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で、当時の東京日日新聞に「甲斐の山々」

と題して発表したもの。因みに、他の四句
を並記すると、
霜つよし蓮華とひらく八ケ嶽
駒ヶ嶽凍てて巌を落しけり
茅ヶ嶽霜どけ径を糸のごと
奥白根かの世の雪をかがやかす
以上の五句は、前田普羅の代表作という
ばかりではなく、近代俳句の典型のひと
つとしばしば推称されるものである。
普羅には、これ以外にも、むろん秀れた
作品がたくさんあるが、即座に俳人の口を
衝いて出る代表句は、矢張りこれだろう。
そんな秀句を、一気に五つも作ったという
のは、たいした力量である。 甲斐の山々
も、前田普羅には、存分の敬意を表してい
い。
はなしはまたまた釣りからそれるが、
のところに古びた萱笠がひとつある。む
し、田植えや植林の山仕事に用いたものだ
ろう。菅笠の表には次のようなく字が記さ
ったりというところではなかったろうか。
釣り好きには、渓流のひびきが、暁方は
出陣をつげる軍鼓のように、夜は遠くなつ
かしい祭り太鼓のように感じられるものだ
が、釣りに興味がないひとには果してどん
な風にきこえるものか。
戦時中、信州の山の湯で会った退役の陸
軍少将と称する老人は、昨晩わが輩がつく
った歌だが、どんなものかね、と云って、
国おもうわが身にひびく滝つ瀬ぞ
二夜も三夜もねむれざりけり
という歌を湯槽のなかで三度も大声で朗
詠した。朗詠しおわって少将閣下が勢いよ
く湯からあがると、東京で小料理屋をやっ
ていたという老人が、
おおいぴぁ
「ちぇっ、なに云ってやんでえ。昼間は酒
ばかり喰って、大軒をかいてねむり込ん
でいるくせに。 フタヨモミヨモ ねえもん
だ」と云うと、傍らの婆さんが てて爺
ってしまう。こういう状況は、その本質は
全く異なるにしても、人間の文化のことを
想定して貰っても理解して頂けるのではな
かろうか。
さて川が孤立してから、どの程度の年月
が経っているのだろう。うんと古い時代は
別として、最終氷期の最寒冷期すなわちお
よそ二万年前には、海面は今より百二十な
いし百四十メートル下にあり、琵琶湖から
流れる淀川は、瀬戸内東部に入る吉井川・
旭川さらには紀ノ川と四国の吉野川を集め
て、紀伊水道南端あたりで太平洋に注いで
いたし、いっぽう瀬戸内西部に入る中国地
方の高梁川・太田川・木屋川から、四国の
肱川、九州の山国川・大野川などは、合流
して豊後水道から太平洋に注いでいたとい
う。したがってこの時代には、瀬戸内東部
の川と西部の川はそれぞれ互いに淡水とし
て連結していたわけである。

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