするか﹂
一寸


上原は腕組みして考へ込んだ。そして昂然と顔をあげると、
﹁続けませう o
勝負のつくまで。イャ、もう勝負はついてゐますが。 いくら何でも、乙
の保ではなの面白が立ちません。捨て身になって飛込んで見ます﹂
﹁よからう。飛込んで見い﹂
﹁御免ヅ﹂
合轄するや否や、燥をも砕けよとばかb、火の塊bになって、松村光生目。かけて飛懸
って行りた上版、猛牛の様な惜躯、かア川ヤ先生の身躍に鯛れんとした瞬間・・・・
−・
−ガ1ヅ
一 ・・・

人の口から洩れた盤、どは思はれない、落意の様な響きだったl! と上原には当う戚じ ・
史、川ヅと無立識に足がすくんだ。が、彼も武を知る男である 。
﹁何 の﹂とばかb勇を段
して突進しようとして相手を見先途端、思はずアツと顔を伏せ党。朝風に吹かれて蓬の
様に乱れた松村先生の頭髪、が、折しも東.芸を衝いて上って燕先制陽を背にしてゐ石ので
キラ/\と金色に先って火焔の燃え誌かる様に見え、 ッタと悦んだ服、 大嶋して聞い
ρ
党口、恰も大成徳明王、が悪山地邪神を叱略するの様に似て、到底而を向けるべくもない。
ヘタ/\と共の揚に膝をつくと、心の底から、
﹁参つ弘之。品位&リ
内含した﹂
?入門 一七五



尚昆手入門 一七戸
L﹂雨手を地について平伏して仕舞った。
﹁ホ、ヅ、参ったといふのか。宰手上原とも言はれるお前が!﹂
﹁全く恐れ入b−サ仇した。仕令なELは飛んでもない話でした。りくん\円分の未熟誌を
悟bました。昼手上原なEL言はれていL気になってゐたのは面目無い次第です﹂
﹁いや/\詰うでない。流石に上原、お前の策塊とい仏、技と言以、天晴れな‘ものだ。
術を以て守へば、ま、だ/ 11俺はお前に及、ばないかも知れん﹂
﹁何故でせうか、私は手も足も出ませんでし党。先生の限が恐ろしくて、顔が恐ろしく
て、恐が恐ろしくして、杢く敵意志ELいふものがケジ飛んで仕舞以ましカが﹂
﹁遣うかも知れん。お前は乙の勝負に勝たうと思ってゐた。俺は道を柴しんで死なうと
思ってゐた。先立それだけの相違だ。昨日、お前に仕舎を申込まれる迄は、いろ/\煩
悶してゐたのだ。俺の境地についてだ。お前と仕令すると定めてから、その煩問、がプヅ
ム﹂消えて無くなった。今まであま hノ物事に執著し過ぎてゐ力事に気がついたのだ。盛手
の技に執著した。朱一手の指南に執著した。岡主の御機嫌に執著した。自分の抵過に執著
した。人そのものが元来五謹五行の般bの婆なのだ。命豚が絶えれば忽ち地水火風空に
蹄する。色卸是宰と試がついて見れば、自分といムものもなければ、他人左いふものも
ない。我も人も、草も木も、天地と同じく宇宙の糟気の凝った.
ものだ。宇宙の精気には
生もない死もない。物に執着が・なければ一切の障礎は無︷なる。 一切の恐怖も無くなる
た vそ
h れだけの事さ﹂
ん企手上原が松村先生に心服したといふ話はそれからそれへと偉へられた。第一民上原
自身が人さへ見ればべその話を飽Bずに繰b返して﹁松村先生は異の名人だ﹂ξ稿揚し
たのである。それから間もなく園主の御宥免があって、松村先生は再び出仕する事に左
ったといふ。



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昭和十八年十二月五臼印刷

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昭和十八年十二月十五日後行

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(猿八OニO一一員々令版出本日)
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東京都紳田区神保町二丁目十一一一番地
(日本出版令承認)

門入手空
事事叢是主武新

後行者 鈴木初雄
東京都牛込医榎町七番地
印刷宥 平島正
︵東東一︶
東京都牛込医榎町七番地
印 刷所 大日本印刷株式合枇極町工場
東京都紳田直紳保町二丁目十三番地
接行所 園防武道協曾
電話九段二一 O 八番
振替東京一三八九五六番
配給元 東京都紳閉区淡路町二ノ九 日本出版配給株式合吐
新武道叢書既刊書
・ 伝 市1

以下 縦 々刊行︶

同紳・京来

︹白木出版文化協曾推薦︺
二 回1

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銃剣術飽士宮卯吉蕃銃剣術 B6 剣ニ
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