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第1章イントロダクションと研究方法論
金児嘵嗣

1.イントロダクション

[1]宗教心理学とは何か
これまで宗教心理学の定義はさまざまになされてきたが,もっとも一般的な
のはサウレス(1110111633,1971)によるものである。彼は『宗教心理学入門』の
なかで,宗教の心理学的研究とは.「非宗教的な行勋の研究から得られた心理
学的原理を宗教行動に適用しようとしている研究である」と述べている。ここ
でいう宗教行動とは,目に見える宗教行動のみならず.神やその他の超越的な
力の存在や影響を信じる人びとの態度,価値観,経験などを含んでいる。この
定義は,心理学的な視座から宗教心理を研究する心理学的宗教心理学と呼ばれ
るのに対して,宗教学の立垛から宗教心理を研究する宗教学的宗教心理学もあ
る0

また,ベイト-ハラーミ(86丨1ゼ汕311〇1丨,1984)は心理学者の宗教研究を次の
3つに分類している。
①宗教的心理学:護教論的な観点から研究したもの。
②宗教心理学:宗教現象の心理学的解釈に焦点を据えたもの。
③宗教社会心理学:謖教論的な立場を離れて.宗教と宗教性の社会心理学
的な相閲を研究したもの。
教団の内から宗教を見ている限り,①の護教論に傾きやすく.それは一種の
いかがわしさを与える。学問としての普遍性を追求するには外から見る②や③
の姿勢が必要とされる。
なお社会心理学という学問は,人間は常に社会的環境から直接または間接的
4 第丨窣イントロダクションと研究方法論
に影领を受ける存在であることを認識しつつ.その人問の内部の心理学的諸過
程を科学的に研究することをめざす学問である。したがって,ここでいう宗教
社会心理学とは.個人に及ぼす社会的諸環境の影響を考慮に入れて.その個人
の生活における宗教意識や宗教行励の特質.またそれらの意識や行動がもたら
す帰結を科学的に説明することをめざしている。
本#で扱う宗教心理学は②や③の立場にたつものであり.実証的な研究方法
を用いた心理学的宗教心理学研究や宗教社会心理学研究を中心に概説する。

[2]現代の宗教心理学研究の動向
“はしがき'' で述べたように,1976年アメリカ心理学会の研究部門に,第
36部門として-宗教的問題に関心のある心理学者”のグルーブが設けられた
頃より.アメリカでは宗教心理学に閲する研究は急速に増加し,宗教心理学
のテキストも毎年のように出版されている0学術雑誌においてもその傾向は
認められ.既刊の“1〇(1代〇1 /〇ァ也6 866れ郞51仪卸。/尺6秘071”や “7116尺仰ミ610
0/^6100113尺63607X1ぐに加えて,“71161711^10.1X0110.1/〇バ116吻〇11〇1〇ぬ〇/
办%‘0”"と“尺68^01^丨1 “I仇6 3〇01〇1 80167111^10 5故办〇/触が〇於”が1990年に刊
行,“胁”切/ N€01111,尺61切〇”, 〇”(! 01111''が1998年に刊行された。
この問の宗教心理学においてスピリチュアリテイ(3口丨11111&11け)という概念が
浮上し.それに関速して健康や死の問題といったテーマが注目されてきた。こ
の傾向は我が国でも同様であり.本喾においてもそれぞれの章で概説している
ので.詳細はそちらを参照されたい0ここでは,宗教心理学研究の歴史のなか
で.質問紙法による調査で度々使用され,逭要な影響を与えてきた宗教的志向
性に関して紹介しておく。
[3]宗教的志向性
人の性格が十人十色といわれるように.宗教への接し方もさまざまであ
る。こうした種々の信仰スタイルを特徴づけるのが宗教的志向性(N1丨由0113
0116111&11011)であり.そのうちもっとも有名なものがオルポート(A111301^1966)
による内発的宗教(丨011*103*1(: 1*61!运00)と外発的宗教(6X11*1113丨(:1*61丨が011)の分類で
ある0これは.信仰理由がその人の内部にあるか,外部にあるかによって判断
2.研究方法綸 5
されるものである。オルボートとロス(ん1口〇バ公尺033,1967)は「外発的に動機
づけられた人は宗教を利用する(11363)が.内発的に動機づけられた人は宗教を
実践する(1丨代3)」と述べ,宗教的情操の分化の程度が宗教的志向性を規定する
とした。そして,内発的宗教と外発的宗教を測定するための「宗教的志向性尺
度」を開発した。
我が国では.日本人の宗教性を測定する目的で.向宗教性,加護(報恩)観
念,霊魂(応報)観念の3つの宗教的志向性を提唱した金児(ぬ〇6让〇,19901))の
研究がある。金児(1995¢)によれば「向宗教性とは.一般的な意味で宗教に対
して好意的態度(接近)を示すのか,否定的態度(回避)を取るのかという次元に
閲するものである0加護観念は風俗や年中行事としての軽い宗教との結びつき
に親しみを感じ,自然にも敬虔な気持ちをもった宗教性である。これが強く働
くと神仏の加護や報恩感謝の念となり.オカゲさまという恩情感がこの宗教性
の中核を成す0盡魂観念とは霊的存在への信仰,死者への畏怖の感情,あるい
は願い事をかなえたり祟りや罰を与えるような人知を超えた存在に対する畏怖
の念.あるいは輪廻転生を信じること.そうした観念の複合したものである0
いわゆる,タタリ意識という情念の観念に相当するといえる。したがって.向
宗教性とは常識的な意味での宗教.つまり教団-教義-儀礼-戒律といった目
に見える要素からなる宗教に対する態度であるのに対して.加護観念と鋈魂観
念は.日本人の心の深層に隠れている原始的心性— —民俗宗教性あるいは固有
信仰— —であり,当人も通常それを宗教であるとは意識しない宗教性である」
(口.51)としている。金児のこの尺度は日本人の宗教観,宗教意識を測定するも
のとして,これまでさまざまなサンブルを対象に用いられており,尺度の信頼
性と妥当性が証明されている。

2.研究方法論
自然科学や人文,社会科学を問わず.ある学問が学として内外から認知さ
れるためには,その学問における問題の解明のための悄報収集の手続き(方法.
爪6出0(1)と,その手続きについての論理的な談論(方法論,1116出0(1〇1〇灯)とが
十分になされ.問題解明のための妥当な方法が確立している必要がある。科学
6 筘1章イントロダクシヨンと研究方法論
としての心理学では.方法論に閲して2つの躲本的問題が論議されてきた。1
つは.研究対象に対してどのようなアブローチをなすべきかという問題.もう
1つは測定に関わる問題である。これは心理学の研究全般に通底する問題でも
あるのだが,宗教の心理学的研究に引き寄せて方法論の諸問題を整理すること
が本節の目的である。ただし.測定論上の問題については他所ですでに論及し
た(金児,1997)ので.ここでは前者について論じることにする。
心理学の研究には客観性と再現性が要求される。このことを実現するための
方法はいくつかあり.そしてそれらの方法は相互に補完的な関係にある。たと
えば.グロックとスターク(01〇(±65131女,1965)が宗教性の表出次元として提
示した信念,経験.儀礼,教義の4つの次元は.それぞれ心理学でいう態度,
感情.行動,知識に相当するが.それらの宗教心理学的要因を研究対象に据え
るにあたってとられる方法には,唯一無二のものがあるわけではない。以下で
述べられる諸方法や諸技法は.それぞれ長所と短所を併せ持つが.同じ研究対
象に対して複数の方法を用いて,それぞれの方法の長短を相補うことによっ
て.客観性と再現性が高まり.延いては理論的発展が促進されることになる。
心理学における研究法は.記述的研究,相閲的研究,実験的研究の3つに大
別することができるが,以下では.ほぼこの順序に沿って論を進めていきた
い。

[1]個性記述的方法と法則定立的方法
研究の出発にあたり.特定個人の生活における宗教に関心がある場合と,人
びと一般の宗教に閲する客観的.普遍的な法則に関心がある場合とがある。
それぞれの閲心に応じて.採用される方法は異なる。前者は個性記述的方法
(1(11081*31)1110 11161110^),後者は法則定立的方法(000101116此11161110(1)と呼ばれて
いる0
個性記述的方法では.特定個人に閲する情報を可能なかぎり収集し,その人
についての心理学的解釈が試みられる。特定個人は現存する人物でもよいし,
故人であってもよい。この方法の前提とするところは,特定個人を完全に知る
ことができたなら.他の人に閲する洞察をも得ることができ,それによって宗
教的人問についての理論化が可能になるということである。この方法では,生
2.研究方法益 7
の人間の宗教生活が時間系列に沿って総合的に伝えられるので.リアリティの
高い研究ができるという利点がある0この種の研究は,我が国では主には宗教
学者(例:島蘭.1992)や精神医学者(例:小西.1988)によって行われてきたが.
心理学の領域でも大橋(1998)による多年にわたる労作がある。
しかしながら他方において,個性記述的研究から引き出された結論にどれほ
ど一般性があるのかという問題が存在する。厳密にいえば.その結論はその特
定個人に限定されるものである。その人の宗教生活に閲するすべてを知ったと
しても,それを他の人びとの宗教生活に一般化することはできない。このこと
は比較文化的研究においてもっとも大きな問題となる0イスラエルのあるユダ
ヤ教徒の宗教心理学的側面に関する知見に基づいて.日本のある仏教徒の宗教
心理学的結論を引き出すことはできない。
だが,個性記述的方法には2つの蜇要な貢献がある。第1に.人びとの類似
性が高ければ,個性記述的研究による結果を他の人びとに一般化しうる可能性
がある。たとえば,生死の問題に悩んでいる人を援助するという点では,たと
え社会的^文化的背景は異なっていても,僧侶も牧師もカウンセラーも同じ問
題に対処しているという意味では.信徒の生死の問題に対する特定僧侶の個
性記述的研究を.牧師やカウンセラーに一般化しうるということである。第2
に,個性記述的方法は,宗教に関する理論構築へと至らしめ,その理論を検証
するための仮説や研究課題を提供してくれる。
一方.法則定立的方法は個性記述的方法と対照をなしている。個性記述的方
法は特定個人に関する深い知識を得るのに対して.法則定立的方法は多くの人
びとに関する広い知識を得る。法則定立的方法では,一人の人間における宗教
生活のすべての側面を知ることにはあまり関心がなく,宗教に影髁を及ぼす一
般的な原理に関心がある。したがって.通常は.問題となっている心理的,行
動的次元に関して多数のサンブルが研究対象とされ.仮説上の平均人に閲する
結論に到達することになる0よく知られているスターバック(5131七11(士.1899)
による回心年齢に関する調杏研究は.この種の研究の初めてのケースであっ
た〇彼はこの研究から.回心の平均年齢が16歳であることを見いだし,宗教
的回心を靑年期の危機に帰蒞させた0このように.法則定立的研究によって理
論的展開が促進されるという利点がある。しかし.この方法では特定個人に関
8 第1車イントロダクションと研究方法論
することは何も知りえないという弱点があること.そして仮説上の平均人に対す
る例外が常に存在するという点で.一般的結論が曖昧な感がするのは否めない。

[2]現象学的方法
周知のように.フッサール(只11536『1,1936)の現象学は,自然科学の認識方法
を無批判に人間的取象に適用しようとする実証主義的風潮への批判運動のなか
から生まれてきた0心理学における現象学的方法(卩116110111600105103111101110¢!)
も.基本的にはフッサールの現象学によって立つものであり.個人の客体化さ
れた世界ではなく,主観的に経験された世界全体を正確に記述することをめざ
す。宗教経験でいえば.記述されるべきは個人の観点に立った経験の意味であ
る。したがって.観察し記述する際.他者の経験に対する共感と理解が必要と
される0この方法の眼目は,客観的な行動の理解にあるのではなく,私的で主
観的な経験を個別的に理解しようとすることにあるので,個性記述的研究に
とって有力な方法である。
法則定立的研究では見えてこない個人の生き生きした宗教生活が.現象学
的方法によって邀かに描き出される。ジェームズ030163,1902)は,弟子のス
ターバック(5比1311(丸1899)が法則定立的研究をめざし,統計学的方法を用い
たのに対して,[宗教的経験の諸相』では現象学的方法を用いた。そこでは,
伝記や自叙伝,あるいは文学作品を題材として,個人の宗教経験が記述され,
その心理学的意味が分析されている。ジェームズの意図の根底には,個人の宗
教生活はその原因よりもその結果において検証されるべきである,という彼
—流のプラグマテイズムがある。また.彼は宗教経験のなかでも神秘経験と
いった特異な琪例に関心があった。こうしたことがジェームズに現象学的方
法をとらせたのであるが.ジェームズ自身はその著#のなかでスターバック
(5加わ11(土,1899)の結果をいくたびも引用している。このことは,法則定立的
研究と個性記述的研究は相互に補完的な関係にあることをジェームズが認めて
いたことを示している。

[3]ナラテイヴ心理学
ナラテイヴ(抑!,物語)心理学とは一言でいえば.語られた物語を心理
2.研究方法狯 9
学的視座から研究することである(コラム2「宗教と物語(ナラティヴ)」を参
照)〇この方法の前提には.私たちはナラティヴをとおして自己や自己を取り
巻く世界を構成しているという考え方がある。したがって,研究対象者の語る
ナラティヴを対象者に即して読み解いていけば.その人の全体像を把握できる
とする。近年出版された欧米の宗教心理学のハンドブック(れ1〇1112丨&0公
2005)の研究方法に関する章でも.ナラティヴ心理学が紹介されており.ナラ
ティヴ分析は回心の研究に有用であるとしている0語り手が自身の霊的ないし
宗教的な変容の話を構成するに際して.その語り手が自身の文化的や伝統のな
かでどのような言葉を使用しているか.その意味に焦点をあてて物語の分析が
行われる。そして,物語を分析する適切な心理学的な方法として.他の研究者
にもそのような物語構成がなされている原資料が利用可能であり,分析,評価
することができるように,インタビューのテープやディスクをアーカイブとし
てデジタル保存しておくことか'必要であるとされる。精神分析学は,宗教心理
学の歴史のなかで実証的研究における仮説設定の資源となり,大きな影騾を及
ぼしてきたが,ナラティヴ研究のようにデータを公的なものとするため録音や
録画しているのとは異なり.「案楽椅子」とたとえられるように個人的でブラ
イペートなデータに依拠しているとされている(只〇〇づ6 661260,2005)。
先にも述べたように,心理学が科学であるためには.客観性と再現性,そし
てこの2つを満たした公共性が必要となる。そうした意味において.科学的研
究においてはデータを残すということは重要な意味をもつ。ナラティヴ心理学
が公共性を保証するかぎり.実証的宗教心理学研究において蜇要な研究方法に
なると思われる。そして,後述する多履的な学際的パラダイムの観点からも,
今後宗教心理学におけるナラテイヴ研究や質的研究は.蛩的研究と協調しなが
ら進展していくことが望まれる。
[4]内容分析
内容分析(¢01116111;&113175丨8)とは,コミュニケーションやテキストなどの内容
を何らかの方法によって得点化し,その特徴や傾向を分析する方法である〇た
とえば,精神病と宗教との閲係がよく問題にされるか' 健常者よりも精神病患
者のほうが宗教を信じるあるいは宗教的なことを気にする,という仮説の検証
10 第1窣イントロダクションと研究方法論
に内稃分析を用いることができる0何らかのテーマに関して,健常者群と精神
病患者群に対して面接を行ったり記述させたりしたものをデータとして.その
なかに見られる宗教.神.霊魂,祟り.お告げといった宗教的な言葉の質や贽
を検討すればよい。宗教的な言葉の同定にあたっては.研究者の仮説を知らな
い評定者による判断を求めることが望まれる。
内容分析によってカテゴリー化された内容と,その内容の背後にある心理学
的意味とは別問題である。精神病者の語った言葉に宗教的なものが多いとして
も.それが何を意味するかは研究者の理論に銮づいた解釈が必要であり.むし
ろこのほうが进要な課題となる0
この方法は,現存しない人びとをも対象に加えることができるという点で長
所がある。ある宗教家が残したとされる著述がいくつかあり,そのうち真にそ
の人物の著述であるか否かが判然としないものがあって,その真偽を確かめた
いとき.そのテキストに使用されている品詞などを評定項目として内容分析を
すると,あらたな知見が得られることがある。たとえば.浄土真宗に『安心決
定紗』と呼ばれる著者不詳の書が存在する。一説には親胬の曾孫にあたる本願
寺第3世觉如の作とも伝えられているが,覚如の著であることの確証が得られ
ている[口伝钞]やI'執持纱』,あるいは[改邪纱』などとともにその内容を
分析し比較すれば.禀偽のほどに決着をつけることも可能である。
[5]質問紙法による調査
社会学や文化人頚学で行われるフイールドワークも調査と呼ばれるが.心理
学でいう調资(5111^6)0は,通常は質問紙法(¢[1165¢101111351*6 11161110(1)による調杳
を指すことが多く.相関的研究(001*1*61站10031『65631^11)の代表的な方法として
位置づけられ.実験的研究(6X1)61*111161他!『63細^)と対照的な関係にある。質
問紙調赉は現代の宗教心理学におけるもっとも一般的な研究法である。
調逬とは.特定の研究目的のために全体の対象者からサンブルをとって調べ
る手続きを指すのに対して,質問紙とは用具自体を意味する。質問紙調赍の利
点は.一度に大撒のサンブルを得ることができる点にあるが,ワーデイングを
はじめとして質問紙作成の方法やサンブルの抽出法については一定の技法が確
立しており.实施にあたっては細心の注意が必要である(金児.1992.1999)。
2.研究方法益 11

質問紙法では.ある問題に関する一連の質問項目に対する回答を求めたり.特
定の状況においてどのように行動するかについて判断を求めたりするのであっ
て,現実の行動を測定することはできない。
宗教性を測定するに際し.行動測度を用いるか質問紙測度(態度測度)に頼る
かに関しては,精神測定論上の問題がある。実験的研究であれ相関的研究であ
れ,従厲変数として行動測度を用いるのが望ましい。そうすることによって.
回答者が質問に対してどのように思っているかではなく.それぞれの宗教的信
念に応じていかなる行励を実際にとっているかの情報を得ることができるから
である。このように考えると,質問紙調査で測定された態度は.行動を予測で
きないのではないかという問題が生じる(界!(^61; 1969)〇
しかし上記の問題も,フィッシュバインとエイゼン(卩1511136丨11公八】2611,1975)
の提唱した行為-意図モデル(111601*7 1*63800“ 3011011)に鑑みて質問紙を作
成すれば,ある程度緩和されうる(八】沈!!公?131113610,1980; &八】260,
1975)。彼らは従来の諸研究を検討した結果.贸問紙で測定された態度測度と
実際の行勋測度との対応度が高い場合に.両者の間の一贳性が高いことを見い
だした。われわれの行動は.時として熟考され計画されたうえでなされる。ど
の宗教の教えに従えばよいか.どこの神社に祈願しに行こうかといったことに
ついて.かなり考えたうえで決定がなされることが多い0そのような垛合に
は,行動をもっとも予測するのは行勋の意図であり,そして行動意図をもっと
も予測するのは,特定の行動に対する個人の態度とその人の主観的な規範であ
る。特定の行動に対する態度の測定とは,たとえば受験生に対して,「神社に
対する態度」を問うよりも「学問の神様に対する態度」を問うことであり.そ
れよりもさらに「この1年の問に学問の神様に祈願しに行くことに対する態
度」を問うことである。こうした方法によって,態度による行勋の予測力が高
まる0
宗教研究に用いられる質問紙を,それを構成する項目から単純質問顼目と尺
度項目とに分類することができる。単純頊目は直截に測定するためにもくろ
まれたもので,研究者にとって関心のある事項が直截に質問される。「家の宗
教丄「聖谐に昝かれていることを信じるか丄「仏埴に礼拝する回数丄あるい
はある問題に対する葸見などがその例で.項目への回答結果がそのまま測庶と
12 第1章イントロダクションと研究方法論
される。
これに対して尺度項目は.単に意見や人口統計学的変数を調べるのではな
く,何らかの心理学的に意味のある次元を測定するようにもくろまれており.
特定の尺度が測定しようとしているものが回答者にとって必ずしも明白ではな
い。たとえば.どれくらいお祈りをするかと問う質問項目が,単にお祈りの回
数を測定しているのではなく.信仰の深さの程度を測定するための尺度の一部
を成しているといった場合である。現在では,前節で述べた宗教的志向性の
ほかにも.宗教性を測定するために標準化された尺度が多く開発されており,
必要に応じてそれらを利用することができる(例:只051030116¢31,1991)。ただ
し.欧米のキリスト教文化圏で開発された尺度をそのままの形で日本人に対し
て用いることについては,よほどの注意が必要である。とりわけ宗教的態度
は,文化的背贵によって規定される部分が大きいので,日本人の宗教性に適合
した測定項目が必要になる(例:金児,1997)。
[6]自然的観察法
自然的観察(〇伽㈤〇わ56『\^〇11)法では,現実世界で自然に生起する環境が
利用される。後に言及する実験室実験のように,ある仮説を検証するために人
為的に状況を統制するのではなく,現実の生活のあるがままが実験室である。
したがって.この方法の長所は,得られた結果が現実世界の事象を反映してい
ることであり.そして実際の行動を直接研究できる点にある。自然的観察法に
よって,質問紙法では知ることのできない世界を明らかにすることができる
が,短所は質問紙法と同様,相関的なデータにとどまるため,観察された行動
の原因を明らかにすることができないことである。
自然的観察法には,現場観察(6613 0ゎ561^311011)法と参加観察(口31*11(;丨133111:
0ゎ從1^故1011)法がある。現場観察の第1段階は,観察対象に何の制限も加えず
に行励のすべてをありのまま観察し.記述することから始まる。これによって
研究の関心と観察対象が絞られる。したがって次の段階では.そのデータに基
づいてコーディング.カテゴリーを設定し.それに沿って対象者や対象集団の
行動を第三者的立場から客観的に記録し.観察終了後に得点化する。ある宗教
集団でどのような教えが説かれ.信者がそれにどう反応しているかを調べたい
2.研究方法盏 13
とき,その集団の集会の様子を外部者として観察するのである0しかし.でき
るだけ自然な形で観察するといっても.観察者自身もその集会に参加している
ので観察者の主観が入り,記録に偏りが生じることがある。また.観察するこ
と自体が観察状況を通常でないものにしてしまうこともある0この欠点を逆手
にとって,いっそのこと観察者がその集団の一員となって.内側から観察した
ほうがよいとするのが参加観察法である0
参加観察では,観察者は当該集団に加わり.普通の成員として行動する。参
加観察の要点は,観察者が目立たないことであり.対象者の注意を引かないよ
うに,また,状況を妨害しないように気をつけなければならない。参加観察は
集団の内側からデータを収集するので.他の方法では得られないユニークな結
果を得ることができる。社会心理学者にとって参加観察のバイブルは,フェス
テインガーらぼ63110供!"61 31.,1956)の古典的研究I"予言がはずれるとき』であ
る。彼らは世界の終末を予言したアメリカの信仰集団に入り込み,数ケ月間に
わたってその活動を克明に観察し,予言がはずれた後.この信仰集団の布教活
動が以前よりも活発化するという現象を,集団に作用する社会的影響力と認知
的不協和(00^11丨加6 ^13501131106)(卩68110861;1957)から説明した0

[7]特異な事例に関する研究
上に述べてきた方法を駆使して,逸脱集団や特異な人びとについて研究する
ことが可能である。その研究結果は.妥当であるかぎりにおいて.普通の人び
とに一般化することもできる。うまくいけば,フェスティンガーら(卩681111261^
6131.,1956)の研究のように,特異な人びとと彼ら彼女らを取り巻く普通の人
びとに関して多くのことを知ることができ,信仰集团に锄く社会-心理学的な
メカニズムを解明することができる。
周知のように,フロイトは神経症の患者を研究し,そこから引き出された理
論を健常者に適用した。たとえば.フロイトの宗教観についていえば.第7章
でも述べるように.宗教は幼年時代のエディブス‘コンプレックスであり.父
親に対する尊敬と反抗のコンブレックスが,神のイメージに投影された幻想に
過ぎないとしたぼ1^11(1,1927)。神経症者にも健常者にも共通の心理機制を見
いだすというのはフロイトの一貫した姿勢であるが.これは彼の徨富な臨床体
14 第1荦イントロダクションと研究方法論
験から得られた,人間の深屑心理に対する深い洞察があったからこそ成しえ
たことである。宗教経験に関するジヱームズ〇311163,1902)の深い洞察もまた.
神秘的な宗教経験の事例に茈づいている。宗教の心理学に対する蜇要な貢献
が,このように特異な事例の研究に負うところが多いのは事実である0
しかし.特興な事例の研究は,諸刃の剣でもある。特異な集団の研究から.
一般の人びとに関する結論を引き出そうとする際,過度の一般化に注意しなけ
ればならない。心の病をもった患者だけを観察して,宗教は総じて精神的健
康を窖するものである,との結論を引き出すことも起こりかねない(例:已出3,
1962)〇とりわけ宗教心理学においては,特異な人びとの事例に関する研究と
普通の人びとに関する研究とが.均衡を保ちながら行われる必要がある。その
ことによって,法則を導:き出すことができると同時に,逸脱行動を予測するこ
とも可能となる。たとえば.逸脱染団による特異な事例として.オゥム真理教
事件を取り上げて説明してみよう。
麻原彰晃を教祖とするオゥム輿理教が組織的に起こした一速の犯罪事件は.
坂本弁護士一家殺害事件(1989年)に始まり.松本サリン事件(1994年),目黒
公証役場祺務長の拉致監禁致死事件(1995年).地下鉄サリン事件(1995年)へ
と拡大していった。カルト毋団が引き起こしたこの事件は,宗教の暗部をえぐ
り出し.宗教の光と影をさまざまな角度から再考させた。しかし,この教団の
もつ宗教性を他の宗教集団に軽々に当てはめることは禁物であるし.逆にこの
教団の特異性と教祖の人格の異常性を過度に強調して.他の宗教集団延いては
一般の染団とはまったく異なる特殊な存在であると断じてはならない0この事
件では.マインドコントロールの技法が注目を集め,宗教はマインドコント
ロールであるとの言説が流布した。だが.社会心理学の領域で蒂稂されてきた
態度変容や社会的影髁に閲する理論によってこの技法を説明することが可能で
ある(西田,1995)。また.染団力学(取0叩(170301丨¢3)の立場から見れば.この
事件を染団が時として陥る恩かな意思決定の速続と拡大とみなすこともでき
る。強力なリーダーが強い指導性を発邡し.染団の士気と結束が非常に強い
と.批判的な思考や冷静沈蒞な意思決定ができなくなり.愚かな集団決定に陥
ることがしばしばある。ジャニス031118,1972)は米国における外交政策の決定
過程で見られた誤りを分析し,これを集团的浅磁(取0叩出丨也)と名づけた〇そ
2.研究方法淦 15

の症候群とは,極度に楽観的で不敗の幻想をもち,自分たちの行為を正当化
し,集団決定の非倫理性や反道徳性に目をつぶってしまい.敵の集団は恩かで
あるとの偏見を抱き.自分たちの決定に同意しないメンバーに対して同調する
ように圧力をかけ.その同調への圧力が強力であるため,自己の抱いた疑念を
自分で低く評価し.集団から逸脱したメンバーを見張る忠誠者が出現するとい
うものである。これらの症候群は,オウム輿理教にもそのまま当てはまること
に気づかれよう。要するに.一見特異と思われる現象も.普遍的な心理学的原
理によって説明することが可能であり,それによつて理論の深化がなされるの
である0宗教の心理学的研究の目標の1つは,このように宗教現象を心理学や
社会心理学の一般原理によって説明することにあるといえる。

[8]実験的方法
心理学の研究がもっとも厳密な形でなされるのは実験室莢験(丨3わ01*3101*7
6X1)が016111)である。この方法によって,原因と結果について適切な結論を引
き出すことができる。実験的方法によってもたらされる結論は,典型的には
「変数六の変化が変数8の変化をもたらす」という陳述であるが,宗教の心理
学でいえば.たとえば「信仰をもつことによって死の不安が軽減される」との
言明である。現実に実験を行うことが不可能で,他の方法を用いる場合でも,
実験室実験は心理学の研究において論理上の原型をなしている。実験的研究に
は,精確さと明快さが求められるが,実験的研究のみならずすべての研究は,
そこで使用されている手続きや結論の導出に間して.この要請に照らして評価
される。
これまでに述べてきた諸方法によっても.科学的知識を得ることはできる。
しかし,実験的方法の優れた点は.科学的知識の獲得ということよりもむしろ
反証を得ることができるという点にある。特に.宗教心理学のように価値判断
の影響を受けやすい研究領域では,データ収集の過程で研究者自身の価値判断
が混入しやすい。記述的研究はもちろん.相閲的研究もその懸念は免れない。
実験的方法は,研究者の理論にっいて.それを反証できる機会を提供するとい
う点で.他のどの方法をも凌駕している。その意味で.荬験的方法は科学的研
究をなすためのもっとも有力な方策といえる。
16 箔1伊イントロダクションと研究方法論
標準的な荬験では.独立変数が操作され.独立変数の変化に応じて従属変数
が変わるかどうかが調べられる。たとえば,宗教的な観念を抱くことが情動
を引き起こすかどうか知りたいとしよう。そこで,ある群の被験者(実験群)に
は宗教に関する単語リストを,別の群の被験者(統制群)には中性的な取語リス
卜を提示する。実験群と統制群の被験者は.無作為に割り当てなければならな
い。独立変数は堆語リストである。情動反応が生起していることの証拠として
手の平の発汗による皮埘伝翦反応を調べる0これが従厲変数である0この手続
きによって.宗教的な單語を示された人が,中立的な犁語を見せられた人より
も悄動反応(皮描伝導反応)を多く示すか否かを調べることができる。もし実験
群が統制群よりも大きな皮确伝導反応を示したなら.宗教的な単語を見たり宗
教的な観念を抱いたりすることによって.情動的覚醒が弓丨き起こされるという
主張に対して,1つの証拠が与えられたことになる。つまり,宗教的観念と情
動的覚醒との問に関連性があるという陳述にとどまらず,因果の関係を提示し
えたということである。そして,統制された実験においては,この主張の確証
を得るための追試が可能であることも大きな長所である。
上に述べた標準的な実験は,実験室において被験者を無作為に割り当て.統
制群との比較をとおして仮説を検証することから純実験(比116 6乂1)61^611〇と呼
ばれる。現在までのところ.宗教心理学の分野ではこのスタイルの獎験はそ
れほど多く行われていない。1960年から1970年までの間になされた研究のう
ち,実験的研究はわずか2%に過ぎないという報告もある(评3び611,1976)。宗
教の心理学的研究において実験を行うことが妥当か否かについては.これまで
いくつかの論争がなされてきた(8315011,1977,1979,1986; 〇〇咖吐,1982; V63113
げ,1979)。実験的研究が実際的にも倫理的にも可能であるなら,それを
遂行すべきだという合意が心理学一般にはある。しかしながら.宗教の心理学
的研究では.信仰のある側面に独立変数として処理を施したいとしても.研究
者自身でその変数を操作できないことのほうが多い。回心の効果について関心
があったとしても,回心を引き起こす環境を実験的に創造するのは困雖である
し.それ以前に倫理的問題がある。そうした問題に遭遇したときに有効な手法
として,実験室奧験と相閲的手法以外に,現場実験(行613 6X1)601116111;)と自然
実験(031111*316\口6如16111)という2つのタイブの手法がある。
2.研究方法狯 17
現場実験は独立変数を実験室実験ほどには精確に統制できないが.ある程度
独立変数を統制することができる。ある群には処理を施し,別の群には処理を
施さないという意味では.現場実験は実験のスタイルを保っており.統制群と
の比較において処理の効果を調べることができる。この種の実験の例として
バーンケ1966)の研究を紹介しよう。被験者は聖金曜日(復活祭前の
金曜日)の典礼に参加した神学を専攻する20人の学生で,彼らのうちの半数に
は典礼前に幻覚剤サイロシビンを投与し,残りの半数には幻覚が生じることの
ない偽薬を投与した。典礼終了後に147項目からなる質問紙調査と面接調查を
行った0その結果.サイロシビンを投与された群は.典礼の最中に統制群をは
るかに上回る神秘的な宗教経験を示した。
バトソン(831800,1977)は,上記のパーンケ(1^111^6, 1966)の研究を数少な
い純実験的研究だとしている。しかし.厳密にいえばこの研究は純実験とはい
えない。その理由は.典礼に参加しようとの意図を最初からもっていた神学生
が被験者とされていたことである。彼らは神秘的な経験への志向性を実験以前
に有していて,幻覚剤の投与はその志向性に拍車をかけただけかもしれない。
したがってその場合は,幻覚が神秘的な宗教経験を引き起こしたという因果関
係の主張には留保が必要となる0
とはいえ.現場実験の長所は.(1)完全ではないにしても.研究者が独立変数
の処理を統制することができ,独立変数以外で従厲変数に効果を及ぼしている
変数(剰余変数)の混入をある程度防ぐことができること,(2)研究が現実場面で
なされるので,結果を現実世界の状況に一般化できることである0しかし,条
件統制は実験室実験に比べて困難であり.たとえそれがうまく行えたとして
も.従属変数の測定が皮相的にならざるをえないという弱みもある。
自然実験は現場実験とよく似ているが.違いは自然実験では研究者自らが独
立変数に操作を施さないという点である。自然(〇故虹6)という名称は.人為に
よらず自然が研究者に成り代わって変数操作を行い.研究者はただその効果を
記録するということから与えられたものである。宗教的回心を実験的に引き起
こすことができず.したがって回心による心理学的効果を直接調べることがで
きないとしても,宗教的集会など.回心を生じさせると思われる現実場面にあ
らかじめ注目しておき.事前に個々人のデータを収集しておく。そして.その
18 笫1荦イントロダクションと研究方法論
集会において回心が生じるチャンスを捉え.それによって回心の効果を検討す
ることが可能である0

[9]準実験的方法
上に述べた自然実験や現場実験は.実験のスタイルをとってはいるが純実験
ではないという意味で.準英験…1135丨モX?6111116〇1)と呼ばれている。
キャンベルとスタンレー(03111口わ6116 51311167,1963)は.実際的にも倫理的
にも純実験が不可能であることが多い教育場面において.立ち遅れている理論
の検証と粘緻化を促すために,この準実験的技法を提唱した。その意図すると
ころは,純実験が不可能な場合,可能なかぎり純実験の恶準を満たす実験計画
を考えるということである。たとえば,被験者を無作為に割り当てることが不
可能ならば,無作為割り当てでない群を設けることで妥協する。独立変数を操
作することができなければ.自然に生起する場面に注目する。
先のパーンケ1966)の実験に比べると,純実験の茲準を満たす程度
は少ないけれども.準実験の好例とされるものにパトソン(8313011,1975)の研
究がある0彼がこの研究で用いたのは,無作為に割り当ててはいない集団に対
して.事前と事後に信仰心の程度を測定するという方法であった。まず.ブロ
テスタントの長老派教会の修養会に参加した女子高校生にイエスが神の子であ
ると信ずるか否かを問い,その回答結果にしたがって.信じるグルーブと信じ
ないグルーブの座席に座らせた。このようにあらかじめ2つの集団に彼女たち
を分けた意図は.公衆の面前で信仰告白をさせて自身の信念をいっそう強める
こと.また,同じ信念を抱く狼団との一体感を高めることにあった。次に.信
仰心を測定する質問紙に回答を求めた後.キリスト教は人を欺く教えであるこ
とを明らかにしているかのようなニュース記事を読ませた。全員がその記事
を信じたわけではないが,約3分の1が本当だと信じた。フヱスティンガー
(?6311112^,1957)の認知的不協和理論が予測するとおり,その記事を本当だと
思った者は.続いて行われた信仰心の測定ではさらに強い信仰心を示したが,
記事を本当だと思わなかった者は信仰心の商まりを示さなかったこの研究
は,人は自己が抱く信仰の不当性に直面したとき,さらにその信仰を強めるこ
とを明らかにし,フェスティンガーらぼ6311118打¢131.,1956)の参加観察による
2.研究方法論 19
知見をより厳密な方法によって確かめている。また.これらの研究結果から.
あのォゥム舆理教の信者たちが今なお麻原彰晃の教説を信じ.各地で活動を継
続している一見奇妙な現象を理解することができる。
パトソンらが行ったもう1つの準実験は,相関的方法と実験的方法を混合さ
せたものである(0虹1吖公331500,1973)。彼らの問題意識は.「善きサマリア
人のたとえ」に端を発している。強盗に逍ってけがをした男を.宗教的職能者
である祭司やレビ人は見て見ぬふりをして通りすぎるが,迫害を受けているサ
マリア人は傷の手当をして宿屋まで連れていき.自分の赀用で主人に世話を頼
む。隣人愛の模範例として知られているこの捣話について.ダーリーとパト
ソン(0扯㈣公8313011,1973)はこう考えた0祭司やレビ人が援助しなかったの
は,たまたま置かれた状況のせいであって,宗教のことを常日頃考えている人
は.そうでない人よりも困っている人を助けるはずだ。また,気か’せいている
人は,そうでない人よりも援助の手を差し伸べることが少ないはずだ。
援助行動をとらせるのは宗教的志向性(1*61丨210115 01160131100)か.それとも状
況要因かという上記の問題にアブローチするために.宗教的志向性には操作を
施さず.被験者が反応する状況を統制した。神学校の学生を被験者として,ま
ず事前に6つの尺度から成る宗教的志向性を質問紙によって測定した0その
後,ブリンストン大学のキャンパスに「善きサマリア人のたとえ」に合わせた
場而を設定した。被験者は路地を通って向かい側の別の述物に行かせられた0
その途中.どこか気味惡そうな見知らぬ人(実験者のサクラ)が.寒風の吹きす
さぶ路地の戸口のところで,頭を下げて咳をしつつうめいていた。ダーリーと
パトソンの閲心は.違った実験的処理を施された被験者(気にかかっている事
柄とあわただしさの程度)が見知らぬ人に対して差し伸べるさまざまな援助の
程度を調べることにあった0
被験者が当面気にかかっている事柄については.次のような操作が施され
た0半数の被験者には.向かいの建物に行って「善きサマリア人のたとえ」に
ついて講演するように,残りの半数には,向かいの述物に行って.神学校の学
1)ここでは,記-取を倍じるか倍じないかは被験者の面答によっており.研究者が信じさせる群
と倍じさせない群とを作り出すように找作していない。つまり.被験者を両辟に無作為に割
り当ててはいない。この意味で.準灾联的方法に相当する。
20 笫1章イントロダクションと研究方法論

生がもっとも役に立てる仕事について講演するように依頼した。被験者のあわ
ただしさの程度は3条件が設定され.講演の時間が差し迫っているので間に合
うように急いで行ってほしい.適度に急いでくれたらよい,急いで行かなくて
もかまわない,と教示することによって操作された。
この結果.宗教的志向性は援助の申し出の頻度に直接関係せず.あわただし
さの程度が增すにつれて援助の申し出が有意に少なくなった0気にかかって
いる事柄という変数に関しては.「善きサマリア人のたとえ」の講演群の53%
が援助を申し出たのに対して,「役に立てる仕祺」の講演群は29%にとどまっ
た2、しかしながら.宗教的志向性は申し出た援助の種類に影髁を及ぼしてい
ることが見いだされた。つまり,信仰の動機がその人の外部よりも内部にあ
る内発的な信仰スタイルの持ち主は.援助を求めている人の要求を顧硪せず.
困っている人に対しては進んで助けなければならない.という自身の要求に反
応した援助形態をとった。これに対して.実存的問いに対する批判的で自由な
懐疑一一宗教的探求の発生にっながる懐疑で,探求(¢11163¢)と呼ばれる(第7章
参照)—
—の持ち主は.援助を求めている人の要求を配礅した援助形態をとっ
た0この研究によって.結局のところ.援助行動をもっとも規定するのは状況
要因であって.信仰スタイルや宗教的思惟は二次的なものであることが明らか
にされた。
以上に述べてきたことからわかるように.純実験と準実験にはそれぞれ長所
と短所がある。純実験の長所は.独立変数と従厲変数との問に観察された関係
にっいて.確信をもって因果的結論を下せることである。しかし.純実験では
データが収集される場面が人為的に構成されているので,観察された因果関係
が奕験室の文脈外でも生起する関係かどうかについて疑問が残る。準実験の長
所は.比較的自然な条件のもとで実験を行うことができる点にあるが.因果関
係の主張に関しては純実験よりも劣る。したがって.心理学の研究法の一般論
としては,最善の方法は両者の長所を採り入れることだという結論に至る。す
なわち.理論検証のために純実験と準実験を併用することが望ましい。2つの
2)デイリーとパトソン(〇肛丨灯公8站5〇〇,1973)は.この頻度の通いは統計的に有意でないとし.
宗教的な泔柄を考えているか否かは拔助行動に関係しないとしているが.ベイズ統計学によ
りこのデータを洱分析したグリーンウォルド1975)は.この結說に疑間を圼して
いる。
2.研究方法綸 21
方法で一貫した結果が得られたなら,理論の妥当性が高められる。
しかし,自然な条件のもとで実験がなされうるということが.準実験を用い
る唯一の理由ではない。前にも述べたように,宗教の心理学的研究において
は.純実験的方法を採用することが倫理的にも実際的にも不可能であるのが普
通である。すでに40年余り前.ディッテス(0丨枕68,1969)は.宗教心理学にお
ける主要な問題として,理論の欠如とデータの理論的妥当性の2つを指摘し
た0この事情は現在も変わらない。宗教心理学の立ち遅れは.理論検証のため
の実験的研究がなされていないことによる。理論を発展させるためには,理論
検証のための技法がなければならない。バトソン063130〇,1977)のいうように.
準实験的方法はこのためのもっとも確かな方法であり,反証を可能とする準実
験的研究を稍み重ねていく必要がある。
本邦における宗教心理学分野での準実験的研究には.河野(200615)の看護学
生への入棺体験実験がある。この研究では.入棺体験前と直後,5ヶ月後に縦
断的に宗教観と死生観を測定し.被験者の宗教性によってデス,エデュケー
シヨンの効果が巽なることを明らかにしている0実験計画上の方法論の問題は
あるものの,現場のリアリティをうまく実験に取り込んだ.実践的価値の高い
興味深い研究である(第8草参照)。

[10]多層学際的パラダイム
2003年,八,1似〇!尺—6切(心理学年報)にェモンズとパロウツイ
アン汨01111003 6 101112130, 2003)によって15年ぶりに宗教心理学の評論が発
表された。彼らはこの論文のなかで.これまでの宗教心理学の研究を論評し.
宗教心理学は一般心理学のほとんどすベての領域と閲速するにもかかわらず,
宗教心理学の知見が臨床的応用や健康心理学といった一部の心理学領域以外に
はあまり閲心がもたれていない現状を指摘している。
こうした現状を打開し.今後の宗教心理学の発展のための方法として多層
学際的パラダイム(011x1出6ゾ6丨丨0(;61ゼ丨30丨口1111犯^ 口肛3出即1)を提案している。つ
まり,宗教やスビリチュアリテイのような多面的で複雑な現象を把握するた
めには,1つの学問領域のアブローチでは包括的な知識が得られず.進化生
物学,神経科学.哲学.人類学.認知科学などの諸領域と宗教心理学との対
22 第1伊イントロダクションと研究方法論
話と協同により得るものが多くあると主張する。たとえば.宗教の認知科学
(如か¢3611, 2001; 8紅厂6札1998;抓0011灯, 2000),宗教経験の神経生物学(8厂〇训
61 31.,1998; ^0^0131^,2001;N6油61 31., 2001),宗教の進化心理学(8〇ヅ61;
2001; 10^1531110^ 1999).行動遗伝学(0’011061〇 61 &1.,1999)の刺激的で新しい
成果に彼らは注目している0多層学際的パラダイムでは,複数の学問領域の研
究者が協同するだけでなく,フィールドと実験室,質的と量的といったさまざ
まな研究方法を使用し,多層なレベルの分析データに価値が股かれる。そし
て.宗教現象のような祓雑で多様な事象を単一なレベルの蓥本的な要素に還元
して説明することを避けることが茁要視される。宗教心理学者が他領域の心理
学者と協同して多屑学際的パラダイムを採用することによって,宗教心理学が
さらに発達するであろうと結論している。
日本においても.宗教心理学における多層学際的パラダイムの必要性は徐々
に認識されはじめ,心理学者や宗教学者などさまざまな学問領域の研究者から
なる宗教心理学研究会が2003年に発足している。今後その研究成果が大きく
期待されるところである。
23

コラム1宗教心理学における質的研究の方法論とその可能性
川島大輔
1.宗教心理学の方法と質的研究
宗教心理学における質的研究の方法論およびその可能性について述べるため
に.まずは従来の研究枠組みと質的研究の位置づけを確認することからはじめ
なくてはならないだろろ。
心理学における研究法は.多くの事例から一般的な法則性を導こうとする法
則定立的研究法と.单一事例についての深い洞察から特定個人を内面から理解
しようとする個性記述的研究法の2種類に区別されることが多く.それは宗
教心理学においても同様である(たとえば.本谨の0.6:金児. 2000:杉山.
2001)。
質的研究は個人の内的経験や意味に関心をもつ。それゆえ,宗教心理学にお
ける質的研究は.『宗教的経験の諸相』。3⑺63.1902)などの当該領域におけ
る個性記述的研究の古典をその源流に据えていることは間違いない。しかし質
的研究はそのような背景を有しながらも.言語論的転回や物語的転回といった
ちのの見方に関する革命や.解釈的相互作用論やボスト構造主義といった社会
科字分野における近年の発展の影鑒を多分に受けることで.意味や主体性の復
権に留まることなく.多元性,多様性の探求.中程度に口ーカルで現場に状況
づけられたモデル’理論の構築.そして研究の基盤となる認識論の再吟味をめ
ざすものでもある。それゆえ.一般的な個性記述的研究の枠組みをむしろ包含
した方法論であるといえる。
そこでここでは質的研究を「具体的な事例を重視し,それを文化'社会-時
間的文脈の中でとらえようとし.人々自身の行為や語りを.その人々が生きて
いるフィールドの中で理解しようとする」(やまだ. 2004.ひ8)ものと位置づ
け,宗教理学における質的研究の方法論とその可能性について検討したい。
2.質的研究を用ぃた先行研究
これまで宗教心理学においてどのような質的研究が行われてきたのであろう
か。たとえば松島(2000. 2001.20023)は.プロテスタント(ホーリネス系)
教会の日本人クリスチャンに対しインタビュー調査を行い.そこで得られたエ
ピソードを基に個人史を作成し.その内容を質的に分析することで宗教性や信
仰の深化(発達)過程を明らかにしようとしている。
また杉山(2004. 〇口107-124)は崇教真光道場へのフィールドワークおよ
び聞き取り調査を通じて.信仰の現場においてアイデンティティがいかに構築
されていくのかを明らかにしようとしている。
さらに川島(20083, 200813)は老年期にある浄土真宗僧侶および門信徒に対
24 第1帘イントロダクシ3ンと研究方法論

し半構造化インタピューを実施し.物語としての宗教が個々人の死の意味づけ
とどのように関連するのか.またその関わりは生涯を通じてどのように発達変
化するのかを探求している。
このようにいくつかの研究が報告されているものの.我が国における宗教
心理字領域での質的研究は乏しい。この現状は欧米諸国においても同様であ
り,現実には質的研究は発達の途上にあるといえる(たとえば.日61茂门&
N00(! 2006: 〇3ン,2002: N00。公日6126〇. 2005)。それは1978年から
2003年の間に刊行された関連する2726論文のうち該当するものがわずか
22本(0.8%)であったという報告からも明らかである(八伯〇公门拍2,
2005)〇
3.宗教心理学における質的研究の可能性と今後の展望
それでは宗教心理学における質的研究はどのような可能性を秘めているので
あろうか。それはまさに質的研究が謳ってきた.リアリティーを掬い.主観性
を復権させ.そして認識論を再吟味することに他ならない。これら従来の研究
法では零れ落ちていた多くの側面を掬いうることの意義は少なくないだろう。
また過度の抽象化を避け,現場に状況づけられた豊かな仮説の生成によって.
研究と現場の橋渡しをめざしていることも指摘しておくべき点であろう。
さらに研究者自身の影蓉を結果の客観性を損ねるものとして排除するのでは
なく.むしろ結果の共同構築に不可欠なものとみなす質的研究は「宗教心理学
のように価値判断の影遛を受けやすい研究領域」(金児. 2000)においてもっと
も生態学的妥当性の高い知見を提供してくれるといえる。
研究の方向性についてはフリック屮丨丨01¢.1995)による質的研究のアブロー
チの分類が参考になる。つまり質的研究のアプローチは①主体にとっての意味.
②人間の行為を規定する構造や文化的枠づけ.③当事者の相互行為や談話とい
う3つに区別することができ.たとえば2,において紹介した「宗教性や信仰
の発達過程』「信仰の現場が個人のアイデンティティ構築に及ぼす影響」「死と
宗教との関係性」の研究は特にこのうち①と②に関連するものであるといえる。
したがって今後の研究では③へのアプローチ,たとえば僧侶や神父などの伝道
者間での対話のなかで信仰や自己自身がいかに枠づけられていくのかも.当該
領域における質的研究として扱われるようになるだろう。
また質的研究を志すものは自らの依拠する理論的.方法論的立場を明確にす
ることを常に求められるが.このことは「理論的な脆弱性が指摘されている宗
教心理学」(たとえば,杉山. 2004:㈧リ丨付. 2003)において特に看過できない
問題である。したがって質的研究によって個人の宗教や信仰に迫ろうとするち
のは.多様な質的研究の方法論.たとえばグランデッド,セオリー.アブロー
チ.解釈学的現象学.言説分析.ナラティヴ心理学.そしてエスノグラフィー
などについての理解を深めることと同時に.これら諸理論に依拠した研究を展
開していかなければならないだろう。
25

コラム2宗教と物語(ナラテイヴ)
森岡正芳
门3「「3伽6という英語は.物語の内容と形式.語るという言語行為の両方を
含む。ナラテイヴは具体的な出来事.事象と事象の間をつなぎ筋道を立てる言
語形式であり.その行為を通じて意味を生む。このようなはたらきに注目する
セラピーと参与観察的なリサーチでの新しい動向が1980年代後半より提唱さ
れた。ナラテイヴのどの特徴に力点を置くかで.その様相は異なるが.物語と
いう形式,構造をもとに体験を秩序づけ.再構成することに主眼をおき.主体
の抱える否定的な体験を目己から切り離さず受容し.自己の回復へと導くセラ
ピーやリサ—チの立場を広くナラテイヴ‘ベイズド.アプローチと呼んでいる。
宗教の世界はナラテイヴに満ちている。信仰にはいると.超越者に向けての語
りかけが始まる。それは祈りや瞑想のなかで.内面の営みとしてあるいは,師
の前や,信仰仲間とともに口頭でひそかに語られるちのとして.日夜行われて
いる。また自らの信条を告白した記録は教派を問わず無限に蓄積している。多
くの信仰告白はきわめて典型的な物語構造をちっている。
そのような記録類の分析は心理字的にも重要な価値をちつちのだ。実践行とし
て,告白や体験談を語る場は宗教実践と制度の基本的な枠組みのなかに組みこ
まれている。各教派の教祖の行状は伝記すなわち「生の物語」(13丨〇8「30わソ)と
してつづられ,語り継がれる。そして教えを開くに至る教祖の苦難の道のりは.
信仰者にとっては.信仰を固めるモデルとしてそのままなぞられ,反復される
とともに.後には儀式化されていく。そして宗教の教義そのものが物語という
レベルで霤きとめられ.後には神話化していくことが多い。
このように宗教世界は語りに満ちあふれているのだが,それを捉える手法とし
てナラテイヴ,ベイズド,アプローチは宗教心理学においてこそなじみやすく.
有効に活用されるべきであろう。ナラテイヴ,ベイズド‘アプローチでは常に
個別の生きていることの具体性に焦点があたっている。生きている個人を内側
から描くというもう1つの人間理解へと挑戦するものである。

参考文献
森岡正芳2002物語としての面接ーミメーシスと自己の変客一新昭社
森岡正芳2005うつし趄床の詩学みすず逬房
森岡正芳(編)2008ナラテイヴと心理療法金剛出版
金井漭宏,森岡正芳‘商井俊次,中西符知子(編)2009語りと騙りの間ナ
カニシヤ出版
26

コラム3宗教心理学における尺度構成法
藤島寛
宗教(「6丨!吕100)や霊性(3口1「丨れ131117)の尺度に関する問題として.まずこれら
の尺度がどのような理論を概念化したものなのかという尺度における理論性の
問題がある。ヒル(N111, 2005)は.宗教や霊性に関する尺度を,宗教的傾向に
おける個人差を示す傾性的な4領域とコービングなど宗教の機能的役割と関係
した9領域との2つのレベルに分類している。このヒルによる尺度の分類は,
宗教や霊性の尺度がいかなる理論を概念化して作成されたかという測定上の根
源的問題と関係すると考えられる。すなわち.宗教が常に素因として個人の宗
教的適応行動に影響を与えると考えるのか.それとも手段としての宗教の機首旨
的役割を重視して考えるのかということは.尺度作成における理論性とその尺
度によって何を測っているのかということに関わる根源的問題なのである。ま
た.素因か機能かという問題は,従属変数として長寿などの86〇6「3丨な変数を
用いるのか.それとも幸福感などの主観的な変数を用いるのかという問題とち
関わっている。また.測定の妥当性検討として宗教の機能的役割を考える際に
は,媒介モデルと調節モデルのどちらが適当か考えることも必要であろう。遛
伝的基盤など理論構成を支える要因の検討がまだ十分ではない宗教的な尺度に
おいては.このような変数やモデル構成における詳細な検討によって宗教や霊
性が傾性的要因か機能的要因かとい〇問題に対する方向性を示唆することがで
きるのではないかと考えられる。
次に,尺度の構造の問題がある。パーソナリティ特性を5因子に分類できる
とした.いわゆる‘日1吕ド〜6のように,グローパルな因子として宗教や霊性
の因子を考えるときには.その尺度構成における構造の検討が必要であろろ。
宗教や霊性がいくつかの下位尺度から構成されるとき,その下位尺度に対する
妥当性検討が問題となる。探索的因子分析によって抽出された項目のまとま0
は,あくまで回答による相関的関係を反映したものであって,理論に基づいた
確認的因子分析で示される理論との整合性をちったまとまりとは異なっている。
また.これらの下位尺度が原理主義的傾向や教条主義的傾向などの従来から宗
教との関係を検討されてきたミクロな因子と同等レベルなのか検討する必要ち
あろう。因子構造におけるミクロ.マクロ両レベルの検討によって,宗教や霊
性の尺度の理論性がより明確になるものと思われる。

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