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6

8 2015年 6月

「インド太平洋」概念の普及過程

留 和 敏
j

はじめに

コンストラクテイヴイズムを持ち出すまでもなく、世界政治の現実と地域概
念は相互構成的関係にある。たとえば「アジア太平洋 (
Asi
a-P
aci
fi)Jという
c
言葉は、 1
960
年代から 70年代にかけて日本政府主導の取組みにより準備され (
)、
1

1989年のアジア太平洋協力会議 (APEC) の発足を経て普及した (2)。当時の政


治経済状況や各国政府の意向に基づいて採用されたこの概念は、地域概念とし
て定着を果たし、その後の世界政治をめぐる言説や実体に影響を与えた。南ア
ジアにおける例では、 2010年ごろまでにインドとパキスタンをセットにした「イ
ンド パキスタン (
Ind
ia-
Pak
ist
an)Jという言葉の使用が減り (3)、代わってアフ
ガニスタンとパキスタンを組み合わせた「アフパク (
Afp
ak)Jという言葉が流
通した叱こうした用語の変化は、アメリカがインドとパキスタンの両国への
対応で、バランスを取ってきた政策から離脱して、インドとの関係強化をより積
極的に強化し、パキスタンはアフガニスタンと一体で安定化を図るようになっ
たことを反映していた。このように、地域をめぐる用語の動向は、現実世界の
動向や人々の認識と相互に影響しあう。
アジア太平洋に代わりうる新たな地域概念の候補として近年注目を集めてい
るのが、「インド太平洋 (
Ind
o-P
aci
fi)Jである。 2015年現在、インド太平洋は
c
すでに外交安全保障をめぐる議論で人口に謄来したと言えよう (
)。通常は西太
5

平洋からインド洋にかけての海域を意味するこの言葉は、海洋生物学などの自
然科学分野では以前から用いられていたが (6)、2
011年ごろから外交安全保障の
文脈で頻繁に用いられるようになった。インド太平洋という言葉で語られる以
前から、中国やインドの経済成長によって海運の重要性が高まったことや、両
国による海洋進出の強化、ならびに南シナ海での領有権や海洋資源開発をめぐ
る問題の顕在化などにより、この海域への関心は高まっていた。そしてインド
国 際 安 全 保 障 第 43
巻第 1号 69

太平洋という言葉の使用が広まる契機となったのは、アメリカのヒラリー・ク
リントン (
Hi
ll
ar
yCl
int
on) 国務長官(当時)が2
010年 1
0月に行った演説、な
らびに翌年 1
0月に外交専門誌に発表した論文であった。とりわけ後者の論文以
後に急速に普及して、海洋安全保障や地域協力などをめぐる議論で盛んに用い
られ、各国首脳による演説等にも採用されるに至っている O
このインド太平洋という概念は、はたして現在の世界政治との聞でいかなる
相互作用を生み出しているのだろうか。インド太平洋をめぐる政策的意義やこ
の地域の安全保障環境、各国の対応などに関しては、数多くの分析がこれまで
にも行われているが、インド太平洋の言説と関連する現実世界の状況の全体像
を明らかにすることは容易でない。そこで本稿では、インド太平洋概念がどの
ように登場し、拡大したのかという問いに限定して、検討を行う。
本論に入る前に、本稿と同様にインド太平洋概念を扱っている先行研究の状
況を衛潔に整理したい。先行研究は主として政策的関心から行われているとは
言え、新たな概念であるインド太平洋を扱うため、その概念の意味内容や登場
した経緯についても少なからず考察されてきた。インド太平洋をめぐる整理と
して頻繁に引用されているのは、デイヴイツド・スコット (
Dav
idS
co
tt
) によ
る2
012年の研究のである O また、政策的示唆を中心にインド太平洋概念を分析
した研究として、自身もインド太平洋論の流行に貢献したローリー・メドカー
フ (
Ror
yMe
dca
lf) による 2
013年の論文がある(針。邦語では、日本国際間題研
究所による「アジア(特に南シナ海・インド洋)における安全保障秩序」なら
びに i
rインド太平洋時代』の日本外交:SecondaryPowers/SwingStatesへの対応 J
の2つの研究グループが、インド太平洋に関する多角的な分析を行っている (9)。
本稿ではこれらの先行研究にも依拠しているが、インド太平洋という新たな概
念が登場し、普及した展開を先行研究よりも詳細に明らかにした点に本稿の独
自性がある。

1 インド太平洋概念の登場

(
1)2009
年までのインド太平洋論
外交安全保障をめぐる文脈でインド太平洋という言葉が用いられたのは、
2
010年のクリントン国務長官による演説が最初ではない。それ以前の海洋安全
保障をめぐる論説においても、インド太平洋という言葉の使用が散見される O
たとえばジェームズ・ A ・ブティリア (
Jam
esA.B
out
ili
er)は
、 2
004年の論文
7
0 2015年 6F
l

でインド太平洋地域の海上交通が世界経済において重要性を高めていることを
指摘し、それにともなって海洋安全保障の必要性も高まっていることを論じ
た(10)。ブテイリアはインド太平洋を「アラビア湾地域の産油国から、インドと
パキスタン、オーストラリアとニュージーランド、インドネシアから日本へと
至る東アジア諸国」に広がる地域として定義していた(11)。同様の初期の例とし
て、ピーター・コウズンズ (
Pe
te
rCo
zen
s) による 2
005年の論文や (12)、スチユアー
ト・ケイ (
sωa
rtK
aye
) による国際法の見地からの論文があった (13)。コウズン
ズとケイの論文は、いずれも新たな地域概念としてのインド太平洋を意識的に
提案する議論ではなかった。
インドの元軍人であるアルン・プラカーシュ(ArunP
rak
ash
)は、 2
009年に
「われわれの外交官たちは、『インド太平洋』という新しい用語を作り出すべく、
インド洋が太平洋とハイフンで結ぶに足る重要性を有しているという立場をと
り、地域フォーラムや国際フォーラムで主張すべきだ」と論じていた (14)。しか
しインド政府首脳や高官がインド太平洋という言葉を用いるのは、後述するよ
うに 2
012年以降であり(15)、プラカーシユの議論はインド政府にただちには影響
を及ぼしていなかったと考えられる。その後のインド太平洋をめぐる主要な議
論における参照状況を見ても、プラカーシユの議論への参照はインドにおける
インド太平洋論をリサーチしたスコットに発見されている以外に見当たらない
ため (16)、インド太平洋論の隆盛には貢献しなかったと思われる O
日印関係をめぐる言説でもインド太平洋への言及が見られた。インド囲内で
インド太平洋という言葉をはじめて用いたのは、スコットによると、グルプリー
ト・クラナ (
Gur
pre
etS
.Khu
ran
a) による 2
007年に出版された日印関係に関す
る論文であった (
η。インド洋と太平洋を結ぶ海運の経済的重要性という観点か
1

ら日印協力を論じたこの論文は、インド太平洋論の先駆けとなる研究であった
と言える O しかしこの論文も、先のプラカーシュらの議論と同様に、注目を集
めなかった。
同年8月には、インド・ニューデリーを訪れていた日本の安倍晋三首相がイ
ンド連邦議会の演説でインド洋と太平洋の 1
2つの海の交わり j を論じた (1。

この演説はインド太平洋という言葉を用いていないが、クラナ論文と同様に、
太平洋とインド洋のつながりの重要性から日印関係を論じており、のちのイン
ド太平洋論と通じる内容であったと考えられる。
ここまでを振り返ると、海洋安全保障や日印関係の観点からインド洋と太平
洋の連結性を論じたこれらの議論は、その用語法や内容においてのちのインド
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巻第 1号 7
1

太平洋論を先取りしていたと言える O しかし以後の参照のされ方を見ると、イ
ンド太平洋概念の形成と発展に直接的に貢献したものではなかったと考えられ


(
2) 卜ワイニング・レポート
後述するクリントン演説と同年の 2010年 3月、ダニエル・トワイニング (
Dan
iel
T
win
ing
) がタイトルの一部にインド太平洋を用いた論考「アジアの台頭一一
西洋はインド太平洋地域において価値と利害のコミュニティをいかに拡大でき
るか」を発表しだ 19)。クリントン演説と同様に、インド太平洋概念を意識的に
提示するものではなかった。本文中での言及は l回のみであり、「もしアメリカ
主導の大西洋諸国が、グローパルな秩序のための持続可能な基盤を構築するた
めに、インド太平洋のパートナーと協力しなければ、 5世紀もの長きにわたっ
た西洋による国際関係の支配は新たな時代へと道を譲ることになり、(引用者
注・アメリカと)似たような政治的価値観には導かれない国々が好み、アメリ
カやヨーロッパは好まないような結果となるだろう」側という丈で用いただけ
であった。「インド太平洋のパートナー (
theI
ndo
-Pa
cif
icpa
巾 e
r)Jが指す国々
s
は、上記引用の前ページの内容から類推すると、日本、インド、韓国、オース
トラリア、インドネシア、ヴェトナムの各国を意味すると思われる O
トワイニングの論考がクリントン演説に影響したかどうかは定かでない。し
かし、トワイニングの論考とクリントン演説には共通の基盤を見いだすことが
できるかもしれない。第一に、 トワイニングはアメリカ国務省と関係の深い研
究者である O アメリカ国務省政策企画本部の元職員であるトワイニングは、論
考発表時点も「南アジアおよびアジアの安全保障イシューに関するアメリカ政
府のコンサルタント」であった (21)。第二に、インド太平洋という言葉の使い方
が類似している O トワイニングはインド太平洋を副題に用いていながら、その
概念定義や範囲についての説明を行っていない(泊。クリントン演説ではそもそ
もインド太平洋について重点的な議論が展開されていないため、インド太平洋
の定義が示されないことは当然であったかもしれないが、インド洋と太平洋の
一体性を論じた 2011年のクリントン国務長官による論文でも、インド太平洋と
いう用語を説明していない。トワイニングの論考と後のクリントンによる演説
や論文との関連は定かでないが、 トワイニングの論考はインド太平洋に関する
アメリカ国務省の考え方を示唆するものであった可能性がある。
(
3) 口ーウィ国際政策研究所レポート
2010年6月、オーストラリアのローウィ国際政策研究所(以下、ローウィ)から、
72 2015年 6月

冒頭で言及したメドカーフを含む同研究所の研究員 4名の共著によるレポート
がリリースされた刷。その後のインド太平洋論の流行との関連が確認される研
究として、インド太平洋を新たな地域概念として意識的に提示した最初の試み
であった。このレポートでは、インド太平洋について以下のように概念規定を
提示している O

-・・・・・伝統的にパキスタンとの敵対関係にとらわれ、他の隣国の様々な脆弱
性や不安定を懸念してきたインドが、たとえば前述の日本との共同宣言や、
アメリカと他の地域の海軍との一連のマラパール演習を通じて、東アジア
との安全保障上のつながりを深めている。同時に、東アジアがペルシア湾
からのエネルギーへの依存を深めていることは、インドの伝統的な勢力圏
としてその名がつけられた大洋(ヲ│用者注:インド洋のこと)が、戦略的
競争と協調の両面において重要な焦点となっていることを意味している。
これらの展開を併せて考えると、ペルシア湾の奥から北マリアナ諸島まで
の地球上の広大な範囲に広がる、より大きな「インド太平洋」という安全
保障システムの出現が示されている刷

上記の引用が示すように、このレポートはインド洋地域と太平洋地域の連結
性の高まりをふまえて、そこに出現している新たな広大な安全保障システム
を、インド太平洋という概念で捉えることを提唱するものであった。ローウイ
は以後のインド太平洋論でも中心的な役割を果たしており、このレポートはそ
うした一連の研究の嘱矢であったと言える O ただしこの時点ではただちにこの
レポートが注目を集めることはなかった。
(
4) 2010
年10月のクリントン演説
インド太平洋をめぐる議論が流行した経緯を振り返ったときに、その契機の
l
つは 2
010年 1
0月2
8日にクリントン国務長官がハワイ・ホノルルで行った演説
であったと考えられる O アメリカがアジア回帰を宣言したものとして注目を集
めた演説の、太平洋におけるインド海軍との協力に関する文脈で、インド太平
洋という言葉が用いられた。下記が当該段落の全訳である O

われわれはこれらの諸原則を反映して、東南アジアおよび太平洋において、
プレゼンスをシフトしている O たとえば、われわれはシンガポールにおけ
る海軍のプレゼンスを増大させた O フィリピンとタイにおいて対テロや人
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3

道的災害への対応能力を増強した。ニュージーランドとの軍事協力のため
に新たな取組みを創設し、オーストラリアとは複雑化した海洋環境に対応
すべく防衛関係の近代化を続ける。そして、グローパルな貿易および商業
にとってのインド太平洋海域の重要性を理解しているため、太平洋におい
てインド海軍との協力を拡大している附

この演説全体において、インド太平洋という言葉は上記の I回で用いられた
のみであり、インド太平洋という言葉への特段の強調はなされていない。「イ
ンド太平洋海域 (
th
eIn
do-
Pac
if
icb
asi
n)Jという文言の説明や定義も行われて
いない。つまり、新たな地域概念として提示されたものではなかった。 後述す
る2
011年 1
0月のクリントン国務長官による論文とは異なり、インド洋と太平洋
のつながりを強調しておらず、また上記のような文脈でさりげなく用いられた
ため、インド太平洋という言葉がさほどの注目をきれなかったことは当然と言
えよう。 2
011年 1
0月のクリントン論文以前のインド太平洋をめぐる主要な研究
では、この演説は引用や参照をされていない。この演説におけるインド太平洋
への言及に関心が向けられたのは、インド太平洋論のルーツを探った後の業績
によって (26)、アメリカ政府が外交安全保障の文脈でこの言葉を用いた最初の例
として、そしてクリントン論文の前段階として、見いだされたことによると思
われる。
(
5) オースリンによる政策提言
マイケル・オースリン (
Mic
hae
lAu
sli
n) による一連の研究は、政策論とし
てのインド太平洋論を打ち出すことにより、インド太平洋という概念の流行に
寄与した。クリントン演説からまもない 2
010年 1
2月に発表した「インド太平洋
コモンズの安全保障一一地域安全保障に向けて」は、インド太平洋に独自の定
義を行い、その地域概念に基づいて中国の海洋進出への対応をアメリカとパー
トナー諸国に対して提唱する政策提言であった問。
まずオースリンはインド太平洋を、「シベリア南部を北端として、日本、朝
鮮半島、中国本土、東南アジアの陸地と群島、オセアニア、ならびにインドへ
と広大な弧として広がる、陸地および海洋地域の全体」と定義している倒。従
来は北東アジア、東南アジア、南アジアとして分けて考えられてきたこのイン
ド太平洋地域を、連結性が高まっているこの地域の現実をふまえて、総体的に
捉えなおす必要があると論じている (29)。多くのインド太平洋論は海洋の地域概
念として捉えているが、オースリンは陸も含む総体的な地域概念として扱って
7
4 2015年 6月

いることに特色がある。
オースリンは、インド太平洋地域の公共財であるインド太平洋の安定が、中
国の台頭によって脅かされていると指摘し、この地域への軍事力展開を強化す
ること、脅威に対応すべく同盟国やパートナー諸国聞の協力を促進する必要
性側、この地域の秩序をリベラルなものとする政治的目標を掲げることをアメ
リカに提言している (31)。とりわけインド洋と太平洋の重なる南シナ海における
脅威に着目し、インドネシアやマレーシア、シンガポール、ヴェトナムといっ
た近隣諸国による取組みと、日本、韓国、インド、オーストラリアといった周
辺国による協力をそれぞれアメリカが支援するという、二重の体制を整えるこ
とを提唱している問。
2
011年末以降に流行が本格化するインド太平洋論は、のちに整理するように、
中国の南方進出への対抗策としての意味合いを含むものが多かったが、そうし
た中同への対抗策としてインド太平洋概念を提起したのは、筆者の把握する限
りにおいてはこのオースリン論文が最初であった。オースリン論文は本稿で見
たような先行研究やクリントン演説への参照を行っていない。

2 インド太平洋論の流行

(1)インド洋・南シナ海への関心の高まり
インド太平洋という言葉が流行する以前から、インド太平洋と呼ばれること
になる海域への関心が安全保障論議で高まっていた。マラッカ海峡などの東南
アジア海域は重要な海上交易路であり、グローパリゼーションの深化や、中国
やインドの急速な経済成長に伴ってその重要性がさらに高まっていた。 1
990年
代後半から世界的に海賊事件の発生件数が増加し、国際的な協力により対策が
進められた (33)。また、 2
007年ごろから中国が南シナ海で自国の領有権の主張を
強め、東南アジア諸国連合 (ASEAN) は南シナ海での中国への対応を強化し
ていた刷。こうした国際政治の動向を反映して、とりわけロパート・カプラン
(Robe
口D.K
apl
an) による一連の研究が、インド洋や南シナ海への関心を高め
る議論をリードしてきた。カプランは 2
009年の論文や 2
010年の著書『モンスー
ンJでインド洋が2
1世紀の世界政治の焦点になると論じており、 2
014年の著書
は南シナ海の諸問題を検討していた倒。
2
011年以降に拡大したインド太平洋論でもカプランの著作は頻繁に参照され
ている。しかしカプラン自身がインド太平洋という言葉を用いるのはクリント
国際安全保障 第 43
巻第 1号 75

ン論文以後のことであり側、インド太平洋概念そのものの流行への寄与は間接
的であったと考えられる O インド太平洋という概念を用いることなく行われて
きた先行の議論については、すでに多くの研究でフォローされているため、本
稿ではこれ以上の検討を行わない。
(
2) インド太平洋論の広がり
2011年 1
0月のクリントン論文以降の急増と比べるとその広がりは限られてい
たと言えるが、この年のクリントン論文以前の時期にもインド太平洋という言
葉を用いた一定の数の論考が発表されていた。それらの一部には前年のインド
太平洋論からの直接的な引用、あるいは間接的なつながりを見いだすことがで
きる。
2011年の早い時期のインド太平洋に関する議論として、ジョン・ブラッド
フォード(Jo
hnF
.Br
adf
ord
) がインド太平洋地域のシーレーンのためのアメリ
カの戦略を論じていた問。同年 2月に行われた演説に基づく同年8月発行のこの
論文は、オースリン論文への参照を行っている。ウォルター・ローマン (
Wal
ter
L
ohr
nan
) は、同年4月、アメリカの新聞の論説記事でインド太平洋に言及して
いた倒。またマイケル・ウェズリー (
Mic
hae
lWe
sle
y) は、同年 5月、中国やイ
ンドが台頭する新たな国際環境にオーストラリアが直面する状況を、従来のア
ジア太平洋ではなくインド太平洋という新たな地域にオーストラリアが位置し
ていると表現した倒。ローマンとウェズリーの記事は、インド太平洋概念に関
して参照元を示していないため、先行する議論からの影響は不明である。日本
でも日本国際フォーラムの研究グループが、インド太平洋という言葉を用いた
政策提言・報告書を同年3月に発表していた (40)。
ローウイからは、立て続けにインド太平洋に関する 2本のレポートがリリー
スされた。まず同年6月に、メドカーフらによる「危機と信頼 インド太平
洋アジアにおける大国と海洋安全保障 J(41)が発表された。連結性の高まったイ
ンド洋と太平洋を一体で捉えるインド太平洋の概念規定は、 2010年のレポート
(
42を参照して継承していた (43)。インド太平洋地域の軍事・安全保障情勢の分析
)

と、情勢認識に伴う提言を行う内容であった。
つづけて 2
011年7月にはトシ・ヨシハラ (
Tos
hiY
osh
iha
ra) によるアメリカ軍
によるオーストラリアへのプレゼンス増強を論じた小論がローウイから発表さ
れた川 o I
艦隊の展開をスエズ以東に集中させることにより、今まで以上にア
メリカ海軍は実質的にインド太平洋の海軍となるだろう J(45)と論じるなど、イ
ンド太平洋概念を頻用していたが、インド太平洋概念の提示に力点を置いた議
76 2015年 6月

論ではなかった。日本でも海洋政策に関する機関誌でヨシハラ論文の要旨が紹
介されるなど側、一定の関心を集めたと考えられる O ヨシハラ論文はインド太
平洋概念について参照元を示していない。
(
3)2
011年 10月のクリントン論文
クリントン国務長官は、「フォーリン・ポリシー』誌に発表した論文「アメ
リカの太平洋の世紀」において、再びインド太平洋という言葉を用いた (
4九こ
の論文でもインド太平洋への言及は 1
度だけであり、「われわれは同様に、オー
ストラリアとの同盟関係を太平洋のパートナーシップからインド太平洋のパー
トナーシップ、そしてついにはグローパルなパートナーシップへと拡大してい
る」という丈で用いたのみであった (481。前年の演説と同様に、インド太平洋の
定義は示していない。しかし、この論文を直接的なきっかけとして、インド太
平洋概念が流行することになった。それは、以下のように、インド洋と太平洋
の連結性の高まりを繰り返し論じたためであった。

アジア太平洋は、グローパルな政治の主要な原動力となった。インド亜大
陸からアメリカ大陸西岸へと広がるこの地域は、海運と戦略によってます
ます結びついた 2つの大洋 太平洋とインド洋一ーに及んでいる。
•••• (引用者注:オーストラリアとの協力の文脈) …-われわれはまた、
東南アジアおよびインド洋地域での作戦アクセスをいかにして拡大し、同
盟国やパートナーとのコンタクトを深化させることができるかを検討して

、るO

この地域における新たな挑戦に対応するならば、いかにしてわれわれはイ
ンド洋と太平洋の連結性の高まりを操作的概念として表現できるかという
問題にわれわれは答えなければならない附

インド洋と太平洋の連結性を論じたこれらの箇所は、インド太平洋という言
葉とは直接的に結びつけられていない。つまり、インド洋と太平洋の連結性を
表現する概念の必要性を指摘しながら、インド太平洋をその答えとは明示して
いない。しかし、論文の中で 1
度だけではあるが用いられているインド太平洋
という概念こそが、求められている概念の候補となりうることはこの論文で暗
示されていたと言えよう。
アメリカの現役国務長官によるこの論文が高い注目を集めたことは当然であ
るが、インド太平洋をめぐる議論に影響を及ぼしたことが以後の引用状況から
国際安全保障 第 43
巻第 1号 7
7

確認できる。グーグル・スカラーを用いた検索によると、クリントン論文は
584件の論文等で引用されており、うち 67 n
件がインド太平洋(ido
-pa
cif
ic)と
いう語を含むものであった酬。クリントン論文では I度しか用いられていない
インド太平洋という言葉が、 6
7件の論文等で用いられていることは、インド太
平洋をめぐる議論でこの論文が注目されたことを示している O なお、論文形式
で発表されたものではないので単純な比較はできないが、 2010
年lO月のクリン
トン演説は 44件で引用されており、インド太平洋という言葉を含むものはその
うちの 4件であった。本稿でこれまでに紹介したクリントン論文以前の論考で、
グーグル・スカラー上の被引用件数が最も多いものは、オ一スリンの政策提言
の1
2
計{件牛でで、あつた(削
5

凶I

)

本稿は、上記のような引用状況、ならびに次項で確認するような以後の議論
の隆盛から、クリントン論文がインド太平洋論の発展における最重要の契機で
あったと考える O ただしこのことは、 2010
年以来インド太平洋という言葉の使
用が次第に増加していたこと、ならびにインド太平洋という言葉を用いずに行
われてきた先行の議論の存在をふまえて理解する必要があろう。
(
4) インド太平洋論の急拡大
クリントン論文以後、インド太平洋論の広がりは加速した。たとえばシャム・
サラン (ShyamS
ara
n) (521や
、 C ・ラージャ・モーハン(c.R
ajaMohan) (531、サ
ンジヤヤ・パールー (
Sa町a
yaB
aru
) (541、デイヴイツド・ブリユースター (
Dav
id
B
rew
ste
r) (町、そしてカプランが同年lO月から 1
1月にかけて、インド太平洋と
いう言葉を用いて議論を展開した刷。
インド洋や南シナ海をめぐる議論の中心人物であったカプランがクリントン
論文からまもなくインド太平洋概念を用いたことに象徴されるように (571、南シ
ナ海を中心とする東南アジア周辺海域やインド洋への関心の高まりと、インド
太平洋概念が結び、ついた。つまりクリントン論文は、中国の海洋進出の強化や
「ピボット Jや「リバランス」という言葉で語られるアメリカのアジア太平洋
重視方針酬といった実際の国際政治状況を背景に、以前から盛んに行われてい
た議論と、インド太平洋という新たな概念の結びつきを広く知らしめることに
より、インド太平洋をめぐる議論を拡大させたと言えよう。
とりわけ、このインド太平洋という新たな概念に国名を冠されたインドで、
インド太平洋概念への言及が急増した。インド元外務次官のサランは、 2011年
lO月の論説記事で、「この 1
年間に、インドの戦略をめぐる言説で、『インド太
平洋Jという用語が市民権を得た」と指摘していた (591。たしかに、クリントン
7
8 2015
年 6月

論文以前にもインドでインド太平洋への言及が散見される O オースリンが同年
5月にインド・チェンナイを訪れて行った研究報告はインド太平洋概念ととも
に新聞記事で紹介されており側、アメリカ連邦議会上院軍事委員会の同年6月
の報告書がインドとの関係の文脈で「インド太平洋地域Jという言葉を用いた
ことも新聞に掲載されていた (61)。サランの言うようにクリントン論文以前から
インドではインド太平洋論が見られるが、本格化はクリントン論文以後であっ


政府レベルでの使用も広がった。インド政府の公式文書での使用は行われて
いないが、マンモーハン・シン (ManmohanS
ing
h) 首相(当時)が 2012年 1
2
月のインド ASEAN
会議での演説や、 2013年3月の東京での日印友好議員連盟と
の会合でのスピーチ等で用いている (620 アメリカではクリントン論文以後、政
府高官によるインド太平洋への言及が増えた刷。政府による公的な政策文書へ
の採用は行われていないが、政府機関である同家情報会議の出版物には登場し
ている(刷。インド洋と太平洋の両方に接するオーストラリアでは、自国の戦略
的価値を高めうる新たな概念として、インド太平洋概念の積極的な受容が見ら
れた刷。 2013年5月に発表した国防白書で、「東南アジアを通りインド洋と太平
洋を連結する、新たなインド太平洋という戦略的弧が現れはじめている」と
して刷、そのことに特徴付けられる新たな戦略的環境のなかで自国の安全保障
を論じた。メドカーフによると、これは政府の公式丈書がインド太平洋とい
う用語を採用した最初の例であるという (
6円。インド太平洋の中核に位置する
ASEAN諸国でも政府首脳らによる演説での言及が見られ、インドネシアのマ
ルテイ・ナタレガワ (Ma
町 N
ata
leg
awa
) 外相による「インド太平洋友好協力
条約」構想が代表的な使用の例であろう酬。
(
5) インド太平洋論のその後
本稿の目的はインド太平洋論の形成過程を追うことにあるが、議論が盛んに
なった後の展開についても先行研究に基づいて整理を行いたい。初期の議論で
はインド太平洋概念を肯定的に捉える論者が中心であったが、南シナ海とイン
ド洋を中心とする海洋安全保障の問題がインド太平洋という概念で広く語られ
るようになると、各国でその概念や関連する政策をめぐる賛否両論が交わされ
るようになった。
たとえばインドでは、早い段階からインド太平洋概念に対する意見が分かれ
た。プリヤー・チャコ (
Pri
yaC
hac
ko) の整理によると、①インド太平洋概念
を利用してアメリカとの安全保障協力を推進すべきとの説や、②中国をも含む
国 際 安 全 保 障 第 43
巻第 1号 79

開かれた多国間メカニズムの構築のためにインド太平洋概念を用いるべきとの
説、③戦略的自律性重視の立場からインド太平洋概念を否定する意見が見られ
た酬。①の対米協力推進論を代表するラージャ・モーハンは、 2
012年 1
0月に刊
行した著書で中国への対t
元のためにアメリカとの協力の必要性を論じた問。す
るとインド政府のシヴシャンカル・メノン (
Shi
vsh
ank
arM
eno
n) 国家安全保障
担当首相補佐官は、同書の刊行イベントで、インド太平洋をひとつの地政学的
ユニットとして捉えるべきでないと主張し、海洋をめぐるインドと中国の対立
を不可避とするラージャ・モーハンに反論した (71)。メノンは別のスピーチで、
インド太平洋における開かれたアーキテクチャの構築を呼びかけている(72)。
アメリカではオパマ (
Bar
ackO
bam
a) 政権の第2
期 (
201
3年以降)に入って
から、インド太平洋への言及が減っているという問。政府レベルではおそらく
最も積極的にインド太平洋概念を採用したオーストラリアでも、賛成論だけで
はなく、最大の貿易相手国である中国との関係を重視する観点からの慎重論が
あるという向。 ASEANでもアメリカの対中戦略との関連が見えるインド太平
洋概念に対して各国の立場が分かれており、概して警戒的であるという(問。日
本では 2
012年 1
2月に発足した安倍晋三政権の下で、首相や外相による演説に採
用されている (76)。
このようにインド太平洋概念はおもに中国による海洋進出との関係で考察を
されているが、 2
013年までの動向を対象とする先行研究によると、中国ではさ
ほど高い関心を向けられていないという (77)。政府指導部はインド太平洋という
地域の認識を行っておらず、また中国の研究者によるインド太平洋概念の分析
も多くないという問。インド太平洋をめぐる議論と関連する、アメリカのいわ
ゆる「リバランス」については、当然のことながら中国でも多大な関心が向け
られているが、そうした議論で用いられている地域概念はインド太平洋ではな
く従来のアジア太平洋であるという (79)o

おわりに

インド太平洋という言葉自体は以前から存在しており、海洋安全保障の文脈
でもまれに使われていた。しかし現在に至る議論の端緒は 2
010
年にあり、それ
以前の使用例からの直接的な影響を受けていなかった。同年にローウイやオー
スリンによる研究、クリントン演説などの先駆けとなるインド太平洋概念の使
用例が表れた。こうした議論の背景にあったのは、南シナ海やインド洋の海洋
8
0 2015年 6月

安全保障への関心の高める国際政治状況や、そうした状況への着目を促したカ
プランらによる先行する言説であった。そしてインド洋と太平洋の連結性を論
じた 2
011年のクリントン論文により、インド太平洋概念が既存の南シナ海やイ
ンド洋をめぐる議論と結びついて、インド太平洋をめぐる議論が拡大した。以
上が、本稿で検討したインド太平洋論の形成と拡大の過程、すなわち「どのよ
うにインド太平洋論が広まったのか」という問題に対する手短な解答である O
冒頭で示した概念と現実世界の相互構成という観点に立ち戻ってみよう O 現
実世界から概念へのベクトルに関して、本稿の検討はその一部を明らかにした。
ただし本稿は言説の検討に注力したために、インド太平洋論の背景となった現
実の国際政治の動向について、本格的な分析を展開できなかった。しかしその
点については、インド太平洋概念の流行以前から行われていたカプランによる
研究を含めて、すでに多く行われている先行研究を参照されたい。たとえば山
本は、インド太平洋概念に注目が集まった理由として、①当該海域での国家間
対立の顕在化、②アメリカのアジア回帰政策、③中国やインドなどの新興国の
台頭、④新興国の台頭に伴う海運の重要性の増大、⑤グローパル・コモンズと
しての海洋を守るための秩序維持の必要性の認識という 5
点を論じている酬。
最後に、もう一方のベクトルであるインド太平洋論から現実の国際政治への
影響に関連して、インド太平洋論の政策的な中身について、本稿の検討から得
られた知識を整理してみたい。インド太平洋とは、文字通り、従来は別々に考
えられてきたインド洋と太平洋を結びつけて一体に捉える概念である O した
がって、両海域の連結性を認める点はインド太平洋論全体に共通している。し
かしその連結性の認識から引き出される政策的示唆は一様でない。インド太平
洋概念が範障とするインド洋と西太平洋はあまりに広大であり、その全体の重
要性を論じることは政策論としての有用性を持たないため、インド太平洋概念
を用いた政策論は多くの場合、より狭い地域への関心を喚起する議論を展開し
ている。
インド太平洋をめぐる政策論は、両大洋の一方を重視する固などに他方への
関心を向けさせる議論 (
A) と、インド洋と太平洋の重なる地域を重視する議
論 (
B) との 2
種類に分けられる O 前者 (
A) は、たとえばインド洋を死活的国
益の領域と考えるインドに、インド洋との一体性が認識される太平洋への関心
を促す議論である O インド太平洋概念を援用してインドにとっての太平洋の重
要性を論じたサランの議論は、この例にあたる (811。後者 (
B) は、インド洋と
太平洋の接点である東南アジア海域を重祝するものである。インド太平洋概念
国 際 安 全 保 障 第43巻第 1号 8
1

を用いた政策論の多くはこの (
B) に区分でき、南シナ海やマラッカ海峡など
の東南アジア海域が焦点となっている O さらにこの東南アジア海域重視の政策
論は、中国を含まない各国の協力を構想している場合 (B幽1)と、中国を枠内
に含む構想 (
B-2
)に分けることができる。オースリンやカプランの議論は (
B-1
)
に該当しており、中国が南シナ海などで排他的な支配を確立することを懸念し
て、中国の海洋進出への対抗策としてインド太平洋概念を用いている IH2)。聞か
れた包括的な協力枠組みを述べたメノンの議論が (
B-2
) の例であり、自由な
航行の確保という目標のためには中国との協力が可能であると語っていた問。
インド太平洋論の流行はクリントン国務長官による演説や論文を重要な契機と
していたため、インド太平洋という概念にはアメリカ主導のイメージが強く、
また民間の論者によるアメリカ向けの政策論は中国への対抗策として構想され
た (
B-1)に該当する例が多かった。
2010年から広がったインド太平洋という概念は、数年の間に外交安全保障の
言説で、知れ渡った。議論がその概念を紹介する段階から政策論へと移り、各ア
クターの立場や利害関係が次第に明らかになった。その結果、インド太平洋論
は東南アジアを中心とする海域において中国との関係をどのように取り結ぶべ
きかをめぐる議論が中心となった O 政府レベルでのインド太平洋概念の公式な
採用は広がっておらず、インド太平洋が既存の地域概念に替わりうるような新
たな地域概念として定着したとは言いがたい状況にある。
(たまり かずとし 日本学術振興会特別研究員)

注)本研究は科研費・特別研究員奨励費 (
25・2
26) の助成を受けたものである。
0


(
1) アジア太平洋概念の形成に関する 1960年代から 70年代にかけての動向について
は、以下を参照されたい。河野康子「日本外交と地域主義 アジア太平洋地域
r
概念の形成 J 年報政治学J第48号 、 1997年 、 1 17-
132頁。
(
2) APEC発足後のアジア太平洋における地域協力の発展については、以下を参照
されたし、。 AmitavAcharya “
,Ide
as,Id
enti
ty,andIns
titu
tio
n -
buil
ding
:Fromt he‘ASEAN
Way'toth
e‘Asia
-Pac
ific'Way?"ThePaci
ficReview,Vol
.1 0,No.3,1997,p
p .319-
346
(
3) A shl
eyJ.Te
lls,
i “TheM eri
tsofDehyphen
ation:Explain
i ngU.S.Succ
essi nEngag
ing
In
diaandPak
istan,
"W a
sh i
ngtonQua
rtery,
l Vo.l3.No.4,
1 Autumn2008, pp
.2 1-
42.
(
4) H ele
neCooper,“ObamaR eapsDiplom
aticW i
ndfallasG oodw
illL i
ngers,
"NewY or
k
Tims,
e Feb
ruary26,2009.
(
5) 本稿では、原則的に「インド太平洋(I ndo-Pa
cifi
c)Jという言葉が用いられた
8
2 2015年 6月

議論のみを考察の対象としており、そうした議論のことを「インド太平洋論」と
称している 同様の意味を指す他の用語による議論は、インド太平洋論に関連す
O

る限りにおいて検討している。
(
6) たとえば検索サービスのグーグル・スカラー ( h
ttp
s:l
lsc
hol
訂. g
oogl
e.c
oj
.p
/) を用
いた検索によると (2
014年 1
2月に実施)、インド太平洋(In do-Pa
cif
ic) という単
語を含む論文等で被引用件数上位3件は、いずれもサンゴ礁を主題とする書籍や
論文である O
(
7) DavidS cott,
“ The‘ Indo-Pacific'-NewR egiona
lF ormulationsandNewM ari
tim e
Frameworksf orU S-IndiaS t
r a
tegicCo n
verg ence,
"A si
a-Pac
ificReview,Vol .19,No.2.
2012,pp.85-1 09
(
8) RoryM edcalf“TheI
, ndo-Pacif
ic:Wha 'si
t naName?"TheAmericanl n
tere
st,Vo.
l9 ,
No.2,O ct
o be
r2 013 .
(
9) とくにインド太平洋概念については山本吉宣が検討を行っている。山本吉宣「イ
ンド太平洋概念をめぐって」日本国際問題研究所編『アジア(特に南シナ海・イ
ンド洋)における安全保障秩序』日本国際問題研究所、 2 013年、 5 -24頁。
(
10) JamesA .B outilier“R
, eflecti
onsont heNewI ndo
-PacificM aritimeandNaval
Environment,
"J our nalof t
h eA u
stralianNavall ns
titu
te,No.1 14,Wint
er2004,p p.ト 11,
http
://members.n
a vy1eague.ca/_documents!SAFTI%200402.p df
.
(
11) I b
id.,p
.1 .
(
12) P eterCozens, “ SomeR eflecti
onsonM arit i
meDevelopmentsi nth eIndo-
Pacif
i c
Duringt heP astS ixtyY ears,"MaritimeA f
f a
irs:Journaloft heN ationalMaritime
Foundationof l
nd ia,Vo.l1, No.1 ,Winter2005, pp
.1 5-
35.
(
13) S tuartKaye, “ Freedomo fN avigationi nt h
eI ndo-P
acificRegion, "Papersi n
Aust
ralianMaritimeA ffairs,No.22,2008,p p.ト54,h ttp
s:l!www.na
vy .g
ov.au
!site
s !
defaul
t!files!do cuments!PIAMA22.pd.
f
(
14) ArunP rak ash,
“AssumingL eadershi
p:WithA sia-
Pacifi
ci nF erment,Indi
ac anno
LongerA仔o r
dt ob eShy ,
"Force,December2009.2009年 11月 1 7日にインドネシア・
ジャカルタ行われた演説の原稿に基づく記事。
(
15) インドにおけるインド太平洋という言葉の使用状況については、以下を参
!
照。 DavidScott, “I ndiaa ndt heAllureoft he‘Indo
-Paci
fic,
'"ln t
ernat
ionalStudi
es,Vo .
l
49,No.3&4),J u
l y& O ctober2012, p
.1 67
.出版年は 2012年とされているが、刊行は
2014年に行われた。
(
16) S cott
“,The‘ I n
d o
-Pacific,"p
' .91.
(
17) S cot “I
t, ndiaandt heA ll ur
eoft he‘Indo-Paci
fic,"p
' .166;G urpreetS.Khurana,
“Secu
rityo fSeaL ines:P rospectsforI ndia
- Jap
anC ooper
ation,
"S tra
tegi
cA nalys
is,Vol.
31,No.1 ,Janualγ-February2007, pp
.1 39-153.
(
18) 外務省 1 2つの海の交わり」安倍総理演説、 2007年 8月2 2日、 h ttp://w
ww.mof
a .
go.j
p!mofa
j/press/enzetsu!19!eabe_0822.htmlo
(
19) D anielT w
i ning,AsA
“ siaR i
ses:Howt heW estCanE nlar
gei t
sCommunityo fValu
e s
andInter
estsint heIndo-PacificR egio "B
n, r
u s
selsForum,P aperSerie
s,2010
(
20) I bi
d.,p.4.下線は本稿筆者による O
(
21) 著者紹介の記述による。 I bid
.,p.2 主たる所属はジャーマン・マーシャル・フア
ンド。
国 際 安 全 保 障 第 43
巻第 1号 8
3

(
22) I bi
d.
(
α2
3) MalcolmCook,Rao凶 1Hei
u n
1
l

汀 叩c
f
l hs
I
】S,RorηyMedc叫 aIfandAndrewS h e
arer
,.

Choice
:A sianS e
curitη yFu旬r
印巴ピ,
s"LowyI n
s凶tl
t
旬ut
匂eforIntem
ationalPoli
陀cy,June2 010.アジ
アの安全保障体制の将来をめぐり、(1)アメリカの優越、 ( ) 大国聞の勢力均衡、
2
(3) 大国による協調、 ( 4) 中国の優越という 4つの可能性を論じている O
(
24) I bi
d.,p.31.下線は本稿筆者による。
(
25) U .S.D epartmentofS tate,
“A meri ca'sEngagementi nt h
eA si
a-Pacifi
c,"Remarksby
Hil
laryRodhamC linton, Secretaryo f S
t at
e, atK ah
alaH ot
el, Ho
nolulu, October2 8,2010,
http:
//www.sta
te.gov/sec re
ta r
y/2 009201 3c
l in
t o
nlr紅白 0101
10 1
15014l.h t
m.下線は本稿筆
者による O

(
26) たとえば以下の研究ではクリントン演説が言及されている o S cot
t,“New
RegionalF o
rmulationsa ndNewM ariti eFrameworks,
m "p.8 9 山本「インド太平洋
概念をめぐって J1 7頁 。
(
27) M ichaelA us
lin, Secu ri
砂i nt he! ndo-PacificCommons:TowardaR egion a
lS trat
egy,
AmericanE nter
priseI nstit
ute,2010,p p.1 -2
9. オースリンはこの政策提言に基づく
論 文 を 2011年3月にも発表している。 M ichaelAuslin,
“T ippingP o
inti nth eIndo-
Pac
i f
ic",Th 巴AmericanI ntere
st,M arch/A pril2 011,http://ww
w.the-american-intere
st.
coml20II/03/0I
1tipping-point-in-the-indo-
p acif
ic/.
(
28) A uslin,Secu
riぴi nt he!ndo-P aci万cCommons,p .7.
(
29) I bi
d.
(
30) 中国の軍事力増強や北朝鮮の核問題などのインド太平洋地域における問題に
対処するためには、アメリカが地域の同盟国やパートナーとの個別の協力関係を
行う従来のハブ・アンド・スポークス方式だけでは不十分であると論じている。
Ib
id.,pp
.2 2-23.
(
31) I bi
d.,p.1
(
32) I bi
d.,pp.22-26
(
33) 竹田いさみ『世界を動かす海賊Jちくま新書、 2013年 、 56頁 。
(
34) 庄司智孝 iASEANと南シナ海問題一一2011年前半の動きを中心に J 防衛研 r
究所ニュース.1 1 55号、 2 011年6月 、 1 -
4頁 。
(
35) R obertD .Kaplan, ‘.CenterS tagef ort he2 1stCentury:PowerP laysint heI ndia
n
Ocean,"F oreinグ
g ベairs,Vo. l8 8,N o.2,M a
r ch/Apr
il2009,h ttps://www
.foreignaff
air
目s
com
larti
cles/e
ast-
asia/2 009-03-01 /cen t
er-stage-21st
-cen
tury
;R obertD K
目 apla n,Monsoon:
The! nd
i anOceanandt h
eF utur e0 /AmericanPower,RandomHouse,2010 (ロパー
ト .D・カプラン、『インド洋圏が、世界を動かす モンスーンが結ぶ躍進国
家群はどこへ向かうのか』奥山真司・関根光宏訳、インターシフト、 2012年):
RobertD.K aplan,Asi as Cauldro n:T heSo uthChinaSeaandt heEnd0 /aStablePacific,
RandomHouse, 2014(ロパート・ D・カプラン、『南シナ海 中国海洋覇権の野望』
奥山真司訳、講談社、 2014 年) •
(
36) カプランによる初期のインド太平洋概念の使用例として、以下を参照。
RobertKaplan“,TheUSNavyF o ster dGl
e obali
zati
on:Wes ti
llNeedi t,
"F in
a ncialTimes,
November29, 201
1
(
37) JohnF .B radford,
Ind
由o-Pa

叩c
i白恥cSeaLa即ne
l
児 s,"C仰ontem 仰pormη S
ヲI,
ア 晶 ω
l
otthe
舵 ω
a
.s
t必ASl
ωa
:AJ ournl0
a /!nternationaland
8
4 2015年 6月

Stra
teg川 府i rs,Vo.13 3,No.2, August2 011,pp.1 83-
208.
(
38) W alt erLohman, “S h apingU .
S.'sF ut
u r
ei ntheI nd
o-Pacif
ic,"TheW a s
h ing
t on万mes,
Apri
l20, 2011.
(
39) M ich aelW esle y,I
“ rre
sist
ibleR i
seo ftheIndo-Pacif
ic,"TheA us
tralian,May4,2 011.
(
40) 日本国際フォーラム編 n スマート・パワ一時代Jにおける日米同盟と日本外
交J日本国際フォーラム、 2 011年。下記を参照した。神谷万丈「日本と『インド
太平洋』一一期待と問題点」日本国際間題研究所編『アジア(特に南シナ海・イ
ンド洋)における安全保障秩序』日本国際問題研究所、 2013年 、 3 0-31頁。
(
41) RoryM edca lfandR aoulH einrichs,withJustinJones,
Powersa ndM a r
i timeS ecur
it yinI ndo-
P a
cificA sia,
"LowyI n
stit
utef o
rI ntemational
Polic
y,J u
ne2 011.なお、このレポートに見られる「インド太平洋アジア j はイン
ド太平洋概念の新たな展開と捉えることができるとの指摘を匿名の杏読者から受
けた。
(
42) Cook,e .a
t 1
.“Powera
, ndC hoice
."
(
43) Medcalf , e
ta
. 1
.“C
, ri
s i
sa ndCon 自d ence,
"p.5 6
.
(
44) T osh iY osh
i h
a ra,‘'ResidentP ower:TheCasef o
ra nEnhancedUSM ilitar
yP resence
inAustralia,"StrategicS napshots,LowyI nst
itu
tef orInter
natio
nalP o
licy,July2 011,p p
.
1-4,http :
//www.lowyin s
t i
tute.org/pub
l i
cations
/resident
-power-c
ase-en
hanced-us-mil
i t
ar y
-
pres
ence- a
ustralia
(
45) I bi
d .,p.4.
(
46) 海洋政策研究財団編『海洋安全保障情報月報.1 2 011年7月号、 8頁 。
(
47) H illaryC linton,A
“ merica'sP a
cifi
cCenωry ,
"F oreignPolicy,October11,2 011.
(
48) I bi
d .
(
49) I bi
d .
(
50) クリントン論文を引用する 584件を対象にして“i ndo-
pacif
ic"を含む論文等を拙
出したところ、 67件が該当した。グーグル・スカラーにおいて 2 015年4月20日に
実施した検索による O 以下のグーグル・スカラーにおける検索も同じ日に行った。
(
51) オースリンの政策提言への引用がグーグル・スカラーで確認される 1 2件は、
すべてクリントン論文以降に発表されたものである O ただし 2 011年 1 1月発表の I
件 ( LarIss
aFo rster“T
, rustCa nnotBeS urge
d:C hallengestoN avalFor wardP resence,
"
Navalf f匂rC ollegeReview,Vo 12
. 7,No.3,2 011) はクリントン論文とほぼ同時期の
発表であった。
(
52) ShyamS aran,Mappingt
“ heIndo-Pa
cific,
"TheJ nd
ianE xpres
s, O
ctob er29,2 01
1
(
53) C .R勾aMohan, “I ndiaa ndA u
stralia:Marit imePartnersintheI ndo-Pac
i f
ic,"The
AsiaLinkE ssays,Asialink目Th eUnivers
ityo fMelbourne,2011,h即: lla
sial
i n
k.uni
melb.
edu.au
l
asi
alin
k _dialo
gue/the_asiali
nk_essay
s/pa
s t
lind
ia_and_aus
tra
lia_ma
ritime.
.
.pa
rtners
jn _thejndo-
pac
if
ic.
(
54) S an jayaB a r
u,“A merica'sNew' Pacif
icO ff
e ns
ive':A S tr
ategytoC ontainChina, "
EconomyWatch, November1 7,2011,http://www.economywatch.comlec
o nomy-business-
and-fina n
ce-ne ws/ame r
i cas-
ne wゃacific-of
fensi
ve-a-st
rategy-
to-co
ntain
-c h
ina.17-11.ht
m l
(
55) DavidBrewster ,“E volving‘ MentalMaps':I ndiaa sanA s
ia-P a
c i
f i
cPower ,
"
November3 0,20 11,F utureD irect
ionsI nte
rnati
onal,h口p :
llwww.
futured
i r
e c
tions.org.
a u
l
publica ti
ons/indian-o c
e a
nl29-i n
dian- o
cean-swa32
l 1-evolvin
g-mental-maps-india-as-
a n
-
国 際 安 全 保 障 第 43
巻第 1号 8
5

asi
a-pacifi
c-pow
e r.
html.
(
56) K apl an,TheUSNavyF
“ oster
edGl obali
zation."
(
57) I b
id. クリントン論文への言及はないが、タイミングからして、クリントン論
文が直接的あるいは間接的にカプランの議論に影響したと推測される O
(
58) 森聡「オパマ政権のアジア太平洋シフト j 日本国際問題研究所編『米国内政
と外交における新展開.1 2 013年、 6 1-
96頁。
(
59) S aran,M
“ appingt heI n
do-Paci
fic."
(
60) “ Five-n
ationT ri
angularAxis,Including,Indi
aMooted, "T heHindu,May1 1,20 1
1.
(
61) “ ti
I sinUSI nte
resttoS uppor
tI n
dia'
sR ise:CongC ommittee,"TheJ n
dianE xpress,
June25,2 011
.
(
62) M inistryo fE x
ternalAffairs,Governmento fIndia,
“ OpeningS tate
mentbyP rime
Mini
ste ratPlenaryS ess
io nofIndia-ASEANCommemorativeSummit, "December2 0,
2012,h tt
p://mea.gov
.inlSpeeches
-St a
tements
.h t
m?dtlI20981/Opening+Sta
tement+by+ P
ri
me+Minister+at+Plenary+Session+of+lndiaASEAN+Commemorative+Summit;M ini
stry
ofExte rn
alA ff
a is,Governmento
r fI n
dia,“ PrimeM inister
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an -
India
Asso
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on,Jap an
-IndiaPa r
1iamentaryF rie
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ematio
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ExchangeC ounci "May28,2
l, 013,PrimeM inister'sAddresstoJ a
pan-In
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n,
Japan
- IndiaPar1iamentaryF rien
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pLeagueandI ntemati
onalF r
iendshipExchange
Counci1,http
://pib.n
ic.inl
newsite/e
r e
lease.
aspx?rel
id=9625
7
(
63) クリントン論文発表後の例として、国務次官補代理による 2 011年 11月の発言
がある。 U .S
.D e
partmento fState,
“NextS tepsont heSilkRoad,"speechbyG e o
ffrey
Pya
tt,November1 5,2011,h tt
p://www.st
ate.go
v /
p /
sca/rls
/rmks/2
011l17717
9.htm.
(
64) 東アジアの戦略環境に関する文脈で、「インド太平洋が2 1世紀における最重
要の国際水域として表れている」と記されている。 G lobalTrends2030:Alternat
ive
W匂rlds,Nation
alI nte
llige
nceC ouncil,December2012, p.80
(
65) オーストラリアの動向については、以下を参照した。菊池努「インド太平
洋の安全保障秩序と SwingS tat
esへの対応」日本国際問題研究所編『アジア(特
に南シナ海・インド洋)における安全保障秩序』日本国際問題研究所、 2 013年、
128-131頁。
(
66) D吃f enc
eW hitePaper2013, Austra
lianGovemment,D epartmen
to fDefence,2013,P
7 同白書には日次や見出しを含めるとインド太平洋という言葉が5 8回出現して
いる O
(
67) Medcalf ,T
“ helndo-P
acific
."
(
68) インド太平洋条約構想については以下を参照した。福田保 rASEAN と『イ
ンド太平洋条約 j 構 想 」 日 本 国 際 問 題 研 究 所 編 r rインド太平洋」時代の日本
外交一-SecondaryP owers/SwingS tat
esへの対応』日本国際問題研究所、 2014年 、
105-107頁;J ackG eorgi
ef f
,AnI
“ ndo
-Pacifi
cT reat
y :AnI deaWhoseTimeHasCome?"
TheDiplomat ,May1 7,20日 ,h ttp://th
ediploma.c
t oml20日/ 05/an
-indo
-paci
fic-t
reaty-
an-
idea-
w hose
-time-has-com
e/ .
(
69) P riyaChacko, “l ndiaa ndtheI ndo-
Pacific:AnEmergingR egionalVision,"Indo-
Pac
ificGovemanceR esearc hCentrePolicyBri e
f,No .5,November2 012.伊藤融はこの
3類型を中国への姿勢とアメリカへの姿勢を 2つの軸とするマトリックスで整理し
ている 伊藤融「インドから見た『インド太平洋.lJ日本国際問題研究所編
O -
n イ
8
6 2015年 6月

ンド太平洋」時代の日本外交--SecondaryPowers/SwingS ta
tesへの対応j B本国
際問題研究所、 2014年 、 84頁 。
(
70) C .R民j aMohan,SamudraManthan:S ino-I
ndianRivalryint h
elndo-Pa
cif
ic,Carnegi
e
Endowrnentf orInterna
tion
alP ea e,2
c 012. タイトルの「乳海撹枠(サムドラ・マン
タン ) J とは、神が海をかき混ぜ、て世界を創造したというヒンドゥーの神話のこ
とである O ラージャ・モーハンは、このタイトルにより、インド太平洋地域にお
ける海洋安全保障秩序の変容を強調している O
(
71) O bserverR esearchFoundatio “
n,T extofS peechofM r.ShivshankarMenon,Samudra
Manthan:S ino-India
nR ivalryint h
eI ndo-Pac
ific,
"March4,2013,O bserve
rR esearc
h
Fo u
ndation,h ttp
:// ww
w.orfo nline.orglcmslexportlorfonline
ldocument s/S
amudraω
Manthan.pdf.インド政府の公式見解ではなく、メノン個人の見解であることを前
置きしていた。
(
72) I nst
itu
tef orDefenceS t
udiesa ndA nalyses“
,S peakingNot e
satWorkshoponK a
utilya
-K a
utilyaToday ,"sp ee
chbyS h i
v shankarMenon,O ctober1 8,2012,http
://www.i
dsa
in
/keyspeeches /S
hivs h
ankarMe non_K a
utilyaToda
y.前述のチャコによる整理では③に
該当する。
(
73) 中山俊宏「オパマ外交におけるグランドストラテジーの不可能性一一『インド・
パシフイツク j概念の限界の初期的考察J日本国際間題研究所編 インド太平洋 j -
n
時代の日本外交一一S eco
ndar yP owers/ S
w i
ngS ta
tesへの対応』日本国際間題研究所、
2014年、 126頁 。
(
74) 菊池努 r rインド太平洋』の地域秩序とスイング・ステーツ (SwingS t
ate
s)、
地域制度」日本国際問題研究所編 r rイ ン ド 太 平 洋 」 時 代 の 日 本 外 交 一 一
SecondaryPowers/SwingS tatesへの対応』日本国際問題研究所、 2014年 、 30 頁。
(
75) 向上、 1 8真。 ASEANでの状況については、以下も参照した。福田 rASEANと『イ
ンド太平洋条約j 構想 J1 07-110頁。
(
76) 首 相 官 邸 「 日 本 は 戻 っ て き ま し た 」 安 倍 総 理 ス ピ ー チ 、 2013年2月22日 、
http:/
/www.kan
tei.go.
jp/jp/9
6_abe /
s tatem
e n
tl2013/0223spee
ch .
html;外務省「インド
太平洋時代のための特別なパートナーシップ」岸田外務大臣スピーチ、 2015年 1
月18日 、 h ttp://w
ww.mofa.goj
.p/mofa j
ls_sa/sw
/in/page22_001770.htl。
m
(
7
η 高木誠一郎「中国と『インド太平洋 j J日本国際問題研究所編 r rインド太平洋」
持代の口本外交 Seco
ndar yP owcrs/ S
w i
ngS ta
tcsへの対応』日本国際問題研究所、
2014年、 7 1-79頁。
(
78) 向上、 7 1-75頁。
(
79) 向上、 7 5-78頁。
(
80) 山本「インド太平洋概念をめぐって J6頁 。
(
81) S aran“
,Mappingt h
eI nd
o-Pac i自C."
(
82) A usln,S
i ecurit
yi nt h
el ndo-P a
c ifcCommons;Kaplan,
i “ TheUSNavyF ostered
Globali
zation,
"p p.1-29.
(
83) Menon “
,S peakingNotesatWorkshoponK a
utilya.
"

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