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単孔類,有袋類ミルクオリゴ糖の
日本農芸化学会
種特異的進化と生存戦略
浦島 匡
●
化学と生物
が類似している (18).α-ラクトアルブミンは哺乳類の乳腺
のみに発現する“新しい”タンパク質であるから,哺乳
乳腺の進化とミルク糖質の発生
類以外に魚類や昆虫にも発現している“古い”タンパク
現存の哺乳類はキノドン類を共通祖先として進化をと 質であるリゾチームからの遺伝子変異によって獲得され
げ,祖先の原獣類よりまず約 1 億 9000 万年前に単孔類 たことは疑いない.α-ラクトアルブミンの出現によっ
が,ついで約 1 億 6000 万年前に有袋類と有胎盤類が相互 て,乳腺の中でラクトース単位の合成が開始された.
に分化したと推測されている (13, 14).現存する単孔類は 一方,ミルクオリゴ糖は還元末端にラクトース単位を
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から受け継いだ特徴であろう.乳を分泌する乳腺細胞の 成をも開始させた.α-ラクトアルブミンの出現は,約 3
集合体である乳腺は,アポクリン腺から進化したと予想 億 1000 万年前という推定もある (19).その当時哺乳類は
される (12, 15).それは細胞内で合成された脂肪球が,乳 おろか恐竜さえも出現しておらず,祖先に乳腺様の組織
腺とアポクリン腺では共通して細胞外へと分泌される際 も存在しなかったであろう.特殊な皮膚腺から何かの成
に細胞の頂上細胞膜を突き破り,細胞膜に由来する脂肪 分が分泌されていたのであろうか.
球膜に包まれるような形で分泌される(アポクリン分泌 α-ラクトアルブミンの偶然の出現によってラクトース
と命名される)事実に基づいている.本来水と油は交わ 単位の生合成は開始されるようになった.一方でスフィ
らないものの代名詞のように言われるが,乳の中では水 ンゴ糖脂質の還元末端側にラクトース単位が含まれるよ
と油が混じり合っているのは脂肪の粒子の周りを取り囲 うに,ラクトース単位は細胞内ゴルジ体で各種の糖転移
むこのような脂肪球膜の存在のためである.乳タンパク 酵素のアクセプターになりうる.α-ラクトアルブミンの
質は乳腺細胞の中で合成される成分(カゼイン,α-ラク 発現量が低くてラクトースの生合成速度が遅い場合は,
トアルブミン,β-ラクトグロブリンなど)と血液タンパ 生合成された遊離のラクトースは主に糖転移酵素のアク
ク質に由来する成分(免疫グロブリン,血清アルブミン セプターとして利用されていたであろう.哺乳類の共通
など)があるが,乳腺の進化の中で一部の血液成分を乳 祖先で乳様の分泌物が原始的な乳腺または乳腺の先祖腺
腺細胞へと取り込む機構とともに,ほかの祖先タンパク において分泌されていた段階では,その分泌物の中にラ
質から乳腺特異的発現タンパク質への遺伝子の変異が クトースは少なくてミルクオリゴ糖のほうがはるかに優
あったであろうと予想される.たとえばカゼインは歯の 先的であったと予想される (2, 7, 8).それは卵生や乳首の
エナメル芽関連タンパク質を先祖成分とすると推定され ない乳腺からの乳分泌など,哺乳類祖先の特徴を今日で
ている (16).そのような仮説は,歯のエナメルタンパク も残している単孔類の乳において,ラクトースよりもミ
質とカゼインがどちらもカルシウムの運搬機能を担って ルクオリゴ糖のほうが圧倒的に多い事実からも推測され
いるという事実に基づく. る.今日有胎盤類の乳においては主要な糖質はラクトー
泌乳期乳腺においてラクトースの合成は,ホエータン スであり,ラクトースは乳仔にとって重要な栄養源であ
物は,皮膚の上に細菌などが増殖する栄養源とならな
い,病原性微生物が皮膚の上に付着するのを阻止する,
皮膚の上をなめるように分泌物を摂取した仔に対して感
染防御能を果たす,などの機能を有していたのではない
か (2, 7, 8).それは単孔類の乳に含まれるミルクオリゴ糖
の観察に基づいて推測された.
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単孔類ミルクオリゴ糖
現存する単孔類はカモノハシとハリモグラの 2 種であ
化学と生物
り,ハリモグラはさらに長くちばしハリモグラと短くち
ばしハリモグラの 2 種に分類される.カモノハシ( 図 1 ■ ハ リ モ グ ラ と カ モ ノ ハ シ の 乳 の 糖 質 画 分 の Sephadex
)はオーストラリア大陸の東側, G-15 カラムによるゲルろ過プロファイル
クイーンズランド北部からタスマニアにかけての川や湖 各フラクションのアリコートはヘキソース,フコース,シアル酸
に対して測定された. e は溶出容量, o はボイドボリュームを示
に棲息している.短くちばしハリモグラ( す.図は文献(20)より引用した.
図 2 ■ 従来(文献(21∼24))構造決定されて
いたハリモグラとカモノハシのミルクオリ
ゴ糖
(23) (24)
ら ,ならびに Amano ら によって図 2 のように決定 過,グラファイトカーボンカラムを用いた中性オリゴ糖
された. の高速液体クロマトグラフィー(HPLC)による分離・
筆者は 2012 年 9 月にタスマニア島の州都ホバートの北 精製,ならびにプロトン核磁気共鳴スペクトル(1H-
方 50 km の フ ィ ー ル ド に お い て, タ ス マ ニ ア 大 学 の NMR)測定によって構造決定した (25).初期乳,中期乳
Stewart Nicol 博士とともにハリモグラ・タスマニア亜 には圧倒的に優先的なオリゴ糖として 4-O-アセチル-3 ′-
種の捕獲と乳試料採集を行った.泌乳中の個体は Nicol シアリルラクトースが,後期乳ではそれとともに Gal
( α1-3)
[Fuc
(α1-2)]Gal( β1-4)
[Fuc
(α1-3)
]Glc( Bペンタ
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トース)
,Fuc(α1-2)Gal(β1-4)
[Fuc(α1-3)]Glc(ジフコシ
ルラクトース),Gal( β1-4)
[Fuc(α1-3)
]GlcNAc( β1-3)
Gal(β1-4)Glc(ラクト-N-フコペンタオース III, LNFP-III)
が後期乳に,Neu4,5Ac2(α2-3)Gal(β1-4)
[Fuc(α1-3)]Glc
が初期乳,中期乳,後期乳に発見された.初期乳,中期
乳 に は Neu5Ac(α2-3)Gal(β(1-4)Glc(3 ′-シ ア リ ル ラ ク
トース)
,ジ-O-アセチル-3′-シアリルラクトースと 4-O-ア
図 3 ■ 2012 年 9 月タスマニアでのハリモグラフィールド調査 セチル-3′-シアリルラクトース硫酸が発見された.
GPS 発信器を取り付けたハリモグラを探しているところ.写真は ここで注目されるのは初期乳で圧倒的に優先的な 4-O-
タスマニア大学の Stewart Nicol 博士. アセチル-3 ′-シアリルラクトースである.単孔類の特に
初期乳は,哺乳類祖先の原始的な乳の特徴を残している
と予想されるので,哺乳類祖先の乳の糖質はラクトース
ではなくこのようなオリゴ糖を優先的に含んでいたと推
測される.N-アセチルノイラミン酸への 4-O-アセチル基
の付加の意義については,後に考察する.以前の Mess-
er らの研究において,カンガルー島ならびにオースト
ラリア大陸のハリモグラの乳で 2′フコシルラクトースが
優先的な糖質であり,B ペンタサッカイライドや B テト
ラサッカライドは発見されなかった (20∼23).この違いは,
ハリモグラの亜種どうしでのミルクオリゴ糖の不均一性
を示している.ミルクオリゴ糖の非還元末端単位として
図 4 ■ タスマニアハリモグラから採乳しているところ B 抗原
(Gal
(α1-3)
[Fuc
(α1-2)
]Gal)
,A 抗原
(GalNAc
(α1-3)
図 5 ■ 構造決定されたカモノハシ酸性ミルクオリゴ
糖(文献(29) )
したような構造であった.また,シアル酸を含むオリゴ ト-N-ネオヘキサオースをコア骨格とするミルクオリゴ
糖の大半が,4-O-アセチル化した N-アセチルノイラミン 糖が発見された.ラクトースコア以外のこれらのコア骨
酸(Neu4,5Ac2)を含んでいた. 格をもつオリゴ糖は,ヒトなどの有胎盤類でも発見され
ミルクオリゴ糖における O-アセチル化 N-アセチルノ ているが,有袋類には見つかっていない (2, 7, 8).これら
イラミン酸の存在は,ウシオリゴ糖の微量成分に示され の共通のコア骨格オリゴ糖が単孔類と有胎盤類で発見さ
(30)
ている(完全構造は決定されていない) が,シアリル れたという事実は,それらが共通祖先哺乳類の乳様分泌
オリゴ糖の大半が Neu4,5Ac2 を含むのは単孔類の固有 物にすでに存在していた可能性を示唆している.
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の特徴である.4-O-アセチルシアル酸を含むシアリルラ
クトースは,細菌が生産するシアリダーゼに対して加水
有袋類のミルクオリゴ糖
分解抵抗性を有している (31).単孔類は前述のように乳
化学と生物
首のない乳腺で,皮膚の上に乳を分泌する.それに細菌 現 存 す る 有 袋 類 は 約 250 種 類 で あ り, 南 ア メ リ カ,
が増殖しては母体にとっても仔にとっても不都合であ オーストラリア,ニューギニアに棲息する.妊娠期間が
る.シアル酸への O-アセチル基の付加は,ミルクオリ 20 日前後と短く 200 mg 未満の未熟な新生仔を出産し,
ゴ糖が細菌増殖のための栄養源とならないような機能を 乳仔は授乳の一定期間を育仔嚢の中で発育する.有袋類
付与するものと予想される.一方で有袋類や有胎盤類で の一種カンガルーの袋の中には 4 つの乳首が存在する
の乳首の存在は,それ自体が感染防御に対してある程度 が,そのうちの一つに仔が吸い付き,仔の付着した乳首
有効であり,シアル酸の O-アセチル化の必要性が失わ のみで泌乳が開始される,泌乳期の経過とともに乳首の
れたのではないかと考えられる. サイズは増加する.それはある泌乳時期に 2 つの異なる
Stewart らは,ハリモグラやラットの乳仔の腸粘膜の 乳首から異なる組成の乳を分泌するが,一方の小さな乳
ホモゲネートとともに 4-O-アセチルシアリルラクトース 首から分泌される新生仔用の乳でも,他方の大きな乳首
(32)
をインキュベートした .ハリモグラのホモゲネート から分泌され,乳仔が袋の外側から授乳する乳でも,ラ
では中間分解産物としてシアリルラクトースが,最終分 クトースはマイナーな成分にすぎない.有袋類の乳の糖
解産物として,ラクトース,シアル酸,グルコース,ガ 質分析は,従来薄層クロマトグラフィーによってアカク
ラクトースが生成したが,ラットでは加水分解生成物が ビワラビー (36),イースタンクオール(フクロネコ)
(37)
,ブ
(32)
えられたかった .このことはハリモグラの乳仔が, ラッシュテイルポッサム (38),リングタイルポッサム (39),
主要糖質の 4-O-アセチルシアリルラクトースを小腸内で コアラ (40) およびグレーショートテイルオポッサム (41) な
分解できることを示している.ハリモグラ乳仔はおそら どに対して行われた.一方でミルクオリゴ糖の構造解析
くピノサイトーシスのような単純な輸送方式で小腸細胞 は,従来の Messer らによるタマーワラビー以外に,近
内にそれを取り込み,リソソームで加水分解して栄養源 年筆者らによってアカカンガルー,コアラ,ブラッシュ
として利用していることが予想される.カモノハシでも テイルポッサム,イースタンクオールに対して行われ
同様であると考えられるが,ミルクオリゴ糖を構成する た.
単糖の中で栄養源として利用できるのは,グルコースと タマーワラビーの中性オリゴ糖の構造解析は,1980 年
されたブラッシュテイルポッサム中性ミルクオリゴ糖は
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化学と生物
図 6 ■ ブラッシュテイルポッサム乳より抽出した糖質画分の
BioGel P-2 カラムのよるゲルろ過プロファイル
各フラクションのアリコートは,490 nm でのフェノール硫酸法で
ヘキソースを,630 nm での過ヨー素酸レゾルシノール法でシアル 図 7 ■ 構造決定されたブラッシュテイルポッサムの中性ミルク
酸のモニターを行った.図は文献(48)より引用した オリゴ糖(文献(48) )
図8 ■ 構造決定されたブラッシュテイル
ポッサムの酸性ミルクオリゴ糖(文献(48))
が,ブラッシュテイルポッサム乳仔の脳などの成長に ほかの有袋類種のミルクオリゴ糖の未同定画分の中にも
とって,ミルクオリゴ糖由来の硫酸基が利用されている 含まれている可能性がある.他種の有袋類乳の糖質画分
は,優先種として直鎖の β(1-3)ガラクトシルラクトース
シリーズ,一方マイナーシリーズとして GlcNAc を含む
分枝オリゴ糖を含んでいたが,イースタンクオール乳の
糖質画分では,ラクト-N-ノボペンタオース I やラクト-N-
ノボオクタオースなどの分枝型オリゴ糖のほうが優先的
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であった.タマーワラビーの泌乳期乳腺にはミルクオリ
ゴ糖の生合成にかかわる酵素として,グルコースや N-
アセチルグルコサミンにガラクトースを転移する β4-ガ
化学と生物
ラクトシルトランスフェラーゼ,ラクトースなどの非還
元末端にガラクトースを転移する β3-ガラクトシルトラ
図 9 ■ イースタンクオールの写真(Jim Merchant 博士より提
供された) ンスフェラーゼ,および 3 ′-ガラクトシルラクトースな
図 10 ■ 構造決定されたイースタンクオー
ルのミルクオリゴ糖(文献(49) )
とができる.有袋類乳の高ガラクトシルオリゴ糖のガラ
by H. Kamerling, G. J. Boons, Y. C. Lee, A. Suzuki, N.
クトースは,乳仔での循環過程でグルコースに変換さ Taniguchi & A. G. J. Voragen, Vol. 4, Elsevier, Amster-
れ,エネルギーとして利用されているであろう.つまり dam, the Netherlands, 2007, pp. 695‒724.
4) T. Urashima, S. Asakuma, M. Kitaoka & M. Messer: En-
このような高ガラクトシルオリゴ糖の獲得が,非常に未 cyclopedia of Dairy Science, Second Edition, ed. by J.
熟な状態で出産された有袋類乳仔の成長にとって重要な W. Fuquay, P. F. Fox & P. L. H. McSweeney, Vol. 3, Aca-
demic Press, San Diego, USA, 2011, pp. 241‒273.
生存戦略になっていった.
5) T. Urashima, S. Asakuma, F. Leo, K. Fukuda, M. Messer
& O. T. Oftedal: , 3, 473S (2012).
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Griffiths: , 36, 139 (1983). Hume, Syrry Beatty & Sons Pty Ltd., NSW, Australia,
33) J. A. Lane, K. Marino, J. Naughton, D. Kavanaugh, M. 1989, pp. 217‒221.
Clyne, S. D. Carrigton & R. M. Hickey: 54) M. Messer & B. Green: , 32, 519 (1979).
化学と生物