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世界中の安部公房の読者のための通信世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

もぐら通信


MoleCommunicationMonthlyMagazine
2024年2月1日第178号(初版) www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
事の :
あな
ない
迷路 あ
ただ を通
けの って
番地
に届
きま

安部公房の広場|s.karma@molecom.org|www.abekobosplace.blogspot.jp
もぐら通信

目次

0 目次…page2
1 記録&ニュース&掲示板…page3
2 巻頭詩(62):Fly me to the moon…page13
3 コーボー・ベーシックスkobobasics(24):伝統……page15
4 フォト&エッセイ『都市を盗る』を読む(11):昨日のような今日……page19
5 安部公房と開高健……page 25
6 日本一極国家論(続 )(18):古代帝國論 序文…..page27
7 初期小林秀雄論(14):余白録2:村松剛の小林秀雄論…..page29
8 散文思索塾(10):再度二つの話法について ……page 34
9 サンチョ・パンサを求めて(31):誰が人間を裁けるのか?……page 42
10 ネット・モナド論(38):貨幣とは何か4:金本位制と資本主義の関係∼資本主義と
はそもそもバブルである∼……page
11 ネット・モナド論(40):日本人の資本主義のモデル……pager
12 SFで思考するための本棚(13):.....page
13 私の本棚(56):……page53
14 カフカの箴言(24): 世界の中に逃げている?.....page 48
15 ショーペンハウアーの箴言(19): 贅沢品をどう観るか……page 49
17 糞尿と性愛の文学 生殖器・排泄器同一社会論仮説 (3):1。古事記の中の糞尿と性愛
/1.1神武初代天皇の皇后(きさき)の出生譚(2):待て次号:岩田英哉…page
18 縄文紀元論:Topologyで日本人を読み解く(41):5.60 猿田彦(2)/5.61星
座とトポロジーの関係(2)/5.61 ……page75
19 東 イツ回想記(8)…page96
20 鹿島日記(5)…page59

・本誌の収蔵機関…lastpage
・編集方針…lastpage
ド
もぐら通信

ニュース&記録&掲示板

(NRB: News・Records・Bulletin)
The best tweets of the month

紀伊國屋書店 新宿本店
@KinoShinjuku
【2階文庫】

みなさんワタクシは……ものすごく興奮しております……

安部公房の!!新潮文庫新刊!!
『飛ぶ男』が出たーーーーーッッッ!!

ありがとう、本があるこの世にありがとう、安部公房の最後の小説が復活
してくれてありがとう

今年は生誕100年だし、なんだかもう胸いっぱいですよ…um
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もぐら通信 13
ページ

巻頭詩
(63)
あたしを月に連れてつて
Fly Me to the Moon

作詞:バート・ハワード
翻訳 岩田英哉
【原文】
【和訳】
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もぐら通信 ページ14

【解釈と鑑賞】

前回のMy Wayの続きで、私の好きな此のジャズ・ナンバーを和訳してみまし
た。何の変哲もない恋の歌ですが、しかしアメリカ人らしく古典の引用もなく
踏襲もしない、個人の才能に頼つてできた歌詞とはいへ、それが故に人の特に
若い人の情に訴求する力があります。

もともとの原題がIn other wordsといふので、作詞者の意図が、この愛を告白


する娘の心の躊躇の感情にあつたことがわかります。このin other wordsを幾
つにも訳し分けてみました。訳者としては、これが一番訳してゐて楽しかつ
た。
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もぐら通信 ページ15

コー ー・ ーシックスkobobasics
(23)
伝統
岩田英哉

伝統について安部公房が意見を述べてゐる作品には、全集を検索すると次のやうな
ものがあります。

1。『二十世紀の文学』(全集第20巻、55ページ)
2。『隣人を超えるもの』(全集第20巻、385ページ)
3。『伝統と反逆』(全集第23巻、37ページ)
4。『伝統と変容』(全集第27巻、144ページ)

上記四つのエッセイや講演を通覧して安部公房の伝統観をまとめたい。

1。『二十世紀の文学』(全集第20巻、55ページ)
この対談は二人の対談中の白眉といふべき対談で、安部公房の読者のみならず、三島
由紀夫の読者にも必読の対談です。といひますのは、この対談は、私の言ひ方をす
れば、三島由紀夫は『鏡子の家』の文壇内での不評に文字通りに絶望してー評価した
のは江藤淳だけであつたー以後に打ち立てた自分の生き方の四つの柱について一つ
一つ一年歳上の安部公房のいはば胸を借りる形で、一つは自分の心情の吐露を、も
う一つは果たして自分の四本の柱が安部公房にどう理解されるかといふことを知る
ために、どうやら冒頭の出だしの口火を切る三島由紀夫の科白を読むと其の後の話
の展開と最後の安部公房の言葉が今日は三島由紀夫に話の主導権をとられてしまつ
たといふ感想を読むと、この対談の企画は三島由紀夫が立案したものと推量される
からですし、何よりも重要なことは、この私が四本の柱といふ四つの主題は、最晩
年の昭和四十五年・1970年11月12日から池袋の東武百貨店で開かれた三島由紀夫展
では、三島は自分の生涯を「書物の河」「舞台の河」「肉体の河」「行動の河」の
四つの河に見立てた各主題に正確に対応してゐるからです。

さて、対談中伝統に関する議論は、「メトーデの伝統」と「日本文学の評価」と「作
者の中の読者」の三つの章に亘つて語られて議論されてゐる。二人の発言を整理して
一覧表にすると、次の通りです。確かに安部公房のいふ通りに、三島君とは全ての
接点を共有してゐたが、方向は正反対の二人である、といふことが判ります。
ボ
ベ
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もぐら通信 16
ページ

2。『隣人を超えるもの』(全集第20巻、385ページ)
実は、安部公房は三島由紀夫との上記の対談でも此の自分の人生の主題といふべき隣人
撲滅といふ主題を「隣人と他者」の章で述べてゐて、その主旨は非常にはつきりとした
ものである。以下に引用する。この話に入るきつかけは、二十世紀の文学といふものは
どんなイメージか、自分が好きなトーマス・マンとかプルーストとかいふ名前を挙げる
ことは既に古いものなのかと後者が前者に問ひかけることであつた。安部公房は此れに
対して、この二人の作家の行つた言語の否定の徹底性といふことに言及してから、次の
発言をするのです。その徹底性にも拘らず「しかし主題としては、あそこには[二人の
作家の仕事のこと]なんにもなさすぎるな。」(同巻64ページ下段)と発言した後に次
の発言が続きます。二人のやりとりがいいので双方の発言を示します。

「安部 おれが考えている、二十世紀の主題というのは……いや、おれだけの主題かも
しれないけれど……やはり、いかにして隣人を、われわれのなかにある隣人思想ね、つ
まり共同体思想だな、そいつをいかに絶滅するかということなんだ。いろんなヴェール
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もぐら通信 ページ17

をまとって生き残っている隣人どもを、いかにして抹殺するかということだね。つま
り、それは、他人と対立する隣人なんで、いろいろに形を変えて、出没するわけだな、
その化け物退治が、なんと言ってもおれのテーマなんだ。
三島 それはまた、非常に解説的なことを言うと、やはり隣人思想というものは、
ヒューマニズムで、他人の思想というのは実存主義だろう。それは結局、実存主義と
ヒューマニズムとがどこで折れあうかという問題かもしれないのだ。だけれども実存主
義の功績は、他人を発見したことでね、ヨーロッパには隣人思想しかなかったが他人を
発見したというのは、大きなことだよ。他人というのは、つまり自分が実存的人間であ
るためには、他人の目がどうしても必要なんだから、そういう意味の連帯意識だよね。
それは実存主義の功績であって、それは普通の甘い連帯とはぜんぜん違う。恐ろしい他
人の目を通して、それではじめて実存が成立するという考え方で、非常におもしろい考
え方だと思うけれども。(後記ーサルトルの『存在と無』のサド・マゾヒズムの章にこ
の考えがよく出ている)
安部 よく言うじゃないの、日本には絶対者がいないから駄目なんだとかなんとか。あ
あいう言い方、僕は気にくわないね。キリスト教社会では、神というものが、隣人を拡
大していって、他者に到達するプロセスだったわけだ。しかしあくまでも隣人をいかす
ための神だったわけでしょう。その神が死んだら、つまり、いまきみが言ったように、
二十世紀の思想として、いやでも他人が浮んでくる。では、われわれ日本人にはその神
がなかったから、すでに他者に到達しているかというと、そうはいかない。やはりどこ
もかしこも隣人だらけなんだよね。
三島 いや、隣人はない。たとえば江戸時代の五人組以来の隣り近所の目とか、という
ものだけだろう。ああいうものはほんとうの意味の隣人ではないからね。世間ていが悪
いいとか……。
安部 世間ていか……。
三島 世間とかね、あれは隣人ではないね。まあそんな極端なことを言えば、日本人の
ほうが他人を先に発見していたのかも知れない。
安部 いや、日本の近代化は、その世間の隣人化のプロセスだよ。
三島 それは明治以来、日本人はヒューマニズムにかぶれてせめて隣人に接近しようと
アクセクしているのだよ。しかしうまくいかないで、で、うまくいかないからこそ進歩し
ているのだよ。
安部 いいことを言うな。(笑)その点を意識的にやっていくと、日本文学も、世界文
学の基準ではかりうるものになるんだがな。他者の発見ということは、世界共通の課題
なんだからな。
三島 他者ということだね。きみの『他人の顔』のなかで、デパートで、ある男をつか
まえてね、お前の顔を貸してくれというところがあるだろう。「顔を貸せ」というのは
非常に日本的表現だが。(笑)」(同巻64ページ下段から64ページ下段)
もぐら通信
もぐら通信 18
ページ

さて、以上の引用をもとに『隣人を超えるもの』の内容に入ると次のやうなことがわか
ります。このエッセイは12ページに亘る量のあるエッセイですから、上記の対談の場合
と同様に、やはり安部公房にとつては非常に重要な問題であるのだとわかります。安部
公房の理想の家族とは、これも『カンガルー・ノート』論でも書き、その後もあちこち
で言及しましたが、子どものころ奉天でよく見に行つたサーカス一座であり、その異人
種・異民族出身の人間たちの等価で公平な取り扱ひであり、長じて後は1973年に旗揚げ
した安部公房スタジオの団員たちが此の作家の理想の家族の形成の努力であり、どちら
の一座も全くの人種・民族を超えて人間として成り立つ、即ち隣人の撲滅された理想の
家族なのです。即ち、贋の家族であつて、読者にはこれで安部公房の好きな位相幾何
学・トポロジーの論理に従ひ、人間そつくりの火星人がゐるやうに、家族そつくりの一
座がいつの間にか、つまり超越論的に、生まれてゐるといふわけです。勿論、若い俳優
たちは気づくことがなく、さうなるといふことが、安部公房といふ言語藝術家の内心に
隠した沈黙の思想であるわけです。沈黙と余白といふ言葉は、一級の言語藝術家に共通
した大事な 語であり、安部公房は此のことをリルケといふ詩人に十代で学んだことは
既に繰り返し述べて来たことです。

さて、このエッセイの骨子は、箇条書きにすると、次の通りです。

(つづく)
もぐら通信
もぐら通信 19
ページ

フォト&エッセイ
『都市を盗る』を読む
(11)
昨日のような今日

岩田英哉
もぐら通信
もぐら通信 ページ20

安部公房は此の時、この若者たちの衣装は既に古く、既にモード・流行は終は
つた衣装を来てゐると言つてゐるのです。しかも、私たち読者には『S・カル
マ氏』でお馴染みの、 瓦積みの、壁の前で。この写真もまた如何にも安部公
房らしい。壁の上にある空調施設のやうなものの水平方向の穴ボコのあるもの
は、安部公房の重要な形象の一つである襞です。この場所に、昨日のやうな今
日がある。安部公房の撮影した写真です。しかし撮影といは良い訳語であり造
語だ。何しろ影を写すのが写真だ、それが実は真実を写すことだといふのだか
ら。影を写すことが真を写すことになる。これが、世界は差異である。といふ
縄文認識論の真髄、これが安部公房の写真です。最後の長編『カンガルー・ノー
ト』に登場する縄文人の出てくる所以であり、また此の縄文人の男の脛に一杯
毛が生えてゐる理由です。この毛は主人公の脛に生えてゐるカイワレ大根の形
象と同じ形象です。カイワレ大根の一本一本の間の凹・影をみよ、陰陽の陽で
はなく陰をみよといふことです。樹木に生えたカイワレ大根の、安部公房撮影
の写真が、これです。奇妙で不思議なことに、安部公房の写真は、そのほかの
写真と違つて、明らかな現実の壁と襞といふ 間を写す時にはものの輪郭にブ
レがなく、ズレがなくなつて、物事の二重性を宿してゐる筈の境界線が、安部
公房が越境者である証明ともいふべき意図して現像したボンヤリ感覚が、現れ
てゐない。S・カルマ氏がY子と手を繋いで閉鎖空間から逃走し脱走する、安
部公房用語で云ふ「周辺飛行」の、長い迷路のやうな薄暗い廊下が、ない。ト
ンネルが、ない。つまり、安部公房といふ男は、壁と襞の前に立つと意識が鮮
もぐら通信
もぐら通信 21
ページ

明になるのだ。

そして、カイワレ大根類似の同格の写真を、安部公房全集全30巻の表裏表紙の
裏に装丁された写真の中から抜き出して掲示します。これらは皆物体ではな
く、 間、即ちヒダを写したものです。時間と空間の 間と襞と、つまり形象
としては凹のボコ、写真としては陰画のネガフィルムの世界。これが安部公房
の世界観です。
もぐら通信
もぐら通信 ページ22

これが安部公房の目に見える現実の時間の中の現実です。だから次の問と答が
ある。
もぐら通信
もぐら通信 23
ページ

問:時間はどこに存在するか?
答:影に凹に存在する。『第四間氷期』といふ初期のSF作品はその傑作です。
何しろ何かと何かの第四番目の間にある氷期だといふ未来世界として描く現在
世界・現代世界ですから。安部公房の世界はどの藝術分野であつても全て差異
の世界、 間の世界(空間論)、遅延に存在する世界(時間論)です。『箱
男』からの詩を引きませう(全集第24巻112ページ)

走りつづけたが
追いつけなかった人々の
贋のゴール
旗は振られ
審判も観客も
とうに引揚げてしまった
夜の競技場

この詩は自動車の廃棄場の写真の下に書かれた安部公房による詩です。これが
人間に対する弔辞であることは、この写真の縁取りが太い黒い線での枠囲ひに
なつてゐることでわかります。安部公房の世界は夜の世界であり、従ひ時間は
存在せず、従ひ存在の世界です。現存在の世界ではありません。現存在には時
間が存在してゐるが、存在には時間は、無い。従ひ、安部公房の世界は常に幾
何学的な、もつといへば位相幾何学的な世界です。

問:それでは夜は一体どこに存在してゐるのか?
答:夜は凸凹の凹に存在してゐる。 間に穴に、それもできれば可塑性の高い
素材でできた 間と時間の 間である遅延に。曰く、砂の穴、曰く便器、曰く
凹面鏡に映る凹である歪んだ現実。歪みといふ曲面は連続量としての凹であ
る。ここまで来ると凸も凹も反転させれば同じ形象なので少しも異なるもので
はなくなる。二物一体、二項一体、二事一体です。安部公房の世界には二項対
立は皆無です。二項対立の二項を否定して第三項を求めること、これが一般的
にも超越論といふ論理です。これが安部公房の創作の原理である。

本題に戻ります。

安部公房の世界認識論で言へば、今日は既に過去であると言つてゐる。この認
識に基づく小説を書き、そしてまた舞台に挙げる脚本と演劇の世界を、安部公
房は、
もぐら通信
もぐら通信 ページ24

時間の空間化

と呼んでゐます。

時間の空間化と安部公房が明言してゐるエッセイの引用はもう少し後に し
て、余り読者の注目しない安部公房の小さな時間論二つを稿を改めて次回
『コーボー・ベーシックスkobobasics』で読み論じたい。次の二つの時間論で
す。

1。時代の壁(全集第11巻297ページ)
2。未来とは―〈藝術の未来を語る夕〉の講演より(全集第11巻496ペー
ジ)
もぐら通信
もぐら通信 ページ25

安部公房と開高健

岩田英哉

これまでの安部公房論や研究に一つも出てこない逸話であると思ふので、たまたま手
にして読んでゐた村松剛著『西欧との対決』所収「開高健ー駆け抜けていった男ー」
より引用して以下に論ずる。

最初に村松剛が開高健に会つたのは、安部公房による紹介によつてであつたことが次
の文章で解る。ヴェトナム戦争の末期辺りであるので、昭和五十年といふから、1975
年といふ時代です。開高健はヴェトナム戦争に取材に行つて『輝ける闇』といふ小説
を残してゐる。

「――最後に一緒に行かないか。
昭和五十年四月のある朝電話で[開高健は]そういって来た。北ヴェトナム軍の洗
車がサイゴンに突入したということが、報じられていた時期である。(略)米軍の輸
送機と武装ヘリコプターとを乗り継いでミートーや南端のカマオ周辺の戦場を歩い
た。それ以後もサイゴンに行く機会は一、二度あり、そういう經験から開高とはよく
ヴェトナムのはなしをしていた。
彼と会った最初は、昭和三十二年だった。「このひとは最近大阪から来たばかりな
んだよ」といって、痩せた黒縁の眼鏡の青年を紹介してくれたのは、安部公房だった
と記憶している。寿屋の宣伝部員として東京に出て来た開高は、すでに小説を書きは
じめていたものの、文学上の知人は殆どいなかったらしい。
「どうやって暮していいものか、教えてくれる人もなくて、途方に暮れていた。知人ら
しい知人もなく、先輩らしい先輩もいない。
と彼は最後の作品となった『珠玉』のなかで、当時をふりかえって書いている。」
(同書216ページ)

このあとで「雑誌「批評」を――戦前に出ていた「批評」の題名を吉田健一氏から頂
戴して――創刊したさいは、開高も同人のひとりだった。」とあるので、この雑誌の
創刊号は1958年11月15日であることからみると昭和三十三年で、当時安部公房は三
十四歳の此の年以前の段階で、開高健と知り合つてゐたことになる。村松剛の回想は
次のやうに続いてゐる。

「開高健からはじめてもらあった手紙が、いまも手元にある。
昭和三十年代のはじめに「現在」という名の同人誌が刊行されていて、その会合に
もぐら通信
もぐら通信 26
ページ

ぼくは一度か二度出席した。安部公房が中心の会だったように思うのだが、くわしい
ことは記憶していない。とにかく会合に誘ってくれたのも、最近大阪から上京したば
かりの開高という瘠せた青年を出席者一同に紹介したのも、ともに安部公房だっ
た。」(同書238ページから239ページ)

新潮社の『新潮日本文学アルバム 安部公房』を開いて巻末の「略年譜」をみると、昭
和三十年以前にみづから結成した会は、この年譜によれば中田耕治と二人で立ち上げ
た「世紀の会」だけである。この会に成り立ちについては当時いつも一緒にゐた中田
耕治氏の回想録によつて当時を語つてもらつたので此処では繰り返さない。耕治氏の
回想によれば、この会には三島由紀夫も参加してゐて、会員番号も発行されて会員に
割り当てられてゐたので、あるいは三島由紀夫と村松剛の縁で開高健も参加して、安
部公房によつて開高健が村松剛に紹介をされたのかも知れない。

この少しあとの記述を読むと、開高健は村松剛宛に手紙に「『近代文学』に創作を三
ほど発表しました。」とあり(同書239ページ)、更に村松剛は少しあとで手紙の
内容を述べる中に「新日文(「新日本文学」)に掲載の百枚とは、彼の初期の代表作
『パニック』をさす。」と書いてゐるので、新日本文学の会でも安部公房と開高健は
一緒だつたことになります。当時は右翼も左翼も何もなかつたことが判る。時代の混
沌とは、さういふことです。イデオロギーとは本来無縁の時代です。

「『パニック』は昭和三十二年七月刊行の八月号に掲載されているから、手紙も七月
の発信と推定される。」とあるので、さうであれば、昭和三十二年以前の会といふこ
とになる。いづれにせよ、この年以前には、安部公房主宰の文学的な会の場所に、ま
た「新日本文学」で、安部公房ー開高健ー村松剛ー三島由紀夫といふ錚々たる文学者
たちが つてゐて、交流のあつたことがわかります。

[ ]
新日本文学会:
https://ja.wikipedia.org/wiki/新日本文学会
もぐら通信
もぐら通信 ページ27
日本一極国家論(続篇)
古代帝国論
序文
岩田英哉

ここから、日本一極国家論は古代帝國論に入ります。現在世界中で起きてゐる政
治・経済上の混乱は結局地政学上の、そして地政学上の制約条件を越えた古代帝
国の圏域の復活・復古であるといふ考へを、当時もぐら通信第169号で「日本一
極国家論(続 ) GAMECHANGE理論(16) 4.1.8 日本国家核ミサイル保有論7:核
戦争回避のための核戦争惹起論: 如何にして米中間に第三次世界大戦を直接惹起さ
せて、両国を滅ぼすことができるか」と題して逆説的に今起きてゐる三年来のウ
クライナを戦場にしたロシアとウクライナの戦争が契機になつて、日本一極国家
を論じることを文明論の水準で論じることになつたので、その水準での国際的な
幾つもの古代帝国のあることを帝国の名前を挙げて論じました。これらの古代帝
国文明圏の名前の列挙の増加はそのまま、18世紀以降のー16世紀以降のとしても
結構ですが(例:スペインによるインカ帝国の滅亡(1533年)ー、いはゆる西欧
の近代国家の時代、即ちまづは時間の幅を西欧近代諸国による資本主義の発達の
起算点、これを1600年のイギリスによる東インド株式会社の設立を歴史上のいは
ば標識にしてはじまるものと此処では考へて話を進めます。この西欧米の近代国
家といふ代物の相対的な地位の低下、現状の国際情勢をみると極端な低下といふ
べき地位の低下即ち没落と、古代帝国圏域の復活・復古は相反曲線または双反曲
線を現下描いてゐます。私の眼にはさう見える。以下、上記の号の論考から一部
を抜粋して並べながら、これを本論に入る前の前提の知識としてお読み戴き、古
代帝国論の主旨をご理解戴きたい。16世紀以降の近世と17世紀以降の近代と18世
紀以降の現代の、いづれもmodern timesを時系列で堆積性の歴史として描いた自
家製の歴史年表は古代帝国論の理解に必要不可欠ですのでー何故なら世の流行と
此の間なつて来た西欧式の歴史観と日本人である私の歴史観は全く異なるの
でー、後掲します。
もし日本一極国家論の以後の部分の完成・収斂までを今世界中ではやつてゐる
『ゴジラー1.0』にならつて「神武-1.0」とするなら、さう副題にしてもよく、何
故ならば、これは近代日本が此の150年間の間西欧米列強に対するに掲げた初代
神武天皇といふ錦の御旗がいつの間にかイデオロギーと化したことも含めて、ま
た此の歴史的事実を、もつと大きくて広くて深い文明論によつて救済して、この
日本古代帝國または古代日本帝国の救済も含み、文字通りに日本一極といふ日本
の国家の背骨を明らかにすることにあるからです。それが、超越論的に神武「以
前」に戻ることにある。何かの以後があれば、それは必ず何かの以前を前提にし
てゐるといふ論理上の事実に基づいて論を展開します。これは世界普遍性のある
事実ですから真理である以上、真理に基づく事実といふ意味で、真実と呼んでも
よい言語論理上の、事実です。例によつて例の如く、論者の立場は徹頭徹尾言語
です。
もぐら通信
もぐら通信 ページ28

この日本文明論には、宗教も政治も経済も文化(文化には歴史も含まれる)も含
まれますので、日本核ミサイル保有論も含めて、以後の表題を単に日本一極国家
論として章立ての名前も改めることにします。GAME CHANGE理論を標榜するに
は余りに論ずる対象の範囲と規模が広大であるためで、その中にgameといふ概念
は小さなものとして含まれてしまふからです。このgameといふ概念は、俗にいふ
西洋将棋即ちchessと日本将棋の遊戯規則との明らかな相違として今後の論述の中
に多分ぽつかりと論の水面に亀のやうに顔を出すことでせう。将棋は盤面上の戦
いですが、これはしかし、地球と云ふ盤面上の縦横の線で生まれたマトリクスと
いふ格子の枠組みによつて生まれるcell・セルについての戦争の話になるでせう。

序文の最後に申し上げれば、この歴史の堆積性と其の動態性といふ歴史概念は、
神道にいふ《中今》といふ時間概念に基づくもので、安部公房の読者であるなら
ば傑作『第四間氷期』を思ひ出して下さればよい。時間と歴史の二つの関係は次
の通り。

時間概念>歴史概念

従ひ、時間といふ上位概念に下位概念である歴史といふ概念は100%従つてゐ
る。歴史が堆積性の時間の多層であるならば、時間概念は其の本来の性質即ち本
質、即ち時間的差異、即ち遅延であるといふ《中今》の事実に基づいて歴史は動
き変遷し遷移する、transitionするといふこともまた当然です。当然とは必然では
ない。必然である歴史など世界史のどこにもない。これらの《中今》といふ神道
の形而上学、もつといへば明治以降のいはゆる国家神道にではなく、それ「以
前」の、神武「以前」のJinmu・Minus・Oneの超越論の理解と認識の上で、も
し今ここでいふなら縄文神道の、縄文人である私たちの知つてゐる多層的な動態
的堆積性歴史観を基礎に以下の文明論を現下の国際情勢のもとで語りたい。

***
もぐら通信
もぐら通信 ページ29
初期小林秀雄論
余白録2:村松剛の小林秀雄論

岩田英哉

1。何故小林秀雄はフランス語で卒業論文を書いたか
この問ひに対する答へが村松剛の著作『西欧との対決 漱石から三島、遠藤へ』
に所収の「小林秀雄」と題意した小林秀雄論に書かれてゐるので引用する。

「最初のランボオ論が、氏の大学2年生のときだった。この論文をもとに翌年に
は『アルチュール・ランボオ』という題の、フランス語の卒業論文を書いている。
当時の東大の仏文科の規定では、卒業論文はフランス語で書くこととされてい
た。」(同書119ページ)

2。小林秀雄の訳業の価値の不滅と長谷川泰子との同棲がランボオとの同棲にほ
かならなかつたこと、それから小林秀雄の書いた最初の此の卒業論文の価値につ
いて、著者は次のやうに書いてゐる。わたしは、これらの批評の言葉は小林秀雄
の仕事に対する公平・公正な批評であるとおもふ。少し長いが其の文脈を知つて
欲しいので連続した二つの段落を引用する。

「 氏の訳による『地獄の季節』や『酩酊船』を十代の末に読んで逆上し、『酩
酊船』の方は訳詩の殆どを暗記してしまった記憶がある。(いまでもその何節か
は覚えている。)
ランボオ論とそれにつづくこれらの訳業とが出てから、半世紀をこえる歳月が
流れた。その間にはラコストの有名な論文をはじめとして無数の研究書があらわ
れ、ランボオの詩の新しい訳の試みも多い。しかし小林さんのランボオもその訳
詩も、決して古びてはいないのである。
『地獄の季節』の原書にはいっぱいに仮名をふり、どうしても見当のつかないと
ころは「エジプトの王様の名前みたいに、枠を書いて入れて」おいたと、小林さ
んは述懐しておられる。たぶんそのとおりだったろう、と思う。卒業論文のフラ
ンス語を読むと初歩的な綴りや語法のまちがいが目立つし、しかも当時は満足な
辞書さえまだなかった時代だった。それでどうして、これだけの仕事をなしとげ
得たのか。
共感が語学力の不足を補ったというような通りいっぺんのことばでは、片づき
そうにない凄さが感じられる。氏はランボオと同棲してランボオと一緒に呼吸し
もぐら通信
もぐら通信 ページ30

ていたのだとでも、空想してみるほかない。」
(同書120ページ)

3。小林秀雄とベルグソンについて次の批評がある。
これは中村光夫のいつてゐた、小林秀雄の批評の方法で批評する批評が求められ
てゐるといふ言葉の、少し難しいかも知れないが、その解説になつてゐる。しか
し、まさに此の通りの小林秀雄の方法です。わたしの言ひ方でいふなら、我が身
を捨てるといふことです。さうして、対象の中に、それが文字により成る文章で
あれ本であれ、人物であれ絵画であれ音楽であれその他の如何なる物事であれ、
これが氏の方法です。そして、西欧の学問といふ論理の体系の秩序即ちシステ
ム・systemとは異なり、方法と方法論が、methodとmethodologyの間に逕庭が
ない、差異がない、すつかり同体になつてゐる。即ち、自己と対象が一体となつ
て其処に我を忘れて没入してゐる。このことを村松剛は次のやうに語つてゐる。

「 ベルグソンがその仕事の根底にいおいたのは、氏によれば「直接な經験の徹
底的な尊重」だった。哲学とはベルグソンの場合、「經験そのもの」だったといっ
てよい。
「彼の目指したものは、綜合的な学ではなく、人間的な全體的な經験であつ
た。知的なシステムではなく、知的な努力であつた。《中略》實在に近附かうと
して、一切の人爲的な機械的な近附き方を拒絶したところで、彼は實在の前に、
殆ど手ぶらで立つ。其処で、直觀も悟性も、無垢な力を取返すのであり、いつも
立還つてゐなければ、どんな學も、自ら編んだシステムのうちに死ぬのであ
る。」

この評言はそのままニーチェ哲学の簡潔な解説になつてゐる。小林秀雄はニー
チェも相当に読み込んだ筈であり、それは郡司勝義著『批評の出現』を読むと、
この著者自身による小林秀雄への尊敬の念とともに、氏の深く読んだーといふこ
とを郡司勝義は知つてゐるのだー同じ哲学者の思想を読みに読んで何とか此の批
評家の全体を理解したいといふ心情の激しさが現れてゐて、最初の方ニーチェと
小林秀雄論のページを読み其処を過ぎると著者自身によるニーチェ論になつてゐ
るほどである。

わたしはニーチェやベルグソンや小林秀雄のやうには生きなかつたし、上記の引
用の通りのシステムと言語体系といふ秩序の硬化を恐れなかつた。何故なら、時
間の中ではすべての物事は断片化するのでーこれはトーマス・マンの認識と同
じー、時間の外部に出て森羅万象を秩序立てて体系的な説明を其れに施すには、
まあ、いはば森羅万象に刺青を施して宇宙の本質の顕現を際立たせるには、体系
化以外の方法も方法論も存在しないからであり、ここに於いて日本人の一番苦手
もぐら通信
もぐら通信 ページ31

でありベルグソンやニーチェと同様にいつも無意識に内心嫌つてゐるある原理の
発見と原理に基づく秩序の説明を、日本人の弱点であるが故に、それならば逆に
これをして日本人であることのひよわさを克服しよう超越しようと努力して来た
からである。この民族の弱点に見猿・言は猿・聞か猿を決め込むと(これを三猿
主義と呼ぶことにしよう)、その惰弱な姿勢で海外の思想を盲信してマルクス主
義に限らぬ共産主義・グローバリズムそのほかの舶来思想の盲信者に堕するので
あり、堕して日本人の道徳の喪失に無自覚・無痛の病人となりゾンビとなるの
だ。他人の、それも外国の、理解もできぬ思想ー本物の思想とは常に一つの体
系・システムであるーに盲信をして断片的な知識の破片に縋つて生きようとする
日本人を私は、その愚かさ故に、徹底的に軽 する。
それ故に、わたしはニーチェの師匠のショーペンハウアーの志をこよなく愛す
るものである。「其処で、直觀も悟性も、無垢な力を取返すのであり、いつも立
還つてゐなければ、どんな學も、自ら編んだシステムのうちに死ぬのである」の
であるならば、そのシステムを生き生きと日々叙述し、その叙述を我が口より息
として吐き出し日本語として発声して、「「其処で、直觀も悟性も、無垢な力を
取返すのであり、いつも立還つてゐなければ」ーこれを初心といふのだー、「ど
んな學も、自ら編んだシステムのうちに死ぬのである」のであるならば、其処で
私は死ぬといふことである。ショーペンハウアーのシステムは読者の生き生きと
生きて読む限り、この学はみづからのシステムのうちに死ぬことはない。何故な
らば、システム・秩序とは再帰的であるからだ。命は命に戻る。命は命に回帰す
る。時間の中で命の秩序はロゴス・言語原理に従つて常に、再帰的である。それ
故に、秩序立てられた時間は常に再帰する。わたしたちはそのために時代の様
式・style・スタイルを必要として此れを打ち立てる努力をする。お茶・お花・能・
歌舞伎・切腹の作法・戦ひの方法、etcetra, etcetra…。私想を書きすぎたので本
題に戻ります。

上記引用のベルグソンと小林秀雄との関係、即ち思想の継受の記述のあとに、村
松剛は次のやうに新たな段落で続けてゐる。

4。ベルグソンと『様々なる意匠』との関係について
「機械的な史観が歴史を殺すように、出来合いの「知的なシステム」への依存は
対象を見る視力を失わせる。その当りまえな事実に容易に気がつかないほどに現
代の知識人は病んでいるということを、小林さんは『様々なる意匠』いらい、く
りかえし指摘して来た。
ベルグソン論の右に引用した部分は昭和三十五年六月号の雑誌に掲載された文
章だが、ほぼ同じころに氏は本居宣長についても次のように書いている。
「彼(宣長)は經験は理に先んずる事を確信した思想家であつて、この事は、彼
の思想を理解する上で、極めて大切な事だ。」(『「物のあはれ」の説につい
て』)
もぐら通信
もぐら通信 32
ページ

昭和三十八年の六月まで五十六回にわたって書き継がれたベルグソン論は、ベル
グソンの精神世界の解明を通じて小林さん自身の「自由」や「常識」の理念を浮
き彫りにしている。しかし筆が物理学の世界に及んでからまもなく、昭和三十八
年の六月に連載は中絶された――ベルグソンについて、何かいい本があったら教
えてくれよ。
小林さんがそういっておられたのは、中絶後半年以上たってからのことだった
と思う。「はい」とこちらはこたえたものの、格別新しい文献も思い浮かばな
い。ベルグソン論にかわって『本居宣長』の連載が始まったのは、昭和四十年
だった。」(同書133ページから134ページ)

この引用で判ることは、『本居宣長』はベルグソン論の延長にあるといふことで
ある。ベルグソン論の問題の解決を図るために、小林秀雄は本居宣長を論ずるこ
とで日本語の本質を論じて、日本人のこととして其の哲学と思想を日本人のもの
としたかつた。これが、小林秀雄の本居宣長論執筆の、そしてさうであれば、長
い時間をかけて準備して来た筈の其の忍耐を支へて来た、動機です。

私事ながら、私は小林秀雄のベルグソン論の「筆が物理学の世界に及んでからま
もなく、昭和三十八年の六月に連載は中絶された」ところから歩き始めた。私の
コト・タマの道は、この小林秀雄の中絶地点で交差し、わたしは小林秀雄といふ
大樹ー巨樹といつてよいーの太い幹から枝分かれした。即ち物理学と言語論理学
が同じものであるといふことの証明の道を歩んだ(私の『散文思索塾』の特にも
ぐら通信第178号掲載分をを参照願ひたい。)。しかし、この道は、特に初期の
批評活動に於いて、小林秀雄が当時猖獗を極めたマルクス主義といふ名前の「西
洋との対決」をした時からの願ひであり、強い意志であつた。当時の論敵から、
小林秀雄は物質を恐れてゐるのだといふ批判のあつたことが其の文章から知るこ
とができる(『物質への情熱』『マルクスの悟達』『文藝批評の科学性に関する
論爭』『現代文學の不安』)。だから、小林秀雄の思想は若い時から脈々として
をり、『本居宣長』は唯物論の全面的否定の書なのである。従ひ、

5。本居宣長論がランボオ論の延長にあることを、村松剛は次のやうに述べてゐ
る。

「 古来の天才たちの無垢の眼をえがき出すのに、小林さんは心胆を砕いた。と
りわけ『本居宣長』は小林さんの歴史論であると同時に表現論であり、二つもの
のの結実だった。
「彼(宣長)が着目したのは、言つてみれば、私達を捕へて離さぬ環境の事実性
に、言語の表現性を提げて立ち向かふといふ事が、私達にとつては、どんなに奥
もぐら通信
もぐら通信 ページ33

の深い、基本的には經験であるかといふ事だ。」(『本居宣長補記』)
ランボオ論いらいの氏の主題が、ここにも一貫してつらぬかれているのを読者
は見るだろう。」(同書^135ページ)

6。小林秀雄の世界史的位置
村松剛は、その仕事振りからいつて当然に文明論の水準に於ける此の批評家の評
価を読者に要求してゐるので、次のやうに述べてゐる。

「氏を論じた評論は多い。だが国際的な精神史の視野のなかで氏の仕事を考えた
論文はひとつもなく、また当分はあらわれないのではないか。巨きなこの孤独な
星のもつ吸引力はあまりにつよく、残光は眩しすぎるからである。」(同書137
ページ。小林秀雄論の最後の段落)

わたしは此の『初期小林秀雄論』に於いて村松剛の此の要求に十分に応へ得た
と、ここに至つて、思つてゐます。私は、中村光夫の要求と村松剛の要求の両方
を満たした。正直にいへば、その意図は全くなかつたのに、結果としてさうなつ
たといふべきです。論考の本文をお読みくださるとありがたく存じます。

この余白に、最後に一言。

小林秀雄の文学の世界史的位置を主張することは、日本文学の(近代以前の文字
でかかれた文学および文字で書かれてゐない記紀万葉以前の文学の)総体の世界
史的位置を主張することです。文学・Literatureのlitera or litteraとはletterであ
り文字であるといふ語義に些か反する私の主張ではありますが、心は伝はること
と思ふ。
もぐら通信
もぐら通信 ページ34

散文思索塾
(11)
思索とは何か
再度二つの話法について

岩田英哉

論理学と物理学の関係について、即ち円錐形の内部と外部の話をする前に、もう少
し話法の二つの英語としてある下位概念としての話法(mode, narrative)について
の上手い説明を思ひついたので、これをお話しして、あなたのご理解を得てから、
円錐形および光と闇または昼と夜またはお日様の世界とお月様の世界の話に戻りた
い。

調べるとmodeとは、音楽の世界では、旋法、と和訳されてゐる。次の概念が音楽
の世界での用語であるmodeたる旋法の概念です。

「旋法とは、旋律の背後に働く音の力学である。 一般に旋法は音階を用いて記述
されるので、音階と混同されがちであるが、音階が単に音を音高により昇順あるい
は降順にならべたものであるのに対し、旋法は主音あるいは中心音、終止音、音域
などの規定を含む。 旋法は特殊化した音階、あるいは一般化した旋律として定義で
きる。」(https://www.phonim.com/post/what-is-mode)

この「旋法は特殊化した音階、あるいは一般化した旋律として定義できる」といふ
最後の一行の理解は難しいやうに見えますが、これは次の説明と解することができ
ます。音階とは上昇・下降のドレミファソラシドでありますから、これを特殊化し
た音階が一般化した旋律だといふのですから、一般化したとは特殊な場合にだけ使
へるものにするのではなく、広くどんな場合にでも音のあるやうに「主音あるいは
もぐら通信
もぐら通信 35
ページ

中心音、終止音、音域などの規定を含む」ものと定義すると、それは旋法と呼ばれ
る、音階を含み主音・終止音・音域の規則を含む、わたしの此の論考の文脈に即し
て言へば上位概念としての此れが旋律である、といふことをこの文章は解説してゐ
るわけです。言語は何語にあつても函数ですから、ここで次のやうに表現すること
ができます。

旋法(音階、主音、終止音、音域、x)

これが言語の場合ならば、

話法(mode、narrative、x)

といふことになるわけです。

xといふ文字または記号は数学の場合と同じで未知の要素、あなたである私が知ら
ぬ因子を意味してゐます。といひますのは、人間には知らないことがたくさんある
からです。この沢山ある知らぬことを一文字・一記号で、まづはxと置いて置くわ
けです。このxを碁盤の上の縦横の交差点に置くと判断に狂ひがないといふわけで
す。師曰く、知るを知るとなし、知らざるを知らざるとなす、是れ知るなりと。ソ
クラテスも同じことをいつてゐる。曰く、無知の知。己の無知なることを知るとい
ふこと。これが賢者への道です。しかし、これには誠に勇気が要る。さて、mode
とnarrativeの違ひの話、意味の差異の話です。

上記の旋法・modeの引用の文章とその下に転載した旋法の視覚的な図でお解りの
通り、mode・モードといふ話法(以下「話法 I」と呼ぶことにします)といふ概
念は次の定義または複数の意味を含んでゐます。

話法 Iの話法即ちモードの概念とは、

(1)旋回と螺旋の形象を有する。
(2)繰り返し(再帰性と呼んでもよい。この音楽の最たるものがバッハの音楽。
これがバロック様式。旋回も含んで然り)
(3)一式(one set of something)
(4)次元(繰り返して同じ地点に再帰するたびに一次元上か一次元下に回帰す
る)
(5)一次元下なら降順、一次元上なら昇順と呼ぶ。
(6)上記(4)により、上記引用の文章には抜けてゐるが、終止点があるならば開
始点もある。
もぐら通信
もぐら通信 ページ36

(7)上掲のモードの図に一目瞭然の通り、話法 Iは対称性に依つてゐる。または
対称性を産み出してゐる。または対称性の上に話法 Iは成り立つてゐる。そして、
(8)再帰した時に常に此の対称性は破れる。何によつて破れが生ずるかといへ
ば、それは次元の上下によつて対称性が破れ、この破れとは常に前の次元の破れで
ある。即ち、次元の結び目がホツレる。

上記の話法 Iの概念の列挙は、難しければ、あなたが女性ならば、四季折々の流行
と呼ばれfashion・ファッションと呼ばれるmodeのことを思ひ出して下さると容易
に理解ができるでせう。これは四季折々のモードといつて、春は春の秋は秋のと四
季折々にあなたは着替へに忙しく、modeごとの意匠に興味津々に違ひない。これ
は上記(1)から(8)の条にすべて当てはまる。ただ、領域が異なりますから、言
語や音楽でmodeと呼んでゐるものをfashionと呼んで流行と和訳してゐるだけで
す。あるいは、芭蕉に不易と流行といふ対比の名言がありますから、これは古語と
いふべきでせう。この古語をmodeの和訳に当てた。春は春で流行の一式、夏は夏
で流行の一式、秋も冬もそれぞれ流行の一式といふわけです。

これに対してnarrative(これを「話法 II」と呼ぶことにします)は英語の文法的な
理由によつて、形容詞を名詞化して使用する場合には、常に現在只今の状態をいふ
といふこと、これが英語の謂はば仕来たりですから、此処では只今現在この時にだ
れが話してゐるのか?といふことが問題であり、これが話されることの中心にある
隠れた主題であることと理解することが大事です。ですから、実存主義などと和訳
されて日本人の頭を随分とひと頃悩ませた言葉の語幹である実存も横文字で書く
と、

existential

となつて、本来は形容詞である品詞を名詞で使つてゐることが判ります。頭を使つ
て解るのではなく、一目瞭然に判ります。ですから、この言葉の意味は、現在只今
此処にゐること、といふことを表してゐるだけなのです。その意味を問ふのが実存
主義である。とすれば、この語義の理解の通りに、時間範疇と空間範疇の二つの範
疇・category・カテゴリーの理解がなければ実存主義はただの、現実の時間の中で
のお喋りに終始することになり、実際に此の議論の歴史は膨大なお喋りに終はつた
といふのが私の感想です。即ち、実存主義者のなすべきことは、時間とは何か、空
間とは何か、といふ範疇を問ふ問ひに答へることでした。これを最初から日常に知
つてゐたのが私たち日本人で、単に《マ》といへば、それで答へになつてゐたとい
ふわけです。もし当時も今も本居宣長と其の高弟の日本語の文法学者が此処にゐた
ら、ああ、《マ》のことだな、と一言で答へたでせう。《マ》の説明(例:世界は
間だらけのスカスカなのである)は他のところであちこちとしてゐるので此処で
は省いて先へ論を進めます。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 37

ちなみに、ドイツの哲学では此のextentialをDa-sein・ダーザインといつてゐて概
念は同じです。Da-とは現在只今此処であそこでといふ意味です。Seinは存在。

この日本語の《マ》、アングロサクソン語族の文法学にいふ話法 Iと話法 IIを一つ


に併せて問ひの形で提示したのが、古代ギリシャのエピメニデスのパラドックス
(Epimenides paradox) と呼ばれるものです(https://ja.wikipedia.org/wiki/エピメ
ニデスのパラドックス)。この論理的な矛盾を含む問ひは次の問ひである。

問:クレタ島のひとはみな嘘つきだとクレタ人がいつた。といふ其の発言・発話は
本当かそれとも嘘か、即ち事実か嘘か?ファクトかフィクションか?

といふ問ひの答へを考えることである。

アングロサクソン語族の今国際的に流行してゐる英語の文法に従つて考へてみよ
う。さうすると次のやうになる。これは日本語族の回答とは異なります。この後
で、我々日本語族の回答を考へてみよう。

クレタ島のひとはみな嘘つきだとクレタ人がいつた。

といふ此の文の理解は、あなたが上記の三つの人称のどの立場の人称に立つてゐる
かで理解と解釈が異なります。即ち、

1。私が「クレタ島のひとはみな嘘つきだとクレタ人がいつた。」といふのか、ま
たは、
2。あなたが「クレタ島のひとはみな嘘つきだとクレタ人がいつた。」といふの
か、または、
3。彼・彼女が「クレタ島のひとはみな嘘つきだとクレタ人がいつた。」といふの
か、

おまけに、以上は単数形ですが、世にはデマとか風聞といふ言葉があるやうに、
もぐら通信
もぐら通信 ページ38

更に複数形といふものがあるので話がややこやしいものになるので、日常わたした
ちは 話といふ二次情報である伝聞情報に振り されてゐる。それぞれの単数形の
場合で、「クレタ島のひとはみな嘘つきだとクレタ人がいつた。」といふことの事
実の真偽は、芥川龍之介の小説『藪の中』の物語る通りに藪の中、なのである。

さて、上記の三つの例で挙げた文の下線を施して赤字にした接続助詞、と、に着目
してほしい。この《ト》といふ音の音義は、英文法にいふ従属文をつくる働き即ち
機能・functionを有し、そのやうな働きをする函数・functionなのです。英語なら
ばthatの機能・働きに相当します。一音・一義・一語といふ日本語の極めて顕著な
る特徴にして特長を此処でも思ひ出してほしい。そして日本語に限らず、言語はみ
な函数であり機能でありfuntion・ファンクションであることを想ひ出してほしい。
あとで、スイスの言語学者ソシュールの言語機能論とオーストリアの哲学者ヴィト
ゲンシュタインの言語機能論をgameといふ二人が期せずして用ひた用語と概念に
関して解説して、この理解を更に深めたい。日本語といふ言語も機能であり
functionである。この機能といふ言語の性質の本質ー本当・本来の性質ーは接続と
其れによる変形・transformationにあるので、この函数を支へる要の一つである
《ト》といふ函・箱の中に他の品詞を投げ入れれば、ああら不思議、幾らでも従属
文を生成できて、無限に入籠構造の文を重ねることができるのです。と、わたしが
いふわけである。と言つたと、あなたがいふわけである。と、彼が彼女が言つた
と、誰がいふのであらうか?そこで、我がトーマス・マンにご登場願つて、これも
傑作『選ばれし人』(Der Erwaehlte/デア・エアヴェールテ)の冒頭から引用をし
て、何故この文豪がこのやうな出だしを選んだのかといふ話をして、古代ギリシャ
の哲学者エピメニデスの問ひに答へよう。
マンは此の長編小説の冒頭にひと段落が長いひと段落を三つ重ねて、三つ目の段
落に至つてやつと、この物語の話者が、世界中の聖地に亘つて鳴り響く一つの鐘の
音、それもスイスのザンクト・ガレンといふ教会の鐘の音であるといふことを、期
待に期待を持たせに持たせた挙句に、明かすのである。これが、この鐘の音が、物
語の精神であると。Der Geist der Erzählung/デア・ガイスト・デア・エアツェー
ルングといふ精神であると、さう明かすのです。
この精神は汎神論的な存在であるので、この語り手である精神はいつ如何なる時
代・如何なる場所にもあまねく存在、即ち遍在してゐる。このマンの物語の精神は
汎神論的存在論の精神であり、さうであれば、日本の慣用句で同じことを短く簡単
にいふならば、かうである。

講釈師、見てきたやうな嘘を言ひ

この慣用的な文言を眺めて、私のいつも想ひ出すのが、楠木正成と長子正行の櫻井
別れであるが、しかしこの場面を見たものは誰もゐない筈であるのに、それが伝は
つてゐるのは、そのやうな講釈をする人がゐるからである。これは別に講釈師なら
ずとも、既述の通り、井戸端会議の女たちが毎日お喋りの話法IIを使つて行つてゐ
もぐら通信
もぐら通信 ページ39

るところである。それも繰り返し話法Iのモードを変へながら上げたり下げたりして、
面白おかしく聴く側の興味と関心に任せて語るわけである。ここまで来るなら、語る
を ると書いてもよいことにあなたは気づくだらう。物語りは物 りなのである。其
ためにマンは、物語の精神を必要としたし、また物語の精神とは、このやうに日常的
なモノでありーこれは日本語にいふ物の怪のモノー、且つ非日常的なモノである。こ
の言語の持つ性質ー性格と呼んでもいいがー、即ち時間の中であつてもさうである日
常の非日常性は、既述のクレタ島の人々が嘘つきだと当のクレタ人が言つたといふ一
行の《ト》に掛かつてゐるわけです。即ち、間接話法といふ伝聞の話法ーこれ以外に
も間接話法の分類は二つあるのですが今はこれ一つに話を絞りますー、この伝聞話法
の事実と現実での本当の事実との差異が0なのか1mなのか100mなのか1kmなのか
に、クレタ人即ちあなたの言葉の真偽・真贋は、一重に掛かつてゐるわけです。です
から、わたしはまづ人の とか事件の とか、果ては陰謀論なる伝聞情報は、直接一
次情報・一次資料または直接当人に当たつて裏を取らぬ限り、一切信用しないことに
してゐます。これは自分の身を守るための最善の方法の一つです。だから、プーチンと
いふロシアの大統領が本当に独裁者の最たるものなのであるかどうかは、直接プーチ
ンにインタヴューで面会して其の人間の人物を見、言葉を聴かなければ本当のとこ
ろ、即ち事実性・真実性は、わたしにはわからないのである。あとわたしがジャーナ
リストであるならば直接インタヴューして其の人物を知りたいと思ふのは、中国共産
党の習近平国家主席であるが、学者やジャーナリストや知識人や何やかにや、習近平
さんなどとサンづけして呼ぶのを見聞きすると、その人間の言語伝達能力を疑ひ、習
近平をサンづけして呼ぶそんな無責任な暇があつたら、タッカー・カールソンがプー
チンにインタヴューしたやうにさつさと北京に行つて習近平にインタヴューして来
い!といひたくなるのである。要するに、かういふジャーナリストや学者は、日本語
ができないのである。日本国内の業界であれ何であれ、日本式の村社会の雰囲気をそ
のまま日本の国外に、それも大陸に延長しても全く通用しないことに無知なのであ
る。それで事実に正確な記事が書けるわけがない。これは外国語の語学力とは別な、
もつと其の根底にある話法に関する理解の有無の問題なのです。人間関係に軋轢が起
きても私は一向に構はない。微温にことを済ませるといふことは、私の一番嫌ふとこ
ろである。何故ならば、それは論理の世界に人間関係をまぜこぜにして入れることだ
からであり、厭ふべき範疇の混同の始まりだからでる。それでは共産主義といふ冷た
い論理に対抗することが論理的にできない。本題に戻る。

私のいひたいのは、アングロサクソン語族であれ、日本語族であれ、その他の個別の
言語族であれ、話法に関しては、話法Iのmodeも話法IIのnarrativeも文法の論理は同
じだといふことがいひたいのです。日本語族のわれわれの場合は、例によつて例の如
く、一語・一音・一義たる《ト》で、二つの話法といふ問題を一つにまとめてゐて自
然に毎日日常と非日常を往復し往来しながら話をしてゐる。

《ト》(話法I、話法II)
《ト》(mode、narrative)
もぐら通信
もぐら通信 ページ40

といふいつもの函数形式で表すことができます。ちなみに、本居宣長は、この接続
助詞を含みすべての接続助詞を、玉の緒、と呼んでゐます。タマとはいふまでもな
くコト・タマのことで、ヲとは、これもいふまでもなくタマとタマを接続するもの
ですから、まあ尻尾と呼んでもよいが、今の言葉でいへば、名詞の場合には接続助
詞を、動詞の場合には助動詞を意味してゐます。文末に来る助動詞のあとには句点
が来て文が終はるものを、一体何故これが接続の機能を持つのかといへば、文と文
との間のforce・力を生み出すからです。このforceのことを宣長さんは、言葉の持
つ、勢ひ、と呼んでゐます。この勢ひと呼ばれる現実に働き天地・アメツチをも動
かし鬼神をも泣かしめる力は、地図・地形にあれば地勢といひ、筆ならば筆勢とい
ひ、語ならば語勢といひ、あのひとには勢ひがあるといひ、またアメリカ人でもこ
れをフォースと呼んでジェダイの騎士が実際にブツを使はずに念力で宇宙船を浮か
せる力としてゐる。神社のたつ場所が存在の交差点であり、そこの地勢には力・
power・パワーのあるのは当然のことなのです。古代ギリシャ人ならば、ロゴスの
力だといふ筈でありー後述するやうに意味といふ差異は交差点に顕現するからー、
私はこのロゴス・logosのことを漢意を借りて、いはばコスプレを着て、言語論理
と言つてゐます。本体たるやまとこころでいへば、これをコト・タマと私たちは太
古より呼んで来ました。縄文の世の中からさうであつた。さうであれば、コトの
葉・端とは、用ひたる意に当たり、さうであれば、コト・タマとは、わたしのいふ
概念といふ意味になります。伊勢神宮の内宮に天之御中主の神・イザナミ・イザナ
ギのカミと共に、アラ・ミ・タマが全く同じ様式のヤシロで四社が並んでゐて此れ
に対面して一番右側に同格で荒御魂が祀られてあるといふことは、実はタマとはカ
ミであるといふ太古人・縄文人の認識論の実物の資料としての証明なのですが、タ
マーカミーミコトーヒトの関係については別途『縄文紀元論』にてお祓ひと神道の
形而上学の関係を論ずるところで詳細に論じます。私の考察の結論ですが、神道の
儀式は日本列島の自然を前提にしてゐるので大陸の気象と風土には通用しませんが
(これは別途『日本一極国家論』中「古代帝國論」で論じます。また中臣の大祓へ
の第三段の日本列島の美しい景観をみよ。これは高・天の原の第二層の景観を祝つ
てゐるのです)、しかし神道の形而上学は其の論理性の高さが故に世界普遍性を有
してゐます。ですから、神道は世界中の宗教と対話ができるといふ普遍性を持つて
ゐる。その上に私たちの日本語による執筆活動は成り立つてゐる。

閑話休題

さて、話をもつと前に戻して、概念と定義の関係を示した図を再掲し、このことと
物理学の世界との規則の一致を解説して、この章を終はりたい。ここで話を元に戻
す際に伝へるべきは、日本語で本居宣長のいつた然(し)かある本の意といふ論理
学にいふ内包・intensiveと、用ひたる意即ち外延・extensiveの関係は、上掲円錐
形の概念と定義図に此のやまとことばを、コト・タマとコトのハをも以て追記して
示せば次の通りとなるといふことです。
もぐら通信
もぐら通信 41
ページ

上掲図をマトリクスにすると次の通り。

(つづく)
もぐら通信
もぐら通信 ページ42

サンチョ・パンサを求めて
(31)
誰が人間を裁けるのか?

岩田英哉

最近アガサ・クリスティの名作の映画化された『オリエント急行』(2017)を見
て、標題につき思ふところあり。また、近代西欧米の正しいと主張する民主主義の
欠陥にも気づいたので一筆啓上といふ次第です。

この探偵小説は一つの列車に乗り合はせてゐた乗客がみな犯人といふトリックで、
これを明かしても種明かしにはならないほど有名なトリックですから、この結末の
エルキュール・ポアロの結論から話を始めます。

映画を見終はつての、わたしの疑問は、令和6年元旦の石川県の大地震のことも念
頭にあり、一神教に限らぬ、神とこの世との関係は如何なるものかといふことにあ
りました。名探偵ポアロは警察には有りうべき犯罪に至る因果関係を説明して贋の
プロットを案出して、犯人の全員を裁くことをせずに事件簿を閉ぢますが、しかし
私の問ひと答へは次の問ひと答へでした。

問:果たして人間に人間が裁けるものであらうか?
答:否。それは不可能事である。なぜならば人間は過ちを犯すからである。即ち、
人間は全能ではないからである。ここに道徳の問題がある。

わたしが此の種のことを考へるときにいつも思ひ出すのは小学生の教科書に三権分
立のことが解説してあり、司法の箇所に裁判官は良心によつて判決を下すと書いて
あつたからで、その時もその後も思ふことは、一体良心などといふ極めて曖昧な、
それも人によつて良心といつても異なるであらうやうな眼に見えない心の問題の良
し悪しといふ相対的な言葉で、一人の人間に関する正義の問題を裁くことができる
のだらうか?できないだらうといふことでした。これは今でも変はらない。それ
も、最高裁であれ下位の裁判所であれ、日本人としても一個の人間としてもおかし
な判決といふものがよく見られるのであるから、十歳に満たない子どもの判断の方
がどうやら正しかつたやうである。それに当時私が子どもの頃は日米安全保障条約
の第一次改定を巡る激しいデモが東京で行はれてゐて連日NHKのニュースはその様
子を文化果つる道東の港町にまで届けてくれてゐたのであるが、話を司法から立法
に移すと、NHKの夜の7時のニュースでは国会議事堂の中での改正動議を決議する
もぐら通信
もぐら通信 43
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当時の社会党以下全ての野党が議長席に殺到し同時に自民党の議員たちもそれを防
がんと対抗して其処に殺到して大乱闘を演じてゐる様子を怒号の音声とともに放送
してくれてゐて、幼い私は教科書には立法の府である国会議事堂での審議は整然と
した議論によつて立法がなさるのだ書いてあることがこの事実によつて嘘だと知っ
たが、この時の驚きが今でも忘れられない。教科書と現実はこんなに違ふのか、と
いふ大きな驚きで、これが教科書不審と政治不審の私の最初の疑惑であつた。この
何か模範とされてゐる文章なり一冊の本なりの中身と現実の違ひといふものと、立
法府に対する之も不審は、今だにわたしの中に生きてゐる。他方、だからといつ
て、政治家といふ国家経営の水準・階層にある重要な仕事を、時には余りに政治が
ひどいと馬鹿にすることはあつても、本質的には私は私の正直で素直な性格に従つ
てーこれは私がいつてゐるのではなく、人に何度かいはれたことであるから書くの
だがー、政治家には敬意を払つてゐるのだ。正しくは、政治家といふ職業と其の仕
事の職務と職能には、といふべきであるが、この先を書くとまた私の悪口が口を開
いて何か言ひさうなので、ここでやめることにします。さて、映画を見終はつて即
座に次のことを思つた。

西欧米の近代国家が特に共産主義化して悪事を働き始めて今日には看板を架け替え
へて実質は同じ共産主義であるグローバリズムの名前で道徳を失つて守銭奴国家に
なり果てて、それぞれの国民を苦しめることを始めたのは、自家製の時代年表「西
欧・欧州近世史の時系列分類」でいふと18世紀からです。これは西欧がみづから
得々として啓蒙主義の時代と呼ぶところの、即ち西欧が本来は忘れてはならない筈
のキリスト教を忘れて、人間の理性でものごとがなんとかなると大いに勘違ひをし
てからである。ここから西欧米近代国家が狂ひ始めたのである。私の作成した年表
を以下に掲げます。「西欧・欧州近世史の時系列分類」のダウンロードは:https://
shorturl.at/alqF3
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もぐら通信 ページ 44

上掲の図でお分かりの通り、歴史といふものは決して単線の上を時代時代を区切つ
て進むものではない。さうではなくて、一つ一つの時代がその後の時代にも堆積し
て層をなすやうにして歴史といふものは積み重なつて行き、動態的に且つ多層的に
どの時代も以降の時代に影響力を及ぼして生きてゐるのです。歴史とは動態的な堆
積である。即ち明治維新になつたからといつて庶民・国民の意識も生活も前の江戸
時代と断絶して新たに始まるのではない。わたしたちの生活と歴史はそのまま継続
して今日に至るのです。水戸黄門は今に生き、織田信長は今に生き、楠木正成は今
に生き、柳生十兵衛は今に生きてゐるといふことです。 はつきりいふと、時代を
区分して前と後の時代が断絶して新しい時代が始まるといふ考へが、共産主義の、
思想とはとても言ひ難い、屁理屈なのであり、これは誤りです。明治政府も此の西
欧の罠に嵌つた。先の対戦後の80年間は西欧の鬼子アメリカの同じ此の罠に嵌つ
た。しかし、日本民族・Japanese people即ち日本国民の時間は幾つもあつて、動
態的に、層をなして、堆積して行くのです。これは歴史の堆積する年表図に示して
『縄文紀元論』にて論じた通りです。
この歴史の連続性と堆積性を18世紀の西欧人は否定してしまつた。これをどの
やうにして今のグローバリズムといふ共産主義ー確かに、大失敗に終はつて多大な
人命を失はしめたマルクスの共産主義もグローバリズムでしたーに至つたかといふ
ことを、ピケティといふ人が『21世紀の資本』といふ著作で次のやうに不等式で完
結に表現してゐるので示します。
r>g

rは資本ストックの収益率、gは経済成長率を表している。 つまり「この不等式
は、株や不動産、債券などへの投資による資本収益率がつねに経済成長率を上回る
ということを示している。」(https://toyokeizai.net/articles/-/557555#)
この不等式は18世紀以降のデータを元にしてゐますので、18世紀以降西欧米の
近代国家が国家の経済成長率を超えて資本ストックの収益率が上回つてゐることを
示してゐます。即ち、今の言葉でいふとグローバリズムといふ共産主義が国家を超
えて、即ち国境を超えて交易するといふ勢力の増加を示してゐます。その結果が今
の国際経済および政治の大混乱の状況で、2022年2月24日のプーチンのロシアによ
るウクライナへの特別限定攻撃が、この不等式の右と左を交換したことにより世界
中の国家がG7(日本も含まれてゐる)と此れに同調する少数の家以外には、この
不等式を次のやうに逆転させたことが今や世界の政治と経済の大きな潮流となつて
ゐることは、ネットの情報でよくわたしたちの知るところとなりました。近時のア
メリカのジャーナリストのタッカー・カールソンによるプーチン大統領へのインタ
ヴューはまことに時代の大転換点で行はれたものです。ですから、これからは経済
にかぎつていへば、
g>r の時代

といふことになります。
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さて、神とこの世の関係の話でした。英欧米の国際的な商売(以後「ビジネス」と
呼ぶことにします)では、契約書を必ず取り交はしますが、其の中には必ず不可抗
力免責・force majeurといふ条項があります。これは天変地異・天災地変などの大
きな異変の起きたことによる甲乙双方の契約履行義務と責任は免責されるといふ条
項で、紋切り型の定型文ができてゐます。そこで、それではこの場合の損害を補償
または保障してくれる世界最初の保険会社の設立はいつかと調べると、案の定とい
ふべきですが、18世紀のイギリスに於いてでした。これは生命保険ですが、輸送
保険その他のビジネス上の損害賠償保険が後を追つたでせう。

「ロンドン当局が記録していた死亡統計などを基にして、死亡経験に基づいた「料
率方式」というものを使った近代的な生命保険会社、世界最古の生命保険会社が興
りました。 それが、1762年に設立されたエクイタブル・ソサイエティという会社
です。 イギリスはその後も経済成長を続け、それと共に保険会社も増えまし
た。」(https://konohoken.com/article/interview-professor/wp14703/#)

即ち、神の起こす大災害(例:ノアの大洪水や三陸沖や石川県沖の大地震など)を
否定する代はりに、そしてそれ故に、不可抗力免責を前提にして一定の条件下での
賠償を行ふ保険会社を設立したわけですから、保険会社の設立と存続とは、一神教
の視点からみると、罪の否定であること、これによつて生まれたのが保険会社とい
ふことになります。絶対神のしたことを人間は、保障の限界はあるにせよ不可抗力
として限定的な甲乙免責分の範囲内でのある部分だけは保険会社は保障しませうと
いふことです。保障と補償は分かち難ひ。しかし、いづれのホシヨウも人力の限界
を最初から超えてゐる。

さて、石川県の元旦の大地震は神の仕業か否か?といふことについて、あなたに考
へてもらひたいと私は思つてゐます。さうさう、金 けのための契約書には戦争も
また不可抗力免責事項に入つてゐるのですが、果たして戦争の勃発は不可抗力であ
るにせよー本当に戦争は不可避・予測不可能の不可抗力であらうか?ー、果たして
免責されるべき事項でせうか。ユダヤ人も白人種もともに、神にお伺ひを立てるべ
きではないでせうか。わたしがこれらの、今の国際的な政治と経済の大混乱を悪意
を以て惹き起こした二つの人種に言ひたいことは次の二つのことです。

ユダヤ人のうちの守銭奴たちには:モーゼの十戒に戻りなさい
キリスト教圏の守銭奴たちには:イエス・キリストの教へに戻りなさい

結局、このやうに考察して来ると、一神教の神と西欧米の近代国家の関係は次のや
うになることが判る。
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もぐら通信 ページ46

【結論】
18世紀以降の歴史で、結局ピケティの不等式で証明されてゐる近代国家の共産主義
化即ちグローバリズムの欠陥は、いはれてみればソヴィエト連邦および中華人民共
和国その他の20世紀の共産主義国家を見れば明らかなやうに、行政府の機能の肥大
を意味してゐる。今のEUがさうであり、今の日本の霞ヶ関の官庁の持つ権力・顕
現がさうである。といふことは、上掲図の解法として正しい解法は、行政府機能の
適用範囲の縮小と政治的権力・顕現の拡大といふことである。
今のアメリカの「内戦状態」とは、大統領および立法府の権力・権限を行政が支
配しようとしてゐるのだといふことがわかり、上掲図からいつても、これは西欧の
鬼子であるアメリカ合衆国の当然の帰結であると判る。アメリカの姿は西欧の姿で
あると私たちは認識して国家の外交戦略を立案すべきである。
もぐら通信

もぐら通信 ページ47
ネット・モナド論
(39)
貨幣とは何か4
金本位制と資本主義の関係
∼資本主義はそもそもバブルである∼

岩田英哉

貨幣とは何か4:金本位制と資本主義の関係∼資本主義はそもそもバブルである∼

貨幣論は通貨・currencyを媒体として論ずることもできるが(例:電子通貨・デジタル通
貨)、しかし一国の経済の話になるので、以後の論は『日本一極国家論』に移します。そ
してグローバリズムといふ共産主義が如何に危険極まりないかを論じます。
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もぐら通信 ページ 48
カフカの箴言

(24)

世界の中に逃げている?

岩田英哉

【原文】

Wie kann man sich über die Welt freuen, ausser wenn man zu ihr flüchtet?

【和訳】

だうやって世界が喜ばしいものだと思うことができるか?そこに逃げるといふこと
以外に。

【解釈と鑑賞】

わたしたちは世界の中に逃げているといふ認識があるのでせう。

といふことは、この文を書いたカフカは、その外へ出たいと思ったということでも
あります。

世界の外に出ると、それでは世界に歓びを感ずることができるのかという問ひには
沈黙してゐる、この行間の意味が、如何にもカフカらしいと思ひます。

安部公房の読者としては、この箴言に『S・カルマ氏の犯罪』の主人公S・カルマ
氏を想ひ出します。この小説では確かに砂漠の世界が脱出先の世界でありました
が、果たして垂直方向に果てしなく成長するリルケ仕様の壁は、主人公に喜びをも
たらしたのでありませうか。
もぐら通信

もぐら通信 ページ 49
ショーペンハウアーの箴言

(19)

贅沢品をどう観るか

岩田英哉

【原文】

Sokrates sagte, beim Anblick zum Verkauf ausgelegter Luxusartikel: “Wie vieles
gibst es doch, was ich nicht nötig habe”.

【和訳】

ソクラテスが、展示されている贅沢品を販売するのを一目みて、かう言った:「し
かし、一体、どれだけ多くのものが、わたしの必要としないものなのか」と。

【解釈と鑑賞】

釈不要の箴言ではないでせうか。

ソクラテスのアイロニーといふならばいふことができませう。反対からものを観る
といふことです。
もぐら通信

もぐら通信 ページ 50
縄文紀元論
Topology
(40)
5.55 息栖神社(2)/

岩田英哉

5.55 息栖神社(2)
5.55.1 猿田彦大神について(2)

書きたいことが一杯あつて筆が追いつかない。しばし待たれよ。次号まで。
で
もぐら通信

もぐら通信 51
ページ

東 イツ回想記

(7)

吾輩は熊である

岩田英哉
ド
もぐら通信

もぐら通信 52
ページ

鹿島日記

(5)

岩田英哉
もぐら通信

もぐら通信 53
ページ

【も ら通信の収蔵機関】

国立国会図書館、「何處にも無い圖書館」

【も ら通信の編集方針】
1. も ら通信は、安部公房ファンの参集と交歓の場を提供し、その手助けや下働き
をすることを通して、そこに喜 を見出すもの す。

2. も ら通信は、安部公房という人間とその思想及 その作品の意義と価値を広く
知ってもらうように努め、その共有を喜 とするもの す。

3. も ら通信は、安部公房に関する新しい知見の発見に努め、それを広く紹介し、
その共有を喜 とするもの す。

4. 編集子自身 楽しん 、遊 心を以て、も ら通信の編集及 発行を行うもの


す。
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