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【特集 2:天安門事件 30 周年:1980 年代中国からの問いかけ】

改革・発展・安定の三位一体論と鳥籠政治
中国は「八九政治風波」から何を学んだか

厳 善平

はじめに

2019 年は天安門事件 1)から 30 年を迎える節目の年である。この間、中国の物価上昇を


2)
除いた GDP(国内総生産)は 14.2 倍に拡大し、年平均成長率が 9.3% に達した 。世界全体
の 1.5% にすぎなかった 1989 年の中国の GDP は 2015 年に 14.9% に上昇し、対照的に日本
3)
のシェアは同期間中 11.8% から 5.6% に下落した 。
1997 年のアジア通貨危機、2008 年のリーマンショックと四川大地震など国内外で大き
な災厄があったにもかかわらず、中国は改革開放を堅持し、高度成長を達成した。特筆す
べきは、所得水準が上がるにつれ、人々の価値観が多様化し、独裁政治体制が徐々に民主
主義政治体制に移行していく、という東アジアで見られた体制転換が中国で起きていない
ということである。行政、軍隊、企業、教育などに対する共産党の絶対的領導は実態とし
て機能し、憲法や党規においてその位置づけも変わっていない。社会主義市場経済を掲げ
る中国の辿った軌跡を開発独裁モデルで説明することはできない。
後述するが、中国経済の成長メカニズムについては、実に標準的な経済成長理論を援用
して説明可能である(中兼、2010; 厳、2017; 蔡、2017)。中国はこの間、経済成長に必要な労働、
資本および技術進歩に恵まれただけでなく、国内外の経験や教訓(後発者の利益)を学習し
つつ、自らの執政能力を高め、環境変化に適応する独自の体制作りに成功している。この
体制の特質を一言でいうなら、それは、改革・発展・安定の三位一体を土台とする鳥籠政
治であり、また、三位一体とは、体制改革を経済発展の原動力とし、経済発展をすべての
活動の最終目標とし、そのための社会安定を最優先する、という三者の相互依存関係を意
味する。
三位一体論とでも呼ぶべきこの土台は、天安門事件および 1990 年代初めのソ連解体や
東欧社会主義の崩壊を背景にでき上がったものだが、それが有効に機能した過程におい
て、市場化と共に分化した社会階層をいかに統合するか、情報化やグローバル化と共に発
達したニューメディアと伝統メディアの棲み分けをどのように図るか、といった重要課題
の解決が求められた。そこで、欧米型民主主義政治に代わり、共産党による絶対的領導
下の民主集中制を進化させていくことが必須となり、その具現化したものが鳥籠政治で
ある。

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本稿では、天安門事件の教訓を経てできた三位一体論、およびそれを土台とする鳥籠政
治の形成過程、仕組みと働き、限界とゆくえについて考える。第Ⅰ章では、天安門事件が
発生した時代背景を振り返り、その教訓から三位一体論が形成されたプロセスを跡づけ
る。第Ⅱ章では、従来の開発独裁モデルを踏まえながら、三位一体論に立つ鳥籠政治のメ
カニズムを分析する。第Ⅲ章では、鳥籠政治とメディアの関係を考察し、言論の自由と不
自由の実態を明らかにする。第Ⅳ章では、鳥籠政治が成り立つ社会経済的基盤、およびそ
の限界を指摘する。最後に鳥籠政治のゆくえを展望する。

Ⅰ 
「三位一体論」とその形成プロセス

1. 天安門事件の要因と教訓

天安門事件直後、日本でも事件の発生要因などに関する論考が数多く発表されたが、野
村他(1990) はいうまでもなくその代表的な成果の 1 つである。同書では、小島麗逸は、
天安門事件の背景に、経済改革の失敗に起因したインフレ、官僚の腐敗などがあると指摘
し(野村他、1990: 54–72)、また、山内一男は事件後の中国のゆくえについて次のように予
測した。すなわち、
「当然のことであるが、大衆運動の基底をなす政治的、社会的矛盾を
単なる抑圧によって解消することは不可能である。民主主義と自由を要求する大衆運動が
遠からずふたたび燃え上がることは不可避であろう」(野村他、1990: 41)。振り返ってみれ
ば、天安門事件の発生要因に関する分析は概ね的を射ているのに対し、中国のゆくえに関
する展望はほとんど的が外れているといってよい。
本節では、天安門事件が発生した時代背景、および中国自身が事件から学んだ教訓や経
験の要点を整理する。
農業生産請負制の導入に始まった 1970 年代末の農村改革は、生産手段の所有制度、市
場流通や価格と直結しない初歩的なものであった。個人の能力と努力次第で、増産、増収
が可能となったため農家の生産意欲が刺激された。新しい経営体制の下、食糧は年々増産
し、84 年に 4 億トンを超えるに至った。長年続いた深刻な食糧不足は僅か数年で一応の解
消を見せ、都市と農村間の所得格差も 78 年の 2.6 倍から 84 年の 1.8 倍に縮小した。
農村改革の成功を背景に、1984 年に改革の重点が農村から都市に移された。国営企業に
工場長請負制を導入し、行政が課すノルマを達成した後の生産、流通、価格などは工場長
の権限で決定できるようになった。計画経済の中に市場経済が芽生え、政府が定める価格
と市場が決める価格の併存も見られた(呉、2003)。同じものに安い国定価格と高い市場価
格がある以上、二重価格のさやを稼ごうとする動機も自ずと形成される。国定価格で物資
を仕入れ、市場価格で転売するだけで商売が成り立つのだから、多くの者はそれに便乗し
ようとした。ただ、実際そうした商売のできる者は不足しがちな物資を調達できる役人、
彼らの親族や友人に限られる。特権を乱用し転売を繰り返して荒稼ぎをするという「官倒」

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4)
現象はそうした状況の中で生まれた 。
農村改革後、沿海農村および大中都市の近郊では、人民公社時代の「社隊企業(人民公
」を基に多様な所有形態の企業が生成し成長した。非農業
社または生産大隊の経営する企業)

部門における国有、集団所有およびその他所有の構成比が大きく変化し、計画と市場が併
5)
存するようになった。それは結果的に官倒の生息する温床となった 。
他方、農業改革は 1984 年以降停滞の局面に陥り、食糧増産の勢いも失われた。それに
農産物流通の自由化も加わり、農産物価格が急上昇し始めた。その影響で消費者物価指数
も 急 騰 し、85 年 か ら 89 年 に か け て の 各 年 の 物 価 上 昇 率 は 9.3%、6.5%、7.3%、18.8%、
18.0% であった 6)。猛烈なインフレである。
企業改革などで都市住民の収入が増え、都市と農村間の所得格差も再び拡大する方向に
転じた。また、1984 年まで 0.16 で推移した都市住民の所得ジニ係数もそれ以降増大し、
89 年には 43% 増え 0.23 となった(中華人民共和国農業部、1995)。平等主義を是とする計画
経済期の分配方式に慣れた人々は、経済格差に違和感を覚え始めた。インフレが昂進する
中、生活が苦しくなった庶民は、官倒などで裕福となった特権階級への不満を強めた。急
激な体制転換の中、様々な社会的矛盾が蓄積し、最終的に天安門事件が引き起こされたの
であろう。
ところが、事件の発生要因に関する中国自身の認識はより多面的であり、インフレや腐
敗だけでなく、国内外の敵対勢力の関与、最高指導部の分裂も事件発生に重要な影響を与
えたと主張する。例えば、中国社会科学院元副院長の朱佳木は天安門事件を生じさせた要
因、および鄧小平の総括した経験、教訓について示唆に富む見方を示している。朱は、4
つの基本原則の堅持が十分でなかったこと、腐敗現象が大衆の不満を惹起したこと、イン
フレが事件の発生、拡大を後押ししたこと、党中央の内部が分裂したこと、米国など西側
からの動乱支持が働いたことが事件を生じさせた主因だと分析し、事件の本質は国内外の
敵対的勢力が動乱を起こし、共産党による絶対的領導を否定し、社会主義制度の転覆を企
むことにあると主張する(朱、2014)。
同事件が中国に残した教訓について、朱は、鄧小平の考えを踏まえながら、以下の 9 点
を指摘する。すなわち、①改革開放の方針を堅持し「三段階」の奮闘目標を掲げる② 4 つ
の基本原則を堅持しブルジョア自由化に反対する③腐敗に反対し犯罪者を厳罰する④経済
発展と社会主義制度維持の同時実現を堅持する⑤国家主権を守り抜き国家安全を護る⑥安
定至上主義を堅持する⑦公有制主体の経済を堅持し共に豊かになることを実現する⑧経済
の過熱を防止する⑨党内、中でも党中央内の不一致を防ぐ。一言でいうと、
「1 つの中心、
2 つの基本点」―経済建設を中心としつつ、そのために「4 つの基本原則(社会主義の道、
人民民主専制、共産党の領導、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想)」および対外開放を堅持す

る―ということである(朱、2014)。

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2. 三位一体論の形成

日米欧では、腐敗を批判し政治の民主化を求める学生らを政府が弾圧し、多数の死傷者
を出した天安門事件を重大な悲劇と批判するスタンスは今も変わっていない。それに対
し、中国では同事件のことを「八九政治風波」と呼び、事件の本質が共産党による絶対的
領導と社会主義制度を否定する計画的動乱だと断定し、断固とした措置を採ったことで後
の改革開放と経済成長が可能になった、と党および政府の対応が正当化されている。
とはいえ、中国政府はこの間、天安門事件への言及を忌避し、学校教育やメディアで極
力それに触れさせないようにし、寝た子を起こすなという方針に徹している。ただ、事件
はなぜ起きてしまったか、事件への対処法に問題はなかったか、同類の事件を再び起こさ
せないために何が必要か、といった反省や総括は決して怠っていなかった。安定はすべて
を圧倒する(穏定圧倒一切)という国民的合意が形成されていることは最も重要な成果とい
える。
天安門事件後、改革開放を継続していくべきかをめぐって中央内部で激しい議論があっ
7)
た 。党中央は、アメリカなど西側の敵対勢力が平和的な手段で中国の政権転覆を企んで
いる(和平演変)とし、それを阻止するべくキャンペーンを大々的に展開した(黄、1992)。
改革開放が社会主義的なものか資本主義的なものかをめぐって不毛な論争も多かった。し
かし、鄧小平の「南巡講話」が党中央の政策文書として決定した 1992 年以降、状況が一
変し、改革開放をより一層大胆に進める考えが広く支持されるようになった。鄧小平は、
改革が経済発展の原動力であり、発展は根本的な目標であるが、改革も発展も社会の安定
を前提としなければならないという三位一体論を提起した(焦、1994)。それ以降、社会の
安定維持に細心の注意を払いながら、対外開放と体制改革を推進していくことは、党と政
府に課される基本課題となった。
図 1 は定期刊行雑誌に掲載された、
「穏定(安定)」と「改革」が含まれるタイトルの論
文数を経時的に表すものである。1980 年から 87 年までの間、安定と改革を一体として議
論する論文数が僅かしかなく、88 年から 93 年の間は比較的多いものの、議論は小範囲に
留まった。ところが、90 年代初めにおけるソ連東欧社会主義の崩壊、および経済の大後退
を目の当たりにした中国は、急速に安定の大切さを強く意識するようになった。94 年に安
定と改革をタイトルに含めた論文数は前年の 7 倍強に跳ね上がり、それ以降の各年に相当
数の論文が改革と安定をメインテーマとしていることが同図から見て取れる。ここ 30 年
間、高度成長が続き、最高指導部が 2、3 回交替したにもかかわらず、三位一体論が揺る
ぎ無く堅持されている(張、2003; 沈、2019)。

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図 1 穏定(安定)と改革が含まれるタイトルの論文掲載数

(出所)中国知網(https://www.cnki.net/)より論者作成。

Ⅱ 鳥籠政治とそのメカニズム

1. 高度成長と開発独裁

2019 年末に、中国の 1 人当たり GDP は 1 万米ドルを超え中所得国の上位に躍進し、間


もなく高所得国への仲間入りを果たすとみられる。一時期、中国が中所得国の罠を超えら
れるかといった議論も盛んであったが、どうやら杞憂に終わりそうである。
中国はなぜ高い経済成長率を保持できたか。論者は、経済成長に労働をはじめ、物的投
資の拡大、人的資本の蓄積および技術進歩といった要素(必要条件)が欠かせないだけで
なく、そうした要素が機能的に結合し価値を生み出す社会的条件(十分条件)もなくては
ならないと考える。前者は経済成長論の教えるものであり、労働供給が増大し、貯蓄率が
高まり、学校教育が拡張するといった状況が現れれば、経済成長が可能になる(厳、2016;
。東アジア地域では、戦後のベビーブームに続いて少子化が訪れたことで、いわ
厳、2017)
8)
ゆる人口ボーナス が発生した。それは労働と資本の供給増、技術進歩の加速を通して経
済成長に寄与した。中兼(2010)と蔡(2017)でも、人口ボーナスの考えを援用し中国経済
の成長メカニズムの解釈が試みられている。
他方、中国は経済成長を遂げたものの、韓国や台湾と異なり、東アジア型開発独裁モデ
ル(渡辺、1989)、国家主導の権威主義体制による経済成長モデル(ハルパー、2011)で描か
れたような軌跡を辿っていない。中国は、私有制、株式会社、比較優位論に立脚する国際
貿易など市場経済を支える基本要素を体制の中に取り入れつつ、基幹産業の国有化を堅持
し、財政、金融などマクロ経済をコントロールするノウハウを習得しただけでなく、成長
に伴う中間層の拡大、価値観の多様化→政治の民主化→開発独裁体制の溶解というシナリ
9)
オの回避にも成功している 。

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企業などの経済主体の生成から生産要素の配分方法、価格決定、国際貿易までのあらゆ
る分野において、市場経済の論理が適用される一方、共産党による絶対的領導と社会主義
制度も堅持され続けている。こうした厳然たる事実を理解するために、中国の特色ある社
会主義市場経済の本質を検討する必要がある。

2. 鳥籠政治と三位一体論
10)
「鳥籠政治」とは、陳雲の「鳥籠経済」からヒントを得ての論者の造語である 。鳥籠
政治とは何かについて議論するに先立ち、鳥籠経済のエッセンスを簡単に紹介する。改革
開放が始まった 1980 年頃の中国では、計画経済を国民経済の支配的存在と位置づけつつ
も、政府の指令計画に束縛されず自由に活動できる市場経済の合法性、必要性を認めるべ
きだとする考えは、時の党中央常務委員陳雲より提起され、後にマクロ経済を政府がきち
んとコントロールしておけば、農家、企業などミクロ的経済主体の自由な経営活動が推奨
されるべきだという「鳥籠経済論」に生まれ変わった。鳥はずっと掴んだままでは死んで
しまうが、手放せば飛んでいってしまうのだから、鳥を籠に入れる必要がある。そうすれ
ば、鳥は飛べるが、逃げられる心配はない。ここで、鳥が経済、籠が計画、籠の中が市場
とする喩えで経済、計画と市場の三者関係が論じられる。それは後に鄧小平からも支持を
受けたことで、1992 年党大会で提起された改革の目標(社会主義市場経済の確立)につながっ
た(遅、2010)。初めはネガティブなイメージで語られた鳥籠経済論だったが、次第に市場
と政府の役割分担を考える際の有益な概念として定着した。2000 年代に入ってから、
WTO に加盟した中国は市場経済化を推進し、鳥籠の存在意義も徐々に失われた。中国は、
計画経済→計画と市場の併存→社会主義市場経済という漸進的なプロセスを経て体制移行
を無難に実現したが、そこに政治体制の進化を考える際に重要な示唆が潜んでいるのでは
ないだろうか。
論者の考える鳥籠政治は、鳥籠経済のエッセンスに通底する。経済は、限られた資源で
限りない人間の欲望を満たすためのモノやサービスを作り出す営為だとすれば、政治は、
人々の利害関係を調整する場であり、それを実現する手段として直接投票に基づく多数決
や間接的代議制、暴力革命などが考えられる。中国は、共産党領導下の多党協商制を施行
しており、一定範囲内の民主は認めるものの、超えてはならない一線も明確に定めてある
民主集中制を基本としている。その一線とは、共産党による絶対的領導と社会主義制度の
堅持であり、それに異を唱え、体制否定につながるいかなる言動も制度上許されないとい
うことである(楊、2015)。鳥と籠の関係で喩えるなら、その一線は籠を形作る外枠に当た
り、憲法で規定される言論の自由(鳥)もこの「籠」の中でしか保証されないということ
になる。
鳥籠政治が中国にとって必要であり有効であるとする考えの背景に、改革・発展・安定
の三位一体論がある。社会秩序の安定維持こそが最も重要だというのは鄧小平の一貫した
主張である。天安門事件前後、外国から来訪した要人や自らの後継者との会談の中で、鄧

改革・発展・安定の三位一体論と鳥籠政治 91
小平は経済発展を実現するには、改革開放という手段が欠かせないが、発展も改革も社会
安定があって初めてできる話だと力説した(鄧、1993)。
冷戦が終結した直後の 1990 年代に、ソ連が解体し、東欧圏も経済の混迷が深まり、一
部では泥沼の内戦も長く続いた。2010 年代に入って独裁政権を打倒し、民主化を実現しよ
うとする「アラブの春」は、結果的に政権崩壊、内戦拡大、難民の大量発生といった惨状
を生んだ。日米欧などの先進国では、議論はするものの、多くの重要課題に関する合意が
得られず、問題の先送りばかりが目立ったという民主主義政治の劣化も露呈した。国際社
会の激変を見せられた中国人の多くは、西洋式の民主主義政治も万能ではなく、社会安定
こそが経済発展にとって最も重要だとする三位一体論に共感するようになった(厳、

2019)

3. 鳥籠政治と社会階層 11)

東アジアおよび東南アジアでは、政府と市場が友好的に結合したことで高度成長が実現
し、また、所得が上昇し中産階層が膨らむにつれ、価値観が多様化し三権分立を基礎とす
る民主主義政治も誕生した。それとは対照的に、天安門事件以来の中国で、高度成長に伴
い中産階層が生成し拡大するものの、日米欧のような民主主義を求める動きがほとんど出
てこない。
この現実を理解するために、論者は、中国の社会階層が分化し、それぞれの利害関係を
調整する新たなメカニズムが形成されていること、制限はあるものの、情報公開、言論の
自由、民意重視の政治が大きく前進していることを明らかにする必要があると考える。
本節では、社会階層の多重化および階層間における利害関係の調整メカニズムを分析す
る。改革以降の中国は市場経済化と共に、急速に階級社会から階層社会へ移行していった。
従来の政治的な意味合いでの労働者階級と資産家階級間の対立に代わり、国家機関などの
従業員、企業経営者や自営業者、知識人、一般市民、農民と農民工などは、それぞれ職業
威信も所得水準もまるで異なる社会階層を形成している。それに伴い、階層間に潜む矛盾
や軋轢を和らげる新たなメカニズムの構築も求められた。投票で自らの意思を表すという
民主主義が採られない中国で、独特の鳥籠政治が形成されたのである。
まず、国家機関(党、政府、人代、政協)で働く公務員、およびその退職者からなる階層
をみる。学歴が高く共産党員の割合も高いこの階層は、安定的雇用、高い報酬と優れた社
会福祉、老後の手厚い保障に恵まれるだけでなく、市民やメディアによる厳しい監督をそ
れほど受けない。彼らは経済成長の恩恵を潤沢に享受する特権階層であり、しかもその特
権は制度的に保障されている。
次に、ビジネスに成功し富を築いた企業経営者、大学教授、医師、弁護士といった階層
も様々な形で体制の中に取り込まれている。多くの企業経営者は、中央から地方までの各
級の人民代表、政協委員に選出され、彼らの政治参加はその中で実現可能となっている。
大学教員など知識人の多くは共産党員であり、また、そうでない有名人の多くが共産党の

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指導を受けて活動する 8 つの民主党派(民革、民盟、民建、民進、農工党、致公党、九三学舎、
台盟)に入ることも制度化されている。厳格な官本位システムを背景に、各級組織の民主

党派の役員は、共産党幹部と同じように相応の厚遇を受ける。例えば、高級幹部とされる
副局長クラス以上の者は、専門病院での検診や受診を受ける特権が享受できるだけでな
く、その特権は退職後も保障される。
鄧小平がかつて繰り返し指摘した「知識人の待遇が低すぎる」という問題も 1990 年代
以降飛躍的に改善している。能力や努力にもよるが、今の中国の大学教員は世間の平均水
準をはるかに上回る収入を手にしており、彼らは全体として経済成長の恩恵を過分なほど
12)
享受する勝ち組である 。1980 年代には、体制に批判的だった多くの知識人は、今や体制
を擁護する立場に変わっている。党と政府もまた、知識階層が自らの意見を政策形成に反
映できるように制度改革し、批判するのではなく参加してもらう形で、彼らの支持、少な
くとも黙認を獲得したのである。
第 3 に、普通の都市戸籍住民は、エリート層のように経済成長の成果を存分に手にはし
ていないものの、戸籍制度などに守られ、暮らしが豊かになっていることも紛れのない事
実である。農民や農民工でさえ、この間の収入増で生活水準が大きく上がっている。こう
した階層も改革開放を歓迎し、物質的な豊かさに満足する者が多い。他方で、経済格差が
広がる中、社会的混乱を生み出す要素も確かに存在する。そのため、政府は「上訪」とい
う従来の制度を利用し、地方で解決困難な問題の上級機関への告発を認め、腐敗や格差に
対する一般民衆の不満を和らげようとしている。また、情報技術を駆使し、武装警察の力
にも頼って、想定内のあらゆる暴力事件を未然に防ごうとする努力も払っている。管内の
安定維持が地方政府の最も重要な政治任務だとされるが、それもある程度奏功している。
第 4 に、比較的厄介だとされる民主活動家や人権派弁護士への対処もこの間随分上手に
なっている。社会の中で少数の存在でしかないが、正義感を持ち、法律を盾に腐敗した権
力と戦い、不条理な現実を正そうとするその活動は、現政権にとって時には脅威となり、
燎原の火花となる可能性を秘める。昔のように、彼らを捕まえて牢獄に入れたり、物理的
に消すことができない今、政府はより柔軟な手法でこの階層と向き合わざるを得ない。政
府は、情報技術を動員し、彼らの基本状況を把握し、必要に応じてその動きを監視したり
もする。重要なイベントを控える際、当局は彼らを呼び出し、お茶や雑談でそれぞれの行
動を制限し、また、特定の著名人のテレビ出演、新聞雑誌などでの発言、講演会開催を規
制し、その社会的影響を抑えるように細心の注意を払っている。問題の根本解決には意味
のないやり方かもしれないが、それにより社会秩序が維持され、改革と発展のための安定
が達成されている事実は軽視されるべきではない。

改革・発展・安定の三位一体論と鳥籠政治 93
Ⅲ 鳥籠政治とメディア

1. 大きくなっている「鳥籠」

鳥籠政治が有効に機能するもう 1 つの要件は、一線を超えない限りでの言論の自由が制
度的に保証される、もしくは、実態としての非公式な場での言論活動がかなり自由にでき
るということである。国外から中国を観ると、言論自由が制限され、みんながとても息苦
しいのではないかと思われがちだが、市民生活の中に入って人々の言動を観察すれば、そ
のようなこともないと分かる。
集会やデモで民主化を公然に要求するといった行動の自由は今の中国では許されていな
「ジャスミン革命」が騒がれた 2011 年初め、多くの大都市でインターネットを通じて
い。
集会の呼びかけはあったが、それを事前に察知した当局は、組織者の行動を制限し、結集
する場所を工事現場に指定し塀を作ったりすることで群衆の結集を阻止した。以来、大勢
の人々が集団を形成し自らの利益や考えを主張する大規模な集会は未然に防がれている。
その役割を担うのは安定維持を至上命令とする武装警察部隊だといわれる。
とはいえ、日常生活の中で何を考えるかといった思想の自由を人々は基本的には有して
いる。党中央はすべての党員、特に幹部党員に対し、
「四個意識(政治・大局・核心・忖度意
13)
」 を強めるように求めるものの、一般人に対しそのような要求を言明しない。情報化
識)

とグローバル化を背景に人々の内面をコントロールすることは無理だからであろう。
また、無条件ではないが、自分の考えを表出し、他人と物事に対して議論する自由も制
限されない。仲間の集まりや非公開の会議、講演会などで敏感な話題でも議論すること自
体は不可能ではない。ただ、その具体的内容を新聞やテレビ、インターネットで一般公開
することは難しい。当たり前のようだが、
「文革」時代にはそのような思想や言論の自由
14)
も絶対許されなかったことを思い出すと、社会の進歩が実感できる 。
ウィチャット(WeChat、微信)、ウェイボ(微博、中国版ツイッター)を使い自らの主義主
張を世間に向けて発信し、仲間と交信する際、一線を超えない限りでの言論はほぼ自由だ
といって過言ではない。たとえ「鳥籠」に引っかかったものがあっても、人工知能によっ
て機械的に削除されるだけで済むケースがほとんどで、発信者を割り出し責任追及するこ
とはきわめて稀である。
情報公開が進んでいることも事実である。中央から末端の郷鎮までの党、政府、人代、
政協は、各自の仕組みと機能、メンバー構成や役員の詳しい経歴、当該部署の業務にかか
わる政策と制度、日常的活動内容、統計資料などをホームページに公開し、国内外からア
クセスすることが可能となっている。WTO 加盟の要件として情報公開を余儀なくされた
面もあろうが、驚くべき進歩だといえる。
以前、中国の社会経済を調査するため、様々なレベルの組織や担当者を対象に、膨大な
時間を割いて聞き取りを行ったが、今はそのような作業の必要がない。地図はかつて機密

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情報に属し、公刊物以外のものを海外に持ち出してはならないとされたが、いまは Google
マップだけでなく、中国自身も百度、北斗、高徳で詳細な地図を提供している。農家、企
業を対象とするアンケート調査の個票データも、以前は共同研究の形で小規模のものを取
得できるに留まったが、近年、北京大学、人民大学は独自の全国調査の個票データを無償
で国内外の研究者に公開している。すべての学術雑誌や新聞、学位論文、修士論文が電子
化され、十数年前から国内外からアクセスできるようになっている。中国社会科学院は
2016 年に、教育部などの協力を得て「国家哲学社会科学学術期刊数据庫」を設立し、学術
雑誌の電子版を国内外に無償提供するサービスを始めたが、これは大いに称賛されるべき
ものである。
こうしてみると、一線を超えてはならない鳥籠が確かに存在するものの、籠そのものは
すでに拡大しており、鳥が自由に飛べる空間がかなり広いといえそうである。

2. 自媒体(マイメディア)とその役割

情報技術の進歩とグローバル化の進展が相乗する現代社会において、誰でも Facebook、
Twitter、ウェイボ、WeChat を使って発信することは可能である。中国の中では、Face-
book、Twitter、Gmail、Line といったグローバルなツールの利用は厳しい制限を受けるも
のの、Facebook や Twitter に勝るとも劣らないほどの機能を持つ独自のウェイボや WeChat
が人々の間で広く使われていることも事実である。実名制が採られるが、誰でもウェイボ、
WeChat のアカウントを開設することができる。また、WeChat を使ってトーク、無料通話、
ビデオ通話を無料で行うことができるだけでなく、家族、友人、仕事仲間、同窓会など様々
なグループを作って時間と空間の制約を超えて交流することが可能である。
Line とほぼ同じこうした機能のほか、
「公衆号」という WeChat が持つ独特の機能は特筆
されるべきである。WeChat を使っている者なら、誰でも個人用の公衆号を有料で契約す
ることができる。公衆号を持つ者は、利用規定に違反しない限り、自分の書いた記事や論
文、あるいは他者の文章をすべての WeChat ユーザーに発信することができる。今や世の
中に無数のラジオ局やテレビ局、新聞社のような発信基地が存在するような状況である。
参考になり、価値があると思われた記事は WeChat の世界で幾何級数的に拡散し、その記
事が載った公衆号も次第に多くのユーザーに講読される。実際、論者が登録した公衆号は
120 件を上回り、中には組織のものもあるが、個人のものも多く、内容は経済学など社会
科学の学術分野から市井の談議までと幅広い。真偽不明の情報も少なからずあるが、慧眼
の研究成果、時事に対する論評、為政者や権力者への批判的文書など伝統メディアでは扱
われる可能性が低いものが多く含まれる。
中国では、新聞、ラジオ、テレビなど伝統メディアはすべて党と政府の管理下に置かれ、
共産党自身も公言するように、ジャーナリズムは党の代弁者であり(喉舌)、党の考えを忠
実に国民に伝える道具である。不都合な真実を隠し、輿論作りのための情報操作も当たり
前のように行ってきた伝統メディアの前科を多くの中国国民は知っている。今や公衆号に

改革・発展・安定の三位一体論と鳥籠政治 95
代表される「自媒体(マイメディア)」に絶大なる関心を持ち、日々そこから発せられた情
報を集め物事の是非を判断するようになったのもそのためである。
2020 年 2 月初め、新型コロナウィルスで封鎖となった武漢市に、党中央宣伝部(中宣部)
は、国営メディア各社から集めた 300 人余りの記者を派遣した。彼らは、新型コロナウィ
ルスと戦う医療関係者の仕事ぶり、党と政府の有効な指揮など、いわゆるポジティブな内
容の記事を報道し、国営メディアの役割(党の喉舌)を果たそうとしたが、世間からあま
り高い評価を得られていない。対照的に、武漢市在住の女性作家・方方がマイメディアで
発信した日記は、国内外の多くの読者を獲得し絶大なる支持を得ている。大変な状況下で
不便な暮らしを強いられる 1 人ひとりの市民、患者、医者の暮らしや、初動ミスで多大な
災難がもたらされたことに対する当局の責任、初動ミスの背景など、一般市民は高い関心
を持っているのに、伝統メディアは扱おうとしない切実なものが多かったからである。
マイメディアの役割が増大する中、党と政府も当然ながらそれに大きな関心を持たざる
を得ない。国家機関も伝統メディアも独自に公衆号を取得し、大量の公式情報を流す一方、
マイメディアの扱う情報の中身に対し、技術と制度の両面で干渉の度合いを増している。
超えてはならない一線に触れる、または、その一線にかかわりそうな内容の文章や画像、
動画を人工知能または目視で見つけ出し削除する作業がネット警察によって 24 時間体制
15)
で行われている 。規定違反を繰り返した者に対し、アカウントの閉鎖を強行することも
16)
可能である 。
他方、規制に抵抗する手法も進化しつつある。①同音異語という中国語の特徴を活かす
②規制の網にかかりそうな言葉をピンインの頭文字で表す③文章を画像にするなどして人
工知能のチェックから逃れる行為も多くみられる。一旦削除されたものを別のユーザーが
新たな公衆号で発信することもよくある。一例を挙げる。武漢市における新型コロナウイ
ルスの隠蔽を告発するある雑誌記事が公衆号から転載されると、たちまち多くの読者から
支持を得た。ところが、当局にとって不都合な真実があったためか、同記事は数時間後に
削除される事態に見舞われた。怒った市民は、削除された記事を別の公衆号で新たな形態
(媒体、字体、言語など) で配信し続け、当局とのいたちごっこを繰り広げた。その挙句、

百以上ものバージョンが出回った後、当局もさすがに盛り上がった民意を無視できず、同
記事のネット上での完全復活を認めた。
中国は世界一の人口規模を活かし、WeChat、ウェイボといった独自のソーシャルメディ
アの開発に成功している。中国では Facebook や Twitter、Line の利用が制限され、そのため、
一般市民はアメリカなど西側の情報にアクセスしにくい。社会の安定維持にその制限が必
要とされるが、独特の政治体制を守ろうとするところに本当の理由があろう。ただ、知識
人を中心に、特殊なアプリを使って学術論文を含む様々な海外情報に日常的にアクセスで
きることも周知の事実である。制度上ルール違反だが、一線を超えない行為であれば、当
局の取り締りもあまりない。制度は柔軟に運用されている。

96 アジア研究 Vol. 66, No. 3, July 2020


3. 伝統メディアなどの輿論作り

マイメディアが発達し、鳥が自由に飛べる空間が広がっているとはいえ、鳥籠の存在が
忘れられてはならない。鳥籠を固く守ろうとする伝統メディアがあり、党中央宣伝部を頂
点とする膨大なピラミッド組織の管理下でプロパガンダが展開されている。一定規模以上
のいかなる組織の中にも党委員会や党支部があり、党の方針を伝達する宣伝委員も必ず設
けられる。実務レベルでは、国家新聞出版広電総局は、すべての新聞、出版、テレビ、ラ
ジオなど伝統メディアに対する管理、監督を行い、その下部組織は新聞などの内容を
チェックするとされる。
習近平政権発足後、中国は、民主主義、人権、法の支配という西側の普遍的価値観に対
抗するため、国家レベルでは富強 – 民主 – 文明 – 和諧、社会レベルでは自由 – 平等 – 公正 –
法治、個人レベルでは愛国 – 敬業 – 誠信 – 友善という社会主義核心価値観を提起し、また、
伝統メディア、組織的学習キャンペーン、街中で目にするスローガンの啓発を通して国民
に浸透させようとしている。
中国では、党がすべてを領導し、伝統メディアが党の望む輿論形成に注力しなければな
らないことは自明のこととなっている。2016 年 2 月に、習近平総書記は「党の新聞・世論
活動について」の座談会に出席して重要講話を行い、翌年の第 19 回党大会で、党がすべ
ての活動に対する領導(党領導一切)を堅持すると強調した。これは、毛沢東が抗日戦争
時代に提起したもので、新中国に入ってからも一貫して堅持された基本方針であるが、第
18 回党大会(2012 年)以来、より一層強化されている(楊、2015; 文、2018; 孫、2018)。全人代、
国務院、政協、最高裁、最高検察院の「党組(党グループ)」(唐、1997)が年初に党中央政
治局常務委員会に対し活動報告を行う制度が実行に移されたことは 1 つの象徴的な出来事
である。
党がすべてを領導する方針の下、研究教育機関や社会団体、学会の規定が改正され、党
による絶対的指導といった文言が規定の中に明文化されている。一定の党員数がいる民間
企業、外資系企業を含むあらゆる組織の中に党支部の設置が義務づけられ、党支部は当該
地域の党委員会から直接領導を受けなければならないとされる。
17)
近年、共産党員に「学習強国」 を要求することで思想統一が図られ、
「4 つの意識(政治、
」を増強し、
大局、核心、忖度) 「4 つの自信(道、制度、理論、文化への自信)」を堅持し、
「2
つの擁護(習近平総書記が党中央および全党の核心であること、党中央の権威と集中的一元的指
」を実行することが強く求められている。民主党派などでも「学習強国」のキャンペー
導)

ンが広く推進されている。
小中高等学校では道徳教育、愛国主義教育、歴史教育が標準化され、大学教育でも近現
代史の解釈や台湾、新疆、チベットなどにかかわる敏感な話題について公式見解と異なる
18)
講義への規制が厳しく 、規定違反とされた教員の処分もあると報じられている。
伝統メディアによる情報統制の中、
「談議は国を誤らせ、行動は国を興す(空談誤国、実

改革・発展・安定の三位一体論と鳥籠政治 97
」という輿論が作られ、批判的意見が表面化しにくいようになっている。最高指導
干興邦)

者を中核とする党中央の大号令に従って行動するだけでよいという風潮が形成されている。
2019 年の建国 70 周年式典で、中国が立ち上がった、豊かになった、強くなった(站起来、
富起来、強起来)というフレーズを声高に繰り返し、国民の高揚感を呼び起こしたが、背景

に伝統メディア、およびそれを取り仕切る中宣部の果たす役割が大きい。
ところが、現実では国民の意識がすべて党中央の下に統一されているかというと、そう
でもないようだ。国家機関の役人や党員を除く一般市民は日々の暮らしで精一杯であり、
訳の分からない「意識」や「自信」
、「核心価値観」に大して関心を持っていないようであ
る。中央電視台(CCTV)をはじめ、各地方に数多くのテレビ局がある。中宣部などの管理
監督を受けた新聞報道やテレビドラマが流れるものの、人々に対する宣伝の効果は限られ
る。テレビの普及率は高いが、ニュースを見ない者も多い。大学生の寮にはテレビがなく、
若者を中心にスマホで見たいものだけを都合のいい時に見るというのが一般的なようで
ある。
多チャンネルとそれぞれのチャンネルの専門化が進んでいることも、一般大衆の思想統
一を難しくした一因であろう。例えば、CCTV では、ニュース、財経、国際ニュース、テ
レビドラマ、映画、社会と法、農村と農業、ドキュメンタリーなど 14 種類もの専門チャ
ンネルがあり、各省、自治区、直轄市、さらに市や県レベルのテレビ局、ケーブル(有線)
放送も加わると、視聴者は百を超す番組から見たいものを選ぶ自由がある。党や最高指導
者の考えを一般大衆に一方的に聞かせる時代が終わったといって過言ではない。

Ⅳ 鳥籠政治の社会経済的基礎と限界

1990 年代以降の中国で、社会安定が至上命令であり、その下で改革開放を推進し、経済
発展を実現すべきだという改革・発展・安定の三位一体論は大きな国民的合意である。三
位一体論が実践された結果、経済発展は予想以上の成果をあげ、国民生活は全体として飛
躍的によくなった。ほんの少し前まで想像すらできなかった豊かな暮らしを、多くの中国
人は今実際手にしている。これは、鳥籠政治が成り立つ基礎であり、国民統合ができてい
る重要な背景であろう。
表 1、表 2 は中国人民大学が 2013 年に実施した中国総合社会調査(Chinese General Social
Survey: CGSS)の個票データを集計した結果であり、14 歳時(生家の状況)
、調査時およびそ
の 10 年前と 10 年後の自らの帰属階層に関する被調査者の意識を反映している。10 階層に
おけるⅣ∼Ⅶを中間層としてみると、農村か都市を問わず、自らが中間層に属すると思う
者の割合が大きく上昇しただけでなく、14 歳時も 10 年後もそれがほとんど変わらないこ
とが調査結果から読み取れる。
調査時と 14 歳時の生家の状況、10 年前と 10 年後の帰属階層と比べて、
「階層移動がな

98 アジア研究 Vol. 66, No. 3, July 2020


表 1 中国における中間層(Ⅳ∼Ⅶ)の推移 
(%)
14 歳時 10 年前 調査時 10 年後
農村 22.8 34.3 61.2 66.7
都市 41.1 52.6 70.5 68.3
全体 34.0 45.4 66.9 67.7
(注)CGSS2013 に基づいて論者が集計した。

表 2 農村・都市別にみる帰属階層の変化状況 
(%)
農村部 都市部 全体
14 歳時→調査時 変化なし 20.3 23.2 22.1
下降組 7.8 13.3 11.1
向上組 72.0 63.5 66.8
10 年前→調査時 変化なし 26.5 32.5 30.1
下降組 9.6 13.0 11.7
向上組 64.0 54.5 58.2
調査時→ 10 年後 変化なし 31.3 34.7 33.4
下降組 4.9 5.6 5.3
向上組 63.8 59.7 61.3
合計 100.0 100.0 100.0
(注)表 1 に同じ。

い」
、「下降移動した」
、「向上移動した」という 3 グループの構成比をみると、やはり階層
が上がった者が多数を占めていることが確認できる。都市よりも農村にその割合が高い点
も興味深い。
中国共産党は、人民に幸福な暮らしを与え、中華民族の偉大なる復興を成し遂げること
を自らの初心と使命に規定し、経済発展でもって統治の正当性と執政能力を証明し、国民
統合を図ろうとしている。今のところ、国民の大多数が豊かとなった暮らしに満足し、中
華民族の復興に興奮していることは否定できない事実である。鳥籠の中ではあるものの、
自由に意見を述べ、不満を表出する空間も決して小さくない。伝統メディアの喧伝から影
響を受けたこともあり、欧米型民主主義と異なる中国の特色ある社会主義に自信を持つ者
が増え、あるいは、主義主張はどうでもよく、暮らしが豊かになりさえすればそれでよい
と思う者も多い。
暮らしの中でも表現の自由が拡大している。例えば、退職した活動的な女性を中心に、
公園や居住区の空き地で「大妈舞(おばさんダンス)」を楽しむ景色は都市部の風物となり、
仲間と国内外を旅行し、その見聞を写真付きでネットにあげ互いに共感する社会現象もあ
る。今のところ、民主主義や政治体制云々の議論は人々の心にあまり響かない。むしろ、
下手をすれば、社会が混乱し経済も後退するので、何のための議論か分からないと考える
者も圧倒的に多いようである。
中国は、共産党領導下の多党協商制と社会主義市場経済という独特の政治体制を守り、
民主主義と市場経済が統合した資本主義とは多くの点で確かに異なる。ただ、所有制と市

改革・発展・安定の三位一体論と鳥籠政治 99
場、民意に基づく政治といった視点から中国と西側を比較してみれば、両者の違いは程度
の差に帰結できそうだという考えもある。
国有企業は依然重要な存在であるものの、私有経済はすでにそれを圧倒する規模に成長
し、条件つきだが言論の自由も民主主義も否定されたわけではない。かつては鳥籠経済で
市場と計画の関係を喩える時期もあったが、それに倣っていうなら、今の中国は鳥籠政治
をやっているにすぎず、共産党による絶対的領導と社会主義制度の中で中国型民主主義が
認められているのではないかと思われる。
ただ、問題なのは、近い将来、経済成長が停滞し、パイが大きくならない中での階層間
関係が果たして鳥籠政治で調整できるか、という点である。階層間の矛盾が経済成長に伴
う収入増で矮小化されなくなる日は必ずやってくるからである。

おわりに

天安門事件後、中国は国内外の激動による惨状を教訓に、改革・発展・安定という三位
一体論を提起した。社会階層間の利害関係の調整に硬軟両様の手法を併用し、鳥籠政治と
いう独特の体制を築き、高度成長を達成した。ところが、鳥籠経済がすでにその使命を終
えたように、鳥籠政治も籠自体を徐々に拡張させていき、やがて破滅するかもしれない。
社会経済がさらに成長し、国民も西洋式の民主主義に馴染むようになれば、権威主義体制
に頼らなくても社会秩序の安定維持が可能になるからだ。
今までの政治体制は、政策策定に必要な時間を短縮し、各方面の資源を動員し経済発展
を速める可能性を秘める一方、社会的弱者や体制に異を唱える少数派への配慮に欠け、経
済発展の成果を適切に分配できない欠陥も併せ持つ。こうした構造的矛盾を解消していく
ことは、低成長突入後の社会安定にとってきわめて重要である。高所得国への仲間入りを
目前にする中国はまさに、成長と共に分配、さらに成長よりも分配へと政策の重心を移し、
より一層の体制改革を進めるべき局面を迎えている。
ただ、鳥籠政治のゆくえを見通す際、他の多くの国とは決定的に異なる次の 2 点を見過
ごすわけにはいかない。1 つは中国の軍隊と共産党の関係である。中国人民解放軍は、共
産党の作った紅軍に起源を持つ軍隊であり、中華人民共和国は、共産党が銃で国民党から
政権を奪取して成立したものである。軍隊に対する党の絶対的指揮が法律で定められてい
る。民主主義国家のように人民解放軍を共産党の指揮下から分離することは考えられな
い。もう 1 つは土地の公有制である。中華人民共和国成立後、都市部の土地が国有、農村
部の土地が集団所有という独特の土地制度が作られたが、それは今もほとんど変わってい
ない。すべての土地の所有権を実質的に国が持っているから、政府の権力が自ずと絶大な
るものになる。土地の私有化も今後の中国では考えられない。結局、たとえ鳥籠政治が終
わったとしても、中国は独自の政治体制を維持していく公算が高いと思われる。

100 アジア研究 Vol. 66, No. 3, July 2020


(注)
1)中国では、天安門事件のことを「八九政治風波」と呼ぶのが一般的だが、以下、日本語として定着し
ている天安門事件で表記を統一する。
2)国家統計局「国家数据」 (http://data.stats.gov.cn/easyquery.htm?cn=C01、2020 年 3 月 28 日最終アクセス)
に基づいて算出。以下、中国の社会経済に関する統計データについて出所が明記されないものは国家統
計局の公式統計に依拠する。
3)世界銀行 World Development Indicators(https://datacatalog.worldbank.org/dataset/world-development-indicators、
2020 年 3 月 28 日最終確認)に基づいて算出。
4)天安門事件前後、官倒に対する社会的関心が高かった。中国知網の検索サイトで調べればそれが分か
る。例えば、キーワードに官倒が入った「期刊(定期刊行物) 」掲載の論文は、1988 年が 45 本、89 年が
111 本、90 年が 17 本に上るが、それ以前の 10 年間が 1 本のみで、91 年以降のほとんどの年も 1–3 本に留
まる。その頃、官倒が流行語として世間に知れ渡ったことはこうした統計的事実に合致する。
5)例えば、工業生産額に占める国有部門の割合は 1978 年の 77.6% から 89 年の 56.1% に低下した。代わり
に、集団所有制の郷鎮企業は 22.4% から 35.7%、その他は 0 から 8.2% への急成長があった(国家統計局、
1999: 36)。
6)国家統計局「国家数据」に基づく(2020 年 3 月 28 日最終確認) 。
7)「掲秘: 鄧小平南巡的八大内幕」 (2020 年 3 月 28 日最終アクセス、http://sn.people.com.cn/n/2014/0811/
c190197-21945664.html よりダウンロード) 。
8)少子化の影響で総人口に占める生産年齢人口の割合が上昇し、社会全体として所得が消費を上回る状
況が現れる。安価で豊富な労働と高い貯蓄率によって新たな生産能力が形成される。経済的に豊かになっ
た家計と国は子供への教育投資を拡大し、人的資本の形成も加速する。人口の年齢構成の変化に端を発
する経済成長への促進効果を人口ボーナスと呼ぶ(大泉、2007) 。
9)潘(2009)によれば、中国は、専制対民主、計画対市場、国家対社会という西洋式の二元論を超えて、
国民経済と民本政治と社稷の三位一体を内容とする「中国モデル」を築き上げたという。
10)「鳥籠」というと、自由が制限されるというネガティブなイメージはあるが、中国では法治が強調され
る際に権力を籠に入れるといったポジティブな意味合いで語られることもある(例えば、李、2013; 許、
2015) 。本稿では、 「鳥籠」という用語を中立な意味で使うことにする。
11) 本節は厳(2019)の一部を基に加筆したものである。
12)例えば、大学や研究機関の優れた学者に「長江学者」などの称号を付与すると同時に、破格の褒賞金
を与えることで彼らを体制内に取り込んでいる。
13)第 18 回党大会 6 中全会(2016 年 1 月)で通過した「新しい情勢下における党内政治活動の諸基準につ
いて」で初めて提起されたものだが、すべての党員が党中央への絶対的忠誠を表し党中央の指示に完全
に従うことが求められる。なお、忖度の原語は「看斉」 、つまり「合わせる」という意味だが、ここで、
中央の考えや意思を察して行動するという解釈から「忖度」とする。
14)「文革」期に、最高指導者や党への絶対的忠誠心、つまり、行動、言論および思想のすべてにおいて自
らの歩調を最高指導者と党の考えに合わせなければならないことが求められ、違反とされた者に厳罰を
与え、物理的に消されることも珍しくなかった。
15)マイメディアの内容をチェックする職業が成立し、日夜を問わずの勤務形態ということもあり、従業
員は主として大学専科を卒業した者である。内容のチェックは 3 つのステップがある。まず人工知能を
使い、規定に違反する特定の用語が使われた文章が自動的に削除される。次に人工知能でパスしたもの
を 2 人組のスタッフが目視で内容をチェックし、意見が一致すれば、パスか削除の判断が下される。同
じ記事をめぐって両者の意見が異なった場合、チェックは自動的に第 3 ステップに移り、上位の審査員 1
人が公開する可否の最終判断を行う。 「内容審核:一個正在快速膨張的新職業」 『南方周末』 (2019 年 4 月
18 日、http://www.fx361.com/page/2019/0418/5054904.shtml、2020 年 3 月 28 日最終確認)を参照。
16)国家互聯網信息弁公室主任名で発布された「網絡信息内容生態治理規定」が 2020 年 3 月 1 日より施行
されているが、従来の慣行が明文化されただけで、大きな変化はない。
17)「学習強国」とは党の方針や政策を学んで強国を実現すると理解できる一方、 「習近平総書記を学び、
国を強める」と連想する者も多いようだ。中宣部が主管する「学習強国」というプラットホーム(https://
www.xuexi.cn/)に膨大な学習内容が掲載され、専用アプリでの利用も可能。党員は、末端組織の党支部
単位で WeChat グループを作り、党中央が指定した中央電視台のニュースを視聴し、人民日報などの記事
を読むことで学習の実績を表すポイントが稼げる。各人は互いの得点を日々確認することができ、ポイ
ント数に応じ旅行券などのクーポンが付与されるケースもある。
18)教育部は 2018 年 11 月に「新時代高校教師職業行為十項准則」を発布し、大学教員が遵守すべき 10 か
条の基準を明文化した。講談社が 2005 年頃刊行した『中国の歴史』第 1–10 巻は中国語に翻訳され、ベ
ストセラーとなっているが、近現代史を扱う第 11 巻(天児、2004)の出版が許可されていない。本書の

改革・発展・安定の三位一体論と鳥籠政治 101
中に中国の公式見解と異なる解釈が多く含まれているからであろう。

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(げん・ぜんへい 同志社大学 shyan@mail.doshisha.ac.jp)

102 アジア研究 Vol. 66, No. 3, July 2020

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