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Title ビル・ヴィオラの映像における身体と時間

Author(s) 余, 安里

Citation デザイン理論. 46 p.131-p.145

Issue Date 2005-05-30

oaire:version VoR

URL https://doi.org/10.18910/52815

rights

Note

Osaka University Knowledge Archive : OUKA


https://ir.library.osaka-u.ac.jp/

Osaka University
学術論文 『デ ザ イ ン理 論 』46/2005

ビル ・ヴ ィオ ラ の 映 像 に お け る身 体 と時 間

余 安 里
京 都 工 芸繊 維大 学 博 士 後 期 課 程

キーワー ド
ビル 。ヴ ィオ ラ,映 像,身 体,時 間
BillViola,movingimage,body,time

1.ビ ル ・ヴ ィオ ラ
2.初 期 の映 像 作 品
(1)ヴ ィデ オ の技 術 的失 敗
② 水 滴 と身 体
3.身 体 と時 間
(1)水 滴と時間
② 「身 体 の 時間 」
(3)瞬 間 の拡 大
お わ りに 一 時 間 と身 体

1.ビ ル ・ヴ ィ オ ラ

ビ ル ・ヴ ィ オ ラ(BillViola,1951-)は,ヴ ィデ オ とい うメ デ ィ アの さ ま ざま な 可 能 性 を

知 悉 す る 数 少 な い 現 代 芸 術 家 の 一 人 で あ る 。 近 年 で は,ヴ ィオ ラ は,複 数 の大 型 プ ロ ジ ェクタ ー

を 用 い て,展 示 空 間 の 壁 に 巨大 な 映 像 を 映 し 出 す イ ン ス タ レー シ ョ ン作 品 で 注 目 を 集 あ て い る。

ヴ ィ オ ラ は ニ ュ ー ヨ ー ク に 生 ま れ,1969年 に シ ラ キ ュ ー ス 大 学(ニ ュ ー ヨ ー ク)の 美術学部

に 入 学 し た 。 そ し て,1970年 前 後 か ら ヴ ィ デ オ に 取 り 組 み 始 め る ま で,ヴ ィオ ラ は ロ ック ・

バ ン ドの メ ン バ ー と し て ド ラ ム を 演 奏 し,電 子 音 楽 に 傾 倒 して い だ 。

ヴ ィオ ラ の 最 初 の ヴ ィ デ オ 作 品 《野 生 の 馬WildHorses》 が 制 作 さ れ た の は,1972年 であ

る 。 こ の 作 品 は,マ ー ジ ・モ ン ロ ー(MargeMonro)と の 共 同 制 作 で,モ ノ ク ロ ー ム,モ ノ

サ ウ ン ドで 構 成 さ れ た,15分 間 の1/2"オ ー プ ン リー ル式 テ ー プの作 品 だ った。

ま た 同 年,ヴ ィオ ラ は シ ラ キ ュ ー ス に あ る エ ヴ ァー ソ ン美 術 館 に 世 界 初 の ヴ ィ デ オ ・ア ー ト ・

キ ュ レ ー タ ー と し て 所 属 して い た デ イ ヴ ィ ッ ド ・ ロ ス(DavidA.Ross)に 呼 ば れ,美 術 館

の ヴ ィ デ オ 資 料 係 と な る(1972-74)。 ヴ ィ オ ラ は,こ こ で,ナ ム ・ジ ュ ン ・パ イ ク(Nam

JunPaik)や ペ ー タ ー ・キ ャ ン パ ー ス(PeterCampus)等 の芸 術 家 の展 示 の 助 手 を務 め た。

ナ ム ・ジ ュ ン ・パ イ ク の 展 示 で は,ヴ ィ オ ラ は,パ イ ク の イ ン ス タ レ ー シ ョ ン 《TVガ ーデ

ン》 の 技 術 ス タ ッ フ と して 関 わ っ て い る。

ま た,1973年 に ヴ ィ オ ラ は チ ョ コ ル ア(ニ ュ ー ハ ン プ シ ャ ー)に お け る現 代 音 楽 の 夏 期 ワ ー

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ク シ ョ ッ プで,前 衛 音 楽 家 の デ イ ヴ ィ ッ ド ・チ ュ ー ダ ー(DavidTudor)に 学 び,以 降,多

大 な影 響 を 受 け続 け て い る。 ヴ ィオ ラが1974年 か ら8年 以上 に わ た って参 加 した,チ ュー ダ ー

の 《熱 帯 雨 林Rainforest》 プ ロ ジ ェ ク トは,音 声 変 換 装 置 を使 って,共 鳴 周 波 数 を 作 り出す

もの で あ った。 ヴ ィオ ラ は,チ ュー ダー か ら受 けた 影 響 につ いて 次 の よ うに述 べ て い る。 「作

曲 家 チ ュ ー ダ ー の 仕 事 の多 くは,も っぱ ら共 振 と い う現 象 一 秩 序 と混 沌 が 収 束 す る細 い線
一 を扱 った もの だ った。 そ れ が彼 を,た えず き わ どい エ ッ ジに立 たせ て いた … … 瞬 間 の 力 の

感 覚 が … … 瞬 間 の不 安 定 さ,瞬 間 の 不 確定 性 が そ こ あ っ た。 そ れ が 芸術 制 作 の基 礎 的 な素 材 と

して使 え るの だ と い う事 実 に,私 はた だ た だ驚 いて いた2。」

秩 序 と混 沌 が収 斂 す る細 い線 は,二 項対 立 す る事 象 の境 界 で あ り,際 どい エ ッジで あ る。 こ

の 際 どい境 界 に留 ま り続 け る よ うな チ ュー ダ ー の制 作 ス タイ ル か ら,ヴ ィオ ラ はエ ッジ に留 ま

る こ との不 安 定 さや,あ る い はあ る事 象 を異 な る事 象 か ら分 か つ エ ッ ジそ れ 自体 が 明 確 に確 定

で き な い不 確 定 性 を,時 間 的 な 感 覚 と して見 出 して い る。 す わ な ち,ヴ ィオ ラ は,次 の 瞬 間 に

何 が起 こ るの か わか らな い 「瞬 間 の不 安 定 さ」,ま た は 「瞬 間」 それ 自体 の見 極 め が た さ(「 瞬

間 の不 確 定 性 」)と い う時 間 的 な 感 覚 に,芸 術 の 要 素 と して の可 能 性 を発 見 した とい え る。 こ

の 点 は,ヴ ィオ ラが 芸 術 活 動 を通 して扱 って き た時 間 概 念 との 関 わ りを考 え る上 で 重 要 で あ る

だ ろ う。

ヴ ィオ ラの これ まで の 芸 術 活動 に影 響 を与 え た諸 要 素 を,系 統 づ け る こ とは難 しい。 彼 の 芸

術 活動 は,複 数 の思 想,知 識 を源 泉 と して成 り立 ち,そ れ ら は絡 み合 い,決 して 単 一 で はな い

方 向性 と側 面 を持 って い る。 ヴ ィオ ラは,西 欧 の哲 学 や 宗教,文 学,詩 へ の興 味 だ けで はな く

音 楽,建 築,科 学,文 化 人 類 学 な どの 他 の学 問 的分 野 との 関 連 の 中 で芸 術 を考 え,さ らに は,

東 洋 の宗 教,哲 学 思 想 に も大 きな 関心 を寄 せ て い るの で あ る。

東 洋 を含 め た非 西 欧 的 諸文 化 へ の 関心 は,ヴ ィオ ラの ヴ ィデ オ作 品 に通 底 す る諸 概 念 を 考 察

す る上 で,無 視 し得 な い 点 で あ るだ ろ う。 特 に,ヴ ィオ ラの作 品 に お け る身 体 の概 念 は,西 欧

の近 代 的美 学 や 哲 学 の 文 脈 か らだ けで は把 握 しえ な い深 さを も って い る と思 わ れ る。 また,こ

の身 体 の概 念 は,ヴ ィオ ラの ヴ ィデ オ作 品 に お け る最 も特徴 的 な 時 間 の概 念 と も無 関 係 で はな

い。 と い うの も,ヴ ィオ ラ に と って の身 体 は,肉 体 と精 神 が分 離 し二 項 対 立 す る もの で は決 し

て な く,肉 体 は知 覚,認 識,感 覚,感 情,意 識/無 意 識,記 憶 と密 接 に結 びつ いた もの と して

捉 えて い る ので はな いか と考 え られ る か らで あ る。

ヴ ィオ ラ の研 究 は管 見 な が ら,体 系 的 な もの は ほ とん ど見 られ な い。 日本 に お いて は特 にで

あ る。 これ は,ヴ ィオ ラの芸 術 活 動 が多 産 的で あ るだ けで は な く,ヴ ィオ ラの 作 品 自体 が,美

学,美 術 史 の領 域 を 越 え て,多 様 で多 元 的 な様 相 を呈 して い るか らだ と考 え られ る。

ヴ ィオ ラ の先 行 研 究 は,し た が って,西 欧 の哲 学 や 宗 教,文 学,詩 だ け で は な く音 楽,科 学,

文 化 人 類 学,さ ら に は,東 洋 の宗 教,哲 学 思 想 な どの他 の学 問 的分 野 との関 連 の 中 で,多 角 的

に考 察 が 試 み られ て い る。 例 え ば,菅 原 教 夫 は ヴ ィオ ラの芸 術 を宗 教 や 民 俗 学 との 関 連 にお い

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/

て 考 察 し,ヴ ィオ ラ の芸 術 家 像 が柳 田 国男 の論 じる 「巫 女 」 や,「 シ ャー マ ン」 の役 割 に通 じ

る と述 べ る。 これ は,芸 術 の社 会 的 な機 能 が,共 同体 に お け る宗 教 の役 割 と類 似 す る とい う ヴ ィ

オ ラの言 及 を 根拠 に して い る3。

また,根 拠 を 同 じ く して,ア メ リカ の 詩 人 ル ウ ィ ス ・ハ イ ド(LewisHyde)は,ヴ ィオ ラ

を,共 同 体 にお け る 「トリ ック ス タ ー」 と して 文 化 人 類 学 的 な見 解 で考 察 す る4。

他 方,ド ナ ル ド ・ク ス ピ ッ ト(DonaldKuspit)は,ヴ ィオ ラ の芸 術 に一 貫 して 提 示 さ れ

るの は,根 源 的 な 「人 間 存 在Presenceの 概 念」 で あ る と して,ベ ル ク ソ ンや デ リダ の観 点 に

基 づ い て哲 学 的 に考 察 す る5。ま た,フ リー ドマ ン ・マ ル シ ュ(FriedemannMalsch)は,

ヴ ィオ ラの 芸 術 が,電 子 通 信 技 術 が 発 達 した現 代 にお いて,根 本 的 に変 容 した 私 た ち の知 覚 や

コ ミュニ ケ ー シ ョン と深 く結 びつ いて い る と して,ヴ ィデ オ の技 術 的 な観 点 ゑ ら考察 を行 って

い る6。

そ して,オ ッ トー ・ニ ュー メ イ ヤ ー(OttoNeumaier)は,ヴ ィオ ラの 作 品 に お け る幻 想

的 か つ 詩 的 な イ メー ジに注 目 し,内 面 性 や 感 情 こそ が ヴ ィオ ラの芸 術 の核 心 だ と して,ウ ィリ

ア ム ・ブ レイ ク,ウ ォル ト ・ホ イ ッ トマ ン,リ ル ケ な どの詩 や,ア ン ドレイ ・タル コ フス キ ー

の 映 画 との 関 連 を 見 出 して い る7。

以 上 の よ うに,ヴ ィオ ラ の研 究 は多 角 的 な視 点 か ら考 察 が試 み られ,体 系 化 されず に混 沌 と

した状 況 にあ る。 中で も,他 の現 代芸 術 家 と異 な り,ヴ ィオ ラの研 究 は常 に時 間の概 念 をめ ぐっ

て 展 開 し,そ の核 心 に迫 ろ う と して い る。 しか し,こ れ まで の研 究 の どれ もが,ヴ ィオ ラ の 時

間 概 念 の 全 て を 明 らか に しえ な いで い る こ とは,ヴ ィオ ラ 自身 も述 べ る よ う に,時 間 を巡 る彼

の 探 求 が 単 純 な 道 筋 を辿 って き た もので は な いか らで あ る。

本 論 文 は,ヴ ィオ ラの初 期 の ヴ ィデオ ・テ ー プ作 品 と ヴ ィデ オ ・イ ンス タ レー シ ョンを 中心

に,ヴ ィオ ラの芸 術 を通 底 す る身 体 の概 念 を考 察す る もの で あ る。 具体 的 に は,ヴ ィオ ラが ヴ ィ

デ オ と い う装 置 を,身 体 との 関係 の 中 で ど の よ うに提 示 して い るか とい う命 題 を もとに分 析 す

る。 そ して,こ の よ うに身 体 とヴ ィデオ 媒 体 と の関 係 を 考 察 す る こ とで,ヴ ィオ ラの芸 術 の根

底 に横 た わ る時 間 の 概念 へ の探 求 に新 た な光 を 当て よ う と試 み る こ とが本 論 文 の 狙 い で あ る。

2.初 期の映像作品

(1)ヴ ィデ オ の 技 術 的失 敗

ヴ ィオ ラが,ヴ ィデ オ と い うメ デ ィア を扱 うよ う にな っ た の は,1970年 代 に入 る前 後 で あ

る。 それ 以 降,ヴ ィオ ラは30年 以 上 も ピの 媒 体 を使 って作 品 を制 作 し続 けて い る。

初 期 の テ ー プ作 品 《情 報Information》(1973)で は,ヴ ィデ オ の イ メ ー ジ画 像 に走査 線 が

走 り色 調 が乱 れ て い る 〔図1〕 。 これ は,カ ラー,モ ノサ ウ ン ドで 構 成 さ れ た,30分 間 の1/2


"オ ー プ ン リール 式 テ ー プ作 品 で あ る
。 この作 品 に つ い て ヴ ィオ ラ は次 の よ うに記 述 して い る。

「こ れ は,あ る夜 遅 くに ス タ ジオ で 作 業 を して い た 時 に 起 こ っ た 技 術 的 失 敗technical

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mistakeの 結 果 で あ る。 … … 色 信 号 が な い と

こ ろに色 が 現 れ た り,音 声 が 接 続 され て い な い

と ころ に音 が発 生 す る。 そ して,ビ デ オ の 画 面

切 換 装 置 の ボ タ ンが,通 常 と は異 な る作 動 を す

る 。 こ の 失 敗errorを 発 見 して 原 因 を 明 らか

に す る と,ま るで 楽 器 の よ う に 画 像 切 換 装 置

(ス イ ッチ ャー)を 操 作 して,こ の 非 信 号 を
`演奏'す る こ とが で き る よ うにな
ったx。

ヴ ィデオ の画 像 切 替 装 置(ス イ ッチ ャー)の


図1.《 情 報 》1973静 止画 像
技 術 的失 敗 を発 見 した ヴ ィオ ラ は,そ の 原 因 の

解 明 に よ って,技 術 的失 敗 を人 為 的 に操 作 して

発 生 させ る こ とが で き よ うに な る。 そ して,最 終 的 に は,ス イ ッチ ャー を 「楽器 の よ うに駆 使

して`演 奏'で き る よ う に な った 」 と いえ よ う。 そ の意 味 で,こ の作 品 は,ヴ ィデ オ機 材 の通

常 とは異 な る作 動 を,単 な る失 敗 と して で は な く,ヴ ィデ オ特 有 の性 質 と して逆 説 的 に活 用 し

て い る と思 わ れ る。 こ の よ うな技 術 的 失 敗 の 逆説 的 な活 用 は,ヴ ィオ ラ よ りも若 い世 代 に も受

け継 が れ て い る。 例 え ば,ピ ピロ ッテ ィ ・リス ト(PipilottiRist,1963-)の 初 期 の テ ー プ作

品 《私 は くよ くよす る女 の 子 じ ゃな い》(1986)や 《〔
免 除 〕 ピ ピロ ッテ ィの あや ま ち》(1988)

の 映 像 全 体 にお いて もエ ラー 画 像 が 見 出 され る。 ま た,ヴ ィオ ラ よ り も前 の世 代 に あ た る,

1960年 代 か ら活動 を 始 め た ナ ム ・ジ ュ ン ・パ イ ク も,ヴ ィデ オ の ユ ニ ー ク な特 質 を 取 り込 ん

だ作 品 を制 作 して い る。 こ の よ うに,ヴ ィデ オ本 来 の性 質 と は異 な る特 徴 や ユ ニ ー クな特 質 を

作 品 に積 極 的 に取 り入 れ る手 法 は,ヴ ィデ オ 媒体 の短 い歴 史 に お い てで は あ るが,あ る種 伝

統 的 な もの とな りつ つ あ る こ とが こ こで 伺 え る。

た だ し,リ ス トの エ ラ ー画 像 が ビデ オ 機材 自体 に よ る あ る種 の 「心 身 症 的 な」 叫 び や,身 体

的 な 欠 陥,言 語 障 害 と して提 示 され るの に対 して,ヴ ィオ ラの 《陦報Information》 にお け

る エ ラ ー は,表 象 さ れ た画 像 や 音 その もの の 質 よ り も,む しろ ヴ ィデオ 機 材 が 信 号 を 伝達 す る

メ カニ ズ ム に注 目 した作 品 で あ る とい え る。 ヴ ィオ ラ は,こ の作 品 にお いて 「色 信号 が な い と

ころ に色 が 現 れ た り,音 声 が 接 続 され て い な い と ころ に音 が発 生 す る」 こ と,即 ち,機 材 が 偶

発 的 に発 生 させ た メ カニ ズ ム の神 秘 に焦 点 を 当 て て い る の で あ り,画 像 や 音 はそ の神 秘 的 な メ

カ ニ ズ ム が 意 図 的 に(そ して さ ら には 音 楽 的 に),再 現 され た 現 象 で あ る と いえ る の で は な い

だ ろ うか 。

こ う した ヴ ィデオ に対 す る音 楽 的 な ア プ ロー チ に対 して,山 崎 均 は,ヴ ィオ ラが ヴ ィデ オ を

扱 い始 め る一 方 で,前 衛 音 楽 家 の デ イ ヴ ィ ッ ド ・チ ュー ダ ー と の交 流 や 電 子音 楽 や電 子 的 な 音

環 境 へ の興 味 が あ った 点 に着 目 して い る。 そ して,「 作 品 に と って の 音 の 存 在 を しば しば 映 像

以 上 に本 質 的 な もの と して 扱 う視 点 が 強 く現 れ て い る9」 と して,初 期 の作 品 に お け る音 の 重

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要 性 を 指 摘 して い る。

② 水 滴 と身 体

1976年 に制 作 され た テ ー プ作 品 《移 動Migration》 は,7分 間 の カ ラ ー,サ ウ ン ド映 像 で

あ り,《 晴報Information》 と は異 な る ヴ ィデオ の特 質 につ いて 探 求 され た もの で あ る。 ヴ ィ

オ ラ は次 の よ う に述 べ て い る。 「 〔この 作 品 〕 は映 像 の細 部 の性 質 を あ つ か って い る。 … … テ

レ ビ用 語 と して は,こ の細 部 の こ とを 〈解 像 度 〉 とい い,ヴ ィデ オ ・フ レー ムの 水 平 ま た は垂

直 方 向 の画 素 数 を測 る もの で あ る。 現 実 は,網 膜 上 あ る い は ブ ラ ウ ン管上 の 映像 と は違 って,

無 限 に 分 解 す る こ とが で き る。 つ ま り,〈 解 像 度 〉 や 〈明 瞭 度 〉 は 映像 だ けが もつ 性 質 な の

だlo。

《移 動 》 は,水 道 管 か ら規 則 的 に落 下 す る水 滴 を,ゴ ング の音 と と もに接 写 レ ンズ を装 着 し,

水道 管 の 口に焦 点 を あ て た カ メ ラが 徐 々 に水 滴 を クロ ー ズ ア ップ して ゆ く作 品 で あ る。 ゆ っ く

り とス ケ ー ル を大 き く変 化 させ て い く水 滴 の 表面 に は,人 影(ヴ ィオ ラ 自身)が 反 映 され て い

る。

水 滴 は,ヴ ィオ ラ の初 期 の作 品 群 にお いて 重要 な モ チ ー フ で あ る。 西 嶋 憲生 は,ヴ ィオ ラの

作 品 に よ く見 られ る水 の モ チ ー フ に注 目 して,ヴ ィデ オ ・イ メ ー ジ の(光 が 画面 上 で 水 の よ う

に流 動 す る)特 質 と ヴ ィオ ラ の(池 に落 ちて 溺 れ か け た)個 人 的 な体 験 との 心理 学 的 な結 びつ

き を 見 出 して い るll。特 に,《 移 動 》 に お い て は,《 歯 と歯 の 間 にTheSpaceBetweenthe

Teeth》(76)や 《プー ル あ 反 映TheReflectingPool》(77-79)と 同 様 に 「水 が 作 品 の ス ト

ラ ク チ ャー をな して い る」 と西 嶋 は指 摘 す る。

西 嶋 の指 摘 の よ う に,《 移 動 》 で も,水 が 力 学 的 に も光 学 的 に も重 要 な要 素 と な って い る の

が わか る。 水 滴 の表 面 張 力 に よ る ス ケ ール 変 化 と,そ れ 自体 の 重 み に よ って 変 容 す る水 滴 の形

態,そ して,魚 眼 レ ンズ の よ うに形 象 を歪 ま せ る特 質 が,作 品 を構 成 して い る。 た だ,西 嶋 の

観 点 を さ ら に深 く考 察 す る点 が あ る とす れ ば,そ れ は次 の 点 だ と私 は考 え る。 す な わ ち,《 移

動 》 に お い て,水 滴 の力 学 ・光 学 的 な特 質 が,ヴ ィデ オ の 特 質 と どの 「細 部 」 に おい て結 びつ

くの か とい う具 体 的 な分 析 の 必 要性 で あ る。

先 に 引 用 した よ うに,ヴ ィオ ラ が重 視 した の は,〈 解 像 度 〉 とい う ヴ ィデ オ の特 質 で あ る。

こ こで,ヴ ィオ ラが 映 る水 滴 の画 像 を み る と,ヴ ィオ ラの姿 は,水 の表 面 張力 と鏡 面効 果 に よ っ

て,奇 妙 に歪 ん で い る。 一 見 す る と,こ の 映 像 は現 実 の事 象 を あ りの ま ま に映 しだ した点 で,

現 象 と映 像 との 間 に な ん ら変 わ りが な い よ う に見 え る。 しか し,水 滴 と その 表面 に映 った ヴ ィ

オ ラの 形 象 を詳 細 に 見 れ ば,そ れ が 決 して 現 実 と同 じ細 部 を示 して は い な い こ とが わか る 〔

2)0

ヴ ィオ ラ の姿 は,歪 ん で い るだ け で はな く,身 体 の 輪郭 が背 景 に溶 け込 ん で い る。 これ は,

ヴ ィデ オ の 〈解 像 度 〉 の 限界 に よ る ものな ので あ る。 つ ま り,実 際 の水 滴 は,水 の鏡 面 の 効 果

135
に よ って カ メ ラ の クロ ー ズ ア ップ機能 で 見 るよ

り も,よ り詳 細 かつ 明確 に対 象 物 を反 映 して い

るはず で あ る。 しか し,水 滴 の 中 の反 映 は ミク

ロな鏡 像 で あ る ゆえ に,人 間 は道 具 を用 いず 自

らの裸 眼 で,そ の反 映 の 詳 細 さを確 か め る こと

は難 しい。 ま して,水 滴 の 中 の鏡 像 は ヴ ィデオ

が 持 つ 解 像 度 よ り も微 細 な の で,人 間 の可 視 範

囲 を拡 張 す る はず の ヴ ィデ オ で さ え もその 細 部

を あ りの ま ま に映 し出せ な い。 そ の結 果 と して,
図2.《 移 動 》19ア6静 止画像
水 滴 の 中 に映 った ヴ ィオ ラ 自身 の姿 は その 輪郭

が 曖 昧 に ぼ や けた像 と して あ らわれ て い る。 つ

ま り,作 品 にお け る水滴 の 中 の画 像 は,実 際 を 映 し出 した もので はな く,む しろ,ヴ ィデ オ の

技 術 的 限界 に よ って見 出 され る ヴ ィデ オ独 特 の画 像 な の で あ る。 ヴ ィオ ラは こ こに,ヴ ィデ オ

媒 体 が持 つ 独 自の特 質 を見 出 して い る とい え るの で は な いだ ろ うか 。

こ こま で の考 察 を踏 ま えた 上 で,再 度,水 面 に 映 る ヴ ィオ ラの 映 像 を 見 る と,水 滴 の 中 の虚

像 だ け で は な く画 面 の他 の細 部 もが,ヴ ィデ オ独 自の特 質 と して 豊 か な価 値 を持 って くる。 例

え ば,ヴ ィオ ラ が映 った水 滴 の輪 郭 は,〈 解 像 度 〉 の 限 界 で ぼ や け て虚 像 と実 像 との 異 な る二

つ の次 元 の境 界 を瞹 昧 に して い る。 この とき,水 滴 の 中の 虚 像 の世 界 は 歪 ん で は い るが ,し か

し,水 道 管 の背 景 に映 った 実 像 の世 界 よ りは明 瞭 に提 示 され て い る。 これ は,映 像 に お け る水

滴 が単 な る形 象 の ゆが み 以上 の もの を提 示 して い る と いえ よ う。

ドナ ル ド ・ク ス ピ ッ トは,こ の点 に注 目 して次 の よ うに述 べ て い る。 「私 た ち は,人 物 が 突

如 くっ き りと,し か も,逆 さに反 映 さ れ る水 の 流 れ の 中 に入 り込 む こ とに よ って,時 間 を 想 起

させ られ る。 そ の 反 映 は,私 た ち が現 実 の もの と して 知 覚(経 験)す る性 質 に逆 行 して,そ れ

自体 の 錯覚 性 を あ らわ す一 つ の象 徴 と して あ る12。

この 映像 は,見 る者 に次 の よ うな 「錯 覚 」 を可 能 にす る。 即 ち,映 像 に お け る水 滴 の鏡 像 は,

水 面 に映 し出 され た世 界 の単 な る あ らわ れ で は な い。 そ れ は,虚 像 で もな く実 体 で もな い,水

滴 の 中 の ミク ロの世 界 で あ り,そ の 世 界 は 画 面上 に お い て は実 像 よ り も実 体 ら しい様 相 を呈 し

て い る。 これ が,ク ス ピ ッ トの い う 「錯 覚 性 」 で あ るだ ろ う。 そ して,そ れ は,独 特 な存 在 感

を 持 って,水 滴 と と もに,単 調 な リズム で現 れ,膨 張 し,落 下 す る。 この と き,映 像 に お け る

時 間 は,水 滴 の一 連 の事 象 が 反 復 され る こ とで,時 間 的 な経 過 と して あ らわ され て い る。 しか

し,私 が重 視 した い の は,こ の 時 間 の 経 過 が,実 際 に私 た ちが 水 滴 を 観 察 して得 られ る感 覚 と

は 異 な る点 で あ る。 それ は,こ の映 像 に お い て 特 に私 た ちが 見 るの は,「 水 滴」 の落 下 と い う

よ り も,む しろ,水 滴 の 中の 「世 界 」 の 変 容 で あ る こ とに よ る。 つ ま り,こ の 世 界 の 存 在 感 は,

この映 像 に お いて しか 見 出 され な い もの で あ り,そ れ ゆえ に,時 間 は,単 な る水 滴 の リズ ム を

136
越 え て,世 界 の根 源 的 な テ ー マ(生 成 と消 滅)と 結 びつ いた 時 間 と して感 じ られ るの だ とい え

る ので は な いだ ろ うか。

こ こで,水 滴 に映 る ヴ ィオ ラ の 「身 体 」 もま た,水 滴 の 世 界 と同様 に,単 な る虚 像 とは異 な

る ものだ と いえ よ う。 そ れ は,画 面 上 に お い て は水 滴 の世 界 の 中 に あ って実 像 よ り も実 体 ら し

さ を そな え た 独 特 な身 体 で あ り,そ して,そ れ が 水 滴 とと もに変容 す る こ とで,い わ ば,水 の

よ う に 「流 動 的 な」 身 体 と して独 自 の存 在 感 を持 って い る。 《
移 動 》 に お け る身 体 と時 間 を 考

え る と き,生 成 と消滅 を繰 り返 す,流 転 す る身 体,い わ ば,永 遠 とい う時 間 を与 え られ た,輪

廻 転 生 の 身 体 を 想 起 す る こ と もで き る ので は な い だ ろ うか 。

《移 動 》 と 同年 に発 表 され た,ヴ ィ デ オ ・イ ンス タ レー シ ョ ン 《彼 は あ な た の た め に泣 く

HeWeepsforYou》 は,《 移 動 》 に 見 出 さ れ る流 動 的 な身 体 イ メ ー ジが,自 己 との対 峙 とい

う仕 方 で 見 る者 に 提 示 す る点 で 興 味 深 い作 品 で あ る。 この作 品 は,《 移 動 》 の最 後 の場 面 と同

様 に,水 滴 を ク ロー ズ ア ップ で映 しだ して い る。 映 像 にお け る水滴 は,魚 眼 レ ンズの よ うに 空

間 の 内部 を 映 し出 しな が ら,落 下 す る と 同時 に暗 転 して 消 滅 す る。 この一 連 の映 像 は,実 際 の

水 滴 の 落 下 を 即 時 的 に 映 し出 して い る。
この 作 品 の 興 味 深 い 点 は,展 示 空 間 を訪 れ た者 が,水 滴 に映 る 自己 の姿 を映 像 の 中 に発 見 す

る点 で あ る 〔図3〕 。 こ の水 滴 の ミク ロの 世 界 に あ る 自 己 の身 体 は,水 滴 の表 面 張 力 と重 力 と

の微 妙 な 均 衡 に よ って 限界 ま で膨 張 し,均 衡 を失 われ る あ る瞬 間 に映像 自体 と一 緒 に消 滅 す る。

水 滴 の 身 体 イ メー ジは,こ の時 間 と と もに生 じて は消 え ゆ く一 連 の流 転 を ヴ ィオ ラが 言 う と こ

ろの 「永 遠 の 反 復 の 周期 」 で も って 繰 り返 す ので あ る。

こ こで も,ヴ ィオ ラの 時 間へ の興 味 を見 出す こ とが で き る。 そ れ は,水 滴 が 力 学 的 な 均衡 を

失 って 落 下 す るあ る瞬 間 と,落 下(音)の 規 則 的 な連 続 に よ って作 り出 され る 「永 遠 の 反復 の

周 期 」 で あ る。 個 々の 瞬 間 が 「永 遠 の反 復 の周 期 」 で 繰 り返 され る こ とで,瞬 間 と永遠 が,水

滴 を め ぐって一 つ の作 品 の 中 で結 びつ いて い る の で あ る。

ま た,《 彼 は あ な た の た め に泣 くHeWeeps

forYou》 につ い て特 筆 す べ きな の は,題 名 の

weepsに よ って,水 滴 が涙 の メ タフ ァー とな っ

て い る点 であ る。 この メ タフ ァー によ って,テ ー

プ作 品 《移 動 》 と は異 な る身 体 との関 係 が ここ

に見 出せ る。 そ れ は,私 た ち の身 体 が 映 って い

る水 滴 が 涙 だ とい う こ とに よ って,涙 が 生 じる

と こ ろの 眼 が 作 品 の ど こか に あ り,そ の涙 は私

た ちの た め に流 され て い る とい う こ とで あ る。

そ して,涙 が 心 に沸 き起 こ る感 情 や 肉体 的 痛 み

に よ る もの だ とす れ ば,私 た ち は作 品 に,私 た 図3.《 彼 は あ な た の た め に泣 く》1976静 止 画 像 ・部分

137
ちを見 つ め る眼差 しの存 在 と,そ の存 在 と の心 理 的 ・感 覚 的 な 関 わ りを見 出す こ と もで き よ う。

しか し,こ の 彼Heと は だ れ な の か。 ヴ ィオ ラ は,こ の 点 につ いて 宗 教 的 な 側 面 との つ な が り

を 見 出 して い る13が,そ の考 察 につ いて は別 の機 会 に譲 りた い。

《陦報 》 に お け る技 術 的失 敗 や,《 移 動 》 にお け る ヴ ィデ オ ・イ メー ジ に お け る 〈解 像 度 〉
の 限界 を探 求 した ヴ ィオ ラ は,テ ー プ作 品 《プー ル の反 映》 に お いて,ヴ ィデ オ の 操 作技 術 を

さ らに洗 練 させ て い く。 この作 品 は,一 人 の人 物(ヴ ィオ ラ本 人)が 野 外 プー ル に近 づ き 飛 び

込 み を繰 り返 す もの で あ るが,水 面 め が けて プー ル の縁 か ら飛 び上 が り宙 に浮 いた 瞬 間 に 時 間

が とま った よ うに人 物 が静 止 す る。

この作 品 は,「 す べ て の 動 き と変 化 が,・ … ・


静 止 した シー ンの 中で 森 の 中 に あ る プ ー ル の 表

面 の反 映 の み に 閉 じ込 め られ て い る。 二 つ の異 な る時 間 の層 が一 つ の凝 縮 した 映 像 の 中 に結 合

され る14」もの で あ る。 宙 に浮 い た ま ま静 止 を続 け る人 物(停 止)と,プ ー ル の水 面 の移 り変

わ り(時 間 の経 過)が 一 つ の フ レー ム の 中 に共 存 す る。 停 止 と経 過 と い う異 な る時 間 軸 が 一 つ

の画 面 の 中 で視 覚 的 に提 示 され て い る。

3.身 体 と 時間

(1)水 滴 と時 間

クス ピ ッ トは,ヴ ィオ ラの 初 期 テ ー プ作 品 《
移 動 》 に お け る水 滴 の 落 下 に,私 た ちの無 意識

の 内 に あ る時 間 の超 越 を見 出 して い る。 「そ の滴 りは私 た ちの 知 覚 が そ れ に接 近 す れ ばす る ほ

ど,よ り迅 速 に な さ れ る ほ どに,ま す ま す 時 間 を超 越timelessし て い くよ う に見 え る。 … …

私 た ち は 水 を無 意 識unconsciousに お い て経 験 し,そ の滴 りが永 遠 で あ るか の よ うに体 験 し

て い る15。
」 ク ス ピ ッ トに と って,《 移 動 》 に お け る水(水 滴)の 落 下 の 反 復 は,無 意 識 に よ る

水 の体 験 で あ り,永 遠 と い う超 越 した 時 間 性 を想 起 させ る もの で あ る とい う。 ク ス ピ ッ トは,

ヴ ィオ ラ の作 品 全 般 に お いて,時 間軸 の操 作 が な されて い る こ と に注 目 して,ヴ ィオ ラの 時 間

の概 念 を ベ ル ク ソ ンの観 点 を か りつつ,時 間 と人 間 との 間 主 観 的 な 関係 で捉 え て い る。 「哲 学

者 ア ン リ ・ベ ル ク ソ ンHenriBergsonは,私 た ち が 時 間 とい う もの を空 間 に投 影 して概 念化

して い る と述 べ て い るが,ヴ ィオ ラ は空 間 の表 現 用 語 一 速度,同 時性,連 続一 を使 用 し

て,根 源 的 で感 情 的 な経 験 や 見 解 か ら切 り離 せ な い よ うな時 間 の感 覚 を回 復 させ る。 そ れ は,

〈認 識 と,個 人 的 な移 動,あ る い は客 体objectの 運 動 〉 に よ って構 築 され る も ので あ る16。



ベ ル ク ソ ンは 「純 粋 持 続 」 と して の真 の 時 間 を考 え,私 た ち に は知 覚 しえ な い もの だ と述 べ た。

ベル ク ソ ンに よれ ば,私 た ち は時 間 とい う もの を あ る対 象 の変 容 や 移 動 と い った 空 間 的 な もの

と して 捉 え て い る。 私 た ちは,対 象 が あ る地 点 か ら別 の地 点 へ 移 動 す る,ま た は あ る形 態 か ら

別 の形 態 へ 変 容 す る と い った空 間 的 な移 行 に よ って時 間 を感 じる。 これ を 踏 ま え て,ク ス ピ ッ

トは ヴ ィオ ラが 空 間 にお け る移 動 や変 容 を表 す こ とで,独 特 な時 間 を,私 た ちの 感 覚 に訴 え か

け て い る と指 摘 す る。 つ ま り,ヴ ィオ ラ の 映像 の時 間軸 の操 作 は,単 に現 実 の 時 間 の長 さを 変

138
化 させ る こ とで は な い。 クス ピ ッ トに よれ ば,映 像 に お け るス ロー モ ー シ ョンや 同 時再 生,ス

チ ール ・フ レー ミ ング,反 復 とい った技 術 的 な 操作 に よ って,被 写 体 の速 度,同 時 性,連 続 と

い った 「運 動 」 自体 を,実 際 とは異 な る もの にす る こ と,そ れ こそ が ヴ ィオ ラの 時 間 表現 な の

で あ る。

さ らに,こ の運 動 の 空 間 的 な操 作 が,私 た ちの 時 間 感 覚 に強 く訴 え か け る の は,そ れ が主 観

的 で根 源 的 な 時 間 感 覚 と して あ らわ れ て い る か らだ と,ク ス ピ ッ トは主 張 す る。 《移 動 》 に お

け る水 の連 続 的な 滴 下 は,永 続 的 な運 動 の感 覚 と永 遠 とい う時 間 感 覚 を想 起 させ る。 それ は,

クス ピ ッ トに よれ ば 「無 意 識 の 中 で 時 間 を超 越 す る」 感 覚 で あ り,「 根源 的 で感 情 的 な経 験 や

見解 か ら切 り離 せ な い よ う な時 間 の感 覚 」 で あ る。 こ の ク ス ピ ッ トの 観 点 は本 論 の 問題 に合 致

す る点 で 重要 で あ る。 ヴ ィオ ラの 映像 に お い て,時 間 を知 覚 す る こ と 自体 が,ヴ ィデオ と身 体

とを 深 く結 び つ け る重 要 な デー マな の で は な い だ ろ うか。

(2)「 身体 の 時 間」

ヴ ィオ ラの 初期 の 映 豫 に お け る,水 滴 の 規 則 的 な滴 下 の リズ ム は,後 にな る と身 体 の生 体 機

能 が 刻 む単 調 な リズ ムの 提 示 へ と変 遷 を辿 る。 セ リア ・モ ン トリオ(CeliaMontolio)は,

ヴ ィオ ラ の イ ン ス タ レー シ ョン作 品 《心 臓 の 科学ScienceoftheHeart》(1983)や 《単 純 な

感 覚 の 装 置AnInstrumentofSimpleSensation》(1983)で 使 わ れ た心 臓 の鼓 動 や,《 通

過ThePassing》(1991)や 《眠 る人 々TheSleepers》(1992)に み られ る呼 吸 や 息 づ か い に

注 目 して,こ の よ うな 単調 な身 体 の リズ ム が,時 間 と身体 とを 等価 な もの と して 結 び つ け て い

る と述 べ る。 「ヴ ィオ ラ の作 品 の傾 向 を,神 秘 的 な 神 学 に 由来 す る よ うな 時 間性 と して安 息 を

求 め る もの だ と見 て はな らな い。 む しろ,私 た ち の 日常 生 活 を 通底 す る最 も根 源 的 で 絶 対 的 な

時 間性 を提 示 す る方 法 と して み るべ き だ17。
」 モ ン トリオ は,ヴ ィオ ラの 映像 に お け る時 間 を,

神 秘 主 義 や宗 教 の文 脈 に結 びつ け る こ とに は異 を 唱 え る。 それ は,映 像 に提 示 され た 時 間 が,

私 た ち の身 体 が刻 む リズ ム に よ って構 成 され た時 間で あ り,す な わ ち,こ の時 間 は私 た ちの 生

命 と密接 な 関係 を持 つ 点 で,私 た ちの 日常 生 活 を通 底 す る根 源 的 な 時 間 で あ るか らだ と主 張 す

る。 デ ィ ヴ ィ ッ ド ・ロ ス(DavidA.Ross)も ま た,ヴ ィオ ラの作 品 に み られ る 時 間 の一 つ

の 特 徴 と して,身 体 の生 体 リズ ム に注 目 し,そ れ を 「身 体 の 時 間thetimeofyourbody18」

と呼 んで い る。 そ れ は,時 間 と は静 け さの 中 で心 臓 の鼓 動 だ け を聞 くことだ と主 張 した ジ ョ ン ・

ケ ー ジの概 念 と 同様 の もの だ と ロ ス は 指摘 して い る。 ロ ス に よ れ ば,こ の身 体 の 時 間 は,16

世 紀 に 時 計 が発 明 さ れ る以 前 か ら,全 人 類 が 共 有 す る最 初 の 時 間 の尺 度thefirstmeasure

oftimeで あ った。 この身 体 の 時 間 は,私 た ちが 生 ま れつ い た時 か ら私 た ち と と もに あ って,

そ して 私 た ちが 本 当 に死 ぬ とき に な って それ が 感 じ られ る もの な の だ と ロス は説 明す る。

この ロ ス の見解 を踏 ま え て想 起 され る具 体 例 と して,1983年 に発 表 され た イ ンスタ レー シ ョ

ン 《心 臓 の科 学 》 が あ る。 そ れ は,展 示 空 間 にベ ッ ドが 置 か れ,そ の奥 の壁 に開 胸手 術 を受 け

139
て い る最 中 の脈 動 す る心 臓 の 映像 が投 影 され た作 品 で あ る。 展示 空 間 に入 る と,画 面 に ク ロー

ズ ア ップ され た心 臓 の脈 動 が 見 え る と同時 に,そ の脈 動 に合 わ せ て心 臓 の鼓 動 が 聞 こえ る。 こ

の 映像 は,始 め通 常 程 度 の早 さで再 生 され るが,徐 々 に音 と と もに減 退 して い き,終 盤 に は極

度 の ス ロ ー モ ー シ ョンで心 臓 の動 き と音 は ま る で異 質 な もの とな って い く。

《心 臓 の科 学 》 は,そ の 映像 に 映 さ れ た心 臓 が,見 る者 に そ れ と同 じ臓 器 が 私 た ちの 生 命 を

維 持 して い る の だ と い う実感 を与 え るだ け で は な く,徐 々 に ス ロー モ ー シ ョンに な る につ れ て,

私 た ち と 同 じ もので あ るはず の心 臓 が 異 質 な もの で あ るか の よ うに,あ る種 の 混 乱 を 見 る者 に

与 え る。 ロ ス は,ヴ ィオ ラの作 品 が,「 ま るで 自分 の身 体 に直 接 触 れ て い るよ うな不 快 な感 覚 」

を起 こ させ る と述 べ,そ の根 拠 と して,私 た ちが心 臓 の鼓 動 とい う身 体 の 時 間 を 共 有 して い る

か らだ と指 摘 して い る。

《心 臓 の科 学 》 は,2004年 末 に豊 田市 美 術 館 で 開催 され た 「イ ン ・ベ ッ ドー 生 命 の美 術 」

と い う グル ー プ展 に も出 品 され て い る。 ヴ ィオ ラの これ ま で の多 くの 作 品 の 中 で,こ の イ ンス

タ レー シ ョン作 品 が選 ば れ た こ と は,グ ル ー プ 展 の テ ー マが ベ ッ ドだ か ら とい う単純 な理 由 だ

けで は な い よ うに思 われ る。 ヴ ィオ ラ は1998年 に大 規模 な 回顧 展 を行 った 時 期 の イ ンタ ビ ュー

で,自 ら の作 品 の変 遷 を改 め て身 体 との 関 わ りにお い て 見 直 して い る。 「つ ね に私 を導 い て き

た 考 え が,… … 身 体 だ った と い う こ とを,私 は こ れ ま で 完 全 に は意 識 して こな か っ た19。


」身

体 へ の 関 心 を改 め て意 識 す る ヴ ィオ ラが,《 心 臓 の科 学 》 を単 な る過 去 の作 品 と して 見 て い る

とは考 え に くい。 ま た,現 在 の現 代美 術 の傾 向 に お いて も身 体 は重 要 な キ ー ワー ドとな って い

る こ とを 考 え る と,「 イ ン ・ベ ッ ド」 展 に 出 品 さ れ た 《心 臓 の科 学 》 は,ヴ ィオ ラの 作 品 に お

け る身 体 との 関 わ り,そ して 現代 美術 の一 様 相 と して の身 体 と して 見 られ るべ き で は な い だ ろ

うか。

ロス は,ヴ ィオ ラ の作 品 に身体 の 時 間 を見 る一 方 で,も う一 つ 重 要 な 時 間 を見 出 して い る。

そ れ は,単 調 な リズ ム に よ る永続 的 な 時間 の広 が りや,身 体 の 生 命 の 内 に 限定 さ れ た時 間 で は

な く,私 た ち の知 覚 に衝 撃 を 与 え う るよ うな啓 示 的 な あ る瞬 間 の 内 に あ る無 限 の 広 が りで あ る。

そ れ は,近 年 の ヴ ィオ ラの 映像 に お け る極 度 の ス ロー モ ー シ ョン と深 く関 わ っ て い る。

(3)瞬 間 の拡 大

ヴ ィオ ラ の映 像 作 品 に お け る時 間軸 の操 作 の 最 も特 徴 的 な側 面 は,ス ロ ー モ ー シ ョ ンで あ る

と いえ よ う。 そ れ は,近 年 に な って よ り頻 著 にか つ 過 激 に 提示 さ れ る よ うに な っ て い る。 これ

は,《 移 動 》 に お け る水 の 滴 下 の 永 続 性 や あ る い は テ ー プ 作 品 《チ ャ トル ・エ ル ・ジ ェ リ ド

(光 と熱 の 肖像)Chottel-Djerid(APortraitsinLightandHeat)》(1979)の 虚 像 か ら実

像 へ の 変容 の 瞬 間 へ の ヴ ィオ ラ の関 心 が,こ の ス ロー モ ー シ ョ ンに お け る 「瞬 間 の拡 大」 へ と

展 開 して い った と思 わ れ る。 ヴ ィオ ラの 作 品 に お け る超 ス ロ ー モ ー シ ョ ンにつ いて,そ れ ぞ れ

の 作 品 で どれ くらい 時間 を 引 き延 ば して い るか を 見 る と,例 え ば,人 々 の影 が 突 如,光 って現

140
れ そ して 暗 闇 の 中へ 消 え て い く 《小 さ な死TinyDeath》(1992)で は,撮 影 した 映 像 を1/2

に速 度 を 落 と した 上 で,逆 回 し して い る。 ま た,ポ ン トル モ の 名 画 《聖母 マ リア のエ リザ ベ ト

訪 問 》(1528-29)を 再 現 した 《挨 拶TheGreeting》(1995)で は,3人 の 女 性 が 出 会 って 別

れ る とい うた った45秒 の場 面 を10分 に 引 き 延 ば して再 生 した。 この 撮影 に は,毎 秒300コ マ の

高 速 カ メ ラ を使 用 して い る。 この よ うに あ る一 定 の時 間 を非 常 に長 く引 き延 ば す こ とに つ い て,

ヴ ィオ ラ は次 の よ う に述 べ て い る。 「そ うす る 〔
時 間 の速 度 を緩 め る〕 と,離 れ て もの を 見 る

ことが で き る。 時 間 が 長 くな れ ば,空 間 も拡 が る。 そ れ が知 覚 の速 度 を シフ トさせ る。 そ れ が,

現 在 とい う瞬 間 の 感 覚 的 認 識 の混 乱 か ら 目を 引 き離 して くれ る2°
。」 この言 及 か ら,ヴ ィオ ラ

に と って,時 間 を 引 き延 ば す こ とが,単 に物 理 的 な空 間 を 広 げ る こ と とは異 な る の は明 らか で

あ る。 つ ま り時 間 を引 き延 ば す こ とは,私 た ちが 映像 を見 る,あ る い は知 覚 す る こ とに お い て,

そ の知 覚 可 能 な領 域 と して の空 間 を広 げ る こ とで あ り,そ れ は,カ メ ラの前 で実 際 に起 こ った

事 象 とそ れ を 映像 を 通 して 知 覚 す る私 た ち との 間 を 拡 大 す る こ とで あ る と思 われ る。1999年

に 「ビル ・ヴ ィオ ラ」 展 の一 環 と して行 わ れ た 対談 で,展 覧 会 の 企 画 者 で あ る二 人 の人 物 デ イ

ヴ ィ ッ ド ・A・ ロ ス と ピー ター ・セ ラー ズ を 相手 に,ヴ ィオ ラ は時 間 に つ い て述 べ て い る。 こ

の対 談 の一 部 は 《経 過Passage》(1987)の 時 間軸 の操 作 につ い て で あ り,ヴ ィオ ラの ス ロー

モ ー シ ョン を考 察 す る上 で 重 要 だ と思 わ れ る 〔図4〕 。 《経 過Passage》 は,4歳 に な る子 ど

もた ちの 誕 生 日パ ーテ ィー の光 景 を 映像 で 映 しだ した イ ンス タ レー シ ョン作 品 で あ る。 ヴ ィオ

ラ は,展 示 空 間の 全 て の 壁 が エ ッジの な い 巨 大 な一 つ の イ メー ジ とな る よ うに して ス ク リー ン

の エ ッ ジを 解 消 した。 ヴ ィオ ラ は,こ の ス ク リー ン上 に,実 際 な ら20分 の 光 景 を そ の16倍 の

長 さ,す な わ ち6時 間 分 の 長 さ に引 き延 ば した 映像 を投 影 した 。
こ の映 像 の も っ と も重要 な 点 は,ヴ ィオ ラが編 集 段 階 にお いて 元 の 素 材 映像 の 中 に,異 な る

素 材 映 像 を数 コマず つ 挿 入 させ て い る こ とで あ る。 例 え ば,4歳 の 小 さな女 の子 の,実 際 の 時

間 に す る と た った2秒 しか な い シー クエ ン スの 中 に,80歳 の女 性 が 映 った1コ マ が挿 入 され

る。 次 の 瞬間 に は,結 婚 式 を 挙 げ る女性 の画 像

が2,3コ マ続 け られ,そ して 女 の 子 の場 面 に

再 び戻 る。 この少 女 の 目は不安 で い っぱ い の 表

情 を して い る が,ま た次 の コマ で,非 常 に喜 ん

で い る。 そ れ は,次 ぎ の場 面 で 誕生 日ケ ー キ が

運 ば れ る 映像 が提 示 され る こ とで わ か る。 つ ま

り,ヴ ィオ ラ は,2秒 間 の 少 女 の一 連 の シー ク
エ ンス の 間 に,彼 女 の将 来 を 暗 示 す る幾 つ か の

場 面 を介 入 させ て い る。 映 像 を 見 る者 は,少 女

が 映 っ た2秒 間 の 映 像 の 中 に,80歳 の彼女 と


図4.《 通 過 》1987イ ン スタ レー シ ョン ・部 分
結 婚 す る 彼女 を垣 間 見 るの で あ る。 セ ラ ー ズ は,

141
「〈現 実 の 時 間 で い え ば〉 この た っ た2秒 間 の す べ て に よ って,人 生 の あ らゆ る瞬 間 に,そ の人

の全 人 生 が 経 過 して い くの だ とわ か る。」 と して,次 ぎ の よ うに解 釈 す る。 「《


経 過Passage》

は,空 間 と空 間 との 間 の空 間 につ いて の 作 品 だ。 … … この信 じ られ な い ほ ど凝 縮 され た 時 間 の

中 に どれ ほ どの コ ミュニ ケ ー シ ョ ンが起 こ って い るか が わ か る21。


」 セ ラー ズ に よ れ ば,ヴ ィ

オ ラ の ス ロー モ ー シ ョ ンは,瞬 間 を拡 大 す る こ とに よ って,そ の 瞬 間 の 中 に凝 縮 され た空 間 を

見 せ る こ とに あ る。 こ の凝 縮 され た空 間 は,そ の 瞬 間 を生 き る人 に と って は濃 密 な一 瞬 間 で あ

り,そ れ は,そ の人 生 の全 て に相 当す る濃 密 さな の だ とい うヴ ィオ ラの 観 点 を セ ラー ズ は読 み

と って い る。 セ ラ ー ズ の解 釈 を踏 まえ る と,ヴ ィオ ラの ス ロ ー モ ー シ ョ ンの独 自性 は,こ の 拡

大 さ れ た 瞬 間 に お い て明 らか にな る コ ミュニ ケ ー シ ョ ンの詳 細 に あ る。 この コ ミュニ ケ ー シ ョ

ンの意 味 に つ い て,セ ラ ー ズ は あ ま り説 明 を 付 け加 え て い な い。 しか し,私 は,こ の コ ミュニ

ケ ー シ ョ ンが通 常 の会 話 や 対 話 に よ る言 語 の コ ミュニ ケ ー シ ョ ン とは異 な る点 で無 視 で き な い

もの で あ る と考 え る。 それ は,む しろ仕草 や表 情 に よ る コ ミュニ ケー シ ョ ン,あ るい は沈 黙 に

よ る コ ミュニ ケ ー シ ョ ン,意 味 を な しえ な い非 一記 号 と して の言 語 の コ ミュニ ケ ー シ ョンで あ

り,そ れ は言 葉 と は異 な る別 の次 元 で 身体 か ら発 せ られ る身 体 的 な言 語 の コ ミュニ ケ ー シ ョ ン

とい え る の で は な い だ ろ うか 。

ヴ ィオ ラは,《 経 過Passage》 にお いて,喜 ぶ 少 女 の表 情 が時 間 を 引 き延 ば した分 だ け長 く

続 くこ と で,「 感 情emotionも 拡 が る」 と述 べ て い る。 こ こで,ヴ ィオ ラ は,表 情 が 長 く続

くこ と と,感 情 が そ の表 情 の 内 に残 され る こ と との 間 に あ る差 異 と結 びつ き につ い て述 べ て い

る点 で重 要 で あ る。 こ の差 異 に お いて,表 情 とい う肉体 の 問題 と感 情 と い う精 神 の 問題 との 間

に あ る距 た りが浮 か び上 が る。 肉体 と精 神 の 問題 は,デ カル トの二 元 論 を は じめ 西 欧 の近 代 哲

学 に お け る身体 の議 論 に遡 る こ とが で き るが,こ の身 体 の二 元 論 的な 観 点 か らす れ ば,表 情 の

瞬 間 が 拡 大 さ れ長 く続 く こ と で,感 情 が 持 続 す る と は 限 ら な い とい え よ う。 しか し,《 経 過

Passage》 にお け る少 女 は全 身 で 喜 ん で い るの が わ か る。 こ こで 重 要 な の は,私 た ちが 彼 女 の

表 情 を見 て そ れ が疑 い よ う もな く一 つ の感 情 を全 身 で表 して い る と感 じ られ る こ とで あ る。 こ
の歓 喜 の 瞬 間,少 女 の身 体 は,表 情 と感 情 が,即 ち 肉体 と精 神 とが明 らか に結 合 して い る。 こ

の身 体 の統 一 を,私 た ち は引 き延 ば され た 瞬 間 の 隅 々ま で知 覚 す る こ とが で き る。

表 情 とい う視 覚 的 な身 体 の 動 きが 歓 喜 と い う心 理 的 な感 情 を伝 え る こ と,そ れ は 自明 で あ り

な が ら,最 も本 質 的 な身 体 言 語 の コ ミュニ ケ ー シ ョンの ひ とつ で あ る。 ヴ ィオ ラの ス ロ」 モ ー

シ ョ ンは,瞬 間 を極 度 に 引 き延 ばす こ と に よ って,身 体 言 語 の意 味 を形 骸 化 し異 な る もの にす

る こ とで は な い(他 方 で,対 話 や 会 話 にお いて取 り交 わ され る記 号 言 語 は,ス ロー モ ー シ ョ ン

で再 生 さ れ る と,記 号 を形 成 す る音 そ れ 自体 が変 化 し,通 常 の意 味 を な しえ な い異 な る もの に

な る)。 そ れ は む し ろ逆 に,引 き延 ば さ れ た 瞬 間 と瞬 間 の 間,即 ち,私 た ちが 知 覚 しえ な い 非

常 に細 か な 瞬 間 に お いて も,表 情 や仕 草 が 同 じ意 味 を 持 って 見 出 され る こ とが重 要 な の で あ る。

「私 は,人 間 の感 情 が,無 限 の解 像 度 を 持 つ こ とが わ か った。 つ ま り,感 情 を 拡 大 す れ ば す

142
る ほ ど,そ れ らは無 限 に ひ らか れ て い く3p。
」 この ヴ ィオ ラの言 及 は,人 間 の感 情 を,「 解 像 度 」

とい う映 像 の視 覚 的 な 用語 で表 して い る点 で 興 味 深 い。 こ こで,ヴ ィオ ラが,近 代以 降西 欧 で

主流 とな って きた身 体 の二 元 論 的 な概 念 に疑 問 を投 げか け て い るの は明 らか だ ろ う。 デ ィヴ ィ ッ

ド ・ロ ス は,こ の 拡 大 さ れ た 瞬 間 を,「 暴 露 あ る い は啓 示 の 瞬 間themomentofrevela-

tion」 と呼 ん で い る。 「そ れ は,身 体 経 験 か ら くる瞬 間 で あ りオ ル ガ ス ム の瞬 間 で あ る。 時 計

で そ の瞬 間 を計 ろ う とす るな ら,そ れ は,1秒 の半 分 に も満 た な い か も しれ な い。 しか し,そ

の 瞬 間 は,私 た ち 自身 の身 体 の 感覚 を越 え て拡 大 して い く次 元 にあ り,私 た ち全 存 在 とい う一

つ の 感 覚 とな る瞬 間 で あ る。 〔この 瞬 間 に おい て 〕 時 間 は,あ る意 味 で 消 滅 す る23。


」 ヴ ィオ ラ

は,あ る瞬 間 を空 間的 に拡 大 して,そ の短 い 時 間 の 内 に凝 縮 され た空 間 を微 分 して み せ る。 そ

の 瞬 間 は,私 た ち の身 に起 こ りう る 日常 的 な 瞬 間 で あ りな が ら,し か し,そ の瞬 間 の 内 に は私

た ち一 人 一 人 の全 人 生 に も匹 敵 しう るよ うな,感 情 や 感 覚 の無 限 の解 像 度 が 秘 め られ て い る。

ヴ ィオ ラ の こ う した 瞬 間 の 空 間 的 な 拡 大 を 感 情 の 拡 大 と して 提 示 して い る作 品 は,《 経 過

Passage》 以 外 に も,前 述 の 《挨 拶 》 で 受 胎 した こ とを エ リザ ベ トに伝 え る聖 母 マ リア の表 清

〔図5〕,そ して 《感 情Passions》(2002)に お け る喜 怒 哀 楽 の 表 情 の 断 片 に見 られ る。

《感 情 》 は,毎 秒210コ マ高 速 カ メ ラ で撮 影 され た老 若 男 女 の ポ ー トレー ト ・シ リー ズ で,そ

れ ぞ れ12作 品 で 構 成 され,極 度 な ス ロ ー モ ー シ ョ ンで 再生 され た。

ヴ ィオ ラの ス ロー モ ー シ ョ ンは,気 が 付 か な けれ ば,見 過 ご して しま うよ うなmの 些細な

仕 草 や 表 情 を 拡大 す る こ とで,そ のmの 内 に凝縮 され た,非 常 に細 や か な コ ミュニ ケー シ ョ


ンの 詳 細 を 私 た ち に提 示 す る。 ヴ ィオ ラが 拡 大 す る瞬 間 は,映 像 に登場 す る人 物 だ け に起 こ り

う る特 別 な 瞬 間 で は な い。 それ は,あ らゆ る人 に起 こ りえ る 日常 的 な 瞬 間,即 ち,そ れ ぞ れ の

人 生 の あ らゆ る瞬 間 に お い て経 過 しう る時 間 で あ る。

ヴ ィオ ラの 映像 に お け る極 度 の ス ロー モ ー シ ョンは,非

常 に緩 慢 な 速 度 で 映像 が動 く こと に よ って,一 見 す る と動

か な い静止 画 像 の よ うに見 え る。 しか し,こ の極 度 の ス ロー

モ ー シ ョ ンに よ って 提 示 され る 時間 の あ りか た は,完 全 な

静 止 映 像 で あ る写 真 に写 し とめ られ た時 間 と は異 な る もの

で はな いだ ろ うか 。 例 え ば,ア ン リ ・カル テ ィエ=ブ レッ

ソ ン(HenriCartier-Bresson,1908-)の 写 真 にみ られ

る決 定 的 瞬 間 は,出 来 事 の 意 味 とそ の 出来 事 を表 現 す るの

に最 も適 した 瞬 間 で あ り,そ の写 真 に凝 固 され た過 去 の あ

る一 点 に美 学 的 な 価 値 が 見 出 され る。 それ に対 して,ヴ ィ

オ ラ の ス ロ ー モ ー シ ョン にお け る拡 大 され た瞬 間 は,そ れ

が 動 くこ とに よ って あ らゆ る瞬 間 が,映 像 を見 る私 た ちの
図5,《 挨 拶 》1995静 止画 像
現 在 と結 びつ い た等 価 な瞬 間 と して あ る。 他 の例 と して,

143
ナ ン ・ゴ ー ル デ ィ ン(NanGoldin,1953-)の 写 真 にみ られ るス ナ ップ シ ョ ッ トは,日 常 にお

け る個 人 的 で親 密 な 時 間 を無 造 作 に切 り取 って み せ るの に対 して,ヴ ィオ ラの 映 像 は,日 常 に

お け る瞬 間 の 内 に隠 され た知 覚 しえ な い瞬 間 を提 示 す る。

した が って,ヴ ィオ ラの ス ロー モ ー シ ョ ンに提 示 され る時 間 は,フ レー ムの 中 に凍 結 され た

過 去 の あ る一 点 で は な い。 そ れ は,映 像 が あ くまで動 くこ とに よ って,時 間 の 経 過 と して 再 生

され た 瞬 間 と瞬 間 の連 な りで あ り,い わ ば,連 続 す る現 在 で あ る。 ヴ ィオ ラの 映像 は,こ の連

続 す る現 在 と して,瞬 間 と瞬 間 の 間 を提 示 す るの で あ り,そ れ こ そが,映 像 を 見 る私 た ち の 時

間 に対 す る感 覚 を刺 激 す るの で は な い だ ろ うか。

私 た ち は,ヴ ィオ ラの 映像 を通 して この 瞬 間 に立 ち会 う こ とに よ って,あ らゆ る瞬 間 が ヴ ィ

オ ラ の求 め る 「この 瞬 間 を 生 き る と い う こ と,… …現 在 とい う時 の リア リテ ィを経 験 す る こ

と24」の 実 感 へ と結 びつ い て い くこ とを感 じ る。 そ して,こ の 瞬 間 にお いて,私 た ち は時 間 の

拡 が りを忘 れ,時 間 を超 えた 無 限 の 世 界 に 自己 を見 出す の だ といえ るの で は な い だ ろ うか 。

お わ りに 一 時 間 と身 体

これ ま で の考 察 に よ って,ヴ ィオ ラの作 品 で は,ヴ ィデオ の 装 置 の様 々 な レベ ル で時 間 の表

現 が探 求 され て お り,そ れ は,常 に肉体 と精 神(感 情,感 覚)を 含 め た 身体 と何 らか の関 わ り

が あ る こ とが わ か った。 ヴ ィオ ラの 時 間表 現 は大 き く分 けて 二 つ あ る。 一 つ は,水 滴 の滴 下 や

心 臓 の鼓 動,呼 吸 と い った運 動 の リズ ム に よ って,人 間 の 生 命 を 支 え る 「身 体 の時 間 」 を私 た

ち に知 覚 させ る もので あ る。 そ れ によ って,私 た ち は作 品 の 身 体 の 時 間 と私 た ち 自身 の身 体 の

時 間 とを共 有す る。 もう一 つ は,人 々 が 出会 い,喜 びを 分 か ち合 うあ る瞬 間,歓 喜 を全 身 に お

いて 爆 発 さ せ る瞬 間 を,極 度 な ス パ ンに 引 き延 ばす こ と にあ る。 そ れ に よ って,瞬 間 に凝 縮 さ

れ た空 間 に,感 情 の 無 限 にひ らか れ た コ ミュニ ケー シ ョ ンが あ る こ とを提 示 す る。 こ の よ う な

時 間 軸 の操 作 は,そ れ ぞ れ私 た ち の通 常 意 識 しえ な い感 覚 ヘ ダ イ レ ク トに刺 激 を与 え る も の と

な って い る。 ヴ ィオ ラは,時 間 の経 験 を,本 来,非 常 に主 観 的 な もの だ と して い る。 しか し,

この 時 間 の 経 験 は,近 代 化 に よ って私 た ち の意 識 しえ る身 体感 覚 か ら忘 れ られ て きた と ヴ ィオ

ラ は指 摘 す る。 その意 味 で,ヴ ィオ ラ の映 像 は,忘 れ 去 られ た身 体 感 覚 を再 び私 た ちの 意 識 に

蘇 らせ よ う とす る試 み だ と見 る こ とが で き よ う。 そ して,そ れ は,肉 体 と精 神 の 結 合 にお いて

回 復 され な けれ ばな らな い。 時 間 と身 体 感 覚 との 深 い 関係 の 中 で,私 た ちが 自 らの 存 在 を 身 体

感 覚 の全 体 にお いて見 出す こ と,そ れ が ヴ ィオ ラの 映像 の根 底 に あ る と いえ るの で は な い だ ろ

うか。

144

1イ ン タ ビ ュ ー 「BillViola:時 間 の 速 度 を 緩 め る と 空 間 も 拡 が る 」withLouerienWijersロ ウ リ エ ン ・

ウ ェ イ エ ル ス,高 島 平 吾 訳,InterCommunica七ionNo.28,Spring1999,pp.114-129

2同 上

3菅 原 教 夫,「 時 間 軸 ビ ル ・ ヴ ィ オ ラ 論 」,『 レ デ ィ メ イ ド デ ュ シ ャ ン 覚 書 』,五 柳 書 房,1998年,

pp.182-200.

4ConversationLewisHydeandBillViola,BillViola,ehx.cat.,curatedbyDavidA.Rossand

PeterSellars,WhitneyMuseumofAmericanArt,NY,Flammarion-Paris-NewYork,1997,pp.

143-165

5DonaldKuspit,BillViola:DeconstructingPresence,BillViola-lnstallationandVideotapes,

TheMuseumofModernArt,NewYork,pp.73-80

6FriedemannMalsch,GlobalAllegories-TheProsessofSymbolicEncodinginBillViola's

Videotapes,BillViola,(editedbyAlexanderPiihringer),Salzburg:SlzburgerKunstverein;

Klagenfurt:Ritter,1994,pp.188-211

70ttoNeumaier,Appearance,Eng.,BillViola,(editedbyAlexanderPiihringer),Salzburg:

SlzburgerKunstverein;Klagenfurt:Ritter,1994,pp.62-105

8BillViola,`SelectedWorksandWritings',BillViola-lnstallationandVideotapes,TheMuseum

ofModernArt,NewYork,pp.23-62

9山 崎 均,「 ビル ・ヴ ィ オ ラ 思 索 す る 映 像 人 類 学 者 」,BT,Vol.47,No.700,January,1995,pp.220-

221.

10BillViola,`SelectedWorksandWritings',BillViola-lnstallationandVideotapes,TheMuseum

ofModernArt,NewYork,pp.23-62

11西 嶋 憲 生,「 水=光 の 詩 学 」,InterCommunication,No.24,spring1998,pp.183-5.

12DonaldKuspit,BillViola:DeconstructingPresence,BillViola-lnstallationandVideotapes,

TheMuseumofModernArt,NewYork,pp.73-80

13VirginiaRutledge,Artattheendoftheopticalage-videoartistBillViola‐interview,Artin

America,March,1998

14「 ビ ル ・ヴ ィ オ ラ ヴ ィ デ オ ・ ワ ー ク ス 」,NTT出 版,1997,p.26-28

155に 同 じ

16同 上

17CeliaMontolio,TheUnspokenLanguageOfTheBody,Eng.,BillViola,(editedbyAlexander

Piihringer),Salzburg:SlzburgerKunstverein;Klagenfurt:Ritter,1994,pp.174-187

18ConversationwithBillViola,PeterSellarsandDavidRossonJune26th,1999atSFMOMA,

[thedayvisited:2005.1.5]

http://www.sfmoma.org/espace/viola/nogthtml/content/fr _interviews.html

19VirginiaRutledge,Artattheendoftheopticalage-videoartistBillViola‐interview,Artin

America,March,1998

201に 同 じ 。 こ の 言 及 は,1998か ら1999年 に か け て ニ ュ ー ヨ ー ク か ら 各 国 を 巡 回 し て 開 催 さ れ た 大 規 模

な 個 展 「ビ ル ・ ヴ ィ オ ラ 」 展 の 際 に 行 わ れ た イ ン タ ビ ュ ー で,1998年5月11日 に ア ム ス テ ル ダ ム で 収

録 さ れ た も の で あ る

21ConversationwithBillViola,PeterSellarsandDavidRossonJune26th,1999atSFMOMA,

http://www.sfmoma.org/espace/viola/nogthtml/content/fr _interviews.html[thedayvisited:

2005.1.5]

22同 上

23同 上

241に 同 じ。

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