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日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現
―ポライトネスの観点から―
袁 青
(東北大学国際文化研究科博士後期課程)
Abstract
This paper aims to explain how hedges in Japanese are translated into Chinese in subtitling. Hedges
usually are used in dialogues as a strategy to avoid potential threats to cooperative interaction and
to keep harmonious communication. This study collected 163 sentences with typical hedges from
Japanese drama scripts and compared differences between original lines and their corresponding
Chinese subtitles from the viewpoint of politeness. Result shows, only 104 sentences (63.80%) with
hedges are translated as they are, and 36.20% of collected data are translated without hedges. This
suggests that target text politeness phenomena are different from those in source texts.
1. はじめに
我 々 の 日 常 生 活 に お い て 、(1)の 発 話 の よ う に 断 定 を 避 け 、聞 き 手 へ の 負 担 を 減
らす気持ちを表す表現がよく見られる。
(1) think…
I believe… 私は…だと思う。
assume…
( B&L: 164、 田 中 ( 監 訳 ) 2011: 228)
このような発話行為遂行の度合いと発話内効力を調整する機能を持つ表現を
「 ヘ ッ ジ ( hedge)」 と 呼 ぶ 。 聞 き 手 の 気 持 ち に 配 慮 し た う え で 、 自 分 の 考 え を は
っきりと伝達するのが困難である場合や、はっきりと自分の考えを表す必要がな
い 場 合 に 多 々 使 用 さ れ て い る 。そ う す る と 、相 手 の メ ン ツ( face)に 気 を 配 っ て 、
円 滑 な コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を 維 持 さ せ る 役 目 を 果 た す こ と が で き る 。このような聞
き手に対する配慮を、ポライトネスという。本稿は Brown & Levinson (1987)(以下 B&L)
のポライトネス理論に基づいて、日本語のヘッジの配慮が、中国語字幕でどのように表現
されるのかを明らかにすることを目的とする。
2. ポライトネス及びヘッジ
YUAN Qing, “Hedges in Chinese subtitling,” Invitation to Interpreting and Translation Studies, No. 19,
2018. pages 109-125. ©by the Japan Association for Interpreting and Translation Studies
『通訳翻訳研究への招待』No.19 (2018)
(2) It’s cold in here. (c.i. Shut the window) (B&L: 215)
B&L のポライトネス理論の中心となるのは、フェイス(face)の概念である。フェイス
は「すべての構成員が自分のために要求したいと願う公的な自己イメージ the public
self-image that every member wants to claim for himself」と定義され、二つの側面を持つ。ひと
つは「自分の領域・自由を侵害されたくない」というネガティブ・フェイス(negative face)
であり、もう一つは「他者に賞賛されたい、仲間に入れてほしい」というポジティブ・フ
ェイス(positive face)である。フェイスを脅かす行為(Face Threatening Acts、以下 FTA)
を行わざるを得ない場合、以下の五つのポライトネス・ストラテジーが適用される。補償
行為をせず、あからさまに FTA を行うボールド・オン・レコード(bald on record、以下 BoR)、
聞き手のポジティブ・フェイスに配慮するポジティブ・ポライトネス・ストラテジー(positive
politeness strategy、以下 PPS)、聞き手のネガティブ・フェイスに配慮するネガティブ・ポラ
イトネス・ストラテジー(negative politeness strategy、以下 NPS)、FTA を間接的に行うオフ・
レコード(off record、以下 Off-R)、そして FTA を行わないストラテジーである。
どのストラテジーを用いるのかは FTA の「重さ」
(Weightiness)によって決まる。この重
さは話し手と聞き手間の社会的距離(Distance, D)、聞き手が話し手に及ぼす力(Power, P)、
当該文化における FTA の負担度(Rank of imposition, Rx)によって算出される。
2.2 ヘッジ(Hedge)
B&L に よ る と 、ヘ ッ ジ( hedge)と は 、「 述 部 や 名 詞 句 が 表 す そ の も の ら し さ の
度 合 い を 修 正 す る よ う な 、 小 辞 、 語 、 慣 用 句 ( “hedge” is a particle, word or phrase
that modifies the degree of membership of a predicate or a noun phrase in a set)」
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日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現
a. 質の「行動指針に対する」ヘッジ
b. 量の「行動指針に対する」ヘッジ
c. 関係の「行動指針に対する」ヘッジ
d. 様式の「行動指針に対する」ヘッジ
な お 、B&L が 述 べ て い る よ う に 、ヘ ッ ジ は 必 ず し も ポ ラ イ ト ネ ス の た め だ け に
使 用 さ れ る わ け で は な く 、様 々 な 機 能 を 持 つ 。つ ま り 、NPS だ け で は な く PPS と
しても用いられることがある。さらに、日本語の台詞では見られる関係の「行動
指 針 に 対 す る 」 ヘ ッ ジ が ご く 少 な い の で 、 本 稿 で は 、 特 に c タ イ プ を 除 き 、 NPS
としてのヘッジに重点を置いて考察を行う。
3. 研究方法
本稿では、日本のドラマ『ナオミとカナコ』1、
『お義父さんと呼ばせて』2、
『戦う!書店
ガール』3、
『結婚しない』4 および『家族ノカタチ』5 を研究資料として、FTA 場面で現れる
NPS に向けられるヘッジを持つ用例 163 例を収集した。これらに対応するファンによるウ
ェブ上の非公式の中国語字幕(いわゆるファンサブ)の訳文と比較することによって、ヘ
ッジの翻訳特徴を考察する。ファンサブを選んだ理由は以下のとおりである。日本のドラ
マは中国でテレビ放送されることはほとんどない。一部の作品には公式字幕は存在すると
は言え、公式に公開された映画やドラマなどは審査によって不適切なシーンや発言を削除
されることがあるため、公式字幕の忠実度が下がっていることが多い。それに対して、フ
ァンサブは外部審査を受けないから、一切の削除なしですべてのシーンが見られ、オリジ
ナルに対する忠誠度が高い。字幕のポライトネス表現は、ファンサブのレベルによっても
影響を受ける。本稿では、人々からの評価が高い「人人字幕」というファンサブから、デ
ータを収集して考察する。なお、上記のドラマを選んだのは、第一に日常的な会話である
こと、第二に様々な人間関係が見られると同時に、力関係が明らかであること、第三に登
場人物がぶつかり合うプ ロ ッ ト が 豊 富 だ か ら で あ る 。
例文を挙げる際に、まず台詞の場面を説明し、話し手と聞き手の間の距離および関係を
示したうえで、日本語の台詞と中国語字幕の訳文を提示する。中国語字幕には筆者による
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『通訳翻訳研究への招待』No.19 (2018)
・「原文」:日本語の台詞。
・「訳文」:中国語の字幕。
・「話し手」
:台詞を言っている登場人物。
・「聞き手」
:その台詞が向けられている登場人物。
・P:会話参加者の力。話し手の力は Ps、聞き手の力は Ph と表記する。
・“>”“<”“=”: 話し手と聞き手の力関係を示す。
・D:話し手と聞き手間の社会的・心理的距離。“大” “中”“小”によって親疎を表す。
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日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現
なっている。
( 4)は 、話 し 手 が 聞 き 手 に 仕 事 を 頼 む 会 話 場 面 で あ る 。原 文 は 、話 し 手 が ヘ ッ
ジの「と思っています」によって、依頼を間接的にし、聞き手のネガティブ・フ
ェイスへの配慮を表す。しかし訳文には「と思う」に対応する表現がなく、依頼
は 直 接 的 な BoR で あ る 。
( 5)は 、こ ど も の 日 の イ ベ ン ト に つ い て 、ア イ デ ア を 募 っ て い る シ ー ン で あ る 。
原文では、話し手がヘッジの「と思う」を言いさしにして、提案の発話行為をさ
ら に 間 接 的 に し て い る 。訳 文 で も 語 気 を 和 ら げ る 機 能 が あ る “吧 ”が NPS と し て 機
能 し て い る が 、 FTA が 緩 和 さ れ る 度 合 い は 原 文 に 比 べ る と わ ず か で あ る 。
一方、原文の「と思う」が中 国 語 の “ 我 觉 得 ” で訳出される例も少なくない。
( 6)で は 、自 分 の 両 親 に も う 一 度 会 い た い と い う 依 頼 を 断 る 場 面 で あ る 。話 し
手 は「 今 は ま だ 会 わ な い 方 が い い 」と い う 意 見 を 、
「 と 思 う 」で 間 接 的 に 伝 え て い
る 。 訳 文 で も 、「 と 思 う 」 に 対 応 す る “ 我 觉 得 ” が 使 用 さ れ て い る 。
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『通訳翻訳研究への招待』No.19 (2018)
(6) 大 道 寺 に 美 蘭 の 両 親 に も う 一 度 会 い た い と 言 わ れ て 、断 る ( Ps=Ph, D 小 )
原 文 :「 そ れ は 一 拍 置 い た ほ う が い い と 思 う な 。」
訳 文 : “我 觉 得 最 好 还 是 不 要 急 于 一 时 。 ”
( し ば ら く あ せ ら な い ほ う が い い と 思 う 。)
(『 お 義 父 さ ん と 呼 ば せ て 』 第 2 話 08:21)
( 7)で は 、聞 き 手 と 付 き 合 っ て い る 男 が 既 婚 者 で あ る と い う こ と を 知 り 、話 し
手 が そ の 男 と 別 れ る よ う に 説 得 す る シ ー ン で あ る 。 原 文 で も 字 幕 で も 、「 と 思 う 」
“我觉得”を使用して、説得の発話行為を緩和している。
( 8) も 同 様 に 「 と 思 う 」“ 我 觉 得 ” で 忠 告 の 発 話 行 為 を 緩 和 し て い る 。
以 上 の よ う に 、「 と 思 う 」 を 訳 さ ず 、 代 わ り に 語 気 助 詞 (“ 吧 ” な ど ) で 発 話 行
為を軽く緩和する場合もあれば、対応する“我觉得”で訳出される場合も多い。
で は そ の 違 い は 何 で あ ろ う か 。 下 の 表 1 を 見 る と 、 FTA の 値 が 訳 出 の 有 無 に 影 響
を及ぼすことが分かった。
「 訳 さ な い 」と い う 発 話 行 為 を 見 る と 、そ の ほ と ん ど が 自 分 の 希 望 を 述 べ る「 た
い と 思 う 」で 、
( 5)の 部 下 へ の 提 案 の よ う な 発 話 行 為 が 若 干 見 ら れ た だ け で あ る 。
「たいと思う」については、中国語で希望を表す“想”や“希望”が“我觉得”
と共起できないという事情が大きい。その一方で、話し手が聞き手より力が強い
場合では訳出されない傾向がある
訳出される場合の発話行為を見ると、社会的な距離が小さくなると、つまり親
疎関係が親しい方に動くほど、
「 と 思 う 」が 訳 出 さ れ る 可 能 性 が 高 く な る 一 方 、力
関係の側面から見ると、
「 と 思 う 」は 話 し 手 が 聞 き 手 よ り も 力 が 弱 い 場 合 に 訳 さ れ
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日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現
や す い 。さ ら に 、説 得 や 忠 告 の 場 面 で は 、
「 と 思 う 」が 訳 出 さ れ る こ と が 多 い 。こ
れ で は 相 手 の ネ ガ テ ィ ブ・フ ェ イ ス に 対 す る FTA で あ る と い う だ け で な く 、聞 き
手 の 現 状 を 否 定 す る よ う な 、ポ ジ テ ィ ブ・フ ェ イ ス に 対 す る FTA で も あ る 。こ の
よ う な 場 合 に は 、中 国 語 で も“ 我 觉 得 ”で FTA を 緩 和 す る 必 要 が あ る と 考 え ら れ
る。
D大 D中 D小 合計
訳出される場合 0(0%) 9(60.0%) 6(66.7%) 15
訳出されない場合 4(100.0%) 6(40.0%) 3(33.3%) 13
合計 4(100.0%) 15(100.0%) 9(100.0%) 28
4.1.2 「とか」
「 と か 」 の 機 能 に 関 し て 、 辻 ( 1999: 21) は 、「 相 手 と 正 面 か ら 向 き 合 っ て 衝 突
することを避け、相手を傷つけない・相手に傷つけられないように距離を置いた
人 間 関 係 を 志 向 す る 心 理 の あ ら わ れ 」と 述 べ て い る 。ま た 、劉( 2011)は 、
「断定
回避」および「直示軽減」などの用法に当たり、直示することを避け、発話を緩
和することで、円滑な会話を促進させる役に立つぼかし表現であるという。この
ような機能は、果たして中国語字幕にどのように現れているであろうか。
ま ず 、「とか」に対応する訳語がない字幕から見ていこう。
( 9)で は 、
「 と か 」の 使 用 に よ り 、
「 必 ず し も 甘 い も の で な く て も よ い 」と 伝 え 、
相手の負担を下げることにより、依頼の度合いを緩和している。ところが、訳文
で は 、話 し 手 は は っ き り 自 分 の 希 望 を 述 べ て お り 、FTA の 度 合 い が 原 文 よ り 強 い 。
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( 10)は 、常 連 客 の 依 頼 に 対 し て 、そ の 理 由 を 推 測 す る 場 面 で あ る 。原 文 で は 、
話 し 手 が 聞 き 手 の ネ ガ テ ィ ブ・フ ェ イ ス( プ ラ イ ベ ー ト な 気 持 ち )に 配 慮 し 、
「と
か 」 に よ っ て 断 定 を 回 避 す る こ と で 、 FTA の 度 合 い を 和 ら げ て い る 。 訳 文 で は 、
は っ き り と 質 問 す る 形 に な っ て お り 、FTA の 度 合 い は 原 文 よ り 強 く な っ て し ま う 。
(10) 買 っ た 花 を 見 え な い よ う に 包 装 し て ほ し い と い う 客 の 依 頼 に ( Ps<Ph, D 大 )
原 文 :「 あ の う 差し出がましいようですが もしかして 花束を持つの
が恥ずかしいとか?」
訳 文 :“ 那 个 恕 我 多 言 , 难 道 您 是 觉 得 拿 着 花 不 好 意 思 吗 ? ”
(あのう、余計なことを言って申し訳ありませんが、まさか花束を
持つのが恥ずかしいのですか?)
(『 結 婚 し な い 』 第 4 話 14:42)
一方、「とか」が中 国 語 の “ 什 么 的 ” で訳出される例も1例だけ見つかった。
( 11)で は 、
「 と か 」を 二 回 使 用 す る こ と に よ っ て 、限 定 を 避 け 、ほ か の 選 択 肢
があることを仄めかすことで、聞き手のネガティブ・フェイスへの配慮をし、主
張 の 度 合 い を 和 ら げ て い る 。 訳 文 で は 、 FTA を 弱 め る 機 能 を 持 つ 語 気 助 詞 “ 吧 ”
と 、「 と か 」 に 対 応 す る “ 什 么 的 ” が 使 用 さ れ 、「 ま だ は っ き り 決 め て お ら ず 、 あ
なたの意見も聞きたい」というような話し手の気持ちが伝達される。
(11) 美 蘭 が 大 道 寺 に 週 末 の 予 定 を 提 案 す る 。( Ps=Ph, D 小)
原 文:
「たまにはさ 車借りて ド ラ イ ブ と か 行 か な い 。日 帰 り 温 泉 と か 。」
訳 文 :“ 偶 尔 借 个 车 去 兜 风 吧 。 当 天 来 回 的 温 泉 游 什 么 的 。 ”
( た ま に は 車 を 借 り て ド ラ イ ブ に 行 く + “ 吧 ”。 日 帰 り 温 泉 と か 。)
(『 お 義 父 さ ん と 呼 ば せ て 』 第 3 話 03:39)
以上のように、中国語の字幕では日本語の台詞に現れる「とか」はほとんど訳
出 さ れ ず 、 FTA の 度 合 い が 強 く な る 場 合 が 多 い 。
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日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現
4.2.1 「ちょっと」
木 村 ( 1987) は 、 日 本 語 の 「 ち ょ っ と 」 と 中 国 語 の “ 一 下 ” が 「 相 手 に 依 頼 す
る動作を短く少なめな形、言わば「軽減化」をした形で提示することで、こちら
の控え目な要求の姿勢を示し、これによってより円滑な依頼行為の遂行を促す働
き を 担 っ て い る 」と 述 べ て い る 。ま た 、岡 本・斉 藤( 2004)は 、
「 ち ょ っ と 」が 依
頼や、希求、指示行為への負担を減らす、断りを受けやすくするなど六つの用法
を 持 ち 、お 互 い の フ ェ イ ス を 守 る コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 機 能 が あ る と 主 張 し て い る 。
以下、日本語のヘッジ「ちょっと」がどのように中国語に翻訳されているかを見
てみよう。
ま ず 、 ヘ ッ ジ の 「ちょっと」に対応する訳語がない字幕から見ていこう。
( 12) は 、 プ ロ ジ ェ ク ト の 仲 間 に 聞 き 手 を 誘 お う と 呼 び 止 め る 場 面 で あ る 。 原
文の「ちょっと」は、相手の時間をそれほど奪わないというネガティブ・フェイ
スへの配慮を示して、聞き手の負担度を弱くしている。しかし、訳文にそうした
配慮は見られない。
( 13) の 「 ち ょ っ と 」 も 量 の ヘ ッ ジ と し て 機 能 し て い る が 、 訳 文 に は 、 尊 敬 呼
称 の“ 您 ”が 用 い ら れ て い る も の の 、ヘ ッ ジ が な く 、負 担 の 軽 減 が 含 意 さ れ な い 。
( 14) で は 、 依 頼 の 負 担 を 緩 和 す る 「 ち ょ っ と 」 が 訳 文 に な く 、 FTA が 原 文 よ
り大きい。
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原 文 :「 あ の おじいちゃん ち ょ っ と 黙 っ て て も ら え ま す か 。」
訳 文 :“ 那 个 , 爷 爷 您 能 别 说 话 了 吗 ? ”
(あの おじいちゃん 話 さ な い で も ら え ま す か 。)
(『 お 義 父 さ ん と 呼 ば せ て 』 第 4 話 24:33)
一方、訳出される例もしばしば見られる。
( 15) の 「 ち ょ っ と 」 は 控 え 目 な 要 求 の 姿 勢 を 示 し て お り 、 依 頼 の 度 合 い が 和
ら げ ら れ て い る 。字 幕 で は 、
「 ち ょ っ と 」に 対 応 す る 程 度 副 詞 の“ 一 下 ”に 訳 出 さ
れ て 、 原 文 と 同 じ よ う に 、 FTA を 緩 和 し て い る 。
( 16) で は 、 量 の ヘ ッ ジ が 相 手 に そ れ ほ ど 時 間 を と ら せ な い こ と を 示 唆 し て お
り 、聞 き 手 へ の ネ ガ テ ィ ブ・フ ェ イ ス が 配 慮 さ れ て い る 。訳 文 で は 、
“ 有 点( 少 し )”
を 使 い 、 原 文 と 同 じ よ う に 、 FTA を 緩 和 し て い る 。
( 17)の「 ち ょ っ と 」も 上 と 同 様 で あ る が 、中 国 語 で は「 動 詞 +“ 一 ”+ 動 詞 」
という動詞の重ね型(動作の量が少なかったり、動作の時間が短かったりするこ
とを表す文法形式)を用いて、行為の軽さを表現している。
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日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現
以 上 の よ う に 、日 本 語 の 量 の ヘ ッ ジ「 ち ょ っ と 」は 、訳 出 さ れ な い 場 合( 30 例 )
と 、 程 度 副 詞 ( 例 え ば 、 “一 下 ”な ど ) や 動 詞 の 重 ね 型 ( 例 え ば 、 “谈 一 谈 ”“说 说 ”
な ど )で 訳 出 さ れ る 場 合( 51 例 )が あ る 。で は そ の 違 い は ど こ に あ る の か 。文 脈
を 詳 細 に 検 討 す る と 、 訳 出 の 有 無 は FTA の 値 に あ る こ と が 分 か る 。
下の表 2 を見ると、社会的な距離が大きくなると、つまり親疎関係が疎に傾く
ほど、
「 ち ょ っ と 」が 訳 さ れ や す い 。し か し 、上 下 関 係 で 見 る と 、話 し 手 が 聞 き 手
よりも力が強いときの方が訳出される傾向がある。つまり、よく知らない相手だ
が、自分の方が下ではないときに用いられるということになる。
日本語ですべての場合で「ちょっと」が使用されていることを考えると、日本
語 は 中 国 語 に 比 べ て FTA の 値 が 大 き く な り が ち で 、 そ の た め 、 ヘ ッ ジ に よ っ て
FTA を 緩 和 し よ う と す る 場 面 が 増 え る も の と 考 え ら れ る 。逆 に 中 国 語 は 日 本 語 よ
り FTA の 値 が 小 さ く な り が ち で 、特 に 話 し 手 の 方 が 下 位 で 、親 し け れ ば ヘ ッ ジ の
出現頻度も下がると考えられる。
D大 D中 D小 合計
訳出される場合 5 (41.7%) 20 (37.0%) 5 (33.3%) 30
訳出されない場合 7 (58.3%) 34 (63.0%) 10 (66.7%) 51
合計 12 (100.0%) 54 (100.0%) 15 (100.0%) 81
日本語でも中国語でも、話し手と聞き手に距離がある場合、量のヘッジが現れ
やすいのは共通しているが、その傾向は中国語で特に顕著であることが分かる。
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『通訳翻訳研究への招待』No.19 (2018)
訳 文 :“ 为 了 不 妨 碍 正 常 通 行 , 请 贴 近 墙 壁 排 队 , 谢 谢 配 合 。”
(通行を邪魔しないよう、壁側に近づいて並んでください。ご協力あ
り が と う ご ざ い ま す 。)
(『 戦 う ! 書 店 ガ ー ル 』 第 1 話 39:28)
( 19) は 、 ゲ ス ト に 依 頼 を す る シ ー ン で あ る 。 原 文 で は 負 担 軽 減 の ヘ ッ ジ 「 だ
け 」 が 使 わ れ て い る が 、 訳 文 で は 、「 一 分 」 が 少 な い こ と が 強 調 さ れ て お ら ず 、
FTA 緩 和 の 度 合 い が 低 い 。
そ れ に 対 し て ( 20) は 、 息 子 が 問 題 に ぶ つ か っ て い る こ と に 気 を 付 か な い 夫 に
対 す る 台 詞 で あ る が 、原 文 の「 少 し ぐ ら い 」が “ 稍 微 ”で 訳 さ れ て お り 、両 方 も
「その程度の」とか「そればっかりの」といった軽く見る気持ちを表す。ここで
は む し ろ 「 ぐ ら い 」 の あ る 原 文 の 方 が FTA の 度 合 い が 強 い と 言 え る 。
( 21)は 、弟 の 失 踪 に 疑 念 を 抱 い た 姉 が 弟 の 上 司 に 質 問 を し て い る 場 面 で あ る 。
話 し 手 は 数 量 を 軽 減 す る 表 現「 一 つ 」お よ び ヘ ッ ジ の「 だ け 」を 並 べ て 、
「質問は
多 く な い 」 こ と を 示 唆 す る こ と で 、 依 頼 の FTA を 軽 減 し て い る 。 そ れ に 対 し て 、
訳文では、
「 一 つ 」と 指 示 詞 の“ 这 ”を 組 み 合 わ せ る こ と で 、質 問 の 数 量 や 範 囲 が
制限されていることを表現しており、原文と同様の効果が得られる。
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日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現
( 22) の ヘ ッ ジ 「 少 々 」“ 稍 ” は ど ち ら も 負 担 が 軽 い こ と を 示 唆 し て い る 。
( 24)の「 し ば ら く 」が 表 す 時 間 は 決 し て 短 い と は 言 え な い が 、
「ずっとではな
い」
「 一 時 的 で あ る 」と い う こ と は 含 意 さ れ て い る 。訳 文 で は“ 一 阵 子 ”が 使 用 さ
れ、原文と同じ意味を表している。
以 上 見 て き た よ う に 、字 幕 で は 行 為 を 軽 減 す る こ と を 示 す 程 度 副 詞( 例 え ば 、“一
下 ”“ 稍 微 ”“ 只 是 ” な ど ) な ど に 訳 さ れ 、 FTA を 緩 和 す る 場 合 ( 30 例 ) が 多 い 。
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『通訳翻訳研究への招待』No.19 (2018)
「だけ」は訳出されない場合が多い(7 例)が、共起している「一分」や「ひと
つ 」 は 訳 さ れ て い る の で 、 必 ず し も FTA が 緩 和 さ れ て い な い わ け で は な い 。
( 26) で も 、 話 し 手 が ヘ ッ ジ の 「 差 し 出 が ま し い よ う で す が 」 で プ ラ イ バ シ ー
の侵害を予告することで、聞き手のネガティブ・フェイスに配慮している。訳文
で は 、 “ 多 言( 余 計 な 言 葉 )”と 、許 し を 求 め る 表 現“ 恕 我 ”で 訳 出 さ れ て い る 。
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日本語と中国語字幕に見られるヘッジ表現
以上のように、様式のヘッジは、ほとんどそのまま中国語の字幕に訳出されている。
5.まとめ
本論文では、日本のドラマに見られた NPS に向けられるヘッジ表現と、その対応する中
国語字幕を分析することによって、ヘッジの翻訳の特徴を考察した。以下、表とともにま
とめる。
まず、NPS に向けられるヘッジはドラマでも頻繫に用いられ、特に量の「行動指針に対
する」ヘッジの「ちょっと」を含む文が多い。
また、日 本 語 の ヘ ッ ジ の 翻 訳 に は 、語 気 を 和 ら げ る 語 気 助 詞(“ 吧 ”
“ 呢 ”な ど )、
動作の量が少なかったり、動作の時間が短かったりすることを表す動詞の重ね型
や 程 度 副 詞 (“ 一 下 ”“ 一 会 儿 ”“ 谈 一 谈 ”) を 使 用 す る の が 普 通 で あ る 。
日本語の NPS に向けられるヘッジを、
「ちょっと」と「と思う」を除いて、ほとんど中国
語に訳出されている。中 国 語 の 字 幕 で は 、 ヘ ッ ジ の 訳 出 は デ ー タ ベ ー ス 全 体 の 6 割
程度しかない。
さらに、訳 出 さ れ な か っ た ヘ ッ ジ と し て は 、
「 と 思 う 」と「 ち ょ っ と 」が 目 立 つ 。
こ ら れ は 相 手 の ネ ガ テ ィ ブ・フ ェ イ ス と ポ ジ テ ィ ブ・フ ェ イ ス の 両 方 に 対 す る FTA
の 場 合 や 、 FTA が 大 き い 場 合 に は 、 訳 さ れ る こ と が 少 な く な い 。 逆 に 言 え ば 、 そ
うでないときには訳出されないことが多いのである。ヘッジの出現回数が日本語
よ り も 少 な い と い う こ と は 、中 国 語 は 日 本 語 よ り も FTA を 低 め に 計 算 す る こ と を
示唆している。
本稿では、ポライトネスの観点に基づいて、ファンサブの中国語字幕に見られる特徴の
ごく一部を明らかにした。NPS に向けられるヘッジの翻訳特徴は、日本と中国社会におけ
る FTA の重さの計算の相違に従っていると考えられているが、この点は今後より明確に検
証していきたい。
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『通訳翻訳研究への招待』No.19 (2018)
........................................................................
【筆者紹介】
袁 青(エン セイ/YUAN Qing)。東北大学国際文化研究科国際文化交流専攻言語コミュニケー
ション論講座博士後期課程在学中。
(イン)ポライトネスの視点を中心に、日本のドラマにおけ
る中国語字幕の翻訳戦略研究に取り込んでいる。連絡先:yuanqing028@yahoo.co.jp
........................................................................
【註】
1. DVD 版『ナオミとカナコ』(フジテレビジョン、2016、収録時間は会計 558 分)
2. DVD 版『お義父さんと呼ばせて』(関西テレビ放送、2016、収録時間は会計 423 分)
3. DVD 版『戦う!書店ガール』(関西テレビ放送、2015、収録時間は会計 415 分)
4. DVD 版『結婚しない』(フジテレビジョン、2013、収録時間は会計 516 分)
5. DVD 版『家族ノカタチ』
(TBS、2016、収録時間は会計 492 分)
【参考文献】
Brown, P and Levinson, S. (1987) Politeness. Some Universals in Language Usage, Cambridge:
Cambridge University Press.
Grice, H. P. (1967). Logic and conversation. Unpublished MS, from the William James
Lectures 1967.
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124
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『 北 海 道 文 教 大 学 論 集 』 5:65-76.
木 村 英 樹 ( 1987)「 依 頼 表 現 の 日 中 対 照 」『 日 本 語 学 』 10:58-66.
辻 大 介 ( 1999)「「 と か 」 弁 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 心 理 」『 第 3 回 社 会 言 語 科 学 会 研 究
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国 語 大 学 留 学 生 日 本 語 教 育 セ ン タ ー 論 集 』 24:101-117.
劉 暁 傑( 2011)
「 ぼ か し 表 現「 と か 」に つ い て の 考 察 」
『相愛大学人文科学研究所年報』
5:48-35.
125
『通訳翻訳研究への招待』No.19 (2018)
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