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<研究ノート> JAITS

日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現
―ポライトネスの観点から―

袁 青
(東北大学国際文化研究科博士後期課程)

Abstract
This paper aims to explain how hedges in Japanese are translated into Chinese in subtitling. Hedges
usually are used in dialogues as a strategy to avoid potential threats to cooperative interaction and
to keep harmonious communication. This study collected 163 sentences with typical hedges from
Japanese drama scripts and compared differences between original lines and their corresponding
Chinese subtitles from the viewpoint of politeness. Result shows, only 104 sentences (63.80%) with
hedges are translated as they are, and 36.20% of collected data are translated without hedges. This
suggests that target text politeness phenomena are different from those in source texts.

1. はじめに
我 々 の 日 常 生 活 に お い て 、(1)の 発 話 の よ う に 断 定 を 避 け 、聞 き 手 へ の 負 担 を 減
らす気持ちを表す表現がよく見られる。
(1) think…
I believe… 私は…だと思う。
assume…
( B&L: 164、 田 中 ( 監 訳 ) 2011: 228)

このような発話行為遂行の度合いと発話内効力を調整する機能を持つ表現を
「 ヘ ッ ジ ( hedge)」 と 呼 ぶ 。 聞 き 手 の 気 持 ち に 配 慮 し た う え で 、 自 分 の 考 え を は
っきりと伝達するのが困難である場合や、はっきりと自分の考えを表す必要がな
い 場 合 に 多 々 使 用 さ れ て い る 。そ う す る と 、相 手 の メ ン ツ( face)に 気 を 配 っ て 、
円 滑 な コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を 維 持 さ せ る 役 目 を 果 た す こ と が で き る 。このような聞
き手に対する配慮を、ポライトネスという。本稿は Brown & Levinson (1987)(以下 B&L)
のポライトネス理論に基づいて、日本語のヘッジの配慮が、中国語字幕でどのように表現
されるのかを明らかにすることを目的とする。
2. ポライトネス及びヘッジ

YUAN Qing, “Hedges in Chinese subtitling,” Invitation to Interpreting and Translation Studies, No. 19,
2018. pages 109-125. ©by the Japan Association for Interpreting and Translation Studies
『通訳翻訳研究への招待』No.19 (2018)

2.1 B&L のポライトネス理論


ポライトネスとは、話し手の言葉が聞き手の気持ちを損害することを避けられないとき
に、相手に配慮したストラテジーの使用を通じて、攻撃性を和らげ、スムーズに意図を伝
えるようにすることである。例文 (2) では、話し手は括弧内の行為を望んでいるが、相手
の気持ちを傷つける可能性に配慮し、依頼を間接的にすることで、円滑な人間関係を維持
しようとしている。

(2) It’s cold in here. (c.i. Shut the window) (B&L: 215)

B&L のポライトネス理論の中心となるのは、フェイス(face)の概念である。フェイス
は「すべての構成員が自分のために要求したいと願う公的な自己イメージ the public
self-image that every member wants to claim for himself」と定義され、二つの側面を持つ。ひと
つは「自分の領域・自由を侵害されたくない」というネガティブ・フェイス(negative face)
であり、もう一つは「他者に賞賛されたい、仲間に入れてほしい」というポジティブ・フ
ェイス(positive face)である。フェイスを脅かす行為(Face Threatening Acts、以下 FTA)
を行わざるを得ない場合、以下の五つのポライトネス・ストラテジーが適用される。補償
行為をせず、あからさまに FTA を行うボールド・オン・レコード(bald on record、以下 BoR)、
聞き手のポジティブ・フェイスに配慮するポジティブ・ポライトネス・ストラテジー(positive
politeness strategy、以下 PPS)、聞き手のネガティブ・フェイスに配慮するネガティブ・ポラ
イトネス・ストラテジー(negative politeness strategy、以下 NPS)、FTA を間接的に行うオフ・
レコード(off record、以下 Off-R)、そして FTA を行わないストラテジーである。
どのストラテジーを用いるのかは FTA の「重さ」
(Weightiness)によって決まる。この重
さは話し手と聞き手間の社会的距離(Distance, D)、聞き手が話し手に及ぼす力(Power, P)、
当該文化における FTA の負担度(Rank of imposition, Rx)によって算出される。

Wx = D(S,H) + P(H,S) + Rx (B&L: 76)

どのストラテジーを用いるかは FTA の侵害度すなわち Wx によって決まる。Wx が小さ


ければ小さいほどフェイスに配慮する必要が無く、BoR を使用することができ、逆に値が
大きければ FTA を行わないか、Off-R が選択される。PPS は Wx が比較的小さいとき、NPS
は比較的大きいときに選ばれる。

2.2 ヘッジ(Hedge)
B&L に よ る と 、ヘ ッ ジ( hedge)と は 、「 述 部 や 名 詞 句 が 表 す そ の も の ら し さ の
度 合 い を 修 正 す る よ う な 、 小 辞 、 語 、 慣 用 句 ( “hedge” is a particle, word or phrase
that modifies the degree of membership of a predicate or a noun phrase in a set)」

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日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現

( B&L: 145、 田 中 ( 監 訳 ) 2011: 199) で あ り 、 発 話 行 為 遂 行 の 度 合 い と 発 語 内


効 力 を 調 整 す る こ と を 通 し て 、 発 話 態 度 を 緩 和 す る こ と に 役 に 立 ち 、 FTA を 緩 和
す る た め の 一 番 手 近 な ツ ー ル で あ る と 言 え る 。B&L は Grice( 1967)の 四 つ の Maxim、
すなわち、
「 質( 発 話 が 真 実 で あ る こ と )」
「 量( 発 話 が 必 要 以 上 で も 以 下 で も な い
こ と )」「 関 係 ( 発 話 が 文 脈 に 関 連 す る 内 容 で あ る こ と )」「 様 式 ( 順 序 よ く 整 理 さ
れ た 発 話 で あ る こ と )」の そ れ ぞ れ に 関 わ る ヘ ッ ジ が あ る と い い 、ヘ ッ ジ を 四 種 類
に分けている。

a. 質の「行動指針に対する」ヘッジ
b. 量の「行動指針に対する」ヘッジ
c. 関係の「行動指針に対する」ヘッジ
d. 様式の「行動指針に対する」ヘッジ

な お 、B&L が 述 べ て い る よ う に 、ヘ ッ ジ は 必 ず し も ポ ラ イ ト ネ ス の た め だ け に
使 用 さ れ る わ け で は な く 、様 々 な 機 能 を 持 つ 。つ ま り 、NPS だ け で は な く PPS と
しても用いられることがある。さらに、日本語の台詞では見られる関係の「行動
指 針 に 対 す る 」 ヘ ッ ジ が ご く 少 な い の で 、 本 稿 で は 、 特 に c タ イ プ を 除 き 、 NPS
としてのヘッジに重点を置いて考察を行う。

3. 研究方法
本稿では、日本のドラマ『ナオミとカナコ』1、
『お義父さんと呼ばせて』2、
『戦う!書店
ガール』3、
『結婚しない』4 および『家族ノカタチ』5 を研究資料として、FTA 場面で現れる
NPS に向けられるヘッジを持つ用例 163 例を収集した。これらに対応するファンによるウ
ェブ上の非公式の中国語字幕(いわゆるファンサブ)の訳文と比較することによって、ヘ
ッジの翻訳特徴を考察する。ファンサブを選んだ理由は以下のとおりである。日本のドラ
マは中国でテレビ放送されることはほとんどない。一部の作品には公式字幕は存在すると
は言え、公式に公開された映画やドラマなどは審査によって不適切なシーンや発言を削除
されることがあるため、公式字幕の忠実度が下がっていることが多い。それに対して、フ
ァンサブは外部審査を受けないから、一切の削除なしですべてのシーンが見られ、オリジ
ナルに対する忠誠度が高い。字幕のポライトネス表現は、ファンサブのレベルによっても
影響を受ける。本稿では、人々からの評価が高い「人人字幕」というファンサブから、デ
ータを収集して考察する。なお、上記のドラマを選んだのは、第一に日常的な会話である
こと、第二に様々な人間関係が見られると同時に、力関係が明らかであること、第三に登
場人物がぶつかり合うプ ロ ッ ト が 豊 富 だ か ら で あ る 。
例文を挙げる際に、まず台詞の場面を説明し、話し手と聞き手の間の距離および関係を
示したうえで、日本語の台詞と中国語字幕の訳文を提示する。中国語字幕には筆者による

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日本語の直訳を付加する。日本語の台詞は「 」、中国語字幕は“ ”で囲んだうえで、中国


語字幕の直訳日本語は( )でくくる。最後にそれぞれの例文の出典を、発話が現れる時
間とともに記す。

・「原文」:日本語の台詞。
・「訳文」:中国語の字幕。
・「話し手」
:台詞を言っている登場人物。
・「聞き手」
:その台詞が向けられている登場人物。
・P:会話参加者の力。話し手の力は Ps、聞き手の力は Ph と表記する。
・“>”“<”“=”: 話し手と聞き手の力関係を示す。
・D:話し手と聞き手間の社会的・心理的距離。“大” “中”“小”によって親疎を表す。

4. 日中字幕翻訳における NPS に向けられるヘッジの表現


本章では、日本語の台詞に見られるそれぞれの NPS に向けられるヘッジの表現とその対
応する中国語字幕を見ていく。4.1 節では質の「行動指針に対する」ヘッジを、4.2 節では
量の「行動指針に対する」ヘッジを、4.3 節では様式の「行動指針に対する」ヘッジを考察
する。

4.1 質 の「行 動 指 針 に対 する」ヘッジ


B&L は 、 質 の 「 行 動 指 針 に 対 す る 」 ヘ ッ ジ は 、「 話 し 手 が 自 分 の 発 話 の 真 実
性 に つ い て 完 全 な 責 任 に 負 わ な い こ と を 示 唆 す る も の で あ る 」( B&L: 164、 田 中
( 監 訳 ) 2011: 228) と 定 義 す る 。 日 本 語 の 台 詞 で は 、 典 型 的 な 質 の 「 行 動 指 針 に
対 す る 」 ヘ ッ ジ は「と思う」と「とか」を全部で 36 例収集した。4.1.1 項では「と思う」
「かなと思う」を含む文を、4.1.2 項では「とか」を伴う文を考察する。

4.1.1 「と思 う」「かなと思 う」


横 田 ( 1998: 105) に よ れ ば 、「 と 思 う 」 は 「 意 見 や 主 張 が 個 人 的 な も の で あ る
ことを明示し、それによって意見や主張を和らげて表現する機能」を果たしてい
る 。 ま た 、 鈴 木 ( 2015: 70) は 「 か な と 思 う 」 が 意 見 表 明 ・ コ メ ン ト の 場 合 に 使
われ、
「 聞 き 手 と の 対 立・コ ン フ リ ク ト の 生 じ る 可 能 性 を 避 け る 」機 能 を 持 つ と す
る。どちらも、相手に踏み込まれたくないというネガティブ・フェイスに配慮し
た NPS で あ る 。
ま ず 、「と思う」に対応する訳語がない字幕から見ていこう。
( 3) の 忠 告 と い う 発 話 行 為 は 相 手 の ネ ガ テ ィ ブ ・ フ ェ イ ス に 対 す る FTA で あ
る か ら 、「 と 思 う 」 で 、 押 し つ け の 度 合 い を 和 ら げ て い る 。 し か し 訳 文 で は 、「 と
思 う 」表 現 が 訳 出 さ れ ず 、話 し 手 が BoR で 、そ の ま ま 自 分 の 意 見 を 伝 え る こ と に

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日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現

なっている。

(3) 春子が千春に忠告をする ( Ps>Ph, D 小)


原 文 :「 寂 し さ か ら 昔 の 約 束 に す が る の は や め た ほ う が い い と 思 う 。」
訳 文 :“ 劝 你 不 要 因 为 寂 寞 就 依 靠 以 前 的 约 定 。”
(寂しいから昔の約束にすがるのはやめるよう勧める)
(『 結 婚 し な い 』 第 1 話 36:12)

( 4)は 、話 し 手 が 聞 き 手 に 仕 事 を 頼 む 会 話 場 面 で あ る 。原 文 は 、話 し 手 が ヘ ッ
ジの「と思っています」によって、依頼を間接的にし、聞き手のネガティブ・フ
ェイスへの配慮を表す。しかし訳文には「と思う」に対応する表現がなく、依頼
は 直 接 的 な BoR で あ る 。

(4) 直美と加奈子は達郎に似ている男に仕事を依頼する ( Ps=Ph, D 大)


原 文 :「 私 た ち は あ な た に 仕 事 を 頼 み た い と 思 っ て い ま す 。」
訳 文 :“ 我 们 有 工 作 想 要 拜 托 你 。”
(私たちは あ な た に 頼 み た い 仕 事 が あ る 。)
(『 ナ オ ミ と カ ナ コ 』 第 1 話 04: 26)

( 5)は 、こ ど も の 日 の イ ベ ン ト に つ い て 、ア イ デ ア を 募 っ て い る シ ー ン で あ る 。
原文では、話し手がヘッジの「と思う」を言いさしにして、提案の発話行為をさ
ら に 間 接 的 に し て い る 。訳 文 で も 語 気 を 和 ら げ る 機 能 が あ る “吧 ”が NPS と し て 機
能 し て い る が 、 FTA が 緩 和 さ れ る 度 合 い は 原 文 に 比 べ る と わ ず か で あ る 。

(5) 理子は店員たちにアイデアを出すようにいう ( Ps>Ph, D 中)


原 文 :「 そ れ も い い と 思 う ん で す が せっかくだから いろいろ考えられ
た ら い い な と 思 っ て ま す 。」
訳 文 :“ 我 觉 得 这 个 也 不 错 , 难 得 的 机 会 , 还 是 多 想 点 应 对 方 案 吧 。”
( そ れ は い い と 思 う 。せ っ か く だ か ら 対 策 案 を も っ と 考 え る +“ 吧 ”)
(『 戦 う ! 書 店 ガ ー ル 』 第 4 話 8:50)

一方、原文の「と思う」が中 国 語 の “ 我 觉 得 ” で訳出される例も少なくない。
( 6)で は 、自 分 の 両 親 に も う 一 度 会 い た い と い う 依 頼 を 断 る 場 面 で あ る 。話 し
手 は「 今 は ま だ 会 わ な い 方 が い い 」と い う 意 見 を 、
「 と 思 う 」で 間 接 的 に 伝 え て い
る 。 訳 文 で も 、「 と 思 う 」 に 対 応 す る “ 我 觉 得 ” が 使 用 さ れ て い る 。

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(6) 大 道 寺 に 美 蘭 の 両 親 に も う 一 度 会 い た い と 言 わ れ て 、断 る ( Ps=Ph, D 小 )
原 文 :「 そ れ は 一 拍 置 い た ほ う が い い と 思 う な 。」
訳 文 : “我 觉 得 最 好 还 是 不 要 急 于 一 时 。 ”
( し ば ら く あ せ ら な い ほ う が い い と 思 う 。)
(『 お 義 父 さ ん と 呼 ば せ て 』 第 2 話 08:21)

( 7)で は 、聞 き 手 と 付 き 合 っ て い る 男 が 既 婚 者 で あ る と い う こ と を 知 り 、話 し
手 が そ の 男 と 別 れ る よ う に 説 得 す る シ ー ン で あ る 。 原 文 で も 字 幕 で も 、「 と 思 う 」
“我觉得”を使用して、説得の発話行為を緩和している。

(7) 大道寺は美蘭の妹を説得する ( Ps>Ph, D 中)


原 文 :「 こ こ は 一 旦 距離を置いてさ どういうつもりなのか 確認した
ほ う が い い と 思 う ん だ よ ね 。」
訳 文 :“ 我 觉 得 你 应 该 跟 他 保 持 距 离 , 再 好 好 摸 清 楚 他 的 心 思 比 较 好 。”
(距離を置いて 彼 の 腹 の う ち を 探 っ た ほ う が い い と 思 う 。)
(『 お 義 父 さ ん と 呼 ば せ て 』 第 7 話 25:07)

( 8) も 同 様 に 「 と 思 う 」“ 我 觉 得 ” で 忠 告 の 発 話 行 為 を 緩 和 し て い る 。

(8) 春子は千春に忠告をする ( Ps>Ph, D 小)


原 文 :「 変 に 期 待 し な い ほ う が い い と 思 う な 。」
訳 文 :“ 我 觉 得 你 还 是 不 要 做 无 所 谓 的 期 待 。”
( む な し い 期 待 は や め た 方 が い い と 思 う 。)
(『 結 婚 し な い 』 第 1 話 35:50)

以 上 の よ う に 、「 と 思 う 」 を 訳 さ ず 、 代 わ り に 語 気 助 詞 (“ 吧 ” な ど ) で 発 話 行
為を軽く緩和する場合もあれば、対応する“我觉得”で訳出される場合も多い。
で は そ の 違 い は 何 で あ ろ う か 。 下 の 表 1 を 見 る と 、 FTA の 値 が 訳 出 の 有 無 に 影 響
を及ぼすことが分かった。
「 訳 さ な い 」と い う 発 話 行 為 を 見 る と 、そ の ほ と ん ど が 自 分 の 希 望 を 述 べ る「 た
い と 思 う 」で 、
( 5)の 部 下 へ の 提 案 の よ う な 発 話 行 為 が 若 干 見 ら れ た だ け で あ る 。
「たいと思う」については、中国語で希望を表す“想”や“希望”が“我觉得”
と共起できないという事情が大きい。その一方で、話し手が聞き手より力が強い
場合では訳出されない傾向がある
訳出される場合の発話行為を見ると、社会的な距離が小さくなると、つまり親
疎関係が親しい方に動くほど、
「 と 思 う 」が 訳 出 さ れ る 可 能 性 が 高 く な る 一 方 、力
関係の側面から見ると、
「 と 思 う 」は 話 し 手 が 聞 き 手 よ り も 力 が 弱 い 場 合 に 訳 さ れ

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や す い 。さ ら に 、説 得 や 忠 告 の 場 面 で は 、
「 と 思 う 」が 訳 出 さ れ る こ と が 多 い 。こ
れ で は 相 手 の ネ ガ テ ィ ブ・フ ェ イ ス に 対 す る FTA で あ る と い う だ け で な く 、聞 き
手 の 現 状 を 否 定 す る よ う な 、ポ ジ テ ィ ブ・フ ェ イ ス に 対 す る FTA で も あ る 。こ の
よ う な 場 合 に は 、中 国 語 で も“ 我 觉 得 ”で FTA を 緩 和 す る 必 要 が あ る と 考 え ら れ
る。

D大 D中 D小 合計
訳出される場合 0(0%) 9(60.0%) 6(66.7%) 15
訳出されない場合 4(100.0%) 6(40.0%) 3(33.3%) 13
合計 4(100.0%) 15(100.0%) 9(100.0%) 28

Ps>Ph Ps=Ph Ps<Ph 合計


訳出される場合 1(12.5%) 9 (64.3%) 5(83.3%) 15
訳出されない場合 7(87.5%) 5(35.7%) 1(16.7%) 13
合計 8(100.0%) 14(100.0%) 6(100.0%) 28
表 1 中 国 語 字 幕 における「と思 う」訳 出 の有 無

4.1.2 「とか」
「 と か 」 の 機 能 に 関 し て 、 辻 ( 1999: 21) は 、「 相 手 と 正 面 か ら 向 き 合 っ て 衝 突
することを避け、相手を傷つけない・相手に傷つけられないように距離を置いた
人 間 関 係 を 志 向 す る 心 理 の あ ら わ れ 」と 述 べ て い る 。ま た 、劉( 2011)は 、
「断定
回避」および「直示軽減」などの用法に当たり、直示することを避け、発話を緩
和することで、円滑な会話を促進させる役に立つぼかし表現であるという。この
ような機能は、果たして中国語字幕にどのように現れているであろうか。
ま ず 、「とか」に対応する訳語がない字幕から見ていこう。
( 9)で は 、
「 と か 」の 使 用 に よ り 、
「 必 ず し も 甘 い も の で な く て も よ い 」と 伝 え 、
相手の負担を下げることにより、依頼の度合いを緩和している。ところが、訳文
で は 、話 し 手 は は っ き り 自 分 の 希 望 を 述 べ て お り 、FTA の 度 合 い が 原 文 よ り 強 い 。

(9) 理 子 は 部 下 を 見 舞 い 、食 べ た い 物 が な い か 尋 ね る 。( Ps (B)<Ph (A), D 中 )


原 文 : A「 何 か 食 べ た い も の が あ る ? 」
B「 そ う で す ね 。 何 か 甘 い も の と か 。」
訳 文 :“ 这 个 嘛 , 想 吃 甜 食 。”
( こ れ だ ね 、 甘 い も の を 食 べ た い 。)
(『 戦 う ! 書 店 ガ ー ル 』 第 4 話 2:50)

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( 10)は 、常 連 客 の 依 頼 に 対 し て 、そ の 理 由 を 推 測 す る 場 面 で あ る 。原 文 で は 、
話 し 手 が 聞 き 手 の ネ ガ テ ィ ブ・フ ェ イ ス( プ ラ イ ベ ー ト な 気 持 ち )に 配 慮 し 、
「と
か 」 に よ っ て 断 定 を 回 避 す る こ と で 、 FTA の 度 合 い を 和 ら げ て い る 。 訳 文 で は 、
は っ き り と 質 問 す る 形 に な っ て お り 、FTA の 度 合 い は 原 文 よ り 強 く な っ て し ま う 。

(10) 買 っ た 花 を 見 え な い よ う に 包 装 し て ほ し い と い う 客 の 依 頼 に ( Ps<Ph, D 大 )
原 文 :「 あ の う 差し出がましいようですが もしかして 花束を持つの
が恥ずかしいとか?」
訳 文 :“ 那 个 恕 我 多 言 , 难 道 您 是 觉 得 拿 着 花 不 好 意 思 吗 ? ”
(あのう、余計なことを言って申し訳ありませんが、まさか花束を
持つのが恥ずかしいのですか?)
(『 結 婚 し な い 』 第 4 話 14:42)

一方、「とか」が中 国 語 の “ 什 么 的 ” で訳出される例も1例だけ見つかった。
( 11)で は 、
「 と か 」を 二 回 使 用 す る こ と に よ っ て 、限 定 を 避 け 、ほ か の 選 択 肢
があることを仄めかすことで、聞き手のネガティブ・フェイスへの配慮をし、主
張 の 度 合 い を 和 ら げ て い る 。 訳 文 で は 、 FTA を 弱 め る 機 能 を 持 つ 語 気 助 詞 “ 吧 ”
と 、「 と か 」 に 対 応 す る “ 什 么 的 ” が 使 用 さ れ 、「 ま だ は っ き り 決 め て お ら ず 、 あ
なたの意見も聞きたい」というような話し手の気持ちが伝達される。

(11) 美 蘭 が 大 道 寺 に 週 末 の 予 定 を 提 案 す る 。( Ps=Ph, D 小)
原 文:
「たまにはさ 車借りて ド ラ イ ブ と か 行 か な い 。日 帰 り 温 泉 と か 。」
訳 文 :“ 偶 尔 借 个 车 去 兜 风 吧 。 当 天 来 回 的 温 泉 游 什 么 的 。 ”
( た ま に は 車 を 借 り て ド ラ イ ブ に 行 く + “ 吧 ”。 日 帰 り 温 泉 と か 。)
(『 お 義 父 さ ん と 呼 ば せ て 』 第 3 話 03:39)

以上のように、中国語の字幕では日本語の台詞に現れる「とか」はほとんど訳
出 さ れ ず 、 FTA の 度 合 い が 強 く な る 場 合 が 多 い 。

4.2 量 の「行 動 指 針 に対 する」ヘッジ


次 に 、日 本 語 で 頻 繁 に 用 い ら れ る「 ち ょ っ と 」
「一つだけ」
「少し」
「 単 な る・た
だ 」な ど の ヘ ッ ジ( 120 例 )を 考 察 す る 。こ れ ら の ヘ ッ ジ は 、「 そ の 情 報 が 期 待 さ
れているかもしれない量には満たなかったり合わなかったりすることに注意を促
す( …give notice that not as much or not as precise information is provided as might be
expected)」
( B&L:166、田 中( 監 訳 )2011: 231)量 の ヘ ッ ジ で 、不 平 や 依 頼 を 和 ら
げ る 役 目 を 果 た す 。 そ の 中 で も 、 特 に 「 ち ょ っ と 」 の 用 例 が 最 も 多 い ( 81 例 )。

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日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現

4.2.1 「ちょっと」
木 村 ( 1987) は 、 日 本 語 の 「 ち ょ っ と 」 と 中 国 語 の “ 一 下 ” が 「 相 手 に 依 頼 す
る動作を短く少なめな形、言わば「軽減化」をした形で提示することで、こちら
の控え目な要求の姿勢を示し、これによってより円滑な依頼行為の遂行を促す働
き を 担 っ て い る 」と 述 べ て い る 。ま た 、岡 本・斉 藤( 2004)は 、
「 ち ょ っ と 」が 依
頼や、希求、指示行為への負担を減らす、断りを受けやすくするなど六つの用法
を 持 ち 、お 互 い の フ ェ イ ス を 守 る コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 機 能 が あ る と 主 張 し て い る 。
以下、日本語のヘッジ「ちょっと」がどのように中国語に翻訳されているかを見
てみよう。
ま ず 、 ヘ ッ ジ の 「ちょっと」に対応する訳語がない字幕から見ていこう。
( 12) は 、 プ ロ ジ ェ ク ト の 仲 間 に 聞 き 手 を 誘 お う と 呼 び 止 め る 場 面 で あ る 。 原
文の「ちょっと」は、相手の時間をそれほど奪わないというネガティブ・フェイ
スへの配慮を示して、聞き手の負担度を弱くしている。しかし、訳文にそうした
配慮は見られない。

(12) 会議後、陽子が直美に尋ねる ( Ps>Ph, D 大 )


原 文 :「 小 田 さ ん ちょっと時間ある?」
訳 文 : “小 田 小 姐 , 有 时 间 吗 ? ”
(小田さん、時間ある?)
(『 ナ オ ミ と カ ナ コ 』 第 2 話 27:47)

( 13) の 「 ち ょ っ と 」 も 量 の ヘ ッ ジ と し て 機 能 し て い る が 、 訳 文 に は 、 尊 敬 呼
称 の“ 您 ”が 用 い ら れ て い る も の の 、ヘ ッ ジ が な く 、負 担 の 軽 減 が 含 意 さ れ な い 。

(13) 大道寺は花澤に依頼する ( Ps<Ph, D 中 )


原 文 : A「 お 義 父 さ ん … 」
B「 呼 ぶ な 。 絶 対 に 呼 ぶ な 。 言 っ て お く が ダ デ ィ ー も だ め だ 。」
A「 あ の ち ょ っ と 聞 い て く だ さ い 。」
訳 文 : “ 那 个 , 请 您 听 我 说 。”
(あの 聞 い て く だ さ い 。)
(『 お 義 父 さ ん と 呼 ば せ て 』 第 3 話 13:32)

( 14) で は 、 依 頼 の 負 担 を 緩 和 す る 「 ち ょ っ と 」 が 訳 文 に な く 、 FTA が 原 文 よ
り大きい。

(14) 大道寺が恋人美蘭の祖父に ( Ps<Ph, D 中 )

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原 文 :「 あ の おじいちゃん ち ょ っ と 黙 っ て て も ら え ま す か 。」
訳 文 :“ 那 个 , 爷 爷 您 能 别 说 话 了 吗 ? ”
(あの おじいちゃん 話 さ な い で も ら え ま す か 。)
(『 お 義 父 さ ん と 呼 ば せ て 』 第 4 話 24:33)

一方、訳出される例もしばしば見られる。
( 15) の 「 ち ょ っ と 」 は 控 え 目 な 要 求 の 姿 勢 を 示 し て お り 、 依 頼 の 度 合 い が 和
ら げ ら れ て い る 。字 幕 で は 、
「 ち ょ っ と 」に 対 応 す る 程 度 副 詞 の“ 一 下 ”に 訳 出 さ
れ て 、 原 文 と 同 じ よ う に 、 FTA を 緩 和 し て い る 。

(15) 大道寺は美蘭の母に頼む ( Ps<Ph, D 中 )


原 文 :「 あ の すいません あの ちょっと トイレお借りできますか?」
訳 文 :“ 那 个 不 好 意 思 。 请 问 能 借 用 一 下 洗 手 间 吗 ? ”
(あの すみません。 ちょっとお手洗いお借りできますか?)
(『 お 義 父 さ ん と 呼 ば せ て 』 第 1 話 33:52)

( 16) で は 、 量 の ヘ ッ ジ が 相 手 に そ れ ほ ど 時 間 を と ら せ な い こ と を 示 唆 し て お
り 、聞 き 手 へ の ネ ガ テ ィ ブ・フ ェ イ ス が 配 慮 さ れ て い る 。訳 文 で は 、
“ 有 点( 少 し )”
を 使 い 、 原 文 と 同 じ よ う に 、 FTA を 緩 和 し て い る 。

(16) 陽子は達郎を誘う ( Ps<Ph, D 中 )


原 文 :「 ち ょ っ と 聞 き た い こ と が あ る ん だ け ど 軽 く 飲 ま な い 。」
訳 文 :“ 那 个 我 有 点 事 情 想 问 你 , 出 来 喝 两 杯 吗 ? ”
(ちょっと聞きたいことがあるから、飲みに行きませんか)
(『 ナ オ ミ と カ ナ コ 』 第 2 話 18:53)

( 17)の「 ち ょ っ と 」も 上 と 同 様 で あ る が 、中 国 語 で は「 動 詞 +“ 一 ”+ 動 詞 」
という動詞の重ね型(動作の量が少なかったり、動作の時間が短かったりするこ
とを表す文法形式)を用いて、行為の軽さを表現している。

(17) 取引先が理子に相談しようとする ( Ps=Ph, D 大 )


原 文 :「 副 店 長 今度出る新刊の件で ち ょ っ と 打 ち 合 わ せ が 。」
訳 文 : “副 店 长 这 次 新 出 的 刊 物 , 我 想 跟 您 谈 一 谈 。 ”
(副店長 今度出る新刊 あ な た と ち ょ っ と 打 ち 合 わ せ し た い の で す 。)
(『 戦 う ! 書 店 ガ ー ル 』 第 1 話 11:13)

118
日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現

以 上 の よ う に 、日 本 語 の 量 の ヘ ッ ジ「 ち ょ っ と 」は 、訳 出 さ れ な い 場 合( 30 例 )
と 、 程 度 副 詞 ( 例 え ば 、 “一 下 ”な ど ) や 動 詞 の 重 ね 型 ( 例 え ば 、 “谈 一 谈 ”“说 说 ”
な ど )で 訳 出 さ れ る 場 合( 51 例 )が あ る 。で は そ の 違 い は ど こ に あ る の か 。文 脈
を 詳 細 に 検 討 す る と 、 訳 出 の 有 無 は FTA の 値 に あ る こ と が 分 か る 。
下の表 2 を見ると、社会的な距離が大きくなると、つまり親疎関係が疎に傾く
ほど、
「 ち ょ っ と 」が 訳 さ れ や す い 。し か し 、上 下 関 係 で 見 る と 、話 し 手 が 聞 き 手
よりも力が強いときの方が訳出される傾向がある。つまり、よく知らない相手だ
が、自分の方が下ではないときに用いられるということになる。
日本語ですべての場合で「ちょっと」が使用されていることを考えると、日本
語 は 中 国 語 に 比 べ て FTA の 値 が 大 き く な り が ち で 、 そ の た め 、 ヘ ッ ジ に よ っ て
FTA を 緩 和 し よ う と す る 場 面 が 増 え る も の と 考 え ら れ る 。逆 に 中 国 語 は 日 本 語 よ
り FTA の 値 が 小 さ く な り が ち で 、特 に 話 し 手 の 方 が 下 位 で 、親 し け れ ば ヘ ッ ジ の
出現頻度も下がると考えられる。

D大 D中 D小 合計
訳出される場合 5 (41.7%) 20 (37.0%) 5 (33.3%) 30
訳出されない場合 7 (58.3%) 34 (63.0%) 10 (66.7%) 51
合計 12 (100.0%) 54 (100.0%) 15 (100.0%) 81

Ps>Ph Ps=Ph Ps<Ph 合計


訳出される場合 12 (41.4%) 9 (39.1%) 9 (31.0%) 30
訳出されない場合 17 (58.6%) 14 (60.9%) 20 (69.0%) 51
合計 29 (100.0%) 23 (100.0%) 29 (100.0%) 81
表 2 中 国 語 字 幕 における「ちょっと」訳 出 の有 無

日本語でも中国語でも、話し手と聞き手に距離がある場合、量のヘッジが現れ
やすいのは共通しているが、その傾向は中国語で特に顕著であることが分かる。

4.2.2 「少 し」「だけ」「ただ・単 なる」「少 々」「しばらく」など


そ の ほ か の 量 の ヘ ッ ジ に つ い て も 、 対応する訳語がない字幕から見ていくことにす
る。
(18)は 、客 の ネ ガ テ ィ ブ・フ ェ イ ス に 配 慮 し て 、ヘ ッ ジ の「 少 し 」と「 だ け 」
を 重 ね る こ と に よ り 、負 担 を 軽 減 し て FTA を 和 ら げ て い る 。訳 文 に は そ の よ う な
量のヘッジは見当たらず、語気が強くなってしまっている。

(18) 書店のスタッフが並んでいる客たちに指示する ( Ps<Ph, D 大 )

119
『通訳翻訳研究への招待』No.19 (2018)

原文: 「ご通行 の 皆さんの 邪 魔になら な いように もう少しだけ壁側


に お 願 い し ま す 。 あ り が と う ご ざ い ま す 。」

訳 文 :“ 为 了 不 妨 碍 正 常 通 行 , 请 贴 近 墙 壁 排 队 , 谢 谢 配 合 。”

(通行を邪魔しないよう、壁側に近づいて並んでください。ご協力あ
り が と う ご ざ い ま す 。)
(『 戦 う ! 書 店 ガ ー ル 』 第 1 話 39:28)

( 19) は 、 ゲ ス ト に 依 頼 を す る シ ー ン で あ る 。 原 文 で は 負 担 軽 減 の ヘ ッ ジ 「 だ
け 」 が 使 わ れ て い る が 、 訳 文 で は 、「 一 分 」 が 少 な い こ と が 強 調 さ れ て お ら ず 、
FTA 緩 和 の 度 合 い が 低 い 。

(19) 理子はイベントのゲストに時間をもらうことを頼む ( Ps<Ph, D 大 )


原 文 :「 一 分 だ け 私 に 時 間 を く だ さ い 。 お 願 い し ま す 。」
訳 文 :“ 能 给 我 一 分 钟 吗 ? 拜 托 您 了 ”
( 私 に 一 分 を く れ ま す か ? お 願 い し ま す 。)
(『 戦 う ! 書 店 ガ ー ル 』 第 1 話 43:07)

そ れ に 対 し て ( 20) は 、 息 子 が 問 題 に ぶ つ か っ て い る こ と に 気 を 付 か な い 夫 に
対 す る 台 詞 で あ る が 、原 文 の「 少 し ぐ ら い 」が “ 稍 微 ”で 訳 さ れ て お り 、両 方 も
「その程度の」とか「そればっかりの」といった軽く見る気持ちを表す。ここで
は む し ろ 「 ぐ ら い 」 の あ る 原 文 の 方 が FTA の 度 合 い が 強 い と 言 え る 。

(20) 妻が花澤に愚痴をこぼす ( Ps<Ph, D 小 )


原 文 :「 少 し ぐ ら い あの子が何を考えてるか 気にかけたら どうです
か?」
訳 文 :“ 你 能 不 能 稍 微 关 心 一 下 他 的 真 实 想 法 啊 。”
(彼は本当に何を考えてるか 少し関心を持つことができませんか?)
(『 お 義 父 さ ん と 呼 ば せ て 』 第 5 話 13:10)

( 21)は 、弟 の 失 踪 に 疑 念 を 抱 い た 姉 が 弟 の 上 司 に 質 問 を し て い る 場 面 で あ る 。
話 し 手 は 数 量 を 軽 減 す る 表 現「 一 つ 」お よ び ヘ ッ ジ の「 だ け 」を 並 べ て 、
「質問は
多 く な い 」 こ と を 示 唆 す る こ と で 、 依 頼 の FTA を 軽 減 し て い る 。 そ れ に 対 し て 、
訳文では、
「 一 つ 」と 指 示 詞 の“ 这 ”を 組 み 合 わ せ る こ と で 、質 問 の 数 量 や 範 囲 が
制限されていることを表現しており、原文と同様の効果が得られる。

120
日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現

(21) 陽子は弟の達郎の上司に尋ねる ( Ps<Ph, D 大 )


原 文 :「 で は 一 つ だ け 教 え て く だ さ い 。」
訳 文 :“ 那 请 您 回 答 我 这 一 个 问 题 吧 。”
(では こ の 一 つ 質 問 を 答 え て く だ さ い + “ 吧 ”)
(『 ナ オ ミ と カ ナ コ 』 第 6 話 07:25)

( 22) の ヘ ッ ジ 「 少 々 」“ 稍 ” は ど ち ら も 負 担 が 軽 い こ と を 示 唆 し て い る 。

(22) 電話の相手に ( Ps<Ph, D 大 )


原 文 :「 担 当 者 に 代 わ り ま す 。 少 々 お 待 ち く だ さ い 。」
訳 文 :“ 我 马 上 为 你 转 接 负 责 人 呢 请 您 稍 等 。”
(すぐに担当者に代わります 少 々 お 待 ち く だ さ い 。)
(『 家 族 ノ カ タ チ 』 第 1 話 04:15)

( 23)で は 、ヘ ッ ジ の「 た だ 」と「 だ け 」が“ 说 句 话( 一 言 )”お よ び“ 只 是( た


だ 、 だ け )” で 訳 さ れ 、 原 文 と 字 幕 の ど ち ら も 同 様 に 、 FTA の 度 合 い が 弱 め ら れ
ている。

(23) 理子が昔の恋人に ( Ps=Ph, D 大 )


原 文 :「 待 っ て なんで逃げるの? 私 は た だ 話 が し た い だ け 。」
訳 文 :“ 为 什 么 要 跑 ? 我 只 是 想 和 你 说 句 话 。”
(なんで逃げるの? 私 は 一 つ の 話 を し た い だ け 。)
(『 戦 う ! 書 店 ガ ー ル 』 第 2 話 29:17)

( 24)の「 し ば ら く 」が 表 す 時 間 は 決 し て 短 い と は 言 え な い が 、
「ずっとではな
い」
「 一 時 的 で あ る 」と い う こ と は 含 意 さ れ て い る 。訳 文 で は“ 一 阵 子 ”が 使 用 さ
れ、原文と同じ意味を表している。

(24) 千春が家族に尋ねる ( Ps<Ph, D 小 )


原 文 :「 私 し ば ら く こ っ ち に 戻 っ て き て も い い か な ? 」
訳 文 :“ 我 能 搬 回 来 住 一 阵 子 吗 ? ”
(私一時期に引っ越し戻ってこられますか?)
(『 結 婚 し な い 』 第 10 話 07:19)

以 上 見 て き た よ う に 、字 幕 で は 行 為 を 軽 減 す る こ と を 示 す 程 度 副 詞( 例 え ば 、“一
下 ”“ 稍 微 ”“ 只 是 ” な ど ) な ど に 訳 さ れ 、 FTA を 緩 和 す る 場 合 ( 30 例 ) が 多 い 。

121
『通訳翻訳研究への招待』No.19 (2018)

「だけ」は訳出されない場合が多い(7 例)が、共起している「一分」や「ひと
つ 」 は 訳 さ れ て い る の で 、 必 ず し も FTA が 緩 和 さ れ て い な い わ け で は な い 。

4.3 様 式 の「行 動 指 針 に対 する」ヘッジ


様 式 の ヘ ッ ジ と は 、Grice (1967)の「 曖 昧 で あ っ た り 多 義 的 で あ っ た り せ ず 、明
快 で あ る こ と 」 と い う 様 式 の Maxim に 向 け ら れ た ヘ ッ ジ で あ り 、「 こ う 申 し て は
失 礼 で す が 」な ど の よ う に 、自 分 の 行 為 が FTA で あ る こ と を 認 め 、謝 罪 す る こ と
に よ っ て 、フ ェ イ ス へ の 配 慮 と す る ス ト ラ テ ジ ー で あ る 。日 本 語 の 台 詞 で は 、
「は
っ き り お 聞 き し ま す が 」「 差 し 出 が ま し い よ う で す が 」 な ど 11 例 見 つ か っ た 。 そ
のうち、ネガティブ・フェイスに向けられるヘッジは 7 例であった。以下、日本
語の台詞における見られる様式の「ヘッジが中国語の字幕においてどのように扱
われているかについて考察する。
(25)で は 、 話 し 手 が 聞 き 手 の プ ラ イ バ シ ー に つ い て 尋 ね る 場 面 で あ る 。 原 文 で
は、聞き手のプライバシーに踏み込むことを認め、ヘッジの「はっきりお聞きし
ま す が 」で FTA を 予 告 す る こ と で 、聞 き 手 の ネ ガ テ ィ ブ・フ ェ イ ス へ の 配 慮 と し
ている。訳文でも、ヘッジがそのまま訳出されている。

(25) 亜紀は理子に詰問する ( Ps<Ph, D 大)


原 文:
「はっきりお聞きしますが理子さんは柴田さんと付き合っていたんです
か?」
訳 文 :“ 我 直 截 了 当 地 问 你 吧 , 理 子 姐 和 柴 田 先 生 交 往 过 吗 ? ”
( は っ き り あ な た に 聞 き ま す + “ 吧 ”、 理 子 さ ん は 柴 田 さ ん と 付 き 合
っていたんですか?)
(『 戦 う ! 書 店 ガ ー ル 』 第 3 話 09:16)

( 26) で も 、 話 し 手 が ヘ ッ ジ の 「 差 し 出 が ま し い よ う で す が 」 で プ ラ イ バ シ ー
の侵害を予告することで、聞き手のネガティブ・フェイスに配慮している。訳文
で は 、 “ 多 言( 余 計 な 言 葉 )”と 、許 し を 求 め る 表 現“ 恕 我 ”で 訳 出 さ れ て い る 。

(26) 春子は客のことについて推量する ( Ps<Ph, D 大)


原 文 :「 あ の う 差し出がましいようですが もしかして 花束を持つの
が恥ずかしいとか?」
訳 文 :“ 那 个 恕 我 多 言 , 难 道 您 是 觉 得 拿 着 花 不 好 意 思 吗 ? ”
(あのう 余計な言葉をお許しください。もしかして 花束を持つ
のが恥ずかしいですか?)
(『 結 婚 し な い 』 第 4 話 14:42)

122
日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現

以上のように、様式のヘッジは、ほとんどそのまま中国語の字幕に訳出されている。

5.まとめ
本論文では、日本のドラマに見られた NPS に向けられるヘッジ表現と、その対応する中
国語字幕を分析することによって、ヘッジの翻訳の特徴を考察した。以下、表とともにま
とめる。
まず、NPS に向けられるヘッジはドラマでも頻繫に用いられ、特に量の「行動指針に対
する」ヘッジの「ちょっと」を含む文が多い。
また、日 本 語 の ヘ ッ ジ の 翻 訳 に は 、語 気 を 和 ら げ る 語 気 助 詞(“ 吧 ”
“ 呢 ”な ど )、
動作の量が少なかったり、動作の時間が短かったりすることを表す動詞の重ね型
や 程 度 副 詞 (“ 一 下 ”“ 一 会 儿 ”“ 谈 一 谈 ”) を 使 用 す る の が 普 通 で あ る 。
日本語の NPS に向けられるヘッジを、
「ちょっと」と「と思う」を除いて、ほとんど中国
語に訳出されている。中 国 語 の 字 幕 で は 、 ヘ ッ ジ の 訳 出 は デ ー タ ベ ー ス 全 体 の 6 割
程度しかない。
さらに、訳 出 さ れ な か っ た ヘ ッ ジ と し て は 、
「 と 思 う 」と「 ち ょ っ と 」が 目 立 つ 。
こ ら れ は 相 手 の ネ ガ テ ィ ブ・フ ェ イ ス と ポ ジ テ ィ ブ・フ ェ イ ス の 両 方 に 対 す る FTA
の 場 合 や 、 FTA が 大 き い 場 合 に は 、 訳 さ れ る こ と が 少 な く な い 。 逆 に 言 え ば 、 そ
うでないときには訳出されないことが多いのである。ヘッジの出現回数が日本語
よ り も 少 な い と い う こ と は 、中 国 語 は 日 本 語 よ り も FTA を 低 め に 計 算 す る こ と を
示唆している。
本稿では、ポライトネスの観点に基づいて、ファンサブの中国語字幕に見られる特徴の
ごく一部を明らかにした。NPS に向けられるヘッジの翻訳特徴は、日本と中国社会におけ
る FTA の重さの計算の相違に従っていると考えられているが、この点は今後より明確に検
証していきたい。

123
『通訳翻訳研究への招待』No.19 (2018)

ヘッジ 表現 訳出数 非訳出数 合計 1 合計 2


質の「行動指針を 「と思う」 15 13 28
36
する」ヘッジ 「とか」 1 7 8
「ちょっと」 51 30 81
「一つだけ」など 5 7 12
量 の「行 動 指 針 を 「単なる・ただ」 10 0 10
120
する」ヘッジ 「少々」 4 0 4
「しばらく」 4 0 4
「少し」 7 2 9
様式の「行動指針 「はっきりお聞き
7 0 7 7
をする」ヘッジ しますが」など
合計 104 59 163 163
100.00 100.00
割合 63.80% 36.20%
% %
表3 中国語の字幕におけるヘッジの翻訳表現

........................................................................
【筆者紹介】
袁 青(エン セイ/YUAN Qing)。東北大学国際文化研究科国際文化交流専攻言語コミュニケー
ション論講座博士後期課程在学中。
(イン)ポライトネスの視点を中心に、日本のドラマにおけ
る中国語字幕の翻訳戦略研究に取り込んでいる。連絡先:yuanqing028@yahoo.co.jp
........................................................................

【註】
1. DVD 版『ナオミとカナコ』(フジテレビジョン、2016、収録時間は会計 558 分)
2. DVD 版『お義父さんと呼ばせて』(関西テレビ放送、2016、収録時間は会計 423 分)
3. DVD 版『戦う!書店ガール』(関西テレビ放送、2015、収録時間は会計 415 分)
4. DVD 版『結婚しない』(フジテレビジョン、2013、収録時間は会計 516 分)
5. DVD 版『家族ノカタチ』
(TBS、2016、収録時間は会計 492 分)

【参考文献】
Brown, P and Levinson, S. (1987) Politeness. Some Universals in Language Usage, Cambridge:
Cambridge University Press.
Grice, H. P. (1967). Logic and conversation. Unpublished MS, from the William James
Lectures 1967.
岡 本 佐 智 子 ・ 斎 藤 シ ゲ ミ ( 2004)「 日 本 語 副 詞 「 ち ょ っ と 」 に お け る 多 義 性 と 機 能 」

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日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現

『 北 海 道 文 教 大 学 論 集 』 5:65-76.
木 村 英 樹 ( 1987)「 依 頼 表 現 の 日 中 対 照 」『 日 本 語 学 』 10:58-66.
辻 大 介 ( 1999)「「 と か 」 弁 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 心 理 」『 第 3 回 社 会 言 語 科 学 会 研 究
大 会 予 稿 集 』 19-24.
横 田 淳 子 ( 1998)「「 ~ と 思 う 」 お よ び そ の 引 用 節 内 の 動 詞 の 主 体 に つ い て 」『 東 京 外
国 語 大 学 留 学 生 日 本 語 教 育 セ ン タ ー 論 集 』 24:101-117.
劉 暁 傑( 2011)
「 ぼ か し 表 現「 と か 」に つ い て の 考 察 」
『相愛大学人文科学研究所年報』
5:48-35.

125
『通訳翻訳研究への招待』No.19 (2018)

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