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『オバタリアン』 堀田かつひこ 竹書房 1988

オバタリアンは電話が鳴ると、電話機に近づきながらハイハイと

えらそうな声を出す‥。オバタリアンは相手次第で知ったかぶりと

知らんぷりを交互に連発する‥。オバタリアンはどんな先生であれ

先生という人種には必ず擦り寄る‥。オバタリアンはパジャマで運

転できる‥。オバタリアンはいつも不利になると市民の権利を乱用

する‥。オバタリアンは夜中に洗濯機をまわす‥。

 さて、堀田かつひこが労せずしてカリカチュアライズしてみせた

“醜いおばさん像”は、その後、ばばシャツやユニクロの波及ととも

に全国的動向として日本中にあからさまになっていった。

 中年女性のすべてがオバタリアンになってしまったのである。そ

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れだけではなかった。オバタリアンは“醜い日本人像”をも侵食して

いって、日本中がオバタリアンになってしまったのだ。

 たとえば、「オバタリアンは3人でタクシーに乗るときも一人が

助手席に乗って後ろを向いて喋る」「オバタリアンは入浴剤を変え

すぎる」「オバタリアンはどんな粗品でもすぐに手を出したがる」

といった4コマが示す“原則”は、いまやどんな日本人にもあてはま

る。もはやオバタリアンはオバタリアン・ウィルスとなったかのよ

うなのだ。

 これが返りみれば 1990 年代だった。80 年代の後半に登場した

オバタリアンは 90 年代を席巻しつづけた。そういうことになる。

で、それでどういうことがおこったかというと、コギャルがこれを

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受け継いだ。オバタリアンはコギャルの年齢にまで拡張されたのだ。

むろん、こんな現象についていけない者たちもいた。そのかわり、

かれらは外出を恐れるヒッキーになっていった。

 本書が単行本になったとき、カバー表4に「オバタリアン症候群

とは何か」というお触れが出た。それによると、
「ずうずうしくなれ

る自分が嬉しい」「羞恥心がなくなっていくことと自信がつくこと

の区別がつかない」「なんであれ自分を正当化しつづける」がオバ

タリアン症状の3原則だということらしい。

 またまた、うーんと唸った。いまや日本中がこんな奴ばっかりで

はないか。

 日本人はいつごろオバタリアンになったのか。少なくともぼくの

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少年時代の“伯母さん”たちはそういう人たちではなかった。どこか

慎ましく、かつ静かに勇気を発揮した。オヤジたちもおばさんでは

なかった。いまや中年男の大半がおばさん化しつつある。いったい

何がおこったのか。

 ネオテニー(幼形成熟)ではあるまい。ネオテニーならまだしも

よかったのだ。おやじの去勢化がオバタリアンを助長させたという

説もあるが、これは男たちのおばさん化を多少とも説明することに

はなっても、1億総勢オバタリアン化の説明にはならない。なぜな

らオバタリアンはまずもって主婦であるからだ。イヴァン・イリイ

チのシャドウ・ワーク論は、その本質がつっこまれないうちに、主

婦の怪物化をおこしてしまったのである。

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 おそらくは日本資本主義的な消費文化のとてつもない大驀進が

奥の原因にある。オバタリアンは消費のための進軍をすべての街角

とロードサイドと昼のホテルで始めたのだから、消費なきところに

オバタリアンは出現しなかったはずなのだ。

子供との関係も奥の原因になっている。オバタリアンは子供を育

てていたはずで、その子供との関係の軛(くびき)がどこかで外れ

たから暴走を始めたのであろう。そうだとすれば、子供の社会に母

親の暴走をくいとめる謎がなくなったということか。また、一説に

はフェミニズムと環境保護主義がオバタリアンの温床をつくった

ということらしいが、これはフェミニズム思想や環境思想を知らな

すぎる誹謗というものだろう。

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そのほか、ごくふつうに予測がつくのは、家庭にとどまる魅力が

なくなったということで、そうであるならオバタリアン爆発という

ことは、一方で家庭における細部が摩滅したことを物語る。

 しかし、どうもこれらだけではなさそうだ。そこで、結局は「男た

ちがだらしないからだ」ということで説明をはしょる論法が多くな

っていくのだが、これではオバタリアンの圧倒的勝利が謳われるだ

けで、やはり話にならない。

 実はひとつ決定的に欠けていることがある。それは誰もがオバタ

リアンを攻撃しないということだ。

 漠然とオバタリアン現象をおもしろがっているだけで、誰もがオ

バタリアンとの対決を避けてきた。むろんオバタリアンと対峙した

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ところで、おもしろいはずはない。疲れるだけだろう。けれども、こ

の対決を避けているかぎり、そのうち誰もがオバタリアンになって

いく。オバタリアン攻撃は誰しもの内なるオバタリアン攻撃なので

ある。

 オバタリアンとは「ずうずうしくもつねに自分を正当化する没羞

恥者たちの群」ということである。もし、ここにオバタリアンの特

徴が暴露されているというなら、実は答えはかんたんなのだ。それ

は、オバタリアンを孤立させること、それである。ちがうか。

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