You are on page 1of 18

-研究ノ l

村落研究における共同体論的アプローチについて


ょうである。
問題の所在

村落研究における共同体論的アプロ一千について
しかし、現在の農村社会の理解において、村落は本当に意
味がなくなってしまったのだろうか。否である。農村社会は
戦後日本農村社会学における村落の位置づけは、農村社会 確かに大きく変化しつづけてきた。しかし、その激変にもか
の激変とその方法論における村落観とにより、大きく後退し かわらず、また、村落機能の相対的低下にもかかわらず、一
てきた。 部の実証研究によって村落は依然として農村社会の中で機能
きわめて概略的にいえば、一九五0年代の村落共同体論は していることが報告され、主張されてきた。一九七O年の﹃世
農地改革後の村落を解体されるべき封一遺制として否定的に 界農林業センサス﹄における﹁農業集落調査﹂でも、この事
とらえ、一九六0年代の﹁むらの解体論)も、その延長線上 実を前提として、村落は解体さるべき封建遺制としてではな
で村落は高度経済成長下に解体するものとしてとらえた。そ く、﹁小農とともに、好むと好まざるとにかかわらず、またよ

して、一九七0年代の﹁混住化社会論﹂にいたっては、農村 かれあしかれ、存在し機能している﹂︹磯辺、一九六八、九四
社会の都市化・脱農化による非農家の急増で農村内の混住化 頁(︺基礎集団であると理解されていたのである。
が進み、農村はもはや農村ではないと主張し、農村社会の分 このことは、戦後農村社会学における従来の村落観、ひい
析の中から村落という視点は完全に抜け落ちてしまったかの てはその方法論への根本的な問題提示をうながしていると言

1
8
2
一九る 戦伴内の山一町村社会学の方法論、が、一九五(口一一年代の村落共 ばならないと考える。筆者は、階級論的共同体とは、土地所

l
i
川 A H Aの 展 開 過 程 で 形 成 さ れ 、 そ れ 以 降 の 研 究 を 規 定 し て き 有の存在形態によって規定され、共同労働組織を具体的な存
k ことは大万の認めるところだからである︹回一原、一九七一、 在形態とし、共同態を集凶特性としてもつものであると規定
砂勝、一九六三など︺。それゆえに、その方法論において抜け する。したがって、筆者は、このような三つの要素のいずれ
おもてし支う村落の意味を明らかにするためには、ここにも かを実質的に欠落させた共同体は、その解体が﹁市民社会﹂
う一度村落共同休論を取り上げ、その中での論理の展開を明 をもたらすものでないと考える。そのような共同体の解体は、
らかにすることが必要となってくるのである。 生産と生活の共同を基盤とする伝統的な集団累積体である集
さて、今日のこのような村落理解の相違を、筆者は村落共 団論的共同体の解体であって、階級論的共同体はそれ以前に
同体論における階級論的共同体と集団論的共同体との概念規 解体していたのである。さらに加えれば、集団の累積体の解
定上および現実の村落への適用上の混乱によるものと明解し 体は、基礎集団としての村落の解体とも直接的には結びつか
ている。すなわち、 7ル ク ス の い う 共 同 体 的 土 地 所 有 に も ないのである。集団の累積体が解体しても、村落が農業者の
とづく﹁共同体し(以卜、これを階級論的共同体と呼ぶ)と、 基礎集団としての機能をもつかぎり、また、定住者をも含め
農業集落における農家聞にとり結ばれる社会関係および社会 た共同態がある限り、村落は、村落内に残存および新たに生
集団の累積体としての集団論的共同体との.混同によるものと じる共同の契機にもとづき、階級論的共同体や従来の伝統的
考えるのである。つまり、共同体論が農地改革直後の村落の な集団的共同体とは異なる、新たな共同体として再構造化さ
まとまりを階級論的共同体とみなしたため、共同的土地所有 れると、筆者は考える。
という要素が寸共同休﹂概念から抜け落ち、生立体の﹁共同組 したがって、本橋においては、村落共同休をめぐる諸論を
織﹂を﹁共同体﹂と設定してしまい、さらに、共同体論、か共 そのアプローチの方法によって、集団論的アプローチと階級
同体﹂の解体を﹁市民社会﹂の成立および﹁資本主義紅会﹂ 論的アプローチとに分類し、それぞれにおいての階級論的共
の成立という﹁近代主義︿﹂的図式にもとづいたために、﹁共 同体、集団論的共同体、そして村治の位置つけを明らかにし、
同 体 ﹂ の 解 体 を 村 落 の 解 体 お よ び ﹁ 市 民 社 会1 資本制社会﹂ 以上にあげた混乱を解きほぐし、今円の村落研究における共
の成立としてしまったことによるものだと考えるのである。 同体論的アプローチへの足がかりとしていきたい。
筆者は、階級論的共同体と集問論的共同体とは峻別されね なお、本航は、山氏村社会常において-九五0年代を中心に
展開された村落共同体論の検討であり、その他の社会科学に 実 施 が 敗 戦 山 領 1 ﹁民主化﹂という展開のなかで行なわれ
おけるそれに関しては、農村社会学との関連でのみとりあげ たため、必然的に政治的な運動論にもつながっていった。そ
ることをあらかじめことわっておきたい。 して、それは理論的課題のみならず実際的課題をも内包し、
﹁封建遺制⑧﹂などとともに、ほとんとの社会科学で取り上げ
村落共同体へのこつのアプローチ
られるにいたった。
村落共同体論は、そもそも戦後の農地改革後の農村に依然 農地改革がもたらした農村自体の激変をどう担えたらよい
として存在する旧態をめぐり、それが地主制の存続によるも のかという問題は、他の社会科学以上に農村社会学にとって
のであるか否か、という農地改革の評価をめぐる論争の過程 は緊急な課題であった。したがって、農業経済学を中心に提
で、地主制の存続を主張する人々によって提起されたもので 起された村落共同体論を、農村社会学者はそれが経済学的問
ある。地主制の存続を主張する人々は、農地改革までは地主 題である以上に社会学的であるとして、積極的に﹁共同体﹂

村落研究における共同体論的アプローチに勺いて
制下の高額現物小作料によって旧態(彼らはこれを半封建性 概念をとり入れていった。
という)を説明する﹁地代論﹂に依拠していた。ところが、 ところが、農村社会学は、戦後に展開されたものと視角は
農地改革によって高額現物小作料という﹁地代論﹂の根拠を 異なるが、戦前においてすでに、村落構造に関する鈴木栄太
失い、彼らはそれに代わる理論を模索せざるをえない状況に 郎の﹁自然村﹂理論⑨、有賀喜左衛門らの﹁家連合﹂理論﹁セ
たたされた。ちょうどその項、マルクスの﹃資本制牛産に先 有していた。このため、その村落共同体論は、多かれ少なか
行する諸形態﹄が翻訳され(一九四七年)、また西洋史学でも、 れ、これらの理論と農業経済学などの村落共同体論との折衷
大塚久雄・高橋幸八郎氏らが﹁共同体﹂を論じ、この状況に および収倣のもとに提出され、その展開は折衷および収紋に
決定的影響をおよぼした。地主制存続を主張する人々は改革 際し生じた問題に答えていく過程であった。
後における農村の旧態 (l半封建性)をその共同体的性格か 展開の過程には二つの段階があった。第 段階は、従来の
a
ら説明し、その共同体的性格こそ半封性l 地主制の存続の根 農村社会学の方法と階級論的方法との折衷であり、それを代表
拠であるという論拠から村落共同体論を展開したのである︹福 するのは、福武直・余凶博道の二人であった。両者とも農業
武、一九五六・島崎、一九五九︺。このため、村落共同体論は 経済学および西洋史学における村落共同体論に触発され、積
農地改革の評価と密接に関連するばばりでなく、農地改革の 極的に﹁共同体﹂概念および階級的視角をとり入れたが、基

1
:
8
84
本的には、鈴木栄太郎の﹁自然村﹂のもつ﹁むらの精神﹂を
集団論的アプローチ
分析対象とし、それを生みだす集団の累積体を﹁共同体﹂と
したために、概念規定には階級論的視角をとり入れるが、実
質的には集団論的アプローチにもとづく集団論的共同体を論
じたことになったと思われる。つぎに、第二段階は、前段階 農村社会学に﹁共同体﹂概念を導入し‘共同体論の展開を
の福武・余田らの村落共同体論を足がかりとして、より階級 もたらしたのは、福武直であった。彼の村落共同体論は、方
論的視角を中心にすえた段階であり、島崎稔・蓮見立円彦、か代 法論的には、鈴木栄太郎がユ衝の生命であり精神である﹂
表している。彼らは、そのアプローチ、が﹁同族﹂や寸自然村﹂ とした﹁自然村﹂を階級論的共同体だとみなし、それを階級
といった社会関係を中心としてなされるかぎり形態的となら 論的視点から﹁科学的に分析﹂すべきであるという立場にた
ざるをえないし、たとえそのかぎりで階級論的視角を導入し っている。そして、それは、﹁自然村﹂のもつ社会的統性に
ても﹁共同体的構造﹂と﹁階級構造﹂との 一元論的把握を脱
A
もとづく社会的強制を共同体的強制ととらえ、その克服、﹁い
することができないと、福武・余回の研究を批判した。そし いかえれば﹃精神﹄からの解放の方向﹂︹福武、一九五四、二一
て、それを克服するためには、基本的に階級関係にもとづく 四六頁︺を科学的に明らかにすることが農村社会の﹁民主化﹂
べきであるとして、﹁共同体﹂を農民層分解にもとづく階級論 の実現のために欠かせないのだという強い実践的問題意識に
的アプローチによって論じたのである。 ささえられたものであった。
そこで、第一段階を集団論的アプローチとして、福武・余 では、福武は共同体をどう理解しているのか。彼は、大枠
回の共同体論をその代表としてとりあげ、そして、第二段階 としては、共同体を、原始共同社会の共同組織を典型とする、
を階級論的アプローチとして、島崎・蓮見の共同体論をとり 成員の生産力の幼弱さによって存続し再生産されるもの、そ
あげてみたい。まず、次章において集団論的アプローチをと して、そこにおける共同体的士地所有と私的所有の対抗関係
り上げ、その一節で福武の共同体論、第二節で余回の共同体 のなかで私的所有の比重が増大するにともなって歴史的に展
論を検討したい。つぎに、第四章において階級論的アプロー 開し、村落共同体がその最終段階にあるというきわめて階級
チをとり上げ、その第一節で島崎の共同体論、第二節で蓮見 論的見方をとる。しかし、日本の現実の村落をとらえる際に
の共同体論を検討したい。 は、階級論的な村落共同体概念の機械的適用(混在耕地制など
による特殊封建的契機説をさす)では無理だとした。福武は、 く、共同社会性および社会的封鎖性にもとづく﹁生産1生活
村落共同体は、歴史的なものであるがそれは封建制に固有で の共同組織﹂の累積体とそれにもとづく共同体的規制という
はなく、封建制以降においても存続するとする。なぜなら、 集団論的な共同体に近いものだといえるのである。
封建制以降においても﹁共同体的土地所有﹂が存続するから さらに、福武は、共同体の解体に関しても、西欧の資本主
ではなく、﹁相互に依存しあわなければ生産できないという状 義と較べ遅れている日本の資本主義の展開により、農民が村
況から生じた(その限りにおいては平等色町片 YY2
門ともいい 落から自由に移動することが可能になり、また、村落の社会
E 与えど︹福武、一九五六、六一七
うる)共同社会性の巾B巴 経済的構造が開放的になると、生産 生活の共同組織の累積
HH
頁︺が存続するからである。つまり、彼は共同体が上地所有 体は各々の組織が拡散して解体し、新たな﹁地域社会﹂へと
に規定される歴史的なものであると階級論的にアプローチし 移行するというのである。福武は、共同体をこのような生産
ながら、実際には、共同社会性という階級論的共同体と集団 1生活の共同組織の累積体としたため、その異積体の解体が、

村落研究における共同体論的アプロ一千につし、て
論的共同体とを併せた広い概念としての共同体の発生要因を 共同体としての村落の意味の大きな後退をもたらし、村落の
共同体成立の契機とするのである。また、その残存の要因に 枠をこえた﹁地域社会﹂の発生へと結びつくことになる。そ
関しては、日本の後進的な資本主義、が、その展開にもかかわ して、更に、そのような集団論的共同体の解体に、階級論的
らず、村落をおくれた小宇宙として残し、その生産力の発展 共同体の解体パターン、しかも西欧モデルにもと つ
ε
いた解体
を阻み、社会的分業を抑制し、村落の前近代的社会経済構造 パターンを適用したため、﹁共同体l前近代1村落の枠(l共
を維持しているという日本的特殊性をあげるのである。つま 同体的規制)←地域社会1近代市民社会﹂という﹁近代主義﹂
り、福武は、いわゆる資本主義の臼本的特殊性に規定された 的な図式に陥いりてしまったのである。
村落の﹁社会的な重層構造をもたらす社会的封鎖性﹂パ向、八 このように、福武は、改革直後の村落のもつまとまりを階
頁︺を共同体の存続要因だとみなすのである。そして、彼は、 級論的共同体からとらえたために、実質的には共同体的士地
村落共同体を、このような社会的封鎖性の中にある﹁生産 HH 所有を欠く集団の累積体としての集団論的共同体 (1村落)
生活の共同組織﹂の累積体だとみるのである。この結果、福 が階級論的共同体論における共同体解体パターンのもとに解
武の共同体論は、槻念的には階級論的にアブロ v チされなが 体するという混乱におちいってしまい、そのために、村落は、
ら、共同体的土地所有という階級論的共同体の構成要素を欠 分析的にも価値的にも解体すべきものとして把えられてしま

85
RG
ったのである。 管理・労働組織が成立する。しかも、各農家は多くの溝掛り
集団の構成員である。このため、このような部落内の集団は
仁)

全て統合されて部落水利(田)共同態となる。この部落水利
余田博道の村落共同体論は、その﹁溝掛り﹂論に明らかで (回)共同態は、その共同態性にもとづく共同労働組織であ
ある。彼は村落社会の分析の基礎に、福武と同様、鈴木栄太 り、村落の一体性の基礎となる基底的集団、つまり﹁村務が
郎の﹁自然村﹂をすえる。だが、彼は、それが超歴史的で形 一体であるという社会意識、共同意識、また村落の規範意識
態的分析に終わっていると批判し、集団の累積は何らかの秩 の根源﹂︹同右、三六二頁︺であると、余田は、ここまでは階
序をもっているにちがいないと考えた。そして、彼は、福武 級論的アプローチにもとづく特殊封建的契機説をとる。
と異なり、この秩場西洋経済史学におけるゲルマン的共同 ところが、彼にとってこのような部落水利(田)共同態は
体に固有なっ耕区制﹂に類比しうるものではないか(これは、 ﹁基底集団﹂にすぎず、その上にこれも﹁混在﹂にもとづく
特殊封建的契機説と言われる)、しかも、この﹁耕区制﹂が、 私有林野共同態が重なり、そしてこれらの共同態に規定され
集団累積体を貫いてそれを統一する﹁精神﹂は﹁水利の共同 て、一体性をその基礎的特質としてもつ村落的規模の共同態
利害﹂から生じるという鈴木の考察と結びつくのではないか 的諸集団(例えば氏子集団)が累積して、一つの累積体とし
と、独自の共同体論を提示したのであった︹余回、一九六一︺。 ての村落共同態が成立するのである。しかし、この村落共同
余回は、﹁溝がかり﹂にもとづく村落共同体をつぎのように 態も、村落共同体ではないのである。
考える。わが国の耕地は割地であり、一筆は他の一筆と区別 余回の村落共同体とは、部落水利(回)共同態を基底とす
きれ、僧別的独自性が強い。ところが、水稲栽培を行なうか る村落共同態を基礎として(尚この場合、余田は部落と村落
ぎり悶は水路(溝)を除外しては考えられない。この点にお をほぼ同義に用いている)、その上に村落共同態を前提として
いて回は共同性を有する。一本の溝から給水される田の一集 成立している村落共有集団(この中には、いわゆる部落共有
団は﹁溝掛り田﹂と呼ばれる。寸溝掛り田﹂の各一筆は耕作者 集団、例えば共有林野集団、共有道路集団等があげられると
が異なり、その占取は﹁混在耕地﹂形態を示す。したがって、 し)が重なり、また、その上に、土地占取の相対性独立性を
各﹁溝掛り田﹂には、水利の共同を媒介とする共同態⑫(これ 基礎とする生産の私的性質にもと,ついて現われる諸集団や、
を、余国は、土地所有の集団性にもとづく集団だとする)的 住居の隣接関係を基礎とする部分的集団、さらに家共同体あ
るいはそれを基礎とする諸集団が集積し、そして、このよう ならば別の話であるが、右の意味は農村のおかれた環境が体
な集団の累積体が一体性を保っている場合に、それを村落共 制としての資本制であるということであろう。しかしこのこ
同体だと呼ぶ、きわめて集団論なアプローチをおこなうので とは、農村そのものに資本制が.般的に確立しているという
ある。 ことではない己︹余回、 九六一、
a
一三一頁︺とみる。つま
a
つまり、余国の村落共同体は、部落水利(問)共同態を基 り、彼は、 u本の場合体制として資本制でも、農業自体がそ
底とする村落内の全ての集団の累積体である。そして、村活 れ以前の段階だとみる。そのために、彼は、共同体を集団論
共同体のもつ社会意識つまり﹁むらの精神﹂は、この部せ冷水 的共同体だとしながら、共同体の存在を封建性と結びつけ改
利(問)共同態が生み出すもので、その他の集団は、この﹁む 革後の一村洛をやはり前近代的村落共同体つまり、階級論的共
らの精神﹂を集団特性として備えていてもそれ自体は I
むら 同体だと見なすのである。
の精神﹂を牛み出すものではなく、部落水利(旧)共同態の さらに、その後の段民層の一部のと昇・多数の賃労働者化

チにつレて
成員によってその集団が構成されているためだという集団論 による農家の独立性の強化・村落の範囲を超えた機能集団の
的規定をおこなう。ところ、が、一方において、階級論的視点 発生法士、の状況とともに、﹁村落共同体は、かくして消滅の方
から、余田は、その村落共同体の物的某盤を、生産の幼弱性 向にあるがなお未だこれを支えるものとして零細耕地の溝が
や集団の累積性、また、共有林野などの共同体的所有および かり分散所有に某つつく村落共同態の存レ仕に注目する必要があ

村議研究における共同体論的 7 プロ
管理・利用などに求めるのではなく、部落水利(回)共同態 る﹂︹余旧、一九六八、円七頁︺としている。つ空り、集団累
における﹁混在耕地いと﹁蒋掛り﹂とから生じる共同態件に 積休の解体化により村落共同体は消滅にむかっているが、村
もとづく共同労働に求めるのである。つまり、余田は、村落 洛共同態は存続していると主張するのである。
共同体を集団的に規定し、部洛水利共同態を階級論的に規定 余田は、村落を自然村だとみなし、その一社会的統一性を村
するという、福武同様なアプ?i チにおける混乱に陥ってい 落共同体概念で説明しようとした。しかし、それは、特殊封
るのである。 建的といわれる﹁耕区制﹂によって階級論的な村落共同態を
さて、このような余田のアプローチの混乱は、農地改革筒 説明しえても、村落共同体を集凶累積休とするために、その
後 の 農 村 の 見 解 に お い て さ ら に 進 め ら れ る e余国ぽ、﹁日本の 構造は、階級論的視角から離れ、その解体も、その物的基盤
歴史的現実を、農村についても資本制が確立していると見る としての﹁溝、かかり﹂集団の解体よりも、集団累積体の集団

87
i
の拡散と結びつけられており、それは集団論的な共同体だと ﹁近代主義﹂的共同体の解体パターンとは直接結びつかず

f
8
いえるのである。しかも、改革後の村落を前近代的村落共同 に、村落共同体の解体と部落水利(旧)共同態の解体とにず
体だとみなし、特殊封建的といわれる﹁耕反制﹂で共同態を れが生じ、﹁近代主義﹂的共同体の解体パターンを間接化して
説明するのは、資本主義下にある改革後村洛の一般的評価と いるという点を指摘できるのである。そして、その間接化が
異なっている、と指摘できる。また、村落に関してみれば、 幸いしその部落水利(出)共同態が、次章の階級論的アプロ
以上からも明らかであるが、彼は村落を自然村だと見て、村 ーチにおける共同体論へとつながりうるのである。
落それ自体が社会的統一一性を有する社会圏とみる。そのため、
階級論的アプローチ


筆者は、余田においても、村落と自然村と村落共同体とが等
置されるという誤りを指摘できるのである。しかし、福武と


(
異なり、余田は、村落共同体と部落水利(田)共同態とを重
層的にみるため福武の陥った﹁近代主義﹂的解体パターンと 以上のような集団論的アプローチと階級論的アプローチと
直接結びつかず、共同体の解体が村落の解体とは結びつかな の折衷にもとづく共同体論が、そのアプローチにおける混乱
かったのである のために、共同体的構造と階級的構造とを一元化できなかっ
たことを指摘したのは島崎稔である。島崎の基本的見解は、
担)

﹁農民層分解論﹂にある。彼は、村落の変動は村落(共同体
以上、福武・余川を集団論的アプローチとしてとり上げた としての)の解体であり、資本主義的発展による農民層の近
が、両者とも、共同体を階級論的なものとしながら、集団の 代的な階級への分解過程にほかならないとする。また、彼は、
累積体を共同体とみるという集団論的なアプローチをしてい 福武が一言うように、それが外部の条件によろうと、内部的な
ることが明らかとなった。さらに福武の場合は、集団論的共 展開として把握されなければならないとする。したがって、
同体に、まさに﹁近代主義﹂的共同体の解体パターンを適用 村落の類型設定も、現実の階級構成 (1農民層分解の仕方と
し、農村社会学における村落の後退を分析的・価値的にもた その程度)如何にかかっていると、﹁農民層分解論﹂にもとづ
v
らしたのである。また、余凹の場合は、村落共同体と部落水 く村落研究の必要性を説くのである。そして、彼は 地主制
利(田)共同態の三重構造的なとらえ方をしているために、 の存続から半封建的農業構造を説明する説や、共同体は小山駅
生産に不可欠の補充物でありそれが封建的乃全ファッショ的 るのであり、共同体の存続あるいは解体は農民層の分解如何
に再編されるとする説とは別に、﹁民民層分解﹂にもとづく共 から考えられるべきだと主張する。
同体論を提起するのである。 では、島崎は、改革後の土地所有の性格、とくに自作農を
島崎は、共同体の歴史を、所有の総有制から私有でまた どう規定するのだろうか。彼は、農地改革が﹁上から﹂与え
労働の共同から個別への分化という点において、﹁原始共同体﹂ られたものであり、生産力の一増大によりみずからの力で土地
からの漸次的な解体過程にあるとする。したがって、﹁共同体 所有の自由が獲得されたものではない、したがって、改革後
は、山一定の﹁歴史的)性格のもとにある土地所有を基礎と のt地所有は古典的分割地的士地所有とは段階を異にすると
し、間直接生産者間の生産過程における共同組織へ小生産の 規定する。そして、自作農の性格が、農民の自家労働への評
不可欠の補充物)を基本的契機とし、間I地所有と共同組織 価の有無から、新しい商品生産者としての側面と旧い土地所
(究極的にはその下にある直接生産者の生産々の発展)との 有者としての側面のどちらかであるかをみると、土地に対す

村落研究における共同体論的アプロ一千について
対抗関係(後者の前者への従属)のうちに具体的に 仔⋮枕して
j る﹁一種の物神的性格﹂をもっ旧い土地所有者としての側一闘
いる﹂︹島崎、一九五九、一二七頁︺ものと島崎は定義する。 が大である点、さらに農民層分解においても﹁中農標準化傾
つまり、彼は、共同体の物的基盤を共同体的土地所有とし、 向﹂が指摘されている点などから、島崎は、農地改革後の農
その存続要因を直接生産者のん土産カの幼弱性に求め、そして、 村に階級論的共同体が存続するとするのである。
共同体の具体的なかたちとしては生産名の労働評価をもたな だが、このような島崎の見解は、余回のように改革後の農
い共同組織である﹁共同無償労働組織﹂をあげる。分解の指 村が封建制であるために共同体であるという議論ではない。
標としては、生産力の増大による個別生産者の独立化を示す 島崎は、﹁封建的土地所有のもとに固く﹃村落共同体﹄が維持
﹁農民層分解﹂をあげる。なぜなら、﹁農民層分解とは、農民 されているかぎり、問わるべき﹃農村問題﹄は本来的には存
をとり巻く階級的予盾の総体の反映であり﹂︹同右二二六頁︺、 在しない。そこからの解欣の過程、自由な農民層の独立化こ
当時における共同体をめぐる二つの問題である農地改革後に そ、﹃農村問題﹂の成立条件でもある﹂︹伺、一九六五、ム頁︺
おける土地所有の性格も、農村の支配層の性格も、そこから とするように、資本主義の発展の過程における資本主義の﹁農
2
のみ確定されるからだとする。した、かつて、共同体も、農業 業問題﹂として共同体の解体をとり上げるのである。島崎は、
の資本主義的な発展による農民層の分解を通じて変容解体す ﹁﹃共同所有地﹄の有無にかかわらず、小商品生産のもとで、

89
たえず何らかの意味で伐る﹃現物経済﹄的要素が、﹃土地﹄(な した国家権力の末端における支配機構としての部落とを両極 )
(
Q
υ
いし﹃上地所有ヒに結びついた共同体規制!﹃遺制上として として、山民 家
z における資本主義化の進展につれて前者から後
ではあれを解体のうちに維持し、そわは終局的に段業それ 者に移行するものとする。したがって、筆者は、島崎の共同
自体の資本主義化にまで及﹂︹同右、六頁︺ぶものとする cそ
体解体パターンにおいても、福武と同様に村落l共同休の解
して、農民層分解の。プロセスにおけるその﹁小農﹂の﹁現物 体は新しい良民による段付そしてそのもう一つの側面である
経済 L 的要素戸生産ならびに生活慣行ゾの残り方が、経済的 末端支配機構としての部蒸の成立という﹁近代主義﹂的な解
には﹁農業労賃﹂の性格を規定し社会的には﹁共同体関係し 体パターンを背景としてもつことを指摘したいのである。
の残存を規定するとみるのである。
つまり、島崎は、階級論的共同体を、﹁共同所有地﹂の有無
にもとづかない直接牛産者のとり結ぶ社会関係にまで概念拡 このように、村落を自然組織としての共同体だと理解すゐ
張するのである。彼の対象とするのは、慣行の残りとしての 島崎と異なり、蓮見カ臼彦は、河村望とともに、戦後の農村は
﹁共同体関係﹂(集団特性としての)と、それに規定される﹁共 独市資本による支配下にあると理解する︹河村・蓮見、一九
同無償労働組織﹂なのである。それは、本来的な意味の階級 五八︺。だが、彼はその支配が農村内部にある共同体的なもの
論的共同体の解体した後の村落の共同組織を共同体だとみな を利用することによって維持されていると考え、この共同体
したことになるのである。 的なものの検討が、戦後の農村社会を理解するために重要で
そして島崎は、農民層分解にともなう労働か評価の有償化 あることを強調する門蓮見、一九五九︺ 0
により、﹁新しい型の農民﹂がくりだされ、その結果、﹁家父 彼は、共同体を土地の共同体的所有と小炭民の歴史的性格
長的な﹃いえ﹄ 1 ﹃むら﹄を結ぶ共同体秩序から解放されな との関連のうちに規定される、いわば、﹁一つの発展段階一的
がら、新しい型の住民として︿市場関係﹀の支配する農村を なものと定義する。つまり、共同体は上地の共同体的所有と
構成﹂︹同右、一六五頁︺するとするのである。共同体秩序の いう物的基盤にもとづくものと理解し、戦後農村においては
村落から新たな農村へという図式である。また、支配機構の ﹁農道﹂をあげる。また、彼は、それが存続する要因?として
末端としての部落との関連で村落をとらえる場合におレても、 封鎖性をあげ、その解体の指標を農民層の歴史的規定すなわ
共同体としての村落と、村落が自然組織としての要素をなく ち農民層分解とする。そして、彼は、農民層分解の段階から
見て、戦後の農村に共同体がト仔在するとなるのである。 理されているという点である。これは、行政が部落の共同体
蓮見は、共同体の物的基盤である共同体的土地所有として、 的まとまりを再編補強していることを示す。それは、行政経
山林・原野の共同体的所有や水利の共同体的組織が日本農村 費の節約のためであり、部落の連帯の存続によって保守党の
全体において一般的でないとして、部落自治組織の一部であ 選挙地盤の維持のためであり、さらに、部落連帯を利用して
る農道をあげる。なぜなら、農道は、﹁農業生産の遂行に不可 農民層分解に歯止めをかけるためである。つまり、﹁今日の部
欠のものであり、その整備が重要な意味をもっていること、 落において共肉体的特質が再生産されているのは、国家独占
しかも、その名目上の所有はともかく、実質的には部落の農 資本主義体制の下で政治的安定装置という効果をはたすべく、
民によって共同に維持管理されており、その恒常的な維持管 行政補助機構としてくみこまれていることによっている﹂︹問
理の下ではじめて農業生産が可能﹂︹同右、一一一八頁︺となって 右、一九七O、一七二頁︺とみるのである。このために、蓮
いるからだとする。しかも、この農道を管理するための道ぶ 見は、共同体が、農民の側からの要求とともに体制維持のた
しんは、昭和三O年 に お い て ほ と ん ど の 村 落 が 賦 役 と し て 行


めの要求とのム一つの側面から理解するのである。

村落研究における共同体論的アヅロ←チにつ L、
なっている。人夫をやとわずに農民が賦役として労力提供す さて、彼は、共同体を問題とする際に共同体と共同組織と
るのは、農民の自給的性格からもたらされる現物経済性をあ の明確な区別の必要を主張する。﹁共同体は共同組織に表現さ
らわすとして、農道を共同体の物的基盤とみなすのである。 れるものであり、その意味で共同休の存在は共同組織の存在
ところで、蓮見はこの農道管理に二つの背景をみいだす。 の根拠をなすが、逆に共同組織があるからと一一一日って共同体を
一つは、農地が混在耕地形態であるために、農業は、余目の 証拠だてることにならない﹂︹同右、一六O頁︺とする。とい
﹁溝がかり﹂と同様に、村落内のすべての農家にとって共通 うのは、協同労働組織は家族経営においては一般に家族労働
に生産のための不可欠的土地条件となる。そのために、農民 力も補充として、共同体の存在する段階においても、そのの
はその管理組織として主体的に共同体を必要とする。しかし、 ちにおいてもみられるからである。だから共同体は、共同体
このような混在耕地形態(および零細経営)が鬼服されたと 的士地所有、すなわち農民層分解と関連してみなければなら
しても、他の農民をとりまく外部の背景が残される。それは、 なレとし、共同体の本来的共同組織として、﹁山林・原野の共
農道の維持管理が、都市における公道と同様に行政の側にお 同体的所有、水利の共同体組織、および共同地の管理にたず
いてなされてもよいのに、部落の農家の賦役労働によって処 きわる部落自治組織﹂︹同右、二ハ二頁︺をあげる。したがっ

日l
てこうした共同体の共同組織以外の村落内に存在する組織が、 このように、蓮見は、共同体を資本主義の体制的要因と農

92
共同体的潤色、共同体的封鎖性、および成員間の連也市併など 民自身の要因との双方からとらえ、共同体の解体を直接新た
を帯びたとしても、それらは、その構成員が共同体の成員に な農村の成立に結びつける︿福武・島崎﹀ことなく、その後
よって構成されているためであり、共同体のそれと混同すべ も残る共同体的なものを﹁みぜかけの共同体﹂としてとらえ
きではないとする。そして、そのような、﹁それ自体原理的に るニとによって、余国と同様に﹁近代主義﹂的な共同体の解
は共同体と無関係なものであっても、共同体的なものである 体パターンを直接臼本村落に適用することはしない。しかし、
かのような外見を呈する﹂︹間十旬、二ハ四頁︺ものを﹁みせか 改革後の村落を階級論的共同体とみなしたために、そして、
けの共同体﹂と呼ぶ。﹁みせかけの共同体﹂は、例えば、﹁農 それが農民層分解によって解体し、商品生産にもとづく農村
作業上の共同組織・生活上の共同組織・部落自治組織の一部・ へという西欧近代化モデルにもとづくために、﹁近代主義﹂的
その他の思想慣行﹂︹同右︺などであるが、それは、共同体の な共同体解体パターンにもとづく農村理解からのがれること
解体後も組織として残存し、共同体と見誤まれがちである。 はできなかったのである。
したがって、現実の村落は、共同体である場合には、共同体


()
の共同組織と﹁みせかけの共同体﹂との複合としてあらわれ
る。しかし、これに対して、共同体解体後の村落はかつて﹁み 以上、島崎・蓮見を階級論的共同体論の代表としてとり上
せかけの共同体﹂としての様相を呈していた諸組織のより自 げたわけであるが、両者の共同体論は、前章の福武・余回ら
主的な構成になっているとみるのである︹同右、一六五頁︺。 が集団の累積体である点を重視したのに比べ、共同体的土地
蓮見は、このように-﹁みせかけの共同体﹂の提起によって、 所有を基礎とするその管理組織としての部落自治組織を共同
共同体と共同組織との区別をするのと同時に、村落内の共同 体とみなした点で、アプローチは首尾一貫して階級論的であ
体以外の組織をも共同体論の対象とすることをねらったので った。しかし、資本主義体制下の共同体として改革直後の村
あった。それは、村落における諸方面の共同組織を総合的に 落をとらえたため、島崎が共同所有地の有無にかかわらない
とらえ評価することによって、共同体の把握のみをめざした 共同体関係という側面から共同体を対象とし、蓮見も、﹁農道﹂
のではなく、農村社会の理解をめざしていたことを示すので といういわば潜在化した共倒的土地所有を共同体の基礎にお
ある。 かざるをえなかったのである。両者とも、農地困層分解の程度
から、農民が階級論的共同体から解放されていないとするの という点を究明することにあった。そして、それは、これま
である。そのため、彼らの共同体論は、必然的に、農民層の での検討から明らかのように、集団論的アプローチにおいて
分解が階級論的共同体を解体し、新しい農村の成立をもたら も階級論的アプローチにおいても、農地改革後(あるいは直
すと叫ぅ﹁近代主義﹂的な図式に陥らざるをえなかったので 後)の村落を階級論的共同体とみなし、そして、村落内に累
ある。しかも、それが、実際の共同体的土地所有にもとづく 積した集団のズレあるいは農民層の分解によって、共同体と
階級論的共同体であったならば、共同体の解体が、資本主義 しての村落が解体し、つぎに商品生産を中心とする新しい農
的な農村への変化をもたらしたかもしれないが、資本主義的 民によって村落の枠を超えた機能集団中心の新たな農村が成
な農村の伝統的な社会関係を階級論的共同体とみなしたこと 立するという﹁近代主義﹂的共同体解体パターンを農地改革
により、その伝統的な社会関係の解体が新たな農村の成立を 後の小農民の共同組織 (1集団論的共同体)としての村落に
もたらすという矛盾に陥いったということを指摘できるので 適用したためであった。この共同体解体パターンは、共同体

村落研究における共同体論的 7 プロャチについて
ある。だが、蓮見は、階級論的共同体の解体後に残る﹁みせ の解体が農村社会の民主化を実現するための課題なのだとい
かけの共同体﹂概念により、農民層の分解に直接規定されな う福武や、共同体の解体過程こそ農村社会学の固有な対象で
い共同体的性格を対象とすることになり、農民層分解にもと あり、農業の完全な資本主義化により、共同体の終局的な解
づく階級論的共同体としての村落を農村社会学の問題そのも 体が進むという島崎の見解により明らかであり、共同体l 前
のとする島崎と比べ、共同体解体を村落の一つの現象とみな 近代、共同体の解体l資本主義化l民主化という共同体の﹁近
し、それにのみとらわれずにその解体後の村落をも視角に入 代主義﹂的な解体は、結局、村落の集団累積体の解体と等置
れている点で、もちろんその概念はさらに明確にする必要は され、村落の粋を超えた機能集団の発生は農業の資本主義化
あるが、今日の村落研究の手掛りとなりうると筆者は考える。 の結果として望ましいものと評価されたのである。そして、
その裏返しとして、共同体としての村落は、村落の枠は、つ
階級論的共同体、集団論的共同体、そして村落
五 まり村落は解体すべきものととらえられていったのである、
本稿の目的は、農村社会学における村落の一位置づけの後退 そのアプ戸 lチが集団論的であろうと、階級論的であろうと。
が、農村自体の大きな変化によることもさることながら、一 このように村落を解体するものととらえる村落共同体論の傾
九五0年代の村落共同体論の村落観にもとづくのではないか 向が、戦後農村の激変にともなう村落からより広い農村へ、

93
さらには都市と農村との関連へという視点の転換とあいまっ 後の村落を階級論的にアプローチする場合は、これよりも中

94
て、農村社会学の分析対象としての村落を、現実以上に後退 田実の﹁イデオロギー的共同体﹂をさらに考慮に入れねばな
させてきたのである。 らないと考える。二つの概念は、よく似たものであるが、前
さて、このように村落の後退をもたらした村洛共同体論の 者は村落が階級論的共同体である時にその共同体の共同組織
最大の要因は、集団論的共同体である改革後(あるいは直後) とともに共同体を編成し、階級論的共間体解体後には、それ
の村落を階級論的共同体だとみなした点と、さらに、それを のみで村落を構成し共同体的性格をおびることもあるが、そ
﹁近代主義﹂的な解体パターンをとるものだとみなした点に れ自体は歴史的性格をもたない階級論的共同体とは異る、む
あると筆者は指摘してきたわけである。ここで第一点につい しろ集団論的共同体とみなせるものである。後者は、共有地
て再び整理してみると、これは、これまでとり上げた村落共 の解体にもとづき、階級論的共同体が解体した後に、それ以
同体論の代表的な論者がすべて、彼らのいう階級論的共同体 降にも残る共同労働組織や共同生活関係および共同体的な意
の定義と異なる集団の累積体とか、その解体後の共同関係と 識や慣行が、﹁共同体の観念的残存形態として、村落に現存す
かを階級論的共同体だとみなしたためである。そこで、筆者 る物質的基盤とはもはや照応していないにもかかわらず.そ
は、階級論的共同体の定義に関しては、ほぼ四者と同様に、 こに客観的に存在する社会関係に照応したイデオロギーと結
生産力の幼弱さにもとづく共同社会が土地所有の総有から私 びついて、現実の矛盾を隠蔽する機能をもっ﹂︹中田、一九七
有へと生産力の増加にともなって歴史的に展開するものであ O、二八l九頁︺場合をさす。それは、村落内の支配階層あ
り、その構成要素は、共同体的土地所有(共有地)を基盤と るいは体制によって再編されたものである。つまり、これから
し、それの補充を必要とする農民の共同組織を具体的な形態 蓮見が、戦後の階級論的共同体が、農村自体の必要ばかりで
とし、そして、それは共同社会の集団特性としての﹁共同態﹂ はなく国家独占資本主義の体制維持のために維持されている
を帯びていると、定義したい。そして特に、蓮見と同様に、 ことを説く時、彼の戦後の階級論的共同体は中国の﹁イデオ
階級論的共同体とその解体後の共同組織とを峻別する必要が ロギー的共同体﹂そのものであることを指摘できる。もちろ
あると考える。蓮見は、解体後の共同組織が、共同体的性格 ん、島崎のいう共同体関係も同様であると思われる。したが
つまり﹁共同態﹂であったとしても、それは残存にすぎない って、階級論的共同体論者のいう戦後村落の階級論的共同体
として﹁みぜかけの共同体﹂だとする。しかし、筆者は、戦 は﹁イデオロギー的共同体﹂だと結論できる。また、集団議
的共同体論者も、集団論的アプローチにおいて、この﹁イデ である。したがって、はじめに指摘した階級論的共同体と集
オロギー的共同体﹂を社会的封鎖性などから階級論的共同体 団論的共同体の混同は、より厳密にいえば、集団論的アプロ
とみなしていたと言えるのである。 ーチにおいてはその通りであるが、階級論的アプローチにお
きて、ここで、﹁イデオロギー的共同体﹂と集団論的共同体 いては、階級論的共同体と﹁イデオロギー的共同体﹂との混
との関係を明らかにしたい。集団論的共同体とは、本稿にお 同と言い直すべきであろう。
いては鈴木栄太郎の﹁自然村﹂を典型とし、福武・余回らの また、第二の原因である階級論的共同体とみなした集団論
方法でもある集団の累積体としてアプローチされた共同体を 的共同体及び﹁イデオロギー的共同体﹂の解体と﹁近代主義﹂
さしてきた。それは、階級論的共同体が土地所有の発展段階 的な共同体の解体パターンとの等置がそのような共同体とし
的歴史形態に規定されるのに比べ、生産に限定されず生活の ての村落の解体への等置へとつながったことに関してはもう
﹁共同関係﹂や﹁共同連関﹂にもとづく集団の累積体であり、 十分行論のなかで示したと思われるのでここでは繰り返しを

5 村落研究における共同体論的アプローチについて
一つの社会的統一体をなしている。そして、それは社会変動 避けたい。
にともなう生産及び生活の共同の変化により﹁構造化し反構 さて、このようなメカニズムの解明の中で、村落概念の農
造化し腕構造化し再構造化﹂しうるものとしてとらえられるの山 村社会学における後退の背景を説き明かしてきたわけである
例えば、川越淳二の﹁共同体﹂は、﹁地域社会の歴史的特殊形 が、最後に、村落とこれらの共同体概念との関連を整理して
態﹂ではなく﹁むらびとの共同生活の全体、すなわち共同社 おきたい。これまで﹁近代主義﹂的共同体の解体パターンと
会﹂である﹁ひとつの総合的全体﹂︹川越、一九六回、二ハ│ 共同体としての村落の解体とを関連させてきたわけであるが、
七頁︺であると定義するが、これもこの範鴫に含まれると考 筆者は、村落は階級論的共同体の存続や解体に左右されない
える。また﹁イデオロギー的共同体﹂との関係をみれば、そ 一つのシステムだと考えている。それは、小農生産が解体し
れは、階級論的共同体の解体後の村落にある社会的統一体を ない限り存続する基礎集団であり、さらに、その深層に、定
集団論的共同体とみるか、あるいは、階級論的共同体の解体 住にもとづく共同社会性(共同態)の一契機をもつものである。
後もそのイデロギーによってある階層がその社会的統一体を それは、主として農業生産の構造変動(もちろんより広い範
維持している﹁イデオロギー的共同体﹂とみるかという同一 聞の社会変動にともなう)により、その共同化の契機がレベ
の実態をさすが、アプローチのちがいにより範瞬的には異質 ルも内容も異なってもその契機の変化にともない再構造化し

9
6
うる集団論的共同体(イデオロギー的共同体とも言える)だ その個人の占有する十地に対して権利をもっ、あるいは、共同

9
と考える。そして、これまで検討した共同体論からそれに関 地に対して権利をもっという士地所有の形態だと理解している。
していえることは、今日の村落は、農民の生産を基盤とする 参照K ・マルクス﹃経済学批判要綱│ノ lト川、資本主義的生
産に先行する諸形態﹄(大月書庖)
共同組織である面(集団論的共同体)と、行政末端支配(国
⑥﹁近代主義﹂批判に関しては、農村社会学においては、河村
家独占資本主義の体制安定装置としての)である面(部落)
望(一九六八︺があげられるが、鶴見和子・色川大土日らの大塚
と、伝統的な共同体関係を残す面(イデオロギー的共同体)
久雄の共同体論への批判の中に特に鋭くみうけられる。ここで
と、生活の連関にもとづくより深層での定住社会としての側 は、筆者は、彼らの論を参考にし、﹁近代主義﹂を、西欧資本圭
面(共同態)とをもっておりそれらを最低限考慮に入れた分 義社会の成立をモデルとして日本の資本主義を測定し、きらに、
析が必要であるということである。だから、今日の村落研究 そこでの市民社会化を日本社会の民主主義化の尺度としてとら
への共同体論的アプローチは階級論的共同体論に限定される え、社会変動を資本主義化1西欧市民社会化と一元的にとらえ
のではなく、これらの側面を考慮したもっと広い視野の共同 る見方を﹁近代主義﹂とした。
体論からアプローチされるべきことを宅張したい。 ⑦半封建性(制)とは、明治維新により、封建制から資本主義
社会へと展開したにもかかわらず、さらに、﹁農地改革﹂により
注①これは、村落社会研究会の共通課題として 九六四年・一
a
戦前の﹁地主制﹂を解体し、生産関係においてかなりの近代化
九六五年の両年にわたってとり上げられ、 九六0年代後半の
a
がなされたにもかかわらず、依然として村落の上部構造におい
村落研究の中心となった。それは、農村労働力の急激な流出、
ては、地主勢力や、共同体的諸関係が残存している現象を指す。
兼業所得の増大という農村の現象をめぐって展開された。
⑧﹁封建造制﹂問題と村落共同体論とは、農村社会に残存する
②﹁混住化社会論﹂は、 九七O年の﹁農業集落調査﹂の結果
A
半封建性を問題・対象とし、さらに、第三次大戦の原因を戦前
をめぐって展開された。
の日本社会の半封建性(制)に求め、その克服つまり﹁民主化 L
③蓮見音彦︹蓮見、一九八二ものべているように、例えば、
こそ戦後日本の一課題であるという、同じ問題意識から生じたも
守国志郎、川本彰、安達生恒らが代表的な論者だと言える。
のだといえる。
④これは、同センサス研究会農業集落部会における磯辺俊彦の
⑨鈴木栄太郎は、昭和初期の﹁農村解体﹂という事態に対応す
意見。(室谷武彦、一光七八より重引。)
ベく、アメリカ農村社会学の共同体理論に学び、﹁自然村﹂埋論
⑤ここでは、暫定的に近代的土地所有、つまり、完全な意味で
を﹃日本農村社会学原理﹄ 九四O一年)において展開している。
(a
の私的所有の対極にあり、共同体の成員であるかぎりにおいて、
﹁自然村﹂は、集団、社会関係の累積体による社会圏の第二地 なる。筆者は、共同態を、共同社会性にもとづく集団のもつ特
区であり、その濃密な集問、社会関係の累積のとに倒性的な社 性だと考えている。
会意識﹁1 むらの精神)を存するものと理解されている。 ⑬﹁中段標準化傾向しは、一般には独占段階に特徴的な農民層
⑬ 有 賀 苔 左 衛 門 は 、 一 九 三0年代の日本資本主義論争に触発さ 分解の過渡的現象形態とされ、中農層の仁昇・下降運動の過程
れ、その﹁第三の立場﹂として、地主小作関係を特殊日本的な で、統計的意味での運営面積易の中間層の増大という形をとる。
同族団の基本的性格から説明し(一九三八年九それ以降の研究 この場合、中農標準化傾向は、﹁共同体しによる分解阻止と理解
によって﹁家連合﹂理論を確立(一九四一一 年)した。彼は、村
A
されている。
落はいろいろな社会関係の累積体である(鈴木)が﹁日本では ⑬この見解は、河村望︹一九六八︺から示唆をえた。
それを特殊な意味をもっ家連合の複合したらのとしてとらえ﹂ ⑬このような集団論的共同体は、中久郎の一連の共同体論を参
︹一九五六、二五頁︺ねぽならないとした。村落は家連ムけの復 考にして、鈴木栄太郎の﹁自然村﹂の再評価を基本とするモデ
合であり、家連合は主従関係にもとづく本家中心の﹁同族﹂と ルを念頭においている。
対等平等な﹁組﹂とからなり、との二つは、条件により相互転

チについて
換するものであるが、﹁同族﹂関係こそ村落構造の基軸であると 引用文献
した。︹﹃口本家族制度と小作制度﹄(著作業I ・日)未来社︺ 室谷武彦、一九七人、﹁農業集落調査﹂、渡辺兵力編著﹃農業集落
⑪﹁耕区制﹂についての説明は、例えば、大塚久雄、 九五五、
A
論﹄龍渓室百舎。

97 村落研究における共同体論的 7 プロ
﹃共同体の基礎理論﹄︿九三│一 O七頁)を参照されたい。 福武直、一九五九﹁現代日本における村落共同体の存在形態﹂村
⑬ここで注目すべきは、余田の共同態の用法である。彼は、﹁わ 務社会研究会編同年報叩﹃村落共同体の構造分析﹄御茶の水書
れわれは土地そのもののあり方において、集団性・個別性を認 房復刻版。
め、それらをいわば自然的基礎として、それらによって規定さ 島崎稔、一九五六、﹁村落共同体論の系譜と文献解題﹂村落社会研
れるものとして、占取の共同態性と相対的独立性とを指摘し、 究会編同年報羽﹃村落共同体論の展開﹄御茶の水書房復刻版。
前者に基づく集団を共同態、後者に基づく集団を協同集団﹂︹余 福武直、一九五回、﹁日本農村における部落の問題L J向出先生古
田、一九六一、コ一三頁、傍点筆者︺だとしている。つまり、余 稀祝賀論文集﹄有斐閣。
回は、共同態を、土地占取の集団性にもとづく集団だとするの 田原青和、一九七一、﹁村落社会研究の課題と方法 m﹂村落社会研
である。これは、余国が理論的に依拠した大塚久雄が、共同態 究会編﹃村落社会研究﹄第七集、塙書一房一。
を経済外的外枠として、集団のもつ特性として定義するのと異 河村望・蓮見事回彦、一九五八、﹁近代日本における村落構造の展開
課程(上﹀(下)﹂﹃思想﹄四O七・四O八号。

98
河村望、一九六八、﹁日本農村の支配機構﹂﹃人文学報﹄東京都立
大学。
余白博道、一九五九、﹁農学村落共同体の構造と性格﹂村落社会研
究会編同年報引。
余田博道、一九六一、﹃農業村落社会の論理構造﹄弘文堂。
余田博道、一九六入、﹁村落共同体﹂余田・松原治郎編著﹃農村社
会学﹄川島書居。
島崎稔、一九六五、﹃日本農村社会の構造と論理﹄東京大学出版会。
蓮見音彦、一九五九、﹁村落共同体と農村社会学﹂村落社会研究編
同年報刊。
蓮見音彦、一九七O、﹃現代農村の社会理論﹄時潮社。
後藤和夫、一九六三、﹁村落研究十年の歩み、 4社会学﹂村落社会
研究会編﹃農民層分解と農民組織﹄御茶の水書房復刻版。
川越淳二、一九六五、﹁海女のむら﹂綜合郷土研究所紀要特集号﹃海
女のむら││鳥羽市国崎町ll﹄愛知大学。
中田実、一九七O、﹁農山村と村落共同体﹂﹃村落ーーその構造と
系譜 111

中久郎、一九八一、﹁ゲマインシャフト・コミュニティ・共同体﹂
﹃基礎社会学W、社会構造﹄、東洋経済新報社。
中久郎、一九八三、﹁都市コミュニティの基本構造付﹂﹃ソシオロ
ジ第二八巻二号﹄。
︹京都大学大学院︺

You might also like