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表紙

【氏名】
松井勇人 (まつい はやと)

【年齢】
47歳

【住所】
郵便437−0036
静岡県袋井市小川町3−22

【職業】
起業家研究所omiiko / 学習塾omiiko 代表

【電話番号】
090−9269−8001

【E-mail】
hayato.matsui123@gmail.com

【原稿の種類】
書評

書評『プロテスタンティズムの倫理と資本主
義の精神』 〜なぜ世界は大戦を望むか〜
Title:
Reading "The Ethics of Protestantism and the Spirit of Capitalism" - Why the World Wants Great
Wars

松井勇人 Hayato Matsui
(起業家研究所omiiko)

Summary:

When Martin Luther started the Reformation in Germany, he wanted to restore the Church
based on the Bible. From this revolution, value was becoming placed only on objective facts.
People began to dress up in luxury to prove that they had wealth, namely that they were God, or
were God's chosen ones. Pursuing objectivity makes our world completely meaningless.
Dreams, hopes, and even salvation have been dismissed as foolishable.

目次:

1章『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』概説

2章『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』詳説
2章1節 曲解
2章2節 神
2章3節 根本動機
2章3節1 根本動機(一)
2章3節2 根本動機(二)

3章 ヨハネ第一、5章19節「世界は悪しき神の配下にある」

1章『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』概

「神は救いの力を奪われた」
「この神は人を救わない」
M.ウェーバーの著した『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』1。
史上の名著と評される書籍で、彼はそう言った。

資本主義の原型を宗教改革から紐解き、資本主義の黎明期にあってその終焉を予見した。恐るべき
洞察の書。

マルティン・ルターが宗教改革に着手したのは1517年。20年に一度しか説教をしない神父。生涯に
一度しかミサをしない司祭。そんな者が巷に溢れていた2。

集金マシーンと堕した教会に抗い、聖書に基づく教会の復権を志向したがため忌み名をつけられ
る。

史上最悪の反逆者、と。

ルターの精神に過ちはない。ただ、プロテスタンティズムは意図せぬ形で伝播してしまう。聖書への
厳密を求めた教義が拡大解釈されてゆくのだ。

聖書に基づくもの、、、

事実に基づくもの、客観に立脚するもの、のみに価値が置かれる。目に見える福音、「モノ」「カネ」
「ステータス」。人は絢爛豪華に身を包みだす。富は倫理となり、カネは人格と化した。産業が日進月
歩で伸長してゆく。

これがプロテスタンティズムの倫理と資本主義との関係である。

問題は深刻だ。客観性、確実なものだけに立脚すべきという意識が堅固となり、夢や希望、ひいては
救いですら下らないと棄却されてゆく。

「私には夢がある」
「私は神に救われる」

こうした言葉が一笑に付される。

人口5億のEUでは、3億が鬱で投薬治療を受け、0.4を超えると暴動が多発するとされるジニ係数
は、今0.7である3。

1
Weber, Max.(2003) The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism (Economy Editions) .
Dover Publications. Kindle 版.
邦訳 Weber, M. (1938). プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神 (Vol. 4). 有斐閣.
本論では英書を参照し、邦書は参照していない。
2
佐々木 中. (2010). 『切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』河出書房新社.
3
世界全体のジニ係数。

THE PARLIAMENT MAGAZINE 29 September 2014 


https://www.theparliamentmagazine.eu/articles/opinion/depression-affecting-30-million-people-across-eu
軍靴の足音が聞こえる。
救いをもたらさない神の福音が。

伯人を支援している友人が教えてくれた。

「少し前、ブラジルでは青信号でも立ち止まるようにって言われたの」
「猛スピードで信号無視する車ばかりだから」

「今は、赤信号でも立ち止まるなって言われる」
「子供が臓器密売組織に誘拐されて殺されちゃうから・・・」

「大袈裟じゃなくってね、本当のこと」
「スラムじゃない、都市部全体での話よ」

カネ目当てに、親が子を組織に売ることもある。

崩壊寸前にも思える世界で、この書は諸悪の根源を示した。

2章『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』詳

奇妙な感知が、彼の執筆動機だった。

「経済的に成功しているのは、プロテスタントだけだ」

という事実。

当時カトリックは昇進もせず、職業スキルも持ち合わせていなかった。彼らはあまりに敬虔で、世俗
での成功を捨てていた。軽蔑していたと言ってもいい。

だがルターは、人が仕事に打ち込む姿に神聖さを見た。ここにカトリックでは相容れなかった「宗教」
と「産業」とが結びつく。

”天職”とはもともと聖書を翻訳する仕事を指したというが、プロテスタンティズムを礎に、一般の仕事
に用いられてゆく。
2章1節 曲解

強欲な産業人が徳を重視するわけは単純だ。信頼を利用した方が見返りが大きいがためだ。

他者がいて徳を重視するのではない。見返りが大きいから重きを置くのだ。

ウェーバーは、アメリカ建国の父の一人ベンジャミン・フランクリンを、強欲資本主義の権化と批判す
る。彼はこんな言葉を残した。

「時はカネなり」
「信用はカネなり」
「時と信用からつくられたカネであるなら、カネ自身がカネを生み出してゆく」

「だから時間と信用に犠牲を払う人」
「すなわち時間と信用とにカネを払う良い支払い手は、他人の財布を支配する」

一見、二宮尊徳が説くような報徳の思想のようだが、それとはまったく異なる。

フランクリンは、信頼を利用し自分だけが儲かるよう仕向けた。

約束は守る。しかし守らないなら罰則を設け追加徴収を行う。さらにカネが儲かるよう、どうしたら約
束が破られやすくなるかを考える。徳と呼べるものではない。

彼が好んだ聖句がある。

「じょうずな(勤勉に)仕事をする人を見たことがあるか。その人は王の前には立つが、身分の卑しい
者の前には立たない(箴言22章29)」

資本主義社会で勝ち抜けない人間を、フランクリンは蔑んだ。

かつてブルジョアジー(中産階級)は財産を持たず、その日暮らしをしていた。だが産業革命により、
王のように身を飾る道が開ける。

比較的敬虔ではなかったブルジョアジーは、プロテスタンティズムを曲解してゆく。

目に見えない福音を捨て、目に見える福音、”富”を求めた。ここに神の認識に関する革命が起こる。
天ではなく、現世での”職”の追求こそが救いだとする革命が幅を利かせ始めたのだ。

職の持つ神聖さより、富をもたらす機能ばかりに脚光が当たる。この曲解されたプロテスタンティズ
ムが資本主義を完成させ、世界は夢や希望を蔑む場へ変貌する。

ウェーバーはルターを庇う。
「彼は当然、こうした世を無念に感じているはずだ」

2章2節 神

神について、彼はこう記している。カトリック者と資本主義者とでは、神の認識そのものが違うと。

カトリックの神は、人がどう足掻いても適うはずがない畏れ敬うべき神。

人は神のために存在するが、神は人のために存在するわけではない。人は自らが救われようが救
われなかろうが、神を崇める必要がある。このどうしようもない絶望こそが、永遠に届かない神への
崇敬だったとウェーバーは説く。

資本主義の神は、「自らが至るべき姿」である。

中産階級ですら王や神のようになりえる。人は神に等しくあるため、目に映るすべてを手に入れよう
とした。

宗教の時代が終焉する。実利のみを追求し、客観がなによりも尊ばれた。これがスコラ主義であり、
科学と産業の時代が始まる。

新しい世界で、我らは「救われない」感覚に付き纏われることとなる。人は極めてネガティブな存在へ
貶められてゆく。そして神そのものとさえ言える力、「救い」が無に帰されていった。

「人を救う神」が無に帰された。

2章3節 根本動機

我らは神の福音の代わりに、目に見える福音を求めてしまう。その希求は、二つの根本動機に端を
発している4。

4
Weber, M. (2013). The Protestant ethic and the spirit of capitalism. Routledge. kindle 位置
No.5153中 1399
以下の記述の周辺部分より。
On the one hand it is held to be an absolute duty to consider oneself chosen,
2章3節1 根本動機(一)

宗教改革の主役の一人、ジャン・カルヴァンは予定説を説いた。

「神はあらかじめ、救うべき民を定めている」
「わずかな選民だけが救われる」

というもの。

これでは人を無気力にさせるだけだ、とも感ずる。努力の意味がないではないか、と。

だが、予定説こそが近代を強烈に動機づけた。

すなわち、人は、

「我こそが選ばれた人間である」

と考えるようになった。

選民であることを証するため、猛烈に働いたのだ。

2章3節2 根本動機(二)

選民は客観的に非選民と区別されねばならない。絢爛豪華に身をまとうことが選民の証となり、人は
資本に取り憑かれてゆく。

目に見える形で、
非選民と区別されること。

恐るべきことだが、これが神への正統な奉仕だと捉えられてゆく。

人は神になろうとした。そして「神は死んだ(ニーチェ)」のである5。
目に見える福音、「客観」により彼は殺された。

On the other hand, in order to attain that self-confidence intense worldly activity is
recommended as the most suitable means.
5
Friedrich Wilhelm , Nietzsche. Thus Spake Zarathustra . Feedbooks. Kindle 版.
ニーチェの警句は、ここに著されたのだ。

3章 ヨハネ第一、5章19節「世界は悪しき神の配下にあ
る」

経済をつくることも神になることもできず、我らは悪の世へ堕ちる。その国を脱し、約束の地へ帰還せ
ねば。

略奪でなく「提供の倫理と精神と」を、再びの宗教改革とをウェーバーは求め、結語している。資本主
義に変わる新教への改宗を彼は求めた。

神がカネに宿るはずがない。

約束の地へいざなう者は誰だ。
史上最悪の反逆者、ルターの後継者は。

「この神は人を救わない」
「私は神に救われない」

殺せ。客観という神を。

次代の神は資本でなく関係に宿るとドラッカーは説く。A.アドラーが「すべての問題は人間関係の問
題」とし、道元が「空(くう)」、すなわち人の輪を作ることに究極の救いを見たように。

新たな時代くらい、つくり出してやれ。時代は早々に終焉を迎える。

【氏名】
松井勇人

【略歴】
起業家研究所omiiko / 学習塾omiiko 代表

【学歴】
立命館大学 政策科学部 卒業
静岡県立大学大学院 経営情報イノベーション研究科 修了 学術修士
【関心領域】
起業家心理

【著書】
『14歳のキミに贈る起業家という激烈バカの生き方』(ごま書房新社)
『逆転人生』(Rashisa出版)
『人は幽霊を信じられるか、信じられないかで決まる』(日本橋出版)

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