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世界中の安部公房の読者のための通信 世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

もぐら通信   


Mole Communication Monthly Magazine
2017年4月1日 第56号 第六版 www.abekobosplace.blogspot.jp

あな
迷う たへ
事の : いつもどおりの朝になるはずだった。
あな
ない あ
ただ
迷路 『カンガルー・ノート』の第一行
を通
けの って
番地
に届
きま

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もぐら通信                           ページ 2

    
               目次

0 目次…page 2
1 ニュース&記録&掲示板…page 3
2 「奉天の窓」の前で新聞を読むリルケ…page 17
3 「ソドムの死」:柴田望…page 18
4 安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語について(1):
                          岩田英哉…page 23
5 リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(1)∼安部公房をより深く理
解するために∼:岩田英哉…page 43
6 N氏との往復書簡2:二十一世紀の三島由紀夫・安部公房論…page 52
7 連載物次回以降予定一覧…page 57
8 編集後記…page 59
9 次号予告…page 59

・本誌の主な献呈送付先…page60
・本誌の収蔵機関…page60
・編集方針…page 60
・前号の訂正箇所…page60

PDFの検索フィールドにページ数を入力して検索すると、恰もスバル運動具店で買ったジャンプ•
シューズを履いたかのように、あなたは『密会』の主人公となって、そのページにジャンプしま
す。そこであなたが迷い込んで見るのはカーニヴァルの前夜祭。

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  ニュース&記録&掲示板

1。 今月の安部公房ツイート BEST 10
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Priz しめじ @abekoubou 3月18日
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Gold
ノートの欄外の注記を記載したのが安部公房なのではないか。
 #TAP_MTG (live at http://ustre.am/bRSG )

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Pr
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M スガヌマ @numagasu 3月6日
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Sil
返信先: @ctvOssKSDnNPpRlさん
誰も安部公房求めてないです…

トト @niche239 3月2日
安部公房の作品を読むと「死んで全てが終わると思ったか」と叱責されているよう
な気分になる

愛書館・中川書房 @aisyokan 3月7日


【今日は何の日】今日は太宰治・織田作之助らとともに「無頼派」と呼ばれた作家・
石川淳の誕生日です。安部公房が師事し、安部の初期作品集『壁』に序文を寄せて
いますが、安部公房も同じく今日が誕生日!『猫は知っていた』で江戸川乱歩賞を
受賞した仁木悦子も3月7日が誕生日です。#今日は何の日

千絵ノムラ @chievampire 3月7日


今日は上村一夫も林静一も安部公房もお誕生日なんて、なんて豪華。

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‫@ נמניג‬namenige66 3月17日
「Berryz安部公房」「砂の娘。」が心に強く刻まれすぎているのでもうダメ

積本くずし @hikagami_yo 3月5日


今頃安部公房読むなんて本おぼえたてのガキが反時代的な変態しかいないかもだけ
ど、俺は今面白い

とさみつん @mittsuntosa 3月12日


近藤一弥さんの安部公房全集、刊行当時に某大型書店の予約本扱うカウンターでア
ルバイトしてて、すごい衝撃受けて引き取られるまで何度も何度も眺めた。ビニー
ル破りたかったなぁ…。

y.m. @how_much_is_820 3月21日


【どうでもいいシーン 日常編②】高校時代、国語で安部公房の『赤い繭』やってる
時に「警棒を持った彼」という誰かは記されていない文があった(警察官の事なのだ
が)。先生が「彼、とは誰でしょう?」と当てられた真面目な子がたまたまボーッと
してたらしく「……鬼。」と答えた。金棒と間違った模様

ましゅうこ @noma0103 3月20日


昔親が安部公房にサインを書いてもらったファイルが出てきたぞよ

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口田健太郎 @vivkaku 3月15日


安部公房氏は大学時代にiPhoneの待ち受け画面にしていたくらい愛おしい作家です。

佐藤友哉bot @yuyatan_bot 3月18日


マニアックな国を紹介しようかな。北海道。ね? 知
らないでしょう? 人口五百五十万人の国家で、『水
曜どうでしょう』と『日本ハムファイターズ』が収入
源。安部公房と小林多喜二と滝本竜彦と京極夏彦と佐
藤友哉の産出国。(『最前線セレクションズ』)

ハトリオット @hkfreud 3月18日


安部公房「他人の顔」
装飾を散りばめたような美しき文体と、鋭い観点から
真実を書き表してしまう表現力に脱帽させられながら
最後のページまでひと時も飽きることはなく、その世
界にずるずると吸い込まれていってしまった。

sapuri @kcDiscipline 3月14日


一番多感な時期に、安部公房、坂口安吾、King Crimson、AIR、ToHeart2みたいな
人間をダメに(おかしく)するものと出会ってしまったのが運の尽き。

靖国さっく @s6u6c6k 3月12日


安部公房と中山可穂と町田康が好きですかねぇ

Ⅵ℃к @vickchan 3月10日


Ⅵ℃кさんが端傳媒 Initium Mediaをリツイートしました
想起安部公房的「他人的臉」, 人就是控制得了所有, 也控制不了自己的心魔..
Ⅵ℃кさんが追加

端傳媒 Initium Media @initiumnews


【#端記圓 :你想要親自設計自己孩子的模樣 ?】
為什麼檢查出生前胎兒的基因是正當,查性別卻是違法?從殘缺、遺傳病,到性別,
再到優化、改造,技術介入生育的極限在 裏?快來圓
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2。今月の新発見
エイ さんksn @kimura1117 3月9日
こんな昔のPC の本に
安部公房とワープロのコラムが、、
新潮社が頼んで、NECワープロインフォメンションセンター が
安部公房のワープロから方舟さくら丸の草稿や未発表をとりだした。との話。
ありがとうNEC

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強いアズにゃん@社畜のアズマオウ @azucatnyan 3月8日


強いアズにゃん@社畜のアズマオウさんが愛書家日誌をリツイートしました
流石安部公房・・・

愛書家日誌 @aishokyo
安部公房は日本で最初にワープロで執筆した作家といわれています。使用していた
のはNECのNWP-10Nと後継機種の文豪で、それらの開発にも関わっていました。
遺稿がフロッピーディスクで発見されています。 #作家と文房具

最上直美 MOGAMI Naomi @mgmnom 3月8日


最上直美 MOGAMI Naomiさんが愛書家日誌をリツイートしました
安部公房は日電ワープロのモニタとして開発にも協力してたとか。これは、たぶ
んNWP-10N。なんと8インチFDD。広く「文豪」シリーズとして知られるワープ
ロの初期型である。というか「文豪」という名は安部公房にちなんで付けられた
らしい。

愛書家日誌 @aishokyo
安部公房の書斎です。ワープロ大きい
ですね。 #あの人の書斎

ニセアカシアの林 @abayashi 3月7日


安部公房『密会』(1977)と、山尾悠子「夢の棲む街」(1976)との類縁性。グロ
テスクな架空世界の中での破滅的カーニバル。山尾「夢の棲む街」へは安部が賛辞を
寄せている。一方、安部の随筆・小品集『笑う月』(1975)には『密会』の原形と思
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しき同名の小品が収録されている。
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3。今月の占星術
扉 @Q11doors 3月6日
偶然!今日3月7日は、安部公房の誕生日。魚水星と、太陽天王星合。実際彼は睡眠時
に見る夢を枕元のテープレコーダーで生け捕りにすることで創作に活かしており、夢
は創作の種子として非常に重要視していた。山羊頭と蠍頭での土星火星のMR、異常な
世界観に引き込んで体験の共有を強要する。

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4。今月の似顔絵
とり・みき/TORI MIKI @videobird 3月8日

生日 ¦ ヤマザキマリ・Sequere naturam:Mari Yamazaki's Blog


前はいちいち覚えていたのだけどすっかり忘れていました 生きていたら93歳か。
せっかくですので以前文春本の話Webで取り上げた彼の著書を改...
moretsu.exblog.jp

[編集部註]
ヤマザキマリさんのブログです:
http://moretsu.exblog.jp/23701693/

5。今月の安部公房論争
ホッタタカシ @t_hotta 3月13日
ホッタタカシさんがそれでも町は廻っているをリツイートしました
安部公房『カンガルー・ノート』の主人公は、ギルモアフロイドの『鬱』について、
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「髭を剃った馬みたいなウォーターズのファンだったから、多少の偏見はあったか
もしれない。でも出だしの音色には、昔の雰囲気が色濃くにじんでいて、悪くない」
と言及したのみ。ギルモア時代も好きとは言ってません。
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それでも町は廻っている @parkmodern007
ちなみにタモリこと森田一義さんは、安部公房の前でピンク・フロイドの悪口を言っ
て激怒されてます(安部公房はバレット時代もギルモア時代も大好きなスーパー筋金
入りのフロイドファン。遺作「カンガルーノート」で「ギルモア時代も好きなのだ」
と主人公に言わせてるくらいだぞ!)

それでも町は廻っている @parkmodern007 3月12日


安部公房は1993年に亡くなっているから、彼の言う「ギルモア時代」は「鬱」の
ことで、それを「愛しくてたまらない」と言うくらいだから相当好きなんだよね

6。今月のAKS
snakefinger @ugtk 3月9日
安部公房がAKSを買ったのはピンク・フロイドの影響って言ってるから、たぶん『狂
気』(74年)の後で、時期からすると海外で買って持ち込んだのではなく、正規代
理店の全音経由で普通に楽器店で購入したのだと。なんで「NHKと冨田勲と安部
公房の3人」なのか。それをドヤ顔で拡散してるのか。

Kōbō Abe's EMS Synthi AKS


安部公房、愛用のEMSシンセを前に
音楽を語る。

1985年NY2000Drummer 山本 直
親 @NY2000Drummer1 3月6日

日本で最も初期にシンセサイザーを購
入したのはNHK、冨田勲、そしてなん
と安部公房らしい。安部公房はあの武
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真は当時のシンセサイザー 

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ページ

いまいどくん®
@maido3 3月7日
夢みる機械∼安部公房、キューブリック、ピンク・フロイドの眼 (その2):ス
ローリィ・スローステップの怠惰な冒険 - ブロマガ

夢みる機械∼安部公房、キューブリック、ピンク・フロイド
の眼 (その2)
Chapter 2もしもシンセが弾けたなら 安部公房はピンク・
フロイドをいつごろ
ch.nicovideo.jp

7。今月の卓見
ニセアカシアの林 @abayashi 3月8日
ボオやキャロルに加え宮沢賢治への関心も高かったという安部公房。しかし山口果
林『安部公房とわたし』によると太宰治への関心も高かったのだとか。独白体や手
記形式、〈語り=騙り〉のもたらす力をも重視した作風はなるほど太宰っぽい。『箱
男』と『人間失格』とを並べ読んでみるのも面白いのでは。

西 狂佑 @kyousuke_el 3月8日
昨日は安部公房の誕生日だったらしい。
「壁」や「箱男」を読んだ。頭の中によく出てくる風景や色合いはほとんど、この
写真みたいなテイストで再生してる。

8。今月の安部公房論
東鷹栖安部公房の会 @20110904 3月12日
先日アップした1997年『北方文芸』2月号
掲載の続き、3月号に掲載された高野斗志美先
生の「安部公房論 Ⅱ章 存在の記憶」

「笑ひ」「嘆き」「孤独より」「ソドムの死」
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について... http://fb.me/4fXOUwijq
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9・今月の安部公房の映画
小野俊太郎(S_T_ONO) @tritonnova 3月16日
市川崑の『億万長者』。安部公房が脚本に噛んでいるせいか、シュールでブラック。
脱税と原爆と貧困をミックス。久我美子が広島の仇のために原爆を作るという女性
を熱演。『ゴジラ』と同年。ビキニ水爆への東宝の反応の一例。https://
ja.wikipedia.org/wiki/
%E5%84%84%E4%B8%87%E9%95%B7%E8%80%85_(%E6%98%A0%E7%94%B
B) …

松#俊之 @MatsuiTo 3月3日


『燃えつきた地図』、勝新太郎が訪れた女の部屋の本棚に安部公房の『燃えつきた
地図』が並んでるの(笑)。勝新は気づかずスルーしてたんだけど、もし手に取って
しまったら一体どうなってしまったのかと。「俺は物語の登場人物に過ぎなかった
のか!」とか言い出したらどうしようかと。やりかねない。

YARUSE NAKIO @kill_bill_omoro 3月2日


明日10:10新文芸坐にて原作安部公房主演勝新太郎の燃えつきた地図、昼は神保町
で飯とジャニス2、15:15K'sにて退屈な日々にさようならを、20:20ユナイテッドシ
ネマわ⃝ばにてララランド。焦燥とニヒルで彷徨って終いにhappyになるスケ
ジュールです。完璧です。

10。今月のスバル360
江美 @meimadaya 3月3日
燃えつきた地図
ザッツ安部公房イズム。虚像、誤解、事実の境目で迷子になる。
オープニングの等高線塗り絵がかっこいい。
市原悦子の美しさについて考える115分。スバル360の愛くるしさとそれに詰め込
まれた勝新の目元の鋭さのギャップ。

11。今月の箱男
『箱男』脱稿直後の安部公房の講演のポスター

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この講演の安部公房の声は、次のYouTubeで聴くこ
とができます。

1:https://www.youtube.com/watch?
v=QN68K4CZIOE
2:https://www.youtube.com/watch?
v=QN68K4CZIOE&t=11s
3:https://www.youtube.com/watch?
v=IEgC_oIPzV4
4:https://www.youtube.com/watch?
v=5N68d2rX_Tk

ホッタタカシ @t_hotta 3月18日


返信先: @t_hottaさん
【3/18『箱男』読書会】 #TAP_MTG
今、箱男というとゲーム「メタルギア」シリーズのスネークが思い出されるのかな。
これはもちろん製作者の小島秀夫が安部公房ファンということによるオマージュで
す。ゲームと主人公自体はジョン・カーペンター『ニューヨーク1997』モチーフで
すが。

ホッタタカシ @t_hotta 3月7日


返信先: @t_hottaさん
【3/18『箱男』読書会】 #TAP_MTG
安部公房の『箱男』は、フジテレビ「文學ト
『箱男』安部公房/文學ト云フ事
云フ事」(1994)でも採り上げられたこと 恋はあまりにも無垢だった。 文学史上、
がありますね。案内人は原ひさ子で、ヒロイ 最も先鋭なる前衛官能小説(アヴァンギャ
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ン「葉子」を演じたのは緒川たまきでした。 ルド・ポルノグラフィー)!! Amazon『箱
男』 http://t.co/LPldoPCU9X
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銀座の裏通りで見かけた箱男

12。今月の朗読会
♪ゆめき♪/ドリーム@0412 @mekakushi_dream 3月8日
今夜久しぶりに朗読枠開きます。
赤い繭(安部公房)、三日間の幸福(三秋縋)、煙の街(げんふうけい)を予定してます。
是非。

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13。今月の上演
2017年3月29日(水)∼4月2日(日)

さんらん
「どれい狩り」

作 安部公房
演出 尾崎太郎

■お問い合わせ
TEL 090-4964-8558
FAX 03-6734-1014
MAIL sanran.ticket@gmail.com

おけぴスタッフ @okepi_staff 3月11日


【4/13開幕】新国立劇場 演劇『城塞』稽古初日顔合わせの様子が届きました。稽
古場に響く宮田慶子芸術監督の「大丈夫です、このメンバーなら!」。納得のスタッ
フキャスト!作:安部公房 演出:上村聡史

新国立劇場 演劇『城塞』稽古初日 顔合わせ


『城塞』(作:安部公房 演出:上村聡史)
が、始動します。 演出家、出演者、スタッ
フなどが一堂に会しました。
***************** 『城塞』(4/13∼30) 作:
安部公房

YouTube:https://www.youtube.com/
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watch?v=P5qW2aXi_28
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14。今月の読書会
いづみん @yyss602 3月1日
箱男を読みながら箱男体験。
狭いところは落ち着くわたし。

みずうみでは今後も安部公房の読書会が予定されているそう。
面白かったので楽しみです(^-^)

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「奉天の窓」の前で新聞を読むリルケ

たまたま、リルケの或る作品を探し
てゐて、この写真を見つけましたの
で、掲げます。

左手にしてゐるのはタブレット版の
日刊紙のやうにも見えますが、ある
いは違ふかも知れません。

しかし、もし新聞ならば、数学的に
時間単位を交換することによつて、
またリルケの内部と外部の交換によ
つて、時間を消去するといふ、後者
からはその文学的・文藝的な方法論
と方法の意義を教はつた数学者安部
公房ですから、この写真を見れば、
これを「明日の新聞」と呼ぶことに
躊躇しないでありませう。しかも、
奉天の窓といふmatrixの前であれ
ば、尚更。

奇しくも、今月号で『安部公房の初
期作品に頻出する「転身」といふ語
について』にて論じた『オルフェウ
スへのソネット』の表紙の写真で
す。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ18

「ソドムの死」

旭川東鷹栖安部公房の会 
柴田望

*
生は影の歩みを超えて行く。誠の生は必ずや一回的なものでなくてはなるまい。一瞬に
於て生の初めと完結が為し遂げられる時、死こそ誠に生の確証ともなるであろう。 
                    ∼安部公房『無名詩集』「ソドムの死」
*

二〇一七年二月二十五日(土)十三時三〇分より、旭川市中央図書館にて「サウンド・
音楽による安部公房『無名詩集』朗読会」(旭川市中央図書館・東鷹栖安部公房主催 図
書館講座・道民カレッジ連携講座)を行いました。旭川市中央図書館二階視聴覚室にて、
作品テキストとイメージのプロジェクター映写に、安部公房が所有していたアナログ・シン
セサイザー(EMS-AKS)の音源を使用。二名の朗読者がマイクで朗読(「笑ひ」から
「感傷」までを女声、「ソドムの死」を男声)。会の冒頭とエンディングに作品解説を行い
ました。
*

《東鷹栖安部公房の会》は、森田庄一会長の呼びかけにより二〇一二年に結成。安部公
房が小学二年から三年の間に通った近文第一小学校に二〇一四年、揮毫者保坂一夫氏によ
る《故郷憧憬》の刻まれた記念碑を建立しています。私は翌年八月に会の主催で行われた、
教育大学名誉教授片山晴夫先生の講義「戦後文学の中の安部公房」の聴講をきっかけに入
会、作家と作品を広く紹介する活動を行うにあたり、作家の原籍地であった場所に碑が建
てられていることから、ある「記念碑」、そして「故郷」を題材にした取り組みを決意致し、
初期の『無名詩集』又は『終りし道の標べに』を題材にした企画を希望申し上げ、皆様のご
協力のもと実現することが叶いましたこと、心より感謝申し上げます。
*

《東鷹栖安部公房の会》入会の日、公民館の事務室でビニールに包まれた小さな本を見
せて戴きました。ガリ版刷りで茶色く焼けていました。「砂」と書かれた色紙や、偉大な
文豪から送られた手紙を拝見しました。どれも貴重で、驚くほどの値がついても不思議では
ありません。小さな本を直に手にとって目を泳がせると、旧仮名遣いの端正な手書きが宇
宙をなぞったり切り裂いたりしていました。全集の活字で読んだ時とはイメージが大きく異
なり、動かしがたい巨大な力に対峙する決意を感じました。テキスト全文をキーボード入
力で味わい、ゆっくりと浮かびあがる文字に、照射される挿し絵画像を、作家が所有し、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ19

舞台音楽に使用していたというシンセサイザーの音色を並走させる動画を制作し、分解を試
みました。密度を薄くのばしてしまっているようで申し訳なく感じましたが、作業が進むに
つれ、真四角な影が見え始めました。多角形立方体へとみるみる変化して、球へ近づこうと
していました。どの角度から、どう読んでもいいのだと、赦されている気がしました。遊泳
は弾力を帯びてきました。動画がひと通りできあがり、Youtubeへアップしました。

しかし朗読会では、映像と音楽の陰陽に、詠む声と聴き手の沈黙を重ねます。重ねたり混ぜ
たりもせず、刺すために詠み手は何を知るべきか。書かれた碑は に満ちています。意味か
らは解放されねばなりません。聴き手は意味を探ります。完成に向かうのではなく、解体さ
せる現場での体験を共有し、ありのままを受け取る手がかりを求めて、検索画面から図書
館の資料室を探りました。

一九九四年八月号の『ユリイカ ∼増頁特集・安部公房 日常のなかの超現実』(青土社)
「言葉に表現された精神的自立の道程――安部公房の初期詩集『無名詩集』について」(鈴
木志郎康)では、リルケの影響や、「自己の内面を自覚した表現者として、出発する際に経
なければならなかった孤独との闘いとそれによって得た精神的な自己の地点を言葉によって
実現した」と論じられていますが、散文詩「ソドムの死」や、エッセイ「詩の運命」につい
ての記述はありません。一九九七年八月号の『国文學 解釈と教材の研究 ∼安部公房 
ボーダーレスの思想』「『無名詩集』に寄せて」(工藤正広)では、ドイツやロシア、ポー
ランドの詩人たちの作品が引かれ、「現代詩が失いつづけて来た純粋な心の優しさがひっ
そりと、個性を主張せずに息づいてやまない」とあり、「新しい詩の創造へ入るのと詩作
の断念は同義ではなかったろうか」と「詩の運命」についても論じられておりますが、散文
詩「ソドムの死」は「ぼくにはまだ時間のかかるなぞである」とされています。

しかし、「この寓意に満ちた散文詩については、高野斗志美さんが新しい論で肉迫してい
る。」「『無名詩集』について本格的に知ったのは、実は札幌の『北方文芸』最終号となっ
た今年二月、三月号に高野斗志美さんにお願いして、新しい「安部公房論」の展開を『無名
詩集』論から始めていただき、それを読んで殆どはじめてだった。」などの記述から、大学
時代の恩師である故高野斗志美先生が『無名詩集』に本格的に取り組まれていたことを知る
ことができました。
*

このとき偶然に、高野先生の論に出会えなければ、哲学的で難解と言われる「ソドムの
死」について、詠み手として難解さをぬぐいきれなかったはずです。解説をつくることもで
きなければ、朗読会を行う原動力自体、準備の途中で失っていたかもしれません。前述の
二つの論が、作品と作家について書かれているものであるとすれば、高野先生の論は、さら
に戦争について語られています。「いうまでもなく、これはきわめて相対的な意味で言われ
なければならない。時代の現実から全く自由である生きかたはどこにもないわけだから。
安部公房や金山時夫らがどのように自由であろうとしても、戦争の時代はかれらを確実に
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ページ

つかんでいる。少年時代をとおして作りあげた、かけがえのない友情の世界も、いつも、戦
争がその気になれば、ひき裂き、掠奪し、ふみつぶしてしまうことができる。安部公房た
ちの青春は、戦争の圧力にまわりを包囲され、そのなかに密封されている。いつ戦争にか
り出されてもおかしくない極限の緊迫した状況下で、かろうじて留保されている括弧付きの
青春でしかない。いったい、そのような青春がなにをみずからに語ることができただろう
か。」(『北方文芸』一九九七年二月号「安部公房論」高野斗志美)
*

時の断面 
終わろうとしている 
「 何が? 」 
名づけようも 
ない 
*

故郷へ還ると決めたのは、いま居る場所を故郷と認めないわけではなく 歴史から解き
放たれてしまえば、戻れなくなると知っていたからでもなく 何か祈りに衝き動かされたわ
けでもなく (徴兵はまっぴら いっそのこと馬賊になろうか……) 幼いころ、教師の目
を盗んで料理屋の裏口で酒を飲んだ友人と夜明けまで語って 身分証明証を偽造して (日
本人ですが、故郷は日本じゃないので) 憲兵の目を盗んで、日本を脱出 その先が出口
というわけでもなく 出口のない浅い眠りが見た幻 もうすぐ何かが変わっても どこにも
逃げようがないことは百も承知で 存在のあかしがどこにも見いだせない状態の完成の向
こうに失われた地平がひろがっている 受刑のとき名前は区別にすぎない 人の流れに逆
らって、だんだん区別はつかない 死を宣告されても 慰めはいりません 境界を曖昧なが
ら、無名と名づける 沈黙は地上のあらゆる石を通過して流離う 最後の石の最後の壁に
到達できたとしても絶対に外へは出られない 悼みが沈黙の中でしか聴こえないのと同じで 
一度でも名前を持った者にしか無名になれない ではだれが名づけるのか? 成城高等学
校の生徒のころ、報国団機関紙[ 1]『城』第四〇号(昭和一八・二)に安部公房が発表
したエッセイ、「『問題下降に依る肯定の批判』――是こそは大いなる蟻の巣を輝らす光
である――」 だれかの名前の延長として、命令系統の一部に帰属していたということは 
そこから異質であろうとする勢力の在処を当然に知りつつ黙っていたということ または
踏みつぶされる声をあげていたということ 虐げられた思想がついに決壊を遂げ、昨日まで
の命令系統を粉々にくだき 異質じゃなくなっていく現場を目の当たりにする あれ、こ
のあたりに故郷ってありましたっけ?
*

喪失の内実はひびく 常に何かを失い続けているほうが幸せだと思う? 喪失そのもの
の中から呼びあつめ、記憶としてひき受けている すでに故郷はなく、郷愁だけがある 
夜があるのを忘れてはならない 訣れるのはつらくない 限られた樹液の中、一本の木のよ
うに長い時間をともに過ごした幼い円陣 書きかけた友人たちの物語を最初から構築しな
もぐら通信
もぐら通信                          21
ページ

おす 日本へ帰らず、中国で客死したかれを含む「愛し合っていた三人の詩人たち」は訣別
する 〈東の方〉〈北の方〉〈山の方〉へ 黒蟻の紋章を追って…すべてを包む夜に向かっ
て…問題を下降させていき…毒杯にたどり着くまでの 如何なる座標もない絶対の孤独こ
そ器であると知って 透明に、そして浄化され尽くした血は 唯一回限りの生の確証を求め
て 故郷を再びめざす 壁こそが通路で 流動こそが居場所で 密室への隔離こそがつな
がりであり 喪失を希求し 存在すると同時に存在しないものに対峙しても こちらから
掘り進めるのではなく 相手のほうから掘らせなければならない 昭和二〇年八月、金山
は家族と共に疎開列車に乗り、安東に逃れた しかし何を思ったのか 弟を連れ、逃げて
くる人の流れに逆行し 新京に舞い戻った 賊たちと盗みを働き やがて結核性の肋膜炎
となり 翌年七月、死んだと知らせが届いた 死ぬつもりだったのだろうか 願うことが
根底から転覆されているのに かく在りたいと願う たとえ滑稽だとだれかが笑ってくれた
としても 金山ひとりを殺すわけにはいかない
*

亡き金山時夫に
何故そうしつように故郷を拒んだのだ。
僕だけが帰って来たことさえ君は拒むだろうか。
そんなにも愛されることを拒み客死せねばならなかった君に、
記念碑を建てようとすることはそれ自身君を殺した理由につながるのかもしれぬが・・・ 
∼『終りし道の標べに』 「献辞」
真善美社〈アプレ・ゲール業書〉版 (一九四七年一〇月)
*

 《亡き友に》
記念碑を建てよう。
何度でも、くり返し、
故郷の友を殺しつづけるために・・・。
∼『終りし道の標べに』 「献辞」
  冬樹社版 (一九六五年一二月)
*

存在の証への希求が本質的な死の季節を逆証する ふさがれることのない傷跡のように 
ここで断ち切ると決めた場所がその先の故郷へ変わる ある日とつぜん、帰る家が変わる 
家族が変わる どうしようもなかったすべてのどうしようもなさが一変する 訣れ際、「せ
めて、謝らないでください」とMは言った 昔からそうであったかのように 蜘蛛が無形の
空間にいどむ 想像力と夢による死の綾織 渇して湖辺に走る一群の獣をえがきだす地点
では 歴史から解放される 笑いからも解放される 報復の意志を呼びあつめ 〈廃疾〉
を踏みつづける かつて組まれた笑いの円陣に 祈りをささげる 宇宙の発端をそこにみ
ちびく 世界をそこに在らしめるかのように 再び転覆! せまりくる死の予感を生の輪
もぐら通信
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郭として組まれた祈りの共生の円陣はこわれ そこに囲いこまれていた幸福な笑いは、跡か
たもなく消えた 祈りはほろび〈廃疾〉と化した ささやかな共生の秘密は失われた 歴
史から解放されて 廃疾の最も深い部位へ 下降せねばならぬ 〈僕達〉が失った 〈一
切を忘れる笑ひ〉はやはり〈滅亡の丘〉に育つ 〈感傷の花〉は拒否されている 〈廃疾
は無駄ではない〉 〈否。恐らく花は咲かぬであろう〉
*

「世界内=在」にも「世界=内在」にも止る事無しに
交互に素早く点滅する光の中を無言の儘に行きすぎるのだ
∼「詩と詩人(意識と無意識)」安部公房
*

きみがだれであるにしろ、夕昏にはそとへ出たまえ
なにもかも知りつくしている自分の部屋をあとにして
∼『形象詩集』リルケ
*

そして夜が、一瞬に於てその体験的現存在の直覚として捉えらた時、
その一瞬に於てこそ、
彼の果てしなく繰返えして止まらなかった
世界内=在と世界=内在とは、止揚されて、
人間の在り方としての純粋な世界内在となるのだ。
∼「詩と詩人(意識と無意識)」安部公房
*

こわされた青春の苦悩に幕をおろし
現実との対決をひきうけようとする決意
祖国としての日本、故郷としての満州、
思考の根拠としての実存哲学
それらのすべてから自由になろうとしている者の決意
故郷喪失と故郷希求の両極に
ひきさかれたはげしい苦しみ
∼『新潮日本文学アルバム 安部公房』(編者・高野斗志美)
*
[註1]
当時の高等学校は、1937年の支那事変を契機に其の後学校報国団を国家の命令により結成、明治以来の其
れまでの教育に関する法令の他に、もう一つ其の法令に基づいて教育活動を同時に二重に行ひます。詳細は『戦
時下の学校報国団設置に関する考察』をお読みください。時代状況がよく書かれてゐます。:https://
ja.scribd.com/document/343754375/戦時下の学校報国団設置に関する考察
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 23

安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語について

岩田英哉

目次

I 安部公房の自筆年譜と『形象詩集』の関係について
II 「転身」といふ語について:「転身」とは何か
III 「転身」といふ語のある詩を読む(「①詩の世界での問題下降」期の詩)
IV 「転身」といふ語のある小説を読む(「②詩と散文統合の為の問題下降」期の小説)
V 『デンドロカカリヤA』(「②及び③の問題下降期の中間期の小説)
VI 「転身」といふ語は、詩文散文統合後に、どのやうに変形したか(「③散文の世界で
の問題下降」後の小説)

*****

『安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語について』といふ題でお話を致しますが、
ここでいふ安部公房文学の「初期」といふ言葉の定義について最初に簡単に説明をして読者
のご理解を得てから本題に入ります。

この場合の「初期」とは、既に「『デンドロカカリヤ』論(前篇)」(もぐら通信第53号)
にて明らかに致しました「詩人から小説家へ、しかし詩人のままに」のチャート図に基づい
て定義をすると、次のやうになります。

1。狭義には、3つの問題下降の時期、即ち詩人から小説家への変身に3回の問題下降によ
つて美事に成功する時期、即ち全集によれば詩集『没我の地平』を著した西暦1946年(昭
和21年)安部公房22歳から『デンドロカカリヤB』[註1]を著した西暦1952年(昭
和27年)安部公房28歳までの期間を言ひ、

2。広義には、3つの問題下降以前の時期、即ち西暦1942年(昭和17年)安部公房1
8歳から西暦1944年(昭和19年)安部公房20歳までの問題下降論確立の時期及び、
西暦1945年(昭和20年)安部公房21歳までの1年間を含んだ時期を併せた全体の時
間を言ひます。

[註1]
「『デンドロカカリヤ』には二種類あります。一つは、全集によれば「雑誌「表現」版」と呼ばれてゐるもの、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 24

もう一つは、「書肆ユリイカ版」と呼ばれてゐるもの、この二つです。便宜上、前者を『デンドロカカリヤA』
と呼び、後者を『デンドロカカリヤB』と呼ぶことにします。前者の発行は1948年8月1日、安部公房2
5歳の時、後者の発行は1952年12月31日、安部公房28歳の時です。この二つの作品の間に、『S・
カルマ氏の犯罪』で芥川賞を受賞してゐます。」(「『デンドロカカリヤ』論(前篇)」もぐら通信第53号)

そして、本論に入るに当たり、また本論にて、当時の安部公房が設立しまたは参加してゐた
藝術家集団が上記狭義の期間にある安部公房にとつて如何に重要であつたかに言及ずるに当
たり、「『デンドロカカリヤ』論(前篇)」(もぐら通信第53号)に附録とした「詩人か
ら小説家へ、しかし詩人のままに」のチャート図を改訂して、これを、

(1)安部公房の生涯の全作品に及ぼし、そして、
(2)藝術家集団の名前と集団の存立期間を加へ[註2]、それから更に、
(3)存在といふ概念からの視点で分類した「安部公房の人生表」(『安部公房と共産主義』
もぐら通信第29号)による区分の4つのうち全集第1巻にある最初の作品『問題下降に依
る肯定の批判』に始まるPHASE1から最晩年のPHASE3まで[註3]を追記して、

バーチャート(bar chart)の形式で、これまでのチャート図の天地に、上記(2)は地に
(3)は天に入れて改訂をしましたので、これを必要に応じてご参照ください。これで、い
よいよ、安部公房文学の初期から晩期に至るまでの全体を体系的に視野に収めることができ
ます。

ダウンロードは、次のURLにて:
https://ja.scribd.com/document/343689487/詩人から小説家へ-しかし詩人のままに-藝術
家集団を付記-v8

[註2]
藝術家集団の付記にあたっては、次の方々の著作を比較参照しました。改めて謝意を表します。

1。『〈夜の会> <世紀の会> <綜合文化協会〉活動年』:鳥羽耕史著


2。『運動体・安部公房』:鳥羽耕史著
3。『安部公房・荒野の人』:宮西忠正著
4。『安部公房とはだれか』:木村陽子著

[註3]
PHASE0は、奉天に住んだ10年といふ期間です。これは、安部公房の胎内期といふべきでありませう。『安
部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)よりPHASE0だけを以下に抜き出して示します。詳細は『安部公
房と共産主義』に附録の「安部公房の人生表」と解説をご覧ください。
もぐら通信
もぐら通信                          25
ページ

I 安部公房の自筆年譜と『形象詩集』の関係について

安部公房全集の第30巻で検索して、安部公房による自筆年譜を調べますと、次の4つの年
譜を安部公房は誌(しる)してゐます。

1。「年譜 『新鋭文学叢書』に寄せて』」(全集第12巻、464ページ)
2。「〈年譜〉『新日本文学全集』に寄せて』」(全集第18巻、244ページ)
3。「〈安部公房年譜〉芥川賞作家シリーズ『おまえにも罪がある』に寄せて」(全集第1
9巻、128ページ)
4。「略年譜『われらの文学』に寄せて』」(全集第20巻、92ページ)
もぐら通信
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ページ

これら4つの年譜を見ますと、皆共通してゐることは、何かの叢書なり、全集なり、シリー
ズなりに掲載するための、出版社による作家の自己紹介といふ要請に応じて、さういふ意味
ではまた積極的にではなく、安部公房らしいことに消極的に、即ち平俗な言葉を使へば嫌々、
書いた自筆年譜であることが判ります。

特に2の年譜の冒頭には、一種の断り書きが書いてあつて、作家の本当の経歴は外部の歴史
的な時間の中の事実の羅列にあるのではなく、作家である以上それは内部の経歴といふもの
があつて、それが作品といふものであり、作品を読んでもらふ以外には私といふ作家を知る
道筋はないのだが、「しかし出版社のたっての希望により、以下私を知るためにはいささか
も役立ちえないだろう伝記をあえて書くことにする。」と、この前書きを書いた後に、消極
的な理由で、時系列の「外部の経歴」を記述してゐます。

これら4つの年譜を読み、比較して解ることは、次のことです。

(1)3の年譜の文章は、1と2から文章を抽出して来て併せたものだといふこと。そして、
(2)3の年譜には、2の年譜にあつた上記の前書きはなくなり、代わりの前書きとして、
東京で生まれ、満洲で育ち、原籍は、しかし北海道であるといふ事実を冒頭に挙げて、今度
は積極的に「定着を価値づける、あらゆるものが、ぼくを傷つける。」と書いて、時系列の
「外部の経歴」を記述してゐること。
(3)2の年譜の「作品年譜」には『無名詩集』の名前が文字として欠落してゐること。
(4)3の年譜の「作品年譜」には『無名詩集』の名前が文字として欠落してゐること。
(5)4の年譜になつて初めて、安部公房は『無名詩集』の名前を文字として表に出してゐ
ること。

既に『安部公房文学の毒∼安部公房の読者のための解毒剤∼』(もぐら通信第55号)で詳
述しましたやうに、安部公房は、自分と宇宙の生命に関わる大切なものは、消しゴムで書い
て、余白に隠して置きます。これは意図的といふよりも、安部公房の論理による必然であり、
この論理は同時に此の形式に則つて、安部公房の感情も生き生きと生きてゐるのです。

さて、このやうに「転身」といふ、安部公房の詩の中での重要な語について考へるために上
記の年譜の文章を見ますと、『無名詩集』は、1から3の年譜の「作品年譜」に欠落してを
り、4の年譜になつて最初で最後に書かれてゐるといふ事になるのです。

また、リルケとの関係を考へますと、1にはリルケの『形象詩集』の名前が誌されてゐて、
1の『年譜』の「昭和二十二年(1947)」には、次のやうに書かれてゐます。
もぐら通信
もぐら通信                          27
ページ

「闇でかせぐのと、友人にたかって食わせてもらうのが、せい一杯だった。不信と憎悪で、
年中おこりにかかったような状態だった。この当時の記憶も、あまり鮮明ではない。ただ、
相変わらず、手垢にまみれたリルケの「形象詩集」がついてまわっていた。いつの間にか、
リルケ調の詩を書き始めていた。それは、詩というよりも、「物」と「実在」に関する、対
話のようなものだった。ミソ漬けの野菜や、タドンの行商をしたりしながら、気がつくと、
小説を書きはじめていた。自分では、小説というよりも、むしろ、思想表白のつもりで、
(略)」(傍線は原文傍点)

ここで、上記4つの年譜で作品年譜に挙げられてゐる最初の作品の名前を挙げて見ませう。

(1)1960年:年譜1:「昭和二十三年(一九四八)「終りし道の標べに」」
(2)1964年:年譜2:「昭和二十四年(一九四九)「赤い繭」」
(3)1965年:年譜3:「昭和二十四年(一九四九)「赤い繭」」
(4)1966年:年譜4:「昭和二十一年(一九四六)」「『無名詩集』自費出版」」

安部公房が、出版社の要請による消極的な理由であるにせよ、自筆年譜を書き始めるのは、
年譜1の1960年です。

これらの年譜の順序と作品年譜の最初に置かれた作品名は、やはり大変象徴的なことだと、
私には思はれます。何故ならば、安部公房は1961年9月6日に、これもまた消極的であ
ることに、日本共産党により除名処分を受けて共産党を出ることになり、翌1962年には
『砂の女』で1960年代といふ日本の高度経済成長といふ時代の中に登場して盛名を馳せ
ることになるからです。

そして、年譜2と3に最初に挙げられてゐる『赤い繭』は、『デンドロカカリヤA』を問題
下降して成功した最初の小説二つのうちの一つー もう一つは勿論『魔法のチョーク』ーで
あり、公には第二回戦後文学賞」を受賞した、さういふ意味では安部公房の小説家人生の中
で記念碑的作品の最初のものであることはいふまでもありません。

また年譜4の書かれた年は、1966年。この年の初めに『カーブの向う』を書き、翌年1
967年には此れを長編に仕立てた『燃えつきた地図』を発表してゐます。

年譜4の意味するところは、この時安部公房の意識には、この『無名詩集』といふ詩集の名
前を公にしても良いといふ思ひがあつたといふことになります。そして翌年、即ち1967
年に『リルケ』といふ題のエッセイを、六本木のイタリアレストランCHIANTIでリルケの
息子と噂されてゐた(後年世界的に名を成す)画家バルテュスを偶々見かけたことを切つか
けにしてではあれ、リルケについて再び書くことができるやうになつてゐた。[註4]
もぐら通信
もぐら通信                          ページ28

[註4]
『レストランキャンティ(CHIANTI)と安部公房∼リルケの贋の息子と出合った場所∼』(もぐら通信第28
号)をご覧ください。

『リルケ』といふエッセイを書いた同じ年の11月20日付では「国家からの失踪」と題し
たインタヴューに応じてゐて(全集第21巻、425ページ)既に此のインタヴューの最後
で、小説の題名は口にはしてゐないものの、1973年に発表する『箱男』の構想を語つて
ゐます。とすれば、この構想段階を入れて、『箱男』には7年をかけたといふことになりま
す。

私の仮説は、西暦1970年(昭和45年)の三島由紀夫の死を境にして、安部公房の文学
を、歴史的な時間の中では、大雑把に前期20年、後期20年と分けて、前者は更に前半の
10年は存在と社会が対抗し拮抗してゐて、謂はば等分に均衡してゐた時期、その後半の1
0年は、その均衡が破れて又は均衡を作者が破つて、社会の中に存在を求めた時期[註
5]、そして西暦1970年(昭和45年)の三島由紀夫の死を境にして、後期20年は、
前期20年後半の論理を逆転させて、リルケの詩の世界へ、自己の詩の世界へ、存在の世界
へと回帰し、存在の中に社会を求めた時期[註6]、その後期20年のうちの前半10年は
安部公房スタジオの演劇の時期といふものですが、これらの自筆年譜に於ける安部公房の意
識の変遷と其の変遷の指し示す方向は、1970年を境に前期20年後期20年と大別する
私の仮説に符合してゐるやうに見えます。

[註5]
この時期に書かれたのが、安部公房自ら「失踪三部作」と呼ぶ『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』で
ある事は、安部公房の読者にはいふまでもありません。

[註6]
安部公房の1970年を契機にしての存在への回帰の5つの理由について、『安部公房の奉天の窓の暗号を解
読する∼安部公房の数学的能力について∼』(もぐら通信第33号)から引用して、以下に再掲します。

「安部公房の此の奉天の窓は、安部公房が実際に奉天の窓のこととして三島由紀夫に語ったかどうかは別とし
て、三島由紀夫に、やはり深い印象を残したのです。

上の引用は、そうしてこの引用の前後には、三島由紀夫の考える現実と虚構(小説)の関係や、時間について
の考えや、賭けるという行為についてや、それ以外にも安部公房と語り合った筈の主題について幾つも触れら
れています。
もぐら通信
もぐら通信                          ページ29

三島由紀夫は、死の1週間前の古林尚(ふるばやしたかし)のインタビューで、次のように語っています。

「ひとたび自分の本質がロマンティークだとわかると、どうしてもハイムケール(帰郷)するわけですね。ハ
イムケールすると、十代にいっちゃうのです。十代にいっちゃうと、いろんなものが、パンドラの箱みたいに、
ワーッと出てくるんです。だから、ぼくはもし誠実というものがあるとすれば、人にどんなに笑われようと、
またどんなに悪口を言われようと、このハイムケールする自己に忠実である以外にないんじゃないか、と思う
ようになりました。」

このインタビューは、三島由紀夫の死後1週間後に図書新聞に掲載をされました。ハイムケールという言葉で
わかる通り、三島由紀夫も安部公房も、ドイツ語とドイツ文学を共有していたのです。

わたしは、安部公房が、三島由紀夫の死後、この新聞の記事を読まなかったわけがないと思います。安部公房
は読んで、やはり深い衝撃を受けた筈です。そして、改めて奉天の窓を思い出さずにはいられなかった。

安部公房が何故前期20年の活動を総て捨ててまでして、全く新しく文学活動の仕切り直しをしようとしたか
ということ、何故『箱男』を書き、安部公房スタジオを立ち上げたかの理由を、わたしはこれまでに次の最初
の4つを挙げて参りましたが、これに此の三島由紀夫の発言を加えて良いし、加えるべきだと思っています。
そう考えて、1970年という年を契機にして、安部公房が再び小説家として「次元展開」(『詩と詩人(意
識と無意識)』)した理由を列挙すると次のようになります。

1。『燃えつきた地図』で、前期20年、特に後半10年で追究した主題、即ち社会的な関係の中に存在を求
めるという考え方が、その極限まで行って、遂に限界に来たこと。
2。上記1の考えが限界に来て、人間の論理の問題として、限界まで、極限まで徹底的に思考すると、その論
理は逆転し、根底から引っ繰り返ってしまうことが、言語で思考する人間の必然であること。
3。前期20年、特にその前半10年の間に、マルクス主義と接触し、日本共産党員になってまで起こしたい
と思っていた言葉による革命が、人間と現実を信じ過ぎたがために絶望と幻滅の淵に沈んで失敗し、自分の志
が破綻したこと、このことをもう一度順序を逆転させて、今度は存在の中に、言語の本質的な力を借りて、存
在の革命を起こそうと考えた事。
4。1965年に真善美社版の『終りし道の標べに』(1948年)を改稿したときに、その結末の文章が、
既にリルケの純粋空間という時間の無い世界に生きる、循環構造の中で成長し自己完結して永遠に生き続ける
植物に対する羨望を表明していること。従い、リルケの世界へと回帰する機が熟していたこと。(こう書いて
いてもこの純粋空間の植物は、『方舟さくら丸』の贋の虫、ユープケッチャを思わずにはいられません。)
5。三島由紀夫の死の直前1週間前の古林尚のインタビューの発言を、死後1週間後に発行された図書新聞で
読んで深い衝撃を受けたこと。それによって自分の十代の奉天の窓と詩の世界へと積極的に回帰(「ハイムケー
ル」)しようと決心したこと。

安部公房の1970年という、散文家としての大きな転機については、このようにまとめることができるでしょ
う。(略)」
もぐら通信
もぐら通信                          30
ページ

さて、もう一度、年譜1に戻ります。

リルケの『形象詩集』の名前が記されてゐる1の『年譜』には、次のやうに書かれてゐるの
でした。

「闇でかせぐのと、友人にたかって食わせてもらうのが、せい一杯だった。不信と憎悪で、
年中おこりにかかったような状態だった。この当時の記憶も、あまり鮮明ではない。ただ、
相変わらず、手垢にまみれたリルケの「形象詩集」がついてまわっていた。いつの間にか、
リルケ調の詩を書き始めていた。それは、詩というよりも、「物」と「実在」に関する、対
話のようなものだった。ミソ漬けの野菜や、タドンの行商をしたりしながら、気がつくと、
小説を書きはじめていた。自分では、小説というよりも、むしろ、思想表白のつもりで、
(略)」(傍線は原文傍点)

この引用の「いつの間にか」や「気がつくと」といふ赤字にした言葉を見るとよくわかるや
うに、安部公房はリルケを語ると超越論になるのです。

そして、リルケを語るとまた、青字にした箇所で明らかなやうに、いつも記憶と忘却の話に
なるのです。

リルケといふ詩人が、どんなに安部公房の意識・無意識の底に生きてゐるかがお解りでせう。
影響とは、このやうな受容をいふのです。影響が深ければ、それは其の人が意識されない此
処までに到る。あなたにとつての安部公房は如何。

一言で云へば、リルケを語らうとすると、自分自身の人生の時間が喪失されて、自己を、記
憶との関係で、失つてしまひ、リルケとの関係で自己を語らうとすると、「いつの間にか」
「気がつくと」無時間の空間的な配列で、構造的に言葉を使つて語る事になつてしまつてゐ
るのです。

それほどに、安部公房はリルケを読み込んだ。耽読といふ言葉がありますが、これは其れ以
上の読書であつて、読書に溺死といふことがあるなら、溺読か又は溺死読といふ新語を安部
公房専用に造語したい位です。

このやうに年譜を中心に考へてみても、安部公房は、本当に、自分の言葉に正直です。人は
意識して生活する(と思つてゐる)日常の中で無意識の嘘は一杯吐くわけですが、しかし他
方、安部公房は無意識の世界にある言葉を日常の生活の時間の中で超越論的に心の深い所か
ら想ひ出して書く。安部公房は言葉をその通りに正しく使ふ。言葉を正しく使ふこと、即ち
自己に嘘をつかぬこと、自己のあり方に正直であること、これが、やはり、一流且つ一級の
もぐら通信
もぐら通信                          ページ31

作家であることの必須の条件でありませう。

さて、再々度、「この当時の記憶も、あまり鮮明ではない。ただ、相変わらず、手垢にまみ
れたリルケの「形象詩集」がついてまわっていた。」とある、この「形象詩集」の話です。
(しかし他方、実作者として、安部公房が如何に数学論理的に、そして意識的に、「問題下
降」して二つの詩集を一つにして詩の世界を一つにまとめ、更に「無名詩集」と小説(散文)
を一つにして、さうしてシャーマン安部公房の秘儀の式次第に拠つて、詩人のまま小説家に
なつたかといふ事は、「『デンドロカカリヤ』論」(前篇及び後篇)(もぐら通信第53号
及び54号)で詳細に論じた通りです。)

安部公房は、年譜1では、リルケの名前を出し、「形象詩集」の名前を出すことができた。
年譜4では、リルケの名前は隠し、「無名詩集」の名前を出すことができた。

前者では、リルケと「形象詩集」の名前を出し、自分自身と「無名詩集」を隠した。後者で
は、リルケと「形象詩集」の名前を隠し、自分自身と「無名詩集」を表に出して、文字にし
た。

1960年から1966年までの間に、安部公房の意識に、このやうな変化があり、意識の
遷移があり、内心の気運があつたといふことです。[註7]

[註7]
この意識の遷移は、そのまま1970年代以降最晩年までの存在への回帰、即ちリルケの世界と自分自身の詩
の世界への回帰へと連続してをります。

存在の中での隠棲、存在からの出発、存在への回帰の図表を、『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)
に掲載しましたのご覧ください。

これらのことが、4つの年譜から解ることです。

さて、安部公房の「空白の論理」[註8]からいつて、次の何かがある筈です。

[註8]
安部公房の「空白の論理」については、『安部公房文学の毒について∼安部公房の読者のための解毒剤∼』(も
ぐら通信第55号)の「2。空白の論理といふ毒(詩の毒)」をご覧ください。

(1)前者の表立つたリルケと「形象詩集」の裏に、(自分自身と「無名詩集」のほかに)
空白の人物の名前と詩集の名前が隠されてあること。
(2)後者の表立つた安部公房といふ名前と「無名詩集」の裏に、(リルケと「形象詩集」
のほかに)空白の人物の名前と詩集の名前が隠されてあること。即ち、
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もぐら通信                          ページ32

上記(1)と(2)の場合に共通してゐる空白の人物の名前と詩集の名前は一体何か?

この空白に、安部公房自身といふべき人物の名前と、詩集の名前が隠されてゐるのです。

この論考の本題である、安部公房の詩集によく出てくる重要な言葉である「転身」といふ言
葉に戻ります。

結論を云へば、「この当時の記憶も、あまり鮮明ではない。ただ、相変わらず、手垢にまみ
れたリルケの「形象詩集」」には、それほど読んだことになつてゐるにも拘らず、この「転
身」といふ言葉は、全く一語も出てこないのです。

さて、さうすると、安部公房の「空白の論理」を考へる事になつて、次の問ひを立てること
になります。

「空白の論理」に従つて安部公房が余白と沈黙に置いた「転身」といふ言葉を、リルケが文
字にして著した詩集は一体何か?

3つのドイツ語の全集に当たつて「転身」の原語であるVerwandlung(フェアヴァンデルン
グ)といふ語の出てくる作品は、これらの全集を総覧し、重複を省いて数えると、全部で2
3箇所あつて、その作品の名前は、詩集以外のものも含めて、次の通りです。

(1)『ドゥイーノの悲歌』(長編詩)
   ①第7の悲歌
   ②第9の悲歌
(2)『オルフェウスへのソネット』(長編詩)
   ①第2部の第12連
   ②第2部の第29連
(3)『マルテの手記』(小説または詩的散文)
   (3箇所に出てくる)
(4)『孤独な者たちについての断片、1903年』(散文)
   (1箇所に出てくる)
(5)『オーギュスト・ロダン』(散文)
   (2箇所に出てくる)
(6)『景色について』(散文)
   (1箇所に出てくる)
(7)『室内インテリア』(散文)
   (1箇所に出てくる)
(8)『若き労働者の手紙』(散文)
   (1箇所に出てくる)
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もぐら通信                          ページ 33

(9)『若き詩人への手紙』(散文)
   (1箇所に出てくる)
(10)『事物』(散文)
   (2箇所に出てくる)
(11)『聖書II』(散文)
   (1箇所に出てくる)
(12)「Wenn es einmal irgendwo einen Schaffenden gegeben hat (und ich rede
von den Schaffenden, weil sie zu den Einsamsten gehören) der in Tagen unsäglicher
Sammlung die Welt eines Werkes schuf……」(拙訳:昔どこかに或る創造者がゐたとし
て(そして、私は創造者たちといふ者は最も孤独な者たちに帰属するので、創造者について
語る訳であるが、)この者が、とても言葉では言ふに言はれぬ採集と収集の日々の中で、あ
る作品の世界を創造したならば(略)」で始まる無題の散文
(13)『手紙の下書き(1922)III』(散文)
   (1箇所に出てくる)
(14)『オットー・モーダーゾーン』(散文)
    (1箇所に出てくる)
(15)『5つの歌』といふ詩の中のIV(第5連)(詩)
    (1箇所に出てくる)
(16)『眠れる女の心情の中へと返すささやかなる返礼』(詩)
     (1箇所に出てくる)
(17)『変形を欲せよ。おお、炎に歓喜せよ』(詩)
     (1箇所に出てくる)

本題からは逸脱しますが、上記の「(6)『室内インテリア』」の最終章XXIは、安部公房
の「空白の論理」によるいつもの構成と同じ構成になつてゐて、これは、安部公房が此の作
品を読んだかどうかは別にしてさへも、安部公房が相当広範囲にわたつて、安部公房全集に
採録されて読者の知ることのできる作品の数以上にリルケの作品を渉猟してゐたことを示し
てゐます。あるいはさうでないとしたら、または、さうでないとしても、数少ないリルケの
「空白の論理」の余白と沈黙の表現に接して、安部公房はリルケの此の「空白の論理」を本
当に深く理解をした。即ち、この作品の最終章XXIに、『詩と詩人(意識と無意識)』にあ
るのと同じ「空白の論理」に従つた章があるのです。

リルケの「(6)『室内インテリア』」の最終章:

「XX Wenn meine Mädchen wandern und sich bewegen, schwanken ihre Seelen
langsam wie Kähne, die an ein unruhiges Ufer gebunden sind.− Denn ihre Seelen
sind Gondeln von Gold und voller Ungeduld. (略)Und sie heben die Furcht vor
diesen vielen Dingen in das seidene Dunkel ihres Lebens hinein und falten die Hände
もぐら通信
もぐら通信                          34
ページ

davor. So sind ihre Gebete..

XXI..................................................................
..............................................................
..............................................................」

[拙訳]
「第XX章 私の処女(をとめ)たちが逍遥し、あちらこちらへ動く場合にはいつも、その
魂はゆつくりと、不安で定まらぬ岸辺に係留される筏のやうに上下に揺れる。ーといふのは、
乙女たちの魂は、黄金のゴンドラなのであり、だから我慢できないといふ性急な思ひで一杯
のゴンドラなのだから。(略)そして、私の乙女たちは、これらの数多くの物に恐れを抱き、
その恐れを、乙女たちが自分たちの命の、絹の暗黒の中へと持ち上げて入れ、両手を其の物
たちの前で重ねて折畳む。と、私の乙女たちの祈りは..

第XXI章..................................................................
..............................................................
..............................................................」

『詩と詩人(意識と無意識)』の中の第1部第1章「四、人間の在り方」の半ばに置かれた
次の余白と沈黙をご覧ください。:

「総てをかくあらしめるもの、それが夜である。此の吾等の判断も、表現も、生も、行為も、
幻想も、総て其れがある如くあらしめるもの、それが夜なのである。解釈学的体験、― 次
の数行の余白はその無言の言葉で埋められるのだ。(私は君達の自己体験をねがう為に此の
余白を用意したのだ)
       ...............................................
...................................................
...................................................
そして人間の在り方は正に此の数行の余白によつて明確に示されるのだ。夜はかくあらしめ
るものであった。 」
(全集第1巻、112ページ下段)

また、中埜肇宛て書簡第2信にも、この沈黙の「……」がある。作品を書く場合のみならず、
日常の親しくゐるものたちにも、手紙の中で此の空白と沈黙を文字の間に挟んでゐる。此の
「……」をテキスト(文字)の間に挟むと、この「……」の両側の文字の間に隙間、即ち差
異の生まれる効果があり、また逆に、この空白と沈黙といふ差異の間にテキスト(文字)が
あるといふ、関係が反転して、一種メビウスの環になるといふ効果がある。安部公房好みの
体裁に、文章がなるわけです。
もぐら通信                         
もぐら通信 35
ページ

「どうか君の現実に対する無理解をとがめないで下さい。
 …………
 …………
 人々は魂を求め合つて居ます。僕流に云へば、人々は、自分自身に云ひきかせたがつて居
ます。……愛。
 …………
 …………
 僕はもつとよく君を知りたかつた。(略)一人は僕の知つて居る人で、も一人は見知らぬ
人です。
 …………
 …………
 君の云ふ愛について、どうか、何から何迄、具体的に知らせて下さい。絶対にかくさない
で。僕には思ひあたる様な所があるのです。それとも僕にはそれを聞く丈の値打が無いでせ
うか。
 …………
 …………
 僕はあの会を創め、今それから遠ざかつて見て、如何に生命を持つた人間が少いかを、つ
くづく知りました。(略)」(全集第1巻、70ー71ページにある)

かうして見ると、安部公房の余白と沈黙の表し方は、上に引いた例のやうに、

(1)点線といふ記号によつて余白と沈黙を示すか、また、
(2)『名もなき夜のために』の最後のやうに( )といふ記号によつて存在を示し、その
中に文字を書いて、これを話者や登場人物の語る、存在の中にある存在の文字とするか(例
へば、最初の小説の題名の『(霊媒の話より)題未定』や、最後の小説『カンガルー・ノー
ト』の最後の呪文「(オタスケ オタスケ オタスケヨ オネガイダカラ タスケテ
ヨ)」、あるいは、
(3)『詩と詩人(意識と無意識)』の最後に第二部の印を漢用数字で示して、そのあとを
空白にして置くか、

この三通りがあることになります。

『名もなき夜のために』に次の箇所があります。:

「特にマルテの手記が二部に分かれていることを忘れてはならぬ。一部から二部へ移ってい
くものの意味は、夜を支点として人間が如何に転身するかの記録でなければならぬだろう。
更にその総ての意味が僕自身の夜でなければならぬ。夜が如何にして一切を奪って行った
か……それからそれをどんな仕方でもと通り、いや場合によっては一そう満ち足りたものと
して返えしてくれたか……しかもその後、仕事をし了えて放心したリルケの呟きの中で、も
う書き得ないものとして待っていた無言の第三部、その空白を流れる限りない日常の悲しみ
もぐら通信
もぐら通信                          ページ36

や悦びをふと想い浮べることがあったら、僕たちも転身の意味を本当に悟ることが出来るか
もしれない。その空白が既にオルフォイスのソネットやドイノの悲歌を生む約束になってい
たなどと考えることで、それを単なる変化や移行にしてしまうのは容易だが一そう恐ろしい
ことではなかろうか。僕たちに残された一番確実な遺産は、決してリルケの神のような死で
もなく、飛翔にも似た転身でもなく、実にあの侘しい空白であったということ……それから
後何んな鎖があると云うのだろう。(略)」(全集第1巻、519ページ上段)(傍線筆者)

『マルテの手記』が文字で、これは第一部、ここからは第二部と明示されてゐる訳ではあり
ません。安部公房が第一部第二部と呼んだ前後は、形式上または体裁上は、「アペローネ、
僕は君もここにいるように考える。君にはそれがわかるかね、アペローネ?君にはそれがわ
かるにちがいないと僕は考える。」と終わる箇所が第一部の終わり、そして、余白を残して
新たにページを立てて、「今では、女と一角獣の壁掛けはブサックの古城にはない。」で始
まるのが第二部といふことになります。

今私の手元にあるドイツ語のインゼル版のペーパーバックスの『マルテの手記』はさうなつ
てをり、岩波文庫で出てゐる望月市恵訳でも、ページを改めての、更に最初に数行の余白を
置いての、第二部を始めてゐます。当然のことながらドイツ文学の専門家である訳者は、こ
のリルケの意図を十分に知つてゐた。

上の引用で「一部から二部へ移っていくものの意味は、夜を支点として人間が如何に転身す
るかの記録でなければならぬだろう。」とありますから、安部公房の夜は此の第一部と第二
部の間の余白に存在するのです。そこには夜があり、他の両側の二つの部立てに対しては、
その夜は支点である。二つの部門は、この余白、空白、沈黙があつて初めて均衡を全体とし
て保つて表に、さういふ意味では昼間に、成り立つといふのが、安部公房の論理であり、思
想です。しかし、これはまたリルケの論理であり、思想です。

そして、引用中の二つ目の「……」といふ文中の余白の後にいふ、「しかもその後、仕事を
し了えて放心したリルケの呟きの中で、もう書き得ないものとして待っていた無言の第三部、
その空白を流れる限りない日常の悲しみや悦び」とある此の第三部は、もともと本来の『マ
ルテの手記』にはない部門です。これは『詩と詩人(意識と無意識)』に繰り返し論ぜられ
た、哲学談義を親しく交わした友中埜肇と議論したあの論理、即ちAでもなくZでもない、
即ち両極端を排して、第三の客観または第三の道を求める論理なのです。右でもなく左でも
なく、上でもなく下でもなく、生でもなく死でもない、第三の客観、即ち(詩人が自己を捨
て、自己喪失をし、自己の記憶を忘却して次元転換を果てしなく続けて至る、自己の最高度
の、極限の反照としてある)存在、です。[註9]

[註9]
この、安部公房独自の論理については、『詩と詩人(意識と無意識)』(全集第1巻、104ページ)をお読
み下さい。
もぐら通信
もぐら通信                          37
ページ

このやうに、安部公房十代からの此の論理の上に、安部公房は新たに『マルテの手記』の解
釈を加へて、詩人から小説家になる為に、『マルテの手記』を自分自身のものとする為に、
あるいは『マルテの手記』を超越するために、「空白の論理」の中に第一部でもなく第二部
でもない第三部、即ち第三の客観、即ち存在を仮構して、この作品をまとめたのです。

第一部でもなく第二部でもない、第三部。それが、最後に安部公房が『名もなき夜のために』
の付け加へた存在を示す( )の中に敢へて書いたテキスト(文字)なのです。

「(此処に空白がある。空白の告白がある。これが恐怖なのだろうか。僕は欺瞞が苦しかっ
た。まだとどまっていると思わせる駆け引きいやだった。僕ら人間を物への供物としよう。
名もなき夜に生きて昼を織り出すものとなろう。
 ある日…………。)」(全集第1巻、558ページ下段)

ここまで考へてみれば、この最後の、( )で象徴される存在の中の文字を読むと、安部公
房が何を考へてゐるかは、よくわかります。「ある日」もまた空白と沈黙の中にある。「あ
る日」の物語もまた空白と沈黙の中にある。何故なら其れは特定の日ではなく、「ある日」
だからです。

そして、「転身」は、この( )の中や「……」や(文字通りの物質的な)余白の中、即ち
夜の支点の余白と沈黙の中で、人知れず、誰とも名前を言はれずに、おこなはれるのです。
安部公房の意識と無意識の入籠構造であり、螺旋構造です。

そして、このやうな( )と「……」と(文字通りの物質的な)余白の使ひ方は、このまま、
領域を問はぬ、安部公房の作品の入籠構造または螺旋構造をなす話中話、劇中劇の構造にな
つてゐます。

閑話休題。

さて、「転身」がこのやうなものだとして、次には、上に挙げた「転身」の語の出てくる作
品のうち、リルケが、転身そのものを主要な主題とするか又は複数の主題の一つとして深く
取り扱つた作品は、次の3つです。

(1)『ドゥイーノの悲歌』
   ①第7の悲歌
   ②第9の悲歌
(2)『オルフォイスへのソネット』
   ①第2部の第12連
   ②第2部の第29連
(3)『マルテの手記』
   (3箇所に出てくる)
もぐら通信
もぐら通信                          ページ38

しかし、更に此の順位を或る基準によつて入れ替えると、上位3作は、次のやうに配列にな
ります。

(1)『オルフォイスへのソネット』
(2)『マルテの手記』
(3)『ドゥイーノの悲歌』

(1)の『オルフォイスへのソネット』が第一位であるのは、この長編詩が終始一貫オル
フォイスといふ神的な美しい若者を主人公として、オルフォイスの「転身」そのものを唯一
の主題として書かれた詩であるからです。

上の『名もなき夜のために』の引用にも、『ドイノの悲歌』の名前と一緒に、「その空白」
との関係で、『オルフォイスのソネット』の名前が挙げられてゐました。(全集第1巻、5
19ページ上段)やはり、「転身」といへば、安部公房にとつては、さうして他の此の長篇
詩の愛読者にとつても、『オルフォイスのソネット』なのです。

(2)の『マルテの手記』は、この話の最後に放蕩息子[註10]が故郷の村へ回帰して、同
じ一つ屋根の下に元の家族と一緒に暮らしながら、誰にも気づかれることなく密かに、それ
まで周囲の人間たちが知つてゐた長男である者とは全く異なる人間に変身し、「転身」する
話であり、言つて見れば、語り手であるマルテの話の中で透明になつて、話者であるマルテ
自身を含み、話法の中で存在になる男の物語であるからです。

また特に、『マルテの手記』の次の箇所は、印象の強烈な、呼気を通じた内部と外部の交換
によつて人間の臓器が透明になり、その透明が臓器全体に染み渡るやうに広がる、謂つて見
れば、安部公房の存在の世界に生きる透明人間(例へば『さまざまな父』)であり、透明な
両手であり(例へば『方舟さくら丸』)であり、結末共有に登場する全ての透明感覚の(安
部公房がリルケに学んだ)源泉であるからです。[註11]

[註10]
『マルテの手記』に描かれた此の放蕩息子がどのやうな放蕩息子かは、『もぐら感覚13:放蕩息子』(もぐ
ら通信第11号)にて、詳述しましたので、これをご覧ください。そこで、

1。聖書の放蕩息子
2。リルケの放蕩息子
3。安部公房の放蕩息子

と、三人の放蕩息子を比較して論じてあります。

[註11]
当該箇所を岩波文庫の『マルテの手記』(望月市恵訳)から引用します。訳文では「透明なるもの」を空気と
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ39
解して「空気」と訳してありますが、これをリルケの論理に従つて原文の単語(durchsichtig)に忠実に「透
明なるもの」と替えてあります。それ以外は望月訳の通り。:

「空気のすみずみにまで感じられるこの恐ろしいものの存在。僕たちはそれを透明なるものとともに吸い込む。
そして、それは僕たちのなかに沈殿し、凝固し、器官と器官のあいだでとがった幾何学的図形をつくる。」

また「『魔法のチョーク』論」(もぐら通信第52号)より、安部公房がリルケに学んだ透明感覚の表立つた
全ての例を挙げます。:

「安部公房の詩も小説も、その最後に(リルケに学んだ)透明感覚が出てきます。この透明感覚が現れると、
主人公は現実の世界での死または失踪を迎えることになります。例を挙げれば、『砂の女』の最後の濾過装置
の水の透明感覚、『他人の顔』の最後の電話ボックス(のガラス)、即ち透明な箱、『燃えつきた地図』の最
後の電話ボックス(のガラス)である透明な箱、『箱男』の最後の「じゅうぶんに確保」されてゐる余白と沈
黙の「……」のある「落書きのための」透明な箱、『密会』の最後の(『砂の女』の最後と同じ)「コンクリー
トの壁から滲み出した水滴」(と「明日の新聞」)、『方舟さくら丸』の最後の手が透けて見え、景色も透け
て見える透明感覚、『カンガルー・ノート』の最後の透明感覚を巡る会話(「君には見えているの?」/「見え
ていないと思う?」)[註1]

[註1]
安部公房の透明感覚については、『もぐら感覚7:透明感覚』(もぐら通信第5号)にて詳細に論じてをりま
すので、これをお読みください。」

(3)の『ドゥイーノの悲歌』の「転身」は、『デンドロカカリヤ』と『名もなき夜のため
に』に引かれてゐます。

『ドゥイーノの悲歌』は、「転身」といふ主題ばかりではなく、リルケの深めた他の幾つも
の主題を歌つてをりますので、さうしてやはり数学的中間項の作品である『名もなき夜のた
めに』の他に二つの『デンドロカカリヤ』に実際に2度の同じ詩行の引用がある以上、また
後者には「僕はオルフォイスの歌で一杯になつている」(全集第1巻、502ページ下段)
と書かれてある以上、『ドゥイーノの悲歌』よりも『オルフォイスのソネット』を第一位に
置くべきであると、私は考へます。

リルケは、様々な主題と動機(モチーフ)を抱懐した『ドゥイーノの悲歌』[註12]が書か
れると同時に『オルフォイスへのソネット』を並行して書きました。前者が荘重悲壮な声調
の極度に緊張した長編詩であるのに対して、後者は軽々とありとあらゆる物に変身をし続け
て、一度もひと所に留まることのない主人公の、オルフォイスといふ神々しい美しい若者の
絶えざる変身と其の自己犠牲としての死を歌つた、これは悲歌に対して、死を歌つてゐなが
ら、しかし、明るく軽快な長編詩です。

前者を書きつぐために、リルケは精神のバランスをとる必要から、後者の詩もまた生まれた
のです。

[註12]
『ドゥイーノの悲歌』の持つ様々な主題と動機(モチーフ)については、『安部公房の変形能力6:リルケ3』
(もぐら通信第8号)にて、安部公房との関係で、詳細に論じましたので、これをご覧ください。
もぐら通信                         
もぐら通信 40
ページ

『マルテの手記』同様二部からなる『オルフォイスへのソネット』の第一部の終わりで、こ
の美しい神的な若者が殺戮といつてよい殺され方、即ち首と四肢を引きちぎられた無残な殺
され方をして、また、したにも拘らず、即座に第二部の第一連では、殺された筈のオルフォ
イスが話者として自らの声調を朗らかにして、絶えることなく竪琴をひき歌を歌ひ、姿は透
明人間のやうになつて世人の目には全く見えずに様々な物に転身に転身を重ねて行くのです。

『詩と詩人(意識と無意識)』や『名もなき夜のために』や『中埜肇宛書簡第2信』と同様
に、『オルフォイスへのソネット』でも第一部と第二部の間に余白と沈黙があり、ここで存
在と化したオルフォイスは第二部で蘇生し、透明な何者かになつて転身を止むことなく続け
る。十代の安部公房のリルケ理解の誠に深いこと。しかし、順序は逆であり、リルケがあつ
て安部公房がある。

これが、『詩と詩人(意識と無意識)』でのやうに数学的・論理的ではなく、文学的・詩的
な側面で説明されるリルケの「転身」であり、安部公房の「転身」です。安部公房の意識下
にある詩人像が、このオルフォイスです。前者での「転身」は、次元転換と呼ばれ、後者で
の「転身」は、前者の論理に基礎を置いた上で、さう呼ばれるのです。安部公房はリルケを
情緒的にではなく、全く論理的に読んだといふのは、このことです。

『ドゥイーノの悲歌』と『オルフォイスへのソネット』の二つの詩は同時に完成し、そして
其の2年後の1922年にリルケは没します。前者は完成に10年をかけ、後者は前者の完
成の年に2ヶ月で一気呵成に完成します。

この二篇の詩を読みますと、成る程これだけの詩を、戦争などの外的要因による中断を含め
て、前者は10年の時間をかけ、後者は前者の完成と共に完成するといふ、偉業といふべき
此の様子を見ますと、これは自分の命を削るに等しく、それ故に、リルケは完成の2年後に
亡くなるのだといふ感を深くします。

さて、上に問ふた、『形象詩集』の裏に、また『無名詩集』の裏に、共通してゐる空白の人
物の名前と詩集の名前は一体何か?といふ答へに、かうして答へてみると、

それは、オルフォイスと『オルフォイスへのソネット』だ

といふ答へになります。

それほどに、即ち「空白の論理」の余白と沈黙に置いて、文字にして書かないほどに、安部
公房は此の詩集を愛したのです。そして、そのことを誰にも語らなかつた。

全集第1巻の中埜肇宛の書簡をみても、オルフォイスと『オルフォイスへのソネット』の名
前は現れず、前者と後者の名前が文字になるのは、やつと「②詩と散文統合の為の問題下降」
をなすために書いた中間項としての『名もなき夜のために』の中でです。この中間項として、
もぐら通信
もぐら通信                          ページ 41

ある此の小説の中に於いて、やつと、安部公房は大切な名前を文字にして表に出した。

安部公房といへばリルケ、リルケと言へば自筆年譜によれば、表立つては『形象詩集』、し
かし「空白の論理」による余白と沈黙の中には『オルフォイスへのソネット』があるといふ
事になります。後者の詩集こそは、前述したやうに「自分と宇宙の生命に関わる大切なもの」
が歌はれてゐる詩集であつた。即ち『僕は今こうやつて』に書かれてゐる言語化することの
内面の禁忌(タブー)に直接触れる詩集であつたのです。[註13]

[註13]
安部公房の此の言語化することに対する内面の禁忌(タブー)の意識については、『もぐら感覚20:窪み』
(もぐら通信第18号)、『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)、『安部公房文学の毒について∼
安部公房の読者のための解毒剤∼』(もぐら通信第55号)に同じ引用をしてありますので、これをご覧くだ
さい。

この、安部公房が生涯沈黙を守り通して語らなかつた詩集を、今月から毎号一連づつ翻訳し、
解釈と鑑賞を付して、安部公房といふ人間をより深く理解するために、お届けします。(そ
して、その間同様の形式による『形象詩集』の紹介は順延とします。)

この詩集に収められた詩の中のオルフォイスの姿ははどれも、安部公房そのものだといつて
良いものです。

さて、それほどに大事な「転身」であつてみれば、詩人から小説家に変貌するに際して、こ
の語の消長または変遷、あるいは他の語彙への変換は、そのまま問題下降による詩文と散文
の統合の過程に反映されてゐる筈です。

以下、「転身」といふ語に焦点を当てて、3つの問題下降の順序に即して、その消長と変遷
をみてみませう。「転身」といふ語が、この語に深く関係する存在や愛や別離や、また現存
在や暗号や存在象徴といふ語と一緒になつて、どのやうに作品の中から姿を消して行き、
「シャーマン安部公房の秘儀の式次第」に則つた「安部公房の小説様式の確立」[註14]
がなされたのか、即ち、安部公房の作品が(実は存在といふ概念を隠し持つた)直喩に満ち
た文体に変貌して行つたのか[註15]、その安部公房の苦心苦労のほどが、私たち読者に
もよくわかる事になりませう。

[註14]
『詩人から小説家へ、しかし詩人のままに(藝術家集団を付記)』を参照ください。ダウンロードは、次の
URLから:

https://ja.scribd.com/document/343689487/詩人から小説家へ-しかし詩人のままに-藝術家集団を付記-v8
もぐら通信
もぐら通信                          ページ42

この図を見るとお判りの通り、第二の問題下降、即ち「詩と散文統合の為の問題下降」の段階で有用な役割を
果たしたのは、夜の会と世紀の会であり、第三の問題下降、即ち「散文の世界での問題下降」で重要な役割を
果たしたのは、世紀の会である事が判ります。

後者の会にあつて、安部公房は、『赤い繭』『魔法のチョーク』『S・カルマ氏の犯罪』の三作によつて、詩
作の時代と変わらぬ「シャーマン安部公房の秘儀の式次第」を遵守して「安部公房の小説様式の確立」を果た
したことが判ります。

[註15]
安部公房の直喩については、『安部公房文学の毒について∼安部公房の読者のための解毒剤∼』(もぐら通信
第55号)の「1。直喩といふ毒(修辞の毒)」を参照ください。

(続く)
もぐら通信
もぐら通信                          43
ページ

リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(1)

∼安部公房をより深く理解するために∼

岩田英哉
はじめに

主人公の変身と変形を主題とした『オルフェウスへのソネット』を読んでみようと思います。
この詩は、晩年のリルケのふたつの大作のうちのひとつ、すなわち、『ドィーノの悲歌』(以下
「悲歌」といひます)に対してあるソネットです。

はや、第1連の最初の4行を読みますと、既に悲歌で見る言葉が出てきます。制作の時期も重
なっていますので、当然のことながら、ひとりの詩人のなかからふたつの詩篇が生まれたわけで
すから、一方は他方の註釈となることがあると思います。

最初に接したときの接しかたが、わたしは大切な人間で、過去の経験からいつもテキストを読む
ときは、そうなのですが、虚心坦懐に、徒手空拳で、辞書もひかずに、テキストに当たることに
していますけれども、今回も同じ流儀で、最初の1連の4行のみを、読んだばかりです。

悲歌とは異なり、随分と静かな印象を抱きました。

毎回、1つのソネットを読みきり、書ききり、その1連1連を読んで、感じ、思い、考えたこと
を、悲歌のときのように、詩とは何かを考えながら、自由に、しかし、ソネット相互の関係と
連相互の関係を大切にして、即ち体系的に書いてみたいと思っています。

第1章が26連、第2章が29連、あわせて55連の詩行です。

最初の1連の最初の4行は、次のようなものです。いかがでしょうか。

DA stieg ein Baum. O reine Übersteigung!



O Orpheus singt! O hoher Baum im Ohr!

Und alles schwieg.Doch selbst in der Verschweigung

ging neuer Anfang, Wink und Wandlung vor.

一体、これは、何を言っているのでしょうか。安部公房がさう読んだ通りに、情緖的にでは全
くなく、論理的に読み解きます。
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第1部

DA stieg ein Baum. O reine Übersteigung!



O Orpheus singt! O hoher Baum im Ohr!

Und alles schwieg.Doch selbst in der Verschweigung

ging neuer Anfang, Wink und Wandlung vor.

Tiere aus Stille drangen aus dem klaren



gelösten Wald von Lager und Genist;

und da ergab sich, daß sie nicht aus List

und nicht aus Angst in sich so leise waren,

sondern aus Hören. Brüllen, Schrei, Geröhr



schien klein in ihren Herzen. Und wo eben

kaum eine Hütte war, dies zu empfangen,

ein Unterschlupf aus dunkelstem Verlangen



mit einem Zugang, dessen Pfosten beben, ―

da schufst du ihnen Tempel im Gehör.

【散文訳】

ほら、そこに、一本の木がのぼった。ああ、純粋に、限界を超えてどんどんのぼって行くことよ。
おや、オルフェウスが歌っているよ。ああ、耳の中に亭々たる木があるよ。そうして、すべてが
沈黙していた。しかし、この秘密にされ、隠されている中にあっても、あらたな始まり、すなわ
ち合図と変化が、前進したのだ。

沈黙の中から生まれてきた動物たちは、清澄な、禁忌を解き放たれた森、
寝床と巣であった森からから外へと切迫したように走り出た。

そうすると、そこで、はっきりとしたことは、この動物たちは、
悪い企みや不安なこころから、自分自身の中にそっと静かにしているのではなかったというこ
となのであり、

暗い欲求から生まれた、隠れ場所、避難場所があったのであり、
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この場所には、そこへと至る通路があるのだが、その柱は
激しく震えているのだ――そこで、お前は、動物たちのために
聴覚の中に寺を建立したのだ。

【解釈と鑑賞】

DA stieg ein Baum. O reine Übersteigung!



O Orpheus singt! O hoher Baum im Ohr!

Und alles schwieg.Doch selbst in der Verschweigung

ging neuer Anfang, Wink und Wandlung vor.

一体、これは、何を言っているのでしょうか。

一本の木がのぼる。という文は、隠喩の文である。このことで、リルケは何がいいたかったの
か。何を歌っているのか。その次の「純粋に、境界、限界を超えてどんどん上ってゆくこと」と
は何をいっているのだろうか。

わたしは、この最初の一行を読んだときに、何故か木が下に下りてゆくと思った。それは多分、
悲歌において、リルケの歌う上昇が、下降であると知ったからだと思う。英雄、Held、ヘルト、
すなわち神話などの主人公や、若い死者たちに関係したときには、上昇を意味する言葉は、その
ひとたちの下降を、無私の生活を意味しているのだったから。

もし、この最初に出てくる木が、何かの話の、それが歴史的事実の主人公であれ、何かのお話
の主人公であれ、そのような主人公や死者に関係している木であるならば、その影響を受けてい
て、上昇が下降であるという解釈が成り立つと思う。

純粋には、悲歌の純粋にと同じ。時間がなく、空間的な表現です。したがい、これは、空間的に、
つまり時間無く、木が成長するということをいっているのだと思う。オルフェウスが歌うと、木
が成長してゆく。耳の中で。

リルケのrein、ライン、純粋なという形容詞の意味、概念化した意味については、悲歌の次のア
ドレスでご覧ください。

http://shibunraku.blogspot.com/2009/08/5_14.html

わたしが参照しているテキストには、リルケ自身の註釈がついています。多いものでは全然あり
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ませんが。必要ならば引用したいと思います。

沈黙、音がしない状態とは、リルケの好きな状態です。悲歌でもそうでした。Stille、シュティ
レ、静寂とうい言葉も、死に関係があるようでした。ここでも、きっとそうなのでしょう。

このソネットの第1連は、わたしには、悲歌1番の最後の連を連想させます。明らかに関係があ
ると思います。悲歌1番の最後の連では、やはり、そのひとの、Linosといいましたが、その美
しい神話的な存在としての若者の死を引き換えに、代償にして、何か荒涼たるものを、音楽が鳴っ
て生き返らせたのでした。

さて、この詩の冒頭には、次のような、これはなんというべきか、詩人が何故この詩を書いた
かの理由と、書いた場所と時間が書かれています。

GESCHRIEBEN ALS EIN GRAB-MAL



FÜR WERA OUCKAMA KNOOP
Château de Muzot im Februar 1922

これによれば、リルケは、Wera Ouckama Knoopという女性の墓碑、墓標、墓石として、この


詩をかいたということです。この女性の写真を見つけました。安部公房ならば、金山時夫のため
に書いた『終りし道の標べに』に相当します。
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また、わたしがみつけた、あるウェッブページには、次の説明がのっていました。

Knoop, Wera Ouckama (1902-21), a young dancer, the daughter of a minor novelist,
Gerhard Ouckama Knoop (1861-1913). The news of her death at the age of 19 influenced
Rilke in the writing of his Sonette an Orpheus. Though he had only a slight acquaintance
with her, she became identified in his mind with Eurydice, and the cycle is dedicated as a
memorial (Grab-Mal) to her.
(http://www.answers.com/topic/wera-ouckama-knoop)

この程度のことを念頭において、読むことにしましょう。

やはり、若い死者でした。リルケは、悲歌でそうであったように、若い死者たちに惹かれるの
です。

この『オルフェウスへのソネット』(以下「ソネット」といいます)を最後まで読んでみて思う
ことは、悲歌に対して対照的に、この詩はあるということでした。悲歌の自由律、そうして、特
に悲歌1番と2番の高潮した緊張が最後まで続く悲歌であるのに比べて、ソネットは、その名の
通りの形式を踏んだ、脚韻正しい、詩行であり、それむしろ寛(くつろ)いだ、何か読む者の
こころをゆったりとさせる詩となっております。

前者がcontractionというならば、後者はrelaxationということができると思います。リルケは、
このようにして、悲歌を書きながら、またこのソネットを書きながら、こうして精神の均衡をとっ
たのだと、わたしは思います。

前者が凝縮、緊張ならば、後者は弛緩、緩癒というのでしょうか。勿論、弛緩とはいうのは、
対照、対比のために言ったことで、詩そのものは、詩である以上、またドイツ語の詩作の意味
する動詞、dichten、ディヒテンの意味する通り、凝縮しております。読んでいて楽しい凝縮で
あり、濃縮です。

そのの思想を、その言葉を、文字を使って、イメージに転化、展開するリルケ。読んでいて、悲
歌とのつながりも散見されました。

リルケの詩を読んでいて何が楽しいか。それは、リルケの詩行の省略を読むことの楽しさだと
いうことに気がつきました。その最たるものは、悲歌の中に出てくる天使で、悲歌2番の中で歌
われる壮大な天使の帰還のイメージは、ある論理的首尾一貫性を悲歌の1番と2番に読み取らな
ければ、至らないイメージなのですが、この悲歌2番の天使のイメージを知ることは、リルケの
詩行の飛躍を知ること、慣れること、つまりリルケを知ること、リルケの呼吸をつかむこと、
なのです。そう、思いました。
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さて、ソネットの、あらためて、第1連の第1行をみると、

DA stieg ein Baum. O reine Übersteigung!

とある、O reine Übersteigung!は、今あらためて思い返すと、なにかあること、ある思想を徹


底すること、徹底して行うことというように読むことができました。

Rein、純粋なという形容詞で、この踏み越えていくことという名詞を限定したリルケの中には、
その形容詞の意味からも、リルケの青春の思想が、昇華をして表現されているのだと思わずには
いられません。わたしは、リルケの個人的な人生については、ほとんど無知でありますけれど
も。

思えば、わたくしも同じことを、この第1連の2行目がいっていることを、踏み超えて進んできた
のではないかと思いました。詩の言葉は、奥の細道。

第2連から第4連を見てみましょう。こうして読み始めると、連と連にわたってひとつの文があ
るので、なかなかそうも行きません。これらの連を散文的に分解してしまっては、やはり駄目な
のでしょうか。むつかしいところです。

Tiere aus Stille drangen aus dem klaren



gelösten Wald von Lager und Genist;

und da ergab sich, daß sie nicht aus List

und nicht aus Angst in sich so leise waren,

最初のTier aus Stilleとは、一体どういう意味なのだろうか。静けさ、静寂の中から生まれた動


物たちと読める。そのような動物たちがいるのだと合点する以外にはない。

それとも、生まれたとまでは言わないが、静寂の中にいたのだが、そこから外へと出てきた動
物たちという意味もあるから、そうなのか。いづれにせよ、ausという前置詞は、リルケの好き
な、favouriteな前置詞。悲歌でもそうだった。内から外へ出ると、苦しいこともあるが、しか
し、それはよきことなのだ。

Aus dem klaren geloesten Waldというのがよくわからない。森があって、森である以上は、動


物がたくさん棲んでいて、それは当然klar、英語でいうclear、清澄であって、geloest、ゲレス
ト、動物たちの糞で汚れているという、そういうイメージが最初からあるのだろうか。最初から
というのは、森に定冠詞がついているから、そう思ってみたのだが。あるいはリルケのことだか
ら、案外に掛け言葉になっているかも知れない。
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前者のklar、クラール、明るい、澄んだ森というのは、森そのものが本来持っているイメージな
のだろうか。それとも、この沈黙から生まれでた動物たちが棲むからそうなのだろうか。

後者のgeloest、ゲレスト、糞をされた森というイメージはどうなのだろうか。これは、糞をさ
れた森という解釈で正しいのだろうか。それとも、動詞loesenという意味から、解き放たれた
森という解釈が正しいのだろうか。つまり、それまでその森の中にいて、そこから外に出ること
を禁じられていたものたちが、そこから外に出るようになった、そのような森という意味なのだ
ろうか。

どうも、後者の意味の方が、この場合は通るかも知れない。清澄で糞にまみれたというイメー
ジも、個人的にはおもしろいと思うのであるが、どうもそうではないようだ。

こうして考えてくると、リルケの意識の中では、森とは、何か禁忌のある、何かが魔法によって
なのか閉じ込められている空間なのだろう。

そうすると第2連の前半2行は、次のような散文訳になる。

Tiere aus Stille drangen aus dem klaren



gelösten Wald von Lager und Genist;


沈黙の中から生まれてきた動物たちは、清澄な、禁忌を解き放たれた森、
寝床と巣であった森からから外へと切迫したように走り出た。

(続いて来る2行は、)

und da ergab sich, daß sie nicht aus List



und nicht aus Angst in sich so leise waren,

そうすると、そこで、はっきりとしたことは、この動物たちは、
悪い企みや不安なこころから、自分自身の中にそっと静かにしているのではなかったというこ
となのであり、

(という訳になる。続いて、第3連は、)

sondern aus Hören. Brüllen, Schrei, Geröhr



schien klein in ihren Herzen. Und wo eben

kaum eine Hütte war, dies zu empfangen,

(とあり、これを訳すと、)
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そうではなく、聞くというこころから、そのように静かであったということなのである。唸っ
たり、叫んだり、咆哮したりすることは、その動物たちのこころの中では、小さいことに思わ
れた。そうして、これ(このような状態)を受け容れてくれるまさにほとんどひとつの小屋もな
かったところに、

(続けて第4連へ、文のつながりのままに訳すと、)

ein Unterschlupf aus dunkelstem Verlangen



mit einem Zugang, dessen Pfosten beben, ―

da schufst du ihnen Tempel im Gehör.

暗い欲求から生まれた、隠れ場所、避難場所があったのであり、
この場所には、そこへと至る通路があるのだが、その柱は
激しく震えているのだ――そこで、お前は、動物たちのために
聴覚の中に寺を建立したのだ。

以上が最初のソネットの全体です。第3連にあるGeroehr、ゲレール、ということば、これをわ
たしは咆哮と、その語感から訳しましたが、これは仮の訳で、辞書には載っていない言葉です。
ご存じの方があれば、お教えください。

悲歌の場合には、リルケが動物を持ち出すと、それはいつも人間の限界との関係で、理想の状
態を持っている生き物として描かれ、歌われていますが、悲歌をソネットの註釈に使ってみると、
ここでもそのような対比が考えられていると解釈することができます。人間の世の、悪いたくら
みや奸智、不安ということから、静かにしていたのではない動物たち。

そのような動物たちのために、オルフェウスは、その竪琴と歌声で、聞こえる寺、聴覚の中に寺
を建立したのだというのです。この寺はちょっとやそっとでは動かず、壊れない建物と考えるべ
きなのでしょう。

以上のところから、少しひっかかって、どうも言い残したことがあるらしいと気がついたので、
それを以下に補足します。

ein Unterschlupf aus dunkelstem Verlangen



mit einem Zugang, dessen Pfosten beben, ―

da schufst du ihnen Tempel im Gehör.

という最後の連の、

暗い欲求から生まれた、隠れ場所、避難場所があったのであり、
もぐら通信
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というところです。

Unterschlupf、隠れ場所、避難場所という言葉のドイツ語は、何かの下をするりとうまく潜り
抜けて得た場所という意味なので、何か災厄が来たり、困難に見舞われたりしたときに、する
りとその下を潜り抜けて(これがUnterschlupf、ドイツ語の音の通りです)、隠れ家に至ると
いうわけですが、これは、動物たちがやむにやまれず見つけた場所ということなのでしょう。

それが、aus dunkelstem Verlangen、一番暗い欲求から生まれたとあるのはどういうわけかと


いうのが、わたしのひっかかっている疑問です。

何もすることができないで、ただ聞いているだけであるから、その受身の状態が招来するのが、
最も暗い欲求ということなのか。攻撃することを知らないわけであるから。

だから、このソネット1番の動物たちは、普通の動物たちではないということになる。それが、
沈黙から生まれてきた、沈黙から出てきた動物たちという言葉の意味なのでしょう。それゆえ、
その棲む森は、klar、クラール、清澄で、澄んでいて、解放されている森(der geloeste Wald)と
いうことなのでしょう。禁忌のない森。禁止の命令から解放されている森。そのように理解する
ことにいたしましょう。

【安部公房の読者のためのコメント】

この最初の連から読み取ることのできる、安部公房に通ずる名前、動機(モチーフ)、主題、
形象には、次のやうなものがあります。

(1)垂直といふ時間のない方向にどこまでも成長してゆく樹木:壁
(2)純粋な、私利私欲によらぬ、超越:安部公房の空白の論理、超越論
(3)沈黙の中にこそ、新しい始まりや合図や変化があること:沈黙の中での変身または転身
(4)沈黙の中から外へと出て来る獣たち:詩の中に歌はれる獣たち。また『夢の逃亡』
(5)神聖な寺院(建造物)を建立すること:安部公房の作品そのもの
(6)以上(1)から(5)までのことが全て、オルフェウスといふ神的な美しい若者の歌ふ歌
の中で、聴覚的に、起きること:意識と無意識。現実と夢。

(続く)
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ52
N氏との往復書簡2
二十一世紀の三島由紀夫・安部公房論

以下は、N氏の「三島由紀夫と二十一世紀」といふ題の講演を聴講し、安部公房との関係で
幾つも思ふところがありましたので、それをまとめたものです。誠に気のあふ二人でありま
したので、この講演の重要な論点を、以下書簡体の体裁をとり、二十一世紀の三島由紀夫論
は、そのまま二十一世紀の安部公房論であることを、安部公房の読者にお伝へします。そし
て、三島由紀夫の読者にもお読みいただければ、誠にありがたい。

同氏の講演中の言葉を拝借して言へば、時代がやつと安部公房に追ひついたといふことにな
ります。
*****

Nさま、

昨日は、いい講演会でした。以下、私の感想です。いくつもありますが、貴君の演題に基づ
いて、次の3つに話を絞ります。

1。昭和時代のメディアとしての三島由紀夫
2。シャーマン(霊媒)三島由紀夫
3。二十一世紀の三島由紀夫論

1。昭和時代のメディアとしての三島由紀夫
昭和時代のメディアとしての三島由紀夫ということを言はれて直ぐにおもひ出したことは、
自ら古典主義の時代と『私の遍歴時代』で名付けた時期に愛読したトーマス・マンの20歳
前後の手紙と後年のエッセイの中の言葉です。

前者に、マンは小説家として身を立てる以上、自分は時代のdas symbolische Sein(象徴的


な存在)になりたいと書いてをります。これを後年、後者にては、私の文学的な使命、藝術
家としての使命は、十九世紀といふ時代の幕を引くこと、幕を閉じること、これが私の使命
であると書いてゐます。マンの意識した時代は十九世紀でした。さて、即ち、

貴君の提示した此の「昭和時代のメディアとしての三島由紀夫」といふ新しい視点を、この
三島由紀夫の愛読したマンの文学的使命と併せて考へますと、昭和時代のメディアとしての
三島由紀夫とは、あるいは昭和といふ時代を観るためのメディアとしての三島由紀夫とは、
マン流にいへば時代の象徴としての三島由紀夫、das symbolische Seinといふことになりま
せう。

三島由紀夫の意味するSeinとは、『太陽と鉄」』に文字にして書いてゐる通り、言葉の腐食
作用を排したあの純粋な肉体そのもののことでありますから、あの市ヶ谷の癩王のテラスで
の切腹は、全く昭和時代を象徴する存在に三島由紀夫が成つたことを意味してをります。昭
もぐら通信                         

もぐら通信 53
ページ
和時代の幕をみづからから引いたといふことになります。

他方、貴君はジャーナリストでもありますから、この職業的な視点から見れば、貴君のい
ふ通りに、三島由紀夫は象徴的なSeinである以上、同時に常に「今ここにかうやつて」
Daseinしてをります。何故ならば、そして、ドイツ語の語構成からいつても、Seinがなけ
ればDa-Seinもないからです。

さて、以上がマンからみた、昭和時代と三島由紀夫の存在と現存在の話です。しかし、私
が伝へたいのは更に先にあります。

2。シャーマン三島由紀夫
しかし、その前に、昭和といふ時代を観るためのメディアとしての三島由紀夫に話を戻し
ますと、この三島由紀夫についての象徴的存在論及び現存在論は、そのまま、貴君が言及
してゐた「英霊の声」の川崎君が霊媒であるやうに、霊媒三島由紀夫論になるのです。

これについては、詳細に三島由紀夫の十代の詩を読み解き、また小説に同じ此の古代感覚
(三島由紀夫の短文のエッセイ「夢乃鹿」を憶ひ出して下さい、この古代感覚)が20歳
以降もあり、これが三島由紀夫の小説の様式に如何に深く関係してゐるかといふことを論
じてありますので、次のURLをご覧くださるとありがたい。。『三島由紀夫の十代の詩を
読み解く26:イカロス感覚6:呪文と秘儀』:

https://shibunraku.blogspot.jp/2015/10/blog-post_18.html

即ち、貴君の昭和時代のメディアとしての三島由紀夫論は、霊媒としての、シャーマンとし
ての三島由紀夫論に直結してゐるといふ事がいひたいのです。これは、実は安部公房の側
から見ても、同じなのです。二人が何故あんなに気が合ひ仲がよかつたか。私の21世紀
の安部公房論の主要な柱の一つは、安部公房シャーマン論あるいはシャーマン安部公房論
なのです。即ち、欧米白人種キリスト教徒の一神教に淵源する、そして此の一神教から逃
れまた否定をして近代ヨーロッパ文明の生み出した民主主義と資本主義と共産主義(マル
クス主義)ではない(これらは皆いふまでもなくglobalismです)、宗教の世界でいふなら
ば、多神教の世界であり、哲学の領域でいふならば、汎神論的存在論です。

さて、このことについての筆は、惜しいけれども、ここで一度留めることにして、上で述
べた更に先の話をします。これが、私の伝へたいことです。

3。二十一世紀の三島由紀夫論
上のやうに1、2と考へてきますと、貴君に私が期待する二十一世紀の三島由紀夫論は、
次のやうなものになります。

2017年1月20日にヨーロッパ資本主義の鬼子であるアメリカ合衆国の大統領にトラ
ンプといふ人間が就任した以降の此の時代に於いて、
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ 54

(1)シャーマン三島由紀夫を論ずること。即ち、大東亜戦争を戦つた日本民族、日本人
の生きた戦前戦後の終始一貫した昭和時代の象徴的な存在としてある三島由紀夫を、ヨー
ロッパ文明の衰退または崩壊の中で論ずること。(私はシャーマン安部公房論でこれ既に
論じて参りましたし、これからも論ずるつもりです。)そして、
(2)白人種キリスト教徒の植民地主義の上での三島由紀夫論ではなく、それを超えて、
多神教の世界の、即ち普遍的な八百万の神々の世界の問題として、象徴的存在であり今も
生きてゐる現存在としての三島由紀夫を論ずること。(この象徴的存在と現存在の関係は、
三島由紀夫が安部公房と共有してゐる幾つもある接点の重要なものの一つです。その関係
はいづれもreversalになつてゐますが。これについては、岡山典弘氏の著作に触発されて書
いた次の文章をご覧ください。「三島由紀夫が安部公房と共有した19の主題、又は『安
部公房外伝』」:https://abekobosplace.blogspot.jp/2014/11/blog-post_80.html)

上の(1)及び(2)の三島由紀夫の文字を安部公房の入れ替へれば、そのまま二十一世
紀の安部公房論の論旨になります。

また、白人種キリスト教徒のアジアやアフリカ大陸に於ける此の収奪と大虐殺の500年
である植民地主義に基づかない新しい世紀の文学について、安部公房がどのやうに何を考
へてゐたのかの言葉を引いて(先月号のもぐら通信第55号、13ページ)、次のやうに
伝へたい。:

「「この前もテレビで大航海時代なんでロマンチックな特集番組をやっていたけど、要す
るにあれは略奪農耕なみの乱暴な植民地収奪じゃないか。血も凍るほどの第一期の植民地
時代、皆殺し政策だからね、やるほうはテレビゲームはだしの面白さだろうけど、やられ
る側はロマンチックどころの話じゃないよ。」(『錨なき方舟の時代』全集第27巻、1
59ページ上段)

「けっきょく世界は植民地支配国と、被支配国の二つに分けられる。(略)ところがなぜ
か日本は植民地化されなかった。地政学的には当然侵略の対象になってしかるべきアジア
の一角にありながら、なぜか支配をまぬかれた。偶然か必然かはさておいて、おそらくア
ジアでは唯一の植民地化されなかった国だろう。だからもし日本の特殊性を言うなら、文
化だとか風土だとか伝統なんかではなく、きわどいところで植民地化をまぬかれたという
点……[註A]
―――要するに偶然の結果だということですか。
安部 必然が意識された偶然だとすれば、やはり偶然と言ってもいいでしょう。要するに
どこの国でも、植民地化の運命さえまぬかれていたら、日本と同じようなコースをたどれ
たかもしれないということが言いたかった。この問題に対する日本人の鈍感さはまさに西
洋人なみだ。だから日本のテレビがポルトガルの大航海時代を祝う式典を中継して、ひど
くロマンチックな解説をつけて、西と東の文化の交流の記念だとかなんとか一緒になって
手をたたいてみせたりする。文化の交流どころか、一つ間違ったら植民地化の先兵になり
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ55
かねない連中だったんだ。裸の子供のところにライオンが入ってくるようなものさ。
 そして運よく食用にならずにすんだ日本という子供は、遅ればせながらローロッパ式の
近代化をとげ、遅ればせながら植民地支配の仲間入りをしてしまう。ところが先輩たちに
さんざんうまい汁を吸われてしまった後だったから、戦火による略奪というひどく不器用
な手段にたよるしかなかった。
 いわゆる発展途上国に見るべき文学がないのも、けっきょくは植民地収奪の結果だと思
う。発展途上国にも文学があり、その民族のためのすぐれた文学が生まれていると主張す
る人もいるけど、ぼくはそう思わない。すくなくとも世界文学、あるいは現代文学という
基準では、文学と言うにたる文学はない。
 逆説的に言えば、だから現代文学は駄目なんだとも言える。西欧的な方法をよりどころ
にしているから駄目なのではなく、植民地主義の土台にきずかれたものだから駄目なんだ。
反植民地主義的な思想にもとづく作品でさえ、植民地経済を基礎にしていた国からしか生
まれ得ない。メフィストフェレスなしにファウストがありえないようなものさ。(『錨な
き方舟の時代』全集第27巻、159ページ下段∼160ページ上段)(傍線筆者)

[註A]
アジアの中で、欧米白人種(キリスト教徒)諸国の植民地化による収奪を免れて、国家としての独立を維持し
たのは、我が日本国の他には、タイ王国だけです。アフリカ大陸についてはいふまでもありません。」

このやうな二十一世紀の三島由紀夫論の中で詳細に論じられるべきは、貴君が文章を読み
上げて其の素晴らしさ美しさを褒めて紹介してくれた、「鏡子の家」でありませう。日本
人は此の小説を理解する事が当時はできなかつた。今ならば、できるかも知れない。(安
部公房の作品群についても同様で、二十一世紀の今であるからやつと、安部公房は理解さ
れるかも知れないと、私は思つてゐます。)

「鏡子の家」の最初の一行と最後の一行は、正確に照応してゐる。何によつて?繰り返し
の呪文によつて。最初は人間の欠伸といふ繰り返しの呪文、最後は7匹の犬の咆哮といふ
繰り返しの呪文によつて。後者の犬を、安部公房ならば、人間のうちに秘められた生命そ
のものである、人間による統御は不可能であるが故に現実を食い破る「獣」と呼んだこと
でありませう。特に顕著に、十代から二十代にかけての詩と小説に、この荒ぶる神のやう
な獣たちが美しく歌はれ、書かれてゐます。

貴君の講演中の言葉を其のまま引用して言へば、時代がやつと三島由紀夫に追ひついたの
です。

さうすると、この事は何を意味してゐるかといへば、実は二十世紀の日本の読者達は、『鏡
子の家』が理解できなかつたのであれば、これ以外の三島由紀夫の小説も、実は、本当に
は理解できてゐなかつたといふことを意味してゐるのではないでせうか。『金閣寺』の後
に発表した此の作品の評価が最低であり、前者は最高であるといふ事が、当時の作品評価
の此の大きな落差が、実は、そのことを意味してゐるのではありませんか?前者は俗耳俗
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ56
心に入り易く、後者を読む事は当時の日本人には苦痛であつた。

まだまだ、他にも何故日本人の文章の読解能力が劣化したかについて、何故SNSの時代に
益々日本人は公私の識別が出来なくなつたのかについても、また其の他の事についても、
貴君の講演に触発されて、既に思ふところ多々あり。また次の機会にお話したい。

活躍を祈ります。

岩田
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もぐら通信 連載物・単発物次回以降予定一覧 57
ページ

(1)安部淺吉のエッセイ
(2)もぐら感覚23:概念の古塔と問題下降
(3)存在の中での師、石川淳
(4)安部公房と成城高等学校(連載第8回):成城高等学校の教授たち
(5)存在とは何か∼安部公房をより良く理解するために∼(連載第5回):安部公房
の汎神論的存在論
(6)安部公房文学サーカス論
(7)リルケの『形象詩集』を読む(連載第15回):『殉教の女たち』
(8)奉天の窓から日本の文化を眺める(6):折り紙
(9)言葉の眼11
(10)安部公房の読者のための村上春樹論(下)
(11)安部公房と寺山修司を論ずるための素描(4)
(12)安部公房の作品論(作品別の論考)
(13)安部公房のエッセイを読む(1)
(14)安部公房の生け花論
(15)奉天の窓から葛飾北斎の絵を眺める
(16)安部公房の象徴学:「新象徴主義哲学」(「再帰哲学」)入門
(17)安部公房の論理学∼冒頭共有と結末共有の論理について∼
(18)バロックとは何か∼安部公房をよりよく理解するために∼
(19)詩集『没我の地平』と詩集『無名詩集』∼安部公房の定立した問題とは何か∼
(20)安部公房の詩を読む
(21)「問題下降」論と新象徴主義哲学
(22)安部公房の書簡を読む
(23)安部公房の食卓
(24)安部公房の存在の部屋とライプニッツのモナド論
(25)安部公房の女性の読者のための超越論
(26)安部公房全集未収録作品(1)
(27)安部公房と本居宣長の言語機能論
(28)安部公房と源氏物語の物語論:仮説設定の文学
(29)安部公房と近松門左衛門:安部公房と浄瑠璃の道行き
(30)安部公房と古代の神々:伊弉冊伊弉諾の神と大国主命
(31)安部公房と世阿弥の演技論:ニュートラルといふ概念と『花鏡』の演技論
(32)リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(33)言語の再帰性とは何か∼安部公房をよりよく理解するために∼
(34)安部公房のハイデッガー理解はどのやうなものか
(35)安部公房のニーチェ理解はどのやうなものか
もぐら通信                         

もぐら通信 ページ58

(36)安部公房のマルクス主義理解はどのやうなものか
(37)『さまざまな父』論∼何故父は「さまざま」なのか∼
(38)『箱男』論 II
(39)安部公房の超越論で禅の公案集『無門関』を解く
(40)語学が苦手だと自称し公言する安部公房が何故わざわざ翻訳したのか?:『写
真屋と哲学者』『ダム・ウエィター』
もぐら通信                         
もぐら通信 59
ページ

【編集後記】

●旭川東鷹栖安部公房の会の柴田望さんにご寄稿をいただきました。東京にあつ
ても、また其の他の全国の安部公房に関する活動にあつても、安部公房の詩を読
むといふ朗読会はありませんので、此の作家の原籍地での此の活動は、そして多分
国際的に見ても、貴重な催しだと思ひます。同会の弥栄(いやさか)を祈ります。
またの催事の開催とご報告をお待ちしてをります。
●「安部公房の詩の中で歌はれる「転身」について」を改題して、「安部公房の初
期作品に頻出する「転身」といふ語について」といふ一文を草しました。最初は
全部の章を掲載しようと思ひましたが、やはり量も多いので、分載としました。
かうして見れば、『安部公房と共産主義』(第29号)『安部公房の奉天の窓の暗
号を解読する∼安部公房の数学的能力について∼』(第32号・第33号)『『箱
男』論∼奉天の窓から8枚の写真を読み解く∼』(第34号)『存在とは何か』
(第41号以降)「『赤い繭』論」(第51号)「『魔法のチョーク』論」(第
52号)『『デンドロカカリヤ』論』(第53号・第54号)『安部公房文学の
毒について』(第55号)、そして今月号からの『安部公房の初期作品に頻出する
「転身」といふ語について』、更にこれまで隠されて余白と沈黙の中にあつた『オ
ルフェウスへのソネット』のこれからの連載を通覧戴ければ、安部公房文学の骨格
を知ることができませう。骨格つながりで云ひますと、安部公房の箱根の仕事場
にあるあの差異だけから成るイギリス製の紙の骸骨の模型(モデル)、即ち人間の
骨格は如何にも安部公房らしく、「公房好み」です。
●今月号は、他にも安部浅吉のエッセイ、「『デンドロカカリヤ』の中の花田清
輝」、『「安部公房の写真」とは何か』、『安部公房の論理学』を同時に用意して
ゐたのですが、紙面の都合で次号以降に廻しました。来月号以降に掲載を致した
い。
●ではまた来月

差出人:
贋安部公房 次号の原稿締切は4月28日(金)です。
〒 1 8 2 -0 0 ご寄稿をお待ちしています。
03東京都
調布
市若葉町「
閉ざされた
無 次号の予告
限」 1。安部淺吉のエッセイ
2。安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ語について(2)
3。『デンドロカカリヤ』の中の花田清輝
4。「安部公房の写真」とは何か
5。リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む(2)
6。言葉の眼11
7。その他のご寄稿と記事
もぐら通信
もぐら通信                          60
ページ

【本誌の主な献呈送付先】 3.もぐら通信は、安部公房に関する新しい知
見の発見に努め、それを広く紹介し、その共有
本誌の趣旨を広く各界にご理解いただくため を喜びとするものです。
に、 安部公房縁りの方、有識者の方などに僭
越ながら 本誌をお届けしました。ご高覧いた 4.編集子自身が楽しんで、遊び心を以て、も
だけるとありがたく存じます。(順不同)  ぐら通信の編集及び発行を行うものです。

安部ねり様、渡辺三子様、近藤一弥様、池田龍 【前号の訂正箇所】
雄様、ドナルド・キーン様、中田耕治様、宮西 なし
忠正様(新潮社)、北川幹雄様、冨澤祥郎様(新
潮社)、三浦雅士様、加藤弘一様、平野啓一郎
様、巽孝之様、鳥羽耕史様、友田義行様、内藤
由直様、番場寛様、田中裕之様、中野和典様、
坂堅太様、ヤマザキマリ様、小島秀夫様、頭木
弘樹様、 高旗浩志様、島田雅彦様、円城塔様、
藤沢美由紀様(毎日新聞社)、赤田康和様(朝
日新聞社)、富田武子様(岩波書店)、待田晋
哉様(読売新聞社)その他の方々

【もぐら通信の収蔵機関】

 国立国会図書館 、日本近代文学館、
 コロンビア大学東アジア図書館、「何處 
 にも無い圖書館」

【もぐら通信の編集方針】

1.もぐら通信は、安部公房ファンの参集と交
歓の場を提供し、その手助けや下働きをするこ
とを通して、そこに喜びを見出すものです。

2.もぐら通信は、安部公房という人間とその
思想及びその作品の意義と価値を広く知っても
らうように努め、その共有を喜びとするもので
す。

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