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2010.6.

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言語学・応用言語学演習Ⅶ
担当:石川・見月・松下
「推量」について*
三宅 知宏
1. 主張.....................................................................................................1
2. 「推量」の定義とその形.................................................................2
3. 認識的モダリティにおける「推量」と他の下位類型の関係.....3
3.1. 「推量」と「実証的判断」との特性の対比...................................3
3.2. 「推量」と「可能性判断」との特性の対比...................................4
3.3. 「推量」と「確信的判断」との特性の対比...................................5
4. 結論.....................................................................................................6
参考文献.................................................................................................6

1. 主張
(0) 「認識的モダリティ」
命題の真偽に関する話し手の認識のこと。
(0) 本論文の主張
認識的モダリティには、(0)-(0)の5種類がある。

(0) 「断定」
a. 現実世界で、命題が全ての可能性として真であると認識するこ
と。
b. 無標

(0) 「推量」
a. 話し手の想像世界で、命題が全ての可能性として真であると認
識すること。
b. ダロウ(デショウ)/マイ/活用語の推量・意向形[ウ/ヨウ]1

(0) 「実証的判断」
a. 現実世界で、命題が真である証拠の存在があると認識すること。
b. ラシイ/ヨウダ/ミタイダ/(~する)ソウダ/トイウ

(0) 「可能性判断」
a. 現実世界で、命題が一つの可能性として、真であると認識する
こと。
b. カモシレナイ

(0) 「確信的判断」
a. 想像世界で、命題が全ての可能性として真であると確信するこ
と。
b. ニチガイナイ/ハズダ


三宅知宏(1995)『「推量」について』『国語学』183 集, pp.86-76 (左 1-11)
1
活用形の認定は寺村(1984)に従う。
1
2. 「推量」の定義とその形
 「推量」の形式としては、ダロウ(デショウ)/マイ/活用後の推量・意向系
[ウ/ヨウ]がある。

(0) 「推量」
a. 話し手の想像世界で、命題が全ての可能性として真であるとの
認識すること。
(0) a. おそらく、佐山は誰かに青酸カリを飲まされて倒れ、その死体
の横に、これも誰かによって青酸カリを飲まされたお時の死体
が運ばれて密着されたのでしょう。
[三宅 1995:p85,(1)]
b. 「何者ですか、尾行しているのは」「分からん。おそらくフラン
コか、ナチスの手先だろう」
[三宅 1995:p85,(2)]
c. だが、これは、この情死事件の異論として提出するには、あまり
に弱かった。係長は取りあってくれないであろう。
[三宅 1995:p85,(3)]
d. 「来るのはいつ頃ですか?」「五時半…は過ぎるだろうな。あい
つのことだから」           [三宅 1995:p85,(4)]
現実世界ではなく、想像世界において命題をとらえるという点が「推量」
の特性である。
 また本論では、「推量」とされた形式は全て「確認要求」としての用法を
持つと言及している。
(0) a. 「あなた関西の人だからそういう味付け好きでしょ?」
[三宅 1995:p.79,(34)]
b. 「うまいだろう、ここのランチ」「ええ」
[三宅 1995:p.79,(35)]
このように「推量」は確認要求としての用法を持つ。推量以外の認識モダ
リティの形式ではこの確認要求の用法は存在しない。

3. 認識的モダリティにおける「推量」と他の下位類型の関係
 (0)の「認識的モダリティ」の下位類型には、「推量」の他に「実証的判
断」、「可能性判断」、「確信的判断」があり、これらはそれぞれ異なる特性
を持っている。この特性を「推量」との対比を行いながら「認識的モダリ
ティ」の全体像を明らかにしていく。

3.1. 「推量」と「実証的判断」との特性の対比
 「実証的判断」の形式としては、ラシイ、ヨウダ、ソウダがある。
(0) 「実証的判断」
a. 現実世界では、命題が真である証拠の存在への認識。

(0)のように、文中に、現実世界において、命題の真偽の証拠が述べられて
いる場合、「実証的判断」が使える。
(0) a. 朝の電車の中で、飴玉をしゃぶる男たちが増えているのだ。昼
過ぎの街頭でも、あるいは夜のタクシーの中でも、飴をなめて
2
いる人々がいる。どうやら飴が大はやりの世の中らしい。
[三宅 1995:p83,(5)]
b. 鞍や真鍮の金具、鋳物の鈴、色鮮やかな毛布など、あまり見かけ
ないものが並んでいる。そこはただの土産物屋ではなく、どう
やら馬具を扱う店らしい。       [三宅 1995:p83,(6)]
c. 部屋の明かりがついている。彼はまだ勉強しているらしい。
[.三宅 1995:p82,(10)より作例]
d. この辺りには別荘やペンションや保養所が点在しているが、真
の意味で身心の保養に来る人は意外と少ない。どうやら日本社
会には娯楽はあっても保養するという習慣はまだ根づいてい
ないようだ。              [三宅 1995:p83,(7)]
e. 伊豆高原に転居してから三年たった。私の体質は大分変わった
ようだ。東京に住んでいたころは、私は気が短くて待つことが
嫌いだった。しかし、いまでは駅などで三、四十分は平気で待っ
ている。そのかわり、かつては何でもなかった渋谷などの人ご
みの中に出かけてゆくと、目まいがするようになった。
[三宅 1995:p83(8)]
命題の真偽を話し手の思考の中(想像)で直接認識するのでなく、現実
世界において、真であるための証拠の存在を認識するという点が特性で
ある。文中に証拠が無い場合でも、話者が現実世界で何らかの証拠がある
と認識すれば、「実証的判断」が生起することができる。
(0) 明日は雨が降るラシイ/ヨウダ      [三宅 1995:p82,(14)
 「実証的判断」に対して、
「推量」は、想像世界を直接認識するタイプの
モダリティであり、現実世界の認識と無関係なので、文中の証拠が述べら
れているときには使えない。
(0) a. 彼女、うれしそうな顔をしている。合格したヨウダ。
[三宅 1995:p82,(9)より作例]
b. *彼女、うれしそうな顔をしている。合格したダロウ2
[三宅 1995:p82,(11)]
「推量」は、現実世界における証拠を認識するのではなく、想像世界にお
いて命題をとらえるという点が特徴なのである。よって、 (0b)のように
「予言する」などの未来を示す言葉が入る文においては、
「推量」は使える
が、現実世界における証拠を対象にする「実証的判断」は使えない。
(0) a. 明日は雨が降るダロウ と予告する/予言する/予想する
[三宅 1995:p82,(15)]
b. *明日は雨が降るラシイ/ヨウダ と予告する/予言する(/予想す
る)                  [三宅 1995:p82,
(16)]
このように、「実証的判断」は現実世界にある証拠を認識するのに対し、
「推量」は命題の真偽を想像世界で直接認識するという点で異なる。

3.2. 「推量」と「可能性判断」との特性の対比
 可能性判断の形式としては、カモシレナイがある。
2
ただし、ノダはある種実証的判断と似た機能を持っており、生起できる。小金丸
[現,野田](1990)ではこの機能を「ムードの『のだ』」と呼ぶ。
(i) 彼女、うれしそうな顔をしている。合格したノダロウ
[三宅 1995:p82,(12)]
3
(0) 「可能性判断」
a. 現実世界で、命題が一つの可能性として、真であると認識する
こと。
(0) a. 「結局、このスパーリングで堀畑は何も学ばなかったわけじゃ
ない。駄目だよそれでは」「そうかもしれない」「いやかもしれ
ないじゃなくて、そうなんだ」 [三宅 1995:p81,(17)]
b. 「つまりそのリカルドとマリアが、龍門さんの祖父母かもしれ
ない、という話になったのよね」「そうだ。そして今は、かもし
れないじゃなくて、実際に祖父母だったということが分かっ
た」 [三宅 1995:p81,(18)]
「推量」と「可能性判断」の特性の違いは、
「推量」は想像世界の命題の可能
性を認識するのに対して、「可能性判断」は現実世界の命題の可能性を認
識するということである。
(0) a. 泊まるかもしれないし泊まらないかもしれない。どっちにして
も相当おそくなる。          [三宅 1995:p81,(19)]
b. 「どのくらい?」
「決めてないんだ。意外と長くなるかもしれない。
半年になるかもしれないし、一年になるかもしれない…」
[三宅 1995:p81,(20)]

(0) *泊まるダロウし、泊まらないダロウ3  [三宅 1995:p81,(22)]


現実の結果として、「泊まる」かどうかや「半年」になるかどうかなどへの
認識において、1つ真であれば「可能性判断」は使えるが、「推量」は想像
世界での真偽判断は全てにおいて真でなければいけないので、 (0)は容認
できない。
「推量」と「可能性判断」の特性の違いは次の例でも説明できる。
(0) a. 彼はもう家に着いたと思うが、あるいはまだついていないカモ
シレナイ/*ダロウ            [三宅 1995:p81,(23)]
b. それは嘘カモシレナイ/*ダロウが、私は本当だと思う
[三宅 1995:p81,(24)]
「推量」は現実世界を認識の対象にしていないため、「~思う」を含む想像
世界と対立する存在である節において、「推量」は使えない。しかし、「可
能性判断」は現実世界を認識の対象にしているため、「~思う」を含まな
い節(現実世界への認識を述べる部分)において使える。

3.3. 「推量」と「確信的判断」との特性の対比
 「確信的判断」の形式としてニチガイナイとハズダが挙げられる。
(0) 「確信的判断」
a. 想像世界で、命題が全ての可能性として真であると確信するこ
と。
(0) a. つまり「罪悪感」は最高のスパイスなのである。禁酒法時代の密
造ウイスキーは、今のどんな高級ウイスキーよりもいい味がし
たにちがいない。          [三宅 1995:p.80,(27)]

3
断定についても推量と同様に同時に真であることができない命題を並べること
はできない。
(ii) *泊まるし、泊まらない            [三宅 1995:p81,(21)]
4
b. 今春、スペースシャトルで打ち上げられる宇宙望遠鏡は私たち
の視野を格段に広げるに違いない。   [三宅 1995:p.80,(28)]
c. おそらく安田は香椎の海岸を前から知っていて、殺人の場所は
そこにしようと考えたに違いありません。[三宅 1995:p.80,(29)]
現実には命題が真であるかどうかは分からないが、想像世界において、話
し手は命題が真であると確信しているという点が特性である。
 「推量」と「確信的判断」は命題が真であると認識する点で類似してい
るので、これらは(0)のように共起することも可能である。

(0) 彼女と並ぶとミロのヴィーナスはあまりにも筋骨たくましく
見えるでしょうし、モナリザの微笑もこわばるに違いありませ
ん。                 [三宅 1995:p.80,(30)]
 「推量」と「可能性判断」は類似しているが、場面によって、使える場合
と使えない場合がある。「確信的判断」は、話し手の持っている情報量が
聞き手よりも多いことが明らかであり、それを責任を持って伝えるとい
う場面で使えば、不適切になる。
(0) a. 特にご相談のケースは、もしお子さんに同じ症状が出ても、ま
ず 100%良くなりますから心配いらないでしょう。
[三宅 1995:p.80,(31)]
b. *特にご相談のケースは、もしお子さんに同じ症状が出ても、ま
ず 100%良くなりますから心配いらないに違いない。
[三宅 1995:p.80,(31)より作例]

(0) a. 「急性アルコール中毒。要するに飲み過ぎです。ま、明日一日は
二日酔いで辛いでしょうな」「どうも…」
[三宅 1995:p.80,(32)]
b. *「急性アルコール中毒。要するに飲み過ぎです。ま、明日一日は
二日酔いで辛いに違いないな」「どうも…」
[三宅 1995:p.80,(32)より作例]

(0) a. 「明日の近畿地方は、全般的に、ぐずついた天気になるでしょ
う」                 [三宅 1995:p.79,(33)]
b. *「明日の近畿地方は、全般的に、ぐずついた天気になるに違い
ない」           [三宅 1995:p.79,(33)より作例]

(0b)(0b)(0b)のように、医師の判断や天気予報など、聞き手よりも話し手の
方がより詳しい情報を有していることが明らかである場合、話し手の確
信を述べるニチガイナイを使用するのは不適切である。

4. 結論
 寺村(1984)等では真偽判断に関わる助動詞として、ダロウ、マイ、カモ
シレナイ、ラシイ、ヨウダ、ソウダ等の形式を説明するときに、これらの
形式のことを全部「推量」という概念を用いて解釈している。このように、
「推量」という概念は明確な定義と限定した形がされないまま用いられて
いることが多い。
 本論では、 「推量」という概念を明確化し、「認識的モダリティ」の全体
像を探ることを目的とした。

5
参考文献
寺村秀夫(1984)「日本語のシンタクスと意味Ⅱ」くろしお出版
『日本語学』4-3
小金丸(現,野田)春美(1990)「ムードの『のだ』とスコープの『のだ』」

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