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新潮現代文学 3

金閣寺
春の雪

三島由紀夫

新潮社版
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II {{ 利 44 J I 品.~ ~;i
春 金
年解

譜説

の 閣

雪 寺
田中美代子

4
05 3
98 1
60
金閣寺・春の雪
ないかと思われる。
五月の夕方など、学校からかえって、叔父の家の二階の
金閣寺 勉強部屋から、むとうの小山を見る。若葉の山腹が西日を
きんぴょうぷ
受けて、野の只中に、金憐風を建てたように見える。それ
を見ると私は、金閣を想像した。
写真や教科書で、現実の金閣をたびたび見ながら、私の
心の中では、父の語った金閣の幻のほうが勝を制した。父
乙んじき
は決して現実の金閣が、金色にかがやいているなどと語ら
なかった筈だが、父によれば、金閣ほど美しいものは地上
第一章 E づら
になく、又金閣というその字面、その音韻から、私の心が
描きだした金閣は、途方もないものであった。
幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。 遠い田の面が日にきらめいているのを見たりすれば、そ
私の生れたのは、舞鶴から東北の、日本海へ突き出たう れを見えざる金閣の投影だと岡山った。福井県とこちら京都
みさき ︿Kぎ かいきちぎかとうげ
らさびしい岬である。父の故郷はそとではなく、舞鶴東郊 府の国堺をなす士口坂峠は、丁度真東に当っている。その峠
しら︿へんぴ
の志楽である。懇望されて、僧籍に入り、辺部な岬の寺の のあたりから日が昇る。現実の京都とは反対の方角である
ぞぴ
住職になり、その地で妻をもらって、私という子を設けた υ のに、私は山あいの朝陽の中から、金閣が朝空へ墾えてい
弘、前 J A J
成生岬の寺の近くには、適当な中学校がなかった。やが るのを見た。
しっか
て私は父母の膝下を離れ、父の故郷の叔父の家に預けられ、 こういう風に、金閣はいたるところに現われ、しかもそ
そとから東舞鶴中学校へ徒歩で通った。 れが現実に見えない点では、 ζ の土地における海とよく似
父の故郷は、光りのおびただしい土地であった。しかし ていた。舞鶴湾は志楽村の西方一里半に位置していたが、
芳三え
金関与

プ年のうち、十一月十二月のとろには、たとえ雲一つない 海は山に遮ぎられて見え・なかった。しかし ζの土地には、


L Cれ
ように見える快晴の日にも、一日に四五へんも時雨が渡っ いつも海の予感のよう・なものが漂っていた。風にも時折海
かしけかもめ 5
た。私の変りやすい心情は、との土地で養われたものでは の匂いが嘆がれ、海が時化ると、沢山の鴎がのがれてきて、
そとらの固に下りた。 いつもそこには、瞬間に変色し、ずれてしまった、:::そ

6
うしてそれだけが私にふさわしく思われる、鮮度の落ちた
体も弱く、駈足をしても鉄棒をやっても人に負ける上に、 現実、半ば腐臭を放つ現実が、横たわっているばかりであ
dza也
生来の吃りが、ますます私を引込思案にした。そしてみん った。
なが、私をお寺の子だと知っていた。悪意たちは、吃りの とういう少年は、たやすく想像されるように、二種類の
坊主が吃り・ながらお経を読む真似をしてからかった。講談 相反した権力意志を抱くようになる。私は歴史における暴
の中に、吃りの岡っ引の出てくるのがあって、そういうと 君の記述が好きであった。吃りで、無口な暴君で私があれ
とろをわざと声を出して、私に読んできかせたりした。 ば、家来どもは私の顔色をうかがって、ひねもすおびえて
すぺ
吃りは、いうまでもなく、私と外界とのあいだに一つの 暮らすことになるであろう。私は明確な、とりのよい言葉
しようがいおんおん
障碍を置いた。最初の音がうまく出ない。その最初の音が、 で、私の残虐を正当化する必要なんかないのだ。私の無言
かぎ
私の内界と外界との間の扉の鍵のようなものであるのに、 だけが、あらゆる残虐を正当化するのだ。とうして日頃私
鍵がうまくあいたためしがない。一般の人は、自由に言葉 をさげすむ教師や学友を、片っぱしから処刑する空想をた
ていかん
をあやつるととによって、内界と外界との問の戸をあけつ のしむ一方、私はまた内面世界の王者、静かな諦観にみち
ぼなしにして、風とおしをよくしておくととができるのに、 た大芸術家になる空想をもたのしんだ。外見とそ貧しかっ

私にはそれがどうしてもできない。鍵が錆びついてしまっ たが、私の内界は誰よりも、こうして富んだ。何か拭いが

ているのである。 たい負け目を持った少年が、自分はひそかに選ばれた者だ、
おん
吃りが、最初の音を発するために焦りにあせっているあ と考えるのは、当然ではあるまいか。との世のどこかに、
a
h
u色ν
いだ、彼は内界の濃密な織から身を引き離そうとじたばた まだ私自身の知らない使命が私を待っているような気がし
している小鳥にも似ている。やっと身を引き離したときに ていた。
は、もう遅い。なるほど外界の現実は、私がじたばたして
ぞうわ
いるあいだ、手を休めて待っていてくれるように思われる ::とんな一括話が思い出される。
場合もある。しかし待っていてくれる現実はもう新鮮な現 東舞鶴中学校は、ひろいグラウンドを控え、のびやかな
実ではない。私が手間をかけてやっと外界に達してみても、 山々にかこまれた、新式の明るい校舎であった。
五月のある日、中学の先輩の、舞鶴海軍機関学校の一生 そう思うことが彼の誇りを傷つけた。彼は私の名をみんな
徒が、休暇をもらって、母校へあそびに来た。 にきいた。それから、
やまぶかひさし みぞ﹁ち
彼はよく日に灼け、日深にかぶった制帽の庇から秀でた ﹁おい、滞日﹂

刊日前ツ予ゐA
鼻梁をのぞかせ、預から爪先まで、若い英雄そのものであ と、初対面の私に呼びかけた。私はだまったまま、まじ
った。後輩たちを前にして、つらい規律ずくめの生活を語 まじと彼を見つめた。拡に向けられた彼の笑いには、権力
どうしゃぜいた︿ ζ
った。しかもそのみじめな筈の生活を、豪脊な、賛沢ずく 者の朔ぴに似たものがあった c
おし
めの生活を諮るような口調で語ったのである。一挙手一投 ﹁何とか返事せんのか。唖か、貴様は﹂
足が誇りにみちあふれ、そんな若さで、自分の謙譲さの重 ﹁ど、ど、ど、吃りなんです﹂
F ゐF
みをちゃんと知っていた。彼はその制服の蛇腹の胸を、海 と崇拝者の一人が私の代りに答え、みん・なが身を撚って
ちょうしよう念ぷ
風を切って進む船首像の胸のように張っていた。 笑った。峨笑というものは何と臨しいものだろう。私には、
おおやいし
彼はグラウンドへ下りる二一二段の大谷石の石段に腰を下 同級の少年たちの、少年期特有の残酷な笑いが、光りのは
ほ はむら一さんぜん
ろしていた。そのまわりには、話に聴き惚れている四五人 じける葉叢のように、燦然として見えるのである。
の後輩がおり、五月の花々、チューリップ、スイ Iトピィ、 ﹁何だ、吃りか。貴様も海機へ入らんか。吃りなんか、一
ひ傘げしか隠
アネモネ、雛標粟、などが斜面の花園に咲きそろっていた。 日で叩き直してやるぞ﹂
ほお とっさ
そして頭上には、朴の木が、白いゆたかな大輪の花をつけ 私はどうしてだか、唱墜に明瞭な返事をした。一言葉はす

ていた。 らすらと流れ、意志とかかわりなく、あっという聞に出た。
話者と聴手たちは、何かの記念像のように動か-なかった。 ﹁入りません。僕は坊主になるんです﹂
私はといえば、二米ほどの距離を置いて、グラウンドの 皆はしんとした。若い英雄はうつむいて、そ ζらの草の
ベンチに一人で腰掛けていた。とれが私の礼儀・なのだ。五 茎を摘んで、口にくわえた。
月の花々や、誇りにみちた制服ゃ、明るい笑い声司などに対 ﹁ふうん、そんならあと何年かで、俺も貴様の厄介になる
r

する私の礼儀なのだ。 わけだな﹂
金[羽

さて、若い英雄は、その崇拝者たちよりも、よけい私の その年はすでに太平洋戦争がはじまっていた。

7
ほうを気にしていた。私だけが威風になびかぬように見え、
-:とのとき私に、たしかに一つの自覚が生じたのであ 象を与えた。五月の びただしい花々が、乙の感じを強め
hp

8
る。暗い世界に大手をひろげて待っているとと。やがては、 た。わけでも、庇を漆黒に反射させている制帽ゃ、そのか
五月の花も、制服も、意地悪な級友たちも、私のひろげて たわらに掛けられた帯革と短剣は、彼の肉体から切り離さ
かえ Cよf1aaJてき
いる手の中へ入ってくる乙と。自分が世界を、底辺で引き れて、却って狩情的な美しさを放ち、それ自体が思い出と
しぼって、っかまえているという自覚を持つこと。:::し 同じほど完全で:::、つまり若い英雄の遺品という風に見
かしとういう自覚は、少年の誇りとなるには重すぎた。 えたのである。
九M
Lι 凶リ
誇りはもっと軽く、明るく、よく自に見え、燦然として 私はあたりに人気のないのをたしかめた。角力場のほう
い・なければならなかった。自に見えるものがほしい。誰の で喚声が起った。私はポケットから、錆びついた鉛筆削り
自にも見えて、それが私の誇りとなるようなものがほしい。 のナイフをとり出し、忍び寄って、その美しい短剣の黒い
、っ
例えば、彼の腰に口巾っている短剣は正にそういうものだ。
きや
鞘の裏側に、二三条のみにくい切り傷を彫り込んだ。目
あ ζが
中学生みんなが憧れている短剣は、実に美しい装飾だっ
た。海兵の生徒はその短剣でこっそり鉛筆を削る-なんぞと :・右のような記述から、私を詩人肌の少年だと速断す
さ一まつ
言われていたが、そういう荘厳な象徴をわざと日常些末の る人もいるだろう。しかし今日まで、詩はおろか、手記の
だて
用途に使うとは、何と伊達なことだろう。 ようなものさえ書いた ζとがない。人に劣っている能力を、
ほてんもつ
たまたま、機関学校の制服は、脱ぎすてられて、白いペ 他の能力で補填して、それで以て人に抜きん出ようなどと
さ︿
ンキ塗りの柵にかけられていた。ズボンも、白い下着のシ いう衝動が、私には欠けていたのである。別の言い方をす
どうまん
ャツも。:・それらは花々の真近で、汗ばんだ若者の肌の れば、私は、芸術家たるには倣慢すぎた。暴君や大芸術家
匂いを放っていた。蜜蜂がまちがえて、との白くかがやい たらんとする夢は夢のままで、実際に着手して、何かをや
ているシャツの花に羽棋を休めた。金モールに飾られた制 り遂げようという気持がまるでなかった。
ただ ほζ
帽は、柵のひとつに、彼の頭にあったと同じように、正し 人に理解されないというととが唯一の衿りになっていた
く、目深に、かかっていた。彼は後輩たちに挑まれて、裏 から、ものどとを理解させようとする、表現の衝動に見舞
'
中suaJ
の土俵へ、角力をしに行ったのである。 われ-なかった。人の目に見えるようなものは、自分には宿
脱ぎすてられたそれらのものは、誉れの墓地のような印 命的に与えられないのだと思った。孤独はどんどん肥った、
凶M ,epaAi'a''L
まるで豚のように。 出し、運動靴を穿いて、夏の暁閣の戸外へ出た。

突然私の回想は、われわれの村で起った悲劇的な事件に 有為子の体を思ったのは、その晩がはじめてではない。
-念
行き当る。との事件には実際は何一つ与っている筈もない 折にふれて考えていたととが、だんだんに固着して、あた
私であるのに、それでもなお、私が関与し、参加したとい かもそういう思念の塊のように、有為子の体は、白い、弾
う確かな感じが消えないのである。 力のある、ほの暗い影にひたされた、匂いのある一つの肉
私はその事件を通じて、一挙にあらゆるものに直面した。 の形で凝結して来たのである。私はそれに触れるときの自
人生に、官能に、裏切りに、憎しみと愛に、あらゆるもの 分の指の熱さを思った。またその指にさからってくる蝉力
に。そうしてその中にひそんでいる崇高な要素を、私の記 ゃ、花粉のような匂いを思った。
憶は、好んで否定し、看過した。 私は暁閣の道をまっすぐに走った。石も私の足をつまず
かせず、簡が私の前に自在に道をひらいた。
ろい あ吉
叔父の家から二軒へだてた家に、美しい娘がいた。有為 そとのととろで道がひらけ、志楽村字安岡の部落の外れ
ゆやき
子という名である。日が大きく澄んでいる。家が物持のせ になる。そとに一本の大きな棒がある。俸の幹は朝露に濡
いもあるが、権柄ずくな態度をとる。みんなにちやほやさ れている。私は根方に身を隠し、部落のほうから有為子の
れるにもかかわらず、一人ぼっちで、何を考えているのか 自転車が来るのを待った。
ねた
わからないと ζろがあった。嫉み深い女は、有為子がおそ 私は待って、何をしようとしたのでもない。息をはずま
うきずめ とかげ
らくまだ処女であるのに、ああいう人相とそ石女の相だな せて走ってきたのが、俸の木蔭に息を休めてみて、自分が
‘恥山vbe
どと噂した。 とれから、何をしようとしているのかわから・なかった。し
有為子は女学校を出たばかりで、舞鶴梅軍病院の特志看 かし私には、外界というものとあまり無縁に暮して来たた
護婦になった。病院へは自転車で通勤できる距離である。 めに、ひとたび外界へ飛び込めば、すべてが容易になり、
しかし朝の出勤は夜のしらじら明けに家を出るので、私た 可能になるような幻想があった。
ぷか
1寺

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ちの登校時間よりも二時間あまり早い。 薮蚊が私の足を刺した。おち ζちに難鳴が起った。私は
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1

ふけ 胞の
ある娩、有為子の体を思って、暗欝左空想に耽って、ろ 路上を透かし見た。遠く白い灰かなものが立った。それは

9
くに眠るととのできなかった私は、暗いうちから床を脱け 暁の色のように思われたが、有為子だったのである。
つ おそ
有為子は自転車に乗ったらしかった。前燈が点けられた。 じめは怖れながら、私と気づくと、私の口ばかりを見てい

Q
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自転車は立間もなくとってきた。棒のかげから、私は自転車 た。彼女は・おそらく、暁閣の・なかに、無意味にうどめいて
の前へ走り出た。自転車は危うく急停車をした。 いる、つまらない暗い小さな穴、野の小動物の巣のような
そのとき、私は自分が石に化してしまったのを感じた。 汚れた無恰好な小さな穴、すなわち、私の口だけを見てい
意志も欲望もすべてが石化した。外界は、私の内函とは関 た。そして、そとから、外界へ結びつく力が何一つ出て来
わりなく、再び私のまわりに確乎として存在していた。叔 ないのを確かめて安心したのだ。
父の家を脱け出して、白い運動靴を穿き、焼閣の道をとの ﹁何よ。へんな真似をして。吃りのくせに﹂
穆のかげまで駈けて来た私は、ただ自分の内面を、ひた走 有為子は言ったが、との声には朝風の端正さと爽やかさ
りに走って来たにすぎなかった。暁閣の中にかすかな輪郭 があった。彼女はベルを鳴らし、ペダルにまた足をかけた。
9 かい
をうかべている村の屋根々々にも、黒い木立にも、青葉山 石をよけるように私をよけて迂回した。人影ひとつないの
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の黒い頂きにも、目前の有為子にさえも、おそろしいほど に、遠く田のむ ζうまで、走り去る有為子が、たびたび噺
完全に意味が欠けていた。私の関与を待たずに、現実はそ けって鳴らしているベルの音を私はきいた。
とに賦与されてあり、しかも、私が今まで見たとともない !ーその晩、有為子の告口で、彼女の母が、私の叔父の
重みで、との無意味な大き・な真暗な現実は、私に与えられ、 家へやって来た。私は日どろは温和な叔父からひどく地需
私に迫っていた。 された。私は有為子を聴い、その死をねがうようになり、
E らい
言葉が・おそらくとの場を救う只一つのものだろうと、い 数ヶ月後には、との呪いが成就した。爾来私は、人を呪う
つものように私は考えていた。私特有の誤解である。行動 というととに確信を抱いている。
が必要なときに、いつも私は言葉に気をとられている。そ 寝ても覚めても、私は有為子の死をねがった。私の恥の
れというのも、私の口から言葉が出にくいので、それに気 立会人が、消え去ってくれることをねがった。証人さえい
をとられて、行動を忘れてしまうのだ。私には行動という なかったら、地上から恥は根絶されるであろう。他人はみ
光彩陸離たるものは、いつも光彩陸離たる言葉を伴ってい んな証人だ。それ-なのに、他人がい・なければ、恥というも
るように忍われるのである。 のは生れて来ない。私は有為子のおもかげ、暁闇のなかで
私は何も見ていなかった。しかし思うに、有為子は、は 水のように光って、私の口をじっと見つめていた彼女の目
の背後に、他人の世界││つまり、われわれを決して一人 一むらの木立のかげに、里山人影が集まって動いている。
にしておかず、進んでわれわれの共犯となり証人となる他 黒っぽい洋服を着た有為子が地聞に坐っている。その顔が
人の世界ーーを見たのである。他人がみんな滅びなければ 大そう白い。まわりにいるのは、四五人の窓兵と、両親で
ならぬ。私が本当に太陽へ顔を向けられるためには、世界 ある。憲兵の一人が、弁当包みのようなものを差出して、

が滅びなければならぬ。: 怒鳴っている。父親はあちこちへ顔を動かし、憲兵に詫び
例の告口の二ヶ月あと、有為子は海軍病院の勤めをやめ 一古川を言ったり、娘を責め立てたりしている。母親はうずく
て、家に引きこもった。村の人たちはいろいろと取沙汰し まって泣いている。
あぜ
た。そうして秋のおわりに、あの事件が起った。 私たちは回を一つ隔てたとちらの畦から眺めていた。見
物はだんだん増え、お互いに無言の肩が触れた。月が絞ら
:・私たちはこの村に海軍の脱走兵が逃げ込んだなどと れたように小さく、われわれの頭上にあった。
いうととは夢にも知らなかった。ただ昼ごろ村役場へ憲兵 学友が私の耳もとで説明した。
が来た。しかし憲兵の来るのはめずらしく-なかったから、 弁当包みを持って家を抜け出して、隣りの部落へ行こう
さほどにも思わ司なかった。 としていた有為子が、待ち伏せしていた憲兵につかまった
それは十月末の明るい一臼である。私はいつものように とと。その弁当は脱走兵へ届けるものに相違-ないとと。脱
学校へゆき、夜の勉強をすませて、寝るべき時刻であったむ 走兵と有為子は海軍病院で親しくなり、そのために妊娠し
燈を消そうとして見下ろした村道に、大ぜいの人が、犬の た有為子が病院を追い出されたこと。憲兵は脱走兵の隠れ
群のように息せいて駈ける音がきとえた。私は階下に下り 家を言えと諮問しているが、有為子はそこに坐ったまま一
かた︿
た。玄関口には学友の一人が立っていて、起きてきた叔父 歩も動かず、頭なに押し黙っていること。:・・

叔母や私に、目を丸くして叫んだ。 私はといえば、目、はたきもせずに、有為子の顔ばかりを
﹁今、む ζうで、有為子が憲兵につかまってるぞ。一絡に 見つめていた。彼女は捕われの狂女のように見えた。月の
金閣寺

付 ζう
{ ﹂ 下に、その顔は動かなかった。
私は下駄をつつかけて駈け出した。月のよい夜で、刈回 私は今まで、あれほど拒否にあふれた顔を見たととが念
はぎ
J
のそこかしこに稲架が鮮明な影を落していた。 ぃ。私は自分の顔を、世界から拒まれた顔だと思っている。
しかるに有為子の顔は悦界を拒んでいた。月の光りはその れて、木立の影に紛れたからである。

2
1
額や目や鼻筋や頬の上を容赦なく流れていたが、不動の顔 有為子が、裏切りを決心したときのこの変容を、私が見
ちょっと
はただその光りに洗われていた。一寸目を動かし、一寸口 られ‘なかったのは残念、なととだ。つぶさにそれを見ていれ
ゆる
を動かせば、彼女が拒もうとしている世界は、それを合図 ば、私にも人間を恕す心が、あらゆる醜さを含めて恕す心
在だ
に、そこから雪崩れ込んで来るだろう。 が、芽生えたかもしれ・ないのだ。
かわら
私は白山を詰めてそれに見入った。歴史はそとで中断され、 有為子は隣りの部落の鹿原の山かげを指さした。
未来へ向つでも過去へ向つでも、何一つ話りかけない顔。 ﹁金剛院だ﹂
そういうふしぎな顔を、われわれは、今伐り倒されたばか と憲兵が叫んだ。
りの切株の上に見ることがある。新鮮で、みずみずしい色
を帯びていても、成長はそとで途絶え、浴びるべき筈のな それから私にも、子供らしいお祭りさわぎのよろ ζぴが
かった風と日光を浴び、本来自分のものではない世界に突 生れた。憲兵は手分けをして、金剛院を四方から囲むこと
も︿め
如として曝されたその断面に、美しい木目が描いたふしぎ になった。村民の協力が要請された。意地のわるい興味か
な顔。ただ拒むために、こちらの世界へさし出されている ら、私は他の五六人の少年と共に、案内の有為子を先立て
顔。::: てゆく第一隊に加わった。月の道を、有為子が憲兵に附添
私は有為子の顔がとんな美しかった瞬間は、彼女の生涯 われて、先頭に立って歩くその確信にみちた足敢に、私は
にも、それを見ている私の生涯にも、二度とあるまいと思 おどろいた。
わずにはいられ・なかった。しかしそれが続いたのは、思っ 金剛院は名高かった。それは安岡から歩いて十五分ほど
かや
たほど永い時間ではなかった。との美しい顔に、突然、変 の山かげにあり、高丘親王の御手植の栢や、左甚五郎作と
めいさつ
容が現われたのである。 伝えられる優雅な三重塔のある名刺である。夏にはよく、
有為子は立上った。そのとき彼女が笑ったのを見たよう その裏山の滝を浴びて遊んだ。
、いついじすすき
に思う。月あかりに白い前歯のきらめいたのを見たように 川のほとりに本堂の塀がある。やぶれた築泥の上に、白亡
思う。私はそれ以上、この変容について記すととができな が生い茂って、その白い穂が夜自にもつややかに見える。
さぎんか
い。立上った有為子の顔は、月のあからさまな光りをのが 本堂の門のそばには山茶花が咲いている。一行は黙々と川
ぞいに歩いた。 組は、怪しくも見え、-なまめかしくも見える。
み Eう
金剛院の御堂は、もっと昇ったと ζろにある。丸木橋を 脱走兵は、舞台の上の御堂のなかに、身をひそめている
おとり
わたると、右に三重塔が、左に紅葉の林があって、その奥 らしかった。憲兵は有為子を固にして、彼を捕えようと思
ζけむ
に百五段の苔蒸した石段がそびえている。石灰石であるた ったのである。
めに滑りやすい。 私たち証人は、蔭にかくれ、息を詰めていた。十月下旬
丸木橋を渡る前に、憲兵がふりかえって、手振りで以て、 の冷たい夜気に包まれながら、私の頬はほてった。
うんけいたんけい
二付の歩みを止めた。むかし ζとには運慶港慶作の仁王門 有為子一人が、石灰石の百五段の石段を昇って行った。
つづらだ K
があったのだそうである。そしてことから奥、九十九谷の 狂人のように誇らしく。・・黒い洋服と黒い髪のあいだに、
山々は金剛院の寺領になっている。 美しい横顔だけが白い。
隠 ζす ぎ り ょ う せ ん
・・・・私たちは怠をひそめた。 月や星や、夜の雲ゃ、鉾杉の稜線で空に接した山ゃ、ま
憲兵は有為子を促した。彼女一人が丸木橋をわたり、し だらの月かげや、しらじらとうかぶ建築ゃ、とういうもの
ばらくして私たちはそれにつ つ
e
いた。石段の下方は影に包 のうちに、有為子の裏切りの澄明な美しさは私を酔わせた。
ひk
まれている o しかし中程から上は、月明りの中に在る。わ 彼女は孤りで、胸を張って、との白い石段を昇ってゆく資
れわれは石段の下方の、そとかしとの物蔭に身を隠した。 格があった。その裏切りは、星や月や鉾杉と同じものだっ
色づきかけた紅葉は、月の光りに黒ずんで見えた。 た。つまり、われわれ証人と一緒にこの世界に住み、乙の
石段の上には金剛院の本殿があり、そとから左へ斜めに 自然を受け容れるととだった。彼女はわれわれの代表者と
わたどのかぐらでんあきみどう
渡殿が架せられ、神楽殿のような空御堂に通じている。そ して、そこを昇って行ったのである。
きよみず
の空御堂は空中にせり出し、清水の舞台を模して、組み合 息をはずませて、私は ζう思わずにはいられなかった。
がけ
わされた多くの柱と横木が、崖の下からそれを支えている コ裏切ることによって、とうとう彼女は、俺をも受け容れ
のである。御堂も渡殿も、支える木組も、風雨に洗われて、 たんだ o彼女は今とそ俺のものなんだ﹄
金閣寺

清らかに白くて、白骨のようである。紅葉の盛りには、紅
葉の色と、 ζ の白骨のような建築とが、美しい調和を示す -・事件というものは、われわれの記憶の中から、或る

3
1
傘だ とけ台
のだが、夜だと、と ζろどころ斑らに月光を浴びた白い木 地点で失墜する。百五段の苔蒸した石段を昇ってゆく有為
子はまだ眼前にある。彼女は永久にその石段を昇ってゆく 私にはすべてが遠い事件だとしか思えなかった。鈍感な
ろうばい

H
ように思われる。 人たちは、血が流れなければ狼狽しない。が、血の流れた
しかしそれから先の彼女は別人になってしまう。おそら ときは、悲劇は終ってしまったあとなのである。しらぬ聞
く石段を登り切った有為子は、もう一度私を、われわれを に私はうとうとしていた。自がさめたとき、皆の置き忘れ
さえず
裏切ったのだ。それから先の彼女は、世界を全的に拒みも た私のまわりは、小鳥の鴫りにみたされ、朝陽がまともに
しない。全的に受け容れもしない。ただの愛慾の秩序に身 紅葉の下校深く射し込んでいた。白骨の建築は、床下から
を屈し、一人の男のための女に身を落してしまった。 日をうけて、よみがえったように見えた。静かに、誇らし
&ほにあい
だから私は、それを古い石版刷のような光景としてしか げに、紅葉の谷聞でその空御堂をせり出していた。
思い出すことができぬ。:::有為子は渡殿を渡って、御堂 私は立上って、身ぶるいして、体のそ ζかしこを ζすっ
の闇へ呼びかけた。男の影があらわれた。有為子は何か語 た。寒さだけが身内に残っていた。残っているのは寒さだ
りかけた。男は石段の途中へ向けて、手にしていた拳銃を けであった。

**
撃った。これに応戦する憲兵の拳銃が、石段の中途の繁み

*
から発射された。男はもう一度拳銃を構えると、渡殿のほ
げさ
うへ逃げようとしている有為子の背中へ、何発かつ,つけて 次の年の春休みに、父が国民服に袈裟をかけた姿で、叔
つっさき ζめかみ
射った。有為子は倒れた。男は拳銃の銃先を、自分の顕誠 父の家を訪ねてきた。私を一一一二日京都へ連れて行くという
に当てて発射した。: のである。父の肺患はずいぶん進んでいて、私はその衰え
ーー憲兵をはじめ、みんなが我がちに石段を駈け上り、 におどろいた。私のみならず、叔父夫婦も京都行を止める
しかばね
二人の屍のほうへいそぐのをよそに、私は紅葉のかげに、 のに、父はきかない。あとになって思うと、父は自分の命
じっと身をひそめていたままである。白い木総は縦横に重 のあるあいだに、私を金閣寺の住職に引合わせたかったの
なって、私の頭上にそびえていた。その上からは板敷の渡 である。
殿を踏みちらす靴音が、どく軽やかな音になって舞い落ち もちろん金閣寺を訪れるととは、私の永年の夢であった
てきた。二三の懐中電燈の光りの入り乱れるのも、欄をこ が、気丈に振舞っていても誰の自にも重忠の病人に見える
・4' A
P﹄
えて紅葉の梢にまで届いた。 父と、旅へ出るのは気が進まなかった。まだ見ぬ金閣にい
ちゅ今ちょ
よいよ接する時が近づくにつれ、私の心には鴎路が生じた。 て、住宅風の建築に仏堂風を配して調和をえた庭園建築の
︿げ
どうあっても金閣は美しく・なければならなかった。そ乙で 優作であり、公家文化をとり入れた義満の趣味の現われと、
すべては、金閣そのものの美しさよりも、金閣の美を想像 当時の雰囲気とをよく伝えている。
ぜんきつろ︿おんじ
しうる私の心の能力に賭けられた。 議渦の死後、北山殿は遺命により脳陣利となし、鹿苑寺と
少年の頭で理解できるだけのことについては、私も金閣 号した。その建物も他に移されたり、または荒廃したりし
に通暁していた。通り一ぺんの美術書は、こんなふうに金 たが、金閣だけは幸いに残された。:::﹂
閣の歴史を述べていた。 夜空の月のように、金閣は暗黒時代の象徴として作られ
あ し か が よ し み つ き い 取 んE きたやまどの
﹁足利義満は西園寺家の北山殿を譲り受け、 ζ こに大規模 たのだった。そとで私の夢想の金閣は、その周囲に押しよ
せんぼう
な別荘を営んだ。その主要建築は、舎利殿、護摩堂、機法 せている悶の背景を必要とした。閣のなかに、美しい細身
Eう 隠 す い い ん し ん ぜ ん ︿ げ の ま
堂、法水院などの仏教建築と、官民殿、公卿問、会所、天鏡 の柱の憐造が、内から微光を放って、じっと物静かに坐っ
きょうほ︿ろういずみどの
閣、扶北楼、泉殿、看雪亭などの、住宅関係の建築とであ ていた。人がこの建築にどんな言葉で語りかけても、美し
った。舎利殿は最も力を注いで造られ、後に金閣と言われ い金閣は、無言で、繊細な構造をあらわにして、周囲の簡
た建物である。いつ頃から金閣というようになったか、は に耐えていなければならぬ。
っきりと一線を引くのは困難であるが、応仁の乱以後らし 私はまた、その屋根の頂きに、永い歳月を風雨にさらさ
く、文明頃には可成普遍的に用いられている。 れてきた金銅の鳳嵐を思った。この神秘的な金いろの鳥は、
金閣はひろい苑池(鏡湖池)にのぞむ三層の機閣建築で、 時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が烏であることを忘
一三九八年(応永五年)どろ出来上ったものと思われる。 れてしまっているにちがいなかった。しかしそれが飛ばな
しとみど
一・二層は寝殿造風につくり、蔀戸を用いているが、第三 いようにみえるのはまちがいだ。ほかの烏が空間を飛ぶの
さんからど
層は方三間の純然たる禅堂仏堂風につくり、中央を桟唐戸、 に、との金の鳳風はかがやく翼をあげて、永遠に、時間の
かとうまどひわだぷきほうぎようづ︿り
左右を花頭窓としている。属根は檎皮葺・宝形造で金銅の なかを飛んでいるのだ。時聞がその翼を打つ。翼を打って、
ほうおう
金閣寺

鳳恩をあげている。また、池にのぞんで、切妻屋根の釣殿 後方に流れてゆく。飛んでいるためには、鳳恩はただ不動
そうせい e
-a
he
ζ
(激清)を突出させ、全体の単調を破っている。屋根の勾 の姿で、眼を怒らせ、翼を高くかかげ、尾羽根をひるがえ

5
1
ばいそすい
配はゆるやかで、軒は疎樟とし、木割細く軽快優美であっ し、いかめしい金いろの双の脚を、しっかと踏んばってい
ればよかったのだ。 金閣は私の手のうちに収まる小さな精巧な細工物のよう

6
1
そうして考えると、私には金閣そのものも、時間の海を に思われる時があり、文、天空へどこまでも饗えてゆく巨
がらん
わたってきた美しい船のように思われた。美術書が語って 大な怪物的な伽藍だと思われる時があった。美とは小さく
いるその﹁壁の少ない、吹ぬきの建築﹂は、船の情造を空 も大きくもなく、適度なものだという考えが、少年の私に
想させ、との複雑な三層の屋形船が臨んでいる池は、海の はなかった。そとで小さな夏の花を見て、それが朝露に濡
象徴を思わせた。金閣は‘おびただしい夜を渡ってきた。い れておぼろな光りを放っているように見えるとき、金閣の
つ果てるともしれぬ航海。そして、昼の問というもの、と ように美しい、と私は思った。また、雲が山のむとうに立
いかり あんたんふち
のふしぎな船はそしらぬ顔で碇を下ろし、大ぜいの人が見 ちはだかり、雷を含んで暗港としたその縁だけを、金色に
まか
物するのに委せ、夜が来ると周囲の閣に勢いを得て、その かがやかせているのを見るときも、こんな壮大さが金閣を
屋根を帆のようにふくらませて出帆したのである。 思わせた。はては、美しい人の顔を見ても、心の中で、
私が人生で最初にぶつかった難聞は、美というととだっ ﹁金閣のように美しい﹂と形容するまでになっていた。
そうりよど
たと言っても過言ではない。父は田舎の素朴な僧侶で、語
MP 乙のよ e-、
Pι り
嚢も之しく、ただ﹁金閣ほど美しいものは此世にない﹂と その旅は物悲しかった。舞鶴線は商舞鶴から、真倉、上
色のやぺ
私に教えた。私には自分の未知のと ζろに、すでに美とい 杉などの小さな駅々に止って、綾部を経て、京都へ向うの
しようみう
うものが存在しているという考えに、不満と焦燥を覚えず だが、客車は汚なく、保津峡ぞいのトンネルの多いととろ
ぽいえん
にはいられなかった。美がたしかにそこに存在しているな では、煤煙が容赦なく車内に吹き込み、そのむうっとする

らば、私という存在は、美から疎外されたものなのだ。 煙のために、何度となく父は咳き込んだ。
金閣はしかし私にとって、決して一つの観念では-なかっ 乗客は多少とも海軍に関係のある人が多かった。三等車
た。山々がその眺望を隔てているけれど、見ょうと思えば は、下士官、水兵、工員、海兵団へ面会に行ったかえりの
そとへ行って見るとともできる一つの物だった。美は、か 家族などで満員だった。
くて指にも触れ、自にもはっきり映る一つの物であった。 私は窓外のどんよりした春の曇り空を見た。父の国民服
さまざまな変容のあいだにも、不変の金閣がちゃんと存在 の胸にかけられた袈裟を見、血色のよい若い下士官たちの
きんボタ〆
することを、私は知ってもいたし、信じてもいた。 金釦をはね上げているような胸を見た。私はその中間にい
るよう・な気がした。やがて丁年に達すれば、私も兵隊にと そのさして大きくない握り飯を一つ食べるのがようようで
られる。しかし、私はたとえ兵隊になっても、自の前の下 あった。
すす
士官のように、役割に忠実に生きるととができるかどうか。 私にはとの煤けた古い列車が、都を目ざしてゆくように
ともかく、私は二つの世界に股をかけている。私はまだ ζ は思えなかった。との汽車は死の駅へ向って進んでいるよ
っかさど
んなに若いのに、醜い頑固なおでとの下で、父の司ってい うに思われた。とう思うとトンネル毎に車内に充ちる煙は、
る死の世界と、若者たちの生の世界とが、戦争を媒介とし 焼場の匂いがした。
て、結ぼれつつあるのを感じていた。私はその結び目にな
わか
るだろう。私が戦死すれば、目の前のこの岐れ道のどっち -:・しかしさすがに鹿苑寺総門の前に立ったとき、私の
を行っても、結局同じだったととが判明するだろう。 胸はときめいた。とれからとの世で一等美しいものが見ら
私の少年期は薄明の色に混濁していた。真暗な影の世界 れるのだ。
かすみ
はおそろしかったが、白昼のようなくっきりした生も、私 日は傾きかけ、山々は霞に包まれていた。数人の見物が、
のものでは・なかった。 私たち父子と前後してその門をくぐった。門の左方には、
みと
父が咳き入るのを看取りながら、私はたびたび保津川を 鐘楼をめぐって残んの花をつけた梅林があった。
︿ぬぎ
窓外に見た。それは化学の実験で使う硫酸銅のような、く 父は、大きな傑の木を前に控えた本堂の玄関に立って案
ぐん・しよう
どいほどの群青いろをしていた。トンネルを出る毎に、保 内を乞うた。住職は来客中なので、二三十分待ってほしい
まぢか
津峡は、線路から遠くにあったり、また意外に目近に寄り と云われた。
ろ︿ろ
添うて来ていて、滑らかな岩に固まれて、その群青の纏磁 ﹁その聞に金閣を見てまわってこ L
をとどろに廻していたりした。 と父が言った。
父は白米の握り飯の弁当を事中でひらくのを恥かしがっ 父は多分顔を利かして、只で、参観門をくぐるところを、
ふだ

。 息子の私に見せたかったらしい。しかし切符やお札を売る
だんか あらた
金閣寺

﹁闇米ではないさかいにな。檀家の志だから、よろ ζんで 係の人も、参観門で切符を検める人も、十数年前に父がよ


もろたらええのんや﹂ く来た ζろの人とはすっかり変っていた。

7
1
あたりにき乙えるようにそう言って食べるのだが、父は ﹁ζ の次来るときは、又変ってるんやろな﹂
と父はうそ寒い函持で言った。しかし﹁との次来ると くないものだろうか、と私は考えた。

8
1
き﹂を、もう父が確信していないというととを私は感じた。 もし私が謙虚な勉強好きの少年だったら、そんなにたや
しかし私は、わざと少年らしく(私は乙んな時だけ、故 すく落胆する前に、自分の鑑賞眼の至らなさを嘆いたであ
意の演技の場合だけ、少年らしかったて陽気に先に立っ ろう。しかし私の心があれほど美しさを予期したものから
て、ほとんど駈けて行った。そ乙であれほど夢みていた金 裏切られた苦痛は、ほかのあらゆる反省を奪ってしまった。
閣は、大そうあっけなく、私の前にその全容をあらわした。 私は金閣がその美をいつわって、何か別のものに化けて
私は鏡湖池のとちら側に立っており、金閣は池をへだて いるのではないかと思った。美が自分を護るために、人の
そ争ぜい
て、傾きかける日にその正面をさらしていた。激清は左方 目をたぷらかすというととはありうるととである。もっと
のむとうに半ば隠れていた。藻や水草の葉のまばらにうか 金閣に接近して、私の自に醜く感じられる障害を取除き、
ぜいち
んだ池には、金閣の精綴な投影があり、その投影のほうが、 一つ一つの細部を点検し、美の核心をこの目で見なければ
ひさし
一そう完全に見えた。西日は池水の反射を、各層の庇の裏 ならぬ。私が自に見える美をしか信じ・なかった以上、との
側にゆらめかせていた。まわりの明るさに比して、との庇 態度は当然である。
azdB
の裏側の反射があまり舷ゆく鮮明なので、遠近法を誇張し さて父は私を導いて、うやうやしく法水院の縁先に上つ
ガ'ヌ
た絵のように、金閣は威丈高に、少しのけぞっているよう た。私はまず硝子のケ l スに納められた巧級友金閣の模型
な感じを与えた。 を見た。乙の模型は私の気に入った。とのほうがむしろ、
﹁どや、きれいやろ。一階を法水院、二階を潮音洞、三階 私の夢みていた金閣に近かった。そして大きな金閣の内部
︿きょうちょう
を究費頂と云うのんや﹂ にこんなそっくりそのままの小さな金閣が納まっているさ
父の病んだ肉の薄い手は私の肩に置かれていた。 まは、大宇宙の中に小宇宙が存在するような、無限の照応
私はいろいろに角度を変え、あるいは首を傾けて眺めた。 を思わせた。はじめて私は夢みるととができた。との模型
何の感動も起らなかった。それは古い黒ずんだ小っぽけな よりもさらにさらに小さい、しかも完全な金閣と、本物の
からす
三階建にすぎなかった。頂きの鳳恩も、時仰がとまっている 金閣よりも無限に大きい、ほとんど世界を包むような金閣
ようにしか見え-なかった。美しいど ζろか、不調和な落着 とを。
かない感じをさえ受けた。美というものは、とんなに美し しかし私の足は、いつまでも模型の前に止まっていたわ
かいちん
けではない。次いで、父は名高い国宝の義満像の前へ私を た辛苦の友であるのみならず、開枕の時刻のあとで、塀を
ていほっ
案内した。その木像は義満の剃髪ののちの名、鹿苑院殿道 乗り超えて女を買いに出たりする楽しみを共にした仲でも
義の像と呼ばれている。 あった。
それも私には煤けた奇妙な偶像と見えただけで、何の美 われわれ父子は、金閣拝見のあと、ふたたび本堂の玄関
しさも感じられなかった。さらに二階の潮音洞に昇り、狩 をおとなうと、長いひろぴろとした廊下をみちびかれて、
野正信の筆と云われる天人奏楽の天井画を見ても、頂上の 名高い陸舟松のある庭を見わたす大書院の住職の部屋へと
︿圭CS きんぽ︿ ζんせき
究寛頂の隈々にのとる、哀れな金箔の痕跡を見ても、美し 相
hされた。
ひざかし乙
いと思うととはできなかった。 私は学生服の膝を畏まらせて、回くなって坐っていたが、
にわ︿つろ
私は細い側干に究つでぼんやり池のおもてを見下ろした。 父はととへ来て俄かに寛きを見せた。しかし父と、乙との
池は夕日に照らされ、笥ひた古代の銅鏡のような鏡面に、 住職とは、同じ出身でも、福々しさがずんとちがっていた。
金閣の影をまっすぐに落していた。水草や藻のはるか下方 父は病み衰え、貧相で、粉っぽい肌をしているのに、道詮
に、映っている夕空があった。その夕空は、われわれの頭 和尚は、まるで桃いろのお菓子みたいに見えた。和尚の机
上にある空とはちがっていた。それは澄明で、寂光に満た の上には、 ζんな花々しい寺らしく、諸方から送られた小
され、下方から、内側から、 ζ の地上の世界をすっぽり呑 包や雑誌類、本、手紙などが、封も切られずに山と積まれ
きん 隠さみ
み込んでおり、金閣はその中へ、黒く錆び果てた巨大な金 ていた。和尚はむっちりした指さきで、鋲をとって、小包
む︿いかり む
無垢の碇のように沈んでいた。::・ の一つを器用に剥いた。
﹁東京から送ってきた菓子ゃ。今どろ、こんな菓子はめず
・,
hp'レトa
住職の岡山道詮和尚は、父と機堂における友であった。 らしい。庖には出さんと、軍や官庁にだけ納めてるんやそ
4
道詮和尚も父も、三年にわたる衛堂生活をし、そのあいだ うな﹂
うすた
起居を共にした仲であった。二人はとれも将軍義満の建立 われわれはお薄茶をいただき、ついぞ喰べたとともない
しようと︿ E K わつ
J め た ん が づ め
金閣寺

にかかる相国寺の専門道場へ、北日-ながらの庭詰や且過詰の 西洋の干菓子のようなものを喰ベた。緊張すればするほど、
につしゅ
手続を経て入衆したのである。のみならず、ずっとあとで 粉が際限もなく、私の光っている黒サ 1ジの膝にとぼれた。日
aqa

道詮師が機嫌のよいときに話したととだが、父とは乙うし 父と住職は、軍や官僚が神社ばかりを大事にして寺を軽
んじ、軽んじるばかりか圧迫するととを憤慨し、これから この子をな﹂

2】
の寺の経営はどういう風にやってゆくべきか、などという 道詮師はさすがにお座なりの慰めなどは言わ-なかった。
議論をした。 ﹁よろし。お引受けします﹂

巴わ
住職は小肥りしていて、もちろん織もあったが、一つ一 私がおどろいたことには、その後の二人の愉しげな対話
つの鮫の中までが、きれいに洗い込まれている。丸顔で、 は、さまざまな名僧の死の逸話についてであった。或る名
鼻だけが長くて、流れてきた樹脂が閏まったような形をし 僧は﹁ああ、死にとうない﹂と言って死に、或る名僧はゲ

ている。顔がそういう風なのに、剃り上げた頭の形はいか ーテそっくりに﹁もっとあかりを﹂と一言って死に、或る名
っく、精力が頭に集まっているようで、頭だけがひどく動 僧は死ぬまで自分の寺の銭勘定をしていたそうである。
物的なのである。
や︿ぜき
父と住職の話題は、僧堂時代の思い出に移った。私は庭 薬石と呼ばれる夕食を御馳走になり、その晩は寺に泊め
の陸舟松を眺めていた。それは巨松の枝が低くわだかまっ てもらうことになったが、夕食後私は父を促して、もう一

のやA
Fし
て、船の形をし、舶のほうの枝だけが、こぞって高まって 度金閣を見に行った。月がのぼったからである。
ζうふん
いるのである。開園間近に団体の見物が来たらしく、塀ど 父は住職との久々の対面に昂奮して、大そう疲れていた
しに金閣のほうからざわめきがひびいて来る。その足音も が、金閣ときくと、息を切らし・ながら私の肩につかまって
人声も、春の暮れがたの空に吸われて、音が尖ってきとえ ついて来た。
ず、やわらかい円みを帯びてきこえる。足音がまた潮のよ 月は不動山の外れからのぼった。金閣は裏側から月光を
うに遠さかつてゆくのが、いかにも地上を通りすぎてゆく うけ、暗い複雑な影を折り畳んで静まり、究費頂の華頭窓
しゅじよう わ︿
衆生の足立日という風に思われる。私は暮れ残る光りを凝ら の枠だけが、月の滑らかな影をし﹂らせていた。究費頂は吹
憾の
している金閣頂上の鳳恩をじっと見上げた。 抜けなので、そとには灰かな月明りが住んでいるように思
﹁との子を・な、:::﹂と父の言っている声をききつけて、 われた。


私は父のほうへふりむいた。ほとんど暗くなった室内では、 葦原島のかげから夜鳥が叫ぴをあげて飛び掬った。私は

私の将来が、父から道詮師に託されているのだった。 わが肩に父の痩せ細った手の重みを感じていた。その肩に
﹁わしも永いととないと思うてますので、どうかその節は 目をやったとき、月光の加減で、私は父の手が白骨に変っ
ているのを見た。
**

第二章
*

あれほど失望を与えた金閣も、安岡へかえったのちの日
よみVえ
に日に、私の心の中でまた美しさを蘇らせ、いつかは、見 父の死によって、私の本当の少年時代は終るが、自分の
る前よりももっと美しい金閣になった。どとが美しいとい 少年時代に、まるきり人間的関心ともいうべきものの、欠
ほぐ︿ おどろ
うことはできなかった。夢想に育まれたものが、一旦現実 けていたことに私は侍くのである。そしてとの侍きは、父
しげき
の修正を経て、却って夢想を刺戟するようになったとみえ の死を自分が少しも悲しんでいないのを知るに及んで、侍

スu きとも名付けようのない、或る無力な感懐になった。
,,、,
許A u
もう私は、ν
属目、
' の風景や事物に、金閣の幻影を追わなく
, 駈けつけたとき、父はすでに棺の中に横たわっていた。
なった。金閣はだんだんに深く、堅固に、実在するように というのは、内浦まで徒歩で行って、そこから船を頼んで、
なった。その柱の一本一本、筆頭窓、屋根、頂きの鳳鳳な 浦づたいに成生へかえるには、丸一日かかったからである。
ども、手に触れるようにはっきりと自の前に浮んだ。繊細 季節は梅雨入り前の、照りつける暑い毎日である。私が対
そろそ令ひつぎ
な細部、複雑な全容は-お互いに照応し、音楽の一小節を思 面すると勿々、枢は荒涼たる岬の焼場に運ばれて、海のほ
い出すととから、その全貌が流れ出すように、どの一部分 とりで焼かれるととになっていた。
をとりだしてみても、金閣の全貌が鳴りひびいた。 回舎の寺の住職の死というものは、異様なものである。
﹁地上でもっとも美しいものは金閣だと、お父さんが言わ 適切すぎて、異様なのである。彼はいわば、その地方の精
れたのは本当です﹂ 神的中心でもあり、檀家の人たちのそれぞれの生涯の後見
とはじめて、私は父への手紙に書いた。父は私を叔父の 人でもあり、彼等の死後を委託される者でもあった。その
家に連れ戻すと、すぐ又寂しい岬の寺にかえっていた。 彼が寺で死んだ。それはまるで、職務をあまりにも忠実に
おびただかつりつ
金悶寺

折り返して、母から電報が届いた。父は移しい曙血をし やってのけたという感銘を与え、死に方を教えて廻ってい
て死んでいた。 た者が、自ら実演してみせてあやまって死んだような、一

21
種の過失と謂った感を与える。
実際父の枢は、用意万端整えられていたものの中にはめ なく、私はただ父の死顔を見ていた。

2
2
込まれたような、所を得すぎた感じで置かれていた。母や 屍はただ見られている。私はただ見ている。見るという
すうぞう
雛僧や檀家の人々はその前で泣いていた。雛僧のたどたど こと、ふだん何の意識もなしにしているとおり、見るとい
しい読経も、半ば、枢の中の父の指示に頼っているという うととが、こんなに生ける者の権利の証明でもあり、残酷
風なのである。 さの表示でもありうるとは、私にとって鮮やかな体験だっ
父の顔は初夏の花々に埋もれていた。花々はまだ気味の た。大声で歌いもせず、叫びながら駈けまわりもしない少
わるいほど、なまなましく生きていた。花々は井戸の底を 年は、とんな風にして、自分の生を確かめてみる ζとを学
のぞき込んでいるようだつた。なぜなら、死人の顔は生き んだ。
ている顔の持っていた存在の表面から無限に陥没し、われ 卑屈なととろの多い私ではあったが、そのとき、少しも
われに向けられていた蹴の織のようなものだけを残して、 涙に濡れてい・ない明るい顔を、檀家の人たちのほうへ向け
二度と引き上げられないほど奥のほうへ落っこちていたの ることを恥じ・なかった。寺は海に臨む出陸上にあった。弔い
だから。物質というものが、いかにわれわれから遠くに存 客 た ち の 背 後Kは、日本海の沖にわだかまる夏雲が立ちふ
在し、その存在の仕方が、いかにわれわれから手の届かな さがっていた。
きがん
いものであるかというととを、死顔ほど如実に語ってくれ 起禽の読経がはじまり、私はそれに加わった。本堂は暗
ばん老げしげまんけ
るものはなかった。精神が、死によってこうして物質に変 かった。柱にかけられた幡、内陣の長押の華髪、香炉や華
ぴょうきら
貌するととで、はじめて私はそういう局面に触れ得たのだ 瓶のたぐいは、燈明のちらちらする光りをうけて短めいた。
たもと
が、今、私には徐々に、五月の花々とか、太陽とか、机と ときどき海風が入って来て、私の僧衣の快をふくらませた。
か、校舎とか、鉛筆とか、:::そういう物質が何故あれほ 私は読経している自分の日のはじに、強烈な光りを彫り込
ど私によそよそしく、私から遠い距離に在ったか、その理 んだ夏の雲の立姿をたえず感じていた。
由が呑み込めて来るような気がした。 たえず私の顔の半面にそそぎかけるあの厳しい外光。輝
だん傘みきも ぷ・へつ
さて、母や檀那たちは、私と父との最後の対面を見成っ やかしいあの侮蔑。 a
ていた。しかしとの言葉が暗示している生ける者の世界の
類推を、私の頑な-な心は受けつけなかった。対面などでは 1 1葬列がもう一二丁で焼場へ着くというとき、私たち
は突然の雨に会った。折よく気のよい檀家の前だったので、 雨の只中に、焔だけが端麗な形で立上った。
ふた
枢もろとも雨宿りをすることができた。雨は止むけしきが 突然、物の裂ける怖ろしい音がした。枢の蓋が跳ね上っ
-なかった。葬列は前へ進まねばならなかった。そとで一同 たのである。
-
Lゆず
の雨具が整えられ、枢は油紙で覆われて焼場へ運ばれた。 私はかたわらの母を見た。母は数珠に両手でっかまって
そとは村の東南へ突き出た岬の根方の、石だらけの小さ 立っていた。その顔はひどく硬く、掌の中へ入りそうなほ
念浜である。そとで焼く煙は村のほうへひろがらないので、 ど、ひどく凝固して小さく見えた。
普からそとが焼場に使われて来たものらしい。

*
*本
その磯の波は格別荒い。波が動揺しながらふくらんで砕
けようとするあいだにも、その不安な水聞は、間断念く雨 父の遺言どおり、私は京都へ出て、金閣寺の徒弟になっ
に刺されている。光りのない雨はただならぬ海面を、冷静 た。そのとき住識に就いて得度したのである。学資は住職
に刺し貫ぬいているだけである。しかし海風が、ふとして、 が出してくれ、その代りに掃除をしたり、住職の身のまわ
しぶき
雨を荒涼とした岩壁に吹きつける。白い岩壁は、墨の繁吹 りの世話をしたりする。在家のいわゆる書生と同じ乙とで
を吹きつけられたように黒くなる。 90
ゑりヲ
azdv
私たちはトンネルを抜けてそとに達し、人夫たちが茶毘 寺に入ってすぐ気のついたととだが、やかましい寮頭は
の仕度をするあいだ、トン、不ルの中で雨を避けた。 兵隊にとられ、寺には老人とどく若い者としか残ってい-な
海景は何も見え・なかった。波と、濡れている黒い石と、 かった。ととへ来て、いろんな点で私はほっとした。在家
つや
雨だけがあった。泊をかけられた枢は、艶やかな木の肌の の中学のように、お寺の子だからと云ってからかわれると
色をして、雨に叩かれていた。 とはなく、ととにいるのは同類ばかりだったから Oi--

火がつけられた。配給の油が、住職の死のためにたっぷ は吃りで、皆より少し醜い点だけがちがっていた。
かえむち
り用意されたので、火は却って雨に逆らって、鞭打つよう 東舞鶴中学校を中退して、田山道詮和尚の口ききで、臨
慌のお
金閣寺

な音を立てて募った。昼間の焔が、-おびただしい煙のなか 済学院中学へ転校するととになった私は、一ト月足らずし
に、透明な姿で、はっきり見えた。煙はふくよかに累なり てはじまる秋学期から、転校先へ通うことになっていた。

23
ながら、少しずつ崖のほうへ吹き寄せられ、ある瞬間には、 しかし学校がはじまれば、いずれすぐどとぞの工場へ、勤
労動員をされるととはわかっていた。今、私の前には、新 るようにしてくれ。又もし、あなたが地上で比べるものが

4
2
たな環境における、数週間の夏休みが残っていた。喪中の ないほど美しいなら、何故それほど美しいのか、何故美し
夏休み、昭和十九年の戦争末期に置かれたふしぎにしんと くあらねばならないのかを語ってくれ﹄
した夏休み、:::寺の徒弟生活は規則正しく送られたが、 その夏の金閣は、つぎつぎと悲報が届いて来る戦争の暗
a
A妻、
私にはそれが、長後の、絶対的な休暇だったように思い出 い状態を餌にして、一そういきいきと輝やいているように
せみ
される。その蝉の音もつぶさにきとえる。 見えた。六月にはすでに米軍がサイパンに上陸し、連合軍
ち︿
はノルマンジlの野を馳駆していた。拝観者の数もいちじ
::数ヶ月ぶりに見る金閣は、晩夏の光りの中に静かで るしく減り、金閣はこの孤独、との静寂をたのしんでいる
ある。 かのようだつた。
私は得度の折に剃られたばかりの青々とした頭をしてい 戦乱と不安、多くの屍と移しい血が、金閣の美を富ます

た。空気が頭にぴったりと貼りついているようなその感覚、 のは自然であった。もともと金閣は不安が建てた建築、一
それは自分の頭の中で考えていることが、薄い敏感な傷つ 人の将軍を中心にした多くの暗い心の持主が企てた建築だ
きゃすい皮膚一枚で、外界の物象と接していると謂った妙 っ た の だ 。 美 術 史 家 が 様 式 の 折 衷 を し か そ ζ に見ない三層
に危険な感覚だ。 のばらばらな設計は、不安を結国間させる禄式を探して、自
そういう頭で金閣を見上げると、金閣は私の白からばか 然にそう成ったものにちがいない。一つの安定した様式で

りでなく、頭からも穆み入って来るように思われる。その 建てられていたとしたら、金閣はその不安を包摂するとと
たち一定
頭が日照りに応じて熱く、タ風に応じて忽ち涼しいように。 ができずに、とっくに崩壊してしまっていたにちがいない。
﹃金閣よ。やっとあなたのそばへ来て住むようになった ::それにしても、第の手を休めて何度か金閣を仰ぎな
ほうをつぶや
よ﹄と、私は静の手を休めて、心に咳くととがあった。 がら、私にはそとに金閣の存在するととがふしぎでならな
﹃今すぐで・なくてもいいから、いつかは私に親しみを示し、 かった。いつかのように、たった一夜、父と共にとこを訪
私にあなたの秘密を打明けてくれ。あなたの美しさは、も れたときの金閣は、却ってとんな感じを与えなかったのに、
う少しのと ζろではっきり見えそうでいて、まだ見えぬ。 とれから永い年月を暮すあいだ、いつも金閣が私の眼前に
私の心象の金閣よりも、本物のほうがはっきり美しく見え 在 る と 思 う ζとは、信じ難い心地がした。
舞鶴にいて思うと、金閣は京都の一角に、恒常的に在る その草地を劃している。そ乙に白いシャツの少年が寝とろ
かえぜもた
ように思われたが、ととに住むことになると、金閣は私の んでいた。かたわらの低い楓の樹には、熊手が党せである。
見るときだけ私の眼前に現われ、本堂で夜眠っているとき 少年はそ乙らに漂っていた夏の朝のしめやかな空気をえ
などは、金閣は存在していないような気がした。そのため、 ぐるような勢いで身を起したが、私を見て、
降うばい
私は日に何度となく金閣を眺めにゆき、朋輩の徒弟たちに ﹁何だ、君か﹂
笑われた。私には何度見ても、そこに金閣の存在する ζと と言った。
がふしぎでたまらず、さて眺めたあと本堂のほうへ帰りが 鶴川というその少年には、昨夜紹介されたばかりであっ
そびらかえ
てら、急に背を反してもう一度見ょうとすれば、金閣はあ た。鶴川の家は東京近郊の裕福な寺で、学資も小遣も食糧
のエウリュディケ lさ-ながら、姿は忽ち掻き消されている も潤沢に家から送られ、ただ徒弟の修業を味わわせるため
ように思われた。 に、住職の縁故で金閣寺に預けられているのであった。夏
休みを帰省していたのが、早自に昨夜帰ってきたのである。
さて私は、金閣周辺の掃除をすますと、ようやく暑熱を 水際立った東京弁を話す鶴川は、秋からは臨済学院中学で
加えてくる朝日を避けて、裏山へ入って、夕佳亭へむかう 私と同級になる筈で、その口早な快活な話しぶりが、昨夜
Eけ

小径を登った。開閤前の時間であるから、人影はどとにも すでに私を怖気づかせていた。
なかった。多分舞鶴の航空隊のそれらしい戦闘機の一編隊 そして今も、﹁何だ君か﹂と云われると、私の口は言葉

のさ krろ
が、金閣の上を可成低空で、圧えつける轟きを残して去っ を失った。が、私の無言が、彼には一一極の非難のように解

。 されたらしかった。
裏の山中に、藻におおわれた寂しい沼、安民沢というの ﹁いいんだよ、そんなにまじめに掃除なんかし-なくても。
があった。池中に小島があり、白蛇塚と呼ばれる一基の五 どうせ見物が来れば汚されちゃうんだし、それに見物の数
重の石塔が立っていた。そのあたりの朝は、鳥のさえずり も少ないんだから﹂
さえず ちょっと
金閣寺

がかまびすしく、烏の姿は見えないで、林全体が鳴ってい 私は一寸笑った。こうして私の無意識に洩らす仕様事な
たね

。 い笑いが、或る人には親しみの種子になるらしい。私はそ

25
わ ほ
4
池の手前には夏草の繁みがある。小径は低い柵で以て、 んな風に、いつも自分が人に与える印象の細目に亙って、
責任を持つととができないのである。 じめて会ったときからそう思ったよ﹂

6
2
私は柵をまたいで、鶴川の傍らに腰を下ろした。また寝 私は何の反鍛をも感じないで、とう云われると、自分が

とろんだ鶴川の頭へまわした腕は、外側が可成日に焦けて 淋しく見えたという相手の感想から、或る安心と自由を智
いるのに、内側は静脈が透けて見えるほどに白かった。そ ち得て、言葉がすらりと出た。
とに朝日の木洩れ陽が、草の縛青い影を散らしていた。直 ﹁何も悲しいととあらへん﹂
主つげ
感で、私には、乙の少年はおそらく私のようには金閣を愛 鶴川はうるさそうなほど長い隠を押しあげて、こちらを
さないだろうという ζとがわかった。私はいつか金閣への 見た。
偏執を、ひとえに自分の醜さのせいにしていたからである。 ﹁へえ・:・:それじゃ君は、お父さんを憎んでいたの?少
﹁お父さんが亡くなったんだってねえ﹂ くとも、きらいだったの?﹂
﹁うん﹂ ﹁おこって-なんかいいへんし、きらいでもなし:﹂
ひとみ
鶴川は素速く瞳をめぐらして、少年らしい推理に熱中し ﹁へえ、それでどうして悲しく・ないのか?﹂
ているととを隠さずに、 ﹁何と・なく、や・な﹂
﹁君が金閣がとても好きなのは、あれを見ると、お父さん ﹁わからん﹂
棺うちゃ︿
を思い出すからなのかい?たとえばお父さんが金閣がと 鶴川は難聞に逢着して、草の上に坐り直した。
ても好きだった、というようなわけで﹂ ﹁それなら、ほかにもっと悲しい乙とでもあったのかな﹂
との半分当っている推理も、私の無感動な顔つきにまる ﹁何や、わからへん﹂
で変化を与えていないととを感じた私は、それが一寸嬉し と私は言った。言ってから、私は人に疑問を起させるの
ζんちゅう
かった。鶴川は、人間の感情を、昆虫の標本を作ることの がどうして好きなのかと反省した。私自身にとってはそれ
好きな少年がよくそうするように、自分の部屋の小締麗な は疑問でも何でもない。自明の事柄である。私の感情にも、
とひきだし きつおん
小抽斗にきちんと分類しておいて、時々それをとりだして 吃音があったのだ。私の感情はいつも間に合わない。その
実地にためしてみると謂った趣味があるらしかった。 結果、父の死という事件と、悲しみという感情とが、別々
﹁・お父さんが亡くなって、ずいぶん悲しかったろうねえ。 の、孤立した、お互いに結びつかず犯し合わぬもののよう
それで、君、淋しそうなところがあるんだねえ。ゅうべは に思われる。一寸した時間のずれ、一寸した遅れが、いつ
夕、む
も私の感情と事件とをばらばらな、おそらくそれが本質的 り、庭掃除、薪割りなどの作務をする。学校がはじまれば、
なばらばら念状態に引き戻してしまう。私の悲しみという そのあとで学校へゆく時聞になる。学校からかえると、や
ものがあったら、それはおそらく、何の事件にも動機にも がて薬石である。そのあとでたまに、住職が経典講義をし
かかわりなく、突発的に、理由もなく私を襲うであろう。 て下さるととがある由である。九時には開枕、つまり就寝
になる。
すぺ
::又しでも私は、こういう凡てを、目的の新しい友に 私の日課は布のようなもので、一日の目ざめの合図は、
︿りやぼんてんぞりん
説明できずに終った。鶴川はとうとう笑い出した。 厨番の典座さんの鳴らしてまわる鈴のひびきであった。
ろ︿おんじ
﹁へえ、変ってるんだなあ﹂ 金閣寺、すなわち鹿苑寺には、本来十二三人の人がいる
彼のシャツの白い腹が波立った。そとに動いている木洩 べきだった。しかし応召や徴用で、七十幾つの案内人や受
れ揚が私を幸福にした。といつのシャツの鍛みたいに、私 付役、六十近い炊事婦のほかには、執事、副執事、それに
乙け
の人生は鍍が寄っている υ しかしとのシャツは何と白く光 われわれ徒弟三人がいるだけであった。老人たちは苔が生
っているだろう、鍍が寄っているままに。::・もしかする えて半分死んでおり、少年たちは要するに子供である。執
ふうす
と私も? 事も副司と云って、会計の仕事で手一杯である。
世間をよそに、禅寺は偉寺のしきたりで動いていた。夏 数日後、私は住職(われわれは彼を老師と呼んでいる)
のことだから、毎朝おそくも五時には起きる。起床のとと の部屋へ、新聞を届ける役目をいいつかった。新聞が来る
かいじようえ ζう
を開定という。起きてすぐ朝課の読経である。三時回向と のは朝課がすみ、拭掃除のすんだとろの時刻である。小人
云って、三回読む。それから屋内の掃除をし、雑巾をかけ 数で、わずかのあいだに、一↓一十も部屋数のある寺の、廊下
しゅ︿ざ
る。朝食の粥座になる。 という廊下を拭くのでは、仕事はいきおい粗雑になる。玄
しゅ lゅ う じ り l ,
a
粥有十利 関で新聞をとって、使者の問の前廊下をとおり、客殿を裏
κょういーめんじん あい
鏡益行人 から一まわりして、聞の廊下を渡って、老師の居る大書院
ほうぷへん
金閣寺

ζ
果報無辺 までゆく。そとまでの廊下が、乾けよがしに、半分〆ケツ
脅ゅう台んじようら
究費常楽 をぶちまけるような拭き方をしてあるので、板のくぼみの

27
かゆ ︿るぶし
という粥座の経を読んで、お粥をいただく。食後に草取 ところどとろには、水たまりが朝陽に光っていて、際まで
うち
濡れてしまう。それが夏のことだから、いい気持である。 :・こういう考えが私の裡に生れてから、金閣は再びそ

28
しかし老師の部屋の障子の外にひざまずき、 の悲劇的な美しさを指した。
﹁おねがいいたします﹂ それは明日から学校がはじまる目、夏の最後の日の午後
と声をかけて、 であった。住職は副執事を連れて、どこかの法事に頼まれ
﹁うう﹂ て出かけていた。鶴川は私を映画に誘った。しかし私が気
いら
という答えがあって部屋へ上るまでに、僧衣の裾で、濡 乗薄だったので、彼も忽ち気乗薄になった。鶴川にはそう
れた足を手早く拭っておくという秘伝を、私は朋輩から教 いうところがあった。
わった。 私たち二人は数時間の暇をもらって、カーキいろのズボ
私は印刷インクの放つ、俗世の鮮烈な匂いを嘆ぎながら、 ンにゲートルを巻き、臨済学院中学の制帽をかぶって本堂
新聞の大見出しを、ちらちらと盗み見て廊下をいそいだ。 を出た。夏の日ざかりのことで、拝観者は一人もなかった。
すると﹁帝都空襲不可避か?﹂という見出しが読まれた。 ﹁ど ζ へ行とう﹂
私はそれに答えて、どとかへ行く前に金閣をしみじみ見
それまで、奇妙な ζとに思われようが、私は金閣と空襲 てゆきたい、明日からはとの時刻に金閣を見るととはでき
とを結びつけて考えてみたことが・なかった。サイパンが陥 なくなるし、われわれが工場へ行っている留守に金閣は空
ちてとのかた、本土空襲は免がれないものとされ、京都市 襲で焼かれているかもしれない、と言った。私のたどたど
あき
の一部にも強制疎開が急がれていたが、それでも金閣とい しい言訳はしばしば吃り、鶴川はそのあいだ、呆れたよう
う ζ の半ば永遠の存在と、空襲の災禍とは、私の中でそれ なじれったい表情できいていた。
とんどうふえ おわ
ぞれ無縁のものでしか・なかった。金剛不壊の金閣と、あの とれだけ一言い了った私の顔には、何か恥かしいことを言
科学的な火とは、-お互いにその異質な ζとをよく知ってい ったあとのように、移しい汗が流れていた。金閣に対する
て、会えばするりと身をかわすような気がしていた。::・ 私の異様・な執着を打明けた相手は、ただ鶴川一人であった。
しかし、やがて金閣は、空襲の火に焼き亡ぼされるかもし が、それをきいている鶴川の表情には、私の吃音をききと
れぬ。とのまま行けば、金閣が灰になる ζとは確実なのだ。 ろうと努力する人の、見馴れた焦燥感があるだけだった。
私はとういう顔にぶつかる。大切な秘密の告白の場合も、
うわ 46ろ

美の上ずった感動を訴える場合も、自分の内臓をとりだし 私は侍いた。回舎の荒っぽい環境で育った私は、との極
てみせるような場合も、私のぶつかるのはこういう顔だ。 のやさしさを知らなかった。私という存在から吃りを差引
人聞はふつう人聞にむかつて ζんな顔をしてみせるもので いて、なお私でありうるという発見を、鶴川のやさしさが
はない。その顔は申し分のない忠実さで、私の滑稽な焦燥 私に教えた。私はすっぽりと裸かにされた快さを隈なく味
感をそのままに真似、いわば私の怖ろしい鏡のようになっ わった。鶴川の長い陵、にふちどられた目は、私から吃りだ
ていた。どんなに美しい顔でも、そういうときは、私とそ けを漉し取って、私を受け容れていた。それまでの私はと
島、んぽう
つくりの醜さに変貌するのだ。それを見たとたん、私が表 いえば、吃りであるととを無視されるととは、それがその
主っさつ
現しようと思う大切なものは、瓦にひとしい無価値なもの まま、私という存在を抹殺されるととだ、と奇妙に信じ込

に堕ちてしまう。::: んでいたのだから。
鶴川と私とのあいだには、夏のはげしい直射日光がある。
あぷら かu
vb
鶴川の若い顔は脂に照りかがやき、光りの中に臆を一本一 ・--私は感情の譜和と幸福を感じた。そのとき見た金閣
本金いろに燃え立たせ、鼻孔をむしむしする熱気にひろげ の情景を、私が永く忘れ得ないのはふしぎではない。私た
て、私の言葉の終るのを待っている。 ち二人は、居眠りをしている受付役の老人の前をとおりぬ
私は言い了った。言い了ると同時に怒りにかられた。鶴 け、人影のない道を塀ぞいにいそいで、金閣の前へ行った。
川ははじめて会ってから今まで一度も私の吃りをからかお :::私にはありありと思い出される。鏡湖池の片ほとり
うとしないのだ。 に、ゲートルを巻いた二人の白シャツの少年が肩を組んで
﹁なんで﹂ 立っている。その二人の前に、金閣が、何ものにも隔てら
私はそう諮問した。同情よりも、噸笑や侮蔑のほうがず れずに存在していたのだ。
っと私の気に入るととは、一再々述べたとおりである。 最後の夏、最後の夏休み、その最後の一日:::私たちの
鶴川はえもいわれぬやさしい微笑をうかべた。そしてと 若さは、目くるめくような突端に立っていた。金閣もまた、
金閣寺

う言った。 私たちと同じ突端に立っていて、対面し、対話した。空襲
品R ep
﹁だって僕、そんなととはちっとも気にならない性質なん の期待が、とんなにも私たちと金閣とを近づけた。

29
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究費頂の屋根 K金箔を貼り、
伽4
だよ﹂ 晩夏のしんとした日光が、、

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.

直下にふりそそぐ光りは、金閣の内部を夜のような閣で充 山の端には、父の枕経のあいだに、私が目のはじに感じ

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そぴ

1
たした。今まではとの建築の、不朽の時聞が私を圧し、私 たような、いかめしい夏雲が聾えている。それは欝積した

8
しよういだん たた
を隔てていたのに、やがて焼夷弾の火に焼かれるその運命 光りを湛え、乙の繊細な建築を見下ろしている。金閣はこ
は、私たちの運命にすり寄って来た。金閣はあるいは私た んなに強い晩夏の日ざしの下では、細部の趣きを失って、
ちより先に滅びるかもしれないのだ。すると金閣は私たち 内に暗い冷ややかな闘を包んだまま、ただその神秘な輪郭
と閉じ生を生きているように思われた。 で、ぎらぎらした周聞の世界を拒んでいるように見えるの
金閣をめぐる赤松の山々は蝉の声に包まれていた。無数 である。そして頂きの鳳風だけは、太陽によろめくまい
しようさいしゅ&傘 vhylFP1
の見えない僧が消災呪を称えているかのように。﹁ぼー倍。 として、鋭い爪を立てて、台座にしっかりとつかまってい

ぎや1きIehyIe
- うんぬんしふら 1し ふ ら ー は ら し ふ ら ー な ら し ふ

怯咽依咽。件件。入噌嘱入嚇爆。壷曜入嚇曝富雑人嚇 スv
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曜。﹂ 私の永い凝視に飽きた鶴川は、足もとの小石をひろって、
との美しいものが遠からず灰になるのだ、と私は思った。 あざやかな投手の身ぶりで、それを鏡湖池の金閣の投影の
それによって、心象の金閣と現実の金閣とは、絵絹を透か 只中へなげうった。
えが
してなぞって描いた絵を、元の絵の上に重ね合せるように、 波紋は水面の藻を押してひろがり、忽ちにして、美しい
徐々にその細部が重なり合い、屋根は屋根に、池に突き出 精綴な建築は崩れ去った。
そうせい ζうらん
た激清は激清に、潮音洞の勾欄は勾欄に、究費頂の筆頭窓

本*
*
は華頭窓に重怠って来た。金閣はもはや不動の建築ではな
かった。それはいわば現象界のはかなさの象徴に化した。 それから終戦までの一年聞が、私が金閣と最も親しみ、
haB
現実の金閣は、とう思うことによって、心象の金閣に劣ら その安否を気づかい、その美に溺れた時期である。どちら
ず美しいものに・なったのである。 かといえば、金閣を私と同じ高さにまで引下げ、そういう
おそ
明日、天から火が落ち、その細身の柱、その優雅な屋根 仮定の下に、怖れげもなく金閣を愛するととのできた時期
の曲線は灰に帰し、二度と私たちの自に触れないかもしれ である。私はまだ金閣から、悪しき影響、あるいはその毒
きいち
念い。しかし自の前には、細綴な姿が、夏の火のような光 を受けていなかった。
りを浴びたまま、自若としている。 との世に私と金閣との共通の危難のあるととが私をはげ
会かだち
ました。美と私とを結ぶ媒立が見つかったのだ。私を拒絶 仁の大乱がどんなにとの都を荒廃させたかと想像すると、
し、私を疎外しているように恩われたものとの聞に、橋が 私には京都があまり永く、戦火の不安を忘れていたととか
懸けられたと私は感じた。 ら、その美の幾分かを失っているととを思うのであった。
私を焼き亡ぼす火は金閣をも焼き亡ぼすだろうという考 明日 ζそは金閣が焼けるだろう。空間を充たしていたあ
えは、私をほとんど酔わせたのである。同じ禍ぃ、同じ不 の形態が失われるだろう。・::そのとき頂きの鳳恩は不死
たいま
吉な火の運命の下で、金閣と私の住む世界は同一の次元に 鳥のようによみがえり飛び朔つだろう。そして形態に縛し
もろ いかり
属することになった。私の脆い醜い肉体と同じく、金閣は められていた金閣は、身もかるがると碇を離れていたると
うしお
硬いながら、燃えやすい炭素の肉体を持っていた。そう思 とろに現われ、湖の上にも、暗い海の潮の上にも、微光を
したた
うと、時あって、逃走する賊が高貴な宝石を府み込んで隠 滴らして漂い出すだろう。:::
匿するように、私の肉のなか、私の組織のなかに、金閣を 待てども待てども、京都は空襲に見舞われなかった。あ
隠し持って地けのびるとともできるような気がした。 くる年の三月九日に、東京の下町一帯が火に包まれたとい
その一年間、私が経も習わず、本も読まず、来る日も来 うしらせをきいても、災禍は遠く、京都の上には澄んだ早
る日も、修身と教練と武道と、工場や強制疎開の手つだい 春の空だけがあった。
とで、明け暮れていたことを考えてもらいたい。私の夢み 私は半ば絶望して待ちながら、乙の早春の空が、丁度き
がちな性格は助長され、戦争のおかげで、人生は私から遠 らめいている硝子窓のように内部を見せないが、内部には
のいていた。戦争とはわれわれ少年にとって、一個の夢の 火と破滅を隠していることを信じようとした。私に人間的
しゃだん
ような実質なき慌しい体験であり、人生の意味から遮断さ 関心の稀薄だったととは前にも述べたとおりである。父の
れた隔離病室のようなものであった。 死も、母の貧窮も、ほとんど私の内面生活を左右し-なかっ
昭和十九年の十一月に、 Bmmの東京初爆撃があった当座 た。私はただ災禍を、大破局を、人間的規模を絶した悲劇
は、京都も明日にも空襲を受けるかと思われた。京都全市 を、人間も物質も、醜いものも美しいものも、おしなべて
金閣寺

が火に包まれるととが、私のひそかな夢になった。との都 同一の条件下に押しつぶしてしまう巨大な天の圧搾機のよ
はあまりにも古いものをそのままの形で守り、多くの神社 うなものを夢みていた。ともすると早春の空のただならぬ

1
8
しゃ︿ねつ きらおむ事おの
仏閣がその中から生れた灼熱の灰の記憶を忘れていた。応 燦めきは、地上をおおうほど巨きな斧の、すずしい刃の光
りのようにも思われた。私はただその落下を待った。考え -おもてを眺めていた。戦争中の思い出のほうぽうに、とう

32
る暇も与えないほどすみやかな落下を。 いう短い無意味な時聞が、鮮明な印象でのこっている。何
私は今でもふしぎに思う ζと が あ る 。 も と も と 私 は 暗 黒 もしていなかった放心の短い時聞が、時たま雲聞にのぞか
の思想にとらわれていたのではなかった。私の関心、私に れる青空のように、ぼうぼうに残っている。そういう時聞
与えられた難聞は美だけである筈だった。しかし戦争が私 が、まるで痛切な快楽の記憶のように鮮やかなのは、ふし
に作用して、暗黒の思想を抱かせたなどと思うまい。美と ぎな ζとだ。
い う こ と だ け を 思 い つ め る と 、 人 聞 は ζ の世で最も暗黒な ﹁ええもんやな﹂
思想にしらずしらずぶつかるのである。人聞は多分そうい と私はまた、何の意味もなく、微笑して言った。
う風に出来ているのである。 ﹁うん﹂
鶴川も私を見て微笑した。二人はこの二三時間が自分た
ぞうわ
戦争末期の京都の、或る括話が思い出される。それはほ ちの時間であることをしみじみと感じていた。
とんど信じがたいととであるが、目撃者は私一人ではない。 砂利の広い道がつづくかたわらには、美しい水草をなび
ぜいれつ
私の傍らには鶴川がいたのである。 かせて、清測な水の走っている溝があった。やがて名高い
電休日の一目、私は鶴川と一緒に南禅寺へ行った。まだ 山門が日の前に立ちふさがった。
南禅寺を訪れたことがなかった。私たちはひろいドライヴ 寺内にはどとにも人影がなかった。新緑のなかに多くの
虫色巳が たっちゅういらかさぴぎん
ウェイを横切って、インクラインに跨る木橋を渡った。 塔頭の獲が、巨大な鏡銀いろの本を伏せたように、秀でて
五月のよく晴れた日であった。インクラインはもう使わ いた。戦争というものが、 ζ の瞬間には何だったろう。あ


れていず、船を引き上げる斜面のレ l んは錆びて、レーん る場所、ある時聞において、戦争は、人間の意識の中にし
はほとんど雑草に埋もれていた。その雑草には白いとまか かない奇怪な精神的事件のように思われるのであった。
な十字形の花が風にわな・ないていた。インクラインの斜面 石川五右衛門がその楼上の欄干に足をかけて、満目の花
よど
の起ると ζろ ま で 、 汚 れ た 水 が 淀 み 、 と ち ら 岸 の 葉 桜 並 木 を賞美したというのは、多分との山円だった。私たちは子
ひた
の影をどっぷりと泊していた。 供らしい気持で、もう葉桜の季節ではあったけれど、五右
私たちはその小さな橋の上で、何の意味もなしに、水の 衛門と同じポ 1ズで景色を眺めてみたいと考えた。わずか
な入場料を払って、木の色のすっかり黒ずんだ急傾斜の段 しい金色の烏とは似ても似つかぬ、華麗な虹のような鳳嵐
を昇った。昇り切った踊り場で鶴川が低い天井に頭をぶつ が描いであった。
けた。それを笑った私も忽ちぶつけた。二人はもう一陶り 釈尊の像の前で、私たちはひざまずいて合掌した。御堂
して段を昇り、機上へ出たのである。 を出た。しかし楼上からは去りがたかった。そ ζで昇って
穴ぐらのようなせまい階段から、広大な景観へ、忽ちに きた段の横手の南むきの勾欄にもたれていた。
して身をさらす緊張は快かった。葉桜や松のながめ、その 私はど乙ゃらに何か美しい小さな色彩の渦のようなもの
hy 傘み
むとうの家並のかなたにわだかまる平安神宮の森のながめ、 を感じていた。それは今見て来た天井商の綴彩色の残像か
きぷねみろらとん
京都市街の果てに霞む嵐山、北のかた、貴船、箕ノ裏、金 とも思われた。豊富な色の凝集した感じは、あの迦陵頻伽
ぴら
毘羅などの連山のたたずまい、こういうものを十分にたの に似た烏が、いちめんの岩葉や松のみどりのどこかしらの
うやろや かい傘
しんでから、寺の徒弟らしく、履物を脱いで恭しく堂裡へ 校に隠れていて、華麗な翼のはじを垣間見せているようで
しやか
入った。暗い御堂には二十四畳の畳を敷き並べ、釈迦像を もあった。
らかん
中央に、十六羅漢の金いろの一騒が聞に光っていたむ ζ こを そうではなかった。われわれの眼下には、道を隔てて天
五鳳楼というのである。 授庵があった。静かな低い木々を簡素に植えた庭を、四角
r
か みち
南極寺は同じ臨済宗でも、相国寺派の金閣寺とちがって、 い石の角だけを接してならベた敷石の径が屈折してよぎり、
南禅寺派の大本山である。私たちは同宗異派の寺にいるわ 障子をあけ放ったひろい座敷へ通じていた。座敷の中は、
けである。しかし並の中学生同様、一一人は案内書を片手に、 床の間も違い棚も隈なく見えた。そこはよく献茶があった
ひもうせん
狩野探幽{寸借と土佐法眼徳悦の筆に成るといわれる色あざ り、貸茶席に使われたりするらしいのだが、緋毛艶があざ
やかな天井画を見てまわった。 やかに敷かれていた。一人の若い女が坐っている。私の自
ひしょうか在ぴわ
天井の片方には、飛開閉する天人と、その奏でる琵琶や笛 に映ったものはそれだったのである。
u たんささか
d
の絵が描かれていた。別の天井には白い牡丹を捧げ持つ迦 戦争中にこんなに派手な長振袖の女の姿を見るととはた
止が
即脇伽がザ概いていた。それは荒当事叫に住む妙音の鳥で、 えて・なかった。そんな装いで家を出れば、道半ばで答めら
~関

上半身はふくよかな女の姿をし、下半身は鳥になっている。 れて、引返さざるをえなかったろう。それほどその振袖は



また中央の天井には、金閣の頂上の鳥の友鳥、あのいかめ 華美であった。とまかい模様は見えないが、水色地に花々
が描かれたり縫取りされたりしており、帯の緋にも金糸が 方を、あらわに自分の手で引き出した。

1
しっ ζう

3
光り、誇張して一五うと、あたりがかがやいていた。若い美 士官は深い暗い色の茶碗を俸げ持って、女の前へ膝行し
しい女は端然と坐っていて、その白い横顔は浮彫され、 た。女は乳房を両手で探むようにした。
本当に生きている女かと疑われた。私は極度に吃って号一口っ 私はそれを見たとは云わないが、暗い茶碗の内側に泡立
ろP
、いす

。 っている縫いろの茶の中へ、白いあたたかい乳がほとばし
﹁あれは、一体、生きてるんやろか﹂ り、滴たりを残して納まるさま、静寂な茶のおもてがこの
﹁僕も今そう思っていたんだ。人形みたいだなあ﹂ 白い乳に濁って泡立つさまを、眼前に見るようにありあり
と鶴川は勾欄にきつく胸を押しつけ、目を離さずに答え と感じたのである。

。 男は茶碗をかかげ、そのふしぎな茶を飲み干した。女の
そのとき奥から、軍服の若い陸軍士官があらわれた。彼 白い胸もとは隠された。
ζわ
は礼儀亙しく女の一二尺前K正坐して、女に対した。しば 私たち二人は、背筋を強ばらせてこれに見入った G
あと
HMTり
らく二人はじっと対坐していた。 から順を追って考えると、それは士{目の子を字んだ女と、
女が立上った。物静かに廊下の閣に消えた。ややあって、 出陣する士官との、別れの儀式であったかとも忠和れる。
たもとかえ
女が茶碗を捧げて、微風にその長い快をゆらめかせて、還 しかしそのときの感動は、どんな解釈をも拒んだ。あまり
って来た。男の前に茶をすすめる。作法どおりに薄茶をす 見詰めすぎたので、いつのまにかその男女が座敷から姿を
すめてから、もとのととろに坐った。男が何か言っている。 消し、あとにはひろい緋毛艶だけの残されていることに、
男は・なかなか茶を喫しない。その時聞が異様に長くて、異 気のつくには暇がかかった。
様に緊張しているのが感じられる。女は深くうなだれてい 私はあの白い横顔の浮彫と、たぐいなく白い胸とを見た。
スM
o--
--- そして女が立去ったあとでは、その一日の残りの時間も、
信じがたいことが起ったのはそのあとである。女は姿勢 あくる日も、又次の日も、私は執鋤に思うのであった。た
えりもと
を正したまま、俄かに襟元をくつろげた。私の耳には固い しかにあの女は、よみがえった有為子その人だと Q
帯裳から引き抜かれる絹の音がほとんどきとえた。白い胸
があらわれた。私は息を呑んだ。女は白い豊かな乳房の片
。ゃ
私たちの寺には蚊帳の数が少なかった。よく感染しなか
ったものだと思うが、母と私は結核の父と一つ蚊帳に寝、
第三一章
それに更に倉井が加わった。私は夏の深夜の庭木づたいに、

ap 、ねせみ
ちりちりともつれたように短かい暗音を立てて、蝿が飛び
父の一周忌が来た c母 は ふ し ぎ な こ と を 考 え 出 し た 。 勤 移ったのをおぼえている。多分その声で私は目をさました c
しおさいもえぎ
労動員中の私の帰郷がむずかしいことから、母自身が父の 潮騒は高く、海風は蚊帳の萌黄の裾をあおった。蚊帳の揺
いはいじようら︿おしよう
位牌を持って上浴して、田山道詮和尚の読経を、旧友の命 れ方が尋常でなかった。
日にほんの数分間でも上げてもらおうと考えたのである。 蚊帳は風を字みかけては、風を漉して、不本意に揺れて
すが
もとより金はなく、ただお情に鎚って、和尚に手紙を寄越 いた。だから吹き寄せられる蚊帳の形は、風の忠実な形で
すた
した。和尚は承諾した。そしてその旨を私にも伝えた。 はなくて、風が頚れて、稜角をなくしていた。畳を笹の葉
私はそのしらせを喜ばしい気持で聴かなかった。今まで、 のように擦る音は、蚊帳の裾が立てている音であった。し
故意に母について、筆を省いて来たのには理由がある。母 かし風が立てるのではない動きが蚊帳に伝わった。風より
さざ会み
のととにはあまり触れたくない気持があるからだ。 も微細な動き、蚊帳全体に漣のようにひろがる動き、それ
あら
私はある事件について、一一言も母を責めたととがない。 が粗い布地をひきつらせ、内側から見た大きな蚊帳の一面
み老ぎ
口に出したことがない。母もおそらく、私がそれを知って を、不安の法った湖のおもてのようにしていた。湖の上の
けたせんだっ
いることに気づいていないのではないかと思われる。しか 遠い船の蹴立てて来る波の先達、あるいはすでにすぎさっ
ゆる 主どり
しあれ以来、私の心は母を恕していないのである。 た船の余波の遠い反映・ --EE
。・
東舞鶴中学校へ入学して、叔父の家に預けられて、第一 私はおそるおそる目をその源のほうへ向けた G
すると闘
しんきり
学年の夏休みに、はじめて帰省したときのことである。そ のなかにみひらいた自分の目の芯を、錐で突き刺されるよ
のとろ母の縁者の倉井という男が、大阪で事業に失敗して、 うな気がした。

νa
金閣寺

品、例
成生へ帰ったが、家附の娘である彼の妻は、彼を家に入れ 四人にはせますぎる蚊帳の中で、父の隣りに寝ていた私
なかった。そ ζでやむなく、ほとぼりがさめるまで、倉井 は、寝返りを打つうちに、いつしか父を片隅に押しやって
しわ


は私の父の寺に身を寄せていた。 いたらしい。そこで私と私の見たものの聞には、簸だらけ
の敷布の白い距離があり、私の背には、身を丸めて寝てい らいたい。私はあの掌、世間で愛情と呼ぶものに対して、

36
えりもと ふ︿しゅ aヲ
る父の寝息が、衿元へじかに当っていた。 乙れほど律儀な復讐を忘れなかったが、母に対しては、あ
せき
父が目をさましているのに気づいたのは、咳を押し殺し の記憶を恕していない ζととは別に、私はついぞ復讐を考
ている呼吸の不規則な躍り上るような調子が、私の背に触 えなかった。
れたからである。そのとき、突如として、十三歳の私のみ
ひらいた目は、大きな暖かいものにふさがれて、盲らにな :::母は命日の前日に、金閣寺へ来て一夜の宿りを許さ
った。すぐにわかった。父のふたつの掌が、背後から伸び れる手筈になっていた。命日の当日は、私も学校を休める
て来て、目隠しをしたのである。 ように、住職が手紙を書いてくれた。勤労動員は通いであ
今もその掌の記憶は活きている。たとえようもないほど った。前日私は鹿苑寺へかえるのが気が重かった。
広大な掌。背後から廻されて来て、私の見ていた地獄を、 透明で単純な心を持った鶴川は、久々の母との対面を喜
色"

.
鳥h
忽ちにしてその目から覆い隠した掌。他界の掌。愛か、慈 んでくれたし、寺の朋輩も好奇心を抱いていた。私は貧し
悲か、屈辱からかは知らないが、私の接していた怖ろしい い見すぼらしい母を憎んだ。どうして自分が母に会いたく
世界を、即座に・中断して、閣のなかに葬ってしまった掌。 ないかを、親切な徳川に説明するのに苦しんだ。しかも彼
,ょうかい そうそう
私はその掌の中でかるくうなずいた。諒解と合意が、私 は工場が終ると勿々、
の小さな顔のうなずきから、すぐ察せられて、父の掌は外 ﹁さあ、駈足でかえろう﹂
された。:::そして私は、掌の命ずるまま、掌の外された と私の腕をつかんで言った。

--ぷ

のちも、不眠の朝が明けて、険がまばゆい外光に透かされ 私がまるきり母に会いたくないと云うのでは誇張になる。
かえ︿
るまで、頑なに目を閉じつづけた。 母が懐しくないわけではない。ただ私は肉親の露骨な愛情
の発露に当面するのがいやで、そのいやさにさまざまな理
- a 後年、父の出棺のとき、私がその死顔を見るのに急 由づけを試みていたにすぎぬのかもしれない。とれが私の
で、涙ひとつとぼさなかったととを想起してもらいたい。 わるい性格だ。一つの正直な感情を、いろんな理由づけで
その死と共に、掌のザ燃は解かれて、私がひたすら父の顔 正当化しているうちはいいが、時には、自分の頭脳の編み
を見るととによって、自分の生を確かめたのを想起しても 出した無数の理由が、自分でも思いがけない感情を私に強
いるようになる。その感情は本来私のものではないのであ んなことは信じられもしなかったろうが、私にとっては一

Q

おそ
つの怖ろしい発見だった。鶴川によって私が偽善を倶れ-な
しかし私の嫌悪にだけは何か正確なものがある。私自身 くなったとしても、偽善が私には相対的な罪にすぎ・なくな
が、嫌悪すべき者だからである。 っていたからである。
﹁走ったかて、しょうがない。しんどいんやもん、足を引 京都では空襲に見舞われ-なかったが、一度工場から出張
きずってかえったらええのんや﹂ を命ぜられ、飛行機部品の発注書類を持って、大阪の親工
﹁そうして b母さんに同情させて、甘ったれるつもりなん 場へ行ったとき、たまたま空襲があって、腸の露出した工
だな﹂ 員が担架で運ばれてゆく様を見たことがある。
せいさん
鶴川はいつもとうして、私の誤解に充ちた解説者であっ なぜ露出した腸が凄惨なのであろう。何故人間の内側を
しようぜん
た。が、彼は私には少しもうるさくない、必要な人聞にな 見て、陳然として、目を覆ったりしなければならないので
っていた。彼は私のまととに善意な通訳者、私の言葉を硯 あろう。何故血の流出が、人に衝撃を与えるのだろう。何
降んや︿
世の言葉に醗訳してくれる、かけがえのない友であった。 故人間の内臓が醜いのだろう。::・それはつやつやした
そうだ。時には鶴川は、あの鉛から黄金を作り出す錬金 若々しい皮膚の美しさと、全く同質のものではないか。
術師のようにも恩われた。私は写真の陰画、彼はその陽画 ・私が自分の醜さを無に化するようなとういう考え方を、
ろか
であった。ひとたび彼の心に浦過されると、私の混濁した 鶴川から教わったと云ったら、彼はどんな顔をするだろう
ばら
暗い感情が、ひとつの乙らず、透明な、光りを放つ感情に か?内側と外側、たとえば人聞を麓薮の花のように内も
変るのを、私は何度おどろいて眺めたことであろう!私 外もないものとして眺めること、この考えが、どうして非人
どもため
が吃りながら祷鰭らっているうちに、鶴川の手が、私の感 間的に見えてくるのであろうか?もし人聞がその精神の
ひるa
情を裏返して外側へ伝えてしまう。これらの侍きから私の 内側と肉体の内側を、替薮の花弁のように、しなやかに訴
学んだととは、ただ感情にとどまる限りでは、との世の最 えし、捲き返して、日光や五月の微風にさらすことができ
けいてい
金閣寺

悪の感情も最善の感情と淫庭のないとと、その効果は同じ たとしたら
であること、殺意も慈悲心も見かけに変りはないとと、な

品7
どであった o たとえ一言葉を尽して説明しても、鶴川にはこ ││母はすでに来て、老師の部屋で話をしていた。私と
ひざ ・
P
4μ﹄
鶴川は、初夏の日暮の縁先に膝まずき、只今かえりました、 け醜くしているような母の顔が、どとかに澱みのように肉
と言った。 感を残しているのが、私には敏感にわかり、それを憎んだ。宅、
老師は私だけを部屋へ上げ、母を前にして、との子もよ 老師の前から下って、思う存分一泣きしたあと、今度は
︿やっている、というようなことを言った。私は母のほう 母は、配給物のステイプル・フアイ〆lの手拭で、自に焼
を殆んど見ずに頭を下げていた。洗いざらしの盲縞のもん けた胸もとをはだけて拭いた。動物的に光った生地の手拭
、そろ
ぺの膝が、その上に揃えた汚ない手の指が見えた。 は、汗に湿って、いよいよ光った。
おや ζ
老師はわれわれ母子に、部屋へ下ってよいと言った。わ リュックサックから米をとり出した。老師にあげるのだ
れわれは何度もお辞儀をしてその部屋を出た。小書院の南 と言った。私は黙っていた。更に母は古い鼠いろの真綿に
向き、中庭に面した五畳の納戸が私の部屋である。そとに 幾重にも包んだ父の位牌をとり出して、私の本棚の上に置
二人きりに・なると、母は泣き出した。 いた。
このことあるを予知していたので、私は冷然としている ﹁ありがたい ζ っちゃな。あしたは和尚様にお経をあげて
ととができた。 もろうて、・お父さんもよろこんでるやろ﹂
﹁おれはもう鹿苑寺の預りもんやで、一人前に在るまで、 ﹁命日がすんだら、お母さんは成生へ帰るのんか?﹂
訪ねて来んといてほしい﹂ 母の答は意外であった。母はあの寺の権利をすでに人に
ぜんばた
﹁わかってる。わかってる﹂ 譲り、わずかな田畑も処分して、父の療養費の借金を皆済
私は母を残酷・な言葉で迎えるのが嬉しかった。しかし普 し、これからは身一つで、京都近郊の加佐郡の伯父の家へ
段カゆ
念がらに、母が何も感ぜず、何も抵抗しないことが歯摩か 身を寄せるように、話をつけて来たのだった。
しきい 今さき
った。それでいて母がもしや闘を越えて私の中へ入ってく 私の帰るべき寺はなくなった!あの荒涼とした岬の村
るととは、想像するだに怖かった。 には、私を迎えるべきものがなくなったのだ。
ずる︿ぽ
母は日に焼けた顔に、小さな絞そうな落ち窪んだ目を持 ζ のとき私の顔に浮んだ解放感を、母はどう釈ったかし
っていた。唇だけは別の生き物のように赤くつやつやして らない。私の耳もとに口をつけて、 ζう言った。
おり、田舎の人の頑丈な硬い大柄な歯が並んでいた。都会 ﹁ええか。もうおまえの寺はないのやぜ。先はもう、乙 ζ
の女なら厚化粧をしておかしくない年であった。できるだ の金閣寺の往職様になるほかないのやぜ。和尚さんに可愛
がってもろうて、後継ぎにならなあかん。ええか 母さ
ohu ﹁空襲で、金閣が焼けるかもしれへんで﹂
んはそれだけをたのしみに生きてるのやさかい﹂ ﹁もうとの分で行たら、京都に空襲は金輪際あらへん。ア
rうてん
私は動願して母の顔を見返した。しかし怖ろしくて正視 メリカさんが遠慮するさかい﹂
できなかった。 ・私は答えなかった。寺の薄暮の中庭は海底の色にな
納戸はすでに暗い。私の耳もとに口を寄せたので、この った。石は激しく格闘した形のまま沈んでいる。
﹁慈母﹂の汗の匂いが私のまわりに漂った。そのときの母 私の沈黙を物ともせず、母は立上って、五回震をかこむ板
おぽ
が笑っていたのを私は憶えている。遠い授乳の記憶、浅黒 戸を無遠慮に眺め、
い乳房の思い出、そういう心象が、いかにも不快に私の内 ﹁お薬石はまだかいな﹂と言った。
を駈けめぐった。卑しい野心の点火には、何か肉体的な強
制力のよう・なものがあって、それが私を怖れさせたのだと 111後になって思うと、このときの母との対面は、私の
怠︿
思われる。母のちぢれた後れ毛が私の頬にさわったとき、 心に少なからぬ影響を及ぼしている。母があくまで私と別
乙けむつ︿ぽいとんぼ
薄暮の中庭の広口蒸した蹄掘の上に、私は一羽の鯖蛤が羽根 の世界に住んでいることに気づいたのもこのときなら、母
を休めているのを見た。夕空はその小さな円形の水の上に、 の考え方がはじめて力強く私に作用したのもこのときであ
ス。

堕ちていた。物音はどとにもなく、鹿苑寺はそのとき無人 w
の寺のように忠われた。 母は美しい金閣とは生れながらに無縁の人種であったが、
やっと私は母を直視した oなめらかな唇のはたに、日ゅは その代りに、私の知らない現実感覚を持っていた。京都に
おそ
金歯を光らして笑っていた。私の答は激しく吃った。 空襲の倶れがない ζと は 、 私 の 夢 想 に も か か わ ら ず 、 本 当
﹁そやかて、いずれ兵隊にとられて、戦死せんならんかも のととろかもしれ、なかった。そしてもし金閣が空襲をうけ
いきがい
わからへん﹂ る危険がこの先ないとすれば、さしあたり私の生甲斐は失
がかい
﹁あほ。こんな吃りが兵隊にとられたら、日本もおしまい せ、私の住んでいた世界は瓦解するのだった。
金閣寺


-な L 一方、思いもかけない母の野心は、それを憎み・ながらも、
こもり
私は、背筋を硬ばらせて、母を憎んでいた。しかし吃り 私を虜にした。父は一言も言わなかったが、母と同じ野心


とんじ


ながら出てくる言葉は遁辞でしかなかった。 の下に、私をこの寺へ送ったのかもしれなかった。田山道
しょ︿ぼう
詮師は独身であった。師自身が、先代に嘱望されて鹿苑寺 戦争がおわった。工場で終戦の詔勅の朗読を聴くあいだ、
m
w
を継いだのであれば、私も心がけ次第で、師の後継者に擬 私が思っていたのは、他ならぬ金閣のことである。
せられるかもしれなかった οもしそうなれば、金閣は私の 寺へかえると勿々、私が金閣の前へ急いだのはふしぎで

ものになるのである! はない。参観路の砂利は真夏の光りに灼け、私の運動靴の
私の考えは混乱した。第二の野心が重荷になると、第一 組悪なゴム裏は、石のひとつひとつに粘ついた。
の夢想││金閣が空襲を受ける ζと ー ー に 立 戻 り 、 そ の 夢 終戦の詔勅をきいてから、東京念ら宮城前へゆくととろ
想が母のあからさまな現実判断で破られると、また第二の であろうが、誰も居ない京都御所前へ泣きに行った者が大
野心に立戻って、あまりあれとれと思いあぐねた結果、私 ぜいいる。京都には、こういう時に泣きに行くための神社
隠れもの
の首の附根には、赤い大きな腫物ができた。 仏閣が沢山ある。どともその日は繁昌したにちがいない。
私はそのままに放置した。できものは根を張り、首のう しかしさすがに金閣寺へ来る者は-なかった。
しろから、熱い重い力でのしかかった。途絶えがち念眠り 灼けた砂利の上には、かくて私だけの影があった。金閣
きんむ︿
のあいだに、私は金無垢の光背がわが首に生え、頭のうし がむとうに居り、私がとちらに居たと云うべきだろう。と
だえん
ろを楕円にとりかとむために、すとしずつ生い茂っている の日の金閣を一目見たときから、私は﹁私たち﹂の関係が
夢を見た。目がさめると、しかしそれは、悪意のある隠物 すでに変っているのを感じた。
うず
の疹きにすぎなかった。 敗戦の衝撃、民族的悲哀・などというものから、金閣は超
とうとう発熱して私は寝込んだ。住職が私を外科医のと 絶していた。もしくは超絶を装っていた。きのうまでの金
'やほん
とろへやった。国民服に脚紳をつけた外科医は、との出来 閣は ζうでは・なかった。とうとう空襲に焼かれなかったと
物にフルンケルという簡単な名を与え、アルコールを惜し と、今日からのちはもうその倶れがないこと、とのととが
えいどう
んで、火であぶって消毒したメスをあてがった。 金閣をして、再び、﹁昔から自分は ζ こ に 居 り 、 未 来 永 劫
うめ
私は岬いた。熱い重苦しい世界が、私の後頭部で、はじ ととに居るだろう﹂という表情を、取戻させたのにちがい
しぼ
け、萎み、衰えるのが感じられた 0・・. ない。
きんぽ︿

**
内部の古びた金箔もそのままに、外墜に塗りたくった夏

*
の陽光の漆に護られて、金閣は無益な気高い調度品のよう
かわ
にしんとしていた。森の燃える緑の前に置かれた、巨大な の世のつづくかぎり漁らぬ事態:::。﹄
か会
空っぽの飾り棚。乙の欄の寸法に叶う置物は、途方もない 敗戦は私にとっては、こうした絶望の体験に他ならなか
duうだい ほの沿
巨きな香炉とか、途方も念い厄大な虚無とか、そういうも った υ今 も 私 の 前 に は 、 八 月 十 五 日 の 焔 の よ う な 夏 の 光 り
のしかなかった筈だ。金閣はそれらをきれいにー
・ぃ、実質
AJ ν弘、
喪 が見える。すべての価値が崩出世したと人は言うが、私の内
e
aa
ト歩主
を忽ち洗い去って、ふしぎに空慮な形をそとに築いていた。 にはその逆に、永遠が目ざめ、蘇り
ん‘、その権利を主張した。
もっと異様な乙とには、金閣が折々に示した美のうちでも、 金閣がそとに未来永劫存在するということを語っている永
との日ほど美しく見えたととはなかったのである。 当時一。
n
私の心象からも、否、現実世界からも超脱して、どんな 天から降って来て、われわれの頬に、手に、腹に貼りつ
のろ
種類のうつろいやすさからも無縁に、金閣がこれほど峡聞 いて、われわれを埋めてしまう永遠。この呪わしいもの。
な美を示したととは・なかった!あらゆる意味を拒絶して、 ::そうだ。まわりの山々の蝿の声にも、終戦の日に、私
Eゆそ
その美がこれほどに輝やいたことは・なかった。 はとの呪誼のような永遠を聴いた。それが私を金いろの壁
ふる
誇張なしに言うが、見ている私の足は傑ぇ、額には冷汗 土に塗りとめてしまっていた。
が伝わった。いつぞや、金閣を見て田舎へかえってから、
かいやりん
その細部と全体とが、音楽のような照応を以てひびきだし その晩は開枕の読経の前に、特に陛下の御安泰を祈り、
ぜんぼっしゃ
たのに比べると、今、私の聴いているのは、完全な静止、 戦残者の霊を慰めるために、長いお経が上げられた。戦争
わげさ
完全・な無音であった。そとには流れるもの、うつろうもの とのかた、各宗で簡略な輪袈裟が用いられるようになって
しまひ
が何もなかった。金閣は、音楽の怖ろしい休止のように、 いたが、今夜特に老師は、久しく納われていた緋の五条の
きつりつ
鳴りひびく沈黙のように、そとに存在し、舵立していたの 袈裟を召した。
'V やみAJ戸レト&AJ
である。 鍛の中まで洗い込まれたように清浄な、小肥りしたその
﹃金閣と私との関係は絶たれたんだ﹄と私は考えた。﹃こ 顔は、今日もまととに血色がよく、何かに満ち足りていたけ
きぬずさ
金閣寺

れで私と金閣とが同じ世界に住んでいるという夢想は崩れ 暑い夜であったので、その衣摺れの音のすずしさが冴えた。
た。またもとの、もとよりももっと望みのない事態がはじ 読経のあとで、寺の者はみんな老師の居室に呼ばれ、そ

1
4
まる。美がそ ζにおり、私は ζちらにいるという事態。と とで講話があった。
a
qんぜんぎんみよろ
老師の選んだ公案は、無門関第十四則の南泉斬猫である c 1 1大休右のような話で、とりわけ越州が頭に履をのせ

12
へきがんろ︿ ︿だ
﹁南泉斬猫﹂は、碧巌録にも、第六十三則﹁南泉斬獄児﹂、 た件りは、難解を以てきこえている。
ちょうしゅろずたいぞうあい
第六十四則﹁越州頭戴草鮭﹂の二則となって出ている、 しかし老師の講話だと、とれはそれほど難解な問題では
むかしから難解を以て鳴る公案である。 ないのである。
めいもう
唐代の頃、池州南泉山に普願禅師という名僧があった。 南泉和尚が猫を斬ったのは、自我の迷妄を断ち、妄念妄
ち傘
山の名に因んで、南泉和尚と呼ばれている。 想の根源を斬ったのである。非情の実践によって、猫の首
一山総出で草刈りに出たとき、 ζ の閑寂な山寺に一匹の を斬り、一切の矛盾、対立、自他の確執を断ったのである。
κん と う か つ に ん げ ん
せっ
仔猫があらわれた。ものめずらしさに皆は追いかけ廻して とれを殺人万と呼ぶなら、越州のそれは活人剣である。泥
ζれを捕え、さて東西両堂の争いになった。両堂互いにこ にまみれ、人にさげすまれる履というものを、限りない寛
ぽ さ つ yう
の仔猫を、自分たちのペットにしようと思って争ったので 容によって頭上にいただき、菩薩道を実践したのである。
ある。 老師は ζ の よ う に 説 明 す る と 、 日 本 の 敗 戦 に は 少 し も 触
それを見ていた南泉和尚は、忽ち仔猫の首をつかんで、 れずに講話を打切った。私たちは狐につままれたようであ
草刈鎌を擬して、乙う一一言った。 った。なぜ敗戦の ζの日に、特にとの公案が選ばれたのか、
いす晶凶“い
﹁大衆道ひ得ば即ち救ひ得ん。道ひ得ずんば即ち斬却せ 少しもわからない。

﹂ 私室へかえる廊下で、私は鶴川にそういう疑問を訴えた。
衆の答はなかった。南泉和尚は仔猫を斬って捨てた。 鶴川も頭を振っていた。
日暮になって、高弟の越州が帰って来た。南泉和尚は事 ﹁わからん・な。僧堂生活をしなきゃ、わかりつとないよ。

ーた
の次第を述べて、越州の意見を質した。 それでも今夜の講話の、、、ソは、戦争に負けた自に、何もそ
趨州はたちまち、はいていた履を脱いで、頭の上にのせ の話はし-ないで、猫を斬る話なんかしたことだと思うよ﹂
e
て、出て行った。 戦争に敗けたからと云つて、決して私は不幸-なのでは-な
南泉和尚は嘆じて言った。 かった。しかし老師のあの満ち足りた幸福そうな顔は気に
﹁ああ、今日おまえが居てくれたら、猫の児も助かったも かかった
のを﹂ 一つの寺では、通例、住職に対する尊敬の念が、寺の秩
序を保たせるのだが、過去一年お世話になっていながら、

私には老師に対する深い敬愛の心が湧いて来なかった。そ 私にとって、敗戦が何であったかを言っておかなくては
れはそれでよかった。しかし母によって野心に火を点、せら ならない。
れて以来、十七歳の私の日は、時折老師を批判して見るよ それは解放では・なかった。断じて解放ではなかった。不
うになっていた。 変のもの、永遠なもの、日常のなかに融け込んでいる仏教
老師は公平無私だったっしかしそれは私がもし老師であ 的な時間の復活に他ならなかった。
ったら、そのように公平無私でありうるだろうと、容易に 寺の日課は敗戦のあくる日から、又同じようにつづけら
かいじようしゅ︿ざさむさいざ
想像のつくような公平さであった。脳陣僧独特のユーモアも、 れた。開定、朝謀、粥座、作務、斎座、薬石、開浴、関枕。
老師の性格には欠けていた。通常そんな小肥りの姿にはユ :・その上、老師は闇米を買うことを厳しく止められたの
だんかふうす
ーモアがつきものなのだが。 で、檀家の寄附にかかる米だの、あるいは副司さんが発育
老師は女遊びをし尽した人だときいていた。老師が遊ん ざかりの私たちのために、寄附と称して買うわずかな闇米
釘か かゆかんしょ
でいるととろを想像すると、可笑しくもなり、不安にも在 が、之しい粥の椀に沈んでいた。甘藷の買い出しにもとき
る。桃色の餅菓子のような体に抱きしめられて、女はどん どき行った。粥座は朝だけでなく、昼も夜も粥や一語の食事
な気持がするのだろう。世界のはてまでその桃いろの柔ら がつづき、私たちはいつも飢えていた。
かい肉がつながって、肉の墓に埋められたような気がする 鶴川は東京の生家にたのんで、ときどき甘いものなどを
企︿らもと
だろう。 送らせた。夜が更けてから、私の枕許へやってきて一緒に

私は樋僧にも肉体のあるととがふしぎでならなかった。 喰べた。深夜の空にはときどき稲妻が走っていた。
けいぺつ
老師が女遊びをし尽したのは、肉体を捨離して、肉を軽蔑 そんな豊かな生家と、慈愛の深い父母のもとへ、どうし
するためだったと思われる c それなのに、その軽蔑された て婦ら・ないのかと私は尋ねた。
肉が思うさま栄養を吸って、つやつやして、老師の精神を ﹁だってとれも修行だもの。どうせ僕も、おやじの寺を継
金閣寺

包んでいるのはふしぎに思われる。よく馴らされた家畜の ぐんだもの﹂
隠しd
ζ
ような温順な、謙譲な肉。和尚の精神にとっては、まさに 彼には少しも物事が苦にならぬらしかった。箸箱にきち

13
めかゆ
妾のようなその肉-::・。 んとはまっている箸のように 私は更に追究して、とれか
Q
ら想像もつかない新らしい時代が来るかもしれない、と鶴 て、いつか金閣を手に入れようというほどの ζとでしかな

44
川に言った。そのとき私は、終戦後三日自に学校へ行った く、又ほんの空想の中で、老師を毒殺して、そのあとに私
折、工場の指導者の士官が、トラック一杯の物資を自分の が居据ると云った、他愛もない夢でしか・なかった。この計
家へもちかえった、という話を、みんながしていたのを思 画は、鶴川に同じ野心のないととを確かめ得て、私の良心
い出した。士官は公然と、これから俺は闇屋になるのだ、 の安らぎにさえなった。
と言ったそうである。 ﹁君は、未来のことに、何の不安も希望も持たへんの
あの豪胆で、残酷な、鋭い目をした士官は、まさに悪へ か?﹂
向って駈け出したのだと私は思った。彼の半長靴が駈ける ﹁持つてないんだ、何も。だって、持っていて仰になるん
遭のゆくてには、戦争における死とそっくりな総をした、 だ

朝焼けのような無秩序があった。胸もとに白絹のマフラー とう答えた鶴川の語調には、わずかな暗さも、境けやり
をひるがえし、盗んだ物資を背が曲るほど背負い込んで、 な調子も-なかった。そのとき稲妻が、彼の顔だちの唯一の
夜のなどりの風に頬をさらして、彼は出発するだろう。彼 繊細な部分である細い・なだらかな眉を照らし出した。床屋

はすぼらしい速さで磨滅するだろう。しかしもっと遠くで、 がそうするままに、鶴川は層の上下を剃らせるらしかった。
しゅろ'
もっと軽やかに、無秩序の輝ゃく鐘楼の鐘は鳴っている。 そとで細い眉はいよいよ人工的に細く、眉のはずれの一部
ほのかげ
に、剃りあとの灰か念青い臨調を宿していた。
そういうものすべてから私は隔てられていた。私には金 私はちらとその青さを見て、不安に持たれた。 ζの少年
も・なく、自由もなく、解放も・なかった。しかし﹁新らしい は私などとはちがって、生命の純潔な末端のととろで燃え
時代﹂と私が言うとき、十七歳の私が、まだそれとはっき ているのだ。燃えるまでは、未来は隠されている。未来の
とうしん
りは形を成さぬながら、一つの決意を固めていたととはた 燈芯は透明な冷たい油のなかに漏っている。誰が自分の純
む︿
しかである。 潔と無垢を予見する必要があるだろう。もし未来に純潔と
﹃世間の人たちが、生活と行動で惑を味わうなら、私は内 無垢だけしか残されていないならば。
界の悪に、できるだけ深く沈んでやろう﹄
's
しかし手はじめに私の考える恵は、老師に巧くとり入つ -:その晩、鶴川が自分の部屋へ戻って行ってから、残
暑のむしあっさに私は寝つかれなかった。あまつさえ、自 戦後になって、夜、一度もと ζ へ登ったととがなかったの
をせき
演の習慣に抗しようとする気持が眠りを奪った。 で、との光景は私にとって殆んど奇顕であった。
ときたま私は夢精をするととがあった。それも確たる色 灯は一つの立体をなしていた。平面のそとかしとに散ら
慾の影像はなく、たとえば暗い町を一匹の黒い犬が駈けて ばる灯が、遠近感を失って、燈火ばかりでできた透明な一
争え つの
いで、その炎のような口の哨ぎが見え、犬の首につけられ つの大建築が、複雑な角を生やし、翼楼をひろげて、夜の
ζうふん
た鈴がしきりに鳴るにつれて昂奮が募り、鈴の鳴り方が極 只中に立ちはだかっているように思われた。とれ乙そは都
度に達すると、射精していたりした。 というものだった。大きな黒い洞のように、御所の森にだ
自演の折には、私は地獄的な幻想を持った。有為子の乳 けは灯が欠けていた。
房があらわれ、有為子の腿があらわれた。そして私は比類 かなた、叡山の片ほとりから暗い夜空にかけて、時折稲
なく小さい、醜い虫のようになっていた。 妻がひらめいた。
││私は床を蹴って起きて、小書院の裏手から忍び出た。 ﹃乙れが俗世だ﹄と私は思った。﹃戦争がおわって、乙の
鹿苑寺の裏手、タ佳亭のあるととろより更に東に、不動 灯の下で、人々は邪悪な考えにかられている。多くの男女
山という山がある。赤松に覆われた山で、松のあいだに生 は灯の下で顔を見つめ合ぃ、もうすぐ前に迫った、死のよ
つつ E かんぽ︿ 乙 と ど と よζL
い茂る笹にまじって、うつぎ、榔簡などの濯木があった。 うな行為の匂いを嘆いでいる。乙の無数の灯が、悉く邪ま
つまず
その山には夜道でも蹟かずに登れるほど馴れていた。頂き な灯だと思うと、私の心は慰められる。どうぞわが心の中
かみぎよう傘かぎよ争えいざん
に登れば上京中京、はるかに叡山や大文字山を望み見るこ の邪惑が、繁殖し、無数に殖え、きらめきを放って、との
とができた。 目の前のおびただしい灯と、ひとつひとつ照応を保ちます
私は登った。おどろかされた鳥の羽音の中を、わき目も ように!それを包む私の心の暗黒が、乙の無数の灯を包
ふらずに、木の株を除けながら登った。何も考えない ζの む夜の暗黒と等しくなりますように!﹄
ルう同んい
登撃が、たちまち私を癒やすのを感じた。頂上に着いたと

**ホ
金閣寺

き、涼しい夜風が来て、汗にまみれた体を捲いた。
自の前の眺望がわが目を疑わせた。久しいあいだの燈火 金閣の見物はおいおい数を増した。老師は市に申請して、必
管制を解かれた京都市は、見わたすかぎりの灯であった。 インフレーションに即応するような拝観料の値上げに成功
すず
した。 へむかつて大きく口をあけた。すると雪片はごく薄い錫の
4
今まで金閣の拝観者は、軍服や作業服やもんペ姿の、つ 箔をうちあてるような音を立てて、私の歯にさわり、さて、
︿a
z
つましいまばら・な客でしか-なかった。やがて占領軍が到着 温かい口腔の中へ、隈なく雪が散って来て、私の赤い肉の

し、俗世のみだらな風俗が金閣のまわりに群がるにいたっ おもてに融け浸み入るのが感じられた。そのとき私は究寛
信うおうとんじきけもよう
た。一方、献茶の習慣もよみがえり、女たちはあちこちへ 頂上の鳳恩の口を想像していたのだった あの金色の怪烏
G
隠していたとっておきの華美・な衣裳を着て、金閣へ昇った。 の、なめらかな熱い口を。
かれらの自にさらされる私たち、私たちの僧衣の姿、それ 雪は私たちを少年らしい気持にさせる。まして私は年を
は今でははっきりした対照をなし、まるでわれわれは酔輿 越しても、まだ十八歳なのである。私が少年らしい躍動を
に僧侶の役を演じているかのようであった。或る地方の珍 身内に感じていたとしても、それが嘘になろうか?
奇な風俗を見にやって来る観光客のために、殊更昔の珍奇 雪に包まれた金閣の美しさは、比べるものがなかった。
e
zか
な風俗を固守している住民のように。:::とりわけ米兵た との吹き抜け,の建築は、雪の・なかに、雪が吹き入るのに委
ちは、無遠慮に私の僧衣の袖を引張って、笑ったりした。 せたまま、細身の柱を林立させて、すがすがしい素肌で立
あるいはいくばくの金を差出し、記念写真をとらせるため っていた。
に、僧衣を貸してくれ、と言ったりした。それというのも、 どうして雪は吃らぬのか?と私は考えた。それは八つ
b
e俗、
英語のでき・ない案内人の代りに、時折、鶴川や私が、片言 手の葉に障るときなど、吃ったように降って、地に落ちる
者ラλ
の英語の案内に狩り出されたからである。 とともあった。しかし理きるもののない空から、流麗に藷
ちてくる雪を浴びていると、私の心の屈曲は忘れられ、音
戦後最初の冬になった。或る金曜の晩から雪が降りはじ 楽を浴びているように、私の精神はすなお念律動を取戻一し
め、土曜にも降りつづけた。学校にいるあいだも、正午で た

退けて帰って、雪の金閣を見るのがたのしみだった。 事実、立体的な金閣は、雪のおかげで、何事をも挑みか
かばん
午後も雪であった。私はゴム長靴に、肩から鞄をかけた けない平間的な金関、画中の金閣になっていた。両岸の紅
ちょう危つ
まま、参観路から鏡湖池のほとりへ出た。雪は暢達な速度 葉山の枯枝は、雪をほとんど支え得ないで、その林はいつ
で降った。子供のとろよくそうしたものだが、私は今も天 もよりも裸かに見えた。おちこちの松に積む雪は壮麗だっ
た。池の氷の上にはさらに雪がつもり、ふしぎにつもらぬ 開場前の時刻に、外人兵の見物が来たのだった c老案内
金だ
個所もあって、白い大まかな斑らは、装飾画の雲のように 人は手まねで待たして、おいて、﹁英語のできる﹂私を呼び
大胆にえがかれていた。丸山八海石も淡路島も、池の氷上 に来た。さてふしぎなことに、私は鶴川よりも英語はよく
の雪とつながって、そこに茂る小松は、あたかも氷と雪の できたし、英語となると吃ら・なかった。
原の只中から、偶然生い立ったもののように見えるのであ 玄関の前にはジlプがとまっていた c泥 酔 し て い る 米 兵
さげす
った。 は玄関の柱に手をかけ、私を見下ろして蔑むように笑った。
人の住まぬ金閣は、究寛頂と潮音洞の二つの屋根、乙れ 雪晴れの前庭はまばゆかった。そのまばゆさを背に、脂
そうせい
に更に激清の小屋根を加えて三つの、くっきりした白の部 切った肉がひしめいている青年の顔は、私の顔へ、白い息
分のほかは、暗い複雑な木組が、雪中にむしろなまなまし と一絡にウイスキーの酒気を吹きつけた。いつものことな
い黒色をうかべていたが、われわれが南画の山中の後間な がら、こういう寸法のちがった人間の中で動いている感情
どに、ふと人が往んでいはしないかと、画面に顔を近づけ を想像するととは私を不安にした Q
のぞ
て覗いたりするように、その古い黒い木の色のあでやかさ 私は何でも反抗せぬことにしていたので、開門前だが、
は、金閣に誰か人が住んでいるのではないかと、窺いたく 特に案内する、と云ぃ、入場料と案内料を請求した。巨き
なる気持に私をさせた ω しかしたとえ近づける私の顔も、 な 酔 漢 は 意 外 に 大 人 し く 仕 払 っ た 。 そ れ か ら ジ 1プの中を
雪の冷たい絵絹にぶつかって、それ以上近づくととはでき のぞいて、﹁出て来い﹂という意味のことをき口った。
なかったであろう。 雪の反射がまぶしかったので、ジープの暗い車内はそれ
ほろ
究賞頂の扉は今日も雪空に向って開け放たれていた。そ まで見え・なかった。幌の明り取りの中で何か白いものが動
こを見上げている私の心は、降り込む雪片が、究寛頂の何 いた。兎のようなものが動いた気がした。
もない小さな空間を飛びめぐり、やがて壁画の古い錆びた ジープの踏台の上へ、細いハイヒールの脚がさし出され
金箔にとまって、息絶えて、小さな金いろの露を結ぶにい た υ との寒いのに素足であったので私はおどろいた。女は
カいとう
金閣寺

たるまでの、逐一を見るのであった。 外人兵相手の娼婦だと一目でわかる真赤な炎いろの外套を
着、足の爪も手の爪も、同じ炎いろに染めていた。外套の

i7
あくる日の日曜の朝、老案内人が私を呼ぴに来た。 憾のさばけるときに、うす汚れたタオル地の寝間着が見え
た。女もひどく酔っていて目が据っていた。そして男のほ その朝早く、寺中総出で、辛うじて参観路の雪掻きは済

48
うは、それでもきちんと軍服を着ているが、女は起きぬけ んでいた。団体でも来られると困るが、並の人数なら、一
AP$き
のまま、寝間着の上に襟巻と外套を引っかけて出て来たの 列に歩けるほどの通路がひらかれた。そとを私は、米兵と
であるらしい。 女との先に立って歩いた。
あお
雪の反映をうけた女の顔はひどく蒼ざめていた。血の気 米兵は池のととろまで来て眺望がひらけると、大手をひ
のほとんどない肌に、口紅の緋いろが無機的にうかんでい ろげて、何かわからぬ乙とを喚いて、歓声をあげた。女の
︿さめ ,ょう
dv
た。下りた途端に女は嘘をし、細い鼻梁にとまかく走る小 体を乱暴にゆすぶった。女は眉をしかめて、又、
Eb
鍍を寄せて、酔い疲れた目が一瞬遠くを見たのが、また底 ﹁オ I、ジャ 1アック。ツl・コールド!﹂
深 く ど ん よ り と 沈 ん だ 。 そ し て ジ ャ ッ ク を 、 ジ ャ 1アック と言うきりであった。
と発音して、男の名を呼んだ。 米兵は雪をたわわに積んだ葉かげに見える青木のつやや
﹁ジャ 1ア ッ ク 、 ッ l ・ コ ー ル ド ! ツ 1 ・コールド!﹂ か念赤い実を、あれは何かと私に尋ねたが、私は﹁アオ
たい︿
女の声は哀切に雪の上に流れた。男は答え・なかった。 キ﹂としか答える乙とができなかった。巨きな体躯にも似
ζん な 商 売 の 女 を 、 私 が 美 し い と 感 じ た の は は じ め て で ず、彼は持情詩人-なのかもしれないが、その澄んだ青い目
ある。有為子と似ているからではなかった。ひとつひとつ は残酷に感じられた。﹁マザア・グウス﹂という外国の童
ちがっていて、有為子と似せないように似せないようにと、 謡に、黒い目のととを意地悪で残酷だと歌っているが、異
吟味して描いた肖像のようであった。そのととが何かしら、 国的なものに託して人聞は、残酷さを夢みるのが通例なの
有為子の記憶に抗して出来た影像の、反抗的な新鮮な美し であろうか。
さを帯びていた。というのは、私が人生で最初に感じた美 私は型どおりに金閣を案内した。ひどく酔っている兵士
ζ
に対するその後の官能の反抗に、姻びるようなものがあっ は、ふらふらして靴をあちとちへ投げ飛ばして脱いだ。私
たのだ。 はポケットからかじかんだ手で、とうした場合に読みあげ
ただ一点が有為子に共通していた。僧衣を着ず、汚ない る英文の説明書をとり出した。しかし米兵が横から手を出
ジャンパーにゴム長靴の姿の私へ、女は目もくれなかった してとれをとりあげ、おどけた節で読みはじめたので、私
ζとである。 の案内は不要になった。
ほすいいん
私は法水院の欄にもたれ、すさまじく照りかがやく池を ヘイ、と米兵が叫んだ。私はふりむいた。足をひろく踏
眺めた。金閣の中がとんなに不安なほど明るく照らし出さ んばった彼の立姿が目の前に在った。指で私に合図してい
れている ζとはなかった。 た。打って変った温かい潤みのある声が、英語でとう言っ
私の気づかぬうちに、激清のほうへ行っていた男女のあ た

いさか
いだに、口論が起っていた。誇いはだんだん烈しくなった ﹁踏め。おまえ、踏んでみろ﹂
が、私には一一語も聴きとれなかった。女も何か強い一言葉で 何のととか私にはわからなかった。しかし彼の青い目は
やり返しているのだが、それが英語であるか日本語である 高所から命じていた。彼のひろい肩幅のうしろには、雪を
かわからなかった。二人は詩いながら、もう私の存在は忘 いただいた金閣がかがやき、洗われたように青い冬空が潤
れて、法水院のほうへ立戻って来た。 んでいた。彼の青い目は少しも残酷ではなかった。それを、
ののし
女が、顔を突き出して罵っていた米兵のその頬を、思い その瞬間、世にも冊目情的だと感じたのは何故だろう。
切り平手打ちにした。そして身をひるがえして逃げ、ハイ 彼の太い手が下りて来て、襟首をつかまえて、私を立た

ヒl ルを穿いて、参観路を入口のほうへ駈け出した。 せた。しかし命ずる声音はやはり温かく、やさしかった。
私も何やらわからずに、金閣を下りて池畔を駈けた。し ﹁踏め。踏むんだ﹂
かし女に追いついたときには、すでに足の長い米兵が追い 抵抗しがたく、私はゴム長靴の足をあげた。米兵が私の
ついていて、女の真紅な外套の胸倉をつかんでいた。 肩を叩いた。私の足は落ちて、春泥のような柔らかいもの
そのまま青年は私のほうをちらと見た。女の炎いろの胸 を踏んだ。それは女の腹だった。女は目をつぶって岬いて
もとをつかんでいた手を、軽く離した。その離す手にとも いた。
っていた力は、しかし尋常・なものでは・なかったらしい。女 ﹁もっと踏むんだ。もっとだ﹂
は仏倒しに雪の上に仰向けに倒れた。炎いろの裾が裂けて、 私は踏んだ。最初に踏んだときの異和感は、二度目には
MLιd"'レ
ζれが女の腹だ、と私は思った。

雪に白い素肌の腿がひろがった。 送る喜びに変っていた。
金閣寺

とれが胸だ、と思った。他人の肉体が ζんなに鞠のように
噂俳机リ
女は起き上ろうともしなかった。下からじっと、雲つく
にら
ような男の高所の日を脱んでいた。私はやむなく、ひざま 正直な弾力で答えることは想像のほかだった。

49
たす
ずいて、女を扶け起そうとした。 ﹁もういい﹂
と米兵ははっきり言った。そして礼儀正しく女の体を抱 頭が剃られるあいだ、老師は目をっぷり紙を両手でささ

a
きあげ、泥と雪を払ってやり、それからは私には振向かず げて、落ちる毛を受けている。剃られるにつれてその頭の
に、先に立って女の体を支えて歩いた。女は最後まで私の 動物的ななまなましい輪郭がはっきりしてくる。剃りおわ

顔から視線を外らしていた。 ると副司さんは、温かい手拭で老師の頭をくるんだ。しば

ジープのととろまで来て、女を先に乗せると、酔のさめ らくしてそれを剥がす。その下から、生れたてのような、

たいかめしい顔つきで、米兵は私にサンキュ!と言った。 ほかほかした、茄でたような頭が現われる。
金をくれようとしたので、私は断わった。彼は座席から、 私はやっと口上を言って、二カートンのチェスタフィ l
とうとう
米国煙草を二カートンとり出し、私の腕に押しつけた。 んドをさし出して、叩頭した。
私は玄関先の雪の照り返しの中に、頬をほてらせて立っ ﹁ほほう。御苦労だった﹂
ていた。ジープは雪煙をあげて、丹念に揺れながら理さか と老師は、自分の顔の外れで笑うような微笑をちらとう
った。ジープは見え・なくなった。私の肉体は昂奮していた。 かべて言った。それきりであった。二本の煙草包は、老師
の手で、大そう事務的に、いろんな書類や手紙の積まれた
:::やっと昂奮が治まったとき、私には偽善の喜びの企 机の上に無造作に重ねられた。
らみがうかんだのだが、煙車好きの老師はどんなにか喜ん 副司さんが肩を擦みだしたので、老師は又目を閉じた。
さが
で、との贈物をうけとるであろう。何も知らずに。 私は返らねばならなかった。不満が私の休を熱くしてい
略うぴ
すべては告白の必要のないととだった。私は命ぜられ、 た。自分のした不可解な悪の行為、その褒美にもらった煙
強いられてやったにすぎない。もし反抗したら、私自身が 草、それと知らずにそれを受けとる老師、:::乙の一連の
どんな自に会っていたかしれないのである。 関係には、もっと劇的な、もっと痛烈なものがある筈だっ
ふぬす
大書院の老師の部屋へゆく。そういうととの巧い副司さ た。老師ともある人がそれに気づかぬととが、私をして老
んが、老師の頭を剃っている。朝日のいっぱい当った縁先 師を軽蔑させる又一つ大き・な理由になった。
で私は待った。 しかし退ろうとする私を老師は引止めた。彼は丁度私に、
庭の陸舟松は、積った雪をまばゆくかがやかせているの 思恵を施そうと思っているところだったのである。
で、それがまるで折り畳んだ真新らしい帆のようであった。 ﹁おまえをな﹂と老師は言った。﹁卒業次第、大谷大学へ
やろうと思ってる。亡くなったお父さんもきっと心配して で ζの男は私と口を利か-なくなっていたのである。
ふうす
おられるから、うんと勉強をして、よい成績で大学へ入ら 寺男の態度にも、副司さんの態度にも、何かしら常とこ
ないかん﹂ となるものがあった。しかし表ては常とかわらぬように装
ーーとのニュースは、忽ち副司さんの口から寺じゅうに うているのが見てとれた。
伝えられた。老師のほうから大学進学の話があるのは、よ その晩、私は鶴川の寝室へゆき、寺の人たちの態度がお
今った
ほど嬬望されている証拠だというのであった。土日徒弟が大 かしいと嗣耐えた。舶問川もはじめは私と一緒に首をかしげて
学へ行かしてもらうために、住職の部屋へ肩を操みに百夜 比せたけれど、感情をいつわるととのできない彼は、やが
か傘
も通って、やっと望みを叶えられたという話は山程ある。 て後ろめたい顔つきになって私を見据えた。
家の費用で大谷大学へ行かしてもらう ζとになっている鶴 ﹁僕はあいつ﹂ともう一人の徒弟の名を云って、﹁あいつ
川は、私の肩を叩いて喜び、老師から何の沙汰もないもう からの又聞きなんだが、というのは、あいつも学校へ行っ
じど
一人の徒弟は、福間後私とは口をきかなくなった。 ていて、知ら・なかったんだから、・・・とにかく君の留守に、
妙なととがあったんだって﹂
私は胸さわぎがした。諮問した。鶴川は、秘密を守る誓
第四章
いを私にさせて、私の顔色を伺い伺い、話し出した。
ひるさ泊ひしようふ
その日の午下りに、緋いろの外套を着た外人向の娼婦が
私がやがて、昭和二十二年の春、大谷大学の予科へ入つ 寺を訪れ、住職に面会を求めた。副司さんが代りに玄関へ
かわせんぼう
たとき、老師の泳らぬ慈愛と、同僚の羨望とに包まれて、 出た。女は副司さんを罵って、どうしても住職に会わせろ
意気揚々と入学した、というのではなかった。外目にはお と云った。そこへ老師が折悪しく廊下をとおって来て、女
そらくそう見えた。しかしとの進学については、思い出す の姿をみとめて、玄関先へ出た。女が云うには、一週間ほ
さえ忌々しい事情がある。 ど前の雪晴れの朝、外人兵と一緒に金閣を見物に来た折、
金閣寺


山V 命 my
老師があの雪の割引、私に大学進学の許しを与えてから一 寺の小僧が外人兵に阿諜して、外人兵が突き倒した女の複
週間後、私が学校からかえると、大学進学の沙汰のなかっ を踏みにじった。その晩、女は流産した。そこで、いくば

1
5
︿ろ︿&んじ
た例の徒弟が、大そう嬉しそうな表情で私を見た。それま くの金を貰いたい。呉れなければ、鹿苑寺の非行を世間に
hv色 hm弘
訴えて、表沙汰にする、というのである。 う仕方、すべての影を日向u
に、すべての夜を昼に、すべて

52
とり
老師は黙って、金を渡して女を帰した。その日の案内人 の月光を日光に、すべての夜の苔の湿りを、昼のかがやか
が他ならぬ私であるととはわかっていたが、私の非行の目 しい若葉のそよぎに醗訳する仕方を見れば、私も吃りなが
ざんげ
撃者はなかったので、老師はとのことを私に決して知らせ ら、すべてを機悔したかもしれない。が、 ζ のときに限っ
てはならぬと言った。老師はすべてを不聞に附したのだ。 て、彼はそれをしなかった。そこで私の暗黒の感情が力を

しかし、寺の人たちは、副司さんからそれを訊くなり、 得たのだ。・:・
私の非行を疑わなかった。鶴川はほとんど涙ぐんで、私の
a'
嘩@晶、, ひぎ
手をとった。その透明な眼差は私を見つめ、その少年らし 私はあいまいに笑った。火の気のない寺の深夜。寒い膝。
いV
い生一本な声は私を搾った。 古い太い柱が、幾本もそそり立って、ひそひそ話をしてい
﹁本当に君はそん・なととをやったのか?﹂ る私たちを囲んでいた。
ふる
私が標えていたのはおそらく寒さからだった。しかしは
:・私は自分の暗黒の感情に直面した。鶴川がとんな追 じめて公然と、との友に嘘をつく快楽も、私の寝間着の膝
いつめるような質問で以て、私をそれに直面させたのだ。 を傑わせるに足りた。
どうして鶴川は私にそれを訊くのだろう。友情からだろ ﹁何もせえへんで﹂
e
-
うか。私にそんな質問をする ζとによって、彼が自分の本 ﹁そうか。じゃ、あの女は嘘を言いに来たんだな。畜生。
nうてき
当の役割を放慨している ζと を 、 彼 自 身 知 っ て い る だ ろ う 副司さんまでそれを信じる-なんて﹂
か。彼がそんな質問によって、私の深いところで私を裏切 彼の正義感はだんだん高じて来て、明日は私のために、
ったととを知っているだろうか。 ぜひとも老師に対して釈明してやると息巻くまでになった。
私はたびたび言った筈だ、鶴川は私の陽画だと。:・:鶴 そのとき私の心には、ふいに老師の、あの茄でた野菜のよ
川がもし彼の役割に忠実であったら、私を問いつめたりせ うな剃りたての頭が浮んだ。それから桃いろの無抵抗・な頬
は老は
ずに、何も訊かずに、私の暗い感情を、そっくりそのまま、 が浮んだ。 ζ の心象に、何故か突然甚だしい嫌悪を感じた。
明るい感情に線訳すべきであったのだ。そのとき、嘘は真 鶴川の正義感は、発露せぬうちに、私の手で土に埋めてし
実になり、真実は嘘になった筈だ。鶴川の持ち前のそうい まう必要があった。
かいしゅん
﹁そやかて、老師は僕のした乙とやと信じていやはるやろ 直の割に進学を差止め、もし機悔すれば、改俊のしるしを

﹂ 見究めてから、今度は格別に恩着せがましく、大学進学を
たちま わな
﹁さあ﹂と忽ち鶴川の考えは窮した。 許すつもりかもしれない。そしてもっとも大きな民は、老
かげぐち
﹁ほかの人はどないに蔭口をきいても、老師だけは黙って 師が副司さんに、このことを私に告げるな、と命じた点に
見とおしてて下さるよって、安心しとったらええのや。僕 あるのだ。私がもし本当に無事なら、かくて、私は何も感
はそう思うとる﹂ ぜず、何も知らずにその日その日を送ることができる。一
かえさい
そして私は、鶴川の釈明が却って私に対するみんなの鴨川 方、私がもし非行を犯していれば、そして私に多少の知恵

疑を深めるのにしか役立たない ζと を 納 得 さ せ た 。 老 師 だ があれば、無事の私が送るであろう純潔な沈黙の日々を、
む ζ
けは私の無事を知っておられればとそ、すべてを不聞に附 つまり決して機悔の必要のない日々を、完全に模倣すると
きざ
したのだ、と私は言った。言ううちに私の胸には喜びが兆 とができる。いや、模倣すればよいのである。それが最善
きょう ζ
し、喜びは次第に奪回な根を張った。﹃目撃者はないのだ。 の方法であり、それが私の身の明しを立てる唯一の道なの
、.
、.
証人はないのだ﹄という喜び・目。 だ。老師はそれを暗示している。その民に私を引っかけて
いる。::・乙とに思いいたると、私は怒りに駆られた。
-へんそ
さて私は、老師だけが私の無事をみとめている、などと 私とて、弁疏の余地がないわけではない。もし私が女を
信じていたわけではない。むしろその反対だ。すべてを老 踏まなかったら、外人兵は拳銃をとり出して、私の生命を
師が不聞に附したととは、却って私のとの推測を裏書して おびやかしたかもしれない。占領軍に反抗することはでき
いス。
w ない。私はすべてを強いられてやったのである。
もしかしたら二カートンのチェスタフィールドを私の手 しかし私のゴム長の靴裏に感じられた女の腹、その加び
からうけとったとき、老師はすでに見抜いていたのかもし るよう・な弾力、その岬き、その押しつぶされた肉の花ひら
れない。不聞に附したのはただ、私の自発的な機悔を、遠 く感じ、或る感覚のよろめき、そのとき女の中から私の中
金閣寺

くからじっと待つためであったかもしれない。そればかり へ貫ぬいて来た隠微・な稲妻のようなもの、:・・そういうも
e
AゐC
ではない。大学進学の餌を与えておいて、それと私の機悔 のまで、私が強いられて味わったという乙とはできない。

53
とを引換えにして、もし私が機悔をし・なければ、その不正 私は今も、その甘美な一瞬を忘れていない。
老師は、私の感じた中核、その甘美さの中核を知ってい ては人並に敬意も払い、批判の目で眺めてもいた老師の姿

1
5
/
﹂ 1
F-
・ は、徐々に、怪物的な巨きさを得て、人間らしい心を持っ
た存在とは見えなく・なった。それは何度目を外らそうとし
それから一年、私は簡に捕えられた小鳥のようになった。 てもそとに存在し、奇怪な城のようにそこにわだかまって
簡は私め自にたえず見えていた。決して機悔しまいと思い いた。
あんど
ながら、私の毎日には安堵が・なくなった。 晩秋のととである。或る古い檀家の葬式に招かれて、そ
ふしぎなことである。あの当座には少しも罪を思わせな れが汽車で二時間もかかる土地であったので、老師は朝五
かった行為、女を踏んだというあの行為が、記憶の中で、 時半に出発する旨を、前の晩から申し渡した。一剛司さんが
だんだんと輝やきだしたのである。それは女が流産したと お供についてゆく。私たちも、その時聞に老師が出門する
いう結果を知ったからだけではない。あの行為は砂金のよ のに間に合うように、四時には起きて、掃除や食事の仕度
ちんぜんきら
うに私の記憶に沈澱し、いつまでも目を射る埋めきを放ち をせねばならぬ。
妻 、 老 Cい
だした。惑の埋めき。そうだ。たとえ些細な悪にもせよ、 副司さんが老師のお世話をしているあいだ、私たちは起
悪を犯したという明瞭な意識は、いつのまにか私に備わっ きぬけに朝謀のお経を読んだ。
︿りきしね
た。勲章のように、それは私の胸の内側にかかっていた。 暗い冷たい庫裏から、つるベの胤り音がたえず響いた。
ぎようあん
:::さて、実際問題として、大谷大学を受験するまでの 寺の人たちは洗顔をいそいでいた。晩秋の暁簡をさえざえ
ーレ aB
あいだ、私は老師の意向をあれとれと端摩しつつ、途方に とつんざいて、裏庭の難鳴が白くきとえた。私たちは法衣
︿つが
暮れるほかはなかった。老師は一度でも進学の口約束を覆 の袖を合わせて、客殿の仏壇の前へ急いだ。
えすようなことは言わなかった。しかしまた、受験の準備 そとに人の寝るととのない広い畳は、夜明け前の冷気の
しよ︿だいほのお
を急がせるようなととも言わなかった。そのいずれにせよ、 ・なかに、はねつけるような肌ざわりをしていた。燭台の焔
かねね
どんなに私は老師の一言を待ったととか。老師は意地わる はゆらめいた。私たちは三拝した。立って叩頭し、鉦の立日
く沈黙を守り、私を永い時間のかかる拷聞にかけていた。 と共に坐って叩頭する。それを三度くりかえすのである。
事た
私も亦、怖れからか、あるいは反抗からか、進学について 朝 謀 の 経 の と き 、 私 は い つ も そ の 合 唱 す る 男 の 声 に 、‘



ただ &刷也
老 師 の 意 向 を も う 一 度 質 し て み る ζとができかねた。かつ 生しさを感、じじるのが常であつた。一日のうちでも朝諜の経
もうねん
の声は力強いが、その声の強さが、夜じゅうの妄念をあた の姿がすっかり消え去るまでは、見送っている身にはずい
しぶき
りに吹き散らし、声帯から黒い繁吹がほとばしっているよ ぶん永い。
うである。私のことはわからない。わから・ないが私の声も、 そのとき私の内には異様な衝動が生れていた。大事な言
を きつおん
閉じ男の汚れを撤き散らしていると思うととは、私を奇妙 葉が造ろうとして吃音に妨げられる時と同様、との衝動は
のどもと
念具合に勇気づけた。 私の咽喉元で燃えていた。私は解き般たれたかった。母が
しゅ︿ぎ
私たちが粥座をすます前に、老師の出発の時刻が来た。 かつて暗示した、住職の跡を襲う望みはおろか、大学進学
寺の者は玄関の前に整列して、見送るのが作法である。 の望みもとのときにはなかった。無言で私を支配し、私に
まだ夜は明けない。空は星に充たされている。山門まで のしかかっているものから遁れたかったのである。
のあいだの石だたみは、星あかりにしらじらと伸びている とのとき私に勇気が-なかったのだと云うととはできない。
︿ぬぎ
が、巨木の僚や悔や松の影が、いたるととろにはび ζ って、 告白者の勇気などは知れている!二十年間というもの黙
影は影に融けて地を占めている。穴のあいたスウエーター りこくって生きてきた私には、告白の値打などは知れてい
ひじ おおげさ
を着ている私の肱からは、暁の冷気がしみた。 る。私を大袈裟だと云うだろうか?老師の担当口に対抗し
すべては無言で行われる。私たちは黙って頭を下げる。 て、告白をせずに来た私は、﹁悪が可能か?﹂という乙と
老師はほとんどそれに応えない。そして老師と副司さんの 一つを試して来たのだと恩われる。もし私が最後まで機悔
おとかつかつ
下駄の音が、石だたみの上を憂々とわれわれから遠のいて をしなければ、ほんの小さな悪でも、惑はすでに可能にな
ゆく。後ろ姿が全く見えなくなるまで見送るのが、徴家の ったのだ。
礼である。 しかるに、老師の白い裾と白い足袋が、木立の影に隠見
遠くまで見えるのは後ろ姿の全部ではない。僧衣の白い しながら、暁閣の中を遠ざかるのを見るにつけ、私の咽喉
裾と、白い足袋とだけである。もう全く見えなくなったと 元で燃える力は、ほとんど制しがたい力になった。すべて
思われる時がある。しかしそれは樹々の影に紛れたのだ。 を打明けたいと私は思った。老師を追って行って、その袖
こだま
金閣寺

影のむこうに再び白い裾と白い足袋が現われて、足音の街 にすがり、大声で雪の日の逐一を述べ立てたいと思った。
は却って高まるようにも恩われる。 老師に対する尊敬がそん・なととを思いつかせたのでは決し



私たちは凝然とこれを見送っている。総門を出て、一一人 てない。老師の力は、私にとっては一種の強力な物理的な
つ︿しかんずおんじ
カに似ていた。 との大学は、三百年ちかい昔、寛文五年に筑紫観世音寺

56
:・しかしもし打明ければ、私の人生の最初の小さな悪 の大学寮を、京都の狽殻邸内へ移したのがそもそものはじ
がかい E らい
も、瓦解するのだという思いは私を引止め、何ものかが私 まりである。爾来永く大谷派本願寺子弟の修道院となった
老にわ
の背をしっかりと引いていた。老師の姿は総門をくぐり、 が、本願寺第十五世常如宗主のとき、浪華の門徒高木宗賢
ら︿隠︿からすま.かしら ζの ち 貯 ︿
明けやらぬ空の下に消え去った。 が浄財を喜捨して、洛北烏丸頭の此地を卜して、本学を建
皆はふいに、解き放たれて、ざわざわと玄関の中へ駈け てた。一万二千七百坪の地所は、大学としては決して大き
入った。ぼんやりしている私の肩を鶴川が叩いた。私の肩 なものではない。しかし大谷派のみならず、各宗各派の青
やほ乙
は目ざめた。との痩せた見すぼらしい肩は、衿りを取戻し 年がことに学んで、仏教哲学の基礎的な知識を修めるので

。 あった。
れんが
**

古い煉瓦の門は、電車通りと、大学のグラウンドを隔て
*

ひえいぎん
て、西の空にたたなわる比叡山に対している。門を入ると、
:・こんな経緯がありながら、私が結局大谷大学へ進ん 砂利の車道が本館前の馬車廻しに通じている。本館は古い
だととは前にも述べた。機悔は不要であった。その日から 沈穆な赤煉瓦の二階建である。玄関の屋根の頂きに、青銅
やP P
数日後、老師は私と鶴川を呼び、言葉すくなに、受験準備 の,
、がそそり立っているが、鐘楼にしては鐘が見えず、時

きむ かぽそ
をはじめるべきとと、試験勉強のためには作務を免ずると 計台にしては時計がない。そとでその櫓は、繊細い避雷針
と、などを申し渡した。 の下に、む-なしい方形の窓で青空を切り抜いているのであ
そうして私は大学へ進んだわけであるが、それですべて ス。
w
ぽだいじゅ
が片附いたのではなかった。老師の ζんな態度は、なお何 玄関のわきには、樹齢の高い菩提樹があって、その荘厳
はむら
事も語っていなかったし、後継者の心づもりについても、 な葉叢は、日が当ると赤銅いろに照り映える。校舎は本館
何一つつかめ-なかった。 から建増しに建増しを重ね、何の秩序もなくつながってい
大谷大学。ととは私が生涯ではじめて思想に、それも私 るが、多くは古い木造の平屋で、 ζの学校では土足が禁惜し
' F
られているので、棟と棟とは、壊れかかった貨の子を際限

の勝手に選んだ思想に親しみ、私の人生の曲り角となった

場所である。 もなくつらねた渡り廊下で連絡されている。貨の子は、思
い出したように、壊れた部分だけが修理される。そ ζで
、 利かず、友を持っととを拒んでいるように見えた。
かしわぎ
棟から棟へ渡ると、もっとも新らしい木の色から、もっと 名を柏木という乙とを私は知っていた。柏木の著しい特
老い隠んそ︿
も古い木の色にいたるまでの、各種の濃淡のモザイクが、 色は、可成強度の両足の内練足であった。歩行は実に凝っ
足の下に踏まれた。 ていた。いつもぬかるみの中を歩いているようで、一方の
足をぬかるみからようやく引き抜くと、もう一方の足はま
どとの学校でも新入生がそうであるように、私は毎日新 たぬかるみにはまり込んでいるという風念のである。それ
鮮な気持で通いながらも、とりとめのない思いがしていた。 につれて全身は蹟動し、歩行が一種の仰々しい舞踏であっ
知り人は鶴川一人であった。どうしても鶴川とばかり話す て、日常性というものがまるで-なくなっていた。
ようになる。それでは折角新らしい世界へ出て来た意味が 入学当初から、私が柏木に注目したのは、いわれのない
ないのを、鶴川のほうでも感じているらしく、数日たつう ととではない。彼の不具が私を安心させた。彼の内線足は、
ちに、休み時聞にはわざと二人が離れて、おのがじし新ら 私の置かれている条件に対する同意を、はじめから意味し
しい友を開拓しようとした。しかし吃りの私には、そうい てい・た。
う勇気もなかったので、鶴川の友が増えるにつれ、私はま 柏木は、裏庭のクロ lバアの原つぼで弁当をひらいてい
ひと
すます孤りになった。 た。唐手部や卓球部の、ほとんど窓硝子の破れ落ちた廃屋
大学の予科一年では、修身、国語、漢文、華語、英語、 の部室が、との裏庭に面していた。五六本の痩せた松が生
歴史、仏典、論理、数学、体操の十課目があった。論理の え、空っぽの小さなフレイムがあった。フレイムに塗られ

講義は最初から私を悩ました。ある日のとと、その講義が た青いペンキは、剥げて、けば立って、枯れた造花のよう

すんで昼休みになってから、かねて心宛てにしていた一人 に巻きちぢれていた。かたわらには二三段の盆栽の棚があ
がれきか降
の学生に、私は二三の質問を持ちかけてみようと思った。 り、瓦礁の山があり、ヒヤシンスや桜草の花園もあった。
との学生はいつも一人離れて、裏庭の花壇のほとりで、 クロ 1バアの草地は坐るのに佳かった。光りはその柔ら
た たた
金閣寺

弁当を喰べるのだった。その習慣は一種の儀式のようでも かな葉に吸われ、とまかい影も湛えられて、そこら一帯が、
まずえ今しんてき
あり、不味そうなその喰ベ方はひどく厭人的でもあったの 地面から軽く漂っているように見えた。坐っている柏木は、
g
で、誰も彼の傍らへ寄る者はなかった。彼も学友とは口を 歩いているときとちがって、人と変らぬ学生であった。の
みならず、彼の蒼ざめた顔には、一種険しい美しさがあっ と私は吃り吃り、標準語で言った。大学へ入ったら、標

品8
しゃペ
た。肉体上の不具者は美貌の女と同じ不敵な美しさを持っ 準語を喋ろうと思っていたのである。柏木は、
ている。不具者も、美貌の女も、見られる ζとに疲れて、 ﹁何を言ってるのかわからん。吃ってばかりいて﹂
隠し
見られる存在であるととに飽き果てて、追いつめられて、 といきなり言った。私の顔は紅潮した。彼は、箸の先を
存在そのもので見返している。見たほうが勝なのだ。弁当 紙めながら、更に一気に言った。


を喰べている柏木は伏目でいたが、私には彼の目が自分の ﹁君が俺に何故話しかけてくるか、ちゃんとわかっている
まわりの世界を見尽しているととが感じられた。 んだぞ。溝口って言ったな、君。片輪同士で友だちになろ
彼は光りの中に自足していた。との印象が私を搾った。 うっていうのもいいが、君は俺に比べて自分の吃りを、そ

も aphap L﹄
んなに大事だと思っているのか。君は自分を大事にしすぎ
'﹄
春の光りや花々の中で、私の感じる気恥かしさやうしろめ
たさを、彼の持っていないととが、その姿を見てもわかっ ている。だから自分と一絡に、自分の吃りも大事にしすぎ
た。彼は主張している影、というよりは、存在している影 ているんじゃないか﹂

そのものだった。日光は彼の硬い皮膚から穆み入らないの のちに彼が、同じ臨済宗の樽家の息子だと知れたとき、
にちがいなかった。 ζの最初の問答に、多少彼の禅僧気取のあらわれていた ζ
一心に、それでいてひどく不味そうに、彼の喰べている とがわかったが、それでも ζのとき私の受けた強烈な印象
弁当は貧しく、朝、版印庄で私自ら詰めて来る弁当に、おさ を否定するととはできない。
おさ劣らなかった。昭和二十二年は、まだ闘でなければ、 ﹁吃れ!吃れ!﹂と柏木は、二の句を継げずにいる私に
滋養分を摂る ζとのできなかった時代である。 むかつて、面白そうに言った。
私はノオトと弁当を持って、彼のそばに立った。弁当が ﹁君は、やっと安心して吃れる相手にぶつかったんだ。そ
私の影で耕ったので、柏木は顔をあげた。ちらと私を見る うだろう?人聞はみんなそうやって相棒を探すもんさ。
と、又伏自になって、蚕が桑の葉を官むのに等しい単調な それはそうと、君はまだ童貞かい?﹂
そしゃ︿
岨暢をつ.つけた。 私はにこりともし-ないでうなずいた。柏木の質問の仕方
﹁寸前、今の講義でわからんととろを、教えてもらおうと は医者に似ていて、私は噴をつかぬ ζとが身の為であるか
思って﹂ のような気持にさせられた。
﹁そうだろうな。君は童貞だ。ちっとも美しい童貞じゃな しかし俺は両親に対しては無関心で、怨みを持ったりする
bつ︿う
い。女にももてず、商売女を買う勇気も-ない。それだけの のは億劫だった。
ととだ。しかし君が、童貞同士附合うつもりで俺と附合う 俺は絶対に女から愛されないととを信じていた。乙れは
念ら、まちがってるぜ。俺がどうして童貞を脱却したか、 人が想像するよりは、安楽で平和な確信であることは、多
話そうか?﹂ 分君も知っているとおりだ。自分の存在の条件と和解しな
柏木は私の返事も待たずに話しだした。 いという決心と、乙の確信とは、必ずしも矛盾しない 0


ぜなら、もし俺がこのままの状態で女に愛され得ると信じ
るなら、その分だけ、俺は自分の存在の条件と和解したこ
俺は三ノ宮近郊の禅寺の息子で、生れついた内線足だっ とに・なるからだ。俺は現実を正儀に判断する勇気と、その
た。:::さて俺がとんな風に告白をはじめると、君は俺の 判断と戦う勇気とは、容易に馴れ合うものだと知った。居
ととを、相手かまわず身の上話をやりだす哀れな病人だと ながらにして、俺は戦っているような気になれたのだ。
思うだろうが、俺は誰にでもこん・なととを話すわけじゃな とういう俺が、友だちのするように、商売女で以て、童
い。俺のほうでも、恥かしいことだが、君を打明け話の相 貞を破ろうと心掛けなかったのは、当然だと云わなければ
手として最初から選んでいたんだ。というのは、どうやら ならない。・なぜなら、商売女は客を愛して客をとるわけで
俺のやって来た ζとは多分君にとっていちばん値打があり、 はない o老人でも、乞食でも、目っかちでも、美男でも、
らいしゃ
俺のやって来たとおりにすれば、多分それが君にとって一 知ら・なければ願者でも客にとるだろう。並の人聞なら、こ
等いい道だと思われたからだ。宗教家はそういう風にして ういう平等牲に安心して、最初の女を買うだろう。しかし
信者を喫ぎだし、禁酒家はそういう風にして同志を喋ぎだ 俺にはこの平等性が気に喰わなかった。五体の調った男と
す ζとを君も承知だろう。 との俺とが、同じ資格で迎えられるということが我慢がな
ぽうと︿
そうだ。俺は自分の存在の条件について恥じていた。そ らず、それは俺にとっては怖ろしい自己冒演に思われた。
金閣寺

の条件と和解して、仲良く暮すことは敗北だと思った。怨 俺の内線足という条件が、看過され、無視されれば、俺の
みようならいくらもある。両親は俺が幼児のときに、矯正 存在は-なくなってしまうという、君が今抱いているような

品9
手術をしてくれるべきだったのだ。今となってはもう遅い。 恐怖に、俺も捕われていたわけだ。俺の条件の全的な是認
dzいた︿
のためには、並の人間より数倍賞沢な仕組が要る筈だった。 心だった。十分美しく、女としての値打を十分知っていた

ω
人生はどうしてもそういう風に出来てい・なければならぬ、 から、彼女は自信のある求愛者を受け入れるわけにゆかな
うぬぼはかり
と俺は思った。 かった。自分の自尊心と求愛者の己惚れとを秤にかけるわ
われわれと世界とを対立状態に置く怖ろしい不満は、世 けにゆかなかった。いわゆる良縁ほど彼女に嫌悪を与えた。
界かわれわれかのどちらかが変れば癒やされる筈だが、変 ついには、愛におけるあらゆる均衡を潔癖にしりぞけて、
化を夢みる夢想を俺は憎み、とてつも・ない夢想ぎらいにな (との点で彼女は誠実だった)、俺に目をつけるようになっ
った。しかし世界が変れば俺は存在せず、俺が変れば世界 た

が存在しないという、論理的につきつめた確信は、却って 俺の答は決っていた。君は笑うかもしれないが、女に向
一種の和解、一一種の融和に似ている。ありのままの俺が愛 って、俺は、﹁愛していない﹂と答えたのだ。とれ以外に
い身訓 bd
されないという考えと、世界とは共存し得るからだ。そし 答えようがあっただろうか?との答は正直だったし、些一
てらお
て不具者が最後に陥る畏は、対立状態の解消でなく、対立 かの街いも・なかった。女の打明けに対して、奇貨居くべし
状態の全的な是認という形で起るのだ。かくて不具は不治 という気になって、﹁俺も愛していた﹂と答えるととは、
なのだ。:・ 俺がやれば滑稽を通りすぎて、ほとんど悲劇的に見えただ
こんなときに青春(この一言葉を俺はひどく正直に使うの ろう。滑稽・な外形を持った男は、まちがって自分が悲劇的
す︿
だが)の俺の 身
ι の 上 に 、 信す べ か ら ざ る 事 件 が 起 っ た 。 寺
e
に見える乙とを賢明に避ける術を知っている。もし悲劇的
の檀家の子で、その美貌が名高く、神戸の女学校を出てい に見えたら、人はもはや自分に対して安心して接する ζと
る裕福な娘が、ふとしたことから、俺に愛を打明けた。し がなくなるのを知っているからだ。自分をみじめに見せ-な
ばらく俺は自分の耳を信じるととができ・なかった。 いことは、何より他人の塊のために重要だ。だから俺はさ
ぜうさった
俺 は 不 幸 の お か げ で 人 間 の 心 濯 を 洞 察 す る ζとに長けて らりと言つてのけた、﹁愛していない﹂と。
いたから、簡単に、彼女の愛の動機を同情にもとめて、そ 女はたじろがなかった。その俺の答は櫨だと言うのであ
れでつむじを曲げたりしたわけではない。同情だけで女が る。それから女が、俺の自尊心を傷つけぬように用心しい
俺を愛したりする筈も-ない ζとは、百も承知だったからだ。 しい、俺を説得しようとしたやり方は見ものだった。彼女
俺の推量したところでは、彼女の愛の原因は並外れた白尊 にとっては、男であって彼女を愛さ・ない人聞などは想像の
外であり、もし居るとすれば、彼は己れを偽わっているの 認めた ζと に な る の だ 。 愛 は あ り え な い 。 彼 女 が 俺 を 愛 し
である。彼女はかくて、俺の精密な分析をやってのけ、と ていると思っているのも錯覚だし、俺が彼女を愛している
うとう実は、俺は彼女を以前から愛していた、と決めつけ とともありえない。そこで俺はくりかえし言った U
﹁愛し
た。彼女は聡明だった。もし彼女が本当に俺を愛していた ていない﹂と U
と仮定すれば、手のつけようのない相手を愛していたわけ ふしぎなととには、俺が愛していないと言えば一一言うほど、
おぽ
で、美しくもない俺の顔を美しいとでも=百えば俺を怒らせ 彼女はますます深く、俺を愛しているという錯覚の中へ溺
たろうし、俺の内線足を美しいと言えば俺はもっと怒った れた。そうして或る晩、とうとう俺の前へ体を投げ出すよ
ろうし、俺の外見でなく内容を愛していると言えば俺は更 うなことをやってのけた。彼女の休はまばゆいばかり美し
に怒ったろうことを計算に入れて、ただ、俺を﹁愛してい かった。しかし俺は不能だったのである。
すペ
る﹂と言いつづけたのである。そうして俺の中にも、分析 とんな大失敗は、凡てを簡単に解決した。やっと彼女に
によって、それと対応する感情を見つけ出したのである。 は、俺が﹁愛していない ζと﹂が証明されたらしかった。
俺はこういう不合理に納得がゆきかねた。その実俺の欲 彼女は俺を離れた。
望はだんだん烈しく募って来ていたが、欲望が彼女と俺と 俺は恥じていたが、内線足であることの恥に比べれば、
ろうばい
を結ぶとは思われなかった。彼女がもし他人をでなくこの どんな恥も言うに足りなかった。俺を狼狽させたのはもっ
俺を愛しているのだとすれば、俺を他人から分つ個別的な と別のととである。不能の理由が俺にはわかっていた cそ
ものがなければならない。それとそは内線足に他ならない。 の場になって、俺は自分の内線足が彼女の美しい足に触れ
だから彼女は口に出さぬながら俺の内訴足を愛しているこ るのを思って、不能に念ったのだ。この発見は、決して愛
おい
とになり、そういう愛は俺の思考に於て不可能である ωも されないという確信の持っていた平安を、内側から崩して
し、俺の個別性が内線足以外にあるとすれば、愛は可能か しまった。
もしれない。だが、俺が内線足以外に俺の個別性を、俺の 何故なら、そのとき、俺には不真面目な喜びが生れてい
金閣寺

存在理由を認めるならば、俺はそういうものを補足的に認 て、欲望により、その欲望の遂行によって、愛の不可能を
めたことになり、次いで、相互補足的に他人の存在理由を 実証しようとしていたのだが、肉体がこれを裏切り、俺が

1
6
も 認 め た ζとになり、ひいては世界の中に包まれた自分を 精神でやろうとしていた乙とを、肉体が演じてしまったか
ほうちゃ︿
らだ。俺は矛盾に逢着した。俗悪な表現を怖れずに言えば、 る﹁物﹂として、そ ζに存在していた。

62
俺は愛されないという確信で以て、愛を夢見ていたことに 鏡を借りなければ自分が見えないと人は思うだろうが、
なるのだが、最後の段階では、欲望を愛の代理に箇いて安 不具というものは、いつも鼻先につきつけられている鏡な
心していた。しかるに欲望そのものが、俺の存在の条件の のだ。その鏡に、二六時中、俺の全身が映っている。忘却
忘却を要求し、俺の愛の唯一の関円であるととろの愛され は不可能だ。だから俺には、世間で云われている不安など
ないという確信を放棄するととを要求しているのが、わか というものが、児裁に類して見えて仕方がなかった。不安
めいせき
ってしまったのである。俺は欲望というものはもっと明断 は、ないのだ。俺がこうして存在していることは、太陽や
わに
なものだと信じていたので、それが少しでも己れを夢見る 地球や、美しい烏や、醜い鰐の存在しているのと同じほど
ととを必要とするなどとは、考えもしてい念かった。 確かなことである。世界は墓石のように動かない。
にわ
とのときから、俺には精神よりも、俄かに肉体が関心を 不安の皆無、足がかりの皆無、そこから俺の独創的な生
呼ぶものに司なった。しかし自分が純粋な欲望に化身すると き方がはじまった。自分は何のために生きているか ? ζ
とはできず、ただそれを夢みた。風のようになり、むとう んなととに人は不安を感じて、自殺さえする。俺には何で
からは見え-ない存在になり、とちらからは凡てを見て、対 もない。内線足が俺の生の、条件であり、理由であり、目
めいぷ
象へかるがると近づいてゆき、対象を隈なく愛撫し、はて 的であり、理想であり、:::生それ自身・なのだから。存在
はその内部へしのび入ってゆくとと。:・:・君は肉体の自覚 しているというだけで、俺には十分すぎるのだから。そも
かつこ
というとき、或る質量をもった、不透明な、確乎とした そも存在の不安とは、自分が十分に存在していないという
﹁物﹂に関する自覚を想像するだろう。俺はそうではなか 責沢な不満から生れるものではないのか。
った。俺が一個の肉体、一個の欲望として完成すること、 俺は自分の村に、たった一人で住んでいる老いた寡婦に
それは俺が、透明なもの、見え-ないもの、つまり風になる 目をつけた。六十歳だともいわれ、それ以上だともいわれ
ことであったのだ。 た。亡父の命日に俺は父の代理で経を上げに行ったのだが、
しんせき
しかし忽ち内線足が俺を引止めにやって来る。これだけ 親戚一人いず、仏前にはとの老婆と俺だけだった。経がす
は決して透明になることはない。それは足というよりは、 んで、別室で茶を御馳走になっていたとき、夏だったので、
一つの頑函・な精神だった。それは肉体よりももっと確乎た 俺は水を浴びさせてもらいたいとたのんだ。老婆は裸かに
なった俺の背中から水をかけた。老婆がいたわしそうに俺 しているのに気づいたから。いささかもおのれを夢みるこ
の足に見入っていたとき、俺の心には企らみがうかんだ 0
となしに!とんな最も仮借ない状況のもとに!
さっきの部屋に戻ると、体を拭きながら、俺は鹿爪らし 俺は起き上り、老婆をいきなり突き倒した。老婆が少し
げん 42ろ

く語りはじめた。俺が生れたとき、母の夢に仏が現じて、 も樗いていないのを、ふしぎに思う暇もなかった。老いた
ζ の子が成人した暁、との子の足を心から拝んだ女は極楽 寡婦は突き倒されたまま、じっと目をつぶって、経を読み
往生するというお告げがあった、と俺は語った。信心の深 つづけていた。
だいひしんだ
い寡婦は、数珠を爪、ぐり、じっと俺の目を見つめてきいて 奇妙なことに、このとき老婆の称えていたのが大悲心陀
いた。俺は好加減な経を称えて、数珠をかけた手で胸のと 羅尼の一節であったのを、俺はありありと覚えている。
しかばね れき抑き l しのしの!おらさんふらしやりーはぎはぎ!ふ
とろで合掌して、屍のように、裸のまま仰向けに横たわっ 伊雌伊酷。室那室那。阿羅惨。仏嘱舎利。罰沙割穆。仏
ず らしやや
た。俺は目をとじていた。口は・なおも経を請していた。 嘱舎耶。
俺がどうやって笑いをとらえていたか想像してみるがい 君も知つてのとおり、﹁解﹂によると、これはこういう
あふ
い。俺の内部は笑いに溢れていた。そして俺は露ほどもお 意味だ。
とんしんちむ︿
のれを夢みてはい・なかった。老婆が経を称えながら、俺の ﹁召請し泰る。召請し奉る。貧際療の三毒を壊滅せる無垢
足をしきりに拝んでいるのがわかった。俺は拝まれている 清浄の本体を﹂
自分の足のととだけを考え、その滑稽さに息が詰りそう・な 俺の目の前には、目をつぶって俺を迎えている六十幾歳

心地がした。内練足、内線足、ただそれだけを思い、それ の女の、化粧もしない、日に灼けた顔があったのだ。俺の
のうり
だけを脳裡に見ていた。その奇怪な形。その置かれた醜悪 昂奮はすこしも途絶え・なかった。そしてこれが茶番の最た
ζうとう
きわまる状況。その野放図の茶番。事実たびたび叩頭する るものだが、俺はしらずしらず誘導されていた。
老婆のほつれ毛は足の裏に触れ、くすぐったさはますます だが、しらずしらず、などと文学的には云うまい。俺は
めいせき
可笑しさをあおったのである。 凡てを見ていた。地獄の特色は、すみずみまで明断に見え
金閣寺

俺は以前、あの美しい足に触れて不能になったときから、 るととだ。しかも暗黒のなかで!
欲望について思いちがえをしていたものと思われる。何故 老いた寡婦の簸だらけの顔は、美しくもなく、神聖でも

68
ζうふん
ならこのとき、この醜恐-な礼拝の最中に、俺は自分が昂奮 -なかった。しかしその醜さと老いとは、何ものをも夢みて
いない俺の内的な状態に、不断の確証を与えるかのようだ ゎ・ないですむのだから。

6ヲ
つた。どんな美女の顔も、些かの夢もなしに見るとき、と 俺の考え方はわかりにくいだろうか。説明を要するだろ
の老婆の顔に変貌しない、と誰が云えよう。俺の内線足と、 うか。しかし俺がそれ以来、安心して、﹁愛はありえない﹂
との顔と、::・そうだ、要するに実椙を見る ζとが俺の肉 と信ずるようになったととは、君にもわかるだろう。不安
体の昂奮を支えていた。俺ははじめて、親和の感情を以て、 もない。愛も、ないのだ。世界は永久に停止しており、同
おのれの欲望を信じた。そして問題は、俺と対象との問の 時に到達しているのだ。この世界にわざわざ、﹁われわれ
ちゅう
距離をいかにちぢめるかということにはなくて、対象を対 の世界﹂と註する必要があるだろうか。俺はかくて、世閉
めいもう
象たらしめるために、いかに距離を保っかというととにあ の﹁愛﹂に関する迷蒙を一言の下に定義するととができる。
るのを知った。 それは仮象が実相に結びつこうとする迷蒙だと。ーーやが
見るがいい。そのとき俺は、そとに停止していて同時に て俺は、決して愛されないという俺の確信が、人間存在の
到達しているという不具の論理、決して不安に見舞われぬ 根本的な様態だと知るようになった。 ζれが俺の童貞を破
てんまつ
論理から、俺のエロティシズムの論理を発明したのだ。世 った願末だよ。
わ︿ぜき
聞の人聞が惑溺と呼んでいるものの、相似の仮構を発明し
みの
たのだ。隠れ蓑や風に似た欲望による結合は、俺にとって 。
は夢でしかなく、俺は見ると同時に、隈-なく見られていな 柏木は諮り終った。
ければならぬ。俺の内線足と、俺の女とは、そのとき世界 きいていた私はようやく息をついた。烈しい感銘に見舞
&C
の外に投げ出されている。内線足も、女も、俺から同じ距 われ、今まで考えもしなかった考え方に触れた苦痛から醒
離を保っている。実相はそちらにあり、欲望は仮象にすぎ めなかった。柏木が語り終ると、ややあって、あたりの春
てんら︿
ぬ。そして見る俺は、仮象の中へ無限に崩落しながら、見 の日ざしが私のまわりに目ざめ、明るいクロ 1バアの草生
られる実相にむかつて射精するのだ。俺の内線足と、俺の がかがやきだした。裏手のバスケットのコ lトから、ひ-ひ
女とは、決して触れ合わず、結びつかず、お互いに世界の いてくる喚声もよみがえった。しかしすべては同じ春の真
外に投げ出されたまま。:::欲望は無限に昂進する。何故 昼のまま、意味をすっかり変えて現われて来たように思わ
なら、あの美しい足と俺の内線足とは、もう永久に触れ合 れた。
めいづち
黙っているととができなかったので、私は何か合槌を打 に私の注意を喚起し、恥かしいというのに近い感情を起さ
とうとして、吃り・ながら、へまな ζとを言った。 せた。自分がそういう風に、世間並の感情に加担して、柏
﹁それで君は、それ以来孤独なわけなんだね﹂ 木と一緒に歩くのが恥かしいと思ったりするのは奇異なこ
柏木は又意地悪く、ききとりにくいふりをして、私にも とであった。
ありか
う一度その言葉をくりかえさせた。しかしその答には、は 柏木は私に私の恥の在処をはっきりと知らせた。同時に
おもぷ
や親しみがあった。 私を人生へ促したのである。::私のすべての面伏せな感
ζし 巴 と う や
﹁孤独だって?どうして孤独でなくちゃならんのだ。そ 情、すべての邪まな心は、彼の言葉で以て陶冶されて、一
れ以後の俺についちゃ、附合っているうちにだんだんわか 種新鮮なものになった。そのためか、われわれが砂利を踏
ってくるよ﹂ んで、赤煉瓦の正門を出てきたとき、正面に見える比叡の
午後の講義の開始のベんが鳴りひびいた。私は立上ろう 山は、春日に潤んで、今日はじめて見る山のように現われ
じゃけん
とした。柏木は坐ったまま、私の袖を邪僅に引張った。私 た

ポタシ
の制服は禅門学院時代のものを修理して、釦をつけ代えた それもまた、私のまわりに眠っていた多くの事物と同じ
いた
だけであり、生地は古く、傷んでいた。あまつさえ、体に く、意味を新たにして再現したもののように思われた。叡

つ ζつ
は窮屈で、貧しい体を-なおのこと小さく見せた。 山の頂きは突冗としていたが、その裾のひろがりは限りな
﹁今度は漢文だろう。つまらんじゃ・ないか。そこらへ散歩 く、あたかも一つの主題の余韻が、いつまでも鳴りひびい
か去た
に戸付乙う﹂ ているようであった。低い屋根の連なりの彼方に、叡山の
やまひだ
柏木はそう一言うと、一度休をばらばらにほぐして又組立 山襲の臨調りは、その山援の部分だけ、山腹の春めいた色の
あい
てるような大変な労をとって立上った。それが映画で見る 濃淡が、暗い引きしまった藍に埋もれているので、そ乙だ
ら︿だ
政相駐の起居を思わせた。 けが際立って近く鮮明に見えていた。
私はかつて講義を怠けたことがなかったが、柏木につい 大谷大学門前は人通りも少なく、自動車の数も少なかっ
からすま
金閣寺

てもっと知りたいという思いは、との機会を逸しがたくさ た。京都駅前から烏丸車庫前をつなぐ市電の路線にも、た
せた。われわれは正門のほうへ歩きだした。 まにしか電車のひびきは伝わらなかった。通りのむこうに

65
正門を出たとき、柏木のまことに独特な歩き方が、ふい は大学グラウンドの古い門柱が、とちらの正門と相対して
いちょう
立ち、左方に若葉の銀杏並木がつづいていた。 すべきものとは、:::つまり死刑なんだ。どうして死刑を

66
﹁グラウンドをしばらくぶらぶらするか﹂ 公開しないんだ﹂と、夢みるようにつづけた。﹁戦争中の
と柏木が言った。私に先立って電車通りを渡った。体全 安寧秩序は、人の非業の死の公聞によって保たれていたと
体の動きを猛烈にして、ほとんど車の通らぬ車道を、水車 思わないかね。死刑の公開が行われなくなったのは、人心
のように狂奔して渡るのである。 を殺伐ならしめると考えられたからだそうだ。ばかげた話
グラウンドは広大で、講義を怠けているか休講かの学生 さ。空襲中の死体を片附けていた人たちは、みんなやさし
が、幾組か遠くでキャッチ・ポ 1 んをしており、とちらで い快活な様子をしていた。
は五六人がマラソンの練習をしていた。戦争がすんで二年 人の苦悶と血と断末魔の岬きを見るととは、人間を謙虚
しかたたないのに、青年たちは再び精力の消耗を企ててい にし、人の心を繊細に、明るく、和やかにするんだのに。
た。私は寺の貧しい食事を考えた。 俺たちが残虐に-なったり、殺伐になったりするのは、決し
われわれは朽ちかけた遊動円木に腰かけて、楕円の上を てそんなときでは-ない。俺たちが突如として残虐になるの
近づき又遠ざかるマラソンの練習者たちを、見るともなし は、たとえばこんなうららかな春の午後、よく刈り込まれ
に眺めた。学校を怠けている時間の、下ろしたてのシャツ た芝生の上に、木洩れ揚の戯れているのをぼんやり眺めて
のような飢ざわりが、周囲の目ざしゃ艇かな風のそよぎか いるときのような、そういう瞬間だと思わないかね。
ら感じられた。競技者たちは苦しい息の一団をなして徐々 世界中のありとあらゆる悪夢、歴史上のありとあらゆる
あし とっち
baL
に近づき、疲労が増すにつれて乱れた萱音を、舞い立つ土 悪夢はそういう風にして生れたんだ。しかし白目の下に、
ぽ ζり
壌と共に残して遠ざかった。 血みどろになって悶絶する人の姿は、悪夢にはっきりした
﹁阿呆な奴らだな﹂と、負け惜しみにきとえる余地を少し 輪郭を与え、悪夢を物質化してしまう。悪夢はわれわれの
も残さずに柏木は言った。﹁あのざまは一体何だろう。奴 苦悩ではなく、他人の烈しい肉体的苦痛にすぎなくなる。
らが健康だというのか。それなら健康を人に見せびらかす ととろで他人の痛みは、われわれには感じられない。何と
ととが何の値打があるんだい。 いう救いだろう!﹂
スポーツはいたるととろで公開されているね。まさに末 しかし今や私は、 ζう い う 彼 の 血 な ま ぐ さ い 独 断 よ り
'
MAM
-Eν
世の徴さ。公開すべきものはちっとも公開されない。公開 も、(もちろんそれはそれとして魅力のあるものではあっ
けむだガラスまど
たが)、童貞を破ったのちの彼の遍歴のほうをききたかっ た o 二つの煙出しを持ち、斜め格子の硝子窓を持ち、ひろ
た。私がひたすら彼から﹁人生﹂を期待したのは、前にも い温室の硝子屋根を持っている邸は、いかにも壊れやすい
述べたとおりである。私は口をさしはさみ、そういう質問 印象を与えるが、当然そこの主人の抗議で設けられたにち
ホッ a
r
を暗示した。 がいない高い金制が、道をへだてたグラウンドの一辺にそ
﹁ 女 か い ? ふ ん 。 俺 に は ζ のごろ、内線足の男を好きに そり立っていた。
なる女が、カンでちゃんとわかるようになった。女にはそ 柏木と私はネットの外れの遊動円木にいたのである。女
うか S おどろう
ういう種類があるんだよ。内練足の男を好きだというとと の顔を窺った私は樗きに樽たれた。そのけだかい顔は、柏
は、もしかすると一生隠されたまま、墓場へまで一緒にも 木が私に説明した﹁内練足好き﹂の女の人相に、そっくり
d か
って行きかねない、その種の女の唯一の悪趣味、唯一の夢 であったからだ。しかし後になって私はこの侍きを莫迦ら
・なんだが。 しく思うのだが、柏木はその顔をずっと前から見知ってい
そうだな。内線足を好く女を一目で見分ける法。そいつ て、夢みていたのかもしれないのである。
とが
は大体において飛切りの美人で、鼻の冷たく尖った、しか 私たちは女を待ち設けていた。春の日光の遍満の下に、
ひえい
し口もとのいくらかだらしのない・﹂ むこうには濃紺の比叡の峯があり、こちらには次第に歩み
そのとき一人の女がむこうから歩いてきた。 寄って来る女があった。私はさきほどの柏木の一言葉、彼の
内線足と彼の女とが、一一つの星のように、互いに触れ合わ
ずに実相の世界に点在し、彼自身は仮象の世界に無限に埋
第五章
もれつつ欲望を遂げるという奇怪-な言葉、あの言葉の与え
た感動からまだ醒めずにいた。このとき雲が日のおもてを

さてその女は、グラウンドの中を歩いていたのではない。 よぎり、私と柏木は稀薄な臨調に包まれたので、私たちの世
AU
めら
グラウンドの外側に、屋敷町に接した道がある。道はグラ 界は、たちまち仮象のすがたを露わすように思われた。す


金閣寺

4
6

ウンドの地面よりも二尺ほど低い。そとを歩いてきたので
AU
べでは灰色に覚束なく、私自身の存在も覚束なくなった。
しこん
ある。 そしてかなたの比叡の紫紺の頂きと、ゆっくり歩いてくる

67
︿ぐり
女が出て来たのは、宏壮なスペイン風の邸の耳門であっ 気高い女と、乙の二つのものだけが実相の世界にきらめい
て、確実に存在しているように思われた。 ざまずいたとき、彼女の冷たい高い鼻、いくらかだらしの

68
女はたしかに歩いてきた。しかしその時間の推移は、募 ない口もと、うるんだ目、そういうもののすべてから、瞬
ってゆく苦痛に似、女は近づいては来るけれども、それと 時、私は月下の有為子の面影を見たのである。
か命
共に、何のゆかりもない他人の貌が、だんだん鮮明に見え しかし忽ち幻影は消え、まだ二十歳を越していない女が、
さげす事会ぎし
だしていた。 私を蔑む眼差で見て、ゆきすぎようとするのが見られた。
柏木は立上った。私の耳もとに、重い、押し設した声で 柏木は私よりも敏感にその気配を察していた。彼は叫ぴ
会さや ひとけ
噴いた。 だした。その怖ろしい叫ぴは、人気のない真昼の屋敷町に
とだ主
﹁歩くんだ。俺の言うとおりに﹂ 街した。
私は歩かざるをえなかった。女と平行に、同じ方向へ、 ﹁薄情者!俺を置いてゆくのか。君のためにとんなざま
いし・へい
女の歩いている道から二尺ほど高い石塀沿いにわれわれは になったんだぞ!﹂
歩いた。 ふりむいた女は標えていた。乾いた細い指先で、血の気
﹁そ乙らで跳び下りろ﹂ を失ったわが頬をとするようにしていた。ようやく私にと
b'dr
私の背が柏木の尖った指先で押された。私はごく低い石 う訊いた。
塀をまたいで、道の上へ跳び下りた。二尺の高さは何ほど ﹁どないしたらええのんえ﹂
でも・なかった。しかしそれにつづいて、内線足の柏木が、 すでに顔をあげた柏木は、女をまともに見つめ、一語一

怖ろしい音を立てて、私の傍らに崩れ墜ちていた。当然の 語を的確に言った。
ととながら、彼は跳びそとねて倒れたのである。 ﹁君の家に薬ぐらいないというのか﹂
黒い制服の背は私の眼下に大きく波打っていたが、うつ しばらく黙っていて、女は背を向けて、もと来たほうへ
ぶせの姿は人間のようには見えず、私には一瞬それが無意 とって返した。私は柏木を扶け起した。扶け起すまでは大
しみ
味な大きな黒い汚点、雨後の路上の濁った水たまりのよう そう重たく、痛そうに息は迫っていたが、私が肩を貸して
に見えた。 歩きだすと、その体は意外に軽く動いた:::。
柏木は女が歩いてくる突先へ崩折れたのだ。そこで女は
たず
立ちすくんだ。柏木を扶け起そうとして、ようやく私がひ ││私は駈けて、烏丸車庫前の停留所に達した。電車に
かすたいしょ︿
飛び乗った。電車が金閣寺へ向けて走りだしたとき、よう が挨に霞む姿も、古い槌色した絵具や、すりきれた絵柄に
けんぞう
やく息がつけた。掌は汗にまみれていた。 似かよっていた。乙の混雑と喧騒が、繊細な柱のたたずま
うち︿きょ今,ふりよ今低 おう
柏木を擁して、あのスペイン風の洋館の耳門を、女を先 いの裡に澄み入り、小さな究貫頂や頂きの鳳嵐の次第に細
'hJ
そぴ
立ててくぐるや否や、恐怖に持たれた私は、柏木をそこに まり餐え立って接している白っぽい空へ、吸い込まれてゆ
ゆと
放置して、あとをも目付すに逃げ帰った。学校へ立寄る給り くのは奇異では-なかった。建築は、そとに存在するだけで、
もなかった。深閑とした歩道を駈けた。楽屋、菓子屋、電 統制し、規制していた。周囲のさわがしさが募れば募るほ
ゐM'
h“ そうせい
気屋の家並の前を駈けた。そのとき日のはじに、紫や、
紅い
, ど、西に激清を控え、二層の上に俄かに細まる究莞頂をい
ちょうちん しみず
のひらめいたのは、多分、梅鉢の定紋付の提灯を黒塀の上 ただいた金閣、 ζ の不均整な繊細な建築は、濁水を清水K
玄ん傘︿ ろかき
につらね、門には同じ梅鉢の紫の慢幕を張りめぐらした、 変えてゆく諸問過器のような作用をしていた。人々の私語の
天理教弘徳分一教会の前を、駈け抜けたときだったと思われ ぞめきは、金閣から拒まれはせずに、吹き抜けのやさしい

。 柱のあいだへしみ入って、やがて一つの静寂、一つの澄明
どこへ向って急いでいるのか、私自身わからなかった。 にまで鴻過された。そして金閣は、少しもゆるがない池の
電車が徐々に紫野へさしかかるころから、私は自分のせき 投影と同じものを、いつのまにか地上にも成就していたの
たつ心が金閣を志しているのを知った。 である。
平日にもかかわらず、観光季節であったので、その日の 私の心は和み、ょうようのとと恐怖は衰えた。私にとっ
は会は
金閣をめぐる人どみは甚だしかった。案内の老人が、人を ての美というものは、とういうものでなければならなかっ
いぷ しゃだん
分けて金閣の前へいそぐ私の姿を一設かしそうに見た。 た o それは人生から私を遮断し、人生から私を護っていた。
時M-﹂帆 HY
こうして私は、舞い立つ挨と醜い群衆に固まれている春 ﹃私の人生が柏木のようなものだったら、どうかお護り下
の金閣の前に在った。案内人の大声がひびいている中では、 さい。私にはとても耐えきれそうもないから﹄
そらとぽ
金閣はいつもその美を半ば隠して、空悦けているように見 と私は殆んど祈った。
えた。池の投影だけが澄明だった。しかし見ようによって 柏木が暗示し、私の前に即座に演じてみせた人生では、
しようじゅ'りいどうずぽさつみだ
金閣

は、聖衆来迎図の諸菩薩に囲まれた来迎の弥陀のように、 生きることと破滅することとが同じ意味をしか持ってい・な

69
壌の雲は、諸並口薩を包んでいる金色の雲に似かよい、金閣 かった。その人生には自然さも欠けていれば、金閣のよう
けいれん あっ
念構造の美しさも欠けており、いわば痛ましい痩筆の一一種 篤い振舞とも岡山われたので、さほどの責任は感じてい・なか

10

に他ならなかった。それに私が大いに惹かれ、そ ζに自分 ったが、もし今日教室に彼の姿が見られ・なかったら、とい
とげ
の方向を見定めたととも事実であったが、まず糠だらけな う不安があった。しかし講義がはじまるすれすれの時聞に、
生の破片で手を血みどろにせねばならぬことは怖ろしかっ 柏木がいつもと少しも変らず、不自然に一肩一を釜やかして、
さげす
た。柏木は本能と理智とを問、し程度に蔑んでいた。奇怪な 教室へ入ってくる姿を私は見たのである。
れリ
形をした鞠のように、彼の存在そのものがとろげまわり、 休み時聞に早速私は柏木の腕をとらえた。乙ういう快活
z
-
現実の墜を破ろうとしていた。それは一つの行為ですらな な仕草がすでに、私には珍らしい乙とである。彼は口のは
ゆが
かった。要するに彼の暗示した人生とは、未知の仮装でも たを歪めて笑い、私を廊下へ伴なった。
ってわれわれをあざむいている現実をうち破り、再びいさ ﹁怪我は大丈夫か﹂
ぴんしよう
さかも未知を含まぬように世界を清掃するための、危険な ﹁怪我だって?﹂1i柏木は欄笑するように私を見た。
茶番だったのである。 ﹁俺がいつ怪我をしたんだ?え?君は何だって、俺が
というのは、私はのちに、彼の下宿で次のようなポスタ 怪我をしたなんて夢を見たのだい﹂
ーを見たからだ。 私は二の句が継げずにいた。柏木はさんざん私をじらせ
それは日本アルプスを描いた旅行協会の美しい石版刷 てから種明しをした。
で、青空に浮んだ白い山頂に、﹁未知の世界へ、あなたを ﹁あれは芝居さ。あの道へ落っこちる練習は何度もやって、
おげさ
LC
招く!﹂という活字が横書きになっていた。柏木は毒々し いかにも骨折でもしたように、うまく大袈裟に倒れる工夫
をつしよう
い朱筆で、その字と山頂を斜め十文字に抹消し、さでかた を凝らしていたんだ。女が知らん顔をして行き過ぎようと
わらには、内線足の歩行を思わせる彼の躍るような自筆が、 したのは、計算の外だったがね。しかし見るがいい。もう

﹁未知の人生とは我慢がならぬ﹂ 女は俺に惚れかけているんだからね。これは言いまちがえ
と書きなぐっていた。 た。つまりその、俺の内線足に惚れかけているんだ。あい
ヨードチシキ
つは手ずから俺の足に、沃度丁幾を塗りたくったもんさ﹂
すね
あくる日私は、柏木の身を案じながら学校へ行った。あ 彼はズポンの裾をたくしあげて、薄黄に染まった腔を見
のとき彼を放置して逃げ帰ったととは、思い返すと友情に せた。
そのとき私は彼の詐術を見たように思ったのだが、わざ 待ち合わせた。当日は幸いに、五月にめずらしい曇った穆
わざああして路上に崩折れたのは、女の注意を惹くためで 陶しい天気であった。
もちろん
あったのは勿論だが、怪我の仮装で彼の内線足を隠そうと 鶴川は何か一一族にごたごたがあって、一週間ほど休暇を
したのではなかったか?しかしとの疑問は一向彼に対す とって東京へかえっていた。決して告げ口をするような彼
たね
る軽蔑とはならず、むしろ親しみを増す種子になった。そ ではなかったが、私は朝一緒に登校して途中から行方をく
して私はどく青年らしい感じ方をしたのだが、彼の哲学が らまさねばならぬ気まずきを免かれた。
にが
詐術にみちていればいるほど、それだけ彼の人生に対する そうだ。あの遊山の思い出は私には苦い。いずれにしろ
いらだ
誠実さが証明されるように恩われたのである。 遊山の二付は皆若かったのに、若さの持つ暗さと苛立たし
鶴川は私と柏木との究渉を、好い呂で見ていなかった。 さと不安と虚無感とが、あの遊山の一日を隈なく彩ってい
友情に充ちた忠告をして来たのが、私にはうるさく感じら たように思われる。そして柏木はおそらくすべてを見越し
れた。のみならずそれに抗弁して、鶴川なら良い友人も得 ていて、あのような暗欝な空模様の日を選んだのにちがい
られようが、私には柏木が相応のととろだ、というふうな ない。
口を利いた。そのとき鶴川の自にうかんだ、言うに言われ その日風は南西から吹き、急に勢いを増すかと思うと、
ぬ悲しみの色を、のちのち私は、どんなに烈しい悔恨を以 はたと止んで、不安な微風がさざめいたりした。空は暗か
ありか
て思い起したかしれない。 ったが、全く太陽の在処が知れないのではなかった。雲の
えりもと
一部分が、多くの重ね着の襟元にほの見える白い胸のよう
**

に白光を放ち、その白さがいかにも模糊としている奥に、
五月であった。柏木が休日の人ごみを忌み、平日に学校 陽の在処が知れるのだが、それはまた忽ち、曇り空の一様
た Kぴいろ k
を休んで、嵐山へあそびにゆく計画を樹てた。彼らしく、 な鈍色に融かされてしまった。
もし晴天だったら行かず、曇った暗柑惨な目だったら行とう 柏木の約束は嘘では-なかった。彼は本当に二人の若い女
金閣寺

と一言った。彼は例のスペイン風の洋館の令嬢を伴ぃ、私の に護られて、改札口に姿をあらわした。
ためには彼の下宿の娘を連れて来てくれる手筈になった。 一人はたしかにあの女であった。高い冷たい鼻、だらし

71
らんぜん
われわれはふつうに嵐電と呼ばれる京福電鉄の北野駅で のない口もと、舶来生地の洋服の肩から水筒をかけた美し
い女。彼女の前では小肥りした下宿の娘は、身に着けてい すけど﹂

72
あご︿︿
るものも容貌も見劣りがした。小さな顎と、括ったような 私はわが耳を疑った。戦争末期に南徴寺の山門から鶴川
よみがえ
唇だけが娘々していた。 と二人で見た、あの信じがたい情景が蘇った。娘にわざと
その思い出は話さずにおいた。というのは、もしも口に出
たの
往きの車内からすでに、愉しかるべき遊山の気分は崩さ してしまったら、今との話をきいたときの感動は、あのと
れた。その内容ははっきり聴きとれないが、柏木と令嬢と きの神秘な感動を裏切ってしまうように思われ、口に出さ
傘ぞと
はたえず口あらそいをし、令嬢は時折涙をとらえるように ずにいるととによって、今の話はあの神秘の謎解きどころ
唇を噛んだ。下宿の娘はすべてに無関心で、低くはやり唄 か、むしろ神秘の構造を二重にして、一そうそれを深める
︿ちずさ
を口吟んでいた。突然娘は、私にむかつてこんなことを語 よう・な気がしたからである。
考るたきおおたけやぷ
りだした。 電車はそのとき、鳴滝あたりの大竹薮のかたわらを走つ
ちょうら︿乙ずえ
﹁うちの近所に、とてもきれいな生花のお師匠さんがいや ていた。竹は五月の凋落の季節に当って黄ばんでいた。梢
はって、このあいだ、悲しいローマンスを話してくれはっ のほうをそょがす風が、枯葉を密集した厳の只中に降らせ
たんやわ。戦争中お師匠さんに恋人がいやはったのが、陸 ているのに、根方はそれと関わりがないかのように、奥の
ふし ζうさ
軍の将校でいよいよ戦地へお行きやすことになって、ほん 奥まで太い節を乱雑に交叉させて静まっていた。ただ電車
の短かい問を、南禅寺でお別れの対面をしやはったいうの c の疾駆する間近の竹だけが、大袈裟にたわんで綴れた。そ
親の許さん仲やけど、そのお別れのちょっと前に、やや児 の中に一本の際立って若い、青いつややかな竹が自に残つ
悲ま
まででけたのが、お気の毒に死産ゃったんやって。将校さ た。その竹のいたくたわんださまが、艶めかしい奇異な
んもえらい嘆かはった末、お別れに、せめて母親としての 運動の印象を以て、私の自に残り、遠ざかり、消え去った
おまえの乳を呑みたい、云うて、暇もないから、その場で 。
うす
お薄茶に乳をしぼって垂らして、呑ませてあげた云うねん
わ o そうして、一ト月もたったら、その恋人は戦死してし 嵐山へ着き、渡月橋の片ほとりまで来たわれわれニ付は、
ζど うのっぽねも今
まはった。それからとっち、お師匠さんは操を立てとおし 今までは知らずに見す・としていた小督局の慕に詣でた。
nduか さ が の
て、一人で暮していやはるの。まだお若い、きれいな人で 平清盛を樺って嵯峨野に身を隠した局を、勅命によって
探しもとめていた源仲国は、仲秋名月の夜、微かにき ζえ ゃならんのだからな﹂
る琴の羽田をたよりに、局の隠れ家をつきとめる。その琴の ﹁優雅は想像力の中にしかないのかい﹂と私も快活に謡に
そ Aふ れ ん
幽は﹁想夫恋﹂である。謡曲﹁小督﹂には、﹁月にゃあく 乗った。﹁君のいう実相は、優雅の実相は何なんだ﹂
ζけ
がれ出で給ふと、法輸に参れば、琴とそ聞え来にけれ。峯 ﹁とれさ﹂と柏木は苔むした石塔の頭をべたべたと平手で
が︿
の嵐か松風かそれかあらぬか、尋ぬる人の琴の音か、楽は 叩いた。﹁石、あるいは骨、人間の死後にのとる無機的な
つ主
何ぞと聞きたれば、夫を想ひて恋ふる名の想夫恋なるぞ嬉 部分さ﹂
いおり
しき﹂とあるが、局はそののちも嵯峨野の庵で、高倉帝の ﹁ばかに仏教的-なんだね﹂
ぼだい
菩提を弔いながら、後半生を送ったのである。 ﹁仏教もくそもあるものか。優雅、文化、人間の考える美
みちお b
e かえぜ
塚は細い小径の奥にあり、巨きな楓と朽ちはてた悔の古 的なもの、そういうものすべての実相は不毛な無機的念も
りょうあんE
木とにはさまれている小さい石塔にすぎ・なかった。私と柏 のなんだ。龍安寺じゃないが、石にすぎないんだ。哲学、
色尼む
木は、殊勝らしく短い緩を手向けた。柏木のひどく生まじ 乙れも石、芸術、とれも石さ。そして人間の有機的関心と
eaJK︿ う つ
めで官演的な経の読み方が私にも伝染り、私はそとらの学 云ったら、情-ないじゃないか、政治だけ-なんだ。人聞はほ
い台もの
生が鼻唄をうたうような心意気で読経をやってのけたが、 とほと自己冒演的-な生物だね﹂
ζの小さな演裂がひどく私の感覚を解放し、いきいきとさ ﹁性欲はどっちだね﹂
せた。 ﹁性欲かい?まあその中間だろうな。人間と石との、
﹁優雅の墓というものは見すぼらしいもんだね﹂と柏木が 堂々めぐりの鬼どっとさ﹂
総んぽ︿
言った。﹁政治的権力や金力は立派な墓を残す。堂々たる 私は彼の考える美について直ちに反駁を加えようと考え
墓をね。奴らは生前さっぱり想像力を持っていなかったか たが、議論に飽きた女二人が、細径を引返しかけたので、
ら、墓もおのずから、想像力の余地のないような奴が建っ その後を追った。細径から保津川を望むと、そとは渡月橋
ちまうんだ。しかし優雅のほうは、自他の想像力だけにた の北の、あたかも樹の部分であった。川む ζうの嵐山には
金閣寺

よって生きていたから、基も乙んな、想像力を働かすより 陰揃惨な緑が ζもっているのに、川のその部分だけは、いき


ひ e
zつ
仕方のないものが残っちまうんだ。とのほうが俺はみじめ いきとした飛沫の自の一一線が延び、水品目があたり一面にひ

73
だと思うね。死後も人の想像力に物乞いをしつづけなくち びいていた。
川にうかぶポ 1トの数は少-なく・なかった。しかしわれわ こん・な数しれない裸の幹が不規則に交叉していて、公園の

1
7
れ一行が川ぞいの道を進み、つきあたりの亀山公園の門を 眺めの遠近の感じを不安にしていた。
かみ︿ず ︿だうろ
入った之き、散らばっているのは紙屑ばかりで、きょうは 登るかとおもえば又降る広い迂路が公園をめぐっており、
まれ かんぽ︿
公園の中の行楽客の稀なことがわかった。 あちこちに切株や濯木や小松があり、巨岩が白い石肌を半
ペにむら者きさっきおびただ
門のところでわれわれはふりかえり、もう一度、保津川 ば土に埋めているあたりに、紅紫の杜鴎花の移しい花々が
と嵐山の若葉の景色をながめた。対岸には小滝が落ちてい 咲いていた。その色は曇った空の下で、軍装思を帯びて見え

。 た

︿ぼち
﹁美しい景色は地獄だね﹂と又柏木が言った。 われわれは凹地に設けられた,ブランコに若い男女が乗っ
どうやら柏木の乙の言い方は、私には当てずっぽうに思 ているかたわらを登って、小さなE陵の頂きの唐傘-なりの
また去ら あずをゃ
われた。が、私も亦、彼に倣って、その景色を地獄のつも 東屋で休んだ。そとからは東のほうに公園のほぼ全貌が眺
あだ
りで眺めようと試みた。この努力は徒では‘なかった。若葉 められ、西には保津川の水が木がくれに見下ろされた。ブ
ょうえい
に包まれた静かな何気ない目前の風景にも、地獄が揺曳し ランコの乳り音は、たえず歯ぎしりのように、東屋へ昇っ
ていたのである。地獄は、昼も夜も、いつどこにでも、思 てきた。
うがまま欲するがままに現われるらしかった。われわれが 令嬢が包みをひろげた。柏木が弁当は要ら・ないと言った
随意に呼ぶととろに、すぐそこに存在するらしかった。 のは嘘では-なかった。そとには四人前のサンドウイツチだ
の、手に入りにくい舶来の菓子類だの、最後には、進駐軍

十三世紀に吉野山の桜を移植したと云われる嵐山の花は、 の需要にだけ充てられているために、閣でしか入らないサ
ζ kどと
すでに悉く葉桜になっていた。花季がすぎると、花はとの ントリイ・ウイスキーが現われた。当時京都は、京阪神地
土地では、死んだ美人の名のように呼ばれるにすぎなかっ 方の商売買の中心地と云われていた。

。 私はほとんど呑め・なかったが、柏木と共に、さし出され
借用山公園にもっとも多いのは松だったので、 ζ 乙には季 たグラスを、合掌してから、手にとった。女二人は水筒の
節の色が動かなかった。大きな起伏のある広大な公園で、 紅茶を飲んだ。
松はいずれも亭々と伸び、か-なり高くまで葉をつけていず、 私には令嬢と柏木とのそんなに親しい間柄が、いまだに
半信半疑であった。気むずかしそうなこの女が、どうして ばせを私に与えた。私は手を引いた。
ねんご
柏木のような内線足の貧書生と懇ろにしているのかわから ﹁痛い!痛い!﹂と柏木は真に迫った声で岬いた。思わ
-なかった。乙の疑問に答えるように、二三杯呑んだ柏木は ず私はかたわらの令嬢の顔を見た。その顔には著しい変化
一言いだした。 があらわれ、日は落ちつきをなくし、ロは性急にわななき、
りんか
ω
﹁さっき電車の中で喧嘩をしていたろう。あれはね、彼女 冷たい高い鼻だけが物に動じないでいるさまが奇異な対照
が家からやかましく言われて、厭な男と結婚を迫られてい を示して、顔の調和と均衡は打ち破られていた。
るから也怯んだ。彼女はすぐ弱気に司なって負けそうに・なるん ﹁かんにんえ!かんにんえ!今治してあげるから!
uうじゃ︿ぷじん
s
だ。それで俺が、その結婚を徹底的に邪魔してやると云っ 今じきだから!﹂ ll彼 女 の 甲 高 い 芳 若 無 人 な 声 を 私 は は
て、慰めたり脅かしたりしていたんだよ﹂ じめてきいた。令嬢は長い首をもたげて、周囲を見まわす
たちまひざ
これは本来、当人の前で云い出すべきことではなかった ようにしたが、忽ち東屋の石の上に膝まずき、柏木の樫を
が、柏木はかたわらに当の令媛がまるでいないかのように 抱いた。頬をすりつけ、はてはその腔に接吻したのである。
平気で言った。それをきいている令嬢の表情にも、何らの 私は再びあのときのような恐怖に持たれた。下宿の娘を
︿ぴすE
変化が現われてい・なかった。しなやかな頚筋には陶片をつ 見た。娘はあらぬ方を眺めて鼻歌を唄っていた。
らねた青いネックレlスをかけ、曇り空を背に、たわわな :・とのとき日が雲聞を洩れたように思われたが、私の
髪の輪郭がその鮮明すぎる顔だちをぼかしていた。日は過 錯覚であったかもしれない。しかし静かな公園の全景の構
度に潤み、目だけがそのためになまなましい裸かな印象を 図に違和が生じて、私たちが包まれていた澄明な.幽面、そ
与えた。だらしのない口もとも、いつものように、薄くあ の松林、川の光り、遠い山々、白い岩肌、点在する社鵠花
いていた。その唇と唇との湾い隙聞から、細かい鋭い歯並 の花々、:::こういうもので充たされた画面の隅々まで、
が、さえざえと乾いて白くのぞかれた。それは小動物の歯 細かい亀裂がいちめんに走ったように感じられた。
きせき
のよう念感じがした。 実際のと乙ろ、起るべき奇蹟は起ったらしかった。柏木
﹁痛い 1 痛 い ! ﹂ と 柏 木 が 急 に 身 を 屈 し て 、 臨 を 押 え て
金閣寺

は次第に岬きをやめた。顔をあげ、あげかけたとき、又私
ろめ
岬きだした。私もあわてて、うつむい℃介抱しようとした のほうへ、冷笑的な目くばせを投げた。

5
7
が、柏木の手が私を押しのけざま、ふしぎな冷笑的な目く ﹁治った!ふしぎだなあ。痛みだしたとき、君がそうし
てくれると、いつも痛みがとまるんだからな﹂ 下ろしながら、そう言った。

76
そして女の髪を両手でっかんでもちあげた。髪をつかま
れた女は、忠実な犬の表情で柏木を見上げて微笑した。白 柏木や令嬢と別れた私は、下宿の娘と共に、東屋の丘か
うかい
い曇った光線の加減で、との瞬間、私には美しい令嬢の顔 ら北へ降り、また東のほうへ迂回してゆく緩い坂を登った。
が、いつか柏木の話した六十幾歳の老婆の顔そのものに見 ﹁あの人はお嬢さんを﹃聖女﹄に仕立てたんよ。いつもあ
えたのである。 の手や﹂
ーーしかし奇蹟を果した柏木は陽気になった。狂気にち と娘が言った。私はひどく吃って反問した。
かいほど陽気になった。彼は大声で笑い、たちまち女を膝 ﹁どうして知ってる﹂
の上へ抱き上げて接吻した。彼の笑いは凹地の松の梢の ﹁そやかて、わてかて、柏木さんと関係があるのやもん﹂
とだま
枝々に街した。 ﹁今は何でも・ないんだね。しかしよく平気でいられるね﹂
﹁なぜ口説かないんだ﹂と黙っている私に言?た。﹁折角 ﹁平気やわ。あんな片輪、しょうがない﹂
君のためにも娘さんを一人連れて来たんだのに。それとも 乙の言葉は今度は逆に私を勇気づけ、次の反聞がすらす
MFhdb
吃って笑われるのがはずかしいのか。吃れ!吃れ!彼 らと出た。
女だって吃りに惚れるかもしれ・ないんだ﹂ ﹁君もあいつの片輪の足が好きだったのとちがうか﹂
かえる
﹁吃りゃったの?﹂と今気づい・たように下宿の娘は言った。 ﹁やめといて、あんな蛙のような足。わて、そうゃな、あ
'﹄ゑ日,
﹁ほな三人片輪の二人揃ったわけゃな﹂ の人の目はきれいな白や思うけど﹂
うし老
乙の言葉ははげしく私を刺し、いたたまれぬ気持にさせ これで又私は自信を喪った。柏木がどう考えようとも、
た。娘に感じた憎悪が、しかし、一種の日まいのようなも 女は柏木の気づかぬ美質を愛していたことになるが、自分
のを伴って、そのまま突然の欲望に移って行ったのは奇異 について何一つ気がついていないととろはないと思う私の
ごうまん
だった。 倣慢さが、そういう美質の存在を、自分にだけは拒んでい
﹁二組別々にどこかへ身を隠そうよ。二時間たったら又 ζ たからである。
との東屋へかえって来よう﹂ ーーさて私と娘は、坂を登りつめて深閑とした小さな野
柏木が、まだ飽きもせずブランコに乗っている男女を見 に出た。松と杉のあいだから、大文字山、如意ヶ岳などの
遠山が、必ぼろげに望まれた。竹薮が、との丘陵から町へ たら、それはますます他の通例の生と等価の生であった。
めいてい
下りる斜面をおおい、厳の外れに、一本の遅桜がまだ花を 柏木 Kだって陥商がないとは一五えまい、と私は考えた。
落さずにいた。それは実に遅い花で、吃り吃り咲き出した どんな暗彰な認識にも、認識そのものの酔のひそんでいる
っと
ために、とんなにも遅れたのではないかと忠われた。 ととを、私は夙に知っていた。そして人を酔わすものは、
私の胸はふたがり、胃のあたりが重くなっていた。酒の ともかくも酒なのである υ
むしばさつ
ためではない。いざとなると欲望は重みを増し、私の肉体 ・・私たちが腰を下ろしたのは、色あせて蝕まれた社関
から離れた抽象的な構造を持ち、私の肩にのしかかるのだ。 ﹄
,花の花かげであった。下宿の娘がどうしてそんな風に私と
それはまるで真黒な、重い、鉄製の、工作機械のように感 附合う気になったのかはわからなかった。私は自分に対し
むピ ζとさ
じられる。 て献い表現を故ら用いるが、どうして娘がわが身を﹁けが
柏木が私を人生へ促してくれる親切あるいは悪意を、私 したい﹂という衝動にかられているのかわからなかった。
しゅうち
が多としていた乙とはたびたび述べたとおりである。中学 世には差恥とやさしさに充ちた無抵抗もある筈だが、娘は
さや
時代に先輩の短剣の鞘に傷をつけた私は、人生の明るい表 その小肥りした小さ、な手の上に、昼寝の体にたかる蝿のよ
側に対する無資格を、すでに自分の上に明確に見ていた。 うに、私の手をただたからせていた。
しかるに柏木は裏側から人生に達する暗い抜け道をはじめ しかし永い接吻と、柔らかい娘の顎の感触が、私の欲望
て教えてくれた友であった。それは一見破滅へっきすすむ を目ざめさせた cず い ぶ ん 夢 み て い た 筈 の も の で あ り な が
よう K見 え な が ら 、 な お 意 外 な 術 数 に 富 み 、 卑 劣 さ を そ の ら、現実感は浅く稀薄であり、欲望は別の軌道を駈けめぐ
まま勇気に変え、われわれが悪徳と呼んでいるものを再び っていた。白い曇った空、竹薮のざわめき、社鴎花の葉を
老老つぼしてんとうむしとうはん
純粋なエネルギーに還元する、一種の錬金術と呼んでもよ ったう七星天道虫の懸命な登懇・・・、これらのものは、依
かった。それでも、事実それでもなおかっ、それは人生だ 然何の秩序もなく、ばらばらに存在しているままであった。
った。それは前進し、獲得し、推移し、喪失するととがで 私はむしろ目の前の娘を、欲望の対象と考えるととから
のが
金閣寺

きた。典型的な生とは云えぬ Kしでも、生のあらゆる機能 遁れようとしていた。これを人生と考えるべきなのだ。前


はそれに備わっていた。もしわれわれの目に見えぬところ 進し獲得するための一つの関門と考えるべきなのだ。今の

77
に、あらゆる生の無目的という前提が与えられていたとし 機を逸したら、水遠に人生は私を訪れぬだろう。そう考え
た私の心はやりには、吃りに阻まれて言葉が口を出かねる 閣から拒まれた以上、私の人生も拒まれていた。隈なく美

78
ももち
ときの、百千の屈辱の思い出が懸っていた。私は決然と口 に包まれながら、人生へ手を延ばすことがどうしてできよ
を切り、吃りながらも何事かをき口い、生をわがものにする う。美の立場からしても、私に断念を要求する権利があっ
べきであった。柏木のあの酷薄な促し、﹁吃れ!吃れ!﹂ たであろう。一方の手の指で永遠に触れ、一方の手の指で
というあの無遠慮な叫ぴは、私の耳に蘇って、私を鼓舞し 人生に触れる ζと は 不 可 能 で あ る 。 人 生 に 対 す る 行 為 の 意

・へ
0 ・::私はようやく手を女の裾のほうへとらせた。 味が、或る瞬間に対して忠実を誓ぃ、その瞬間を立止らせ

ちしつ
ることにあるとすれば、おそらく金閣はとれを知悉してい
そのとき金閣が現われたのである。 て、わずかのあいだ私の疎外を取消し、金閣自らがそうい
院きんぽ︿ む全
威厳にみちた、憂柑惨な繊細な建築。剥げた金箔をそ ζか う瞬間に化身して、私の人生への渇望の虚しさを知らせに
どうしゃ会きがら
しとに残した豪脊の亡骸のような建築。近いと思えば遠く、 来たのだと思われる。人生に於て、永遠に化身した瞬間は、
親しくもあり隔たってもいる不可解な距離に、いつも澄明 われわれを酔わせるが、それはこのときの金閣のように、
に浮んでいるあの金閣が現われたのである。 瞬間に化身した永遠の姿に比べれば、物の数でも・ないとと
それは私と、私の志す人生との聞に立ちはだかり、はじ を金閣は知悉していた。美の永遠的な存在が、真にわれわ
めは微細画のように小さかったものが、みるみる大きくな れの人生を阻み、生を毒するのはまさにとのときである。
とうち かい eB
り、あの巧鰍な模型のなかに殆んど世界を包む巨大な金閣 生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美は、こうした毒の前
の照応が見られたように、それは私をかとむ世界の隅々ま にはひとたまりもない。それは忽ちにして崩壊し、滅亡し、
でも埋め、との世界の寸法をきっちりと充たすものになっ 生そのものをも、滅亡の白茶けた光りの下に露呈してしま
た。巨大な音楽のように世界を充たし、その音楽だけでも うのである。
って、世界の意味を充足するものになった。時にはあれほ :・さて私が幻の金閣に完全に抱擁されていたのは永い
そときつりつ
ど私を疎外し、私の外に舵立しているように思われた金閣 時間ではなかった。われに返ったとき、金閣はすでに隠れ
きぬがき
が、今完全に私を包み、その構造の内部に私の位置を許し ていた。それは ζ こ か ら 東 北 の は る か 衣 笠 の 地 に 、 今 も そ
ていた。 のまま存在している一つの建築にすぎず、見える筈はなか
ちり
下宿の娘は遠く小さく、鹿のように飛び去った。娘が金 った。あのように金閣が私を受け入れ、抱擁していた幻影
の時は過ぎ去った。私は亀山公園の丘のいただきに横たわ きことにようやく気づいたのは、あくる日の午後であった。
Cん ち ゅ う ひ し よ う ほ う し
り、周囲には草の花や昆虫の鈍い飛朔と共に、放怒に寝そ 父の死のためにも流さ-なかった涙を私は流した。何故な
べっている一人の娘がいるだけだった。 ら鶴川の死は父の死にもまして、私に喫緊の問題とつなが
娘は私の突然の気後れに、白い眼を投げて身を起した。 りがあると思われたからだ。柏木を知ってから鶴川をいく
てさげ
腰をひねって、うしろ向きに坐り、手提から出した鏡をの らか疎略にしていた私であったが、失って今更わかるとと
さげす いちる
ぞいた。物は言わなかったが、その蔑みは、たとえば着物 は、私と明るい昼の世界とをつなぐ一級の糸が、彼の死に
に刺った秋のいの乙ずちの実のように、万遍なく私の肌を よって絶たれてしまったというととであった。私は喪わ
刺していた。 れた昼、喪われた光り、喪われた夏のために泣いたのであ
空は低く垂れた。軽い雨滴が、あたりの草や杜鵠花の葉 る

を叩きだした。私たちはあわただしく立上り、さきほどの 東京へ弔問に飛んで行乙うにも、私には金がなかった。
東屋への道をいそいだ。 老師からもらう小遣は月五百円にすぎ、なかった。母はもと
より貧しい。年に二一度、二三百円位ずつ送金してくるの
**

がせいぜいである。家産を整理して加佐郡の伯父の家へ身
おっとだんか
遊山がみじめに終ったとともそうであったが、その一日 を寄せるようになったのも、良人の死後、檀﹂家から上る月
ふちまい
が、際立って暗い印象を残しているのは、このためばかり 五百円足らずの扶持米と、府のわずかな補助金とだけでは
かいちんあて
ではない。その夜の開枕前に、老師宛に東京から電報が届 暮しかねたからである。
とむらつら
き、それが早速、寺中の者に披露されたのである。 私は鶴川の亡骸も見ず、葬いにも列念らず、どうして鶴
鶴川が死んだのだった。電文は簡単に、事故で死んだと 川の死を自分の心にたしかめたらよいかと迷った。かつて
だけ書かれていたが、のちにわかった詳細はこうであった。 木洩れ陽を浴びて波打っていた彼の白いシャツの腹は今燃
前日の晩、鶴川は浅草の伯父の家へゆき、馴れぬ酒を御馳 えている。あのように光りのためにだけ作られ、光りにだ
金閣寺

走になった。その帰るさ、駅の近くで横丁から突然あらわ けふさわしかった肉体や精神が、墓土に埋もれて休らうこ
ずがい ょうぜつみじん
れたトラックにはねとばされて、頭蓋骨折で即死したので とができると誰が想像しよう。彼には夫折の兆候とて微塵

9
7
ろ︿ b
oんじ
ある。途方に暮れたままの家族が、鹿苑寺へ電報を打つべ もなく、不安や憂愁を生れながらに免かれ、少しでも死と
類似の要素を持たなかった。彼の突然の死はまさにそのた りに隅々まで照応し、あまりに詳細な対比を示していたの
,、広

8J
めだつたかもしれ.ないのだ。純血種の動物の生命が脆いよ で、時折鶴川は私の心を如実に経験した ζとがあるのでは
うに、鶴川は生の純粋な成分だけで作られていたので、死 ないかと疑われた。そうではなかった!彼の世界の明る
すぺ 、んぽきいち
を防ぐ術がなかったのかもしれない。すると私にはその反 さは、純粋でもあり偏頗でもあって、それ自体の細綴な体
のろ
対に、呪うべき長寿が約束されているようにも思われる。 系が出来上り、その精密さは悪の精密さに殆んど近づいて
ふとう
彼の住んでいた世界の透明な構造は、つねづね私にとっ いたのかもしれない。この若者の不擦な肉体の力が、たえ
おそ
て深い抑制であったが、彼の死によって謎は一段と怖ろしい ずそれを支えて運動していなかったら、忽ちにしてその明
がかい
ものになった。との透明な世界を、丁度透明なあまりに見 るい透明な世界は瓦解していたのかもしれないのだ。彼は

えない硝子にぶつかるように、績合から走り出たトラック まっしぐらに走っていた。そしてトラックがその肉体を際
が 粉 砕 し た の だ 。 鶴 川 の 死 が 病 死 で な か っ た ζとは、いか いたのである。
ひゆか老
にも ζ の比喰に叶っており、事故死という純粋な死は、彼 鶴川が人々に好感を与える源をなしていたいかにも明朗
たい︿
の生の純粋無比・な構造にふさわしかった。ほんの瞬時の衝 なその容貌や、のびのびした体躯は、それが喪われた今、
突によって接触して、彼の生は彼の死と化合したのだった。 又しでも私を人間の可視の部分に関する神秘的な思考へい
迅速な化学作用。::・ ζんな過激な方法によってしか、あ ざ・なった。われわれの目に触れてそ ζに在る限りのものが、
の影を持たぬふしぎな若者は、自分の影、自分の死と結び あれほどの明るい力を行使していたことのふしぎを思った。
つくことができなかったのに相違ない。 精神が ζれほど素朴な実在感をもつためには、いかに多く
あふ
鶴川の住んでいた世界が明るい感情や善意に溢れていた を肉体に学ばなければならぬかを思った。脳陣は無相を体と
としても、彼は誤解や甘い判断によってそとに住んだので するといわれ、自分の心が形も相もないものだと知ること
けんしよう
はなかったと断言できる。彼のとの世のものならぬ明るい がすなわち見性だといわれるが、無相をそのまま見るほど
心は、一つの力、一つの靭い柔軟さで裏打ちきれ、それが の見性の能力は、おそらくまた、形態の魅力に対して極度
そのまま彼の運動の法則-なのであった。私の暗い感情をい に鋭敏でなければならない筈だ。形や相を無私の鋭敏さで
ちいち明るい感情に翻訳してくれた彼のやり方には、何か 見ることのできない者が、どうして無形や無相をそれほど
無類に正確なものがあった。その明るさは私の暗さとあま ありありと見、ありありと知ることができよう。かくて鶴
川のように、そ ζに存在するだけで光りを放っていたもの、 柏木とも前のように親しく附合うととは-なくなった。柏木
それに目も触れ手も触れる ζとのできたもの、いわば生の の生き方の魅力はなおしっかりと私をとらえていたが、少
ための生とも呼ぶべきものは、それが喪われた今では、そ しでもそれに抗して、自ら望まずとも疎遠にしていること
の明瞭な形態が不明瞭な無形態のもっとも明確な比喰であ が、鶴川への供養のような気がしたからだ。母には手紙を
り、その実在感が形のない虚無のもっとも実在的な模型で 書き送り、一人前になるまでは訪ねて来ぬように、ときっ
あり、彼その人がこうした比喰にすぎなかったのではない ぱり書いた。それは前にも母にむかつて口できロったととで
きつ
かと思われた。たとえば、彼と五月の花々との似つかわし はあるが、もう一度強い語調で書き送らなければ安心でき
どっとっ
き、ふさわしさは、他でもない ζ の五月の突然の死によっ ぬような気がしたのである。その返事には、一前々とした文
ひつぎ
て、彼の枢に投げとまれた花々との、似つかわしき、ふさ 章で、伯父の農事の手つだいにいそしんでいる状況やら、
わしさなのであった。 単純な教訓がましい ζとが書き列ねられた末、﹁おまえが
かっと
とまれ私の生には鶴川の生のような確乎たる象徴性が欠 鹿苑寺の住職になった姿を一目見て死にたい L という文句
けていた。そのためにも私は彼を必要としたのだった。そ が添えられていた。との一行を私は憎み、それから数日、
ねた
して何よりも嫉ましかったのは、彼は私のような独自性、 この一行が私を不安にした。
あるいは独自の使命を担っているという意識を、肇も持た
どう '
P 、うさき
夏のあいだも、私は母の寄寓先を訪ねなかった。貧しい
おお
ずに生き了せたととであった。この独自性乙そは、生の象 食事のために夏は身にこたえた。九月の十日すぎのある日
たいふう
徴性を、つまり彼の人生が他の何ものかの比俄でありうる のこと、大きな険風が組問うかもしれぬという予報があった Q
とのい
ような象徴性を奪ぃ、従って生のひろがりと連帯感を奪ぃ、 誰かが金閣の宿直をする ζとになり、私が申し出てそれに
どとまでもつきまとう孤独を生むにいたる本源、なのである。 当った。
ふしぎなことだ。私は虚無とさえ、連帯感を持っていなか このとろから微妙な変化が、私の金閣に対する感情に生
っ 足。
J じていたものと思われる。憎しみというのではないが、私
金閣寺

**
の内に徐々に芽生えつつあるものと、金閣とが、決して相

*
容れない事態がいつか来るにちがいないという予感があっ

81
又、私の孤独がはじまった。下宿の娘とはその後会わず、 た。亀山公園のあのときから、との感情は明白になってい
とうらん
たが、私はそれに名をつけることを怖れた。しかし一夜の 究寛頂の勾欄にもたれて立っている。風は東南である。

82
とのいゆだ
宿直に金閣が私に委ねられたのはうれしく、私は喜びを隠 しかし空にはまだ変化があらわれない。月は鏡湖池の藻
さなかった。 のあいだにかがやき、虫の音や蛙の声があたりを占めてい
私は究貫頂の鍵を渡された。との第三階はわけでも貴ば
びかんしんぴつ、んが︿
れ、相聞には後小松帝の良筆の馬額が、地上回十二尺の高
さにけだかくかかっていた ο 。

, 最初に強い風がまともにわが頬に当ったとき、ほとんど ぜんりつ
官能的と云ってもよい戦懐が私の肌を走った。風はそのま
ζうふう
ラジオは刻々に鴎風の接近を伝えていたが、一向にその ま劫風のように無限に強まり、私もろとも金閣を倒壊させ

気配はなかった。午後のしばしばの雨は震れ、夜の空には、 る兆候のように思われたのである。私の心は金閣の裡にも
あきらか-な満月がのぼった。寺の者たちは庭に出て空工合 あり、同時に風の上にもあった。私の世界の構造を規定し
うわさ とばり
を見ては、嵐の前の静けさだなどと噂していた。 ている金閣は、風に揺れる雌も持たず、自若として月光を
きょ,?あく
寺が寝静まる。私は金閣に一人になる。月のさし入らぬ 浴びているが、風、私の兇悪な意志は、いつか金閣をゆる

、 う
h'
し陣取
、 きょ.乙う
ととろにいると、金閣の重い豪箸な閤が私を包んでいると がし、目ざめさせ、倒壊の瞬間に金閣の信倣な存在の意味
いう思いに船臨となった。との現実の感覚は徐々に深く私 を奪い去るにちがいない。
ひた
を緬し、それがそのまま幻覚のようになった。気がついた そうだ。そのとき私は美に包まれ、まさしく美の裡にい
R49
とき、亀山公園で人生から私を隔てたあの幻影の裡に、今 たのだが、無限に募ろうとする兇暴な風の意志に支えられ
私は如実にいるのを知った。 ずに、それほど私が十全に美に包まれていられたか疑わし
ひと しった
私はただ孤りおり、絶対的な金閣は私を包んでいた。私 い。柏木が私を﹁吃れ 1 吃れ f﹂と叱陀したように、私
むちしゅんめ
が金閣を所有しているのだと云おうか、所有されているの は風を鞭打ち、駿馬をはげます一言葉を叫ぼうと試みた。
ほや
だと云おうか。それとも稀な均衡がそとに生じて、私が金 ﹁強まれ!強まれーもっと迅く!もっと力強く!﹂
閣であり、金閣が私であるような状態が、可能になろうと 森はざわめきだした。池辺の樹の枝々は触れ合った。夜
あい
しているのであろうか。 空の色は平静な藍を失って、深い納戸いろに濁っていた。
風は午後十一時半ごろから募った。私は懐中電燈をたよ 虫のすだきは衰えていないのに、そ ζらをけば立たせ、そ
りに階段を上り、究貫頂の鍵穴に鍵を宛がった。 ぎ立てるような風の遠い神秘・な笛音が近づいた。
私は月の前をおびただしい雲が飛ぶのを見た。南から北
へむかつて、山々の向うから、次々と大軍団のように雲が
第六章
せり出して来る。厚い雲がある。薄い雲がある。広大な雲
がある。雲のいくつかの小さな断片がある。それらが悉く、
南からあらわれて、月の前をよぎり、金閣の屋根を覆って、 私は鶴川の喪に、一年近くも服していたものと忠われる。
何か大事へいそぐように北へ駈け去ってゆくのである。私 孤独がはじまると、それに私はたやすく馴れ、誰ともほと
の頭上では金の鳳嵐が叫ぶ声を聴くように思った。 んど口をきかぬ生活は、私にとってもっとも努力の要らぬ
しようそう
風はふと静まり、又強まる。森は敏感に聴耳を立て、静 ものだというととが、改めてわかった。生への焦燥も私か
まったりさわいだりする。池の月かげが、そのたびに暗み ら去った。死んだ毎日は快かった。
一一明るみして、時には散光をひきつらせて、池の面を迅速に 学校の図書館が私の唯一の享楽の場所になり、そこでは
ほんや︿
一ト掃きする。 徴籍は読まず、手あたり次第に穣訳の小説やら哲学やらを
山々のむとうにわだかまる雲の累積が、大きな手のよう 読んだ。その作家の名や哲学者の名をここに挙げることを
に空いちめんにひろがり、うごめきひしめいて近づくのは 私は開る。それらは多少とも影響を及ぼし、のちに私のし
すき
凄まじかった。雲の絶え聞に当って明澄に見えていた空の た行為の素因となったととは認めるが、行為そのものは私
半ばも、忽ちにして又、雲におおわれた。しかしどく薄い の独創であると信じたいし、何よりも私はその行為が、或
雲がよぎるときには、とれを透かして、おぼろな光輪をえ る既成の哲学の影響として片付けられるととを好まぬから
がいている月が跳められた。 である。
ほζ
夜もすがら、空はとのように動いていた。しかしそれ以 少年時代から、人に理解されぬというととが唯一の衿り
上、風のつのる気配はなかった。私は勾欄のもとに眠って になっており、ものごとを理解させようとする表現の衝動
いた。晴れた朝早く、寺男の老人が私を起しに来て、鴎風 に見舞われなかったのは、前にも述べたとおりだ。私は何
はず しんしゃ︿めいせき
金閣寺

が幸いに京都市を外れて去ったと告げた。 ら制酎酌なく自分を明断たらしめようとしていたが、それが
自己を理解したいという衝動から来ていたかどうか疑わし

'
83
い。そういう衝動は人間の本性に従って、おのずから他人
めwてい ふえ
との聞にかける橋ともなるからだ。金閣の美の与える酪聞 の一小壊の金閣は、こんな制札とは別のと ζろに立っている
が私の一部分を不透明にしており、との酪町は他のあらゆ としか思え・なかった。何か ζ の制札は、不可解な行為、あ


る酪町を私から奪っていたので、それに対抗するためには、 るいは不可能な行為を予定していた。立法者は‘おそらくこ
別に私の意志によって明断な部分を確保せねばならなかっ の種の行為を概括するととに戸惑ったに相逮なかった。狂
た。かくて余人は知らず私にとっては、明断さこそ私の自 人でなければ企てられない行為を罰するためには、事前に

Lど
己なのであり、その逆、つまり私が明断な自己の持主だと どうやって狂人を嚇かすべきか。おそらく狂人にしか読め
いうのでは・なかった。 ない文字が必要になるだろう。・:
私がとんな由ない ζとを考えていたとき、門前の広い鋪
どう
:・大学予科へ進んで二年目、昭和二十三年の春休みの 道を、こちらへ向って来る人の影があった。昼の見物人の
ことである。その宵も老師は御留守であったので、幸いの 群はのこらず消え、月に照らされた松と、かなたの電車通
自由-な時間を、友をもたぬ私は一人で散歩に費やすほかは りをゆきかう'自動車の前燈のひらめきだけが、乙のあたり
みぞ
なかった。寺を出て、総門をくぐった。総門の外側には溝 の夜を・占めていた。
をめぐらし、溝のほとりに制札が立っている。 影は突然柏木だと認められた。歩き方でわかったのであ
永らく見馴れたものであるのに、月に照らされた古い制 る。すると永い一年の、とちらから選んだ疎遠は棚に上げ

札の文字を、私はふりかえってつれづれのままに読んだ。 て、私はただ、かつて彼に癒やされた ζとへの感謝だけを
注意 思い起した o そうだ。はじめて会ったときから、彼はその
・ぃ隠んそ︿
AF
一、許可ヲ受ケタル場合ノ外現状ヲ変更セザルコト ぶざまな内線足で、無遠慮に傷つける言葉で、その徹底し
二、其他保存ニ影響ヲ及ポスベキ行為ヲナサザルコト た告白で、私の不具の思いを癒やしたのだった。私はあの
右注意セラレタシ若シ之ヲ犯シタル者山国法ニ依リ処 とき、自分がはじめて同格で話し合う喜びをさとった筈だ。
かっ ζ
罰則セ-フルベシ 坊主であり吃りであるととの、確乎とした意識の底に身を
昭和三年三月三十一日内務省 沈める、悪徳を行うに似た喜びを味わった筈だ。それに反
制札は明らかに金閣について云っているのである。しか して鶴川との附合では、そのいずれの意識も拭い去られる
しその抽象的な詩句は何を暗示しているとも知れず、不変 のが常であったが。
私は柏木を笑顔で迎えた。彼は制服を着、手に細長い包 像を裏切った。それにしても単調な私の生活にとっては、
必ぜる
みを持っていた。 樗かされるととはそれだけで喜びであった。私はもらった

﹁出かけるととろなのか﹂と彼が訊いた。 尺八を手にして、金閣へ案内した。
﹁いや:::﹂
おぽ
﹁会えてよかった。実はね﹂と柏木は石段に腰を下ろし、 その筒、私が柏木とどんなことを語り合ったか、よく憶

風呂敷を解いた。暗い光沢を放つ二管の尺八が現われた。 えていない。おそらく大して実のあるととを語らなかった
﹁との問、国の伯父が死んで形見にとの尺八をもらったん ものと恩われる。柏木が第一、いつもの奇矯な哲学や毒の
だ。ととろで俺のは、むかし伯父から習ったときに貰った ある逆説を、少しも口に出す気配がなかった。
のがまだあるし、形見のほうが名器らしいんだが、俺は使 彼は私の想像もしなかった別の側聞を、故ら私に示すた
ぼうを︿
い馴れた奴のほうがいいし、二つあっても仕様がないから、 めに、やって来たのかもしれなかった。美の冒演にだけ興

味を惹かれていたようなとの毒舌家は、まととに繊細な別
君に一つやろうと思って持って来たんだ﹂
人から贈物をもらったととのない私には、何であれ、贈 の側面を私に見せた。彼は私よりもさらにさらに精密な理
物はうれしかった。手にとってみる。孔は前面に四つ、ぅ 論を、美に関して抱いていた。それを言葉ではなしに、身
しろに一つあった。 ぶりや目や、吹き鳴らす尺八の調べや、月光の中へさしだ
柏木はつ,つけて言った。 したその額などで語ったのである。
てすり
﹁俺の流儀は琴古流だよ。めずらしく月がいいから、でき 私たちは第二層の潮音洞の手摺にもたれていた。ゆるや
のきびきし
たら金閣で吹かせてもらおうと思って来たんだ。君に教え かに反った深い軒庇のかげのその縁側は、下方から、典雅
r
rょ う さ し ひE
てん き
かたがた・・・・・・﹂ な八つの天竺様の括肘木で支えられて、月を宿した池のお

﹁今念らいいと思う。老師がお留守だから、じいさんが怠 もてへ迫り出していた。
けて、まだ掃除をすませていないんだ。掃除がすんだあと 柏木はまず﹁御所車﹂という小曲を吹いたが、その巧み
金閣寺

で、金閣の戸締りをするんだから﹂ さに私はおどろいた。真似て、唇を歌口に当てたものの、
その現われ方も唐突なら、月が良いから金閣で尺八を吹 音は出なかった。彼は私に教えて、左手を上にした持ち方

畠5
すぺ あどあ也低
きたいという申出も唐突で、凡てが私の知っている柏木の からはじめ、隠当りへ腿を当てる具合や、歌口にあてがう
唇のひらき方、幅の広い薄片のような風をそ ζ へ送るコツ 数日のうちに枯れる活け花とか、彼の好みはそういうもの

86
などを、念入りに習得させた。何度試みても音は出-なかっ に限られ、建築や文学を憎んでいた。彼が金閣へやって来
た。頬にも、自にも力が入って、池に宿る月は、風もない たのも、月の照る聞の金閣だけを索めて来たのに相違なか
のに、千々に砕けてみえるような気がした。 った。それにしても音楽の美とは何とふしぎなものだ!
疲れ果てた私は、或る瞬間には、柏木がわざわざ私の吃 吹奏者が成就するその短かい美は、一定の時間を純粋な持
かげろう
りをからかうために、とういう苦行を強いるのではないか 続に変え、確実に繰り返されず、同町麟のような短命の生物
と疑ったりした。しかし徐々に、出ない音を出そうと試み をさながら、生命そのものの完全な抽象であり、創造であ
る肉体的な努力は、吃りをおそれで最初の言葉を同滑に出 る。音楽ほど生命に似たものはなく、同じ美でありながら、
ぷ・へつ
そうとする普段の精神的努力を、浄化するもののように思 金閣ほど生命から遠く、生を侮蔑して見える美もなかった。
か老
われてきた。まだ出ぬ音は、との月に照らされた静寂の世 そして柏木が﹁御所車﹂を奏でおわった瞬間に、音楽、と
界のどとかに、すでに確実に存在しているように恩われた。 の架空の生命は死に、彼の醜い肉体と暗欝な認識とは、少
私はさまざまな努力の果てにその音に到達し、その音を目 しも傷つけられず変改されずに、又そとに残っていたので
ざめさせさえすればよかったのである。 ある。
いしゃ
いかにしてその音に、柏木が吹き鳴らしたような霊妙な 柏木が美に索めているものは、確実に慰藷ではなかっ
音に到達するか。他でもない熟練がそれを可能にするので た!言わず語らずのうちに、私にはそれがわかった。彼
あり、美は熟練であり、柏木がその醜い内掘削足にもかかわ は自分の唇が尺八の歌口に吹きとむ息の、しばらくの問、
傘かぞら
らず澄んだ美しい音色に到達したように、私もただ熟練に 中空に成就する美のあとに、自分の内線足と暗い認識が、
よってそれに到達できるのだという考えが私を勇気づけた。 前にもましでありありと新鮮に残ることのほうを愛してい
しかし別な認識も私に生れた。柏木の﹁御所車﹂の調べが たのだ。美の無益さ、美がわが体内をとおりすぎて跡形も
あんなに美しく聴かれたのは、月のあたら夜の背景もさる ないとと、それが絶対に何ものをも変えぬ ζと、:::柏木
ととながら、彼の酸い内線足のためでは-なかったか? の愛したのはそれだったのだ。美が私にとってもそのよう
傘がも
柏木を深く知るにつれてわかったととだが、彼は永保ち なものであったとしたら、私の人生はどんなに身軽になっ
する美がきらいなのであった。たちまち消える音楽とか、 ていたととだろう。
-:・柏木の導くままに、何度となく、飽かず私は試みた。 夜でもいいんだ。夜、俺の下宿へもって来てくれないか
顔は充血し、患は迫って来た。そのとき急に私が鳥になり、 な

のど会きど一え
私の咽喉から烏の暗声が洩れたかのように、尺八が野太い 私は思わず軽く請け合ってから、実は彼が私に盗みを示
音の一声をひびかせた。 唆しているのだということに気づいた。そして体面上、是
﹁それだ﹂ 非とも私は花盗人にならねばなら司なかった。
と柏木が笑って叫んだ。決して美しい音ではないが、同 その晩の薬石は粉食であった。真黒な、目方の重いパン
じ音は次々と出た。そのとき私は、わがものとも思われぬ に、野菜の煮附だけである。幸いに土曜であったので、午
ほうれ訂う じよさ︿
との神秘な声立日から、頭上の金銅の鳳風の声を夢みていた 後から除策になり、出かけるべき人はもう出かけていた。
企偉いかいちん
のである。 今夜は内開枕で、早く寝てもよし、十一時まで外出してい

てもよし、あまつさえ、明朝は﹁寝忘れ﹂と謂って朝寝が
**
*

できた。老師もすでに外出しておられた。
その後柏木のくれた独習本をたよりに、私は毎夜尺八の 日は六時半をすぎてようよう昏れた。風が出てきた。私

掛うlE与りょう

上達にいそしんだ o﹁白地に赤く日の丸染めて﹂などが吹 は初夜の鐘を待った。八時になって、中門左側の黄鐘調の
ねいろ
けるようになるにつれ、彼との親交も旧に復して行った。 鐘が、いつまでも余韻を引くその高い明澄な音色の、初夜
五月の乙と、私は尺八の礼を何か柏木にせねばならぬと の十八声をひびかせて来た。
そうせい
思った。しかし金がない。思い切ってそれを柏木に言うと、 金閣の激清のかたわらに、蓮沼の水が鏡湖池にそそぐ小
しがらみ合きつぽた
金のかかる礼など要らないと答え、さて口のはたを奇妙に さな滝口があり、半同の柵が乙の滝口を囲んでいる。社若
ゆが
定めて、次のようなことを言い出した。 はそのあたりに群生している。花はこと数日、大そう美し
﹁そうだな。折角そう言ってくれるんなら、ほしいものが い

︿さむら
あるんだ o このごろ活け花をしたくても、花が高くてな。 私が行くと、杜若の草叢は夜風にさわいでいた。高くか
金閣寺

丁度今ごろ金閣はあやめやかきつばたが花ざかりだろう。 かげた紫の弁は、しずかな水音のなかにわなないていた。
つぼみ
かきつばたを四五本、蓄のやら咲きかけのやらもう咲いた そこらあたりは閣が深く、紫も、葉の濃い緑も黒く見えた。
LC hd U
のやら、それに木
,賊を六七本とって来てくれないかな。今
、 私は二三の杜若をとらえようとした。しかし風と共に、花
や葉はざわめきながら私の手をのがれ、葉の一つは私の指 ととができた。
を切った。 ﹁ああ、あの女か。とっくに結婚したよ﹂と簡単に答えた。∞∞
かゆ
木賊と杜若を抱えて柏木の下宿を訪れたとき、彼は寝 ζ ﹁生娘でないととがばれ‘ない方法を、俺は惑いところに手
4つ
3
か合比
ろんで本を読んでいた。私は下宿の娘に会うととを怖れて が届くようにして教えてやったんだが、相手の花婿が堅物
いたが、留守らしかった。 だったから、どうやら旨く行ったらしいや﹂
小さな盗みが私を快活にしていた。柏木と結びつくとき、 ヨ一口いながら彼は水にひたした杜若を一本一本とりだして
はさみ
いつもまず私には、小さな背徳や小さな潰聖や小さな悪が 丹念に眺め、鉄を水にさし入れて、水の中で茎を切った。
もたらされ、それがきまって私を快活にさせるのだが、そ 彼の手にとられる杜若の花影は、畳の上に大きく動いた。
ういう悪の分量をだんだん増してゆけば、快活さの分量も そして又、突然一言った。
それにつれて際限もなく増してゆくものか私にはわからな ﹁君は﹃臨済録﹄の一不衆の章にある有名な文句を知って
かった。 るか。﹃仏に逢うでは仏を殺し、祖に逢うでは祖を殺し、

柏木は私の贈物を大そう喜んで享けた。そして下宿の主 .
・・
・・
・﹄

婦のととろで水盤や水切りに使うバケツ・などを借りに行 私はあとをつづけた。
らかん
った。家は平屋で彼の部屋は離れの四畳半であった。 ﹁﹃・::羅漢に逢うでは羅漢を殺し、父母に逢うでは父母
しんけんげだっ
床の聞に立てかけてある彼の尺八をとって、私は唇を歌 を殺し、親容に逢うでは親替を殺して、始めて解脱を得
口にあて、小さな練習曲を吹いてみたが、これは大そう巧 ん
﹄﹂
く行き、帰ってきた柏木をおどろかせた。しかし今夜の彼 ﹁そうだ。あれさ。あの女は羅漢だったんだ﹂
は、金閣へ来たときの彼ではなかった。 ﹁それで君は解脱したのか﹂
﹁尺八だとちっとも吃らないな。俺は吃りの曲をきいてみ ﹁ふん﹂と柏木は切った杜若の花を揃えて眺めながら一言っ
たいと思って、尺八を教えたんだのに﹂ た。﹁それにはまだ殺し方が足らんさ﹂
事民会九
乙の二↓一口で、われわれは初対面のときと同じ位置に引き 水が清く滋えられた水盤の内部は銀いろに塗られていた。
自問された。彼が自分の位置を取戻したのである。そとで私 柏木は剣山の曲ったのを丹念に直した。
しゃペ
も、例のスペイン風の家の令嬢について、気楽にたずねる 私は手持無沙汰になって喋りつづけた。
会んせんぎんみよう
﹁君は﹃南泉斬焔﹄の公案を知ってるだろう。老師が終戦 の存在を思いわずらわせ、そうして俺の内部に頑固に根を
のとき、皆を集めてあれの講話をしたんだけど、::・﹂ 張っていたものは、今では死んだ物質にすぎぬ。しかしあ
﹁﹃南泉斬猪﹄か﹂と柏木は、木賊の長さをしらべて、水 れととれとは本当に同じものだろうか?もし乙れがもと
盤にあてがってみながら答えた。﹁あの公案はね、あれは もと俺の外部存在であったのなら、どうして、いかなる因
人の一生に、いろんな風に形を変えて、何度もあらわれる 縁によって、俺の内部に結びつき、俺の痛みの根源になり
ものなんだ。あれは気味のわるい公案だよ。人生の曲り角 えたのか?乙いつの存在の根拠は何か?その根拠は俺
で会うたびに、同じ公案の、姿も意味も変っているのさ。 の内部にあったのか?それともそれ自体にあったのか?
︿せもの
南泉和尚の斬ったあの猫が曲者だったのさ。あの猫は美し それにしても、俺から抜きとられて俺の掌の上にあるとい
かったのだぜ、君、たとえようもなく美しかったのだ。日 つは、とれは絶対に別物だ。断じてあれじゃあない﹄
は金いろで、毛並はつややかで、その小さ・な柔らかな体に、 いいかね。美というものはそういうものなのだ。だから
しま てきげつ
との世のあらゆる逸楽と美が、パネのようにたわんで蔵わ 猫を斬ったことは、あたかも痛む虫歯を抜き、美を引扶し
れていた。猫が美の塊まりだったということを、大ていの たように見えるが、さてそれが最後の解決であったかどう
註釈者は言い落している、この俺を除けばね。ところでそ かわから-ない。美の根は絶たれず、たとい猫は死んでも、
の猫は、突然、草のしげみの中から飛び出して、まるでわ 猫の美しさは死んでいないかもしれないからだ。そ乙でと
a
とう つ
oそ
ふうちょうしゅう︿つ
ざとのように、やさしい殺滑な日を光らせて捕われた んな解決の安易さを菰して、越州はその頭に履をのせた。
れが両堂の争いのもとになった。何故って、美は誰にでも 彼はいわば、虫歯の痛みを耐えるほかに、乙の解決がない
まか
身を委せるが、誰のものでも念いからだ。美というものは、 ことを知っていたんだ﹂
そうだ、何と云ったらいいか、虫歯のようなものなんだ。 解釈はいかにも柏木一流のものであったが、それは多分
それは舌にさわり、引っかかり、痛み、自分の存在を主張 に私にかこつけ、私の内心を見抜いて、その無解決を菰し
する。とうとう痛みにたえられなくなって、歯医者に抜い ているように思われた。私ははじめて柏木を本当に怖れた。
とわ
金問守

てもらう。血まみれの小さな茶いろの汚れた歯を自分の掌 黙っているととが可伯かったので、さらにたずねた。
にのせてみて、人はこう言わないだろうか。﹃乙れか? ﹁君はそれでどっちなんだ。南泉和尚かい。それとも超州

89
こんなものだったのか?俺に痛みを与え、俺にたえずそ かい﹂
﹁さあ、どっちかね。今のところは、俺が南泉で、君が越 線と社若の葉のいさぎよい曲線がまじわり、花のひとつは

J)
州だが、いつの日か、君が南泉になり、俺が越州になるか 花咲き、他の二つはほぐれかけた菅であった o それが小さ

!
もしれない。この公案はまさに、﹃猫の目のように﹄変る な床の聞にほとんど一杯に置かれると、水盤の水の投影は
からね﹂ 静まり、剣山を隠した玉砂利は、いかにも明澄な水ぎわの
さて、こんな話をしつつも、柏木の手は微妙に動いて、 風情を示した。
錆びた小さな剣山を水盤の中に並べ、天に当る木賊をそれ ﹁見事なもんだな。どとで習ったの﹂
に揺し並べてから、ゴ一枚組の葉組を整えた杜若をとれに配 と私が訊いた。
して、次第に観水活けの形を作って行った。洗い込まれた ﹁近所の生花の女師匠だよ。もうじき、彼女はここへやっ
白や褐色の細かい清らかな玉砂利も、仕上げを待って水盤 て来るだろう。附合い-ながら、俺は生花を習っていて、と
のかたわらに積まれていた。 んな風に一人で活けられるようになったら、俺はもう飽き
彼の手の動きは見事という他はなかった。小さな決断が が来たんだ。まだ若いきれい・な師匠だよ。何でも、戦争中、
つぎつぎと下され、対比や均整の効果が的獲に集中してゆ 軍人と出来ていて、子供は死産だったし、軍人は戦死する
き、自然の植物は二疋の旋律のもとに、見るもあざやかに し、その後は男道楽がやまないのだ。小金をもってる女で、
人工の秩序の裡へ移された。あるがままの花や葉は、たち 生花は道楽に教えているらしい。何だったら、今夜、君が
まち、あるべき花や葉に変貌し、その木賊や社若は、同種 どとかへ連れて行ってもいいよ。どこへでも彼女は行くだ
の植物の無名の一株一株ではなくなって、木賊の本質、杜 ろう﹂
若の本質ともいうべきものの、簡潔きわまる直叙的なあら
われになった。 '目・とのとき私を襲った感動は錯乱していた。南禅寺の
しかし彼の手の動きには残酷なものがあった。植物に対 山門の上からその人を見たとき、私のかたわらには鶴川が
して、彼は不快な暗い特権を持っているように振舞った。 いたが、二一年後の今日、その人は柏木の日を媒介として、
それかあらぬか鉄の音がして茎が切られるたびに、私は血 私の前に現われる筈なのである。その人の悲劇はかつて明
のしたたりを見るような気がしたのである。 るい神秘の目で見られたが、今はまた、何も信じない暗い
のぞ
観水活けの盛花は出来上った。水盤の右端に、木賊の直 目で覗かれている。そして確実なことは、あの時の白い昼
ひるがたちの
月のような遠い乳房には、すでに柏木の手が触れ、あの時 木の心を練えそうとする努力から、しばらく立退いていよ
ひざ
華美な振納に包まれていた膝には、すでに柏木の内線足が うと思ったらしい。今度は突然落着きを装い、せまい下宿
だいだい
触れたということだ。確実なのはその人がすでに、柏木に の一室を見まわした υ床 の 聞 に 大 々 と 置 か れ た 盛 花 に 、 女
よって、つまり認識によって汚されているということだ。 は三十分も居て、はじめて気づいたらしかった。
との思いはいたく私を悩まし、その場に居たたまれぬ気 ﹁結構情なお観水、どすな。ほんまにょう活けてはる﹂
とど
持にさせた。しかしなお好奇心が私を引き止めていた。有 との言葉を待っていた柏木は、止めを刺した。
為子の生れかわりとさえ思われたその人が、今、不具者の ﹁巧いでしょう。とのとおり、もう、あんたに教わるとと
学生に捨てられた女として、姿を現わすのは待ち遠しかっ は何もないんだよ。もう用はないんだよ、本当に﹂
た。いつか私は柏木に加担して、自分の思い出をわれとわ 私は柏木のこの切口上で、女が顔色を変えたのを見て目
ひた ぞ
が手で汚すかのような錯覚の喜びに泊った。 を外らした。女はやや笑ったようだつたが、そのまま行儀
しつ ζう
よく膝行して床の聞に近づいた。私は女の声をきいた。
回目さて女がやって来ると、私の心には何も波立たなか ﹁ 何 や 、 と ん な 花 ! 何 や ね 、 と ん な ん 1﹂
った。今も私はありありと憶えている。その心もちかすれ そして水が飛び散り、木賊が倒れ、花ひらいた社若は引
たちい ろうぜき
た声、その大そう行儀のよい起居と行儀のよい言葉づかい、 き裂かれ、私が盗みを犯して採った花々は、狼藷たるさま
ひらはばか
それにもかかわらず日に閃めく荒々しい色、私を障りなが になった。私は思わず立上ったが、なすすべを知らずに、
。 ζ どと
ら柏木にむかつて言う卿ち言、-そのときはじめて、柏
まどガタス
窓硝子に背を押しあてていた。柏木が女の細い手首をつか
木が今夜私を呼んだ理由がわかったのだが、彼は私を防壁 むのが見えた。それから、女の髪をつかみ、平手打ちを頼
れん
に使おうと思ったのである。 にくれるのが見えた。そういう柏木の荒々しい一聯の動作
女は私の幻影と何のつながりもなかった。それは全くは は、実に先程、活け花をしていて葉や茎を鉄で切っている
じめて見る別の個体の印象にとどまった。行儀のよい言葉 ときの、静かな残忍さと寸分ちがわず、そのままの延長の
金閣寺

づかいのまま次第に取乱して、女もまた、私のことなど見 ように思われた。
ていはし・なかった。 女は両手で顔を覆うて、部屋を駈けて出た。 l
nJ
とうとう自分のみじめさに耐えられなくなった女は、柏 柏木はというと、立ちすくんだままの私の顔を見上げて、
異様に子供っぽい微笑をうかべて、とう言った。 久々で、別個の、もっと薄命でない暗い生、その代り生き

92
﹁さあ、追っかけて行くんだ。慰めてやるんだ。さあ、早 つつある限り他人を傷つけてやまない生の動きに触れて鼓

﹂ 舞された。彼の﹁殺し方が足らんさ﹂という簡潔な言葉は、
その柏木の言葉の威力に押されたのか、それとも本心か よみがえって私の耳を縛った。そして私の心に思い起され
ちい乏い
ら女に同情したのか、そこのと ζろは我-ながら暖昧だった るのは、終戦のとき不動山頂で京都市街のおびただしい灯
が、ともかく私の足はすぐ動きだして女を追った。下宿か にむかつて、とめた祈願のあらまし、あの﹁私の心の暗黒
ら二三軒さきで追いついた。 が、無数の灯を包む夜の暗黒と等しくなりますように﹂と
からす象台︿
そとは烏丸車庫裏の板倉町の一劃であった。曇った夜空 いう祈りの文句であった。
を車庫へ入る電車の反響がとよもし、スパークのうす紫の 女は自分の家へ向って行くのでは・なかった。話のために、
光りが、
--p-
隈取った。女は板倉町から東へ抜け、裏道。ったいに
たど
人通りのすくない裏路ばかりを辿って、当でもなく歩いた。

がんとう
上った。泣きながら歩いている女に、私は黙って雁行した そこでようよう女の一人暮しの住居の前まで来たとき、そ
が、やがて気づいて、私に寄り添うてきた。そして涙のた ζがどのへんの町角なのか私にはわから・なくなった。
会おさら
めに尚更かすれた声で、しかも行儀のよすぎる言葉づかい すでに十時半であったので、別れて寺へ帰ろうとしたが、
うった
は崩さずに、永々と柏木の非行を恕えた。 女が強いて引止めるままに上った。
私たちはどれだけ歩いた ζと だ ろ う ! 先に立って、女は明りをつけて、いきなり乙う言った。
るる のろ
私の耳もとで緩々と述べ立てられている柏木の非行、そ ﹁あんた、人を呪わはって、死んだらええと思いやしたこ
の悪どい卑劣な細目、それらはすべてただ﹁人生﹂という と、あるのん﹂
一言葉を私の耳にひびかすだけだった。彼の残忍性、計阿的 言下に私は﹁ある﹂と答えた。おかしなことに、その時
やり︿ち
な遺口、裏切り、冷酷、女から金をせびりとるさまざまな まで忘れていたのだが、私の恥の立会人であるあの下宿の
手、それらはただ彼の一言いがたい魅力を解説しているにす 娘の死を、明らかに私はねがっていたのだ。
ぎなかった。そして私は彼の内線足に対する彼自身の誠実 ﹁ζわいとと。うちもやわ﹂
さを信じていればよかったのである。 女は崩折れて、畳の上に横坐りに坐った。部屋の電燈は
鶴川の急死このかた、生そのものに触れずにいた私は 多分百ワットで、電力制限のころに珍らしい明るさであり、
とうふん
柏木の下宿の電燈に比べると二二倍の光度であった。女の 昂奮のつづきを別の昂奮に移し変えて、ほとんど狂気のよ
しろは た
AU
体ははじめであかあかと照らし出された。白博多の名古屋 うになった。藤棚霞の裾は乱れていた。
Eだ去がすみ

帯が鮮明に白く、友禅の着物の藤棚霞の紫が浮き上った。 ﹁もうお乳も出えへんわ。ああ、可哀想なやや子!お乳
南禅寺の山門から天授庵の客閉までは、烏でなければ飛 は出えへんけど、あんたに、あの通りにして見せたげる Q
べぬ距離があったが、数年の時をかけて私は徐々にその距 あのときから、うちを好いててくれはったんやもん、今、
離を近づき、今ようやくそこに達したような心地がした。 うち、あんたをあの人と思いますわ。あの人と思うたら、
あのときから微細に時を刻んで、私は天授庵の神秘な情景 恥かしい ζとあらへん。ほんまにあの通りにして見せたげ
の意味するもので確実に近づいて来たのだった。そうあ る

らねばならぬ、と私は考えた。遠い星の光りが届くときに 決断を下す口調で言ってから女のしたことは、狂喜のあ
は、すでにとの地上の相貌が変っているように、女が変質 まりとも見え、また、絶望のあまりとも見えた。おそらく
してしまっていることは余儀なかった。そして南極寺の山 意識の上には狂喜だけがあって、その烈しい行為を促した
門の上から見たとき、私と女とが、今日を予定して結ぼれ 本当の力は、柏木の与えた絶望、もしくは絶望の粘り強い
ていた-ならば、そんな変貌などは、わずかの修正で旧に復 後味だったと思われる。
ひも
し、再びあのときの私とあのときの女とが相見る乙とがで かくて私は、日の前で帯揚げが解かれ、多くの紐が解か
えり
きると考えられた。 れ、帯が絹の叫びをあげて解かれるのを見た。女の衿は崩
そこで私は語った。息せき切って、吃りながら諮った。 れた。白い胸がほのみえると ζろから、女の手は左の乳房
よみ泊えどほうろう
あのときの若葉が蘇り、五鳳楼の天井岡の天人や鳳風が蘇 を掻き出して、私の前に示した。
った。女の頬にはいきいきと血の気がさし、その日には
めまい
荒々しい光りの代りに、定めない乱れた光りが宿った。 私に或る種の舷最がなかったと云つては嘘になろう。私
つぷ
﹁そうやったの。いや了、そうやったの。何ていう奇縁ど は見ていた。詳さに見た。しかし私は証人となるに止まっ
l
j
I

っしゃろ。奇縁て乙んなことやわ﹂ た。あの山門の楼上から、遠い神秘な白い一点に見えたも
たか
金閣

今度は女の日は昂ぶった喜びの涙に充ちた。今しがたの のは、このような一定の質量を持った肉では・なかった。ぁ

自3
陪つ乙う
屈辱を忘れて、思い出の中へ逆様に身を投げ、同じままの の印象があまりに永く醗酵したために、目前の乳房は、肉
路きんぽ︿ ι8
そのものであり、一個の物質にしかすぎなくなった。しか 板唐戸の内側、剥げた金箔捺しの天井の下には、重い豪盗官
うった

9唾
よu
z
もそれは何事かを怒えかけ、誘いかける肉では-なかった。 な関が澱んでいた。それは当然だった。何故なら金閣その
存在の味気ない証拠であり、生の全体から切り離されて、 ものが、丹念に構築され造型された虚無に他ならなかった
かがや
ただそとに露呈されてあるものであった。 から。そのように、目前の乳房も、おもては明るく肉の纏
まだ私は嘘をっとうとしている。そうだ。舷量に見舞わ きを放ってとそおれ、内部はおなじ闘でつまっていた。そ
れた ζとはたしかだった。だが私の目はあまりにも詳さに の実質は、おなじ重い豪著な闇なのであった。
見、乳房が女の乳房であるととを通りすぎて、次第に無意 私は決して認識に酔うていたのではない。認識はむし
Kじ
味な断片に変貌するまでの、逐一を見てしまった。 ろ踏み欄られ、侮蔑されていた。生や欲望は無論のとと!
とう ζ つ か ん し ぴ
::ふしぎはそれからである。何故ならとうしたいたま ・:しかし深い悦惚感は私を去らず、しばらく薄れたよう
a
vιv
しい経過の果てに、ようやくそれが私の自に美しく見えだ k、私はその露わな乳房と対坐していた。
したのである。美の不毛の不感の性質がそれに賦与されて、
Laz
乳房は私の目の前にありながら、徐々にそれ自体の原理の こうして又しでも私は、乳房を懐ろへ蔵う女の、冷め果
うちばら さげすいと aE
裡にとじこもった。蓄薮が蕎議の原理にとじともるように。 てた蔑みの眼差に会った。私は暇を乞うた。玄関まで送っ
私には美は遅く来る。人よりも遅く、人が美と官能とを て来た女は、私のうしろに音高くその格子戸を閉めた。
同時に見出すととろよりも、はるかに後から来る。みるみ
る乳房は全体との聯関を取戻し、:・:肉を乗り超え、. ││寺へかえるまで、なお私は悦惚の裡にあった。心に
不感のしかし不朽の物質になり、永遠につながるものにな は乳房と金閣とが、かわるがわる去来した。無力な幸福感
った。 が私を充たしていた。
私の言おうとしているととを察してもらいたい。又そと しかし風にさわぐ黒い松林のかなた、鹿苑寺の総門が見
に金閣が出現した。というよりは、乳房が金閣に変貌した えて来たとき、私の心は徐々に冷え、無力は立ちまさり、
のである。 酔い心地は嫌悪に変り、何ものへとも知れぬ憎しみがつの
とのい
私は初秋の宿直の、台風の夜を思い出した。たとえ月に つ非凡。
しとみ
照らされていても、夜の金閣の内部には、あの蔀の内側、 ﹁又もや私は人生から隔てられた l﹂と独言した。﹁又し
てもだ。金閣はどうして私を護ろうとする?頼みもしな 金閣が見えはじめた。木立のざわめきに固まれて、それ
いのに、どうして私を人生から隔てようとする?なるほ は夜のなかで、身じろぎもせず、しかし決して眠らずに立
ど金閣は、私を堕地獄から救っているのかもしれない。そ っていた。夜そのものの護衛のように。:::そうだ、私は

うするととによって金閣は私を、地獄に堕ちた人間よりも 寝静まった寺のように金閣が眠っているのを見た ζとがな
っと悪い者、﹃誰よりも地獄の消息に通じた男﹄にしてく い。人の住まぬ ζの建築は、眠りを忘れるととができた。
れたのだ﹂ そ ζに住んでいる闇は人間的法則を完全に免かれていたの

︿F
総門は黒く静まっていた。朝鳴鍾のときに消燈される耳 である。
り隠の Eゆそ
門のあかりが灰かにともっていた。私は耳門の戸を押した。 ほとんど呪誼に近い調子で、私は金閣にむかつて、生れ
h
aもつ
内側で、錘りを吊り上げる古い錆びた鉄鎖の音がして、そ てはじめて次のように荒々しく呼びかけた。
の戸はあいた。 ﹁いつかきっとお前を支配してやる。二度と私の邪魔をし
門番はすでに鵬んでいた。耳門の内側には、午後十時以 に来・ないように、いつかは必ずお前をわがものにしてやる

後は、最後の帰山者が戸締りをする旨の内規が貼られ、ま ぞ

とだ a
a
だ表へ返されていない名札が二枚あった。一枚は老師の名 声はうつろに深夜の鏡湖池に街した。
札であり、一枚は年老いた庭男の札であった。
さ E ぽ
歩くほどに、右側の作事場に横たえられている五米にあ
第七章
まる数本の材木が、夜自にも明るい木の色を見せていた。
bdp
近づくと、 ζまかい黄いろい花が散り敷いたように、大鋸
︿T
屑が落ちちらばり、閣の・なかにあでやかな木の香が漂って 総じて私の体験には一一種の暗合がはたらき、鏡の廊下の
いた。作事場の外れの車弁戸のわきから、庫裡へ行こうと ように一つの影像は無限の奥までつづいて、新たに会う事
して、私は立戻った。 物にも過去に見た事物の影がはっきりと射し、とうした相
似にみちびかれてしらずしらず廊下の奥、底知れぬ奥の間
金閣寺

床へ入る前に、今一度金閣に会わねばならぬ。限りに静
まっている鹿苑寺本堂をあとに、唐門の前をとおって、私 へ、踏み込んで行くような心地がしていた。運命というも

I
9j
は金閣への道を辿った。 のに、われわれは突如としてぶつかるのではない。のちに
じよじよろ
死刑になるべき男は、日頃ゆく道筋の電柱や踏切にも、た ないと思う一一種の汗情的昂奮を与えてくれるととがあった。
えず刑架の幻をえがいて、その幻に親しんでいる筈だ。 そういう時には、折よく月の夜であったりすると、尺八を釘
従って又私の体験には、積み重ねというものがなかった。 携えて、金閣のほとりへ行って吹いた。今ではかつて柏木
積み重ねて地層をなし、山の形を作るような厚みが-なかっ の奏でた﹁御所車﹂の曲も、譜面を見ずに吹けるようにな
た。金閣を除いて、あらゆる事物に親しみを持たない私は、 っていた。
自分の体験に対しても格別の親しみを抱いていなかった。 音楽は夢に似ている。と同時に、夢とは反対のもの、一
ただそれらの体験のうちから、暗い時間の海に呑み込まれ 段とたしかな覚醒の状態にも似ている。音楽はそのどちら
てしまわぬ部分、無意味のはてしれぬ繰り返しに陥没して だろうか、と私は考えた。とまれ音楽は、との二つの反対
しまわぬ部分、そういう小部分の連鎖から成る或る忌わし のものを、時には逆転させるよう・な力を備えていた。そし
い不吉な絵が、形づくられつつあるのがわかった。 て自ら奏でる﹁御所車﹂の曲の調べに、時たま私はやすや
するとその一つ一つの小部分とは何だろう。時折私はそ すと化身した。私の精神は音楽に化身するたのしみを知っ
れを考えた。しかしそれらの光っているばらばら・な断片は、 た。柏木とちがって、音楽は私にとって確実に慰務だった
ぴん
道ばたに光るピ l ル鍾の破片よりも、もっと意味を欠き、 のだ。
法則性を欠いていたのである。 :尺八を吹き終って、いつも私は思ったが、金閣はど
と云って、乙れら断片を、過去に嘗て形づくられていた うしてとのような私の化身を、各めたり邪魔したりしない
美しい完全な形姿の、落ち崩れた破片だと考えるととはで で、黙過してくれるのだろうか?他方、人生の幸福や快
きなかった。それらは無意味のうちに、法則性の完全な欠 楽に私が化身しようとするとき、金閣は一度でも見のがし
たちをさえぎ
如のもとに、世にもぶざまな姿で打ち捨てられ・ながら、お てくれたととがあったか?忽ち私の化身を遮り、私を私
のがじし未来を夢みているように見えたからだ。破片の分 自身に立ちかえらすのが、金閣の流儀ではなかったか?
めいてい
際で、おそれげもなく、不気味に、沈静に、・・・未来を 1 なぜ音楽に限って、金閣は私の酪町と忘我を許すのか?
巴台いゆかいふ︿
決して快癒や恢復ではないととろの、手つかずの、まさに ・・・とう思うと、金閣がゆるしているというその ζとだ
前代未聞の未来を! けで、音楽の魅力は薄れた。なぜなら、金閣が黙認してい
にせもの
とんな不明瞭な省察が、との私にも、われながら似合わ る以上、音楽はいかに生に似通って見えても贋物の架空の
生でしかなく、たとえそれに私が化身しようと、その化身 りの魅惑を放ち、蜜蜂の欲望にふさわしいものになってい
ひしよう
はかりそめのものでしかなかったからである。 た。形のない、飛朔し、流れ、力動する欲望の前に、 ζう
して対象としての形態に身をひそめて息づいているととは、
ぎせつあき
私が女と人生への二度の挫折以来、諦らめて引込思案に 何という神秘だろう!形態は徐々に稀薄になり、破られ
ふる
なってしまったなどと恩わないでもらいたい。昭和二十三 そうになり、おののき顧えている。それもその筈、菊の端
年の年の暮まで、幾度かそのような機会があり、柏木の手 正な形態は、蜜蜂の欲望をなぞって作られたものであり、
引きもあって、私はひるまずに事に当った。しかしいつも その美しさ自体が、予感に向って花ひらいたものなのだか
結果は同じであった。 ら、今 ζそは、生の中で形態の意味がかがやく瞬間なのだ。
女と私との問、人生と私との聞に金閣が立ちあらわれる。 形とそは、形のない流動する生の鋳型であり、同時に、形
っか
すると私の掴もうとして手をふれるものは忽ち灰になり、 のない生の飛醐聞は、との世のあらゆる形態の鋳型・なのだ 0
展望は沙漠と化してしまうのであった。 ・::蜜峰はかくて花の奥深く突き進み、花粉にまみれ、酪
︿切さむ
あるとき私は、庫裡の裏の畑で作務にたずさわっていた 町に身を沈めた。蜜帥障を迎え入れた夏菊の花が、それ自身、

M どうしゃよろい
手すきに、小輸の黄いろい夏菊の花を、蜂がおとなうさま 黄いろい豪杏-な鎧を着けた蜂のようになって、今にも茎を


を見ていたととがある。光りの遍満のうちを金いろの羽を 離れて飛び潮とうとするかのように、はげしく身をゆすぶ
鳴らして飛んできた蜜蜂は、数多い夏菊の花から一つを選 るのを私は見た。
んで、その前でしばらくたゆとうた。 私はほとんど光りと、光りの下に行われているとの営み
かきん め定い
私は蜂の自になって見ょうとした。菊は一点の破産もな とに陪量を感じた。ふとして、又、蜂の目を離れて私の自
い黄いろい端正な花弁をひろげていた。それは正に小さな に還ったとき、とれを眺めている私の目が、丁度金閣の目
金閣のように美しく、金閣のように完全だったが、決して の位置にあるのを思った。それは ζうである。私が峰の目
金閣に変貌する ζとはなく、夏菊の花の一輸にとどまって である乙とをやめて私の自に還ったように、生が私に迫っ
せつ傘
いた。そうだ、それは確乎たる菊、一個の花、何ら瞬間﹄
金閣寺

てくる剰那、私は私の目であることをやめて、金閣の目を
的なものの暗示を含まぬ一つの形態にとどまっていた。そ わがものにしてしまう。そのとき正に、私と生との聞に金

91
あふ
れはとのように存在の節度を保っととにより、溢れるばか 閣が現われるのだ、と。
しんきょうど︿ずっとう
:::私は私の自に還った。蜂と夏菊とは在漠たる物の世 えるさ、私は久々に新京極をひとりで歩いた。その雑沓の

98
界に、ただいわば﹁配列されている﹂にとどまった。蜜蜂 中で、よく見知った顔に行き当ったが、それが誰だか思い
の飛期間や花の揺動は、風のそよぎと何ら変りがなかった。 出されぬうちに、顔は人波に押し流されて私の背後に紛れ
との静止した凍った世界ではすべてが同格であり、あれほ てしまった。
がい b,
a
ど魅惑を放っていた形態は死に絶えた。菊はその形態によ その人はソフトをかぶり、上等な外套とマフラーを身に
げいぎさびしゅ
ってではなく、われわれが漠然と呼んでいる﹁菊﹂という つけて、明らかに芸妓とわかる銭朱いろのコlトの女と連
名によって、約束によって美しいにすぎ・なかった。私は鱗 れ立って歩いていた。桃いろのふくよかな男の顔、普通の
いざ皐
ではなかったから菊に誘われもせず、私は菊ではなかった 中年紳士にはたえて見られぬ異様な赤ん坊のような清潔感、
から蜂に慕われもしなかった。あらゆる形態と生の流動と 長めの鼻、:::他ならぬ老師その人の顔の特徴を、ソフト
の、あのような親和は消えた。世界は相対性の中へ打ち捨 が殺しているのだ。
a
ye
--
てられ、時間だけが動いていたのである。 私の側には何も荻しいととはなかったのに、むしろ私は、
必ぞおし eu
永遠の、絶対的・な金閣が出現し、私の目がその金閣の自 私が見られたのを倶れていた。何故なら老師の微行の目撃
に成り変るとき、世界は ζのように変貌するととを、そし 者になり、証人になり、老師と無言のうちに信頼や不信の
てその変貌した世界では、金閣だけが形態を保持し、美を 関 わ り 合 い を 結 ぶ ζとを、咽墜の聞に避けたい気持が起っ
さ Eん
占有し、その余のものを砂塵に帰してしまうととを、乙れ たからだ。
︿X しようふ ぴき
以上冗くは言うまい。例の娼婦を金閣の庭に踏んで以来、 そのとき一疋の黒い犬が、正月の夜の雑沓にまぎれて歩
む︿ h
vぬ
又鶴川の急死とのかた、私の心は次の聞をくりかえした。 いていた。乙の黒い落犬は、とうした人どみを行き馴れて
﹃それにしても、悪は可能であろうか?﹄ いるとみえ、華美な女のコ l ト の 聞 に 軍 隊 外 套 も ま じ る 行

**
人の足もとを、巧みにすり抜けてあちとちの居先に立ち寄

*
しょうどいん
った。犬は聖護院八ツ橋の昔にかわらぬ土産物の庖の前で
昭和二十四年の正月の乙とである。 匂いを嘆いだ。底のあかりのために犬の顔がはじめて見え
っゅのやにののう
土曜の除策(それは警策を除く意味で、とう云うのであ たが、片目が潰え、潰えた目尻に固まった目脂と血が穏磁
る)を幸い二二番館ぐらいの安い映函館で映画を見てのか のようである。無事なほうの目は直下の地面を見ている。
ζわ
落毛の背のととろどとろが引きつって、それらの硬ぼった のほうを見た。女につ つ
e
いて乗ろうとした男は、ふと私の
毛の束が際立っている。 ほうに注意して、そこに立ちすくんだ。

何故犬が私の関心を惹いたのか知らない。多分との明る それは老師であった。どうして先刻私とすれちがった老
かた︿
い繁華な町並とはまるで別の世界を、犬が頑なに裡に抱い 師が、女と共に一巡して、又私にめぐり会う羽目になった
きゅうか︿
て、さまよっているのに惹かれたのかもしれない。嘆覚だ のかわからない。ともかくそれは老師であり、先に車へ乗
けの臨聞い世界を犬は歩いており、それは人間どもの町と二 った女のコ l トの銭朱いろも、先程見た色の記憶が残って
重になって、むしろ燈火やレコードの唄声や笑い声は、執 いた。

争 ARAI dzうてん
鋤-な暗い匂いのために脅やかされていた。念ぜなら匂いの 今度は私も避けるわけに行かなくなった。しかし動願し
きつおん
秩序はもっと確実であり、犬の湿った足もとにまつわる尿 て、口から言葉が出ない。声を発しないうちから、吃音が
かす
の匂いは、人間どもの内臓や器官の放つ微かな悪臭と、確 口の中で煮立っている。とうとう私は自分でも思いがけな
つ傘
実に繋がっていたからだ。 い表情をした。というのは、何らその場との繋がりなしに、
大そう寒かった。闇屋風の若者たちが二三人、松の内を 老師に向って笑いかけたのである。
過ぎてまだ取り払われずにいる門松の葉をむしって通った。 こんな笑いを説き明かすととはできない。笑いは外部か
かれらは新らしい草手袋の掌をひろげて競い合った。一人 ら来て、突然私の口もとに貼りついたかのようだつた。だ
の掌にはわずか数本の松葉が、一人の掌には小さ・な一枝が が、私の笑いを見た老師は顔色を変えた。
dM かもんつ
まるごと残っていた。関屋たちは笑いながら行きすぎた。 ﹁馬鹿者!わしを追跡ける気か﹂
しった
さて、私はいつのまにか犬に導かれていた。犬は見失わ そう叱陀して、忽ち老師は私を尻自に車へ乗り、ドアは
れるかと思うと又現われた。河原町通へ抜ける道を曲った。 音高く閉められ、ハイヤーは走り去った。先程新京極で会
私は ζうして新京極よりもいくらか暗い電車通りの歩道へ った折も老師はたしかに私に気づいていたという乙とが、
出た。犬の姿は消えた。立止った私はと見乙う見した。車 そのとき突然はっきりした。
金閣寺

道のきわまで出て、犬のゆくえを目でたずねていた。
そのときつやつやした車体のハイヤーが目の前にとまっ 明る目、私はむしろ老師が叱責のために私を呼び出して

且9
た。ドアがあけられ、女が先に乗り込んだ。私は思わずそ くれるのを待った。それが釈明の機会にもなる筈だった。
が、娼婦を踏んだあの事件のとき同線、明る日から、老師 た o鶴川の死と共に、徒弟は一人補充された。


の無言の放任による拷聞がはじまった。 折しも同じ相国寺派に属する由緒のある寺の住持が亡く

(
1
あるじ じゆえん
折も折、母から又便りがあった。私が鹿苑寺の主になる なり、新命の住持の入院の儀式に、老師が招かれていたが、
日をたのしみに生きるという結語は同じであった。 そのお供が私の番に当っていた。老師はととさら私のお供
﹁馬鹿者 1 わしをつける気か﹂と一喝した老師の一言葉は、 をしりぞける ζと は し な か っ た の で 、 乙 の 往 復 に 何 か 釈 明
かいF や︿
思い返せば返すほど不似合なものではあった。もっと諮譲 の機会が得られるだろうと私は心待ちにした。しかし前夜
らいらく
に富み豪放語落な鱒僧らしい禅僧であったら、とんな俗悪 になって、お供としてもう一人の新入りの徒弟が追加され、
めだ
な叱陀を徒弟に浴びせはしなかったろう。その代りにもっ 私のその日にかけた望みはすでに半ば徒になった。

S んきゅう
と効目のある寸鉄人を刺すような一語を吐いたであろう。 五山文学に親しんだ人は、康安元年石室善玖が京都万
じゆえん
取り返しのつかぬことであるが、これから見でもあのとき 寿寺に入院したときの入院法一請を記憶しているにちがいな
しっぽ っちどう
老師が私を誤解して、ととさら老師をつけて来た末、尻尾 い。新 A
叩住持が任寺に到着し、山門から仏殿、土地堂、祖
めざわらろう みもゆき
をつかんだという表情で噸笑ったものだと信じて、半ば狼 師堂、そして最後に方丈へと進む道行に、一々述べた美し
ばい
狽しながら、思わずはしたない怒りを見せたのに相連なか い法語が残っている。
った。 山門を指して住持は新命のよろ ζぴに心躍りながら、
きゅうちょうかんけん
それはともあれ、老師の無言は又しでも私の日々にのし ﹁天域九重の内、帝城万寿の門。空手にして関鍵を抜き、
ζんろん
かかる不安になった。老師の存在が大きな力になり、目の 赤脚にして民痛に上る﹂
前をうるさく飛ぴまつわる蛾の影のようになった。法要へ と誇らしげに言うのである。
老いし 'レ時 司

HAJ
招かれるとき老師は一人乃至二人の侍僧を伴うのが例だが、 焼香がはじまり、嗣法師への報恩の香である嗣法香が行
ふうす
もとは副司さんが必ずそのお供をつとめたのに、このごろ われた。むかし脳陣宗が慣例にとらわれず、個人の省悟の系
いわゆるぜんす
では所謂民主化から、副司さん、殿司さん、私ともう二人 譜を何よりも重んじた時代には、師が弟子を決めるのでは
の徒弟との五人の間の廻り持ちになっていた。いまだにそ なく、むしろ弟子が師を選んだのである。弟子は最初に業
うわさ
のやかましさが噂に残っている寮頭は、兵隊にとられたま を受けた師のみならず、諸方の師から印可を受けるが、そ
ま戦死したので、寮頭の役目は四十五歳の副司さんが兼ね の中で心から法を嗣ぐべき師の名を、嗣法香の折の法語で
公けにするのであった。 とっては本来誇らしいととなのだが、鹿苑寺住職は当日の
ぴや︿ついっち
この晴れの焼香の儀式を見ながら、もし私が鹿苑寺を嗣 来賓の上首であった。上首は嗣香がおわると白槌という槌
がんふとにせ
いで、とのような嗣香にたずさわるとき、慣例どおりを師 を打って、新命の住持が贋浮図すなわち艇幼主ではないこ
の名を告げるだろうかと思い迷った。七百年の慣例をやぶ とを﹂証明するのである。
って、私は別の名を告げるかもしれなかった。早春の午後 老師は称えた。
ほうえんりゅうしようしゅう
の方丈の冷ややかさ、立ちこめる五日間香のかおり、三日目足 ﹁法経由氾象衆
ょうら︿ ル﹄うかん
の奥にきらめく醐噴出増や本尊の背をかとむきらびやかな光背 当観第一義﹂と。
ω
りさ
のさま、居並ぶ僧たちの袈裟の色彩、・・:もしいつの日か そして音高く白槌を打った。方丈にひびきわたるその純

私がそこで嗣法の香を焚けば、と私は夢想した。新命の住 音が、私に又もや、老師の持っている権力のあらたかさを
持の姿にわが姿を思い描いた。 思い知らせた。
りんれつ
・そのときとそ、私は早春の潔烈な大気に鼓舞されて、
世にも晴れやかな裏切りでこの慣習を踏みにじるだろう。 私はいつまでつづくか知れぬ老師の無=↓一口の放任に耐え・な
つら
座に列なる僧は、おどろきのあまり口もきけず、怒りのた かった。私に何らかの人間的-な感情があれば、それに対応
めお
めに蒼ざめるだろう。私は老師の名を n kしようとしない。 する感情を相手から期待していけないという法はない。愛
私は別の名を言う Oi---別 の 名 を ? し か し 私 の 本 当 の 省 であれ憎しみであれ。
悟の師は誰だろう。本当の嗣法の師は誰だろう。私は口ご 折ある毎に老師の顔色を伺うのが、私の情ない習慣にな
もる。その別の名は、吃立日に阻まれて容易に出ない。私は ったが、そこには特別の感情は何一つ浮んで来なかった。

﹄も
吃るだろう。吃り・ながら、その別の名を、﹁美﹂と言いか その無表情は冷やかさですらなかった。もしその無表情が
ぶペつ
けたり、﹁虚無﹂と一一一白いかけたりするだろう。すると満庄 侮蔑を意味しているとしても、この侮蔑は私個人に向けら
の笑いが起り、笑いの中に、私はぶざまに立ちすくむだろ れたものではなく、もっと普遍的なもの、たとえば人間性
~Ij:

よノ
0
・:: 一般とかさまざまな抽象概念とかに向けられたものと同じ
金問

l 急に夢想はさめた。老師のするべき事があって、私 であった。

1

0
1
の侍僧としての助けが婆った。とうした席に列なる侍僧に 私はそのころから、強いて老師の動物的な頭の恰好や、
肉体的なみっともなさを思い浮べることにしていた。彼の 学校へ行って、伯木に庖の場所と名をきいた。柏木は理

02
排 便 の 姿 を 想 像 し 、 更 に は 、 あ の 銭 朱 の コ l トの女と寝て 由もたずねずに教えてくれた。その日早速その庖へゆき、

1
ぎおん
いる姿態を想像した。彼の無表情がほどけ、快感にだらけ 祇園の名妓の葉書大の写真の数々を私は見た。
た顔が笑いとも苦痛ともつかぬ表情をうかべるところを空 人工的な化粧の女たちの顔は、はじめは等しなみに見え
想したのである。 たけれど、やがてその中から微妙な性格の濃淡がうかんで
おしろいぺに
つやつやした柔らかい肉が、同じようにつやつやして柔 来、白粉と際脂の同じ仮面を透かして、階さや明るきゃ、
b-
らかい女の肉と融け合って、ほとんど見わけのつか・なくな すばしとい知恵や美しい愚かさや、不機嫌やとめどのない
る有様。老師の腹のふくらみが、女のふくらんだ腹と押し 陽気さや、不幸や仕合せや、それら多様な色調が躍如とし
た︿
合う有様Oi---しかしふしぎなととに、どんなに想像を逗 て来た。ようやく私は求める一枚に行き当った。その写真
ましくしても、老師の無表情はただちに排便や性交の動物 は、庖の明るすぎる電燈のおかげで、光沢紙のおもてに反
ひら
的な表情につながってゆき、その問を埋めるものがなかっ 射を閃めかせ、危うく見のがされそうになったのだが、私
r
nvレ
た。日常のとまかい感情の色合が虹のようにその聞をつな の手の中で反射が納まると、鏡朱のコ lトの女の顔がそこ
ぐのではなくて、一つは一つに、極端から極端へと変貌し に現われた。
た。わずかにその聞をつなぐもの、わずかに手がかりを与 ﹁乙れを下さい﹂
えてくれるものと云つては、あの一瞬の可成卑しい叱陀、 と庖の人に私は言った。
﹁馬鹿者!わしをつける気か﹂があるばかりであった。
思いあぐね、待ちあぐねた末、私はただ一つ老師の憎悪 私がどうしてそれほど大胆になれたかという不思議は、
︿
du ろみ
の顔をはっきりつかみたいという、抜きがたい欲求の虜に その目論見に手をつけてから私が打って変って陽気になり、
なった。その結果思いついた次のような術策は、気遣いじ 説明のつかない喜びに心の勇んだ不思議と、丁度相応じて
ねら
みてもおり、子供っぽくもあり、第一明らかに私に不利を いる。まず考えたのは老師の留守を狙って、誰の仕業とも


ζA
もたらすものであったが、私はもう自分を制することがで わからぬようにする方法だったが、そのうちに昂揚した気
いたずら
きなかった。そんな悪戯が、老師の誤解を進んで裏書する 分は私を駆って、はっきり私の仕業とわかる危険な方法を
ととになるという不利をさえ、かえりみなかったのである。 選ばせるまでになった。
今も朝刊を老師の部屋へ届けるのは私の役目であった。
三月のまだ肌寒い朝、常のように玄関へ新聞をとりに行っ 自室に坐って、学校へゆくまでのその問、鼓動のいよい
もつ
た。懐ろから祇園の女の写真をとり出して、新聞の一つに よ高まるのに任せながら、私はとうまで希望を以て何事か
はさ
挟んだとき、私の胸は高鳴った。 を待ったととはない。老師の憎しみを期待してやった仕業
そてつあさひ
前庭の車廻しの中央に、同い生垣に固まれた蘇鉄が旭を であるのに、私の心は人間と人間とが理解し合う劇的な熱
浴びている。その荒々しい幹の肌は、旭のために鮮明に隈 情に溢れた場面をさえ夢みていた。
ぽだいじゅ
取られている。左のほうに小さな菩提樹がある。帰り遅れ 老師は突然私の部屋へ来て、私をゆるすかもしれ-なかっ
ひわも
た四五羽の鵜がとの校にまつわって、数珠を採み鳴らすよ た。ゆるされた私は、生れてはじめて、鶴川の日常がそう
傘きね む︿
うなひそかな鳴音を立てていた。まだ擦がいるのに私は意 であったような、あの無垢の明るい感情に到達するかもし
外・な感じがしたが、旭のさし入る枝づたいに、どくささや れなかった。老師と私はおそらく抱き合い、お互いの理解
か・な黄いろい胸毛の移るのはたしかに揚だった。前庭の白 の遅かったのを嘆くことだけが、あとに残されるに相違・な
い砂利は静まっている。 かった。
、、、、
私は粗雑な拭掃除のあとの、ととろどころ濡れた廊下を、 短かい聞にもせよ、何故私が乙んなたわけた空想に熱中
足を濡らさぬように注意して歩いた。大書院の老師の部屋 したか、説明するととができない。冷静に考えれば、つま
は、障子をひたと閉さしている。その障子の白がまだ鮮や らぬ愚行のおかげで老師を怒らせ、後継住職の候補から私
まつぎつあるじ
かに見えるほど朝が早い。 の名を抹殺させ、ひいては金閣の主になる望みを永久に失
廊下にひざまずいて常のようにとう言った。 う ζとに・なる糸口を自分でっけながら、私はそのとき金閣
﹁おねがいいたします﹂ への永い執着をすら忘れていた。
いらひら
老師の応えがあった。障子を披いて入って、机の一角に、 私はひたすら大書院の老師の居間のほうへ聴耳を立てた。
かるく折り畳んだ新聞を置いた。老師はうつむいて何か本 何の音もきこえて来なかった。
金閣寺

を読んでいた。私の目を見なかった。・::私は退いて、障 今度は老師の荒々しい怒りを、雷のような大喝を待った。

子を締め、強いて落着いて、自室のほうへゆっくりと廊下 殴打され、蹴倒され、血を流す羽目になっても悔いないだ

0
13
を歩いた。 ろうと私は思った。
しかし大書院のほうはひっそりして、何の物音も近づい -・暗い電燈の下に、無門聞のテキストを手にして、寺

04
て来なかった。::: の者は集まっていた。夜は寒かったが、老師のかたわらに

1
てあぷ n
a 信
小さな手熔りがあるだけだった。演をすする立日がきこえた。
ろうにや︿
その朝いよいよ登校の時刻が来て鹿苑寺を出たときの私 うつむいている老若の顔は影に隈取られ、いいしれぬ無気
の心は、疲れ果て、荒廃していた。学校へ行っても、講義 力なものがどの顔にも漂っていた。新入りの徒弟は、小学
はろくに耳に入らない。教師から質問をうけて、見当外れ 校の教師を昼間勤めている男で、彼の近眼鏡はいつも貧し
ぴりょうす・へ
の返事をしたとき、皆が笑ったが、見ると柏木だけは無関 い鼻梁をとりかかった。
心に窓の外を眺めていた。柏木は私の内心の劇に気づいて 私だけが身内に力を感じていた。少くとも私にはそう思
いるに相違なかった。 われた。テキストをひらいで老師は皆を見まわしたが、私
寺へかえってからも、何の変化も-なかった。寺の生活の の目は老師の目を追った。決して伏目になってはいないと
かぴ
暗い徽くさい永遠性は、今日と明日との聞に、どんな差異 ζろ を 見 せ よ う と し た の で あ る 。 し か し 老 師 の ふ く よ か な
しわ
も懸隔も生れぬように仕組まれていた。月に二度の教典講 鍛に固まれた目は、何の感興もあらわさずに、私を経て隣
ζとどと
義の一日が今日に当っており、寺の者は悉く老師の居間に りの顔へ移って行った。
集まって講義をきくのであったが、私はおそらくその無門 講義がはじまった。どとで講義が私の問題に急転するか
関の講義に託して、老闘が皆の前で私を問責するのだろう と、私はそれのみ待った。耳をそば立てた。老師の甲高い
と信じた。 声がつづいていた。老師の内心の声は何一っきこえては来
そう信じた理由はとうである。今夜の講義で老師と同と ・なかった。 ..
は去は
向って坐るととに、私は、甚だ私に似合わぬととではある
わら
が、一種の男性的な勇気ともいうべきものを自ら感じてい その夜眠れぬままに私は老師を蔑み、その偽善を嘘おう
た。そとで老師は乙れに応えて男性的・な美徳をあらわし、 としたが、次第に兆してくる悔恨が、いつまでも私をとの
た台
偽善を打ち破り、寺の一同の前でおのれの行状を告白して、 ような昂ぶった気持のままに置いてはくれなかった。老師
その上で私の卑劣な行為を問責するだろうと思われたので の偽善に対する軽蔑は、奇妙な具合に私の心弱りと結びつ
ある。 き、ついにはそんな取るに足ら・ない相手と判ったからには、
わまで
詫びを入れても私の負けにはならないと思いつく迄になっ のだ﹄
た。一度昇りつめた急坂を、私の心は足早に駈け下りつつ そう思いつくと私の胸には、突然、得体のしれない喜び
格とdし た の
あった。 が遊った。それから私は愉しい作業に従事した。
はさみ
あしたの朝、謝まりに行とうと私は思った。朝になると、 女の写真を鋲で細かく切り刻み、ノオトの丈夫な紙で二
今日中に謝まりに行乙うと思った。老師の表情には依然変 重に包んで、これを握りしめて金閣のほとりへ行ったので
化が見られなかった。 ある。
風のさわがしい日であった。学校からかえって、何気な 金閣は風のさわぐ月の夜空の下に、いつにかわらぬ暗彰
ひきだし そぴ
し に 机 の 拍 斗 を あ け た 私 は 、 白 い 紙 K包まれたものを見た。 な均衡を湛えて釜えていた。林立する細身の柱が月光をう
げん射針
包んであったのは、例の写真である。包み紙には一字も書 けるときには、それが琴の絃のように見え、金閣が巨きな
かれていなかった。 異様な楽器のように見えるととがある。月の高低によって
老師はとんな方法で事件に結着をつけたつもりらしかっ そう見えるのだが、今夜がまさにそうであった。しかし風
ひ象
た。はっきりと不聞に附したわけではないが、私に行為の は決して鳴らない容の、絃の隙をむ-なしく吹き過ぎた。
無効を思い知らせたつもりらしかった。しかし写真のこの 私は足もとの小石をひろった。紙に小石を包み入れ、墜
にわ おも
奇妙念返し方は、俄かに群がる想像を私に与えた。 固に絞った。こうして細かく刻まれ鏡りをつけられた女の
﹃老師もやっぱり苦しんだにちがいない﹄と私は思った。 顔の断片を、鏡湖池の池心へ投げ入れた ω のびやかにひろ
みすわ
﹃並々-ならぬ思い煩いの果てに、こんな手を考え出したの がる波紋は、水際の私の足もとへやがて届いた。
にちがい・ない。今や確かに彼は私を憎んでいる。多分写真

**
*
そのものについて憎んでいるのではなく、こん-な一葉の写
真が老師をして、自分の寺の中で人目を忍ぶ思いをさせ、 その年の十一月の私の突然の出奔は、すべてこれらのこ
人のいない隙に忍び足で廊下を歩かせ、行った乙とも・ない とが累積した結果であった。
金閣寺

徒弟の部屋を訪れさせ、まるで犯罪を犯すように私の机の 後から思うと、突然に見える ζ の出奔にも永い熟慮とた


抽斗をあけさせたこと、まさにそんな卑しい恰好をせねば めらいの時期があったが、私はそれを出しぬけの衝動にか

I号
α
なら‘なかったことで、老師は今十分に私を憎む理由を得た られてやった行為だと考えるほうを好む。何か私の内に根
本的に衝動が欠けているので、私は衝動の模倣をとりわけ 中、十四時間を数えるにすぎない。予科二年の成績は総点

06
好む。たとえば、父親の墓参りに行 ζうとして、前の晩か 数六百九十三一点で、席次は七十七人中三十五番に落ちた。

1
ら計画を立てていた男が、当日になって家を出て、駅の前 しかし私が暇つぶしの金もないのに、ただ講義に出ないと
まで来たときに、突然思い返して呑み友達の家へ行ってし いう閑暇のたのしみのためにだけ学校を怠けだしたのは、
まうというような場合、彼を純粋に衝動的な男だと云えょ 三年に・な弓てからであり、 ζの新学期は、あたかも写真の
うか?彼のその突然の心変りは、それまでの永い墓参の 事件のすぐあとではじまったのである。
ふ︿しゅう
準備よりももっと意識的な、自分の意志に対する復讐の行 第一学期がおわったとき、学校から注意があり、老師は
しっせき
為ではあるまいか? 私を叱責した。成績がわるく、欠席時間の多いととも叱責

私の出奔の直接の動機は、その前日、老師がはじめて、 の理由であったが、一学期にわずか三日聞が充てられてい
決然たる口調で、 る接心を怠ったととが、老師をいたく怒らせた。学校の接
﹁お前をゆくゆくは後継にしようと心づもりしていたとと 心は、夏休みと冬休みと春休みの前に各三二日ずつあり、
もあったが、今ははっきりそういう気持がないととをきロう 諸事専門道場と同じ型式で行われるのであった。
まれ
て置く﹂ との叱責は老師が殊更私を自室に招いた稀な機会だった。
と明言したその言葉に懸っていたが、宣告されたのはと 私はただうなだれて、無言でいた。ひそかに心待ちしてい
さかの E
れが最初とはいえ、私はずっと前からとの宣告を予感し、 たととは一つであるのに、老師は写真の件にも、遡って娼
ゆすり
覚悟していた筈である。私は寝耳に水の宣告をうけたので 婦の強請の件にも一言も触れなかった。
ろうばい
はない。それに今更仰天し、狼狽したわけではない。にも しかしとのときから老師の態度は、私に対して目立って
かかわらず、私は自分の出奔が、老師のとの言葉に触発さ よそよそしくなった。いわばそれは私の望んだ成行であり、
ねが
れ、衝動によって行われたと考えるほうを好む。 私の見ょうと希っていた証跡であり、一種の私の勝利であ
写真の術策で老師の憎しみを確かめ得てから、自に見え ったが、しかもとれを獲るためには怠けるだけで足りたの
て私は学業をおろそかにしはじめていた。予科一年の成績 である。
は、華語、歴史の八十四点を筆頭に、総点七百四十八点で、 三年の一学期間の私の欠席時聞は、六十数時聞に及んで
席次は八十四人中二十四番である。欠席は四百六十四時間 いたが、これは一年の三学期をあわせた欠席時間のほぼ五
たの
倍である。それほどの時間を、本を読むでもなし、娯しみ りがあるように思われた。
せんたん
に費う金も・なく、時たま柏木と話すほかには、私は一人で 私は一つの草の葉の尖端の鋭角について永いあいだ考え
わか
何もせずにいた。大谷大学の記憶が無為の記憶と頒ちがた ていたとともある。考えていたというのは適当では・ない。
くなったほど、黙りこくって、一人で何もせずにいた。と そのふしぎな些細な想念は決して持続せず、生きていると
んな無為も私流の一種の接心であったのか、そうしている も死んでいるともつかぬ私の感覚の上に、リフレインのよ
あいだ、私は片時も退屈を知らなかった。 うに執働に繰り返して現われたのである。なぜとの草の葉
あり
草に坐って、数時間も、とまかい赤土を運ぶ蟻の巣の営 の尖端が、とれほど鋭い鋭角でなければならないのか。も
みを眺めていたとともある。蟻が私の興味を惹いたのでは し鈍角であったら、草の種別は失われ、自然はその一角か
ない。学校の裏手の工場の煙突があげる薄い煙を、永いと ら崩壊してしまわねばならないのか。自然の歯車の極小の
みほう
と見呆けていたとともある。煙が私の感興をそそったので ものを外してみて、自然全体を転覆させるととができるの
τAU いたず
はない。・・私は自分という存在に首までどっぷり浸って ではないか。そしてその方法を、私は徒らにあれこれと考
いるような気がした。外界のととろどとろが冷え、また熱 えたりした。
まだ
していた。そうだ、何と云ったらいいか、外界が斑らをな ││老師の叱責は忽ち洩れて、寺の人々の私に対する態
帥りわねた
し、又、縞目をなしていた。自分の内部と外界とが不規則 度は日ましに険しくなった。私の大学進学を嫉んでいた例
にゆるやかに交代し、まわりの無意味な風景が私の自に映 の徒弟は、いつも勝ち誇った薄ら笑いで私を眺めた。
ちんKゅう
るままに、風景は私の中へ闘入し、しかも悶入しない部分 夏も秋も、余人とほとんど口をきか・ない私の生活が寺内
か傘えはつらつきら
が彼方に滋測と短めいていた。その爆めいているものは、 でつづいた。私が出奔した前日の朝、老師が副司さんに命
﹃いしみ
ある時は工場の旗であったり、塀のつまらない汚点であっ じて私を呼んだ。
たり、草聞に捨てられた古下駄の片方であったりした。あ 十一月九日のことである。私は登校前であったので、制
らゆるものが一瞬一瞬に私の内に生起し、又死に絶えた。 服を着て、老師の前へ出た。
金閣寺

あらゆる形をなさない思想が、と云おうか。:::重要なも 老師の本来福々しい顔は、私と会い、私にものを言わね
のが比一一末なものと手をつなぎ、今日新聞で読んだヨーロッ ばならぬという不快で、異様に固く凝縮していた。私はと

(
1Jl
らいしゃ
パの政治的事件が、目前の古下駄と切っても切れぬつなが いえば、老師の目が繍者を見るように私を見ることが快か
九凡ーな
ったのである。これこそは私が望んだ人間的感情を滋えた ﹁何にもならんととじゃ。益もない事じゃ﹂


日なのだ。 私はこの時ほど現世を完全に見捨てた人の顔を見た ζと

(
1
てあぷ
老師はすぐ目を外らし、手焔りの上で手を採み合わせな がない。生活の細目、金、女、あらゆるものに一々手を汚

がら語った。その柔らかい掌の肉が摺れ合う音は、初冬の し・ながら、これほどに現世を侮蔑している人の顔を見たと
かす しかばね
朝の空気のうちに、徴かだが、清澄をみだす耳ざわりなも とがない。::・私は血色のよい温かみのある屍に触れたよ
殺しよう
のにひ。ひいた。和尚の肉と肉とは、必要以上に親密な感じ うな嫌悪を感じた。
・ J20 そのとき、自分のまわりにあるすべてのものから、しぼ
DlLJ白

﹁亡くなったお父さんは、どないに悲しんでいられるやろ。 らくでも遠ざかりたいという痛切な感じが私に湧き起った。
この手紙を見てみい。学校から又きつう一言うてよ ζした。 老師の部屋を辞したのちも、たえずそれを考えたが、との
そないなことで、末はどうなると思うか、自分でよう考え 考えはますます激しくなった。
てみるのゃな﹂││それから、引きつ つ
e
いてあの言葉を言 風呂敷に仏教辞典と、柏木にもらった尺八を包んだ。
かばん
ったのである。﹁お前をゆくゆくは後継にしようと心づも 鞄と共にこの包みを提げて学校へ急ぐあいだ、私はひた
りしていたとともあったが、今ははっきりそういう気持が すら出発のととだけを考えた。
ない ζとを言うて置く﹂ 校門を入ると、折よく材木が私の前を歩いていた。私は
私は永いあいだ黙っていて、 ζう言った。 柏木の腕を引いて通路の端へ連れてゆき、三千同の借金を
﹁私をもうお見捨てになるのとちがいますか﹂ 申込んだ。そして仏教辞典と貰った尺八とを、何かの足し
老師は即答し一-なかった。やがて、 に、引取ってくれとたのんだ。
﹁そうまでして、まだ見捨てられたくないと思うか﹂ 柏木の顔からは、いつもの逆説を述べるときの営学的爽
私は答えなかった。しばらくして、我知らず、吃りなが 快さともいうべきものが拭い去られた υ小さくすぼまった、
ら別事を言った。 煙るような目つきで私を見た。
﹁老師は私のととを間々まで知っておられます。私も老師 ﹁ ρムレ yト 劇 の 中 で レ イ ア テ ィ l ズ の 父 親 が 、 息 子 に 何
のことを知っておるつもりでございます﹂ て忠告したかお、ほえているか?﹃金は借りてもいけず、貸
﹁知っておるのがどうした﹂││和尚は暗い自になった。 してもいけない。貸せば金がなくなり、あわせて友を失
の。
う﹄とさ﹂ ﹁何から遁れたいんだ﹂
﹁僕にはもう父親はおらん﹂と私は言った。﹁だめならい ﹁什分のまわりのもの凡てから逃げ出したい。自分のまわ
いんだ﹂ りのものがぶんぶん匂わしている無力の匂いから。:::老
﹁まだだめだと一言ってやしないよ。ゆっくり相談しよう。 師も無力だ。ひどく無力なんだ。それもわかった﹂
今俺の金を掻き集めて、三千同あるか、どうか﹂ ﹁金閣からもか﹂
やり︿ち
私は思わず、活け花の師匠からきいた柏木の遺口、女か ﹁そうだよ。金閣からもだ﹂
ら金を絞る巧みな遺口を言い立てようとして、差控えた。 ﹁金閣も無力かね﹂
﹁まずその字引と尺八の処分を考えようや﹂ ﹁金閣は無力じゃない。決して無力じゃない。しかし凡て
-
eぴす
柏木はそう一言うと、忽ち騒を返して校門へ向ったので、 の無力の恨源なんだ﹂
私も引返し、歩度を緩めて彼と並んで歩いた。柏木は、例 ﹁君の考えそうなととだ﹂
の光クラプの学生社長が闇金融容疑で検挙されたのが、九 と柏木は、歩道を例の大袈裟な舞踏の足取で歩きながら、
月に釈放されてから、信用がガタ落ちになって難儀してい ひどく愉快そうに舌打ちをした。
乙つ白 P今 や
るそうだという話をした。乙の春ごろから光クラプ社長は 柏木の導くままに、われわれは寒々とした小さ・な骨董屋
ひどく柏木の興味を惹いており、私たちの話題にしばしば へ入って尺八を売った。四百田にしか売れなかった。次い
現われたが、彼を社会的強者だと信じ切っていた柏木も私 で古本屋へ立寄って辞典をょうようのこと百円で売った。
も、わずか二週間後に彼が自殺しようとは予期していなか のとりの二千五百円を貸してくれるために、柏木は私を自
っ非凡。 分の下宿へ伴った。
﹁何に使う金なんだ﹂ そこで彼は奇妙な提案をした。尺八は返してもらったも
合M
突然そう訊かれた私は、さても柏木らしからぬ質問だと のであり、字引は贈物と考えて、二っとも一旦柏木に帰属
思った。 したものだから、それを売った五百同はやはり柏木の金で、
:
j
!


ど ζかへ、ぶらつと旅に出たいんだ﹂ 三千五百円にこれを加えて、貸金は当然三千円になる o返
金閲

﹁帰って来るのか﹂ 却まで、利子を毎月一割ずつ貰いたい。光クラプの月一一一割

0
19
﹁多分・・﹂ 四分の高利に比べれば、ほとんど思恵的な低利である。
bdζ
す手 たんぽ︿
:::彼は半紙と硯箱をもち出して、これらの条件をおどそ て、冷たい蛋白いろの雲が沈痛な光りを含んで乱れている

110
aB いん
かに書き、との借用証に私の掃印を求めた。私は未来のと 空の下に、京都西郊の山々が見渡された。
n
hvし
とを考えるのがいやだったので、直ちに栂指を印肉に染め 建勲神社は信長を主祭神とし、信長の長子信忠を配配し

て捺した。 た社である。簡素な社だが、拝殿をめぐる朱いろの欄干だ
││私の心は急いでいた。三千同を懐ろにして柏木の下 けが色どりを添えている。
たていきお さいぜんぽ ζ
宿を出ると、電車に乗って船岡公園前で下車し、建勲神社 私は石階を登り、礼拝して、寮銭箱の績に渡してある棚
へ向う迂回した石段を駈け昇った。そ乙の御みくじで旅先 の上の古い六角の木箱を手にとった。木箱を振った。孔か
の暗示を得ょうと思ったのである。 ら細く削った竹の一本を振り落した。それには墨で、
よしてるいap
石段の昇りぎわに、右手に義照稲荷神社のけばけばしい ご四﹂
朱いろの社殿や、金網に入っている一対の石の狐が見えた。 とだけ書いてある。
ヲょや
狐は巻物を口にくわえ、鋭く立てた耳の中も朱に塗られて 私は腫を返した。﹁一四、:::一四、::・﹂と咳き去が


。。
おん
ら石階を下りた。その数字の音は私の舌に停滞して、徐々
薄日のひまに、時折ひらめく風の肌寒い日である。昇っ に意味を帯びるように思われた。
てゆく石段の石の色が、とまかく灰が降ったように見える 社務所の玄関で、案内を乞うた。水仕事をしていたらし
主ろ MV
のは、木かげを洩れる弱日の色だ。その光りはあまりにも い中年の女が、外した前掛で執鋤に手を拭い‘ながら現われ
弱いので、汚れた灰のように見えるのだ。 て、私のさし出す規定の十同を無表情にうけとった。
しかし建勲神社のひろびろとした前庭に出たときには、 ﹁何番どす﹂
そとまで一気に駈け昇ってきた私は汗ばんでいた。正面に ﹁十四番です﹂
いしだたみ
拝殿につづく石階がある。とれに向って平坦な楚がのび ﹁その縁のところでお待ちやす﹂
ている。左右から低くわだかまる松が、参道の空に伏して 私は濡縁に腰かけて待った。こうして待つうちに、あの
いる。右側には木壁の色の古い社務所があり、玄関の戸に 濡れたひぴわれた女の手で運命が決せられるのは、いかに

﹁運命研究所﹂という札がかけてある。社務所から拝殿寄 も無意味に息われたが、そういう無意味に賭けるつもりで
りに白い土蔵があり、そとからはまばらな杉木立がつづい 来たのだから、それもよかった。締めた障子の中で、大そ
かん
うあけにくい古い小抽斗の環のぶつかる音がし、紙をめく ある。
る音がした。やがて障子が小さくあけられ、 私は前庭を掃いていた。鞄一つ持たずに、乙とから突然
﹁へえ。どうぞ﹂ 神隠しに会ったように、旅へ出てゆくのが私の目論見だっ
ほのじろほうき
と一枚の薄紙がさし出されて、又障子は閉った。紙の一 た。しののめの灰白い砂利道の上に私と帯が動いている。
角の女の指あとは濡れていた。 突如として帯は倒れ、私の姿は消え、あとには薄明の・なか
それを読む。﹁第十四番凶しと書いてある。 に白い砂利道だけが残される。そういう風に出発せねばな
い重し ζ ζにあらばっひにやそかみに降ろぼされ会むと
﹁汝有此問者遂為八十神所滅 らぬと私は夢みていた。
れ制限︿にぬしのみととみおやの
焼石はめ矢等の困難苦節にあひ給ひし大国主命は御祖 私が金閣に別れを告げ、なかったのもとのためだ。金閣を
かみ
神の御教示によって此の国を退去すべくひそかにの 含む私の金環境から、私だけが突如として奪い去られる必
がれ給ふ兆﹂ 要があったのだ。徐々に総門のほうへ向って私は掃いた c
ζずえ
解説は、あらゆる事の不如意と、前途に横たわる不安と 松の梢の聞に暁の星が眺められた。
おそ
を説いている。私は怖れなかった。下段についているあま 私の胸は高鳴った。出発せねば・ならぬ。乙の言葉はほと
はばた
たの項目のうちの旅行という項を見る。 んど羽樗いていると云ってよかった。私の環境から、私を
﹁旅行il凶。殊に西北がわるし﹂
いまかんか
縛しめている美の観念から、私の憾何不遇から、私の吃り
と書いてある。私は西北へ旅をしようと思ったじ から、私の存在の条件から、ともかくも出発せねばならぬ。
ぎようあん
手から需は、果実が離れるように自然に、暁閣の草むら
**
*

の中へ落ちた。木がくれに総門のほうへ私は忍び足で歩き、
つるが
敦賀行は京都駅を午前六時五十五分に発つ。寺の起床は 総門を出ると一散に駈けた。始発の市電が近づいてきた。
五時半である。十日の朝、私が起きてすぐさま制服に清か まばらな労働者風の客にまじって、私は車内の明るい電燈
いぷ
えても、誰も訪から・なかった。誰もが私を見ないふりをす を晴れがましく浴びていた。こんなに明るいととろへ来た
金閣寺

ることに馴れていたのである。 ととがなかったような気がした。
かわたれどきの寺のそとかしこへ散らばって、人々は掃

1
11
除や雑巾掛けにとりかかった。六時半までが掃除の時間で その旅の詳細は今も脳裡にまざまざと思いうかべるとと
ができる。目的地も知らずに出奔したのではない。目的地 移動してゆくという、この信じられぬ思いを保証するには、
9u
は中学時代に一度修学旅行をした地方に決めた。しかしそ そうとしか言いようがない。鹿苑寺の夜、花園ちかくを行刀
とへ向って徐々に近づくあいだ、出発と解放の思いがあま きすぎる貨物列車の汽笛を何度か聴いたが、私の遠方を、
りに強かったので、私の前には未知だけしかないかのよう あのように夜も昼も確実に疾駆していたものに、私が今乗
だつた。 っていようとは不思議でしかなかった。
u'Pど
会 守んじよう
汽車のゆくその線は、生れ故郷へ向う馴染の路線である
Aザ
汽車は普病んだ父と一緒に見た群青の保津峡に沿うて走
すす あたど
のに、古びて煤けた列車が、これほど新鮮なものめずらし った。愛宕連山と嵐山の西側、 ζ こから園部あたりまでの
せっa
zん
い姿で眺められたことは・なかった。駅、汽笛、朝まだきの 問の地域は、おそらく気流の影響で、京都市とは毅然と気
拡声器のだみ声の反響までが、同じ一つの感情をくりかえ 候がちがった。十月、十一月、十二月の期間、夜の十一時
し、それを強め、目もさめるばかりの持情的な展望を私の から朝の十時ごろまで、規則正しく、保津川から上る霧が
前にひろげた。旭は広大なプラットフォームを区切ってい との地方を限なく包んだ。その霧はたえず流動していて、
nE
た。そこを駈ける靴音、弾ける下駄の音、じっと単調に鳴 途切れるのは稀であった。
みかん ひらあぜ
りつ つ
e
けるベル、駅売の飽からさし出される蜜柑の色::・ 回闘は-おぼろげに展き、刈田は青徽の色に見えた。畦の
aBAB
乙れらすべてが、私の身を委せた大きなものの一つ一つの まばらな立木は、高低も大小も思い思いで、枝葉は高みに
せいろう
暗示、一つ一つの予兆のように思われた。 刈り込まれ、細い幹がいずれもこの地方で蒸縫と呼ばれる
つみわら
駅のどんな些細な断片も、別離と出発の統一的な感情へ 積藁で聞まれているので、それらが順繰りに霧の中から現
向って、引き絞られ集められていた。私の目の下に後方へ われるさまは、木々の幽霊のようであった。又、あるとき
おうよう
しりぞくプラットフォームは、いかにも鷹揚に、礼節正し は車窓の日近に、ほとんど視野の利かぬ灰色の田畑を背に
ひともと
く退いた。私は感じていた。とんなコンクリートの無表情 して、大そう鮮明な一本の大きな柳が、濡れそぼった葉を
な平面が、そとから動き、離れ、出発してゆくものによっ 重たげに垂らし、かすかに霧に揺られながら、現われたり
て、どんなに輝やかしくされているかを。 Tし非凡。
&か
私は汽車に信頼した。とれは可笑しな言い方だ。可笑し 京都を発っときあのようにいきいきとしていた私の心は、
な言い方だが、自分の位置が京都駅から少しずつ毒さかり 今また死者たちの追憶へ噂かれた。有為子や父や鶴川の思
a,企mw
い出は、云うに云われぬやさしさを私の裡に呼びさまし、 ととです﹂
私は死者をしか人間として愛するととができないのかと疑 きくともなく私はきいた。かれらの会話にたびたび金閣
われた。それにしても死者たちは生者に比べて、何と愛さ 寺や銀閣寺の名の出るのを。
れ易い姿をしている ζと か ! 金閣寺や銀閣寺には、うんと寄附をさせなければならぬ
あまり混んでいない三等の客車にも、愛されにくい生者 というのが、彼らの一致した意見だった。収入は銀閣のほ

たちは、あわただしく煙草を吹かしたり、蜜柑の皮を剥い うが金閣の半分ほどであるが、それでも莫大な金額である。
たりしていた。どこかの公共団体の年とった役員が隣りの 一例が金閣の年間収入は五百万円以上と思われるが、寺の
座席で大声で話している。いずれも古い無恰好な背広を着 生活は禅家の常で、電気代と水道代を入れても、一年にこ
た会
ており、一人の袖口からは縞の裏地のやぶれたのが顔を出 十万円の余しかかからない。貯った金をどうするかという
している。私は凡庸さというものが年齢を重ねても、少し と、小僧たちには冷飯を喰わせて・おいて、和尚一人が毎晩

も衰えぬのに改めて感心した。百姓風のそれらの日に焦け 祇園へ出かけて使っている。それで税金もかからないのだ
た簸の太い顔は、酒に荒されただみ声と共に、一種の凡庸 から、治外法権も同じである。ああいうと ζろからは、容
ζもども
の精華ともいうべきものをあらわしていた。 赦なく寄附を要求せねばならぬ。と交互言った。
かれらは、公共団体に寄附させるべき人々の論評をして 例の禿頭の老人は、あいかわらず手を手巾で拭い・ながら、
いた。一人のおちついた禿頭の老人は、話に入らずに、何 話の切れ目に来ると、
ハシカチ
万遍洗濯したかしれない黄ばんだ白麻の手巾で、しきりに ﹁困った ζとです﹂
手を拭っていた υ と言ぃ、それがみんなの結論になった。拭かれぬき隣か
ばいえん
﹁との黒い手。煤煙で自然に汚れて来ますのや。闘ったと れぬいた老人の手は、煤煙のあともなく、恨附のような光
とです﹂ 沢を放っていた。実際その出来合の手は、手というよりも
別の一人が話相手になった。 むしろ手袋と云ったほうがよかった。
金閣寺

﹁あなた、煤燥の問題で一度新聞に投書されたととがあり 奇妙なととであるが、これは私の耳に入った世間の批評
ぞろりょ
ましたな﹂ のはじめてのものであった。私たちは僧侶の世界に属して

1
13
﹁いいや﹂と禿頭の老人は否定した。﹁ともかく、困った おり、学校もまたその世界に在って、お互いの寺の批評を
する ζとがなかった。しかし老いた役員たちのとんな会話 かは知れなかった。しかし志楽村ですごした少年期から、

14
は、少しも私をおどろかさ-なかった。それらはみんな自明 それは見えざる海の総称であり、ついには海の予感そのも

1
の事柄だった 1 私たちは冷飯を喰べていた。和尚は祇園 のの名になったのだ。
へ通っていた。:::が、私には、老役員たちのこうした理 その見えざる海も、志楽村のうしろに聾える青葉山頂か
解の仕方で、私が理解されるととに対する、云わん方ない らはよく見えた。私が青葉山に登ったのは二度である。二
れんどう
嫌悪があった。﹁かれらの言葉﹂で私が理解されるのは耐 度目のとき、私たちは折しも舞鶴軍港に入っていた聯合艦
えがたい。﹁私の言葉﹂はそれとは別なのである。老師が 隊を見たのだった。
n, 、 ぜ い ぞ ろ い
てい
祇園の芸妓と歩いているのを見ても、私が何ら道徳的な嫌 きらめく湾内に碇泊している艦隊は、秘密の勢揃をして
悪にとらわれなかった ζとを思い出してもらいたい。 いたのかもしれない。との艦隊にまつわるととはみんな機
老役員たちの会話は、とうしたわけで、私の心に、凡庸 密に属し、私たちはほとんどそういう艦隊が本当に存在す
さの移り香のようなもの、かすかな嫌悪だけを残して飛び るのかを疑っていたほどである。だから遠望された聯合艦
去った。私は自分の思想に、社会の支援を仰ぐ気持はなか 隊は、名のみ知っていて写真でしか見たととのない威厳の
わ︿ ‘尼崎り
った。世間でわかりやすく理解されるための枠を、その思 ある黒い水鳥の群が、人に見られているとは知らずに、威

aR りたの
想に与える気持も-なかった。何度も言うように、理解され 威しい老烏の警戒に護られて、そ乙でひそかな水浴を娯し
ないというととが、私の存在理由だったのである。 んでいるように見えたのである。
││突然扉がひらいて、塩辛声の物売りが胸から大きな ・::列車の車掌が次の駅の﹁西舞鶴﹂の名をふれまわる
かた
範を下げて現われた。俄かに空腹を思い出した私は、米飯 声に私は呼びさまされた。あわただしく荷を担げる水兵の
めんるい
の代りに海草で作ったらしい緑いろの麺類を詰めた弁当を 乗客も今はなかった。降り仕度をはじめたのは、私のほか
買って喰ぺた。霧は晴れたが、空には光りがなかった。丹 には、二三の闇屋風の男だけであった。
hγζ うぞ
波の山ぎわの痩せた土に、格の木を植えた紙っくりの家々
が見えはじめた。 すべてが変っていた。そとは英語の交通標識がおびやか
砂金k-ち
すように、そこかしとの街角に秀でている外国の港市にな
ゆきき
舞鶴湾。この名は士自にかわらず私の心をそそった。何故 っていた。多くの米国兵が往来していた。
初冬の曇った空の下に、冷たい微風が塩気を含んで、ひ 川の流れる姿なりに、河口まで導かれるのである。
ろい軍用道路を吹き通っていた。海の匂いというよりは、 私は市街を出て、歩きだした・・。
無機質の、錆びた鉄のような匂いがしていた。町の只中で
きようあい
深く導かれている運河のような狭随な海、その死んだ水面、 歩きながら足が疲れてくると、とんな風に自分に問うた。
つ老
岸に繋がれたアメリカの小艦艇、・・とこにはたしかに平 ﹃由良に何があるのか?.どんな明証にぶつかるために、
和があったが、行き届きすぎた衛生管理が、かつての軍港 私はとうしてせっせと歩いているのか?あそこには裏日
の雑然とした肉体的な活力を奪って、街全体を病院のよう 本の海と、人のいない浜とがあるだけではないか﹄
な感じに変えていた。 しかし私の足は滞る気配がなかった。どこかへ、どこで
私はここで海と親しく会おうとは忠わなかった。ジープ あろうと、私は到達しようとしていた。私の行とうとして
がうしろから来て面白半分に、私を海へ突き落すかもしれ いる場所の地名には、何の意味もなかった。何ものであろ
-なかった。今にして思うのだが、私の旅の衝動には海の暗 うと、到達したものに直面する勇気、ほとんど不道徳な勇
示があり、その海はおそらくとんな人工的な港の海ではな 気が私に生れていた。
けやき
くて、幼時、成生岬の故郷で接していたような、生れたま 時折気まぐれに薄日がさし、道ばたの大きな棒が、薄い
きめあら じんぜん
まの姿の荒々しい海であった。肌理の組い、しじゅう怒気 木洩れ日の下へ私を誘ったが、何故ともしれず、私は荏誇
いらだ
を含んでいる、あの苛立たしい裏日本の海なのであった。 と時を移し身を休める暇が・ないような気がした。
ゆらにぎ
だから私は由良へ行とうとしていた。夏は海水浴で賑わ 川の広大な流域へ近づいてゆく風景のなだらかな傾斜は
う浜も、この季節にはさびれていて、ただ陸地と海とが、 なくて、由良川は山のはざまの道から、突然その姿を現わ
せめ
暗いカで附ぎ合っているに相違なかった。西舞鶴から由良 した。川水は背く、川幅は広いのに、流れがどんよりとし
へゆく道は、ものの三塁もあったが、私の足はうろ覚えに て、曇り空の下に、それは徐々に不本意に海のほうへ運ば
覚えていた。 れてゆくかのようだつた。
金閣寺

道は舞鶴市から湾の底部に給うて西へ向い、宮津線と直 川の西岸へ出ると、自動車のゆききも人のゆききも絶え
角に交わり、やがて滝尻峠をこえて、由良川へ出る。大川 た。道ぞいに夏蜜柑の畑がときどき見られたが、人の影は

1
15
橋を渡ったのちは、由良川の西岸ぞいに北上する。あとは 射さなかった。和江という小さな部落があったが、そ乙で
めら A7Lh
も草をかきわける音が俄かにして、鼻先の毛の黒い犬が顔 洲を露わにした υ川水は確実に海へ近づき、潮に犯されて

6
おもて

1
を出したきりである。 いるのだが、水の両はますます沈静に、何の兆もうかべて

1
さんしようだゅう
このあたりの名所とては、由緒の怪しい山椴太夫の邸跡 いなかった。失神したまま死んでゆく人のように。
せ牢
というのがあるととを、私は知っていた。そこへ立寄る気 河 口 は 意 外 に 窄 ぃ 。 そ ζに融け合ぃ、犯し合っている海
たいぜき
もなかったので、私はいつのまにかその前を行き過ぎた υ
は、空の階い雲の堆積にまぎれ人り、不明瞭に横たわって
たけやぷ
川のほうばかりを眺めていたせいである。川中に竹薮に包 いるだけである ο

まれた大きな洲があった。私のゆく道には風がないのに、 私が海を触知する Kは、野や田畑をわたってくる烈風に
洲の竹薮は風にひれ伏していた。天水で耕す二一町歩の田 むかつて、なおしばらく歩かなければならなかった。風が
が洲の上にあったが、農夫の姿は・なくて、一人、とちらへ 北の海を隈なく描いた。こんなに厳しい風が、人の気配も
背を向けて釣糸を垂れている人が見えた。 ない野の上に、とのように浪費されているのは、海のため
私は久々に見る人影に親しみを抱いた。 だった。それはいわば ζの地方の冬を覆うている気体の海、
ぽら
﹃鱗釣りだろうか。もし釣っているのが縦だとすると、と 命令的な支配的な見えざる海・なのであった。
とはもう河口から遠くない筈だ﹄ 河口のむ乙うに幾重にも畳まれていた波が、徐々に灰色
そのとき、ひれ伏している竹蔽のざわめきが川音をこえ の海面のひろがりを示した。山高帽のような形をした島が、
て高まり、そとに霧の立つようにみえたのは雨らしかった。 河口の正聞にうかんで来た。それは河口から八里の冠島で、
せいそ︿ち
雨滴が洲の乾いた河原を染めた。と思う聞に、私の上へお 天然記念物の大みずなぎ鳥の棲息地である。
ちかかる雨があった。私が濡れながら見る洲の上には、も 私は一つの畑に踏み入っていた。周囲を見まわした。荒
う雨の気配はなかった。釣をする人はさっきの形のまま、 涼たる土地だった。
し F、れ ひら
身じろぎもしーなかった。そして私の上の時雨も過ぎた。 そのとき何かの意味が私の心に閃めいた。閃めくかと思
すずき たたず
さや秋草は、道の曲り角どとに私の視野を覆うていた。 うと消え去り、意味は失われた。しばらく作んでいたが、
しかし河口が、目の前にひろがるのは近かった。大そう寒 吹きつける冷たい風が私の思考を奪った。私は又風に逆ら
い潮風が鼻を持って来たからである。 って歩きだした。
とうぷち
由良川は終りへ近づくほどに、いくつかのうらさびしい 痩せた畑地は石の多い荒蕪地へつづき、野の草は半ばは
こけ
枯れ、枯れていない緑は、土にへばりついている苔のよう それは正しく裏日本の海だった!私のあらゆる不幸と
な雑草だけで、その雑草の葉もちぢれて、ひしゃげていた。 暗い思想の源泉、私のあらゆる醜さと力との源泉だった。
そ乙らはすでに砂まじりの土であった。 海は荒れていた。波はつぎつぎとひまなく押し寄せ、今来
ふる しんえん
傑 え る よ う な 鈍 い 音 が し て い た 。 人 声 が き ζえた。それ る波と次の波との聞に、なめらかな灰色の深淵をのぞかせ
あむ
をきいたのは、思わず私が烈風に背を向けて、背後の由良 た。暗い沖の空に累々と重なる雲は、重たさと繊細さを併
ヶ搬を仰いでいたときである。 せていた。というのは、境界のない重たい雲の累積が、こ
ありかが ωり ささぺり
私は人の在処を探した。浜へ下りるには、低い崖。ったい の上もなく軽やかな冷たい羽毛のような笹縁につづき、そ
しんしょ︿
に下りる小径があった。そとで甚だしい浸蝕に抗して、ぼ の中央にあるかなきかの灰青い空を囲んでいたりした。鉛
そぼそと護岸工事が行われているのがわかった。白骨のよ いろの海は又、黒紫色の岬の山々を控えていた υすべての
うにコンクリートの柱があちこちに乙ろがっていたが、砂 ものに動揺と不動と、たえず動いている暗い力と、鉱物の
の上のその新らしいコンクリートの色は妙にいきいきと見 ように凝縮した感じとがあった。
えた。傑える鈍い音は、枠に流し込んだセメントを震動さ ふと私は、柏木がはじめて会った円に、私に一言った言葉
せているコンクリート・バイブレータ 1 の音であった。鼻 を思い出した。われわれが突如として残虐になるのは、う
の頭を真赤にした四五人の工夫が、学生服の私を一設かしそ ららかな春の午後、よく刈り込まれた芝生の上に、木洩れ
うに見た。 陽の戯れているのをぼんやり眺めているような、そういう
私もちらとそちらを見た。人間同士の挨拶はこれで済ん 瞬間だと言ったあの言葉を。

。 今、私は波にむかい、荒い北風にむかっていた。うらら
すりばちがたも 6 かとうがん
海は砂浜から摺鉢形に急激に陥ち込んでいた。花樹岩質 かな春の午後も、よく刈り込まれた芝生もここにはなかっ
ひる
の砂を踏んで、波打際へむかつて歩くあいだ、私はさっき た。しかしこの荒涼とした自然は、春の午さがりの芝生よ
心にひらめいた一つの意味へ向って、確実に一歩々々近づ りも、もっと私の心に娼ぴ、私の存在に親密なものであっ
いてゆくという喜びに再び襲われた。烈風は冷たく、手袋 た。ととで私は自足していた。私は何ものにも脅やかされ
金閣

をしていない手はほとんど凍えていたが、何程のことはな てい司なかった。

1
17
かった。 突然私にうかんで来た想念は、柏木が言うように、残虐
すいそう
な想念だったと云おうか?とまれとの想念は、突如とし いととろにしつらえた水槽がある。夏のあいだ水泳からか

118
て私の裡に生れ、先程からひらめいていた意味を啓示し、 えった客が、体についた砂を洗いおとすためのシャワーが
あかあかと私の内部を照らし出した。まだ私はそれを深く その水槽から下っている。
考えてもみず、光りに樽たれたように、その想念に持たれ やや離れて、宿の主人の家族の住むらしい小さな家があ

ているにすぎなかった。しかし今までついぞ思いもしなか る。閉てきった硝子戸がラジオの音を洩らしている。その
いたずかえ
ったとの考えは、生れると同時に、忽ち力を増し、巨きさ 徒らに高い音はうつろにき ζぇ 、 却 っ て 人 が い そ う に 思 え
を増した。むしろ私がそれに包まれた。その想念とは、乙 ・なかった。果してそこでも、私は二三足の下駄の散らかっ
ひ玄ひ嚢む傘
うであった。 た玄関で、ラジオの音の隙々に声をかけては空しく待った。
﹃金閣を焼かなければならぬ﹄ 背後に人影がきした。曇りがちの空から日が灰かににじ
a
u︿め
んで来ていて、玄関の下駄箱の木目が明るむのに気づいた
ときである。
第八章
体の輪郭が融けてはみ出したように太った色白の、ある
かなきかに目の細い女が私を見ていた。私は宿をたのんだ。
きぴす
そののちさらに私は歩いて、{呂津線の丹後由良駅の前へ 女はついて来いとも云わずに、黙って睡を返して、旅館の
たど
出た。東舞鶴中学校の修学旅行のときも、同じコlスを辿 玄関のほうへ向った。
あて
って、との駅から帰路についたのである。駅前の自動車道 ││宛がわれた部屋は、二階の一角の、海の方角へ窓を
いんしん ひらとまてあぷ
路は人かげもまばらで、ことが短かい夏の殴賑をたよりに、 展いた小問であった。女の運んできた手熔りのわずかな火
たかぴ
なりわいを立てている土地だと知れた。 気が、永いとと閉てきった部屋の空気をいぶして、その徽
C
私は海水浴御旅館由良館という看板のある駅前の小さな 臭
, さを耐えがたいものにした。窓をあけて北風に身をさら


すりガラス
宿に泊ろうと思いついた。玄関の磨硝子をあけて、案内を した。海の方角では、さっきと同じように、誰に見せると
いらほとり
乞うたが答えは・なかった。式台には壌がつもり、雨戸を聞 もない、雲のゆったりした重々しい戯れが続いていた。雲
いえうち
めた家内は階く、人の気配はなかった。 は自然のあてどない衝動の反映でもあるかのようだつた。
裏手へまわる。菊のすがれている素朴な小庭がある。高 しかも必ずその一部分には、明敏な理智の青い小さな結晶、
青空の薄片が見えていた。海は見え・なかった。 を確実に減らす乙とになるのである。
かいVや︿
:・・私はこの窓辺で、又さきほどの想念を追いはじめた 0
考え進むうちに、諮諺的な気分さえ私を襲った。﹃金閣
・なぜ私が金閣を焼こうという考えより先に、老師を殺そう を焼けば﹄と独言した。﹃その教育的効果はいちじるしい
という考えに達しなかったのかと自ら問うた。 ものがあるだろう。そのおかげで人は、類推による不滅が
それまでにも老師を殺そうという考えは全く浮ばぬでは 何の意味ももた・ないことを学ぶからだ。ただ単に持続して
たちま
なかったが、忽ちその無効が知れた。何故ならよし老師を きた、五百五十年のあいだ鏡湖池畔に立ちつづけてきたと
設しでも、あの坊主頑とあの無力の惑とは、次々と数かぎ いうととが、何の保証にもならぬととを学ぶからだ。われ
りなく、閣の地平から現われて来るのがわかっていたから われの生存がその上に乗っかっている自明の前提が、明日
である。 にも崩れるという不安を学ぶからだ﹄
'
νPA
''ヲ
uしなべて生あるものは、金閣のように厳密な一回性を
h そうだ。たしかにわれわれの生存は、二疋のあいだ持続
持っていなかった。人聞は自然のもろもろの属性の一部を した時間の凝聞物に固まれて保たれていた。たとえば、た
ぜんぽ さしものし ζ ひきだしふ
受けもち、かけがえのきく方法でそれを伝婚し、繁殖する だ家事の便に指物師が作った小抽斗も、時を経るにつれ時
にすぎなかった。殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、 聞がその物の形態を凌駕して、数十年数百年のちには、逆
殺人とは永遠の誤算である。私はそう考えた。そのように に時間が凝固してその形態をとったかのようになるのであ
して金閣と人間存在とはますます明催な対比を示し、一方 る。一定の小さ-な空間が、はじめは物体によって占められ
では人間の滅びやすい姿から、却って永生の幻がうかび、 ていたのが、凝縮した時聞によって占められるようになる。
ふえ ときぞうしつ︿
金閣の不壊の美しさから、却って滅びの可能性が漂ってき それは或る種の霊への化身だ。中世のお伽草子の一つ﹁付
もがみ
た。人間のようにモータルなものは根絶することができな 喪神記﹂の冒頭にはとう書いてある。
おんみやうぎつきにいふ
いのだ。そして金閣のように不滅なものは消滅させる ζと ﹁陰陽雑記云、器物百年を経て、化して精霊を得てより、
たぷらか
ができるのだ。どうして人はそとに気がつかぬのだろう。 人の心を議す、これを付喪神と号すといへり。是によりて
金閣寺

私の独創性は疑うべくもなかった。明治三十年代に国宝に 世俗、毎年立春にさきたちて、人家のふる具足を、払いた
ほペすすばらひす会はち
指定された金閣を私が焼けば、それは純粋な破壊、とりか して、路次にすつる事侍り、とれを煤払といふ。これ則、

1
19
えしのつかない破滅であり、人間の作った美の総量の目方 百年に一年たらぬ、付喪神の災難にあはしと・なり﹂
私の行為はかくて付喪神のわざわいに人々の目をひらき、 丹後山良駅で汽車を待つうちに時附が来、屋根のない駅
このわざわいから彼らを救うことになろう。私は ζ の行為 はたちまち濡れた。警官は私を伴って駅の事務室に入った。五
によって、金閣の存在する世界を、金閣の存在しない枇界 駅長も駅員も彼の友人である ζとを、私服の警官は誇らし
へ押しめぐらす乙とに・なろう。世界の意味は確実に変るだ げに私に示した。そればかりではない。彼はみんなに、京
ι
aい

p 。:: 都から訪ねて来た甥だと私を紹介したのである。

ザ :思うほどに私は快活に・なってゆく自分を感じた。今 私は革命家の心理を理会した。あかあかと火の域った鉄
おこ
私の身のまわりを閤み私の白が目前に見ている世界の、没 の火鉢を囲んで談笑しているとの田舎の駅長や警官は、回
まぢか
落と終結は程近かった。日没の光線があまねく横たわり、 前に迫っている世界の変動、自分たちの秩序の日近の崩壊
'
'り
それをうけて燦めく金閣を載せた世界は、指のあいだを ζ を露ほども予感していなかった。
ぼれる砂のように、刻一刻、確実に孫ちつつあった。. ﹃金閣が焼けたら::、金閣が焼けたら、 ζ いつらの世界
**

は変貌し、生活の金科玉条はくつがえされ、列車時刻表は
*

混乱し、といつらの法律は無効になるだろう﹄
とうりゅう
三日にわたる由良館の逗留が打切られたのは、その問一 自分たちのかたわらに、何喰わぬ顔をして、一人の未来
歩も宿から出・ない私の素振を怪しんで、内儀が連れてきた の犯人が火鉢に手をさしのべている ζとに、少しも気づか
警官の おかげであった。部屋へ入って来る制服の警官の姿
L ぬ彼らが私を喜ばせた。陽気・な若い駅員が、 ζ の次の休み
ふいちょう
を見たときに、私は発覚を怖れたが、すぐとの怖れの理由 に行く映画のととを、大声で吹聴していた。それは見事な、
じんもん
のないととに気づいた。訊聞に答えて、私はありのままに、 涙をそそるような映画で、派手な活劇にも欠けてい・なかっ
寺の生活から少しの問離れていたくて出奔したのだと言ぃ、 た。との次の休みは映画に!この若々しい、私よりもは
学生証明書も見せ、わざと警官の前で宿料もきれいに仕払 るかに逗ましい、いきいきとした青年が、との次の休みに
った。その結果、警官は保護の態度に出た。彼はすぐさま は、映画を見て、女を抱いて、そして寝てしまうのだ。
勺︿&んじ
a
鹿苑寺へ電話をかけて、私の申立にいつわりのないことを 彼はたえず駅長をからかい、冗談を言ぃ、たしなめられ、
健かめ、これから附添って寺へ送り届けると告げた。そし その聞いそがしく炭をついだり、黒盤に何かの数字を書い
て将来ある私を傷つけぬため、わざわ吉私服に着換えた。 たりしていた。再び私を、生活の魅惑、あるいは生活への
しっし
嫉視が虜にしようとした。金閣を焼かずに、寺を飛び出し 固まれた小さ・な顔は動かなかった。
げんぞ︿
て、還俗して、私もこういう風に生活に埋もれてしまうこ 小柄な母の体は、しかし無気味にふくれ上り、巨大に見
ともできるのだ。 えた。母のうしろには開け放った総門の中の前庭の闇がひ
・・しかし忽ち、暗い力はよみがえって私をそとから連 ろがり、閣を背にして、唯一のよそゆきの摺り切れた金糸
ペつあつら し
れ出した。私はやはり金閣を焼かねば念らぬ。別挑えの、 の縫取のある帯を JF
めて、粗末な着物はおろかしく着崩れ
私特製の、未聞の生がそのときはじまるだろう。 のした姿が、そこに立ったまま死んでいる人のように眺め
111駅 長 が 電 話 に 出 た 。 や が て 鏡 の 前 へ ゆ き 、 金 線 の 入 られた。
せきげら
った制帽をきちんとかぶった。咳払いをしてから、胸をそ 私は近づくのをためらった。なぜ母がここに来ているの
いぶ
らし、式場へ出てゆくように、雨上りのプラットフォーム かも訪かられたが、あとでわかったことは、老師が私の出
どうてん
へ出て行った。やがて私の乗るべき汽車が、線路に沿うて 奔を知って母のもとへ問い合わせ、母は動同期して鹿苑寺を
どうおんすペ
切り立った崖に、その轟音を先立ててとらせて来るのがき 訪ね、そのまま泊っていたのである。
こえた。雨上りの崖土の伝えてくる鮮やかに濡れた轟音を。 私服が私の背を押した。近づくにつれて、しかし母の姿
**

は徐々に小さくなった。母の顔は私の目の下にあり、私を
*

ゆが
見上げて醜く歪んでいた。
午後八時十分前に京都に着いた私は、私服に送られて鹿 感覚は、およそ私をあざむいたことがない。小さな殺そう
苑寺の総門の前まで来た。肌寒い夜であった。松林の黒い な落ち窪んだ母の目は、今更ながら、母に対する私の嫌悪
かた︿
幹のつらなりを出て、総門の頑なな形が迫って来たとき、 の正当さを思い知らせた。そもそもこの人から生れたとと
そとに立っている母を私は見た。 へのもどかしい嫌悪、その深い汚辱の思い、・・それが却
ふ︿しゅう
母はたまたま例の制札、若シ之ヲ犯シタル者山国法-一一依 って私を母から絶縁させて、復讐をたくらむ余地も与えな
限だ
リ処罰セラルベシと記した制札のかたわらに立っていた。 かった ζとは前に述べた。だが紳しは解けなかった。
金閣寺

髪のおどろにみだれたさまは、門燈のあかりで、白髪が一 ・:しかし今、母が母性的な悲嘆におそらく半ば身を沈
本一本逆立っているように見えた。母の髪はそれほど白く めているのを見-ながら、突然私は自由になったと感じた。

2
11
はないのに、燈火が映えてそう見えたのである。その髪に 何故であるかは知れない。母がもう決して私を脅やかすと
とができないと感じたのである。 ん死んでしまうえ。ほんまえ。お母さんを死なしとうなか

2
おえっ

2
││けたたましい、絞め殺されるような鳴咽が起った。 ったら、心を入れかえるのやで。そうして偉い坊さんにな

1
taFAJ
と思う聞に、その手が私の頬に伸びて、力なく縛った。 って:::。まあそれより早う、あやまらんならん﹂
ゐ ζうもん
﹁不孝者!恩知らず!﹂ 母のあとに、私と私服は黙って従った。母は私服にすべ
ちょうちゃ︿
私が打鰍即されるのを私服は黙って見ていた。打つ指先が き挨拶も忘れていた。
うし老あられ
乱れて、指の力が喪われているので、かえって爪先が震の 小刻みにゆく塩垂れた帯の背を眺め・ながら、母を殊更醜
ように頬に当った。打ちながらも母の表情が哀願を忘れて くしているものは何だと私は考えた。母を醜くしているの
かゆ
いないのを見て、私は目をそむけた。ややあって、母の語 は、・:それは希望だった。湿った淡紅色の、たえず摩み
調は変った。 を与える、との世の何ものにも負けない、汚れた皮膚に巣
ひぜん
﹁そないに:・・:そないに遠く行って、お金どうしたん 喰っている頑固な皮腐のような希望、不治の希望であった。
え?﹂

**
*
﹁お金か?友だちに借りて行ったんやが・な﹂
﹁ほんまか。盗んだんとちがうか﹂ 冬が来た。決心はいよいよ堅固になった。計画はのばし
﹁盗まへんがな﹂ のばしにされたが、それを徐々に引きのばしてゆくととに
めんど
それが唯一の心配事であったかのように、母は安堵の息 飽きなかった。
をついた。 それから半年のあいだ、私が悩まされたのはむしろ別の
﹁そうか。:目 何も悪いことしてえへんのやろな﹂
a 事柄である。月末毎に柏木が金の返済を迫り、利子を加え
﹁してえへん﹂ た額を私に通達して、何やかと口汚なく責め立てた。しか

﹁そうか。そりゃまあよかったなあ。方丈さんにようお詫 し私はもはや金を返す気持がなかった。柏木に会わぬため
びせなあかへんえ。うちからもようあやまっといたけれど、 には学校を休めばよかった。
しんそこからお詫びして、お許しいただかなあかへんえ。 一旦とうと決めた心が、さまざまに動揺して、行きつ戻
方丈さんはお心のひろい方やで、 ζ のまま置いといて下さ りつする経過を私が諮らないのを、奇異に思つてはなら・な
ると思うけれど、今度こそ心を入れかえなんだら、お母さ い。私の心の移ろいやすさは消え去った。 ζの半年のあい
だ私の目は、一つの未来を見つめて動かなかった。このあ らず美しく見えたというそのことに、やがて私が放火者に
いだの私は、おそらく幸福の意味を知っていた。 なるもろもろの理由が備わっていた。
第一に、寺の生活が楽になったのである。金閣がいずれ 昭和二十五年三一月十七日に、私は大谷大学の予科を修了
けみ
焼けると思うと、耐えがたい物事も耐えやすくなった。死 した。翌々日の十九日の誕生日を閲して、満二十一歳にな
を予感した人のように、寺の者たちに対する私の愛想はよ った。予科三年の成績は見事なものであった。席次は七十
くなり、応待は明るく、何事につけ和解を心がけるように 九人中七十九番、各課目の最低位は国語の四十二点である。
なった。自然とすら私は和解した。冬の朝な朝な、梅もど 欠席時数は、六百十六時間のうち二百十八時間で、三分の
ついば
きの残んの実を啄みに来る小鳥たちの胸毛にも親しみを抱 一を上廻っている。それでも仏の慈悲心から、乙の大学に
いた。 は落第というものが-なかったので、私は本科へ進むことが
ほうばい
老師への憎しみさえ私は忘れた 1 母からも、朋輩から できた。老師もそれを黙認した。
も、あらゆるものから自由の身になった。しかし乙の新ら 授業を・なおざりにしながら、私は晩春から初夏にかけて
しい日々の住心地のよさを、手を下さずに成就した世界の の美しい日々を、金のかからぬ寺々や社の見物にすごした。
変貌だと錯覚するほど、それほど私は愚かではなかった。 足の及ぶかぎり歩いたのである。そういう一日の ζとが思
どんな事柄も、終末の側から挑めれば、許しうるものに・な い出される。
る。その終末の側から眺める目をわがものにし、しかもそ 私は妙心寺の表通りの寺ノ前町を歩いていた。すると私
の終末を与える決断がわが手にかかっていると感じること、 の前を、同じような歩度で行く学生の姿に気づいた。古い
それとそ私の自由の根拠であった。 軒の低い煙草屋へ彼が煙草を買うために立寄ったとき、そ
あんなに唐突に生れた想念であったとはいえ、金閣を焼 の制帽の横顔が見えた。
くという考えは、仕立卸しの洋服か何,そのように、つくづ 眉の迫った色白の鋭い横顔で、制帽を見ると京都大学の
くぴったりと私の身についた。生れたときから、私はそれ 学生である。彼は目のはじでちらと私のほうを見た。濃い
金閣寺

を志していたかのようだつた。少くとも父に伴われてはじ 影が流れ寄って来るような視線である。このとき、﹃彼は
めて金閣を見た目から、との考えは私の身内に育ち、開花 放火者にちがいない﹄と私は直感した。幻
を待っていたかのようだつた。金閣が少年の自に世の常・な 午後三時であった。時刻はいかにも放火に適し・なかった。
信ぞう
鋪装したパス道路へ迷い出た蝶が、煙草屋の庖先の一輪差 分身があらかじめ私の行為を模倣し、いざ私が決行すると

124
つばき
の衰えた椿にまつわっていた。白い椿は、枯れた部分が、 きには見えない私自身の姿を、ありありと見せてくれると

茶補色の火に焼けたあとのように・なっていた。パスはいつ 謂った事が。
までも来ず、道の上の時聞は停っていた。 パスはいつまでも来ず、路上の人影も絶えた。正法山妙
何故私がその学生を、放火へむかつて一歩一歩進んでゆ 心寺の巨大な南門が迫ってきた。左右に大きく扉をひらい
くと ζろだと感じたのかわから・ない。ただ端的に彼は放火 た門は、あらゆる現象を呑み込んでしまっているように見
者に見えた。放火にもっとも困難な白昼を敢て選んで、彼 えた。それは、ととから見ると、その壮大な枠の中に、勅
は自分の固く志した行為へゆっくりと歩を運んでいた。彼 使門や山門の柱の重複するさま、仏殿の愛、多くの松、そ
のゆくてには火と破嬢があり、彼の背後には見捨てられた れに加えて鮮やかに切りとられた青空の一部ゃ、ほのかな
いか い︿ひらへいどん
秩序があった。その制服のいくらか厳つい背中から、私は 雲の幾片までも併呑していた。門に近づくにつれ、ひろい
いしだたみたっちゅう、い
そう感じた。若い放火者の背中はそうあるべきだと、かね 寺内を縦横に走る費やら、多くの塔頭の塀やら、限りも
て私は恩い描いていたのかもしれない。日の当った黒サー ないものがこれに加わった。そしてひとたび門をくぐれば、
ぞうきゅう ζとどと
ジのその背中は、不育・な険しいものでいっぱいになってい 神秘な門はその門内に蒼湾の全部と、雲の悉くを収めてい
a らん
だい

。 ることがわかるのであった。大伽藍とはそういうものなの
私は歩みを緩め、学生をつけようと考えた。そうして歩 だ

くうちに、少し左肩の溶ちた彼のうしろ姿が、私自身のう 学生は門をくぐった。彼は勅使門の外側をめぐり、山門
たたずまたが
しろ姿であるように思われてきた。彼は私よりはるかに美 の前の蓮池のほとりに件んだ。さらに池に跨る唐風の石橋
もうねん そぴ
しかったが、同じ孤独と、同じ不幸と、同じ美の妄念から、 の上に立って、受え立つ山門を仰いだ。﹃彼の放火の目的
同じ行為へ促されたに相違なかった。いつかしら、彼をつ はあの山門だな﹄と私は思った。
もつ
けながら、私は私自身の行為を前以て見届けるような心地 それは壮麗な山門で火に包まれるのにふさわしかった。
になっていた。 とんなに明るい午後では、火はおそらく見え・ないだろう。
おぴ也 ζだ 砲 の お 老
晩春の午後には、明るさと空気のものうさのあまりに、 そとでそれは移しい煙に巻かれ、見えない焔が空を紙める
あおぞらゆ念
とんな事が起りがちである。つまり私が二重になり、私の さまは、蒼空がただ歪んで揺れて見える ζとだけでそれと
知れるだろう。 びと歩いて、家並の影がやや延びた大路の見える南門を出
芳、ル﹄
学生が山門に近づいたので、私は覚られぬために山門の て行った 0

:
うかがた︿はっそう
東側へまわって窺った。托鉢僧の口市院の時刻であった。東
みちれんばっわら CS ce

の径から、連鉢の三人の一隊が、草粧がけで埜を雁行して 彼は放火者ではなく、ただの散歩している学生だった。
あじろ.かさ
来る。網代笠はみな手にかけている。坊へかえるまで托鉢 おそらくは少し巡回した、少し貧しい、それだけの青年だ
おきて
の錠のまま、三四尺先をしか見ぬ目づかいで、お互いに私 った。
語を交わさず、ものしずかに私の前で右折して去った。 逐一を見ていた私にとっては、放火のためではなしに一
学生は山門のほとりでまだためらっていた。ついに彼は、 本の煙草を吸うためにあんなに落着きなくあたりを見まわ
もた
柱の一つに身を究せて、ポケットから、先ほど買った煙草 した彼の小心、つまり学生流のけちけちした脱法の喜び、
をとりだした。あたりを落着きなく見まわした。きっと煙 火の消えた燐寸をあんなに念入りに操み消した態度、つま
草にことよせて、火を起すのだろうと私は思った。果して り彼の﹁文化的教養﹂、とりわけこの後のものが気に入ら
FY チ
彼はその一本を口にくわえ、顔を近づけて燐寸を擦った。 ・なかったりこんながらくた念教養のおかげで、彼の小さな
燐寸の火は、一瞬、小さ司な透明-なひらめきをそとに示し 火は安全に管理された。彼はおそらく自分が燐寸の管理者
た。火の色は学生の日にさえ見え-なかったと思われるのは、 であり、社会に対して火の完全な遅滞なき管理者であるこ
折から午後の日が山門の三方を包み、私のいる側にだけ影 とを得意がっていた。
ら︿ちゅうら︿がい
を与えていたからだ。火は蓮池のほとりの山門の柱に身を 浴中洛外の古い寺々が、維新以後めったに焼かれなく
もたうたかた
党せている学生の顔の間近で、ほんの一瞬、火の泡沫のよ なったのは、こういう教養の賜物だった。たまさかの失火
うなものを浮ばせた。そして彼のはげしく打ち援る手に消 はあっても、火は寸断され、細分され、管理されるにいた
されてしまった。 った。それまでは決してそうでは-なかった。知恩院は永事
とうむ
燐寸が消えただけでは、学生は気がすまぬらしかった。 三年に炎上し、その後何度となく火を蒙った。南機寺は明
金閣寺

礎石の上に捨てた燐寸を、靴の裏で念入りに操んだ。さて、 徳四年に本寺の仏殿、法堂、金剛殿、大雲庵などが炎上し
一台いじんげんにんじ
彼は煙草をたのしげに吹かしながら、残された私の失望を た。延暦寺は元亀二年に灰櫨に帰した。建仁寺は天文二十

2
.
-

1
かか
よそに、石橋をわたって勅使門のかたわらをすぎ、のぴの 一年に兵火に躍った。三十三間堂は建長元年に焼亡した。
本能寺は天正十年の兵火に焼かれた。

**
*

l!s
その ζろ 火 は 火 と お 互 い に 親 し か っ た 。 火 は こ の よ う に

1
細分され、おとしめられず、いつも火は別の火と手を結び、 講義に出るのを怠け・ながら、図書館にだけはたびたび通
無 数 の 火 を 糾 合 す る ζとができた。人間も・おそらくそうで っていたので、五月のある日、私は避けていた柏木に会っ
あった。火はどとにいても別の火を呼ぶことができ、その た。私の避ける綾子を見て、彼は面白そうに追ってきた。
老 M隠
V んそ︿
声はすぐに届いた。寺々の炎上が失火や類火や兵火による もし私が駈ければ内線足の彼は追いつく筈もないという考
ものばかりで、放火の記録が残されていないのも、たとえ えが、却って私を立止らせた。
私のような男が古い或る時代にいたとしても、彼はただ息 私の肩をつかんだ柏木は息を切らせていた。放課後の五
をひそめ身を隠して待っていればよかったからなのだ。 時半どろと思われる。柏木に会わないように、図書館を出
n
aフし
寺々はいつの日か必ず焼けた。火は豊富で、放窓であった。 てから私は校舎の裏側をまわり、西側のバラックの教室と
低ろを
待つでさえいれば、隙をうかがっていた火が必ず蜂起して、 高い石塀との間の道を来たのである。そこは荒地野菊の生
かみ︿ずあきぴん
火と火は手を携え、仕遂げるべきととを仕遂げた。金閣は い茂ったあいだに紙屑や空緩の捨てたままになっている場
忘れ
e
実に稀な偶然によって、火を免れたにすぎ・なかった。火は 所で、忍び込んだ子供たちがキャッチボールをしていた。
路乙り
自然に起り、滅亡と否定は常態であり、建てられた伽藍は そのけたたましい声が、破れた硝子ごしに挨っぽい机の列
ひとげ
必ず焼かれ、仏教的原理と法則は厳密に地上を支配してい の眺められる放課後の教室の人気のなさを際立たせている。
た。たとえ放火であっても、それはあまりにも自然に火の 私が立止ったのは、そとをゆきすぎて本館の西側へ出、
諸力に訴えたので、歴史家は誰もそれを放火だとは思わな 華道部が工房という札をかけている小屋の前まで来たとき
︿すの‘歪
かったのであろう。 であった。塀ぞいにそそり立つ楠の並木が小屋の屋根どし
あかれんが
その乙ろ地上は不安だった。昭和二十五年の今も地上の に、夕日を透かしたその細かい葉影を、本館の赤煉瓦の壁
不安はそれに劣るものではなかった。かつて寺々が不安に に映していた。夕日を浴びる赤煉瓦は花やいだ。
よって焼かれたのだとしたら、どうして今金閣が焼かれな 息を切らせながら、柏木はその壁に身を支えたので、楠
しようすい
いでよい筈があろうか? のさやぐ葉影は、彼のいつもながら憶障した頬を彩って、
そこに奇妙に騒動する影を与えた。あるいは彼にふさわし
くない赤煉瓦の反映がそう見せたのかもしれない。 がどんな風に活動して、彼の手につかませるかを見ょうと
﹁五千百四だぞ﹂と彼は言った。﹁ ζ の五月末で五千百円 した。無意識に私の目は彼の足のほうを見たらしい υ柏 木
だぞ。君はますます自分で返しにくくしているんだ﹂ がとれを察した速さはほとんど神速と云ってよかった。彼
つねづねそとに入れている胸のポケットから、彼はまた はまだかがめたとも見えぬ身を起して私を見つめたが、そ
折り畳んだ証文をとりだして、ひろげて見せた。そして私 の自には彼らしくもない冷静さを欠いた憎悪があった。
の手がつかみかかってそれを破るのを怖れてか、慌しく畳 一人の子供がおずおずと近づき、私たちのあいだからボ

んで元へしまったので、私の日には、毒々しい朱いろの栂 ールを拾って逃げた。ついに柏木がこう言った。
いん
印の残像だけがちらと残った。私の指紋はひどく陰惨に見 ﹁よし。君がそういう態度なら、俺にも考えがある。来月
えた U
困へかえる前に、どうあっても、とるだけのものはとって
﹁早く返したまえ。そのほうが君のためだぞ。授業料でも みせる。君にもその覚悟はあるんだろうな﹂

**
何でも流用したらいいじゃないか﹂

*
私は黙っていた。世界の破局を前にして借金を返す義務
があるだろうか?私はそれをほんの少し柏木に陪示しよ 六月に入ると、重要な講義はだんだんと少なく・なり、学
うかという誘惑にかられたが、思い止まった。 生はそれぞれの郷里へかえる仕度をはじめる。忘れもしな
ども
﹁黙っていちやわからんじ?ないか。吃るのが恥かしいの い六月十日の ζとである。
か?何を今更!君が吃りだということは、とれだって 朝から降りつづいていた雨が夜に入って土砂降りになっ
とぷし
知ってるんだ。 ζれだって﹂と彼は拳で、夕日の照り映え た。薬石のあと自室で本を読んでいた。夜八時どろ、客殿
たいしゃ あい
た赤煉瓦の壁を叩いた。拳は代緒いろの粉に染まった。 から大書院へゆく聞の廊下を足音が近づいた。めずらしく
﹁との壁だって。学校中で誰知らぬものはないんだ﹂ 外出しない老師のととろに来客があるらしかった。しかし
たいじ
それでも私は黙ったまま彼に対峠していた。そのとき子 その足立日の奇異なととは、雨が乱れて板戸にぶつかる音の

金閣寺

供たちのポ 1 ル が 外 れ て 、 私 た ち 二 人 の 間 へ と ろ が っ て 来 ようである 先導してゆく徒弟の足音は、もの静かで規則


Q
た。柏木は拾って返そうとして身をかがめかけた。意地の 正しいのに、客の足音が、廊下の古い板を異燥にきしませ、g
悪 い 興 味 が 私 に 起 り 、 一 尺 前 に あ る ポ l ルを、彼の内線足 しかも大そうのろい。
のきぴさし乙
雨のひびきが鹿苑寺の暗い軒庇を箆めている。古い大き した。部屋へ上る許しは-なかった。

3
そそかぴ

&
な寺に降り瀦ぐ雨は、がらんとした無数の徽くさい部 ﹁ζれはたしかにお前の栂印ゃな﹂

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屋々々の夜を、いわば附でいっぱいにしてしまうのだ。庫 ﹁はい﹂
裏も、執事寮も、殿司寮も、客殿も、耳に聴くのは雨土日ば と私は答えた。
かりである。私は今金閣を領している雨を想った。部屋の ﹁困ったことをしてくれたな。今後こういう ζとがあった
あふ
障子を少しあけた υ石ばかりの小さな中日胞は雨水に溢れ、 ら、もう寺には置かれんから、そのつもりでいなさい。他
。ばか
水は石から石へ黒いつややかな背を見せて伝わっている。 にも数々:::﹂言いかけて老師は・おそらく柏木を樟って口
わしさが
新入りの徒弟が、老師の居間から戻り、私の部屋へ首だ をつぐんだ。﹁金は健から返しておくから、もう退ってよ
けさし入れてとう言った。 ろしい﹂
ゆと
﹁老師のと乙ろへ柏木いう学生が来とるぜ。あんたの友だ ζの 一 言 で 私 に は 柏 木 の 顔 を 見 る 裕 り が で き た 。 彼 は 神

ちゃないのか﹂ 妙な顔つきで坐っていた。さすがに私から目を外らしてい
にわ しん
私は俄かに不安にかられた。そして昼間は小学校の教師 た。悪を行うときの彼は、彼自ら意識せずして、性格の芯
を勤めている、この近眼鏡をかけた男が、去ろうとするの が抜き出たような、もっとも純潔な表情をしていた。それ
を、引止めて招じ入れた。大書院の対話をあれとれと想像 を知っているのは私ばかりであった。
しながら一人でいるのに耐えなかったからである。 自室にかえった私は、はげしい雨音の中で、孤独の中で
五六分たった。老師が鳴らす振鈴の音がきとえた。雨立 H 俄かに解き放たれた。徒弟はすでにいなかった。
をつんざいて、鈴は漠々しく鳴り渡り、はたと途絶えた。 ﹁もう寺 Kは置かれんから﹂と老師は言った。私は老師の
私たちは顔を見合わせていた。 口からはじめてその一言葉を聴き、いわば老師の言質をとっ
﹁あんたやで﹂ たのである。突然事態は明瞭になった。私の放逐がすでに
と新入りの徒弟が言った。私は辛うじて立上った。 老師の念頭にあるのであった。決行を急がなければならぬ。
もし柏木が今夜のような行動に出てい・なかったら、私が
老師の机には私の抑印を捺した証文がひろげられ、老師 老師の口からその言葉をきく機会もなく、決行はさらに引
ひざ
はその紙の一方をもたげて、廊下に膝を突いている私に示 延ばされたかもしれないのだ。私に踏切る力を与えてくれ
たのは柏木だと思うと、奇妙な感謝が彼に対して湧いた。 ﹁何だ。おどかすなよ。君は妙な人間だ﹂
雨は衰えるけしきも‘なかった。六月というのに肌寒く、 ││柏木はようよう、私のすすめる薄い座蒲団に、例の
板戸に固まれた五畳の納戸は、暗い電燈の下に荒涼として ごとくうずくまるような動作でゆっくり横坐りに坐った。
すみか どんちょう
みえた。とれが私の、やがて追い出されるかもしれぬ住家 頭を上げて部屋を見まわした。雨音は厚い椴帳のように戸
である。飾りとでは何もなく、変色した畳の黒い縁は破れ 外をとざしていた。濡縁に当るしぶきのなかから、時折障
あら
たまま、よじれて、聞い糸を露わにしたりしていた。暗い 子のそこかしとにはね返る雨滴があった。
部屋に入って電燈をつけるとき、私の足の指はよくそれに ﹁まあ怨むなよ。とん・な手に出ざるをえなくしたのも、結
引っかかったが、繕うととはしなかった。私の生活の熱意 局君の自業自得なんだから。それはそうと﹂と彼はポケツ
さつ
は畳などと関わりはない。 トから、鹿苑寺と印刷した封筒を出して、札をかぞえた。
五畳の空聞には、夏が近づくにつれ、私の酸えた臭いが 札は今年の正月から発行されている真新らしい千円札が三
そうりょ
こもった。笑うべき ζと に は 私 は 僧 侶 で 、 し か も 青 年 の 体 枚だけだった。私が言った。
ふうす
臭を持っていた。臭いは古い黒光りのした四隅の太い柱や、 ﹁
乙 ζ のお札はきれいだろ。老師が潔癖だから、副司さん
古い板戸にまでしみ入って、それらは歳月が折角さびを与 が三日おきに小銭を替えてもらいに銀行へゆくんだ﹂
えた木目のあいだから若い生物の悪臭を放っていた。それ ﹁見ろ。たった三枚だ。君のとこの和尚の渋い乙とはどう
e
'、-e
P
会ゆ
らの柱や板戸は、半ば躍い不動のいきものに化していた。 だ。学生同士の貸し借りで、利子などというととは認めな
もろ
そのとき、先程の奇異な足立日が廊下を渡ってきた。私は いというんだ。自分はさんざん儲けてやがるくせに﹂
立って廊下へ出た。かなたの老師の居間のあかりを受けた 柏木の乙の思いがけぬ失望は、私を心から愉快にした。
陸舟松が、濡れた黒っぽい緑の紬を高くかかげているのを 私 は 心 お き な く 笑 い 、 柏 木 も そ れ に 和 し た 。 し か し ζんな
背にして、柏木は機械仕掛がふいに止ったような身振りで 和解もつかのま、笑いを納めた彼は、私の額のあたりを見
立ちすくんだ。私はというと、笑いをうかべていた。それ ・ながら、突き離すように ζう言った。
金閣寺

を見て柏木がはじめて恐怖に近い感情を顔にあらわしたの ﹁俺にはわかるんだ。何か ζのごろ、君は破滅的・なことを


に私は満足した。とう言った。 たくらんでいるな﹂

2
19
﹁部屋へ寄ってゆかないか﹂ 私は彼の視線の重みを支えるのに難渋した。が、破滅的
という彼流の理解が、私の志すととろから遠いのを思うと、 ﹁まあね。俺流に親しかったのだ。しかしあいつは生前、

:)
湾着きが戻ってきた。答はつゆ吃ら・なかった。 俺の友達と見られる ζとをひどくいやがっていた。それで

3
]
﹁いや 0
・:・何も﹂ いて俺にだけ、打明け話をしていたんだ。死んでもう一二年
﹁そうか。君は奇妙な奴だな ο俺が今まで会った中でいち たったから、人に見せてもいいだろう。特に君が親しかっ
ばん奇妙な奴だ﹂ たから、君にだけはいつか見せるつもりだった﹂
その言葉は私の口辺から消えぬ親愛の微笑に向けられた 手紙の日附は、いずれも死の直前のものであった。昭和

ものだとわかったが、私の中に湧き出した感謝の意味を、 二十二年の五月の、ほとんど日毎に、東京から柏木へ宛て
彼が決して察することはあるまいという確実な予想は、私 た手紙である。彼は私には一通も寄越さ・なかったが、とれ
の微笑をさらに自然にひろげた。世のつねの友情の平面で、 で見ると帰京の翌日から、毎日柏木に書き送っていたので
私はとんな質問をした。 あった。手跡は疑いも・なく鶴川の、角ばった稚拙な字であ
ねた
﹁もう国へかえるのかい﹂ る。私は軽い妬みを抱いた。何一つ私の前にその透明な感
﹁ああ。あしたかえるつもりだ。三ノ宮の夏か。あそ乙も 情をいつわっていないようにみえた鶴川は、時には柏木を
退屈だが・・・・・・﹂ 慈しざまに一去って、私と柏木との交遊を非難しながら、自
﹁当分学校でも会えないな﹂ 分はとれほど密な柏木との附合をひた隠しにしていたので
﹁何だ。ちっとも出て来ないくせに﹂││そう言いざま、 ある。
4
ψ ・
勿a
rJ ぴんぜん
柏木はそそくさと制服の胸の釦会外して、内かくしをまさ 私は日附の順序に、薄い便婆に書いた細字の手紙を読み
ぐった。﹁:::国へかえる前にね、君を喜ばそうと思って だした。文章は例えようもなく下手で、思考はいたるとこ
これを持って来たんだ。君はむやみとあいつを高く買って ろで滞り、読みとおすのは容易では・なかったが、その前後
いたからな﹂ する文章の裏から・おぼろげな苦痛がうかんで来、あとの日

私の机の上に四五通の手紙がほうり出された。差出人の 附の手紙を読むとろには、鶴川の苦痛の鮮明さが目の当り
名を見て私が樗いたとき、柏木は事も・なげにこう言った。 に在った。読み進むにつれて私は泣いた。泣きながら、一
あき
﹁読んでみたまえ。鶴川の形見だよ﹂ 方心は、鶴川の凡庸な苦悩に呆れていた。
﹁君は鶴川と親しかったのか﹂ それはどこにでもある小さな恋愛事件にすぎなかった。
親の許さぬ相手との不幸な世間知らずの恋にすぎなかった。 ﹁どうしたね。それを読んで人生観が変ったかね。計画は

しかし書いている鶴川自身がしらぬ聞に犯していた感情の みんな御破算かね﹂
がくぜん
誇張であろうが、次のような一句は私を樗然とさせた。 柏木が三年後に私に乙れを見せた企らみの意味は明瞭だ
﹁今、思うと、との不幸な恋愛も、僕の不幸な心のためか った。しかしかほどの衝撃を受けながら、夏草の繁みに寝
まだ
とも思える。僕は生れつき暗い心を持って生れていた。僕 乙ろんでいた少年の白いシャツの上に小さな斑らを散らし
の心は、のびのびした明るさを、ついぞ知らなかったよう ていた朝日の木洩れ陽は、私の記憶から去ら・なかった。鶴
に思える﹂ 川は死に、三年後にこのように変貌したが、彼に託してい
げきたん
読みおわった最後の手紙の末尾が、激端のような調子で たものは死と共に消えたと思われたのに、乙の瞬間、却つ
よみがえ
切れていたので、そのときはじめて私は今まで夢想もしな て別の現実性を以て蘇って来た。私は記憶の意味よりも、
かった疑惑に目ざめた。 記憶の実質を信じるにいたった。もはやそれを信じなけれ
﹁もしかすると・・・・・・﹂ ば生そのものが崩壊するような状況で信じたのである。
言いかけた私に、柏木はう・なずいた。 :'しかし柏木は私を見下ろしながら、今しがた彼の手が
さつり︿
﹁そうだよ。自殺だったんだ。俺にはそうとしか思え・ない。 敢でした心の殺裁に満ち足りていた。
家の人が世間体を繕ろってトラックなんかを持ち出したん ﹁どうだ。君の中で何かが嬢れたろう。俺は友だちが壊れ
だろう L やすいものを抱いて生きているのを見るに耐えない。俺の
私は怒りに吃りながら、柏木の答を迫った。 親切は、ひたすらそれを壊すことだ﹂
﹁君は返事は書いたんだろうな﹂ ﹁まだ壊れ・なかったらどうする﹂
﹁書いた。しかし死んだあとに届いたそうだ﹂ ﹁子供らしい負け惜しみはやめにするさ﹂と柏木は瑚笑し
﹁何と書いた﹂ た。﹁俺は君に知らせたかったんだ。乙の世界を変貌させ
﹁死ぬなと書いた。それだけだ﹂ るものは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変
金閣寺

私は黙った。 えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの
めだ
感覚が私をあざむいたことはないという私の確信は徒に 状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永

3
11
とど
なった。柏木は止めを刺した。 久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。それが何
の役に立っかと君は言うだろう υだ が こ の 生 を 耐 え る た め のだ。認識とは人間の海でもあり、人間の野原でもあり、

132
に、人聞は認識の武器を持ったのだと云おう。動物にはそ 人間一般の存在の様態なのだ。彼はそれを言おうとしたん
んなものは要らない。動物には生を耐えるという意識なん だと俺は思う。君は今や南泉を気取るのかね。・:・美的な
か・ないからな。認識は生の耐えがたきがそのまま人間の武 もの、君の好きな美的なもの、それは人間精神の中で認識
器になったものだが、それで以て耐えがたきは少しも軽減 に委託された残りの部分、剰余の部分の幻影・なんだ。君の
され・ない。それだけだ﹂ 言う﹃生に耐えるための別の方法﹄の幻影なんだ。本来そ
﹁生を耐えるのに別の方法があると思わないか﹂ んなものはないとも云えるだろう。云えるだろうが、乙の
払りかぬ
﹁ないね。あとは狂気か死だよ﹂ 幻影を力強くし、能うかぎりの現実性を賦与するのはやは
いしや
﹁世界を変貌させるのは決して認識-なんかじゃない L と思 り認識だよ。認識にとって美は決して慰穏ではない。女で
わず私は、告白とすれすれの危険を冒しながら言い返した。 あり、妻でもあるだろうが、慰藷ではない。しかしこの決
﹁世界を変貌させるのは行為・なんだ。それだけしかない﹂ して慰藷ではないところの美的なものと、認識との結婚か
ω
果して柏木は、その冷たい貼りついたような微笑で私を らは何ものかが生れる。はかない、あぶくみたいな、どう
うけとめた。 しようも・ないものだが、何ものかが生れる。世間で芸術と
﹁そら来た。行為と来たぞ。しかし君の好きな美的なもの 呼んでいるのはそれさ﹂
むさぼ らち
は、認識に守られて眠りを食っているものだと思わないか ﹁美は:::﹂と言いさすなり、私は激しく吃った。均もな
んぜんぎんみよう
aG
ね。いつか話した﹃南泉斬猫﹄のあの猫だよ。たとえよう い考えではあるが、そのとき、私の吃りは私の美の観念か
もない美しいあの猫だ。両堂の僧が争ったのは、おのおの ら生じたものではないかという疑いが脳裡をよぎった u
uf おんてき
の認識のうちに獄を護り、育くみ、ぬくぬくと眠らせよう ﹁美は:・:美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ﹂

と思ったからだ。さて南泉和尚は行為者だったから、見事 ﹁昔一大が怨敵だと?﹂││柏木は大仰に目をみひらいた。彼
ちょうしゅう︿つ
に狛を斬って捨てた。あとから来た越州は、自分の履を頭 の上気した顔には常ながらの哲学的爽快さが蘇っていた。
に乗せた。組州の言おうとした ζとはとうだ。やはり彼は ﹁何という変りようだ、君の口からそれを聴くとは。俺も
美が認識に守られて限るべきものだという ζとを知ってい 自分の認識のレンズの度を、合わせ直さなくちゃいかん
た。しかし個々の認識、おのおのの認識というものはない ぞ﹂
:それからのちも、われわれは久々に親しい議論のや 頼の虚偽であることは、老師以上に私がよく知っていた。
りとりをした。雨はやまなかった。帰りぎわに、柏木が私 老師が無一言でさずける恩恵には、老師のあの柔らかい桃い
のまだ見ぬ二プ宮や神戸港の話をし、夏の港を出てゆく巨 ろの肉と似たものがあった。いつわりに富んだ肉、裏切り
もつ
船のことなどを語った。私は舞鶴の思い出に目ざめた。そ に処するに信頼を、信頼に処するに裏切りを以てする肉、
してどんな認識や行為にも、出帆の喜びはかえがたいだろ どんな腐敗にも犯されず、ひっそりと温かく薄桃いろに繁
うという空想で、私たち貧しい学生の意見ははじめて一致 殖する肉。::・
ゆらとっさおそ
を見た。 由良の旅館へ警官が来たときに、明嵯に私が発覚を怖れ
たように、又しでも私は、老師が私の計画を見抜いていて、
金を与えて決行のきっかけを外させようとしているのでは
第九章 もうそう
ないかと、妄想にちかい怖れを抱いた。その金を大事に持

っているあいだは、決行の勇気が湧かないような気がした。
老師がいつも訓戒を垂れる代りに、あたかもまた訓戒を 一日も早く、その金の使途を見つけなければならぬ。貧し
垂れるべき場合に、却って私に恩恵を施して来たのはおそ い者に限って、金のよい使途が思い浮ばぬものである。老
らく偶然ではあるまい。柏木が金をとりに来た五日後に、 師がそれと知ったら激怒せずにいられぬような、そして即

老師は第一期分の授業料の三千四百円と、通学電車賃の三 刻私を寺から放逐せずには措かぬような、そういう使途を
百五十円と、文房具購入代としての五百五十同とを、私を 見つけ出さねばならぬ。
てんぞ
呼んで手ずから渡した。夏休み前に授業料を払込む校則で その日私は炊事の当番であった。薬石のあと、典座で皿
すす e
lEどう
あ っ た が 、 あ の よ う な ζと が あ っ た あ と で は 、 私 は ま さ か 小鉢を濯ぎ・ながら、すでに静かになった食堂のほうを何気
すす
老師がその金を呉れるとは思ってい・なかった。よし金を呉 なく見た。典座との境に立つ煤で黒光りのする柱には、あ
ふだ
れる気持があっても、私が信頼でき-ないことを知った以上、 らかた変色したお札が貼られている。
金閣寺

老師は夜接学校へその金を郵送するだろうと思われたので

要t

慎i
息切か向グ﹄
阿多古ア


L''iw
1


ある。

杷符


:
13
しかし ζう し て 私 の 手 に 金 が 渡 さ れ て も 、 私 に 対 す る 信 .-私の心に、 こ の 護 符 が 封 じ 込 め て い る 囚 わ れ の 火 の
あお
蒼ざめた姿が見えた。かつては華やいでいたものが、古い が、私のしていることは死の準備に似ていた。自殺を決意

1
︿るわ

3
護符のうしろに、白くほのかに病み衰えているのが見えた。 した童貞の男が、その前に廓へ行くように、私も廓へ行く

1
火の幻にこのごろの私が、肉慾を感じるようになっていた のである。安心するがいい。こういう男の行為は一つの書
と云ったら、人は信じるだろうか?私の生きる意志がす 式に署名するようなもので、童貞を失っても、彼は決して
べて火に懸っていたのであれば、肉慾もそれに向うのが自 ﹁ちがう人間 L ・などになりはし-ない。
ぎせっさえず
然ではなかろうか?そして私のその欲望が、火のなよや あのたびたびの挫折、女と私の聞を金閣が遮りに来たあ
ほのお
かな姿態を形づくり、焔は黒光りのする柱を透かして、私 の挫折は、今度はもう怖れ・なくていい。私は何も夢みては
に見られていることを意識して、やさしく身 つ
a
くろいをす いず、女によって人生に参与しようなどと思つてはいない
りE
ふ U
V か去たかっと
るように思われた。その手、その肢、その胸はかよわかっ からだ。私の生はその彼方に確乎と定められ、それまでの

。 私の行為は陰惨な手続にすぎないからだ。
::・私はそう自分に云いきかせた。すると柏木の言葉が
六月十八日の晩、私は金を懐ろにして、寺を忍び出て、 蘇って来た。
どばんちょうきたしんち
通 例 五 番 町 と 呼 ば れ る 北 新 地 へ 行 っ た 。 そ ζが 安 く て 、 寺 ﹃商売女は客を愛して客をとるわけではない。老人でも、
らいしゃ
の小僧・などにも親切にしてくれるというととは聞き知って 乞食でも、目っかちでも、美男でも、知らなければ編者で
いた。五番町は鹿苑寺から、歩いても三四十分の距離であ も客にとるだろう。並の人間なら、こういう平等性に安心
ス。
ν し て 、 最 初 の 女 を 買 う だ ろ う 。 し か し 俺 に は ζ の平等性が
湿気の高い晩だったが、うすぐもりの空に月がおぼめい 気に喰わなかった。五体の調った男ととの俺とが、同じ資
ていた。私はカlキいろのズボンに、ジャンパーを羽織り、 格で迎えられるというととが我慢がならず、それは俺にと
は ぽ 4LC
︿
下駄を穿いていた。おそらく数時間後に、私は同じ服装で つては怖ろしい自己冒漬に思われた﹄
帰って来るだろう。しかしその中味の私が、ちがう人聞に 思 い 出 し た ζ の言葉は、今の私にとって不快であった。
なっているという予想を、どうやって自分に納得させたも しかし吃りはともあれ五体の調った私は、柏木とちがって、
のだろう。 自分のごく月並な醜さを信じればよかったのである。
私 は た し か に 生 き る た め に 金 閣 を 焼 ζう と し て い る の だ ﹃:・・とはいうものの、女がその直感で、私の醜い額の上
に、何か天才的犯罪者のしるしのようなものを読み取らな ように祈った。決して病気ではなく、病気の兆も-なかったり
いだろうか?﹄ しかし私を生かしている諸条件の調整やその責任が、のこ
と私は又、愚にもつかぬ不安を抱いた。 らず私一人の肩にかかって来たという重みを、日ましに強
信一カジ﹂
私の足は捗ら・なくなった。思いあぐねた末には、一体金 く感じるようになったのである。
ほうきさきら
閉を焼くために重点を捨てようとしているのか、童貞を失 きのう掃除のあいだに、人差指が時間の修に傷つけられた
ささい左ねばらとげ
うために金一閣を焼こうとしているのかわから-なくなった。 とき、こんな些細な傷さえ不安の種子になった。蓄薮の練
てんぽかんなん sub﹄
そのとき、意味もなしに﹁天歩賑難﹂という高貴な単語が に指先を傷つけられたのが死の因になった詩人のととが思
つぶや
心に浮ぴ、﹁天歩銀難々々々々﹂とくりかえし嘘きながら い浮んだ。そ ζらの凡庸な人聞はそんなことでは死なない。
歩いた。 しかし私は貴重な人間になったのだから、どんな運命的な
にぎ うみ
とこうするうちに、パチンコ屋や呑み屋の明るい賑わい 死を招き寄せるか知れなかった。指の傷は幸いに膿を持た
ほのじろあんどん かす
の尽きるところに、鐙光燈と灰白い行燈とが、閣のなかに ず、きょうはそこを押すと微かに痛むだけであった。
規則正しい連なりを見せている一角が見えはじめた。 五番町へ行くにつけても、私が衛生上の注意を怠らなか
ったのは云うまでもない。前日から、顔を知られていない
うい ζ
寺を出るときからとの一角に、私は有為子がなお生きて 遠い薬屋まで行って、私はゴム製品を買って・おいた。粉っ

いて、隠れ棲んでいるという空想にとらわれていた。空想 ぽいその膜はいかにも無気力な不健康な色をしていた。咋
あかね
は私を力づけた。 夜私はそのひとつを試してみた。茜いろのクレパスで戯れ
金閣を焼こうと決心して以来、私はふたたび少年時代の に描いた仏画ゃ、京都観光協会のカレンダーや、丁度仏頂
む︿ だらに
はじめのような新らしい無垢の状態にいたのであるから、 尊勝陀羅尼のところがあけられている経文の禅林日課ゃ、
人生のはじめに会った人々や事物に、もう一度めぐり会う 汚れた靴下ゃ、笹くれ立った畳ゃ、:::こうしたものの只
ことがあってよい筈だ。そう私は考えた。 中に、私のものは、滑らかな灰いろの、目も鼻もない不吉
金閉寺

これから私は生きる筈であるのに、ふしぎなことに、日 な仏像のように立っていた。その不快な姿が、今は語り伝
らせつ
ましに不吉な思いが募って、明日にも死が訪れるように思 えにだけ残っているあの羅切という兇暴な行為を私に思い

3
15
われ、金閣を焼くまでは死がどうか私を見のがしてくれる 起させた。
ならなかった筈である。

ヨB
:さて私は行燈をつらねた横丁へ歩み入った。 まだ出盛る時刻ではないのか、その町にはふしぎに人通

1
1
百数十軒の家はことごとく同じ造作だった。乙 ζでは総 りが少なかった。私の下駄の音はあらわにひびいた。遣手
ζわね
元締の親分をたよれば、お尋ね者も容易にかくまわれると たちの呼びかける単調な声音が、梅雨時の低く垂れた湿っ

云われていた。親分がベんを鳴らすと、遊廓じゅうの一 た空気の中を這いずりまわるように聴かれた。私の足の指
隠さ
軒々々にひびき渡り、お尋ね者に危険を知らせるのだそう は、ゆるんだ鼻緒をしっかと挟んでいた。そしてとう思つ
おびか可え
である。 た。終戦後、不動山の頂きから眺めた移しい灯の中には、
れんじまゆと
どの家も入口の横に暗い福子窓を持ち、どの家も二階建 確実にとの町の灯も在ったのだと。
であった。重い士白い瓦屋根が、同じ高さで、湿った月の下 私の足がみちびかれてゆくと ζろに、有為子はいる筈だ
ょっ E
に押し並んでいた。どの入口にも、﹁西陣﹂と白く染め抜 った。とある四つ辻の角底に、﹁大滝﹂という家があった。
あいかっぽうぎやりてはす のれん
いた藍のれんを掛け、割亨詰漕の遣手が、身を斜にして、の やみくもに私はそこの暖簾をくぐった。畳六帖ほどのタイ
れんの端からおもてを窺ってい・た。 ルを敷いた一間が突先にあり、奥の腰掛けに三人の女が、
私には快楽の観念は少しも-なかった。何かの秩序から見 まるで汽車を待ちくたびれたような風情で腰かけていた。
ほうたい
離されて、一人だけ列を離れて、疲れた足を引きずって、 一人は和服で、首に繊帯を巻いていた。洋装の一人はうつ
乙むらか
荒涼とした地方を歩いて行くような気がした。欲望は私の むいて、靴下をずり下ろして、緋のととろをしきりに掻い
なかで、不機嫌な背中を見せて、膝を抱いてうずくまって ていた。有為子は留守だった。その留守だったととが私を
いた。 安心させた。
﹃とにかくこ ζで、金を使うことが私の義務なんだ﹄と考 足を掻いていた女が、呼ばれた犬のように顔をあげた。

えつづけた。﹃とにかくと乙で授業料を使い果せばいい。 その丸い、す ζし腫れたような顔は、童画風の鮮やかさで、
おしろい︿ま
そうすれば老師に、尤も至極な放逐の口実を与えるととに 白粉と紅に隈取られていたが、私を見上げた呂つきには、
なるからだ﹄ 奇妙な言い方だが、実に善意があった。女はいかにも、町
私はそんな考えに奇妙な矛盾を見出さずにいたが、もし 角でぶつかった知らぬ人同士のように私を見たのである。
とれが私の本心だとすれば、私は老師を愛してい・なければ その日は私のなかに全然欲望を認めていなかった。

有為子が留守だとすれば、誰でもよかった。選んだり、 も、彼女は ζ の 世 界 を 拒 む か と 思 う と 、 次 に は 文 受 け 容 れ
期待したりしたら、失敗するという迷信が私に残っていた。 ていた。死も有為子にとっては、かりそめの事件であった
わかーとの
女が客を選ぶ余地がないように、私も女を選ば・なければよ かもしれない。彼女が金剛院の渡殿に残した血は、朝、窓
たまどわ︿りん
いのだ。あの怖ろしい、人を無気力にする美的観念が、ほ をあけると同時に飛び掬った蝶が、窓枠に残して行った鱗
ぷん
んのわずかでも介入して来ないようにしなければならぬ。 粉のようなものにすぎ・なかったのかもしれない。
選手がきいた。
﹁どの子供っさんにおしやす﹂ 二階の中央に、中庭の吹き抜けになった部分を古い透か
私は足を盛いていた女を指さした。彼女の足をそのとき し彫の欄干で囲んだととろがあって、そこに赤い腰巻ゃ、
かゆ もの隠しぎお
伝わっていた小さな摩みが、 そらくそこのタイルのおも
hp パンティゃ、寝間着・などが、軒から軒へ渡した物干竿にか
やぷか
てをうろついていた薮蚊の刺し跡が、私と彼女をつないだ けであった。大そう暗くて、おぼろげな寝間着は人の姿の
縁であった。:::その厚みの沿かげで、彼女はのちのち、 ように見えた。
私の証人になる権利を獲得するだろう。 どとかの部屋で女が歌をうたっていた。女の歌は-なだら
女は立上って、私のそばへ来て、唇をまくり上げるよう かにつづき、ときどき調子外れの男の歌声がそれに和した。
に笑って、私のジヤンパアの腕に少し触った。 歌が切れて、短かい沈黙があったのち、糸が切れたように
女が笑い出した。
暗い古い階段を二階へのぼるあいだ、私はまた有為子の ﹁ーー子さんやわ﹂
らいかた
ことを考えていた。何か乙の時問、乙の時聞における世界 と私の敵娼が遣手に一言った。
を、彼女は留守にしていたのだという考えである。今こと ﹁いつもいつもああやさかいな﹂
かた︿
に留守である以上、 Aーどこを探しても、有為子はいないに 遣手は笑い声のするほうへ頑・なに四角い背を向けていた。
相違なかった。彼女はわれわれの世界のそとの風呂屋かど 私の通されたその小座敷は、殺風景な三畳の問で、水屋の
ちょっと 隠てい
金問守

こかへ、一寸入浴に出かけているらしかった。 ようなととろを床の間代りに、布袋と招き猫が散漫に置い
弘には有為子は生前から、そういうこ重の世界を自由に てある o壁 に は 細 か い 箇 条 書 を 貼 り 、 カ レ ン ダ ー が 掛 け て

3
17
Bレトふ,、
出入りしていたように思われる。あの悲劇的・な事件のとき ある。三、四十燭の暗い灯が下っている。開け放った窓か
ひょうきや︿
らは、おもての媒客の足音がまばらにひびいた。 るのに気づいた。

88
遣手がお時聞か泊りかと私にたずねた。お時聞は四百同 ﹁ほんまやったら、まり子さんは今夜はまんがええな﹂と

1
っき
であった。私はそれから消と摘みものを頼んだ。 遣一手が言った。
選手がそれを取りに階下へ下りても、女は私のそばへ寄 ﹁ほんまかどうか、もうじきわかるわねえ﹂
って来なかった。寄って来たのは、酒をもって来た遺手が とまり子はぞんざいに言った。しかしその言葉に肉感は
促してからである。近くでみると、女は鼻の下のととろが、 なく、まり子の心は、私の肉体とも彼女の肉体とも関わり
とすれて少し赤くなっていた。足ばかりではなく、退屈し のない場所に、者ひはぐれた子供のように、遊んでいるの
とす
のぎに、彼女はほうぼうを掻いたり擦ったりする癖がある が私には見てとれた。まり子は薄みどりのブラウスに、黄
らしい。しかし鼻の下のこの灰かな赤みは、もしかすると いろいスカートをはいていた。朋輩に借りていたずらをし
紅がはみ出したものかもしれなかった。 たのか、両手の親指の爪だけを赤く染めていた。

し bdい
私が生れてはじめての登楼に、そんなに仔細・な観察を働
いぶか
らかしたのを訪っては・ならない。自分の見える限りのもの やがて八畳の寝聞に入ったとき、まり子は蒲団の上へ片
ひも
から、私は快楽の証拠を探し出そうとしていた。すべて 足を踏み出して、電燈の傘から長く垂れた紐を引いた。明
ヲラシス
が銅版画のように精密に眺められ、しかも精密なまま、 りの下にあざやかな友禅の蒲団がうかぴ上った。仏蘭西人
それらは私から一定の距離のところに平らに貼りついてい 形を飾った立派な床の間のついた部屋である。

。 私は不器用に脱衣した。まり子は薄桃いろのタオル地の
﹁お客さん、前に見た ζとあるわ﹂ ゆかたを肩にかけ、その下でたくみに洋服を脱いでいた。
と女は、まり子という自分の名を告げたあとでき口った。 私は枕もとの水をたんと呑んだ。その水音をきいて、
﹁はじめてだよ﹂ ﹁あんた、水呑みゃねえ﹂
﹁とういうと乙ろ、本当にはじめて?﹂ と女はむとうを向いたまま笑っていた。そして床に入っ
﹁はじめてだよ﹂ て顔を見合わせてからも、私の鼻を指先で軽くっついて、
﹁そうだろうな。手がふるえてるもの﹂ ﹁本当にはじめて遊ぶの﹂
ちょ︿ふる ,


抗生
也 ZF ζ
'んリ
mvb
そう言われてから、私は猪口をもっ自分の手が懐えてい と云って笑った。暗い枕行燈のあかりの中でも、私は見
ることを忘れ・なかった。見ることが私の生きている証拠だ ﹁又来・なさいよね﹂
ったから。それにしても他人の二つの目が、とんなに近く と女の言う言葉で、まり子が私より一つ二つ年上だとい
に在るのを見るのははじめてだった。私の見ていた世界の う感じがした。事実そうなのに違いなかった。乳房は私の
遠近法は崩壊した。他人はおそれげもなく私の存在を犯し、 すぐ前に在って汗ばんでいた。決して金閣に変貌したりす
みずかさ
その体温や安香水の匂いもろとも、少しずつ水嵩を増して るととのない唯の肉である。私はおそるおそる指先でそれ
ひた
浸水し、私を泊してしまった。私は他人の世界がこんな風 に触った。

.、
.
に融けてしまうのをはじめて見たのである。 ﹁こんなもの、珍らしいの﹂
私は全く普遍的な単位の、一人の男として扱われていた。 まり子はそう言って身をもたげ、小動物をあやすように、
誰も私をそんな風に扱えるとは想像していなかった。私か 自分の乳房をじっと見て軽く揺った。私はその肉の・たゆた
らは吃りが脱ぎ去られ、醜さや貧しさが脱ぎ去られ、かく いから、舞鶴湾の夕日を思い出した。夕日のうつろいやす
て脱衣のあとにも、数限りない脱衣が重ねられた。私はた さと肉のうつろいやすさが、私の心の中で結合したのだと
しかに快感に到達していたが、その快感を味わっているの 思われる。そしてこの目前の肉も夕日のように、やがて幾
が私だとは信じられなかった。遠いところで、私を疎外し 重のタ雲に包まれ、夜の墓穴深く横たわるという想像が、
あんど
ている感覚が湧き立ち、やがて崩折れた。:・私は忽ち身 私に安堵を与えた。
しぴ

**
を離して、額を枕にあてがい、冷えて簿れた頭の一部を、

*
拳で軽く叩いた。それから、あらゆるものから置き去りに
されたような感じに襲われたが、それも涙の出るほどでは 同じ庖の問、し女を訪ねて、その明る日も私は行った。金
なかった。 が十分残ったからばかりではない。最初の行為が、想像但
の歓喜に比べていかにも貧しかったので、それをもう一度
事の後の寝物語に、女が名古屋から流れて来たことなど 試みて、少しでも想像上の歓喜に近づける必要があったの
金閣寺

を話しているのを、・おぼろげに聴きながら、私は金閣のこ だ。私の現実生活における行為は、人とはちがって、いつ
とばかり考えていた。それは実に抽象的な思索で、いつも も想像の忠実な模倣に終る傾きがある。想像というのは適

3
19
のように肉感の重く澱んだ考えではなかった。 当ではない。むしろ私の源の記憶と一五いかえるべきだ。人
生でいずれ私が味わうことになるあらゆる体験は、もっと 。

p

10
も輝やかしい形で、あらかじめ体験されているという感じ 小座敷の酒のやりとりは、もうそれほどぎこちなくはな

1
を、私は拭うことができ・ない。こうした肉の行為にしても、 u﹀
a :。
,一戎 UH
いき
私は思い出せぬ時と場所で、(多分有為子とてもっと烈し ﹁ちゃんと裏を返しておくれやして、お若いのに粋・なこと
い、もっと身のしびれる官能の均ひをすでに味わっている どす司なあ﹂
よう・な気がする。それがあらゆる快さの泉をなしていて、 遣手がそう言うと、
いっき︿わ おしよう
現実の快さは、そこから一掬の水を頒けてもらうにすぎな ﹁でも、毎日来て、和尚さんに叱られ・ない?﹂とまり子は
いのである。 きロい、見破られた私のおどろいた顔つきを見てこう言った。
﹁そりゃあわかるわ。今はリ I ゼ ン ト ば か り で 、 五 分 刈 ゃ

山ゆ
たしかに遠い過去に、私はどこかで、比
νιび な い 壮 麗 な 夕
うち
焼けを見てしまったような気がする。その後に見る夕焼け ったら、お寺さんに決ってるもの。家なんか、今は偉い坊

が、多かれ少一なかれ色畑地せて見えるのは私の罪だろうか? さんになってる方が、若いときは大抵見えてるんだって。
きのう女が、あまりに私を人並に扱ったので、きょう私 目:さあさ、歌でもうたいましょう﹂
やぷ陥やり
は、数日前に古本屋で買った古い文庫本をポケットに入れ まり子は厳から俸に、港の女がどうとかしたという時花
局也ぬ
て行った。ペッカリlアの﹁犯罪と刑罰﹂である。との十 歌をうたいはじめた。
けいもう
八世紀イタリヤの刑法学者の本は、啓蒙主義と合理主義の そして二度目の行為は、すでに見馴れた環境の中で、と
・へっけん
古典的な定食料理で、数頁読むなり私は投げ出してしまっ どこおりなく気楽に運んだ。今度は私も快楽を瞥見したよ
たが、もしかして女がその題名に興味をもつかと思ったの うに思ったが、それは想像していた類いの快楽ではなく、
である。 自分がそのととに適応していると感じる自堕落な満足にす
まり子は、きのうと同じ微笑で私を迎えた。同じ微笑で ぎ・なかった。
とんせき
はあったが、﹁昨日﹂はどとにもその痕跡を残していなか 事の後で女が年上らしく私に感傷的な訓戒を与えたのが、
った。そして私に対する親しみには、どこかの町角でちら 私のほんのつかのまの感興をも壊してしまった。
と会った人聞に対する親しみがあったが、それというのも ﹁あんまりとん-なところへ来ないほうがいいと思うわ﹂と
彼女の肉体がどとかの町角のようなものだったからであろ まり子は言ったのである。﹁あんたはまじめな人だもの。
そう思うもの。深入りせんと、まじめに商売に精出したほ 笑い出した。乳房をゆすって笑い、私をちらちら見ながら、
うがいいと思うわ。来てほしい乙とは来てほしいけど、私 快を噛んで笑いをとらえるが、又新たな笑いに小突きまわ
針。
がとう言う気持、わかってもらえるわねえ。あんたが弟み されて、休じゅうが傑えた。何がそんなに可笑しいのか、
たような気持がするんだもの﹂ まり子にも説明できなかったにちがいない。それに気がつ
おそらくまり子は、何かの三文小説でそういう会話を学 いて、女は笑い止んだ。
んでいた。それはそんなに深い気持で言った言葉ではなく、 ﹁何が可笑しいんだ﹂と私は愚聞を発した。
私を相手にして一つの小さな物語を仕組んで、まり子の作 ﹁だって、あんたって略っきだねえ。ああ、おかしい。あ
った情緒を私が共にしてくれるととを期待していた。それ んまり嘘つきなんだもの﹂
に応えて私が泣いてくれれば、さらによかった。 ﹁嘘なんか言わない﹂
ト-
しかし私はそうしなかった。いきなり枕もとから、﹁犯 ﹁もう止して。ああ、おかしい。笑い殺されちゃう。嘘ば
罪と刑罰﹂をとって、女の鼻先へっきつけた。 っかり言ってさ、まじめな顔をして﹂
まり子は素直に文庫本の頁をめくった。何も一言わずに、 まり子は又笑った。その笑いは実に単純な理由、勢い込
ども
もとのととろへほうり投げた。もうその本は彼女の記憶を んで言った私の言葉が異様に吃ったからにすぎなかったか
去っていた。 もしれない。とにかくまり子は完全に信じ・なかった。
私は女が、私と会ったという運命に、何かの予感を感じ 彼女は信じなかった。目前に地震が起っても、彼女は信
てくれることをのぞんでいた。世界の没落に手を貸してい じなかったにちがい・ない。世界が崩壊しても、 ζ の女だけ
るという意識に、少しでも近づいてくれるようにのぞんだ。 は崩媛しないかもしれない。何故ならまり子は、自分の考
それは女にとっても、どうでもよいととではない筈だと私 える筋道どおりに起る事柄しか信じないのに、世界がまり
は考えた。こうした焦慮のあげく、とうとう言うべきで・な 子の考えるように崩出世することはありえず、まり子がそん
ζんりんざい
い ζとを私は言った。 なととを考える機会も金輪際なかったからだ。その点でま
l寺

ごト月、:::そうだな、一ト月以内に、新聞に僕のとと り子は柏木に似ていた。女の、考えない柏木が、まり子で
i
l
r

が大きく出ると思う。そうしたら、思い出してくれ﹂ あった。

41

1
おわどうき
一言い了ると、私は激しく動惇していた。しかしまり子は 話題が途絶えたので、乳房をあらわにしたまま、まり子
は鼻歌をうたった。するとその鼻歌が蝿の羽音にまぎれた。 った。あとは老師が授業料の使途に気づいて、私を放逐す

12
蝿が彼女のまわりを飛んでいて、たまたま乳房にとまって る ζとが残っているだけだ。

1
も、まり子は、 が、私は決して老師に、乙の使途を暗示するような行動
﹁くすぐったいわねえ﹂ に出なかった。告白は不要であり、告白しなくても、老師
と言うだけで、追うでも-なかった。乳房一にとまるとき、 が晴吹きつけてくれる筈だったのである。
蝿はいかにも乳房に密着していた。おどろかされたことに どうしてそ ζまで私が、或る意味で老師のカに信頼し、
あいぷ
は、まり子にはとの愛撫が満更でもないらしかった。 老師の力を借りようとしているのか、説明はむずかしかっ
のきびきし ゆだ
軒庇に雨音がした。それはそとだけに降っているような た。自分の最後の決断を、又しでも老師の放逐に委ねよう
っと
雨音だった。雨がひろがりを失って、乙の町の一隅に迷い としているのかわから・なかった。私が夙に老師の無力を見
込んで、立ちすくんでいると云った風である。その音は、 きわめていた ζとは、前にも述べたとおりである。
私の居る岨場所のように、広大・な夜から切り離された、枕行 二度目の登楼の数日のち、私は老師の ζん念姿を見たこ
燈の灰明りの下だけのような、局限された世界の雨音であ とがある。

弘比。 老師としてはめずらしい ζとであるが、その日の朝早く、
蝿は腐敗を好む・なら、まり子には腐敗がはじまっている 開園前の金閣のほとりへ散歩に出かけた。私たちの掃除に
のか?何も信じ・ないということは腐敗なのか?まり子 ねぎらいの言葉をかけ、老師は涼しげな白衣で、夕佳亭へ

が自分だけの絶対の世界に往んでいるという乙とは、蝿に むかう石階を登って行った。そこで一人でお茶でも点てて
見舞われる乙となのか?私にはそれがわからなかった。 心を澄ますのだろうと思われた。
まどろみ
しかし突然、死のような仮睡に落ちた女の、枕もとの明 その日の朝空には、烈しい朝焼けの名残があった。空の
事た あか
りに丸く照らされた乳房の明るみの上では、蝿も亦、急に 青のそこかしこに、まだ紅く照り映えている雲が動いてい
ほしらいさ
限りに落ちたかのように動かなかった。 た。雲がまだ含差から醒め切らぬかのようであった。

**
掃除がすんで、私たちはおのがじし本堂へ帰りかけた

*
が、私だけは夕佳亭の横をとおって大書院の裏手へ出る裏
私は二度と﹁大滝﹂へ行かなかった ・なすべきことは終
0
道から帰った。大書院の裏手の掃除が残っていたからで
てんじ︿ずし
ある。 天竺渡りの繊巧な細工の厨子が床の間に飾つである。左方
・ e
附MAJ ふすまえ
に利休好みの桑慨も見える。襖絵も見える。老師の姿だけ
私は講を携えて金閣寺垣に固まれた石段をのぼり、夕佳
亭のかたわらに出た。木々は昨夜までの雨に濡れていた Q
が見えないので、思わず首を生垣の上へもたげて見まわし
んぽ︿


AU
潅木の葉末のおびただしい一認には、朝焼けの名残が映って、
みみな
時ならぬ淡紅の実が生ったかのようである。認をつないだ 床住のわきの灰暗いあたりに、大き司な白川 包みのようなU
蜘妹の巣もほのかに紅みがきしてわなないている。 ものが見える。よく見ると老師である。白衣の身を曲げる
私は地上の物象が、こんなにも敏感に天上の色を宿して だけ曲げて、頭を膝の聞に擁して、両袖で顔を覆うて、う
じ会い
いるのを、一種の感動を以て眺めた。寺内の緑に立ちこめ ずくまっているのである。
AJ
ている雨の潤いも、すべて天上から享けたものであった。 その姿勢のまま、老師は動かない。いっかな動かない。
おんちょう
それらはあたかも恩寵を享けたように濡れそぼち、腐敗と 却って見ている私のほうに、さまざまな感情が去来した。
みずみずしさの入りまじった香を放っていたが、それとい はじめ私の思ったのは、老師が何か急激な病気に襲われ、
すぺ
うのも、それらは拒む術を知らないからだった。 発作に耐えているのだろうということであった。私はすぐ
きょう限︿ろう
周知のとおり、夕佳亭に接して扶北楼があり、その名は、 立寄って介抱に当ればよかった。
﹁北辰之居ニ其所-而衆星扶レ之﹂に出ている。しかし今の しかし私を引止める別の力があった。どんな意味ででも
あす
扶北楼は、義満が威令を振っていたころのものとはちがっ 私は老師を愛していず、明日にも放火の決心を固めている
て、百数十年前に再建して、丸形好みの茶席にしたのであ のだから、そんな介抱は偽善であり、又もし介抱して、そ
る。老師の姿は夕佳京 Tには見えなかったので、多分扶北楼 の結果和尚に感謝や情愛を示されたら、それが私の心弱り
、 'hp
にいるらしかった。 になるという危慎があった。
私は一人きりで老師に顔を合わしたくはなかった。生垣 仔細に見ると、老師は病気とは思われ・なかった。いずれ
ぞいに身を屈して歩けば、むこうからは見えない筈だ。そ にせよその姿勢は、衿りも威信も失くして、卑しさがほと
盆閣寺

のようにして、足立日をひそめて歩いた。 んど獣の寝姿を思わせた。袖がかすかに傑えているのがわ
扶北楼は開け放たれていた。常のように、床には円山応 かり、何か見えない重いものがその背にのしかかっている

1錨
ぴや︿だん
挙の軸が見える。白檀を彫ったのが歳月と共に黒くなった ようであった。
その見えない重みは何だろうかと私は考えた。苦悩だろ させ、ついには私の膝を屈させる、そういう世にも皮肉な

1
︿んかい

4
うか?それとも老師自身の耐えがたい無力感だろうか? 訓誠の方法を発見したのだ!

1
耳が馴れるにしたがって、老師がどく低く咳いている経 何やかと心迷いながら、その老師の姿を見ているうちに、
文らしいものが臆かれたが、何の経文かわから・ない。私た 危うく私が感動に襲われかけていたのは事実だった。力の
ちの知らぬ暗い精神生活が老師にはあって、それと比べた 限り否定しながら、私が老師をまさに愛慕しようとしてい
ら、私が懸命に試みて来た小さな悪や罪や怠慢は、とるに るその境目のととろにいたととは疑いがない。しかし﹃私
足らぬものだという考えが、突然私の衿りを傷つけるため に見せるためにそうしている﹄と考えたおかげで、すべて
に現われた。 が逆転し、私は前よりも硬い心をわがものにした。
そうだ。そのとき私は気づいたのだが、老師のそのうず 放火の決行に、老師の放逐などをあてにすまいと、私が
κっ し ゅ あ ん ぎ や そ う
くまった姿は、僧堂入衆の歎願を拒まれた行脚僧が、玄関 思い定めたのはとの時である。老師と私は、もうお互いに
にわづめ むげ
先で終日自分の荷物の上に頭を垂れて過どすあの庭詰の姿 影響されるととのない別の世界の住人になった。私は無 mM
勢 に 似 て い た 。 も し 老 師 ほ ど の 高 僧 が 、 新 来 の 旅 僧 の ζの であった。もはや外の力に期待せずに、自分の思うまま、
ような修行の形を真似ているなら、その謙虚さはおどろく 自分の思うときに決行すればよかった。

べきものがあった。何にむかつて老師がそれほど謙虚にな 朝焼けが色岡田せると共に、空には雲が殖え、挟北楼の濡
っているのかわからなかった。庭の下草や、木々の葉末ゃ、 縁からは鮮やかな日ざしが退いた。老師はうずくまったま
蜘株の網に宿った露が、天上の朝焼けに対して謙虚なよう まだった。私は足早にそとを立去った。
に、老師も自分のものではない本源的な悪や罪業に対して、

**
*
それをそのまま猷の姿勢でわが身に映すほど、謙虚になっ

つ dつ
ているのであろうか? 六月二十五日、朝鮮に動乱が勃発した。世界が催実に没
﹃私に見せているのだ 1﹄と突然私は考えた。それにちが 落し破滅するという私の予感はまことになった。急がなけ
いない。私がと ζを 通 る と と を 知 っ て い て 、 私 に 見 せ る た ればならぬ。
めにああしているのだ。自分の無力をほとほと覚った老師
れんぴん
は、最後に無言で私の心を引き裂き、私に憐欄の感情を起
ちかくの薬屋でカルモチンを賀った。はじめ庖の者が、三
こぴん
十錠入りと思われる小瓶を出して来たので、私はもっと大
第十章
型のをくれと云って、百錠入りを百円で買った。さらに、
さやっき
西陣者南隣りの金物屋で、刃渡り四寸ほどの鞘附小万を九
五番町へ行ったあくる日、実は私はすでに一つの試みを 十円で買った。
︿ぎ
している。金閣の北側の板戸の二寸程の釘を三本抜いてお 私は夜の西陣署の前を行きつ戻りつした。窓のいくつか
ともかいきん
いたのである。 はあかあかと灯し、開襟シャツの刑事が鞄を抱えてあわた
隠 す Hいん
金閣の第一層法水院の入口は二つある。東西に一つずつ、 だしく入って行く姿が見えた。私に注意を払う者は一人も
ぴら
いずれも観音披きの扉がついている。案内人の老人が、夜、 いない。過去二十年、私に注意を払う人聞はい・なかったが、
金閣に上って、西のほうの扉を内側から締め、東のほうの 今のところ、その状態はつづいている。今のところ、私は
扉を外から締めて、それに錠前を下ろすのである。しかし まだ重要ではない。 ζ の日本にも、何百万、何千万の、人

錠前がなくても金閣へ入れるととを私は知った。東側の扉 の注意を惹かない片隅の人間がいて、私はまだそれに属し
から裏へまわった北側の板戸は、あたかも閣内の模型の金 ているのである。乙ういう人聞が生きようと死のうと、世
つうよう
閣の背後を護っている。その板戸は老何しており、上下の 聞は何ら痛俸を感じないのだが、そんな人聞は実に安心さ
釘を六七本抜けばたやすく外れるのである。釘はいすれも せるものを持っている。だから刑事も安心して、私のほう
緩んでいて、指の力だけで楽に抜くことができる。そこで を振向とうとしないのだ。﹁察﹂の字の脱落した西陣警察
私は試みに、その二本を抜いて・おいた。抜いた釘は紙に包 署という横書きの石の文字を、赤い煙るような門燈の光り
ひきだし
んで、机の抽斗の奥深く保存した。数日経った o誰も気が が示している。
とよれ
ついた様子はない。一週間経った。誰も気づいた気配はな 寺へのかえるさ、私は今宵の買物について考えた。心の
かった。二十八日の晩、又私はひそかに二本の釘を元へ戻 躍るような買物である。
]寺

しておいた。 刃物と薬とを、私は万一あるべき死の支度に買ったので
;
1

老師のうずくまった姿を見て、いよいよ誰の力にもたよ あるが、新らしい家庭を持つ男が何か生活の設計を立てて、必

らない決心をしたその日のとと、私は千本今出川の商陣箸 買う日間物はさもあろうかと忠われるほど、それは私の心を
たの
娯しませた。寺へかえってからも、その二つのものに見飽 であったのに、その又とない機会を逸したのである。

H6
動u'
かなかった。鞘を払って、小万の刃を紙めてみる。刃はた 夕刻に・なって修理工がやって来た。われわれは物珍らし
ちまち曇り、舌には明確な冷たさの果てに、遠い甘味が感 げな顔を並べて、修理のありさまを見物した。修繕は永く
じられた。甘みは乙の薄い鋼の奥から、到達できない鋼の かかり、工員は首をかしげるばかりで、見物も一人去り二
実質から、かすかに照り映えてくるように舌に伝わった。 人去りした。ほどほどに私もその場を立去った。あとは修
あい
乙んな明確な形、こんなに深い海の藍に似た鉄の光沢、 理が成って、ヱ員が試みに鳴らすべんが、音高く寺内にひ
ぜいれつ
・::それが唾液と共にいつまでも舌先にまつわる清測な甘 びきわたるのを、私にとっては絶望のその合図を待てばよ
うしお
みを持っている。やがてその甘みも遠ざかる。私の肉が、 いのである。::・私は待った。金閣には潮のように夜が押
Kばし
降 ひ
いつかとの甘みの遊りに酔う日のととを、私は愉しく考え し上げ、修理のための小さな灯がまたたいていた。警報は
た。死の空は明るくて、生の空と同じように恩われた。そ 鳴らなかった。匙を投げた工員は明日又来ると言い置いて
して私は暗い考えを忘れた。乙の世には苦痛は存在しない 帰った。
のだ。 七月一目、工員は約束を破って、来なかった。しかし寺
さつ,ゅう
には、それほど早急の修繕を促す理由がなかった。
金閣には戦後、最新式の火災自動警報器が取付けられて
ろ︿bんE
いた。金閣の内部が一定の温度に達すると、警報が鹿苑寺 六月三十日に、私は又しても千本今出川へ行って、菓子

も aq
事務室の廊下のところで鳴りひぴく仕掛になっている。六 パンと最中を買った。寺では間食が出ないので、乏しい小
月二十九日の晩、との警報器が故障を起した。故障を発見 遣の中から、たびたびそとで僅かずつ菓子を買ったことが
したのは、案内人の老人である。老人が執事寮でその報告 ゑ
り,。

をするのを、たまたま庫裏にいて私は聴いた。私は天の励 しかし三十日に買った菓子は、空腹のためではない。カ
ましの声を聴いたと思った。 ルモチンの服用の援けに買ったのでもない。強いて言えば、
しかし翌三十日の朝、献苛さんは器械を納入した工場へ 不安がそれを買わせた。
電話をかけて修繕をたのんだ。人のよい案内人はわざわざ 手に提げたふくよかな紙袋と、私との関係。私が今や着
私にそれを告げた。私は唇を噛んだ。昨夜とそ決行の機会 手しようとしている完全に孤独な行為と、みすぼらしい菓
子パンとの関係 0
・:・曇った空からにじみ出た陽が、むし のことは午後六時に確かになった。案内の老人がもう一度
もや
あつい寵のように古い町並に立ちとめていた。汗はひそか 催促の電話をかけた。申訳ないが今日は多忙で行けないか
だる
に、私の背に突然冷たい糸を引いて流れた。大そう倦かっ ら、明日は必ず行くと工員が答えたのである。

。 その日の金閣拝観者は百名ほどであったが、六時半には
菓子パシと私との関係。それは何だったろう。行為に当 は
閉 鎖 さ れ る の で 、 す で に 人 波 は 引 き ぎ わ で あ っ た 。 老 A4
面して精神がどれほど緊張と集中に勇み立とうが、孤独な 電話をかけおわると、案内の仕事はもう終っていたから、
ままに残された私の胃が、そこでもなお、その孤独の保証 庫裏の東側の土聞から小さな畑を眺めてぼんやり立ってい
を求めるだろうと私は予想していた。私の内臓は、私のみ た

すぼらしい、しかし決して馴れない飼犬のように感じられ 霧雨が降っている Q
朝から何度か降つては止む。風もほ
aぽちゃ
た。私は知っていた。心がどんなに目ざめていようと、胃 のかに吹き、さして蒸暑いほどではない。畑には南瓜の花
うね
や揚や、とれら鈍感な臓器は、勝手になまぬるい日常性を が雨のなかに点々としている。一方黒いつややかな畝には、
a率
夢みだすことを。 先月はじめに蒔いた大一旦が芽生えている。
あど
私は自分の胃が夢みるのを知っていた。菓子パンや最中 老人は何か考え事をするとき、顎をうどかして、はまり
を夢みるのを。私の精神が宝石を夢みているあいだも、そ のわるい総入歯をかち合わせて鳴らしていることがある。
かた︿
れが頑なに、菓子パンや最中を夢みるのを。::・いずれ菓 毎日同じ案内の口上を述べているが、日ましに聴きとりに
子パンは、私の犯罪を人々が無理にも理解しようと試みる くくなるよう・なのは入歯のせいである。が、人にすすめら
つぶや
とき、恰好な手がかりを提供するだろう。人々は言うだろ れでも、直そうとするでもない。畑を見つめて、何か咳い
う。﹃あいつは腹が減っていたのだ。何と人間的なととだ ている。咳いては、又歯を鳴らし、鳴らすのを止めては又
はかど
ろう 1 ﹄ 咳く。多分警報器の修繕が捗ら・ないのをとぼしているので
**
ある。
*
金閣寺

そのききとれない肱きをきいていると、私には、彼は入
その日が来た。昭和二十五年の七月一日である。前にも 歯にも警報器にも、どんな修繕ももはや不可能だと言って

唾7
1
言ったように、火災警報器は今日中に直る見込はない。そ いるように思われる。
とら
が、禅海和尚は何ものにも囚われない。初対面の私を見

H畠
その夜鹿苑寺には、老師のもとへめずらしいお客があっ るなり、父によく似ている。よく成人した。お父さんが亡
た。むかし老舗と僧堂の友であった福井県龍法寺の住職、 くなったのはまことに惜しい。などと、つづけざまに朗ら
桑井機海和尚である。老師と僧堂の友であった ζと は 、 私 かに一言ったのである。
の父ともそうであったということである。 和尚には老師の持、たぬ素朴さがあり、父の持たぬ力があ
やだいだい
老師の出先へ電話がかけられた。一時間ほどして老師が った。その顔は日に灼けて、鼻は大々とひらき、濃い眉の

LOむ0 へしみおもてかたど
帰るだろうと告げられた。禅海和尚は鹿苑寺に一一一泊する 肉が隆起して迫っているさまは、大徳見の面に象って作ら
じようら︿
つもりで上洛したのである。 れたかのようであった。整った顔立ちではない。内部の力
父は何かにつけて禅海和尚のととを愉しげに話し、父が が余って、その力が思うままに発露して、整いを壊してし
かん乙っき
和尚に敬愛の、むを寄せていることがよくわかった。和尚は まっている。突き出た額骨までが、南画の岩山のように奇
しよう
外見も性格もまととに男性的な、荒削り・な禅僧の典型であ 崎である。
った。身の丈は六尺にちかく、色は黒く眉は濃かった。そ それでいて、轟くような大声で話す和尚には、私の心に

﹄M' 急リ
の声は轟くばかりであった。 ひびくやさしさがある。世の常のやさしさではなくて、村
ζ かげね
老師のかえりを待つあいだ私と話したいという和尚の意 のはずれの、旅人に木蔭の憩いを与える大樹の荒々しい根
ほうばい かたあら
向を伝えて、朋輩が呼びに来たとき、私はためらった。和 方のようなやさしきである。どく手ざわりの粗いやさしさ
尚の単純で澄明な目が、今夜に迫った私の企てを見抜きは である。話すほどに、私は今夜という今夜、自分の決心が
しないかとおそれたのである。 こういう優しさに触れて鈍ることを警戒した。すると又し
本堂客殿の十二畳の問で、和尚は副司さんが気を利かし でも、老師がわざわざ私のために和尚を招いたのではない
しようじんさか会あぐら
て出した消を、精進の肴で、胡坐をかいて呑んでいた。朋 かという疑いが湧いたが、私のために福井県から和尚の上
輩がそれまで酌をしていたのを、今度は私が代って、和尚 洛をたのむなどという乙とはありえなかった。和尚は奇妙
の前の畳に正座して、酌をした。音のせぬ雨の閣に私は背 な偶然の客、との上もない破局の証人にすぎなかった。
ちょろし
を向けていた。そとで和尚は、私の顔と、 ζ の 梅 雨 時 の 庭 二合ちかく入る大きな白磁の銚子が空になったので、私
てんぞきさ
の夜と、ふたつながら暗い眺めを見る他はなかった。 は一礼して典座へ代りをとりに行った。熱い銚子を捧げて
かつ
帰って来るとき、私に嘗て知らなかった感情が生れた。一 く、なくてもよい。そして和尚が何より私に偉大に感じら
度も人に理解されたいという衝動にはかられなかったのに、 れたのは、ものを見、たとえば私を見るのに、和尚の目だ
ど 品仙
この期に及んで、禅海和尚にだけは潔解されたいと望んだ けが見る特別のものに頼って異を樹てようとはせず、他人
のである。再び来て酒をすすめる私の目が、先程とちがっ が見るであろうとおりに見ている ζとであった。和尚にと
て、いかにも真率にかがやくのに和尚は気づいた筈だ。 っては単なる主観的世界は意味がなかった。私は和尚の言
﹁私をどう思われますか﹂ わんとするととろがわかり、徐々に安らぎを覚えた。私が
と私はたずねた。 他人に平凡に見える限りにおいて、私は平凡なのであり、
みと
﹁ふむ、真面目-な善い学生に見えるがのう。裏で、どんな道 どんな異常な行為を敢でしょうと、私の平凡さは、箕に漉

払り1
楽をしておるか、憶は知らん。しかし気の毒に、土日とちが された米のように残っているのだった。
って道楽の金もあるまいがのう。-お父さんと憾と ζ 乙の住 私はいつかしら自分の身を、和尚の前に立っている静か
はむら傘
職とは、若い時分は-なかなか悪さをしたものじゃった L な葉叢の小さな樹のように思い倣した。
﹁私は平凡な学生に見えましょうか﹂ ﹁人に見られるとおりに生きていればよろしいのでしょう
﹁平凡に見えるのが何よりの ζとじゃ。平凡でよいのじゃ。 か

そのほうが人に怪しまれんでよいわい﹂ ﹁そうも行くまい。しかし変ったことを仕出かせば、又人
機海和尚には虚栄心がなかった。高位の僧の陥りがちな はそのように見てくれるのじゃ。世間は忘れっぽいでな﹂
ζっとう
弊であるが、人物から書画骨董にいたるまでの万般の鑑識 ﹁人の見ている私と、私の考えている私と、どちらが持続
たのわら
限を侍まれるので、あとで鑑識の誤まりを噴われぬように、 しているのでしょうか﹂
断定的なことを言うまいとする人がある。もちろん偉僧風 ﹁どちらもすぐ途絶えるのじゃ。むりやり思い込んで持続
の独断を即座に下してみせるが、どちらにも意味のとれる させても、いつかは又途絶えるのじゃ。汽車が走っている
ような余地を残しておくのである。脳陣海和尚はそうでは念 あいだ、乗客は止っておる。汽車が止ると、乗客はそとか
金閉寺

かった。彼が見たまま感じたままを言っているととがよく ら歩き出さねばならん。走るのも途絶え、休息も途絶える。
わかった。彼は自分の単純な強い自に映る事物に、 ζとさ 死は最後の休息じゃそうなが、それだとて、いつまで続く

149
ら意味を求めたりすることは・なかった。意味はあってもよ か知れたものではない﹂
﹁私を見抜いて下さい﹂ととうとう私は言った。﹁私は、 私は口のなかで吃ってみた。一つの言葉はいつものよう

0
ほか

5
お考えのような人間ではありません。私の本心を見抜いて に、まるで袋の中へ手をつっとんで探すとき、他のものに

1
下さい﹂ 引っかかってなかなか出て来ない品物さながら、さんざん
和尚は盃を含んで、私をじっと見た。雨に濡れた鹿苑寺 私をじらせて唇の上に現われた。私の内界の震さと濃密さ
の大きな黒い瓦屋根のような沈黙の重みが私の上に在った。 は、あたかもこの今の夜のようで、言葉はその深い夜の弁
つる・へきし
私は戦附加した。急に和尚が、世にも晴朗な笑い声を立てた 戸から重い釣瓶のように乳りながら昇って来る。
のである。 ﹃もうじきだ。もう少しの辛抱だ﹄と私は思った。﹃私の
﹁見抜く必要はない。みんなお前の面上にあらわれてお 内界と外界との問のとの錆びついた鍵がみごとにあくのだ。

﹂ 内界と外界は吹き抜けになり、風はそとを自在に吹きかよ
ndaz
和尚はそう言った。私は完全に、残る限なく狸解された うようになるのだ。釣瓶はかるがると羽簿かんばかりにあ
と感じた。私ははじめて空白になった。その空白をめがけ がり、すべてが広大な野の姿で私の前にひらけ、密室は滅

て濠み入る水のように、行為の勇気が新鮮に湧き立った。 びるのだ Oi---それはもう日の前にある。すれすれのとこ
ろで、私の手はもう届乙うとしている。:::﹄
老師が帰った。午後九時である。常のように四人の警備 私は幸福に充たされて、一時間も闘の中に坐っていた。
員が巡回に出た。何の異状もなかった。 生れてから、との時ほど幸福だったことはなかったような
帰った老師は和尚と酒を酌みかわし、夜中の零時半ごろ、 気がする。:::突然私は聞から立上った。
わらぞう
朋輩の徒弟が和尚を寝所に案内した。それから老舗は開浴 大書院の裏手へ忍び足で出て、かねて用意していた藁草
げきた︿ z
oぞ
と謂って風呂に入り、二日の午前一時、撃析の声も納まっ 履をはいて、霧雨のなかを鹿苑寺の裏側の溝ぞいに歩いて、
さじぽ
て、寺は静かになった。雨はなお音もなく降っていた。 作事場へ向った。作事場には材木はなく、ちらばっている
も事が︿ず
私は一人、敷いた寝床の上に坐っていた。そして鹿苑寺 大鋸屑の雨に湿った匂いが立ち迷っていた。そ ζに藁が買
ちんぜん たいっとき
に沈澱する夜を計った。夜は次第に密度と重さを増し、私 い貯めてある。一時に四十束も買うのである。しかし今夜
のいる五畳の納戸の太い柱や板戸は、乙の古い夜を支えて はすでにあらかた使われたあとの三束が積まれているだけ
おどそかに見えた。 である。
私はその三束を抱えて、畑のかたわらを立戻った。庫裏 ところで少しずつ運んで重ねた。その上で、金閣の例の
のほうはしんとしていた。料理部屋の角を曲って、執事寮 北側の板戸を外しに行った。
かわや やわっち
の裏まで来たとき、そとの腐の窓に突然明りが射した。私 釘は一本一本、柔土に刺っていたようにたやすく抜けた。
︿ちぎ
はその場にうずくまった。 私は傾く板戸を体ごと支えていたが、その濡れた朽木のお
せきばらいばり
胸で咳払いがきこえた。副司さんらしかった。やがて尿 もては、私の頬にしっとりとふくらみを帯びて触った。思
の放たれる音がしたが、それが際限もなく長い。 ったほどの重さではなかった。私は外した板戸をかたわら
藁が雨に濡れるのをおそれで、私はうずくまった胸で藁 の土に横たえた。のぞかれる金閣の内部には閣が張りつめ
'ν6%
を覆うていた。微風がゆるがす羊歯の草むらに、雨のため ていた。
きつよど はす
に強くなった闘の匂いが澱んでいる。::尿の音は止んだ。 板戸の幅は身を斜にして丁度入れる程である。私は金閣
休が板墜に、よろめいてぶつかる音がした。副司さんは十 の闇へ身をひたした。ふしぎな顔があらわれて私を戦懐さ
ガラスマ yチ
分に目ざめているのではないらしい。窓の灯は消えた。又 せた。入りぎわにある金閣模型の硝子のケ l スに、燐寸の
私は三束の藁を抱えて、大書院の裏手へ歩きだした。 火をかざした私の顔が映っていたのである。
そうしている場合では・なかったが、私はケ 1 スのなかの
や金ぎどうり
さて私の財産とでは、身の姐り口問を入れた柳行李一筒と、 金閣にしみじみと見入った。この小さな金閣は、燐寸の月
小さな古いトランク一箇だけであった。それを悉く焼 ζう に照らされて、影がゆらめいて、その繊細な木組を不安で
乙ろも つ︿ばたちま
と思っていた。今夜すでに書籍類から、衣類や被衣、こま いっぱいにして時間闘うていた。それは忽ち閤に呑まれた。
ごまとしたものはすべてこの二つに納めて沿いたのである。 燐寸の火が尽きたのだ。
私の綿密さを認めてもらいたい。運ぶ途中立回を立てやすい 燃えかすの一点の赤いほのめきを気にして、私がいつか
かやっりて
もの、たとえば蚊帳の吊手とか、焼けないで証拠を残すも 妙心寺で見た学生のように、一心に燐寸を踏み消していた
の、たとえば、灰皿、コップ、インキ瓶のたぐいは、座滞 のは異様である。さらに私は新らしい燐寸を擦った。六角
さいぜんぽ
金閣寺

ζ
団にくるみ、風巨敷に包んで、別にしであった。右に加え の経堂や三尊像の前をすぎ、寮銭箱の前まで来たとき、金
て、敷浦団一枚と掛蒲団二枚が、焼かれ・なければならなか を投げ入れるために沢山の桟をつらねたのが、その桟の影

5
11
った。そしてとれらの大きな荷物を、大書院の裏の出口の が燐寸の火のゆれるにつれ、波立って見えた。饗銭箱の奥
に鹿苑院殿道義足利義満の国宝の木像がある。それは法衣 それから私は機械的な作業をした。大書院の裏口に重ね

2
しゃ︿

5
を着た坐像で、衣の袖は左右に長く延び、信仰を右手から左 ておいた荷を、四回にわたって金閣の義満像の前に運んだ

1
てい陪つ
手へ僚たえている。日をみひらいた剃髪の小さな頭が法衣 のである。最初に運んだのは、吊手を除いた蚊帳と敷蒲団
えり
の襟に首を埋めている。その日が燐寸の火にきらめいたが、 一枚である。次に運んだのは掛浦団二枚である。次はトラ
あそ
私は畏れなかった。小さな偶像はいかにも陰惨で、自分の ンクと柳行李である。次は三束の藁である。とれらを乱雑
やかためき
建てた館の一角に鎮坐しながら、とうの昔に支配を諦らめ に積み上げて、藁の三束は、蚊帳や蒲団の聞にはさんだ。
てしまっているように見えた。 蚊帳が一等火がつき易いように忠われたので、それを半ば
そうせい
私は徽清へ通ずる西の扉をひらいた。との扉の観音披き 他の荷の上へ拡げるようにした。
が内側からあくようになっていることは前にも述べたとお 最後に大書院裏へ戻った私は、例の燃えにくいものを包
りである。夜の雨空も、金閣の内部よりは明るかった。湿 んだ風呂敷包みを抱えて、今度は金閣の東端の池のほとり

った扉は低い執りの忍び音を納め、徴風にみちた紺いろの へ行った。すぐ目前の池中に夜泊石を見るところである。
夜気を導き入れた。 数本の松の下かげになっていて、辛うじて雨を防ぐととが
﹃義満の目、義満のあの目﹄と、その扉から戸外へ身を躍 できる。
4
むびただ
らして、大書院裏へ駈け戻一るあいだ私は考えつ つ
e
けた。 池のおもては夜空を映してほのかに白い。しかし移しい
ひ怠あり
﹃すべてはあの目の前で行われる。何も見ることのできな 藻は陸つづきのようで、細かく散らばったその隙に水の在
い、死んだ誕人のあの自の前で::﹄ 処が知れる。雨はそとに波紋をえがくほどではない。雨に
駈けているズボンのポケットの中で音を立てるものがあ 煙って、水気が ζもって、池がど ζまでもひろがっている
る。燐寸箱が鳴っているのである。立止った私は、燐寸箱 ように見えるのである。
ハシカチ
の隙聞に花紙を詰めて音を消した。手巾に包んだカルモチ 私は足もとの小石をひとつ水に落した。その水音は私の
ひびおおげさ
ンの瓶と小刀とを入れた別のポケットは鳴らない。菓子パ まわりの空気が亀裂われるかのように大袈裟にひびいた。
ンと最中と煙草を入れたジャンパーのポケットももとより 私は身をすくめてじっとしていた。その沈黙で、今計らず
鳴らなかった。 も立ててしまった音を消そうと思ったのである。
水のなかへ手をさし入れたが、手にはなまぬるい藻がか
あまよ
らまった。私はまず蚊帳の吊手を、水にひたした手の中か 金閣は雨夜の関に・おぼめいており、その輪郭は定かでな
すす
ら落した。次いで灰皿を、濯ぐように水に託して落した。 かった。それは黒々と、まるで夜がそこに結晶しているか
︿きょう で
bかう
コァプもインキ瓶も、同じ方法で落した。水に沈めるべき のように立っていた。騒を凝らして見ると、三階の究鷺頂
Kわ
ものは尽きた。それらを包んでいた座蒲団と風呂敷だけが にいたって俄かに細まるその構造や、法水院と潮音洞の細
私の傍らに残っていた。あとはこの二つを義満像の前へ運 身の柱の林も辛うじて見えた。しかし嘗てあのように私を
んで、いよいよ火を点ずるだけである ο 感動させた細部は、ひと色の閣の中に融け去っていた。
ほしいま
乙のときの私が突然食欲に襲われたのは、あまりにも予 が、私の美の思い出が強まるにつれ、乙の暗黒は怒まに
か会
想に叶っていて、却って私は裏切られたような感じに麹わ 幻を描くことのできる下地になった。との暗いうずくまっ
れた。きのう喰べ残した菓子パンと最中はポケットにあっ た形態のうちに、私が美と考えたものの全貌がひそんでい
むさぼ
た Q
私は濡れた手をジャンパーの裾で拭き、食るように喰 た。思い出の力で、美の細部はひとつひとつ闇の中からき
ぜんぽ
べた。味はわからない。味覚とは別に、私の胃が叫んでい らめき出し、きらめきは伝播して、ついには昼とも夜とも
て、私はひとえに慌しく菓子を口の中へ詰め込めばよかっ つかぬふしぎ念時の光りの下に、金閣は徐々にはっきりと
せ Y﹄うき さいち
た。胸は急いて動惇していた。ょうよう呑み込むと、私は 自に見えるものになった。これほど完全に細綴な姿で、金
す︿
池の水を掬って飲んだ。 閣がその隈々まできらめいて、私の眼前に立ち現われたこ
とはない。私は盲人の視力をわがものにしたかのようだ。
:::私は行為のただ一歩手前にいた。行為を導きだす、水 自ら発する光りで透明になった金閣は、外側からも、潮音
きんば︿
い準備を悉く終え、その準備の突端に立って、あとはただ 洞の天人奏楽の天井画ゃ、究克頂の壁の士口い金箔の名残を
身を同降らせればよかった。一挙手一投足の労をとれば、私 ありありと見せた。金閣の繊巧な外部は、その内部とまじ
はやすやすと行為に達する筈であった。 わった。私の目は、その構造や主題の明瞭な輪郭を、主題
私はこの二つのあいだに、私の生涯を呑み込むに足る広 を具体化してゆく抑制部の丹念な繰り返しゃ装飾を、対比や
金閣寺

い細川が口をあけていようとは、夢想もしていなかった。 対称の効果を、一望の下に収めることができた。法水院と
というのは、そのとき私は最後の別れを告げるつもりで 潮音洞の同じ広さの二層は、微妙な相違を示しながらも、

5
13
のきぴさし
金閣のほうを眺めたのである。 一つの深い軒庇のかげに守られて、いわば一双のよく似た
夢、一対のよく似た快楽の記念のように重なっていた。そ が、その力が完全に秩序立てられ、美しい三層を成したあ

54
の一つだけでは忘却に紛れそうになるものを、上下からや とでは、もうそとに住むことに耐えられ・なくなって、激清

1
さしくたしかめ合ぃ、そのために夢は現実になり、快楽は をったわってふたたび池の上へ、無限の官能のたゆたいの
建築になったのだった。しかしそれも、第三層の究貫頂の 中でその故郷へと、遁れ去ってゆくほかはなかったのだ。
いただ ゅうもや
俄かにすぼまった形が戴かれていることで、一度確かめら いつも思ったことだが、鏡湖池に立ち迷う朝霧やタ需を見
こうまい
れた現実は崩壊して、あの暗いきらびやかな時代の、高遠 るたびに、私はそととそ金閣を築いた、おびただしい官能的
すみか
な哲学に統括され、それに服するにいたるのである。そし な力の懐家だと思うのであった。
ζけ らぶき陪うおうむみよう
て柿葺の屋根の頂き高く、金銅の鳳鳳が無明の長夜に接し そして美は、 ζれら各部の争いや矛盾、あらゆる破調を
ている。 統括して、なおその上に君臨していた!それは濃紺地の
しほん
建築家はな沿それだけでは満ち足り-なかった。彼は法水 紙本に一字一字を的確に金泥で書きしるした納経のように、
院の西に釣殿に似たささやかな激清を張り出した。彼は均 無明の長夜に金泥で築かれた建築であったが、美が金閣そ
衡を破ることに、美的な力のすべてを賭けたかのようであ のものであるのか、それとも美は金閣を包むとの虚無の夜
けいECょうが︿
った。激清はとの建築において、形而上学に反抗している。 と等質なものなのかわからなかった。おそらく美はそのど
それは決して池へ長々とさしのべられているのではないの ちらでもあった。細部でもあり全体でもあり、金閣でもあ
とんぞう
に、金閣の中心からどこまでも遁走してゆくようにみえる り金閣を包む夜でもあった。そう思うことで、かつて私を

のである。徽清はこの建築から飛ぴ掬った鳥のように、今 悩ませた金閣の美の不可解は、半ば解けるような気がした。
こうらんしとみど
し翼をひろげて、池のおもてであらゆる現世的なものへ 何故ならその細部の美、その柱、その勾欄、その蔀戸、そ
のが お︿がい
むかつて遁れていた。それは世界を規定する秩序から、無 の板唐戸、その華頭窓、その宝形造の屋蓋、::・その法水
規定のものでおそらくは官能への橋を意味していた。そ 院、その潮音洞、その究覚頂、その徽清、・::その地の投
うだ。金閣の精霊は半ば絶たれた橋にも似たとの激清から 影、その小さ-な島々、その松、その舟泊りにいたるまでの
はじまって、三層の楼閣を成して、又再び、との橋からの 細部の美を点検すれば、美は細部で終り細部で完結するこ
がれてゆくのである。何故なら、池のおもてにたゆたう莫 とは決してなく、どの一部にも次の美の予兆が含まれてい
大な官能の力が、金閣を築く隠れた力の源泉であったのだ たからだ。細部の美はそれ自体不安に充たされていた。そ
れは完全を夢みながら完結を知らず、次の美、未知の美へ きの金閣を、何かふしぎに流動するもの、羽得くものに見
とそそのかされていた。そして予兆は予兆につながり、一 せていたのは、乙の水の光りであった。たゆたう水の反映
いまし
つ一つのことには存在しない美の予兆が、いわば金閣の主 によって堅固な形態の縛めを解かれ、かかるときの金閣は、
ほのお
題をなした。そうした予兆は、虚無の兆だったのである。 永久に揺れうどいている風や水や焔のような材料で築かれ
虚無がこの美の構造だったのだ。そこで美のこれらの細部 たものかと見えた。
たぐは会は
の未完には、おのずと虚無の予兆が含まれることになり、 その美しさは障問いがなかった。そして私の甚だしい疲労
2
よ ︿
木割の細い繊細な乙の建築は理洛が風にふるえるように、 がどとから来たかを私は知っていた。美が最後の機会に又
ふる
虚無の予感に煉えていた。 もやその力を揮って、かつて何度となく私を襲った無力感
&
H'
それにしても金閣の美しさは絶える時がなかった!そ で私を縛ろうとしているのである。私の手足は萎えた。今
ζ しつ
の美はつねにどこかしらで鳴り響いていた。耳鳴りの閏疾 しがたまで行為の一歩手前にいた私は、そ乙から再びはる
を持った人のように、いたるところで私は金閣の美が鳴り か遠く退いていた。
ひぴくのを聴き、それに馴れた。音にたとえるなら、この ﹃私は行為の一歩手前まで準備したんだ﹄と私は咳いた。
建築は五世紀半にわたって鳴りつ。つけて来た小さな金鈴、 ﹃行為そのものは完全に夢みられ、私がその夢を完全に生
あるいは小さな琴のようなものであったろう。その音が途 きた以上、との上行為する必要があるだろうか。もはやそ
絶えたら・:: れは無駄事ではあるまいか。
柏木の一言ったととはおそらく本当だ。世界を変えるのは
げきじん
││私は激甚の疲労に襲われた。 行為ではなくて認識だと彼は言った。そしてぎりぎりまで
幻の金閣は閣の金閣の上にまだありありと見えていた。 行為を模倣しようとする認識もあるのだ。私の認識はとの
きら
それは燦めきを納め・なかった。水ぎわの法水院の勾欄はい 種のものだった。そして行為を本当に無効にするのもとの
て今し︿ょうさしひじき
かにも謙虚に退き、その軒には天竺様の括肘木に支えられ 種の認識なのだ。してみると私の永い周到な準備は、ひと
、、、、、、、、、、
金閣寺

た湖音洞の勾欄が、池へむかつて夢みがちにその胸をさし えに、行為をしなくてもよいという最後の認識のためでは
出していた。庇は池の反映に明るみ、水のゆらめきはそこ -なかったか。

5
16
に定めなく映って動いた。夕日に映え、月に照らされると 見るがいい。今や行為は私にとっては一種の剰余物にす
ぎぬ。それは人生からはみ出し、私の意志からはみ出し、 回生の力をもたらすとともあるという乙とを言わねばなら

156
別の冷たい鉄製の機械のように、私の前に在って始動を待 ぬ。過去はわれわれを過去のほうへ引きずるばかりではな

っている。その行為と私とは、まるで縁もゆかりもないか い。過去の記憶の処々には、数 ζそ少ないが、強い鋼の発

のようだ。とこまでが私であって、それから先は私ではな 条があって、それに現在のわれわれが触れると、発条はた
はじ
いのだ。:;:何故私は敢て私で‘なくなろうとするのか﹄ ちまち伸びてわれわれを未来のほうへ弾き返すのである。
私は松の根方にもたれた G
その濡れた冷たい樹の肌は私 身は耐仰れたようになり・ながら、心はど ζかで記憶の中を
を魅した。との感覚、との冷たさが私だと私は感じた。世 まさぐっていた。何かの言葉がうかんで消えた。心の手に
界はそのままの形で停止し、欲望もなく、私は満ち足りて 届きそうにして、また隠れた。:::その言葉が私を呼んで
いた。 いる。おそらく私を鼓舞するために、私に近づ ζうとして
﹃とのひどい疲労をどうしたものだろう﹄と考えた。﹃何 いる。
A
Pち 緩うちゃ︿す老は
だか熱がこもっていて、けだるくて、手を自分の思うとと ﹃裏に向ひ外に向って逢著せば便ち殺せ﹄
ろへ動かすとともできない。きっと私は病気なのだ﹄ :その最初の二付はそういうのである。臨済録示衆の
かがよろぽし
金閣はなお耀やいていた。あの﹁弱法師﹂の俊徳丸が見 章の名高い一節である。言葉はつ.ついてすらすらと出た。
Eっそうかん
た日想観の景色のように。 ﹃仏に逢うでは仏を殺し、祖に逢うでは祖を殺し、羅漢に
傘にわ しんけん
俊徳丸は入日の影も舞う難波の海を、盲目の閣のなかに 逢うでは羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親容に
げだっかか
見たのであった。曇りもなく、淡路絵島、須磨明石、紀の 逢うでは親容を殺して、始めて解脱を得ん。物と拘はらず
とうだつ
海までも、夕日に照り映えているのを見た。・・: 透脱自在なり﹄
しぴ nc
私の身は時間れたようになり、しきりに涙が流れた。朝ま 言葉は私を、陥っていた無力から弾き出した。俄かに全
ひkζ と 企のふ
で ζ のままでいて、人に発見されてもよかった。私は一一言 身に力が溢れた。とはいえ、心の一部は、これから私のや
-へんそ とじしつよう
も、弁疏の言葉を述べないだろう。 るべきことが徒爾だと執助に告げてはいたが、私の力は無
駄事を怖れなくなった。徒爾であるから、私はやるべきで
:・さて私は今まで永々と、幼時からの記憶の無力につ ゑりつ J足。
よみがえ
いで述べて来たようなものだが、突然蘇った記憶が起死 傍らの座蒲団と風呂敷を丸めて小脇に抱えて、私は立上
Kぎ
った。金閣のほうを見た。きらめく幻の金閣は薄れかけて 賑やかになったような気がした。
ぷんみよう
いた。勾欄は徐々に聞に呑まれ、林立する柱は分明でなく 私の頭がとのときはっきりと冴えた。燐寸の数には限り
なった。水の光りは消え、軒庇の裏の反映も消え去った。 がある。今度は別の一角に走って、一本の燐寸を大切にし
やがて細部はことごとく夜間に隠れて、金閣はただ黒一い て、別の認の一束に火をつけた。燃え上る火は私を慰めた。
たきぴ
ろの・おぼろげな輪郭をとどめるだけになった υ・
: かねて朋輩と焚火をするとき、私は火を起すのが巧かった
のだ。
つ虫ず
私は駈けた。金閣の北をめぐった。足は馴れていて、蹟 法水院の内部には、大きなゆらめく影が起った。中央の
みだ
くことは・なかった υ聞が次々とひらいで私を導いた。 弥陀、観音、勢至の三尊像はあかあかと照らし出された。
私は激清のほとりから、金閣の西の板戸、あけはなした 義満像は目をかがやかせていた。その木像の影も背後には
ぴら
ままになっている観音披きの戸口へ躍り込んだ。抱えてい ためいた。
低う
た座蒲団と風呂敷を、積み重ねた荷の上へ投った。 熱さはほとんど感じられなかった。寮銭箱に着実に火が
かす
胸は陽気に鼓動を打ち、濡れた手は微かに懐えていた。 移るのを見て、もう大丈夫だと私は思った。
あまつさえ燐寸は湿っていた。一本目はつかない。二本目 私はカルモチンや短万を忘れていた。乙の火に包まれて
ひ怠ひま
はっきかけて折れた。三本目は風を防いだ私の指の隙々を 究寛頂で死のうという考えが突然生じた。そして火から遁
せe
z
明るませて燃え上った。 れて、窄い階段を駈け上った。潮立日洞へ昇る扉がどうして
藁のありかを探したのは、さっき自分で三束の藁をそこ 聞いたのかという疑いは起らない。老案内人が二階の戸締
かしとに差し挟んだのに、もうその場所を忘れていたから りを忘れていたのである。

である。探しあてたときに、燐寸の火は尽きた。そこにし 煙は私の背に迫っていた。咳きながら、恵心の作と謂わ
っか
ゃがんで、私は今度は二本を束ねて擦った。 れる観音像ゃ、天人奏楽の天井画を見た。瀬音洞にただよ
たいぜを
火は藁の堆積の複雑な影をえがき出し、その明るい枯野 う煙は次第に充ちた。私は更に階を上って、究品見頂の扉を
金閣寺

の色をうかべて、こまやかに四方へ伝わった。つ つ
e
いて起 あけようとした。
る煙のなかに火は身を隠した。しかし思わぬ遠くから、蚊 扉は聞かない。三階の鍵は堅固にかかっている。

5
17
帳のみどりをふくらませて焔がの、ほった。あたりが俄かに 私はその戸を叩いた。叩く古田は激しかったろうが、私の
耳には入らない。私は懸命にその一戸を叩いた。設かが究兎 に駈けたのである。

158
頂の内部からあけてくれるような気がしたのである。
そのとき私が究貫頂に夢みていたのは、確かに自分の死 :・私は駈けた oどれだけ休まずに私が駈けたかは想像
ほかおぽ
場所であったが、煙はすでに迫っていたから、あたかも叙 の外である。どとをどう通ったかも憶えていない。-おそら
済を求めるように、性急にその一戸を叩いていたものと思わ く私は挟北楼のかたわらから、北の裏門を出て、明王殿の
つつじ
れる。戸の彼方にはわずか三間四尺七寸四方の小部屋しか そばをすぎ、笹や榔蹴の山道を駈けのぼって、左大文字山
ない筈だった。そして私はとのとき痛切に夢みたのだが、 の頂きまで来たのだった。


市,
、,

,、
今はあらかた剥落してとそおれ、その小部屋には限なく金 私が赤松の木かげの笹原に倒れ、はげしい動俸を鎮める
あえ
箔が貼りつめられている筈だった。戸を叩きながら、私が ために鳴いでいるのは、たしかに左大文字山の頂きであっ
$
。d あ ζが
どんなにその舷ゆい小部屋に憧れていたかは、説明するこ た。それは金閣を真北から護っている山である。
とができない。ともかくそこに達すればいいのだ、と私は 私が明瞭な意識を取戻したのは、おどろかされた鳥の叫
ζんじき 会突か
思っていた。その金色の小部屋にさえ達すればいい・・・。 喚のためである。或る鳥は私の顔の目近に、大仰な羽樽き
すペた
私は力の限り叩いた。手では足りなくなって、じかに体 をとらせて掬った。
をぶつけた。扉は開かない o あおのけに倒れた私の日は夜空を見ていた。おびただし
n ζずえ
潮音洞はすでに煙に充たされていた。足下には火の爆ぜ い鳥が、鳴き叫んで赤松の梢をすぎ、すでにまばらな火の

る音がひびいていた。私は煙に喧せ、ほとんど気を失いそ 粉が頭上の空にも浮遊していた。
たにあい
うになった。咳き込みながら、-なおも一戸を叩いた。扉は聞 身を起して、はるか谷間の金閣のほうを眺め下ろした。
かない。 異様な音がそこからひびいて来た。爆竹のような音でもあ
ある瞬間、拒まれているという確実な意識が私に生れた る。無数の人間の関節が一せいに鳴るような音でもある。
とき、私はためらわなかった。身を訴えして階を駈け下り と乙からは金閣の形は見えない。渦巻いている煙と、天
ちゅうと金
た。煙の渦巻く中を法水院まで下りて、おそらく私は火を に沖している火が見えるだけである。木の聞をおびただし
'んす金どま
くぐった。ようやく西の扉に達して戸外へ飛び出した。そ い火の粉が飛び、金閣の空は金砂子を撒いたようである。
いだてん ひざ
れから私は、自らどこへ行くとも知らずに、章駄天のよう 私は膝を組んで永い乙とそれを眺めた。
気がつくと、体のいたるととろに火ぶくれや擦り傷があ
って血が流れていた。手の指にも、さっき戸を叩いたとき
にじ
の怪我とみえて血が濠んでいた。私は遁れた獣のようにそ
一去
の傷口を紙めた。
ポケットをさぐると、小万と手巾に包んだカルモチンの
瓶とが出て来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。

別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。
一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、
生きようと私は思った。
ーー一九五六、八、 一四ーー
金閣芋

159
そのせいかして、家にもある日露戦役写真集のうち、も


っとも清顕の心にしみ入る写真は、明治三十七年六月二十

1
1


六日の、﹁得利寺附近の戦死者の弔祭﹂と題する写真であ
った。
セピアいろのインキで印刷されたその写真は、ほかの雑
多な戦争写真とはまるでちがっている。構図がふしぎなほ
ど絵画的で、数千人の兵士が、どう見ても画中の人物のよ
うにうまく配置されて、中央の高い一本の白木の墓標へ、
すべての効果を集中させているのである。
遠景はかすむ-なだらかな山々で、左手では、それがひろ
会つがえ曹よあき ひら
学校で日露戦役の話が出たとき、松枝清顕は、もっとも い裾野を展き・ながら徐々に高まっているが、右手のかなた
信んだしげ︿に ζ9Eん
親しい友だちの本多繁邦に、そのときのことをよくおぼえ は、まばらな小さい木立と共に、黄塵の地平線へ消えてお
ちょ,ちん
ているかときいてみたが、繁邦の記憶もあいまいで、提灯 り、それが今度は、山に代って徐々に右手へ高まる並木の
行列を見に門まで連れて出られたととを、かすかにおぼえ あいだに、黄いろい空を透かしている。
ているだけであった。あの戦争がおわった年、二人とも十 前景には都合六本の、大そう丈の高い樹々が、それぞれ
一歳だったのであるから、もう少し鮮明におぼえていても のバランスを保ち、程のよい間隔を以てそびえ立っている。
ζず えはむら
よさそうなものだ、と滑顕は思った。したりげにそのとろ 木の種類はわからないが、亭々として、梢の葉叢を悲壮に
のととを話す級友は、大てい大人からの受売りで、自分の 風になびかせている。
あるかなきかの記憶を彩っているにすぎなかった。 そして野のひろがりはかなたに微光を放ち、手前には荒
松枝一族では、清顕の叔父が二人、そのときに戦死して れた草々がひれ伏している。
いる。祖母は今でも息子二人のおかげで、遺族扶助料をも 画面の丁度中央に、小さく、白木の墓標と白布をひるが
らっているが、その分は使わずに、神棚に上げっぱなしに えした祭壇と、その上に置かれた花々が見える。
なっている。 そのほかはみんな兵隊、何千という兵隊だ。前景の兵隊
はととごとく、軍帽から垂れた白い覆布と、肩から掛けた ど力を及、ほしていない、と一五ってよかった。
かわひも
斜めの草組を見せて背を向け、きちんとした列を作らずに、 渋谷の高台のひろい邸で、彼に似通った心事の人を、探
乱れて、群がって、うなだれている。わずかに左隅の前景 すのにさえ骨が折れた。武家でこそあれ、父侯爵が、幕末
の数人の兵士が、ルネサンス画中の人のように、こちらへ にはまだ卑しかった家柄を恥じて、嫡子の清顕を、幼時、
︿げ
半ば暗い顔を向けている。そして、左奥には、野の果てま 公卿の家へ預けたりし・なかったら、おそらく清顕は、そう
で巨大な半同をえがく無数の兵士たち、もちろん一人一人 いう心柄の青年には育っていなかったろうと息われる。
おびただと志
と識別もできぬほどの彩しい人数が、木の間に遠く群がっ 松枝侯爵邸は、渋谷の郊外の広大な地所を占めていた ο
いらか
てつ つ
e
いている。 十四万坪の地所に、多くの棟が交を競っていた。
前景の兵士たちも、後景の兵士たちも、ふしぎな沈んだ 母屋は日本建築だったが、庭の一角にはイギリス人の設
きやほんちょうか
微光に犯され、脚鮮や長靴の輪郭をしらじらと光らせ、ぅ 計師の建てた壮麗な洋館があり、靴のまま上れる邸は、大
;
E
つむいた項や肩の線を光らせている。画面いっぱいに、何 山元帥邸をはじめとして、四つしかないと云われていたそ
み念ぎ
とも云え・ない沈痛の気が濯っているのはそのためである。 の一つが、松枝邸なのであった υ
もみE やま
すべては中央の、小さ・な白い祭壇と、花と、墓標へ向つ 庭の中心は、紅葉山を背景にしたひろびろとした池であ
芳、索、
て、波のように押し寄せる心を捧げているのだ。野の果て った。その池ではボ lトあそびもでき、中ノ島もあり、河

も。 縄師ねじゅんさい
までひろがるその巨きな集団から、一つの、口につくせぬ 骨も花咲き、尊菜もとれた。母屋の大広間もとの池に面し、
わ 安ょうえん
思いが、中央へ向って、その重い鉄のような巨大念環を 洋館の饗宴の問もこの池に臨んでいた。
AJAAJ
徐々にしめつけている。. 岸辺や島のあちこちに配された燈
ル 簡は二百にのぼり、島

古びた、セピアいろの写真であるだけに、乙れのかもし には鉄の鋳ものの鶴が三羽立っていて、一羽はうなだれ、
出す悲哀は、限りがないように思われた。 二羽は天を仰いでいた。
紅葉山の頂きに滝口があり、滝は幾重にも落ちて山腹を
春の雪

清顕は十八歳だった o めぐり、石橋の下をくぐり、佐渡の赤石のかげの滝査に落
めい しようぷ
それにしても、彼がそういう悲しい滅入った考えに、繊 ちて、池水に加わり、季節には美しい花々をつける菖蒲の

6
11
ひたかんぷ毛
細な心をとらわれるには、その生れて育った家は、ほとん 根を、必した。池では鯉も釣れ、寒鮒も釣れた。侯爵は年に
二度、小学生たちの遠足がととへ来るのを許していた。 女
たち・
・・・
・・。

2

6
b6
清顕が子供のとろ、召使におどかされて、怖れていたの 実際との邸には、数知れぬほどの女たちが住んでいた。

1
すっぽん
は簡であった。それは祖父が病気になったとき、カをつけ 筆頭は云うまでもなく祖母だったが、祖母は母屋からか
ぴき隠う Eょう かしず
るために百疋の箇が贈られ、それを池に放生したのが殖え なり離れた隠居所に住み、八人の祖母附の女中に侍かれて
たのだが、指を吸いつかれたら最後、とれなくなるという いた。雨の日も晴れの日も、朝、身じまいをすませると、
話を、召使たちがしたのである。 母は二人の召使を連れて、祖母の御機嫌伺いにゆくのが習
どうきゅう
茶室もいくつかあり、大きな撞球室もあった。 慣であった。
ひのき E しゅ争&の、、、
母屋の裏には祖父の植えた袷林があり、そのあたりで自 そのたびに姑は母の姿をと見乙う見して、
ねんじよとみち
然薯がよくとれた。林間の小径は、一つは裏門へ出るが、 ﹁その髪はあなたに似合わないね。あしたはハイカラにし
一つは平らな丘へむかつてのぼってゆき、家中が﹁お宮 てごらん。そのほうがきっとお似合いだから﹂
いつか︿
様﹂と呼んでいる社殿が、ひろい芝生を控えている一劃に と慈愛の目を細めて言った。そしてあくる朝 ρイカラに
主つ
出た。そとには祖父と二人の叔父が嗣られている。石段や 結ってゆくと、
ヲ Eζ ペヲぴん
石燈鐙や石の鳥居は型どおりだが、石段の下の左右、ふつ ﹁どうも都志子さんは、古風な別績だから、ハイカラは似
まる主げ
うなら獄対のあるベきと乙ろ K、日露戦役の大砲の弾丸が 晶他也
合わないね。あしたはやっぱり丸髭にしてごらん﹂
一対、白く塗って据えつけてある。 と言った。とうしたわけで清顕の知るかぎり、母の髪型
老り
MV
社殿より低いととろに稲荷も嗣られ、その前にみどとな はたえず変っていた。
藤捌があった。 邸には髪結が弟子もろとも入りびたりになっており、主
祖父の命日は五月の末だったから、そのお祭に一家がと 人の妥はむろんのとと、四十人をとえる女中の髪の商倒を
とに集まるときには、藤はいつも花ざかりで、女たちは日 見ていたが、との髪結が男の髪に関心を持ったのは、ただ
つph
ざしを避けて、藤欄の下に集うた。すると、いつもよりひ 一度、清顕が学習院中等科一年のとき、宮中の新年賀会に、
としお念入りにお化粧をした女たちの白い顔には、花の藤 お裾持で出た折だけであった。
いろの影が、優雅な死の影のように落ちた。 ﹁いくら学校で丸坊主がきまりだと云っても、今日お召し
になるそんな大礼服には丸坊主はいけませんや﹂
めいピロ iy
﹁だって、伸ばしたら叱られるもの L そろいの藍の天鷲織地で、胸の左右に四対の大きな白い鞠

﹁ょうがす。私がちょっと形をつけて差上げましょう。、ど 毛がつき、同じふくよかな白い鞠毛が左右の袖口にも、ズ

うせ帽子をお冠り・なさるんだろうが、脱ぎなすったとき、 ポンにもついていた。腰には剣を侃き、白靴下の足には黒
ボ夕、 Jど は え り か ぎ
ほかの若様方より格段に男ぶりが上って見えなさるよう エナメルの釦留めの靴を穿いた。白いレエスのひろい襟飾

﹂ りの中央に、白絹のタイを結び、大きな羽根飾りのついた
そうは云っても、十三歳の清顕の頭は、背く見えるほど ナポレオン風の帽子は、絹の組で背へ 巾
M られていた。華族
くしめ
に涼しく刈り上げられていた。髪結の入れてくれる儲日は の子弟のうちから、成績のよい子だけが二十人あまり選ば
痛く、髪油は肌にしみ、彼がどんなに腕前を誇っても、鏡 れ、新年の三日間、かわり合って、皇后のお裾は四人で持
に映る頭は変りばえがしては見えなかった。 ち、妃殿下方の b裾は二人で持つ。清顕は皇后のお裾を一
かすがのみや
しかしこの賀宴で、清顕は、めずらしいほどの美少年の 度と、春日宮妃殿下のお裾を一度持った。
とおりじゃこうた
誉れを得た。 皇后のお裾にまわったときは、舎人たちが爵香を焚きし
みゆき
明治大帝は一度この邸にも御幸があり、そのときのおも めたお廊下を、しずしずと謁見の閉まで進み、賀宴がはじ
おおいちょう金んま︿
てなしに、庭で天覧相撲が催おされ、大銀杏を中心に慢幕 まる前、謁見される皇后のうしろに侍立していた。
+'du
を張りめぐらし、洋館の二階のバルコニーから、陛下は角 皇后は気品の高い、比類のない聡明な方だったが、この
訟ん弘、とし
力をごらんになった。そのときお目通りを許されて、頭を ときはすでにお年を召されて、六十に垂んとする 齢であ
ho
晶、
撫でていただいてから、との新年のお裾持まで、四年を経 った。それに比べて、春日宮妃は三十そとそこのお年頃で、
ているけれど、陛下はまだ顔をおぼえていて下さるかもし お美しさといい、気口問といい、堂々としたお体つきといい、
れない、と思って、清顕は髪結にもそう言った。 花の咲き誇ったようなお姿だった。
つむ
﹁そう、そう、若様のお頭は、天子様に撫でていただいた 今も清顕の自にうかぶのは、諸事地味どのみの皇后のお
お頭でしたつけ﹂ 裾よりも、黒い斑紋の飛ぶ大きな白い毛皮のまわりに、無
すき ちりば
春の雪

と髪結は畳の上を退って、まじめに清顕の、まだ幼なさ 数の真珠を銭めた妃殿下のお裾のほうである。皇后のお裾
かしわぜ 'とって
ののとっている後頭部へ向って柏手を打った。 には四つの、妃殿下のお裾には二つの把手がついていて、


ひざ

1
お裾持の小姓の服は、膝の下まで届く半ズボンと上着が 清顕たち侍童は何度も練習を重ねていたから、一定の歩度
で、その把手を持って歩くのに難儀はなかった。 のきらめく火のような微笑が点じられ、形のよいお鼻協は、
何事もなくそのかなたに清く秀でているさま、:::こうい胸
F -
u
妃殿下のお・
髪は漆黒で、濡羽いろに光っていたが、結い

上げたお髭のうしろからは、次第にその髪の名残が、ゆた う妃殿下の、備顔とさえ云えぬ角度の一瞬の b顔のひらめ
かな白い hoん項に融け入ってゆき、ロープ・デコルテのつ きが、何かの清い結日間の断面を、斜めに透かし見るときに、
うかが いっせつ傘 KE
ややかなお肩につらなるのが窺われた。姿勢を正して、ま ほんの一利那ゆらめいてみえる虹のように感じられた。
っすぐに果断にお歩きになるから、御身の揺れがお裾に伝 さて、父の松枝侯爵は、との賀宴で目のあたりわが子を
わってくるようなととはないのだが、清顕の自には、その 見、その華美な礼服に包まれたわが子の晴れの姿を眺めた

末広がりの匂いやかな白さが、奏楽の音につれて、あたか ときに、永年夢みていたととが、実現されたという喜びに
も頂きの根雪が定めない雲に見えかくれするように、浮い 泊った。それこそは、どんなに天皇を自邸へお迎えするほ
にせもの
つ沈みつして感じられ、そのとき、生れてはじめて、そと どの身分に・なろうと、侯爵の心を占めていた贋物の感じを、
に女人の美の目のくらむような優雅の核心を発見していた。 のとりなく癒やすものであった。そのわが子の姿に、侯爵
春日宮妃は、お裾にまでふんだんに仏蘭西香水を染ませ は、宮廷と新華族とのまったき親交のかたち、公卿的なも
ておいでだったから、その薫りは古くさい爵香の香を圧し のと武士的なものとの最終的な結合を見たのである。
た。お廊下の途中で、清顕がちょっとつまずいて、 裾は
hp 侯爵は又、賀宴のあいだ、わが子について諮られる人々
そのために、瞬間ではあったが、一方へ強く引かれた。妃 の段め言葉に、はじめは喜び、おしまいには不安になった。
殿下はかすかにお首をめぐらして、少しも答める気持はな 十三歳の滑顕は美しすぎた。ほかの侍童と比べても、清顕
いというしるしの、やさしい含み笑いを、失態を演じた少 の美しさは、どんなひいき目もなしに、際立っていた。色
年のほうへお向けになった。 白の頬が上気してほのかに紅をさしたように見え、眉は秀
妃殿下は、それとわかるほどはっきりと振向かれたので で、まだ子供らしく張りつめて懸命にみひらいている目は、
意つげ
はなかった。まっすぐに背筋を立てたまま、片頬の端だけ 長い臆にふちどられて、艶やかなほどの黒い光りを放った。
を心持向けられて、そとに微笑をちらと刻んでおみせにな 人々の言葉に触発されて、侯爵ははじめて自分の嫡子の、
きつりヲ かえ陪か
ったのである。そのとき、舵立する白い頬のかたえに、ほ あまりの美しさに、却って果敢ない感じのするような美貌
ぴん
のかに繁の毛が流れ、切れ長のおん目のはじに、黒い一点 に、はじめて目ざめた。侯爵の心には不安が兆した。しか
しきわめて楽天的な人だったから、こんな不安は、その場 ときに多少とも、先代に対するやさしい追慕の情を示して
巴たちま
かぎりで、忽ち心から洗い去られた。 くれたらと夢みたが、との一年でこうした望みも消えた。
清顕がお裾持の務めを終って帰った晩、侯爵夫妻は内輸
むしろこうした不安は、清顕のお裾持の年の一年前に、 ながらその・お祝いの宴を張った。十三歳の少年が面白半分
いいぬ玄よど
十七歳でこの邸に住み込んだ飯沼の胸に澱んでいた。 に強いられた酒に頬を染めて、寝床へいそぐ時刻が来て、
たす
飯沼は清顕附の書生として、鹿児島の郷里の中学校から 飯沼は彼を扶けて寝室までついて行った。
うずゆだ
推薦を受け、学業にも体格にも秀でた少年の誉れを担って、 少年は絹物の蒲団に身を埋め、枕に頭を委ねて、熱い息

松枝川家へ送られて来た。松枝侯爵の先代は、その地では豪 を吐いた。一短かい髪から緋いろの耳もとへつづくあたりに、
とうみな もろガラス
{沼・な神と見倣され、彼は侯爵家の生活を、家庭や学校で語 内部の脆い硝子の機構が窺われるほど格別に薄い肌が、と
り伝えられた先代の面影をとおしてだけ想像していた。し きめいている青筋を浮き出させていた。唇は薄閣のうちに
t
ve
--レ あか
かしここへ来て一年のあいだに、侯爵家の議官修はすべて彼 も紅く、そとから吐かれる息の品目は、とのすとしも苦悩の
の令。
の脳複の像に逆らって、素朴な少年の心を傷つけた。 きびしさなど知らないようにみえる少年の、戯れに苦悩を
他のことには目をつぶる乙ともできるが、自分に託され 摸している歌かときとえた。
すいぜいまぶた
た滑以にだけはそうすることができない。清顕の美しさ、 長い陵、よく動く薄い・なよやかな水棲類の除、::飯沼
ひよわさ、そのものの感じ方、考え方、関心の持ち方、す はこういう顔に、今夜、栄えある任務を果たした雄々しい
べてが飯沼には気に入らなかった。侯爵夫妻の教育の態度 少年の、感激と忠誠の誓いを期待するととはできないのを
も、意表に出ることばかりであった。 知った。
﹃俺がたとえ侯爵になっても、俺の子だったら、決してこ 又みひらいて天井を見ている清顕の目が潤んでいる。こ
んな風には育てない。侯爵は先代の御遺訓をどう思ってお の潤んだ自にみつめられると、すべては飯沼の意に反して
ほか
られるのだろうか﹄ いるのに、彼は自分の忠実を信ずる他はなくなった。清顕
春の雪

侯爵は先代のお祭だけはねんごろに執り行ったけれども、 が暑そうに、なめらかなほの紅い裸の腕を、頭のうしろへ
かい噂き
ふだん先代に言及する ζとがあまりにも少なかった。飯沼 組もうとするので、飯沼は掻巻の襟を引き上げてやって、

6
15
はもっとたびたび侯爵が先代の思い出について語り、その とう言った。
かぜやす
﹁風邪を引きますよ。もう自体まれたほうがよかとです﹂ れども、彼は同年の野卑な若さを好まず、院歌を高唱して

66
﹁ねえ、飯沼。僕は今日ひとつ失敗をしたんだ。お父様に うっとりしたりする粗雑な感傷を避け、その年齢にしては

1
もお母様にも内緒にしてくれれば教えて上げよう﹂ めずらしい本多の、もの静かな、穏和な、理智的な性格に

﹁何ですか﹂ だけ心を惹かれた。
﹁僕、今日、妃殿下のお裾を持ちながら、ちょっとつまず そうかと云って、本多と清顕は、外見も気質もそんなに
ゆる
いてしまったんだ。妃殿下はにっこりして恕して下さった 似通っているというのでは・なかった。


﹂ 本多は年よりも老けた、目鼻立ちも尋常すぎて、むしろ
もったい
飯沼はその言葉の浮薄、その責任感の欠如、その潤んだ 勿体ぶってみえる風貌を持ち、法律学に興味を持っていた
ζう ζつ
日にうかぶ悦惚をことごとく憎んだ。 が、ふだんは人に示さない鋭い直観の力を内に蔵していた。
そしてその表面にあらわれるととろでは、官能的なものは
、んりんお︿が
片鱗も-なかったけれど、時あってずっと奥処で、火の燃え
さかって薪の鳴っている音がきこえるような感じを人に与
とうして十八歳になった清顕が、だんだん自分の環境か えた。それは本多が、やや近践の目を険しく細め、眉を寄
ら孤立してゆく思いにとらわれたのは当然だろう。 せて、いつもは強く締めすぎる唇をほのかにひらくような
孤立してゆくのは、家庭からばかりではない。学習院が 表情をするときに窺われた。
院長乃木将軍のあのような殉死を、もっとも崇高な事件と もしかすると清顕と本多は、同じ根から出た植物の、ま
して学生の頭に植えつけ、将軍がもし病いに死んでいたら、 ったく別のあらわれとしての花と葉であったかもしれない。
それほど誇張した形であらわれなかったろう教育の伝承を、 清顕がその資質を無防備にさらけ出し、傷つきゃすい裸か
ますます強く押しつけてきたととから、武張ったととのき で、まだ自分の行動の動機とはならぬ官能を、春さきの雨
いぬしず︿
らいな清顕は、学校に綴っている素朴で剛健な気風のゆえ を浴びた仔犬のように、自にも鼻にも滴を・なして宿してい
に学校を嫌った。 るのと反対に、本多は人生の当初はやくもその危険を察し
友だちと云つては、同級生の本多繁邦だけと親しく附合 て、その明るすぎる雨を避けて、軒下に身をちぢめている
った。もちろん清顕と友だちになりたがる人は多かったけ ほうを選んだのかもしれ‘ない。
しかしこの二人が、世にも親しい友だちであったことは とも思えない。そのくせあいつは僕には献身的だし、忠義
たしかで、学校で毎日顔を合わせるだけでは足りずに、日 者で勉強家で堅物だよ﹂
曜には必ずどちらかの家へ行って終日すごした。もちろん 清顕の部侵は母屋の外れの二階にあった。もともとは和
じゅうたん
清顕の家のほうがはるかにひろく、散策の場所にも恵まれ 室ながら、紋訟や洋家具を入れ、洋間風にしつらえてある。
ていたので、本多が来る数のほうが多かった。 本多は出窓に腰かけていて、身をひねって、紅葉山と池と
ひ介。.乙
大正元年の十月、紅葉が美しくなりかけた或る日曜日に、 中ノ島の全景を見る c池水は午後の陽に和んでいる cポー
本多は清顕の部屋へ遊びに来ていて、池のポ 1トに乗ろう トのつながれた小さな入江はすぐ下方にある。
だるふぜい
と一五った。 そして又、友の倦そうな風情をうかがい見る。清顕は何

例年・なら紅葉の客がそろそろ多くなる季節であるが、乙 でも進んで先に立ってやるというととがなく、気に染まぬ
の夏の御大喪のあと、松枝家はさすがに派手な交際を慎し 様子ではじめてそれなりに興じるとともあるのだ。従って
んでいたので、庭もいつにまして深閑として見えた。 何かにつけて本多が提唱し、本多が引きずって行かなけれ
﹁それじゃ、あのポ Iトは三人乗りだから、飯沼に淵聞がし ばならない。
て僕らが乗ろう﹂ ﹁
ポ lトが見えるだろ﹂
﹁何だって人に漕がす必要があるんだ。俺が漕ぐよ﹂ と清顕が言った。
と本多は、さっき玄関からこの部屋まで、案内の要る筈 ﹁ああ、見えるさ﹂
しつよう りげん
もない本多を黙って執微に丁重に案内してきた、あの暗い と本多は怪一説そうに振向いた。
目をした、いかつい顔立ちの青年を思い浮べた。
﹁本多はあいつが嫌いだね﹂ 清顕はそのとき何を言おうとしたのか。
と清顕は微笑を含んで言った。 強いて説明すれば、彼は何事にも興味が-ないと言おうと
﹁嫌いというわけじゃないが、いつまでたっても気心が知 したのだ。
治んじよう
蓉の雪

れないんだ﹂ 彼はすでに自分を、一族の岩乗な指に刺った、毒のある
とげ
﹁あいつはもう六年もことにいるから、僕にはもう空気の 小さな糠のようなものだと感じていた。それというのも、

6
11
ような存在・なんだ。あいつと僕がお互いに気が合っている 彼は優雅を学んでしまったからだ。つい五十年前までは素
朴で剛健で貧しかった地方武士の家が、わずかの聞に大を れは文化であり、文化が形をとった物質だった。

68
なし、清顕の生い立ちと共にはじめてその家系に優雅の一 自分にとっては何なのだ。ポートだって?:::

1
片がしのび込もうとすると、もともと優雅に免疫になって 本多は本多で、とんなときに清顕が突然陥る沈黙を、持
いる堂上家とはちがって、たちまち迅速な没落の兆を示し ち前の直感でよく理解していた。滑顕と同年・なのに、彼の
あり
はじめるだろうととを、彼は蟻が洪水を予知するように感 ほうはもう青年で、とにかく﹁有用な﹂人聞になろうと決
じていた。 意した青年だった。もうすっかり自分の役割を選んでいた。
彼は優雅の糠だ。しかも粗雑を忌み、洗煉を喜ぶ彼の心 そして清顕に対しては、いつも多少鈍感に粗雑にと心がけ、

が、実に徒労で、根無し草のようなものであるととをも、 そういう巧まれた粗雑さなら、友によく受け容れられると
むし -
Aae
滑顕はよく知っていた。蝕ばもうと思って蝕ばむのではな とを知っていた。清顕の心の胃は、人工的な餌ならおどろ
い。犯そうと思って犯すのではない。彼の毒は一族にとっ くほどよく受け容れるのだ。友情でさえも。
て、いかにも毒にはちがい・ないが、それは全く無益念毒で、 ﹁貴様は何か運動をはじめるといいんだが・な。本を読みす
その無益さが、いわば自分の生れてきた意味だ、ととの美 ぎるわけでもないのに、万巻の書を読み疲れたような顔を
少年は考えていた。 している﹂
自分の存在理由を一種の精妙な毒だと感じるととは、十 と本多はずけずけ言った。
,apad
八歳の倍倣としっかり結びついていた。彼は自分の美しい 清顕は黙って微笑していた。-なるほど本は読まない。し

白いe
- 也事の ひんぱん
手 を、生涯汚すまい、肉刺一つ作るまいと決心してい かし夢は頻繁に見る。その夜毎の夢の移しさは、万巻の書
か傘
た。旗のように風のためだけに生きる。白分にとってただ も敵わぬほどで、いかにも彼は読み疲れたのだ。
ひつぎ
一つ真実だと思われるもの、とめどない、無意味な、死ぬ ・::昨夜は昨夜で、彼は夢のなかで自分の白木の枢を見

と思えば活き返り、衰えると見れば織り、方向も-なければ た。それが窓のひろい、何もない部屋の只中に据えてある。
ぎょうめんさえず
帰結もない﹁感情﹂のためだけに生きるとと。:・・ 窓の外は紫紺の暁関、小鳥の噌りがその闘いっぱいに立ち
そうして、今は、何事にも興味がないのだ。ポートだっ とめている。一人の若い女が、黒い長い髪を垂らして、ぅ
しゃれ すがきよき
て?それは父にとっては、外国から輸入した、酒落た形 つぶせの姿勢で枢に鎚りついて、細いなよやかな肩で政敵
の、青と白のペンキ塗りの小舟だった。父にとっては、そ している。女の顔を見たいと思うけれど、白い憂わしげな
富士額のあたりがわずかに見えるだけだ。そしてその白木 本多はオールを岸の岩組に突いて、ポートをひろい水面
ひょう や
の枢を、豹の斑紋の飛んだひろい毛皮の、沢山の真珠の縁 へ遣った。緋いろの水は砕け、なめらかな波紋は、そのま
のど
飾りのあるのが、半ば覆うている。夜あけの最初の不透明 ま清顕の放心を拡げた。との深い咽喉から出る、野太い声
ひとつら
な光沢が、その真珠の一列にともっている。部屋には香の のような暗い水音。彼は自分の十八歳の秋の或る一日の、
すペ
代りに、熟れ切った果実のような西洋の香水の匂いが漂っ 午後の或る時が、二度と繰り返されずに確実にとり去るの
ている。 を感じた。
清顕はといえば、中空からそれを見下ろし、枢の中に白 ﹁中ノ島まで行ってみるか﹂
傘舎がら
分の亡骸が横たわっていることを確信している。確信して ﹁行ってみてもつまらないよ。何もないよ﹂
いるけれど、どうしてもそれを見て、確かめてみたいと思 ﹁まあ、そう言わずに、行ってみようよ﹂
う。しかし彼の存在は朝の蚊のようにはかなげに中空に羽 と本多は年相応の浮き立った少年らしさを、漕いでいる
︿ぎづ
を休めるばかりで、決してその釘附けられた枢の中を窺う 胸から出る活滋な声にあらわした。清顕は、耳には中ノ島
ととはできない。 の向う側の滝の音をはるかに聴きながら、澱みと赤い反射
しようそう
:::そういう焦燥がとめどもなく募るにつれて、日がさ のためによく見えぬ池の中へ目を凝らした。その中を鰹が
みをそ ζ すっぽん
めた。そして清顕はひそかにつけている夢日記に、昨夜の 泳ぎ、また水底の或る岩かげには簡がひそんでいることは
よみがえ
その夢を誌した。 知れていた。心には幼ないとろの恐怖が、かすかに蘇って、
消えた。
ル'
u・ヲ品目
日はうららかに射して、彼らの刈り上げた若々しい項に
e
結局二人は舟附へ下りて、ポートの績を解いた。見渡す
池の水面は、半ば色づいた紅葉山を映して燃えている。 落ちた。静かな、何事もない、富み栄えた日曜日であった。
乗り移るときの舟のやみくもな動指が、清顕に、 ζ の世 それというのに、清顕は依然、水を充たした革袋のような
界の不安定についてのもっとも親しい感覚を呼び起した。 乙の世界の底に小さな穴があいていて、そこから一滴一滴
春の雪

そ の 瞬 間 、 心 の 内 面 が 、 清 く 塗 ら れ た ボ l トの白いペンキ ﹁時﹂のしたたり落ちてゆく音を聴くように思った。
、U
称 F
h
の舟べりに、大きく動いて鮮明に映るようだつた。そうい 二人は松の・なかに一本の紅葉のある中ノ島へ辿りっき、

6
19
うことから、彼は快活になった。 三羽の鉄の鶴を据えた頂きの、丸い草地まで石段をのぼっ
うそぶ さいり
た。天に向って噺いている二羽の鶴の足もとに、二人は腰 は、時々、本多の犀利な分析力と、その日ぶりの確信的在、
n
v
を下ろし、さらに仰向けに寝とろんで、よく晴れた晩秋の ﹁有為念青年﹂ぷりとが、煩わしく感じられた。 S
空を仰いだ。芝草が二人の着物の背を刺し、それが清顕に 彼は突然、寝返りを打って、草を腹に敷いて、首をもた
は苛酷に痛く、本多には、耐えなければならないもっとも げ、池を隔てた母屋の大広間の前庭を遠く眺めた。白砂の
甘い爽やかな苦難を、背に折り敷いているような感じを与 あいだの飛び石が池に達すると、そのあたりは ζとさら複
r
h
者v
えた。そして二人の目のはじには、風雨に晒され、小鳥の 雑な入江を-なして、石橋が幾重にもかかっている。そとに
ふん︿ぴ
糞に白く汚された鉄の鶴の、-なだらかにさしのべられた頚 女たちの一群を認めたのである。
の曲線が、雲の動くにつれて、ゆっくりと動いていた。
﹁すばらしい日だな。とんなに何もなくて、こんなにすば
らしい日は、一生のうちに何度もないかもしれない﹂
本多は何かの予感に充たされてそう思い、そう口にも出 清顕は友の肩をつついてそのほうへ注意を向けた。本多
'レ弘九。 も首をめぐらして、草聞から、水のか-なたのその一群に目
そげき、い
﹁貸様は幸福というととを言っているのか﹂ をとめた。とうして二人は、若い狙撃兵のように窺ってい
と清顕は訊いた。 た

e
-
﹁そん念ととを言った覚えはないよ﹂ それは気の向いたときに母がする散歩の一群で、母のほ
﹁それならいいけれど、僕には、貴様みたいな ζとはとて かは側仕えの女共だけなのが例なのに、今日は念かに老若
も怖くて言えない。そんな大胆なととは﹂ 二人の客の姿がまじっていて、母のすぐうしろを歩いてい
﹁貴様はきっとひどく欲張りなんだ。欲張りは往々悲しげ た

左様子をしているよ。貴機はとれ以上、何が欲しいんだ 母や老婆や女共の着物は地味だったが、一人の若い客の
ししゅう

﹂ 着物だけは何か刺繍のある淡い水色で、白砂の上でも、水
﹁何か決定的なもの。それが何だかはわから・ない﹂ のほとりでも、絹の光沢が、冷たく、夜明けの空の色のよ
だる かがよ
ととの非常に美しい、何事も未決定な若者は倦そうに答 うに耀うていた。
えた。とんなに親しくしていながら、彼のわがままな心に 文、そこからは、不規則な飛び石の足もとを構うらしい
みぎわ
生八い声が秋空に流れ、しかもその清らかすぎる笑いに一種 滝査を渡ると、小径はしばらく平坦に水際を縁取り、岸
の作為があって、との邸の女たちのそんな様子ぶった笑い はそれからもっとも中ノ島へ近づいてくる。清顕はそとま
さと ζ
声が清顕はきらいだったが、本多は雌鳥たちの明りをきい で熱心に目で辿ってきて、水色の着物の女の横顔に、聡子
おすd
cり
た雄鳥のように、日を輝やかせてくるのが清顕にもわかっ の横顔をみとめて落胆した。どうして今まで、それを聡子
いちず
た。二人の胸もとでは、晩秋の乾いてきた草の茎が脆く折 と気づか-なかったものであろう。一途に見知らぬ美しい女
れた。 だと信じ込んでいたのであろう。
清顕は水いろの着物の女だけは、そういう笑い声を立て 相手が幻影を裏切ったとなれば、こちらも身を隠してい
同かま
ぬだろうと信じた。女共は、水ぎわから紅葉山へゆく小径 る必要は-なくなった。彼は草の実を袴から払いながら立上

の、わざと幾度か石橋を渡る難路を、主人や客の手を曳き、 り、松の下枝から十分に姿をあらわして、
大仰に辿りだしたので、一群の姿は一一人の白からは草のか ﹁おおい﹂
げに隠れてしまった。 と呼んだ。
うち
﹁貴様の家は全く女が多いなあ。家は男ばかりのようなも 清顕のこんな突然の快活さに、本多もおどろいて身を伸
のだ﹂ ばした。夢を裏切られたときに快活になるという友の持ち
と本多は自分の熱意の言いわけをして立上り、今度は西 前を知らなかったら、本多は彼に先を越されたとさえ思っ
側の松かげに筒って、女たちの行き悩むさまを眺めた。紅 たにちがいない。
葉山は西側に山ふととろをひろげているので、九段の滝の ﹁誰だい﹂
四段までは西側にあり、佐渡の赤石の下の滝琵へ導かれる。 ﹁聡子さんさ。貴様にも写真を見せたととがあるだろう﹂
女たちはその滝査の前の飛び石を渡ってゆくところで、そ と清顕は、その名を軽んじているさまを、語調にさえあ
とらの紅葉は殊に色づいているので、第九段の小滝の白い らわして言った。岸の聡子はたしかに美しい女だった。し
V
九 掌っこむら だん ζ
飛沫さえ木叢に隠れて、そのあたりの水は暗赤色に染って かし少年は断乎としてその美しさを認めないふりをしてい
容の雪

いる。女中に手を引かれ、ながら飛び石を渡る水色の着物の た。なぜなら彼は、聡子が彼を好いているととをよく知っ
人の、うつむいた白い項を遠く望んだ清顕は、忘れがたい ていたからである。

7
11
春日宮妃殿下の豊かな白いおん項を思い出した。
みや
自分を愛してくれる人聞を軽んじ、軽んじるばかりか冷 松枝侯爵は、自分の家系に欠けている雅びにあとがれ、

72
酷に扱う清顕のよくない傾向を、本多ほど前々からよく察 せめて次代に、大貴族らしい優雅を与えようとして、父の

1
している友はなかったろう。との磁の侭倣は、十三歳の清 賛同を得て、幼ないとろの清顕を綾倉家へ預けたのであっ
かっさい
顕が自分の美しさに対する人々の喝采を知ったときから、 た。そとで清顕は堂上家の家風に染まり、二つ年上の聡子
かぴ ,ょうだい
心の底にひそかに養われてきた徽のような感情だろうと、 に可愛がられ、学校へ上るまでは、清顕の唯一の姉弟、唯
A
'A'
aqe
BMν
本多は推量していた。触れれば鈴音を立てそうな銀白色の
骨伊ト
一の友は聡子になった。綾倉伯爵は京靴のとれない、まこ
徽の花。 とに温柔な人柄で、幼ない清顕に和歌を教え、書を教えた。
すどろ︿ばん
実際、友として消顕が彼に及ぼしている危険な魅惑も、 綾倉家では今も王朝時代そのままの双六躍で夜、氷を遊び、
正にそとに由来するものかもしれなかった。清顕の友に・な 勝者には 昼
ι 后御下賜の打物の菓子などが与えられた。
金ヲ酔 A
'AJ
1 ,
レ, eA
ろうとして失敗して、結局彼に酬明笑される羽自になった級 なかんずく、今もつづく伯爵の優雅の薫陶は、毎年正月
よりろどおうたどとろ
友は少-なくない。本多一人は、そんな彼の冷たい毒に対し の、自ら寄人をつとめている御歌所の歌会始に、十五の年
て、うまく身を処してゆくという実験に成功したのだ。誤 から、清顕を参列させているととにあった。とれははじめ
解かもしれないが、彼があの暗い臼をした書生の飯沼に抱 は清顕にとっても、義務的なものと感じられたけれども、
く嫌悪は、飯沼の顔に ζそ、彼があの見馴れた失敗者の一面 成長と共に、いつか年のはじめのとの名残の優雅への参加
影を見るからであった。 が、心待ちにされるようになっていた。
││聡子には会ったことのない本多も、その名について 聡子は今では二十歳になっていた。聡子と清顕の子供の
は荷崩の物語でよく知っている。 とろの仲よく頬をよせ合った姿から、最近の彼女が五月末
あや︿らうりんげとうけけ主り
綾倉聡子の家は羽林家二十八家の一で、藤家蹴鞠の祖と の﹁お宮線﹂のお祭に参列した姿まで、清顕の写真般にそ
老んばよりすけよりつね
いわれる難波頼輔に源を発し、頼経の家から分れて二十七 の成長の跡を、つぶさに辿る ζとができた。二十歳という、
めざぷ
代目に、侍従となって東京へ移り、麻布の旧武家屋敷に住 娘ざかりをすぎた年頃であるのに、聡子はまだ結婚してい
ぜうぎよう
んでいたが、和歌と蹴鞠の家として知られ、嗣子は童形の ・なかった。
だい会どん
時に従五位下を賜わり、大納言にまで進むととのできる家 ﹁あれが聡子さんか。それじゃ、みんながいたわっている
ひふ
柄であった。 鼠いろの被布を着たおばあさんは誰なんだい﹂

﹁ああ、あれは、・:・そうだ、聡子さんの大伯母さんの御 映えたが、清顕は友を促して、ポートを向う岸へ進めなけ
もんぜ曾
門跡だ。へんな頭巾をかぶっているのでわからなかった ればならぬのを知った心

﹂ ﹁聡子さんは何とかこ乙の家へやって来る機会を決しての
それは実にめずらしい客で、ことの邸ははじめての訪問 がさないんだ。それも全く不自然でない機会を。大伯母様
おとり
にちがいない。聡子だけなら母はそうまですまいが、月修 はいい阻に使われている﹂
寺門跡の訪問のもてなしに、庭の案内を思いついたのに相 と本多を手つだって、いそがしく緩を解くあいだにも、
まれ
違ない。そうだ。司おそらく門跡の稀な上京を迎えて、聡子 清顕は非難がましく一言った。そのとき本多は、門跡に挨拶
が松枝家へ、紅葉を見せにお連れしたのにちがいない。 をするためとはいい司ながら、そんなにいそいで対岸へ行き
門跡は清顕が綾倉家に預けられていた乙ろ、大そう可愛 たがる清顕の、それは弁解の一言葉ではなかろうかと疑った。
がって下さった自であるが、そのころのととは一切清顕の 彼の白い繊細な指が、友の着実な仕草に焦慮するかのよう
記憶にない。中等科のとき、門跡が上京されたというので、 に、組い績にいたいたしくかかって手伝うさまは、こうい
綾倉家に招かれて、お目にかかったととがあるきりである。 う疑いを起させるに足りた Q
それでも門跡のやさしくて気高い色白なお顔と、物柔らか 対岸に背を向けて本多が漕ぎ出すにつれ、紅い水面の反
りん
な中に濠としたお話ぷりはよくおぼえている。 射を受けて上気しているかに見える清顕の目が、神経質に
本多の目をよけて、一途に岸へ向けられているのは、成長
││清顕の声に岸の人たちは一せいに立止った。そして 期の男同士の虚栄心から、自分の幼時をあまりにもよく知
かたわ
中ノ島の鉄の鶴の傍らから、深草を貫いて突然海賊のよう り、あまりにも感情的に支配していた女性への、彼の心の
にあらわれた、二人の若者の姿におどろいているさまがあ もっとも弱々しい部分の反応を、友に知られたくないため
りありと見てとれた U
ではなかろうかと思われた。清顕はそのとろ、自分の肉体
ぎぽしつぼみ
母が帯の聞から小さな扇一を出して、門跡のほうを指して の小さな白い擬宝珠の脅まで、聡子に見られてしまってい
春の雪

敬う形をしてみせたので、消顕は島の上から深い敬礼をし、 たかもしれないのだ。
rり


本多もとれに倣って、門跡は礼を返した。母が扇をひら hv 岸に漕ぎ寄せた本多の労を、

7
13
-
eeA
m
て招いてみせたときに、その一鼠一の金は紅葉を映して一奥紅に ﹁まあ本多さんは本当にお上手にお漕ぎになること﹂
うPぎね dFha
と滑顕の母がねぎらつた。彼女は瓜実顔のやや悲しげな 勝な心掛を示すのは滑稽だったが。

74
八字眉をした婦人だったが、笑っていても悲しげなその顔 尼門跡は母子のとういう対話を、客の分を守って、つつ

1
は、必ずしも感じ易い心性をあらわすものではなかった。 ましく微笑してきいていた。
ゐつ k
現実的でもあれば、鈍感でもありうる人で、良人の粗雑な そして聡子は、わざと聡子へ向けずにいる清顕の顔の、
附柚A'b'AJ
楽天主義と放蕩に馴れるように自分を育てたとの人は、清 匂いやかな頬にかかる黒い勤いほつれ毛の光沢をまじまじ
かだ
顕の心の細かい援などには決して入ってゆく ζとができな と見つめていた。

=。
4MM'i 古川
聡子はといえば舟から上る清顕の一挙一動から目を離さ とうして人々は、連れ立って山道をのぼり-ながら紅葉を

ずにいた。勝気で涼しげ・なその目は、見ようによっては爽 愛で、梢に鳴き交わす小鳥の声からその名を当ててたのし
やかで寛容なものにも思われるのに、清顕がいつもたじろ んだ。どんなに歩を緩めても、自然に二人の若者は先に立
会か
いで、その視線に批評的なものを読んだとしても無理はな ち、門跡を央にした女たちの群から離れた。本多がこうい
かったろう。 う機会をとらえて、はじめて聡子のととを口に出し、その
ど ん
ag
﹁御前が・おいでになったので、今日は有難いお話を伺おう 美しさを褒めたときに、
と思って、たのしみにしているのですよ。その前に、紅葉 ﹁そう思うかい﹂
山を御案内しようと思って ζこまで来たら、そんなに野蛮 と清顕は、それでももし本多が聡子を酸いと言いでもし
陪ζ
な声を出すのだから、おどろきますね。あなた方は島で何 たら、すぐ衿りを傷つけられるととのわかっている、神経
をしていたの?﹂ 質な冷淡さを示して答えた。彼自身が関心を払っていよう
﹁ぼんやり空を眺めていたんです﹂ がいまいが、自分に少くとも関わりのある女は、美しく・な
老ぞ
と母の聞いに、清顕はわざと謎のような返事をした。 くてはならない、と滑顕は明らかに考えていた。
﹁空を眺めるなんて、空に何があるんでしょう﹂ 二付がようやく滝口の下まで来て、橋の上から第一段の
A
与'
a'e
eE均
母は自に見えないものについては、理解できないという 大滝をふり仰ぎ、はじめて見る門跡のν
賞讃の言葉を、母が
'
心性を恥じなかったが、それが清顕には母の唯一の長所の 心待ちにしていた折、との日をとりわけ忘れがたいものに
ように思われた。そんな母が、法話を聴とうなどという殊 した不吉な発見をしたのは清顕だった。
をさ
﹁何だろう。滝口のととろで、あんなに水が割れているの らかさといい、正しくその率直さのうちに、手ごたえのあ

﹂ る優雅を示していた。それは硝子の容器のなかの果物のよ
さえぎ ちゅうちょ
母も気づいて、目を射る木洩れ陽を、ひろげた一闘で遮り うな、新鮮で生きた優雅であるだけに、清顕は自分の爵幽聞
ながら、そとを見上げた。滝の落下の姿を風情のあるもの を恥じ、聡子の教育者的な力を怖れた。
にするために、岩組に工夫を凝らしてとそあれ、そんな滝 母がすぐさま女中に命じて、役目をおろそかにした庭師
ぶざま わ
口の中央で水が無様に別れるわけはなかった。たしかにそ を呼ぴにやり、かたがた門跡には不体裁の詫びを言ったが、
ζに突き出ている岩はあった筈だが、それがこれほど滝の 門跡は慈悲心からふしぎな提案をした。
かきみだ
姿を援す筈はなかった。 ﹁こうして私の自にとまるのも何かの縁でっしゃろ。早速
﹁何でございましょう。何か引っかかっているように見え 埋めて、塚を作っておあげやす。回向して進ぜまっさかい
ますが・:・﹂ に

と母は困惑した気持を門跡へかけて言った。 おそらく犬は、すでに傷ついたか病んだかしていて、水
ぉぽむ︿ろ
門跡は何かをすぐに認めたらしいが、黙って微笑してい 源で水を呑もうとして落ち、その溺れた骸が流されて、滝

るきりであった。そこで見たものをあくまで正直に一言わね 口の岩に寝かれたのであろう。本多は聡子の勇気に感動し
ばならぬ立場に、清顕は立った。しかし彼はとんな発見が ていたが、同時に、ほのか・な雲の漂う滝口の空の澄みやか
ぎためら せいれっ
あまりにみんなの興を回阻ますととを怖れて爵跨っていた。 さ、水の諸問測なしぶきを浴びて宙に懸っている真黒な犬の
きば
そしてもはやみんながそれを認めていることを、彼は知っ 屍、そのつやつやと濡れた毛、ひらいた口の牙の純白と赤
ていたのである。 黒い口腔のすべてを、すぐ目近に見るような気がしていた。
﹁黒い犬じゃございません?頭が下に垂れて﹂ 紅葉見が一転して、犬の葬いに変ったのは、居合せた皆
と、聡子は実に率直に言い切った。みんなはそれではじ にとって、何か愉しい変化でもあるようで、女中たちの物
にわ
めてそれと知ったようにざわめきだした。 腰は俄かに活々とし、内に軽燥を隠していた。ニ汁は橋む
かたどちん
春の雪

清顕は自負を傷つけられた。一見女らしくない勇気を以 こうの滝見茶屋を象った涼亭で休息をとり、駈けつけた庭
しかばね
て、不吉な犬の屍を指摘した聡子は、持ち前のその甘くて 師が言葉を尽して詫びたのち、危い険阻をのぼって濡れた

75
とわね

1
張りのある声音といい、物事の軽重をわきまえた適度な朗 黒犬の屍を抱き取り、さてそれを、しかるべきところに掘
った穴に、四めるまで待っていた。 とで清顕には、ついぞ敢て日比みなかった聡子の形のよい鼻と、
きよきま ku
﹁何かお花を摘んでくるわ。清様も手つだって下さらな 美しい大きな日が、近すぎる距離に、幻のようにおぼろげ U
い?﹂ に浮んだ。
あらかじ
と、女中の手伝いを予め制して、聡子がき口った。 ﹁私がもし急にい・なくなってしまったとしたら、消様、ど
﹁犬にどんな花をやるんです﹂ うなさる?﹂
︿ちど
と清顕が不承々々に言ったので、山首が笑った。そのとき と聡子は抑えた声で口迅に一一=口った。
乙げさあら
門跡はすでに被布を脱いで、小袈裟を掛けた紫の法衣を顕
かた
わしていた。人々はこういう尊い方の存在が、みるみる不


きょ
吉を浄めて、小さくても暗い出来事を、大きな光明の空に
もっとと巴介さ
融かし込んで下さるように感じていた。 尤も聡子は北日からそんな風に、故ら人をおどろかす口ぶ
﹁御前様に回向していただく・なんて、何という果報な犬で りをすることがあった。
ございましょう。きっと来世は人聞に生れ変ることでござ 意識して芝居がかりにしているのではあるまいが、聴手
いたずらぎ
いましょうよ﹂ をはじめから安心させる悪戯気などはみじんも顔にあらわ
と母もすでに笑い・ながら言った。 さず、大事中の大事を打明けるように、大まじめで、悲愁
一方、聡子は清顕に先立って山道をゆき、目ざとく咲残 をとめて言うのである。
りんどう
りの竜胆を見つけて摘んだ。清顕の自には、すがれた野菊 馴れている筈・なのに、清顕も、ついとう訊かずにはいら
のほかのものは映らなかった。 れない。
平気で腰をかがめて摘むので、聡子の水いろの着物の裾 ﹁い・なくなるって、どうして?﹂
からだみの 同ら
は、その細身の鉢に似合わぬ豊かな腰の稔りを示した。清 無関心を装い-ながら不安を字んだ ζ の反問 ζそ、聡子が

顕は、自分の透明在孤独な頭に、水を掻き立てて湧き起る 欲しがっていたものに他ならない。
ささにど
水底の砂のような、細濁りがさすのをいやに思った。 ﹁申上げられないわ、そのわけは﹂
数本の竜胞を摘み終えた聡子は、急激に立上って、あら こうして聡子は、清顕の心のコ Yプの透明な水の中へ一
ぬ方を見・ながら従って来る清顕の前に立ちふさがった。そ 滴の墨汁をしたたらす。防ぐひまはなかった υ
清顕は鋭い自で聡子を見た。いつもこれだ。乙れが彼を 自分の不決断にも腹を立てていた。
して聡子を憎ませるもとになるのだ。急に、いわれもなく、 本多と二人で中ノ烏の草上に恕うていたとき、彼は﹁何
性の知れない不安を呉れるとと。彼の心の中には、抗しが か決定的なもの﹂を欲しいと言った筈だ。何かはわからぬ
たく一滴の墨がみるみるひろがり、水は一様に灰鼠に染め が、その光りかがやく﹁決定的なもの﹂が、もう少しで手
ι Ub
られてゆく。 に入りそうになつた矢先、聡子の水いろの伊


,仙が邪魔を入れ
s式
聡 子 の 憂 い を 稽びeひてはりつめた目は、快さに僚えていた
'


Q
てきて、彼を未決定の沼へ押し戻したのだ、という風に、
戻一ってきたとき、清顕がひどく不機嫌になっているのに 消顕はややもすると考えたがる。実際はその決定的なもの
ひら
みんなはおどろいた。とれが又松枝家の大ぜいの女たちの の光りは、手の届かぬ遠方に閃めいたにすぎないのかもし
ろわさば在し
噂話のたねになるのだ。 れぬのに、どうしても、もう一歩のところで総子に妨げら
れたのだ、と考えたがる。
ー l清顕のわがままな心は、同時に、自分を蝕む不安を もっと腹が立つのは、との謎と不安の解明のあらゆる方
自分で増殖させるというふしぎな傾向を持っていた。 途が、彼自身の衿りによってふさがれているととだった。
ただ
とれがもし恋心であって、これほどの粘りと持続があっ たとえば人に質そうにも、
たら、どんなに若者らしかったろう。彼の場合はそうでは ﹁聡子がいなくなるとはどういうことか?﹂
とげた
・なかった。美しい花よりも、むしろ赫だらけの暗い花の種 という質問の形をとらざるをえず、それは聡子に対する

子のほうへ、彼が好んでとびっくのを知っていて、聡子は 関心の深さを疑われる結果にしかならないからだ。
$
その措積悩子を蒔いたのかもしれない。消顕はもはや、その種 ﹃どうしよう。どうやったら、それが、聡子なんかとは何
子に水をやり、芽生えさせ、ついには自分の内部いっぱい の関わりもない、僕自身の抽象的な不安のあらわれだと、
にそれが繁茂するのを待つほかに、すべての関心を失って 人を納得させるととができるだろう﹄
しまった。わき目もふらずに、不安を育てた。 何度もそう考えては、清顕の考えは堂々めぐりをするば
春の雪

彼には﹁興味﹂が与えられたのである。その後ずっと、 かりである。
好んで不機嫌の虜になり、とんな未決定と謎を与えた聡子


l
に 腹 を 立 て 、 そ の 場 で 喰 い 下 っ て 謎 を 解 ζうとしなかった こういう折には、日ごろきらいな学校も気散じの場.所に
なった。彼は昼休みをいつも本多とすどしたが、本多の話 日が暮れて、塚のあいだに野宿をした。夜中に日をさまし
題には多少退屈した。本多はあのあと母屋の座敷で、月修 たところ、ひどく咽喉が渇いていたので、手をさしのべて、円 μ
むす
寺門跡の法話をみんなと共にきいたときから、心は一途に かたわらの穴の中の水を掬んで飲んだ。とんなに清らかで、
A,也&
それにとらわれていたからである。そしてそのときは上の 冷たくて、甘い水はなかった。又寝込んで、朝になって目
ありか
空で聴きすどした清顕の耳に、今になって本多が法話の逐 がさめたとき、あけぼのの光りが、夜中に欽んだ水の布処
Y﹄
〆、 AV e
A
F
弘同
一を、彼流に解釈して流し込むのであった。 を照らし出した。それは思いがけなくも、燭緩の中に溜つ
はきけもど
清顕のような夢みがちの心に、法話がいささかの影をも た水だったので、元暁は眠気を催おして、吐してしまった。
す念わ
投げかけず、却って本多のような合理的な頑に、新鮮な力 しかしそこで彼が悟ったことは、心が生ずれば則ち種々の
を及ぼしたのは面白かった。 法を生じ、心を滅すれば則ち欄骸不二なり、という真理だ
ほつそう
もともと奈良近郊の月修寺は、尼寺にはめずらしい法相 っ
#。
しゅう
宗の寺で、その理論的な教学が、本多を魅したのもありう しかし俺に興味があったのは、悟ったあとの元暁が、ふ
ゆいしき、、. おい
ることだが、門跡の法話自体は、唯識のごくとば口へ人々 たたび同じ水を、心から清く美味しく飲むことができたろ
をみちびき入れるための、ことさら卑近な、わかりやすい うか、ということだ。純潔もそうだね。そう思わないか?
そうわ ︿れん
du
揺話を引いていた。 相手の女がどんな莫連だろうと、純潔な青年は純潔な恋を
﹁御門跡は滝にかかった犬の屍からこの法話を思いついた 味わうととができる。だが、女をとんだあばずれと知った
と一言っておられたね﹂と本多は語った。﹁それが文御門跡 のちに、そこで自分の純潔の心象が世界を好き勝手に措い
の、君の一家に対するやさしいいたわりから出ていたとと ていただけだと知ったのちに、もう一度同じ女に、清らか
は疑いがない。あの御所言葉をまじえた古風な京都弁、風 な恋心を味わうことができるだろうか?できたら、すば
,ちよう
にかすかに婦られる九帳のような、無表情でいて淡い無数 らしいと思わんかね?自分の心の本質と世界の本質を、
きょう ζ
の色とりどりの表情をちらつかせる京都弁が、ずいぶん法 そこまで輩固に結び合せるととができたら、すばらしいと
話の与える感銘を助けていたなあ。 思わないか?それは世界の秘密の鍵を、との手に握った
がんぎよう
御門跡のお話は、むかしの唐の世の元暁という男につい というととじゃないだろうか?﹂
てだった。名山高岳に仏道をたずねて歩くうち、たまたま そう=一一口う本多がまだ女を知ら・ない乙とは自明であったし、
ぽ︿
やはり女を知らぬ清顕も、彼の奇妙な議論を駁するととは た

まっとう
できなかったが、何とはなしにこのわがままな少年の心が、 突然、本多が真向からとう訊いた。
まつがえ
実は本多とはちがって自分とそ、生れながらに世界のザ綜 ﹁松枝!貴様とのどろどうかしているんじゃないか?
を握っていると感じていた。どとから生れる自信とも知れ 俺が何を言っても上の空だ﹂
かど
・なかった。彼の夢みがちな心性、ひどく倣り高ぶりながら ﹁そんなことはない﹂
すぐ不安に泊される性格、その運命的な美貌などが、自分 と清顕は虚を突かれて、あいまいに答えた。彼は美しい
陪いつか ふそん
の柔らかい肉の奥底に恨め込まれた一顧の宝石を感じてい 涼しい目で友を見た。友達に自分の不遜を知られることは
n
た。痛みもせず、腫れもしないのに、肉の深みから時折放 恥じなかったが、悩みを知られることは怖ろしかった。
きょうきんひら
たれるその澄んだ光りのために、彼は病人の衿りに似たも もしここで彼が胸襟を披けば、本多はずかずかと彼の心
のを持っていたのかもしれない。 の中へ踏み入って来ることは知れており、誰であれそんな
月修寺の来歴などについては、清顕は興味もなく、よく 振舞をゆるせない清顕は、たちまちとのたった一人の友を
知りもし・なかったが、却って何のゆかりもない本多が、図 も失う ζとに・なるだろう。
書館で調べて来ていた。 本多も、しかし、とのときにすぐ清顕の心の動きを理会
それは十八世紀のはじめごろに建てられた比較的新らし した。彼と友人でありつづけようとすれば、粗雑な友情を
おん傘み ζ
い寺で、第百十三代東山天皇の女御子が、若くして崩御し 節約せねば念らぬというとと。その塗り立ての墜にうっか
しのきよみずぞら
たもうた父帝のみあとを偲ぴ、清水寺の観音信仰に身を入 り手をついて、手型を残すようなことはすべきでないとい
れておられるうちに、常住院の老僧が説く唯識論に興味を うこと。場合によったら、友の死苦をさえ看過せねばなら
きえていほっ
持たれて、次第に法相の教義に深く帰依し、剃髪されての ぬというとと。とりわけそれが、隠すととによって優雅に
ちも既存の門跡寺を避け、あらたに学問寺としての一寺を なりえている特別の死苦ならば。
たた
聞かれ、今の月修寺の開山となられたのであった。法相の 清顕の目が、とういうとき、一種切実な懇願を湛えてく
春の雪

尼寺としての特色は今にいたるまで保たれているが、歴代 るのが、本多は好きでさえあった。すべてをそのあいまい
みや 虫色信
笠宮門跡の伝統は先代で絶え、聡子の大伯母様は、宮家の 念、美しい岸辺で止めておいてくれ、と望んでいるその眼

V9
ぎし
血筋を引いているとはいえ、最初の臣下の門跡となられ 差 0
・::乙の冷たい破裂しそうな状態のなかで、友情を取
たいじ
引にした情ない対峠において、はじめて清顕は懇願者にな ほのめかしたが、 ζれは清顕が断わる ζとを当然見越して

la
り、本多は審美的な見物人になる。 ζれとそ二人が暗黙に 言ったのである。
のぞんでいる状態であり、人が二人の友情と名付けている それから父と母とが、共通の話題を探して苦慮している
ものの実質だった。 のが、清顕にも読みとれたが、そのうちにどういうわけか、
お た ち azち
三一年前に清顕が十五歳になった﹁御立待﹂の祝いのときの
ζとを話し出した。

晶子りい
それは旧暦八月十七日夜の月を、庭に置いた新らしい盟
十日ほどのちに、たまたま父侯爵が早く帰宅して、めず の水に映して、供え物をする古いしきたりであったが、十
らしく親子三人で夕食を摂った。父は洋食が好きだったの 五歳の夏のその夜空が曇ると、一生運が悪いと一五われてい

du さんみずか
で、洋館の小食堂で晩餐が出、侯爵は親ら地下の泊庫へ下 た

︿ら
りて葡萄酒を選んだ。庫いっぱいに寝かされている葡萄酒 父母の話で、清顕の心にも、ありありとその夜の情景が
の銘柄を、彼は清顕を連れて行って、丹念に教えてやり、 浮んできた。
どの料理にはどれが合うか、 ζの葡萄酒は{呂家でも hFいで はや露しげく、虫のすだきに充ちた芝生のまんなかに、
になった時のほかは使うな、とか、いかにも愉しげに教え 水を張った新らしい盤が置かれ、紋付袴で彼は父母の聞に
を護れた。そういう無用の知識を与えるときほど、乙の父 立っていた。盤の囲む丸い水面が、わざと灯を消した庭の
親が愉しげに見える ζとはなかった。 周囲の木立やその彼方の屋根の憂や紅葉山などの凹凸に富
食前酒のときに、母は一昨日、少年の別当を一人連れて、 んだ景色を、引き絞り、統括しているようだつた。その明
おてぎしゃ
一一関立の御手御者で、横浜へまで買物に行ったととを得意 るい槍の板の盟の齢、そとのところで ζの世界が終り、そ
そうに話した。 とから別の世界の入口がはじまっていた。自分の十五の祝
﹁横浜でも洋装をめずらしがるのですから、おどろきまし いの吉凶がかかっているだけに、滑顕には、それが露芝の
た。汚ない子供たちが、ラシャメン、ラシャメン、と云っ 上に裸で置かれた自分の魂の形のように岡山われた。その盟
て馬車を追いかけてくるのでどざいますもの﹂ の縁のうちらから彼の内面がひらけ、縁の外側からは外国
ひえい
父は軍艦比叡の進水式に消顕を連れて行ってやろうかと 刀.
, .
声を発する者もないので、あんなに庭いちめんの虫の音 としても:・・。
が、耳立ってきとえたことは・ない。目はひたすらに邸の中 歌留多の札の一枚がなくなってさえ、この世界の秩序に
d
hu ひび
へ注がれている。はじめ盟の水は黒く、藻のような雲に閑 は、何かとりかえしのつかない憾が入る。とりわけ清顕は、
在ぴ
ざされていた。次第にその藻が瞬き、光りがかすかに兆し 或る秩序の一部の小さな喪失が、了度時計の小さな歯車が
もや
てにじんだかと思うと、又消えた。 欠けたように、秩序全体を動かない霧のうちに閉じ込めて
どれくらい待ったろう。やがて、突然、盟の水のその凝 しまうのが怖ろしかった。なくなった一枚の歌留多の探索
固したかのようなあいまいな閣が破れて、小さな明らかな が、どれほどわれわれの精力を費させ、ついには、失われ
e
-者、
満月が、正しく水の中央に宿った。人々は喚声をあげ、ほ た札ばかりか、歌留多そのものを、あたかも王冠の争奪の
っとした母は、はじめて扇をう こ
e
かして、裾のあたりの蚊 ような世界の一大緊急事にしてしまうことだろう。彼の感
を追いながら、 情はどうしてもそういう風に動き、彼にはそれに抵抗する
すべ
﹁よかった。 ζ の子は運がいいね﹂ 術が・なかったのである。
と言った。そしてみんなが口々に述べる祝賀を受けた。 1 1十五歳の十七夜の御立待のととを考えているうちに、
清顕はしかし、天にかかる月の原像を仰ぐのが怖かった。 いつのまにか聡子のととを考えている自分に気づいて、清
︿ぜん
dp
丸い水の形をした自分の内面の奥深く、ずっと深くに、金 顕は樗然とした。
ぜんだいひらきぬず
いろの貝殻のように沈んでいる月のみ見ていた。ついにこ そのとき折よく執事が、うそ寒く仙台平の湾の衣摺れの
うして個人の内面が、一つの天体を捕獲したのだ。彼の魂 音をきかせて、食事の支度が調ったことを告げた。一二人は
あつら
の捕虫網が、金いろに輝ゃく蝶を。 食堂に入り、イギリスへ設えたおのおのの、美しい紋章入
あら
しかし、その魂の網目は粗く、一度捕えた蝶は、又すぐ りの飾皿の前に腰を下ろした。

飛び朔ってゆきはしないだろうか?十五歳の彼は、阜く 子供の ζろから清顕はやかましく食卓の作法を父に教え
も喪失を怖れていたのだ。得るが早いか喪失を怖れる心が、 込まれたものであるが、母はいまだに洋食に馴染まず、も
春の雪

との少年の性格の特徴をなしていた。一旦月を得た以上、 っとも自然に振舞って格を外さないのは清顕で、父の作法
今後月のない計算に住むようになったとしたら、その恐怖 には今以て新帰朝者の物々しさが残っていた。

8
11
はどんなに大きいだろう。たとえ彼がその月を憎んでいた スープがはじまると、母はすぐのどかな口調で語り出
した。 子の言葉は、ただ単に、自分の縁談のととを斥していたの

82
﹁ほんとうに聡子さんにも困ったものだわ。今朝お断わり だった。そしてたまたま、あの日の聡子の心境は、その縁

1
ヨペ傘
a
のお使者を出したと御報告がありました。一時はすっかり、 談を肯う方へ向っていて、そのととをほのめかして、清顕
お心が決ったようにお見受けしたんだけれど﹂ の気を引いてみたかったのであろう。今母が語るとおり、
拍たちわが az-B
﹁あの子ももう二十歳だろう。我憧をとおしているうちに、 彼女が十日ののちに正式にその話を断わったとすれば、そ
$た、、、、、、、、、、、
売れ残りになってしまう。乙っちも心配してやっている甲 の理由も亦清顕には明白だった。それは聡子が清顕を愛し

斐がないというもんだ﹂ ていたからである。
と父が言った。 とれで彼の世界は再び澄み渡り、不安は失せ、一杯の澄
清顕が耳をすました。父はかまわずにつづけた。 明なコップの水と等しくなった。との十日ほど帰るに帰れ
︿つろ
﹁何が原因だろう。身分が釣合わないという考えかもしれ なかった自分の小さな平和な庭でやっと帰って来て、寛
ないが、綾倉家がいかに名門でも、あれだけ傾いてしまっ ぐととができるのだ。
ている今は、将来有望な内務省の秀才・なら、家柄など問わ 清顕はめずらしい広大な幸福を感じたが、その幸福が、
めいせき
ずに、ありがたく受けるべき話じゃないか﹂ 自分の明断さの再発見に拠るととを疑わなかった。故意に
そろ
﹁私もそう思います。とれではお世話するのがいやになり 隠されていた一枚が手もとに戻って、歌留多の札が揃った
ました﹂ ととの、:::そして歌留多は再び、ただの歌留多にすぎな
﹁しかしあの家には清顕が世話になった思義もあるととだ くなったととの、:::何とも云いようのない明断念幸福感。
し、あの家の再興を考えてやる務めが乙ちらにもある。何 彼は、少くとも今の一瞬間、﹁感情﹂を追っ払うととに
か、どうしても断われない話を持って行ってやればよいの 成功したのである。

﹂ ーーしかし息子の突然の幸福感に気づくほど鋭敏ではな
﹁そんなお銚え向きの話がどざいますかね﹂ い侯爵夫妻は、食卓を隔てて、お互いの顔だけを見つめて
きいている清顕の顔は晴れ晴れとなった。とれで謎がす いた。侯爵は悲しげな八字眉の妻の顔を。夫人は、本来行
っかり解けたのである。 動力だけがふさわしいのに安逸がすばやく皮下にうずいて
た︿ aB
私がもし急にい-なくなってしまったとしたら、という聡 廻る、良人の還しい赤ら顔を。
きょう
こうして両親の会話が一見弾んでいるようにみえるとき、 肖像画家ジョン・、、、レ I ス卿の門弟が、日本に来ているあ
消顕はいつもながら、両親が或る儀式を執り行っているよ いだに描いた、百号あまりの巨大な祖父の肖像画は、薄閣
うに感じた。その会話は順を追ってうやうやしく俸げられ のなかから大礼服姿の祖父を浮ぴ出させた簡素な構図なが
た -zp、 し つ や さ か き ょ ちんばい
る玉串であって、光沢のある榊の葉も吟味して選られてい ら、その写実的な厳しさと理想化を程々に塩梅した描法の

。 うちに、いかにも世聞が維新の功臣として仰ぐにふさわし
r
g
これと閉じものを少年時代から、清顕は何ベんとなく眼 い不周な風貌と、家族にとって親しみのある頬の徒などの

前にした。白熱した危機も来ない。感情の高潮もない。そ 愛矯とを、巧みに融かし込んでいた。国の鹿児島から新参
れでいて母はそのあとに来るものをちゃんと知っているし、 の女中が来たときには、必ずとの肖像画の前へ連れて来ら
妻がそれを知っていることを、侯爵もよく知っている。そ れて、持ませられる。祖父が死ぬ数時間前に、との部屋へ
あ︿た つりひも
れは毎度の滝壷への陥落だが、落ちる前は芥も手をつ・ない 入った者もなく、吊組が朽ちていたわけでもないのに、肖
で、青空と雲を映す滑らかな水面を、何事も予感しない顔 像画は突然、床に落ちてすさまじい響きを立てた。
つきで・とってゆくのだ。 撞球釜には、イタリー大理石の石盤を使った玉台が三つ
閉山して侯爵は、晩餐のあとの瑚排もそ ζそとに、 並んでいたが、日清戦役の ζろから紹介されてきた一一一つ球
ぜうきゅう
﹁さあ、清顕、ひとつ撞球でもやろうか﹂ はとの家では設も遊ばず、父と子も四つ球で遊んだ。執事
と言い出し、 がすでに紅白二つの球を、左右に程々に離して並べ、おの
﹁それでは私はそろそろ退らせていただきます﹂ おののキューを侯爵と息子に渡した。イタリー産の火山灰
と侯爵夫人は言った。 を固めたチョークを、清顕は先端のタ Yプにすりつけなが
幸福な清顕の心は、今夜はとの種のまやかしにも、少し ら盤上を見つめた。
ヤぞうげ
PJ
も傷つかなかった。母は母屋へ退き、父子は撞球蜜へ入っ 緑の羅紗の上に紅白の象牙の球は、貝が足を出すように

。 丸い影の端をちらりとのぞかせて静まっていた。清顕はそ
ォl 少
春の雪

それはイギリス写しの僻の鏡板の壁もさることながら、 れらの球に、何の関心も抱いてい・なかった。それはどとか
ひとゆ
先代の肖像画と、日露戦役海戦の図の大きな油絵で名高い の見知らぬ街の、人気のない白昼の路上のようで、球はそ

8
13
部屋であった。グラッドストーンの肖像画を描いた英国の とに突然あらわれた異燥な無意味な物象として現前して
いた。 を離れ、清顕が予期していたとおりのととを言った。

184
侯 爵 は い つ も な が ら 、 美 し い 息 子 の ζういう無関心な日 ﹁私はこれからちょっと散歩に出るが、お前はどうする﹂
つきに・おそれをなした。今夜のようにもっとも幸福・な時で 清顕は黙っている。すると父は意外なことを言った。
さえ、清顕の目はそうなのであった。 ﹁それとも門までついて来るかね。子供の ζろのように﹂
ひとみ
﹁近々、シャムの王子が二人日本へ来て、学習院に遊学さ 清顕はおどろいて、黒くきらめく騒を父へ向けた。侯爵
れるととになっているのを知ってるかね﹂ は少くとも、息子をおどろかせる ζとに成功したのだ。
と父は思い出した話題を一言った。
めかけ
﹁いいえ﹂ 父の妾は門外の何軒かの家作の一軒に住んでいた。それ


﹁多分お前と同年だから、家にも数日滞在してもらう手筈 らの家作の二軒には西洋人が住み、庭の塀はすべて邸内へ
をするように、外務省に言っておいた。あの国はこのごろ、 向った裏木戸を持っているので、西洋人の子供たちは自由
奴隷も解放する、鉄道も作る、・なかなか進んだやり方をし に邸内へ遊びに来たが、妾の一軒だけは、その裏木戸に錠
ているらしいから、 h
o前もそのつもりで附合わねば-なら をかつて、その錠はすでに錆びていた。

﹂ 母屋の玄関から正門までは八丁あって、清顕が子供のこ
清顕は、父が手球へ向って身をかがめ、肥りすぎた豹の ろ、妾のところへゆく父が、よく手を引いてそ ζを散歩し、
せいかん
ようないつわりの精惇さで、キューをしどいているその背 門前で別れて、召使に連れ戻された。
μ ほとばしうか
へ をやると、急に小さな遊るような微笑を詑ベた。自分 父は用事で出るときには必ず馬車を使ったから、徒歩の
の幸福感と、未知の熱帯の固とを、紅白の象牙の球を軽く 時の行先は決っていた。子供心にも清顕は、そうやって父
キスさせ合うように、心の中で軽く触れ合わせてみたので に伴われてゆくととに居心地の悪さを感じ、本来母のため
ある。すると彼の幸福感の水晶のような抽象性は、閉山いも にも、ぜひ父を引戻さねばならぬ義務をそれと念く感じな
そうりん
かけぬ熱帯の叢林の輝やかしい緑の反映を受けて、急にい がら、そうすることのできない自分の無力に怒っていた。
きいきと彩られるような気がした。 母はもちろんそういう折に、清顕が父の﹁散歩﹂のお供を
侯爵は強かったので、滑顕はもとより敵ではなかった。 することを好まなかったが、父は故ら彼の手を引いて出る

最初の五キューを・お互いに燭き終ると、父はさっさと玉台 のであった。清顕は父が、自分に母を裏切らせようと暗々
調刊に望んでいるのを察した。 ステッキの先で小石を飛ばしながら歩いていた酔った侯
十一月の寒夜の散歩はいかにも異様である。 爵は、突然、とう言った。
がいとう
侯爵は執事に命じて外套を着る。清顕も撞球室を出て、 ﹁お前はあまり遊ばんようだが、-お前の年頃には、私なん
きん4タ﹀ い︿たり
学佼の金釦のついたダブルの外套を着た。執事は主人の ぞ幾人も女がいたものだ。どうだ、今度連れて行ってやる
ふ︿さ
﹁散歩﹂の十歩あとに従うべく、お土産を包んだ紫の椴紗 から、芸者を大ぜい呼んで、たまには羽目を外しては。何
を捧げて待っていた。 なら、学校の親しい友だちを一緒に引っぱって行ってもい
ζず え 限
月はあきらかで、風が木々の梢に肌えていた。父はあと い

からついてくる執事の山田の幽霊のような姿に、一切注意 ﹁いやです﹂
を払わなかったが、滑顕は気になって一度だけ振向いた。 清顕は身を傑わせて思わずそう言った。すると脚が地面
寒空にインバネスも着ず、常のような紋附袴の白い手袋に に釘附けられたように動かなくなった。父の一言で、ふし

一一 Pヌ
紫の紋紗包みを捧げ持って、山田は、足がややわるいので、 ぎ-なととに、彼の幸福感は、地に落ちた硝子の壷のように
手うろう
除践として来る。眼鏡が月に光って、霜のようである。終 みじんに割れた。
日ほとんど言葉を交わさないとの忠実無類の男が、体の中 ﹁どうしたんだ﹂
パ*花わ
にどんな錆びた感情の発条をたくさん撹め込んでいるか、 ﹁ととで失礼します。おやすみなさい﹂
︿d
uす 恨 の ぐ ら
清顕は知らない。しかしいつも快活で人間的な父侯爵より 清顕は腫を返して、灰暗い燈火をつけた洋館の玄関より
も、との冷たい無関心な息子のほうが、はるかに他人の中 さらにはるかに、木立の・なかに灯の洩れている母屋の表玄
に感情の存在を認めがちだったのである。 関のほうへ足早に戻った。
ふ︿ろう
泉が鳴き、松の梢のざわめきが、多少の酒にほてった清
聞のFTK、あの﹁戦死者の弔祭﹂の写真の、悲壮なす畿 その晩、清顕は眠られぬ夜をすごした。父や母のととは
を風になびかせている樹々のざわめきを伝えた。父は寒空 す乙しも念頭に浮ばない。
ふ︿しゅう
春の雪

の下に、その夜の奥に待っている、温かく潤んだ薄紅いろ 一途に聡子への復讐を考えた。
れんぞう わを
の肉の微笑を夢みているのに、息子は死の聯想を抱くばか ﹃あの人はつまらない毘に僕を引っかけて、十日聞にわた踊
りなのだ。 って、あんなにも僕を苦しめた。あの人の目的はただ一つ、
かす
僕の心を波立たせ、僕を苦しめるととに尽きていた。あの 透明な光りが乙もり、醐溺鵡がそのまま幽かな輪郭だけを残

86
人に復讐をしてやらなくてはならない。しかし僕には、あ して、融けかけているような異象におどろいた。そして知

1
とばり
の人のような詐術を使って、意地のわるい方法で、人を苦 ったのは、窓の幡のはずれからたまたま月の光りが玉の鶏
おぼつか
しめることなどは覚束ない。何がいいだろう。ぉ父様のよ 鵡にだけ注いでいるととである。彼は幡を乱暴にひらいた。
うに、僕も女をどく卑しく見ている ζとを、あの人に思い 月は中天にあり、月かげはベッドの上いちめんにひろがっ
知らせてやるのが一番だ。言葉であれ、手紙であれ、あの た

ぽうと︿
人がひどい衝撃を受けるような、官演的なととを言ってや 月は浮薄-なほどきらびやかに見えた。彼は聡子の着てい
れないものだろうか。いつも僕は心弱くて、そ ζまで自分 た着物のあの冷たい絹の照りを思い出し、その月に聡子の、
の心底を、人にあらわに示すととができなくて損をする。 あの近くで見すぎた大きな美しい目を如実に見た。風はも
多分、あの人には、僕があの人に無関心である、というだ う止んでいた。
だんぼう
けでは足り・ないのだ。それがあの人にいろんな、手前勝手 清顕は媛房のせいばかりでなく、体が火のように熱く、
お︿そ︿けが
な臆測の余地を残してきたのだ。あの人を演す!それが 熱さに耳も鳴る思いがしてきで、毛布をはだけ、寝間着の
必要だ。あの人が二度と起ち上れぬほどの侮辱を与える! 胸をひらいた。それでも身内に燃えてくる火は、肌のそ ζ
それが必要だ。そのときはじめてあの人は、僕を苦しめた かしこに穂先を走らすようで、月の冷たい光りに浴さなけ
ととを後悔するだろう﹄ れば納まらない気がしてきで、とうとう寝間着を半ば脱い
そうは思っても清顕のとつおいつする思案には、何ら具 で半裸になり、物思いに倦み果てた背を月へ向けて、枕に
体的な方策は現われなかった。 顔を伏せた。なお臨離は熱く脈打った。
ぴよ今ぷ
寝室のベッドのまわりには、六曲一双の寒山詩の扉風が 清顕はそうして、たとえようもなく白い、なだらかな裸
したんぎよ︿おうれ U
置かれ、足もとの紫檀の飾り棚に、青い玉の鶏鵡が止り木 の背を月光にさらしている。月かげがその優柔な肉にも多
に止っていた。彼はもともと新らしい流行のロダンやセザ 少の ζまかい起伏をえがき、それが女の肌では・なくて、熟
ンヌには興味を持たず、その趣味はむしろ受身な人間だっ し切らぬ若者の肌のごくほのかな厳しさを湛えているとと
た。眠られぬ目をその嬰鵡に凝らすうちに、鶴鵡の翼の徴 を示している。
今ち
細な彫り目までが浮き出て来て、その煙るような青の裡に わけでも、月が丁度深くさし入っているその左の脇腹の
あたりは、胸の鼓動をったえる肉の隠微な動きが、そこの 子たちのあまりの西欧化をおそれで、日本留学のととを計
まばゆいほどの肌の白さを際立たせている。そこに目立た られ、王子たちもそれには異存がなかったが、ただ一つの
隠︿ろ
ぬ小さな黒子がある。しかもきわめて小さな三つの黒子が、 悲しみは、﹁クリ L の 妹 姫 に 対 す る ﹁ ジ ャ オ ・ ピ 1﹂ の 別
からすきぽし
あたかも唐鋤星のように、月を浴びて、影を失っているの 離だった。
である。 この若い二人の恋は、宮廷のほほえましい花であり、留
学から﹁ジャオ・ピl﹂が帰られるときには、婚儀が約束
されているほどの仲であったから、未来には何の不安もな


かったが、パッタナディド殿下が出帆の時に示された悲し
シヤムでは一九一 O年 に 、 ラ 1 7五 世 か ら 六 世 へ 治 世 が
きが
みは、あまり激情を現わさないその国の人の性からは異様
変り、今度日本へ留学される王子の一人は、新王の弟君で、 に思われるほどであった。
ラ 1 マ五世の息であり、その称号はプラオン・ジヤオ 航海と従弟の慰めが、若い王子の別離の悲しみを幾分か
(pgロ聞のE
D) と称され、その名をバッタナディド (
3・ 癒やした。
5E岳仏)と呼ばれ、英語では、ヒズ・ハイネス・.プリン 清顕が王子たちを自宅に迎えたときには、二人ともその
ス・パッタナディドと敬称されるならわしであった。 浅黒い若々しい顔立ちでむしろ快活すぎる印象を与えた。
一緒に来られる王子は、同年の十八歳であったが、ラー 王子たちは冬休みまで気ままに学校へ参観にゆき、年が改
いとこ
マ四世の孫に当り、ごく仲のよい従兄弟の間柄で、その称 まってから通学するにしても、正式に級に編入されるのは、
号 を モ ン ・ ジ ャ オ ( 冨OBnrg)、 そ の 名 を ク リ ッ サ ダ 日本語に習熟し日本の環境にも馴れた暁、春の新学期から
(
同ハユ
︽凶器 LP)と い い 、 パ ッ タ ナ デ ィ ド 殿 下 は 彼 を ﹁ ク リ ﹂ というととになっていた。
という愛称で呼んでおられたが、クリッサダ殿下のほうは、 洋館の一一階の二問つづきのゲスト・ルームが王子たちの

正系の王子に対する敬意を忘れず、パッタナディド殿下の 寝室に宛てられた。洋館にはシカゴから輸入されたスチー
春の雪

ととを﹁ジャオ・ピl﹂と呼ばれるのであった。 ム媛房が整っていたからである。松枝一家がそろった晩餐
けいけん
二人とも熱心な敬慶な仏教徒であったが、日常の服装作 のころまでは、清顕も客もお互いに回くなっていたが、晩

8
17
法はすべて英国風で、美しい英語を話した。新王は若い王 餐後若い者ばかりになると俄かに打ちとけ、王子たちは清
ζんじきさんぜん
顕に、バンコックの金色燦然たる寺々や美しい風景の写真 途中にも、何度かこのお寺の夢を見ました。その金いろの

88
を見せた。 屋根が夜の海の只中から浮ぴ上り、お寺全体が徐々に浮ぴ

1
同い年でもクリッサダ殿下には、気ままな子供らしいと 上って、その間も船は進んでいますから、お寺の全貌が見
ころが残っているのに、清顕はパツタナディド殿下のほう えるとろには、いつも船は遠くにいる ζとになるのです。
'Fhv
には、自分と共通した夢みがちな資質を発見してうれしく 海水を浴びて浮ぴ上ったお寺は星あかりに埋めいて、夜の
思った。 海上遠く月の出の新月のように見えます。僕は甲板からこ
彼らが示した写真の一枚に、ワット・ポ I の名で知られ れを拝んで合掌するのですが、夢のふしぎで、そんなに遠
ねしやか
る巨大な寝釈迦を納めた僧院の全景があり、写真は手描き く、しかも夜だというのに、金と朱のとまかい浮彫の一つ
で精妙な彩色を施され、日の前に見るかのようであった。 一つまでが、つぶさに自に詑ぶのです。
やしぼさ
積雲のそそり立つ強い熱帯的な青空を背景一に、郎子の婆裟 僕はクリにその話をして、 h
u寺が日本まで追いかけてく
てんてい
たる葉ごもりも点綴して、そのたとえようもなく美しい金 るらしいと言ったのですが、クリは僕をからかって、追い
と白と朱の僧院は、金いろの対の神将像が護る門の、金の かけてくるのは別の思い出でしょう、と笑うのです。その
縁を取った朱いろの扉や、白壁と白い列柱の上方へ及ぶに たびに僕は怒りましたが、今では少しクリに同感する気持
従って、繊細な金いろの浮彫の房が黍れ下り、それが次第 にもなっています。
nん さ は ふ
に煩墳な金と朱の浮彫に包まれた屋根や破風の集合をなし、 -なぜなら、すべて神聖なものは夢や思い出と同じ要素か
ついに中央の頂きでは燦然とした三重の宝塔になって、輝 ら成立ち、時間や空間によってわれわれと隔てられている
きせき
く青空へと突き刺る、心もときめくような構成を持ってい ものが、現前しているととの奇蹟だからです。しかもそれ

。 ら三つは、いずれも手で触れるととのできない点でも共通
清顕がその美しさに対する讃喫を、素直に面上にあらわ しています。手で触れることのできたものから、一歩遠ざ
したので、王子たちは喜んだ。そしてパ yタ ナ デ ィ ド 殿 下 かると、もうそれは神聖なものになり、奇践になり、あり
は、そのいかにも柔和な丸顔に似つかわしくない、鋭すぎ えないような美しいものになる。事物にはすべて神聖さが
e
Eな
る切れ長の目で、遠くのほうを眺めるようにして言った。 具わっているのに、われわれの指が触れるから、それは汚
﹁慢はとりわけ ζ のお寺が好きなので、日本へ来る航海の 濁になってしまう。われわれ人聞はふしぎな存在ですね。
指で触れるかぎりのものを潰し、しかも自分のなかには、 とょうよう清顕が言うと、又そばから、クリッサダ殿下
神聖・なものになりうる素質を持っているんですから﹂ ,

﹁ジャオ・ピーはむつかしいととを言っているけれど、実 ﹁hp
寺のほうですか、恋人のほうですか?﹂
は、別れてきた恋人のことを言っているにすぎないんです と茶々を入れ、そういう不諮慎な比較をするものではな
よ。清顕君に写真をお目にかけたらどうです﹂ いとジヤオ・ピーにたしなめられながらも、-なおもうるさ
とクリッサダ殿下が話を遮って言った。パッタナディド く首をっき出して、取出された写真を指さしては、
殿下は頬を染めたらしかったが、浅黒い肌色のために、さ ﹁ジャントラパ I姫 は 僕 の 妹 な ん で すonEEZE とい
だかでなかった。そのためらいを見て、清顕は客を強いる うのは、﹃月光﹄という意味なんですよ 僕たちはふつう
Q
ことをせずに、とう言った。 ジン・ジヤン(出口聞の宮口ーージャン姫)と呼んでいます
﹁よく夢を見られるのですか?僕も夢日記をつけている が

ちゅうしゃ︿
んです﹂ などとわざわざ註釈をつけた。
﹁日本語ができたら、ぜひ読ませていただきたいものだが 写真を見て清顕は、それが思いのほか平凡な少女である
九日明ふり﹂ ととにすこし落胆した。白いレエスの洋服を着、髪には白
とジャオ・ピーは目を輝やかせて言った。清顕は親友に いリボンをつけ、胸には真珠の一銅飾をして、とりすまして
さえ打明ける勇気の・ない、とんな夢への執着が、英語を通 いるその表情は、女子学習院の学生の一人の写真だと一五つ
いぶか
して、らくらくと相手の心へ届くのを見て、ますますジヤ でも、誰も一説らないにちがいない。髪が美しく波立って一肩

オ・ピーに親愛を感じた。 にかかっているのが一一憾の趣を添えているけれど、やや傍
おどろ
しかしその後会話が滞りがちになった理由を、清顕がク 気な眉、いささか樗きにみひらかれたような目、暑い乾季
リッサダ殿下のいたずらっぽい目の転々とした動きに読も の花のように乾きすぎて軽くまくれた唇、すべてにまだ白
ふさあふ
うとしたとき、彼はそれが、写真をぜひ見せてくれ、と強 分の美しさにそれと気づかない稚なさが溢れていた。もち
春の雪

いなかったためだと思い当った。ジヤオ・ピーはおそらく ろんそれは美しさの一種だった。しかしまだ自分が飛べる
ひ去どり
彼が強いるのを心待ちにしていたのである。 とは夢にも思っていない雛鳥の、温かい自足に充ちすぎて

8
19
﹁あなたを追いかけてきた夢の写真を見せて下さい﹂ いた。
﹃とれに比べれば聡子は百倍も千倍も女だ﹄と清顕はしら わず自国語を出した失礼を詫びて、その相談の内容を英語

XJ
ずしらずのうちに比較していた。﹃僕の気持をともすると で伝えた。清顕は父に頼んでよい銀行の金庫を紹介してあ

!
1
憎悪のほうへ追いやるのも、彼女が女でありすぎるからで げようと言った。こうしていよいよ打ちとけた王子たちは、
はなかろうか。又、聡子はこれに比べればずっと美しい。 クリッサダ殿下も女友達の小さな写真を示したのち、今度
そして彼女は自分の美しさを知っている。彼女は何でも知 はぜひ清顕の愛する人の肖像を見たいとせがむのだった。
b-内,e
身 a--
っている。わるいととに、僕の幼なさをまでも﹄ 若い虚栄心が、咽墜の聞に、清顕にとう言わせてしまっ
ジャオ・ピーはじっと写真を見つめている清顕の自に、 た

ζ は︿
自分の少女を奪われそうな気がしたものか、繊細な竣泊い ﹁日本ではそうやってお互いの写真を交換する習慣はない
ろの指をつとさしのべて、写真をとり返したが、その指に けれど、近いうちにきっと彼女を御紹介しましょう﹂

纏めく緑の光りをみとめて、清顕はジヤオ・ピ 1 のはめて ││彼自身の幼時からつ つ
e
けて貼られている写真帳のな
いる華麗な部常にはじめて気づいた。 かの、聡子の写真を見せる勇気はとてもなかった。
それは二三カラットはあろうと恩われる、四角いカット 彼は気づいた、自分はとん-なに久しく美少年の誉れを受
の濃緑のエメラルドを囲んで、金のごく細かい彫刻で一対 け、人々の讃嘆を浴びて来たのに、十八歳までとの退屈な
bbe や
'し ZeA,&ヲ
の護門神ヤスカの、半獣の顔を飾った巨きな指環で、とん 邸内に過して、聡子のほかについに一人の女友達も持って
な目立つものに今まで気づかなかったのは、清顕の他人へ いない乙とを。
の無関心をよくあらわしていた。 聡子は女友達であると同時に敵であり、王子たちが意味
ぜん みつ
﹁僕の誕生石なんです、五月ですから。ジン・ジャンが銭 しているような、甘い感情の蜜ばかりで凝り固められた人
別に呉れたのです﹂ 形では・なかった。清顕は自分にも、自分を取り巻くすべて
ほじ
とパッタナディド殿下はなお差らいを含んで説明した。 のものにも怒りを感じた。﹁散歩﹂の途次、いかにも慈愛
﹁そんな派手なものをしていると、学習院では叱られても ありげに言われた酔った父のあの言葉にさえ、孤独で夢み
ぷぺつ
ぎ取られてしまうかもしれませんよ﹂ がちの息子に対する、侮蔑の薄笑いが乙もっていたような
と清顕がおどかしたので、王子はふだんとの指環をどこ 気がした。
に隠しておくべきかとまじめに自国語で相談しはじめ、回ω 今では彼が自尊心から拒んでいたものすべてが、逆に彼
の自尊心を傷つけていた。南国の健康な壬子たちの、浅黒 にはまるきりやさしさが欠けていて、愛情はもちろん、友
へ ん り ん ろ かS
い肌、鋭く突き刺すような官能の刃をひらめかすその一睡、 情の片鱗も窺われませんでした。小生にしてみれば、そう
あいぷた
それでいて、少年-ながらいかにも愛撫に長けたようなその いう眼中魔的な行動をするあなたの、ぁ・なた自身も知らない
長い繊細な琉泊いろの指、それらのものが、とぞって清顕 深い動機について、一つのかなり確実な目安をつけてはい
に、こう言っているように思われた。 ますが、それは礼儀上、申上げないことにしておきます。
﹃へえ?君はその年で、一人も恋人がいないのかい?﹄ しかし今では、あなたのすべての努力も企図も水泡に帰
したと云えるでしょう。実に不快な心境にいた小生は、
しきい
自分でも制しきれずに、清顕は、それでもせい一杯冷た (間接的にあなたの・おかげで)、人生の一つの聞を踏み越え
せっ aほんりゅう
い優雅を保ちながら、こう言ってしまったのだった。 てしまいました。たまたま父の誘いに乗って、折花祭柳の
ち aた
E
﹁近いうちにきっと彼女を御紹介しましょう﹂ をに遊び、男が誰しも通らなくてはならぬ道を通りました。
そしてどうやって彼女の美を、この新らしい異国の友に ありていに言えば、父がすすめてくれた芸者と一夜を過し
誇ることができるだろう。 たのです。つまり、社会道徳上ゆるされた、公然たる男の
清顕は永い時間臨時の末に、とうとう昨日、聡子に宛てて、 たのしみというわけです。
物狂おしい侮辱の手紙を書いてしまっていた。まだその文 乙の一夜で小生は幸いなことにすっかり変りました。婦
ζしら
面、何度となく書き直して精密に掠えたつもりの侮辱の文 人に対する考えは一変し、みだらな肉を持った小動物とし
面は、二子一句脳裡に刻まれている。 て、絡んじながらじゃらしてやるという態度を学びました。
﹃::・あなたの威嚇に対して、こん・な手紙を書かなければ とれはあの社会の与えるすばらしい教訓だと思いますし、
はをは
ならないのは、小生としても甚だ遺憾なととです﹄という 今まで父の女性観に共鳴できなかった小生も、否応なしに、
切口上で、その手紙ははじまっていた。﹃あなたはつまら 父の息子だという ζとを自分の体のうちにはっきりと認識
ない謎を、いかにも怖ろしい謎のように装って、何の鍵も しました。
しぴ
春の雪

添えずに小生に手渡し、小生の手を薄れさせ真黒にしてし こ ζまで読まれたあなたは、もう永久に去った明治時代
まいました。小生はこういうことをするあなたの感情的動 風の旧弊な考えで、むしろ小生の進境を喜んで下さるかも

9
11
︿ろうと
機について、疑問を呈せずにはいられません。そのやり方 しれません。そして、玄人の女に対する小生の肉体的侮蔑
' ,
し AVAL
ι
が、素人の婦人に対する精神的尊敬をいよいよ高めること けながら思った。
陪︿ぞえ

1~氾
になったろうと、北盟笑んでおられるかもしれません。 途中で何度か本多の名が浮んだが、友情に関する彼の気
い会
否 1 断じて、杏です。小生はその一夜から、(正に進 むずかしい観念が乙の名を押し消した。廊下の窓は夜風に
境は進境でしょうがてすべてを突き破って進んで、誰も 鳴り、暗い燈火の一列がどこまでもつ。ついていた。こんな
こうや み企が
至らない畷野へ走り出してしまったのです。そ乙では芸者 風にして、息せき切って走っているととろを、誰かに見答
せい・とろしゃ
と貸婦人、素人と玄人、教育のない女と青鞘社の連中との められるのを怖れて、清顕は息を弾ませて廊下の一角に立
金事んじっ企まどかをちひじ
区別も一切ありません。女という女は一切、うそつきの、 止った。万字繋ぎの彫りのある窓程に肱をついて、庭を跳
e
zb
ι
﹁みだらな肉を持った小動物﹂にすぎませんつあとはみん めているふりをしながら、懸命に考えを纏めようとしてい
いしよう
な化粧です。あとはみんな衣裳です。申しにくい ζとです た。夢とちがって、現実は何という可塑性を欠いた素材で
いつか
が、小生は今、あなたをも、はっきり、 0 5 0﹃任。自と あろう。おぼろげに漂う感覚ではなくて、一頼の黒い丸一楽
しか考えてい・ないことを申上げておきます。あなたが子供 のような、小気味よく凝縮され、ただちに効力を発揮する、
のときから知っていた、あの大人しい、清純な、扱いやす そういう思考をわがものにしなくては・ならないのだ。彼は
お私事ょ‘
ぃ、玩具にしやすい、可愛らしい﹁清様﹂は、もう永久に 甚だしく自分の無力を感じ、媛房の部屋から出て来た廊下
死んでしまったものとお考え下さい。:::﹄ の寒さにおののいた。
鳴っている窓硝子に額をあてて庭をのぞく。今夜は月も
l 二人の王子は、まだそんなに夜ふけでもないのに、
ー -なくて、紅葉山と中ノ島は一つの黒い塊りに合して、廊下
慌しく﹁必やすみ﹂を言って部屋を出てゆく清顕に、不審 の暗い燈火の及ぶ範囲にだけ、風にそそけ立つ池水がかす
すっぽん
な思いをしたらしかった。尤も滑顕は紳士らしく、一見に かに見える。彼はそ ζから、僻闘が頭をもたげてとちらを窺
こやかに節度を保ちながら、二人の客の寝具その他を注意 っているような気がしてぞっとした。
あら
深く検ためたのち、客の希望もいろいろときいて、礼儀正 母屋へ戻り、自分の部屋へ昇ろうとする階段の上り程で、
しく退ったのではあったが。 清顕は書生の飯活に行き会って、云いようのない不快を顔
﹃どうしてとん-な時、僕には誰一人味方がないんだ﹄と、 にあらわした。
す会
彼は洋館から母屋へ通じる長い渡り廊下を、いっしんに駈 ﹁もうお客様はお寝りになったとですか﹂
﹁ああ﹂ 生部屋のほうをぬすみ見た。飯沼は勉強をしているらしか
﹁若様もお寝りになるとですか﹂ った。
﹁僕はこれから勉強があるんだ﹂ 清顕は受話器をとって、交換手に番号を言った。胸は高
すでに二十三歳の飯沼は、夜間大学の最上級生で、今学 鳴り、退問問は打ち払われていた。
校からかえって来たととろらしく、片手に数冊の本を抱え ﹁綾倉様ですか。総子さんはいらっしゃいますか﹂
ていた。彼は若さのさかりがいよいよ欝屈を加えた顔立ち と聴き覚えのある応待の老女の声へむかつて、彼は言っ
たんす
になり、その大きな暗い箪笥のような肉体を清顕は怖れた。 た。遠い麻布の夜のかなたから、老女のひどく丁重で不機
自室に戻った彼は、スト lヴの火もつけずに、寒い室内 嫌・な声が答えていた。
をおちつきなく立ちつ居つして、頭に浮ぶ考えを次々と消 ﹁松枝様の若様でいらっしゃいますか?恐れ入りますが、
よみがえ
しては蘇らせた。 もう夜分おそうどざいますので﹂
やす
﹃とにかく急が・なくてはならない。もう遅いだろうか? ﹁hp
寝みなのですか﹂
すよし
あんな手紙を出してしまった相手を、僕は何とかして数日 ﹁いいえ、::・はあ、まだ御寝にはおなりになりませんと
むつ主
中に、仲陸、じい恋人として王子に紹介しなければならない 存じますけれど﹂
んだ。しかも一等世聞に自然と思われるやり方で﹄ 清顕が強いたので、とうとう聡子が出た。その声の明る
“日う
椅子の上に、読む暇がなくて、そのままに放置った夕刊 さが清顕を幸福にした。
也曹、与﹄女、$・
が散らばっていた。何気なくその一枚をひろげてみた清顕 ﹁何でございますか、今ごろ、清様﹂
は帝国劇場の歌舞伎の広告を見て、心にひらめきを得た。 ﹁実はね、昨日あなたに手紙を出したんです。そのことで
﹃そうだ、王子たちを帝劇へお連れしよう。それにしても、 ・お願いがあるんだけど、手紙が着いても、絶対に開封しな
昨日出した手紙はまだ届いている筈がない。まだ望みがあ いで下さい。すぐ火中すると約束して下さい﹂
るかもしれない。聡子と一緒に芝居へゆくことは親も許す ﹁何のことかわかりませんけれど・:・﹂
やり︿ち
春の雪

まいが、偶然に会ったととにすればいいんだ﹄ 聡子の何事もあいまいにする遣口が、一見のどかなその
彼は部屋を飛び出して階段を駈け下り、表玄関の脇まで 口調のうちに、すでにはじまっていると感じた清顕はあせ

9
13
いA
&
.ス
走って、電話室へ入る前に、明りの洩れている玄関脇の書 つていた。それにしても聡子の声は、この冬の夜の中に、
あんずう
六月の杏子のように、程よく重たく温かく熟れてきこえた。

91
﹁だから、何も言わずに約束して下さい。僕の手紙が届い

1

たら、絶対に開封せずに、すぐ火中すると﹂
﹁はい﹂ 本多は学校で清顕から明日帝劇へ行く誘いを受け、シヤ
﹁約束してくれますね﹂ ムの王子二人のお供をして行くのだというととで、多少固
﹁いたします﹂ 若しくは感じたけれども、喜んで承諾した。清顕はもちろ
﹁それからもう一つお願いがあるんですが:::﹂ ん、むとうで偶然に聡子に会うことに・なる成行などは、友
﹁ずいぶんお願いがある晩ですのね、清様﹂ に打明けてい・なかった。
﹁明後日の帝劇の切符をお買いに・なって、御老女でもお供 本多は家へかえると、夕食のとき、父母にもその話をし
につれて、帝劇にいらして下さい﹂ た。父はあらゆる芝居を好もしいものと思っていなかった
﹁あ
ら・・
・・・
・﹂ が、一方、息子も十八歳になればそう自由を束縛すべきで
聡子の声は途切れた。滑顕は彼女が拒むのを怖れていた はないと考えていた。
が、すぐ自分の思いちがいに気づいた。綾倉家の今の財政 本多の父は大審院判事で、本郷の邸に住み、明治風の洋
状態は、そういう一人二間五十銭ほどの費用でも、思いに 間もある部屋数の多い邸は、いつも謹直の気分に充ちてい
任せぬらしいととを察したのである。 た。書生も数人おり、書物は書庫や書斎をあふれで、廊下
﹁失礼ですが、切符はお届けしますから。並んだ席だと世 にまで暗い背革の金文字を並べていた。
間の目がうるさいでしょうから、少し離れたお席をとりま 母もはなはだ面白味のうすい婦人で、愛国婦人会の役員
しょう。僕はタイ国の王子様の御接待に、芝居を見に行く をつとめ、息子が、その活動に一向積極的でない松枝侯爵
んです﹂ 夫人の息子と、格別親しくしているのを不本意に思ってい
なでし傘
﹁まあ、それは御親切に。葱科もさぞ喜ぶと思いますわ。 た

喜んで伺います﹂ しかしそういう点を除けば、本多繁邦は、学校の成績と
と聡子は素直に喜びをあらわした。 いい、家での勉強ぷりといい、健康といい、日常の折目正
しい挙措といい、申し分のない息子であった。彼女はわれ
にも人にも、その教育の成果を誇っていた。 と、いずれ大学で学ぶ ζとになる知識を先取りし、又、何
さまつじゅうき えんげん
こ乙の家にあるものは、どんな些一末な家具什器にいたる でも物事の淵源に興味を寄せがちな性向を充たすために、
まで、すべて範例的なものであった。玄関の松の盆栽、 丸善から取り寄せたフランス語や英語やドイツ語の法典解
ついたて
﹁和﹂の一字の衝立、応接間の煙草セット、房のついたテ 説を読み散らした。
こめぴつトわや もんぷきひ
1ブ ル 掛 な ど は 言 わ ず も が な 、 た と え ば 台 所 の 米 糧 、 闘 の 月修寺門跡の法話を聴いたときから、彼はかねて心を惹
手拭掛、書斎のベン皿、文鎮の類までが、いいしれぬ紡例 かれていたヨーロッパの自然法思想に、何となくあきたり
的な形をしていた。 ない感じを抱きはじめていたのである。ソクラテスにほじ
家のなかの話題でさえそうだった。友だちの家には一人 まり、アリストテレスを通じてロ 1 7法 を 深 く 支 配 し 、 中
や二人、必ず面白いことをいう老人がいて、月が窓から二 性にはキリスト教によって精密に体系化され、啓蒙時代に
しったたぬき
つ見えたので、大声で叱姥すると、片方の月が狸の姿に一民 は又、自然法時代と呼ばれるほどの流行をもたらし、 Ayの
って逃げた、などという話を大まじめでして、人もまた大 ところしばらく鳴りをひそめているが、二千年のうつりか
まじめできく気風が残っているのに、本多家では家長のき わる時代思潮の波ごとによみがえっては、その都度新らし
ろうひもちまい
びしい日が行き届き、老抽仰といえども、そういう蒙昧な話 い衣裳を身にまとうとの思想ほど、不死身-な力をそなえた
をすることは禁じられていた。永らくドイツに遊んで法律 思想はなかった。おそらくそこにヨーロッパの理性信仰の
台よろじん
学を学んだ家長は、ドイツ風の理性を信奉していたのであ もっとも古い伝統が保たれていた。しかしそれだけ強靭な
ヲ︿叫。 思恕であればあるほど、本多はその明るい人間主義のアポ
本多繁邦はよく松枝侯爵家と自分の家を比較して、関白 ロン的な力が、いつも閤の力におびやかされてきた二千年
く思うととがあった。あの家では商洋風の生活をして、家 間を思わずにはいられなかった。
のなかにある舶来物は数しれ・なかったが、家風は意外に旧 いや、閣の力ばかりではない。光りはもっと日のくらむ
弊であり、乙の家は生活そのものは日本的でいて、精神に ような光明にもおびやかされ、その自分以上の光りの思想
春の雪

西洋風なところが多分にあった。父が書生を扱う扱い方も、 を、たえず潔癖に排除してきたようにも思いなされた。閣
松枝家とはまるでちがっていた。 をも含むようなより強い光明は、ついに法秩序の世界には、町四
本多はその娩も第二語学のフランス語の予習をすませる とりいれられなかったものだろうか?
さりとて本多は、十九世紀のロマン派的念歴史法学派や、 百年にいたるあいだに集大成された印度古法典の大宗で、
さては民俗学的法学派の思想にとらわれていたわけではな ヒンズー教徒のあいだでは今日・なお法としての生命を保っ


1
かった。明治の日本はむしろそういう歴史主義から生れる、 ているが、その十二章二千六百八十四カ条は、宗教、習俗、
ζんぜん
国家主義的な法律学を要求していたけれども、彼は逆に、 道徳、法の衛然とした一大休系であって、宇宙の始源から
τい

ζ
法の根抵にあるべき普通的真理のほうへ顔を向け、それだ 説き起して、窃盗の罪や相続分の規定にまでいたる、その
とんとん
から ζそ今ははやら・ない自然法思想にも心を惹かれていた アジア的な混沌の世界は、キリスト教中世の自然法学の、
のに、 ζ のごろでは法の普遍が包摂する限りを知りたく、 あのような整然たるマクロコスモスとミクロコスモスの照
もし法が、ギリシア以来の人間観に制約された自然法思想 応による体系と、実に際立った対照を示していた。
アタチ才
をふみとえて、よりひろい普通的真理(かりにそん念もの しかしロ l マ法の訴権が、権利救済のないと ζろには権
があるとして)へ足をつっとめば、そ乙で法自体が崩壊す 利がないという、近代の権利概念と反対の思想に立ってい
るかもしれないというよう念領域へ、いちずに空想を“
馳せ
" るように、マヌの法典も、いかめしい王とバラモンたちの
る ζとを好んでいた。 法廷の容儀に関する規定に引きつ つ
e
いて、訴訟事件を負債
これはいかにも青年らしい危険な思考であった。しかし、 の不払いその他の十八項目に限定していた。
あたかも明るい地上へ、宙に浮んだ幾何学的な構築物の影 本多は、無味乾燥な筈の訴訟法にすら、王が事実審理に
かりゅうど
を、明断に落したようなロ l マ法の世界が、自分の今学ん よって正否を知るさまを、﹁丁度猟人が血のしたたりによ
たどたと
でいる近代的実定法の背後に、ゆるぎなく立っている姿に って、手負いの鹿の巣を辿る﹂さまに檎えたり、又、王の
飽きると、彼が明治日本のとうまで忠実な継受法の圧迫か 義務を列挙するにも、﹁あたかもインドラが雨期の四月に、
ら脱して、アジアの別のひろい古い法秩序へ、時たまは目 ゆたかな雨をふらすように﹂、王国の上に思恵を注ぐべき
を向けたくなるのも自然であった。 ことを述べたりする、この法典独特の豊麗な影像に魅せら
折よく丸善から届いた L ・デロンシャンのフランス訳 れて読み進み、ついに最終章のふしぎな規定とも宣言とも
﹁マヌの法典﹂は、そういう本多の懐疑にうまく応えるも つかぬものに辿りついた。
のを、含んでいるように思われた。 西洋の法の定一言命令は、あくまで人間の理性にもとづい
マヌの法典は、おそらく西暦紀元前二百年から紀元後二 ていたが、マヌの法典は、そとに理性では沿しはかれない
りんね
宇宙的法則、すなわち﹁輪廻﹂を、いかにも自然に、いか 対してより少ない信頼を霞く法理念と云えるかもしれなか
にも当然のことのように、いかにもやすやすと提示してい っ Jほ。
F-o
JJ 本多はとの問題をこれ以上ほじくり返して、古代思想の
﹁行為は身・語・意から生じ、善悪いずれの結果をも生ず 閣の奥へ沈む気にはなれなかったが、法律学徒として、法
るものである﹂ を確立する側に立ちながら、どうしても現在の実{定法への
マナス や
﹁心はとの世で肉体と関連し、品川両・中・悪の三種の別があ 懐疑と或る疾ましさから脱け切れず、目前の実定法の府、現
わ︿ぐみ
ヲ匂﹂ な黒い枠組と二重写しに、自然法の神的な理性ゃ、マヌの
﹁人は心の結果を心に、語の結果を一語に、身体的行為の結 法典の根本思想の、たとえば澄明な青い昼の空ゃ、いちめ
果を身体に享ける﹂ んに星のきらめく夜空の、広大な展望をときどきは必要と
﹁人は身体的行為のあやまちによって、来世は樹草になり、 するというととを発見していた。
語のあやまちによって鳥獣になり、心のあやまちによって 法律学とは、まととにふしぎな学問だった!それは H
低い階級に生れる﹂ 常些末の行動まで、洩れなくすくい上げる細かい網目であ
﹁すべての生物に対し、語・意・身のコ一重の抑制を保ち、 ると同時に、果ては星空や太陽の運行にまでむかしからそ
しんい r
am主︿
又、完全に愛慾と限患とを制する者は、成就、すなわち究 の大まかな網目をひろげてきた、考えられるかぎり食欲な
げだっ
街の解脱を得る﹂ 漁夫の仕事であった。
えいち ふげ
﹁人は正に自らの叡智によって個人の霊の、法と非法にも 読書に耽って時の移るのを忘れていた彼は、もうそろそ
とづく帰趨を見きわめ、つねに法の獲得に意を注がなくて ろ床に入らなくては、明日寝不足の不機嫌な顔で、清顕の
はならない﹂ 招待に行くことになるのを怖れた。
こ ζでも亦、自然法のように、法と議官業とは同義語をな あの美貌で謎のよう友友人のことを思うと、彼は自分の
りん
していたが、それが悟性ではどうしてもつかまえにくい輪 青春がいかに平板にすぎてゆくかという予測に、おののか
おてんしよう ずおん
春の雪

廻転生にもと,ついている点がちがっていた ο 一方からいえ ずにはいられなかった。彼はまた紙閣のお茶屋で、座蒲団


ば、それは人間の理性に訴えるやり方ではなく、一種の応 をポ l ル代りに丸めて、大ぜいの舞妓たちとお座敷-フグピ

9
17
どうかつ
報の伺喝であって、ロ 1 マ法の基本理念よりも、人間性に ーに興じたという、別の学友の自慢話・などをぼんやりと思
い出した。 繁邦は一一房子に何か写真帖のようなものを見せてもてなそ
κ︿
あい


それから、本多一族にとっては驚天動地の大事件だが、 うと思ったが、生憎そんなものはなかった。しかも房子は

!
1
世間の目から見れば何でもないような、この春に起った一 急に不機嫌になったかのようであった。今まで繁邦は、一一関
そうわにっぽり庁
つの括話を思い出した。祖母の十年忌の法要が日暮里の菩 子のあんまり活気に充ちすぎた体つきや、たえずけたたま
定いじしんせき
提寺で行われ、参列した親戚の者たちが、そのあとで本家 しく笑う ζと や 、 一 つ 年 上 の 繁 邦 を か ら か う よ う な 口 ぶ り
の本多家に立寄った。 や、よろずに落ちつきのない挙措が好きではなかった。房
掌たいと ζ
繁邦の又従兄妹に当る房子という娘が、客のなかでも一 子には夏のダリノヤの重く暑い美しさがあったけれども、自
等若くて、美しくて、陽気であった。本多家のくすんだ空 分は決してとういう種類の女を、妻にすることはあるまい
ひそ
気のなかで、 ζん な 娘 の 高 い 笑 い 声 が 洩 れ る の さ え ふ し ぎ と私かに思っていた。
に思われた。 ﹁疲れた。ねえ、疲れない、繁兄さま?L
法事と云っても死者の記憶は遠く、久々に集まった親戚 そう言ったかと思うと、房子の胸高の帯のあたりが、壁
ひざ
同士のたのしい話は尽きず、人々は仏のことよりも、それ が崩れるように俄かに崩れ、繁邦の膝には、突然そこへ顔
ぞれの家族に新たに加わった幼ない者たちのととを、おの を伏せた房子の香りの高い重みがかかった。
がじし語りたがった。 繁邦は困惑して、膝から腿へかかっているその重いなよ
三十人からの人たちが、本多家のあの部屋この部屋をめ やかな荷を見下ろしていた。ずいぶん永い閉そうしていた
あき
ぐって、どの部屋へ行っても本ばかりなのにあらためて呆 ようである。そんな状況を、どう変える力も自分にはない
れていた。数人の者が、繁郊の書斎を見たいと言い出し、 ような気がしたから。そして房子も、一度又従兄の紺サl
ゆだ
上って来て、彼の机辺をかきまわした。そのうちに誰から ジのズボンの腿に、そうして頭を委ねたからには、二度と
ともなく次々と部屋を去り、房子と繁邦だけが残された。 それを動かす気はないように見えた。
ふすま
二人は壁際に置かれた革張りの長椅子に掛けていた。繁 そのとき襖をあけて、母と伯父伯母がいきなり入って来
きし
邦は学習院の制服だったが、房子は紫の振袖を着ていた。 たのである。母は顔色を変え、繁邦の胸は乳った。しかる
人がみ念行ってしまうと二人はぎこちなくなり、房子のさ に房子はゆるゆると瞳をそちらへ向けると、それからひど
しもの朗らかな高笑いも絶えたれ くだるそうに頭をもたげた。
﹁私、疲れて頭痛がいたしますの﹂ 留まっている彼女のみひらいた日を見ることができた。そ
﹁・おや、それはいけませんね。お薬を差上げましょうか﹂ れはひどく軽く、かりそめにそこにとまった蝶のようだつ
全つげ陪ね
と愛国婦人会の熱心な役員は、篤志看護婦のような口調 た。長い隠の日ばたきは蝶の羽ばたき。その-障は麹のふし
で言った。 ぎな斑紋。:・
﹁いいえ、お薬をいただくほどではありませんけれど﹂ あんなに誠実のない、あんなに近くにいながらあんなに

ーーとの指話は親戚中の話題に左り、幸い繁邦の父の耳 無関心な、あんなに今にも飛ぴ矧ってゆきそうな、不安で、
にだけは入らなかったが、伎は母からひどく叱責され、房 浮動的で、水準器の気泡のように、傾斜から平衡まで、放
子は房子でもう決して本多家を訪れることができなくなっ 心から集中まで、とめど-なくゆききする日を、数邦は見た
九に。 ことがない。

ゃ.へ
しかし本多繁邦は、いつまでも、そのとき白分の膝の上 それは決して煩びではない。さっき笑って喋っていたと
に経過した、熱い重い時間のことをおぼえていた。 きよりも、眼差はずっと孤独に・なり、彼女のとりとめのな
あれは房子の体と着物と帯の重みが悉くかかっていた筈 い内部の燈めきの移りゆきを、無意味・なほど正確に写し出
なのに、美しい複雑な頭部だけの重みのように思い出され しているとしか見えなかった。
た Q
女のゆたかな髪に包まれ・た首は、香炉のように彼の膝 そしてそこにひろがる迷惑なほどの甘さと薫りも、決し
へのしかかり、しかもそれが繁邦の紺サ lジをとおして、 てことさら・な煽びではなかった。
たえず燃焼しているのが感じられた。あの熱さは、あの遠 ・すると、その無限に近いほど長かった時間を隈なく
い火事のような熱さは、何だったのだろう。房子はその陶 占めていたものは、あれは何だったのであろうか?
器のなかの火でもって、何か言いようのない過度の親しみ
を語っていた。それにしてもその頭部の重みは、苛酷な、


非難するような章一みであった。
春の雪

房子の日は? 帝国劇場の十一月中旬から十二月十日にかけての本興行
彼女は斜めに顔を伏せていたので、彼はすぐ眼下に、自 は、評判の女優劇ではなく、梅幸、幸四郎などの歌舞伎で

199
Lず︿
分の膝の上に、傷つきゃすい潤んだ小さな黒い滴のように あって、外国人の客にはそのほうがいいと思って清顕が選
んだのだが、彼は格別歌舞伎についてよく知っているわけ -なかを疾駆する馬はなまなましい獣になるけれど、吹雪を
れん-
Lし

玄刃
ではなかった。出し物の﹁ひらかな盛衰記﹂も﹁連獅子﹂ 駈け抜ける馬は雪と等しくなり、北風が罵の形を、渦巻く
も、彼には耳馴れない芝居であった。 冬の息吹そのものに変えてしまうのだ。
そのために本多を誘ったようなものであるが、本多は学 消顕は馬車が好きだった。とりわけ心に不安のあるとき
校の縦一休みにちゃんと図書館でとれらの演目について調べ には、馬車の動揺が不安独特のしつ ζ い正確なリズムを乱
て来ており、シャムの王子たちに説明する準備も出来てい してくれるからで、又、すぐ身近に馬よりももっと裸かな
たずーかみ院があわだ

。 馬の尻にふり立てられる尾を感じ、怒る援や歯噛みに泡立
つぼを
もとより王子たちにとっては、異国の芝居を見るととは、 ちつややかな糸をなびかせる唾を感じ、そういう猷的なカ
ひ あわ
好奇心以上のものではなかった。その日、学校が退けると、 にすぐ接している車内の優雅を併せ感じるのが好きだった。
すぐ滑顕は本多を伴って家へかえり、王子たちにはじめて 消顕と本多は制服と外套を着、王子たちは大げさに毛皮
ぇ,
紹介された本多は、かいつまんで今夜見るべき芝居の筋を の傑のついた外套を抽出て寒がっていた Q﹁僕たちは寒さに
英語で話したが、王子たちはそれほど身を入れてきいてい 弱い﹂とバ 7タナディド殿下は、っきつめた目つきで言っ
る傑子もなかった。 た。﹁スイスへ留学した親戚の者を、あの国は寒いぞ、と
訂顕は友の忠実ととのような生真面目さに、一緒のすま おどかしたことがあるけれど、日本がこんなに寒いとは思
ぴんしよう
なさと閥笑を同時に感じていた。誰にとっても今夜の芝居 わ・なかった﹂
は、それ自体がすばらしい目標では・なかった。ただ、清顕 ﹁もうじきお馴れになりますよ﹂
は、もしかして万一聡子が、約束を破って手紙を読んでし とすでに親しみを深めた本多が慰めた。インバネスを着
のぼ'
まっているのではないかという不安のために、心もそらに た人たちが歩く町・なかに早くも歳末大売出しの峨がはため
なっていた。 き、王子たちはそれを何かの必祭かと質問した。
-せいたい
執事が馬車の用意の調ったととを告げた。馬は冬の夕空 王子た、ろの自もとには、との一日二日すでに青黛のよう
い訟訟きほ︿ 泊りいそう
へ噺きを立て、白い鼻息を吐いた。冬は馬の匂いも稀薄で、 な郷愁がにじんでいた。それが陽気でいくらか軽燥なクリ
けたていてっしる ふazMP
凍った地面を蹴立てる蹄鉄の品目が著く、清顕はとの季節の ツサダ殿下にさえ、一種の風情を添えた。もちろん清顕の
馬にいかにも厳しくたわめられているカを喜んだ。若葉の もてなしを織にするような我健なあらわれは・なかったが、
清顕は彼らの魂が身を離れて、大洋の只中へ漂ってゆくよ 今夜清顕が要求しているのは聡子の美しさだけであって、
うな感じを不断に持った。それはむしろ快かった。すべて ζんなととは今までに・なかった。思えば清顕は、ただ美し
が肉体の現存にとじとめられて、浮動するととのないお心は、 い女として聡子を考えたととはない。彼女が表立って攻撃
あら
彼には穆陶しいものに思われたからである。 的であったためしはないのに、いつも針を含んだ絹、粗い
惚りぽ危
日比谷のお濠端の冬の早い夕暮のうちに、帝国劇場の白 裏地を隠した錦、その上清顕の気持もかまわずに彼を愛し
煉瓦の三階建がゆらめいて近づいた。 っ.つけている女、という風に感じていた。静かな対象とし
二付が着いたときは、すでに最初の新作物の幕があいて て心の中に決して横たわるととのない、いらいらと自分本
いたが、清顕は自席から二三列斜めうしろに、老女蓉科と 位に昇る朝陽の、その批評的な鋭い光りが隙聞からきし入

並んで坐っている聡子の姿を認め、っかのまの目礼を交わ って来ないように、彼は心の雨戸を堅固に閉でてきたので
した。そこに聡子が来ていたとと、彼女が瞬間ににじませ ゑりヲ句。
-V2@ a
傘︿ '
w
た微笑が、清顕にすべてが恕されたという感じを与えた。 幕開になった。物事はすべて自然に運んだ。彼はまず本
何やら鎌倉時代の武将たちが右往左往するその一幕は、 多に、聡子が偶然来ている乙とを鵬げたが、ちらと日をう
かす
幸福のために、清顕の自には霞んで見えた。不安から解放 しろへ移した本多が、もはやその偶然を信じていないこと
かえ
された自尊心は、自分の輝きの反映をしか舞台に見-なかっ は明らかになった。その日つきを見て、却って清顕は安心

。 した。誠実を求めすぎ念い友という、清顕の理想とする友
傘おぎり
﹃今夜、聡子はいつにもまして美しい。彼女は化粧を等聞 情を、その目はまととに能弁に諮っていた。
にぎ
にしては来なかった。僕が願ったがままの姿でととへ来て 人々は賑やかに廊下へ出た。シャンデリヤの下をとおっ
くれた﹄ て、お濠と石垣の夜がすぐ真向いに見える窓の前に集まっ
ζうふん
そう何度も心にくりかえし・ながら、総子のほうへ振向く た。清顕はいつに似ず、昂奮に耳をほてらして、聡子を二
ととはできないというとの事態、しかも、たえず背中に彼 人の王子に紹介した。もちろん冷然たる態度でそうすると
春の雪

女の美しさを感じているというとの事態、それは何という ともできたのだが、礼儀上、宝子たちが恋人のととを諮る
望ましい事態であったろう 1 安心で、豊かで、やさしく、 ときの、あの子供っぽい熱情の有様を模してみせたのであ

201
か傘
何もかも存在の摂理に叶っていた。 z
v。
とうまで人の感情を自分のもののように模写できるのを、 顕は不安になった。

耳2
あんど
彼は今の安堵したひろびろとした心の自由のせいだと疑わ ﹃たしかにあの手紙を読んでいないのだろうか﹄


なかった。自然な感情は陰諺で、それから遠く離れれば離 いや、もし読んでいたら、決してとんな態度がとれる筈
れるほど、こうも自由になれるのだ。なぜ-なら自分は、聡 はない。第一、 ζ とへ来られる筈も・ない。電話のときに届
、、、、、、、、、、、、、
子を少しも愛していないから。 いていなかったのは確かな ζとだが、届いたあとで読まな
恭しく柱のかげへしりぞいた老女謬科は、外国人に対し かったかどうかの確証はない。どのみち﹁読まなかった﹂

'
ν 芯

柑ψマA
ずて-素直.なな心をひらいてみせ.なない決、心心を、その悔の刺繍のつ


という返事の返ってくるに決っているその質問を、どうし
えりもと
いた半襟の固く合わせた衿元に示していた。清顕はそのた ても敢てする勇気のない白分に、清顕は腹を立てた。
め翠科が、声高に招待のお礼などを言わないととに満足し 一昨昨日の晩のあの明るい応待の声と比べて、聡子の声、

。 聡子の表情に、何か際立った変化はないかと、彼はそれと
したた
美しい女の前ではすぐ快活になる王子たちは、同時に、 なく日をつけはじめた。又、心に砂が滴ってきた。
ぞうげ
清顕が聡子を紹介したときの、一一種特別な調子にもすぐ気 冷たく見えるほどに高くは-ないが、象牙の雛のように整
づいていた。それが自分の素朴な熱情のことさらな模写だ った形の鼻をした聡子の横顔は、ごくゆるやかな流し目の
かげ
とは夢にも知らぬジヤオ・ピlは、そんな清顕に、はじめ ゆききにつれて、照り映えたり臨調ったりした。ふつうは下
て正直・な自然な若者らしさを見出して、親しみを感じた。 品だと思われている流し目が、彼女の場合はかすかに遅く
本多は、聡子が少しも外国語を喋らないのに、二人の王 て、言葉の端が微笑へ流れ、微笑の端が流し口へ移るとい
うち
子の前で、へりくだりもせず高ぶりもし・ない、気口聞のある う風に、表情全体の優雅な流動の裡に包まれているので、

態度を持しているのに心を樽たれた。四人の青年に固まれ 見ている人に喜びを与えた。
ゆるゆるりつか
て、京風の三枚重ねを寛々と着こなした聡子は、立華のよ その幾分薄日な唇にも美しいふくらみが内に隠れ、笑う
うな、花やかで威ある姿をしていた。 たびにあらわれる歯は、シャンデリヤの光りの余波を宿し、
王子たちがともども聡子に英語で問いかけ、清顕が通訳 潤んだ口のなかが清らかにかがやくのを、細いなよやかな
をしたが、そのたびに同意を求めるように清顕へ向ける聡 指の連・なりが来て、いつも迅速に隠した。
みみ
子の微笑が、あまりみごとに役割を果しているので、又清 王子たちが誇大なお世辞を一言い、清顕の通訳で聡子が耳
たぷ
乃択を赤らめたときに、髪の下からわずかにあらわれている、 その清顕も近づく新年には、十九歳になろうとしていた。
"
upν
肉のさわやかな雨滴のような形の耳采が、一体差らいのた 彼をよい成績で学習院を卒業させ、やがて二十一歳の秋に

めに赤らんだのか、それとももともとそとに刷いた紅のた は、東京帝国大学の法学部へ進ませれば、飯沼の勤めは終
めか、清顕には見分けがつかなかった。 るべき筈であるが、ふしぎなのは侯爵も、清顕の成績をや
しかし、何ものも隠すことができないのは、彼女の瞳の かましく一言わないととであった。
つよ
光りの或る勤さだった。そこに依然清顕を怖れさせる、ふ 今のままでは、東京帝大法科大学への進学は覚東ない。
しぎな、射貫くような力が具わっていた。それがとの果実 華族の子弟に限って学習院から無試験入学の道がひらかれ
の核であった。 ている京都大学あるいは東北帝大へ進むほかはない。清顕
﹁ひらかな盛衰記﹂の開幕のベルが鳴った。一同はおのが の成績はつねに程々のととろに浮遊していた。勉強に叫怖を
じし席へ戻った。 出すではなく、さりとて運動に打込むではない。もし目ざ
﹁僕が日本へ来て見たなかで一番美しい女の人だ。君は何 ましい成績をあげていれば、飯沼にも誉れが及んで、郷党
という仕合せ者だろう!﹂ の讃嘆を受けることに-なろうが、はじめあせった飯沼もあ
と通路を並んで入りながら、ジャオ・ピ lは声をひそめ せりを忘れた。どう転、ほうと、清顕が未来は少くとも貴族
て言った。 ζ のとき彼の日もとの郷愁は癒やされていた。 院議員になることは知れているのだ。
その清顕が、学校では首席にちかい本多と近しく、本多
が又、それほど親しい友でありながら、何ら有益な影響を

及ぼさず、むしろ消顕に対する讃美者の側に廻って、おも
松枝家の書生の飯沼は、六年あまり勤めているうちに、 ねるような交際をつ つ
e
けているのが、飯沼には腹立たしか

山少年の日の志も萎え、怒りも衰えてゆくのを、その昔の怒 った。
しっと
りとはちがった、冷え冷えとした別措慢の憤りで、なす ζと もちろんとういう感情には嫉妬がまじっていた。本多は
春の雪

もなく眺めている自分に気づいた。松枝家の新らしい家風 ともあれ学友として、ありのままの清顕を認めることので
そのものが、彼をそう変えたのはむろんのととだが、本当 きる立場にいるが、飯沼にとっては、清顕の存在そのもの

l
XJ
の毒の源は、まだ十八歳の清顕にあった。 が、二六時中鼻先へっきつけられている美しい失敗の﹂証跡
=コ=0
4MH'iJH 対話の道を絶たれたとの青年は、毎朝早く必ず﹁お宮

ID4
清顕のその美貌、その優維、その性格の優柔不断、その 線﹂に詣でて、ついにとの世で会うととのなかった偉大な
素朴さの欠如、その努力の放棄、その夢みがちな心性、そ 先代に、心の中で語りかけるのを常としていた。
の姿のよさ、そのしなやかな若さ、その傷つきゃすい皮膚、 むかしは端的な怒りの訴えであったのが、年を智るにっ
ぽうだい
その夢みるような長い縫は、たえず飯沼のかつての企図を、 れて、自分でも限度のわからない庵大な不満、との世をお
これ以上はないほど美しく裏切っていた。彼は若い主人の おいつくすほどの不満の訴えになった。
v
-

同A'v
' v
-a, ζんがす'
存在そのものが、絶えずひびかせている噺笑を感じた。

朝は誰よりも早く起きる。顔を洗い、口をすすぐ。紺耕
ぎせっ ほかま
とうした挫折の樹噛み、失敗の痛みは、あんまり永く続 の着物と小倉の袴で、 h
s宮機へ向うのである。
ひのき
くうちに、一一種の崇拝に似た感情へ人をみちびくものだ。 母屋の裏の女中部屋の前をとおって、檎林の問の道をゆ
舷おば
彼は人から清顕について非難がましいととを言われるとひ く。霜柱が地面をふくらませ、下駄の朴歯が ζれを踏みし
どく怒った。そして自分でもわから・ない理不尽な直感によ だくと、霜のきらめく貞潔な断面があらわれた。槍の茶い
って、若い主人の救いがたい孤独を理会していた。 ろの古葉のまじる乾いた緑の葉のあいだから、冬の朝日が
しゃし
清顕がともすれば飯沼から身を遠ざけようとしてきたの 紗のように布かれ、飯沼は吐く息の白さにも、浄化された
タ瓦ず
も、飯沼の内にあまりにもしばしば、とんな飢渇を見出し 自分の内部を感じた。小鳥の噌りは稀薄な青い朝空から休
aっ し り ん れ つ
たからにちがいない。 みなく落ちた。胸もとの素肌を、発止と打ってくる濠烈な
たか
松枝家の大ぜいの使用人のなかで、こうも無礼なあから 寒さのうちに、心をひどく昂ぶらせるものがあって、彼は
た金
さま念飢渇を、目に港えているのは飯沼一人であった。来 ﹃どうして若様を伴って来られないのか﹄と悲しんだ。
客の一人がとの目を見て、 とういう男らしい爽やか念感情をただの一度も清顕に教
おちu
c
﹁失礼だが、あの書生さんは、社会主義者ではありません えるととができなかったのは、半ぼは飯沼の越度であり、
かね﹂ 清顕をむりやりとの朝の散歩へ連れ出すような力を持っと
とが
と尋ねたとき、侯爵夫人は声を立てて笑った。彼の生い とができ・なかったのも、半ばは飯沼の科であった。六年間
さんげ加
立ちと、日頃の言動と、毎日﹁お宮様﹂に参詣を欠かさな のあいだに、彼が清顕につけた﹁良い習慣﹂は一つもなか
いととを、よく知っていたからである。 った。
平らな丘の上へのぼると、林は尽きて、ひろい枯芝と、 清らかな偉大な英雄と神の時代は、明治天皇の崩御と共に
ほとらいしどうろう
その中央の玉砂利の参道のはてに、お宮様の刷、石燈籍、 滅びました。あれほど青年の精力が残る隈なく役立てられ
みかげいしたま
御影石の鳥居、石段の下の左右の一対の大砲の弾丸などが、 た時代は、もう二度と来ないのでありましょうか?
朝日を浴びて整然と見える。早朝のとのあたりには、松枝 そこかしこにカフエーというものが庖聞きをして客を呼
しゃし
家の母屋や洋館をめぐる著修の匂いとはまったくちがった、 んでいるとの時代、電車の中で男女学生聞の風儀が乱れる
主す
筒浄の気があふれでいる。新らしい白木の析の・なかに入っ ので、婦人専用車が出来たというこの時代、人々はもう、
たような心地がする。飯沼が子供のころから美しいもの善 全力をつくし全身でぶつかる熱情を失ってしまいました。
いものと教えられたものは、との邸うちでは死の周辺にし 葉末のような神経をそょがすだけ、婦人のような細い指先
かないのである。 を動かすだけです。
石段をのぼって社前に立ったとき、榊の葉の光りを乱し 何故でしょう。何故こんな世の中が来たのでしょう。清
て、赤黒い胸を隠見させている小鳥を見た。鳥は析を打つ いものが悉く汚れる世が来たのでしょう。私が仕えている
n
v丸信舎e
ような声を立てて眼前に朔った。鶴らしかった Q
御令孫は、正にとういう弱々しい時代の申し子になられ、
﹁御先代様﹂と飯沼はいつものように、合掌し・ながら、心 私の力も今は及、ひません。との上は死して私の責を果すべ
老ぜ︿だ
の中で語りかけた。﹁何故時代は下って今のようになった きでしょうか?それとも御先代様は深い御神慮により、
のでしょう。何故力と若さと野心と素朴が衰え、このよう ととさらとうなりゆくように、お計らいになっておられる
な情・ない世になったのでしょう。あなたは人を斬り、人に のでしょうか?﹂
斬られかけ、あらゆる危険をのりこえて、新らしい日本を しかし、寒さも忘れてこの心の対話に判然してきた飯沼の
創り上げ、創世の英雄にふさわしい位にのぼり、あらゆる 胸もとには、紺緋の襟から胸毛の生えた男くさい胸がのぞ
権力を握った末に、大往生を遂げられました。あなたの生 き、自分には清らかな心に照応する肉体が与えられていな
よみが
きられたような時代は、どうしたら蘇えるのでしょう。こ いことを彼は悲しんだ。そして一方、あのような清艇な白
春の電

の軟弱な、情ない時代はいつまで続くのでしょう。いや、 い清い肉体の持主の消顕には、男らしいすがすがしい素朴
今はじまったばかりなのでしょうか?人々は金銭と女の な心が欠けていた。

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ことしか考えません。男は男の道を忘れてしまいました。 飯沼はそういう真剣な祈りの最中に、体が熱してくるに
とかんぽつ b
o
つれて、療とした朝風をはらむ袴のなかで、急に股間が勃 で捺したように決っていたが、飯沼にはとりわけ今年のそ
eん低うき

l5
然とするのを感じることがあった。彼は社の床下から講を の儀式が、人数の少いせいもあって、実のない、空疎念、

:

とり出し、狂気のようにそ ζらを掃いて廻った。 形骸だけのものと感じられた。
おん令れいじゃ
主に侯爵夫人を訪ねる女礼者の席には、もちろん飯沼は

守 &u
罷り出る例はなかった。そして又年寄にもせよ女の賀容が、

若主人の書斎を訪れるのは異例であった。
年が改まって間もなく、飯沼が清顕の部屋へ呼ばれてゆ 黒紋附の裾模様を着た減量科は、威儀を正して情子に坐っ
くと、そとに聡子の家の老女の翠科がいた。 ていたが、清顕のすすめるウイスキーに酔って、その乱れ
すでに聡子は年賀に来ており、今日は葱科が一人で年賀 もなく結い上げた白髪の下の、京風の厚化粧の白い額に、
まぶ
aFe めいてい
に来て、京の生数を届けたついでに、ひそかに清顕の部屋 雪の下の紅悔のような酪町の色を見せていた。
さいおんE
に来たのであった。飯沼は謬科をうすうすは知っていたが、 話はたまたま西園寺公爵のととに触れていて、重科は飯
そこではじめて正式に引合わされた。そして引合わされる 沼から日を戻すと、ただちにその話に一戻一った。
いつつ
理由を解し・なかった。 ﹁西園寺様はお五歳のお年から、 h
o酒も煙草もたしなまれ
しつけ
松枝家の新年は盛大で、鹿児島から数十人の代表が、旧 たそうでどざいます。お武家ではお子たちにきびしい朕を
どうてんじよう ︿げ
務主の邸のあとで松枝邸へ年始に来、里山塗りの格天井の大 -なさいますが、公家では、若様も御存じ寄りのように、お
おっしゃ
広間で、星ヶ岡の正月料理が供され、田舎の人の味わうと 小さいときから、親御は何も仰号一口らないのでございますね c
まれ
と稀-なアイスクリームやメロンが食後に出されるので名高 それというのも、お子たちもお生れになったときから五位
はばか かみ
かったが、今年は大帝の喪を開って、わずか三人が上京し 様で、いわばお上の御家来をお預りしているようなもので
ただけであった。その-なかに先代から目をかけられていた、 ございますから、親御はお上に遠慮して、わが子にきびし
飯沼の出身中学の校長もまじって必り、飯沼は侯爵から く・なさらない。その代り、公家の家では、お上の ζとにつ
きかずき
盃をいただく折に、校長の面前で、﹁飯沼がよくやって いては万事口が固うございまして、大名家のように、御家
うわさ
いる﹂という侯爵の言葉を賜わるのが常であった。今年も 族のあいだであけすけにお上のお噂を申し上げるようなこ
ひ、さま
それは行われ、それに対して札を述べる校長の言葉も、判 とは決してどざいません。そういうわけで、うちのお姫禄
なども、お上のことを心から大切に思っておいででござい 年賀に来るのは、親戚じゅうの子供が松枝家に集まる日で、
ます。もっとも異人のお上まで大切になさるととはござい 侯爵は二、三歳から二十代までのそれらの客の父親を気取
ますまいに﹂ り、その日だけはどの子とも親しく口をきいたり相談に乗
と蓉科はシャムの王子たちへの款待について皮肉を言ぃ、 ってやったりした。聡子は馬を見たいという子供たちにつ
ろまや
それからいそいで附加えた。 いて、清顕の案内で厩へ行った。
しめかざおけ
﹁もっともそのおかげで、ほんに久 hに、しぼやを見せて 注連飾りをした厩では四頭の馬が、飼葉桶に首をさし入
きお
いただきまして、寿命が延びたような気がいたしました﹂ れでは急激にふり上げたり、退いて羽目板を蹴ったり、勢
清顕は葱科が喋るがままにさせておいた。乙の部屋へわ い立った様子でその滑らかな背から、新らしい年の精気を
暗とばし
ざわざ老女を呼んだのは、あれ以来心にわだかまっていた 遊 ら せ て い た 。 子 供 た ち は 各 Eの馬の名を馬丁からきい
ぞう ら︿がん
疑問を晴らしたいと思ったからで、彼は酒をすすめると勿 で喜び、手にしっかりと握りしめてきた半ば崩れた落雁を、
S9 脅ゅうし
勿、自分が聡子へ出した手紙を、封を切らずに火中してく 馬の黄ばんだ臼歯を目がけて、投げ込んでやったりしてい
にら
れたかどうかを尋ねたが、葱科の返事は思いのほかはっき た。馬の落着かぬ血走った横自に脱まれて、子供らは大人
りしていた。 のように扱われているうれしさを感じた。
ひいき主 会ぴ
﹁ああ、あれでどざいますか。お電話のあとすぐお姫様か 馬の口から糸を引いて廓いている唾をおそれ、撃すは遠
'
wち
らお話を伺いまして、あくる日お手紙が届くやいなや、と くの績の木の暗い常緑のかげにいたので、清顕も子供たち
の私が封を切らずに火中いたしました。そのことでござい を馬丁にあずけてそのそばへ行けた。
Lζ そ
ましたら、どうぞ御放念下さいまし﹂ 聡子の目もとは屠蘇の酔をなお留めていた。そとで彼女
やぶにわ
ζれをきいた滑顕は、薮の下道から俄かにひろい野原へ が子供たちの歓声にまぎれて言った次のような言葉は、酔
走り出た心地がして、自の前にさまざまの喜ばしい企らみ のせいかとも思われた。聡子は、近づいてくる清顕を、す
降ろし
を描いた。聡子が手紙を読まなかったというととは、すべ ぐさまその放悲な自にとらえて、流れるようにとう言った
春の雪

てが旧に復したというだけのととであるのに、彼には新ら のである。
ひら 砂
hvuvaFS7
しい跳めがそとに展けたような気がした。 ﹁乙の聞は愉しゅうございましたわ。私をまるで許婚のよ

o
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聡子乙そ、鮮やかに一歩を踏み出していた。毎年彼女が うに紹介して下さってありがとう。王子様方はとんなお婆
rろ

さんがとお侍きに・なったでしょうけれど、あのひとときで のであるが、清顕はそういうとき人並外れて軽率になった。
私はもう、いつ死んでもいいよう左気がいたしました。あ しかし飯沼を部屋へ呼んだのは、彼が身辺の影を拭い去宜
なたはあんなに私を仕合せにして下さる力がおありになる って、飯沼の明るい顔を見たくなったという善意ばかりで
のに、めったにその力をお使いにならないのね。私はとん はない。
な仕合せな新年は存じません。今年はきっといいととがあ 多少の酔いがとの清顕の軽率を助けていた。その上、塞
りますね﹂ 科という老女の、ひどく丁重で、礼儀と恭しきの固まりの
しょ内か
清顕は何と言葉を返すべきか迷っていた。やっとかすれ ように見えながら、あたかも何千年もつづいた古い娼家の
ぬしにとどしわぞうがん
た声でとう答えた。 主のような、官能の煮凝りをその鍛の一つ一つに象候した
﹁どうしてそんなことが言えるんです﹂ 風情が、かたわらにあって彼の放恋をゆるしていた。
︿すだま
﹁仕合せ・なときは、まるで進水式の薬玉から飛び立つ鳩み ﹁勉強のととは飯沼が何もかも教えてくれたんですよ﹂と
たいに、言葉がむやみに飛び出してくるものよ、清様。あ 清顕はわざと翠科に向って号一口った。﹁でも飯沼が教えてく
なたも A寸におわかりになるわ﹂ れないこともいっぱいあるし、事実、飯沼が知らない ζと
又しでも総子は、とん・な熱情の表白のあとに、清顕の もいっぱいあるらしいんです。ですからその点は、これか
隠さ
大きらい-な一句を揺んだ。﹁あ-なたも今におわかりになる ら謬科が飯沼の先生になってくれる必要がありますね﹂
いんぎん
わ﹂。何というその予見の自負。何というその年上ぶった ﹁何を仰言います、若様﹂と翠科は態態に応じた。﹁とち
確信。 らはもう大学生でいらっしゃるんだし、私共のような無学
││数日前にその一言葉をきき、今日は謬科からはっきり な者がとてもそんな::・﹂
した返事をきいて、残る限なく晴れた清顕の心は、新らし ﹁だから、学問のととなら何も教えることはないと言って
い年の吉兆に充ちあふれ、いつになく夜々の暗い夢は忘れ いるでしょう﹂
て、明るい昼間の夢と希望へ傾いた。そこで身にそぐわぬ ﹁年寄をおからかいになってはいけません﹂
らいら︿ふっしょ︿
一翁落な振舞に出ようとし、身辺から影と悩みを払拭して、 会話は飯沼を無視してつづけられた。椅子をすすめられ
誰も彼も幸福にしてやろうと思うようになった。人に施す ないので、飯沼は立ったままである。目は窓外の池を見て
かも
恩恵や喜捨は、精妙念総械を扱うように、熟練を要するも いる。曇った日で、中ノ同一仰のあたりに鴨が群がり、頂きの
e
-

松の緑もさむざむと見え、島は枯草におおわれた様があた みねと顔を見合わせ、おとといはとうとう、その窓格子か
みの 、、っけぷみ
かも蓑を着たようである。 ら、みねに附文をしたそうじゃ・ないか﹂
はじめて清顕に言われて、飯沼は小橋子に浅く腰を下ろ 清顕の言葉をおわりまできかずに、飯沼は立上った。感
そうほ︿
したが、果してそれまで清顕が気がついていなかったか疑 情を押え込もうとする格闘が、蒼白になった顔にあらわれ
問に思われた。多分彼は謬科の前に、おのれの威を示そう て、顔のこまかい筋肉が悉く恥みを立てているかのようだ。
"mpり 身 、
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C
としてそうしたにちがいない。そしてそういう清顕の新ら いつも影のような彼の顔が、 ζうして暗い火花を字んで昨
れつ
しい心のうどきは、飯沼には好もしかった。 裂しそうに見えるのを、清顕はうれしく眺めた。彼が苦し
﹁そこでね、飯沼、さっき翠科が女中たちのところで話し んでいるのを百も承知で、清顕はその醜い顔を幸福の顔だ
て来たときに、何げなくきいたという噂だが::﹂ と考える ζとにした。
いとま
﹁ぁ、若様、それは:・:﹂と謬科が大仰に手を振って止め ﹁本日限り、;:お暇をいただきます﹂
たが、間に合わ・なかった。 そう言い放つと、飯沼は足早に部屋を出ょうとする。そ
ezhp
﹁お前が毎朝お宮様へ詣るのは、別の目的があってのとと れを引止めるために身を躍らせた翠科の動きの早さが、清
みはひょう
だそうだね﹂ 顕の目を陛らせた。様子ぶった老女は、一瞬、豹のような
﹁別の目的と云われますと?﹂ 動きを示したのである。
乙ぷしふる
と飯沼は早くも顔に緊張をあらわし、膝に置いた拳は傑 ﹁ととをお出になってはいけません。そういう ζとを・なさ
えていた。 ったら、私の立場はどうなります。私が要らぬ告げ口をし
﹁‘およしあそばしませ、若様﹂ て、他家の御家来K D暇をとらせたというととになれば、
と老女は椅子の背へ、陶器の人形を倒したように身を委 私も四十年お勤めしている綾倉家を出なければなりません。
あわおぼしめ
ねた。心の底からの困惑をあらわしてそうしたのだが、明 少しは私を憐れと思召して、静かに後先を考えて下さらな
ふたえまぶた
瞭すぎる二重険の目は簿く鋭利にひらかれ、快楽はそのよ くてはなりません。おわかりですねo b若い方は一本気で
ゆる
春の雪

く合わ・ない入歯の口もとの弛みににじんでいた。 困りますが、そとがまたお若い方のよさなのですから、仕
寸お宮様へ行︿道は母屋の裏手をとおるから、当然女中部 方がありませんけれど﹂

f
2J9
屋の格子窓のととろを通るわけだね。お前はそこから毎朝 馨科は実に簡にして要を得た説得を、飯沼の袖をつかみ
乙どと
ながら、年寄の静かな叱言の形にしてやってのけた。 いう、我にもあらぬ一瞬の時間踏をした。それで・おしまいだ

0
つ凶リぷみ

1
それは翠科が生涯に何十ぺんとなくやってきて習熟した った。彼のまだ若い心には、自分の附文をみねが笑ってみ

2
やり方で、そのとき彼女は世界で自分が一番必要とされて んなに示したのか、それともそれが計らずも人目について
いるととをよく知っていた。何喰わぬ顔でとの世の秩序を みねを悲しませたのか、という疑問が、そのとき波聞を切
隠 ζzq せびれ
裏側から維持してゆく者の自信は、大切な儀式の最中に綻 る魚の背鰭のように鋭く走った。
びる筈のない着物が綻びたり、忘れる筈のない祝辞の草稿 清顕は、小崎子に戻ってきた飯沼を見て、最初の、ささ
ちしつ
が失くなっていたりする、物事のふしぎな起り具合を知悉 やかな自慢にならぬ勝利を感じた。もう自分の善意を飯沼
あきら
していると ζろから生れていた。彼女にとってはむしろそ に伝えるととは諦めていた。思うがままに、自分ひとりの
んな起りそうもない事態が常態であり、その機敏な繕い手 幸福感が強いるままに動けばよいのだ。彼は今、実に大人

であるととに、自分の不測の役割を賭けていた。との落着 らしく、実に優雅に振舞う乙とのできる自由を感じた。
いた女には、との世で絶対に安全なものなどは-なかったの ﹁僕が乙ん-なととを言い出したのは、何もお前を傷つける
つばゆいつぜん
だ。雲一つない青空にさえ、思いもかけぬ燕の一閃が、時 ためでも-ないし、からかうためでもないんだ。お前のため
かずぎ
ならぬ鍵裂きを作ったりするからには。 に葱科と二人で計ろうとしているのがわからないかなあ。
そして葱科の繕い仕事は、手早く、手堅く、要するに申 とのととは、お父様には決して言わない。決してお耳に入
し分がなかった。 らぬように僕が努力するよ。
今後乙のととについては、事科がいろいろと智惑を授け
ちゅうちょ
飯沼はあとになってしばしば考えたが、一瞬の鴎踏が、 てくれると思う。ねえ、葱科、そうだね。みねはうちの女
ペラぴんちょっと
人のその後の生き方をすっかり変えてしまうととがあるも 中で一等別績だけれど、それだけに一寸問題がある。でも、
のだ。その一瞬は多分白紙の鋭い折れ目のようになってい それについては僕に任せてくれ﹂
て、跨賭が人を永久に包み込んで、今までの紙の表は裏に 飯沼は追いつめられた密偵のように、目ばかり光らせて、
か危︿
なり、二度と紙の表へ出られぬようになってしまうのにち 清顕の言葉を一語も聴きのがさずに、しかも自分は頑なに
がいない。 黙っている。その言葉の端々に、掘り返せばいくらでも不

清顕の書斎の戸口で葱科にすがりつかれて、飯沼はそう 安の湧き出てきそうな部分がある。それを掘り返さずに、
ただ言葉のままに、 ζちらの心に彫り込もうとしているの る。みんなで仲良くやるのだ﹂
である。
かヲたつ
いつになく間違に話しつ つ
e
ける年下の青年の顔が、飯沼


にとって今くらい主人らしく見えたととはなかった。それ
はたしかに飯沼の望んだ成果であったが、これほど意想外 清顕の夢日記。
の、とれほど情ない成行を辿って、叶えられるとは思って ﹁とのととろシャムの王子たちとは会う折も少いのに、ど
もみなかった。 ういうものか、今どろになって、シャムの夢を見た。それ
飯沼はこうして清顕に打ち負かされるのが、自分の内な も自分がシャムへ行っている夢である。・::
る肉慾に打ち負かされるのと、まるで同じに感じられるの 自分は部屋の中央の立派な梼子に、身動きもできず掛け
いぶか
を一訪った。さっきのつかのまの跨踏のあとでは、何か自分 たままである。その夢の中の自分はいつも頭痛がしている。
長かちりば
が久しく恥じていた快楽が、急に公明正大な、忠実や誠心 それというのも高い尖った、宝石をいっぱい緩めた金の冠
b傘 いただうっぽり
と結びつけられたような気がした。そとにはきっと毘があ を戴いているからである。天井の交錯した梁には、ぎつ L
り、詐術があった。しかし居たたまれぬほどの恥かしさと
a--︿
りと移しい孔雀がとまっていて、それらがときどき自分の
きんむ︿
屈辱の底から、小さな金無垢の扉が着実にひらいた。 冠の上へ白い裁を落す。


ねずとわね
事科は葱の白い根を思わせる声音でとう相槌を打った。
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戸外は貯けつくような目ざしだ。草ばかりの廃園が、は
﹁何もかも若様の仰言るとおりでございますわ。 h
s若くて げしい日を浴びてしんとしている。音と云っては、かすか
。しうら
いらっしゃるのに、ほんにしっかりした考えを・お持ちだこ な蝦の羽音と、ときどき向きを変える孔雀の固い慌の音と、

﹂ その羽-つくろいする音だけである。廃闘は高い石の壁に閉
との飯沼とは正反対の意見を、飯沼の耳は今、何のふし まれているが、その壁にはひろい窓があり、そこから数本
やしたいせき
ぎもなく聴いていた。 の締子の幹と、動かない積雲のまばゆい白い堆積が見える
春の雪

﹁でもその代りに﹂と清顕は言った。﹁とれからは飯沼も、 だけだ。
ゆぴわ
むつかしいととは言わずに、諺科とカをあわせて、僕を助 目を智治すと、自分が指にはめているエメラルドの指環が

1
21
けてくれなければいけない。僕はそうしてお前の恋を助け 見える。それはジャオ・ピーがはめていた指環が、いつの
まにか自分の指へ移ったものらしく、護門神ヤスカの怪奇 の定めなさに比べれば、夢のほうがはるかに確実で、感情

212
な黄金の顔の一対が、石を囲んでいる意匠もあれとそっく のほうは﹁事実﹂であるかどうかの決め手がないのに、少
りである。 くとも夢は﹁事実﹂であった。そして感情には形がないの
自分は戸外の日の反映を受けているその濃緑のエメラル に、夢には形もあれば色もあった。
ドの中に、白い腔とも亀裂ともつかぬものが、霜柱のよう 夢日記をつけるときの気持に、清顕は、必ずしも、思う
にきらめいているのを眺めているうちに、そこに小さな愛 にまかせぬ現実の不満を封じ込めているとは限らなかった。
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ムU
らしい女の顔が泥んでいるのに気づいた。 このところ現実は、ずっと思うがままの形をとりはじめて
背後に立っている女の顔が映ったのかと思って振向いた いた。
が、誰も居ない。エメラルドの中の小さ-な女の顔は、かす 屈服した飯沼は清顕の腹心になり、たびたび謬科と連絡
おろぜ
かに動いて、さっきはまじめに見えたのが、今度は明らか をとっては、総子と清顕の逢瀬を案配しようとしていた。
に微笑を湛えている。 清顕はそんな腹心だけで充ち足りる自分の性格が、本当は
がゆ
自分は手の甲にたかった蝿のむず庫さに、あわてて手を 友を必要としていないのではないかと考え、何とはなしに
のぞ
援ってから、もう一度指環の石を覗こうとした。その時、 本多と疎遠になった。本多は心淋しく思ったけれども、自
女の顔はすでに消えていた。 分が必要とされていないことに敏感な点を、友情の大切な
それを誰とも確かめることができ・なかった言おうような 部分と考えていたから、清顕と無為にすごす筈の時間をの

乙らず勉強に充てた。英独仏語の法律書や文学哲学を読み
い痛恨と悲しみのうちに、自分は目をさました。:::﹂
清顕はこうして誌す夢の日記に、自己流の解釈を附加え あさり、別段内村鑑三の影を踏むととなしに、カlライル
ることがたえてなかった。喜ばしい夢は喜ばしい夢なりに、 の﹁サ Iタア・リザ lタス﹂に感心した。
あたっぷよ
不吉な夢は不吉な夢なりに、能うかぎり詳さな記憶を喚び ある雪の朝、清顕が学校へ行とうとしていると、飯沼が
起して、ありのままに描いた。 あたりをうかがうようにして、清顕の書斎へ入ってきた。
夢にさしたる意味も認め-ないでいて、夢そのものを重視 との飯沼の新たな卑屈さは、彼の欝然とした顔つき体つき
する彼の考え方には、自分の存在に対する一一檀の不安がひ がたえず清顕に与えていた圧力を消してしまった。
そんでいたのかもしれない。目ざめているときの彼の感情 飯沼は謬科からかかってきた電話を告げた。聡子が今朝
︿ ︾
eま
の雪に打ち興じて、清顕と一一緒に俸で雪見に行きたいから、 席すると伝えてくれ。決してお父さまやお母さまに知られ
h
たてば
清岡酬に学校を休んで迎えに来てくれないか、と言っている ぬように。それから立場へ行って、信用のできる車夫を二

というのである。 人雇って、二人乗りの俸を二人挽きで用意させてくれ。僕
わカまe
e
こんなおどろくべき我憧な申出を、清顕は生れてから、 は立場まで歩いてゆく﹂
まだ誰からも受けた乙とがなかった。もう登校の仕度をし ﹁との雪の中をですか?﹂
かばん ほて
て、片手に鞄を下げて、飯潟の顔を見ながら疋然と立って 飯沼は若い主人の頬が俄かに火照って、美しく紅潮して
いた。 来るのを見た。それが雪のふりしきる窓を背にして、影に
︿れ念つゃ
﹁何というととをき口って来たんだ。本当に聡子さんがそん なっているだけに、影に紅いのに納しんでくるさまが艶やか
なことを思いついたのだろうか﹂ であった。
﹁はい。葱科さんが言われることですから、間違いはあり 飯沼は白分が手塩にかけて育てた少年が、一向に英雄的
ません﹂ な性格には育たなかったが、目的はともあれ、こうして障
おかしなととに、そう断言するときの飯沼は多少の威を に火を宿して出発するさまを、満足して眺めている自分に
さげす
取り戻し、あたかも清顕がそれに抗らえば、道徳的な非難 おどろいた。かつては彼が蔑んでいた方向、今清顕が向っ
をにじませそうな目色をしていた。 てゆく方向にも、遊惰の-なかに、まだ見出されぬ大義がひ
清顕はちらと背後の庭の雪景色へ目をやった。有無を一言 そんでいるのかもしれなかった。
nc
わせぬ聡子のやり方で、自分の衿りを傷つけられるよりも、
さばはれもの
もっと素速く、巧みなメス捌きで衿りの腫物を切り取られ


た涼しさがあった。気づかぬほどの素速さで、こちらの意
志を無視されるととの、一一極新鮮な快さ。﹃僕はもう聡子 麻布の綾倉家は長屋門の左右に出格子の番所をそ・なえた
の意のままになろうとしている﹄と考えながら、彼は、ま 武家屋敷であるが、入手の少ない家で、長屋には人の住ん
かどかど
春の雪

だ積るほどではないが、中ノ島や紅葉山をまぶしかかって でいる気配がない。屋根瓦の稜々は、雪に包まれていると
ちみつ
いる雪の綴密な降り方を、一日で心に畳んだ。 いうよりは、雪をそっとその形念りに忠実に持ち上げてい

218
かぜ
﹁じゃ学校へはお前から電話をかけて、僕が今日風邪で欠 るように見えた。
門のくぐりのととろに傘をさして立っている翠科らしい ﹁何だって:::何だって、急に?﹂

11
黒い姿が見えたのが、俸が近づくころには慌しく消え、俸 と清顕は気押された声で言った。

2
ぜえたあ
を門前に止めて待っている清顕の自には、くぐりの枠の中 ﹁京都の親戚が危篤で、お父さんとお母さんが、ゆうべ夜
脅よ
に降る雪だけがしばらく見えていた。 行でお発ちになったの。一人になって、どうしても清さま
ひふたもと
やがて葱科のすぼめた傘に守られて、紫の被布の侠を胸 にお目にかかりたくなって、ゅうベ一晩中考えた末に、今
︿ 、
Fり
もとに合せた聡子が、うつむいて耳門を抜けて来た姿は、 朝の雪でしょう。そうしたら、どうしても清様と二人で、
か者だか
清顕には、何かその小さな固いから嵩高な紫の荷を雪の中 との雪の中へ出て行きたくなって、生れてはじめて、とん
へ引き出してくるような、無理な、胸苦しいほど華美な感 な我鐙を申しました。ゆるして下さいましね﹂
L
a者、島傘
じがした。 と、いつに似げ・なく、稚い口調で、息を弾ませて言う。
聡子が倖へ上ってきたとき、それはたしかに翠科や車夫 俸はすでに引く車夫と押す車夫との懸声につれて動いて
たす
に扶けられて、半ば身を浮かすようにして乗ってきたの K いた。幌の小さ念覗き窓からは、黄ばんだ雪の耕が見える
ゆら
はちがいないが、幌を掲げて彼女を迎え入れた清顕は、雪 だけで、車の中には薄い閣がたえず揺いでいた。
の幾片を衿元や髪にも留め、吹き込む雪と共に、白くつや 二人の膝を清顕の持ってきた濃緑の格子縞の、スコット
やかな顔の微笑を寄せてくる聡子を、平板念夢のなかから ランド製の膝掛が覆うていた。二人がとんなに身を筒せ合
何かが身を起して、急に自分へ襲いかかってきたように感 っているととは、幼年時代の忘れられ・た思い出を除いては
じた。聡子の重みを不安定に受けとめた車の動揺が、そう はじめてだったが、消顕の自には、灰色の微光に充ちた幌
とっさ せば
いう明監の感じを強めたのかもしれない。 の隙聞が、ひろがったり窄まったりし・ながら、たえず雪を
それはとろがり込んで来た紫の堆積であり、たきしめた 誘い入れ、その雪が緑の膝掛にとまって水滴を結ぶありさ
ぽしよう
香の薫りもして、清顕には、自分の冷えきった頬のまわり まや、あたかも大きな芭蕉の葉かげにいてきく雪の音のよ
おおげさ
に舞う雪が、俄かに薫りを放ったように思われた。乗ると うに、幌に当る雪が大袈裟にひびく ζとに、ひたすら気を
きの勢いで、総子の頬は清顕の頬のすぐ近くまで来すぎ、 とられていた。
︿ぴすE ζ わ
あわてて身を立て直した彼女の瞬間の頚筋の強ばりがよく 行先を尋ねた車夫に、
わかった。それが白い水鳥の首のしこりのようだつた。 ﹁どこでもいい。どとへでも行ける限りやってくれ﹂
と答えた消顕は、聡子も同じ気持なのを知った。そして 一つの雪片がとびとんで清顕の眉に宿った。聡子がそれ
梶が上ると共にややのけぞったままの姿勢を聞くして、二 を認めて﹁あら﹂と言ったとき、聡子へ思わず顔を向けた
人ともまだ手を握り合ってさえいなかった。 清顕は、自分の険に伝わる冷たさに気づいた。聡子が急に
しかし膝掛の下では、避けがたく触れ合う膝頭が、雪の 目を閉じた。清顕はその日を閉じた顔に直面した。京紅の
はじ
下の一点の火のようなひらめきを送ってょとした。清顕の 唇だけが暗い照りを示して、顔は、了度爪先で弾いた花が
の︼り
脳裡には又しつこい疑問がさわいでいた。﹃聡子はたしか 揺れるように、輪郭を乱してほ陥れていた。

uphAJe
にあの手紙を読ま‘なかったのだろうか?謬科があれほど 清顕の胸ははげしい動惇を打った。制服の高い襟の、首
断言したからには、まちがいはあるまい。すると聡子は僕 をしめつけているカラ l の束縛をありありと感じた。聡子
在ぷ
を、まだ女を知らない男として賜っているのだろうか? のその静か・な、目を閉じた白い顔ほど、難解なものはなか
僕はどうやってこの屈辱に耐えたらよいのだりあれほど聡 った。
子の日に手紙が触れないことを祈ったのに、今では日に触 膝掛の下で握っていた聡子の指に、ところもち、かすか
れていたほうがよかったよう・な気がする。そうすれば、 ζ な力が加わった Q
それを合図と感じたら、又清顕は傷つけ
んな雪の朝の狂おしいあいびきは、明らかに、女を知った られたにちがいないが、その軽い力に誘われて、清顕は自
しんし
用刀に対する、女の真撃な挑発を意味するからだ。それなら 然に唇を、聡子の唇の上へ載せることができた。
ば僕にも仕様がある。・:・しかし、それにしても、僕がま 俸の動揺が、次の瞬間に、合わさった唇を引き離そうと
だ支を知らないという事実は、欺きょうがないではないか した。そこで自然に、彼の唇は、その接した唇のところを
老め
AU
・﹄ 要にして、すべての動揺に抗らおうという身構えに・なった。
黒い小さ-な四角い閣の動揺は、彼の考えをあちとちへ飛 接した唇の要のまわりに、非常に大きな、匂いやかな、見
び散らせ、総子から目をそむけていようにも、明り窓の小 えない一踊一が徐々にひらかれるのを清顕は感じた。
さな黄ばんだセルロイドを占める雪のほかには、日の向け そのとき清顕はたしかに忘我を知ったが、さりとて自分
春の雪

どころがなかった。彼はとうとう手を膝掛の下へ入れた。 の美しさを忘れていたわけではない。自分の美しさと聡子
ずる
そこでは、温かい巣の中で待っていた放さをとめて、聡子 の美しさが、公平に等しなみに眺められる地点からは、き

215


の手が待っていた。 っととのとき、お互いの美が水銀のように融け合うのが見
られたにちがいない。拒むような、いらいらした、とげと か考えてい-なかった。それが彼のできる最上の自己放棄だ

216
げしたものは、あれは美とは関係のない性質であり、孤絶 った。
した個体という盲信は、肉体にでは-なくて、精神にだけ宿 接吻がおわる時。それは不本意な目ざめに似て、まだ眠
めの舎
りがちな病気だとさとるのであった。 いのに、険の薄い皮を透かして来る穏猶のよう念朝日に抗
清顕の中の不安がのとりなく拭われて、はっきりと幸福 しかねている、あの物憂い名残惜しさに充ちていた。あの
の所在が確かめられると、接吻はますますきつい決断の調 ときとそ眠りの美味が絶頂に達するのだ。
子に変って行った。それにつれて聡子の唇はいよいよ柔ら さて唇が離れてみると、今まで美しく噌っていた鳥が急
h72Eうとう
いだ。清顕はその温かい髭のような口腔の中へ、全身が融 に黙ったような、不吉な静けさがあとにのとった。二人は
かし込まれるような怖ろしさから、何か形あるものに指付 お互いの顔を見られなく-なって、じっとしていた。しかし
触れたくなった。膝掛から抜いた手で、女の肩を抱き、顎 との沈黙は、俸の動揺の必かげで大いに救われた。何かほ
を支えた。そのとき女の顎に ζもる繊細なもろい骨の感じ かのととに忙しくしているという感じで。
︿きむら
が彼の指に触れ、ふたたび別な肉体の、はっきりと自分の 清顕は目を落した。緑の草叢から危険を察知してあたり
b
ι&ι うかが
外にある個体のすがたが確かめられたが、今度はそれが、 を窺う白鼠のように、女の白い足袋の爪先が、膝掛の下か
却って唇の融和を高めるのであった。 ら小さくおずおずとのぞいていた。そしてその爪先にはほ
聡子は涙を流していた。清顕の頬にまで、それが伝わっ のかに雪がかかっていた。
たことで、それと知られた。清顕は衿りを感じた。しかし 清顕は自分の煩がひどく熱いので、子供らしく、聡子の
彼のその衿りには、かつての人に施すような恩恵的な満足 頬にも手をあててみて、同じように熱いのに満足した。そ
はみじんもなく、聡子のすべてにも、あの批評的な年上ら ζにだけ夏があった。
しい調子はなくなっていた。清顕は自分の指さきが触れる ﹁幌をあけるよ﹂
彼女の耳染ゃ、胸もとや、ひとつひとつ新たに触れる柔ら 聡子はうなずいた。
あいぶ
かさに感動した。乙れが愛撫なのだ、と彼は学んだ。とも 清顕は大きく腕をひろげて、前面の腕を外した。自の前
a
bb-
-
すれば飛ぴ去ろうとする語のような官能を、形あるものに の四角い、雪に充たされた断面が、倒れかかる白い隣げよ
託してつなぎとめるとと。そして彼は今や、自分の喜びし うに、音もなく崩れてきた。
車夫が気配を察して立止った。 戦死者の弔祭の幻を見た。
﹁そうじゃないんだ。行け!﹂と清顕は叫んだ。晴朗な 数千の兵士がそとに群がり、白木の墓標と白布をひるが
若々しいその叫びを背後から受けて、車夫は再び腰を浮か えした祭壇を遠巻きにしてうなだれている。あの写真とは
ひさし
せた。﹁行け!どんどん行ってくれ﹂ ちがって、兵士の肩にはことどとく雪が積み、軍帽の庇は
すペ
俸は車夫の懸声と共にとり出した。 ととどとく白く染められている。それは実は、みんな死ん
﹁人に見られるわ﹂ だ兵士たちなのだ、と幻を見た瞬間に清顕は思った。あそ
と俸の底に潤んだ目をひそめて聡子は言った。 ζに群がった数千の兵士は、ただ戦友の弔祭のために集っ
﹁構ゃしないさ﹂ たのでは・なくて、自分たち自身を弔うためにうなだれてい
わが声にともる果断念響きに清顕はおどろいていた。彼 るのだ。.
、いおむ 6aま

にはわかっていた。彼は世界に直面したかったのだ。 幻はたちまち消え、移る景色は、高い塀のうちに、大松
ふち ゆきつ
見上げる空は雪のせめぎ合う淵のようだつた。二人の顔 の雪国巾りの新しい縄の鮮やかな麦色に雪が危うく懸ってい
すりガラス
へ雪はじかに当り、口をひらけば口のなかへまで吹き込ん るさま、ひたと締めた総二階の磨硝子の窓がほのかに昼の
だ。とうして雪に埋もれてしまったら、どん念にいいだろ 燈火をにじませているさま、などを次々と雪どしに示した。
'
r﹁'o ﹁締めて﹂
﹁今、雪がと ζ へ:::﹂ と聡子が言った o
のどむ老曹 詰り
b
と聡子は夢見心地の声で言った。雪が咽喉元から胸乳へ 幌の雌を下ろすと、なじみのある薄い闘が戻った。しか
した
満たったのを言台うとしたらしい。しかし雪のふり方はみ し前の陶酔旦一民って来なかった。
じんも乱れず、そのふり方に式典風の荘厳があって、清顕 ﹃僕の接吻はどう受けとられたろうか?﹄と清顕は、又、
-
a
は頬が冷えると共に、次第に心の組めてゆくのを感じた。 お手のものの疑惑にとらわれだした。﹃あまり夢中で、ひ
かすみ色ょうがり
あたかも俸は、邸の多い霞町の坂の上の、一つの瞳そい とりよがりで、子供っぽく、みっともなく思われたのじゃ
れんたい
春の雪

の空地から、麻布三聯隊の営庭を見渡すととろへかかって ないだろうか?たしかにあのとき、僕は自分の喜びしか
いた。いちめんの白い営庭には兵隊の姿も-なかったが、突 考えていなかった﹄

217
然、清顕はそとに、例の日露戦役写真集の、得利寺附近の そのとき、
﹁もう帰りましょうか﹂ -ながら、暗いともった声でつづけた。﹁風邪は大したとと曹
ひょうそ︿
と言った聡子の言葉は、たしかに平灰が合いすぎていた。 はないんだ。明日は学校へ行けるから、そのとき訳は話す。作品
﹃又自分勝手に引きずろうとしている﹄ :・大体、一日休んだくらいで、心配して電話をかけてよ
と清顕は思いながらも、咽援に異を唱える機会を逸して とすことはないよ。大袈裟だなあ﹂
しまった。婦らないと云えば、般子は清顕に預けられたと 本多は電話を切ると、自分の厚意が手ひどい報いを受け
とになる。その持ち馴れぬ重たい般子、手に触れるだけで たので、胸さわぎのするほどの怒りを感じた。とうした怒
ゆぴさき
指尖も氷りそうな象牙の般子は、まだ彼のものでは・なかっ りは、かつて清顕に対して彼が感じたととの-ないものだっ

。 た。清顕の冷たい不機嫌な声そのものよりも、その無礼な
応待そのものよりも、彼の声に、不本意にも友達に一つ秘
a'ふ
密を預け-なければ念らなく念った遺憾の溢れていたととが、

本多を傷つけたのである。彼は今まで一度だって、秘密を
清顕が家へかえって、寒気がするから早退けをしたと言 預けるととを清顕に強いたおぼえはなかった。
い繕ろい、母が清顕の部屋へ見舞に来、むりやりに熱を計 やや冷静に返ると、
らされ、大仰な騒ぎになりかけたときに、本多から電話が ﹃たった一日休んだからって、見舞の電話をかける俺も俺
かかったと飯沼が告げた。 じゃないか﹄
母が代りに出ようというのを、清顕は引止めるのに骨を と本多は反省した。しかしとの性急な見舞は、ただ友情
折った。そしてどうしても自分で電話口へ出るという清顕 のとまやかさから出たものとは云えなかった。彼は云いし
の背は、うしろからカシミヤの毛布で包まれた。 れぬ不吉な思いにかられて、休み時聞に教務課の電話を借
本多は学校の教務課の電話を借りて掛けていた。清顕の りに、雪の校庭を駈けて行ったのだった。
声は不機嫌を極めた。 朝から清顕の机が空になっている。それがいかにも、か
﹁一寸事情があって、今日は一旦学校へ出て早退けした乙 ねて怖れていたととが現前したような怖れを本多に与えた。
とになっているんだ。朝から学校へ出ていないととは家に 清顕の机は窓ぎわだったから、窓の雪明りは、その古い傷
は内緒だよ。風邪?﹂と清顕は、電話室の硝子戸を気にし だらけの机をおおう塗りたてのニスにまともに映って、机
ぎかん
はあたかも白布におおわれた坐棺のように見えた。・:・・ ず、自分の机に鞄をしまうと、窓ぎわへ寄って雪晴れの景
家へかえってのちも、本多の心は修していた。そとへ飯 色を眺め、腕時計をちらと見て、まだ始業まで三十分あま
沼から電話がかかり、清顕がさつきのととをぞひたがって りもあるのを確かめたのであろう、そのまま背を向けて教
おり、今夜俸を差向けるから来てもらえないか、という申 室を出て行った。清顕は自然に ζれに従った。
あずまや
出があった。飯沼の重い一本調子の声が本多をなおのとと 木造二階建の高等科教室のかたわらには、東屋を中心に
不快にした。彼は一言の下に断って、学校へ出られるよう した小さな幾何学的配置の花檀があり、花壇の外れは崖に
そうりんみち
になったら、そのときゆっくり話をきけばよい、と言った。 なって、血洗いの池という名の沼を囲む叢林へ下りる径が
飯沼からこの返事をきいた清顕は、本当の病気になった ついていた。清顕は本多が血洗いの池へ下りてゆくととは
ように思い悩んだ。そして、夜ふけて、用も-ないのに飯沼 あるまいと思った。雪が融けかけたその下りの小儲は、歩
を部屋へ呼ぴ、とう言った言葉が飯沼をおどろかせた。 くのに難儀な筈だ。果して本多は東屋のととろで立止り、
﹁みん念聡子さんがいけないんだ。女が男の友情をとわす そ乙の腰掛へ降り込んだ雪を払って掛けた。諸問顕は雪に包
か隠
というのは本当だね。聡子さんが朝あんな我健を言って来 まれた花園の聞を歩いて、そこへ近づいた。
・なければ、本多をそんなに怒らす ζともなかったんだ﹂ ﹁何でつけてくるんだ﹂
まぶ
夜のうちに雪は止み、あくる朝は快晴になった。清顕は と本多は肱しげに目を細めてとちらを見た。
家人が止めるのを振切って学校へ出た。本多より早く登校 ﹁きのうは僕が悪かった﹂
して、朝の挨拶をとちらからしようと思ったのである。 と清顕はすらすらと詫びを言った。
しかし一夜が明けて、乙の輝やかしい朝に接すると、清 ﹁いいんだよ。仮病だったんだろう?﹂
顕の心の底に抑え切れない幸福が蘇えって、彼を又別の人 ﹁ああ﹂
聞にしてしまった。本多が入って来たとき、清顕の向けた 清顕は本多のかたわらへ、同じように雪を払って掛けた。
てんたん めっき
微笑に、彼が何事も-なかったような悟淡な微笑で答えると、 ひどく肱しげに相手を眺めるととが、感情の表てに鍍金
春の雪

それまできのうの朝の出来事をすっかり打明けようと思っ をかけて、気まずきをたちどとろに消し去るのに役立った。
とずえ
ていた清顕は心がわりをした。 立っているときには、雪の梢の聞に見えた羽田が、東屡に坐

1
29
本多は微笑で答えはしたが、それ以上口をきこうとはせ ると見えなくなった。そして校舎の軒からも、東屋の屋根
ゆき
からも、まわりの木々からも、一せいに明るくしたたる雪 ﹁でも今の時代に様式があるだろうか﹂
L
ゆ1

2aJ
解雫の音があった。まわりの花園を不規則な凹凸で・おおう ﹁明治の様式が死にかけているだけだ、と言いたいんだろ
か ζうがん
雪は、すでに表面が凍って陥没して、花尉岩の組い切断面 う。しかし、様式のなかに住んでいる人聞には、その様式
のような、綴密な光りを反射していた。 が決して自に見えないんだ。だから俺たちも何かの様式に
本多は滑顕が何か心の秘密を打明けるにちがいないと考 包み込まれているにちがいないんだよ。金魚が金魚鉢の中
えたが、それを待っている自分を認める ζとはでき念かっ に住んでいるととを自分でも知らないように。
た。半ばは清顕が何も言わないでくれるととを望んでいた。 貴様は感情の世界だけに生きている。人から見れば変っ
友が思恵でも施すように、秘密を施してくれるととは耐え ているし、貴様自身も自分の個性に忠実に生きていると思
がたかった。そとで思わず自分から口を切って、わざと迂 っているだろう。しかし貴様の個性を証明するものは何も
えん
遠な話をした。 ない。同時代人の証言はひとつもあてにならない。もしか
﹁俺はとの問うちから、個性というととを考えていたんだ すると貴様の感情の世界そのものが、時代の様式の一番純
よ。俺は少くとも、との時代、との社会、との学校のなか 粋な形をあらわしているのかもしれ・ないんだ。:::でも、
金た
で、自分一人はちがった人間だと考えているし、又、そう それを証明するものも亦一つもない﹂
考えたいんだ。貴様もそうだろう﹂ ﹁じゃ何が証明するんだ﹂
﹁それはそうさ﹂ ﹁時だ。時だけだよ。時の経過が、貴様や俺を概括し、白
と清顕は、そんなときに一そう彼独特の甘さが漂う、不 分たちは気づかずにいる時代の共通性を残酷に引っぱり出
本意なべ気のない声で答えた。 し、:::そうして俺たちを、﹃大正初年の青年たちは、と
﹁しかし、百年たったらどうなんだ。われわれは否応なし んな風な考え方をした。 ζんな着物を着ていた。 ζんな話
に、一つの時代思潮の中へ組み込まれて、眺められる他は し方をした﹄という風に、一緒くたにしてしまうんだ。貴
けいペヲ
ないだろう。美術史の各時代の様式のちがいが、それを情 様は剣道部の連中がきらいだろう?あんな連中を軽蔑し
容赦もなく証明している。一つの時代の様式の中に住んで たい気持でいっぱいだろう?﹂
いるとき、誰もその様式をとおしてでなくては物を見る ζ ﹁ああ﹂と清顕は、次第にズポンをとおしてしみ入ってく
とができないんだ﹂ る冷たさに、居心地のわるい思いをし-ながら、東屋の欄の
ヲぽき
すぐ傍らで、あたかも雪のとり落ちたあとの椿の葉が、あ 代の天才の考えかね?偉人の考えかね?ちがうよ。そ
でやかに光り輝くのに目をとめた。﹁ああ、僕はああいう の時代をあとから定義するものの基準は、われわれと剣道
連中が大きらいだ。軽蔑している﹂ 部の連中との無意識な共通性、つまりわれわれのもっとも
本多は清顕のとんな気のない応待には今さらおどろか-な 通俗的一般的な信仰なんだ。時代というものは、いつでも
かった。そして言葉をつ つ
e
けた。 一つの愚神信仰の下に総括されるんだよ﹂
﹁それなら何十年先に、貴様が貴様の一等軽蔑する連中と 清顕には本多が何を言おうとしているのかわからなかっ
一緒くたに扱われるととろを想像してどらん。あんな連中 た。しかし聴くうちに、少しずつ彼の心の中にも、一つの
ののし
の粗雑な頭ゃ、感傷的な魂や、文弱という言葉で人を罵る 思考の芽が動いてきた。
せまい心や、下級生の制裁や、乃木将軍へのきちがいじみ 教室の二階の窓には、すでに数人の学生の頭が見える。
た崇拝ゃ、毎朝明治天皇の御手植の榊のまわりを掃除する 他の教室の締めた窓の硝子はまぶしく朝日を反射し、空の
ととにえもいわれぬ喜びを感じる神経や、:::ああいうも 青を映していた。朝の学校。清顕はきのうの雪の朝と引き
のと貴様の感情生活とが、大ざっぱに引つくるめて扱われ くらべ、自分があのような官能の暗い動揺から、今はこと、
るんだ。 明るい白い理性の庭に、心ならずも引き据えられているの
そしてその上で、今俺たちの生きている時代の、総括的 を感じた。
な真実がやすやすとつかまえられる。今はかきまわされて ﹁それが摩史なんだね﹂と彼は、議論となると本多に比し
たち a z k E ︿や
いる水が治まって、忽ち水の函に油の虹がはっきりと詑ん て、はるかに稚ない口調になる自分を口惜しく思いながら、
でくるように。そうだ、俺たちの時代の真実が、死んだあ 本多の思考へ分け入ろうとしていた。﹁それじ宇僕らが、
とで、たやすく分離されて、誰の自にもはっきりわかるよ 何を考え、何を願ぃ、何を感じていても、歴史はそれによ
うに念る。そうしてその﹃真実﹄というやつは、百年後に ってちっとも動かされないと云うんだね﹂
は、まるきりまちがった考えだというととがわかって来、 ﹁そうだよ。ナポレオンの意志が歴史を動かしたという風
春の雪

俺たちはある時代のあるまちがった考えの人々として総括 に、すぐ西洋人は考えたがる。貴様のおじいさんたちの意
されるんだ。 志が、明治維新をつくり出したという嵐に。

2
21
そういう概観には、何が基準にされると思う? その時 しかし果してそうだろうか?歴史は一度でも人間の意
志どおりに動いたろうか?貴様を見ていて、いつも俺は それが歴史というものだ、と人は言うだろう﹂

怨2
そんな風に考えてしまうんだ。貴様は偉人でもなければ天 ﹁潮時だというだけのととじゃ・ないか。やっとそのとき機
才でも-ないだろう。でもすごい特色がある。貴様には意志 が熟したというだけのことじゃ・ないか。百年と云わず、三
というものが、まるっきり欠けているんだ。そしてそうい 十年や五十年でも、そういうととは往々にして起る。それ
う貴僚と歴史との関係を考えると、俺はいつでも一通りで に歴史がそういう形をとるときには、貴様の意志も一度死
たす
ない興味を感じるんだよ﹂ んで、それから見えない潜んだ糸になって、その成就を援
﹁それは皮肉かい﹂ けていたのかもしれない。もし貴様が一度もこの世に生を
﹁いや、皮肉じゃ・ない。俺は全くの無意志的な歴史関与と 享けていなかったら、何万年待っても歴史はそんな形をと
いうととを考えているんだ。たとえば俺が意志を持ってい らなかったかもしれない﹂
るとする・・・・・・﹂ 清顕は何か親しみのない抽象語の冷たい森の中で自分の
ζうふん
﹁たしかに持っているよ﹂ 体がほのかに熱してくるのが感じられるこん・な昂奮を、本
﹁それも歴史を変えようとする意志を持っているとする。 多のおかげで知ったのだった G
それはあくまで彼にとって
俺の一生をかけて、全精力全財産を費して、自分の意志ど は不本意な愉しみだったが、雪の花園へ長々と落ちている
おりに歴史をねじ曲げようと努力する。又、そうできるだ 枯木の影ゃ、 ζ の明るい水のしたたりの音に充ちた白い領
けの地位や権力を得ょうとし、それを手に入れたとする。 域を見渡すと、彼は本多が、清顕の昨日の記憶の熱いなま
それでも歴史は思うままの枝ぶりになってくれるとは限ら めいた幸福感を、直観しながらはっきりと無視してくれる、
ないんだ。 その雪の白さに似た裁断をうれしく思った。校舎の屋根か
・しよう老若
百年、二百年、あるいは一二百年後に、急に歴史は、俺と ら畳一帖ほどの雪がこのとき雪崩れ落ちて、屋根瓦のみず
は全く関係なく、正に俺の夢、理想、意志、どおりの姿をと みずしい黒があらわれた。
るかもしれない。正に百年前、二百年前、俺が夢みたとお ﹁そしてそのとき﹂と本多は言葉をつ.つけた。﹁百年後に
りの形をとるかもしれない。俺の目が美しいと思うかぎり 俺の思うままの形を歴史がとったとして、貴様はそれを何
ほほえ
の美しさで、微笑んで、冷然と俺を見下ろし、俺の意志を かの﹃成就﹄と呼ぶかい?﹂
‘のぎけ
噺るかのように。 ﹁それは成就にはちがいないだろう﹂
﹁では地誕の?﹂ ﹃関わろうとする﹄だけ・なんだ。それが又、あらゆる意志
﹁貴様の意志の﹂ にそなわる宿命なのだ。意志はもちろん、一切の宿命をみ
﹁冗談、しゃ-ない。俺はそのときはもう死んでいる。さっき とめようとはしないけれども。
も一一一口ったろう。それは俺とはもう全く関係なしにできたこ しかし、永い白で見れば、あらゆる人間の意志は搾折す
とだ﹂ る。思うとおりには行かないのが人間の常だ。そういうと
﹁それなら歴史の意志の成就だと思えないかい?﹂ き、西洋人はどう考えるか?﹃俺の意志は意志であり、
﹁歴史に意志があるかね。歴史の擬人化はいつも危険だよ。 失敗は偶然だ﹄と考える。偶然とはあらゆる因果律の排除
俺が思うには、歴史には意志がなく、俺の意志とは又全く であり、自由意志がみとめるととのできる唯一つの非合目
関係がない。だから何の意志からも生れ出たわけではない 的性なのだ。
そういう結果は、決して﹃成就﹄とは言えないんだ。それ だからね、西洋の意志哲学は﹃偶然﹄をみとめずしては
が証拠に、歴史のみせかけの成就は、次の瞬間からもう崩 成立たない。偶然とは意志の最後の逃げ場所であり、附け
稜しはじめる。 の勝敗であり、・:・これなくしては西洋人は、意志の再々
あだ
歴史はいつも崩壊する。又次の徒な結日聞を準備するため の挫折と失敗を説明することができない。その偶然、その
に。歴史の形成と崩壊とは同じ意味をしか持たないかのよ 賭けとそが、西洋の神の本質なんだと俺は思うな。意志哲
うだ。 学の最後の逃げ場が偶然としての神-ならば、同時にそのよ
俺にはそんな ζとはよくわかっている。わかっているけ うな神だけが、人間の意志を鼓舞するようにできている。
れど、俺は貴様とはちがって、意志の人間であることをや しかしもし、偶然というものが一切否定されたとしたら
められないんだの意志と一五ったって、それはあるいは俺の どうだろう どんな勝利やどんな失敗にも、偶然の働らく
Q
強いられた性格の一部かもしれない。確としたことは誰に 余地が一切なかったと考えられるとしたらどうだろう。そ
も言えない。しかし人間の意志が、本質的に﹃歴史に関わ うしたら、あらゆる自由意志の逃げ場はなくなってしまう。
容の雪

ろうとする意志﹄だということは云えそうだ。俺はそれが 偶然の存在し・ないととろでは、意志は自分の体を支えて立
﹃歴史に関わる意志﹄だと云っているのでは・ない。意志が っている支柱をなくしてしまう。

223
歴史に関わるというととは、ほとんど不可能だし、ただ こんな場面を考えてみたらいい。
そとは白昼の広場で、意志は一人で立っている。彼は自 そとにしかなくなる筈だ。

J4
分一人の力で立っているかのように装っているし、また自 貴様がそれを知っている筈がない。貴様がそんな哲学を

!
2
分自身そんな風に錯覚している。日はふりそそぎ、木も草 信じている筈はない。おそらく貴様は自分の美貌と、変り
もなく、その巨大な広場に、彼が持っているのは彼自身の やすい感情と、個性と、性格というよりはむしろ無性格と
影だけだ。 を、ぼんやりと信じているだけなんだ。そうだろう?﹂
とどろ
そのとき雲一つない空のどとかから轟くような声がする。 清顕は返事をしかねたが、侮辱されているとはさらさら
﹃偶然は死んだ。偶然というものはないのだ。意志ょ、と 思わ・なかった。そして仕方なしに微笑した。
れからお前は永久に自己弁護を失うだろう﹄ ﹁それが俺にはいちばんの識なんだ﹂

、ず
その声をきくと同時に、意志の体が頚れはじめ融けはじ と本多はほとんど滑稽にみえる真撃な嘆息を洩らしたが、
あら 争さひ
める。肉が腐れて落ち、みるみる骨が露わになり、透明な その嘆息が旭のうちに白い息になって漂うのを、清顕は自
'
レ・
A
'
恥・
a
J eA
時現液が流れ出して、その骨さえ柔らかく融けはじめる。意
かす
分に対する友の関心の幽かな形をとったあらわれのように
志はしっかと両足で大地を踏みしめているけれど、そんな 眺めた。心ひそかに彼は自分の中の幸福感を強めていた。
努力は何にもならないのだ。 そのとき始業の鐘が鳴り、二人の青年は立上った。二階
ゆきつぶて
白光に充たされた空が、怖ろしい音を立てて裂け、必然 の窓から、窓辺に積る雪を固めた雪磯が、二人の足もとに
ひ掌つ
の神がその裂け目から顔をのぞけるのは、正にとの時なん 投げつけられて、きらめく飛沫を上げた。


││俺はどうしてもそんな風に、必然の神の顔を、見る



も怖ろしい、思わしいものにしか思い描くととができない。
それはきっと俺の意志的性格の弱味なんだ。しかし偶然が 清顕は父から書庫の鍵を預けられていた。
一つもないとすれば、意志も無意味になり、歴史は因果律 母屋の北向きの一角にあるとの一聞は、松枝家でもっと
てっさぴ
の大きな隠見する鎖に生えた鉄鏡にすぎなくなり、歴史に も人に顧みられない部屋だった。父侯爵は一切本などを読
関与するものは、ただ一つ、輝やかしい、永遠不変の、美 まない人だったが、祖父から受け継いだ漢籍と、彼が知的
あっ
しい粒子のような無意志の作用になり、人間存在の意味は 虚栄心から丸善に注文して蒐めた洋書と、多くの寄贈書が
そこに納められ、清顕が高等科に入ったときに、彼はあた あの鍵は何と裸かで、羽根をむしられて、残酷な姿を自
もったい
かも知識の宝庫を息子に譲り渡すように、勿体をつけてそ 分の掌に横たえていた ζとか 1
の鍵を預けた。清顕だけはいつでもそこへ出入が白山にな 彼は永いことその意味を考えていた。わから・なかった。
った。そとには又、父に似つかわしからぬ多くの十古口典文学 ようやく清顕が説明したとき、彼の胸は怒りに陳えた。清
,﹄偽 しト
叢'
書vνや子供向きの全集もあつた
J
O
そういう出版に当つては、 顕に対する怒りよりも、むしろなるがままになる自分自身
大礼服姿の父の写真と短かい推薦文が求められ、松枝侯爵 に対する怒りに。
御推薦などという金文字と引換えに、叢書の全巻が贈られ ﹁きのうの朝はお前が僕のずる休みを助けてくれた。今日
るのであった。 は僕がお前のずる休みを助ける番だ。夜学へ行くふりをし
消顕も、しかしその書庫のよい使い手ではなかった。本 て、一旦家を出なさい。そして裏へ創って、書庫の横の木
を読む ζとよりも夢想する ζとを好んだからである。 戸から家へ入って、この鍵で書庫をあけて、中で待ってい
e
aり
月に一回、清顕から鍵を借りて、そ ζ の掃除を受け持っ ればいい。でも、決して燈火をつけてはだめだよ。鍵は内

ている飯沼にとっては、先代の遺愛の漢籍もゆたかなだけ 側から締めておいたほうが安全だ。
、、 ・
z て し 在 、 、
a
に、この邸うちでもっとも神聖な部屋になっていた。彼は みねには琴科からよく合図を教えてある。翠科からみね
K札制川いぷ︿ろ
書庫を﹁御文庫﹂と呼び、その名を日にするだけでも、畏 へ電話をかけて、﹃聡子様の香袋はいつ出来るか﹄とたず
"
リい
敬の念をそとにこめた。 ねるのが合間・なのだ。みねはあのとおり、袋物や何かの細
清顕は本多との和解ができた晩、夜学へ出かける間際の 工物のうまい女だから、みんながみねに細工をたのむし、
きん υん
飯沼を部屋へ呼んで、黙って ζ の鍵を渡した。月々の掃除 聡子さんからも金欄の香袋をたのんであることになってい
の日は決っていたし、それも昼間であるべきなのに、時な て、そういう催促の電話はす乙しも不自然ではない。
いぷ
らぬ日の夜になって渡された鎚を、飯沼は訪かしげに見た。 みねはそんた電話をうけると、お前が夜学へ出たころを
とんぼ
彼の素朴な厚い掌に、鍵は羽棋をちぎられた崎倫のように 見計らって、書庫の戸を軽く叩いて、 前に逢いにゆく手
hp


aup
春の雪

動くとまっていた。::: 筈になっている。夕食後のざわざわした時間だし、みねが
-│飯沼は ζ の 瞬 間 を の ち の ち ま で も 、 何 度 も 記 憶 の 中 ο
三、四十分のあい崎山・なくなっても誰も気がつくまい 話
から呼びおとした。 葱科は、 b前とみねのあいびきには、家の外を使うのは、
かえ aek
却って危険だし、むつかしいという意見だった。女中の外 九州量歩するに足らんや。
えんE 島、︿

26
出は、いろいろな口実を燐えなければなら・ないから、却っ 言を寄す燕雀の徒 o

2


aF ζうと︿
て怪しまれる。 寧ぞ知らん鴻鵠の路を﹂
それはそうと、お前に相談する前に僕が勝手にやったと 彼にはわかっていた。清顕が彼の﹁御文庫﹂祭拝を知っ
とだが、みねはもう今夜、葱科の合図の電話を受けている ていて、ととさらととを逢引の場所にしつらえたとと。
んだ。お前はぜひとも書庫へ行か-なければならない。そう ::そうだ。さっきとの親切な計らいを述べ立てた清顕の
しないと、みねに大へん気の毒なことになる﹂ 口調には、すぐそれと知られる冷たい酔いがあった。飯沼
帥リd
m"
そこまできいたとき、追いつめられた飯沼は、危うくそ がわれとわが手で神聖な場所を演す ζとになる成行を消顕
の様える手中から鍵を落さんばかりになった。 は望んだのだ。思えば、美しい少年時代から、滑顕がつね
園田a
vLF
に無言で飯沼を脅やかしてきたのは ζの力だった。冒演
,の

か 企 き ん とde
書庫の宇はひどく寒い。窓には金巾の雌がかけてあ
i-- 快楽。一等飯沼が大切にしているものを飯沼自身が演さね
かす ぬさ
るだけなので、裏庭の外燈のあかりが微かに届くが、書名 ばならぬときの、白い幣に生肉の一片をまとわりつかせる
かぴ すきのおのみとと
を読み分けられるほどの明るさもない。徽の匂いがたちと ようなその快楽。むかし素養鳴尊が好んで犯したような、
よど Eぷがわ
めていて、澱んだ冬の袴川のほとりにうずくまっているか 快楽。:::飯沼が屈服してから、清顕の ζの力は無線に強
のようである。 くなったが、なお彼に解しがたいのは、清顕の快楽がすべ
そら
しかし飯沼はどの棚にどの本があるかを大方藷んじてい て世にも美しく清らかに見えるのに、飯沼の快楽には、ま
る。先代が綴じ込みの切れるほどよく読んだ和綴の四書講 すます汚れた罪の重味が増すように思われるととであった。
ちつ ζと どとかんぴしぜいけんいげん
義は、秋も悉く失われているが、韓非子や靖献遺言や十八 そう思うととが、いよいよ彼の目にわが身を卑しく見せた。
ル千曹
史略もそ ζに並び、彼がかつて掃除の折、ふとめくった頁 書庫の天井を慌しく鼠の走る音がして、抑えたような鳴
かやのとょとし およ、、
に賀陽豊年の﹁高士吟﹂があった。活版本の和漢名詩選の 音が洩れた。鼠除けの栗のいがを、先月の掃除の折にもた
ありかもわかっていた。その﹁高士吟﹂が掃除中の彼の心 くさん天井へ入れたのに、何の利目も・なかった。・・:ふと
を慰めたのは、次のよう・な詩句のためであった。 飯沼は、もっとも思い出したくないととを思い出して身を
nb
ご寮何ぞ掃うに堪えん。 傑わせた。

し Z
η
みねの顔を見るたびに、払っても払ってもその汚点のよ く体をぶつけた。戸の鍵をあける。みねが身を斜めにして
う な 幻 が 目 先 を か す め る 。 今 に も ζ こへ、みねの熱い体が 滑り人る。飯沼はうしろ手に鍵をしめると、みねの肩先を
閣の中を近づいてくるという時になって、必ずその思念が つかんで書庫の奥へ乱暴に押して行った。
立ちふさがるのだ。おそらく清顕も知っているだろうが口 どうしたととかそのとき、飯沼の脳裡には、さきほど書

に出しては言わないことを、飯沼も以前から知っていなが 庫の裏手から廻ってきた折、書庫の外側の腰板に掻き寄せ
しゅんげん
ら、決して清顕には語らなかった。邸うちで、本当の峻厳 られていた汚れた残雪の色が浮かんでいた。そしてみねを、
在ぜ
な秘密ではないだけに、ますます彼にとっては耐えがたく 何故かしら、丁度その雪と壁で接した片岡で犯したいと思
思われる秘密。彼の脳裡をいつも汚れた鼠の一群のように ったのである。
駈けまわる苦悩。:::みねには侯爵のお手がついていた。 飯沼は幻想によって残酷になり、しかも片方にみねへの
あわむご
そして今も時折:::。彼は鼠たちの血走った日と、かれら 憐れみが深まりながら、ますます酷い扱いをすることが、
の圧倒的・なみじめさを想像した ο 清顕へ仕返しをするような気持をひそめているのに気がつ
かた
ひどく寒かった。朝のお宮様の参詣には、あれほど胸を くと、例えん方なくみじめになった。声は立てられず、時
こうや︿ 、、ま。
張ってゆけるのに、今寒さは彼の背後から忍び寄り、膏薬 は短かいので、みねはなすままに委せていたが、乙の素直
は、、
のように肌に貼りついて、彼の身を傑わせた。みねはさり な屈服に、飯沼は自分と同類の者のやさしい行き届いた理
げなく座を外す折を狙って手間取っているにちがいない。 解を感じて、心を傷つけられた。
待つうちに、飯沼は切迫する欲望に胸を突き上げられ、 しかしみねのやさしさは、あながちそとから来るのでは
さまざまな忌わしい考えと寒さとみじめさと徽の匂いと、 なかった。どちらかというと、みねは尻軽な朗らかな娘だ
色m
v,、弘信
そのすべてに心を昂ぶらせた。それらのものが瀞川の芥の った。飯沼の寡黙の空怖ろしさが、彼のあわただしい硬ば
は AU草
ように、彼の小倉の袴を犯してゆっくりと流れてゆくよう った指先が、みねにはすべて不器用な誠実と感じられるだ
に感じられた。﹃これが俺の快楽なのだ!﹄と彼は考えた。 けだった。憐れまれていようとは、夢にも思ってい・なかっ
春の雪

二十四歳の男が、どんな誉れにも輝やかしい行動にもふさ た

ひるが、、
わしい年齢の男が・・。 訴えされた裾の下に、みねは急に閣の冷たい刃金が触れ

227
戸が軽く叩かれたので、彼は急に立上って、本棚にひど てきたような寒さを味わった一 υ彼女の目は鈍い金字の背革
だくひろの
や重ねられた峡のひしめく本欄が、四方から自分にのしか の足音に胞があって、鼠は入り乱れて、とてつもない広野

-8
かってくるよう・なさまを、薄閤の中に見上げた。急がなく の閣の、片隅から片隅へと疾駆していた。

"
2
てはならぬ。何か彼女にわからぬととろで周到に用意され
た、乙の細い時間の隙間に、いそいで身をひそめなくては



ならぬ。どんなに居心地がわるかろうと、みねは自分の存
まつがえ食品芭
在がその隙聞にぴったり適合しており、そとへ素直に敏速 松枝家へ来た郵便物は一旦執事の山田の手をとおり、蒔
うず えしゅう
に身を埋めれば足りることを知っていた。彼女はその小間 絵の紋散らしの盆に麗々しく載せられて、山田みずから主
キ,ドレ
な、みのりのいい、綿密に明るい皮膚のはりつめた体に相 筋へ配って歩くしきたりになっていたので、それと知った
応の、ごく小さい墓しか望ま・ないだろう。 聡子は用心して、翠科を文づかいに立て、飯沼に手渡すこ
みねは飯沼が好きだったと云って過言ではない。求めら とに決めていた。
e
-
れる乙とで、彼女は求める人間の美点を、
隈なく知るととが
, その飯沼が、卒業試験の準備にいそがしい折柄、謬科を
、、隠かふう
できた。それにもともと、みねは他の女中たちが飯沼を議 迎えて受けとり、清顕の手に首尾よく厨けた聡子の恋文。
︿みわた
する軽蔑的な軽口には与さなかった。彼の永年に亙って打 ﹁雪の朝のととを思うにつけ、晴れ渡ったあくる日も、私
ひし、、
ち挫がれた男らしさを、みねは自分の、女らしきで率直に の胸のうちには、仕合せな雪が降りつづけてやみません。
ひとひらひとひら
感じた。 その雪の一片一片が清様の面影につらなり、私は清様を想
Kぎ
明るい縁日の賑わいのようなものが、突然目先をとおる うために、コ一百六十五日雪の降りつづける固に住みたいと
ような気がした。それは閣の・なかに、アセチレン燈の強い 願うほどでどざいます。
あめがし
光輝とその臭気と風船と風車と色とりどりの飴菓子の光彩 平安朝の世なら、清様が歌を下さって、私が返しを差上
を泥ベて、消えた 0
げたととろでしょうに、幼ないころから習った和歌が、と
・彼女は閣に目ざめた。 んなときには何一つ心を表わそうとし・ないのにおどろきま
﹁なぜそんなに大きく臼をあけるのだ﹂ す。それはただ私の才が貧しいからでございましょうか?
いらだ
と飯沼が苛立った声で言った。 あんな我俸を申し上げて、お聴き届け下さったうれしさ
すぺ
ふたたび天井を鼠の一群が走っていた。小刻みながらそ が、私の喜びの凡てだと岡山召しては下さいますな。それは
私が渋様を思うがままにして喜んでいる女だと思召すのと 忠われたのである。
同じことで、一番辛うどざいます。 雪見の朝のような出来事があり、二人が好き合っている
何よりうれしかったのは、清様のお心の優しきでした。 ととが確かならば、毎日ほんの数分間でも、逢わずにはい
あん左我億なお願いの底に、切羽詰った気持の隠れている られぬというのが自然では-なかろうか?
おっしゃ
ととをお見抜きになり、何も仰言らずに雪見にお連れ下さ しかし清顕の心は、そんな風には動か・なかった。風には
か怠
って、私の心にひそめておりました最も恥かしい夢を、叶 ためく旗のように、ただ感情のために生きるという生き方
えて下さったお心の優しきでした。 は、ふしぎにも、自然な成行を忌避させがち念ものである 0
滑様。あのときの ζとを思いますと、今も恥かしさとう ・なぜなら自然な成行は自然に強いられてそうなるという感
れしさで身が傑えるような気がいたします。日本では雪の じを与え、何事につけて強いられることのきらいな感情は
とぎぽ傘し
精は雪女でどざいますけれど、西洋のお伽噺では、若い美 とれから脱け出して、今度は却って自分の本能的念自由を
しい男のように覚えておりますので、凍々しい制服をお召 縛ろうとさえするからである。
かど
しの消様のお姿は、丁度私を拐わかす雪の精のように思い 清顕がと ζしばらく聡子に会うまいとしているのは、克

‘倣され、清様のお美しさに融け込むのは、そのまま、雪に 己のためでも・なければ、まして色恋の達人のように、愛の
ちしつ
融け入って凍死する仕合せのように思われました﹂ 法則を知悉しているためでもなかった。それはいわば彼の
││文の末尾の、 ぎくしゃくした優雅のため、虚栄心とほとんどすれすれの
老にとぞ
﹁との文は何卒お忘れなく御火中下さいますように﹂ 未熟な優雅のためであった。聡子の優雅の持つみだらなほ
h“私仇
という一行まで、手紙はなお綿々とつづくのであるが、 どの自由が嫉ましく、それに引け目を感じてもいた。
-H'FLM
清顕はそのと ζろどとろに、きわめて優雅な言葉を使いな 水が馴染んだ水路へ戻るように、又しでも彼の心は、苦
nbEし
がら、遊るような官能的な表現があるととにおどろいた。 しみを愛しはじめていた。彼のはなはだわがままで、同時
読みおわったときは、読む者を有頂天にさせる手紙だと に厳格な夢想鮮は、透いたくても逢えないという事情のな
春の雪

思われたが、しばらくしてみると、彼女の優雅の学校の教 い乙とにむしろ苛立ち、葱科や飯活のお節介な手引を憎ん
科書のような気がしだした。総子は清顕に、真の優雅はど だ。かれらの働らきは、清顕の感情の純粋さの敵であった。却

んなみだらさをも怖れ念いというととを教えているように とんな身を噛む苦痛と想像力の苦悩を、清顕はすべて自分

の純潔から紡ぎ出すほかはないととに気づいて、衿りを傷 上ったと信じて筆を嫡いたとき、彼は自分がそれと知らず

X)
つけられた。恋の苦悩は多彩な織物であるべきだったが、 に、いつかの蝉劾の手紙を前提として、女を知り尽した男

i
2
ひといろ
彼の小さな家内工場には、一色の純白の糸しかなかったの の文体を採用している ζとに気づいた。との明らかな嘘が

。 今度は彼自身を傷つけたので、滑顕は又書き直して、生れ
﹃あいつらは僕をど乙へ連れて行とうとするのか?僕の てはじめて接吻を知った男の喜びのままに素直に書いた。
恋がようやく本物になろうとする ζのときに﹄ それは子供らしい熱烈な手紙になった。彼は目を閉じて、
した省き
しかしすべての感情を﹁恋﹂と規定するときに、彼は改 手紙を封筒に入れ、匂いやかな桜いろの舌尖を少し出して、
のり*
めて気むずかしくならずにはいられなかった。 封筒の糊を紙めた。それは薄い甘い水薬のような味がした。
a
Jaぽ
ふつうの少年だったら己惚れで有頂天に・なるほどのあの
媛吻の思い出も、との己惚れに親しみすぎた少年にとって 十六
は、日ましに心を傷つける事件になった。
きら
あの瞬間には、たしかに宝石のような快楽が埋めいてい 松枝邸はもとより紅葉で名高かったが、桜もそれなりに
ちりば
た。その一瞬だけは疑いなく、記憶の奥深く鎮められた。 見事であって、正門まで八丁の並木には、松にまじって桜
まわりはあいまいな一トつづきの灰色の雪の中心に、どと も数多く、とりわけ洋館の二階のバルコニーから眺めると、
おおいちょう
からはじまりどとで終るともしれぬ不確定な情念の只中に、 その並木の桜と、前庭の大銀杏につづく幾本かの桜と、か
めいせき おたち審ち
明断な真紅の宝石がたしかに在った。 って清顕が御立待を祝った芝生の丘をめぐる桜と、又、池
ζんな快楽の記憶と心の傷とが、ますます背反するのに を隔てて紅葉山のわずかの桜と、とれらをの ζりなく一望
彼は悩んだ。そしておしまいには沿馴染の、心を暗くする の下に眺めるととができた。隅 で
h まで桜に壊められた庭の
ふぜい
だけの思い出に納まった。つまりあの接吻をも、聡子から 花見よりも、とのほうが風情があるという人が多い。
ひかヂまつり
与えられた得体のしれない屈辱の思い出の一つとして扱う 春から夏にかけての松枝家の三大行事は、三月の雛祭と、
とと。 四月の花見と、五月のお宮様のお祭とであったが、先帝崩
d
vんぜん
彼はなるたけ冷たい返事を書とうとして、何度も便婆を 御から一年に充たないとの春は、雛祭も花見もごく内輸に
被いては書き直した。ついに氷のような恋文の傑作が出来 行うととに決められ、女たちの落胆は一通りでは-なかった。
冬のあいだから、雛祭や花見の題向、その年に呼ばれるんぷ 自のほうも十分名分が立つのだった。
うわさ はるひさ&うどみようだい
興の芸人の噂などが、たえず奥から伝わって、それが春を 洞院宮治久王殿下は、たまたま一昨年、御名代の宮とし
待つ心をいよいよ掻き立てるのが常だったからである。そ てラ l マ六位の戴冠式に参列あそばされ、シャム王室とは
ういう行事が廃されるととは、春が廃されるのと川じこと ゆかりの深い方であったから、侯爵は、バッタナディド殿
なのであった。 下とクリアサダ殿下をもお招きする乙とにしていた。
わけでも鹿児島風の雛祭は、招かれる西洋人の容のけか 侯爵は一九OO午、ォリンピァク国際競技の折のパリで
てづ一る
ら外国へも伝わり、その季節に来朝した岡洋人が、手蔓を 宮にお近づきになり、夜のお理ひの指南をしたりしたので、
たどぞう
辿って招待を乞うて来るとともあるほどに名高かった。象 御帰朝後も洞院宮は、

d だ い り ぴ 主 は る さ む し ょ ︿ ひ も う せ ん
牙の内裏雛の春寒の頬は、燭に照らされ、緋毛艶に映えな ﹁松枝。あの三鞭酒の噴水のある家は大そう面白かった﹂
ひとええり
がら、なお冷え冷えとして見える。衣冠束帯や十二単の衿 などと二人だけに通じる話を好んでなさった。
元深く、雛の細い頚筋へ、切り込むような白い照りが窺わ 花見の日は四月六日と定められ、雛祭のすぎたとろから、
どうてんCょう
れる。百畳敷の大広聞に緋毛髭を敷きつめ、格天井からは 松枝家は何かとその準備のために、人々の起居も色めいて
ししゅうまり
刺繍を施した大きな鞠を数しれず吊り、風俗人形の押絵を 来た。
貼りめぐらす。つるという名の押絵の名人の老婆が、毎年 清顕は春休みを無為にすごし、父母のすすめる旅行にも
二月はじめから上京して、押絵つくりに精を出し、口癖で、 気乗りのしない様子を見せた。そんなにしげしげと聡子に
ぎよい
何かにつけて、﹁御意でどざいますしと言うのであった。 逢っているわけではないのに、聡子のいる東京をしばらく
こういう雛祭の花やかさが逸せられた代りに、花見は、 でも離れる気はし・なかった。
もちろん表立ってではないが、はじめのお達しよりもずっ 彼は冴え返り一-ながらおもむろに来る春を、予感に充ちた
とういんのみや おそぶりょう
と華美なものになることが予想された。非公式に洞院宮が、 怖ろしい気持で迎えた。家にいて無柳に苦しむと、ふだん
御成りを仰せ出されたからである。 はあまり訪れない祖母の隠居所をたずねたりした。
ほぽか しばしば
春の雪

派手好きな侯爵は、世間への障りに気を腐らせていた折 彼があまり屡々隠居所を訪れぬ理由は、祖母が彼をいつ
だったから、{呂の仰せをうれしくお受けした。大帝の従兄 までも幼児のように扱う癖が抜けないのと、何かにつけて

231
K当られる方が、喪中を犯してお出でに・なるからには、侯 母の悪口を言いたがるためとであった。いかつい顔つき、
がんじよ勺
男性的な肩、みるからに岩突な組母は、祖父の死後、一切 ﹁お前の叔父さんたちが生きていたら、お父さんもこれほ

2空2
世間へ出ょうとせず、あたかもただ死をたのしみとして暮 どの勝手はできまい。私は大体、宮家をお招きしたりして
主犯 っか
しているかのように、ほんの一つまみのものしか喰べなか お金を費うのは、見栄以外の何ものでもないと思っている
えいようえい b
ったが、それが却って彼女をますます壮健にしていた。 よ。栄耀栄華もせずに戦死した子供たちのととを考えると、
刻川母は郷里の者が来ると、誰開らぬ鹿児島弁で話したが、 私はお前のお父さんたちと一絡になって浮かれ遊ぶ気持に
かいしょ
滑 闘 の 母 や 清 顕 に は 、 多 少 栴 書 風 な ぎ ζち な さ の あ る 東 京 はなれない。遺族扶助料だって、あれ、あの通り、使わず
弁、それも﹁が﹂の鼻濁音を欠いているために一そう武張 に神棚に上げてある。息子たちが流した尊い血の償いに、
ってきとえる言葉で話した。それをきくと、消顕は、祖母 お上から賜わるお金だと思うと、とても使う気にはなれ・な
傘嚢
がととさらそのような説りを保つととによって、彼が難な いのだよ﹂
︿発する東京風の鼻濁音の軽薄さを、それとなく非難して 祖母は ζんな風に道徳的な御談義をするのが好きだった
いるように感じた。 が、その着るもの喰べるもの、小遣から召使まで、すべて
﹁相川院宮崎械が花見にお出でになるそうだね﹂ 侯蔚が至らぬ限もないお世話をしていた。清顕はともする
ζ えっ
と恒縫の祖母は、清顕を迎えて、のっけから言った。 と、祖母が聞舎者の身を恥じてハイカラな附合を避けてい
﹁ええ、そんな話です﹂ るのではないかと疑った。
﹁私はやっぱり出ますまい。治品川の・お母さんも誘ってくれ しかし祖母と会っているときだけ、清顕は自分および白
Kせもの
たが、私はもうことで、居・ない人聞になっていたほうが楽 分をとりまくすべて廃物の環境からのがれて、まだこんな

﹂ 身近に生きている素朴で剛健な血に触れる喜びを抱いた。
それから祖母は、清顕が無為に暮しているのを案じて、 それはむしろ皮肉な喜びだった。
やわら
柔か撃剣をやったらどうかとすすめ、以前はあった道場を 祖母の大きな武骨な手がそうであり、その太い線で一筆
取り壊して、そのあとに洋館を建てたときから、松枝家の 描きにしたような顔つきがそうであり、そのきびしい唇の
いやみ もっと
衰還がはじまったのだと厭味を一言った。との祖母の意見に 線がそうであった。尤も祖母は固い話ばかりをするのでは
ひざ
は、清顕も心の中で賛成していた。﹁衰運﹂という言葉が なく、短憾の中で突然孫の膝をつついて、
好きだったのだ。 ﹁お前がやって来ると、隠居所の女共がざわざわして困る。
私のHから見ればまだただの際的旧小僧だが、女共の目から ぞんざいに脱ぎ捨てられた花やかな絹のきものが、しらぬ
はちがって見えるのかね﹂ 問に階い床へずり溶ちてしまっているような優雅な死。
などとからかった。 ││死の考えが、はじめて彼を鼓舞して、急に一目でも
会げしもと
彼は長押のと乙ろにかかっている二人の叔父の模糊とし 聡子に会いたい気持にさせた。
あいわた
た軍服の写真を眺めた。その軍服と自分との聞には相渉る 彼は謬科に電話をかけて、大いそぎで聡子に会いに行っ
ものは何一つないような気がした。わずか八年前におわっ た。聡子がたしかにそこに生きており、若く美しく、自分
ぞうぼう
た戦争の写真であるのに、自分とその写真との距離は蒼疋 も生きてそ乙にいるという感じが、危く間に合って保つ乙
としていた。僕は感情の血を流すように生れついている、 とのできた異常な幸運のような気がしたの
てい
決して肉体の血は流さないだろう、と清顕は軽い不安の入 翠科の手引で、聡子は散歩に出てきた体にして、麻布の
どうまん
りまじった倣慢な心で考えた o 邸ちかくの小さな神社の境内で逢った。聡子はまず、花見

閉てきった障子いちめんに日が射しているので、六畳の への招待のお礼を一言った。その招待を清顕の指図と信じて
居間の温かさは、まるで障子紙の白い半透明な大きな繭の いる様子である。あいかわらず率直さに欠けた清顕は、自
うちらにいて、透かしてくる日ざしに浴しているかのよう 分にとっては初耳のその話を、前から知っていたように装
だつた。祖母は突然うつらうつらしはじめ、清顕は乙の明 って、あいまいにお礼の言葉を受けた。
るい部屋の沈黙のなかに、柱時計の時を刻む立回が際立つの
をきいた。浅くうなだれたまま限る祖母の、白髪染の黒粉



が散らばる切髪の生え際の下に、肉の厚いつややかな額が
せり出していたが、そこには六十年前の少女時代に得た鹿 松枝侯爵はいろいろ考えた末、花見の客を悩度に削って、
ひや ばんさん
児島湾の夏の日灼けが、名残をとどめているように見えた。 洞院宮両殿下の御晩餐の席の陪食にあずかる人数にとどめ、
ろしお
彼は海の潮と、長い時の移行と、自分もやがて老いると シヤムの両王子、家族的な附合をしていてよく呼ばれるこ
しんかわめや︿ら
春の雪

いう考えに、突然息が詰りそうになった。老年の知恵なぞ とのある新河男爵夫妻、聡子とその両親の綾倉伯爵夫妻だ
は、かつて欲しいと思ったことがない。どうしたら若いう けに限ることにした。新河財閥の当主は万事イギリス人の

283
ちに死ねるだろう、それも司なるたけ苦しまずに。卓のk に ゴピイであったが、男爵夫人は又、とのごろ平塚らいてう
などと親しく、﹁新しき女﹂たちのパトロンのようになっ みである ζと、一般向きであるとと、英語の字幕であると

窃全
ていたので、異彩を加えるととになる筈であった。 と、などで、お客のどなたにも喜ばれそうに恩われるので
午後三時に両殿下が御着きになり、母屋の一室でお休み あった。
になったのちに、庭へ御案内し、それから五時まで、元禄 もし雨天の場合はどうするか。母屋の大広間からの桜の
ふんぞう
花見踊の扮装をした芸者たちが、園遊会形式でおもてなし ながめは豊かでは念いので、まず洋館の二階から雨の花見
をしたのち、手踊りをお自にかけ、日の暮れから洋館へ御 をして、その二階で芸者の手踊りも御覧に入れ、つづいて
導入して、アペリティフをさしあげ、正餐ののち、第二の アペリティフと正餐に移らねばならぬ。
余興として、との日のために雇われた映写技師が、新着の 準備は芝生の丘から見下ろす池辺に、仮舞台を組むこと
西洋物の活動写真をお自にかけて、それで b ひらきという からはじめられた。晴れていれば、宮があちとちと桜を求
次第は、侯爵が執事の山田と共に、あれ ζれの評定の果て めて巡遊される御道筋に、紅白の幕を張りめぐらすために
に落着いた案であった。 は、尋常の反数ではとても足りない。又、洋館の内部のそ
偲うふつ
活動写真の演目の選定についても、侯爵は頭を悩ました 0
ζかしとに飾る桜の枝々、食卓の飾りに春の田園を努繁と
フランス製のパテエの活動写真は、コメディー・フランセ させる工夫の数々、そういう ζとだけでも入手が要る上に、
エズの名女優のガプH エル・ロパンヌの演技で名高く、口聞 いよいよ前日になると、髪結とその弟子たちの忙しさは口
のよいものにはちがいないが、折角の花見の輿を沈めそう につくせなかった。
に思われた。との三月一日から、浅草電気館が西洋物の専 その日は幸いに晴であったが、それほどきらきらしく照
今ら
門館になり、﹁失楽園のサタン﹂をかけて人気を呼んでい りかがやく目ざしは-なかった。日は隠れると思えば顕われ、
たが、そういうと ζろで見られるようなものを、お目にか 朝のうちはやや肌寒いほどだった。
けても仕方がなかった。さりとてドイツの活劇物は、妃殿 母屋のふだんは使わない一室が、芸者たちの仕度部屋に

下や婦人客の御意に召さぬであろう。やはり無難なととろ 充てられ、あるかぎりの鏡台がそこへ運び込まれた。興を
で、イギリスのヘァプウォ 1 ス社の、デイツケンズの原作 催おした清顕.はその部屋をのぞきに行ったが、たちまち女
をもとにした五、六巻の人情物がよかろうというととにな 中頭に追い払われた。やがて来る女たちを迎えて掃き清め
ぴょうぶ
った。それはそれで多少じめじめしているけれど、上品好 られたその二十畳の部屋は、扉風をめぐらしたり、庖蒲団
を散らしたり、友禅の鏡台掛の一端がまくれて鏡面の冴え あれほど郷愁に打ち凶仰がれた一時期をすぎて、王子たち
た光りをちらつかせたりしながら、まだ少しも脂粉の香り はもうかなり日本に馴染んでおられるようであったり制服
ほんルきにわ
を漂わせてはいふなかったが、小半時もするとことが俄かに を着て来られたとともあって、消顕は分け隔てのない学友
費ょうせい
矯声にあふれ、女たちが我物顔に着物を脱いだり着たりす と同じ感じを持った。クリッサダ殿下は、学習院長のまね
る場所になるという想いは、却って予感のなまめかしさを を巧みに演じて、ジヤオ・ピ!と消顕を笑わせた。
ひろげていた。庭で新らしい木口を示している仮舞台よ 窓に立って、あちこちに紅白の幕が風に陥れている庭の、
きゅうしや
りも、ことはさらに香りの高い、なまめかしさの厩舎だっ いつもに変る風情を眺めておられたジャオ・ピーは、

。 ﹁これから本当 K温かくなるんだろうな﹂
しゃ︿ねっ
シャムの王子たちにはまことに時間の観念が・なかったの と心もと-なげな声で一言われた。王子の声は夏の灼熱の日
あ 一

で、清顕は中食をすませたらすぐ来られるようにと伝えて に憧れていた。
F
おいた。すると王子二人は一時半どろに到着された。清顕 清顕はその声に誘われて筒子を立った。そのときジヤ
は王子たちが学習院の制服で来られたととにおどろきなが オ・.ヒーは澄んだ少年らしい叫びをあげ、従兄弟の王子も
ら、一先ず自分の書斎へ御案内した。 おどろいて腰を浮かせた。
﹁君の恋人の例の美しい人は来るのですか﹂ ﹁あの人だ。僕たちが口止めされている美しい人は﹂
とっさ
と、部屋へ入って来られるなり、クリ yサダ殿下は大声 と哨嵯の場合のジャオ・ピ l の一言葉は英,語に戻った。
で英語で言った。 両親と共に池ぞいの道を母屋のほうへ来る、まぎれもな
つつしみ深いバッタナディド殿下は従兄弟の非礼を似合め、 い聡子の振袖の姿が見えた。それは桜いろの美しい着物で、
つ︿し
たどたどしい日本語で清顕にも詫びを言った。 春の野の土筆や若草をあしらったらしい裾模様が遠く窺わ
清顕は、彼女はたしかに来るが、きょうは宮様や両親た れ、つややかな髪のかげに、中ノ島のほうを指さしてみせ
ちの前ではあり、どうかそういう話題はつつしんで下さる ている白い頬の明るみがほのかに見えた。
容の雪

ようにと頼んだ。王子たちは顔を見合わせ、清顕と聡子の 中ノ島には紅白の幕は-なかったけれど、まだ新緑には遠
おどろ
間柄が公けのものにはなっていない ζとに、今さら樗いて い紅葉山の散歩路に、張りめぐらされたその幕は隠見して、部
いられるらしかった。 池水に紅白の干菓子のような影を落していた。
清顕は聡子の甘くて張りのある声音をきいたように錯覚

236
したが、閉めた窓どしにそれがきとえる筈もなかった。



一人の日本人の少年と、一一人のシャムの少年とは、息を
きょうそう
凝らして一つ窓に顔を並べていた。清顕はふしぎに思った。 新河男爵夫妻は放心と狂操とのみごとな取り合せであっ
との王子たちと共にいると、王子たちの熱帯的な感情が波 た。男爵は妻の言う ζとなすことに一切注意を払わず、夫
しゃべ
動を及ぼすのか、滑顕自身もやすやすと自分の情熱を信じ、 人は人の反応などおかまいなしに喋りつ つ
e
けていた。
あからさまにそれを表白する乙ともできそうな気がした。 門家にいるときも、人前に出たときもそうである。いつも
彼は今ためらわずに自分に向って言うことができた。僕 放心しているように見える男爵は時折寸鉄詩風に、他人の
しんらつふ
はあの人に恋している、それも狂おしいほどに恋している、 辛練な批評をするととがあったが、決してそれを長々と敷
えん
井﹄。 街したりするととは・なかった。しかるに夫人は千万一言を費
池から体をめぐらす聡子の顔が、さだかに乙の窓へとい やしても、自分が今それについて語っている他人の、何一
うわけではないが、母屋のほうへ晴れ晴れと向けられたと つ鮮やかな肖像を描き出すことができ・なかった。
かすがのみやひ
き、清顕はそこに幼ない ζろ、春日宮妃のおん横顔が、心 かれらは日本で二台目のロールスロイスの買手であった
ゆくまでうしろを振向かれ・なかったときの心残りが、六年 が、その二台目というととを誇りにし、ひどく意気なとと
い ヌモ 1キング
後の今はじめて癒やされて、もっとも願わしい瞬間に立会 に思っていた。男爵は家で夕食後には絹の喫煙服を着てく
っているような気がした。 つろぎ、際限もない夫人のおしゃべりを聴き流した。
さ 均 の ち が み の ふ Mとの
それは時間の結品休の美しい断面が、角度を変えて、六 夫人は平塚らいてうの一一派を家に招き、狭野茅上娘子の
あめ
年後にその至上の光彩を、ありありと目に見せたかのよう 名歌から名をとった﹁天の火会﹂という月例の会を持って
かげ
だった。聡子は春の摺りがちな日ざしの中で、ゆらめくよ いたが、会合のたびに雨が降るので、﹁雨の日会﹂だと新
うに笑うとみると、美しい手がすばやく白く弓なりに昇っ 聞にからかわれた。思想的なととは何一つわからぬ夫人は、
てきて、その口もとを隠した。彼女の細身は、一つの弦楽 女たちの知的な目ざめを、何か断然新らしい型の卵、たと
のように鳴り響いていた。 えば三角の卵を生む ζとをおぼえた難たちを見るように、
昂奮して眺めていた。
夫妻は松枝侯爵邸の観桜会に招かれるのを、半ばは迷惑、 が自分だけ似合わないと思い込んでいて実は似合っている
半ばはうれしく思っていた。迷惑なのは、行かぬさきから のか、それとも人から見ても本当に似合っていないのか、
退屈なととがわかっているからであり、うれしいのは、円 そのへんがどうしてもわかりませんの。あなたどうお思い
分たちの本式の西洋風の無言の示威ができるからであった。 になる?﹂
ぎっちょう
それにとの豪商の家は、藤長政府と持ちつ持たれつの仲を ││当日、侯爵家から、宮家御到着時間前にお出で下さ
つづけ、父の代から、田舎者に対するひそかな軽侮が、か るようにという伝言があったので、新河男爵夫妻はわざと
れらの新らしい不屈の優雅の核をなしていた。 その時刻に五、六分おくれて到着したが、もちろん宮のお
﹁松枝さんのととろでは、又宮家をお招きして、楽隊でお 着きまでには十分余絡があったので、との回全口くさいやり
迎えしようとでも考えているのだろう。宮家のお成りを、 方に男爵は腹を立て、
芝居の出し物のように考えている家だから﹂ ﹁宮家の馬車の馬が、途中で卒中でも起しましたかね﹂
そうそう
と男爵が言った。 と来る勿々皮肉を言った。しかしどんな皮肉を言っても、
ヲぷ hT
﹁私たちは新らしい思想をいつも隠していなければなりま 男爵はそれを英国風に口のなかで無表情に咳くので、誰の
せんのね﹂と夫人は応じた。﹁でも新らしい思想を隠して、 耳にも入ら・なかった。
そしらぬ顔をしているのは、意気ではございませんか。川 宮家の馬車がはるか侯爵家の門を通ったという注進があ
弊な人たちの中へ、とっそりまぎれ込むのは面白い‘じゃど り、主人側が母屋の玄関に居並んでお出迎えの列を作った。
ろいんのみや
LC
ざいませんか。松枝侯爵が洞院宮様に、ばかに恭しくした 馬車が馬車廻しの松の木がくれに、道の砂利を踏み散らし
り、又時折、妙に友達ぶったりなさるのを見るのは、岡山 て入ってきたとき、清顕は馬が鼻孔を怒らして頚筋を立て、
みもの
い見物でございますわ。着てゆく洋服は何にいたしましょ 丁度勢いあまった波が砕けようとして白い波頭を逆立てる
食てがみ
う。昼間から夜の盛装で出かけるのも何ですし、いっそ裾 ように、その灰白色の霞を逆立てるのを見た。そのときか
しゅんぜい
模様の和服のほうが、出ず入らずでいいかもしれません。 すかに春泥に染った馬車の腹の金の御紋章は、金いろの渦
曹たいぜかがり d
v
春の雪

京都の北出にそう言ってやって、大いそぎで夜桜に鐸火の をゆらめかせて、静まった。
ひげ
裾模様でも染めさせましょうか。でも私には、どういうも 洞院宮の黒い山高帽の下に、立派な半白のお髭がのぞか

!
:B7
のか裾模様というのが似合わないのでどざいますよ υそれ れた。妃殿下が ζれに従われ、大広間へ靴のままお上りに
しきぬの
なれるようにしつらえた白い敷布ごしに式台を上られた。 その言葉を伺っていて・おかしく思った。

JB
もちろんその前に軽い御会釈があったが、念入りな御挨拶 新河男爵の心は銀のようで、折角磨き立てて家を出て来

:

たち傘さび
は、広間へ‘お通りになってのち申上げることになっていた。 ても、人中へ出れば忽ち退屈の鏡に曇った。とんな応待一
老どりあわだ傘のりそみ
ひろがる余波の泡立ちの聞に莫告務の実が隠見するよう つを耳にするだけでも鋳を生ずる。-
量きもすそ
に、目の前を歩まれる妃殿下の黒いお靴の尖が、白い裳裾 いよいよ侯爵の御案内で、宮に従って、客がぞろぞろと
ダノテル
の薄紗の前にかわるがわる現われるさまを、清顕は自にと 花見の庭へ向うにつけても、日本人の常で客が容易にまじ
おっと
めて、それがあまり優雅だったので、もうお年を召したお り合わず、おのずから妻は良人について歩くことになりが
顔をことさら仰ぐのが慨られた。 ちである。男爵はすでに人目に立つほどの放心状態に陥っ
広間で侯爵は当日の客を両殿下にお引合せしたが、その ていたが、前後の人が離れているのを見届けて、委にとう
うち殿下がはじめて御覧になる顔は、聡子一人であった。 言った。
ひい されしよう
﹁乙んな別品のお姫さんを私の目から隠していたとはね﹂ ﹁侯爵は外国遊学以来、ハイカラになって、妻妾同居をや
めかけ
と殿下は綾倉伯爵に苦情を仰言った。そばにいた清顕は、 めて、妾を門外の貸家へ移したそうだが、正門まで八丁あ
ぜんりつ
との瞬間、何かわからぬ軽い戦傑が背筋を走るのを感じた。 るそうだから、八丁分のハイカラというととになるな。五
ζとわざ
聡子が、並いる人たちの目のなかで、一個の花やかな鞠の 十歩百歩とはとのためにできた一諺にちがいない﹂
同り
ように高く蹴上げられる心地がしたのである。 ﹁新らしい思想なら新らしい思想に徹底しなくてはだめで
シャムの二人の王子は、シャムにゆかりの深い宮に、来 すわ。世聞から何と云われでも、家のようにヨーロッパの
ちょっと
朝勿々お招きをうけた乙とがあったから、すぐお話が弾み、 習慣に従って、-お呼ばれにも一寸した夜の外出にも、必ず
宮は学習院の学友たちが親切であるかどうかをお尋ねにな 夫婦そろって出かけるという風でなくては。ごらんあそば
きれい
った。ジャオ・ピ 1は微笑をうかべてまことに礼儀正しく、 せ。池に映った向うの山の、一﹂三本の桜と紅白の幕が絡麗
﹁みな十年の知己のようで、何事も親切に助けてくれます です乙と 1 私の裾模様はいかがでどざいましょう。今日
ので、何の不自由もありません﹂ の・お客様方のなかでは、一等凝った、しかも新らしい大胆
と答えられたが、清顕以外に友らしい友もなく、学校へ な図柄ですから、池の向う岸から、私の池に落す影を眺め
は今までほとんど顔を出されないことを知っている清顕は、 たら、さぞ締麗でどざいましょう。私がこちら岸にいて、

同時に向う岸にいられないとは、何という不自由なことで 妓も、日もとに紅を刷いているのが、笑う表情さえ酔いに
しょう。ねえ、そう思召しませんか?﹂ ゆらめくようで、清顕は夕刻が近づくにつれてかなり肌寒
しんし
新河男爵は、とんな一夫一婦制のみごとに洗煉された拷 くなった身のまわりに、真撃なタ風を何一つ通さない絹と
おしろい
聞に耐え抜くことを、(もとより臼分の好きではじめたと 縫取と白粉の肌の六曲二双の扉風を立てめぐらされたよう
とだからてあたかも百年も人に先んじた思想による受難 な心地がした。
だという風に感じて、喜んで耐えた。もともと人生に感激 何ととの女たちは、笑いさざめき、楽しげで、自分たち
ひた
を求めるたちではない男爵には、どんなに耐えがたい辛苦 の肉の丁度頃合の熱さの風呂にたっぷりと漏っていること
のど
でも、そこに感激の介在する余地がなければ、何か ρイ だろう。仕方話の指の立て方、白いなめらかな咽喉元に小
ちょうつがい
カラで意気なことに思われたのである。 さな金細工の蝶番でもはまっていそう在、その一定のと ζ
おん主だ やゆ
丘の上の圏遊会場には、元禄花見踊の丹前風の侍、女伊 ろで止るうなずき方、人の郷捻を受け流すときの、一瞬の
てやっとぎ・とうばんじよう
達、奴、座頭、番匠、花売、紅絵売、若衆、町娘、問舎娘、 戯れの怒りを目もとに刻みながら、口は微笑を絶やさない
同いかいしぜいぞろ
俳諮師などに扮した柳橋芸者が、勢揃いをしてお客を迎え、 その表情、急に真顔になって答の・お談義をきくときのその
せっ・ aF
宮はかたわらの松枝侯爵に御満足気・な微笑を洩らされ、シ 身の入れ方、一寸髪へ手をやるときのやるせなげな利那の
ヤムの王子二人は清顕の周を叩いて喜んでおられた。 放心、・:・そういうさまざまな姿態のうちに、清顕がしら
ひんぽん
清幅削の父は殿下の、母は妃殿下のおもてなしに集中して ずしらず比べているのは、芸者たちの頻繁な流し目と、聡
いるので、ともすると清顕は二人の王子と共に取り残され 子のあの独特な流し目とのちがいであった ο
たが、芸者たちが清顕のまわりに群れたがるので、言葉の ζの女たちの流し目はいかにも敏活で愉しげだったが、
不自由な王子たちを引立てるために心を労して、清顕は聡 流し目だけが独立して、うるさい羽虫のように飛び廻りす
子を顧るいとまもなかった。 ぎるきらいがあった。それは決して聡子のそれのような、
おかぽ うち
﹁若様、少しはお遊びにおいでなさいまし。きょうで岡惚 優雅な律動の裡に包まれてはいなかった。
春の雪

れが一ぺんにふえましたよ。このまま放置っておおきにな 遠く、宮と何かお話をしている聡子の横顔が見えた。ほ
っちゃ殺生ですよ﹂ のかな夕日に映えて、その横顔は遠い水日間、遠い琴の音、

且J9
いぜたち やまひだ
と俳諮師に扮した老妓が言った。若い芸者は、男出立の 遠い山援というふうに、距離がかもし出す幽玄・なものにあ
ζ ま
ふれ、しかも、少しずつタベの色を犠している木の問の空 ぬようにとの家憲でして﹂

40
を背景にしているだけに、タ富士のようなくっきりした輪 ﹁そうですか﹂

2
郭を持っていた。 ﹁飼いはしないが、小さくて、毛がもじゃもじゃとして、
いきもの
││新河男爵は綾倉伯爵と、一言葉すくなの会話を交わし、 ・おどおどした生物が、何より可愛らしいように思われます﹂
はペ
二人ともかたわらに芸者を侍らし・ながら、芸者の姿などま ﹁それはそうです・な L
きつ
るで自に入らぬかのように振舞っていた。桜の花びらが落 ﹁可愛らしいものは、どういうものか、それだけ匂いが強
ちまじる芝生の上で、その汚れた一片の花びらを夕空を映 いようです﹂
すエナメルの靴尖につけた綾倉伯爵の靴のサイズが、女の ﹁そういうととは言えましょうね﹂
ように小さいのに男爵は目をとめた。そういえばグラスを ﹁新河さんは永いあいだロンドンに-おいでになっ・たそうだ
持つ伯爵の手も、雛の手のように白く小さかった。 が
・・
・・
・・ L
しっと
男爵は ζういう衰亡した血に嫉妬を感じた。そして文、 ﹁ロンドンでは、お茶の時間に、一人一人、ミルク・ファ
伯爵のいかにも自然な、微笑を含んだ放心状態と、自分の ースト?ティー・ファースト?ときいてまわります。
イギリス風の放心状態との聞に、余人との聞には成立たな まぜてしまえば同じことですが、ミルクを先に注ぐか、お
い会話が成立つのも感じていた。 茶を先に注ぐかは、一人一人にとって、国の政治よりもも
げつしも︿
﹁動物では何と云うても、相幽歯目が可愛らしいようです﹂ っと緊急重大な問題でして:::﹂
と突然伯爵は一言った。 ﹁それは面白いお話をうかがいました﹂
﹁醤歯目ね・:・﹂ 芸者は口をさしはさむ機会を与えられず、二人とも花見
と男爵は何の概念も心にうかべずに言った。 に来ながら、花のとと・など少しも念頭にないように見えた。
V+'

﹁兎、モルモット、栗鼠などですな﹂ 侯爵夫人は妃殿下のお相手をし、妃殿下が長唄がお好き
じかた
﹁そういうものをお飼いですか﹂ で三味線もよく-なさるので、地方で柳橋一の老妓が、そば
しんサき
﹁いいえ、飼いはしません。家の中が匂いますから﹂ でお話を合せた。侯爵夫人は、いつぞや親戚の結納の祝い
﹁可愛らしくてもお飼いにならんのですか﹂ に、ピアノと三味線と琴で﹁松の緑﹂の合奏をして、みん
﹁第一、歌になりません。歌にならぬものは、家には留か なでたのしんだことをお話しし、妃殿下は、その場に私も
居合せたかったものだ、と大いに興を催おされた。 飛び出し、あわただしく客を舞台のほうへ誘導して行った。
凶HFLV
高笑いはいつも侯爵の口から爆けた。宮は美しく手入れ 折しも池辺の舞台では、張りめぐらした紅白の幕の舞台
かd -
e ︿ず
されたお髭を庇って・お笑いになるので、それほどの高笑い 裏で、空気を切り刻んで新らしい木屑を舞い立たせるよう
はなさら-なかった。座頭に扮した老妓が侯爵に耳打ちする な、二丁の椋がひびいていた。
と、侯爵は大声で客に呼びかけた。
﹁さあ、只今から、花見踊の余興がはじまります。皆傑ど



うか舞台の前のほうへ:::﹂
乙の口上は本来執事の山田の役目になっていたのである。 清顕と聡子が二人きりになる機会が得られたのは、花見
主人に突然自分の役割を奪われた山田は、眼鏡の奥でいそ 踊の余興が果てたのち、やがて来る薄暮と共に客が洋館へ
いで暗い目ばたきをした。とれが誰にも知られずに、彼が 導入されるそのわずかな聞であった。余興をねぎらう客た

不測の事態を呑み込んでしまうときの唯一の表情だった。 ちと芸者たちが再び入りまじり、酔いも進み、しかも灯と
自分が主人のものに一切手を触れぬ以上、主人も彼のも もし頃にはまだ聞があるという、微妙なざわざわした、歓
のに一指も触れるべきではない。去年の秋にもこんなとと 楽の不安の感じられる刻限だった。
Eんどり
があった。貸家の外人の子供たちが、邸内の団栗をひろっ 清顕は遠い目配せで、聡子がうまく自分に従って、程々
みち
て遊んでいた。そ乙へ山田の子供たち・が来たので、外人の の距離を置いて、あとをついてくるのを知った。丘の径が
わかた︿
子は頒けてやろうとしたが、彼らは頑なに受け取ろうとし 池へ向うのと、門の方角へ向うのと分れるととろに、紅白
なかった。主家の物に手をつけてはならないと、国く戒め の幕の切れ目があって、丁度そこに立つ桜の巨樹が、人々
さえぎ
られていたのである。こんな応待を誤解した親の外人が山 の目を遮る。
田のととろへ抗議に来たが、山田はいずれも煮詰めたよう 清顕がさきにその幕外へ身を隠したが、すんでのと ζろ
な生まじめな顔、妙に恭しい形の唇をした自分の子らを、 で聡子は紅葉山周遊のかえるさ池のほうから上ってくる妃
春の雪

それと知って、大いに賞めてやった。::・ 殿下のお附きの女官たちにつかまってしまった。清顕は今
││山田は一瞬のうちに、こういうととを思い出すと、 さら出てゆく乙ともならず、総子が席を外す機会をつかま

4
21
不如意な足で慨が蹴立てて、悲しげなほど猛然と客の中へ えるのを、樹下でひとり待っているほかは-なかった。
とけ
こうして一人きりになったとき、清顕ははじめてしみじ 苔から庇ったので、そのまま清顕に抱かれてしまった。
みと桜をふり仰いだ。 ﹁乙んなことをしていると辛いばかりだわ。清様、お離し

2鐙
。傘
花は黒い簡素な校にぎっしりと、あたかも岩礁に隙なく になって﹂
はびこった白い貝殻のように咲いていた。タ風が幕をはら と聡子が低声で言うのに、-なおあたりを仰る調子があり
しずえ ,

n
v
ませると、まず下枝に風が当り、しなしなと花が肱くよう ありと聴かれたので、清顕はその取り乱し方の不足を怨ん
に揺れるにつれて、大きくひろげた末の枝々は花もろとも だ

お今ょう しa
'b
大まかに鷹揚に揺れた。 清顕は自分たちが今桜の樹下に、倖せの絶頂にいるとい
つぼみ隠のあか
花は白くて、房なりの菅だけが灰赤い。しかし花の白さ う保証が得たいのだった。不安なタ風がその焦燥を高めた
しさ悼しん
のうちにも、仔細に見ると、蕊の部分の星形が茶紅色で、 のも事実だが、聡子と自分が、これ以上何もねがわないよ

d 伊勿昼F
それが釦の
2 中央の縫い糸のように一つ一つ堅固に締って見
' うな一瞬の至福の裡にあるととを確かめたかった。少しで
ス。
a九 ω も聡子が気乗りのしない様子を見せれば、それは叶わなか
-
e"
雲も、夕空の青も、互いに犯し合って、どちらも稀薄
“で

, った。彼は妻が自分と同じ夢を見なかったと云って傍め立
ある。花と花はまじわり合い、空を区切る輪郭はあいまい てする、嫉妬深い良人のようだつた。
‘ b
で、タ空の色に紛れるようである。そして枝々や幹の黒が、 拒みながら彼の腕のなかで目を閉じる総子の美しさは喰
w


かた
ますます濃厚に、どぎつく感じられる。 えん方もなかった。微妙な線ばかりで形づくられたその顔
崎HA1 冒
しV
一秒毎、一分毎に、そういう夕空と桜とのあまりな親近 は、端正でいながら何かしら放怒なものに充ちていた。そ
'L よ曹
は深まった。それを見ているうちに、清顕の心は不安に閉 の唇の片端が、ととろもち持ち上ったのが、敵獄のためか
ざされた。 微笑のためか、彼は夕明りの中にたしかめようと焦ったが、
はら
幕が再び風を字んだと思われたのは、聡子が幕に沿うて 今は彼女の鼻糞のかげりまでが、タ閣のすばやい兆のよう



身をとらせて出て来たのである。清顕は聡子の手をとった。 に恩われた。清顕は髪に半ば隠れている聡子の耳を見た。
ぺにぜいち
タ風にさらされて冷たい手だった。 耳采にはほのかな紅があったが、耳は実に精微な形をして
接吻しようとすると聡子はあたりを偉って拒んだが、同 いて、一つの夢のなかの、どく小さな仏像を奥に納めた小
さんどがん
時に自分の着物を、桜の幹いちめんの粉をまぶしたような さな珊瑚の継のようだつた。すでにタ闘が深く領している
その耳の奥底には、何か神秘なものがあった。その奥にあ は、涙を拭おうともせず、打ってかわった鋭い目つきで、
い会き
るのは聡子の心だろうか?心はそれとも、彼女のうすく 些かのやさしさもなしに、たてつづけにとう言った。
あいた唇の、潤んできらめく歯の奥にあるのだろうか? ﹁子供よ!子供よ!滑様は。何一つおわかりにならな
清顕はどうやって聡子の内部へ到達できるのかと思い悩 い。何一つわかろうとなさらない。私がもっと遠慮なしに、
んだ。聡子はそれ以上自分の顔が見られるととを避けるよ 何もかも教えてあげていればよかったのだわ。御自分を大
うに、顔を自分のほうから急激に寄せてきて接吻した。清 層なものに思っていらしでも、清様はまだただの赤ちゃん
顕は片手をまわしている彼女の腰のあたりの、温かさを指 ですよ。本当に私が、もっといたわって、教えてあげてい
むろ
尖に感じ、あたかも花々が腐っている室のようなその温か ればよかった。でも、もう遅いわ 0
・::﹂
さの中に、鼻を埋めてその匂いをかぎ、窒息してしまった 言いおわると、聡子は身をひるがえして幕の彼方へのが
らどんなによかろうと想像した。聡子は一語も発しなかっ れ、あとには心を傷つけられた若者がひとりで残された心
ちょっと
たが、清顕は自分の幻が、もう一寸のと ζろで、完全な美 何事が起ったのだろう。そとには彼をもっとも深く傷つ
の均整へ達しようとしているのをつぶさに見ていた。 ける言葉ばかりが念入りに並び、もっとも彼の弱い部分を
唇を離した聡子の大きな髪が、じっと清顕の制服の胸に 狙って射た矢、もっとも彼によく利く毒素が集約されてお
埋められたので、彼はその髪油の香りの立ち迷うなかに、 り、いわば彼をいためつける言葉の精華であった。清顕は
か傘た
幕の彼方にみえる遠い桜が、銀を帯びているのを眺め、憂 その毒の只ならぬ精練度にまず気づくべきであり、どうし
わしい髪油の匂いとタ桜の匂いとを同じもののように感じ てこんなに悪意の純粋な結晶が得られたかをまず考えるべ
た。タあかりの前に、とまかく重なり、けば立った羊毛の きだった。
gうき︿や
ように密集している遠い桜は、その銀灰色にちかい粉っぽ しかるに胸は動俸を早め、手はふるえ、口惜しきに半ば
い白の下に、底深くほのかな不吉な紅、あたかも死化粧の 涙ぐみながら、怒りに激して立ちつくしている彼は、その
か︿
ような紅を蔵していた。 感情の外に立って何一つ考えるととができ-なかった。彼に
春の雪

清顕は突然、聡子の頬が涙に濡れているのを知った。彼 は乙の上、客の前へ顔を出すととが、そして夜が更けて会
の不幸な探究心が、それを幸福な涙か不幸な涙かと、いち が果てるまで平然とした顔つきでいるととが、世界一の難

243
はやく占いはじめるが早いか、彼の胸から顔を離した聡子 事業のように思われた。
中して御覧になっておいででした﹂

214
二十 ﹁それにしても聡子はやさしい娘だ。たしかに心を動かす
活動写真ではあったが、泣いていたのはあの人一人だっ
宴はすべて滞りなく運ばれ、何ら自に立つ手落ちもなく た

て終った。まことに大ざっぱな侯爵は、自分も満足し、客 活動写真のあいだ聡子は心街き・なく泣き、明るくなった
ももちろん満足したことを疑わなかった。彼にとって侯爵 とき、侯爵ははじめてその涙に気づいたのである。
夫人の値打が、もっとも輝やかしいものになるのは、この 清顕は疲れ果てて自室へ辿りついた。しかし目が冴えて
おもて
よう・な瞬間だった。それは次のような問答によって知られ 眠れるど ζろではない。窓をあける。暗い池の函から、育
すっぽん
黒い撞の頭が、群立って ζちらを見上げているような気が

帯﹁両殿下は終始御機嫌麗わしかったね。満足して帰られた する。:・:・
と思うかね﹂ 彼はとうとうべんを鳴らして飯沼を呼んだ。すでに夜間
﹁申すまでもございませんわ。こんなたのしい一日は、前 大学を卒業した飯沼は、夜は必ず家にいた。
の天子様の崩御以来、はじめての乙とだと仰一言っておいで 清顕の部屋へ入って行った飯沼は、そこに一目でわかる
いらだ
でした﹂ ほど、怒りと苛立ちに荒廃した﹁若様﹂の顔を見た。
﹁それはずいぶん不謹慎な仰一言り方だが、実に実感がある。 飯沼はこのごろ次第に人の顔色をよく読むととができる
ほか
それにしても、午後から深更までで、長すぎて、お客は成 ようになっていた。それはかつては全く彼の能力の外にあ
れはしなかったろうか﹂ るものだった。わけでも日常接する清顕の表情は、今では
まんげきょうのぞガラス
﹁そんなととはございません。お立てになった御計画が綿 万華鏡を覗くように、繊細な色さまざまな硝子の細片の組
密で、手順がなめらかで、次から次とちがった愉しみがつ 合せが、明噺に見てとれるようになった。
しとう
づくのですもの。皆さん、お疲れになる暇があったとは思 その結果、飯沼の心や晴好にも変化が生れた。悩みや憂
えません﹂ いにやつれた若主人の顔を、かつては惰弱な魂のあらわれ
﹁活動写真のあいだ、限っていた人はいなかったかね﹂ として憎んだ彼が、今ではそれを風情あるものと見るまで
﹁いいえ。皆様、それは大きな日をおひらきになって、熱 になっていた。
しゃも
たしかに清顕の憂わしげな美貌には、幸福や喜びはあま 肉 遁羅鶏洋菌詰蒸焼

り似合わず、その気ロ聞を高めるのは、むしろ悲しみゃ怒り サラト紙函入製

z
z z
アヌバヲガヌ
であった。そして清顕が怒って苛立つときは、そとに必ず、 松葉独活
牛酪製
頼りなげな一種の甘えが、二重写しになって現われるので 鞠隠元豆
ババロワ
あった。さなきだに白い頬が青ざめ、美しい目が血走り、 製菓牛乳油製冷菓
ゆが
流れるような眉が歪むと、そとに重心を失ってよろめく魂 製菓二種合氷菓
会'dv ヅチ・ヲ凡
の、ものに鎚ろうとする渇望があらわれ、荒野に漂う歌の 雑菓﹂
ような、荒廃の念かの甘さが出い出た。 ││いつまでもメニューを読んでいる飯沼を見つめる清
さげすたた
いつまでも清顕が黙っているので、飯沼はこのごろは勧 顕の目は、蔑みをあらわしたり哀願を湛えたりして、落着
められずとも掛けることにしている椅子に掛けて、清顕が かなかった。自分が口を切るのを飯沼が待っている、その
MAJ'

卓上に放置っておいた今夜の正餐のメニューをとりあげて 無神経な遠慮が腹立たしい。主従の別も忘れて、彼が兄の

読んだ。それは飯沼がとの先何十年松枝家にいても、決し ように滑顕の肩へ手をかけて訊いてくれたら、どんなに喋
て味わう機会の・ないととがわかっている献立だった。 り易かったととであろう。
﹁大正二年四月六日観桜会晩餐 清顕はもとの飯沼と変った男がそとに坐っていることに
* 気づか・なかった。むかしは激しい熱情を不器用に抑えつけ
襲汁髄紙製浮身入 ているだけだったとの男が、今はやさしい柔らかい気持で
糞汁鶏肉細末製 清顕に対し、もともと不得手な細かい感情の領域へ、馴れ
主す
魚肉鶴自葡萄酒煮牛乳製掛汁 ぬ手を染めようとしている ζとを知らなかった。
獣肉牛背肉蒸煮洋菌製 ﹁お前には今、僕がどんな気持でいるかわからないだろう
う一ずら
鳥肉鶏洋菌詰蒸焼形入製 が、﹂と、とうとう清顕は口を切った。﹁聡子さんからひど
あぶりやき
容の雪

獣肉羊背肉熔焼セロリ製添ル い侮辱を受けた。まるで僕を一人前扱いにしていない口ぶ
,ォァ・グ,
鳥肉雁肝冷製寄物 りで、今までの僕の行動は愚かしい子供の振舞だと言わぬ

245
バイシアップルいりソル吋
製酒松林機入氷酒 ばかりだ。いや、本当にそう言ったんだ。一番僕のいやが
-6
ることを、選りに選ってぶつけてきたあの人の態度には、 どなたとも親しくお話をなさって、相談にも乗ってお上げ

216
僕もがっかりした。とれでは雪の朝、あんなにあの人の言 なさる日であります。そのとき、侯爵様は、 姫さまに、
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おもちゃ
いなりになったのも、こちらが玩具にされただけのととに ﹃何か相談事でもあるかね﹄
なる。:::お前には何かとれについて心当りはないだろう と冗談のようにお訊きになりましたところ、お姫様も冗
か。たとえば謬科からちょっと耳に入れた話とか、そうい 談のように、
うものが・・・・:﹂ ﹃はい、大へん大切な御相談がどざいます。小父様の教育
飯沼はしばらく考えていて、 の御方針について伺いとうございます﹄
﹁さあ、別に思い当りません﹂ と申されたそうです。
t
-
と一言ったが、 ζ の考える問の不自然な長さが、鋭くなっ 念のために申し上げますが、との話はすべて、侯爵同僚が、
ている清顕の神経に、獲のようにからみついた。 寝物語に、と申しては何ですが、(その言葉を、飯沼は云
﹁腕だo b前は何か知っている L おうようない痛恨を ζめて放った)、寝物語に、笑い念が
﹁いや、何も存じません﹂ らみねにお話しになった事であります。それをみねがあり
そうして押問答をしているうちに、飯沼はそれまで言う のままに私に伝えたのです。
まいと思っていたととを言ってしまった。他人の心の結果 さて、侯爵嫌が興味を催おされて、
は読めても、心の反応については不敏な飯沼は、自分の言 ﹃教育方針とは一体何だね﹄
おの
葉が清顕の心に‘どんな斧の一撃を与えるととになるか、わ と仰言ったと ζろ、お姫様は、
からなかった。 ﹃清様から伺ったととろでは、お父様が実地教育を遊ばし
﹁みねからきいた話ですが、とれはみねが私にだけ内密に て、清様を花柳界へ 連れになり、それで清様は遊びをお
hp
話して、絶対に誰にも言うな、と言った話です。しかし若 覚えになって、とれで一人前の男になったと威張って おい L
燥に関係したことですから、申上げたほうがいいかもしれ でですが、小父様はそんなに不道徳な実地教育を本当に遊
ません。 ばすのでどざいますか﹄
ひい
お正月の親族会に、綾倉様のお姫さまが ζちらへ おいで
L と、まととに言いにくいことを、あの調子ですらすらと
になりましたね。毎年あの日は侯爵様が御親戚のお子様方 っ訊きになったそうであります。
侯爵様は阿々大笑され、 私のその意外な真剣な態度に押されて、みねもゆめゆめ口
﹃これは手きびしい質問だ。まるで貴族院の質問演説に矯 外するととはあるまいと存じます﹂
あお
風会が立ったようだ。もし清顕の一言うとおりなら、それは きいているうちに清顕の顔はいよいよ蒼ざめたが、今ま
かんじん
それで私も弁解のしようがあるが、実はその教育は肝腎の で濃霧のうちにいてあちこちへ頭をぶつけていたものが、
しりぞ れいろう
本人から斥けられてしまったのだよ。あればあの通りの、 霧が晴れて白い同柱列が玲聴とあらわれるように、すべて
せがれお︿て
不肖の停で、私に似ない晩稲で潔癖だから、いかにも私は のあいまいな事象の輪郭がくっきりしてきた。
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誘いをかけたが、一一言の下にはねつけて、怒って行ってし 第一に、聡子はあれだけ否定しながら、実は清顕のあの
まった o それでい・ながら、あなたには見栄を張って、そん 手紙を読んでいたのだった。
な嘘の自慢話をするところが面白い。しかし、いかに心安 もちろんそのととは彼女にそこばくの不安を与えた筈だ
立てとはいいながら、貴婦人に向って遊阜の話をするよう が、年賀の親族会で侯爵の口から蝿が確かめられると、彼
な男に、私は育てたおぼえがない。早速呼びつけて叱って 女は有頂天になり、彼女のいわゆる﹁仕合せ・な新年しに酔
うまゃ
やりましょう。そうしたらあいつも奮発して、お茶屋遊び うた。乙れで、あの日の厩の前で聡子が突然、熱情にから
の味をおぼえる気になるかもしれ友い﹄ れた告白をした理由が分明になる。
しかしお姫様が言葉をつくして、こんな侯爵様の軽はず きればこそ聡子は安心しきって、あのような大胆な雪見
みをお止めになったので、侯爵様もこの話は聴き流しに・な にも誘ったのだった!
さる約束を・なさいましたが、約束の手前どうしても人に話 今日の聡子のあの涙、あの無礼な非難は、 ζれだけでは


せず、とうとうみねにこっそり-お話しになって、話しなが 解けないが、今明らかになったことは、聡子が終始一貫嘘
かろ
ら非常に愉快そうにお笑いになり、みねには固い口止めを をつき、終始一貫清顕を心ひそかに軽んじていたことであ
されたそうであります。 る。どんな弁解をきかされるにせよ、彼女がこんな人の惑
みねも女ですから、そのまま黙っていられるわけがあり い愉しみで清顕に接していたという事実だけは、誰も否定
春の雪

ません。私にだけ話してくれたので、私は厳重に口止めを することができない。
し、若様の御名誉にも関わることだから、もし口外するよ ﹃聡子が一方では僕を子供だと云って非難しながら、一方

1
27
うなら、お前との交際も絶つ、ときびしく申し渡しました。 では僕を永久に子供のままに閉じ込めておきたかったとと
かんち たす
は、もう疑いの余地がない。何という好智だろう。時折は 彼を扶け起し、彼を寝床へ運び、もし涙を流せば、貰い
人にたよるような女らしい風情を見せながら、心の中では 泣きもするだろうと、甘い、胸の迫るような気持で考えた。却
軽侮を忘れず、奉るような素振をしながら、実はあやして しかしやがて上げた滑顕の顔は乾き果てて、涙の気配もな
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くれていたのだ﹄ かった。その冷たい射るよう念眼差が、飯沼の幻想をすぐ
怒りのあまり滑顕は、事件の発端がすべてあの嘘の手紙 打ち壊した。
にあり、最初に清顕のついた嘘からすべてが起っていると ﹁わかった。もう行っていいよ。僕も寝るから﹂
とを忘れてしまった。 清顕は自分も椅子を立って、飯沼を戸口のほうへ押しゃ
ただ何事も聡子の背信に結びつけて考えた。彼女は少年 っ
非凡。
脅かいの
と青年の胸苦しい堺自に立つ男の、もっとも大切にしてい
隠ζ さ
ろ衿りを傷つけたのである。成人から見たらつまらない些 二十
事のように思われるもの、(父侯爵の笑いがそれをよく語
a
zぜし傘
っているてその些事に関わる或る時期の男の衿持ほど、 明る日から何度か諺科が電話をかけてきたが、清顕は電
繊細で傷つきゃすいものはなかった。聡子はそれと知って 話口へ出なかった。
か知らずか、乙の上もない思いやりを欠いたやり方でそれ 馨科は飯沼を呼ぴ、お姫様がどうしても直接若様にお話
Eゅ う り ん し ゅ う ち
を際嗣したのだ。清顕は差恥のあまり病気にでもなったよ ししたいととがあるから、ぜひ取次いでくれ、とたのんだ
うな気がした。 が、清顕に強く言い渡されている飯沼は取次がない。何度
み会も
飯ω田は滑顕の蒼い顔色とつづく沈黙をいたましげに見成 目かの電話に、聡子がみずから出てきて飯沼にたのんだが、
りながら、まだ自分の与えた手傷に気づいてい-なかった。 飯沼は固く断わった。
わた しつようおっぎ
永年に亙って彼を傷つけつづけてきたとの美しい少年に、 電話は連日執搬につづき、とのととは御次の評判にさえ
ふ︿しゅa,
今とそ、何の復讐のもくろみもなしに、彼のほうから深手 立った。清顕は拒みつづけた。そしてとうとう、諺科がた
を与えたととを知らなかった。それでいて飯沼が、とのう ずねて来た。
いと
なだれた少年を、これほど愛しく思った瞬間も-なかったの 暗い内玄関に飯沼が応待に出、諺科を決して家へ上げよ
ほか傘
である。 うとしない気構えで、式台の中央に小倉の袴の折目を正し
で坐った。 念たのおために、善かれと取計らって来たこともいろいろ
﹁若様はお留守で・お目にかかれません L どざいますが、それもとれ限りと思召して下さいまし。で
﹁お留守というととはありますまい。あなたがそういう風 は若様にどうぞよしなにお伝え下さいますように﹂
にお止め立てをなさるなら、山田さんを呼んで下さいま ││四、五日して、聡子から部厚い手紙が来た。
-
しか
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し﹂ いつもなら山田を侮って、葱科から直に飯沼に手渡し、
-
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也c
﹁山田を・お通しになっても同じととであります。若様は決 諸問顕の手に渡る筈の手紙が、正々堂々と、山聞の捺げる蒔

してお会いになりません﹂ 絵の紋散らしの盆に載って届いたのである。

﹁それならよどざいます。私が強って上らせていただいて、 消顕はわざわざ飯沼を部屋に呼び、封を切らぬその手紙
じきじきにお目通りいたします﹂ を見せ、窓をあけさせて、飯沼の前で、火鉢で火にくべた o
かぎ nの お よ
﹁お部屋に鍵を締めて、決してお入れになりません。あな 飯沼は清顕の白い手が、小さく舌をひらめかせる焔を避
たがお上りになるととは御自由でありますが、内々の御用 けて、また紙の厚みに圧せられて消えかかる焔を鼓舞して、
いえ今ち
向でお越しの筈のあなたが、山田に知られたり、家内をお 桐の火桶のなかを ζまかく小動物のように動きまわるのを、
騒がせになったりすれば、侯爵織の b耳に入るととに・なり
aB
何か精妙・な犯罪を目のあたりにするように眺めていた。自
ましょうが、それでもよろしいのでありますか﹂ 分が手伝えばもっと巧く行く筈であるが、拒まれるのをお
にきび
塞科は黙って、暗いなかにも面胞の凹凸の浮ぶ飯沼の顔 それで手伝わ・なかった。清顕はただ証人として自分を呼ん
を憎さげに見た。飯沼の日から見る馨科は、明るい春日の だのだ。
也ぬ
漂う馬車砲しの五葉の松の葉末のきらめきを背景にして、 いぷる煙を避けかねて清顕の白からは一滴の涙がh滴
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年老いた煩のν
鍛を濃い白粉で埋めている縮緬絵の人物のよ
' た Q飯沼はかつて手きびしい訓育と涙による理解を望んだ
ふたえ aB
ぷた
つに見えた。そしてその、重たげなほどに深い二重除のな
P ものだが、今、自の前で、火にほてる頬にしたたる美しい
かの目は険しく怒っていた。 涙は、何ら飯沼の力に依るものでは念かった。どうしてと
春の雪

﹁よろしゅうございます。たとえ若様の御命令であろうと、 の人の前では、いついかなる場合も、自分の無力を感じる
きつおっしゃ
あたたがそれほどに強く仰言るからには、あなたにもそれ ようにしか仕向けられないのだろう。

249
だけの御覚悟が・おあり・なさるのでしょう。今までは私もあ ー l 一週間ほどのち、父侯爵の帰宅の早い日があって、
清顕は久々に母屋の日本間で、両親と一緒の夕食に加わっ ﹁何ですか﹂

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。 ﹁実は聡子さんに又縁談があるのよ。とれがかなりむずか

2
﹁早いものだ。お前も来年は従五位を賜わるととになる。 しい縁談で、もう少し先へ行くと、おいそれとお断わりす
そうしたら家のものにも、五位様と呼ばせよう﹂ るととはできなくなるの。今のととろは、聡子さんの気持
と侯爵は上機嫌で言った。清顕は心のうちで来年に迫る は例のとおりあいまいなのだけれど、今度はあの人の気持
のろ むげ
白分の成年を呪ったが、十九歳ではや、人間の成長という も、今までのように無下にお断わりするような風には動か
ととに倦み果て疲れ果てているとうした心境は、聡子の速 ないと思うのよ。御両親もお気が進んでいらっしゃるのだ
い影響に毒されているのではないかと疑われた。子供のと しね。:::そこで、お前のととだけれど、お前も聡子さん
色も Eみ
きのように、新年の到来を指折り数え、大人になる望みの とは幼な馴染だが、あの人の結婚について別に異存はあり
焦燥に耐えなかった、あのような心はやりはすでに清顕か ませんね。ととは、ただお前の気持どおりに言ってくれれ
ら去っていた。父の言葉を彼は冷ゑ冷えとした気持できい ばいいのだけれど、もし異存があるなら、その気持どおり

。 を、お父様の前で申上げたらいいと思うのですよ﹂
惜し
食事は親子三人でするときの例に洩れず、悲しげな八字 清顕は箸も休めず、何の表情もあらわさずに言下に言っ
眉の母の寸分の隙もないのどかな応待と、赤ら顔の侯爵の た

-
e
わざと規、
矩を外した上機嫌との、いつも決った役割が守ら
, ﹁何も異存はありません。僕には何の関係も・ないととじゃ
れながら進んだ。父母が目くばせとも云えぬほどに軽く目 ありませんか﹂
みとがおどろ
を見交わすのを、清顕はすばやく見答めて樗いたが、それ わずかな沈黙ののち、侯爵は少しも乱れぬ上機嫌な口調
うさん
というのも、との夫婦の間の黙契ほど胡散くさいものはな で言った。
いと思われるからだった。清踊が先に母の顔を見たので、 ﹁まあ、今なら引返せるのだ。だからして、もしもだ、も
母は些かひるみ、その語りだした言葉は些かもつれた。 し仮りに、少しでもお前の気持に引っかかりがあるなら、
﹁:::あのね、一寸ききづらいことだけれど、ききづらい そう言ってどらん﹂
というほど大袈裟な ζとじゃないんだけれど、お前の気持 ﹁何も引っかかりなんかありません﹂
もきいておきたいと思って﹂ ﹁だから、もしも、と言っているのだ。-なければ・ないで結
ささ
構だ。乙ちらも、あの家には永年の義理があるから、今度 いに、紅いは篠の青に融け入って、どれがどれとも見定め
そんた︿
の話は、やれるところまでやり、助けられるだけ助け、何 がつかず、それをことさら付度しようとするだけで侯爵は


かと費えも見てあげなくてはならない。・::それはそうと、 疲れた。何事にも無関心に見える息子の、冷たい何も語ら
来月はもうお{同様のお祭だが、もしこのまま話が進めば、 ない美貌を見ているだけで疲れた。侯爵の少年時代の思い
除子も忙しくなって、今年のお祭には来られないかもしれ 出のどとを探ってみても、こんなにあいまいな、そして
きざ会みそこずみ
んな﹂ 漣が立っかと見れば底澄の、不安定な心に悩まされた記

﹁それならはじめから、 祭には、聡子さんをお招びにな
hp 憶はなかった。
らないほうがいいのではありませんか﹂ やがて侯爵はこう一言った。
きんきん
﹁乙れは侍いた。それほど犬猿の仲とは知らなかった﹂ ﹁話はちがうが、飯沼には近々暇をやらねばと思ってい
侯爵は大いに笑って、笑いをしおに、その話を打切りに る

してしまった。 ﹁なぜですか﹂
全ぞ
両親にとって清顕は結局謎のような存在で、自分たちの はじめて清顕は新鮮な樗きを顔にあらわした。本当に意
感情の動きとはあまり隔たるその感情の跡を、迫おうとし 外だったのである。
あき
ては道に迷う毎に、もう追おうとすることすら諦らめてし ﹁あいつにも永々世話に・なったが、 前も来年は成年にな
hp
まった。今では侯爵夫妻は、わが子を預けた綾倉家の教育 ることだし、あいつも大学を卒業したし、乙こらが好い潮
を、多少恨みに思うまでになっていた。 時だと思うからだが、直接の理由はあいつについて、一寸
ちよろしゅうしやりゅう
白分たちがかねて憧れていた長袖者流の優雅とは、要 面白くない噂をきいたからだ﹂
するにとのよう・な意志の定まらぬわかりにくさだけを意味 ﹁どんな噂です﹂
していたのであろうか?遠目には美しくても、近い息子 ﹁家のなかで不始末をしでかした。ありていに言えば、女
にその教育の成果を見れば、ただ謎をつきつけられている 中のみねと密通しているということだ。むかしならお手討
春 の ヴJ

いしよう
のと同じことだ。侯爵夫妻の心の衣裳は、たとえさまざま ものだがね﹂
な思惑があっても、南国風の鮮やかな単彩であるのに、清 乙の話をきいているときの、侯爵夫人の平静さはみごと

251
かさね
顕の心は、むかしの女房一の襲の色目のように、朽葉色は紅 だった。乙の問題については、あらゆる点で、彼女は良人
の味方に立っていた。清顕は重ねて訊いた。 消顕は夢を見た。夢のなかで、 ζ の夢は日記に誌すこと

日2
﹁誰からおききになった噂です﹂ はとてもできない、と考えている。それほどとみ入って、


﹁設でもいい﹂ それほど錯然としているのである。
れんたい
滑顕はすぐさま翠科の顔を思い詑べた。 さまざまな人物があらわれる。雪の三聯隊の営庭があら
﹁むかしならお手討ものだが、今の世の中ではそうも行く われるかと思えば、そとでは本多が将校になっている。雪
︿じゃ︿
まい。それに国の推薦で来た男だし、毎年ああやって中学 の上にふいに孔雀の群が舞い下りるかと思えば、シャムの
'A'AF仇m
v
の校長も年賀にやってくる間柄だ。とこは本人の将来を傷 王子が左右から聡子の頭に、長い理洛
,を垂らした黄金の冠

い宅え
つけぬように、穏便に家を出すのが一番だ。その上、私は を戴かせている。飯沼と馨科が口争いをしているかと見れ
せんじん
花も実もある処置をとりたいと思っている。みねにも暇を ぼ、一一人がもつれあって千仰の谷底へとろがり落ちている。
やって、本人同士、その気になれば夫姉に・なるもよし、飯 みねが馬車に乗ってきて、侯爵夫妻が恭しく出迎えている。
いかだ
沼の今後の働き口も探してやろうと思っている。とにかく そうかと思うと、清顕自身は、筏に揺られて、はてしれぬ
家を出すというととが目的だから、あとは怨みを残さぬよ 大洋を漂流しているのである。
うにするのが一番だ。永年お前の世話をさせたととは事実 夢の中で清顕は思っていた、あまり深く夢にかかずろう
おちど あふはんらん
であるし、その点では何の越度もなかったわけだからし たために、夢が現実の領域にまで溢れ出し、夢の氾濫が起

﹂ ってしまったのだと 3
﹁本当にお情深い。そ ζまでやっておやりになれば・::﹂
と侯爵夫人は言一った。



- 1清顕はその晩、飯沼と顔を合せたが、何も一言わ-なか
とういんのみやはるのりおうとのえ
った。 洞院宮第三王子治典王殿下は、御歳二十五歳で、近衛
ゆだ えいまいどうとう
枕に頭を委ねてから、さまざまなととを思いめぐらし、 騎兵大尉に昇進されたばかりであったが、英遜にして豪宕
み乙
自分が今全くの孤独になったのを知った。友と云つては本 な御気性で、父宮のもっとも嘱望されている御子であった。
ゆ︿たて
多ばかりだが、本多には事の経績をのこらず打明けている そういう御人となりであるだりに、お妃選びにも人の意見
わけではない。 u気
をおききにならず、さまざまな候補があげられたが、 h
はむら
に染まぬままに年月を終てしまった。父宮も母符も困じ果 もすでに花が落ちて、その黒い固い葉叢から新芽がせり出
ぎ︿ろとげ
てておられる折をとらえて、松枝侯爵が花見の宴にお招き し、柘抱も、神経質な練立ったとまかい枝葉の尖端に、灰
して、さりげなく綾倉総子をお引合せしたのであるむ両殿 赤い芽をつき出しているのに気づいた。新芽はみな直立し、
下は大そう御意に召し、写真を差出すようにとの御内意が そのために庭全休が、爪先立って背伸びをしているように
あったので、綾倉家では早速聡子の正装の写真を献上した みえる。庭が幾分か高くなったのだ。
ふけ
が、とれを御覧になった治典王殿下は、いつものような辛 聡子が目立って黙りがちになり、物思いに枕る折が多い
練な言葉を仰言らずに、じっと見入っておられた。そうな のを、謬科は大そう気づかったが、その一方、聡子は水の
ると、すでに二十一歳になっている聡子の年船上の難点も、 流れるように、父母のいいつけもよく聴き、何事にも素直

物の数では・なく・なった。 に従うようになり、以前のように異を樹てることが・なく、
ラペ念
む か し わ が 子 を 預 け た お 礼 に 、 松 枝 侯 爵 は 、 衰1 ・
4冗終倉 ほのかな微笑ですべてをうけ入れた。こうして何もかも肯
とdp
家の再興を、かねて心にかけていたのである。その早道は、 うやさしさの維の裏に、聡子は、このごろの曇った空のよ
いんせき
直宮様でなくても、とにかく宮家と姻戚に・なるととである うな、広大な無関心を隠していた。
うりんり
が、由緒正しい羽林家の綾倉家は、そうなってもす ζしも 五月に入ったある日、聡子は洞院宮御別邸へ、お茶の時

霊つ
久J'L L
ふしぎはない家柄である。ただ必要なのはその場合の後見 間のお招きをうけた。例年ならば松枝家のお宮崎僚の祭への
で、綾倉家には、莫大もない御化粧料や、のちのちまでつ 案内が、すでに来ている筈の日頃であるのに、今聡子が何
づく宮家の御家来衆への盆暮のつけとどけなど、思っただ より心待ちにしているその案内は来ず、代りに宮家の事務
けでも気の遠くなる出費のゆとりはなかった。それをの ζ 官が招待状を携えて来て、さりげなく家扶に渡して去った。
らず松枝家がお世話をする用意があるのだった。 いかにも自然な生起のごとく見えるこれらのととは、極
聡子は自分の周囲であわただしく運ばれてゆくとれらの 秘のうちに、きわめてとまやかに運ばれていた。多くを話
またゆか
ことを冷然と眺めていた υ 四月は晴れの日がま乙とに少な らぬ父母も亦、聡子の立っているまわりの床に、こっそり
春のナ;


しゅふ
く、暗い空の下で日ましに春が薄れ、夏が兆していた。門 と複雑な呪符を書きめぐらして、聡子を封じ込めようとし
ひじ
構えばかりが立派な武家屋敷の、質素なつくりの部屋の肘 ている人たちの一味だった。

ニ3

かげ也事どっぽき
掛窓から、手入れのとどかぬひろい庭を眺めていると、椿 宮家のお茶へは、もちろん綾倉伯夫妻も招かれたが、 叫 H
差廻しの馬車のお迎えなどは却って事均しいので、松枝家 れが目ざしを遮り、聡子の頬に影の紋を投じていたのを知

お4
が馬車を貸してくれるととになった。明治四十年御造営の った。
別邸は横浜郊外にあり、そ ζまでの馬車の旅は、もしとん 聡子は母のとんなまちがいに興ずるでもなく、静かに笑
傘れゆきん
念ととでもなければ、稀に見る一家そろっての愉しい遊山 ってみせただけであった。今日に限って自分の顔が念入り
E

と云えたであろう。 に注意され、羽二重の引出物のように検められるのがいや
この日は久々の快晴に恵まれ、伯爵夫妻は幸先のよいこ だったのである。
いと
とを喜び合った。強い南風の吹きめぐる沿道のいたるとと 髪の乱れを厭うて、窓も閉め切っているために、馬車の
ζh
voe
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ろに、鯉帥慨がはためいていた。子供たちの数に従ってつけ 中は炉のような暑きだった。たえまない動揺、周囲につづ
る鯉の数も、大きい真鯉に小さめの緋鯉をとりまぜて、五 く田植前の水固に映る若葉の山々、:::聡子は自分が未来
ひき
疋もつけていれば煩わしく見え、風にはためく姿も鷹揚で に待ちとがれているものが、何だかわから-なくなっていた。
なくなるのに、とある山際の家の険は、伯爵が白い指をか 一方では、奇体-なほど放胆に、のがれようのないと ζろへ
かげて、馬車の窓から数えてみた数が十疋だった。 自分を流し込んでゆくととの、危険・な心はやりにとらわれ
﹁なんとさかんなものゃな﹂ ていて、一方ではまだ何事かを待っている。今ならまだ間
と伯爵は含み笑いをして言った。それを聡子は、きわめ に合う。まだ間に合う。あわやという時に赦免状が届く ζ
て父に似つかわしくない野卑な冗談をきくように帯した。 とに望みをかけ、一方ではあらゆる希望を憎んでいた。
がけうえ
青葉若葉の噴出はめざましく、山々は黄にちかい緑から 洞院宮御別邸は、海を見下ろす高い崖上にあり、御殿風
ち Cさ わ
黒ずんだ緑まで、千種の緑の湧きあふれるなかに、わけで の外観を持った洋館には、大理石の階段がついていた。一
し船若葉の光りの洩れる木かげは、料用耐閉鎖の地のようだつ 家は別当に迎えられて馬車から下りたときに、さまざまな

。 船のうかぶ港のほうを見下ろして、嘆声を発した。
ほ ζり
﹁おや、何か壌が・::・﹂ お茶は海を見渡すひろい南向きの廊で供された。廊には
ハシカチ
と母が聡子の頬へふと目をとめて、そこを手巾で拭おう 多くの熱帯植物が繁茂し、そ ζ へ入る入口を、シャムの王
とっさひ ぞうげ
としたとき、聡子が哨墜に身を退くと共に、頬についてい 室から贈られた巨大な三日月型の一双の象牙が護っていた Q
た壊もたちまち消えた。そこで母は、硝子の窓の一部の汚 両殿下はそとで客をお迎えになり、気軽に締子をおすす
めになった。菊の御紋章入りの銀器で英国風のお茶が出て、 も、父から学んだ優雅が今日ほど無益に感じられるととは
簿い一口サンドウイツチや洋菓子やビスケットが、ティ なかった。伯爵はときどき、目前の話題とはまるで関係の
ー・テーブルの上に並べられた。 ない、とぼけた、風格のある冗談を言う人だったが、今日
妃殿下はこの間の花見が面白かった話をされ、又、麻 は明らかにそれを差控えていた。
ジヤシ
雀や長唄の話をされた。伯爵が、黙っている娘に口添えし ややあって、宮は時計を御覧になり、ふと思いついたよ

、 うに、乙う仰一一一一回った。
﹁まだ家ではとんと子供で、麻雀もさせたととがどざいま ﹁今日は幸い、治典王が軍隊で休みがとれて帰って来るが、
せん﹂ わが子ながら、はなはだ武骨な人だが、気にされぬがいい。
と言ったが、 そう見えても、根はやさしいのだから﹂
﹁おやおや、私共は暇なときは一日麻雀をしております 仰一言ると間もなく、御玄関のほうでざわめきがして、王
ト品 L 子の御帰邸の気配が伝わってきた。
ぽいとう﹁んか
と妃殿下は笑い・ながら仰言った。聡子は黒白十二の駒で 治典王殿下は阿川万を鳴らし、軍靴を鳴らして、その切ま
すどろ︿ばん
遊ぶ、わが家の古い双六盤の ζとなどを一一言い出せ・なくなっ しい軍服のお姿を廊に現わし、父宮に挙手の礼を・なさった。
た υ 聡子はその一瞬、いいしれぬ空疎な威風を感じたけれども、
今日の宮はくつろいで、背広を召しておいでになった。 父宮がそういう王子の勇武をお好みのことは明白であった
そして伯爵を窓辺に伴い、港の船々を、あれは英国の貨物 し、若宮も何かにつけて父宮のお望みどおりに身を処して
船、フラッシュ・デックという型の船、あれはフランスの 来られたことがよくわかった。それというのも、兄宮方は
νエλ タ1 ・デック すぐ
貨物船、遮浪甲板羽という型の船、などと、子供に説明す 異様に柔弱な御人となりで、健康もお勝れにならず、かね
るように、知識を披露・なさった。 て父宮の御失望を買っておられたからである。
一見してその場の空気は、両殿下がどんな話題を選んで 治奥王殿下のこんな御態度には、もちろん美しい聡子に
春の空;

いいかお困りの様子に見えた。スポーツなり、酒なり、一 はじめて会うことの、照れ隠しもおありになったのであろ
つでも共通の関心があればよいのだが、綾倉伯爵はひたす う 御挨拶のときも、そのあとも、殿下はほとんど聡子を
Q

:
2)5
ら受身ににこやかにお話を受けるばかりで、聡子の白から 直視されるととがなかった。
ぞうちつりょう
h
u丈はさほど高くはないが立派な御体格の王子が、よろ の結果、正式に、宗秩寮へ御内意を伺う手続がとられる ζ

256
ずにきびきびと、尊大で意志的な、お若いのに威厳を持っ とになり、その書類は聡子も内見した。それは次のようで
た態度をなさるのを、父宮は目を細めて御覧になっている ゑ叩ヲ色。
どふろさい ζれぷみ
ようにお見受けする。それというのも、御風采は堂々と御 ﹁治典王殿下、従二位勲三等伯爵綾倉伊文長女聡子ト御
立派な父宮は、何か深いところで強い意志を欠いておいで 結婚ノ儀
去されたき
になるという噂が高かったからである。 御相談被成度ニ附
レ AVAJ'VAVAJ あい&なりた︿
さて、治典王殿下の御趣味は、洋楽のレコードの蒐集で、 御内意御伺方御奏上相成度
p
乙のたび
それについては二家言がおありの御様子だったが、母宮が、 此度奉願候也
ごつ何かお聴かせしたら﹂ 大正二年五月十二日
と仰言ったので、若宮は、 洞院{早川附別当 山内三郎
﹁はい﹂ 宮内大臣殿﹂
と仰言って、室内の蓄音掠のほうへ歩いておいでになっ 三日後、宮内大臣から次のような通知があった。
た。そのとき聡子は思わずお姿を目で追っていたが、廊と ﹁宮附事務官へ通知ノ件
おお怠危
部屋との堺を大股にまたいで行かれるとき、その磨き立て 治典王殿下、従二位勲三等伯爵綾倉伊文長女聡子ト御結
た黒革の長靴の胴に、窓の白光がありありと滑り、窓外の 婚ノ儀
青空までが、ちらと青いなめらかな陶片を宿したように忠 御相談被成度
われた。聡子は軽く目をつぶって音楽がはじまるのを待っ 御内意伺之起
き ζしめされ
た。すると胸のうちが、待つことの不安で累々とかきくも 被聞召届候此段申入候也
せつならい
り、針が盤面に落ちる剰那のかすかな音までが雷のように
kgろ
大正二年五月十五 u
耳に轟いた。 宮内大臣
││若宮との聞には、その後二三のさあらぬ会話があっ 洞院{呂附別当﹂
うかが Wずみ
ただけで、夕景に一家は宮家を辞した。 ζ のあと一週間ほ こうして御内意向済となったからには、いつでも勅許
どして、宮家の別当が来訪し、伯爵と長い用談をした。そ のお願いを上奏することができるのであった。
の毒な思いがして、よくその部屋へ土産を持って訪ねて上
げた。すっかり親身になっている王子たちは、ともども愚

うった
痴をとぼされて、行動の不自由を恕えられた。快活で冷酷
清顕は学習院高等科の最上級生になった。来年の秋は大 な寮生たちは、必ずしも王子たちのよい友ではなかった。
主おざり
学へ進むことになるので、入学試験の勉強を一年半も前か 本多は、久しく友を等聞にしておきながら、又、厚顔な
そぶり
らはじめる者もある。本多にはそういう素振もないところ 小鳥のように舞い戻った清顕をさりげなく迎えた。消顕は
が、清顕の気に入っていた。 今まで本多を忘れていたということそのととを、忽ち忘れ
にわ
乃木将軍の復活させた全寮制度は、建前としてはきびし 去っているように見えた。新学期に入って俄かに人が変り、
h
vぷ
く守られていたけれど、病弱の者には通学が許され、本多 何かうつろな陽気さ快活さを身につけた清顕を、本多は一説
や清顕のように、家庭の方針で寮に入っていない学生は、 かしく思ったけれども、もちろんそれについて何も尋ねず、
それ相応のもっともらしい医者の診断書を持っていた。 ζ 清顕も何も語らなかった。
Kせ
の贋の病名は、本多は心臓弁膜症であり、清顕は慢性気管 友にさえ心をひらかずに来たことが、今では清顕には、
色、
支カタんであった。よく二人は、お互いのいつわりの病気を 唯一の賢いやり方だったと思い倣された。おかげで、本多
から
冷やかし合ぃ、本多は心臓病の息苦しさをまね、清顕は空 の目にも、自分が女に手玉にとられた愚かな子供と映る心
4き
咳をしてみせるのだった。 配がなく、その安心が今本多の前にいるとき、こうも自分
誰一人かれらの病名を信じている者もなく、二人はまこ を自由に朗らかにさせる原因だとわかっていた。そして又、
とらしさを装う必要もなかったが、日露戦役生残りの下士 本多にだけは幻滅を与えたくないという乙の気持も、本多
官たちがいる監武謀だけは例外で、そとではいつでも形式 の前だけでは自由で解放された人間でありたいという気持
的に、意地わるく彼らを病人扱いにした。教練の訓示の折 も、清顕にとっては、ほかの無数の水くささを償って余り
あかし
などは、寮生活もできない病弱の徒が、一朝事あるときに ある、自分の最良の友情の証のように思われるのであった。
春の雪

どうしてお国の役に立とうか、などとあてとすりを言うの 清顕はむしろ自分の朗らかさに侍いていた。その後父母
てんたん
であった。 は全く倍淡に、宮家と綾倉家のお話の進み具合を息子にも

251
シャムの王子たちが寮に入られるというので、清顕は気 話してきかせ、あの勝気な娘が、お見合の席ではさすがに
おか
固くなって、ものも言えなかった、などという話を可笑し 一日一日聡子の存在が自分から遠ざかり、やがて手も届

258
そうに伝えた。もとより清顕にはそとに聡子の悲しみを読 かぬととろへ去ってゆくという考えには、えもいわれぬ快
うしb
むいわれもなかった。 感があった。施餓鬼の燈鎗が水に灯影を落して、夜の潮に
貧しい想像力の持主は、現実の事象から素直に自分の判 乗って遠ざかるのを見送るように、できるだけ遠ざかるこ
かて
断の糧を引出すものであるが、却って想像力のゆたかな人 とに祈念が縫められ、できるだけ遠ざかるととに自分の力
ほど、そとにたちまち想像の城を築いて立てこもり、窓と の確﹂証が得られた。
いう窓を閉めてしまうようになる傾きを、清顕も亦持って 今、彼の気持の証人は、しかしとの広い世の中に一人も
いた。 念かった。それが清顕に、自分の気持をいつわることを容
﹁あとはもう勅許をいただけばよいわけですね﹂ 易にさせた。﹃若様の・お気持はよくわかっております。ぉ
と一言っている母の声が彼の耳に残った。その勅許という 委せ下さい﹄と不断に語っている、あの﹁腹心﹂どもの目
言葉には、ひろい長い閣の廊下のゆくてに扉があって、そ も身辺から払い去られた。翠科という、あんな大嘘つきか
きんはが
とに小さいけれども堅固な黄金の錠前が、歯噛みをするよ らのがれた喜びにもまして、彼は飯沼の、ほとんど肌をす
うに錠をみずから下ろす、その音を如実に聴くような響き りつけるまでに親密に-なった忠実さから、のがれ得たとと

があった。 を喜んだ。すべての煩わしさはことに偲んだ。
父母のそういう物語に接して平然としている自分を、清 父の情ぶかい放遂を、清顕は飯沼の自業自得と考えるこ
ほぽ
顕はむしろ惚れ惚れと眺めていた。怒りにも悲しみにも不 とによって、自分の冷たい心を庇ぃ、しかも馨科の おかげL
死身な自分を知って、頼もしく思った。﹃僕は自分で患っ で、﹁とのととはお父様には決して言わない﹂という自分
ていたよりも、ずっとずっと、傷つきにくい人間だったの の約をも破らずにすんだのが嬉しかった。すべては ζの水
りょうか︿

﹄ 日間のような、冷たい、透明な、後角のある心の功徳だった。
きのあら
かつて彼は、父母の感組問の木理の組さに、疎遠なものを 飯沼が家を出て行ったとき。::・彼は清顕の部屋へ別れ
感じていたが、今は自分をまぎれもないその血筋の上に置 を告げに来て、泣いた。清顕はその涙にさえ、さまざまな
くことに喜びを覚えた。彼は傷つきゃすい一族にではなく、 意味を読んだ。飯沼が、ひたすら清顕に対する忠実だけを
人を傷つける一族に属していたのだ! 強調しているように思われて、不愉快だったのである。
飯沼はもとより、何も言わずに泣くだけであった 何も
Q
そういう厚い重加煩わしい肉に護られていた。彼の肉体そ
にきび
言わぬ乙とで、清顕に何かを通じさせようとしていた。乙 のものが清顕に対する非難に充ち、その汚れた商胞の頬の
ぜいねい
の七年間のつながりは、清顕にとっては、感情も記憶もあ 凹凸の照りさえも、泥湾のつややかな照りのように、ふて
さかの官 もっ、、
いまいな十二歳の春に発し、記憶の遡るかぎりそこには飯 ぶてしい光輝を以て、彼を信じて共にこの家を出るみねの
沼がいるように思われた。ほとんど飯間は清顕の少年期が 存在を語っていたの何という非礼だろう!若主人は女に
ζんがすり おお
かたわらに落した影、汚れた紺緋の濃紺の影だった。彼の 裏切られて乙 ζに一人取り残され、書生は女を信じ了せて
たえざる不満、たえざる怒り、たえざる否定は、それに対 意気揚々とここを出てゆくのだ。しかも飯沼が、今日のこ
して清顕が無関心を装えば装うほど、清顕の心に重くのし の別れを、全く彼自身の忠実の一直線上の出来事だと、信
かかっていた。しかし一方では、飯沼の暗い彰屈した自に じて疑わ-ない様子が清顕を苛立たせた。
秘められたそれらのもののおかげで、清顕自身は、少年期 しかし清顕は、貴族的な態度を持して、冷ややかな人情
に免がれがたい不満や怒りや否定を免がれたのであった。 の発露を示した c
うち
飯沼が求めるものはあくまで飯沼の裡にだけ燃えていて、 寸それでお前は、ことを出て間もなく、みねと夫婦になる
彼が清顕にかくあれと望めば望むほど、清顕がますますそ んだね﹂
れから遠ざかったのは、むしろ自然な成行だったかもしれ ﹁はい、殿様のお言葉に甘えて、そうさせていただくつも
ない。 りであります﹂
飯沼を自分の腹心にしてしまい、彼ののしかかる力を無 ﹁そのときは知らせておくれ。僕からも祝い物を送るか
力にしてしまったとき、そのときすでに清顕は、今日の別 ら

離へ向って、精神的に一歩を踏み出していたのかもしれな ﹁ありがとうございます﹂
い。との主従はお互いをとんな風に理解すべきではなかっ ﹁
ど ζか身を落着けるところが決ったら、手紙で住所を知
たのだ。 らせてくれれば、いつか僕も、邪魔をさせてもらうかもし
春の'J;

清顕はうなだれたまま立っている飯沼の紺耕の胸もとか れない﹂
ら、西日をうけて跳ね反っている乱雑な胸毛が灰見えるの ﹁もし若様がお遊びにおいで下されば、これ以上の喜びは

お9
を、諺陶しい心地で眺めた。彼の押しつけがましい忠実は、 ありません ο しかしどのみち、繊ない小さな住居でありま
は一念しようぷ
しようから、とてもお迎えすることはできないと思うので いが、大広間の前の八ツ橋風の石橋のひまひまに、花菖浦
そろぜい



﹂ が紫や白の花ざかりを、その鋭い緑の剣のような葉の族生



﹁そんなととは遠慮しなくていいよ﹂ から浮き上らせていた。
主どかまちは
﹁はい。そう仰言っていただくと::・﹂ 窓枢にとまっていたのが、ゆっくりと室内へ這い上って
すきかえし
と飯沼は又泣いた。そして懐ろから粗悪な漉返紙を出し 来ようとしている一疋の玉虫に清顕は日をとめた。緑と金
は傘 だえんかっちゅう
て演をかんだ。 に光る惰同の甲胃に、あざやかな紫紅の二条を走らせた玉
い止の乙ぎりあ L
清顕の口を出る一一諸一一諮は、正にこういう場合にはとう 虫は、触角をゆるゆると動かして、糸鋸のような肢をすこ
言うべきだと、彼が考えていたとおりに同滑に流れ出て、 しずつ前へ移し、その全身に凝らした沈静な光彩を、時間
うらづ砂
何ら感情の裏附のない言葉のほうが、人を一そう感動させ のとめどもない流れの裡に、滑稽なほど重々しく保ってい
るという現場をありありと示した。感情にだけ生きていた た。見ているうちに、清顕の心はその玉虫の中へ深くとら
さんぜん
筈の清顕が、今や必要上、心の政治学を学んだが、それは え ら れ た 。 虫 が と う し て 燦 然 た る 姿 を 、 ほ ん の す ζしずつ
又必要に応じて、彼自身にも適用されるべきものだった。 清顕のほうへ近づけてくる、その全く意味のない移行は、
彼 は 感 情 の 鋭T着 、 そ の 鎧 を 磨 き 立 て る ζとを覚えたので 彼 K、瞬間ごとに容赦なく現実の局面を変えてゆく時間と
ある。 いうものを、どうやって美しく燦然とやりすどすかという
も引し
悩みもわずらいもなく、あらゆる不安から解き放たれて、 訓えを垂れているように思われた。彼自身の感情の鎧はど
乙の十九歳の少年は、自分を冷たい万能の人間だと感じて う だ ろ う か ? そ れ は ζ の甲虫の鎧ほどに、自然の美麗な
はむか
いた。何かがはっきりと終ったのだ。飯沼が去ったあと、 光彩を放って、しかも重々しく、あらゆる外界に抗うほど
開け放たれた窓から、若葉に包まれた紅葉山が池に落す美 の力があるだろうか?
しい影を眺めた。 清顕はそのとき、ほとんど、周囲の木々の茂りも、青空
いらか
その窓からよほど首をさしのべなければ、九段目の滝が も、雲も、棟々の葺も、すべてのものがとの甲虫をめぐっ
貯やき
滝査に落ちるあたりが見えないほどに、窓辺の棒若葉の繁 て仕え、玉虫が今、世界の中心、世界の核をなしているよ
りは深く・なっていた。池も亦、岸ちかいかなりの部分が薄 うな感じを抱いた。
じゅんさい ζうほね
緑の尊菜の葉におおわれ、河骨の黄の花はまだ自につかな
││今年のお宮様のお祭の空気はどととなしにちがう。 もない遠々しい神になった。参列者には、先代未亡人たる
第一に、とのお祭というと、早くから掃除に精を出し、 清顕の祖母をはじめ、年老いた人たちも何人かいたが、と
祭坦や椅子の手配も一人で引受ける飯沼が今年はいない。 の人たちの哀悼の涙もとっくに乾いていた。
その分だけの仕事が山田の肩にかかり、山田は今まで自分 永々しい式のあいだの女たちの私語も年ごとに声高にな
の職分ではなかった仕事、しかもずっと若輩が受持ってい り、侯爵も敢てそれを答め・なかった。侯爵自身が、今は何
た仕事を、引継がされるのが面白くない。 となくとのお祭を重荷に感じ、それを少しでも気楽な、気
第二に、聡子が招かれていない。それはお祭に招かれて ぶっせいでないものにしたいと望んでいたのである。漫い
りゅうきゅうふう
いる親戚附合の人たちの一人が欠けただけのととであり、 化粧が一そう鮮やかに見せている琉球風の目鼻立ちの亙女
まして聡子は本当の親戚ではないのであるが、ほかには聡 の一人に、侯爵はずっと目をつけていて、式のあいだもそ
ひとみかわらゆ
子に代る美しい女客は一人もいない。 の亙女の強い黒い瞳が、土器の神酒に影を宿すのにばかり
そうそういと ζ
神もとういう変化を快く思召さなかったものらしく、今 気をとられていたが、式が h
uわると勿々、従弟の呑んべえ
年は祭なかばに空が暗みわたり、雷鳴さえとどろいて、神 の海軍中将のととろへ行って、その亙女について何か際ど
しずど ζろ
主の骨詞をきいている女たちは、雨をおそれで静心なかっ い冗談を言ったらしく、中将はけたたましく笑って人の注
ひみときかずき ひ
たが、幸いに、緋の袴の亙女が一同の盃に神沼の酌をして 意を惹いてしまった。
まわるころには、空も明るくなった。それと共に、かなり 八字眉の悲しげな顔がとの式典によく似合うととを知っ

aA "もとたゆい
の日ざしが女たちのうつむいた衿元の、白い溜井のような ている侯爵夫人は、全く表情を動かさ-なかった。
え り お し ろ い う 老E
漫い襟白粉の項を汗ばませた。藤棚はそのときふかぶかと 清顕はといえば、私語を交わしたり、少しずつ慎しみを
花房の影を落した。後列のほうの参列者たちは、その影の 失いつつあったりはするものの、五月末のとの藤波の影の
余震を受けた。 まわりに集まる一家の女たち、縛の末までは名前をさえ知
もし飯沼がととにいたとしたら、年どとに先代への敬意 らない女たちの、何の表情も示さず、悲しみをさえ示さず
春の雪

も追悼も薄れてゆくお祭の空気を、さぞ腹立たしく思った に、ただ集められるままに ζうして集まり、やがてまた徴


p
aF

ととであろう。殊に明治大帝の崩御以来、明治の雌の奥深 りぢりになる、そのふしぎな、重い澱んだ不如意に充ちて、口
隠う
く追いやられて、先代はますます、今の世とは何の関わり そのくせ昼月のような呆けた白い顔をした女たちの、そと
えんCゆ
らに漂わす濃厚な空気を鋭敏に感じとった 3
それは明瞭に 家の塊の樹の下で、いずれも胸からの白い前掛をかけて並

お2
女たちの匂いであって、聡子もこれに属していた。そして んだ幼時の姿を見たが、すでに聡子よりも丈の高い幼ない
安よぬさ 有 企 み ち 信 っ し よ うE
それは潔らか・な白紙の幣をつけた、滑らかな強い緑の葉を 自分に清顕は満足した。藤原忠通の法性寺流に流れを発す
さ か き たe
BCし は ら
重ねた榊の玉串を以てしでも、到底抜いがたいものであっ る古い和様の書を、能書の伯爵は熱心に教えてくれたが、

。 あるとき習字に飽きた二人を興がらせようとして、巻物に
お 、
Fら
小倉百人一首を一首ずつ交互に書かせてくれたのが残って
しげゆき
二十四 いる。源重之の﹁風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけ
で物をおもふ乙ろかな﹂という一首を清顕が書くと、その
お合かとみよしのぶえじ
O

喪失の安心が清顕を慰めていた。 かたわらに、大中臣能宣の﹁みかきもり衛士のたく火の夜
a

ABu晶、
彼の心はいつでもそういう働きをするのであったが、喪 はもえて昼は消えつつ物をとそ思へ﹂という一首を、総子
うととの恐怖よりも、現実に喪ったと知るほうがよほどま が書いている。一見して、いかにも清顕のは幼ない手だが、
こうち
しなのだった。 聡子の手はのびやかで巧綴で、とても子供の筆とは思われ
彼は聡子を喪った。それでよかった。そのうちにさしも ない。年長じてから清顕が、めったにとの巻物に指を触れ
の怒りさえ鎮められてきた。感情はみどとに節約され、ぁ ないのは、そとに彼女の一歩先んじた成熟と自分の未成熟
ke
たかも火を点ぜられていたために、明るく賑やかである代 との、みじめなほどの隔たりを発見するからである。しか
ねつろうと
りに、身は熱鎖になって融かされていた蝋濁が、火を吹き し、今こうして虚心に眺めてみれば、自分の手も幼・ないな
むしば
消されて、閣の中に孤立している代りに、もう何ら身を蝕 りに、その金釘流に男児らしい躍動があって、聡子のとめ
おそ
む慎れがなくなった状態と似ていた。彼は孤独が休息だと どなく流れるような優雅と、好個の対照をなしているのが
きんす傘ど
はじめて知った。 感じられる。そればかりではない。こうして金砂子に小松
かいふ︿
季節は入悔へ向っていた。恢復期の病人がおそるおそる を配した美しい料紙の上に、おそれげも-なく、墨をゆたか
不養生をするように、清顕はもはやそれによって心を動か に含ませた筆の穂先を落したときのととを想起すると、そ
されぬ乙とを試すために、ととさら聡子の思い出にかかず れにつれて、一切の情景が切実に浮んだ。聡子はそのとろ
かっぽ
ろうた。アルバムをとり出してむかしの写真を眺め、綾倉 ふさふさと長い黒いお河童頭にしていた。かがみ込んで巻
念だ
物を書いているとき、熱心のあまり、肩から前へ雪崩れ落 に差支えることは致し方がないが、友達の友好的な冗談が
b
oびただ
ちる移しい黒髪にもかまわず、その小さな細い指をしっか 一切通じないので、じれったがられ、果ては敬して遠ざけ
りと筆にからませていたが、その髪の割れ目からのぞかれ られる。両王子のいつも絶やさぬ微笑も、粗暴な学生たち
る、愛らしい一心不乱の横顔、下唇をむざんに噛みしめた には、ただ得体の知れぬものに思われた。
れいり
小さく光る怜例な前歯、幼女ながらにすでにくっきりと通 両王子を寮に入れたのは外務大臣の考えだというととだ
った鼻筋などを、清顕は飽かず眺めていたものだ。それか が、舎監はこの賓客の扱いに心を痛めているという噂を清
ら憂わしい暗い墨の匂ぃ、紙を走る筆がかすれるときの笹 顕はきいた。准宮様扱いで特別な部屋も差上げ、ベッドも
すずり
の葉裏を通う風のようなその音、硯の海と岡というふしぎ 上等のものを入れ、つとめて寮生たちと仲好く交際される

話eさ ふ
な名称、波一つ立たないその汀から急速に深まる海底は見 ように、舎監は力をつくしているのだが、日を経るにつれ、
きんぽ︿は
えず、黒く澱んで、墨の金箔が剥がれて散らばったのが、 主子たちは二人だけの減に閉じこもり、朝礼や体操にも出
月影の散光のように見える永遠の夜の海::・。 て来られぬことが多く、とれがいよいよ寮生との疎隔を深
﹃とのとおり、僕は無邪気に北日を-なつかしむことさえでき めた。

﹄ とうなるにはいろいろな原因がからみ合っていた。来日
と清顕は誇らしげに考えた。 後半歳に充たぬ準備期聞は、王子たちを日本語の授業に馴
夢にさえ聡子は現われなかった。何か聡子らしい影が射 染ませるには不足であったし、又その準備期間のあいだ、
そぴらカえ
すと思うと、夢の中の女は、たちまち背を反して去った。 王子たちはそれほど勉学にいそしまれたわけではなかった。
ち金た
そしてひろい白昼の衡のようなととろがしばしば夢に現わ もっとも生彩を放つ筈の英語の時聞にも、英文和訳も和文
れ、そこには人影一つ見られなかった。 英訳もただ王子たちをまごつかせるだけであった。
さて、パァタナディド殿下から松枝侯爵が預った指環は、
いつい
l 学校で清顕は、バッタナディド殿下から頼まれ事を
ー 五井銀行の侯爵の私用の金庫に納められていたので、清顕
ゆぴわ
春の雪

した。預けてある指環を持ってきてほしいというのである。 はわざわざ父の印を借りて、これを出しに行かなければな
シャムの両殿下の学校における評判は、それほど良いと ら・なかった。夕景に又学校へ戻り、寮の王子の部屋を訪ね

~ヲ
は云われない。何と云っても日本語がまだ不自由で、学習 た

との日は空梅雨の空を思わせるむしあつい陰欝な一日で、 うが清顕は好きだったが、 ζ のどろではあの軽薄で騒がし

254
王子たちがあれほど望んでいる輝やかしい夏は、もうすぐ かったクリッサダ殿下さえ沈みがちになり、いつも二人で
そ乙に見えているようでいて手が届かず、あたかも王子た 部屋に ζもって、母国語でひそひそ話をされているととが

トホ吟,b AJ
ち のu
焦燥を描いてみせたような物憂い目だった。寮の粗末
- 多かった。
ζ したやみ だんす
な木造の平家は、木下閣に深く埋もれていた。 部屋はベッドと机、洋服箪笥のほかには、飾りらしい飾
運動場のほうでは、ラグピ!の練習の喚声がまだひびい りもなかった。建物自体に乃木将軍の兵営の趣味が溢れて
r
u ど
ていた。あの若い咽喉から放たれる理想主義的な叫ぴ声が いた。腰板の上はただの白壁で、その白壁の上の小さな棚
こん・しきしやか
清顕はきらいだった。粗暴な友情、新らしい人間主義、と に、王子が朝夕拝するのであろう金色の釈迦像が、安置さ
しゃれ E Cち か ん ペ き
めどもない酒落や地口、ロダンの天才やセザンヌの完墜に れているのだけが異彩を放っていたが、窓の両脇には雨じ
か な 脅 ん と dp
対するあくことない礼讃、:::それはただ、古い剣道の叫 みのついた金巾の雌が絞られていた。
ぴ声に対応する、新らしいスポーツの叫び声にすぎ・なかっ 王子二人の目立って
ほ隠え
r
wけ の 濃 い 顔 は 、 タ 閣 の な か で は
た。かれらの咽喉はいつも充血して、若さには青桐の葉の 微笑んでいる白い歯だけが際立った。お二人はベッドの端
えm し
匂いがして、唯我独尊の見えない烏帽子をたかだかとかぶ に清顕を迎え入れ、早速指環の催促をされた。
っていた。 金の護門神ヤスカの、一双の半獣の顔に守られた浪緑の
とういう新旧二つの潮流にはさまれて、一言葉も不自由な エメラルドの指環は、いかにもとの部屋に不似合な光輝を
二人の王子が、どんなにままならぬ日々を送っておられる 放った。
ひろ
かと思うと、一つの物思いから白由になって、心の寛く・な ジヤオ・ピーは喜びの声をあげて指環をうけとると、す
あいぷ
った清顕は同情を禁じえなかった。そして特別上等の部屋 ぐそのしなやかな浅黒い指にはめてみた。愛燃のために創
とは言い条、粗末な暗い廊下の奥に王子二人の名札がかけ られたよう・な、繊細でいていかにもこまやかな弾力に充ち
ょせぎ
てある古びたドアの前に立止ると、消顕は軽く叩いた。 あふれた、丁度戸の細い隙聞から寄木の床深く爪をさし入
とりすが
出迎えた王子たちは、彼に取鎚らんばかりの風情を見せ れて来る一条の熱帯の月光のようなその指に。
ι
た 。 お 二 人 の な か で は 、 人 柄 に 生 真 面H で夢みがちなと ζ ﹁乙れでやっと町都艇が僕の指に戻つた﹂
ろのあるパッタナディド殿下、すなわちジャオ・ピーのほ とジャオ・ピーは憂わしげ-な吐息を洩らした。クリッサ
ダ殿下は以前のようにそれをからかうではなく、洋服箪笥 机上に置いた月光姫の写真のかたわらへ、エメラルドをは
ひきだし
の拍斗をあけ、何枚ものシャツのあいだに念入りに隠した めた指をさしのべて、時空を隔てたその二つの実在が一つ
自分の妹の写真をとり出してきた。 に凝結する瞬間を、招き寄せようとしているかの如く見え
﹁この学校では、自分の妹の写真だと云っても、机の上に た

あか
飾ったりしては、笑われてしまう。それで僕らは、ジン・ クリッサダ殿下が天井の灯りをつけた。するとジャオ・
ジヤンの写真をこうして大事に隠しているのです﹂ ピlの指のエメラルドは、写真の額の硝子に反射して、丁
とクリッサダ殿下は泣きそうな声で言った。 度姫の白いレエスの服の左の胸のところに、暗い四角い緑
ジシ・グヤ J ちりば
やがてジャオ・ピlの打明けたところでは、月光姫の便 の形に銀められた。
りが途絶えてすでに二ヵ月になり、公使館にも問合せてみ ﹁どうです。こうして見ると﹂とジャオ・ピーは、夢見る
たけれども、一切が不明であって、兄王子クリアサダのと ような口調で英語で言った。﹁彼女はまるで緑いろの火の
ころへさえ妹姫の安否が告げられて来・なかった。もしその 心臓を持っているようじゃありませんか。密林の枝から校
身に病気などの変事が起っていれば、電報-なりで知らせて へ、木の蔓そのままの姿で伝わる細い緑蛇は、こんな冷た
くるのは当然であるから、兄にさえ隠されている変化とい い緑の、ごくとまかい亀裂の入った心臓を持っているのか
えば、ジャオ・ピーには耐えがたい想像であるが、シャム もしれませんね。彼女はいつか僕がこうして、彼女のやさ
戸、AJ晶ザ
宮廷で何らかの政略結婚が急がれているととしかない。 しい銭別からこんな寓輸を読みとるととを、期待していた
それを思うとジャオ・ピlの心は欝して、明日は便りが のかもしれない﹂
あるか、あるとしてもどんな不吉な便りが来るか、と考え ﹁そんなことはありませんよ、ジャオ・ピ 1﹂とクリッサ
るだけで勉強は手につかなくなった。乙んな際の心の拠り ダ殿下が鋭く遮った。
どとろとして、王子が思いつかれたのは、ただ一つ、般の ﹁怒るなよ、クリ。僕は決して君の妹を侮辱する気持はな
ぜんぺつ
銭別の指環を取り戻して、その密林の朝の色をした濃緑の いのだから。僕はただ恋人というものの存在の不思議を言
1'1'の雪

エ メ ラ ル ド に 、 自 分 の 思 い を ひ た す ら 箆 め る ζとだけであ っているのだ。

非凡。 彼女の姿絵は、写されたときの彼女の形をしかとどめな

2宝5
ジャオ・ピlは今は清顕の存在をも忘れたかのように、 いのに、餓別の宝石は、現在只今の彼女の心を忠実に映し
出すような気がするじゃないか?僕の思い出のなかで、 たのだが、それに何の証拠があろうか?ややもすれば、


写真と宝石、彼女の姿と心とは、わかれわかれになってい 自分はただコ一重に惑わされて﹂いるのではなかろうか?


穿
ま・たとうして一つものになったのだ。
たが、 A7 そして自分が恋しているのは果して彼女の実在で:::。清
われわれは恋しい人を自の前にしていでさえ、その姿形 顕はかすかに、半ば無意識に首を振った。ゆくりなくも又、
と心とをばらばらに考えるほど愚かなのだから、今僕は彼 いつぞやの夢に、ジャオ・ピ i の指環のエメラルドの中か
かえ
女の実在と離れていても、逢っているときよりも却って一 ら、ふしぎな美しい女の顔があらわれたのを思い出した。
ジシ・ジヤシ U--JVMTシ
つの結日聞を成した月光姫を見ているのかもしれないのだ。 あの女は誰だったのだろう。聡子か?まだ見ぬ月光姫
別れているととが苦痛なら、逢っているととも苦痛であり か?あるいはまた?:::
うるし、逢っているととが歓ぴならば、別れているととも ﹁それにしても、いつに・なったら夏が来るのだろう﹂
歓びであってならぬという道理はない。 とクリッサダ殿下は、窓外の繁みに包まれた夜を、心も
なた
かa
そうでしょう?松枝君。僕は、恋するというととが時 となげに眺めゃった。繁みの彼方にちらつく学生寮の棟々
間と空間を魔術のようにくぐり抜ける秘密がどとにあるか の灯があって、何となくあたりがざわめいてきているのは T
探ってみたいんです。その人を前にしてさえ、その人の実 寮の食堂が夕食のためにひらく時刻らしかった。繁みの間
ζ みち
在を恋しているとは限らないのですから、しかも、その人 の小径をゆく学生の、詩を吟ずる声もき ζえた。そのぞん
の美しい姿形は、実在の不可欠の形式のように思われるの ざいな、不まじめな吟詠の調子に、他の学生の笑う声がき
ちみもうりょう
ですから、時間と空間を隔てれば、二重に惑わされるとと ζえた。王子たちは夜間と共にあらわれる魁魅組紐をおそ
にもなりうる代りに、二倍も実在に近づくととにもなりう れるように眉をひそめた。-
る。:::﹂ ││清顕がとうして、指環をお返ししたととは、やがて
王子の哲学的な思弁は、どとまで深まるともわからなか 面白くない事件を惹き起すもとに念った。
ったが、清顕は・なおざりには聴けなかった。王子の言葉か
らいろいろと思い当るふしがある。自分は今、聡子に対し 数日後、葱科から電話がかかった。抽牌が取次いで来たが、.
て﹁二倍も実在に近づいた﹂と信じているのだが、そして 清顕は出なかった。
自分が恋したものは彼女の実在では念かったと確実に知つ 文あくる日かかった。清顕は出なかった。
このととはほんのすとし心にかかっていたが、その心に は耐えがたかった。あのとき手紙を破り捨てたのは、たし

一つの規制が布かれて、聡子の乙とはともかく、翠科の非 かに強い意志の力であった筈-なのに、時を経るにつれて、
礼に対する怒りにだけ滞った。あの嘘つきの老婆が、又し ただ臆病のためでは-なかったかと思い返された。
だま
でも臆面もなく欺しにかかって来たと思うと、彼はその怒 目立たない白い二重封筒の手紙を破いたとき、あたかも
りにだけ集中して、自分が電話へ出・なかったことから来る その中に、しなやかで駅い麻糸でも配き込んであるかのよ
﹄1uトA'AJ
タ しつよう
些少の不安を、みどとに始末してしまった。 うに、彼の指は執搬な抵抗を感じた。あれは麻糸が漉き込
三日たった。梅雨に入って、終日降りつづけていた。学 んであったわけではない。ことさら強い意志力を振い起さ
校からかえってくると、山田が恭しく盆に載せて手紙を届 なくては、手紙を破くことができないものが彼の樫にひそ
けて来たが、封筒の裏を見た清顕は、そこに謬科の名が んでいたのだ。何の恐怖だったろう。
麗々しく諒されているのを認めておどろいた。封は念入り 彼はもう二度と聡子に煩わされるのは御免だった。彼女
のりかさ
に糊つけされ、かなり嵩はった二重封筒の中には、さらに の香気の高い不安の霧で、自分の生活を包まれるのはいや
封書が入っているのが手ざわりでわかった。一人になると、 だった。やっと明断念自分を取戻す ζとができたというの
開封しそうな気持になるまいでもないことを倶れた清顕は、 に。・:・それはともあれ、あの部厚い手紙を破いたとき、
︿す
わざわざ山田の目の前で、厚い手紙を千々に引き破いてみ 彼はあたかも聡子の白く燦んだ肌を引き裂いているような
︿ずかど
せて、それを捨てるように命じた。自分の部屋の屑縫に捨 思いがした。
てては、又その破った紙片を拾い集めたくなるのを慎れた
ひる
のである。山田は眼鏡の奥で目をおどろきにひきつらせて 悔雨の晴れ間の大そう暑い土曜日の午さがりに、清顕が
いたが、何も言わなかった。 学校からかえってくると、母屋の玄関前にざわめきがあっ
ふ︿さ
さらに数日たった。その問、破いた手紙のことが日まし て、家の馬車が出発の仕度をし、召使たちが紫の祇紗をか
かさだか
に心に重く懸ってくるのに、清顕は腹を立てた。もはや自 けた嵩高の贈り物らしいものを馬車の中へ運び入れていた。
かきみだ きゅうしよだれ
容の雪

分と何の関わりも-ない筈の手紙によって心が擾された腹立 馬はそのたびに耳を動かし、汚れた臼歯から光る誕を垂ら
ちだけならまだしも、あのとき思い切って手紙を開封し・な していたが、強い日光が、油でも塗ったように見せている

完7

かったことへの後悔が、それにまじっているのに気づくの その青毛の首の、綴密な毛の下の静脈の起伏を浮彫りして
ひづめ
いた。 清顕は玄関前で母の国内車を見送った。馬の蹄は玉砂利を

B
2ヨ
玄関を入ろうとした消顕は、丁度三枚重ねの紋付の礼服 雨のような音を立ててリ
"蹴散らし、松枝家の金の紋章は馬車
ぜあいがしら
で出てくるほに、出会頭に、 廻しの五葉の松の樹聞に、活滋に指れかがやいて遠ざかっ

口ハA寸﹂ た。主人が出かけたあとの、召使たちの一肩一のゆるみが、清
金だれ
と一言った。 阪の背後に、一せいに、音のない雪崩のように大仰に感じ
﹁おや、おかえり・なさい。私はこれから綾倉さんへお祝い られた。彼は主人のいないがらんとした邸を按返った。召
を申上げに行って来ます﹂ 使たちは、目を伏せて、彼が家へ上るのをじっと待ってい
﹁何のお祝いですか﹂ た。清顕はこの大きな空虚を、今即刻充たすととのできる
母は召使たちに、重要な事例をきかれるのをいつも嫌っ 大きな物思いのたねを、自分が今確実に手に入れたととを
たので、清顕をひろい玄関の傘立てのある暗い片隅へ引張 感じていた。召使たちの顔をも見ずに、大股に家へ上って、
って、声をひそめでとう言った。 一刻も早く自分の部屋にとじ ζもるために廊下をいそいだ。
しゃ︿ねっ
﹁今朝、いよいよ勅許が下りたのよ。お前も一緒にお祝い そうしているあいだも、心は灼熱して、ふしぎな高い胸
に行きますか﹂ の鼓動と共に、﹁勅許﹂という一つの貴い輝やかしい文字

,、 九ぽんぽん
侯爵夫人は、息子が行くとも行かぬとも答えぬ前に、そ を見つめていた。ついに勅許が下りた。謬科の頻繁な電話
いつぜん
の言葉をうけた息子の日に、暗い歓ぴの一閃がよぎるのを と厚い手紙は、勅許の下りる前の最後のあがきのようなも
かん しょ
E
見た。乙の意味を探る暇もないほど、しかし夫人は急いで の、その前に清顕の寛恕をねがい、心の負い目を返してし
いた。 まいたいという焦燥のあらわれだったにちがいない。
しきい ひし£う
そして闘をまたいでから又仮向いて、悲しげな眉のまま のとる一日を、清顕は飛開閉する想像力に身を委ねてすご
言った言葉は、彼女が要するにこの瞬間から、何一つ学ば した。外界は何一つ自に入らず、今までの静かな明断の鏡
-なかったことを語っていた。 は粉々に砕け、心は熱風に吹き乱されてざわめきつづけた。
よろと
﹁・お慶び事はお慶び事だよ。いくら仲たがいをしていても、 これまでの彼の些少の熱情に、必ず伴なわれた憂欝の影は、
ヘんりん
こういうときは素直に祝ってあげたらいいのよ﹂ との激しい熱情の中には片鱗もなかった。これに似た感情
﹁よろしくどうぞ。僕はまいりません﹂ といえば、まず一番似通っているものとして、歓喜しか恩
い当らない。しかし理由のないとんな激烈な歓喜ほど、人 まだ残っていはしないかと考えて、その巻紙に鼻を寄せた。
かび
間の感情のなかで不気味念ものはなかろう。 するとその徽の匂いともつかぬ遠々しい香りから、一つの
ふき
何が清顕に歓喜をもたらしたかと云えば、それは不可能 痛切な、枇にも無力で同時に不梼な、彼の感情のふるさと
よみがえ
という観念だった。絶対の不可能。聡子と自分との問の糸 が蘇った。双六盤で勝っていただいた、皇后御下賜の打物
は、琴の糸が鋭い刃物で断たれたように、 ζ の勅許という の菓子の、あの小さい歯でかじるそばから紅いの色を増し
隠とばし
きらめく刃で、断弦の透る叫びと共に切られてしまった。 て融ける菊の花びら、それから白菊の冷たくみえる彫刻的
彼が少年時代から久しい問、優柔不断のくりかえしのうち な後角が、舌の触れるととろから甘い泥滞のようになって
にひそかに夢み、ひそかに待ち望んでいた事態はとれだっ 崩れる味わい、:::あの暗い部屋々々、京都から持って来
ついたて
たのだヴ御裾持のときに仰ぎ見た、白い根雪のような妃殿 た御所風の秋草の衝立、あのしめやかな夜、聡子の黒い髪
あ︿ぴ
下のおん項の、舵立し拒否している無類のお美しさは、彼 のかげの小さ-な欠伸、・・すべてに漂う淋しい優雅をあり
み去もと
のこのような夢に源し、彼の ζ のような望みの成就を、預 ありと思い起した。
言していたのにちがいない。絶対の不可能。とれこそ清顕 そして清顕は、それへ目を向けるのも開られる一つの観
自身が、その屈折をきわめた感情にひたすら忠実であると 念へ、少しずつ身をすりよせてゆく自分を感じた。
とによって、自ら招き寄せた事態だった。
しかし、この歓喜は何事なのだ。彼はこの歓ぴの、暗い、 二十五
危険な、おそろしい姿から目を離すととができ・なかった。
らっぽ
自分にとってただ一つ真実だと思われるもの、方向もな :合同い酬明岡引の響きのようなものが、清顕の心に湧きの
ければ帰結もない﹁感情﹂のためだけに生きること、 ぼった。
ふち
そのような生き方が、ついに彼をこの歓喜の暗い渦巻く淵 ﹃僕は聡子に恋している﹄
の前へ導いたのであれば、あとは淵へ身を投げるととしか いかなる見地からしでも寸分も疑わしいところのないこ
春の雪

残されていない筈だ。 んな感情を、彼が持ったのは生れてはじめてだった。
かた
彼は再び幼ない聡子と互みに書いた手習いの百人一首を ﹃優雅というものは禁を犯すものだ、それも至高の禁を﹄

a59
た せ
とりだして眺め、十四年前の聡子の焚きしめた香の薫りが と彼は考えた o 乙の観念がはじめて彼に、久しい間堰き止
められていた真の肉感を教えた。思えば彼の、ただたゆた う母の帰宅が待ちきれなくなった彼は、制服を脱ぎ、薩摩
n
aaZ

270
がすりあわぜ ︿るま
うばかりの肉感は、こんな強い観念の支柱をひそかに求め 耕の袷に袴をつけた。召使を呼んで俸の仕度をさせた。
つづけていたのにちがいない。彼が本当に自分にふさわし 青山六丁目でわざと俸を乗り捨て、開通したばかりの六
い役割を見つけ出すには、何と手聞がかかった ζとだろう。 丁目・六本木聞の市電に乗り、終点で降りた。
﹃今こそ僕は聡子に恋している﹄ 鳥居坂へ曲る角に六本木の呼名の名残の三本の大僚があ
との感情の正しさと確実さを証明するには、ただそれが り、その樹下に、市電開通後も土自にかわらぬ﹁人力車駐車
ぼうぐいまんじゅろがさはつ
絶対不可能なものになったというだけで十分だった。 場﹂と大書した看板があり、棒杭が立ち、鰻頭笠に紺の法
ぴももひき
彼は落着きなく椅子から立上り、又坐った。いつも不安 被と股引の、車夫たちが客を待っていた。
と憂欝にあふれでいるように感じていたわが身が、今は若 彼はその一人を呼んで法外な心付を先に与え、ここから
さにみちみちて感じられた。あれはすべて錯覚だったのだ、 は目と鼻のところにある綾倉家へ急がせた。
自分が悲しみと鋭敏さに打ちひしがれていると思っていた 綾倉家の長屋門へは、松枝家のイギリス製の馬車は入れ
のは。 な い 。 従 っ て 門 前 に 馬 車 が 待 ち 、 門 が 左 右 K開け放たれて
窓をあけ放ち、日のかがやく池を眺め、深呼吸をして、 いれば、母がまだいる証拠である。もし馬車もなく、門も
りやき
すぐ鼻先に迫る俸若葉の匂いを吸い込んだ。紅葉山のかた 閉ざされていれば、母はすでに辞去したしるしである。
えにわだかまる雲の形には、すでに夏の雲らしい光りを含 僚がその前をとおりすぎた門はひたと閉ざされ、門前の
わだち
んだ量感があった。 馬車の轍は、ゆきとかえりの四条があった。
清顕の頬は燃え、目は輝いていた。彼は新たな人聞に・な 清顕は鳥居坂際まで俸を戻し、自分は俸にの ζ って、車
e
- が
った。何はともあれ、彼は十九歳だった。 夫に謬科を呼ぴにやらせた。俸は待つ聞のかくれ家に役立
つ非凡。
降ろ
二十六 翠科が出てくるのは遅かった。清顕は幌の隙聞から、少
しずつ傾いてくる夏の日が豊かな果汁のように、若葉の
ζずえ
::彼は情熱の夢想に時をすごし、ひたすら母のかえり 木々の梢を明るくひたすのを見た。又、鳥居坂際の高い赤
へいとち
を待った。母が綾倉家にいては具合がわるいのだ。とうと 煉瓦の塀を抜ん出て、巨大な憾の若葉の樹冠が、白い烏の
あかぽか
巣になったかのように、ほの紅い量しのある・おびただしい だと感じたのもはじめてだった。
つぶや
白い花を戴いているのを見た。彼は雪の朝の眺めを心に呼 謬科は俸の揺れに、波立ってきこえる不分明な殴きを、
び戻し、言いがたい感動に樽たれた。しかし今乙とで押し 何度かくりかえした。
て聡子に会おうとするのは得策ではなかった。はっきりし ﹁もう、遅うございます。:::何もかも遅うございます。
た情熱を持ったので、もう感情の動くままに動く必要がな ::・﹂
くなったのである。 あるいは又、
ひと ζと
車夫を従えて通用門から出てきた翠科は、幌を掲げた清 ﹁何だって御返事の一言ぐらい:・:・とうなる前に、何だっ
顕の顔を見るなり、記然として立ちすくんだ。 て
・・・
・・・

清顕は塞科の手を引いて、むりじいに僚に乗せた。 清顕は黙って答えなかったので、やがて琴科は目的地へ
﹁話があるんだ。どとか人自に立たないところへ行とう﹂ 着く前に、そ乙の話をした。
あっしゃやぷ
﹁そう仰言いましでも、::目そん・な厳から棒の仰せでは ﹁私の遠縁の者が、そこで軍人相手の下宿屋をしているの
・、松枝様の奥方様も今しがた御帰りあそばしたととろ でどざいます。汚・ないところでどざいますが、いつでも離
Aノ弘YA〆
私リ,
でございますし、・:それに今夜は御内々の-お祝いの仕度 れが空いておりますから、そ乙で・なら心おき・なくお話を伺
で、私も忙しくしておりますから﹂ えると存じまして﹂
かいわい
﹁いいから早く車夫にそう言いなさい﹂ 明日の日曜には六本木界隈は一変して賑やかな兵隊の町
清顕が手を離さ・ないので、謬科はやむなく言った。 になり、面会人の家族と打ち連れて歩くカ 1キ色の軍服に
﹁霞町のほうへ行って下さい。霞町三番地のあたりから、 埋まるのであるが、土曜のまだ日のあるうちはそん司なこと
れんたい
三聯隊の正門のほうへ廻って下りてゆく坂道があります。 もない。俸がめぐる道を目をつぶって辿ってみると、たし
その坂を下りたところですから﹂ かにあの雪の朝、ことも通りあそこも通ったという感じが
俸は走り出し、翠科は神経質におくれ毛をかいつくろい する。この坂も下りたと思うところで、翠科は俸を止めた。
春の雪

ながら、じっと前方を見つめつづけていた。との白粉の濃 門も玄関も-ない、そのくせか・なり-な広さの庭に板塀をめ
い老婆とこれほど体を接しているのははじめてで、厭わし ぐらした坂下の家の、母屋の総二階が目の前にあった。萌掛

1
Z'
ζぴと
く感じられたが、これほど小さな、保儒のように小さな女 科は塀外からその二階をちょっと窺った。粗末な建物で、
ガプス ばかきれい
一一階は問守と見えて、縁伝いの硝子戸をみな閉めている。 へともつかずに言った。部屋は莫迦に椅践に片づいていて、
ζと どとす EB ま E
六枚つづきの膝附硝子戸の亀の子格子の、硝子は悉く素透 半畳の踏込艇に茶掛の半折を掛けたり、源氏艇が あったり g
ゆが
しなのに、中は見えず、粗悪な硝子いちめんに夕空が歪ん する。外部からの軍人御下宿の安普請の印象とはちがうの
で映っている。向いの家の屋根で働らく屋根職人の姿が、 である。
水の中の人影のようにいびつに映る。タ空も、タベの糊の ﹁何の仰せでございます﹂
おもてのように、憂いを帯びて、歪んで、潤うて映ってい と、主人が去ると馨科はすぐに一一一一口った。清顕が黙ってい

スw
いらだき
るので、苛立ちを隠さずに、重ねて訊いた。
-
ト pa'
﹁兵隊さんがかえっていると何かとうるそうございます。 ﹁何の御用でございます。又、選りに選って今日という日
もっともと ζを・お貸ししているのは、将校だけでございま に

すけれど﹂ ﹁今日という日だから来たんだ。君の手引で聡子さんに逢
きしも ζう ほ
と蒙科は言いながら、鬼子母講の札をわきに貼りつけた わせてほしいんだ﹂
水腰九本立の ζまかい格子戸をあけて、案内を乞うた。 ﹁何を仰言います、若様。もう遅うございます。:::本当
初老の白髪の背の高い男が現われて、 に今ごろになって、何を仰言るやら。今日を限りに、もう
かみ限か
﹁ああ、翠科さんか。お上んなさい﹂ 何もかも、 上次第になる他はございません。なればこそ、
hp
きし
と、少し恥んだような声で言う。 あんなにしげしげとお電話も申上げ、-お便りも致しました
﹁・お離れのほう、よろしいでしょうか﹂ のに、そのときは一切御返事も遊ばさず、今日という日に
﹁はい、はい﹂ なって、一体何を仰一言います。御冗談もほどほどに遊ばし
三人は裏の廊下をとおって四畳半の離れへ入った。坐る ませ﹂
なり、謬科は、 ﹁それもみんなお前から出た ζとだ﹂
いとま かん
﹁すぐお暇しなくちゃならないんですから。それに ζんな と清顕は、事科の濃い白粉に包まれた静脈が嫡走ってい
ζめかみ
きれいな若伎と御一緒じゃ、何を一言われるかわかりません る癒額のあたりを眺めながら、せいぜい威厳を示して言っ

﹂ た

と急に言葉も崩れて、蓮葉になって、老主人へとも清顕 清顕は、豪科があんなにも白々しい嘘をついて実は清顕
の手紙を聡子に読ませていたとと、又、余計な告げ口をし しばらくは世にもお仕合せそうに、夢の聞にも若様の御名
て清顕の腹心の飯沼を失わせたととを責め立て、とうとう をお呼ぴ遊ばす。それが、侯爵様のお計らいで、宮家の御
そら
事科は、空涙かはしれないけれど、涙を流して手を突いて 縁談が持ち込まれたとわかったとき、ただ者様の御決断を
わ か
詫びた。 お心あてに避はして、そればかりにすべてを賂けておいで
懐紙を出して拭う自のまわりの白粉が剥け、そとから老 になったのに、若様は黙ってお見すごし遊ばした。それか
えん
いのあらわになった、しかし却って艶な、口紅を拭いたあ らのお姫様のお悩み、お苦しみは、とても口にも言葉にも
しわたか憶
との鍛だらけの桜紙のような、紅くこすれた高頬の鍍がの 尽せるものではございません。もう勅許も近々に下りよう
n
ぞき、諺科は泣き腫らした目を宙に向けたまま、 ζう言っ というとき、最後の望みを若様のお耳に入れたいと仰言一る

。 ので、どうお引止めしてもお聴き届けにならず、私名義の
﹁本当に私が悪うございました。何とお詫び申上げても、 先達てのお手紙をお書きになった。その最後の望みも絶え
a
zE
追いつかないととはよく存じております。でもこのお詫び て、今日からはすべてを思い諦らめようと思召しておいで
ひ加さ主
は若様へ申上げるよりも、お姫様へ申上げるべきでどざい の折も折、とんな仰せは本当に情のうございます。若機も

ましょう。若様へ・お姫様のお気持がありのままに届かなん 御存知のとおり、お姫様は御幼少のとろから、ひたすら御
おちど かみ
だ ζとは、との塞科の越度でございます。よかれと思って 上を大切に存じまいらせる御教育をお受けでどざいますし、

お計らいしたととが、みん念裏目に出てしまった。思召し との期に及んで、御心が動くとも存ぜられません。:::も
ても御覧あそばせ。若様のあのお手紙をお読み遊ばしたお う何もかも遅うどざいます。御腹立ちが癒えませんなら、
あしげ
姫様が、どんなにお悩み遊ばしたか。しかも若様の前では、 との塞科をお打ち遊ばす・なり、足蹴に遊ばすなり、何なり
凶リ老げ
露ほどもお顔に・お出しにならぬように、どんなに健気にお とお心の済むように遊ばして下さいまし。:::もう、どう
っとしんせき
力め避はしたか。私の入知恵で、新年の御親戚会で、思い 致すとともできません。遅うどざいます﹂
Eきじき
切って殿様に直々お尋ねの上、どんなに御安心遊ばしたか。 との物語をきいているうちに、清顕の心は鋭い刃のよう
春の雪

それからというものは、ただ昼も夜も若様のことばかり h
u な喜びに引裂かれたが、同時に、そとには一つも未知の要
悲ど
ha
考えになり、とうとう思い切って、雪の朝、女子のほうか 素がなくて、すべて自分が心の底では明瞭にしみわたるほ

3
Z'
らお誘い申上げるような面映ゆいととまで遊ばしながら、 ど知り尽していたことが、改めて語られているよう-な気も

.a
u柄引日
品hby
していた。 い肌ざわりの黄昏がひろがっていた。

4
さいり

1
それまで思ってもいなかった犀利な知恵が生れてきて、 謬科は何事か繰り言を咳いていた。だからお止めしたの

Z
彼はとの周到に詰め寄せられた世界を打開する力が、自分 に、だからあんなにお止め・なさいと申上げたのに、と言っ
にそなわっているのを感じた。彼の若い目はかがやいた。 ているように、それがきとえた。聡子に手紙を書くな、と
﹃前には破いてくれとたのんだ手紙を読まれてしまったの 忠告したことを言っているのであろう。
だから、今度は逆に、そうだ、あの粉々に引き裂いた手紙 清顕はいつまでも黙っているととに、だんだん手ごたえ
を活かせばいいのだ﹄ のまさる勝算があった。見えない叫闘がそ ζに徐々に頭をも
清顕は黙って、じっと、小さな白粉だらけの老婆を見据 たげて来るようだつた。
えた。葱科はまだ懐紙を赤らんだ目頭にあてていた。薄暮 ﹁よろしゅうございます﹂と謬科は言った υ﹁一度だけお
の迫っている室内で、その鵠めた肩は、献。っかみにすれば 会わせいたしましょう。その代り、お手紙は返していただ
から老
たちまち骨の空鳴りを残して、砕けでもしそうにはかなく けますでどざいましょうね﹂
見えた。 ﹁いいよ。しかしただ会わせるだけでは足りない。お前は
﹁まだ遅くは・ないよ﹂ 遠慮して、本当に二人きりにしてくれなければいけない。
﹁いいえ、遅うございます﹂ 手紙はそのあとで返す﹂
﹁遅くは・ない。もし僕が聡子さんのあの最後の手紙を、宮 と清顕は言った Q
家へお自にかければどうなると思う。かりにも勅許の・お願
いが出たあとで書かれた手紙だ﹂ 二十七
この言葉に上げた翠科の顔からは、みるみる血の気が引
いた。 ││三日たった。
それから永い沈黙があった。窓に光りが落ちたのは、母 雨がふりつづいていた。清顕は学校のかえりに、制服を
屋の二階へ下宿人が帰って、燈火をつけたのである。カl レインコートに隠して、霞町の下宿へ行った。伯爵夫妻が
fん ζ
キ色の軍袴の端がちらりと見えた。塀外に豆腐屋の痢夙の 留守の聞に、聡子が出られるのは今しかない、というしら
音が流れ、梅雨の合い聞の夏の、フランネルのようなぬる せが来たのである。
ndか
離れへ通っても、制服を見られるのを伺ってレインコー 清顕は黙って対座している。との時がとうとう来たことが、
トを脱がない清顕に、老主人は茶をすすめ・ながらこう言つ 彼にはほとんど信じられなかった。
F
-o 聡子が一言も言葉を発するととができないとんな状況で
JJ
︿んかい
﹁乙乙へ 担
h いでになったら、御心安くなさいませ。私共の 彼女を追いつめたのは清顕だったのだ。年上らしい訓誠め
ような世を捨てた人聞に、お気兼ねなさるととは何もござ いた言葉を洩らすゆとりも・なく、ただ無善一一口で泣いているほ
いません。では、どうぞ御ゆるりと﹂ かはない今の聡子ほど、彼にとって望ましい姿の聡子はな
主人が返る。見ると、この間母屋の二階を仰いだ窓には、 コ=
0
・刀ヲふ円
すだれた かさねしらふじどうしゃ
目かくしの簾がかかっている。降り込まぬように窓を閉て しかもそれは襲の色自に云う白藤の着物を着た豪奪な狩
切っているので、大そう蒸暑い。所在なさに、小机の上の の獲物であるばかりではなく、禁忌としての、絶対の不可
てば ζ ふたちか たた
手宮をあけてみると、蓋の内側の朱い漆がしっとりと汗を 能としての、絶対の拒否としての、無双の美しさを滋えて
かいている。 いた。聡子は正にとうあらねばならなかった!そしてこ
のような形を、たえず裏切りつ つ
e
けて彼をおびやかして来
きぬず
││聡子が来た気配は、源氏襖のむこうの衣摺れの音ゃ、 たのは、聡子自身だったのだ。見るがいい。彼女は-なろう
ひそひそ声の聴きとれぬ会話で知られた G
と思えばこれほど神聖な、美しい禁忌になれるというのに、
かろ
その襖があき、謬科が三つ指をついて お辞儀をしていた。
L 自ら好んで、いつも相手をいたわりながら軽んずる、いつ
ちらとあげた白っぽい目が、聡子を無言で送り込んですば わりの姉の役を演じつづけていたのだ。
いか めかた︿
やく閉めかかる襖の端の、湿った昼の閣に、烏賊のように 清顕が遊び女の快楽の手ほどきを頑なにしりぞけたのは、
ほのあおき傘ぎ
ひらめいて消えた。 以前からそんな聡子のうちに、丁度繭を透かして灰青い蛸
み egも
聡子は今正しく、清顕の目の前に坐っていた。うなだれ の成育を見成るように、彼女の存在のもっとも神聖な核を、
ハ Jカチ
て、手巾で顔をおおうている。片手を畳について、身をひ 透視し、かっ、予感していたからにちがいない。それとこ
さんてん
春の雪

ねっているので、そのうなだれた傑足の白さが、山願の小 そ清顕の純潔は結びつかねばならず、その時 ζそ、彼のお


さな湖のように浮んでいる。 ぼめく悲しみに閉ざされた世界も破れ、誰も見たことのな

275
あけぼのみ在ぎ
屋根を打つ雨の音に直に身を包まれる心地がし、ながら、 いような完全無欠な曙が法る筈だった。
彼は幼ない乙ろ、綾倉伯爵によって自分のなかにはぐく の襟にしっかりと唇を押しつけて動かなくなった。

216
きょうぼう
まれた優雅が、今や、世にもなよやかで同時に兇暴な、一 雨の音がきびしくなった。清顕は女の休を抱きながら、
きぬひも︿ぴ 傘つあざみ
本の絹紐になって、彼自身の純潔を絞り殺すのを感じてい その堅固を目で測った。夏繭の縫取のある半襟の、きちん
た。彼の純潔と、同時に、聡子の神聖を。これこそは久し とした襟の合せ目は、肌のわずかな逆山形をのこして、神
ただし
く用途の明らかでなかったこの艶やかな絹紐の、本当の使 殴の扉のように正しく閉ざされ、胸高に めた冷たく闘い
JF
︿ずか︿ぴょう
い方・なのであった。 丸帯の中央に、金の帯留を釘隠しの鋲のように光らせてい
ひざ
彼はまぎれも-なく恋していた。だから膝を進めて聡子の た。しかし彼女の八つ口や袖口からは、肉の熱い微風がさ
肩へ手をかけた。その肩は頑なに拒んだ。 ζ の拒絶の手ご まよい出ているのが感じられた。その微風は清顕の頬にか
たえを、彼はどんなに愛したろう。大がかりな、式典風念、 かった。
あど
われわれの住んでいる世界と大きさを等しくするようなそ 彼は片手を聡子の背から外し、彼女の顎をしっかりとつ
の壮大な拒絶。とのやさしい肉欲にみちた肩にのしかかる、 かんだ。顎は清顕の指のなかに小さな象牙の駒のように納
はむか n dた
勅許の重みをかけて抗ってくる拒絶。これこそ彼の手に熱 まった。涙に濡れたまま、美しい鼻翼は羽樽いていた。そ
を与え、彼の心を焼き滅ぼすあらたかな拒絶だった。聡子 して清顕は、したたかに唇を重ねるととができた。
ひさしがみ︿しめ
の庇髪の正しい締自のなかには、香気にみちた漆黒の照り 急に聡子の中で、炉の戸がひらかれたように火勢が増し
ほのお
が、髪の根にまで届いていて、彼はちらとそれをのぞいた て、ふしぎな焔が立上って、双の手が自由になって、消顕
とき、月夜の森へ迷い込むような心地がした。 の頬を押えた。その手は清顕の頬を押し戻そうとし、その
清顕は手巾から洩れている濡れた頬に顔を近づけた。無 唇は押し戻される清顕の唇から離れ‘なかった。濡れた唇が
言で拒む頬は左右に揺れたが、その揺れ方はあまりに無心 彼女の拒みの余波で左右に動き、清顕の唇はその絶妙のな
で、拒みは彼女の心よりもずっと遠いととろから来るのが めらかさに酔うた。それによって、堅聞な世界は、紅茶に
ひたいつか
知れた。 涌された一頼の角砂糖のように融けてしまった。そこから
清顕は手巾を押しのけて接吻しようとしたが、かつて雪 果てしれぬ甘美と融解がはじまった。
いちず
の朝あのように求めていた唇は、今は一途に拒み、拒んだ 清顕はどうやって女の帯を解くものか知らなかった。頑
末に、首をそむけて、小鳥が眠る姿のように、自分の着物 ななお太鼓が指に逆らった。そ ζをやみくもに解こうとす
きっ ζAY 際うおう
ると、聡子の手がうしろへ向ってきて、清顕の手の動きに と亀甲の雲の上をとぴめぐる鳳恩の、五色の尾の乱れを左
強く抗しようとし・ながら微妙に助けた。二人の指は帯のま 右へはねのけて、幾重に包まれた聡子の腿を遠く窺わせた。
はんさ
わりで煩演にからみ合い、やがて帯止めが解かれると、帯 しかし清顕は、まだ、まだ遠いと感じていた。まだかきわ
主品時 L
は低い鳴立回を走らせて急激に前へ蝉けた。そのとき帯は、 けて行かねばならぬ幾重の雲があった。あとからあとから
ζ Aかっ
むしろ自分の力で動きだしたかのようだつた。それは複雑 押し寄せるとの煩雑さを、奥深い遠いところで、殺滑に支
念、収拾しようのない暴動の発端であり、着物のすべてが えている核心があって、それがじっと息を凝らしているの
はんらん︿つ
叛乱を起したのも同然で、清顕が聡子の胸もとを寛ろげよ が感じられる。
うとあせるあいだ、ほうぽうで幾多の紐がきっくなったり ようやく、白い曙の一線のように見えそめた聡子の腿に、
ゆるくなったりしていた。彼はあの小さく護られていた胸 清顕の体が近づいたときに、聡子の手が、やさしく下りて
めだ
もとの白の逆山形が、今、自の前いっぱいの匂いやかな白 きてそれを支えた。との恵みが仇になって、彼は曙の一線
をひろげるのを見た。 にさえ、触れるか触れぬかに終ってしまった。
聡子は一言も、言葉に出して、いけないとは言わ・なかっ
た。そこで無言の拒絶と、無言の誘導とが、見分けのつか ││二人は畳に横たわって、雨のはげしい音のよみがえ
ないものになった。彼女は無限に誘い入れ、無限に拒んで った天井へ目を向けていた。彼らの胸のときめきはなか・な
いた。ただ、乙の神聖、 ζの不可能と戦っている力が、自 か静まらず、清顕は疲れはおろか、何かが終ったととさえ
ζうよう
分一人の力だけではないと、清顕に感じさせる何かがあっ 認めたがらない昂揚の裡にいた。しかし二人の聞に、少し

。 ずつ暮れてくる部屋に募る影のような、心残りの漂ってい
それは何だったろう。清顕は、目をつぶったままの聡子 る乙とも明らかになった。彼は又、源氏襖のむとうに、か
保うし
の顔がすとしずつ紅潮してきで、そこに放怒念影の乱れる すかな、年老いた咳払いをきいたように思って、身を起し
のをまざまざと見た。その背を支える清顕の掌に、はなは かけたが、聡子がそっと彼の肩を引いて引止めた。
しゅうち
春の雪

だ微妙な、蓬恥に充ちた圧力が加わってゆき、彼女はそう やがて聡子は、一言もものをきロわずに、こうした心残り
して、あたかも抗しかねたかのように、仰向きに倒れた 0 を乗り超えて行った。そのとき清顕は、はじめて聡子のい

Z可7
・VJn' -c'ydr
Fb晶 ‘信
清顕は聡子の裾をひらき、友禅の長儒枠の裾は、紗綾形 ざないのままに動くととのよろとぴを知った。あのあとで
ゆる
は何もかも恕す ζとができたのである。 れた。

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清顕の若さは一つの死からたちまちよみがえり、今度は 彼は制服を着、身じまいを終った。そのとき聡子が手を
そり
聡子のなだらかな受容の様に乗った。彼は女に導かれると 鳴らすのにおどろかされた。思わせぶりな永い聞を置いて、
きに、とんなにも難路が消えて、などやかな風光がひろが 源氏襖をひらいて、葱科が顔を出した。
るのをはじめて覚った。暑さのあまり、清顕はすでに着て ﹁お召しでどざいますか﹂
いるものを脱ぎ捨てていた。そこで肉のたしかさは、水と 聡子はうな,すいて、身のまわりに乱れた帯のほうを目で
藻の抵抗を押して進む穣刈舟の舟足のように、的確に感じ 指し示した。諺科は、襖を閉めると、清顕のほうへは目も
られた。滑顕は、聡子の顔が何の苦痛も詑べず、微光のさ くれずに、無言で畳をいざって来て、聡子の着衣と帯を締
いぶか
すような、あるかなきかの頬笑みを示しているのをさえ誘 めるのを手つだった。それから部屋の一隅の姫鏡台を持っ
ら・なかった。彼の心にはあらゆる疑惑が消えた。 てきて、聡子の髪を直した。との問、清顕は所在なさに死
││事の後で、清顕が乱れたままの姿の聡子を抱き寄せ ぬような思いがしていた。部屋にはすでにあかりが点ぜら
て、頬に頬を寄せていると、彼女の涙が伝わって来るのが れ、女二人の儀式のようなその永い時聞に、彼はすでに無
感じられた。 用の人になっていた。
しあわ
倖せのあまり泣いている涙だと信じられたが、同時に、 仕度が出来上った。聡子は美しくうなだれていた。
二つの頬を伝わって流れるとの涙ほど、今自分たちのした ﹁若像、もうお暇をいたさねばなりません﹂と葱科が代り
ととが取り返しのつかぬ罪だという味わいを、しめやかに に言った。﹁とれでお約束は果しました。とれ限り、どう
ひいき主どや︽じょう
諮っているものはなかった。しかしとの罪の思いは清顕の かお姫様のととは・お忘れ下さいまし。若様のほうの御約定
心に勇気を湧き立たせた。 のお手紙も、お返しいただきとう存じます﹂
聡子が言った最初の言葉は、清顕のシャツをとりあげて、 清顕はあぐらをかいて、黙って、答えなかった。
﹁お風邪を召すといけないわ。さあ﹂ ﹁お約束でございます。例のお手紙をどうか﹂
と促した言葉だった。彼がそれを乱暴につかもうとする と馨科が重ねて言った。
と、聡子は軽く拒んで、シャツを自分の顔に押し当て、深 清顕はなお黙って、何事もなかったかのように毛筋一つ
い息をしてから返した。白いシャツはかすかに女の涙に濡 乱れずに美しく装って坐っている聡子を見つめている。総
せつ老
子がっと目を上げた。清顕と目が合った。その剰那、澄ん 昼の問、日は白金のように終始雲に包まれて燃え、ねっ
だ激しい光りがよぎって、清顕は聡子の決意を知った。 とりした暑さであったが、夜もなお同じむし暑さがつづい
ひkえ か す り
﹁手紙は返せない。文こうして逢いたいからだ﹂ た。二人の青年は、単の緋の袖をまくって話した。
とその剰那に勇気を得て、清顕は言った。 友の来る前から、本多はある予感を抱いていたが、壁際
﹁まあ、若様﹂ に置かれた革張りの長椅子に並んで掛けて、語り出すとか
翠科の言葉には怒りが遊った。 ら、清顕は今までの清顕とは、まるでちがった人聞になっ
き也事審
﹁どうなると思召す。そんなお子達のような気俸を仰せに たのが感じられた。
おそ
なって。:::怖ろしい乙とになるのがおわかりではござい 彼の目がこんなにも率直にかがやいているのを本多はは
ませんか。身の破滅は葱科一人ではございませんよ﹂ じめて見た。それはまぎれもない青年の目だったが、本多
聡子がそういう翠科を制する声は、他界からき乙える声 には、やや、以前の友の、憂いを帯びた伏目がちな目を惜
せんりつ
のように澄みやかで、それをきいている清顕まで、戦僚を しむ心持も残っていた。
覚えるほどだった。 それにしても、友がこれほど重大な秘密を、洗いざらい
﹁いいのよ、葱科。清様があの手紙を快く返して下さるま 打ち明けてくれるととは本多を幸福にした。とれとそ本多
で、こうして・お目にかかる他はありません。お前と私を救 が久しく待ち望み・ながら、ただの一度も、とちらから強い
う道は他にはありません。もしお前が、私をも救おうと思 ることのなかったものだ。
って・おいでなら﹂ 思えば清顕は、秘密がただの心の問題に属するあいだは
友にさえ秘し隠して、それが本当に重大な、名誉と罪にか
二十八 かわる秘密になったときに、はじめてさわやかに打明けた
わけで、打明けられる側に立てば、 ζれほど無上の信頼を
本多はめずらしく清顕が長い話をしに訪ねて来るという 寄せられる喜びは-なかった。
春の雪

ので、母にもてなしの夕食の仕度もたのみ、その晩は試験 心なしか清顕は、格段に成長したように本多の目からは
勉強も休むつもりになった。との地味な鮪んだ家に清顕が 見え、彼にはもはや優柔不断な美しい少年の面影は薄れて

9
Z'
来るというだけで、何か花やいだ空気が生じた。 いた。そとで語っているのは、一人の恋している情熱的な
青年で、彼の言葉にも動作にも日比られた不本意と不際突は、 まじえて眺めている自分におどろいた。法の側に属する人

2lD

すっかり拭い去られていたのである。 聞になることを、夙うから心に決めた自分であるのに。
ぜん
頬も紅潮し、白い簡をきらめかせ、何か言いきして恥ら そのとき召使が二人の夕食の膳を運んで来た。友だち同
いながらも、張りのある声で語りつ つ
a
ける清顕は、その眉 士で心おきなく食事ができるように、母の心づかいで、と
ちょろし
にいつにもまさる・川崎々しさが宿って、恋する若者の申し分 とへ運‘ばれて来たのである。・おのおのの膳に銚子もつけら
のない絵姿になった。ともすると、彼にもっとも似合って れ、本多は友に酒をすすめ・ながら、
ぜいた︿
いなかったものは、彼の内省だったかもしれない。 ﹁賀沢に馴れた阜県慌に、家の料理が口に合うかどうか、マ
つじつま
それが本多をして、ききむわるが早いか、とんな辻健の ザーが心配していたよ﹂
ζとわり
合わぬ言葉を吐かせたのも理だった。 と尋常な乙とを言った。
傘ぜ ,
Ae
Iz 品位
﹁由民様の話をきいていて、俺は何故だか、とんでもない ζ 清顕はいかにも旨そうに喰ベ、本多はそれを喜んだ。そ
とを心に浮べていたよ。それはいつだったか、日露戦役の してしばらく、そ乙には二人の若者の、黙々とした食事の
ことをおぼえているかどうかと話し合ったあとで、貴段の 健康なたのしみがあった。
家へん行ったときに、日露戦役写真集を見せてもらったとと
がある。あの中にあった﹃得利寺附近の戦死者の弔祭﹄と ││食後の充ち足りた沈黙をたのしみながら、本多は同
しっとぜん陛ラ
いうふしぎな、まるでよく演出された群集劇の舞台みたい 年の清顕のとんな恋の告白が、どうして嫉妬や羨望を生ま
な写真が、いちばん気に入っていると貴様が言ったのをお ずに、ひたすら心に幸福を運んでくるのかを考えていた。
みぎわ
ぼえている。俺はそのとき、硬派ぎらいの貴様にしては、 その幸福感は雨期の湖が、しらぬ聞に水際の庭をひたして
ふしぎ・な ζとを一斉うと思っていた。 いるように、心をひたした。
しかし今、貴様の話をきいているうちに、その美しい恋 ﹁それで貴様はとれからどうするつもりだ﹂
とろじん
の物語と二重写しに、何だか、あの黄墜に包まれた平野の と本多は訊いた。
眺めが浮んで来たんだ。何故だか俺にはよくわからない﹂ ﹁どうするもとうするもないさ。僕はなかなかはじめない
あいまい
本多は常に似ぬ唆昧念、熱に浮かされたような言葉を並 が、一日一はじめたら、途中でやめるよう・な男じゃない﹂
べながら、消顕が禁を犯し法を超えるのを、讃嘆の気持を こんな答は今までの清顕からは、夢にも期待できなかっ
あり
た積類の答で、本多の日をみはらせるに足りた。 ﹁おい、蟻がつくぜ﹂
﹁それじゃ、聡子さんと結婚する気なのか﹂ と本多が言うと、高・を含んだ口で笑った。多少の酔が、
まぶな
﹁それはだめだ。もう勅許が下りている﹂ 清顕のいつもは白すぎる薄い陥を紅いにしていた。そし
﹁勅許を犯しても、結婚してしまう気はないのか。たとえ て、廻転椅子がふとして廻りすぎたときには、そのかすか
かほ︿ね E
ば二人で外国へ逃げて結婚するとか﹂ K紅らんだ白い下醇を置きざりにして、彼の体は微妙に振
﹁:::貴様にはわかっていないんだ﹂ れた。それはあたかも、との若者が、自分では意識してい
と一言いきして黙った清顕の眉の聞には、今日はじめて見 ない何かあいまい念苦痛に、ふいに襲われたかのようだつ
る、むかしのあいまいな憂いがふたたび漂った。おそらく た

それを見たくてはじめた故らの追究だったにもかかわらず、 たしかに清顕のなだらかな眉の下の、かがやく日は夢想
見れば見るで、本多の幸福感にもかすかな不安の影がさし に充ちていたが、その日のかがやきは決して未来へ向けら

。 れたものではないととが、本多にはありありと感じられた。
r

清顕が未来にのぞんでいるものは、一体何だろうと考え 本多はいつになく、酷い焦燥を相手へ向けたく・なって、
ると、いかにも微妙な選ばれた線で精巧に組み立てられた、 ますます先程の幸福感を、われとわが手で壊すふりをせず
その工芸的なほど美しい横顔を眺めながら、本多はある戦 にはいられ・なかった。
傑を感じた。 ﹁それで、寅様はどうするつもりなんだ。その帰結を考え
いちど
食後の果物の葎もろとも、清顕は席を移って、いつも整 てみたことがあるのか﹂


頓の行き届いた本多の勉強机に肱を支え、廻転椅子を軽く 清顕は目をあげて友を注視した。 ζんなにかがやいてい
そぞろに左右へ廻していたが、ついた肱を支点にして、や ながらこんなに暗い目を、本多は今までに見た ζとがなか
やはだけた胸と顔は、不安定に角度を変え、右手の楊枝は った。
ひとつひとつ葎を口に放り込んでいるさまが、厳しい家庭 つどうしてそんなことを考える必要があるんだ﹂
しつヴ
春の雪

の咲からのがれた不作法な寛ろぎを示していた。はだけた ﹁しかし、貴様や聡子さんを取り囲んでいるものは、みん
白い胸に、廷の砂糖がこぼれ落ちたのを、彼はあわてもせ な帰結を求めてじわじわと進んでゆくんだ。貴様たち二人

2創
"
"か
叫 巴かげろううか
ずに町いたが、 だけが、競輪の恋のように、空中に泥んで静止しているわ
けには行か・ないだろう﹂ の自慢話に堕してしまった。もう若い者が戦場へ行って戦

涯鬼
﹁それはわかっている﹂ 死するととはたんとはあるまい。
とだけ言って、清顕は口をつぐんだが、目はさあらぬ方 しかし行為の戦争がおわってから、その代りに、今、感
へ向けられて、部屋の隅々の、たとえば本棚の下や紙屑籍 情の戦争の時代がはじまったんだ。この見えない戦争は、
のわきにわだかまる小さな影、乙んなに簡素な学生風の書 鈍感な奴にはまるで感じられないし、そんなものがあるこ
e
e
斎の裡にも、夜と共に、いくつかの情念のようにしらぬ聞 とさえ信じられないだろうと思う。だが、たしかに、 ζ の
に浸透してきてひっそりとうずくまっているささやかな影 戦争ははじまっており、 ζの戦争のために特に選.ばれた若
を見ていた。その消顕の黒い眉のなだらかな流線は、あた 者たちが、戦いはじめているにちがい・ない。貴様はたしか
かもそれらの影を弓なりに引き絞り、流剛院な形に整えたか にその一人だ。
のようだつた。情念から生れながら、情念を引き締めてい 行為の戦場と同じように、やはり若い者が、その感情の
まも
る眉。階く・なりがち・な不安な日を衛りながら、目の向くと 戦場で戦死してゆくのだと思う。それがおそらく、貴様を
とろへ眉も忠実に従って、姿勢の正しいすっきりした従者 その代表とする、われわれの時代の運命なんだ G:::それ
ζeレト う
のように、ひたすらに壇従
Aしているのが感じられるのだっ
τ で貴様は、その新らしい戦争で戦死する覚悟を固めたわけ

。 だ。そうだろう?﹂
本 多 は さ っ き か ら 頭 の 一 隅 に は ぴ ζ っていた考えを、一 清顕はちらと微笑をうかべただけで答えなかった。たち
思いに言ってしまう気になった。 まち窓から、雨の兆の湿った重たい風が迷い入り、彼らの
はけ
﹁さっき俺がへん・なととを言い出したろう。貴様と聡子さ ほのかに汗ばんだ額に、涼しさの一ト刷毛を与えてすぎた。
んのととをきいていて、日露戦役の写真を思い出したとい 本多は清顕がそうして答えなかったのは、答えるまでもな
う話。 く自明なととであったからか、それとも、こう言われたと
か老
あれは何故だろうと考えていたが、強いてこじつければ、 ながら、それがあんまり晴れがまし
とがたしかに心に叶 h-
とう・なんだ。 く語られたので、まともに答える乙とができなかったか、
明治と共に、あの花々しい戦争の時代は終ってしまった。 どちらかだと思われた。
戦争の昔話は、監武謀の生き残りの功名話ゃ、田舎の炉端
したのである。
二十九 書物を通してだけ法律学に親しんでいる繁邦を、日本の
裁判の実態に触れさせ、法律の実務上の側面を学ばせるこ
三日のちに、本多はたまたま学校が休講の・おかげで午前 とが、あくまでその表向きの理由であるが、父は目をおお

中で退けたので、家の書生と一緒に、地方裁判所の傍聴に うような人間の実相を暴露する刑事事件の事実審理を、十
出かけた。この日は朝から雨である。 九歳の息子のまだ柔らかい感受性にぶっつけて、そこから
しゅんげん
父の大審院判事は、家庭でもはなはだ峻厳な人だったが、 息子が確実に得てくるものを試したいと思ったのにちがい
息子が十九歳になり、大学へ入る前から法律の勉強に精を ない。
出しているのを頼もしく思って、自分の後継に未来を託す それは危険な教育であった。しかし、若者が遊惰な風俗
る気持が固まった。とれまで裁判官は終身官であったのが、 や歌舞音曲を通じて、ただ若い柔らかい感性に恕える口当
との四月に裁判所構成法の大改正が行われ、二百人以上の りのよいものだけをとり入れて、それに同化してしまう危
判事が、休職退職を命ぜられる ζとになったので、本多大 険に比べれば、と乙には少くとも、一方にきびしく見張っ
審院判事は、不幸な旧友たちに殉ずる気持から、退職を願 ている法秩序の目を、如実に感じさせる教育的な効果があ
い出たけれど、ゆるされ、なかった。 る筈であり、不定形な、熱い不浄の粘液的な人間の情念が、
しかし、とれが一つの気持の転機になって、父の息子に みるみるうちに、目の前で、冷たい法律構成によって料理
対する態度には、未来の後継者に対する上役の愛情に似た、 されてゆく、その調理場に立ち会わせるという、技術教育
大まかで寛大なものが加わって来た。それはついぞ今まで、 上の利得がある筈だった。
本多が父の上に見るととのなかった新らしい感情であり、 刑事第八部の小法廷へいそぐあいだ、裁判所の暗い廊下
彼はこれに応えるために、いよいよ勉強に精を出した。 をわずかに明るませているものが、荒れた中庭の緑にそそ
まだ成人に達しない息子に、父が裁判の傍聴をゆるすよ ぐ雨だと知って、本多は犯人の心をそのままに鋳込んだよ
春の雪

うになったのも、乙の新らしい変化の一端だった。もちろ うなこの建物が、理性を代表するにしてはあんまり陰諺な
ん自分の裁判は傍聴させなかったが、家にいる法律書生と 情緒に充たされすぎているのを感じた。

3
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ま:
めい
共に、民事刑事を問わず、裁判所に出入りするととをゆる こうした気の滅入りは、傍聴席の筋子に坐ってからもな
ゆ︿え
おつ つ
e
いていて、気の早い書生がはやばやととこへ彼を連 ら見るべき裁判から離れて、ひたすらとの不安の行方を追

81
れて来ながら、自分は先生の息子の存在も忘れたように、 っていた。

2
とどま
携えてきた判例集に日を落したままでいるのを、本多はち ﹃自分は友に忠告を与えて、思い止らすほうがいいのでは
らとうとましく眺め、裁判官席、検事席、証人台、弁護士 あるまいか。
席などの空白の椅子が、雨気に湿っているさまを、今度は 今までは友の死苦をすら見すごして、彼の優雅を見守っ
む傘
自分の心の空しさの絵姿のように眺めだした。 ていることだけが、自分の友情だと信じてきたのだが、あ
この若さで、彼はただ挑めていた!まるで眺めるとと あしてすべてを打明けられた今となっては、月並なお節介
が、生れながらの使命のように。 念友情の権利を行使して、彼をすぐ目の前に迫っている危
本来、繁邦はもっと自分を有為な青年と確信している明 険から、救い出そうとつとめるのが本当じゃないだろうか。
うら
快な性格の筈だったのに、清顕のあの告白をきいてから、 その結果、自分がいかに清顕に怨まれ、絶交を宣告されて
ふしぎな変化が起った。変化というよりは、それはこの親 も悔いるととろはない。十年後、二十年後には、清顕も理
てんとう
友同士の聞に起った不可解・な蹴倒だった。久しいあいだ、 解してくれるであろうし、たとえ一生わかってくれなくて
彼らはお互いの性格を大事に護って、何一つ与え合おうと もよいではないか。
しなかったのに、三日前、ふいに清顕は、自分は治って人 たしかに清顕は悲劇へ向ってまっしぐらに進んでいる。
うつ hB
に病気を伝染し了せた人のように、友の心に内省の病菌を それは美しいが、窓をよぎる一瞬の鳥影の美しさのために、
権う
残して去った。そしてその病菌が、たちまち繁殖してしま 人生を犠牲に供するのを放置っておけょうか。
った今では、内省はむしろ清顕よりも、本多にふさわしか そうだ。自分はもう ζれからは、目をつぶって凡庸な愚
った資質だと思われるのであった。 物の友情に身を傾け、どんなにうるさがられでも彼の危険
その症状はまず、得体のしれない不安となって現われた。 な熱情に水をかけ、彼が自分の運命を完成しようとするの
﹃清顕は一体これからどうするのだろうか?自分は友と を、力をつくして妨げてやら・なくてはならない﹄
して、ただ花然と、成行を眺めているだけでよいのだろう ││そう考えると、本多の頭はひどく熱してきで、自分
か?﹄ とは何の関わりのない裁判を、 ζ とでじっと待っているこ
午後一時半の開廷を待つあいだ、彼の心はすでにこれか とに耐えられなく・なった。すぐにでも駈け出して、清顕の
ほんい
ところへ行って、言葉を尽して練意を促したいと切に思っ -ながら固い緊張の感じられない肩の、丸い肉づきを窺わせ
た。すると、そうできないととの焦換が今度は新たな不安 るだけに・なった。
になって心を焼いた。 弁護人も出廷しており、裁判官と検事の出席を待つばか
気がつくと傍聴席はすでに満員で、書生があんなに早く りになった。
来て席を占めた理由もわかった。法律学生らしいのもいれ ﹁あれですよ。坊ちゃん、あれが人を殺した女とも思えま
ば、中年のぼっとしない男女もあり、腕章を巻いた新聞記 せんね。人は見かけによらぬものと云うが、全くですなあ﹂
せわ ささや
者たちが忙しなく立ちつ居つしていた。卑しい好奇心から と霊園生が繁邦の耳もとで嘱いた。
ひげ
こ ζ へ来ているのに謹厳を装うているとれらの人問、髭を
立て、白ありげに扇子を使い、長く伸ばした小指の爪先で ││裁判は型どおり、裁判長の被告に対する氏名・住
かみみあか じんもん
耳を掻いて、硫黄のような耳垢を引きずり出して時間をつ 所・年齢・族籍の訊問にはじまった。場内はしんとして、
ぶしているこんな連中を見ると、本多は今更ながら、﹃わ いそがしく働らく書記の筆の音さえきこえるように恩われ
れわれは決して罪を犯す心配はない﹄と思い込んでいる人 た

問の醗悪さに自をひらかれた。せめてそんな連中に、一ト 被告は立って、
かけらでも似まいと努めることだ。そして傍聴席の人々は、 ﹁東京市日本橋区浜町二丁目五番地、
いずれも雨に閉ざされた窓から白い灰のように降る光りに 平民、増田とみ﹂
よど
平板に照らされ、廷丁の帽子の黒い庇の光沢だけが際立っ と澱みなく答えたが、声はひどく低くてききとりにくく、
ていた。 傍聴人たちは、その後の大切な訊聞がきとえないのを心配
人々がざわめいたのは被告の到着のためであった。青い して、一様に身を乗り出し、耳に手を当てた。被告はそと
獄衣の被告は、廷丁に附添われて被告席に着いたが、争っ まですらすらと答えながら、年齢のところで、故意かどう
てその顔を見ょうとする傍聴人たちに妨げられて、本多は かわからないが、少しためらい、弁護士に促されて、日が
春の雪

わずかに、小肥りした白い煩と、そこにくっきりと刻まれ さめたように、
え︿ぽかい主
ている笑窪とを垣間見たにすぎ-なかった。以後、被告は女 コ二十一歳になります﹂

笠量5
囚らしく兵庫に結った髪のうしろや、すくめがちにしてい とやや高い声で答えた。そのとき弁護士をかえりみた頬
︿
bp
に散る後れ毛と、涼しく張った目の端がちらりと見えた。 わ か る こ と は 乙 の 設 人 事 件 が 、 一 連 の 情 熱 の オ l トマティ

軍5
そ ζに あ る 一 人 の 小 柄 な 女 の 肉 体 は 、 傍 聴 人 の 目 の な か ックな動きに乗ぜられて、しゃにむに悲劇の結末へ到達し


で、思いもかけぬ複雑な悪の紡ぎ出される、一匹の半透明 たことであった。
そのほうひじかたどうせい
な蚕のように見られていた。彼女のほんのかすかな身じろ ﹁其方が土方松士口と同棲をはじめたのはいつからか﹂
わきY﹂うき
ぎでさえ、獄衣の肢の下を湿らす汗の露ゃ、不安な動停に ﹁あの、:・昨年の、忘れもいたしません、六月の五日で
乳首のまたたいているその乳房ゃ、何事にも鈍感な少し冷 ございます﹂
たい豊かな腎のたたずまいを想像させるのであった。彼女 との﹁忘れもいたしません﹂で傍聴席に失笑が起り、廷
の肉体はそこから無数の悪の糸を放って、ついには惑の繭 丁に静粛を命じられた o
に閉じともろうとしていたのだ。肉体と罪との聞にある、 増田とみは料理屋の仲居であったが、板前土方松吉とね
せいち
ζれほどにみごとな精綴な照応。:::それとそ世間の人々 んどろになり、ちかごろ妻を失った男やもめの土方の身の
しょたい
が求めているものであり、ひとたびこの熱烈な夢にさらさ 回りの世話を焼くようになり、昨年から世帯を持ったが、
れれば、ふだん人々が愛したり欲望をそそられたりしてい もとより土方は籍を入れようともせず、同穫してのち女道

るものすべてが、悪の原因となり結果となって、痩せぎす 楽がますます募り、昨年末から同じ浜町の料理屋岸もとの
の女はその痩せぎすの姿が、小肥りの女はその小肥りの姿 女中に入れあげるようになった。女中ひでは二十歳である
が、悪そのものの形に・なった。彼女の乳房のおもてににじ が、手れん手くだに長じ、松吉はたびたび家を明けたが、
んでいると想像される汗までが。・::そうして傍聴人たち この春になってとみはひでを呼び出して、男を返してくれ
は、その無害な想像力の媒体となっている彼女の肉体の惑 と懇願した。ひでは鼻であしらったので、とみは思い余っ
を、ひとつひとつ納得するよろこびに泊るのだった。 てひでを殺したのである。
本多は自分の空想が、若い彼にも何となく感じられるそ 乙れは市井のありきたりの三角関係の確執で、何一つ独
わた
ういう傍聴人たちの想像に、まぎれ入るのを潔癖に拒んで、 特なものは見られ-なかったが、事実の審理が細目に亙ると、
ひたすら裁判官の訊聞にとたえる被告の陳述が、事件の核 とても想像では補うととのできない、多くの小さな真実が
たど
心へ向って進むのを辿って行った。 あらわれてきた。
︿だ︿だ てて
女の説明は冗々しく、話はともすると前後したが、すぐ 女は八歳になる父なし児を抱えていたが、それまで田舎
ふる
の親戚へ預けておいたのを、東京で義務教育を受けさせる 体が懐えてまいりました。そとへ子供が学校からかえって
ために呼び寄せて、それをしおに松吉とも世帯を持つ気持 まいりましたので、気分もようよう落着き、松吉の一等大
を固めたのに、一児の母でありながら、とみは否応なしに 切にしております刺身庖丁を研ぎ屋へもってゆけば、ある
設人へ向って引きずられてゆく。 いは松古口も喜ぶかしらん、と女房気取の気持にもなったの
いよいよ殺人のその夜の陳述がはじまった G
でございます。乙れを風呂敷に包んで家を出ょうとします
﹁いいえ、あのとき、ひでさんが居てくれ-なければよかっ と、子供が﹃母ちゃん、どとへ行くの﹄と申しますので、
ちょっと
たんですリそうすれば、あんなことにならないですんだの 一寸そとまでお使いに行くから、いい子で留守番をしてお
かもしれません。私が岸もとへ誘い出しに行ったとき、風 いでと申しますと、﹃もう帰って来なくていいや。俺は田
邪でも引いて寝ていてくれればよかったんです。 舎の小学校へ帰るから﹄と申します。ふしぎなととを一言う
ぽうちょう
兇器に使った刺身庖丁のことでございますが、松吉は職 ものだと思って、問い詰めてみましたら、近所の子が、お
あざわら
人気質のある男で、本当に使いいい庖丁をいくつか自分用 前のおふくろは親爺にしつこくして捨てられた、と噺笑っ
に持っていて、﹃これは俺にとっては武士の刀だ﹄なぞと ているそうで、定めし親御さんの口から出た噂を子供が取
申しまして、女子供には手を触れさせず、自分で研いで大 次いだものでございましょう。子供は、人の笑い物になっ
りんき
切にしておりました。それが、ひでさんとの事で私が格気 ている母親などよりは、田舎の養い親が恋しくなって来て
ちょうちゃ︿
をはじめましてから、危-ないと思ったのでございましょう。 いるらしい。私は思わずカッとして、子供を打郷いたしま
しま
ど ζかへ蔵い込んでしまいました。 して、その泣声をあとに家を飛び出しましたが:::﹂
しや︿
私はそんな風に思われるのが痛で、時には﹃庖丁でなく そのとき、とみの念頭にはひでの ζとはなく、ただ庖丁
おど
ても、刃物はいくらもありますよ﹄と冗談に嚇した乙とも を研いでせいせいしたいという一念で飛び出した、ととみ
ございますが、久しく松吉が家をあけましてから、ある日 は陳述している。
戸棚の掃除をしておりますと、思わぬところから庖丁の包 研ぎ屋は先約の仕事があって忙しく、とみは居催促で一
b
orろ さ ぴ
春の雪

みが出てまいりました。侍いたととに、庖丁はあらかた錆 時間ほどしてやっと庖丁を研いでもらったが、そこを出る
ついているのでございます。との銭を見ただけで、松吉の と、家へかえる気がしなくなって、ふらふらと岸もとのほ

滋宮
ひでさんへの執心が知れまして、私は庖丁を手にしたまま うへ歩きだした。
岸もとでは、ひでが勝手に暇をとって理ひまわるので、 れ入ったのか、とみの記憶も定かではない。帰ろうとする
ひるおかみとどと

盟強
その午すぎたまたま帰ってきたひでに、女将が叱言をき口っ ひでを、とみが無理に引止めているうちに、足が自然にそ
たあとであったが、松吉に因果を含められていたひでが、 ちらへ向いたのかとも思われる。ともあれ、とみははじめ
むつ
d
泣いて詫びを入れたので、事は一応落着したところであっ から殺意を以てそこへ誘導したのではない。
そと かわづら
た。そこへとみが訪れて、一寸外で話したいととがあるか 二言三言なお言い争った末、ひでは川面だけに残ってい
ら、と言うと、出てきたひでは意外にも気軽に応じた。 る夕明りに、白い歯並の見えるほどに笑って、とう言った。
すでに小ざっばりした座敷着に着かえているひでは、下 ﹁いつまで言ったって無駄ですよ。そんなにしつといから
hwpらんだる
駄を花魁の八文字のように、倦そうにとろがして歩きなが 松さんにも嫌われたんでしょ﹂

、 との一言が決定的であった、ととみは陳述しているが、
﹁今、おかみさんに約束してきたんですよ。向後、男は絶 そのときの気持はとんな風に述べられている。
ちます、ってね﹂ ﹁・・・それをきいたとき、私は頭に血がのぼって、さあ、
と蓮葉に言った。 何と申しましょうか、丁度時閣のなかで、赤児が何やらが

のふ
とみの胸には思わず喜びが溢れたが、ひでは陽気に笑い 欲しい、何やらが悲しくてたまらぬと思いましでも、想え
・ながら、それを忽ちひっくり返すような次の言葉を言った。 る言葉もなく、ただ火のついたように泣き出しまして、む
﹁でも私は三日辛抱できるかしらんねえ﹂ しょうに手足をばたばたさせるような気持で、そのわれに
とみは懸命に自分を抑えて、浜町河岸の寿司屋へひでを もあらずばたばたする手が、いつのまにか風呂敷包を解い
おど
誘い、一杯箸りながら、姉さん気取で話をつけようと骨折 て庖丁を握り、庖丁を握ってばたばたしている手に、閣の
ったが、ひでは冷笑をうかべて沈黙を守り、多少の酔いか なかで、ひでさんの体がぶつかってしまった、と、とう申
陪か
ら芝居めかしてとみが頭を下げて頼み入ると、露骨にそっ す他はありませんような次第でございました﹂
ぽを向いた。一時間たち、戸外は陪くなった。ひでは、と ーーとの言葉で、本多を含めて傍聴人一同は、閣に悲し
の上おかみさんに叱られてはかなわないからもう帰る、と げに手足をばたばたさせている赤児の幻を鮮明に見た。
おえっ
言って立上った。 楢回とみはそとまで語ると、両手で顔をおおうて鳴咽を
それからどうして二人が浜町河岸の空地のタ閣の中へ紛 洩らし、うしろからも獄衣の肩の標えが、そののどかな肉
あわ A 也
づきだけに却って憐れに眺められた。傍聴席の空気は、は 鑓無⋮罪に‘ななりそうなケ l スですね。口の巧い女にはかなわん
じめのあからさまな好奇心から、今は次第に別のものに変 ですな﹂
っていた。 と又書生が繁邦に噴いた。
ふりつづく雨の白々とした窓は、場内に沈痛な光りを緩 繁邦は思っていた。人間の情熱は、一旦その法則に従っ
らせ、その中心にいる増田とみだけが、生きて呼吸し、悲 て動きだしたら、誰もそれを止めることはできない、と。
ろの
しみ、岬きをあげている人間の、あらゆる感情を代表して それは人間の理性と良心を自明の前提としている近代法で
いるかのようだつた。彼女にだけ、いわば感情の権利がそ は、決して受け入れられぬ理論だった。
なわっていた。さつきまで、人々が小肥りした汗ばんだっ一 一方、繁邦はとうも思っていた。はじめ自分に無縁なも
十女の肉体を見ていたととろに、今や人々は、息を詰め、 のと考えて傍聴しはじめた裁判が、今はたしかに無縁なも
ひとみ
瞳を凝らして、一つの情念が人間の肌をつき破り、活作り のではなくなった代りに、増田とみが目の前で吹き上げた
えび ょうがん
の海老のようにうどいているさまを見ていたのである。 赤い熔岩のような情念とは、ついに触れ合わない自分を、
彼女は隈なく見られていた。人目に触れずに犯した罪が、 発見するよすがにもなった、と。
今こうして、人々の目の只中に、彼女の体を借りて姿を現 雨のまま明るくなった空は、雲が一部分だけ切れて、な
めいせき
わし、善意や徳よりもずっとずっと明断な罪の特質を開顕 おふりつづく雨を、っかのまの狐雨に変えていた。窓硝子
していた。見せようと思うものだけを見せる舞台の女優と の雨滴を一せいにかがやかす光りが、幻のようにきした。
比べても、増田とみは比較にならぬほど見られ尽していた。 本多は自分の理性がいつもそのような光りであることを
それはいわば、との世界全部を、見る人たちの世界として、 望んだが、熱い閣にいつも惹かれがちな心性をも、捨てる
向うにまわすのと問機だった。彼女のかたわらの弁護人は、 乙とはできなかった。しかしその熱い閣はただ魅惑だった。
彼女を助けるにはあまり貧弱に見えた。小柄なとみは、女 他の何ものでもない、魅惑だった。清顕も魅惑だった。そ
︿しとうがいひ
が身を飾る儲奔や、あらゆる宝石ゃ、人目を惹く賛沢な して ζ の生を奥底のほうからゆるがす魅惑は、実は必ず、
春の雪

着物もなしに、ただ犯人であるだけで十分に女たりえてい 生ではなく、運命につながっていた。

。 本多は清顕への忠告を、今しばらく差控えて眺めていよ

B
29
﹁こりゃ日本に陪審制が布かれていたら、うっかりすると うと思った。
バッタナディド殿下御本人は、思い返すほどそのへんがあ
三十

2抱
いまいになり、散歩のときはたしかにはめて出たが、夕食
のときに部屋に残したかどうかわからない、と言い出した。
夏休みが近づとうとしている学習院で、一つの事件が起 乙れは紛失か盗難かを見きわめる、かなり重要なわかれ


った。 目だった。そとで舎監は王子たちの散歩の道筋を訊し、そ
ゆぴわ
バッタナディド殿下のエメラルドの指環が紛失したので の日は美しい夕方であったので、王子たちが、入る乙とを
ある。クリッサダ殿下が、乙れを盗難だとさわぎ立てたと 禁じられている天覧台の柵を越えて、そとの草の上にしば
ころから、問題が大きくなり、パッタナディド殿下は従兄 らく繍たわっていたこと-をつきとめた。
ζ とが
弟の軽率を経めて、内輸に納める ζとをのぞんだけれども、 とれを舎監がつきとめたときは、雨がふったりやんだり
主たうち
との王子も亦、心の裡では盗難だと信じている点では同断 している蒸暑い午後であった。舎監はすぐさま思い立って
であった。 王子たちを促し、自分も一絡に探すから、三人で天覧台を
学校側は、クリッサダ殿下のさわぎ方に対して、もっと すみずみまで探してみようと言った。
もな反応を示した。学習院に盗難などというものはありえ 天覧台は演武場の一角にある、芝に包まれた小さな台地
ない、と答えたのである。 で、明治大帝が学生たちの演武訓練をみそなわした記念の
さかき
これらのごたごたが、王子たちの郷愁をいよいよ募らせ、 場所である。大帝の御手桶の榊を祭った御榊壇に次いで、
ついに帰国を望むととろへまで行ったが、主子たちと学校 との学校での神聖な場所とされている。
章っとう
とが真向から対立したのは、次のような出来事からだった。 舎監に伴われて王子二人は、今日は公然と柵をとえ、天
舎監がねんどろに王子たちの言い分をきいているうちに、 覧台にのぼったが、かすかな雨に芝は濡れ、その五六十坪
王子たちの証言はすとしずつ喰いちがってきた。校内の夕 の台地のすみずみまで探すのは容易ではなかった。
方の散歩から、寮へかえり、夕食に出て、自室へ戻ったと 王子たちが横たわって語り合っていた場所だけでは不十
かん
きに紛失が発見されたのであるが、その問、クリッサダ殿 分と思われたので、三人は三方の角から手分けをして隈な
下は、従兄弟が指環をはめて散歩に出て、夕食に行くとき く探すととになり、又やや募ってきた雨に背を打たれなが
に部屋に残し、夕食のあいだに盗まれたのだと言ぃ、一方 ら、一本一本の草の根を分けた。
ジ ・グヤ〆
-J
クリッサダ殿下はいささか反抗的なそぶりを示して、不 ラルドの指環ではなかった。月光姫の、どうしてもとらえ
つぶや
平を咳きながら部署についたが、温厚なパッタナディド殿 どとろのない、失われた面影を、草のひとつひとつの緑に
下は、他-ならぬ自分の指環のことではあるし、大人しく、 あざむかれながら、探しあぐねていたのである。王子は泣
台地の一角の斜面から、丹念に見てまわった。 きたいような心持になった。
芝草のひとつひとつを、これほど綿密に観察するのは、 そのとき運動部の連中がスウェ 1タアを運動着の肩に引
王子にとってはじめてのととであった。それというのも、 っかけ、傘をさして通りかかったが、との有様を眺めて立
がね
黄金のヤスカのきらめきがたよりであるとはいえ、エメラ 止った。
ルドの緑は、いかにもとの草の色に紛れやすいからだった。 指環のなくなった噂はすでにひろがっていた。しかし柔
つめえり
雨は制服の詰襟に沿うて、背中へまでにじみ入り、王子 弱な習慣と考えられている男の指環そのもの、その紛失、
は故国の雨季の暖かい雨を恋うた。草の根の淡い緑が、あ その熱心な探索については、好意や同情を寄せる者がきわ
たかも日がさし入っているかのように思わせるが、雲は途 めて少なかった。王子が雨のなかにうつむいて探している
切れず、濡れた芝草のあいだに小さ-な白い雑草の花が、雨 ものがその指環だと知ると、盗難の噂を立てたクリッサダ
滴にうなだれながら、しかもその粉っぽい花弁の乾いた光 に対する憎しみもあって、学生たちは毒のある冷やかしの
の ζぎり
沢を保っていた。時折、丈の高い雑草の鋸状の葉を透か 一言葉を口々に投げかけた。
す影があって、指環がそんな風に隠れているわけはないと しかし彼らの自には、まだ舎監の姿は入っていなかった。
思い・ながらも、葉を返してみると小さな甲虫が雨を避けて そこで立上った舎監の顔を見ておどろいた彼らは、舎監が
宿っていたりした。 不気味な物柔らかさで、みんなに手つだってもらいたいと
そぴら
あまり草に白を近づけているために、徐々に壬子の自に 言い出すや否や、黙って背を向けて散ってしまった。
は草の葉が巨大に映って、故国の雨期の密林の旺んなあり コ一人はすでに台地の中心へ向って・お互いに近寄り、もは
さまを思い出させた。草のあいだにたちまちあの輝やかし や望みが絶えかけているのを感じていた。そのとき雨が遠
かたえ ζん ぺきかたえ
春の雪

い積雲がひろがり、空の片方は紺碧、片方は闇の色になっ のき、かすかに日がさしてきた。午後も おそい斜めの日ざ L


ルh
yな

て、はげしい雷鳴が轟いて来そうにも思われた。 しが、濡れた芝草をかがやかせ、芝は葉末を透かした影を

9
21
王子が今こうして熱心に探索しているのは、もはやエメ 複雑に畳んだ υ
パッタナディド殿下は、その一つの草かげに、まぎれも たちを松枝家の海辺の別荘へ招き、そこへ清顕をつけてや

虫2

ないエメラルドの緑光が、斑を宿して横たわっているのを るととにしたのである。


見た。しかし王子が濡れた手でその草を分けてみると、そ
きん
こには土に散ったわずかな光りがよろぼぃ、草の桜が黄金 三十一
に光っているだけで、折環の形もなかった。
消顕はさらに、本多も共に招いてよいという許しを父か
l 清顕は、乙の空しい探索の話をあとからきいた。舎
ー ら得たので、夏の最初の一日、王子たちを含めて四人の若
監のやり方はそれなりに誠実だったが、王子たちに故ない 者は、東京から汽車で発った。
屈辱感を与えたととは否めない。果して、これをきっかけ 父がとの鎌倉の別荘へ来るときには、駅頭に町長、警察
目、ぜ
に、王子たちは荷物をまとめて寮を出て、帝国ホテルへ移 署長その他の大ぜいの出迎えを受け、鎌倉駅から長谷の別
る ζとになり、清顕には、どうあっても近いうちにシヤム 荘までの道に、海岸から運、ばれた白砂が撒かれるのが常だ
へ帰るつもりだと打明けた。 ったが、侯爵は前以て若者たちを、たとえ王子の身分であ
ほ傘は
松枝侯爵は息子から ζの話をきいて甚だ心を痛めた。も ろうと、書生扱いをして、決して出迎えになど出ぬように、
みすど
し王子の帰国をこのままに看過せば、王子たちの心に取り と町へ申し渡してあったので、四人は駅から人力車に乗っ
返しのつかない傷を与えることになり、終生、日本の思い て、気楽に別荘へ到着することができた。
A J aワ
出は忌わしいものとなって残るであろう。侯爵は学校と王 青葉に包まれた迂路を登りつくしたと ζろ に 、 別 荘 の 大
かた︿ おう主きつ
子たちとの対立を解こうと試みたが、王子たちの態度が頑 きな石組みの門があらわれる。王摩詰の詩の題をとって号
なで、こんな仲裁は今のと ζろ見込みがなかった。そとで した﹁終南別業﹂という字が門柱に刻まれている。
やっ
侯爵はしばらく時を待ち、何よりもまず王子たちの帰国を との日本の終南別業は、一万坪にあまる一つの谷をそっ
かやぶ
引止めた上で、その心を柔らげる方法を考えるべきだとい くり占めていた。先代が建てた茅葺きの家は数年前に焼亡
う思案におちついた。 し、現侯爵はただちにそのあとへ和洋折衷の、十二の客室
折しも夏休みが近づいていた。 のある邸を建て、テラスから南へひらく庭全体を西洋風の
侯爵は清顕とも相談して、夏休みがはじまったら、王子 い健闘に改めた。
南面するテラスからは、正面に大島がはるかに見え、哨明 それは去年の夏であった。
治方り 乙ごひだ
火の火は夜空の速い箸になった。由比ヶ浜までは庭づたい 掻き立てた凝乳のように沖に凝る積雲の、深い援の奥に
に五、六分で歩いてゆける。そこで侯爵夫人の海水浴のあ まで沈痛な光りが当っている。その光りが、影を含んだ部
とおめがね
りさまを、とこのテラスから侯爵が、遠眼鏡で眺めて打ち 分を彫り出して、それをいやが上にも屈強に見せている。
よX
興じることがある。しかし庭と海との聞にはさまる畑の景 しかし雲の谷間の、光りがものうく澱んでいる部分には、
さ'え官、
色がいかにも不調和なので、そとを遮る松林の植林が、庭 こ ζ の時間よりもはるかにのろい別な時聞がま、どろんでい
たけだけ
の南端をめぐってはじめられ、それがみどとに生い立つ暁 るように見える。そして猛々しい雲の片頬が光りに染めら
には、庭の眺めはただちに海へつながる代りに、遠眼鏡の れている部分には、逆に、ずっと迅速な、悲劇的な時聞が
座興も失われる筈であった。 経過しているように見える。そのいずれもが、絶対の無人
夏の日のとの風光の壮麗は、比べるものとてなかった。 の境念のだ。だから、まどろみも、悲劇も、そとではまっ
ゃっ
谷が扇・なりにひらけているので、右方の稲村ヶ崎、左方の たく同質の戯れなのだ。
よそ
飯島は、あたかも庭の東西の山の尾根からじかにつ。ついて 目を凝らしていれば少しも形を変えず、つかのま他へ目
さを
みι たてがみ
いるように眺められ、空も地も、二つの岬に固まれた海も、 を移していれば、もう形が変っている。雄々しい雲の震が、
め C
目路のかぎりが松枝別業の領内に在るかの感を与えた。そ いつのまにか寝乱れ髪のように乱れている。見つめている
こを犯すものは、ほしいままにひろがる雲の影と、たまさ あいだは、放心したように、乱れたまま少しも動か念い。
しかん
かの鳥影と、沖をゆく小さな船影とだけであった。 何がほどけるのか?あたかも精神の弛緩のように、あ
か凶いい
従って、雲のたたずまいの魁偉に見える夏の季節は、と れほど光りにみちてはりつめていた白い堅固な形態が、次
ばかおだ
の扇一形の山ふととろを客席とし、広大な海の平面を舞台と の瞬間には、もっとも莫迦げた柔弱な感情に溺れてしまうの
する、雲の乱舞の劇場に臨む思いがした。露天のテラスに しかもそれは解放なのだ。ちぎれ雲がやがて群がって、庭
ょせずがえしった
寄木を張ることを肯んじない設計技師を叱陀して、﹁船の をふしぎ‘な影の軍勢のように、攻めのぼってくるのを、清
かげ
春の雪

甲板は木ではないか﹂とやりとめた侯爵が、とりわけ堅い 顕は見るととがあった。そのとき、砂浜と畑がまず臨調り、

ふり$
・っ
チーク材を市松に張らせたテラスから、清顕は日がな一目、 庭の南端からこちいゆでへずっと臨調って守町、暗伴繍隊唱初吠潤
海の雲の微妙、な変化を見つめていたととがある。 刈込みを模した、楓、榊、茶の木、槍葉、沈丁花、満天星、
もっ ζ︿ つ げ き き
木削断、松、柘植、棋などをぎっしりと植え込み刈り込んだ とクリッサダが雪ロった。

1
-d・ジヤシ

9
庭の斜面の、今まではげしい日ざしにモザイクのような葉 王子二人にとって、あるいは月光姫よりも、エメラルド

2
にわ
末の色彩をきらめかせていたのが、俄かに臨調ってくるにつ の指環よりも、友よりも、学校よりも、何よりも必要なの
せみ
れて、闘の声までも喪のように臨調った。 は﹁夏﹂だったのかもしれない、と清顕は考えていた。夏

わけでも美しいのは夕映えだった。ここから見渡される は王子たちのどんな欠乏をも補い、どんな悲哀をも癒やし、
雲のととごとくは、夕映えの刻限に-なると、自分がやがて どんな不幸をも償うもののように見えた。
ζうじ しの
染められる色が、紅いか、紫か、柑子いろか、淡緑か、あ 清顕はまだ見ぬシャムの炎暑を偲びつつ、自分たちの身
かつぜん
らかじめ感じ取っているかのようだつた。色づく前に、雲 のまわりにお然とひらけた夏に、自分も亦酔うているのを
あお
は必ず緊張のために蒼ざめた。 .. 感じた。鰯の声は庭に立ちこめ、冷たい理智は冷えた汗の
ように額から蒸発していた。
金か
﹁すばらしい庭ですね。日本の夏が ζん・なに美しいとは、 四人はそのままテラスから一段下ったひろい芝生の央の、
想像もしていなかった﹂ 日時計のまわりに集まった。
とジャオ・ピーは白をかがやかせて言った。 丸、句
NUVHq unHML2.ミ同句、NQ
テラスに立った二人の王子の褐色の肌ほど、この場にふ と彫られた古い日時計は、首をさしのべた鳥のような形
さわしいものは・なかった。今日、かれらの心は明らかに晴 の唐草模様の青銅の針を、丁度北西と北東のあいだ、ロー
れていた。 マ数字の十二のところに固定させていたが、影はすでに三
清顕と本多が実に強い日光だと感じているのに、王子二 時に近づいていた。
ひ老た
人は温和で適度な日光だと感じていた。二人は日向にいて 本多はその文字盤の S のあたりを指でまさぐり-ながら、
倦まなかった。 シャムは正確にはどのへんの方角か、と王子たちに訊乙う
いたザや
﹁水でも浴びて一休みしたら、庭を御案内しましょう﹂ として、徒らに郷愁をそそるととをおそれで止めた。そし
と清顕が一言った。 て、われしらず、太陽へ背を向けて、自分の影で日時計を
﹁なぜ一休みする必要があるんです。僕たち四人はこんな おおい、その三時の影を消してしまっていた。
に若くてとんなに元気じゃありませんか﹂ ﹁そうだ。そうやっていればいい﹂と、それを見答めてジ
しだ
ヤオ・ピーは言った。﹁一日そうやっていれば、時間を消 四人の青年は少年の日の活濃さを取り戻し、熊笹や羊歯
してしまえるんだ。僕は国へかえったら庭に日時計を作ら に半ば犯された尾根の細道を、清顕を先頭に立てて進んだ。
Lιu
せ、もしすばらしく幸福な一日があったら、召使にひねも そのうち清顕は、去年の落葉を踏みしだいていた足を止め、
す日時計を自分の影でおおわせて、時の移りを止めさせる 北西の方を指さして、とう叫んだ。
ととにしよう﹂ ﹁ごらん。ととからだけ見えるんだ﹂
J
ζ 傘
﹁召使は日射病で死んでしまうでしょう﹂ 立止った若者たちは、木の間を透かして、眼下にひろが
やつや傘み
と本多はふたたび烈しい日光を文字盤へ導き、三時の影 る隣りの谷の、かなりごみごみした家並の門前町を眺め、
主みがえ
を蘇らせ-ながら言った。 そこからそびえ立っている大仏のお姿を発見した。
﹁いいえ、僕らの国の召使は、一日太陽を浴びていても平 大仏の丸い背の、衣の襲なども大まかなのが、正面に見
気なんだ。日の強さは乙乙の三倍にもなるだろうが﹂ え、御顔は横顔ばかり、御胸は丸い肩からなだらかに流れ
と夕刊 y yサダが言った。 る袖の流線のむこうにわずかに窺われるばかりであるが、
ひろ
清顕は照りかがやく褐色の肌が、きっと暗い涼しい麗を 日の光りは青銅の肩の丸みをかがやかせ、そのむとうの寛



体内に蔵しているにちがいないと想像した。それで以てか い胸に平らにさす光りが澄みやかである。そしてすでに斜
ζ かげやす ら陪つ
れらは、自分自身の木蔭の中に憩むのだろうと。 めの日が、青銅の螺髪の一螺一螺を、克明に浮き出させて
いる。そのわきに垂れている長い耳采は、あたかも熱帯の
!i王子たちに、裏山門道の散歩の面白さを、ふと清顕が 樹から垂れたふしぎな長い乾果のように見える。
ひざ
洩らしたととから、本多も汗を納める暇もなく、みんなに 本多と清顕は、とれを望むや、たちまち地面に膝まずい
ついて裏山へのぼらねばならぬ羽自になった。かつてはあ た王子たちの行動におどろいた。王子は二人とも、まっす
れほど何事にも気の進まなかった清顕が、こうして先に立 ぐに筋のついた白いリネンのズボンを惜しげもなく、濡れ
たいせき
ってゆく勢いを、本多は驚嘆して眺めた。 た竹落葉の堆積の上に突き、かなたに夏の日を浴びている
ろぷつ
春の雪

しかし登りきって尾根がはじまるととろに達すると、松 露仏のお姿に合掌した。
ほら
の木かげは思うさま海風を字み、由比ヶ浜一帯もきららか 清顕と本多とは、不謹慎にちらと目を見交わした。こう

調5
とう陪ん


に見えて、登磐の汗はたちまち払われた。 した信仰はもはや二人からは遠く、生活のどこを探してみ
あざけ おわか
ても見当らなかった。そして王子たちの殊勝な礼拝を、酬明 四人はまっしぐらに庭を駈け下り、庭はずれのまだ稚い

295
るほどの気持はもちろん-なかったにせよ、今まで同じ学友 松林を駈け抜けて、打ちつづく畑のあいだを砂浜へ出た。
と思っていたものが、ふいに観念も信仰も隔たる世界へ飛 激泳の前に忠実に体操をする清顕と本多を、王子二人は
去ったような気がするのだった。 笑いとろげて眺めた。乙れはいわば、仏を遠眺めにするば
をぎふ︿しゅう
かりで脆坐しなかったかれらに対する、軽い復讐を含んだ
三十二 笑いで、王子たちの目からは、乙んな近代的な、ただ自分
のためにする戒行が、世にもおかしく見えたのにちがいな
裏山をめぐって、庭の隈々まで歩き廻ると、四人はよう い

︿つ
やく心も港着き、海風の吹きめぐる座敷に休んで、横浜か しかしこのような笑いこそ、王子たちの又と-ない寛ろぎ
ぴん
ら運ばれてきて井戸水に冷やされていたレモネードの壕を のしるしであり、清顕も久しく、呉邦の友人のとれほど朗
あけた。すると、疲労もたちまち慈ぇ、日の落ちないうち らかな様子を見たととが悲かった。水の中で思うさま戯れ
と ζろ陪や
に海へ行 ζうという心逸りにかられて、おのがじし仕度を たあとでは、もはや清顕は主人役のもてなしの義務をも忘
あかふんどし
した。清顕と本多は学習院風に赤揮を締め、背中や脇を透 れていられ、王子たちは自国語で、清顕たちは日本一語で話
むダわら
かして千鳥掛けにした白木綿の水着を羽織り、麦藁帽子を し合うために、二人ずつ砂浜に離れ離れになって寝とろん
かぶって、おそい王子たちの仕度を待った。やがてあらわ だ

れた王子たちは、イギリス製の横縞の海水着の肩から茶褐 落ちる日は簿雲に包まれて、先刻の烈しさを失っていた
色に照る周の肉をあらわしていた。 が、とりわけ白い清顕の肌にはそれくらいが頃合だった。
ζれ ほ ど 永 い 交 友 で あ る の に 、 夏 の あ い だ 、 清 顕 は 本 多 彼は赤衛一つの濡れた体を、仰向きになってらくらくと砂
を ζ の別荘へ招いたととがなかった。一度秋に、招かれて に任せ、目を閉じた。
あぐら
栗拾いに来たととがあるだけで、従って本多が清顕と海へ 本多はその左側に、砂に胡坐をかいて、ただ海に対して
出るのは、幼ない ζろの片瀬の学習院跡泳場以来であり、 いた。海はまととに穏やかだったが、その波の眺めが彼の
そして二人ともそのころは、今ほど格別に親しい友達では 心を魅した。
・なかった。 彼の自の高さと海の高さとは、ほとんど同じ高さとしか
思われないのに、すぐ目の前で海がおわり、そとから陵が かなりの沖に崩れかかる白波から数えて、四段か五段の
ζAFa'AJ
はじまっているのがふしぎに思われた。 波のおのおのが、いつも同時に、昂揚と、頂点と、崩壊と、
本多は乾いた砂を片方の掌から片方の掌へ移しながら、 融和と、退走との、それぞれの役を演じつ つ
e
けている。

hyp オリ pJ7 じようらん
砂がとぼれて掌が虚しくなると、またうつつなく新らしい あの撒栂いろのなめらかな腹を見せて砕ける波は、擾乱
砂をつかみ取り・ながら、目も心もその海に奪われていた。 であり怒号であったものが、次第に怒号は、ただの叫びに、
ささ守
海はすぐそ乙で終る。これほど遍満した海、これほど力 叫びはいずれ蟻きに変ってしまう。大きな白い奔馬は、小
た︿ま
にあふれた海が、すぐ目の前でおわるのだ。時聞にとって さな白い奔馬になり、やがてその逗しい横隊の馬身は消え
けたひづめ傘ずさ
も、空聞にとっても、境界に立っているととほど、神秘な 去って、最後に蹴立てる白い蹄だけが渚に残る。
感じのするものはない。海と陸とのとれほど壮大な境界に 左右からぞんざいにひろげた扇の形に、互いに犯し合う
全どりと
身を置く思いは、あたかも一つの時代から一つの時代へ移 二つの余波は、いつしか砂の鏡面に融け入ってしまうが、
おお
る、巨きな歴史的瞬間に立会っているような気がするでは その問も、鏡のなかの鏡像は活滋 K動いている。そとには
ないか。そして本多と清顕が生きている現代も、一つの肱 爪先立った白波の煮立つきまが、鋭利な縦形に映っていて、
の退き際、一つの波打際、一つの境界に他ならなかった。 それがきらめく霜柱のように見えるのである。
・海はすぐその日の前で終る。 退いてゆく波の彼方、幾重にもとちらへこちらへと折り
そぴら
波の果てを見ていれば、それがいかに長いはてしない努 重ってくる波の一つとして、白いなめらかな背を向けてい
力の末に、今そこであえなく終ったかがわかる。そこで世 るものはない。みんなが一せいにこちらを目ざし、一せい
はがほ
界をめぐる全海洋的規模の、一つの雄大きわまる企図が徒 に歯噛みをしている。しかし沖へ沖へと目を馳せると、今
き同︿
労に終るのだ。 まで力。つよく見えていた渚の波も、実は稀薄な衰えた拡が
・:・しかし、それにしても、何と・なごやか・な、心やさし りの末としか思われなくなる。次第次第に、沖へ向って、
ぎせつ老どりささぺり
い挫折だろう。波の最後の余波の小さな笹縁は、たちまち 海は濃厚になり、波打際の海の稀薄な成分は濃縮され、だ
巻町雪

その感情の乱れを失って、濡れた平らな砂の鏡商と一体化 んだんに圧搾され、濃緑色の水平線にいたって、無限に者⋮
まつ
施日A
して、淡い泡沫ばかりになるとろには、身はあらかた海の つめられた青が、ひとつの硬い結回聞に達している。距離と

ZJ1
うち
畑出へ退いている。 ひろがりを装いながら、その結晶とそは海の本質・なのだ。
うす
との稀いあわただしい波の重複のはてに、かの背く凝結し いる。本多の目は又もや、彼の脇腹の黒子へ行った。今度

定抱
たもの、それとそは海・なのだ。. はそれが、清顕の白い肉に喰い入った砂粒のように見えた
のである。
そ ζまで考えると、本多の目も心も疲れて、さっきから、 現に、本多のすぐ目の前で乾いた砂浜は終り、波打際に
かすり
本当に寝入ってしまったかと思われる清顕の寝姿に目を移 近い砂地は、ところどとろに乾いた白砂の飛白を載せて、
した。 黒々と引締っていたが、そこには軽い波跡の浮彫が刻まれ、
たい︿
その白い美しいしなやかな体躯は、ただ一つ身に着けた 小石、貝殻、枯葉などが、化石になったようにきっちりと

赤揮と鮮明な対比を・なして、かすかに息づく白い腹が樟の 候め込まれ、しかもどんなに小さい石でさえ、そとから退
あいわた ζん せ き ひ ら
上辺と相渉るあたりを、すでに乾いた砂と貝殻の微細な砕 いた水の痕跡を海のほうへ扇扇なりに展いていた。
憾んだ
片のきらめきが隈取っていた。たまたま清顕は左腕を上げ 小石、貝殻、枯葉ばかりではない。打ち上げられた神馬
わらわら在つみかん
て後頭部にあてがっていたので、左の脇腹の、ほのかな桜 藻、小さな木片、藁しべ、夏蜜柑の皮さえも、そんなふう
つぽみ Eょう陪︿ ぞう治ん
の奮のような左の乳首よりも外側の、ふだんは上縛に隠さ に象販されているからには、清顕の締った白い脇腹の肉に
樗︿ろ
れている部分に、本多は、きわめて小さな三つの黒子が、 も、どく徴細な黒い砂の粒子が、喰い入っているのはあり
集まっているのに目をとめた。 うることだ。
'
レ唾@
︽w'
肉体的な徴とはふしぎ‘ななもので、永い附合にはじめて発 とれがいかにもい・たいたしく恩われたので、本多は何と
見したそんな黒子は、彼には友が不用意に打明けてしまっ か清顕の目をさまさずに、それを除いてやる工夫はないも
同ぽか
た秘密のように思われて、直視する ζとが慣られた。日を のかと考えていたが、見つめているうちに、その微小な粒
かえ すこ
閉じると、除の裏では却って強い白光を放つタベの空に、 が胸の息づかいにつれて、健やかに動くありさまから、ど
Aか
その三つの黒子が、遠い鳥影のように鮮明に泥んでいる。 うしても無機物ではない清顕の肉の一部、すなわち黒子に
路ぽた
やがてそれらの羽樽きが近づいて、三羽の烏の形を描いて、 他-ならないと思われてきた。
頭上に迫ってくるような気がする。 それは何だか清顕の肉の優雅を、裏切るもののようにも
又白をひらくと、清顕は形のよい鼻翼から寝息を立て、 思いなされた。
うすくひらいた唇のあいだに、潤んだ潔白な歯を光らせて あまり強い凝視を肌から感じたものか、諸問顕は突然目を
ひらき、目が会って戸惑っている友の顔を、項をあげて追 びになりそうなんだ﹂
うようにして、とう言った。 本多はこの友の一一言から、清顕の恋がいちいち国事に関
﹁僕を助けてくれるか﹂ わっている、その危険をあらためて肌に感じた。
﹁ああ﹂ このとき二人の会話を遮って、王子たちが陽気にもつれ
﹁僕が鎌倉へ来たのは、表向きは王子たちのお守りのため 合い一-ながら駈けて来て、クリアサダは息を弾ませて、稚拙
だが、本当は、僕が東京にいないという評判をつくるため 在日本語で、
だったんだ。わかるかい﹂ ﹁今、ジャオ・ピ!と何を話していたか、わかる?



﹁そんなことだろうと思っていたよ﹂ は、生れかわりの話をしていたんだよ﹂
﹁貴様と王子たちを置いて、僕はときどき東京へこっそり と言った。
帰るだろう。あの人に三日も会わずにいることは耐えられ
ないんだ。僕の留守には、王子たちをごまかし、又万一、 三十三
東京の家から電話があるよう・なことがあっても、そこをう
まくごまかしてくれるのは、貴様の腕だ。今夜も僕は、最 日本人の青年二人はこの話に思わず顔を見合わせたが、
けいそう
終の汽車の三等に乗って東京へゆき、あしたの朝の一番で 軽操-なクリアサダには、もともと聴手の顔色を伺うゆとり
かえってくる。たのむよ﹂ などはなかった。こと半歳、さまざまな異国の苦労を積ん
﹁トデし﹂ だジャオ・ピーは、それに比べると、赤らめるほどの白い
わ、 hp
と本多が力強く受けあうと、清顕は幸福そうに手をさし 頬とそしてい・なかったが、そんな話柄をつ,つけることをた
のべて握手を求めた。それから更にこう言った。 めらっておられるのがわかった。そして多少文明風にきこ
ありすがわ いふ〆﹄
﹁有栖川の宮様の国葬には、貴様のファ l ザlも出るんだ えると思われたものか、澱みのない英語で語りはじめた。


﹂ ﹁いや、今、僕はクリと、子供のとろたびたび乳母から語
ジャータカぷつだ
春の雪

﹁ああ、そうらしい﹂ り聞かされた本生経の話をしていたところで、仏陀でさえ
カ︿ ぽさつうずら
﹁うまい時に 莞れに・なって下さった。きのうきいたとこ その過去世では、菩薩として、金の白鳥、鶏、猿、鹿の玉

9
hd

9
2
とういんのみや貯のうさい
ろでは、おかげでどうやら、洞院宮家の納采の儀はのびの などに、つぎつぎと生れ変られたのだから、僕たちの過去
世は何だろうかと、あてっとをして興じていたのです。ク 成長して、金の羽根毛におおわれた世にも美しい姿になり

3(x)
女きしようさきしようしゃ︿
リの前生は鹿で、僕の前生は猿だと言い張るのが絡にさわ ました。水の上をこの烏がゆくと、影は月影のようにかが
ζ 金 ζず え は む ら
る の で 、 僕 の 前 生 ζそ鹿で、クリのほうとそ猿だったのだ、 やきました。木の間を飛べば、梢の葉叢は、金の簡のよう
やす
と言い争っていたんです。君たちは僕らをどう思う?﹂ に透かされました。時あってとの鳥が枝に憩むと、時なら
ζ がね
どちらに加担しでも礼を失するととになるので、清顕も ぬ黄金の果実がみのったかのようでした。
す︿せ
本多も微笑したまま答え-なかった。そして話頭を転ずるた 白鳥は自分の宿世が人間であったことをさとり、生きの
グ ヤ 1 タカ
めに清顕は、自分たちはその本生経については全く無智だ とった妻や娘たちは、他家へ引取られて、賃仕事でかっか
のり
から、その中の何か一つの説話を話していただけないか、 つ口を糊しているととを知りました。そとで白鳥が思うに
と頼んだ。 は

﹁では、金の白鳥の話をしましょうか﹂とジャオ・ピーは ﹃私の羽毛の一枚一枚は、打てば延びる金の延べ板として
言った。﹁との話は、菩薩であったとろの仏陀の、相次ぐ 売るととができる。これからは、人間界への ζしてきた哀
ザ﹂'ゐ﹃ h
vト6AJ ほんりよ
三度の転生にまつわる物語です。御承知のとおり、菩薩と れな貧しい伴侶のために、一枚ずっとの羽根を与える ζと
は、未来で仏の悟りをひらくにいたる前の、修行者の姿で にしよう﹄
あって、仏陀も過去世では菩薩であられたわけです。その 白鳥はありし日の妻や娘たちの貧しい暮しを、窓からの
信だいりや︿はらみつ あいれんまど
修行とは、無上菩提を求め、衆生を利益し、諸波羅蜜の行 ぞいて哀憐の情にかられました。一方、妻や娘たちは、窓
しよう e
か。r
を修めることですが、主ロ薩としての仏陀は、さまざまな生 権にとまって光り輝やいている白鳥の獲におどろいて、こ
るい
類に転生されながら、善行を積まれたのだと云われていま う尋ねました。

。 ﹃おや、きれいな金いろの白鳥だとと。お前はどとから飛
ほらもん
むかしむかし、ある婆羅門の家に生れた菩薩は、同じ階 んできたの﹄
めともう っと
LS
級の家から妻を安り二二人の娘を儲けたのちにとの世を去 ﹃私はお前たちの、良人であり父親であった者だ。死後、
って、遺族は他家へ引取られました。 金の白鳥の胎に生れ変ったが、こうしてお前たちに会いに
ほら
死んだ菩薩は、次に金の白鳥の胎に転生しましたが、前 来たからには、苦しい暮しを楽にしてやろう﹄
生を思い出す智恵を備えていました。やがて菩薩の白鳥は と白鳥は一枚の羽根を与えて飛ぴ去りました。
いきさ
ζうして白鳥が時折やって来ては一枚ずつ羽根を与えて とがなかったので、些か戸惑わずにはいられなかった。清
去るので、母子の暮しは目立って豊かになりました。 顕はちらとたずねるような目をあげて本多を見た。ふだん
わがまま
ある日のとと、母親が娘たちに言うには、 我鐙な清顕が、抽象的な議論になると、必ずとうして、頼
き'均しゅう ふぜい
﹃禽獣の心はわからない。お前たちのお父様の白鳥も、い りなげな風情を示すのが、却って本多の心に銀の拍車の一
つことへ来なくなるかわからない。今度来たらその折に、 蹴りのように軽く刺って、彼をそそり立てた。
のとらず羽根をむしってしまおう﹄ ﹁もし生れ変りということがあるとして﹂と本多はいくら
﹃ああ、むどいお母様!﹄ か性急に話を進めた。﹁それもさっきの白鳥の話のように、
と娘たちは嘆いて反対したが、欲の深い母は、ある日飛 前生を知る智恵がある場合はいいが、そうで-なかったら、
来した金の白鳥をおびき寄せ、両手でっかんで、のとらず 一度断たれた精神、一度失われた思想が、次の人生に何の
羽根毛をむしり取ってしまいました。しかし、ふしぎなと 痕跡もとどめていず、そとで又、別個の新らしい精神、無
とに、むしり取るそばから、さしもの黄金の羽毛も鶴の羽 関係な思想がはじまるζとになり、:::そうすれば、時間
根のように白くなってゆくのでした。飛べなくなった白鳥 の上に一列に並べられた転生の各個体も、同じ時代の空聞
を、前世の妻は、大きな査に入れて餌付かせ、ひたすら又 にちらばる各人の個体と同じ意味しか持たなくなり、:::
金の羽毛が生えてくるのを望んでいましたが、再び生えた そもそも転生ということの意味がなくなるじゃありません
ぞろ
羽毛はみな白く、羽根の生え揃ったとき白鳥は飛び立って、 か。もし生れ変りというととを一つの思想と考えれば、そ
白いかがやく一点になって雲に紛れ、二度と戻つては来ま んなに何の関係もないいくつかの思想を一括する思想なん
せんでした。 であるでしょうか。現に僕たちは何一つ前世の記憶をもっ
ジャ l 夕 方
・・:とれが僕らが、乳母からきかされた本生経の物語の ていないのだから、それからしでも、生れ変りとは、決し
一つです﹂ て確証のありえないものを証明しようとする無駄な努力み
本多も清顕もこんな説話が、自分たちも語りきかされた たいですね。それを証明するには、過去世と現在位を等分
とぎぽ怠し
春の雪

お伽噺と、大そうよく似ているのにおどろいたが、話はそ に眺め、比較対照する思想的見地がなければならないが、
れから転生を信じるかどうかという議論になった。 人間の思想は、必ず過現未のどれかに偏して、歴史の只中

al
清顕も本多も今までついぞとんな議論に巻き込まれたと にいる﹃自分の思想﹄の家から、のがれようもないからで
ちゅうEう
す。仏教では、中道というのがそれらしいけれど、一体、 だろうか﹂

2
'
中道とは、人間の持つことのできる有機的な思想かどうか

J
﹁それでは、思想や精神が、死後も人々へ伝えられるのは

'
.l
怪しいものですね。 どうして也悼んだ﹂とジャオ・ピーは物しずかに反対した。
はや
一歩しりぞいて、人間の抱くあらゆる思想をそれぞれの 本多は、頭のよい青年の逸り気から、やや軽んずるよう
めいもう
迷妄と考えれば、過去世から現在世へと転生する一つの生 な口調で断定した。
命の、過去世の迷妄と現在世の迷妄を、それぞれ識別する ﹁それは生れ変りの問題とはちがいます﹂
第三の見地がなければならないが、その第三の見地だけ ﹁なぜちがう﹂とジャオ・ピーは穏やかに言った。﹁一つ
が、生れ変りを証明するととができて、生れ変る当人には の思想が、ちがう個体の中へ、時を隔てて受け継がれてゆ
a
e
永遠の宅
謎にすぎない。そしてその第三の見地とは、おそら
‘ くのは、君も認めるでしょう。それなら又、同じ個体が、
く悟りの見地なのだろうから、生れ変りという考えは、生 別々の思想の中へ時を隔てて受け継がれてゆくとしても、
れ変りを超脱した人聞にしかっかめないものであって、そ ふしぎではないでしょう﹂
こで生れ変りの考えがつかまれたとしても、すでにそのと ﹁猫と人間が同じ個体ですか?さっきのお話の、人間と
き、生れ変りというものは存在しなくなっているじゃない 白鳥と鶏と鹿が﹂

,P ﹁生れ変りの考えは、それを同じ個体と呼ぶんです。肉体
僕らは生きていて、死を豊富に所有している。葬いに、 が連続しなくても、妄念が連続するなら、同じ個体と考え

墓地に、そこのすがれた花束に、死者の記憶に、目のあた て差支えがありません。個体と一去わずに、﹃一つの生の流
りにする近親者たちの死に、それから自分の死の予測に。 れ﹄と呼んだらいいかもしれない。
それならば死者たちも、生を豊富に多様に所有している 僕はあの思い出深いエメラルドの指環を失った。指環は
のかもしれない。死者の固から眺めた僕らの町に、学校に、 生き物ではないから、生れ変りはすまい。でも、喪失とい
工場の煙突に、次々と死に次々と生れる人聞に。 うととは何かですよ。それが僕には、出現のそもそもの根
生れ変りとは、ただ、僕らが生の側から死を見るのと反 拠のように思えるのだ。指環はいつか又、緑いろの星のよ
対に、死の側から生を眺めた表現にすぎないのではないだ うに、夜空のどこかに現われるだろう﹂

ろうか。それはただ、眺め変えてみただけの ζとではない 乙とへ来て、王子は悲哀にとらわれて、俄かに問題を外
らしてしまったように思われた。
﹁でもあの指環は、何かの生き物が、こっそり指環に化け 本多がこん・な考えに耽っているうちに、清顕は、次第に
あっ
ていたのかもしれませんね、ジャオ・ピ 1﹂と、クリッサ 暮れてゆく砂を蒐めて、クリッサダと共に、砂の寺院を一
せんとうしぴ
ダは無邪気に応じた。﹁そして自分の足で、どこかへ逃げ 心に建てていた。しかしシャム風の尖塔や鴎尾は、砂で形
出して行ったのかもしれませんよね﹂ づくるのが難かしかった。クリ 7サダは砂まじりの水滴を
ジ ・ジヤ〆
J
﹁それならあの指環も、今ごろは月光姫のような美しい人 巧みに落して、繊細きわまる尖塔を積み重ね、あたかも女
たち e
z
に生れ変っているかもしれない﹂と、ジヤオ・ピーは、忽 の袖からその黒くてしなやかな指を引き出すように、濡れ

ち自分自身の恋の思い出のなかへ閉じこもってしまった。 た砂の屋根から反りかえった鴎尾を注意ぶかく引き出した。
け同れれん
﹁ほかの誰からの便りにも、あの人が元気だと言ってくる。 が、そうしてつかのま空中へさしのべられた、盛禦して反
︿ず
そしてどうして月光姫自身からだけは便りがないのだろう。 ったような黒い砂の指は、乾くと共に、もろくも折れて頚
誰かが僕をいたわっている﹂ れてしまった。
一方、本多はその言葉を聴き流しながら、さっきジャ 本多もジャオ・ピーも、議論をやめて、嬉々として忙し
ふり
オ・ピーが言ったふしぎな逆説について思いに耽っていた。 げにしている二人の子供らしい砂遊びに目を移した。砂の
がらんフアサド
たしかに人間を個体と考えず、一つの生の流れととらえる 伽藍にはもう灯が要った。折角精妙に刻み込んだ前面や縦

考え方はありうる。静的な存在として考えず、流動する存 長の窓を、夕闇戸すでに均らして、輪郭だけの黒い塊りに
在としてつかまえる考え方はありうる。そのとき王子が旦一一口 変えてしまい、砕ける白波が、わずかに臨終の白目のよう
ったように、一つの思想が別々の﹁生の流れ﹂の中に受け に、との世の消えがての光りをそこだけに蒐めている白を
つがれるのと、一つの﹁生の流れ﹂が別々の思想の中に受 背景にして、寺院はおぼろげな影絵になった。
t
-
けつがれるのとは、同じ乙とになってしまう。生と思想と しらぬ聞に、四人の頭上には星空があった。天の川はあ
は同一化されてしまうからだ。そしてそのような、生と思 りありと天頂にかかり、本多が知っている星の名は少なか
けんずゅうが少かだ
春の雪

想が同一のものであるような哲学をおしひろげれば、無数 ったが、それでも銀河をさしはさむ牽牛織女ゃ、二人の媒
うしおりんね
の生の流れを統括する生の大きな潮の連環、人が﹁輪廻﹂ ちをするために巨大な翼をひろげている白鳥座の北十字星

a沼
と呼ぶものも、一つの思想でありうるかもしれないのだ ω はすぐ見分けられた。
四人の若者は、日のあるうちよりははるかに高まってき

3J4
ζえ る 波 の 轟 き 、 昼 間 は あ れ ほ ど 隔 て ら れ て み え た 海 と 砂 三十四
浜が一つの闇に融け合うありさま、空にはただ数を増す星
が威圧するようにひしめくさま、::・そういうものに包み 清顕は三日にあげず東京へ忍びに行き、かえってくると
つぶ
込まれていることが、何か見え・ない巨大な琴のような楽器 本多にだけは、そこで起った ζとを詳さに打明け、洞院宮
の中に包み込まれている感じがしていた。 家の納采の儀も、はっきり延期になったと告げた。しかし
‘さそう しようがい
それは正しく琴だった!かれらは糟の中へまぎれ込ん とれはもちろん聡子の結婚が、何らかの障碍に乗り上げた
だ四粒の砂であり、そこは果てしの・ない閣の世界であった ととを意味するものではなかった。聡子はしばしばお招き
が、槽の外には光りかがやく世界があって、竜角から雲角 をうけて宮家へ伺い、父宮殿下もすでに心易い・お扱いをし
まで十三弦の弦が張られ、たとしえもなく白い指が来てと て下さっていた。
れに触れると、星の悠々たる運行の音楽が、琴をとどろか 清顕はこうした状況に満足しているというのではなかっ
して、底の四粒の砂をゆすぶるのだった。 た。彼は何とかして、今度は聡子を終南別業へ呼び寄せて
海の夜は微風を載せていた。その潮の香り、打ちあげら 一夜をす・としたいと考えはじめ、乙の危険な計画に本多の

れた海藻類の立てる匂いは、若者たちの、涼しさに委せた
AU
知恵をも借りようとした。しかしそとには、考えるだに面
素肌の肉体を、わななくような情緒で充たした。潮風の湿 倒な障碍が重なっていた。
り気が肌にまつわると、そとから却って、火のようなもの 或る大そう蒸暑い晩の寝苦しさに、清顕は浅い眠りのあ
が噴きのぼってきた。 いだに見たのであろう、今まで見たととのないよう念夢を
﹁もう帰ろう﹂ 見た。こういう眠りの浅瀬には、水もぬるみ、沖から打ち
おかあ︿た
と突然清顕が一言った。 寄せられてきた漂流物のくさぐさが、陸の芥と見分けのつ
かちわた
それはもちろん客たちを夕食へ促す意味だった。しかし かない形で堆積して、徒渉る人の足を刺すもの-なのである。
本多は、彼がひたすら最終の汽車の時刻を気にしているの ・::清顕はどうしたわけか、ふだん着た ζとの
"M vez

を知っていた。 ない白木棉の着物に白木棉の袴という姿で、猟銃を携えて、
野中の道に立っている。多少起伏のある野原はそれほどの
広野ではなく、彼方には家並の屋根々々も見え、野中の道 幹も異様な褐紅色をしていて、枝葉はない。しかし巨樹の
をとおる自転車もあるが、異様な沈痛な光りがそこを領し 形に静まると叫びも途絶え、あたりには又、前と同じ沈痛
み老ぎ
ている。夕日の最後の残光のような力のない明るさだが、 な光りが滋って、野中の道を、人の乗っていない新らしい
その光りが空から来るとも地から来るとも定かではない u
銀いろの白転車がゆらゆらと近づいてきた。
野の起伏をおおう草も内から緑光を放ち、遠ざかる自転車 彼は天日を覆うていたものを自分が払ったのだと誇らし
もそれ自体が、、ぼんやりと銀いろに発光しているという具 く感じた心
合・なのだ。ふと自分の足もとを見ると、下駄の白い太い鼻 そのとき野中の道を、遠くから、自分と同じ白装束の一
ちみつ
絡も、足の甲の静脈も、奇妙に明るく浮き出して綴密に見 回が来るのが見られた oかれらは粛々と進んで来て、っ
けん
える。 二問先に立止った。見ればおのおのが、手につややかな榊
弘凡嘩-F
、官レ
そのとき光りが繋って、空の一角からあらわれた鳥の波 の葉の玉串を携えている ω
支えず きょ
りが、おびただしい嚇りと共に頭上へ迫ってきたとき、清 清顕の身を潔めるために、かれらは清顕の前でその玉串
顕は空へ向けて猟銃の引金を引いた。彼はただ無情に撃っ を振り、その音がさやかに響いた。
たのではない。いいしれぬ怒りと悲しみのようなものに身 かれらの一人の顔に、清顕はありありと、書生の飯沼の
内がいっぱいになって、烏へというよりは、大空の巨大な 顔を見出しておどろいた。しかもその飯沼が口をひらいて、
青い目をめがけて撃ったのである。 清顕にとう言ったのである。
たつ あら
すると撃たれた鳥は一せいに落ちて来て、叫喚と血の竜 ﹃あなたは荒ぶる神だ。それにちがい司ない﹄
eき
巻が天と地をつないだ。というのは、無数の烏が叫びなが 清顕はそう言われて自分の身をかえりみた。いつのまに
あかねまがたま︿ぴかぎり
ら、血をしたたらしながら、一本の太い柱なりに密集して、 か、くすんだ藤いろや茜いろの勾玉の頭飾が、自分の頚に
際限もなく一個所へ落ちてくるので、滝の水がつづいて見 かけられていて、その石の冷たい感触が、胸の肌にひろが
いわれ必
えるように、いつまでもその落下が、音と血の色を伴って、 っていた。しかも自分の胸は、平たい厚い巌のようであっ
春の雪

竜巻のように連続しているのである。 た

そして、その竜巻が見る見る凝固して、天に届く一本の 白衣の人が指呼する方を見返ると、あの烏の屍が凝って

a5
しかばね しずえ
巨樹になった o無数の鳥の屍を閏めてできた樹であるから、 できた巨樹からは、あざやかな緑の葉が生い茂って、下校
までがその明るい緑に-おおわれていた。 はこの人一人であり、本多はそのためわざわざ東京へゆき、
:::そとで消顕は目がさめた。 相臨時が五井家を訪ねて、彼のフォードを運転手つきで一晩描
あまり常ならぬ夢であったので、このととろ久しくつけ 貸してもらいたいと頼んだ。
ていない夢日記をひらいて、できるかぎり詳細に誌しはじ いつも落第すれすれのこの遊び人の青年は、級の名だた
かか ふ
1つ
めたが、目ざめたのちも、なお身内には、激しい行動と勇 る堅物の秀才が、乙ん.ななたのみ事をしてきたのに お
h布どろき
陪て 怠
山り骨
v
気の火照りがあった。彼は今しも一つの戦いから還ってき 呆れた O
そしてこの機をのがさず横柄なゆとりを十分に示
たばかりのよう・な気がした。 して、理由をちゃんと打明けてくれれば貸さないものでも
ないと言った。
まいそろ
││深夜聡子を鎌倉に連れてきて、昧爽に東京へ連れ戻 日ごろの本多にも似合わぬことだが、彼はとの愚物を前
すには、馬車ではいけない。汽車でもいけない。まして人 に、いかにもおずおずといつわりの告白をする乙とに喜び
よど
力車では叶わ・ない。どうしても自動車が要るのである。 を感じた。嘘をつくととから言葉が淀みがちになるのを、
しゅうち
それも清顕の周辺の家庭の自動車ではいけない。まして 思いつめた気持と差恥からそうなるのだと、信じ込んでい
聡子の周辺の自動車ではいけない。顔も知らず、事情も知 る相手の顔つきが面白かった。理智があれほど人を信服さ
らぬ運転手が、運転する車でなくてはならない。 せるのが難かしいのに、いつわりの熱情でさえ、熱情が ζ
ひろい終南別業のうちとは云い・ながら、聡子と王子たち うもやすやすと人を信じさせるのを、本多は一一種苦々しい
と顔を合せてはならない。王子たちは、聡子の婚約の事情 喜びで眺めた。それは又、清顕の目から見た本多の姿でも
を御存知かどうかは知れないが、顔を見分けられれば厄介 あった筈だ。
たね
の種子に・なるに決っている。 ﹁見直したよ。貴様にそんな一面があるとは思わなかった。
これだけの困難をくぐり抜けるには、どうしても本多が でも秘密主義は残っているんだな。彼女の名前ぐらい言っ
働いて、馴れない役を演じ-なければなら・なかった。彼は友 てもいいじゃないか﹂
のために、女を連れて来て連れ戻る約束をしたのである。 ﹁房子だ﹂
いつい 掌たい kζ
彼の頭に浮んだのは級友の豪商の息子の名で、五井家の と本多は思わず久しく会わない又従妹の名を言ってしま
長男であるが、自分の自由になる自動車を持っている友人 った。
﹁それで松枝が一夜の宿を貸し、俺が一夜の自動車を提供 大旦那様附の運転手から運転を習い、警察で免許をとると
するというわけなのか。その代り今度の試験のときはよろ きには、その師匠を堂々と警察の玄関前に待たせておいて、
しくたのみます﹂ 学科試験でわからない問題にぶつかると、玄関までききに
と五井は半分まじめに頭を下げた ο その目は今や友情に 行って、又戻ってきて答案のつづきを書いた。
輝やいていた。彼は本多の知能と、いろんな意味で対等に 本多は夜おそく五井の家へ乙の事を借りにゆき、聡子の
なったのである。その平板な人生観は確かめられ、 身 も と が 知 れ ぬ よ う に 、 例 の 軍 人 御 下 宿 の と ζろへ車を止
﹁人聞は結局みんな同じだな﹂ めて、謬科と人力車で忍んで来る聡子を待つ手筈になって
あんど
と言う声は安堵に充ちていた。本多はそもそもとれを狙 いた。葱科が来ぬ ζとを清顕は望んでいたが、聡子の留守
ったのだ。それと同時に、本多は十九歳の青年が誰しも手 のあいだ、聡子がずっと寝間で寝入っているかのごとく装
に入れたいと望んでいるロマンチックな名声を、清顕のお うことが、謬科の大切な役目であれば、来ようにも来られ
︿だ︿だ
かげで手に入れる筈であった。要するにこれは、清顕と本 なかった。謬科は心配をあらわにして、冗々しく注意を与
多と五弁企一一人の、誰にとっても損の行かぬ取引だった。 え・ながら、ょうよう聡子を本多に託した。
五井の持っている一九一一一年型の最新のフォードは、セ ﹁運転手の手前、ずっとあなたを房子さんと呼びますよ﹂
ルフ・スタ 1タ ア の 発 明 に よ っ て 、 も う 始 動 の た め に い ち と本多は聡子の耳に蟻いた。
いち車から降りなければならぬような運転手泣かせの車で 深閑とした真夜中の邸町を、フォードは爆音をとどろか
は-なくなっていた。二段変速機っきのふつうの T型だった せて出発した。
降ろ
が、黒塗りに細い朱の線が扉をふち取り、幌に包まれた後 本多は聡子の、何事も意に介さない、果敢な態度におど
部座席だけはなお馬車の面影をとどめていた。運転手に話 ろいた。白い洋装で来たので、その果敢が一そう加わって
しかけるときは通話管に口をあて、運転手の耳もとにひら みえたのである。
らっぽ
いている明夙へ声を伝えるのであった。屋根にはスペア・
春の雪

タイヤのほかに荷台がつき、長途の旅行に耐えるようにで -:本多は友人の女と二人でこうした深夜のドライブを
きていた G
するととの、ふしぎな味わいを知った。彼はただ友情の化

a7
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rし阜、

、ト
運転手の森は、もと五井家の馬車の叡者であった。彼は 身として、夏の真夜中の女の香水の匂いがしきりに揺れる
車の幌の内に、身を接して坐っていた。 と、・自動車が動きだしてしばらくしてから聡子は言った。
それは﹁他人の女﹂であった。しかも無礼なほどに聡子 しかし引返すことはできなかった。一路東京へ急がなくて却
おぽっか
は女だった。本多は自分に対する清顕のとんな信頼に、ず は、明けやすい夏の未明に家へ帰り着く乙とが覚束ない。
'e晶
っと彼らのふしぎな鮮であった清顕の冷たい毒が、かつて ﹁僕が承っておきましょう﹂
よみがぷペヲ
ないほど鮮やかに匙えるのを感じていた。信頼と侮蔑とが、 と本多は言った。

薄い革手袋と手とのように、ぴったりと貼り合わされ組み ﹁
ええ・
・・・
・・﹂
ゆる ちゅうちょ
合わされたもの。それを本多は清顕の美しさのために恕し と総子は跨踏していた。やがて心を決めたようにとう言
たのだ。 ?た。
かわ
そしてその侮蔑から身を燥すには、自分の高潔さを信じ ﹁では、とうお伝え下さいまし。馨科が先頃、松枝家の山
るほかはないのだが、本多は盲目な昔気質の青年がそうす 田に会って、清様のおつきに-なった嘘を知ってしまった。
るようにではなく、理智を通してそれを信じるととができ 清様が持っていらっしゃるように装うていらした手紙は、
た。彼は決して飯沼のように、自分を醜いと考える型の男 実は、夙うに山田の自の前で、破り捨てておしまいになっ
ではなかった。醜いと思ったら最後:::、清顕の家来に・な ていたものだと、審科が知ってしまった。:::でも、馨科
あき
るほかはないのだ。 のととで御心配なさるには及ばない。葱科はもう万事を諦
もちろん聡子は、疾走する自動車の涼風に髪を乱しなが らめて目をつぶっております。 :::ζ れだけのととを清様
らも、決して節度を崩す ζとはなかった。二人の聞で清顕 へお伝え遊ばして﹂
ふ︿しよう
の名はおのずから禁句になり、房子の名はちいさな架空の 本多は言葉どおりに復請して、 ζの神秘な伝言の内容を
親しみのしるしになった。 一切問わずに受け合った。
とうした本多の折目正しい態度が心に触れたのか、聡子
は往きとは打って変って能弁になった。
﹁本多さんは親友のためによくととまでお尽しになるのね。
かえり道はまるでちがっていた。 清様は本多さんのような友達をお持ちになって、世界一の
﹁ぁ、清様に申上げるのを忘れてしまった﹂ 仕合せ者だと思わなければいけませんわ。私共女には、本
当の友達というものはおりませんのし のととを少しもふしだらだと思えないのに。
ほうし おそ
聡子の日にはまだ放怒な火の名残があったが、髪は一筋 どうしてでしょう。清様と私は怖ろしい罪を犯しており
, やゐ
の乱れも・なく整えられていた。 ますのに、罪のけがれが少しも感じられず、身が浄まるよ
M
本多が黙っているので、聡子はやがてうつむいて声を明 うな思いがするだけ。先程も浜の松林を見ておりますと、
らせた。 ζ の松林が、生きてもう二度と見ない松林、その松風の音
しめ
Latu
﹁でも本多さんは私のことを、さぞふしだらな女だと思召 が、生きてもう二度と聞かれない松風のような気がするの
せつ老
すでしょうね﹂ です。利那利那が澄み渡って、ひとつも後悔がないのでご
おっしゃ
﹁そんなととを仰言つてはいけません﹂ ざいますわ﹂
おうせ
と本多は思わず強い語調で遮った。そう言う聡子の言葉 一諮りながら聡子は、そのたびごとに最後の逢瀬のように

さげ A
が、そんな蔑むような意味はなくとも、たまたま本多の心 思われる清顕とのあいびきが、殊に今夜は、消寧な自然に
に浮んでいた情景を見事に射当てていたからである。 固まれて、どんなに怖ろしい、日のくらむほどの高みに達
本多は夜を徹した送り迎えの役目を忠実に果し、鎌倉へ したかを、つつしみのなさをも犯して、語り残したくてな
着いて清顕の手へ聡子を引渡したときも、又、清顕の宇か らない気持が、どうして本多にわかってもらえるだろうか
ら聡子を受け取って帰るときも、いささかも心の乱れの・な と焦っていた。それは、死とか、宝石の輝きとか、夕日の
いととを誇りにしていた。心の乱れがあってよい筈はない。 美しさとかを、人に語り伝えるととの至難に似ていた。
けそう
彼自身、との行為によって厳粛な危険に関わり合っている 清顕と聡子はあまり顕証な月かげを避けて、浜のそとか
場合ではないか。 しこをさまようた。深夜の浜には人影ひとつなかったが、
みよし
しかし、消顕が聡子の手を引いて、月光の庭を木影づた たかだかと納をかかげた漁船が砂に落している黒い影は、
ezdu
いに、海のほうへ駈けてゆくのを見送ったとき、本多はこ あたりが肱ゆいだけに頼もしく思われた。船の上は月を浴
うして白分が手を貸しているのは確実に罪であり、しかも びて、船板も白骨のようである。そこへ手をさしのべると、
春の';~

その罪がいかに美しい後ろ姿を見せて飛ぴ去ってゆくかを 手が月光に透くかのようだ。
見たのである。 海風の涼しさに、二人はすぐに舟蔭で肌を合せた。聡子

担'XJ
﹁そうねりそんなことを一言つてはいけないのね。私が自分 はめったに着ない洋服の輝くばかりの白さを憎み、自分の
cゅういっ
肌の白さも忘れて、すとしも早くその白を脱ぎ捨てて留に ぬ。そこで聡子は、重い充溢のなかで海になった。

310
身を隠したいと望んでいた。 かれらを取り囲むもののすべて、その月の空一、その海の
ちぢ
誰も見ていない筈なのに、海に千々に乱れる月影は百万 きらめき、その砂の上を渡る風、かなたの松林のざわめき、
の目のようだつた。聡子は空にかかる雲を眺め、その雲の :すべてが滅亡を約束していた。時の薄片のすぐ向う側
い会
端に懸って危うくまたたいている星を眺めた。清顕の小さ に、巨大な﹁否﹂がひしめいていた。松林のざわめきはそ
な固い乳首が、自分の乳首に触れて、なぶり合って、つい の音では‘なかったろうか。聡子は自分たちが、決して自分
ほういつ
には自分の乳首を、乳房の豊溢の中へ押しつぶすのを聡子 たちを許さないものによって取囲まれ、見守られ、守護さ
いと
は感じていた。それには唇の触れ合いよりももっと愛しい、 れているのを感じていた。水盤の水の上に落された油の一
ほか主も
何か自分が養っている小動物の戯れの触れ合いのような、 滴が、他ならぬその水によって衛られているように。が、
ひルあしはず M4e さかい
意識の一歩退いた甘さがあった。肉体の外れ、肉体の端で 水は黒く、ひろく、無言で、一滴の香油は孤絶の堺に泥ん
起っているその思いもかけない親交の感覚は、目を閉じて でいた。
い老
いる聡子に、雲の外れにかかっている星のきらめきを思い 何という抱擁的・な﹁否﹂!かれらにはその否が、夜そ
出させた。 のものなのか、それとも近づいてくる夜明けの光りなのか、

わもe也

そこからあの深い海のような喜びまでは、もう一路だっ 弁えがつか・なかった。ただそれは自分たちのすぐ近くまで
ひし
た。ひたすら聞に融け入ろうとしている聡子は、その閣が 拝めいていて、まだ自分たちを犯しはじめてはい・なかった。
ω

ただ、漁船の侍らせている影にすぎないと思うとき、恐怖 :二人は身を起して、闇から辛うじて頚をさしのべて、

にかられた。それは堅固な建物や岩山の影ではなくて、や 沈みかけてゆく月をまともに見た。そのまどかな月を、空
、い ζ ︿ぎきしよう
がて海へ出てゆく筈のものの、かりそめの影にすぎなかっ に痢乎と釘づけられた自分たちの罪の徽章だと聡子は感じ
かっ ζ
た。船が陵にあるととは現実ではなく、その確乎たる影も た

幻に似ていた。彼女は今にも、そのかなり老いた大ぷりの 人影はど ζにもなかった。二人は船底に隠した衣類をと
漁船が、砂の上を音も・なく滑り出して、海へのがれてゆく り出すために立上った。そして漆黒の闇の名残のような黒
き守 かた
ような危倶を抱いた。その船の影を追うには、その影の中 い部分を、月に白む腹の下に互みに眺めた。ほんの短かい
にいつまでもいるためには、自分が海にならなくてはなら 間ではあったが、じっと真剣にそ ζを見ていた。
着るものを着てしまうと、清顕は舟べりに腰かけて、足 けないのです﹂
をぶらぶらさせ・ながらとう言った。 本多には、との女を理解したいという一種ふしぎな衝動
﹁僕たちが許された仲だったら、とてもこんなに大胆には が起っていた。それは微妙な復讐で、彼女が本多を﹁理解
なれないだろう﹂ 深い友﹂として扱うつもりなら、彼にも亦、同情でも共感
﹁ひどい方ね。清様のお心はそれだったのね﹂ でもない理解の権利がある筈だった。
えん
と聡子は怨じる風情を見せた。かれらの叩く軽口には、 しかし、とんな恋にみちあふれたたおやかな女、自分の
かず
しかし名状しがたい砂の味わいがあった。すぐかたわらに すぐ傍らにいて心ははるか遠くに託けているとの女を、理
絶望が控えていたからだ。聡子はなお舟蔭の閣にうずくま 解するとはどんな種類の作業であろう。::・持ち前の論理
っていたが、舟べりから垂れている清顕の足の甲が、月に 的な詮索癖が、本多の中で頭をもたげかけた。

か偽る

白く照っているのを戴いて、その指先に唇をつけた。 車の動揺は、何度か聡子の膝をとちらへ片寄せたが、二
かば
人の膝頭が決してぶつからぬように聡子が身を庇う機敏さ
おぐるまりす
﹁とん-なことを申上げるべきではないかもしれません。で は、小車を廻す栗鼠の廻転のよう・な、めまぐるしいものを
いらえ
も、本多さんのほかに、きいていただく方はいないのです 見る思いで、本多の心をやや苛立たせた。少くとも聡子は
もの。私のやっていることは、怖ろしいことだと知ってお 決してそんなめまぐるしさを、清顕の前では見せぬだろう


ります。でも、禁めて下さいますな。いつか結着のつく乙 と思われた。
とは知れているのでございますから。:・:それまでは一日 ﹁さつきあなたは覚悟をしている、と言われましたね﹂と
のばしに、こうしていとうございます。ほかに道はありま 本多は聡子の顔を日比すに言った。﹁それと、﹃いつか結着が
せん﹂ つく﹄というお気持とは、、どういう風につながっているん
﹁覚悟をしていらっしゃるのですね﹂ です。結着がついたときでは、覚悟はおそいのではありま
と本多は思わず知らず一種の哀切さをこめて言った。 せんか。あるいは又、覚悟次第で、結着もつくのではあり
春の雪

﹁ええ、覚悟をしておりますわ﹂ ませんか。僕にはわかっているんです。僕のしているのは
﹁松枝もそうだと思います﹂ 残酷な質問です﹂

1
31
﹁ですから一層、あなたにとん-な御迷惑を沿かけしてはい ﹁よく訊いて下さいました﹂
と聡子は安らかに応じた。その横顔を思わず本多は見守 いますわ。:::本多さんにもいつかそれがおわかりになる

812
ったが、美しい端正な横顔には何の乱れもなかった。その でしょう﹂

の F、

とき聡子はふと自を閉じたので、天井の灰暗い灯はそのさ 本多は清顕がかつて聡子を、どうしてあんなに践れてい
書ヲげ
なきだに長い臆の影を深く落し、窓には夜明け前の樹々の たか、その理由がわかるような気がした。
繁みが、まつわる黒雲のように様過していた。 ﹁さっきあなたは、僕に ζん・な迷惑をかけてはいけない、
森運転手は律儀な背を向けて、運転にいそしんでいた。 と仰言いましたね。あれはどういう意味でしたか﹂
an
'ヌ
運転台との聞には厚い硝子の引違い窓が閉ざされ、ととさ ﹁あなたは立派に正道をお歩みになる方だから。それをと
ら通話管へ口をおしあでなければ、二人の会話がきとえる んな ζとにお関わらせしてはいけない。それはもともと清
気づかいは-なかった。 様がいけないのです﹂
﹁私がいつかそれを終らせる ζとができる筈だと仰言るの ﹁僕をそんな正義派だと思っていただきたくないな。なる
どもっと かをじん
ね。清様の親友としてそう仰言るのは御尤もだわ。私が生 ほど僕の家庭はこの上も・ない国人の家庭です。しかし、今
きたまま終らせる乙とができ・なければ、私が死んで:::﹂ 夜すでに、僕は罪に加担してしまったのです﹂
おっしゃ
そんな言い方を本多があわてて否定するととを聡子は望 ﹁そんなととを仰有ってはいけません﹂と聡子は強く、怒
んでいたかもしれないが、本多は頑なに黙ったまま、次の ったように遮った。﹁罪は清様と私と二人だけのものです
聡子の言葉を待った。 わ

﹁:::いつか時期がまいります。それもそんなに遠くは-な それはいかにも、本多を庇って言われた言葉のようであ
ほとひら
いいつか。そのとき、お約束してもよろしいけれど、私は りながら、余人を寄せつけない冷たい衿りが閃めき、聡子
未練を見せないつもりでおります。こんなに生きる ζとの がその罪を、滑顕と二人だけの住む小さな水田聞の離宮のよ
むさぽ *
有難さを知った以上、それをいつまでも貧るつもりはござ うに思い倣しているのがわかった。それは掌に載るほど小
いません。どんな夢にもおわりがあり、永遠-なものは何も さな水晶の離宮で、誰もそとへ入ろうにも小さすが Cて入れ
-ないのに、それを自分の権利と思うのは愚かではどざいま ない。かれらの変身によって、っかのまそ ζに住むことが
せんか。私はあの﹃新しき女﹄などとはちがいます。::: できるほかには。そしてかれらがそ ζに住んでいる姿は、
めいせき
でも、もし永遠があるとすれば、それは今だけなのでどざ 微細に、明断に、外側からありありと見てとれるのだ。
聡子が急にうつむきかかったので、本多はその身を支え 国語で語り合い、清顕は思いに耽り、本多は書物を膝にひ
ようとして、さしのべた手が聡子の髪に触れた。 おりいて。
﹁ごめんあそばせ。あれだけ気をつけたのに、まだ靴の山中 ﹁曲げをあげましょう﹂
に砂が残っているような気がいたしますの。もし気づかず とクリッサダが日本語で一言って、みんなに金口のウエス
に。家で靴を明けば、靴の係は馨科ではありませんから、砂 トミンスターを配って歩いた。王子たちは、学習院の隠語

を怪しむ女中の告げ口が怖ろしゅうございます﹂ で煙草を云う﹁曲げ﹂という言葉を逸早くおぼえていた。
本多は靴の始末を婦人がするときに、どうしているべき 煙草は学校では本来禁制なのだが、高等科の学生にだけは、
か知らなかったので、一図に窓へ顔を向けて、そのほうを 公然と喫まない限り大目に見られていた。そして学校では
そう︿つま
見ないようにしていた。 半地下室のボイラー・ルームが、煙草喫みの巣窟で﹁曲げ

車はすでに東京の町へ入っていたが、空はあざやかな紫 場﹂と呼ばれた。
紺になったっ暁の横雲が、町の屋根に棚引いていた。一一刻 こうして晴れやかな空の下で、誰の日も僚らずに喫む煙
いち象つ
も早く車が着くようにと念じ-ながら、彼は又、 ζ の人生に 草にすら、だから一抹の曲げ場の味わいが、その秘密の美
又とないふしぎな一夜が明けるのを惜しんだ。耳のせいか 味がまつわっていた。英国煙草もボイラー室の石炭の匂い
と思われるほど、ごくかすかな音が、多分総子が脱いだ靴 や、薄閣のなかでたえず警戒して動かす目の白B の光りや、
から床へ落した砂音が背後にきこえた。本多はそれを、世 少しでも煙を豊富に吸おうとして、たえず火口を赤らませ
せわ
にも艶やかな砂時計の音ときいた。 る忙しなきゃ、そういうものと結びつけられて、はじめて
味わいを増すのであった。
五 清顕は皆に背を向けて、夕空にゆらめき出す煙のあとを

追いながら、沖の雲の形が崩れておぼろげなのが、なお一
きばら
シヤムの王子たちは終南別業の生活に悉く満足されてい 面ほのかな黄蓄額の色に染っているのを見た。そ乙にも彼
春の雪

るようだつた。 は聡子の影を感じた。聡子の影と匂いはあらゆるものにし
とういすばん
或る夕刻、四人は庭の芝生へ四脚の燦椅子を出させ、晩 み入り、自然のどんな微妙な変様も聡子と無縁ではなかっ

818
さん
餐前の、タ風の涼しい一刻を愉しんでいた。王子二人は母 た。ふと風が止んで、なまあたたかい夏の夕方の大気が肌
に触れると、そのとき裸の聡子の肌がそ ζに立ち迷って、 ひらいた一冊からさえ目を離し、そのやや近眼の目を細め

814
が砂
じかに清顕の肌に触れるような気がした。少しずつ暮れて て、庭を囲む西側の崖のほうを眺めゃった。
ねむ
ゆく合歓の樹の、緑の羽毛を重ねたような木蔭にさえ、聡 天頂はまだ明るいのに、崖はすでに影に充ちて、黒々と
子の断片が漂っていた。 立ちふさがっていた。しかし崖の尾根をおおう木々のさか
てもと ひ圭びゃっ ζう
本多は、いつでも本を手許に置かなくては薄着かない性 んな繁みの隙に、とまかく織り込まれた西空の白光があっ
きららがみ
分だった。書生の一人がこっそり貸してくれた発禁本の、 た。そうして透いて見える西空の雲母紙は、夏の一日の色
にぎ
北輝次郎著﹁国体論及び純正社会主義﹂は、二十三歳とい どり賑やかな絵巻の果ての、長い余白のように思いなされ
う著者の年齢が、日本のオットオ・ワイニングルたるを思 た

hy
わせたが、そのあまり面白すぎる矯激・な内容が、本多の穏 --・:若者たちの、快い疾ましさを含んだ喫煙。暮れかか
きん
やかな理性に警戒心を起させた。彼は過激な政治思想を憎 る芝生の一角に立つ蚊柱。遊泳のあとの黄金のけだるき。
むのでは-なかった。ただ、彼自身は怒りを知らなかった。 みちたりた出口付け。:・:
それが他人の怒りというものを、伝染性の強い病気のよう 本多は一語も発しなかったけれども、今日を自分たちの
に見せていた。それだけにそういう他人の怒りが面白く読 若さの、まぎれもない幸福の一日に数えることができると
まれるというととは、良心にとって面白くない事態だった。 思った。
,h-ah' 4
a
m

い予
又、王子たちと交わした転生の議論の、 ζちらの畑を多 王子たちにとってもその筈だった。
少とも肥やすために、との問聡子を東京へ送り帰した朝、 王子たちは明らかに、清顕の恋の多忙を見て見ぬふりを
そのまま家へ立ち寄って、斎藤唯信著﹁仏教学概論﹂を父 しておられたが、又、清顕や本多も、王子たちの、浜辺で
の本棚から借りて来ていたが、その発端の業感縁起論の面 の漁師の娘たちとの戯れにそしらぬふりをし、その代り清
白さが、﹁マヌの法典﹂に凝りすぎていた去年の初冬のと 顕が娘たちの父親に、しかるべき涙金を包んでやっていた。
さわ
とを思い出させ、あまり深入りして受験勉強に障つてはと そして王子たちが山上から朝毎に拝む大仏に守られて、夏
いう配慮から、その先を読むのを控えた。 は悠々と美しく老いつつあった。
ひじかけ
とうして何冊かの本は、綴椅子の肱掛に並べられて、あ
ちとちとすずろにめくられるばかりで、彼はとうとう膝に テラスにあらわれた召使が手紙を載せた銀の盆を光らせ
て、(との男は本邸とちがってこの銀盆を使う機会が少な ジャオ・・ヒ 1は 人 々 の 手 で 、 早 速 寝 床 へ 運 ば れ た が 、 運
ひま
いのを残念がり、関な一日をいつも銀盆を磨き立てること ばれるときはすでに託然と目ざめていた。クリッサダが号
に費していたのだが、)芝生のほうへ歩いてくるのに、い 泣しつつ、そのあとに従った。
ちはやく気づいたのはクリッサダである。 清顕にも本多にも、事情はわからぬながら、いかに不吉
しら
彼は飛んで行って手紙を受けとり、それがジャオ・ピl な報せが到来したかが察せられた。ジャオ・ピーはただ枕
あ ゆだ
宛ての王太后陛下の親書と知ると、おどけた恭しさで手紙 に頭を委ね、次第にタ閣に紛れ入るその褐色の頬から、一
ひとみ
を押し戴き、椅子にかけているジャオ・ピーに捧げた。 双の真珠のように曇った瞳を、天井へ向けたまま黙りつ つ
a
ζ の気配にはもちろん清顕も本多も気づいていた。が、 けていた。ようやく、英語で話をするゆとりができたのは、
あふ
好奇心を慎しんで、王子が溢れる喜びなり懐郷の情なりを、 クリッサダのほうが先であった。
ヅノ・ジヤシ
こちらへぶつけて来られるまで待つつもりでいた。手紙の ﹁月光姫が死んだ。ジャオ・ピlの恋人であり、僕の妹で
・ジ﹀ -dvヤノ
白い厚い紙のひらかれる音は耳にさやかに、夕影に浮ぶ白 ある月光姫が 0
・::・それなら僕にだけそれを知らせてくれ
ぴんせん
い矢羽根のような便筆は自に鮮やかだったが、突然、清顕 れば、ジャオ・ピーにこれほどの衝撃を与えずに、折を見
と本多は、鋭い叫びをあげて崩折れたジャオ・ピ!の姿に て伝える方法もあったのに、王太后陛下は、むしろ僕に衝
あわてて立上った。ジャオ・ピーは失神していた。 撃を与えることをおそれで、ジャオ・ピーに-お知らせにな
クリッサダは、日本人の友二人に介抱されている従兄弟 ったものらしい。陛下はその点で、目算ちがいをなさった
を、疋然と眺めて立っていたが、芝生に落ちた手紙をとり のだ。それとも陛下は、もっと深いお心遣いから、いっそ
あげて読むに及んで、はげしく泣きだして芝に身を伏せた。 ジャオ・ピーに、いつわりのない悲しみに直面する勇気を、
クリアサダの叫びの意味も、シャム語のとめどもない奔出 まず与えようとはかられたのかもしれない﹂
のために理解しがたく、本多が目をとめて見た親書の文面 これは日頃のクリッサダにも似合わぬ思慮深い言葉だっ
しゅうう路げ
も、シャム語で書かれていでわからなかった。ただ便婆の たが、清顕も本多も、王子たちの熱帯の糠雨のような劇し
主つ安ん
春の雪

A
上部に王家の紋章の捺金がきらめき、三頭の白象を中心に、 い嘆きように心を持,,たれた。そしてとの稲妻と雷鳴を伴つ
おうしや︿ そうりん
仏塔、怪獣、蓄議、剣、王位切などを配したその複雑な図柄 た雨のあとでは、つややかな悲しみの叢林が、いちはやく

315
が、見てとれただけであった。 生い立ち生い茂るだろうことが想像された。
その日の夕食は王子たちの部屋へ運ばれたが、王子は二 姫がどんなにあなたのことを想っていたかは、あとに詳し

316
はし
人とも箸をつけなかった。しかし時が経つにつれ、客とし く書きます。それより、母としてまず申しますが、何事も
ての義務と礼儀に目ざめたクリ 7サ ダ は 、 消 顕 と 本 多 を 呼 仏の思召と諦らめて、王子らしい誇りを保って、雄々しく
んで、長い親書の内谷を英語に訳してきかせた。 この悲報をうけとめて下さることを祈ります。奥田にいて
ジ ・ジヤシ そば
このしらせをきくあなたの気持も察せられ、母も傍にいて
J
実は月光姫はとの春から病み、自分で筆をとることもで
a
'hu
きない病状にありながら、兄と従兄には、決して病気を知 慰めてあげられないことを憾みとしますが、どうかクリツ
らせてくれるなと人々に頼んでいた。 サダには、あなたが兄に・なった気持で、心づかい深く、妹
クシ・ジヤシしぴ
月光姫の美しい白い手は、次第に痩れて動かなくなった。 の死を知らせてあげて下さい。私がこうして突然の親書を
まどわ︿
窓枠にさし入った一条の冷たい月光のように。 呈するのも、悲しみにめげないあなたの剛毅を信じるから
イギリス人の主治医が治療に力をつくしたけれども、座 です。そして姫が最後まであなたを想っていたととを、せ
れが全身に及ぶのを防ぐととができず、はては言語もまま めてもの慰めにして下さい。死目に会え・なかったのを残念
ジシ・ジヤ﹀
ならぬようになった。それでも月光姫は、ジャオ・ピ!と にお思いだろうが、あくまで健やかな面影をあなたの心に
別れたままの自分の健やかな姿を、ジャオ・ピ!の心の中 とどめたかった姫の気持を、察してあげなくてはなりませ
に保ちたいためか、決して病気を告げるなと廻らぬ口で繰 ん。・・﹂
り返して、人々の涙を誘った。 ││手紙が訳し了られるまでじっと聞いていたジヤオ・
王太后臨下はたびたびその病床を見舞われたが、涙なし ピーは、ようやくベッドに身を起し、清顕に向ってこう言
に姫のお顔を御覧になるととができなかった。姫の死をき った。
︿んかい
かれたとき、陛下はすぐさま、 ﹁こんなに取り乱してしまって、母の訓誠をおろそかにし
﹁パッタナディドには私が直接知らせます﹂ たと思うと、恥かしくなる。しかし考えてもみて下さい。
ジシ・グヤシ
と、人々を制して、仰せ出された。 僕がさつきから解こうと思っていた謎は、月光姫の死の

νシ・ジヤ J
﹁悲しい知らせです。、どうか覚悟をして読んで下さい﹂と 謎ではなかった。それは月光姫が病んで死ぬまでの問、い
ジシ・ジヤ﹀
いう文句でその親書ははじまっていた。﹁あなたが愛して ゃ、すでに月光姫がとの世にいなくなってからの二十日間、
いたジヤントラパ l姫が亡く・なりました。病床にあっても、 もちろん絶えぬ不安は感じていたけれども、何一つ真実は
知らされず、僕がこのいつわりの世界に平然と住んでいら が何と言おうと、 ζのまま留学をつづける気持にはなられ
れた、というその謎なのだ。 まい﹂
あの海や砂浜のきらめきをあれほどはっきりと見ていた と本多は二人きりになると、すぐ言った。
僕の目が、どうしてこの世界の底のほうで進んでいた微妙 ﹁僕もそう思う﹂
ぴん
な変質を見抜くととができなかったのだろう。世界は鑓の と清顕は沈痛に答えた。彼も王子たちの悲しみに影響さ
中の葡萄酒が変質するようにとっそりと変質をつ,つけてい れて、云うに云われぬ不古口な思いに沈んでいることはあき
たのに、僕の目はただ躍を透かして、そのかがやく赤紫色 らかだった。

に見とれていただけだったのだ。なぜ僕は少くとも自に一 ﹁王子たちが発たれるとすると、僕ら二人だけで ζとにと
度、その味わいのかすかな移りゆきを検証しようとしてみ どまっているととは不自然になる。あるいはファ Iザーや
なかったのだろう。朝のそよ風、木々のそよぎ、たとえば マザーが乙とへ来て、一緒に夏を過すととになるかもしれ
ひしよう傘
烏の飛朔や暗き声にも、間断なく目をそそぎ耳を澄まして ない。いずれにしても、僕らの幸福な夏はおわってしまっ
いるととをせず、それをただ大きな生の喜びの全体と受け た

おり
とって、世界の美しさの澱のようなものが、日毎にそれを と清顕は独り言のように言った。
底のほうから変質させているととに気づかなかった。ある 恋する男の心が恋の他のものを容れなくなって、他人の
朝、もし僕の舌が世界の味わいに微妙な差を発見していた 悲しみに対する同情さえ失っているのを、本多はありあり
はり
ら、:::ああ、もしそうしていたら、僕は即座に乙の世界 と認めたが、清顕の冷たい硬い波璃の心が、もともと純粋
シ -HJヤシ いれもの
が、﹃月光姫のいない世界﹄に変ってしまっているととを、 な情熱の理想的な容器であったととを認めぬわけには行か
嘆ぎ当てていたにちがいないのだ﹂ なかった。
そとまで言ううちにジヤオ・ピーは又もせき上げてきて、
涙のうちに言葉はもつれて絶えた。 ││王子たちは一週間後に、英国船で帰国の途につき、
春の雪

清顕と本多は、クリッサダにジャオ・ピーを委せて自室 清顕と本多は横浜まで送りに行った。夏休み中のととでも
へかえった。しかし二人とも眠ることはできなかった。 あり、ほかに見送りの学友は-なかった。ただシャムにゆか

317
とういんのみや
﹁王子たちはもう一日も早く帰国したいお気持だろう。誰 りの深い洞院宮様が、別当を見送りに遣わされていたが、
清顕はとの別当とは二言三言、一言葉を交わしただけで冷然 ない家に主人の今かえった靴音が消え、音高く戸じまりを

818
としていた υ するのがきこえた。
巨大な貨客船が桟橋を離れ、テープもたちまちちぎれて ﹁もう一一一カ月のうちに、終りがまいります。宮家もそう
のろさい
風に飛び去ると、王子二人の姿は船尾に現われて、はため いつまでも納采をお延ばしになることはありますまい﹂と、
くユニオン・ジヤツク旗のかたわらで、いつまでも白い手 聡子は、わがことのようではなく、むしろのどかに言った Q
カチ
巾を振っておられた。 ﹁毎日毎日、あしたがもう終りだろう、取り返しのつかぬ
やす
清顕は船が沖合へ遠ざかり、見送り客も悉く去り、とう ζと が 起 る だ ろ う 、 と 思 っ て 寝 み ま す と 、 ふ し ぎ に 安 ら か
とう本多が促さずにいられなくなるまで、夏の西日をした に眠れますの。もうこんなに、取り返しのつかぬ ζとをし
たたず
たかに反射する桟橋に作んでいた。彼が見送っているのは ておりますのに﹂
シャムの王子ではなかった。彼は今とそ、自分の若さの最 ﹁たとえ納采があったあとでも:目﹂
良の時が、沖合遠く消え去ってゆくのを感じた。 ﹁何を仰言るの、清様。罪もあまり重く・なれば、やさしい
つぷ
心を押し潰してしまいます。そうならぬうちに、あと何度
三十六 お目にかかれるか、数えていたほうがましでございます﹂
﹁君はのちのちすべてを忘れる決心がついているんだね﹂
││秋が来て、学校がはじまると、清顕と聡子の逢瀬は ﹁ええ。どういう形でか、それはまだわかりませんけれど。
いよいよ限られ、夕まぐれに人目を忍んで散歩をするにも、 私たちの歩いている道は、道ではなくて桟橋ですから、ど
妻科が前後をよく確かめてついて歩いた。 とかでそれが終って、海がはじまるのは仕方がございませ
ガスつめえり
瓦斯燈の点燈夫をさえ障った。瓦斯会社の詰襟の制服を んわ﹂
着たかれらが、鳥居坂の一角に残る瓦斯燈の、マントルを 考えてみれば、それは二人が終末について諮ったはじめ
ほ守ち者き
かぶせた火口に、携えた長い俸の尖で点火してまわる、あ であった。
かいわい
の宵ごとのせわしない儀式が終り、界隈に人通りが絶える そしてとの終末について、二人が子供のように無責任な
すぺ
ころになって、二人は曲りくねった裏道を歩いた。すでに 気持でおり、なす術もをく、何らの備え、何らの解決、何
ねひ
虫の音は繁く、家々の灯もあからさまではなかった。門の らの対策も持たないそのことが、純粋さの保証のような気
がしていた。しかし、それにしても、口に出してしまえば、 ていた。罪を犯せば犯すほど、罪から遠ざかってゆくよう

匂 ぎまん
終末の観念は二人の心にたちまち錆びついて離れなかった。 な心地がする。:::最後にはすべてが、大がかりな欺摘で
りつぜん
終りを考えずにはじめたのか、終りを考えればこそはじ 終る υ それを思うと彼は傑然とした。
めたのか、そ ζ のところがもう清顕にはわからなく-なって ﹁こうして御一緒に歩いていても、お仕合せそうには見え
らい
いた。留が落ちて二人をたちどころに黒焦げにしてくれれ ないのね。私は今の剰那利那の仕合せを大事に味わってお
どうぽっ
ぽよいが、とのまま何らの劫罰が下らなかったらどうすれ りますのに。:::もうお飽きになったのではなくて?﹂
ばよいのか?清顕は不安を感じた。﹃そのときもなお、 と聡子はいつものきわやかな声で、平静に怨じた。
自分は聡子を今のように、烈しく愛していることができる ﹁あんまり好きだから、仕合せを通り過ぎてしまったの
だろうか?﹄ だ

とんじ
との種の不安も、清顕にとっては最初のものだった。そ と諸問顕は重々しく言った。そういう一種の遁辞を言うと
いきさ
の不安が彼に聡子の手を握らせた。聡子はそれに応えて指 きにも、自分の言葉がもう些かの子供らしさをも残してい
もつ
をからめて来たのだが、指のばらばらな縫れ具合が煩わし る心配がないことを清顕は知っていた。
しぽ まちゃ
くて、ただちに彼女の掌を、萎むほどに清顕は強く握った。 行く道は六本木の町家へ近づいていた。雨戸を閉めた氷
きょうぼう
聡子は決して痛みを洩らさなかった。しかし清顕の兇暴な 屋の軒先に﹁氷﹂と染め抜いた旗がはためいているのも、
力はやむことが・なかった。遠い二階のあかりの余光を受け 道を占める虫の音のなかでは心もとなげに見えた。さらに
れんたい
て、聡子の自にほのかに涙がにじむのが見られたとき、清 行くと、幅広な灯影が暗い道にとぼれていた。聯隊御用の

顕の心には暗い満足が湧いた。 田辺という楽器屋が、何か急ぎの仕事があって、夜業をし
彼はかねて学んだ優雅が、血みどろの実質を秘めている ているのである。
あい念い
のを知りつつあった。いちばんたやすい解決は二人の相対 二人はその灯影を避けて歩いたが、自のはじに、硝子窓
しんちゅうらっぽ
の死にちがいはないが、それにはもっと苦悩が要る筈で、 のなかのまばゆい真銭の照りが映った。新らしい噺夙が懸
春の雪

とういう忍び逢いの、すぎ去ってゆく一瞬一瞬にすら、清 けつらねてあり、思わぬ明るい燈火の下で、それが真夏の

顕は、犯せば犯すほど無限に・深まってゆく禁忌の、決して 演習地に於けるがように照りかがやいている。試しに吹き

819
ねほ はじつい
到達する乙とのない遠い金鈴の音のようなものに聞き惚れ 鳴らしているらしい、穆して爆けるかと思うとたちまち潰
える酬明夙の響きがそこから起った。消顕はその響きに不士口 せることができるほどに熟していた。十二歳のとき妃に挙

3ID
あけぼの
な曙を感じた。 げられたとしても、その点の心配は些かもなかったろう o
﹁お引き返しあそばせ ο そこから先は人目がうるそうござ ただ、今まで聡子の教養のうちになかった三つの ζとだ
います﹂ けは、伯爵夫妻も気をつかって、はやぼやと娘に仕込んで
女さや マジヤン
といつのまにかすぐうしろに来ている蒙科が、消顕に岬鳴 ・おこうと考えた。それは妃殿下がお好みの長唄と麻雀であ
いた。 り、治典王殿下御自身がお好みの洋楽のレコードであった。
松校侯爵は、伯爵からとの話をきくと、ただちに一流の長
唄の師匠を出稽古に通わせ、又、テレフンケンの蓄音器と、

手に入るかぎりの洋楽レコードを届けさせたが、麻雀ばか
はる
洞院宮家では、聡子の生活に何の干渉もなさらず、又治 りは師範を探すのに骨を折った。もともと侯爵は、自分が
のりおう Zう脅ゅう
典王殿下は軍務にお忙しく、周囲でも殿下が聡子にお会い 英国風に撞球に凝っているのに、却って宮家がそういう卑

になる機会を作ろうとせず、殿下も強ってそれをお望みに 俗な遊戯を遊ばすのを不本意に思っていた。
おかみ
なる御様子もなかったが、 ζれ ら の こ と は 決 し て 宮 家 が 冷 そとで麻雀のうまい柳橋の待合の女将と一人の老妓が、
たく・なさっているわけではなくて、とういう御縁組の場合 たびたび綾倉家へ遣わされ、務審科もまじえて一卓を囲んで、
の慣例と一言ってよかった。もう結婚のお決りになった方同 聡子にその手ほどきをはじめたが、もとより侯爵家の払い
ぎよ︿
士が、繁く・お会いになるようなととは、害にこそなれ益に でとの老妓には遠出の玉がついていた。
,、怠ワA L
F﹄
はならない、というのが、周囲の人たちの考えだった。 こんな玄人
,,
をまじえた女四人の会合は、ふだんは寂しい
一方、もし妃になられる方の家が、家柄において多少欠 綾倉家では、異例の面白い賑わいになる筈だったが、葱科
けるようなことがある場合には、妃となる心得のため、さ はひどくとれを嫌った。品位を傷つけるという理由を装っ
まざまな教養を新たに積まねばならないが、綾倉伯爵家の て、実は何よりも、聡子の秘密に対する玄人の鋭い目を怖
教育の伝統は、いつ娘が妃に挙げられでも困らぬような用 れていたのである。
みや傘んどき
意に充ちていた。その雅ぴは聡子にいつ何時でも、妃らし さらでだに ζ の 麻 雀 会 は 、 伯 爵 家 に と っ て 、 松 枝 侯 爵 の
い歌を作らせ、妃らしい書を書かせ、妃らしい撃を生けさ 密偵を引き入れるのも同じことだった。家科のいかにも排
げんだか陪 ζ
他的な権高な態度は、たちまち女将と老妓の衿りを傷つけ、 批評の河床があらわれた。調書科は自分の時代おくれの銀細
その反感が侯爵の耳に入るのに二一日とかからなかった。侯 工の帯留の上にも、同じ視線を感じていやに思った。
爵は折を見てどくものやわらかに伯爵にとう言った。 わけでも、
﹁あなたの御老女が綾倉家の格式を大切にするのはいいが、 ﹁松枝様の若様はどうしておいででしょう。私はあんな男
乙の場合はそもそもが宮家のお好みに合せるためなのだか 前の若様をほかに存じませんよ﹂
ら、多少の妥協もしてほしいものだ。柳橋の女共は、少く と、老妓が麻雀の牌を動かし・ながら何気なく=一一口いかけた
とも、光栄ある奉仕だというので、忙しい時間を割いて伺 とき、女将が実に巧みにさりげなく話頭を転じたのを、葱
っているのだから﹂ 科は感じとって神経を病んだ。それはただ話題のはしたな
は在同
伯爵がとの抗議を蒙科に伝えたので、曲第科の立場は甚だ きを似合めるためだけであったのかもしれないのだが:::。
むずかしいものになった。 聡子は謬科の入知恵で、との二人の女の前ではつとめて
もともと女将も老妓も聡子と初対面ではなかった。例の 口数を少くしていた。女の体の明暗に対して誰よりも目の
さいはい
花見の園遊会のときに、女将は裏で采配を振ぃ、老妓は俳 利く筈のとの女たちの前で、聡子は心をひらかぬように気
ふん
諮師に扮していたのである。第一回の麻雀会の折、女将は をつけるあまり、今度は別の心配が生れた。聡子が諺した
おおげさ
伯爵夫妻に婚約の祝辞を述べ、大袈裟な祝物も持参し、 気分を見せすぎれば、とのお輿入れに不本意らしいという
ひい女主
﹁何というお美しいお姫様でいらっしゃいましょう。それ 口さがない噂のもとになるからであった。体をいつわれば
おひん おそ
にお生れついてのお妃様の御品を・お持ちでいらっしゃいま 心を見破られ、心をいつわれば休を見破られる慎れがあっ
すから、とのたびの御縁結びで殿様もどんなにか御満足で たのである。
いらせられましょう。私共が、お相手をさせていただくだけ その結果、翠科は塞科らしい才覚を働らかせて、麻雀会
で、一生の思い出になりますし、もちろん内聞にではどざ を打ち切ることに成功した υ伯爵にはこう言ったのである。
金どと ざんげん
いますが、孫子の代まで語り伝えたいと存じます﹂ ﹁女共の議号一T乞そのままお取上げ遊ばすとは、松枝侯爵様
春の雪

と殊勝な挨拶をしたが、別室で四人だけで麻雀の卓を囲 らしからぬととに存じます。あの女共はお姫様のお気が進
むと、表向きの顔ばかりもしていられ-なくなって、いかに まぬ様子を私におしつけて、││何せお姫様のお気が乗ら

2
31
せめ
も恭しげに聡子を見る自に潤いがときどき消えて、乾いた ないのはあの人たちの責任になりましょうから││、私が
ちしつ
権高だなどと告げ口をいたしましたに相違どざいません。 謬科には情熱の法則を知悉しているという自負があった

322
ととろゃ あら
いかに侯爵様のお心遣りでも、御当家に玄人の女が出入り し、露われない乙とは存在しないも同様だという哲学があ
かん
するのは芳ばしくございませんし、それに、もうお姫機は った。つまり謬科は、主人伯爵をも宮家をも、誰をも裏切
麻雀のいろははお覚えになりましたから、お輿入れののち っているわけでは・なかった。まるで化学の実験でもするよ
お相手だけ遊ばして、いつも負けておいでになるほうがお うに、一つの情事を、一方ではわが手で助けてその存在を
ζんせ曾
可愛らしゅうどざいます。と ζらで麻雀は打切りというこ 保証し、一方では秘密を守り痕跡を消して、その存在を否

とにいたしとうございますが、それでも侯爵様がお退きに 定していればよかった。もちろん翠科が渡っているのは危
いとま ほ ζろ
なりませんようでございましたら、との翠科がお般をいた い橋だったが、彼女はいつでも最後に綻びを繕う役目をす
だきとう存じます﹂ るために、との世に生れてきたのだと信じていた。それま
伯爵はもちろん脅迫を含んだ ζんな提案を受け入れない でふんだんに恩を売っておけば、最後には自分の言い・なり
わけには行かなかった。 に相手を動かすことができるのだ。
ひんぱん
ー lそ も そ も 葱 科 は 、 松 枝 家 の 執 事 の 山 田 の 口 か ら 、 手 ・なるべく頻繁に逢瀬を取持ち・ながら、情熱の衰えを待と
紙に関する清顕の嘘をきいたとき、今後清顕の敵に廻るか、 うとしている諸島科は、そうしているとと自体が、自分の情
それともすべてを承知の上で清顕と聡子の望みどおりに動
くかの、岐路に立たされたわけだった。そして結局、事科

熱になっている乙とに気づかなかった。そして清顕のあん
あ ζ
な阿漕なやり方に対する唯一の報復は、やがては彼から、
はあとのほうを選んだ。 u前から穏便に引導
今度は﹁聡子とはもう別れたいから、 h
これは聡子に対する本物の愛情に拠るものだったと云え を渡してくれ﹂と頼みに来られることであり、清顕に彼自
a
e
zき
ょうが、同時に慈科は、事ここに至って生木を裂くととが、 身の情熱の崩壊を見せつけてやるととだったが、諺科自身

聡子の自殺を惹き起しはしないかと怖れたのである。それ もうとんな夢を半ば信じていなかった。それでは第一聡子
より今は秘密を保ち・ながら二人の心まかせにして、いよい が可哀そうではないか。
よという時に自然に諦らめるのを待つほうが得策と考えら 落 着 き 払 っ た ζ の老女の、との世に安全なものなどはな
れ、一方、こちらは秘密を守ることに全力をあげていれば いという哲学は、そもそも保身の自戒であった筈が、それ
よかった。 がそのまま自分の身の安全をも捨てさせ、その哲学自体を、
しわ射しろい
冒険の口実にしてしまったのは、何に拠るのだろう。謬科 毎朝念入りに京風の厚化粧をL、目の下の波立つ鮫を白粉
はいつのまにか、一つの説明しがたい快さの虜になってい に隠し、唇の鮫を玉虫色の京紅の照りで隠した。そうして
去かぞら
た。自分の手引で、若い美しい二人を逢わせてやるととが、 い・ながら、鏡の中のわが顔を避け、中空へ問うようなどす
そして彼らの望みのない恋の燃え募るさまを眺めているこ 黒い視線を放った。秋の遠い空の光りは、その自に澄んだ
とが、謬科にはしらずしらず、どんな危険と引きかえにし 点滴を落した。しかも未来はその奥から何ものかに渇いて
てもよい痛烈な快さになっていた。 いる顔をのぞかせていた。:::翠科は出来上った自分の化
この快さの中では、美しい若い肉の融和そのものが、何 粧をしらベ直すために、ふだんは使わない老眼鏡をとりだ
つる
か神聖で、何か途方もない正義に叶っているように感じら して、そのか、ほそい金の蔓を耳にかけた。すると老いた真
隠て
れた。 白な耳采が、たちまち蔓の尖端に刺されて火照った。:。
二人が相会うときの目のかがやき、二人が近づくときの
胸のときめき、それらは謬科の冷え切った心を湿ためるた iー十月に入って、納采の儀は十二月に行われるという
だんろ
めの媛炉であるから、彼女は自分のために火種を絶やさぬ お還しがあった。それについて賛幣の目録が内示され、
ように・なった。相見る寸前までの菱いにやつれた頬が、相 一、洋服地五巻
手の姿をみとめるやいなや、六月の麦の穂よりも輝やかし 一、清酒二樽
あし会
くなる 0
・・:その瞬間は、足萎えも立ち、盲らも目をひら 一、鮮鯛一折
きせき
くような奇蹟に充ちていた。 のうち、あとの二つは問題がないが、御洋服地は松枝侯
実際翠科の役目は聡子を悪から護ることにあった筈だが、 爵が請合って、五井物産のロンドン支庖長へ長い電報を打
ぺつあつらえ
燃えているものは悪ではない、歌になるものは悪ではない、 ち、英国の極上の別競の生地をいそいで送らせる ζとにな
おし
という訓えは綾倉家の伝承する遠い優雅のなかにほのめか った。
されていたのでは-なかったか? ある朝、馨科が聡子を起しに行くと、目覚めた顔が色を
春の雪

それでいて謬科は、何事かをじっと待っていた。放し飼 失っていて、たちまち身を起し、謬科の手を払いのけて、
ちょ Aず
の小鳥を捕えて繕へ戻す機会を待っていたとも云えようが、 廊下を走り出し、もう少しで手水に行き着 ζうとするとこ

2
8s
たもと
乙の期待には何か不吉で血みどろなものがあった。葱科は ろで吐いたが、吐いたものはわずかに寝間着の快を濡らす
ほどであった。

824
ふすま
翠科は聡子を寝室へ伴い帰り、閉め切った襖の外をたし ││思えば翠科にとっては、ただの情念の世界よりも、
えて
かめた。 との世界のほうが得手だった。かつて聡子の初潮のとき、
にわとり
綾倉家では裏庭に難を十数羽飼っている。時をつくるそ いちはやく気づいて相談に乗ったように、馨科はいわば、
の声が、白みかかる障子をつんざいて、いつも綾倉家の朝 手ごたえのたしかな血まみれなものの専門家だった。世の
きは︿
を描き出す。日が高くなっても、難は鳴きやまない。聡子 中のことすべてにごく稀薄な関心しか持たぬ伯爵夫人は、
はその難の声に包まれて、枕にふたたび白い顔を落して目 総子の初潮がはじまって二年あとに、葱科からそれときい
を閉じた。 て知ったくらいである。
謬科はその耳もとへ口を寄せてこう言った。 翠科はずっと聡子の体に注意を向けることを怠らず、朝
ひい書室おっしゃ M
帥-
e帥リ
﹁よございますか、お姫棟、このことはどなたにも仰言つ の幅気のあったのちは、総子の肌の白粉の乗り具合、遠い
し ζう
てはいけません。お召し物の汚れも私が内々で始末いたし ととろから来る不快の予感にひそめられる周、食物の曙好
たちいすみれ
ますから、決してお次へお下げになってはいけません。召 の変化、起居にうかがわれる重いろのものうさ・:・そうい
同り 2
上り物も、これから私が気をつけまして、お次に気取られ うものに一つ一つ確証をみとめると、一つの決断に向って
弘J晶VAJaり予ゐ
u口に合うものを差上げるように取計らいます。
ぬように、 h 鴎踏なく動いた。
お姫様大事で申上げることでございますから、乙れからは ﹁お引きともりがちではお体に障りますよ。散歩のお供を
謬科の申すとおりに遊はすのが一番でどざいますよ﹂ いたしましょう﹂
g' う易会 いちる ふちょう
聡子はあるかなきかに肯いたが、その美しい顔に一緩の こう言われることは大てい清顕と会えるという符牒であ
ひるいぶか
涙が流れた。 るから、そんなに明るい午さがりの時刻を聡子は誘って、
翠科の心は喜びに溢れていた。第一に、最初の兆候が翠 たずねるような目をあげた。
み老ぎ
科以外の誰の目にも触れないところで起ったというととで 常とちがって翠科の顔には、人を寄せつけぬものが振っ

ある。第二に、とれとそは蒙科の待ち佑びていた事態だと、 ていた。国事に関わる名誉が自分の手の内にあることを知
起るが早いか自然に納得の行った乙とである。これで聡子 っていたのだ。
は翠科のものに・なったのだ 1 裏口から出ょうとして一一義庭づたいに行くと、そとで難に
えさ同が
餌をやっている女中を、伯爵夫人が袖を胸もとに羽交いに ﹁清様はととへいらっしゃるの?﹂
合せて眺めている。秋の日光が群れ歩く難の羽毛をつやや と今日は何となく翠科に圧せられて、聡子はおずおずと
かに見せ、物干場の干し物のはためく白を誉れありげに見 訊いた。
せている。 ﹁いいえ、おいでに・なりません。今日は私からお姫様にお
聡子は足もとの難を馨科が追う Kまかせて歩きながら、 願いの筋があって、 ζ 乙へお連れいたしました。と乙なら
母に軽く目礼をした。錐たちの羽毛のふくらみから、一歩 誰にもきかれる心配はございません﹂
あしかた︿しよろるい
一歩さし出される肢が頑なに見えた。聡子はそういう生類 側面から神楽を見る人の座席になっている石材が二つ三
とけ
の敵意を、何かそういう生類と自分との類縁にもとづく故 っ横たわっていて、その苔を帯びた石の肌に翠科は、自分
者γ官、はじめて感じるような心地がして、その感じを忌わ の羽織を畳んで掛け、
しく思った。難の抜け羽の数枚が、地面に近く、しらじら ﹁お腰がお冷えになりませんように﹂
と漂っていた。謝祭科が挨拶をして ζう一言った。 と、そ ζ へ聡子を坐らせた。
﹁ちょっとお散歩のお供をいたしてまいります﹂ ﹁さて、お姫様﹂と謬科は改まって切り出した。﹁今さら
﹁散歩ですか?それは御苦労﹂ 申上げるまでもございませんが、何よりもお上が大切なこ
と伯爵夫人は言った。娘の慶事がいよいよ近づいてから、 とは御存知でいらっしゃいますね。
ふぜい こ AJhu
さすがに夫人は落着かぬ風情を見せていたが、一方ますま それはもう綾倉家は代々お上のお蔭を蒙って二十七代田
ていちょう︿げ
す娘には鄭重に他人行儀になっていた。それが公家風のた におなり遊ばしたのでございますから、翠科風情が・お姫様
かみ乙どと しやか
しなみで、もはやお上のものになった娘には何一つ叱言も にこんなととを申上げるのは、釈迦に説法でございましょ
一言わなかった。 うが、一度お上の勅許を賜わった御縁組は、もうどうする
とともできませんし、とれに背けばお上の御恩に背くこと
りゅうどちょうやしろ
一一人は竜土町町内の小さなお社まで歩き、御影石の玉釘一 になります。世の中にこれほど怖ろしい罪はございません 0
E
'

に天祖神社とある、秋祭も果てたあとのせまい境内へ入つ .
E
-・・﹂
念んま︿
春の

スw スω
てゆき、紫の慢幕を垂れた拝殿の前で頭を垂れてから、小 それから事科は綴々と説いて、とう一言っても決して聡子

325
か﹁らどう
さな神楽堂の裏へゆく夢科へ稔子は従った。 の今までの行いを責めようというわけでは司なく、その点で
aんみつり
b
は葱科も同罪であること、ただ表立たないととは罪と思っ ろの曙を招来すること。しかも隠密裡に!

325
て我身を悔やむには当らぬ ζと、しかしそれにも限度があ 聡子があまり永いとと黙っているので、謬科は不安にな
ややさま
って、・お子様を宿した上は、物事にいよいよ結着をつける って重ねて訊いた。
時期が来たとと、今まで謬科は黙って見ていたが、事とと ﹁何でも私のおすすめする通りに遊ばしますね。どう思召
に至つては、いつまでもずるずるとの恋をつづけるわけに す?﹂
はゆかぬこと、今や聡子は決意を固めて、清顕とも別れを 聡子の顔は空白で、何のおどろきもあらわしていなかっ
告げ、よろず塞科の指示に従って事を運ぶとと、:::これ た。審科のものものしい言い方が何を意味しているかわか
らのことを、順序立てて、つとめて感情をまじえずに言つ らなかったのである。
てのけた。 ﹁それで私にどうしろと言うの。それをはっきり言ってお
翠科はそとまで言えば、すべて聡子も了解して、自分の くれで-なくては﹂
わにどち
思う査にはまってくれるものと考えていたので、ようやく 蒙科はあたりを見廻して、社前の鰐口のかすかに鳴る音
ハシカチ
言葉を切ると、汗のにじんできた額に、畳んだままの手巾 も、人の立てる音では・なくて、風が立てたのを確かめた。
とおろぎ
を軽く押し当てた。 神楽堂の床下で態解がたえだえに時叩いていた。
もつ やや
理詰めの話を包むのに、悲しげ・な共感の表情を以てして、 ﹁子さんを始末避はすのでございますよ、一刻も早く﹂
塞科は声まで潤ませながら、乙のわが娘よりいとしい娘に、 聡子は息を詰めた。
実は本当の悲しみで接していない ζとに気づいていた。そ ﹁何を言うの、懲役に行かなければならなくてよ﹂
いとしがらみ 幸治
の愛しさと悲しみの聞には柵があり、聡子をいとしく思え ﹁何を仰言います。乙の葱科にお委しあそばせ。たとえど
ば思うほど、塞科は自分の怖ろしい決断にひそむ、得体の ζかから洩れましでも、・お姫様も私も、第一、警察が罪に
しれない怖ろしい歓びを、聡子も共にしてくれることを望 落すことはできません。もう御縁組は決っているのでござ
んだ。一つの畏れ多い罪を、別の罪を犯すことによって救 いますよ。十二月の御納采がすみましたら、ますます安全
ぞうきい
うこと。とどのつまりは、その二つの罪を相設して、一一つ でございます。そとはそれ、警察も心得ておりますととで
ながら存在し・なかったととにしてしまうこと。一つの闇に すから。
zazん
別にとしらえた閤をつきまぜて、そこから怖ろしい牡丹い でも、お姫様、とこをよくお考え遊ばせ。もしお姫様が
全か
愚図々々あそばして、このままお腹が大きく hpな
- りになれ 侯爵をお味方に引入れる手もございます。侯爵様のお口利
ば、お上はもちろん、世間が承知いたしますまい。どうし きなら、何事も押えられますし、そもそもあちらの若様の
ても御縁組は破談ということになり、殿様は世聞から身を お後始末なのでございますから﹂
お隠しにならねばならず、しかも清顕様は、苦しい立場に ﹁ああ、それはいけません!﹂と聡子は叫んだ。﹁それだ
お立ちになって、正直に仰言れば松枝侯爵家も御自分の将 けは許しません。決して侯爵にも清様にも、御助力を仰ぐ
しら
来もめちゃくちゃになりますから、白をお切りになる他は ような ζとをしてはいけません。それではとちらが卑しい
-なくなります。そのときお姫様は、何もかも 失くしにな
hd 女になってしまいます﹂
るのでございますよ。それでよろしいのでございますか。 ﹁まあ、とれは、仮りにそう申上げたばかりでございます
今はどうしても道は一つしかございません﹂ から。
かぽ
﹁どこかから洩れて、たとえ警察が口をつぐんでいるとし 第二に、法の上でも、私はお姫様をお庇いする決心を固
ても、いずれ宮家のお耳には入るでしょう。私はどんな顔 めております。お姫様は私の企らみに何も知らずにお乗り
をして必輿入れをし、そのさきどんな顔をして殿下にお仕 になって、麻酔のお薬を知らずに嘆がされて、なにする羽
えしていればいい、と言うのです?﹂ 目に-おなりになったことにいたせばよろしいのでございま
﹁ただの噂にびくびくなさることはございません。宮家で す。その場合は、いかほど表沙汰になりましょうと、私が
どう思し召そうが、そこはお姫様次第でございます。そし 罪を一身に着れば事は済みます﹂
て御生涯を、お美しい貞淑・なお妃として・お送りあそばせば ﹁では私は、どうあっても牢へ入るようなことはないとお
よろしいのでございます。噂などは間もなく消えるに決っ 雪ロいなのね﹂
ております﹂ ﹁その点はお心安く遊ばしませ﹂
見ソAJ zか ち ん
a E
﹁お前は私が決して懲役になどは行かない、牢になどは入 そう言われて、聡子の顔に泥んだのは安堵では・なかった。
らない、と保証するのね﹂ そして聡子は意外なことを言った。
容の雪

﹁では、もっと御得心のゆくようにお話いたしましょう。 ﹁私は牢に入りたいのです﹂
まず第一に、箸察は宮家を樺って、万が一にもとれを表沙 馨科は緊張が解けて、笑いだした。

7
理z
汰にすることはございません。それでも御心配なら、松枝 ﹁お子達のような乙とを仰言って! それは又何故でござ
います﹂ せん。もちろん私の体のとと一切ですよ。

828
﹁女の囚人はどんな着物を着るのでしょうか。そうなって お前の言うなりになるにせよ、ならぬにせよ、安心して
も清様が好いて下さるかどうかを知りたいの﹂ おいで、他のどなたも容れず、お前とだけ相談して、私が
││聡子がとんな理不尽なととを言い出したとき、涙ど 一番いいと思う道を選びましょう﹂
ころか、その目を激しい喜びが横切るのを見て、謬科は戦 聡子の言葉にはすでに妃の威厳があった。
標した。


との二人の女が、身分のちがいもものかは、心に強く念

I

/
じていたのは、同じ力の、同じたぐいの勇気だったにちが
いない。欺臓のためにも、真実のためにも、これほど等量 納采の儀がいよいよ十二月に行われるという話を、十月
等質の勇気が求められている時はなかった。 のはじめ、清顕は父母との夕食のあいだにきいた。
さかのぼ ゅうそ︿と Eつ
翠科は自分と聡子が、流れを遡ろうとする舟と流れとの 父母はとの礼式に大そう興味を示して、有職故実の知識
力が丁度措抗して、舟がしばらく一っととろにとどまって を競い合った。
せいしんま
いるように、現在の瞬間瞬間、もどかしいほど親密に結び ﹁綾倉さんでは、別当をお迎えするのに、正寝の聞をおし
つけられているのを感じた。又、二人は同じ歓ぴをお互い つらえにならねばなりますまいが、どの必部屋を h
s宛てに
に理解していた。近づく嵐をのがれて頭上に迫ってくる群 なるおつもりでしょう﹂
陪ぽた
鳥の羽樽きにも似た歓ぴの羽音を。:::それは、悲しみゃ ﹁立礼だから立派な洋聞があればそれに越したことはない
おどろ
侍きや不安や、そのどれとも似ていながらちがっていて、 が、あの家では奥座敷に布を敷いて、玄関から布を敷き渡
歓びとしか名付けようのない荒々しい感情だった。 してお迎えするほかはあるまいね。宮家の別当が属官二人
おおたかだんし
﹁では、とにかく、私が申上げるとおりに理はして下さい を連れて馬車で乗り込むわけだが、綾倉でも大高値紙に御
ζ よりひ也
ますね﹂ 受書を書いて同じ紙で包み、紙撚の二本結びで紐をかけた
と葱科は、秋の目ざしに上気したような聡子の煩を眺め のを用意しなくてはならん。別当は大礼服で来るわけだか
て言った。 ら、お受けする伯爵のほうも爵服でなくてはなるまい。そ
さ怠つ
﹁この ζとは、何もかも一切清様にお知らせしてはいけま ういう些一末なことは、万事綾倉のほうが専門家だから、と
ちらで日を山すことは何もない。こちらはただ金の心配を ほどはお逢わせすることができない、時期が来ればすぐお
してやればよいのだ﹂ 知らせするから、それまで待ってもらいたい、というので
ーーその晩、清顕の胸はさわいで、自分の恋にいよいよ 。
ゑりス u
ゆか
鉄鎖が巻きついてくる、その床を引きずって近づく暗い鉄 彼はその十日を、待ちとがれる苦しみの裡にすどした。
の響きをきいた。しかし勅許の下りたときに彼をかり立て 以前、聡子に冷たくしていた乙ろの自分の行いの報いが来
たような晴れやかな力は失われていた。あのとき彼をあれ たのをはっきりと感じた。
は︿じ
ほど鼓舞した﹁絶対の不可能﹂という白磁のような観念に 秋は深まり、紅葉の色づくにはまだ早かったが、桜だけ
ひぴ 主のか︿す
は、すでにこまかい綜がいちめんに入っていた。そしてあ が紅く描臨んだ葉をすでに散らしていた。友を招く気も・なく
の決意がみのらせた激烈な歓喜の代りに、今は一つの季節 て一人で過す日曜はとりわけ辛く、池を移る雲の影を眺め
のおわりを見つめている者の悲しみがあった。 ていた。又、遠い九段の滝を託然と見つめ、なぜかくも続
v
'

山zり
諦めようとしているのだろうか、と自ら問うた。そうで いて落ちる水が尽きぬかを一説り、なめらかな水の連鎖のふ
はなかった。勅許はあれほど狂おしく二人を結びつける力 しぎについて考えた。それが自分の感情の姿のような気が
として働らいたのに、その延長にすぎない納采の官報は、 したのである。
む主主ど
今度はありありと、外部から二人を引き裂とうとしている 空しい不如意の気持が休内に澱むと、あるととろは熱く、
しようぞう
力として感じられた。そして前の力には心の赴くままに処 あるととろは冷たく、身を動かすのも重いけだるさと焦燥
してゆけばよかったのだが、後の力にはどう処してよいの とが一緒に来て、病気のようだつた。彼はひとり広い邸内
ひのきった d
かわから・なかった。 をそぞろ歩き、母屋の裏の櫓林の径へ入った。蔦葉が黄ば
E ねんじよ
あくる日清顕は、連絡場所の軍人御下宿の主人に電話を んだ自然薯を掘っている老いた庭男に行き会ったりした。
とずえ
かけ、聡子とすぐ逢いたいという伝一言を翠科にたのんだ。 櫓の梢にのぞかれる青空から、きのうの雨の点滴が落ち
うが
その返事は夕方までにもらうことになっていたので、学校 できて、清顕の額にかかった。それさえ額に穴を穿つほど
存の雪

に出ていても、講義は耳に入らなかった。放課後、学校の の、清くて激しい音信が来たような気がして、自分が見捨
外からかけてみた電話は、翠科からの返り一言を ζんな風に てられ忘れられているのでは・ないかという不安を救った。

'29

3
伝えた。それは、御示知のとおりの事情だから、乙と十日 待つばかりで、何事も起らないのに、辻を大ぜいのうつろ
菱i

5
五2

f註? 主包!

強いて健やかに作っているのがありありとわかった。語尾
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たは念

志し
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はう

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花ち念


に力がなく、髪が重たげである。清顕は忽ち目の前に、か




1

いろあひら
って色鮮やかだった絵図が、ひどく色回隠せて展かれている
おろせ
││十日たった。翠科は約を守った。しかしその逢瀬の のを見た。彼が十日間あれほど切実に見たいと願っていた
りんしょ︿
害替なことが彼の心を引裂いた。 ものとは、それは微妙に違っていた。
聡子が仕度の着物を銚えに三越へゆく。伯爵夫人も一緒 ﹁今夜は逢えないの?﹂
ふせ せ
にゆく答であったのが、風邪気味で伏っているので、謬科 と清顕は心急いて訊き司ながら、決してはかばかしい返事
だけがお供をする。そこで清顕と待合せるととができるが、 が来ぬととを予感していた。
v'ν
呉服売場では番頭に顔を見られて面白くない。獅
ー 子の彫像
い ﹁御無理を仰言らないで﹂
のある入口のところで、午後三時に待っていてほしい。百 ﹁何が無理だ﹂
貨庖から出てきた聡子の姿を見たら、そのまま見すどして、 と清顕の言葉は激して、心はうつろだった G
聡子と翠科のあとをつけてきてもらいたい。やがて三人は 聡子はうなだれたかと思うと、もう涙を流していた。あ
ハシカチ
近所の人目につかぬ汁粉屋へ入るから、そのあとから汁粉 たりの客を俸って、馨科が白い手巾をさしだして、聡子の
じゃけん
屋へ入ってゆけば、そこで何がしかの時間、話ができる。 肩を押した。その肩の押し方がやや邪樫に感じられたので、
,、及 ω
e にら
待たせてある俸には、まだ百貨庖内にいるように装ってお 清顕は鋭い日で語審科を脱んだ。
くのである。 ﹁何という目つきを遊ばします﹂と、馨科は言葉にあふれ
ひいき憲
清顕は学校を早退して、制服をレインコートに包んで傑 るような無礼をこめて言った。﹁私が若様とお姫禄のため
かばん
章を隠し、制帽は鞄に入れて、三越入口の人ごみの中に立 に、死ぬほどの苦労をしておりますのが、おわかり避はし
いちペつ
った。聡子が出てきて、悲しげな、燃えるような一瞥をょ ませんか。いいえ、若様ばかりではない、お姫機も乙れほ
として、街路へ出た。言われたとおりにした清顕は、閑散 ども察しては下さらない。もう私などはこの世にい・ないほ
な汁粉屋の一隅で向い合せに坐ることができた。 うがよろしいのでどざいます﹂
心なしか聡子と翠科の聞には、何かのわだかまりがある 三つの汁粉が卓に還ばれたが、手をつける者はなかった。
あんしゅんぜい
上うに見えた。そして聡子の顔はいつになく化粧が浮いて、 小さな漆の蓋の外れに、熱い的闘が紫がかつて、春泥のよう
にはみ出しているのが徐々に乾いた。 ﹁それで身をつつしもうというわけなのか﹂
逢瀬は短かく、又十日ほどあとに逢うという不確かな約 ﹁そうとしか考えようがない﹂
束をして一一人は別れた。 本多には友を慰めるべき言葉が何もなかった。そして自
その晩、清顕の苦悩は果てしがなく、いつまで聡子は夜 分の体験を以てそうする ζとができず、いつもながらの一
の約束を拒むだろうと思うと、彼は世界全体から拒まれて 般論を引き出すほかはないのを悲しく思った。彼は友の代
ふかん
いるように感じて、その絶望の只中で、もはや自分が聡子 りに無理にも木の梢へ上って、地上を備隊して、心理分析
に恋しているという ζとに疑いがなくなった。 を施す必要があった。

今日の涙を見ても、聡子の心が清顕のものであるととは ﹁貴様は鎌倉でああして逢っているあいだ、ふと自分は倦
明らかだったが、同時に、心の通い合うだけでは、もう何 きたのじゃないか、と疑問を持ったととがあると言った
のカにもならぬことがはっきりしたのだ。 ね

今彼が抱いているのは本物の感情だった。それは彼がか ﹁でも、それはほんの一瞬のことだ﹂
つて想像していたあらゆる恋の感情と比べても、組雑で、 ﹁聡子さんはもう一度、もっと深くもっと強く愛されるた
趣きがなく、荒れ果てて、真黒な、およそ都雅からは遠い めに、そんな態度をとりだしたのじゃ・ないか﹂
感情だった。どうしても和歌になりそうでは・なかった。彼 しかし清顕の自愛の幻想がこの場の慰めになると思った
がとんなに、原料の醜さをわがものにしたのははじめてだ 本多の計算はまちがっていた。すでに清顕は自分の美しさ
っ J花。 に対して一一顧も与えていなかった。そして聡子の心に対し
あお
限れない一夜をすごして、蒼ざめた顔で登校すると、本 てさえも。
はばか
多がすぐ見相官めて訊いてくれた。このためらいがちな心こ 重要・なのは、二人が誰樺らず、心おきなく、自由に逢う
まやかな質問に、清顕は涙を誘われそうになった。 ことのできる場所と時間だけだった。それはもはや乙の世
﹁きいてくれ。彼女はもう僕と寝てくれそうもないんだ﹂ 界 の 外 に し か な h のではないかと疑われた。そうでなけれ
春の雪

本多の顔には、童貞らしい混迷があらわれた。 ば、との世界の崩嬢の時にしか。
﹁それは、どういうわけだ﹂ 大切なのは心では・なくて状況であった。清顕の、疲れた、制
のうさい
﹁いよいよ納采が十二月に決ったからだろう﹂ 危険な、血走った目は、二人のためにするこの世の秩序の
崩壊を夢みていた。 がかかる﹂

832
﹁大地震が起ればいいのだ。そうすれば僕はあの人を助け ﹁権力も金力もはじめから役に立ちはしないさ。忘れては
にゆくだろう。大戦争が起ればいいのだ。そうすれば、 いけない。貴様は、権力も金力も歯の立たない不可能をは
おおもと
::そうだ、それよりも、国の大本がゆらぐような出来事 じめから相手にしたんだ。不可能だからとそ、貴様は舷せ
が起ればいいのだ﹂ られたんだ。そうだろう?それがもし可能に-なったら、
﹁貴様は出来事というが、誰かがそれをしなくてはならな 瓦と同じだろう﹂
い﹂と本多は、との優雅な若者をあわれむような目で見て ﹁しかし一度ははっきり可能になったんだ﹂
ちょうしよう にE
言った。皮肉も瑚笑も友を力づける場合だとさとったから ﹁可能になった幻を見た。貴様は虹を見た。それ以上何を
だ。﹁貴様がやればいいじゃないか﹂ 求めるんだ﹂
清顕は正直に困惑を顔にあらわした。恋に忙しい若者に ﹁それ以上・・・・・・﹂
はその暇は・なかった。 と清顕は口ごもった。その途絶えた言葉の向うから、本
しかし本多は、自分の言葉が、ふたたび友の自に点じた 多が予測もし・なかっ・た広い大き・な虚無のひろがる気配に、
ぜん'ヲ
一瞬の破壊の光りに魅せられていた。自の澄んだ神域の闇 本多は戦標した。本多は思った。﹃自分たちが交わす言葉
Bおかみ
の中を、狼の群が走るようだ。力の行使にはいたらない、 は、ただ深夜の工事場に乱雑に放り出された沢山の石材だ。
ひ み

清顕自身にすら気づかれない、鴎の中だけではじまって終 その工事場の上にひろがっている広大な星空の沈黙に気づ
る、その狂暴・な魂のつかのまの疾駆の影・: いたら、乙んな風に石材は口ごもるほかはないだろう﹄
﹁どういう力がとの手詰りを打開できるだろうか。権力だ 第一時限の論理学の講義がおわり、血洗いの池を囲む森
ζhZ9
ろうか、金力だろうか﹂ の小径を歩きながら、二人はその話をしたのであるが、第
と清顕は独り言のように言ったが、松枝侯爵の息子がそ 二時限がはじまる時が迫り、今来た道を引返した。秋の森
んなことを言うのに多少滑稽を催おして、本多は冷たく反 の下道には、自に立っさまざまのものが落ちていた。湿っ


おびただどん P
問した。 て重なり合い茶いろの葉脈が際立った移しい落葉、団栗、
﹁権力だとしたら、貴様はどうする﹂ 青いままにはじけて腐った栗、煙草の吸殻、:::その聞に、
﹁権力を得るためなら何でもしよう。でも、それには時間 ねじけて、白っぽい、それがいかにも病的に白っぽい毛の
固まりを見つけて、本多は立止って磁を凝らした。幼ない しい組暴な振舞のうちに、彼は清顕の常ならぬ心の荒廃を

'BF らしかぽねうず︿
土竜の屍だとわかったときに、清顕も輪開鋸まって、朝の光 読んでいた。
りを頭上の梢がみちびくままに、黙ってとの屍をつぶさに
眺めた。 三十九
白く見えたのは、仰向きに死んでいる胸のあたりの毛だ
けが白いのが目を射たのである。全身は濡れそぼった天鷲 七日たち、八日たっても、馨科からの連絡は絶えたまま
織の黒さで、小さな分別くさい掌の白い鍍には泥がいっぱ であった。十日目に、軍人御下宿の主人に電話をかけてみ
あが ふせ
いついていた。足償いて、鍛に喰い込んだ泥だとわかる。 ると、馨科は病気で臥っているらしいという返事があった。
,、ちぽしル、か
明のような尖った口が仰のいて裏側が見えるので、二本 数日たった。諺科はまだ本復していないと告げられたので、
du ら乙う ζう とんE
の精妙な門歯の内側に、柔らかな蕎薮いろの口腔がひらい それが遁辞ではないかという疑いが兆した。
めざぷ
ていた。 清顕は狂おしい思いにかられて、夜、麻布へひとりで行
かいわいガス
二人は時を同じゅうして、かつて松枝家の滝口にかかっ って、綾倉家のあたりをうろついた。鳥居坂界隈の瓦斯燈
ていた黒い犬の屍を思い出した。あの犬の屍は、思いがけ の下をゆくときに、明りの下へさしだした手の甲が蒼ざめ
ず念入りな供養を事けたのである。 てみえるのに心を挫かれた。死の迫った病人は、よく自分
清顕は、毛のまばらな尻尾をつまんで、幼ない土竜の屍 の手を眺めるものだ、という言い伝えを思い出したのだ。
を、自分の掌の上にそっと横たえた。すでに乾ききった屍 綾倉家の長屋門はひたと閉ざされ、うす暗い門燈が、風
は、不潔な感じを与えなかった。ただ卑しい小動物の肉体 化して墨の字のと ζろだけ浮き出た表札をさえ読みにくく
のとどめている盲ら減法な労役の宿命が忌わしく、そのひ させていた。一体 ζの邸の燈火は乏しかった。彼は聡子の
らいた小さな掌の微細な造りがいやらしかった。 部屋のあかりが、決して塀外からは見えないことを知って
彼は又、その尾をつまんで立上り、小径が池のほとりに いた。
, れんE 傘"
a
春の雪

附抽A
接すると、事もなげに屍を池へ投った。 人の住まぬ長屋の福子窓は、子供のとろ清顕と聡子がと
か MV ほのぐら
﹁何をするんだ﹂ とへ忍び入って、その徹の匂いにみちた灰暗い部屋々々にロ
隠とり品
と本多は、友のその無造作に眉をひそめた。 一見学生ら 怖くなり、外の光りをなつかしんでっかまった福子の挨を、
そのまま積んでいるように思われた。そのとき、お向いの ーーおそろしい無風の数日がすぎた。又さらに数日がす

384
金d
家の緑があれほど怯ゆく逆巻いて見えたからには、五月だ ぎた。彼はただ時をすごすために学校へゆき、かえってか
ほうてき
った。そして、これほど密・な橋子が、その樹々の緑を区切 らは勉強を放制御した。
らなかったからには、二人の幼-ない顔はそれほど小さかっ 来春の大学の受験を目ざして、勉強に精を出す者は本多
会強+'
たのだ。苗売が通った。その呼び声の茄子、朝顔などの尾 を含めて際立って見え、無試験の大学を志す者は運動にい
を引く呼名を、二人はまねて笑い合った。 そしんでいた。そのいずれとも歩調を合わすととができな
この邸で学んだととは沢山あった。墨の香りが記憶の中 い清顕は、ますます孤独になった。話しかけても返事をし
てんめん
にいつも淋しく纏綿し、淋しさの記憶が彼の心に優雅とわ ないことの多くなった清顕は、皆からうっすらと疎まれて
かちがたく結びついた。伯爵が見せてくれた写経の紫紺地 いた。
ぴょうぶ
と金、京都御所風の秋草の扉風、・:・それらのものにも、 ある日学校からかえると、執事の山岡が玄関に待ち構え
a
uんのう
かつては煩悩の肉の明るみが射していた筈であるが、綾倉 ていて、
家ではすべてが徹と古梅園の墨の匂いとに埋もれていた。 ﹁今日は侯爵様が早く御帰りで、若様と鐘球を避はしたい
そして今、清顕がこうして拒まれてしまった塀の内で、優 と、撞球室でお待ちかねでいらっしゃいます﹂
aぇ
よみ
雅が久々にそのなまめかしい輝やきを蘇らせているときに、 と告げた。とれはあまり異例な命令であったので、清顕
彼はそれに指を触れることもできないのだ。 の胸はさわいだ。
まれ
塀外から辛うじて見える二階の淡い灯が消えたのは、伯 侯爵がごく稀に、気まぐれを起して清顕を撞球に誘うの
爵夫妻が限りに就いたのであろう。伯爵はむかしから早寝 は、家で夕食をしたあとの酔余に限られていた。 ζんな昼
だった。聡子は寝ねがてにしているのであろう。しかしそ 日中からそういう気を起した父は、よほどの上機嫌か、よ
の灯は見えない。清顕は塀ぞいに裏門までまわって、思わ ほどの不機嫌でなければならなかった。
ひわポタ〆
ず指が、黄ばんで干割れた呼鈴の釦へ伸びようとするのを 清顕自身も、日のあるうちにその部屋を訪れた乙とはほ
ζとどと
抑えた。 とんどなかった。そこで重い扉を押して入って、悉く閉め
ガ,ス占有ク
そして自分の勇気のなさに傷つけられて、我家へ戻った。 たままの窓の波形硝子を透かす西日が、四方の壁の側の鏡
板をかがやかせているのを見たときに、彼は見知らぬ部屋
へ入ってゆくよう・な気がした。 長い巻紙に書かれた遺書を読みはじめた。
侯爵はうつむいてキューをさしのべ、一つの白球を犯つ
ぞうげ 主

ζ
ていた o キュ l へかけた左手の指が、象牙の琴柱のように 書置の ζと
つのだ
角立ってみえた。 この書状が侯爵様のおん目に触るるときは、謬科はすで
ちよりつ おぼ
清顕が制服の姿で、半ばあけたままの扉のととろに侍立 に世になきものと思し召されたく存じまいらせ候。ま乙と
しず
していると、 にま乙とに罪深き行いの償いに、践の命の玉の緒を絶つに
ざんげ
﹁ドアを閉めなさい﹂ 先立ち、わが罪のほども機悔しまいらせ、命をかけたるお
と侯爵は緑の盤面へうつむけた顔に、緑のほのかな反映 願いも申上げんためにいそぎしたため候。
りたいとれ
を宿したまま言ったので、清顕は父の顔色を読むととがで 当綾倉家聡子姫は、馨科の悌怠より、此終調懐妊の兆有
ありきょう︿あいだ
き・なかった。 之、恐健に耐えぬ次第に御座候問、一刻も早き御始末をお
﹁それを読んでみろ。参科の書置だ﹂ すすめ申上げ候処、何としてもお聴き入れなく、時を移せ
夕、安﹄
と、ょうよう侯爵は身を起して、キュ l の尖で、窓ぎわ ば大事にもなるべきこととて、一存にて綾倉伯爵様に一部
の小卓の上に置かれた一通の封書を指し示した。 始終をお打明けまいらせ候えども、伯爵様には﹁弱った、
﹁事科が死んだのですか﹂ 弱った﹂と仰せらるるばかりにて、何の御決断も遊ばされ
ふる た
AU
と封書をとった手が傑えるのを感じながら、清顕は反問 ず、やがて月を越せば御始末も日々に難くなり、お国の一
vし品川。 大事ともならんと存ぜられ、もとはみな謬科の不忠より出
寸死んでは hd らん。助かったのだ。死んではおらんだけに、 でたることに候えば、今はただ、身を捨てて、侯爵様にお
すが
-一そう怪しからんととだ﹂ 槌り申上ぐるほかはなきものと存じまいらせ候。
と侯爵は言った。そしてなお息子のそばへ近づかぬよう 侯爵様にはさだめし御立腹と拝察仕り候えども、御姫様
念にとぞ
に自ら制しているような素振を示した c 御懐妊も御内輪のととと存じまいらせ候問、何卒、何卒、

春の雪

清顕は時間賭していたり を不
御賢察御賢慮の程願い上げまいらせ候。老いの死毒c
ぴん
﹁早く読まんか l﹂ 欄と思し召され、御姫様のおんこと、何卒くれぐれもよろ

s
品5
と侯爵ははじめて鋭利な声を出した。清顕は立ったまま、 しく、草葉の蔭よりおん願い申上げ候。あらあらかしと。
なすぴちょろ rょう
見る波の重く欝した茄子色が手前に重畳とそそり立ち、同町

か 4q

~
::読みおわった清顕は、そとに自分の名が書かれてい 緑のうちにも明るい色を彼方へ畳み、ととろどとろ波頭が
ひきょう
なかったことに一瞬味わった卑怯な安堵をもかなぐり捨て、 什くしぶき、しかもその激情的・な北の海が、一せいに大国
'
ν'h
v みお
父を見上げた自分の日が、白を切る目に見えない ζとを念 頭をしつつある艦隊のなめらかな水尾のひろがりを許して
ζめかみ
じていた。しかし唇は乾き、顧額が熱く波打つのが感じら いるさまは、すさまじく眺められた。画聞を縦に沖へつな
れた。 がる大艦隊の煙は等しく右へ流れ、空は北方の五月らしい
うち
﹁読んだか?﹂と侯爵は言った。﹁御姫様懐妊も内輪のこ 淡い若草いろをその冷たい青の裡に包んでいた。
︿だ
とだから、御賢察御賢慮をお願いするという件りを読んだ とれに比べると、大礼服姿の祖父の肖像画には、不屈な
AJep しった
か?いくら親しくても、綾倉と家との間柄は内輪とは云 性格に愛婿がにじみ出て、今も清顕を叱陀するよりも、出
えない。しかも翠科は敢て内輪と言っておる。 E
E-:お前に
- かい威を以て、教えさとしているように思われた。清顕は
何か申し開きがあるなら、一言ってみるがいい。乙のお祖父 との組父の絵姿へ向つてなら、何事も告白できるような気
さんの肖像画の前で言ってみろ。・::もし俺の推測がちが ':0

泊 1LJn
みえ
egF
っていたら、あやまろう。父親として、もともと ζんな推 彼の優柔不断の性格が、との祖父のふくらんだ重い除、
だき いぽい
測はしたくはなかった。実に唾棄すべきことだ。唾棄すべ 頬の徒、厚い下唇の前では、たとえ一時的にも、明るく癒
き推測だ﹂ やされるよう・な気がした。
&そ L
mっしゃ
あの不まじめな楽天家の侯爵が、これほど怖ろしげに、 ﹁申し開きするととはありません。仰一言るとおりです Q
又、偉大に見えたことはなかった。侯爵は祖父の肖像剛と、 .-僕の子供です﹂
日露戦役海戦の図を背に負うて、片手の掌に、いらいらと と清顕は伏目にもならずに言うことができた。
キューを打ち当て・ながら立っていた。 とういう立場に置かれた松枝侯爵の心は、実のところ、
日露戦役の画は日本海海戦敵前大田頭の巨大な油絵で、 その威嚇的・な外観とは逆に、困惑の極にあった。彼は乙ん
ほとろ えて
画面の半ば以上を大洋の暗緑色の波湾が占めていた。いつ な立場に立つのがもともと得手ではなかった。そ乙ですぐ
も夜見るその波浪は、殊に燈火の照りに不分明になって、 激しい叱責がこれにつづくべきところが、口のなかで独り
暗い壁面と一トつながりの凹凸の閣にすぎなかったが、昼 言をき口うだけになった。
﹁翠科のぼばあが一度ならず二度までも、お耳拝借をやり 引返せるのだから、少しでも気持に引っかかりがあれば、
おった。前はたかが書生の不義のととだからよいとして、 そう言え﹄と私が言ったじゃないか﹂
今度はかりにも侯爵家の息子を:::。それで首尾よく死に 侯爵の怒りは、﹁俺﹂と﹁私﹂がちゃんぽんに使われ、
のOL
もしよらん。あの業つくばりが!﹂ 罵りのために﹁私﹂が、懐柔のために﹁俺﹂が使われたり
心の微妙な問題をすりぬけるのにいつも町々大笑ですま する錯誤によく現われていた。キューを持つ手の探えがあ
AEAU
してきた侯爵は、同じ微妙さに対して怒るべきときには、 りありとわかるほど、侯爵は玉台づたいに迫って来ていた。
どうしてよいかわからなかった。との赤ら顔の、いかにも 清顕にはじめて怖れが芽生えた。
た︿会せ丹ぜん
還しい風貌の男が、その父と毅然とちがっていたととろは、 ﹁そのときお前は何と言った?え?何と言った?
わが子に対してさえ、鈍感で因業な男と思われまいとする ﹃何も引っかかりなんかありません﹄と言ったのだぞ。か
見栄を持っている点だった。旧弊でない怒り方をしようと りにも男の一言じゃないか。それでもお前は男か。私はど
する結果、侯爵はその怒りが理不尽な力を失うのを感じた うもお前を柔弱に育てすぎたととを悔んでいたが、とうま
かみいい傘ずゆ
が、一方、怒りにとっては有利なととに、彼は自己反省か でとは知ら・なかった。 hp
上の・お許しの下りた宮家の許婚に、
信ら
らはもっとも遠い人間だった。 手をつけたばかりか、子まで字ませた。家名を傷つけ、続
しゅんEゅ ん 隠 ル 首 し
父のわずかな遼巡が清顕に勇気を与えた。亀裂から遊る の顔に泥を塗った。とれ以上の不忠不孝はとの世にあるま

清らかな水のように、との若者が生涯で発した一番自然な い。昔なら、親の私が腹を切ってお上にお詫びせねばなら
言葉が口から出た。 ぬととろだ。根性の腐り果てた、犬猫のやる乙とだ、お前
﹁それでも、とにかく聡子は僕のものです﹂ の行跡は。おい、清顕、 前はどう思っている。返事をせ
hp
﹁僕のもの、だと?もう一度言ってみろ。僕のもの、だ んか。まだ、ふてくされる気か 0
・おい、清顕:::﹂


と?﹂ 父の鴨ぎが言葉を弾ませているのを感じるやいなや、清
よひるが
侯爵は息子から、自分の怒りの撃鉄を引いてもらったと 顕はふりあげられたキューを避けて身を練えそうとしたが、
春の雪

とに満足していた。とれで安心して彼は盲目になれるのだ。 したたかな一打を制服の背中へ受けた。背中を庇おうとし
しぴ
﹁今さら何を言う。聡子に宮家から縁談があったとき、あ てうしろへ廻した左手が、さらに打たれて急速に縛れ、頭

387

れほど﹃異存がないか﹄と確かめたじゃないか。﹃今-なら へ来た次の一打が外れて、逃げ口の扉を探している鼻柱へ
当った。清顕はそとの椅子につまずいて、椅子を抱くよう 侯爵夫人ははじめて察した。侯爵を一手に引受けようとい

38
にして倒れた。たちまち鼻血が鼻孔にあふれた。キューは う気構えを示しているのである。それと知ると、夫人は安

8
内シカ 47
それ以上追っては来なかった。 心して清顕のと ζろへ駈け寄った。彼はすでに手巾を出し
おそらく清顕は一打毎に、ちぎれちぎれの叫び声をあげ て、血だらけの鼻を押えていた。自に立つほどの傷はなか
しゅうとめ
ていた。ドアがひらいで、祖母と母が現われた。姑の背 った。
で侯爵夫人は楳えていた。 ﹁ええ、そうしたら?﹂
侯爵はなおキューを握ったまま、烈しく哨いで、棒立ち とすでに巻紙を繰りながら、侯爵の母は重ねて訊いた。
になっていた。 侯爵の心の中ではすでに何かが挫けていた。
﹁何事です﹂ ﹁電話をして問い合せてみたら、命はとりとめて、今は養
と清顕の祖母は言った。 生しているが、どうしてそれを御存知だ、と伯爵が不審そ
その一言ではじめて母の姿に侯爵は気づいたが、そこに うに訊くじゃありませんか。どうやらとの私宛の書置のと
母のいるととがまだ信じかねる風だった。まして妻が事態 とは知らぬらしい。私も葱科がカルモチンを府んだなどと
の急に気づいて、姑を呼ぴに行ったのだという推測までは いう話は、一切世間へ洩らさぬように、とよく伯爵に注意
心が届かなかった。母が隠居所を一歩でも離れるととは、 しておきました。しかし、どう考えても、 ζちらの清顕に
k-

それほど異例だったのである。 科のあるととですから、先方ばかりを責めるわけにも行か
しぜか
﹁清顕が不始末を仕出来したのです。そとのテーブルの葱 ず、ま乙とに不得要領な電話になりました。なるべく近い
科の書置をお読みになればわかります﹂ 機会に、会っていろいろ相談したい、と伯爵にも言ってお
﹁牽科が白書でもしたのかい﹂ きましたが、いずれにしろ、とちらの態度が決らなくては、
﹁書量を郵便でもらって、綾倉へ電話をしてみたら、:::﹂ 動くわけには行きませんしね﹂
﹁ええ、そうしたら?﹂と母は小卓の傍らの椅子にかけて、 ﹁それはそうだOi--・それはそうです﹂
ピロド
帯の聞からゆっくり老眼鏡をとりだした。黒天驚繊のケー と老婆は手紙へ目を走らせながら、上の空で言った。
スの口を、財布でもひろげるように入念に押しひらく。 その肉の厚いつややかな額と、太い輪郭で一気に描かれ
ととろa
y
姑が、倒れている孫のほうへ一瞥もくれない心遣りを、 たような顔立ちに、いまだにのとる昔の叫口付けの色、その
おき
切鶴を無造作にただ累々と不自然に染めた白髭染、:::乙 に稚なく見えた。
かえ
うした剛健な田舎風なものすべては、却ってふしぎにも、 ﹁本当です﹂
n
乙のヴイクトリアン様式の撞球室に、切って桜めたように と清顕は鼻声で言い捨てると、文いそいで、母のさし出
似合っていた。 す新らしい手巾で鼻孔を押えた。
﹁しかし ζの書置には、清顕の名はどとにもないじゃない そのとき清顕の祖母が言った言葉ほど、自由に疾駆する
ひづめ

﹂ 馬の蹄の響きを以て、そとらに秩序正しく立ち並んでいた
うん命ん げち
﹁内輪云々というととろをお読みなさい。あてとすりだと と見えたものを、さわやかに蹴散らしてしまう言葉はなか
一目でわかります。:::それに清顕は自分の口から、あれ った。祖母はとう言ったのである。

nvag いい老ずけいま と
dき
は自分の子だと白状したのです。-お母さんは曾孫をお持ち ﹁{昆憾の許婚を字ましたとは天晴れだね。そ乙らの、今時
になろうというわけですよ。それも日蔭者の曾孫をね﹂ の腰抜け男にはできないととだ。そりゃ大した ζとだ。さ
﹁清顕がそれでも誰かを庇って、嘘の白状をしたのかもし すがに滑顕はお祖父機の孫だ。それだけのととをしたのだ
れませんよ﹂ から、牢へ入っても本望だろう。まさか死刑にはなります
﹁何をか言わんや、ですね。お母さんが御自分で清顕にお まいよ﹂
訊きに・なったらいいでしょう﹂
品M7ZW
祖母は明らかに喜んでいた。きびしい唇の線が弛み、し
彼女はやっと孫のほうを振向いて、五、六歳の子供へ言 かも永年の欝積がそ ζに解き放たれて、今の侯爵の代にな
トa
FU'﹄
うように、慈愛をとめてとう言った。 ってからこの邸に澱んだものを、自分の言葉で一挙に打ち
ぽぽぽぽ あふ
﹁いいか、清顕。祖母のほうをちゃんとお向き。祖母の目 払ったような満足感に溢れていた。それはひとり、息子で
をよく見て答えるんだよ、そうすれば嘘は言えないから。 ある現侯爵の科のみではなかった。との邸のまわりにある
今、お父さんが言いなすったととは本当かね﹂ もの、十重二十重に彼女の晩年を遠巻きにしてやがて押し
清顕は背中にのとる痛みをとらえながら、まだ止らない つぶそうと企らんでいる力への、祖母のとんなしっペがえ
春の雪

鼻血を拭って、真赤な手巾を握りしめて向き直った。撃っ しの声は、明らかに、あの、今は忘れられた動乱の時代、
た顔だけに一そう、乱雑に拭われて血の蹴らが残った秀で 下獄や死刑を誰も怖れず、生活のすぐかたわらに死と牢獄

889
路孝タ益、 ζ 加ぬ
た鼻尖が、潤んだ目もとと共に、仔犬の濡れた鼻尖のよう の匂いが寄せていたあの時代から響いてきていた。少くと
したい
も祖母たちは、屍体の流れてくる川で、おちついて食器を ﹁大阪がいい﹂と、しばらく考えていて侯爵は言った。


洗っている主婦たちの時代に属していた。それとそは生活 ﹁大阪の森博士に極秘でやってもらえばいい。そのために

S告
と い う も の だ っ た ! そ し て ζの一見柔弱な孫が、ものの は金を惜しみますまい。しかし、聡子を自然に大阪へやる
見事に、その時代の幻を眼前に蘇らせてくれたのである。 口実がなければならないが:::﹂
しんぜき
祖母の顔にはしばらく酔うような表情が泥んでいたが、あ ﹁綾倉の家なら、向うに親戚も沢山あるし、納采の決った
まりのととに返す言葉も知らない侯爵夫妻は、じっと遠く 挨拶に行かせるには、丁度いい時機じゃないか﹂
から、侯爵家の母としてはあまり人前に出したくないその ﹁しかし、いろんな親戚に会わせて、体の調子を気づかれ
野趣に富んだいかつい老婆の顔を、呆然と眺めていた。 たりしては、却ってまずい Oi--・そうだ、いい ζとがある。
﹁何という ζとを仰言る﹂と、ようやく放心からさめた侯 奈良の月修寺の僻内側のととろへ、お別れの挨拶に行かす
爵は力なく言い返した。﹁それでは松枝の家も破滅です。 のが一番じゃありませんか。あそとはもともと宮門跡のお
お父さんに対しても申訳ないことに・なりましょう﹂ 寺だし、それだけの挨拶を受けてしかるべき格式を備えて
﹁それはそうだ﹂と老いた母親はすぐに応じた。﹁お前の いる。ど ζから見ても不自然ではない。総子も子供のとき
せっかん
今考えるべきととは、清顕の折憧などでは念くて、松枝の から、御門跡に可愛がられていたととだし。:::そとでま
家をどうして守るかというととだ。お国はもとより大切だ ず大阪へ行かせて、森博士の手当を受けて、一日二日静養
が、松枝の家も大切だ。私どもは綾倉さんの家のように、 させて、それから奈良へ行かせればいい。それには聡子の
かみ松
二十七代もお上の禄を喰んできた家とはちがうのだからね。 母親がついて行くだろうが:::﹂
::それでお前はどうしたらいいとお考えです﹂ ﹁それだけではいけない﹂と老婆は厳しく言った。﹁綾倉
dzR
﹁何事もなかったととにして、納采から婚儀まで、とのま の奥方はあくまでも向う方の人だ。とちらからも誰かがつ
まに押し進めるほかはないでしょう﹂ いて行って、博士の処置のあとさきをよく見極めなくては
﹁その覚悟は立派だが、それには一刻も早く聡子さんのお いけない。それには女であるととが必要だが、:::ああ、
腹の子を始末する必要がある。それも東京近辺でやって、 都志子、お前が行き念さい﹂
もし新聞社にでも嘆ぎつけられたらえらいととになる。何 と清顕の母へ向って言った。
かいい知恵はありませんか﹂ ﹁はい﹂
﹁お前が監視役について行くのです。奈良まで行くには及 よりも、むしろ祖父から、祖父を通じて学んだ能力だと思
ばない oすませるべきことを見極めたら、お前一人、一刻 われた。
も早く東京へかえって報告をするのです﹂ キューで打って以来、はじめて清顕のほうをまともに見
﹁はい﹂ て、侯爵はとう言った。
﹁お母様の仰言るとおりだ。そうし・なさい。出発の日取は ﹁お前は今日から謹慎して、学生の本分にかえって、大学
ばん
私が伯爵と相談して決め、万遺漏のないようにし-なくては の受験の勉強に精を出すのだ。いいか。俺はこれ以上は何
ならん。:::﹂ も云わん。お前が男になるかならぬかの岐れ目だぞ。-
ー l清顕はもはや自分は後景にしりぞき、自分の行為も 聡子とはもちろん、もう一切会うととはならん﹂
ちつきょ
愛も、すでに死んだものとして扱われ、祖母や父母が、す ﹁土日で言えば、閉門塾居だね。勉強に飽きたら、ときどき
ぐ目の前で、死者の耳に逐一きこえているととも意に介さ 隠居所へ遊びに来るがいい﹂
ずに、こまごまと葬儀の相談をしているような心地がした。 と祖母が言った。
いや、葬儀に先立って、何ものかがすでに葬られていた。 そして清顕は、今の父侯爵が、世間体をおそれで、息子
そして清顕は、一方では衰え果てた死者でもあり、一方で を勘当する ζともできない立場にいるのを知った。
は叱られ傷ついた一人の途方に暮れた子供でもあった。
すべては、行為の当人の意志とかかわりなく、相手の綾



倉家の人たちの意志をも無視して、みごとに整理され決定
されてゆきつつあった。さつきあれほど奔放-な口をきいた 綾倉伯爵は、怪我や病気や死というものに対して、極端
祖母でさえ、非常事態を処理するというすばらしい快楽的 に臆病な人だった。
念︿ら一もと
な仕事に打ち込んでしまっていた。祖母ももともと消顕の 朝、翠科が起きて来ないので騒ぎになり、枕許に発見さ
繊細さとは無縁の性格だったが、不名誉な行為のうちに野 れた遺書が、すぐさま伯爵夫人の手もとへ届けられたが、
春の雪

ばいきん
性的な高貴を見出だすその同じ能力が、名誉を守るために それが更に伯爵に渡されると、彼は徴菌のついたものを扱
真の高貴をすばやく手の内に隠してしまうという能力にも うように指先でつまんで開けた。内容は、伯爵夫妻と聡子

4
31
つながっていて、それは彼女が、鹿児島湾の夏の日光から に対して、自分の不行届を諸び、永年の忠一敏を均している
だけの、誰に見られでもかまわないような簡単な遺書であ 聡子は、どうしている?﹂

12

九凡。 ﹁聡子は部屋に引きともっております。翠科のととろへ見

8
夫人がすぐ医師を呼んだが、もちろん伯爵は行ってみよ 舞に行とうともいたしません。あの有様を見れば、聡子の
うともせず、事後の報告を夫人から詳しくきいただけだっ 今の休では、何かと障りが出ましょうし、又、謬科があの

。 ことを ζちらへ打明けてまいりましてから、ずっと謬科と
﹁カルモチンを百二十錠ほど犠んだようでございます。本 は口をきいていない聡子が、今さら急に見舞に行くのも気
人はまだ意識が戻ってはおりませんけれど、先生がそのよ がさすのでございましょう。聡子はそっとしておいてやる
うに言うておられます。何やら、手足をばたばたさせるや のがよいと存じます﹂
にんしん
ら、体を弓なりにひきつらせるやら、仰山・な騒ぎをいたし 1 i五日前に謬科が思い余って、伯爵夫妻に聡子の妊娠
まして、あの・お婆さんにどうしてとんな力があるのやら、 を打明けたとき、諺科は自分もひどく叱責される代りに、
ろうばい
わからんようでございましたけれど、ょうよう皆で押えっ 伯爵もひどく狼狽するだろうと思っていたが、まととに張
せん,しよう
けて、注射やら、胃洗糠やらをいたしまして、(胃洗糠は り合いの・ない反応があっただけで、謬科はいよいよ焦慮し
浅ましくて、私はよう見ませんでしたけれど)、命はとり て、松枝侯爵宛の遺書を送ってから、カルモチンを慎んだ
とめると先生も請合うておいででした。 のであった。
やはり専門の方はちがいます。とちらが何も言わぬ先か まず聡子がどうしても葱科の進言を受けつけず、一日一
ら、事科の息をお嘆ぎになって、 日と危険は増すのに、誰にも言うな、と命ずるばかりで、

九 M免 u
﹃ああ、蒜のような匂いがする。カルモチンだ﹄ いつになっても決断がつきそうにない。謬科は思いあぐね
とすぐお当てになりました﹂ た末に、聡子を裏切って、伯爵夫妻に打明けたのであるが、
﹁、どれほどで治るということやった?﹂ 夫妻はあまり呆然としてしまったためか、まるで裏庭の
にわとり
﹁十日ほどは静かにしていなくては、と仰言っておいでで 鶏が猫に引かれたという話をきく顔つきをしていた。


T 凡
﹂ こんな重大な話をきいた明る日も、又明る日も、伯爵は
﹁とのととは決して世間へ洩れぬように。家の女どもにも 萎科と顔を合せ-ながら、とのことに触れる気配が・なかった。
よう口止めをし、医師にもようたのんでおかねばならぬ。 伯爵は心底から困っていたのである。しかし、自分一人
で処理するにはあまりに大きく、人に相談するにはあまり あらゆる解決には、趣味のよさに於て欠ける点があった
bもぷ
面伏せな事柄は、できれば忘れていてしまいたかった。夫 から、誰かがその趣味のわるさを引受けてくれるのを待っ
妻は聡子には、何かの処置をとるまで一切黙っていようと たほうがよい。それは落ちた鞠を受けとめてくれる他人の
︿つ
申し合せたが、感の鋭くなっている聡子は翠科を詰問して 沓でなければならない。そして自分の蹴った鞠といえども、
それと知ると、翠科とは口をきかなくなって、部屋にこも それが空中に泥んだ瞬間、不測の鞠自体の気まぐれを生じ
かた
りきりになってしまった。家の中には、ふしぎ念沈黙が立 て、思わぬ方へ吹き流されるかもしれないのだ。
のうり
ちとめていた。謬科は外部からの一切の連絡には、病気と 伯爵の脳裡には、一向に破滅の幻が浮んで来なかった。
たね
告げさせて応じなかった。 勅許を得た宮の許婚が、他の男の胤を宿したととが大事で
伯爵は妻とさえ、乙の問題について立入った話をしてい ないなら、との世に大事などあるべきでないが、どんな鞠
かず
なかった。たしかに怖ろしい事態であり、急を要する案件 もいつまでも自分の手中にある筈は・ない。託けるべき他人
ではあるが、それだけに一日のばしにするほかはなく、さ が現われるだろう。伯爵は決して自分をじらせること-など
きせき
りとて寄蹟を信じているのでも-なかった。 でき・ない人だったから、結果としていつも人をじらせるこ
との人の怠惰には、しかし、一種精妙なものがあった。 とになった。
何事も決めかねるということには、あらゆる決断に対する ││そして謬科の自殺未遂におどろかされた明る日に、
不信があったのは確かだが、との人世一一一口葉のふつうの意味 伯爵は松枝侯爵の電話に接したのである。
の懐疑家ですらなかった。綾倉伯爵は、ひねもす思いに屈
していても、耐えられるだけの感情の豊かさを、一つの解 侯爵が ζの内緒事をすでに知っているのは、正にありえ
け eり
決へ持ち込むことを好まなかった。物思いは家伝の蹴鞠に ないような出来事だった。しかし伯爵は家の中に内通する
似ていた。どんなに高く蹴上げても、又忽ちにして地に落 者があるとしても、今さらおどろかない覚悟を決めてはい
傘んぽむねなけ
ちて来ることは知れている。たとえ、あの難波宗建のよう たが、もっとも内通の疑わしい翠科当人が、きのう一日意
とりかわつまけん
春の雪

に、鹿革の白鞠の紫の執皮を摘んで蹴上げたのが、十五問 識を喪っていたとすると、あらゆる筋の立ちそうな推測が
ししんぜん
の紫震殿の屋上をみどとに越えて、人々の嘆賞を呼んだに 怪しくなった。

343
とどしょ
しても、鞠はたちまち小御所の御庭に落ちたのだの そこで伯爵は夫人から、謬科の症状がもうかなりよく、
話もすれば、食慾も出たときいて、非常な勇気を振い起し と伯爵は椅子に腰かけて病人を見下ろす位置になるのを、
て、一人で病室へ見舞に行く気になった。 決して不自然だとは思わぬが、何か声も心も届かぬような掛
﹁あなたは来てくれないでよろしい。私が一人きりで見舞 思いがしながら口を切った。
もったいおそ
ったほうが、あの女も本当のととを言うだろう﹂ ﹁勿体のうどざいます。畏れ多うどざいます。何とお詫び
﹁むさくるしい部屋でございますから、不意のお見舞では を申上げたらよろしいか:::﹂
蓉科も困りましょう。あらかじめそう言ってやって、身の 葱科はなお顔を埋めたまま、懐紙をとりだして目頭に当
参た
まわりを片づけさせてやりましょう﹂ てるらしかったが、とれも亦、白粉を庇っているのが伯爵
﹁それがいい﹂ にはわかった。
それから綾倉伯爵は二時間待たされた。病人が化粧をは ﹁医者も言うているが、十日も養生すれば本復するそうだ。
じめたというのである。 遠慮をせずに、ゆっくり養生をしたらよい﹂
事科は特に母屋の内に一室を与えられていたが、白も射 ﹁ありがとうございます。:::とんなありさまで、死に損
さぬ四畳半で、床・を敷けば一杯になった。伯爵がその部屋 いをいたしまして、ただただお恥かしゅうどざいます﹂
を訪れたととは一度もなかった。ようやく迎えが来て行っ 小菊を散らした小豆いろの掻巻をかぶってうずくまった
よみ E たo
a
てみると、畳の上に伯爵のための椅子が設けられ、蒲団は 姿には、どとか人間離れのした、黄泉路を一度辿って引返
ひE
片づけられて、謬科は座蒲団を何枚か重ねた上に肱をつき、 して来た者の忌わしきが漂っていた。伯爵はとの小部屋の
かい寝台 ちゃだんすひきだし耽が
掻巻を羽織って、お辞儀をする額をその重ねた座蒲団に押 茶箪笥や小袖斗にまで、ある織れがまとわっているような
し当てるようにして主人を迎えた。しかし、その額の丹念 気がして、落着かなかった。そう思うと、うつむいた葱科
︿し吋ヂちんぜんみ字おしろい えPあし
に統られた生え際まで、色濃く沈澱している水白粉を庇う の襟足が、あまり丹念に白く塗られ、髪も毛筋一つ乱れず
ために、謬科が、それほど弱っていながら、額と座蒲団の 硫られているのが、却って言おうようなく忌わしく見える。
脅しようおお
聞に些少の隙間・を保って、お辞儀をし了せたのに伯爵は目 ﹁実は今日、松枝侯爵から電話があって、もうとの ζとを
をとめた。 知っておられるのにおどろいた。お前に何か覚えがあろう
﹁えらいととであった。しかし助かって、本当によかった。 かと思って、訊いてみるのだが:::﹂
あまり心配をかけるものではない﹂ と伯爵は何気なくその聞を口に出したが、口に出す乙と
によっておのずから解ける聞があるもので、彼がそう言い 裡に如実に描いていたわけではないが、書かずにおいたと
ちらかE
かけ念がら、答を予め直感してはっとしたのと、馨科が顔 ともいろいろあると馨科が言うのをきくと、急に不安にな
をあげたのと一緒であった。 った。
事科の顔はいつにもまして、京風の厚化粧の極みを示し ﹁書かずにおいたことというとそれは何や﹂
あかねしわ
ていた。唇の内側から京紅の茜が射し出で、簸を埋めた白 ﹁何を仰せられます。今、﹃何もかも書いたのか﹄とお尋

粉の上を均らそうとして更に塗り込めた白粉が、きのう磯 ね遊ばすから、そう申上げたまでで、殿様がそうお尋ね遊
品、 Pし
んだばかりの毒に荒らされた肌に剛馴染まず、化粧がいわば ぼすからには、殿様のお心に在るととが何かございましょ
おかぴ
顔いちめんに生い出でた徹のように漂っていた。伯爵はそ う

っと目をそむけて、言いつ つ
e
けた。 ﹁思わせぶりをいうものではない。とうして私一人で見舞
信ばか
﹁お前が侯爵に前以て書置を送ったのだな﹂ に来たのは、誰俸らぬ話ができると思ったからだ。はっき
﹁はい﹂と葱科は聞をあげたまま、少しもひるまぬ声で言 り言うたがよい﹂
った。﹁本当に死ぬつもりでどざいましたから、あとを万 ﹁書かなかっ・たととはいろいろございます。なかでも、八
き名 3奮き
事おねがいするつもりで書送ったのでございます﹂ 年前に、北崎の家で殿様から伺いましたととは、私の心一
し怠
﹁何もかも書いたのか﹂ つに蔵って死ぬつもりでございました﹂
と伯爵は言った。 ﹁
北崎・
・ ・・・
・﹂
﹁いいえ﹂ その名を伯爵は、不吉な名をきくように、身懐いしてき
﹁書かずにおいたとともあるのだな﹂ いた。そ乙で葱科の意味するととろも明瞭になった。明瞭
﹁はい。書かずに・おいたとともいろいろどざいます﹂ に念ったが、不安がいよいよ募って、もう一度確かめる気
と翠科は晴れやかに言った。 になった。
﹁北崎の家で、私が何と言った﹂
つゆ
春の雪

﹁梅雨の晩でどざいますよ。御忘れ遊,はす筈はどざいませ



んよ。お姫様はおいおいおよずいておいでになったとは申

4
8s
そう訊きながら伯爵は、侯爵に知られては困る ζとを脳 しながら、まだ十三歳でいらっしゃいました。あの日は、
めずらしく松枝侯爵様がお遊びにおいでになった日で、侯 の家が、造作の細目までありありと自に浮んでくる。門も

816
みゆしき いた4 い
爵様がおかえりになってから、殿様は御気色がおよろしく 玄関もない、そのくせかなりな広さの庭に板塀をめぐらし
傘め︿E
なく、それでお気晴らしに北崎へお越しになったのでどざ た坂下の家。湿った、暗い、括騰の出そうな玄関を、四、
います。その晩、私に何と仰せられました﹂ 五足の黒い長靴が占めていて、長靴の内側の汗と脂に蒸れ
たいし h Y e z d m ら俗
:::もう馨科の言わんとするととろはわかっている。あ た代緒いろの革の斑がちらと見え、そとから外側へ綴ね返
とっとおちど ひきひ也
のときの伯爵の言葉を独鈷にとって、自分の越度をのとら っている汚れた縞の幅広の短かい引紐に、持主の名が書い
ず伯爵のせいにしようとしているのである。伯爵には事科 てある。玄関先にまで粗暴な放歌高吟がひびき渡っている。
v
tEW
の服毒さえ、本当に死ぬ気があったのかどうか俄かに疑わ 日露戦役の最中の軍人御下宿という安全な職業が、との家
きゅうしゃ
しくなってきた。 に与えているいかにも質実そうな外見と厩舎の匂い。伯爵
今、重ねた座滞団の上から上げた諺科の目は、白壁のよ は奥の離れへ案内されるまで、避病院の廊下を歩くように、
うがやぎ毒
うな厚化粧の顔に二つ穿たれた黒い矢狭間のように見える。 そとらの柱に袖が触れるのをさえ僧った。彼は人間の汗・な
その壁の内側の聞には過去が立ちとめ、矢は簡の奥から、 どというものが、しんそこから嫌いだった。
明るい外光に身をさらしている ζちらを狙っているのであ あの八年前の悔雨の晩、訪客の松枝侯爵を送り出してか

'Q ら、伯爵は片附かぬ気持を持て余していた。そのとき塞科
﹁今どろ何を言う。あれは冗談で言ったととだ﹂ が伯爵の顔色を敏感に読んでとう言ったのだ。
﹁さようでございましょうか﹂ ﹁北崎が何か面白いものを手に入れまして、ぜひ御前様の
すぽ
忽ちその矢狭間の目がさらに窄まって、そとから鋭い闘 御覧に入れたいと申しております。お気晴らしに今夜にで
しぽ
が拙作り出されるような感じを伯爵は抱いた。葱科は重ねて もお出ましになりませんか﹂
しん
言った。 諺科は聡子が寝に就いてから﹁親戚へ遊びに行﹂ったり
﹁でもあの晩、北崎の家で:::﹂ する自由があったし、伯爵と、夜外で落合うのは難かしく
いんぎん
││北崎。北崎。伯爵の忘れたい記憶にまつわる名を、 なかった。北崎は伯爵を態敷に迎え、酒を出し、古い一巻
事科のしたたかな唇がしきりに呼んだ。 の巻物を持って来て、恭しく卓上に置いた。
あれを最後にもう八年間足を踏み入れたととのない北崎 ﹁大そうやかましゅうどざいます。出征する方がございま
して、今夜は壮行会をしておりますので。お暑うどざいま れた感じを持った。その蚊はどうして伯爵を刺さなかった
す4
しょうが、雨戸を閉めましたほうが:::﹂ のか?彼はそんなに凡てから護られていたと云えるだろ
母屋の二階の軍歌の合唱と手拍子を偉って、北崎がそう うか?
ζろ も お し よ う
言った。伯爵はそうさせた。すると却って雨音にひたと包 巻物の聞はまず扉風の前に対座している柿色の衣の和尚
ぷすま
まれるような気がした。源氏僕の彩色がとの部屋に、何か と若後家の一景からはじまっていた。俳画風の筆づかいで
しゃだっかいい
人を窒息させるような、追いつめられたなまめかしきを与 酒脱に書き流され、和尚の顔は、滑稽で魁偉な男根そのも
えていた。との部屋自体が秘本の中にあるようだつた。 のの感じに掛かれていた。
かしと
北崎の鍍の多い、いかにも畏まった風情の実直な手が、 次に和尚が突然のしかかって若後家を犯そうとし、若後
憾むか
卓の向うから巻物の紫の組を解き、伯爵の前に、まず物々 家は抗うが、すでに裾は乱れている。次に二人は素肌で相
さん 主ど
しい讃をひろげた。無門関の公案の一つが引いてある。 擁しているが、若後家の表情は和んでいる。

あんE
﹁越州、一庵主の処に到って問ふ、 和尚の男根は巨松の根のようにわだかまり、和尚の顔は
どふん
有りや有りや。 恐悦の茶いろの舌を出している。若後家の、胡粉で白く塗
主、拳頭を郎官す。 られた足の指は、伝来の画法によって、悉く内側へ深く慨
とふねず会わ も也せん gう
州、水浅うして是れ紅を泊する慮にあらず、といって便 められている。からめた白い腿から甑動が走って、足指の
ち行く﹂ と ζろで智かれて、曲げられた指の緊張が、無限に流れ去
うちわ
あのときの蒸暑さ。うしろからあおいでいる翠科の団扇 ろうとする出臨を抑泌がすまいと力んでいるように見える。
ぜいろう け傘げ
の風にすら、炊かれた空気の、蒸舗のような熱気がともっ 伯爵には女が健気に見えた。
ていた。漕がまわってきて、雨が後頭部の内側にふりとめ 一方、扉風の外では、小僧どもが木魚や経机に乗ったり、
たか
ているような音を立てていて、外側の世界には無邪気な戦 肩車をしたりして、一心に扉風の内側をのぞき、すでに昂
争の勝利があった。そして伯爵は春画を見ていたのである。 ぶったものを滑稽に抑えかねている。ついに扉風が倒れる。
容の雪

北崎の手がっと空中に泳いで、蚊をはたいた。それから音 素裸の女は前を隠して逃げようとし、和尚にはすでに叱る
ろう一ぜき
を立てておどろかせた ζとを詫びた。伯爵は北崎の白い乾 カもなく、狼藷をきわめた場面がことからはじまる。

47
つぷ"が

8
いた掌に、潰れた蚊の小さな黒点と血をちらと認めて、出限 小僧たちの男根は、ほとんど身丈と同じほどに描かれて
ぽんのう
いる。画家は尋常の寸法では納得できない煩悩の重荷を現 それから起ったととは、あの梅雨のものうい熱気と、伯

818
わそうとしたのである。一せいに女へ襲いかかるときに、 爵の嫌悪からとしか言いようがない。
かれらはみな、言うに言われぬ悲痛な滑稽を顔に刻んで、 との悔雨の晩よりさらに十四年前、奥方が聡子を懐胎中
男根を肩一杯に担ぎ上げてよろめいている。 に、翠科に伯晶闘のお手がついた。すでにその時馨科は四十
回全は
女は苦役の果てに、全身が蒼ざめて死んでしまう。魂は 歳を超えていたのであるから、伯爵の甚だしい気紛れとし

飛んで、風に乱れる柳の木蔭に現われる。女は女陰の顔を か云いようが・ないが、しばらくして沙汰は止んだ。伯爵自
した幽霊になったのだ。 ら、それからさらに十四年を経て五十路半ばの翠科と、こ
e
み五な e
とのとき絵巻の滑稽はかき治えて、陰惨の気が援り、一 んなことに・なろうとは夢にも思っていなかった。そしてと
人ならず数人の女陰の幽霊が、髪もおどろに、朱のロをひ の晩のことがあって以後、伯爵は二度と北崎の家の閥をま
らいて男たちに襲いかかる。逃げ惑う男たちは、疾風のよ たがなかった。
信ζ
うに飛来する幽霊に抗するすべも・なく、和尚をも含めて、 松枝侯爵の来訪、傷つけられた衿り、梅雨の夜、北崎の
悉く男根を幽霊たちの口の力で引抜かれてしまう。 離れ座敷、酒、陰惨な春画・::すべてが寄ってたかつて伯
時りが
最後の情景は浜辺である。浜には男を失った赤裸の男た 爵の嫌悪をそそり立て、自分を演すととに熱中させて、そ
ちが泣き喚いている。暗い沖へ向って、今し奪い取った男 んな所業に駆り立てたのだとしか思えない。
そう
根を満載した一般の船が、髪をなびかせ、蒼い手を垂れて、 裁量科の態度に、毛筋ほどの拒否も見られなかったことが、
あざけ
岸に泣き叫ぶ男、たちを噸っているあまたの女陰の幽霊を乗 伯爵の嫌悪を決定的にした。﹃ ζ の 女 は 十 四 年 で も 、 二 十
みよし︿
せて、船出している。沖を目ざす紬も女陰の形に制られ、 年でも、百年でも待っているつもりなのだ。お声がかかれ
傘んどき
その尖には房をなす女陰の毛が潮風になびいている。: ば、いつ何時でも用意おさおさ怠りなく﹄目:・伯爵は自分
ーー見終ると伯爵は、何とも云えない陰気な気分に・なっ にとっては全く偶然から、或る突きつめた機感から、よろ
た。酒が廻っているので、ますます気持が片附かないが、 めき入った暗い木蔭に、じっと待伏せしていたあの春画の
さらに沼を命じて黙って呑んだ。 幽霊を見たのである。
いちず
それでいて目の底には、絵巻の女の一途な足指の擦みが そして又、そういうときの謬科の一糸乱れぬ振舞、恭謙
ひわい びたいねゃ
残っている。その卑漫な白さの胡粉の色が残っている。 な娼態、閏の教養においては誰にもひけをとらないという
衿りが丸見えなのが、伯爵に対して或る威圧的な作用を及 な長い長い豪勢な行列をね﹂
ぼすととは、十四年前と同じであった。 伯爵夫人はちらと眉をひそめたが、そのとき伯爵は柔和
しめし合わせてでもいたのか、北崎はもう決して顔を見 に笑っていた。
せない。二人で言葉も交わさずにいる事後の闘を雨音が包 はずかしめに対して笑っている代りに、彼の祖先は、少
み、軍歌の合唱は雨音をつんざいて、今度は語句もきわや しは優雅の権威を示して抗ったものだった。しかし今では、
えさ
かに耳に届いた。 家伝の蹴鞠も廃絶し、俗人どもにちらつかせる餌もなくな
﹁鉄火はためく戦場に った。本物の貴族、本物の優雅が、それを少しも傷つける
さだめ にせもの
護国の運命、君に待つ 気なぞはない、善意に充ちた質物の無意識のはずかしめに、
行け忠勇の我が友よ ただあいまいに笑っているだけなのだ。文化が、新らしい
ゆけ君国の烈丈夫﹂ 権力と金との前で、あいまいに詑ベる ζの微笑には、どく
うった
││伯爵は急に子供になった。溢れてくる怒りを想えた 弱い神秘がほのめいていた。

レA V A J + ' P I ν z n e
い気持に・なり、召使に 一一一口うべきではない主筋肉士の話を緩
4 そういうととを謬科に語った上で、伯爵はしばらく黙っ
ふ︿Lゅう
緩と打明けた。それというのも、伯爵には自分の怒りに、 ていた。優雅が復讐するときには、どんな仕方で復讐する
ち予ふろしゅうしやりゅう
担先伝来の怒りがともっていると感じられたからだった。 だろうか、と考えていたのである o いかにも長袖者流の、
その日、松枝侯爵はやって来て、挨拶に出た聡子のお河 袖に往きしめる香のような復讐はないものだろうか。袖で
ぽ会
童頭を撫で、多少酒気を帯びていたせいか、子供の前で、 おおいかくされた香の緩慢念燃焼、ほとんど火の色も見せ

突然 ζんなことを言った。 ずに灰に変ってゆくひそか念経過、煉り閏めた香がひとた
ひい
﹁ああ、お姫さんは実に美しくおなりだ。成長されたとき び佐かれると、微妙なかぐわしい毒を袖に移して、いつま
の美しさは想像に余る。小父さんがよいお婿さんを探して でもそとにとどまるような・・:。
上げるから心配するな。何事も小父さんに任せてくれれば、 そこで伯爵は、たしかに諸島科に、﹁今から頼んでおくし
春の雪

三国一のお婿さんを世話してあげる。お父上には何も心配 と言ったのであるの
きんらんE ん す と と の
はかけず、金繍紋子に、一丁もつづく嫁入道具の行列を調 すなわち、聡子が成人したら、とどのつまりは松枝の言

319
えてあげる。綬倉家の代々から一度も出たととの・ないよう いなりになって、縁組を決められることになるだろう。そ
うなったら、その縁組の前に、聡子を誰か、聡子が気に入

8&J
そいぶし
っている、ごく口の固い男と添臥させてやってほしい。そ l 今、事科は八年前のその夜の ζとを一言っているので

の男の身分はどうあってもかまわない。ただ聡子が気に入 ある。
っているということが条件だ。決して聡子を生娘のまま、 伯爵には痛切にその言わんとするととろがわかるが、諒
松枝の世話する婿に与えてはならない。そうしてひそかに、 科ほどの女が八年前に請合ったそのことの、思いもかけぬ
松枝の鼻を明かしてやることができるのだ。しかしこのこ 事情の変化に盲目であった筈はない。相手は宮家であり、
とは、誰にも知らせず、私にも相談せず、お前の一存でお 松枝侯爵の取り持ちとは云いながら、綾倉家を再興すべき
かした過ちのように、やり通してくれ‘なくてはならない。 縁組であり、すべては八年前に伯爵が怒りにまかせて予測
ほかぜ
ところでお前は、閣のことにかけては博士のようだが、生 した事態とはちがっている。それを押して、葱科が古証文
娘でないものと寝た男に生娘と思わせ、又反対に、生娘と どおりに行動したのは、故らそうしたものとしか思われな
寝た男に生娘ではなかったと忠わせる、二つの逆の術を聡 い。しかも秘密は松枝侯爵の耳へすでに入ってしまった。
子に念入りに教え込む ζと が で き る だ ろ う か ? 葱科はすべてをとうして破局へ持ち込むことによって、
きょうだしっぺがえ
葱科はそれに対して、しっかりととう答えた。 法惰な伯爵の政てしなかった竹質返しを、堂々と侯爵家へ
﹁仰言るまでもございません。二つながら、どんなに遊び 向って働いたつもり念のであろうか?それともそれは、
馴れた殿方にも、決して気づかれる心配のない仕方がござ 侯爵家へ向ってではなく、他ならぬ伯爵その人に対する復
います。それはよくよくお姫様にお教え申上げましょう。 讐だったのであろうか?伯爵がそれについてどう振舞お
それにしても、あとのほうは、何のためでございますか﹂ うと、八年前の寝物語を塞科の口から侯爵に告げられては
おいめ
﹁結婚前の娘を盗んだ男に、大それた自信を持たせぬため 困るという、負目は残っているのである。
だよ。生娘と知って、下手に責任を持たれてはかなわぬ。 伯爵はもう何も言うまいと思った。起った ζとは起った
まか
その点もお前に委せておく﹂ ことであるし、侯爵家の耳に入った以上、自分も相当の献

﹁承りましでございます﹂ 味をきロわれるととは覚悟せねばならぬが、その代り侯爵が
ぎよい ふるぴ低うさく
と翠科は、軽く﹁御意﹂と言う代りに、四角四面な挨拶 強大な力を揮って、何とか弥縫策を講じてくれるであろう。
で請け合った。 すべては人まかせの段階に入ったのだ。
ただ一つ、伯爵に明らかになったことは、琴科が、口で ﹁さあ、・・:殿様が死ねと仰言って下さったら、本当に死
は何と言っても、心では何一つ詫びる気はないということ ぬ気になったかも存じません。今からでもそうお命じ下さ
もっと
だった。詫びる気が少しもなくて毒を啄んだ老婆が、白粉 れば、やり直しをいたしますよ。尤も、そうお命"しあそば
とれがろぎ
入れにとろがり込んだ賂蜂のような化粧をして、小一旦いろ しながら、八年ののちには、又 お忘れになるのでもござい
L
の掻巻を羽織ってうずくまった姿は、それが小柄であれば ましょうが・・﹂
あるほど、世界中にひろがるような彰陶しさに充ちていた。
伯爵は気づいた、との部屋も亦、北崎のあの離れと同じ



畳数だと。たちまち、耳の底に雨の笹鳴りがきとえて来、
時ならぬ蒸暑さが腐敗を早めるように襲ってきた。翠科が 松枝侯爵は、綾倉伯爵と会ってみて、伯爵が一向物に動
しゃペ

ι 白く塗り込めた顔をあげて、何か喋ろうとしている。そ じない様子をしているのに毒気を抜かれたが、侯爵の出す
の乾いた、縦鍛の一杯寄った唇の内側に、電燈のあかりが 要求を悉くすらすらと受け入れるのに機嫌を直した。何事
きょうペに
さし入って、濡れた口腔の充血と見紛う京紅の紫紅色が照 も仰一言るとおりにする。侯爵夫人の同行も心強いし、大阪
り添うた。 の森博士に極秘裡にすべてを委せるととができるのは、願
しあわ
塞科は何を言おうとしたのだろうか、伯爵は察しがつく ってもない倖せである。今後のことは一切侯爵家の指示に
ような気がした。謬科がやったととは、彼女自身が言うよ 従うからよろしく、という挨拶であった。
うに、すべて八年前のあの夜にかかっており、ただ伯爵に 綾倉家からはたった一つ、つつましい条件が出され、侯
ぅ.へ老
あの一夜を思い出させるためにやったことではなかろうか。 爵もそれを肯わざるをえ・なかった。それは聡子が東京を発
あれ以来、二度と家科に関心を示さなくなった伯爵に。 つ直前に、一目だけ清顕に会わせてくれ、というのである。
もちろん二人だけで話をしようと望むのではない。双方の
急に伯爵は子供のように残酷な質問がしたくなった。 親の附添の上で、一日会わせてくれれば心が済む。との希
か会
春の言

﹁まあ、助かって何よりであったが・:¥お前には、はじ 望が叶えられれば、今後一切、聡子は清顕に会わぬと約束
めから、本当に死ぬ気はあったのかね﹂ する。・・:これはもとより聡子自身の発意であるが、親も

51
えんぜん

3
怒るか泣くかするかと思われた重科は、婿然と笑った。 それだけは叶えてやりたいと思っている、と綬倉伯爵はた
めらいがちに申し入れた。 しに番頭風なととろがあった。診療のとき、枕に上等の奉

352
との出会を不自然に見せぬためには、侯爵夫人の同行が 書紙を敷き、患者ごとにそれをぞんざいに丸めて捨てて、
役に立つであろう。息子が母親の旅立ちを見送るのは自然 新たな一枚を敷くととが、博士の評判の一部をなしていた。
いんぎんていちょう
であるし、そのとき聡子と挨拶ぐらい交わすのもおかしく きわめて慰敷鄭重で、おもてに微笑を欠かさ-なかった。上
はない。 流婦人の顧客を沢山持ち、技は神に入り、牡嫡のように口
とうして話が決ると、侯爵は夫人の進言によって、忙し が固かった。
い森博士を極秘裡に東京へ呼び寄せた。十一月十四日の聡 博士はお天気の話が好きで、ほかにはとれと云って話題
子の出発まで一週間のあいだ、侍士は侯爵家の客となり、 がないのに、きょうはばかに蒸すようだとか、一雨どとの
ひそかに聡子を見張り、伯爵家から連絡のあった時は、す 暖かさだとか云いながら、十分に相手を魅した。漢詩をよ
ぐ駈けつけるととのできるように待機していた。 くし、ロンドンの見聞を、七言絶句の二十首にまとめて、
ロ-
Jur
-d'
h・
v'
LMA
-ay
というのは、刻々に流産の危険がひそんでいたからであ ﹁龍動詩診﹂という私家版の詩集を出した ζとがある。一一一
ゆぴわ
る。もし流産と念れば、博士が手ずから処置をして、決し カラット大のダイヤの指環をはめていて、診察の前には
て外部へ洩れないようにしなくてはならぬ。文、はなはだ 仰々しく、そのたびに顔をしかめて、抜きにくそうにそれ
危険な大阪行の長旅には、博士が別の客車でひそかに同行 を抜いて、かたわらの机へ乱暴に放ったが、博士がその指
するととになっていた。 環を置き忘れたという話はきいた乙とが・なかった。博士の
ひげしだ
とんな風に産婦人科の大家の自由を奪ぃ、思いのままに 八字髭は、いつも雨後の羊歯のような暗い光沢を帯びてい
いしば︿だい
願使するについて、侯爵の使った金は莫大なものだった。 た

もしとれらの計画が幸運に恵まれれば、聡子の旅はもっと 綾倉伯爵夫妻は聡子を連れて、宮家へ旅立ちの御挨拶に
傘ぜ
も巧みに世間の目をくらますものとなるであろう。何故な 伺う必要があった。馬車では危険もいよいよまさるので、
ら妊娠中の婦人の汽車旅行などという官険を、世間は夢想 侯爵が自動車を手配し、森博士は山田の古背広を借りて執
だにしないからである。 事に変装し、助手台に乗り込んで同行した。若宮が演習に
博士は英国仕立の背広を着た、一分の隙もない ρイカラ 出ておられて御在宅でなかったのは幸いだった。聡子は御
たい︿
紳士だったが、体躯はずんぐりして、顔立ちにはどととな 玄関先で妃殿下に御挨拶をして引下った。危ぶまれたとの
往復も、何事もなくて済んだ。 と夫人が一一言っても、山旧からは、ただ、その眼鏡の白光
十一月十四日の出発の折には、宮家から事務官を見送り をうつむけて、
に差遣わされるとの御沙汰があったが、御遠慮申上げたり ﹁
はは・
・・・
・・﹂
こうしてすべては侯爵の計画どおりに慈なく運び、綾倉一 という畏まった無意味・な返事が返ってくるにすぎない。
家と松枝母子とは、新橋駅で落合うことになった。博士は それを承知でい・ながら、夫人はそう言わずにはいられない
二等車の一角にそしらぬ顔で乗り込んでいる筈だった。尼 のである。
2 うも︿
門跡への暇乞いの旅といえば、誰に聞かれでも立派な名円 清顕は母の不安を知りつつ助け舟も出さずに、やや離れ
ちよりつ
であるから、侯爵は、夫人と綾倉一家のために、展望車を て侍立している。彼は気が遠くなりそうな思いを、その闘
予約していた。 い起立の姿勢で保っていた。自分が縦に垂直に倒れている
新橋・下関聞の特別急行列車は、朝の九時半に新橋を発 ように感じた。力を失ったまま、空気の中へ、立姿を鋳込
ち、十一時間五十五分で大阪へ着くのである。 まれているかのようだつた。ホームはひえぴえとしていた

米国建築師プリジエンスの設計により、明治五年に建て が、彼は制服の蛇腹の胸を反らせて、待つ苦しみのあまり
'ahv
られた新橋駅は、その木骨石張りの斑入りの伊豆石の色も 内臓まで凍ってしまったような気がした。
のきじゃばら
くすみ、十一月の澄んだ朝の光りに軒蛇腹の影を鮮明に刻 列車が展望車の欄干を見せて、光りの帯を縫い・ながら、
んでいた。侯爵夫人はお供も連れない旅の、かえりの一人 重々しく後尾からホ 1 ムへ入ってきた。そのとき夫人は、
かばん
旅を思って今から緊張していたので、恭しく鞄を抱いてい 列車を待つ人々のなかに、森博士の八字髭を遠く認めて、
る助手台の山田ゃ、清顕とも、ほとんどロをきかぬままに 少し安心した。博士とは大阪まで、非常の場合を除いて、
駅へ着いた。三人は車寄せから高い石段を昇った。 一切お互いに知らぬふりをする約束ができていたのである
汽車はまだ入っていなかった。左右に線路を控えたひろ 山田が夫人の鞄を展望車へ運び入れ、夫人が何やかと指
い頭端式ホ l ムには、朝の光線が斜めに大まかにさし入つ 図をしているあいだ、清顕は車窓からホ l ムをじっと窺っ
春の雪

隠乙り
て、その中に微細な挨を舞わしていた。旅立ちの不安から、 ていた。綾倉伯爵夫人と聡子が、人どみの中を来るのが見
えりにじ
侯爵夫人は何度も深い吐息をついた。 えた。聡子は着物の襟を虹いろのショールに包んでいたが、沼
つまだ・お見えでない。何かあったのではないかしら﹂ ホ1 ム の 屋 根 の 外 れ か ら 射 す 光 り の 中 へ 現 わ れ た と き 、 そ 品
の無表情な顔が凝固した乳のように真白に見えた。 めて微妙-なものでなければならず、自分の情熱がそのため

お4
清顕の胸は悲しみと至福にさわいだ。そうして母親に附 には組暴な形をとりすぎているのを清顕は知った。彼の中
しずしず
添われてきわめて徐々と近づいてくる聡子を見ていると、 にかつて生れたためしのない感情だが、聡子に謝罪したい
一瞬、自分のととろへ来る花嫁を迎えているような気がし ような気持が起って来た。
た。そしてその儀式の速度には、一滴々々疲労がしたたつ 着物の下の聡子の休を、自分は隅々まで知っている。そ
のろ しゅうちあかたわ
で積るよう・な、胸苦しい喜びの緩さがあった。 の肌のどこがまっ先に差恥に紅らみ、どこがしなやかに接
展望車に乗り込んだ伯爵夫人は、鞄を担がせた下男をそ み、どこが、その中に白鳥が捕われているかのように、羽
ぜんどう
のままにして、遅くなったお詫びを言った。清顕の母はも ばたきの麟動を透かして見せるかを知っている。どこが喜
けんだか うったちしつ
ちろん丁寧に挨拶を返したけれども、と ζろもち権高な不 びを恕ぇ、どこが悲しみを醐耐えるかを知っている。知悉し
みけん
機嫌を眉間に残していた。 ているものすべてが、おぼろに微光を放って、聡子の体を
たもと
聡子は虹色のショールを口もとに当て、始終母親の肩の 着物の上からも窺わせるのだが、今、心なしか聡子が快で
影へ隠れるようにしていた。清顕とは尋常に挨拶を交わし いたわっている腹のあたりにだけは、彼のよくは知らぬも

たが、すぐ侯爵夫人にすすめられて、緋いろの椅子に深々 のが芽生えている。十九歳の清顕には、子供というものへ
と腰を下ろした υ の想像力が欠けていた。それは暗い熱い血と肉にひしと包
けいじじよう
清顕には聡子が遅れて来た理由がはじめでわかった。と まれた形市上的な何かだった。
すいや︿
の苦く澄んだ水薬のような十一月の朝の光りのなかで、言 それにしても、清顕は、自分から聡子の内部へと通じる
葉も交わさずにすぎる別れの時間の永さを、少しでもつづ 唯一のものが、その子供という名の部分にわだかまり、や
めようと思ったからにちがいない。清顕は夫人同土が話し がてそれが無残に断たれて、二人の肉は又永遠の別々の肉
すぺ
ているあいだ、うつむきがちな聡子へ落す自分の視線が、 になるという事態を、なす術もなく見送っているほかはな
熱烈な注視になりがちのことを怖れていた。もちろん心は いのだ。﹁子供﹂はむしろ清顕自身だった。彼にはまだ何
そ傘
そのような注視をのぞんでいる。しかし清顕が怖れている の力も具わってい・なかった。みんなが愉しげに遊山へゆく
dmゑツ
のは、聡子の脆い白さを、過激な日光で灼いてしまうこと のに、罰に留守居をしていなくてはならない子供の、取残
︿やふる
である。ここで働らく力、ことで通じる感情は、何かきわ された心細さ、口惜しき、淋しさの限りが彼の身を傑わ
せた。 れまで怖れていた涙はその潤みから速かった。涙は、生き
oぽ
b
聡子は目をあげて、ホームに接する向うの窓のほうをう たまま寸断されていた。溺れる人が救いを求めるように、
つろに見た。内部から投げかける影だけに占められたその まっしぐらに襲いかかって来るその日である。清顕は思わ
主つげほう
日には、もはや自分の姿が映る余地のないことを、清顕は ずひるんだ。聡子の長い美しい随は、植物が琶をひらくよ
ひしひしと感じた。 うに、みな外側へ弾け出て見えた。
よぴ ζ
窓外に鋭い呼笛がひびいた。聡子は立上った。それがい ﹁清様もお元気で。・ごきげんよう﹂
ζんしん
かにも決然と、淳身の力で立上ったように清顕には見えた。 と聡子は端正な口調で一気に言った。
伯爵夫人が、あわててその肱を取った。 消顕は追われるように汽車を降りた。折しも腰に短剣を
つポタ J
﹁もう汽車が出るわ。お降りにならないと﹂ 吊り五つ釦の黒い制服を着た駅長が、手をあげるのを合図
ろわ
と聡子は、うれしげにさえき ζえる、やや上ずった声で にして、ふたたび車掌の吹き鳴らす呼笛がきこえた。
はばか
言った。清顕は母と、旅先の注意や留守の注意など、どこ かたわらに立つ山田を俸りながら、清顕は心に聡子の名
の母子の聞にも交わされるような、あわただしい会話をは を呼びつ つ
e
けた。汽車が軽い身じろぎをして、日の前の糸
じめることを余儀なくされた。清顕はそんなになめらかに 巻の糸が解けたように動きだした。聡子も、二人の夫人も、
いぷ
芝居をやっているととのできる自分を一説かった。 ついに姿を現わすととのなかった後尾の欄干が、たちまち
ばいえん
ようやく彼は母と離れて、短かい別れの挨拶を伯爵夫人 遠ざかった。発事の勢いのよい煤煙が残されて、ホームに
つい すき
と交わし、いかにも軽い序での感じで、聡子に向って、 逆流し、あたりには、荒んだ匂いに充ちた時ならぬ薄暮が
つじゃあ、気をつけて﹂ 立ちとめた。
と言った。言葉にも軽い弾みを持たせ、その弾みを動作
にも移して、聡子の肩に手を置こうと思えば置く ζともで 四十三
しぴ
きそうだつた。しかし、彼の手は薄れたようになって動か
春の雪

ezhd
なかった。そのとき正しく清顕を見つめている聡子の自に 一行が大阪へ着いた翌々日の朝、侯爵夫人は宿を一人で
出会ったからである。 出て、最寄の郵便局へ行って電報を打った。手ずから電報

355
その美しい大きな目はたしかに潤んでいたが、清顕がそ を打つようにと、侯爵に固く言い含められていたからで
ひる L
aぴル凶リ
ある。 十八日の午さがり、桜井線帯解の駅に下り立った。ま ζと

品質
生れてはじめて郵便局というところへ行った夫人は、 に美しい小春日和で、黙っている娘を偉り・ながらも、伯爵
一々戸惑い・ながら、お金を汚・ないものと決めて手を触れる 夫人の心は和んだ。
ことなしに先頃生涯を終った或る公爵夫人のととを思い浮 老尼を煩わさぬために、着く時刻は知らせてなかったの
べていた。良人との聞に取決めていた暗号の電報は、どう で、駅の人にたのんで俸を呼んでもらったが、俸はなかな
やら打てた 0
か来なかった。待つあいだ、夫人は何を見るにつけても物
ふけ
1コ ア イ サ ツ プ ジ ニ ス ミ マ シ タ ﹂ めずらしく、娘は一等待合室に残して物思いに耽るに委せ、
ひとけ
夫人は肩の荷を下ろした気持というものを、如実に味わ 人気のない駅の周辺をそぞろ歩いた。
b
oぴとけぞら
ったような気がした。すぐ宿へかえり、仕度を取り纏め、 すぐ自についた立札は、近くの帯解寺の案内であったが、
伯爵夫人に見送られて、大阪駅からひとり帰りの汽車に乗 ﹁日本最古安産求子祈願霊場。
もんと︿そのどの
った。見送りのために、伯爵夫人は、一時、病院から、聡 文徳・清和両帝、染殿皇后勅願所。
ζ やす
子のそばを脱け出してきたのである。 帯解子安地蔵、子安山帯解寺﹂
聡子はもとより偽名で、森博士の病院に入院していた。 とある文字が、聡子の自にふれ・ないでよかったとまず岡山
博士が二三日の安静を主張したからである。伯爵夫人はず った。俸が来たら、乙の立札が自にとまらぬように、停車
っと附添っていたが、容態はまととによいのに、聡子がそ 場の軒深く俸を入れて聡子を乗せてやらねばならぬ。伯爵
れ以来一言も口をきか‘なくなったととに思い悩んだ。 夫人にはその立札の文字が、うららかな十一月の空の光り
入院はあくまで大事をとるための、懇ろな処置であった に包まれた風景の只中に、思いがけず、一点にじんだ血の
しず︿
ので、院長が退院を許したときは、聡子の体はすでに相当 滴のように思われた。
つわり
な運動にも耐えられる状態になっていた。悪聞も止み、身 井戸を脇に控え、白墜に瓦屋根の帯解駅は、威丈高な土
かた︿ ついじベい
も心もかるがるとしている筈であるのに、聡子は頑なに口 蔵を持った築泥塀の田家と相対していた。その土蔵の壁の
をきかなかった。 白、築泥の白も、明るく映えているのに、しみ入る幻のよ
かねての予定どおり、母子は月修寺へ暇乞いに行き、そ うに静かだった。
こで一泊してから、東京へかえるのである。二人は十一月 鼠いろに照っている霜解けの道を歩き出すのは難儀だっ
ひざ今会じ
たが、線路ぞいに立ち並ぶ枯木が、向うへゆくほど順々に かえった。ショールを膝に畳んで、項をめぐらして、周囲
古同くなって、線路を ζえる小さ・な陸橋にまで及び、その橋 の景色に気をとられている聡子の様子を眺めて、少し安心
の快に、大そう美しい黄いろいものが見えるのに誘われて、 した。
夫人は裾をからげて坂道をのぼった。 山道にかかるほどに、俸は人の歩みよりも遅くなった。
けんがい a
おぼつ
それは橋の快に置かれた懸崖の小菊の鉢であった。それ 二人の車夫はいずれも老人で、足もとが党束なげに見える。
が橋詰のほのかに青い柳の下に、幾鉢もぞんざいに置いて しかし急ぎの用事は何もないから、却って景色がよく眺め
︿ら
ある。陸橋と云っても、馬の鞍ほどに小さな木橋で、その られていいと夫人は考えた。
木 の 欄 干 に 、 弁 慶 縞 の 蒲 団 が 干 し て あ る 。 滞 団 は 存 分K H 刀修寺の石の門柱が近づいたが、門内にはゆるやかに昇
すすきほのあお
を吸って、今にもうごめき出しそうに膨れている。 ってゆく坂道と、一酉の白い芭の穏を透かして見える灰青
むつき
橋の周辺には民家があって、綴慨を干したり、赤い布を い空と、低い山なみの遠望のほかには、何もない。
しんし
伸子にしたりしている。新につらねた干柿は、まだ潤沢な、 ﹁乙乙からお寺までの眺めをょう覚えておおき。私共は来
いりひ
没日のような色をしている。そしてどこにも人影がない。 ようと思えばいつでも来られるが、お前は遠出もままなら
信ろ
伯爵夫人は道の奥からゆるゆると二台の黒い幌が近づい ぬ身分にお・なりなのだから﹂
て来るのを見て、聡子を呼びにいそいで駅のほうへ駈け一戻
一 と、とうとう俸を止めて汗を拭いている車夫の対話を越
つふだ。 えて、夫人は娘へ呼びかけた。聡子は答の代りに、ものう
げな微笑をうかべて、軽くうなずいた。
1 1あまりうららかだったので、二台の俸は幌を外して 仰は動き出したが、坂道でもあり、そのゆるやかなとと
はた戸﹂ ζ ぷ-
a
走った。二三一の旅箆のある町を抜けて、しばらく田の聞の は前にまさっていた。しかし門内へ入って俄かに木深くな
道をゆき、むとうの山々をひたすら目ざしてゆくと、その るので、日ざしはもう汗ばむほどでもなくなっていた。
山ふととろに月修寺があるのである。 夫人の耳には、さっき俸が止ったとき、この季節に昼の
容の雪

道のべには二三の葉をのとすだけの、たわわに実った柿 虫のすだきがきこえたのが、まだ耳鳴りのようにかすかに
おぴ一ただ
の木があり、固という田は、迷路のように懸けつらねた府 残っていたが、やがてその日は、道の左方にいよいよ移し

357
ぎにぎ
架に賑わっていた。先行の夫人は、ときどき娘の俸をふり くなる柿の実の鮮やかさに魅せられた。
つややかに日に照る柿は、一つの小枝にみのった一双の 二台の俸が、黒塗りの門柱のあいだを通ったとき、道の

8
ひともと

5
片方が、片方に漆のような影を宿していた。或る一本は、 まわりにはさすがに内苑の気配が濃くなって、夫人はとこ

8
校という枝に赤い粒を密集させ、それが花とちがって、の へ来てはじめて見る紅葉に嘆声をあげた。
とる枯葉がかすかにゆらぐほかは風の力を寄せつけないの 黒門内に色づいているとの数本の紅葉は、敢て艶やかと
e
A
F ペに
で、彩しく空へ撒き散らされた柿の実は、そのまま堅固に は云いかねるけれど、山深く凝った黒ずんだ紅が、何か燭げ
ぴょうどは い
鋲留めでもしたように、不動の青空へ械め込まれてしまっ 化されきらない罪と謂った印象を夫人に与えた。それが夫
ていた。 人の心に、突然、錐のような不安を刺した。うしろの聡子
﹁紅葉が自につきませんね。どうしてだろう﹂ の ζとを考えていたのである。

'ua
と夫人は百舌のように声を張り上げて、うしろの車へ呼 紅葉のうしろのかぼそい松や杉は空をおおうに足らず、
びかけたが、答はなかった。 木の聞に・なおひろやか・な空の背光を受けた紅葉は、さしの
たげやぷ
道のべの草紅葉さえ之しく、西の大根畑や東の竹薮の青 べた枝々を朝焼けの雲のように棚引かせていた。伎の下か
はんさ
さばかりが目立った。大根畑のひしめく緑の煩現な葉は、 らふりあおぐ空は、黒ずんだ繊細・なもみじ葉が、次から次
えんじレエス
日を透かした影を重ねていた。やがて西側に沼を隔てる茶 へと葉端を接して、あたかも牒脂いろの笹縁を透かして仰
ひとつらぴ a
ppんかずら
垣の一連がはじまったが、赤い笑をつけた美男葛がからま ぐ空のようだつた。
予 ひらからもん
る垣の上から、大きな沼の澱'
A

〆みが見られた。乙とをすぎる つらなる敷石の奥に玄関の見える平唐門の前で、伯爵夫
と、道はたちまち陪み、立ちならぶ老杉のかげへ入った。 人と聡子は俸を下りた。
さしもあまねく照っていた日光も、下草の笹にこぼれるば
かりで、そのうちの一本秀でた笹だけが輝やいていた。 四十四
俄かに冷気が身にしみたので、夫人はもう返事を期待せ
もんぜき
ずに、うしろの俸へ、ショールを肩にかける仕草をしてみ 門跡にお目にかかるのは、夫人も聡子も、去年の御上京
せた。もう一度ふりかえった夫人の目のはじに、ひるがえ の折以来、丁度一年ぶりのことで、門跡のほうでも今度の
るショールの虹が映った。口をきかぬながら、聡子の従順 来訪を、どんなにたのしみにしておいでになったかという
いちろう
はよくわかった。 ととを、まず一老が話すうちに、二人が待つお十置に、二

広ソA
老に手をひかれて門跡がお出ましになった。 に、黄に、淡緑に薄れてゆき、その頂上の赤も、凝結した
乙し さぎんかそ
伯爵夫人がこのたびの聡子の必輿入れの口上を申上げる 血のように黒ずんだ赤であった。山茶花がすでに咲き初め、
きるすペりつ
ty 庭の一角に、なめらかな枝をくねらせた百日紅の枯枝の光


﹁・おめでとう。乙の次な、となたへどあっしゃるときは、

沢が、却って艶やかに見えた。
しんぜん
お寝殿へ成らっしゃるわけやなあ﹂ 又、お十畳に戻って、門跡と夫人が、よもやまのお話を
たんじっ
と門跡は仰言った。寺のお寝殿は宮家をお迎えする部屋 しているうちに、短日は暮れた。
ばん
である。 夕食には結構‘なお祝いの膳が出て、めでたい赤のお飯も
聡子はこ ζ へ伺ってからは、さすがに沈黙を守りとおす 供され、一老や二老がいろいろおもてなしに努めたけれど
わけには行かず、言葉すく・なに受け答えをしていたが、見 も、座は一向に浮き立た・なかった。
ようによっては、憂いはただ恥らいとも見えたであろう。 ﹁今日は御所では﹃お火たき﹄や﹂
けげん
もちろんつつしみ深い門跡は、それについて怪訪な顔さえ と門跡が言われたので、一老が、かつて御所勤めのころ
た会か
なさらず、中庭に並べられたみごとな菊の鉢植を伯爵夫人 に見聞したその宮中行事の、火を高く焚いた火鉢を央にし
hveAJpap ん
しAVMUo
がほめそやすと、 て、命婦がとなえる呪文を覚えていて、まねて見せた。
﹁村の菊作りがな、毎年こうして持って参じて、講釈をや それは十一月十八日に行われる古い行事で、主上のおん
まえけいと
かまし言いやすけれど﹂ 前で、天井に届くほど火鉢に高く火を焚いて、自の桂袴の
と言われて、一老に、菊作りの言葉をそのまま、乙れは 命婦がとう唱えるのである。
︿だもの か弘北位戸﹂削 ν
'a久 d
紅いの一文字菊の一本作り手綱植え、とれは黄の管物菊の ﹁焚了き、焚アき、お火焚きのう、御霊どんのう、お火焚
みかんまんじゅう
一本作り手綱植え、などと説明をおさせになった。 きのう、蜜柑、鰻頭、欲しやのう:::﹂
やがて門跡はみずから、二人を書院へ伴われ、 そして火に投じた蜜柑や銀頭が程よく焼けたのを主上へ
おそ
﹁今年の紅葉は遅そもじでなあ﹂ 奉るのだが、とういう秘事のまね事はいかにも不護慎と思
春の雪

と仰当日り・ながら、一老に障子を開け放たせ、枯れそめた われるのに、座を賑わそうとする一老の心を思いやられた
芝と築山の美しいお庭を一不された。数本の大紅葉が、いず のであろう、門跡のお答めは-なかった。

お9
しずえあんずいろ や︿
れも頂きだけを赤く染めて、下校へ移るに従って、杏子色 ││月修寺の夜は早く、五時にはすでに門を閉めた。薬
ぜき
石がおわってしばらくのち、一同はそれぞれ寝所へ引取り、 又急に痩れたように胸が冷えて、手水へ行ってみたが、い

360
あいいろ
綾倉母子は客殿に案内された。母子はあしたの午後までゆ ・なかった。まだ人の起きてくる様子はなく、空は藍色にお
っくり名残を惜しみ、明晩の夜行で東京へかえる筈であっ ぼめいていた。
きよどとろ

。 そのとき遠くお清所で物音がしたので、そこへ行くと、
母子二人になると、夫人は、あまりに憂いの勝った今日 早起きのお次の者が、夫人の姿を見てあわてて膝まずいた。
一日の聡子の非礼に、一言注意を与えようと思ったけれど ﹁聡子を見ませんでしたか﹂

も、大仮のつづきの聡子の気持も推し量られて、差控えた と夫人は訊いた。 次の者はおそれおののいて、ひたす
hp
まま床に入った。 ら首を振るばかりで、案内を一切拒んだ。
月修寺の客殿の障子は間閣の中にも粛然と白く、十一月の 夫人はあてどもなく寺の廊下をゆき、たまたま起きてき

夜の冷気に紙の繊維も一筋どとに霜を漉き込んだように見 た二老に事の次第を打明けた。二老は仰天して、案内に立
え、紙細工の引手の、十六弁の菊と雲を白く透かしたのを った。
ろうそ︿
ありありと詑べていた。六つの菊が桔複をとり巻いた、柱 渡り廊下のはての本堂のうちに、蟻燭のゆらめきが遠く
︿ぎ
の釘隠しは、閣の高みの南京所要所を引き締めていた。風の 吹った。こんなに早くお勤めをしている人があるべきでは
は会ぐるま
ない晩であるから、松風もきこえはせぬが、外には深い山 ない。花車の模様の絵蝋燭が二つ点ぜられ、仏前に聡子が
林の・たたずまいが色濃く感じられた。 坐っていた。夫人にはそのうしろ姿が全く見覚えがないよ
夫人は、ともあれ、自分にとっても娘にとっても辛い務 うな感じがしたが、聡子は髪を自ら切っていた。その切っ
おもむ Cゆず
めがのとらず終り、とれからは徐ろな平安が来るという思 た髪を経机に供え、数珠を手にして、一心に祈っていたの
いにただ心をつ-ないで、傍らで眠りがてにしている娘の気 である。
配を感じながらも、ほどなく眠りに落ちた。 夫人は娘が生きているととにはじめてほっとした。そし
夫人が目をさましたとき、傍らには娘の影が-ない。寝間 て一瞬前まで、娘が決して生きてはいまいと確信していた
ぎようあん
着も床の上にきちんと畳まれているのが、暁閣のうちの手 ことに、あらためて気がついた。
ちょうず どし
さぐりでそれとわかった。一旦は心がさわいだが、手水に ﹁お髪を下ろしたのね﹂
でも立ったのだろうと考えて、一売す待った。そのうちに、 と夫人は、娘の休を掻き抱くようにして言った。
たあ陪か
﹁お母さん、他に仕様はどざいませんでした﹂ 情もあろうから、総子だけ一人ここに残って、心ゆくばか
ひとみ
とはじめて母へ目を向けて聡子は言ったが、その陸には り話してゆくように、伯爵夫人も遠慮していただいたほう
ほの b
小さく峨燭の焔が揺れているのに、その目の白いところに がよかろう、と仰言ったので、お言葉どおり、夫人と一老
は、暁の白光がすでに映っていた。夫人は娘の日の中から は退り、聡子だけがお部屋に残った。
あけぼの
射し出たこのような怖ろしい曙を見たことはない。聡子が ーーこのあいだ、取り残された伯爵夫人の・お相手を、一
いつか
指にからませている水日開の数珠の一額一額も、聡子の目の 老がつとめていたが、夫人は朝食にも手をつけず、その心
AJ念ν
裡と同じ白みゆく光りを宿し、これらの、意志の極みに意 労のほどが察せられるので、一老は夫人の気を紛らせよう
志を幾ったような幾多のすずしい頼粒の一つ一つから、一 にも、どういう話題を選んでよいのか困った。ずいぶん時
せいに曙がにじみ出していた。 が過ぎて、門跡のお呼びがあった。そこで、自分の娘を前
てんをつ
││二老は事の願末をいそいで一老に告げ、二老の役口 にして、夫人は門跡から思いもかけぬお話を承った。聡子
とんせいどふてい
が終って退ると、一老は綬倉母子を伴って、門跡の寝所の の遁世の志は明らかであるから、月修寺の御附弟に聡子を
前へゆき、慢の外から声をかけた。 迎え入れたいというお話なのである。
ピぜんおひ全り
﹁御前、御起床であらっしゃいますか﹂ 先程から夫人がひとりで考えていたことは、さまざまな
ぴほう一さ︿
﹁はい﹂ 弥縫策に尽きていた。聡子がよくよくの決心をしたことは
﹁お許し遊ばして﹂ 疑いがないが、髪が元へ一るには数カ月から半年もかかろ
しとね ていはつ
襖をあけると、門跡は樗の上に端座していた。伯爵夫人 うから、剃髪さえ思い止まらせれば、その数カ月を、何と
がつかえっかえ言った。 か旅先の発病という風に繕って、納采も先へのばしていた
﹁実は聡子が、只今、御本堂で、われから髪を下ろしてお だき、かたがた、伯爵や松枝侯爵の説得の力を借りて、聡
隠んい
りまして・・:﹂ 子の織意を促すことができるかもしれない。この気持は、
かたち
門跡は襖の外を透かし見て、聡子の変り果てた形容に目 門跡のお言葉を伺っても、衰えるどころか、ますます蟻ん
おどろ
春の雪

をとめたが、いささかの樗きの色も浮べずにこう言われた。 になった。ふつう御附弟になるには、一年間の修行の期聞
﹁やっぱしなあ。そういうととやろと思て・おりました﹂ があって、そのあとの得度式ではじめて剃髪となる手順を

6
31
ーーややあって、思いついたように、とれにはいろいろ事 踏むのであるから、いずれにしても、すべては聡子の髪の
伸び具合にかかっている。もし聡子の練意が早ければ、 を知った侯爵は、その後の成行については楽観し切ってい

お2

:・:・夫人の心にみどとな奇想が湧いた。巧く行けば、精巧 たのである。
かつらしの
-な婁で納采の時期を凌ぐととさえできるかもしれないのだ。 綾倉伯爵はただ放心していた。破局というものを信じる
夫人は一先ず聡子をととに残して、一刻も早く帰京して、 のはいくらか下品念趣味だと考えられたから、そんなもの
し 主と
dろみ
善後策を講ずるに如くはない、といちはやく心を固めた。 は信じなかった。破局の代りに仮睡というものがあるのだ。
そとで門跡にはとう挨拶した。 だらだら坂が未来のほうへ無限に下りてゆくのが見えてい
﹁お言葉ではどざいますが、旅先で急に起ったことでどざ ても、鞠にとっては転落が常態で、おどろくべきことは何
いますし、宮家にも累の及ぶ ζとでございますから、すぐ もなかった。怒ったり悲しんだりするのは、何かの情熱を
東京へかえりまして、主人と相談の上、出直してまいりた 持つこと同様に、洗煉に飢えている心が犯す過誤のような
いと存じますが、いかがでどざいましょうか。その問、聡 ものだ。そうして伯爵は、決して洗煉になぞ飢えてはいな
子の身柄はお預かり下さいますように﹂ かった。
みっ
総子は母のとんな口上にも眉一つ動かさなかった。夫人 ただ引延ばす ζとだ。時の微妙な蜜のしたたりの恵みを
はもうわが子と口をきくのさえ樺られるような心地がした。 受けるのは、あらゆる決断というものにひそむ野卑を受け
容れるよりもましだった。どんな重大事でも放置しておけ
四十五 ば、その放置しておく ζとから利害が生れ、誰かがとちら
の味方に立つのである。とれが伯爵の政治学であった。
おっと
これほどの変事を、帰宅した夫人からきいた綾倉伯爵は、 そういう良人のかたわらにいると、夫人も亦、月修寺で
一週間もなすととなく遷延して、松枝侯爵を怒らすととに 感じた不安が一日一日薄らぐのを覚えた。とん念際、馨科
a
ba-
'u,
ι
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なったのである。 が家にいず、何かと妄動をしないのは幸いである。葱科は
松枝家では、聡子はとっくに帰宅して、宮家への帰京の 病後の身を養うために、伯爵の心づかいで、ずっと湯河原
言上も、早速すましているものと思い込んでいた。とれは へ湯治に行っていた。
侯爵にも似合わぬ手抜かりだったが、侯爵夫人の帰京とそ 一週間自に侯爵から問合せがあり、さすがの伯爵もそれ
の報告によって、水も洩らさぬ計画が成し遂げられた ζと 以上隠し了せているわけには行かなくなった。電話口で、
かく
実はまだ聡子は帰宅していない、と告げられた松枝侯爵は、 角の整った顔立ちが、悲しみとも困惑ともつかぬものを浮
ふたえe
zぷた
一瞬声を絶った。侯爵の胸にはとのときあらゆる不吉な予 ベて黙り込んでいる。伏目がちな目は、深い二重険が、一
抄-
a吉川 J ﹄
?
Vっ
測が群がった。 そうその自の陥没と寂家を際立たせ、侯爵は今さらながら
侯爵は夫人を伴って、早速綾倉家を訪れた。はじめ伯爵 それを女の目だと思った。
あいまい はす
は、暖昧をきわめた返事をしていた。ついに真相を知ると、 伯爵の、だるそうな、不本意げな、身を斜かいに崎子に
とぷし ふぜい
松枝侯爵は、激怒して、卓を拳で師事った。 掛けた風情には、侯爵の血統のどこにも見当らぬ、あの古
い・なよやか・な優雅が、もっとも傷つけられたすがたであり
ひルま
││十畳の和室を不恰好に改造した綾倉家のただ一間の ありと透かし見られた。それは何か、汚れ果てた白い羽根
をきがら老よ
洋間で、二組の夫婦は、永い附合にも一度も見せなかった の烏の亡骸のようだつた。暗き声は佳かったかもしれない

裸の顔をさらしていた。 が、肉も美味ではなく、所詮喰べられない鳥の。
とはいうものの、夫人同士は顔をそむけ合って、自分の ﹁嘆かわしいととです。情ない事態です 0
・お上に対して、
良人のほうばかりを盗み見ている。男問士が相対している 国家に対して、顔向けのならない ζとになってしまった﹂
のだが、伯爵のほうはうつむきがちで、卓布へかけている と侯爵は、しゃにむに巨大な言葉を並べて怒りをつない
ひ老
手も雛の手のように白く小さいのに、侯爵はその裏にしっ だが、その怒りの綱が、危うく切れそうになっているのを
かりした精力の裏打を欠いているとはいいながら、怒った 感じてもいた。決して論理を持たず、決して行動を起さ・な
かんすじみけん必&ぺしみおもて危︿ま 'hrレ

橋筋が眉聞に逆立った大癒見の商を恩わせる還しい赤ら顔 いこの伯爵に対する怒りは徒爾だった。そればかりではな
である。夫人たちの自にも、とても伯爵のほうに勝目があ い。侯爵は怒れば怒るほど、その激情が自分にはねかえっ
りそうには思われない。 て来るほかは・ないことを徐々に発見していた。
事実、はじめ怒鳴り散らしていたのは侯爵のほうだつた それをはじめから伯爵が企らんだものとはまさか思えな
が、怒鳴っているうちに、さすがに侯爵は、何から何まで い。しかし伯爵は動かずにいて、どんな怖ろしい破局に立
春の雪

念-
強い立場の自分が威丈高になっている聞の悪さを感じてい ち至ろうと、それをそっくり相手のせいにしてしまえる立
た。自の前にいる相手ほど、衰えた弱小な敵はなかった。 場を、守りつ,つけて来たのはたしかなことに思われる。

お3
ぞうげりょう
顔色もわるく、黄ばんだ象牙を彫り込んだような、薄い稜 そもそも息子に文雅の教育を授けてくれるように頼み込
んだのは侯爵自身である。今度の禍の端緒を・なしたのは清 繕うてゆきますうちに::﹂

お4
顕の肉体にちがいないが、それもそもそもは清顕の精神が ﹁婁か。それは気がつかなかった﹂
幼時から綾倉家に毒されていたからと云えるにしても、そ 皆まで言わせぬうちに、侯爵はやや甲高い喜びの声をあ
おおもと
の毒される原因を作った大本は、侯爵自身である。今も げた。
又、土壇場でとうなるととを予見せずに、強いて聡子を関 ﹁・なるほどそれは気がつきませんでした﹂
西へ送ったのも侯爵自身である。目・:・こうしてみると、侯 と侯爵夫人はすかさず良人に追随した。
爵の怒りはすべて侯爵自身へ返って来ざるをえぬ仕組にな それから侯爵の乗気にみんなが乗って、撃の話でもちき
っている。 りになった。客聞にははじめて笑い声が起り、四人は争っ
おしまいに侯爵は、不安にかられながら、疲れ果てて黙 て、投げ与えられたとの小さな肉片のような妙案にとびつ
ってしまった。 いた。
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ad
ずトム
部屋の四人の沈黙は、永くつづいてあたかも行のように しかし四人が同じ度合で、 ζ の妙案を信じているわけで
なった。白昼の鶏鳴が裏庭からひびいてくる。窓の外には はなかった。少くとも綾倉伯爵は、そんなものの効用を露
初冬の松が、風が吹くたびに、神経質な針葉の光りを揺ら ほども信じていなかった。信じていない点では、松枝侯爵
している。との応接間の只ならぬ気配を察してか、家じゅ も同様だったかもしれないが、侯爵のほうは、威風を以て
うに人の立てる物品目は一つもない。 信じているふりをする ζとができた。そ ζで伯爵もいそい

ア hy
とうとう綾倉夫人が口を切った。 でその威風に倣った。
実わ
﹁私の不行届きからこんなことになりまして、松枝さんに ﹁若宮さんもまさか聡子の髪にはお触りになるまい。よし
もお詫びの申上げようもございません。とうなりました上 んば多少不審に思われでも﹂
は、一日も早く聡子を疎意いたさせまして、納采もそのま と侯爵は笑いながら、不自然に声をひそめて言った。
まお進めいただいたほうがよろしいかと存じます﹂ 一時的にも、四人はとの虚偽を取り閥んで仲良しになっ
﹁髪はどうなさる﹂ た。との場に一等必要であったものは、こんな形のある虚
と松枝侯爵はすぐ切り返した。 偽であったと今にしてわかった。聡子の心は誰の念頭にも
あつら
﹁その点は、いそいでよい撃でも挑えまして、世間の日を なく、聡子の妥だけが国事に関わっていた。
りよりよ︿
松枝侯爵の先代は、あのようなおそるべき皆力と情熱で、 んだ夜の精髄 0
・・・その下にあるべき顔を、美しい一つの

明治政府を打ち樹てるととに貢献したが、そうして獲た侯 悲しんだ顔を候め込むととがいかに難事であるか、四人は
爵家の名誉が、今や一倒の女の撃に関わっている乙とを知 誰しも考えぬではなかったが、つとめて考えないようにし
ったら、どんなに落胆したろう。そういう微妙で陰湿な手 ていた。
口聞は、松枝家のお家の芸ではなかった。それはむしろ綾倉 ﹁今度はぜひ伯爵御自身が、きっばりした御態度で、説得
家のものだった。綾倉家の持っている優雅と美の死んだい に行っていただきたい。奥方ももう一度御足労ねがうとし

、い
つわりの特質に心を奪われたばかりに、今、松枝家は不日凶 て、妻ももう一度お供をさせます。本当は私も行かねばな
なしにその片棒を担がされる羽自になったのである。 らぬととろだが目:﹂と侯爵は体面にこだわって一言った。
それにしてもそれは、まだことには存在していない髪、 ﹁私まで行つては世間が何事かと思うだろう。私は行きま
安﹄い
聡子の意志に関わりなく夢みられた鑓にすぎなかった。が、 すまい。今度の旅はすべて極秘にしていただいて、妻の不
もし首尾よく撃をそこへ械め込むことができれば、一度、は 在も、世間へは病気という風に一言い繕いましょう。そして
れいろう
らばらにされた桜絵は、何の隙間もない玲璃たる完成を迎 私は東京で手をまわして、何とか秘密裡に精巧な撃を作る
える ζとができた。そこですべては婁一つに懸っているよ 腕のよい職人を探し当てましょう。もし新開記者にでも嘆
うに思われ、侯爵はとの想念に熱中した。 ぎつけられたら、大へんなととになるが、その点は私にお
みんなはとの見えない髪について論じ合って我を忘れた。 委せ下さい﹂
納采のためにはおすべらかしの撃が、ふだん用には束髪の
霊が要るであろう。どこに人目があるか知れないから、入 四十六
浴中といえども聡子はそれを外してはならない。
かぷ
一人一人が心のうちに、聡子がもはや冠ることに決って 清顕は再び母が旅仕度をするのに樗いたが、母は行先も
ぬば
いる髪の、本物の髪よりもさらにつややかで流闘な、射干 用事も言わず、ただ他言を禁じて旅立った。清顕は聡子の
えま
春の雪

玉のような髪のすがたを思い描いた。それは無理強いに授 周辺に只ならぬ事の起っている気配を感じたが、身辺はた

けられる王権だった。宙に泥んでいる黒い結い上げた髪の えず山田に見張られていて、何一つ思うに委せなかった。

a五5
うつろな形と、そのあでやかな光沢。昼の光りの只中に泣 綾倉夫妻と松枝夫人は、月修寺へ行って、おどろくべき
事態にぶつかった。聡子はすでに剃髪していたのである。 同じであった。しかしさすがに門跡は、綾倉夫人が一民る前

a

にそうしようとは考えておられなかった。その門跡のお心
ーかくも急な落飾には以下のような経緯があった。 の中には、せめて残る髪への名残を清顕に惜しませてやろ
あの朝、聡子からすべてを聴かれたとき、門跡は聡子を うというお気持があった。
得度させるほかには道がないことを即座にさとられた。宮 聡子は急いでいた。毎日、子供が菓子をねだるように、
おっしゃ
門跡の伝統のある寺を預る身として、何よりお上を大切に 剃髪をせがんだ。とうとう門跡も折れて、こう仰言った。
おたれ
思われる門跡は、こうして一時的にはお上に逆らうような ﹁剃髪を上げたらな、もう清顕さんには会えへんが、それ
成行になっても、それ以外にお上をお護りする法はないと でよろしいか﹂
思い定め、聡子を強って御附弟に申し受けたのである。 ﹁はい﹂
お守した
お上をあざむき奉るような企てを知って、それを放置す ﹁もうこの世では会わんと決めたら、そのときに御髪を剃
ることは門跡にはできなかった。美々しく飾り立てられた れて進ぜるが、後悔しゃしたら悪いさかいに﹂
不忠を知って、それを看過する ζとはでき・なかった。 ﹁後悔はいたしません。乙の世ではもうあの人とは、二度
こうして、ふだんはあれほどつつしみ深くなよやかな老 と会いません。お別れも存分にしてまいりました。ですか
門跡が、威武も屈することのできない覚悟を固められた。 ら、どうぞ・:・﹂
現世のすべてを故に廻し、お上の神聖を黙ってお護りする と聡子は清い、ゆるぎのない声で言った。
めい F V 也ほ
ために、お上の命にさえ逆らう決心をされたのである。 ﹁ほんまによろしいな。ほな、あすの朝、お卜

、を剃れ上げ


乙の門跡の決意を目のあたりに見た聡子は、いよいよ世 ましょう﹂
を 捨 て る 誓 い を 新 た に し た 。 ず っ と 考 え て き た ζとではあ と門跡はさらに一日の余裕を置いた。
8
巴4信
るが、とこまで門跡が聡子の本願を叶えて下さるとは思っ 綾倉夫人は戻らなかった。
ていなかった。聡子は仏に遭った。その志の固さを、門跡 こういう聞にも、聡子は自ら進んで、寺の修行の生活に
ひた
も亦、鶴のような一目で見抜かれたのだ。 身を画していた。
曜日っそうしゅう
得度式までは一年の修行の期間を置くべきであるが、こ そもそも法相宗は教学的な、行よりも学を重んずる宗派
とにいたって、落飾を早めようという考えは門跡も聡子も で、とりわけ国家の祈願寺としての性格が強く、檀家もと
いかりど︿ Cゆ
らない。門跡が時折冗談のように、﹁法相には﹃ありがた 荷は取去られ、錨は放たれて、この重い豊かな読諦の声の
い﹄ということも何もあらへん﹂と一言われるように、ただ 波に乗って、漂いだすような心地がした ω
みだたの ひむろ
弥陀の本願を博む浄土宗が興るまでは、﹁ありがたい﹂と 聡子は目を閉じつづけている。朝の御堂の冷たさは氷室
いう随喜の涙はなかった。 のようである。自分は漂ってゆくが、自分の身のまわりに
おきて もず
又、大乗仏教には本来戒律らしい戒律もなく、寺内の錠 は清らか・な氷が張りつめている。たちまち庭の百舌がけた
eんもろきよう
に小乗戒を援用するくらいであったが、尼寺では、党網経 たましく暗き、乙の氷には稲妻のような亀裂が走ったが、
ぽきっかいいんかい 台。
の菩薩戒、すなわち、殺生戒、盗戒、姪戒、妄語戒にはじ 次には又その亀裂は合して、無取になった。
まって破法戒におわる四十八戒を一応の戒律としていた。 剃刀は聡子の頭を綿密に動いている。ある時は、小動物
かじ
むしろきびしいのは、戒律よりも修行であって、聡子は の鋭い小さな白い門歯が留るように、ある時はのどかな草
ゆいしきじゅ きゅうしそしゃ︿
との数日で、早くも、法相宗の根本法典である唯識三十頒 食猷のおと・なしい臼歯の喧暢のように。
ほんにやしんぎようそらはや
と般若心経を一宮一時んじていた。朝は夙く起きて、門跡のお勤 髪の一束一束が落ちるにつれ、一服部には聡子が生れてこ
みどろ
めの前に、御堂のお掃除をし、お勤めについてお経を習っ のかた一度も知らない澄みやかな冷たさがしみ入った。自
た。すでに客分としてのもてなしを捨て、門跡から指導を 分と宇宙との問を隔てていたあの熱い、煩悩の諺気に充ち
ゆだ
委ねられた一老は、人が変ったようにきびしくなった。 た黒髪が剃り取られるにつれて、頭蓋のまわりには、誰も
しようじよう
得度式の朝、聡子は身を清めて墨染の衣を着、御堂で数 指一つ触れたことのない、新鮮で冷たい清浄の世界がひら
治みそり ばっか
珠を手に合掌していた。門跡がまず剃刀で一剃りされたあ けた。剃られた飢がひろがり、あたかも薄荷を塗ったよう
とを、一老が手馴れた剃り方で剃りつづけるあいだ、門跡 な鋭い寒さの部分がひろがるほどに。
は般若心経を-お唱えになり、二老は乙れに和した。 頭の冷気は、たとえば月のような死んだ天体の肌が、じ
﹁観自在菩薩。

;
かに宇宙の瀬気に接している感じはこうもあろうかと恩わ
すよろじん陪らみた たいらく
行深般若波羅蜜多時。 れた。髪は現世そのもののように、次々と頚落した。競落
うん
春の雪

照見五経皆空。 して無限に遠くなった。
と町山ぞれ
度一切苦厄。・・:﹂ 髪は何ものかにとっての収捕俄だった。むせるような夏の

6
81
聡子も和して目を閉じているあいだ、徐々に肉の船の底 光りを、いっぱいその中に含んでいた黒髪は、刈り取られ
て聡子の外側へ常的ちた。しかしそれは無駄な収穫だった。 いた。しまいに綾倉夫人は泣いて総子に頼んだけれども、

8
ぜっ会 かい

i
あれほど艶やかだった黒髪も、身から離れた利那に、醜い 甲斐が・なかった。

t
3
む︿ろ
妥の骸になったからだ。かつて彼女の肉に属し、彼女の内 三日自に、綾倉夫人と松俊夫人は、あとに残る伯爵ひと
危の
部と美的な関わりがあったものが残らず外側へ捨て去られ、 りを侍みにして、東京へかえった。伯爵夫人は心労のあま
人間の体から手が落ち足が落ちてゆくように、聡子の現世 り、帰宅と同時に床に就いた。
俗︿り
は剥離してゆく。::・ 伯爵一人はそれから一週間のあいだ、なすとともなく月
青々とした頭になったとき、門跡はいとおしげに ζう 言 修寺に滞在した。東京へかえるのが怖かったのである。
げんぞ︿
われた。 伯爵が一言も聡子の還俗をすすめるようなととを言わな
﹁出家のあとの出家が大切や。今の覚悟には本当に感心申 いので、門跡もそのうち警戒を解いて、聡子と伯爵を二人
したわ。 ζの上は・な、心を澄ましてお修行したら、そなた きりにしておく畷をも与えた。しかし一老はそれとなく父
はきっと、尼僧の中の光りになるさかいに﹂ 子の様子を窺っていた。
冬の日だまりの縁先に、父子はいつまでも黙って対座し
きるすべ"
││以上がかくも急な剃髪の経緯であった。しかし綾倉 でいた。枯枝のあいだにほのかな雲と青空が懸り、百日紅
ひたきかっかヲ
夫妻も松枝夫人も、聡子のその転身におどろきながらも、 の枝に槌が来て、憂々と暗いた。
あき
まだ諦らめてはいなかった。撃の余地は、なお残されてい ずいぶん永いこと父子は黙っていた。やがて伯爵が、お
たからである。 もねるような微笑をにじませて、とう言った。
ぜえ
﹁おまえのおかげでお父さんも、とれからは世間へあまり
四十七 顔出しができんようになるな﹂
v
曲 丸
﹁お 恕しあそばして﹂
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訪れた三人のうち、綾倉伯爵はしじゅう温顔を潟えなが と聡子は感情をまじえずに、平らかに答えた。
F吋丸陥
ら、ゆっくりと聡子や門跡とも、さあらぬ世間話をして、 ﹁ζの庭にはいろいろ鳥が来るな﹂
一度も聡子の掘削意を促すような口ぶりを示さ-なかった。 としばらくして、文、伯爵が言った。
毎日、松枝侯爵から、結果の位怖を問い合せる電報が届 ﹁はい。いろいろまいります﹂
ついば
﹁今朝も散歩に出てみたが、柿も烏に啄まれて、熟して、 な応対に困惑していた。
落ちるだけだ。拾う者もない﹂ 松枝侯爵は綾倉伯爵を邸へ呼んで因果を含め、聡子を
﹁はい。そのようでございます﹂ ﹁強度の神経衰弱﹂とする国手の診断書を宮家へ持参し、
﹁もうそろそろ雪が降るやろう﹂ との ζとを宮家と松枝・綾倉両家との聞の極秘の事柄にす
わか
と伯爵が一言ったが、答は・なかった。父子はまたそのまま、 ることによって、秘密を頒っととの信頼感から、父宮のお
庭に目を遊ばせ-ながら、黙っていた。 怒りを和らげようという策を授けた。そして世間へは、ご
あくる朝、伯爵はとうとう発った。何の収穫も得ずに帰 く思わせぶりに、宮家からの、理由の明らかでない突然の
ってきた伯爵を迎えた松枝侯爵は、もはや怒ら、なかった。 婚約破棄の申入れにより、聡子が世をはかなんで遁世した
うわさ
乙の日はすでに十二月四日で、納采の儀までには一週間 という風に噂を流せばよかった。こうして原因と結果を顛
しかなかった。侯爵は秘密裡に警視総監を邸へ呼んだ。警 倒させることにより、片や宮家は、多少憎まれ役ではある
察の力を借りて聡子を奪回しようと企てたのである。 が面白と威光を保ち、片や綾倉家は、不名誉ではあるが世
警視総監は奈良の警察へ極秘の指令を発したが、宮門跡 間の同情を買うととができるのである。
もんちゃ︿
の寺へ踏み込むについては宮内省との聞に悶着を起すおそ しかしこれをやりすぎてはいけない。やりすぎると、緩
お&もいどきん いわ
れがあり、年千円に充たぬ金であっても御内需金の下りて 倉家へ同情が集まりすぎて、宮家としては、因れのない世
いる寺に指一本触れるわけには行かなかった。そとで警視 間の不人気に対して釈明の必要に迫られ、聡子の診断書を
総監は非公式に自ら西下して、私服の腹心を従えて、月修 公表せざるをえ-なくなるからである。新聞記者などには、
寺を訪れた。一老の手を経て渡された名刺を見ても、門跡 宮家側からの婚約破棄と、聡子の落飾とを、あらわに因果
は眉一つ動かされ・なかった。 づけないようにする乙とが肝要で、ただその二つの事件を
茶を供され、一時間ほど門跡のお話を伺うと、警視総監 並べて、時間を先後させればよいのである。それでも新聞
はその威に押されて引き退った。 記者は真相を知りたがる。そのときは、いかにも辛そうに、
春の雪

松枝侯爵は打つべき手はすべて打った。しかし、すでに 因果関係をほのめかして見せ、但しその点については筆を
宮へ御辞退に伺うほかに道はないことをさとった。宮口から 抑えてもらえばよいのだ。

王ヨ
おづ


はたびたび事務官が綾倉家へ遣わされて、綾倉家のふしぎ とういう相談がまとまると、侯爵は早速小津脳病院の小
津博士に電話をかけ、至急松枝侯爵邸へ極秘裡に往診にお ﹁私共は決して先生がそのような方だとは思っておりませ

810
いでいただきたいと頼んだ。小津脳病院ではこういう貴顕 ん﹂と侯爵は、葉巻を口から離して、しばらく部屋のなか
降う ζう
の突然の申出にからまる秘密は、まことによく保たれてい を紡復して、壇炉の焔が肉づきのよい頬の傑えを照らし出
た。博士の到着ははなはだ遅れ、その間引き留めておかれ している博士の顔を遠くから眺めて、深く鎮めた声でとう
いらだ おおみと ζろ
た伯爵の面前で、もはや侯爵は苛立ちを隠さ-なかったが、 言った。﹁その診断書は、大御心を安んじ奉るために必要
ζの場合に限って迎えの車を出すわけにも行かないので、 なのです﹂
ひたすら待つほかはなかった。
だん とうれんのみや
到着した博士は、洋館の二階の小応接室へ適された。媛 ││松枝侯爵は診断書を手に入れると、早速洞院宮の御

ヮ,
炉の火があかあかと焚かれ、侯爵は自己紹介と伯爵の紹介 都合を伺って、暮夜、御殿に参上した。
れんたい
をすませたのち、葉巻をすすめた。 幸い若宮は、聯隊の演習にお出ましでお留守であった。
はるひきお会
﹁御病人はどちらに?﹂ 特に治久王殿下にじきじきにお目通りをしたいと申し入れ
と小津博士はたずねた。 であったので、妃殿下も席を外しておいでになった。
侯爵と伯爵は顔を見合わせた。 洞院宮はシャトオ・イケムをおすすめになり、御機嫌鹿
﹁実はととにはおりません﹂ わしく、今年の松枝邸の花見の面白かった ζとなどをお話
ごあいたい
と侯爵は答えた。 しになった。 ζうして御相対でお目にかかることは久々で
会ったことも・ない病人の診断書をこの場で書け、と云わ あるから、侯爵もまず、一九O O年のオリンピック競技の
仇も a ・
vヤ ﹀ 4 J
れたときに、小津博士は色を作した。そのこと自体よりも 折のパリの昔話などを申上げ、例のコニ鞭酒の噴水のある
博士を怒らせたのは、侯爵の目の中に、博士がきっとそれ 家﹂の ζと、そとでのさまざま・な逸話をお話しして打ち興
を書くだろうという予測が、ひらめいているように思われ じた。との世には何の煩いもないかのように思われた。
たからである。 しかし、侯爵には、宮がその威風堂々たる御風采にもか
もつ
﹁何のために、とういう無礼な申し出をされるか。私を金 かわらず、お心の内で不安と恐怖を以て侯爵の言葉を待っ
権うかん
で動くそとらの割問医者と一緒に考えておられるのか﹂ ておいでのととがよくわかっていた。宮は数日後に近づい
と博士は言った。 た納采の儀について、何一つ御自分からは語り出そうとさ
れなかった。その立派な半白のお髭は、日を受けた疎林の かったものだろう。関西への旅というのもそれだったのか。

すF
ように灯影を浴びて、お口もとを時々すぎる戸惑いの影を そういえば、挨拶に来たときに顔色が勝れないのを、妃が
透かした。 心配しておった﹂
﹁実は夜分とうして参上いたしましたのは﹂と侯爵は、あ ﹁脳の煩いで、乙の九月から、いろいろ奇矯な振舞があっ
たかもそれまでのどかに飛んでいた小鳥が、一直線に巣箱 たということが、今になって私の耳に入りました﹂
けいちょう
へ飛び込むような身軽さで、わざと軽悦に本題へ入った。 ﹁乙うなれば致し方がない。明朝、早速、お詫び言上に参
﹁何と申上げてよいかわからぬ不祥事の御報告に参りまし 内しよう。お上は何と仰せられるか。その際、との診断書
たのです。綾倉の娘が脳をわずらったのでございます﹂ は御覧に入れなければなるまいが、借りられるだろうね﹂
﹁え?﹂ と宮は仰言った。
みひら はるのりおろ
と洞院宮は侍きの自を陛かれた。 宮が一言も若宮の治典王殿下のことを仰せ出されないと
﹁綾倉も綾倉で、このととをひた隠しにいたしまして、私 ころに、宮のお心の気高さが現われていた。侯爵は侯爵で、
てい かん
にも相談なく、聡子を尼にして世間体をつくろうようなこ その問、{呂の御表情の移りかわりに怠りなく目を注いでい
同とう
とをいたしながら、今日まで殿下に、内情をお打明けする た。一つの暗い波湾が揺れて立ち、鎮まるかと見えて波は
勇気を持たなかったのでどざいます﹂ 深く陥没して、又立上った。何分かののちに、侯爵はもう
﹁何ということだ。乙の期に及んで﹂ 心を安んじてよいと思った。もっとも怖れていた瞬間は過
宮は唇を深く噛まれ、 髭は唇の形のままに伏して、援
hp ぎ去った。
さき
炉のほうへ伸ばされたお靴の尖をじっと見つめて、おいでに ーーその夜、侯爵は深更まで、妃殿下をまじえて善後策
なった。 の御相談にあずかったのち、御殿を退出した。
﹁ととに小津博士の診断書がどざいます。何と一ト月も
前の日附で、綾倉はとれを私にさえ隠していたのでどざい あくる朝、宮が参内のお仕度をしておいでのときに、折
春の雪

ます。すべては私の目が届きませんととから起ったととで、 悪しく若宮が演習から・お帰りになった。宮は一室に若宮を
何とお詫びを申上げてよいか:::﹂ 伴われて、事情をお打ち明けになったが、その若い雄々し

1
81
町'
色 SE
﹁病気とあれば仕方がないが、何故早くそう言ってくれな いお顔にはほんの少しの動揺も見られず、すべてを父宮へ
お委せする、と仰言ったばかりで、怨みはおろか、怒りの 私はなぜか今、そのととを思い出していたのです L

872
、んりん
片鱗も・お示しになら-なかった。
そうそう
徹夜の演習のお疲れで、父宮をお見送りになると勿々寝 ││新聞は、﹁洞院宮家の御都合による﹂婚約破棄を報
所へ能られたが、さすがにお鵬みになれない御様子を察し じ、従って世聞があれほど慶祝の望みをかけていた納采の
て、妃殿下がむ見舞いになった。 儀の取止めを報じた。家の中で起っているととを一切知ら
﹁昨晩、松枝侯爵がその報告に来たのですね﹂ されなかった清顕は、新聞ではじめてそれを知った。
と若宮は、徹夜に多少血走ってはおられるが常のどとく
強いたじろがない眼をあげて、母宮 K仰言った。 四十八
﹁そうです﹂
おおやゆり
﹁私は何と-なく、ずっと以前、私が少尉の ζろに、宮中で 乙のととが公になってから、侯爵家の清顕に対する監視
起った ζとを思い出しました。そのととは以前にお話し申 はいよいよ厳しく、学校へも執事の山田がついて来て見張

aZBdF
上げましたね。私が参内したとき、廊下でたまたま、山県 るようになった。事情を知らない学友は、との小学生のよ
み陥
元帥に会いました。忘れもしませんが、表御座所の廊下で うな御大層-な通学に目を陸った。しかも侯爵夫妻は、その
した。元帥は拝謁を終って退出すると乙ろであったと息い 後、清顕と顔を合わせても、事件について語るととが一切
ひ ろ え り が いkav
ます。いつものように通常軍服の上に広襟の外套を着て、 なかった。松枝家ではすべての人聞が、何事も起らなかっ
主ぷか
軍帽を眼深にかぶって、両手をぞんざいにかくしへつっと たかのように振舞っていた。
んで、軍万を引きずるようにして、あの暗い長い廊下を歩 世間はさわいでいた。清顕は学習院の相当な家の息子で
いて来ました。私はすぐさま、道を空けて、直立不動の姿 も、事の真相に少しも近づかず、人もあろうに滑顕に向っ
ひさし
勢で元帥に敬礼しました。元帥は軍帽の庇の下から、あの て、事件の感想を求めたりするのにおどろいた。
決して笑わない鋭い目で私のほうをちらりと見ました。元 ﹁世閉じゃ綾倉家に同情しているようだけれど、僕は皇族
帥が私を何者か知らなかったわけはありません。しかし元 の尊厳を傷つける事件だと思うね。聡子さんという人が頭
帥は、っと不機嫌に顔をそむけて、答礼もせずに、そのま がおかしいというととは、あとからわかったというじゃな
ま艇械な外套の肩を鯨やかして、廊下を立去りました。 いか。どうして前以てわから司なかったものだろう﹂
しんせき︿げ
清顕が返答に迷っていると、本多がそばから助け舟を出 情に明るい者もなかった。ただ綾倉家の親戚に当る公家華
してくれるととがある。 族はいた。彼はしきりに、美しくて聡明な聡子が、頭がお
﹁病気だったら、症状が出るまでわからないのは当り前じ かしいなどというととはありえないと主張したが、これは

AU
ゃないか。ょせよ、そんな女学生みたいな噂話は﹂ 却って自分の血筋の擁護と受け取られて、冷笑を貿った。
しかしこの種の﹁男らしき L の仮装は、学習院では通じ とれらすべてのととは、もちろん清顕の心を不断に傷つ
-なかった。第一、こういう会話にそれらしい結論を下す消 けていた。が、聡子がその身に引受けた公の不名誉に比べ
ひそ
息通であるためには、本多の家柄は十分で-なかった。 れば、自分が人の指弾も受けずに私かに傷ついたとしても、
しようふ︿ ひ脅ょうもの
﹁あれは僕の従妹でね﹂とか、﹁あれは僕の伯父の妾腹の いわば卑怯者の悩みでしか・なかった。学友がこの事件のこ
息子でね﹂とか、犯罪や醜聞に対して多少の血縁のあるこ と、聡子のことを口にするたびに、彼は、折しも冬の深ま
左おやま
とを誇りつつ、同時にそれによって一向傷つけられない自 る遠山の雪が、空気のきわめて澄んだ朝、二階の教室の窓
EbAV'Jd
分の高貴な無関心を誇りつつ、冷たい顔で、世間の有象無 から望まれるのにも似て、聡子が遠く高く衆自、
の前に、そ


象の噂とはちがう内幕の一端を、ちらとほのめかすととが の輝やかしい潔白を黙って掲げている姿を見るように感じ
できなければ、消息通の資格が、なかった。乙の学校では十 た

ぎってん
五、六の少年も、えてして、 遠い絶願に輝く白は清顕の自にだけ映り、清顕の心だけ
﹁内府がそれについて頭を痛めていてね、ゅうベファ l ザ を射当てていた。彼女は、罪、不名誉、狂気を一身に引受
ーのと ζろへ相談の電話をかけてきたよ﹂ けるととによって、すでに潔められていた。そして自分
とか、 は?
﹁内務大臣が風ザと云ってるのは、参内するとき、あわて 清顕は時折大声で自分の罪を告白してまわりたい気持に
ねんざ
て馬車の踏板を踏み外して捻挫したんだよ﹂ かられるととがあった。だが、そうしては聡子の折角の自
とかいう口をきくのであった。 己犠牲も無になるのだ。それを無にしても良心の重荷を取
春の雪

しかし、ふしぎに今度の事件では、清顕の永年の秘密主 り払うのが本当の勇気か、虜囚に等しい今の生活に黙って
義が功を奏したのであろう、彼と聡子との間柄について知 耐えるのが正しい忍苦か、はっきり見分けをつけるととは

373
る友もなく、又、松枝侯爵がどう関わっているかという事 難かしかった。ただ、心にどれほどの苦悩を積んでも、何
もせずにじっとしていることが、すなわち、父や一家の希 つ成立たせて来たいつわりの永続を信じていた。そのとき

1
ぎまん

1
望にも叶っているという事態は耐えがたかった。 彼は希望において欺附に加担していた。

3
無為と悲しみは、かつての清顕には、一等親しみ易い生 かくてこの希望には卑しげな影があった。彼が聡子を美
活の元素であった筈だ。それをたのしみ、それに飽かず身 しく思い描とうとすれば、そ乙には希望の余地がなかった
を一泊していられる能力を、彼はどとで失くしてきたのか? 筈だからである。
れんぴん
人の家へ傘を忘れてくるように無造作に。 彼の硬い水晶の心を、われしらず、やさしさや憐欄の夕
今では清顕には、悲しみと無為に耐えるにも希望が要っ 陽が染めかけていた。人にやさしさを与えたくなった。彼
た。その気配もなかったので、自分で希望を作った。 は周囲を見廻した。
﹃彼女の狂気という噂は、議論の余地も・ないほどのいつわ 甚だ古い家柄の侯爵の息子で、お化けと呼ばれている学
とん らいびょう
りだ。そんなととは到底信じられない。それなら彼女の遁 生があった。嗣闘病だという噂だったが、願病患者を通学さ
ぜい
世と溶飾も、ひょっとすると仮りの装いにすぎ・ないかもし せるわけも・ないから、何かほかの、伝染性の・ない病気だっ
乙し
れぬ。聡子はただ一時のがれに、宮家へのお輿入れを避け たにちがいない。髪は半ば脱け溶ち、顔色は灰黒色で光沢
、、、、、
るために、つまりは僕のために、とんな思い切った芝居を が・なく、背は曲り、教室でさえ特に許されて学帽を深く冠
打ったのかもしれないのだ。それ・なら世間のさわぎが納ま っているので、どんな目をしているのか見た人がなかった。
ほ去すす
る ま で 場 所 乙 そ 異 に し て お れ 、 二 人 が“
"吐ν
ιを合せて、水を打 しじゅうものの煮えるような音を立てて演を畷り、誰とも
ったように静まり返っていればいいのだ。彼女が葉書一枚 口をきかず、休み時間というと本を抱えて校庭の外れの草
よとさないのも、その沈黙が、明らかにこのことを語って 地へ坐りに行った。
いるからでは・ないか﹄ もちろん清顕も、もともと科もちがうとの学生とは、全
聡子の性格を清顕が信じているなら、とんなととはあり く口をきいた ζとがなかった。いわば清顕が在校生の中で
えないとすぐ気づくだろうに、もし聡子の勝気がかつての の美の総代なら、同じ侯爵の息子でありながら、彼は醜と
A
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清顕の 怯惰が描いた幻にすぎぬとしたら、その後の聡子は 影と陰惨を代表していた。
ヤ' と
彼の腕の中で融けた雪なのだ。一つの真実ばかり見つめて お化けがいつも坐りにゆく草地は、冬の日だまりに蒸れ
いるうちに、ともすると清顕は、その真実を今までかっか た枯草が温かいのに、誰しもそこを避けていた。清顕が近
かいぎや︿
づいてそとに坐ると、お化けは本を閉じ身を聞くして、い いけれども、少くとも彼が諮議を試みていたのはたしかだ
つでも逃げられるように腰を浮かした。沈黙のなかを柔ら った。


かい鎖を引きずるよう・な演を畷る音だけがしていた。 美しい侯爵の息子と、醜い侯爵の息子は対になった。清
﹁いつも何を読んでるの﹂ 顕の気まぐれなやさしさや憐閣に対抗して、お化けは怒り
と美しい侯爵の息子がたずねた。 も感謝も示さない代りに、正確な鏡像のような自意識のあ
﹁いや・:・﹂ りたけを駆使して、とにかく対等の一つの形を描いてみせ
じゃばら
と酸い侯爵の息子は本を引いて背後に隠したが、清顕は た。顔を見ずにいれば、制服の上着の蛇腹からズポンの僚
レオパルジという名の背文字を日に留


めた。素早く隠すと にいたるまで、二人は明るい枯芝の上に、みどとな対称を
は︿ふ
きに、表紙の金の箔捺しは、一瞬、枯草のあいだに弱い金 なしていた。
の反映を縫った。 清顕の接近の試みに対して、これほど親しみに充ちた完
-お化けが話に乗って来ないので、清顕はやや離れたとと 全一な拒絶はなかった。しかし清顕は、拒絶されることによ
ラシヤ
ろへ休をずらせ、制服の羅紗についてくる移しい枯芝を払 って、とれほどひたひたと漂い寄せるやさしさに接したこ
aazひE
いもせずに、地面に片肱を支えて足を伸ばした。すぐ向う ともなかった。
には、居心地の悪そうな風にうずくまって、本をひろげか 近くの弓道場から、いかにも冬の風の凝結を思わせる矢
つるおと
けて又閉めたりしているお化けの姿がある、清顕は自分の 色の弦音ゃ、それに比してゆるんだ太鼓のような的に当る
不幸の戯画をそこに見るような気がして、やさしさの代り 矢音がきとえた。清顕は自分の心が鋭い白い矢羽根を失っ
に、軽い怒りを心に抱いた。温かい冬の日は押しつけがま てしまったのを感じた。
しい恵みに充ちていた。そのとき、醜い侯爵の息子の姿態
κ、徐々にほぐれるような変化が起った。彼の屈した足は 四十九
おそるおそる伸ばされ、清顕と反対の肱を支えて、頭のか
春の雪

しげ方、肩の釜やかし方、体の角度も清顕とそのままに、 学校が冬休みに入ると、勉強家は早くも卒業試験の準備
ζ一 まいぬをぷか 室
、.わ
あたかも一対の狛犬のような形に納まったのである。目深 に手をつけだしたが、清顕は本に触るのもいやになった。

7
36
な制帽の庇の下の唇は、別して笑っているようには見えな 来年の春、学校を卒業して、夏の大学入学試験を受ける
のは、本多のほかに級の三分の一ほどにすぎず、多くは無 している新聞であるが、飯沼が事前に金を貰いに来るほど

816
試験の特権を利して、東京帝大なら欠員の多い学科や、京 身を落している-ならば格別、そういう沙汰も念くてとんな
h v ζ令
都帝大や東北帝大へゆく筈だった。消顕も、父の意備にか ととを書いたのは、公然たる挑発の忘恩行為だというので
かわらず、無試験の道を選ぶであろう。京都帝大へ入れば、 あった。
聡子のいる寺へはそれだけ近くなるのである。 文章はいかにも国土風で、﹁松枝侯爵の不忠不孝﹂とい
ゆだ ζのたぴ
してみれば、さしあたり、彼は公明正大な無為に委ねら う見出しがついていた。此度の御縁組の中に立ったのは、
れていた。十二月のうちに雪が二度降って積ったが、彼は 実は松枝侯爵であるが、かりにも皇族の御婚姻が皇室典範
あふ ぽ
'
k
雪の較も子供らしい快活さに溢れるととがなく、窓の維を に詳しく規定されているのは、万々一の場合の皇位継承の
引いて、中ノ島の雪景色を感興なく眺めて、いつまでも床 順位に関わりがあるからである。あとになってわかったと
の中にいた。そうかと思うと、邸内の散歩にも目を光らす はいえ、頭のおかしい公家の娘をお世話して、勅許までい

h
ea
山田に仕返しをして、ととさら朔

、,風の吹きすさぶ夜、足の ただき、納采之儀寸前になって、事があらわれて瓦解して
c
- あど
不自由な山田に懐中電燈を持たせ、外套の擦に顎を埋めて、 も、侯爵自身は世間へ名前の出ないのをよいことに、情然
てんぜん
激しい歩調で紅葉山へ駈け上らんばかりにして登るととも として恥じないのは、大なる不忠であるのみならず、維新
ふ︿ろうおぼつか
あった。夜の森のざわめき、乗の声、足もとの覚束ない道 の元勲たる先代侯爵に対しても、不孝の極みである、と弾
ひkaeL
を、炎のような足取で登ってゆくのは快かった。次の一歩 劾している。
いきもの
が、柔らかい生物のような闘を踏んで、それを踏みつぶし 父の激怒にもかかわらず、清顕は ζれを読んだときに、
らんかんひら
そうに恩われた。冬の星空は、紅葉山の頂きに閥干と展け まず、飯沼が署名人りで書いているとと、清顕と聡子のい

。 きさつを百も承知していながら、聡子の脳病を信じている
押し詰ったとろ、飯沼の書いた文章の載っている新聞を、 ようなふりをして書いているとと、などに、くさぐさの疑
侯爵家へ届けてきた者があった。侯爵は飯沼の忘恩に激怒 問を抱き、今はど ζに住んでいるかもわからぬ飯沼が、忘
した。 恩を犯してまで、ひそかに清顕に彼の所在を知らせ、ひた
それは右翼団体の出している小部数の新聞で、侯爵によ すら清顕に読ませるためにとれを書いたのではないか、と
れば、恐喝同様の手口で上流社会の醜聞をあばくのを事に いう印象を持った。少くともとの一文は、滑顕が父侯爵の
ようになってくれるな、という暗示的な教訓を含んでいる が来るならわしだった。どちらの招待に応じても片手落に
ように恩われた。 なるので、どちらへも出ず、その代り両家の子供たちへプ
急に飯沼が懐しくなった。あの不器用な情愛にふたたび レゼントを贈るのが侯爵家のとって来た態度であったが、
やゆ だんらん
接して、それを邦検してやるととが、今の自分にとって一 今年清顕は何となく、西洋人の家庭の団繁の中で心を休め
等慰めになるような気がした。しかし父が怒っている最中 たい気持になって、母を介してたのんでみたが父はゆるさ
に飯沼に会ったりすれば、ますます事を面倒にするばかり なかった。
で、それを押して会おうとするほどの懐しさはなかった。 その理由として、父は、片手落に-なるからとは言わず、
むしろ会い易いのは翠科のほうかもしれないが、自殺未 借家人の招待に応じては、侯爵家の息子の品位が傷つけら
遂以来、清顕はとの老女に云いしれぬ忌わしさを感じてい れる、という言い方をした。とのことは暗に、父が清顕の
た o遺 書 に よ っ て 清 顕 を 父 へ 売 っ た 以 上 、 と の 女 は 自 分 が 品位の保ち方についてなお疑念を抱いているととを示して
手引をして逢わせる人たちを、のとらず売って快とするよ いた。
おおみそか
うな性格の持主にちがいなかった。咲いたあとで花弁を引 年の暮の侯爵家は、大晦日一日では片附かぬ大掃除を、
きちぎるためにだけ、丹念に花を育てようとする人間のい 毎日なしくずしに続けて多忙を極めた。清顕にはすること
るととを、清顕は学んだ。 は何もない。ただとの年が終るという痛切な思いは胸を噛
一方、父侯爵はほとんど息子と言葉を交わすとともなく み、この年こそ、二度と還らぬ生涯の絶頂の年だったとい
なった。母もとれに追随して、息子をそっとしておくとと う感懐が日ましに濃くなった。
だけしか考えてい・なかった。 人々の立ち働らいている邸をあとにして、清顕はひとり
怒っている侯爵は、実は怖れていたのである。表門の請 で池ヘポlトを漕ぎ出そうと思った。山田が追って来てお
じゃけん
願巡査が一人増員され、裏門をも新たに二人の請願巡査が 供を申し出たが、清顕は邪僅に断わった。
かれあしやればす
守った。が、その後侯爵家への脅迫やいやがらせもなく、 枯 誼 や 敗 荷 を 押 し 倒 し て ポ Iト を 出 そ う と す る と 、 数 羽
のがも ほお
a uげ さ 陪 ぽ た
h
春の雪

飯沼の言説ももっと表立ったととろへ波及するとともなく の野鴨が濁った。大袈裟念羽樽きと共に一瞬晴れた冬空に
ろかヘんぺい
て、その年も暮れた。 くっきりと泥んだその小さな扇平な腹が、少しも水に濡れワ
クリスマス・イヴには、家作の二府の西洋人から招待状 ない柔らかな羽毛の絹の照りを見せた。産のしげみの上を、
ゆが むちう
その影は歪められて走った。 心の中で、今の自分の境涯に一言葉の鞭打ちを加えるよう

8

1
池のおもてに映る青空と雲の色は冷たかった。清顕はオ に、次々と、無残な誇張を怖れない言葉が湧き立った。そ

8
かきみだ
ーんで擾す水聞が、鈍い重い波紋をひろげるのをふしぎに れこそかつての清顕が一切自分に禁じていた言葉だった。
はりしつ
思った。その重い暗い水が語るようなものは、鼓璃質の冬 ﹃すべてが辛く当る。僕はもう陶酔の道具を失くしてしま
ものすどめいせきはじ
の空気にも雲にもど乙にも-なかった。 った o物 凄 い 明 断 さ 、 爪 先 で 弾 け ば 全 天 空 が 繊 細 な 破 璃 質
やす
彼はオlんを憩め、母屋の大広間のほうを見返った。そ の共鳴で応じるような、物凄い明断さが、今世界を支配し
せきりよう
とに立ち働らく人々の姿が、遠い舞台の人のように眺めら ている。:::しかも、寂審は熱い。何度も吹か・なければ口
とが
へ入れられない熱い澱んだス 1.
いふリ ζ
れた。まだ氷りはし・ないが、鋭く尖った音に・なったように フのように熱く、いつも僕
聴かれる滝は、中ノ島の向う側になって目には見えず、は の目の前に置かれている。その厚手の白いス 1プ 皿 の 、 蒲
るか紅葉山の北辺に、枯枝を透かして残る汚れた雪がはだ 団のような汚れた鈍感な厚味と来たら!誰が僕のために
らに見えた。 とんなスlプを注文したのか?
のろ
やがて清顕は、中ノ島の小さな入江の杭にポlトをつな 僕は一人取り残されている。愛慾の渇き。運命への呪い。
いろーあ
ぎ、松の色認せた頂きへ登って行っ・た。三羽の鉄の鶴のう はてしれない心の紡復。あてどない心の願望。::小さな
︿ちばし
ち、瞬を天へさしのべた二羽は、冬空へ向って鋭い鉄の矢 自己陶酔。小さな自己弁護。小さな自己偽摘。:::失われ
つが や
尻を番えているかのようだつた。 た時と、失われた物への、炎のように身を灼く未練。年齢
bu
清顕はすぐ枯芝の湿かい日だまりを見つけて、そこに仰 のも

‘し い 推 移 。 青 春 の 情 な い 閑 日 月 。 人 生 か ら 何 の 結 実 も
向きに寝ころんだ。そうしていれば誰の自にもつかず、完 得ないとの憤ろしさ。:::一人の部屋。一人の夜々 0 ・ :・
全無・欠の一人きりになることができるのだ。後頭部へ廻し 世界と人間とからのとの絶望的な隔たり。:::叫ぴ。き
しぴ
た両手の指さきが、漕いだオールの冷たい薄れを宿してい かれない叫ぴ。:::外国の花やかさ。:::空っぽの高貴。
るのを感じると、突然、人前では見せないみじめな感慨の
ありたけが胸にひしめいてきた。彼は心に叫んだ。 -・・それが僕だ!﹄
おびただからすね
﹃ああ・::﹁僕の年﹂が過ぎてゆく!過ぎてゆく! ││彼は紅葉山の枯枝に集まる移しい鴻が、立自に立てず
あ︿ぴ
つの雲のうつろいと共に﹄ にはいられない欠伸のような声を一せいに挙げて、お宮様
のある緩丘のほうへ飛び移る羽縛きを頭上に聴いた。 度来て宿ったととのある歌の残骸を、まざまざと眺め飽か
したい気持があった。そ乙へ行けば、聡子を臨ぷ ζともで
五十 きると思ったのである。
がんじよう
清顕はすでに自分を、松枝家という岩乗な一一族の指に刺
とげ
年が改まって間もなく、御歌会始の宮中行事があり、十 った﹁優雅の聯﹂だとはさらさら考えなくなっていた。さ
傘た
五歳の年からの慣例に従って、綾倉伯爵が、むかし施した りとて自分も亦、その岩乗な指の一本に他ならぬと、思い
優雅の教育の年一度の名残として、清顕の拝観を誘う ζと 直したわけではない。彼がかつてわが内に信じた優雅は澗
になっていたが、まさか今年はその沙汰があるまいと思っ れ果て、魂は荒廃し、歌の原素となるような流麗な悲しみ
ていたのに、今度は宮内省を通して参観の許可が下りた。 はどとにもなく、体内をただうつろな風が吹いていた。今
おうたEZろよりうぜ
伯爵は恥かしげもなく、今年も御歌所寄人を勤めており、 ほど優雅からも遠く、美からさえ遠く隔たった自分を感じ
伯爵の口ききであるととは明白だった。 たととはなかった。
松枝侯爵は息子から示されたその許可証と、四人の連名 しかし、自分が本当に美しいものになるとはそのような
よりうど
の寄人の中にある伯爵の名を見て盾をひそめた。彼は優雅 ととだったかもしれない。 ζんなに何も感じられず、陶酔
のしぶときと、優雅の厚顔を改めてありありと見た。 もなく、自の前にはっきりと見えている苦悩さえ、よもや
うつつ
﹁例年のととだから、行くがいい。もし今年だけ行かなけ 自分の苦悩とは信じられず、痛みさえ現の痛みとも思われ

A4
れば、家と綾倉家の聞が不和になったように人からとられ ぬ。それは何よりも繍病人の症状と似通っていた、美しい
るし、本来、あの問題については、家と綾倉家との聞には ものになるということは。
何の関わりもない建前なのだから﹂ 滑顕は鏡を見る習慣を失っていたので、その顔に刻まれ
しようすい
と侯爵は言った。 た融問停と憂いが、いかにも﹁恋にやつれた若者﹂の絵姿を
&臥'Hlu
清顕は例年のその儀式に馴染み、たのしみにしてさえい 成しているととに気づかなかった。
容の雪

た。その場におけるほど、伯爵が威風を添え、かっ、ふさ ある日、一人きりの夕食の食繕に、やや黒ずんだ洋紅の
り ζ ガラス
わしく見える ζとは・なかった。今ではそういう伯爵を見る 液体を充たした小さなE

-子硝子のグラスが出た。給仕の縛

l
!
19
ととも苦痛にすぎまいが、清顕には、何か自分の中にも一 に何かと訊くのも面倒だったので、清顕は葡萄酒だろうと
見当をつけて一気に呑み干した。すると舌に異様な感触が 読まずに、直ちに官位氏名を読んだのち、本文へ移ってゆ

3a
残り、暗く滑らかな後味が尾を引いた。 くのである。
﹁何だ﹂ 綾倉伯爵は名誉ある講師を勤めていた。
すっぽんいきち
﹁簡の活血でどざいます﹂と縛は答えた。﹁御たずねがな 天皇皇后両陛下に東宮殿下も御臨席あらせられ、伯爵の
いかぎり、 ζちらから申上げてはいけないと、言いつかっ -なよやかな美しく澄んだ発声をきとしめした。その声には
てまいりました。コックが、若様に元気をおつけするの 罪のひびきもなく、悲しげなほど明朗で、一首一首読み進
だ、と申しまして、お池から捕えてまいりまして、料理た むものうげな速度は、あたかも冬の日をあらたかに浴びた
︿つ
のでございます﹂ 石段を、神官の黒塗りの沓が一歩一歩のぼってゆく速度を
その不快な滑らかなものが胸元をすぎるのを待つうちに、 思わせた。その声には何ら性の香りがなかった。そとで
しわぶきひと金
清顕は子供のとろ何度か召使に台どかされて心に描いた、 咳一っきとえない御所の一間の沈黙を、伯爵の声だけが
うかが
暗い池から頭をもたげてとちらを窺う忌わしい箆の幻影を 占めているときも、声が言葉を超えてまで人々の肉に戯れ
再び見た。それは池底のなまぬるい泥に身を埋め、ときど かかることはたえて-なかった。ただ明るい悲愁を靖ひた、
'
aし ょ,、, w の d
a
き半透明の池水を、時聞を腐蝕させる夢や悪意の藻をかき 一一種恥知らずの優雅が、伯爵の咽喉から直ちに出て、絵巻
わた かすみ
わけながら詑ぴ上り、永年に亙って清顕の成長にじっと目 の霞のように場内に棚引くのであった。
Cゆば︿ かえ
を凝らして来たのであるが、今突然その呪縛が解かれ、鑑 臣下の歌はみな一反り読まれるだけであるが、東宮殿下
は殺され、彼は知らずにその活血を呑んでいたのだ。そこ の御歌は、
で突然、何かが終ってしまった。恐怖は従順に清顕の胃の ﹁:::といえる ζと を よ ま せ た ま え る 日 つ き の み と の 御
なかで、何か未知の、不可測の活力に姿を変えはじめてい 歌﹂

。 と読み上げ、二反りする。
a
v
F匂 ,
A
争・
皇后の御歌は三反り詠吟講・
頒し泰り、発声まず初句をう
LV

ょせんかげろう
││御歌会の披講は、預撰歌のうち、まず下薦からはじ たえば、二句目から講頒の全員が合唱する。皇后の御歌が
"
﹄ a
﹂ν砂 偽 J重ワ
め、順次上騰に及ぼしてゆくのが例である。最初だけは端 読み上げられるあいだ、ほかの皇族や臣下はもちろん、東
'
.
A 宮殿下も御起立あそばされ、拝承したまうのである。
作から読んで、次に官位氏名を読み、次のからは、端作は
今年の御歌会始の皇后の御歌は、殊に美しく気高い御作 乙とではあるが││、清顕に対する御怒りを秘めておいで
であった。起立して拝承しながら、ひそかに窺う目に、遠 になるように感じて恐催した。
く、鳥の子を二枚重ねた御懐紙が、伯爵の白く小さい女の ﹃お上をお裏切り申上げたのだ。死なねばならぬ﹄
ような手の中に拝されたが、その御懐紙は紅梅の色であっ 清顕は、漠とした、けだかい香の立ちこめる中に倒れて
ぜんりつ
たc ゆくような思いで、快さとも戦傑ともつかぬものに身を貫
しんかん
あれほど世間を震憾させた事件のあとにもかかわらず、 かれながら、そう考えた。
ふる
清顕は伯爵の声に、いささかの傑えも気おくれも、いわん
や、娘を俗世から失った父親の悲しみも、何一つ窺われな



おどろ
いととにもはや憎かなかった。それはただ美しい、無力な、
巳まぢか
澄明な声が奉仕しているのにすぎなかった。伯爵はそうし 二月に入って、卒業試験を目近に控え、学友たちが忙し
て千年先も、声の美しい鳥のように奉仕するにちがいない。 そうにしているなかで、何事にも興味を失った清顕一人は
御歌会始は、ついに最終段階に入った。すなわち主上の 超然としていた。そういう清顕の勉強を本多は助けるのに
やぶさ
御製が読み上げられるのである。 苔かでは・なかったが、何か清顕に拒まれているように感じ
すずりぷた
講師はうやうやしく聖上の御前にすすみ、御硯蓋の上の て差控えた。彼は清顕が、何ものにもまして﹁うるさい友
御歌をいただき、五反り諒吟講頒し奉る。 情﹂を嫌っていることを知っていた。
伯爵の声は一トきわ澄みやかに御製を詠じ、 乙のとき父が突然清顕に、オックスフォードのマ 1 ト

む 6・ゅうた
﹁:::といえることを詠ませたまえる大御歌﹂ ン・カレッジへの入学をすすめ、乙の十三世紀に創立され
って
と読み上げた ο た由緒あるカレ 7ジ へ は 、 特 に 主 任 教 授 の 伝 手 が あ っ て 入
かんおそ
その問、清顕は畏れ多く竜顔を仰いだが、幼時先帝に頭 りやすいが、そのために学習院の卒業試験だけは通ってい
を撫でていただいた思い出などが胸に迫り、先帝よりも御 なければならぬと言い出した。侯爵はやがて従五位にもな
るいじゃ︿とうずん あお
春の雪

時腕弱にお見受けする当今が、読み上げられる御製をきとし るべき息子が、日に日に蒼ざめ衰えてゆく姿を見せつけら
めしても、何ら誇りかな色をお足べに・なるではなく、氷の れて、救済の方法を考え出したのである。乙の教済の方途

8
81
よう司な平淡さを持しておいでになるのを、ーーありえない はあまり見当外れに思われたので、却って清顕の感興をそ
そった。そこでこの申出を大そう喜ぶふりをしていようと 何度となく空しく呼んだ。

法鬼
心に決めた。 するうちに聡子は夢と現の堺に、突然、ありありと姿を
あとが げん
かつては人並に西洋に憧れたこともあったが、心が日本 現ずるようになった。もはや清顕の夢は、夢日記に誌すよ
のもっとも繊細もっとも美しい一点に執着している今では、 うな客観的な物語を編む乙とがなくなった。ただ願望と絶
世界地図をひろげてみても、広漠とした海外の国々はおろ 望が交互に来て、夢と現実が互みに打消し合ぃ、あたかも
えび
か、赤く塗られた小さい海老のような日本でさえ俗悪な感 海の波打際のように定めない線を描いていたが、その滑ら
n
v
じがした。彼の知っている日本は、もっと青い、不定形な、 かな砂上を退く水の水鏡に、突然、聡子の顔が映るのであ
霧のような悲しみの立ちこめている固だった。 った。これほど美しくこれほど悲しげな面影はなかった。
どうきゅう ゅうすっきら
父侯爵はさらに糧球室の一方の壁に、大きな世界地図を タ星のようにけだかく埋めく顔は、清顕が唇を寄せるとた

貼らせた。気字を雄大ならしめようと患ったのである。し ちまち消えた。
のが
かし地図の冷たい平板・な海は彼の心をそそらず、よみがえ 日ましに、ととを遁れ出したい思いは彼の心の中の抗し
みや︿は︿
って来るのは、それ自体が体温を持ち脈持を持ち血潮と叫 がたい力になった。すべてのものが、時聞が、朝が、昼が、
あき
ぴを持つ巨大・な黒い獣のような夜の海、あの悩ましきのか タベが、又、空が、樹々が、雲や北風が、諦らめることし
ぎりにとどろいていた鎌倉の夏の夜の海だけであった。 かないと告げているのに、なお不確定な苦しみが彼を苛み
めまい
彼は人には語ら・なかったが、しばしば舷量に襲われたり、 つ,つけているの・なら、何事にまれ確定的なものを乙の手に
ひと乙・と
軽い頭痛におびやかされたりするようになっていた。不眠 つかみたく、ただ一言であれ聡子の口から疑いようのない
ふしど
は次第に募っていた。夜の臥床では、あした ζそ聡子の手 言葉をききたくなった。言葉が無理なら、ただ一目顔を見
紙 が 来 て 、 出 奔 の 日 時 と 場 所 を 打 合 せ 、 ど ζか人知れぬ田 るだけでもよかった。彼の心は狂わんばかりになった。
舎町の土蔵造りの銀行のある町角あたりで、走り寄る聡子 一方、世間の噂は急速に鎮まっていた。勅許が下り納采
ζ さい みぞう
を迎えて腕に思うさま抱きすくめる情景を、次々と巨細に にまで至って、その直前で婚約が破れたという未曾有の不
すずは︿
想像した。しかしその想像には、錫箔のように冷たい破れ 祥事は次第に忘れられ、世間はこのごろ海軍の収賄問題へ
そうぜん
やすいものが裏に貼りついていて、時々その裏側が蒼然と 怒りを移していた。
透けて見えた。清顕は枕を涙に濡らし、深夜に聡子の名を 清顕は家出の決心をした。が、警戒されて小遣一つ与え
られていなかったので、自由になる金は一銭もなかった。 ?た。
本多は清顕から借金を申し込まれておどろいた。彼は、 朝日の縞目が深く下りて、そとかしとの浮木の形なりに
ちんたん
父の方針で、自分の手で出し入れできる多少の預金を持た 錯雑した氷菌を見せている沼を、暗漉と照らし出している
されていたので、それを全額引出して用立てた。何一つ用 のを眼下に見ながら、二人は小鳥の声の忙しい森を抜け、
が凶り
途は訊かなかった。 学校の地所の東端へ出た。そとから緩やかな農が、東の工
本多が学校へ持って来たその金を、清顕に手渡したのは 場街へ裾をひろげている。と ζらあたりは鉄条網がぞんざ
二月の二十一日の朝である。晴れて、寒さの厳しい朝だっ いに編まれて塀の代りをし、よくその破れから子供たちが
ζうばい
た。金をうけとると、 忍び込んでくる。鉄条網の外は雑草の勾配がしばらくつづ
﹁始業までまだ二十分あるだろう。見送りに来てくれよ﹂ き、道に接する低い石垣のところに又低い柵がある。
と清顕が気弱そうに言った。 二人はそとまで来て立止った。
﹁どとへ﹂ 右方には続線電車の線路が走り、目の下には存分に朝日
の ζぎり
と本多はおどろいて問い返したが、門は山田に固められ を浴びた工場街が、鋸屋根のスレートを輝やかせ、すで
争奪
ているととを知っていたからである。 にさまざまな機械の稔りのまじり合った海のような音を立
ひそ 9n
﹁あっちだ﹂ てていた。煙突は悲槍にそそり立ち、煙の影は屋根を這ぃ、
かげ
と清顕は森のほうを指さして微笑した。久々に友の顔に 工場にまじる細民街の物千を臨調らせていた。移しく盆栽を
よみがえ ゆかせ
蘇った活力を本多は快く眺めたけれども、そのために赤 飾った床を屋根から迫り出している家もあった。どとかで
やおも
みが射すでは念く、却って緊張に蒼ざめてみえる痩せた面 たえず、何かが光り、点滅していた。或る電柱では電工の
わうすらひ ほさみ曜の必
輸は、春の薄氷が張りつめたようだつた。 腰の鉄が、ある化学工場の窓には幻のような焔が。:::そ
ヲち
﹁体は大丈夫なのか﹂ して捻りが一カ所で絶えたかと思うと、鉄板を叩く槌のけ
﹁少し風邪気味・なんだ。でも大丈夫だ﹂ たたましい音の連鎖が迫り上って来たりした。
品官
春の雪

と清顕は先に立って森の径を快活に歩きだし・ながら答え かなたには澄んだ太揚があった。すぐ眼下には、今しも
た。友のとんな快活な足取を久しく見ない本多は、その足 清顕が駈け去ってゆくであろう学校沿いの白い道開喝って、制
取の行く果てをもう察していたけれど、口には出さなか 低い軒の影がそとに鮮明に印され、数人の子供が石蹴りを

して遊んでいるのが見えた。光りもせぬ錆びた一台の自転 本人の気の済むまでやらせてやるととだ。あんまり縛りす

謹混
車がそとを通った。 ぎたから、 ζんなととになったのです﹂
﹁じゃ、戸付ってくるよ﹂ ﹁あんなととがあったのだから、当然じゃありませんか、
と清顕は言った。それは明らかな﹁出発﹂の言葉だった。 お母様﹂
友がこれほど青年にふさわしい晴れやかな言葉を口にした ﹁だから今度のととも当然です﹂
かぱん
のを、本多は心に銘記した。鞄さえ教室へ置きざりにして、 ﹁しかしどうあろうと、 ζんなととが世間へ洩れては大変
きんポタ〆つら
制服に外套だけで、その桜の金釦を列ねた外套の襟元を左 だから、早速警視総監にそう言ってやって、極秘に探らせ
いき
右へ粋にひろげて、海軍風の詰襟と、純白のカラ l の細い ましょう﹂
一線を、やわらかな皮庸を押しあげている若い咽喉仏のあ ﹁探るも探らぬもない。行先はわかっている﹂
ひさし
たりに見せている清.臓は、制帽の庇の影に徴笑を含みなが ﹁早く引捕えて連れ戻さなくては:::﹂
かわてぷ︿ろ Mす
ら、破れた鉄条網の一部を革手套の片手でたわめ、身を斜 ﹁それはまちがいだ﹂と老婆は目を怒らせ、大声をあげた。
かいに乗り超えようとしていた。. ﹁それはまちがいだ。そんなととをすれば、今度は取返し
しぜか
のつかぬととを仕出来すかもしれない。
29
11・清顕の失跡はたちまち家へ告げられ、侯爵夫妻は動 もちろん万一の用心に、とっそり警察に探らせるのはい
てん
顕した。しかし文しでも祖母の意見がその場の混乱を救っ いでしょう。居処がわかったら、すぐ報告させるのは、そ

。 れはいい。しかし目的も行先もわかっているのだから、巡

"E
﹁わかっているじゃないか。本人は外国へ留学するのをあ 査に遠くから気取られぬように監視させておけばいい。と
れほど喜んでいるのだから安心だ。とにかく外国へは行く とのととろは、一切あの子の行動を縛らずにおいて、遠く
つもりで、その前に聡子に別れを告げに行ったのだ。それ から目をつけていればよい。すべて穏便にね。事を大きく
も行先を言えば止められるに決っているから、黙って行っ しないですませるには、他に道はない。今しくじったら、
ただけだ。そうとしか考えようがないじゃないか﹂ えらいととになりますよ。とれだけははっきり言って置
﹁しかし聡子は会わぬと思いますがね﹂ く

﹁それならそれで諦らめて帰ってくるだろう。若い者には、
││清顕は二十一日の晩大阪のホテルに泊り、あくる朝 あくる日の二十三日は、気力も大いに充ちているように
ものびとけ
早くホテルを出て、桜井線帯解駅まで汽車に乗り、帯解の 思われたので、午前中に一度、午後に一度、二度とも俸を
︿ず
町の葛の屋旅館という商人宿に部屋をとった。部屋をとる 門前に待たせて長い参道を登って訪れたが、寺の冷たい応
aわ せ き
とすぐ俸を命じて、月修寺を志した。門内の坂道を俸を急 待は泳らなかった。帰路咳が出て、胸の奥底がかすかに痛
ひらから もん
がせ、平唐山門に着いたところで下りた。 んだから、宿へかえって入浴も慎しんだ。
ι

彼は白々と閉て切った玄関の障子の外から声をかけた。 その夕食から、田舎の宿にしては法外な馳走が出、もて
寺男が出てきて、名前と用向をきき、しばらく待たせられ なしが自に見えて変った。部屋も無理強いに宿の最上の部
て、一老があらわれた。しかし決して玄関へ上げようとは 屋へ移された。清顕は紳を問いつめたが、答えなかった。
もんぷきどふてい 傘ぞ
せず、門跡は会わぬと云っておられるとと、まして御附弟 しつこく問ううちに、やっと謎が解けた。縛の話では、き
は人に会われることはない、と剣もほろろの応待で追い返 ょう清顕の留守中に、駐在の巡査が来て清顕のととを問い
ただていちょう
した。とういう応待はもとより多少予期されたととろであ 質し、非常に身分の高い家の若様だから鄭重に扱わなくて
ったので、清顕はそれ以上押さずに一旦宿へ帰った。 はならぬ、又、巡査の調べは本人には絶対に秘してもらわ
つ在
彼は明日に望みを繋いでいた。一人でつらつら考えるの ねばならぬが、もし出立の際は至急とっそりと告げてほし
に、この最初の失敗は、俸に乗って玄関先まで行った心の い、と云って帰って行ったととを知った。清顕は急がなけ

49
緩みに起因するように思われた。それはもとより一刻を争 ればならないと考えて、心が焦った。
はや
う気の逸りに出たととであるが、聡子に逢うことは一つの あくる日の二十四日の朝は、起きるとから不快で、頭は
だるぎよう
希望なのだから、たとい人が見ていようが見ていまいが、 重く、体は倦かった。しかし、ますます行じ、ますます苦
少くとも門前で俸を捨てて行くべきだった。かりにも何か 難を官すほかに、聡子に会う手だてはないと思われたので、
を行じなくてはならない。 俸もたのまず、宿から寺まで小一塁の道を歩いて行った。
きた一なまず
宿の部屋は磁く、食事は不味く、夜は寒かったが、東京 幸い美しく晴れた日ではあったが、歩行は辛く、咳は深ま
春の雪

にいるのとちがって、すぐ近くに聡子の生きているという るばかりで、胸の痛みは時折、胸の底に砂金を沈めたよう
思いが、心に多大の安らぎを与えた。その晩彼は久しぶり に感じられた。月修寺の玄関に立ったとき、又激しい咳に

巴官話
に熟睡した。 襲われたが、応待に出た一老は顔色も変えずに同じ断わり
の文句を一言った。 力をたのんだから、本多は今日にも駈けつけて来てくれる

主S
次の日の二十五日には、寒気がして熱が出てきた。今日 にちがいない。本多の友情で、あるいは門跡の心を動かす



はよほど休もうと思ったけれども、俸を呼んで行くだけは ことができるかもしれない。しかし、その前にするべきと
行き、同じように拒まれて帰った ω清 顕 の 望 み は 絶 え か け とがある。試みるべき乙とがある。誰の助けも借りずに、
ていた。熱ばむ頭で考えるかぎり考えたが、策はなかった 0
自分一人の最後の誠を示すととが。思えばそれほどの誠を、
ーぅ
とうとう宿の番頭にたのんで、本多宛ての電報を打っても 自分はまだ一度も聡子に一示す機会がなかった。あるいは怯

らった。 惰から、今までその機会を避けてきた。
あっ
﹁スグキテクレ。タノム。サクライセン、オピトケノ、ク 今自分にできるととは一つしかない。病が篤ければ篤い
ぎよう
ズノヤニイル。コノコト、チチ ρρ ニハ、ゼッタイシラス ほど、病を冒して行ずる ζとに、意味もあり力もある筈だ。
ナ。マツガエ、キヨアキ﹂ それほどの誠に聡子は感応するかもしれないし、しないか
- 1 そうして、寝苦しい夜をすごして、二十六日の朝に もしれない。しかし、今やたとい聡子の感応が期待できな
なった。 くても、自分に対して、そ ζまで行じなくては気の済まぬ
ぎようぽう
ところへ来ている。聡子の顔をぜひ一目見たいという麹望
は、はじめ彼の魂のすべてを占めていたが、そのうちに魂

自体の動きがはじまって、その望みをも呂的をも乗り超え
すすきのかぎは念
ζ の日、大和平野には、黄ばんだ吉野に風花が舞ってい てしまったように思われた。
た。春の雪というにはあまりに淡くて、羽虫が飛ぶような しかし彼の肉体は、挙げて、そのさまよい出る魂に抗し
降りざまであったが、空が曇っているあいだは空の色に紛 ていた。熱と鈍痛が、全身に重い金糸を縫い込んだように
A
ヤRaリMV きんしゅう
れ、かすかに弱日が射すと、却ってそれがちらつく粉雪で しみわたり、彼は自分の肉体が錦繍に織り成されているか
あることがわかった。寒気は、まともに雪の降る日よりも のように感じた。四肢の筋肉は無力であるのに、ひとたび
はるかに厳しかった。 腕を持ち上げようとすれば、さらした素肌はたちまち鳥肌
つるペ
清顕は枕に頭を委ねたまま、聡子に示すことのできる自 立ち、腕自体が思うさま水を充たした釣瓶よりも重くなっ
分の至上の誠について考えていた。昨夜とうとう本多に助 た。咳は胸の奥へ奥へと進み、墨を流したような空の奥の、
とどろうし在
遠雷のようにたえず轟いていた。力は指先からさえ喪われ、 む山腹の月修寺まで、問畑のあいだをひたすら行く平坦な
だるしんし はぎ
倦い不本意な肉体に、ただ一つ、真撃友病熱が貫き通って 野道にかかっていた、稲架の残る刈固にも、桑畑の枯れた
いた。 桑の校にも、又その聞の自ににじむ緑を敷いた冬菜畑に
がま
彼は心にひたすら聡子の名を呼んだ。時は空しく過ぎた。 も、沼の赤みを帯びた枯重や蒲の穂にも、粉雪は音もなく
今日になってはじめて宿の者に病気が気づかれ、部屋は温 降っていたが、積るほどでは-なかった。そして清顕の膝の
められ、何くれと・なく世話を焼いて来たが、彼は看護も、 毛布にかかる雪は、自に見えるほどの水滴も結ば・ないで消
かた︿
医者を呼ぶととも頑なに拒んだ。 えた。
きはく
午後になって、清顕が俸を呼ぶように命じたとき、牌は 空が水のように白んでくると思うと、そこから稀薄な日
ためらって宿の主人に告げた。説得に来た主人に、元気な がさしてきた。雪はその日ざしの中で、ますます軽く、灰
と ζろを見せるために、彼は立上って、入手も借りずに、 のように漂った。
レふゑソMV
学校の制服と外套を着てみせ-なければならなかった。俸が いたるととろに、枯れた芭が微風にそよいでいた。弱日
ひざ κζ げ
来た。彼は宿の者が押しつける毛布に膝を包んで出発した。 を受けてそのしなだれた穏の和毛が弱く光った。野の果て
それだけ身を包んでいるのに、おそろしく寒かった。 の低い山々は霞んでいたが、却って空の遠くに一箇所澄ん
ほろ
黒い幌の隙聞から、ほのかに雪片が舞い込んでくるのを だ青があって、遠山の頂きの雪がかがやいて見えた。

見て、清顕は去年の雪の中を、聡子と二人で俸を遣ったあ 清顕は、しんしんと鳴っている頭でこの風景に対しなが
の忘れがたい思い出に突き当り、胸をしめつけられるよう ら、自分は実に何カ月ぷりかで外界というものを見たと思
な心地がした。事実、胸はきしんで痛んでいた。 った。それは実にしんとした場所だった。俸の動揺と重い
zpbaz か︿ほん
彼はその揺れる薄閣にうずくまって頭痛に耐えている自 険とが、その景色を歪ませ、撹持しているかもしれないけ

分がいやになった。前面の幌を外し、鼻口を襟巻に覆うて、 れど、悩みと悲しみの不定形な日々を送ってきた彼は、こ
外の景色のうつろいを熱に潤む日で追っていたほうがまし んなに明断なものには久しく出会わ-なかった気がした。し
春の雪

だった。もう苦痛に充ちた内面を思わせるようなものは何 かもそとには人の影は一つも-なかった。
たげやぷ
一ついやだった。 すでに月修寺を包む竹厳の山腹が近づいていた。門内の

自7
つE つ じ か す


帯解の町のせまい辻々をすでに俸は抜けて、かなたに霞 坂道の左右の松並木も際立ってきた。二本の石柱を立てた
AJA ソ
だけの門が、畑中の迂路のかなたに見えたとき、清顕は痛 彼にはそれが理の立った考えか、それとも熱に浮かされ
一ぜんもう

捜沼
切な思いに襲われた。 た議妄か、見分けがつか-なくなった。
﹃俸のまま門を入って、玄関先まで三町あまり、そとも俸 彼は俸を下りて、門前で待っているように言って、門内
を乗りつづけてゆけば、今日、聡子は決して会つてはくれ の坂道をのぼり出した。
ぬような気がする。あるいは寺で、今、微妙な変化が起っ 又少し空が展けて、薄日のなかに雪が舞っていたが、道
ひばりさえず
ているかもしれないのだ。一老が門跡を説得し、門跡もつ のかたわらの癒の中で雲雀らしい鴫りがきこえた。松並木
e
企 bどり
いに心折れて、今日もし僕が雪を冒して来たら、聡子と一 にまじる桜の冬木には青苔が生え、厳にまじる白悔の一本
目なりとも会わせる手筈 K-なっているかもしれないのだ。 が花をつけていた。
しかし、もし僕が俸を乗り入れれば、それが向うの心に感 すでに五日目、六回目の訪れであるから、日をおどろか
応して、又微妙な逆転が起って、聡子に会わせぬことに決 すものは何もない筈-なのに、今、俸から、綿を踏むような
るかもしれない。僕の最後の努力の果てに、む ζうの人た 覚束ない足を地へ踏み出して、熱に犯された目で見廻すと、
ちの心に何かが結晶しかかっている。現実は今、多くの見 すべてが異様にはかなく澄み切って、毎日見馴れた景色が、
えない薄片を寄せ集めて、透明な一扇一を編もうとしている。 今日はじめてのような、気味のわるいほど新鮮な姿で立ち
ちょっとか念め
ほんの一寸した不注意で、要は外れ、扇一は四散してしまう 現われた。その問も悪寒はたえず、鋭い銀の矢のように背
しりぞ
かもしれないのだ。・::-一歩退いて、もし俸のまま玄関ま 筋を射た。
しだやぷ ζうじ
で行き、今日も聡子が会ってくれないとすれば、そのとき 道のべの羊歯、薮柑子の赤い実、風にさやぐ松の葉末、
僕は自分を責めるにちがい・ない。﹁誠が足りなかった。ど 幹は青く照り・ながら葉は黄ばんだ竹林、移しいさ、そのあ
わだち
んなに大儀であっても、俸を下りて歩いて来ていれば、そ いだを氷った轍のある白い道が、ゆくての杉木立の闇へ紛
AJbzワ
の人知れぬ誠があの人を縛って、会ってくれたかもしれな れ入っていた。との、全くの静けさの裡の、隅々まで明断
いのに﹂と。::・そうだ。誠が足り-なかったという悔いを な、そして云わん方ない悲愁を帯びた純潔な世界の中心に、
きん
残すべきではない。命を賭けなくてはあの人に会えないと その奥の奥の奥に、まぎれもなく聡子の存在が、小さな金
いう思いが、あの人を美の絶頂へ押し上げるだろう。その 無垢の像のように息をひそめていた。しかし、とれほど澄
ためにこそ僕はとこまで来たのだ﹄ み渡った、馴染のない世界は、果してとれが住み馴れた
﹁乙の世﹂であろうか? がはためいて来た。杉の木の間の水のような冬空の下に、
さざなみ
歩むうちに息が苦しくなり、清顕は路傍の石に腰を下ろ 冷たい漣の渡る沼が見えはじめ、と ζをすぎれば、さらに
うっそう
した。何枚も衣類を隔てているのに、石の冷たさは直ちに 老杉は諺蒼として、身にふりかかる雪もまばらになった。
肌に触れるように感じられた。彼は深く咳き、咳くほどに、 清顕はただ次の足を前へ運ぶことのほかには念頭になか
ハ Jカ チ た ん て っ さ ぴ ととどとにじ
手巾に吐いた疫が鉄銭のいろをしているのを見た。 った。彼の思い出は悉く崩壊し、少しずつ劇り寄ってゆく

咳がようやく納まると、彼は頭をめぐらして、疎林のか 未来の薄皮を、少しずつ剥がしてゆく思いだけがあった。
也事ひさし
なたに遠く餐えている山頂の雪を眺めた。咳が涙を呼んだ 黒門は知らぬ聞に通りすぎ、雪に染った菊花の瓦を庇に
ので、その雪は潤み、一そう埋めいて見えた。そのときふ つらねた平唐門がすでに目に迫った。
と、十三歳の記憶が蘇って、春日宮妃のお裾持を勤めて仰 ││彼が玄関の障子の前に崩折れると、はげしく咳いた
F UA ノ弘信一ーレ
ぎ見た、あの漆黒のおし

、の下のまばゆいおん項の白さが限
, ので、案内を乞うまでも・なかった。一老が出て来て、彼の
ほうふつ
前に努努とした。あれこそは彼が人生において、自のくら 背を撫でた。清顕は夢うつつに、聡子が今、自分の背を撫
むよう・な女人の美に憧れたはじめであった。 でていてくれる、といいしれぬ幸福感を以て考えていた。
一丹ぴ日は臨調り、雪の降り方はやや密になった。彼は革の 一老は昨日までのように、すぐ断わりの口上を言わずに、
手套をとって、掌に雪一を受けた。熱い掌に、雪は落ちると そとへ清顕を置きざりにして中へ去った。永遠に思われる
会め
見る聞に消えた。その美しい手は少しも汚れていず、肉刺 ほど永い時を清顕は待った。待つうちに、霧のようなもの
一つ出来ていなかった。ついに自分は、生涯にわたって、 が目先にかかって、苦痛と浄福の感じがおぼろげに一つに
この優美な、決して土にも血にも汗にも汚れることのない 融け合った。
手を護った、と清顕は考えた。ただ感情のためにだけ用い 何か女同士のあわただしい会話がきこえていた。それ
られた手。 が止んだ。又、時がたつた。現われたのは一老一人であっ
l 彼はやっと立上った。
ー た

たど か会
春の雪

このまま雪の中を寺まで辿りつけるか危ぶまれて来たの ﹁やはり、 お目もじは叶いません。何度お出で遊はしでも


L
である。 同じととでどざいます。寺の者をお供いたさせますから、

389
やがて杉木立の下に入ると風はいよいよ寒く、耳に風音 お引取り遊ばして﹂
たす
そして清顕は、屈強な寺男に扶けられて、雪の中を俸ま 卒業試験は三日後に迫っていた。本多の両親はこんな際

護渇
で川市った。 の旅行にもちろん反対すると思われたが、清顕の電報を見
せられた父が、何も詳しいととを訊かずにまず﹁行け﹂と
五十三 言ぃ、母もとれに従ったのが、本多には意外であった。
にわ
終身官でなくなったために俄かに退職を命ぜられた旧友
おぴとけ
二月二十六日の深夜、帯解の葛の屋旅館に到着した本多 たちに殉じようとし-ながら、果せ・なかった本多大審院判事
は、清顕が只ならぬ容態にあるのを見て、そのまま早速東 は、息子に友情の尊さを教えようと思ったのである。本多

京へ連れ帰ろうと思ったけれども、病人は品目かなかった。 は往きの車中でも試験勉強に精を出し、こ ζ へ来て夜を徹
夕刻田舎の医者が呼ばれて診察の結果、肺炎の兆候がある しての看護のあいだも、論理学のノオトをかたわらにひろ
と言った由である。 げていた。
清顕は明日本多が、どうしても月修寺を訪れて、門跡に ランプの黄いろい霧のような光輪の中に、二人の若者の
たい砂きぜんたん
直々にお目にかかり、お心を変えて下さるように懇願する 心に抱かれた二つの対腕的・な世界の影が、鋭くその尖端を
ことを望んでいた。門跡は第三者の言葉ならば、ひょっと あらわしていた。一人は恋に病み、一人は堅固な現実のた
とん Lん
C
するとお耳にお入れになるかもしれないのだ。そしてもし めに学んでいた。清顕は夢うつつに、混沌とした恋の海を
お許しが下りたら、との体を月修寺まで運んでくれ、と清 海藻に足をからめ取られながら泳いでおり、本多は地上に
かっと
顕は言った。 確乎と建てられた整然たる理智の建造物を夢みていた。熱
い さ
本多は抗らいはしたが、結局、病人の言を容れて明日ま に病む若い頭と、冷めた若い頭とが、との早春の寒夜の古
ひと金
で出立を延ばし、自分は何としてでも門跡にお目にかかっ びた宿の一聞に寄り添うていた。そしておのおのが、自分
て、清顕の希望に添うように力をつくすが、万一叶えられ の世界の終局的な時間の到来に縛られていた。
むうり
なかった場合は、すぐ一緒に帰京することを固く約束させ 本多が ζれほど清顕の脳裡にあるものを、決して自分の
た。その夜を徹して、本多は清顕の胸の湿布を代えてやっ ものにすることができ-ないと、痛切に感じたととはなかっ
た。宿の暗いランプの下で、清顕のさしもの白い胸も、湿 た。清顕の体は目前に横たわっているが、その魂は疾駆し
布のために一面にほの赤くなっているのが見えた。 ていた。ときどき夢うつつに聡子の名を呼ぶらしい紅潮し
た顔は、少しも燃伴したように見えず、むしろふだんより
ぞろげ
も活々として、象牙の内側に火を霞いたように美しかった。 五十四
しかしその内部へ、指一本触れるととはできないのを本多
は知っていた。どうしても自分がそれに化身できない情念 寺の朝は早いときいていたから、暁のうたたねからさめ
というものがある。いや、自分はどんな情念にも化身する て、朝食をとると勿々、本多は俸を命じて出支度をした。
ゆだ
ことはできないのではないか c内部へそういうものの浸透 清顕は床の中から潤んだ目をあげた。枕に頭を委ねたま
ま老ざし
を許す資質が、自分には欠けている。友情にも富み、涙を ま、ただたのむ眼差になっているのが、本多の心を刺した。
も知っているつもりであるが、本当に﹁感じる﹂ためには 本多はそのときまで、寺には一応当ってみるだけにして、
何かが欠けている。どうして自分は、整然とした秩序を外 重症の清顕を一刻も早く東京へ連れ戻一るという気持に傾い
にも内にも保つことに専念し、清顕のように、火や風や水 ていたのであるが、その日を見てから、どうしても自分の
しだい
や土、あの不定形な四大を体内に宿すことがないのだろう 力で清顕を聡子に会わせてやらねばならないと思うように
。、A
・4MM t コ ZO
ふ抗日巳 4
ャふ μ


││彼は又、とまかい、乱れのない字で煙まったノオト 幸いとの朝は春めいて暖かかった。月修寺へ着いた本多
へ目を戻した。 は、掃除をしていた寺男が、彼の姿を速くから見るなり内
﹁アリストテレスの形式論理学は、中世末葉まで欧州学界 へ走り入ったのに気づいて、清顕と同じ学習院の制服が相
を支配したりき。 ζれ を 時 代 的 に 二 期 に 分 た ん に 、 ま ず 手に警戒の心を起させたのを知った。名乗らぬ先から、応
﹃古論理学﹄は、﹃オルガノン﹄中の﹃カテゴリー論﹄﹃命 対に出た尼僧の顔には、人を寄せつけぬ固さがあった。
題論﹄を祖述せるものにして、﹃新論理学﹄は、十二世紀 ﹁松枝の ζとで東京から参りました友人の本多と申します、
ラテ J し

半ば、羅旬諾による﹃オルガノン﹄全訳の完成により緒に 御門跡にお目通りできましょうか?﹂
就きたりと云うを得ベし。・・・﹂ ﹁しばらくお待ち遊ばして﹂
か-ち
春の雪

a
彼はそういう文字が、風化した石のように自分の脳裡か 本多は玄関の上り権で永いとと待たされているあいだ、
ら一つ一つ剥がれ落ちるのを感じずにはいられなかった。 もし断わられたらああも言おうこうも言おうと心づもりを

391
していると、やがて同じ尼僧が現われて、座敷へ遇された
のは意外な心地がした。わずかながら、希望も兆した。 は、威ある眼差で、じっととの娃の飛び去る放を見つめて

392
又その陸敷で永く待たされた。隙子が締め切ってあるの いる。
、いす
うP
で見えない庭のほうで、鷺の声がしている。障子の引手の 月次扉風を見終って席に戻っても、まだ門跡はあらわれ
e しき
b
切紙細工の、菊と雲の紋様がほのぼのと泥んでいる。床の なかった。さっきの尼僧が、折敷に菓子と茶を載せたのを
ひ会
聞に、菜の花と桃が活けであって、菜の花の黄は部びて強 持って来て、間もなく門跡がお出ましになると告げて、 ζ
つぽみ
く、ふくらみかけた桃の警は暗い校と薄青い葉から抜きん う言った。
ふすま伊ょうぶ
出ている。襖はみな白無地だが、山緒ありげな扉風が立て ﹁おゆるゆるあそばして﹂
ζdζ
て あ る の で 、 本 多 は に じ り 寄 っ て 、 そ の 狩 野 派 の 画 風 K大 卓の上には、押絵の小宮が置かれている。ととの尼僧の
っき老み
和絵風の色彩を加えた月次回俳風の閲柄をつぶさに眺めた。 手。つくりに相違なく、何とはなしに歯がゆい細工から察す
季節は右手の春の庭からはじまり、白梅や松のある庭に ると、聡子自身の未熟な手に成ったものかもしれない。小
てんEょ う ぴ と ひ が き む ら
殿上人たちが遊んでおり、檎垣の内の御殿の一部が金の叢 宮の四辺には千代紙が貼り交ぜられ、蓋には押絵が盛り上
雲から半ばあらわれている。左へ移るにつれて、さまざま っているが、その色合がいかにも御所風で、重苦しいほど
乙ちょう
な毛色の春駒が躍動し、池はいつか固に移って、早乙女た に華美に華美が打ち重ねてある。押絵の図柄は胡蝶を追う
ζ がお
ちの田植がえがかれている。黄金の雲の奥から小滝が二段 童子であるが、紫と赤の比翼の蝶を追う襟の童子は、御所

にたぎり落ち、池辺の草の青と共に、夏を告げ知らす。水 人形そのままの目鼻立ちと肥り肉に、白ちりめんの肌を
会づきばらえぬさ v
xり よ ろ め け
無月械の白い幣を立てて殿上人は池辺に集い、仕丁や朱の 丸々とふくらませていた。本多は、早春のさびしい田畑を
ζと ね り
衣の小舎人が侍している。赤い鳥居に鹿の遊ぶ神苑から、 すぎ、荒涼とした冬木の坂道をのぼって来て、こうして訪
あおうま
白馬が曳き出され、弓を携えた武官が祭の仕度に急ぐと見 れた月修寺のほの暗い客間の中心で、はじめて、煮詰めた
7
脅 L
m あめ
る間に、すでに紅葉を映す池は冬枯れに近づき、金をまぶ 飴のように重たい女の甘さに出会った気がした ω
たかが きぬ
した雪のうちに、鷹狩りがはじまっている。竹林は雪を置 衣ずれの音がして、一老に手をひかれた門跡のおん影が
きんE どうき
き、竹のひまひまには金地の空がかがやいている。枯高峰の 障子にさした。本多は居住いを正したが、動停をとどめか
︿ぴげ
あいだから白い犬が、頚毛の赤もほのかに矢のように冬空 ねた。
を飛ぴ去ってゆく一羽の燥に吠えかけている。人の手の鷹 門跡はずいぶんお年を召しておられる筈であるが、紫の
つげ ま
法衣からあらわれたつややかな小さなお顔は、黄楊を彫っ ら寒い寺の一聞にい・ながら、彼は自分の耳突が火を発して、
ちり
たように滑らかで、どとにも年齢の塵をとどめておられな 頭が燃え立つように感じていた。
ほしぢか
かった。門跡はに ζやかに座を占められ、一老が端近に控 さすがに彼の言葉は、門跡と一老の心を動かしたようだ
えていた。 つたが、二人とも沈黙を守っていた。
﹁東京からお越しゃしたそうですな﹂ ﹁どうか私の立場も察していただきたいと存じます。私は
ろった
﹁はあ﹂ 友人に苦境を恕えられて金を貸し、その金で松枝は旅に出
本多は門跡の前へ出ると言葉が諮った。 ました。その松枝が旅先で重態になったことについても、
﹁松枝さんの御学友やおっしゃってます﹂ 松枝の御両親に対して責任を感じますが、との上は一刻も
と一老が言葉を添えた。 早く病人を東京へ連れ戻すのが当然だと お考えになりまし
L
﹁ほんまになあ、松枝さんの若さんもおいとしいととやけ ょう。私も常識としてはそう考えます。しかし、そ ζを押

ど・・
・・・
・﹂ して、あとでどん・なに私が御両親の怨みを受けるかも覚悟
ふせ
﹁松枝はひどい熱を出しまして、宿で臥っております。電 の前で、乙うした松枝の願いを叶えて下さるように、参上
報をもらいまして、私がいそいでとちらへまいりました。 したのでどざいます。それは松枝の目が必死に望んでいる
今日は松枝に成り代って、-お願いに上ったのでどざいま ζとを叶えてやりたいと思う気持からで、あの目を御覧に
ど eん
す﹂ -なったら、御前もきっとお心を動かされる ζとと恩います。
与 &Fと
とはじめて本多は澱みなく口上を述べた。 私としましでも、松枝の病気を治す ζとよりも、もっと大
d
みすご
本多は法廷に臨む若い弁護士はとうもあろうかという気 切なととを松枝が望んでいるのを、看過すわけにはまいり
しんしゃ︿
持になった。裁判官の気持などには斜酌なく、ただ主張し、 ません。不吉な話ですが、私には何だか松枝がとのまま治
ただ弁護し、ただ身の明しを立ててやらねばならぬ。彼は らないような気がして念りません。彼の最期のお願いをと
自分と清顕との友情から説き起し、清顕の現在の病状と、 うしてお伝えに上ったのでございますから、何とか仏の御
春の雪

彼が聡子に一目会うためなら命をも賭けていることを告げ、 慈悲で、聡子さんと一目だけ会わせてやれるようになれば、
清顕にもしものことがあれば、悔いは月修寺の側に残るで と存じますが、どうしてもお許しはいただけないでしょう


a
あろうとまで言った。本多の言葉も熱し体も熱して、うす か

門跡は依然黙っておられる。 んまに、若さんはおいとしいととですけどな﹂

1
陪んい

9
本多はこれ以上口をきいては、却って門跡の御翻意を阻 ﹁では、やはりお許しをいただけないのでしょうか﹂

8
おそ
むととになるのを倶れて、心はなお激して波立ち-ながら、 ﹁はい﹂
口をつぐんだ。 門跡のお返事には云いしれぬ威があって、言葉をお返し
せきせつぽ︿ すペ
冷え冷えとした部屋は寂としている。雪白の障子は霧の する術もなかった。それは天空をも絹のようにかるがると
ような光りを透かしている。 引裂く力を持った﹁はい﹂だった。
そのと台本多は、決して襖一重というほどの近さではな
念-
いが、遠からぬととろ、廊下の片隅か一聞を隔てた部屋か -・それから思いに屈している本多に向って、門跡が美
かす
と思われるあたりで、幽かに紅梅の花のひらくような忍び しいお声で、いろいろと尊いお言葉を下さったのを、今は
笑いをきいたと思った。しかしすぐそれは思い返されて、 清顕の落胆を見たくないばかりに、すずろに辞去を渋って
若い女の忍び笑いときかれたものは、もし本多の耳の迷い いる本多の耳は、あまり身を入れて伺ってい・なかった。
はるさむ いんだらもう
でなければ、たしかにこの春寒の空気を伝わる忍び泣きに 門跡は因陀羅網の話をされた。因陀羅は印度の神で、と
おえっ ー
レ PA'ap
ちがいないと思われた。強いて抑えた鳴咽の伝わるより早 の神がひとたび網を投げると、すべての人問、との世の生
く、弦が断たれたように、鳴咽の絶たれた余韻がほの暗く あるものは悉く、網にかかって遁れるととができない。生
伝わった。そこですべては耳のつかのまの錯覚であったか きとし生けるものは、因陀羅網に引っかかっている存在な
のように思われだした。 のである。
﹁・なかなか・なあ、私が厳しいこと一言うて﹂と門跡はようよ 事物はすべて因縁果の理法によって起るということを縁
うロをお切りになった。﹁それで、お二人を逢わせんよう 起と名附けるが、因陀羅絹はすなわち縁起である。
隠っそうゆいしきせしんぼきっ
にしていると、思わしゃるかも知れんけど、ほんまはなあ、 さて、法相宗月修寺の根本法典は、唯識の開祖世親菩薩
Eゆラ
人の力で止められるものゃないのと違いますか。もとは聡 の﹁唯識三十頒﹂であるが、唯識教義は、縁起について頼
アラヤしき
子さんが、み仏の前に誓うたことですさかいにな。もうと 耶縁起説をとり、その根本をなすものが阿頼耶識である。
官んど
そもそも阿頼耶とは、林凡語﹀宮古の音表で、訳して蔵と
l
の世ではな、逢わんと誓うたととろから、み仏が逢わさん
しゅうじおき
ようにお取計いあらしゃってるのやろう思てますけど。ほ いい、その中には、一切の活動の結果である種子を蔵めて
いるのである。 に、身を引き入れられるように感じたが、場合が場合とて、
われわれは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六識の奥に、第 彼の究理的な精神は動き出さず、いきなり雨あられと浴び
e
z 傘しき
七識たる末那識、すなわち自我の意識を持っているが、そ せられる仏教用語のむずかしさ、又、時間的経過を当然そ
のさらに奥に、阿頼耶識があり、﹁唯識三十頒﹂に、 のうちに含んで無始以来継起してきた筈の因果が、同時更
つね
﹁値に転ずるとと暴流のごとし﹂ 互因果という、一見矛盾したような観念の操作によって、
と書かれであるように、水の激流するどとく、つねに相 却って時間そのものを成立たせる要素だと説明されたとと
続転起して絶えるととがない。 ζの識 ζそは有情の総報の など、:・:さまざまのわかりにくい思想に疑問を呈して、
果体なのだ。 お教えを仰ぐ心のゆとりも・なかった。それに、門跡の 宣
h言
hHfζヤ ︿ し よ う だ nEょうろん
阿頼耶識の変転常ならぬ姿から、無着の﹁摂大乗論﹂は、 葉の一トくさり毎に、﹁さいでございます念あ﹂﹁さいでい
ぜん季限ラ
時聞に関する独特の縁起説を展開した。阿頼耶識と染汚法 らっしゃいますな﹂﹁さいでございますわな﹂などといち
あいづちいら定
の同時更互因果と呼ばれるものがそれである。唯識説は現 いち打つ一老の相鎚のうるささに心を苛立たせられ、今は
いっせつ傘
在の一剰那だけ諸法(それは実は識に他-ならない)は存在 門跡の挙げられた﹁唯識三十煩﹂や﹁摂大乗論﹂の書名の
して、一剃那をすぎれば滅して無となると考えている。因 みを心にとどめ、他日ゆっくり研究して、その上で疑問を
ただ
果同時とは、阿頼耶識と染汚法が現在の一利那に同時に存 質しに伺えばよいのだと思ったりし・た。そして本多は、門
おヲしゃ
在して、それが互いに因となり果となるというととであり、 跡の仰言るそういう一見迂遠な議論が、現在の清顕や自分
との一剰那をすぎれば双方共に無になるが、次の創刊那には たちの運命を、あたかも池を照らす天心の月のように、い
ちみつ
また阿頼耶識と染汚法とが新たに生じ、それが更互に因と かに遠くから、文いかに鰍密に、照らし出しているかに気
なり果となる。存在者(阿頼耶識と染汚法)が剰那毎に滅 づか念かった。
そうそう
することによって、時聞がととに成立している。剰那々々 本多はお礼を申し述べて、勿々に月修寺を辞した。
に断絶し滅するととによって、時間という連続的なものが
五十五
春の雪

成立っているさまは、点と線との関係にたとえられるであ
A

¥j

;

'1 しんえん


1次第々々に本多は、門跡のお説きになる深淵な教義 東京へかえる汽車のなかで、清顕の苦しげな様子は、本
ル足り
多を居たたまれない気持にさせた。一刻も早く東京へ着き は自分の寝台で夜を明かすつもりだった。寝台の維は聞け

調B
ささい
たいとあせるばかりで、勉強も手につかなかった。とうL 放ち、清顕のどんな些細な変化にも、すぐ応じられる気組


Bうせ
て、あれほど望んだ逢瀬も果されずに、重い病いを得て、 でいながら、本多は窓外の夜の野を硝子どしに眺めた。
りょうせん
寝台車に横たわったまま東京へ運ばれる清顕を見ていると、 野の聞は濃く、夜空は曇って、山の稜線もさだかでない
痛切な後悔が本多の胸を醐噛んだ。あのとき、彼の出奔の手 ので、汽車はたしかに走っているのに、閣の景色の移りゆ
助けをしたのは、果して、本当の友人の行為であっただろ きは覚束なかった。何か小さな焔や、小さな燈火が、閣の
隠 ζろ
うか? 鮮やかな綻びのように時折現われたが、それが何かの方角
どうどう
しばらく清顕がうとうとすると、本多は寝不足の頭が却 の目じるしに-なるではなかった。轟々という立日は、汽車の
すぺ
って冴えて、さまざまな回想が行き交うに任せた。そんな 音ではなくて、むなしく線路の上をとっているとの小さな
同恕の中に、月修寺門跡の二度の法話がそれぞれ全く別後 汽車をめぐる広大な閣のとどろきのように思われた。
の印象で詑んできた。一昨年の秋にうかがった最初の法話 荷造りをしていよいよ宿を出るときに、滑顕が、宿のあ
MCF、完リ ぴんぜん
は、期制緩の水を呑む話であって、そのあと本多はそれを恋 るじから借りたのでもあろう、粗末な使筆に走り書きした
。ゅ
の比喰になぞらえ、自分の心の本質と世界の本質を、それ ものを本多に渡して、とれを母なる侯爵夫人に渡してくれ、
'M 也&
ほど輩固に結び合わせるととができたらすばらしいと考え とたのまれたのを、本多は大切に制服の内かくしに蔵って
りんね
て、その後、法律の勉強から、マヌの法典の輪廻思想にま いた。所在なしにそれを取り出して、乏しい灯の下で読ん
で及んだのであったが、今朝うかがった二度目の法話は、 だ。鉛筆書きの字は傑えていて、ふだんの清顕の字のよう
その解きがたい謎の唯唯一の鍵を、かすかに自の前で揺らし ではない。彼はいつも稚拙だが、大まかで力のある字を書
ていただいたようにも思われる一方、あまりに難解な飛躍 いた。
に充ちて、謎は一そう深められてしまったようにも思われ ﹁母上様。
O
'噌
J/ 本多に上げてほしいものがあります。私の机の中にある
汽車は明朝六時に新橋に着く筈であった。夜はすでに更 夢日記です。本多はそんなものが好きです。ほかの人が読
け、汽車のとどろきの合聞を乗客たちの寝息が占めていた。 んでもつまりません故、ぜひ本多に上げて下さい。清顕﹂
向い合った下段の寝台をとり、諸問顕を看取り・ながら、本多 とれを書置のつもりで、力のない指で書いたととがあり
ありとわかる。しかし本当に書置のつもりなら、母に対し の表情では・なかったかと疑った。それを見てしまった友に
しっとしゅうち
て多少の挨拶もあるべきだが、清顕はただ事務的な依頼を 対する嫉妬が、微妙な差恥と自責の中ににじんできた。本
しぴ
しているだけなのである。 多は自分の頭を軽く揺った。悲しみが頭を碑れさせてしま
たちま
病人の苦しげな声をきいて、本多は忽ち紙片を蔵ってか って、次々と、自分にもわからない感情を、蚕の糸のよう
ら、向いの寝台へ移って、その顔をうかがった。 に繰り出すのが不安になった。
﹁どうした﹂ 一日一、っかのまの眠りに落ちたかのどとく見えた清顕は、
﹁胸が痛い。刃物で刺されるような痛みなんだ﹂ 急に目をみひらいで、本多の手を求めた。そしてその手を
ナペ
と清顕は切迫した息で途切れ途切れに言った U
なす術も 固く握り締めながら、とう言った。
知らず、本多は痛みを訴える左の胸の下のほうを軽く擦つ ﹁今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下
隠の P︾り
てやっていたが、灰暗い燈火の端がわずかに及んでいる清 で

顕の顔はいたく苦しんでいた。 本多はきっと清顕の夢が我家の庭をさすろうていて、侯
ゆが
しかし苦しみに歪んだその顔は美しかった。苦痛がいつ 爵家の広大な庭の一角の九段の滝を思い描いているにちが
にない精気をそとに与え、顔に青銅のような厳しい稜角を いないと考えた。
も与えていた。美しい目が涙に潤んで、険しく寄せた眉根 ││帰京して二日のちに、松枝清顕は二十歳で死んだ。
のほうへ引き寄せられているさまは、眉の形が引き絞られ
ひとみ
て一そう雄々しくなっているために、瞳の点滴の黒い悲情 *後詰││﹃豊能の海﹄は﹃浜松中納言物語﹄を典拠とし
な輝やきを増していた。形のよい鼻翼は、空中に何ものか た夢と転生の物語であり、因みにその題名は、
をとらえようとするかのようにあがき、熱に乾いた唇から、 月の海の一つのラテン名なる玄号何回り22ロ島
きらあ ζ ゃ.かい E宏の邦訳である。
前歯の燦めきが阿古屋貝の内側の光彩を洩らしていた。
やがて清顕の苦しみは鎮まった。 l﹁ 豊 鏡 の 海 ﹂ 第 一 巻 │ │

春の雪

﹁眠れるか。限ったほうがいいぜ﹂
と本多は一言った。彼は今しがた見た清顕の苦しみの表情

397
を、何かこの世の極みで、見てはならないものを見た歓喜
398

田中美代子
作家はつねに新たなヒーローの存立の可能性を探しているものである。なぜなら新たな小説の可能性は、その新た
な人物像の造形力にかかっている、といっても過言ではないからだ。
との未知の人物像はなぜことに登場して、不可避的に私たちの魂にかかわるのであろうか。それは・おそらくこの人
いがたかげ
物が、知られざる私たちの心を溶解して流しとまれた鋳型であり、その性格の照り緊りも、行動の軌跡も、エネルギ
ーの灼熱も、単なる個別的な事件の範囲を超えて、私たち全体の苦悩の担い手と・なるからにちがいない。
つまりヒーローは﹁共同体の魂﹂の休現者でなければならず、そのような核心を宿している物語とそ、真に現代の
神話と呼ばれるにふさわしいものであろう。
ζ の観点に立てば、近代文学の﹁自我﹂といえども例外ではないが、しかし現代の﹁自我﹂の持主たちは、次第に
増大する外界の強圧に抗しかね、現象に流されて弱体化し、分裂解体してゆく傾向が著しい。しかもと乙に提唱され
た自然主義、写実主義などは、小説の方法の問題であるより、たかだか技術の問題にすぎなかった、というべきであ
ろう。なぜなら眼前の現実とは、私たちにとって、いつも雑然として、バラバラで、とらえどとろのない断片にすぎ
ないのだから。
ところがただひたすら自己に沈潜し、おのれの内面を通して世界を再構成するほどに強烈な人格によってのみ、現
かたしろ
実は燦然たる神話的世界に変貌しうるのであり、乙の作家精神の形代であるヒーローとそ、肱い光源休にほかなら
ない。
このとき私たちは、自分の生きている貧しい惨めな同時代の現実が、そのまま夢物語として壮麗化される、という
奇蹟に立ち会って、傍きを新たにするのである。
さて、ととに収録された二作品は、三島由紀夫の創作活動の頂点をきわめた代表作であるばかりでなく、それぞれ
の時代の記念陣的な作品である。
﹁金閣寺﹂は、昭和三十一年に雑誌 新 潮 V に連載されて、発表当時より話題をさらった。周知のように昭和二十五
A
年七月二日未明に起った実際の徒弟僧による金閣寺放火事件に取材したものである。
﹁罪と罰﹂の場合にも似た、一種観念的で不可解な要素を含んでいる点で人々を驚かせたこの事件は、アクチュアル
な作家の創作欲を刺戟し、想像力の好個のパン積となった。主人公の人となりは、きわめて異常な、特殊-なものとし
て性格づけられているが、これは作者個人の気質を思想的に品化したものとして貴重なばかりでなく、現実の犯罪事
件と相渉り、広く一般化され、社会化されて稀有、な成功を博した点でも注目さるべきであろう。
それにしても、鬼面人をおどろかす、といった趣きのあるこの難解な哲学小説が、わけのわからぬ呪縛力を発揮し
て、人々の心 κからみついてゆく秘密は一休何なのであろう。
神話というものが、外見的にはそれと気づかれない、民族の深層に根差した不気味な真実を内蔵するものであり、
もつばら私たちの無意識に働きかけて生きつづけるとすれば、これは、単に時代の表層をすべってゆく風俗的現象と
しての事件小説では念かったのだ、ということができよう。発表以来すでに二十年余を経た今日、との小説の孤独が
現わしている意味の多様性は、いわば決して解決の糸口の見つから・ない、日本文化の﹁業﹂を感じさせる態のもので

ある Q

ぎ冶

乙れ乙そ、暗く穆屈した、恥辱にみちた日本人の魂の自叙伝では-なかろうか。との物語が、主人公の詩的独自に終
始するのは、理由のないことでは念い。それは務係たる論理的な説明ゃ、形而上学や、体系的思想によって表わされ

J
査X
ぬものだからだ。ただ比輪的なイメージや様々な夢や象徴的構図の積み重ねによって、いわば説明不能な非合理な混
す︿
沌をまるごと掬い上げること││作者はこの点に積極的な小説の効用を認めていたのではなかろうか。
こうして﹁金閣寺﹂は、日本民族の精神の特殊性に依拠する、きわめて独特な哲学小説となった。その意味で、ヒ
お︿が
ーローは、私たち自身の共同体の奥処にひそむ地霊のようなものであり、彼の孤独は、見捨てられた日本人の魂の怪
異な貌をしている。
彼は吃り故に寡黙で、人知れぬ凶暴・な権力意志を内攻させ、おのれの醜さ、貧しさを過剰に意識するために、出生
への呪誼と甲斐ない美への憧憶に身を灼いている。
私小説の主人公は、系譜的にグ求道者 d であるととをもって自己の存在理由としてきたが、とのヒーローの身分が
僧侶であるととには、一種の皮肉な味わいがある。つまり彼はグ求道 M の専門家であり、生と死の二つの世界を股に
しゅ Eょうさいど
かけ、衆生済度を使命とするものである。しかもと ζに登場するのは同時に不可解な美への妄念と叛逆の心を胸に秘
めた破戒僧でなければならなかった。
敗戦後十年、との青年僧こそ、日本の胎内が生み出すべくして生み出した、否定的なヒーローだった。過去におけ
おお
る文化と伝統の思想的貧困、目を覆わしめる現実の薄汚なさ、さらにそれを放置し温存するととを余儀なくされてい
る私たちの無力、方向を見失った未来ーーいっさいのものへの敵意をこめて、彼は独り立ちつくしている。(その無
念さは例えば、作者が言葉を尽くして壮麗化した美の精髄としての﹁金閣寺﹂に対して、現実の媛小で貧相な金閣寺
を思いみるだけで充分ではあるまいか。)
そして彼の思いつめた、灼熱的な魂が、との国宝におのれの胸中の火をうっすとき、それはまた私たち自身の内攻
した怨恨と憎悪を喚びさまし、とのきわめて私的な、奇異な事件を、しらずしらず全体的な、共通の国民的規模に開
放するのである。
青年僧は、屡々立ちどまって﹁それにしても、悪は可能であろうか?﹂と自問するのであるが、このとき私たちは、
男性的な意志と行為とが、すでに﹁悪﹂としてしか機能しえない時代に生きている ζとを思い知らされる。
から
求道者が、ひたすら﹁美﹂の謎によって揚みとられて身動きのできない状況とは一体何であろうか。それは﹁永
よみSえ
遠﹂の生の連環が匙り、秩序が固定化し、安穏で無気力なものとなった戦後社会の特質であった。かつて予定された
死の栄光によって耀いていた海軍の﹁若い英雄﹂の時代は終り、あてどなく僧侶の内部に封じこめられた雄の激情は、
その幽聞に焦立ち、怒り、たぎり立つ。﹁悪﹂とは乙のとき所与の状況を超えてゆこうとする、破壊的な行為となる。
白己を産み、育て、とりまく生存の条件のすべてに叛逆するとと、裏切ることilこうして、純粋男性の意志とは、
他者の理解を絶する、孤立した絶対の﹁個﹂であろうとする意志となった。
犯罪者は、ただ独自な一個の存在において、自己を疎外する社会と対決し、要するに全世界を拒絶する。彼の﹁醜
さ﹂とは、拒絶の表明である。
ちをみ、、
因に、日本古代の英雄が、なぜ葦原醜男でなければならなかったのか。﹁美﹂とはおそらく彼にとって女性的な特
ていしょ︿
性であり、純粋に﹁雄﹂であるととに抵触するからにちがいない。
hvfa信
とすれば、一方で彼を限りなく誘い、同時にひややかに拒絶するものとそ、なべて女性の象徴なのである。それこ
そ﹁有為子﹂であり、﹁母親﹂であり、権門に安住した無力・な老師であり、それらの他者を統括し、抽象化した具体
物としての﹁金閣寺﹂にほかなるまい。
次に﹁春の雪﹂は、三島文学の総決算として構想され、昭和四十年六月に書きはじめられて同じく雑誌 A新 潮 Vに
連載、五年聞にわたって書きつづけられて作家最期の日に完結した大作﹁豊鏡の海﹂四巻のうちの第一巻である。

作者の創作ノ 1トによればとの﹁世界解釈﹂としての小説は、﹁螺旋状の長さ、永劫回帰、輪廻の長さ、小説の反

0
41

歴史性、転生語﹂等々の特色をもっていなければならない。
﹁浜松中納言物語﹂を典拠とし、夢と転生の主題によって展開されてゆくとの物語の主人公は、各巻ごとに二十歳で
惚んば

壷翠
夫折して、新たに生れ変る。かくして、大正初年の貴公子松枝清顕は、第二巻﹁奔馬﹂では昭和初年の愛国少年飯沼
てんにんどすい
勲に、さらに第三巻﹁暁の寺﹂ではタイの王女月光姫に、第四巻﹁天人五衰﹂では、孤児の少年安永透に、それぞれ
転生してゆくはずである。.
さて、﹁﹃春の雪﹄は、王朝文学と現代文学との伝統の接続を試みた点で、谷崎潤一郎氏の﹃細雪﹄に先制献を持つ﹂
と作者は述べている。乙の題名の﹁雪﹂の踏襲もまた、今まさに消えなんとするひとつの時代のある階級、ある文化、
ある生活様式のかたちをそっくりとどめておとうと願った﹁細雪﹂の作者の意図を継承したものであろう。
大正時代は、明治天皇の崩御とともに滅びた﹁清らかな偉大な英雄と神の時代﹂のあとにやってきた﹁意志薄弱・な、
おいて、且取高至上
持情的な時代﹂だった。乙の衰亡の時代精神の体現者であるヒーローは、﹁感情の戦争﹂の頂点 K-
の﹁恋愛﹂に殉ずることとなる。﹁勅許の下りた宮家の許婚を犯す乙とは、宮口妃殿下を犯すとと﹂にほかならないが、
国家の神裂を胃潰する乙の主人公は、明らかに光源氏の嫡流であろう。
恋愛小説が成立ちにくいといわれる現代の荒地に、作者は 絶対の恋愛小説
m を蛇立させるべく、当時の最大最高
H
ぜってん
の禁忌の障壁を設定した。情熱はとのとき絶鼠を目指して駆け上らねばならない。
だが、それならばとの恋愛には一抹の不自然がつきまとうととになるだろう。なぜなら、との優柔不断な、懐疑的
な主人公は、﹁真実の恋﹂のために、わざわざ﹁勅許﹂が下りるまで恋人を放置しておく、という倣慢さを持してい
るからだ。彼にとっての悲運は、ロミオとジュリエットのように不可避的に外側からやってくるものでは-なくて、白
から意志して招きょせ、僕ぴとるものなのである。
松枝清顕は﹁宮廷と新華族とのまったき親交のかたち、公卿的なものと武士的なものとの最終的な結合﹂として、
新時代の理想の嫡子たるべきであったが、彼にはすでに幼時から慣い死の騒がまつわっている。新たな建国に燃えた
﹁力と若さと野心と素朴﹂の時代は、束の聞に退いていった。
それなら、次の時代の申し子が、﹁恋愛﹂の私事に、国家的規模の﹁絶対﹂の刻印を捺すために皇室の禁忌を犯す
duゑソ
のは、このもっとも移ろいやすく、脆くはかない感情に、﹁死﹂の不動の支柱を与えねばならないからであった。
まず冒頭に、﹁得利寺附近の戦死者の弔祭﹂と題する古びたセピア色の写真が、象徴的構図として主題を暗示する。
優雅の物語とは即ち日露戦役とともに滅んでしまった偉大な勇武の時代の影なのであり、主人公の死は、ここに失わ
ロんさい
れた無数の無名の兵士の霊への熔祭なのだ。
滅亡に瀕した堂上貴族の、新興貴族に対する陰微なしぶとい闘いの主題は、明らかに幾世代にもわたって日本の歴
史に繰りかえされてきたものであるが、宮廷政治を背景としたとの新たな悲恋物語もまた、そのくりかえされる波飛
沫の一瞬の埋めきにほかなるまい。
そしてこの輝やかしい恋人たちをめぐって、それぞれの人物は、或は果断に、或は絞滑に、何と活き活きとその怪
物的な本性を発揮しつつ、活腐していることであろう。とりわけしたたかなのは女たちであって、恰かも一国の政治
を操るように、恋物語を裏側から操っているのは、実は彼女たちなのだ。ヒーローが優雅の毒の税として、現世の権
力に深傷を与え、女のために死ぬのは不思議ではない。
しとお
﹁終末﹂の主題は、焚きしめられた香のように、この物語のすみずみまで浸み透り、すみやかな死の訪れは、澄明な
鈴の音のように鳴っている。
皇室はかつて国家の実質的な統一の基盤として、人々の素朴な信仰の合意によって成立していた。しかし乙の時代
を限りとして、との信仰の全体的な共感は頚れ、おとろえてゆく。
そしてこの危機のとき、息絶えんとするヒーローの前に、現世を超絶した﹁目のくらむような女人の美﹂が立ち上
とりで
ら-なければならない。限りなく彼を誘った至高の女性像は、自ら神聖を体現し、最後にはどうしても絶対の拒絶の砦

に立て籍ってしまわなければならない。

J)3

1
﹁との、全くの静けさの裡の、隅々まで明断な、そして云わん方ない悲愁を帯びた純潔な世界の中心に、その奥の奥
の奥に、まぎれもなく聡子の存在が、小さな金無垢の像のように息をひそめていた﹂

.
)/
恋人の死をも凌駕する、死の果ての絶対性を具現した生き‘ながらの神聖のかたち、即ち永遠に女性なるものへの讃

'

歌によって、優雅の物語は一つの環を閉じる。
生の確証を我が手につかむべく、作者は凝縮し完結した生の形式として青春の精華に魅せられていた。環は閉じら
れ、図形は描きおわらなければ、全体像は呈示されえない。完結とはとりもなおさず、死によって生を統括するとい
うととである。
そして一方では途切れる乙とのない、把えがたい歴史的時聞が洋々と流れ、波頭は打ち返し、打ち返して、やむこ
とがない。
乙の四部作を企図した作者の壮大な野心は、まさに私たち自身が生きつつある時代の真姿をとらえる広大な漁網を
編むことにほかなら・なかった。
つまり私たちが歴史の転形期にあって、一時代の終謁に立ちあっているとすれば、その渦中にある生のかたちの見
取図とはどのよう・なものか、またこの激動期をくぐり抜けてゆく個人の生とはいかなるものであり、どんな意味を有
するのか、終結しつつある一つの時代、一つの文化は、いかにして来るべき時代へと承け継がれてゆくのか、そして
新たな時代もまた終りつつあるのではないか?:::畢生の大作は、これらを通観するための装置でなければならなか

九比。
戦後の旗手として一貫して華やかな創作活動をつづけた三島由紀夫は、まず何よりも文化的に敗却した日本、衰亡
けんらん
に瀕し、力弱く、思い屈した日本に訣別し、魂の灯火を掲げて、もう一つの日本を絢澗と虚空に映し出したのである。
しゅうゅう
心ある読者は、全編に脈打っている、云い知れぬ愁侶と憂国の情を感得されるととであろう。

、 文芸文化
A V の同人と交流を持ち、薄田善明などの影響で 日
A
本浪憂派 V の間接的影響を受ける。七月、東文彦、徳川義恭と同人
雪並

ロ目

赤絵
雑誌 A Vを創刊。十八年一月、富士正晴を知り、後に林富士馬
に紹介される。十一月、保田輿重郎を訪問。
昭和十九年(一九四四)十九歳
五月、本籍地(兵庫県印南郡志方村)で徴兵検査を受け、第三乙
大正十四年(一九二五) 種となる。帰途、大阪に伊東静雄を訪ねる。八月から九月にかけて、
あずさしずえ
一月十四日、父平岡梓、母倭文重の長男として、東京市四谷区永 沼津海軍工廠に勤労動員。九月、学習院高等科を首席で卒業。十月、
きみたけ
住町で生れる。本名、平岡公威。妹一人、弟一人の三人兄弟。父梓 東京帝国大学法学部法律学科(独法)に推薦入学。勤労動員で、群
は、当時農林省に勤務していた。昭和六年四月、学習院初等科に入 馬県中島飛行機小泉工場へ行く。十月、富土正晴らの尽力で﹃花ざ
学。乙の頃から、詩歌、俳句に興味を持ち、学習院初等科雑誌 A小 かりの森﹄を七丈書院より刊行。
ざくら V に毎号、習作が掲載された。 昭和二十年(一九四五)二十歳
昭和十二年(一九三七)十二歳 二月、入隊検査の際軍医の誤診により即日帰京。五月、勤労動員
三月、学習院初等科を卒業。四月、学習院中等科に進学。文芸部 で、神奈川県出向軍高座工廠の寮に入る。六月、東大文化委員の回覧
に入部。七月﹁初等科時代の思ひ出﹂が学習院 A輔仁会雑誌 V に掲 雑誌 東雲 Vを編集。 ζの頃、庄野潤三、島尾敏雄を知り、会史茶
A
載され、以後、中等科、高等科在学中の六年間、同誌に詩歌、小説、 に詩を発表。八月十五日、発熱の為に、家族らが移っていた豪
田幡V
戯曲などを発表。十三年三月、処女短編﹁酸模﹂﹁座禅物語﹂を 徳寺の親戚の家に帰っていて、そこで終戦を迎える。
A輔仁会雑誌 V に発表。十五年二月より七月まで、平岡青城の.へン 昭和二十一年(一九四六)一一十一歳
︿ち悲し
ネームで A山梶VK俳句、詩歌などを投稿。この頃、ラデイゲ、ワ 一月、川端康成を訪ねる。二月、伊東静雄主宰の同人雑誌 光
A
イルド、リルヶ、谷崎潤一郎、伊東静雄などを愛読した。 耀 V に庄野潤三、島尾敏雄、林富士馬らと参加。
昭和十六年(一九四二十六歳 昭和二十二年(一九四七)二十二歳
九月、清水文雄の推薦で﹁花ざかりの森﹂を A文芸文化 V に発表。 十一月﹃岬にての物語﹄を桜井書庖より刊行。東京大学法学部を
ペンネームの一二島由紀夫を、 ζの時から用いる。 卒業。十二月、高等文官試験行政科に合格、大蔵事務官に任命され、

昭和十七年(一九四二)十七歳 銀行局国民貯蓄科に勤務。 ζの頃、加藤周一、福永武彦、中村真一


三月、学習院中等科を卒業。四月、学習院高等科文科乙類に進学。 郎などのマチネ・ポエティック流派の人々と交流し、また林房雄と

0
15

主任教授は新関白雪一。文芸部委員となり、後に委員長となる。乙の 知る。
昭和二十三年(一九四八)二十三歳 六月、書下ろし長編﹃潮騒﹄を、九月﹃恋の都﹄を、十月﹃鍵の

1(xj
九月、大蔵省を退職。十一月﹃盗賊﹄を真光社より、十二月﹃夜 かかる部屋﹄を、十一月﹃若人よ蘇れ﹄をそれぞれ新潮社より、
の仕度﹄を鎌倉文庫より刊行。同月、同人雑誌 A序曲 V に参加。 ﹃文学的人生論﹄を河出書房より刊行。十二月、﹁潮騒﹂が新潮社
昭和二十四年(一九四九)二十四歳 文学賞を受賞。
二月﹃宝石売買﹄を講談社より、七月書下ろし長編﹃仮面の告 昭和三十年(一九五五)三十歳
白﹄を河出書房より刊行。 四月﹃沈める滝﹄を中央公論社より、六月﹃女神﹄を文義春秋新
昭和二十五年(一九五O) 二十五歳 社より、七月﹃ラディゲの死﹄を新潮社より、十一月書下ろし評論
五月﹃燈台﹄を作品社より、六月書下ろし長編﹃愛の渇き﹄を新 ﹃小説家の休暇﹄を講談社より刊行。十二月、﹁白蟻の巣﹂が岸田
潮社より、﹃怪物﹄を改造社より、十二月﹃純白の夜﹄を中央公論 演劇賞を受賞。この年より、ボディ・ピルの練習を開始する。
社より、﹃育の時代﹄を新潮社より刊行。八月、目黒区緑ケ丘に転 昭和三十一年(一九五六)三十一歳
文学立体化運動 Hを目指した﹁雲の
居。九月、岸田国士を中心に m 一月﹁金閣寺﹂を A新 潮 V に連載(十月完結)。一月﹃幸福号出
会﹂結成に参加。 帆﹄、﹃白蟻の巣﹄を、四月﹃近代能楽集﹄をそれぞれ新潮社より、
昭和二十六年(一九五一)二十六歳 六月﹃詩を書く少年﹄を角川書庖より、十月﹃金閣寺﹄を新潮社よ
四月﹃聖女﹄を目黒書庖より、六月﹃狩と滋物﹄を要書房より、 り、﹃亀は兎に追いつくか?﹄を村山書庖より、十二月﹃永すぎた
七月﹃遠乗会﹄を、十一月﹃禁色﹄第一部をそれぞれ新潮社より 春﹄を講談社より刊行。
(第二部﹃秘薬﹄二十八年九月刊)、十二月﹃夏子の冒険﹄を朝日新 昭和三十二年(一九五七)三十二歳
聞社より刊行。十二月、朝日新聞社の嘉治隆一の尽力で、船による 一月、﹁金閣寺﹂が読売文学賞を受賞。三月﹃鹿鳴館﹄を東京創
世界一周旅行に出発、翌年五月に帰国。 ζの頃、吉田健一、大岡昇 元社より、六月﹃美徳のよろめき﹄を講談社より、九月﹃現代小説
平、福田恒存、中村光夫らの﹁鉢の木会﹂ K参 加 。 二 十 七 年 十 月 は古典たり得るか﹄を新潮社より刊行。四月、﹁プリタニキュス﹂
﹃アポロの杯﹄を朝日新聞社より刊行。 が毎日演劇賞を受賞。七月、クノップ社の招きで渡米、西インド諸
昭和二十八年(一九五三)二十八歳 島、メキシコ等を廻り、翌年一月に帰国。十一月より﹃一一一島由紀夫
二月﹃真夏の死﹄を創元社より、三月﹃にっぽん製﹄を朝日新聞 選集﹄を新潮社より刊行(全十九巻、三十同年七月完結)。
zわ P
ひa
社より、六月﹃夜の向日葵﹄を講談社より、七月から﹃三島由紀夫 昭和三十三年(一九五八)コ一十三歳
作品集﹄を新潮社より(全六巻、翌年四月完結)、十月﹃綾の鼓﹄ 一月﹃橋づくし﹄を文義春秋新社より、五月﹃旅の絵本﹄を講談
を禾来社より刊行。 社より、﹃蓄薮と梅賊﹄を新潮社より刊行。六月、川端康成の媒酌
昭和二十九年(一九五四) 二十九歳 により、杉山寧の長女碑晴子と結婚。十月、同人雑誌 A声 Vを創刊し、
一鏡
i
子の家﹂第一、二車を発表。十二月、﹁革製品酬と梅賊﹂が週刊読売 二月﹃肉体の学校﹄を集英社より、﹃喜びの琴附・美濃子﹄、
新劇貨を受賞。 ζの年より、ボクシング、剣道の練習を開始。 ﹃三島由紀夫短篇全集﹄を新潮社より、四月﹃私の遍歴時代﹄を、
昭和三十四年(一九五九)三十四歳 十月﹃絹と明察﹄をそれぞれ講談社より、十二月﹃第一の性ll男
三月﹃不道徳教育講座﹄を(続・翌年二月刊)、六月﹃文章読本﹄ 性研究講座﹄を集英社より刊行。六月、アメリカへ旅行。九月、
を中央公論社より、九月書下ろし長編﹃鏡子の家﹄第一-一一部を、 ﹁宴のあと﹂裁判で敗訴し、上告する。十一月、﹁絹と明察﹂が毎日
1 一月﹃裸体と衣裳﹄をそれぞれ新潮社より刊行。五月、大回区馬 芸術賞を受賞。
込 K家を新築してい転問。 昭和四十年(一九六五)凶十歳
昭和三十五年(一九六O ) 三十五歳 一一月﹃音楽﹄を中央公論社より、一一一月﹃一二島由紀夫短篇全集﹄を
十一月﹃宴のあと﹄を新潮社より、﹃お嬢さん﹄を講談社より刊 講談社より(全六巻、八月完結)、七月﹃三熊野詣﹄を新潮社より、
行。乙の月から翌年一月にかけて、夫人と共に世界一周旅行に出発、 八月﹃目││ある芸術断恕﹄を集英社より、十一月﹃サド侯爵夫
アメリカ、ポルトガル、スペイン、フランス、ドイツ、イギリス、 人﹄を河出書房新社より刊行。三一月、イギリス文化振興会の招きで
イタリア、ギリシャ、アラプ連合などを廻る。 英国旅行。四月、佐伯彰一らの A批評 Vが復刊され、同人となる。
昭和三十六年(一九六一}三十六歳 自作自演の映画﹁憂国﹂が完成。九月﹁春の雪﹂(﹁豊鏡の海﹂第一
一月﹃スタア﹄を、九月﹃獣の戯れ﹄をそれぞれ新潮社より、十 新潮 V に連載(四十二年一月完結)。九月から十一月にか
巻)を A
一月﹃美の製掌﹄を講談社より刊行。三月、﹁宴のあと﹂がモデル けて、夫人と共にアメリカ、ヨ l ロァパ、東南アジアを旅行。
川題を起し、有問八郎よりプ一フイヴアシ 1侵害で提訴される。四月、 昭和四十一年(一九六六)四十一歳
剣道初段となる。 一月、﹁サド侯爵夫人﹂が芸術祭賞を受賞。三月﹃反貞女大学﹄
昭和三十七年(一九六二)三十七歳 を新潮社より、六月﹃英霊の声﹄を河出書房新社より、八月﹃複雑
二月、﹁十日の菊﹂が読売文学貨を受賞。三月ヨ一一島由紀夫戯曲 な彼﹄を集英社より、﹃一一一島由紀夫評論全集﹄を新潮社より、九月
全集﹄を、十月﹃美しい星﹄をそれぞれ新潮社より刊行。 ﹃聖セパスチアンの殉教﹄を池回弘太郎との共訳で美術出版社より、
昭和三十八年(一九六三)三十八歳 十月﹃対話・日本人論﹄(林房雄との対話)を番町書一房一より刊行。
一月﹃愛の疾走﹄を講談社より、八月﹃林一房一雄品川﹄を新潮社より、 十一月、﹁宴のあと﹂問題で、有田家との聞に和解成立。
九月書下ろし長編﹃午後の曳航﹄を、十二月﹃剣﹄を講談社より刊 昭和四十二年(一九六七)四十一一歳

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行。三月、自らがモデルとなった細江英公写真集司蓄議刑﹄が集英 一一月﹁奔馬﹂(﹁豊後の海﹂第二巻)を A新潮 v k連載(翌年八月


社より刊行される。 完結)。川端康成、石川淳、安部公房と共に、中国文化大革命に対

7
後7

昭和一二十九年(一九六四) =一十九歳 する抗議声明を発表。雑誌芸能記者クラプ選出のゴールデン・アロ
-賞(話題賞)を受賞。三月﹃荒野より﹄を中央公論社より、九月 潮社より刊行。七月﹁天人五衰﹂(﹁豊鏡の海﹂第四巻)を A新潮 V
書下ろし評論﹃葉隠入門﹄を光文社より、十月﹃朱雀家の滅亡﹄を に連載(翌年一月完結 ) 0九月﹃尚武のことろ﹄を日本教文社より、制
河出欝房新社より、十二月﹃三島由紀夫長篇会東﹄を新潮社より刊 十月﹃行動学入門﹄を文叢春秋より、﹃作家論﹄を中央公論社より、
行(全二巻、翌年二月完結)。四月、久留米陸上自衛隊幹部候補生学 ﹃源泉の感情﹄を河出番房新社より刊行。三月、陸上自衛隊富士学
校、富士学校教導連隊、習志野空挺固に体験入隊。 校滝ケ原分屯地に、﹁楯の会﹂学生と共に体験入隊。 ζの頃から、
昭和四十三年(一九六八)四十三歳 ﹁楯の会﹂学生隊長森田必勝との問で決起の計闘が進められ、六月
四月、中村光夫との対談集﹃対談・人間と文学﹄を講談社より刊 より毎月一回、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニー前広場で軍事
行。五月、﹁午後の曳航﹂がフオルメント l ル国際文学賞の第二位 教練を行なう。九月、﹁楯の会﹂の最終パレードを国立劇場屋上で
に入賞。劇団﹁浪憂劇場﹂を創立し幹事となる。五月、阿川弘之、 行ない、陸上自衛隊富士学校滝ケ原分屯地に十一月四日から三日間、
井上靖、伊藤整、川端康成、平林たい子らと﹁日本文化会議﹂に発 最後の体験入隊をする。十一月、池袋の東武百貨庖でコ二島由紀夫
起人として参加。七月﹃三島由紀夫レタ l教室﹄を新潮社より刊行。 展﹂を開催。十一月二十五日午後零時十五分、陸上戸衛隊市ヶ谷駐
九月﹁暁の寺﹂(﹁豊鏡の海﹂第三巻)を A新潮 v k連載(四十五 屯地東部方面総監室にて自決。翌日、自宅で密葬。戒名・彰武院文
年四月完結)。十月﹃太陽と鉄﹄を講談社より、十二月﹃命売りま 鑑公威居士。
す﹄を集英社より、﹃わが友ヒットラー﹄を新潮社より刊行。一一月、 昭和四十六年(一九七一)
祖国防衛隊員と共に、陸上自衛隊富士学校滝ケ原分屯地に体験入隊。 一月十四日、府中市多磨霊園の平岡家墓地に遺骨埋葬。二十四日、
三月、学生二十名を引率して、同部隊に体験入隊(七月、再入隊)。 築地本願寺にて葬儀を行念う。葬儀委員長川端康成。二月二十八日、
十月、﹁楯の会﹂を結成。 瑠子夫人出席のもとに﹁楯の会﹂が解散される。一月﹃一一一島由紀夫
昭和四十四年(一九六九)四十四歳 短篇全集﹄全六巻が講談社より(五月完結)、二月﹃天人五衰﹄が、
一月﹃春の雪﹄を、二月﹃奔馬﹄を、四月﹃文化防衛論﹄をそれ 五月﹃蘭陵王﹄がそれぞれ新潮社より刊行される。四十七年三月
ぞれ新潮社より、五月﹃黒断腸﹄を牧羊社より、六月﹃顔王のテラ ﹃小説とは何か﹄が新潮社より、十一月﹃日本文学小史﹄が講談社
ス﹄を中央公論社より、﹃討論三島由紀夫刊東大全共闘﹄を新潮 より刊行される。四十八年一月﹃わが思春期﹄が集英社より刊行さ
社より、十一月﹃椿説弓強月﹄を中央公論社より刊行。一一月、﹁楯 れる。四月から﹃三島由紀夫全集﹄全三十五巻補巻一巻が新潮社よ
の会﹂学生と共に、御殿場の陸上自衛隊富士学校教導連隊に体験入 り刊行される(五十一年六月完一結)。


昭和四十亙年(一九七O) 四十五歳
三月﹃三島由紀夫文学論集﹄を講談社より、七月﹃暁の寺﹄を新 *乙の年譜は、山口基氏縞の資料をもとに、編集部で作成しました。
きんか︿じ陪るゆき
金閣寺・春の雪
八新潮現代文学 mMV
昭和五十四年一月十日印刷
昭和五十四年一月十五日発行

島主価
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発行者 佐 藤 亮
発行所設新潮社
干閉山東京都新宿区矢来町七一
業務部・ (O二一)三六六五一一一
編集部・ (
O =一)二六六 l五四一一

9
外箱写真・宮寺昭男
口絵写真・篠山紀信
園田替東京四八O 八

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印刷所大日本印刷株式会社

装画・加山又造

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製本所大口製本株式会社

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乱丁・落丁本は小社通信係宛綱送

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付下さい。送料小社負担にてお取

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替えいたします。
新潮現代文学*金一却巻 価H各1200円
-古都・眠れる美女川端康成一 m天 平 の 喪 ・ し ろ ば ん ば 井 上 摘 一 m個人的な体験・ピンチランナー調書大江健三郎
2黒 い 雨 ・ 駅 前 旅 館 弁 伏 鱒 ニ 一 汐 広 場 の 孤 独 ・ ゴ ヤ { ﹃ 黒 い 絵 ﹂ に つ い て ) 郷 田 善 術 二 泊 世 帯 日 燃 ゆ ・ 官 僚 た ち の 夏 城 山 三 郎
3梨 の 花 ・ あ る 楽 し き 中 野 軍 治 一 m恋 の 泉 ・ 四 季 中 村 真 一 郎 一 タ 海 の 道 ・ 忍 よ 川 三 浦 哲 郎
4一 隅 の 記 ・ ︻ 新 作 長 編 ) 野 上 弥 生 子 一 刀 忘 却 の 河 ・ 海 市 福 永 武 彦 一 m江 分 利 満 氏 の 優 雅 な 生 活 ・ 人 殺 し 山 口 瞳 一
5ま ぼ ろ し の 記 ・ 蜜 除 が 降 る 尾 崎 一 雄 一 n金 閣 寺 ・ 春 の 雪 三 島 由 紀 夫 一 m
m遠 い 戸 二 新 作 長 編 } 瀬 戸 内 晴 美 一
6人聞の運命 父 A と子τ 雑害門よO 芹沢光治良一n砂 の 女 ・ 密 会 由 貿 節 公 房 一 ω回 転 扉 ・ 美 少 女 河 野 多 恵 子 一
7お は ん ・ 雨 の 音 宇 野 千 代 一 M流 れ る ・ 闘 幸 田 文 一 ω 冬のかたみに - A新 作 長 編 ) 立 原 正 秋 一
8荒魂・紫苑物語石川温厚一お点と線・波された場面松本清張一 ω甘 い 蜜 の 部 屋 ・ 恋 人 た ち の 森 森 莱 荊 一
9青い山脈・あいつと私石坂洋次郎一必死の練・出発は遂に訪れず島尾敏雄一白笹ま︿ら・横しぐれ丸谷才一一
m魂 の 試 さ れ る 時 丹 羽 文 雄 一 F島 ・ 抱 擁 家 族 小 島 信 夫 一 一 併 廻 廊 に て ・ 嵯 峨 野 明 月 記 辻 邦 生 一
H雪 夫 人 絵 図 ・ 好 き な 女 の 胸 飾 り 舟 橋 重 一 一 m
m海 辺 の 光 景 ・ 花 祭 安 岡 章 太 郎 二 回 青 銅 時 代 ・ ア ポ ロ ン の 島 小 川 国 夫 一
H青 春 の 援 鉄 ・ 独 り き り の 世 界 石 川 達 三 一 タ 雲 の 墓 標 二 新 作 長 編 } 阿 川 弘 之 一 “ 戦 鑑 武 蔵 ・ 冬 の 鷹 吉 村 昭 一
H 若 い 詩 人 の 肖 像 ・ 火 の 鳥 伊 藤 楚 一 ω浮 き 燈 台 ・ 流 れ 議 庄 野 潤 三 一 U ポ ッ コ ち ゃ ん ・ ど こ か の 事 件 星 新 一 一
Mいやな感じ・死の淵よq 高見順一針沈黙・イエスの生涯遠藤周作一 ω感 傷 旅 行 ・ 休 暇 は 終 っ た 田 辺 聖 子 一
β芭 蕉 庵 桃 青 ・ テ ニ ヤ ン の 末 日 中 山 麓 秀 一 G 砂 の 上 の 植 物 群 -
A新 作 長 編 } 吉 行 淳 之 介 一 一 回 聖 少 女 ・ 夢 の 浮 僑 倉 橋 由 美 子 一
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m 版 東 京 図 絵 ・ 青 梅 雨 永 井 穂 男 一 ω僑のない川第一郎}・夜あけ朝あけ住井すゑ一 m我 が 心 は 石 に あ ら ず ・ 散 華 高 幡 和 巳 一
刀 青 べ か 物 語 ・ き ぷ 山 本 周 五 郎 一 # 八 甲 岡 山 死 の 初 盆 ・ ア ラ ス カ 物 語 新 国 次 郎 ↑ ηさ れ ど わ れ ら が 日 々 │ │ ・ 鳥 の 影 柴 国 鋤 一
m体 の 中 を 風 が 吹 く ・ 時 に 作 つ 佐 多 稲 子 一 C雁 の 寺 ・ ( 新 作 長 編 } 水 上 勉 一 刀 戒厳令の夜・黄金時代五木寛之一
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m彩 霧 - 遊 魂 同 地 文 子 一 “ 燃 え よ 剣 司 馬 遼 太 郎 一 nエ ロ 事 師 た ち ょ 新 作 長 編 ) 野 坂 昭 如 -
m斜 陽 ・ 人 間 失 格 太 宰 治 一 mw槍 山 節 考 ・ 笛 吹 川 深 沢 七 郎 一 M夢 の 碑 ・ ( 新 作 長 編 } 高 弁 有 一 一
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M快 楽 武 田 事 晴 海 一 刀 華 岡 青 洲 の 妻 ・ 悦 惚 の 人 有 吉 佐 和 子 一 宮 脱 走 と 追 跡 の サ ン バ ・ 筒井康隆
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E永 遠 な る 序 章 ・ 懲 役 人 の 告 発 推 名 館 三 一 刀 木 枯 し の 庭 ・ わ が 恋 の 墓 標 曾 野 陵 子 一
M桜 島 ・ 幻 化 梅 崎 春 生 一 m化 石 の 森 ・ 太 陽 の 季 節 石 原 慎 太 郎 一 万 荻 原 検 校 ・ ( 新 作 長 編 v 井上ひさし
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