You are on page 1of 9

[ 第 二 段   御 子 誕 生︵ 一 歳 ︶  ]

桐 壺 紫 式 部 先の世にも御契りや深かりけむ、 世になく清らなる玉の男御子さへ生ま


れたまひぬ。 いつしかと心もとながらせたまひて、 急ぎ参らせて御覧ずる
に、めづらかなる稚児の御容貌なり。
一の皇子は 、右大臣の女 御の御腹にて 、寄せ重く 、疑ひなき儲の君と 、世
に もてかしづききこゆれど、 この御にほひには並びたまふべくもあらざり
ければ、 おほかたのやむごとなき御思ひにて、 この君をば、 私物に思ほし
第一章 光る源氏前史の物語 かしづきたまふこと限りなし。
初めよりおしなべての上宮仕へしたまふべき際にはあらざりき。 おぼえ
[ 第一段 父帝と母桐壺更衣の物語 ] いとやむごとなく、 上衆めかしけれど、 わりなくまつはさせたまふあまり
に 、さ るべき御遊びの折々 、何事にもゆゑある事 のふしぶしには 、まづ参う
いづれの御時にか、 女御、 更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、 いと 上らせたまふ。 ある時には大殿籠もり過ぐして、 やがてさぶらはせたまひ
やむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。 など、 あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、 おのづから軽き
は じ め よ り 我 は と 思 ひ 上 が り た ま へ る 御 方 が た、 め ざ ま し き も の に お と 方にも見えしを、 この御子生まれたまひて後は、 いと心ことに思ほしおき
しめ嫉みたまふ。 同じほど、 それより下臈の更衣たちは、 ましてやすから て たれ ば 、﹁ 坊 に も 、よ う せ ず は、こ の御 子 の 居 たま ふ べ きな め り ﹂と 、一

1
ず。 朝夕の宮仕へにつけても、 人の心をのみ動かし、 恨みを負ふ積もりに の皇子の女御は思し疑へり。 人より先に参りたまひて、 やむごとなき御思
やありけむ、 いと篤しくなりゆき、 もの心細げに里がちなるを、 いよいよ ひなべてならず、 皇女たちなどもおはしませば、 この御方の御諌めをのみ
あかずあはれなるものに思ほして、 人のそしりをもえ憚らせたまはず、 世 ぞ、なほわづらはしう心苦しう思ひきこえさせたまひける。
のためしにもなりぬべき御もてなしなり。 かしこき御蔭をば頼みきこえながら、 落としめ疵を求めたまふ人は多く、
上 達 部、上 人 な ども 、あ い なく 目 を側 め つつ 、﹁ い と まば ゆ き人 の 御お ぼ わ が 身 は か 弱 く も の は か な き あ り さ ま に て、 な か な か な る も の 思 ひ を ぞ し
えなり 。唐土にも 、か かる事の起 こりにこそ 、世も 乱れ 、悪しかりけ れ ﹂と 、 た ま ふ 。 御 局 は 桐 壺 な り 。 あ ま た の 御 方 が た を 過 ぎ さ せ た ま ひ て 、 ひ ま な
やうやう天の下にもあぢきなう、 人のもてなやみぐさになりて、 楊貴妃の き御前渡りに、 人の御心を尽くしたまふも、 げにことわりと見えたり。 参
例も引き出でつべくなりゆくに、 いとはしたなきこと多かれど、 かたじけ う 上 り た ま ふ に も 、 あ ま り う ち し き る 折々 は 、 打 橋 、 渡 殿 の こ こ か し こ の
なき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。 道に、 あやしきわざをしつつ、 御送り迎への人の衣の裾、 堪へがたく、 ま
父の大納言は亡くなりて 、母北の方なむいにしへの人のよしあるにて 、親 さなきこともあり。 またある時には、 え避らぬ馬道の戸を鎖しこめ、 こな
うち具し、 さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう劣ら たかなた心を合はせて、 はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。 事にふ
ず、 なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、 とりたててはかばかしき れて数知らず苦しきことのみまされば、 いといたう思ひわびたるを、 いと
後見しなければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。 ど あはれと御覧じて、 後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を他に
移させたまひて、上局に賜はす。その恨みましてやらむ方なし。

桐 壺
[ 第 三 段   若 宮 の 御 袴 着︵ 三 歳 ︶  ] いとかく思ひたまへましかば﹂
と、 息も絶えつつ、 聞こえまほしげなることはありげなれど、 いと苦し
この御子三つになりたまふ年、 御袴着のこと一の宮のたてまつりしに劣 げにたゆげなれば、 かくながら、 ともかくもならむを御覧じはてむと思し
らず、 内蔵寮、 納殿の物を尽くして、 いみじうせさせたまふ。 それにつけ 召 すに 、﹁ 今 日 始む べ き祈 り ども 、さ る べ き人 び とう け たま は れる 、今 宵 よ
ても、 世の誹りのみ多かれど、 この御子のおよすけもておはする御容貌心 り﹂と、聞こえ急がせば、わりなく思ほしながらまかでさせたまふ。
ばへありがたくめづらしきまで見えたまふを、 え嫉みあへたまはず。 もの 御胸つとふたがりて、 つゆまどろまれず、 明かしかねさせたまふ。 御使
の 心知 り たま ふ 人は 、﹁ か か る 人も 世 に出 で おは す るも の なり け り﹂と 、あ の 行き 交ふ ほど も なき に 、なほい ぶせ さ を限 りな く のた まは せつ る を 、﹁ 夜
さましきまで目をおどろかしたまふ。 半うち過ぐるほどになむ、 絶えはてたまひぬる﹂ とて泣き騒げば、 御使も
いとあへなくて帰り参りぬ。 聞こし召す御心まどひ、 何ごとも思し召しわ
[ 第四段 母御息所の死去 ] かれず、籠もりおはします。
御子は、 かくてもいと御覧ぜまほしけれど、 か かるほどにさぶらひたま
その年の夏、 御息所、 はかなき心地にわづらひて、 まかでなむとしたま ふ、 例なきことなれば、 まかでたまひなむとす。 何事かあらむとも思した
ふを 、暇さら に許させたまはず 。年ごろ 、常の篤し さになりたまへれば 、御 らず、 さぶらふ人びとの泣きまどひ、 主上も御涙のひまなく流れおはしま
目 馴れ て 、﹁ な ほ し ばし こ ころ み よ ﹂と の みの た まは す るに 、日々 に 重り た すを、 あやしと見たてまつりたまへるを、 よろしきことにだに、 かかる別
まひて、 ただ五六日のほどにいと弱うなれば、 母君泣く泣く奏して、 まか れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。
でさせたてまつりたまふ。 かかる折にも、 あるまじき恥もこそと心づかひ

2
して、御子をば留めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。 [ 第五段 故御息所の葬送 ]
限 り あ れ ば、 さ の み も え 留 め さ せ た ま は ず 、 御 覧 じ だ に 送 ら ぬ お ぼ つ か
なさを、 言ふ方なく思ほさる。 いとにほひやかにうつくしげなる人の、 い 限りあれば、 例の作法にをさめたてまつるを、 母北の方、 同じ煙にのぼ
たう面痩せて、 いとあはれとものを思ひしみながら、 言に出でても聞こえ り なむと 、泣きこがれたまひて 、御送りの女房の車に慕ひ乗りたまひて 、愛
やらず、 あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、 来し方 宕といふ所にいといかめしうその作法したるに、 おはし着きたる心地、 い
行く末思し召されず、 よろずのことを泣く泣く契りのたまはすれど、 御い か ばか りか はあ り けむ 。﹁ むな しき 御骸 を 見る 見る 、なほ おは す るも のと 思
ら へ も え 聞 こ え た ま は ず 、 ま み な ど も い と た ゆ げ に て 、 い と ど な よ な よ と 、 ふ が、いとかひなければ 、灰になりたまはむを見たてまつりて 、今は亡き人
我かの気色にて臥したれば、 いかさまにと思し召しまどはる。 輦車の宣旨 と、 ひたぶるに思ひなりなむ﹂ と、 さかしうのたまひつれど、 車よりも落
などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえ許させたまはず。 ちぬべうまろびたまへば、さは思ひつかしと、人びともてわづらひきこゆ。
﹁ 限りあらむ道にも、 後れ先立たじと、 契らせたまひけるを。 さりとも、 内 裏 よ り 御 使 あ り 。 三 位 の 位 贈 り た ま ふ よ し、 勅 使 来 て そ の 宣 命 読 む な
うち捨てては、え行きやらじ﹂ む、 悲しきことなりける。 女御とだに言はせずなりぬるが、 あかず口惜し
とのたまはするを、女もいといみじと、見たてまつりて、 う思さるれば、 いま一階の位をだにと、 贈らせたまふなりけり。 これにつ
けても憎みたまふ人びと多かり。 もの思ひ知りたまふは、 様、 容貌などの
﹁  限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり めでたかりしこと、 心ばせのなだらかにめやすく、 憎みがたかりしことな
ど、 今ぞ思し出づる。 さま悪しき御もてなしゆゑこそ、 すげなう嫉みたま
ひしか、 人柄のあはれに情けありし御心を、 主上の女房なども恋ひしのび とて、げにえ堪ふまじく泣いたまふ。
あへり。なくてぞとは、かかる折にやと見えたり。 ﹁﹃ 参 り て は 、 い と ど 心 苦 し う 、 心 肝 も 尽 く る や う に な む ﹄ と 、 典 侍 の 奏 し
たまひしを、 もの思ひたまへ知らぬ心地にも、 げにこそいと忍びがたうは
第二章 父帝悲秋の物語 べりけれ﹂
とて、ややためらひて、仰せ言伝へきこゆ。
﹁﹃ し ば し は 夢 か と の み た ど ら れ し を 、 や う や う 思 ひ 静 ま る に し も、 覚 む べ
[ 第 一 段   父 帝 悲 し み の 日々   ]
き方なく堪へがたきは、 いかにすべきわざにかとも、 問ひあはすべき人だ
になきを、 忍びては参りたまひなむや。 若宮のいとおぼつかなく、 露けき
はかなく日ごろ過ぎて 、後のわざなどにもこまかにとぶらはせたまふ 。ほ
中に過ぐしたまふも、 心苦しう思さるるを、 とく参りたまへ﹄ など、 はか
ど経るままに、 せむ方なう悲しう思さるるに、 御方がたの御宿直なども絶
ばかしうものたまはせやらず、 むせかへらせたまひつつ、 かつは人も心弱
えてしたまはず、 ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、 見たてまつる
く見たてつらむと、 思しつつまぬにしもあらぬ御気色の心苦しさに、 承り
人さへ 露 けき 秋な り 。﹁ 亡きあ と まで 、人の 胸あ くま じか り ける 人の 御 おぼ
果てぬやうにてなむ、まかではべりぬる﹂
えかな﹂ とぞ、 弘徽殿などにはなほ許しなうのたまひける。 一の宮を見た
とて、御文奉る。
てまつらせたまふにも、 若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ、 親しき女房、
﹁ 目も見えはべら ぬに 、かく かしこき仰せ 言を光にてな む ﹂とて 、見たまふ 。
御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞こし召す。
﹁ ほど経 ばす こ しう ち紛 るる こ とも やと 、待ち 過ぐ す 月日 に添 へて 、いと 忍
び がたきはわりなきわざになむ 。いはけなき人をいかにと思ひやりつつ 、も

3
[ 第二段 靫負命婦の弔問 ]
ろともに育まぬおぼつかなさを。 今は、 なほ昔のかたみになずらへて、 も
のしたまへ﹂
野 分 た ち て、 に は か に 肌 寒 き 夕 暮 の ほ ど、 常 よ り も 思 し 出 づ る こ と 多 く
など、こまやかに書かせたまへり。
て、 靫負命婦といふを遣はす。 夕月夜のをかしきほどに出だし立てさせた
まひて、 やがて眺めおはします。 かうやうの折は、 御遊びなどせさせたま
﹁  宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ ﹂
ひしに、 心ことなる物の音を掻き鳴らし、 はかなく聞こえ出づる言の葉も、
人よりはことなりしけはひ容貌の、 面影につと添ひて思さるるにも、 闇の
とあれど、え見たまひ果てず。
現にはなほ劣りけり。
﹁ 命 長さ の 、い とつ ら う思 ひ たま へ 知ら る るに 、松 の 思 はむ こ とだ に 、恥 づ
命婦、 かしこに参で着きて、 門引き入るるより、 けはひあはれなり。 や
かしう思ひたまへはべれば、 百敷に行きかひはべらむことは、 ましていと
もめ住みなれど、 人一人の御かしづきに、 とかくつくろひ立てて、 めやす
憚り多くなむ。 かしこき仰せ言をたびたび承りながら、 みづからはえなむ
きほどにて過ぐしたまひつる、 闇に暮れて臥し沈みたまへるほどに、 草も
思ひたまへたつまじき。 若宮は、 いかに思ほし知るにか、 参りたまはむこ
高くなり、 野分にいとど荒れたる心地して、 月影ばかりぞ八重葎にも障は
と をのみなむ思し急ぐめれば、 こ とわりに悲しう見たてまつりはべるなど、
ら ず 差 し 入 り た る 。南 面 に 下 ろ し て 、母 君 も 、と み に え も の も の た ま は ず 。
うちうちに思ひたまふるさまを奏したまへ。 ゆゆしき身にはべれば、 かく
﹁ 今まで とま りは べる がいと 憂き を 、かか る御 使の 蓬生 の露分 け入 りた まふ
ておはしますも、忌ま忌ましうかたじけなくなむ﹂

桐 壺
につけても、いと恥づかしうなむ﹂
とのたまふ。宮は大殿籠もりにけり。
﹁ 見たて ま つり て 、く はし う御 あ りさ まも 奏し は べら まほ し きを 、待ち おは ﹁   い と ど し く 虫 の 音 し げ き 浅 茅 生 に 露 置 き 添 ふ る 雲 の 上 人
しますらむに、夜更けはべりぬべし﹂とて急ぐ。
﹁ 暮れま どふ 心の 闇も 堪へが たき 片端 をだ に 、はる くば かりに 聞こ えま ほし かごとも聞こえつべくなむ﹂
うはべるを、私にも心のどかにまかでたまへ 。年ごろ 、うれしく面だたしき と 言 は せ た ま ふ。 を か し き 御 贈 り 物 な ど あ る べ き 折 に も あ ら ね ば 、 た だ
ついでにて立ち寄りたまひしものを、 かかる御消息にて見たてまつる、 返 かの御形見にとて、 かかる用もやと残したまへりける御装束一領、 御髪上
す返すつれなき命にもはべるかな。 生まれし時より、 思ふ心ありし人にて、 げの調度めく物添へたまふ。
故 大 納言 、い ま はと な るま で 、﹃ た だ 、こ の 人 の 宮仕 へ の 本意 、か な らず 遂 若 き 人 び と、 悲 し き こ と は さ ら に も 言 は ず 、 内 裏 わ た り を 朝 夕 に な ら ひ
げさせたてまつれ 。我れ亡くなりぬとて 、口惜しう思ひくづほる な ﹄と 、返 て、 いとさうざうしく、 主上の御ありさまなど思ひ出できこゆれば、 とく
す 返 す 諌 め お か れ は べ り し か ば、 は か ば か し う 後 見 思 ふ 人 も な き ま じ ら ひ 参 りた まはむ こと をそ その かし きこ ゆれど 、﹁ かく忌 ま忌 まし き身 の添 ひた
は、 なかなかなるべきことと思ひたまへながら、 ただかの遺言を違へじと てまつらむも、 いと人聞き憂かるべし、 また、 見たてまつらでしばしもあ
ばかりに、 出だし立てはべりしを、 身に余るまでの御心ざしの、 よろづに らむは、 いとうしろめたう﹂ 思ひきこえたまひて、 すがすがともえ参らせ
かたじけなきに、 人げなき恥を隠しつつ、 交じらひたまふめりつるを、 人 たてまつりたまはぬなりけり。
の嫉み深く積もり、 安からぬこと多くなり添ひはべりつるに、 横様なるや
うにて、 つひにかくなりはべりぬれば、 かへりてはつらくなむ、 かしこき [ 第三段 命婦帰参 ]
御心ざしを思ひたまへられはべる。これもわりなき心の闇になむ﹂
と、言ひもやらずむせかへりたまふほどに、夜も更けぬ。 命 婦は 、﹁ ま だ 大殿 籠 もら せ たま は ざり け る﹂と 、あ はれ に 見た て まつ る 。

4
﹁ 主 上 も し か な む 。﹃ 我 が 御 心 な が ら、 あ な が ち に 人 目 お ど ろ く ば か り 思 さ 御 前の壺前栽のいとおもしろき盛りなるを御覧ずるやうにて、 忍びやかに
れしも、 長かるまじきなりけりと、 今はつらかりける人の契りになむ。 世 心 にくき限りの女房四五人さぶらはせたまひて、 御物語せさせたまふなり
にいささかも人の心を曲げたることはあらじと思ふを、 ただこの人のゆゑ けり。 このころ、 明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、 亭子院の描かせたまひ
にて、 あまたさるまじき人の恨みを負ひし果て果ては、 かううち捨てられ て、 伊勢、 貫之に詠ませたまへる、 大和言の葉をも、 唐土の詩をも、 ただ
て、 心をさめむ方なきに、 いとど人悪ろうかたくなになり果つるも、 前の その筋をぞ、 枕言にせさせたまふ。 いとこまやかにありさま問はせたまふ。
世ゆかしうなむ﹄ とうち返しつつ、 御しほたれがちにのみおはします﹂ と あはれなりつること忍びやかに奏す。御返り御覧ずれば、
語 り て尽 き せず 。泣 く 泣く 、﹁ 夜 い た う更 け ぬれ ば 、今 宵 過ぐ さ ず、御 返 り ﹁ いとも かし こ きは 置き 所も は べら ず 。かかる 仰せ 言 につ けて も 、かきく ら
奏せむ﹂と急ぎ参る。 す乱り心地になむ。
月は入り方の、 空清う澄みわたれるに、 風いと涼しくなりて、 草むらの
虫 の 声々 も よ ほ し 顔 な る も 、 い と 立 ち 離 れ に く き 草 の も と な り 。 荒き風ふせぎし蔭の枯れしより小萩がうへぞ静心なき ﹂
﹁  鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜あかずふる涙かな ﹂ などやうに乱りがはしきを 、心をさめざりけるほどと御覧じ許すべし。い
と かうしも見えじと 、思し静むれど 、さらにえ忍びあへさせたまはず 、御 覧
えも乗りやらず。 じ 初め し年 月の こ とさ へか き 集め 、よろ づに 思し 続 けら れて 、﹁ 時の 間も お
ぼ つ か な か り し を 、 か く て も 月 日 は 経 に け り ﹂と 、あ さ ま し う 思 し 召 さ る 。
﹁ 故大納言の遺言あやまたず 、宮仕への本意深くものしたりしよろこびは、か し き御 気 色を 見 た てま つ り 嘆く 。す べ て、近 う さ ぶら ふ 限 りは 、男 女 、﹁ い
ひあるさまにとこそ思ひわたりつれ。 言ふかひなしや﹂ とうちのたまはせ と わり なき わざ か な ﹂と 言ひ 合は せつ つ 嘆く 。﹁ さる べき 契り こ そは おは し
て 、い と あは れ に思 し やる 。﹁ か く て も、お の づ から 若 宮な ど 生ひ 出 でた ま ましけめ。 そこらの人の誹り、 恨みをも憚らせたまはず、 この御ことに触
はば、さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ﹂ れたることをば、 道理をも失はせたまひ、 今はた、 かく世の中のことをも、
などの た まは す 。かの 贈 り物 御覧 ぜ さす 。﹁ 亡き人 の 住処 尋ね 出で た りけ 思ほし捨てたるやうになりゆくは、 いとたいだいしきわざなり﹂ と、 人の
むしるしの釵ならましかば﹂と思ほすもいとかひなし。 朝廷の例まで引き出で、ささめき嘆きけり。
﹁  尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく ﹂ 第三章 光る源氏の物語
絵に描ける楊貴妃の容貌は、 いみじき絵師といへども、 筆限りありけれ
[ 第 一 段   若 宮 参 内︵ 四 歳 ︶  ]
ばいとにほひ少なし 。大液芙蓉未央柳も 、げに通ひたりし容貌を 、唐めいた
る装ひはうるはしうこそありけめ、 なつかしうらうたげなりしを思し出づ
月日経て、 若 宮参りたまひぬ。 いとどこの世のものならず清らにおよす
る に、花 鳥の 色 にも 音 にも よ そふ べ き方 ぞ なき 。朝 夕 の言 種 に、﹁ 翼 をな ら
けたまへれば、いとゆゆしう思したり。
べ、 枝を交はさむ﹂ と契らせたまひしに、 かなはざりける命のほどぞ、 尽
明くる年の春、 坊定まりたまふにも、 いと引き越さまほしう思せど、 御
きせず恨めしき。
後見すべき人もなく、 また世のうけひくまじきことなりければ、 なかなか
風の音、 虫の音につけて、 もののみ悲しう思さるるに、 弘徽殿には、 久

5
危 く思 し憚 りて 、色に も 出だ させ たま は ずな りぬ る を 、﹁ さば か り思 した れ
しく上の御局にも参う上りたまはず、 月のおもしろきに、 夜更くるまで遊
ど、限りこそありけれ﹂と、世人も聞こえ、女御も御心落ちゐたまひぬ。
びをぞしたまふなる。 いとすさまじう、 ものしと聞こし召す。 このごろの
かの御祖母北の方、 慰む方なく思し沈みて、 お はすらむ所にだに尋ね行
御気色を見たてまつる上人、 女房などは、 かたはらいたしと聞きけり。 い
かむと願ひたまひししるしにや、 つひに亡せたまひぬれば、 またこれを悲
とおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、 ことにもあらず思
しび思すこと限りなし。 御子六つになりたまふ年なれば、 このたびは思し
し消ちてもてなしたまふなるべし。月も入りぬ。
知りて恋ひ泣きたふ。 年ごろ馴れ睦びきこえたまひつるを、 見たてまつり
置く悲しびをなむ、返す返すのたまひける。
﹁  雲の上も涙にくるる秋の月いかですむらむ浅茅生の宿 ﹂
[ 第 二 段   読 書 始 め︵ 七 歳 ︶  ]
思 し 召 し や り つ つ、 灯 火 を か か げ 尽 く し て 起 き お は し ま す。 右 近 の 司 の
宿直奏の声聞こゆるは、 丑になりぬるなるべし。 人目を思して、 夜の御殿
今は内裏にのみさぶらひたまふ。七つになりたまへば 、読書始めなどせさ
に入らせたまひても、 まどろませたまふことかたし。 朝に起きさせたまふ
せ た ま ひ て 、世 に 知 ら ず 聡 う 賢 く お は す れ ば 、あ ま り 恐 ろ し き ま で 御 覧 ず 。
と ても 、﹁ 明 く る も知 ら で﹂と 思し 出 づる に も、な ほ 朝 政は 怠 らせ た まひ ぬ
﹁ 今は誰 れも 誰 れも え憎 みた ま はじ 。母君 なく てだ に らう たう した ま へ ﹂と
べかめり。
て、 弘徽殿などにも渡らせたまふ御供には、 やがて御簾の内に入れたてま
も の な ど も 聞 こ し 召 さ ず、 朝 餉 の け し き ば か り 触 れ さ せ た ま ひ て、 大 床

桐 壺
つりたまふ。 いみじき武士、 仇敵なりとも、 見てはうち笑まれぬべきさま
子の御膳などは 、いと遥かに思し召したれば 、陪膳にさぶらふ限りは 、心苦
のしたまへれば、 えさし放ちたまはず。 女皇女たち二ところ、 この御腹に させたまふにも、 同じさまに申せば、 源氏になしたてまつるべく思しきお
お は し ま せ ど 、 な ず ら ひ た ま ふ べ き だ に ぞ な か り け る。 御 方々 も 隠 れ た ま きてたり。
はず、 今よりなまめかしう恥づかしげにおはすれば、 いとをかしううちと
けぬ遊び種に、誰れも誰れも思ひきこえたまへり。 [ 第 四 段   先 代 の 四 宮︵ 藤 壺 ︶ 入 内   ]
わざとの御学問はさるものにて、 琴笛の音にも雲居を響かし、 すべて言
ひ続けば、ことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。 年 月に 添 へ て、御 息 所 の御 こ とを 思 し 忘る る 折な し 。﹁ 慰 むや ﹂と 、さ る
べ き 人 び と 参 ら せ た ま へ ど 、﹁ な ず ら ひ に 思 さ る る だ に い と か た き 世 か な﹂
[ 第三段 高麗人の観相、源姓賜わる ] と、 疎ましうのみよろづに思しなりぬるに、 先帝の四の宮の、 御容貌すぐ
れ たまへる聞こえ高くおはします、 母后世になくかしづききこえたまふを、
そのころ、 高麗人の参れる中に、 かしこき相人ありけるを聞こし召して、 主上にさぶらふ典侍は、 先帝の御時の人にて、 かの宮にも親しう参り馴れ
宮の内に召さむことは、 宇多の帝の御誡めあれば、 いみじう忍びて、 この たりければ、 いはけなくおはしましし時より見たてまつり、 今もほの見た
御子を鴻臚館に遣はしたり。 御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに て まつ りて 、﹁ 亡せ たま ひ にし に御 息所 の 御容 貌に 似 たま へる 人を 、三代 の
思はせて率てたてまつるに、相人驚きて、あまたたび傾きあやしぶ。 宮 仕へに伝はりぬるに 、え 見たてまつりつけぬを 、后の宮の姫宮こそ 、い と
﹁ 国の親 と なり て 、帝 王の 上な き 位に 昇る べき 相 おは しま す 人の 、そな たに ようおぼえて生ひ出でさせたまへりけれ。 ありがたき御容貌人になむ﹂ と
て見れば、 乱れ憂ふることやあらむ。 朝廷の重鎮となりて、 天の下を輔く 奏 しけ る に、﹁ ま こ と に や﹂と 、御 心 とま り て 、ね むご ろ に聞 こ え させ た ま
る方にて見れば、またその相違ふべし﹂と言ふ。 ひけり。

6
弁も、 いと才かしこき博士にて、 言ひ交はしたることどもなむ、 いと興 母 后、﹁ あ な 恐 ろし や 。春 宮の 女 御 のい と さが な く て、桐 壺 の 更衣 の 、あ
ありける。 文など作り交はして、 今日明日帰り去りなむとするに、 かくあ らはにはかなくもてなされにし例もゆゆしう﹂ と、 思しつつみて、 すがす
りがたき人に対面したるよろこび、 かへりては悲しかるべき心ばへをおも がしうも思し立たざりけるほどに、后も亡せたまひぬ。
しろく作りたるに、 御子もいとあはれなる句を作りたまへるを、 限りなう 心細き さま に てお はし ます に 、﹁ ただ 、わが 女 皇女 たち の 同じ 列に 思ひ き
めでたてまつりて、 いみじき贈り物どもを捧げたてまつる。 朝廷よりも多 こえむ﹂ と、 いとねむごろに聞こえさせたまふ。 さぶらふ人びと、 御後見
くの物賜はす。 た ち、御 兄 の 兵部 卿 の親 王 など 、﹁ か く 心 細く て おは し まさ む より は 、内 裏
おのづから事広ごりて、 漏らさせたまはねど、 春宮の祖父大臣など、 い 住みせさせたまひて、 御心も慰むべく﹂ など思しなりて、 参らせたてまつ
かなることにかと思し疑ひてなむありける。 りたまへり。
帝、 かしこき御心に、 倭相を仰せて、 思しよりにける筋なれば、 今まで 藤壺と聞こゆ。 げに、 御容貌ありさま、 あやしきまでぞおぼえたまへる。
この君 を親 王に もな させた まは ざり ける を 、﹁ 相人 はま ことに かし こか りけ これは、 人の御際まさりて、 思ひなしめでたく、 人もえおとしめきこえた
り ﹂と 思 して 、﹁ 無 品 の 親王 の 外戚 の 寄せ な きに て は漂 は さじ 。わ が 御世 も まはねば、 うけばりて飽かぬことなし。 かれは、 人の許しきこえざりしに、
いと定めなきを、 ただ人にて朝廷の御後見をするなむ、 行く先も頼もしげ 御心ざしあやにくなりしぞかし。 思し紛るとはなけれど、 おのづから御心
な め る こ と ﹂ と 思 し 定 め て 、 い よ い よ 道々 の 才 を 習 は さ せ た ま ふ 。 移ろひて、こよなう思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。
際ことに賢くて、 た だ人にはいとあたらしけれど、 親王となりたまひな
ば、 世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば、 宿曜の賢き道の人に勘へ
[ 第五段 源氏、藤壺を思慕 ] き 、顔のにほひ 、さま変へたまはむこ と惜しげなり 。大蔵 卿 、蔵人仕うまつ
る 。い と 清 ら なる 御 髪 を削 ぐ ほど 、心 苦 しげ な る を、主 上 は 、﹁ 御 息所 の 見
源 氏 の 君 は、 御 あ た り 去 り た ま は ぬ を 、 ま し て し げ く 渡 ら せ た ま ふ 御 方 ましかば﹂と、思し出づるに、堪へがたきを、心強く念じかへさせたまふ。
は、 え恥ぢあへたまはず。 いづれの御方も、 われ人に劣らむと思いたるや かうぶりしたまひて、 御休所にまかでたまひて、 御衣奉り替へて、 下り
はある、 とりどりにいとめでたけれど、 うち大人びたまへるに、 いと若う て拝したてまつりたまふさまに、 皆人涙落としたまふ。 帝はた、 ましてえ
うつくしげにて、切に隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。 忍びあへたまはず、 思し紛るる折もありつる昔のこと、 とりかへし悲しく
母 御 息所 も 、影 だに お ぼえ た ま はぬ を 、﹁ い とよ う 似 たま へ り﹂と 、典 侍 思さる。 いとかうきびはなるほどは、 あげ劣りやと疑はしく思されつるを、
の聞こえけるを、 若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、 常に参 あさましううつくしげさ添ひたまへり。
ら ま ほ し く 、﹁ な づ さ ひ 見 た て ま つ ら ば や ﹂ と お ぼ え た ま ふ 。 引入の大臣の皇女腹にただ一人かしづきたまふ御女、 春宮よりも御けし
主上も 限 りな き御 思ひ ど ちに て 、﹁ な 疎み たま ひそ 。あや しく よそ へ きこ き あるを 、思しわづらふことありける 、この君に奉らむの御心なりけり 。内
えつべき心地なむする 。なめしと思さで 、らうたくしたまへ 。つらつき 、ま 裏 にも 、御 け しき 賜 はら せ たま へ りけ れ ば、﹁ さ らば 、こ の 折 の後 見 なか め
みなどは、 いとよう似たりしゆゑ、 かよひて見えたまふも、 似げなからず るを、添ひ臥しにも﹂ともよほさせたまひければ、さ思したり。
なむ﹂ など聞こえつけたまへれば、 幼心地にも、 はかなき花紅葉につけて さ ぶ ら ひ に ま か で た ま ひ て 、 人 び と 大 御 酒 な ど 参 る ほ ど、 親 王 た ち の 御
も心ざしを見えたてまつる。 こよなう心寄せきこえたまへれば、 弘徽殿の 座の末に源氏着きたまへり。 大臣気色ばみきこえたまふことあれど、 もの
女御、 またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、 うち添へて、 もとよりの憎 のつつましきほどにて、ともかくもあへしらひきこえたまはず。
さも立ち出でて、ものしと思したり。 御前より、 内侍、 宣旨うけたまはり伝へて、 大臣参りたまふべき召しあ

7
世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、 名高うおはする宮の御容貌にも、 れば、 参りたまふ。 御禄の物、 主上の命婦取りて賜ふ。 白き大袿に御衣一
な ほ 匂は し さは た と へむ 方 な く、う つ く しげ な るを 、世 の 人 、﹁ 光 る 君 ﹂と 領、例のことなり。
聞 こゆ 。藤 壺 な らび た まひ て 、御 おぼ え もと り どり な れば 、﹁ か か や く日 の 御盃のついでに、
宮﹂と聞こゆ。
﹁  いときなき初元結ひに長き世を契る心は結びこめつや ﹂
[ 第 六 段   源 氏 元 服︵ 十 二 歳 ︶  ]
御心ばへありて、おどろかさせたまふ。
この君の御童姿、 いと変へまうく思せど、 十二にて御元服したまふ。 居
起ち思しいとなみて、限りある事に事を添えさせたまふ。 ﹁  結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色し褪せずは ﹂
一年の春宮の御元服、 南殿にてありし儀式、 よそほしかりし御響きに落
と さ せ た ま は ず 。 所々 の 饗 な ど 、 内 蔵 寮 、 穀 倉 院 な ど 、 公 事 に 仕 う ま つ れ と奏して、長橋より下りて舞踏したまふ。
る、 おろそかなることもぞと、 とりわき仰せ言ありて、 清らを尽くして仕 左馬寮の御馬、 蔵人所の鷹据ゑて賜はりたまふ。 御階のもとに親王たち
うまつれり。 上 達 部 つ ら ね て 、 禄 ど も 品々 に 賜 は り た ま ふ 。
そ の 日 の 御 前 の 折 櫃 物、 籠 物 な ど、 右 大 弁 な む 承 り て 仕 う ま つ ら せ け る 。

桐 壺
おはします殿の東の廂、 東向きに椅子立てて、 冠者の御座、 引入の大臣
の御座 、御前にあり 。申の時にて源氏参りたまふ 。角 髪結ひたまへるつらつ 屯食、 禄の唐櫃どもなど、 ところせきまで、 春宮の御元服の折にも数まさ
れり。なかなか限りもなくいかめしうなむ。 らはせたまふ。御心につくべき御遊びをし、おほなおほな思しいたつく。
内 裏 に は 、 も と の 淑 景 舎 を 御 曹 司 に て、 母 御 息 所 の 御 方 の 人 び と ま か で
[ 第 七 段   源 氏 、 左 大 臣 家 の 娘︵ 葵 上 ︶ と 結 婚   ] 散らずさぶらはせたまふ。
里の殿は、 修理職、 内匠寮に宣旨下りて、 二なう改め造らせたまふ。 も
そ の 夜、 大 臣 の 御 里 に 源 氏 の 君 ま か で さ せ た ま ふ 。 作 法 世 に め づ ら し き との木立、 山のたたずまひ、 おもしろき所なりけるを、 池の心広くしなし
まで、 もてかしづききこえたまへり。 いときびはにておはしたるを、 ゆゆ て、めでたく造りののしる。
し う う つ く し と 思 ひ き こ え た ま へ り 。 女 君 は す こ し 過 ぐ し た ま へ る ほ ど に 、﹁ かかる 所に 思 ふや うな らむ 人 を据 ゑて 住 まば や ﹂と のみ 、嘆か しう 思し わ
いと若うおはすれば、似げなく恥づかしと思いたり。 たる。
こ の 大 臣 の 御 お ぼ え い と や む ご と な き に 、 母 宮、 内 裏 の 一 つ 后 腹 に な む ﹁ 光 る君 と いふ 名 は、高 麗 人 のめ で きこ え てつ け たて ま つり け る﹂と ぞ、言
おはしければ、 いづ方につけてもいとはなやかなるに、 この君さへかくお ひ伝へたるとなむ。
はし添ひぬれば、 春宮の御祖父にて、 つひに世の中を知りたまふべき右大
臣の御勢ひは、ものにもあらず圧されたまへり。
御 子 ど も あ ま た 腹々 に も の し た ま ふ 。 宮 の 御 腹 は、 蔵 人 少 将 に て い と 若
うをかしきを 、右大臣の 、御仲 はいと好からねど 、え 見過ぐしたまはで 、か
しづきたまふ四の君にあはせたまへり。 劣らずもてかしづきたるは、 あら
まほしき御あはひどもになむ。

8
源 氏 の 君 は、 主 上 の 常 に 召 し ま つ は せ ば、 心 安 く 里 住 み も え し た ま は ず 。
心 のう ち には 、た だ 藤 壺の 御 あり さ まを 、類 な しと 思 ひき こ えて 、﹁ さ や う
ならむ人をこそ見め 。似る人なくもおはしけるかな 。大 殿の君 、いとをかし
げにかしづかれたる人とは見ゆれど、 心にもつかず﹂ おぼえたまひて、 幼
きほどの心一つにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。
[ 第八段 源氏、成人の後 ]
大 人 に な り た ま ひ て 後 は、 あ り し や う に 御 簾 の 内 に も 入 れ た ま は ず 。 御
遊びの折々、琴笛の 音に聞こえかよひ 、ほの かなる御声を慰めにて 、内 裏住
みのみ好ましうおぼえたまふ。 五六日さぶらひたまひて、 大殿に二三日な
ど、 絶え絶えにまかでたまへど、 ただ今は幼き御ほどに、 罪なく思しなし
て、いとなみかしづききこえたまふ。
御 方々 の 人 び と 、 世 の 中 に お し な べ た ら ぬ を 選 り と と の へ す ぐ り て さ ぶ
桐 壺 9

You might also like