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Sutan Takdir Alisjahbana1935

Menuju Masyarakat dan Kebudayaan Baru

新しい社会と文化を目指して

 新たな社会と文化について論じよう。もちろん偉大なるインドネシア Indonesis Raya の社会と文化のこと


であり、それはこの島々の人々が心に描いている社会と文化であり、そしてなによりもこの国家と国民が地球
上にある他の国民と共にしかるべき場所が得られることを願っている者たちの心に描かれている社会と文化で
ある。偉大なるインドネシアの社会と文化について論じるためには、我々はなによりもまずインドネシアを、
その意味を曖昧にしてしまう包み込みや余計な付け足し(bungkusan dan tambahan 意味?)のすべてから
逃れて、その意味するところをどこまでも明晰に理解しなければならない。
 正直なところ、「インドネシア」という言葉の意味は今やまったく混乱してしまっている。民族学者たちの
間では、「インドネシア」という言葉は、フォルモサ(台湾)からインド洋沿岸、マダガスカルからニューギ
ニアまでの範囲の地域の住民すべてを指して用いられている。我が国の日常生活でもこの言葉はすでに非常に
ポピュラーなものとなっている。
 この「インドネシア」のポピュラーぶり、当たり前になった様子をどう描写するにせよ、我々が常に忘れて
はならないのは、ポピュラーになり当たり前になったがゆえに、その意味が広がりすぎて曖昧になってしまっ
たことだ。
 我々の島々に存在するものや起きていること、あるいはこれまであったものや起きたことになんでもかんで
も「インドネシア」の名前が与えられている。
 ディポヌゴロ、トゥアンク・イマム・ボンジョル、テウンク・ウマルなどの人物はもうすでにインドネシア
の英雄ということになっている。ボロブドゥールはかつてのインドネシアの偉大さの証拠とされてしまってい
るし、ガムラン音楽もインドネシア音楽、ハン・トゥア物語もインドネシア文学の作品になってしまっている。

 しかし実際にはディポヌゴロやトゥアンク・イマム・ボンジョルやテウンク・ウマルが戦っていた時には、
インドネシアを想う気持ち perasaan keindonesiaan はまだなかったし、その兆しさえなかった。ディポヌ
ゴロは「ジャワの地」のために戦っていたし、それさえも「ジャワの地」全体のために戦っていたと言うこと
はできないようなものなのだ。トゥアンク・イマム・ボンジョルはミナンカバウのためであるし、テウンク・
ウマルはアチェのためであった。もしディポヌゴロやトゥアンク・イマム・ボンジョルやテウンク・ウマルが
別の土地に攻め込む機会があったとしても彼らは誰も攻め込んだりはしなかっただろうと保証できる者などい
るだろうか?
 崇高なボロブドゥール寺院を生み出した精神は、この 20 世紀にインドネシアという理念を唱える者の胸の内
で燃えさかる魂とは関係がないのだ。
 ガムラン音楽とインドネシアを想う心との関係も同様である。ハントゥアに至っては現在の基準では「反イ
ンドネシア」であると断言できる。この物語にはこの島々のある民族を侮辱する内容が含まれているのだから。

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