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国 際 安 全 保 障 第4

6巻 第 3号

[特集]

「インド太平洋」構想の射程と課題

神保 謙

はじめに:r
地域 J としてのインド太平洋

国際政治学における「地域」は、「実存性としての地域」よりも「関係性と
しての地域」として捉えられてきた。例えば、大庭三枝は地域を「ある地理的
範囲を他とは切り離された地理的まとまりであるとみなす人々の認識によって
支えられている、間主観的な社会的構築物 j と定義している(1)。国際関係の基
本的単位である主権国家を超えて、複数の国家のまとまりを地域概念、として定
義するのは容易ではない。なぜなら、地理学上の静態的な定義とは異なり、政治、
経済、社会的な結びつきや、多国間の制度形成、そこで展開される相互作用の
パターン化等によって、動態的に定義されてきたからである。「地域は伸び縮み」
(山影進)し、「書き換えられる J (T.J.ペンペル)とみなされた所以である (2)。
アジアをとりまく地域についても、 1980年代に興隆した「アジア太平洋」、
1
990年代に重要な概念となった「東アジア」、 2
000年代以降に顕著な傾向となっ
た「拡大東アジア」のそれぞれは、貿易投資関係の拡大と深化、経済的相互依
存関係の高まり、域内の政策協調に対する意義の共有によって牽引されつつ、
時代性に応じたまとまりを追求する政治的志向性のもたらした産物だ、った川。
これら時代における地域の重心 (
cen
tero
fgr
avi
ty) が地域を形成し、そして重
心の変化(への認識)が地域を書き換えたのである。
本特集号で取り上げる「インド太平洋 j は、果たして新たな地域としての重
心を獲得しようとしているのだろうか。「インド太平洋J は、定義する国家や
論者によってその射程は異なるものの、近年のアジアをとりまく地域概念とし
てはもっとも広大な地理的空間を対象としている。そのインド太平洋にどれだ
けの政治的、経済的、社会的結びつきの実態(二地域性)があるだろうか。そ
2 2
018年 1
2月

もそも我々の知る「インド太平洋」の定義、地理的範囲、政策上の優先順位に
どれだけ共有されたものがあるだろうか。
インド太平洋は「アジア太平洋」や「拡大アジア」にインドを組み込もうと
する拡大概念なのか、それとも従来の「地域」を再定義し書き換えようとする
新規の概念なのか。アジア太平洋におけるアジア太平洋経済協力会議 (APEC)、
東アジアにおける東南アジア諸国連合 (ASEAN) +3、拡大東アジアにおける
東アジア首脳会議 (EAS) のように、インド太平洋にも相応の地域枠組みや制
度が生み出されるのだろうか。それとも、中国の一帯一路構想 (
Bel
tandRoad
I
nit
iat
iv:BRI)が牽引する、ユーラシア大陸とインド洋広域への影響力の拡大
e
に対する、専ら対抗・競合概念として捉えるべきなのか。域内の大固と小国は「イ
ンド太平洋」の中でし、かなる行動形態をとり、それがどのような利害関係を生
じさせるのか。そして「インド太平洋」は政策概念のみならず、「地域」の重
心を実態として示す概念として本当に定着するだろうか。今日の「インド太平
洋」をめぐる問題の所在は、かようにも多岐に渡っているのである。

1.r
インド太平洋」構想の台頭と射程

インド太平洋という地域概念を早くから研究してきた日本同際問題研究所の
共同研究や米・豪・インドの研究者らの分析を総合すると、インド太平洋概念
の理解には論者による隔たりがあるものの、主として以下のような着目点があ
る1
1。
1

第一は地政学・安全保障面からの重要性の高まりである。中国の軍事的台頭
と海洋進出(東シナ海・南シナ海・インド洋)は、日米豪印そして一部の東南
アジア諸国に安全保障上の課題の共有と収数をもたらしている。互いの重視す
る海域の安全保障上の課題を参照しながら、戦略対話や合同演習が盛んに実施
されるようになっている。また米太平洋軍は西太平洋からインド洋までの広域
が責任区域 (AOR) であり、主要な同開国・パートナ一国の連携は戦略的統
合性を高めている。米太平洋軍は 2018年 6月に「インド太平洋軍」に名称を変
更し、名実ともにインド太平洋地域における役割を誇示することとなった。
第二は貿易投資関係を軸とする経済圏としての重要性である。旺盛な経済発
展を続けるアジアにおいて、新興大国のインドやインドネシアのウエイトが高
まりつつある。またバングラデシュ、パキスタン、イラン、 トルコ、エジプト
は、長期にわたる潜在的な経済成長が期待されている。アジア開発銀行 (ADB)
国 際 安 全 保 障 第4
6巻第 3号 3

によれば、 2016~2030 年の東アジア、東南アジア及び南アジアにおけるインフ

ラ需要は、 26兆ドル(年間で l兆7千億ド、ル)に達するとみられる (5) インド


太平洋」には潜在成長率の高い新興国がひしめき、貿易投資関係や経済的連結
性の拡大への期待が高い。
貿易投資をめぐる制度について、アジア太平洋経済協力会議 (
APE
C) は太
1の国と地域で構成されている。また「環太平洋ノ tートナー
平洋を取り囲む 2
シップに関する包括的および先進的な協定環太平洋経済連携協定 J(
CPT
PP)は

米トランプ政権の TPPからの離脱を受け、交渉参加国から米国を除いた 1
1カ
国で協定が合意された。インド太平洋のより包括的な制度としては、 ASEAN
0ヶ国に、日本、中国、韓国、インド、オーストラリア、ニュージーランドの 6ヶ
1
6ヶ国の「東アジア地域包括的経済連携 J (
国を含めた計 1 RCE
P)が、インドと
の接続性を高めた経済地域とすることの重要性も高まっている。
第三は自由で開かれた国際秩序の形成を主導する概念としての位置付けであ
る。とりわけ日本政府および豪政府が提唱する「インド太平洋」戦略(構想)には、
法の支配、航行の自由、自由貿易(他方で米国は「公正で互恵的な貿易」を強
調し経済秩序像を共有しているとは言い難し、)の重要性が強調されている(剖。
こうした価値を共有する国々が連携し、地域内における自由で聞かれた秩序を
将来にわたり主導するという考え方が重視されている。
この背景にあるのは、中国が「シルクロード経済ベルト j と r
21世紀の海洋
シルクロード」からなる一帯一路構想、によって、巨額の資金をインフラ投資に
つぎ込んでいることがある。一帯一路構想による投融資は、しばしば財政の健
全性に対する配慮、透明性、コンブライアンスに欠け、莫大な債務を投資先国
に負わせる事例が頻発した。とりわけスリランカのハンパントタ港の事例(中
国が融資したスリランカ南部のハンパントタ港開発はスリランカ政府が債務不
履行に陥り、 2017年 8月に 99年間の港湾運営権を中国に貸し出す契約が結ばれ
債務の民」によって主権を放棄させ、中国の経済・軍事的影響力を
た)は、 I
拡大させる布石とも解釈されたの。米シンクタンク「世界開発センター」によ
れば、ジブチ、キルギス、ラオス、モルディブ、モンゴ、ル、モンテネグロ、タ
ジキスタン、パキスタンの 8カ国がこうした「債務の畏」に陥るリスクが高い
とされる(へ
ここにインド太、ド洋地域にし、かなる経済秩序が定着するのか、というモデル
競争が存在している。日米豪は質の高いインフラ投資と経済性、透明性、ガパ
ナンスに優れた投融資を推進する。他方で中国は巨額のファンドを短期間でつ
4 2
018年 1
2月

ぎ込み、中国の資材と労働者を投入し、プロジェクトを推進する。インフラ整
備の先にあるのは、エネルギー産業や製造業の誘致、さらには通信網やデジタ
ル基盤整備による I
Tインフラ、そしてその先には電子商取引や電子決済を中心
とするサービスの普及がある。こうした経済秩序をめぐる競争こそが、インド
太平洋構想、に据えられている。

.r
2 インド太平洋」構想の可能性と課題

インド太平洋構想、は地域概念であると同時に、 2
1世紀の経済・海洋秩序を牽
引する政策概念として位置付けられている。その背景にあるのが、中国のグロー
パルな台頭にどう向き合うかという課題であることは明白である。以下では「競
争戦略」・「協力戦略」としてのインド太平洋、安全保障及び地経学的領域から
みた政策概念、としてのインド太平洋を位置付ける。

(
1)r
競争戦略」・「協力戦略」としてのインド太平洋構想
競争戦略 (
com
pet
iti
ves
tra
teg
y) の原理は、安全保障、経済、政治基盤の優
位性を保つため、台頭する競争相手国のパワーの基盤を揺るがし、資源を競争
劣位な分野に浪費させ、拡張政策のコストを賦課することなどにより長期的競
争を勝ち抜くことにあるへそのために彼我の軍事・経済・技術・財政のポー
トフォリオを比較し、競争相手の得意分野での占有を防ぎ、不得意・不採算分
野での投資を強いて競争体力を奪い、その開に次世代技術をリードすることに
より競争空間を変化させ、時間を味方につける。
米国のインド太平洋戦略と日本のインド太平洋構想には、「競争戦略」とし
ての位置付けを随所に見出すことができる。米国の『国家安全保障戦略~ (
201
7
年1
2月)は「インド太平洋では世界秩序をめぐり自由と抑圧の地政学的競争が
生じてし、る」と明記している (10)。米国がインド太平洋地域を主として中固と
の競争的空間として捉えていることは明白である。日本政府も平成 30年度『外
交青書』において「インド太平洋戦略」の柱として、「①航行の白由、法の支
配などの普及・定着、②国際スタンダードにのっとった『質の高いインフラ J
整備等を通じた連結性の強化などによる経済的繁栄の追求、③海上法執行能力
の向上支援、防災、不拡散などを含む平和と安定のための取組Jを挙げている (11)。
米国ほど明示的でないものの、ここには外交・経済・安全保障領域において、
中国との競争が意識されていることを読み取ることができる。
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他方で「インド太平洋」構想として見逃してはならないのは「協力戦略」
(
coo
per
ati
ves
tra
teg
y)としての側面である。これは同盟・パートナー固との協
力はもとより、「競争戦略 j の対象であった中国との協力関係の構築を意味し
ている。とりわけ 2
018年 1
0年の日中首脳会談で「互いに協力のパートナーであ
り、互いに脅威とならなしリとしづ原則を安倍首相と李克強首相が確認し、第
二国の利益となる企業間協力を推進することで 致したこと、また日中民間企
業・団体間で 52本の協力覚書が締結されたことは特筆すべきである (1ヘ 日 中 間
での「第三田市場協力 j は、明示はしていないものの日本のインド太平洋構想
と、中国の一帯一路構想、の接点を探る協力として注目された。
日本の対中政策に「競争戦略」と「協力戦略」が並存していることは、日本
のインド太平洋構想、にも多層的な解釈をもたらす。とりわけ東南アジア、南ア
ジア、中東、東アフリカ諸国から見れば、日本との協力関係の強化が、必ずし
も中国への対抗の一環とはならないという選択の自由度を上げることになる。
これは中国との経済的相互依存関係が深まる国々において、中国、日本、米国
のいずれかを選択するゼロサム的な関係から、双方を選択し得るノンゼロサム
的関係を生み出す契機ともなる。

(
2) 安全保障領域からみたインド太平洋

安全保障の領域でみたインド太平洋は、とりわけ米インド太平洋軍からみて
伝統的な責任区域である。インド太平洋広域に対し、米軍に匹敵する遠方投入
(パワープロジェクション)能力を持つ同盟国は存在しない。また米国のイン
ド太平洋地域における主要な同盟国(日本、豪州、インド、ニュージーランド、
フィリピン、タイ)の軍事能力にも大きな差が生じている。マティス(Ja
mes
M
att
is) 米国防長官は、 2
018年 6片のシャングリラ・ダイアローグにて、これ
ら同盟国やノ tートナー固との相互運用性(インターオペラビリティ)を、イン
ド太平洋地域全域に広げていくことを明示した(jヘインド太平洋の各海域に
おいて、同盟国・パートナ一国が米軍との協力関係をさらに連結させる方向性
が示されたと解釈できょう。
また日本政府はインド太平洋構想、において、安全保障面ではとりわけ人道支
援・災害救援 (HA/DR) 分野、及び能力構築支援を重視していく方向性を示
している。 HA/DR分野は、米軍が主催する多国間共同訓練(例:コブラコー
ルド演習、パリカタン演習他)の主要な課題であるほか、拡大ASEAN国防相
会議 (ADMMプラス)における政策協調の目標となっている。 HA/DR分野は、
6 2
01
8年 1
2月

巾固との関係においても協力を拡大できる領域であり、競争関係をいたずらに
煽ることになりにくい。
また日本政府は 2
013年の国家安全保障戦略と防衛大綱で能力構築支援を推進
することを語い、防衛省はこれまで東南アジアを中心に人材育成や技術支援等
の事業を拡充させてきた(1-1)こうした能力構築支援を通じて、日本と支援対
象固との二国間関係の強化が凶られるばかりでなく、米・豪・欧州諸国など他
の支援固との関係が深まり、さらに ADMMプラスなど地域全体の協力にも資
すると目されている。

(
3
) 地経学的領域からみたインド太平洋
現代の「経済の地理」は戦略性をもって拡大しようとしている。これを最も
顕著に推進しているのは「一帯一路」構想を標携する中国である。「シルクロー
ド経済ベルト j と [
21世紀の海上シルクローれから構成される│司構想、は、中
国から陸上北路として中央アジア・ロシア・ヨーロッパ、陸上中央路として中
央アジア・西アジア・ペルシア湾、海上路として東南アジア・南アジア・イン
ド洋・アフリカ大陸に至る大構想、である。[一帯 路」構想、をインフラ投資を
支援するため、アジアインフラ投資銀行 (
AII
B) を設立し、園内のシルクロー
ド基金を活用している。インフラ投資、貿易の拡大、通貨政策(元の国際化)
をパッケージとして推進する戦略的関与である。
日本政府のインド太平洋構想、も「連結性の向上等による経済的繁栄の追求」
を目指し、同地域における質の高いインフラ支援、貿易・投資、ビジネス環境
整備、開発、人材育成等を全面的に展開することを表明している。また安倍首
相はインド洋と太平洋をまたがる地域のインフラ整備に向けて 2
018年より 3年
で官民で約 5
00億ドル(約 5兆 5
000
億円)を投融資する仕組みをつくると表明し
た (1へ
米国は2
018年 1
0月に「海外インフラ投資の枠組みを支援・強化するための
法案 J (BUILD) を通じ、海外の戦略的機会への米国の民間投資を支援するた
め、米国政府の開発融資限度額を 6
00億ドルに引き上げる方針を示した([(iJ。さ
らに日米豪 3カ国は 2
018年 1
1月に国際協力銀行(JBIC)、米国海外民間投資公
社 (OPIC)、オーストラリア外務貿易省 (DFAT)および同輸出金融保険会社 (
Efi
c)
の間で、質の高いインフラを生産し、連結性を高め、持続可能な経済成長を推
進するインド太平洋投資計画を促進するための覚書に署名している (li)
国 際 安 全 保 障 第4
6巻第 3号 7

(
4)r
インド太平洋構想」の課題
これまで険討した地域概念及び、政策概念としての「インド太平洋Jには多く
の発展可能性がある一方で、数多くの課題も見出すことができる。
第一は、インド太平洋概念をめぐる地域内の認識は必ずしも一致しているわ
けではないことである。インド太平洋構想(戦略)の地理的範囲についても、
日本、米│司、豪州、インド、が念頭におく地理的範囲はかなり異なっている。ま
たインド太平洋において実ー現すべき秩序や原則について大まかな合意はあるも
のの、前述の「競争」と「協力」をどのように追求すべきかについては、温度
差を見出すことができる。たとえば、インドのモディ (
Nar
end
raModi) 首相は、
シャングリラ・ダイアローグの演説の中で、インド太平洋地域が「戦略とか、
限られた国々によるクラブとか 何かを支配する枠組みとか、いかなる国に対
抗しようとするものではなし、」と対抗的関係には釘を指している(1へモディ
首相が包摂性を重視し、日米豪印の 4カ国の協力関係 (QUAD協力)にみられ
る排他性を注意深く退けていたことは銘記されるべきであろう。
第二は、これまで地域形成の主軸であった ASEANがインド太平洋構想、や日
米印豪 4カ国の中で埋没してしまう懸念、大国政治に巻き込まれることや対
中包囲網の一貫として外交の柔軟性を喪失する懸念を抱えていることである。
2018年 8月に開催された ASEAN外相会議では、インドネシア外務省が起案し
た「インド太平洋に関するポジションペーパー j が議論された (1~) ここでは

ASEANのIjJ心性が維持され、開放的、透明性が維持され、ルールに基づく秩
序を推進するという、 ASEAN独自の見解をまとめる作業を行なっている。もっ
とも、これら日米豪印 4カ国を含む地域制度(例えば東アジア首脳会議や拡大
ASEAN国防相会議)を構築・主導してきたのもはからずも ASEAN自身である。
これまで地域枠組みの構築を主導してきた ASEANが、「インド太'f洋」をどの
ように捉えるかは、地域概念の成否に大きな影響を与えることは間違いないだ
ろう。
第三は、米中の戦略的競争が蟻烈さを増す中で、インド太平洋における「競
争戦略」と「協力戦略」のバランスが保てるか、という問題がある。仮に米国
は同盟国やパートナ一国に、対中貿易における関税化、先端技術のアクセス阻
止、通信機器等の中国製品導入の中 1
:などを強要した場合、インド太平洋戦略
は「競争的戦略 J としての側面を強めることになる。また口中の「第三同市場
協力」が成果を挙げることができず、一帯一路構想、とインド太平洋構想、の連結
が見出せない場合も同様である。さらに安全保障分野での米中対立が先鋭化し
8 2
018年 1
2月

た場合、インド太平洋全域にわたって米国及び同盟[玉!と中国との緊張関係が拡
大することも予想される。
インド太平洋構想、は、このような機会と課題を複合的に抱えながら、地域概
念・攻策概念としての重みを増している。インド太平洋が概念として定着する
かは、戦略観や政策優先順位の異なる国々の唱えるそれぞれの「インド太平洋 j
構想を、有機的に共存させることができるかどうかにかかっているのではない
だろうか。すなわちインド太平洋は特定の国の所有物ではなく、共有されたオー
ナシップがあってこそ、地域に定着すると考えられるのではないだろうか。

3 本特集号の射程

本特集号は、以上のような多くの課題を抱えるインド太平洋構想を、多角的
な視点から論じる内容となっている。大庭三枝論文「日本のインド太、jL作構想l
J
は、日本外交における地域構想、の概念の来歴を踏まえつつ、「インド太平洋」
への外交的地平の拡大を目指す背景を丹念に辿っている。日本のインド太平洋
構想、が、対中関係、の改善によって牽制色を徐々に抑えていったことや、米国の
対中姿勢の強硬化にも歩調を合わせる必要性が生じていることが、実証的に分
析される。また、外務省、防衛省、海上保安庁の概算要求で示された内容から、
インド太平洋構想、の実務的適用の実態を詳らかにしている。
辰巳由紀論文「戦略的概念としての『インド太平洋~ :米国の視点から j は

1
947年に設立された米太平洋軍 (PACOM)の責任区域としてのインド太平洋が、
米軍の地域概念として戦後長らく定着していた概念であることを明らかにして
いる。またジョージ .w・ブッシュ政権期の米印関係の改善、オノ tマ政権のア
ジア太平洋へのリバランス政策、 トランプ政権の打ち出したインド太平洋戦略
の政策過程を通じて、インド太平洋戦略に政権を跨ぐ政策の継続性を見出せる
ことを指摘している。
佐竹知彦論文「豪州とインド太平洋:多極化時代における新たな秩序を求め
てj は、早くからインド太平洋の重要性を認識していた豪政府が中国の台頭、
東アジアの経済及び戦略的重要性の上昇、そしてグローパルパワーとしてのイ
ンドの台頭を通じて、インド太平洋を戦略概念として外交・防衛政策に導入し
た経緯を分析する。とりわけ豪政府や識者らが推進するインド太平洋概念の中
に、「多極化」時代における新たな「秩序構想」としての意義を見出している
ことは注目すべき論点であろう O
国 際 安 全 保 障 第4
6巻 第 3号 9

長尾賢論文「インドにとっての『インド太平洋』戦略とは何か j では、冷戦
後初期の段階の「ルック・イースト j 政策でインド洋と太平洋の経済と安全保
障の連結性を重視する考え方を契機とし、インドは 2000年代に「インド太平洋」
を政策概念として普及させる経緯が示される。インド政府は、外交上は包摂性
を重視し、大国聞の対立を避けるため慎重に同概念を用いていることが分析さ
れる。ただし実際の軍事態勢や危機管理の事例を当てはめると、中国への対抗
を軸とした大国聞の連携重視が見据えられていると主張する。
以上のように、日本、米国、豪州、インドそれぞれからみた「インド太平洋」
としづ地域概念、インド太平洋戦略(構想)とし寸政策概念には、相当程度の
異なる来歴と政策上の優先順位があることがわかる。他方で、潜在的経済成長
が期待される地域への関与、中国の影響力拡大に対する牽制、海洋秩序の維持、
ルールに基づく秩序の重要性など、これら 4カ国が共有する価値と政策目標が
あることも明らかとなった。
冒頭に示した問題提起に戻れば、「インド太平洋」が地域の重心を実態とし
て示す概念として定着するかどうかは、この地域における政策の実践にかかっ
ているといえる。その問題提起と分析枠組みを提供した、という意味でも本特
集号が読者 l
こ禅益するところは大きいと考えている。他方で、本特集号が扱っ
た課題は、地域概念、及び政策概念としてのインド太平洋の一部に過ぎない。今
回の諸論文の問題提起が、さらなる研究の進展につながることを期待したい。
尚、今特集には自由投稿論文の青木健太「チャーパハール港開発と『インド
太平洋』地域の秩序形成 j を掲載している。同論文はイランのチャパハール港
開発を「インド太平洋 j をめぐる重要な地点と捉え、イランとパキスタン、イ
ンド、アフガニスタン、中国、米国等の関係を分析する優れた内容となってい
る。インド太平洋構想、が交錯する事例として、本特集号テーマの具体的事例と
して一読を勧めたい。
(じんぼけん 慶謄義塾大学)


(1)大陸三枝『重層的地域としてのアジア対立と共存の構図』、有斐閣、 2014年 、 l頁。
(
2) 11影進『対立と共存の国際理論 j (東京大学出版会、 1994年) 273-308頁。T.
1
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8
l


2
018年 1
2月

(
3) 大庭『重層的地域としてのアジアJl 31-57頁

(4) 主として参照したのは、 ~j 本国際間題研究所『平成 24 年度外務省国際問題調
査研究・提言事業「アジア(特に南シナ海・インド洋)における安全保障秩
序」研究報告書Jl 2013" f3月;口本国際問題研究所『平成 25年度外務省外交・安
全保障調査研究事業(総合事業) r イ ン ド 太 平 洋 時 代 」 の 日 本 外 交 Secondary
Powers/SwingStatsへの対応 研究報告』、 2014年 3月;日本国際問題研究所『平
e
成 26年度外務省外交・安全保障調査研究事業(総合事業) r インド太平洋時代の
H本外交ースイング・ステーツへの対応一j 研究報告』、 2015午3月 。
(
5)A siaDevelopmentBank,MeetingAsiasJ nj均stru c
tureNeeds,MandaluyongC it y

Phi
lippi
nes:AsianDevelopmentBank, 20
17.
(
6) W本政府の「インド太平洋戦略」に関しては『可三成 30年度版外交青書』、豪政
府のインド太平洋戦略に関しては、 A ust
ralinGovemment,2017Aω t
a ra
lianForeign
Poli
cyW hitePaper,“Chapter3:A Stab
leandP rosperousIndoP
司 aci
fic"を参照した。
(
7) AFP r スリランカ、ハンパントタ港の運営権を中国企業に譲渡インドなどが懸
念 Jh ttp:
//www.
afpbb.
comlartic
les/-
/3137517.
(
8)J ohnHurley,S cot
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ive.
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(
9) こうした論点を紹介したものとして、拙稿「戦略的競争・安保・経済 時間
をかけ相手国を制す J ~読売新聞Jl (2018{ f
.ll月 26H朝刊)がある。また概念と
しての戦略的競争を国際関係に山川することを論じた著作として、 ThomasG.
Mahnkened,Co
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(
10)U .S.WhiteHouse,Nat
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(December2
017
).pp.
45-4
7
(11)外務省『平成 30年度版外交青書』
(
12) r日中共同記者発表における安倍総理発言 j、平成 30年 1 0月26口 、 h tt
ps//www.

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(
14) 内閣官房『国家安全保障戦略Jlh t
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20131
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(
15) 首相官邸「第 2 4回国際交流会議『アジアの未米』晩さん会安倍総理スピーチ J
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16) ウィリアム・ F・ハガティ「これまで以上にインド太平洋地域との関係を強化
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17) 在日米国大使館「エネルギ一、インフラ、デジタル連結性協力を通じた自由
で開かれたインド太平洋地域の推進に関する H米共同声明 Jh
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