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Polemik Kebudayaan
Polemik Kebudayaan
新しい社会と文化を目指して
しかし実際にはディポヌゴロやトゥアンク・イマム・ボンジョルやテウンク・ウマルが戦っていた時には、
インドネシアを想う気持ち perasaan keindonesiaan はまだなかったし、その兆しさえなかった。ディポヌ
ゴロは「ジャワの地」のために戦っていたし、それさえも「ジャワの地」全体のために戦っていたと言うこと
はできないようなものなのだ。トゥアンク・イマム・ボンジョルはミナンカバウのためであるし、テウンク・
ウマルはアチェのためであった。もしディポヌゴロやトゥアンク・イマム・ボンジョルやテウンク・ウマルが
別の土地に攻め込む機会があったとしても彼らは誰も攻め込んだりはしなかっただろうと保証できる者などい
るだろうか?
崇高なボロブドゥール寺院を生み出した精神は、この 20 世紀にインドネシアという理念を唱える者の胸の内
で燃えさかる魂とは関係がないのだ。
ガムラン音楽とインドネシアを想う心との関係も同様である。ハントゥアに至っては現在の基準では「反イ
ンドネシア」であると断言できる。この物語にはこの島々のある民族を侮辱する内容が含まれているのだから。