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獨協ルート

2020/10/28
2班 阿部(桃) 甲原 田中

獨逸学協会からドイツは消えたのか

[モメント]独逸学協会が獨協学園へと改名する時期とその前後…1945~1948
[動機] 獨協学園とは単に独立協和の略だと思っていたが、どうやらそれだけではないらしいということを知り、
そこに潜む本当の意味を知りたいと思った。
年表
1883 年 獨逸学協会学校が開校 『あの当時「ドイツ」っていう言葉は、タブーだった』
1945 年 改名の多数決
1947 年 獨逸学協会学校は —1945 年、当時の独逸学協会中学校にやってきたアメリカ軍は、鉄砲のみならず「独
     獨協中学へと改名
1953 年 独協から獨協へと改名 逸」をも持って行ってしまった。GHQ の目をすり抜けるために、獨逸学協会中学校は、独

協中学に改名する。 

独協は「独立協和」の略であるとして、独立協和学園と独協学園の2つの案が提案さ

れ、生徒の多数決で名前が決まった。

[仮説]
〇通常「改名」とは
 ・芸能人の改名、運気向上のための改名→イメージを変えたい、新しい自分になりたい
              ⇒「変わる」ために「改名」する
  例)中央大学は 1885 年に英吉利(イギリス)法律学校として創設された。当初は、イギリス(欧米列強の模
範国としての地位を占めていた)をモデルとしていたが、1889 年 10 月に幅広い法学教育をめざして
校名を東京法学院と改称した。
〇独逸学協会の場合
 ・「獨協」へと改名した後も、独逸をモデルとした教育方針は変えなかった
              ⇒「変わらない」ために「改名」したと言えるのでは??

⇒新しい「名前」の捉え方の発見
⇒「変わらない」ために「変える」という新たな考え方に繋がるのではないか

[調べていく内容]
・名前変更の詳細(本の内容が真実か裏を取る)
・当時の日本国内のドイツに対するイメージ、タブーであったというのは本当か
・アメリカ(GHQ)の対応の実態(名前を変えればドイツのことを学んで良かったのか)
・他大学で同じような事例はないか
・「改名」の様々な事例
[調べる方法]
大学図書館、独逸学協会学校跡地(住所)、獨協中学高等学校(要確認)、1945 年頃の学校の様子を知る人
へのインタビュー(当時の学生、教師、近隣住民)、東京大学(旧東京帝国大学)文書館
[参考資料]
獨協百年 第3号、4号

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