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第10講

新儒学の形成
宋元明清王朝概念図

西夏



(1115-
1234) 1271- 北元ー韃靼 後金→清
(916-1125) 1368) (1616-1911)
上京臨潢府
中都
大興府 大都 北京 北京


(1368-
開封
1644)
南宋
北宋 (1127-1279)
(960-1127) 南京
臨安
北宋
宋の展開(1)ー北宋

• 唐滅亡の反省→ 中央集権・徹底的な文治主義 →莫大な給与支出


• 北方に強大な異民族国家 遼/西夏/金 →莫大な軍事支出
遼の圧迫ー燕雲十六州の割譲
澶淵の盟(1004)
• 経済の進展ー格差の拡大
• 神宗ー王安石の新法(1069) 国家の財政立て直し
*青苗法ー備蓄食料の売却益を農民に低利(3割)で貸し出す
*市易法ー政府指定の「行」に価格の査定をさせ、大商人の 価格決定力を抑制
政府による商人(都市民)への貸し付け
→反対派の抵抗

• 靖康の変:金の圧迫:徽宗など連行
• 秦檜(和平派) 岳飛(主戦派)
• →南の臨安に遷都
君ー臣ー士/民

教導する
に責務を負い、民を
天子を補佐して国家
官にあるもの(臣下)
先覚者

科挙(第一段階で可)に合格した者

儒家教養


南宋
新儒家(朱子学)の興起
• 唐宋変革:世襲貴族の没落と官僚士大夫の勃興
ーいわゆる「先覚者」としてふさわしい教養と
修養の方法を模索
• 固定化された経典解釈(訓詁学)に対する不満
ー仏教に対抗できる儒家思想の構築
• 道家(道教)の本体論(宇宙論)/禅の修養論
の昇華
• なにより「士大夫としていかに生きるべきか」
の探求
• →性善説に基づく修養

聖人学んで至るべし
朱子学の先達たち

周惇頤(1017-1073)道教の生成論を用いた万物生成
のプロセスの図(太極図説)が朱子にヒントを与える
*心が動き始める前の状態を保つ(主靜)という修養
論を提示
張載(1020-1077)気の哲学を提示、気の核としての
性を天地の性と気質の性に分ける
程顥(1032-1085)「仁」を「万物が一体であることの
自覚」とする。
程頤(1033-1107)「性即理」の命題を立て、理一分
殊を説く。
理の探求としての窮理と修養法としての居敬を提示

ただし、これは朱熹が後に「系譜化」したもの
万物の生成

• 朱子が周敦頤の「太極図説」に
ついて、無極→太極ではなく、
無極を太極の言い換えとする
• 無極而太極→理が先に存在「一
陰一陽する所以」
• 気の回転によって天地ができ、
やがてそれが相互に混ざり合っ
て万物となる
生成と性即理説

• 人はどのように生まれるか
• 太極→陰陽・五行
陰陽・五行・・・ものを作る働きをする担い手ーそれぞれに理が
具わる
実際に形作るにあたり、気の精妙なものが人となる。
性ー (用)
(体)
木 仁 惻隠

火 礼 恭敬
陽 健
土 信 誠実
陰 順
金 義 羞悪
水 知 是非
朱子ー集大成者

• 朱熹(1130-1200)
• 19歳で進士合格 福建省など多くの地方官を歴任
• 1168年、福建省崇安で発生した自然災害で、民衆の救
済に無関心な官僚たちを見て憤慨→儒学の再興を図る
• 社倉の創設ー飢饉に対する弱者救済。飢饉時に米を貸し
出し、後に民営の自治的組織によって持続的に運用でき
るように
→のちの協同組合的なものー江戸の儒学者山崎闇斎が紹

• 儒学の2本柱 内聖(修己)と外王(治人)の統合
→性善説の再確認ー「人間性の回復」 「不忍人の政」
理の哲学

• 理の哲学ー万物にはそれを成り立たせてい
る法則「理」があり、それら万物の「理」
は究極には一つの「天理」に集約される
• 性即理ー性を本然の性と気質の性に分ける
本然の性=本来性:絶対・不変・不滅
*本来持っている性→至善
気質の性=現実性:相対・可変
*情を含んだ個を形作る性→有善有不善
*気質の性の不善の部分を去って本然の性
を回復することが人としてなすべきこと。
理と気

• 理:もともとは玉のすじめ→普遍的道理 治=理
• 気:本来 ー空気状のもの(息・風・雲)
→人体の中にも充満している
*万物の構成要素や「気分」のような心理作用を含む

• 法則と実体

• 理と気はどちらが先か
*理は気を離れては存在せず、気も理を離れては成り立たない
「不離不雑」
→しかし、価値としては理が優先
• 理ー天よりもたらされる→至善
• 気ー善・不善いずれにも向かうことがある
理一分殊
理一分殊ー一つの理が万物を貫き、しかも親疎の別によって厳密な差等
が存在する
→天理とそれを受けた万物の理という概念となる
理をめぐる二つのイメージ

• 程顥の「天理」説 「天理とは道理」 自然の法則の


全て→道家のいわゆる「道」に近い
• 程頤 「理は天下の至公、利は衆人の同じく欲すると
ころ」→人欲と対立するものと捉える
• 「所以然」の理=万物を万物たらしめる「理」
• 「所当然」の理=あるべき秩序
→自然法則から道徳律へ
性即理

• 性ーもともともっているもの→天から授かっている=理・・・
当然「善」でなくてはいけない
• ならば「悪」はどこから存在するのか?
• 性を二つに分ける
☆本然の性ー人間が本来持っている(はずの)天とつながって
いる性
☆気質の性ー気によってもたらされる個人の性質ー気の清濁に
よって善不善がある。
• 「上智と下愚は移らず」(『論語』陽貨)→本然の性を有して
いる以上そんなことはない。 「自暴(自身の力を卑下する)
自棄(どりょくを怠る)」になってはならない

気質の性=情 気質の性=情

本然の性 本然の性
復初

• 気質を克服して「初」にもどる
→聖人に至る道
• 居敬窮理
居敬:心を専一にし、義理を心の主宰とし、一切の行動や思
考を義理に一致させるようにする。
→内省観察・外修正坐
窮理:理をきわめる
→格物致知一つ一つの「理」を探ることによって理を
極める
理はすでに聖人によって明らかにされている
→外に理を窮めることが本然の性を取り戻すことにつながる
補足

• 道統:孔子の学を正しく受け継いだもの
孔子→顔回→子思→孟子

• 学:「学之為言、效也」・・・先人・先覚者の営為をまねること
により、「復初」できる
学を行うことの要点:一つ一つの事(行動)について、その是
なる(仕方)を審求し、決然とその非なる(仕方)を去ること
<訳は木下鉄矢2013『朱子学』講談社p.42 による>

• 四書 『論語』『孟子』『大学』『中庸』
→『大学』『中庸』はもと『礼記』の一篇 子思の学を伝えるものと
して尊重し。独立別行させる
性善説を基盤とする体系の確立
ーその影響

• 背景:自覚をベースとする士大夫ー聖人学んで至るべし
→だれでも原理的には聖人を目指せるという自信
資質に差はあるが、努力次第で道は開けている

• 自然界の生成論を人間の倫理観にリンク
→その天理は誰が決定する?
• 性善説→定められた「天理」が実はその人の本来の性

万物一体観・の宇宙論・倫理観が
例外を認めず、多元的価値観を否定し
かねないことになる

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