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比較文化

2024 年 4 月 15 日

第二回授業資料

〇今日の目的
比較文学研究の歴史を知る。特に「ポストモダン」の雰囲気を知る。また最新の研究(「遠読」につ
いて)の動向を学ぶ。

※成績についての補足。課題の内容。何を覚えるか(おもしろそうな本)等々。授業資料についての
補足。質問は課題欄ではなく掲示板に。

〇前回の課題について
1. 大学で文学・文化についての授業をとったことがあるか
2. 読書をするか
3. 大学で何を学んでいるか、あるいは学びたいか
4. 『ワンピース』と『ドラゴンボール』と『鬼滅の刃』を対比しても狭義の〔伝統的な〕比較文学・比
較文化研究とは呼ばれない。なぜか。

・4 の回答例:空想(フィクション)の世界だから、「大量消費」を前提とした楽しみ(エンタメ)のため
の作品だから、漫画は「低俗」あるいは子供向けだから、漫画という媒体が同じだから、
時代が同じだから、国が同じだから、掲載されている雑誌(『週刊少年ジャンプ』)が同じ
だから、歴史が浅いから(現代の作品だから)、アニメや漫画は原作者の意向が反映され
づらい(人気がないと打ち切りになる)から、異なる要素(時代背景やストーリー展開、人
物描写、中心テーマ)が多く比較できないから、漫画には細かなジャンルの区分があるが
これらの作品はジャンルが違いすぎる、共通点が漠然としている、 それぞれの作者が書い
ている他の作品数が少なく作者と作品の特徴が分かりにくい、一部完結していないから、
作者が異なるから、などなど。

〇本題に入る前に
・なぜ比較をするか

そもそも自意識が芽生えるとともに、われわれは知らず知らずのうちに自身を自分以外のものと
の関係のなかで考えている。それは、同情であったり、嫉妬であったり、過剰な防衛反応であったり 、

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敬意であったり、こうしたものが生まれるのは他人と自分を比較するから。また無意識レベルで比
較していることもある。
Cf.「欲望の三角形」

(出典:臨床心理学用語辞典(http://rinnsyou.com/archives/1345))

※この欲望の三角形を利用して、作田啓一は『個人主義の運命』で夏目漱石の『こころ』を分析。
他者(「K」)が対象(「お嬢さん」)を欲望した(好きになった)のを見て、自分(先生)も対象を好
きになったという解釈。これは「先生」のなかで無意識におこったことで、こうした人間の「こころ」
の不思議を描いたのが『こころ』だという解釈(これはあとで出てくるポストモダン的議論でもあ
る)。

このように根本的なところでわれわれの生は他者との関係からなりたっていて、大きく言えば比
較といえる行為を日常的におこなっている。さらにいえば、なにかを美しいとかよいとか思うときに、
それはすでに比較を前提としていることが多い。~みたいでかわいい、~みたいで好き、とか。
また比較は「知的な活動」のなかでもっとも自然で、もっともよくおこなわれてきた行為でもある。
利点は単純にひとつを見ていてもわからないことがわかるようになることだろう。複数の対象を比
べることで、共通の要素を見出し、その対象についての一般的知識を増やすことができる。たとえば
学問のなかで最初の比較~という名前がついたもののひとつとして知られているのは、比較解剖
学。動物の解剖をおこない、共通する要素を見出すことで、その動物の臓器が概してどういうもので 、
どう機能するのかという対象についての一般的知識を得ることができる。
さらに、比較は単純にアイデアにもなる。

最後に、比較することのメリットについてさらに考えるために、この比較文学という語自体につい
て。この語はドイツ語では vergleichende Literaturwissenshaft(英語で言うと comparing literature)、
フランス語では littérature compare (英語で言うと compared literature )、英語では comparative
literature と呼ばれている。フランス語の過去分詞は、すでに比較が起こっていることを示唆している
し、ドイツ語の現在分詞は、それが継続中であることを示唆している。英語の形容詞は、対象と観察

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者の区分を曖昧にしている。つまり、比較できるものは文学なのか、それにアプローチする方法なの
かが曖昧になる。日本語では「比較文学」というから英語に近いような気がするが、厳密に同じかと
いうとそういうわけではない。比較文学という語そのものが、このように比較的に考えられたとき、文
化的差異や考え方の違いを突き付けてくる。これも比較をする重要なポイント。比較をするなかで、
ほかの国の文化・言語について学ぶだけでなく、自分の文化・言語について考えなおすきっかけに
なることになる。
比較とはこのように至るところにある根本的なものである。そうなると逆にほとんどのことは比較
的と言えてしまうのではという疑問も。実際その感覚はある程度まで正しくて、比較文学にはなんで
もあり的なところが……
〇不安定な比較文学
比較には大きくいうと上記のような点があることがわかったが、実際におこなわれている比較文
学・文化の研究を見てみれば、それが共通点を見出せないほど多種多様だとわかる。たしかに、そ
れらの研究が文学を「比較」し、なんらかの知識を得ようとしていることはたしか。ただ「どのように
して」「何について」比較をおこなうのかについては異なる——民主主義といってもやり方がたくさ
んあるように。
比較文学とは何かをめぐるこの不安定性は比較文学研究の本質といっていいかもしれない。昔
から多くの人々が、その意味や方法について議論してきた。たとえば英文学とか仏文学とか日本文
学とかであれば、代表的な作品もあるし代表的な研究もある。でも「比較文学」になるとそれを決め
るのは難しい。比較文学にとって代表的な作品とはなんなのかわからない。一言で言えば、比較文
学は、明確な規律のない、かつ自己批判的な(自分たちの研究方法はこれでよいかなと問い続け
る)読書の方式。ある意味で研究対象そのもの(何を比較対象とするのか)を探している。
このように比較文学は本質的に不安定なもので、そのカバーする範囲も広大で、方法論も数多
い。なぜそうなったかについての歴史を確認しておきたいが、その前に簡単な見取り図を紹介して
おきたい。

〇大雑把な見取り図
比較文学について不安定なことだけが本質的と言うのはあまりにも不親切。不安定といっても完
全にカオスなわけではない。ここで日本においてよく用いられる区分法により便宜的に二つに整理。

・フランス派
→実証的で、実際に直接的に関係のあった異なる国の文学や文化を検討する。それぞれの文学を
原語で読み、テクストを精読するのがその方法。主に、影響関係、受容関係について研究する。こち
らは総称として「影響」「受容」研究と呼ばれたりもする。
例:宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」とアンデルセン「みにくいアヒルの子」の比較

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(宮沢賢治のアンデルセン受容)

・アメリカ派
→自由に比較対象を選ぶ。直接的に関係のない作品についても、人間や文学・文化に本質的な要
素の観点(たとえばフェミニズムや精神分析、物語論など。これらは時に「理論」と呼ばれる)から自
由に作品同士をつき合わせて読む。また、原文で読むことも必要とされず、翻訳で読むこともある。
こちらは総称として「対比」研究と呼ばれることもある。
例:紫式部『源氏物語』とプルースト『失われた時を求めて』の比較
(「物語論」の観点からの対比)

基本的には長い間フランス派が主流だったが、戦後にアメリカ派が支持を集め、今はどちらの比
較研究も盛ん。以下本授業では、比較文学の歴史を見ながら、いかにアメリカ派が登場してきたか
を確認する。なお本授業の第三回(場合によっては第四回でも)では「理論」を使ったいくつかの研
究を紹介。

〇比較文学の歴史
・18 世紀~19 世紀
比較文学という学問が誕生したのはいわゆる今の国家システムができた「近代」以降。もちろん、
近代以前から、そしてヨーロッパ以外でも比較文学「的」なおこないがあったことは確か。たとえば
ラテンの作家がギリシャで書かれたものを参考にしながら、みずからの作品を創造したように。だが
比較文学が制度として研究として成立していくのは近代以降。特に西洋における国民国家の形成
とともに西洋で始まった。したがってここからは西洋の比較文学について。
まず国民国家が定着するのは 18 世紀から 19 世紀にかけて。はじめはこの「国」という単位を元
に比較がおこなわれた(だから、今でも国をまたぐ比較でないと比較文学と認めない人もいる)。当
時の西洋諸国家は国力を高めるべく植民地を増やそうとしていた。そうした時代に生まれたのが
ヨーロッパの比較文学。
その際に重要だったのが文献学的発想。文献学とは文献の考証や意味の確定を行い、それを
踏まえて民族や文化について歴史的に研究する学問。 19 世紀初頭にブームを迎えた。植民地主義
が拡大しフィールドワークを行う場が増えたから。古い文献を読むことで、各国は「起源」を探究す
るようになった。自国とかつて栄えた古代ギリシャやローマとの関連を比較文学的に探究するなか
で自国の正当性、優位性を確保しようとした。その意味で、当時の比較文学は comparative なだけ
ではなく、competing literature だった。この時点でのそれは、まだ制度として確立しているわけでは
なかったが。

・19 世紀~20 世紀
19 世紀になると新たな比較文学の可能性。1827 年にドイツの大作家ゲーテは国民文学ではな

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く「世界文学」の時代が来ると論じた。ますます国際化する市場でローカルな文学のモードは次第
に存在感が減るだろうと。とはいえ世界に共通の言語などないし、公平な価値基準なんて不可能。
ゲーテ自身も世界文学の理想を考える際に古代ギリシャの視点が重要になると考えた。結局ゲー
テの世界文学はヨーロッパ中心。ただこの世界文学という発想は比較文学にとって今でも論じられ
る重要トピック。
この世界文学の議論は独仏など当時の西洋覇権国家だけでおこなわれたわけではない。たとえ
ばモスクワ大学では 1872 年に「世界文学科」が生まれた。ロシアは西洋より文化的に「遅れて」い
るとされており、西側諸国との比較のなかで自身の成長の度合いが測れると考えた。こうした態度
はロシアの強み。それだけ多くの刺激をうけて豊かに強くなれる。これら周縁の国でおこなわれたも
のの方がより比較文学的。理由は簡単でそちらの方が国際的な交流から得るものが多いから。た
とえばロシアの象徴主義はドイツのショーペンハウアーやニーチェ、フランスのマラルメやヴェル
レーヌ、英国のオスカー・ワイルドやデンマークのイプセンらから影響を受けた。実際当時のロシア
では比較文学による自国の文化向上が意識されていた。
さて 19 世紀の終わりには比較文学が学問として確立しつつあった。1886 年に英国人ハッチス
ン・M・ポズネットによる『比較文学』(この著作を元に日本はじめての比較文学の授業がおこなわ
れた by 坪内逍遥)という書籍が出たが、この著作は科学的な研究を志向しており、その点で現在
でもおこなわれる研究に近づいた。もうひとつ重要な点としてその約 10 年前、1877 年に最初の比
較文学のジャーナルが敢行されたこともある。そこで寄稿される原稿は少なくとも 10 以上の言語
で書かれる予定だった。だが、現実は厳しくほとんどがハンガリー語がドイツ語だった。結局 10 年ぐ
らいでこの雑誌は終わることになった。多言語主義は伝統的な比較文学の基本的原則だが、多言
語を高度なレベルであやつることは極めて難しく、そこが一番のハードル。また言語をマスターした
うえでさらに多くを読まなくてはならない。
これは長らく比較文学に暗黙のうちに求められていたこと。「もっと幅広く読め!もっと多くの言語
を学べ!」という風潮。それは少なくとも一つ以上の言語や文学をマスターしたエリートのものという
側面も。教養主義。のちに見るように「アメリカ派」の登場によりこうしたエリート主義的考えがすべ
てではなくなっているが、しかしそのインパクトを理解するためにも、伝統的には比較文学には厳し
いハードルがあったことは知っておいてよい(参考資料)。

・20 世紀前半
20 世紀に入ると比較文学をめぐる状況は変わる。前の時代から継続的に発展してきたものとし
ては、フランスにおける比較文学の発展がある。これがいわゆるフランス派。先ほども見たようにフ
ランス派は、特に実証性を強調し、バルダンスペルジェ(Fernand Baldensperger)の『フランスにお
けるゲーテ』(1904)に典型的なように、国をまたいで文学が具体的にどのように受け取られていっ
たかを厳密に調べる受容・影響関係の研究を強調した。
だが、それ以外の点でいうと重要なのはこの時代が危機の時代だったということ。二度の大戦が
あった 1914~45 年は近代ヨーロッパの歴史における影。それに対応するかのごとくヨーロッパの団

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結が叫ばれていた。この時代の批評家たちの関心事はヨーロッパ文化の存続。
大戦が終わり特に重要な業績を残していくのがレオ・シュピッツァー、エーリッヒ・アウエルバッハ、
エルンスト・ローベルト・クルツィウスら。比較文学の「黄金期」を作った人物としてこの三名はひとく
くりにされることも多いが、このうち特に言及されることが多いのはアウエルバッハの『ミメーシス—
—ヨーロッパ文学における現実描写』(1946)。同著は 20 世紀の比較文学研究のひとつのテンプ
レートに。彼は文学が現実をどのように表すかに注目しながら古代、中世、近代ヨーロッパ文学を縦
横無尽に語りつくしたがその背後にある西洋の伝統への敬意は明らか。アウシュヴィッツの時代に
その文化を守りたいという意図が同著にあった(彼自身ユダヤ人でありドイツを追われている)。同
時に彼は、戦後において比較文学が真に世界文学になるためには、ヨーロッパにとどまっていては
いけないこともわかっていた。ひとは自国の文化からいったん離れたときにはじめてその文化をより
よく理解できる。だからヨーロッパの人々も、自らの伝統の外の視点に立ち、自分たちを捉えなおし
ていくべきと。

・20 世紀後半
このように 20 世紀前半は、「危機」に対する対応が重要になったが、後半になるとアウエルバッ
ハが考えていた「ヨーロッパの外へ」が実現するように。まず前提としてこれはいろんな業界で当て
はまることだが、ナチスのユダヤ人迫害により優れた才能が多くアメリカに流出。それは文学研究
においても同様。なかでもウィーンで生まれ育ち、第二次大戦勃発後アメリカに移り最終的に Yale
大学で教鞭をとったチェコ系のルネ・ウェリック(René Wellek)は比較文学にとって影響力があった。
戦後にアメリカの大学で「comp lit」として呼ばれるようになったこの学問は大きな変化を遂げた。
「フランス派」のソースと影響関係にこだわる厳密で実証的な比較文学は一定の地位を確立し
たが、ウェリックは比較文学をもっと幅広く捉えるよう促した。それぞれの対象に直接的な関係がな
くとも、その背後にある何らかの共通の価値を見出せるような研究であれば、それを比較文学と認
めてよいと。
ここからアメリカ派比較文学が始まった。それは「理論」を重視し、直接には関係がない文学同
士を比較する傾向にあった(皮肉なことにウェリックはのちに見る理由で「理論」を認めていなかっ
たが)。特にフランスの思想家たち(ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダなど)が「理
論」と比較文学を支えることとなった。これはかなりの成功をおさめ、この手の研究が世界中の多く
の国における文学研究の中心になったといっても過言ではない(少なくとも日本ではそう)。
とはいえその栄光はいつまでも続かず、2000 年代になると比較文学の危機がささやかれる。これ
は人文学そのものが危機に瀕していることとも関連しているが、それとは別で以下のようなポイント
がある。理論を重視しすぎたあまり文学そのものを読むことが本質的ではなくなった、理論が難解
(自然科学の用語の濫用、ときには誤用、cf.「ソーカル事件」)すぎる、そもそも学問として独立する
に足るディシプリンを備えているのかなどなど。
今現在の比較文学はそうした反省も生かしながら、新たな形を模索しているところ。このグロー
バル化が進む現在、それが持つ魅力や重要性は明らか。また、なんでもありになったことは逆に言

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えば、言語や文学批評、さらにはそれ以外の文化的事象についての関心を包摂するものとして、あ
る意味人文学のリーダー的存在になれる学問でもある…….らしい。学問として独立できるか、それ
ぞれの学問に吸収されるか。アメリカの comp lit の現在。日本の比較文学科の現在。

〇「アメリカ派」比較文学登場以後の進展の紹介
主に主流だったフランス派から、アメリカ派への移行。
まずフランス派は直接かかわりがあった国同士の比較だから話は簡単。実際に関係があった異
なる国の作家や作品に注目して、影響や受容を調べる。結果歴史研究に近いところがある。どうい
う影響があったのかを、特定のテクストを丹念に読み発見する作業になるから。
他方、アメリカ派は必ずしも直接的に関係していない文学を扱うので、それらをつなぐ何かが必
要。そこで重要になるのが国や時代を越えてもある程度普遍的に妥当するような何か。それが「理
論」と呼ばれる。この「理論」が(比較)文学研究を席巻した。理論は「理論的には( in theory)」普遍
的にあてはまるので、国際的に共有できる。
次回の授業でいくつか細かく見るが理論の重視は文学あるいは作者の自律性を制限する。とい
うのも、多くの理論は文学が作家の主体性、創造性ではなく、それ以外に働く「力」を強調したから。
その「力」とは経済的なもの、心理学的、政治的、文化的、性的なものなど。たとえばシェイクスピア
の『ハムレット』は精神分析的にみると、エディプス・コンプレックス(ざっくりいうと男児が無意識に
同性である父を憎み、母を性的に望む傾向)によって規定された小説だし、『テンペスト』はポスト
コロニアリズムの視点から見ると、「新世界」を搾取しようとする無意識から書かれている。このよう
に比較文学の研究者の役割はテクストに「実のところ」潜んでいる真の意味を暴き出すことに。
こうした理論は文学を全く新しい視点から読むことを可能にした。それがゆえに作者がテクスト
の意味の権威で、読者は作者の意図を探るというそれまである程度共有された前提は崩れ去った。
「作者の死」というインパクトの強いフレーズが流布したのもこの時期。


「作者の死」について補足。まずこの考えは戦後の哲学や思想が「言語」に焦点を当てるように
なったことが関係している(これは言語論的転回などと呼ばれる)。
「概要」を示すと以下。ふつう言葉は世界を写し取るものだと考えられている。目のまえにある物
体が存在しそれを誰かが机と名付けた。それによって机という語が出来た。そう考えるのが自然。こ
のようにたとえば「机」という語の意味は、実際の物体に依存して成立すると考えるのが「言語論的
転回」以前の考え方。
しかし必ずしもそうとは言えないという考え方が出てくるように。たとえば「虹」は国によって 7 色
だったり 6 色だったりするがこれはその国の語彙によって違ってくる。つまり必ずしも物が先にあり
言語がそれを写し取るのではなく、むしろ虹の色を規定する色概念(言語)が先にあってそれにより
われわれの物の認識が形成されていく部分がある。

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ざっくりいうと「言語論的転回」という流れは言語によってわれわれの認識や世界の捉え方が規
定されていることを重視。こうした考えが文学の解釈に関わる。以前は作者の「意図」文学(言語)
に反映されているから、その意図を読み取るという考え。でも「転回」以後は、いやいや背後にある
意図なんかではなく、言語そのものが意図。だから背後に何か探す必要はない。実際に書かれてい
る言語の織物(テクスト)にひたすら注目すべきだ、と。
こうした考えを広めるのに貢献したのはロラン・バルトというフランスの哲学者で、彼が「作者の
死」を宣言した(『物語の構造分析』参照)。またバルトと文脈は異なるが、ジャック・デリダは『グラ
マトロジーについて』「テクストに外部はない」と言う。テクストに書いてあることだけがすべてで、何
か意味を決定してくれるような超越的な存在(作者の意図のような)などないと。
上記のような考えの背景は、「「近代」のあと」を意味する「ポストモダン」という時代の考え方に
よく適合する。「近代」では「個」とか「主体性」の重要性が強調された。「近代」ではまず個人ありき
で、個人の自由が尊重され、自由意志によって努力し、そのうえで世界をよくすべきという考えが主
流だった。もちろん、世間では今でもこのように考える人は多いかもしれないが、特に WW 2の反省
を踏まえ「個人」への過大評価を戒めるが強い。そもそも人間の自由意志を疑うような心理学的研
究も出てきている(リベット『マインド・タイム』参照。何かをしようと意識する数秒前にもう脳は動い
ている)。また、個人の努力次第でなんでもなんとかなると言う近代的考えは、環境の違いや遺伝
的要因を十分注意していないためその点でも批判された。個人の努力で成功した人は、その努力
ができる環境や才能のおかげであり、成功できなかった人が努力をしていないことにはならない。
これに関してたとえばリオタールという哲学者は『ポストモダンの条件』で「大きな物語」の終焉
について論じている。「人間はその主体的な理性によって社会をよりよい方向へと導く」という「大き
な物語」が終わったのがポストモダンの時代。このようにポストモダンにおいては、「個人」の「主体
性」が疑われるようになっており、そのことと「作者の死」はつながっている。
ちなみに「作者の死」を文字通り受け入れて、作者の意図なんて文学の解釈になんの関係もな
い!と思っている文学研究者はおそらくかなり少数派だが、とはいえ作者の意図が絶対的ではない
と思っている研究者は多い。現代文の入試などで出題された問題に対して作者が SNS などで「自
分の意図はそうではないんだけど…」と感想を述べていることもあるが、文学テクストは多様な解
釈に開かれているので、こうした作者のコメントで出題者が動揺したという事例は今のところ耳にし
たことがない。また「文系は作者の気持ちを~」のような煽り文句があるが、こういう常識があるの
で、作者の気持ちを考える人は少ない。ちなみに私は作者の気持ちを知りたいタイプだが、それは
私自身が文学研究者としてというより思想史家のマインドで文学者に接しているから。また、作者
の気持ちを絶対視する必要はないとはいえ、それを考慮に入れることは重要だから。

いずれにせよ、こうした文学理論の台頭により文学観が変わった。文学とは作者の天才により生
まれたと考えるのではなく、文化的な産物だということが強調される。なおここでいう理論とはたと
えば物理学の理論のように厳密なものではない。とはいえ、実際に個別のテクストそれぞれの解釈

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に力を入れるよりも一定数のテクストに共通する要素を考える点では個別の文学研究より「理論
的」な傾きが強いことは間違いない。
よく知られた理論としては、精神分析、ポストコロニアル批評、フェミニズム、ジェンダー論、物語
論(ナラトロジー)、エコ批評など様々な「理論」がある。このうちのいくつかは来週紹介。
最後にいわゆる「理論」以外の目立った 3 つの動きについて。

① カルチュラル・スタディーズ
上記の文学理論による研究が主にフランスの思想家たちの考えに支えられていたのに対し、英
国から新たな比較文学的研究が生まれた。文化は知的エリートが生み出し享受するものだと考え
られていたが、次第にいわゆるサブカルチャーや、大衆文化も取り扱うようになった。これも作者の
ものを含む権威がなくなったことと関係している。権威が嫌われ、平等が促進された。そこで生まれ
たのがカルチュラル・スタディーズ。
これは美学的であると同じぐらい、社会学的だった。 Richard Hoggart リチャード・ホガートの『読
み書き能力の効用』やレイモンド・ウィリアムズ Raymond Williams の『文化と社会』などがその基
盤となる作品。カルチュラル・スタディーズの特徴はそれまでの研究より日常的な文化により焦点
を当てたこと。映画やテレビ、広告や新聞など。
具体的な研究においては、ただ大衆文化の美的価値について論じられるわけではなく、その背
後にある資本主義の弊害を指摘したり、大企業や政府がいかに人々を無意識に支配したり操作し
たりしているかを暴くものが多かった。かなり政治化した研究。
概してカルチュラル・スタディーズは比較文学研究のハードルをあげもしたし、さげもしたと言わ
れている。あげたというのは、それに関わる以上、何らかの政治的立場を採ることが前提されるから
さげたというのは、いわゆるお堅い文学だけでなく、サブカルチャー的なものを含むいろいろな文化
的現象を研究の対象にする可能性を開いたから(比較文化というのはここからきている)。日本語
で読める文献としてはたとえば吉見俊哉『カルチュラル・スタディーズ』(岩波書店、2000 年)参照。

② 翻訳・翻案研究
翻訳が比較文学の中心的テーマになりそうなことはすぐわかる。しかし意外にも翻訳が研究とし
て焦点を当てられ始めたのは 1970 年代から。それまではオリジナルこそがすぐれたもので、翻訳は
それに追従するという評価が一般的。『バベルの後に』で有名なジョージ・スタイナーらは翻訳には
もっと問うべきことがあると議論を始めた。なぜ文化によって翻訳を多くするところとそうじゃないと
ころがあるのか(たとえば日本は翻訳大国と言われている)、翻訳しやすいテクストの特徴はなんな
のか(たとえば村上春樹の小説は翻訳しやすいと言われている)。翻訳が文化に占める位置は長
い歴史のなかでずっと不変なのか。翻訳で失われるものは何で、逆に翻訳によって明らかになるこ
とは何か。こうした問いが問われ、その文化的特質が明らかになってきた。
多く議論されたのは、テクストに忠実な翻訳とわかりやすさを重視した翻訳について。言い換え
れば異国性をなるべくそのまま受容するか、自国流に飼いならしてしまうか。コーヒーが全くない文

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化においてコーヒーを翻訳するとき、それをカタカナで処理するか、お茶に変えてしまうか。この点、
明治期の翻訳を考えるのは大変おもしろい(翻案、豪傑訳の問題)。また翻訳はテクスト間を比較
するために必要なばかりか、それ自体比較の実践でもある。だから翻訳について研究することこそ
が、もっとも普遍的な比較文学研究だとする考えも。
最近も翻訳研究は活発になされており、その政治的側面に注目したり、翻訳の際に、新たな言
語に同化されることを拒む要素に注目が集まったりしている(以前は翻訳で失われるものがネガ
ティヴに捉えられていたが、現在はそのポジティヴな側面に注目が集まっている)。結局どこまで翻
訳できてどこまでできないのかは、機械翻訳の発展もあるから研究され続ける。さらにジャンルを超
えた翻訳、翻案にも注目が集まっている。本授業でも扱う。

③ 遠読 distant reading
比較文学の基礎は精読 close reading にあると言われてきた。あるテーマや時代、地域を基礎に
して、複数のテクストを丁寧に読み込み、文構造、モチーフの共通性、ある語が喚起するイメージな
どの「細部」に注目し、対象テクストの共通点を見つけたり、あるいは相違点が生じた原因を明らか
にしたりすることができる。これが比較文学研究のメリットだった。これを可能にする精読は長らく無
批判に正しいとされてきた。その精読のために必ず必要とされるのは原典を原語で読むこと。翻訳
ですべての要素が完全に伝えられないことは明らかなのだから細部にこだわる人が原典を読まな
くてはいけないと考えるのは自然だろう。
まずこうした精読重視の背景には、作者→テクスト→解釈という絶対的な関係性の重視があっ
た。解釈は作者の意図を正確に読み解くものという考え。伝統的なフランス派的比較研究もおおむ
ねこうした考えのもとにある。だからオリジナルなテクストを丁寧に読み、それと直接に影響関係に
あるものだけが、比較の対象となるとされた。
だが、現在ではこうした前提が変わっている。まずすでに見たように「理論」の勃興は、作者の権
威を失墜させた。バルトの「作者の死」はおおげさにしても、批評家たちは理論を使ってテクストの
新たな意味を見出すようになった。また、すべての読者が原典を読んでいるわけではない。特に世
界文学と呼ばれるような世界中で読まれているものは、翻訳で読まれることの方が多い。そうなっ
た場合に原典だけを研究する必要はなく、むしろ翻訳されてもなお残る要素について考える必要も
でてくるだろう。
こうした変化は「遠読」と呼ばれるものを生んだ。これはフランコ・モレッティ Franco Moretti が提
唱。この概念は最初「世界文学への試論」(『遠読』所収)で使われた。そこでは、世界文学を学ぶ
うえで、二次的なテクストを読まざるをえない状況を説明するために使われた。精読せずとも翻訳
や解説などを読むことである程度は対応できるのではないかと(ちなみにモレッティはイタリア生ま
れの文学者であり、イタリア語と英語だけでなくフランス語ドイツ語スペイン語ポルトガル語を読み
こなすことができる。その彼がこの概念を提唱していることの意義)。
この「遠読」という語はモレッティによりさらに意味を拡大された。次第に原語で直接テクストを読
む以外の幅広い読書の仕方を説明する語として用いられるようになった。そのなかにはデジタルな

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データ読解なども含まれる。テクスト内の語や考えについて深く考察するのではなく、グラフや樹形
図などで表せる表面的な点から文学について考えていこうとする。
た と え ば 「 「 ス タ イ ル 株 式 会 社 — — 7000 タ イ ト ル の 省 察 ( Style, Inc. Reflections on Seven
Thousand Titles)」という論考では、デジタルデータを用いて 18 世紀から 19 世紀に書かれた英国
の小説のタイトルを分析する〈参考資料〉。
この授業でこれから扱う文学・文化研究(コンテンツの中身にふれる)ともっともかけ離れている
こともあり、最後にこの論文について簡単に確認しておきたい。

〈概要〉
同論文が扱うのは 1740 年から 1850 年までの英国小説。小説というジャンルはこの期間のはじ
め周縁的な存在だったが、終わり頃には国民文化の中心に。だから小説という形式にとってこの時
期は重要。また都合のいいことに、この時期の作品については、そのすべてのタイトルのリストがあ
る。タイトルとは市場におけるコード化されたメッセージである。これは半分記号であり、半分広告で
もあり、言語芸術としての小説と商品としての小説が出会う場と言える。
これについて、モレッティは以下の 3 つの分析をおこなう。議論というより事実の羅列とその解釈
に近くその点でも「ふつうの」文学研究に慣れているものは驚くことになるだろう。

①18 世紀におけるタイトルの大きな変態を記述し、その原因の説明をおこなう。
②1800 年あたりに登場した新しいタイプのタイトルが読者が小説に期待するものを変化させたと
いう説の提示。
③ 数量的な文体論を試み、タイトルが特定のジャンルを指示する戦略について考察する。


ひとことでいうと、この 1740 年から 1850 年でタイトルははるかに短くなった(図1~4参照)。なぜ
だろうか。
まずそもそもなぜ以前はタイトルが長かったかというと p. 254 にあるような「説明」のため。だが
小説が発展し作品数が増えるうちに雑誌による書評も増えた。だから、もはやタイトルで説明は不
要になった。また小説が増え、結果的に「陳列窓」は狭くなるので、素早く効果的に目を引くタイトル
をつける必要がある。小説の刊行数が増えるにつれ市場が大きくなりタイトルが短くなったというこ
の仮説を証明するのが図 7 と 8。またこの市場とは主に貸本屋のことだが、貸本屋でもやはり短い
書名が求められていたことがわかる(p. 258)。
結論として重要なのは、市場の圧力が小説の発表の仕方に影響を与えること。


1,2,3 語で表される短いタイトルはどのようにして何百ページもの小説の内容を表現できるのだ

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ろうか。
それを知るべく短いタイトルの分析。それは三つの集団に分けられる。ひとつは固有名(ジョー
ジ・バーンウェル George Barnwell など)でこれが 30%。二つ目は冠詞+名詞(『密輸業者』 The
Smuggler)or 冠詞+形容詞+名詞(『見えない紳士』The Invisible Gentleman)でこれも 30%弱。三
つめは抽象名詞(『不運』Fatality)でこれが 10%程度。
要約的な長いタイトルだと細かい点は気にされなかったが、こうした短いタイトルは繊細。「冠詞
+名詞」と「冠詞+形容詞+名詞」を比べてみよう。
まず前者は、かなり非日常的なにおいがするものが多い。 『吸血鬼』The Vampyre、『火喰い師』
The Fire-eater 、『海賊』The Pirate などの名詞が 50%ほど。逆に形容詞がくわえられると、日常的
な名詞が 40%も使われることになる(図 11)。『捨てられた娘』The Discarded Daughter、『不信心
な父』The Infidel Father など。ここで「いわば形容詞が物語を実質から偶然へと移転させ(The
adjective relocates narrative from substance to accident, as it were)」ていることがわかるだろう。
※実体・偶有性(付帯性)、一般・個別、抽象・具体
ここにすでに物語が導入されている。なぜ娘は捨てられたのか読者は気になる。

また、固有名はどんどん増え、1800 年には 7 分の 1 を占める(図 12)。ヨーロッパの物語にとって


主人公名は典型的なタイトルであり続けた。なお女性が主人公で、タイトルはファーストネームのみ
の時期があったが、これは未婚女性の結婚をめぐるいわゆる「結婚もの」が流行ったことを示して
いる。これは 1830 年頃から変わり、フルネームが用いられるようになる(図 15-16)。これは単なる結
婚ものではなく、歴史小説、教養小説といったジャンルに結婚ものが組み込まれて、女性主人公が
公共性を獲得したことを示している。


たとえば映画タイトルの邦題について学びたい人は以下を参照。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000142371
タイトルと固有名と翻訳はおもしろい。

さらに、1790 年から 1850 年においては抽象名詞が増えた。『正直』Integrity『決断』Decision『忍


耐』Patience など。道徳にかかわるものがほとんど。これは 19 世紀的な道徳で、それまでは、『不服
従』Disobedience『無分別』Indiscretion『懲罰』Retribution など反道徳的なタイトルが多かった(図
17)。これは、この時期に、ひとが道徳的になろうとするテーマが主流だったことを示している。たと
えばホフランドの『中庸』は実践的な有用性を説く道徳律のためにかかれていた。これはまさにこ
の時代を表わしている。
こうした抽象名詞はもはや説明とはかけ離れたところにあるが、その延長で隠喩的なタイトルも
多くなる(ゾラ『パリの胃袋』The Belly of Paris、イプセン『幽霊』Ghosts など)。読者としてもこうした
タイトルばかり見ると小説に期待するものが変わる。要約的なタイトルは読者に多くを伝えたが、読

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者の知性には訴えなかった。それに対して、抽象的な隠喩タイトルは読者を戸惑わせ、挑戦するこ
とで、読者の積極的な関心を引き起こす。商品を売りたいときはこうした関心こそが何より重要。


市場が大きくなるにつれ題名は短くなる。それにつれ、短い題名で内容を示唆することが増え題
名は「合図」のようになる。その合図は必ずしもわかりやすい場合ばかりではない。それを確認する
ニュー・ウーマン
ために「反ジャコバンもの」と「「新しい女」もの」を見てみよう。
※反ジャコバンは恐怖政治で有名なジャコバン派に反対するもの、新しい女は 19 世紀後半に登場
した主体的な女性たちの総称。どちらもイデオロギー的で共通点も多い。以下の点を除いて。

まず前者の 36%が定冠詞 the とともに始まっており、3%が不定冠詞。これは他の小説の割合と


そう変わらない。ただ後者を見ると定冠詞が 24%、不定冠詞が 30%である(図 18)。
定冠詞は既知のこと、不定冠詞は未知のことをあらわす(この p. 275 の叙述は英語の非母語話
ニュー・ウーマン
者には興味深い)。「「新しい女」もの」において不定冠詞が多いのは、女性について知っているつも
りにはなりがちだが、実際には知らず新たに知らなくてはならないことを示唆。不定冠詞は一般に
認められた知識への挑戦という合図を送る。

続いて「the x of y」型のタイトル(『ヨークの公爵夫人』The Duchess of Youth など)に注目。この


題名はゴシック的作品(神秘的・幻想的作品)にて頻出する(図 20)。なぜか。
このxにはてはまる語をみると「ロマンス」(『ピレネー山脈のロマンス』 The Romance of the
Pyrenees など)がそのうち 7%。謎、恐怖、秘密などが 13%、人物を示す名詞が 34%。場所を示す名
詞が 41%。つまり場所と人名が 4 分の 3 も占める。そしてyに目を移せば、全体の 82%が地名。つ
まり、一番多い組み合わせとしては「場所 of 地名」(『オトラントの城』みたいな)。地名こそがこの
ゴシックというジャンルの慣習の土台。おそろしい土地(オトラント)と場所(城)の力で、人々に恐怖
を予感させる。

論文まとめここまで

上記に限らない全体的なモレッティへの評価は以下。まず比較文学的にいうと彼の著作の長所
はまず翻訳にこだわらなくても研究できる道を開いたこと。世界文学という考えが広がっている現
在において、この利点は大きい。また遠読が以前は不可能だった大規模な研究を可能にさせてい
ることも確か。それにより比較文学という語がより使われるようになっている(データあり)。また先
の研究もそうだがデータで客観的に何かをいうことが可能になる。
とはいえ、当然遠読だけでよいわけではない(モレッティ自身も精読・遠読それぞれに達成できる
ことが違うので、精読だけではだめと言っているだけ)。文学作品を遠読しただけでは何が人を感
動させるのか、何が美しいのかという美学的な議論はできず、単に社会学的にわかることだけが考

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察されることになる。だが文学が個々人に与える影響(心の逃げ道としての文学やあるいは感受性
を育てるものとしての文学など)も忘れてはいけない。当然ながら翻訳が取り逃してしまうものの影
響も考えるべき。
さらに、遠読という方法が当てはまる領域とそうではない領域がある。たとえば広く世間に受け入
れられたものの分析に向いていても、社会の限られた人々にしか読まれないにも関わらずすぐれた
芸術とされるものを分析するのには向いていない。日本でいうとライトノベルのタイトルの長さの推
移の分析に遠読が有効でも(実際にそういう分析をしているサイトがあるらしい)、芥川賞候補作に
ついて指標化するのは難しいとのこと(『遠読』(みすず書房、2016 年)の訳者あとがき参照。)。

※遠読についてレポートを書きたい場合(変則的なので注意)
モレッティの『遠読』を読み、気になった論文を選び、それを読み、そのうえでそこに書かれているこ
とを強化すべく、あるいは反論すべくいくつかの小説を実際に読んでみる。それで得られた知見をま
とめる。

モレッティは「」で○○時代の小説は~と言っている。だが本当にそうなのか。これに関して本レポー
トでは、○○時代の小説『□□』と『△△』を読んで、その見解がどこまで妥当か示してみたい。まず
「」での見解をまとめておこう。それは以下のようになる…….そのうえで『□□』と『△△』を「精読」
したところ、「」での見解は~というところまでは正しいが、…という点には少なくとも当てはまらない
事例があるということがわかった。

なお『遠読』についての導入としては武田将明氏によって書かれた以下も参照。
https://www.bookbang.jp/review/article/519355
同著収録の「文学の屠場」という論文では、シャーロック・ホームズ物と同時代の探偵小説との差
異を分析、「プラネット・ハリウッド」という論文ではアメリカ映画の他地域への影響を分野別のデー
タに基づいて考察していることなどが紹介されている。

参考文献
Ben Hutchinson, Comparative Literature: A Very Short Introduction (Oxford UP, 2018).
Franco Moretti, “Style, Inc. Reflections on Seven Thousand Titles (British Novels, 1740–1850),”
Critical Inquiry, Vol. 36, No. 1, 2009, pp. 134-158.
松村昌家(編)『比較文学を学ぶ人のために』(世界思想社、1995 年)
佐々木英昭(編)『異文化への視線——新しい比較文学のために』(名古屋大学出版会、1996 年)
フランコ・モレッティ『遠読』(秋草俊一郎(他)訳、みすず書房、2016 年)

以上

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