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津上俊哉

https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/tsugami/03.html

中国 WTO 加盟の意味

昨年 12 月 11 日、1986 年の GATT 加盟申請以来 15 年を要した中国 WTO 加盟交渉がようやく


終結し、中国は 143 番目の WTO 加盟国になった。交渉の合意内容やそれにより中国各産業が
受ける影響については、既に多くの論考がある。このため、本稿では少しアングルを変えて、WTO
加盟交渉とコインの裏表のように進んできた中国経済の変貌(改革開放)に触れてみたい。

WTO と中国の市場経済化

WTO の本質は一言で言えば「市場経済原理」だ。貿易の障壁や差別取り扱いを極力取り除い
て、世界経済に可能な限り市場経済原理を及ぼすことが世界経済の厚生を最大化するという理
念である。そして、累次のラウンド交渉による障壁の低減と新たなルール作り、特に WTO への移
行に伴い、サービス貿易や知的財産権の保護にまで規律範囲を拡大したことで、市場経済原理
の普及者の性格は、更に強まった。 とは言え、WTO は依然として貿易や投資などいわば「水
際」、「対外経済」からアプローチする制度であり、各国の国内制度を正面から市場経済指向にハ
ーモナイズするところまでの力はない。このため、伝統的な社会主義経済から市場経済への移行
途上(「移行経済国、Transition Economy)にあった中国の加盟交渉では、WTO ルールでどこま
で中国を市場経済化できるのかという問題が生じた。

「移行経済(Transition Economy)」の違和感

80 年代における中国の改革開放は主に深センなど沿海部の「特区」に対する外資の導入が目立
つ程度で、国内経済を市場経済へ転換する動きが本格化したのは 90 年代に入ってからである。
しかし、その少し前、89 年には天安門事件が発生し、改革開放政策が窮地に立たされている。中
国 WTO 加盟交渉が本格化したのは 94 年からであるが、当時は、まだ「改革開放政策は本当に
後戻りしないのか」が繰り返し問われた時代だった。

中国の加盟交渉は当初、中国が WTO(旧 GATT)に加盟する資格と意味があるかどうかを、延々


と確認するプロセスから始まった。例えば、伝統的な計画経済体制下では、モノ・サービスの価格

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や需給は政府が統制し、企業の殆どは、生産・販売から人事、財務まで上級機関と称される政府
の影響と指導下にある国有企業だった。そういう国の関税を引き下げさせても、どれだけを輸入す
るかを決めるのは市場ではなく、政府のままなのではないか...。

これに対して中国代表団は、価格統制や輸入制限は次々と撤廃される計画であり、今後政府は
国有企業の経営に直接関与することはなくなると強調した。彼らにすれば「既にコップの水は半分
まで入った」気持ちだっただろうが、加盟国側にすれば「コップの水はまだ半分」という以上に、「半
分入った」という説明を信じて良いのかが疑問だった。94、5 年当時、中国がモノ貿易と並ぶ重要
領域、サービス市場開放の準備が全くできていないことも、別の大難題だった。

これらの難題を抱える中、中国は 94 年、96 年、97 年と続けて一方的な市場開放を表明しただけ


でなく、交渉が長引く中、それらを随時実行していくことにより加盟に向けた意欲を示そうとした。
加盟の見通しが未だ立たないのに、中国が一再ならず一方的な市場開放を表明したことには加
盟交渉とは別の背景があった。

市場開放の原動力は「改革開放」という国内政策

中国が一方的な市場開放を約束したのは、約束した内容が国内政策として進められていた「改革
開放」のための措置でもあったからだ。

中国の「改革開放」の中身は、大別して三点に分けることができる。第一は国有企業改革だ。経
済活動の主要な担い手であった国有企業を政府から独立させ、独自に経営の権限を持ち、責任
を負える経済主体に転換させることである。第二はこれに対応した政府機能の転換だ。経済の計
画を作り、企業に指令を出し、管理する政府から、経済活動のルールを作ってその番人となり、ま
た、インフラ整備を行い、税と歳出を通じて所得の再分配を行うような政府へと転換させることであ
る。前二者は双方あいまって、政府からルールに基づいた競争が行われる市場へ、経済を明け
渡すことを狙いとしている。第三が市場開放だ。中国は資本も技術も欠乏している。市場開放は
中国が必要とする製品、資本、技術を外国から取り入れるための措置であり、同時に模範とすべ
き製品、企業、市場経済のモデルを招くことでもあった。

このように、「改革開放」は経済発展に必要な資本、技術等の生産要素を取り入れ、かつ、これを
効率よく運行させるための市場メカニズムに転換することを目指す政策である。

その目的は、言うまでもなく中国経済を発展させ、貧しさと後進性から脱却し、現代の大国として
復権することにあった。中国が WTO 加盟交渉の過程で多くの痛みを伴う改革を進めてきたの

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は、表面的には「WTO に加盟するため」の措置だったが、その原動力は、豊かになり先進的にな
るための「改革開放」という国策にあった。極論を言えば、WTO 加盟交渉は、どのみち進めなけ
ればならない国内改革を対外交渉の場で「高く売る」場という側面があった。

加盟交渉と改革開放はコインの表裏

しかし、同時に WTO 加盟は、改革開放を後戻りさせず、むしろ更に加速するため、改革に消極的


な国内勢力を説得するための「外圧」として強く意識され、利用された。99 年 11 月の米中二国間
交渉妥結に至る過程においては、それが特に顕著だった。このために中国が決断した市場開放
は、加盟国側の交渉担当者をアッと言わせるほど大胆な内容であり、米国との交渉妥結という
WTO 加盟のための最後の関門を抜けるため、という強い動機なしでは到底達成され得ないもの
だった。

また、WTO が国内政策としての改革開放に目指すべきモデルを提供し、ペースセッターの役割を
果たしてきたことも指摘する必要がある。特に、金融、電気通信を初めとするサービス市場開放の
タイムテーブル、輸出入管理体制改革の方策等の立案に当たっては GATT や GATS(サービス協
定)のルール及び加盟国の開放要求が大きな影響を与えた。

以上のように、中国の WTO 加盟交渉と「改革開放」は、コインの裏表をなすように進んできたと言


える。国内の改革開放の進展、一方的な市場開放の蓄積により、90 年代後半に入ると、妥結して
も良いのではないかという気運が加盟国に生まれ始めた。

もう 1 つの改革開放―民営化の急速な進展―

90 年代前半までの中国は、経済成長の手段として、外国資本や先進技術の導入に期待するとこ
ろが大きかったと言える。国内の資本蓄積がはなはだ乏しく、技術レベルも圧倒的に劣っていた
からだ。外国依存型の経済成長の時代と見ることもでき、WTO 加盟はその意味で切実な課題だ
った。

その狙いは、今日も基本的には変わるところはないが、市場経済の浸透と中国の経済レベルの
向上、とりわけ国内の資本蓄積により、最近は経済成長に新たな側面が生まれてきている。それ
は中国経済「民営化」の急速な進展だ。

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社会主義公有制の国、中国でも 80 年代には私営企業が登場したが、イデオロギー上の理由か
ら長く「日陰の身」だった。しかし、市場経済化の進展と淘汰の波の中で、生き残った私営企業が
急激に台頭し、脚光が当たり始めた。最近は高学歴者によるシリコンバレーをモデルとしたような
ベンチャー企業も続々と出現しつつある。実は「国有経済」が中国の GDP に占める割合は、既に
1/4 ちかくまでに低下している。中国で急速な民営化が起きた理由は、「資本」という切り口から見
ると簡単に分かる。

市場経済の成長には十分な資本の供給が必要だ。企業公有制のイデオロギーを守るなら、国
家、政府が企業に出資しなければならない。しかし、中国経済の規模と成長スピードに追いつく資
本供給をする力が中国の財政にはなかった。その結果、90 年代半ば以降、中国はイデオロギー
を守るか、成長を維持するかの択一を迫られたのである。中国共産党は国民に統治の正統性を
納得させる手だてとしてのイデオロギーを捨て、中国をより豊かにする途を選んだ。今日の中国は
既に邦貨換算で 100 兆円に近い預金を持つ国だ。進むべき途は、カネのある人間が資本を出す
のを認める、ということになる。こうして 99 年に憲法が改正され、「社会主義公有制の補充」成分
に過ぎなかった私営企業、非公有企業が「社会主義市場経済の重要組成成分」に昇格し、私営
企業、民営企業に対する制度的な差別の撤廃も始まった。「民営経済」が正面から認められたの
である。

この過程では、対外開放と対をなす「対内開放」という造語が登場した。中国は WTO 加盟のため


に、金融、通信をはじめ従来国有企業が独占してきた業種への外国企業参入を大々的に認め
た。これに対して「外国企業に参入を認めるなら、民族系の非公有制企業が参入することも認め
るべきだ」というのがこの造語の趣旨だ。国有企業-民営企業間の差別撤廃の一環だが、「競
争」概念の定着を示す事例として興味深い。

この 1、2 年は、更に新しい動きが始まった。資本市場を用いた企業所有形態の変更だ。具体的
には、大型国有企業の上場や、もう少し小型だが成績の良い国有企業や郷鎮企業(農村部の公
有制企業)を経営者や従業員が買い取る(buy out)という形態で進んでいる。中国の株式市場は
90 年代初めからスタートしているが、当初は「御用金」の調達場所にすぎなかった。しかし、市場
経済化の進展は、そこに 2 つの新たな意味を与えた。政府に代わる企業の監督者としての意味
と、過去に政府が出資した資本金の退出(exit)の手段である。重い社会的負担(年金、福祉)を抱
える国有企業は、生き残れるグッド・カンパニーと別途処理すべき残りの部分に分割され、前者の
上場益で後者の処理を賄う政策がスタートした。今や石油や製鉄などで中国を代表する大国有企
業が NYSE(ニューヨーク証券取引所)に上場する時代が到来している。

中国の証券市場はまだまだ幾多の問題を抱えているが、「資本」という概念は確実に中国経済の
性格を変えつつある。これほどの変化は、WTO 加盟交渉の過程で、加盟国側の誰も予想しなか

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ったことだ。WTO ルールが想定する市場経済への更なる接近だと言えるが、協定上の義務とは
言えないし、加盟議定書の中でも言及されていない。ここまで来ると、経済に関する限り、もはや
中国を社会主義国と呼ぶか否かはどうでもよいことだ。

WTO 加盟後の中国経済の行方

WTO 加盟、更に言えば市場経済化が中国にネガティブな影響ももたらすことはもちろんである。2
つ挙げるとすれば、地域的に、或いは人々の間に大きな格差をもたらしたこと、及び市場開放によ
り農業と農村の将来が見えなくなったことだろう。

地域の勝ち組は沿海部、特に南方だ。ここでも国有企業のリストラに伴い大量の失業者が出てい
るが、発達した民営経済が吸収してくれる、したがって改革も順調に進む。その逆が内陸部だが、
市場開放のインパクトは内陸にも及ぶ。

農業問題は次の 10、20 年間に中国が直面する最大のチャレンジになる可能性がある。中国農


業は過去の無理な食糧増産政策の結果、意外や効率が低く、主要穀物の価格は国際相場対比
で大きな逆ざやだ。大胆な市場開放により今後農産物価格は低下せざるを得ないが、そうなると
限界的な農家はやっていけなくなる。人口 8 億と言われ、もともと過剰労働力のたまり場だった中
国の農村がいよいよ人を抱えきれなくなるのだ。恐らく対策は過剰人口をメシが食える都市部、特
に沿海部に移していくことしかないが、億を超える人口の移動が必要になり、社会にもたらすイン
パクトも巨大なものになる。

このような矛盾緩和の鍵は財政だが、過去に蓄積した金融不良債権処理や今後の年金債務で、
実は将来顕在化する膨大な隠れ債務がある。財政破綻を回避しつつ矛盾を緩和していくには、高
成長を可能な限り長く続けるしかない。このナローパスを無事に通過していけるか、今後も中国経
済の前途は決して平坦ではないのだ。

しかし、中国の改革開放は朱鎔基総理と江沢民主席がコンビを組んだ 98 年以降、明らかに進展
した。羨ましく思えるのは、苦しくとも改革を進めることが未来を拓く、という成功体験を国民に味
わわせていることだ。現実の中国経済には深刻な問題も数多いが、今、中国経済に好調の面が
あるとすれば、それは様々な困難に堪えて改革を進めてきた中国人の努力が「配当」を受け始め
たと見るべきものだ。まだまだ欠点だらけではあるが、この短期間にここまで来るとは、ライバルと
してあっぱれ、と評価するのがフェアな態度だと思う。

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中国 WTO 加盟が日本に及ぼす影響

最近、日本国内では中国の WTO 加盟によるマイナス効果を懸念する声がある。しかし、加盟交


渉は基本的に、遅れてきた国の一方的な市場開放の過程であり、その対日効果は疑いなくネット
でプラスである。今年、日本の対中輸出は相当な増加を見ることになるだろう。世銀が指摘するよ
うに、日本は中国 WTO 加盟の最大の受益国になると思われる。

にもかかわらず、マイナス効果を懸念する声があるのは、WTO 加盟というより、その裏側で進ん
できた改革開放により、少なくとも一部の中国経済、産業の実力、効率が急速に増大してきたから
だ。昨年、日中間では農産物貿易摩擦が発生したが、今後両国の間では、経済摩擦が何度も生
ずるだろう。「安くて品質の良い商品が売れて何が悪い」とはかつての日米経済摩擦の折り、日本
が何度も米国に吐いたセリフだったが、今度は米国と同じ立場に日本が立つ局面が増えるだろ
う。

中国経済の台頭を目の当たりにして、日本国内では「中国経済脅威論」も喧しいが、その好調ぶ
りが中国の辛苦に満ちた改革努力に対する報酬であることを理解すれば、中国の挑戦に対する
対策は、我々の側も中国人に負けないように改革に努力していくことしかないことがはっきりしてく
る。中国の台頭を受け、日本も産業構造の転換など自らを改革していかなければならない。その
中で、中国とのウィン・ウィン関係を模索することが双方の利益を最大化する所以だろう。
2002 年 5 月号 『LOOK JAPAN』に掲載

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