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江戸川乱歩

モノグラム

私が、私の勤めていたある工場の老守衛(といっても、まだ五十歳には間のある男なのですが、
なんとなく老人みたいな感じがするのです)栗原さんと心安くなって間もなく、おそらくこれは栗
原さんの取っておきの話の種で、彼は誰にでも、そうした打ち明け話をしてもさしつかえのないあ
いだがらになると、待ち兼ねたように、それを持ち出すのでありましょうが、私もある晩のこと、
守衛室のストーブを囲んで、その栗原さんの妙な経験談を聞かされたのです。
栗原さんは話し上手な上に、なかなか小説家でもあるらしく、この小噺めいた経験談にも、どう
やら作為の跡が見えぬではありませんが、それならそれとして、やっぱり捨て難い味があり、そう
した種類の打ち明け話としては、私はいまだに忘れることのできないものの一つなのです。栗原さ
んの話しっぷりをまねて、次にそれを書いてみることにいたしましょうか。
いやはや、落としばなしみたいなお話なんですよ。でも、先にそれを言ってしまっちゃお慰みが
薄い、まあ当たり前の、エー、お惚気のつもりで聞いてください。
私が四十の声を聞いて間もなく、四、五年あとのことなんです。いつもお話する通り、私はこれ
で相当の教育は受けながら、妙に物事に飽きっぽいたちだものですから、何かの職業に就いても、
たいてい一年とはもたない。次から次と商売替えをして、とうとうこんなものに落ちぶれてしまっ
たわけなんですが、その時もやっぱり、一つの職業を止して、次の職業をめっけるあいだの、つま
り失業時代だったのですね。御承知のようにこの年になって子供はなし、ヒステリーの家内と狭い
家に差し向かいじゃやりきれませんや。私はよく浅草公園へ出掛けて、所在のない時間をつぶした
ものです。
いますね、あすこには。公園といっても六区の見世物小屋の方でなく、池から南の林になった、
共同ベンチのたくさん並んでいる方ですよ。あの風雨にさらされて、ペンキがはげ、白っぽくなっ
たベンチに、又は捨て石や木の株などに、ちょうどそれらにふさわしく、浮世の雨風に責めさいな
まれて、気の抜けたような連中が、すき間もなく、こう、思案に暮れたという恰好で腰をかけてい
ますね。自分もそのひとりとして、あの光景を見ていますと、あなたがたにはおわかりにならない
でしょうが、まあなんともいえない、物悲しい気持になるものですよ。
ある日のこと、私はそれらのベンチの一つに腰をおろして、いつもの通りぼんやり物思いにふけ
っていました。ちょうど春なんです。桜はもう過ぎていましたが、池を越して向こうの映画館の方
は、大変な人出です。ドーッという物音、楽隊、それにまじっておもちゃの風船玉の笛の音だと
か、アイスクリーム屋の呼び声だとかが、かんだかく響いてくるのです。それに引きかえて、私た
ちのいる林の中は、まるで別世界のように静かで、おそらく映画を見るお金さえ持ち合わせていな
い、みすぼらしい風体の人々が、飢えたような物憂い眼を見合わせ、いつまでもいつまでも、じっ
と一つところに腰をおろしている。こんなふうにして罪悪というものが醗酵するのではないかと思
われるばかり、実に陰気で、物悲しい光景なのです。
そこは、林の中の、丸くなった空き地で、私たちの腰かけている前を、私たちと無関係な、幸福
そうな人々が、絶えず通り抜けています。それが着かざった女なんかだと、それでも、ベンチの落
伍者どもの顔が、一斉にその方を見たりなんかするのですね。そうした人通りがちょうど途絶え
て、空き地がからっぽになっていた時でした、ですから自然私も注意したわけでしょうが、一方の
隅のアーク灯の鉄柱の所へ、ヒョッコリひとりの人物が現われたのです。
三十前後の若者でしたが、風体はさしてみすぼらしいというのではないのに、どことなく淋しげ
な、少なくとも顔つきだけは決して行楽の人ではなく、私ども落伍者のお仲間らしく見えるので
す。彼はベンチのあいたところでも探すようにしばらくそこに立ち止まっていましたが、どこを見
ても一杯な上に、彼の風采に比べては、段違いに汚ならしくて、怖ろしい連中ばかりなので、おそ
らく辟易したのでしょう。あきらめて立ち去りそうにした時、ふと彼の視線と私の視線とがぶつか
りました。
すると彼は、やっと安心したように、私の隣の僅かばかりのベンチの空き間を目がけて近づいて
くるのです。そうした連中の中では、私の風体は、古ぼけた銘仙かなんか着ていて、おかしな言い
方ですが、いくらか立ちまさって見えたでしょうし、決してほかの人たちのように険悪ではなかっ
たのですから、それが彼を安心させたとみえます。それとも、これはあとになって思い当たったこ
とですが、彼は最初から私の顔に気がついていたのかもしれません。いえ、そのわけはじきにお話
ししますよ。
どうも私のくせで、お話が長くなっていけませんな。で、その男は私の隣へ腰をかけると、袂か
ら敷島の袋を出して、タバコをすいはじめましたのですが、そうしているうちに、だんだん、変な
予感みたいなものが、私を襲ってくるのです。妙だなと思って、気をつけて見ると、男がタバコを
ふかしながら、横の方から、ジロジロと私を眺めている。その眺め方が決して気まぐれでなく、な
んとやら意味ありげなんですね。
相手が病身らしいおとなしそうな男なので、気味がわるいよりは、好奇心の方が勝ち、私はそれ
となく彼の挙動に注意しながら、じっとしていました。あの騒がしい浅草公園のまん中にいて、い
ろいろな物音は確かに聞こえているのですが、不思議にシーンとした感じで、長いあいだそうして
いました。相手の男が、今にも何か言い出すかと待ち構える気持だったのです。
すると、やっと男が口を切るのですね、「どっかでお目にかかりましたね」って、おどおどした
小さな声です。多少予期していたので、私は別に驚きはしませんでしたが、不思議と思い出せない
のですよ。そんな男、まるで知らないのです。
「人違いでしょう。私はどうもお目にかかったように思いませんが」って返事をすると、それで
も、相手は|不《ふ》|得《とく》|心《しん》な顔で、又しても、ジロジロと私を眺めだすでは
ありませんか。ひょっとしたら、こいつ何か企らんでるんじゃないかと、さすがに気持がよくはあ
りませんや。
「どこでお会いしました」ってもう一度尋ねたものです。
「さあ、それが私も思い出せないのですよ」男が言うのですね、「おかしい、どうもおかしい」小
首をかしげて、「昨今のことではないのです。もうずっと|先《せん》からちょくちょくお目にか
かっているように思うのですが、ほんとうに御記憶ありませんか」そういって、かえって私を疑う
ように、そうかと思うと、変に懐かしそうな様子で、ニコニコしながら私の顔を見るじゃありませ
んか。
「人違いですよ。そのあなたの御存じのかたはなんとおっしゃるのです。お名前は」って聞きます
と、それが変なんです。「私もさいぜんから一所懸命思い出そうとしているのですが、どういうわ
けか出てきません。でも、お名前を忘れるようなかたじゃないと思うのですが」
「私は栗原一造ていいます」私ですね。
「ああ、さようですか、私は田中三良っていうのです」これが男の名前なんです。
私たちはそうして、浅草公園のまん中で名乗り合いをしたわけですが、妙なことに、私の方はも
ちろん、相手の男も、その名前にちっとも覚えがないというのです。ばかばかしくなって、私たち
は大声を上げて笑い出しました。すると、するとですね、相手の男の、つまり田中三良のその笑い
顔が、ふと私の注意を惹いたのです。おかしなことには、私までが、なんだか彼に見覚えがあるよ
うな気がしだしたのです。しかも、それがごく親しい旧知にでもめぐり合ったように、妙に懐かし
い感じなんですね。
そこで、突然笑いを止めて、もう一度その田中と名乗る男の顔を、つくづくと眺めたわけです
が、同時に田中の方でも、ピッタリと笑いを納め、やっぱり笑いごとじゃないといった表情なんで
す。これがほかの時だったら、それ以上話を進めないで別かれてしまったことでしょうが、今いう
失業時代で、退屈で困っていた際ですし、時候はのんびりとした春なんです。それに、見たところ
私よりも風体のととのった若い男と話すことは、わるい気持もしないものですから、まあひまつぶ
しといったあんばいで、変てこな会話をつづけて行きました。こういうぐあいにね。
「妙ですね、お話ししてるうちに、私もなんだかあなたを見たことがあるような気がしてきました
よ」これは私です。
「そうでしょう。やっぱりそうなんだ。しかも道で行き違ったというような、ちょっと顔を合わせ
たくらいのことじゃありませんよ、確かに」
「そうかもしれませんね。あなたお国はどちらです」
「三重県です。最近はじめてこちらへ出てきまして、今勤め口を探しているようなわけです」
してみると、彼もやっぱり一種の失業者なんですね。
「私は東京の者なんだが、で、御上京なすったのはいつごろなんです」
「まだ一と月ばかりしかたちません」
「そのあいだにどっかでお会いしたのかもしれませんね」
「いえ、そんなきのうきょうのことじゃないのですよ。確かに数年前から、あなたのもっとお若い
時分から知ってますよ」
「そう、私もそんな気がする。三重県と……私は一体旅行嫌いで、若い時分から東京を離れたこと
はほとんどないのですが、殊に三重県なんて上方だということを知っているくらいで、はっきり地
理もわきまえない始末ですから、お国で逢ったはずはなし、あなたも東京ははじめてだと言いまし
たね」
「箱根からこっちは、ほんとうにはじめてなんです。大阪で教育を受けて、これまであちらで働い
ていたものですから」
「大阪ですか、大阪なら行ったことがある。でも、もう十年も前になるけれど」
「それじゃあ、大阪でもありませんよ。私は七年前まで、つまり中学を出るまで国にいたのですか
ら」
こんなふうにお話しすると、なんだかくどいようですけれど、その時はお互になかなか緊張して
いて、何年から何年までどこにいて、何年の何月にはどこそこへ旅行したと、細かいことまで思い
出し、比べ合ってみても、一つもそれがぶつからない。たまに同じ地方へ旅行しているかと思う
と、まるで年代が違ったりするのです。さあそうなると、不思議でしようがないのですね。人違い
ではないかと言っても相手はこんなによく似た人がふたりいるとは考えられぬと主張しますし、そ
れが一方だけならまだしも、私の方でも、見覚えがあるような気がするのですから、一概に人違い
と言い切るわけにも行きません。話せば話すほど、相手が昔なじみのように思え、それにもかかわ
らず、どこで会ったかはいよいよわからなくなる。あなたにはこんな御経験はありませんか。実際
変てこな気持のものですよ。神秘的、そうです。なんだか神秘的な感じなんです。ひまつぶしや、
退屈をまぎらすためばかりではなく、そういうふうに疑問が漸増的に高まってくると、執拗にどこ
までも調べてみたくなるのが人情でしょうね。が、結局わからないのです。多少あせり気味で、思
い出そうとすればするほど、頭が混乱して、ふたりが以前から知合いであることは、わかり過ぎる
ほどわかっているではないか、なんて思われてきたりするのです。でも、いくら話してみても、要
領を得ないので、私たちはまたまた笑い出すほかはないのでした。
しかし要領は得ないながらも、そうして話し込んでいるうちに、お互に好意を感じ、以前はいざ
知らず、少なくともその場からは忘れ難いなじみになってしまったわけです。それから田中のおご
りで、池のそばの喫茶店に入り、お茶をのみながら、そこでもしばらく私たちの奇縁を語り合った
のち、その日は何事もなく別かれました。そして別かれる時には、お互の住所を知らせ、ちとお遊
びにと言いかわすほどのあいだがらになっていたのです。
それが、これっきりですんでしまえば、別段お話するほどの事はないのですが、それから四、五
日たって、妙な事がわかったのです。田中と私とは、やっぱりある種のつながりを持っていた事が
わかったのです。はじめに言った私のおのろけというのはこれからなんですよ。(栗原さんはここ
でちょっと笑ってみせるのです)田中の方では、これは当てのある就職運動に忙がしいと見えて、
一向訪ねてきませんでしたが、私は例によって時間つぶしに困っていたものですから、ある日、ふ
と思いついて、彼の泊まっている上野公園裏の下宿屋を訪問したのです。もう夕方で、彼はちょう
ど外出から帰ったところでしたが、私の顔を見ると、待っていたと言わぬばかりに、いきなり「わ
かりました、わかりました」と叫ぶのです。
「例のことね。すっかりわかりましたよ。ゆうべです。ゆうべ床の中でね、ハッと気がついたので
す。どうもすみません。やっぱり私の思い違いでした。一度もお逢いしたことはないのです。しか
し、お逢いはしていないけれど、まんざら御縁がなくはないのですよ。あなたはもしや、北川すみ
子という女を御存じじゃないでしょうか」
藪から棒の質問でちょっと驚きましたが、北川すみ子という名を聞くと、遠い遠い昔の、華やか
な風が、そよそよと吹いてくるような感じで、数日来の不思議な謎が、いくらかは解けた気がしま
した。
「知ってます。でも、ずいぶん古いことですよ。十四、五年も前でしょうか、私の学生時代なんで
すから」
というのは、いつかもお話ししました通り、私は学校にいた時分は、これでなかなか交際家でし
て、女の友だちなどもいくらかあったのですが、北川すみ子というのはその内のひとりで、特別に
私の記憶に残っている女性なのです。××女学校に通よっていましたがね。美しい人で、われわれ
の仲間の|歌《か》|留《る》|多《た》|会《かい》なんかでは、いつでも第一の人気者、とい
うよりはクイーンですね。美人な代りにはどことなく険があり、こう近寄り難い感じの女でした。
「その女にね(話し手の栗原さんはちょっと言いしぶって、はにかみ笑いをしました)実は私は惚
れていたのですよ。しかもそれが、恥かしながら、片思いというわけなんです。そして、私が結婚
したのは、やっぱり同じ女学校を出た、仲間では第二流の美人、いや今じゃ美人どころか、手にお
えないヒステリー患者ですが、当時はまあまあ十人並みだった御承知のお園なんです。手ごろなと
ころで我慢しちまったわけですね。つまり、北川すみ子という女は、私の昔の恋人であり、家内に
とっては学校友だちだったのです」
しかしそのすみ子を、三重県人の田中がどうして知っていたのか、又それだからといって、なぜ
私の顔を見覚えていたか、どうも腑に落ちないのですね。そこでだんだん聞きただしてみますと、
実に意外なことがわかってきました。田中が言うには、ちょうどその前の晩に、寝床の中でハッと
ある事を思い出したのだそうです。どういうわけで私を見覚えていたかについてですね。で、すっ
かり疑問が解けてしまったので、早速そのことを私に知らせようと思ったのだけれど、あいにく、
その日は(つまり私が彼を訪問した日ですね)就職のことで先約があったために、私の所へ来るこ
とができなかったというのです。
そんな断わりを言ったあとで、田中は机の引出しから一つの品物を取り出して、「これを御存じ
じゃないでしょうか」というのです。見ると、それはなまめかしい懐中鏡なんですね。大分流行遅
れの品ではありましたが、なかなか立派な、若い女の持っていたらしいものでした。私が一向知ら
ないと答えますと、
「でも、これだけは御存じでしょうね」
田中はそういって、なんだか意味ありげに私の顔を眺めながら、その二つ折りの懐中鏡をひら
き、|塩《しお》|瀬《ぜ》らしいきれ地にはめ込みになった鏡を、器用に抜き出すと、そのうし
ろに隠されていた一枚の写真を取り出して、私の前につきつけたものです。それが、驚いたことに
は、私自身の若い時分の写真だったではありませんか。
「この懐中鏡は私の死んだ姉の形見です。その死んだ姉というのが、いま言った北川すみ子なので
すよ。びっくりなさるのは御尤もですが、実はこういうわけなんです」
そこで田中の説明を聞きますと、彼の姉のすみ子は、ある事情のために小さい時分から、東京の
北川家に養女になっていて、そこから××女学校にも通よわせてもらったのですが、彼女が女学校
を卒業するかしないに、北川家に非常な不幸が起こり、止むを得ず郷里の実家に、つまり田中の家
に引き取られて、それからしばらくすると、彼女は結婚もしないうちに病気が出て死んでしまった
というのです。私も私の家内も、迂闊にも、そうした出来事を少しも知らないでいたのですね。実
に意外な話でした。
で、そのすみ子が残して行った持ち物の中に、一つの小さな手文庫があって、中には女らしくこ
まごました品物が一杯はいっていたそうですが、それを田中は姉の形見として大切に保存していた
わけです。
「此の写真に気がついたのは、姉が死んでから一年以上もたった時分でした」田中が言うのです
ね。
「こうして懐中鏡の裏に隠してあるのですから、ちょっとわかりません。その時はなんでも、ひま
にあかして、手文庫の中の品物を検査していたのですが、この懐中鏡をひねくり廻しているうち
に、ヒョッコリ秘密を発見してしまったのです。で、ゆうべ寝床の中でこの写真のことを思い出
し、それですっかり疑問が解けたわけでした。なぜといって、私はその後も折りがあるごとにこの
あなたの写真を抜き出して、死んだ姉のことを思い浮かべていたのですから、あなたという人は私
にとって忘れることのできない、深いおなじみに違いないのです。先日お会いした時には、それを
胴忘れして、写真ではなく実物のあなたに見覚えがあるように思い違えたわけなのです。又あなた
にしても、」田中はニヤニヤ笑うのですね、「写真までやった女の顔をお忘れになるはずはなく、
その女の弟のことですから、私に姉の面影があって、それをやっぱり以前に会ったように誤解なす
ったのではありますまいか」
聞いてみれば、田中の言う通りに違いないのです。しかし、それにしても腑に落ちないのは、写
真はまあ、いろいろな人にやったことがあるのですから、すみ子が持っていても不思議はありませ
んけれど、それを彼女が懐中鏡の裏に秘めていたという点です。なんだか、彼女と私の立場が反対
になったような気がしましてね。だって、片思いの方にこそ、そうした仕草をする理由はありまし
ょうが、すみ子が、私の写真なぞを大切にしている道理がないのですからね。
ところが、田中にしてみますと、私とすみ子とのあいだに何か妙な関係があったものと独断して
しまって、もっとも、それは無理もありませんけれど、その関係を打ち明けてくれといって迫まる
のです。で、彼が言うのですね。姉の死因はむろん主として肉体的な病気のためには違いないけれ
ど、弟の自分が見るところでは、ほかに何かあったのではないかと思う。というのは、たとえば生
前起こっていた縁談に、姉が強硬に不同意を唱えたことなどから考えると、誰か心に思いつめてい
る人があって、それが意のままにならない、というようなことが姉の死を早めたのではないか、と
ね。実際すみ子は国へ帰ってから一種の憂欝症にかかり、それのつづきのようにして病気にとりつ
かれたのだそうですから、田中の言うところももっともではあるのです。
さあ、そうなると、いい年をしていて、私の心臓は俄かに鼓動を早めるのですね。虫のいい考え
方をすれば、片思いは私の方ばかりでなくて、すみ子も同じように、言い出し兼ねた恋を秘めて、
うらめしい私たちの婚礼を眺めていたのだとも想像できるのですから、あの美しいすみ子が、そう
して死んで行ったとすれば、私はどうすればいいのでしょう。嬉しいのですね。なんだかこう涙が
喉のところへ込み上げてくるほど嬉しいのですね。
でも一方では、「こんなことが果たしてほんとうだろうか」という心持もあるのです。すみ子は
私などに恋するには、あまりに美しく、あまりに気高い女性だったのですから。そこで、私と田中
とのあいだに妙な押し問答がはじまったのですよ。私は大事を取るような気持で、「そんなことが
あるはずはない」と言えば、田中は「でも、この写真をどう解釈すればいいのだ」とつめ寄る。
で、そうして言い合っているうちに、私はだんだん感傷的になっていって、ついには私の片思いを
打ち明けて、そういうわけだから、すみ子さんの方で私を思っていてくれたなんてことはあり得な
いと、実はその反対をどれほどか希望しながら、まあ強弁したわけなんです。
ところが、話し、話し、懐中鏡をもてあそんでいた田中が、ふと何かに気がついた様子で、「や
っぱりそうだ」と叫ぶのですよ。それが、大変なものを発見したのです。懐中鏡のサックは、さっ
きも言ったように塩瀬で作った二つ折りのもので、その表面の麻の葉つなぎかなんかの模様のあい
だに、すみ子の手すさびらしく、目立たぬ色糸で、英語の組み合わせ文字の刺繍がしてあったので
すが、それがIの字をSで包んだ形にできているのです。
「私は今までどうしても、この組み合わせ文字の意味がわからなかったのです」田中が言うのです
ね、「Sはなるほどすみ子の頭字かもしれませんが、Iの方は、実家の田中にも養家の北川にも当
てはまらないのですからね。ところが、今ふっと気がつくと、あなたは栗原一造とおっしゃるでは
ありませんか、イチゾウの頭字のIでなくてなんでしょう。写真といい、組み合わせ文字といい、
これですっかり姉の思っていたことがわかりましたよ」
かさねがさねの証拠品に、私は嬉しいのか悲しいのか、妙に眼の内が熱くなってきました。そう
いえば、十数年以前の北川すみ子の、いろいろな仕草が、今となっては一々意味ありげに思い出さ
れます。あの時あんなことを言ったのは、それでは私への謎であったのか。あの時こういう態度を
示したのは、やっぱり心あってのことだったのかと、年がいもないと笑ってはいけません、次から
次へ、甘い思い出にふけるのでした。
それから、私たちはほとんど終日、田中は姉の思い出を、私は学生時代の昔話を、事実が遠い過
去のことであるだけに、少しもなまなましいところはなく、又いや味でもなく、ただ懐かしく語り
合いました。そして、別かれる時に、私は田中にねだって、その懐中鏡と、すみ子の写真とを貰い
受け、大切に、内ぶところに抱きしめて、家に帰ったことでした。
考えてみれば、実に不思議な因縁と言わねばなりません。偶然浅草公園の共同ベンチで出合った
男が、昔の恋人の弟であって、しかも、その男からまるで予期しなかったその人の心持を知るなん
て、それも、私たちが以前に会っているのだったら、さして不思議でもないのですが、まるで見ず
知らずのあいだがらで、双方相手の顔を覚えていたのですからね。
そのことがあってから、当分というものは、私はすみ子のことばかり考えておりました。あのと
き私に、なぜもっと勇気がなかったかと、それもむろん残念に思わぬではありませんが、何をいう
にも年数のたったことではあり、こちらの年が年ですから、そんな現実的な事柄よりは、単になん
となく嬉しくて、また悲しくて、家内の目を盗んでは、形見の懐中鏡と写真とを眺め暮らし、夢の
ように淡い思い出にふけるばかりでした。
しかし、人間の心持は、なんと妙なものではありませんか。そんなふうに、私の思いは、決して
現実的なものではなかったのに、ヒステリー患者とはいいながら、これまでさして厭にも思わなか
った家内のお園が、きわ立っていとわしくなり、すみ子が睡っている三重県の田舎町が、そこへ一
度も行ったことがないだけに、不思議にもなつかしく思えるのですね。そして、しまいには、巡礼
のようなつつましやかな旅をして、すみ子のお墓参りがしてみたいとまで願うようになったもので
す。こんなふうの言い方をしますと、今になってはからだがねじれるほどいやみな気がしますけれ
ど、当時は、子供のような純粋な心持で、ほんとうにそれまで思いつめたものなんです。
田中から聞いた、彼女のやさしい戒名を刻んだ石碑の前に、花を手向け香をたいて、そこで一と
こと彼女に物が言ってみたい。そんな感傷的な空想さえ描くのでした。むろんこれは空想にすぎな
いのです。たとえ実行しようとしたところで、当時の生活状態では、旅費を工面する余裕さえなか
ったのですから。
で、お話がこれでおしまいですと、いわば四十男のおとぎ話として、たとえおのろけとはいえ、
ちょっと面白い思い出に違いないのですが、ところが、実はこのつづきがあるのですよ。それを言
うと非常な幻滅で、まるきり他愛のない落とし話になってしまうので、私も先を話したくないので
すけれど、でも、事実は事実ですから、どうもいたし方がありません。なに、あんなことでうぬぼ
れてしまった私にとっては、いい見せしめかもしれないのですがね。
私がそんなふうにして、死んだすみ子の幻影を懐かしんでいたある日のことでした。ちょっとし
た手抜かりで、例の懐中鏡とすみ子の写真とを、私のヒステリーの家内に見つかってしまったわけ
なんです。それを知ったときは、困ったことになった、これでまた四、五日のあいだは、烈しい発
作のお|守《も》りをしなければなるまいと、私はいっそ覚悟をきめてしまったほどでした。とこ
ろが、意外なことには、その二た品を前にして、私の破れ机の前に坐った家内は、いっこうヒステ
リーを起こす様子がないのです。そればかりか、ニコニコしながらこんなことを言うではありませ
んか。
「まあ、北川さんの写真じゃありませんか、どうしてこんなものがあったの。それに、まあ珍らし
い懐中鏡、ずいぶん古いものですわね。私の行李から出てきたのですか、もうずっと前になくして
しまったとばかり思っていましたのに」
それを聞きますと、私はなんだか変だなと思いましたが、まだよくわからないで、ぼんやりし
て、そこにつっ立っておりました。家内はさも懐かしそうに懐中鏡をもてあそびながら、
「あたしが、この組み合わせ文字の刺繍を置いたのは、学校に通よっている頃ですわ、あなた、こ
れがわかって」そういって、三十歳の家内が妙に色っぽくなるのですよ。「一造のIでしょう。園
のSでしょう。まだあなたと一緒にならない前、お互の心が変わらないおまじないに、これを縫っ
たのですわ。わかって。どうしたのでしょうね。学校の修学旅行で日光に行った時、途中で盗まれ
てしまったつもりでいたのに」
というわけです。おわかりでしょう。つまりその懐中鏡は、私が甘くも信じきっていたすみ子の
ではなくて、私のヒステリー女房のお園のものだったのです。園もすみ子も頭字は同じSで、飛ん
だ思い違いをしたわけです。それにしてもお園の持ち物がどうしてすみ子の所にあったか、そこが
どうも、よくわかりません。で、いろいろと家内に問いただしてみましたところ、結局こういうこ
とが判明したのです。
家内が言いますには、その修学旅行の折り、懐中鏡は財布などといっしょに、手提げの中へ入れ
て持っていたのを、途中の宿屋で、誰かに盗まれてしまった。それがどうも、同じ生徒仲間らしか
ったというのです。私も仕方なく、すみ子の弟との出合いのことを打ち明けたのですが、すると家
内は、それじゃあ、これはすみ子さんが盗んだのに違いない。あなたなんか知るまいけれど、すみ
子さんの手くせの悪いことは級中でも誰知らぬ者もないほどだったから。じゃあ、きっとあの人だ
わと言うのです。
この家内の言葉が、でたらめや勘違いでなかった証拠には、その時にはもう抜き出してなくなっ
ていた、鏡の裏の私の写真のことを覚えていました。それも家内が入れておいたものなんです。多
分すみ子は、死ぬまで、この写真については知らずに過ぎたものに違いありません。それを彼女の
弟が、気まぐれにもてあそんでいて、偶然見つけ出し、飛んだ勘違いをしたわけでしょう。
つまり、私は二重の失望を味わわねばならなかったのです。第一にすみ子が決して私などを思っ
てはいなかったこと、それから、もし家内の想像を真実とすれば、あれほど私が恋いしたっていた
彼女が、見かけによらぬ泥棒娘であったこと。
ハハハハハハ、どうも御退屈さま。私のばかばかしい思い出話は、これでおしまいです。落ちを
言ってしまえば、此の上もなくつまらないことですけれど、それがわかるまでは、私もちょっと緊
張したものですがね。

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